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ページ1 - お母さん大学

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ページ1 - お母さん大学
< 1 > 2016 年(平成 28 年)9 月号
さん
さん
ちゃん
ちゃん
好奇心いっぱいの子どもたちと
﹁子ども時代﹂を楽しみ直しています
101が意味すること
25
ひとつ。
今日
22
あなたの望みを
。数えて、
次号で100号を迎える﹁お母さん業界新聞﹂
328号の新聞をつくってきたことになる。 年も経て
ば、少しは方向性が変わりそうなものだが、相変わらず、
お母さんはスゴイ!のワンパターン。企業的にいうと、
成長なし。変わったといえば、ますますその気持ちが強
くなっていること。理由は、子どもが育つ環境が大きく
変わってきているから。以前はお母さんに夢を聞くだけ
でよかったが、今は﹁平和﹂を問いかける時代である。
先日、むのたけじさんが101歳の生涯を終えたと報
じられていた。反戦と平和を訴え続けた気骨のジャーナ
リスト。朝日新聞を退職後、故郷・秋田で、社会問題を
テーマに、タブロイド判2ページの﹁たいまつ新聞﹂を
780号もつくり続けた方。私はまだ半分にも及ばない。
むのさんに追い付くにはあと 年。命が持つか⋮。
﹁百歳万歳﹂が
101で思い出すのは、手塚俊男さん。
テーマの取材で出会った時は、101歳。団地の5階に
一人で暮らし、地域の高齢者施設へ毎月慰問に出かけて
いた。立派なご家族がありながら一人で暮らす手塚さん
に、愚かな私は疑問を持った。だがすぐに偏見を恥じ、
本当の意味の自立や愛について学ばせていただいた。
﹁ずいぶん
ある日、名刺をつくってほしいと手塚さん。
昔だけど、ある企業の副社長の命を助けたので、そこへ
行って、この新聞を応援してほしいと頼んでみよう﹂と
言う。
﹁子どもは社会の宝。それを産み育てる母親を応援
するのは当たり前﹂そう言って、向かった企業からは、
残念ながらサポートは受けられなかった。
手塚さんも、戦前戦後を生きた人。親戚や仲間を失い、
苦しいことも乗り越え、歳を重ねられてきた。ご自身の
お母様や先立たれた奥様への思いも強く、愛情を持って
子どもを育てることの大切さをしきりに口にされていた。
﹁信念を持って続けていたら、
103歳で天寿を全う。
きっといいことがありますよ﹂が口癖だった。私の心の
中には、いつも笑顔の手塚さんがいる。
むのたけじさんの名言にこうあった。ーー平和を願う
なら、そのための記事を毎日書き続けることで、願いは
﹁主義︵イズム︶
﹂となり、﹁ジャーナル︵日記︶
﹂は、﹁ジャー
ナリズム﹂になる。
︵東京新聞8月 日付︶ーー
お母さん大学では﹁お母さん、ペンを持とう!﹂と言
い続け、それを実践したお母さんたちの母力が、確実に
上がっている。お母さんの日記︵記事︶は、他愛もない
日常だが、その積み重ねの中で社会が見えてくる。それ
がマザージャーナリズム。日本中のお母さんが、マザー
ジャーナリストになれば、わが子は笑顔で生きていける。
︵ワンノウワン︶といい、基
101は英語で one-oh-one
礎知識を意味している。101号からまた基本に戻ろう。
今のところ、
100号特別企画も、
記念パーティーもない。
ただ初心に還って、こつこつと新聞づくりに励むだけ。
読者の皆様に感謝を込めて⋮。
藤本裕子
30
今日 ひとつ。
喜んで叶えてあげられただろうか。
手を広げて求める﹁抱っこ﹂に
してほしい抱っこを
してほしい瞬間に
ふうわりとしてあげられただろうか。
甘える朝の﹁洋服 着せて﹂に
自分でできるでしょ?と
横着せず向き合って
丁寧に袖を通してあげられただろうか。
鍋から湯気立つ夕方の
忙しい手をとめて
