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記事832民法

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記事832民法
平成 = 一
年 四月 一日発 行
{
毎 月. H一 回 発 行 一
論叢
第165巻
香 港 国 際 金 融 セ ン タ}の
第4号
虚実 ・
… … … … … … ・・
… 佐
トヨ タ の 新 車 販 売 に お け る 物 流 シ ス テ ム … ・
… … 杉
藤
進1
田
宗
聴27
尾
孝
一48
本
俊
哉68
イギ リス公 務 部 門 の 入事 管理 変 化 と
ホ ワ イ ト カ ラ ー 組 合 の 機 能(2)・
1980年
…… … … … 松
代 の ア メ リ カ国 際航 空 輸 送 政 策 と
メ ジ ャーの 台 頭 … … ・
… … … … ・
… … ・
… ・
… … … 松
'`排 除 可 能 な 公 共 財"経
済 に お け る1
戦 略 的 操 作 不 能 メ カ ニ ズ ム … … … ・… … ・
… ・
・
… 国
学.会
記
事
平 成12年4月
:東 渥β大 學 経 軒 學 禽
本
隆85
102(328)
【
学会記事】
リ ー バ ー マ ン教 授 講 演 会
経 済 学 会 は,.1999年9月18日(⊥
105号 室 に て,カ
曜 日)午
前10時30分
か ら12時
に か け て,京
大会館
リ フ ォ ル ニ ア 大 学 バ ー ク レ ー 校 の り ー バ ー マ ン教 授 を 招 い て 特 別 セ ミ
ナ ー を 行 っ た 。 講 演 タ イ トル は
「ベ ン サ ム の 立 法 の 科 学 に お け る 経 済 と 政 治 」(David
Liebem■en,"EconomyandPolityinBentham'sScienceofLegislation")と
い う も ので
あ った 。
60分 の 講 演 と30分 の 討 論 の 後,教
授 と 参 加 者(主
に 大 学 院 生)は
昼 食 を し,昼
食後 も
少 し歓 談 を した 。
リ ー バ ー マ ン教 授 は1953年
生 ま れ の45歳,現
国 の ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 で 修 士 ま で 学 び(指
ナ ー),そ
の 後,ロ
在 カ リ フ ォ ル ニ ア大 学 の 法 学 部 教 授 。 英
導 教 官 は ホ ッ プ ズ 研 究 等 で 有 名 なQ.ス
ン ド ン 大 学 で 課 程 博 士(Ph.D.)を
キ
修 了 ・取 得 した 後,1984年
以 来,
主 に カ リ フ ォ ル ニ ア 大 学 で 研 究 ・教 育 に 従 事 して き た 。 教 授 は 英 国 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 に
拠 点 を 置 く 政 治 思 想 史 研 究 者 集 団 の 有 力 な メ ン バ ー で も あ る 。 今 回,初
来 日。
わ が 国 で はIstvanHontandMichaelIgnatieff(eds.),WealthandVirtue:TheShaq.
,㎎.ofPoliticalEconomyintheScottishEnlightenment;CambridgeU.P,,1983(水
洋 ・杉 山 忠 平 監 訳r富
と 徳 」 未 来 社,1990年
田
〉 に 収 録 さ れ た ケ イ ム ズ 論("TheLegal
NeedsofCommercialSociety-The.JurisprudenceofLordKames",拙
法 的 要 件一....ケ イ ム ズ 卿 の 法 学 」)で 知 ら れ て い る が,主
訳
著TheProvinceo'ム
「商 業 社 会 の
曙.ガ
勲 一
tionDetermined:LegalTheoryinEighteenth・CenturyBritain,Ca皿bridgeU.P.,1989
は ブ ラ ッ ク ス ト ンか ら ケ イ ム ズ,ペ
論 に 関 す る 優 れ た 研 究 で,高
ン サ ム ま で を 扱 っ た18世 紀 ブ リ テ ン の 法 思 想,法
く評 価 さ れ て い る 。
教 授 の ご く最 近 の 業 績 に は 次 の よ う な も の が あ る 。
1.[forthcoming]"TheMixedConstitutionandtheComm⑪nLaw"inMarkGoldie
andRobertWokler(eds.),The(,'ambridgeHistoryofEighteenth一('znturyPolitical
Thought,CambridgeU、P.
2,[forthcoming]"EconomyandPolityinBentham'sScienceofLegis】ation"inSte..
垂
・
理
(329)103
学会記事
fan.C。1h。i,Rich、rdWhat皿
。reandBri・nY・
・ng(曲
・),伽
・吻
・ 島'棚8"4
Society:BritishlntellectualHistory1750-1.950,Camb・idg・U・P・
3.・J。,emyB㎝
止 ・m:Bi・graphy・
・dlnt・ll・・tealBi・graphy,'HistoryofPolitical
Thought,20-1,Spring1999.
4.・ ℃ 。dificati。
。.c。n、。lida・i・
・andParli・m・n鱒S・
hartHulimuth(eds.),ノ
・・
…"1・J。h・Brew・
∼ε納fη々ゴ
η8ム 瘤 α亡
加 η,`加
・a・dEA-
五㌍ 雇 β6漉痘.CenturyStateinBritain
andGermany,OxfordU.P.,1999.
