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デザインの力で地域活性

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デザインの力で地域活性
2016
6
Journal of Industry-Academia-Government Collaboration
Vol.12 No.6 2016
特集
https://sangakukan.jp/journal/
デザインの力で地域活性
■
福井県のメガネ産地を支える金沢美大「メガネ部」
■
東北芸術工科大学生がトータルプロデュース 日本酒ブランド開発プロジェクト
■
安全安心と賑わいを再生した都市公園の空間デザイン ─福岡市警固公園 ─
バイオ・エコエンジニアリングを
活用したアジア地域の水環境修復
─ 国際連携による水環境保全の取り組み ─
シリーズ 知的財産を活用する
─ 大学発ベンチャーの知財管理に関する留意点 ─
巻 頭 言
科学技術における持続的なイノベーションの実現のために
〜 将来世代の育成に向けて〜
室伏きみ子… ……… 3
特 集
デザインの力で地域活性
福井県のメガネ産地を支える金沢美大「メガネ部」
浅野 隆… ……… 4
東北芸術工科大学生がトータルプロデュース
日本酒ブランド開発プロジェクト
ボブ田中… ……… 8
安全安心と賑わいを再生した都市公園の空間デザイン
─ 福岡市警固公園 ─
柴田 久… …… 12
ラマン分光法利用の廃プラスチック選別回収システム
河済博文 / 土田保雄… …… 16
光と音で鳥獣被害を防ぐ
CONTENTS
バイオ・エコエンジニアリングを活用したアジア地域の水環境修復
─ 国際連携による水環境保全の取り組み─
徐 開欽 / 稲森悠平… …… 23
研究者リレーエッセイ
新しい医療の開発、基礎研究から臨床応用そして実用化へ
シリーズ
知的財産を活用する
第 8 回 大学発ベンチャーの知財管理に関する留意点
視 点 新たな研究開発評価の「指針」に注目/
高知龍馬空港に季節の風を! 新たな産学連携プロジェクト
2
畠 隆… …… 20
Vol.12 No.6 2016
岡野栄之… …… 29
山本貴史… …… 31
… …… 35
巻
頭
言
■科学技術における
持続的なイノベーションの実現のために
〜 将来世代の育成に向けて〜
室伏 きみ子
むろふし きみこ
お茶の水女子大学長
私たちを取り巻く世界は、今、大きく変動し、世界規模で人々の価値観や生活基盤が揺らいでい
る。わが国も、少子高齢化や産業の空洞化、累積債務、地域の過疎化、エネルギー問題など、前例
のない数多くの課題に直面しており、今後それらの課題に自律的に対応していくことが求められて
いる。さらに、東日本大震災や最近の熊本地震をはじめとする自然災害の頻発は、国の将来を左右
するほどの困難を招いている。それら多くの困難を克服する上で、科学技術が果たす役割は極めて
大きいが、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、科学技術や科学者、技術者への国民の
信頼が失われ、いまだ回復されていない現状がある。
そのような状況下で、科学者、技術者が国民からの信頼を取り戻すために努力することが必須で
あるが、特に大学には、信頼できる科学技術に裏付けられた社会を構築するために、次世代を担う
若者たちが自ら豊かな未来を創成するための道筋を見いだし、課題を解決していく力を身に付ける
ための教育と研究が求められている。社会では今、即戦力になる人材を育成することを求める声が
高いが、大学の使命は、将来を見通して社会の変革に役立つ人材を育てることにある。
科学技術の領域でイノベーションを起こすことができる人材は、即戦力を育てる教育からは生ま
れない。地に足をつけて中長期的視点から課題解決に挑む人材こそが、わが国と世界が持続的発展
を遂げるために必要である。そして、科学技術革新の成果を新たな社会経済的価値として社会の中
に根付かせ、豊かな文化的社会を構築していくためには、大学や大学院における人材育成も重要で
はあるが、それにも増して、次世代・次々世代を担う児童・生徒・学生の教育が鍵を握っていると
言っても過言ではない。
しかし、わが国の現状を見ると、初等教育、中等教育、高等教育へと進むに従って、学修内容が
教科ごとに分断され、ある事象を教科横断的に学び考察する機会が減少して、児童、生徒の自然や
社会のさまざまな事象や課題への興味・関心が失われ、物事を統合的に考える力を低下させる結果
を招いている。中長期的な視点から未開拓な分野での課題解決に取り組む若者を育て、国レベルで
持続可能な科学技術イノベーション創出能力を育成するためには、初等教育、中等教育、高等教育
までを包含し、さらには社会人教育にまで踏み込んだ一貫した教育政策と科学技術政策との協働が
不可欠である。わが国が人類の持続的発展に寄与する国となるためにも、強力な産学官の連携の
下、教育振興と科学技術振興の一体的な推進を目指すことが必要ではないだろうか。
Vol.12 No.6 2016
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特集
デザインの力で地域活性
福井県のメガネ産地を支える
金沢美大「メガネ部」
国産眼鏡フレームの 9 割以上のシェアを持つ、眼鏡産地の福井県鯖江市。伝統の
技を受け継いだ職人の手によって、日本の優れたモノづくりの技術が 100 年以
上息づいている。産地企業と金沢美術工芸大学との共同開発は、福井県に隣接す
る石川県の同大学学生のメガネ部員 1 人から始まった。福井県眼鏡協会主催の眼
鏡デザインコンペへの学生らの応募作品は、斬新で夢があり、眼鏡の聖地をうな
らせた。
■ 1 人の学生が始めたクラブ活動が共同研究へ成長
金沢美術工芸大学(以下「本学」)では、これまで多くの産学連携プロジェク
トを手掛けている。その中の一つ、一般社団法人福井県眼鏡協会と長期にわたっ
て連携を続けている「デザイン産学連携」は、学生主体の「メガネ部」というク
ラブ活動から始まった。これは、他にはない最大の特徴である。
「メガネ部」は、本学製品デザイン専攻の学生が中心となって、2001 年に発
足した。当初、1 人の学生が自主制作で眼鏡フレームのデザインの研究を始めた
のがきっかけで、少しずつメンバーが増えていった。自分たちでデザインした作
品を、福井県内で開催されている眼鏡デザインコンペなどに応募することが主な
活動だった。
コンペで、毎回多数の本学学生が入賞していることに興味を持った主催者側の
福井県眼鏡協会が、本学との共同研究を検討したことがきっかけで、受賞作品が
商品化されるようになり、2003 年から同協会とのコラボレーションがスタート
した。
写真 1 学内アイデア検討会
4
Vol.12 No.6 2016
浅野 隆
あさの たかし
金 沢美術工芸大学 デザ
イン科製品デザイン専攻
教授
特集
1.2015 年度の取り組みの概要
・テーマ:スポーツ、レジャー、作業、医療、新技術の
五つのテーマにより、新しいコンセプトの眼鏡フレー
ムデザイン研究
・期間:2015 年 6 月〜 2016 年 3 月
・委託者:一般社団法人福井県眼鏡協会
・研究体制:単年度プロジェクト型
・参加学生:金沢美術工芸大学「メガネ部」部長、副部長、
部員 40 人(製品デザイン専攻学生)
・顧問(指導教員)
:金沢美術工芸大学 浅野 隆(製品
写真 2 生産現場を見学する学生たち
デザイン専攻)
2.デザインプロセス
①オリエンテーション(テーマの説明)
②市場調査(上級生からの概要説明含む)
③学内アイデア検討会(写真 1)
④工場などの見学(参加部員 22 人)
(写真 2、3)
⑤プロデザイナーとアイデア講評選考会
⑥ブラッシュアップ、簡易モデルの制作と検討
⑦最終プレゼンテーション資料の作成
⑧「めがねフェス」
(福井県鯖江市)でプレゼンテーション
写真 3 メーカーのデザイン室見学
(写真 4)
⑨ i OF T( 国 際 メ ガ ネ 展・ 東 京 ビ ッ グ サ イ ト ) 出 展
(写真 5)、代表学生 4 人で視察
⑩金沢美術工芸大学の学園祭「美大祭」での展示(自作
オリジナル眼鏡作品含む)
(写真 6)
⑪報告書の作成
■連携が長く続く理由 ─ 産地企業、学生、大学
それぞれのメリット
1.産地企業のメリット
写真 4 「めがねフェス」
(福井県鯖江市)での
公開プレゼンテーション
①学生による、斬新で夢のあるアイデアを得ることがで
きる。
②革新的なアイデアが出にくい、若いデザイナーを多く
採用できないなど、マンネリ化や技術的な制約のある
中小企業でも、多数の若い学生によるアイデアを短期
間に入手可能となる。
③次の時代を担う若者(消費者としても)の最新の本音
を聞くことができる。
④複数年続けても毎年担当する学生が変わるので、アイ
デアが新鮮で飽きない。
写真 5 iOFT2011 での展示
Vol.12 No.6 2016
5
写真 6 「美大祭」での「メガメ部」自作オリジナル眼鏡の展示
⑤公的機関に投資することで、社会活動としての評価につながる。
⑥中長期的な効果として、眼鏡産地・福井県の若者へのアピールとブランド化。
⑦デザイナー雇用のチャンスが生まれる。
2.学生の教育的メリット
①眼鏡メーカーの生産現場を見ることで、
「鯖江の技術は世界に誇れる=日本
を代表する技術」であると知ることができる。
②先 端の材料加工や製作方法、光学医療機器としての機能的な考え方など、
ファッション以外の技術的な裏付けやコンセプトについて、専門的な知識を
得ることができる。
③眼鏡フレームデザイン業界第一線のプロデザイナーとの懇談で、客観的、社
会的評価を受けることができ、自分の実力を確認できる。
④アイデアが選考されれば、東京での iOFT に出展、視察できる。
⑤デザインが商品化される可能性もある。商品化された場合、報酬を得られる
(2012 年までに 8 本が商品化された)
。
⑥部員数は 42 人(2015 年度、製品デザイン専攻 1 〜 4 年で総学生数 80 人)
で、
クラブとして活動することで、CG(コンピューターグラフィックス)技術
やデザイン手法など、蓄積された技術を上級生から学べる。
⑦本学の学園祭「美大祭」で部活展示を行い、広く一般に公開。
⑧眼鏡デザインの専門ソフトや切削マシンなど、自分の作品としてオリジナル
眼鏡を制作できる設備が整っている。
3.大学のメリット
①社会貢献、地場産業地域活性化としての実績となる。
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Vol.12 No.6 2016
特集
②委託金で大学の設備・備品などが購入できる。
③社会と直結したリアリティーあるテーマによるデザイン演習で、教育効果が
上がる。
④知的財産を保有することにより、大学の魅力と評価が上がる。
⑤インターンシップなどの人材交流だけでなく、就職にもつながる(2003 年
以降、「メガネ部」から 4 人の学生が産地企業にデザイナーとして就職)
。
■デザインだけでなく機能性でも連携を
眼鏡デザインに求められているのは、未来を拓く若い人の感性(ファッション
的スタイリング感覚)を取り入れることだけではなく、視力矯正用光学機器とし
て見た場合、その軽さやかけ心地、強度、耐久性など、素材開発や技術開発を必
要とする条件が多い。長時間かけていても疲れず、かけていることを忘れるよう
