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ヨーロッパ連合 - ScholarSpace at University of Hawaii at Manoa

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ヨーロッパ連合 - ScholarSpace at University of Hawaii at Manoa
、 J
(ヨーロッパ連合)
風刺両問題の背景を探る
EU
ー=はじめに
>
EU
同志社大学客員フヱロー
ミシェル・モール
全体の課題へと進む方向で、問題の土壌となった原因と要素を
で進んでいく。デンマークが問題の発生地になっただけに、そこには重要な手掛かりが済んでいると
たデンマーク、同様の問題に悩まされたオランダ、そして政教分離の徹底を掲げているフランスの順
私がどのような立場からこの問題を論じているかを明らかにしたうえで、まず問題の発生地になっ
追っていきたい。
個別的な地域に関わる事情から
とは思えないが、ある程度全体像の復雑な要因を追究できる環境が整ってきたといえよう。本章では、
景と真相を解明することが求められる。必ずしもその衝突を生み出したすべての要素が明るみに出た
い「事件」として扱われてきた。報道機関の騒ぎが一段と落ち着いた現時点では、あらためてその背
二 OO 六年に入ってから「ムハンマドの風刺画」問題は暴動という形で露に出て、ニュース性の高
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1
EU
全体が直面している諸問題とどう関わっているか、さらにもっと普遍的
解に役立つとすれば、まさに情報を慎重に扱い、煽情主義に左右されない凍とした立場から材料を開
ような二者択一に追い込もうとする意閃が一目瞭然だからである。学問的アプローチがこの問題の理
民づけになりやすいので、それを械力避けることにした。なぜなら、マスコミを介して、技々をこの
Aは
H とくに凶式的な「白型…」、すなわち「どちらかが正しい」という位
「ムハンマドの風刺岡」の場
分に耳を傾け、「とりあえず価値判断を控える」ところから考察を始めた。
付けられた「研究対象を別の次元に還元しない」という態度であろう。つまり還元主義に陥らないこ
とが宗教学の鉄則なので、「ムハンマドの風刺両」をめぐる論争に関しでも該当者のそれぞれの言い
以上の個人的な背景から、この調査に投影された偏りがあったとすれば、主に宗教学者として植え
じて得られた示唆である。
マスコミ関係が発信するものはもちろんのこと、書籍、そして実際に現地の人とのインタビューを通
ヨーロッパに派遣され「ムハンマドの風刺画」問題を調査するよう依頼されたときから、その政治的
および社会的な事情に対する専門知識がないまま、手当たり次第情報を集め始めた。情報源といえば
私の研究領域は宗教学で、ふだんは日本の宗教思想史を中心に扱っている。したがって、図らずも
私の立場
な意味も含まれているのかを検討していく。
点が見出せるか、それは
思われるので、その比重を大きくした。最後に、それぞれの異なった地域の反応にはどのような共通
16
17
,,
(l) EU(ヨーロッパ連合)
風刺画問題の背景を探る
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.
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(1) EU (ヨーロッパ連合)
示して、各自でその信怒性を調べられる手掛かりを提供することであろう。私の場合、問題の「ムハ
l
クで何が起こったのか
ンマドの風刺画」を虚心に眺めれば眺めるほど、それが氷山の一角に過ぎないことに気づかされてい
三アンマ
る次第である。
2
問題の発端がデンマークなので、まずデンマークの事情を振り返りたい。コペンハ!ゲンで行った
インタビューの際、デンマークにおける風刺画とその波紋を調べてきた学者の一人はごく自然に話を
OO 五年の夏、
コ
l
レ・プルイトゲ
まとめてくれた。「それは結局コップの水を溢れさせる最後の一滴だつだ」と
てきて、一気に爆発したという事情は一体何だったのか。
概要と外見上の経緯
一見したところ、問題発生の経緯は比較的簡単である。二
ン( 5日巴呉海コ)という著者は子供向けに「クルア
l ンとムハンマドの生涯」( R05380 旬、3PR ロ
向島守)という本を脱稿し、その挿絵を画く人を求めていた。しかし、マンガ家が皆ムハン
ミ CEBB
マドの絵を描くことを恐れて辞退してしまい、ブルイトゲンが誰も見つからず凶っていることが報道
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日
セ (225 一口∞問。自)がそのような自己検閲に抵抗するという名目で、ムハンマドの
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ム閣の
ゲンで数千人による抗議のデモ行進が行われるが、同時にイスラl
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i ムの指導者たちはアラブ諸国を遍歴して、イスラ
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ム教徒に対する
ムがデンマークで不
せてアブ・パシヤル(〉 ZE 会日)を団長とする五人が、四三ページで構成されている「預一言者ムハ
正な扱いを受けていると訴え始めが。最初の旅先lは
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で議、
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ム諸
会議
構会
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マークに住む数人のイスラ
しかし反発が具体的な行動としてデンマーク以外に現れたのは二一月になってからである。デン
展する過程が始まったといえる。
関して話し合いをする川意がないことを伝えた。その時点から両方の立場が硬直化し、国際問題に発
民主主義の基礎であり、デンマーク政府は報道機関に何らの影響力ももっていない」と述べ、これに
一一ヶ悶の大使の手紙に返信するが、抗議内容の核心にはいっさいふれず「表現の自由がデンマークの
摘
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一一
一で
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首相
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中傷的な反イスラlム運動の一部に属するものだ)」という
ムラ
とイスラ
なく、「:::これは現行の公的領域およびメディアにおける、イlス
大使がラスムンセン首相に手紙を送って、懸念を表明する。その書簡の中心は風刺画に関する話では
ム諸国の外交官からの抗議の声が高まっていた。一 O 月二一日にはすでに二一ヶ国のイスラ
けられる。一四日にはコベンハ
撤回を拒絶し続けるなか、事態は段々とエスカレートし、O
一月一一一日に最初の殺しの脅迫を送り付
案の定、デンマーク在住のイスラlム教徒から抗議を受けた新聞は「表現の自由」を盾に、謝罪や
付の紙面に掲載されたのである。
O二
O 五年九月三 O
刺画を公募することにした。結局、それに挑戦したマンガ家の風刺画二一点が
レミング・ロ
された。この報道はデンマークの中道左派の『ポリティケン』紙によるもので
マークのメディア市場でライバルにあたる保守系の新聞「ユランス・ポステ
18
19
「ムハンマドの風刺画J 事件の概要と告地域。うの反応
風刺画問題の背景を探る
ンマドのために戦う書類」というアラビア詑のパンフレットを関係者に配り、賛同を呼
初パンフレットの編集に携わ
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フマド・アツカ
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B 民宮ユ)が中心であった。ところが、この冊子の内容を見ると社撰な資料
だったことが判明する。そこには元の「ユランス・ポステン」紙の風刺画とは別
預言者を蔑視する関係のない写真も入れられていだ。いずれにせよ、
一一一月六日のイスラ
lム諸国会議機構会議でこの問題に関する抗議声明が出された。
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(ZESEEM
その後の「事件」は同じ延長線上にあり、広く報道されたので詳
細六は
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年省
二月
四日にはダマスカスのデンマークとノルウェーの大使館が放火され、翌日にはベ
暴動が起きて、デンマーク領事館の放火につながってしまった。これを受けてレ
)が辞職し、「陰謀だ」と主張して、暗にシリアの関与をほの
ン・サベ
日にデンマーク外務大臣のペア・スティ・ミユl
ラ(唱。「忠一∞保
豆守
立党
庁)
『は「深刻な事態だ」と
認めながら冷静さを取り戻すよう訴え心。
結局二月九日には「ユランス・ポステン』紙は政治的圧力に屈し、アルジェリア
館を通して「世界のイスラ lム教徒に対するお詫びの手紙」を公開したが、すでに収拾がつきにく
事態のなかでは、「ユランス・ポステン」紙による謝罪は事後処理を狙う措置と
あった。非難の応酬が繰り返されるなかで、この問題はアラブ諸国におけるデンマ
動にもつながり、当事同には経済的な打撃を与え続けている。ところが、以上の粗
(
1
)
は立法権を握り、 実質上、 同を運営している。 四年ごと
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「9 ・日」の直後は当時の首相ポ
