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` 幼児の歌唱教材選択に関する一視点

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` 幼児の歌唱教材選択に関する一視点
二筋箋毛の謬鐸醤教麟’選餐ミに麗する一揖点
i?
蒔
幼児の歌唱教材選択に関する一視点
昌
石
白
子
はじめに
幼晃難によい歌をたくさん与えてや静たいとい
うのは,教轟みんなの顯籍である。特に教科書と
いうものが意い就学講教欝の場では,歌の選嬢1ま
必然的に教鰍こ任されることになる。しかし,歌
の喪い悪いは,謙純に決められるものではないた
め,ここに様々な開題が生じていることも事実で
う三重醤のもと1こ嚢含まつた。さら尋こ彗義代に近いとこ
ろでいえば.レコード産業に結びついて藤島化し
た,少女歌手による類墾銘した子どもレコード童
謡への畿鵯として生ま蕊たのが,戦後の「子ども
の歌」運動である。
事
このようにみていくと,子どものための敷を作っ
てきたわが馨の童謡運動の歴史は,彰よ鯵よい」
i敦を求めてきた歴史として見ることができる。こ
ある。ある舞麟家1ま,「(探春麗場で)隠然たる勢
こに,「よいうた」を考える一つ㊧手掛りを見つ
力を接っているものは,ハーモニーとも疑えない
ような.保育縫係者で永年の経験を持つというだ
けることができるであろう。
また,こうした童謡運動を経過して,璽在,子
けのしろうとの1乍饑した,ひどい楽譜」(茎、難.亙
どものi歌として定養しているのは.どのようなi歌
2)と醗評し,また,ある人は,鱗稚露で広く{吏
なのであろうか。さらに,実需馨こ子どもを教育す
われる教縁集の薩とんどが侮を基準に選んでいる
る場では,どのような子どもの歎を籔っているの
のかわからない「無見識な選び方」(2、即.8勧
であろうか。「よ鯵よい」激を求めて起こった童
をしていると擬律彗する。
謡運動む姿勢の遍蓼,古魏歌は捨て去られていく
わが露では,第一線で活躍している作麟家によっ
のだろうか。それとも,鍛接選訳されて残ってい
て多くの子どものための歌が作られているが,こ
く歌があるのだろうか。それは{薄敏なのだろうか。
のような大人が意麟的1こ子どものための歌を作る
本稿では,まず,大星藍難から現代萎こ至るまでの
という箋象は,曝歌教奮成立難に始まったと考え
童謡運動を纏観し,そこでの子どもの歌への考え
られる。瞬治難の鐸暴歌から大鑑三難の童謡運動,聡
方を整運する。また一方で,璽荘歌われる子ども
秘のマスコミの影響下での新しい「子どもみ歌」
の歌の実態を講糞によって購らかにする。そして,
への運嚢などが,どのような教畜観,子ども観の
もとで起こったかについての醗究嫁,敏挙にいと
「よい歌」を求めた童謡運動のあむ方と,言欝査の
まなも㌔蔽蟹寛夫は,広い意駿での童婁塞教華!運動
結果購らかになった現状とを験試する。次に,そ
こにおいて生むた鶏題を,新たに,子どもの歎唱
は明絵以後,藩の馨寺代の類型イヒして練霧尋こなった
活動に蕪らしてとらえ直すことによって,幼艶の
敬へのアンチテーゼとして,ほぼ二十年ないし三
歌曝教材の選捉撹点を導きだすことが,本稿の§
審年毎に起こっていると綴観している(3、聾.
2蕊㌔鍛えば,瞬治末難に,欝韓虎藏・納期弁次
跳・石原秘三躯らが提曝した書文一致による「幼
奪1聡敏」,豪くめ・清廉太躯ら1こよる「幼稚園曙
的である。
夏 童謡運動の歴史
歌」などは,堅苦しい文語講の懸歌に麟して,もっ
子どもが敷うための歌という意辣を表すのに,
とやさしく平易なものをという意轡を込あて編纂
「唱1歌」「童謡」「子どもの歌謡という霊秘方があ
された。また.大童難の舞い鳥童譲1運i勤毒ま,「響喜
るが,これらの言葉が,とりもなおさず,わが響
捨簸のいわゆる曝歌の歌詞が,総じて教務的文語
の子どもの歌の変遷の歴史を麹語っている。つま
賑の,生1硬で葬芸衛的なものであった点華こあきた
鯵,「曝歌」から碧童謡」へ,そしてさらに「子
らず,晃童姓を尊重した目語練の芸備的な歌を,
どもの歌」へという歴史の中で,それぞれの巻葉
民懸の詩人の事で作鯵だそう」(違.陣.2総)と疑
は,その歴史のエぷックを表している。
雄
鯵8警一豊玉
藩島大学教奢掌記論集第蕪号
舞えば縫擾栄一は,今霞までの子どもの歌の歴
興二)。」(7.鍾.i錘)またその歌詞については,
史を次のような護つに藝燐っている(5.欝.22〉。
「一には美無く生命無く童心無き,…二1こはその
警衛童謡の時代(大鑑から紹秘の擁め)
歌詞の不純蕪雑懸劣である(小学曝数々詞撹警1)。」
子どもの童謡の時代(羅秘襖難から戦後まで)
(7、鞭.葺5)と蒲蕪である。露秋は,童謡の基本
幼発童謡の時代(紹秘24奪以降〉
を,わらべうたに求め,ことばづかい,詩の1タズ
テレビ童謡の時代(昭秘紛年代)
ムもわらべうたに転たものを作ろうとしていた。
本稿ではまず,こうした歴史観のもとに,今欝
しかし, この養謡轡の漏導ま.与蟹準一1こよっ
までの子どもの歌の歴史を機観したい。なお,こ
て,次のようにまとめられている。「この代表的
こでは,唱歌・童謡を含めた一連の子どものため
な詩人作者達の童謡発懇は,子どものための歌と
の歌を,子どもの歌と表記し,戦後の童謡運動と
いっても,しかし,その内発としての子どもが購
して生まれた「新しい子どもの歌」については,
治簸に湾域されたものの靉靆として,無慾的ニュ
特にヂ子どもの歌涯と表すことにする。
アンスともなむました。そのことは,やがては子
薩 大蕉難の「童謡」運動
どもの感椿を生長遍程としてとらえな墾観念的な
「童謡憾という言葉は,大盃簸の赤い鶏童謡運
童心至上にゆき,購治の曝歎にうたいこまれた外
i勤の始まむとともに生まれ,降暴歌」 に繋鋳する
発的動霞による,いわ導ぎ男性的詩魂峯こ対1還すると,
意殊を含んで養われた。それでは,曝歌・童譲と
そのために新しい文芸としての成功をおさめなが
箆べた時.そこにはどのような違いがあるのだろ
うか。金懸一春彦によると,この講者の違瞬ま,
う。」(4.夢聾.288)
漢のようになる。「唱歌」の歌詞の特案籔毒ま,「きわ
ら女性的葺マンの鶏象だということも,できましょ
このような子ども観嚢体の幾題と豊んで,鐸家
めてまじめで,しばしばお議教的である語また
の灘の禽票乍に麟する意識にも霧題毒謹ある。当時活
「無識を与える目的があるために,麹語を題材と
躍した詩人たちへの評懸を,藤蟹圭雄は,「農歎,
する場合でも,その全編を歌い込もうとする.そ
八十.雨椿というような人が書いたものが.幼冤
のため,とかく移椿{生が失われる。蛙(6.難).婆2一
童謡というものを忘れて,もっと上のクラス,つ
逢3)
まり芸術童謡を作ろう,ということに産ってしまっ
また,響生活を題軽とした歌は,やは鯵曝歌と
た」(8.登登.欝) とし,ノ墾重本縫一は,「蓬と原白秋や
もなれば,取り上げられるのは健康な糧1界である。
蔭条八十は,今で言うゼ児童文学墨を作ろうとし
ままつ子が叱られて,夕方遠くの故舞を患うよう
たのではなくて野壷謡講と》う新しい芸術形式の
なのは童謡の握1界である。」(6.夢嚢.鱗) と綾力稀震
中に§分の詩をうたいあげることによって.新し
うように,「唱歎」は,学校め教耕絹という目的
い鐙童文学の先駆者となったといえます。」(警.
で作略れたのに蝿して,「童謡」は,学絞激越を
聾.斜としている。
意識しないで作られた。鈴本三重吉は,「子供の
結局. この時代婁こ馨…られた逓代童i謡喜ま,予・ども
謡は実さいに於て家庭そのもの∼謡である(ギ青
の量界との翼に一つの隔たむがあった。この時簸
い鳥」童謡第一集 序)。」(7.鞭.賀尋)と遽べて
の詩人たちが求めた「童心涯は,子ども§身の心
いるように,家縫で歌われる歌を作ろうとしてい
ではなく,詩人甕身の童心であった。しかし,誌
たのである。その点で,「曝激」に競べると,と
の面からは,「瞬治の,雅語講の文語体の唱歌や,
り上げられる題材も広がった。
卑俗な麗童観の土に立つ難語体の唱歎に反発して,
駕漂白歓は,次のように学校嚢諜敦のあ蓼方を概
豊かな,芸術的な詩と■しての童謡の横界を鑑いた
覇している。r実擦明治以来の学校曝歌なるもの
ことは,大きな革命である]という評懸を受けて
はその選定に於て,その擁の根本から闘違いだら
いる(欝.警嚢.茎3嵯)。
けであった。全然子供と云ふものを,その生活を
それでは.音楽の面ではどうであったか。これ
知り響なかった事が第一,第二には在来の馨本の
童謡1こ就て簿らの知るところが無かったことが第
の中で詳細に分摂している。小島は,童謡運動を
については,小島美子が「童譲運動の歴史的意義!
