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いまどきの寄生虫・衛生動物疾患 松 岡 裕 之

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いまどきの寄生虫・衛生動物疾患 松 岡 裕 之
いまどきの寄生虫・衛生動物疾患
序
自治医科大学
医動物学部門
まつおかひろゆき
松岡裕之
感染症を引き起こす病原体は,ヒトがこの世に生まれたときから,あるいは母の子宮の中で
生を受けたときから,絶えず対応してゆかねばならぬ相手である。何十年か前までは,病気と
いえばたいていは感染症のことを指していた。人類はひたすらこの感染症を抑える努力を続け,
その結果,まだ不十分な国々もあるものの,多くの国では感染症をある程度克服することがで
きた。寄生虫病はその最たるものである。わが国でも,上下水道を引き,手洗いを励行させ,
糞便を肥料に使わないようにし,肉魚は加熱したものを食べるよう奨め,虫よけのため網戸を
普及させてきた。こうして઄世代前までは日本人のほとんどが保有していた回虫は姿を消し,
北海道から沖縄まで存在したマラリアの国内発生はなくなった。
寄生虫の激減とともに医学教育における寄生虫学は立場が危うくなった。全国の医学部から
次第に寄生虫学講座がなくなり,寄生虫を教える者もまた少なくされた。寄生虫学会の調査に
よると全国の医学部で寄生虫・衛生動物を専門とする教授がいるのは20%,寄生虫・衛生動物
を教えられる教員がいる医学部は50%である。しかもさらに減少中である。
昨年のことだが自治医大を卒業して地方で働く医師から相談を受けた。幼児の大便に白い小
さなムシが多数付着していたという。母親がオムツを替えたときに気づいたのだ。そのムシが
何であるかを調べるため,さる旧帝大系の医学部(数年前に医動物学教室はお取り潰し)にム
シを送ったものの,同定がつかないといって戻ってきたという。母親は不安がるし,とりあえ
ず抗寄生虫薬を飲んでもらっているが,いったい何でしょうというのだ。そのムシは当方へ送
ってもらったが(図)
,話を聞いただけでセンチニクバエであると分かった。すぐに薬を中止す
るよう言い,それはオムツを替えている間のઃ〜઄分にセンチニクバエ成虫が便の表面に幼虫
を産みつけていったのだと伝えた。幼児の腸内にムシがいたわけではないのだ。センチニクバ
エは卵ではなく幼虫を産む。きれいなオムツに替えてさて汚いオムツを始末しようとしたら白
いムシがいっぱい湧いていてビックリという次第だ。このようなことはちょっと知っているだ
けで,受診者をおおいに安心させられる。
回虫もマラリアも見たことのない学生が医師になるようになったとはいえ,寄生虫疾患・衛
〒329-0498
栃木県下野市薬師寺3311-1
小児科臨床
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357 (5)
図 આ匹のセンチニクバエ幼虫
体長અ mm.上側が頭部.頭部には咽頭骨格があり,黒っぽいトゲのように見える.
尾端には後方気門が二つ開いているが,この図では見えない.
