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象徴としての船 (1)

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象徴としての船 (1)
Kobe University Repository : Kernel
Title
象徴としての船 (1)(Ships seen as a symbol)
Author(s)
中本, 泰任
Citation
海事資料館年報,15:1-7
Issue date
1987
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005745
Create Date: 2017-03-30
象徴としての船(1)
中本泰任
1.比喰と象徴
障害者とみなすのであり,あるいはまたフロイ
われわれの住んでいるこの世界は,さまざま
以もそこにあろう。したがって比轍・象徴は,
トが夢のもつ象徴性を精神分析上重要視した所
な意味に満ちみちて現象している C そしてその
記号論,意味論,美学,精神分析学,神話宗
意味を表記し表現するために,きまぎまな記号
教学,民族学,哲学等広く諸学の研究対象とな
が用いられているが,今注目したいのはその内
っている
の比除的
小文の目的ではない。ここでは以上のような観
象徴的表現である。日常の言語表現
I
釘の頭 j, I
試験のヤマ j,
「人生の黄昏 j, I
悪事千里を走る J
,I
花が笑
を少しく省みても,
う」等々枚挙に暇がない。デュランの言うよう
に象徴も一種の隠喰だとすれば,
O
しかしその詳細を検討するのがこの
点・興味から,<船,および船に関係する事柄
>のもつ象徴性について,筆者の目に留まった
ものの幾っかを誌すことにする
D
日常言語にお
けるこの比験的表現の多さ,あるいは使用頻度
の高きが物語っているのは,この種の表現法は
2.ノアの方舟
他の表現でもって置換可能な単なる美辞学上の
剰余ではないという事であろう。ある比町議的表
まず最初に想いつくのは,く船>はわれわれ
現は,その表現でもってしか能記しえないある
の常住しているこの現世と,他界ないしは異界
意味的世界の立ち現れと対応している。この事
をとり結ぶ乗りもの (
T
o
t
e
n
s
c
h
iff)として,
態は,この世界が独り科学的表記では尽しえず,
さらにはこの両界を行き来する霊そのものとし
さらに詩的一芸術的表現,神話一宗教的表現を
て,シンボリックにイメージされてきたという
必要としていることと表裏をなしていよう。宗
ことであろう。その典型はいうまでもなく旧約
教学者エリアーデは次のように言う一一「象徴
聖書創世代に語られる<ノアの方舟>である。
的思考は子供や詩人や錯乱者の独占的な領域で
洪水そのものはたんなる自然現象だとしても,
はない。それは人間存在と切り離すことのでき
普段われわれの用いる「天変地異」と L寸 語 の
ぬものである(中略)。シンボルは他のどんな
ひそみにも響いているごとしこのノアの洪水
認識方法でもとらえることのできない,実在の
は終末論的様相を帯びている一一「神ノアに言
r
すべての人の末期わが前に
最も奥深いいくつかの側面を明るみに出す。イ
いたまいけるは,
メージ,シンボル,シンボ 1
)ズムは心の場当り
近づけり。そは彼らの暴挙世に満つればなり。
的な創造物ではない。それらはある必要性に応
視よ,我彼らを世と共に努滅ぼさん
えているのだし,また,ある機能を果たしても
化したこの人の世は末期にいたって壊滅しや
.