今 回 の セ ミ ナ ー は,上
の2を
取 り 上 げ た も の に 他 な ら な い が,時
教 授 は あ らか じ め 用 意 さ れ た ペ ー パ ー に 即 し て,後
し,そ
の 後,参
間 の 制 約 が あ る の で,
半 部 分 は ス キ ッ プ し な が ら,講
演 を
加 者か ら の 質問 に熱 心 に 応 え られ た 。
以 下 は 用 意 さ れ た フ ル ・ペ ー パ ー の 要 約 で あ る 。
リー バ ー マ ン
ア メ リ カ 独 立 戦 争 か ら1832年
で あ り.様
が,パ
「ベ ン サ ム に お け る 経 済 と 政 治 」(要
約)
の 選 挙 法 改 正 ま で の 時 代 の 研 究 ぽ,近
年,き
わめて活発
々 な 政 治 的 伝 統 と 多 数 の 思 想 の 複 雑 な 諸 相 を 描 い て きた 。 以 前 の 思 想 史 研 究
ー ク と人権 論
国 制 改 革 を め ぐ る ウ.・ ・ グ と 急 進 派 と い っ た ・ ご く 限 られ た 論 争
に 注 目 す る 傾 向 が あ っ た とす れ ば,今
哲 学 的 歴 史 と 自 然 法 学,ペ
論 と抗 議,そ
で は高 教 会 派 の教 会統 治 論
ー リ 一 派 神 学 的 功 利 主 義,福
れ ど愛 国 心,ウ
キ リ ス ト教 条モ済 学,
音 社 会 思 想,非
国 教 派 な い し異
イ ッ グ 主 義 お よ び トー リ主 義 の 多 様 性 な ど が 詳 細 に 研 究 さ
れ る よ うに な って い る。
し か し,驚
くべ き こ と に,こ
の よ う な 動 向 は ペ ン サ ム 研 究 に は 見 ら れ な い 。 ベ ンサ ム
は か つ て は こ の 時 期 の ブ リ テ ン の 重 要 な 指 標 で あ り,ス
テ イー ヴ ンや ダ イシ ー は ヴ ィク
ト リ ア 朝 の 立 法 改 革 論 の 青 写 真 を ペ ン サ ム 主 義 に 求 め て い た 。 した が っ て,こ
ベ ンサ ム 軽 視 は,多
程 度 は,ベ
く は 意 図 的 な 歴 史 見 直 論(修
の よ うな
産 物 で あ る 。 し か し,あ
る
ン サ ム 研 究 の 現 状 の 意 図 せ ざ る 副 産 物 と考 え て よ い 。
新 版 ベ ン サ ム 著 作 集 の 刊 行 は,ペ
結 果,ベ
正 主 義)の
ンサ ム の 思 想 自 体 の 正 確 な 理 解 を 可 能 に し た 。 そ の
ン サ ム の 法 学 を ジ ョ ン ・オ ー ス テ ィ ン の 法 実 証 主 義 か ら 解 放 し,ベ
主 主 義 論 を ミル 父 子 の 代 議 制 論 か ら 区 別 し,ベ
出 す こ と が で.き る よ う に な っ た 。 と こ ろ が,そ
ンサ ムの 民
ン サ ム の 道 徳 理 論 を 様 々 な 誤 解 か ら救 い
の た め に,今
で は
「史 的 ベ ン サ ム 」 と
「真 の ベ ン サ ム 」 の ギ ャ ッ プ が 大 き く な っ て し ま っ た 。 前 者 は デ ュ モ ンの
『民 事 お よ び
104(3さ0)
第165巻
第4号
刑 事 立法 論 』 や ミル に よ って 流 布 され た ベ ンサ ム で あ り,後 者 は草 稿 と新 全 集 か ら再構
成 さ れ た ペ ンサ ムで あ る。
で は,こ の時 期 につ い て の 革新 さ れ た 思想 史研 究 と新 しい ペ ンサ ム を ど う関 連 づ けた
ら よ いだ ろ うか 。 そ の 手 が か り と して,ベ
つ い て の観 念 をめ ぐる基 本 問 題,ベ
ンサ ムが 立 法論 で 想 定 してい た 社 会 的 行 為 に
ンサ ム の法 学 の源 泉 とな った 社 会 学 の 問 題 を 取 り上
げ て み よ う。 そ の た め に は ベ ンサ ム は ス ミス の 『
国 富 論jで 深 化 され た経 済 学 に何 を
負 っ てい る か とい う問 題(1.ベ
ンサ ム とス ミス の 科学)や,ベ
ンサ ム の 人 間 本性 理 解
の 「経 済 的 」 想 定 と言 わ れ て い る こ とが ら も.再検 討 しな けれ ば な ら な い(2.計
質)Dさ
ら に,ベ
ンサ ム の急 進 的 な 政 治 プ ロ グ ラム の な か で,い
っそ う無 視 され て きた
問 題,民 主社 会 に お け る世 論や 印 刷 文 化 の役 割 の考 察 も必 要 で あ る(3.冊
1.ベ
算 的性
論 の法 廷)。
ンサ ム とス ミス の科 学
通 説 は経 済 学が ペ ンサ ム に社 会 理 論 を 提 供 し,道 徳 ・立 法 理論 に影 響 を与 えた とす る。
通説 は 政治 哲 学 の経 済学 へ の屈 服 説 で あ る。 マ ル クス は経 済 学 こ そ ベ ンサ ムの 「効 用 理
論」 の真 の科 学 で あ る と言 い,メ
イ ンは ベ ンサ ムの立 法 論 と リカ ー ドの 経 済 学 を法 の 革
新 を求 め る時 流 に乗 った 双 子の 科 学 だ と して結 び付 け た。 ダ イ シ ー は ス ミスの 弟 子 とベ
ンサ マ イ.トは 同 じ学 派 で あ り,彼 らの 「レ ッセ ・.フェ ー ル の ドグ マ」 は ペ ンサ ムの 立 法
論 の核 心 で あ る と し,ア レ ヴ ィぽ功 利 主義 者 の道 徳 理 論 は経 済 心 理 学 の 命 法 だ と結 論 し
た。
もち ろん,こ の よ うな 通 説 は過 度 な単 純 化 で あ り,こ の 間 の 研 究 に よ って 改訂 さ れ て
きた 。 経 済 学 とベ ンサ ム の功 利 主 義,立 法 の科 学 の 差 異が 認 識 さ れ て きた の で あ る が,
藩
、
しか し経 済 学 が後 者 に とっ て何 で あ っ たか とい う根 本 問 題 は残 さ れ て い る。 ベ ンサ ム は
『高 利 の 擁 護 』'[1787]を 書 い た が,経 済 学 は ベ ンサ ム の 「立 法 の 科 学 の 一 部 門 」 で
あ った 。過 去20年 間,ウ
ィ ンチが ス ミス 自身 の 「立 法 者 の 科学 」 の認 識 の必 要 を説 い て
きた 。 ス ミス の立 法 者 の科 学 の再 構 築 は,こ の 科 学 が多 様 な仕 方で(ペ
場 合,D.ス
イ ンとパ ー クの
チ ュ アー トと弟 子 の 場 合)容 易 に 歪 曲 され る こ と を教 え た 。 この よ う な
ウ ィ ンチ の議 論 は,ベ ンサ ム に よ るス ミ ス理解 の 選択 的 ,歪 曲 的受 容 とい う問 題 を 考 察
す る モ デ ル に な る。
ベ ン サ ム は 「経 済 問 題 に お け る統 治 の技 術 」 につ い て未 完 の 試 み を 二 度 行 って い る。
一つ は 「
経 済 学 便 覧』[1793-1795]で
.韓
あり
,も う一 つ は 『
経 済 学 綱 要 』[1801-1804].で
噂
学会記事
〔331}105
あ る。 ペ ンサ ム は 「ア ー ト」 と 「サ イエ ン ス」 を 区 別 し,ス ミス の狙 い は前 者 で あ り,
自 分 の 目 的 は後 者 で あ る とす る。
この よ うな 区別 は,19世 紀 初 頭 にお け る ス ミスの 遺 産 を め ぐる論 争 の なか で 登 場 した 。.
