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帰国運動50年、帰国者・日本人妻を返せ!

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帰国運動50年、帰国者・日本人妻を返せ!
(自由のカモメ)
いのち
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
朝鮮総連本部前で抗議する高政美さんと支援者(撮影:大澤幸治)
(右から二人目、三浦小太郎守る会代表、左へ高政美さん、萩原遼名誉代表)
●帰国運動50年、帰国者・日本人妻を返せ!
固く門を閉ざす、朝鮮総連本部
マイク使用を禁じられ、肉声で声
をはりあげる高政美さん(右端)
ら。左端は守る会三浦小太郎代表
会館10階の議長室にいるとみられる
徐萬述総連議長にとどけとばかり叫ぶ
高政美さんら。右端は、山田文明副代
北に残した家族に被害が及ばないようにマスクで顔を隠しながらも抗議の座り込みを行う脱北
帰国者たち(右から2人目は萩原遼名誉代表。その左は脱北者の榊原洋子さん)
2
11月6日午後1時から4時まで、高政美さんらおよそ10人の脱北帰国者と、守る会会
員ら支援者およそ15人が朝鮮総連中央本部(東京・千代田区)に抗議しました。脱北帰
国者たちは「帰国事業は地獄への道だった」「朝鮮総連は誤りを認め謝罪せよ」「北朝鮮
は帰国者、日本人妻、拉致された日本人を直ちに日本に帰せ」などのスローガンを唱和
しました。この日朝鮮総連本部は、正門の扉を固く閉ざしたまま。守る会の三浦小太郎
代表らが「徐萬述朝鮮総連議長は出てきてわれわれと話し合え」とくりかえし要求して
も何の応答もない。抗議文(別項全文)を受け取りもしない。塀越しに投げ入れました。
抗議行動のほか、本部正門近くの路上に座り込み、横断幕を眺めながら行きすぎる通
行者に抗議文を手渡しました。この日は、山田副代表、萩原、小川両名誉代表、谷川関
東支部長らも参加しました。これまでの朝鮮総連本部への抗議と比べて25人は最高。今
後は百人、千人で本部を包囲しようとの声も上がりました。
高政美さんはいま朝鮮総連の徐萬述議長を相手
取って、「帰国」の責任を問う裁判を起こしている。裁
判のなかで朝鮮総連は、「帰国運動」には何らかか
わっていないと主張しているが、これほど厚顔な主張
はない。北朝鮮と朝鮮総連の執拗な虚偽と勧誘がな
かったら、高政美さんも、そして9万3千人の帰国者、日
本人配偶者、そしてその子供たちも人生を狂わされる
ことはなかった。その責任を問い、抗議の意志を示す
為に、今日、高さんをはじめとする脱北帰国者と、彼ら
の戦いを支援する私たち日本国民は連帯して朝鮮総
連中央本部前に来た。
朝鮮総連は、自ら犯した犯罪行為に対しただちに
脱北者たちに謝罪せよ。そしていまなお地獄で苦しむ
在日朝鮮人帰国者と日本人配偶者の救出のために
努力せよ。そのことを私たちは強く要求する。
2009年11月6日
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
他 有志一同
今年12月、いわゆる「帰国運動」の第一船が新潟
を出て50年たつ。北朝鮮と朝鮮総連がおこなった「地
上の楽園」の虚偽宣伝にだまされて9万3千人の在日
朝鮮人と日本人妻等が北朝鮮に移住した。そこは楽
園どころか地獄だった。「帰国者」は50年にわたりその
地獄に拘禁され、離散家族の苦しみを与えられた。何
の罪もなく政治犯収容所で殺されていった人びと、人
災というべき北朝鮮政府の失政による飢餓で命を落
とした人びとなど、余りにも痛ましい悲劇が、韓国や日
本に逃れた多くの脱北者の証言により明らかになって
いる。
脱北帰国者高政美さんは、3歳の時、両親に連れら
れ、帰国船に乗った。10代半ばだった兄は北に着くな
りだまされたと知って船から降りることを拒否して精神
病院に拘禁され、10年後に死んだ。父はスパイの疑
いで数カ月にわたり激しい拷問を受けぼろぼろにされ
た。高政美さん自身も脱北を試みて逮捕され、ひどい
拷問を受けた。
●10月16日朝鮮総連親北集会に6団体で合同抗議行動
―― 韓国民団、日本人有志も参加 ―― …………12
●ソウルの路地裏の依藤さんから、守る会への提案 … 14
●北朝鮮で暮らした42年半 第3回(榊原洋子)……… 5
●昭和前期の韓流マガジン(高木れい)……………… 16
●日本の「難民閉鎖政策」をなくそう!!(ルーシー・サンプソン)17
●おすすめできない本
『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』(蓮池透)…… 18
●第6弾みんな出そう将軍様へのハガキ!!…………… 19
●ソウルの路地裏(最終回)
明日香から韓半島に思いを馳せ(依藤朝子)………20
●「帰国運動」は地獄への道だった
北朝鮮と朝鮮総連は謝罪せよ!!
脱北帰国者が朝鮮総連本部に抗議……………… 3
●いよいよ判決は 11月30日(月)
歴史の評価に耐えうる判決を!!…………………… 4
●時効だのみの朝鮮総連
高政美さんと藤森弁護士の追及逃れに必死……… 5
●11月・12月の集会のご案内………………・………・6~7
●“帰国運動50年”節目の年に関心高めるマスコミ
東京新聞が見開き特集…………………………… 8
●在日コリアンへの訴え(萩原遼)…………………… 10
3
いよいよ判決は
11月30日(月)
藤森弁護士が裁判長に要請
朝鮮総連の帰国事
短いが、本質をついた堂々の主張でした。
業を裁く第8回裁判
これに対し被告側弁護士は、「尋問権を放棄
は、 09 年 10 月 5 日、
したことは原告の正しさを認めたことではな
午後1時15分から大
い」と力のない言い訳をしました。
予断許さない判決の中身
阪地方裁判所でおこ
なわれました。これで結審となり、徳岡由美
高政美さん側の傍聴者はおよそ40人。閉廷
子裁判長は11月30日に判決をおこなうと述
後30人ほど が場所を移 して意見交 換しまし
べ、わずか5分で閉廷。高政美さんが昨年6
た。藤森弁護士は、最終準備書面が出て判決
月に提訴してから1年3カ月。
までの時間が異例に早い、予断を許さないと
藤森弁護士堂々の主張
藤森克美弁護士は、閉廷直前に裁判官に向
のべました。高政美さんは、あいさつに立っ
てつぎのように決意をのべました。
「私の提訴はたんに私個人だけの問題では
かって以下のように主張しました。
「山田文明証人の陳述などで帰国事業は金
ありません。すべての帰国者の問題であり、
日成が起こしたものであること、原告と朝鮮
かならず解決しなければなりません。私はや
総連の間には契約関係があったことが明白に
る 気 満 々 で す。ど う い う 判 決 に な ろ う と 高
なった。被告側弁護士は反対尋問権を放棄し
裁、最高裁まで戦いぬきます」。
た。これは原告の主張の正しさを認めたこと
(注1)帰国事業は帰国者と朝鮮総連が「特別な社
会的接触関係」にあるとの解釈。最高裁判例(昭
和五〇年二月二五日第三小法廷判決)は、被告側
に安全配慮義務があるという。
(注2)時効で片づけること。高政美さんが日本に
帰ったのは 05年7月28日。安全配慮義務違反
などで被告を訴える権利の行使はその日から起算
して十年間有効です。時効消滅は成り立たない。
総連側の主張する消滅時効論(注2)は、帰
国事業の中身の判断を回避するものである。
裁判所は、歴史的な評価に耐えうる判決を出
されることを期待する」。
至天六
図書館
京阪・な
にわ橋駅
中之島
地下鉄 北浜
堺筋
4
中 央
公会堂
京阪・淀屋橋
御堂筋
裁判支援 郵便振替口座(カンパはここにお願いします)!
