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02
明海大学教養論文集 自然と文化 No. 24(2013 年 12 月)pp. 29∼38
川端康成における遠近法の破壊
—『落日』『犠牲の花嫁』『抒情歌』『望遠鏡と電話』ほか —
川
勝
麻
里*
Destruction of Perspective by Yasunari Kawabata: “Setting Sun”, “A Bride’s
Sacrifice”, “A Lyricism Song”, “A Telescope, A Telephone”, etc.
Mari Kawakatsu
This paper is consideration about the consequence of Yasunari Kawabata’s having received from surrealisme.
1. は じ め に
「掌の小説」と呼ばれる百を超える(論者によっ
て数え方は異なる)川端康成の短編小説は、ごく
短く、プロットもないことが多い小説群である。
小説が「掌の小説」のルーツとされることから、
それらルーツの検討もなされている6) 。個々の作
品論も含めた「掌の小説」総体の研究史は、林武
志「『掌の小説』研究の現段階」7) に詳しい。
そうした研究状況にあって、本稿では、シュル
どの作品を「掌の小説」と認定するのかは、松
レアリスムという新たな視座から「掌の小説」を
坂俊夫1) 、長谷川泉2) 、石川巧3) 、羽鳥徹哉4) など
読み直すことが出来るのではないかと考えてい
の議論があり、原稿分量によって分類が試みられ
る。「掌の小説」の執筆時期は、第一期(大正十
ている。しかし、羽鳥が「掌の小説」を内容によっ
∼昭和十年)
、二期(昭和十九∼二十七年)
、三期
て規定すべきではなく、ただ短い枚数の小説を指
(昭和三十七∼三十九年)に分類することが出来
すと見るのに対して、単なる短編と「掌の小説」
るが(松坂俊夫)
、シュルレアリスム的傾向を持
の違いは何なのか、川端の小説の中でも「掌の小
つ「掌の小説」は第一期に書かれたものに集中し
説」特有の本質を捉えようとする見方もある5) 。
ており、これまでの前稿で考えてきたようにシュ
決定打となる論は提出されていないが、億良伸の
ルレアリスムは、作家として出発期にあった川端
「掌に書いた小説」や、当時、流行していたコント
が独自の理論である「主客一如」を提唱する契機
*
明海大学非常勤講師
1) 松坂俊夫「掌の小説―研究への序章」長谷川泉編
『川端康成作品研究』八木書店、一九六九年、およ
び、松坂俊夫「川端文学と掌の小説」川端文学研究
会編、川端康成研究叢書 2『詩魂の源流掌の小説』
教育出版センター、一九七七年。
2) 長谷川泉「『掌の小説』論」『詩魂の源流』。
3) 石川巧「<掌の小説>論序説」
『敍説』一九九七年
一月。
4) 羽鳥徹哉「掌の小説について」川端文学研究会編
『論集川端康成―掌の小説』おうふう、二〇〇一年。
5) 林武志「『掌の小説』論」『論集川端康成―掌の小
説』
。
になったのではないかと思うのである。
作品論としては、森晴雄の『川端康成「掌の小
6) 金井恵子「川端康成『掌の小説』論序説」紅野敏郎
編『新感覚派の文学世界』名著刊行会、一九八二年
十一月、太田鈴子「億良伸『掌に書いた小説』につ
いて」
『学苑』一九八三年十二月、野未明「コント
と掌の小説」
『国学院大学大学院紀要』一九八六年
三月、神谷雅志「掌編小説というジャンルの誕生」
『繍』一九九五年三月など。
7) 林武志「
『掌の小説』研究の現段階」
『詩魂の源流 掌
の小説』
。
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説」論』
(シリーズ五冊、龍書房、一九九七、二
おり、この言い方それ自体が、シュルレアリスム
〇〇〇、二〇〇三、二〇〇七、二〇一二年)や、
の考え方を意識した言い方のようにも見える。
三十五編を取り上げた川端文学研究会編『川端康
成論集掌の小説』
(おうふう、二〇〇一年)
、ある
「驢馬に乗る妻」(大正十四〔一九二五〕年三
月)の、
いは『芸術至上主義文芸』特集号『川端康成「掌
の小説」の現在』
(二〇〇九年十一月)などがま
東京の郊外の佐藤の馬場。馬場の女王。騎
とまった論考で、この他にも個別の作品論として
馬旅行。武蔵野の雑木林の秋。落葉。そして
多くの論が存在するが、
「掌の小説」とシュルレ
彼は豊子と親しくなった。/目黒の競技場。
アリスムとの関係を表立って考察したものは、秋
彼に誘われた豊子。群集。感情の弾丸のよう
元裕子の論考8) や、これまで論じてきた筆者の論
に飛ぶ競技場。賭博者の嵐。賭博。賭博。賭
9)
考 に限られており、体系的に把握することが求
博。勝って帰る彼と豊子とをつつんだ夕闇。
められるだろう。
夜。そして彼は豊子と結びついた。
川端康成の初期の多くの「掌の小説」にはシュ
