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ハワイの休日の古典

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ハワイの休日の古典
HUAWEI/News Letter P18.19 (2011.1.19/Vol.2)
Roaming China
漫遊中国
Chinese Words of Wisdom
言葉の贈りもの ∼故事成語の知恵
中国の故事成語には、現代に生きる私たちのヒントとなる知恵がたくさんある。
解釈:最上の善は水のようなものである。水が上
Chinese Words of Wisdomでは、
そんな中国の先人の知恵について言葉を紐解きながら紹介する。
善である理由は3つある。第一に、水は万物に
利沢を与えている。天地の間に水なくして存在
『上善は水の如し』
海南島
My Home Town in China
中国の故郷
©2010 Google-Mapdata
©Tele, Atlas
海南島
東洋のハワイ“海南島”
ハイ ナン
(チン・タン・ケツ)
(ウェンチャンジー)
という料理が元になり、海
ちと宿舎を抜け出して、町に繰り出すこともあ
南島出身の華僑がタイやマレーシア、
シンガ
りました。僕は運がよかったのですが、寮長に
ポールなどに伝えたといわれています。文昌
見つかり、
こっぴどく怒られた寮生もいます。
僕は「東洋のハワイ」と呼ばれる海南島の
にある祖母の家へ行くと、祖母が決まって美
出身です。僕が元旦に生まれたため、両親が
味しい海南鶏飯を作ってくれます。
ファーウェイに入社してまもなく満4年を迎
僕の名前に「旦」
という字を入れました。母は
海南島は南シナ海北部に位置していま
え、
そして、東京オフィスに出向してから早2
専業主婦ですが、父は農園を営み、
あの楊貴
す。亜熱帯性気候の島で、冬でも気温が20
年が経ちました。今でも
『ちびまる子ちゃん』
妃がこよなく愛食していたライチーを育ててい
度前後と暖かいため、冬のリゾート地として本
が僕の日本語の先生です
(笑)。東京での仕
ます。
土の中国人に人気があります。特に、島の南
事も、暮らしも、楽しんでいます。休日はジムへ
端にある三亜市には新しく開発されたリゾー
行ったり、本を読んだりして過ごします。特に
僕が生まれた海口市は海南省人民政府
ト地に5つ星のホテルがたくさん立ち並び、
い
歴史関連の本を多く読みます。日本の歴史
の所 在 地でもあります。昔 、島に鉄 道がな
つも観光客でにぎわっています。東京から空
では戦国時代、特に『本能寺の変』
と
『関が
かったため、僕は二十歳になって北京から天
路で行く場合、広州、上海、香港などを経由
原の戦い』
に興味を持っています。
津へ行くときに初めて列車に乗りました。貧
に、人間は一歩でも高い位置を望むが、水はそ
でもある老子の言葉である。
の反対に低い所へ低い所へと流れていく。第
三に、低い所にいるから自分が大きくなる。谷川
は流れて大川となり、
さらに流れて海となり、大き
白 文
読み下し文
上善若水。
水善利万物、
而不争。
処衆人之所悪。
故幾於道。
居善地、
心善淵、
与善仁、
言善信、
正善治、
事善能、
動善時。
夫唯不争、
故無尤。
Kaleidoscope
香港・広州地方の旧正月料理
桶料理『盆菜』
プン ツァイ
して三亜鳳凰空港にたどり着きます。
上善は水の若(ごと)
し、水は善く万物を利し
ても争わず。
衆人の悪
(にく)
む所に処
(お)
る。故に道に幾
(ちか)
し。
な存在となる。
(出典:
『中国古典名言事典』、諸橋轍次著、講談社学術文庫)
つまり、理想的な生き方を水にたとえた言葉
といえる。変化に柔軟に対応する水のように、
わ
け隔たりなく周りの者に恩恵を与えながらも、利
居には地を善
(よ)
しとし、心には淵
(えん)
なる
を争わない。謙虚な姿勢で世に処し、深い淵の
を善しとし、与
(まじわり)
には仁を善しとし、
ような心を持ち、仲間には仁を、語らいに偽りな
言には信を善しとし、正
(政)
には治を善しとし、
事には能を善しとし、動には時を善しとす。夫
(そ)
れ唯
(ただ)
争わず、故に尤
(とが)
め無し。
く。政
(まつりごと)
を善く収めば、物事は良く機能
し、時を失するような事もない。これこそ人生の
最善の道であるということを意味している。
び 豚 肉のしょうゆ煮 込み、