口座名 守る会訴訟支援、 口座番号 00920-7-134220
裁判所
大 阪
市役所
地下鉄 淀屋橋
住
所:大阪府大阪市北区西天満2丁目1番10号
アクセス:地下鉄御堂筋線:淀屋橋駅下車北東へ徒歩8分
地下鉄堺筋線北浜駅:下車北西へ徒歩5分
京阪中の島筋線:なにわ橋駅下車北へ3分
日銀
日 時 : 2009年11月30日(月)午後1時15分
場所:大阪地方裁判所
1009号室(10階)
至梅田
ご支援・傍聴 カンパ おねがいいたします !
・
関係(注1)に入ったことは明らかだ。朝鮮
京阪・北浜
・
を意味する。原告と被告が特別な社会的接触
時効だのみの朝鮮総連
高政美さんと藤森弁護士の追及のがれに必死
守る会副代表
最終口頭弁論
は数分で終わり
ました。藤森弁護士から「準備書面⑸」と
山田文明の「陳述書⑶」が提出され、被告
弁護士から「準備書面⑶=最終」と「証拠
説明書⑷」などが提出されました。
山田
文明
告の母および養父と総連との間には「特別
な社会的関係」が形成され、その実態から
帰国契約と総連への参画契約が成立してい
た こ と、第 三 に「特 別 な 社 会 的 関 係」に
あったことから、総連には安全配慮義務が
あったこと、したがって総連には不法行
為、および説明通りでなかったという債務
不履行、そして安全配慮義務違反の責任が
あるという点です。
その裁判の過程で、被告が発行していた
新聞『朝鮮総聯』の記事などから帰国者と
総連が帰国に関して「特別な社会的関係」
にあったこと、および彼らが行った誇大
な、虚偽の宣伝の実態を、具体的に明らか
にすることができました。
反対尋問を放棄した総連の弁護士
この裁判の審理を象徴する公判は7月21
日でした。この日、原告本人と原告側の証
人に対して被告側が反対尋問をすると申し
出ておきながら、当日原告側の尋問が終
わって、裁判長から尋問を促された被告側
は「いたしません」と答え、反対尋問を放
棄したのです。藤森弁護士によると、民事
裁判の常識では、反対尋問の放棄はその時
の証人の主張を認めたことになるというこ
とです。
被告の最終準備書面の内容も、原告が総
連の資料を示して詳しく明らかにしてきた
契約関係について、具体的な反論を何一つ
しないまま「証拠がない」と繰り返すだけ
でした。そして、金幸一さんが訴えたとき
の東京地裁と東京高裁の判決文を証拠とし
て提出し、不法行為があったとしても「時
効」であると主張しました。
高政美さんは不法行為の有無を明らかに
するために、帰国事業のすべての被害者を
代表する決意で裁判を起こしたのです。そ
れに対して北朝鮮政府と総連が不法行為の
有無の論戦を行わず、「時効」を主張する
態度は、自らの非を認めた姿でした。
加害者総連が時効で逃げるな
また最近公開された資料によって帰国運
動が始まったのは在日朝鮮人の自発的な行
動からでなく、金日成の綿密な計画と指示
にしたがって、朝鮮総連が組織的に進めた
ものであることが明らかになりました。
これらの諸点は、金幸一さんの裁判の時
に比べて大きく進んだ重要な解明です。こ
れらを裁判官がしっかり捉え、提出した証
拠書類を精査して帰国事業50年目にふさわ
しい判断をしてもらいたいと思います。
原告が50年近くもたって提訴したのは、
加害者である北朝鮮政府と朝鮮総連によっ
て、訴え出ることができない状況に置かれ
たためです。その加害者が「時効」による
免責を求めることは、あまりにも正義にも
とる態度です。
裁判官が、帰国事業の実態にもとづいて
その責任を判断することを期待して、判決
の日を待ちたいと思います。
三つの重大争点のある裁判
この裁判の争点は、第一に北朝鮮政府と
総連が行った帰国事業は誇大・虚偽宣伝で
帰国を誘導した誘拐であること、第二に原
5
10万人近い在日朝鮮人と日本人妻をだまして地獄に送った「帰国運動」
の50年がやってきた。12月14日。帰国船の第1船が新潟を離れた歴史的な
日。この日を記念し、いまも北の凍土に拘禁されている帰国者・日本人妻
を取り戻す決意を固める日としよう。各地で関連の集会や犠牲者の法要が
おこなわれます。ぜひご参加ください。
日 時:12月12日(土) 12:00開場 (140名定員)
会 場:明治大学・御茶ノ水校舎・リバティタワー14階 1146教室
―― プ ロ グ ラ ム ――
総
会:12:00~12:30 (会場は、別途に小部屋を用意します)
! 報告1:12:40~14:20 「現代中国における人権意識と国家観」!
緒方
康(神戸大学教授)「08憲章のその後と人間の安全保障」
麻生 晴一郎「中国市民の国家をめぐる意識と人権派弁護士」
『反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)著者
現代、中国の市民社会の実状をよく知る方です。
! 報告2:14:25~16:05 「北朝鮮帰還事業から50年ィ!
