...

小学校体育における表現運動の意義: 授業と運動会集団演技との不連続

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

小学校体育における表現運動の意義: 授業と運動会集団演技との不連続
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
小学校体育における表現運動の意義:授業と運動会集団演技との不
連続性に着目して
Author(s)
青木, 惠子
Citation
青木恵子:奈良女子大学スポーツ科学研究 (Reaseach Journal of Sport
Science in Nara Women's University) , 2012, Vol.14, pp.67-72
Issue Date
2012-03-31
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/3168
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-29T23:05:30Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
IJ\~~i*.'::iIS It .gi!UJlillb(1)• •
-fl. c. i'l1IJ ~. (!II;i tt c. (1) =-Fit.it I::. §
l., "'C
Significance of physical expression in elementary school PE class: focusing on the
discrepancy between activities for class sessions and group works in preparation of
Sports Festival.
KeikoAoki
Abstract
Dancing was proclaimed to be compulsory in the curriculum of PE in the first and second year
of junior high school starting from school year of Heisei 24. The importance of physical
expression has been widely recognized in education in general, but that of elementary school
phase has been often described by the earlier literature to be "difficult" or "always lacking in
time for preparatian", because "performing at the Sports Festival is expected to be
mandatory". In this work, I pointed out that both teacher and schoolchildren often become
aware of "third persons" in the process of preparing for the Sports Festival, and qualitative
differences can be observed in the works for Sports Festival compared to those of usual class
sessions. At the same time, throughout the activity of class sessions, children learned how to
communicate with each other and to accept the images and movements of others and to give a
meaning to those images and movements. In the sessions in preparation for Sports Festival,
many of them were able to playa role as a member of a group in collaboration with others.
You can see the educational instructiveness in both cases.
(Research Journal of Sports Science in Nara Women's University, 14: 67-72, 2012)
Key Words: elementary school PE , physical expression, class sessions, Sports Festival
:\'--? - F : Ij'~~f*1f, *~l!I!liL ~~, l!I!li:J~
O.&~~*$*$~AOO~~U~#~±MM~~AOOfl~#$.~~~-Y#$~-~
T 630-8506 • & m~t~.§i i!911lT
Graduate School of Human Culture (Master' s course)
Nara Woman's UniversitY,Kitauoyanishi-machi,Nara,630-8506
- 67 -
緒言
会での表現運動作品の実施状況を,
大阪府下で開催
された小学校の表現運動指導者講習会の参加者
平成 2
0年の学習指導要領の改訂により,平成
1
7
0名を対象に調査を行い,44名から有効な回答
24年度から中学 1・2年においてダンスが必修化
を得ている.この調査では,
小学校での表現運動-
されることになった.学校教育において男女が共
表現運動に頻
の日常の取 り組み状況については,「
にダンスを学ぶことは初めてのことであ り,ダン
繁に取 り組んでいる」が 4.
5%に過ぎず,「
ときど
スは教育の中で,ますますその重要性が認められ
き取 り組む」(
45.
5%)や 「
あまり取 り組まない」
ているといえよう.
(
36.
4%)が大半を占めてお り,「
全 く取 り組んだ
1
%を示 した.表現運動に関心の
ことがない」は 9.
ダンスが教育に取 りいれ られてきた理由の一つ
に,ダンスそのものが持つ価値が大きく寄与 して
ある小学校教師であるにもかかわ らず,表現運動
いることは言 うまでもない.古代より人は様々な
-の取 り組みが積極的でないことがわかる.この
場面で踊ってきた.踊ることで喜び,悲 しみ,悲
報告において新田らは,「日常の授業の中では表現
りを表現 し,心身 を開放するすべを見出してきた.
運動を行っていないが,運動会で表現運動を実践
また共に踊ることで,同じ感情を分かち合ってき
することによって,運動表現の指導に換えている
たことは,身近な 日本の盆踊 りの例を挙げるまで
指導者や学校 も多い」ことも指摘 している.
もなく,古今東西枚挙にいとまがない.
