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見る/開く - 東京外国語大学学術成果コレクション

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見る/開く - 東京外国語大学学術成果コレクション
Journal of Asian and African Studies, No.87, 2014
資 料
舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
鈴 木 博 之
mBrugchu Tibetan Ongsum Dialect
Phonetic Description and Dialectal Comparison
SUZUKI, Hiroyuki
This article provides a phonetic analysis and a preliminary dialectological
consideration of the Ongsum dialect, one of the lesser-known Tibetan dialects spoken in Baleng Village, Zhouqu County, Gannan Prefecture, Gansu, China.
The Ongsum dialect possesses the following dialectal particularities: no phonological suprasegmentals; a peculiar consonant phoneme, the labiodental
semivowel //, and lack of voiceless resonants; and peculiar vowel phonemes
such as /,  /, a systematic contrast of velarisation and retroflex, and lack of
length and oral-nasal contrasts. From the viewpoint of the sound correspondence with written Tibetan (WrT), it is noteworthy that WrT sh, sr; Py, Ky
generally correspond to /x-, ; s-, ts-t/ respectively. The velarised vowels
basically correspond to a WrT vowel with a final g or ng. Most of these typological characteristics are unique to this dialect. Through a brief comparison
with another dialect named dGonpa of mBrugchu Tibetan, the paper shows
that Tibetan dialects spoken in mBrugchu can be divided into at least two dialectal groups to which Ongsum and dGonpa belong respectively based on the
condition of voicing of obstruents.
1 はじめに
5 Ongsum 方言の蔵文との対応関係
1.1 地理と言語分布
5.1 初頭子音
1.2 言語学的な先行研究
5.2 母音および母音+末子音
2 Ongsum 方言の音組織
6 dGonpa 方言(舟曲県拱壩郷)との対照
2.1 母音
6.1 子音
2.2 子音
6.2 母音
2.3 音節構造
6.3 子音と母音の組み合わせ
3 母音
6.4 超分節音的音特徴
4 子音
6.5 本節のまとめ:dGonpa 方言との異同
4.1 初頭単子音
7 まとめ
4.2 初頭子音連続
Keywords: Tibetan, Zhouqu County, phonetics, breathy voice, dialectology
キーワード :
チベット語,舟曲県,音声学,息漏れ音,方言学
242
アジア・アフリカ言語文化研究 87
1 はじめに
本稿は中国甘粛省甘南 [Kan-lho] 藏族自治州舟曲 [’Brug-chu]1) 県八楞 [Ong-gsum]2) 郷で
話される Ongsum(八楞)方言の音声記述を行い,その結果とチベット文語形式(以下「蔵文」)
との対応関係を探ることを主たる目的とする。Ongsum 方言は 1.1 で提示する方言分類にお
いて,mBrugchu(舟曲)チベット語を形成する 3 つの下位グループの 1 つに属し,本稿はそ
のグループに属する諸方言に関する初めての記述を提供する。
本稿の構成について,まずその音体系を記述し(2・3・4 節),次いで同方言の語形式と蔵
文の主要な対応関係を提示する(5 節)。最後に,先の議論で得られた Ongsum 方言の諸特徴
を,同じく舟曲県で話される dGonpa(拱壩)方言の事例と対照しつつ両者の異同を明らかに
し,特に超分節音的音特徴の異同について検討を加える(6 節)。
本稿で議論の対象とする Ongsum 方言の主要な資料は,筆者の調査によって得られたもの
である。調査は 2012 年から 2013 年にかけて四川省成都市で行った。調査協力者はダラ・ツェ
ラ [dGra-lhaTshe-ring] さん(男性,20 代)で,八楞郷東岔灣 [To-yi] 村の出身である。
議論に先立ち,本節で舟曲県で話されるチベット語諸方言の分布と方言分類を紹介し,また
先行研究における問題点も指摘する。
1.1 地理と言語分布
舟曲県は甘南州の南東端に位置する。西に迭部 [The-bo] 県と接し,北に隴南市宕昌 [Therrgyud] 県と接し,北東に隴南市武都区と接する。南は大部分が四川省阿壩 [rNga-ba] 藏族羌
族自治州九寨溝 [Khod-po-khog] 県と接し,南東部に隴南市文県と接する。これらの中で隴
南市は住民の大多数が漢族であり,舟曲県も甘南州の中では住民における漢族の比率が高く,
県城(県政府所在地)の城關鎮は漢族で占められる。すなわち,舟曲県はチベット文化圏と漢
文化圏の境界に位置するといえる。県内のチベット族の居住地域は県中央を占める漢族中心の
地域によって県北西部と県南東部に分断されている。また,近年は漢化の程度が激しく,チベッ
ト語話者数が大きく減少してきているという。また,舟曲県という行政区域が成立した歴史的
背景も複雑であり,2 つに分断されているチベット族の居住域は,過去にはそもそも異なる地
域に属していた3)。
以上のような地理的,歴史的背景に関連し,舟曲県の言語分布状況もまた複雑になっている。
《舟曲県誌》
(1996)は言語について詳細な情報を提供している数少ない文献の 1 つである。《舟
曲県誌》
(1996:617)によると,舟曲県のチベット語は大きく北西方言群と南東方言群の 2 種
に分けられている。これは先に述べた 2 つに分断されているチベット人の居住区に沿った分類
であるといえる。これに対し,鈴木(2013b)は《舟曲県誌》
(1996)の資料に加え,実際の
言語データと舟曲県チベット語の調査協力者から得た情報をもとに,より詳細な言語分類を提
1) チベット語に由来する固有名詞もしくはチベット名が判明している地名は,初出の箇所でチベット
文語形式を [] に入れて示す。
2) 八楞という名称それ自体はチベット語に由来せず,同地にある昂松 [Ong-gsum] 寺のチベット名
に基づく。同寺は ’Od-zer と書かれることもある。
3) 以下に言及する歴史沿革に関しては,《舟曲県誌》(1996:603-604),洲塔(1996),洲塔・喬高才
讓(2011)を参照している。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