川島
高峰「国際共産主義運動の中の北朝鮮帰還事業」
赤十字国際委員会・公安調査庁・外務省機密指定解除史料から
三浦 小太郎「脱北帰国者支援の実情から」
! 報告3:16:15~18:15 「北朝鮮人権問題のグローバル・アドボカシー」
須田
洋平(弁護士)
「金正日、ICC(国際刑事裁判所)提訴の可能性について」
UPR(国連人権理事会普遍的定期的審査)北朝鮮審査・結果
(2009年12月9日採決)報告
2 つの隠された強制収容所
脱北帰国者「高政美さん」参加
時:11月29日 開場午後1時半
所:鳥取県琴浦町カウベルホール
東伯郡琴浦町大字釛474
TEL:0858-53-1516)
参加費:無料(入場整理券が必要)
問合せ:講演会実行委員会
― 北朝鮮と中国の強制収容所比較 ―
日 時:12月5日、午後1時から
場 所:専修大学204号教室にて
参加費:無料
講 師:小川晴久、小沼堅司、宋允復各氏
日
場
詳しくは NO FENCE ホームページをご参
照ください。 http://nofence.netlive.ne.jp/
6
●協力:平和を願う僧侶の会
(代表:善光寺徳行坊若麻績敬史)
東京都港区芝4-7-6 尾家ビル
TEL03-3453-5901
●日時:2009年12月14日(月) 13:00~16:00
●場所:新潟市新潟港
フォーラム 北朝鮮帰国者問題の
本質と課題 … 50年の節目を迎えて
●主催:一般社団法人
移民政策研究所人道移民支援センター
東京都港区芝4-7-6 尾家ビル
TEL 03-3453-5901
●日時:2009年12月13日(日)
14:00~16:45(入場無料)
●会場:牛込箪笥区民ホール
(定員392人)新宿区箪笥町15番地
●講師・コーディネーター 坂中英徳
(移民政策研究所人道移民支援センター
相談員)http://www.jipi.gr.jp/oshirase.html
●パネリスト 萩原遼(ノンフィクション作
家)/菊池嘉晃(ジャーナリスト)/田月
仙(声楽家)/呉崙柄(移民政策研究所
人道移民支援センター相談員)
司会:小牧美和(移民政策研究所事務局長)
1959.12.14(第1船新潟出港)~09.12.14
北朝鮮への帰国事業
50周年「新潟のつどい」
●日 時:2009年12月13日(日)
14:30~16:30
●場 所:新潟市万代市民会館2F
(201室)
●連絡先:〒950-0861 新潟市中山
2-23-1(小島方)
TEL:025-274-6275
FAX:025-270-4545
●内 容:
・帰国事業とは何だったのか
第1船から10年間関わって(小島晴則)
・北朝鮮の脱北者問題(加藤博)ほか
新潟港追悼集会 「あの日を…忘れない」
日本人でありながら北朝鮮公民とされ、
日本に帰国することが許されなかった日本
人妻(約1800人)のほとんどは、祖国に帰
る願いがかなわず無念の死に追いやられ
た。
日本人妻の遺言は「頭を日本海のほうに
むけて埋葬してほしい」というものであっ
た。
北朝鮮帰還事業開始から50年目を迎え
て、新潟港において帰国運動の犠牲者の霊
を慰める追悼法要をいとなむとともに、今
も北朝鮮に幽閉されている帰国者全員の解
放をめざしてつとめることを霊前に誓う。
●主催:一般社団法人 移民政策研究所人道
移民支援センター(代表:坂中英徳)
12月14日午前10時 泉田裕彦新潟県知事と
面会(予定)。メンバー全員で。
午前11時新潟アピール発表
仙台集会
●日時:12月13日(日) 午後1時から
●場所:宮城県神社庁講堂
●内容:高政美さん、依藤朝子さん講演
このほか救援基金、特定失踪者調査会
の方も講演予定
発行ま近 !!(12月3日発行予定)
『
』4号 帰国運動50年の大特集
帰国運動にかかわった専門家、かつての運動家、元朝鮮総連活動家など多彩な方々
が当時を追想し、これからどうするかを考察します。
けっして忘れてはならない20世紀の痛切な歴史として、記録に残しましょう。
300ページ、予価1600円 乞う御期待!! 申込みはかるめぎ編集部まで。
TEL/FAX 072-990-2887
7
“帰国運動50年”。 節目の年に関心高めるマスコミ。
(
編集部注)、
東京新聞と同系統の中日新聞も同じ日に同じ内容で報道しました。
8
9
・
九万人あまりの在日朝鮮人が“
地上の楽園 ”
北朝鮮に移住
ノンフィクション作家 元赤旗平壌特派員
しましたが、
そこは地獄だったと脱北帰国者が異口同音に語ってい
萩 原 遼
ます 。
今後も増えるのは確実です 。
それに伴って先にのべたような例
が今後も予想されます 。
現在 、
脱北帰国者が日本につくと日本政府から受けられる施
私は個人の立場でこの一文を書き、
北朝鮮からの脱北者問
策は、
働けない人への生活保護だけです 。
取得に三ヶ月ほどかかり
題について在日コリアンに私の率直な気持ちをお伝えし、
お力をい
ます 。
着の身着のままで日本にもどった脱北者の仮の住まいの世
ただきたいと思います 。
話、
日本語のわからない人への日本語学習 、
仕事の斡旋など、
生
つい三ヶ月ほど前のことです 。
北朝鮮から夫婦と息子二人の四
活に必要なことを守る会や心ある方々の力で何とかしのいでいま
人の脱北者家族が大阪に着きました。
到着後数日して奥さんが
す。
十分なことができているとは言えませんが、
どこからの財政保障
お産をしました。
四十代半ばの女性です 。
生まれてきた赤ちゃんは
もないなかで、
貧しい会員が身銭を切りながらこれらの仕事を精
ダウン症の難病でした。
い
っぱいおこなっています 。
夫婦は元在日朝鮮人の帰国者家族です 。
入国早々で生活
しかしこれももう限界です 。
個人や市民団体の枠内では、
今後
保護も医療保険もない中で、
瀕死で生まれた赤ちゃんの命を救
さらに増えることが予想される脱北帰国者に対処できません。
政
うために手術を繰り返しました。
四百万円という医療費がかかり
脱北帰国者を保護し定住のための施策を政
ました。
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
(略称:守る会) 府の力が必要です 。
そのための法律
府 国会が法的に保証するしか解決できません。
がかかわって日本入国を果たしたため、
その費用は守る会にも支
制定などを守る会も機会あるたびに要請しています 。
これからも
払い義務があります 。
小さな、
財力もない守る会としては身の丈に
続けます 。
困難な課題ですが、
けっしてあきらめることなく実現を
余る金額ですが、
ある日本人がいつでもいいからと全額立て替えて
目指して努力します 。
くださいました。
本当にありがたく、
申し訳ない思いです 。
おかげさま
しかしいま目の前に苦しんでいる脱北帰国者をお金がないからと
で赤ちゃんも母親も無事で、
すこしづつ健康を回復しつつあります 。
い
って見て見ぬ振りをするわけにはいきません。
死にかけた赤ちゃんを
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会が結成されて今年で十
見殺しにすることはできません。
五年です 。
結成当時は、
帰国者がUターンして日本に帰ってくる
そこでお願いは、
在日コリアン、
とりわけ裕福なコリアンに脱北帰
など考えられませんでしたが、
私たちの運動の成果もあって、
いまでは
お金と力を振り向けていただけない
二百人近い脱北帰国者が日本にもどって定着生活をしています 。 国者の命と暮らしに目をむけ、
