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聖 美 - 岡山大学学術成果リポジトリ

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聖 美 - 岡山大学学術成果リポジトリ
37『岡山大学法学会雑誌』第53巻節1号(2003年12月)
アメリカの大学制度と法学・政治学教育
∼岡山大学法学部政治学講座共同企画
研究大学と教育中心大学、全国大学と地域大学
谷
﹁新しい法学部像と政治学教育﹂ の一環としてH
岡山大学法学部政治学講座教育改革プロジェクト
本稿の趣旨と位置づけ
アメリカの大学の多様性
なぜアメリカの大学か
‖・.
第一章
一ニー
本稿の役割とその限界
一二二
適格認証制度
アメリカにおける大学制度の概要
一・四
第二章
大学の設置主体と法人格
二・一
二・二
カーネギー分類と複数キャンパス大学の扱い
授与学位別にみた大学の数と種類
二二二・一
二・三
修士課程大学と学士課程大学
二二二二一博士課程大学
二二二・三
先住民大学
二年制の大学と単科大学
三・五
二二二・四
二
二・四二
二・四一般的な大学分類
聖
三七
美
岡 法(53−1)38
二・四二一研究大学
地域型教育中心大学
リベラルアーツ大学
二・四・lニ教育中心大学
二・四・四
編入制度とコミュニティ▲カレッジ
二・四・五
五二 編入制度
二・五
六・一
大学ランキング
大学の格付け
二・ 五二一コミュニティ・カレッジ
二
二
二・六
六二二
大学院レベルでの大学ランキング
学部レベルでの大学ランキング
六二一大学ランキングにおける評価項目
六・四
t一
二
一一
私立大学の統治機関
統治機関
大学の組織と財政
二
一
三
第三孝
三
三・ 一二一州立大学の統治機関
三二一執行部
︼総長と学長
三
二・三
二・二
学部長と学部システム
プロヴォストおよび副学長
学長の選任とその役割
三・ 二
三
コロンビア両大学の例
一一般的財政状況
財政と大学の規模
三・ 二 ・四
三二二
三・ 三
三・ 三 二一ハーバード、
大学の規模と基本データ
三・ 三 二二、こシガン大学とUCバークレーの例
三・ 三 ・四
39 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
第四章
教員組織と人事システム、および教員の職務
四二 学科、教授会、学科長
四二 二 学科とそこにおける教員の職務
四二 二一学科教授会
四二一二
職階制
四・一・三 学科長
四二一教員の種類と人事制度
テニャ1制度
インストラクターと講師
助教授と教授
四二丁二
四ニー・四
テニャ1制度外の教員
講義を担当する名誉教授
四二一二二
四二一⊥ハ
四二丁五
非常勤教月の増加
川∵二一・七 アジャンクト・プロフェッサーと客員教授
四・二・八
教早評価
教員の評価と待遇
m∵∴二 一
四・三
研究条件と研究費
閃∵二二二一 給与
﹁雑用﹂
からの解放
四二二・四
四二二二二
夏休み、サバティカル、研究休暇制度
ティーチング・アシスタント
川∵二二・五 講義負担
四・土・六
教員の自治組織と組合
四∴二・七
四・四・一教授会
四・四
米国大学教授連合と大学数月組合︵以上本号︶
四・四ニー全学評議会
四・四二二
三九
同 法(531)40
第一章
第六章 学士教育
第五章 学生選抜と財政支援
第七草 学部段階における法学・政治学教育
本稿の趣旨と位置づけ
一・一岡山大学法学部政治学講座教育改革プロジェクト
明治以降日本では、大陸ヨーロッパ諸国の大学システムに範をとって、法学と政治学の研究■教育は法学部を中
心に行われてきた。もちろん、早稲田大学のように一部の大学では、法学と政治学はそれぞれ法学部と政経学部と
いう別々の学部によって担われている場合もあるし、教育学部や旧教養部、あるいは社会科学部、政策科学部とい
った様々な学部にも法学・政治学研究者が在籍して、この二つの学問分野における研究と教育を担当してきた。た
だ、そうはいっても、法学、政治学を専攻する学生の大部分は法学部に在籍してきたことは事実である。
ところが、周知のように、二〇〇四年度からいわゆるロースクールが法曹養成の専門機開として発足するのにと
もなって、これまでの法学部のあり方は大きく変わらざるを得ない事態となった。ロースクールという特殊アメリ
カ的な制度の導入は、法曹養成という法学部の存在根拠を大きく揺り動かすものであることはいうまでもない。確
かに、日本版ロースクールが法学既修者に〓疋の特典を与えるものとなったために、法学部の法曹養成機能は完全
に無意味なものとなるわけではない。また、司法書士や裁判所職月といった法曹関連分野への人材供給、および公
務月養成という、法学部がこれまでになってきた二つの重要機能は引き続き維持される。ロースクール導入にもか
41アメリカの大学制度と法学・政治学教育
かわらず、制度としての法学部が存続することになった背景には、このような理由があった
理由が考えられるが︶ 。
が
︵ほかにもいくつかの
法学部のあり方が大きく変わらぎるを碍ない事態を迎えたにもかかわらず、その外的な枠組みはひとまずほぼ従
来通り維持されていく、というのが現在の状況である。とするなら、法学部に引き続き在職していく法学や政治学
の教月は研究体制やカリキュラム、あるいは教育方法などについて新しいアプローチをとることによって、自らの
機関の形骸化を防がなければならない。国立大学の法学部の場合には、さらに独立法人化というより大きな変動に
も対処しなければならない。それは、大学そのもののあり方を主体的に再構成していく努力を要求する。実定法部
門の中心がロースクールに移行するために相対的に比重を高めることとなる政治学部門には、こうした努力がいっ
そう要求されるであろう。
このような状況を前にして、岡山大学政治学講座は、今後の法学部教育をどのように再編すべきか、調査研究プ
ロジェクトを立ち上げた。本稿は、このプロジェクトの一環として善かれたものである。本稿のねらいは、アメリ
カの大学制度とそこにおける法学・政治学の研究・教育について、主として学士課程レベルを念頭に置きながらそ
の概要を紹介し、もって法学部における今後の教育と法学部改革、ひいては大学そのもののあり方を構想していく
ための材料を提供しょうとするものである。
一・二 なぜアメリカの大学か
では、なぜアメリカの大学を取り上げるのか。アメリカの大学には法学部はないが、主要大学にはどこでも政治
学科 ︵日本では普通政治学部と訳されているが、あとで述べるような理由で、本稿では政治学科と訳しておく︶
あるからである。しかもその規模は通常日本の国立大学にある法学部に匹敵するか、あるいはそれよりも大きく、
四一
開 法(53【1)4Z
四二
また憲法入門など法学系の授業も提供している。たとえば、本稿でしばしば取り上げることになるミシガン大学リ
ベラルアーツ学部︵あるいは文理学部、cOHegeO叫Letters一Science﹀andArts︶の政治学科︵DepartmentO叫PO−itica−
︵全て海外の大学からの客月︶、学内他学部からの併任を含む非常勤教月七人
︵うち一人はフォード二九大統
Science︶ は、四八人の常勤教月、講義を担当している名誉教授一〇人、同じく講義を担当している客員教授・助教
授八人
領︶、事務・技術職一〇人という大所帯である。また、政治学科の学生は公務月になるものやロースクール進学者が
多︿、少なからぬロースクールで政治学科出身者の割合が最も多くなっている。したがって、筆者は政治学講座の
一月としてその状況を調べ、今後の参考になる情報を引き出そうと考えている次第である。
さらに、アメリカでは法学教育は学部レベルでは行われないという俗説に反して、最近では学部教育に法学関係
の科目を取り入れる大学が増えてきたようであるし、正式のコースとしてではなくても、学部段階でロースクール
準備履修モデル ︵PreLaw︶ を提供しているところもある。また、リベラルアーツ系の学部に属する政治学関係学
科には従来からほぼ例外なく憲法や法社会学などの専門家が何人かいて、学部段階で法学教育を行ってきた。その
ほかにも、法と法学に関係した科目がいろいろな学部で提供されている。そうした意味で、本稿は法律系のスタッ
とい
フにも参考になるのではないかと考、ろられる。また、法学・政治学教育につい考えていく前提として、アメリカの
大学制度とその実際の運用についても、こちらの方がメインなるほどにスペースを割いているので、アメリカの大
学一般に関心のある方たちにも参考になればと願っている。
アメリカの大学を取り上げるもう一つの理由は、日本ではアメリカの大学がよくお手本として言及されるにもか
かわらず、その実態があまりにも理解されていないことがあげられる。だからまず実像に迫ってみよう、というの
﹁欧米の大学に比べて日本の大学は劣っている﹂
が本稿のもう一つの目的である。実際、日本では自国の大学に対する批判が強く、それが今回の独立法人化その他
の大学改革につながっている。その際必ずといっていいほど
43 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
った形での比較が明示的にせよ黙示的にせよなされるが、この﹁欧米の大学﹂とは、実はオックスブリッジなどヨ
ーロッパの有力大学とアメリカのトップクラスの大学が漠然とイメージされていることが多い。マスメディアにそ
のような﹁日本の大学批判﹂が登場することも少な︿ない。
ところが、ジャーナリズムの世界には、そうした﹁欧米の大学﹂のどこがどのような理由で日本の大学と比べて
優れているか、ということを実証的に検証しょうとする態度はまことにもって希薄である。一見資料やデータにも
とづいて批判がなされているように見える場合でも、その資料やデータの信頼性そのものを検証する姿勢がないた
め、あやふやな根拠によって大学たたきが行われる。たとえば、二〇〇一年に出されたスイスの国際評価機関によ
る国際黄争力評価は、日本の大学に四九カ国中最低という賂印を押し、それがマスメディアでそのまま報道された
︵喜多村和之、二〇〇二、一〇六−一〇九頁︶。﹁アメリカの大学生は日本
ために、各方面からの大学バッシングが加速した。ところが、専門家の調査によると、その機関の評価手法自体が
きわめていい加減なものであったという
の学生とは比べものにならないくらいよく勉強をする﹂という、日本ではずいぶん以前から常識となっているイメ
ージについても、実はどの程度現実に沿ったものなのか、確かめてみる必要がある。もちろん、それは日本の大学
の現状を擁護するためではなく、正確な理解と確かな根拠にもとづいて今後の大学改革を構想していくためである
ことはいうまでもない。
なお、本稿では、私立大学についてもかなり紹介をすることになるが、力点は州立大学におかれている︵ニュー
四
ヨーク市立大学のような自治体立の大学は例外的存在である︶。その理由は、第一に、大学の数では私学の方が多い
︵国立学枚財務センター、二〇〇二
ものの、学生数では州立大学の方が圧倒的に多いからである。実際、四年制大学の場合、私学の数は全体の七三パ
ーセントを占めるのに、私学に在籍する学生は全体の三分の一に過ぎない
二頁︶。その意味で、アメリカの大学を知るには州立大学の実際を知ることが必要となる。
四三
岡 法(53−1)44
四四
第二に、州立大学は日本の国立大学に類似した性格を持っていることがあげられる。アメリカでは、連邦制を作
り上げる過程で教育に関する権限が憲法上州に留保された。州とはstateであり、独自の憲法を備えた準国家とい
うべき存在である。大学を公的に設置する場合、この国では連邦が主体になることはできず、国=州がその主体に
なるのである。もっとも、アメリカの連邦制はいわゆる二重の連邦制であり、かつ連邦政府機能の拡大という不可
逆的な趨勢もあって、実際には連邦政府も私立大学だけでな︿州立大学の運営にもさまざまな影響を与えてきた。
として発足した。各地の州立
そもそも、州立大学のかなりの部分は、連邦政府が高等教育振興のために一八八二年に制定したモリル法によって
国有地を交付され、それを元手に出発した﹁国有地交付大学﹂ニandgrantcOニege︶
大学が出Lている大学紹介では、このように国有地交付大学として出発した歴史がしばしば誇らしげに善かれてい
る。さらに、F・ルーズベルト政権が導入したG・Ⅰ権利法は、第二次大戦終結後除隊する膨大な数の若者たちに
大学進学の機会を与、え、戦後アメリカの発展に必要な人材育成に寄与するとともに、地方の農工大学として地味な
存在に甘んじていた各地の州立大学を急速に拡大・発展させた。今日では、連邦政府からの助成金や委託研究費も
州立大学にとって大きな意味を持っているっ しかし、それでも、連邦政府は州立大学に直接タッチすることはでき
ないのである。つまり、アメリカでは州立大学が実質的に国立大学として機能しているのである。
一二ニ アメリカの大学の多様性
本稿では、ミシガン大学やカリフォルニア大学バークレー校︵以下では、通常の略し方に従って、UCバークレ
ーと表記する︶、あるいはハーバード大学といった個々の大学に事例を求めることが多い。それはこうした大学につ
いて述べることが他の大学全てについて語ることにつながるからではない。後述のように、アメメリカには設置要
件や必置科目の指定、あるいは親規定として機能する諸根拠法規によって全国の大学を画一的に統制する日本の文
45 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
部科学省のような中央機関は存在しない。大学の設置を認可したり、あるいは既存大学の監督をしたりするのは州
の権限である。従って、アメリカでは大学ごとの違いがかなり大きい。つまり、アメリカにおける高等教育の世界
は、その多様性を特徴としているのである。ミシガン大学やUCバークレーをしばしば取り上げるのは、できるだ
け具体的な例に別して説明を行い、それによってイメージをつかみやすくするためで、そのために正確さが多少損
なわれるのはやむを得ないと考えている。
そうはいっても、大学が大学として機能するためには、それなりの共通性や標準的なあり方というものがあるこ
とも確かである。本稿が注目するのはむしろそうした共通性や標準的なしくみであり、それをふまえた上での多様
性である。そのため、本稿では特に大学制度の一般的な姿を正確におさえるために、全米教育評議会︵ACEIAヨerican
C〇unCi︼DnEduca︷iOn︶が二〇〇一年に出した﹃アメリカの高等教育入門﹄︵ABriefGuidetOU.S.HigherEducatiOn︶
﹃アメリカの大学事情﹄
そのよう
を底本として絶えず参照することにする。ただし、このガイドブックはアメリカの大学制度全般の大まかな案内役
そのなかで、渡部哲光による
としては有用であるが、その性格上大学のランキングなど取り扱っていないトピックスもたくさんあるり
な事項についてはもちろん別の資料にもとづいて記述するU
︵渡部、二〇〇〇︶ は重要な情報源である。渡部はサウスカロライナ大学で長年教授を務め、現在は同大学の名誉
教授であるだけに、本書はアメリカの事情について正確で具体的な情報を提供してくれる。ただ、やや同大学固有
の制度や慣行に偏った記述がみられ、またカバーする領域も本稿とは必ずしも同じではない。
なお、アメリカの大学の多様性について補足するなら、それは州ごと、あるいは大学ごとの制度的な多様性に由
来するだけではないということを指摘しておかなければならない。固そのものの多様性と比べるなら、アメリカの
大学はむしろ制度的には均質的だとすらいえる。アメリカの大学に多様性をもたらしているのは、制度面というよ
りも、その制度が大学や大学内の諸機関に高度の自律性、あるいは発言力を与える形になっているために、大学の
四五
開 法(53〝1)46
四六
実際の運営がそうした諸部分の間の複雑で流動的な相互交渉のなかでなされているためである。
すなわち、アメリカの大学は日本で時にそう主張されるような、学長のリーダーシップが強烈に貫徹する二冗的
組織とはなっていない。むしろ現実は逆で、大学とはさまぎまな機能や権限をもつ機関や役職が協力し、またお互
StruCt亡re︶﹂と喝破したうえで、次の
いに牽制しあいながら動いていくさまざまなプロセスの束のようなものである。全米教育評議会の解説書は、大学
の経営・管理の体制を﹁諸部分による共同統治の構造︵sharedgOくerコaコCe
ように述べているのである。
︵gO完rniコgbOard︶
と学長のあいだに対立が生じることはしばしばである。教員評議会︵fac亡言yseコate︶
﹁高等教育の世界における権限、発言権、そして責任の所在という問題には今日でも決着がつかないままである。
理事会
とりわけ研究教育に関する領域で
のあいだに緊張が絶えないということにな
︵そしてしばしば教員評議会が︶
力
しかし、だからといって理事会が大学の日常的
はどこまで発言権を有Lているかをめぐる論争はありふれたものとなっているり
はそうである。制度上大学の最終決定権を握るのは理事会であるっ
な運営に関与しようとすると、理事会、学長、そして教員団︵facu−ty︶
る。同様のことは学長−教員関係についてもいえる。学長のなかには教員団が
を持ちすぎていると考える人がいる。しかし、教員の多くは、研究教育に関わる事項は教員が動かしているのであ
り、またそうであるべきで、理事会や学長の任務は効果的な教育研究環境を整えることだ、と考えているのである。
州立大学のなかには理事会の理事が知事や州議会によって任命されるところがあるが、そのようなところでは、理
事会が政治的党派的に介入することがあるので、大学の運営をめぐる対立はよけいややこしいものとなる。もっと
も、私学の場合にはそれぞれの大学が自らの理事会を選ぶので、州立大学よりは政治的な介入に対して保護されて
いるが。また、いくつかの大学では、大学の統治構造における学生の役割をめぐって論争が続いているっ﹂︵ACE、N書−﹀
p.畠︶。
47 アメリカの人学制度と法学・政治学数台
このように、アメリカの多くの大学が分権的な構造を有していることについては、日本でももっと注目されるべ
きである。内部構造が実質的に分権的であるならば、制度の枠組みが同じ、あるいは類似のものであっても、その
運営の実際は個々の大学で大き︿異なってくることはいうまでもない。﹁制度やルールは、人びとや組織が行動する
大枠として機能するものではあっても、行動を決定するものではない﹂、という、政治学では今日常識となっている
本稿の役割とその限界
命題ほ、アメリカの大学の場合によりいっそう当てはまるのであるぐ
一・四
本稿は、アメリカの大学について、その制度や財政、運営の実態などについてできるだけ広範に記述し、複雑で
なじみの薄いその世界に関するいわば旅行案内書のようなものを提供しようとするものである。しかも、そこにお
ける旅行者はあ︿まで大学の教員が想定されていて、大学における主人公のひとりである学生や職員の視点は希薄
である。このことはあらかじめ正直に告白しておかなければならない。また、本稿はアメリカの大学教育やそこに
おける研究活動を分析しようとするものではない。もしそのようなことを試みるなら、汀原が行なったような教育
社全学的先行研究︵江原、一九九四︶を最小限の範囲だけでも押さえておかなければならないだろうが、筆者にそ
のような素養があるわけではない。本稿の最終目的は、あくまで、大学改革とロースクール設置という大きな環境
変化を受けて、法学部における今後の研究・教育体制を構想していくためにその材料を提供することにあり、それ
以上のものではない。
たとえば、総合大学︵uniくerSity︶を構成するsch00︼やcO〓egeを学部、研究科と
なお、本稿ではアメリカにおける複経きわまりない高等教育の世界をできるだけR本の大学で用いられている用
語を使って説明しようとするけ
訳すが、それは研究教育の基本的な組織単位を表すにはそれがもっとも理解しやすいからである。しかし、そのよ
四七
岡 法(53−1)48
四八
うに日本の制度の名称を当てはめることによって、両国の制度の違っている側面が一部脱落してしまうことはもと
より否定できない。たとえば、日本では学生は学部または研究科に所属するが、アメリカでは学生はsch00−やcO〓ege
には所属しない︵例外もある︶。したがって、日本の制度に引きつけてアメリカの大学を説明することには、それに
伴うコストが伴うことはさけられない。にもかかわらず本稿ができるだけ日本の大学の制度名称を使うのは、その
方がイメージを喚起しやすいと考えるからである。いずれにせよ、筆者は政治学老であって、アメリカの高等教育
の専門家ではない。そのような筆者が提供しようとしている本稿の情報には、その面でも制約があることもあらか
じめ指摘しておかなければならないであろう。ただ、提供する情報自体については、アメリカの大学関係者にイン
タビューするなどして、できる限り検証を重ねたつもりである。
第二章 アメリカにおける大学制度の概要
二・一適格認証制度
アメリカにはどのような大学がいくつあるのだろうか。この疑問に答える前に、まず大学とは何かを定義しなけ
ればならない。なぜならば、アメリカには大学の設置認可を一手に取り仕切る中央官庁がなく、原理的には誰でも
によって大学としての基準を満たしていると認定され
︵法的には、という意味
大学を設立できるからである。しかし、自由につくられた﹁大学﹂が、そのまますべて大学として通用するなら、
それは適格認証協会︵accreditiコgaSSOCiatiOコS︶
大学の権威も学位の信頼性も失われてしまうだろう。アメリカで大学という場合、事実上
ではない︶
た機関のことである。適格認証協会には、機関としての大学全体の適格性を認証するもの︵iコStitutiOコa−accreditiコg
ageコCies︶と、専門分野別に学部︵sch00−ム○〓egeなど︶や学科︵departmeコt︶を認証するもの︵specia−izedaccreditiコg
49 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
agencies︶とがある。どちらのタイプであろうと協会はすべて民間の非営利団体で、連邦政府がその設立・運営に介
入することはない。大学全体の認証を行う協会は、認証対象となる大学をその構成メンバ1とする相互検証機関で
ある。日本の私立大学協会がその構成大学の認証を行うようなものだと考えてよい。
は、認証を受ける高等教育機関、およびその個別活動分野︵学科やコースなど︶
しかし、認証協会が連邦政府とは全く無関係に活動できるかというと、そうではない。なぜなら、連邦教育省長
官︵USSecretaryOfEd亡CatiOn︶
における教育の質に関して、認証協会が信頼するに足る調査・判断力を持っているか否かを協会ごとにチェックし、
その結果要求を満たしていると認定︵recO習ize︶した協会のリストを毎年公表することが法令で定められているか
らである。教育省長官による認定を受けることは義務ではないが、これを受けない場合、あるいは認定がとれない
場合、その適格認証団体によって認証されたとしても、大学、ないし学科や部門は連邦政府からの公的助成を受け
られない。長官から認定された協会によって高等教育機関としての基準を満たしていると認証されることが、連邦
からの公的助成を受けるための要件となっているのである。さらに、教育長官が認定した協会による認証は、ほか
の多くの分野でも申請の要件となっているり従って、教育長官によるこの認定こそが、アメリカにおける大学とし
ての基本的要件のひとつを事実上構成しているのである。もっとも、教育長官による認定団体の認証の基準は法令
であらかじめ明示されており、また、長官はその認定を受けようとする各団体の認証活動には立ち入らない。従っ
て、長官認定制度を通じて連邦政府が裁量的な影響力を行使する余地は大きくはないが、それでも教育省が適格認
証協会の評価を行う以上、そこには若干の政策的誘導効果が生じうるというべきであろう。
ただ、連邦政府は大学の設立や改廃そのものについてはいかなる権限も持ってはいない。このような権限は、憲
法上、各州に属している。連邦政府だけではなく、どのような認証協会も、機関としての大学の設置そのものに関
わる権限を有してはいない。認証協会にできることは、あくまでも設立される、あるいは既存の高等教育機関が基
四九
開 法(53−1)50
五〇
準を満たしているか否かを判定することだけで、基準に満たないからといって当該大学を廃止し、あるいは設立を
不許可にすることはできないむ 極端な場合、認証協会が基準を満たしていないと評価した州立大学を州政府が存続
についてではなく、大学そ
させることに何ら法的な問題はないのである。もちろん、そのような大学に学生はほとんど来ないであろうが。
︵学部、学科、部門などの相当︶
︵institutiOna−accreditatiOコaSSOCiatiOコS︶
さて、話を適格認証機関に戻そう。個々の専門領域
のものの認定に関わる団体は機関認定協会
団体存在する。⊥ハつの地域団体とは、ニューヨーク州からメリーランド州までの東海岸諸州とプエルトリコなど大
西洋のアメリカ自治領地域をカバ1するもの、ニューイングランド地域を担当するもの、シカゴ・デトロイト地域
と呼ばれ、全米六地域に九
を中心とする北西部 ︵Midwest︶ 諸州をカバーするもの、アラスカ、ワシントン、オレゴンの北部太平洋沿岸三州
とそれに接続するロッキー山脈地域の諸州を担当するもの、カリフォルニア・ハワイ両州とグアムなど太平洋地域
アメリカ属領をカバーするもの、そして南部諸州をカバーするものである。このうち、ニューイングランドなど大
から中学校、高
学の多い地域では、総合大学を担当する団体と単科大学を担当する団体、あるいは四年生大学担当機関と短大担当
機関が分かれている。いずれもその地域にある大学を会員とする民間の団体である。
なお、各地域の認証協会はその地域の小学校︵幼稚園は事実上小学校の第一学年となっている︶
︵=frOmpre大tOthedOCtOra〓eくe−ミニューイングランド学校・大学協会
の適格認証も行っている。厳密に言うと、大学の適格認証を行うのはそのなかの高等教育機関
等学校、大学、大学院すべてのレベル
ホームペー∴ゾより︶
に関する専門委月会︵cOヨmissiOコ︶である。しかし、本稿では適格認証をめぐる日本での議論が大学に集中してい
ることと、煩雑さを避けたいという理由で、大学の適格認証を行う主体を認証協会としておく。また、アメリカで
も、全米乳幼児教育協会
︵theNatiOコa−AcademyOfEaユyChi−旨00dPrOgramS︶
によって
は普通教育機能も持つと考えられている保育園︵daycarecenterもurSerySCh00−﹀ぁるいはeaユychi−dh00deducatiOn
centerと呼ばれる︶
51アメリカの大学制度と法学・政治学教育
適格認証を受けていることを付け加えておきたい。
これに対して、専門領域ごとの認定を行う団体は、それぞれの領域ごとに特化しっつ全国の高等教育機関を対象
として活動する。いうまでもなく、専門分野別の基準認定は、機関としての大学そのものの認定とは別個独自に行
われる。そして、ある学科が協会による評価の結果基準を満たしていないと判定されても、それは当の学科のみに
関わることで、直ちに大学全体に影響が及ぶものではない。現在連邦教育省のリストに掲げられている認証単位と
︵Psych010gy︶、美術∴丁ザイン
︵ArtandDesign︶、鍼灸・東洋医学︵AcupuコCtureandOrienta−Medicine︶、
しての専門分野は全部で四六ある。その中には、法︵Law︶、葬送サービス︵Funera−Serくice︶、経営︵Business︶、
心理
整体学︵ChirOpraCtic︶、社会教育︵COntiコuingEducatiOn︶、キリスト教教育︵ChristianEducatiOn︶、ダンス︵Dance︶、
歯学・歯科技工︵Denta−andDenta−Au邑︼iaryPrOgraヨS︶、医療サービス管理学︵Hea−thSerくicesAdministratiOn︶、
︵Nursing︶、麻酔看護学
︵NurseAnesthesia︶、神学
︵↓heO−Ogy︶
といったものがある。
高度教養教育︵Libera−EducatiOn︶、医学︵Medicine︶、医用放射線技術︵Nu︹−earMediciコeTechコ○−Ogy︶、看護
学
いずれにせよ、大学を設立しようとするものは、まず自分の大学が属する地域の機関認証団体に申請して、その
検証を受けなければならない。この検証は、設立の時だけではなく、その後も定期的に受ける必要がある。既にみ
たように、連邦教育省は適格団体認定制度を通じて高等教育に一定の影響力を有している。しかし、大学と連邦政
府との間に民間団体である認証協会が入ることによって、教育省といえども大学に対していわば所轄省庁として直
接的で広範な統制を加えることはできないようになっている。また、州立大学の場合、州は大学を設置することは
できるが、それが大学として受け入れられるか否かは、その地域を管轄する認証協会の判断にゆだねられる。
である。各認証協会は、大学による教育活動の質を判定するために必要な判定基準を開発
認証協会による認証の眼目は、あくまでも大学およびその個々の活動に対して行われる、非政府機関による同輩
評価︵peereくa−uatiOコ︶
五一
1)5Z
開 法(53
五l一
を満たしている
してきており、大学がそれらの基準を満たしているかどうかを評価する。ただ、それは評価を受ける大学があくま
でも高等教育機関として要求される基準 ︵それは時代や政策的議論の動向とともに変化しうるが︶
か否かに関わるもので、基準以上の点にまで踏み込んで大学のレベルを判定し、大学相互間の比較を通じて序列を
つけるものではない点に留意しなければならない。これは、後に述べる転学制度︵transfer︶を理解する上でも重要
なポイントである。なお、詳しい適格認証手続きについては、教育省高等教育局のホームページを参照されたい。
この後者の側面は、当の大学だけでなく様々なアクターにもメ
さて、このような認証制度は、認証機関による評価を受ける大学に不断の改善努力を科すものであるが、同時に
それは大学の信用を保証する役割も果たしているゥ
リットをもたらす。まず、高等教育分野に投資を行おうとする公私のフ7ンドは、適格認証制度によって投資判断
の基準を得ることができる。また、連邦政府も、高等教育機関に公費助成を行おうとする場合、助成対象を選ぶ基
準をこの認証制度に求めることができる。また、大学そのものだけでなく、そこで行われる個々の教育活動も評価
し、基準に照らして不十分な点があれば理由を付して勧告することによって、教職員全体が具体的な基準を念頭に
置きながら教育内容の改善と認証を受けるための準備作業に創造性を持って参加することができる。最後に、転学
申請に際して学生が提出する在籍校での取得単位が、受け入れ大学の単位として認定できるか否かを判断する根拠
を与えてくれる。送り出し側も受け入れ側も、同じ認証団体による基準認証をパスしていれば、取得単位は同じ基
準に則って出されたものとして互換性があると判断されるのである。もっとも、認証団体が異なる場合には、認証
基準の同一性が厳密には保証されないから、その場合には必ずしも単位の互換性があるとは見なされない。
〓ニー大学の設置主体と法人格
州立大学の場合には、その設置主体が州にあることは自明である。設立後も、州知事は、州代表として州立大学
53 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
理事会
︵BOardOfRegeコtS︶
理事の大部分を任命するシステムをとっているところもある。知事の任命によらない
場合には、州議会、あるいはその州の有権者が選挙を通じて委月を選ぶ。その場合、委員選出の単位は下院議月の
選挙区と同じであることが多い。いずれにせよ、州立人学の最高決定機関には主権者である州有権者の意志が何ら
かの形で反映される仕組みとなっているのである。ただ、州立大学は一旦設立されると法人格を持ち、大幅な自治
権を有することになるので、州政府・議会といえども自由に大学をコントロールすることはできない。
これに対して、私立大学の場合には、もちろん州政府は直接その設立に関わるわけではない。しかし、その設置
を最終的に許可するかどうかは州立法部の権限である。すなわち、大学をつくろうと思う民間団体は、そのために
州から設置許可状︵Charter︶をもらわなければならないのである。これは自治体を設置する場合と同様で、これに
よって設立される機関は法人格を獲得する︵incOrpOrated︶。これは、企業として営利を目指す大学でも同様である
︵アメリカには少数ながらそのような大学がある︶。当然ながら、一旦法人格を取得した以上、その私立大学は州法