ルレアリスムの影響が濃厚なのではないだろう
といった、名詞やごく短い文でワンショットを表
か。シュルレアリスムでは、人間の理性や意識を
現し、イメージを連鎖させていくこの文体も、曽
介在させることなく、無意識の世界を言葉や絵画
根博義11) は映画のシナリオの文体だと見ている
10)
に表出させようとして、
「思考の書き取り」 を
が、
「自動記述」と言ってもいいのではないだろ
目指した。シュルレアリストたちの思想を宣言と
うか。
して表明した、アンドレ・ブルトンの『シュルレ
中野嘉一によると、西脇順三郎の「馥郁タル火
アリスム宣言』
(一九二四年)にもそのことは書
夫ヨ」が昭和二(一九二七)年にすでに詩の領域
かれているし、理性や自意識によって制御される
で「自動記述」を実践しているというが12) 、それ
ことなく「思考の書き取り」を実践しようとして
に先立っていることになる。川端は「掌の小説」
「自動記述」を試みた、フィリップ・スーポーと
を書くにあたって、
「詩」を意識しており、先述
の共著『磁場』も、一九二〇年にすでに発表され
ている。
のように「即興的な詩を歌ふやう」だとしたり、
「折りにふれて、短いものを書いて来た」のは「小
川端は、このようなシュルレアリスムにかなり
説は短い形式程詩に近」いから(
「文芸時評」
『文
早くの段階から関心を持っていたと考えられる。
芸春秋』昭和四〔一九二九〕年五月)だとしたり、
川端は、
「掌編小説に就いて」
(昭和二〔一九二七〕
「私は詩の代りに掌の小説を書いた」
(
『川端康成
年)の中で、
「鋭い心の一閃めき、束の間の純情、
選集』第一巻、改造社、昭和十三〔一九三八〕年、
そんなものはちやうど即興的な詩を歌ふやうに、
あとがき)と言っている。シュルレアリスム詩の
掌編小説の形式にはそっくりそのまま移し出す
「自動記述」を意識していたのではないだろうか。
ことが出来るのである」と書いている。つまり、
「掌の小説」は心を写し取るのに最適だと述べて
8) 秋元裕子「川端康成論」
『日本近代文学会北海道支
部会報』二〇〇五年五月。
9) 拙稿「一九二〇年代のシュルレアリスム受容と川端
康成―『弱き器』
『火に行く彼女』
『鋸と出産』ほか」
(『立教大学日本学研究所年報』二〇一二年三月)、
拙稿「川端康成の『主客一如』とシュルレアリスム
―『バツタと鈴虫』
『青い海黒い海』
『馬美人』
『百
合の花』
」
(
『明海大学教養論文集』二〇一二年十二
月)
、拙著『美術と詩 II』
(コレクション・都市モダ
ニズム詩誌第十九巻、ゆまに書房、二〇一二年)
。
10) 巖谷國士訳、ブルトン著『シュルレアリスム宣言・
溶ける魚』岩波書店、一九九二年。
前述の秋元裕子13) は、
「新進作家の新傾向解説」
(大正十四〔一九二五〕年一月)において、川端
が言う「ダダイスト」の「新しい発想法」である
「とりとめもない自由連想」とは、シュルレアリ
スムに言う「自動記述」のことであり、ブルトン
の『シュルレアリスム宣言』(一九二四年十月)
の影響であること、また、
『ちよ』や『処女作の
11) 曽根博義「文学と映画」
『現代文学』一九八八年十
月。
12) 中野嘉一『前衛詩運動史の研究』沖積舎、二〇〇三
年、一〇五頁。
13) 秋元「川端康成論」
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川端康成における遠近法の破壊
川勝麻里
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祟り』はシュルレアリスム小説であると述べてい
レアリスム第二宣言』
(一九三〇年)の影響によっ
る。『ちよ』や『処女作の祟り』をシュルレアリ
て、川端康成がシュルレアリスム小説を書いたと
スム小説と見ることには異論があるが、
「自動記
し、
「昭和初期の川端の比較文学的関心もまた主
述」についての指摘はその通りだろう。新感覚派
としてシュールレアリズムにあった」と述べてい
はダダイズムの影響下にあると横光利一や川端自
身が定義づけている以上、そこからはみ出さない
る。『抒情歌』
(昭和七〔一九三二〕年)
、
『雪国』
(昭和十∼二十二〔一九三五∼四七〕年)
、
『眠れ
よう、シュルレアリスムという言葉を使わず、ダ
る美女』
(昭和三十五∼三十六〔一九六〇∼六一〕
ダイズムと言ったのかもしれない。川端は他者の
年)
、
『片腕』
(昭和三十八∼三十九〔一九六三∼
評価に、事後的に自己の作風を合わせようとして
六四〕年)などが例として挙げられていて、シュ
いく傾向を持つからである14) 。
ルレアリスムを川端が受容した最も早い小説は
また筆者もすでにいくつかの論考
15)
において、
『抒情歌』であるという。笹渕友一の論考は、昭
『火に行く彼女』
『弱き器』
『鋸と出産』三部作(大
和四十四(一九六九)年に発表されており、当時
正十三〔一九二四〕年)のような夢を題材とした