10
・
かということです 。
在日コリアンも昔と違って裕福な事業家も弁護
士も医者も大学教授もベストセラー作家も大勢いらっしゃいます 。
これら裕福かつ著名な在日コリアンは残念ながら私どもの北朝
鮮帰国者の生命と人権を守る会にはほとんど加わっておられませ
ん。
また帰国者を身内に抱えた在日コリアンは北の身内に被害が
及ぶからと私たちの運動とは一線を画しています 。
会費を払っている守る会の会員は二百人余り、
そのうち在日コ
リアンが一割ほど。
守る会のほとんどが日本人です 。
かつて地上の楽園と日本中で宣伝して送り出し、
地獄を見て
命からがら逃れてきた人たちを受け入れ、
定着のために手を差し
伸べるのは送り出した朝鮮総連の責任です 。
しかるに彼らは
「帰
国運動は日本政府と日本赤十字がおこなったものでわれわれには
責任はない」
という態度です 。
脱北帰国者がどんなに苦しい目に
あっていても知らん顔です 。
そこで私は在日コリアンの方に訴えます 。
ある日本人が見かねて
脱北帰国者の赤ちゃんの命を救ったように、
同胞の赤ん坊を救う
ために、
その収入の一部を割いていただくわけには行かないでしょう
か。
その日の糧にも困る在日朝鮮人の友人もいます 。
その人たちに
お金を求めるつもりはありません。
また守る会に加わっておられるコ
リアンの方にこれ以上のご負担をお願いする気持もありません。
そ
の方々は乏しい家計の中から血の出るような貴重なご寄付をいた
だいています 。
本当にありがたいことです 。
私が申し上げたいのは、
これまで私どもと距離のあったコリアンの
方々 、
とりわけ裕福なコリアンの方々に対してです 。
一回のゴルフに
数十万円使う方々 、
一晩の遊興費が百万円をくだらない在日
コリアンもいると聞いています 。
ベストセラーを連発し、
一冊で一億
円以上の印税を得た人もいます 。
その方々の民族的良心に呼びかけます 。
収入のごく一部を脱
北帰国者の命と暮らしを守るために割いてください。
いますぐ救いの
手が必要な脱北帰国者に緊急に援助してください。
私は、
五十五年前に夜間高校で、
済州島からの密航者の在
日朝鮮人と同級生になったことによって朝鮮問題に生涯かかわる
ことになりました。
一九七二年に赤旗特派員として平壌に常駐
するなかで、
北に帰国した友人を探したことがスパイの疑いをかけら
れて殺されかけた経験からあの国の虚偽体質と帰国運動の詐欺
劇を知りました。
以来 、
だまされて海を渡った帰国者を一日も早く取り戻さな
ければならないと考え、
ささやかながら行動してきました。
平壌を
追放されたときからでもすでに三十六年たち、
ことし七十二歳に
なりました。
同年代の友人知人がつぎつぎと逝き、
私もいつなんど
きという覚悟で毎日生きています 。
個人的には借金はありません。
妻子も家も財産もありません。
九万円の年金で借家暮らしですが、
個人的にお金がほしいわけで
はありません。
私個人としていちばんほしいものは、
静かに本を読む
時間です 。
そしてい
っぱいのビールがあれば。
今回だけ私は在日コリアンの裕福な方に一千万円のご寄付を
なんとしてもお願いいたします 。
そのお金を脱北帰国者の赤ちゃん
を救ってくれた方にお返ししたいのです 。
そして脱北帰国者の住む
家を確保するために保証金などを立て替えている何人かの守る
会会員の立替金数百万円を払ってあげたいのです 。
このご寄付をいただくために私は残されたわずかなエネルギーと
時間を投じて全国を回ります 。
お金のことですので透明性が求め
られるのは当然です 。
私の提案にご賛同いただけるなら、
すべての条
件を満たす用意があります 。
苦難の果てにようやく日本に戻ってきた脱北帰国者を救うた
めに日本人と在日コリアンが手を携えることができればこれほどよ
いことはないと思います 。
どうか、
私の訴えをお考え下さるよう切に
お願い申し上げます 。
二〇〇九年十一月吉日
11
!
!
―― 韓国民団、日本人有志も参加 ――
守る会代表
10月16日、東
京神田の日本教
育会館にて、朝
鮮総連を中心
に、「6・15共
同宣言、10・4
宣言固守実践海
外同胞大会」が
米、中、欧州な
ど海外8地域の
親北団体によっ
て開催される事
が判明し、救う会の西岡力氏から私(三浦)
に、守る会やそのほか人権団体も共同して抗
議しようという連絡がありました。
三浦 小太郎
たが、あれは一応本国に報告されるのか。
途中から、総連のこの集会に抗議する日本
人有志の方々が、青いのぼりや風船、プラ
カードを持って参加。途中から私も横断幕を
ちょっと預けてそちらを持たしてもらいまし
たが、RENKの佐藤悟志氏が、脱北少年で中国
の警備兵に射殺された17歳のチョルフン君の
写真を持参してくれたので、「このような少
年を犠牲にする北朝鮮、そして中国の姿を見
ても、総連の人たちはあの体制を支持するの
か」という想いをこめて掲げました。民団の
方々が興味を持たれたようですので、写真の
内容を紹介いたしますと、皆さんも共感して
くださり、女性の方は特に胸を撃たれたよう
でした。
!
日本の首都で独裁政権支持集会とは!
やはり声をあげてもよかったのでは?
いまだ拉致問題に対して全く誠実な姿勢を
見せない北朝鮮政府と、また帰国事業50周年
事の年に何らその責任を取ろうともしない総
連が、ここ日本の首都にてかの独裁体制を支
持する集会を行う以上、なんらかの意思表示
が必要と考え、喜んで共同声明の発表と当日
の抗議行動に参加しますと答えました。
結局、北朝鮮難民救援基金、拉致被害者家
族会 救う会全国協議会会長、特定失踪者問
題調査会、NO FENCEと合同で声明を発表し、
当日は調査会、NO FENCE、家族会、そして難
民救援基金で合同の抗議行動を行いました。
民団も200人ほどが抗議に駆けつけました。
抗議は4時半に一応終了し解散しました
が、一つ思ったのは、やはり完全なサイレン
トではなく、多少は声を挙げてもよかったか
なということ。民団の抗議行動では「拉致被
害者を返せ」「北朝鮮の核実験で6・15共同
声明は無効だ」などと激しくシュプレヒコー
ルを挙げていました。同地は学校も近所に多
く、マイクを使うのはよくないでしょうが、
肉声で、例えば4時ごろから2、3回はシュ
プレヒコールを挙げてもよかったと今は考え
ています。勿論、今回は各団体が全て納得の
上で行われたもので、現場ではルールを守る
のは当然ですが。
私達の横断幕には「全ての拉致被害者を返
せ」「政治犯収容所を解体せよ」「帰国者、
日本人配偶者等を救え」の3つ、これは救う
会が作製してくださいました。
そして、北朝鮮の現体制を支持する総連の
皆さんはおそらく帰国者家族を訪問されたこ
とがおありでしょう、北朝鮮の体制の酷さ
は、私以上によくご存知と思います。皆さん
の立場ではその体制を批判することは難しい
のかもしれませんが、少なくとも公然と支持
!
民団からは200人が抗議に駆けつけ
一応打ち合わせでは3時半から抗議をおこ
なう予定でしたが、民団の方々は早速準備に
入ったので、まあこちらも流れで横断幕を拡
げ、サイレント抗議(シュプレヒコールなど
は挙げず、横断幕や首から提げたプラカード
で無言の抗議メッセージをアピールする)形
を取りました。総連の参加者、警備員と思し
き人たちもさかんにこちらを撮影していまし
12
する事は、この日本で生活していく在日朝
鮮人の立場を、結局悪いものにしていくの
ではないでしょうか。
か。(写真は上野あけみさん提供)
!