ベ ンサ ム は 「国富 論1に
は科 学 と言 うに は 方 法 的 な 欠 点が あ る と考 えた し,ま た ス ミス
の科 学 に は人 【.1問
題 の軽 視 の よ う な重 要 な ギ ャ ッ プが あ る とみ た 。 ベ ンサ ム は科 学 の 役
割 を ア ー トに仕 え る こ とに求 め た 。 そ の 帰 結 は 理論 に対 す る 実践 の優 位 で あ っ た。 ベ ン
サ ム に特 異 な の は,経 済 学 へ の関 わ りが 場 当 た り的 で,性 急 に結 論 を求 め た点 にあ る。
しか し,(ス
ミス の)科 学 と 〔
ベ ンサ ム の〉 アー トの 関 係 は単 純で は な い 。 あ る場 合
ぽ 直 線 的 で あ る。 例 え ば,『 賞 罰 の 規準 』 で は,立 法 の ア ー トは経 済 学 の 認 識 を全 面 的
に 採用 し,立 法者 は処 罰 の脅 威 に よ って で はな く,利 益 の 誘 因 に よ って 行動 に影 響 を サ
え る とい う状 況,労 働 に報 奨 を与 え る こ と に よ って 労 務 を 確 保す る とい う状 況 を ベ ンサ
ム は 考 察 して い る。 こ の場 合 の政 府 の指 導 原 理 は,競 争 の 自由 で あ る。
けれ ど も多 くの場 合,経 済 の ア ー トは,立 法 者 に経 済 学 の 認識 を 立法 案 に調 整す る よ
う に要 求 す る もの で あ った。 それ は立 法 案 の構 造 も目的 も部 分 的 に しか
『
国富 論』 に 関
係 が な か った か らで あ る。
『
民 法 典 の 原 理』 は 法 的権 利 ・義 務 と それ ら を社 会 に実 施 す る立 法 の 原 理 を 立 ち入 っ
て 扱 って い るが,こ
こで ペ ンサ ム は法 制 度 の基 本 的 目 的,幸 福 の.促進 を4つ の 下位 の 目
的 に区 分 して い る。 生存,豊
富,安 全,平 等 が それ で,そ の う ち安 全 の 優位 が 詳論 さ れ
て い る。 ベ ンサ ムに よ れ ば,安 全 が あ っ て初 め て期 待 が 可 能 に な る し,そ れ は ま た共 存
の 前 提 条 件 で もあ る。 安 全 こそ 「
法 の 主 要 目的」 で あ り,「法 の 全 仕 事 」 で あ る。 生 存
の 日的 の た め に 法 が 必 要 とす る もの は,稀 少 性 あ るい は富 裕 の 条 件 に依 存 して お り,可
変 的 で あ る。 繁 栄 は 自ず か ら社 会 的平 等 に導 くのか,土 地 の 共 同所 有 は 社 会改 良 を停 滞
させ るの か,と い った こ とに 関 して は,ベ
ンサ ム は経 済 の科 学 に頼 った 。 しか し,富 の
科 学 は民 法 典 の 論 理 秩 序 とは な らな い。 む しろ ベ ンサ ム は冨 の配 分 の 原 理 を 考 え る と き,
「
精 神 病 理 学 」 の 「公 理 」 と称 す る 心理 学 的 な もの に注 目 した 。 立 法 の 目的 と して平 等
を主 張 す るの は この 精 神 的 公 理 の枠 組 み で あ っ た 、,
こ の よ う に立 法 の 原 理 は 経 済 学 の 認識 に 大 きな役 割 を認 め た けれ ど も,し か しそ れ は
立 法 の 構 造 の な か で の こ とで あ った 。利 子 率 の強 制引 き下 げ は,富 へ の 損 害 の 問題 と し
て は経 済 学 の 問 題 で あ るが,し か し民 法 典 の立 場 か ら は,貸 し手 の 期待 を裏 切 る 政策 と
して弾 劾 され る 。
1D6(332)
第165巻
第4号
「
便 覧』 に お い て も 「
綱 要 』 にお いて も,ベ ンサ ムは 富 の 目 的 を 説 明す る に さ い して。.
