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アメリカにおける 「麻薬」 と法、 およびその社会的
アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察 555 本 アメリカにおける﹁麻薬﹂と法、 およびその社会的 影響をめぐる一考察 栗 その同じ 愼一郎 我々がこれまで遂行して来た思考のレベルの結果として作り上げた世界は、 レベルでは我々に解くことの出来ない諸問題を産み出した。 ーアルベルト・アインシュタイン 問題の第一の原因は、解決策である。 ーエリック・シィヴァレイド ェトナム戦争が終結して以来、いったん表面的には静まったかに見え、それゆえアメリカは再び静かで小市民的な地 策に代表された極めて保守的な体制に反抗するカウンター・カルチャー運動が、その隆盛の大きな逆要因であったヴ 一九六〇年代および七〇年代前半のアメリカのいわゆるヒッピー文化、またはリチャード・ニクソン元大統領の政 1 556 叢 論 律 法 球上の﹁偉大なる田舎﹂に復帰したかにも見えたにも関わらず、ニクソンの後を継ぐ保守派たるロナルド.レーガン 大統領は一九八二年一〇月から麻薬の社会に及ぼす脅威に対して改めての決意に満ちた宣戦布告をせねぽならなかっ た。﹁麻薬﹂は、アメリカ文明の国際的な位置の揺らぎやあからさまの批判の受容という、かつてニクソン時代の特 徴と思われた明白な国際政治上の失敗とその影響にかかる問題が一応は舞台から退いたにも関わらず、七〇年代後半 から再び社会的に活性化することになったからである。 これまたニクソンの麻薬撲滅路線の後追いであるとも言えるレーガンの﹁闘い﹂の真面目さにも関わらず、皮肉な ことにアメリカでは、その後、一九八五年度の連邦予算で直接二一億ドルを計上するほどの多大の予算を費やしても マリファナやコケイン︵コカインとも︶は一向に社会的退勢を見せていない。この二つに、ヘロインを加えて、いわ ゆる﹁麻薬﹂は八〇年代半ぽを迎えて、ますます普通の市民の間に浸透さえしているのである。その事態を踏まえ、 マリファナやコケイン等の﹁麻薬﹂に対し、根本から見方を変え、対処の仕方を変えることを勧める知識人の台頭も あることながら、政府やそれに主導されるマスコミの論調はそれに論理的に答える術もないままであるかに見え、事 態はただ成り行きに任せて対﹁麻薬﹂戦争の敗北をどこかで誰かが宣言出来るのかどうか、おそらく禁酒法のように はそれは出来ないとするとその病根は社会的かつ法的に、一体、いついかなる形で洗い出されるのかどうかが改めて 問われねばならないという袋小路に入り込みつつある。 若手のドラッグ問題研究者で、一九八六年四月に行なわれた﹁対ドラッグ戦争−突破口を求めて﹂︵ノヴァ大学︶ シンポジウムの主催の中心人物であり、その報告書の編者であるスティーヴン・ウィソツキは﹃対ドラッグ戦争の袋 小路を脱出するために﹄︹切]︺なる力作をものしてまで、この﹁戦争﹂の失敗と今後の可能な展望をリベラリズムの 中に探ろうとしている。そこにはもはや、まさしく需要が有るために年々増大する南米からのコケイン密輸入があっ 557一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 て、それは一九八二年の推計四〇万トンから六五万トンの水準から八四年には七一万トンから;二万トンへと飛躍 的に増大していること、この間、一グラム一〇〇ドルから一五〇ドルの街頭︵あるいは末端︶価格は据え置きまたは 下がり気味であるうえ、品質︵純度︶も向上しているという状況が、法的規制や天下り的な麻薬撲滅キャンペーンに よっては事は解決の方向に向かわないことを示している︹切一︰勺①詳﹂︺。コケインならコケインが、実際、生化学的に どのような影響を人体に与えるか、はたして保守派が主張するように常習化の危険がどのような形で存在するかを正 面から議論するのに様々面倒な要素を持ち込んでいる末端での﹁爽雑物﹂の比率は、一九八〇年の平均八〇1九〇パ ーセントから八四年の五〇1七〇パーセントへと減少した。つまり、価格が据え置かれたまま末端純度は︵一〇パー セントから三〇または五〇パーセントへと︶三倍から五倍へと向上したのである。これは、とりもなおさず、一般の 人々にとってコケインが入手し易くなったということでもある。実質上の価格は、最高で五分の一に下がったと言う 事も出来る。それにしても、いまだに五〇ー七〇パーセントの非コケインクロライドが、消費者の人体に入っていく 事実は、コケイン自体による人体への影響と爽雑物からの影響が不分明であるという問題を生んでいることになる。 他方、年間二〇〇億ドルが﹁売り上げ﹂られるというマリファナは、東南アジアや南米からも輸入されるとともに、 ア・・力国内でも栽培され、それは不況のア・・力藁のうち実質第三位の品趣已とさえ言われている・マリファナ には不純物を交ぜて量を増やす事は出来ないが、非合法である以上、値段の釣り上げはディーラー側の都合であり、 約三〇〇〇万人と比較的安定したかに見える需要層に対して一米オンス︵約二八グラム︶当たり六〇ドルから二〇〇 ドルで売買されている。三〇〇〇万人という数字は、煙草の通常喫煙者五四〇〇万人およびアルコール中毒患者二二 〇〇万人と比較するなら、立場によっていかようにも評価し得る数字ではある。ごく控え目に言っても﹁安定してい る﹂、﹁多い﹂とは容易に語り得るだろうし、一九七〇年代末のピークを過ぎてまでも決して減らないと思われる数字 558 は、少なくとも違法の定着という社会現象の恒常化だと言って良いだろう。 少なくとも、政府の感情的に過ぎるほどのキャペーンにも関わらず、社会では現実にその社会を中産階級的かつ小 市民的に支えている人々を多数含めてこれらの﹁麻薬﹂が市民権を現実に確立しつつあるとは言えるのである。キャ ソペーンの存在のため、立場上、テレビやラジオで反コケイン、反マリファナの言説をことあげしているスポーツ選 手やミュージシアンを実際含むほどでなければ、このような数字は達成されない。