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三隅町広報 第064号 全ページPDFデータを開く 4.57MB
6日 産業まつり企画委員会 (11 月 ). 上 旬 定 例 教 育 委 員 会 、宗 頭 明倫小学校体力テスト、体 育 指導員集会、民生委 員会 16日より19日まで 道路愛護作業 18日 戦 没 者追 弔 会 中旬 ジフテリヤ、小児まひ 予防接種、町内バレー大会 明倫小学球技大会 19日 山口県中学校武道大会 ( 三隅 中 講 堂 ) 三隅町広報委員会 発行者 稲 田 正 治 編集人三原祥祐 飯 井 海 岸 の 災害 等 が あ るが 年 度 内 に は復 旧 の 見 込 十一町単独の河川改修工事は宗 ことだ づた。 延 々十五 キロ、沿道には国 体旗の小 旗をうち 振る町民の 出迎激励、今でもあの時の様 層 ま で I で あっ た 女小学生から老年 l ル 三 隅 ﹂式 I 男 層 予 代 表 す る﹁ オ 名 の隊 員 が 各 町民 色は、各隊二十一 の 編 成 の三 隅 の特 搬 送 隊 七チ ー ム 後 だ っ た 。。 し い九 月 四 日 の 午 ﹁ 国 体 旗 通 る﹂の 思 い 出 の 子 が ま ぷた に浮 び 、 キャ プテ ン 以下 総 がん ば り だ つ た 。 將来 への 課題 は H 青 年 子 女 に 対 す る 暖 か い 思 い やり が ポ ン ドに あ る か 子 供 は 親が 教 育 す る と い う 考 え 方 も不 足 して い な い か A 薺土 色 を 盛っ た三 隅 名 産 を 作っ て ほ し いね 、明 峰 寺 飴 の復 活 、 ゆ め んも なか を て な い 全国 激 さ れ かつ 制定等に刺 農業本法の 増論や特に 答申所得倍 の 調査 会 の 業 基本 問 題 価運動は農 を示 し た。 . 農 業 者の 所 に は 、 基本 問 得 培 増 を図 る 題で あ る 基 盤 条 件 の 整備 と 施設の近代化 を推進し、生 産性の向上に 努めることが ご存 じ の 筈 だ と 思 い ま す 。 町 大 切 で あ る こと は既 に皆 さ ん 及 び 農 協 、 そ れ ぞ れ の立 場 か 増大 の対 策 を 進 めて お る訳 け ら 、基 本 法 の 線 に そっ て 所 得 で す が特 に経 営 規 模 を 改 善 し 拡 大 す るに 心 要 な資 金 につ い て 低 利 で 貸 付 出 来 得 る様 な方 途 を 講 じ 、 農 家 の皆 さん の要 求 に応 え得 る万 全 の 借 韲 を 致 そ こで 現 在 まで の 近 代 化 資 し て お る 次 第で す 。 金 の 借 入 状 況 か ら 、 近代 化 の 前 は 社 攷の 進 少の ため に 何 し て い て は エ 冫マ 様 に﹁ お れ を子 孫 によ く伝 えて 満 足 か ら の 土 地 をよ く 耕 して こ し の ぎを 削 っ て い る 。先 祖 っ 郷 土 肯 年屬 の 意 欲 が問 題 N 科 学 的 分 杤 と 合 理 性 に 立 の 脱 皮 の 必 安・宕痛一 。 愬す る 私 は 農 業 近 代 拓に伴 う婦 人 め た い が ︵ 角 度 を 加 えて ︶ い、 全町 民 文 化 の尺 度 を 高 に進 め た い 技も﹁オールE隅﹂の編成 B 山口国体を目ざし団体競 だ 綜合グラウンドば絶対必要 K ス ポ ー ツの 面 で も 1町 設 ﹂に 最 重 点 を お く時 だ ね く る農 民 の 経 済 的 政 策 慾求 を 農 村 生活 向 上 の 中 か ら 生 じて 機 に更 ら に 今 後 の 農業 発 展 と 果 で あつ 仁。 今 回 の 運動 を契 深 く。 