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先住民族アイヌを考える

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先住民族アイヌを考える
先 住 民 族 ア イ ヌ を考 え る
Considering
the aborigines
of Japan-Ainu
後
藤
拓
人
TakutoGoto
第1章
目次
第1章
日本人の形成過程学説におけ
るアイヌの関連性
日本 人 の 形 成 過 程 学 説 にお け る
ア イ ヌ の 関 連 性2
1日
日本 人 の 形 成 過 程 に つ い て は 、 古 く か ら
本 先 住 民 族 を考 え た 先 駆 者 達2
22人
様 々 な学 説 が 提 唱 され 、多 くの 学 者 、研 究 者
の 外 国 人 研 究 者5
が ア イ ヌの 言 葉 ・行 動 ・遺 物 ・文 化 な ど を き
3明
治 か ら大 正 へ8
っ か け や ヒ ン トに し、 自 らの 考 え を幅 広 く展
4大
正 か ら戦 後 に か け て12
開 させ 、 独 創 的 な 学 説 を 唱 え て き た 。 そ の 意
味 で も ア イ ヌ は 日本 人 の形 成 過 程 に お い て 最
第II章
も重 要 な根 底 の 一 部 とい っ て 間 違 い な い で あ
遠 くて 近 い北 海 道 と沖 縄15
1ア
イ ヌの 沖 縄 体 験 談16
ろ う。 こ の章 で は 、 そ の学 説 を幾 つ か 紹 介 し
2ア
イ ヌ女 性 の 入 れ 墨18
て い くこ とに す る。
3琉
球 女 性 の 入 れ 墨19
4様
々 な類 似 点 の 面 白 さ20
5結
論 に か え て22
1日
本 先 住 民 族 を考 え た 先 駆 者 た ち
も っ と も ら しい 考 え を持 ち始 め た の は 、江
戸 中 期 ご ろ で あ ろ う。 か つ て は 日本 人 が 生 活
第 皿章
ア イ ヌ の未 来 と先 住 民 族 教 育 の
を始 め る 以 前 に 、 巨 人 が 存 在 した と考 え られ
課題
た り、 至 る 所 で 発 見 され る石 器 は 天 上 か ら降
、26
1ま
だ知 られ て い な い ア イ ヌ民 族27
下 した もの で あ る とす る 『
石器天 降説』 や、
2今
後 の課 題 と して31
そ れ か ら進 ん で 天 狗 の もの で あ ろ う とか 、 雷
3オ
ー ス トラ リ ア で の ア ボ リ ジ ニ は
神 の使 用 した もの とす る 『
石器 天工説』 が現
32
4AboriginalEducationと
わ れ 、 そ の 後 に よ うや く 『
石器 人工説』 が抬
先住民 族
頭 し始 め た 。
教 育34
新 井 白 石 な どは そ の 最 も早 い 頃 の研 究 者 で
あ っ た 。 彼 は土 中 で 発 見 さ れ た 石 器 に 強 い 関
心 を持 ち 、 そ れ を製 作 した 者 は 『
孔子 家語』
あ とが き38
へ
せ
き
ど
もへ
『国 語*注 』 な ど に 記 載 さ れ て い る 石 努*圧
の
しゆ く
こ と で あ る か ら、 古 代 中 国 の 北 方 民 族 ・ 粛
しん
慎 国 人 で あ る と断 定 して い る。 粛 慎 人 が 佐 渡
や 蝦 夷 地 へ 侵 入 した 時 の もの で あ り、 日本 人
で は な く粛 慎 人 で あ る と主 張 、 日本 石 器 時 代
の 先 住 民 を非 日本 人 とす る 人 種 論 に到 達 した 。
209一
また 、 江 戸 後 期 の木 内 石 亭 も実 際 の 出 土 石 器
たわけで ある。
を比 較 考 古 学 的 、 民 族 誌 的 に北 海 道 石 器 と本
えみ
し
州 石 器 を 同 一 物 と断 定 、 先 住 民 族 は 蝦 夷 と考
え 、石 器 は蝦 夷 が 製 作 した も の で あ り、 か つ
2外
国人研究者
江 戸 末 期 、 欧 米 の 広 い博 物 学 的 知 識 を駆 使
蝦 夷 は す な わ ち 粛 慎 で あ る と説 い た の で あ る。
し、科 学 と して 日本 人 を最 初 に問 題 に した の
更 に 菅 江 真 澄 は、 東 北 地 方 を旅 行 して 多 く
は 、 オ ラ ン ダ商 館 の 医 師 と して 来 日 した フ ィ
の 石 器 土 器 を 実 見 し、北 海 道 根 室 発 見 の 土 器
リ ップ ・フ ラ ン ツ ・フ ォ ン ・シー ボ ル ト(ド
と同 一 物 で あ る こ とか ら、根 室 の土 器 が ア イ
イ ツ 人 。1796∼1866)で
ヌの 製 作 し た もの で あ る とす れ ば 、東 北 地 方
化 の発 展 段 階 と して 、 石 器 時 代 、 青 銅 器 時 代 、
の縄文土 器発見 地 には、かつて アイヌすな わ
鉄 器 時 代 の 三 大 別 が あ る こ と を知 っ て い た の
ち蝦 夷 が 先 住 して い た と考 定 して い る 。
で 、 日本 の 場 合 に も この 例 が あ ろ う と考 え 、
あった。彼 は人類文
この よ う に して 、 江 戸 時 代 に は古 代 の 遺 物
容 易 に石 鏃 な ど を実 見 して石 器 時 代 遺 物 と考
に関 す る研 究 が 我 が 国 の 学 者 に よ っ て独 自の
え た。 石 鏃 が 日本 北 部 を 中心 と して 、全 国 に
発 達 を遂 げ た。 人 体 にお い て そ の 結 論 は 、 石
渡 っ て発 見 され 、 北 部 は古 代 の蝦 夷 の 国 の 所
器 や 土 器 は 漠 然 と蝦 夷 が 製 作 した も の で あ ろ
在 地 で 、激 戦 の 末 天 皇 族 の 占領 地 と な っ た の
う との 推 定 が 殆 ど を占 め る所 まで 漕 ぎつ け た
で あ る か ら、 蝦 夷 の 国 の 居 住 者 で あ っ た ア イ
のであ ったが、 それ以上の進展 は示 さなかっ
ヌ が 石 器 を使 用 した の で あ る。 そ して 石 器 時
た。
代 は ア イ ヌ が居 住 し、 そ の 後 日本 人 が ア イ ヌ
ミ
そ の 理 由 と して は 第 一 に、 自 ら発 掘 調 査 し
カ
ト
に代 わ っ て居 住 した と見 て 、 民 族 差 を考 定 し、
た者 が な く、 単 に石 器 や 土 器 の古 物 を他 人 よ
石 器 時 代 非 日本 人 、 す な わ ち 当時"縄
り収 集 し、 文 献 上 の考 調 を試 み て 満 足 して い
とい う言 葉 は な か っ た が 、 『
縄 文 人=ア
た の で 、 時 代 観 念 が 明 瞭 で は な か っ た こ と。
説 』 を提 唱 した 。 現 代 の ア イ ヌ は そ の 直 接 の
第 二 に 、 石 器 時 代 と金 属 時 代 との判 別 が 出来
子 孫 で あ る と考 え た の で あ る。 更 に 興 味 深 い
文 人"
イヌ
ず 、発 展 段 階 が 不 鮮 明 で あ り、 また 、 進 化 論
もの に、 ア イ ヌ と琉 球 人 は 身 体 特 徴 に多 くの
的 な考 え を持 ち合 わせ て な か っ た為 、 一 括 し
類 似 点 が あ る為 、 『ア イ ヌ ・琉 球 人 同 系 論 』
て取 り扱 っ て し ま っ た こ と。 そ して 第 三 に 、
に お い て ア イ ヌ と琉 球 人 も同 系 の集 団 で あ る
蝦 夷 を 比 較 の対 象 と した だ けで 、 殆 どが 他 に
と主 張 して い る 。 これ に は次 章 で も詳 し く触
比 較 の対 象 を求 め て い な い の で 、比 較 研 究 の
れ たい。
視 野 が狭 い もの と な っ て し ま っ た こ と、 な ど
だが、 この 『
縄 文 人=ア
イ ヌ説 』 は 木 内 石
が 挙 げ られ よ う。 彼 らの説 は 多 分 に思 弁 的 で
亭 な どの 見 解 を母 胎 と して生 まれ た もの で 、
あ り、客 観 的 な論 拠 を持 っ て い なか っ た と い
我 が 国 の 学 者 の知 り得 な か っ た 西 洋 の 進 ん だ
う こ とで あ る。
史 学 的 で考 古 学 的 知 識 を持 っ て い た シ ー ボ ル
こ う した 為 、江 戸 期 の学 者 の 非 常 に独 創 的
