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『虐げられた人たちJと緑のクリスマス

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『虐げられた人たちJと緑のクリスマス
〔研究ノート]
『虐げられた人たち J と緑のクリスマス
近藤島夫
はじめに
分身JのペテルブルグJでは、『分身I
J(1846)
拙論「キリスト降臨都市一ードストエフスキー f
の道{ヒ人形芝居的特徴に着自し、ドストエフスキーのペテルブルグが、「道{じ、「分身」、「自
意識Jなど、ドストエアスキー文学の普遍的なテーマと密接に結びついていることを明らか
ヒ人形芝
にした。物語前半で繰り広げられる、ゴリャートキン氏の主体的な道化芝居が、道f
居の伝統をかりで、分裂した意識の対話へと発展してゆく『分身Jは、プーシキンやゴーゴ
リの「道化の手法j を継承してペテルブルグの秩序を再認させるだけでなく、抽象的計画都
市に住む同時代人の病を、ゴーゴりをパロデイにしながらつまびらかにした作品である。 40
年代ロマン主義の理想とペテルブ、ルグ、の現実に翻弄される意識が、近代都市の繁栄に終末を
予見していることは、豊能祈願の農耕文化に生まれた人形芝窟の地獄落ちに自伝的出来事を
関連づけていることからも読み取れる。『分身J の道化人形が地獄巡りに旅立つように、ド
f
!
Jの辛酸を詰め、道化芝居の人形が必ず娃るように、ドス
ストエフスキー自身もシベリア流)
トエフスキーもまた匙った l。ドストエアスキーのシベリア体験一一畏衆との交わり、神の
世界との交感一一ーを綴った『死の家の記録』( 1860)では、クリスマス週間に行われた流部j
Eたちの郎興芝層を背景にして、冥界に下った自意識が新たな誕生を実感しているし、「記
録
、
(zapiski)」すなわち手記という形式に注がれるドストエフスキーの特別な意識も感じ取
れる。
後期のドストエアスキーを理解する鍵といわれる『地下室の手記』( 1864)老、ペテルブルグ・
J
道化・自意識、そして援活というキーワードに照らして読み解く前に、『死の家の記録(手記)i
や『地下室の手記』と間じように、手記をその中に含み、『死の家の記録J と平行して執筆
された長編『虐げられた人たち』( 1861)で、これまで明らかになった点を確認してみよう。
『虐げられた人たち』は、図式的構成と類型的人物たちの関係が、 40年代ロシアの社会思
想、と作家の自伝に照らして解釈されてきた。ナターシャ、アリョーシャ、イワンの三角関係
が、しばしばマリヤ・イサーヱワ、教師ヴ、エルグーメフ、ドストヱフスキーの関{系と重ねて
読まれ、『虐げられた人たち』は、博愛主義に燃えた青年時代の田顧的自画像あるいは「美
しい理想に殉じた殉教者j を描いた作品と見なされている。と問時にこの通俗小説は、「詩
的真理」を求める溢れんばかりの憧れがそれまでの作品とは一線を画し、後期の「宗教的悲
劇」(モチューリスキー)への出発点に位置づけられている
20
ここでは、先述した『分身』の解釈に沿って、 F
虐げられた人たち Jにおける図式的構成
と人物の類型性との関係を再考する。つまり「分身」、「道{ヒ」、「自意識」を中心にして、「再
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1
日本スラヴ人文学会誌スラヴィアーナ第 1号
と「手記」という視点も加え、ペテルブルグとの関連について考察する。
1
.罰式的物語
「エピローグ、付き四部構成の長縮小説」を副題とする『鹿げられた人たち』は、われわれ
を死の床にある語り手イワン・ペトローヴ、ィチの手記へと導く。手記では、イワンと関わる
ふたりの娘の不幸な物語が、平行して展開してゆく。ひとつは、イワンの昔の恋人ナターシヤ
が、駆け落ちまでした相手アリョーシャに捨てられる物語である。もうひとつは、イワンが
偶然最期を看取った、縁もゆかりもない老人スミスの孫娘ネリーの物語である。詔父ばかり
か母とも死に別れ、天涯孤独となったネリーは、自分も心労が崇って帰らぬ人となる。
ふたつの物語は、淫蕩と金銭欲の権化ワルコフスキー公爵によって繋がりが見え始める。
ナターシャを捨てたアリョーシャは、ワルコフスキーが最初の妻との拐に儲けた子供で、 2
番自の妻との間に出来たのがネリーだった。ナターシャもネリーも、ワルコフスキーが性懲
りもなく繰り返す財産時当ての結婚の犠牲者だったのである。
ワルコブスキーはナターシャの父イフメーネフと同郷だった。ペテルブルグに住むワルコ
フスキーは、善良で有能な鎮主イフメーネフの信頼を巧みに勝ち取り、自分の領地の管理ば