u。機士と
いるのである。つまり,存在の最も内密な様態
がて新たな世界が誕生する。方舟はこの二つの
を制き出しにしてみせるのだ J-ーすなわちシ
世界の狭間に漂うのである
O
舟の屋根に穿たれ
ンボリズムは,詩や宗教的領域のみならず,広
た明り窓も,自然光を採るためのみでなしい
く一般に人間←→世界という最も包括的な存在
ずれ立ち現れる新たな意味を,航海の導標とな
に対応し,その存在構造をあらわにするものだ,
る新生の光を指向するアンテナのごときものと
と。それゆえメルロニポンティが分析している
いえよう。やがて方舟から放たれた偽は撒携の
シュナイダー症例のごとしアナロジーを直感
若葉を口にくわえて戻り,祝祭の空には虹の徴
的に了解しえない者を,われわれは一種の知的
が立つ。聖書の記述にはないが, ノアはわが国
1-
の船神事に見られるように,青々とした生命樹
きらにそれが兄妹相姦と結びつくかたちで広く
の幡・峨を方舟に立てて,その栄光を祝ったで
中国南部,東南アジアに見られるものである
あろうか。
(不具児「水蛭子」を生んだイザナギ,イザナ
ミ二神もこの兄妹結婚伝承に属するようである
宗教的宇宙論の本質が,われわれの常住する
し,谷川健一氏によると,沖縄,宮古一八重山
人間俗世間と,それを内包しつつも超越する
のいわゆる先島では,津波伝承と並んでその創
(
t
r
a
n
s
c
e
n
d
) 聖なる異界という,たがいに断
世語には多く兄妹神が登場するという 。
) 旧約
絶するとともに連続する二つの世界を必然的に
聖書にしても,わが国の神話にしても,こうし
前提せざるをえないとすれば,この両者を媒介
た姦淫や肉親殺しといったタブー侵犯や血なま
するものとして,神の受肉思想や A蹴者のごと
ぐさい不倫事の記述にみちているが,
もしそれ
き存在を必要とするが,この両世界がく西方浄
が人間俗社会,現世の汚械の起源=原罪を説こ
土 >のごとく空間的に表象される場合には,空
うとするものならば¥洪水や津波はいわばその
間的に隔た った両者を跨ぎ超えて結ぶ運搬者
浄めと再生への通過儀礼であり,それゆえ,さ
(
t
r
a
n
s
p
o
r
t
e
r) も当然として不可欠となろう 。
らに く船 出 ・ 出 帆 > は 言 う ま で も な し こ の 苦
その象徴的なノ、レの役割を船が担うことになる 。
界から新たな楽土,黄金郷への旅立ちの象徴と
すでにアリストテレスの 『
詩学Jは比喰を分析
なろう 。 このことは多く,葬制,民話,歌謡,
して,比日食とはたがいに異なれる事物の間にな
詩・絵画作品などで確かめることができる 。現
んらかの類似を見いだし,一方の事物の名を他
世が械土と観ぜられる度ごとに,たとえばラン
方に転用することだと規定しているが,
自然環
A
.Rimbeau)の詩篇にみられるように
ボー (
境としての海や河に隔てられた二つの土地を指
ノアの大洪水の再来が願われ,ボードレール
す言葉が,新たな意味を帯びて転用されている
(
c
.B
a
u
d
e
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a
i
r
e)は生の倦怠にあ ってヴァト
典型的な例を,われわれは仏教のいうく此岸一
A
.Watteau) と同じく,
ー (
彼岸 >に見いだしうる 。 そうだとすれば,両岸
ニカルに古代伝説の島シテールへの船出を夢想
しかしさらにシ
を結...;~'船は,此岸へと寄り来る誕生する魂をも
する 。 またテニソン (
A
.Te
n
n
y
s
o
n
) は年若い
たらし,彼方からのマレビトやカミを運び,ま
水夫に呼びかけて,冬に鳩鳴くこの荒土から,
た此岸から去ろうとする霊を葬送するものへと
光を求めて海の果てへ,
その意味合いを転じるだろう 。送り盆に川や海
r
境界を超えて o
v
e
r
t
h
emarginJ 出帆せよと説く 。 また沖縄では
r
旅に出てい った船は帰る
に流されるく精霊船 (
写真1.)>はその具象化
野辺送りに際して,
に他ならないし,国生みに先立ち生れた「水蛭
が,野原に出てい った船は帰らない」と歌われ