トが 、 そ の 知 識 を 応 用 して 、巧 み に我 が 国 学
な研 究 の努 力 や苦 心 に もか か わ らず 、 そ の 民
者 の 成 果 を利 用 し、 一 個 の学 説 と して 組 織 化
族 論 は甚 だ 不 徹 底 な も の とな っ た 。 一 面 で は
し、 形 態 を整 え た に 過 ぎな か った が 、 久 し く
非 常 に進 歩 的 見 解 を示 しな が ら、 そ の反 面 に
日本 人 の起 源 論 ・人 種 系 統 論 と して 当 時 の 世
漠 然 と した 神 秘 的 な 見 解 が 重 な って い る た め
界 の 学 界 に通 用 して い たの で あ る。 な お 、 明
に 、 非 科 学 的 に な りが ち で研 究 が 停 滞 し、次
治 初 年 、 オ ー ス トリア の 外 交 官 と して 来 日 し
の 時 代 の 欧 米 の 学 者 の 新 た な科 学 的 研 究 を待
た シ ー ボ ル トの 次 男 ハ イ ン リ ッ ヒ ・フ ォ ン ・
た な け れ ば 、 研 究 の新 しい進 展 は 望 め な か っ
シー ボ ル ト(元 外 交 官 。1846∼1911)は
一210一
、ご
よ しき よ
く僅 か の 日本 滞 在 で 充 分 証 し得 なか っ た 父 の
ア イ ヌ 説 の 不 足 を 自 ら補 い 、 親 子 二 代 に わ た
って 『
縄 文 人=ア
イ ヌ説 』 の完 成 に努 力 を注
い だ。
良精 、 及 び 鳥 居 龍 蔵 で あ る。
坪 井 正 五 郎(1863∼1913)は
レ=ア
、モー スのプ
イ ヌ 説 の 立 場 に立 っ て、 しか もそ れ と
は 別 の一 説 を な し、 ア イ ヌ説 に対 抗 した。 彼
こ の シー ボ ル ト家 の ア イ ヌ説 に対 し、縄 文
は縄 文 時 代 の 先 住 民 族 は 、 日本 人 で も ア イ ヌ
時 代 住 民 は ア イ ヌ で は な く、 プ レ=ア イ ヌ で
で も な く、 ア イ ヌ よ りも先 に住 ん で い た 。 コ
あ る との 非 ア イ ヌ 説 を樹 立 して対 抗 した の は 、
ロポ ック ル とい う民 族 で あ る と の説 を提 示 し
1877年 大 森 貝 塚 を 発 掘 した ア メ リ カ 入 エ ドワ
ー ド ・S・ モ ー ス(ア メ リカ の 動 物 学 者 、 日
碑 や 言 い伝 え に登 場 す る伝 説 上 の 人 間 で 、背
本 研 究 家 。1838∼1925)で
た の で あ る 。 コ ロ ポ ッ ク ル と は 、 ア イ ヌの 口
あ っ た 。 大 森 貝塚
丈 が 低 く、 穴 の 中 で生 活 す る民 族 で あ る。 こ
の 発 掘 に よ る知 識 に基 い て 、彼 は 次 の よ うに
の ア イ ヌ 語 の 語 義 は 「蕗 の 下 に 居 る 人 」 「蕗
考 え た 。 日本 の縄 文 時 代 人 は優 秀 な土 器 製 作
技 術 の持 ち主 で あ った 。 とこ ろ が 北 方 民 族 ・
の 下 に も収 ま る よ うな 背 丈 の 低 い 人」 な ど と
一般 的 に考 え られ 、現 在 で も観 光 地 な どの 民
イ ヌ イ ッ ト(エ ス キ モ ー)、 ア リ ュ ー ト、 カ
芸 品 屋 で 木彫 りの コ ロポ ッ ク ル 人形 を見 る こ
ふき
ム チ ャー ダ ル及 び ア イ ヌ は い ず れ も土 器 を 製
とが で きる 。 この 伝 説 上 の 民 族 コ ロ ポ ック ル
作 しな い 。 ア イ ヌ は 専 ら木 器 を使 用 す る 。 ま
が 日本 最 古 の 先 住 民 で あ る との 根 拠 と して 、
た 、 貝塚 の 人 骨 は 骨 折 や ひ び が確 認 さ れ て い
骨 か ら推 定 で き る縄 文 時代 人の 身長 が 現 代 人
るが 、 これ は縄 文 時 代 人 に食 人 の 風 習 が あ っ
よ り も低 く、 ア イ ヌ は 土 器 も石 器 も製 作 しな
た こ とを 意 味 す る もの で 、 ア イ ヌ は性 温 和 で
い が 、 縄 文 時 代 人 は これ ら を大 量 に製 作 した
あ り食 人 の 習 俗 を 有 しない 。 従 って 貝 塚 積 成
こ と。 そ して コ ロ ポ ッ クル には 髭 が 無 く、 縄
者 す な わ ち 縄 文 時代 住 民 を 、 ア イ ヌ とす る こ
文 時 代 の土 偶 に髭 を示 す もの が 無 い こ とや 、
と は で きな い 。 彼 等 は ア イ ヌ以 前 に 日本 に住
縄 文 時 代 人 は 穴(竪 穴 式 住 居)で
ん で い た縄 文 時 代 の 民 族 で あ るべ き と し、 こ
た こ と な ど を挙 げ た。 更 には 、 コ ロ ポ ッ クル
れ を プ レ=ア イ ヌ と述 べ た。 要 す る に 、縄 文
に最 も近 い 人 種 に 、北 米 大 陸 の 北 端 、 及 び グ
時 代 人 の次 に ア イ ヌ が 入 っ て きて 民 族 が 交 代 、
リー ン ラ ン ドの 住 民 、 イ ヌ イ ッ ト(エ ス キ モ
ー)を 挙 げ 、 『コ ロ ポ ック ル=エ ス キ モ ー 民
ひけ
更 に現 代 日本 人 の 祖 先 が ア イ ヌ に代 わ っ て 日
本 列 島 に住 む よ う にな っ た とい う もの で 、 日
生 活 して い
本 列 島 で は 二 回 に 渡 り民 族 が 交 代 した とい う
族 説 』 ま で 主 張 した。
一 方 、 コ ロ ポ ック ル説 に対 し、 全 く新 しい
の が モ ー ス の 『プ レ=ア イ ヌ説 』 の 論 旨 で あ
実 証 的 な立 場 か ら最 も科 学 的 な ア イ ヌ論 を創
った 。
こ の よ う に 明 治 初 年 に は 、 シー ボ ル ト父子
唱 した の は 、 森 鴎 外 の義 弟 小 金 井 良精(1858
∼1944)は 二 度 に渡 る北 海道 旅 行 で 、 多 くの
の ア イ ヌ 説 、 モ ー ス の プ レ=ア イ ヌ説 と、外
ア イ ヌ人 骨 を発 掘 し、 当時 す で に少 しず つ 発
国 人 学 者 に よ る 日本 先 住 民 族 に つ い て の見 解
見 され る よ う に な っ た縄 文 時代 人 骨 を現 代 日
が 対 立 して い た の で あ る。
本 人 骨 と比 較 研 究 した結 果 、縄 文 時 代 人 は ア
イ ヌ の 祖 先 で あ り、 そ の後 現 代 日本 人 が ア ジ
3明
ア大 陸 か ら侵 入 して居 住 した とい う シ ー ボ ル
治 か ら大 正 へ
1887年(明
治20)以
後 に な る と、 欧 米 に留
トの 説 に よ く似 た 『
縄 文 人=ア
学 し た 日本 人 研 究 者 が 帰 国 して 大 学 で 教 鞭 を
イ ヌ説 』 へ と
到 達 し た。
と る よ うに な っ た 。 そ の 中 で 人類 学 に 関 して
坪 井 説 と小 金 井 説 は鋭 く対 立 したが 、 コ ロ
大 き な功 績 を残 した の は坪 井 正 五 郎 、小 金 井
ポ ッ ク ル説 に 対 し致 命 的 な実 証 的 論 拠 を 示 し
一211一
て 、 ア イ ヌ説 を殆 ん ど定 説 化 させ た もの が あ
る。そ れ は不 幸 に も坪 井 の 助 手 鳥居 龍 蔵(1870
∼1953)の 北 千 島 ア イ ヌ の調 査 結 果 で あ った 。
広 島 、福 岡 な ど西 日本 に は 激 しい 人 が 目立 ち 、
… 概 に は言 え ない が 、 韓 国 ・北 朝 鮮 の 人 々 と
類 似 性 を 見 られ る よ うな 気 が す る の で あ る 。
北 千 島 ア イ ヌ が 貝塚 や 竪 穴 を構 築 し、 石 器 も
土 器 も使 用 した縄 文 時 代 の 文 化 段 階 に 属 す る
状 態 に あ っ た こ とが 明 ら か に され た の で あ る。
4大
正 か ら戦 後 に か け て
大 正 末 期 か ら昭 和 初 期 にか け て は 、長 谷 部
こ とん ど
その 上 、 そ もそ も コ ロ ポ ッ クル とい う もの が
言 人 と清 野 謙 次 に よ る新 しい タ イ プの 学 説 が
ア イ ヌ の 説 話 に 出 て くる だ け で 、 そ の存 在 を
現 わ れ た 。従 来 の 学 説 が 人 種 の 交 代 を基 盤 と