さらには魚の浮き
揃ったところで、三日目は丸一日をかけて料理す
袋、車えび、髪菜
(ファーツァイ:髪の毛の形に似
る。特に、豚肉煮込みには、肉の中までしっかり
た海草)
、牡蠣やタウナギの干物などが含まれま
味をしみ込ませるために手間ひまをかけて調理
る。なかでも、豚肉のしょうゆ煮込みは盆菜全体
しなければならない。
の精髄であり、最も手間がかかる料理である。
伝統的な盆菜は木製の桶に入れられるもの
盆菜の由来は13世紀南宋末期に起源す
で、食材が上から順に六層に重ねられる。上の
三層は鴨、鶏肉、車えびの炒め物や海の幸の干
乏学生だったころ、北京から海南島の実家に
僕が現在担当している無線関連製品の
る。当時、元(げん)
の軍隊に追われた朝廷の
戻るときは飛行機代を惜しんで、列車とバス
テクニカルサポート業務はチャレンジングであ
君臣らが南下した際、一行が香港新界を
物など、下の三層はニンジン、豚の皮そして豚肉
り、
日々の仕事に大変やり甲斐があります。日
通った時に、村人たちに熱く迎え入れられ
など、煮汁を吸い込みやすい食材が置かれるた
本のお客様は、製品やサービスの質への要
た。
しかし、
もてなすにも食べ物を盛るた
め、煮汁のうまみが下の各層にしみ込み、一層
海南島はあの有名な海南鶏飯(ハイナン
求がとても高く、ハイ・スタンダードは、
ファー
めの入れ物が足りず、切羽詰った村人
食欲をそそる。食べるときは上から順に食べてい
チキンライス)
の発祥地でもあります。僕の田
ウェイの目指すところでもあります。お客様の
たちは料理をまとめて、洗面器のような
き、下の層になるほど味わいが増すのである。
舎では、餃子でなく、ハイナンチキンがお正月
期待に添えるよう、僕も日々勉強です。また、
に乗り継いで、丸々2日間かかっていました。
大きな木製の桶に入れたのが後の盆
数百年の歳月を経て、盆菜の食べ方は当初
と大きく変わってしまったが、現在でも香港の食
文化の一部として定着し、
さらに、隣の広州にも
(旧正月)
の定番料理です。海南鶏飯はシン
日本人のプランを立て、規律正しく仕事する
菜へと発展したと言われる。その後、旧暦
ガポールの名物料理と思われているようです
スタイルも学ぶべきところです。その反面、
日
の新年になると村人たちは盆菜を食べるよ
が、
この料理は実は海南島文昌の『文昌鶏』
『キャプテン翼』が結んだ
日本との縁の始まり
子供のころはサッカーが好きで、
『キャプテ
ン翼』
をよく読んでいました。今思えば、
あれが
日本文化との最初の接点だったかもしれませ
ん。また、全寮制の中学・高校生活の頃は、
ワールドカップのシーズンになると、
どうしても
試合のテレビ中継が見たくて、夜中に仲間た
18
りながら、水は他と功名を争うことはない。第二
日本酒の銘柄にもなったこの名言は、
もともと中国の思想家、
そして、道教の創案中心人物
プロダクト・マネジャー
海南
(ハイナン)
島・海口
(ハイコウ)
市出身
観光客で賑わう
リゾート地『海南島』
するのはひとつもない。それほど大きな存在であ
/ FEB.2011
うになった。
本人は責任感がとても強く、常に重いプレッ
普及するようになった。今日では、盆菜を温かい
古(いにしえ)
の時代では、盆菜を用意するの
うちに食べられるように、重たい木製の桶の代
すし、
ときには肩の力を抜いてもよいのではな
に3日間はかかったといわれている。
まず、
これだ
わりに銅鉢、錫箔の鉢など金属製のもの、
さらに
いかと思います。
香港の新界(ニューテリトリー)地方には『盆
けのご馳走を作るのに、十分な薪を必要として
はプラスチック製のものが用いられるようになっ
菜』
(プンツァイ)
と呼ばれるお正月料理を食べる
いたため、一日目は山に入り、
たくさんの薪木を
た。
また、木製の桶は汚れがたまりやすく壊れや
シャーを背負って仕事をしているように感じま
立杰からのワンポイント中国語レッスン
シン・ネェン・クァイ・ラー
「新年快楽」
[shin-nian-kuai-le]
新年、
おめでとうございます。
風習がある。盆菜の材料に特別なルールはない
拾う。当時はもちろん冷蔵設備がなかったため、
すい上、購入と修理の点や衛生上の理由から、
が、一般的にはニンジン、湯葉、
スルメイカ、豚
山の幸や海の幸の買い置きはできなかった。
次第に瓦鉢や金属製鉢が代わりとなって使用
皮、
しいたけ、鳥肉、魚のすり身でできた練り物及
従って、二日目に新鮮な材料を揃える。材料が
