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JへJ 峰J 毒J蜘漁 - Researchmap

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JへJ 峰J 毒J蜘漁 - Researchmap
2001年6月15日発行(毎月1回15日発行) : 1954年3月8日第三種郵便物認可
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I大阪土木建築業組合の結成
大小さまざまな経営規模の商工業者が加入する同業
II日露戦後恐 慌と建設業
IⅡ日露戦後の貧民警察活動
IV大阪土木建築業組合の強制組合化
組合が,多種多様な産業で結成されていた。各同業
組合の内部構造を検討することは,その都市の産業
構造の解明に必須の作業といえる。また同業組合は,
おわりに
衆議院議員,市会議員などの各種議員の選挙基盤の
一つとなっており,特に営業税反対運動や悪税反対
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運動が展開されている時期では,候補者にとって同
本稿は,明治41年(1908)に大阪市の土建業者に
業組合の推薦を得ることは当選上重要な条件であっ
よって結成された大阪土木建築業組合')に関する以
た3)。原田敬一氏のいう「都市支配」の実態につい
下の三つの問題を考察することを課題とする。
てのさらなる解明のためにも,各都市における同業
①土建業者が大阪土木建築業組合を結成した目的
は何だったのか,という問題。
②なぜ,明治41年に大阪土木建築業組合は結成さ
れたのか,という問題。
組合研究が重要な課題となっているといえよう。本
稿では,筆者の能力上,大阪土木建築業組合の内部
構造やその諸機能についての全面的な検討は不可能
だが,対象とする時期を組合結成当初に限定し,組
③大阪土木建築業組合は,南警察署長の勧告をう
合結成の目的や組合結成の経済的背景,さらには組
けて結成された。結成を勧めた南警察署長をは
合結成を勧めた権力側の意図を明らかにしたい。そ
じめとする警察側の意図は何だったのか,とい
して,それによって少しでも個別の同業組合史研究
う問題。
の進展を図りたい。
以上の三つの課題を考察するのには,以下のよう
本稿で扱う日露戦後の時期は,同業組合多発期で
なねらいがある。これまでの近代都市史研究におい
あったが,これまでの同業組合に関する諸研究は,
ては,大阪土木建築業組合のような同業組合は,同
この時期に同業組合が多数結成されたことの意味に
業組合が主体となって参加した営業税反対運動など
ついて全く検討していない。本稿では,上述の課題
の,運動のレヴェルでもっぱら注目されてきた。そ
①.②を検討することを通じて,この時期に同業組
れらの研究においては,同業組合は都市「小資本
家」・「小ブルジョアジー」,あるいは「都市中小商
合が多数結成されたことの意味について考えてみた
い。また,日露戦後から第一次世界大戦期までの時
工業者」を主体とする組織と規定されていた2)が,
期は都市民衆騒擾期と規定されている4)が,この民
その後の研究においては,この同業組合についての
衆騒擾期において,都市部の警察がどのような騒擾
規定内容の豊富化・具体化がほとんどなされていな
いと思われる。個々の同業組合がどのような契機で
対策を講じようとしていたのか,という問題を検討
結成され,その内部構造はどのようなものであり,
この問題もまた従来の研究では充分に検討されてい
そして実際にはどのように機能したのか,といった
るとは言い難い。本稿では,課題③を検討すること
問題についての検討が現在までのところほとんどな
を通じて,大阪府警察部の都市民衆騒擾対策を明ら
することは,重要な課題であると思われる。しかし,
日露戦後の大阪における土木建築請負業者(飯田)45
かにしたい。さらに,本稿では課題①から③につい
漢」)を内部に抱えており10)治安維持の目的から
ての検討を通じて,日露戦後の大阪における土建業
も警察は建築行政を担うことを要請されていた。明
者の存在形態や業界の特質の一端を明らかにした
治38年6月の大阪府令第51号土木請負取締規則中の
「素行不良と認むる者は土木請負業を免許せず」(第
い5)
まず,課題①から③を検討する前提として, Iで
3条)や,「所轄警察官署は本則に違背し,又は公
大阪土木建築業組合結成までの経緯を紹介する。次
安を害するの虞ありと認むる者に対し免許を取消す
いでIIでは,課題①。②を検討するために,日露戦
ことあるべし」(第4条)からうかがえるように,
後恐'慌が建設業に与えた影響について明らかにした
い。Ⅲでは,課題③を検討するために,組合結成前
当時の建設業は「産業政策の対象というよりは,
後の時期に実施された大阪市内の警察署による下層
南署での会合後,「商議ヲ重ネ」た南区の請負業
民衆取締りの実態を明らかにしたい。1Vでは,課題
者たちは,4月に開かれた創立発起委員会で,組合
①から③を検討した結果得られた結論を確認する意
名称を大阪土木建築業組合とし,組合区域を大阪市
一円とすることを決定する。その後,「同志ノ糾合
味で,大正3年(1914)から同4年にかけておこな
われた組合改革について検討したい。
二奔走シ」,同業者「約二百十二名ノ賛同」を得た
*以下,本稿における引用文・引用史料中の〔〕
ため,7月18日に組合員総代木村音右衛門ら8名は,
は,引用者の注であることを示す。
大阪府知事に組合設置届と組合規約を提出し,明治
I大阪土木建築業組合の結成
41年2月25日に大阪府から同業組合準則にもとづく
準則組合として認可された12)。組合員総代8名が大
大阪土木建築業組合が自ら編墓した『大阪土木建
阪府知事に提出した組合規約は,組合の目的を「組
築業組合沿革史』(1926年)によれば,組合の結成
合員同心協力シ,営業上ノ弊害ヲ矯正シ利益ヲ増進
を最初に発起したのは,明治40年(1907)
2月に
「武徳殿」(大日本武徳会大阪府支部武道場)の「建
スル」こと(第1条)と規定している。準則組合や
設義損金」の件について南警察署で会合中の木村音
約や定款の中で,組合の目的として,この第1条と
右衛門・金川新助・大溝伝兵衛・山岨喜次郎・鈴木
同趣旨の文言を掲げるのが一般的であったから,第
重要物産同業組合法にもとづく同業組合は,組合規
大吉ら,南区の有力な請負業者であった6)。彼らが
1条の形式的な規定のみから大阪土木建築業組合の
組合結成を発起した動機は,「無頼漢ノ跳梁」に
目的が何であるかを確定することはできないと思わ
よって「正当業者」が「圧迫」されているという業
れる'3)。また,この組合規約は,大阪市内の九つの
界の現状に「'債'慨」したことにあり,彼らが組合結
警察署の管轄区域ごとに組合支部を設置すること
成を発起するにあたっては南警察署長谷口武兵衛の
「勧告」があったという。各府県レヴェルの建築行
(第7条)を定めていた。
政は,地方警察が担う行政警察の領域の一部であ
請負業者80余名は,明治41年3月8日に創立委員会
り7),大阪府では請負業者の免許の許可・取消しの
を開催し,役員選挙をおこない,組長木村音右衛門,
権限や建築物の取締りは警察が担っていたから8),
副組長佐竹佐七,会計主任森川弥三郎らを選出し
南署署長が組合結成を勧めたのは単なる偶然ではな
い。また,行政警察は安寧・宗教・衛生・風俗・営
た14)。続いて,同年11月16日に大阪商業会議所で創
業・河港・道路・田野・漁猟などを含む広範な領域
として,武田大阪府警察部保安課長,東警察署所属
であった9)から,警察が建築行政を担っていたこと
の建築技師池田実'5)らが出席し,武田は「府令取締
自体は不思議なことではないが,当時の建設業界側
〔前述の大阪府令第51号土木請負取締規則のこと〕」
に警察による取締りを受けいれる要因が存在してい
についての講演をおこなった'6)。保安課と大阪土木
たことも事実である。当時の建設業は,都市社会で
建築業組合との関係については,昭和戦前期に,組
さまざまな犯罪をひきおこす博徒・侠客(「無頼
合の副組長をつとめた松村組社長松村雄吉(二代
4 6 歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
。
もっぱら取り締まりの対象」'1)であったのである。
←
大阪府から組合設置が認可されると,大阪市内の
立総会兼祝賀会が開催され(来会者300余名),来賓
目)の次の回顧談がある。