なぜ、コケインやマリファナが危 険なのかを、﹁それが非合法で良くないものだから逮捕の危険がある﹂という以外には述べられない政府をよそ目に、 この間はコケインの使用が高まった時期であって、八四年から八五年にかけての学年度の調査では、日本で言う高校 に、今は少なくともそれぞれ三〇〇〇万人以上︹]=︰ω01ωN︺と二〇〇〇万人以上だとおおまかに推定されている。 り、常習の可能性が高い者︶を併せて一九八二年に二四〇〇万人、同様にコケイソ使用者が一二〇〇万人であったの マリファナの使用者は、過去一年以内に使用したことがある者および同じく過去一箇月以内に使用した者︵つま 撃をすることは正当な姿勢ではない。 ンフェアである。だから、それによる想像以上の悪影響とコヶイン自体の人体への影響とを不分明のまま感情的な攻 品質が向上したとは言え少なくとも半分以上が何か分からぬ不純な交ぜ物が入って供給され消費されていることはア の指導者の敵意の対象であり非合法であるがゆえに地下組織が供給することが当然の結果となり、まさにそれゆえ、 は、それを直接の死因とする数字を有意のものと提出することさえ困難である。コケインについてでも、それが社会 るかにさえ見える。正確な体内反応を研究するのにさえ不可思議な反発が存在すると伝えられるマリファナに至って じ年に煙草喫煙を原因とする死者が三六万人、アルコールによる死が二〇万人だという数字をひそかに語り伝えてい 人々は、大々的に報じられるコケインの過剰使用による︵と思われる︶死が実際は六〇四人︵八四年︶であって、同 叢一 論 律 一法 559一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 三年生の一七.三パーセントが過去に一度はコケインを使用したことがあり、一三・一パーセントが過去一年以内で の経験が有ると答えている︹ωO︰朝OlO﹂︺。いずれも明確なデータはないものながら、人々の関心ははっきり高ま り、現実には誰しもがマリファナやコケインの喫煙または使用が社会的に浸透しつつあると認めている。特に、政府 の政策に反抗するなどの自らの政治的文化的姿勢の支えとしての意味も込めてマリファナを吸うという傾向はなくな り、その意味で七〇年代末のピークは過ぎたものの、かえってごく﹁普通﹂の中産階級のあいだに広まって定着化して いるのが特徴である。他方、減ったものがあるとすると、それは声高なリベラルな反政府論と、一時期、ZOヵζ↑︵Z苧 誌oロ①一〇﹃句。口︷N。氏。昌︷自穿。男o͡o﹃日o͡]≦餌ロ︷自目①[p司切︶を中心にして行なわれたすべて﹁麻薬﹂︵昌曽。o江oω︶と 分類された中での﹁軽い﹂ドラッグ合法化運動の勢いである。 以上の概観からだけでも、多くの改めて考えられねばならぬ問題が見えてくる。 まず第一に誰しもが考える事は、﹁麻薬﹂という概念は何であり、どこまでがそれに相当するかという問題である。 政治的に作り上げられたのか、あるいはなにがしかの理由によって確かに社会の敵意の対象たるにふさわしいのかは 知らず、現在アメリカ各州はいずれもマリファナを法律上麻薬として、あるいは麻薬と同格のものとして扱ってい る。 中にはマリファナが社会通念上ヘロイン等のハード・ドラッグとは区分されていることを意識して、おざわざマリ ファナも禁止の対象に含まれると付記しているニューヨーク州のようなケースも多い。例えぽニューヨークの場合、 ﹁危険なドラッグ﹂︵合ロσq窪o已。・合已σq︶の保持が最高禁固一年と罰金一〇〇〇ドル、販売をしていた場合は最高で禁 固四年であるがいずれもわざわざマリファナの保持を含むと明記されている。確かに麻薬という語の最初の一字たる 麻はマリファナの原料たる大麻から来ている。麻酔、麻痺等の言葉はいずれもその医学的な関係における言葉なの 律 560 だ。もっとも、いわゆるマリファナというのは、正確にはインド大麻︵○①目印窪ωぎ合6①またはO飴目書㌃・・①江く①︶ の雌株の葉および上部についている花の中の樹脂を含むものでなければならないが、中毒性という点ではヘロインど ころか煙草に比してさえもはるかに少ないだろうと言われるこの草がなぜ﹁麻薬﹂として危険視されねぽならぬのか は、その合法化運動もある通り、簡単には片付けられぬものを含んでいる。後に検討するように、この問題は従来の 反体制主義的あるいはりベラリズム的な視点からは語り切れぬ︵それはこれまでにほとんど語られ切ったのではある まいか︶重要なもの、即ち近代社会の人間の身体観とそれを総括するものとしての世界観を揺るがせる何物かとそう でなくても揺るぎつつある近代社会の今日の歴史的位置の否応ない関りとを、含んでいるように思えるのである。 友人のワトソン医師によって報告? されている。これは意味通りの覚醒であった。 主人公シャーロック・ホームズは、﹁四つの署名﹂なる物語の中でコケインを吸引して自らの感覚を高めるところを いる。これはいわぽ﹁覚醒﹂剤に当たると思われるものである。医者であったコナン・ドイルが著わした推理小説の また他方、マリファナと違ってコケインは、人間の身体感覚に特段の変質をもたらすものではないことが分かって 叢i一 論 であるが。ともあれ、それゆえ、これ以降麻薬という語を安易に用いず、主としてドラッグという語をLSDやメス あるという、アメリカの識老のおおかたも認める判断に基づいている。勿論、麻薬もまた非合法ドラッグの一員なの ロイン類であり、マリファナ、コケインを含む非合法の薬類は非合法ドラッグまたは単にドラッグと呼ぼれるべきで のは、その語源はともあれ今日の医学的常識ではナルコティックスに当たるのは中毒性がはっきり指摘されているヘ の根拠があるのかを検討するのは意味のあることである。ところで、筆者がここまでに麻薬なる語に鍵括弧を付けた のとして報告はされていないのだ。しかし、これまでに存在するまこうことなき体制的反感を考えるなら、どこにそ ともあれ両者のそのいずれもが、ヘロインにおいて報告されるような常用性または中毒性は医学的に確認出来るも 一法 561一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 カリン等の幻覚剤をも含めて表現する語として用いることにする。