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旧会津藩士の陸奥・会津への旅
旧会津藩士の陸奥・会津への旅 石井潔著﹁青森記行﹂の紹介︱ ︱ 雅号は楳堂 、)母は芳 阿 ( 部新蔵近憲四女 で ) ある。潔は三男で、長 石 取 り の 家 で、 父 は 信 䡄 維 ( 䡄・ 高 䡄、 隠 居 後 は 石 井 可 汲 と 称 し、 ( 郎・信志 は ) 、嘉永五年 一 ( 八五二 ) と こ ろ で、 著 者 の 石 井 潔 三 九月二六日に、会津藩士の家に生まれた。石井 生 (亀 家 ) は一三〇 ささやかだが、貴重な史料といえると思う。 久保田昌希 はじめに 本稿は、かつて﹃本紀要﹄第六四号に掲載した﹁旧会津藩士父子 が訪ねた伊香保温泉ー石井潔著﹃香山日誌﹄の紹介﹂のいわば、続 1 編ともいうべきものである。 2 兄は信篤 武 ( 介 、)次兄は信孚 恭 ( 介 、)弟に維允 四 ( 郎・孫六 、)異 母妹に節 の (ぶ が ) いた。石井父子は戊辰戦争を戦い、信篤・信孚・ 潔三兄弟は西南戦争にも従軍、とくに信篤・信孚は負傷している。 迎えて保養を楽しんだ様子を描いたものであった。 ﹁青森記行﹂の体裁と現状 一 父と次兄の保養を兼ねて、一足先に伊香保を訪れた後、父と次兄を いたが、﹁香山日誌﹂と合わせて、筆者に譲与・委ねられたもので て伊香保の温泉宿や町の景観などの描写は、一市民による旅日記で があり、悔やまれるが、潔が辿った行程や訪ねた名所・旧跡、そし わばメモをもとに、後日清書したものであろう。伝来の過程で欠損 ときの﹁日記﹂である。日記とはいえ、おそらく旅行中に書いたい ( 八八〇 に ) 石井潔が伊香保へ旅した ﹁香山日誌﹂は明治一三年 一 ﹁香山日誌﹂は、潔が明治一三年 一 ( 八八〇 四 ) 月から五月にかけて、 ﹁記行﹂と題されている も ﹁青森記行﹂ ﹁(紀行﹂ではなく、 ) ﹁香 山日誌﹂とともに、筆者の伯母の家に経緯は不明ながら伝えられて 4 ある。後述するが、 ﹁青森記行﹂にも欠損部分がある。 4 以下、 ﹁記 ﹁青森記行﹂は、表紙に﹁青森記行﹂とあることによる ( 行﹂と略記 。 ﹁ ) 香山日誌﹂の五年前、明治八年一〇月から一二月に かけて青森を訪ね、帰途に故郷会津に立ち寄り、その後帰京する日 二 紙を入れて四八枚であった。つまり本文は九四頁である。しかし現 状は三九枚であり、八枚が欠損している。その部分は一・二・三・四・ 一八・二九・四三・四六である。 には二一字が書かれている 翻 ( 刻 に 際 し て は、 一 行 二 七 字 と し 、 適 あり、半分が一頁である。一頁は罫線で一一行となっており、各行 ﹁記行﹂も﹁香山日誌﹂と体裁は同じで、B 四判の一回り小さい 青罫線の用紙に書かれている。用紙を真ん中で折り、袋綴じにして 青森町在住の旧藩士として登録されていたため、当地への挨拶や事 であろう。青森行きの理由は、この時、潔は東京に現住しながら、 る理由と、東京を出発して、宇都宮までの経路等が書かれていたの 記載からである。おそらく最初の四枚のなかに、潔が青森へ出かけ 次の紀行文である 本 ﹃青森記行﹄旅程表﹂参照 。) ( 稿末﹁ 宜句読点を付した。また見せ消ち等を示す部分については削除し、 務手続きの必要上、出かけていったと推測される。今後関連史料を ﹁香山日誌﹂の書き出しは、伊香保温泉へ出かける理由に始まっ ている。﹁記行﹂は最初の四枚が欠損しており、栃木県宇都宮での 加筆されている場合にはそれを記載し、挿入文についても該当箇所 もとに考える機会をもちたい。 3 におさめた 。)文字は正確で、 乱れておらず清書である。 ﹁香山日誌﹂ 取って﹁こより﹂として用いたという。 と同じく、旅行中にメモをとり、それを元に帰宅後まとめたのであ なお、﹁記行﹂の部分的欠損の理由は﹁香山日誌﹂と同じで、筆 者 の 伯 母 の 家 が 医 者 で あ り、 書 類 を 綴 じ る 時 に 本 紙 の う ち を ぬ き を、ほぼ翻刻文の該当部分に付し、巻末 ろう。なお、 ﹁香山日誌﹂と異なるのは、 ﹁記行﹂には二三の頭注が 施されており 番 ( 号①∼ に[頭注]としてまとめて翻刻した 、)潔は﹁記行﹂清書完成後も、 おそらく折りにつけて施していたのであろう。潔の性格を思わせよ 翻刻﹁青森記行﹂ う。 一紙ごとに左端下に漢数字が書かれており、 表 (紙 ) 全体の枚数について、 現状の最終紙には﹁四十七﹂とあり、しかも﹁ノ為ニ禿筆ヲ塗スル 青森記行 而己 明治八年 石井 潔﹂とあるから、本来は四七枚︵丁︶、表 」 一「・二・三・四 欠 」 五「 分、阿久津駅ニ至ル。十時三十五分、氏家駅ニ達シ。荒川ヲ 渡リ橋一銭一厘。 ハナリ。亦タ、髪結小間物屋按摩等入込テ、實二奥羽第一ノ ノ談、地方官会議ノ論モアリ。是レ皆東京見物往復ノ人ナレ シテ一度ニ数人ヲ浴セシム。故ニ室中ニハ劇場ノ話ヨリ角力 ハシメ旅客ノ欝ヲ散セシムルノ情ヲ為セリ。又タ、浴室大ニ 大小便所ニ至ル迄奇々妙々ノ建築ニシテ、實ニ旅人ノ意ヲ喜 シメ、浴湯場等ニ至テハ、姿見鏡等ヲ設置シテ美麗ヲ極メ、 皆乾シテ其濕気ヲ沸フ。頗ル丁寧ナリ。 ト二百文。今日終日ノ強雨ニテ、衣裳総テ濕レテ滴々。家婢 舞坂ヲ越、五時、太田原駅川島安兵衛方ヘ泊ス。旅籠代二朱 ル事甚シ。鶴坂前坂ヲ越ヘ、作山ヲ過キ、大内川ヲ渡リ、岩 ヲ渡リ、代二厘。其ヨリ、親園村迄八銭ニテ馬ニ乗ル。雨降 本屋ト云待合茶屋ニテ温飩ヲ食ス。代二銭。一時發店。内川 東京ヨリ是迄坂路ナ 彌五郎坂 シ ヲ 越 ヘ、 一 時 三 十 分、 喜 連 川 駅 山 、是ヨリ坂多シ 六 「 」 旅宿ト言テ可ナリ。先年ノ稲屋今ノ手塚屋ト言テ可ナラン。 同十二日、曇晴、午后微雨。五時発宿。天未タ明ケス暗黒ナ ① 毛布ヲ敷キ、下足札ヲ以テ番号ト定メ、汁粉ヲ以テ茶ヲ喫セ 旅宿料ハ拾五銭五厘廉ナリ。當駅當時縣廳ナケレトモ、野州 リ。雲霧ヲ穿テ行。七時鍋掛駅ヲ過キ、那珂川橋ヲ渡ル。代 ヲ過キ、余笹川ヲ渡リ一厘ヲ拂ヒ、笹風坂ヲ越、寺子村ニテ 弟一ノ都會ニテ鎮臺兵モアリ。富商モ見ユ。城丘ハ戊辰ノ役 杉 焼滅シテ趾ハ路ノ右ニアリ。明神ノ社ハ再造立シテ大街ノ右 奥羽ヨリ登京スル者此坂ニ至 壱厘。越堀駅ニ至ル天全ク明ク。△ リ 初テ富士山ヲ望ム。故ニ此 ノ名 此ヨリ芦野迄ノ山巒上下里俗二十三坂ト 富士見坂△ 云 ヲ越ヘ寺子村 アリ 。馬下直也旅人多ク馬ヲ雇ヲ常トス ② 同十一日、強雨。午前第六時、松本子一同発宿。桐油二枚調、 暫時休憩。八時五十分発ス。番屋坂念佛坂ヲ過キ芦野川ヲ渡 ニアリ。又、日光街道ハ西ニ入ル大老杦ノ列樹ナリ。 代十銭。雨風ヲ凌ノ用意ヲ為ス。下川俣村ヲ過キ海道新田ニ 橋ナリ橋 リ銭 、九時三十分、芦野駅ニ至ル。又タ、横岡村寄居 ナシ 村ヲ経テ、境明神前茶店ニテ千代ノ餅ヲ食ス。不美、代三銭。 ③ テ松本子ノ饗応ニ遇フテ別レル。九時発亭。西鬼怒川ヲ渡リ、 神社ハ往街左側ニ二社並テアリ。南ノ祠ハ玉津嶋神社ニシテ 至レハ雨降リ来ル。暫時休息。八時三十分、白沢駅絹川屋ニ 代壱銭壱厘。又タ、東鬼怒川ヲ渡リ、代壱銭壱厘。九時五十 三 郷社ナリ。是野州。北祠ハ境明神ニシテ村社ナリ。是磐城州 至ル。右ハ陸奥街道、左ハ會津街道ナリ。戦死供養ノ塔 阿武隈川ノ ヲ渡ル。橋銭四厘。陸奥仙臺ト會津越後ノ追分ニ 橋水 源ナリ 四 古ノ奥 。 南 祠 ノ 方 郷 社 丈 ケ 奇 麗 ナ リ。 十 二 時 五 十 分 発 亭 。 坂 州ナリ 小田川宿ヲ過キ、 泉田村ヲ過テ、七曲坂ニ至ル。此坂景色佳ナリ。九時二十分、 アリ。右道ノ大路ヲ行キ大清水ニテ、清水ヲ呑ミ、新小萱村 」 ヲ下リ、一時十分、白坂駅ニ至ル。二時三十分、白川入口 七「 ニテ戊辰ノ役戦死セシ墓ヲ拝ス。知ラス識ラス悲涙満胸。懐 ヲ尋ヌ。主人留守ニ付、隠居治兵衛ニ面會ス。父上ヨリノ状 北背南シテ去ル。夫ヨリ新町天神町ヲ過テ、仲町桑名清兵衛 左ハ我親明寺ノ墓、右ハ薩長大垣戦死十三人ノ墓トアリ。面 田村ヲ過テ、十一時十分、矢吹駅ニ至ル。奇麗ナル駅ナリ。 踏瀬村ヲ過キ、大和久坂ノ急嶮ナルヲ降リ、大和久村中畑新 見ル。恰モ旧國七折峠ヨリ藤村ノ山々ヲ望ムカ如シ。夫ヨリ 又大田川ヲ経テ、二ツ坂ニ登ル。頂上ニ擧レハ東方ニ青山ヲ 八 「 」 ヲ達ス。隠居曰ク、家内少ク取込アリ、隣家ニ止宿セラレン 夫ヨリ久米石村ヲ過テ、十二時十五分、笠石駅ニ達ス。該駅 古スレハ、已ニ八年、墳石、路ノ左右ニ相對シテ立テアリ。 事ヲ乞トテ、西隣ヘ案内セリ。此ハ桔梗屋トテ先年ハ家國ノ 回 ノ 戦 場 ニ シ テ 互 ニ 此 ヲ 襟 喉 ト シ、 攻 守 屡 変 更 セ シ 城 ナ リ 。 受ケテ帰宿シテ就寝。宿代十壱銭ヲ拂フ。當所ハ戊辰ノ役数 會セリ。禮終テ種々ノ談話ニ至リ、本月十日ノ日々新聞ヲ借 セス。茶ヲ喫シ、茶菓ヲ食シ、待ツ事暫時、始メテ帰宅一面 装ヲ取リ菓子ト風呂敷ヲ土産トシテ清兵衛ヘ行ク。