認識 し た こ と は大 き な 成 を中 核 と し た団 結 の 力 を自 ら を 持 つ 農 業 協 同 組 合 が中 心と る 。 全 国 的 組 織 否 世 界 的 組織 倍 増 論の 実 現 を計 る べき で あ 結し農政活動を起し農業所得 う 少 し 頭 を仂 か し 農 民 一 致 団 は筋 肉 労 仂の みに 頼 ら ず 、 も 然 の 措 置 で あ る。 今 後 の 農 民 ︵ 写 真 は宗 頭 畜 産 品 評 会 ︶ 活 動 体 制 を 確立 し たい と 思 ふ だ 、大 学 出の 若 い 漁ろ う 長 獲得することは新らしい情勢 を し た か Iと きか れた時 、 に対処する農民のとるべき当 なり農政委員会を設置し農政 栄 妛 圓 復 の た めの調 理の 研 組 織 化し 農 家 経済 発 展 を 助 長 究 は 是 非 進 め 尨い せ し める た め の 政 策 的 条件 を S 中 学 生 の 感 想だ が 、三 隅 は 進展 はな い ね っ 迄 も壮 年 簷 に頼 っ て い て 生 活 の 改 善1 特 に農 鴟繁 期 に 生 れ たか ら に は 三 隅 をよ M そ うに 、 そ れ と 冢 衄 の 食 りよい町にしたい。教育の や 農 場 主 任 が町 に 腰 を 刮 え ︵ 以下 二面 に 続 く︶ ’ 方 向を 探 っ て み ま す と 。 農 政活 動 にづ いて 改 め て﹁ 夏 み か んも な か ﹂ A 原 動力は教育だ、町の歴 ﹁ 青 の り せ ん べい ﹂ な ど は 史を知り愛町の精神を身に っけ た希望に生きる生徒で ど う かね 一 同 I 賛 成 々々 あり たいね E 子供 なりのエチケットが 最後に ﹁ス ポ 望ましいと思 います ッ ト ﹂的 に F 心と心のっ ながる人間 関 係 を作 ることが根本で 、人 S ﹁ 封 建 の 町 一 の一 枚 看 板 の云う事がよ く聞けると共 と いう が ど う か ね に、自分の 考をよく人にわ C 薄 幸 の老 人 に 町 か ら プ レ からせる熱意と勇気と技術 セ ント を が大切です ね ` D ・ ﹁ ミ ュ ー ジッ ク サ イ レ ン H 教師 が子供の教育のた め ﹂を設備して貰いたい に打込 める時間と余裕 がは T す べて の 家 庭 に文 化 の 光 しい、養護教諭 、事務職員 が く 袤 なく 届 く日 を 待 っ て 特別学 級、学校 プール など い ま す。 があると効率はきっと上 る ︵ おわ り ︶ のだ が N ﹁ 心は神の如 く、体はけ ものの如 く を指標として 子供時代の 生活体験を豊か 今 年の 米 B 学校教 育だが、子供 たち かくして午后四時十八分長 は自分 のここだけ に捉わ れ 門 水 高 チ ー ム より 受 つ いだ 本 他︵ 親しい郷土、国 ︶を思 町 の 第一 隊よ り 次 々 に順 調 に う心がぬけているよ うだ が 日’ レ ー ざれ て 町 境 に至 り 、こ こ ま で 出迎 え た萩 市学 徒 の 奏 な曲 が あた り に こ だ ま す る午 で る ブラ ス バン ドの 勇 壯 軽 快 後 六 時 十 八 分 、 無 事 萩市 チ ー 秋 田 国 体 の メ ン マ スト に 高 ムに 渡 し た。 々 と 掲 げ ら れ た あの 国 体 旗 。 昭 和三 十 八 年 には わ が 山 口 に その 国 体旗 を迎 え立 て る の だ と 思 うと 心も 体 も は ず む 思 い だ。 に う ︵町 民 文 化座 談 会 ︶ 文化の日を迎えるにあたり本町の文化について肩のこら ぬ座談会を 勉 強は 遅 れて い る と 思 う と 面 で は 設 備 は 進 んで い る が 催し だ。