︵高等教育委月会を通じた州による大学監督については、渡部、二〇〇〇、八−九頁を参照︶。
に従っている限り州当局の介入を受けることはない。私立大学は自分自身の統治機関によって自らを律するのであ
る
二二二 授与学位別にみた大学の数と種類
︵非常
アメリカでは大学は一大産業である。それは、質の高い専門家や勤労者を市場に供給し、アメリカ産業の糧であ
る研究開発の基盤を形成しているからだけではなく、二九〇万人に上る教職月を雇用しているからでもある
勤職員を含む︶。全国数育統計センター︵NCES﹀NatiOna−CenterOfEd亡CatiOna−Statistics︶
を得ているこの二九〇万人のうち、四四パーセントが教月およびティーチング・アシスタント、六パーセントが管
理部門の職員︵日本でいえば学長・副学長や事務局長、部長など︶、l八パーセントが研究員や司書、コンピュータ
五三
によると、大学で職
岡 法(53−1)54
五四
−技術者など教月以外の専門職、三二パーセントが一般事務職や保守部員、警備員といった非専門職である。
また、常勤・非常勤の別では、四年制の学士課程を持つ公立大学では全教職員の七〇パーセント、四年制の私立
︵大学院生が担うティーチング・アシスタントは除く︶、四年制公
大学では七一パーセントが常勤であるのに対し、二年制のコミュニティ■カレッジでは常勤率が五〇パーセントと
低くなっている。これを教員だけに限ってみると
︵N
立大学の場合、七三パーセントが専任で、残り二七パーセントが非常勤である。これに対して四年制の私学では、
専任教員の割合は五九パーセントに下がり、コミュニティ・カレッジでは逆に六五パーセントが非常勤である
CESホームページ︶。なお、アメリカではどこかの大学の専任教員が自分の大学で教えるかたわら別の大学でも非
︵修士号のみの人も含む︶
か、弁護士や民間技術者などの専門家
常勤講師としていくつかの講義を担当するというような日本的慣行はほとんどみられない。非常勤の教員の多くは、
である。
正規のポストに就けなかった研究者や学位保持者
二二ニ・一 力−ネギ一分類と複数キャンパス大学の扱い
さて、アメリカにはどのような種類の大学がいくつあるのだろうか。この間いに戻ろう。前節を受けて、以後大
学とは認証協会による適格性認証をパスしたものだけを意味することとする。そのような大学について、もっとも
信頼すべきデータを提供しているのが、カーネギー教育推進財団︵TheCarコegieFOundatiOnfOrtheAdくaコCement
OfTeaching︶ である。同財団は一九〇六年に議会個別法による特許を受け、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーがそ
の莫大な資産を投じて設立した親財団︵ニューヨークに本部を置くCarnegieCOrpOratiOコ︶から資金を得て、教育
改善、青少年の健全な育成、教育分野での国際協力などの活動を行っている。そして、そのような活動の一環とし
て、アメリカの高等教育に関して数々の専門的な調査を行い、水準の高い分析とデータを公表しているのである。
55 アメリカの入学制庄と法学・政治学教育
特に、大学の分類に関する学術的な調査は一九七〇年代初頭から継続して行われ、アメリカの高等教育研究、およ
び大学評価にとって基礎的な資料とされてきた。ただ、同財団の分類基準は二〇〇〇年からかなり変更されており、
従来からの分類になじんだ人は若干違和感を覚えるかもしれない。
カーネギ1財団の最新調査によると、認証協会によって適格性を認証された全米の大学数は、三、九四二である。
この場合、カウントの単位となるのは、大学の名称ではなく、実質的に独立して研究教育を行っているひとまとま
りの学部・研究所群である。州立大学の場合、それは大学自治の単位でもある。
この点は少々複雑なので、ニューヨーク州立大学︵↓heStateUniくerSityOfNewYOrk、SUNYと略称される︶
を例にとって具体的に説明しよう。ニューヨーク州立大学は、実は単一の大学ではなく、州全体に散らばる、日本
流にいうと六四のキャンパスの総体である。六四キャンパスはいずれも日本ではニューヨーク州立大学00校と表
記されるが、しかし、それらはともすればイメージされがちな単なる分校、あるいは日本のいわゆるたこ足大学の
ような各地に分散したキャンパスなのではなく、それぞれが独立した教育研究体制を持って独自の学位プログラム
を実施している事実上独立した大学である。また、それぞれの学位プログラムも多様で、本部のあるアルバニー︵A−bany︶
校などいくつかの機関は博士号までを出すが、カナダ国境に近いプラツツバーグにあるプラツツバーグ校のように、
︵二年制、後述︶
という風に、その性格も内容も多様である。もちろん、
修士号までを出す地域センター的大学がある一方、日本流にいうと短大を併設する四年制の八つの工科大学、そし
て三〇にのぼるコミュニティ・カレッジ
ニューヨーク州立大学の構成大学としておのおのは相互の連携と一定の共通制度を持ち、それぞれが出す学位や卒
業証書も、形式的にはすべて州立大学機構全体を統括する理事会︵↓rustee︼州知事が任命する一五人の理事と、学
生代表理事一人の、計一六名からなる合議体︶が発行することになっている。また、機構全体を統括する総長︵Chance−10r︶
もいる。しかし、ニューヨーク州立大学という名前のみを冠したキャンパスはどこにもないのである。カーネギー
五五
岡 法(53−1)56
表2−1 カーネギー分類によるアメリカの大学
数 割合(%)
カテゴリー
博士号授与・研究大学(多領域的Extensive)
151
3.8
博士号授与・研究大学(少領域的Intensive)
110
2.8
修士号授与人学Ⅰ
496
12.6
修士号授与大学ⅠⅠ
115
2.9
4
7
1
5
2
4
8
2
7
5
5
2
767
19.5
28
0.7
先住民大学(TribalCollegesandUniversities)
100,0
3,942
合 計
42.3
単科大学(SpecializedInstitutions)
1,669
準学士大学(日本の短大にほぼ相当)
3
学士号授与大学(一般General)
2
学士号授与大学(リベラルア→ツ)
学士号・準学士号授与大学
資料:カーネギー財団ホームページより。
五六
高等教育財団の統計では、従ってニュー
ヨーク州立大学はそれぞれのキャンパス
ごとに一大学として合計﹂ハ四大学と計算
されている。これはまた、大学に対する
アメリカ人の一般的なイメージにも合致
している。
二二ニ・l一研究大学
全米四千近くの大学を、カーネギ1教
育推進財団は表2−−のように分頬して
いる︵財団ホームページ参照︶。この裏で
最初に来るのが、博士号授与・研究中心
大学︵DOCtOraてResearcJUni諾rSities︶
というカテゴリーで、それは二六一校あ
る。その大部分は、カーネギー財団の旧
分類をもとに従来﹁研究大学﹂︵Research
Uni扁rSities︶とされてきたもので、アメ
リカのトップクラスの大学がそこに含ま
れる。現在の分類基準によると、このカ
57 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
テブリ一に入るのは、広範で多様な学士教育プログラム︵日本の大学の課程やコースに相当︶を提供すると同時に、
博士課程レベルの大学院教育に大きな力を注いでいる大学である。そのうち、一五以上の専門領域︵discip−ines︶に
わたって毎年五〇人以上の学生に博士号を出している大学は﹁多領域的﹂というサブカテゴリーに属しており、ハ
ー バード大学やコロンビア大学など、名門中の名門がそこに名を連ねている。本稿が主として取り上げるミシガン
大学とUCバークレ1ももちろんここにはいる。
これに対して、博士号を出す研究領域を複数持つものの、そのような領域が二から一四であるか、毎年の博士号
授与が二〇以上五〇未満という大学はサブカテゴリー﹁小領域﹂に分類される。小領域の博士号授与・研究大学は、
修士課程大学と学士課程大学
である。四年制大学のなかではこの
学部レベルでは多様なコースを用意しているが、大学院レベルでみるとやや小ぶりの人学ということになる。
二二三二三
第二のカテゴリーは、修士課程大学︵Master﹀sCO亡egesandUniくerSities︶
分類に入るものの数が一番多い。ただ、これも二つのサブカテゴリーに分けられている。ひとつは修士課程大学1
で、もうひとつは修士課程大学Hである。このうち、前者は広範な領域にわたる学部レベルのコースを提供し、か
つ三つ以上の学問領域︵discip︼ines︶で修士号を年間四〇以上出している大学である。これに対して、後者は年間の
修士号授与数が二〇から四〇の比較的小規模な大学からなっている。
第三のカテゴリ1にはいるのは、日本風にいうと学十課程大学で、基本的には大学院を持たない大学で、かつ四
年制の学士課程をもっているものである。多くはこぢんまりとしたサイズで、全寮制、ないしは全寮制に近い形態
をとっている大学も少なくない。アメリカにはこのような小規模な大学が各地にたくさんあるが、規模が小さいか
らといって決してマイナーな存在というわけではなく、全国的、あるいは広域的に高い名声を得ているものもたく
五七
1)58
開 法(53
五八
さんある。なお、大学院を持たない大学は通常カレッジと呼ばれ、このカテゴリーになるとユニバーシティという
呼称ほあまり用いられない。もっとも、カレッジのなかには大学院を持つものもあるし、また、大学のなかの学部
その第一は、リベラル
をカレッジと呼ぶこともあるので、そのつどどのような単位がカレッジと呼ばれているのか、注意する必要がある。
それはともかく、このカテゴリーに入る大学はさらに三つのサブカテゴリーに分かれる。
︵gen e r a − ︶
系で、リベラルアーツも重視しているものの、職業準備的
アーツニjbera−arts︶系である。これは、半分以上の学位がリベラルアーツ分野で出される大学で、典型的なリベ
ラルアーツ・カレッジといえる。第二は一般
なコースにも力を入れていて、出す学位の半分以上はりベラル7−ツ以外の分野であるような大学である。近年は
従来型のリベラルアーツ・カレッジが学生を集めやすくするためにそうしたプラグマティックなコースを増やす傾
の学位の方を多く出している大学である。このような学位は、準学士号︵a拐○︹iate㌦degrees︶ や単位取得
向にある。最後に、第三のサブカテゴリーにはいるのは、学上号も出すが、学士レベルより下︵sub・bacca︼aureate
−eくe−︶
証明︵certificates︶などである。あえて日本の制度を用いて表すと、短期大学部と科目等履修コースがメインで、
〓年制の大学と単科大学
それに小規模な四年制の学部やコースがついているような大学だ、といえば、イメージしやすいであろう。
二二ニ・四
第四のカテゴリーは、主として二年制の大学︵AssOCiate、sCO−−eges︶である。ここでは、学士号は出さないか、
例外的に出しても、全学位授与数の一〇パーセント以下である。あとで取り上げるコミュニティ・カレッジがその
典型だが、私立のものも少なくない。学位としては、所定の単位数を取って卒業する学生に準学士号︵assOCiate−sdegree︶
が出されることになるが、このような大学に入る学生には、そこで取得した単位を足がかりに、四年制の大学への
編入︵transfer︶を目指すものや、一定の授業だけを受けることによって単位取得証明書をもらい、職業上の資格に
59 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
つなげようとするも の も 少 な く な い 。
さて、カーネギー分類の五番目に来るのは、単科の大学および教育機関︵Specia−ized
IコStit亡tiOnS︶
れは、独自のキャンパスと運営機構を持ち、通常単一分野でのみ学位を出す高等教育機関である。大学院をもって
である。こ
Law︶、ビジネススクール、工科大学︵Instit亡te
いるものももっていないものもある。具体的には、医科大学︵医科歯科大学を含む︶、歯科大学、神学大学︵TheO−Ogica−
Semiコary︶、看護大学、薬科大学、ロースクール ︵Sch00−Of
Of
TechnO−Ogy︶、工業大学︵Sch00−OfEコgiコeeriコg︶、教育大学、音楽大学︵COコSerくatOry︶などである。もちろん、
先住 民 大 学
同じくスクールといっても、それが大学の一学部を構成している場合には、ここには入らない。
二二ニ・五
そして、最後に来るのはアメリカ先住民大学︵Triba−CO〓egesaコdUコi完rSities︶といわれる二八の機関である。
これら、はアメリカ先住民、いわゆるインディアン諸部族が主としてその居留地︵reser畠tiOnS︶内に設立している
大学である。それらはすべてアメリカインディアン高等教育コンソーシアムのメンバーで、もちろん認証協会によ
る適格認証を受けたものである。先住民のあいだでは、居留地が合衆国憲法の制約を受けないことを利用して、近
年巨大なカジノを設立して大きな収益を上げている部族が増えているが、そうした部族はほぼ例外なくその利益を
部族の福利厚生、なかでも未来を担う青少年の教育に注ぎ込み、奨学金や高等教育の充実に力を入れている。先住
民大学は、主として先住民が自分たちの子弟のために運営する大学である。
従って、この二八大学を差し引いた残りの三、九一四が一般大学ということになる。もっとも、そのなかにも、か
って南部で黒人が公然と差別されていた時代に黒人学生のみを受け入れていた大学で、今でも実質的に黒人大学と
して残っているものが含まれているが、煩唄をさけるために、この点にはこれ以上立ち入らない。本稿が対象とす
五九
1)60
同 法(53
るのは、原則として民族や人種にかかわらず学生を受け入れる一般的な大学である。
二・四一般的な大学分類
二・四・一研究大学と教育中心大学、全国大学と地域大学
︵regiOna−uni諾rSities\cOニeges︶
は含まれない。その意味
である。これは、何らか
と教育中心大学︵tea︹hinguni完rSities︶ の区別、および
カしネギ一分類以外にも、アメリカにはい︿つかの大学分類がある。そのなかでも、大学関係者の間でもっとも
よく言及されるのが、研究大学︵researchuni完rSities︶
全国大学 ︵natiOコa−uni<erSities\cO〓eges︶ と地域大学
の学術的な分類ではないが、高等教育に携わる人々の間で日常的に意識されているという意味で、アメリカの大学
︵cOヨmunityc茎egesやjuniOrCOニegesなど︶
に対する評価に関わる重要な区分である。また、このように区分される大学は四年制の学士課程を持つ大学で、‖
本でいえば短大に相当する二年制の機関
では、逆説的にも四年制と二年制の区分とセットになった分類の仕方でもあるっ結論から言うと、研究者の間にお
ける評価としては研究大学が最も高く、真ん中に位置するのが教育中心大学、一番下に来るのが二年制の大学とい
うことになる。なお、研究大学の研究者たちがteaching uni完rSityという言葉をロにするときしばしば言外に込
められる軽蔑のニュアンスを出すためには、渡部のように文字通り﹁授業大学﹂という訳を使う方が実態をより反
映したものだともいえるが、本稿では中立的な﹁教育中心大学﹂という訳を用いておく︵渡部、五頁︶。
二・四ニー研究大学
研究大学とは、博士課程の大学院を持ち、研究面で高い評価を有する大学である。それは、カーネギー分類で博
士号授与・研究中心大学、特にその広領域サブカテゴリーに属するような大学で、旧分類では研究大学Ⅰと呼ばれ
61アメリカの大学制度と法学・政治学教育
ていた。ハーバード、MIT、スタンフォード、ミシガン、UCバークレー、UCロサンジェルスといった日本で
もその名が知られている有力大学はほとんどこのグループに入り、多様な専門研究分野で国際的な競争力を有して
いる。当然そこに属する研究者は高度の研究能力と実績を要求されると同時に、彼ら自身よりよい地位と研究条件
を目指して激烈な競争を繰り広げている。そして、この競争に勝ち抜いた研究者は、アカデミズムの内外で全国的
な威信を勝ち得ることになる。当然、大学の方もまた、自らの実力と評価を向上させるために、優秀な研究者を集
めようと大きな努力を払う。もちろん、トップクラスの大学はその社会的評価だけで多くの人材を吸収することが
できるが、そのような力を保持するためにはやはり常住不断の戦略的組織的な活動が要求される。また、そこまで
の力がない大学の場合、高額の報酬や寛大な研究条件を提示して他大学から人材を引き抜くことも行われる。
日本では、近年大学教員の教育上の責務や地域社会に対する貢献がにわかに強調されるようになってきた。確か
に、こと教育に関しては、こうしたアメリカの研究大学の世界でもその重要性が常に指摘され、学生による授業評
価も全ての教員に対して行われている。しかし、この授業評価にしたところで、学生からよほどネガティブな評価
を下されたようなケースを別とすれば、こと研究大学に関するかぎり、それが教員の昇任や昇給など人事考課に反
という言葉に象徴されるよ
映されることはまずない、というのが、筆者がこれまでこの間題でインタビューを行ったアメリカの研究者による
一致した答えであった。Pub−ishOrPerish︵研究業績を上げるか、それとも滅びるか︶
うに、大学による教員評価でも、また同じ専門分野の研究者による相互評価でも、ほとんど研究業績だけが評価の
対象とされるのである。また、地域貢献については、州立大学の場合その設置目的からして大学としてはそのよう
な要請に応える〓疋の責務を負っているし、全米州立大学のレポートにみるように、州立大学側も自らの存在と活
動がいかに地域に貢献しているかをアピールしている︵NASULGIC㍍茎−︶。しかし、個々の研究者にそれを要求す
ることは、研究の自由を侵害することだと考、えられている。ある工学系の学科長が筆者に語ったように、地域貢献
六一
開 法(531)62
は﹁純粋にボランティア活動の問題﹂とされているのであり
六二
︵ミシガン大学工学部、オドネル教授、二〇〇二年九
月︶、教育活動同様、教員評価の面では参考程度の意味しか持たないようである。
いずれにせよ、研究大学はどこも研究面で強い競争力を持ち、博士課程のプログラムに力を入れて研究者の育成
にもその力を発拝している。なかには、コロンビア大学のように、学部学生よりも大学院生のほうが多数を占める
ようなところもあるほどである。当然のことながら、そのような研究面での実力は全国的な知名度と結びついてい
る。そして、そのことによって、学士教育課程においても多かれ少なかれアメリカ全土から、あるいは海外からも
優秀な学部学生を惹きつけているのである。特に、私学の有力研究大学の場合には、どのレベルでも全国的なマー
ケットで競争力を持っている。こうした理由から、研究大学は同時に全国大学としても位置づけられるのである。
ただし、ここで研究者という場合、それは民間企業や政府機関の研究者も含んでいることに留意されたい。
二・四二三 教育中心大学
これに対して、教育中心大学の場合には事情が少し複雑である。このジャンルの大学ではどこでも教育に大きな
ウエイトがおかれ、教員には研究上の業績も要求されはするものの、その要求の程度はそれほど厳しくはない。当
然学術研究の面で国際的な競争力を持つ大学はほとんどない︵個々の研究者にはそういう人もいるが︶。ただ、教育
︵誓S.>灯買∽恥きミq短亀Q主
中心大学は、アメリカのなかでは全国的な知名度を持ち、高い学費でも各地から学生を集められるグループと、そ
れぞれの地域に特化して比較的地味な教育活動をするものに分かれている。
この点でわかりやすいのが、ユーエス二てチーズ・アンド・ワールド・リポート
の分類である。同誌のランキングは、学術研究面での各大学の実績を表すものではなく、教育機関として受験生、
およびその親にとっての魅力度を表したものだが、大学人によるの相互評価にかなりのウエイトをおいており、そ
63 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
の意味で研究面と教育面とを総合的に評価するという側面も持っている。いずれにせよ、このランキングはアメリ
カでもっともポピュラーなもので、ランキングの高い大学や学部がそのことをホームページやパンフレットで誇示
することもしばしばみられる。
︵串萎温訂オ加温C註焉∽NむP叫︶
は、四年制の学士課程を
同社は、毎年四年制大学、および博士課程レベルの大学院に関して全米でもっともポピュラーな大学ランキング
を出しているが、その﹁全米大学ランキング二〇〇三﹂
持つ大学を、H博士号を出す全国大学︵NatiOna︼UniくerSities・DOCtOra−︶、日学士号を出すリベラルアーツ大学︵Libera−
の四つに分けている。このうちHが研究大学、残りが教育中心大学に相当するのであるが、
ArtsCO〓eges・Bache︼Or蜜、自修士号を出す大学︵UniくerSities・Master−s︶、佃学士号を出す稔合大学︵COmprehensi完
CO〓eges・Bache−Or史
同誌は、Hの研究大学と、教育中心大学のうち、0については全国的なランキングを掲げ、口と00については地域
別のランキングを掲げている。すなわち、全国大学には研究大学と教育中心大学のなかのりベラルアーツ大学が属
し、地域大学には教育中心大学のうち残りの二カテゴリ1がはいるということになるのである。
二・四・四 リベラルアーツ大学
アメリカに独特の大学であるリベラルアーツ大学は、学士教育に特化した四年制の大学である。ほとんどは私立
で、少人数の学生にきめ細かな教育や課外相談などの各種サービスを行っている。全寮制︵BOardingSch00︼s︶を
とっているところも多い。有名校になると志願者が全国から集まってきて競争率も高くなるが、一般的には授業料
が非常に高い ︵日本円にして年間三二〇万円から三五〇万円のところが多く、さらに一〇〇万円近くの寮費がかか
る大学も少なくない︶ ので、上・中流家庭の子女向けとなっている。典型的なりベラルアーツ大学では、提供され
る教育プログラムは特定職業との結びつきを意識しない、学問中心のものばかりである。日本にはなじみのないタ
六三
岡 法(53−1)64
︵AヨherstCO〓ege︶
を例にとってその姿を瞥見してみようじ
六川
イブの大学なので、ご︰∽.>村喜ゝS箪叫cQ扉ね邑C已∼馬m∽がこの分野で総合評価全米ナンバーワンにランクしたア
マースト大学
アマースト大学は、ボストンの西一四〇キロメートルの風光明媚な田園・森林地域に位置し、一八〇年の歴史を
誇る名門大学である。アメリカではどこでもそうであるように、入学時には申し込み料約一万円の他には特に入学
金というようなものはないが、授業料は三四〇万円、これに寮費約九〇万円がかかる。全寮制の共学・非宗教系大
学で、学生数は一学年わずか四〇〇人ほど、常勤の教員数は一九四人というこぢんまりとした規模である。学生た
ちは学期中時間の大半をキャンパスで過ごし、少人数のクラスで講義を受ける。また、教職員との密度の濃い接触
を通じて、人格的な陶冶も受ける。提供されるのは全てリベラルアーツの科目だけで、二年次の終わりか三年にな
を目指すものも多く、卒業後五年以内に
ると、表2−2に掲げる学科のいずれか一つを自分の専攻分野︵majOr︶として選択し、その分野の授業を集中的に
マスタIする。そして、首尾よく卒業すると大学院 ︵もちろん他大学の︶
八〇%がどこかの大学院に進学している。
アマースト大学では、提供される教育分野がリベラルアーツ大学の古典的な姿を今に留めているが、かなりの大
がそのよい例である。同大学は一七九五年
学が職業直結型の学科を設けるようになっていることも事実である。たとえば、ニューヨークから北へおよそ二〇
〇キロ、州都・アルバニー市郊外にあるユニオン大学︵UniOnCO〓ege︶
Of
Engineering︶を設置したことでも知られている。同学科は、今日では工学・コンピューター科
創立という長い歴史をもち、中堅の男女共学・非宗教系リベラルアーツ・カレッジであるが、全米で初めて工学科
︵Uepartment
学科として発展的に再編され、大学全体を通じたコンピューター・リテラシー水準の向上にも貢献している。また、
近隣のアルバニー・ロースクールと提携して、三年制のロースクール進学課程も設けている。ただ、同時に指摘し
ておかなければならないのは、そのような美学的部門を有しているにもかかわらず、同大学は今も自らをリベラル
65 アメリカの大学別度と法学・政治学教育
表2−2 アマースト大学における学科制
アメリカ研究学科
歴史学科
人類学・社会学学科
法待・法学・社会思想学科
アジア言語文化学科
数学・コンビつ」▼一→ター科学科
天文学科
音楽科
生物学科
神経科学科
化学科
哲学科
古典学科
身体教育・運動学科
経済学科
政治学科
英語学科
心理学科
ヨーロッパ研究学科
宗教学科
美術学科
ロシア語学科
地学科
スペイン語学科
演劇・ダンス学葎斗
ドイツ語学科
女性学・ジェンダー研究学科
資料:アマースト大学ホームページより。
アーツ・カレッジとして位置づけ、ご∵舛Lく簑≡
和一さミ札知隠宅二一仙による大学ランキング
ではリベラルアーツ部門の三八位にその名
を見出すことができる、という事実も留意
されるべきである。
いずれにせよ、リベラルアーツ大学の力
点は教育にあり、教員には小規模大学の特
性を活かして学生の学習意欲を向仁させ、
同時に学習技能、初歩的な調香研究スキル
の滴養にあたることが期待される。従って、
教員の評価はまずもって教育上の貢献につ
いて行われ、学生の授業評価も重視される。
もちろん、だからといって研究業績が不問
に付されるわけではないし、教員になるた
めにはPh.Dの取得、ないし取得見込みが
なければならないが、研究大学における
Pub訝hOrPerishというような苛烈な業績
主義が働くわけではない。そのため、優れ
た資質を持った教員が少なくないにもかか
六五
1)66
同 法(53
わらず、研究者の≠界ではリベラルアーツ大学の評価は必ずしも高くはないっ
六六
逆に、厳しい競争から来るストレス
を嫌って、一流の研究大学でPFDをとったにもかかわらず進んでリベラルアーツ・カレッジを志願する研究者も
︵宮田、一九九一、川本、二〇〇こ。また、りベラルアーツ・カレッジはときにユ
少なくないといわれる。なお、アメリカのリベラルアーツ・カレッジについては、宮田、川本らによる報告がその
具体的な姿をよく伝えてくれる
地域型教育中心大学
ニバーシティと名乗っていることもある。歯由の報告はそうした大学からのものである。
二・四・五
教育中心大学のなかでリベラルアーツ・カレソジが全国的な認知とマーケットを有しているのに対して、同じく
教育中心ながら、それぞれの地域における比較的狭いマーケットに対して高等教育というサービスを供給している
大学がある。その一つは学士課程の上に修士課程のみの大学院を持つタイプで、もう一つは学士課程のみのタイプ
である。前者はカーネギー分類では修士大学Ⅰ、Hに相当し、仁山.>村琶h恥−吉ミ軋如単三による大学ランキン
グ誌でも修士大学︵UniくerSities・P︷aster立と呼ばれている。後者は、カーネギー分類の学士課程一般大学︵Bacc巴aure・
と呼ばれている。
ateCO〓eges・Genera−︶に相当し、誓5.き﹀買∽如きミ軋知尽Q温では学士課程総合大学︵COmprehensiくeCO亡eges・
Ba c h e − O r 立
修士大学は一般に中規模の大学で、通常様々な分野の学部を有していると同時に、修士課程においては主として
専門職や準専門職を目指す学生の教育を通じて地域に人材を供給している。なかには例外的にドクターコースを持
に面したマーケ
っているものもあるが、そこで授与される博士号はきわめて少数である。こ二では、修士大学のイメージをつかみ
︵五大湖のなかで最北最大の湖︶
やすくするために、ノースミシガン大学の例をみておこう。
ノースミシガン大学は、ミシガン州最北端近く、スペリオル湖
67 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
︵球技・運動施設︶
を持つことで知られている。学部学生の数は七、七〇〇人ほど、専任教月
ット︵Marquette−人口二万t一千人︶にある州立大学である。林業地帯の中心にあることから、木造では世界最大と
いわれる巨大なドーム
L.Cister
CO〓ege
Of
Business︶、技術・応用科学学部︵COコege
数は二九五人である。同大学は、リベラルアーツ学部︵CO〓egeOfArtsandScieコCe︶、専門職業学部︵COニegeOf
PrOfessiOコa−Studies︶、経営学部︵Wa芹er
から構成されている。
TechnO−OgyandApp−iedScieコCe︶の四学部と、これら四学部を母胎とする修士課程の大学院︵COニegeOfGrad亡ate
StudiesaコdResearch︶
四つの学部のうち、リベラルアーツ学部やビジネス学部の学科構成は他の大学とさほど変わらない。専門職業学
部は、臨床検査︵Clinica−LabOratOryScience︶学科、対人コミュニケーション障害︵COヨm亡nicatiOnDisOrders︶
学科、警察︵Criminaこustice︶学科、教育︵EducatiOn︶学科、運動■保健・スポーツ︵︻iea−th㌔hysica︼EducatiOコ
andRecreatiOn︶学科、看護︵Nursing︶学科、手術補佐看護︵Practica−Nursiコg︶学科、軍事科学︵Mi−itaryScieコCe︶
︵SOCiO−OgyaコdSOCia−WOrk︶
学科の九学科一センターからなっている。また、工学・応用科学
学科、算数・数学・理科教育センター︵G︼enコ↓.SeabOrgCenter﹀ミシガン州数学・理科教育共同利用施設︶、社
会学・社会福祉
部は、航空工学︵AくiatiOコ︶、電子工学︵E−ectrOコics︶、家政︵COコSumerandFaヨi−yStudies︶、産業技術︵Ⅰコdustria−
↓echnO−Ogy︶の四学科で学士号や準学士号、様々な技術資格証明書︵certificates︶を出すと共に、土木工学、調理・
接客技術、自動車整備などの部門でも資格取得のためのコースを設けている。
に力点を置いた大
このようにみてみると、ノースミシガン大学は、地域の人材養成センターとして、リベラルアーツ教育を行う一
方、様々なレベルの技術者や準専門職資格をターゲットとする職業教育︵くOCatiOコa〓rainiコg︶
学だといえるU当然予想されるように、そこにはすでに社会人として職業生活を送る人々のためのリカレント教育、
資格・技能向上プログラムも用意されている。また、技術・応用科学学部は部分的にコミュニティーカレッジとし
六七
Of
岡 法(53−1)68
ても機能している。
以上のような概観からうかがえるように、ノースミシガン大学は人口希薄で産業基盤が弱い北部ミシガン州にお
いて地域振興と人材養成の中心的な機能を果たしているものの、大学の世界では地味な存在にとどまっている。そ
のため、一学年終了時点で学業をやめるか他大学に転学するものの割合が三一パーセントにのぼる。また、この大
︵一般大学︶
でも同様にみられる。総
学に入学してそのまま勉学を続け、卒業するものはわずか三九パーセントにすぎない。地域型大学の宿命といえよ
、︹ノ
修土大学みられる以上のような特色は、四年制の学士課程のみの総合大学
合大学も様々な分野における教育を提供するが、力点は多かれ少なかれ準専門職や技術職につながっていく職業教
育におかれている。この点が同じく四年間の学士教育だけを提供するリベラルアーツ大学との大きな違いである。
もちろん、上述したように、リベラルアーツ大学のなかにもユニオン大学のように技術系の学科を設け、あるいは
︵M.A.やM.Sし
である。
職業教育を行うものもあるが、総合大学と違って力点はあくまでリベラルアーツ教育にあり、そこで授与される学
位も大部分、少なくとも過半はこの分野のもの
総合大学の概要については、修士大学の学部レベルの姿と重なるので、省略する。ただ、私立のリベラルアーツ
大学があえて小規模校にとどまることを選び、その規模に比して屑の厚い教授陣による教育をセールスポイントと
するのに対して、総合大学の場合には学習環境がそれほど良好とはいえない場合が多いということは指摘しておい
てよいだろう、。たとえば、ミシガン州中部の自動車産業都市・フリントにあるベーカー・カレッジは、授業こそ一
︵adj亡nCtprOfessOrS︶