未タ帰宅 リ。午后二時四十分發店。釋加堂川橋を渡り、代二厘五毛。 ニ比スレハ、味甚不美。是レ東京ニテ無塩魚ヲ食シ居レハナ ス。余、幼若ノ時、當驛内藤氏ヨリ年々家父ニ贈シヲ食スル 居リ、又一都會ナリ。會田屋ニテ午飯ヲ名物鰹ノ糀漬ニテ喫 リ、産馬會社絹糸會社アリ、又劇場アリテ、多ク絹商人入込 二時、須賀川駅ニ至ル。當駅ハ白川ヨリモ繁華ニテ、学校ア 名酒ノ産 ④ 旅 店 ナ ク、 下 等 ノ 稱 ヲ 下 シ テ 可 ナ リ。 鏡 沼 村 アリヲ 経テ、 石垣高聳テ尚依然不堪慨歎、獨呑暗涙而、寐秋風襲身。 中宿村ヲ過ギ、鎌足神社ヲ拝ス。下宿村ヨリ一里、壇坂ヲ上 用達ナリト云 夏井庫治又兵吉ト称ス。于時、三時ナリ、夫ヨリ旅 同十三日、晴。朝六時出寝。桑名へ暇乞シテ八時發宿。新川 数ニ因テ、該家ヘ泊ス。代十四銭五厘。合客ナク、且ツ取扱 ス。然ルニ途中諸人ニ問フニ、十中八九川嵜屋ヲ最トス。多 レノ旅亭可然ト尋ヌレハ、海老屋ガヨロシキ旨ニ付、右ヘ決 ヘ泊ス。之レヨリ先キ、須賀川駅會田屋ニテ、郡山ニテハ何 村日出村小原田村ヲ経テ、五時三十分、郡山驛川崎屋弥兵衛 リ、滑川村ニ達シ、滑川橋ヲ渡ル。代壱厘壱毛。笹川村笹原 然リト雖モ、八丁目蝋燭屋金兵衛方ハ好キ旅宿ナリト。郡山 ツ諸人皆云フ、八丁目ハ貸座敷渡世ノ由、福島モ同断ナリト。 時三十分ナリ。福島ヘ行ニハ遅シ、八丁ノ目ナレハ早シ。且 成就セリ。其ヨリ油井村ニテ餅ヲ食ス。暫時休ム。于時、二 ノ人ニ問フニ、當六月焼失シタリト云。然レトモ、大概建築 ス。町ノ中央ニ凸処アリ。坂ヨリ以南皆類焼シテアリ。當所 ⑤ 宮駅ニ至ル。一都會ナリ。且ツ神社祭前日ニテ雑沓甚シ。而 食ス。甚美ナリ。九時二十五分高倉駅ヲ経テ、十時三十分本 和田村ヲ経テ、八時三十分、安積田村ニ至ル。名物納豆餅ヲ ニ至ル。該村、瀬戸焼場アリ。一見スルニ皆下等品ナリ。日 リ。直ニ大道ヲ行。福原村ヲ過キ、福原池ヲ一見シテ牛池村 過ク、村端ニ、左熱海温泉ヨリ中山峠ヲ経テ若松通ノ石標ア 経テ福島駅ニ至ル。町ノ入口ニ新開店多クアリ。皆旧士族ナ ⑥ ヲ眼下ニ下瞰シ景色ノ佳ナル言語ニ絶セリ。夫ヨリ伏拝村ヲ 町駅ニ達ス。伏拝坂ヲ登リ伊達山吾妻山ヲ遠望シ、亦タ数村 同十五日、晴。六時發宿。浅川村ヲ過テ、七時三十分、清水 蝋燭屋ハ旅人宿ニテ大ニ案心セリ。宿代壱貫四百文拂フ。 四時十五分、八町目駅蝋燭屋金兵衛ヘ泊ス。該駅風俗不正。 不明。恐クハ、二本松藩士ナラン。夫ヨリ鳥上ケ坂ヲ降リ、 敵カ味方カ 過ク、路傍ニ戦死七人ノ墓、裏ニ慶應四辰八月十七日トアリ。 駅川崎屋ニテモ申タル事アレハ蝋燭屋ト決シ発店。渋川村ヲ 」 大ニ 九「 丁寧ナリ。 シテ、該驛地位タルヤ前ニ阿隈川ノ急流アリ。後ニ巍々タル リト云。信夫橋ヲ渡リ、橋銭五厘。橋長サ百二十間横三間半 十 「 」 伊達山ヲ帯テ、景色最モ佳ナリ。夫ヨリ、南杦田村北杦田村 ニシテ實ニ奇麗ナリ。景色モ亦タ佳ナリ。該駅縣廰ノアル故 同十四日、晴。朝六時出寝牀ヲ出テ、七時發宿。久保田村ヲ 高 越 村 上 成 田 村 下 成 田 村 ヲ 経 テ、 午 后 一 時 、 二 本 松 駅 ニ 達 五 五毛。長倉村ヲ過テ、岡村ニ至ル。此村、旅亭ハナケレトモ ⑦ 造ハナシ。其ヨリ、鎌田村ヲ過キ、摺上川橋ヲ渡リ、代二厘 テ其ノ悪風ナル事ヲ知ルニ足ル。尤モ福島ノ如キ廣大ナル構 云。余一見スルニ、駅内大凡妓樓ニシテ不潔極マル。一目シ 経テ、十時三十分、瀬ノ上駅ニ達ス。此駅風俗最モ悪シキト 夫ヨリ五十辺村ヲ過キ、松川橋ヲ渡リ代二厘五毛。本内村ヲ 愉快ナラスヤ。 ヲ繰ラサルノ戸ナシ。養蚕ノ盛ンナル、實ニ喜ハシカラスヤ カ繁華雑沓シテ宇都宮ノ如キニアラス。町數十七丁、毎家絹 三十分、越河駅山口屋軽吉ヘ泊ス。代十二銭ナリ。此駅ヨリ 鈴木屋ヲ以テ答フ。其他、不案内ナル行々種々尋問ス。五時 ト一決ス。亦タ、釜先温泉ニテハ何屋ヲ最トスルカヲ問。主人、 尋スレハ、柴田屋ハ先年類焼其後絶セリト云。依テ、山口屋 河駅ノ旅店ヲ問。山口屋ヲ以テ答フ。予レ柴田屋ハ如何ト再 リ通行スルト云。道ハ宜ケレト坂ナリ。貝田村ニテ休息。越 本ハ枯テアリ。其ヨリ長坂ト云新開道ヲ過ク、此道ハ昨年ヨ 至ル。國見神社ヲ拝ス。義経腰掛ケ松ヲ見ル、古松ナリ。一 張所アリ。見物人ハ多クシテ雑沓極マレリ。三時、藤田駅ニ 折悪シク休業ニ付運轉スルヲ見ス。擔任者ハ三井組ニシテ出 六 冨家多クアリテ、且奇麗ナリ。茶店ニテ休憩ス。十二時、桑 今日ノ旅亭モ相應是豫メ善悪ヲ聞シカ為也。蓋 旧仙臺領ナリ。人気旧國ト同様ニシテ、旅亭ニテ午飯ヲ出ス。 」 析駅ニ至ル。出 十「一 シテ、行人千百ヲ以テ數フト云フ。吾レモ亦タ一見セント、 田山ニシテ当時本邦随一ノ鑛山ナリ。其機械ヲ一見セント欲 ヨロシキ由ヲ聞ク。亦タ、左傍ニ赤山アリ。名ヲ問ヒハ、半 川堤ヲ左ニ見テ鐙坂ノ急嶮ナルヲ降テ、八時十分、齋川駅ニ 同十六日、晴。朝発宿。樹木蒼々ト繁茂シタル中ヲ過キ、齋 談話ニハ必ス旅宿ノ善悪ヲ問フテ、豫メ備ヲ為スナリ。 シ、一人旅行ハ旅宿ニ大ニ心痛スル者ナリ。依テ、茶亭等ノ 」 則十二時四十分發店。南半田村北半田村ヲ経テ、益子神社前 至ル。亦タ、新建坂ヲ降リ、白石駅ニ至ル。菓子草紙等ヲ調 十 「二 ヨリ左ヘ入ル事三四丁ニシテ金吹器械場ニ至ル。一見スルニ テ、釜先温泉入浴ノ用意ヲ為ス。白石町ハ、福嶋二本松ノ如 口ニテ餅ヲ食ス。此処ニテ、越河駅ニテハ柴田屋ト申旅宿屋 水車仕掛ナリ。新工夫ニシテ余程工ミナルトノ事、ナレトモ、 ノ市平方ヘ泊サレヨトテ引札ヲ呉レル。十一時出店。行ク事 川ニ傍フテ左ニ上ル事壱里計ニシテ達スト。又タ、宿ハ湯守 茶店アリ午飯ヲ喫シ、釜先ノ模様ヲ尋ヌ。主人曰ク、之ヨリ クニアラサレトモ繁華ナリ。白石川ヲ渡ル。代三厘。川端ニ ヒハ、木銭タリ自炊タリ旅籠タリ、各自ノ随意ナリ。吾レハ 曰ク鈴木屋、曰ク最上屋、曰ク木村屋、曰ク豆腐屋ナリ。賄 ハ、必ス喧嘩トナル必セリ。旅舎五軒アリ。曰ク湯守一平、 之レニ同シ。或ハ不意ニ来テ、瀧ニ打タセント欲スル者アレ 曰ク、御後ヲ願ト彼レ諾シ、爰ニ依テ順ヲ定ム。小瀧モ亦タ 同十八日、晴、午后俄ニ曇又晴。今日、仙臺大町三丁目十五 數丁ニシテ枝道多ク疑念ヲ生ス。一歩モ踏ム能ハス。大ニ困 ⑧ ミ漸クニシテ磐州刈田郡鎌先温泉鈴木屋孝右衛門方ヘ其ノ者 番地、店名川村屋長兵衛本名松坂助七郎弟松坂四郎兵衛ト申 旅籠ニテ泊ス。湯治人五軒ニテ貳百人余モアラン。山中ニテ 一同泊ス。余、元ヨリ不案内ナレハ皆阿屋ノ者ニ尋。又タ大 者ニ初メテ出會。懇意ニナリ饗應ニナル。亦タ、伊達阿屋ノ 難セリ。然ルニ、天吾レヲ捨テスシテ、釜先ニ行ク者ニ出會 切ナル者ハ宿ヘ頼ミテ入浴セリ。 者ニ種々世話ニナリタルニヨリ、針二拾本ヲ贈ル。夫ヨリ諸 ハ中々繁華ナリ。 同十七日、晴、午后雨降ル。本日發宿セント思ヒトモ、足ニ 勘定ヲ為シタルニ、六拾八銭壱厘ナリ。十時三十分発亭。道 セシム。其ノ姓名ヲ問ヒハ伊達阿屋ノ者ナリ。依テ案内ヲ頼 豆ヲ生シ少シク痛ム。依テ逗留ト決セリ。該温泉ハ、質ハ旧 前ノ茶店ニテ午飯ヲ喫ス。二時発店。嶽山ニ雪降ルヲ見 ニ迷テ、十二時四十分、宮駅ニ出ル。一時三十分、籠石神社 」 國早戸ノ温泉ニ似テ切疵等ニ効験ア 十「三 髴タリ。湯坪一ニシテ三十人ヲ入ル可シ。大瀧小瀧二ツアリ。 寒威膚ヲ刺ス。歩行ニ苦ム。二時四十五分、大河原駅ニ達ス。 ル。二時十分、金ケ瀬駅ニ至ル。暴風砂礫ヲ飛ス。加フルニ、 」 客人、右瀧ヲ取ルニ順序アリ。瀧ニ身體ヲ打タセント欲スル 舩迫駅ヲ経テ、五時、槻木駅佐藤勇蔵ヘ泊ス。代十二銭五厘。 十 「四 ニハ、先ツ口入レヲ為シテ約シ置ナリ。里語ニ曰ク、大瀧ノ 同十九日、晴。午前発宿。岩沼駅ニ至ル。該駅、濱街道ト合 リト云フ。手拭ヲ濡セハ直ニ赤色ヲナシ、構造ハ瀧ノ湯ニ髣 御留メハドナタト高音ニ呼フ。一人答曰ク、私ナリト。亦タ 七 ハ、東京以北斯ノ如キ繁華ノ地ナク、実ニ大都會ノ如クナレ 日モ鎌先ニ入湯セハ宜シカリシヲト今ニ至テ後悔セリ。當町 臺國分町伊勢屋六之丞ヘ泊ス。左足ノ人差指大ニ痛ミ、今一 テ発亭。長町 ニ至ル。之レ仙臺城下ノ入口ナリ。二時、仙 午飯ヲ喫シ、都合五銭ニナレトモ釣銭ナシ。亦タ草履ヲ調ヒ 借リテ舟子ニ投ス。暫時茶店ニ憩ヒ、 香魚ヲ食ス。美味ナリ。 舟子、釣銭ナキ旨ヲ以テ断ル。回顧スレハ茶店アリ、二厘ヲ ト嚢中ヲ探ルニ一銭モナシ。依テ、拾銭札ニテ拂ハントス。 亦タ中田駅ヲ過テ、名取川ノ渡シヲ渡リ、代二厘價ヲ拂ハン ⑨ スルノ地ニシテ、又小都會ニテ奇麗且繁華ナリ。舘腰神社ヲ 拝ス。弘誓寺ヲ一見。植松村飯野坂村ヲ経テ、増田駅ニ至ル。 レタルニヨリ諾セン。遅ケレハ如何トモ為シ難シト。其ノ不 リト雖モ今夜一泊セシムルヤ否ヤ。主人答曰ク、早ク着セラ 野屋ニ達シ、主人ニ會シテ曰ク、吾レ札アレトモ銭ナシ、然 以テ終日喫セスト。宜ナル哉。言真ニ然リ。六時、古川駅平 トモ銭ナキヲ以テ原野ニ休ム。食セント欲スレトモ銭ナキヲ 子五銭ヲ求メテ去ル。行人行々談シテ曰ク、憩ハント欲スレ スレハ、釣銭ナキ旨ヲ答。実ニ不自由言語ニ絶セリ。遂ニ菓 朱札ヲ出セリ。