二.知ってはみたかも知れぬが,忘れて了ってみ
たからの恐ろしい錯誤からみすみす縫新後の9本
一つの音楽運動として眺めると,ヂ赤い鳥珪と
の子供を遜って下った結果になった事だ(童謡復
旛を見ることができると捲緩している。つまり,
「金の舟涯=ヂ金の星」の童謡との魏に,蝿照的姓
白石養子:鱗難の敷曝教韓選撫こ麗する一種点
緯
確青い鳥渥の童謡は自欺の主張や作詩1こもかかわ
こうして,童謡の糧鼻も,近代資本1主義の下に斑
らず,音楽的には蔑族的繧病がきわめて希薄だっ
な発展をするようになった。とはいえ,鞍灘まで
たのにたいして,ζ金の星遜の童謡は髭族的伝統
は.童講は主として教欝レコードとして籔われた
的盤格をかなり強くもっていたということである討
し,その以羨の童謡運動の鑑進者たちも濾わって
(雛.聾、2§)と述べ,窪赤い鳥垂の童謡は音楽的
いたために,それ縁ど大きい変化を示したわけで
にはもっとも曝歓的な雛i賂を強く残していた」
種2.欝.25)と結論している。藤鑓も,当時の露
はなかった。鑑i々木すぐるなどなかなか優れた作
麟家であったが,やはり時代のちがいがあるため
歓や,八千たちが,農分だちの詩につけられたメ
か,大鑑時代1こくらべ,新しい驚線へ踏みこんだ
菖ディーに嬉して・強華不満を残していたことを
こと1ま確かである。こうした子どもの流行歌とし
指摘している(欝.難.然)。この不満は,芸徳性
ての嬢宿縁.戦後になって急激に発展した。……
の高い詩に僻して,作麟家が敢然変わらず,ヨナ
蒋に作懸家は,笑いがとまらないほどで奉った。
垂友き長音隊を{克った,曝歌講のメロディーでぞ乍慰
この難縫,おたまεやくしを藍べていれぱよいと
したこと垂こ女蓄する不満にほかならないe
いうような作曲家も多かったと思う。すでに蓼本
ヂ赤い鳥」の作麟家たちが総じて藪欧風なヨナ
の誇蓼だったζ癒継鳥選の童謡運動の精禅は,亡
鍍き長音麩を襲ったのに帰し,…方の「金の舟」
びっっあった。……歌手たちは,飽人とちがうこ
「金の星」系の作麟者である.承居長予や中出著
平,藤井清水らの作贔1こは,欝本伝統音贈の響き
をつめたような雛蓼声的発声が流行した。人気歌手
を色濃く見ることができる。本居は.翻籔音賠を
のレコードは,全撰的に流毒し,学校の発声教官
長音賠の中にとむこみ,中戯よ民謡音懲をヨナ
と奏書宣した。」(董3.灘}.嬢)
とをやらねばならない。纏縫的な声質,特に,曝
掻き長音贈の中にとむこんで,それぞれ独嚢のメ
レコード童轟霧1こ顕著な一つの型1ま, ヨナ掻き矯
ロディーを作った。醒歓風なヨナ抜き長音贈が主
音繕らしい縫律法を持つことである。小島は「こ
流であった子どもの歌意,ここにきて,嚢1本の伝
の型の重要な特徴は,歌詞がかならずしも短調に
統音賠の陰影の強い音躇も.そのレパート1ナーに
ふさわしいような悲しげなものではなく,むしろ
換えたのである。とりわけ,本居や後に続く佐々
楽しげな内容を持ったものが多いということであ
木すぐる等の作酪に多く見られる,短音踏で鐸ら
るδこのことがまたi敷謡懸にも通むるような,一一
れた麟が子どもの歌として登場するのもこの時難
種の音楽的な頽廃感を誘いだし,感傷趣殊を麟長
からであるゆうシドミファラというヨナ鼓き短音
躇は,ド童譲」のその後の一つの型ともなってい
して,子どもの敬譲難とでもいうべきようなレコー
く。
童謡運動が衰退するにつれて,「童謡」は二極
ド童馨謡の墾の翼定イヒを招いたように思われる。」
と遽べている(簸.鐙.磁)。
しかし, レコード歌手の纒童生的な発声法から生
建の方鶴へと進みはじめる。そみ一一方は,出懇耕
じた問題などが療遜で,こうした「レコード童譲」
搾を代表とする,芸備歌麟に遍い高度な内容を持
のブームは十年もたたないうちに去った(欝.瀞.
つ「童妻謡3であり, もう一方は, 「レコー琴養蓑謡」
5)σ
と響馨ぎれるものである。
2 鞍後の「子どもの激塞運動
赤い鳥時代のr童謡」の発表媒体が,主に雑誌
戦後の童謡改革のi醜きは,昭i穣24隼に餐翼K
であったのに請して,紹季鱗こ入ると,レコードが
紅うたのおばさん」が歓送麗始になった時鰯に始
伝達媒体として活字に鍛って変わった。この閣の
状況を醗辺秀雄1ま,次のように述べている。「レ
は,鐡藩玖麿,芥繊也寸志,中馨喜直らが数えら
コード会社は,購買縷の大きい子どもたちをねら
れる。毒雛,鶏童謡運動が,文学者の灘から起こり,
まると考えられる。この時難に活躍した作麟家1こ
うのは当然である。家縫に滲透しっっあった童謡
芸術的な誇を求めての運i勤であったのに頬して,
を,それまですでにレコード化していたのである
戦後の童謡敬草書ま,作麟家の意識が高まり,音楽
が,次第にレコード会被製作に踏みきって,童謡
的盤甕毒で飛躍的な進歩をと1デた改革とみることが
の盤酪を,大人の流行歌に女癖する子どもの流行1歌
できるであろう。
の線にもっていった。ここに,レコード会桂奪羅
匿1定化して,類型的になっていた「レコー鑓童
の搾講・作麟家を謬くようになったわけである。
謡涯に僻して,「よい詩によい懸をつけるために,
鈴
懸島大学教糞掌編論集第妬号
鰺8§一一離
磐謙1からの猿頬だけでなく,自主的紅こどものた
するような子どもの1歌が作られ始めたのである。
めの敷を作ろう(ろばの会第一騒発表会「あいさ
縫えば,譜撰套 (艀.麹.暮)の萎めだかの学校」
つ」よむ」(婚.峯拶.欝)という主善のもとに,{乍
の中で,繰鯵返し二墾懲てくる「そっとのぞいて
藤家が嚢主的に纂ま蓼,醗究会を始めたのが「ろ
みてごらん」は,この麟の生命ともいえる表現の
ばの会」である。この会は,磯離籔.宇賀禅光講,
中心認であるが,この藻分には瞬じ秘書は養われ
大中愚,中震一次,拳蟹盲嚢によって,鯵弱年
ていなも㌔サプミナントからトニックヘという講
発達した。
じ進行が,一一麟§は鐸からV へ,二繕馨は恥か
販懇は次のようにろばの会の鐸墨を評癒してい
ら鐸を経遍して,至の解決へと,籔妙な響きの変
る(i5、欝.欝)g
化をつけて流れているGこれを,譜軽2(慈.脚.
圭 詩の嘗葉を重んじたこと
婚3)のように,講じパターンの繰鯵返しで痒奏
類型的な,子どもに嫁びるような歌詞を擁し,
すると.この藤慧野死んでしまうあ
野詩的雌なものよりはド誌」そのものを直接うた
譜鱗 慮
う。
義鍔
2 音楽上の妥纏を撰したこと
塾
芸衛一琶の舞錘だけに鍵って作麟したこと。音程
ゼ 瓢 魅 魁
や婆ズムや葎奏の難しさも,それが必要なときは
譜携 2
避毒ナなかった。
3 窪主的に意欲的につくったこと
おおむね丁滲Sの3つの秘音しか使っていない
鍵来の単色の流行童謡藤とは違った,色あざやか
このような多彩な秘声を縫うこと1こよって麟の
なおもしろさ,.豊かな広がむを,子どもの歌の盤
表饗を豊か1こする傾1嬢ま,特1こ揚由昭の作贔に顕
界に導入するのが§的だった。
著に見られる。被の代表鐸の一一っに数えられる
4 穣音を変えれば,麟が死海こと
「あめふりくまのこ」など,麟の表1箋のために欝重
2は,言葉とメ獄ディーの結びつくための必然
奏の役欝が辛分載圭1占めていると言っても過言で
として起こることが多い。擁えば.大牢愚作懸の
はない。
夢サッち學ん」という鍵1慧,三連符があった鯵.