でまかなっている。しかも、その数少ない専任教員のうち、
クラスあたり五〇人以下の人数で行っているが、四、四〇〇人もの学生を抱えながら専任教員はわずか二三人で、あ
とは一五四人に上る非常勤講師
Ph.Dないし﹁L.D.などそれに相当する専門職学位を有している人はわずか三人しかいない。これはハーバード
69 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
やミシガンなどアメリカの研究大学を見慣れているものにとっては信じられないほど少ない数である。要するに、
一口にアメリカの人学といっても質・量ともさまぎまなのであり、その中で総合大学は底辺に近い部分を支えてい
編入制度
編入制度とコミュニティ・カレッジ
るといってよいだろう。
二・五
ニ,五・一
日本では比較的最近まで、一旦どこかの大学に入学したあと途中でよその大学に移るためには、もう一度入学試
験を受け宙す必要があった。それどころか、同じ大学のなかでの転学部、転学科すら認めていない大学が多かった。
が制度として確立しており、
これはどちらも近年制限が緩められてはきているが、それでもまだ、よその大学に移るには三年次編入試験を受け
る方法ぐらいしか用意されていない。ところが、アメリカの場合には編入︵transfer︶
しかも学期の変わり目ならどの年次でも転学−編入をすることができるようになっている。編入が認められれば、
前の大学で取った単位のうち受け入れ先大学が認めたものは互換性があると認定されてその大学での卒業要件に算
入される。このような条件があるので、アメリカでは毎年かなりの学生が短大から四年制大学へ、あるいは四年制
終了時点で行うことが多く、特にコミュニティ・カレッジか
︵正確に言うと、それまでに取った単位が互換可能と認定されて
︵sOphOヨOre︶
大学から他の四年制大学へと移っていくのである
初めて編入が認められる︶。
このような転学・編入は大学二年次
ら同じ州内の四年制大学に移るのがその典型的なケースである。その場合、四年制大学の側では編入生の受け入れ
を学生選抜システムのなかに制度化し、それを軸として周囲のコミュニティ・カレッジと学生の受け入れ・送り出
しの協定を結んでいることが多い。しかし、学生のなかにはそのような典型的なコースをとらず、一年︵freshヨan﹀
六九
同 法(53−1)70
表2−3 最初に入学した大学の種類別転学者割合と転学先(1995年度、%)
1回目の転学先
公立 私立非営 私立営利
4年制へ利4年制へ 4年制へ
駒の人学
9
5
6
2
7
8
0
3
1
1
1
1
PO
1
0
1
4
7
4
3
3
7
3
0
4
3
l
4
4
0
1
1
公立4年制大学から
l
7
7
つJ
ロU
私立営利大学から
0
8
nブ
私立非営利人草から
リー
1
l
公立短大から(2)
(1)その他の機関とは、神学校や陸軍士官学校など特定分野の高等教育機関
である。
(2)公立短大の大部分はコミュニティ・カレッジのことであるが、工科短大
や私立のジュニア・カレッジ、あるいは3年生と4年生の上級2年のみと
いう一部の短大も含んでいる。
資料:連邦教育省ホームページより。
七〇
終了時点でその大学に見切りをつけ、自分が望
むレベルの大学に移っていくものも増えている。
こうなると、どれくらいの割合の新入生が一年
次終了時点でよそに移らず引さ続き二年次に進
は、学生からみたその大学の評価を
むのかを表す新入生歩留まり率︵freshmanreten・
tiOnrate︶
表す明確な指標とLて大学のランクや経営に大
きな影響を与えることになる。また、一回の転
学では終わらず、毎年のように転学を繰り返す
大学渡り鳥学生︵uniくerSityhOpPerS︶と呼ばれ
るものすら少なくない。転学者の数は七〇年代
頃から増え続け、今日では最初に入った大学と
卒業する大学が違うという学生は全体の約半数
を占めているといわれる程にまでなっている。
ただ、転学に当たっては日本のような編入試
験こそないものの、編入学審査は厳重である。
すなわち、編入申請をする一人一人の学生につ
いて、もとの大学における成績や履修科目が受
け入れ先の基準を満たしているかチェックされ
71アメリカの大学制度と法学・政治学教育
やシラバスを提出させ、詳細にわたって審査﹂し、﹁大学によっては入
る。日米教育委員会の留学案内によると、﹁受け入れ大学は、大学カタログに記載されているコース概要のみならず、
各科目の詳しい記述︵cO亡rSedescriptiOn︶
学させてから、一学期目の成績も参考にして最終的に単位の認定を決定する場合﹂もあるという︵同委月会ホーム
ページ︶。従って、転学−編入を安易に考えることはできないが、それでも多くの大学がこの制度を積極的に位置づ
け、比較的大きな編入枠を用意していることも事実である。特に、州立のコミュニティ・カレッジから同じく州立
の四年制大学への転学は、確立された経路として多くの学生によって利用されている。そこで、次にアメリカに独
コミュニティ・カレッジ
特なこの草の根高等教育機関を概観しょう。
二・五・こ
全米コミュニティ・カレッジ協会︵AACC﹀AmericanAssOCiatiOnOfCOmm与ityCO−−eges︶ によると、アメリ
カには公立のものが九九二校、私立のものが一四八校、先住民諸部族によって運営されるものが三一校の、合計一、
一七一校のコミュニティ・カレッジが存在する。これら各校に在籍する学生は一千万人あまりにのぼり、その半分
強が単位取得を目的とし、半分弱は資格取得や教養講座的関心からコミュニティ・カレッジに通っている。興味深
パートタイムの学生とは、週に二日とか三日という風に、限られた時間だけ大学に来
いのは、社会で何らかの職業生活を送るかたわらパートタイムの学生として勉学するものが全学生の六三パーセン
トを占めていることである、∪
て、自分が必要とする単位だけを取る学生のことで、四年制大学にもある程度存在する。別に夜間部の学生という
わけではない。逆に、日本の正規生に相当するフルタイムの学生は、コミュニティ・カレッジの世界ではわずか三
七パーセントに過ぎない。それでも、高校を卒業して大学に進むもののうち、実に四五パーセントはこのコミュニ
ティ・カレッジに進学する ︵AACCホームページ︶。
七一
1)72
岡 法(53
コミュニティ・カレッジは、一般にその教員に修士の資格までしか要求しない
七二
︵Ph.D.を持った教員がいないと
いう意味ではない︶。近くの研究大学の大学院生が非常勤として教えている場合も少なくない。そのことは、コミュ
ニティ・カレッジがほとんどもっぱら教育機関としてとらえられており、研究面は重視されていない、ということ
︵または彼女︶
は厳しい研究競争に耐え
を示している′∪ コミュニティ・カレッジがしばしば﹁成果を出せない研究者が落ちていく最底辺﹂と椰揺されたり
博士号を持ちながらコミュニティ・カレッジで教えている人に対して、﹁彼
られなかったんだ﹂というような陰口がたたかれたりするのは、こういう理由による。
いずれにせよ、コミュニティ・カレッジでは教員評価はほとんどもっぱら教育上の貢献で判定される。しかし、
教育上の評価は学術上の評価と比べてその客観性を確保することははるかに困難である。従って、勢い評価は学生
による授業評価にほとんどもっぱら依拠することになってしまう。日本でも話題になったピーター・サックスによ
︵サックス、二〇〇〇︶。
る体験的報告は、テニャー︵終身身分保障︶ が与えられる前の教員に対して、自己中心的で攻撃的な学生による教
員評価が専制的な影響力を及ぼしている実態を、臨場感あふれる筆致で伝えている
しかし、そうはいっても、その数の多さからうかがえるように、コミュニティ・カレッジはアメリカ全土に散ら
ばっており、身近な教育機関として人々に親しまれている。多くの学生は自宅から車や公共交通機関で通っており、
学生寮が整っている四年制大学とは大きな遠いを見せている︵四年制大学で学寮を持たないものもあるが︶。高校を
卒業したあとまずはコミュニティ・カレッジに入ろうとする学生が四五パーセントに上るのも、とりあえずは自宅
から通学できるという地理的条件が大きい。学費が安いのも魅力で、全米コミュニティ・カレッジ協会のデータで
は、平均値は一、五二八ドル、日本円になおして約一八万円である。これは、州立大学の五分の二、私立四年制大学
の二〇分の一ほどでしかない。四年制大学を目指す多くの学生がとりあえず自宅近く、あるいは職場近くのコミュ
ニティ・カレッジに進学し、そのあと編入制度を利用して転学していくのはこうした理由による。そして、コミユ
73 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
︵CO〓egeOftheSiskiyOuS︶
のパンフレットからみ
ニティ・カレッジの側も、学生たちのそうした転学ニーズに応じた教育プログラムを組んでいるのである。次に、
そのあたりの事情をシスキュス地域・コミュニティ・カレッジ
てみよう。
シスキュス地域・コミュニティ・カレッジはカリフォルニア州立で、サンフランシスコの北四七〇キロ、オレゴ
ン州との州境近くのウィードにある二年制大学である。近くには標高四、三一七メートル、真夏でも雪をいただくシ
と誇らしげに述べているが、
あ
ャスタ山がそび、え立ち、山と湖と森林に覆われたシャスタ山国立公園が一帯に広がっている。パンフレットの目頭
で、同カレッジは﹁世界でもっとも美しいコミュニティ・カレッジの一つである﹂
たりの景観と、それに調和するよう設計された建築群は、まさに言伝に偽りがないことを示している。コミュニテ
であり、もう一つは﹁もっと高等教育を受けたいと思う人へ﹂である。
へのスムーズな移行
ィ・カレッジが高等教育システムの最底辺に位置するといっても、ここではキャンパス景観の公共的、環境的価値
が十分意識されているのである。
を目指す人へ﹂
それはともかく、大学の中心的宣伝文句は、一つには﹁高校から四年制大学︵亡niくerSities︶
︵cOmfOrtab−etransitiOn︶
このふたつは、今日におけるコミュニティ・カレッジの基本的性格をよく表している。すなわち、前者は、編入学
制度を目指す学生へのアピールであり、後者は他のコミュニティ・カレッジからの転学希望者や、大学生括を中断
︵fu−−y
していたり働きながら非正規生としてとして少しずつ単位を積み上げたりしている人たちへの呼びかけであるり
次に、パンフレットは、同校が西地区認証協会によって一九九八年から六年間の完全認証を受けている
accredited︶ことを強調したあと、提供する教育プログラムを列挙している。それは、日大部分の専攻を対象とする
取得コース、画様々な職業分野
︵召CatiOna−areas︶
における資格取得証明書
︵certificates
︵transfereduca︷iOn︶、日四年制大学で要求される一般教育︵genera−ed亡CatiOn︶、日リベラルアーツ準
︵assOCiate︶
編入教育
学士
七三
Of
1)74
開 法(53
コース、内大学進学準備コース
七四
︵cO−−egepreparatOryaコdskiコ
︵Se軍imprO扁me已andLeis亡reActiくitiesCO亡rSeS︶、川南オレゴン大
cOmp訂tiOn︶ 、 ㈲ 社 会 教 育 ︵ c O n t i n 亡 i n g e d 亡 C a t i O n ︶
cOurSe︶、栂健康づくり・余暇活動コース
など、隣の州の四
学およびオレゴン工科大学との州間交流プログラム、の八つである。特に、州境に近いということで、車で北へ約
九〇分のところにある南オレゴン大学 ︵岡山大学の提携校、岡山大学夏期現地語学研修実施校︶
年生大学への編入を協定にもとづいて確保しているところが注目される。
この大学では、こうした多様なプログラムの他に、カウンセリング、障害学生支援、転学・就職支援センタI、
託児所、学習支援、留学生支援、経済的困難学生支援、個人指導などの幅広いサービスを行っている。しかも、教
月一人あたりの正規学生数は一五人、一クラス当たり平均学生数は一五から二五という少人数クラスでの授業を提
供している。 コミュニティ・カレッジといっても、その内答はかなり充実しているのである。
二二ハ 大学の格付け
二二ハ・一 大学ランキング
近年、日本でも、束大を頂点とする伝統的な大学の序列付けに代わって、学生の就職状況、高校の進路担当者た
ちのあいだにおける評価、所属教員が書いた論文の被引用度、といった多様な観点から大学の評価を行い、それに
もとづく大学ランキングを行おうとする試みが一般化しっつある。しかし、それで大学間の伝統的な序列が人々の
意識から消え去っていく明確な兆候は見られず、たとえば旧帝大とそれ以外の国立大学とのあいだにある格差ほ主
観的のみならず客観的にも決して縮小しているとはいえない。これに対して、様々な大学ランキングが早くから行
しかし、そのt方で、アイビー・り1グといわれる束
われ、日本のそれのお手本とされたアメリカでは、大学間の競争は激しく、タイムスパンを少し長くとってみれば、
その序列にもある程度の変化がみられることは確かである∩
75 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
部の名門校は依然として社会における高い評価を維持し、特にハーバード大学の名がしばしば大学間序列の頂点そ
のものを意味するものとして受け取られていることは、西海岸における私立の名門・スタンフォード大学が﹁西の
ハーバード﹂と形容されることからもうかがい知れよう。
この節では、日本でもその名が知られているようなアメリカの大学がどのようにランク付けされているのか、評
価はどのような基準・方法にもとづいて行われているのかを、これまでも何度か言及してきた︻ト巨㌧爵さ㌘塗説一さヽ乾
︵graduatesch00−︶
のものとに分けて発表されているので、まず前者からみてみよう。
による相互評価だけを載せてある。
が
知尽Q温誌による大学ランキングでみてみよう︵二〇〇三年度版︶。同誌のランキングは学部レベル︵undergraduate︶
のものと大学院レベル
二二八ニー大学ランキングにおける評価項目
表2−4は、そのうち博士課程を持つ大学、すなわち研究大学の部門における学士教育のランキング上位一〇校
︵各大学の学長や学部長、入試担当者など︶
である。簡略化のため、表には各大学の総合得点、一六の評価項目のうち新入生歩留まり率など数項目、および、
大学関係者
最初に評価の方法について簡単に述べておこう。同誌は、まず六つのカテゴリー、計一六の項目ごとに各大学の
データを集め、それぞれの項目の数値を点数化したうえで重要度に応じてウエイトを付すという作業を行う。他方
で、各大学の学部長や入試担当者四千人あまりに質問紙を送って、一つ一つの大学に一点から五点までの評価付け
をしてもらったうえで、回答者から寄せられた各大学に対する評点の平均を出す。ついで、このピア・エヴァリュ
︵一〇〇点満点︶
エーション点は一〇〇点満点のうち二五点分を構成するようにウエイト付けされる。そして最後に、このウエイト
のついた評点が先の一六項目に関してはじき出された点数と足しあわされて、各大学の総合点
算出されるのである。結局、総合点を導く指標は七カテゴリー一七項目ということになる。
七五
岡 法(53−1)76
表2−4 2003年度・学・上課程ベスト15の研究大学
(U∴∫」Ⅳ由∽㍉射貼l柏γ/dβゆ0γf誌)
順位
大 学 名
1 70リンストン
2 ノ、−−バード
イエール
総合 大学人相 新人生歩 学生/教 高枚上イ立 合輔 車叢生
・万二 互評価(2)留まり率 貝比率 成績者(3)率… 寄付宰
100
92% 12%
64%
8対1
4.9
96%
91% 11%
47%
4.9
9と主%
7対1
90% 14%
45%
93
93
MIT
93
スタンフす−ド
93
ーヾンシルバニア
93
9 ダートマス
10 コロンビア
ワシントン(セントルイス)
6対1
98
デューク
12 シカゴ
98%
98
4 カリフオルニア工ヤト
ノースウェスタン
4.9
4.7
95%
3対1
97% 15%
38%
97%
8対1
97% 26%
46%
4▼9
98%
7対1
90% 17%
39%
4.9
98%
7対1
89% 13%
39%
4.5
97%
7対1
89% 22%
41%
87
4.4
96%
9対1
87% 23%
49%
86
4.6
98%
7対1
92% 12%
32%
4,6
86
4.4
96%
7対1
94% 34%
3n%
85
4.7
94%
7刈1
95% 44%
29%
85
4.1
14 コ…ネル
84
4.6
15 ジョンズ・ポ70キンズ
96%
7対】
96% 13対1
98% 27%
37%
R3
」.6
ライス
83
4.2
20 UCバ【クレー川
78
4.8
95% 16対1
99% 25% 17%
23 バージニア=)
76
4.3
97% 16対1
82% 38%
72
川ンガンミ 52
UCロサンジェルス(1)
72
4.5
4.3
B(5)南部の州立人(‖
2.4
B15)南部の私立人
2.1
96ワ云 9対1
別)% 23% 41%
96%
6対1
95% 15対1
97% 17対1
6とi%
60%
93% 34% 289‘
89% 23%
36%
29%
69% 52% 14%
97% 27% 12%
15% 94%
6%
13%100%
6ヲ云
(1)州立大学(それ以外は全て私立大学)。
(2)各評価者(学長や入試相当者など〕は各人学にゼロから5.0までの点をイ寸ける。
(3)高校での成績が学年で上位10ヲ6以内だった一子牛の割合。
用 人学志願者の合格率。
(5)u5.」鮎川ノ∫&l柏γJ〟βゆ0γ仁誌は、研究大会を総合点に従/〕て第】グループ(Tjerl)から第4グループ
しTier4)に分けLrいる。この表で順イ山二8かついているのは、そのうち最下位(Bot[om)の第4グルpブ
からピックアップLノた大学である。このグループになると順イ立と総合点は示されておらず,教員一一・・人あたり
の学生数も衷にはでていない、また、かなりの大学ではいくつかの評価項目に関するデ【タが欠落している。
77 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
というカテゴリーが来る。これは、既に述べた一年次生歩留まり率と、入学した学
でほ、大学人によるピア・エヴァリュエーション以外の評価項目にはどういうものがあるのだろうか。第一に、
学生の歩留まり率︵retentiOn︶
生が六年間以内で卒業する割合︵si㌍yeargraduatiOnrate︶の二つの項目からなっている。途中で転学してしまう
学生やドロップアップしてしまう学生が多いということは、その大学が提供する教育サービスに学生が不満を持っ
ていることを示していると考えられているのである。ただ、四年での卒業率ではなく、六年での卒業率を用いるの
は、学業不振や病気その他の理由で卒業要件単位の充足に時間がかかる学生がでることはどこでも避けられず ︵ア
メリカには留年や休学といった制度はない︶、こうした学生は別段教育に不満というわけではないからである︵二つ
というカテゴリーである。このカテゴリーに関する基本的な考え方
の項目の間では、六年間卒業率が一年次生歩留まり率の四倍のウエイトが与えられている。
次に来るのは教員資源︵facu−tyresOurCeS︶
は、教員とのコンタクトに学生が満足できるかどうかは学習意欲や歩留まり率に影響を与えるというものである。
そのため、一クラス二〇人以下の少人数クラスの割合、マスプロ教育の割合、教員の給与水準︵いい教員を集める
ために人件費を十分収っているか︶、教員一人あたりの学生数、非常勤講師割合などが評価の対象となる。
学生のレベル︵studentse−ecti<ity︶も重要とされる。なぜなら、大学の教育研究は学生の能力や学習意欲によっ
てかなり左右されるからである。こうして、入学した学生の大学入学標準テスト︵SATとACT︶、高校での成績
︵学年で上位一〇パーセント以内という成績優秀者の割合︶、学生選抜における競争率︵acceptancerate−日本流に
いうと合棉率に相当︶、合格者歩留まり率︵yie声入学を認められたもののうち、実際に入学したものの割合︶。この
合格者歩留まり率がカウントされるというのは、アメリカでは受験生は普通数枚から多い場合には一〇校近くの大
学に入学願書を出し、入学を認められた大学のなかから最もよいと思う大学を選んで進学していくので、競争率と
並んでこの歩留まり率が各大学の魅力度を表していると考えられるからである。ただし、このカテゴリーに属する
七七
開 法(53、1)78
七八
項目のなかでは、大学入学標準テストの成績が最も大きなウエイトを与えられていることは指摘Lておかなければ
ならないだろう。
第四のカテゴリーは、財政資源︵financia−resOurCeS︶である。これは、大学が財政的にどれだけ手をかけている
かを見るもので、大学全体、研究、学生サービス、そして教育面での支出額を学生一人あたりの数値であらわした
ものである。財政面のデータとしては、収入面のデータも考えられるが、この﹁入り﹂のカテゴリーとしては、卒
業生寄付率︵a︼umnigiエコgrate︶があげられている。これは、日本人から見ると奇妙な印象を与えるものであるが、
アメリカ的な文脈では合理的な考え方にもとづいている。それを理解するには、アメリカでは卒業生が母校に寄付
を行うということはかなり一般的に見られる行為で、大学もそうした卒業生からの寄付を増やそうとあれこれ知恵
を絞っているということを理解しなければならないっ アメリカでは非営利的な活動に対する寄付行為が広く受け人
れられており、大学に対する寄付もそのようないわば文化的文脈から理解できる面があるとしても、やはり母校で
の学生生活に満足を覚えた卒業生が多いほど寄付も集まりやすい、ということは十分想像できる。従って、卒業生
のなかで寄付をした人の割合が多い大学は、学生に対してよりよいサービスを提供している大学だ、という推定を
︵graduatiOnrateperfOrmanCe︶
と
と呼ばれるものである。このカテゴリーで
行うことがある程度可能になるのである。この指標が大学評価に取り入れられた理由はこういうところにある。
最後のカテゴリーは﹁卒業率業績﹂
である。これ
︵predicted彗aduatiOnrate︶
はまず二つの指標が計上される。第一は、一九九五年度入学生の卒業率︵入学後六年間でみている︶
は単純なデータであるが、第二のものはかなり復姓である。それは、卒業予測値
呼ばれるもので、SAT成績などで算出された入学時点での学生たちの平均的な学力水準や大学が支出する学生一
人あたりの支出といった教育努力に関するデータなどを独自に加工して指標化し、それにもとづいて九五年に入学
した学生がどの︿らいの割合でその大学を卒業できるかを予測したものである。そして、この予測値よりも実際の
79 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
卒業割合が大きいほどその大学の教育効果は大きいと判断し、逆に実際の卒業率の方が低いほど、それだけ教育効
果が低いと判断するのである。
e︰∽.旨喜よ二亭鼓知音ミ誌のこうした評価基準とその組み合わせは、よく考えられてはいるものの、必ず
しも学問的に十分練り上げられたものとはいえないかも知れない。また、それは教育面でのランキングを目的とし
たもので、研究面でのランキングは一見関心のらち外におかれているように見える。しかし、同誌が取り上げる大
学評価項目はアメリカにおいて社会が大学のどのような側面に注目しているかをよく表しているし、研究面の評価
についても、ピア・エヴァリュエーションを通じてある程度判断が示されていると考えることができるだろう。実
際、同誌が掲げる博士課程をもつ大学群の中の上位校は、いずれも研究面でも高い名声を得ている大学ばかりであ
り、教育面の評価と研究面の評価の連動性をよく示している。もちろん、本稿では省略したリベラルアーツ系の大
学部レベルでの大学ランキング
学についてはそのかぎりではない。
二・六・三
さて、方法論についてはそのくらいにして、ここで表2−4をみると、日本でいう学部レベルでは、上位一〇校
はすべて私立大学で占められていることがわかる。州立大学では、もっとも順位が高いカリフォルニア大学バーク
レー校でもやっと二〇位である。これはどういうことを意味するのであろうか。まず考えなければならないのは、
学部レベルでみた学生数の違いで、このレベルでは私立有力校の規模はかなり小さく、リベラルアーツ・カレッジ
を少し大きくしたほどでしかない。たとえば第一位のプリンストン大学の場合、学部学生︵undergraduatestudents︶
の数は四、七〇〇人ほど、ハーバード大学では約六、六〇〇人である。これに対して、一般に有力私学の大学院生数
はとても多く、ハーバードでは学部学生の三倍、約一八、000人を数える。プリンストンの大学院生数は﹁七〇
七九
1)80
同 法(53
八〇
〇人ほどと少ないが、同大学のホームページも述べているように、学部学生の方が多いというのはこのクラスの大
学では例外的︵⊂コuSuaニである。この他の主な大学では、スタンフォード大学で学部学生六、七〇〇人に対して大
学院生七、六〇〇人、シカゴ大学では学部学生四、一〇〇人に対して大学院生八、九〇〇人などとなっている。上位の
私学は、大学院レベルの研究者、専門職業人の育成、それに高度の研究活動にウエイトを置いているのであるっ
これに対して、州立大学はかなり違った姿を見せている。教育の面では、州立大学に与えられた第一の使命はそ
また、同じ州内の州立大学の間でもランキングや学生
の州の家庭に比較的安い授業料で広く高等教育の機会を提供することである。もちろん、他州からの学生も受け入
れているが、授業料が州民子弟の場合の何倍も徴収されるっ
の水準に大きな格差がある。ただ、そうしたことを別にすれば、学部教育のレベルでは州立大学は基本的にその州
実際、州立大学はいずこも巨大な大学となっており、学生数も非常に多い。
UCバークレーでは
における大衆教育機関であるといってよいのである。このことは、学部学生の数が私学と比べて圧倒的に多いこと
に示されているり
学部学生数二二こ000、大学院生数八、八〇〇、ミシガン大学では学部学生数二四、三〇〇、大学院生数一一、四C
O、UCロサンジェルスでは、学部学生数二五、三〇〇、大学院生数八、二〇〇などとなっている。
このように多数の学生を入学させるとなると、当然学生の学力にはばらつきがでてくる。例えば、入学志願者の
競争率は一般的には州立大学の方が低くなる。また、合格者のSATやACTの平均点も下がる。さらに、教員一
人あたりの学生数も有名私学と比べてかなり多くなる。マスプロ教育の割合も大きい。そして、これらは全て大学
ランキングを導き出すための評価項目なのである。私立大学の方が公立大学よりも高くランクされる傾向はこうし
て生み出される。
8t アメリカの大学制度と法学・政治学教育
二・六・四
大学院レベルでの大学ランキング
これに対して、州民サービスという負荷を追わなくてよい大学院レベルでは、州立大学も有力私学と互角の競争
力をもちうる。表2−−亡コはアメリカのロースクールに関するランキングであるが、第一五位までに州立大学が三枚
顔を出しているし、二五位までになるともっとその割合が多くなる。逆に、全部で一八〇校ほどあるロースクール
のなかの最下位グループにでてくるのはほとんどが私立大学で、州立はほとんど見当たらない。すなわち、私学間
の格差の方が、州立大学問、あるいは私学と州立との間の格差よりも大きいのである。
ただし、政治学や数学のようないわば学術研究系に属する大学院教育の場合には、志望する学生も少なく、収益
性についても考えようがないから、中小の私学が乗り出してくる可能性はほとんどない。従って、ロースクールや
ビジネススクールほどには大学間格差が大きくはならない。表2−6は政治学の分野における大学院ランキングで
ある。ここでの評価はもっばら同じ分野の大学関係者による、いわゆるピア・エヴァリュエーションにもとづいて
いる。政治学でほ、上位一五位まで一七校のうち半数の八校が州立大学である。
表2−7はその他の分野の上位校である。みてのとおり、ハーバードやプリンストン、MITなどの有力私学、
ミシガンやUCバークレーなどの有力州立大はいずれも多くの分野でいわば常連のように顔を出している。しかし、
注意すべきはむしろ、分野ごとに大学の順位はかなり違っているし、全ての分野で上位一〇校に入っている大学は
一つもない、ということである。また、同じ分野であっても、例えば政治学内の比較政治、アメリカ政治、国際政
治といった下位分野ごとにランキングをみるとさらに大学の顔ぶれは多様になるし、そもそもここに掲げた表には
限られた分野の順位しか掲げていないということも指摘されなければならない。こうしてみると、アメリカには、
全ての分野でほぼ同一のランキングがみられる、という日本のような単純で強固な大学間格差は存在せず、どの分
野でも少しずつ実力や得手・不得手を違えた有力大学が並び立ち、それに続く大学も、単線的な序列付けなどは受
八一
岡 法(53−1)82
表2−5 2003年度ロースクール・トソプテン
順位
大 学 名
総合 相互 法曹実務 合格 学生/教 司法試験 州平均
蕉 評価(2)家の評価(3)韓川 日比率 合格率(5) 合格率
100 4.8
1 イエール
2 スタンフォード
3 ハーバー
ド
93 4,8
92 4.8
4 コロンビア
90 4.7
5 ニューヨ∽ク
88 4.5
6 シカゴ
85 4.7
占3 J.6
川ンガンシミ 7
ペンシルバニア
4.7 7.1%
7.5
4.8 9.1% 12.6
4.6 Zl.4% 14.0
4.316.4% 13.0
9 バージニア(1)
82 4.4
4.5 22.3% 13.9
10 コーネル
81 4.2
12 デューク
ノースウェスタン
14 ジョージタウン
81 ヰ.5
80 4.2
80 4.2
79 4.2
4.411.5% 18.9
89,7%/CA
76 4.2
4,120.9ヲ占 16.4
1.2 36.4% 17.5
2.6 45.3% 17.6
76%
郎%
93.0%/NY
95.3%/IL
4,417.8% 15.9
一 1.2
2.2
73%
96./4%′/NY
4.3 ZD.5% 12.9
B(8)フロリダ州の某私学
一
76%
76%
88,3%/VA
15 テキサス・オースナン
川立州某の州リーズミ)6(B
76%
83%
89.7%/NY
95.9%/NY
4.219.2% 1P.9
1.217.4% 12.3
76%
76%
95.5%/NY
錮,4%ノIL
76%
66%
95.5%/NY
93.2%/NY
4.418.4% 11.4
4.716.1% 10.8
83 4.3
UCバークレー川
92,4%/CA
4.812.6% 13.0
4.614.5% 13.2
97.9%./NY
76%
83%
98,6%′/NY
91,0%/TX
56.0%/FL
67,6%/MO
76%
鋸ヲ6
79%
80%
(1)州立大学。そのほかはすべて私立大学。
(2)ロースクールの学部長などがゼロから5.0の間で相子ナニに評価。
(3)弁頑上や裁判官による各ロ スクールの評価 =〕点から5.nの間です)。
刷 ロースクール志願者の合格率。
(5)卒業時宜で各州の司法試験に合偏した割合′,注意しなけrLばならないグ)は、上位校の場合、大学所在
地の州での合格率ではなく、こ1.−−ヨ∴ク州やカリフオルニア州とし一った司法試験鞭瀾州の合格者割合
を示す。これに対して、下位接の場合には、その人苧かある州の合楕老割合が示きれている。NYはニ
ューヨーク州、CAはカリ7ォルニ7’州、ILはイリ/イ州、VAはバー ジニ7州、TXはテキサス州、
FLはフロリグ州、MOはミズーり州。最後の「州平均合格率」における州はその前の列に出てくる州
と同じ。
(6)ユーエス・ニュースは、U」一スクールについても総合・一山こ従って第1グル【プ(Tierl)から第4グ
ルーrプ(Tier4)に分けている。この表で脂位にBがついているのは、そのうち最下位(Bottom)の第
4グループからピック7、ソ7Jした大学のローースクールである。このグルー7」になると、順位と総合点は
示されていない。
八
83 アメリカの人草制度と法学・政治学教育
表2−6 2003年度大学院・政治学部門のトンプテン
順位
1
2
大 学
名
ハーバード
ミシガン■
UCバークレー*
スタンフォード
5
イエール
6 プリンストン
7
UCサンディエゴ■
8
デーユー
ク
UCロサンジェルスホ
シカゴ
11 コロンビア
MIT
ロチェスター
ウィスコンシン*
15 オハイオ州立■
ミネソタ■
ノースカロライナ書