ミ) という右翼政党の支援だったのである。
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は首相を任命する。
ところが二 00 一年には意外なことが続いて起きた。
の人気が底をつく状態のなか、 彼が率いる社会民
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その期待が大
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連立政権
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きく外れ、長期間政権の座にとどまってきた社会民主党は野党に転じて、
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「ムハンマドの風刺画j蚕存否慨要と各地域からの反応
風刺画問題の背景を探る
20
何故このような問題がデンマークという平和そうな小国で起きたかは想像しにくい。
政治的・社会的背景||ニ OO 一年の政変とその波紋
二 OO 四年の世論調査によれば八二%
現在のデンマークは確かに小さく、その人口は約五四 O万人に過ぎない。 しかし、 隣国を支配した
過去もあり、 王国の壮大な歴史を誇りにしている国民は多い。
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のデンマーク人が君主制に賛成している。立憲君主国という制度の下で、 女王は国家元首であるが、
同会にあたるフォルケティング
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に同会選挙が行われ、そのつど同氏が一七九一川の国投
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)は新しい連立政権を発足させた。
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ら成り立っており、
肉体は凶民保守党
そこから 「中道右派連合」
の政権が誕生したといわれている。 しかし 「中道」と
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21
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政権交代ということだけならとくに驚くことでもないが、 この連立政権を可能にしたのはデンマ
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・)という右派政党との協力か
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(1) EU (ヨーロッパ連合)
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(l) EU(ヨーロッパ連合)
「ムハンマドの風刺画J 事件の概要と告地域かうの反応
風刺画問題の背景を探る
言いながら、二OO 一年の選挙運動のときの中心議論は移民政策で、その規制の強化を訴えて
はデンマーク国民党にほかならないことは誰にも明らかであった。
結局、イスラlム教徒に対する憎悪に満ちたデンマーク国民党首の発言が繰り返される
向由党は人気取り政策として移民の制限を公約することによってデンマーク国民
五年
議二
席を増やし続けてい
O国
た。選挙結果の表が示すように、新右翼のデンマーOク
民に
党もは
ンマ
ーク
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政権交代を果たした自由党はすぐ入国管理を強化す治デ政
策
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外国人政策は欧州において最も厳しいものとなっていぶ。同連の難民高等弁
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ころ、二OO一年一一月に新設された難民移民統合省
ダ
r)は「ただスウェーデンやイギリスの難民
巳ERn『
の大臣として就任したベアテルl
・
ホぽ(2ロ
の水準に戻りたいだけだ」と弁明したが、できるだけ数を減らして外国人
背だと指摘されている。
したがって、 このような二 OO 一年以降の状況のなかで風刺阿の問題がデンマークで起きたこと
ムラ
教徒に対する反感を詳しく調べたクラウゼン女
偶然だとは思えない。ヨーロッパにおけるイl
ス
史によると、デンマークの場合、その責任がどこにあるかを聞いた
扱い」が第一位として挙げられ、「右翼政党の排他的誇張」が第二位とな
雑にからまっているデンマークの特徴を理解するには、さらに教会の占め
の暗躍との関連を見極めることは欠かせない。
23
る
デンマーク国会選挙の結果、政党別の議席数(デンマーク本土の 175議席に関する結果)
「Statistical Yearbook2005PopulationandE
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sTable76J に基づく表
2001 年 11 月 20 日
社会民主党
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中道民主党
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キリスト教徒国民党
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少数党
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赤色同盟
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独立候補
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2005年 2 月 8 日
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出所:筆者作成
22
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(l) EU (ヨーロッパ連合)
教会の一枚岩的位置
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ム教徒も含めてすべての国民はそれを収める原則の下、牧師などが国家公務
デンマークの宗教といえば、ルタ!派のフオルケキア
ケ兵(
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存 g 国民教会)が依然として独
占的な位置にあり、憲法の第四条によって「国教」と定められている。教会税に関しても、カトリ
ク教徒やイスラ
(辺}
で事実上その給料を払うことを余儀なくされていお。教会メンバー
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在もフォルケキアケに所属しているという。ただし、これはあくまでも統計上の「所
教的「参加」の度合に関して逆にデンマークは一
九-八
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問二
、日本と並んで世
界中で最低の参加率を維持していることで目立字
タは「結婚式、葬式と洗礼以外、最近はどのくらい礼拝に参加しているか」
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という声明を出し問。その中で和解を促す外交的な文言とともに「挑発だけ
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『片)は風刺画問題に関して「言論の自由と尊2厳
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諸宗教対話委員会」(S才
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み寄りを求める立場に立っている。二
OO 六年二月二日にはデンマーク福音ル
l テル教会の「教会と
の問、それを考えるデンマーク人の割合はむしろ八%増えて三七%になってい弱。
なお、「ムハンマドの風刺画」に対する一般信者の受け止め方を知る手掛かりはな
問に関して、デンマークはヨーロッパ諸国とほぼ同じ数値であるが、一
九一
八年一
OO
ま年
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たとえば「人生の意義について考える頻度」などに関しても詳しい聞き取り調査
まっている。当然、信仰は礼拝への出席だけで計れるものではないが、世俗化の度合を計
取り調査{刊基づいたもので、デンマークでは自主的に教会に行く人
24
{明却)
るに違いない。
新右翼の暗躍との関連
デンマーク国民党は一九九五年に進歩党から離党した。ヒア・メレ テ・ケアスコ
l
(宝山富
22
ぬ
25
しては、士口武信彦氏の詳しい論文(
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3 に委ねる。しかし政治的社会的事情に加えて宗教的な要素
デンマーク国民党の成り立ちゃデンマークにおける新しい右翼の流行を可能にした社会的要
lの
判所はスンズの無罪判決を確定し、ケアス
ゴ敗訴となった。
O、
O三
ゴ!党首に名誉致損で起訴されたほどである。しかし
二年六月一九日にはデンマーク最高裁
Rg
Eω
れを「人種差別発言」と糾弾したデンマーク共産党のカレン・ス
ンEズ