子」が乗せて流されたという『古事記』の葦舟
るという 。 そして此の岸辺に残 って去りゆく船
を想い起こしてもよい。
を見送る者は,折口信夫の筆に倣 っていえば,
創世神話と洪水神話は旧約聖書のみならず,
「非時香果の熟れる枇の国」への郷愁を,ある
いは未だ見ぬ異郷への憧れをかきたてられるこ
とにもなろう 一一「高麗舟のよらて過ぎゆく霞
かな」蕪村。
ところで転用された語「船」の意味合いが上
記のごときものであるとすれば,また今世紀初
頭ライト兄弟によ って飛行が実用化されるまで
は,隔たった両岸を繋ぐ唯一の交通手段が船で
あったとすれば,語 「
船」はそれがいかなる媒
体空間を経るものであれ,両岸を結ぶものの代
写真 1
. 糟璽船
- 2-
名詞と成る 。 いわく
「
飛行船 a
i
r
s
h
i
pJ
,いわ
<I
空港 a
i
r
p
o
r
t
J,また「上陸=着陸 l
a
n
d
i
n
g
J
であり, I
乗船=搭乗 b
o
a
r
d
i
n
g
J である。航
判的に論じつつ,たとえは‘「宇宙船地球号のゆ
h
i
p
"
空従事者の用語では,今もって機体は“ s
に暗喰きれているのは,相変らずこの方舟神話
そのものであり,操縦室は“ c
o
c
k
p
i
t
",巡航飛
ではないだろうか,船に乗り合わせているわれ
くえ」というような表現が用いられる際,そこ
行 は “c
r
u
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s
i
n
g
" で あ る ( か つ て “S
t
r
a
t
o
われは,
C
r
u
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s
e
r
" と命名された機種が現にあった。
“
c
r
u
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e
" の語源は「横切って渡る t
oc
r
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s
s,
t
ot
r
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r
s
eJ を 意 味 す る オ ラ ン 夕 、 語 の
“
k
r
u
i
z
-(
e
n
)"に由来するとのことである)。
さらに機体の真横方向は“ a
beam" であり,
のではないかという。
ノアのごとき神の愛でる義人ではない
3.天の鳥船神話
これは少し古い呼称であるが機体の左側は
象徴における能記と所記の聞の関係は,一般
“
p
o
r
t・ 右 側 は “ s
t
a
r
b
o
a
r
d
" と呼ばれていた
に考えられていえるほど恋意的なものではなし
多様な解釈を許すものでもない。テーュランは,
らしい。
ところが逆に,比喰・象徴を本領とする詩と
なると,船そのものが大空に飛期することにも
象徴はアレゴリーとは異なり,その表現には一
種必然'生があるとする
O
もし象徴における能記
なる。そうした詩句を入念に探せばいくつか見
所記関係に一定の恒常的関係がないならば,
つかるだろうが,一例をあげれば,稲垣足穂は
フロイトの言うように精神分析における夢の解
I
大商船
釈も治療効果を失うことになろう。もちろんそ
一種の飛行機の形而上学を論じつつ,
隊に満ちた空 t
h
e h
e
a
v
e
n
s f
i
l
l w
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h
の必然性・恒常性の根拠を問うとなると,様々
commerce,a
r
g
o
s
i
e
so
fmagics
a
i
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J とか,
「空の海軍 t
h
en
a
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i
o
n
s
'a
i
r
l
yn
a
v
i
e
s
J とい
の困難に出会うし,この小文の目的も超えてい