*州立大学。そのほかはすべて私立。
八
評価スコア平均値
同 法(53−1)別
表2−7 そのほかの部門における大学院上位15校
・、
=、
l ハー→バド
プリンストン
イユル
2 スタンフィト
MIT
7.タンノ′」−ド
ペンシルサ7二7
■− −・
ノ\バ・ト
ハバド
ノ」ンズ・ボブキンズ スタンフォド
t7シンしン・セントルイ1
スタン7寸卜
3
−
UCパーク′−−
しJClコサンジェルス
j
d MIT
、
Uビバークレ
ノスウ⊥スタン
デ▼【ク
コロンピ7
ペンン′し−77二7
・γ7二・ダーーピルト
J■ア】_手、⊥
6
7
三シカン
コロンビア
tフCサ/フラン ノスコ ペンシルけァニフ■
デ⊥−グ
UC′、クレー
lr
H
サウス・カーコラ1‘十
ミシカ■ン
7、タニ∴71−「
9
シカゴ
tJ(ノロサンノエルス
ウィ スコンシン
ハ子J
テキサメ、・オースチン
1rl グー▼トマス
コ・一本ル
ノ,スウェスタン
イ1−几
ノコンて・ポ701ンオ
リイ1」ンシン
カネギノロン
11 サ7−1ソニア
コ木ル
しcサンディエコ
コーネル
⊥土二乙ヱ
ーくイラー方レリソ
12 ニ11−−∃・ク
ノースカロライナ
ペンシハーフアニ丁
ンナカシミ i:1
子キサてA&M
トI U「ロサンソJルス
テキサ1・オー、スナン
UCuサンシェルス
ニューヨ、ク
■■プァ/ダビルド
′ ・・・
テ⊥−−ク
ノース「′ェ:こタン
〃7一ノーー■
ナi㌧下線の人′れま州\L その他はすペて私証r
ウィ ∴=ンノン
三シザン州立
85 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
け付けない、それぞれの個性と自己主張を有しているのだといえるだろう。日本の人学改革が見習うべき点の一つ
大学の組織と財政
︵事実 上 の 国 立 ︶
とでは大きく異なる。私立の場合、少数ながら存
は、アメリカの大学界におけるこのような多様性そのものではないだろうか。
第三章
三・一統治機関
三・一・一私立大学の統治機関
アメリカでも、大学の統治機関は私立と州立
在する営利を目的とした大学の場合には、おそらく株式会社と同様の組織形態をとっているのだろうが、通常の非
が統治機関である。この理事会のメンバーは、通常その一部に卒業生代表など大学関係者によって選ば
営利型私立大学の場合には、株主や州政府といった別のアクターから制約を受けない理事会︵BOardと呼ばれるこ
とが多い︶
れる理事を含んでいるが、その大部分は辞任・死去などによって理事が欠けた際に理事会自身が欠月を補充する。
すなわち、私立大学の理事会とは基本的に自己充足的な団体であり、各州の法律と監督機関以外には、選挙、任命、
その他の方式によって他から制約を受けることがない、文字通りの自治機関である。
この点について、名門中の名門私学・ハーバード大学の例をみてみよう。ハーバードの統治機関はやや特殊で、
いわば二院制となっているが、同大学の組織図では両院はひとまとめにして表示されているので、両者を併せれば
一般私学と同じ形だと考えてよいだろう。どちらの機関とも、学部卒か大学院修了かを問わず、卒業生のなかの有
力者がメンバーとなっている。二つの理事会のうち、一つは七人の理事からなる大学法人妻月会︵Har畠rdCOrpOratiOn︶
である。これは通常﹁学長およびハーバード・カレッジのフェロー︵thePresidentandFeニOWSOfHaヨardCO−−ege︶﹂
八五
同 法(53¶1)86
八六
と呼ばれている。その通称の通り、七人の理事のうち一人は学長が就任し、残りの六人は各界の有力者によって占
められる。現在は連邦政府の元財務長官や大企業の役員、有名シンクタンクの理事などで、サマーズ現学長自身ク
と呼ばれ、任期六年の理事三〇人からなる。こちらの理事にも各界の有力者
リントン政権の財務長官だった。法人委員会理事の補充は委月会自身が行う。これに対して、もう一つの理事会は
監督者理事会︵BOardOfOくerSeerS︶
が多いが、全員が同窓会︵エarくardA−umniAssOCiatiOn︶の選挙で選ばれるという点で大学法人妻月会と違ってい
る。もっとも、大学法人委員会のメンバーも、その選任に当たっては監督者理事会の同意を得ることが要件となっ
ているのだが。ここで注意すべきは、どちらの理事会でも現職の教職員は排除されているということである。
理事会を議会にたとえるなら、大学法人委員会が上院に、監督者理事会が下院に相当するが、実質的に大学の最
高意志決定機関として機能するのは前者の方である。大学法人妻月会は大学経営の日常的経営に当たり、主要数職
員人事その他の教学上、管理上の重要事項はすべてその承認を得なければならない。監督者理事会の方は、その名
が示すように、大学の学術教育活動を最高レベルに保つため、各学部や学科、その他の部局の現況を把握して問題
点の指摘と助言活動を行う。また、大学法人委員会が行う重要な決定に対して助言と承認を行う。なお、学長は大
学法人委月会によって任命されるが、同時にそのメンバーの一人でもあることかう非常に強い権限とリーダ1・シ
ップを持ち、教員個々人に対しても時に直接指導勧告を行う。もちろん、各学部・学科の教授会は人事や研究・教
育の面で自治権を持っているから、実際の大学運営は学良が独裁的に行えるわけではない。特に研究教育面では学
長が教授会に介入することはまずない。これは他の私学でも同様である。しかし、学長は理事会を統率する立場に
あるため、一般的にいえば、そのり−ダーシツプは円本の大学などと比べるとかなり強いといってよいだろう。
87 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
三・一ニー州立大 学 の 統 治 機 関
州立大学の場合でも、最高決定機関は大学理事会である。理事会は大学によって呼び方が異なり、カリフォルニ
ア大学など多︿の州立大学では︵heBOardOfRegentsと呼ばれるが、アラバマ州など、いくつかの州の州立大学
においてはtheBOardOfTrusteesと呼ばれる。また、ミシガン州では、全米トップクラスの研究大学であるミシ
ガン大学の場合にはtheBOardOfReagentsが、地域の教育大学で、すぐ近くの町にあるウェイン州立大学Wayne
StateUni完rSityの場合にはtheBOardOfGOくerコOrSが最高機関であると州憲法で定められている。名称は違っ
ても、いずれも基本的には同じ役割を果たす機関なので、本稿ではすべて埋事会と訳している次第である。
この理事会は、設置者である州を代表して大学の運営を司っており、そのため、理事は州議会の任命によるか、
あるいは有権者によって選挙で選ばれる場合が多い。カリフォルニア州のように、一部は議会の任命、一部は州知
事や州議会議長、州の教育長などが当て職として自動的に就任するという形をとっているところもある。理事が選
挙で選ばれる州では、議会選挙など通常選挙に際して投票が行われ、理事候補者はほとんどの場合民主党か共和党
の公認を得て出馬する。また、任命による理事のなかには、学生代表理事や同窓会代表理事を入れることになって
いる州も多い。
理事会は、最高決定機関として、学長の任命権のほか、大学の一般的運営方針や財政政策、さらには研究教育政
策の決定権を有している。教員の採用、昇進の発令権を有しているのも理事会である。従って、重要な決定に関し
ては必ず理事会の承認を得ることが要件となっているわけである。一般的にどの州でも理事は無給であるう、え、理
事たちは大学に常駐しているわけではなく、月に一度か二度理事会を開いて大学側が用意した案件を審議するとい
うのが主たる活動形態であるから、大学運営の細部にタッチすることはそれほど多くはない。タッチする場合でも、
それは利害関係者と直接の、あるいは学長などを通じた間接的な交渉を通じて双方の調整をはかっていくという形
八七
岡 法(53−1)88
八八
をとるのが普通である。従って、最高決定機関とはいっても、日常的には他の多くの機関や組織と権限を分かち合
っているというのが本当のところであろう。第二早で述べたように、実際の統治権は共有されているのである。
ただ、大学の基本方針策定や学長の選任といったいくつかの重要な全学事項については、やはり最高決定機関と
しての理事会が大きな影響力を持っていることを忘れてはならない。たとえばミシガン大学は、全米で大きな論争
を巻き起こした入学者選抜におけるアファーマティブアクション問題であくまでも黒人などマイノリティへの優遇
策をとる方針を貫き、これを不当として白人受験生が起こした裁判では二〇〇三年六月、ついに連邦最高裁判決で
事実上の勝訴を勝ち取った。ここで同大学がそのような方針を貫き通せたのは、理事会の構成がアファーマティブ
アクションに好意的な民主党理事を多数派としていたためで、これに消極的な共和党理事が多数を占めていたなら
大学が当初の方針を貫くことは困難だった。実際、ブッシュ政権は保守派の判事が多いといわれる最高裁に大学側
の主張を退けるよう意見書を提出しており、理事会の構成いかんによっては大学の方針が一八〇度変わっていた可
能性があるのである 。
ただし、州立大学では、教月団の代表や学生団体の代表が理事会の会議に陪席する権利を持っている場合が多い。
そのため、理事会が大学の様々な構成月の意向に真っ向から反するような政策を強行することは、現実問題として
非常に難しい。そのようなことをすれば、場合によっては学生による反対運動を招くかもしれず、教月が組合化︵uniOnized︶
されている場合には、ストライキを引き起こして講義がストップする事態も予想される。理事会は法的には強大な
権限を持ってはいるが、それはいってみれば伝家の宝刀のようなもので、四六時中発動されるようなものではない
のである。
89 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
三ニー執行部
三二丁一輪長と学長
大学で執行機関の頂点に位置するのはいうまでもなく学長である。学長は、大学の運営における実務上の革帯責
任者であるだけでなく、理事会から大きな権限を委任されており、学長が学部長など重要役職の選任に決定的な役
割を果たしている大学も少なくない。ただ、今日では学長の実質的な役割は対外的なものであり、大学の顔として
広報、対連邦・州政府関係、同窓会との関係、寄付金集めなどの面で中心的な役割を果たしている。そのため、学
長の権限は日常的には大部分あとで触れるプロヴォストに委任されているとみてよい。
ところで、多くの州では、州立大学がいくつかの独立したキャンパスの連合体という形をとっているため、外国
人からみると学長が連合体全体を代表するのか、それとも各キヤンパスだけを代表するのかがわかりにくい。この
ように連合体方式をとっている場合には、州立大学機構全体を統括する総長と、各キャンパスを代表する学長がそ
れぞれ任命される。学長と総長の呼び方は若干ミスリーディングで、カリフォルニア州では九校からなるカリフォ
ルニア大学連合体の総長がチャンセラー︵ChanceニOr︶、バークレー校やロサンジェルス校など各キヤンパスの学長
がプレジデント︵President︶とよばれており、これは六四校からなるニューヨーク州立大学機構、二校からなる
テキサス州立大学機構などでも同様である。これに対して、三枚からなるミシガン大学の場合には、アナーバーに
あるメインキャンパスの学長がいわば連合体の総長をかねる形でプレジデントとよばれ、他の二枚の学長はチャン
セラーと呼ばれている。また、四校からなるミネソタ大学機構、一三の四年制大学と一三一の短期大学とからなる
ウィスコンシン大学機構などでは、機構全体の長がプレジデント、各校の長がチャンセラーとよばれている。要す
るに、プレジデントとチャンセラーの意味上の区別はあまりないようなのである。本稿では、どちらの用語が用い
られているかにかかわらず、州立大学機構全体の長を指す場合には総長という言葉を、キャンパスごとの長の場合
八九
同 法(53【1)90
には学長という言葉 を 用 い て お く 。
︵研究大 学 の 連 合 体 ︶
のほかに、カリフォルニア州立大学機構
︵教育中心大学の連合体︶
九〇
と州立コミュ
なお、州立大学機構は一つの州に複数存在する場合がある。たとえばカリフォルニア州には上述のカリフォルニ
ア大学機構
ニティ・カレッジ機構とがあって、三つの連合体にはそれぞれ稔長がおかれている。これに対してミシガン州では、
一つの研究大学と二つの教育中心大学からなるミシガン大学機構があり、上で述べたように研究中心のアナーバー
キャンパスには同キャンパスの学長を兼ねる大学機構総長がおかれ、他の二つのキャンパスにはそれぞれ学長がお
かれている。しかも、ミシガン州にはこの他に研究中心大学であるミシガン州立大学︵MichiganStateUni完rSity︶
と州立の大学でそれぞれの地名を冠した二の教育中心大学がある。そして、これら全部で一五の州立大学がコン
ソーシアムを組んで協力しあっているという複雑な構造になっている。その例のひとつが滋賀県におかれたミシガ
ン州立大学連合日本センターである。これは、同州の州立大学コンソーシアムと州政府、それに滋賀県が共同で彦
根市に設置したもので、相互交流や州立大学学生の研修などを行っている。ちなみに、彦根市に同センターが置か
学長の 選 任 と そ の 役 割
れたのは、ともに大きな湖を有する、ミシガン州と滋賀県が姉妹関係を結んでいるからである。
三二丁〓
学長は一般に大学理事会によって任命される。私学の場合には、ハーバードについてみたように、退任予定の学
長も含めた理事会が同窓会代表機関の同意を得て次の学長を選ぶケースが多いようである。学長には、研究者とし
ての〓疋の経験を持つ人のなかから人選が行われるのが普通である。サマーズ現ハーバード大学学長も、連邦政府
の財務長官からの横滑りが話題になったが、彼はハーバードで博士号をとり、MITでも教鞭をとったことのある
経済学者として出発していたのである。このように自校関係者から学長を選ぶというのは有力私学に共通した傾向
91アメリカの大学制度と法学・政治学教育
のようで、コロンビア大学のボウリンガー学長は同大学ロースクールの卒業生、イエール大学のレヴィン学長は同
大学大学院で学位を取った人、そして西の名門スタンフォード大学のヘネシー学長は、学部・大学院とも他枚の出
身ながら、同大学で二〇年以上電気工学部門の教鞭をとり、プロヴォストもつとめた人である。
他方、州立大学の学長、および総長の場合にも、通常理事会がこれを選任する。その際、カリフォルニア大学機
構の理事会のように、学長または総長が当て職として自動的に理事会に参加している場合には退任予定学長も後任
の選出に関与することになるが、理事が選挙で選ばれる州など多くの場合には、退任予定者が後任の選出に関与す
ることはフォーマルなレベルでは考えられない。ただ、学長の選考は通常公募方式のもとでその大学の選考委月会
によって行われ、この委月会には学内各方面から委員が選ばれてくるので、州政府関係者であれ理事会であれ、あ
るいは退任していく学長であれ、委員以外の者は人事方針に影響を与えることはできても、具体的な人選そのもの
を決定するというにはならない。州立大学における学長選考過程については、渡部の著書に詳しく述べられている
︵渡部、二〇〇〇、 一 二 一 三 頁 ︶ 。
それはともかく、州立大学の学長の場合には、私立大学のように自校出身者を優先するという傾向はほとんど見
られない。もちろん、自校出身者を排除することが原則になっているというわけではなく、名門州立大学の一つ・
ウィスコンシン大学マジソン校のウィレイ学長のように生え抜きといってよいような人もいるにはいるが、それは
たまたま当該の人が適任と考えられたというだけの話しである。一般に学長に選ばれる人は、当初研究者として出
︵後述︶
を歴任したのち、どこかの大学の学長に抜擢され、さ
発しながら、大学の行政や経営に才能を発揮してそちらの分野にシフトしていった人たちである。そして、あちこ
ちの大学で学部長や 副 学 長 、 さ ら に は プ ロ ヴ ォ ス ト
らにそこで業績を上げると有力大学に引き抜かれる、といった経歴をたどる。ミシガン大学のコールマン学長はそ
の典型である。
九一
岡 法(53−1)92
九二
彼女は、グリネル大学で化学の学士号を、ノースカロライナ大学で生化学部門の博士号を待た後、ノースカロラ
に昇進し、さらに大学院および学術研究担当副学長に進んだ。こうして母校のノースカロラ
イナ大学で一九年間教鞭をとるかたわら、同大学のがんセンタ1所長を務めた。その後同大学のプロヴォスト代理
︵assOCiat e p r O く O S t ︶
に就任した。この地位は大学執行部でナンバーツーに位
イナ大学で三年間管理職への道を歩んだ後、今度はニューメキシコ大学に転じてそこのプロヴォスト兼学術担当副
学長︵prOくOStandまcepresidentfOraCademicaffairs︶
置する。ここで業績を上げると、彼女は次にアイオワ大学の学長に招かれ、その地位に七年間とどまった。そして
二〇〇一年、ミシガ ン 大 学 の 第 一 三 代 学 長 に 就 任 し た の で あ る 。
このようにみてくると、アメリカの大学では、学長は学問上の業績やその大学における人望といった理由が主と
なって選ばれるのではなく、大学経営上の手腕や見識、リーダーシップによって選ばれていることが分かる。ただ、
経営上の手腕といっても、ごく一部にある営利目的の大学を除けば、それはあくまでも研究教育機関としての大学
が有している特性と本来の役割に即したものが要求されることはいうまでもない。そのことは、多くの場合、学長
たちが研究者としての経歴を持ち、アカデミックな世界を実体験にもとづいて理解している人びとであることから
うかがい知れよう。もっとも、研究教育機関としての大学が発展していくためには外部から寄付金など多くの資金
を獲得することも重要で、学長選考がそのような力のある人物を重視して行われることも珍しいことではないのだ
が。
さて、日本では、国立大学の独立法人化に当たって学長のリーダーシップによる迅速で能率的な大学運営を実現
すべきだという主張が政治家やジャーナリスト、そして大学世界の一部からも声高に主張された。そのような主張
の背景には、おそらくアメリカでは学長が強力なり−ダーシツプを発揮してトップダウン的に大学を運営している
というイメージがあるのであろう。実際、アメリカのいろいろな大学の歴史をひもとけば、そのなかにはリーダー
93 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
シップを発揮してその大学の拡大や教学システムの改革に大きな足跡を残した名学長の名前が必ずといってよいほ
ど見いだされる。
しかしながら、逆説的に聞こえるかも知れないが、学長が強力なリーダーシップを発揮する機会はそれほど多︿
はないからこそ、大学史や校内の建物に若干名の、そして若干名だけの学長の名前が残る、というのが真相なので
ある。大学理事会のところで述べたように、アメリカの大学は高度に分権化されており、さまぎまな組織や機関が
それなりの自律性や自治権を持って集まっている。学長は独任制の機関としてそのなかでも中心的な役割を果たし
うることにはなっているが、それでも全体をつかねて方向性を与えていく仕事は容易ではないし、まして完全なト
ップダウンで大学を動かせるほどの権限をもっているわけではない。そもそもトップの地位に強大な権限がはじめ
から約束されているのなら、何もその地位につく人にリーダーシップの能力がある必要などないのである。それは、
アメリカの連邦政府の 状 況 に 非 常 に 似 て い る と い え る 。
アメリカ政府は、直接選挙による大統領制という一見きわめて強大な政治指導機関を有しているように見えなが
ら、実際には厳格な三権分立と議会や行政府の内部自体における意思決定点の分散という多元的な政府機構がとら
れているために、その大統領は自らのポリシーを実現するためにはさまざまなアクターと不断に交渉し、利害関係
者を説得し、味方を増やす努力をしなければならない。それ.と同様に、学長も理事会や全学評議会、学部やその他
の部局、学生団体、同窓会、等々、大学社会を構成するさまざまな利害関係者と交渉し、説得し、あるいは脅迫し、
協力と同意を取り付けながら大学を導いていくのである。比喩的に言うなら、大統領も学長も、権力関係の中心に
位置してはいるかも知れないが、頂点に位置しているわけではないのである。
そのように、学長といえどもいつもトップダウンで大学を動かしているわけではないということを確認した上で、
学長の一般的な役割についてみておこう。まず学長に期待されるのは、大学の日常的な運営の指揮監督である。理
九三
同 法(53−1)94
九用
事会が定めた一般的な方針の実現に努め、大学の状況を理事会に報告することも仕事の一つである。そして、上述
のように学内外のさまぎまな関係者と協議・交渉をしながら大学組織の円滑な運行に努めることが求められる。し
かし、今日学長に最も期待されているのはそうした仕事ではなく、実は寄付金集め︵fuコd・raising︶である。いかに
非営利目的の寄付を行う伝統が強いアメリカであっても、座っていてたくさんの寄付金が集まるはずがない。学長
︵ACE−N喜−﹀pJO︶。日本では国立大学の法人化にお
は、大学の顔として同窓会や企業、諸団体を回り、寄付集めに精を出しているのである。そして、寄付金集めとい
う学長の役割は、今 日 ﹁ ま す ま す そ の 重 要 度 を 増 し て い る ﹂
︵すなわち州立︶
大学でも、あるいは一部にあるニューヨーク市立
いて学長のリーダーシップ強化ということが叫ばれているが、明示的にせよ暗黙のうちにせよ、改革のお手本と考
、ろられてきたアメリ カ で は 、 私 立 大 学 で も 国 立
大学のような公立大学であっても、学長の最も重要な役割がファンド・レイジングだという事実はきちんと認識さ
プロ ヴ オ ス ト お よ び 副 学 長
れてしかるべきであ る 。
三・二二二
寄付集めに忙しい学長に代わって、研究教育という大学の中心機能に関して事実上最高責任者として機能するの
︵まcepresidentまたはまcechance≡Or︶
の一人というので
はプロヴォスト︵PrOくOSt︶である。このプロヴォストという役職は日本ではあまりなじみがなく、辞書でも単に副
学長と訳されているこ と が 多 い が 、 あ ま た い る 副 学 長
︵寄付金集 め で ︶
江戸に
︵各地に︶
行っている殿様︵学長︶
に代わって、城︵大学︶
を預かって統括する
はなく、その上位に来る、実務面では事実上の最高責任者である。あえて単純化するなら、プロヴォストとは、参
勤交代で
︵ただし、学部の人事については、手続面や形
国家老のような存在だといえば、ある程度イメージがわくであろう。実際、教員の人事を含めて、研究と教育に関
する大抵のことはこ の プ ロ ヴ ォ ス ト の 裁 可 を 求 め な け れ ば な ら な い
95 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
式的な点がチェックされるだけである︶。しかも、プロヴォストは副学長職の一つを兼任するという形をとっている
大学が多い。たとえば、UCバークレーでは執行副学長兼プロヴォスト︵E莞CutiくeくiceChance〓OrandPrO∃St︶
であり、﹁教育研究面における
となっている。従って、プロヴォストを主席副学長、などと訳すことにも無理がある。あ
となっており、ミシガン大学では逆にプロヴォスト兼学事担当執行副学長︵PrOくOStandE莞CutiくeくicePresident
fOrAcadem i c A f f a i r s ︶
えて訳すとするなら、学事最高責任者とでもなろうか。なお、一部の大学では、プロヴォストの代りにカレッジ・
ディーンなど別の呼 び 名 を 付 し て い る こ と も あ る 。
︵thechiefacademicandbudgetaryOfficerOftheUniくerSity︶﹂
ミシガン大学の教員便覧によると、プロヴォスト兼学事担当執行副学長は﹁大学の研究教育事項と予算事項を統
括する革帯三月任者
︵Assistant
︵AssOCiate Pr〇三StfOr
PrO召St︶、学事・予算担当プロヴォスト
ResOurCeS︶、研究・教月関係事項担当プロヴォスト補佐
Facu−tyAffairs︶、同担当プロヴォスト代理
Human
︵AssOCiate
︵Facu−tyHandb00k−Ch.∽﹀SeCtiOn∽︶。プロヴォストのこのような包
大学全体にわたる諸政策とそれらの間における優先順位を設定するとともに、それらの政策を遂行するための資金
を部局等に割り当てる ﹂ と 説 明 さ れ て い る
and
Of A c a d e m i c
括的職務・権限はもちろん多くの補佐役によって分担されている。教務職員人事担当プロヴォスト補佐
PrOくOSt
Academic
や研究所の所長、附属図書館や附属博物館の館長
︵AssOCiateくicePresidentfOrBudget﹀P−anningandAnヨinistratiOn︶ など
︵DeaコSOfthesch00−sandcOニeges︶
代理、予算・企画・管 理 担 当 副 学 長
である。また、各学部 長
などもプロヴォストに直属する形になっている点が興味深い。ただし、最後の点は主として形式的な上下関係で、
ミシガンのような一流の研究大学における学部自治の原則と抵触するものではない。この点についてはあとで少し
詳しく取り上げる。いずれにせよ、プロヴォスト機構のこのような形態は大学の規模によって多少の違いはあるも
のの、基本的にはど こ で も 大 体 同 じ で あ る 。
九五
岡 法(531)96
九六
なお、ミシガン大学にはプロヴォストの下僚ではなく、学長に直属する副学長も九人いる。それは、主席理財担
︵くicePresidentandGenera−COunSe−︶、
︵くicePresidentfOrDe<e−Op・
GO扁rnment Re訂tiOnS︶、学生生活
︵E莞Cuti≦川くicePresident︶、法務担当副学長
fOr
当官兼任の執行副学長
President
︵≦cePresidentfOrCOヨヨunicatiOn︶、大学振興担当副学長
︵くice
放送・広報担当副学長
ment、寄付金集め な ど を 担 当 ︶ 、 対 政 府 関 係 担 当 副 学 長
担当副学長などである。このうち、放送・広報担当副学長は、一般の広報活動のほか、ミシガン大学が所有する放
送局︵MichigaコRadiO、Michigan↓e−eくisiOn、同大学フリント校から放送、テレビ局やラジオ局をもっている州
立大学は少な︿ない︶を監督し、外部資金担当副学長は、学長の主たる役目である資金獲得活動をサポートすると同
時に、その目的もかねて同窓会に対するサービスを行う。また、対政府関係担当副学長は、連邦や州政府と日常的
︵陳情、圧力活動︶
もその任務としている
︵これは学則に定められた公式の活
にコンタクトをとり、予算や研究助成金などについて大学側の要望を伝、え、情報収集や人脈づくりを行う。また、
連邦や州の議会に対 す る ロ ビ イ ン グ
動である︶。そのため、この副学長が率いる事務部は州都のランシングと首都ワシントンにもオフィスを置いている。
また、州内各地に出先機関を置いて州の有権者や企業、団体に対するサービスを行うと同時に、それを通じて大学
の存在感向上を追求するという役割も担う。さらに、アメリカではしばしば緊張が発生する地元社会との関係︵tOWn・gOWn
re−atiOnShip︶に注意を払うことも重要な任務である。この対政府関係を専門に担う役職は肩書きに遠いはあっても
公立私立を問わず多くの大学に置かれており、ミシガン大学のそれと同様の活動を担っている。外部資金担当職や
対政府関係担当職はアメリカ固有の歴史的文化的要因に根ざすところもあるが、考え方としては日本の大学にも参
考になるであろう。
97 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
lニ・二・日 学部長と学部システム
大学分類のところで述べたように、アメリカの大学も単科大学と総合大学に分けることができる。このうち、総
合大学の場合には、大学︵uni扁rSity︶ はこれまで述べてきた全学統治機構と、それぞれなかば独立した学部・大学
︵Deans︶
は、付属機
院研究科︵Sch00−sandCO〓eges︶、および研究所、図書館、博物館などの付属機関などからなる。アメリカの大学
の場合注意しなければならないのは、こうした学部・研究科の長、すなわち学部長・研究科長
関の長などと共に執行機関と位置づけられていることである。従って、日本の大学における学部長のように選挙で
選ばれるというようなことはない。このことを説明する前に、大学の構成単位としての学部について少し説明する
必要がある。
日本の場合、通常大学の構成単位は学部となる。あるいは、大学院の部局化が進んだ日本の一部大学では、大学
院研究科が大学を構成する基本単位となっている。そして、学部や研究科は教学の単位であると同時に、教員によ
である
︵ただし、すべての学部・研究科が学科
る自治の単位ともなっている。いわゆる教授会自治である。しかし、アメリカでは、学部は自治の単位になってい
ない。自治の単位は、学部・研究科を構成する学科︵departments︶
制をとっているわけではない︶。
繰り返すが、アメリカの総合大学︵uni完rSity︶を構成する学術面の単位はスクールやカレッジである。カレッジ
はリベラルアーツの単科大学などの場合には大学そのものを指す言葉であるが、総合大学の場合にはそのなかの一
単位となる。この場合、スクールとカレッジの違いはほとんどない。たとえば、ミシガン大学では教育学部はSch00−
OfEducatiOnで、日本でいう学士課程と修士、博士の大学院課程からなるが、シアトルを本拠とする州立のワシン
トン大学では、同じ構成をとっているにもかかわらず、CO〓egeOfEducatiOnとなっている。そして、UCバーク
レーにおいては学士教育課程がなく、大学院だけのGraduateSch00︼OfEducatiOnになっているのである。大学
九七
岡 法(531)98
九八
院にウエイトがあるか学士課程にウエイトがあるかでスクールとカレッジを使い分けているわけでもなさそうであ
や
や看護学部︵Sch00−OfNursiコg︶
る。実際、ミシガン大学では、建築・都市計画学部 ︵TaubmaコCO〓egeOfArchitectureaコdUrbaコP−aココing︶
薬学部︵C01−egeOfPharmacy︶ はカレッジで、音楽学部︵Sch00−OfMusic︶
に最も近いのはスクールやカレッジだからである。自
を学科と
はスクールである。ただ、ロースクールやビジネススクールの場合には、CO〓egeOfLawやCO〓egeOfBusiコeSS
は考、ろられないから、カレッジとスクールのあいだには何らかのニュアンスの差があるのかもしれないが、残念な
がら現時点では筆者 に は 不 明 で あ る 。
ここで注意しなければならないのは、日本では、一般に学部はdepartmentと訳されている点である。そのよう
︵大学院研究科︶
な慣行ができた理由はわからないが、この訳は誤解を生み出すものである。というのも、⊥に述べたように、アメ
リカの総合大学の構 成 単 位 で 、 日 本 の 学 部
治の単位、とりわけカリキュラムや教員人事における自治の単位はスクールやカレッジではなく、それらを構成す
を有している学科
るデパートメントである。しかも、そのデパートメントが、たとえばリベラルアーツ系学部の政治学科や経済学科、
物理学科などのように、日本の法学部や経済学部、あるいは理学部ほどの規模︵教員数の点で︶
も少なくない。そのような大規模な学科が同時に自治の単位にもなっているとすると、デパートメントを学科と訳
することにも無理が生じる。従って、ほかの適訳を得ない限り、スクールやカレッジとデパートメントとの正確な
訳し分けは困難なのが実情である。そのため、本稿ではあくまで便宜的な立場に立ち、学部長と訳されることが多
いDeanが率いる組織︵cO〓egeやsch00−︶ を学部・研究科と訳し、chairが率いる組織︵department︶
訳しておくことにしたい。なお、一般にPh.DのプログラムはGraduateSch00−として機構上は独立しており、
その長もDeanと呼ばれる。ただ、この大学院には専属の教員はおらず、通常関係する学科や学部の教月がすべて
兼務する形になっている。従って、本稿で研究科とされているのは、あくまで日本の大学の組織を念頭に置きなが