は『シュルレアリスム第二宣言』が出された昭和
無意識の世界を描く小説や、気づかぬうちに幻燈
五(一九三〇)年以降から、日本でもシュルレア
の光が胸に文字を照らしていたという同年の『バ
リスムが受容されるのだと考えられていたので、
ツタと鈴虫』のような小説もまた、そうしたシュ
この『シュルレアリスム第二宣言』の影響を論じ
ルレアリスムにおける「自動記述」の実践であり、
ているのである。
『青い海黒い海』
(大正十四〔一九二五〕年)
、
『馬美
しかし、美術史や詩歌史におけるシュルレアリ
人』
(昭和二〔一九二七〕年)
、
『百合の花』
(同年)
スムの受容は研究の刷新によって、もう少し早く
などは、川端の小説理論である「主客一如」16) の
から行われていたと考えられるようになってき
実践であると共に、それはシュルレアリスムの主
た。そのような現状を踏まえ、筆者は『シュルレ
客転倒であり、また主客転倒に伴うイメージの変
アリスム第二宣言』以前の第一宣言(
『シュルレ
形であることを明らかにしてきた。
アリスム宣言』
)から、小説家である川端もすで
17)
笹渕友一
は、アンドレ・ブルトンの『シュル
14) そのことは拙稿「川端康成『コスモスの友』は中里
恒子代作か―川端『純粋の声』の感想文草稿を手掛
かりに―」
『明海大学教養論文集』二〇〇九年十二
月で述べた。
15) 拙稿「一九二〇年代のシュルレアリスム受容と川端
康成」
、拙稿「川端康成の『主客一如』とシュルレ
アリスム」
、拙著『美術と詩 II』
。
16) 「主客一如」とは、大正十四(一九二五)年一月に発
表された川端の「新進作家の新傾向解説」の中で解
説された新感覚派の小説作法の一つのことである。
一輪の白百合を見たとき、
「百合の内に私があるの
か。私の内に百合があるのか。または、百合と私
とが別々にあるのか」という三通りの見方がある。
「百合と私とが別々にある」と見る従来の自然主義
的文学観に対して、
「主観の力を強調」し、
「自分が
あるので天地万物が存在する、自分の主観の内に天
地万物がある」というように、主観を通して眺めた
ものが世界だと考える見方においては、自分と他
者の区別がなく一つに溶け合った状態であると言
える。つまり、
「百合の内に私がある」と考えるの
も「私の内に百合がある」と考えるのも結局は同じ
で、主体も客体も区別がつかないとして、川端はそ
れを「主客一如」と名づけた。
17) 笹渕友一「川端文学とシュールレアリズム」
『世紀』
一九六九年四月(日本文学研究資料叢書『川端康
に影響を受けているということを指摘してきた。
ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が出される
のは一九二四年だが、翌年には日本でも大正十四
(一九二五)年の詩誌『文芸耽美』に、ルイ・ア
ラゴン、ポール・エリュアールといったシュルレ
アリストの訳文と共に、ブルトンの訳文が掲載さ
れ、上田敏雄、上田保、北園克衛のシュルレアリス
ム作品が掲載されていることが分かっている18) 。
川端は、詩誌や詩人たちとの交流によって、シュ
ルレアリスムに接近したのではないか、というの
が筆者の推測である。
すでに、
『現代文芸』大正十三年(一九二四)九
月号に発表された『弱き器』
『火に行く彼女』
『鋸
と出産』三部作などいくつかの初期作品を検討
し、シュルレアリスムの影響を受けた初の小説と
されてきた『抒情歌』以前から、川端は世界同時
成』有精堂、一九七三年収録)
。
18) 鶴岡善久『日本超現実主義詩論』思潮社、一九六六
年。
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的にシュルレアリスムを受容した小説を書いてい
うなものを着て革手袋をはめた、眉の濃い、笑ふ
たのではないかと考えてきたが、本稿では引き続
時に脣の左が少しあがる青年に行き合つた夢を、
き、今度は視点と遠近法という観点から、シュル
私は見たのでありました。(略)岸近くを走る汽
レアリスム受容を捉えてみたい。というのも、長
船の第五緑丸といふ字まで、私ははつきり覚えて
い間、川端初のシュルレアリスム小説と目されて
をりました。」というものである。
きた『抒情歌』は、視点の問題を根拠としてシュ
上田渡20) はこの箇所について、遠景と近景の
ルレアリスム小説だと考えられているが、それ以
間を視点が目まぐるしく動くこと、
「接続詞を省
前から川端はそうした視点の移動や遠近法の破
いた畳みかけるような体言止めの連続、それを強
壊を描いてきたのではないかと考えられるからで
引に「私は見た」で受けていく文の構成は、無時
ある。
間的」であることを指摘している。確かに、視線
シュルレアリスムでは遠近法の破壊や歪みがモ
が移ろっていくにもかかわらず、いくつもの光景
チーフとして扱われることが多く、それは主体と
が同一文中に収められているため、無時間的に感
客体を瞬時に入れ替えたり、時空間を組み換えた