こ。 れは その記 録の一 部である。 たコ ーラ ス クラ ブ な どI は にしてもら いたい C たとえ ば錐 曾にば かり眼 をむけて 大切な難には愛情 ある育 て心があまり 注がれ ぬようなこ とがあると問 題 だね 豊 かな場 の構 鴣の ために が 偉人 的 精 神 土 義 で 上 す べ そ の結 果 要 い 盛 り上 り り して い て 農林 飄 業 を 充 実 農民の力 強 は 祖 国 べっ 視 の よ う な 言 動 する郷土産業の振興に直結 N 清 風 精神 と いう モ ッ ト ー が チ ラ ホラ す る よ う だ が ぞの後 の 動 き る 時 が早 く 来 るこ と だ 、 い 業 協同 組合 へ 農民 が 農 っ たと は 云 は困 難で あ 達すること E 婦 人 の 研 修 意 欲 は 認 め る B 町 民 一 致 の 支 援 が文 化 活 が政 治 経 済科 学 なり を 学 級 求 米価 に到 動 を バッ クア ッ プ し っっ あ ら れて い る が 、 例 え ば 漁 村 ‘ 新 生 運 動 充 実 計 画 が 進 め 拓 落 に も 急 施 を要 す る問 題 講 座 に 組 む と 自 発的 出席 者 K 社 会 大 衆 がも 少 し学 校 を と な る と 益 々 淋 し いで す ね が 少 く な る よ う で す I ボ教 利 用 す れば 、ま だ ま だ 進 展 か多 いい 。 今 こ そ﹁ 人 作 り 農業近代化に急ぐ 顔 が上 げら れ ぬ ね F 農 村 地 区 で は 新 旧 思 想 が す るの だ が・ :⋮ M 同 感 、 芸 術 ︷’も 廸 解 か 浅 る こ とは う れ し い ね していないようだね で い るの に、 渮 少 吊 の 中 に 民 的 道義 とそ の 実 行 を望 ん A 町 民 は 祖 国 愛 に も え る 国 と思います。 ち は 教 科 書 以 上 に は進 ま ぬ り ま す ね 、 こ れで は子 供 だ が殆んどない家庭が相当あ T 教 科 書 以 外 の゛ 子供の読物 いっているが⋮⋮ 教 養的 努カ ー特 に酘 近 生 れ よ いで す ね D 職場 、地 域 に体 育 に対 す る 関 心 が 高 まり つ つ あ るこ 語 る人 々 徳田照子︵女教師︶田辺 ともよいね ー ショ ン が早 く﹁ 三 隅市 様 S 地 域 の 社 会 体 育 レ ク リェ 潤一郎︵青年︶ 斉藤元 宣 ︵ 公民館長 ︶ 田 中 ハ ナ ︵主婦︶ 吉津繁︵教師︶ ︵ 註 I 小 島様 式 と は み な と祭 25日 町 内 小 、 中 学 校 終 業 式 進 みたいね の 行 事 に体 育 を組 入 れ たこ と 式 ﹂や﹁ 小 島 様 式 ﹂ に まで 中 村 博︵ 体育指導委員 ︶ 稲 田 正 治 ︵ 町 長︶ 池 信 ︶ 下 旬 定 例 教 育 委 員 会 、宗 頭 頭 出 水川 ︵ 一一 八 米 ︶東 方 豊原ー役場間を町長さん 国体旗をもって継走 大融︵民生委員︶白藤薫 幼稚園クリスマス会、納め 町議会 米 ︶の 改 修工 事 施 行 中 上 旬 民 生 委 員 会 、町 内小 学 校 防 護 訓練 、 管 内 校 長 集 会 引受 ( 宗 頭 小 )浅 田 小 学 校 マ ラ ソ ン 大 会 、三 隅中 学 校 学 期 末 テ スト ︵ 医師 ︶ 玉 井 斌 ︵ 校長︶ 小 西 誠 治 ︵ 漁協常務 ︶ 中 野 四 郎 ︵ 教 育長 ︶ 現状 をどう 見 る か T 青 年の 研 修 意欲 、婦 人 の 中 旬 歳 末 た すけあ い 運 動 、 町内校長集会、社会教育委 員会、体育指導員集会、宗 頭小学校育友会農産物品評 会 、 浅 田 小 学 校版 画 展 、 明 倫 小 学 校暗 算大 会 川 ︵ 九 〇 米 ︶平 野 川 ︵四 二 ( 国道久原上手直路で工事現場) 17 日 定 例 農 業 委 員 会 以上工事費合計七三、四四〇 八四 〇円 。 