な気持ちにさせてこそ、眼鏡はストレスフリーとなる。
そのためには、個々の顔の骨格に合った眼鏡、ユーザーが求めるオリジナルデ
ザインの眼鏡が理想ではないだろうか。3D プリンターの技術が広がるこれから
の社会において可能なのではないかと期待している。
そしてもう一つは、眼鏡をかける要領で頭部に装着して使用するウエアラブル
デバイスのスマートグラスである。眼鏡のレンズを通して必要な情報が得られる
技術の製品化は、スマートフォンやスマートウオッチの普及と同様、今後、大き
く期待できるのではないかと考えている。これらのデザインにおいては、工学系
や情報系の大学と連携を進めていくことが重要である。目の動きや脳の信号を眼
鏡が読み取り、レンズを通してタイムリーに最適な情報、状況を提供できるシス
テムやサービスを考え、それらが社会に実装されるよう、産地企業と大学の連携
によって研究を続けるべく模索中である。
■金沢美大ブランドを目指し、連携をさらに長期継続
商品化実績を増やし、本学のデザインブランドを作ることができるくらいのア
イテムを開発することで、大学としての知財を活用し、産地のビジネスに貢献可
能だと考えている。
「メガネ部」のクラブ活動から派生した産学連携は、学生主
体の特色ある形態により長年続いている連携事業で、情報の引き継ぎによるノウ
ハウの蓄積があり、年々深まっている。また、着実に実績を重ね、成果として少
なからず眼鏡産地の活性化に貢献している。よりいっそう努力を重ね、レベル
アップを図り、今後も連携を継続していくことこそが重要である。
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特集
デザインの力で地域活性
東北芸術工科大学生がトータルプロデュース
日本酒ブランド開発プロジェクト
地元企業から多くの相談が舞い込む東北芸術工科大学の産学連携は、学生の自主
的参加によって、単にデザインだけを提案するのではなく、企画段階から販売プ
ランまでのアイデアを出し合う。そして生まれた新酒「天弓(てんきゅう)」は、
供給が間に合わなくなるほどの人気商品になった。
■年間 40 件以上の地域企業からの相談
筆者が教鞭(きょうべん)を執る東北芸術工科大学デザイン工学部企画構想学
科は、
「企画」という研究テーマを実践の場を通して学ぶという、他にあまり例
を見ないユニークな学科である。マーケティング、発想法、デザイン思考、プレ
ゼンテーションといった企画を生み、伝えるための基礎を低学年で学びつつ、ほ
ぼ同時期に企業からの実課題に取り組み、学んだことがどのように役立つかを社
会との関わりの中で学ばせている。2014 年度に当学科が取り組んだ産学連携プ
ロジェクトは 40 件を超えた。企業が集中する東京ではなく、東北、さらにいう
と山形という地に大学があることが地域とのつながりを強くしており、その結
果、地域の多くの企業から相談が舞い込むという環境が自然と作られているよ
うだ。
山形県南陽市(なんようし)にある東の麓(あずまのふもと)酒造有限会社(以
下「東の麓酒造」
)から「数種類の新しい日本酒を仕込みたいので、その統一ブ
ランドをつくってほしい」という依頼があったのは、2015 年夏のことだった。
写真 1 東の麓酒造との最初の開発商品「つや姫なんどでも」
8
Vol.12 No.6 2016
ボブ 田中
ぼぶ たなか
東北芸術工科大学 デザ
イン工学部 企画構想学科
副学科長、教授
特集
東の麓酒造と連携して日本酒の商品開発をするのは 2 回目である。最初の商品
は、山形のブランド米であるつや姫を原料とした「つや姫なんどでも」という純
米吟醸酒であり、発売の翌年に「山形エクセレントデザイン 2013」において大
賞を受賞したヒット商品でもある(写真 1)。
■学生をどう巻き込むかが鍵
産学連携のプロジェクトを進める際に、どのように学生を巻き込んでいくかは
難しいポイントでもある。演習の授業などで取り組めば多くの学生に機会を与え
ることができるが、その代わり履修している全学生を深く関与させることが困難
になる。少人数で取り組むには、研究室の学生たちと進めることが理想である
が、多くの場合、既に携わっているプロジェクトがあり、複数のプロジェクトを
同時進行させることでそれぞれの案件の関わりが浅くなることは避けたい。
「つ
や姫なんどでも」の商品開発に当たっては、有志の学生を募りプロジェクトを推
進したが、今回も有志を募る形で学生たちに声を掛けたところ、10 人前後が手
を挙げたため、そのままプロジェクトメンバーとしてスタートすることとした。
この場合、課外活動になるため、単位の出る活動ではないのだが、積極的に参加
する学生が居ることには毎回感心する。多くの学生が学びを実践する場と社会と
のつながりを求めており、やりたいことであれば単位うんぬんは大きな問題では
ないのだ。また、ラベルデザインは企画構想学科の学生ではできないため、グラ
フィックデザイン学科の中山ダイスケ教授と有志の学生たちと共同で作業を進め
ることとした。
■学生たちから本質的アイデアが生まれるのを待つ
早速、東の麓酒造の新藤栄一部長に来校していただき、オリエンテーションを
受けると、なんと年内に新酒を 1 本発売し、続いて春までに 3 本の日本酒を発
売する予定だという(写真 2)。課外授業とはいえ、一緒に活動ができるのはせ
いぜい週に 1 回であり、一般の企業のように短期間で商品開発をすることはで
きない。そのため、どのようにプロジェクト全体をマ
ネジメントしていくのかが、指導教員としては最も重
要な仕事となる。しかし今回の場合は、自らの意志で
集まった有志たちがメンバーであることが強みとなっ
た。つまりネーミング案についてそれぞれが 10 案考
えて持ち寄るなど、強制力なしに宿題を課すことがで
きるのだ。その結果、週 1 回の夜の集まりは、結果
を発表し集約する場となり、効率的に結論を導き出す
ことが可能となった。
最も時間をかけたのは、4 本の新酒を大きくくくる
ブランド名と、そのベースとなるコンセプトをどうす
るかであった。「つや姫なんどでも」の場合は、一つ
写真 2 商品開発のオリエンテーション
Vol.12 No.6 2016
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の銘柄に付けるネーミングであり、酒質をベースに考えていくことができたが、
4 本の異なる日本酒をくくるブランド名となるとそうはいかない。そこで、新酒
に共通する要素は何なのか、東の麓酒造ならではの酒造りとは何か、南陽市の自
然や歴史が酒造りに及ぼしている影響はどんなことかなど、さまざまな視点で新
商品に持たせるべきコンセプトを探っていった。しかし、この作業は難航し、一
向にメッセージ性のあるストーリーが浮かび上がってこない。高級酒といわれる
純米大吟醸から、普段飲みの純米酒までさまざまな酒質があり、飲み口も辛口か
ら甘口まで幅広いため共通項がないのだ。その結果、2 カ月という期間、調べて
はやり直すという作業を繰り返すこととなり、学生たちの集中力も切れかかり、
プロジェクトの存続すら難しい状況となりつつあった。
■強いストーリーを持つ新酒「天弓」の誕生
そんなある日、男子学生の 1 人が「天弓(てんきゅう)
」というネーミングを
打ち合わせに持ってきた。
「天弓」とは、天に弓のようにかかる「虹」のことを
指すのだという。南陽市のある置賜(おきたま)地方は自然豊かで、雨が降った
後の晴れた空に見られる「虹」がとても美しいことから、
「天弓」という名前に
注目したのだ。響きが良いことから、そのネーミングでどんなストーリーができ
るのかを考えていたときに、晴天からの連想で「ハレとケ」という言葉に思い当
たった。よく知られているように、天気の「晴れ」は「ハレ」として節目を指す
言葉としても用いられ、儀礼などの「特別な日」を指す。これに対し「ケ」は「普
段の日」を表すとされている。
「ハレ」の日にも「ケ」の日にも楽しんでもらえ
るというコンセプトは、さまざまな酒質を持つ四つの新酒だからこそ使えるブラ
ンド名ではないかという逆転の発想で、次第に議論は沸騰していった。さらに、
「天弓」の「てんきゅう」という読み方が、
「Thank you」のネイティブスピーカー
の発音に近いということで、感謝の気持ちを届けてくれる日本酒としても意味付
けができるとの意見が出てきた。
写真 3 日本酒「天弓」シリーズ
( 左から「藍天」
「桜雨」
「白雨」
「喜雨」)
10
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特集
写真 4 「天弓」完成記者発表
4 種の日本酒には、「天弓」の下にそれぞれサブネームを持たせた。
“シリーズ
の最高級酒としてやや甘口の酒質”の純米大吟醸酒は「藍天(らんてん)
」
。
“き
れいで甘くて飲みやすい酒質”の純米吟醸酒は「桜雨(さくらあめ)
」
。
“フルー
ティーな香りがなく、辛口のスッキリした後味”の純米酒は「白雨(はくう)
」
。
“ワインでいうところのフルボディー”の純米酒は「喜雨(きう)
」といった具合
である。「ハレ」の特別な日に飲むお酒には「天」のつくサブネームを、
「ケ」の
普段飲みのお酒には「雨」のつくサブネームを与えている。
このコンセプトをグラフィックデザイン学科の中山教授とその学生たちと共有
しながら、ラベルのデザインを同時進行で進めてもらった。虹をモチーフとしな
がら、
「ハレ」と「ケ」の日々を色合いで表すデザインは、日本酒らしくも新し
さを感じる華やかなものとなった(写真 3)
。多くの方に、日々の生活に感謝し
ながら日本酒を飲んでいただき、さらに日頃の感謝の気持ちを込めて日本酒を贈
るという、新しい日本酒の楽しみ方を提案する、日本酒の完成である。学生たち
の企画進行により大学で開催した記者発表の模様は、地域のテレビや新聞で大き
く取り上げられ、結果、発売後の「天弓」は供給が間に合わないほどの好調なス
タートを切っている(写真 4)。
■結果の見えるプロジェクトを選び、忍耐強く導くこと
コンセプト、ネーミング、ストーリー、ラベルデザインなど、すべては学生た
ちの発想から生まれており、過去にない新しい感性の日本酒が誕生した。産学連
携プロジェクトは、アイデアやプロセスに関わるだけではなく、実際に社会に形
として出すことが重要だと思っている。最後まで関わることで初めて自分の学び
がどう生かされるのかを知り、さらにその過程で本物の責任感と達成感を得るこ
とができるからである。そのために教員は、率先して進め方を教えるのではな
く、一歩下がって学生たちの議論を見つめ、必要な時に導いていくという姿勢を
貫くべきである。
Vol.12 No.6 2016
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特集
デザインの力で地域活性
安全安心と賑わいを再生した
都市公園の空間デザイン
― 福岡市警固公園 ―
1951 年の開園から、天神地区の憩いの空間として地域住民や天神を訪れる人に
親しまれてきた警固公園。しかし、施設の老朽化と、暗がりや人目からの死角が
多いことから、憩いの場が次第に犯罪や迷惑行為の場へと変貌していった。問題
を解決したのは公園内を行き交う人たちの「見る・見られる」という関係の促進だ。
地域を調査してきた地元大学だからこそできる空間デザインは、防犯と景観の両
立を果たした。
■危険な公園を安全な公園にリニューアル