紙幣汚レタルヲ以テ取ラス。亦タ十銭札ヲ投 ント欲スルニ一銭モナシ。依テ、菓子二百文分ヲ求メテ、壱 駅ニ至ル。腹痛甚シ。菓子屋ヘ立寄リ、便所ヲ借リ禮ヲ投セ ナル里諺ヲ唱フル場所ナリ。二時発亭。四時三十分、三本木 八 トモ、如何セン足痛加之風邪ニテ軒外ニ出ル事能ハス。実ニ 自由、推テ知ル可シ。此後、泊スルニハ必ス銭ヲ先ニ問テ泊 ス。宿代十四銭ヲ拂フ。繁華駅ナリ。 間、緩急ノ坂多クアリテ、四十三坂六峯何十折トカ云フ高名 ⑩ 遺憾々々。名物鰻ヲ食ス價二朱。風邪故カ大ニ不味。旅宿代 十五銭ヲ拂フ。當縣下、銭不足ニテ沸 。且相場札ト銭ト違 分、荒谷駅ニ至ル。當駅ヨリ水澤縣下ナリ。十二 同二十一日、晴、夜雨。朝七時発宿江合村ヲ経テ、八時十五 」 フ。壱朱ハ壱貫文ナリ。實ニ不開化ト 十 「五 」 時、築舘駅ニ至テ午飯ス。十二時四十分、宮野駅。二時二十分、 十 「六 同二十日、晴。午前八時三十分発宿。吉岡駅迄十二銭五厘ヲ 沢辺駅。三時、金成駅ニ至ル。何レモ中等ノ駅ナリ。此ノ所 ⑪ 云ヘシ。知ラス、下情上達シアルヤ否ヤ。 投シテ馬ニ乗ル。一時三十分吉岡ニ至テ、昼食ヲ喫ス。此ノ 銭ヲ拂フ。 ク。取扱ヒ大ニ丁寧ナリ。十一時過、寝ニ就ク。旅宿代十五 郡山駅高嶋屋善太郎ヘ泊ス。夜主人ノ饗應ヲ以テ浄瑠理ヲ聞 此所ヨリ二拾銭ヲ投シテ郡山駅迄人力車ヲ雇フ。六時三十分、 十二時、 黒沢尻駅ニテ午飯ス。一時発店。三時、花巻駅ニ達ス。 厘。金ケ﨑駅ニ至リ。三ケ尻村ヲ経テ、 和賀川ヲ渡リ、價四厘。 同二十三日、晴。午前七時三十分発宿。井沢川ヲ渡リ、代二 ヲ求ム。價二十三銭。宿代十五銭ヲ拂フ。 シク一ト足モ歩ム能ハス。大困難止ムヲ得ス泊ス。直ニ足袋 三十分、水澤駅岩井屋ヘ泊ス。此日、時間早ケレトモ足痛甚 衣川村ヲ経テ、一時、前澤駅ニ至ル。中畑村ニテ午飯。四時 ス。十時、山ノ目駅ニ至ル。夫ヨリ中里村平泉村中尊寺村下 九時、一ノ関駅ニ至ル。水沢縣在廳ノ地ナルヲ以テ頗ル雑沓 同二十二日、曇、追々晴レル。朝七時発宿。鬼死骸村ヲ過テ、 カ為メ七時ニナル。 ヘ泊ス。代十三銭。該駅、銭別而不自由。明日ノ出起モ其レ ヨリ、五銭ヲ投シテ有壁駅迄馬ニ乗ル。五時、有壁駅佐藤屋 時発店。小鳥谷村高屋敷村高森村ヲ経テ、四時三十分、一戸 糖田村中山村火行村ヲ過テ、小繫驛ニ至リ、昼飯ヲ喫シ、一 同二十五日、曇晴、夕方亦タ曇、夜大雨。午前八時発宿。摺 リ、其不潔ナル事。 ノ難駅。渋民沼宮内ノ俚諺アル。其ノ一ノ沼宮内ナレハ宜ナ リタリ。旅籠代十六銭五厘。當駅ハ奥羽道中ニ名高キ不自由 手縣下ヨリ銭相場モ東京同様ニシテ、銭モアリ大ニ安気ニナ 不潔極マル。飯モ麦飯ノ如キヲ食セシム。然リト雖トモ、岩 大ニ急行セリ。駅内不潔、宿屋ニ湯ナシ。之レニ準シテ萬事 口村ヲ過テ、六時二十分、沼宮内駅旅亭沼重ヘ泊ス。本日ハ 三時、渋民駅ニ至ル。亦タ、芋田村馬場下村巻堀村寺林村川 ナリ。此ヨリ以北、米飯ナシ。夫ヨリ川又村門前村ヲ過テ、 テ宮城福島等ノ盛ナルニアラス。上田村ニテ午飯ヲ喫シ麦飯 園地産業社等アリテ奇麗ナリ。然リト雖トモ、町ハ寂寥トシ 此ヨリ以北、車ヲ通セス。盛岡ハ岩手縣在廳ノ地ニシテ、公 明治橋ニ至ル。橋銭八厘。夫ヨリ上田村迄又タ人力車ヲ雇フ。 人力車ヲ雇フ。代二十五銭。十一時、盛岡北上川ニ架シタル 銭五厘。今日ノ路程多ク山坂ナリ。 一戸駅ノ 西村末吉ヘ泊ス。新亭ニテ大ニ丁寧ナリ。代十三 村入 口ニアリ 」 同二十四日、曇、十二時ヨリ晴。午前八時発宿。盛岡迄 十「七 九 十「八 十 「九 欠 」 」 駅ニ至ル。地租改正出張所アリ。八島四郎ヲ尋ヌ、知ラサル 一〇 ヨリ曻舘。以テ、東京ニテ一別後ノ案否ヲ問ヒ、而シテ土産 物ヲ出シ種々談話ニ及フ。重歳、九日東京出起ニテ日光ヘ回 リ、岩手ニテ二日 レハ、青森ヘ着スルノ日ナレト、公事ニモナク、且期程ニモ 四時、七戸駅福田屋善吉方ヘ泊ス。宿代二十銭。本日々並ナ 帰途ニ再訪スルヲ約シテ同氏ヲ辞シ、 夫ヨリ三本木原ヲ過テ、 タナラント想像セリ。而シテ泊スル事ヲ促ス事急ナリ。依テ、 ヘ出張シ居ルト云。依テハ、今朝八島氏ヲ尋タル所ニ居ラレ 津衛門ノ案否ヲ尋ヌルニ、地租改正御雇ニテ、当時、五戸駅 乃チ立寄リ、 一別後ノ壮健ヲ賀ス。針三十本ヲ土産トシ遣ス。 氏ヲ訪ハント右顧左顔シテ行ク。偶、 同氏内室イシ君ニ會ス。 十二時、藤島駅ヲ過キ、一時十五分、三本木駅ニ達ス。吉村 原善助ニ會ス。 此辺、 旧會ノ士多シ。 各々一刀ヲ腰ニ佩ヒタリ。 又タ、途中遠藤善助ニ會フ。十一時、傳法寺駅ニ至レハ、石 泉タルヤ、旧國東山温泉ノ如ク。湯瀧絶ヘス流レテ清潔ナリ。 中野村 口廣村清水川村ヲ過テ、小湊駅ニ至ル。亦タ、藤沢村山口村 同二十九日、雨晴。午前八時小林氏ヲ辞シ、馬門村狩場澤村 テ懇切ニ謂ヘリ。 其内余モ青森ヘ行ク也。何レニモ、鈴木方ヘ御下宿アレト強 レハ、娘此節里ヘ来リ居、政衛宅餘リ空閑ナレハ丁度宜ク、 曰ク、青森ヘ行キタラハ、鈴木方ヘ宿シ給ヒト。如何ントナ 重光ハ白虎ノ 此ハ重歳 宿ス 旧 、 偶、 鈴 木 政 衛 家 内 モ 来 リ 居 レ リ ノ 、 隊ノ一人也 女ナリ 初テ面會ス。深更寝ニ就ク。家ニ宿スルカ如シ安眠ス。重歳 キタリ。直ニ四海珍味ノ肴ニテ饗應セラル。夜ニ入リ重光帰 滞留。二十六日当地ヘ着シタリト云。官吏ノ道中早キニハ驚 」 ナク、尤初テノ道ニテ前途モ不分明故、早ク宿スル事モアリ。 當地ハ、後ロニ巍々タル高山アリ。前ニハ、北氷洋ヲ帯ヒ、 二 「十 依テ、連々後ルゝナリ。 面白キ地ナリ。軒数ハ三四十戸モアル可キヤ。宿代三朱ヲ拂 旨ヲ答フ。爰ニ於テ、 昨夜淺水駅ヘ泊シタル遺憾モ解ケタリ。 同二十八日、晴。朝八時三十分発宿。二時、野辺地駅小林重 フ。浴数回。 屋村ヲ過テ、三時、淺虫九十郎温泉ヘ泊ス。此ノ温 光ヲ訪フ。 重光不在ナレトモ重歳在宿ニテ、強テ曻舘ヲ促シヽ 同三十日、晴。朝浴。朝食。八時発宿。九時三十分、野内駅 如ク、暫時ニシテ尺餘ヲ積ル。往来、人ヲ絶ニ至ル。小林歳 同二日、雨忽チ晴、乍チ曇々レハ雨降リ、一天不定ノ日ナリ。 重ノ着スルヲ待テトモ未タ着セス。 小林氏ノ着スルヲ待テ出発セント欲スレトモ、日限アルノ休 ニ至ル。十二時、青森新町百二十九番地、鈴木政衛宅ヘ着ス 政衛母ハ余祖母ノ姪ナリ。仍 、互ニ無事ヲ賀シテ手拭針等ヲ テ余等ハ筋違従弟ナリ 産 トス。而シテ、数日ノ間寄宿ヲ頼ム。政衛母、怡然トシ諾ス。 暇、一日ト雖トモ空々然ト過去スルニアラス。残念ナカラ、 テ、区戸長并藤田等 午前十時出発。前路ヲ取テ、野内ニ至レハ小林氏ニ會ス。依 当時、政衛ハ出張留守ナリ。 二「十一 」 即刻、則余家東京甲良町并署ヘ安着ノ届等ヲ郵函ニ投ス。 國ノ比ニアランヤ。数十年ノ後ニハ、必ス一二ヲ争フ都會ト 期スヘシ。何ソ旧國會津ノ如キ四方山ヲ以テ周圍シタル未拓 ナレハ、自然豪家モアリ。數年ヲ出テスシテ一都會ヲナスヤ 人民ハ怜悧ニナルナラン。又地形、海岸ニシテ舟ノ運送便利 民野蠻ナリ。然レトモ、日一日ト拓クルニ順テ、市街ハ清潔 方 町 博 労 町 大 工 町 鍛 冶 町 蟻 貝 町 等 ニ シ テ、 市 中 不 潔、 人 主。直ニ帰家。市中一見ス。町名、米町大町濱町寺町新町安 野辺地駅小林氏ヲ訪フ。亦タ強テ留メラレ一泊ス。大ニ馳走 京招魂社大祭モ此ノ日ヲ祭リタルカトモ想像セリ。十二時、 藩ノ招魂社アリ、九月二十三日戦死スルト。思考スルニ、東 村口廣村狩場沢村馬門村ヲ過キ元南部津軽ノ境ニ至ル。津軽 同三日、雨亦晴、夜三時地震フ。朝八時三十分発宿。清水川 過キ、三時三十分、小湊駅須藤屋ヘ泊ス。 分手ス。夫ヨリ、久栗坂淺虫駅 ヘ傳言ヲ頼ム。亦タ、小林ヨリ野辺地自宅ヘノ傳言ヲ受ケテ 」 ナラン。亦タ喜フヘキニアラスヤ。午后、藤田ヘ招請セラル。 重光 ニナル。源太郎 ナ 長女幾二女リツ重光妻リン等ニ面會セリ。 リ 二 「十二 山海ノ珎味ニテ饗應ニナリ。藤田氏ハ縣廳構ノ内八番ノ官宅 而シテ、歳重ヨリノ傳言ヲ達ス。 同三十一日、風雨寒甚シ。午前、藤田重光氏ヲ訪フ。出張留 ナリ。 此村古ヘ壺ノ 同四日、晴。午前八時三十分小林氏ヲ辞シ、壺村 石 碑日本中央 屋村中野村山口村藤枝村ヲ 十一月一日。大風雨、終ニ降雪、霏々トシテ恰モ花ヲ散スカ 一一 ヲ経テ、奥瀬川ヲ渡リ、代三厘。藤島駅ヲ過キ、三十丁モ来 同五日、晴、午後雨。十二時十五分、吉村氏ヲ辞シ、相坂村 ス。大ニ饗應セラル。 元吉村、 陸奥國北郡三本木稲生町二丁目岡部 岡 津衛門ヲ尋テ泊 部ニ改 ト便利ト適当スレハナリ。一時、 七戸駅ニ至ル。四時十五分、 ノ碑ノ所建ト云 ニ至ル。該村後日必ス上等ノ駅トナラン。村勢 フ。今其石ナシ 村ニ至テ休息。甘酒ヲ呑ム。又、芋田村平笠村ヲ経テ、六時、 堂村沼宮内駅ニ至リ午飯。川口村寺林村巻堀村ヲ過キ、馬場 三十分、小繋駅ニ至テ休憩。夫ヨリ、火行村中山村糖田村御 同 七 日、 快 晴。 朝 七 時 発 宿。 高 森 村 小 鳥 谷 村 ヲ 過 キ、 九 時 一戸村西村末吉方ヘ泊ス。宿料十五銭。 村福岡駅ヲ経、末ノ松山波打不越ノ諸峠ヲ越ヘ、五時三十分、 ク、途中漆木多ク繁茂セリ。