客 観 的 に 立 証 す る こ と は不 可 能 で 、小 金井 説
して い た の に 対 して 、彼 らの 説 は縄 文 時 代 人
の 方 は 人骨 とい う具 体 的 資 料 に 基 づ く研 究 に
が 日本 人 の 直 系 の 祖 先 で あ る と した 点 が 異 な
よ る もの で あ る こ と な どか ら、 坪 井 説 は大 き
って い た 。 しか し、縄 文 時 代 人 か ら現 代 日本
な不 利 を招 い た。 彼 が1913(大
人 へ の 変 遷 の 過 程 につ い て 、 両 者 は 見 解 を異
正2)に
モス
ク ワ で客 死 した為 、 コ ロ ポ ッ ク ル説 一 代 限 り
の 学 説 とな り、以 後 は ア イ ヌ説 の 独 壇 場 と化
すので ある。
に して い た の で あ る。
長 谷 部 言 人(元
1969)は
東 大 理 学 部 教 授 、1882-一一
縄 文 時 代 人 が 時代 的 小 進 化 を遂 げ て 、
ふう ぴ
以 後 、 一 時 は ア イ ヌ説 が 学 界 を風 靡 した が 、
現 代 日本 人 に な っ た の で あ り、 人種 の 交 代 や
コ ロ ポ ッ ク ル説 を ア イ ヌ説 ま た そ の 前 段 階 と
混 血 は な い とい う連 続 説 を展 開す る一 方 、 清
して の プ レ=ア イ ヌ説 と ア イ ヌ 説 の 対 立 は 、
野 謙 次(元 京 大 医 学 部 教 授 、1885∼1955)は
す べ て 日本 縄 文 時 代 人 す な わ ち 日本 列 島 の先
主 と して 関西 地 方 の 貝 塚 や 古 墳 を多 数 発 掘 し、
住 民 族 に つ い て の議 論 で あ っ た 。 こ こ で 、先
1,000体 に 近 い 人 骨 を収 集 した 。 そ して そ れ
住民族 がア イヌであろ うと、また非 アイヌで
ら を近 隣 諸 民 族 と比 較 した 結 果 、縄 文 時 代 人
あ ろ う と 日本 人 の祖 先 と な る民 族 で な い とす
や ア イ ヌが 近 隣 の 集 団 と混 血 した為 に 、現 代
る所 は 、共 通 で あ る こ と に注 目 す べ き で あ ろ
日本 人 に変 化 した と考 え る 混 血 説 に至 っ た 。
う。 大 体 に お い て 日本 人 の 祖 先 は 、 縄 文 時 代
戦 後 に な っ て か ら も鈴 木 尚 と小 浜 基 次 とが
すす き ひさし
の 先 住 民 族 と は関 係 が な く、縄 文 時 代 の終 末
鋭 く対 立 す る よ う に な っ た 。鈴 木 尚(1912∼)
期 に大 陸 か ら列 島 に侵 入 し、先 住 民 族 を次 第
は 関 東 を 中心 に活 発 な遺 跡 調 査 、発 掘 を行 い 、
に北 方 へ 圧 迫 しつ つ 、現 代 日本 人 の 祖 先 とな
縄 文 ・弥 生 ・古 墳 ・鎌 倉 ・室 町 ・江 戸 ・明 治
り、 繁 栄 した もの で あ る とす る 点 にお い て も、
の 人 骨 を系 統 的 に収 集 し、 比 較 した 結 果 、 縄
両 説 に共 通 す る ものが あ っ た の で あ る。
文 時 代 か ら現 代 にか け て 形 態 が 連 続 的 に 変 化
そ して 日本 先 住 民 族 は ア イ ヌ で あ り、 日本
す る こ とを突 き止 め 、長 谷 部 連 続 説 を豊 富 な
人 の 祖 先 は 弥 生 式 土 器 を伴 っ て 、 や や 後 れ て
資 料 で 証 明 した 。 小 浜 基 次(1904∼1970)は
列 島 に入 り来 た 新 来 の民 族 で あ っ て 、 こ の両
者 が 列 島 内 で 互 い に接 触 、 融 合 あ る い は抗 争
昭和20年 代 に行 わ れ た全 国 的 な生 体 計 測 の デ
ー タ を分 析 し、清 野 混 血 説 に近 い結 論 に到 達
し、 次 第 に ア イ ヌが 日本 人 に征 服 され 北 方 に
した 。
退 去 す る途 上 で 、 そ の 一 部 が 日本 人 と混 血 し
こ の よ う に み る と、 長 谷 部 ・鈴 木 説 と 清
た の で あ ろ う との 説 に ほ ぼ 落 ち着 い て きた。
野 ・小 浜 説 の差 異 は 、 人種 は そ れ 自体 で 時 代
確 か に現 在 の 日本 列 島 を見 回 して も、 この 説
的 に 変 化 す る 、 とい う小 進 化 を認 め る か 否 か
は 的 を射 て い る 感 が あ る 。 北 海 道 や 東 北 ・関
とい う点 に あ る こ と に気 付 く。 しか し、 人 種
東 に は 比 較 的縄 文 色 が 残 り、 近 畿 ・中 国 地 方
に お け る小 進 化 の概 念 は 欧 米 で も認 め られ て
な どは 弥 生 式 特 質 が 強 い 。 気 質 な ど も大 阪 や
お り、 ま た鈴 木 尚 が 各 時 代 の 骨 を資 料 と して
一212一
、
い る の に対 し、 小 浜 基 次 は 現 代 人 の生 体 計 測
す る説 が 定 着 した か に み え た もの の 、 近 年 ア
値 の み を唯 一
一の 拠 り所 と し て い る 為 、 長 谷
イ ヌ 、琉 球 ・南 島 集 団 の類 似 が 注 目 を 集 め つ
部 ・鈴 木 説 の 方 が 、説 得 力 に関 して は 富 ん で
つ あ る 。 そ こ で この 章 で は 多少 独 断 的 で は あ
い る 結 果 とな った 。 が 、 混 血 説 に お い て も多
るが 、 そ の類 似 につ い て考 え て み よ う と思 う。
くの 支 持 者 が い た こ とは 言 う まで もな い 。
以 上 の よ う に、 日本 人 の 形 成 に つ い て 一 部
1ア
の学 説 を簡 単 に述 べ て きた が 、 研 究 が 精 密 に
イ ヌの 沖 縄 体 験 談
数 年 前 の こ と に な るが 、 沖縄 へ 旅 行 した ア
な る に伴 い 、 事 実 は増 々 複 雑 な様 相 を呈 す る
イヌ男 性 の話 を聞 く機 会 が あ っ た 。 彼 は ギ ョ
に至 って い る。 従 っ て現 在 で は 、過 去 に提 唱
ロ ッ と して 目 、 高 い 鼻 、長 い髭 と髪 、 ま さ に
され た ど の学 説 で も 日本 人 全 体 の 形 成 過 程 を
外 国 人 を思 わせ る 風 貌 で は あ る が 、北 海 道 内
説 明 す る こ と はで きな い で あ ろ う し、 ま た ア
で は ア イ ヌ とす ぐ に分 か る外 見 で あ る 。彼 の
イヌ や 琉 球 人 を含 め て説 明 す る とな る と 、 そ
話 に よ る と、"俺 は北 海 道 か ら来 た ア イ ヌ だ"
れ は 至 難 の わ ざ と言 え る だ ろ う。 だ が 、 どの
と言 う と現 地 の 人 らが 歓 迎 して くれ 、厚 い も
説 も とて も素 晴 ら し く、 また 魅 力 的 で 、全 て
て な し を受 け"泊
を組 み 合 わ せ 様 々 な 角 度 か ら考 え を巡 らせ ば 、
れ 、殆 ん ど金 を使 わ なか っ た との こ とで あ る。
限 り無 く真 実 へ 近 付 く こ とが で きる の で は な
ど うや ら沖 縄 の 一 部 の 人 は ア イ ヌ に対 し類 似
か ろ うか 。 私 の 考 え て い る 結 論 は次 章 の 後 半
性 を認 識 し、 仲 間 意 識 の よ うな もの を持 っ て
で述 べ る こ と に し よ う
い る の で あ ろ う。 北 海 道 の ア イ ヌ に も同様 な
第 皿章
ま っ て い きな"と
まで言 わ
こ とが い え る 。 テ レビ な どで沖 縄 の 人 を 見 る
遠 くて近い北海道 と沖縄
と"ウ タ リ(仲 間 、 同胞 の意)み
外 国 へ 行 っ て よ く経 験 す る こ とだ が 、 見 か
た い だ"と
多 くの 人 が 口 に す る。
30年 程 前 に 、 北 海 道 の弟 子 豊 治 氏 外 の ア イ
け た 人 が 日本 人 か ど うか 案 外 分 か らな い 場 合
が あ る。 朝 鮮 人、 ベ トナ ム 人 、 モ ン ゴ ル 人 な
ヌ民 芸 使 節 団 が 沖 縄 を訪 れ た と き同 行 した 弟
どは 割 に は っ き り分 か る の だ が 、 日本 人 とな