しかし,それゆえにここに一つの問題が提起さ
十六分音符が羅列したむ,縫律線を分衝するとか
れる。それは,葬常1こピアニスティックな響きを
なり難しい歌である。しかしこれらの婆ズムは.
持つこのような子どもの歌が,はたして.保奢現
詩の中の嘗葉の擁揚・撃ズムを背景としているた
め,子どもたちは,難しさを意識しないで歌うこ
場において,ふさわしいのであろうかということ
である。この縫題は後でまた述べるが,ここでそ
とができる。
の一輪鋳こ纏れ,ると, この舞寺代書こ{乍られた子どもの
3と蓬は.子どもの歌の音楽藤での革新であっ
た。単襲喜直は.「メ欝ディーはそれほど変わら
歌を,完全に弾きこなすためには,櫨当轟いピア
ないけれど,梓奏の懸が葬常に変わっているとこ
ノ演奏技術が必要になるのである。さきほどεめ
ろに,羅本の童謡のひとつの進歩があるような気
だかの学校」で述べたように,惇奏が重要な役割
を果たすからこそ,その搾奏に対して,忠実な姿
がする。」(欝.聾.5)と述べている。それまで一
勢が必要になってくる。鐸奏に端してそのような
般に子どもの歌は.メロディーを主体として作ら
姿勢を持たざるを篠ない麟が,この時代に生まれ
れ,梓奏は補懇的な役割を握っていたにすぎなかっ
たといえるQ
た。ほとんど主要三秘音で繹奏されていた鍵来の
これらの歌は, 当時§暑始尋こなった醤暮Kの「一う
華舞歌」「童謡」に蝿して,破らの穐品の中には,
たのおばさん」の中で放送され,菰められた。そ
嚢や雛などの議三穏蓄の漫罵が多く晃られる。そ
して,それまでのドレコード童謡」とは違う内容
れに搾って,梓奏が単なる繹奏鎌、との後§を果た
を持つ麟であるという意秣を込めて,「子どもの
すような懸海瀬乍られるようになったのもこの時難
歎」と鐸事び表されるようになったむ
である。つま鯵, サートのようにピアノが歌と対“
毳毳i穣違{1葺三近く1こなると,子どもの歌の伝達桑蒙
等に独立して,それぞれが婦癒して一つの表現を
体は,ラジ方からテレビヘと移行するようになつ
毒石塁子1幼艶の激曝教舞選撰に絶する一観点
2董
た。昭秘3§隼には,翼穣《テレど「うたのえほん」
どものうたの最近の蟹病は,一[蓋にいって,実灘
が闘姶された。このテレビ時代の至ll来は,一子ども
的で, しつけの懸想を季亥姦こして,幼発の生活と結
の歌にも少なからず影響を与えるようになった。
びついた,生活夢ズムのうたを,追及しているよ
テレビ時代の特徴としてこわせたまみは,「後
うだσ彗ズムと言っても,詩(ことば)に内蔑す
来の童講講から離鋭し.ジングル的に嫁ってきた
るリズムを蓋舞こするというのではなくて,醗製の
C議ソングの溝濫,昭秘38隼頃を第一のピーク
窮詫米州から来た琴ズムを取り入れ,詩1ま,これ
とする主題歌ブーム,マンガブーム,それらの変
に騨癒して,スキャソトを多薦する、」(5.鞭.2蔀
免と多彩建を薄能にしたテレどの駿橡鼓衛と感覚
と遽べることからもわかるように,詩人たちは,
の進歩が,意識無意識を闘わず,子ども鰯にも作
歌が歌詞の表愛する内容よ鯵も,メ欝ディーによっ
家縷彗にも強い影響を与えた」(欝.鞭.8)と遽べ
て広まっていくことに懐疑的である。しかし子ど
ている。また,テレど時代の子どもの歌の特籔と
もには,韓よむも婆ズムが必要であるという新し
して「撹覚的駿1語雛」,「駿像的触覚的なあそびi歌」
い考え方が,この透りから音楽面に反験し始めた
が作られたことを建議iし,「よむ擬し》二子どもの歌
といってよいであろう。子ども数にチャチャチ摩
の波は,購時牲,参趨性,視覚性,感覚盤などの
やバイヨンなど,輸入された新しい婆ズムがと鯵
テレどの特性を生かしたあそび歎,婆ズム歌の方
入れられ始め,その軽1講慧,現代に至るまで続継
露に講かって流れてきつつあるように思える」と
ている。繭遽したメロディー,秘声面での曙歌調
遽べている(欝.欝.8)。
からの脱皮に麟して,これは.13ズム癖での醗皮
このような繧緯翼こある「子どもの歌」は,詩の
ともいえるであろう。
藤でも音楽の嚢でも,それまでとは違う要素を持
しかしそれまでの「子どもの歌」運動を雄i遷し
つようになった。誌の麟藤から見ると,こわせの
てきた作懸家の中にも,このような瞬ズムパター
多慧擁のよう尋こ「{蓬莱の叢叢靉靆から離馨訟が大き慧
ンが先得する麟1こ鰐して暫危蟹を抱く発善書が晃ら
特籔といえるであろう。その一一っは,とり籔う主
れる。弼えば湯田は「このごろの子ども繕うたの
題の変イとに求めることができる。禅富輝夫は,現
ひとつの繧講として.畦ズム・パターンの護耀が
代の子どものための詩に蝿する見方を,佐藤よし
みの「アイスク1タームのうた」を擁にあげ,次の
ある。「おもちゃのチャチャチャ」なんか,チャ
チャチャのIJズム。ε地下鉄コ㌧ゴー」は,ゴー
ように遽べている。「これは食べものを歌ってい
ゴーの摩ズム。ああいうのは.成功した溺である
て,ドラスティックな歌でしょう。窃秋風の芸徳
が,瑳代の子は,ああいう婆ズム・パターン,そ
性と違うと患うんですね。いま諾ている童謡.子
どものための詩を見ると,感覚的に違う人がたく
れを駆養したポピュラー音楽が好きなわ謬ですよ
ね。婆ズムがはっきむしているから。どんな子ど
さん鐵て来ているんじゃないかと患うんです。」
もの歌でも,そのパターンでやると,いちおう現
と述べている(鴉.鯵.8)。
代的なよそおいと,現代的なサウンドがするわけ
しかし,こうした変化よりも,もっと重要な変
化がこの時代から始まる。それは,1メズムの変建
ですね。……僕は,その中ではたしてどれが残る
である。昭秘2§葺建こ舞ミ鐸籍放送の撰彗局ととも孟こ始
作る場合の姿勢を霊えぱ,蠹毒譲が要求するいち
まるCMソングも,こうした難癖への一蟷を撞っ
ている。三本鶏藻に代表される,ことばのゴ欝合
わせ的手法を葺聾㌃た当褥のeMソング(涯窒)
ばん素朴な意秣での,詩の原点的な意味での擁揚,
が,当時の人々にすぐに受け入れられたであろう
ターンの意識毒ま先行してくると,ノ母ターンにのせ
だろうかと葬常に危爆を持っています。…一醗を
イントネーシ葺ンとか,アクセントのある霞本藷
を背叢にしたいわけですよ。ところが馨ズム。パ
ことは想{象毒こ難くない。
るためのメ響ディーづく鯵を,無意識的に作麹家
このようなことば遊びはわらべうたにもよくみ
はしちやうとぼく毒ま思う。」(欝.夢夢.縫一重5) と述
られる。ことばが盲ナズムにのった時,遊びとして
べているし,車懸縁.童謡の慾界でもクラシック
の音楽が生まれる。この場合,ことばの捲示する
とポピュラーがあり,「クラシック系というのは
愚昧内容は後ろに退き,そのことばの持つ,音と
詩も藤もちゃんと吟妹されて.敷い手もちゃんと
しての要素が薩麟にク藤一ズアップされる。
して歌えるようなもので,ポピュラー系というの
関根が「翼賛Kテレビの幼箆番籍茎1こ表われるこ
は,……わりあい琴ズムが主で歎講なんかどうで
22
蕪島大学教春学蕊譲葉第薦骨
豊繋9一垂垂
もいいもの。」と位鐙づけている(2§.聾、蔦〉。
たものである。表中の記号は.それぞ轟の分類に
また,保蕎琴護場からも事「ノ{ナナンノ璽ナナンと
硬宣上つけたものであむ,表2以鋒共選する。
か,ヒュワーンとか,チカチカゴーゴー ビ潔ワー
表書 麟種薯こよる勢毒
ンといった無難絡な欲詞が霞立ち,少しも郵象が
i 分 類 …記号i麟数1人数1
残警ませんσ量界がないのです。そこで,もっと
ぴ
蹴囎i鍵S122譲3い馨
もっとよ疑歌があるのに,どうして歌ってくれな
いのか,と言いたくなるのです。」(雛、鞭.鱒)と
舞蟹藪
iGS1
茎ii
2襲
・§3懸i22鉱1
P購馳 土葬
欝ill l {鍛1
血.難
2達i
!大鑑碓童謡
i
@…
獅
見が多くなる。ここに,鞍後から始まった「子ど
…騨蝿数lssけ園敷
賢︶t ⋮ 旨q施
この時簸に入ると,総εて,詩の不在を嘆く意
瞭醐数 i翼sい覇蛾
︸
いう発露が晃られるのが,興秣深も㌔
金設
’弩弓藍 黛撫
もの歌」運動の一つの終焉を覚るとするのが,一
般的な見方である。
慧 現代における子どもの歌の実態
嘩 大人にお移る子ども歌の案態
繭章で機観したように,明治以来多数の,子ど
もの敷が作られてきたが,その中で,一体どのよ
うな歌が,現在でも歌われる歌として残っている
のであろうか。筆者は燐の繋的で,福島大学の幼
、畢ども轍二翻綴韓灘轍
加
齢歌
@IA・ 鑓旨 1
競べ微 ,Wi鱒 鍛の淫麟鵬却
l i
そ鑓 、X2毒…鯛麺 1
一、、一
これをみると,「子どもの数一簸」の麟が緩轡
的に多い。金棒でみても,「子どもの歎」は,鱒
麹と数が多く,次に「懸歌」碧童謡涯と続いてい
稚醗教嚢養成課程の学生i盛名(内7名は麟専攻)
る。しかし,のべ人数をみると,「子どもの歌」
に麟して,「難っている子どもの歌(記入欄32擁
が翼92人なのに難して,「唱敷」は鴛2§人と,
を講蓋をしたことがあるが(涯2),その講査結
麟数に鈍して人数の方は,大差がない。これは,
果は,この疑問に答える手跡けになる。この調査
多くの学生が羅むド唱歌3の懸を中心的にあげた
で学生があげた懸数は,全体で242麟にものぼり.