26日 大津地区中学校駅伝大 会( 三 隅 ゴ ー ル )三 隅 中 学 校 芸能 祭 レ ン ト ゲ ン 間接 撮 影 三 才児健康診断 三 隅 町 教 育 文化 思 熊本を発した﹁国体旗﹂が 橋 の 流 失 、 上 中 小 野 、市 の つくし路を経 、関門 海峡を渡 二 箇 所 に堤 防 の 小 災 害 が あ り 山陰路をひた走り、我 が三 隅町に入っ たのは残暑のき び 発 行 所 8 日 9日 、10 日三 日 間 本 年 度 産業まつ り 万 円 内 町 費 負 担 九 、一 六四 、 (12 月 ) 冬 の渇水 期 中 にと 町政メモ り、土手中田頭首工の流失 着 々進 む本町 の建設 事業 での問 と小波 橋 より豊原 側 を東関 迄の 改 修を要望計画 区間としてい るがこ わが完 成す れば住宅 の被害は解消 すろ。 八生島の 姫田川 砂防工事は後二年位いで完 成の見込 。 九漁港整備事業は昨年度より 継綺の小島漁港防波堤、物 揚場の一部が本年度第一期 工事として完成し来年度は 物揚場の残工事 施行の計画 十 災害 復旧工 事は樅の木水路 一箇所のみで他は全部完成 本年度 の災害に町 道三の瀬 17日 定例農業委員会 心配した台風 期は大した被 川 の 国 道よ り 海 岸 の 間 の工 害も無く過 ぎてぃよ く 土木 事 を 主と し 数 年 後 には 終 点 浅田東万線扉門までの防災 事業のシーズンとなり着 々と 進捗しつつ あり 、その 概要 を 工 事 が完 成 の 予 定 お知らせします。 七三隅川中小河川改修工事は 一国 道舗装 は継続 六年目で本 本年で五年継続、本限度は 年度 は工 費 匸一〇〇万円 を 久 原 土 手 の 国 道 側 を小 波 橋 もって下 中小野迄一 五 二二 まで改修し中 米を年内に完成。来年度は 間区で八米国 現 在河川改 修の区間 及び沢 道か後退 する 江 より長門市 境まで 、上 は 来年度は久原 側 を小 波橋 ま 下中小野より宗頭までが計 画区間ですが諸種の事 情で 見 通しは仲 々困 難。 二 簡易 舗装は土手 、市間 を年 内 に着工 の予定。 三県 道小郡三隅 線は中 畑より 一の瀬 バス停畄所間 を本年 度 改修、三 八年度で 全線改 修完成の計画 四津雲 部落地内県 道は昨 年に 引 続 き五〇万円 にて 近く着 工 五町道 は東万 琴橋取付 道路両 岸拡張︵ 六〇米︶小島 漁港 道路拡張︵二〇米 ︶一の瀬 町 道新設︵五二米 ︶及 び樅 の木橋取付嵩上、浅田開作 線 巾員拡張︵ 匸一〇米 ︶を 施行。 六 浅田海岸防災工 事は肴工 以 来三年となり 本年度は浅田 5 日 広 報 委 員 会 ( 1) 昭和3 6 年11月5日 三 隅 広 報 ( 第64 号) 公 民 館 だ よ ひ ユ ニ セフ の粉 乳 母 七 月 ユ ニ セ っ て い る ル ク 料 理 の 栄 養 程 は を 行 の 日 フ ミ 姙 娠 中 親 教 室 ル ク の 配 給 母 子 愛 育 會の活動 ユ ニ セフ ミ ル ク を受 領 す る ため、昨年度婦人会の役員会 で 取 上 げ ら れ 。自 発的 に母 子 愛 育 会 を結 成 さ れ た。 