子 シ ギ子 さ ん に も話 を聞 くこ とが 出 来 た 。 そ
る と言 葉 を 聞 い て 、 や っぱ りそ うだ っ た の か 、
れ に よ る と 、 九 州 か ら沖 縄 まで フ ェ リー で 向
とい う こ とが あ る 。 とい うの は 、顔 の 形 も体
か っ た の だが 、 や は り沖 縄 の 人 が 沢 山乗 っ て
の大 き さ も こ ん な に バ ラエ テ ィに富 ん で い る
お り、 あ る一 人 が 沖 縄 の 言 葉 で 話 しか け で き
の は ア ジ ア の 中 で も珍 しい 民 族 とい え る か ら
た そ うだ 。 外 見 か ら一 団 を現 地 人 と思 っ た ら
で は なか ろ う か。 私 な どは 国 内 に お い て も 日
しい が 、 彼 らに は 当 然 何 の こ とや ら分 か らず
本 人 に英 語 で 話 しか け られ た 経 験 が あ る。 し
丁 寧 な 日本 語 で 聞 き返 す と、彼 は 「か っ こつ
か し、 縄 文 か ら弥 生 の 時 期 の 民 族 の 移 り変 わ
け な い で 、沖 縄 の 人 間 な ら沖 縄 の 言 葉 で 話 せ 」
りを 考 え れ ば 、 そ れ も頷 ず け る もの と な ろ う。
と怒 っ た そ う だ 。 そ の 彼 を説 得 す る に は苦 労
ア イ ヌ ・蝦 夷 ・熊 襲 ・隼 人 や 琉 球 人 、 そ して
した が 、 事 が 分 か る と驚 きを隠 せ なか っ た と
そ れ らの混 血 。 こ れ らの 集 団 は い ず れ も多 く
い う。
の謎 につ つ まれ、 今 で もその 出 身 につ い て
種 々 の 議 論 が 戦 わ され て い る。
更 に彼 女 の シ ョ ッキ ング な話 は 続 い た 。 一
団 の 中 に は 口 の ま わ り、手 の 甲 に入 れ 墨 を し
前 章 で も触 れ た が 、 フ ィ リ ップ ・フ ォ ン ・
た フチ(お
ば あ ち ゃ ん)も い た が 、 そ の 入 れ
シ ー ボ ル トは 『ア イ ヌ=琉 球 人 同 系 論 』 を 唱
墨 を見 た 現 地 の あ る老 婆 が 「あ な た と同 じ形
え た こ とで も よ く知 られ て い る。 そ の 後 、琉
の手 の 甲 の墨 を した人 を近 くの 島 で 見 た こ と
球 ・南 島 の 人 々 は 、 ア イ ヌ と無 関係 で あ る と
が あ る 」 と驚 い た そ う だ。 そ の 島 の 名 前 まで
一213一
は確 認 で きな か っ た が 「ほ とん ど同 じよ う な
3琉
球 女性の 入れ墨
形 だ った 」 と弟 子 シ ギ 子 さ ん は い う。 彼 女 の
沖縄 で は 、 明 治20年 代 まで の 婦 人 は 指 背 と
話 しが ウ ソ と も思 え ず 、 遠 く離 れ た 北 海 道 と
手 の 甲 に入 れ墨 を して お り、 そ れ を パ ジチ と
沖縄 で 外 見 だ けで な く、 風 習 に も幾 つ か の 共
い う。 そ の 模 様 は 地 方 や 島 に よ っ て そ れ ぞ れ
通 点 が あ る こ と は 、私 自身 の 心 の 中 に も深 く
異 な り、 宮 古 ・人 重 山 地 方 で は 織 物 の 模 様 ら
残 る もの とな っ た。 こ こで そ れ ぞ れ の 入 れ 墨
しい い ろい ろ な ス タ イ ルが あ っ たが 、 沖 縄 本
に 関 す る文 化 の 比 較 を して み た い 。
島 の そ れ は指 に は 弓 の 矢 、 手 の 甲 に は 星 の 形
や枡 形 な ど の単 純 な も のが 多 い 。 大 体 の 意 味
2ア
イ ヌ 女 性 の 入 れ墨
合 い と して は 、結 婚 した 印 と な っ て い た よ う
ア イ ヌの 女 性 は大 体 約12∼16歳 位 に、 口 の
で あ り、 結 婚 の適 齢 期 に成 女 の 印 と して 起 こ
まわ りと手 の 甲か ら肘 にか け て 入 れ墨 を した 。
っ た もの で あ ろ う。パ ジチ を して い な い と 『ヤ
そ れ は 経 験 の あ る女 性 に よ っ て行 わ れ 、 まず
マ トゥ ン カ イ ・ス ン カ リー ン(大 和 へ 連 れ て
口 の まわ りの 入 れ 墨 を す る部 分 を 良 く切 れ る
い か れ る)』 と言 わ れ 、21歳 頃 まで 一 部 分 で
刃物 で 細 か く傷 を付 け 、 そ こへ 白樺 の 皮 を燃
も入 れ 墨 を して い な い と嗤 い 者 に さ れ た 。 ま
や して と っ た 炭 を擦 り込 む 。 炭 を とる 時 に は 、
た 、 入 れ 墨 を しな い と"あ の 世"に
小 さ く薄 く剥 い だ 白樺 の 皮 の 中 か ら傷 や 汚 れ
とい う観 念 は 、 沖縄 ・奄 美 諸 島 だ け で な く、
行 けない
の な い 部 分 だ け を選 び 、 そ れ を少 しず つ 燃 や
入 れ墨 習 俗 の あ っ た 東 南 ア ジ ア の諸 民 族(台
ひ な が ら良 く洗 っ て汚 れ を取 り去 っ た 鍋 の 底
湾 の ア タヤ ル族 、 ピ ュマ 族 、 パ イ ワ ン族 、 海
や 内側 に煙 をあ て る よ う にす る。 この 時 、 白
南 の 黎 族 、 ボ ル ネ オ の カ ヤ ン族 な ど)に も共
樺 の皮 や 鍋 に傷 や 汚 れ が あ る と、 入 れ 墨 を し
通 して い る。
た後 で傷 口 が い つ ま で も治 ら な か っ た り、 治
っ た 後 も入 れ 墨 が 醜 くな る とい わ れ て い る。
4様
入 れ墨 は 普 通 、 女 性 だ け の 特 徴 と して 行 わ れ
々 な類 似 点 の 面 白 さ
入 れ 墨 に 関 して み る と、 起 源 は互 い に は っ
た が 、 一 部 の 地 方 で は 男 性 も眉 の 間 に入 れ て
き り し ない もの の 、 他 の殆 どが 一 致 す るの で
い た とい う記 録 も残 っ て い る。
あ る 。 女 性 で あ る こ と。 主 に手 の 甲 で あ る こ
なぜ 入 れ 墨 をす る の か とい う理 由 に にい て
は幾 つ か の 説 が 挙 げ られ て はい る 。 有 名 な の
と。 一 人 前 の 女 性 に な っ た 印 と な る こ と。
"あ の 世"へ 行 く こ とが 出 来 な い と信 じ ら れ
に 、 ユ ー カ ラ に登 場 す る コ ロ ポ ッ クル の 美 し
て い る こ と。 こ こ まで 一 致 す れ ば 、 同 じ形 の
い 入 れ 墨 が モ デ ル とい う説 が あ る が 、 コ ロ ポ
入 れ墨 が 見 られ て も全 く不 思 議 で は ない で あ
ック ル 自体 、正 体 が 不 明 で あ る。 他 の 説 も曖
ろ う。 か つ て 医学 博 士 ・宮 島 幹 之 助(1872∼
昧 さ を含 む 為 、 は っ き り した起 源 は分 か っ て
1944)も
お らず 、 ま た今 後 の解 明 も見 込 み 薄 で あ る。
島人 との 問 に 人種 的 関 係 が あ る と説 い て い る 。
た だ 、 入 れ墨 を しな け れ ば周 囲 か ら一 人 前
で は視 点 を変 え て 他 の類 似 点 に つ い て も注
の女 性 と して認 め て も らえ ず 、 結 婚 をす る こ
と も儀 式 へ 参 加 す る こ と も許 さ れず 、 死 ん で
か ら も普 通 人 の行 く と され る"あ の 世"へ
入 れ墨 を研 究 して ア イ ヌ と琉 球 ・南
目 して み よ う 。
沖 縄 方 言 の地 名 に は 、 日本 語 で は 容 易 に解
は
け な い の が ア イ ヌ 語 で は 簡 単 に解 け る も の が
行 く こ とが 出 来 な い と言 わ れ 、 古 い 時 代 に は
ある。与那 国島には ソナイ、 ヒナイ などアイ
女 性 は必 ず 入 れ 墨 を して い た 。
ヌ語 ら しい もの が 存 在 し、 ま た沖 縄 で は坂 の
こ と を ビ ラ と言 うが ア イ ヌ 語 の ビラ と共 通 の
もの で は、 と推 測 で きる 。 ビ ラ は ア イ ヌ語 の
一214一
らか に な って い る 。 シ ー ボ ル ト父 子 の 『
縄文