また,高度
この調査は 1
5年以上前に実施 されたものであ
な技能を伴 うダンスは芸術-と発展 し,観 ること
るが, 日常の体育授業の中で表現運動 とい う単元
で人々に感動を与えてきた.
が時間数を確保 して十分に学習 されてお らず,運
現学習指導要領において,小学校ではダンスは
動会の一つのプログラムを作るために表現運動が
表現運動 とい う名称で扱われてお り,そのものが
使われている状況は現在も同じである.
持つ価値に対 して,情緒面での育ちが大いに期待
されてお り,低学年 (
1,2年では表現 リズム遊び)
また,この報告では,小学校教員たちが,
運動会
で表現運動を実践する意義について,①学習成果
の 「
題材にな りきった り, リズムに乗った りして
を発表する②望ましい集団活動の展開③ 自主的態
踊ることができるようにする」7)ことから始ま り,
度の育成④ 自己表現の楽 しさの体得冨)
創意 ・工夫
高学年の 「
表現では,いろいろな題材から表 した
による創造性や個性の発揮⑥動 く ・踊る喜びの体
いイメージをとらえ,即興的な表現や簡単なひ と
得であると捉えお り,
中でも低学年の指導者は,と
.
まとま りの表現で踊ること」
7)
-発展する.つま
り, 日々の授業の中で表現運動は,身の回 りにあ
る事象の模倣や音楽 リズムを感 じて踊ることから,
くに 「
学習成果を発表する」場 として運動会を有
効に利用 しようとしていると報告 している.
筆者は現在,奈良女子大学附属小学校で 1-3年
イメージを内在 させた 自己表現- とつなげられて
生までの 「
ダンス」 とい う科 目の授業を週 1回担
ゆくことが最終 目標 として 目指 されている.
当してお り, 日常の表現運動のまとめとした 「
作
一方,小学校での表現運動は,運動会の集団演
品」も作る.そ して,
授業で出来上がった作品を元
技 となる 「
作品」を覚え踊ることを目標に学習さ
に,運動会の集団演技に向けた 「
作品」に仕上げ
れることもある.昨今の運動会では, リズ ミカル
てゆく.筆者 も同様に日常の表現運動の授業で育
に踊るダンスや,流行 している歌の振 り付けをそ
んだ学びの集大成が,運動会で実施 される表現運
のまま取入れたダンスや,隊列を組み揃いの動き
動作品であ りたいと願 う.ところが,運動会を意
を披露する民謡 (
ソーラン節など)などが集団演
識 したときに,
授業で作った 「
作品」を,
そのまま
技 として用いられてお り,
授業ではこれ らの踊 り方
を習得するかたちで進められる.
披露することに筆者 自身がためらい,その作品に
新田 ・千住 4
)は
日常の表現運動の授業 と運動
- 68 -
手を加えて しま うことがある.
この 日常の表現運動の授業 と運動会での集団演
技としての表現運動作品とのつなが りの悪さは,
を設けている.例えば, 1年生では,虫や動物を
吉川 ・堀 8
)の報告にも示されている.吉川 らは授
テーマに取 り上げることが多い.好きな生き物を
業終盤に設定された 9時間の踊 りこみを含めて,
イメージすることで,何をどうしていいのかその
2時間の授業時間をとり,子ども
運動会までに計 2
取っ付きのない子がいとも簡単に踊 り出すことが
たちが運動会作品を自主的に創 り上げる表現運動
多いからである. 1回目では,チ ョウ ・トンボ ・
の授業実践を行った.この授業において,「
おど
カブ トムシ ・カマキリなど子どもたちが挙げたい
る ・つくる ・みる」といった表現運動の特性を主
くつもの虫を,個人で踊ってみる. 2回目は各 自
体的に体験させた結果,子 どもたちはダンスをつ
が好きな虫を踊 り,見せ合いをする.この見せ合
くり,踊ることは楽 しいと感 じていることが報告
いが授業での作品発表ということになる.観てい
されている.しかしながら,一方で,「
ひとりひと
る子 どもたちが作品の良かったところ,工夫 して
り-の配慮や働きかけが十分できないまま進めざ
いると感 じたことを感想 として述べる.手をあげ
るを得なくなる」ことや,日常の表現運動の授業
て感想を述べる時に,先に褒めた人 と重複する
で大切にしてきた 「
子ども一人一人の表現要素が,
人 ・内容を避けるというルールがある.