今から十年前〔昭和14年頃〕,私が大阪土木
間稀なる繁 忙を極めたり。即ち岡山・岡崎の二
箇師団,篠山・奈良・岐阜等の聯隊兵営建築は
マ マ
建築組合の世話方の一人を仰せ付かっていまし
た頃は……われわれ組合の主務官庁は大阪府警
大林組之を引受け請負金高七百万円以上に達し,
……而して是等の工事も昨今引渡を了へたるも
察部保安課でありまして,所管下組合長集合の
の九分通りに及び,残部も殆ど明年二月
指令を受けました際は,府下の数多い料理屋組
限にして新規着手の分は目下の処見込なく,明
合,遊廓組合或は芸妓組合の組合長と一緒にさ
年度の工事は皆無の模様なり。翻って民間事業
れまして,芸娼妓の戦時の心構えを諒々聞かさ
の方面を見れば二,三電鉄工事を除けば目星き
れたものでありました'7)。
工事更に無ければ,明年は請負業の大厄歳かと
の期
彼の発言は,戦時下に限定してのものであるが,
語り居れり。(『大朝』明41.12.18)
武田保安課長の講演内容からみて組合結成当時から
この史料で注目したいのは,第一に,恐 慌の影響
大阪府警察部の中で,組合を監督する事務を担当し
をまともにうけたのは「小資本の請負業者」であり,
ていたのが保安課であったことは間違いないと思わ
彼らの場合前年の仕事量の「三分の一」もないとい
れ,当時の建設業が主として取締りの対象であった
う状況にあったこと,そして第二に,「民間事業」
ことが確認できる。
で「目星き工事」といえば,恐慌の圏外にあった電
以上が大阪土木建築業組合が結成されるまでの経
鉄関連の建設工事ぐらいしかなかったこと,の以上
緯である。次に,同時期に起きた日露戦後恐'慌が建
二点である。また,次の史料は,この史料と同様に
設業に与えた影響について検討したい。この検討は,
「はじめに」で提示した,課題①と②を解くかぎに
恐慌の影響によって建築工事が減少したことを伝え
なると考えるからである。
II日露戦後恐慌と建設業
日本資本主義の確立の指標である日露戦後恐'慌は,
るとともに,大阪の材木商たちが組合結成へ向けて
「運動中」であることを伝えている。
●木材業者の新規約案近来の不景気により諸
種の建築工事は或は中止せられ,或は繰延・見
合等の為,其の影響は忽ち木材の需要減少とな
明治40年1月20.21日の東京株式取引所での株式相
り,木材業者の被る影響一方ならず,殊に往年
場の暴落を前触れとし,
の好景気時に於て見越し買をなせる向などは,
10月以降本格化した世界恐
慌の日本への波及を契機に始まり,明治42年初頭ま
困惑の程度一層痛切なるものから其の苦し紛れ
で継続した。この恐慌は,電気・ガス部門を除くほ
に商品の投売を試むるもの多きと共に,又従来
とんどあらゆる産業を捉えた文字通りの「全般的過
同業者間に一種の縄張ともいふべき販売区域の
剰生産恐'慌」であり,日本資本主義はこの恐'慌以降
内規ありしも,近来は之を犯すもの頻々なる有
第一次世界大戦まで 慢 性的な不況を経験することに
様なるを以て,二,三有志は今回更に右の規約
なる。受注産業である建設業がこの恐'慌によって深
を励行すると共に価格の協定をなし,併せて問
刻な影響をうけたことは容易に想像できるが,まず
屋は直接一般消費者に販売をなさ蜜る事及仲買
次の史料によって明治41年当時の建設業がおかれて
人は山より直接に買入れをなさず,必ず問屋よ
いた状況を確認しておきたい。
り供給を仰ぐ、べき事を規定せんと運動中なる由。
●本年の請負業反動時代たる本年の事業界は
極端なる縮小主義となりたる結果,民間諸会社
(『大朝』明41.6.16)
この史料で注目したいのは,恐'慌の影響で木材需
の建築工事は其の大半を中止,若しくは廃止す
要が減少した結果,材木商のなかで「商品の投売」
るに至りたる為,小資本の請負業者は前年に比
をするものが多数あらわれたために,それを防ぐ目
し三分の一位の仕事より無く頗る閑散に苦める
的で「価格の協定」を結ぼうとする動きが起きてい
有様なるも,資力十分なる第一流の請負業者等
ることである。材木商のこの「運動」は,重要物産
は彼の陸軍拡張の工事ありし為,却て戦後数年
同業組合法にもとづく大阪材木商同業組合の結成に
日 露 戦 後 の 大 阪 に お ける 土 木 建 築 請 負 業 者 ( 飯 田 ) 4 7
結実される。明治41年4月1日の重要物産同業組合
た,これまでの研究は,概して同業組合をカルテル
設置発起認可申請,同年5月28日の同発起認可の後,
組織として把握する視点が極めて薄い。「同業組合
材木商たちは,同年11月27日に大阪商業会議所で組
は,元来,加入強制の理念の上に立って,賃金規制
合創立総会を開く。そして, 11月30日に組合設置認
機能・雇傭規制機能・価格規制機能・品質規制機
可を申請し,翌明治42年2月12日に組合設置が認可
能・製品検査機能を有する業界団体として,株仲間
されるのである'8)。私がここで大阪材木商同業組合
のゆり戻しの動きのなかに,それぞれの業界が組織
結成に結実される材木商の「運動」に注目するのは,
していたものであった」25)と指摘している藤田貞一
Iで述べた大阪土木建築業組合の結成をめざす請負
郎氏は,同業組合の機能として「価格規制機能」を
業者の動きが,材木の投売を防止するために価格の
あげているものの,職工取締りなどの「雇傭規制機
協定を結ぼうとするこの材木商の「運動」と同様の
'性格のものであったと考えるからである。先の二つ
能」の方をむしろ重視している。それは,氏がさま
の史料で確認できるように,日露戦後恐'慌の影響で
建設工事の受注量が極端に減少するなかで,多くの
の動き」と評価するとともに,「雇傭規制機能」を
「株仲間的」な機能と考えているからである。しか
請負業者が仕事欲しさの安値受注に走ったとしても
し,同業組合の結成を「株仲間のゆり戻しの動き」
不思議ではなく,そのような安値受注を同業者間の
であったとする藤田氏の主張は,少なくとも資本主
協調=談合によって防止するために結成されたのが,
義確立期である当該期には通用しない議論であると
大阪土木建築業組合であったと推測されるのである。
思われるし,同業組合が有していた「雇傭規制機
また,大林組の創業者である大林芳五郎の伝記『大
能」を「株仲間的」な機能と一概に言えるかどうか
林芳五郎伝』(1940年)には,結成当初の組合に加
も疑問である。
ざまな同業組合の結成の動きを「株仲間のゆり戻し
入しなかった「故人」(大林芳五郎)の目には,大
同業組合を主題とした研究ではないが,すでに三
阪土木建築業組合が「談合を事とする組合としか映
和良一氏は,同業組合をカルテル団体の一つに数え
じてゐなかった」'9)と記されているから,やはり大
るとともに,日露戦後恐'慌以降の不況期にカルテル
阪土木建築業組合も大阪材木商同業組合と同様に一
が多発したことを指摘している26)。実は,このカル
種のカルテル組織であったと結論づけることができ
テル多発期には重要物産同業組合が数多く結成され
るのではないだろうか。この点については,すでに
ているのである。表lから,明治39年から明治42年
武田晴人氏が,『談合の経済学』(1994年)の中で,
にかけての重要物産同業組合の増加率と増加数が,
大阪を含めた各地の土木建築業組合を,ダンピング
この表で示した期間中もっとも高い(多い)ことが
受注等を防止するための同業者協調の組織,つまり
一種のカルテル組織と,性格づけている20)。武田氏は,
確認できる。次の史料は,この時期に大阪府で「不
自らの見解を傍証する具体的な史料をあげていない
業組合が,カルテル組織として機能していたことを
が,首肯できる見解であろう21)。
伝えている。
況」の「救済策」として「濫設」された重要物産同
さて,前述したように大阪土木建築業組合は同業
表1重要物産同業組合の設置状況
組合準則にもとづく準則組合であった。ここで従来
の同業組合に関する研究を振り返っておくと22),そ
れは,主として同業組合準則(明治17年),重要輸
出品同業組合法(明治30年),重要物産同業組合法
(明治33年)と展開される同業組合政策の評価をめ
ぐって進められてきたと言ってよいだろう。しかし,
「同業組合の現実の役割はそれに対する政策のみで
は即断できない」23)から,「同業組合それ自体を対象
にした研究」24)が今後は必要であると思われる。ま
4 8 歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
年
組 合 数 増 加 率 ( 倍 ) 組 合 数 増 加 率 ( 倍 )
調
2
3
0
拓
2
9
0
1
.