243
示した。その分類と舟曲県内の分布地域を以下に示す4)。
・Thewo(迭部)チベット語(《舟曲県誌》(1996)の「北西方言群」に該当)
Thewo-smad(下迭部)方言群
曲瓦 [Chu-dkar]5)郷,巴藏 [’Ba’-gtsang] 郷,憨班 [Bod-rtsa] 郷 6),峰迭 [Khamssgang] 郷などで話される
・mBrugchu(舟曲)チベット語(《舟曲県誌》(1996)の「南東方言群」に該当)
Ongsum 方言を含むグループ
八楞郷,果耶 [sGo-yag] 郷7),南峪郷などで話される
dGonpa 方言を含むグループ
武坪 [Bod-pa] 郷,挿崗 [Tsha-ba-sgang/Tsha-sgang] 郷,拱壩郷,大年 [sTag-gnyan]
郷,鉄壩 [Them-pa] 郷,博峪 [Bod-yul] 郷の多くの村落などで話される
江盤郷の方言を含むグループ
江盤 [rGyal-bde] 郷内のいくつかの村落で話される
・ペマ語8)
博峪郷の岔路溝 [Tsha-lung] 村など少数の村落で話される
以上のうち,Thewo チベット語は舟曲県に西接する迭部県の東部で話される Thewo-smad
方言群とともに 1 グループを形成し,舟曲県に独自の方言ではなく,他の 2 種との相互理解
度も低い。明清代には主に黒峪土司の領域にあった地域の方言である9)。次に舟曲県が分布の
中心となる mBrugchu チベット語については,3 つの下位区分が設けられている。これら 3
種のチベット語は母語話者にとって互いに近い関係にあると認識されているが,比較的大きな
異なりが認められる。江盤郷は舟曲県県城城關鎮から見て白龍江 [’Brug-chu] をはさんで対岸
に位置する。漢族が多くチベット人から構成される村落は少ない。本稿で議論の対象とする
Ongsum 方言が所属するグループは,明清代に主に宕昌土司の領域にあった地域の方言であ
る10)。他方,dGonpa 方言が所属するグループは,明清代に主に卓尼土司の領域にあった地域
の方言である。mBrugchu チベット語内部における方言差異について,以上に述べたような
歴史的経緯の異なりが影響している可能性があるとともに,調査協力者による推測によれば,
主要交通路沿いに位置しない各郷間の往来は少なく,各方言の形成に方言接触が与えた影響が
低く見積もられ,結果的に方言差が相対的に大きくなっている可能性があるという。
以上の案はさらに多くの地点の調査とチベット言語学的な考察を通して検証されるべきも
のであり,本稿では議論の対象とする Ongsum 方言の方言特徴を明らかにし,その上で鈴木
4) 舟曲県の周辺地域も射程に収めたさらに広い地域に分布するチベット語方言の分類に Suzuki
(2013b)がある。しかし,なお未確定のものも多い。
5) Chu-bar とつづられることもある。
6) 旧名を黒峪 [gSer-po] 郷という。
7) 旧三角坪郷および旧池干郷が合併して生まれた郷である。
8) ペマ語が舟曲県にも分布していることはほとんど知られていないが,楊士宏(2009:1)に言及が
ある。ペマ語とチベット語の間には密接な関係があると考えられるが,相互理解度はほぼ存在しな
い。また,博峪郷は 1963 年から 1984 年まで文県に所属していたため,博峪郷のペマ語は文県に
分布するペマ語として理解された可能性もある。舟曲県のペマ語はもはや老年層の話者しかおらず,
より若い世代では漢語を話している。
9) なお,迭部県側の Thewo-smad 方言群の分布地域は卓尼 [Co-ne] 土司と岷県土司の領域を含んで
いた。
10) 八楞郷への主要交通路は現在でも宕昌県から直通で存在し,舟曲県城からでも宕昌県内を通過する。
244
アジア・アフリカ言語文化研究 87
(2013b)の扱う dGonpa 方言の事例と対照し,具体的な言語特徴にどのような異同が認めら
れるのか議論する。
1.2 言語学的な先行研究
舟曲県のチベット語に関する言語学論文は Suzuki(2013ab)
,鈴木(2013b)を除いて未見
である。しかし,チベット語の方言区分を扱う先行研究において「舟曲方言」は頻繁に言及さ
れ,
「アムド地域に分布しながらも声調をもつ方言」として,瞿靄堂・金效静(1981)
,張濟川
(1993)
,瞿靄堂(1996)
,Zhang(1996)
,Sum-bhaDon-grubTshe-ring(2011)などにおいて,
舟曲県のチベット語はカムチベット語であると言われている。中でも瞿靄堂(1996)や SumbhaDon-grubTshe-ring(2011)などでは,舟曲方言をカムチベット語の中における 1 つの独
立した下位方言とみなしている。ところが,以上の先行研究における「舟曲方言」は先の分類
における mBrugchu チベット語の記録でないのではないかという疑問がある。
以上に挙げた先行研究において,「舟曲方言」の調査地点名に触れる文献はただ 1 つ張濟川
(2009)のみであり,そこでは「舟曲(洛大)」となって現れている。これが Zhang(1996)
の記述にある 1950 年代に中国で行われた少数民族言語の一斉調査(普査)および 1980 年代
を中心に行われた方言調査で調査された地点であると理解できる。ところが,洛大というのは,
現在の行政区画に照らせば迭部県洛大 [Rong-thag] 郷のことを指すと考えられる。すなわち,
洛大方言というのは現在の迭部県の記述報告になるといえる。このような事態が起こっている
背景には,ちょうど 1950 年代の一斉調査のころに舟曲県の行政区画が変更になっていること
(
《舟曲県誌》1996:70-71)が影響していると推測できる。「舟曲」の名称が公式に現れるのは
1954 年のことであるが,その当時は洛大郷も舟曲県に帰属していた11)。それが 1961 年になって,
洛大郷が舟曲県から迭部県に移管された。このため,1950 年代後半は洛大郷が舟曲県に含ま
れていたことになる。以上の歴史的経緯から,1950 年代の調査は迭部県と舟曲県の間で行政
区画が変更になった時期に行われており,また張濟川(2009)の「舟曲(洛大)」という言及
も考えると,先行研究の「舟曲方言」が舟曲県に独自の(すなわち県南東部の)方言でなく現
迭部県のものであった可能性が高くなる。このことが先行研究における「舟曲方言」を独立方
言群と考える枠組みにも影響を与えてしまうという点に十分な注意が必要とされる。
一方,1950 年代の調査と独立した研究成果として楊士宏(1995)があり,舟曲県立節 [gLurtsed] 郷の方言について 2000 余語の語彙資料が含まれている。ただし,語彙資料のみにとどま
り,同方言のまとまった音体系の記述は含まれていない。分布地域の観点から見ると,残念な
がらこの方言もまた「舟曲(洛大)」と同じく 1.1 の分類における Thewo チベット語 Thewo-
smad 方言群に属する方言の 1 つである12)。この方言は舟曲県に分布する方言であるとはいえ,
mBrugchu チベット語に分類される諸方言の記述でない点は特に注意が必要とされる13)。
11) 洛大郷は明代以降岷県の多納 [La-tsha] 土司の領域に含まれていた。清代に黒峪土司,すなわち舟
曲県北西部の土司とも関係があった。
12) なお,筆者の dGonpa 方言の調査協力者によると,現在立節郷にチベット語話者はほとんどいな
いとされる。
13) 一方で楊士宏(1995)は宕昌県新城子藏族郷の方言の記述も含んでいる。この方言は 1.1 で述べた
歴史を考えると,Ongsum 方言と近い関係にある可能性の高いものである。この点については稿
を改め検討したい。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
245
2 Ongsum 方言の音組織
Ongsum 方言の音組織について,母音と子音に分けて提示する。加えて音節構造を示す14)。
2.1 母音
二次的調音も含めた一覧は次のようである。長短は弁別されない。
二次調音なし
i
e
軟口蓋化
i
e
そり舌化