じられる。しかし、視点が遠景と近景を目まぐる
りするための方法である。シュルレアリスム絵画
しく行き来するというよりは、シュルレアリスム
19)
絵画のように遠近法そのものが破壊されているの
の特徴として、速水豊
は次のような技法を挙
げている。人物や動植物を現実の空間配置とは異
ではないだろうか。
なる配置で、画面に描き出す(時空間を異なった
遠くにあるはずの海と、近くにある夾竹桃の枝
環境に置き換えたり組み替えるデペイズマンのこ
の距離感の奥行きは、
「海の上に枝を伸ばしてゐ
とを指す)
、前景から後景へ続くはずの遠近法が
る」という平面的な距離に置き換えられている。
不自然(奇妙にねじれるなど)
、フォルムの変形
「梢」に「湯の煙」が「見える」というのも同じ
(部分を拡大・縮小)
、フロッタージュ(凹凸の上
で、近くの梢と遠くの湯けむりは平面的な距離と
に紙を載せて上から鉛筆などでこする技法)
。こ
して眺められている。遠近感がなく、視点がどこ
の他、題材としては、顔のない人物像、見る者と
にもない、言い換えれば、視点がどこにでもある
見られる者が主客転倒した風景や動植物、夢(白
とも言える。
昼夢)
、無意識の表出、偶然に出来た風紋や木目
このような遠近法を破壊するシュルレアリス
の模様などを「自動記述」していくものが多い。
ティックな視点というものは、
『抒情歌』以前の川
シュルレアリスム絵画における遠近法の不自然
端作品にもすでに見られるのではないだろうか。
な破壊と同じものが、川端の小説にどのように表
現されているか、言い換えればシュルレアリスム
絵画の技法をどのように小説に応用しているのか
を考えてみたい。
2. 『抒情歌』における遠近法の破壊
そのことを以下に見ていきたい。
3. 『招魂祭一景』
『招魂祭一景』は『抒情歌』以前に、
『新思潮』の
大正十(一九二一)年四月号に発表された。これ
はアンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』
『抒情歌』にシュルレアリスムの影響があると
以前の作品だが、
『シュルレアリスム宣言』以前
されるのは、次のような視点の問題を根拠として
から美術や詩におけるシュルレアリスムの実践は
いる。
すでに行われている。川端はそうしたものを何ら
『抒情歌』作中には、龍枝の予知夢の描写があ
かの方法で受容していたのではないかとも推測で
る。それは、
「青い海の上に枝を伸ばしてゐる花
きるが、川端がもともと持っていた傾向が、後の
ざかりの夾竹桃、白い木の道しるべ、林の梢に見
シュルレアリスムと結びついて拡大されていった
える湯の煙、さういふ海岸の小路で、飛行服のや
とも考えられるところである。どちらかは決めが
19) 速水豊『シュルレアリスム絵画と日本』NHK ブッ
クス、二〇〇九年。
20) 上田渡「川端文学と絵画」田村充正ほか編『川端文
学の世界 4』勉誠出版、一九九九年。
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川端康成における遠近法の破壊
川勝麻里
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されない「思考」を「書き取」るという、シュル
たい。
レアリスムの方法である。
騒音がすべて真直ぐに立ちのぼつて行くやう
な秋日和である。
馬が片脚を上げたときの浮遊感がもたらす身体
感覚は、
「ばらばらに投げ散らかされた手足」が、
曲馬娘お光はもう人群に酔ひしびれてゐ
「一所に吸ひ寄せられて、生き物らしい感じを喚
た。乗つてゐる馬が時々思ひ出したかのご
びもどすが、直ぐ瞳の焦点を失つてしまふ」と表
とく片脚を上げなぞする度に、ばらばらに投
現される。手足の感覚が切断された後、一瞬間、
げ散らかされた手足が、ふつと一所に吸ひ寄
全身の感覚の統一感を思い出すが、再び感覚が切
せられて、生き物らしい感じを喚びもどすが、
断されてしまうという。こうした表現は、身体の
直ぐ瞳の焦点を失つてしまふ。——でも、ふ
切断を描くエル・グレコのようなシュルレアリス
と、遥か遠くの百姓爺の顔がはつきり目にと
ム絵画の感覚表現を、小説に置き換えたものと見
まつたり、直き前に立ちどまつた男の羽織の
えなくもない。
「ばらばらに投げ散らかされた手
紐の解けてゐるのが妙に気になつたり、それ
足」というのは、部分をコラージュのように組み
さへ夢のうちのことのやうでもあつた。
合わせたり、空間配置を置き換えたりする、シュ
お光には、靖国神社の境内だけが気違ひめ
いて騒がしく、その代り世の中がぴたと静ま
り返つてゐるとも思へる。数知れぬ人の頭が
影絵に似て音なく動いてゐる気もする。
ルレアリスム絵画の常套手段を使った表現でも
ある。
さらに、身体感覚が切断された折には「瞳の焦
点を失」うというから、遠近法も破壊されている。
遠近法が破壊されて、遠くの百姓がまるで眼前に
以上は冒頭部の引用で、この小説は、招魂祭の
いるかのようにはっきりと見えたり、動き回る馬