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宍が数回ケアス
躍を支えたケアスゴi党首は、たびたび外国人に対する過激発言を行ったことでも知られている。
否された流れに便乗し、前述のとおり二OO
一年の選挙より、かなり多くの議席を獲得
OOO 年九月の国民投票によってユ l ロ導入法が拒
以降、 EU加盟への反対を掲げてきた同党は、二
年代
0て
マークが多民族社会に発展することに反対する」という立場を前面に打ち出し
いる。一九九
円一月号室『己一九四1
七年
)という女性によって結成された。一九九七年の党綱
1
ンス・ポステン」紙などを介してイスラlム教徒に対する反感を増長させようとした人々を指してい
O
発したり傷つけたりすることは何の意味もない」
と
いはう
この
忠告
「ユ非
ラ 難も盛り
「ムハンマドの風刺画j 事件の概要と各地域からの反応
風刺画問題の背景を探る
「ムハンマドの風刺画J 事件の概要と各地域かうの反応
風刺画問題の背景を探る
を理解するため、同政党で重要な役を担っている党員の活動に注目する必要がある。元新
)はデンマーク国民党の広報担当都としてマスコミ
レン・エスペルセン宏容 ggB53
深く、欧州議会の議員にもなっている。さらに言動が目立つ他の党員には、イエスパl・ラ
M
)
(仏
ERES
-吾g -
cm
ム教徒に対する反感を刺激する役割を果たしてきた。一九八九
i
葉は「め0
℃ 」と訳されて「新時代」を意味し、一九二六年にデンマークで起きた新しい弁証法神
♀
て)を指している。ここで歴史的な発展に深入りできないが、風刺画問題との関連
ヴェアヴ」という宗教雑誌の編集に加わり、重要な広報活動を続けている。テイデヴェアヴ
することに努めてきた。二人ともテイデヴェアヴ(ゴ己与えミ)という出版社が発行している『
彼らはデンマーク人の過去に対する自尊心を巧みに利用して、宗教革命に関する国民感情
C23
円宮口ちと庁)と元神父のセレン・クラルプ(
同翌
)という宗教者がいることは見逃せない。
32-
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七二年の問「ユランス・ポステン」紙の新聞記者として、
1
)の場合、その宗教的色彩はさらに著しい。一九六六年にコペンハ!ゲン大学神学部で修
1
の議長を務めている。 一九八四年よ
勾♀)
E5no
主義的な存在である」ということをアピールする狙いがあったと思われる。こ
lム
預言者に対する「胃潰」によってイス
ラ教徒の出方を試し、その「試金石」を通して「反民主
たといえよう。
ここまでは事実として語れるデンマークの政治界と宗教界の動向の概要について
域に入って、あえて風刺闘に関する仮説を立てるなら、その挑発的な行為には
「ムハンマドの風刺画」解釈の一例
り『テイデフェルフ」誌の編集長になり、現在に至っている。
35
取得し、一九六五年から教会経営会議
(をとの
年
にチ加わつOが
)ルプ(一九三七
職者」になり、一九八二年から「テイデフエルフ』誌のlム
編集
クラ
文化および政治風刺欄を担当していたことはとくに興味深い。その後、教会省での訓練を受
ランパレ(一九三九年 1)は一九六四
徒に対する類似の発言を絶賛したことはoまだ記憶に新し吋
語に訳した。これは小さな出来事に見えるかもしれないが、アドルフ・ヒト
ラユー
ルタ
lの
ダが
ヤ教
コ人とユザャ人に向かって|選ばれたマルテインルタ!の三つの告白
年にはすでに「対決||キリスト教世界とイスラ!ム』と題した書籍を発行
においてこの出版社は昔からイスラ
26
とすれば、大きな誤算は海外での反響と反発であった。「デンマーク語だけで議
う誤った信念は、グローバル化した世界を軽視した事例としてマスコミの歴史
前節では、宗教行為との関連のなかでのデンマークの特徴は、低い「参加」の
ど教会に行かないことと、それとは逆に、内面では「人生の意義について考える
いることについて言及した。このようなデンマーク社会の宗教的パターンが、多
の信仰の表現の仕方(五時の礼拝など)と対照的であることが、お互いの不信
デンマーク国民党の支持率も順調に上がっている。ただ、いずれの狙いも国内に向け
「成功した」かもしれない。近視眼的な見方をすれば『ユランス・ポステン
を煽動することが典型的なポピュリス同の戦略であるし、選挙結果を見
27
、f
,了
く 1) EU(ヨーロッパ連合)
も視野に入れる必要があろう。
ところで、仕事に対する価値観に関して、一昔前まで自明のように思われていた「プロテ
が勤勉で仕事を重視する」態度とエートス(倫理)が、「資本主義の精神」と密接
l
タを見ると「プロテスタント社会に住んでいる人は労働倫理が弱い」とい
いうマックス・ヴェ!パ!の理論は崩れかけている。労働に対す
る態度と動
i二
000 年のデ
れ、逆にイスラ!ム教が多数を占める国では「労働倫理が強い」ということさえ
デンマーク国民党党員は「外国
人民 Hイスラ l ム教徒 H
脅阪」という単純な発想を共有し
H移
ることは明らかである。しかし二OO 一年の「 9 ・日」同時多発テロ事件および政変以降、それを国
会やマスコミの場で発言する機会が増えた。その風潮を生み出す世論に同調するデ
マスコミ、さらに「テイデフエルプ』という宗教雑誌との連携は0と
にン
深マい
二
年く
間デ
ー。
ク国
3
=オランダに見る「寛容」崩壊の過程
いずれにせよ、そこから移民の受け入れと統倍が問題視され、欧州
ろでこの問題をさらに掘り下げていきたい。
出身でありながら信仰をもたない人が、多く含まれているからである。後述の
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府の統計では出身国だけが表示されているので、どのような基準によ
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だと指摘しなければならな吋。とくに「E文
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な役割を果たしたわけではない。しかし、風刺画掲載問題に
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オランダのいくつかの新聞は「ムハンマドの風刺画」を掲載し
3
異同を考えることが必要であろう。
Uの
は地域性に基づく特徴が見られると同時Eに
、他の国でも類似の現象が起こっているので、その
00顕著になっ
年代の移民に絡む問題まで遡れる一方、それが排他的な言論として
一年の政変以降であることがわかる。デンマークにおいては「単一民族」の神
類の排他的反応が刺激されやすく、現政権にきわめて近いデンマーク国民党
し続けていることは、これからの北欧の行方を左右しかねない最大の懸念材
--オ荷
14441jji
要するにデンマークの場合、「ムハンマドの風刺岡」が掲載されるま一で
過程を見ると
九の
八O
する攻撃は、「風刺岡」問題の前兆として見ることもできよう。
かりだという論調はかなりの反響を呼んだ。それに続く一連のデンlマ
クにに
ムー
教徒
対住むイスラ
パイプ利(
(2Z
US
2)とラ l ス・へ iデゴばE
互司吋
包認自己)の「デンマークにおける腐敗」と題
した記事が掲載され、そこにイスラlム教徒が犯罪者の多数を占め、デンマークの福祉を悪用するば
民党などによって培われてきたこの土壌こそが「ムハンマド風刺画」の掲載を可能
たと思われる。外国からも、火に油を注ぐような形で、そのような排他的な傾向を支
O二
あったにとに気づかされOる
。年
二八月二七日付の『ニューヨーク・ポスト』紙にはダニエル・
28
29
「ムハンマドの風刺画J事存否概要と告地域かうの反応
く l) EU(ヨーロッパ連合)
風刺画問題の背景を探る
111fji
風刺画問題の背景を探る
する議論が激しさを増している。オランダへの亡命を希望する者の数字
0 の変化を見
四年にはその数が七八%減ったことが最近の動向oを二よ
く0表していお
00
00 年と比べて二 OO
年代の初頭には事実上すでに「ゆ民族社会」になっていたオランダ(とく
様に対する疑問の声が現れ始め出。そのような動向を促した主な原因と移民
経緯を見ておきたい。
政治的、社会的背景
オランダはデンマークと同様、宗教革命をいち早く受け入れたプロテスタントの盛んな
た欧州の中で世俗化が最も進んでいる国の一つである。先述の宗教的「参加」(礼拝
査結果を見ると一九七 0年代にまだ四一%だった割合が二
OO一年には一四%まで落ちがよ世俗化
吉岡い。
l
進むなか、オランダはインドネシアと南アメリカ北部のスリナムを植民地にした経験
の文化を受け入れやすい地域と思われがちである。他方では南アフリカに住むオランダ
カ ナの国民党が一九四八年に政権を握った時点で、アバルトヘイト政策を実施した暗い
しかし、タブーだった事柄(安楽死、大麻、売春)を法律上でいち早く許容する国と
30
多様な価値観に対するオランダの伝統的な対応の仕方を「縦型分離」(ヴエ
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沼3
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み持狩jd
iン学校(宗教的教育施設)が作られ、政府の
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ム教徒の子供のために少なくとも四
O校のクルア
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社会のそれぞれの集団に表現できるスペースを平等に与えることを指す。この原則に基
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一年一一月
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LPF
党内の争いが絶えなかっ