e
a
a



o
u




-



o
u






-


o
u

2.2 子音
音節構造で主子音(Ci)の枠に現れるものの一覧は次のようである。
両唇
閉鎖音
破擦音
摩擦音
唇歯
歯茎
そり舌
硬口蓋
軟口蓋
無声有気
p
t
k
無気
p
t
k
有声
b
d
g
無声有気
ts

t
無気
ts

t
有声
dz

d
無声有気
s
無気
s
有声
z
鼻音
有声
流音
有声
半母音
有声
m
n
l
w

声門


x

x
h

N
γ


r

j
子音連続には主として前鼻音,前気音を含むものがある。
2.3 音節構造
音節構造は,鈴木(2005)を参照して以下のように記述できる。
C
CiGV
このうち Ci(主子音)と V(音節核の母音)が必須である。
最初頭子音 C は前鼻音,前気音の 2 種が現れる。わたり音 G には /w,j/ がある。よって最
大の初頭子音の構造は 3 子音連続となる。詳細は 4 節を参照。
末子音は認められないが,音声的に鼻音が出現する場合がある。詳細は 3 節を参照。
14) 本稿で用いる音表記では,国際音声字母(IPA)で規定されるもののほか,朱曉農(2010)で規
定される IPA 以外の音標文字も含めて用いる。また,特に文字の定められていない音については,
必要に応じて新たな音標文字を作成する。
アジア・アフリカ言語文化研究 87
246
3 母音
母音には二次的調音を伴わない母音に加えて,軟口蓋化,そり舌化の特徴を帯びるものが互
いに弁別的である。軟口蓋化母音は,母音の調音時に同時調音的に舌背が軟口蓋部へ持ち上が
ることによって実現する。これに伴い,舌面が対応する通常母音の舌位置から若干低下および
後退することがある。そり舌化母音は舌先を後部歯茎付近に向けてそらせて調音する文字通り
のそり舌化として実現する。そり舌化母音の音声実現は,初頭子音の調音が終わって以降徐々
にそり舌化が行われる点に特徴づけられる。
/,
-/ は子音性母音であり,軟口蓋化したものを含め,調音音声学的記述は次のようになる
(鈴木 2013a)
。
// 主たる調音部位は上前歯と下唇の間の狭めであり,軽微の摩擦が生じる。舌位置及
び唇の形は [] に近い。
/
-/ 主たる調音部位は上前歯と下唇の間の狭めであり,軽微の摩擦が生じる。舌位置及
び唇の形は [] に近い。
// 主たる調音部位は上前歯と下唇の間の狭めであるが,// のときより狭めは少なく,
摩擦が聞こえない時もある。舌位置及び唇の形は [o] に近い。
/
-/ 主たる調音部位は上前歯と下唇の間の狭めであるが,/
-/ のときよりも強い摩擦が
生じることが多い。舌位置及び唇の形は [] に近い。
長短は弁別されない。すべての母音は長くも短くも発音される可能性がある15)。鼻母音は音
声学的に存在するが,ほとんど後続する音節に鼻音,特に前鼻音が含まれる場合に限られる。
通常母音例
軟口蓋化母音例
そり舌化母音例
i
ti
川

e
te
何
te
締める


p
羊毛
a
ta
大きい
bxura 蝶

N
tr
氷

家

子供

N
tN t
狭い
r
する
ptit
革の袋

t
酒
N
見える
xoxo
入れ物
ほとんど

発掘する
pk
子ぶた
Ni

tto
家族
to
u
u
顔
mou
 t
水
ts
湖

t

N

tra

-
N
t
-
t
Ne
めがね
dwetsz 商品
o

目
染料
t
バケツ
調理した
k
壊れる
完成する
ti
小さい
適合する

-
家畜
ju
15) 長音符号を表記しないからと言って,母音が常に短いのではない。長音になる条件は規定される性
格のものではないが,複音節語では第 1 音節が,句ではもっとも主要な語幹部分が長く発音される
傾向にあるといえる。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
247
なお,音声学的に鼻母音が聞こえる例について,まれに鼻母音の後にさらに音節末鼻音([n]
が多い)が聞こえることがある。これは音声学的にも不安定で,現れても現れなくてもよいう
え,仮に現れるとしても共時的に現れる環境を規定することはできない。特に発話速度が遅い
場合にその出現がしばしば認められる16)。このため,本稿ではこの音節末鼻音要素について記
述しない。
4 子音
子音は,初頭単子音,初頭子音連続に分けて具体例を挙げつつ考察する。
4.1 初頭単子音
単子音の具体例は,可能な限り 2 例ずつ挙げる。
4.1.1 閉鎖音・破擦音
Ongsum 方言は基本的に声門閉鎖音を除き,閉鎖音・破擦音に有気,無気,有声の 3 系列
を有する。
有声音は語頭で単子音として現れる例が非常に少なく,有声破擦音は単子音として存在せず
前鼻音もしくは前気音を伴う場合にのみ現れる。
そり舌破擦音は場合によって閉鎖音で実現する場合があるが,自由変異である。
前部硬口蓋破擦音 /t,t,d/ は,軟口蓋化母音の前では後部歯茎破擦音 [t,t,d] で発
音される。これは条件変異といえる17)。
例語
p p
語義
例語
語義
ぶた
pama
両親
p
pma
婚姻
pi
落ちる
b

背
mbe
娘婿
gb
距離
tipa
しずく
t
tga
杖
ti
押す
d
dt
祭り
kaN tdo 唇
雪
ki
針
t t
k k
kgo
曲がった
kipa
がけ
g
gusa
地位
sakugu
カッコウ

ao
碗
uNi
祖父
ts ts
ふるい
tsi
量る
ts ts
鳴く
tsi
解散する
 
子供
i
出会う
 
岩石
i
交付する
k
dz 該当なし
16) 音節末鼻音の現れは,蔵文において当該音節末に鼻音字が存在する場合に対応することが多いため,
蔵文の読書音すなわち蔵文を読み上げる際の発音の反映が認められるということもできる。確かに
Ongsum 方言の調査協力者は蔵文の知識を有するため,この可能性が高く見積もられる。
17) 4.1.2 で述べる前部硬口蓋摩擦音の場合と比べると,摩擦音の場合には前部硬口蓋から軟口蓋まで
広く舌面が盛り上がるような自由変異音が認められるが,破擦音が硬口蓋で調音されることはほと
んどない。一方で舌尖が上前歯に向かって持ち上がる調音動作はいずれの場合にも認められる。
アジア・アフリカ言語文化研究 87
248
 該当なし
t tto 家族
t t
もの
ti
川
tiz
どもる人
d 該当なし
4.1.2 摩擦音
Ongsum 方言は歯茎・前部硬口蓋・軟口蓋摩擦音に有気,無気,有声の 3 系列を有し,そ
り舌摩擦音は無声のみ,声門摩擦音は無気,有声の 2 系列を有する。
前部硬口蓋摩擦音 /,,/ は,
軟口蓋化母音の前では後部歯茎摩擦音 [,,] で発音される。
これは条件変異といえる。
例語
語義
例語
語義
土
silate
朝食
s
sa
鳥
sipa
とさか
z
z
する
zewadz
外に出る