三時、金田市駅ニ至リ、又堀野 一二 ル頃ヒ、回顧スレハ、八ッ子嶽平江嶽共ニ白雪ヲ頂テ眺望尤 ヘ泊ス。代壱貫五百文。 渋民駅立花屋ニ至レハ、病人アル趣ニテ断ハラレ、依テ隣家 」 モ佳ナリ。麓ニ藤島三本木アリテ、 二「十三 同六日、 晴、 時々雨。朝八時三十分発宿。淺水駅小向村ヲ過キ、 余又大ニ鄭重ノ遇ニ逢フ。 二十二銭拂。此辺ノ人民官吏ヲ取扱事恐々縮々、十郎来テ、 十郎来ル。杯ヲ酌テ十二時頃戻ル。旅籠代十七銭五厘。料理 宿ス。一名伊勢屋ト云。而シテ、 博労町高橋十郎ヲ訪フ。夜、 田村一本松ヲ過キ、三時四十五分、五戸駅新町三浦吉平へ投 黒澤尻駅迄十八銭ニテ人力車ヲ雇フ。十二時三十分、黒沢尻 同九日、晴。朝七時三十分発車。花巻駅ニテ暫時休。亦タ、 明朝、花巻駅迄二十五銭ニテ人力車ヲ雇フ。 テ馬ニ乗ル。五時、郡山駅高島屋善太郎方ヘ泊ス。價十五銭。 代壱厘。又タ、明治橋ヲ渡ル。代二厘。見前ヨリ四銭ヲ投シ テ暫時憩ヒ。十二時、盛岡ニテ午飯ヲ喫ス。中津川橋ヲ渡リ、 同八日、晴。朝八時発宿。門前寺村川又村ヲ過キ、上田村ニ 」 十二時三十分、三戸駅ニ至テ、午飯ス。此間、路傍古松鬱々 駅ニ達ス。昼飯ヲ喫ス。一時発亭。和賀川ヲ渡リ、代四厘五 二 「十四 トシテ並列シ、左翼ニ名クイ嶽ヲ望ミ、風景佳ニ道路平坦ニ 道ヨリ東北上川ノ側 毛。 鬼 柳 駅 相 去 駅 金 ヶ 崎 駅 ニ ヲ経、伊澤川ヲ 古鎮守ノ所在ト云 実ニ絶景ノ地ナリ。坂ヲ下レハ傳法寺。于時二時、夫ヨリ米 シテ壱等道路ノ名稱ニ耻サルノ場所ナリ。夫ヨリ釜沢村ヲ過 知レサレトイカニモ古キ物也。亦タ、光リ堂ト云ニ藤原秀衡 亦、亀井氏片岡氏ノ フタル笈ナリト云傳シモノ、實カ否カ 登 ル 事 三 丁 計 リ ニ シ テ 弁 慶 堂 ニ 至 ル。 弁 慶 直 立 ノ 木 像 ア リ 。 テ午飯ス。関山中尊寺ヘ三銭八厘ヲ投シテ案内ヲ取リ、山ヘ ヲ経テ、十時十五分、前澤村ニ至ル。十二時、衣川越後屋ニ 朝七時三十分発宿。堤尻村中野村内折居村小山村中畑村関村 同十日、暁霧降テ、咫尺ヲ辨セス。午后ニ至テ晴風ト変ス。 長蔵方へ泊ス。代十五銭。 渡リ、代二厘。三ヶ尻村八幡村ヲ過キ、五時、水沢駅大泉屋 ニテハ三等ノ由ナリ。可憫可惜。今日、鈴木子ノ案内微カリ 水害ノ際、流水ノ所為ニ係ルト云フ。如斯害ニテモ皇國ノ内 ノ中ニ沼アリ。大キサ三四丁深サ幾尺カ知ラスト云フ。右モ スル処皆水田ナリ。実ニ目モ當テラレヌ模様ナリ。又タ、畑 流レテ堤下ニ止リ、道ハ絶シテ、田畑ノ凸所ヲ踏ミ、目ノ達 ノ破レタル箇所五六ヶ所モアリテ、畑ハ不残沼ト変リ、家ハ 銭。是ヨリ先キ、長根村ト登米ノ間、北上川ノ水害ニ因テ堤 覚ユ。依テ、右栄治ノ案内ヲ以テ野村種造方ヘ泊ス。代拾五 ハ少シク早ケレトモ、雨天ニテ泥路脛ヲ没ス、故ニ大疲労ヲ 小路鈴木栄治ト云者ト同宿ヲナシ、今日同行セリ。泊スルニ セハ、通行ハ難カリシ。諺ニ云フ、旅ハ道 清衡泰衡ノ古刀アリ。其他、義経堂アルト雖 二「十五 」 里俗カザ 菅原弥六郎方ヘ泊ス。代十二銭五厘。 ハト呼ブ ノ関駅ニ至ル。此ヨリ道ヲ石巻ヘ轉ス。五時三十分、金澤駅 道ノ東ニ高舘ノ古城 、 二 時 三 十 分、 山 ノ 目 駅 ニ 至 ル 。 三 時 、 一 跡アリト云、不行 シヲ渡リ、代八十文。栁津ニ至ル。樫沢村ヲ経テ、飯野川村 同十二日、晴。朝八時四十分発宿。北上川端ヲ通リ鳥波ノ渡 リシカ、今寂寥。 連世ハ情ト。 」 同十一日、 雨。 八時発宿。 九時、 涌津駅ニ達ス。十一時三十三分、 ニテ午飯ス。代九銭。此ヨリ先キ、栁津辺ヨリ、石巻本町阿 二 「十六 長根村ニ至テ午飯ス。代六銭。登米駅迄ノ里程ヲ問ヒハ、小 部屋ト云妓楼ノ隣家須賀野新平ト道連ニナリ、大ニ世話ニナ ト モ 一 見 セ ス シ テ 下 山 ス。 一 時 発 亭。 平 泉 村 中 里 村 ヲ 過 キ 道二十里ト答フ。小道一里ハ六丁ノ事ナリ。此辺里諺、皆小 ル。二時発店。鹿 又 驛ヘ掛ラス直行スレハ、五里近キ由ニテ、 ナルカナ。當地ハ旧水沢縣ノ在廳ノ地ニテア 道何里ト唱フ。三時、登米駅ニ至ル。昨夜、水澤縣下登米西 一三 波ノ塩釜ヲ見下シ、桃ノ濱ニ至ル。景色殊ニ佳ナリ。又、山 税ノ田村ヲ過キ、夫ヨリ山道、緩急ノ坂二三アリ。途中渡ノ 同十三日、晴。午前八時発宿。渡ノ波ノ渡シヲ渡リ、代六厘。 日ハ該所ヨリ舟ヲ出セシカ、当節ハ発舩セスト云フ。 ト云フ。亦タ、祭日ハ毎年四月初巳日ナリト云フ。而シテ夏 木村屋惣平ヘ泊ス。代十四銭五厘。該所ヨリ金華山迄六里半 厘。湊町ヲ通リ、五時四十分、渡ノ波ニ至ル。本町中程東側 須賀野氏ニ別レ、金華山ヘ道ヲ轉シテ、北上川ヲ渡リ、代四 又一都會ナリ。川口ニハ太和舟百ヲ以テ數フ可シ。爰ニ於テ 近路ニナルト云フ。 四時三十分、 石巻湊ニ至ル。華麗ニテ雑沓。 北上川ヲ渡リ、亦タ北上川ヲ渡リテ、三里ノ便路都合八里ノ テ中献セン事ヲ欲ス。即坐ニ壱円ヲ献シタリ。然ル處、直ニ ニ適セン、中献ナレハ何ソ耻辱ヲ取ルアラント。則チ決意シ 余レ思フニ、大献ハ華族等ノ上等社會可ナラン、下等ハ平民 膳ト云ハ三円、中等ハ壱円、下等カ七十五銭ノ献膳アリト云。 拝ニテ万端不案内ニ付、如何ナル者ヤト問。彼答テ曰、大献 羽織ヲ着シタル者出来テ應接ヲ為ス。余レ、當山初メテノ参 テ、應接ノ間ヘ通ル。大凡四十疂計ナラン。暫ラク有テ、袴 足水ヲ持チ来レリ。爰ニ於テ、旅宿ヲ兼ルト想像セリ。而シ 申ス。一泊セシ事ヲ頼ム。彼レ諾ス。直ニ御客ト髙呼ス。洗 シテ寺造リノ家屋アリ。玄関ニ至リ取次者ヲ以テ参詣ノ旨ヲ 渡ヲ渡リ、六時三十分頃、金華山ニ至ル。上陸シテ三四丁ニ 息ス。干時、三時十五分ナリ。五時三十分、舩ニ乗リ山鳥ノ 一四 道数丁ニシテ桃ノ浦ニ至ル。其ヨリ、左ヘ入レハ追分アリ、 ヲ喫セシ 東京ノ浴室ト同シ。夫ヨリ二十疂計リノ室ヘ案内セリ。夜飯 中等ノ間ヘ通セタリ。十二疂半ナリ。仕度ヲ取リ入湯スルニ、 」 右ヘ道ヲ轉ス。山道、荻ノ濱 二「十七 ニ至ル。夫ヨリ、濱通リ大困難言語ニ絶セリ。後日聞ケハ、 ム。酒肴ニテ饗應セリ。肴ハ総テ精進料理、五種計ヲ出セリ。 」 三十分、小積濱ニ至ル。一時三十分、給分濱ニ至ル。山道、 四海ノ珍味アリ。然リト雖トモ田舎ヲ以テ論スレハ、珍味佳 二 「十八 鮎ヵ濱ニ至ル。又山道、山鳥山ヲ越、石ノ華表ニ至ル。金華 肴ノ稱ヲ下スト雖モ、東京ニ比較スレハ下等ニ下等ヲ加ヒテ 潮減レハ何レモ濱通リ。汐満レハ山道ヲ通行スト云。十一時 山ヲ向フニ見ル。夫ヨリ、山ヲ下リ寺アリ。此所ニテ暫時休 ア ラ ハ 茶 所 ニ テ 徹 夜 番 ヲ ナ セ リ、 右 ヘ 申 出 テ ラ ル ヘ シ ト 云 。 手ヲ打テハ壱人ノ男子来リ曰ク、當家ハ旅宿屋ト違ナリ用事 必促スト云フ。其ノ所業 舩頭廃セラルゝト。依テ、往舟ニハ一言ノ語ナシ。帰舟ニハ、 リ、後日聞クニ、舩頭酒手ヲ促セシ事ヲ社ノ事務ニ聞ユレハ、 」 答曰ク、夫レハ不案内ニテアリシ、拍手シタルハ他ニアラス、 濱ニ至ル。又タ山ヲ越、十八成濱給分濱ヲ過キ、三時十五分 三 「十 夜具ヲ借ランガ為ナリト云ハ、直ニ持チ来レリ。然シ大ニ不 大原ニ至リ、小細倉ヲ経、五時、小積村木村屋長五郎ヘ泊ス。 可ナラン。而シテ、 夜九時ヲ過ルト雖モ寝具ヲ出サス。依テ、 取扱ヒナリ。 代十二銭五厘。百姓屋ナリ。 ニ悪ムヘシ。夫ヨリ山ヲ越、鮎ヶ 同十四日、晴。案内ニ先導セラレ、朝七時ヨリ辨当持ニテ山 弘法大師坐禅石アリ。亦タ、 水源アリ。当山ノ水源ナリト云。 石聲ヲ生ジ、滑石滑不動尊アリ。清水石下ヨリ清水涌出ル。 古 木 蒼 々 ト シ テ 青 葉 天 ヲ 覆 ヒ、 流 水 涓 々 ト シ テ 大 岩 ニ 觸 レ 、 上川ヲ渡リ、代四厘。二時三十分、石巻湊ニ至ル。四時三十 十二時出店。渡ノ波渡シヲ渡リ、渡ノ波村ニ至ル。夫ヨリ北 ル。茶店アリ。景色佳ナリ。又タ登ル。休憩所アリ午飯ヲ喫シ、 桃浦ニ出テ、又タ三ノ小丘ヲ越、蛤ヵ濱ニ至ル。又タ山ヘ登 同十五日、晴。九時発宿。三ノ小丘ヲ越、荻濱ヲ経、大山ヲ越、 飛石アリ。天狗此レヲ飛ハセシヲ以テ名付ルト云。夜光石一 分、矢本駅長谷川藤助ヘ泊ス。時ニ腹痛甚シ。旅宿代十二銭 ⑫ 朝掛ケト云。拝殿并本堂ヲ拝シテ登ル。途中、 ヘ登ル。里俗、 名黄金石ト呼フ大ナル石ニテ金色ヲ顕シ、実ニ美麗ナル石ナ 五厘ヲ拂フ。 弁當ヲ食シテ暫時休憩。小社ノ後ヨリ下ル。水昌石アリ。髙 川ヲ渡リ、代三厘。一時、髙城駅舛屋源蔵ニテ鰻飯ヲ食ス。 ⑬ 同十六日、天晴。九時出店。十時三十分、小野駅ヲ経、鳴瀬 嗚 リ。 登レハ、 小社アリ。 四方眺望ヨク不覚鳴呼快哉ノ聲ヲ発ス。 サ十三尋、廻リ十三尋アリト云、実ニ美事ナル大石ナリ。御 代十銭。二時、松島ニ至ル。該地ハ日本三景ノ一景ナレハ、 ニ堂アリ、曻レハ橋落テ渡ル事ヲ得ス。又タ、該所ヨリ舟行 予カ贅言ヲ待タスシテ、絶景ナル事ヲ知ル。故ニ記サス。左 鉢石陰陽石アリ。而シテ 二「十九 欠 」 ヲ促セシ者アリト雖トモ、予推考スルニ、陸行ノ方返テ眺望 一五 」 アラント、自問自答シテ陸行スレハ、何ソ計ラン、山道ニシ テ佳景好 三「十一 ⑭ 地ナシ。