日、お光が白昼夢と現実の間に意識を行き来させ
の背の上でははっきりと眺めることが難しいは
るという作品である。
ずの、立ち止まった男性の「羽織の紐の解けてゐ
騒がしい音や会話を夾雑物として全体的に受
る」のがくっきりと見えたりする。瞳の焦点は瞬
け止めつつも、それぞれの音声を聞き分けること
間瞬間に遠くや近くのものにピントを合わせてお
が出来るというのが通常の聴感覚だろう。それに
り、しかし、その直後にはまた「夢のうちのこと
対し、
「騒音が真直ぐに立ちのぼつて行く」よう
のやう」に瞳の焦点が合わなくなる。こうした目
だというお光の感覚は、聴覚で音声を聞き分けた
まぐるしい視点の移動、それも瞬間の移動は、視
り、受け止めたりすること自体を放棄する感覚で
線の遠近感覚を破壊するシュルレアリスティック
ある。音はお光の耳に向かって聞こえてくるとい
なものである。
うよりは、天高き秋の空に吸い込まれていくので
焦点の合う瞬間は意識が戻る瞬間だとも言える
ある。そうした聴覚の薄れた中では、お光の身体
が、お光はまたすぐ意識を失うかのように茫然と
感覚は聴覚に意識が向かない分だけ研ぎ澄まされ
して、焦点が合わなくなる。焦点の移ろいは夢と
るはずである。しかし、身体感覚も視覚も、自分
うつつの間の行き来を示している。
では制御できない「夢」の中の出来事であるよう
に感じられているという。
初めから音がないのではなく、音があるのに、
そして「数知れぬ人の頭が影絵に似て音なく動
いて」いるように感じられる。影絵というのはぺ
らっとした二次元の絵画であり、頭部の髪の毛の
空に吸い取られるかのように無音に感じられるよ
黒さが影のように立体感を失って見えるというの
うになるという、その感覚の変化は現実から白昼
だろう。人間たちの群れがびっしりと映し出され
夢に移ろう瞬間を示している。まさに、理性や自
ている影絵に、遠近感はなく、やはり遠近法は破
意識によって制御されない無意識に近い状態にお
壊されている。
光は置かれている。このような状況を写し取るこ
この後、お光が「疲れ果てた現の夢」から呼び
とこそ、無意識や夢といった理性や自意識に制御
醒まされるのは、新栗を焼く匂いが漂ってきたと
02
34
きである。夢から醒めると、
「金網の筒形器械を
廻して大豆を炒る音」も聞こえ始める。
4. 『青い海黒い海』
大正十四(一九二五)年の『青い海黒い海』で
は、主客転倒が描かれ、こうした主客転倒はシュ
5. 『落日』
『落日』は、シュルレアリスムの自動記述に言
及している「新進作家の新傾向解説」の翌月、大
正十四(一九二五)年二月号の『文芸時代』に発
表された。「未来」に向かって歩いている詩人が、
ルレアリスムが好んで描く変形のモチーフである
「過去」を意味する<後ろ>側で新しいエプロン
こと、このような主客転倒が初期の川端が主張す
の紐を結ばせたウェイトレスと、レストランで
る「主客一如」のルーツであること、また、ここ
微笑している。「いやだわ。私の過去を見ないで
で近代の発明品であるレンズというものがはっき
ね。
」と彼女が言い、詩人が「よろしい。おれは
りと意識されていることは、すでに指摘した通り
未来に向つて歩いてゐたら、お前のところへ来た
である21) 。
のだ。
」と運命的な言葉を投げかけた瞬間、夕日
は地平線へ沈む。
空が澄んでゐたので島が近く見えました。
(略)主人のゐない部屋の硝子戸のやうな眼
この時、東からのこの町通りが西に突きあた
で、海の景色を眺めてゐました。ところが、
る質屋の庫の屋根に今までひつかかつてゐた
私の眼に一本の線を引いてゐるものがありま
太陽が、音もなくすつと落ちた。
した。
ほ。——その道を歩く人々は皆、この瞬間
一枚の蘆の葉です。
に小さい息を一つ洩らし、三歩だけ足をゆる
その線がだんだんはつきりしてきました。
める。しかし、それに気づかない。
せつかく近づいた島が、そのために、だんだ
ん遠退いて行きました。蘆の葉が私の眼の中
屋根に引っ掛かっていた太陽が「音もなくすつ
一ぱいに広つて来ました。私の眼は一枚の蘆
と落ち」る。時間は等間隔で流れてはおらず、映
の葉になつて行きました。やがて、私は一枚
画のスローモーションと早送りを交互に繰り返し
の蘆の葉でした。
ているように見える。屋根に太陽が引っ掛かって
いるとは、時間が遅く流れていることを意味し、
とあり、
「私の眼」が、ひいては「私」が、
「一枚
太陽がすっと落ちた瞬間に、時間は早送りになっ
の蘆の葉」になってしまう。見ているはずの主体
ている。そして、その瞬間、歩いている人々は三
と、見られているはずの客体(蘆の葉)が入れ替
歩分、歩みを遅くしているが、当人たちはそれに
わってしまうという主客転倒が描かれている。遠
気づかないという。人間は、時間は等間隔に流れ
近法も破壊されている。
ているものだと思い込んでいるが、自然のほうで
「硝子戸のやうな眼」がカメラレンズのように、
一枚の蘆の葉にピントを合わせると、近景である
