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17 豪華客船で行く三峡クルーズ - Travel Journal Gateway

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17 豪華客船で行く三峡クルーズ - Travel Journal Gateway
China por t
Re
Promotion &
Campaign
17
2015中国シルクロード観光年
豪華客船で行く三峡クルーズ
三国志ゆかりの地も訪ねる長江の旅
長江の中流に位置する三峡は、三峡ダムの建設によってかつての急流が姿を消し、
水墨画のような中国らしい景観が楽しめるようになった。
新三峡クルーズとして新たな観光ポイントを加え、豪華客船が運航している。
三国志の舞台に足を延ばせば、さらに充実の旅となる。 文/皆方久美子 写真/キャラバントラベル
青海省のチベット高原を源流とする長
広がったことにより、大型船の運航が
江は、四川省、湖北省を縫うように東へ
可能になり、じっくりと景観を楽しめ
と流れ、約6400㎞の旅を経て上海で東
るようになった。従来のクルーズに新た
シナ海に流れ込む。
「三峡」は、長江の
な観光ポイントも加わった新三峡クルー
中流域にある瞿塘峡、巫峡、西陵峡の
ズは、多くの船会社が運航している。
くとうきょう
ふきょう
せいりょうきょう
3つの渓谷の総称である。切り立った断
崖絶壁が迫り、はるか向こうに山の稜
劉備玄徳の終焉の地となった白帝城
あるので、三峡クルーズに乗船する前
に見ておきたい。
雄大な景観を楽しむ
重慶の見どころで外せないのが磁器
線が幾重にも連なる水墨画のような景
三峡クルーズの起点となる重慶へは、
口古鎮。市内から西14㎞の嘉陵江沿い
色が美しい。
成田・羽田からは北京・上海乗り継ぎ
にある、
宋代に発展した港町である。明・
三峡は三峡ダムの完成によって、水
便で、
関空からは直行便が就航している。
清代の古い街並みが残り、茶館や骨董
位が上昇して水深が深くなった。かつ
直轄市である重慶は、3000万人を超す
品店、食堂などが軒を連ねている。坂
かりょうこう
ての荒々しい急流はなくなったが、周
人口を抱える工業都市。長江と嘉陵江
や階段で結ばれた街を散策するのが楽
囲の景観の印象は大きくは変わってい
の合流点に位置し、春秋戦国時代から
しい。
ない。むしろ水深が深くなって川幅が
長江を利用した水運で栄えてきた。隋
三峡クルーズの船は、重慶市街東端
代から渝 州と呼ばれ、宋代に重慶の名
の朝天門埠頭から発着する。クルーズ
になった。日中戦争時には蒋介石率い
の基本区間は重慶/湖北省の宜 昌で、
る国民党政府、中華民国の臨時首都が
下り3泊4日、上り4泊5日の行程となる。
置かれている。
観光の場合は下りを利用するのが一般
臨時首都が置かれた翌年に建てられ
的。3泊4日の行程中に三峡ダムを含め
た解放碑の周辺が繁華街で、周囲には
4カ所ほどに立ち寄るが、上陸地は船会
金融街のビルが林立。繁華街から西に5
社によって異なる。船のグレードもさま
㎞ほどのところに中国三峡博物館があ
ざまで、新三峡クルーズでは5つ星の大
る。重慶の歴史や三峡に関する展示が
型客船も導入されている。
ゆしゅう
ぎしょう
5つ星の大型客船はインターナショナ
ルなサービスを提供し、リゾート船並み
に快適で豪華だ。かといって海の豪華
クルーズ船のように船 内の階 層やフ
ォーマルを強いることはなく、カジュア
ルな雰囲気で過ごせるので、日本人観
光客におすすめ。
船の設備も申し分ない。レストラン
小舟に乗り換えて行く小三峡
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TRAVEL JOURNAL 2015.5.4-11