立 法 の 下 位 目的(生 存,安 全,豊 富,平 等)に つ い て の 修 正 意 見 を 示 し,経 済学 の 目的
を 「有利 な 目的 に 国民 の勤 労 を尊 び くアー ト」 に 限 定 した 。 こ う して経 済 学 は4つ の 下
位 目的 の 一 つ に の み 関 る もの とな っ た。 そ のた め ス ミス の経 済 分析 の 多 くの特 徴 が ベ ン
サ ムに お い て は 消 え るので あ る。 一 見 す る と,ダ イ シー の み る よ うに,レ
ッセ ・フ ェー
ルは ベ ンサ ムの 立法 論 の核 心 の よ うにみ え るか もしれ な い 。 しか し,こ れ ぽ誤 解 で あ る。
経 済 の アー トは 限定 さ れ た の で あ る。 『
紙 幣 論 』[1801]に
あ る よ うに,立 法 者 の偉 大 な
目的 は総 て の期 待 を 可 能 な 限 り妨 害 か ら護 る こと で あ る 。 「そ れ に 比 べ る と富 の増 加 な
どは つ ま らな い 目的で あ る。」
確 か に,安 全 は富 裕 を促 進 す るで あ ろ う。 しか し,だ か ら とい?て,法
的 安 全論 は そ
れ が 富裕 に 貢献 す る とい う根 拠 の うえ に樹 立 され るの で はな い 。 ベ ンサ ムの 立 法 の 科学
の 構 造 を考 え る と;こ う した議 論 は経 済 の ア ー トの範 囲 には 属 さな い 。.こう して ベ ンサ
ムの 立 法 の 理 論 は経 済 学 を呑 み込 んで しま う。 確 か にベ ンサ ム の 『
高 利擁 護 論』 は ス ミ
スの 権 威 を ス ミス に 向 け る もので あ っ た。 ス ミス の学 説 はベ ンサ ムの 主 張 の 中心 に 置か
れ てい る。 しか し,『 高 利擁 護 論 』 は,経 済 学 に充 て られ て い る以 上 に,法 改 革論 に 向
け られ,む
しろ プ ラ ・
ソクス トン とア リス トテ レスが 標 的 なの で あ る。
2.計 算 性 質
次 にペ ンサ ムの 入 間 本性 理 解 を取 り上 げ よ う。 マ ル ク ス はベ ンサ ムの 人 間 観 を小 ブル
ジ ョワ 的 だ と主 張 した が,こ れ は 再 検 討 す べ き通 説 と言 って よ い。 ま た 「合 理 的 経 済
人」,「レ ッセ ・フ ェー ル個 人 主義 」 とい った概 念 につ い て も,最 近 の 研 究 に 照 ら して,
再 検 討 す る必 要 が あ る。18世 紀後 半 か ら19世 紀 にか けて の個 人 主 義 は,ダ
イ シー の 言 う
よ う な 「ス ミス とペ ンサ ム」 の 産物 で は な か った 。 ス ミス は人 間の 慎 慮 と富 の 追 求 に つ
"
葦.
い て の 自説 を,人 間行 為 の利 己 的,功 利 主 義 的説 明 を基 礎 とす る倫 理 学 と異 な った 道徳
理 論 と 関連 付 けて い た 。 ま た19世 紀 初頭 の哲 学 的 ウ イ ッグ と哲 学 的 急 進 派 の 論 争 と見解
を 「イ ン タ レ ス トの 原 理 」(マ コー リ)を 焦 点 にす る もの と理解 す る こ と も研 究 史 は退
けて い る。
ベ ンサ ム は,ジ ェー ムズ ・ ミル に 劣 らず,人
間本 性 か ら立 法 の科 学 を演 繹 した とみ な
され て きた 。 研 究 史 は快 楽 説 と功 利 主義 を結 び付 け る哲 学 的 誤 解 か ら尽 ンサ ムを 救 い 出
そ う と して きた 。 そ の 狙 い は 「
統 治 論」 の 父 ミル の ア プ ロ ーチ か らベ ンサ ムの 人 間 本性
学会記事
〔
お3)107
理 解 を引 き離 し,ヒ ュー ム 的 な 人 間行 為 の コ ンヴ ェ ンシ ョン説 に近 づ け る こ とに あ った 。
立 法 者 は人 間 本性 の 理解 よ り,人 間行 動 へ の影 響 に優 先 権 を置 くが,し か し前 者 な し
に は成 功 は覚 束 な い 。 法 と制 度 の考 案 に 当 た っ て,立 法 者 は 遵 法 が 利 益 に な るよ うに 賞
罰 を利 用 す る。
快 音 の 至 上 性 の た め に 人 間 の行 動 は利 己的 と な る,と い う主 張 は ベ ンサ ム の 著作 に繰
り返 し登 場 す る 。 この よ うな認 識 は,自 己 否 定,.自 己 犠牲,自
己 放棄 を 勧 め る 多様 な,
伝 統 的 な キ リス ト教 的,古 典 的 な道 徳 的 敬 虔 さ を締 め 出 して しま う。 ま た 「
無 私 」 に依
拠 す る制 度 的考 案 も締 め 出す こ と に な る。 しか し,18世 紀 の モ ラ リス トと同 じ く,ペ ン
サ ム も快 楽主 義,自
己優 先 の力 学 と利 己 性,狭 義 の 自愛心 とを 区 別 した 。個 人 は 自分 の
快 楽 を 追 求す る けれ ど も,他 方で そ れ を 他 人 の 幸福 と関連 づ け る とベ ンサ ム は理 解 す る.
倫 理 的考 察 を い っ そ う展 開 す る につ れ て,ベ
(慈愛 心)を
ンサ ムは社 会 生活 に お い て ベ ネ ヴ ォ レ ンス
よ り重 視 す る よ うに な った 。 こ う して 制 度 的考 案 に あ た っ て も,立 法 者 は
同感,共 感 や 道 徳 的 裁 可 を動 員 す べ きで あ る。
とこ ろが,皮
肉 な こ と に,ベ ンサ ムは 「自己優 先 」.の機 能 を描 写 しよ う と して,ベ ン
サ ム流 の功 利 主 義 に対 す る批 判 と関係 の あ る方法 論 的難 問 に遭 遇 した 。 行 為 の イ ン タ レ
ス トへ の従 属 は,利 己 的 な 行 為 と同 じ く,仁 愛 的,愛 他 的 な行 為,英 雄 的 な行 為 に も同
じよ う に適 用 され た の で,人 間 行 為 を イ ン タ レス トの観 点 で 説 明 す る こ と は きわ め て 曖
昧 な ご.とが ら に な った 。 さ らに 真 の イ ン タ レス トと,そ う思 わ れ た イ ン タ レス トの 区 別
につ い て も重 大 な難 点 が 生 ま れ た 。個 人 は 自ら の イ ン タ レス トに つ い て 明確 な 見解 を も.、
つ 限 り,快 楽 の 追 求 と苦 痛 の 回 避 を うま くや っ ての け る と して も,明 確 な見 解 な る もの
は,異 な る事 例 や 場 面 の な かで 曖 昧 に な ら ざ る を得 ない 。 実 際 ベ ンサ ム は,救 貧 を 論 じ
る時 に は,自 らの 真 の イ ン タ レス トを追 求で き ない 集 団 を 想 定 して い た 。 自 らの イ ン タ
レ ス トを大 体 は うま く追 求 す る 者 も,自 らの イ ン タ レス トに反 して 行 為 す る こ とが あ る
こ と も ま たベ ンサ ム は 認 め て い た 。 さ ら に は また,「 イ ン タ レス トが 生 み 出 す 偏 見」 の
ネ ッ トワ ー クが 「多 数 の 臣民 」 を か ど わ か して,彼
らの 真 の イ ン タ レ ス トが腐 敗 し た
r少 数 の 支 配 者」 の イ ン タ レス トの犠 牲 にな って い る とい う こ とを,ベ
ンサ ム は急 進 的.