されるようになっている。
/ FEB.2011 19
HUAWEI/News Letter P18.19 (2011.1.19/Vol.2)
Roaming China
漫遊中国
Chinese Words of Wisdom
言葉の贈りもの ∼故事成語の知恵
中国の故事成語には、現代に生きる私たちのヒントとなる知恵がたくさんある。
解釈:最上の善は水のようなものである。水が上
Chinese Words of Wisdomでは、
そんな中国の先人の知恵について言葉を紐解きながら紹介する。
善である理由は3つある。第一に、水は万物に
利沢を与えている。天地の間に水なくして存在
『上善は水の如し』
海南島
My Home Town in China
中国の故郷
©2010 Google-Mapdata
©Tele, Atlas
海南島
東洋のハワイ“海南島”
ハイ ナン
(チン・タン・ケツ)
(ウェンチャンジー)
という料理が元になり、海
ちと宿舎を抜け出して、町に繰り出すこともあ
南島出身の華僑がタイやマレーシア、
シンガ
りました。僕は運がよかったのですが、寮長に
ポールなどに伝えたといわれています。文昌
見つかり、
こっぴどく怒られた寮生もいます。
僕は「東洋のハワイ」と呼ばれる海南島の
にある祖母の家へ行くと、祖母が決まって美
出身です。僕が元旦に生まれたため、両親が
味しい海南鶏飯を作ってくれます。
ファーウェイに入社してまもなく満4年を迎
僕の名前に「旦」
という字を入れました。母は
海南島は南シナ海北部に位置していま
え、
そして、東京オフィスに出向してから早2
専業主婦ですが、父は農園を営み、
あの楊貴
す。亜熱帯性気候の島で、冬でも気温が20
年が経ちました。今でも
『ちびまる子ちゃん』
妃がこよなく愛食していたライチーを育ててい
度前後と暖かいため、冬のリゾート地として本
が僕の日本語の先生です
(笑)。東京での仕
ます。
土の中国人に人気があります。特に、島の南
事も、暮らしも、楽しんでいます。休日はジムへ
端にある三亜市には新しく開発されたリゾー
行ったり、本を読んだりして過ごします。特に
僕が生まれた海口市は海南省人民政府
ト地に5つ星のホテルがたくさん立ち並び、
い
歴史関連の本を多く読みます。日本の歴史
の所 在 地でもあります。昔 、島に鉄 道がな
つも観光客でにぎわっています。東京から空
では戦国時代、特に『本能寺の変』
と
『関が
かったため、僕は二十歳になって北京から天
路で行く場合、広州、上海、香港などを経由
原の戦い』
に興味を持っています。
津へ行くときに初めて列車に乗りました。貧
に、人間は一歩でも高い位置を望むが、水はそ
でもある老子の言葉である。
の反対に低い所へ低い所へと流れていく。第
三に、低い所にいるから自分が大きくなる。谷川
は流れて大川となり、
さらに流れて海となり、大き
白 文
読み下し文
上善若水。
水善利万物、
而不争。
処衆人之所悪。
故幾於道。
居善地、
心善淵、
与善仁、
言善信、
正善治、
事善能、
動善時。
夫唯不争、
故無尤。
Kaleidoscope
香港・広州地方の旧正月料理
桶料理『盆菜』
プン ツァイ
して三亜鳳凰空港にたどり着きます。
上善は水の若(ごと)
し、水は善く万物を利し
ても争わず。
衆人の悪
(にく)
む所に処
(お)
る。故に道に幾
(ちか)
し。
な存在となる。
(出典:
『中国古典名言事典』、諸橋轍次著、講談社学術文庫)
つまり、理想的な生き方を水にたとえた言葉
といえる。変化に柔軟に対応する水のように、
わ
け隔たりなく周りの者に恩恵を与えながらも、利
居には地を善
(よ)
しとし、心には淵
(えん)
なる
を争わない。謙虚な姿勢で世に処し、深い淵の
を善しとし、与
(まじわり)
には仁を善しとし、
ような心を持ち、仲間には仁を、語らいに偽りな
言には信を善しとし、正
(政)
には治を善しとし、
事には能を善しとし、動には時を善しとす。夫
(そ)
れ唯
(ただ)
争わず、故に尤
(とが)
め無し。
く。政
(まつりごと)
を善く収めば、物事は良く機能
し、時を失するような事もない。これこそ人生の
最善の道であるということを意味している。
び 豚 肉のしょうゆ煮 込み、
さらには魚の浮き
揃ったところで、三日目は丸一日をかけて料理す
袋、車えび、髪菜
(ファーツァイ:髪の毛の形に似
る。特に、豚肉煮込みには、肉の中までしっかり
た海草)