かつての警固(けご)公園(福岡市中央区)は、高い築山や老朽化したトイレ
などによる多くの死角が存在し、若い女性を狙った性犯罪やハント族と呼ばれる
集団がたむろするなど、夜間にはほとんど人通りの見られない危険な公園であっ
た。また深夜のスケートボードによる騒音や落書きといった迷惑行為の被害も後
を絶たない状況であった(写真 1)。これを受け、福岡市は同公園の再整備事業
を実施し、2012 年 12 月にリニューアルオープンさせた。
向こう正面は若い女性を狙った性犯罪などが発生し立入禁止となっていた築山。また舗装された中央部のベ
ンチに対しては周辺住民から深夜のスケートボードによる騒音など、迷惑行為と騒音被害が訴えられていた。
写真 1 旧警固公園の中央エリア
■アドバイザー参加を契機に
本事業では、その前段階として 2010 年 7 月に「警固公園対策会議」
(写真 2)
が発足し、福岡県警察、福岡市役所、地区住民、周辺企業などが参加、公園の
治安対策に関わる現状や再整備の方針について定期的な協議・報告がなされた
(2014 年 1 月までに計 13 回開催)。筆者は自研究室の学生らと共に、同公園の
利用者動線、滞留行動調査を実施しており、かねてより福岡県警察との協働によ
る防犯まちづくりの活動実績もあったことから、警固公園対策会議にアドバイ
ザーとして参加していた。その後、公園整備におけるコンセプト提案、基本設計
12
Vol.12 No.6 2016
柴田 久
しばた ひさし
福岡大学 工学部 社会デ
ザイン工学科 教授
特集
を担うこととなり、実施設計業務を受注した株式会社アーバンデザインコンサル
タント(福岡市博多区)の加入とともに、実施設計の監修、現場監理(デザイン
監修)の任に就いた。
現在、警固公園対策会議は中央区役所内の「警固公園利用推進会議」として引
き継がれ、地元住民と行政、周辺企業が連携しつつ、公園の有効利用などに関す
る協議・活動を続けている。
園内の治安状況とその対策、警固公園再整備事業の方針などについて協議・合意形成が行われた。整備後の
会議では供用開始後の状況や周辺への影響についても報告がなされた。
写真 2 警固公園対策会議
■死角をなくし、見る・見られる景観デザインを提案
本事業ではデザインコンセプトを「防犯と景観の両立」とし、単に公園の防犯
対策事業という位置付けでなく、都市景観の一部として同公園の存在感を高める
事業方針を目指した。特に見通し改善によって見えてくる周囲の景観を公園の魅
力として重視し、逆に周囲からは園内の様子や来園者の活動、休憩する姿を十分
かつ魅力的に眺められるデザインを提案した。そうした園内外の視線交錯ととも
に改修後の公園の魅力が周囲に波及することで、来園者の増加と人目が増えるこ
とによる防犯効果の向上を図ったのである(写真 3)
。
より広くなった中央広場では市民や企業によるイベントが多数行われ、再配置した改修以前からの自然石ベ
ンチならびに新設したみはらしの丘などが、利用者の増加につながった。
写真 3 公園南側からみた新公園
Vol.12 No.6 2016
13
具体的には、犯罪の温床となっていた築山を撤去し、新たに中央園路を設け
て、利用者の往来と見通しの向上を図った。同時に公園内の植栽配置を調整し、
隣接するソラリアプラザ(福岡市天神のファッションビル)2 階カフェ、西鉄福
岡駅ホームなどから公園内が見通せるようにした。また中央広場を設置し、市民
の活動場所として利用しやすい空間を目指した。さらに公園西側には小高い「み
はらしの丘」を新設、演出照明の入った石のベンチを配すことで、中央広場や園
内全体の光景が楽しめる休憩スペースを創出した。これら新設したベンチは円弧
状かつ芝生内に入れ込むことで騒音被害と
なっていたスケートボードでのジャンプなど
の迷惑行為を抑制させた。
一方、公園南側では老朽化とともに死角を
形成していた公衆トイレを人目につきやすい
公園東部に移設し、同時に南側通路自体の線
形を直線化して見通しの改善を図った。また
公園に対する市民の愛着に配慮し、再整備前
に多くの利用があった自然石ベンチのエリア
は、公園内全体の段差をなくすバリアフリー
整備を施した上で、以前の形に再配置した。
警固公園では、上記の丘や自然石ベンチエリ
アに加え、公園出入り口から続く段差のない
緩傾斜など、地面のデザインによる微地形の
創出によって、中央広場に対する中心性と舞
台性、公園内における「見る・見られる」の
関係を促進させている。
旧公園では半円状の自然石ベンチや中央部に多くの動線や利用が見られる一方、死角の多い
公園北西部の築山周辺や公園南側通路の人通りはほとんど見られない。
図 1 旧警固公園の動線・利用実態調査の結果
■治安改善、売り上げ向上で、
グッドデザイン賞など多数受賞
利用実態調査の結果から、再整備後の公園
では歩行者動線が園内全体に広がり、公園で
は人通りの見られなかった南側通路などに
も多くの動線が確認されている(図 1、2)。
さらに供用開始から 1 年後、中央警察署が
同公園の治安状況について調べた結果、少年
補導件数の減少や体感治安の向上に加え、悪
質だったハント族もいなくなるなど、公園再
整備による治安改善効果が報告されている。
また、隣接するソラリアプラザが公園側の外
壁を改修、リニューアルオープンさせた。
プラザの広報室によれば「刷新した警固公
園の美しい眺望を最大限に生かすため、南側
14
Vol.12 No.6 2016
旧警固公園の結果と比べ、再整備後は園内全体に動線の広がりが見られた。さらに新設した
中央園路や人通りの少なかった公園南側通路にも多くの動線が確認された。
図 2 再整備後の警固公園の動線・利用実態調査の結果
特集
外壁をガラスにする」と伝えており、公園側の店舗は「警固公園が一望できるカ
フェ」として売り上げを向上させている(3 階の珈琲店ではビル内の移転前と比
べて売り上げが約 1.5 倍)
。
同プラザ館長からは「改修を機にこれまで背を向けてきた公園側に玄関口を置
きたい」とのコメントも得た。また再整備後、隣接する警固神社の参拝客も増加
しており、公園の再整備が治安改善とともに周辺への波及効果をもたらしている
ことが確認された。
これらの成果が評価され、警固公園は 2014 年度グッドデザイン賞、2014 年
度土木学会デザイン賞最優秀賞、第 26 回福岡市都市景観大賞、2015 年ランド
スケープコンサルタンツ協会賞最優秀賞を受賞している。
■地方都市活性化に向けた公共施設デザインに求められる
三つのポイント
筆者はさまざまな地方のまちづくりの現場で、地方都市活性化に向けた公共施
設デザインに求められる三つのポイントとして「N(日常性)
、H(波及性)
、K
(継続性)」をあげ、その重要性を説くようにしている。公園などの公共施設は休
日のイベント開催に使われることも多く、例えば駐車場の台数や施設規模をめぐ
り、そうした非日常的な観光客の利用想定が設計条件に強く影響することもしば
しばある。しかし、いかに普段から使われる場所となり得るかの「日常性」が、
にぎわいを支え続ける根本的な視点であることを再認識しておく必要がある。
また整備された公共施設だけで人の動きや経済活動が完結しないよう、施設を
拠点としながらも、周辺に回遊が促されるかを十分検討しておかなければならな
い。今回の警固公園の事例では公園の整備をきっかけに、隣接する商業ビルの改
装と売り上げの向上が導き出され、新たな人の動きが生まれるなど、周辺への波
及効果が確認されている。
さらにどのような空間でも生かすべき場所や構造があり、警固公園でも以前に
多くの利用者が座っていたエリアを生かしながら、公園の再整備案をデザインし
た。つまり全てを改変してしまうのではなく、そうした利用者の愛着が十分認め
られる場所の意識的(意味的)な「継続性」に配慮することは極めて重要であ
る。今後、
「地方創生」などをめぐっては、大きな補助金や予算がつくことも予
想され、お金のあることで無理に立派な施設を作ることにならないよう、身の丈
にあった施設の運用にかかる「継続性」についても重々考えていかなければなら
ない。
今後もこうした「N・H・K」を念頭に置きつつ、地方都市における公共施設
のデザインやまちづくりの実践に微力ながら尽力していきたい。
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ラマン分光法利用の
廃プラスチック選別回収システム
ラマン分光法は、プラスチックを高速かつ精密に分析できる。株式会社サイムは、
これを利用した光学的識別方法を組み込んだ大量処理システムを完成させ、廃家
電シュレッダーダストからプラスチックを水平リサイクルできるようにした。
■シュレッダーダストからプラスチックを取り出す
廃棄されたテレビや冷蔵庫などは、家電リサイクル法に基づき、メーカーが
大規模な工場で金属やプラスチックを取り出してリサイクルされている。しか
し、最終段階で発生するシュレッダーダストにもまだ多くのプラスチックが含ま
河済 博文
かわずみ ひろふみ
近畿大学 産業理工学部 教授
れ、そのリサイクル技術が求められていた。パソコンなどの電子機器のリサイク
ルを行っている株式会社サイム(福岡県嘉穂郡)は、廃家電リサイクルから発生
するプラスチックの処分の必要に迫られていた。プラスチックは原料のほとんど
が石油であり、リサイクルによる二酸化炭素排出削減の効果は非常に大きい。し
かし、廃プラスチックは種類も多く、分別回収しなければ商品価値はほとんど
ない。
サイムがある福岡県飯塚市は、旧産炭地ということで、さまざまな産業振興策
土田 保雄
が実施されていた。その一つである産学官連携推進において、土田保雄代表取
締役が、2003 年に近畿大学産業理工学部のリエゾンセンター(福岡県飯塚市)
に、プラスチックの識別について相談したのが共同研究のきっかけである。筆者
は、分子構造の精密測定といった分光学を専門としており、研究内容がすぐに事
つちだ やすお
株式会社サイム 代表取
締役
業化に結び付くようなものはなかった。一方で、分子構造に関する詳しい情報を
得るために、オリジナルの測定装置を自分で作ることもあり、地元企業と連携し
て実用的な研究に挑戦するのは魅力的に思えた。当初は光熱変換を利用して高密
度ポリエチレンと低密度ポリエチレンの選別方法について研究開発を行っていた
が* 1、2006 年ごろから、法改正などにより廃家電シュレッダーダストプラス
チック回収の必要性が高まり、それをターゲットにした研究開発を進めた。
研究室レベルで行われるプラスチック識別には赤外吸収法をはじめいろいろな
方法が考えられるが、大量処理が必要なリサイクル現場ではほとんど適用でき
ず、もっぱら比重で選別されていた。一方で、回収するプラスチックの純度を高
め、これまでのパレットや擬木(プラウッド)といった低品質の用途となる「カ
スケードリサイクル」でなく、品質の劣化を伴わず、最初と同じ家電製品の部材
に利用する「水平リサイクル」への用途拡大も求められていた。当時、そのよう
な高速かつ精密な識別には、ドイツメーカーが供給する近赤外吸収法による装置
が、容器リサイクルでのプラスチック回収に使われていたが、家電での水平リサ
イクルにはまだ精度が不十分であった。
16
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* 1
特 許 2004-101197「 プ ラ
スチックの識別方法および
識別装置」
■リサイクルにラマン分光法が使える?!