ったテニソンの詩句を好んで引用する。
徴と解しうるような事例を拾集するだけならば,
このように,飛行機の出現とともにわれわれ
の生活時空圏も変質をこうむってきたわけだが,
る。ただ,船を此岸
彼岸を往来する霊魂の象
周知のごとく広〈数多くの事例が調査報告きれ,
諸学の研究対象になっている。
それでいてく飛行機=船>という用語法のうち
古代エジプトの信仰,墓の副葬品,壁画に多
に,なお神話一宗教的コスモロジーの残響が鳴
く見られる(たとえばテーベのイリネーフェル
っているとすれば,現代の「宇宙船 s
p
a
c
e
s
h
i
p
J という語についても同じことがいえよう。
死者の舟>はその最も著名な例である
の墓の壁画),いわゆるく太陽の舟>ないし<
O
わが国
<完全な天上界>と<不完全な月下の世界>と
のものでは言うまでもなし例の福岡県珍敷塚
いう未だ宗教・倫理的観点を含んだアリストテ
古墳や,その近くの鳥船塚古墳の壁画がそれに
レスの二世界観は,近代に入り,たとえば、デカ
相当しよう。巨大な太陽を表す彩色きれた同心
ルトに端的にみられるように均質な一つの世界
円状の象形の下を,柚に烏を乗せたゴンドラ型
=宇宙 u
n
i
v
e
r
s
e に取って代られる。次いでニ
の舟がすべってゆく様をあらわした古代のこの
ュートンが天体の運行も地上の物体の運動も同
幻想的な壁画は,フロイトやエリアーデが説く
じーっの法則によって具体的に説明し去ること
ように,それがこの世界の中にある人間の存在
でこの新たな世界観は完成をみることになるの
論的必然であるがゆえに,つねにわれわれがど
だが,さらに近代科学の通俗化した実証主義思
こか半ば無意識のうちに保持しつづけているア
想、が,超経験的事象に対してたんに口を喋むの
ルカイックな形而上学を象ったものであろうか。
みならず,進んでそれを否定しようとする傾向
太陽と船と烏(=霊鳥, S
e
e
l
e
n
v
o
g
e
l,Toten
にある時,すでに折口信夫が嘆じたごとし
vogeJ)とは,時の移ろいと, またその中を旅
「われわれの祖々が持って居た二元様の世界観
ゆく人聞の生と死との,
しかし同時にそれを超
は,あまりに飽気なし吾々の代に霧散した」と
える再生と豊穣と永遠との普遍的シンボルだろ
いうことになろう。しかし今日,現代文明を批
うか。
3-
わが国でこのような船と鳥との結合を示す遺物
としてよく引き合いにだされるのは,鳥取県稲
吉遺跡出土の査の線刻 画である 。そこではドン
ソンのそれや,中国雲南省普寧出土の銅鼓図文
にみられるのと同じく,鳥装した乗り手が漕ぐ
ゴンドラ型の船が描かれている (さらに古代海
洋民の信仰とおもわれるこの太陽船や鳥船につ
いての研究は松前健氏などに詳しい。
) このよ
うに霊の運搬者たる船と並んで,記紀神話や万
葉詩歌にみられる魂のシンボルとしてのく鳥〉
という発想も広く世界各地に存在する 。 出棺に
際しての放鳥の習慣 (
放生会)や,朝鮮半島の
) についてもその発生をたどれ
鳥粁(写真 2.
r
図1
. (茂在寅男: 古代日本の航海術Jより転載
r
図2
. (松本信広: 日本の神話 j より転載)
茂在寅男氏は,最近,時代的にも地理的にも
遠く隔たったこの珍敷塚古墳の壁画と,古代エ
ジプト,テ ーべのセン ・ネ ジェム墳墓の壁画の
あいだの驚くべき類似性 (
図 1.参照) を取り
写真 2
. 朝鮮半島の島粁
あげて,古代人はわれわれが想像する以上に,
ばこうした解釈が可能かもしれない 。 きらにキ
海上を長駆移動していた可能性を考えてみるべ
e
e
l
e
n
v
o
g
e
l
リスト教絵画の有翼の天使もこの S
きではないかと提案している 。 また松本信広氏
ではないかとの説もある 。 さらに「新羅には夜
は,こうしたわが国の装飾古墳壁画,神話,神
半の太陽がかがやく 」 という世阿弥の一句に喚
事祭式などにみられる鳥と船との結びつきを,
起きれるような,彼岸を照す永遠の太陽という
インドシナのドンソン銅鼓上の鳥船画 (
図2
シンボリズムにしても 普遍的に あちこちに見ら
) と関連づけ, く鳥船>やそれにまつわる一連