か ね て 姙 娠 中 肴 の 衣 類 と お 生 易 い 異 常 と 八 月 姙 娠 中 の 生 理 と 衛 生 児 体 位 の 平 均 的 に虚 弱 な の を 手 当 生 起 り 取 返 さ う と ず る悲 願 が、 漸 く 異 常 の 洒 九月治療を要する妊娠中の お 産 少 し ず つ 実 を結 びつ つ あ るの 十 月 で 今 迄 の 成 果 を 考 え て み たい 十 ら や ん 一 月 産 後 の 洒 際 児童 緊 急 救 済 基 金 の 略 で 十 二 月 赤 こ の ミ ル ク は ユ ニ セフ︵ 国 国庫経済社会理事会所属の の 選 び 万 ふ ろ 、 材 料 生 専 門 機 関 、一 九四 六 年 十 二 赤 ち ゃ ん の 保 育 、 新 せ 方 、 お 湯 の 温 度 と 鑪 一 月 月 国 連 総会 で 設立 、戦 災 国 の児童と姙産婦に食糧、被 兒 の 生 理 二 月 予 防 、 愼 服 、 医 療 を 供 給 して い る ︶ 物 資 で市 価 な ら Iポ ン ド 約 ・ 赤 ち ゃ ん の 保 育 病 気 の 一 五〇 円 は す る の が 、 ユ ニ に つ い て い し み な 熱 心 で あ 冢 族 計 画 集 合 率 は よ 三 月 隅迄の送料だけという。ま る が 、 是 セ フ 物 資 の た め 横浜 か ら三 るで タ ダの 様 に 安 い 値 段で め か ら 講 義 い た い も 庭 の み な さ ま の で の 格 す 。 段 の 御 協 力 れ る 様 、 家 戦 災国 の 姙産 婦 の う ち 、 蚤 を 願 ビ が き か 非 時 間 励 一口 さ れ て 始 あ る 。 ユ ニ セ フで は こ れ を 白摂取量の十分でないもの ミ ル ク を の な ご を 、 愛 育 会 ニ ー ル 袋 に は 尚 一 才 以 上 小 学 校 就 学前 迄 か っ て っ め る 仕 事 給 九、五 三 回 前 児 童 者 達 が 受 め 役 員 の 児 童 の う ち 蛋 白 攝取 量 の ク さ る さ ん を 始 ル ︶ 就 学 二 回 ︵ 、二 六 Ξ 、 五 七 六 ー 六 ニ ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ 一 一 一 六 ニ ︵ こ べ ︵ ご ︵ こ 四 回 し ま す 長 協 力 下 ミ 一 回 ︵ 坂 七月 臾 日 部 落 名 滝 中 畑 宗 一 一 一 ︵ 一 ︶ 一 一 一 ︵ 一︶ 二 ︵ 一 ︶︵ 一 ︶ ’ 一 兎 渡 谷 頭 樅ノ木 六 五 五 四 一 瀬 ご と に 感 謝 十 分 で な い も の を対 象 に 、 姙 婦 が I人 当 り 一 日 四 〇 グ ムの 割で 配 給 さ れ る もの で ラ 弋 就 学 前 児 童 二 〇 グラ あ Q。 こ ○ ミ ル クの 配 衵に よっ て 母 子 リ健 。叭 にフ ラ ス す わ ば 病 人 が少 な く なっ て 鬨 接 的 には 巾町 村 の 国 民 健 康 保険組合の医療費 負担も少 な くて す 臼 ば か り か 、次 代 を背負う子供とこれを育て る母 の 健 康 は 、 そ の ま ま 地 上中小野一一 一一 一 一 ︵ 六 六 こ 六 ︶ ︵ 一 ︶ 一 ︵︶ 九 ︵ ︵ 一︶︵ 一︶ 二 一 一 一 一 一 一 ︸一 一 ︵ 二 ︶ ︵ 二 ︶ ︵ 二 ︶ ︵ 一 ︶ 六 ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ ︵ ご 域 社会 の 発 展 に らつ な が る 村 市 竹 下中小野` 六 六 七 中 大 訳である。 折 角集 合 の 機 会 で あ るか ら 配 給日 を 毎 月 五 日 と し 五 ヶ 月以 降 J姙 婦 と 、生 後 半 年以 内 の 葭りに午前九時から十一時迄 母親教室を開き十一時からミ 一 ヽ一 一 一 一 下 広 田 島 二 一九 一七 一 一 生 雲 一 一 津 井 一 飯 茲 一 ︵ 一 一 野 波 瀬 ー 一 ︵ 二︶︵ 二 ︶ ︵ 二︶ ︵ 二︶ 一 一 ニ ︵ 一 ︶︵ 一 ︶ ︵ 一︶ ︵ 一︶ 島 四 四 .