崖 の 義 で あ る。 他 に も ア イ ヌ語 で は 山脈 の こ
キ
ム
と を キ ム とい う が 、 沖 縄 に は金 武 と い う山 つ
人=ア
づ き の村 落 が あ り、 前 述 した 弟 子 豊 治氏 の 使
と、 縄 文 人 に つ い て も断 定 は で き な い もの の 、
節 団 が 巨 費 を投 じ、 糸 満 市 の真 栄 平 区 に 建 設
ア イ ヌ ・琉 球 人 は そ れ の か な り近 い 子 孫 と考
され た 「南 北 の塔 」 の 北 面 に は"キ
えて も良 い の で は なか ろ うか 。 元 来 、 日本 全
リ(山 の 同 胞)"と
ム ンウタ
刻 まれ て い る 。
イ ヌ説 』 モ ー スの 『プ レ=ア イ ヌ説 』
域 で 生 活 して い た の は縄 文 人 で あ り、 そ こへ
そ して 『
随 書 流 求 伝 』 に は 、 こ の よ う な記
弥 生 時代 に渡 来 系 集 団 が 大 陸 か ら入 っ て 来 て 、
縄 文 人 との 混 血 に よ り和 人 と して 著 し く変 化
載 が 成 され て い る 。
よ うだい
か ばん
「煬 帝 の 大 業3年(607年)、
を遂 げ た もの と思 わ れ る 。 そ して ア イ ヌ と琉
海 師何 蛮 が 羽
騎 尉 朱 寛 と共 に 琉 球 に来 た 。 言 語 が 通 じない
球 人 は 、 縄 文 人 の 特 徴 を最 も強 く残 して い る。
の で 、 琉 球 人 一 人 を捕 え て帰 っ た。 た また ま
こ の よ う に考 え る と 日本 列 島 の 北 端 と南 端 に
随 に 来 て い た 日本 使 節 の小 野 妹 子 が そ れ を見
離 れ て い る に もか か わ らず 、 多 くの 共 通 点 を
い
や
く
と言 っ た 」 こ の
持 っ て い て も何 の 不 思 議 もな く、 む し ろ当 然
呼 び 名 は ア イ ヌ 語 の 鹿 の語 源 、 イ ヤ ク と殆 ど
て 、 これ は"夷 邪 久 国 人"だ
とみ て も よい 。 た だ注 意 す べ きこ とち 、 日本
同 一 音 で 通 じる も のが あ る 、 と の見 方 が 強 い 。
列 島 を見 回 して も、混 血 は 幅 広 く進 み 、 東 日
更 に、 身体 的 特 徴 、言 語 、 地 名 、 風 習 な ど
本 な ど は殆 どの 人が 縄 文 式 特 徴 を大 な り小 な
に 多 くの 共 通 性 を見 る こ とが で きる 為 、 沖 縄
り含 ん で い る為 、 ア イ ヌ ・琉 球 人 が 渡 来 系 集
学 の 祖 と呼 ば れ る伊 波 普 猷(1876-一 一1947)は 、
団 か ら迫 害 を受 け て北 海 道 や 沖 縄 諸 島 へ 追 い
『琉 球 人 種 論 』 の 中 で 、 天 孫 降 臨 民 族 で あ る
や られ た の で は な い とい う点 で あ る。 彼 らは
ア マ ミキ ョ族 が 渡 来 す る 以 前 に 沖縄 に定 住 し
少 な く と も縄 文 時 代 か らそ の 地 の 定 住 して お
て い た 先 住 民 民 族 は ア イ ヌで あ る 、 と述 べ て
り、 他 の影 響 を受 け ず に小 進 化 した の で あ る 、
いる。
と私 は考 え て い る 。
さて 、 遠 く離 れ た北 海 道 と沖 縄 で の こ れ ら
最 後 に 、 こ の章 の テ ー マ に取 り組 み 考 え て
の 共 通 点 は何 を意 味 して い る の だ ろ うか 。 多
い く中 で 、 一 つ の 疑 問 も浮 上 して き た。 ア イ
くの 共 通 点 イ コ ー ル 同 人 種 、 同 民 族 と考 え る
ヌ も琉 球 人 も古 モ ン ゴ ロ イ ドの形 質 を受 け 継
に は 、 少 し無 理 が あ るか も知 れ な い 。 逆 に 相
い だ 縄 文 人 の 特 徴 を残 して い る と述 べ た が 、
違 点 も存 在 す る の で あ る。 前 章 で 紹 介 した研
フ ィ リ ピ ンの ル ソ ン島 を は じめ東 南 ア ジ ア の
究 者 達 の学 説 も多 少 考 慮 に入 れ 、 仮 説 で は あ
諸 地 域 に も、 古 モ ン ゴ ロ イ ドを思 わせ る 多 毛
る が 私 な りの 結 論 を述 べ て お こ う。
の 種 族 が 存 在 す る 。 こ れ らの 地 域 は と りあ え
ず 考 察 外 な の で 詳 し く述 べ る 時 間 は な い が 、
5結
論 に かえて
身 体 的特 徴 、 入 れ 墨 の 箇 所 で も風 習 に お い て
ア イ ヌ 、 そ して 琉 球 人 の ル ー ッ は 同 じか 、
類 似 性 を確 認 す る こ とが 出来 る し、更 に 深 く
ま た は相 当 近 い の で は な い だ ろ うか 。 お 瓦 い
追 及 す る価 値 は 十 分 あ る で あ ろ う。 そ して 、
が 認 識 して い る 類 似 性 、 そ して 多 くの 共 通 点
ア イ ヌ と琉 球 人 の 類 似 した形 質 に取 り組 む場
は と て も偶 然 と は考 え られ な い 。 そ して 北 海
合 に 、 こ の よ う な東 南 ア ジ ア 地 域 に お け る古
道 で 発 掘 さ れ た ア イ ヌ 人骨 の 調 査 に よ る と 、
モ ン ゴ ロ イ ド形 質 との 関連 につ い て も考 慮 す
か な り濃 厚 に縄 文 系 の特 徴 を残 して い る こ と
る必 要 性 を 強 く感 じ させ られ た。
は 前 章 で も触 れ た。 南 九 州 や 南 西 諸 島 につ い
て は デ ー タ が 少 な い もの の 、 全 体 と して 南 下
す る に従 い 縄 文 人 的特 徴 が 強 くな る こ と は 明
一215一
第 皿章
ア イヌの未来 と先住民族教育
の課題
1ま
だ知 られ て い な い ア イ ヌ民 族
差 別 を生 み 出 す 大 きな 要 因 で あ る一 般 国 民
ア イ ヌ は元 来 、 自 然 の 豊 か な 恵 み を受 け て 、
の ア イ ヌ に対 す る不 十 分 な 理 解 と無 知 が 、 貴
独 自の 生 活 と文 化 を 築 き上 げ て きた 。 しか し、
重 な先 住 民 族 の 文 化 や 言 語 な ど を 闇 に葬 り去
本 州 ・四 国 ・九 州 の 各 地 か らの移 住 者 が 増 加
っ て しま い か ね な い の で あ る。 典 型 的 な例 に
し、 北 海 道 の 開 発 が 本 格 的 に進 む 中 で 、 ア イ
『日本e単
ヌ の 生 活 の 基 盤 や 文 化 が 奪 わ れ 、 同 時 に古 く
弘 元 首 相 な どが 挙 げ られ 、 更 に政 府 も 国連 報
か ら続 い て きた 生 活 体 系 、 習 慣 な ど に よ り、
告 にお い て 同 じ見 解 を表 明 した こ とが あ る 。
一 民 族 国家 』 論 を 唱 え た 中 曽 根 康
激 し く変 化 す る社 会 に 対 応 す る こ とが 出 来 ず 、
また 、 先 意 識 の ま ま に そ の よ う に 考 え て い る
社 会 的 に も経 済 的 に も恵 まれ な い環 境 下 に置
国 民 も相 当数 い る の も事 実 で あ ろ う。 こ の 無
かれてい る人が多か った。
知 が 差 別 解 消 へ の 一 番 大 き な障 壁 と な る よ う
そ の 後 の 歴 史 的 経 過 の 中 で 、1899年 に 「北
に も思 う。 私 は 観 光 地 の コ タ ン な どの 民 芸 品
海 道 旧 土 人 保 護 法 」 が 制 定 され 、1974年 か ら
店 で 、 手 伝 い を した 経 験 が あ る。 全 国 各 地 か
は二 次 にわ た る 「北 海 道 ウ タ リ福 祉 対 策 」 が
らの 観 光 客 と接 す る わ け だ が 、 時 々 と ん で も
推 進 され て きた 。 こ れ ら に よ り、 ア イ ヌ の生
な い事 を真 顔 で 尋 ね て くる 人 を見 か け る こ と
活 の状 況 は 改 善 が 図 られ た もの の 、依 然 と し
が あ っ た。
て か な りの 格 差 が 存 在 す る。
1986年6月
「ア イ ヌ の方 々 は どこ に住 ん で る ん で し ょ
に北 海 道 が 実 施 した 「ウ タ リ生