2
6
羽
4
0
7
1
.
4
0
蛇
7
4
5
1
.
8
3
大正1
916
4
7
明
治
大正10
'302
1
.
1
5
3
1
1473
1
.
1
3
1597
1
.
0
8
6
1567
0
.
9
8
1
.
2
3
9
1333
0
.
8
5
1020
1
.
1
1
2
1
1211
0
9
.0
1131
1
.
1
1
5
1
1106
0
.
9
1
昭和3
典拠:白戸伸一「同業者組織化政策の展開過程一産業資本確立期に
おける動向を中心として­」『明治大学大学院紀要』18-2,
1981年の第3表より作成。
●組合濫設の弊明治三十三年三月法律第三十
産・販売方法等に関する規制を有する組合が存在し
五号を以て重要物産同業組合法発布以来同業組
たため,たびたびそのような組合の行為を禁じた通
合の設立せらる〉もの日に相腫ぎ,殊に商工業
牒や指令が出されている29)。たとえば,「準則組合
の中心なる大阪府の如きは其の数実に九十有余
卜錐モ組合二於テ販売価格ヲ­定スヘキ規定ヲ設ク
に達せんとす。加ふるに近来経済界不況の結果
ルハ穏当ナラス」とする工務局長通牒が明治44年8
何れの事業も収益面白からざるより,之が救済
月と同年10月に出されている30)。ところが,組合設
策として組合設置の必要を説く者続出し,当局
置区域内の同業者に組合加入を強制できない準則組
者亦諸種の調査上の便宜あるを以て之を勧誘奨
合の場合,たとえカルテル協定を結んだとしても,
励するの傾きあり。秀毎月少くも四,五の設立
それに加わらないアウトサイダーの存在を容易に許
を見つ〉ある次第なるが,翻て其実績如何を見
してしまうことがかえって幸いして,輸出品を扱わ
れば,果して同法の目的通り組合員一致協同し
ない重要物産同業組合よりも早く価格の協定を結ぶ
て営業上の弊害を矯正し共同利益の増進を図れ
ことを公認されているのである。「準則組合ハ組合
るの形跡ありや頗る疑はし。内地は勿論清韓方
加入ヲ強制セサルカ故二地方長官二於テ特二弊害ナ
面にても大阪物と云は蛍粗製濫造品の代名詞た
シト認ムル場合二於テハ,価格又ハ賃金ノ協定ヲ認
るの観あり。一意価格の低廉ならん事を欲し,
容スルモ支障ナシ」とする商工局長通牒が大正6年
組合規約の如き此の点に関しては殆ど空文に等
9月に出されている31)。
しく,共同利益の増進は常に好商の為に破ら
次の史料は,同業者間の過当競争を「集団の力」
たまたま
る〉も如何ともする能はず,会々実行せらる〉
で避けるために,京都府でも同業組合の結成が「流
場合には一般需要者の迷惑を顧みず不法の団結
行」していることを伝えるとともに,準則組合から
を為して暴利を貧り組合法は却て経済状態を撹
重要物産同業組合への組織変更が,日露戦後恐 慌期
乱するに至るの奇観を呈せり。
に重要物産同業組合が急増したことの一因であるこ
(『大朝』明41.12.22)
重要物産同業組合が,重要物産の改良と粗製濫造
とを教えてくれている。
●同業組合の流行(京都)競争の激甚なる結
の防止という重要物産同業組合法の趣旨を無視して,
「不法の団結を為し」価格の協定を結んで「暴利を
果集団の力を借り,以て事を処理せんとするの
貧」るという,この史料が示す事態は各地でみられ
は権力を行使し得るの便宜ある為,現に同市の
たのであろう。農商務省は,明治42年6月に「外国
酒類同業組合,杵蚕同業組合の如きも創立認可
貿易二於ケル売崩ノ弊ヲ防グ為メ必要ナル場合ノ他
申請中に属し,又小間物同業組合・化粧品組合
商品ノ価格ヲ組合二於テ定ムルノ規定ヲ設ケシメサ
ルヲ要ス」とする「内訓」を発している27)。しかし,
も両者を合せ法人組織に改めんとし,其の他府
下の准則組合九十四社中組織変更を企つるもの
その後も重要物産同業組合は,カルテル組織として
少からずして,既に法人組織の組合のみにて十
機能し続けたものと思われ,農商務省はこの「内
八社の多きを数ふに至れりと。
訓」と同趣旨の次官通牒を大正5年と大正10年にも
傾向は益其の熱を高め,殊に重要物産同業組合
マ マ
(『大朝』明41.7.17)
出している。この次官通牒もあまり効果がなかった
準則組合の中で重要物産同業組合に組織変更する
らしく,結局商工省は昭和8年(1933) 11月14日に
「当省所管ノ同業組合二付イテハ外国貿易二関係ナ
に加わらないアウトサイダーに対する規制力という
キ場合二於テモ売崩ノ弊ヲ防ク為必要ナルトキハ商
点では,準則組合は不完全なカルテル組織であった
品ノ価格協定ヲ為スコトヲ得シムルコトト相成候」
からであろう。同業者の組織化により粗製濫造と不
とする次官通牒を発して,輸出品を扱わない重要物
正取引を防止する目的で制定された同業組合準則は,
産同業組合でも価格の協定を結ぶことを公認した28)。
もともとその第4条で「組合ノ設アル地区内二於テ
また,準則組合の中にも,営業品の価格,賃金,生
組合員卜同業ヲ営ム者ハ其組合二加盟スヘシ」と規
ものが少くなかったのは,前述したようにカルテル
日露戦後の大阪における土木建築請負業者(飯田)49
定していた。しかし,準則は,この規定の違反者へ
物,生糸,米穀,材木,肥料,陶磁器等の産業で設
の罰則を定めていなかったし,また組合規約に対す
置されていた。これに対し,準則組合が設置された
る違約者処罰についても何ら直接的な規定を定めて
営業の種類は,履物職や繭弱製造など実に雑多を極
いなかったために,第4条の規定も「事実上は空虚
めており35),準則組合は権力から「重要物産」とみ
なものであり,各組合の規約も厳守されない傾
なされていない産業で広く結成されていたものと思
向」32)にあった。しかも,明治30年に日清戦後経営
われる。ここで想起したいのが,当時の建設業が産
下の輸出振興策の一環として重要輸出品同業組合法
一この法律の適用範囲を「重要物産」に拡大する
業政策の対象というよりは,むしろ取締りの対象で
ために,同法は明治33年に重要物産同業組合法に改
権力にとって重要物産同業組合を結成するに値する
正された­が公布されると,準則の第4条は廃止
ほどの「重要物産」とはみなされておらず,それゆ
され,準則組合は「規制力という点ではまったくネ
えに,大阪土木建築業組合は準則組合としてしか認
グリジブルな」33)任意組合になってしまったのであ
可されなかったものと推測されるのである。
る。これに対して,重要物産同業組合は,重要物産
あったということである。つまり当時の建設業は,
これまでの考察をふまえて,ここで「はじめに」
同業組合法第4条で「同業組合設置ノ地区内二於テ
で提示した二つの問題について答えておきたい。ま
組合員ト同一ノ業ヲ営ム者ハ組合二加入スベシ」と
ず,大阪の請負業者が大阪土木建築業組合を結成し
規定されているように強制組合であり,「権力を行
た目的は何かという課題①については,工事欲しさ
使し得る」法人であった(準則組合は法人ではな
の安値受注・過当競争を同業者間の協調=談合に
い)。また同法は第19条で,第4条の規定に反して
よって防止することが組合結成の目的であったと答
組合に加入しない同業者に対しては「五円以上五百
えることができる。次に,なぜ明治40年から同41年
円以下ノ過料二処ス」とも規定していた34)。アウト
にかけて組合結成の動きが起きたのかという課題②
サイダーに対する規制力という点では,準則組合と
については,日露戦後恐 慌の影響によって,この時
重要物産同業組合とでは格段の差があったのであり,
期は極端に建設工事の受注量が減少したからである
日露戦後恐慌期に準則組合の少なくない部分が重要
と答えることができる。要するに大阪土木建築業組
物産同業組合へと組織変更をした目的は,この時期
合は,日露戦後恐'慌の影響で工事受注量が減少した
の同業組合の主要な関心事であったアウトサイダー
ために,ほとんどすべての請負業者が安値受注の誘
をいかに防ぐかという問題を解決することにあった
惑にかられるという状況のなかで,そのような安値
とみてよいだろう。ここで注意しておきたいのは,
受注を同業者間の協調によって防止するために結成
大阪土木建築業組合が準則組合であったという事実
された談合組織であると結論づけることができるの
である。大阪土木建築業組合は,アウトサイダー規
である。
制という点では不完全なカルテル組織であったので
あり­事実,大阪土木建築業組合は結成後に脱退
111日露戦後の貧民警察活動
者・組合費滞納者の続出に悩まされている­,後
本章では,本稿「はじめに」で掲げた③組合結成
述するように,大正3年末以降に組合内部でアウト
を勧めた南警察署長をはじめとする警察側の意図と
サイダー規制を強化するために組合の強制組合化を
は,何であったのかという問題を考察する。この問
めざす動きが起こるのもそのためなのである。では,
題を考えるうえで重要なのは,組合結成前後の明治