運動会を想定 した一斉授業の過程で十分に取 り上
そして,子 どもたちが興味を持って踊った題材
げることができなかった」という指摘がなされて
や,伸び伸び踊った題材を素材にして,二学期の 9
お り,筆者 と同様に苦悩 しながら授業を進めてい
月下旬以降に設けられている 「
運動会特別 日課」
る様子が うかがえる.
の中で,運動会に向けた作品づくり-と移行する.
本研究においては,日常の表現運動の授業から
筆者が,運動会作品を作るにあたって,授業作
運動会での表現運動作品-連続性を持たせようと
品をそのまま運動会作品にすることをためらうよ
したときに起きる教師のためらいに着 目し,それ
うになったきっかけは,4年前の運動会である.
がどのような要因によって生 じるのかや,そのこ
その運動会での 1年生の作品は,国語の教科書
とによって授業の作品がどのように変容するのか
での教材 「くじらぐも」 3)を発展させたものであ
について,筆者 自身の授業実践から拾い出し,作
る.これは,校庭で体育をしていた子 どもたちと
品の変容から見えてくる小学校の表現運動の意義
先生が,くじらの形をした雲を追いかけて空に舞
について考察する.
い上がるお話である.実際にはなりえない雲に,
ダンスでは,自分のからだでその空想を実現でき
授業実践か ら -不連続性 を引き起 こす要田
る.腕を柔らかくゆっくりと大きく伸ばし,自ら
感 じた風に吹かれていくように,自分のテンポで
筆者が勤務する小学校では,
小学校 1年生から3
どの方向ともなく動いていく.子 どもたちがイメ
年生までは,体育授業 とは別に 「
表現」の時間が
ージを広げ,雲になりきって踊った作品 「
空をと
週に 1時間 (
4
0分)設定されている. 1学期は 1
0
べたら」をそのまま運動会作品とした.
回ほど授業があり,運動会は 2学期の 1
0月中旬ご
ろに開催 される.授業では,
子どもたちの日常にあ
1年生だった H君は,
運動会を終えた翌週に,
「
お
じいちゃんが運動会のあとに言っていた.何をや
ふれる身近な題材や,他の教科で学習を深めたこ
っているかわからない.ちっともそろっていない.
とを題材にして,個人のイメージを優先 させ即興
あれではだめだ.
」と筆者に伝えた.お じいちゃん
的に踊る.音楽は筆者が選んだものを J
m として
は見ている者には,ス トー リーが伝わらず,動き
流 しているが,そのリズムやフレーズを意識 させ
が揃っていないことを評価 したのである.子ども
るものではない.
たちが思い思いの自己表現をしたとしても,その
-つの題材に対 して 2回の授業時間をあててお
動きが内包する思いは伝わらず,ス トー リーの上
り,
2回目の授業では,各自の踊 りを見せ合 う時間
では,無意味な部分 と映ったのかもしれない.秦
- 69 -
現の授業が大好きで,どんなテーマでもそのもの
0人を一つのグループにして縦一列に並び,
者は,1
になりきって踊る H君だったが,運動会が終わっ
上体を遠心状にまわ した輪舞にすることで 『
忍者
たあとにはこれまでのように夢中で踊る姿が見ら
れなくなった.
の分身の術』を表現することを子 どもたちに提案
X
I
L
Eの踊 り
した.この輪舞は人気歌手グノ
レープ E
平成 2
0年の 3年生の運動会作品 「
時計」は,か
の一部を真似たものである.この動きは前の人と
らくり時計の中から操 り人形が飛び出し,いつの
自分の速度をず らしながら動く技能が求められ,
間にか生命をもって動くというス トー リーを子 ど
また,いかにも 「
分身の術」らしく見えるはずだ
もたち自身がつくったことから,その空想のおも
と判断 した.そ して,この見栄えのある動きのあ
しろさを表現した.子 どもたちは授業の中で,無
とに,子 どもたちが自ら考えた忍者の術の動きを
機質なものの動きをそれぞれに見つけ出し,思い
思いの換 り人形を踊っていた.運動会作品に移行
展開すれば,子 どもたちの自由な表現を,保護者
が,たとえ 「
何をやっているかわからない」と感
子どもたちが
するに際 して,当初はこの成果を,「
わか りやす
じたとしても,先に 「
上手なダンス」「
それぞれに,自分のイメージした操 り人形を踊る」
場面として取入れていた.