う か?」 。 勿 論 、 彼 ら に は全 く悪 気 は な く、
活 実 態 調 査 」 に よ る と、 そ の 人 口 は24,381人
で あ り、 生 活 水 準 、 就 労 状 況 、 所 得 水 準 、高
そ れ が 伝 わ っ て くるの で私 は 簡 単 な レ ク チ ャ
ー をす る こ とに して い た が 、 殆 どの ア イ ヌ は
校 や 大 学 へ の進 学 状 況 な どの 点 で一 般 道 民 と
表 面 に は 出 さな い もの の憤 りを感 じて い る 。
の格 差 が あ り、 と りわ け 高 校 や 大 学 へ の 進 学
酷 い もの に な る と"穴 に住 ん で い る"と か"日
状 況 に つ い て の 格 差 は著 しい 。 また ア イ ヌ に
本 語 は大 丈 夫 か"な
対 す る差 別 の事 例 も指 摘 され てお り、 前 に記
る。
した 「ウ タ リの 実 態 調 査 」 の ア ンケ ー トの結
果 で も、23.1%の
ど と質 問 して く る人 もい
『ア イ ヌ の歴 史』 の 著 者 三 好 文 夫 氏 は 、 本
人 が 「ひ どい 差 別 を経 験 し
の 中 で 観 光 客 の ア イ ヌ に対 す る無 知 ・偏 見 が 、
た こ とが あ る」 と答 え 、差 別 が 厂現 在 もあ る」
戦 前 とそ れ か ら40数 年 へ た 戦 後 に お い て も殆
とい う回 答 が 調 査 対 象 者 の61.2%に
ど変 化 して い な い とい う事 実 を指 摘 し て い る 。
もの ぼ っ
て い る 。 こ の よ う な差 別 は 、 一 般 国民 の ア イ
彼 が この よ うに書 い た の は1973年 の こ と で あ
ヌ に対 す る理 解 が 十 分 で な い こ と、 また 無 知
っ た が 、 そ れ か ら数 年 後 、 二 風 谷 ア イ ヌ文 化
で あ る こ と な どか ら生 じて い る もの と考 え ら
資 料 館 宛 に一 通 の 手 紙 が 送 られ て きた(→ 資
れる。
料1次
ペ ー ジ 、 原 文 の ま ま)
更 に ア イ ヌ は 、 独 自 の 宗 教 ・言 語 ・文 化 を
無 知 と民 族 的倣 慢 ・偏 見 を絵 に描 い た よ う
形 成 し保 持 して い る民 族 で あ るが 、 そ の 殆 ど
な この 手 紙 は 、 大 多 数 の 国 民 の 認 識 を代 表 す
の 伝 承 者 が 高 齢 化 して い る こ とな どか ら 、 ア
る もの で は な く、 この よ う な極 端 な 考 え を持
イ ヌ語 及 び ア イ ヌ文 化 の継 承 ・保 存 活 動 の よ
っ て い る の は む しろ 少 数 で あ ろ う 。 が 、 全 く
り一 層 の促 進 が 課 題 とな っ て い る。 この よ う
例 外 で 無 縁 で あ る と言 い切 る こ とが 出 来 る の
な ア イ ヌ が 直 面 して い る 問 題 と今 後 の 課 題 に
だ ろ うか 。
つ い て を この 章 で は考 え て み た い。
更 に、 ア イ ヌ とい う言 葉 が 総 じて プ ラ ス ・
一216一
イ メ ー ジ に響 か な い 現 実 もあ る。 ア イ ヌ 自 身
つ け て 、 人 の土 地 を ア イ ヌ の 物 に して しま お
の 中 に も 、 ア イ ヌ と い う言 葉 は 民 族 の 心 の 拠
う な ん て 、 泥 棒 の 始 ま り だ!
所 と い う よ り逆 に 負 担 と な り、 出 来 る な ら 隠
気 を つ け るべ きで し ょ う。 あ な た方 ア イ ヌ 人
れ 遠 ざか りた い 言 葉 で あ る と考 え て い る者 も
は文 字 が な い か ら、 自分 達 の 先 祖 が 、 いつ 頃 、
少 な くな い 。 現 在 の と ころ 、 そ の 多 くに とっ
ど こか ら、 や っ て来 た の か わ か らぬ の で 、 ク
て 自然 に 、 あ るい は胸 を張 っ て唱 え られ る言
ナ シ リ、 エ トロ フ の 方 か らや っ て 来 た の だ と
葉 と な っ て い な い。
感 違 い して い る の で し ょう?私
〔
資 料1〕
小 山 内 洸 ほ か5名
どろぼ う
はじ
ア
イ ヌ
せん ぞ
も知 り ませ
ん か ら教 えて あ げ られ ませ んが 、 今 後 と も、
「
先 住 少 数 民族 と
日本 に住 ま わせ て も らい たい な ら北 海 道 に住
教 育 ・文 化 」 三 友 社 出 版 、1990P76∼77
し んせ っ
は いけ い
め る様 、 土 地 を くれ た 親 切 な 日本 人 に感 謝 し、
拝啓
ほ つ か いど う
お 礼 の 一 つ も云 うべ き だ と思 い ます 。
ぼ くは ア イ ヌ 人が 北 海 道 に住 ん で い る こ と を
おどろ
しゆ うか ん し
ほつ
知 っ て 驚 き ま し た。 週 間 誌 に ア イ ヌ 人 が 北
ぽ うよ ん と う
ほ うと う
か ん しや
報 道 → 知 らせ る こ と
感 謝 → 思 を感 じ、 あ
れい
り よ うど
かん
あ らわ
りが た く思 っ て お 礼 の 心 を 表 す こ と
方 四 島 を、 ア イ ヌの 領 土 に した い 旨 、 数 行 と
か
おん
しよ うこ
せん
証拠 →あ か し
は い え 、 書 い て あ っ た の で す 。 又 北 海 道 に先
じゆう
北 海道
住 して い た な ど と も書 い て あ り ま した 。 ア
日高 支 庁 、 沙 流 郡
イ ヌ が 北 海 道 に先 住 して い た な ど と私 は 、 あ
平 取町
二風 谷
きれ は て て し まい ま した 。 ア イ ヌ の 皆 さ ん 、
アイヌ民族資料館様
みな
(誤文 は原 文 の ま ま)
北 海 道 は お ろか 北 方 四 島 も 日本 の もの な の で
し よう ニ
た くさん
す よ。 そ の 証 拠 に東 京 に あ る沢 沢 のTV局
しん ぶん
も、
そ して 、 ア イ ヌ以 外 の 日本 人 は 面 と 向 か っ
ほ うど う
大 新 聞 も、 ア イ ヌれの事
な ど少 し も報 道 して い
き し
て ア イ ヌ を何 と呼 ぶ か に躊 躇 を感 じる。 ア イ
ませ ん し、 学 校 の歴 史 の 時 間 に も ア イ ヌ の 事
ヌ と言 う こ とに こだ わ りや わ だ か ま りを感 じ
な ど教 え て い ませ ん 。 そ れ は 、 そ う で し ょう。
て"ア
イ ヌ の 方 々"な
ど と付 け 加 え な け れ ば
ち めい
自然 に 言 葉 が 出 て 来 な い の が 現 状 で あ る 。
北 海 道 は 日本 人 が 先 住 して い た事 は地 名 を見
さ て 、 こ れ まで 紹 介 して きた ア イ ヌ独 自の
れ ば わ か ります 。
お たる
さつ ぼ ろ
くし ろ
文 化 ・言 語 を存 続 す る難 し さ、 そ して 国 民 の
北 海 道 は 日本 語 で す し、 小 樽 、 札 幌 、 訓 路 、
あば し り
は こだ て
綱 走 、箱 館 も全 て 日本 語 で す 。 何 よ りあ な た
差 別 ・無 知 ・偏 見 を少 しず つ で も解 消 して ゆ
方 の住 ん で る 日高 や 平 取 町 、 二 風 谷 の 地 名 自
くに は 、 どの よ う な手 立 て が 有 効 だ ろ うか 。
体 日本 語 で あ る こ とを見 て も、 日本 全 体 が も
よ
ち
2今
と も と 日本 人 の 物 で あ っ た 事 は疑 う予 知 は あ
り ませ ん。
後 の課 題 と して
自分 は 政 府 、 教 育 とい う場 を 強 調 して お き
な ぜ
そ れ な の に 何 故 ク ナ シ リ 、 エ トロ フ が ア イ ヌ
た い 。 ア イ ヌ の存 在 とそ の 正 当 な 歴 史 につ い
の も の と感 違 い し た の か 。
て 、 こ の 国 の 政 府 、教 育 は拒 否 し続 け て い る
かんちが
み
こ とは確 か で あ る 。 上 村 英 明氏 は 『
先住民 族
考 え て見 ます と、 クナ シ リ、 エ トロ フが 日本
よび な
ニ かい
の 解 放 運 動 』 の 文 中 に 、 「先 住 民 族 の 人 権 保
語 的 呼 名 で な い事 が 、 誤 解 を 生 ん だ もの と思
お きなわ