な 政 治 理 論 の なか で 強調 した。
した が って,こ の よ うな複 雑 な事 情 の なか で は,立 法 者 は,個 人 の 自 己優 先 の世 界,
安定 した予.見可能 な世 界 を前 提 して,プ
ラ グマ チ ックに,戦 略 的 に行 動 す る こ とは明 ら
かで あ る。 個 人 は 自 らの イ ンタ レ ス トの 正 しい 判 断 主体 で あ る と も,追 求者 で あ る と も
.108(334)
第165巻
第4号
み な され な い 。 む しろ 立 法 者 が 立 法 の 目的 に 役 立 つ 洞 察,自 己 優 位 の 諸 過 程 の洞 察 を
持 っ てい た。
で は こ う した 想 定 は,経 済 的 に方 向 づ け られ た行 為 の性 質 に 関す る特 殊 ペ ンサ ム的 な
見 解 に,ど の程 度,基 づ い て い るの だ ろ うか 。 この 問題 を考 察 す る に際 して想 起 す べ き
は,ベ
ンサ ム の立 法 計 画 は,社 会 的 行 為 の 十 分 な 安定 性 と と もに,社 会 的 主 体 が 快 苦 を
考 慮 して 自 らの行 為 を調 整 な い し規 制 す る とい う洗練 を 要求 す る もので あ っ た とい うこ
とで あ る 。18世 紀 の刑 法 改 革 者 の 多 くと同 じ く,ベ ンサ ム は 罪刑 均 衡 の導 入 に よ っ て過
酷 な刑 罰 を大 幅 に軽 減 す る立 法 の 原 理 を 考 えて い た 。
ベ ッ カ リー ア は 「
犯 罪 の尺 度 」 とい う考 えを 持 ち 出 した が,ベ
ンサ ム は市 場 の用 語 を
利 用 した 。処 罰 が有 効 で ない 場 合 は 「処 罰 が 利 益 を もた らさ な い場 合 」 とい う具 合 に,
ベ ンサ ムは ,処 罰が 利 益 を もた らす 性 質 と,経 費 を削 減 す る性 質 を 同 一視 した。 こ の よ
うな快 苦 の計 算 は,ベ
ンサ ム に よれ ば,い つ も 日常 的 に 行 わ れ て い る 。
この よ うに ベ ンサ ム は財 産 と利 益 を頻 繁 に引 き合 い に 出 して議 論 を した が,し か しな
が ら,曖 昧 さが な いわ けで は ない 。1770年 代 の 草 稿 で ベ ンサ ム は個 人 間 の幸 福 比 較 の普
遍 的 尺 度 と して 貨 幣 を用 い る可 能 性 を探 って い た が,し か し刊 行 した 著作 で は.こ の よ
うな 手法 の 問題 に気 づ い て,貨 幣 だ けが 価 値 を もつ とい う 「通 俗 的誤 謬」 と して そ れ を
否 定 し た。 と は い う もの の,『 道徳 と立 法 の 原 理 序 詞
の な か で,罪 刑 均 衡 に よ っ て社
会 的 行為 を 方 向 づ け よ う とす る ベ ンサ ムの 戦 略 は 見 当 違 い で あ る,と い うの は犯 罪 は情
念 の 作 用 で あ って,情 念 は計 算 しな いか らだ とい うベ ンサ ムへ の批 判 を と りあ げ て,ベ
ンサ ム は情 念 は 計算 しな い とい うの は真 で は ない,そ
して す べ て の 情 念 の な か で最 も計
算 む き なの は 金 銭 的 イ ン タ レス トで あ り,こ の 動 機 が 生 み 出 す 災 難 こそ刑 法 の 第 一 の対
象 なの だ と主 張 して い る こ とは,示 唆 的で あ る。 経 済 的 表 象 は 部 分 に 過 ぎな い が,し か
し立 法 の科 学 の 重 要 な,プ
ラグ マ チ ック な構 築 で あ った 。
ペ ンサ ムの 社 会 的 主 体 は,上 にみ た よ うに,利 益 追 求 と市 場 交 換 の 計 算 規 律 を も って
行 動 し てい る。 した が って,交 換,取 引 とい う実 践 を知 ら ない 共 同 体 で ベ ンサ ム の 立法
の科・
学 が 機 能 す る とは 想 像 で きな い 。 ベ ンサ ムの 人 間像 を 「
経 済 人 」 に還 元 す る こ とが
不 適 切 で あ るの は,ベ
ンサ ム の 人 間 本性 の説 明 が 発 見 の 中立 の 記 述 で はな く,立 法 の技
術 の意 識 的 な構 築 だ か らで あ る 。 しか しま た,ベ
ンサ ム の 「
経済心理学」を強調す るこ
ー
墨欝蚕壕誰 翼
3.世 論 の 法 廷
学会記事
とは,ベ
〔335)109
ンサ ム の 世論 の役 割 につ.いて の見 解 を見 え な くさせ る恐 乳 が あ る 。
『
新 著 作 集 」 の 重 要 な意 義 の 一 つ は,『 統 治 論 断 片 』 と 『
道 徳 と立 法 の 原 理 序 説』 の
最 初 の6章 を基 に行 わ れ てい た理 解 を崩 した こ とに あ る 。 そ れ に よ っ て利 用 可 能 に な っ
た ベ ンサ ム の最 晩年10年 間 の一 連 の 重 要 な 著作 の 焦 点 は,立 憲 的民 主 制 の 急 進 的 プ ロ グ
ラム の精 緻 化 を 目指 して いた 。 した が って,ベ
ンサ ムの立 法 の科 学 の研 究 は ます ます こ
う した 素材 を焦 点 とす る よ う に な って きた 。
1820年 代 か ら30年 代 にか けて の 議 会 改 革 論 争 は,男 子普 通 選.挙権 と秘 密 投 票 とい う哲
学 的 急進 派 の プ ロ グ ラ ム の なか で 最 も論 争 的 な もの に 光 を あ て た。 ベ ンサ ム 自身 の見 解
は き わ め て極 端 で あ った 。 ブ ルー ア ムが 議 会演 説で 述 べ た よ うに,ベ
ンサ ム は男 女 を問
わ ず,.狂 人 で あ れ 投 票 権 を もつ べ きだ と して い た.「 支 配 す る少 数 派」 が 選挙 民 へ の 責
任 と と もに 法 的 規 制 を受 け る必 要 が あ る一..・
方,「 服 従 す る 多数 派 」 は民 主 的投 票 権 と と
もに世 論 の権 力 を握 る必 要 が あ る。
