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平成13年5月号 通巻190号
平成13年5月号 通巻190号 東京黒百合会 事務局 杉L日 直 習志野市鷺沼 3−14−31℡047−453−6350 ※お詫び 会報編集発行 小石浩治 ◆デッサン会(第1回) 1)会報4月号2貢月「石田博氏の作品展」に ついて(石田氏は平成12年12月に逝去‥) 時:5月27日(日)pm2:00−−5:30 と記載するも正しくは(平成11年12月) 2)エルム写生会の日程は4/26日が正当 所:新日鉄代々木研修センター 中研修室A 3)会員名簿の末尾に、参考迄にと各展覧会 ※当初第3甜曜とするも今剛ま上記に変更。 の日程を記載するも、本年度の本展は第39 (佐々木俊明) 回展が正当。 以上会報担当の誤記でした。謹んでお詫び ◆一泊写生会(既報再録) し訂正申し上げます。 時:5月11日(金)12日(土)※13日(日) 芯鮎滝.斗 ※希望者のみ 場所:西伊豆(宇久須、安良里) 宿泊:千代田荘 ◆第9回北翔展 TEL:0558−55−0064 交通:JR「踊子101号」 東京am9:00 期間:5月22日(火)∼27日(日) 会場:三興画廊 横浜am9:23 修善寺amll:07 中央区八重洲2−5−7 束京八重洲南口ブックセンター先 展覧会感想 地下鉄銀座線京橋駅7番口 ◆第11回北斗展 ㊤示現展の準会員笠原氏の作品を拝 見して 期間:5月27日(日)∼6月2日(土) 会場:ギャラリー砂翁 示現展が都美術館で4月6日から21日まで 開催され、本展準会員の笠原寛氏が出品され 中央区日本橋本町ト3−1 ているので拝見した。 ◆エルム写生会 作品は「好日」80号で、日本アルプスを バックにして桃の花が一面に咲く桃淑郷を描 時:5月24 日(木) いた作品である。笠原氏独特の色調で描かれ た力作で、良い作品に仕上がっている。 なお欲を言えば、真ん中の右手部分の桃の 所:フルーツパーク 集合:京王線稲田堤駅 amll:00 −ト 花が少ないので、これを豪華に咲かせ、日本 鎌倉美術家協会第10回洋画部会展が4/1 日−8巨ほで鎌倉芸術館ギャラリーで開催さ アルプスの白い雪渓と共鳴するように描かれ ると良い。下の左手にある暗い木立は目立ち すぎるので、小さく抑えた方が良いと思う。 れ、同展会員の青木宏氏がNOlOl.(F80号) を出品された。 出品作品は青木流の抽象絵画で、極めて大 これだけのお膳立てが[‡1来ているので、 もっと素晴らしい作品にできると思う。大い 胆な太いタッチの作品である。 に期待したい。 今回はいつもの爽やかな色調とは異なる重 厚で迫力のある作品と言えよう。私には新し い試みの作品のように思われる。 (加藤 記) ㊥リピエール展の加藤さん というのは絵の右真申下描かれた赤い塊が 不気味さを感ずるほどに力強く描かれている からである。絵のポイント部分をこれほど強 今や名実ともに同展の重鎮である加藤さん 調して描かれた作品は珍しいからである。 の作品は、今回、とくに光った存在であっ とにかく力作を見られたことは嬉しい。 た。早春の白馬と晩秋の妙高高原、ともに 80Fの大作。一段と鮮やかな色のハーモニー (加藤 記) 。色彩の冴えと透明な空気が、いままでにな 訃 報 い新鮮な雰囲気を醸しだしていた。とくに、 赤から紫への変化や、雪山の白さ、近景の林 のグリーンと地面を覆うイエローとの対比な ◇岡沢贋二氏 逝去さる ど、元来カラーリストと言われた加藤さんの 真価が一層磨かれて来た感を受けた。 本会名誉会員岡沢廣二氏が平成13年3月29 (青木 記) 日夜、心不全のため逝去されました。 享年87歳でした。葬儀は4月2日、一行院 ◆「カーニバルの夜」山田哲男氏 (文京区千石)にて厳かなうちに晴々と行わ (3/26−4/4 三軌展出品作 於都美術館) れ、当会から遠藤、加藤、喜多、大谷、山 田、杉山(直)の6氏が参列、故人をお見送り いつもの男といつもの女が絡み合って物語 しました。謹んでご冥福をお祈りします。 りが始まります。目つきがおかしいとか短足 だとか、思わず指の数まで数えてしまうよう ◇ な魅力ある画面だ。 