なぜ,大阪土木建築業組合は,重要物産同業組合で
40年から同41年にかけて,大阪市内の各警察署およ
はなく,カルテル組織としては不利な準則組合にな
び分署が,都市下層民衆に対して取締りを強化して
らざるをえなかったのであろうか。重要物産同業組
いるという事実である。特に博徒・侠客の類いに対
合は,重要物産同業組合法第1条で「重要物産ノ生
する取締りは厳しく,明治40年の大阪市における
産,製造又ハ販売二関スル営業ヲ為ス者」が「相集
博罪検挙人数は前年比約2.4倍と急増していた36)
リテ」結成する組織と規定されており,主として織
(表2参照)。
5 0 歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
表2
年
博の罪で検挙された人数
『■
大
阪
大
阪
観点とともに,都市騒擾の主体をなす細民・貧民に
市
以
外
874(0.10)
833(0.09)
1.132(0.12)
明治32
3
3
3
4
対する民衆運動防止的観点からもすすめられたと考
えられる」という点である。
以上の2点は,これから検討する大阪市内で実施
3
5
された取締りについても同様のことが言えるので重
3
6
3
7
要である。また,近年の都市史研究からも,日露戦
3
8
後の警察の動向について注目すべき論点が提出され
3
9
2,456(0.27)
4
0
警察の強い後援のもと,被差別部落内の衛生・職業
1
4
4
2
5,476(0.25)
2,844(().29)
4
3
4
4
大正1
2
3
4
5
ている。布川弘氏は,日露戦後の神戸市において,
6,074(0.24)
6,057(0.23)
7,632(0.22)
の「改善」を目指す部落改善運動が展開されたこと
を明らかにし,この警察主導の部落改善運動には
「日露講和反対運動や大逆事件を契機とする治安対
策強化の必要'性という背景があったことは間違いな
3,374(0.23)
2,683(0.23)
3,379(0.29)
典拠:各年の『大阪府統計書』・『大阪市統計書』より作成。
()内の数字は対人口比(百分率)。空白欄は不明な部分。
では,明治40年から同41年にかけて実施された大
い」と指摘している39)。また,同時期の大阪市でも
警察(難波警察署)主導の部落改善運動が実施され
たことを明らかにした能川泰治氏は,難波警察署が
「日露戦後に数度にわたって署内の警官を総動員し
て「貧民窟掃蕩」即ち浮浪者・窃盗犯・淘摸.密
阪市域における下層民衆に対する取締りとは,どの
売婦・博徒狩等の一斉検挙を実施している」ことを
ようなものだったのであろうか。
指摘している40)。
大日方純夫「日露戦後における民衆統治一都市
表3は,明治40.41年の新聞記事で確認される大
民衆騒擾と警視庁一」37)は,日露戦後から第一次
阪府の各警察署による下層民衆に対する取締り­
大戦期までの都市民衆騒擾期において,民衆騒擾が,
以下,この取締りを大日方氏にならって貧民警察活
都市部の支配にどのような変化をもたらしたのかと
動と呼ぶ­をまとめたものである。また,表4は,
いうことを検討した数少ない研究である。大日方氏
表3にもとづいて各警察署の月別の活動回数をまと
は,警察が民衆騒擾に対していかなる対応を示した
めたものである。以下,この両表から注目すべき点
のかを 第一次西園寺内閣のもとでおこなわれた警
を指摘しておきたい。
第一は,大阪市内の各警察署が貧民警察活動を活
視庁改革を題材にして検討している。氏が提出して
いる論点のうち,私が注目したいのは以下の2点38)
発におこなうのは明治40年6月以降であるというこ
である。
とである。これは,明治40年5月23日の大阪府下警
第一に,警視庁は,日露戦後の急速な資本主義化,
都市化がもたらした矛盾の産物である犯罪件数の増
察署長会議で「警羅督励の件」や「受持巡査を督励
し持区内の被害事件を捜査検挙せしむる件」が討議
マ マ
加に対処するために,「巡羅査察の強化を求める一
された結果であると思われる41)。ただし,難波署と
方,犯罪の温床として下層社会をとらえ,これに対
南署はこの会議以前から独自に貧民警察活動を始め
する対策を強化していった」という点である。警視
ていた。難波署は,明治39年6月28日から約二カ月
庁は「博徒,浮浪者,堕落学生,膝騰車夫」などに
余にわたって長町一帯の「貧民窟掃蕩」を実施して
対する視察と取締りを厳重にすることを,各警察署
おり42),南署は,明治40年2月20日に売春婦の大検
に指示していた。
挙をおこなっている43)。また,表4から南署の活動
第二に,上記の貧民警察活動は,「犯罪発生源の
回数が全警察署中最多であり,もっとも熱心に貧民
掌握をはかろうとする予防警察的観点,ならびに都
警察活動をおこなっていたことが確認できるが,組
市秩序の弛緩.混乱を防止しようとする風俗警察的
合結成を勧告したのは南署署長であるから,注目し
日露戦後の大阪における土木建築請負業者(飯田)
51
表3明治40∼41年の大阪府における貧民警察活動
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
年
明治40年
警察署
月日
2/16
4/24
5/23
6/1
堺署
南署
処分方法
活動内容(活動対象・活動場所等)
現行犯41名逮捕
35名検挙
博大検挙
売婦検挙
(新刑法公布)
(大阪府下の警察署長会議)
九条署
6
8
/
6/14
6/15∼16
6/28∼29
悪漢無頼の徒・稲荷下げ・悪祈祷
者・密 売婦・媒介者等の大検挙
博徒30余名・悪祈祷者24名検挙
南署
西署
南署
西署
6月下旬∼7/12 東署
西署
7/1
北署
7
1
/
7/1∼7
難波署
7/2∼8
南署
売 狩のための待合茶屋検挙
松島遊廓での無頼漢狩
7/6
天王寺署
無頼漢狩
7/7∼14
九条署
博徒・破落戸・醜業婦・淘摸等の検
挙
拘引者140名の内,66名拘留,40名行政処分,
4名裁判所送り
7/23
西署
拘引者51名の内, 18名拘留,18名検束
7/24
北署
松島遊廓での悪漢・淘摸・土砂流し
等の大検挙
中之島公園での無頼漢・堕落書生。
売 婦の検挙
8/5
8/21
九条署
裸体の大検挙
北署
中之島公園での無頼漢狩
南署
九条署
千日前・難波新地での無頼漢狩
無宿無頼漢狩
東署
曽根崎署
宿屋検挙
宿屋検挙
告発処分11戸・説諭44戸
規則違反者1名,説諭10名
天王寺署
幽賊・浮浪者の大検挙
数十カ所で宿屋大検挙
幽賊25名拘留,30名浮浪罪
9/16
9/18頃
9/18頃
9/21頃
9/25
10/4
南署
九条署
10/24頃
10/25頃
11/8頃
11/23頃
12/1
12/6∼11
12/14
土砂流し・インチキ師の大検挙
悪書生・無頼漢狩
松島遊廓での無頼漢狩
堂島現場師の大検挙
破落戸狩
難波新地・千 日前・道頓堀の興行場
での破落戸狩
売
博徒検挙
淘摸・悪漢らの検挙
大阪全市11カ所の警
察署・分署
九条署
210名拘引
90名拘引の内,13名拘留,29名検束
4カ所で34名検挙
37名拘留,56名行政処分
無頼漢99名(内84名拘留), 堕 落 学 生 2 5 名 , 乞
売は,小林佐兵衛
食・ 売23名検挙。乞食・
経営の小林授産場へ収容
35名拘引,10名拘留
2名拘引,402名告発,762名説諭
拘引者99名の内,男28名・女1名を浮浪罪で拘
留
19名拘留
博現行犯17名逮捕,その他40∼50名検挙
狩
九条署
西署
南署
西署
西署
拘引者80余名の内,27名拘留
18名拘留・検束
検挙85名の内,35名拘留。乞食20名は小林授産
不正待合・宿屋検挙
曽根崎署
南署
拘引者85名の内,8名拘留,29名検束
場'、
南署
天王寺署
10/16∼17
難波新地での無頼漢狩
寄席の検挙
難 波 新 地 に お ける 不 衛 生 な 露 店 営 業
者検挙
汽船中のインチキ 博師検挙
51名拘引。 売婦7名,浮浪者1名,不正宿屋
1名,待合1名を処分
博現行犯31名逮捕
拘引者20名の内,10名拘留
玉川町戎座無代客200余名の内,3名拘引
拘引者65名の内,57名を違警罪で処分
8名逮捕
無免許歯科医・医者の検挙
不良少年検挙
変装偵濯隊を組織し,数名の盗賊を
検挙
非常警戒(1回目)
博徒の大検挙
10数名拘引
窃盗犯7名,浮浪者拘留32名, 行政執行検束33
名,売春婦6名,誰何3万6100 余 名
10()余名逮捕
大阪全市11カ所の警
察署・分署
非常警戒(2回目)
12/18
南署
悪車夫・不正旅人宿等の検挙
窃盗犯7名,浮浪者および窃盗未遂犯31名,検
束12名,誰何1万4403件
悪車夫6名,車夫中の悪漢68名,不正旅人宿数
十.戸,売 媒合者5名,売 婦6名,博徒若干
名を いず れも 拘 留 か 科 料 処 分
12/19.