s sa
やけどする
e
耐える
 az
大工
i
しらみ

axz
要求する
ile
おいしい


油

肉
xei gaiz ちょっと動く
帽子
xuxu
紙
x xa
温める

x
xa

ttsaγr 温泉
tγi
縄
h
haam
らくだ
hrre
ゆるい

az
虹
uwo
満ちた
一部の語においては,/,,/ がそれぞれ自由変異として前部硬口蓋から軟口蓋まで広く
舌面が盛り上がる [x,x,γ] やもしくは前部硬口蓋から硬口蓋まで広く舌面が盛り上がる
[,, ] で実現されることがある。逆に /x,x,/ と記述される音には以上のような自由
変異は含まない。
// という連続のとき,[] や [] と発音される場合がある。
4.1.3 共鳴音
Ongsum 方言の共鳴音は有声音系列のみが存在する。
語義
例語
語義
母
mire
猫
naxa
Na
端
nie
Ni
青稞
魚

a
私 [絶対格]
in
汗
l
la
手
li
縁
例語
m ma
n
N
人
r
ra
山羊
rio
長い
w
wdz
倉庫
wu
踊り

aro
へこんだ
ii
女性器
j
jasa
芯
jii
本
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
249
4.2 初頭子音連続
Ongsum 方言に見られる子音連続は,前鼻音,前気音,わたり音のいずれかを含むものが
認められる。ここでは,Ongsum 方言における子音連続を主子音 Ci に先行する要素によって
分類して述べ,ついでわたり音 G を含むもの,3 子音連続について述べる。
4.2.1 前鼻音
前鼻音は,その後続子音が有声音か無声有気音かによって分けて例を挙げる。
有声音に先行する場合
b: b 虫
d: d 矛
g: gu
頭
dz:dz ゾ(ヤクと牛の交配種)
:  めすヤク
d:Nde 変わる

N
無声有気音に先行する場合
 p: paxa
かんな
t: tar
明日
 k: ki
壁
ts: ts
湖




:  wa
数珠
N
N
t: tgun 脇

s: s
拭く
4.2.2 前気音
有声音に先行するものと無声無気音に先行するものが認められる。阻害音については,子音
連続間で基本的に有声性が一致するが,周縁的な例として「有声前気音+無声無気音」の組み
合わせが認められる。逆に共鳴音では前気音と後続子音の間で有声性が一致するものとしない
ものの両者を含む。以下,それぞれ有声性に基づいて分類して掲げる。
無声前気音+無声無気音のもの
p: p
草地
t: ta
馬
k: ki
声
ts: tsa
さび
: 
-
雲
t: t
鉄
s: sn
金(きん)
: eba 布
x: xupa 翼
無声前気音+有声音のもの
m: m
薬
n: nao 鼻
N: Ni
目
: hi
野菜
アジア・アフリカ言語文化研究 87
250
l: la
神仏
有声前気音+有声音に先行するもの
b: b
どら
d: dma
梁
g: goa
卵
dz: dzama
秤

: o
縫う
d:d
悪魔
z: z
袈裟
: 
家
m: m
軍人
n: nap
耳














N: Nipa
喉
: 
銀






象
r: r
蛇
w: w
権力
: am
狐
l:

le






j:
花椒
jima
有声前気音+無声無気音のもの
t: tati 埃

k: ki
隠ぺいする
ts: tsa
筋肉



s: s ma 瑪瑙

4.2.3 わたり音を含むもの
わたり音には /w/ と /j/ がある。組み合わせの種類は少なく,いずれの組み合わせにおいて
も見られる語が少ない。
/w/ のもの
bw: tbw
切ってしまう
kw: kw
持ち歩く
kw: kw
誰
tsw: tswo
考え
w: wl
- 左
tw:twele
希薄な
/j/ のもの
pj: pjetso
先生
mj: mj
賛成する
j: je/jer ソーセージ
4.2.4 3 子音連続


kw:kwbo
僧院長
gw: ttgwk 護法神殿
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
dw:Ndwe tsz
商品
N
kw: kwa
命令
gw: gw
門

rw: rwn
ハエ

Nw: Nwe
なめす
w: w
炒める

jwe
もむ


tj:
tje
敷く
tsj: Ni tsjao
強盗
dzj: dzja
めじろ
jw:



251
5 Ongsum 方言の蔵文との対応関係
本節では筆者による一次資料に基づき,西(1986)や西田(1987)
,張濟川(2009:259357)などに提示されるチベット言語学の方法論を参考にしつつ,Ongsum 方言の特徴をまと
める。分析対象は口語形式に限るが,注意の必要な蔵文の読書音(蔵文を読み上げる際の発音)
は注記する。
なお,蔵文は Wylie 式の転写で示す。チベット文字の表す音価は格桑居冕・格桑央京(2004:
379-390)を参照。
議論は初頭子音,母音+末子音の 2 種に分けて行う。
5.1 初頭子音
5.1.1 閉鎖・破擦・摩擦音の有声性
Ongsum 方言では,閉鎖・破擦音および摩擦音について,蔵文で先行子音(頭字,前接字)
を伴わない有声音基字 g,j,d,b18),dz,zh,z は,基本的にそれぞれの調音位置の無声無気音に
対応する。たとえば,以下のようである。
kw「誰」(gang)
p「チベット人」(bod)
t「茶」(ja)
ax「母方のおじ」(a zhang)
tra「今日」(de ring)
sama「ごはん」(za ma)
また,これらの文字に足字がある場合も同じく無声無気音に対応する。たとえば,以下のよ
うである。
sa「鶏」(bya)

-「6」(drug)
ts「小麦」(gro)
「岩」(brag)
以上の蔵文有声音字について,先行子音が存在するとき,Ongsum 方言では通常前気音を
伴う有声音で現れる。ただし,少数ではあるが有声前気音を伴う無声音で現れる例もある。た
とえば,以下のようである。
b「どら」(sbug)
du「石」(rdo)

gw「門」(sgo)

dza「漢族」(rgya)


z「袈裟」(gzan)

「家」(gzhis)

19)
gai「愛する」(dga’ ? )

tsa「筋」(rgyus)

18) 蔵文 b は特に固有名詞において /w/ と対応する例があるが,これは読書音と考えられる。
アジア・アフリカ言語文化研究 87
252
ただし,
,jap「蛙」(sbal ba)などは例外である。
-「空気」(dbugs)
5.1.2 蔵文 sh, zh 対応形式
Ongsum 方言では,基本的に軟口蓋摩擦音もしくは前部硬口蓋摩擦音に対応する。
軟口蓋摩擦音について,たとえば,以下のようである。
xa「肉」(sha)
xa「帽子」(zhwa)
ax「母方のおじ」(zhang bo)
ただし,後続の母音が /i,/ もしくは蔵文形式の母音が i の場合,前部硬口蓋摩擦音が対応
する例がある。たとえば,以下のようである。
i「虱」(shig)
「鍬」(gshol)
「丸太」(shing)

ib「おいしい」(zhim po)

