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インドネシアの LNG 広沢 勉 今年(2013 年)1 月 16 日、アルジェリアで
インドネシアの LNG 広沢 勉 今年(2013 年)1 月 16 日、アルジェリアで天然ガス精製プラントを建設中の日揮の社員と 関係者 10 人が犠牲になった事件を悼んで、本誌 2013 年 2 月号に「アルジェリアの悲劇に 想う 」という小文を発表しました。この記事中に1点、誤りがあることに気が付きました。 “ボンタン LNG プラントの EPC(Engineering Procurement Construction)コントラクタ ーは日揮でした。 ”という記述がそれです。東カリマンタンのボンタン LNG プラントは、 初期段階の Train A から D までのプライム・コントラクターは Bechtel で、Train E、F 、 G の EPC を請け負ったのは千代田化工でした。日揮が EPC コントラクターとして請け負 ったインドネシアの LNG プラントは、 1986 年に完工した北スマトラのアルン LNG プラン トの Train 6 でした。日揮は、他に 2009 年に本格的操業を開始したタングーLNG プラン トの建設と 2014 年後半完工予定の中部スラウェシのドンギ・スノロ LNG プロジェクトに 参加しています。読者の中には、誤りに気づいた方やプロジェクトの関係者もおられると 思いますので、茲許お詫びと訂正を致します。 LNG(Liquefied Natural Gas)とは、都市ガス、化学肥料の原料、発電や還元鉄処理工程 での熱源に利用される液化天然ガスです。天然ガスは、陸続きや近海のガス田からならパ イプラインで輸送できますが、海外の天然ガスを日本に輸送するには液化して LNG にする 必要があります。LNG は硫黄分を含まない高カロリーのクリーン・エネルギーなので、ガ ス会社にとって最良の都市ガス燃料として、早くから注目されていました。LNG の開発輸 入には現地の液化プラント、輸送用の LNG タンカー、受け入れ基地の建設等巨額の投資 を必要とします。上述のアルンとボンタンという2大 LNG 生産基地の建設には、日本から 資金が供与されました。アルンとボンタンは、かっては、日本の重要なエネルギー源の役 割を担いました。LNG 輸入量全体に対する両基地からの輸入の比率が 40%以上を占めて、 国別輸入先において、インドネシアは断トツでした。しかしながら、アルン生産基地がガ ス田の枯渇により 2014 年に完全閉鎖することになり、日本への販売契約が 2009 年 12 月 に終了しました。ボンタンも、ガス田の産出量の減少と需要が増加している国内供給を優 先する政策の影響で、2011 年以降の輸入数量は大幅に減少することになりました。2011 年 2 月、タングーLNG の輸入が始まりましたが、2011 年におけるインドネシアからの LNG 輸入量は激減して、日本への輸入シェアは 9.5%となり、国別輸入先もマレーシア、カター ル、オーストラリアに次ぐ 4 位になりました。さらに 2012 年になると、国別輸入先の順位 は、ロシアにも抜かれて 5 位に落ちました。2012 年の国別輸入先の上位も、かなり変化が あり、首位はオーストラリア、以下、カタール、マレーシア、ロシアとなっています。 日本への LNG 輸入は、1969 年アラスカからの導入で始まりました。その後、1972 年ブ ルネイ、1977 年 UAE(アブダビ)とインドネシア、1982 年マレーシア、1989 年オーストラ リア、1997 年カタール、2000 年オマーンと続きます。入荷の実現前には数年の準備期間が 必要です。1969 年 11 月、日本に初めて LNG が輸入されたアラスカの場合、東京ガスと東 京電力が購入を決定したのは 1967 年 3 月でした。ボンタンの LNG が日本に輸入されたの は 1977 年 8 月、アルンからの入荷は 1978 年 10 月ですが、アルンとボンタン併せての売 買契約の締結は、1973 年 12 月まで遡ります。 LNG の輸入契約の当事者はガス会社と電力会社になるのが一般的ですが、ほとんどのプ ロジェクトに商社が絡んでいます。日本への LNG の輸入が始まった初期段階のアラスカと ブルネイには三菱商事、アブダビには三井物産が関わりました。アルンとボンタンに始ま るインドネシアの LNG プロジェクトの場合は、日商岩井(現在の双日)です。私は、プルタ ミナの日本子会社ファーイーストオイル(FEO)に出向していた 1971 年頃、後に日商岩井の 副社長になる海部八郎さんが FEO に来社され、アルンとボンタンの LNG プロジェクトへの 参加について打ち合わせを行った会議に出席しました。海部さんは、当時の FEO 東社長と 姻戚関係にあり、また FEO の大株主であった関西電力を巻き込んでのプルタミナへのアプ ローチについて、FEO の協力を求めて来たのでした。 1979 年に改正されるまでの外為法のコンセプトは原則禁止であり、輸出も輸入も通産省 の許可・承認が必要でした。L/C 決済は「標準決済方法」と呼ばれ、輸出承認(E/L)なしで輸 出できましたが、プラント案件は延べ払い決済になることが多く、その場合は「標準外決 済方法」と呼ばれ、通産省重工輸出局に E/L を申請し取得するのが通例でした。プルタミ ナ向けプラント代金の返済に FEO を通じて日本に輸入される原油や重油を充てるという決 済方法は、ローサルファー資源の開発輸入と認められて、E/L が発給されました。この為、 商社と FEO が組んだプルタミナ・プロジェクトが多数実施されました。日商岩井の LNG 案 件も同じ趣旨によるものですが、プルタミナに供与した資金は LNG 輸入代金の前払いとい う名目でした。私の FEO への出向は 1969 年 2 月から 1972 年 1 月まででしたので、その後 に展開した LNG プロジェクトには触れず仕舞いでした。アルンとボンタンの LNG プロジ ェクトが実現したと聞いて、もう少し FEO に残っていれば、LNG プロジェクトのノーハウ を吸収できたのにと悔やみました。 海部さんが FEO と最初に打ち合わせた 1971 年頃、40 才そこそこで日照岩井の役員に昇 進したことで海部さんの名前は知れ渡っていました。会議の席上、私は、この人がかの有 名な海部さんかと心中密かに思って接したことを覚えています。日商岩井の海部副社長が、 ダグラス・グラマン事件に関わり外為法違反・偽証の容疑で逮捕された事件は 1979 年です ので、もう少し後の話になります。 山崎豊子の小説「不毛地帯」の主人公は、大本営参謀からシベリア抑留を経て商社マン に転身した伊藤忠商事の元会長瀬島龍三さんをモデルにしています。海部さんをモデルに した人物も、瀬島さんのライバルという重要な役割を担って登場します。数年前、 「不毛地 帯」を TV ドラマ化したシリーズものが放映されました。私は、第 12 話から最終回第 19 話まで見続けました。瀬島さん役は唐沢寿明、海部さん役は魁偉な風貌の遠藤憲一が扮し ました。商社マンの活躍振りを描いていますが、特に、1960 年代後半から 70 年代にかけ てのイランの石油開発にからむストーリーには興味を持たされました。 (完)