四 四 東 方 上 小 原 三 こ一 一四 一四 ︵一 ︶︵一 ︶ ︵ 一 ︶ ︵ 一︶ 豊 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ︻ 一 二 条 窪 ︵一 一︶ ︵ 二 ︶ 二 ︵ ︵ 二︶︵ 二︶ 野 ︵ 一 平 田 一 苦 し くな る一 万 で あ る 。 こ う し た不 況 の度 合 が 進 む にっ れ て 、家 庭 生活 も よ り 合 理 的 に 改善を要求され漁村婦人部活 動 も 次 第 に真 剣 さ を 増 し て来 に 十月 に 入っ て 近 年に な い 漁 一 たよ う で あ る 、漁 協 に 於て も 獲︵ か じ き、し いら 、 かっ を ー 一 ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ 浅 ゲ ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ ︵ 一 ︶ 増 殖 保護 を図 り 、五 ヶ 年 計 画 た 魚 巾場 も 活 気 を呈 し 、 龍 宮 ︶ を 見 るこ と が 出 来 、 さ び れ 仕 事 を早 く 済 ま す た め に家 の 道 具 と し て 、耕 転 機等 の大 農 具 を 入 れ る と 云 う も の が 多分 に見受けられます。こうした こ と は い わ ゆ る過 剰 投 資で あ り 何 の ため に 仂 くか 分 ら な い 結 果 に なり そう で す。 叉畜産欄係は、素牛供給源か 歡 か ち 聡 却 し て 道 を同 じ く す ら みて 適 当 に計 画 さ れて おり る同 志 が 、 ス クラ ムの も と に 吉凶 だより 自 昭 和36 年 8月15 日 至 昭 和36年10 月10日 出生の部 よ う と して おり ま す が 、 こ の の 中 の みで 考 えら れ 、行 は れ ら ば 、近 代 化 は 現 在 個 人 経 営 と 思 ひ ま す 。 総 体 的 に云 う な さ れ た 生産 性 向上 え の問 題 点 用 や、 飼 養 管 理 の共 同 化 が 残 ので 、飼 料 確 保 施設 の 共 同 利 部 落的 にも 纒 っ て 導 入 さ れ る 経 営 内 容 も 堅実 さ が伺 え ま す 部落協業組織による施設の取 得 が一件の 九〇万円 、畜舎 施 設新改築︵ 個人 利用︶が I〇 件の三 八九万円 、鶏舎の新 築 三 件の 匸二四万円 、農舎一 件 の三 〇万円 、農機具の購入で 共同利用が一件の一一万円 、 個人利用六件 の六六万円 、夏 柑 関係で は 匸一件の コニ二万 円、家畜の導入では、肉用素 牛の購入が五四頭 の二三 五万 一面 より 続 き 合へ 、漁民の生活も不 況に打 岸資源保護の一策である。 捨 て る神 あ れば 、 助 け る神 も ち 勝つど とはヽ 又困 難なこ と あ ると か、 久 敖 く不 漁 を か こ で あるが、幸い近 く漁業 基本 法も制定さ恣趣き、漁民自 ら っていた漁協自営定置網漁業 は今 期 大 敷 敷 設 この か た、 特 も海洋 を耕 やし海の吸作にあ づかりたいものであ る。 一 一 一 E 一 一 ︸ 五 事 業 と して 大 型 、小 型 魚 礁︵ 九 ︵ 様 に 感 謝 して い る 。 漁 期 は ま だ こ れ か ら が 本番 で 寒 波 に 乗 っ て 来 る鰤 、ま ぐ ろ の 大 漁 を 夢 見 て い る が 、本 年 は 久 し 振 あ る。 整 促再 建 の 途 上 に あ る り に 明 るい 希 望 が持 て そ う で 漁 協 も そ の再 建 達 成 が一 日 も 早 く 実 現 出 来 る よ う 。