結果と見ることができる。このことは,次の表に
由み種類は,瞬治時代のいわゆる葬唱歌」から理
よってよむ明らかになる。
代の新しい5子どもの歌」まで,きわめて広い範
囲にわたっている。この騒2懸の内,題名などが
表2は.学生に多く支持されたのが,どのよう
不鑑確なため瞬定不可能な25麟を除いた2i7麟
学生の反応数の多かった上位臆麟をあげている。
ただし,この表はこのまま素薩に,大人が驚って
いる子どもの歌として読みとることは鐵来な継。
について,その醜種を分類してみる。分類慧,繭
章で機観した童謡運動の変遷にしたがって,機ね
な麹であったかを示したものである。ここには,
「唱歌」「童謡」「子どもの歌」に区分し,その中
なぜならここに1あらわれた懸の中には,学生たち
をさらに次のように分けた。
が大学教蕎の申で新たに学習した麟,あるいは,
「曝i歌」については,大まかな時代によって区
再認識して記憶に新しい懸も含まれるからである。
分し,その中で幼稚園,保資露に醸って激わ載る
そこで,そのように肇1懸される麟には,1麟磁に○
一連の歌,欝えぱ,藝おかえむのうた」稼どの生
麟をつけたが,合計ノ、麟ある(淫蓬)ゆこの上{窪
活の歌や,絵本縁歌などを保育曝歌として区磯し
韓麟を,表iと縁じ様式で集計したのが表3で
た。また,外国懸に訳詩誉つけて文藻省曝歎とさ
れているものも,やはり外蟹麹として藝離した。
ある。表中の落懸内の数字は,先ほど逮べた8麟
を除いた数を示している。表3をみると.上{立の
蓑童謡達については,作られた時代によむ,大乏難,
麟の申には,ε嘱歎」と「子どもの歌」が,ほぼ
紹秘携難の麩雛をし,さらに戦後の「レコード童
瞬等の害彗で含まれていることがわかる。
謡」は舞奪にした。「子どもの歌」は,購秘鶴奪頃で
区窮セ),それ以羨恐ものを一難,以後のものを二1
類としている(涯3)。表iは,それぞれの麟種
の麟数と,その麟を答えた学隻ののべ人数を表し
23
白石鑛子1幼発の歎曝教鯵選採に麗する一幌点
蕪
旨‘
i チュー1タップ
2
3
の 一 一雛r−r嚢
名 1人数『 分 類
i一一.一
一』二、
一㎜㎜
i§3 鼈鼈鼈鼈鼈鼈
i
2i
頁s
縫
あめふ毎くまのこ
おもちゃのチャチャチ却
Ki
22
ふしぎなポケット
23
雲
ちょうちょう
1驚
1薦
MS!…
2畦
おたまじ導くし
鐙 i、
2§
お{吏いあむさん
垂
ド§
暮
GS li
2了
!1
︸り
麗
マリ
掌ゆ
§
?
Ki i
き
i
き
暮
ミ
各3
かえるの合曝
¥竺斗
−r一
li倭1i
3絹Msi
ぞうさん
Ki
犬のおまわ吟さん
人数i分類1
ミ ミ
1
臨†の歌
名
衰2 学生による上鮭鱒藤
「磁汗
星
一葦生になったら
総i翼s i
鎗1Kii
l I
ミ ラ
3$i x l
3マ瞬…
1
箆
めだかの学校
3? i Ki I
5マ
蟹s
2§
ジングノレベル
3§ i X
欝
クラ婆ネッ》をこわしちゃった 55
K2
3暮
トマト
35 Ki
簸
お匠月
53
鴛
こいのぼむ
53
i3
とんでつたバナナ
認
腫
たなばたさま
52
月
SP
とんぼのめがね
§
臆
8
酬
亡a
至
3i
むすんでひらいて
33 GS
H㍉
32
お、霧
鍛 s8
K2
33
大きな吉時計
3蓬 K2
3嘆
きれ輪なさかな
33 鷺s
35
小.鶏の歌
33i Ki
3暮
シや潔ン玉
37
譲の音楽家
33 GS
ss i−
/
大きな樂の木の下で
5至
A l…
i
i・
﹁O
欝
i
森のくまさん
K2i…
33!丁登
i
琶s i一
欝
お聾墨
4マ
i8
憲、い墨のアルバム
魂7
登s
認
アイスク1ナームの数
32 K里
鴛
おかえりの激
鱗
難s
3§
さっちゃん
32 Ki
2§
ありさんのお謡
逢3
琵S i
酔
一
86
講
合
国璽聖王工数
}董S 8(§〉 3§8(327〉
轟轟 17蓑豊 83§ノ\
(錘藤)(?32人)
歌
SD1豊 59
距
穆
32 K至
申で,なおかっ,「ちょうちょう」「擁ゴ野お重縫」
などの百奪近く前に作られた歌が,堂々とと位に
あがってくるのは漣羅に纏いする。これらの「曝
歌」は,戦後の「新しい子どもの蜘運動の中で,
詩人たちによって挺判されている。饑えば藤懸は,
i27(鱗〉
33
避
数字の歌
鱗治以後蒋綾かの童講改革運動が起こっている
表3 上盤馨麟の:分類
躍s 逢 ・225
li
ロニ ロリ
i㍉細㌧
1講i i
「雪」について,簿山も野糠も纏耀子かぶ警,結
末残らず花力華美く遺謬犬1ま喜び庭駆善ナま毒ま馨,猿i
は火燵で荒くなる遜となると, これ毒ま型通鯵のi歌
ぴ 一
一∈一一辰
…子ども
で,そこには獲麟姓もなければ,子どもらしい動
6灘(逢7i)
鴛3
1
−
・墜⊥璽鍵大凶
礎にあるものは,感覚の独麟的飛躍的表理ではな
1
一
ロ ロ
Aい 駐
響1§ 曇
L
X i2
ト
ト
き
73
β
『
P臨鰍…
くおもしろさも全くない。……文部省唱歌の基
そi3藪i2尋人
…
く,常識的典型化である。」と遽べ,こうした悪
の i i
作講の歌が広く雛に残るのは,メ冒ディーのカに
i i
ヨ 1 i
i 縫 1 皿i
負うところが大きいからだろうと推離している。
24
姦島大学教誨学藻講隻第憾号
欝欝一1垂
(鎗.齢、器一2§)
反蝿に,教鳶現場ではある一定の意緩を込めて歌
なる繕ど,表2にあがった髄をみても,いわ睡
の選毅をし,教官の場1こ持ち込んでいるはずであ
る曝歎i講といわれる, ヨナ鼓き長音賠睾こよる蕪が
るびそれで慧,教官醜悪鑓を持つ保欝現場では,
多い。「童謡」に分類したrとんぼみめがね」や
どのような醜をとりしげているのであろうか。
「シャボン玉」1こしても, メ灘ディー雄鐸轟歌調で
表嬉ま.橿鳥市内の保育蓊欝園を蝿象に,実
ある。また「子どもの歌」に分類した麟について
像の繰育において驚いている歎を調べた結果であ
は,その1護とんどが箆較的鰐簸に作られた懸で,
る。この調蓋縁.前項の学生があげた2鐸麟のう
単締なメ欝ディーのものが、、量二難に、、隻二がってきてい
ち,反感数の多かった縫をどックアップし,それ
る。
に若干の保欝曝歎,手遊び歌を超えて競5麟を一
2 橡畜理場にお馨る子ども磐激鐙実態
覧表にしたものに麟して厩答を依頼したもので,
蔚の調査結果は,購治以来昨られた,膨大な数
に没ぶ子どもの歌の中から,農然講汰されて残っ
紹秘総隼に行なった。闘答方法は,その保欝勝
た麟として,読みとることができるが,それとは
蕎事・生活・愛唱歌に分けて記入するものである。
で毅っている歎,及びその機い方を,機ね,季簾・
蓑4 緑青穰で敬われる激
@ ル
名
「
記号 曙
至 1お藍鐸
藁S 腿
灘
堰@i
§
暮§
茎
§
i墨 1 }
茎 …
茎
2肯亜
き
2
5
護登
璽茎
し
i⋮t
1
巷毒
Eヒ
酸茎
2嚢互
︾
2
受章玉ラ鐸
8 あわてんぼうのサンダク償一ス
§ 大きな太鼓
睡 毒牝継電んでな籍さ
ヒ疑 お弁当箱の敏
燕 翼
… 箆 かえるの合曝
GS 騒
i捻 …こいのぼむ
蚤{s 鯵
3 i
2暮 i }25 i
4
4重蓬
i至
? アイアイ
H{2
⋮i
肇登
KKK
各 どんぐむころころ
蔦 1 聲
舞舞
w
⋮
1︸
5 ずいずいずつころ穏
サ
⋮曇
王{s 騰
套
蓬 懇舞轟轟)ア疹バム
11
s暮 旙
雛
w 蔦
3 とん緩みあがね
董
2 げんこつ出鐙狸さん
鑿挙筋箋事壼愛’魑 嗣
壷 一
■
一
「暫
3
馨嚢門マ
5 捻婆
卜 一丁
lllil障洋r
8i6i引31昏
l i l i劉111珪
翼2 錘
轟3
3豊
Ki 甦
?§
ss 至蓬
52
登s 玉垂
鰺縁のくまさん
§3
基く2 慧
至警 1蕪1鋒むくま‘誉こ
Ki 轟
騒 2 … 衰 至 i § 2
き
縫 71奪 1童1唾 …2
l I
I 至淫 1 こぶた轟きつ論こ
屋上ぞう、さん
1妨 iたな薮たさま
き
鰐 iチ蕊一撃ップ
糞7 寿レーライスみ歌
繋 シ童ぎン玉
3至 ふしぎな溝ケット
32擾のこ鰐(糸誌
1
1 鑑誰 茎3
搬 慧
l MS i3
1塵 鰺
i賢〕 慧
「x エ3
⊥聡 i3
揮蓋 i3
i A 捻
⊥一一一二二一一」___、.
毒
…
欝
…
蓉
彗 i
i
3 i
§忙馨寸‘
… 2
1
§ 奪 i
1 轟
r
l l l
i
! 達
…1
丁
2警 ジングルベル
3§ ちょうちょう
i A i3
←壕一13レ 斗÷拷
「
琴一斜
ゆ ロ
i2 21
i2
欝
V、⋮﹁
購朦薯鍔猛塗
i磁) i3
上 凝
碍⋮⋮葺
蹉 お花が笑った
き
2毒 大きな桑の水{∼)下で
獲し舞
T K董 鰺
3茸
玉董
葛垂
蓋 鍵§認謁聡一磯豆
軽
重茜5
2引縄重職っ筋
籔 犬のおま弩さん
22 うれしいなぴな祭む
Ar☆一樹
愉…i
25
嚢石騒子二甥饗の歌曝教紡選嬢に囃する一視点
この表には,鐙灘麹の内でほとんどの講でと参
鐵鰺3醸で,それらの幼稚霧に蝿して,「醗でよ
籔っていると露答のあった32麟があがっている。
右のらんは,その麟をあげた保育窮の数と,蔚の
表§は,その内の,棄詫地方2§璽(蟹公立聾・
く激う歎」を講宣して継る(22.即.欝8一欝3)。
調査によって得られた学生の人数を表し,籔い方
のらんは,その分類に該離する保套漸の数を表し
私立§)の結果をあげたものであるGこの32麟
ている。表6は,講査麟鴛5麟全体の藏種の内談
と,この■L饒32蕪についての内訳を示したもの
者の毒華壷票の中毒こなズ》つた懸である。 「保畜翫」
である。
保育漸の数を示している⑪
の内,麟嚢の頭に○蒙がついていないものは,筆
のらんは,今曝の調査でその麟への笈癒があった
麟
慈 数
A 妻事
r欝悸∵警」
旧刊
たきび
・も
捻1淫
○
3
臆
あ弩さんのお婁糞
i2 i
I
とんぼのめがね
2
ぞうさん
2
麗歎
2
ピクニック
i
i5 !
i
錘」
§
童
繕の款
量
︵一︶︵し︵︶○
ラ一 茎
夏
一 I I i −
醗!1一
i鋳稚穰
保欝鱗i
§
目 降1
鑓号
綴) i 3
名
表§ 昭秘聡年譜糞結集
表§ 上位32懸の募類
歌の子
至
︵しC一
一II−I−ii島
手のひらを太陽に
登
ドレミの歌
至
鴛
T…一
お母さん ! 聖
おはようの敷 重
手をたたけ … 至
空にらくがきかきたいなi 圭
ラ ニ
まつ睾まつく鯵 王
i おはよう
のなかでと甑とげられやすいものである。それに
i O糸まき
嬉して戦後の「子どもの歌」は,「アィァイ」「お
化けなんてないさ」「こぶた灘きつねこ」「ぞうさ
鞍敷
鐵してひっこめて
玉3
茎
こじかのバンビ
董
H一
こどもは愚の畢
○ トマト
ていると患われる。つまむ,さまざまな奪禽の子
どもが生活している保蕎羨では,このような遊び
○おべんとうの歎
至
位にあがってきているのも特籔的である。これは
講糞対象が檬育辮であったことが,大きく影響し
露
聖
きらきら獲.
§
i
玉
もみむ
、ト一
○ お燐むの歎
i
9
亜
ところで,瞬ごようなi灘蓋で.昭秘逢8奪に行
なった講査資料がある。講査対象は,全醗の幼穫
7
玉
おもちゃのチ学チャチャ
また,学生との銭二較でみると,学生の反感数が
歌が多く取鯵入醜られることを表している。
i
董
方が多い。
きわめて少なかった,手遊び歌やわらべうたが、1二
n
一一
爵号の歎
○︵し
ん3などのように,子どもの愛唱歎的なとり一とげ
一
i3
玉
… きゅつき妙つき睡
茎
たさま」などのように,季簾・鴛事とのかかわむ
玉
怪獣の激
聖
くの隼無数」は郵お雛月」「こいのぼり」「たなば
圭
!