99 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
ら大学を構成する基本単位の名称として用いているのであり、アメリカの大学のgraduatesch00−を指すものでは
︵theOfficeOfAdmissiOnS︶
の長など、教育に直接関係する他部局の長にも用いられる。
ない。ただ、その長はやはり研究科長と訳すよりほかに方法はないであろう。また、Deanという肩書きは、日本の
入試課に相当する部署
さて、アメリカの総合大学では、学部はそれぞれが単科大学のような存在で、関連するひとまとまりの研究教育
分野をまとめ、ある程度独自の統治機構を持っている。しかし、アメリカ合衆国が本来の主権を持った州︵states︶
の連合体として連邦国家という形態をとりながら、次第に主客が転倒して今日では連邦政府による縛りが相当強︿
全国に及んでいるように、大学の場合も理事会から学長・プロヴォストと降りて︿る中央からのコントロールが、
総合大学としての一体性と共通利益増進のためにかなりの程度学部横断的に作用している。アメリカの大学は、ど
である︵以下学部長と略す︶。学部
の部分をとってもこのような分権への指向と集権的な圧力のせめぎ合い、両者の均衡というダイナミズムのなかで
運営されているとい っ て よ い だ ろ う 。
分権と集権、この二つの圧力の接点に位置するのが学部長・研究科長︵Dean︶
︵たとえば大
の追求に貢献することが求められる。その意味で、彼、または彼女は自立性を
長は理事会・学長によって作られる基本方針に沿って学部を運営し、大学としての一体性と共通利益
学のネームバリュー や 寄 付 金 増 加 ︶
要求する教員や学科を大学経営陣の立場に立って統治しなければならない。と同時に、いわばミニ大学としての自
分の学部によりよいパフォーマンスを発揮させるべく、学部の経営者としても手腕を発揮することが求められる。
そのため、学部長は学科長の任免権を持つだけでなく、学部内への予算・施設・機器物品の配分権や予算執行に関
する監督権、学科で作られるカリキュラムをチェックする権限なども持つ。さらに、学部独自の寄付金集めもその
重要な仕事である。大学ランキングのところで述べたように、ランキングは大学ごとだけではなく、学部・大学院
ごとにも行われる。優秀な人材を集め、資源配分上自分の学部が有利になるように大学当局と掛け合うことなどを
九九
1)100
岡 法(53
通じて、学部の質と 評 価 を あ げ て い く 手 腕 も 学 部 長 に は 求 め ら れ る 。
一〇〇
以上のような理由で、アメリカの大学では、学部長は大学の統治・執行機関に属する役職で、直接的にはプロヴ
オストによって任命される。ただし、ミシガン大学など大手の研究大学においては、任命に当たってプロヴォスト
は学部構成貞一人一人に親展で手紙を送り、その意見を聞くという手順を踏むところがある。もっとも、そのよう
に学部構成口月の意見はそれなりに尊重はされるものの、学部長は必ず学部内から選ばれるというわけではなく、む
しろ全国の大学を見渡して優秀な学部経営者たり得る人材を捜し、絞り込んでいくという方法が一般的である。そ
の際には、しばしば専門のコンサルタントが雇われ、専門家の目で選抜が行われる。プロヴォストによる最終決定
に当たっては、学部構成員の多数意見に従う必要もない。そもそも注意しなければならないのは、アメリカでは通
常学部教授会自体が存在しない。当然ながら学部長は学部の教員に責任を負うのではなく、学長・プロヴォストに
責任を負う。ただし、学部長は一旦その職に任命されると通常その学部のどこかの学科に教授としてポストも与え
られる。学長やプロヴォストの場合と同様、学部長もまたその多くは研究者として出発してそれなりの業績を上げ
た人のなかからその 経 営 手 腕 が 買 わ れ て 選 ば れ て く る か ら で あ る 。
いずれにせよ、何度も繰り返すように、学部長は自治機関の代表なのではなく、大学経営陣の〓只なのである。
そして、学部という経営体の責任者として、学部長は学部の予算と管理運営に関する権限を有Lており、学部事務
職月も日本のように事務長ではなくこの学部長が統括する。学部長はその職務を執行するために直属の部下を有し
ているが、多くの仕事は普通数名の副学部長︵まcedeans︶を通じて行っている。各副学部長は教務、人事︵ただし
事務職月のみ︶、研究、予算等々の学部運営機能を分担すると同時に、どこかの学科に教授として籍を置いている。
101アメリカの大学制度と法学・政治学教育
三二二
財政と大学 の 規 模
三・三・一一般的 財 政 状 況
大学の財政について語る場合には、いうまでもな︿私立大学と州立大学とを区別しなければならない。連邦教育
それぞれの収入内訳は
︵正確には入学申込手数料︶
は日本円にして
まず、私立大学からみると、最大の収入源は授業
︵ほとんどが州立大学︶
省が集めたデータにもとづいて全米教育統計センター︵NatiOna−CenterfOrEducatiOnStatistics︶
計によると、一九九 七 会 計 年 度 に お け る 全 米 の 私 立 大 学 と 公 立 大 学
図3−−と図3−2 の 通 り で あ る ︵ 同 セ ン タ ー ホ ー ム ペ ー ジ ︶ 。
料■受験料などで二 八 パ ー セ ン ト を 占 め る 。 ア メ リ カ の 大 学 の 受 験 料
︵国立学校財務センターによる研究では、この投資収益が考慮されていない。
数千円なので、この大半は授業料であろう。ついで大きいのが投資収益と、病院や関連企業などの事業収益で、そ
れぞれ二五パーセン ト と な っ て い る
アメリカでは、州公務月の年金基金などと並んで、私立大学による投資活動が証券市場などに大
同センター、二〇〇〇、一九頁︶。投資収益とは、主として基本財産︵endOWment︶を投資信託などで運用して得ら
れた利益であるリ
きな影響力を持って い る こ と は よ く 知 ら れ て い る 。
四番目に来るのは寄付金で、民間企業二団体のほか、卒業生からの寄付も少なくない。卒業生による寄付はたと
えー件あたりの金額は小さ︿ても、数が多︿、大学財政への継続的な貢献も見込めるうえ、金銭以外の面での様々
なサポートも期待できる。そこでどの大学も同窓会との関係を常にし、毎年同窓生とその家族をキャンパスに招待
してリユニオン︵reuniOコ︶と呼ばれる盛大なイベントを催している。また、連邦政府からの助成が全体の八パーセ
ントを占めることも注目される。これは日本の私学助成金のような大学への直接支出ではなく、研究助成金や委託
研究費を通じた間接 的 な も の で あ る 。
これに対して、州立大学の場合には、最大の収入源は設立母胎の州政府からのもので、全国平均では三六%を占
一〇一
がまとめた統
岡 法(53−1)10Z
<国3−1>全米私立大学1997年度収入内訳(%)
囲授業料
■教育活動・傘下企業・
病院・独自事業等
[コ投資収益
[Ⅲ寄付金
巨∃地方自治体
[コ州政府
国連邦政府
資料:連邦教育省のホームページより取得したデーターをもとに作製。
<図3−2>全米州立大学1997年度収入内訳(%)
3%
国授業料
■販売■民間委託研究費
[コ基本財産収入
□]]寄付等
巨∃地方自治体
[∃州政府
国連邦政府
⊂]その他
4% 」4%
資料:連邦教育省のホームページより取得したデーターをもとに作製。
103 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
める。ここで、州からの資金が州立大学収入の三分の一ほどしかない、という点に注目しなければならない。州立
大学は財政的には州政府からある程度自律した存在なのである。もっとも、それでも州からの資金は州立大学にと
ってかなり大きなウエイトを占めていることには変わりなく、したがって昨今のように州財政が逼迫してくると大
学もそのあおりを受け、職員のレイオフや一部施設の閉鎖さへ話題に上るところが出てくることはこの国ではさけ
られない。学費値上げも半ば年中行事となっている観があり、州財政の一層の悪化を受けて、二〇〇三年度末はア
︵ヨ菟≧挙︶ざふゴ計畢August芦N書聖。ウィ
リゾナ大学が三九パーセント、カリフォルニア大学が三〇パーセント、ニューヨーク州立大学が二八パーセントと、
どこでも大幅な学費 値 上 げ を 打 ち 出 し 大 き な 波 紋 を 呼 ん で い る
スコンシン大学のように、予算節約のために学科を廃止したり教月数を減らしたりという、教育研究に重大なタメ
ー∴ゾを与える方策さへあえて打ち出したところもある。アメリカの総合大学における教育の一翼を担ってきたティ
︵竿5.皐∴コ料苧AugustN♪N00空。
ーチング・アシスタント経費も削減され、教授自らが一人で六〇〇人近い学生を大教室で教えるという、マスプロ
教育を減らす昨今の 流 を 逆 転 さ せ る 動 き も 伝 え ら れ て い る
さて、州立大学の二番目に大きな収入源は委託研究費や事業収益である。これは、民間からの委託研究や付属病
院等の活動、フットボールチームの試合やグッズの売り上げなどである。授業料収入も重要ではあるが、州立大学
の場合州民へのサービス機関として安価な授業料で教育機会を提供するという使命を帯びているため、私立大学ほ
どこれに頼ることはできない。授業料収入の次に来るのは連邦政府からの資金で、二パーセントを占める。これ
は科学研究費助成などを通じた間接的な資金配分によるものである。当然のことながら、私立大学と違って州立大
学は基本財産のうえに設立されるわけではないので、財産運用による収益は少ないが、それでも寄付金などを蓄積
することによって、多くの大学は運用可能な独自の財源を持とうとしている。また、寄付についても、企業・団体
からのものはともかく、親や卒業生からのものは富裕層子弟の多い私立大学の場合ほどには期待できない。ただ、
一〇三
岡 法(53−1)104
ハー バ ー ド 、 コ ロ ン ビ ア 両 大 学 の 例
一〇四
逆に地元の自治体からコンサルタント料や委託研究費など〓疋の支援があることが注目される。
三・tニ・ニ
教育統計センターのデータはカーネギー分類よりもはるかに多くの機関を対象としており、またすべてのカテゴ
リーの大学をひっくるめて集計しているので、本稿が主として対象としている研究大学の実情とは若干ずれを生じ
ている。また、州立大学にはコミュニティ・カレッジも含まれていて、四年制大学のデータだけを分離できない。
さらに、全国の平均値なので具体的なイメージがつかみにくい。そこで、次に四つの大学を取り上げてその財政状
況についてみてみよう。最初にハーバードとコロンビアというアメリカを代表する私立大学を取り上げる。両大学
︵ハーバードニュース・ホームページ︶。会計制度が違うので厳密な比較はできないが、これは東京大学の総収入
二〇〇一年度におけるハーバード大学の全収入は日本円にして︵一ドル=一二〇円で計算︶二、四七六億円であっ
の収入内訳は図3− 3 と 図 3 − 4 に 示 し て あ る 。
た
のおよそ一二一五倍である。収入内訳の第一位は基本財産の運用による収益で、全収入の二八パーセントに上る。
ハー
バード大学の基本財産︵endOWment︶は一六四九年の創立以来長年にわたって同大学に寄贈されてきた約八、六
〇〇の個別基金の総体で、二〇〇一年時点での時価総額は一八三億ドル、円になおして約二兆二千億円に上る。ハ
︵ハーバードガイド・ホームページ︶。
ー バード大学はこの膨大な資産のうち流動資金として蓄えているものを運用して、インフレによる目減りを防いで
財産そのものを保全し、同時に大学運営資金の調達を追求してきたのである
︵一人数千円の入学申し込み料などを含む︶
しかも、同大学はその経済基盤をさらに強化するために、一九九四年から六年近︿にわたって資産強化キャンペー
ンを行い、二六億ドル 、 お よ そ 三 、 一 二 〇 億 円 も の 寄 付 を 集 め て い る 。
さて、ハーバード に と っ て 二 番 目 の 収 入 源 と な っ て い る の は 授 業 料
川5 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
<図3−3>ハーバード大学2001年度収入内訳(%)
固授業料など
■外部からの研究費
[コ基本財産投資収益
Ⅶ]その他の投資収益
m一般寄付
医∃その他の事業収入
資料:ハーバードガイド(HarvardGuide)より取得したデーターをもとに作製。
<図3−4>コロンビア大学2001年度収入内訳(%)
4%
国授業料など
■州政府補助・委託研究費
[コ寄付・民間研究費等
J]]他の教育研究活動
巨∃病院収入
田投資収益
[コその他
資料:コロンビア大学ホームページより取得したデーターをもとに作製。
岡 法(53−1)川6
一〇六
である。学生数が比較的少ない同大学がこの方面で相当額の収入を上げられるのは、他の私大同様授業料が高いか
らである︵学部学生で年間授業料約三三〇万円、寮費約一〇〇万円︶。ただ、アメリカでは学生に対する奨学金や教
育ローン制度が非常に発達しており、多くの学生が何らかの財政援助を受けている。その中でもハーバード大学な
ど有力私学は優秀な学生を集めるために競って条件のいい奨学金を提供しており、ハーバードでは実に七割もの学
生が何らかの奨学金を得ているという。オックスフォード大学に入学を拒否された優秀なイギリス人女子学生に三
〇〇万円もの奨学金を提示してその入学を勝ち取り、﹁人材を横取りされた﹂と、イギリス政府とその国民に衝撃を
suppOrt︶ で
与えたこともある。こうした奨学金のうち、大学が独自に出すものについては、事実上学費の値引きとみることが
できるだろう。
授業料収入とほぼ同じウエイトを占めているのが、外部から得られる研究費︵spOnSOredresearch
ある。世界でもトップクラスに位置づけられるハーバード大学の研究活動は、いうまでもなく恵まれた設備・施設
︵OtherOperatingincOme︶
and
と民間からの寄付金である。残念な
や有能なスタッフなどの基盤があってこそであるが、研究に費やされる直接的経費は他の大学同様主として外部か
ら獲得される。その 他 の 主 な 収 入 源 は 、 事 業 収 益
がら事業収益の詳しい内訳は不明であるが、大学がもっている膨大な特許のライセンス収入や大学のロゴマーク入
り商品の販売収益な ど が 考 え ら れ る だ ろ う 。
さて、もう一つの有力私大であるコロンビア大学についても簡単にみておこう︵同大学ホームページ︶。分類の仕
方が異なっているので正確な比較はできないが、コロンビア大学の場合目につくのは、稔収入が二、三三一億円とハ
ーバードとそれほど変わらないのに、基本財産収入を運用して得られる収入がハーバードの半分以下の比重しか占
めていないことである。これに対して、連邦と州の政府から来る研究助成や委託研究費︵gO完rコヨentgrantS
cOntraCtS︶が全体の二二パーセントと最も大きくなっているのは、この大学がニューヨークという世界経済の中心
107 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
︵入学申込手数料などを含む︶
にして政治的にもきわめて重要な都市に本拠を置いているためであろうか。
コロンビア大学の 第 二 の 収 入 源 は 授 業 料
で、一八パーセントを占める。ハーバー
ド同様学生数が比較的少ないにもかかわらず相当額の収入をこれで上げるとすれば、当然授業料が高くなければな
である。もっとも、コロンビアの学生に対しても充実した奨学金が用意されているから、この金歯をまるま
らない。学部学生の二〇〇三年度授業料は二八、二〇六ドル︵約三四〇万円︶、寮費は年間八、五四六ドル︵約一〇〇
万円︶
︵OtheredunatiOn巴andresearnhactiくities︶ となっている。
る負担しなければな ら な い 学 生 の 数 は そ れ ほ ど 多 く は な い 。
第三番目の収入源は ﹁ そ の ほ か の 教 育 ・ 研 究 活 動 ﹂
︵tuitiOn︶
以外にも教育活動から得られる収入が多いのであろう。ま
その内訳は明らかでないが、コロンビア大学は地の利を生かして社会人向けの種々の講座や夜間コースなどを非常
にたくさん展開してい る か ら 、 通 常 の 授 業 料
た、パテントやコンサルタント業務から生じる利益も大きいと思われる。さらに、場所柄大学施設を民間のシンポ
ジウムなどに貸し出す事業から来る収入もかなり見込める。コロンビア大学に限らず、立地に恵まれた大学はどこ
でもコンベンション誘敦に力を入れていることは日本ではあまり知られていないが、これはオックスフォード大学
︵追い出される︶。
などイギリスの大学でも同様で、日本でも今後大学経営を考えていくうえで参考にすべきであろう。また、アメリ
カの大学は通常五月から八月の終わりまで長い夏休みにはいるが、この間学生は寮から出て行く
そこで大学はこの膨大な未使用宿泊施設を夏期研修に来る人やコンベンション参加者などにできるだけ多く貸し出
ミシ ガ ン 大 学 と U C バ ー ク レ ー の 例
して収入増を追求している。もちろんコロンビア大学やハーバード大学なども同様である。
三二三二ニ
前にも述べたように、ミシガン大学とUCバークレーは、州立大学の頂点に立つと共に、全米有数の研究大学と
一〇七
岡 法(531)108
一〇八
して多くの部門で強い競争力を持っている。そのうち、ミシガン大学ほ日本ではどちらかというとなじみのない大
学で、逆にUCバークレーは非常に有名である。しかし、規模の点ではミシガン大学の方が断然大きく、予算規模
でUCバークレーの三倍強、キャンパスの広さでも三倍近くある。また、政治系大学院など、ミシガンの大学ラン
キングの方が高い分野も少なくない。そこで、まずこのミシガン大学からみてみよう。
一八一七年にデトロイトで創立されたミシガン大学は、二〇年後の一八三七年にアナーバー市に移り、現在に至
っている。アナーバーはデトロイトから車で西に五〇分ほど行ったところにある人口一一万人の静かな町である。
正確にいうと、ミシガン大学はこのアナーバーキャンパスのほかにGMの企業城下町であるフリント市と、フォー
ドの本社があるディアポーン市の二カ所にもキャンパスを持つ。しかし、三つのキャンパスは相互にほぼ独立して
おり、通常ミシガン大学とだけいった場合には、研究大学のなかでもトップクラスにランクされるアナーバー校の
みを指す。他の二校はそれぞれミシガン大学フリント、ミシガン大学ディアポーンと呼ばれ、いずれも教育中心大
学に分類される。ここで取り上げるのはアナーバー校に関する事項だけである。
︵ミシガン大ホームペ
二〇〇二年度における、こシオン大学の予算規模は、収入総額三八億ドルあまり、日本円にしておよそ四、七〇〇億
円である。これは東京大学の予算規模のおよそ二・三倍、岡山大学のそれの約九倍にのばる
ージ︶。この莫大な収入の約半分、四五パーセントはメディカルスクール付属病院からの収入である。ミシガン大学
は全米有数規模の巨大なメディカル・コンプレックスを有しており、その建物群はそれ自体が一つの都市に見える
ほどである。ミシガン大学の予算統計データは複数あり、それぞれが少しずつ違う予算項目をたてているので正確
なところはわからないが、アメリカの医療費と医療関係研究開発費がきわめて巨大な金額になっていることを考え
ると、大規模かつランキングの高いミシガン大学のメディカルスクールが研究開発活動を通じて膨大な資金を呼び
込んでいるであろう こ と は 容 易 に 理 解 で き る 。
109 アメリカの入学制度と法学・政治学教育
<図3−5>ミシガン大学2002年鹿収入内訳(%)
圏授業料等
■州政府一般予算
[コ連邦政府研究助成等
皿寄付・民間研究資金
巨∃事業収入
E∃施設利用料等
匡ヨ病院収入
5% 5%
資料:ミシガン大学ホームページより取得したデーターをもとに作製。
︵手数料等を含む︶
である。どこでもそうである
この病院関係収入を別にすると、もっとも大きな収入源
は授業料
が、州立大学ほ州民に対するサービス機関として、州内居
住者の子弟に対してはかなり安い授業料を設定している。
学部や学年によって多少違いはあるが、ミシガン大学の場
︵日本円で約九六
合、州内からの入学者に適用される授業料は標準的なリベ
ラルアーツの学部で年間およそ八千ドル
である。学部学生の場合、六八パーセントが州内出身
万円︶、他州出身者の場合は約二万四千ドル︵二九〇万円ほ
ど︶
者、すなわち安い方の授業料が適用される学生であるから、
学生一人あたりの収入は私立大学とは比べものにならない
くらい少ない。そこを補うのが数の大きさである。二〇〇
︵このほか、フリント校は学部学生
二年の学部学生数は約三万九千人、大学院生が一万七千人、
計五万六千人にのぼる
数八、七〇〇人、ディアポーン校は同六、四〇〇人︶。
授業料についで大きいのが連邦政府からの資金で、一四
パーセント、ついで州政府からの資金が一〇パーセント、
寄付や民間研究資金が六パーセントなどとなっている。こ
のうち、連邦からの資金は、他の大学同様助成対象となる
一〇九
lll10
開 法(53
一一〇
研究に使用されるものである。大学は、〓疋のオーバーヘッドを徴収してそれを一般財源︵genera〓und︶に組み込
むことはできるが、それ以外の使途は限定されている。寄付金の場合も、提供者によって使い道が指定されている
ものがある。これも他の大学と同様である。それ以外は︼般財源としてさまぎまな用途に使用できる。なお、ミシ
ガン大学は州立であるから、寄付財産をもとに設立される私立大学とは違って、もともとは独自の基本財産を持た
ない。しかし、企業や個人からの寄付は州立大学にとってもやはり重要な財源であることには変りない。実際、各
学部や病院、研究所群だけでなく、巨大な恐竜化石が展示されている自然史博物館など五つの博物館、および美術
館やコンサートホール、植物園、森林公園などを運営し、地域にも無料で開放するなど、医療系の施設以外にも水
準の高い施設を数多くそろえているミシガン大学は、同窓会組織などを通じて活発な募金活動を続けている。そし
て、企業や同窓会、一般の個人などから集められた寄付金は、その年々の大学運営に使われるだけでなく、私大と
︵二〇〇一年度︶。
同じように基本財産としてつみたてられる。国立教育統計センター︵NCES︶によると、こうして蓄積されたミシガ
ン大学の基本財産は市 場 価 格 に 直 す と 四 、 四 〇 〇 億 円 に の ぼ る
事業収入五パーセントの内訳はわからないが、ほかの大学同様学生会館︵StudentUniOn︶を中心に食堂や売店、
レストランなど様々な事業が展開されており、その売り上げないしテナント料がまず考、えられる。アメリカの大学
には一般に日本の大学生協に相当するものはないから、こうした事業は多かれ少なかれ営利活動として行われる。
︵日本でいうアメリカンフットボール︶
チーム
また、大学のロゴマークがはいった商品も多い。しかし、事業収入のなかでおそらくもっとも大きな貢献をしてい
るのは人学スポーツ で あ ろ う 。 特 に 、 ミ シ ガ ン 大 学 の フ ッ ト ボ ー ル
は強豪で、シーズンになると同大学の一〇万人を収容するスタジアムが毎回超満月となり、その試合はスポーツチ
ャンネルで全米に放送されるから、チケット収入、テレビ放映権などは莫大な金額になると思われる。高校で頭角
を現した有力スポーツ選手を大学が争奪することについてはもちろん批判や問題点もあるが、少なくとも一流の大
tllアメリカの大学制度と法学・政治学教育
学がスポーツにおける貢献を理由に単位認定を甘くするというようなことはないようである︵だからこそ家庭教師
のようなものをつけるなど涙ぐましい対策がとられるのだが︶ハJ財政的な面だけでなく、今後大学が心情的な面にお
いても地域社会の支持をつなぎ止めていくうえで、日本でもこうしたアメリカの大学スポーツについては本格的に
研究をしていく必要があるのではなかろうか。
つぎに、UCバークレーの予算についてみていくことになるが、その前にカリフォルニアの州立大学システムに
ついて簡単に触れておかなければならない∪ カリフォルニア州は三種類の州立大学機構を有している。第一はコミ
︵CalifOrnia
Sta︷e
UniくerSity︶
機構で、二三のキャンパスと四〇万八千人もの学生を抱
ュニティ・カレッジ機構で、先に紹介したンスキュス・コミュニティ・カレッジもこの機構の一月である。第二は
カリフォルニア州立大学
︵C巴ifOrnia亡ni完rSity︶機構で、九つのキャンパスと二〇万人近い学生、
える。各キヤンパスの自立性は高く、いずれも教育中心大学として扱われている。そして、第三のグループがUC
バークレ1を含むカリフォルニア大学
そして一五万七千人の教職員を擁している ︵二〇〇四年にはサンフランシスコ東方のマーセドに一〇番目のキャン
パスが開かれる予定である︶む単一の理事会と一人の総長のもと、学生選抜制度や給与システムなど、大学機構とし
ては二疋の統一性を有しているが、各キヤンパスは高度の自立性を備えており、自他共にそれぞれ別個の大学とし
て認知されている。州立大学機構の各大学と違って、カリフォルニア大学機構に属する各大学はすべて研究大学に
分類される。いうまでもなく、入学するのが難しいのも有力な研究者がいるのもこちらの方である。また、カリフ
ォルニア大学機構は首都ワシントンにも連結事務所を兼ねた教育施設を持つとともに、連邦エネルギー省の三つの
研究施設を運営している。そのなかの一つ、ニューメキシコ州・ロスアラモス研究所は核物質・核兵器の研究でも
その名が知られている。
さて、UCバークレーは、カリフォルニア大学発祥の地・バークレー︵サンフランシスコから電車で北東に三〇
一一一
同 法(53・−1)l12
<図3−6>UCバークレー2000年度収入内訳(%)
6%
因州政府一般予算
■授業料等
⊂]販売■事業収入
∈∃州・自治体委託研究費
『]基本財産収入
Eコ連邦政府委託研究費t
助成等
国民間研究費・寄付
[コその他
資料:UCバークレーホームページより取得したデーターをもとに作製。
分ほどのところ︶
一一二
にあり、現職の教員としてノーベル賃受
賞者を八人も擁するなど、世界的にみてもトップクラスの
大学である。アメリカでは珍しく正門を持つこの大学では、
学部学外壬一四、000人、大学院生九、三〇〇人が学んでい
︵近辺に医学部門で有名なカリフォ
る。ただ、医療系では眼科学研究科︵Sch00−OfOptOヨetry︶
しか有していないため
ルニア大学サンフランシスコ校がある︶、同じく州立大学の
したがって、予算規模も総収
雄という位置にありながら、規模としてはミシガン大学よ
りやや小ぶりとなっている∩
︵同大学統計分析部ホームページ︶。
入一二億三千万ドル、日本円で一、四八〇億円にとどまって
いる
国号Y−6にみるとおり、UCバークレーの場合には、州
予算でまかなわれる財源が三五パーセントと最も多い。州
からの拠出金は、日本でいえば国の一般会計によって充当
される予算に相当する。実は、ミシガン大学の場合にも
医療系部局から生ずる収入を別にして一般財源だけをみれ
ば、州によってカバーされる予算の割合はUCバークレー
とほぼ同じである。それはともかく、このように州財政に
依拠する割合が大きいため、昨今のように州財政が苦しく
t13 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
なると、その影響は大学財政にも直接及ぶことにならぎるを得ない。
UCバークレーの財源で二番目に大きいのは連邦政府からの資金で、全体の一八パーセントを占める。これは、
カリフォルニア大学全体が連邦政府との強い結びつきをもっていることの反映であるが、UCバークレIの優れた
研究能力は大学機構全体のなかでも特に連邦からの研究費を引き寄せる役割を果たしているのであろう。実際、カ
リフォルニア大学が運営している連邦エネルギー省所轄三研究所の一つはバークレーにおかれている︵予算面では
大学とは区別される︶っ逆に、連邦政府から豊富な研究資金が流入していることは、この大学の研究水準の高さを如
実に示しているといえよう。
さて、第三番目の財源は授業料などからの収入である。カリフォルニア大学の授業料は九校すべて同じに設定さ
︵約四六万円︶
で、ミシガン大学の半分、州外出身者の授業料もー六、t一〇九
れているが、それは同じ州立大学でもミシガン大学の場合よりずっと安い。すなわち、州内出身の学生には二〇〇
T一年度の授業料が年 間 三 、 八 三 〇 ド ル
ドル ︵約一九五万円︶ と、ミシガン大学の三分の二となっている。しかも、安い方の授業料が適用される州内出身
Ser5.CeS︶
の一一パーセントで、その内訳は不
者の割合は学部学生で八九パーセントとミシガン大学︵六八パーセント︶よりもずっと多く、それだけ授業料収入
が少なくなる結果を生み出している。
第四番目は事業収入や販売︵A亡註iaryEnterprises−S巴es﹀and
明ながら、大学スポーツの運営やそれに関連する商品の販売など、他の大学同様コマーシャルベースにのる様々な
活動をおこなって、そこから収益を上げている様子がうかがえる。民間企業や民間非営利団体からくる研究費と一
般寄付金もあわせて二パーセントになる。ちなみに、二〇〇一年度におけるUCバークレ1全体の研究費は連邦
政府から六〇パーセントと最も多く流れてきており、ついで民間非営利団体から一七パーセント、州および地方自
治体から一六パーセント、カリフォルニア大学機構内部から四パーセント、産業界から三パーセントなどとなって
一一三
開 法(53【1)l川
三・三・四 大学の規模と基本データ
表3−−は、ここで取り上げた四つの大学それぞれの規模を表している。比較の優に供するために、東京大学の
データも付してある。この単純な表から見て取れるのは、まず、アメリカの有力大学はその規模で見る限り、日本
で一番大きな国立大学と同等以上の陣容を誇っており、しかも日本の場合と違ってそのような大学がたくさん存在
する、ということである。大学ランキングの項でみたように、それらの大学がピラミッド状に配置されているので
はなく、規模の面でも実力の面でも強力な大学が競い合っている。そのトップレベルにおいても多様性がアメリカ
の大学の特徴なのである。日本の高等教育界が東大を頂点とする富士山型であるのに対して、アメリカのそれは独
立峰がたくさん集まった、八ヶ岳型だといえよう。しかも、実際の山では富士山の方が八ヶ岳よりも高いが、大学
の世界では、アメリカ版八ヶ岳の数多くの峰々は日本の富士山に負けず劣らずそぴ、ろ立っている。
もう一つ注目されるのは、教員以外のスタッフ数が実に多いということである。この表のスタッフは、一般事務
担当者や病院の看護士、技術職、司書、研究開発職、博物館月、あるいは大学や学部それぞれでホームページ作成
に携わるアート∴アイレクターや広告専門家といった多様な職種をすべてまとめたものであるが、それぞれが自ら
の明確な担当領域をもったプロであり、それぞれの部署で大学のパフォーマンスを支えている。アメリカの大学の
強さは、こうした職員の層の厚さと専門能力によっても支えられていることを忘れるべきではない。しかも、これ
ら常勤スタッフのほかに、教月、非教月を問わず多数のパートタイムの職員も働いている。さらには、学生も図書
︵wOrkiロ叫Stude邑s制度︶。学内に職を得た学生が、自分の
館やコンピューターセンターなどいろいろな部署でアルバイトとして働いており、戦力の一端を担うとともに、学
費や生活費の一部を無理なく稼げるようになっている
=5 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
表3−1 4大学の規模(2002年度データ)
事 項
東大
ハーバード コロンビア ミシガン UCバークレー
6,649 6,950
24,472
23,83515,620
大学院生数(1)
11,87913,721
14,500
9,31011,811
常勤教月数(2)
3,263 3,049
2,717
1,622 2,774
学部学生数
11,914 8,179
常勤職月数
22,211
予算規模(3)
2,476 2,331
4,670
キャンパス面積(4)
1,922 n.a(6)
1,244(7)
蔵書数(5)
1,460 3,642
12,303 3,499
1,478 1,973
499 313(8)
750
939
804
(1)ロースクールなど専門職大学院生を含む。
(2)テニヤー・トラックにのっている教月のみで、フルタイム勤務でもレク
チャラーーや任期制の医師は含まず。東大の数字は講師以上の教月数。
(3)単位:億円。
(4)単位:万平米。
(5)単位:万冊。
(6)n.a.:nOt aVailable.