われわれは、ちょうどそのころ光通信技術の進歩と共に高性能化と低価格化が
進んでいた半導体レーザーや光学フィルターを活用した新しいラマン分光装置* 2
を開発すれば、この用途に使えるのではないかと考えた。ラマン分光装置は特定
の研究に特化した高価で特殊な装置というイメージもあると思うが、多くの特長
がプラスチックリサイクルにも適している。
ラマン分光装置の特徴
* 2
物質に単色光のレーザーを
照射すると、非弾性散乱(ラ
マン散乱)が起き、波長の
ズレた光が生じる。それを
測定し、物質の種類や状態
を調べる装置。
①非接触で赤外吸収法と同じように、分子構造についての情報が得られる
(精密なプラスチック識別ができる)
②強いレーザー光を照射すれば大きな信号が得られる(高速に測定できる)
③水分の影響を受けにくい
④半導体レーザー等を使って、コンパクトで低価格な装置に仕上げることが
できる
幸いにも、2008 年度から経済産業省の「地域新規産業創造技術開発費補助金」
をはじめ多くの補助金を頂いて、研究開発、さらには事業化を本格化させること
ができた。
ラマン散乱とは、分子に光を照射すると、分子振動のエネルギー分だけ波長シ
フトした散乱光が生じる現象で、波長シフトしないレイリー散乱に比べ非常に弱
いが、分子振動の情報を含んでいるため、分子の識別を可能にする(図 1)
。同
種の分子が高密度に集まったプラスチックでは、ラマン散乱強度が予想以上に大
きく、これなら高速かつ精密な識別に使えると考えた。そこで、研究用ではな
く、プラスチック選別回収の実業に使えるラマン分光測定装置を、プラスチック
識別という単機能に絞り、一から設計し試作した。
図 1 ラマン散乱のイメージ
分解能とのバランスを考慮した明るい光学系、後段の高速データ処理などに工
夫した。家電リサイクルで選別が必要な 3 種類の樹脂、PP(ポリプロピレン)
、
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17
PS(ポリスチレン)、ABS(アクリロニトリル・ブタジエン・スチレン樹脂)の
1cm 程度のプラスチック片を毎分 100m で移動するベルトコンベヤー上に置き、
3 ミリ秒(プラスチック片の移動距離にして 5mm)の測定時間で得たラマンス
ペクトルを図 2 に示す。それぞれのプラスチックに特徴的なピークが現れてお
り、これらピークの有無でプラスチックを識別する。比重では選別できず、近赤
外吸収法ではスペクトルが似て識別が難しい PS と ABS が、右端にあるピーク
(2400cm-1 付近)の有無により確実に判定できる。また、比重選別のみでは精
度が悪く、どうしても異種のプラスチックの混入があるが、ラマン分光法により
選別することで、より高い純度を得ることができる。
光強度/任意単位
24 × 103
測定時間:3 ミリ秒
移動速度:毎分 100m
23
22
ABS 樹脂(ABS)
21
ポリスチレン(PS)
20
ポリプロピレン(PP)
0
100
1000
200
300
ラマンシフト値/ピクセル
1500
ラマンシフト/ cm −1
400
500
2000
図 2 高速で移動する廃プラスチック片からのラマンスペクトル
■「水平リサイクル」を目指して
このラマン分光識別装置を複数台組み込み、大量処理できるようにしたシス
テムの概略を図 3 に示す。現在、識別装置を 50 台組み込み、約 1cm 角のプラ
スチック片をベルトコンベヤー上で漏れなく識別し、ベルトコンベヤーの最後
で、識別信号と同期したエアガンで必要な破片のみを吹き落として選別回収して
いる。最大毎時 400kg を処理できるシステムが、既に 4 年間安定に稼働してい
る。回収された PP の純度は 99%以上で、通常のリサイクル品よりも高い価格
で取引され、コンパウンド業者により一部は家電品のプラスチック部品の原料と
なり、水平リサイクルを達成している。
もちろん、大量処理の現場ではラマン分光識別機だけで魔法のように純度の高
いプラスチックが取り出せるものではない。そのような設定をしても効率が非常
に悪くなるだけである。図 3 には簡略化のため全く示していないが、シュレッ
ダーダストから異物を風力選別で取り除いたり、比重選別で必要なプラスチック
の含量を上げたり、いわゆる前処理は必須であり、研究開発の過程では多くのノ
ウハウが得られた* 3。
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* 3
平成 21 年度経済産業省委託
事業「プラスチック高度素
材別分別技術開発」報告書
シュレッダーされた
プラスチック片
ラマン分光
プラスチック識別機
前処理
振動フィーダー
エアガン
ベルトコンベヤー
図 3 廃プラスチック選別回収システム
■ラマン分光プラスチック識別の展開
プラスチックリサイクルの大きな課題の一つが、臭素系難燃剤を含んだプラス
チックの除去である。最近、工業製品でよく見る RoHS * 4(電気電子機器に含
まれる特定有害物質の使用制限)では規制物質の一つに臭素系難燃剤があり、古
い製品から発生する廃プラスチックには規制対象の臭素系難燃剤が含まれること
* 4
Restriction of Hazandous
Substances
がある。ラマン分光法では、この臭素系難燃剤の含有をピークとして捉えること
ができ、検出技術の一つとして国際連合工業開発機関(UNIDO)のレポートで
も取り上げられた* 5。大量処理には、まだラマン分光識別機の性能向上が必要
だが、われわれが開発したポータブル機はオフラインでの検査に使われている。
プラスチックリサイクルの大きな課題の一つが、黒色プラスチックをそのプラ
スチック成分を識別して選別回収する適当な方法がないということである。例え
ば、使用済み自動車の処理で発生する自動車シュレッダーダスト(Automobile
Shredder Residue、ASR)に含まれるプラスチックはほとんどが黒色で、
「白
* 5
https://www.unido.org/
fileadmin/user_media/
Services/Environmental_
Management/Stockholm
_Convention/Guidance_
Docs/UNEP-POPS-GUIDNIP-2012-BATBEPPBDEs.
En.pdf(accessed 201604-28)
物家電」という言葉がある家電とは対照的である。そのため ASR 中のプラスチッ
クは、現在、ほとんどが「サーマルリサイクル(熱回収)
」としてセメント工場
などで焼却されている。ラマン散乱では、かなり信号が弱くなるものの、黒色プ
ラスチックを識別するためのピークが観測され、現在、黒色プラスチック用の識
別機を開発中である。
われわれがプラスチック大量リサイクルのために開発したのは、高速性を極限
まで高めた小型ラマン分光測定装置であるといえるが、ラマン分光法は赤外吸収
分光法に比べ、スペクトル分解能が高く、違いがわずかな分子の精密な識別がハ
ンディーな装置で可能という特長もある。医薬品製造業界では、原材料の確認試
験や製造プロセスのモニタリングへの利用が始まっている。われわれは、特殊プ
ラスチック識別に特化した、つまり汎用(はんよう)のポリエチレンとは違った
単価の高いプラスチックの識別ができる装置を開発した。このような装置は、使
用済み製品のリサイクルだけでなく、今後は製造プロセスのさまざまな問題を解
決できる高性能モニター装置として使われるのではと期待している。
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光と音で鳥獣被害を防ぐ
■急がれる鳥獣被害防除手段
野生鳥獣による農作物の被害額は、農林水産省の資料によれば、2008 年を境
に急速に増加し、この数年は 200 億円前後で推移している(図 1)
。中でもシカ
による被害が最大で、年間 70 億円前後、次いでイノシシ被害が 60 億円程度と、
二つの要因で被害額の 7 割近くを占めている。北海道においても、エゾシカ(ニ
ホンジカの亜種)による農林業被害が深刻化している。さらに、シカが関係する
交通事故(2014 年 1,940 件)や列車の運行支障(2014 年 2,493 件)が頻繁に
発生している(件数はいずれも北海道環境生活部環境局エゾシカ対策課発表資料
北海道大学 産学・地域協
働推進機構 産学推進本部
地域協働部門 特任准教授
による)。こうした鳥獣被害の要因は、
①都市開発などから動物とヒトの生活空間が近接していること
②温暖化などの影響により動物の死亡率が低下していること
③狩猟を担う猟師が減少・高齢化していること
などが考えられる。被害地域が広がる中で、国も 2011 年度以降、従来予算を大
幅に増やし、個体数管理、生息環境管理、被害防除対策などの各種対策を講じて
いる。一方、現場の農家においても鳥獣忌避(きひ)剤やサイレンなどの各種対
策をとっているものの、時間の経過とともに効果が薄れてしまい十分とは言い難
いようだ。唯一、効果が認められるのが柵の設置だが、費用がかさみ設置場所に
限界がある。そのため、国・自治体などの行政や大学、地域が連携した広域での
個体数管理などの対策が必要になっている。同時に、現場の関係者にとっては
日々の生活で直面する深刻な問題であり、有効な被害防除手段の開発が喫緊の課
題である。
図 1 野生鳥獣による農作物被害金額の推移
20
畠 隆
はた たかし
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■ひらめいたアイデアから装置開発に動く
このようなシカ被害を目の当たりにして鳥獣忌避装置の開発にチャレンジした
のが、北海道空知郡奈井江(ないえ)町の株式会社太田精器(代表取締役太田裕
治氏、写真 1)である。同社は、研磨加工・再研磨、機械加工を本業とし、ナノ
レベルの磨きに秀逸な技術を持つ、地域ものづくり企業である。太田社長はシカ
被害防除の有効な対策がないことから、地域企業とし
て何か貢献できるものを作りたいと考えていた。ある
とき、人気のアニメ番組が発する光の点滅で痙攣(け
いれん)などを誘発していた問題から「人間が嫌がる
光の点滅は動物にも有効だろう」というアイデアを思
い付いた。元来、チャレンジ精神旺盛な太田社長は、
早速、試作機の製作に取り掛かった。
写真 1 太田裕治代表取締役
■思いは人を招く〜文学部とシカつながり
同社は、自社の金型の研磨水準を客観的に評価するため北海道大学の共用機
器(オープンファシリティ)を活用して、加工精度の高さを実証している。その