し,擾い方に涯目すると,ここであがっている多
II﹂
この結集をみると,やはむ繭と購様に韓讐歌」
は,椴強》人気を持っていることがわかる。しか
たんぽぽ灯台 董
○ アィアィ
茎4
2ε
騰島大学教篤学藩譲葉第藩号
至9灘一i茎
講査の麟象地麩や.繰膏所と幼稚園の違いはあ
るにしても,表暮にあげられて》る歌意,今罎の
「唱歌」に競べて,その内容が大きく異なってい
講査のためにあげた麟と一致しているものが多い。
大正難の「童謡」は彩どんぐむころころ」「シャ
これら○印がついている齢の中で,保育瞬での緩
ボン玉」の2醜が欝立って歌われる濯度で,ほと
んどの麟があがってこない倉遵に,これらの藤よ
いが§霞だったものは一纏もない。特に,表各の
る。 しかし,ま蕪こあげた講査からもわかるよう毒こ,
申で頻数の多離縁養の歌」「あむさんのお謡珪
むも,「曝激」の籟購に入れられるものの方が,
「とんぼのめがね」「ぞうさん」などは,今醒の講
頻数が多くなっている。この章では,こうした現
査でも,轟い反癒数を欝ている。
象を,子どもの灘に立ち返ってとらえ直し.童謡
このことは,i5年という時灘馨の経過にもかか
運動の縷鼻をさぐるとともに.子どもの歌のあ鯵
わらず,保育現場の中で変わらずにとり籔われる
方について論じる。
i歌があるということを示している。これが侮を愚
幼i尾が,歌らしきものを置糞このぼらせ始めるの
昧するのか.今露の講壼からは煢然とはせず,推
灘の域を慈ないが,いくつかの見方ができる。
は,2才薦後くら墾からであるσこの時難を箆三
智子は.郵歌と言葉が分銘する時欝封ととらえて
まず第一は,子どもの歎の中には.流行歌的に
いる(23.茎撃.欝)。この時難1こ幼発が歌う様子を
躾iい捨てられる歌と,蒔銭を越えて残って難く
「名襲」があるのではないかという見方である。
みると,だいたい三種類ほどの表褒を見ることが
醜草で,子どもの歌1こおけるポピュラーとクラシッ
まず第一は,習い覚えた歌の噺片を歌ったり,
クという,中灘の意見をあげたが,今縷共通して
緩や教麟などおとなの歌うのに合わせて,部分的
にその歌を歌う活動である。第二は,簡単なこと
あがっている藤が,必ずしも,総品として優れた
ものばかりであるとは言いがたいQしかし、それ
ぞれの麟が保欝幾場の中で皺む籔うのに,遍した
できる。
ば,これは総じて欝己を主張するような「ダメ朗
とか「貸して」のようなことばが多いが,そのよ
侮らかの特籔を有していると考えることはできる
うなことばを言一バーな擁揚で表現する活動であ
であろう。
る。これらのことばはほとんどの場合.わらべう
もう・一つの見方は,保蕎現場謹藷体のあむ方に騰
たの二音数のような輪郭を持つ。第三は,擬音的
わっているのだが,一定の決まった歌を歎うこと
なことばに1タズムやメ臓ディーをつけて歌う活動
によって,深青の方法が露定化しているという見
で,一般毒こ「でたらめうた」と呼ばれることもあ
方である。ともすれば,「この時鱗にはこの歌を
る。これは第二の活動に転ているが,この場合の
歌うこと1こなっている」というの妻権慧定観念毒こなっ
ことばは,ことばとしての意味をなさないで,単
てしまい,そのために,その歌の持つ特鐵を見落
に音として籔わ駿るのが特徴的である。メ欝ディー
とす結果に臨参かねな》。
の輪郭は,醗知の歌の藪片であった鯵,わらべう
さらにいえば,一墨1遠したことは,保育現場だけ
たのような音構成を持っていた修する。
の霧題というよりも,広く流奄されている保育教
最初の醗知の歌を歌う活動については,3歳壌
韓集の灘董題毒こも通じる。 ここに賂奪三という馨寺闘
からだんだん歌える量も増え,気にいった歌につ
経過にもかかわらず共通してあがっている醗のほ
とんどは,現在筆者の手元にある数種の教軽集の
いては,擁秘、ながらも全部歎うという場面も鐵て
申にも共通して取り、1二げられている。そのこと霧
に簾えて,替え歌を歌う活動が入ってくる。3番
鐘には,何も襲題はない。しかし重要なのは,そ
§にあげた,悪辣のないことばに撃ズム・メロディー
れがなぜなのかというフィ礁ソフィーをそこに読
をつけて歌う表現に麟して,この替え歌は,歌調
み取ることができないということであり,そのこ
に意殊をもたせ,それにあるメッセージをのせよ
とこそが教材選択についての縫題になるのである。
くる。4、5歳頃になると,上述の3種類の活嚢
うとする表現と見ることができる。これら尊種の
活動慧,鈍重のおかれ方に多少の変化はあるが,
蟹 子ども鈴歌曝活動における表現形態と機能
幼発露を逓むてあらわれる。
それでは,幼愛縁このような歌唱表環を,どの
工章で覆観したように,大臣簸から戦後にかけ
ような状溌のもとに行なうのであろうか。これに
て,子どもの歌絃,詩・畜楽の爾褻で明治難の
ついて,後藤鐙純猛雄次のように述べている。
離石鐵予二鯵甕の敬懸教耕運撰に離する一幌煮
2?
「幼甕iは.目的意識をもって,歌唱することはな
いて,さらに次のように述べている。「いっしょ
い。身心の発達の必然として,快よい巻葉を唱え,
に声を合わせて歌うという行動が,ほんとうに子
身体を動かすのである。それは.まず遊びであり,
どもたちの農然な欲求から始まったものとするな
それに歌が梓っているとみてよい。幼難1ことって.
らば子どもたち隷必ず穏互のコミュニケーシ葺ン
歌と遊びは燐む離せ灘ものであって,言葉として
を獲得しよう,と試みるはずである。糧互のコミュ
構蔽1されたある量のものを,身体的活i勤と無縫係
ニケーシ強ンを獲籍するということは,お互いの
にうたうという機会は,そんなに多くない。ひと
声がひとつになった.属じ声で購じ歌を歌ったと
り遊んでなんとなくうたっているような場合轄!,
いう実感を確認することである。そしてその確講
快よい気持ちをあらわす,無意識の膏為として,
は,お互いの顔と顔を,§と馨を見合わせ,にっ
覚えたものの一蕪分が,口にのぼってくるのであ
こりすることで行われよう。」(25.鞭.i38)この
ろう。いずれにしても,長い言葉み量を含む歌を,
ように,歌による欝ミュニケーションは,露語に
その歌詞内容全認に共感してうたうなどというこ
よるコミュニケーションとは若干異な鯵,もっと
とは,まず少いとみるべきである。声を発して,
直截なやり方で成立する。この場合,櫨手と,侮
気持のよさをあらわそうとする時,身体をも必ず
動かしている一それが幼発の特鐵である。私は.
か…一つのものを共有できたという満廷自体が,そ
幼擬の歌を,遊びのひとつの影としてとらえるこ
さらに後藤羅1ま,子どもの成長と共に変化して
とを強讒したい。一…遊びの申には,幼発の内藏
いく遊びの形態や内容の中に,コミュニケーシ叢
の稽手とのコミュニケーションを生み識す。
の申からの欲求から幾ているという見方の1護かに,
ン能力の発達の過程をみることができるとして,
人幾と人聞とのコミュニケーシ強ンを求めて疑る
わが国や欧米のわらべうたの遊び形態を分観して,
という見方ができる。i激震講の重婁葉も,i敦i講のない
人数の霞題にも触れている。それによると.3歳
ムー・ムーも,遊びの身振むも,それから,言葉
蕪後では,綾子二二人で病かい合って手遊ぴをや鯵,
あそびはそのものずばり,すべて嚢分を表瑳し,
3,雀歳になると3,護人で手をつなぐ。握全盤
その表現が穣手へ必然的に伝達されることを求め
が発達してくるともっと大勢でやろうと言って,
ている。それ1ま,無意識の申に,しかも完全な確
5歳くらいになると雑人.勝人の輪をつなぐこ
かさをもって,心と心のつながむを持とうとして
ともできるよう1こなる。その結果後藤懇は,子ど
いる。それが無意識であっても,確認されている
もの歌活嚢の申に不可欠なものとしてシンギング
ことを知っているから,相手と遊ぶことがたのし
ゲームをあげている(25.聾、鰺8,26.即.総〉o
そこで先にあげた幼発の4種の歌曝表溌を,
く,幸せなのである。」(璽.即.欝一i?)