アーカンソー州法のように、マリファナを含むと 注釈しながら麻薬︵g目8昏工巨σq°・︶の禁止をうたう場合もあるが、さすがのレーガン政権のキャンペーンも、安易 にナルコティックスとマリファナが混同されることを批判する識者の反対を意識して、全体としては反ドラッグ ︵p忌・臼巨σQ︶キャンペーンとなっているからである。 また、次の大きな問題は、レーガンの反ドラッグ戦争がスタートしてから一八箇月で逆に消費が急増したコケイン の価格が半分以下に下がり、一九八五年には一二億ドルにものぼる巨額な予算は、要するに需要がどれだけあるのか という﹁経済学上の﹂問題にかなわないことを示さざるを得なかったごとく、法の強制は一体いかなる意味をここに おいて持つのだろうかということである。 事件﹂と呼ぼれる予審での争いがマサチューセッツで起きて、マリファナの法的禁止が科学的根拠のないものだから 訓練された法曹家においても出て来るべき意見でなくてはならない。事実、一九六八年、有名な﹁リースとウェイス るかに首を捻らねぽならないだろう。これは反ドラッグの感情に囚われなければ、ほとんどいかなる人間、すなわち ず、正常な神経の人間ならこれらがなぜ十把ひとからげにドラッグ、ときには訳も分からず﹁麻薬﹂と分類されてい 非合法だという共通点以外にほとんど無限とでも言いたくなるほどの差異が存在していることに人は気付かねぽなら みても、それぞれがまったく別個の対応策が取られねぽならぬ別個の性格を社会的かつ化学的に持つこと、あるいは という限定された立場にもし立つとしても、今日のドラッグの主流たるマリファナとコケインだけをとって比較して とにかくひとからげにしていわゆるドラッグは悪であり、使用の鎮静または撲滅が一義的に追及されねばならない 2 律 562 憲法違反であり、ゆえに五ポンドのマリファナをおそらくは販売の目的で持っていたことで検挙されたリースとウェ イスの二人はその事実を争うのでなく多数の証人を動員して法自体の無根拠性を問題にした際、結局はその主張をの けた裁判長ながら、判決において﹁・・麻薬︵昌①同OO口O切︶という現在使われている用語は、なんら正確な臨床的な意 味のない法律用語であって、さまざまな有害で危険な薬物を取り合わせたものを述べる場合に使われている﹂と述べ ねばならなかったのである。ちなみにマサチューセッツ州法では、人はマリファナを自ら所持していなくても所持し ている人物と同じ場所にいたというだけで禁固五年以内あるいは矯正刑務所二年以内あるいは五〇〇ドルから五〇〇 は今でも厳然と存在している。 を得ないはずなのだった。しかし、一応でもそう認めておきながら、法曹家はそのまま頬かぶりして、この﹁悪﹂法 ぬほどのもので、正面から問われたらいかなる保守的な裁判官であっても、この法が科学的根拠に欠けると言わざる ーバード大学を含むいくつかの名門校の学生の最低三分の一はフェロニィ ︵͡。﹁oロペ重罪︶犯として捕まえねぽなら てしまう。他国の法律を安易に批判することは慎むべきではあるが、この法は現実に施行されるなら、同州にあるハ れがもし論理的であり説得的だというなら、もはやこの重要な問題につき法を巡って論理的に語ることは無理になっ きだというものだったからだ。そして他方でその研究自体を精神的にブレーキを掛けている︹O鴫︰ωO︺のだから、こ マリファナの効果はまだ不明確であるから︵煙草に比してほとんど死者が出ていないから?︶まだ禁止されておくべ 非説得的なものだった。煙草の害は明確だが︵それにも関わらず制限はされていても禁止はされていないのだが︶、 しかし、このおよそ苛酷な法規制の正当性の主張およびなぜ二人の主張をのけるのかの根本的な理由は、まことに れているとも言えるが、この裁判ではそれらが同格に併記されていること自体が問題になったのであった。 〇ドルの罰金とされている。条文上でマリファナと他のナルコティックスとが併記してあるということは一応分けら 叢一 論 一法 アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 563 言ってみれば、警官は決してマリファナ喫煙では市民を逮捕しないが、彼等はやる気になればいつでもほとんど勝 手に市民を逮捕出来る権限と法的根拠を持っている分けである。七〇年代までは、あるいは所によっては今でも留置 場でさえマリファナが堂々と吸われていたアメリカにおいて、公式の数字は出ていなくとも警官自体がかなりの率で マリファナの所持者または喫煙者である可能性は否定仕切れないことだったし、ということは違法者の存在ルートも かなりにその気になれぽ知られていることだったのでもある。法治国家はいかにあるべきかという視点を立てるな ら、いかにも問題のある事態であり、識老がその原因がいわゆる麻薬法自体にあるとするのも当然ではあろう。しか し、実際には、学生寮で同室の友人が少量のマリファナを所持しているのを見たら、ただちに警察に届け出ねぽ最高 五年の刑に処せられるはずの学生は過去に一人も届け出ていないし︵そこに明らかにロースクールの学生も含まれて いることは問題ではないのか?︶、警察も一人もその場に居合わせたという理由で寮に踏み込んで逮捕していないの である。ここで、しかるがゆえに法を勝手に濫用する危険な権力という単純な批判の立場に立つことはた易いし、我 々もまた当然批判をすることはするであろうが、それでは本当の問題は見えない。 それは、保守派の裁判官でさえ明日から何かの都合で進歩派に鞍変えしようと思えばすぐにでも言える程度の、余 りにも単純過ぎる見解である。なぜなら、本当の問題とは現在あるのは馬鹿げた法だという認識を前提にしたところ の、ではなぜそのような誰もが感情を抜きにすればおかしいと言わざるを得ない法が保持されざるを得ないかという ことのだ。つまり、感情を抜きにすれぽということがいかなる法治国家においても実際には抜きにすることが出来な いところが問題ではないのか。また、逆に言えば、法は残念ながら集団の感情の表現であると言わざるを得なかろう が、そう後退して認めてもなぜアメリカ社会の感情はニクソン大統領自身を排除することは出来てもマリファナその 他を排除しないのかという疑問が、深い意味を持つかどうか分からぬまま浮かびあがるはずなのだ。