い ます 。 しか し、 そ れ な ら沖縄 だ っ て昔 は り
よ
障 に つ い て最 低 の 国 の ひ とつ」 と書 い た 。 経
こ らい
ユ ウ キ ュ ウ と呼 ば れ て い ま した が 、古 来 日本
済 力 や 教 育 水 準 、 国 の 治 安 な ど は世 界 で も ト
り よ うど
の 領 土 で あ っ た事 は誰 で も知 って い ます 。 ア
ップ レベ ル の ラ ン ク に あ る 日本 だが 、 この 指
イ ヌ の皆 さ ん 、 犬 だ っ て 三 日飼 え ば 恩 を忘 れ
摘 は 当 て は まる と言 わ ざる を得 な い 。 そ こ で 、
な い と云 わ れ て い る の に 、 長 い 間 、 日本 入 に
日本 に住 む我 々 が ア イ ヌ 問 題 を は じめ とす る
おん
せ
わ
かつ て
り くつ
世 話 に な っ て お き なが ら、 自分 勝 手 な理 屈 を
一217
人種 ・民 族 問 題 を考 え る 上 で 、 世 界 各 地 域 の
先 住 民 族 を め ぐ る動 向 、 国 際 的 到 達 度 の 摂 取
率 問題 に対 し、政 府 は救 済 の 一 環 と して ア ボ
は不 可 欠 で あ ろ う。 ま た 、 複 合 社 会 を通 例 と
リ ジ ニ を対 象 と した 特 別 な雇 用 計 画 を実 施 し
す る世 界 各 国 が 人 種 ・民 族 問 題 を どの様 な展
た り、 「ア ボ リ ジニ 自 立促 進 委 員 会 」 を設 け 、
開 で 模 索 し て い る か 、 に も注 目す べ きで あ ろ
ア ボ リ ジニ の 団 体 ・地 域 ま た は 個 人 に つ い て 、
う。 そ れ は 日本 の対 外 的 ・対 内 的 な 国 際 化 認
土 地 の取 得 、 事 業 開始 、 融 資 獲 得 、 雇 用 訓 練
識 を形 成 す る上 で 有 効 な手 段 で あ る と考 え る
な ど を援 助 して い る 。
か らで あ る 。
しか し、 政 府 の 一 定 の 努 力 に もか か わ らず 、
現 実 は依 然 厳 しい もの が あ る よ うだ 。 実 際 シ
3オ
ー ス トラ リア の ア ボ リジ ニ は …
こ こで 、 昨 年 実 際 に 訪 れ る機 会 の あ っ た オ
ー ス ト ラ リ ア の 事 例 を 取 り挙 げ て み た い
ドニ ー で物 乞 い を して い る ア ボ リ ジニ の グル
ー プ を何 度 か 目 に した 。 や は り一 つ の 国 の 中
。周
で 先 住 民 が 少 数 化 し、 政 治 、 文 化 的 に劣 勢 な
知 の 通 り オ ー ス トラ リ ア に も ア ボ リ ジ ニ と 呼
立 場 に置 か れ た 時 、 そ こか ら生 じる 複 雑 な 問
ば れ る 複 数 の 少 数 民 族 が お り、 ア イ ヌ 同 様 に
題 を政 治 の力 だ け で は解 決 す る こ と はで きな
差 別 が 存 在 し 、 言 語 に 関 して は ほ ぼ 一 年 に 一
い 。 そ こ に は もの の 考 え方 や 意 識 の あ りよ う
つ の 割 合 で 消 滅 し、 危 機 に さ ら さ れ て い る 。
が 密 接 に絡 ん で い て 、 ま さ に教 育 の 課 題 とな
しか し 政 府 や 国 民 の 意 識 は 日 本 と は 全 くか け
る部 分 で あ ろ う。 日本 に お い て も少 数 民 族 問
離 れ て い る と言 っ て い い 。
題 と教 育 は切 り離 す こ とが 出 来 な い 。
1967年
、 白 人 オ ー ス トラ リ ア 人 は 国 民 投 票
とい う形 で 憲 法 の 改 正 を行 っ て い る 。 そ れ に
4AboriginalEducationと
先住 民族教 育
よ り オ ー ス トラ リ ア 連 邦 政 府 に ア ボ リ ジ ニ に
日本 の 教 育 で は 、 子 供 達 は ま ず 先 住 民 ア イ
関 す る諸 政 策 を推 進 す る権 限 が 与 え られ て か
ヌ に つ い て の 学 習 機 会 が な い 。 しか し 、 他 国
ら 、 あ ら ゆ る レベ ル で ア ボ リ ジ ニ の 自立 を 念
の 先 住 民 イ ン デ ィ ア ン、 ア ボ リ ジニ に は 学 校
頭 に置 き 、様 々 な施 策 を実 行 に 移 して い る。
だ け で な く、 マ ス ・メ デ ィ ア か ら も 触 れ る こ
更 に政 府 は 、 ア ボ リ ジニ の極 度 に不 利 な社 会
とが あ ろ う。 そ の為 、 多 くの 人 が そ の 印 象 で
的 ・経 済 的 状 態 と ふ さ わ し い 、 か つ 過 去 に お
ア イ ヌ を 捉 え て い る の だ と 思 わ れ る 。 や は り、
い て 彼 等 か ら 土 地 を取 り上 げ 民 族 の 離 散 に 追
ア イ ヌ を は じめ とす る 少 数 民 族 とい う もの を、
い 込 ん だ こ と か ら引 き 起 こ さ れ る 社 会 的 義 務
明 ら か に な っ て い る 面 だ け で も教 育 に 組 み 込
を認 め て い る の で あ る 。
む 必 要 性 は 感 じ る 。 オ ー ス トラ リ ア の 話 に 戻
そ の 表 れ と して オ ー ス トラ リ ア 連 邦 憲 法 に
は127条
が な い 。126条
の 次 は128条
る が 、 こ こ で は ア ボ リジ ニ に 関 す る 教 育 が 浸
とな っ て
透 しつ つ あ る 。 州 に よ っ て 異 な る が 、 ノ ー ザ
い る 。 そ こ に は 元 々 国勢 調 査 に 当 た って は ア
ンテ リ トリー 区 で は英 語 と原 地 ア ボ リ ジ ニ 言
ボ リジ ニ を人 口 に含 め な い と い う主 旨の 条 項
語 と の2言
が あ っ た 。 そ れ と 合 わ せ て 、 第51条
AboriginalEducationに
のxxxi
項 か ら"OtherthuntheAboriginalracein
anyState"と
語 教 育 が 導 入 され 、 多 くの 州 で 、
よ って、 ア ボ リ ジニ
の 伝 統 、 白 人 と の 接 触 、 現 在 の オ ー ス トラ リ
い う文 言 も 削 除 さ れ た。 国 民
ア の歴 史 を正 し く学 べ る よ う に な っ て い る 。
に は な りた くな い とい うア ボ リ ジ ニ も中 に は
そ して この 教 育 は 、 目標 や 内 容 を礁 認 す る上
い る だ ろ うが 、 そ れ に よっ て ア ボ リジ ニ は 法
で 、教 員 同 志 の話 し合 い 、 父 母 及 び ア ボ リ ジ
の 下 で の 平 等 を ひ と ま ず 勝 ち 取 っ た と言 っ て
ニ 地 域 住 民 と の協 議 が 非 常 に 重 視 さ れ 、 固 定
も よ い 。 そ の 他 に も 、 一 般 の オ ー ス トラ リ ア
概 念 に か られ が ち な 大 人 た ち も参 加 で き る の
人 の 約9倍
で ある。
と見 られ て い る ア ボ リ ジ ニ の失 業
一218一
結 果 と して 当 然 の こ とで あ るが 、 オ ー ス ト
確 か に私 は 、 他 国 で 云 うマ イ ナ リテ ィの 部
ラ リ ア 人 の 先 住 民 族 に対 す る認 知 度 、 理 解 度
類 に 当 た る の か も知 れ な いが 、 論 文 で も述 べ
は 日本 の 比 で は な い 。 中 に は 日本 の ア イ ヌ民
た よ う に 多 くの 日本 人 は 、早 か れ 遅 か れ 混 血
族 を知 っ て い る 人 も何 人 か お り、 国 全 体 が 先
とい う形 で 今 に 至 っ た と考 え て い る。 私 は た
住 民 族 に 関 して 幅 広 く考 え て い る こ と を窺 わ
だ両 親 の 世 代 で そ う な っ た に過 ぎ な い 。 だ か
せ た。
ら 自分 の ル ー ッ な ど は特 に ど うで も よ い と思
た だ 先 住 民 族 の 数 、居 住 地 域 の面 積 な ど違
っ て い る。 そ れ よ り も、 日本 が失 い つ つ あ る
い もあ り、 この 日豪 両 国 で 同 じ比 較 をす る の
少 数 先 住 民 族 ア イ ヌの 文 化 を守 る こ と の 方 に