カーニバルの夜の楽しさ、華やかさそして虚 岡沢庸二氏の逝去を悼む しさがしみじみ伝わってくる。 ヨ!色男!と声をかけたくなるような、な んとも楽しい画風だ。いつもの男といつもの 女の物語りはこれからどうなるのか、次回が △岡沢さんの思い出 遠藤 博 待ち遠しい。 岡沢さんは私と同じ大正3年生まれ、大学 (杉山 直 記) は1年先輩である。同期の桜というのか、同 世代の黒百合会のメンバーとして親近感を覚 ◆鎌倉美術家協会展青木氏の作品に えるお仲間であった。 ついて 写生会などにも石田博さんや安孫子さんら ー2− と共に岡沢さんはいつも参加されていたし、 北窓展にもユニークな作品を出されていて、 その遠慮のない無邪気な話ぶりが、会の雰囲 気をいつも明るく盛り上げていた。 戦時中岡沢さんは騎兵隊の隊長として、中 国各地に転戦、その折に受けた弾丸が今も肩 に残っていて、右肩が自由に動かせないと 母」の研究所長をしていた当時に開発に成功 言っておられた。また隊長であったため、西 違いで分離可能なのだそうである。当時私は 部劇の<WmD>に似た似顔絵のピラをあ ちこちに貼り出されてゲリラに狙われたとの この製品に対して本物かどうか多少の疑問を 持っていたが、岡沢さんの説明を聞いて本物 ことであった。 であることが確認されたので、今でも安心し 岡沢さんは束京黒百合会の運営に直接タッ チしていたわけではないが、第一回展の会場 て小麦胚芽の摂取を続けている。 となった銀座の東電2階ホールは、岡沢さん 4月2日、岡沢さんの葬儀の日には、焼香 の列をさえぎるように垂れ下がった枝垂れ桜 が出た時、岡沢さんが「それは俺が作ったん だよ」と言うので、よく聞いてみると、岡沢 さんが日清製粉の子会社「オリエンタル酵 して、日清製粉から売り出されたものという ことであった。その詳しい製法までは聞けな かったが、なんでも胚芽とその周囲の比重の のお世話によるものであった。つまり、岡沢 さんは東京窯百合会展をスタートさせた恩人 と言ってよい。その後も私と石田哲郎氏の二 人三脚でやっていた黒百合会の運営について 何かとアドバイスされて陰ながらの尽力を惜 それはあたかも岡沢さんが「さすがの俺も 枝垂れ桜になってしまったよ」と洒落まじり に話し掛けているようにも思われて、感無量 しまなかった。 であった。 の細い枝が風に揺れていた。 岡沢さんは−一時仏像を熱心に描いておられ たが、北窓展から北畠展にかけての作品は、 岡沢さん、どうかあの世でも色紙の花を描 いてください。駄酒落文学も続けていてくだ さい。後から行く私達のために。 主に色紙を用いた花の絵であった。克明に描 写されたその水彩画は、日本画とも違う微妙 な美しさを湛えていて、私達の心を捉える魅 力を持っていた。 新しい会員の方はご存知ないことだが、岡 沢さんにはもう一つの文学的な趣味があっ △岡沢さんのご逝去を悲しみます。 た。それは「駄洒落文学」と称して、言葉を 合評会でご一緒しただけでしたが、絵の仲間が減っ てゆくのは悲しいことです。特に黒百合翠の老年組と して寂しいかぎりです。 もじって面白おかしく世相を洒落のめすとい うもので、鋭い社会諷刺を含んでおり、その 喜多 熟 短文に見られる岡沢さんの文才はなかなかの ものであった。岡沢さんはその作品をペン ネームで業界紙に連載しておられたし、また 大阪住まいの頃にはテレビにも出演されたよ うである。私はその作品を集めた著書も頂戴 △ 岡沢さんが亡くなって寂しく思います。 東京黒百合会に関して岡沢さんは私の「恩人」の一 人です。卒業後、上京した年に釧路の両親が送ってく れた「道新の切りぬき」をみて黒百合会展を見に行き した。 ました。会場でプラブラしていると、岡沢さんが声を 私は早くからビタミンBのサプリメントと して小麦胚芽を愛用していたが、この品が岡 沢さんが開発されたものと聞いて驚いたこと かけて下さって、「黒百合会員OBだって!そりや入 会しなくちやいけないよ」と他の大先輩にも声をか けてくださいました。おかげさまで初めから たくさんの大先輩にかわいがってもらい、黒 がある。それはある時、偶然小麦胚芽の話し 百合会の楽しさに“どっぷり”です。 −3− 岡沢さんはいつも「オレは絵はアマチュアなんだ。 