であるならぽ、 律 叢 564 論 我々にとってもっとも必要なことはその感情がいかなる見えざる根拠を持つのかということでなけれぽなるまい。そ うでなけれぽ、今更我々が論陣に加わらなくとも、少なくともマリファナに対する規制はとうの昔に、つまりもつと も議論がかまびすしかった一九六〇年代あるいは七〇年代前半になくなっているはずなのだ。勿論、法学者であって も積極的にある法の廃止に向かう運動をすることは許されるのだが、その法がなにがしかの集団的で非言語的な感情 に支えられていると見える場合、つまりマリファナについての場合、それがなぜなのかをもう少し突っ込んで見るべ きであろう。それを提示しようとするのが、あるいはそういう視点が必要だとするのが、この論文の一つの意図であ る。 マリファナは、かつて一九世紀のインドにおいて植民地支配老たるイギリス婦人が、午後のお茶に出されるケーキ に入れて食べたと報告されているが、今日の通常の用いかたはヴァライエティに富むとしても、大体は雌株の葉を乾 燥させて押し固めたものを燃やした煙を吸う。マリファナは、その葉の樹脂部分に含まれる化学成分テトラヒドロカ ンナビノールを人体の神経系その他に作用させ、人の五感に対して日常生活上は重要ではないが感覚上は極めて明確 たがあまり使用者の支持を受けぬ間に姿を消している。それはおそらくマリファナがその原産はインドであれ、実際 カリンが存在するのに対して、純粋な大麻成分は一時六〇年代末、THCとして製品化︵勿論、非合法市場で︶され キシコ・インディアンやアメリカ合衆国南部インディアンのペヨーテ・カルトに用いられるサボテンのそれたるメス ところが、ケシから作った阿片の成分の化学合成物であるヘロイン、南米で育つコカの葉のそれたるコケイン、メ テトラヒドロカンナビノールは、その意味で強い向精神活性作用を持つのである。 形の見えかた、身体と空間との境界感覚の変化等の﹁効果﹂は、﹁違う﹂世界を感じさせるとも言い得る面がある。 な変化または変動をその効果のある通常は数時間のあいだ働かせ続けるのである。幻覚に至ることはないが、色彩や 一法 565一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 には現在世界中のいかなる国でも生育可能であること、コカの葉を噛むことがそれほど大きな効果をもたらさないの に対して簡単にパイブで吸うだけで十分な効果を得ることが出来ることにもよるのだろうが、おそらくは抽出し切れ ない何物かがTHCには欠けていると思われる。それだけマリファナの効果は複雑なのでもある。 ともあれ、重要なことはマリファナには、顕著な身体性への影響または日常性への干渉が見られるのに対し、対す るコケインは一部で﹁中産階級のドラッグ﹂と称されることさえあるように、感覚を高めたり運動能力を向上させた りすることが報告されるが、極度の使用で極度に体を痛め付けるのでなけれぽ︵それなら、飲酒または通常の喫煙で も起きるし、むしろそのほうが強い︶幻覚・幻聴の類いは発生しないしその意味では身体感覚の変化、すなわち身体 性の枠組みの変化は起きるわけではないのだ。シャーロック・ホームズの使用法のように、既に出来上がった自分の 方向に向けての強化ないし補助という意味がかなりに有るのである。 ボリビア、コロンビアの三国にほとんど限定されており、いずれも反政府ゲリラがなんらかの形で絡んでいるとアメ 両者は、最大の消費国アメリカに供給されるルートという点でもかなり異なっている。コケインは生産がペルー、 リカ政府によって主張されているが、他方、タイ、メキシコ、ジャマイカそしてアメリカ自身を主要な供給地とする マリファナは、そのアラブ世界におけるヴァリエーションとしてのペースト状にしたいわゆるハッシシ︵またはハシ シュ︶が左右両翼の兵士間に浸透していると言われる以外は、今日特に﹁政治的意味﹂を云々されることはないと見 られている。つまり、禁止のため供給をカットすると言ってもまったく違った対応をせねぽならぬし、かつまたその ﹁薬﹂としての生理的な反応としてもまったく違ったものがあるのだが、それにも関わらず先に述べた通り、ただ問 題を頭ごなしに不道徳だと非難する現在のアメリカの社会では医学的に研究を行なうにも馬鹿げた障害が存在するの で事態が必ずしも明確にならない︹O㎡︰ωO︺。 そこで実際の使用者がしぼしばマリファナから入って、コケインその他に手を拡げて行く傾向が報告されているこ 律 この草は、そこで大切に栽培され、広く使用されるようになったため﹁インド﹂大麻の名前が与えられたのである。 に関する本にある記述がもっとも古いものと思われる︹O鴫︰トoco︺。おそらく紀元前八世紀に中国からインドに渡った マリファナの使用は紀元前からのものであることは確かで、中国では神農皇帝が紀元前二七三四年に著わした薬物 だけを残したりする。 株の葉または上部の花の中の樹脂に含まれていて、雄株にはきわめて少量含まれているだけであるから栽培者は雌株 リファナの芳香はしぽしば人を魅了する。先に述べたテトラヒドロカンナビノールは、原材料たるインド大麻草の雌 の芳香を放つ。この匂いは大変強く、煙草の比ではない。また煙草の匂いが非常に好きだという人は多くないが、マ て吸い易くした水パイプや、手製の紙巻きにしたジョイントまたはリーファでくゆらすと、非常に特徴のある刺激性 リー・ジェーン、グラス︵草︶、ティー、ヘイ、ウィード等と呼ぽれている。それを通常のパイプや、煙の温度を下げ 草のようなものである。世間的に与えられた俗称はたくさんあって、もっとも良く使われるのがポットであるが、メ リカ合衆国の至るところで実際上入手出来る細かくひいた乾燥した草で、かすかな香りを持つ緑色の荒挽きの刻み煙 まずマリファナについて考えてみよう。もはや一定の使用者数が安定的に固定したかに見えるマリファナは、アメ 3 つ一つ別に基礎的な検討をして行くことにしよう。 と、また混合使用がマリファナの効果をコケインが補強する︵その逆はない︶と考えられることから、とりあえず一 とを念頭にはおきながらも、それがひとつにはともに非合法であることによる興味の喚起によると言えなくはないこ 諭 叢 論 一法 567一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 この﹁薬﹂は医療、宗教の目的で用いられ、自信の源だったり飢餓の時の支えだったり天の啓示の鍵だったりして、 決して今日アメリカ社会の指導者が宣伝するような負の要因は指摘されていなかった。 