ベ ンサ ム は よ き政 府 につ い て の 自 らの 功利 主 義 的 プ ロ グ ラ ム を 「公 務 員 の能 力 の 最 大
化,費 用 の 最小 化 」 とい う定 式 に要 約 した 。公 務 員 の 能力 の なか に は,最 大 多 数 の幸 福
を増 進 す る こ とに よ って 自 らの 幸 福 も促 進 す るよ うに 政 治権 力 を行 使 す る個 人の 決 定 に
関 連 が あ る 「道 徳 的 能 力」 も含 まれ る。 この よ う な望 ま しい 公 務 員 の 能 力 と と も に,
「
憲 法典 」 は功 利 主 義 的 目標 を 目指 す 構 造 と手 続 きの 仕組 み を持 っ て いた 。 ベ ンサ ムは
「道 徳 的 能 力 」 と し て,「 世 論 の法 廷 」 な る制 度 を特 記 し,失 政 ・悪 政 とい う 「病 気 」
に対 して こ の世 論 の法 廷 に大 き な責 任 を負 わ せ た 。
世 論 の 法 廷 ぽ 「擬 制 の 法廷 」,「想 像 ヒの 裁 判 所 」 と し て,眠
衆 の,あ
るい は 道 徳 的
裁 可 」 と して の 「
賞 罰 」 を適 用 す る。 伝 統 的 な 司 法組 織 と同 じ く,世 論 の法 廷 は政 府 の
失 政 に 関 す る訴 え を受 け付 け,弁 護 側 の 反 論 を聞 き,証 拠 調 べ を し,判 決 を下 し,そ れ
を執 行 す る 。処 罰 は主 に,望 ま しい 道 徳 的 能 力 を 欠 い て い る公 務 員 の 人気 の な さや 威 信
の な さか ら 成 る と され た。
立 憲 的民 主主 義 の制 度 と して,ベ
ンサ ムの 世 論 の法 廷 は有 権者 以 上 に民 主 的で あ った 。
そ れ は 「下 部 委 員 会」 の形 にす れ ば 頻 繁 に 機 能 す るで あ ろ う。 そ の委 員 は それ ぞ れ の 争
点 や 政府 の行 為 に注 目す る。 また 下 部 委 員 会 は 完.全な 世論 の 法廷 の 「民 主 的 な」 利 害 に
対 立 す る 「貴族 的部 分 」 に支 配 され る こ と もあ り.うる。 しか し,参 加 に資 格 は要 ら ない
し,ル ー ル もな い 。世 論 の法 廷 は参 加 しよ う とい う個 人 に よ っ てす べ て決 定 され る。 結
局,世 論 の 法廷 に は政 治 生 活 か ら は排 除 さ れ て い るい くつ か の下 位 集 団,無 産 の 男 女 だ
肇
一
110(336)
第165巻
第4号
け で な く,外 国 人 や 子 供 も含 まれ る.「 世 論 は 人 民 集 団 か ら発 す る法 の 一 体 系 と考 えて.
よい だ ろ う」 と 『
憲 法 典 』 は 言 明 した 。
「(英国 の 王 は)恣 意 的 に 人 を殺 せ る し,好 きな よ う に女 性 を陵 辱 で ぎ る し,好
む ま ま に物 を奪 っ た り破 壊 した りで き る。 この よ うな仕 打 ち に あ って モ に抵 抗 す る
人 は だ れ も,法 に よ って 殺 され う る し,そ の こ とを 口外 す る だ けで だ れ も処 罰 され
う る。 しか し,.議 会 の法 とい う形 式 を と らな けれ ば,彼 は こ う した こ と の何 も しな
∵
い 。 な ぜか 。世 論 の法 廷 の権 力 に よ って,王 は 処 罰 さ れ る こ と も有 効 に抵 姉 され る
こ と もな い け れ ど も,多 少 と も,悩 ま され る だ ろ うか らで あ る 。
」
擬 制 の法 廷 と して の世 論 の 法 廷 に 関 連 して,ベ
ンサ ム は二 つ の 下 部 委 員 会,コ
モン
ロー 陪 審 と新 聞 を論 じて い る 。 ベ ンサ ムが この よ うな 世 論 の 乗 り物 に 注 目 した とい うこ
とは,驚
くべ き こ とで は ない 。ユ776年のrift治 論 断 片 』 で す で に ベ ンサ ム は 「
言 論 出版
の 自由 」 と 「公 共 的集 会 の 自由」 を 「自由 な統 治 」 の 決 定 的 な 属性 と して い た 。公 共性
が 権 力 濫 用 の対 抗 手段 と して 重 要だ とい う認 識 は,民 主 政 治 支 持 に 改 宗 す る ず っ と以 前
にベ ンサ ム にあ った 。 もち ろ ん,そ れ は哲 学 的 急 進 派 の プ ロ グ ラ ムの 基礎 で もあ っ た。
しか し,こ う した 連続 性 に もか かわ らず,ベ
ンサ ム の立 憲 案 に はさ ら に急 進 的 な次 元が
あ る。 ベ ンサ ムは,他 の 同時 代 の政 治改 革 者 と違 って,代 議 政 体 だ け で 政 治 的腐 敗 や権
力 濫 用 を廃 止で き る とは 思 わ な か った。 代 議 政 体 はむ しろ失 政 の 展 開 を防 止 す る考 案物
を導 入 で き る可 能 性 を もつ の で あ って,こ の考 案 物 の なか で,世 論 の 組 織 化 と流 通 が 基
本 的 な もので あ る。 枇 論 は投 票 に あ た って知 識 を もって 判 断 す るの に必 要 な 情 報 を 市 民
に提 供 す る こ とを通 して,選 挙 制度 に お い て機 能 す るだ けで は ない 。 む しろ 世 論 は 民 主
的社 会 の 推 進 力 で あ り,「支 配 す る少 数 派」 の功 利 主 義 的 決 断 を奨 励 し,法 と国 家 の 正
規 の制 度 の外 部 で 政 治 権 力 を規律 す る役 目を 果 た す ので あ る。 民 主 国 家 の国 制 〔
憲 法)
は公 衆 の吟 味 や 規 則 につ い て の 討 論 を 奨励 す る だ けで は 十分 で は ない 。 政 治 の構 造 と手
続 きが 明示 さ れ,統 治 者 が 行 った 決 定 と追 求 し よ う と して い る利 益 を公 衆 に公 開 す る よ
うに 強 制 さ れ てい な けれ ば な らな い 。 この よ うに,『 憲 法典 』 は,効 率 と熟 達 を促 進 し,.