かりか、青年となった患子アリョーシャの教育までイフメーネフに託す。イフメーネフは全
信の信頼を得たと喜んだが、ワルコフスキーが豹変し、イフメーネフを誹詩、中傷する噂を
じて攻撃するようになる。ふたりは訣別し、イフメーネフは名誉践損でワルコアスキーを
起訴するが敗訴。ワルコフスキーには領地を奪われ、恵子同然に愛したアリョーシャには溺
愛する娘を奪われてしまうのだった。
ワルコアスキーの欲望は止め処ない。不倫相手だった伯爵夫人の継娘カーチャの遺産に目
をつけ、アリョーシャの結婚相手に選ぶ。ワルコフスキーは、ナターシャとアリョーシャの
関係に横やりを入れ、患い通りに事を運ぶだけでなく、捨てられたナターシャを好色な N
老伯爵に斡旋しようとナターシャ本人に話を持ちかけるのだった。
ワルコフスキーが待ち望んでいたのがネリーの母親の死だった。ワルコフスキー自身も、
お歳になる、裕福な将箪の娘との結婚話在進めていたのである。最初の妻の死後、ワルコ
フスキーは、ある工場主の娘を誘惑して国外で結婚した。ネリーの母親である。父を捨てた
ネリーの母は、ワルコフスキーに唆されるまま父の財産を盗み出し、勘当される。金を手に
入れたワルコフスキーは、翠とネリーを捨ててペテルブルグ?に戻ると、カーチャの継母で身
持ちの悪い浪費家の伯爵夫人と懇ろになる。その後ネリーの母親は、父スミスを頼りにペテ
ルブルグへ震るが肺を病み、結局父に許されぬまま息を引き取るのだった。
イワンの手記に入れ子のように収められた、ネリーの母親の物語とナターシャの物語はス
トーリーが互いによく似ている。ふたりとも親を捨てて恋人のもとに走り、嬬され捨てられ
る。ふたりを捨てた誘惑者は父子で、椙手は金持ちの娘である。親子二代にわたって短めで
草されているのである。
よく似た話が繰り i
うのは、ネリーの母親が父に許されることなく{世界ずるのに対して、ナターシャとイフ
メーネフ親子が、ネリーの力によって和解することである。病床のネリーが、一人娘のナター
シャを呪うイフメーネフに、裡父スミスの増しみに苦しんだ、母の悲惨な最期を語って関かせ
ると、イフメーネフの怒りは静まる。スミスも、ネリーの母も、ネリー自身も死ぬが、イフ
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2
『虐げられた人たち』と縁のクリスマス(近藤)
メーネフとナターシャは再び父と娘として領地の生活を始める。ストーリーが似ているため
に、死と回生、憎悪と愛の対比がドラマチックで鮮やかである。
『虐げられた人たち』のこうした特徴はこれまでわれわれが明らかにしてきた「道化・分身・
ペテルブルグ・再生・手記j とどのように関わっているだろう。
2
.類型的人物たち
物語の間式的特徴について述べたが、人物もまた「型Jに販められている。
ネリーの母親は気がおかしくなる。私立探槙マスラボーエフによれば、狂気の原因はワル
コアスキーに嫌われて捨てられたからではない。まるで「この世の天国か天{吏を夢見た Jか
のように、際限なく信じた相手が、女を臨したり捨てたり出来るつまらない男だとわかった
からであり、自分の理想が地に落ちて、ものの見事に裏切られたからだと言う。幻滅した彼
気ちがいじみた心」は、自尊心から、「自分を欺いた人聞にたいして精神的な優位に立ち、
女の f
そいつを泥棒と見なし、生漉そいつを軽蔑する権利者得ること」に唯一の快楽を見出すよう
になる。
激しい思い込みと一方的な愛という点ではナターシャも同じである。ナターシャは、ア
リョーシャ本人とは関係なく、無邪気なアリョーシャの「子供のように純真な心」を愛した
ために苦悩する。ナターシャの極端な埋れはアリョーシャにとって負担となり、アリョーシヤ
は、自分と問じように子供だが、信念があり、気持や考えを代弁してくれるカーチャを愛す
るようになる。この世のものではない純粋さに壊れてアリョーシャに走ったナターシャは、
捨てられて狂乱状態に焔る。中村健之介によれば、「許すこと、憐れみをかけることが、一
種の無眼の快楽」となるナターシャの愛は「不毛なひとり芝居」であり、ドストエフスキー
的な女性の型だと言う\
イワンはナターシャをまだ愛しているが、ナターシャとアリョーシャの愛を喜び、ふたり
のために何かと尽くす。また、イフメーネフ老夫婦に対しては思いやりを示し、ネリーには
献身的な保護者のように接する。 40年代の進歩的知識人のように、博愛家を貫くイワンは、
ワルコフスキーに言わせると、自分の寛容を見せびらかしている「役者」に過ぎない二
ワルコフスキー父子も、家庭を築くことなく金自当てに次々と相手を替える誘惑者だし、
溺愛した一人娘に裏切られ、娘を勘当するスミス老人もイフメーネフも、謹戯実直かつ猛烈
な理想主義者である点が類型的である。