いダンス」を見せておくことで,一連の動きとし
て悪い評価にはならないのではないかと考えたの
しかし,運動会が間近に迫った 1
0月の授業で,
である.
筆者は,子 どもたちがそれぞれに操 り人形を踊る
H君のお じいちゃん
これ らの変容を振 り返ると,
のではなく,音楽のフレーズの区切 りを合図にし
から 「
何をしているのかわからない」「
皆がそろっ
て,子どもたちの半数が静止 し残 りの半数が踊る,
ていない」と評価 されたことをきっかけに,運動
次のフレーズでは静止 していた子 どもたちが踊 り,
会作品の発表において評価されるのが子どもたち
踊っていた子どもたちが静止するとい う,いわゆ
揃っ
ではなく自分であるとの認識が筆者に生じ,「
る輪舞の繰 り返 しに変更 した.半数が動き残 りの
ている,揃っていない」という一つの価値観に沿
半数が止まることを繰 り返すことによって,時計
の中から人形が少 しずつ繰 り出す様子にメリハ リ
うように,授業の作品に手を加えさせている.ま
操 り人形」のケースも 「
分身の術」のケース
た,「
をつけ,数秒ポーズをとったまま止まることで,
も,子 どもたちの自己表現に変えて,音楽のフレ
無機質なものを表現 しようとした.いずれも,観
ーズに合わせたり,具体的な動き方を与えること
客の眼に 「
揃って止まる,揃って動きだす」とい
によって,子どもたちが 「
できているかどうか」
う動きが明確に判ることを念頭に置いた上での変
を,観ている者が評価 しやすい状況を筆者がつく
更である.
ろうとした鉛 ともいえる.
3年の 3年生の運動会作品 「
タイム
また,平成 2
このような指導者の 「
加工」に対 して子 どもた
スリップ」は,古くから日本にだけあるものかっ
ちの反応は,どうであろうか.作品の変更は,千
こよさを見直そ うと表現 したものである.子 ども
どもたちの大半から肯定的に受け入れられている.
たちと話 し合い, 日常の授業で侍 ・桜 ・きものな
子どもたちは,提案された動きの習得に励み,新
どたくさんの題材に取 り組んだ結果,忍者 ・歌舞
しい技術ができるようになることを喜び,他のグ
伎を選び,それぞれが持つ独特のイメージと動き
ループとその出来映えを競いあう姿もみられた.
連獅子」
を表現 しようと取 り組んだ 歌舞伎は,「
動き方が明確に示されたことにより,それを習得
Ⅷ で迫力ある所作を子どもたちが興味深く見
のD
た.忍者では,暗闇の中,腰を低 くしてすばやく
するとい う目標が定められて集中できるようにな
った.
忍者は様々な術をも
動く格好よさを思い浮かべ,「
「
タイムスリップ」について運動会後に感想文を
っている」とい うことになった.
これ らの表現を運動会作品に仕上げる際に,筆
書かせたところ,子どもたちの多くが 「
分身の術」
- 70 -
について触れてお り,その大半は 「
むずかしかっ
たけれ ど,やることが決まっているから合わせる
ちが表現運動作品を発表する場である.このとき,
ことができた時はうれ しかった」という内容だっ
保護者はどのような視点で運動会作品を観ている
た.その一方で,「じっくりと本気で忍者の気分に
のだろうか.