やがてマリファナは、インドから中東や地中海東域に拡がり、紀元前五世紀にはスキティア人やトラキア人がその 繊維で衣服を作った上、種子を焼いてその蒸気を吸い陽気に騒いでいるとヘロドトスによって記録されたのである。 西ヨーロッパはこの点に関して言えぽかなりの後進地域であって、ナポレオンの軍隊がエジプトから帰国したときに フランスに持ち込まれたのが最初と言われる。中央アメリカ、南アメリカ、メキシコに入った時期は不明だが少なく とも一九世紀にはそれらの地域で大麻は栽培されていた。 炎天の季節さえあれぽ世界中どこででも生育が可能だということを考えると、この普及のスピードの遅さはなにが しかのことを意味しているのかもしれないが、今のところそれを知る手掛かりはない。 困難や白眼視を乗り越えてマリファナが人体にもたらす影響についての研究が行なわれているが、それによると、 大変奇妙なことに人体自体の生理的変化はごくごく限られたものであって、例えぽアルコールによる脈拍の増加等に は比較出来ないほどのものでしかなく、たかだか若干の脈拍の増加くらいのものである。血圧も変化せず、煙の吸入 でも喉の異常や肺の異常を引き起こすという証拠はない。それ以外には、目の結膜がいささか赤くなることが注意さ れる程度なのだが、酒や煙草の比較してさえ穏やかであると言わねぽならぬそうした生理的変化のなさにも関わら ず、意識の上の変化や効果は大変に目覚ましいものであると報告される。 酒や煙草と違って所持そのものでさえ非合法であるのだから、使用が人の意識においていかなる変化をもたらすか についての調査がきちんとした形でなされたわけではないが、実際には三〇〇〇万人もの使用者のコミュニティが存 在している以上、そこには次のような﹁常識﹂があることが報告されていてもおかしくはない。 律 568 マリファナを吸ってから約三〇分後から六〇分後に血糖値とは関係なく使用者は異常な食欲増進を覚える。しか し、それは空腹感が増大するということではまったくなく、食べてみると異常に美味であると感じるというものであ る。だから正確には食欲の増進と呼ぼれているものは、食欲が結果として現われてくるものであって、実際には食物 に対する感じかたの昂進なのであろうと筆者は考えている。性欲についても同じである。マリファナ使用者は概して 攻撃的にならず、静けさ、平和性、穏やかさの方向に向かう傾向があるからである。この新しいはずの見方は、次の 事実と結びついている。 み替え﹂ではないかと疑わせるものがある。すなわち知覚の範囲が明らかに変更されて、ある物に注目が向くと同時 いるようだが、その基礎はどちらかと言えぽただの増進ではなく食欲についてと同じく知覚または感覚の強弱の﹁組 りかたで注目していることに気付くのである。一般にマリファナを使用すると知覚力と鑑賞力が高まると信じられて しかし、いずれにしても、使用者はおそらくここに関わって自己の周囲の形や色や構造に自分がまったく新しいや い世界における自己の位置付けということになるのかも知れないが、それは良く分からない。 との融合の意識︵アルコールと違って意識はつねに明瞭であると報告されている︶は、ひょっとするとまったく新し がなくなること、つまり自己の身体と外部との融合が起きているかに思える現象に注目するだろう。この身体と外部 で生かそうという、もはやそれなりに伝統的な関心の持ちかたより、自分と自分以外の物との分離または境界の感覚 知覚力の変化という誰もが注目する、また出来たらその通常でない感知の仕方を利用してなにがしかのアートの分野 て生まれてくるのである。もしも、使用者が身体論の哲学に関心を持つ者なら、続いて起こる自分の︵外部に対する︶ 自分の身体の存在の知覚から出発するようだ。つまり、重たかったり暖かかったりの特別の感じが自己の身体につい マリファナ喫煙後一〇分ほどで、彼等が﹁飛ぶ﹂という状態になるが、この感じは大体は肩とか首のまわりを襲う 叢一 論 一法 569一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 に通常なら気になるはずの物事の幾つかがネグレクトされるからである。ゆえに、マリファナを吸って車を運転する のは普通は危険であるのだし、知覚力が一義的に高まるという主張はただマリファナを礼賛しようとするもののよう に思われる。 では知覚の変化を人間の世界観における時間や空間に対するなにがしかの変化と考えることは可能のようである が、かと言って幻覚剤として知られるLSDやメスカリンのごとくはっきりした時空観の異次元的に近い変容をもた らしはしない。それはあくまでも﹁組み替え﹂なのである。 マリファナは概して仲間と一緒にジョイントを回しのみする形で喫煙されるのだが、多くの人が内面的な陽気さと 非闘争的な志向性の発露を経験すると言われ、それゆえに﹁良い﹂ものだとされることが多いが、少なくとも使用者 の一割り程度は立日心味もなく憂欝になり、ある物事を悪いほうに悪いほうに考えるような結果も出ていることを無視す るわけにもいかない。このケースに関わって大麻精神病︵。きgひ︷°。言司。ぎ。・。c・︶なるものの存在が検討されることに なるが、コールズ、ブレンナー、、・・ーガーが主張するようにマリファナがまったく関係ないとは言いがたい面がある ︹O鴫︰芯︺。マリファナは集中力を失わせると言われているが、実際にはある物事について思い掛けない様々な角度 から考えさせるきっかけになることが多いため、重い精神障害の要因をすでに持ってしまっている場合、それを引き 出す形で精神病を喚起することがあるようだからである。ただし、マリファナが直接それだけで原因になるとは考え られていないから大麻精神病という用語は科学的なものではない。また、非近代社会でもそれが起きているかどう かには疑問がある。一九六八年に、﹁ドラッグ依存に関するイギリス政府諮問委員会﹂ ︵許o印庄゜・庁Oo<o昌日。