「家」(gzhis)
「4」(bzhi)
5.1.3 蔵文 s, z; t, th, d; ts, tsh, dz 対応形式
蔵文 s,z 対応形式は,後続の母音が /,,
-/ の場合を除き,歯茎摩擦音が対応する。たとえば,
以下のようである。
sa「土」(sa)
sn「金(きん)」(gser nag)
sama「ごはん」(za ma)

z「よい」(bzang)
後続の母音が /,
-/ の場合,基本的に前部硬口蓋摩擦音が対応する。たとえば,以下のよ
うである。

-「拭き消す」(sub)
「3」(gsum)
ただし a「心」(sems)は例外といえる。
蔵文 t,th,d 対応形式について,後続の母音が // の場合を除き,歯茎閉鎖音が対応する。
たとえば,以下のようである。
te「あれ(近いものを指す)」(de)
tar「斧」(sta re)
t「距離」(thag)
d「矛」(mdung)
後続の母音が // の場合,基本的に前部硬口蓋閉鎖音が対応する。たとえば,d「7」
(bdun)
のようである。
蔵文 ts,tsh,dz について,後続の母音が /,,
-/ の場合を除き,歯茎破擦音が対応する。
たとえば,以下のようである。
ts「寿命」(tshe)
tsaba「ツァンパ20)」(rtsam pa)
tsma「肋骨」(rtsib ma)
dz「釣る」(’dzin)
後続の母音が /,,
-/ の場合,前部硬口蓋破擦音が対応する。たとえば,以下のようである。
t「閉ざす」(btsum)
N
t「調理される」(’tshos)
d
-「偽の」(rdzun)
d「入る」(’dzul)

N
ただし,ts「探す」(’tshal)などの例外もある。
5.1.4 蔵文 c, ch, j 対応形式
蔵文 c,ch,j について Ongsum 方言では,基本的に前部硬口蓋破擦音が対応する。たとえば,
以下のようである。
19) 蔵文形式における ? は,Ongsum 方言の形式に対応する蔵文が不明であることを表す。
20) 裸麦を粉末にしたもので,麦こがしに似る。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
t「水」(chu)
253
ti「1」(gcig)
t「お経」(chos)
t「鉄」(lcags)
t「茶」(ja)
N
d「弁償する」(’jal)
5.1.5 蔵文 Py 対応形式
蔵文 Py は,p,ph,b に足字 y を伴う形式を含む形式についていう。Ongsum 方言では基本
的に歯茎摩擦音が対応する。たとえば,以下のようである。
sa「鳥」(bya)
se「開ける」(phye)
s「掃く」(’phyag)
sg「狼」(spyang khu)
ただし,蔵文 Py 対応形式の中には前部硬口蓋摩擦音になるものもある。たとえば,以下の
ようである。
l「禿鷹」(bye’u glag)

-「家畜」(phyugs)
eka「春」(dpyad ka)
xo「裕福な」(phyug po)
なお,蔵文 dby は /j/ を含む形式に対応する。たとえば je
-「夏」(dbyar ?)など。
5.1.6 蔵文 Ky 対応形式
蔵文 Ky は,k,kh,g に足字 y を伴う形式を含む全ての対応形式についていう。Ongsum 方
言では後続の母音が // の場合を除き,歯茎破擦音が対応する。たとえば,以下のようである。
ts「犬」(khyi)
dze「8」(brgyad)

dzapai「100」(brgya pa gcig)

ts「寒い」(’khyags)
後続の母音が // の場合,前部硬口蓋破擦音が対応する。たとえば,以下のようである。
t「あなた」(khyod)
d「穴に通す」(brgyus)

ただし,Nde「変わる」(’gyur)
,de「変える」(sgyur)など,母音が /e/ であっても前部
硬口蓋破擦音が対応する例もある。
ただし,蔵文 sky には歯茎摩擦音が対応する。たとえば,
sule「酸い」
(skyur ?)のようである。
5.1.7 蔵文足字 r 対応形式
蔵文足字 r を含む形式には,Pr(=pr,phr,br を含む形式),Kr(=kr,khr,gr を含む形式),
tr/dr など閉鎖音を含むもののほか,sr などもある。Ongsum 方言では,sr を除いて基本的に
そり舌破擦音が対応するが,それぞれの対応形式に細かな違いが認められる。そのため,各形
式に分けて例をあげていく。
蔵文 Pr 対応形式
Ongsum 方言では多くがそり舌破擦音に対応する。たとえば,以下のようである。
「岩」(brag)
ase「細い」(phra ?)
i「米」(’bras)
ma「猿」(spre’u ma)

「書く」(bri)
ただし,蔵文 sbr には /r/ が対応する。
bru「蜜蜂」(’bu sbrang ?)
r「蛇」(sbrul)

ただし,次のような例は例外といえる。
「裂く」
(dbral)
「しびれる」(sbrid)

蔵文 Kr 対応形式
Ongsum 方言では主に歯茎破擦音およびそり舌破擦音の 2 種に対応する。まず歯茎破擦音
の例については,以下のようである。
アジア・アフリカ言語文化研究 87
254
tsa「血」(khrag)
dz「行く」(’gro)
ts「ナイフ」(gri ?)
tsepa「胆嚢」(mkhris pa)
ただし,蔵文 skr の組み合わせは歯茎摩擦音に対応する。たとえば,以下のようである。
sa「髪」(skra)
s「腫れる」(skrang)
s「恐れる」(skrag)
そり舌破擦音と対応する例は,以下のようなものがある。
「1 万」(khri)
a「声」(sgra)

ai「吉祥」(bkra shis)
ala「山神」(dgra lha)

蔵文 tr/dr 対応形式
Ongsum 方言では,(’)dr のみが確認されているが,基本的にそり舌破擦音が対応する。た
とえば,以下のようである。

-「6」(drug)

「尋ねる」(’dri)
蔵文 sr 対応形式
Ongsum 方言では無声無気そり舌摩擦音が対応する。たとえば,以下のようである。
ma「豆」(sran ma)
u「薄い」(srab po)
u「命」(srog)
「守る」(srung)
5.1.8 蔵文基字 l,足字 l,lh,基字 y 対応形式
Ongsum 方言では,基本的に蔵文基字 l,足字 l には /l/ が対応する。足字 l の場合,基本
的に前気音を伴うが,kl,sl の場合は無声の前気音,それ以外は有声の前気音になる。たとえば,
以下のようである。
la「月(年月)」(zla)
l「道」(lam)

l「年」(lo)
l「龍神」
(klu)
l「歌」(glu)
lamu「簡単な」(sla po)
lra「ラブラン寺」(bla brang)
li「教える」(slob)


lba「湿った」(rlon pa)

ただし,lira「着く」(slebs)の例は,Ongsum 方言で有声前気音を伴う形式となる点で,
必ずしも対応関係を得られるものではない。
蔵文 lh 対応形式は基本的に有声の前気音を伴う /l/ になる。たとえば,以下のようである。
l「残される」(lhag)

lasa「ラサ」(lha sa)

ただし,l「神」(lha)は例外といえる。
一方,蔵文 y には /j/ が対応する。たとえば,以下のようである。
jii「文字」(yi ge)

ju「う年」(yos)

j「ヤク」(g.yag)
jima「花椒」(g.yer ma)
5.1.9 蔵文鼻音字対応形式
Ongsum 方言では,単独の鼻音字はそれぞれ対応する調音位置の単独の鼻音と対応する。
蔵文 my は前部硬口蓋鼻音になり,ny と合流している。たとえば,以下のようである。
ma「バター」(mar)
a「私」(nga)
n「森」(nags)
Na「魚」(nya)
Nim「太陽」(nyi ma)
N「経験がある」(myong)
蔵文鼻音字に頭字 s を除く先行子音字を伴う場合,それぞれ調音位置の対応する有声鼻音に
有声前気音が先行して現れる。たとえば,以下のようである。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
255
「銀」(dngul)
mar「赤い」(dmar po)

nap「耳」(rna bo)