海 神 の 加護を念じ人、叉人事を尽し た いも の で あ る、 沿 岸 か ら沖 最 も能 率 が 上 る万 法 を 見 出 し 具 現 化 し て 行 く 心要 があ ると 八月十五日ー八月三十一日 コ の 産 卵 を 助 け る家 で あ る。 貳千 数 百 個 を投 入 、 是 れ は 夕 瀬 幸 島 周 辺 海 底 に改 良 タコ 壼 コ ﹂の 捨 ツ ボ増 殖の た め野 波 を投 石 し 尚 叉 海 の 道 化 者﹁ 夕 た め一 定 区 劃の 海 中 へ 野 面石 う に 、 わ か め 、天 草 等 増 殖 の の 漁獲 倍 増 を ねら っ て い る。 鯖 、鯛 い 一 本 釣 、 延 縄 漁 業 者 パ ート ︶の 設 置 を行 い 、 鰺、 コ ン ク リ ー ト ボロ ツ コ 魚 の ア 一9 匸 二 ︹︺ 一 ︵ ︶一 一 一 ︵ 一四︶ ︵ 一 ︷︻︼ ︵ 一 四︶ ︵ 一四 ︶ 江 上 沢 計 漁獲 の 秋 を 迎へ て 野波 瀬漁 協組 合長 え 余りに6納得の行 かないの が今日此 碵の漁村風 景の現実 で ある。 海 氷は昔の儘で ある筈にも拘 田 中 武 男 近 年打続く我国 農村の豊作 は消 費者漁民に取っても誠に 有難い事で ある。山 の幸、海 の幸と云うが、そ れにひ きか 円、 繁 殖用 牛 が四 一 頭 の 一 九 思 ひ ま す。 そ う し な いと 、拡 万 円 、 鴒 ヒ ナ が I〇 万 円 、肉 ︵ 万 円 、肉 豚 が三 〇 頭 の 一 二 鶏処理加工施設︵共同︶が一 大 生 産 に行 き づ まっ て 失 い ま 四名 十月一日ー十月十日 五名 死 亡 の 部 ・ 二 、三 隅 町 社 会 福 祉 協 議 会 長 池 信大 融 三名 件、三 ○ ○万 円 。で 総 事 業 費 す。 戸籍並びに住民登録事務優良のため十月四日法務大臣表彰を受く 一 八 七 六万 円 、内 融資 総 額 一 九月 分 社 協 創 設 及 び 其の 後 の 功 労 者 と し て十 月 十 日 山 口 県 社 会 福 祉 協 議 、部落を一丸とした産地経営 八月十五日ー八月三十一日 こ う し た こ と から 、今 後 は 計 画 を 樹 て ら れ 、部 落 内 で の 浅 田 中野アキ 八一才 三、浅田小学校長玉井斌 同志的結合 、 ’つ ま り 組 織 の 充 中 村 田村雅一 七三才 り表彰 さる 二条窪 堀 作一 六三才 こ れ ら は 、 す べて が所 得 培 実 を 図っ て 、最 善 の 方 向 を 見 教育功労者︵永年勤続者︶として十一月一日山口県教育委員会よ 瑁を 目 指 す 近 代 化 え の 投 資 だ 出 して 行 く 事 が 近 代 化 え の 道 津 雲 白井精次 三三才 九月分 野 波 瀬 河 村 利 雄 四一才 豊 原 安藤ハナ 六〇才 浅 田 山田アキノ五四才 浅 田 村岡八百松七八才 小 島 嶋尾ツユ 六〇才 ︵ のぼ せ 保育 所 秋 の 運 動 会 ︶ 豊 原 川口菊三郎 八五才 宇部市大字沖宇部五〇九 一番地で死亡 十月一日ー十月十日 宗 頭 堀田治郎吉七八才 油 谷 町 、日 置 村 より 議 員 約 適地調査のため︶ 会委員長外四名来町︵工場 十九日 科学技術庁資源調査 視察のため︶ 来町︵迫谷林道其の他林務 木 課長 、 豊田 林 業 事 務 所 長 十八日 県林政課長、森林土 〇 名三 隅 中 視察 視 十察 五日 秋穂中学校PTA四 二 日 下 関 市 一 名 、 公 民 館 祉 事 務 監査 の た め ︶ 六 日 厚 生 省 係 官 来 町 ︵ 福 め 表 彰 、各 省 に対 し 陳 情 の だ 一 日 町 長 上 京 ︵ 法 務 大 臣 ︵十月 ︶ 四〇名 来町 務 局 長 、郡 議 長 会 事 務 局 長 よ り 講 師 二 名 県 議 