ロ⇔ ﹀匹く一ω。蔓O。目且詳Φ。。昌O巨σ908Φ昌匹Φロ⇔o︶の出したレポート﹁大麻﹂も、そうした医療上の診断がこともあろう に現場の警官によって行なわれることさえあることを指摘し、大麻が精神錯乱を起こすという見方が根拠のないもの 律 叢 570 論 法 であると認めている。 以上はあくまでもマリファナをめぐる概観でしかないが、それでも多くの重要な視点が新たに導入されねばならぬ ことが予感されないだろうか。煙草とマリファナは大した本質的差異がないし、いずれも個人の嗜好に属するもので はないという主張はそれがマリファナに有利になるようにと立てられた議論であったとしても、それはマリファナ法 を批判しているとい結果以外はマリファナ法と同程度に非科学的である。 マリファナと酒、煙草との違いは実はこの概観だけからでも明確だとするべきではないのだろうか。少なくとも身 体感覚の揺動、外界と人の個体との境界線の揺らぎ等のことは過喫や過飲による目まいというような形でない限り酒 にも煙草にも見られるものではない。また一見、肉体の動きが遅くなり怠惰になっているかに見えるマリファナ使用 者なのだが、いかなる感覚揺動が発現しているかについてはつまり自分の内部の事態については敏感であり、かつま たセットと呼ぽれる一緒にマリファナを吸う人たちとの関りがその﹁飛び﹂の在り方を支配し、また食欲について述 べた通り一見受け身なのだが実は使用老が何が起きるかを予め予期してそのうち何かを選択しようという意志を持っ ている場合はかなりその方向性が生かされるという傾向が存在することから鑑みて、むしろ極めて積極的かつ主体的 になるという見方も別個には可能なのである。そうでありながら、他人の目には使用者の行動はゆったりしているよ うに映るし、時には規律に対して消極的に不服従的であるかに見えもするわけだが、こうした反応も煙草では観察さ れないし、酒の場合は自制心が明らかに失われるという以外にはある一つの方向性の顕現が指摘されるということは ない。 これらから、保守的な体制支持者がことさらにマリファナを敵視する理由が漠然とながら予測されるであろう。そ のことについては、これからの我々の研究方向であり大きな課題であるので、一言で述べることなどもとより不可能 571一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 なのだが、少なくともマリファナがある一つの外的に与えられた﹁成長﹂であるとか﹁生産﹂であるとかの極めて近 代社会的課題に対して独立的であろうとすることを勇気付ける役割を果たし得ることは否定出来ないように思える し、かつまたこの社会に或るコントロールされた集団的な知覚の方向性があるものならぽそれに対し単に相対的自由 ということだけでなくこれまた或る根本的な独立を結果として主張しかねないものであるかのごとくにも見える。近 代社会は政治経済上の物理的なシステムであるが同時により重要なことにはそれを内的に支える世界観によってい る。その世界観とは我々人間による世界経験︵o召ひユg8合目o且o︶そのものなのであって、哲学者モーリス・メ ルロnポンティが次のように語るところの﹁知覚された世界﹂の在り方にほかならない。 私が世界について知っている一切のことは、たとえそれが科学によって知られたものであっても、まず私の視界 から、つまり世界経験︵o昌豊窪8合日o且゜︶から出発して私はそれを知るのであって、この世界経験がなけれ ぽ、科学の使う諸記号もすっかり立口心味を喪くしてしまうであろう。科学の全領域は生きられた世界のうえに構成さ れているものであるから、もしも我々がまず何よりも、この世界経験を呼び覚さねばならないのであって、科学と はこの世界経験の二次的な表現でしかないのである。科学は知覚された世界と同一の存在意義をもってはいない し、また今後もけっしてもつことはないであろう。この理由は簡単であって、科学は知覚された世界についての一 つの規定または説明でしかないからだ。 マリフア ーモーリス.メルロnポンティ﹃知覚の現象学﹄序文 竹内芳郎・小木貞孝訳 この知覚の主体をマリファナがある一定と思われる方向の中で﹁主体的﹂に変えさせるものだとすると、 律 572 叢 論 ナに対する敵意は多かれ少なかれ近代社会による根本的な敵意であり、それがゆえに条文上の厳しさに対置するとこ ろの現実の施行不可能性や、禁止の根拠の非科学性をもってマリファナについての法を攻撃するのは、問題の取っ掛 かりとしての意味は有するとしても究極には無意味なものであるしかないだろう。それらの批判は、要するにマリフ ァナ法が非近代的だと言っているわけだからだ。遂に、マリファナ法はきわめて近代的な産物なのだ。 ゆえに、マリファナに関しては検討すべき方向の見通しとしては近代および近代人の世界観の関りをめぐる極めて 重要なものが有り得ると考えられる。 ところが、他方、コケインになると同じくドラッグとして禁止されていても、歴史人類学的になされる展望はかな り違ってくるであろう。まずなによりもドラッグとしてコケインは化学合成物である。中毒あるいはなにがしかの副 作用ははっきりしないがおそらくマリファナの比ではないと推測されるが、その場合でもきちんとした医者の処方が 有れぽ一グラムニドルで買えるはずの物なのに、良くて四〇パーセントの純度の物を一〇〇ドル以上出して買って消 費する以上、純粋なコケインの作用を固定するのは大変難しいことでもある。 コカの木には大きく分けて二種類のものがあって、一つはこのペルーとボリビアのものを含む①這汗8昌ざ。・860 ︵2︶ コケインが精製されるのである。 その異常な﹁経済﹂はまた本稿では扱えない別問題である。その行方不明の三万六〇〇〇トンから、大体七八トンの んと三万六〇〇〇トンが﹁行方不明﹂になる。行方不明になった葉は値積みに値積みを重ねて、北米に流れ込むが、 ち一万二〇〇〇トソは一キロ一〇ドルから一五ドル程度の現地価格で葉をそのまま噛む現地の使用に回されるが、な 葉から抽出されたコケイン・ハイドロクロライドである。