表
自治医科大学医動物学教室への照会症例(1995〜2011 成人例を含む)
疾病名
寄生虫症例
原虫症
マラリア
赤痢アメーバ症
ランブル鞭毛虫症
クリプトスポリジウム症
トキソプラズマ症
シャーガス病
線虫症
回虫症
眼トキソカラ症
鞭虫症
アニサキス症
蟯虫症
糞線虫症
鉤虫症
フィラリア症
東洋眼虫症
吸虫症
日本住血吸虫症
横川吸虫症
宮崎肺吸虫症
肝吸虫症
件数
22
7
5
2
1
1
26
21
5
3
3
2
1
1
1
4
2
1
1
疾病名
寄生虫症例(続き)
条虫症
日本海裂頭条虫症
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40
アジア条虫症
大複殖門条虫症
無鉤条虫症
有鉤囊虫症
3
1
1
1
衛生動物関連症例
昆虫類
ハエウジ症
ドクガ皮膚炎
トコジラミ咬傷
ケジラミ症
4
2
2
2
デング熱
蚊刺咬症
スナノミ症
ダニ類
マダニ咬傷
疥癬性皮膚炎
ヒョウヒダニアナフィラキシー
その他
ムカデ咬傷
マムシ咬症
358 (6)
件数
2
1
1
14
2
1
1
1
生動物疾患に関する知識を持っているかどうかは,病気の予後に大きく影響を与えることもあ
るだろう。そのようなわけで今回このような企画を考えた。
寄生虫病はところで,なくなったわけではない(表)。日本人は生魚を食べる習慣を捨ててい
ないので,ある種の条虫症は依然として存在し外来受付に喧騒をもたらす。トリ刺しを食べれ
ばトキソプラズマ症,牛肉を生で食べれば無鉤条虫症になるというのに,これらを恐れもなく
食べている。その子どもも親の背中を見て,また安心してそれらを食べる。中間宿主を必要と
しない蟯虫は,低い頻度ながらしぶとくわが国でその生活史を維持している。ペットたちの持
つ寄生虫もヒトに侵入してくる。ネコからはトキソプラズマやネコ回虫,イヌからはイヌ回虫,
いずれはエキノコッカスも移すようになるだろう。サルを飼う人はあまりいないが,鞭虫や糞
線虫を移されそうだ。寄生虫症が減少していない海外の国からは,見知らぬ寄生虫を含め,い
ろんな虫が押しかけて来ている。輸入野菜の中に寄生虫卵,輸入キムチに回虫卵が混入してい
たという事件が2007年にあった。人が動物が食品が,そうした病原体を運んで来るのだ。
小児は感染症のフロントラインである。小児にとっては見るもの聞くもの感染するもの,み
な初めてのものである。あらゆるウイルス性疾患,細菌性疾患に並んで,一連の寄生虫疾患が
子どもたちを待ちかまえている。好酸球の増多や総 IgE の増加を見たとき,これは Th2タイプ
の免疫系が亢進して,IL-5や IL-4が増加したことと関連するのだが,一応寄生虫疾患はないか
勘ぐる必要がある。IgE 抗体が主役となる I 型アレルギーは,そもそもは寄生虫排除のために
生体が持っている機構である。長い人類の歴史のなかで寄生虫との遭遇が稀になったわずか数
十年の間に,花粉やダニの糞や食品蛋白を敵と思って,それらの抗原に特異的な IgE 抗体を用
意する人が増加しているが,これらは本来寄生虫に対して用意されるべき抗体である。
診断の頼みは,まずは顕微鏡である。一滴の血液でマラリアを診断することができる。ひと
かけらの便からアメーバがみつかり寄生虫卵が検出される。それだけで診断終了である。スコ
ッチテープ法による蟯虫卵の検出もこれよりすぐれた診断法はない。幼虫移行症のようにヒト
の体内では成虫にならない寄生虫については,吸虫症のところで述べられているように,患者
血清を用いて各種寄生虫に対する抗体の存在を示すことで診断に近づくことができる。
減少著しい寄生虫症に比べ,衛生動物疾患のほうは先のハエ幼虫もそうだが,小児科医が日
常遭遇する頻度が高いと思う。ハチに刺された,蚊に刺されたといったものから,ドクガ幼虫
の振りまく毒針毛を浴びたとか,海にゆけばクラゲの刺胞でみみず腫れになったとか。子ども
は行動範囲が広いので自然界との接点も非常に多い。
本特集ではいろいろな角度から,いまの日本で小児科医が遭遇するだろう寄生虫疾患,衛生
動物疾患を,専門の人たちにお願いして紹介してもらうこととした。どうかいちど通読されて,
これからこんな疾患を抱えた子どもがやって来るかもしれないと想像していただきたい。ある
いはこの地球には人類以外に,こんなにも多様な生き物がいて,われわれと袖すりあって暮ら
しているのだと実感していただきたい。地球は人間だけのものではない。われわれはもっと謙
虚に暮らしてゆけないのか。日頃ムシを見て暮らしている自分はつとにそう思う。
小児科臨床
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