長 会 事 議 員研 修 会 の た め県 地 方 課 と思 い ま す が中 には 納 屋 を 建 四、本年度県消防ポンプ操法競技大会︵十月八日山口市に於て実施︶ 来 て る時 機 に 迫 ら れて 、 こ の 資 往 に 於て 三 隅 町消 防団 より 選手 と して 出 場 し た宗 頭 分 団 は手 引 動 力 物 二 十 九 日 大 津 郡 各 町 村 議 会 泊、懇談 二 十 七 日 仝 町 内 青 年 宅 に 宿 視察一泊 神奈川県青年学級生公民館 務 課 長 、工 務課 長 来 町 二十六日 長門土木出張所総 名公民館視察 二十二日 厚狭郡楠町一二〇 察 二 十 日 和 木 村 二 名 公 民 館 視 太郎氏来 町 査のため︶衆議院議員小沢 文 教 民 主 副 委 員 長 ︵ 温 泉調 十 九 日 島 根 県 津 和 野 町 議 会 ク ラ ブ四 名 公 民 館 視 察 調査の為︶来町、徳佐四H 県 職 員 課 藤 野 主 事︵ ほ う 賞 名︵ 役 場 庁 舎 視察 の た め ︶ 十四 日 阿 武 郡 徳 地 町長 外三 ︵ 九月 ︶ 人 と 思 いま す 。 さ い。 よ い で す や り是 非 出 席 し て下 初 力てI の 万 ば句 が な くて も 出 し て下 さ こ 五 日 迄 に 七 句 以 内 公民 館 へ 提 閧 傀 レま す 、 雑 詠 で す か ら 十 次は十一月十八日︵土︶に 送 者 雲 仙 爽 冫に 妻 の寒 彈 く 誕 生 日 諏訪祭りせるI 竹 にる あ り 袷 あ ホ句 の 秋 名 句 を 得 た り 夢 なり 金 を利 用 す ると か 、 他 人 よ り 清風 句会 十 月 分 酒 に友 なき を愁 へ ず 今 日 の 月 たけし 店 の 秋 玻 哂 戸の 裏 に 値 上 表 か 牛 九 重 秋 雨 や 郵便 侍ら で 出 っ 入 りつ 無名女 心 にも か かる雲 な き 良 沒 冫な 連 水 碓子 負 ひ て 片 手 拝 み や秋 祭 ︵一〇月末現在︶ 三 一 〇 万 円 と なっ て お り ま す 一、三隅町代表者町長稲田正治 警察で は11月 1日から1ヶ 月間を空気銃の届出運動月 間 とし ておりま すので まだ許可 を受けてない人はこの期間中 に是非届出 て下 さい。届出 ら れた人は処罰はせず所持許可 の便宣 を与 えます。 会長より表 彰さる ︵とれたとれた大漁の野波瀬︶ 空 気 銃 の届 出運 動 警察からのお願い ポンプ基本操法の部に参加し第二位分成績を収めた 五 、三 隅 町母 子 愛 育 会長 田 中 ハ ナ 母 子 衛 生 事 業 ︵ 主 と し て 乳 児 健 康診 査 ︶成 績 優 良 団 体 と し 十 月 二 十 五 日山 口 県 知 事 よ り 表 彰 さ れ た 六、三隅町は昭和三十五年度一般住民の結核予防に対する業績顕著に わら ず 、 魚 は年 々 喊 る一 方 で 址 れ には 色 々の 理 由 は あ ると して も此 の 臓 で は 漁 民 は 益 々 千 代 悛りか え し障子 に は に き そ つ こ か け おきな ひ そ と 住 む 身 にも 嬉 しき 秋 日 和 元 子 等 の 遊 び何 時迄 続 く夜 の 秋 米 子 放課後 の ス ケッ チ 大会 秋 9 和 一 平 吻 を う け て 石 あ た t か や 返・リ ・ 。︼ タコ ーぴきの一回の産卵数 は 約十万粒 と云 われてい る、本 年は試験増殖法を採用 した沿 つ き 十月 二 十 六 日昭 和 三 十 四 年 度 に続 き 連 続 表 彰 を山 口 県 知 事 よ り 受 け た. ︵県二位の宗頭消防団︶ 表彰 の 輝 き ﹁ お母 さ ん 講 座 ﹂の 結 果 乳幼 昭 和 36 年11 月 5 日 三 隅 広 報 ( 第64号)