ペルーを例に採ると、年間五万トンのコカの葉の収穫のう 先にも述べた通り、コケインは主にペルー、ボリビア、コロンビア三国のアンデス西側の高地で栽培されるコカの 一法 で、もう一つはコ・ンビアとべネズエ・に産する・昌・・誓:§σ・§・§°・・である・しかし・さらに正確に は、前者には並.通の・カとこフジルの西アマゾ・と・・ンビア三部に産するイパドウの二誓に分かれるし・後者 はやはり並日通の・ヴ。Zフナテンスとペル←某・マラ・ンおよび・ルキ・地方に産する・ルキ・ンスの二種類に 分かれる。.﹂のうち並日通の。昌仲げ・旦§・§はペル;・カの九五→セ・﹄占めるもので・仲間のイパドゥが まったくと言って良い程コケインを含んでいないのに対し、アルカロイドを○・五から一パーセント含んでコケイン の含有量がそのうち七〇から九〇パーセ・・という高率の植物であるが、栽培における適応能力がまったく少ない・ 他方、。.喝庄.。・ペ一已昌昌。<。・・§・。§は干ぽつにも強く栽培適応性が高い。・のうち・ルキ・ンスは油と香りを多 く含んでいるので、数百トンがア・リカに輸出されて・カ〒ラに用いられる・ほんの数百膓であるが・ 現地の。カの葉の三ウイ・グはおそらく紀元⊥則二五〇〇年くらいからの宗教的伝統である・飢えを癒し力をもた らす﹁神の葉﹂の使用はかのイ・力帝国の慣習であ・た・とも知られている。ア言力に入・て来るコケインの七五 パーセントはコロンビアから、 一五パーセントがボリビアから、五パーセントがペルーからでそれ以外のエクアド ル、ブラジル、アルゼンチン、チリからが五パーセントというところである。 ること、しぼしぼ多幸症の症状? を産むことなどが知られている。 ヨーロッパでは覚醒剤として一九世紀から用いられて、中枢神経系の刺激剤であること、食欲を抑制する作用のあ 水溶性の白いコケインの粉は、しばしぽ細かくされて鼻孔の粘膜から吸い込まれるが、末端での純度の落ちをカバー するためおおざ。ぽに精製されてブリよ−スまたは・ラ・クという喫煙形態のやりか奈行なわれそ﹂とも多い・ コケインは少なくともヨーロッパにおいて医学的な価値から出発したので、その人体に対する作用はかなり明確に 分かっているところがマリファナとは違うところである。例えば、コケインは常習性を強く産み出すことはないが、 573一アメリカにおける「麻薬」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 律 574 叢 論 法 何かの理由により集中的かつ持続的に使用すると、激しい疲労、精神的な欝状態、極度の空腹感等が産み出されるこ とが分かっている。 コカから分離されたアルカロイドをコケインと名付けたのは一八六〇年のアルバート・二ーマンだったが、一八八 四年にはジークムント・フロイトがコケインには多幸症的な効果があることを自ら試して確認し、知人友人に推薦し ﹁コカについて﹂を著わした︹O勺︺。当時はなんと、阿片の効果の一つたる極度の精神的欝状態という阿片が切れた 場合の中毒症状の治療薬として期待されてもいたのだった。しかし、やがて先に述べたようなマイナスの要因もある ことが知られるようになり、フロイトも回りから攻撃されて手放しの礼賛は止めねばならなかった。 これらから考えて、何に原因があるにせよ、おそらくは多少なりとも非合法化それ自体に責任があるとしても、現 実に入手出来るものは粗悪な交ぜを加えてある物である以上、その使用はマリファナとはおのずから違う側面を持っ ていることが分かるだろう。一般の消費老は注意深くない限り危険な最終製品を買わされる危険に晒されている。ま た、少量高価であるため、マリファナよりもかなりの高率でマフィア等の組織勢力が市場に関係していることも明ら かなので、非合法化が先なのか組織勢力の浸透が先なのかの議論はさておき、とりあえず組織的犯罪と結び付く現実 上の比率が高いことも認められる。 コケインの効果には、マリファナのような身体と外界との融合意識に似たものは報告されていない。きちんと研究 されればそのようなものがあるのかも知れないが、少なくとも今のところ、使用者はすでに自ら確立した価値観の中 でそれを伸長させる強いよすがとしてコケインを用いるか、あるいはまた何も持ち得ていないため、コケインに頼る かのいずれかなのである。前者であれぽ、質と量に対する管理の意識があれば自らの生活や仕事に生かすことが出 来、後者だとその高価性からも生活を破壊に瀕させることになりかねない。すべてが前者であれば良いが、現実にご 575一アメリカにおける「麻藤」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 の両者を区分しコントロールすることは不可能であるから法的に禁止せざるを得ないというのが市民主義の拒否出来 ざる立場であるし、それがドラッグの抱える本質的課題に答えられるものかどうかは別として、マリファナが提起す る問題とはとりあえずは違う角度が最初には見えざるを得ないのである。従って、本来ならコケインとマリファナの 両者の社会的インプリケーションはそれぞれ違ったアプローチによって検討せねぽならず、我々もそうした検討を将 来なすことになるであろう。 ω ニューヨーク州ではヘロイン使用もヘロイン関連の犯罪も減少しなかった ク市弁護士会とドラッグ調査委員会との共同報告が出されて、この法の結果、 オンス以上を販売するかした者は一五年以上二五年以内の懲役に処す︶がニューヨークで施行された際、ニューヨー られるロックフェラー法と呼ぼれるヘロイン使用の抑圧を旨とした法規制︵ニオンス以上のヘロインを所持するか一 のうちいかなる集団範疇に入るかは一概に言えないにしても、一九七三年にもっとも厳しいドラッグ法として世に知 に分けて、実際上第二の集団以外には法強制は有効ではないとしたロいい︰O◎。ーΦO︺。いわゆるドラッグの使用者がこ ⑧ 法の脅威が有る無しに関わらず犯す者、あるいはその脅威と犯罪とを結び付けて考える能力に欠ける者 ② 行為に関心はあるが法強制があるため行なわないでいる者 ω その犯罪行為に単に興味がない者 の集団、すなわち シカゴ大学の法社会学者で法的強制が現実にどう機能しているかを研究しているハンス・ザイセルは、人間を三つ 4 律 576 ② 新法はおそらくヘロイン使用を一時的に妨げただろうが、一九七三年以降に継続する減少傾向は見られなかっ 合呼吸困難等の障害がかなりの確率で発生すること、常習性に至り易い傾向が顕著でなおかつその場合それが欠ける ことが報告されている。