(7)アナーバー・キャンパスのみ。遠隔地の演習林、地域オフィス、ワシン
トン・オフィス等は含まず。
(8)国有地面積のみ。演習林は含まず。
資料:各大学およびハーバードガイドのホームページより。
大学への関心と理解を
深めやすいのはいうま
でもないだろう。こう
して、アメリカの大学
は重層的なマンパワー
を配置した強力な組織
体として活動している
のである。大学をプロ
としての教職員集団か
らなる組織につくりあ
げることを忘れ、効率
性を旗印にひたすら職
月の数を減らして来た
どこかの国は、今後ま
すますアメリカの高等
教育と科学技術に後れ
をとるようになってし
まうのではなかろうか。
一一五
同 法(531)l16
第四章
教員組織と人事システム、および教員の職務
四・一学科、教授会、学科長
四・一・一学科とそこにおける教員の職務
いくつもの学部 ︵スクールやカレッジ︶ からなる総合大学の場合、大学の教月が実質的に所属するのは各学部を
構成する学科︵departヨent︶であり、学科の教授会︵fac亡−ty︶がカリキュラム作成や研究活動を第一義的に担う組
織である︵学部によっては、内部が学科に分かれていないこともある︶。ただし、ファカルティという用語は教員全
体という意味で使われるのが一般的な用法で、日本の大学におけるように研究教育の責任主体であり、かつ自治組
大学によっては、教員のほか、図書
織という意味はもたない。ある大学のファカルティといえば、二疋身分以⊥の教月全体のことである。また、学部
のファカルティといえば、その学部で身分保障を得ている教員の全体であるり
館の司書や博物館の学芸員などに大学運営への何らかの参加権を認め、その全体をファカルティと呼ぶこともある。
学長や教育に直接関連した業務に携わる副学長も通常ファカルティの一月として扱われる。従って、本来ならファ
カルティを教授会と訳すことはできない。しかし、学科のファカルティに限っては、それが日本の学部と似た教育
研究の単位であり、また高度の自治権を持っていることから、便宜的にこれを教授会と訳しておく。また、日本で
は団体としての教授会とその全体会議としての教授会が言葉のうえでは区別できない。アメリカでは前者が各学科
のファカルティ、後者がその会議としてのファカルティ︰、、−ティングということになる。本稿では、この点に関
してほかに言葉の選びようがないので、どちらにも教授会という言葉を充てるが、文脈によって意味に二つの違い
があることを理解して頂きたい。
l17 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
さて、ここでまず指摘しておかなければならないのは、アメリカの大学では学生は大学全体に入学し
︵一部大学
では学部に入学するが︶、教員がいる学科とは直接のつながりをもたないということである。学生が大学全体に所属
するということは、教月組織である学科は学生を持たないということになるのである。日本では教員の所属単位と
日本では、筑波大学の学内編成
学生の所属単位が対応しており、従って教員の側は学部の学生を﹁自分のところの学生﹂と考えているが、そうい
う意味ではアメリカの大学教員には﹁自分たちの﹂学生というものは存在しないっ
がこうしたアメリカ型の編成にある程度近い。周知のように、筑波大学では、教月は学系に所属し、そこから学生
の所属単位である学群に出かけていって講義を行い、それが終わればまた学系に戻ってくる。アメリカでは、教員
の所属単位と学生の所属単位は別だという考え方が筑波大学の場合よりもはるかに徹底していると考えれば、イメ
ージがわきやすいだろう。
︵ただし、リベラルアーツ系の大学や
教授会のもとに学生はいないのだから、アメリカでは日本のようにクラス担任をもうけたり指導教授を決めたり
して教育︵teaching︶以外の面で学生を指導・補導するというシステムもない
ハーバード大学など一部の私立研究大学は事情が違う︶。そもそもアメリカでは高校を卒業すると一人前の大人と見
なされるから、大学は学生の求める施設■設備の整備や相談業務を行うことはあっても、学生を訓育補導するなど
ということはおよそナンセンスである。ただし、履修指導だけは教員が行っているところがあるようで、渡部は彼
が勤務したサウスカロライナ大学の履修指導について次のように述べている。
﹁各学科では、その専攻学生の数人ないし十数人ずつを各教員にうけもたせ、原則として卒業するまで修学状況を
チェックし指導させている︵adまseヨent︶。特別指導期間は二月頃と四月頃、各二週間位を区切って学生と面接し、
春・夏・秋の学期の取得希望科目をチェックし、登録用紙に記入させ、許可のサインをする。だいたい新米の教員
は数名ずつ、ベテランは二三〇人ずつ受け持つ。なんといってもこの期間は忙しく、また神経を使う。指導の如何
一一七
同 法(53一一1)l柑
︵渡部、二〇〇〇、四九−五一頁︶。
一l八
によってはその学生の人生方向を決めてしまうことにもなりかねないからであるり⋮⋮定期的な修学指導のほか、
随時これらの学生の相談にのるのはいうまでもないが⋮⋮﹂
これは、日本の大学におけるクラス担任制や指導教員制度にほぼ匹敵するもののように見える。しかし、筆者が
いくつかの大学の知り合いに問い合わせたところ、履修指導︵通常academicadまsingとか単にadまsiコgと呼ば
れている︶自体はどこでも行われているが、サウスカロライナ大学のような履修指導方式はむしろ例外で、大学に
よって多様な仕組みや慣行が動いていることがわかった。たとえば、ピッツバーグ大学︵theUniくerSityOfPittsburgh︶
では、各学科に一人ずつ教員のアドバイザーがいて履修指導・履修相談が行われており、学生はそのアドバイザー
アラバマ大学
︵theUni<erSityOfA−abama︶
のサインをもらわないと履修登録ができない。ただ、そのアドバイザーは非常勤講師という学部、学科もあり、ま
た、指導もおおよそのガイドラインを示す程度のことであるようだり
のように専任の教員が各学科一人ずつ一年交替でアドバイザーになるところもある。その場合でも、担当教員は週
が履修の指導と相談を行っているところもある︵常勤の履修相
∴ 二時間研究室で相談を受け付けるだけである。また、ミシガン大学のように入学後最初の二年間は事務部門で
ある履修指導センター︵the Center OfAdまsing︶
談員が何人かいる︶。三年になると履修指導の責任は各学科︵または学部︶に移るが、その場合ある学部ではアラバ
マ大学のような方式をとっている。しかし、もっとも学生数の多いリベラルアーツ学部︵COニegeOfLiterature−Arts
andScience︶では、履修指導は大学院生の指導員︵パートタイム︶にゆだねられている。ただし、優秀な学生に認
められる特別コース ︵hOnOrSprO雪amS︶ においては、専任教月による履修指導が行われる。大きな大学では今日
履修登録自体はコンピューター化されており、履修の指導・相談はミシガン大学のような方式をとっているところ
が多いようである。
教育︵teaching︶以外の面では、学生へのサービス提供や寮の管理、あるいは問題を起こした学生の処分などは学
l19 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
生生活担当副学長のオフィス︵学生部︶が担当する。また、成績の管理や卒業認定、貴︵academichOnOrS︶が与え
られる成績優秀者の認定などは教務部長︵Registrar︶が行う。学業不振の学生に対する勧告も、教務部からの通知
を受けて履修指導センターが行う。学生がその専攻における卒業要件を満たしているか否かの判定も同様である。
教授会が学生の進級、ないし卒業認定をめぐってもめるというような浪花節的光景はアメリカでは考えられない。
要するに分業が徹底しているのである。
︵theOfficeOfadmissiOnS︶
これは学生の選抜についても同様で、最近日本でもその名が知られるようになってきたアドミッションズ・オフ
ィス
︵ただし、大学院生の選抜は別である︶。たしかに、教月によって組織される学生選抜委月全︵thecOmヨittee
が﹁入試業務﹂に相当することをすべて行い、教授会は学生選抜に一切タッチし
ない
OfadmissiOnS︶ のような委員会はたいていのところにあるが、それは選抜の基準︵必要成績水準や高校における単
位取得科目の要件など︶ を審議するのであって、選抜の具体的作業にタッチするわけではない。入試がないのだか
ら問題作成や試験監督がないのは当然である。そのほか、学部学科のホームページやパンフレットを作ったり、交
通指導をしたり ︵それは大学警察の仕事である︶ といったもろもろの仕事もない。もちろん、岡山大学を始め、日
︵ミシガン大学・1・キャンベル教授︶﹂
ことである。
本の多くの国立大学でみられるようになっている、教月によるキャンパスの草刈りや電球の取り替えといった仕事
は、アメリカの大学数月には﹁想像だにできない
このように、学科を構成する教月は日本でみられる多種多様な雑用から解放されている。それは、教且があくま
でも研究と教育︵teaching︶のプロとして明確に位置づけられ、その本職に属さない仕事をすることは邪道だと考え
が高い学位を持つ専門家として地位を確立しているのはこういう考え方にも
られているからである。それはまた、大学における他のプロフェッションの尊重という考え方とも合敦する。アメ
リカで大学図書館の司書︵−ibrarian︶
とづいている。一般事務や草刈り・清掃などの仕事はもちろんプロフェッションには属さないが、それでもそれぞ
一一九
開 法(53−1)120
二一〇
れの職分は分業の一部門として自己完結的に行われる。もっとも、大学内の社会的地位という点では、教員はセク
レタリ1などの事務職月はもとより司書や学芸月、研究員といった他の専門職よりも高く位置づけられていること
はいうまでもない。反面、教月はこのように高い社会的地位を与\えられ、その職務に専念できる環境におかれてい
るのだから、実際にそれに専念して高いパフォーマンスを示すことが当然の義務として要求される。そして、それ
ができなければそれ相当のペナルティを受けることになる。特に研究大学においては、研究面でプロとしての実績
を示せという要求はとても厳しい。ただ、この点についてはあとで詳しくふれることにする。
四・一・二 学科数控会
学科教授会の権限には、大学の種類や規模などによって差があるようである。ただ、最初に指摘しておかなけれ
ばならないのは、教授会はあくまでも研究教育上の組織であるから、入試についてだけではなく、予算や管理・経
営、あるいは学生生活といった分野については権限を、従って責任を持たないということである。日本の国立大学
では、学部に配分された予算を内部でどのように使用し、あるいは教員間に再配分するかということから、大学に
よっては図書や機器の購入に至るまでいちいち教授会に諮っているが、アメリカの大学では公立私立を問わずそう
いうことはまずあり得ない。そもそも教月に配分される一般校費という考え方がアメリカにはない。机やいすとい
ったベーシックなものを除けば、研究に必要な資金は原則として各自が学外のファンドに応募して自分で調達する
ものであり、どれだけの外部資金を獲得できるかが教月評価にも影響する。もっとも、外部資金へのアクセスカが
弱い若手の教月に対しては、三〇万円から四〇万円くらいの学内ファンドが用意されているところが多い。しかし、
これも一律に支給されるのではなく、日本の科学研究費と同じように研究プロジェクトを明示した申請書を提出し、
学内審査委月会が優秀と認めた場合に限り支給されるのである。
121アメリカの大学制度と法学・政治学教育
教授会の任務は、学部がカバーする学問分野︵discip−ines︶における研究と教育である。但し、この場合の教育は、
広義の教育一般︵educatiOn︶ではなく、学問的な、あるいは専門的な知識と能力の滴養という意味での狭義の教育
︵teaching︶である。研究大学に分類されるような競争力の高い州立大学においては、この二つの機能を遂行するう
えで教授会は高度の自治権を有する。教員人事の決定権は教授会の権限のなかでも最も重要なものである。もちろ
のような委月会運営も教授会の仕事である。リベラルアーツ系の
ん、教月のあいだのルール策定や学科を運営するために設置されている総務委員会︵e莞Cuti扁COmmittee︶や大学
院事項委員会︵cOmmitteeOf雪aduateaffairs︶
大学でも、教授会の自立性は高い。教授会は定期的に会議︵fac已tymeeting︶を開いて研究教育面における学部運
営について学科としての決定を行うとともに、教員人事をほぼ自分たちだけで行う。
教授会への出席権とそこでの表決権を持つのは、通常講師︵assistantprOfessOr︶以上の常勤教員である。ただ、
大学によっても異なるが、教授会にはこの他にも出席を認められた人々がいる。第一に、客員教授、あるいは客月
︵議
助教授である。彼ら、あるいは彼女らは、他の大学を休職して︵On−ea諾︶、一年ないし二年といった限られた期間
だけ別の大学に所属して研究教育を行う人びとであるが、通骨教授会に出席して協議に参加することができる
たちである。彼らは非骨勤の教月だが、
決に参加できるかどうかは大学による︶。第二はアジャンクト・プロフェッサー︵adj呂CtprOfessOr︶、ないしアジ
ヤンクト・アソシュット・プロフェッサー︵adjunctassOCiateprOfessOr︶
研究室や施設使用権を与えられることもあり、教授会への参加が認められていることもよくある。ただし、決定に
際して投票権はない。第三は、客月研究月のように、研究のみの目的でその大学に二疋期間受け入れてもらってい
る研究者たちである。大学によってはこうした人たちにも教授会への出席を認めている。かくいう筆者も、ミシガ
ン大学政治学部の客月研究員だったときに教授会への参加を認められていた。もちろん投票権は持たなかったが。
一二一
1)122
開 法(53
四・一二二 学科長
きて、教授会を率いるのは学科長
一二l一
を主宰する。その意
である。学科長は、自治的な組織である教授会と階統制
︵facu−tymeeting︶
︵departmentchair︶
的な大学・学部の執行機関とを結ぶ接点であり、また会議としての教授会
味で、彼らはむしろ日本の大学における学部長に近い位置を占めている。ただ、日本では、学部長は一般に教授会、
ないしは拡大教授会︵教官合議など︶における選挙で選ばれるが、アメリカの学科長は必ずしもそうではない。否、
学科長は執行機関の系統に属する役職として、選挙によらず学部長によって任命される大学もあるほどである。き
らに、第三のタイプとして、両者の折衷的な方法で選ばれる大学もある。ミシガン大学を例にとってこの第三の類
型についてみてみよう。同大学では、学科長を選ぶ段になると、その学科が属する学部の学部長︵Dean︶が学科の
構成メンバー、すなわち講師以上の常勤スタッフひとりひとりに親展で手紙を送り、意見を聞く。そして、そのよ
うにして集められた教授会の ﹁世論﹂を参考にしつつ、しかしその世論に必ずしも縛られないで、自分が適任と思
う教月に学科長を引き受けるよう説得し、承諾が得られればその人を指名するのである。もちろん、意中の教月に
断られたら、学部長としては第二の候補と交渉することになる︵別の方式をとる学部もある︶。第四の類型は公募に
よってよそから学科長を迎え入れるタイプである。
アメリカの大学では、学長でも学部長でも、あるいは学科長でも、ある役職に選ばれる際には給与その他様々な
条件について交渉が行われる。公募でよそから迎え入れる場合には、その人の配偶者の職を保障できるかどうかに
︵アメリカの大学予算、あ
ついても話し合われるのが普通で、どうしてもこの人をとりたいという場合には、通常学内に配偶者のためのポス
トを用意する。配偶者の給与は大学、あるいは当該学部の予算やファンドから工面する
るいは外部資金には、一般に日本の国立大学におけるような杓子定規な費目指定はないようである︶。アメリカでは、
こうして夫婦で同じ大学に迎え入れられるケースが多いという ︵近隣の大学や機関に引き受けてもらうこともある
ほ3 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
ようだ︶。学科長を選ぶ場合も同様で、たとえ選挙で選ばれても、選ばれた人は役を受けるかどうか学部長と条件交
渉を行い、給与の増額や研究設備の購入などを求めるのが普通である。その要求が受け入れられると初めて学科長
︵通常は教授会の一月から︶
指名された学科長は、教授会のリーダーとしての役割を果たす。そ
就任が承諾される。交渉決裂の場合は、選挙方式では再選挙、指名方式では第二順位の人と交渉開始となる。
学部長によって
の教授会は経営や予算に関与する権限も責任も持たない。しかし、当然のことながら教授会は学科の運営や予算、
︵彼女︶
に直接持ち込まれる。それが学科
施設、あるいは組織体制に関して強い関心と利害関係を持っている。こうした広義のマネジメントに関する問題は、
教員団の要望という形で学科長に集約され、あるいは個別の教月から彼
長の裁量範囲のことなら自ら判断し、裁量範囲外のことなら、学部長、大学執行部、そして最終的には理事会に伝
えられる。しかし、学科長は同時に大学管理運営機構の教授会に対する窓口の機能も果たすので、大学執行部の方
針や意向に従って教 授 会 を 運 営 す る こ と が 求 め ら れ る 。
従って、学科長は自治と経営という方向が異なった二つの圧力が工作する役職をこなしていかなければならない。
それは名誉ある地位ではあるが、予想されるように多忙を極める役職でもある。学科棟の新築を手がけることにな
ったミシガン大学工学部のある学科長は、﹁予算や建築プランをめぐって大学当局に膨大な書類を提出しなければな
らず、他方で個々の教月からは研究室や実験室のコンセントの位置に至るまで細々とした要求や苦情を持ち込まれ
て、対応にてんてこ舞いの毎日だ﹂と愚痴をこぼしていた。そして、丁度学部長から二期目の就任を打診されてい
るところだったが、﹁自分の研究ができなくなるから、今度は断ろうかと思っている﹂と述べていた︵インタビュー
はl一〇〇二年九月︶。日本でもアメリカでも、役職獲得に意欲を燃やす者がいる一方で、そうした地位につくことは
研究共同体に属する者のやむを得ざる義務だと考えて渋々引き受ける人も多いのである。
一二三
同 法(53▼1)ほ4
四ニー教具の種類と人事制度
四二丁一職階制
アメリカにおける大学数月ほ、テニャー・トラック︵teロuretraCk、身分保障コース︶
一二四
にのっている者とそうでな
い者とに分けることができる。これは、多少正確さを欠くが、フルタイムの正規スタッフと何らかの意味で臨時に
雇われているスタッフとにそれぞれ対応しているといえる。まず、フルタイムの正規教員には、ランクの低い方か
prOfessOrは助教授と、assOCiate
のよう
prOfessOrは準教授と訳されることも多い
ら順に、インストラクター︵iロStruCtOr︶、講師︵assistantprOfessOr︶、助教授︵assOCiateprOfessOr︶、教授︵prOfessOr︶
という四つの職階がある。assistaコt
︵シアトルにある方︶
をもうけているところもあるが、煩雑になるので
が、本稿では円本の大学の職階制にあわせて訳語を選んだ。この他、ワシントン大学
に、そのほかの職階 ︵主にテニャー・トラックにのらない身分︶
ここでは説明を省略する
四二丁ニ インストラクターと講師
大学の正規教員になる道はインストラクターから始まる。日本の制度でいえば助手に近いランクであるが、助手
と違って講義や実技を担当する。インストラクターには二つの種類があり、正規教月として教授や助教授たちと同
様毎日勤務する者と、日本の非常勤講師にほぼ相当する、パートタイムで勤務する教月とに別れる。テニャー・ト
ラックにのっているのはもちろん前者だけである。テニャー・トラックにのっているインストラクターは、通常博
士号︵Ph.D︶ をまだ持っていないが近い将来とる見込みのある人たちに与えられる身分で、この条件を満たせば、
大学院生の身分のままで雇われることもある。ただ、研究大学のような全国的競争力を持つ大学では、インストラ
ククーは通常芸術系の学部など一部にいるだけで、自然科学系や社会科学系、あるいは工学系といった学部にはほ
125 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
とんどみられない。インストラクターは通常三年の任期付きで雇用されるが、任期更新は保障されない。
博士号をとった若手の研究者は、通常講師︵assistantprOfessOr︶として採用される。ただし、ディフエンドを終
えるなど学位取得の最終段階まで達した者であれば、講師に採用されることもあるようである。採用はほとんどの
場合公募形式で行われる。もっとも、公募といっても、日本のようにただ業績と書類の審査だけで判断されるわけ
ではなく、学科の人事委月会ないしは人事委員会の委嘱を受けた教月による面接も併せて行われる。この面接はそ
の分野の全国学会などの機会を利用して行われることが多いようで、筆者自身、二、三年前まで大学院生として苦
労していた知り合いの若手研究者がそのような面接担当者として学会会場に釆ているのを何度か目撃したことがあ
る。
四・二・三 テニヤー制度
講師は通常三年間の任期付きで雇われる。ということは、正規スタッフとはいってもその身分は不安定だという
ことを意味している。講師とはいわば試用期間中の身分である。講師は、その任期中に研究教育両面でその大学が
期待する成果を上げることができるかどうかをチェックされる︵人物評価も事実上行われるだろう︶。そして、二回
目の任期が終わる頃、つまり雇用されて六年目に本格的な審査を受け、その評価に耐、ろうると判断された場合に初
めて任期のつかないテニャー︵tenure︶、すなわち身分保障を与えられるのである。
その際評価の対象となるのは、研究大学においては研究者としての力量が中心となる。リベラルアーツ系の大学
では、学生による授業評価と同僚による教育能力評価を組み合わせて測られる教育的力量を主とし、研究能力を従
として評価が行われる。コミュニティ・カレッジでは、学生による授業評価がテニャーを付与するか否かの判断に
決定的な役割を果たすことはすでに述べた。ただ、いずれの場合においても、テニャーを与えるか否かの実質的な
二一五
開 法(53−1)126
一二六
判断は学科の教授会によって行われ、プロヴォストが手続き的な面を審査したあと理事会から形式的な承認を得て
一連の審査プロセスが終わりとなる。また、基準をクリアできなかった場合には、通常一年程度の猶予期間のあと
にお払い箱ということになる。小さな大学では、たまに学長やプロヴォストが教授会によるテニヤー付与決定を覆
すことがあるが、その多くは、本人の請求に従って審査を開始せざるを得なかった教授会が実は承認に消極的であ
ったり、あるいは十分な審査を行えなかったりした場合がほとんどのようである。いずれにせよ、身分保障を得ら
れなかった研究者は、もっと基準の緩い別の大学に職を求めることになるが、当然のことながらそのような大学は
もとの大学と比べてランキングが下になる。
ここでテニャ一利度について説明しておこう。テニャーとはアメリカ独特の制度で、﹁学問の自由を保障し、能力
のある人が進んで研究教育職を選択するよう十分な経済的安全保障を提供するために工夫されたものである︵ACE−
︵もちろん、教員が何かの不始末をしでかし
N含−−p.N巴﹂。一九九四年に定年制が年齢差別撤廃を理由に廃止され、それが大学教員にも適用されてからは、こ
のテニャー制度は文字通り終身身分保障として機能するようになった
たり、大学が財政困難に陥ったりした場合にはそのかぎりではない︶。そのため、最近はこのテニャ一利度が教員の
怠惰を保証するというものと化しているとか、大学財政の圧迫要因になるといった批判も多くなされるようになり、
大学によってはテニャーを与えるポストに何らかの制限を設けるところもでてきた。しかし、テニャ一利度見直し
という最近の風潮に対して、ミシガン大学は、この制度を﹁大学に基礎を置く知的生活が繁栄を維持していく上で
不可欠な学問の自由を保証する最重要手段の一つ﹂であると位置づけ、これを保持していく姿勢を明確にしている
︵Facu−tyHandb00k㍍含−︶SectiOn空。そこには、テニャ一利度を廃止したり限定したりすれば優秀な教員が集
まらなくなるという現実的な判断も考慮されているのであろう。
ほ7 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
四二丁四 助教授と教授
さて、通常テニャーを与えられると同時に講師は助教授︵assOCiateprOfe拐Or︶
に昇進する。助教授になれば、
学内の研究センターや施設の長︵directOr︶に任命されることもあり、大学数月としてはほぼ一人前と見なされる。
そして、研究教育、そして学内行政において所属大学が求める基準をクリアすれば数年で教授︵prOfessOr︶に昇進
する。ただ、講師から助教授になるまでの期間が一般に数年で、その間に昇任できないとその大学では職を失うの
に対して、助教授の期間に制限はない。身分保障があるから実績を積まな︿ても助教授の職を失うことがないから
である。従って、なかには助教授のままで教月生活を終える人も出てくることになる。もっとも、研究大学や全国
的に有名なリベラルアーツ・カレッジでそのような例がたびたびあるという話は聞かない。
さて、助教授昇進であれ教授昇進であれ、その審査を行うのは当該教月が属する学科の教授会である。もちろん
詳細な業績審査は選考委貝会が設置されてそこで行われることが多く、この段階では他の専門分野からも委員が参
加するという大学も少な︿ない。実際、様々な領域の専門家を抱えるリベラルアーツ系学部の教員からは、選考委
月に選ばれると全く畑違いの教月の業績を読まされるとこばす声も聞こえてくる。しかし、昇任に関する最終決定
は当該学科の教授会において投票で決定されるというのが一般的である。その際、通常要求される賛成票は出席者
の三分の二である。なお、このあと教授会は学科長を通じて当該教月の昇任案件をプロヴオスト・学長に送付して
その承認を得なければならないが、手続き的な暇症以外の理由で案件が却下されることはほとんどない。特に研究
大学のレベルではまずあり得ない。同様に、最終決定は理事会が行うが、これも形式的なものである。
四二丁五 講義を担当する名‡教授
以上がテニャー・トラックにのったフルタイムの教月とその昇進に関する説明である。しかし、アメリカの大学
一二七
岡 法(53−1)128
一二八
ら
ではそうした正規教員以外に様々なタイプの教員が働いている。その第一は名誉教授︵prOfessOremeritus︶である。
日本では、名誉教授の称号を授与されたひとは、身分上は元の大学とは嫁が切れる。従って、たとえ講義を続ける
としても、それは部外者による非常勤講師としてである。しかし、アメリカの大学では、一旦引退して名誉教授に
なったあとも、引き続き元の研究室を維持し、講義や研究を続ける人が少なくない。大学院生の学位審査に名替教
授が加わることも珍しいことではない。九四年に大学教月の定年制が廃止されたあとは、長く現職にとどまり続け
る老教授の一部にその能力や判断力に疑問が投げかけられていることも事実である。しかし、年金支給年齢に達し
たあとは、学内行政などの雑事から解放されるべく早めに退職して、名誉教授の身分で自由な研究者生活を続けよ
うという人もいるのである。
四二丁六 テニヤー制度外の教員
名誉教授は、フルタイムの正規教員ではないが、しかしテニャー・トラックに乗った研究者のいわば番外編的存
在である。これに対して、テニャI・トラックからはずれた教月もかなり見受けられる。その第一がレクチャラー
である。レクチャラーには研究上の業績は期待されておらず、従って修士や博士の学位は要求されない。契約更新
︵彼女︶
の保障もない。レクチャラーは語学教育におけるネイティブスピーカーの教員などに多くみられ、教育︵teaching︶
のみを担当する。強いて日本の制度に当てはめると、それは任期付きの助手ということになろうか。彼
は、半年とか一年といった期限付き契約にもとづいて雇われ、その間はフルタイムに勤務する場合と、日本の非常
勤講師のようにパートタイムの教月である場合とがある。
129 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
四二丁七 アジャンクト・プロフェッサーと客員教授
テニャートラックに乗っていない教員の第二はアジャンクト・プロフエツサー︵adjunctprOfessOr︶
である。こ
れには二つのタイプがあるゥ ひとつは、専門的な職業領域で活躍している人に、実務家の立場から授業を持っても
︵普通投票権はないので、実際にはあ
らうケースである。ロースクールに週一回、あるいは一目散えに︿る地域の弁護士や検事がその典型で、多くの場
合彼らには研究室や若干の研究費が与えられ、教授会への出席も認められる
まり出席しないようである︶。ただ、手当は少なく、授業を引き受けるに当たっては、教育への情熱、本職への刺激、
肩書きの魅力、奉仕の精神、といった収入以外の動機が大きいといわれる。筆者が調査に訪れた二、三のロースク
ー ルではどこでも、依頼すればアジャンクト・プロフェッサーを喜んで引き受けてくれる人が多いとのことであっ
た。
もう一つのタイプは日本の非常勤講師とほぼ同じもので、大学によってはアジャンクト・レクチャラーと呼んでい
るところもある。要するに、ほかに仕事がないか、あるいは当該の科目とは直接関係のない仕事をしている人が、
週一コマとか二コマ数えにくるというものである。ハーバード大学など有力大学で学位を得た若い研究者が、地方
都市での就職を嫌ってレクチャラーをしながら大都市圏にとどまっている例も少なくないという。もっとも、そう
しているうちに就職の機会を逸し、結局貧困生活から抜け出せなくなるということもあるようだ。なお、アメリカ
である。これは、通常、ある大学や機関で正規の身分を有する研究者が、
では正規の教員が他の大学で非常勤講師を務めるというようなことはほとんどない。まして、非常勤講師をすれば
︵くisitingprOfessOr︶
地域貢献として評価されるというような考え方はどこにもない。
第三は客員教授
一セメスターとか一年といった期間の間だけ別の大学に所属して研究教育を行う場合に、行った先の大学から与え
られる身分である。客員教授は、アジャンクト・プロフェッサーと違って、期間中その大学でフルタイムの研究教
一二九
岡 法(53−1)130
一二〇
育を行う。したがって、客員教授を非常勤教員の一種と見なす一部の分類に、筆者は賛同しない。
ある大学に行って客員教授になる教員は、自分が本来所属する大学に籍を残し、期間が過ぎるとまたもとの地位
に戻るのが普通である。給与は滞在先の大学、または何らかのファンドから支給される。形の上ではこれは出向と
を認め、レクチャラ
いう日本の制度に似ているが、客員教授として行くという決定はあくまで当該の研究者と先方の大学との間の合意、
ないし契約にもとづいており、送り出す方の大学は当該教員にその間研究休暇︵study︼ea完︶
ーなどを雇って講義に穴があかないようにするだけである。客員教授制度については、後に教員の待遇に関する節
でもうー度取り上げる。
四二丁八 非常勤教員の増加
︵爵訂ヽ向きc已叫芸へ∼3札>荘叫芸已声音叫、ゲく○︼.∽N−N〇.N−N茎u︶︹J
それによると、一九九二年から一九
全米教育評議会 ︵ACE︶ が最近出した報告を見ると、ここ一〇年ほど、アメリカでは非常勤の教員が増加する
傾向にある
九八年の間に、ハーバードのような私立の研究大学以外では、どのカテゴリーの大学でも非常勤︵part・tiヨe︶の教
員が増加している。コミュニティ・カレッジでは六四パーセントの教員がパートタイムである。また、公立の研究
大学でも、その割合が三〇パーセントに達している。特に、最近五年間に新しく採用された教員のうち、コミュニ
ティ・カレッジでは実に八〇パーセントがパートタイムで、四年生の公立大学でも五三パーセントはパートタイム
であった。
当然予想されることだが、フルタイムの正規教員に比べて非常勤教月の場合には学位の水準も低く、収入も少な
い。すなわち、正規教員の六七パーセントが博十号をもっているのに対して、非常勤教員の五六パーセントは修士
号しかもっておらず、博士号をもっているのは一八パーセントだけである︵表4−1を参照︶。非常勤教員の四分の
131アメリカの大学別度と法学・政治学教育
表4−1 カテゴリー別・大学教員の学位取得状況(%)
26
52
4
6
専門職学位■
6
修土
3
学上号以下
パートタイム
テニヤー・トラック 非テニヤ、1・トラック
フルタイムだが
フルタイムで
博士
資料:全米教育評議会ホームページより。
*J.D.やM.D.など。
低く、およそ四万五千ドル
︵五四
一はほかに職を持っていない。非常勤教員の年収は正規教月と比べ
︵約二五〇万円︶
である。こうした非常勤教員のうち、正規教月のポストが
て平均二万ドル
〇万円︶
見つからなかったから今の仕事に甘んじている、という人は全体で
は二〇パーセントにすぎないが、博士号をもっている人に限ってみ
てみると、そのような理由で非常勤職に就いている人の割合は三〇
教具の評価と待遇
パーセントと少し多くなる。
四二二
四二ニ・一散具評価
アメリカでは、大学教員に対する評価︵facu−tyeくa−uatiOコ︶が頻
繁に行われている。テニャー取得や昇任、講師のような任期制教員
の任期更新だけではなく、昇給や主要委員会の委員に学部長や学科
長が誰を任命するかの決定もこの教員評価に基づいて行われる。特
に、給与を毎年見直す大学は多く、従ってこの理由から仝月の評価
が毎年行われることになる。カリフォルニア大学九校のように、昇
給は三年毎としているところでも、自分はこの閉業績を上げたと考
える教員は前倒しで昇給を求めることが出来るようになっているか
ら、実際には評価の間隔が縮まっている。
山三一
開 法(53−1)132
一三二
評価の対象となるのは、教育︵teaching︶、研究業績、学内サービス︵学内行政上の実績やイベント企画の成功な
ど︶、地域や社会全体に対する貢献、の四点である。ただし、当該の大学がどのカテゴリーに属するかによって四つ
の項目それぞれに与えられるウェイトは違って︿ることは指摘しておかなければならない。評価で当該教月に与え
られる点を一〇〇点とすると、リベラルアーツ系の大学では教育に対する評価が六〇点、業績に対する評価が三〇
点、それ以外が一〇点といった具合になるっ その際、学部長は学生による授業評価の結果を自由記述文も含めて検
討する︵リベラルアーツ系大学は規模が小さいからそれが可能になる︶。これに対して、研究大学では、研究業績に
対する評価だけで一〇〇点満点となるっ もっとも、だからといって研究大学で教育が著しく軽視されるということ
にはならない。というのも、学生による授業評価の結果は一般に公開され、学内新聞で﹁ワーストプロフェッサー
は誰と誰﹂といった具合に報道されるところも少なくないからである。もっとも、そのために成績評価を甘︿して
悪い評価をさけようとする傾向が生まれることは避けられず、昨今のアメリカで﹁単位インフレ﹂︵gradeiコf︼atiOn︶
の進行が批判されることにもなっているのだがり
なお、給与に関しては、部内の教員評価によるだけでなく、別の大学からその教員にオファーがあったときにも
引き上げられることが多いっ他大学からの誘いを受けるということはその教員に高い評価が与、ろられたということ
を意味し、彼、または彼女を引き留めるためには大学として好条件を提示するのが当然だと考、ろられるからである。
もちろん、給与以外にも研究条件の向上といった誘因が提示されることもある。.他大学からオファーを受けた教員
は、先方の大学の条件と現在の大学が提示する条件とを比較して、移るかどうかを決めることになるっ
また、教員だけでなく、執行部に属する学部長も自分の学部の教員によって評価されることを付け加えておかな
ければならない。学部長は学長・プロヴォストによって任命されるのであるが、教員によるこのような評価を受け
ることによって、自らの学部構成員の方にも顔を向けて学部運営に当たる動機が生まれる。と同時に、それによっ
t33 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
表4−2 大学数月の給与・
大字カテコ1仁一別・職階別平均年俸(2002−03、ドル)
職 楷
全大学
私立・ 私立・
非宗教系 宗教系
公立大
全大学
給 与▲ 総 務
私立・ 私立・
非宗教系 宗教系
公 立
給 与 総 舶
コミュニティ・カレッジ
博士課程のある大学
教‡受
97,9ユ0
動教授
67,043
講師
57,131 54,986
インスト
ラクター
39,069
37,589
45,832
47,655
37,914
44.785
43.390
49,R15
43,605
44.101 44,135
レクチャ
ラー
無職階
全数月
平 均
48,743
92,387 1ユ8,269 100,172
64.938
45,857
73,997
77.165
66.926
54,347
70,357
69,497
51.589
58,075
48,940
89,630
65.608
51,696
53,511
43」96
51,619
n.d.