ドストエフスキー自身も謙厳に認めているが、登場人物はみな生活との結びつきが感じら
れない人形のようである九人形芝居の中心にいて、ふたつのストーリーを入れ子のように
まとめているワルコフスキーは、イワンにプルチネルラ人形そっくりだと指摘される。なる
ほどワルコフスキーは、端正な顔立ちだが、表情が「何かのパネでも押したようにあっとい
うまに」変化し、仮面を被っているような印象を与える。イワンに、口調や無邪気で、あけっ
びろげな態度がプルチネルラだと言われると、酒の勢いも手伝って自の前でプルチネルラを
演じて見せる。息子のアリョーシャもまた人形のようである。アリョーシャはワルコフスキー
の言うなりで、自分の意志がない。揮端に無邪気な性格は、ナターシャの母が言うように残
酷で恐ろしいほどだ。
ワルコフスキー親子ばかりではない。スミス老人は、「ゼ、ンマイ仕掛けのような、無意味
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日本スラヴ人文学会誌スラヴィアーナ第 1号
な体の動き jでイワンの自在釘付けにした。スミス老人が連れていた犬アゾールカは、ネリー
の母の犬で、かつてフ。ルチネルラ人形劇で、使われていた犬だった。初めてこの犬を見たイワ
ンは、「ひょっとすると、犬に姿を信りたメフィストフェレスか何かかもしれないJ とただ
ならぬものを感じるが、道化人形劇の犬は、フ。ルチネルラを地獄に引きずり込む重要な役を
与えられている。こうして見てゆくと、金目当てに次々と妻を変えるアンチ・ヒーローすな
わちワルコフスキーは、結婚願望の強い道化人形を思わせるし、よく似たストーリーの皮複
も、人形が必ず主主る紋切り型のシナリオを紡梯させる。
Jり当てられた分裂
このような、人物と物語の紋切り型によって鮮明になるのは、人物に害j
した意識である。ワルコフスキーの灰色の眼が放つ光は、「分裂していて、やわらかいやさ
しい光の間から、硬い、疑り深い、探るような邪悪な光がのぞく。J手記の作者のイワンも
現実的な博愛家であり、夢想家でもある。アリョーシャは「善人エゴイスト j だし、ナター
シャが「女性二重人格」(E・シモンズ)なのは、ネリーの母と向じである。これら分裂し
た人形たちから見えてくるのは、喜劇と紙一重の、自尊心と底意識の病である。ジラールは
次のように述べている。
この小説の筋は、本質的な要素に分解してみると、まるで喜朗である。ナターシャは、
アリョーシャのために家を捨て、父親に呪われるが、アリョーシャは別の女性カーチャ
を愛している。要するにドストエフスキーは、基本的な図式を二つ重ねているのである。
若い作家ヴ、アーニャは、ナターシャをアリョーシャの腕の中へと押しやるが、ナターシャ
は、アリョーシャをカーチャの腕の中へと押しゃる。カーチャは、他人の寛大さにおん
ぶされたくないので、力を撮りしほふってアリョーシャを接ねつけ、不幸なナターシャの
もとへ返そうとする九
ひと書付け加えるならば、ナターシャに対するイワンの気持を知りながらイワンを愛するよ
うになる少女ネリーは、自尊心からイワンを留らせ、自分自身に復讐する。彼女もまた「二
重人格」のひとりなのである。
かれらはなぜこのような分裂したタイプを演じるのだろう。あるいは何に操られているの
だろう。『分身』向様この街の特徴と深く結びついているのではないだろうか。
3
.身体と感覚のベテルブルグ
『分身』論でも述べたが、ドストエフスキーの小説とペテルブルグ、の結びつきは生理的と
ってもよいほど強く、都市の息づかいすら感じられるユアンツィフェーロフによれば、
ドストヱアスキーの 30近い小説のうち、ペテルブ、ルグ、を舞台にした作品は 20を数える。地
政学的に再現された小説のペテルブ、ルグは、単なる背景に止まらず、人物や出来事など、創
作全体と深く関わっている。ドストエブスキーのペテルブルグは、都市・物語・人物が潜然
と一体化する身体であり感覚なのである
80
~罪と罰 J のスヴィドリガイロフは、 fペテルブ
ルグほど、人間の心に培く、強烈で、奇妙な影響を及ぼす街はめったにない。気候の影響だけ
でも半端じゃない。とはいえここは、全ロシアの行政の中根なのだから、しかるべき特質が
すべてに反映しているはずである」と言っている。こなれない拙訳で引用したが、スヴィド
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『農げられた人たち』と繰のクリスマス(近藤)
リガイロフがワルコフスキーと同類であり、ラスコーリニコフの捨画であることを念頭に置
いて、彼の言葉を『虐げられた人たち』で検証してみよう。
F
虐げられた人たち』もペテルブ、ルグ市街の具体的な場所が細かく書き込まれており市街
図のようだ。部屋探しをしていたイワンがスミス老人と出会ったのは、ヴォズネセンスキー