れるものである 。 したが って時代,文化を異に
の文化の祖源地を中国南部沿岸地方,か つての
した各地域に類似の象徴化が発見されることか
越人の居住地ではないかと推定している 。 また
ら,上に紹介したように各文化の流れや民族 ・
4-
人々の移動往来を推定することもなされるわけ
ることは言うまでもない。記紀の<天鳥船神>
だが,逆に既述したごとし象徴に普遍必然性
の解釈にしても,仁鳥形をした船j とか, !烏の
を見る立場からすれば,<太陽
鳥一船>とい
ように速い船」といったたんに船の形状,性質
うシンボルの結びつきは,当然各地域,各時代
を表すものであるとする宣長,真淵説にはじま
に遍在するものとしなければならない。往々な
り,構造主義的記号論よりする北沢説,古代航
されるように,今それをわが国の神話から借用
法にあって太陽と鳥とが不可欠であった之とに
した名で<天の烏船>神話と呼ぶとして,その
この三者の結合の起源をみる茂在説にいたるま
例を呂に留まったものの中から二三紹介してみ
で,これまた数多く存在する。ただ筆者が上に
よう。たとえば中央アメリカ,
クナ・インデ、イ
いたのは,異文化の出合い
いくつかの事例をヲ i
アンの信仰では,死後魂は鳥となり,色とりど
といういわば偶然的な結びつきや,航法に不可
りの旗で飾られた葬掃に乗って天界に旅立つと
欠であるという実用的結びつきは,さらにその
いう。この葬船または舟型の棺は未だ東南アジ
上に象徴という人間存在にとってなんらかの必
アの風習に残っているらしい。谷川健一氏は,
然的な意味の衣裳をまとわなければ,かくも数
わが国でも屋久島ではつい最近まで,棺には
多く各地に遍在するという普遍性を獲得しえな
「先島丸」と命名した汽船の絵が描かれていた
いのではないかということを提議したかったか
とい奄美,沖縄の南島における民族学調査か
らに地ならない。
ら南島では葬制のうちに今も<天の烏船>神
最後にこの天の鳥船神話の近一現代版とも言
話が生きていると報告している。
文字通りこの天烏船神を現に祭神としている
いうる?列を掲げておこう。
神社をこの方商に昏い筆者は,茨城県の息栖神
社,その近くの神崎神社,烏之磐楠船神を祭っ
4
. PLEII
'
!
J SOLEIL
た兵庫県の船詰神社の三社ほどしか挙げること
ができないの息栖神社の場合は,武輩槌神を祭
アラン・ドロンが主演し,
r
太陽がいっぱ
る鹿島神宮の摂社という関係からこの神を祭神
い』という題でわが国でも何度か上映された
としていると思われるが,その縁起等について
1
9
6
0年 製 作 の フ ラ ン ス 映 画 が あ る 。 原 題 は
はいずれ調べてみたい。それは別として上の鹿
(PLEIN SOLEIU,原作パトリシア・ハイ
島神宮の御舟祭にもみられるように,わが国の
スミス (
P
a
t
r
i
c
i
aH
i
g
h
s
m
i
t
h
),監督ルネ・ク
伝統的神事,祭事には海や船にまつわるものが
レマン (
R
e
n
eCleman)。この原作の小説も原
数多くあることは周知の通りである。その中で
作者についても筆者はほとんど知識を持ちあわ
も有名な出雲美保関の美保神社での諸手船神事
せていないが(この小説は当時盛んだったいわ
では,二般の考Ij舟が用いられ,その軸先には剣
ゆる不条理小説の一種であるという解説をどこ
先の両側に烏姐をほどこした鉾が立てられると
かで読んだ記憶がある入クレマン監督の映画
L、
つ
。
の方の粗筋はこうである一一南欧でヨットと女
kの遺物,神
遊ぴにうつつを抜かすアメリカの富豪の息子を,
話一宗教民族学的諸事から拾いあげれば切り
本国に連れ戻すよう依頼された貧乏青年の主人
がない。その全てをここで紹介することは不可
公は,地中海のヨット上でその息子を刺殺し,
能であり,筆者の専門外でもあるので今後の調
死体を海中に遺棄した後,その死を自殺に見せ
査研究課題としておきたい。
かけ,その遺産を息子の婚約者に寄贈するとい
以下こうした類の例を,考古学
う遺書を偽造する。そしてゆくゆくは自分がそ
ところで,このように広汎な領域にわたって
の婚約者と結婚することで遺産を手に入れよう