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では点数を稼ぐ有効な手段であるというアイデアが芽生えたことは否定できな
しで
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マが
ー}
クと同様、「移民排斥」の提唱が政界
たこともあって、議席数が八Oし
人かま
落ンち
O。
O三
党になったが、同情票が多かったようである
二年の選挙では
LPF 党は一五 O議席のうち、二六議席を獲得して一時第二の政
事件の直後に実施された選挙では
に暗殺された。
フオルケルト・ファン・デル・グラl フ(〈OF2g コ己205 「)というオランダ人の動物愛護活動家
ストの発言はオランダのメディアにしばしば取り上げられ、当選がほぼ線実だっ
(
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H )を結成する.述びとなる。ムスリムに対する反感を募らせるこの
ト」(ピE
玄B22ヨ HEり
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二年
二二
月九日
本っ人
好Oみ
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の選挙のための同政党の候補になることが決ま
た以但激な発言をO
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教徒
入国
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のカトリック系の「ヴォルクスクラント』紙のインlタ
ュのト
でを、
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たい」と発言し、また人種や信仰に基づく差別を禁止するオランダ憲法の
明したため、同政党の候補資格を取り泊された。それを受けて、翌二月一一日
二O 二年
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庁R内
『qzE )という新しい政党に選ばれ、O
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一O二年)は「住みよいオランダ」(E
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から現れている。その時点でカリスマ的なゲイの政治家ピム・
ル一タ
{回岬)
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が近年急速に崩れ0政
か界け
)る転換の兆しは少なくと9も・「
にが
おけ
ところが、その「寛容」のイメージが妥当であったかどうかという議論を別に
いという暗黙の了解のうえで、結果的に無視し合うということにつながってしまう。
援助も受けてい封。この考え方では、それぞれの信仰や政治的信
「ム八ンマドの風刺画J 事件の概要と苔地域からの反応
(1) EU(ヨーロッパ連合)
風刺画問題の背景を探る
ト・ヴィルダ
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コ到、芯川Lな
党は
のそうした路線を受け継ぎ、自らの極右政党を作り外
EES 丘 ODW
)は移民希望者にきわめて厳しい条件を課すことによって広
国人への反感を煽的続けていぞ政府内
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リタ・フエルドンク(
を集めてきた。二 OO五年五月一五日より実施された新しい政策の一環として、オランダ
を希望する人は、出身国のオランダ大使館で言語と文化に関する試験を義務
とえば「オランダでは、女性が夫を選ぶことができるか」または「オランダ
いるか」という典型的な質問に対する回答を求められ
刻園。
質見
問の内容
iム
出そ
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解を試すために設けられたことは明らかである。
ゴッホ監督の暗殺とヒルシ・アリ騒動
平和なはずのオランダを揺るがしたもう一つの
事四件
OO
年は
一二
一月二日の白昼に起きたテオ・
l
ンのぷ怖が映し出されている。この映画の脚本を担当したのはソ
}河口)が次のターゲットだと明記されている。ブイェリは終身刑を言
ブ・コヘン C与のO
r 一ー百一日)という原理主義の過激集団に憧れているという内容の
ル H ヒジユラ( dE3白
死体にナイフで刺した。五ページに及ぶこの手紙には、ヒルシ・アリやアムステ
i ル・ア
(ZoFh52a ロoヨ
歳、
)彼はゴッホを殺害したとき、タックフィ
c ユ)という若者(当時二六で
ゴッホ監督を暗殺したのはオランダとモロッコの両方の国籍を所有するムハンマド・
ン・ヒルシ・アリ(〉S苫
EEK 一)で、当時オランダの国会議員として活躍していた。
クルア
した一 0分間の短編映画は、一部のイスラ
lム教徒の反感を呼んでいた。この映画では女性の裸体に
ファン・コッホ殴督の惨殺である。これは社会全体に衝撃を与え、移民政策の「
もなった。ゴッホ監督は挑発的な発言で知られ、とくに「サブミ
ッをシ
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風ョ
刺 ン」という
32
UW
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怖ではなかった o
政治家が慌てるなかで、たとえばカルヴアン主義の保守派に
O の評論家イ
暗殺後の騒ぎが続くなか、さまざまな反応が現れた。オランダ出身
O四年二一月に貧困層のアムステルダム郊外で聞いた声には、まず復讐に対する
ンク
学校
火ア
される事件が多発したので、根拠のない恐
と報告してい討。実際に、モlス
やが
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二 OO 六年三月一 OHに禁固一五年とご二年を含む有罪判決を受けた。
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同じく憎悪をかき立ててテロを企画したホフシユタッZト
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O六年二月二八日には、サルマン・ラシユ
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の二月九日に、彼女は「風刺耐を拘載することは正しかった」そして「その転
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えて刺
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この政党の傾向をよく表していね。「ムハンlマ
ド
耐
の六問
けた。二OO凶年一一月二 OHにデンマークの自由党から「アニユアル白山賞」を受賞したことは、
ヒルシ・アリはゴツホの暗殺後、脅威に以しない人として持ち上げられ、マス
一位の七二%に達し、第二位はデンマークの六七%だったことが判明した。
ジャーナル』がムスリムに対する反感の世論調査を行った結果、
OO 四年二一月一
てはどうかと提案した。暗殺後の二
DUos)
q は、一九六六年より適用されたことのない「冒漬」法を復活さ
22z-
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ハイン・ドナi (
33
「ムハンマド‘の風刺画J蚕存否概要と各地域からの反応
(l) EU (ヨーロッパ連合)
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)というマスコミ向けの手紙に署名して、原理主義への対抗姿勢を一層
著者や知識人と協力して「マニフェスト||共に新しい全体主義に向かっg
て-
」
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3包括吾。 Z240SEE -
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印象づけた。
彼女の思想を理解するには、少女のころに受けた虐待、そしてオランダに亡命してから受けた影響
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0 の『無神論マニフエスト』
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乏から感銘を受け、
を視野に入れる必要があろう。ライデン大学で政治学を勉強していた時点で当大学の哲学者ヘルマ
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ム教に対する批判を展開し始めた。それは最初の「工場の息子N
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という著作の形で発表された。
ところが、国会議員選挙で得た記録的な票総やメディアの
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六年
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六年の五月一一日のテレビ番組旬、彼女はオランダに亡
から逆境が目立ち始めた。二OO
九二年当初、生年月日や本名を偽ったことが報道され、国会で議論の対象となる。それを機にフエル
ドンク移民統合大臣は調査を依頼され、オランダ国籍の取得が無効であるという結論に至った。国籍
剥奪の知らせを受けたヒルシ・アリは同五月一六日の記者会見で国会議員を辞職することを発表した
が、偽名を使ったことに関してそれを二