ダンスとダンス
なって踊ることができなかった」「
校庭に広がる子どもたちからマスゲームのイメ
の間がいそいでいてダンスではなくなってしまっ
ージを強く持ち,揃っている美 しさや音楽のリズ
た」「
友だちに合わせることばか りが気になってし
ムに合っていること,ミスなく踊っているかどう
まって残念でした」などの,自己表現が発揮でき
かなどが観 られているのではないだろうか.そ し
なかったことを記述 した感想もあった.
て,その 「
揃っている表現運動」の中にいる我が
自己表現を通 じて主体的な育ちを手助けしたい
子が皆と同じように動けているか,少なくとも平
とい う思いや,ダンスの技能を身につけさせたい
とい う思いなど,表現運動をめぐる子どもたちの
均値に達 しているかを評価する.その上で,タイ
トルからイメージできる 「
何をやっているかわか
育ちについての多様な思いが筆者の中にあり,そ
る」動きを探 し,作品名にふさわしい表現運動で
れ らの優先順位を授業作品と運動会作品で変えて
あったかを評価 し,納得 しようとするのではない
だろうか.
しまっていることが子どもたちに混乱を生じさせ
ている.
集団演技として動きを揃えて踊る表現運動は,
集団の一員 としての役割を果たして協力 しあう経
験でもあり,社会性を育むことにつながるだろう.
小学校体育における表現運動の意義
しかし,表現運動には,そ ういった社会性を育む
先に挙げた新田らの研究
4)
では,運動会で表現
こととは別に,「
そのものになりきって」「
踊る楽
運動を実施しない理由として,「
指導者の作品構成
しさや喜びを味わ う」といった技能目標 (
自己表
表現運動の指導力」「
指導者間の理解」「
保護
力」「
堤)が存在する.そ して,この目的に沿って行わ
者の理解」が挙げられている.
れる日常の授業では,子どもたちが自由自在に自
「
指導者の作品構成力」や 「
表現運動の指導力」
己表現を行い,その表現活動を通 じて他者 と関わ
といった指導者側の問題は,日常の授業において
り,他者のイメージを受け入れながら場の意味づ
表現運動の授業を妨げている理由としても挙げら
けを生成 してゆく様子が認められる.
れてお り,このことから,教員自らが表現運動に
以下は筆者の授業での例である.
対する知識 と指導力のなさを認識 してお り,表現
サン ・サーンスによる 「
動物の謝肉祭」という
運動そのものの実施を断念させているといえよう.
作品の中に 「
化石」とい う曲がある.2年生の子
新田らも,表現運動の授業は 「
指導者の果たす役
どもたちは,「
動いていた生き物が化石になる.そ
割が非常に大きい」としたうえで,「
表現運動の指
のじたばたを踊る」「じっとしているはずの化石が
導に不慣れな指導者にとっては,運動会で表現を
化石を発
実は誰も見ていないところで動き出す」「
実施するにはかなりの勇気 と決断がいる」と述べ
化石が廷る
掘 している人の様子と気持ちを踊る」「
ている.
時を踊る」と自由に空想を広げ,動かないはずの
一方,他の 2つの理由,すなわち 「
指導者間の
化石さえも表現運動の題材にすることができる.
理解」と 「
保護者の理解」は授業に直接関与する
「
化石」を題材にした 2時間目の授業で,0君
指導者以外の第三者を挙げている点で共通する.
が 「
僕は,化石の気持ちは分からないけど,T君
筆者のみならず,運動会を想定したときには,日々
は化石になることができたようだ.自分 とは感 じ
の授業では意識 されなかった,他の教員や保護者
方が違 うんだという事がわかった」と発言 した.T
といった第三者の存在 が現れてくるのである.
君の表現を見ることで,
自分とは全く違 う化石のイ
メージがあることを認めているのである.
運動会は観客である保護者に対 して,子 どもた
- 71 -
同様 に,
1年生で 「
あ り」をテーマにグルー プで
太田市立駒形小学校ホームページ
踊 った ときには,3つのグルー プが行 った り来た
h
t
t
p:
/
/
www
.o
t
a
.
e
d
.]
'
p
/
k
o
ma
g
at
a
/
i
n
d
e
x
.
ht
m1
りし始 めて,
動 きなが ら交流を始めた.何故そ うし
2
01
1
.