只鬱々タル山間ヲ逍遥スル而已。 爰ニ於テ、三銭 三厘ヲ投シテ春日村迄人力車ニ乗ル。同所ヨリ利府塩釜ノ別 レ道アリ。人力車ノ案内ニシテ大ニ好道ナリ。四時十五分、 多賀城 三 ﹂ 「十二 」 一六 ⑮ ニシテ、宮城郡市川村壺之碑ニ至ル。一名多賀城ノ碑ト云。 銘ニ曰ク、 ⑯ 去京一千五百里 去蝦夷國界一百二十里 去常陸國界四百十二里 去下野國界二百七十四里 西 ニ依リ、該家ヘ泊ス。該家ハ三層樓ニシテ、予レハ二階ノ紅 塩釜駅ニ至ル。太田屋海老屋ノ旅店アリ。海老屋好キト言フ 葉室ト云室ニ泊ス。本日ノ陸行實ニ失策ト言可シ。松島ヨリ 去靺鞨國界三千里 甲子按察使兼鎮守将 此城神亀元年歳次 當地迄諸人皆舟遊ナリト云。且松島ノ景ハ舩行ニアリト。舟 也天平寳字六年歳次 壬寅参議東海東山 軍従四位上勲四等大野朝臣東人之所置 モ、七八銭ヨリ多カラスト。実ニ残念々々。夫ヨリ塩釜ヲ一 節度使従四位上仁部郷兼按察使鎮守将 地ノ者ナレハ四銭乃至三銭、他邦ノ遊客ト雖 見ス。釜三ツアリ各水ヲ満タシメアリ。夫ヨリ一ノ宮塩釜神 軍藤原恵美朝臣朝 修造也 價ト雖トモ、 社ヲ拝ス。神社ハ髙臺ノ地ニ位シテ、海面ヲ望ミ眺望最モ佳 夫ヨリ元ノ道ヘ戻り、南宮村ヲ経テ、岩切村ニテ松島街道ト 天平寳字六年十二月一日 前面ノ扉ニ、奉寄進文治三年七月十日和泉三郎忠衡敬白、ト 合ス。燕澤村ニ至リ、比丘尼茶屋ニテ甘酒ヲ呑。茶店後ロノ ナリ。堂ハ奇麗ナリ。社内ニ和泉三郎寄進ノ鐵ノ燈籠アリ。 アリ。世傳テ南蠻鐵ナリト云フ。其他、市中ニ牛石アルト聞 畑中ニ比丘尼塚アリ一見ス。珍トスルニ足ラス。十時三十分 ⑰ 出店。々前ヨリ入ル事三丁計、松樹ノ下ニ、蒙古ノ碑アリ。 ク。余行テ見ス。旅篭代十五銭。大ニ丁寧ナリ。 同十七日、晴。朝八時發宿。市川村ヲ通リ、左ヘ入ル事二丁 遂ニ新清樓ニ登テ食ス。 價二朱ナリ廉ナルニハ実ニ驚キタリ。 ヲ着、因テ樓ニ登ルニ大ニ不便、漸々歩シテ廣瀬橋ニ至ル。 町ニ至ル。十二時ナレハ、鰻飯ヲ食セント欲スレトモ、草鞋 テ讀ミ難シ。燕澤ノ碑ト云是ナリ。夫ヨリ、村端ニ出テ、原 丈六尺計リ。珍ナル物ナリ。文字アレトモ、梵字ノ如キ字ニ 上州屋ハ好旅亭ナル事ヲ聞テ尋ヌレハ、偶、普請中ニテ断ヲ 駅鳥上ヶ坂ヲ登リ、憩所ニテ暫時休。五時、二本松駅ニ達ス。 道普請ニテ 一時出店。伏拝村伏拝坂清水町駅ヲ通リ 迂 、八丁ノ目 回道ス 十二時、福島ニ至リ、信夫橋ヲ渡リ、代五厘。昼飯ヲ喫シ、 岡 村 瀨 ノ 上 駅 鎌 田 村 ヲ 過 テ、 松 川 橋 ヲ 渡 リ、 代 二 厘 五 毛。 」 又安眠。代二朱。 三 「十四 泊ニ差支タリ。此夜、會津山三郷ノ者ト同宿ス。 受ク。依テ、吉野屋某ヘ泊ス。當駅、焼亡後営繕中ニテ、宿 」 二時、下樓。廣瀬橋ヲ渡リ、長町ヲ 三「十三 中田ノ ⑱ 過キ、郡山村大野田村ヲ経テ、名取川ヲ渡リ、前田村 事ナリ 増田村飯野坂村植松村を通テ、五時三十分、岩沼駅蓬田善兵 カ児輩両人ニ逢フ。曰ク、未タ若松ヘ帰ラスト。此ハ途中、 ニ到ル途中、福岡ト金田市トノ間ニテ行逢タル旧國ノ留四郎 同所ニテ午食ス。苅田宮駅ヲ経テ、白石駅ニ至レハ、余青森 ヲ経テ、金ヶ瀬駅ニ至ル。籠石神社迄同遊ノ客アリ。相共ニ 同十八日、曇、午后晴。朝七時発宿。槻木駅舩迫駅大河原駅 代拾銭。此日、路悪シテ大困難ス。又、飯ノ白キ事雪ノ如シ。 此峠迄先年會津領 村ヲ過キ雪ヲ踏テ中山峠 又 ヲ越、揚枝村ヘ宿ス。 家國ニ入ル如シ シ。故ニ、白川ノ方ハ好天気ナラント推考セリ。夫ヨリ熱海 リ若松街道ヘ入ルヤ風雨甚シ。之ニ反シテ南ノ方ハ青天雲ナ 村青木葉村ヲ経テ、一時、横川村ニ至リ午飯ヲ喫ス。本宮ヨ 本宮駅ニテ休憩。此ヨリ道ヲ若松道ヘ轉ス。苗代田村羽瀨石 同二十日、曇、午后雨、終ニ雪ト化ス。朝八時三十分発宿。 且行且商、時日ノ費エルヲ不厭ト云フ。五時三十分、越河駅 久シ振リニテ會津米ヲ食ス。回顧スレハ八年、實ニ佳味ナリ。 ⑲ 衛方ヘ泊ス。竹駒神社ノ向ナリ。代十五銭。 山口恒吉方ヘ宿ス。旅籠代十二銭五厘 當時丑次郎宅ニ ノ子丑次良宅ヲ尋ス 山 、丑次郎ハ當時不在ノヨシ、 田甚三郎居ル 同二十一日。朝七時発宿。壺下村ヲ過キ関脇村ニ至テ、旧僕 宜敷 同十九日、雪。朝六時三十分發宿。貝田駅藤田駅桑折駅 駅 ナ リ先年ハ旧幕府ニテ ヲ 経、 摺 上 橋 ヲ 渡 リ、 價 二 厘 五 毛。 長 倉 村 代官所アルト云フ 一七 一八 セシ。願クハ幾日モ休息セラレヨト。實心ニ留レト、本日ハ 同二十二日、雨。朝餅ヲ搗テ饗應ス。夕ニハ蕎麦ヲ手打テ饗 早カラシメハ、東京ノ事情モ可聞得ヲ可惜。今日ハ不聞得シ 瀬 川 ト モ 云 フヲ 渡 リ、 代 三 厘。 暫 時 休 憩。 十 一 時、 猪 苗 ⑳ 九時、相分レテ出宅。都沢村幸野村西舘村ヲ過キ、七瀬川 長 強テ、弟ヘ面話シタシト辞レハ、介三郎曰ク、左アラハ私モ 旧僕ノ 老母 妻 ア リ、 老 年 ナ レ ト モ、 矍 鑠 ト シ テ ア リ。 老 媼、 余 ナリ 代 町 ニ 達 ス。 依 旧、 磐 嶽 皚 々 雪 ヲ 装 ヘ、 猪 湖 一 碧 如 若松ヘ用事モアレハ従ヘ行ントテ、九時、介三郎一同出発。 ヲ併明日ハ必面晤ス。何ソ足為意哉。如在家安寝ス。 鏡、 風 光 可 掬。 方 角 ヲ 取 違 フ、 如 何 シ ト ナ レ ハ、 先 年 禁 姓ハ 日橋ヲ渡リ、数村ヲ過テ若松ヘ入リ、蝅養口山形屋 寺 鉄三 田 ヲ見、灑泣。茶ヲ煎シテ供ス。針五十本ヲ遣ス。喜事甚シ。 錮 シ テ 當 所 ニ 在 シ 時 ト ハ 市 中 一 変 シ タ レ ハ ナ リ。 夫 ヨ 新六方ニ居ル事ヲ聞。介三郎ニ別ル。直ニ鈴木氏ヲ訪 郎宅ヘ立寄リ、孫六ノ居所ヲ問ニ、立三日町近藤清治宅鈴木 」 津 神 社 ヲ 参 拝 ス。 普 請 中、 内 ヘ 入 ル ヲ 許 サ ズ ノ 制 リ 三「十五 時三十分、三忠碑ニ至テ一拝ス。懐古ノ情、勃々生シ、涙沾 欲スル所ヘ、孫六来レリ。互ニ無事ヲ賀シ、夫ヨリ古川氏ヘ フニ、今朝阿部氏ヘ行キタルト云。仍テ、阿部氏ヘ行カント 」 巾。回頭スレハ、猪湖ノ景色又佳ナリ。暫時休憩シ、上新田 行キ、叔父ヘ面會ス。鈴木ニテ夜食ノ饗應ニナル。新六氏ハ 三 「十六 旧僕 村ニ到テ握飯ヲ食シ、三時三十分、大寺村大津屋介三郎 ナ リ 地租改正御雇ニテ出張留主。夜古川ヘ戻テ泊ス。東京ヘ若松 田ヲ過キ、磨上原ニ出、十二 宅ニ至ル。彼強テ我ヲ留テ泊セシム。其言語誠實ニ出、辞ス 安着ノ報ヲ発ス。 札アリ。仍テ、外ヨリ拝ス。 レハ却テ彼カ意ヲ傷ル。其心情ノ切ナル。可感不如一宿スル 同二十三日、雨。古川松川鈴木等ヘ 産ヲ呈ス。其他、訪尋 ニハト則一泊ス。手拭ヲ ノ家ヘ最少ト雖トモ 産トシテ投ス。此ヨリ先キ、弟孫 六若松ニ来テ在リ。余カ青森ヨリ此地ニ来ルヲ迎カ為メ、両 阿部叔父宅ヘ行キ午飯ノ馳走ニナル。東山湯治留主ニテ、伯 産アラサルノ家ナシ。因テ以下畧ス。 東京ニテモ無 三日、介三郎宅ニ滞留シ待居レトモ 事 予着セス。因 ノ由ナリ 母一人ニテアリシカ、八年前ヨリノ事情ヲ話シ、無事ヲ賀シ 嗚 テ、本日城下ヘ向テ出立シタリト云。鳴呼令、我ヲシテ半日 テ愉快ニ食ス。夫ヨリ、林與市ヲ訪。松齋機俗稱大庭恭平カ 大工丁秋月新九郎ヲ訪。夫ヨリ蝅養口鉄三郎ヲ訪テ、大寺村 古川ヘ行。又、行人町森惣兵衛ヲ訪フ。又、立三日町山浦氏 同二十五日、晴、夜雪。朝食ヲ喫シ阿部ヘ帰リ、孫六一同、 麦等ニテ饗應シ、遂ニ一泊ス。 ス。又、旧同盟小林直太郎カ片栁町ニ在ヲ訪フ。偶、酒肴蕎 長尾源治ヲ尋ヌレハ、同人明夜必来ルヲ乞。則行ク可キヲ約 佐治傳蔵、中六日町宮森善助等ヲ訪。又、阿部ヘ戻テ午食シ、 同二十四日、雪、午后晴。朝、古川氏ヘ至リ。又、立三日町 セヽナキ川ノ橋本ヘ出テ、一時三十分塩川村ニ達ス。日尚髙 岡友之進ヲ訪ハント、北方ニ道ヲ轉シ、直行。勝常村ヲ過キ、 主遺憾極マル。午飯馳走ニナル。午後同家ヲ辞シ、従兄弟村 テ、数村ヲ過キ、十一時三十分、髙久駅鈴木氏ヲ訪。叔父留 辞シテ、孫六一同髙久駅ニ向テ發ス。栁原ヨリ直ニ髙瀬ヘ出 同二十六日、午前曇、午后雨、夜雪。十時三十分、源治宅ヲ 大ニ賑シ。 リ数十人ノ丁男起テ米ヲ舂アリ。フカシヲスル在リ。臺所ハ 同人ハ若松ニテノ豪商ニテ、專ラ酒造ス。仍テ、鶏鳴以前ヨ 途中余等ヲ テ餅ヲ食ス。七時、前約ヲ踏テ孫六一同長尾ヲ訪フ 迎 フル使者 ニ天寧寺 。夜飯大ニ饗應ニ遇フ。今古ヲ話シテ三更寝ニ就ク。 町ニテ逢 大津屋介三郎ヘ、針五十本金平糖一箱ノ届方ヲ依頼ス。鉄三 シ。友之進ヲ訪ントセシカ、訪ヘハ時間ヲ費ス。左スハ、當 書ヲ出シテ余ニ送ル。夜、阿部へ帰テ泊ス。 郎宅ニテ午飯馳走ニ遇 駅ニ投宿スル外他ニ実ナシ。寧宿セハ熱塩ニ浴シ、然ル後、 村岡ヲ訪フモ妨ケナシ。可浴セント立決ス。爰ニ於テ、熱塩 温泉ヘ行テ一浴セント孫六一同相謀リ発ス。于時、雪積ル事 」 ヘ、又同人ヨリ種々ノ食物ヲ分送ス。則古川ヘ携行テ叔父エ 寸計リ、路傍人力車アリ。熱塩迄行ンヤト問フ。毎車夫免ヲ 三「十七 呈ス。午后、孫六鈴木熊四郎近藤岩見等ト東山温泉ヘ遊。宿 乞フ。其ノ何故ナルヲ解セス。