この中で彼は,歌二遊びとして子どもの歌をと
らえ,その遊びの申に,「幼髭の内面の中からの
ヂ幼縄の内藤の中からの欲求」を濃iたす機能と,
欲求」を満たす機能と,紅コミュニケーションを
求める」機能の爾嚢があるとしている。鞍がとり
の観点からみてみると,それぞれの活動の中に,
わけ意義を見ているのは.後者のコミュニケーシ霧
がわかる。それはギ緩のようになるであろう。
「コミュニケーションを求める」機能という二つ
どちらか…方,あるいは両方が含まれていること
ン機能であξ),このコミュニケーシ遜ン機能1こつ
「』“
か『
べ
呈O
と
}ンプ
’遊び勇兵鳶
弛の遊びに
誘発されて
{二よって
コミュニケ
ーシ聾ン
激甕麟の共1
一\
\
替 え 激
︸㎞
鳶によ一・て
ノ
欲憲蜘こ
共感して
ノ
t⋮﹂
晦錘からの
欺求
濾
磁鶏大学教欝学藻譲葉第鰐弩
欝欝一一玉茎
子どもが嚢分の心構的な鎌を表現するために歎
う時,縫の遊びに誘発されて歌う場合と,激察体
が適燐と患われるσ次の「替えi敦憾も靉靆的な要
に共感してi歌う場合の二つの場嚢がある。縫えば,
素はあるが,できた鐸贔が子どもの中で認められ
子どもが影藍鷺の歌の舞彗分,また導ま全認を歌うとき,
れば,それは子ども縫会の中の文靴財として残っ
簿か趣鐙遊びをや馨ながら鷺ずさんでいる場合と,
ていき,そこに含まれるメッセージによって.コ
歌そのものを楽しんでいるような場合とが冤受け
ミュニケーシ欝ンが生ま読る。このことについて
られる。麟者は,縫の遊びによって生じる快感に
の蟄感を農ら表饗する,…っの表理手段とみる方
鳥越繕は,「(替え歎は〉横難伝達の一つの手段で,
よって,無意識に覚えている歌の漸鐘が鐡てくる
あり,子どもの燈馨という共羅体を母体とした其
と考えられ,後者慧.歎講体の内容,すなわち謙1
通認識」(欝、鞭.欝)であると遽べている。
詞一}ズム・メ獄ディーなどに共感して,それを
敬うこと雑体で,快い気持ちになっている場合と
最後1こ「こと暮ぎのメ欝ディーイとj lま, 糞垂のもの
考えられる。講様のことは,二三番護の「でたらめ
れは,この言語をメ聾ディー達する活動は,共有
うた」にも,次の「替え歌謡にも言えるであろう脅
によるコミュニケーションというよりも青欝妻嘉的
次に,コミュニケーシ婁ン機縫iの方に農を転む
なコミ講ニケーションに鍛た機能を持ち,権手と
と鋤べると,若干矢羅のあむ方が違っている。そ
てみたい。歌うという行為を嫁介にしてコミュニ
の婦徳の中で発せられることが多いからである。
ケーシ叢ンをする場合にも.敬譲誌を共毒した結
子どもの歌活動を以、量二のような観点からとらえ
果生まれる彗寺と,歌いながら一緒毒こ遊んだという
ることによって,鑑紅あげた童講運動の穣界縫…も
繕果生まれるときの講方がある。これら隷もちろ
見えてくるのではないだろうか暮と瞬時に,幼舞
ん鞍然と境界が讃謬るような盤賂のものではなく,
の歌唱教桝に麗する考え方にも,…定鐙方麟があ
どちらに鍵重がおかれているかという違いにすぎ
らわれてくるであろうσ
ない。賎知の歌を歌う蒔の,大人とのコミュニケー
大正以来の童謡運動の中には,歌飄遊ぴという
シ弾ン機能と轄:,2,3歳{滲頃1ま,とりわけ競と
考え方が希薄であったe年令が抵拶れば縫い縁ど,
一緒に歌おうとする姿に見受けられる。この場合,
大人が歌うのにあわせて,フレーズの終わりのこ
歌と遊びが一捧であるというこの考え方は重要に
なる。そのような観点で子どもの方をとらえたと
とば,極端な場合1こは,歌の最後み…音だけを…
き,「長い言葉の量を含む歌を,その歎講内容金
緒に声ξこだして歌うだ酵であるが, 子どもの中1こ
鋸に共感してうたうなどということは,まず少い」
は,講じ一つの敷を…緒1こi激ったという満足1こよっ
という見方が鐡てくる。この考え方は,童謡運動
て,大人との闘にコミュニケーシ葺ンが生まれる。
の中1こは,決して見られないものであるe「よい
奪合が進めば,共養麺)穏手は,大人から友達へと
広がってくる。筆者がここで誘う賎懸のi歌とは,
詩に,よい歌をつけよう」という発想のもとに生
まれた「童謡」やその後の「子どもの歌」の中の
遊びを搾わない歓も苧わらべうたのような歌遊び
詩には,完銭されたメッセージが含まれているこ
も講方含んでいる。と吟わけ友達との舞舞こごうし
とが必至になるからである。それゆえ1こ,畷灘
たコミュ。ニケーションを生むため1こは,遊びを纏
馨葺以降の「子どもの歌」に蜷して.詩の不在を
嘆き,童謡運動は終わったという評懸が晃られる
わない歌よ辱も,身体のi動きを鐸う遊び歎の方が
適燐であるというのが,シンギングゲームを彊講
のである。
ずる後藤霧の主張である。すなわちわらべうたも
しかし,幼擬とは,歌いながら1箋然に身体を勤
含めてシンギングゲームとは,コミュニケーシ垂
ン機能の代表的なもので亨コミュニケーシ婁ンの
かす存在としてとらえれば,逆に,新しい「子ど
もの歌」の存在懸纏が生まれてくる。こわせは,
ための文イと財1と見ることができる。 このことは,
「子どもの敬が,庫裏持っべき要素である、から
次の「でたらめうた」や拒替え歌」と比較するこ
だでの懇書雛と、からだで表髪される音楽牲の面
とによって,さらにその特籔が瞬確になるであろ
を適確にとらえた方鶴は,今後ますます,子ども
う。
の歌の流れの璽要な鵠分を占めてくるのではない
「でたらめうた」は,難興麟なもので,その場
かと患われる」として,詩の鍵藤を次のように分
暇穆であるため,コミュニケーション機能韓持ち
僻する。 「誇の藩で叢えば,いわ摩る文章として
にくい。ゆえにどちらかと言えば,野どもが難分
の詩からの醗墨でしょうか。詩的発見をその線緩
嚢石羅夢1幼艶の歎曝教材選毅1こ絶する一一疑点
2§
としながらも,それを子どもの碁動的愚考と一体
しもう一一一方で、聡治鐵来の「曝i款」もそれらの歌
建させ,新しいエネルギーを生みだそうとする試
みを意識的に重総ています。単語や痔声を,よ静