大通りである。ヴォズネセンスネ一大通りは、ネフスキー大通り、ゴロホーワヤ通りととも
に「ネプチューンの三つ叉Jのひとつで、指軍省の建物から始まって、モイカ運河とエカチェ
リンスキー運河と交差し、フォンタンカ運河で終わる。スミス老人は、ゴロホーワヤ通りの
四階の往履からヴォズネセンスキー大通りの独立した住居に越してきた。老人が犬のアゾー
ルカを連れてあらわれる「ミュラーの喫茶店」は、大通りがイサーク寺院法場とぶつかる一
角にあり、後にイワンが借りることになるスミス老人の住居は、近くのグルホイ横町にあっ
たにこの辺りからだと、ニコラヱフスキー橋を渡れば、ネリーの住むワシーリエフスキー
島が近い。ネリーと母親は、メシチャンスカヤ街の間倍りから、ワシーリエフスキー島 6了
自のマールィ通りにある「商人ブブノワ j の家の地下に移り住んでいた。 1
3丁目には上京
したイフメーネフ一家が住んでいた。ナターシャとアリョーシャは、リテイナヤ通りから、
ヴォズ、ネセンスキー大通り東南、フォンタンカ運河にかかるセミョーノフスキー構の高級ア
パート四階に住まいを変える。ワルコアスキーがイワンを誘って立ち寄ったレストラン Bは
、
ボレルJ だ
アカデミー版 30巻全集の注によると、ボリシャヤ・モルスカヤ通りにあった f
と言う。私立探偵マスラボーヱフの住所はシェスチラーヴォチナヤ通りである。ワルコフス
キーの家はマーラヤ・モルスカヤにある。ネリーが物乞いをする「V橋」はヴォズネセンス
キー橋である。
好んで、ペテルブ、ルグを紡建ったドストエフスキーは、フェリエトニストのように街を観察
し、記録しながら、「ペテルブルグのイメージを心の底に沈殿させ、創作の糧にした。JIO
具体的な場所を詳細に書き込んだのは、産構空間に人工都市の姿を再現するだけでなく、顔
と表構を与えたのだ。『虐げられた人たち』のペテルブルグも、この街の特徴をよくあらわ
して全体に無表情だが、人物たちの住む家にはそれぞれの「顔」がある。例えば、ネリーと
母親が住んで、いた古い小さな石造りの黄色い二時震は、次のように措かれている。
下の階の三つある窓のひとつから、棺桶震の看板のかわりに赤い椙桶が飛び出していた。
上の窓は実にちっぽけな真由角の窓で、曇った緑色のひびの入ったガラスが鼠められて
いて、パラ色のキャラコのカーテンが透かし見えた。
なるほど「窓が人間の眼のようにこちらを見ているようである。」
I
I
ドストエフスキーのペ
テルブルグを訪れることは不可能だが、「なんとなく街を感じることができる」し、イワン
やネルリと一緒に「還りや橋に立っている自分を想像できる 0j I2
シベリアで建り、ペテルブルグ、に戻ったドストエフスキーは、「陰欝な暗い都会j で人び
とが見過ごしてしまいがちな「もろもろの無意味かつ異常な生活」を描いた。それらは、「冷
たく薄汚れた」ペテルブルグのあちこちで繰り広げられていた「地獄絵図」で、あった。ネリー
の物語もナターシャの物語も、「重苦しいペテルブ、ルグの空の下で、実にしばしば、しかも
人知れず、ほとんど神秘的に繰りひろげられる、陰惨で残酷な数知れぬ物語の一つでj、ペ
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日本スラヴ人文学会誌スラヴィアーナ第 1号
テルブルグの「薄暗い秘密の片隅」では、そうした「愚鈍なエゴイズム、語i
突する利害、陰
気な放蕩、ひそかな犯罪など、不条理な人間生活が煮えたぎって」いたのである。
もちろんドストエアスキーは分裂した人工都市が見せる相反する表情も見逃さない。ス
青も捉えている。「人を庄迫し、麻障させる
ヴ、ィドリガイロブのペテルブルグとは異なる表f
ような雰閤気、汚れた空気、いつも泥にまみれた荘厳な宮殿。色摺せた糞弱な太陽、土手ば気
の狂った悪意の人びと Jの住む陰欝な町にもきらりと光る瞬間があり、その一瞬の輝きの意
味も書いている。『未成年Jのアルカージーが、呪わしく思っていた同じ夕賜に「新しい力 j
を感じ取ったように、 ~I霞げられた人たち J のイワンも、 3 月の落日を浴びて光を放つペテ
ルブ、ルグ、に心動かされ、新しい物の見方、新しい思想に歓喜している。
私はペテルブルグの三丹の太騒が、わけでも落日が好きである。いうまでもなく、澄み切っ
た厳寒の夕べの落日だ。鮮やかな光を浴びて通り全体がにわかにきらりと輝く。建物と
いう建物は、突然光を放つようにみえる。建物の灰色や、黄色や、薄汚れた緑台は一瞬
その陰欝さを失う。なんとなく気分が明るくなり、身内が震えるような、誰かに肘でつ
つかれたような感じに襲われる。新しい物の見方、新しい思想…。わずか一筋の太陽光
線が、人の心をこれほど動かすとは、まったく驚くべきことである!