12/19∼20
南署
悪車夫の検挙
88名拘引
安治川水上署,天保
町・木津川両分署
悪船頭検挙
砂糖盗人2名,窃盗嫌疑前科者9名逮捕
12/20
安治川水上署,天保
町・木津川両分署
悪船頭検挙
悪船頭42名拘引
12/21
南署
悪車夫・
売婦・博徒の検挙
12/22
南署
悪車夫・
売婦・博徒の検挙
12/23
12/24.25
西署
松島遊廓内での無頼漢狩
悪車夫170名拘引,内167名違警罪で処分。 売
婦11名, 博現行犯5件検挙
悪車夫92名,売 婦6名拘引。 博現行犯19名
逮捕
22名拘留(内インチキ8名) , 22名検束
売
7名検挙
安治川水上署,天保
町・木津川両分署
5 2 歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
婦検挙
月日
年
明治40年
明治41年
警察署
活動内容(活動対象・活動場所等)
処分方法
12/25
堺署
栄橋遊I蔀・並松町で無頼漢の検挙
12/26
12/28
12/29
西署
雑喉場魚市場における露店商検挙
南署
大阪全市11カ所の警
察署・分署
朝日橋分署
淘摸の検挙
非常警戒(3回目)
物貰い・行商人の押売ら検挙
窃盗犯7名,浮浪罪12名,検束17名,雑犯88名,
誰何1万2076名
27名検挙
天王寺署
九条署
平野郷署
四天王寺境内で 博現行犯検挙
悪仲仕検挙
二カ所で 博現行犯検挙
42名検挙
29名逮捕
九条署
悪漢大検挙
1/18
1/21
1/23
2/1
2/3∼4
誰何218名,浮浪罪32名,行政処分・窃盗嫌疑
者5名拘引
44名拘引,6名処罰
淘摸10余名,窃盗6名逮捕
5名逮捕
119名(内20名 博現行犯)検挙,内54名検事
局送り,残り65名拘留
19名逮捕
2/4
2
7
/
東署
東署
東署
二カ所で
株式仲買人の 博現行犯検挙
空米相場師検挙
5名逮捕
20数名逮捕
2/20
2/21
3/12∼13
3/24∼26
4/1
九条署
九条署
売春婦と媒合者検挙
三カ所で 博現行犯検挙
37名拘留
16名逮捕
南署
九条署
無頼漢狩
博徒および無頼漢検挙
破落漢21名と密
全市10警察署
非常警戒(4回目)
窃盗8件,浮浪罪48件,行政執行28件,雑件95
件
4/15
4/18
4/27
北署
密 売婦と媒介者座主等の検挙
浮浪罪検挙
密 売婦4名と媒介者座主ら11名検挙
5名検挙
非常警戒
窃盗現行犯2件,行政執行2件,無鑑札の人力
車夫2件,誰何292件
5/29
西署
非常警戒
6/2
6/3∼4
6/5
難波署
難波署
売春婦検挙
悪党検挙
詐欺取財犯4,淘摸3,窃盗6,詐欺 博犯6,
浮浪者14,検束12,合計45名検挙。誰何2861名
30余名拘引
南署
無頼漢・売
6/17
6/22
6/22∼23
6/29
天王寺署
博徒検挙
南署
売・夜盗ら検挙
三カ所で博徒検挙
南署
玉造署
曽根崎署
全市各警察署・分署
博現行犯検挙
売婦8名検挙
44名拘引
25名拘引
婦検挙
無頼漢8名,売
たは説諭
婦6名検挙,それぞれ検束ま
博徒11名逮捕
30余名検挙
博現行犯12名逮捕
非常警戒(5回目)
窃盗逮捕14件,その他の犯罪2件,浮浪罪処分
46件,検束30件,誰何1万7099件
2名を拘留10日
曽根崎署
難波署
稲荷下しの検挙
無頼漢狩
8/8
8/15
8/16
8/21
8/27
西署
松島遊廓で無頼漢狩
平野郷署
難波署
無頼漢検挙
待合大検挙
北署
中之島公園で浮浪者検挙
南署
遊廓荒し・興行物荒し・飲食店ゴ
ロ・売 婦等の大検挙
55名拘引,内浮浪罪16名,
8/28
9/4
玉造署
空米相場師検挙
期米通信業福井芳太郎宅で,12名逮捕
南署
難波新地での最後の大検挙
9
9
/
9/15
9/18
北署
中之島公園で浮浪者検挙
1 3 0 名 拘 引 , 内 9 6 名 を 浮 浪 ・ 博 ・ 売 な どの
罪で拘留
150名を拘引,内20名を浮浪罪で拘留
南署
曽根崎署
破落漢・ 売検挙
梅田駅構内の悪車夫検挙
65名検挙
18名検挙
南署
劇場の無銭見物者・一現茶屋の引子
検挙
無銭見物者42名,引子30名検挙
曽根I局署
梅田駅構内の悪車夫検挙
(新刑法・警察犯処罰令施行)
44名拘引,内22名拘留
夜半警戒
非常警戒(6回目)
誰何601名,内行政引致5名,浮浪拘留3名
12/3
東署
市内各警察署,十三
橋署,柴島分署
南署
大検挙
12/25
市内9警察署
非常警戒(7回目)
誰何1860名。窃盗現行犯2名,淘摸見込5名,
浮浪漢5名を検挙
誰何1万7185件,浮浪者検挙14件,検束者22件,
窃 盗 犯 逮 捕 7 件 その他38件
7
6
/
9/21
10/1
10/8
10/10
70余名拘引,内39名窃盗罪.35名行政処分,2
名説諭放還
挙動不審者17名検束
30名検束
密会者数十名拘引
23()名検挙,内28名を浮浪罪で拘留
売12名拘留
誰何1万3870名,窃盗犯6件,浮浪罪29件,検
束18件,その他79件
典拠:明治40年・同41年の『大阪朝日新聞』・『大阪毎日新聞』より作成。
日露戦後の大阪における土木建築請負業者(飯田)53
までの期間(明治40年4月24日から翌年10月1日ま
てよい事実であると思われる。
第二は,取締りの対象者についてである。表3か
で)に主として実施されている。前述の明治40年5
ならずもの
ら対象者をあげていくと,博徒,無頼漢,破落戸,
月23日の署長会議において,国分丸治大阪地方裁判
浮浪者,
売婦,淘摸,宿屋,車夫,堕落書生,不
所検事局検事正が臨場して「新刑法実施準備に関す
良少年,インチキ師などである。この対象者は,新
る訓示」をしている45)から,大阪市内における貧民
刑法施行直前の明治41年9月に大阪府警察内でとり
警察活動は内規で定められた司法視察とほぼ同じ目
決められた「司法視察内規」44)第2条で規定された
的で実施されたものと推測される。また,新刑法は
司法視察の対象者とほぼ重なっているので,この司
新たに常習 博罪(3年以下の懲役)を設けた46)た
法視察と貧民警察との関係が問題となる。第2条の
めに,新刑法施行後は逮捕された
規定は次の通りである。、
有無が刑の量定上問題となってくる。内規第2条第
博犯の常習 性の
第二条署長(警察署長警察分署長ヲ謂フ以下
1項で博徒が司法視察の対象者としてあげられてい
同シ)ハ予メ其ノ所轄内二於ケル左記各項二該
るのも,そして,大阪市内の各警察署が盛んに博徒
当スル者ヲ調査シ,別紙様式ノ要視察人名簿ヲ
狩・無頼漢狩をおこなっているのも,新刑法施行ま
調製スヘシ
ー 博 徒
でに常習 性を有する
博犯=博徒を可能な限り把握
する必要があったためであろう。そして博徒・侠客
二 侠 客
を多数かかえていたのが当時の土建業界であったこ
三悪漢無頼者
とを想起するならば,南警察署長をはじめとする警
四 強 窃 盗 ノ 常 習 アル モ ノ
五 淘 摸 ノ 常 習 アル モ ノ
察当局は,博徒・侠客の実状を調査・把握する必要
'性から,土建業界に組合結成を勧めたと推測できる
六詐欺又ハ恐喝取財ノ常習アルモノ
のではないだろうか。つまり,警察側は,博徒・侠
七 臓 物 犯 ノ 常 習 アル モ ノ
客を内部に抱えている土建業界に組合を結成させ,
八 殴 打 暴 行 ノ 常 習 アル モ ノ