OO 二年にすでに公開していたので、今さらそれを追及する
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苦)という元 LPF の議員で、同議員がカルヴアン主義の右派に所属し、
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l ゲル( E号室内∞巳)は率直に「政党にとって、そ
する反応のうち同政党の国会議員のハンス・ヴィ
して国会にとってあまり損失にはならない」、そして「勇気のある女性でありながら、彼女の
世論を二極化させてしまう」と発言した場面もあお。多くのオランダの
l
しており、恐れていたのは新しい火種になるヒルシ・アリの映阿の第二弾、同性愛に対するイ
2」であろう。
ム教の迫害を描いた「サプミッション
OO六年四月一一一日には政府の顧問機関である政策
冷静な分析が求められている状況のなかで、二
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qEはイスラlムの価値観に関する詳しい報告
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はヒルシ・アリの意見と真っ向から対立し、イス
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ことは欠かせないと訴えている。
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以上のヒルシ・アリをめぐる議論の延長線上、
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アリの国籍を凶復したが、その責任が問われている。連立与党の最ω小
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移民統合大臣の辞任を強く求めて連立政権から脱退する運びとなった。
辞職した。理由はフエルドンク移民統合大臣が六月二七日、国会の圧力に屈し決定を覆し
O日にオランダ三党連立内閣は総
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団体
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する回定観念の誤謬を浮き彫りにしながら、民主主義に積極的に貢献lす
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書「イスラ
lムの行動主義における活力』を外務省に手渡し問。審議会の会
35
「ムハンマドの風刺画J 事件の概要と各地域からの反応
風刺画問題の背景を探る
34
のは陰謀、だとほのめかした。そして実際に彼女の失脚のために全力を尽くしたのはヒルトプラント・
ナウイニユ(
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治界に飽きたヒルシ・アリは二 OO 六年の九月からアメリカに渡って、アメリカン・エンタープライ
唱
ヒルシ・アリがすべての宗教学校の世俗化を提案したことoへ
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復」だと見
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ズ研究所に在勤フエロ!として勤めている。しかし、ブッシュ政権に近い宗教色の濃いこ
ヒルシ・アリがどの程度自由な発言ができるかは未知数である。ちなみに、ヒルシ・アリの
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悲劇的な事件が緊張を高め
という移民政策の 三つの伝 統的なモデルの
「同化」
「部分的排除」
「多民族社会」
。
以上の概要でオランダの近況には長い間移民政策を野放しにしたうえ、
たことを見てきた
モロッコ出身
、
とくに農業地帯のリフ地方からの移住者が問題視され
ダは欧州の中で 「多民族社会」を選んでいただけに、それに伴う問題に直面 したときの
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、
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同時にオランダにおいては世俗化が著
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したがって、 オランダ社会で起きてい
アイデンティティ」を再構築しようとする勢力が 「
欧州共通の側値」 の追求を限定し
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。
る移民との摩擦の恨底には、「他者」を代表する貧困層のイスlラ
ム閤出身者に対する根強い不 信だ
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政治家や思想家が参加する議論では、「欧州共通の価値観とは何か」 が重要なテーマとなる 一方で
その偏見を強化し 、事態を悪化させてしまった。
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ゴッホ監督を暗殺した若者がアムステルダム生まれのモロッコ人だったことは
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排他的な議論を起こす傾向が強い
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ンダ党」が公の場でオランダ語、だけを強制す
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ま で提案して
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だったが 最近フエルドンク大.也との協力を模索しており、右派の動向に は注意が必要である
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「住みよいオランダ」党首のマルコ
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の掲載に対して無条件の支持を表明してきた。
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ス教系)の新聞オーナーのレモン
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の風刺画掲載の決定には経営状況を改
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ウジアラビアのデンマーク商品のボイコットが始まっ
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けでなく、
「世俗的価値観」対「宗教的価値観」という構図。も働いているに違い
36
37
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<l) EU(ヨーロ ッパ連合)
、 ごうとして
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フランス・
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政府が差し押えを支持する方向で働きかけたことが判明
起こした
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しかし、好寄心は必ずしも
賛成と連結しているわけではない
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さらにこの事件に
は「脅威」と結びつけられる傾向
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どどう評価するか」という質問に対して
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ミッテラン政権の元文 化 大臣のジヤツク・ラングは
「外国人」
という概念の矛盾を 浮き彫り
は 「
宗教をもっていない」と答えている。
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さらに、
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それに対
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受動的に受けるもの
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そのため
それらは民 主主義 的 な生活 に危険な分 類を作 り出し
外国人だとい うのは最終 的な状態ではない
。
にし、心理的な感覚としての 「
外国人」と統計上の 「外国人」がまったく違うことを強調している。
帰 化 が可能である以上
ト のはぐらかしは無害だといえない
。
H 国 生 まれ
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どんな人間の意志の偉 業 も出身地は変え
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化の 一種として前から知ら
差 別が 失業や 非行につながり、 そしてそれが
平等」 が大 前提であるが、 日常生活
つまり、憲法上、 フランス共和 国 には徹底した市 民の 「
中小しさに
「外国人」
の位置づけにはフランス社会が直面している根本的な問題の一つが潜んでいると
、.