人物に力を与える落日の輝きが、よく似たふたつの物語の違いと関わりを持っていることを
見てゆこう。
4
.緑のクリスマスとペテルブjレグの神話題
冒頭でも述べたように、『虐げられた人たち Jは「エピローグ付き 4部議成の長編小説」
を一人称の手記に取り込んでゆく。形式とタイトルが合致する『死の家の記録(手記)』と
対照すると、 ドストエフスキーが意関して形式の違いを強調したであろうことは十分考えら
れる。ではどのような意関があったのだろう。
こ始まる。語り手の「私」が部屋探しそしていると、
物語は 1年前の 異常な出来事の回想 l
v
ひとりの老人の姿が自に入った。それは一度見たら忘れられない、まるで屍のような老人で
あった。後をつけて入った喫茶店で、老人の連れていた老いさらばえた犬が死に、老人も後
を追うように道端で野垂れ死ぬ。最期在者取った「私Jは、老人の住居がある「ノアの方舟」
が気に入り移り住む。
第 2章では、「私」が若い作家で、肺を病み、死の床にあって手記を残そうとしているこ
とが明らかになる。
その頃の、つまり一年前の私は、まだいろいろな雑誌に雑文などを書きながら、やがては、
向か大きな、りっぱな作品を書きあげようと、聞く心に決めていたのだ、った。そして実
擦に長縮小説にとりかかっていたのだが、しかしとどのつまりは一一ーこうして今、病院
に通審し、どうやら死期も近いらしい。まもなく死ぬのだとすればなんのためにこんな
手記を書くのだろう。
1
4
6
'
i
I
虐げられた人たち』と織のクリスマス(近藤)
ここでも読者は、手記と長編小説が違うと教えられる。しかし、手記を読み進むうちに手記
の出来事と長編小説の物語が同じものだと言うことに気づいてゆくのである。
私は身震いした。大長補小説の発端が私の胸にひらめいた。葬儀屋の地下室で死ぬ哀れ
な女、自分の母親を呪い続けた祖父を時々訪れる孤見の娘、飼い犬の死んだ後喫茶店の
宿先で、倒れる気の狂った変わり者の老人!….