ような縁から、産学連携本部(現 産学・地域協働推進機構)が 2010 年 7 月に
同社を訪問したおり、新しい装置の効果検証のため“シカ”の生態に詳しい研究
者を探していると相談された。生物系の学内研究者を探したが、適任者にたど
り着かないまま時間が経過した。あるとき、シカの生態を研究している研究者
が文学部にいることが分かり、アプローチしたのが立澤史郎助教(写真 2)だっ
た。立澤助教は、地域社会と自然環境の共生に関する研究者で、数少ないニホン
ジカの研究者でもある。ヤクシカ(ニホンジカの亜種)の農林業被害に苦しむ鹿
児島県の屋久島において住民参加型の実態調査を行い
ながら、調査を通じて関係者同士で対話を進める手法
AAR(Active Action Research)を開発した。海外
では、シカやトナカイなどの生息地域におけるヒト
(地域社会)との共生関係の調査を専門に行っている。
このように、シカの生態のみならず、地域社会と自然
とがどう折り合いをつけていくのかという視点から鳥
獣被害の対策を研究している。
写真 2 立澤史郎助教
早速、太田社長と立澤助教が意見交換し、
「学習能力が高く、単純な音や光だ
けではすぐ効果がなくなること」や「物を凝視する習性がある」などのアドバイ
スを受けた。同社はすぐさま本格的な試作機製作に取り掛かり、複数色の LED
の不規則なパターンの点滅と、スピーカーから発せられるシカが嫌がるオオカミ
の声や銃声の音の組み合わせがランダムに動作する装置を開発した。
翌 2011 年には展示会などに出展し、立澤助教も製品説明に一役買って出て、
マスコミにも取り上げられるほどの反響もあった。しかし、それまでの製品が、
鳥獣の慣れによって効果が薄れる傾向にあり、その先入観からこの装置もなかな
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21
か浸透しなかった。太田社長は需要家(自治
体担当者や農家)との会話から裏付けデータ
となる実証試験が必要と考え、協力農家を探
しては装置を自前で設置し、効果の検証を
行った。一方、立澤助教は、嫌悪条件付け理
論と凝視する習性から、LED の明滅光をシ
カが嫌悪するという仮説を立て、屋久島や大
学の研究農場での実証実験に動いたが、いず
れも試験のタイミングが折り合わなかった。
そのような中で、太田社長が手を尽くして実
証の場を探したところ、東京農業大学オホー
ツクキャンパスにエゾシカが飼育されている
ことを知った。すぐに同大学を訪問し、生物
図 2 鳥獣回避装置「モンスタービーム」を使った仕組み
産業学部生物生産学科の相馬幸作教授の協力
を得て、効果の実証試験を行い、ビデオに収めるなど検証に役立てた。
■ IoT の活用による新たな展開
2015 年、幸運なことに新たな連携先と出合った。IT(情報技術)サービス企
業の株式会社北海道日立システムズ(北海道札幌市)である。同社では、地域の
課題解決に役立つ新たなサービスとして「野生動物による農作物被害の軽減」を
テーマに掲げていた。その検討段階で、縁あって前出の相馬教授を訪問し、太田
精器の鳥獣忌避装置の存在を知った。直後に太田精器にコンタクトし、異業種同
士が互いの強みを生かした協業に進展した。現在は、その装置をベースに、セン
サーとカメラを連動させ、センサーが感知するとパソコンやスマートフォンに通
知したり、遠隔地から画像確認もできたりと、IoT(モノのインターネット)活
用によって機能性を高めたシステムへと進化している。また、日立グループの企
業が、顧客に農家を数多く抱えているという強みを持つことから、担当者の営業
品目として、鳥獣忌避装置
「モンスタービーム」
を使った鳥獣害対策ソリューショ
ンサービスを始めた(図 2)。
現在、ニホンジカに加え、クマ、イノシシ、タヌキ、ハクビシンなどの野生動
物にも効果があることが確認され、北海道にとどまらず、全国を視野に事業拡大
を目指している。センサー機能の多様化や監視範囲の面的な広がりが検討課題と
して残されているものの、今後、地域の鳥獣被害防除の有力な手段として期待さ
れている。
本事例における産学連携のポイントは、
①明確な市場が見えていたこと
②必要なシーズ・技術を持った産学の関係者が出会えたこと
③「地域の困りごとに役立ちたい」という共通の思いがあったこと
などが考えられる。そして、何より、製品開発の中心人物である太田社長のチャ
レンジ魂とフットワークの良さが製品化への機動力となっている。
22
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バイオ・エコエンジニアリングを活用した
アジア地域の水環境修復
─ 国際連携による水環境保全の取り組み ─
夏の湖や沼などの水面で、青緑色の粉をまいたような風景を目にすることがある。
これは汚染が進行して富栄養化が進み、アオコなどの微細藻類が大発生している
状態だ。アジアの発展途上国、特に都市周辺部では主に生活排水による汚染で、
植物性プランクトンなどの植物体をつくるのに不可欠な窒素などが硝酸塩などと
して溶存し、栄養塩類として閉鎖性水域の富栄養化を促進させ、アオコおよび赤
潮などを発生させてきた。これに、水質の浄化に役立つ微生物の能力を最大限に
引き出す技術「バイオ・エコエンジニアリング」で立ち向かおうとしている。
徐 開欽
じょ かいきん
■アジア地域の現状と水環境修復に対する国際連携方策の基本認識
アジア地域には発展途上国が多数存在する。寒帯地域、温帯地域、熱帯地域の
国立研究開発法人国立環
境研究所 資源循環・廃棄
物研究センター 主席研
究員
いずれでも、都市周辺の河川、湖沼などが、未処理の生活排水、産業排水などに
より著しく汚染され、富栄養化現象の発生や有毒アオコの検出(図 1)などの被
害が出現し、水改善手法の導入を必須としている。一例として、富栄養化の進
む、中国雲南省昆明市の滇(でん)池におけるアオコ頻発状況を図 2 に示す。
水環境改善のためには、人口増加に伴う生活排水の汚濁負荷の削減、産業化の
進展に伴う産業排水の処理対策の強化を図ることが必要である。発展途上国で
は、水環境関連の法令の不備、実施の手続きに係る細則の欠如、関連省庁間の調
整不足、情報の伝達・入手・共有の困難と不十分、人材や予算の不足などの課題
を持っている。いずれの国においても、汚濁負荷として大きな割合を占めるの
は、わが国と同様に生活排水である。
稲森 悠平
いなもり ゆうへい
公益財団法人国際科学振
興財団 バイオエコ技術開
発研究所 所長兼主席研
究員
図 1 アジア地域で富栄養化現象の発生や有毒アオコの
検出により環境再生が必要とされている湖沼
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23
水の使用形態、使用量、汚濁負荷原単
位、電力事情、水域の環境容量、環境保全
に対する国民の意識の程度など、要因は異
なるが、国情に適した水環境修復技術を整
えるべきはどの国でも共通している。
このような国々と水環境修復のための国
際連携を推進する上では以下の点に留意す
べきである。
①水環境情報のデータベース化:環境の
現況、規制動向などの情報をデータ
ベース化し、相互に情報交換するシス
テムの構築を図る。
図 2 中国雲南省昆明市滇池で発生したアオコ
②国情に合う水環境修復技術の開発:相
手国の国情に適した国際共同研究・技術開発を選定する。また、維持管理の
容易化・発生汚泥などの有機堆肥化・資源化を含めた環境修復の総合システ
ム化・汎用(はんよう)化が重要である。
③水環境修復技術専門家の養成:海外での研修、現場における指導などができ
る専門家養成の組織づくりの強化と専門家の幅広いネットワークを作り、シ
ステム化する必要がある。
④産 学官一体の体制:国公立試験研究機関、行政機関、国際協力機関である
JICA(独立行政法人国際協力機構)
、大学、業界が一体的に連携、協力して、
産学官の共通課題として水環境の修復技術開発とシステム化の有機的連携推
進が必須である。
⑤資金面での援助:資金援助なくしては水環境修復関連技術の直接移転は容易
ではないため、ODA(政府開発援助)および OECF(海外経済協力基金)
などの適正な活用が必要である。同時に、わが国から適正な水環境修復技術
を技術移転するとともに、技術移転の始めから終わりまで、発展途上国の担
当者が直接参画し密接に連携可能な体制のシステム整備が不可欠である。
⑥分散小規模の水質汚濁対策に対応できる国際協力:水環境修復に対して早期
に整備の必要とされる宅地開発整備地域などの汚水処理については、小中大
規模浄化槽システムの技術移転を効果的に位置付ける必要がある。
⑦発展途上国の人材育成システムの構成:発展途上国の担当者の努力が技術移
転の成否を左右する重要な要因となることから、環境行政技術のあり方を学
んだ人材を発展途上国の水環境修復のリーダーとして育てる体制づくりが必
要である。国情に合う専門家の育成などの人的面での援助が最も基本的で
ある。
⑧発展途上国の国情に合う水環境修復技術の技術移転:水環境修復技術を技術
移転する場合には、わが国の二の舞いを発展途上国に味わわせることのない
ようにする必要がある。
窒素などの栄養塩類を除去できない水処理施設を整備した結果、湖沼・内湾な
どの閉鎖性水域の富栄養化を加速させているため、地域特性に応じて窒素などの
24
Vol.12 No.6 2016
栄養塩類を除去するシステムの技術移転が不可欠である。このような点を踏まえ
て、これまで、JICA による中国の太湖水環境修復モデルプロジェクト、TEMM
(日中韓三カ国環境大臣会合)淡水汚染防止プロジェクトなどが実施され成功を
収めてきている。これらの国際連携プロジェクトの Key 技術がバイオ・エコエ
ンジニアリングである。
水環境修復のこれからの国際連携での方策は、有機物・窒素・リンなどの汚濁
物質を含有する汚水などを、有機物酸化細菌・硝化細菌・脱窒細菌・リン蓄積細
菌などの微生物量および活性を最大限に発揮するように、生物のすみかとしての
環境条件を最適に保持する反応槽、いわゆるバイオリアクターを活用した生物処
理工学としてのバイオエンジニアリングと、自然生態系の土壌・水生植物などの
機能を、工学の技法を導入して機能を最大限発揮させるエコエンジニアリングを
組み合わせたバイオ・エコエンジニアリングを、流域に効果的に整備することで
ある。このようなことから国立環境研究所ではバイオ・エコエンジニアリング研
究施設(図 3)において、開発途上国に適応可能な水改善技術の研究開発・評価
が実施され、国際的ネットワークの拠点となって推進されている。
図 3 アジア地域の水環境改善技術開発・評価と国際的ネットワークづくりを