し、ズ之
における差別意識や雇用における 差 別は 意 外と根深い
また新たな 差 別を 生み出すという悪循環は色々な地域で見 られるゲッ
化
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フランス 生ま れ
H
H または
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いえよう
が比較的長い過程を要すとしても、 外
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いことを示した。 フランスでは
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(1) EU (ヨ ーロ ッパ連合)
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、
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向レ
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その調査結果の十でい
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のコマ
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シャルの、
ヴインチの絵画「最後の晩餐」を模倣した真
写は、 フランス司教協議委員会の訴えを受 けて使用
実 際に風刺画掲載の問題が浮上する
ダ
一四。
イヴ
ダルはこの判決の場合、写真でポlズをとる若い女性と上半身を裸にしている男
が禁止され
だと
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指う
摘抗
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L
ら
た
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と
したがって
「ムハンマドの風
刺画」が掲載されたときの対応といかにも対
風刺の対象が少数のイスラl ム教徒の場合、 それを許
、
実 感するだろうと分析している
。
差
要するに、 郊外で暴動を起こさせた要
っ ている
の基準」が発覚する
そして、郊外に住む若者たちにとってこのような 「二重
ぎ ないと
サルコジ内相の移民法
。
ー
。
って極右政党の票を吸収する狙いは
ロッパの政治家は、 移民をどう規制するかを最優先課題
フランスでも、 その規制を強化することによ
フランスをはじめ として現 在の多くの
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高、、
。
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フランスで は 二 OO 七年に大統領選挙を控えて いることもそ の傾 向を強めている
。
二 OO
明 白である。結果として 外国人を好 意的に受け入れてきた伝統はなくなりつつあるという印象を 与え
として考えている
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た 一部のジャーナリスト以外ほとんど見られない
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現の自由」だけを単純にとらえ、 風刺画の掲載を正当 化する 意見はその掲載を決 断し
差 別だといえるのであ る。
「ムハンマドの風
刺画 」 の掲載を可能にしたフランスの社会情勢は同じ
別の新たな 展 開に過
にからむ発 言 が口実に聞こえ、 実際に行われているのは日常茶飯にな
と、「表現の自由」
。
デンマークと同じように
。
圭刃
性がキリストとその 一二人の弟子たちを明らかに 連想 させる内容で、 カトリック教徒にとって中傷で
的る
す風潮が顕著だ という
照あ
因
と
41
自由」という概念にいささか矛盾が見られるとすれば。
、
座に信窓
そ即
して
め支を聞いたところ
40
ルとのイノタピュ lの中で、フランスにおける「ムハン
マドの風刺画受
」け
の
止
本人が最初に思いついたのはま
さの
に基
「準」であった。つまり「表現の
二重
とは正反対に、郊外の若者は「悪党」と業位
ら
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、前失
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差別づ
のけ
波を
受け
線立
にっ
て、
フランス社会における自に見えな「
い壁」
の実態を 一番よく知 っているからで弱
あ。
ι
表者 を務めたレイランヤヒ l ド(戸REE
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a
内
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(ζ三百 一巧同「
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一 )とドミ一一ク・ヴイ(
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ダルg
ヘ-心
一 と共に同様の見解を表してきた。波等
55 去 )
J
i
中東問題と郊外暴動 との関連のなかで、「生
共 」の秘訣を追究し続けた
。
外に住む 若者がもって いるフランスの 「二重
の基準」に対する強い反発が。
目
な立
ぜつ
なら、
)は同行した新聞記者のミンエルヴ
とを
「感性」と深く関
わ
繰り
っ
返し
て指い
摘
るのに
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は、スイス出身のイ
ス学
ラ者リ
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タ ク・ラ
れ針つまり同氏によるとユーモアは結構、
;い (dz -5ω 含乙であv
な
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が受けて
現こに
差
信
仰の
を郷撤することは、常識ある人が自然に。控
え以
る降行
る
パる弱者
暴動
パ為
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郊あ
外一
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人の若者との対話を続けてきた人類三
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一
二で
OO
五九
年九
にフランスでパレスチナ代
「ム八ンマドの風刺i!m]事存否俄要と各地域かうの反応
(1) E U (ヨーロッパ連合)
~一寸
「ムハンマドの風刺画J %}ii牛の概要と各地主まからの反応
(l)EU(ヨーロ ッパ連合)
六年五月一七日に
「サルコジ法」と呼ばれる新しい
「移民統合法」がフランスの元老院(上院)
、
。
(削-
(忠一コに
巴提
戸出
)され、 いくつかの修正案が盛り込まれた後、 六月一七日に可決された。 この法案は六
月三 O 日に国民議会(〉
向)でも可決されて成立した
な Z阻ま E 一
ag dE
、
、
この法律で
この法律は「移民の流れを制御する政策からその流れを操作する政策への移行 」 を目指すと同時
。 しかし
距
離
、
追放にほかならない。 この不法滞在者の子供を含めた追放は人道上深刻な問題を伴っている
、
。
現時点
が少なくないだけに 微妙な社会問題となっている。サルコジ内相は具体的な数値目標にも言及し
。
、
このような発 言 が波紋を
(間}
二 OO 六年に二万五 000 人の不法滞在者 を国外追放したいと述べている
。
、
内-
向
。
や 的)
ド」 (宮内白コョ
品門
川
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巾コ門22g 一向コ門
l
これは 国が必要とした人だけを移民として認めよ
、
このよ、つな 「選別」
をも含めた法律の実施がどこまで強行されるか そして困
。
一つの側面は 三年間有効の 「技能と才
能カ
投げかけるにもかかわらず 、世 論調査によると強攻策を支持する人は多い
こ の法律のもう
。
他の新しい在留資格を管理する書類の導入である
うとする制度である
。
、
民がどこまでそれを支持するかはフランス社会にとっての 来るべき重要な局面と して見 守るべきで
あろう
一
5 結び
42
は全国に拡がりつつある ナチス占領時代にユダヤ人の子供たちが強制送還されたことを連想する人
(胞)
で、とくにフランスの学校に通っている子供に対する無差別的な法律の実施を阻止しようとする運動
。
)という椀曲表現を使いながら 実際に行われることは不法滞在者の国外
をおくこと」 (eo-∞0コ2A
叩
コ戸
国
て
に 、「不法入国の取り締まりを強化す
る 」を目標と
掲し
げて
いる
こ
.