その組合を保安課管轄下にすることで,博徒.侠客
九常二子分ヲ使喉シ淘摸其ノ他ノ犯罪
の実状を把握する窓口を確保しようとしたものと推
ヲ 為 サ シ メ 其 ノ 利 ヲ 収 ム ル ノ 虞 アル モ
測される。言い換えるならば,警察は,大阪土木建
ノ
築業組合に博徒・侠客についての情報源としての役
十前項ノ外特二視察ヲ要スル不良者
割を期待していたといえるのではないだろうか。
(団子取,新聞広告利用詐欺,新聞恐
第三は,検挙者に対する処分の多くが,拘留か,
喝,会社破落戸,三百代言人,「イン
行政執行法(明治33年)にもとづく検束(「行政処
チキ」ノ類)
分」)であるということである。拘留は旧刑法に規
内規第1条によれば,司法視察とは「世安ヲ害シ
定された違警罪(現在の軽犯罪法に定められている
又ハ害スルノ虞アル者二対シ視察ヲ厳重ニシ非行ヲ
ような軽微な犯罪。浮浪罪など)に対する処分であ
遂クルノ余地ナカラシムルト共二,一面刑事訴追ノ
り,新刑法施行後は警察犯処罰令47)(新刑法と同日
場合二於ケル刑ノ量定上資料二供スル」ことを目的
に施行)に規定された犯罪に対する処分である。こ
とするものであった。新刑法は,旧刑法と比べて犯
の違警罪については,違警罪即決例(明治18年)に
罪類型が包括的で,法定刑の幅が広いために,判検
よって警察官吏が正式な裁判の手続をとることなし
事による刑の量定の範囲が非常に広くなるという特
に「即決」で拘留か科料に処分することができた。
徴を有していた。新刑法施行直前にこのような内規
が定められたのは,司法視察による調査事項(たと
みが判断し,それに対していかなる意味でも第三者
えば,常習'性を有するか否かという事実)が「刑ノ
が関与することはできなかった48)。つまり,大阪市
量定上」重要な「資料」になるからであった。実は
内の各警察署は,警察犯処罰令・違警罪即決例や行
大阪市内の貧民警察活動は,新刑法の公布から施行
政執行法(検束)といった警察当局にとって都合の
5 4 歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
また,検束の場合,検束する要件の有無は警察官の
表4明治40.41年における大阪府の各警察署による貧民警察活動
l■■■■■■■■■■■■■■■■
行政
区域
|
大
阪
市
内
一
大
阪
市
外
40年
警察署名
1月
2
3
4
5
東
髄
西
6
41年
7
8
9
0
1
1
1
1
2
1
1
月
3
3
2
2
1
2
4
5
1
3
1
2
1
1
1
2
4
3
2
1
3
1
3
1
1
8
1
1
1
1
2
3
1
9 1
0
2
1
1
1
1
1
1
1
1
3
1
8
1
1
1
1
7
1
2
3
1
6
1
2
1
1
5
1
3
3
川口分署
九条
朝日橋分署
南
難波
天王寺
北
曽根崎
安冶川水上
天保町分署
木津川分署
3
1
1
3
1
1
3
1
1
1
1
1
3
3
1
1
ロ計
〈
過
1
9
1
肥
1
5
四
1
6
卯
2
1
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
2
2
2
1
1
2
1
3
3
+三橋
柴島分署
平野郷
B
B
4
3
3
1
1
1
1
堺
0
合計
2
2
1
1
0
0
0
6
8
2
7
7
2 1
5
3
7
2 3
1
1 7
1
2
6
6 1
4
0 ()
l
一
よい制度を利用して貧民警察活動をおこなっていた
ナル事件」が発生した場合に,各警察署があらかじ
のである。
め設定しておいた「非常警戒位置」を警戒すること
第四は,大阪市内の警察署合同(市外の一部警察
署も含む)による非常警戒が計7回実施されている
である51)。表3で確認される計7回の非常警戒は
「事件」の発生を受けて実施されたものではないか
ということである49)。次の史料は,大阪市内で初め
ら,臨時の非常警戒であった。大阪府警察部は,臨
ておこなわれた明治40年11月30日深夜からの非常警
時非常警戒を本格的に開始する明治40年12月に,こ
戒に関する史料である。
れまでの「甲」警戒位置に加えて,「可成寂莫ニシ
●包囲されし大阪全市空前の大非常線全市
テ行人稀ナル位置」=「乙」警戒位置と「主トシテ悪
の巡査全市を包囲す肌を裂んばかりの寒風耳
漢又ハ貧民ノ居住地周囲ヲ包囲スヘキ位置」=「丙」
をも鼻をも吹き断らんとしたる昨十一月三十日
警戒位置を定めるように各警察署に指示している52)
午後十一時三十分より今十二月一日午前四時に
から,この臨時の非常警戒計7回は大阪市内の各警
かけて,わが大阪全市十一ヶ所の警察署に附属
察署がすすめていた貧民警察活動の一環として実施
する千五百○五名の警官は,一時に非常の召集
されたことは明らかである。しかし,この非常警戒
を受け一時に八方に散り拡がり全大阪の市街を
は「一般の巡査がいかにして良民を扱ふか,いかに
包囲尽し,一令の下に一挙市内を俳個せる悪漢
して浮浪者に対するか,いかにして犯罪人を取調ぶ
無頼の徒を一名残らず捕縛し尽さんとする空前
るか,といふ事及びこれら巡査に取扱はれたる人民
の大非常線を張りたり,歳暮に近くして昨今の
の意向等に就いて取調ぶる」53)ことも目的としてい
市中は盗難極めて多し,昨夜半より今暁にかけ
たる此挙は実にこれを一掃せんとする意志より
た。そのため,警察部員は非常警戒中に変装して
「非常線内を巡 し故意に警官の疑惑を買ひて其調
出たるものにして,其規模の大なる事これ
嘗
査ぶりを調査」していた54)。日比谷焼打事件以降の
て見ざる処真固に本市警察界始まって以来の大
活動なりといふくし(『大毎』明40.12.1)
民衆の反警察感情の高まりの中で,大阪府警察部も
「従来の専制的・強圧的な支配形態を修正して,あ
明治36年10月1日制定の「非常警戒心得」50)によ
る程度民衆の存在を顧慮しようとする姿勢」55)をう
れば,本来非常警戒とは「強盗殺傷多衆集合等重要
ち出さざるを得なかったのである。
日 露 戦 後 の 大 阪 に お ける 土 木 建 築 請 負 業 者 ( 飯 田 ) 5 5
第五は,侠客小林佐兵衛(1830∼1917年)経営の
この組合改革の結果,組合区域が大阪府一円に拡
貧民収容施設小林授産場と貧民警察活動との関係に
大されるとともに,組合は組合区域内の全請負業者
ついてである56)。明治40年7月2日からの南署によ
に組合加入を強制することができる強制組合に改組
る破落戸狩と,同年7月6日からの天王寺署による
されることになったから(取締規則第6条「営業者
無頼漢狩によって検挙・拘引された乞食・ 売が,
は組合に加入するにあらざれは,営業を為すことを
小林授産場に収容されている。貧民警察活動がその
得ず」),組合がめざしていたアウトサイダーに対す
対象でもある侠客(アウトロー)に支えられている
る規制強化という目標は基本的に達成されたとみて
という矛盾を警察は抱えていたのである57)。
よい59)。また,大正3年末に組合内からアウトサイ
以上の特徴を有する,明治40年から同41年にかけ
ダーに対する規制強化の要求が出されたのは,この
ておこなわれた大阪市内の各警察署による貧民警察
年が日露戦後恐 慌期以上に建設工事量が減少した年