民族の誇りを失ってほしくない
現在、ここまで金正日独裁政権の悪事、
朝鮮民族そのものへの人権弾圧が明らかに
なった今、それでもかの政権を支持する事
は、皆さんの民族としての誇りや、総連の
意義を完全になくしてしまうことになるで
しょう。帰国者、日本人配偶者等の救援
は、何よりも、帰国事業を展開した朝鮮総
連自身が率先して行う事が、皆さんが歴史
の責任に向き合うことではないでしょう
10・16 東京 親金正日国際大会に強く反対します(共同声明)
10月16日、東京の中心地で金正日政権の統一政策を支持する千人規模の国際大会が開催され
るといわれています。朝鮮総連など日本国内親北団体が同大会のため財政負担と参加者動員を
担っているそうです。私たちはこの大会開催を黙ってみていることはできません。
金正日政権は多数の拉致被害者の中でわずか5人を返したのみで、「拉致問題は解決済み」と開
き直っています。そしてちょうど半世紀前に始まった「在日朝鮮人帰国事業」により北朝鮮に渡った在
日朝鮮人・日本人配偶者らはいまでも地獄の苦しみを受けています。さらに政治犯収容所に象徴さ
れ、また、国連人権理事会でも指摘、批難されている北朝鮮内での人権弾圧も全く改善されていま
せん。
多くの脱北者の人権も侵害され続けています。それらの問題の解決を全く無視しつづける金正日
政権を支持する大会が我が国の首都で公然と開かれようとしているのです。
朝鮮総連など同大会開催の準備をしている在日朝鮮・韓国人に強く訴えます。
同胞である皆さんこそが、まず金正日政権に対して拉致、帰国者、難民、北朝鮮内の人権問題を解
決せよとの声をあげるべきではありませんか。多くの国の拉致被害者と北朝鮮人民を独裁政権のく
びきから解放するためにあなたたちが声をあげるべきではありませんか。
この大会に参加したり、またはメッセージを送る日本の政治家、学者、ジャーナリストの皆さん。この
ようなときに行われる皆さんの行動に強く抗議するものです。私たちは皆さんの行動を決して忘れる
ことはないでしょう。
私たちは10月16日に東京で開催される予定の、金正日政権の統一政策を支持する国際大会に強
く反対します。また、このような動きを軽視することなく、拉致被害者の救出、帰国者及び北朝鮮民
衆、そして脱北者の人権を守るため、さらに行動を強めていくことを誓います。
平成21年10月13日
(50音順)
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表 三浦小太郎
北朝鮮難民救援基金理事長 加藤 博
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 藤野義昭
特定失踪者問題調査会代表 荒木和博
NO FENCE (北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会)共同代表、砂川昌順、小沢木理
13
の
依藤さんから、守る会への提案
守る会の今後の活動について少し考えてみましたので、簡単にまとめて送らせていただき
ます。よろしかったらご覧ください。
できるだけたくさんの方が参加できる活動を今後も行えたらよいと思います。
画。DMZ観光や韓国のNGOとの交流など。
*収容所の食事体験(集会と同時に行ったり
したらいかがでしょうか。韓国やアメリカ
でも、結構人気のイベントのようです。お
粥や白菜のスープなど)
*デイリーNKの孫光柱編集長さんなど、お人
柄もよくよい分析をしていらっしゃると思
いますが、機会があったら一度ぜひ日本に
呼んで討論などしていただいたらよいので
はないかと思っています。ちなみに孫編集
長は産経ウォッチャーの親日家です。
*ミニライブ(集会で有志のライブをした
り、ライブ中心で行うイベントなども今後
やってみたらいかがでしょうか。参加費は
寄 付 し て い た だ い て。韓 国 の 集 会 で も、
テーマ曲を作ったりしてみんなで歌ってい
ますが、音楽があると結構よいと思いま
す)
*集会(専門家、脱北者などの話、討論会。
全国各地で開いて、地方支部の人と一緒に
準備)
*守る会で実施したらよいと思うことについ
て会員にアンケート。
*「かるめぎ」にもっと絵を入れたらよさそ
うです。今もカラーが綺麗ですね。
*投稿者の欄を「かるめぎ」に作る。なるべ
く多くの人に参加していただけたらよいの
ではないかと思います。
*「かるめぎ」に、韓国や欧米の運動圏で今
話題になっていることや、取り組んでいる
ことを毎号報告するのはいかがでしょう
か。半ページほどでも。(私が聞いておい
てご報告することもできます)
*専門誌「光射せ」の他に、会員のみなさん
が書きやすい冊子を作る(漫画などもいれ
て)。
*年1・2回程度、自由参加の韓国ツアーを企
朝鮮総連裁判を闘っている高政美さんと同様に、“地上の地獄”を見た帰国者、榊原洋子
(ひろこ) さんの証言が、生の声で下記のインターネットで聞くことができます。
http://www.voiceblog.jp/hrnk/ にアクセスしてください。
また、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会のホームページ(http://hrnk.trycomp.net/)から
も見ることができます(サイドバーの『帰国者の証言』をクリックしてください)。
◆「帰国事業」の50年。私もかかわって50年になりました。いつの間にこんなに長い歳月がたったのか。茫然で
す。さまざまの方がたの思いをのせて「かるめぎ」(かもめ)は飛んで行く。地獄のパンドラの箱が開き始めまし
た。朝鮮語に「結者解之」(キョルチャ・ヘジ)という言葉があります。結んだものが解くべきだという意味です。
原因を作った金日成と朝鮮総連が解決しなければならない。
(萩原 遼)
◆今回は新印刷機を導入しての初めての「かるめぎ」です。 写真がとてもきれいなので皆様にも気に入ってもら
えると思います。 これからはどんどんビジュアルに読みやすくしていきたい。
(窪田 和夫)
◆いよいよ今月末判決です。裁判官も私と同じ日本人、世界に恥じない判決を心より期待したいと思います。
09年度の会費が未納の方は、早急に納入をお願いいたします !!