は時間は早く流れたり遅く流れたりしているとい
うことになる。
島は、遠退いたかのように、ぼやけて見える。レ
そして、そこにいた子供たちは、落日を目で見
ンズは近景と遠景どちらかにしか焦点を合わせ
ようと西側を向いて道端で飛び上がっては、
「見え
ることが出来ないためである。このような遠近法
るぞ!」と嘘を言う。これも、遠近感や時空間把
の破壊もやはりシュルレアリスムのものと見な
握の認識のあり方を破壊するような表現である。
せる。
6. 『犠牲の花嫁』
『犠牲の花嫁』は『若草』の大正十五(一九二
21) 拙稿「川端康成の『主客一如』とシュルレアリス
ム」
。
六)年十月号に掲載された。寝そべっていると思
われる「私」の「眼の上」に見えている月見草の
02
川端康成における遠近法の破壊
花と月。
川勝麻里
35
主観的に月を眺めているうちに、月が自分の真似
をしているように感じてきて、
「真似る」という
——私の眼の上で、月見草が一輪ぽつと花開
動作に関する主体と客体が入れ替わってしまうの
いた。夕暮が明るい眼を見開いたのだ。
である。
それを驚いてゐる私の眼に、新しい花が爽
かに語り出した。
「私の姿は空の月よりも大きくお見えにな
りませんか。」
遠近法にのっとれば、近づけば、近くにある月
見草のほうが大きく見えるはずである。しかし、
月見草と月を等距離の位置に置いて比べれば、実
際の大きさとしては月のほうが大きいという理屈
「月よりも?」
を知っている「私」にとって、月のほうが小さい
「さうです。月よりも・・・。
」
ようには感じられない。「月が遠いから」
、月見草
私はまた山並の上の空を見た。花も空を見
てゐた。
「月が私を見て私の真似をし出しました。
私の真似をして黄色くなり始めました。」
よりも月が小さく見えているに過ぎないのだと、
遠くにあるものは小さく見えるという理屈をもっ
て、
「私」は反論する。ここで大切にされている
のは、
「眼」を通して眺めた、大きいか小さいかと
「お前の真似をして?」
いう遠近法的な<ものの見え方>ではなく、遠い
「さうです、私の真似をして。——私の方
か近いかという<距離についての理屈>である。
が月より大きくお見えにならないのですか。
」
遠近法の概念は破壊されている。だからこそ、月
「月の方が大きいよ。」
見草は、その距離の理屈をもって、
「秀子さんは
「それがあなたの悲しみです。幼児なら、月
あなたから遠い」のだと反撃するのである。
よりも私が大きいと思つてくれます。もつと
「遠い」という言葉は「秀子さんはあなたから
私に近づいてごらんなさい。私の姿があなた
遠い」という、心理的距離の遠さのイメージを導
の眼一ぱいに広がります。」
き出している。ある一つの言葉が、同じ言葉を用
「それは月が遠いからだよ。」
いた、それとはまた別のイメージを導き出すので
「さうです。月は遠いんですよ。秀子さん
ある。言葉がイメージを導き出すというのはブル
はあなたから遠いんですよ。」
トンの『シュルレアリスム宣言』にも描かれてい
る。
『シュルレアリスム宣言』によれば、ある晩、
「花」が「空を見」る、
「月」が花の「真似を」
ブルトンは、眠りつく前に「窓でふたつに切られ
するなど、擬人法が使われている。擬人法を好む
た男がいる」といった、
「一語としておきかえる
新感覚派らしい文体になっているが、こうした擬
ことができないほどはっきりと発話され、しか
人法は主客を転倒するものでもある。擬人化され
しなおあらゆる音声から切りはなされた、ひとつ
た花(主体)が月(客体)の真似をすることはあ
り得ても、その逆(客体である月が、それを見て
のかなり奇妙な文句」が思い浮かんだ。すると、
「体の軸と直角にまじわる窓によってなかほどの
いる主体である花を真似る)は、認知のあり方と
高さのところを筒切りにされて歩くひとりの男」
してあり得ない。見ているもの(主体)が見られ
の視覚的イメージが出現した。言葉を感じ取った
ているもの(客体)を真似ることは出来ても、見
ことによって、言葉通りの客体のイメージが出現
られているもの(客体)が見ているもの(主体)
したという。こうした、言葉が夢やイメージを呼
を真似ることは出来ないはずである。しかし、そ
び起こすというモチーフは、聖書の言葉が夢を呼
うしたあり得ない逆転が行われているのである。
び起こす川端の『弱き器』にも見られることをす
このような主客転倒がシュルレアリスムのも
でに指摘したが22) 、
『犠牲の花嫁』
『弱き器』のい
のであることは、前述の既出論文ですでに論じた
ずれも、ブルトンの影響だと言うことが出来るの
通りである。『犠牲の花嫁』もそうした主客転倒
のシュルレアリスム小説の一種と言えるだろう。
22) 拙稿「一九二〇年代のシュルレアリスム受容と川端
康成」
。
02
36
ではないか。
酒場。その左下の東武鉄道浅草駅建設所は、
川端自身も、人間が考えるから言葉が生まれる
板囲ひの空地。大河。吾妻橋——仮橋と銭
のか、言葉があるから認識できるのか、どちらで
