...

私とホテレス

by user

on
Category: Documents
27

views

Report

Comments

Transcript

私とホテレス
私とホテレス
パレスホテル東京
取締役総支配人
渡部 勝
山梨フルーツリゾート株式会社
フルーツパーク富士屋ホテル
代表取締役社長
小池 雅彦
建て替えプロジェクトの参考書
ホテレスが私に残してくれた懐かしい思い出
ホテレスは私がこの世界に身を置いてか
山梨の県都、甲府に初の本格的シティホテ
ら、業界の貴重な情報源。インターネットがま
ルとして開業した甲府富士屋ホテルを83ペー
だ普及する前、他社情報や業界のトレンドは
ジで特集した1989年11月10日号。当時、営
同誌を通じ勉強したものです。新ホテルの建て替えプロジェクトを
業部次長の私は、伝統と革新、古き良きものと新機軸の融合こそ
担当してからは、たくさんのバックナンバーを読み込み、競合分析
が今後の富士屋ホテルチェーンの課題、そして私の役割と述べてい
からコンセプト作りまで、プロジェクトワークの有能な参考書として
る。また、箱根・富士屋ホテルの支配人として仕掛けた、漫画家84
大車輪の活躍でした。開業して半年。参考書の名を汚さぬようま
名の原画展示販売を中心とした夏休みイベント
「いつか漫画に夢み
い進しております。
た日」は3ページの94年9月9日号の記事。ホテルは楽しくなきゃ!
は今も変わらぬ私の信念である。
パン パシフィック 横浜ベイホテル東急
総支配人
株式会社ホテルオークラ東京 総支配人
清原 當博
小林 秀樹
私と教科書
ホテルマンにとってのバイブル的存在
41年前、ホテルのことは何も分からずこの
業界に入った。そして最初に配属された部署
鉄道会社入社2年目に、ホテル事業部門に
が「食堂サービス課」であった。この業界では
配属となり、右も左も分からない中、マーケッ
「お盆」のことを「トレー」と、
「コップ」のことを
ト情報や業界の動向を勉強するための、まさ
に教科書であった。30余年が経過し、現ホテルの総支配人に着任
「グラス」と呼ぶとは想像もしていなかった。
そのようなころ
「ホテレス」
と出会った。
したのをきっかけに、トップインタビューでホテルに対する思いや運
太田土之助社主の巻頭コラムの一行一句はホテル業界の奥深い
営方針をこの教科書に掲載いただくことになり、まさに感慨ひとし
夢への挑戦を駆り立ててくれた。とかくサービス重視一辺倒にな
お。その記事を表紙の顔写真と共に従業員食堂に掲出し、私の所
信をアソシエイツに伝える役目も担っていただきました。創刊2000
号おめでとうございます。
株式会社プライムマネジメントコンサルティング
代表取締役
りがちなホテルマンにブレーキをかけてくれる。
「儲かるホテル」
「コストコントロールの極意」などなど、GMを目指すホテルマン一人
一人にとってバイブル的な存在である。
ホテルアジール・奈良 総支配人
中 弥生
出村 明弘
“夢を咲かせる光”あこがれの雑誌に感謝
人が人を通して語られるもの
1994年の初夏、新入社員として入った新規
生涯出会う本は数知れず。たった一行が心
開業ホテルで初めてホテレスと出会いました。
に残り、その日、そのときから自分を変える魔法
自身の働くホテルのスタイリッシュで印象的な
の力がある本と出合うことの幸せ…若きころ、
外観が表紙に飾られ、とても誇らしく感じたこ
私がこの業界の扉を開けたときから始まった
“別
とを今もしっかり覚えています。今や、情報収
世界”
への誘い。日本で唯一のあこがれの雑誌。おとぎばなしのよう
集はネット上でも充分かもしれません。しかしながらそれだけではな
な広がる夢の世界と、データが踊るマーケティングの現実の世界がこれ
い人が人を通して語られる重みや厚みは、このホスピタリティー業界
でもかと挑発的に投げかけてくる。そのエネルギーに何度脱帽したこ
誌として非常に稀有な存在であり、五感を持って発信されるものに
とか。これまで数多くの取材をいただき、また1年半にわたる連載も経
は、時間が経過しても色あせない深みが残ります。今後もホテル業
験させていただいたことが自信と勇気につながった。その
「とき」
と
「こ
界とホテレスの変革を楽しみながら、共に成長していきたいと思い
ころ」
をすてきに解説してくれた
『ホテレス』
にあらためて感謝!
ます。この度は創刊2000号誠におめでとうございます。
316
̶ 2013.1.11 ̶
Fly UP