「
私j が小説でなく手記を書いたのは、「自分の作品について思案し、それがどんなふうに書
き上がるだろうかと空想することのほうが、実際に書くことよりも楽しかった」からだ。換
言すれば、手記の記録が物語として眠胎し、成長して結実したのが、「二日二焼の苦労Jの
虐げられた人たち』なのである。長編小説を紐解き、そこに収
末に書き上がった長編小説 F
められた手記を読んでゆくと長編にまた戻ってくる。物語が、手記と長編小説という異なる
形式を循環し、形式の違いを強調していると言うこともできるだろう。
虐げられた人たち』の母胎だとすると、手記の中で、
死を自覚した人間の手記が長編小説 F
明らかにドストエアスキーその人のものだとわかる作品が言及されていることは無視できな
くなる。
「どうしてあのひとは死んだのj とネリーは私の顔を見上げ、悲しくて溜まらぬように尋
ねてから、すぐにまた自を伏せた。
「あのひとって? J
「あの若い人よ、肺病の….本の中のJ
「仕方がないんだ、ネリ一、ああしなければならなかったんだよ」
30巻全集の注によると、「本」とは『貧しき人びと』( 1
8
4
5)のことで、肺病の若者とは官
吏ポクロフスキーの息子を指していると言う。また、この「本」の原稿を読んで「子供のよ
うに喜んだj評論家 B とはペリンスキーのことである。先述したように、『虐げられた人たち』
はドストエフスキーの「田顧的自画像」と言われる。死の床にあるイワンとは、 40年代の
書いたドストエフスキーその人なので、ある。モチュー
自分自身を手記に葬り、『死の家の記録J
リスキーも言うように、当時のドストこにフスキーは「理想主義者でロマンチスト、ペリンス
キーの友人で、伺篇かの博愛主義的な中篇小説の作者」を、すなわち「自分の青春時代の姿
在、だが裁き罰するために再現してみせたのである。 J13 それは新たな創造のための「裁
・ ジラールも、「ドストエアスキーにとって自己を創造することは、審美的・
き」で、あった。 R
心理的・精神的な形に囚われ、それらによって人間として・作家としての地平を狭められて
地下室の手記』以
いた、今までの自分を殺すことである」と言っている九ジラールは、 f
降のドストエフスキーは一作ごとに「新しい改宗Jを繰り返している、と続けているが、「改宗」
よりもロシア正教の復活祭の方が的を射ているだろう。ドストヱフスキーの作品は「すぎこ
し」が繰り返されながら、死と復活が現世において円環状に繋がり、一生で成就する死生観
をあらわしているように見える。『死の家の記録』が冥界巡りと自伝的復活の書だとしたら、
『虐げられた人たち』は文学的復活を記した一作ではないだろうか。
1
4
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日本スラヴ人文学会誌スラヴィアーナ第 1号
物語に戻ろう。
手記を残すことにした「私j イワンは復活を夢見、生を渇望していた。
もうじき春だ。こんな殻を破って広い世界に飛び出し、かぐわしい野や森の番を吸い込
んだら、さぞかしせいせいするだろう。もう永いこと野原や森を見ていなし、!……そし
てまた、何かの魔術か奇蹟によって、過去のすべてを、ここ何年間かの経験のすべてを
忘れられたら、どんなにいいだろう。当時の私はまだそんなことを夢見、復活に望みを
かけていたのだった。
イワンは、苦しいほど興奮させる過去の様々な印象を手記に書き記せば、秩序だ、ったものに
なり、心が落ち着くし、書くことでJ私の内部に潜むかつての作家的背性をなだめ、冷静にし、
揺り動かし、私の回想や病的な夢を仕事に、労作に撮り向けてくれる」と言っている。
、すなわち『貧しき人々』とは違う新しい長編小説の間には、物語
実際、手記と「労作J
の構造と関わる、死と再生の関係を認めることができる。
F
虐げられた人たち Jの出来事は復活祭を背景にした 3月から 6月の間に起きている O 「
私j
の心を動かした一筋の輝きは 3月の夕陽である。タ i
湯は{可か予感に満ちた一瞬を残して消え
る
。 3丹は謝肉祭の時期である。このあと 40日間の大斎を経て、復活祭を迎える準備に入る。
物語では、受難週間にナターシャとアリョーシャが別れ、光明週間を迎えてイフメーネフと
ナターシャの関係が匙り、「私」イワンも、「方舟j にたとえられる老人の部屋で一気に長編
を書き上げてゆく。
6月中伺。蒸
日。市内に残った者はたまらない。壊、石灰、改築工事、灼熱した石畳、
さまざまな蒸発物に毒された空気….。だが、ああ、この嬉しさ!どこかで蓄が鳴り、次
第に空が曇ってきた。嵐が吹き始め、町の壊を巻き上げた。大粒の誌が重そうに地面を
打ち始めたと患うと、とつぜん大空の疫が抜けたように、猛烈に多量の雨水が町にぶち
まけられた。三十分経ち再び太陽が輝きはじめ、私は小部屋の窓を開いて、むさぼるよ
うに、疲れた胸一杯にさわやかな空気を吸い込んだ。あまりの気持ちよさに私はもう少
しでペンを投げ打ち、あらゆる仕事も出版社も掠り捨てて、ワシリエフスキー島のあの
ひとたちの家へ飛んで、ゆくところだ、った。
「薄汚れた建物や、濡れて輝く歩道の敷石や、濡れそぼれて腹立たしげな暗い表情の人びと j
の街に注ぐ、光を浴びた多量の潟水と爽やかな空気がもたらす歓びは、あたかも復活の歓喜
をあらわしているかのようだ。イワンによれると、受難週間は「この年、ひじように遅れて