Ni「2」(gnyis)
Ongsum 方言では,蔵文鼻音字に頭字 s を伴う形式には,それぞれ調音位置の対応する有
声鼻音に無声前気音が先行して現れる。たとえば,以下のようである。
m「薬」(sman)
use「青い」(sngon ?)
nao「鼻」
(sna ’og)
Nma「竹」(smyug ma)
Ne「心臓」(snying)
また,蔵文 m を初頭子音とする語が前部硬口蓋鼻音に対応するものがある。たとえば,以
下のようである。
N「火」(me)
Nie「名前」(ming)
N「人」(mi)
Ni「目」(mig)

これらは古蔵文において my とつづられていた語であり,古蔵文の形式に対応関係を求める
ことができる。なお,
「目」の蔵文対応形式は,有声前気音が出現することから考えて,おそ
らく dmyig であろう。
5.1.10 前鼻音を含む子音連続
Ongsum 方言の前鼻音を含む子音連続は,前鼻音要素に後続する子音に無声有気音と有声
音があり,それは蔵文前接字 ’,m と対応するものが多い。前鼻音要素と後続する子音は,調
音位置,有声性について一致する。たとえば,以下のようである。
b「虫」(’bu)
tbo「高い」(mtho po)
da「矢」(mda)
tsepa「胆嚢」(mkhris pa)
dz「釣る」(’dzin)
s「掃除する」(’phyag)
ただし,蔵文前接字 ’,m と対応する形式の中には,前鼻音ではなく前気音が現れる例がある。
これらは語彙的に定まっている。たとえば bi「降る」(’bab)などである。
5.2 母音および母音+末子音
ここでは,Ongsum 方言の蔵文母音+末子音の対応形式について,末子音を伴わないとき,
閉鎖音の末子音を伴うとき,鼻音の末子音を伴うとき,それ以外の末子音を伴うときに分類し
て掲げる。なお,ここでの記述は可能な限り語末位置に現れる例を中心に行う。
5.2.1 末子音を伴わないとき
語末位置における基本的な対応関係は以下のように示すことができる21)。なお,末子音位置
に現れる蔵文’は音価をもたないと考えられるため,ここに含める。
V\C
#/’
a
a/
i

u

e
/i
o
/u
21) /で区切ってあるものは自由変異ではなく,語ごとに決まったものである。すなわち対応関係が複
数認められるということである。このような複数の対応関係をもつ背景については,現段階では説
明を与えられない場合が多いが,何らかの傾向が認められる場合には個別に言及する。
アジア・アフリカ言語文化研究 87
256
たとえば,以下のようである。
la「尾根」(la)
Ni m「太陽」(nyi ma)
N「火」(me)
sgi「獅子」(seng ge)
ts「犬」(khyi)
ts「小麦」(gro)
t「水」(chu)
u「顔」(ngo)
蔵文 a,o がそれぞれ /,u/ に対応するのは,当該形式が第 2 音節に来る場合にしばしば認
められる。
5.2.2 閉鎖音の末子音を伴うとき
語末位置における基本的な対応関係は以下のように示すことができる。ただし,蔵文再添後
字 s は口語形式に明確な対応関係を得られないため,以下の表では省略する。
V\C
b
d
g
a
i/
i
/
i

i
i/
u



-
e
i/e
i

o

/i/
/
-/
-/u
以上の点を見ると,弱軟口蓋化母音は蔵文後接字 g と何らかの関係があると考えることが
できる。
具体例としては,以下のようである。
ki「針」(khab)
t「あなた」(khyod)
di「蒔く」(’deb)
p「ぶた」(phag)
t「手に入れる」(’thob)

ki「言語」(skad)
Ni「飲み込む」(mid)

Ni「目」
(mig)

-「龍」(’brug)
「刈る」(’breg)


d「悪魔」(bdud)
ts「会議」(tshogs)
p「チベット人」(bod)

si「殺す」(gsod)
u「命」(srog)

-「奪う」(’phrog)
5.2.3 鼻音の末子音を伴うとき
語末位置における基本的な対応関係は以下のように示すことができる。ただし,蔵文再添後
字 s は口語形式に明確な対応関係を得られないため,以下の表では省略する。
V\C
m
n
ng
a


/
i
i

-/i
e/i/
u


-/
/
-
e

e

o
u

-/
o/o//
以上の点を見ると,弱軟口蓋化母音は蔵文後接字 ng と何らかの関係があると考えることが
できるが,末子音が閉鎖音の事例と異なり,蔵文後接字 m の事例でも弱軟口蓋化母音に対応
する事例を認めることができる。
具体例としては,以下のようである。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
l「道」(lam)
N「聞く」(nyon)
ibu「おいしい」(zhim po)

t「閉じる」(btsum)
rio「長い」(ring po)
「心」(sems)
「薪」(shing)
tu「熊」(dom)
「守る」(srung)
l「黄牛」(glang)
z「袈裟」(gzan)

N
-「少ない」(nyung)
Ni「熟れる」(smin)
sgi「獅子」(seng ge)
d
-「にせの」(rdzun)
lo「物乞いする」(slong)
d「7」
(bdun)
t
-te「白塔」(mchod rten)
to「見える」(mthong)
s「あっちへ行く(命令)」(song)


N
257
5.2.4 その他の末子音を伴うとき
語末位置における基本的な対応関係は以下のように示すことができる。また,蔵文 us の対
応形式は不明であるため,空白にしてある。
V\C
r
l
a
a/
/
s
i
i

-

/i
u

i//
e

i
e
o
/o

//u/o
たとえば,以下のようである。
ma「バター」(mar)
r「蛇」(sbrul)


i「騾馬」(drel)
nt「伝記」(rnam thar)
t
-「搾る」(gcir)
k「煮だす」(skol)
k「預ける」(skur)

s「黄色い」
(ser ser)

n「牛」(nor)

te ko「曼荼羅」(dkyil ’khor)
tse「日にち」(tshes)
i「米」(’bras)
「家」(gzhis)
Ni「2」(gnyis)
k「部分」(skal)
k「衣服」(gos)
ts「脂肪油」(tshil)
ju「う年」(yos)
「銀」(dngul)

5.2.5 その他の特徴
上述の分析では,そり舌化母音がほとんど現れておらず,あるとしても蔵文後接字 r が含ま
れる文化語彙であって,読書音である可能性が排除できない。Ongsum 方言のそり舌化母音は,
蔵文形式に直接的に由来しないものが多く含まれており,たとえば,次のような例は指小辞と
の関連を想起させる。
nj「子牛」(nor ?)
pk「子ぶた」(phag ?)
tat「子馬」(rta ?)
「子供」(? ?)
また,わたり音 w を含む例が個別に認められるが,蔵文の「母音+末子音形式」の枠組みの
中で特定の組み合わせと対応する形式も含まれていると考えられる。たとえば次のようである。
アジア・アフリカ言語文化研究 87
258
 kwbo「僧院長」(mkhan po)
kwa「命令」
(bka’)
gwba「寺」(dgon pa)
gw「門」(sgo)