北ヲ指シテ愈行キ愈雪降ル。 」 小荒井村ニ至レハ、日将没。又行事一里計ニシテ日ハ既ニ西 三 「十八 ヲ米倉屋ニ投シ浴ス。大ニ愉快ナリ。東京巡査相原貞次ニ會 ス。曰ク、明後日東京ヘ登ルト。奥田鑛太郎カ安否ヲ問フ、 曰ク、昨日東京ヘ向テ出起シタリト。粗東京并當地ノ景状ヲ 屋郎ガ前ハ里諺ナリ モ 解 セ リ。 相 別 テ 五 時、 樓 ヲ 辞 シ 屋 郎 前 村 ニ 名ハ天寧村ナリ 一九 リ、又奇ナラスヤ。 夜浴スル数次、温泉塩湯ニシテ色赤シ、如此ノ山中ニ塩湯ア 塩ニ達スル事ヲ得タリ。倉田屋ニ至テ泊ス、大ニ愉快ナリ、 爰ニ於テ大ニ勇気ヲ醸シ脚力ヲ生シ、益々急行、夜七時、熱 歩 ヲ 進 ム レ ハ 一 歩 近 ツ ク ナ リ、 何 ソ 屈 ス ル 事 之 レ ア ラ ン ト 。 比須ニ較スレハ何ノ事カ之アラン、前ニ熱塩ノ目的アリ、一 シテ面ヲ打チ、積雪股ヲ没シ手足凍テ亀スト雖モ、彼ノ昆倫 ノ堪耐力亦タ其ノ困難知ル可キナリ、余カ此行ヤ飛雪霏々ト 比須励強心ヲ以テ、未タ人ノ行カサル米理堅國ニ渡レリ、其 問テ曰ク、熱塩ニ達スル事ヲ得ルヤ否ヤ、孫六答曰ク、昆倫 テ、何レカ道、何レカ川ナルヲ識ラス。爰ニ於テ予レ孫六ニ リ、雪光ヲ以テ四方ハ明ナルト雖モ、一ノ平堆ナル白雪ニシ 得。又、夜國ヲ出ルカ如キノ景状アレトモ一得アレハ一失ア テ積雪却テ白ク、漸クニ雪光ヲ以テ黒白ヲ微力ニ辨スル事ヲ トモ家ナク、行カント欲スレトモ道ナシ。日全ク没スルニ隨 山ニ没シ、四方ハ暗ラクシテ咫寸ヲ辨セス。泊ラント欲スレ 五六丁ノ山中ニアリ。直ニ帰町ス。帰路ハ中道ヲ戻ル。道路 而シテ、漸クニシテ墓所ヘ達シ参拝ス。墓碑ハ金川村ヲ距ル シテ車輪ヲ通セス。毎橋、車ヲ持テ越ユ。實ニ困難ト言ヘシ。 テ往復二円ト約ス。上道ヲ行ク。道路石髙ク、加之橋々狭ク ト。彼直ニ諾ス。爰ニ於テ、人力車ヲ雇フ。金川村迄三挺ニ スレトモ、如何セン、場所不分明、願ハクハ案内セラレンヤ レニ頼テ曰ク、吾輩等金川村ニアル先祖ノ墓参ヲ致サント欲 同二十九日。午前、孫六一同本六日町生亀藤三郎方ニ至リ彼 森秋月山形屋等ノ諸氏来訪セリト言フ。 三十日ハ障リアレハ来月一日曻舘スルノ旨返酬ス。亦不在中、 ハ、明後三十日午后四時ヨリ、招請セラルヽノ書ナリ。依テ、 泊 ス。 此 ノ 日、 髙 久 駅 鈴 木 ノ 叔 父 ヨ リ 書 翰 達 ス。 開 封 ス レ 同二十八日、雪。午后、本覚寺ニ至テ墓参ス。古川氏ヘ至テ テ泊ス。 桂林寺町餅屋ニテ餅ヲ食ス。美ナリ。七時過キ、阿部氏ニ至 シテ去リ。途上ノ茶店ニテ暫時休憩。日没。若松ノ町ニ入、 シ昨夜ノ道ヲ疾行シ塩川村ニ至リ、村岡友之進ヲ訪。直ニ辞 二〇 同二十七日。雪降ル。土地ノ者言フ、降雪甚シケレハ何十日 同三十日、雨風。午前、孫六一同古川ヘ立寄リ、鉄三郎 新 上道ト同シ。吾車ヲ降テ歩ス。夜七時、鈴木氏 六 ニ至テ泊ス。 」 間モ往来止ルト。爰ニ於テ十一時發宿。南ヲ指 三「十九 四「十 」 ニテ餅ヲ食シ、古川ヘ戻リ、松川ニ泊ス。 屋樓ニ登ル。入浴數次、種々饗應ニナル。帰途屋郎ヵ前茶店 ト雖トモ、後日ヲ約スルノ日ナキヲ以テ、共ニ行テ、東山藤 日発足ト確定ス。孫六ハ最少滞留ノ積リニ決ス、夜、孫六一 酒肴ノ饗應ニナル。夫ヨリ鈴木古川松川ヘ行テ別ヲ告ケ、明 行キ、伊藤吉村両氏ノ墓ヲ拝ス。宮森ヘ行キ、勘定ヲナス。 同四日、雪降ル。午后二時、秋月氏ヘ至リ、夫ヨリ妙法寺ヘ 」 十二月一日、雨風甚シ。午前、孫六一同阿部氏ヘ行ク。明日、 同秋月ヘ招請セラレ馳走ニナル。夜、鈴木ヘ行テ泊ス。此日 四 「十一 東山入浴ヲ約ス。午飯ヲ喫シ、 髙久駅ニ到リ鈴木叔父ヲ訪フ。 古川ノ叔父 江帰途日光ヲ拝セント欲ス、仍テハ南道中ノ里程 方ヘ行ク。之レ兼テ東山温泉浴湯ノ約アレハナリ。風雨甚シ 此日、風雨砂 ヲ飛シ、髙久川原最モ甚シ。衣服水ニ入ル如 同三日、晴、午后雨風甚シ。正午、樓ヲ下リ、野郎ヵ前茶店 ニ足ル。況ンヤ此ノ糸禸ヲヤ。幾度来ルト雖モ飽ク事ナシ。 モ、只温泉ノ清潔ナルト心腸ノ幽静ナル。又以元氣ヲ醫スル 来噢妓々来、其豪奥ノ如ハ、吾輩等ノ遊樂場ニアラスト雖ト ルヤ、 樓々枕流潺々洗耳面樓山巒青翠滴衣幽趣可掬、又呼酒々 ス。家人ト同ク浴スル如ク、大ニ愉快ナリ。當東山ノ温泉タ 山米倉屋ヘ行テ入浴。浴シテ酌ミ、浴シテ喫シ、浴シテ一泊 同二日。阿部エ戻リ、伯父母孫六都合四人ニテ、正午ヨリ東 ヘシ。何ソ一里二里ノ遠近ニ迷心シ、小道ヲ行ハ大損ナリ。 本道ヲ大田原迄行、大田原ヨリ日光ヘ行街道アリ。此ヲ行ク 程近シト聞ク。此道如何ト尋レハ、否々決而通ル可カラス。 ノニ非ス。必本道ヲ行ク可シト。余曰、然ラハ後藤通リハ餘 タ不全備。況ンヤ一人ノ旅行、此ノ道ヲ通スルハ策ノ得ルモ 程モ纔ニ一里位ノ遠近ナリ。尤道モ宜シカラズ。且村驛モ未 ハ如何ト問フ。叔父曰ク、該新道何ソ通行スルヲ須ン。且里 モ知ル可ラスト。乃南山ハ断然ト止ム。仍テハ、湯ノ入新道 不自由甚シ。況ヤ雪ニ近キヲヤ。万一積雪ニ逢ハ、幾日滞留 難易ヲ教示セラレン事ヲ乞シニ、此父曰、南山通ル可カラス、 ニテ餅ヲ食シ、三時、阿部ニ帰ル。夜、従弟同氏新助ノ饗應 却テ時日ヲ費シ、下ノ下策ナリ。早ク帰府セント欲セハ、成 ク悉ク滋フ。火燵ニテ乾カス。大ニ馳走ニナル一泊ス。 ニテ、七日街ノ料理店栁屋ヘ孫六一同登ル。酩酊シテ阿部ヘ 丈ケ大道ヲ行ニ如カズト。則叔父ノ教示ニ決ス。鳴呼叔父ノ 嗚 戻テ泊ス。 二一 上旧國ノ 回顧 福良駅ニ至リ、三代駅ヲ経テ、勢至堂峠ヲ登リ 嶺 領地界ナリ 二二 言、金言ナリ忘ル可カラズ。他日ノ誡箴ト為シテ可ナリ。感 四 「十三 欠 」 馬會社ヘ出張留 テ、五時、勢至堂駅柏木新八郎方ヘ泊ス。父早雄ハ須賀川産 スレハ、磐峯雲外ニ孱顔ヲ出シテ余ヲ送ルカ如シ。峻路ヲ下 」 服々々。 四「十二 同五日、大雪風、咫尺モ見ル事アタハス。然リト雖モ、日限 リアレハ、鈴木ヲ出発シテ古川ニ至レハ、叔父曰ク、雪風道 ナカラン。豈可行哉。松川ニテモ同様。強テ留メラレタレト 且登遂ニ舟石ノ茶店ニ到、茶一碗ヲ喫シ、十二時、原村ニ至 ハ思ハス落涙シテ不忍、去故郷ヲ慕フノ人情不能止也。且顧 見ル事ヲ得ズト。計ラサリキ、本日此ノ景ヲ見ル事ヲ得ント リ護衛セラルヽノ際、流ルヽ涙ヲ止メテ曰ク、再タヒ此城ヲ セハ、城下ヲ眼下ニ下瞰シ、回顧スレハ八年前、身降虜トナ ノ茶店ニテ孫六ト分袂。瀧沢坂ヲ登レハ十時ナリ。首ヲ回ラ 三郎ヘ立寄リ、夫ヨリ不動瀧ヘ行キ、青曽神社ヲ拝ス。坂下 同六日、晴。午前八時、別ヲ告ケ孫六ニ送ラレ発ス。又、銕 案ノ如ク往来絶ヘタリ。依テ古川ニ戻テ泊ス。 十時三十分、鉢石駅小西屋喜一郎方ヘ着ス。直ニ中禅寺ヘ案 同十日、晴。八時三十分発宿。大谷川村野口村七里村ヲ過キ、 泊ス。旅籠代十四銭五厘。 屋幸七方ヲ訪フ。佛事ノヨシテ断ル。依テ、那須屋丹治方ヘ 川ヲ渡リ、代三厘。大渡村轟村芹沼村ヲ経、五時、今市駅岸 時四十分出店。東舩生村ヲ過キ、二時、舩生村ニ達ス。喜怒 又、髙内村倉掛村ヲ経、十二時、玉生村柏屋ニテ午飯。十二 ヲ過テ、伯耆川ヲ渡リ、澤村ヨリ、十時二十分、矢板駅ニ達ス。 同九日、天晴。朝八時發宿。那須野原ヲ過キ、九時、薄葉村 リテ旅亭客満ツ。仍テ、客ヲ断リシナリト云。 」 駅ハ古来ヨリ名高 ル。 雪 深 シ テ 大 困 難 当 黒 森 峠 ヲ 越 レ ハ、 冑 懐 キ積雪ノ場所ナリ 内ヲ頼ム。降雪行キ難キヲ以テ断ヲ受ク。主人曰ク、毎年当 四 「十四 豁タリ。赤津駅ニ達ス。村ノ入口ヨリ秋山村ノ派道ニ入ラン 月ヨリ諸人一人トシテ参リタル者ナシト云。爰ニ於テ、奥ノ 期日アレハ是非発セントテ、別ヲ告テ去リ、鉄三郎ヘ至レハ、 トセシカ積雪ニテ足蹤ナシ。依テ、旧僕宇右衛門ヲ訪ハス。 縦 右衛門太夫並松献上ノ石碑ヲ見。十二時、鹿沼駅ニ達ス。夫 諾ス。暫ラク待ト雖モ、案内来ラス。依テ、十二時、宿ヲ出 場駅ニ至ル。該駅家トシテ妓樓ニアラサルハナシ。東京ノ吉 時四十分出店。磯村亀和田村金﨑駅中村舛塚村ヲ経テ、合戦 ヨリ上殿村梃山村奈佐原駅ヲ過キ、楡木駅ニ至テ午食ス。一 テ社地ニ至ル。朱塗ノ橋ヲ左ニ見ル。層輪搭ヲ右側ニ見、門 原ト云テ可ナランカ。夫ヨリ人力車ヲ雇フ。五時、栃木町安 前ニ至リ、十八銭ニテ案内ヲ僦フ。則草履ヲ借リ、價壱銭五 治川某方ヘ泊ス。旅籠代十五銭。該地栃木縣在廳ノ地ニテ繁 院ハ決然見合ス。主人曰ク、御参拝ハ午前ナルヤ、午後ナル ヤト。吾レ午后ニセント欲ス。依テ、案内ヲ出セト云。主人 輪、石揩ヲ曻リ、 華ナリ。 」 ︻頭註︼ 石井 潔 然シ、當時品沸底ニテ数軒ヲ探テ漸ク求ム。大谷川村ニテ甘 頭注は、翻刻文のほぼ該当する丸数字の部分に、多くは朱の 年 明治八 ノ為ニ禿筆ヲ塗スル而已。 四 「十七 四 」 「十六 欠 川ヲ渡リ、代五厘。午后三時舘林ニ達ス。町ノ 東照宮神社ヲ拝ス。夫ヨリ、内拝殿亦タ奥ノ院ヲ拝ス。其結 」 繁華栃木ノ及 、渡良瀬 同十二日、晴。九時発宿。佐野町ヲ過キ フ 所ニアラス 構、美麗。目ヲ驚カセリ。予レ等ノ筆ヲ取ル所 四「十五 ニアラス。因テ只道順ヲ記スル而已。石楷ヲ下リ、 三代将軍ノ霊屋ヘ案内ヲ雇フ。