、
。
いる政
U
って いる。具体的な取り
社会問題との関連が目立
にび
から
ずれも「移民政策」およ
そむ
れ
ろ、い
1認識が浮上し
という共
った
の
モは
デルが失敗に終
わ」
「過
が述、つにしても、それぞ
れ去
の統
国合で
、
きわめて興味深 い
検される時期に入るので
。
ムの側値観がとこま
一つ 一つの政策が点
の価値観と互換性があるかは、これから宙に浮いた議論とし
でEU
ム
口
hJ トルコ共和国におけるイスラ l
その是非に関する本格的な議論
kが芽生え
10
。 してトルコの加盟という新たな諜題
に辿り若くまでは多くの修正そ
は欠かせない
。
強い
付か
、強行路線を選ぶ傾
泊。同
各 が必死に新しいモデルを模索しているな
てき
の輪郭をあらためて確立しようとする動きと並
ナショナル・アイデン」テ
ィ
テ
ィ
「
欧州が単なる経済協力圏に過ぎないのか、そ
。
しての「ヨーロッパ」の特徴も問われ
続
け
て
い
る
かけである。これに関
にも関わる豆問
大いな
州憲法の調印欧
も特定の理念と価値観を共有で
き
る
か
は
を否決し 、採択過程を遅らせているので成立
の批
してフランスとオランダが国州
民怒
投法票
で准欧
43
の一部で時事が刻々と変動することと密接に関わっ
EU
ある
、形
の報告で
は成過に程
以上
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た要
ので、近い将来に予測できなJ
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、
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止
め
方
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根
底
には
ドの
「ムハン
マ風刺画」問題に目を向けると
こ
、オランダとフランスの官景を掘り下げた
にれ
デン
ーク
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観のさまざまな形態が見。
え主隠
すマる
組み
風刺画問題の背祭を探る
一つ古河T
風刺画問題の背宗を深る
共通課題
欧州に住んでいる移民、あるいはそれぞれの国の国籍を取得
し教
た元外国人
iム
徒」と呼ばれる人々の統合が問題視されているの。以
は上間
いたな三い
見違
てき
ヶ国では最近いずれ
、
も「統合強化」という名の下で、移民を制限する政。策
採向用
つ促
つしあ
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の方
転し
換を
たる
さま
失業問題や福祉の悪用に対する国民の反発が含まれている。そこ
別に 「
他者」に対する不安という要素もからまっていること
はた
明がら
。し
っかである
の共通課題は統合政策の枠からはみ出、し
広て
義の 「
教育」と深く関わっている。
さまな原因のうち
EU
雇用問題とは
て、この
EU
各国で散見される 。 この傾向が 一時的なものなのか、あるいは一部のマスコミが
。
それぞれの国民に見られる不満との関係から浮かび上一が
て要き
う
、右翼あ
つっ
の重
なた
諜も
題は
るいは「新右翼」への対応であ各
る国の政党が強攻策を競い、右翼の支持層を我が党へ引
き寄せよ
うとする姿勢は
ラ l
、欧州で停滞しがちな精神活力への貴重な刺激とな、り得るが
。
ドサ
(イ
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ンの『文明の衝突」に対する書評の中で、エドワードl・
ト
いうことを 真剣に考える必要がある
背景の背景
山田三 一九 三 五1二 OO 三
。
つる
まりサイ
iム文明はこうだ」という論法の問題性を浮き彫りにしてい
こうだ」「イスラ
。
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知として位世づけているが、それに共鳴するかのように国連の人権特別報告者を務めドる肝
。
つまり 真 我を見失
。
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。
・
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九八七年)は、個人的な葛藤との類似か
一九 O 二 1 一
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。 たとえば対 立感情を抱えているアイル ラ ンドの活動家を集めたワー
。
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だと
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バ一
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含む 「
ってきω 。 人間関係を好転させる 一番肝腎な要 素 は、 全 間的な 受 け入れを
化が現れるという実験を行
って
実、
際の
係に
に変
クショップの中で、自分の認識の変化から相手に対する認識が発展
し
そ関れ
従
への心理学の応川を探って き た
カ l ル・ロジ ャ i ズ
ウた
ンセリングの父と呼ばれる
それが紙意識的に他者に投影されるという現象が研究されてカき
同じメカニズムを心理学から眺めると 、自己の影の部分 (ネガティ ヴィテイ )を認めないかぎり、
。
狭いカテゴリーの中に封じ込めようとする心の働きは、古代から諸宗教の聖典で拙かれて
「無
無知」の違う側面を強制しているが、その理
解明を」 、つまり
イ!ドとディエンは 二 人とも 「
っ て いるからこそ隣人を
「本質を見失う」というところまで広げることができる
一口一
う一 サ
あげ
る:
人種 差別的な考え方や慣習の根底にあるのは無知で」
デイエン (
内も 「
りOFEgo-宮)
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ゥ
この批評ではハンチントンの学問の限界を無
それぞれの文化の多機性を無視した倣慢さを弾劾する
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洋文
明す
は べきだり
年)は、むしろそれを「無知の衝突」と
解
サミユエル ・ハンチン
{川
}
世俗社会との摩擦が増え続ける可能性も否定でき
な」い
そ図
こ式で
立論
と。
いう
が「
誰対
に有益かと
なら
討て
。そ
ム教徒」という発想が現れ、思想的な新しい諜題とし
注れ
目を
を積集
いらえる
極め
的て
にと
逆に拒否反応だけが先行する場合、
他方 では 、イス
普鐙を鳴らして いるように 「大後退」を意
味するのか は予断を許さなザ
ム・パッシングに対する反動をも含めて、欧州を中心l
とした「西洋
44
45
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人」として認識した場合、すでにレッテルを貼ることによって全人格の許容は損なわれ「る
、
他が
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って
。
き
た
と
。
。
「悪魔」
に見立てる (aA
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いうことは周知のとおりである。植民 地 時代
。
さらに
、
。
「まずその出来事を現
、
て 、そ
そ し て長い間の搾取
「9
、
」 以降の
・日
E U
にグ
誤報が非常に流れや
。
・アナンは最近強調した。 これは現在の移民政策に関わる政治情勢と無関係ではな
がどれだけ各国の歴史に武重一な貢献をしたかについて思いを馳せることの重要性について
国、
連前事
務総長のコフィ
。
かろ、っ
風刺画を現代史の分脈に位
置づける作 業
現在の欧米では 「イスラlム教徒」を意識的にまたは無意識的に
、
(エ 田-
回コ教
) 授は
一
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出『
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たいてい何らかの政治的な意図が発見される 中東における
情報操作が見られ、 「ムハンマドの風刺画」
しよう
の掲載を 「表現の自由」という座様、だけで化
正当
とする人の言動を冷静に観察した場合
暴力を専門に研究しているハミット・ポザ
ル スラン
、
そして長期間にわたっ
った経緯を忘れてはな
代史の分 脈 に位置づける (YEo -E-印内「)」必要性を強調しEたU では高度成長の時点で、労働者を安
。
。
い賃金で雇えるという経済と利益だけが優先し 移民の受け入れを積極的に行
らない
旧植 民地をもっている国の場合、 その国から流れてきた移民は多い
ま
れらの 地域 からやってきた人々に充分な生活の保証や教育を与えないまま、 失業率が上昇し始めたこ
ろ、初め
て反感が高
どう位置づ け るべきかは大きな課題である
、
という歴史に対する反省がほとんどないまま、二 O世紀の末から 「排
除」 への方向転換が現れてきた
これをどう理解すべきか
こ の新しい コ ン テ キス
る。 E Uが統合の 強化に向 かっ て い る 一方、す で
に は、 前 述した いくつかの政策の変更 が 見ら れ
への替戒を
ト では、 デマや情報操作
。
た
ロl パル 化に対する反動も目立ってき
ったからである
ニュースの即時性やインターネット社会では
ますます強めなければならない
すくな
ユーモアの役割
(
5350
つには
弓)が 言、
。
。
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、
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もいいかもしれない したが
教やそ!