見出される太陽と船,烏と船の結びつきの事実
と目論むのである。しかしその計画が成功する
は,各々の学問領域の異なった観点から多様に
かにみえた矢先,海に遺棄したはずの死体につ
解釈されうるし,また現に操々に解釈されてい
けたロープが実はヨットのスクリューに絡まっ
F
d
ておリ,売却に際して陸揚げきれるヨ ッ トとと
の船は殺された富豪の青年の死霊を象徴するも
もに死体が上が ってくる 。主人公の青年はそれ
のであるという 。後に VTR版で確認してみる
と知らず,陽光の埋めく海辺で悦楽の気分に浸
と,この船は帆も乾舷も真白い大型の三橋トッ
っている 一一 。
プスルスクーナーであった 。 またヨ ッ トそのも
しかしながら映画の画面からの印象は,こ の
のも殺人の瞬間,海は凪いで和やかであるにも
筋とは逆に,殺人 の陰惨 さも現代社会の不条理
かかわらず,狂暴な死の到来に打ち震える持主
もあまリ感じさせず,登場するフラ・ア ンジェ
の魂のごとく,俄然と して暴れ出す (
船霊信仰
リコ の宗教画や主題曲とも相ま って,む しろ地
かつ 。
) さらに最後のシー ンでは,汚れたシー
中海の明るい静誼きを漂わせている
O
ところでこの映画には,陽光溢れる地中海の
トに くるま った死体がヨ ッ トに引きづられて海
面に現われてくるにつれて,漁船であろうか小
風景とともに,富豪の 息子の愛艇であるヨ ソト
型のガフリグのカ ッターが,陽光に溢れる海上
を中心として,漁船,伝馬船等い くつかの船や
に動 くともな く,今度はかなり長時間写し出さ
魚市場の風景が登場し,見方によ って は海と船
れる,死後何日聞か経て鎮 った魂を象るごとし
とそして題名の示すごと く太陽がむしろこ の映
船体も帆も黒 く汚 れて,静かに小きく……
画の 主題を奏でていると考えられな くも ない 。
このようにみればクレマンは,船を死霊のイメ
今その中で注目したいのは,
ージを喚起させるものとして意識的に使用して
主が殺された直後,
ヨッ ト上で艇の持
カメラはそれと意識して見
なければ気づかない程の短時間,視線を転じて,
遠くこのヨ
y
トと伴走する白い帆船を写し出す
いることは明らかであろう 。
また題名の
{
PLEINS
O
L
E
I
L}も,明るい
地中海の自然の表現にとどまるまい。 それは栄
という点である 。 これは 筆者が過去何度かこの
華への確信にみち た主人公の至福の時をあらわ
映画を見た際には気づかず,映画解説者の淀川
すとともに,死の影も字んでいる 。 フランス語
長治氏の指摘によるのであるが,氏によればこ
の日常使用法として“ p
l
e
i
ns
o
l
e
i
l
" は聞きなれ
ない表現であるが,“ p
l
e
i
n
el
u
n
e
" が「満月」
を,“ p
l
e
i
n
emer" が「満潮 Jを意味するとす
れば,太陽が全き充溢をしめす時は正午であろ
う。実際これも V TR版で確かめたことだが,
殺人の行われる直前,やがて正午を指そうとし
ている華麗な懐中時計が大写しにされる (
ちな
みに,有翼の天使を描いたフラ・アンジェリコ
の絵画がこの映画では重要な小道具として用い
られていることも付言しておこう 。
)
ところでこの く正午>が,さらにユダヤ・キ
リスト教の伝統ではく日曜日>が, ハ レの祭時
として聖別きれた特異な時であることは言うま
でもない。 たとえばメーテルラ ンク ードビュ ッ
シーの近代劇『ぺレアスとメリザンド Jの中で,
メリザンドは次のような詩を唄う 。
・
-(
前半略)
S
a
i
n
tD
a
n
i
e
le
tS
a
i
n
tMichel
S
a
i
n
tM
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c
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e
le
tS
a
i
n
tRaphael
写真 3
. 田植祭の「サシパ J(三重県)にも
なぜか船の絵が描かれる
- 6-
J
es
u
i
sn
e
eundimanche!
Undimancheam
i
d
i!