巫峡には幽玄の風景が広がる
はもちろんのこと、プールやジム、マッ
悠々たる流れの長江をクルーズ
三峡クルーズの出発地、重慶を流れる長江
クルーズ船のデッキからの眺め
5つ星客船の部屋はホテル並み
巨大な水門の三峡ダム
『三国志』の舞台となった荊州古城
サージ、売店のほか、図書室やカラオケ、
ットだ。長江の合流点から中型船に乗
で仁王立ちになって戦ったところで、
ミニゴルフ場を設置している船もある。
り換えて約30分、さらにトウチャ族が
趙雲が戦いながら劉備の子・阿斗(後
大型客船は揺れが少なく、穏やかな航
漕ぐ小舟で渓谷の奥へと進む。新三峡
の劉禅)と劉備夫人を救ったエピソー
行ができるのも特徴だ。
クルーズのハイライトである。
ドが知られている。近くには関羽の陵
重 慶で乗 船して最 初の見どころは
西陵峡に入ると川幅が広がり、流れ
墓である関陵もある。
豊 都の鬼 城。鬼が住むと恐れられた霊
が緩やかになる。西陵峡の終点にあた
当陽からバスで約2時間の荊州は物流
山で、山頂に建つ道教寺院に閻魔大王
るのが巨大な水門の三峡ダム。ダムの
の要衝で、
『三国志』で壮絶な争奪戦が
像やさまざまな鬼の像がある。鬼城の
前後に約68mの水位差があり、クルー
くりひろげられたところ。
「赤壁の戦い」
対岸には2004年に公開された鍾乳洞の
ズ船は5段のロックゲートを通過する。
後は劉備が支配し、関羽が守った地で
雪玉洞がある。
船が水門に入ると前後の門を閉じ、水
ある。関羽が築城したといわれる荊州
岸壁に造られた高さ56mの楼閣があ
位を調整して昇降させるシステムで、通
古城には、清代に再建された城門や関
る石宝寨など、長江の両岸に展開する
過には約3時間かかる。三峡ダムの見学
羽を祀った関廟などが残る。
景観や見どころは、船上から眺めるこ
も行われる。
長江とその支流漢江の合流点に位置
とも多い。
三峡ダムを過ぎると宜昌は近い。
する武漢は、交通、商業の要衝として
ほうと
きじょう
瞿塘峡の西側にある白帝城は、
『三
りくそん
国志』の劉備玄徳が呉の陸 遜に敗れて
下船後は憧れの歴史舞台へ
栄えたところ。南西約40㎞のところに
『三国志』の古戦場として名高い赤壁が
失意のうちに没した城。臨終に際し、
三峡のクルーズ船は、宜昌の先、南
ある。5万の同盟軍に対し、曹操軍は
諸葛孔明に「息子の劉禅が無能なら、
京や上海まで運航しているものもある。
20万と圧倒的な数を誇ったが、孔明と
孔明自身が蜀を治めよ」と後事を託し
武漢までもフェリーや高速船の運航は
呉の周瑜の知略によって大敗を喫した。
たところとして知られている。遺言の場
あるが、クルーズ船は宜昌までのものが
長江下流の岸壁に
「赤壁」
の文字があり、
が再現され、
李白の
「朝に白帝城を発す」
ほとんどだ。
隣の公園には赤壁大戦陳列館がある。
の句碑などもある。
宜昌で下船後は、バスで『三国志』
三峡クルーズで船中3泊し、下船後
切り立った断崖絶壁が連なる瞿塘峡
の舞台へ。武漢までの長江沿いの町に
は荊州と武漢に宿泊すれば、ゆったり
を過ぎ、水墨画のような風景が広がる
は『三国志』ゆかりの地が点在している
とクルーズを楽しみ、『三国志』の舞台
巫渓へ。長江へ流れ込む支流の小三峡
ので、このあたりはファンには見逃せな
も訪ねられる。雄大な景観と歴史の旅
や神農峡を小舟に乗り換えて巡ること
いところだろう。
を満喫できる。
ができる。神農渓は約60㎞の渓谷で、
まずは当陽で劉備、曹操の激戦地・
三峡に残る急流を楽しむ数少ないスポ
長坂坡へ。張飛が曹操の大軍相手に橋
しゅうゆ
問い合わせ:キャラバントラベル
E-mail:[email protected]
TRAVEL JOURNAL 2015.5.4-11
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