行 政 の 透 明性 と厳 格 な責 任 とい う 目標 に資 す る官 僚 制機 構 を練 っ てい る ので あ る。
世 論 の法 廷 は,近 年 の研 究 で 注 目 さ れ て きた が,し
か し1985年 の カー ラ イ ル 講 義 で
ジ ョン ・パ ロー が 描 写 した 「r世論 」 を め ぐる様.々な 肚論 の 軌 道 」 の文 脈 に そ れ を 置 く
研 究 は 余 り見 られ な い。 確 か に,世 論 を外.見的 で 無 内容 な 君 主 と貴 族 の徳 と並 置 す るベ
ンサ ム に はペ イ ンの響 きが あ る し,世 論 の 力 と権 威 の強 調 は,「 政 府 が 基 礎 を置 くの は
学会記事
(337)111
世 論 だ け で あ る 」 とい.うヒュ ー ム の有 名 な格 言 が 世 紀 後 半 に ま す ま す 自己 満足 な もの と
化 して い った 事 態 を想 起 さ せ るが,し か し,ベ ンサ ムの 決 定 的 な 特 徴 は 司 法 的 用 語 に よ
る世 論 の 概 念 化 で あ り,権 力 を制 度 的 に制 御 す るた め の 制 度 的形 態 の認 識 で あ る 。
世 論 の 法 廷 が 『憲 法 典』 の 目的 を実 現 で きる の は,民 主 的 共 同 体 が,政 治行 為 の情 報
に注 目す るだ け で な く,政 治 生活 の批 判 的 な評 価 を行 うた め に この 情報 を 利用 しよ う と
す る熱 意 を もつ か らであ る。.した が って,ベ
ンサ ム に必 要 と思 わ れ た 組 織 は,世 論 を結
合 した り解 体 した りす る制 度 で あ っ た。 こ う した制 度 を形 成 し,維 持 す る市 民 の 能力 と
性 質が 前 提 で きた とす れ ば,『 憲 法 典』 に お け る 世論 の 戦 略 は 当 時 の イ ン グ ラ ン ドの 政
治 生 活 の 特 殊 な 特 徴 を 自明 な もの と して い たわ けで あ る。
18世 紀 の新 聞,定 期 刊 行 物,そ の 他 の雑 多 な政 治 的 エ フ ェ メ ラ,す なわ ち プ リ ン ト,
風 刺 画,小 冊 子,ト ー ク ン,メ ダル な どの 繁殖 は,.イ ング ラ ン ドの 政 治 に重 要 な 関係 を
もっ て い た 。18世 紀 の 前 半 の,と
りわ け,ア
ン女 王 の 治 世 の 「党 派 の 熱 狂 」,ウ ォ ル
ポ ー ル の 「寡 頭 支 配 」 に対 す る 「愛 国 者 」 の 攻 撃 に まつ わ る ジ ャー ナ リ ズ ム の キ ャ ン
尽 一 ンに あ って は,定 期 刊 行 物 自体 が議 会 政 治 の拡 張,内
閣へ の対 抗 とい う意 味 合 い を
もっ た。 世紀 中葉 まで に,こ う した ジ ャー ナ リズ ム は議 会政 治 か ら排 除 され た 人 々の 政
治 文化 を作 り出 した 。 それ に は1760年 代 の ウ ィル クス騒 動 の よ うな,政 府 に対 す る急 進
的 な批 判 の刊 行,広 範 な配 布 も含 ま れ るよ うに な った 。 そ の後 に な る と,奴 隷 貿 易 廃 止
委 員会 や そ の キ ャ ンペ ー ンの よ うな,超 議 会 的 団体 が,世 論 の動 員 と 出版 物 を通 して,
議 会 に問 題 を取 り上 げ させ る こ とが で き る よ うに な った 。
こ う した プ ロ セ ス は商 業 と経 済 の 変 化,中 流 と地 方 の 消 費市 場 の拡 大 に基 づ い て い た
の で あ るが,印 刷 物 とニ ュー ス には 法 と政 治 の 価値 の 変動 とい う意 味 もあ っ た。1695年
の 出 版認 可 法 は事 前 検 閲 とギ ル ド独 占 を 終 わ らせ.「 言 論 出版 の 自 由」 が 自由 な 社 会 の
権 利 の キ ャ ノ ンに加 わ っ た。1771年 に,議 会 は 議 事 報 道 の統 制 を 断念 した。 こう し て議
会 討論 は即 刻,新
聞 の主 要 記 事 とな った 。
ベ ンサ ム の憲 法案 に とって,こ
う した 公 共 性 と と もに 重 要 な の は議 会政 府 の 日常 活 動
が もた らす い ろ ん な種 類 の情 報 で あ った 。18世 紀 の 国 家 は 主 要 な情 報 収集 者 と して登 場
した し,1760年 代 まで に統 治 に関 す る情 報 の印 刷 者 とな った 。 この よ うな発 展 は.ド院 に
出 さ れ る財 政法 案 に伴 う歳 入,歳 出 の詳 細 な統 計 にそ の 最 た る もの が見 られ る。 統 計 に
基 づ い て 議 会 は 執行 部 を統 制 し,国 債 を監 視 した 。 内 国 消 費 税 や 関税 の収 入 制度,租 税
政 策 を め ぐ る政 治 的謀 略 が商 工 業 統 計 の蓄 積 を もた ら した の で あ る 。 救 貧 法 改 革,都 市
第4号
の 治安 政 策 に,現 在 の社 会 状 態 につ い て の 情 報 が 続 い た 。議 会 の立 法 の行 為 は,大 体 の'
と こ ろ,地 方 の 個 別 問題 に 関 る もの で あ った の で,通 信 の チ ャ ン ネ ルが 発 展 し,そ の
チ ャ ン ネル を通 っ て ロ ビー と利 害 集 団が 立 法 府 に 情 報 を もた ら した 。
急 進 的 政 治論 争 に お い てベ ンサ ム は,こ う した 情 報 の 「知 」 を巧 み に利 用 した。1830
年 に彼 は 『
憲法 典』 の 第一 巻 を刊 行 す る と と もに,過 去20年 間 に わ た って書 かれ た エ ッ.