やってきた。」 f
虐げられた人たち』が雑誌 f
時代」に掲載された 1861年の復活祭はう丹う
目白月訪日)で、あった。 6月中却と言えば、ちょうど五匂節(トロイッツア)あるいは聖
神降臨祭を迎える頃である。塑神降臨祭は「線のクリスマス」とも呼ばれ、神話の小神格ル
4
アールカが最も活躍する時期である。ルサールカとは女の水の精で、西欧から入ってきてロ
シアの土壌に根付いた両義的な神格である。若い男を水底に引き込んで命を奪うこともあれ
ば、聖神降臨祭の頃には陸に上がり、焔を走り由って大地を潤し、人びとに豊穣をもたらす
1
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8
『j
繋げられた人たち』と緑のクリスマス(近藤)
と信じられていた。
ルサールカは他の神格とは違い様々な姿が語り伝えられているが、例えばアファナーシェ
フはその特徴をこう記している。
ルサールカの顔は言いようのない魅惑的な美しさに満ちており、常に解かれた亜蘇邑や
黒の、或いは隷色のお下げが、背中や窟に沿って腰よりも低く垂れ下がっている。すら
りとした体つきで、自は青、或いは黒くて、長い柔らかな龍三ちを持っている。[・・・]彼女
の姿全体には向か空気のように透明なもの、血の気のない青白いもの感じられる
1
50
アファナーシェフのルサールカを訪掛させるのが少女ネリーである。ネリーについてイワン
は、「これほど奇妙な、これほど風変わりな生き物に出会うことは珍しい」と驚いている。
彼女は普が抵く Jどこか非ロシア的な黒いよく光る自」が「強情そうで謎めいた沈黙の視線J
を放ち、濃い黒髪は乱れ、顔は青白く痩せ細っていたが美しかった。イフメーネフもネリー
を見て「人間離れしている」と感想をもらす。
外見ばかりではない。イワンと出会った頃のネリーはエレーナ老名乗り、入者恐れ、恵み
嫌う少女で、あったが、警戒心を解いた少女ネリーは人に救いをもたらし感謝される。粗暴で
激しい気性と深い思いやりという異なるふたつの性質は、ルサールカの両義的神格に通じる。
また、草花もネリーとルサールカの類縁性老暗示している。イフメーネフの住まいの建物に
は小さな患が付属していて、一面の緑に覆われていた。それは当時既に珍しかった古い庭で、
「監獄で見る空の青のように、ペテルブ、ルグっ子たちがひじように大切にした、貴重な庭jだっ
たへ地獄に差し込む一条の光のような庭には、リラや忍冬のほか、生命のシンボルでルサー
ルカの祭りには欠かせない白樺の若木も数本あり、ネリーはこの底にすっかり摺れ込んでし
まう。躍の緑だけではない。死の産前にネリーが語った明るく喜ばしい、母とハインリッヒ
の想い出のひとつに、ハインリッヒが母の部屋を花でいっぱいに飾り立てた話がある。この
話を間いたイフメーネフは、ネリーのために「花祭り」を計臨するが、ルサールカの祭りは、
森や野原が緑に包まれ、生命が息吹を吹き返す花の祭りである。「花祭り」は間に合わなかっ
たが、ネリーの死の床はパラの大きな花束で飾られた。ルサールカには「死者の魂に捧げら
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aの名称が反映されている o
J パラは、生命と豊穣と当時に、墓をパ
れた古代のパラ祭 r
ラで飾り死者を追 悼することから、死のイメージも伴うのである。「このイメージは、ルサー
J
ルカがその存在で、全身でもって表現する春、植物、自然の命の満開、生命力、そしてそれ
と裏返しの死というイメージと不思議なほどに全て棺呼応している。 Jiナ
もうひとつ付け加えると、ルサールカが裏切りに対する復讐心を燃やすことも、最後まで
ワルコフスキーを憎み続け、深い悲しみを背負ったまま死んでゆく美しい犠牲者ネリーのイ
メージと一致する。
アンツィフェーロフは、「ドストエフスキーはペテルブルグの広場、通り、家々の下に原
初のカオス在感じている」 18 と指摘しているが、「分裂した意識の橋丹 J (後藤明生)に喰え
られる世界で最も抽象的な計画都市を方舟のように浮かべている水の自然から、生命が一斉
に患を吹き返す時期に、ネリーというルサールカがあらわれ、力を発関したのである。それ
ゆえイフメーネフ父娘は和解するのだし、イワンは手記の書き手から長編小説の作者として
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日本スラヴ人文学会誌スラヴィアーナ第 1号
蘇るのだろう。
ドストエフスキーは、プーシキンが F青銅の騎士J (1833)で謡った宮穀や塔のベテルブ
ルグではなく、ヱヴゲーニィの住まいのあった、中・下層階級のペテルブルグに「新しいペ
テルブルグを探し求め j 19、抽象的計画都市の母胎に神話層を見つけたのである。ワシーリ
エフスキー島で波に呑まれたパラーシャとともに想起されるルサールカのイメージは、『地
下室の手記3のリーザへ、そして『罪と罰J (1866)のソーニャへと引き継がれ、「桧惨な物
語」が繰り返されるペテルブルグが死と再生のf
主であることを示唆し続けるだろう。
「担額的自画像」であり、物語の形式を芭別している「虐げられた人たち Jの手記は、死
の床= I死の家」のドストエブスキーが 40年代の自分を葬った墓穴であり、長編小説は新
しい作家として控るための棺なのである