、牡蠣やタウナギの干物などが含まれま
味をしみ込ませるために手間ひまをかけて調理
る。なかでも、豚肉のしょうゆ煮込みは盆菜全体
しなければならない。
の精髄であり、最も手間がかかる料理である。
伝統的な盆菜は木製の桶に入れられるもの
盆菜の由来は13世紀南宋末期に起源す
で、食材が上から順に六層に重ねられる。上の
三層は鴨、鶏肉、車えびの炒め物や海の幸の干
乏学生だったころ、北京から海南島の実家に
僕が現在担当している無線関連製品の
る。当時、元(げん)
の軍隊に追われた朝廷の
戻るときは飛行機代を惜しんで、列車とバス
テクニカルサポート業務はチャレンジングであ
君臣らが南下した際、一行が香港新界を
物など、下の三層はニンジン、豚の皮そして豚肉
り、
日々の仕事に大変やり甲斐があります。日
通った時に、村人たちに熱く迎え入れられ
など、煮汁を吸い込みやすい食材が置かれるた
本のお客様は、製品やサービスの質への要
た。
しかし、
もてなすにも食べ物を盛るた
め、煮汁のうまみが下の各層にしみ込み、一層
海南島はあの有名な海南鶏飯(ハイナン
求がとても高く、ハイ・スタンダードは、
ファー
めの入れ物が足りず、切羽詰った村人
食欲をそそる。食べるときは上から順に食べてい
チキンライス)
の発祥地でもあります。僕の田
ウェイの目指すところでもあります。お客様の
たちは料理をまとめて、洗面器のような
き、下の層になるほど味わいが増すのである。
舎では、餃子でなく、ハイナンチキンがお正月
期待に添えるよう、僕も日々勉強です。また、
に乗り継いで、丸々2日間かかっていました。
大きな木製の桶に入れたのが後の盆
数百年の歳月を経て、盆菜の食べ方は当初
と大きく変わってしまったが、現在でも香港の食
文化の一部として定着し、
さらに、隣の広州にも
(旧正月)
の定番料理です。海南鶏飯はシン
日本人のプランを立て、規律正しく仕事する
菜へと発展したと言われる。その後、旧暦
ガポールの名物料理と思われているようです
スタイルも学ぶべきところです。その反面、
日
の新年になると村人たちは盆菜を食べるよ
が、
この料理は実は海南島文昌の『文昌鶏』
『キャプテン翼』が結んだ
日本との縁の始まり
子供のころはサッカーが好きで、
『キャプテ
ン翼』
をよく読んでいました。今思えば、
あれが
日本文化との最初の接点だったかもしれませ
ん。また、全寮制の中学・高校生活の頃は、
ワールドカップのシーズンになると、
どうしても
試合のテレビ中継が見たくて、夜中に仲間た
18
りながら、水は他と功名を争うことはない。第二
日本酒の銘柄にもなったこの名言は、
もともと中国の思想家、
そして、道教の創案中心人物
プロダクト・マネジャー
海南
(ハイナン)
島・海口
(ハイコウ)
市出身
観光客で賑わう
リゾート地『海南島』
するのはひとつもない。それほど大きな存在であ
/ FEB.2011
うになった。
本人は責任感がとても強く、常に重いプレッ
普及するようになった。今日では、盆菜を温かい
古(いにしえ)
の時代では、盆菜を用意するの
うちに食べられるように、重たい木製の桶の代
すし、
ときには肩の力を抜いてもよいのではな
に3日間はかかったといわれている。
まず、
これだ
わりに銅鉢、錫箔の鉢など金属製のもの、
さらに
いかと思います。
香港の新界(ニューテリトリー)地方には『盆
けのご馳走を作るのに、十分な薪を必要として
はプラスチック製のものが用いられるようになっ
菜』
(プンツァイ)
と呼ばれるお正月料理を食べる
いたため、一日目は山に入り、
たくさんの薪木を
た。
また、木製の桶は汚れがたまりやすく壊れや
シャーを背負って仕事をしているように感じま
立杰からのワンポイント中国語レッスン
シン・ネェン・クァイ・ラー
「新年快楽」
[shin-nian-kuai-le]
新年、
おめでとうございます。
風習がある。盆菜の材料に特別なルールはない
拾う。当時はもちろん冷蔵設備がなかったため、
すい上、購入と修理の点や衛生上の理由から、
が、一般的にはニンジン、湯葉、
スルメイカ、豚
山の幸や海の幸の買い置きはできなかった。
次第に瓦鉢や金属製鉢が代わりとなって使用
皮、
しいたけ、鳥肉、魚のすり身でできた練り物及
従って、二日目に新鮮な材料を揃える。材料が
されるようになっている。
/ FEB.2011 19
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