目指した国立環境研究所のバイオ・エコエンジニアリング研究施設
■バイオエンジニアリング浄化槽システムによる水環境修復整備
生活排水対策は水環境の再生・保全のために極めて重要である。下水道整備は
管路の整備なども含め巨額な費用を要するが、浄化槽は分散型でその場で処理
し、浄化された処理水を還元できることから、流域の水涵養(かんよう)に効果
を発揮する。
浄化槽は、国の定めた基準に基づくが、高度・効率的な浄化槽については、性
能評価が必須である。性能評価は、
(1)恒温短期評価試験、
(2)現場評価試験
からなる。
Vol.12 No.6 2016
25
国土交通省の外郭団体、一般財団法人日本建築センターは(1)の恒温短期評
価試験を実施している。本試験は、実生活排水を用い、標準の流入条件として
の生物化学的酸素要求量(BOD)200mg/L、総窒素(TN)45 mg/L、総リン
(TP)5 mg/L の標準濃度に調整し、試験温度を 13℃または 20℃に制御した恒
温室で評価を行う。短期間で評価が可能であり、世界をリードする新規性、独創
性、有用性ある評価方法である。恒温短期評価試験施設は、中国に普及すべき浄
化槽を、透明性、信頼性ある評価を経て展開するという日中双方の同意に基づ
き、JICA によって中国環境科学研究院* 1 に整備された。
一方、
(2)の現場評価試験は春、夏、秋、冬を通し 1 年をかけて標準流入条件
に設定して行うもので、一般財団法人茨城県薬剤師会検査センターなどで評価が
なされてきた。なお、現場評価試験は、熱帯地域の東南アジアでは四季変動がな
いことから、標準の流入負荷条件のもと、6 カ月間程度の水質と汚泥特性を解析
し目標性能を満足することを条件に、性能評価を達成したとすればよいといえる。
日本建築センター浄化槽技術委員会(委員長 稲森悠平)では、窒素・リン除
去の高度化、汚泥減量化と汚泥処理、既存浄化槽の性能フォローアップ、浄化槽
の国際化などに関する技術的課題について検討を進めてきている。特に小規模の
浄化槽は維持管理契約が個別家庭などの施主の意向によりなされていて、その割
合が極めて低いため、下水道と同様に公共管理にシフトすることが重要な課題で
ある。
このような維持管理の高度化、効率化、省力化を目的とした IT(情報技術)
の導入、窒素・リン除去の省エネ、省コスト、省メンテナンス技術の課題解決は、
わが国独自の浄化槽技術を国際展開していく上でも極めて重要である。
窒素・リン除去型浄化槽(BOD10mg/L 以下、TN10mg/L 以下、TP1mg/L
以下)の普及促進が必須な理由は、通常の BOD 除去型の合併処理浄化槽の処理
水では COD(化学的酸素要求量)が 20mg/L 程度なので、残存する処理水中の
窒素、リンを吸収して藻類が 1L(リットル)当たり 500mg 程度増殖する。藻類
1mg は COD0.5mg に相当するため、藻類 500mg は COD250mg/L に相当し、
処理水の COD に比べて水域汚濁負荷ポテンシャルが、実に十数倍増加する。そ
のため高度処理浄化槽を環境再生の Key 技術として推進することが重要となる。
■地球温暖化対策と連動した水環境修復対策の推進
地球温暖化対策としてグローバルな温室効果ガス排出(GHG)削減が求めら
れている。2015 年 12 月の国連気候変動枠組条約第 21 回締約国会議(COP21)
パリ協定での、先進国と発展途上国が削減義務を負うという画期的な合意事項か
ら判断すると、今後、発展途上国での温室効果ガス排出削減が必須となる。
国際的な地球温暖化対策の基本と言える 1997 年の COP3 で採択された京都
議定書におけるクリーン開発メカニズム(Clean Development Mechanism:
CDM)は一定の成功を収めてきたが、新しい国際的な温室効果ガス排出削減の
メカニズムの必要性が認識されてきた。それゆえ、これらの点を踏まえて日本
が提唱してきた二国間クレジット・メカニズム(Joint Crediting Mechanism:
26
Vol.12 No.6 2016
* 1
日本の環境省に相当する中
国環境保護部の直轄機関。
JCM)が日本の省エネルギー製品・技術を発展途上国に輸出し、発展途上国で
の温室効果ガス排出削減を目指すものとして発展途上国側にも参加インセンティ
ブが大きいと注目されてきている。
日本政府が提唱している JCM の本格的な運用に向けて、経済効果・雇用効果
および削減効果の分析がなされている。発展途上国における有機性排水の生物処
理分野においては、微生物の増殖と、分解に必要不可欠な溶存酸素を供給する曝
気(ばっき)エネルギー削減対策が解決すべき課題となっている。
COP21 の国際合意を踏まえて、環境省アジア水環境改善モデル事業にお
いて、排水処理の有用微生物に必要酸素量のみ供給する省エネ新技法である
AOSD(Automatic Oxygen Supply Devices:酸素供給自動制御)システム
を検証中で、JCM のわが国の地球温暖化対策の切り札としてビジネスモデルに
位置付けていくことが期待されている。
■水環境修復と温暖化対策両立型 AOSD システム導入:
環境省モデル事業の汎用化
高度処理と電力削減を両立させる AOSD システムは、省エネ高度処理技法を
導入した革新的な間欠曝気法である。本方式は、日本政府の成長戦略の一つであ
る国際展開の一環として、環境省が行う、日本企業のアジア水ビジネス市場進出
を支援する、環境省アジア水環境改善モデル事業「ベトナムにおける排水処理の
高度化・省コスト対応制御システムの普及事業」において、公益財団法人国際科
学振興財団を中核機関として、有限会社 ALS、株式会社日水コンおよびベトナ
ム側の政府機関、Sakura Eco Tech 株式会社、NG Engineering 株式会社など
との連携で実施されている。
その背景は、水質汚濁が深刻化しているアジア地域に共通する、生活系・産業
系排水といった有機性排水処理において、日本企業がもつ水環境改善技術であ
る、水質汚濁・富栄養化を促進する栄養塩類などの除去機能高度化と省コスト化
を同時に実現可能な生物反応制御システムが、現地のビジネスとして具現化する
とともに、ベトナム経済のさらなる発展と環境再生保全を推進することにある。
日本の中核技術としての AOSD システムを導入した水質改善技法と適切な運転
管理により、環境保全の実現に向けた高度化・省コスト対応制御システムの普及
方策を確立し、水環境修復システムを汎用化する方策が加速していると同時に、
技術的課題や制度的課題、実現性向上のための行政の支援施策など、アジア周辺
地域およびベトナム国内の市場規模などをまとめ、ビジネス拡大のインパクト検
証がなされている。
なお、これまでの排水処理施設などにおける、水温特性・流入負荷特性・生物
特性などから判断して、寒帯地域、温帯地域はもとより平均水温 30℃程度の熱
帯地域の有機物除去、窒素除去、懸濁(けんだく)物質除去においても高い処理
能力を担保可能なことに加えて、電力削減効果も極めて高いことが実証され、ア
ジア地域を発信源とする水環境修復技法の国際化が期待されている。
なお、バイオ・エコエンジニアリングを中核とした水環境修復戦略は図 4 に
示す通りである。
Vol.12 No.6 2016
27
【参考文献】
** 1
徐開欽、稲森悠平.バイオ
エコ技術を活用した流域水
環境再生の国際展開―中国
における事例研究を中心
に ―. 第 11 回 日 本 水 環 境
学 会 シ ン ポ ジ ウ ム 講 演 集.
2008,p. 7-8.
** 2
図 4 バイオ・エコエンジニアリングを中核とした水環境修復戦略
■アジア地域における国際連携による水環境修復戦略の課題と展望
アジア地域の水環境は経済と人口の急成長に伴い、該当地域では、特に貧困者
への不十分な水の供給、飲料水源の汚染、また、都市地域および郊外地域では、
生活系、工業系、農業系から排出される未処理排水による深刻な水質汚濁、水系
生態系の劣化など負の環境影響をもたらしている。健全な水環境と水資源を確保
する戦略の構築のため、国際連携による水環境修復技術の開発・普及が緊急課題
である。今後は、水環境汚濁の現状を改善修復するための流域管理として、土地
利用の制限、面源負荷対策、特に市街地排水・農業排水についての負荷削減方策、
生活排水および工場・事業場排水の窒素・リン除去の実施、およびエコトーン(水
辺帯)の修復を考慮した対策はますます重要になるといえる。また、閉鎖性水域
の湖沼における内部生産や有機物、栄養塩類と生物群との相互作用を含めた汚濁
メカニズムを解明することも重要である。このため、汚濁物質の収支解析などに
用いるデータを充実することが必要であり、有機汚濁指標や窒素、リンなどの栄
養塩類指標などのモニタリング体制の拡充を図り、この基本情報を基に水環境の
汚濁メカニズムを踏まえた新たな水環境修復技法展開の実証研究開発評価と効果
的整備を推進することは極めて重要である。また、湖沼だけではなく流入水域の
状況、生物の生息状況を含め、地域住民の協力や参加を得て環境監視、環境把握
などの体系を拡充していく必要がある。
モニタリング結果については、地域住民に対し、平易な解析結果を付すなど実
態に関する情報発信を行い、水環境保全に対する理解を得て、産学官民一体と
なって流域水環境の保全再生を図っていくことが必要不可欠である。水環境とし
て守るべき重要な水資源である湖沼などを健全な状態に修復・保全して、アジア
地域など、各国の子々孫々に継承することがわれわれの使命である。
28
Vol.12 No.6 2016
徐開欽.中国における水環
境の現状と深刻さ増す湖沼
のアオコ問題.科学.2008,
vol. 78,no. 7,p. 756-759.
** 3
徐開欽、稲森隆平、陶村貴、
稲森悠平.活性汚泥生物の
必要酸素量自動制御 AOSD
システムを用いた高度処理
技 術 の 開 発. 用 水 と 廃 水.
2015,vol. 57,no. 4,
p. 297-304.
** 4
徐開欽、稲森悠平.省エネル
ギー・低炭素型の排水処理
技術の高度化.用水と廃水.
2015,vol. 57,no. 11,
p. 805-813.
** 5
稲森悠平、徐開欽、井上廣
輝、稲森隆平、須藤隆一.生
活排水対策の要としての浄
化槽の性能評価における日
本型システム国際標準化の
必然性、用水と廃水.2012,
vol. 54,no. 11,p. 816828.
** 6
稲森隆平、佐藤優輝、陶村
貴、張健、稲森悠平.有機性
の食品工場排水等の高度処
理による環境保全再生方策.