活動は,大日方氏の言うように,予防警察的観点,
であったからである。当時の新聞は,大阪府警察部
風俗警察的観点,民衆運動防止的観点からすすめら
保安課建築技師池田実の以下のような話を紹介して
れていたことは間違いない。しかし,この大¦坂市内
いる。
における貧民警察活動は,新刑法の施行に対応して
●建築は閑散請負師は打撃……今年位建築
の活動であるという 性格も有していた。新刑法が常
業者の閑散な年はまァ大阪では近年にないこと
習
博罪を新設した関係で,盛んに博徒狩・無頼漢
といってよい。随って一般建築業者の打撃は非
狩を実施していた警察は,大阪土木建築業組合の結
常なものである。……今年は……例年にない不
成によって博徒・侠客の実状が把握できることを期
振で建築工事の届出が滅法勘い。これは目下研
待していた。IIで述べたように,請負業者は,同業
究中であるが
者間の過当競争の防止を目的にして組合を結成した
の余波で可成忙しかったが之も現在では殆んど
わけだが,警察はその請負業者の目的とはまったく
建てつくして了ひ,亦市区改正の電車通も片づ
違う,博徒・侠客の実状把握ということを組合に期
いたので其方面の影響も無論あるが,一つは積
待していたのである。また,南警察署長による組合
年の不景気々々といふ声がどうやらドン底へ近
結成勧告は,明治40年から翌年にかけての大阪市内
づいて来たものらしい。
の警察署による貧民警察活動の一環として位置づけ
ることができよう。
に角昨年までは北と南との大火
(『大毎』大正3.7.6)
池田によれば,大正3年は日露戦後恐'慌以後の 慢
Ⅳ大阪土木建築業組合の強制組合化
性的な不況のために,「例年にない」くらいに建設
工事量が減少した年であったのであり,請負業者に
大阪土木建築業組合は準則組合であったために,
してみれば,それだけ同業者間の過当競争による安
結成後脱退者や組合費滞納者の続出に悩まされてい
値受注の危険性が高まった年であった。したがって,
た。『沿革史』は,「脱退二次クニ脱退ヲ以テシ,動
大正3年末からはじまった組合改革の動きは,これ
揺止ムトキナク,殆ト組合ノ存在ヲ認ムル能ハサル
まで以上に高まった安値受注の危険 性を,アウトサ
観ヲ呈スルニ至りダル」とまで記している58)。その
ため組合は,大正3年末から組合に加わらないアウ
たものと 性格づけることができる。
イダー規制の強化によって緩和する目的で起こされ
トサイダーに対する規制を強化するために,大阪府
問題は,組合がどのような論理で大阪府に対して
に対して組合規約の改正の認可と大阪府令第51号土
組合改革を要求したのかということである。大正3
木請負取締規則の改正を要求した。その結果,翌年
年12月10日の組合総会で選出された組合改革のため
1月30日には組合規約の改正が認可され,
6月3日
には土木請負取締規則の廃止にともない,新しく土
の実行委員19名60)は,同年12月23日に組合規約一部
木建築請負業取締規則(府令第42号)が公布されて
改正願とともに情願書61)を大阪府知事に提出した。
この情願書は以下のような論理構成になっていた。
いる。
①,同業有志が明治41年に大阪土木建築業組合を設
5 6 歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
立したのは,土木請負取締規則第3条「素行不良
のであろうか。
と認むる者は土木請負業を免許せず」や「土木工
大正三年十二月十九日ノ会合〔実行委員19名
事に関し相手方に対し狼に財物を要請し,若くは
による会合のこと〕二於テ,委員有山福重郎ノ
他人をして要請せしむる事」を禁じた第5条など
動議ニ因り,委員各自ヨリ金参拾円ヲ醸出シテ
の「御規定ノ御趣旨二副ハント欲シ」たためであ
本件ノ費用二充当スルコト、シ,尚ホ同人ノ紹
る
。
介ニ依り時ノ府会議長中谷徳恭ノ同意スル所ト
②,にもかかわらず,新刑法・警察犯処罰令施行以
ナリ,同人ノ斡旋尽力二依リテ委員中,松村雄
後,「定業ナキ浮浪ノ徒」が「改』俊ノ仮面ヲ冠リ」
吉(代理田中譲),有山福重郎,久保田種吉,
請負業免許を取得して,「組合規約ヲ躍踊シ,取
木村音右衛門ハ中谷府会議長ノ斡旋ニテ警察部
締規則第五条ノ禁制ヲ侵シ」,「誠実」な同業者か
長新妻駒五郎二面接シ,情願ノ詳細ナル事情規
ら「団子卜称スル物的」を強要するなど「狼籍」
約改正ノ主趣等ヲ陳述シ,殊二有山福重郎ハ殆
を働いてる。
ン卜連日登庁,目的達成ニ努ムル処アリ,遂二
③,組合はこのような「違反者ノ続出ヲ予防センコ
新妻部長ハ保安課長川上佐次郎,警務課長蔵原
トヲ」望むが,「組合規約ノ不完全ニシテ取締規
敏捷ヲシテ具体的調査ヲ為サシムルニ至り,両
則ノ峻厳ナラサル」ため,「組合規約ノ羅束ヲ免
課長ハ主トシテ土木建築業界ノ現状二関シ巨細
カレントスル好
ノ徒ハ組合二加入セス,徹然ト
ノ調査ヲ開始シ,不断組合二諮問ヲ為シ不良分
シテ規約ノ外二立チ,逆マニ組合員ノ自制自縛ヲ
子ノ真相ヲ捕促スル等公安維持ノ為メ,府令改
瞳」っている。
正ノ必要ヲ感得シ,其前提トシテ規約改正ノ認
④,したがって,そのような「無頼ノ徒」の「飯屋
可ヲ得ルー至しり65)
跳梁」を許さないためにも,「緩'慢」な組合規約
結成当初の組合に博徒・侠客についての情報源と
を修正するとともに,取締規則中に「組合地域内
二住所営業所又ハ出張所ヲ有スル者ハ組合二加入
しての役割を期待していた警察は,「不良分子」を
スベシ」との規定を設けるか,「他ノ組合二於テ
含めた組合未加入の請負業者が組合に強制的に加入
見ルガ如ク組長ノ連印アルニアラサレバ営業ヲ許
することは,「不断」の組合への「諮問」による
「不良分子ノ真相」「捕促」にとって好都合であると
可セサル方針」をとるようにしてほしい。
いう「公安維持」上の理由から,組合の要求を容認
つまり,組合側は,アウトサイダー規制の強化と
したのであった。談合協定を破るアウトサイダー規
いう真の目的をおくびにもださずに,団子取62)など
制(組合)と「不良分子ノ真相」把握(警察)とい
の「浮浪ノ徒」を業界内から一掃するためには組合
う両者の思惑は全く異なるものの,それぞれの思惑
規約の改正と強制組合化が必要であるという論理を
を実現する方法(強制組合化)という点では,両者
持ちだして,組合改革を達成しようとしたのである。
は一致していたのである。この思惑のずれとそれを
さて,大阪府側で組合の交渉相手となったのは大阪
実現する方法の一致という事態は,組合結成期に由
府警察部であった。実は大阪府警察部は,組合の強
来するものであった。本稿で述べてきたように,請
制組合化によって業界内から「無頼ノ徒」が一掃さ
負業者は,同業者間の過当競争の防止=談合を目的
れるという情願書の内容が,実現 性にとぼしいこと
にして,そして警察は,博徒・侠客の実状把握とい
を認識していたものと推測される。 情願書提出者の
一人である鴻池組の創業者鴻池忠治郎は,大正末期
うことを期待して,組合結成を実現させたのであり,
には配下集合力(「有事ノ際集合セシメ得ル見込人
数」) 7000人を有する西成郡伝法村地域の有力な博
徒・侠客であり63),大阪府警察部はそのことを認識
していたからである64)。では,なぜ大阪府警察部は,
規約改正と府令改正という組合側の要求を承認した