﹁絵本 読んで﹂に
小さなお尻を膝に乗せ
ゆるりと絵本を
広げてあげられただろうか。
今日 ひとつ。
あなたの望みを
あなたが望むように
喜んで叶えてあげられたかしら。
寝息を立てて黙ってしまった
あなたの背中。
母に許された
いっときの静かなるこの時間に
そっと、問う。
込み上げる熱いものは
ひとすじの後悔だろうか。
明日こそは⋮の小さな約束だろうか。
そのすべてを瞼の裏に抱いて
母は 問う。
今日 ひとつ。
︵益子由実︶
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● お母さんに聞いた「子どもの頃の叱られた思い出 」
▼ 1948(昭和 23)年 9 月 16 日、配給制だったマッ
チの自由販売が認められたことを記念し、
「マッチの
日」と制定された▼時は変わり、今では出番が少な
くなったマッチ。先日蚊取り線香をつけようとした
ら、家じゅう探してもマッチがない。マッチは買う
ものではなくもらうもの。喫茶店のマッチ収集も、
今は昔▼小学校時代、感想文は「マッチ売りの少女」
、
ポスターは「火の用心」と相場は決まっていたし、
お店で料理を待つ時間は、マッチ棒クイズやマッチ
の手品に興じたもの▼専売公社を知らない人の多く
は禁煙派。IH はガスを超す勢い。公園では花火も焚
火も禁止。火を知らずに育った子どもは、ボッと点
火する感覚も、硫黄が燃える匂いも知らない▼昨年
の「イマドキ小学生の生活体験に関する調査」
(象印
マホービン)では「マッチで火をつけることができ
ない」が 82%。今年度からマッチ、缶切り、ダイヤ
ル電話がロストテクノロジー枠入りした▼明治時代、
火打石が消えてマッチが広がったように、今はマッ
チに代わりライターがある。変化を享受することも
必要か▼ 9 月は防災月間。
「マッチ 1 本火事の元」だ。
空メールを送って
カンタン登録
杉本 博文
朋枝
柚咲
一城
お世話好きのお姉ちゃんと、甘えん坊でお姉ちゃん大
好きな弟。ケンカもするけれど普段はとっても仲良し、
ハグやチュー、ギューッが大好きな 2 人です。
わが家は転勤族で、双方の実家は遠く、主人は仕事が
忙しく出張も多い生活です。子育てを一人で抱え、いっ
ぱいいっぱいの時期もありましたが、2 人が幼稚園に
入った今年はようやく一息。親の出番が多い幼稚園で、
主人も 忙しい合間をぬって「パパの会」に参加したり、
夫婦で園行事 を手伝ったりしています。
子どもの成長とともにもう一 度「子ども時代」を楽し
み直している感じの私。夏休みも、平日はお友だち親子
で家を行き来、私と子どもたちでコンサートやワー ク
ショップへ。お盆休みは主人の田舎に帰省し、瀬戸内海
で島キャンプ。子どもたちはいとこたちと飯盒炊飯に
素麺流し、魚釣りや素潜り、滝下りなどで自然を満喫。
夏休みを遊び尽くしています。
子どもを産み、生活すべてが母色に。息子とは飛行機
や汽車を見に行ったり、娘とは料理や手芸、かわいいも
のをつくったり探したり。男子と女子、異なる興味や楽
しみがあって、私もどんどん新しい世界を広げています。
好奇心いっぱいの子どもたちには、できるだけいろん
な出会いや体験をさせてあげたい。何でもいいから、何
か一つ好きなものを見つけてくれたらと願っています。
「親子の日」は、主人が海外出張に出る日と重なって
しまいました。スタジオ撮影が押して、わずか 2、3 分で
撮っていただいた写真ですが、家族の記念として、この
夏一番の思い出になりました。 (話 / 杉本朋枝さん)
Photo: 親子の日 2016(撮影 2016 年 7 月)© ブルース・オズボーン
お母さん大学は、老若男女響学です
Vol.99
www.okaasan.net/
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