みな様の年会費5,000円で 「かるめぎ」 の発行や、 総連裁判などの活動が支えられています。 現在、
納入率はおよそ50%。 その不足分は少数の篤志家のご寄付でまかなわれています。
「かるめぎ」 の発行をつづけるためにも、 未納の方は年会費を収めてください。
同封振込用紙でよろしくお願いいたします。
(守る会 会計 窪田 和夫)
14
第3回
榊原 洋子
く、 だからといって面食らった様子
でもない、 冷たい表情で女性を
じっとみつめていました。 薄ら笑い
さえ浮かべて……。
なんてことをぬかすんだと大声
で叱咤でもしていたらそんなに
ぞっとしなかったでしょう。 でもその
ときはただ、 薄ら笑いを浮かべた
冷たい目が恐ろしいと感じただけで、 全部を汲み取るこ
とは出来ませんでした。 その幹部の薄ら笑いのかげに
宿った真意を悟ったのはずっと後のことでした。
― このバンチョッパリ (チョッパリは日本人の蔑称。半
日本人のやつ) ども、いまに思い知らせてやるぞ ―
目的地へ向かうおんぼろ車の中で私は、 彼女の手
をそっと握りました。
「お姉ちゃん、大丈夫 ? 」
「うん、 思ったとおりを言っただけだよ」
何カ月かすぎてその家族は村からいなくなりました。 他
のところへ引っ越したのかも知りません。 ともかく彼女は会
話ができるただ一人の友達だった私に何も告げないま
ま、 何処かへ去ってしまいました。
農場管理委員会の建物の前で車から降りたわたし
たちは、 地元の人に案内されてこれから住むお家へと向
かいました。 見渡す限り山また山、 四方が山に塞がれ
た谷間に田畑があって、 その間にぽつんぽつんとお家が
建っていました。
先頭で静かに歩いていた案内人の足が止まり、 閉
ざされた大門の向こうに瓦屋根の大きなお家が私たち
を見下ろしていました。 古いながらなかなか堂々とした構
えの純朝鮮式の家屋です。 こうした家屋を朝鮮では
大空を飛ぶようなといいますが、 その表現にふさわしく、
みつめているうちに気持ちが落ち着いてきました。
「わたしのお家だ」
胸のなかに居座ろうとした不安感がすうっと溶けて、
心も体も軽くなったような気がしました。 心なしか父と母
も顔をほころばしているように見えました……。
その瓦屋根の家が私の住むお家ではないと知ったと
き、 胸に穴がぽかんと空いたような虚脱感に襲われまし
た。 いや、 そこは明白にわたしたちのお家でした。 片隅
の、 六畳弱の部屋を改装して、 身動きもままならない、
ままごとのような台所をこしらえたウッパンサリ (居候) だっ
たのです。
わたし達はこれからどうなるのでしょうか。 夜、 眠れない
時間が一秒一秒うんざりするほど遅く過ぎていきました。
物心ついてから青春の時を経て、42年半を北朝鮮
で過ごしました。 北朝鮮は悪い国、 人間が暮らせると
ころではないと一言で片付けることは出来ません。
澄み切った青空の下、 どこまでも続く緑の並木と、
朝日が水平線を真っ赤に彩りながらぽっかりと浮かぶ
状況はまさに一幅の美しい絵です。 苦しい生活に喘
(あえ)ぎながらも機会があるたびに、また機会をつくっては
歌って踊る楽天的な人たち、 貧しい暮らしの中でも、 た
まにこしらえた美味しいものを器に入れてお互い行き来す
る人情があります。
でも、 世の中、 景色だけをみつめて生きていけるもの
ではないし、 人情にも限りがあります。 お腹が減っては
美しい景色も目に入りません。 自分が、 自分の家族
が飢えているのに、 他人に、よかったら食べてみてと言え
るものではないのです。
60年代も北朝鮮は貧しい国で、 いつもひもじい思い
をしなければなりませんでした。 それでもその時は今日よ
り明日は、 今年より来年はよくなるだろうという希望を持っ
て頑張ってきました。 今はしんどいけど良い日は必ず来る
と信じて一生懸命生きて来ました。 半世紀近い歳月
を……。
帰国して最初に入れられた清津招待所で何日か
過ごした後、 配置地へ向かいました。 配置とは住む場
所や仕事を向こうのいうとおりに決められることです。 この
配置をめぐって何かといざこざがあったようですが、 父は
何の不平も言わず服従しました。 こうして私たちは、 現
代文明とは程遠い北方の田舎へ行って農業に従事す
ることになったのです。
私たちともう一世帯の家族が同じところに配置された
のですが、 目的地に行く前に郡党(郡の労働党組
織)の幹部がちょっとした歓迎会を催してくれました。 聞
き取れない演説の後、 その幹部がやさしい微笑を浮か
べながら上手な日本語で誰へともなく訊きました。
「それで、 祖国の温かいふところに抱かれた感想はど
うですか ? 」
お互いちらちらと顔色をうかがいながら誰も答えないの
で、 気まずい空気が漂うなか、 沈黙を破ってはっきりとし
た声が響きました。
「おせいじにも良いとは言えません !」
日本で総連の高校に通っていた、 私よりわずか四、
五歳年上の女学生でした。 瞬間、 みんなが息を呑
み、 次は約束でもしたかのように幹部の方に視線を移
しました。
その幹部は咎(とが)めるでもなく、 気分悪そうでもな
15
昭和前期の 韓 流 マガジン …… 『 本日ンダモ 』 朝鮮版
高来 れい≑≑≭Free Writer≯≑
昨今の韓流=韓国ブームのお陰で日本のー般
書店でも韓国関係の雑誌 ― といっても大半は芸
能誌ですが ― を見かけるようになりました。10数
年前には考えられないここで時代の流れを感じさせ
ます。
ところが、 意外に思われるかも知れませんが戦
前にも “韓流雑誌” が存在していました。 今回ご
紹介する 『モダン日本・朝鮮版』 がその雑誌で
す。 昭和14(1939)年に最初のものが発行される
と完売するほどの好評を得ました。そのため、昭和
15(1940)年に第2弾が、『モダン日本』 誌が 『新
太陽』 と改題した昭和15(1943)年に第3弾が発
行されました。
筆 者 は、復 刻 版 で
すが、このうち39年版
と40年版を見る機会
がありました。 そこで、
この2冊からその内容を
検討して見ましょう。
まず、 表紙はフルカ
ラーで、39年版が妓生 39
(キーセン)、40年版は
同誌が主催した「ミス
朝 鮮」の 1 位 に 選 ぱ れ
た朴温実嬢で、それぞ
れ民族服姿の美女が飾っています。 いかにも大衆
雑誌といった感じですね。
“御用記事”から古典物語まで多彩
これを見ますと 「南総督は語る」、「朝鮮におけ
る皇民化運動」、「志願兵訓練所訪問記」 のような
“御用記事” から映画人の座談会や洪吉童(ホン・
ギルトン)伝のような古典物語の紹介、「朝鮮貨幣
の外革」 のような学術的な文章や朝鮮豆知識のよ
うなもの、また朝鮮の名士たちへの葉書アンケート
の結果や朝鮮作家たちの作品 (日本語訳されたも
の)等々、 バラエティーに富んだ内容で構成されて
います。
目次の次はグラビアページが続きますが、こちら
も 「朝鮮新八景」 や古典舞踊、妓生や女性ス
ター、 朝鮮の風俗等々、 多種多様です。
さて、 いよいよ “本文” です。“御用記事” から
コラムの類にいたるまで、どれもとても興味深く読み
ましたが、 筆者が特に面白く感じたのは “朝鮮女
学生たちの座談会” と朝鮮映画人たちの座談会”
年度版
です。
日本、 朝鮮とも現代とは異なり、 昭和前期は
高等教育を受ける人~特に女性は少なく、その
ため女学生たちは少数派でした。 この座談会で