月 刊 食 品 工 場 長.2015,
vol. 221,p. 15-21.
** 7
稲森悠平.中国における環
境保全再生の現状と浄化槽
整備事業見直しの必要性に
関する政策的提言.用水と
廃水.2015,vol. 57,no.
12,p. 862-873.
研究者リレーエッセイ
新しい医療の開発、
基礎研究から臨床応用そして実用化へ
■ 米国での治療法開発 ■
米国では、大学や研究所での何らかの発明や特許、基礎研究などの成果を基に、
ベンチャー企業が中心となって臨床研究を目指した非臨床研究を行い、米国食品
医薬品局(Food and Drug Administration:FDA)に、治験薬(Investigational
New Drug:IND)の申請を行います。FDA は、動物実験を含む非臨床研究の
成果を科学的に精査し、合否の判定を行います。これに合格すると、企業は臨床
試験(この場合は治験)を開始することが可能になりますが、企業はこの段階で、
実際の臨床を行う臨床医や医療機関を探すことになります。幾つかのベンチャー
企業が、同一あるいは似た疾患を対象とした、異なる治療法の開発をしている場
合、パートナーとしての臨床医や医療機関の争奪戦が起きます。
岡野 栄之
おかの ひでゆき
慶應義塾大学 医学部 医学部長・教授
臨 床 研 究 は、 便 宜 的 に I、II、III、IV 相(Phase I、Phase II、Phase III、
Phase IV)と4段階に分けられ、通常、Phase I あるいは Phase I-IIa といっ
た形で開始され、ベンチャー企業は、開発費用を賄うために金策に奔走します。
Phase III となれば、大規模なものになりますので、かなりの資金が必要となり、
ここで資金不足になり臨床試験が中断されてしまうことも多々あります。
Phase III で安全性と有効性が確認されると、晴れて販売承認が下りますが、
その後は競合他社や、全く違うコンセプトの治療法との競争が待っています。そ
れぞれのステージで待ち受ける困難は「死の谷」
「魔の川」
「ダーウィンの海」と
呼ばれています。米国では、幾つかの企業が臓器再生を目指した治験を行ってい
ますが、現時点では販売承認には至っていません。
■ 日本での治療法開発(従来型)■
一方、わが国の新しい治療法開発の多くは、医師や医学研究機関が行ってきま
した。大学によっては、基礎研究室と共同研究した場合もあれば、臨床研究室単
独で動物実験を行い、新しい治療法の安全性や有効性が示された後、大学などの
所属の研究機関の倫理委員会の承認を経た後に、臨床研究(自主臨床試験)を行
う場合もあります。
自主臨床試験で良い成果が得られた場合、論文発表だけで終わることも多いの
ですが、次の展開として、企業との連携による薬機法(医薬品、医療機器等の品
質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)に基づいた治験が行われ、承認を
目指すケースも増えてきています。なお、2003 年より、わが国でも、企業等と
同様に医師自ら治験を企画・立案し、治験計画届を提出して治験を実施できるよ
うになっています。いったん承認された後にも、いわゆる「ダーウィンの海」に
さらされることは、米国と同様です。
■ 新しい潮流 ■
以上をまとめますと、
「First-in-Human」* 1 のプロセスでは、米国ですとベン
* 1
Phase Ⅰ において、医薬品
を人間に初めて投与するこ
とを指す。
Vol.12 No.6 2016
29
チャー企業が主導となった治験である一方、わが国では医師が中心となった臨床
研究(自主臨床試験)が中心であることが多い傾向がありました。自主臨床試験
は、わが国に特有のシステムであり、ここで得られた知見は、学会や専門雑誌へ
の発表を通じて医学の進歩に貢献できますが、販売承認が得られるわけではない
ので、全国津々浦々まで治療法が広まることにはつながりにくいというのが現実
です。この点を鑑みて、2003 年より医師主導治験という制度が始まりました。
一方、医師主導治験では、医師自らが、治験実施計画書などの作成をはじめ、
治験計画届の提出、治験の実施、モニタリングや監査の管理、試験結果を取りま
とめた総括報告書の作成など、すべての業務の実施ならびに統括をしなければな
らないため* 2、忙しい医師にとってはなかなかハードルが高いのですが、わが
国でも、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)や厚生労働省により、
医師主導の治験をサポートしようという動きが活発となってきています。
* 2
http://www.jmacct.med.
or.jp/clinical-trial/about.
html
さらに薬事法が薬機法へと変わり、2014 年 11 月 25 日に施行されるに至り
ました。薬機法では、これまで以上に安全対策を強化する一方で、再生医療等製
品の実用化を促進するため、その特性を踏まえた審査制度を新設し、その上で、
少ない症例数でも治験で有効性が推定され、安全性が確認できた時点で条件付き
早期承認し、その後に症例を蓄積して原則 7 年を超えない期間内にあらためて
承認申請を行うという「条件及び期限付き承認制度」を新たに導入しています* 3。
現在、わが国のこの新しい法制度により、再生医療製品については、米国よ
り迅速に承認を得ることが可能となり、世界中からその運用が注目されていま
す** 1。このような新しい法制度導入と並行し、2015 年 9 月 2 日にはテルモ株
式会社が再生医療等製品として申請していた骨格筋芽細胞シートが「条件及び
期限付き承認」で了承され** 2、また、サイバーダイン株式会社(Cyberdyne)
による HAL 医療用下肢タイプ
(下肢障害、脚力が弱者を対象にした治療機器)
が、
2015 年 11 月 25 日に医療機器製造販売承認されるなど、わが国発の研究成果
が事業化される成功例が生まれてきたのは良い傾向であると思います。
■ 大学の新たなミッション ■
このように、わが国では、従来型の臨床応用から、事業化を念頭に入れたもの
へ、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体
の価値観などが劇的に変化するパラダイムシフトが起きていますが、十分な医学
知識を持ちながら起業を目指す、いわゆるアントレプレナーの数は、まだまだ米
国の域に達していません。しかも世界で戦える人材は、まだまだ希少であります。
このような人材を育成することこそ、これからのわが国の大学の大きなミッ
ションです。少子高齢化の進むわが国では、新しい医療の開発が国の命運を担っ
ていると言って過言ではないと思います。慶應義塾大学医学部医学研究科では、
この点を意識した大きな教育改革を行っていく計画です。慶應義塾大学病院は、
ことし 3 月に厚生労働省より臨床研究中核病院と認定され、臨床研究中核セン
ターを中心に医師主導治験や、基礎研究の事業化の活性化を推進中です。今後は
新しい医療を創出し、事業化できる大学を目指し、進化していきたいと思ってい
ます。
(次回の執筆者は、東北大学大学院 医学系研究科・医学部 教授 青木正志氏です。)
30
Vol.12 No.6 2016
* 3
https://medical-logi.suzuyo.
co.jp/archives/1140/
** 1
Konishi A, Sakushima K,
Isobe S, Sato D. First
Approval of Regenerative
Medical Products under
the PMD Act in Japan.
Cell Stem Cell. 2016, vol.
18, no. 4, p. 434-435.
** 2
McCabe C, Sipp D.
Undertested and
Overpriced: Japan
Issues First Conditional
Approval of Stem Cell
Product. Cell Stem Cell.
2016, vol. 18, no. 4, p.
436-437.
シリーズ
連載
知的財産を活用する 第 8 回
大学発ベンチャーの知財管理に関する留意点
先発の米国とは依然大きな隔たりがあるものの、日本の産学連携活動は、デー
タを見る限り、ライセンス件数もロイヤリティー収入も右肩上がりで推移してい
る(図 1)。日本国内では、産学連携活動が低調であるとの批判もあるが、決し
て自虐的になるほどの数値とはいえない。
実施等件数
実施等収入額
(百万円)
12,000
9,856
10,802
2,000
10,000
8,808
8,000
2,212
4,968
5,645
6,000
1,500
1,992
1,000
4,000
1,446
1,092
0
株式会社東京大学 TLO
代表取締役社長
1,558
4,527
2,000
山本 貴史
やまもと たかふみ
500
891
2009年度
2010年度
2011年度
2012年度
2013年度
2014年度
0
出典:文部科学省 「平成26年度 大学等における産学連携等実施状況調査について」
図 1 国公私立大学等の特許実施等件数および収入額の推移
ただ、日米で大きく異なるのが大学発ベンチャーへのライセンス割合である。
年によって多少のばらつきはあるが、米国では大学からのライセンス件数の約
17%がベンチャー企業に対するライセンスである(図 2)
。対して日本は約 0.5
〜 2%程度の割合である。ベンチャーへのライセンス割合が最も大きい年でも
5%程度で、日本ではベンチャーに対するライセンスがかなり少ないことが分か
る。理由は、起業家精神の低さや教育不足、エンジェル(新事業に投資する人)
やメンター(指導者)などの、ベンチャーを支える人材の少なさなどの要因が想
定されるが、その一つに、大学における知的財産の弱さもある。
大学発ベンチャーは偶発的に始まることが多い。つまり、良い研究成果が生
まれたときに、この技術を事業化するためには、一般のライセンスよりもベン
チャーを起業した方が事業化の可能性が広がり成功すると想像できるからこそベ
ンチャーは起業される。このときに非常に重要なことが知的財産戦略である。特
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31
米 国
日 本(大学・TLO)
70%
58.70%
60%
49.30%
50%
40.80%
40%
33.60%
30%
20%
17.10%
10%
0%
0.50%
①新たに設立した企業
②中小企業
③大企業
(日本は2014年度、米国は2012年度データ)
出典:一般社団法人大学技術移転協議会「大学技術移転サーベイ 大学知的財産年報」を基に作成
図 2 大学がライセンスする企業の規模(日米比較)
許を出願しても弱い特許で抜け穴だらけであれば、競合の参入を許すことにな
り、その結果、ベンチャーの独占的な事業を守れないことになって、ベンチャー
の競争優位が失われる。つまり、大学発ベンチャーの中心となる技術は大学で生
まれ、ベンチャー企業へライセンスされることが一般的であるため、特許出願
は、実際に自らが事業を行うわけではない大学の知的財産本部や TLO(技術移
転機関)によって行われるということである。
昨今では、企業での経験豊富な人材も、大学の知的財産本部や TLO に移って
きてはいるが、相対的には自社の事業を守り、今後想定される事業の知的財産戦
略を考えている企業と大学では、その力量に差があることは否めない。米国で
も、大学発ベンチャーへのライセンスの約 9 割は独占ライセンスであり、大学
発ベンチャーは、中心となる技術の知的財産の強さがベンチャーの成否を左右し
ている。
では、強い知的財産を獲得するにはどうすればよいか。もちろん技術やその優
位性によっても異なるが、以下のような観点が求められる。