6 dGonpa 方言(舟曲県拱壩郷)との対照
本節では,先に記述した Ongsum 方言の蔵文に基づく諸特徴について,舟曲県拱壩郷で話
される dGonpa 方言の特徴と対照し,その異同を明らかにする。
dGonpa 方言は 1 節で紹介したように,
mBrugchu チベット語の中で Ongsum 方言とは異
なる下位グループに分類することができるという(鈴木 2013b)
。ただし,これはチベット言
語学的な議論を通じてその妥当性が検証される必要がある。両方言が話されている地域は直線
距離で見ると決して離れてはいないものの,山地によって分断されており,歴史的にもあまり
交流がないとされる。母語話者の感覚では,互いの母語による意思疎通は可能であるという
が,互いに相手の発音に慣れるまで一定の時間を要するとのことである。舟曲県内は郷をまた
ぐ人的往来が少なく,特に歴史的に分断されていた地域同士の交流は非常に少ない。そのため,
Ongsum 方言と dGonpa 方言は互いに独自に発展した方言であるのではないかとうかがえる。
以下,議論は子音,母音,子音と母音の組み合わせ,超分節音的音特徴の順に分けて行う。
6.1 子音
共時的に見ると,Ongsum 方言と dGonpa 方言の間には,それぞれの子音組織について若
干ではあるが重要な異なりが存在する。
・Ongsum 方言にのみ認められる音素
唇歯半母音 //,そり舌破擦音 /,, /
・dGonpa 方言にのみ認められる音素
そり舌閉鎖音 /,, /,硬口蓋破擦音 /c,c,/,硬口蓋摩擦音 /,,/
以上のうち,Ongsum 方言のそり舌破擦音と dGonpa 方言のそり舌閉鎖音は両方言間に対
応関係がある。ゆえに,各方言が独自に保持している音素は唇歯半母音(Ongsum 方言)と
硬口蓋破擦・摩擦音(dGonpa 方言)となる。
まず,Ongsum 方言における唇歯半母音 // について見ると,この音素と対応する dGonpa
方言の形式は同源でないものが多いため,対応関係を見いだせないほか,蔵文とも対応関係を
見出しにくい。たとえば,Ongsum 方言で「来る」を意味する e は自由変異で  という形
式もあり,いずれも蔵文 ’ong に対応するのではないかと見込まれる。また,[] という音声が
音節主音となり音韻的には母音として機能するものもある(6.2 参照)。
次に,dGonpa 方言の硬口蓋破擦・摩擦音が Ongsum 方言ではどの音素と対応するか以下
に見る。
語義
蔵文
dGonpa 方言
Ongsum 方言
酒
chang
c
t
鉄
lcags
c
t
茶
ja
c
t
4
bzhi
γ
剃る
bzhar


i


i

鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
259
以上に示すように,dGonpa 方言の硬口蓋破擦音は Ongsum 方言で前部硬口蓋破擦音に対
応し,dGonpa 方言の硬口蓋摩擦音は Ongsum 方言で前部硬口蓋摩擦音に対応するといえる。
いずれも調音位置が硬口蓋と前部硬口蓋に対応しているといえる。特に後者は Ongsum 方言
でも硬口蓋での発音が認められる(4.1.2 参照)ため,音対応の観点から見ると関連があるも
のと考えられる。また,これらは蔵文 c, ch, j, sh, zh に対応している。
さらに重要なのは,dGonpa 方言では前部硬口蓋音と硬口蓋音が非常に部分的ではあるが対
立しているということである。以下に dGonpa 方言で前部硬口蓋音と硬口蓋音で(疑似)最
小対を形成している例について,Ongsum 方言の例と対照する。
語義
蔵文
釣る
’dzin
dGonpa 方言
N
d
Ongsum 方言
茶
ja
c
t
握る
zin
i

与える
sbyin
i

dz


dGonpa 方言におけるこの種の対立は,後続母音の質によってある程度相補分布の様相を
呈してはいるが,以上のような例を見る限り,相補分布と言い切ることはできない。Ongsum
方言では前部硬口蓋音に合流しているか,もしくは異なる硬口蓋以外の調音をもつものに対応
する。この点に関しては,6.3 で詳しく見ることにする。
6.2 母音
共時的に見ると,Ongsum 方言と dGonpa 方言の間には,それぞれの母音組織について大
きな異なりが存在する。Ongsum 方言は dGonpa 方言に比べて弁別される舌位置が多く,対
照すると以下のようになる。
dGonpa 方言
二次調音なし
i
e
そり舌化
i
e


a


a













弱軟口蓋化

o
u



o
u



u

o
u






-
o
u




-
o
u

Ongsum 方言
二次調音なし
i
e
軟口蓋化
i
e
そり舌化
e

a
a
Ongsum 方言は dGonpa 方言に比べ,舌位置について /,,
-/ の 3 種が多く,dGonpa 方
言のみ見られるものに // がある。両者とも 2 種の二次的調音をもっているが,軟口蓋化は調
音方法が若干異なり,dGonpa 方言の事例では舌背の軟口蓋への接近が著しいとは言えない。
また,これらの二次的調音が認められる母音の種類も異なることが分かる。加えて,二次的調
音の出現頻度も異なり,dGonpa 方言ではそり舌化母音の出現頻度が高い。
まず,dGonpa 方言にのみ見られる // について見ると,Ongsum 方言では // か /a/ に
対応しているようである。
アジア・アフリカ言語文化研究 87
260
語義
蔵文
dGonpa 方言
Ongsum 方言
月(天体)
zla ba
lim

心
sems

a
手
lag pa
li
la
lma
次に,Ongsum 方言にのみ見られる /,,
-/ について見ると,dGonpa 方言ではそれぞれ
次のように対応している。
語義
蔵文
Ongsum 方言
客
’grol po

寺
dgon pa
溝
チベット人
dGonpa 方言
do


gwba

ob
lung ba
lpa
loa
bod
p
p
空気
dbugs

-
u
綿羊
lug
l
-
lu
keba
以上のように,両方言間で必ずしも一対一の対応関係になっているとはいえない。また,軟
口蓋化と弱軟口蓋化の対応関係も絡んでいるため,さらに複雑になっている。Ongsum 方言
には軟口蓋化母音があり,dGonpa 方言には弱軟口蓋化母音があるが,両者は同一の蔵文に対
応するものとそうでないものに分かれる。
語義
蔵文
Ongsum 方言
dGonpa 方言
目
mig