は当時の朝鮮の女学生の生活や、考え方がわか
ります。たとえば理想の結婚相手とか一か月のお
小遣いはいくらなど、興味深かったです。 これを
読んだ日本の女学生たちも共感する点が多かっ
たのではないかとも思いました。
映画人たちの座談会では、 朝鮮映画の歴史
や現状、 朝鮮映画人たちの映画に対する思い
等々が語られていました。 この中で筆者の注意
を引いたのは、 内地
日本の俳優で使って
40
みたい人物はという問
いに対し、 ある監督が
“高峰秀子に朝鮮服
を着た現代女性を演
じさせてみたい” と答
えました。筆者はこれ
を読んで、 映画の世
界に限ったことかも知
れないが、 この時代も
朝鮮人と日本人は対
等な関係ではなかっ
たかと思いました。
活躍する朝鮮人芸能人ら
この他に、 国内外や各界で活躍している朝鮮
の人々を紹介する記事がありましたが、 その数
の多さに驚かされました。 現在、日本のスポーツ
や芸能関係の世界で活躍する在日の人々が大
勢いますが、 既に戦前からこうした傾向があった
のですね。
39年版、 40年版とも、朝鮮の人々の 「朝鮮
をもっと知ってほしい」、「朝鮮を理解してほしい」
等々の意見が寄せられていました。 これらは、 今
日の日韓関係のアンケートなどでもよ<見られる
内容ですね。
筆者はこの 『モダン日本・朝鮮版』 を読みな
がら “金剛山と妓生” しか知らないと言われてい
た当時の内地(日本)人に、 今の朝鮮の姿を知っ
てほしいという熱意のようなものを感じました。 実
はこの雑誌の編集には朝鮮出身の馬海松という
人物が関わっていました (馬海松については猪
年度版
16
日本の 「難民閉鎖政策」 をなくそう
日本の避難民に対する方針を完全に見直
す必要性はもう否定できない。日本が政治
的な面でも経済的な面でも世界の大国であ
ることにもかかわらず、避難民に対する扱
いを考えると、日本は小さく見えるだろ
う。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)
の2008年のデータによると、オーストラリ
ア、カナダ、フランス、イギリス、ドイツ
とアメリカが難民認定を求めている避難民
の2割から5割に亡命を認めた。それに対
して、日本のわずかな3.5%がチャド・コロ
ンビア・コンゴ・セネガルと同じ水準に
なっているわけである。
1951年の国連難民条約は戦後、国々が難
民の大量流出に対応できるため必要になっ
た。それ以来、その必要性はなくなってい
るわけではないだろう。日本の場合はビル
マ難民などを受け入れるために特別な方針
ができたわけだ。しかしそのほかにさらに
身近な例がある。2年前青森県で起きた脱
北者が突然着岸した事件は、初めて脱北者
が入港することに成功したケースだ。しか
し、これ以来このようなケースが増えるこ
とがあり得ないとは言えないだろう。青森
の事件は日本国がどれだけ難民の受け入れ
の準備が進んでいないかを明らかにした。
日本は国際社会の地位にふさわしい避難
民制度を実施する時がきた。以前は、日本
政府が、ある人道の危機(例えば、インド
シナやビルマ難民のケース)に対応するた
めに断片的に方針を作成してきた。しか
し、先進国で、国際社会のリーダーである
国にはこれでは不十分だろう。
以下のグラフの2008年の亡命申請の数
(赤)と亡命を認めるケースの数(青)
瀬直樹氏の著書 『こころの王国』 に出てきます。 こ
の本の中の馬海松はとてもカッコイイです)。 彼は
自分の故郷を少しでも多くの内地(日本)人に知っ
てもらおうとこの雑誌を作ったのかも知れません。 こ
れは国策映画 「君と僕」 を撮った日夏英太郎監
督(朝鮮人監督、本名許泳)にもいえそうです。
現在、 戦前の日本人は朝鮮の人々を迫害のみ
していたように言われています。 現代の視点から見
れば、 この当時は、けっして良い情況とはいえない
でしょう。 そんな中でもお互い理解し、対等に、 仲
17
ルーシー・サンプソン
(どちらも国の人口の割合として表わして
いる)はどれだけ日本が避難民に関しては
フリー・ライダー(編集部注:なにもしな
い人)になっているかを表す。
アメリカ、カナダ、フランス、イギリ
ス、ドイツ、オーストラリアなどは、それ
ぞれ国民性も経済的安定も守っている有効
な避難民政策を実施しているのではない
か。日本も国際社会の一つの先進国として
難民を受け入れる義務がある。したがって
日本の場合どのような難民制度が最も適切
かは研究が必要だろう。以上の国々がおこ
なっている難民政策を研究し、それぞれの
強点・弱点を理解したうえで日本難民政策
を立てる時が来たのではないか。日本の
「難民閉鎖政策」の代わりに21世紀の日
本の難民政策の案を考え始めることはどう
だろうか。(投稿:原稿は日本語で書かれ
ています)
北朝鮮難民救援基金会員・守る会会員
2009年11月1日
良く暮らして行こうとした朝・日の人々もいたことで
しょう。 それゆえ、 朝鮮の人々は自分たちのことを
もっと知ってほしいと訴え、 それに応えるように日本
(内地)人たちは 『モダン日本・朝鮮版』 を買い求
めたのでしょう。
困難だったあのころ、日本と朝鮮の人々は試行
錯誤をしながらも上手く付き合っていこうとしたので
はないか、『モダン日本・朝鮮版』 を見ながら筆者
はこうしたことを考えたのでした。
≑
以前拉致被害者家族会の事務局長をつと
め、北朝鮮政府に対する強硬な姿勢を主張
していた蓮池透氏が、最近は意見を変え、
日朝政府の対話路線による拉致問題解決を
主張している。私は、考えが変わったこと
を批判するつもりはない。人間は考えが変
わる生き物であり、以前とは違う主張をし
ても構わない。しかし、私は正直、以前の
蓮池氏の主張も、また現在の蓮池氏の主張
も、正反対に見えて、拉致被害者の救出に
のみ目が行き、北朝鮮の人権問題や独裁政
権の本質的な批判に届いていないことが残
念である。
の線で解決すべきだとまで述べている。そ
し て、金 正日 独 裁 政 権 の 人 権 弾 圧、帰 国
者、日本人妻の悲劇、現北朝鮮政権を支え
る中国の姿勢や、脱北者への不当逮捕・強
制送還には、全くコメントが見られない。
拉致被害者救出だけが被害者家族には重
要であり、それ以外の北朝鮮の人権問題ま
で、責任を持つことは出来ないというのな
らば、それはそれで一つの立場だろう。し
かし、ここ数年の拉致問題の停滞と,この
問題に国際的な理解を得ることに日本政府
が失敗してきたのは、日本政府が基本的に
は二国間問題(実際には韓国やタイ、中国
などに拉致事件は存在するのだが、それぞ
れの国の政府で拉致問題を前面に出して抗
議しているのは、李明博政権になって韓国
が多少姿勢を変えるまではこれまでは日本
政府だけなのだから)と見なされている拉
致問題にのみ拘り、北朝鮮の全体的な人権
問題や民衆の飢餓などに無関心だという国
際的な誤解が広がっていたからである。
北の人権改善とは相容れない主張
ここでは蓮池氏の著書「拉致 左右の垣
根を超えた闘いへ」(かもがわ出版)を批
判することで、彼の主張は、少なくとも北
朝鮮の人権改善を目指す立場とは相容れな
いことを指摘しておきたい。
本書第一章の「日本政府の四つの失態」
において、蓮池氏は、小泉第一回訪朝時の
日本政府の姿勢を「5人生存8人死亡とい
うことを、私たちに受け入れさせようと」
する日朝国交正常化優先のものだったこと