セ イ を 集 め て,「 公 務 の 最 適 化,費
用 の 最 小 化』 〔(塀6認.4ρ ご
加 商Eψ
飢`8M傭
一
痂 潔 凶 とい う主 題 を付 け た。 そ の な か の 二 つ の 長 編 ぽ 「経 済 の 擁 護 」 と題 す る二 編 で
あ って,そ れ は パ ー クが.先導 した1780年 の 経 済 改 革 と関 係 の あ る ウ イ ッグの経 済改 革案
の 批 判 と,1810年
の 小 冊 子 に 詳 述 さ れ た ジ ョー ジ ・ロー ズGeorgeRoseの
手に なる
トー りの 行 政 改 革 の批 判 で あ っ た。 こ の批 判 が 暴 露 した の は こ う した 体 制 側 の節 約 案 の
欠 陥 と腐 敗 で あ って1ベ
ンサ ム は下 院議 事 録 や 下 院 歳 出 委 員 会 報 告(1807-1812年)な
ど に印 刷 され た 政 府支 出(年 金,閑 職,還 付 金)に つ い ての 情 報 を 基 に この よ うな 暴 露
護
を行 った 。
驚 鳶釜灘
望一.
政 治 の知 識 を組 織 し,公 に す る とい うペ ン.サム の戦 略 は,い っそ う展 開 さ れ て 『
憲法
典 』 の論 考 の なか で,国 家 の 統計,記 録,出 版 制 度 とい う形 を と って 述 べ られ て い る,
統 計,記 録,出 版 か らな る この よ うな制 度 は,統 治語 部 門 間.,ま た 政 府 役 人 と世 論(公
'薯.
論)の 法 廷 の成 員 の 間で の,情 報 の 適切,有 効 な流 通 を保 証 す る こ とを意 図 して い る。
こ う した方 策 の最 終 的 な 有効 性 は,民 主 的 大衆 が そ う した情 報,知 識 を即 刻 利 用 で き る
か どう か にか か って い た 。 そ の よ うな 政 治 意識 と探 究 心 を もつ 批 判 的 な民 衆 は,18世 紀
か ら19世 紀 初 頭 にか けて の ブ リ テ ンの 特殊 な 政 治 実 践 の 産物 だ っ た と言 え るか も しれ な
い。「
英 国 の大 臣が 新 聞 を無 視 す る こ とは,ロ ー マ の コ ンス ルが フ ォー ラ ム(公 開討 議)
を無 視 す る こ とに あ た る」 と,ベ ンサ ムは1770年 代 の草 稿 に書 き付 け たが,こ の よ う な,
国民 の 政治 へ の 関心 は,ブ
リテ ンの 特 殊性 とい うよ り,む しろ すべ て の政 治 社 会 に 自然
に 生 ま れ る もので あ った 。
トリポ リの専 制 を論 じて,ベ ンサ ム は世 論 の 法 廷 で は な く,新 聞 の創 設 を 求 めた が,
そ れ は 定期 的 な,多 様 な 内容 の新 聞 が 出 る よ う にな れ ば,お の ず か ら読 者 は批 判 的 な力
を発揮 す るよ うに な る と見 てい たか ら に他 な らな い 。 成 熟 した ベ ンサ ム の憲 法 構 想 に お
毎
費.
.i':.
い て は,.自 ら世論 の 法廷 の構 成 員 とな ろ う とす る社 会 的 主体 が 想 定 さ れ て い た。1817年
の 「
議 会 改 革 案』 で,ベ
ンサ ム は 「
普 通 選 挙 」 を支 持 した が,読 め な い 人 間 に は選 挙 権
を与 え るべ きで は な い と した。 しか し,そ れ は一 時 的排 除 で,排 除 さ れ た者 は読 め る よ
.戦
慾鐸.
.
第165巻
112〔338)
(339)113
学 会記事
うに な ろ う とす るだ ろ う と,.ベ ンサ ムは 強 調 した 。 この よ うに,晩 年 の ベ ンサ ム は知 識
と情 報 の 普 及 が 民 主 的統 治 に決 定 的 に 重 要 と考 え て い た の で あ る.。r憲法 典 』 はそ の こ
とを 明 らか に して い る。(了)
以 上 の よ う に,ベ ンサ ム の立 法 の科 学 に お け る 「
経 済 と政 治 」 の 関連 が,新
水 準 の う えで,新 た に問 い 直 さ れ て い る こ とは 明 らか で あ る 。 と りわ け,ベ
しい 研 究
ンサ ム を単
純 に功 利 主 義 者 とい う ステ レオ タ イ プの 概 念 に 回収 して安 穏 と して い る よ うな怠 惰 を,
リーバ ー マ ンは退 け,ベ
ンサ ムの 思 想 の ダ イナ ミ フクな 変 動 と発 展 を.時 代 状 況 の コ ン
テ クス トの な かで,克 明 に析 出す る とい う研 究 を行 って お り,こ れ はそ の 成 果 の 一端 で
ある。
(田 中秀 夫)
一
1
.と,禰
醐 騨 弊.
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