43,634
45,471 45,653
43,082
74,865
65,730
n.d.
35,885 Il.d,
38,215
22,988
36,443
n.d.
11.d.
22,830 11.d.
51,824
36,667
Il.d
(注1)無職階:アメリカには教柁・助教授などの職階削がない大学も少しある。
(注2)n.d∴ 該当なし。
資料:AAUP,TheAnnualReportontheEconomicStatusoftheProfession2002O3
て、自らの学部運営が構成員に与える影響に
︵AAUP︶
ついてフィードバックを得ることができるよ
うになるのである。
四二二ニー給与
表412は全米大学教員協会
の調査が明らかにしている大学教員の年俸で、
と最も低いコミュニティ・カレッジ
最も高い博士課程を持つ大学︵ほぼ研究大学
に相当︶
について職階別の平均値を示してある
︵AAUPのホームページより︶。AAUPは
大学教員の利益を擁護・増進することを主た
ここに掲げた
る目的とする全国組織で、全米一、七〇〇以上
の大学の教員を組織している∩
数字は、同協会がカバーしている大学から集
めたデータにもとづいている。また、アメリ
カの大学では、給与とは夏休み聖二ケ月間を
除いて支給されるものと考、えられている。逆
に言えば、給与が出ない夏休みに個々の教員
三一三
岡 法(53−1)I34
︵大学に出て行く
一三四
が学内外の夏期講座で稼いだり企業と契約して収入を得たりすることは自由だとされているから
義務も当然ない︶、この数字は必ずしも教員の年収を正確に反映するものではない。しかし、夏休みにみるべき独自
収入がある教員は特に文化系の場合そう多くはないだろうから、教員の給与面での待遇を推し量る数字としては、
ほぼこれでよいと考えられる。一見してわかるように、給与の額は必ずしも多くはない。アメリカで大学教員が長
距離トラックの運転手に収入の面で追い抜かれたといわれたのは四〇年以上前のことである。ただし、メディカル
スクールの教員は一般に非常に高給で、教月の平均給与情報を公開している大学でも、﹁メディカルスクールは除く﹂
としているところが多い。
もちろん、経済生活の全体となると、この他に手当その他のベネフィットも考慮に入れなければならない。日本
であれば、月々の基本給に加えて様々な手当が付く。大学の宿舎や公務員住宅の利用も、その家賃から考えれば一
種の手当といえる。しかし、日本以外の先進国では、公務員であろうとなかろうと、給与にそのような手当が付く
ことはきわめて例外的である。日本のように配偶者や子供の扶養手当を付加給与の形で支給しているような国はほ
とんどなく、アメリカにもそのような制度はない。住宅手当も大都市調整手当も通勤手当も、また寒冷地手当のよ
うなものもない。要するに、付加給的なものは一切ないのである。ただ、大学側が提供する健康保険がどのような
事項までカバーするかは、平均賃金の引き上げ問題と並んで、しばしば教員評議会と理事者側とが対立する重要な
争点である。ミシガン大学は、家族・社会生活の悩みや問題万般にわたって相談やカウンセリングのサービスを無
料で提供するとともに、五つの保育所を運営して子供のいる教職員に安価で信頼性の高い保育サービスを提供し、
さらに乳幼児養育の専門家や老人介護の専門家をおいて相談に応じている。また、同大学は教職員に年間三万ドル
︵三六〇万円︶ の生命保険を無償で提供している。年金掛金の二疋割合を大学が負担していることはいうまでもな
い。法律事務所と団体契約を結んで、教職月が安価に法的サービスを受けられるようにしているところもある。全
135 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
表4−3 昇給率別にみた大学の割合と教月の割合
(2002会計年度給与の対前年度増加率)
15.1
22.9
18.0
36.7
26.1
17.3
17.9
9.9
25,1
8.5
9.4
4.4
10,0
1.9
5−5.99
15.9
14.0
19,0
16−3
4−4.99
21.4
18.9
27.5
20.4
33.99
19.1
17.9
15.8
24.1
2−2.99
9.8
100.0
24.7
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
18.0
1〔〉0▼0
100.0
11.6
計
9,9
9.4
4,2
24.0
15.6
2%
23.6
9.2
26.9
10.3
16.6
18.1
18.4
14.6
20.2
13.3
14.9
17.2
6%−
15.7
昇給率ごとの教月割合
昇給率ごとの大学割ノ合
私立・ 私立・
非;宗教系 宗教糸
公 立
全大学
私立・ 私立・
非宗教系 宗教系
昇率% 給全大学 公 立
資料:表4−2に同じ。
米大学教員協会の試算では、大学が提供するこうした事
The
︵A
Annua−RepOrt
l00万円近くになるという
実上の手当︵cOmpenSatiOコ︶は、職階にもよるが、教月
一人あたり平均で年間l
AUPホームページ上の
Oコthe
EcOnOmicStatusOfthePrOfessiOnN芸N・〇空。
さて、大学の種類別では研究大学の給与が最も高く、
ついで修士課程までの大学、三番目が学士課程のみの四
年制大学、最も低いのがコミュニティ・カレッジである。
後者に勤める教授は、前者の教授のおよそ三分の二しか
給与をもらっていない。しかし、表4−2が示すとおり、
同じカテゴリーの大学でも、一般に私立大学の方が公立
大学よりもよい給与を出している。近年では、表4−3
が示すように、昇給率も私学の方が大きくなっているか
ら、巷では公立大学の優秀な研究者が私立大学にとられ
る傾向がでているといわれているほどである。もっとも、
AAUPはそのような傾向を裏付ける実証的データは得
られていないとしているが。
なお、アメリカの大学は、優秀な教授や功績のあった
教員に名誉ある称号を与え、給与面でも厚遇するのが一
二丁一五
岡 法(53−1)136
一三六
般的である。名替称号がなくても、研究業績などの理由で給与水準が変わってくることはすでに述べた。表4−3
をみれば、教員のあいだでいかに昇給率が違いうるかがはっきりと見て取れるだろう。日本のような年功序列的な
一律の昇級システムはこの国にはないのである。従って、給与はひとりひとりの教員と大学側との個別契約という
性格を持つ。ということは、勤続年数や職階をもってしては教員の給与を推定することが難しいということである。
各教月の給与は基本的には毎年、あるいは昇進時の評価によって決まるから、その筋は評価結果を端的に示してい
る。評価の結果は第三者の目に耐えうる公正なものでなければならないから、アメリカでは多くの大学が誰でも他
の構成員の給与情報を人手できるようにしている。
四二二・三 研究条件と研究費
かつて、日本では、アメリカの大学教員が高い研究業績を上げられるのは、秘書が雑用をみなやってくれるうえ
に、研究も手伝ってくれるからだ、ということがまことしやかに信じられていた。筆者も、二〇年ほど前に大学に
職を得た頃そのような話を聞いて妙に納得していたのを覚えている。もちろん、普通はアメリカの大学数月に秘書
などいない。そもそも、日本の国立大学と比べて州立大学などでは教員研究室が一般に狭いから、秘書がいるスペ
ース自体がないといってよい。日本の有力国立大学で暗に見られるような、共通秘書という存在についても聞いた
ことがない。ただし、自分で外部資金を取ってきて、その資金で秘書を雇うことはできる。もっとも、文化系の場
︵アルバイトの︶
研究助手
︵RA、researchassistant︶
として雇う程度である。
合には、外部資金といってもスタッフを雇えるような大きなものはそんなにあるはずもないから、せいぜいで学生
や大学院生をパートの
ではどうしてアメリカの大学数月は研究の面で生産性が高いのか。だが、このような問いを発する前に、問いそ
のものが妥当であるかどうか、考えてみなければならない。アメリカの大学教師が一般的に日本の大学数月より生
137 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
産性が高い、と考えるなら、それは明らかに誤りである。学会やワークショップ
︵研究会︶などで程度の低い報告
を聞いてびっくりした経験を持つ人は少な︿ないはずである。しかし、話を研究大学に限れば、先の問いはおおむ
ね妥当だと考えてよいだろう。そこで、アメリカの研究大学では、どうして教員の生産力が高いのか、という問い
をたててみよう。
このように問いを絞ってみても、もちろん実証的なデータにもとづいて答えることは容易ではないが、日本の大
︵upOrOut︶
といわれるように、たえ
学との比較から、考、ろられる要因を五つ指摘してみたい。その第一は、﹁研究業績を上げるか、さもなくば滅びるか﹂
︵pub︼ishOrperish︶、あるいは﹁昇進するか、さもなくば追い出されるか﹂
ぎる評価によって給与や昇進が左右されるという、厳しい業績主義の環境である。しかも、実績を上げなければ研
究費を獲得することが難しくなり、したがって野心的な研究プロジェクトを推し進めることができなくなってます
ます競争から脱落していくから、気を抜くことができない。
ただ、この環境は単にムチとしてだけ作用するのではなく、アメとしても作相することに注意しなければならな
い。環境が要求するところに応えるなら、経済面でも名誉等心理面でもそれなりに得るところがあるからである。
︵ミネソタ州の州都︶
にあった自分の事務所をたたんでミ
よりよい大学への転出も期待できる。ただ、経済的といっても、たとえば、ある弁護士は、経済学者の妻がミネソ
タ大学からミシガン大学に移ったために、セントポール
︵much↓muCh一muChbetter︶
からね﹂と陽気に語っていた
︵一九九一年六月︶。聞いてみ
シガン大学近くのある法律事務所に移ってきたとき、その理由について、﹁ミネソタもいい大学だが、ミシガン大学
の方がずっとずっといい
ると妻の給与が格段に上がるわけではないし、ミシガン大学のあるアナーバーは住宅費が高いことで有名だから、
経済的なメリットはそれほどないようだった。しかも、夫も職場を移らなければならない。それでも、﹁この街は家
族生活にとっては魅力的だし、妻にとっても、ランキングの高い大学で優秀な同僚と仕事ができるのはとても刺激
一三七
1)138
開 法(53
になる
︵stimu−ating︶
一三八
からね。﹂洋の東西を問わず、研究者の心理に変わりはないようである。
では、財政面での研究条件、つまり研究費はどうなっているのであろう。これは日本の場合とは大きく異なって
いる。まず、個々の教員に配分される個人研究費というものは普通は存在しない。従って、配分された予算のなか
から図書を買って自分の部屋に置いておくというようなことはできない。コピーの枚数も一人百枚という風に一律
に決められているところが多い︵一般に枚数制限は実に厳しい︶。机や椅子、簡単な書架などは備品として研究室に
配備されるが、それ以外の物品は学部の予算からはほとんど支弁されないところの方が多いようである。一般に、
ファックスやコピー機、印刷機といった事務機器は日本の大学に比べるとずっと少なく、しかも利用制限が設けら
れていることもある。ただ、大抵の大学では一件あたり年間三〇万円から四〇万円程度の学内研究費が主として学
科単位で用意されているが、これは研究計画にもとづいて申請し、学内審査を通って初めて利用できる競争的資金
である︵若手研究者に優先的に与えている大学もあるようだ︶。それがもらえず、学外からの資金も利用できなけれ
ば、研究者は自前で本やコピーカード、パソコンといったものを買いそろえなければならないゥ
ただし、図書に関しては、もちろん図書館を利用することができる。大学によって図書費の扱いは多様であるが、
図書の整備は大学の基本的要件であるから、どこでもできるだけ図書をそろえる努力をしている。あるリベラルア
ーツ大学では、図書購入のための予算の枠内で、学内の教員から先着順で希望図書を募るという方式をとっている。
もちろん図書館の司書も独自の判断で図書を購入している。UCバークレーやミシガンといった大規模大学の図書
館では、英語文献だけでなく、各国出身の司書がそれぞれの国の図書を豊曽田な予算と丹念な目配りで収集していて、
日本研究が行われているところでは、日本の大学でもなかなか見あたらないような邦語文献まで書庫に収まってい
︵いうまでもなく、図書館まで
る。そして、研究者はそうして集められた図書のなかから自らが必要とするものを学内ネットワークを通じてパソ
コンで申し込むと、それを学内配達で届けてもらえるしくみになっているのである
139 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
行って借り出してもかまわない︶。
それはともか︿、アメリカの研究者は研究資令を自動的にはもらえないために、毎年努力して外部から研究資金
を取ってこなければならない。そして、日本と比べるとこの外部資金が非常に多いのである。研究者が利用できる
︵各分野の学会員数は、文系自然系を問わず円本の数倍から一〇倍
から、大学に投下される外部資金の総額は莫大な金森にのぼる。主要大学の財政のところで示したよう
資金が多いだけでなく、研究者の数自体が多い
におよぶ︶
に、外部資金の大半はNASAのような機関や軍を含む連邦政府から供給される。もちろんこうした資金は研究者
の申請書を専門家が審査したうえで優秀なものだけに交付きれるから、競争は厳しい。また、申請書も三〇頁を超
えるような詳しいものが要求される。しかし、一旦交付された研究助成金の使い方は日本と比べるとずっと自由で、
を雇ったりすることはもちろん、常
︵筆者が加わった共同研究の経験からす
機器や書籍を買ったり、学生や院生、それにポストドックの研究助手︵RA︶
勤の研究月を雇うこともリゾートホテルで研究会を開くことも可能である
ると、資金の管理は大学の経理部が行うようである︶。アメリカの大学には、自然系を中心に、こうして教授が外部
資金で雇った研究員がたくさんいる。また、そうした外部資金の一部はオーバーヘッドとして大学に納められるの
で、大学としても優秀な研究者をたくさんかかえるほど財政的に豊になるというメリットを享受できる。さらに、
外部からの研究助成金や奨学金を得ることは、競争的な条件のなかで専門家が優秀と評価したことを意味するから、
﹁雑用﹂からの解放
教月評価書や履歴書には必ずそれが記入されて、当該教員に対する評価を形作っていくのである。
四二ニ・四
しかし、いかに業績への圧力と刺激が働くといっても、そのシステムが実際に機能するためには、研究者が研究
にいそしめる条件、すなわち時間と資源が必要である。第二の要因は、この時間に関係している。すでに述べたよ
一三九
開 法(53−1)140
一四〇
うに、アメリカの大学では分業が徹底しているため、雑用にとられる時間が日本と比べてずっと少ない。日本で大
が入学を認めた学生に教育︵teachiコg︶
学教員が膨大なエネルギ1と時間を注いでいる﹁入試業務﹂はアメリカの研究者には無縁である。彼らは、大学の
アドミッションズ・オフィス︵アドミッション・オフィスと単数形ではない︶
を施す義務はあるが、それ以外の面では学生に対して責任を負わない。卒業認定のような業務は教務部がすべて行
︵OfficeO〓nterコatiOコa−St亡dents︶
のような部署が受け入れ・登録から生活上のアドバイスや一定の世話ま
うし、成績の悪い学生の指導や退学勧告は学生生活担当副学長が率いる学生部の仕事である。また、留学生は留学
生課
ですべて行い、教員が留学生の指導とサポートを担当するよう求められることもない。実際、サウスカロライナ大
学のある研究者は、﹁学生が行方不明になったり大きな事故にあったりでもしない限り、教育以外の用件で学生と接
触することは余りない﹂と述べていた︵インタビューは一九九七年八月︶。教員による草刈りや電球交換、あるいは
交通指導などが想像のらち外だということはすでに述べた。ちなみに、防犯や交通関係の仕事は大学警察、ないし
セキュリティ部門の担当である。
ただし、アメリカの大学はだからといって学生に対して冷淡というわけではないことも同時に指摘しておかなけ
ればならないだろう。それどころか、アメリカの大学は学生に対して授業以外の面でも様々なサービスを提供する
と同時に、学生によるスポーツや芸術活動に大きな投資を行っている。少し大きな大学には必ずそび、ろ立っている、
数万人からt O万人規模のフットボール・スタディアム、それに大学対抗試合に対する大学ぐるみの熱狂は、そう
した学生の課外活動に対する興行的といっていいほどの力の入れようをよく示している。立派な温水プールや充実
した学生会館もアメリカのキャンパスライフを潤いのあるものにしている。しかし、そうした施設や活動は学生生
活担当の副学長が管轄している事業であり、教員の守備範圃とははっきりと区別されている。
また、リベラルアーツ系の大学はもとより、研究大学においてもいくつかの名門私学では、寮生活を中心に教員
141アメリカの大学制度と法学・政治学教育
と学生の積極的な交流が図られているようなケースもある。たとえば、ハーバード大学はあえて﹁家﹂
︵hOuSe︶
と
呼ぶグレードの高い寮をたくさんもっており、学部学生をそこに収容しているが、各寮長︵ヨaSter︶には年配の教
授が、副寮長にはその配偶者がなり、寮で生活しながら指導、相談、懇談を通じて学生と日常的に接触している。
また、寮には舎監やイギリスの大学風のチューター、客員教授なども住んでいて、寮を学生と教員が交流するサロ
ンとして機能させている。しかし、これも学部や学科における教員の仕事とは全く別物である。
四二ニ・五 講義負垣
第三の要因も時間に関係している。それは教育に割かなければならない時間である。大学によっても違いがある
が、日本ではノルマといわれる講義負担は、大学院を含めて週数コマないしそれ以上ではないかと思われる。私立
大学のなかには、過十数コマを負担するところもあると聞く。しかも、それ以外に総合科目の一部を負担したり
公開講座を担当したりしなければならない。これに入試問題の作成や留学生の指導、オープンキャンパスの実施な
︵コOrヨa〓eachingまたはteanhiコm
︵一科目の講義は一週間に二回から三回行われることがしばしば
ど、広義の教育関連業務が加わる。他方、アメリカの研究大学では通常一セメスター一ないし二科目である。これ
は学部と大学院双方の科目をあわせたものである
ある︶。ただし、研究面で業績を上げている教員は、学科長と交渉してノルマ
ObごgatiOn︶を減らしてもらうことができる。じぶんがとってきた外部資金の一部を大学に渡してそのお金で非常勤
講師を雇ってもらい、それで自分は講義を免除してもらうということも可能である。つまり、お金を払ってノルマ
を免除されるのである。また、レポートや期末試験の採点をティーチング・アシスタントに任せる道もある。逆に、
テニャーを得ているのに研究成果を出せないと、代わりの義務として講義負担が増えていく。
アメリカの大学では、綿密な授業計画や詳しいシラバスの作成など、一つの講義に注がれる時間とエネルギーは
一四一
1)142
同 法(53
一四二
決して少なくはないが、それでも学生を相手にする時間は日本よりずっと少ないといえよう。しかも、講義の準備
を入念に行うことは、研究の基礎を固めることにも役立つのである。授業に関連した学生指導以外に教員が学生生
についてみておきたい。この制度は近年日本でも導入さ
活と深く関わることも求められることがない。このことは、国際的な窺争力を持つ研究大学の場合、特に当てはま
る。
四二ニ・六 ティーチング・アシスタント
ここでティーチング・アシスタント ︵以下TAと略す︶
︵苅谷、一九九二︶、主に
れて少しずつ活用されるようになっているが、本家であるアメリカのTAがどのようなものかはまだ十分に理解さ
れているとはいえない。ただし、これについては苅谷による優れた報告・分析があるので
彼の分析を要約する形で簡単に述べるに止めるり
苅谷によると、TA制度は、学部学生の教育に関して教授の補助をさせる代わりに大学院生に財政的な援助を与
えるものとして一九世紀末に定着した。そして長い間TAの仕事は採点など成績評価の手伝いといった補助的なも
のに限られていた。特に、戦後大学に対する連邦からの研究助成が増えると、大学はその資金を獲得するために優
秀な研究者を競って集めるようになり、研究大学といわれる大学では教員評価において研究業績が著しく重視され
るようになると、教育面における教授の負担はますますTAに転嫁されるようになっていったっ大学院教育の拡充
とも相まって、当然TAをつとめる大学院生の数も増えていった。すなわち、﹁研究に専念すべき大学教授たちの教
︵苅谷、一九九二、四七頁︶。﹂
育負担を軽くするために、大学院生による﹃手助け﹄を活用する。そして、そのサービスへの報酬として大学院生
に財政的援助を与える。この二つがTA制度の発展を導いた主な要素であった
しかし、TAへの過度の依存ほ、学部教育の質の低下という問題と、大学院生の研究時間の減少という問題を引
143 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
の数が増えていくと、優秀な大学院生はそちらの
き起こした。しかも、一九六〇年代以降連邦からの助成金が著しく増額きれ、大学院生への無償奨学金や教授が獲
得した研究助成金によって給与をまかなわれる研究助手︵RA︶
方に流れて、TAをする大学院生のレベルが相対的に下がるという現象も生まれた。もちろんTAをする大学院生
の研究時間は奨学牛やRAよりも少なくなってしまう。こうしてTA制度への批判と反省が生まれ、TAには﹁大
学教師の養成﹂という役割が新たに付け加、ろられることになった。そして、その観点からTAによる教育の質を高
めるためのプログラムも開発きれるようになった。すなわち、TAは、大学における研究を支える制度であるとと
もに、大学教師のたまごを養成・訓練する機会としてもとらえられるようになったのである。現在では、大学院を
︵苅谷、
持つほとんどの大学で、TAセミナーといった教師のたまごとしてのTAの訓練プログラムが何らかの形で展開さ
れているという。いうまでもなく、これは日本におけるTA制度には欠けている視点である。
大学によってばらつきかあるので大まかな諸になるが、今日ではTAの仕事は大きく分けて四つになる
にR・プライス教授による﹁政治学二 ︵比較
政治学科における実際の授業を例にとって説明した方がわかりやすい。
一九九二、一四頁︶。第一は討論のクラスを指導することであるご﹂れはUCバークレーのリベラルアーツ学部︵COコege
OfLettersaコdScience︶
ここでは、二〇〇三年度の秋期セメスター︵日本流にいうと前期︺
︵ただし、アメリカの大学では日本のように休み時間というものがなく、同
政治入門︶﹂という講義が開講きれている。講義︵四単位もの︶は火曜と木曜の一一時から一二時半まで二回にわた
って過合計三時間にわたって開かれる
じ日でも複数ある講義時間帯それぞれのはじめ一〇分か一五分ほどが移動・休憩時間に当てられている︺。この講義
は入門科目なので、登録学生上限数六〇〇人という絵に描いたようなマスプロ授業となっている。当然大教室︵audit?