1.競合技術や類似技術の調査の徹底
前述した通り、大学発ベンチャーの核となる発明は大学で単独に生まれる場合
が多い。その際、大学の知的財産本部や TLO でしっかりとした競合技術や類似
特許の検索を行い、知的財産権としての優位性を確保することは必須となる。と
りわけベンチャーを起業するような、画期的であると想定される発明の知的財産
化の場合は、当該技術が事業化される場合を想定して、競合技術や類似技術を精
緻(せいち)に調査する必要性がある。一般に、大学は先行特許調査が脆弱(ぜ
いじゃく)であるとも言われる。そのような場合には特許事務所に先行特許調査
を依頼することも必要となる。
32
Vol.12 No.6 2016
2.物質特許の取得
発明の種類やベンチャーの事業内容にもよるが、強い特許を確保するために
は、極力物質特許の取得を狙うことが重要である。物質特許が取得できれば優位
性は確保できる。一方、ベンチャーの事業を想定した場合には、製造方法に関す
る特許取得も必須になることもある。万一物質特許の取得が困難になったり、そ
の権利範囲が狭められたりした場合には、製造方法の特許の重要性が増す。ま
た、ベンチャーが事業を行う際に、極力簡便に製造できたり、他社より安価に製
造できるといった優位性も確保したい。よって、研究室の協力も得て想定される
製造方法の特許の取得も心掛けたい。
3.事業戦略を綿密に練り、事業の発展を考慮した技術要素を想定
大学の発明を特許出願する際、発明された技術を単に出願するケースが散見さ
れる。しかしながら、ベンチャーとして事業を行う場合に、どのような事業を行
うかを事前に想定し、さらにその事業が将来発展した場合に何が中心となる技術
なのかを想定して出願することが望ましい。つまりアカデミアとして画期的な発
明の部分だけを明細書に記述するのではなく、事業として重要と思われる部分も
クレーム(請求の範囲)することが必須であり、さらに将来の事業の発展まで想
定した知的財産戦略が求められる。
4.第三者が同様分野に進出する際、参入障壁が何かを検証
ベンチャーの事業が想定された場合に、競合他社がこの事業と類似の事業を行
う際に何が参入障壁となるかを想定することは重要である。これまでも中心とな
る技術の優位性よりも、その周辺のアカデミアでは一見価値が低いと思われる周
辺技術の方が、他社の参入障壁を築けるといった事例は数多くある。研究者の協
力が必要不可欠ではあるが、時には、その参入障壁を強固にするためにさらな
る研究を発明者に依頼することも必要となる。この場合には、設立されたベン
チャー企業との共同研究を行うことが求められる。
5.海外での事業やサブライセンスを想定した外国出願戦略の策定
大学発ベンチャーを起業する際、日本の市場しか想定しない起業も散見され
る。ベンチャーが発展成長する際には、海外の方が大きな市場があり、これを獲
得できてこそ発展する場合もある。また、ベンチャーが海外でのマーケティング
活動や事業活動を直接行わなくとも、サブライセンスなどを行うことで、実質的
に海外マーケットを取り込むということもある。これらを想定して海外出願を行
う必要性がある。現時点での市場性のみではなく、海外市場も想定した外国出願
戦略が求められる。当然だが、際限なく外国出願を行えば、出願維持に掛かる費
用も増加するため、費用対効果の試算も必要となる。
Vol.12 No.6 2016
33
6.周辺技術のマネジメント
一般的に大学で知的財産化が困難なノウハウを取り扱うことは極めてまれであ
る。企業であれば事業戦略上必要なノウハウは秘匿し、それによって参入障壁を
確保するが、大学の研究者は全ての研究成果を発表することが最も重要なミッ
ションであるので、研究成果に関係するノウハウを秘匿するということは少な
い。ベンチャーを起業する場合には、この点も留意し、アカデミアでは価値はな
いと思われるが事業戦略上必要なノウハウは秘匿するよう研究者の理解を得て、
ライセンスを行うことが求められる。
7.ライセンス条件の設定
大学で生まれた発明を大学発ベンチャーにライセンスする際には、その条件設
定にも十分な配慮が必要となる。大学発ベンチャーは、研究者との関係も強く、
大学に帰属している発明者が株主であったり、役員を兼業していたりするケース
も多い。この場合、利益相反マネジメントは必須となる。発明者がベンチャーサ
イドに立ち「安くライセンスしてほしい」という要望を出すことは多いが、これ
は典型的な利益相反状態である。また、研究室の学生がベンチャーでアルバイト
をするというような状況も危険性が高い。大学の利益相反委員会で議論しアカウ
ンタビリティ(説明責任)を保つことが望まれる。また、ライセンス条件につい
ても、起業したばかりのベンチャーは十分なロイヤリティーを支払えるだけの資
金的余裕がないことが多い。このような場合にはライセンス対価の一部を新株予
約権で支払うといったことが欧米では一般的であり、大学もそのような要望に対
処できるように準備しておくことが求められる。また、ランニング・ロイヤリ
ティーについても「何のための、何%か」といった具体的議論が必要となる。起
業したばかりのベンチャーは事業内容が不確定な場合も多く、また、事業を行う
中で、新たなビジネスモデルが生じるケースも少なくはない。このような状況に
対処できる条件設定が必要である。また、ベンチャーが起業された時点では、大
学の研究が進行中である場合も多い。そのような場合、ベンチャー起業後にも後
続の関連発明が生じることも多い。これによるロイヤリティーのスタッキング
(積み重なり)も避けたい。ロイヤリティーのスタッキングとは、1 件の特許の
ランニング・ロイヤリティーが例えば 3%であった場合に、5 件の特許が生まれ
ると合計のランニング・ロイヤリティーが 15%になってしまうという状況であ
る。これでは、ベンチャーが事業を行うことが困難に陥るケースが多く、このよ
うな状態も想定したライセンス条件の設定が求められる。
このように、大学発ベンチャーの知的財産戦略は、多くの場合、大学の知的財
産本部や TLO、特許事務所とも連携し、未来を想定した戦略立案が求められる。
海外で話題になるようなハイテクベンチャーの成功例が続々と生まれることを期
待するものである。
34
Vol.12 No.6 2016
視 点
新たな研究開発評価の「指針」に注目
2016 年度より第 5 期科学技術基本計画期間に入ったことは読者もご存じの通りである。一方、
5 年ごとに行われる科学技術基本計画改定の後を追うようにして「国の研究開発評価に関する大
綱的指針」と呼ばれる文書も出されることをご存じの方はそれほど多くないかもしれない。この
「指針」は、大学を含め、科学技術関係予算を使用している全ての機関を対象に、研究開発の評
価に関するガイドラインを提供することを目的としたものである。
第 4 期科学技術基本計画に対応した「指針」は「研究開発課題や競争的資金制度等の研究資
金制度をプログラム化し、研究開発プログラムの評価を実施することを通じて、次の研究開発に
つなげていくことが重要」として「研究開発プログラムの評価」という側面を強調するものであっ
た。これによって研究活動の当事者である研究者のみならず、それを支援する組織の責任にもよ
り注意が向けられることとなった。そして現在、従来の「指針」がどれほど有効に機能したかの
検証も含め、第 5 期科学技術基本計画に対応する新たな「指針」の検討がまさに開始されたと
ころである。どのような研究開発評価の考え方が示されるのか、議論の行方に注目したい。
前波 晴彦 鳥取大学 産学・地域連携推進機構 准教授
高知龍馬空港に季節の風を! 新たな産学連携プロジェクト
2015 年 11 月にオープンした高知龍馬空港の「空飛ブ八百屋」が好調である。これは、高知
工科大学の教員、生産者である地元の農家、そして事業主体である高知空港ビル株式会社とが連
携して、その日の朝に収穫した新鮮な野菜を販売する新たなプロジェクトである。野菜は生産者
から直接買い付ける。このことが地元の農家を元気にする。また、地域活性化への取り組みを通
じた教育効果も狙って、学生も接客やマーケティングに参画している。
地域プランナーでもある松崎了三特任教授によれば、現場での実践がより深い学びをもたら
し、学生の成長を促すという。かつて石垣空港で「島らっきょう」などの特産野菜の販売事業を
プロデュースした那須清吾教授によれば、空港で野菜が買えるという非日常感や限定感が、さら
なるブランド化につながるのだという。その土地の「らしさ」や「季節」を地方空港から伝えた
い、という思いが詰まったプロジェクトでもある。いわゆる研究開発型の産学連携とは一味違う
が、機会があればぜひ、陳列された野菜たちの色彩や味わいに触れていただきたい。
佐藤 暢 高知工科大学 研究連携部 研究連携専門監
産学官連携ジャーナル(月刊)
2016 年 6 月号
2016 年 6 月 15 日発行
PRINT ISSN 2186 - 2621
ONLINE ISSN 1880 - 4128
Copyright ©2016 JST. All Rights Reserved.
編集・発行
国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)
産学連携展開部
産学連携プロモーショングループ
編集責任者
野長瀬 裕二
摂南大学 経済学部 教授
問い合わせ先
「産学官連携ジャーナル」編集部
編集長 山口泰博、萱野かおり
〒 102-0076
東京都千代田区五番町 7
K’s 五番町
TEL:
(03)5214-7993
FAX:
(03)5214-8399
Vol.12 No.6 2016
35
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「産学官の道しるべ」
は、産学官連携活動に関わる多くの方々が
ワンストップで必要な情報を入手できるよう、産学官連携に関連する情報を網羅的に収集し、
インターネット上で広く一般に公開しているポータルサイトです。
産学官連携に関する情報提供 https://sangakukan.jp/event/
◆ イベント情報
全国で開催されている産学官連携に関するシンポジウム、セミナー等の
イベント情報をタイムリーに掲載
HP上でイベント情報の外部投稿を随時受付中
◆ 産学官連携データ集
産学官連携の実績を分かりやすく図表などで示すデータ集
知的財産(国内、国際)、共同研究・受託研究、大学発ベンチャー、
TLO、基本統計データ、学術論文の被引用動向データ、ほか掲載
産学官連携ジャーナル
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産学官連携に関係する幅広い分野の記事を提供している
オンラインジャーナル。毎月15日に発行!
◆ 掲載分野
産学官連携、起業、知的財産、人材育成、金融機関との連携、
MOT・教育、地域クラスター、国の予算・政策、国際連携、
海外動向、共同研究開発、事業化など
産学官連携支援データベース https://sangakukan.jp/shiendb/
産学官連携活動を支援するために有用な情報をデータベース化し、ネット上で公開
【約3,000件】◆ 事業・制度DB
… 産学官連携に利用できる国・地方自治体の支援制度や
財団法人等の助成制度や公募情報のほか、ベンチャーを
支援するベンチャーキャピタルや金融機関の支援制度情報
【約2,100件】◆ 産学官連携従事者DB… 公的機関に所属するコーディネーター等の情報
問い合わせ先
産学連携展開部 産学連携プロモーショングループ
E-mail : [email protected]
Tel : 03-5214-7993
「産学官連携ジャーナル」は国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)が発行する
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