駄洒落はプロだけどね」と面白い話を聞かせてくださ いました。駄洒落の連載ページを見せて下さったこと △ 岡沢さんが亡くなったと知って大変哀しく思い も..…..。 たねえ!」と何かとても嬉しそうに言って下さったの を昨日のように思い出します。今年の総会にもお見え 岡沢さんの話で一番好きなのは、戦争のとき、中国 で騎馬兵の指揮していて、神出鬼没の活躍していたの で、岡沢さんの指名手配のチラシが貼られていたとい う話です。「一枚くらいとっとけば良かったですね」 といったら、「オレは傷痍軍人なんだよ。まだ鉄砲の 弾が身体ン中に入ってるんだよ。ハハハ」と一寸自慢 そうに話していました。この話しは何度も聞いて、は じめの五文字で何の静かわかっても、それでも何度も 聞きたくなる話でした。 はじめて一泊写生会に行った時、合評会の時に湯の みを洗ってたら、「女だからって茶碗を洗わせるって ます。 生前、黒百合会展で僕の絵を見て、「随分良くなっ にならず、気にはしていたのですが、残念なことで す。 独特の雰囲気をお持ちで、ユーモアのセンスも中々 のもの、作品も越南時代の風景や、仏像など幅広いモ チーフを独特のタッチで措いておられました。ずらし た眼鏡の上からこちらを見て、「おい、もっと絵を描 け!」と言っておられるような気が未だします。 心からご冥福をお祈りします。 佐々木俊明 のは、いけないな。オレは昔は試験管を何千本も洗っ たんだ」と一緒に洗ってくれて、二十歳そこそこだっ た私はなんだかとても感激してしまい、岡沢さんにも 東京黒百合会にも深い尊敬の念を抱いたのでした。そ して「一番美味しいど−ルの飲み方は、黒ビールと ビールを半々に混ぜるんだよ」と教えてくれたことも あったし….。いっとき過激な恐いオバさんが会員に なって総会が大荒れになった時、岡沢さんもとても激 昂してあとでラウンジで秘密作戦会議を開いた暗も面 白かった…….。 △ 一昨年は黒百合会展の会場からお帰りの際階段 をおりる時に、手を貸してさしあげました。がっちり した体格でしたが、非常に軽いのにびっくりしたのを 覚えています。 最近は仏様の境地を感じさせる作品を措かれていた のが印象に残ります。昨年は出品されず気掛かりでし た。もう岡沢節が聞けないのは寂しいかぎりです。 下図は1998年の岡沢さんの作品です。 岡沢さんのご冥福をお祈り申しあげます。 岡沢さんにはたくさんお世話になりました。ちゃん とお礼を言ったかどうか、多分足りないと患います。 有難うございました。 一叫江沢昌江 1998年東京黒百合会展 出品作 岡澤 虞二 迷想のシリーズ 水彩 25F 一進一退しながら例年のようにシー」−ズ の一つを追いかけております。 ご笑覧お願い致します。 後藤一雄 私のモチーフ 1二藤 長.正 一ソタ 『絵ごころは、詩ごころ。 詩のこころは、恋ごころ。だから、絵ごころは、恋ごころ』 という三段論法で、以前に拙い随筆集を纏めたことがある。そんな訳で、私の恋ごころは、 間断なくフランスの山河を彷復しているのだが、何時も見果てぬ夢の片想い。 その引き金は、北大教養部時代に第二外国語として、フランス語を専攻したのと、外資 系の会社に永い事在職し、海外出張時、良くパリ周辺を訪れる機会に恵まれたこと、そし て何よりも東京黒百合会に参加出来た関係で、池澤先輩のお勧めにより『サロン。ドトー ンヌ』展や『ル・サロン』展に入選を重ねたこと等に起因しているものと思っている。 あえて言うならば、この辺が『私のモチーフ』と言っても過言ではない。ここに、フラ ンス紀行の拙い絵と詩を並べて、ご笑覧に供したいと存じます。 バレ。デロワール マロニエの 並木を抜けて パリを出て 野末に虹の かかる頃 今宵の宿は バレ。デロワール 窓辺に流る シャンソンの こころにしみる 愛の詩 想い出連れて 私は旅に出る サン・マロ 野中の木々は 花曇り ツウール後に ひた走る ル・マン サン。マロ 北の海 絵筆の旅の 綴る詩 こころをよぎる その瞳 想い出連れて 私は旅を行く モン・サン・ミッシェル 小雨に煙る ブルクーニュ 君の姿か 僧院の 墨絵彩る 塔の影 ポプラ並木に トレモロの ラ・プリマヴェラ 水彩 F6 工 藤 長 正 こころにしみる 恋の詩 想い出連れて 私は旅を行く (2001年 2月 2日)