九銭五厘。下足三厘。此所モ 内拝殿アリ。佛閣ナリ。夫ヨリ走リ大黒天ヲ拝ス。案内銭五 厘。夫ヨリ休憩。店ニテ暫時休。餅ヲ食ス。當山堂トシテ金 銀ニアラサルハナク、彫トシテ工ナラサルハナシ。實ニ目ヲ 驚カセリ。三時、 小西屋ニ戻ル。宿銭壱朱ト百文。直ニ発宿。 酒ヲ呑ム。 五時、 今市駅那須屋ニ戻テ泊ス。旅籠代二朱ト百文。 小文字で記載されている。 ヲンノレノ角小箸百膳十五銭。 麁品ナレハ十銭ヨリアルト云。 同十一日、晴。八時発宿。吉沢村板橋駅文挟駅ヲ過キ、松平 二三 二四 テ、毎過、境ノ明神ノ茶店ニ休ハスシテ、寄居ノ南側ノ茶店ニ休 ③ 餅店アリ。余ハ、境ノ明神ノ餅ヨリ寄居ノ餅ノ美ナルヲ覚 寄居 憩。又曽テ、収及、清水八十八、小出嘉蔵一同此亭ニ宿セシ事ア ト死中。余姪アリ滞在シテ伴食セント欲セシカ、公用ヲ兼タル道 中故、私ヲ以テ公ヲ害スル不能出発セント言フ、主人曰此ハ私丈 リ。其蚊幮ヲ不用、清爽ニテ愉快ナリキ。今又想起ス。 ① 赤飯ヲフシカ酒ヲ設ケ、乞フ一日是非御滞留、此ノ祭ニ預リ給ヒ ケノ私情ナリ、此事御屋形様ヘ御上申被下間敷、何ソ私情ノ為ニ シ聊ノ紙幣ヲ包モ寸志ナリ。其節香ニテモ焼中給ラハ本懐ナリト 仏壇ヘ私シニ合葬シ置クト。其情至誠ニ出ツ。仍テ余其ノ情ニ感 出ス。見レハ戦死合一ノ霊位ナリ。姓名モナシ。曰ク此ヲ余家ノ テ余寺中ヘ改葬スト。又其位牌ヲ問ハハ、仏壇ヨリ一ノ位牌ヲ持 足ルト。其言実意ニ出ツ余感涙ス。仍テ墓所ヲ問ヘハ屍ハ皆集メ ニ入リ林光賢宅ニテ共ニ酒酌ミ旧ヲ話セシヲ今想像ス。順次今順 城ノ後帰郷。頗ル気概アル人物ニテ順治ト称ス。九年十月余若松 リ。二子アリ。戊辰之役余国ニ来テ防戦、一ハ戦死、一ハ 在ルヤ更ニ不遇。又同苗欣三郎ナル者アリ。此レモ扶持ヲ賜ハレ 知行二百石ヲ賜レリ。余旧知己ナリ。今東京ニ在ルト云。何レニ ④ 余曽テ須賀川ニ遊。當駅ニ内藤勇左衛門ト云豪家アリ。旧藩ヨリ 公事ヲ害スルヲ得ン、君意トスル勿レ。私一人ニテ此事ヲ為シテ テ出シタレハ、主人喜テ受タリキ。主人曰此事ハ年々修行スト。 耳ト称スト。今猶可盛。 ⑤ 余曽、南山及安積五箇郷ノ地図ヲ検正ス。須賀川ハ三森 伊達山 傷開 是従前御家ノ御用宿ヲ以生活ヲ営ム、其報恩ノ一毛ト志シテ斯ク 或ハ休憩ス。當駅ニ宿スルナレハ此家ニ宿スル勿論ナリ、故ニ余 嶺ノ東ニアリ。本宮ハ五霊櫃嶺ノ直東ニアリ。恐クハ本宮邊ニテ 致シ居ルナリト云。其至情可感、其後ハ毎過必立寄、或ハ午飯シ、 手塚屋ノ名ハ聞知スレト曽テ宿セシ事ナシ。今此條ヲ見テ偶稲屋 ハ北邊ノ山ヲ指シテ伊達山ト唱ルニモ在ン乎。外ニ嶺東ニ又伊達 松地方ナル可シ。 此嶺々之山ヲ伊達山ト唱タルニヤ。又安達太郎ヲ指スナラハ二本 山アルヲ不覚。尤本宮ハ信遵沢也。仍テ伊達山ト称スルヤ恐クハ、 ノ字アリ、仍テ旧ヲ想像シテ贅ス。 ② 余寺子川ト覚エ居。蓋シ俗称カ。寺子村 此村ハ下リニ 余笹川 ハ、川ヲ不渡手前ニ在ルト覚如何。 金華山中皆赤岩ナリ、中ニ白キ筋ヲ永ク喰テアリ。巾一尺位ヨリ 七八寸位モノ幾條モアリ。是金筋ト云。今モ依然タル可シ。山皆 ⑫ 余曽単孤金華山ニ登ル。今子モ単孤該座敷ノ殺風景想遺ル可シ。 呼テ阿武隈川ヲ渡リ、又半道計行テ安達ヶ原ニ至リ、古キ釜ヲ見 岩ニ中樹ヲ生ス、奇観ナリ。山上ヨリ東ヲ望メハ一點ノ物ナク水 見想起。福島ヨリ半道計先ニ妓樓計リノ町アリ。其町ヲ過キ渡ヲ タリテ又一里計行、信夫石ノ路傍ニ在ルヲ、手自ラ草ヲ以テ紙ヘ 天萬里又舟モナシ、此目ヲ決スレトモ又米洲モ見上ス。只大東洋 ⑥ 回顧スレハ、余四十年前仙臺ニ遊シ時、此道ヲ通過ス。今此記ヲ 摺付携持、文字摺ル能ス。戊辰迄匣中ニ蔵シテ存シ右記行モ在シ ノ茫々滄々ヲ見ル而已。大景ト云テ可ナル乎。其風景、于今夢間 ⑬ 石巻ヨリ松島ニ到ル途中富山アリ。松洲之景在富山ト云。山 悪々々。 人 皆 夫 々 投 ス。 余 独 投 セ サ ル ヲ 不 得、 一 銭 ヲ 投 セ シ ト 覚 ユ、 可 ル可ンヤト、波最髙邊舟ヲ揺シナカラ促ス。其状可悪、同舩ノ行 山島渡帰途酒銭ノ事。余モ亦然リ。旦那目出度帰山ス、寔神酒無 愁ルヤ。 ト沢庵二切梅干而已。其飯二食モノナク、不取扱ナリシカ、今猶 ニ彷彿タリ。余モ一宿シテ翌朝々懸ニ登山ス。弁當ハ大握リ飯一ッ カ皆有烏ニ付ス。其釜及其石今存否。 ⑦ 龍里曰、摺ハ瀬ノ誤カ。 ⑧ 龍里云、鎌、釜ノ誤カ。 ⑨ 龍里云、竹腰稲荷ト覚タリ如何。 ⑩ 相場違フト余先年遊歴中モ甚迷惑セシ事アリ。仙臺領ハ仙臺 銭トテ新ノ鉄銭計リ通用ス。夫ヲ一朱ニテ一貫文ト覚。四文銭ノ ⑪ ナシ。銭ヲ一朱分崩セハ鉄銭一貫文ノ重キヲ得。又其銭ハ他領ニ 一モ虚ニ非ルヲ見ル。富山ニ上ニ僧房アリ、雛僧出テ名所ヲ指點 シテ岩ニ非ルハナク、岩トシテ松樹ナラサルハナク、日本三景ノ 寺ナリ。眺望ノ巨ナルハ百八洲在目前、遙ニ金華山モ見ヘ、島ト テハ通セス。仍テ同領ヲ出ルニハ不用ノ物ヲ買テ行タリシカ恐ク ス。余精聞トテ不當シテ僧房ニ入タレハ、山僧貧銭家ニナク、丁 類。更々 ハ旧染ノ獘風ヲ今不一洗ニ乎。 二五 寧ニ茶ヲ煎シ余ヲ慰ス。遠近ノ洲嶼ヲ指點シテ説ク。曽テ聞ク此 寺ノ住僧世々俗僧ニ非スト。余亦其老衲ニ饗応セラレ大ニ興ニ入 シカ子不行遺憾々々。 ⑭ 雛僧ハ貧銭子ナリ。 多賀城碑 ⑮ セシ碑ヲ云ナリト云。且 書 里俗壺ノ碑ト云、大ニ誤レリ。此地ニアルハ多賀城ノ碑也。壺ノ 碑ハ往古北郡壺村ニアリシ日本中央ト 又多賀城モ往古此地ニ非ラス。 ⑯ 謄澤郡鎮守府ノ往古在リタル邊ニ建テ在シヲ、伊達政宗入封 ノ節、此地ニ移タルモノ也ト事傳、為参考記之。 ⑰ 燕澤碑 此碑、胡之僧某所建、某受元命来、陽為帰化、實観我動静、潜以報元、 弘安四年、元人入寇、戦艦萬數、薄博多陣、我兵防戦、元人連戦 覆没無遺、某悔惋為建此碑以修冥福、其文 恠譎不可讀、蓋以纔 ヲ全クニ不 二六 碑ナリ。宜哉不可讀、胡元僧、可悪々々。 子不見却テ可喜何レモ政宗ノ作物ニテ面白カラサレハナリ。 ⑱ 躑躅ヵ岡宮城野等、所謂名所ト称スルモノ数多アル所也。 仙臺 ⑲ 武隈神社ニハナキヤ傍ニ武隈ノ松有タル可シ。 竹駒 ⑳ 鳴七吟味。 古川阿兄ノ言、余意ニ適セリ。問然スル事ナシ。 節冬ニ入テ登山ヲ不得ト遺憾々々。又登山 ノ期モアラン。再遊ノ種ヲ植ス乎。可々。 路傍ノ列杦、又當時覇気ノ隆盛ヲ見ル可シ。 おわりに 其蹤迹也、右後藤松陰讀燕澤碑序ノ内ノ語也。余亦其碑ヲ見ル、 本稿の目的は、前稿と同じく﹁青森記行﹂を翻刻・紹介すること である。一市民がその多くを徒歩で東京から青森へ、また帰途、故 皆字格ヲ減シテアリ。是距跡ヲ消ンカ為メ態与不可讀様ニ字ノ跡 ( 郷会津へ立ち寄り、親交を深め、そして東京へ戻った。行程は実に 細かく、その途次での出来事、宿泊施設、食事のこと、また名所・ 旧跡の描写、そして目的地青森での人々との出合い、感想など多様 追記 な記述が興味深い。中でも随所に出てくるのは﹁戊辰之役﹂への思 いであり、それは潔が辿った旅路のなかにも、自身の体験が投影さ れていたに違いない。 による。 も ) ともと本文に﹁七瀬川﹂とあるのを、﹁七﹂の部分を見せ消ちに ていることによるのであろう。翻刻では﹁七瀬川﹂とした。 して、左に﹁イキ﹂、右に﹁鳴﹂と朱書き後、それを見せ消ちにし 4 会 ) 津藩士石井 生( 亀 家) については、前稿中﹁著者石井潔と父・兄 星 ) 亮一﹃会津藩斗南へ︱誇り高き魂の軌跡﹄付録﹁旧斗南藩人名録﹂ 二七 意見を頂いた。ともにここに記して、各位に厚くお礼を申し上げる。 御提言を賜り、さらに同僚の小泉雅弘准教授にも、細部に関して御 いる。史料翻刻等では小島日記研究会代表の岩﨑孝和氏から多くの 氏より貴重な知見を御提供いただいた。今後に生かしたいと思って は青森県上北郡野辺地町の野辺地町立歴史民俗資料館館長駒井知宏 そうした意味でも、こうしたささやかな史料が、今後もいろいろ 本稿の作成に際して、前稿と同じく東京都町田市で活動されてい と明らかにされ、翻刻されていくことが、豊かな歴史像の構築につ る小島日記研究会の会員諸氏に御教示をうけ、また現地見学の折に ながることは言うまでもない。 本稿が、幕末・維新期の様々な研究成果につながれば幸いである。 ぜひ前稿の﹁香山日誌﹂も合わせて読んでいただきたい。 註 ( ﹃)駒澤大學文學部研究紀要﹄第六四号、平成一八年 二( 〇〇六 三) ( たものであると考えられる。 系図﹂のとくに幕末期部分は、生亀家墓碑文などを基にして作成され などのこと﹂を参照されたい。なお、前稿で参照した﹁石井・生亀家 ( 月刊行。 