意にそわぬ結婚をするメリザンドは,奥深い
の生死を乗せて満艦飾で祝祭空間を往来する聖
森の泉で拾われた素性のわからぬ女であるが一
別された特異な存在であるとおもわずにはいれ
一これは他郷から要るというかつての<
ない。
exogamy>箭 止 さ ら に は わ が 国 で も 「 鶴 女
房」民話にみられる<異類婚姻>を想わせる
-彼女自身は,先述の蕪村の句のごとく沖合を
満帆で遠ざかりゆく「異郷の船
n
a
v
i
r
e
e
t
r
a
n
g
e
r
j を見て,あの船が自分をここに連れ
てきたと言い,
引用・参考文献
(出版所,出版年は直接引用したもののみを掲げる)
r
皮彰訳: 象徴の想
1)ジルベール・テ、ュラン,字 j
像力 J
しかも有翼の聖天使に呼びかけ
2) ミルチャ・エリアーデ,前田耕作訳 『エリア
つつ,自分の誕生の時を日曜日の正午であると
ーデ著作集第 4巻・イメージとシンボルj,せり
唱うのである o そうだとすればここにおいても
か書房,昭和 4
9年
象徴としての<天の鳥船>神話は完壁ではなか
3
)M
a
u
r
i
c
eM
e
r
l
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ろうか。
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4)ジグムント・フロイト,懸、田克射訳: 精神分
最後に,
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神を殺し j
,宗教も『人間的な,あ
まりに人間的な』退落だとして退けるニーチェ
においても,同じようなシンボリズムが生々と
して積極的な役割を果たしている点に注意して
おこう。『ツァラトゥストラ J第四部,
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正午
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j と題きれた章から,適宜省略しつつ
引用してみる一一「わたしの奇妙な魂よ・・…こ
の正午の時刻に七日目の夕べがわたしの魂を訪
れたのか……このうえもなくしずかな港に入っ
た船に似て・・…・それはやすらっている。おお幸
福よ,幸福よ……歌うな,草むらの烏,おおわ
たしの魂よ・・…・おお永遠の泉よ,晴れやかなす
さまじい正午の深淵よ」一一。
静かな入り江に憩う船と,草むらの烏とに擬
せられた魂。そして永遠の至福の時であるとと
もに底しれぬ深淵でもある正午。<太陽>と,<
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全集 5ll 筑摩書房,昭和 4
0年
6) アリストテレス:r
詩学』
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) 折口信夫:I
枇が図へ・常世へ J 折口信夫全
集第二巻.1.中央公論社,昭和 3
0年
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2
) 松本信広:r
日本の神話j,至文堂,昭和 4
1年
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3
) 茂在寅男:r
古代日本の航海術 j,小学館,昭
和5
4年
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4
) 松 前 健 :r
日本神話と古代生活 j, r
日本の
神々 J
1
5
) スタニスラフ・グロ 7, クリスティナ・グロ
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, 山口哲雄訳: 魂の航海術J
鳥>と,<船>と。
もちろんキリスト教宗教の終末論的救済を排
するニーチェにあっては,これらの象徴もその
意味合いに転調を蒙るだろうが,
析学入門 J
5)関根正雄,木下liI頁治編: 聖書(世界古典文学
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永劫回帰の
ニヒリズム」も,同じくそこから宗教的救済思
想の発現する超人間的領域についての時間一存
在論だとすれば,これらのシンボリズムもつね
に変らぬ同ーの主題の変奏だと考えられなくも
ない。しかしこの問題に立入ることは,本小丈
の域を超えてしまう。
1
6
) 谷川健一 『南島論序説j,講談社,昭和 6
2年
1
7
) 岩田慶治: 人間・遊び・自然』
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8
) 上田正昭編:r
古事記
日本古代文化の探求J
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k,高橋英郎編
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, 白水社,昭和 4
6年
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手塚富雄訳 j ツァラトゥストラ(世界の名著 4
6・
ニーチェ)j,中央公論社,昭和 4
1年
2
1)その他・『古事記.1. r
日本書紀j, r
日本宗教辞
典(弘文堂)j,等。
ただ以上のように見てくれば,象徴としての
<船>は,他の乗物とは異なり,われわれ人間
(注)掲載の写真は国立民族学博物館で筆者の撮
影したものである。
一 7
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