rium︺で行われる。受講生は毎週二回ずつプライス教授の講義を聴︿わけだが、それだけでは終わらない。講義に
は討論クラスがセットになっていて、そのどれかにも出席しなければならないのである。討論クラスはいくつかの
一閃三
開 法(53−1)用4
一閃四
時間帯に合計二四も設定されていて、TAがこれを担当するのである。受講生はそのどれかを選んで出席し、その
週の講義に関連した討論をTAの指導のもとで行う。これによってTAは基礎的な授業経験を積むことができる。
いうまでもなく二Eものクラスに教授がでられるはずもないから、TAをつとめる大学院生は各クラスを一人で担
当する。討論のクラスに限らず、TAは教授の指示と指導は受けるが、基本的に教授がいないところで仕事をする。
日本のように教授がいつもそばでTAを指導できる体制を要求されてはTAの意義がなくなってしまう。それはと
もかく、討論クラスを担当するに当たっては、TAは学生と一緒に教授の授業にも出席するから、授業の工夫や進
め方について学べるのである。
この講義で実施される小テスト︵quiz︶や中間・期末テストの採点をするTAも別にいる。これがTAに期待され
る第二の仕事である。ノ ブライス教授の講義のように多人数を相手にするものだと、複数のTAがこうした仕事を分
担しているのであろう。もちろん最後にはそれらを総合して成績評価をすることになるが、その手伝いをするのが
第三の仕事であるっ
︵、ミシガ
﹁フレッシュマン・セミナI﹂を開いている大学があるというn
苅谷によれば、TAの第四の仕事は授業をすることとなっている。いくつかの大学では、講義とセットになった
討論クラスとは別に、一年生︵freshman︶向けの
実際、UCバークレーでもミシガン大学でも、各学科から膨大な数のこのようなセミナーが出されている
ないし二科目を履修することが義務づけられて
ン大学ではfirst・yearSeminarsと呼ばれている︶。新入生はその中から自分が気に入ったテーマのものを選ぶわけ
だが、一般的にセミナ1は選択必修で、必ず一科目︵通常二単位︶
いる。このフレッシュマン・セミナーをTAが担当している大学もあるのだという。
最後に、TA制度の出発点となった財政的援助の面についてはどうであろうか。TAの手当はセメスターごとに
支給され、夏休みはもちろん対象外である。今、セメスター制をとっている大学で秋と春の両セメスターでTAを
145 アメリカの大学制度と法学1政治学教育
すると、ある州立大学の政治学科では二〇〇三年度に合計でおよそ一万二千ドルが支給される。日本的な考え方を
すると、月平均千ドル、およそ一二万円である。もちろんこれだけで暮らしていくのは大変であるが、TAをする
と普通授業料と健康保険料が免除になるので、あわせて考えると経済的にはかなり魅力的となる。ただ、その対価
として週二〇時間を授業や採点などに割かなければならいから、学位論文の執筆を抱えている大学院生としては時
間的に苦しくなる。そこで、半分の週一〇時間とか四分の三の一五時間だけTAをするという選択肢が与えられる
ことになる。もちろん手当もその割合でしか支給されないが。また、ニューヨークの有力私大では、学部、学科に
よっても異なるが、TAの手当は月平均になおして一、000ドルから二二〇〇ドルだという。やはり学費と健康
夏休み、サバテイカル、研究休暇制虎
保険料、それに若干の雑費料が免除になるのが魅力である。
四二ニ・七
雄用と講義負担が少ないといっても、大学が教学システムとしての役割をもっている以上、教月は何かと日々の
所用で時間を分断されがちとなる。しかし、研究を進めるには誰でもある程度まとまった時間を必要とする。しか
も、自分の大学にいたのでは実行できない調査や資料収集、実験、あるいはインタビューを行うことも、ときには
必要になる。こうしたまとまった時間をどのくらい利用できるかも、重要な研究条件の一つである。
この点でまずあげられるのは、アメリカの大学の長い夏休みである。周知のように、アメリカの大学は九月のは
︵冬休み︶
にはいり、一月半ばから第二セメスターとなる。そして、四月未にはこの第二セメスターも
じめに新学期を迎える。その後、セメスター制の大学では一二月に期末試験︵fin巴s︶を実施して二週間ほどのクリ
スマス休暇
終わり、三ケ月の夏休みにはいる。夏休みには教員に一切の義務はない代わりに、給与も出ない。最近の日本のよ
うに、教月が夏休みにも会議を開いたり、オープンキャンパスの準備と実施に汗だくになったりというようなこと
一四五
開 法(53−1)146
一四六
はないから、アメリカではこの時期が研究者のかき入れ時となる。出勤簿を押しに行く必要もない、というより、
夏休みに限らずそもそも山勤簿などはない。もともと、研究業績を上げ、学内行政と授業さへきちんとしていれば、
あとは時間を拘束する勤務時間といったものもなく、映画を見に行くのも大学を離れてよそに調査に行くのも個人
の判断で自由にできるようになっているが、なんといっても夏休みはまとまった時間を長期間確保できるのが魅力
である。
アメリカの研究者にとって、夏休みよりもさらにまとまった研究を行う機会はサバティカル制度によって与えら
れる。最近は日本でもいくつかの私学や国立大学でサバティカルが制度化され、あるいは実質的に取り入れられる
ようになってきたのであまり説明する必要はないと思われるが、要するに数年に一度、半年から一年、給与をもら
の半分である。筆者がフルブライト研究員としてミシガン大学
いながら大学の公務から完全に解放される制度のことである。支給される給与は、サバティカルの期間が半年でも
一年でも、普通年俸︵すなわち、九ケ月分の給与︶
に一年間滞在したとき倍りた家は、サバティカルでちょうど入れ替わりに一年間家族ともどもアイルランドに出か
けた研究者のものだった。教月がサバティカルをとると、その教員が担当していた授業は期間契約のレクチャラI
によって補われるか、その間受け入れる客月教授によって宥われる場合が多いようである。なお、サバティカルは
学科長や学部長の承認を要件とし、通常テニャーをもっている教員のみに与えられる。
サバティカルと並んで意欲のある研究者によって利用されているのが研究休暇︵st亡dy−ea扁S︶制度である。ミシ
ガン大学では、この制度は学術活動休暇︵schO−aユyactiくity︶eaくeS︶と呼ばれている。これは、大学を経れ、通常
として受け入れる。この制度によって、研究者は違った研
一年︵ときに二年︶を限度として他の大学や機関に所属して研究教育を行う機会で、給与は相手持ちとなる。また、
相手大学はその研究者を客月教授︵または客員助教授︶
究環境で刺激を受けたり、共同研究を遂行したり、あるいは外国での研究機会を待たりできる。もちろん、この制
川了 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
度を利用するには大学の了解を得なければならず、全く自由というわけではない。しかし、大学としても自分のと
ころの研究者に資金獲得と資質向上の機会を与、え、あるいは外に向かって所属研究者の優秀さをアピールし、さら
には優秀な研究者を確保しっつ、手当の安いレクチャラーで代行することで予算を浮かせる、といったメリットを
享受することができるので、一般に鷹揚にこの制度を運用しているように見える。また、相手先も、外部の血が混
じることで研究組織の活性化が期待できるだけでなく、スカウトするべき有能な研究者を物色するよい機会として
も活用できる。
なお、このスタディ・リーヴとやや似た制度に政府出向休暇︵intergO完rnmenta〓ea扁S︶という制度がある。こ
れは、自分の大学の研究者がその専門を生かして連邦政府の職員として活動することを認める制度である。アメリ
また、大学にとっても当然よい宣伝の機
カでほ大学関係者が閣僚や大統領補佐官などの役職に就くことが多いが、その一部はこの制度を用いている。これ
によって研究者は実務の最前線で能力を磨き知見を広めることができる∩
会になる。逆に政府職員がこの制度を用いて大学に出向してくることもある。
四・四 教具の自治組織と組合
四・四・一 教授全
教月の自治団体としてみた教授会は、日本の大学では学部単位に組織されるが、アメリカでは普通学科︵departヨent︶
単位に組織される。ただし、小規模なロースクールのように内部が学科に分かれていない場合には学部・研究科そ
のものが教授会の単位になるケースがあるようである。逆に、医凍系の大規模学科のように、内部を下位単位︵diまsiOnS︶
に分けて、そこがある程度自治的に運営されているケースもある。あるいは学科教授会に代わって、代議月会︵e莞Cutiくe
COヨmittee︶を選出して学科の運営を行っているところもある。しかも、こうした多様性が同じ大学のなかでみられ
一四七
1)148
開 法(53
一四八
ることも決して珍しいことではない。ともあれ、ここでは、学科が教授会自治の単位となっている標準的なケース
だけを取り上げる。
各学科に属する教員は、学科運営とその自治の確保のために教員団体としての教授会︵統治教授会、gOくerロiロg
facu−ty︶を組織し、会議としての教授会︵facu亨meeting︶および各種委月会を通じて意志決定と日常業務を行う。
会は学科長︵DepartmentChair︶が主宰する。この枠組み自体はだいたい日本の大学と同じである。この教授会で
どの範囲まで投票権を認めるか、また誰に捜棄権のない参加権を認めるかは、それぞれの教授会が決めるいわば内
部事項であるが、名誉教授、客員教授、アジャンクト・プロフェッサー、それに客員研究員などにも参加を認める
ことが多いようである。
次に、ミシガン大学を例にとって学科教授会がどのような責任と権限を有しているのかをみてみよう︵UMAcademic
AffairsAdくisOryCOヨヨittee﹂芸ご。まず、教育面ではカリキュラム、入学要件︵学部、学科によっては高校で物
理など所定の科目を所定の単位数受講して単位を取っていることが要求される︶、卒業要件、学位審査など。ついで、
学科内の組織や手続きなどの内部事項。第三は人事に関わる事項で、教月の採用、任期がある場合にはその更新︵非
︵Sch00−OfLiterature㍍cieロCeもロdtheArts︶
の政治学科に滞在していた
更新︶、昇任とテニャー付与、個々の教員の昇給特別加算︵決定権は学科長がもつ︶、などとなっている。一九九〇
年、ミシガン大リベラル・アーツ学部
際、筆者も教授会に参加させてもらったときにはセクシュアル・ハラスメントが議題になって、異性の学生との交
際は許されるか、といったことも議論されていた。
これらの事項の多くは大学理事会ないし学長など理事会が授権した機関の承認を必要とするが、手続き的な戦痕
がない限り普通は却下されることはない。特に、教授会の人事権は学問・研究の自由を護る上でも決定的に重要だ
と認識されており、この面における教授会の自治は尊重される。ただ、中小の私学では、教授会が機能不全を起こ
149 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
したり、特定教月の承認やテニャー付与に仲間内では公然と反対しにくい、といったりした場合に、舞台裏の交渉
のような委員会での審査も実質的な意味を持
を通じて学長やプロヴォストが介入することもあるという。また、教月の採用や承認といった人事問題では、学部・
研究科の全学科から選出される執行委員会︵E諾CutiくeCOmmittee︶
っている。したがって、学科がお手盛りの人事を行うことはできない。と同時に、教月は、委月に選ばれた場合、
自分が専門としない分野の人事についても深くコミットしなければならず、これは相当の負担とならざるを得ない。
それはともかく、人事を含め、教授会の主な所掌事項は一般にその日常的な審議と執行をそれぞれの委月全が分担
全学評議会
している。蛇足ながら、アメリカの大学数月もこうして会議という雑事にかなり悩まされているのである。
四・四・二
アメリカの大学では経営・管理と研究・教育の分離が進んでいるとはいっても、教員が全学レベルにおいて経営
から排除されている、というわけではない。それどころか、﹁大学の共同統治﹂︵sharedgO完rnanCeOfa亡ni完rSity︶
というアメリカ独特の理念にもとづいて、教月も大学全体の運営に多かれ少なかれ発言権を有し、それを通じて大
学の自治に参画する道が用意されている。この道として機能するのが全学評議会である。全学評議会は普通Uni完rSity
Senate﹀AcademicSenate.あるいは単にSena︷eと呼ばれる。ただし、ミシガン大学では、uni完rSitySenateと
呼ばれる組織はいってみれば全学構成員合のようなもので、講師以上の全教員、学長や学部長などの執行部、一定
の要件を満たす図書館月や研究スタッフから構成され、年に一度総会を開き、大学全体に関わる事項に関して学長
および理事会に提言を行うことになっている。ただし、この総会は実際には開かれておらず、したがって全学構成
月会は単に理念上のものにとどまっているようである。ミシガン大学で他大学の全学評議会に相当するのは、Senate
Assemb︼yと呼ばれる機関で、本稿ではこれをもって同大学の全学評議会と見なす。
一四九
1)150
岡 法(53
全学評議会は通常各学部から選ばれる代表
︵評議員としておく︶
一五〇
によって構成される。ミシガン大学では、学部
の規模によって二人から一六人の評議員が選出され、これにフリントとディアポーンの二キャンパスから六人が加
わって計七二人が全学評議会を構成する。当然このような大きな規模では機能しにくいから、日常的な審議や執行
ほ評議会が選出する委員とセクレタリー部門からなる評議会諮問委月会︵SeコateAdまsOryCOヨヨitteeOコUコi完rSit︶1
Affairs一SACUA︶によって担われている。ただし、ミシガン大学では評議眉になるのは教員であるが、コロンビア
大学では学生も学部代表の一人として参加しているなど、大学によってその構成は多様である、U
ミシガン大学の教月便覧︵Facu−tyHaコdb00k︶によると、仝戯評議会は、大学全体に関わる事項であればどのよ
うなことでも検討し、執行部、および大学理事会に勧告を行う権能を有している。また、通常は各学部・研究科の
自治にゆだねられている教育・研究事項でも、それが複数の学部・研究科にまたがる場合には、全学評議会の審議
対象となる。ただ、本稿の文面からも推察されるように、評議会は大学全体に拘束力を持つ決定機関ではない。最
終決定権はあくまで大学理事会とその委任を受けた執行部に帰属する。今日のミシガン大学では、評議会は何かを
︵たとえば大学が提供している健康保険でどこまで
を提起する場として機能しているようである。Lかし、これでは大学の自治の
決定するというよりも、教員の側が執行部に対して要望や苦情
カバーされるかといった利益問題︶
根幹をなす学問研究の自由を確保できるか心許ない。
これに対して、UCバークレーの全学評議会は伝統的に極め大きな発言力を保ってきた。厳密に言うと、カリフ
ということになる。この大学の全学評議会は、まだ他のキャンパスが分離・独立し
ォルニア大学は州内九キャンパスを代表する中央評議会をもっているので、UCバークレーのそれは評議会バーク
レー分会︵Berke−eyDi5.SiOn︶
ていく以前から、大学の経営や基本方針の策定に教員側の意見を反映させるよう大学理事会に要求し、それを認め
させてきた。具体的には、学部長・研究科長や学科長の任命は教授会側との相談なしには行わないこと、カリキユ
151アメリカの大学制度と法学・政治学教育
ラムや学生の選抜基準については教月サイドに広い裁量権を認めること、大学の予算に関して教月団が学長に助言
に明記され、全キャンパスに共通する原則として通用し
を行えること、学内の諸委月会を統括する稔務委員会の委月を教月側が選ぶこと、などである。こうした権能は今
日では理事会自身の手になる一般準則︵StandingOrder︶
ている。UCバークレー評議会の歴史は中央評議会のそれと基本的には同じだといえるのである。従って、以下に
はカリフォルニア大学中央評議会について述べていきたい。
今日では強力なカリフォルニア大学中央評議会も、その歴史において順調な歩みを見せてきたわけではない。な
かでも最大の試練は、一九四九年から五二年にかけて全米を席巻したマッカーシズムとともに訪れた。このアメリ
カ版ファシズムとさえいわれることもある政治的反動は各界に幾多の犠牲者を生み出し、その披が去ったあとも大
きな爪痕を残した。それは大学の世界も例外ではない。アカデミズムをおそったこの赤狩り旋風については黒川に
よる優れた研究があるので︵黒川、一九九四︶、詳細はそちらに譲り、カリフォルニアについて述べると、当時カリ
を得ていたにもかかわらず、である。このとき、教員側を代表
フォルニア大学の理事会は教職月にアメりカへの忠誠宣誓を強要し、それに応じなかった三一人の教員を解雇した
のである。その多くはすでに身分保障︵テニャー︶
するはずの中央評議会は理事会サイドの執行部に牛耳られており、教月の権利と学問思想の自由を擁護しなかった。
つまり、教員側の自治のツールとして機能しなかったのである。この事件は結局州最高裁が忠誠宣誓の強制を違憲
としたことで法的には決着したが、解雇された側の精神的、経済的打撃は大きく、多くが教壇に復帰しなかった。
しかし、この事件を奇禍として、中央評議会は教員の意見や利害をより代表するものへと再編成された。その効
果が試される事件はそれほど間をおかずにやってきた。人○年代中葉のヴェトナム反戦運動や公民権運動の高まり
である。UCバークレーはこれらに関する学生運動の拠点の一つになったことはよく知られているが、そのとき大
学当局は当初学生の自由な政治的運動を認めず、むしろ弾圧する方にまわり、キャンパスに機動隊を導入するなど
一五一
岡 法(531)152
の措置を講じた。これに対して、学生、教職員からは﹁言論の自由運動﹂
一五二
︵↓heFreeSpeechMC扁ment︶ が起こ
ったが、それを最終的に成功させるうえで中央評議会が重要な役割を演じたのである。
そのすぐあと、彼の大統領、ロナルド■レーガンがカリフォルニア州知事に就任すると、今度は進歩的なカー総
長と彼の任命による理事たちが州政府からの攻撃に晒された。これに対して、中央評議会はすぐさま断固たる行動
を起こし、カー総長を全員一致で支持する旨大学理事会に通告した。評議会は結局カー総長解雇という理事会が多
数決で出した結論自体は覆すことができなかったが、後任の選考においては評議会が同意する基準を飲ませること
に成功し、選考過程自体に参加することになったのである。こうして力を蓄えた評議会は、八〇年代になると、理
事会に追って南アフリカと取引のある企業に対する投資を撤回させるなど、政治的勝利を収めるようになった。今
日では評議会はこうした政治的に注目度の高い事項のみならず、予算や施設、教月給与など日常の重要な問題につ
いて理事会に対して影響力を行使している︵Ha〓﹂諾巴。カリフォルニア大学中央評議会の歴史は、全学評議会と
いう組織が大学運営上の単なる脇役にとどまるのではなく、学問や思想信条の自由にもとづいた教員の自治権を護
米国大学教授連合と大学数鼻組合
るうえで重要な役割を果たしうる、ということを示しているといえよう。
四・四二二
数月の自治権や学問・思想の自由ということになると、大学の制度的枠組み内部のことではないが、しかし大学
で、もう一つは教月組合である。米国大学教授連合︵以下教授連
の運営に大きな関わりをもつ二つの事柄について述べておかなければならない。その一つは、米国大学教授連合︵Aヨerican
AssOCiatiOnOfUniくerSityPrOfessOrS﹀AAUP︶
合と略す︶の概要とその歴史については、黒川による紹介が既にある︵黒川、一九九四、一〇三−一一六頁︶ので、
本稿ではそれと教授連合のホームページに掲載されている情報にもとづいて、簡単に紹介するにとどめたい。また、
ほ3 アメリカの大学別度と法学・政治学教育
教月組合についても、それが本質的には労働運動に関わるものであることはいうまでもないので、大学の自治、お
よび学問・教育の自由と関わる限りで簡単な紹介をするだけにとどめたい。
教授連合の歴史は、一九〇〇年に西海岸の名門私学・スタンフォード大学で一人の経済学者が解雇された事件に
さかのぼる。エドワード・ロスというその教授は鉄道企業の独占と移民労働者搾取に批判的な所説を展開していた
の夫人∴ンェインの不興を買うこととなったのである。このとき、大学の同僚はロスの解雇を傍観するのみで、
が、それが鉄道事業で財をなしてスタンフォード大学を創設したリーランド・スタンフォード︵一八二四1一八九
三︶
何の抗議も援助もしなかった。
︵ジョンズ・ホプキンズ大学哲学教授︶
が、一
一人の学者がその学問研究の故に職を追われるというこの事件は、しかしアメリカ大陸の反対側に大きな波紋を
投げかけた。すなわち、この事件に衝撃を受けたAエフヴィジョイ
︵テニャー︶
を守るため、一九
︵当時コロンビア大学教授︶ をは
〇年以上の試行錯誤の未、東部名門大学の有力教授たちに大学数月の全国組織を作ることを呼びかけたのである。
ラヴィジョイの呼びかけに対しては、著名な哲学者で思想家のジョン∴丁ユーイ
じめとする多︿の学者から賛同の声が寄せられ、学問の自由と大学数月の身分保障
︵AcademicFreedOm︶という理念が市民権を得たのはこの時
一五年に教授連合が設立されたのである。初代会長はデューイ、事務局長はラヴィジョイであった。教授連合のホ
ームページによると、アメリカで﹁研究教育の自由﹂
であるという。
教授連合のその後の歩みは、﹁研究教育の自由﹂を追求し、そのために教月の身分を守っていくという使命を十分
に果たし得た、とはいえない側面をもっている。マッカーシズムが大学キャンパスでも荒れ狂ったことは、この団
体の力が、政治的にも理念の世界でもそれほど人きくはなかったことを如実に物語っている。しかし、それでも会
月の数は年を迫って増加していった。今日の教授連合は、会月資格を適格認証を受けたすべての大学の教員、図書
一五三
開 法(53−1)t54
一五四
館眉、その他の学術専門職に広げて、四万五千人の個人加入全月と五〇〇の大学支部をもち、二九州に州組織を置
︵StatementOfPrincip−esOnAcademicFreedOmand
いている。そして、会員の選挙にもとづく合議機関と執行部によって運営されている。教授連合は、今日その綱領
である﹁研究教育の自由と教員の身分保障に関する諸原則﹂
Tenure︶にもとづいて、大学との間に紛争をかかえるに至った教月に関して毎年千件を超える助言と援助を行って
いる。また、そうした紛争が法廷に持ち込まれた場合には意見書を提出して自らの見解を表明しているが、その意
見書はしばしば判決で引用されるなど、一定の権威を有しているという。
ところで、教授連合の基本理念、﹁研究教育の自由と教員の身分保障﹂は、理屈で考えてみれば実は﹁研究教育の
自由﹂という一般理念と、﹁教員の身分保障﹂という個別目的という、二つの性格の異なる要素が組み合わさったも
のだということがわかる。そして、二つの要素は、お互いにカバーしあう部分をもっていることは確かであるが、
だからといって全面的に相補的だというわけでもない。そして、この重なり合わない領域において、﹁教員の身分保
障﹂の追求は教月の職業的利益追求一般へと拡大していく。今日の教授連合は、理念を追求する非営利団体である
で教月
と同時に、特定職業の個別利益を擁護する利益団体としての性格を持つに至っている。こうして、教授連合と教職
員の労働運動との接点が出てくる。実際、今日では、教授連合は七〇以上の大学支部︵主として州立大学︶
組合と大学当局との団体交渉の教月側代表を務めているのである。ただ、教授連合は組合運動とは距離を置く側面
は団体交渉権を持っている
という俄烈な業績主義を推進して
も同時にもっていることも指摘しておかなければならない。たとえば、教授連合はテニャ一社得後の教員評価︵pOSt・tenure
reまew︶を強く唱道し、﹁業績をLげなければ滅びるのみ﹂︵pub−ishOrperish︶
いるが、それは組合運動の論理とは矛盾する側面を有するものである。
ともあれ、現在のアメリカでは、多くの州で政府による雇用者︵pub−iceヨp−OyeeS︶
ので、州立大学の教員も多くが組合を作って自らの利益を主張している。pub−iceヨp−OyeeSはふつう公務月と訳さ
ほ5 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
れているが、州立大学教月には多くの州で日本の公務員法のようなものは適用されていない。しかし、その雇用関
係上の利益主張は↓般公務員と同じように扱われるべきだと考えられている。
であり、従って全国労働関係法︵NatiOna−LabOTRe︼atiOnSAct︶
が適用されない、と判断したため
これに対して、私立大学教員の場合には、一九八〇年に連邦最高裁が、教月は﹁管理職的被用老﹂︵manageria−
eヨp−OyeeS︶
に︵NLRBくS.YeshiくaUniくerSity︶、教員組合の活動ほきわめて低調であった。それでもいくつかの私立大学では
︵AヨericaロFederatiOnOf↓eachers.AFT︶
の大学部門に属し、必要とあれば
教月組合が存続し、近年ではその数も増加する傾向にある。私学にせよ公立にせよ、大学数月の組合はAFL−C
IO傘下にあるアメリカ教員組合
︵TAもかなりの大学
ストライキに訴えることもある。現に、最近も州立東ミシガン大学で教月組合のストがあり、大学側は非常勤講師
を雇っての授業続行を強いられた。もっとも、大学数月のストはそれほど多いわけではない
で組合化されていて、私立大学でも現在ロンビア大学で組合結成の運動がおきるなど、TAの組合化は広がりをみ
せている︶。
︵MinnesOtaissueWatchJan.N茎︺︶。そこには、アメリカの大学で非常勤の教員、あるいは
なお、従来の教員組合は正規教員を対象とするものであったが、ここに来て非常勤教員の組合組織化が進んでい
るという報告がある
︵ACE︶
の報告によると、一九九二年から一
フルタイム勤務であっても任期付きのレクチャラーの数が増加しているにもかかわらず、正規教月と比してその待
遇が劣悪であるという、日本と同様の状況がある。全米教育評議会
九九八年にかけての六年間で、私立の研究大学を除くすべてのタイプの大学で全教月数に占める非常勤教月の割合
が高まっているという︵厨訂ヽ両計c註Q3§軋罫q吉許諾∼L♪苛訂壱○−.岸コ〇.N−N≡い︶。そして、その割合は、
コミュニティ・カレッジでは六四パーセント、公立の研究大学でも三〇%に達しているという。もっとも、ハバ
ードやコロンビアといった有力私学はもとより、ミシガンやUCバークレーといったランキングの高い大学では、
一五五
同 法(531)156
一五六
その割合は依然として一〇パーセント以下にとどまっているから、中レベル以下の大学で非常勤教員が増えている
のであろう。いずれにせよ、彼らにとっては経済生活、研究条件、いずれをとってもおかれている環境が劣悪で、
従って研究教育の自由もあまり保証されない。組合を作って交渉力を高めようという動きがでるのもけだし当然だ
といえよ、つ。
しかし、正規教員の組合であろうと非常勤教員の組合であろうと、組合活動の中心が組合月利益の擁護と拡大に
あることは否定できない。この面が強くなりすぎると、大学の自治や教育研究の自由といった理念から遠ぎかって
しまう。教員組合は大学の競争力を損なうと危供する声もある。この点に関しては、オハイオ州立アクロン大学で
組合結成の運動を指導し、つい最近教月による投票において三八八対二二〇という大差で組合結成の承認を実現し
た同人学アビ教授の次のようなコメントが示唆を与えるかもしれない。﹁組合結成の是非をめぐる最大争点は教員が
大学の意志決定に参加できるかどうかということであった。﹂﹁今や教員の側に参加のチャンネルが開かれていると
︵b昌C芸古記⊇阜Mar﹂︺㍍書聖。﹂もちろん組合結成には
いう感覚が生まれており、それは学生にとっても利益となるものである。なぜなら、教月による参加は大学の質の
向上を目的とするときのみよく機能しうるからである
州財政の逼迫という状況を前にした教員の不安感や給与に対する関心も作用していたはずであり、そのことをアビ
も否定はしていない。しかし、大学の全学評議会が大学の共同統治機関として十分機能しないような場合において
は、教月組合の交渉力は大学の意志決定構造を多元化させ、研究教育の自由が単線的な力によってゆがめられるの
を防ぐ役割を果たすであろう。そして、そのルートが開かれることで、教授連合による教月組合運動支援もデュー
イやラビジョアたちの時代から連綿として追求されてきた価値の実現に貢献することになるのではなかろうか。
157 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
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﹃アメリカのりベラルアーツ・カレッジ︰伝統の小規模教養大学事情﹄
サックス、ピーター
吉田丈
宮田敏近
九九九年︶
渡部哲光
C阜軍打ぎ吾ヨAcadeヨic
Senateat
Berke訂yL篭∽.
CO〓egeOf︵訂SiskiyOuS一N芸−.
AmericaコCOunCュOnEducatiOn−ゝhぎ.斗G乳軋n言︹トS一連璧§こ罠栗鼠ぎ−Pub−ishedthrCugJinternet▼N茎−.
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TheOfficeOfPrOくOSt﹀↓he亡niくerSit︶10fWashingtOP
TheUniくerSityOfM首higan﹂ぎ乳首短針誌喜き↓heO芸ceOfPrOくOSt−TheUniくerSityOfMichigan㍍害−.
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U.S一News紆WOユdRepOrtこe萎当首ユ∵評注C︵ミ馬声U.S.News紆WOユdRepOrt−N03EdiこCコ.
一五七
開 法(53リ1)158
参照雑誌
ムミ、∼∵︵、∼‡;ミ、
︵ウェツプ・ジャーナルを含む︶・新聞
↓㌻完
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春照ホームページ
カーネギー財団 ︵CarコegieFOuコdatiCコ︶
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米国大学教授連合
五
八
」59 アメリカの大学制度と法学・政治学教育
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ハーバードガイド ︵玉arくardGuide︶
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ht亭\\ww声naSu︼gc.〇rg\
全米州立大学・国有地交付大学協議会
http︰\\ w w w . c O ヨ ヨ e r C e . g O ミ
連邦商務省︵U.S.DepartmeコtOfCOmmerCe︶
UCバークレ1統計分析部︵OfficeO︻P−annぎgaコdAna︼ysis︶
︵NewEng︼aコdAssOCi芝iCnOfSch00︼sandCOニeges︶
http︰\\gateway.くCbf.berke︼eytedu\
ニューイングランド学校・大学協会
︵AFTuAヨericanFederatiCコOfTeachers︶
http︰\\www.コeaSC.〇rg\
http︰\\w弓Wbft.〇rg\
アメリカ教員組合
た。
ハ注︶ 各大学のホームページは検索すればすぐわかるので省略したが、それとは別個に大学が開設Lているホームページは上に掲
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