高組の架橋工事。東武鉄道鉄橋工事。隅田
あるか今日では分からなくなっていると述べてい
公園——〉と冬曇りにつつまれた筑波山まで
る。川端は、
「人間は言葉があるゆゑに思ふのか。
動いて行く眼は、ほとんどレンズである。
人間が思ふゆゑに言葉があるのか。今日では、さ
う簡単に答へられない。
」とした上で、
「新しい意
と指摘しており、窓から眺める風景は、近景の神
味での文章論は、日本ではまだ誰もが手をつけて
谷酒場から遠景の筑波山まで、視点は徐々に移っ
ゐないやうである。ダダイズムや表現派や超現実
ていく。それは映画で言うズームアウトであっ
派の移入には、当然の結果として、その文章論も
て、遠近法は決して破壊されてはいない。
23)
伴つて来た。」 と述べて、
「超現実派」
(シュル
鈴木はさらに、
「浅草を彩る人々」の「細部は、
レアリスム)に言及している。シュルレアリスム
突然クローズ・アップされる」とし、
「彼女の囁
においては、認識やイメージが先にあって言葉が
きは音が聞えさうに素早いが、それでゐて睫の動
生まれるのではなく、言葉が認識やイメージを生
くのがはっきりと見える。眼の開きが大きいから
み出すと考えるが、そのことに言及しているわけ
だ。睫が濃いからだ。白膜があをみを帯びてゐる
である。
からだ」
、
「スペイン風の踊りを踊りながら——決
だとすれば、上に見た、言葉がイメージを呼び
してつくりごとではない、私ははっきり見たのだ
起こすあり方や、遠近法を破壊する視線のあり方
が、その舞台の踊子の二の腕には、さっき注射し
も、シュルレアリスムの影響と言えるのではない
たばかりらしい針のあとに、小さい絆創膏がはっ
だろうか。
てある」などの文章を例として挙げている。ま
7. 『浅草紅団』
た、十重田裕一25) は、第十三章で、
「高さ四十メ
エトル」の「地下鉄食堂」にある「見晴し塔」か
以上に見たように、
『抒情歌』以前の作品には
ら弓子らの「紅丸」を見下ろすシーンについて、
遠近法の破壊が多く登場している。『抒情歌』を
「距離的にみて、カメラの接写(クローズアップ)
含め、これら作品の遠近法の破壊はシュルレアリ
でもない限り「船頭の顔色」は知り得ないはずな
スムの影響だと思われる。
のに、
「私」は「船頭の顔はひどく青白んでゐた
こうした遠近法の破壊は、
『抒情歌』よりも後
の長編である『浅草紅団』や『雪国』におけるズー
ムイン、ズームアウトと比べると、その違いが分
かる。
のだ」と断定的に説明を加えている」と指摘して
いる。
こうしたクローズアップは、映画のカメラレン
ズを意識したものだと研究史の中では位置づけら
『浅草紅団』は『東京朝日新聞』などに昭和四
れており、十重田は、特に映画の中でもニュース
(一九二九)年十二月∼昭和五(一九三〇)年九
映画を念頭に置いている。近景から遠景へと視点
月まで連載され、連載終了後に映画化された(九
を移動したり、固有名詞、短文を多用して、文末
月封切り)
。この作品では、カメラのような視点
が体言や「∼る」形で構成されていることや、川
が意識されていることが指摘されてきた。鈴木晴
端本人が場面をニュース映画のように転換させた
24)
夫
は、
としていることから、映画それも特にニュース映
画を意識して『浅草紅団』が書かれたという26) 。
地下鉄食堂の尖塔の東窓から〈目の前に神谷
23) 川端康成「文章」
『日本現代文章講座』第二巻、厚
生閣、昭和九(一九三四)年十月(原題「文章制作
の精神と方法」
)
。
24) 鈴木晴夫「浅草紅団」
『川端康成作品研究』八木書
店、一九六九年三月。
ニュース映画に限定できるかどうかはともかく、
25) 十重田裕一「
『浅草紅団』の映画性」
『日本文学』一
九九四年十一月。
26) 十重田裕一「川端康成と映画」田村充正ほか編『川
端文学の世界 4』勉誠出版、一九九九年。
02
川端康成における遠近法の破壊
川勝麻里
37
映画のカメラレンズが意識されていることからし
は、
「神」の眼を獲得するのと同じだというわけ
て、上記に見てきたような『抒情歌』以前の遠近
だが、ポヴレエは、院長の息子と接吻していた病
法の破壊された視点の移動とは、まったく別物で
室の女の人生に介入していき、望遠鏡のあちら側
あることが分かる。
にいる人々に「神の審判」を下す。まず、ポヴレ
このように、映画のカメラアイを意識したのが
エは「私」と「S 子」を助手として、「私」に女
『浅草紅団』なのだが、こうした表現はもはやシュ
の夫のふりをして電話で「私の眼は神の眼だ」と
ルレアリスムとは呼べない。遠近法の破壊を描い
言わせるよう仕向け、女を脅かして、女を「世界
てきたこれまでのシュルレアリスムの方法が、よ
一の貞淑な夫人」に変えさせる。しかし、女はポ
り科学的に表現されている。今度は近代の発明品
ヴレエの思い通りにはならず、接吻の相手である
であるカメラレンズの映像技術と結びついて、こ
院長の息子と駆け落ちを試みる。
のような文章が生まれている。シュルレアリスム