をまず批判する。これはその通りなのだ。
しかし、この日本政府の姿勢は、まず北朝
鮮との国交正常化ありきという、金正日と
の「共犯関係」から生まれてきたものだ。
蓮池氏が、拉致被害者を見捨てて部分的な
解決で国交正常化に向おうとする日本政府
を批判するのは正しい。しかし、蓮池氏は
本書ではさらに一歩進んで、北朝鮮と日本
の現在の対立姿勢を対話と交渉に向けるた
め、歴史問題でも北朝鮮側の立場に対し一
定の歩み寄りや現実的な行動(補償、とい
うことになるのだろう)を行うこと、経済
制裁を部分解除して、戦略的な交渉によ
り、拉致問題を日朝平壌宣言と国交正常化
金親子独裁政権に根本的な原因が
拉致問題も、政治犯収容所問題も、脱北
者問題も、そして勿論帰国者の人権問題
も、すべて金日成・金正日独裁政権に根本
的な原因があり、この政権への抗議、人権
改善要求、そして民主化を目指す運動が連
帯していかなければ、拉致問題すらも完全
解決は難しいはずである。
蓮池氏の被害者家族としての苦悩やお立
場を思えば、この様な批判は厳しすぎるも
のかもしれない。しかし、すでに公的な著
作を発表された以上、少なくとも北朝鮮の
人権改善には一言も触れず、拉致問題解決
のためには独裁政権との妥協しかないとす
る言説に対しては、人権問題を重く見る立
場からは批判せざるを得ない。
18
朝鮮語文の日本語訳
偉大なる将軍さまへ
朝鮮民族の太陽・偉大なる金日成首領さまの英
断により開始された在日僑胞の帰国事業から50年の
記念の年を迎えました。1959年12月14日、第1次
帰国船が出港したこの慶びの日を、日朝両国民およ
び全世界の人権を尊重する人民大衆は決して忘れる
ことはないでしょう。
偉業を継承された金正日将軍さまにおかれまし
ては、人民の幸福のためにさらなる大業の推進を切
にお願いいたします。
つつしん
で以下の要
請をいたし
ます。
○帰国した
在日僑胞と
日本人配偶
者の安否を
調 査 し、公
表してください。
○帰国者の自由な出国と日本への里帰りを許可し
て下さい。
○政治犯の疑いで逮捕され処罰された帰国者の再
調査を行い、公正な裁判をやり直して下さい。
○あわせて貴国の工作機関が拉致した日本人をす
べて解放して下さい。
○上記の事項の実現のために、国際機関の人権査
察団受け入れを実行して下さい。
2009年
月
日
日本より
署名
いのち
発行:北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
年会費:5,000円、郵便振替口座 00920-5-139932(年会費・寄付金はこの口座に一本化しました)
脱北者教育支援口座
口座名「脱北者あしなが基金」 口座番号「00900-7-315884」
代表
東
関
関
東
東
三浦小太郎 〒136-0072 東京都江東区大島7-6-6
FAX
(03)3681-9310
京 本 部 〒100-8691 東京郵便局銀座支店 私書箱551号
TEL/FAX (03)3262-7473
東 支 部 〒151-0066 東京都渋谷区西原3-15-10-206(宋允復方) E-mail:[email protected]
西 支 部 〒581-0868 八尾市西山本町7-6-5 3F
TEL/FAX (072)990-2887
海 支 部 〒488-0835 愛知県尾張旭市庄中町南島1557(梅村雅英方)
TEL/FAX (0561)53-7139
北 支 部 〒981-0952 仙台市青葉区中山8-25-8-305(相原悦子方)
TEL/FAX (022)277-2471
カルメギ・ホームページ:http://hrnk.trycomp.net/index.php
事務局Eメールアドレス:[email protected] (携帯からもメールできます)
19
頒価200円
Ⓢ!
んでいたため活発に外交を行って、それぞれ
今年、夏休みを利用して守る会大阪の事務
の国の使者が行ったり来たりしていたようで
所に初めてお邪魔しましたが、その旅行の途
す。板蓋宮でも各国代表たちが、心中は互い
中に久しぶりに奈良県明日香村を訪れまし
に激しく敵対し合いながらも、表面では笑み
た。日本の歴史の流れに大きな影響を与えた
をたたえて「今日はお日柄もよく……」と挨
飛鳥文化が育まれたこの地域は、至る所に古
拶を交わしていたのでしょう。遠路はるばる
墳が点在していてスピリチュアルな雰囲気を
やって来たのに突然大事件が起きて、使者た
たたえています。『日本書紀』を片手に遺跡を
ちはさぞかし驚いたでしょうが、中大兄皇子
回っていると、まるで聖徳太子や持統天皇の時
らは権力者を倒したことを大陸に伝えるため
代に瞬間移動したような気持ちになります。
に、三韓の使者の前でクーデターを決行した
幼いころに、東京の飛鳥山公園という公園
のではないかとも思います。
でよく遊んでいたからかど
飛鳥の古墳からは、青竜や
うかは分かりませんが、い
白虎など四神が描かれた石室
つからともなく飛鳥地域に
が発見されていますが、以前
引かれるようになりまし
ソウルの国立中央博物館の特
た。夕方、日の入りまでまだ
別展示室で、楽浪の古墳の四
少し間があったので、邪馬
神を見たことがありました。
台国論争で有名な箸墓(はし
躍動感に溢れた巨大な白虎た
はか)古墳に向かいました。
ちが描かれた壁画は、複製で
古代のロマンに思いを馳
したがとても迫力があって圧
せる前にホテルに連絡をし
倒されました。いつの日か平
ておこうと思って予約表を
壌郊外の楽浪古墳群を訪れ
取り出そうとしたところ、
て、本物の壁画を見ることが
予約表や明日香村の地図が
できたらと願っています。
入ったファイルを家に忘れ
大化の改新を推進したとい
て来たことに気付きまし
われる孝徳天皇は裁判にも関
た。さらに、帰りの新幹線
心を持ち、民衆の訴えを積極
の切符も一緒に忘れて来た
飛鳥大仏の前の筆者
的に聞こうとした人のようで
ことが分かり、一瞬にして
した。「訴えのある者は表(ふみ)を匱(ひ
現実に引き戻されました。結局切符は払い戻
つ)に入れさせる…自分はそれを見たうえで
してもらって買いなおして、古代史の世界を
群卿に示し、処置を講じさせる」という記録
存分に堪能できましたが……。
が『日本書紀』にあります。(全現代語訳『日
在日三世の仏師、鞍作鳥(くらつくりのとり)
本書紀』宇治谷孟)こうした書物が残されて
が作ったと言われる日本最古の仏像、飛鳥大
いるおかげで、今も古代の様子を知ることが
仏が安置されている飛鳥寺の近くに、伝飛鳥
できるのは幸いです。同様に、現在日本で起
板蓋宮(いたぶきのみや)跡があります。大化
きている出来事も史料に記述されて、後世の
の改新で有名な、中大兄皇子や藤原鎌足が蘇
人たちが評価することになるのでしょう。昔
我入鹿に切りかかった事件の舞台と言われて
の人たちも試行錯誤を繰り返したと思います
いる場所です。このクーデターは「三韓の調
が、後の人たちが誇りを抱けるような記録を
を貢る日」に実行されました。三韓(新羅・
私たちも残していけたらよいですね。
百済・高句麗)の使者が、日本の天皇に会い
に来た時に起きた事件でした。古代東アジア
「ソウルの路地裏」 はこれで終了し、次号から
でも、国王や天皇は常に国外の勢力に気をも
新しいタイトルで連載が始まります。乞ご期待!!
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