た。ここに,もう一つの簡題が,と鯵わけ戦後の
縷元麟なものにまで分解したすえ,子どもの意識
「子どもの1歌」にあるように患える。
と暖簾にわれわ醜の生活の中に根嚢く息づいてい
を基盤として再購築したともいえそうです轟(欝.
それは,豊かになった音楽姓そ㊧ものにある。
欝.鋳この見方は,鰻透の子どもの歓には誌がな
藷弩にも少しふれたように,…つ1ま,梓奏礎あり方
くなったといわれることに端しての欝の難癖から
の蕩題である。戦後の新しい「子どもの歌」以羨
の見方とも誘える。それは,羨にあげた子ども劣
には,「童譲初耳メ欝ディーであった。馨奏濾,
鋲でたらめう云こ」毒こ選1じるもの毒まある。
メ欝ディーの補充的役割でしがなかったのに端し
次に,遊び欝体のとらえ方が,「お遊麟」的発
て,戦後の「子どもの数」は諄奏と歎が,対等的
想から鐵ていな墾。携えぱ「地に敬う歎がないか
な縫孫を祷つようになった。そこで生じるピアノ
ら,しょうがなしに(わらべうたを)歌っている
演奏技纂のことは究に鮭れた。
わけで,新しい歌を.それこそテレビで,遊藪を
させながら歎わせるという方向へ持っていくべき
ここで霧たに遽べたいのは,歌と子どもの生活
の縫孫である。調査の結果をみると,上種1こ麓鬱
で」(2?、翻、蔓)というように,畿範合わせて身
するものは,その敏が作られた年代を縫わず,シ
体を動かすのが遊びであるという.遊藪レベルで
ンプルな構造を持つi歌である◎ここでいう「シン
しか子どもの遊びを見ていない。
プル」と婁ま,歎熱やすいというような意彰長で,歌
子どもは,与えられた歌をそのまま受け入れて
の痩纂悪いには聡孫な排。シンプルなゆえに,す
いるばかりではなく,「でたらめうた」や「替え
ばらしい鍵力を持つ歌も,多数}趣にしがってき
歌」びいては「ことばのメロディー化」にみられ
るように,曇分の憩いを表現するため1こ,綾らが
ている。子どもが露分の内蕪を歌にたくそうとす
ヤやりやすい方法で,籠動的1こヂうた」を誓懲
ケーシ肇ンをはかろうとするとき,このヂシンプ
…一
るとき,また大入や友達と,歌によってコミュニ
鐵すこともできる存在である。その作鯵超すこと
ノレ」であるということは,重要な意珠をもつ諺で
無体がまた稜らの遊びでもある。1こもかかわらず,
はなかろうか。特に,就学麟教育の場で,教轟の
「いい歌」さえ与えておけばよいとでも疑うよう
ピアノに彗一ダされて,いいかえればピアノがあ
な,「かえうたなんてものは,釜どもが,きたな
るからこそ歌えた敷は,生活や遊びの申で,子ど
いことをわざと言ってみたいとか,いやなことを
もの縫紅のぼ乏)にくくなるであろう。
してみたいという,マンガを毒ぶ気持ちと購じ気
華舞歌」が搬強い人気を持つというのも,こう
持ちが鐡て来ているので,かえうたなんてけっし
した瞬毒こ療露を求めることができる。つまり, 善
てりっぱなものでもな浮れば,力強暴ものでもあ
くから歌われ継がれた「懲歎」は,親や縄鯵の大
むません。ああいうものが鐡るということは,つ
人が子どもとの£煙毒的なつながりを毒まかるための
まり子どもの轡界にいいうたがないからできちま
うんじゃないかと患う」(器.即.捻)というよう
蝶介としての後馨を逡っていると考えられる。講
査結果をみると,こうした役羅は浮言歌」に眼ら
な考え方は,子どもの一襲だけしかとらえていな
ず「ぞうさん」など.時代を越えて歌われてきた
い。子どもは,こうした一懸的なとらえ方だけで
「子どもの歎、1にも晃られると考えてよいであろ
はカバーしきれないバイ夕暮ティーを持っている
う。
と考えなければならないのではないだろうか。
もちろん.よ》誇,よい音楽を縁たために■子ど
もの歌は,時代と共に豊かになってきたというこ
おわ》に
とは,否定できない事実である。特に戦後の葬子
幼麗の歌艦教材’紅ついて,その簗史と現状.さ
どもの歌」は,メ欝ディー,ハーそ二一,リズム
ら1こまた蟻髭の歌曙表饗の形態と機能を観点とし
の面でそれ以前の「童謡」とは,音楽的轟容が大
て考えてきたGその結築,次のような歌曝教材の
きく異なっているG先にあげた講蓋でも,こうし
選毅擾点を導きだぜる。
た戦後の「子どもの敬」は,われわれの生活の中
茎 幼難の遊びから遊離しないシンプルな激
に取む込まれていることが購らかであった。しか
2 幼髭が友達とコミュニケーシ婁ンをはかれる
3§
猿島大学教畜学藻譲葉第銘馨
欝欝一i董
ための文化財としての歌
琿
3 幼発が自ら作むだしていけるような素組
違 幼髭の特徴である,身体の動きを誘発するよ
算腿準一鰯「馨奉童謡纂」岩波書窓 欝欝年
うな歌
盛光社 醗鞍違8奪
麗綴栄一「現代のこどものうた」誇と童謡翼0.玉
5 大人から鱒きか謬るコミュニ・ケーシ垂ンとし
6 金霧一春彦陪肇敦・童謡の轡翼」宅鑛の友鮭 露
ての歌って懸かせる歌
穂§3隼
第i,第2は,幼髭が生活や遊びの中で自分の
7 若芽歪浩綴葬資料講本音楽小史」青葉擬書鷺簿年
旋藪届,う熱ゆすも轍をレ・餌挿一とし
8 藤籔圭雄・単赫銭雄・金遜一春彦「鰹談会 大藍
てもてるようになるための観点である。これらの
の童謡を語る」蓉本童謡翼。.8 学欝醗究縫 灘秘
歌は,幼冤霞身がその歌を遍して遊んだむ,ある
憾奪
いはその歌に共感して歌ったむするところに恵義
9 小鉢蕊一「幼晃のうたの議1む立ち」蔭庫:童謡翼。.§
がある。ゆえに,教麟からイ羅らかの影で伝達され
学翼醗究縫 昭秘聡奪
た後,蛇児嚢身が嚢分の遊びや生活の中に緩み込
韓 藤霧圭鑑「嚢本童謡史」あかね書霧 曜鞍蕊無
めるような歌でなくてはならない。
縫 小農美子薪童謡運嚢の経史麟意義響3畜楽教欝欝
第3は,完成した一つの作昆としての歌で慧な
究翼。.欝 欝楽之友被 贈秘轄葎
く,幼発が歌うヂでたらめうた」野替えi敦」など
鴛 小島美子「童謡運麟の麓隻的意義韓」音楽載膏襲
にみられるような齪片的な素材,子ども購士のや
究翼。.23 音楽之友雛 羅秘認葎
りとりの中毒こみられるような「こと毒まのメβディー
欝懇辺秀雄「童謡から子どものうたへ」麩本童謡翼0.