巣
tshang
ts
蛇
sbrul

龍
’brug

眠気
gnyid


蔵文
bod yig
pji
pij
山
ri
r
r
毛
spu
p
p
Ni
Ni
ts
r


-

Ni
ru
u
N
蔵文との対応関係から見て,Ongsum 方言で軟口蓋化母音が現れる頻度が高い。そのため,
上のように Ongsum 方言で軟口蓋化母音をもつ例で dGonpa 方言に弱軟口蓋化母音が現れな
いものと,双方に(弱)軟口蓋化が現れる例が多く,dGonpa 方言に弱軟口蓋化母音が現れ
て Ongsum 方言で軟口蓋化母音が現れない例は少ない。最後のタイプでは,蔵文形式に末子
音 g を伴わない点にも注目できる。
6.3 子音と母音の組み合わせ
子音と母音の組み合わせで最も注目すべきは,蔵文の歯茎音,硬口蓋音などが特定の母音の
前で前部硬口蓋音で現れる現象が Ongsum 方言,dGonpa 方言ともに認められるということ
である。ただし,
「特定の母音」というのが両方言で異なる。Ongsum 方言では,/i,/ が関
わるものが多く,dGonpa 方言では /i,e,,/ が関わるものが多い。たとえば,以下のよう
である。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
語義
蔵文
dGonpa 方言
金
gser nag
in
袈裟
gzan


経文
chos
t
t
しらみ
shig
i
i
あなた
khyod
t
t
3
gsum
so
7
bdun

e
t
261
Ongsum 方言
sn
z

d

特に蔵文で歯茎閉鎖音にまで前部硬口蓋音化が起きることが Ongsum 方言を特徴づける要
素であると言える。
6.4 超分節音的音特徴
音組織の記述の際に言及していないように,Ongsum 方言には超分節音素が認められない。
これは dGonpa 方言についても同様である。「舟曲方言」と称される変種の先行研究22) では
通常声調が弁別的であり,調値が記述されているのが通例である(黄布凡(2007)など)が,
少なくとも Ongsum 方言と dGonpa 方言には音韻的な声調を認める必要はない。そのかわり
に両方言では,際立つ超分節音的音特徴として「息漏れ音」が認められる。ここでは息漏れ音
の現れについて,Ongsum 方言における若干の補足的記述と,その dGonpa 方言との異同を
まとめる。
鈴木(2013b)の dGonpa 方言の記述において,dGonpa 方言の息漏れ音は有声声門摩擦音
// が現れるすべての音節で,すなわち単子音として現れる場合も前気音として現れる場合も,
息漏れが生じるとされる。これを 1 つの基準と考えると,Ongsum 方言では dGonpa 方言よ
りも息漏れ音が現れる事例が少ないといえる。いずれの方言でも,上述の場合に生じる息漏れ
音は // に由来する音声実現の一種であり,音声的変異を記述するときを除き [] と表記する
必要はない(cf.Suzuki2013a)
。Ongsum 方言でも,息漏れ音が現れる条件は音節内に有声
声門摩擦音 // を含む場合であるが,特に明瞭に現れるのは,主子音(Ci)が共鳴音のときで
あるといえる。これは,両方言の例を見ると理解できるといえる。
語義
蔵文
Ongsum 方言
掘る
rko
ku
冬
dgon ?


薬
sman
m
me
膿
rnag

g
n
dGonpa 方言
ku
ks
n

以上の例の中で,Ongsum 方言では「膿」がもっとも明瞭にかつ頻繁に息漏れ音が聞こえる。
これはすなわち,息漏れ音が有声声門摩擦音 // のみで(疑似)最小対をつくるときに現れる
傾向があるといえる。「掘る」「冬」の例を見ると,dGonpa 方言は前気音部の有声性が互いの
弁別に重要な役割を果たしているのに対し,Ongsum 方言では主子音も有声性が異なってい
るため,息漏れ音が果たす役割が弱まっていると考えられる。
音声現象の観察結果として,Ongsum 方言が dGonpa 方言に比べて息漏れ音が現れにくい
22) 先行研究において「舟曲方言」と言及される変種の記述に関する問題点については 1.2 を参照。詳
細は鈴木(2013b)を参照。
262
アジア・アフリカ言語文化研究 87
ということが認められるが,これは以上に述べたように,有声声門摩擦音 // のみで(疑似)
最小対をつくる例が Ongsum 方言のほうが相対的に少なくなるということと関連があるとい
えるだろう。
6.5 本節のまとめ:dGonpa 方言との異同
以上,本節において Ongsum 方言と dGonpa 方言の異同について検討した。その結果をま
とめると,次のようなことがいえる。
分節音について,2 つの方言は互いに酷似した音組織及び音素配列(音節構造)を有してい
る。また,蔵文との対応関係も有声阻害音に関わる点を除いて非常によく似ていることがいえ
る。子音と母音の組み合わせにおいて見られる特徴的な現象も,若干の異同が認められるもの
の,酷似しているといえる。一方で超分節音について見ると,ピッチの調値が弁別的に作用せ
ず,息漏れ音という発声類型にかかわる特徴を共有し,かつその要素が有声声門摩擦音および
有声前気音に関連しているけれども,息漏れ音をめぐってその出現状況に異なりが認められる。
これは分節音に直結しており,前気音の有声性の異なりが各方言においてどの程度弁別的に作
用しているかによって変わってくる23)。これは両方言における蔵文との音対応の異なりに結び
ついているといえる。
7 まとめ
本稿では,舟曲県で話されるチベット語 Ongsum 方言の音体系の全容をはじめて記述し,
蔵文との対照ならびに同じく舟曲県で話される dGonpa 方言との対照を通して Ongsum 方言
の方言特徴を明らかにした。
音体系の特徴としては,ほぼ常に開音節となること,母音の二次的調音に軟口蓋化とそり舌
化が存在する一方,鼻母音や長短の対立を欠いていること,「唇歯母音」// および唇歯半母音
// が存在すること,子音については共鳴音に無声音系列を欠いていることなどを挙げること
ができる。
蔵文との対照から見た特徴としては,歯茎音について特定の母音に先行するときに前部軟口
蓋音で対応する現象が注目できる。また,母音+末子音の形式について,軟口蓋化の来歴に軟
口蓋末子音の影響が認められることが判明した。
dGonpa 方言との対照から見た特徴としては,Ongsum 方言よりも dGonpa 方言のほう
が子音体系が複雑である一方,母音体系が単純であるといえる。また,歯茎音の前部軟口蓋
化も相互に若干条件が異なっている。超分節音的音特徴として音声学的に現れる息漏れ音は,
Ongsum 方言よりも dGonpa 方言のほうが顕著であるが,これは有声前気音が語の弁別で果
たす役割が dGonpa 方言のほうが大きいからであると推定し,いずれの方言でも分節音であ
る有声前気音の存在が息漏れ音と密接な関わりを持っていることを述べた。
23) 発声類型の異なりが重要な役割を果たす方言が舟曲県の周辺にも分布しており,蔵文との対応関係
も有声阻害音字に関わる事例が認められる。詳細な記述は Suzuki(2009)などを参照。
鈴木博之:舟曲県チベット語八楞 [Ongsum] 方言の音声記述とその方言特徴
263
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付 記
筆者による Ongsum 方言にかかわる現地調査については,平成 25 年度日本学術振興会科学
研究費補助金(若手研究(B))「言語多様性の記述を通して見る中国雲南省チベット語の方言
形成の研究」(課題番号 25770167)の援助を受けている。
原稿受理日―2014 年 1 月 6 日
Fly UP