を含めない削奔が其の刷弄にあら言
ずしと
、
謙遜の欠如、そしてそれを信じている人々に対する
創立者を刷ること
が
う
マスコミ関係者にはこのような図式的な考え方に振Vり
回されな
教育者、政治、家
重大な責任があることを痛感する次第である
っ て し まう
ゴに向かわせるべきだ、そ
しれは他人のために有誌でなければ単なる悪口でとどま
そり
の掲載はし。な
巴すれば、真の ユー
モアの矛先はまず自分自!
換言
含まれていないか、
ぎ
ト
ず
大賛成だが、法律で禁止されているかどうかという問題
以前に
ック ・ルノワール
リデ
の編集長を務めるフレ
ト 聖
ピ
ッ
ムハンマドの風刺画」の掲載の是非を、
なク
る を滑稽に扱えるかどうか
最後に、「
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号し
石い
室長
5 認
(5
問題にすり替える論法の乏しさを」再
硫
。
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界刊誌
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「宗教を風刺 するこιl
46
47
「ムハンマ ドの度開u函」 事件の概要と各地緩からの反応
( l ) EU (ヨ ーロ ッパ迎合)
風刺画問砲の背祭を探る
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銭信+i .W'主手伝同嶺’昨~恥~~選 2006 r;ト入ト 一 、 G 白色{ ・ 科会ヨ・ ギ4目J (謡I只記)。
てら制医時 1994 r討とどよJ{I長彰一- I'>' h 号、 rて ・ :ト H 一三- ..IJ[Ij 特J (剥味到馬記) 。
εヲ《口同40詰±l 2003 「「, 1ト入代詩く~富市iii穏な1言葉ーーや判記..IJ:i\'討oQ議G 祭霊平ノ」’吾~<o時 ・
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照 fい mt-,~ ト干いト h川氏側一部と閥均初経性vほ己J (劇的!JI!l:S)
零猷巡る{ 2006 r~Iト入 κ 時議 ~昭:出..IJ I
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。
、
第 三 凶巻第 三号) そして暴動との悶
、
の極右政党の 動 きを含む背景について 也 谷 (Ngu) 恭助自体に関 して
り
。
32 三 2
と思ったことに由来
に建設された 「分雌控 」 と同線、 フランスでは 都 会 中心で 行われて
郊外を四む現状道路の透 明 な壁を越
いうことに気づき、 その 「
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。
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(
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。
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。
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OO 六年二月臨時嶋 刊
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現代 思想」 の 「フラン ス暴動総特集」(二
(例) 白木誌で は暴動が起こ
を
分
「ム八ンマドの風刺画]事存Q)概要と各地域からの反応
(l) EU(ヨ ーロ ッパ連合)
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ことになる
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、
どのような表現ならそうでないとされているのかについて」考
ぐる表現の自由について世論を喚起することにあったとの見解を示すとともに、 「デンマ ー クではど
のような表 現な ら一般的 に許 容され
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司ユランス
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一「文明の衝突」
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65
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掲
二 OO 六年 三 月 一五日、 デンマ
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風刺聞に添えられた文章はいずれも、宗教感情に対する侮辱や中傷
回刺
と問
定の宗教の信者に対する中傷や誹誇を禁じた刑法第
原L る
刺 j孔
同長 官 は、 「ユランス
と
l'IJJ と
題題
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-=圃・・・・・関岡・・・・・圃嗣
掴岨圃・・・・・・属高調聞・・・・・・・・・周回・・・圃圃・園開園・・・固圃帽開閉・・・・ー-・間四回開戸『-ーーーーー一ー一一一一一一
[編著者]
森孝一 (もりこういち)
同志社大学科学部教授、 -11µ数学際研究センター長
19'16年生ま れ。工t,r. 門はアメリカ宗教史。
若お:『宗教からよむ「アメリカ JJ (講談社選書メチエ、 1996年) 、 f ア
メリカと宗教J (編共著、 日本国際問題研究所、 1997年) 、 rr ジョー
ジ・ブッシュ」のアタマの中身一一アメリカ「超保守派j の世界観j
(講談社文館、 2003年) 。
[著者] (掲捌l頃)
ミ シ ェル ・ モ ー ル (Michel Moh「)
同志社大学一千将文学際研究センター客員フエロ一 、 ブラウン大学宗教
学科客員研究貝
19921f:. ジ斗ネ ー プ大学文学博士号を取得した後京都に移住。専 門 は日
明石ライ ブラリー 圃
EU とイスラ ー ムの宗教伝統は共存できるか
一一 「ムハンマドの風刺画j 事件の本質
200711宮げ15 日
本近世近代宗教思想史。比較宗教学、神秘玉義への関心、も高い。
論文 : 「事ii学には方法論がありうるか? J(『日本仏教学会年報J 66号、
2001 年) 、「近代『禅思想j の形成J ( r思想j 943号、 2002年)、 「平塚ら
初1)/技第 1 1別発行
いてうが見た近代の宗教 とその評価J (r近代仏教1 12号、 2006年)など。
孝
編著者
森
企画
同志社大学-1111教学|際研究センター
石井
発行者
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男
株式会社明石書店
発行所
〒 10 1-0021
東京都千代区!区外神田6-9-5
編者・ 論 文: T. J
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~石曾,a デザイン笠
株式会社文化カラー印刷
製本
ナショナ Jレ製本
問
1950年生まれ。専門はホメロスの詩にみる宗教、デン マークの公的領
域と宗教、 宗教教育 、 宗教と人権、宗教とエコ ロ ジー。
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(定価はカバーに表示しであります)
総幹事
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森孝一[編著】
同志社大学一神教
学際研究センター
【企画]
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