ヘロインは、本稿で検討した二つのドラッグと違い容易に過量を摂取しやすいこと、その場 ックフェラー法のない︶州と変わらなかった ③ 一九七三年から七五年にかけて、ヘロイン使用者に関係した重大な財産犯罪は急増したが、これは隣接の︵ロ た れているはずのヘロインであっても、それなりの確信的な使用ないし目的化が行なわれていることがあるだろうし、 これには幾つかの原因が考えられるが、その一つはその危険性がそれなりに常識としてスラム街においてさえ知ら にこの結果であった。 グ﹂︵↓庁oゲ①巳霧吟晋已σq︶なのであるし、罰則の強化はなにがしかの効果を産むと期待されてしかるべきであったの と使用者は極端な欝状態や不安感に囚われること等が指摘されており、それゆえ世に言う﹁もっともきついドラッ 叢一 論 ドラッグが犯罪と直結しているという通俗の理解に対し、ほとんどの感情に囚われない有識者はその単純化し過ぎ てることとなったのであった。 貧しい層を中心とするヘロイン使用者のなけなしの財布を直撃することになりそれが購入費用のための犯行に駆り立 罰則を過剰に強化した当然の結果として闇のマーケットにおける﹁商品﹂価格を急騰させ、コケインと違って概して 本にメスを入れないままに、そしてなおかつ実際には供給を根絶出来ないことを前提にしつつ、ただ法強制を強化し あるという問題もあるはずである。しかし、なによりも、合同報告の第三にある窃盗等の財産犯の増大はそれらの根 またそれこそ極度の多幸症化の作用を持つヘロインをどうしても必要とするほど使用者をめぐる社会的状況が劣悪で 一法 577一アメリカにおける「麻藤」と法,およびその社会的影響をめぐる一考察一 た結論に反対しているが、中でもチ・。→グと・。→5・は悪名高いへ・イ・をも含めていわゆる非合法ドラ・グ のいずれもが精神への直接的効果としては、犯罪への衝動を減ずる効果を持ち・そすれその逆ではないことを指摘 し、唯一の犯罪への導因は入手したいという欲望における経済的問題であるとしている︹一︶]℃︰NOふーNOO︺・また・彼 等は、もう一つの要因として︵これは根本的だとも思えるのだが︶ドラッグを所持すること自体が犯罪と規定されて いるからドラッグは犯罪と結び付くということになってしまっているのだとも言う。確かに、或る物を持つこと自体 を犯罪とし、その結果それを購入する代金を異常に高くすれぽ、二重の意味で犯罪に関わる率がその或る物をめぐっ て、.れま糞常に高められてもま・たく不思議ではない。例えば・ンピ・妾を持つ・と自体を犯罪と規定して禁止 すれぽ、コンピュータの存在が﹁犯罪﹂の誘発要因になることは当り前である。しかも、コンピュータを購入する価 格が常にブラックマーケットによって支配されていて、月賦もクレジットも一切認められず完全な現金払い以外には 購入出来ず商品へのクレームも一切認められる訳もないということになった消費者は、またおそらくは商品の効用だ けでなくその効用に至る場A口の正当な注意をまったく受けていないうえ、自分からではそれへの注意的態度を作り出 すことの出来ない若い層の場A口は、しばしば突破口を単純な犯罪的行為に求めてしまったりするのである。この場 合、ドラッグが犯罪を作り出すと非難するのが正当なのか法とその運用の実態がそれを作り出しているのか、さだか にはただちに結論には至り切れないと言うべきであろう。 かくして我々の手元には、改めて検討の上に載せるべき様々な課題が浮かびあがって来た。我々は、本稿をきっか けに次第に幾つかの課題を分析して行きたいと思っている。 ﹀。・匿oSカ・戸㊤べぷOg息■O㌔さ句患象o、SS霧oボへ§ミ句、プ﹁o乏鴫2ぎ綱碧ロosロoo犀゜。° 参 考 文 献 e<。江σQ庁ひ春木文枝訳﹃麻薬と青春﹄合同出版、︹︼︶㎡︺と略。 口dけoロロoさS出゜①ロ工閃゜Oo一⑦む。“︼︶°]≦o①m庁oさHqつべρO、黛丙切Oボ災ぺo黛S智さへ苦oへ、、匂匂へeへ亀ぐ合§ぎ心↑o句亀、㌔06×9之oミ鴫oH ↑O×日σq8ロロOO汀︹0力O︺と略。 国吟声o⑲oP㊦゜恥ロ臣国﹂≦°︾工O一ひO°ウ゜︼≦ロ昌印ざ閃゜○°ω目p詳w戸O◎oメ↓eO句合ミb、ミ句㍉ 60へ⇔へ§O ︵S 、O∨切>O☆ざ︹弓O向Oロ古Ow 即。昆“ω゜おべ★○災ミR、§ミき冨図゜切署ぎZ。妻㎡。㎏ぎ。力89匡ニロ・詰宮晶︹O勺︺と略。 ︼≦ロ﹃叶印ざ○.勺゜①ロエ㊥゜O°国ユo犀ロ。OP戸㊤o◎古↓ゲoOpロロeゲローoOo巴ロOOOロロoo己Oロ”︾OO目勺①H①江くoωけq匹冒O︹qo力Oo昌牛ごむ 民印勺一陣P﹂°HOooω曽吋÷軸団⇔、へ㌻亀b、災丙㎏■、ミボ亀ミ亀㌔ミミ合、忘合SO●︷o自σqP弓庁Odピ一くo目=∨O︹O庁一〇〇口O勺目O吻。。・ \Oミ、§OへO、b、S吋、句切父O切↑ふ ︵ふ︶° 現象学﹄1・H、筑摩書房 冥゜9。江。餌Cn㊥oロ蔓、G畠“、e§o§§◇ご曳o合忘、ミへo㌃へ§、勺曽ぎ同象江oロ。。O巴冨目2江竹内・小木.大田.宮本訳﹃知覚の ≦§8男﹂。°。⑨\§宣↑合辻§さ﹃ぎミ⇔ミミ§亀㎏曇ミ撃2。笥ぺ。葺ロ。。合↓§ヒ。。。汀︹H出︺と略。 ≦8吟mぎω﹂“・°。ρ恕§註ボ丙きこ§︾ここぎき・§◎・這82。妻く。葺O§§。。牛零Φ㍑︹bddと略。 N↑ロぴ2口︼Z°国゜pロ江S°︾°図oげo■房oP戸q⊃﹃蝉O、ミ句句亀ボ式、eO㌔ミミ︵ぶ20乞ぺo■ぎ切一日oロ伶ωoゲβψ力声oH・ N9°一“雷゜H“・°。N、↓言卜§へ☆ミトミ§∀さ§§、9︷8σ・9昌・d巳・。・−−菖。︷9§σ・。㊦・・撃︹いい︺と略。 鴫O目O一瞬口陣口匹OO日O切畠OωOロ同OOΦ一口Hq⊃ooH°司一σq°oo・ ︵2︶ ブ﹁o註oロ巴2碧oo亘8一ロ富=品oロ800ロo巨ロ日o器Oo目目#汀P↓ゲoωロ勺∀■o︷Os二σqc力8͡庁od・ω・目一一〇當︼≦曽犀9 四〇億ドルの売上げと推計。 ︵1︶ 20殉ζ↑︵弓●°2自ま目巴O品嘗一N註oロ͡自穿。戸。︷自目o︷9飴さ§恥冨曇︶の推計。第三の現金作物として、年間一 注 578 法律論叢