9
.1
6
).
たのかを子 どもたちに尋ねると,「
あちらの巣のあ
このような事前説明は,保護者に評価視点を提示
りが こち らのたまごを取 りに来たので,取 り返 し
することで,作品発表の際子どもたちが見せるそ
に行 こ うとした らそ うなったのです」と説明 した.
れぞれの自己表現を,一元的な評価か ら解放す る
このよ うに,日常の表現運動の授業には,友達 を
他者 として認識 し,かかわ り方 を体験 しなが ら自
と同時に,教師に向けられる評征もかわす解決方
法の一つではあると考えられる.
己が変化 し成長す るとい う, ささやかなが らも確
参考 ・引用文献
かな全人形成の場 としての役割 を兄いだす ことが
できる.しか し,その価値は,
本稿に示 したよ うに
運動会作品を意識 した ときに失われやすい もので
1
) 青木憲子 (
2
09
)子どもが主体的に取り組むダンス学習
もあ り,習熟度が他者 の 目にも比較的判 りやすい
一
十J
、
学校運動会発表までの作品づくりをとおして- ,
秦
一般的な学力 とは異な り,身体表現は心のあ りよ
良女子大学スポーツ科学研究 :9
9
-1
0
6
.
うと関わ り,「
その子 どもに とっての 自己表現がい
かにできているか」は評価 しづ らく,また見落 と
2
)木村真知子 (
1
9
8
6
)ダンス授業研究の方法に関する一考
察,奈良教育大学紀要 :3
5(1)
1
5
5
-1
6
2
3
)文部科学省検定教科書 (
2
03検定済み)小学校国語科用
され がちで もある.
小学校で,表現運動が果たす役割 とは一体何な
のだ ろ うか.表現運動 とい う教材 が,小学校で持
1ねん (
下)ともだち
4)新田良子 ・
千住真智子(1
9
95
) 運動会における表現運動
つ教育的役割 について,子 どもたち ・教師 ・保護
に関する一考察,大阪教育大学紀要 :4
4(
1
)61
-7
3
.
者 が表現運動 を どの よ うに捉 えているのか,それ
5
) 千住真智子 ・
新田良子 (
1
㈱ )集団表現 ・演技発表に関
ぞれの捉 え方に着 目し,教育的役割 を再考 したい.
する研究 (I)一大阪軒下小学校の運動会を中心に「 大
4
4(1)
2
4
5-2
5
5
.
阪教育大学紀要 :
注
6
)千住真智子 ・
新田良子 (
1
卿 )集団表現 ・演技発表に関
する研究 (
Ⅱ)-W
担当教師 と子 どもたち)と受け手 (
他の
注)作 り手 (
教師や保護者)の間に生 じる評価の ミスマ ッチを防
小学校の運動会の集団表現 ・演
技発表の実施内容を中心に-,大阪教育大学紀要:
4
5(
1
)
1
2
9-1
3
9
.
ぐために,運動会作品の鑑賞の仕方を第三者に事前
7
)小学校学習指導要領 (
208)文部科学省
に説明する手法があることを,小学校教員たちから
8)吉川京子 ・
堀寛子 (
1
9
93)小学校における運動会での発
しば しば耳にす ることがある.「
何を踊っているの
表に向けた表現運動の授業実践研究 一児童の授業に対
かわか りにくい」とい う見る側のス トレスを軽減 し,
する評価による分析,金沢大学教育学部教科教育研究 :
9
7
子 どもたちを気持 ちよく応援 してもらう手立て と
して学級通信な り学年便 りなどで,作品内容やみて
ほ しいポイン ト等を丁寧に解説 し,「
温かく応援 し
てやってほしい」ことを添えて伝える.このような
対応をすることで,第三者を事前に味方につけ自分
(
指導者)も,ス トレスから解放 された うえで作品
発表に臨むことができるそ うである.最近では小学
校のホームページに 「
運動会応援特設ページ」や 「
種
目解説」を事前に設ける学校もあるとい う (
群馬県
- 72 -
-11
1
Fly UP