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ドストエアスキーは、クリスマス週間を背景に
虐げられた
した『死の家の記録』で地獄からの生還を描き、緑のクリスマスを普景にした f
人たち Jで、昌己と創作の回生を描いたのである。この長編を期に、「宗教的悲劇」への道
が始まる。
註
ドストエアスキーの作品からの引用は新海社版 fドストエアスキー全集Jに拠った。
I 拙論「キリスト降臨都市一一ドストエフスキー『分身Jのペテルブルグ」(『都市と芸術の「ロ
シア J
J
J水声社)を参照されたい。
2
.R・ジラールは、「初期作品全設に克られる、無秩序、内面の荒廃、暗中模索は, W
1
霞げられた人びと J
以後の作品のもつ明噺さ、とくに F
カラマーゾフの兄弟Jの天才的で落ち着いた世界像と、
FドストエアスキーJ鈴木訳、法政大学出版毘)
くほどの対照を見せている J と指摘している。( [
3
. 中村健之介によれば、「『虐げられし人たち』のナターシャの愛の雛形は、すでに『女あるじJ
のカテリーナにも認められる。カテリーナはオルディノフの「清らかな心」を砲きしめて、わ
ななくような口調で吋市と弟のような愛jを語っていた。そして J虐げられし人たち Jのナター
シャが、やがて F
白痴Jのナスターシャ・フィリーポヴナになっていくことも、もう予感される。
「幼児のようなJムィシキンが令嬢アグラーヤと新しい恋に陥ることを、ナスターシャ・フィリー
ポヴナは、自分を犠牲にして、願うのである。」(『ドストヱアスキー人物事典』朝日新聞社)
4
. ドストエフスキーは時事的な賠題を小説に敢りあげた作家だが、 W
1
霞げられた人たち』もジ、ヤー
ナリズムやイデオロギーの勾いは強い。たとえば、イワンは、 40年代理想主義を生きている博愛
主義者だし、ナターシャは女性の自立を主張する「 1860年代のノラ」である。アリョーシャと
カーチャは社会主義思想に夢中になる。「ドストエフスキーの小説の殆ど全体にわたって、問
時代の論争のテーマ、当時愛読された詩や評判になった論文などが、ときには生のまま、とき
には巧みに料理されて、ちりばめられている o
J (中村躍之介『ドストエアスキー・作家の誕生』
みすず書房)
5
. ドストエフスキーはストラホフの論文に付した注記で次のように述べている。「この長縮小説
で描き出されているのは人間ではなく、おおぜいの人形で、あること、そこにいるのは芸鵠的に
表現された人物ではなくて(そのためには、じっさい、時間と、頭と心のなかでイデーが熟す
る必要があった)、三文野郎であることをわたしは完全に認める o
J (モチューリスキ− [
F評伝
ドストエアスキーJ筑摩書房)
6
.ルネ・ジラール『ドストエアスキー』鈴木訳、法政大学出版局、 1
9
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.拙論「キリスト時臨都市一一ドストエアスキー f
分身Jのペテルブルグ」を参照されたい。
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虐げられた人たち』と緑のク )
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.中村健之介『ドストエアスキー・作家の託生』みすず書房、 1
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9年
、 184頁
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3
.モチューリスキー『評伝ドストエフスキーJ松下訳、筑摩書房、 2
000年
、 226頁
1
4
.ルネ・ジラール FドストエアスキーJ鈴木訳、法政大学出版崩、 1
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3年
、 3頁
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5
.佐野洋子『ロシアの神話』三弥井書店、 2009年
、 236真
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.佐野洋子『ロシアの神話J三弥井書店、 2
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、 233頁
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. イワンが、自分が死んだ後手記は病院の二重窓の白張りくらいになるだろうと独りごつ鯖所
を引いて、中村健之介は次のように指摘している。「これもドストエフスキー好みの自伝くず
しで、この病院はオムスクの要塞監獄付属病院くさいのであるが、四0年代の自画像を病院で
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死んだ「故人」の像としてしめくくりたい作者の意図があってこうなったに違いない o
ストエフスキー・作家の誕生』)
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