は 多 少 難 が あ る け れ ど も、 オ ー ス トラ リ ア に
魅 力 を感 じて い る 。 この 論 文 は そ の 気 持 ち を
は"差 異"や"違
込 め て 書 い た もの で あ る。
い"を"個
性"と
して 積 極
的 に受 け止 め 、 互 い に共 有 す る もの を豊 富 に
異 な っ た生 活 文 化 や 言 語 を持 つ 人 々が 身 近
し、 そ れ を通 じて 豊 か で健 康 な 国 の建 設 を 目
に い て 、 日常 的 な ご く普 通 の 付 き合 い が 出 来
指 す とい う、 言 わ ば哲 学 の よ う な もの を感 じ
る とい う こ とは 、 とて も楽 しい こ とで あ る 。
ず に は い られ な か っ た の で あ る。 本 当 の 豊 か
残 念 な が ら 、 日本 人 は ひ ょっ と して そ ん な 楽
さ の 追 求 を 課 題 と した場 合 、 こ の オ ー ス トラ
しみ を長 い 間知 らず に きたの で は ない か 、 と
リア か ら我 々 は 多 くの示 唆 を受 け る こ とが 出
こ の論 文 を書 きな が ら思 っ た。
来 る し、 多 くの 部 分 に学 ぶ べ き必 要 性 を含 ん
で い る と思 わ れ る。
例 え ば 、 ア イ ヌ の ム ック リ や リム セ を 一緒
に踊 っ て み れ ば 、 実 にそ の 土 地 に 合 っ た リズ
21世 紀 を 目前 と して 、外 国 へ 行 く人 々 も激
ムが 伝 わ っ て くる 。 そ して 、 国際 化 な ど と大
増 し、 あ らゆ る 国 で 先 住 民 族 を 目 に す る こ と
上 段 に振 りか ぶ らな くて も、 普 通 の 生 活 者 と
だ ろ う。 増 々 進 展 す る 国 際 化 社 会 の 中 で 、 一
い う感 覚 で 外 国 の 人 々 と接 して み る と 、文 化
人 で も多 くの 人 が 日本 に も存 在 す る先 住 民 族
的 な違 い が あ る こ との 楽 しさ を実 感 す る。 大
を認 識 し理 解 を得 ら れ れ ば 、 ア イ ヌ民 族 の 言
学 へ 進 む 為 、 就 職 す る 為 の 教 育 も重 要 な の か
語 や文 化 を継 承 ・保 存 す る 為 の 何 よ り も大 き
も知 れ な い が 、 こ うい う楽 しさ や面 白 さ を感
な支 え と な る こ と は 間違 い な い の で あ る。
覚 で きる 教 育 が どん どん 広 まれ ば 、 と心 か ら
願 っ て い る。
あ とが き
最 後 に 、 私 が この テ ー マ で先 住 民 族 ア イ ヌ を
第1章
取 り上 げ た 理 由 を 、 簡 単 に 述 べ て お こ う 。 私
の 母 は 、 ア イ ヌ コ タ ン(村
・集 落 の 意)で
《参考文献》
水野
裕 『日本 民 族 の 源 流 』 雄 山 閣 、
1970
生
ま れ 、 そ こ で 育 っ た。 そ して 彼 女 の 父 は 、 コ
タ ンの 酋 長 で あ っ た。 勿 論 、 私 に もそ の 血 が
江上 波夫 『
民 族 の 世 界 史2日
本民族 と
日本 文 化 』 山 川 出版 社 、1989
流 れ て い る わ け だが 、 そ れ が 理 由 な の で は な
江 上 波 夫 『日本 人 とは 何 か
い○
を求 め て 』 小 学 館 、1984
幼 な い 頃 よ り、 私 は毎 年 夏 休 み な どは 母 と
一 緒 に北 海 道 へ 行 っ て い た が 、 そ の為 か ア イ
1984
ヌ の こ と は 自ず と理 解 して い た もの の 、 ア イ
ヌ文 化 は殆 ど消 え て しま っ て い る の が 、 コ タ
ン の現 状 で あ る。
植 原 和 郎 『日本 人 の 起 源 』 朝 日新 聞 社 、
植 原 和 郎 『日本 入 の 起 源 』 小 学 館 、'1986
第II章
ア イ ヌ民 族 博 物 館 監 修 『ア イ ヌ文 化
の 基 礎 知 識 』 草 風 館 、1993
一219一
民族 の起源
源
武 雄 『沖 縄 の 民 俗 』 第 一 法 規 出 版 、
〔
担 当教 員 か ら〕
1972
こ の と こ ろ 「日本 文 化 の基 礎 構 造 」 とい う
平 敷 令 治 『沖 縄 の 祭 祀 と信 仰 』 第 一 書 房 、
1990
テ ー マ で 、 縄 文 ・沖 縄 ・ア イヌ 学 に つ い て 学
生 諸 君 と一 緒 に考 え て き た 。 今 回 の 後 藤 君 の
伊 波 普 猷 『伊 波 普 猷 果 集 第 二 巻 』 平 凡 社 、
1974
レポ ー トは 元 来 は後 藤 君 の ル ー ッの 再 確 認 と
い う立 場 か ら ス ター ト した もの だ っ た 。
江 上 波 夫 『民 族 の 世 界 史2日
本民族 と
後 藤 君 は しば しば 海 外 を旅 し、 カ ナ ダ、 オ
ー ス トラ リ ア な どの先 往 民 の 方 々 と 交 流 を深
ジ ョ ー ジ ・ア シ ュ ワー ス 『
世 界の少数民
め て い る。 なお 一 言 つ け加 え れ ば 、 後 藤 君 は
日本 文 化』 山 川 出 版 社 、1989
透
族 を知 る 事 典 』 明 石 書 店 、1991
菊地勇夫
卒 業 式 の 当 日 「文 教 大 学 に 来 て ア イ ヌ の 勉 強
が きる と は思 わ な か っ た」 と語 っ て くれ た。
『ア イ ヌ民 族 と 日本 人』 朝 日選
書 、1994
後 藤 君 の 今 後 の一 層 の 研 鑽 と発 展 と を祈 りた
梅 原 猛 ・藤 村 久 和 『ア イ ヌ学 の夜 明 け』
いo
小 学 館 、1990
(前 国 際 学 部 教授 ・米 沢
弘)
R・ ヒ ッチ コ ック 『ア イ ヌ 人 とそ の 文 化
明 治 中期 の ア イ ヌ村 か ら一 一 』 六 興 出版 、
1985
〔
編 集 部 ・付 記 〕 本 論 文 が 提 出 さ れ た あ と、
ア イ ヌ問 題 に つ い て さ ま ざ ま な前 進 が み られ
た 。 た とえ ば 「ア イ ヌ文 化 の 振 興 並 び に ア イ
第 皿章
オ ー ス
トラ リ ア 人 権 委 員 会 編
ヌ の 伝 統 等 に 関 す る知 識 の 普 及 及 び 啓 発 に 関
『み ん
す る法 律(ア
な の 人 権 … 人 権 学 習 の た め の テ キ ス ト』 明 石
三 好 文 夫
立 した 。 同 時 に、 ア イ ヌ 民 族 の保 護 と同化 を
『ア イ ヌ の 歴 史 』 講 談 社 、1973
北 海 道 教 育 学 会 拙 稿
目的 に1899年(明
『オ ー ス ト ラ リ ア に
制 定 され 、差 別
旧 土 人 保 護 法 」 な ど2法 が 廃 止 され た 。 今 回
CommonwealthofAustralianYear
の 新 法 は 、 ア イ ヌ民 族 とい う 固 有 の 「民 族 」
BookAustraliaNo.671983
N,s.W.DepartmentofEducation『
・・
を初 め て法 的 に位 置 づ け た もの の 、 内容 は 文
化 振 興 が 中心 で 、ア イ ヌ民 族 自身 が 求 め る 「先
riginalEducationPolicy,Directorateo.fSpe-
住 権 」 な ど民 族 の権 利 にか か わ る 点 は盛 りこ
cialPrograms.1982
『先 住 民 族 の 解 放 運 動 』 を
まれ て い な い 。 代 わ り に衆 参 の 内 閣 委 員 会 で
『世
「ア イ ヌ の 人 々 の 『先 住 権 』 は歴 史 的 事 実 」
界 』 の 中 か ら(No.530、1989)
小 山 内 洸 ほ か5名
育
治32年)に
的 な呼 称 を含 め て 批 判 をあ び て きた 「北 海 道
お け る 二 言 語 教 育 』1988
上 村 英 明
イ ヌ 文 化 振 興 法)」 が97年5月
8日 、 衆 院本 会議 で 全 会 一 致 で 可 決 さ れ 、 成
書 店 、1987
『先 住 少 数 民 族
な ど5項 目の 付 帯 決 議 が な され た 。
と教
・文 化 』 三 友 社 出 版 、1990
(国 際 学 部
米 沢 弘 ゼ ミ 卒)
一220一
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