1 2 3 「青森記行」 旅程表 月日 出発地 10/10 11 宇都宮 到着地 ………→宇都宮 宇都宮 下川俣村→海道新田→白沢駅→西鬼怒川渡し→東鬼怒川渡し→ 阿久津駅→氏家駅→荒川渡し→弥五郎坂→喜連川→内川渡し→ 親園村鶴坂→前坂→作山→大内川→岩舞坂→大田原駅 ( 泊 ) 12 大田原 大田原 鍋掛駅→那珂川橋→越堀駅→富士見坂→寺子村→余笹川渡し→ 笹風坂→寺子村→番屋坂→念仏坂→芦野川渡し→芦野駅→横岡 村→寄居村→境明神社 ( 玉津嶋神社・境明神 ) →白坂駅→白川入 口→白河 ( 新町・天神町・仲町 ( 泊 ) 13 白河 白河 新川橋→追分→大清水→新小萱村→泉田村→七曲坂→小田川宿 →太田川→二ツ坂→踏瀬村→大和久坂→大和久村→中畑新田村 →矢吹駅→久米石村→笠石駅→鏡沼村→須賀川駅→釈迦堂川橋 →中宿村→鎌足神社→下宿村→壇坂→滑川村→滑川橋→笹川村 →笹原村→日出村→小原田村→郡山駅 ( 泊 ) 14 郡山 郡山 久保田村→福原村・福原池→牛池村→日和田村→安積田村→高 倉駅→本宮駅→南杦田村→北杦田村→高越村→上成田村→下成 田村→二本松駅→渋川村 ( 戊辰戦争の墓 ) →鳥上ヶ坂→八町目駅 (泊) 15 八丁目 八丁目 浅川村→清水駅→伏拝坂→伏拝村→福島駅→信夫橋→五十辺村 →松川橋→本内村→瀬ノ上駅→鎌田村→摺上川橋→長倉村→岡 村→桑折駅・出口→南半田村→北半田村→益子神社前→半田鉱 山見学→藤田駅・國見神社・義経腰掛け松→ ( 長坂道 ) →貝田村 →越河駅 ( この先旧仙台藩領 泊 ) 16 越河 越河 齋川堤→鎧坂→齋川駅→新建坂→白石駅→白石川渡し→釜先温 泉 釜先温泉 17 釜先温泉 釜先温泉鈴木屋に逗留 釜先温泉 18 釜先温泉 宮駅→籠石神社前→金ヶ瀬駅→大河原駅→舩迫駅→槻木駅 槻木駅 19 槻木駅 岩沼駅→舘腰神社・弘誓寺→植松村→飯野坂村→増田駅→中田 駅→名取川渡し→長町→仙台國分町 ( 泊 ) 仙台 20 仙台 → ( 四十三坂六十峯…) →吉岡駅→三本木駅→古川駅 ( 泊 ) 古川 21 古川 江合村→荒谷駅 ( 此より水沢縣下 ) →築舘駅→宮野駅→沢辺駅→ 有壁 ( 現 金成駅 →有壁駅 ( 銭不自由也 泊 ) 22 有壁 鬼石骸村→一ノ関駅→山ノ目駅→中里村→平泉村→中尊寺→下 衣川村→前澤駅→中畑村→水沢駅 ( 泊 ) 23 水沢 水沢 井沢川渡し→金ヶ崎駅→三ヶ尻村→和賀川渡し→黒沢尻駅→郡 郡山 盛岡・明治橋→上田村 ( 此より以北米飯なし ) →川又村→門前村 →渋民駅→芋田村→馬場下村→巻堀村→寺林村→川口村→沼宮 内駅 ( 泊 ) 沼宮内 二八 山駅 ( 泊 ) 24 郡山 栗原 ) 25 沼宮内 摺糖田村→中山村→火行村→小繁駅→小鳥谷村→高屋敷村→高 森村→一戸駅 ( 泊 ) 一戸 26 一戸 → ( 途中の行程不詳 ) →淺水駅 ( 泊 ) 淺水 27 淺水 → ( 途中の行程不詳 ) →傳法寺駅 ( この辺會津の士多し ) →藤島 駅→三本木駅 ( 吉村氏ヲ訪う不在 ) →七戸駅 ( 泊 ) 七戸 28 七戸 野辺地駅 ( 小林重歳氏ヲ訪う 泊 ) 野辺地 29 野辺地 馬門村→狩場澤村→口廣村→清水川村→小湊駅→藤沢村→山口 村→中野村→ 屋村→浅虫温泉 ( 泊 ) 浅虫温泉 30 浅虫温泉 野内駅→青森・新町鈴木政衛宅 ( 泊 ) 青森 31 青森 藤田重光氏を訪う 青森 小林氏を待つ 青森 11/1 青森 2 青森 野内駅→久栗坂→浅虫駅→土屋村→中野村→山口村→藤枝村→ 小湊駅 ( 泊 ) 小湊 3 小湊 清水川村→口廣村→狩場澤村→馬門村→南部藩津軽藩ノ境・招 魂社→野辺地駅 ( 小林氏宅泊 ) 野辺地 4 野辺地 壺村→七戸駅→三本木 ( 稲生町吉村氏宅泊 ) 三本木 5 三本木 相坂村→奥瀬村→藤島駅→傳法寺→米田村一本松→五戸駅 ( 高橋 十郎氏と逢う 泊 ) 6 五戸 淺水駅→小向村→三戸駅→釜沢村→金田市駅→堀野村→福岡駅 →末の松山・波打・不越峠→一戸村 ( 泊 ) 7 一戸 五戸駅 一戸 高森村→小鳥哉村→小繁駅→火行村→中山村→糖田村→御堂村 →沼宮内駅→川口村→寺林村→巻堀村→馬場村→芋田村→平笠 村→渋民村 ( 泊 ) 8 渋民 門前寺村→川又村→上田村→盛岡→中津川橋→明治橋→見前→ 郡山 ( 泊 ) 9 郡山 郡山 花巻駅→黒沢尻駅→和賀川渡し→鬼柳駅→相去駅→金ヶ崎駅→ 伊澤川渡し→三ヶ尻村→八幡村→水沢駅 ( 泊 ) 10 水沢 渋民 水沢 塩尻村→中野村→内折居村→小山村→中畑村→関村→前澤村衣 川→関山中尊寺・弁慶堂・光堂→平泉村→中里村→山ノ目駅→ 一ノ関駅→ ( 道を石巻ヘ転ず ) →金澤駅 ( 泊 ) 金澤 11 金澤 涌津駅→長根村→ ( 北上川水害状況を見る ) →登米駅 ( 泊 ) 登米 12 登米 鳥波ノ渡し→ 栁 津→樫沢村→飯野川村→北上川渡ル→又、北上 川渡ル→石巻湊→ ( 金華山へ道を転ず ) →北上川渡ル→湊町→渡 波(泊) 13 渡波 渡波 渡ノ波渡し→税ノ田村→桃ノ濱→桃ノ浦→萩ノ濱→浜通り ( 通行 大困難 ) →小積濱→給分濱→鮎ヵ濱→山鳥山→石ノ華表→山下り て寺にて休息→ ( 乗船 ) →山鳥ノ渡し→金華山上陸 ( 寺づくりの 二九 家屋にて泊 ) 14 金華山 金華山 金華山へ登る ( 拝殿・本堂→不動尊・弘法大師坐禅石・飛石・夜 光石・水晶石・御鉢石など見物 ) →帰舟にて船頭酒手を要求→鮎ヶ 濱→十八成濱→給分濱→大原→小細倉→小積村 小積村 15 小積村 →萩濱→大山→桃浦→蛤ヵ濱→渡ノ波渡し→渡ノ波村→北上川 渡ル→石巻湊→矢本駅 ( 泊 ) 16 矢本 矢本 小野駅→鳴瀬川渡し→髙城駅→松島→ ( 舟行せず陸行 ) →春日村 →利府塩釜→塩釜駅 ( 塩釜見学・塩釜神社・和泉三郎寄進の燈籠 泊 ) 17 塩釜 塩釜 市川村→宮城郡市川村壺之碑 ( 多賀城の碑 ) →南宮村→岩切村→ 燕澤村・比丘尼茶屋・比丘尼塚・蒙古の碑 ( 燕澤ノ碑 ) →原町→ 廣瀬橋→長町→郡山村→大野田村→名取川渡し→前田村→増田 村→飯野坂村→植松村→岩沼駅 ( 泊 ) 18 岩沼 岩沼 槻木駅→舩迫駅→大河原駅→金ヶ瀬駅→籠石神社→苅田宮駅→ 白石駅 ( 旧國の留四郎の児輩と逢う ) →越河駅 ( 泊 ) 19 越河 越河 貝田駅→藤田駅→桑折駅→摺上橋→長倉村→岡村→瀬ノ上駅→ 鎌田村→松川橋→ ( 福島に入る ) 信夫橋→伏拝坂→清水町駅→八 丁ノ目駅→上ヶ坂→二本松駅 ( 泊 ) 20 二本松 二本松 本宮駅→ ( 若松道へ転ず ) →苗代田村→羽瀬石村→青木葉駅→横 川村→熱海村→中山峠→揚枝村 ( 泊 ) 21 揚枝村 揚枝村 壺下村→関脇村 ( 旧僕丑次郎宅を訪う ) →都沢村→幸野村→西舘 村→七瀬川渡シ→猪苗代町→ 津神社→ 田→磨上原→三忠碑 →上新田村→大寺村 ( 旧僕大津屋介三郎宅に泊 ) 22 大寺村 大寺村 日橋→若松・蝅養口山形屋寺田鉄三郎宅を訪う→立三日町鈴木 新六を訪う・弟孫六と逢う→古川叔父に面會 ( 泊 ) 若松 23 若松逗留 →阿部叔父宅を訪う→林與市を訪う→阿部宅 ( 泊 ) 24 若松 古川宅へ行く→立三日町佐治傳蔵・中六日町宮森善助・長尾源治・ 25 若松 阿部宅へ戻る→古川宅・行人町森惣兵衛・立三日町山浦氏・大 片栁町小林直太郎を訪う→小林宅 ( 泊 ) 工丁秋月新九郎・蝅養口鉄三郎宅を訪う→弟孫六・鈴木熊四郎・ 近藤石見等と東山温泉へ行く→屋郎前→孫六と長尾を訪う ( 泊 ) 26 若松 ( 孫六と同道 ) 柳原→高瀬→高久駅鈴木叔父を訪う→勝常村→セ ( 熱塩温 セナキ川橋本→塩川村→小荒井村→熱塩温泉へ 泉? ) 27 ( 熱 塩 温 塩川村 ( 村岡友之進を訪う ) →若松・桂林寺町・阿部氏宅 ( 泊 ) 泉? ) 若松 28 若松 本覚寺 ( 墓参 ) →古川氏宅 ( 泊 ) 29 若松 ( 孫六同道 ) 本六日町生亀藤三郎の案内で金川村先祖之墓に参る →鈴木進六宅 ( 泊 ) 30 若松 ( 孫六同道 ) 古川宅→蝅養口鉄三郎宅→東山温泉→屋郎ヵ前茶屋 →古川宅→松川宅 ( 泊 ) 12/1 若松 ( 孫六同道 ) →阿部宅→髙久駅・鈴木叔父を訪う ( 泊 ) 高久 阿部宅→伯父母・孫六と東山温泉 ( 泊 ) 東山温泉 3 東山温泉 屋郎ヵ前茶屋→阿部宅→七日街料理店→阿部宅 ( 泊 ) 4 若松 秋月氏宅→妙法寺→宮森→鈴木・古川・松川→鈴木宅 ( 泊 ) 5 若松 古川・松川→ ( 荒天のため ) 古川に戻り ( 泊 ) 若松 三〇 2 髙久 6 若松 蝅養口鉄三郎宅→不動瀧→青曽神社→瀧澤坂→舟石茶店→原村 →黒森峠→赤津駅→福良駅→三代駅→勢至堂峠→勢至堂駅 ( 泊 ) 勢至堂 7∼8 9 不詳 那須野原→薄葉村→伯耆川渡る→沢村→矢板駅→髙内村→倉掛 村→玉生村→東舩生村→舩生村→喜怒川渡し→大渡村→轟村→ 芹沼村→今市駅 ( 泊 ) 10 今市 の院 ) →小西屋→大谷川村→今市駅 ( 泊 ) 11 今市 今市 吉沢村→板橋駅→松平右衛門太夫並松献上の石碑→鹿沼駅→上 殿村→梃 ( ) 山村→奈佐原駅→楡木駅→磯村→亀和田村→金崎 駅→中村→舛塚村→合戦場駅→栃木町 ( 泊 ) 12 栃木町 今市 大谷川村→野口村→七里村→鉢石駅小西屋→東照宮 ( 内拝殿・奥 佐野町→渡良瀬川渡し→舘林町 ( 以後不詳 ) 栃木町 三一