一方、顕微鏡を覗く医師と看護婦を結びつける
の発想を近代の発明品の道具立てと結びつけて表
ための病院に電話すると見せかけて、S 子の家に
現することで、白昼夢や無意識ではなく、より写
繋ぎ換えた電話によって「私」と「S 子」を結び
実的な現実が記録されていることが分かる。関心
つけようとするポヴレエの謀計は成功した。「私」
の対象が、目に見えない人間の心の分析から、目
と「S 子」は恋人同士になったまま、ポヴレエの
に見える文明や時代状況の記録に取って代わられ
遠くにある望遠鏡に見られていることを思いな
ていると言い換えることも出来る。
がら、丘の上にあるポヴレエのホテルを振り返る
8. 『望遠鏡と電話』
と、
「鳩が三羽ゆるやかに飛んでゐた」
。この鳩と
は、望遠鏡を覗き見るポヴレエと、
「私」と、
「S
『浅草紅団』と同じく「掌の小説」の『望遠鏡
子」の三人を象徴するものだろう。飛んでいく鳩
と電話』でも、近代における発明品である望遠鏡
は、見ることからも、見られることからも自由に
を使って近景と遠景を瞬時に結ぶことが行われて
なった三人のさまを示している。
いる。
これはまさに、シュルレアリスム絵画のようで
『望遠鏡と電話』は、
『新潮』の昭和五(一九三
ある。意図したり主観を通すことなく、無意識や
〇)年二月号に発表された。足を失った、元フラ
自然の状態を「自動記述」して写し取るというの
ンス大使館書記官のポヴレエ氏は、今はフランス
がシュルレアリスムの方法である。主人公三人と
語を教えている。教え子たちに望遠鏡で「別の人
鳩三羽の主客が入れ替わり、見ることからも、見
生を発見」させようとし、
「神と名のつくあらゆ
られることからも自由になった姿が、宙に浮かん
るものは、人間と少しばかりちがつた眼を持つて
でいると言えるのではないだろうか。主人公三人
ゐたに過ぎない」と述べて、教え子たちに望遠鏡
は消失する代わりに、大空に鳩三羽だけが残され
という名の「神」の眼を与えようとする。
ているのである。
教え子の「私」は、望遠鏡の中に、一組の男女
砂の偶然に出来た風紋が、何かの象徴や動物の
が接吻している姿を発見する。病み上がりの「女
形をしているように見えたりするのは、サルバ
の髪がぱらりと背に落ちた」ところが見え、
「彼
ドール・ダリのシュルレアリスム絵画の常套手段
女は病んでから今日初めて髪を洗つたらしく、無
でもあるが、ここで鳩はその<偶然>に当たる。
造作に束ねてさしてゐた毛筋立が抜け落ちたの
小説の最後を、
「私」と「S 子」とポヴレエでは
だらう」と「私」は想像する。髪の毛のような細
なく、この鳩三羽の描写で終えたのは、神か超現
いものが見えるということは、望遠鏡の精度はか
実的な力かによって生み出された風景を、意図や
なり高いものということになる。望遠鏡は遠くの
主観を通すことなく描き留め、絵画のように提示
ものを近くにあるかのように見せる道具立てで
する方法である。
ある。遠近感を破壊する道具だと言える。本来、
『望遠鏡と電話』にはシュルレアリスムの要素
見えるはずのない遠くのものが見えるということ
があるが、それは絵画的である。つまり心の分析
02
38
を写し取るのではなく、目に見える風景の寓意、
偶然に生まれた客観的事実を描き取るというほう
に主眼がある。
9. お わ り に
このように、
『抒情歌』以前における<遠近法の
破壊>はシュルレアリスムを受容する過程で生じ
てきた文体スタイルであると考えられる。また、
見たように、遠近法の破壊は、外部と内部、向こ
うとこちらの距離感を破壊するものであり、しば
しばシュルレアリスムの特徴である主客転倒とも
結びついていた。そして、それらは目に見えない
心を分析したり、無意識や白昼夢を描き取るもの
だった。
しかし、そうしたシュルレアリスムの方法は
『浅草紅団』や『望遠鏡と電話』の頃から映画や
望遠鏡などの科学的な道具と結びついて表現され
ることが多くなり、それによって、目に見えない
ものではなく、目に見えるものを描写の対象にし
ていくという傾向が強まるのではないかと考えて
きた。
今回、取り上げた以外にも、顕微鏡をモチーフ
としてクローズアップを描く小説などがあり、今
後はそれらについても言及したい。また、
『抒情
歌』以降のシュルレアリスム作品(特に長編の
『片腕』など)や、川端の私小説風作品とシュルレ
アリスムの関係なども考えていきたいが、このよ
うに見ると、川端は初期から晩年の『片腕』の頃
まで、ずっとシュルレアリスムの作家だったと言
うことも出来るのではないだろうか。今後とも、
川端がブルトンらと世界同時的にシュルレアリス
ムの小説を書いていたのではないかという観点か
ら、考察を深めていきたい。
【付記】本文引用は『川端康成全集』
(第一∼三
十七巻、新潮社)によった。また、出典の断りの
ない場合も、この『川端康成全集』によっている。
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