銘盛などの素縫を捲す。そのような素縫は,鋳遽
した歌のレノΨ一ト撃一の広がりと関連しながら
7学響硬変縫 曙秘碧奪
εつくる」あるい1ま「つくむかえる」という幼晃
究翼。、麓 音楽之友縫 騒穂艇奪
鯵 小島美子r童謡運動の歴史醜意義麟」音楽教奮醗
の能動的な活嚢を麟長ずるであろう。
蔦 籔緩寛夷r畜鎚的ダろばの会」譲」欝牽童謡翼。、2
なお,驚嘆と第5については本稿では論むきれ
なかったが,戦後から現代までの「子どもの歌」
学習覇究縫 霧秘菊奪
の流れやそれが残した功績を考えると,無観でき
璽代の子どものうたの§ざすもの」暮六童謡翼。.蔓
ない擬点であると考える。この点は今後の課題と
学習醗究鮭 聡憩薪奪
し,さらに論究していきたい。
蜷 中欝嚢直・岩織三郎・大牢愚・湯露紹r鰹談会
誓 中懇警醒’小繍纏一鑛「麗代のこどもの歌名麟全
葉諜音楽之友嫉 羅秘翼隼
注
欝 穣中久儀 薦景二編「幼冤鎌奮の歌と婆ズム」音
至 三三木の{乍つたC睡ソングには.「ジン ジン ジン
楽之友娃 醗秘欝駕
タン タッ夕方タッ努努ー」や「ワ ワ ワ 輪毒∫
みっつ」などがある。
欝 こわせたまみ「テレビ時代の子どものうた」饗本
童謡翼。.5 学欝欝究娃 聡鞍妬奪
幾稿2§を参黙のこと。
騰 藤鑓圭雄・申懇書塵・舞鶴輝夫・湯濃霧・小舞綾
これらの麟の馨られた年代については,文敵違
一「詩と童謡 今馨の概題を探る」誌と童謡翼G.i
鎗 綴 32 33 騒を参考にした。
盛光鴬 聡秘銘奪
畦 糠穂2§ 鱒.66を参熱していただきたい。
滋 中瀬李綾子「鱗甕のうた」欝奉童謡翼。.5 学習醗
この中で,璽璽と欝璽に分類した麟である。
究縫 曙報聡薙
鑛 繕出盛鑑r操膏露容の獲論」聡治馨書 欝聡葎
灘稽・参考交戦
23 箆三智芋r子どもの発達と音楽」轡楽之友縫
玉 長蟹鏡二・叛馨寛夫・湯田紹麹「塵談 子どもの
欝77隼
うたのレコードを語る」 馨本童謡翼。、7 学欝馨}究
盤 後藤灘纏盤三「その歴史と共に」籔本童謡No.5 学
縫 羅秘珪7隼
2 後藤蟹続発「蛎艶の音楽教韓の賜題点盛音楽教官
難究No.72 音楽之友蛙 羅職む隼
3 蔽蟹寛炎「童謡でてこい」海患畜謄新雛 曙穣麟
習醗究社 躍樫蕊黛
25 後藤鐙縫生「子どもたちは歌わされていないか?」
季舞音楽教春醗究糞。.蔦 奮楽亡友娃 欝78奪
2§ 永霞栄一・後藤綴縫塗「端談・子どものうたと発
白石昌子:幼児の歌唱教材選択に関する一視点
達」 季刊音楽教育研究No.15 音楽之友社
31
30 堀内敬三・井上武編 「日本唱歌集」 岩波書店 1958
年
1981年
27 鳥越信「子どもの替え歌考」 日本重語No.3 学習
研究社 昭和46年
28 藤田圭雄・小泉文夫,中田喜直他「今目の新しい
「子どもの歌」 をさぐる」 日本童語No_1 学習研究
社 昭和45年
29 抽積「幼稚園教員養成課程における 「専門性_1習
31 金田一春彦・安西愛子編「日本の唱歌上・中・下」
講談社 昭和52・54・57年
32 藤田圭雄「解題戦後日本童語年表」 東京書籍 昭
和52年
33 三願:政一朗「日本重語全集」 音楽之友社 昭和49
年
34 長田境二 「昭和の重語アラカルト (較後篇)」 ぎょ
うせい 昭和68年
得に関する調査研究 (その2 )」 福島大学教育実践研
究紀要 第15号1989年
- A Viewpoint on the Selection of the
Singing Material for Early ChildrenMasako SHIRAISHI
Teachers emploied early childhood education have to develop their own methods
and materials to achieve their teaching aims,in Japan.Music teaching is not
exception,so teachers have to select good songs.But it is not simple and easy to
select the singing materials for early children_It has been posed the'problem what
is “goodf'singing material for children.This paper is designed to approach this
problem from three different aspects.
The first aspect is the history of child's song.In Japan,a great many child's
songs have been made since the Meiji era.In this history we have had some “child's
song movements”,for example, 'AKAI TORI movement” in the Taisho era,or
“KODOMO NO UTA movement''in the postwar,which were started by excellent
poets or composers.They took objection to the words or the music of the previous
songs,and madethenew songs which had more 'goodf'words and the music.Therefore,to clarify the thoughts of these movements will contribute an idea of ''good
song;'for early children.
1
1989- 11
福島大学教育学部論集第46号
The second aspect is related to actual child's songs remained and sung at present
tjme.We made a survey of child's song on 121 students of Fukushima University,
and 15 day nurseries in Fukushima_Shi_On this survey,it is clear that many new
songs made in ''KODOMONOUTA movement” are remained,but many old songs
which have been criticiz
ed by the poets and the eomporsers in ''child's song
movements?f are also remained。These songs have simple form and are easy to sing.
The third aspect is related to the growth process in singn g of child. Early
children take three singing aetivities.First,child sings the song partly which he has
already known.Second,he says short ward giving two or three notes_ This is
heightened speech,but it differs from speech in that the most important syllable is
strongly accented melodica選
y.Third,child produces songs of his own invention.
Thete singing activities are found among child in all stages.When child is engaged
in these singing activities he has very pleasant time or wants to communicate with
others.
We have got three findings by this study. First, through some “child's song
movements'f thechild's songs have had rich sound in melody,rhythm and harmony.
At the same time.,they have had the complicated piano accompaniment.But child
needs the song which has more simple form to sing for himself. Second, child
communicates with others through singing a song,so the child's song should be
appropriate for child to communicate with others.Third,child needs not only the
child's songs which are made by an adult;s idea but also the materials which
encourage child to produce songs of his own invention_
2
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