組合結成当初から両者は同床異夢の関係にあったの
である。
お わ り に
「はじめに」で設定した課題に応じて,改めてそ
の結論と残された課題について述べておきたい。
日露戦後の大阪における土木建築請負業者(飯田)57
まず,課題①と②について。本稿では,大阪土木
期全体を通じての騒擾対策を解明する必要があろう。
建築業組合は,日露戦後恐'慌の影響による工事受注
また,大阪以外の都市部における騒擾対策との比較
量の極端な減少という事態を同業者間の協調によっ
検討も必要である。さらに,大阪での貧民警察活動
て乗りきるために結成された談合組織であると結論
が新刑法公布・施行に対応していたという事実に注
づけた。しかし,本稿では,実際に組合内でどのよ
目するならば,この時期に刑法を改正した権力側の
うな形態・方法で談合がおこなわれたのかというこ
意図についても追究する必要があろう69)。
とを明らかにすることはできなかった。今後の課題
最後に,本稿および別稿での分析の結果,明らか
としたい。また『沿革史』は,大正8年以降,組合
になった日露戦後の大阪における土建業者の存在形
が業界の三大問題66)の改善に向けて対外的にさまざ
態と土建業界の特質について述べておきたい。
まな活動をしていることを記している。このような
土建業者の存在形態について。この時期の土建業
活動も含めて,組合が業界内でどのような役割を果
者は,公共工事の入札に参加するか否か,あるいは,
たしたのかということをトータルに解明する必要が
談合に参加するか否かという基準で区分するならば,
あろう。さらに,日露戦後恐'慌期に談合組織の結成
以下の三つのタイプに分類することができる。
a工事入札の談合に参加する土建業者。すなわち,
が不可欠だったとしても,それがなぜ大阪土木建築
業組合という権力による公認組織の形態をとる必要
があったのか,という問題も考える必要があろう。
日露戦後の大連における日本人商工業者の営業活動
を詳細に検討した柳沢遊氏は,大連において明治41
年の「不況」と経済紛争の発生を契機に各業種ごと
に同業組合が結成され,「不正業者」の排除が行わ
大阪土木建築業組合の組合員である。
b工事の入札に参加するものの,その談合には参
加しない土建業者。
c工事の入札にも,その談合にも参加しない土建
業者。
b・cとも非組合員であり,
bのタイプには,大
れたことを明らかにしている67)。明治41年8月に結
林組の創業者である大林芳五郎のような,この時期
成された満州土木建築業組合は,「大連建築業界の
例外的に経営面で好調であった業者や,あえて談合
信用秩序面での不安定'性を露呈することとなった」
に参加しないことによって工事を獲得しようとする
千葉組満鉄宿舎請負工事事件において,調停役の大
連実業界から工事費の見積方を依頼されていた。日
業者,すなわち談合のアウトサイダーが含まれる。
cのタイプの代表例は,竹中工務店の創業者である
露戦後恐 慌期に大連土建業界を襲った信用秩序面で
竹中藤右衛門である。彼は,官公庁の入札工事に手
の不安定'性という事態は,日本国内でもみられたは
を出さず,もっぱら民間からの特命工事を請負って
ずである68)。このような事態に直面した大阪の土建
いた。そのため,彼は「同業組合〔大阪土木建築業
業者にとって,公認組織たる大阪土木建築業組合の
組合〕などが出来る頃になっても,よびかけられも
組合員であることは,自らの信用を保証する条件に
せず,自分から顔出しすることもなかった」ので,
なったに違いない。大阪土木建築業組合は,その組
同業者からは「偏狭な異質の存在として取り扱われ
合員にとっては彼らの信用保証という機能を果たし
ていた」のであった70)。
ていたと考えられるのである。
次に,課題③について。本稿では,組合結成を勧
次に,土建業界の特質について。この問題につい
ては,特にこの時期の土建業界が博徒・侠客をその
めた南警察署長をはじめとする警察側の意図を,土
、内部に抱えていたということに注目したい。別稿で
建業界の抱える博徒・侠客の実状把握にあると結論
明らかにしたように,当時の業界は肝心の建設労働
づけた。結成当初の大阪土木建築業組合は,実際に
力の調達を博徒・侠客に頼らざるを得ず,また,談
は談合組織として機能したものの,警察は民衆騒擾
合に参加している業者は,談合協定を破ったり,談
対策の一環として組合結成を勧告したものと推測し
合に参加しない業者に対して暴力的な圧力を加える
た。しかし,本稿で明らかにした騒擾対策は明治
ために博徒・侠客を利用したし,逆に談合のアウト
40.41年に限定してのものであり,今後は民衆騒擾
サイダーは,そのような暴力的な圧力から身を守る
5 8 歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
た め に , ま た 彼 ら を 利 用 し た の で あ っ た 7 ' ) 。 そ して
房,1992年) 188頁。
業界のこの特質ゆえに,大阪土木建築業組合は大阪
10)大林芳五郎は,数千人規模の配下集合力を有する
府警察部保安課の管轄に甘んじなければならなかっ
博徒・侠客と元請一下請関係を結び,彼らに建設労働
た の で あ る 。 ま た 同 組 合 が, 重 要 物 産 同 業 組 合 で は
力の調達を頼っていた(前掲拙稿参照)。
な く , カ ル テル 組 織 と して は 不 利 な 準 則 組 合 と して
認可され,大正5年に強制組合に改組されるものの,
ついに他の準則組合のように重要物産同業組合に改
組されなかったのも,結局はこの業界の特質に起因
するものと理解してよいだろう。
1 1 ) 武 田 晴 人 『 談 合 の 経 済 学 一 日 本 的 調 整 シス テム
の歴史と理論一』(集英社,1994年。1999年に加
筆・訂正の上,集英社文庫として再版)198頁。
12『沿革史』のほかに,有山福重郎『赤裸々の五十
年』(1930年)を参照した。
1 3 い くつ か の 同 業 組 合 の 定 款 を 検 討 し た 白 戸 伸 一 氏
1)大阪土木建築業組合は,昭和16年(1941)に,工
は,組合定款は「本組合ハ組合員協同一致シテ営業上
業組合法による大阪土木建築工業組合に改組され,さ
ノ弊害ヲ矯正シ斯業ノ発達ヲ謀り信用ヲ保持スルヲ以
らに昭和18年に商工組合法による近畿土木建築統制組
テ目的トス」(西陣織物同業組合定款第2条)という
合大阪府支部に改組された。大阪府支部は,昭和20年
ような,「紋切り型のものが一般的で」,組合定款から
6月に戦時建設団令によって解散させられるが,昭和
は,さしてその組合の実態については「イメージしえ
23年に任意団体である大阪土木建築業協会として復活
ない」と指摘している(同「同業者組織化政策の展開
し(翌年に大阪建設業協会と改称),昭和50年には社
過 程 一 産 業 資 本 確 立 期 に お ける 動 向 を 中 心 と して
­」『明治大学大学院紀要』18­2,1981年)。後述
団法人に改組され,現在に至っている。
2)江口圭一『都市ブルジョア運動史の研究』(未来社,
するように,私は大阪土木建築業組合を一種の談合組
1976年),宮地正人『日露戦後政治史の研究』(東京大
織と考えているが,組合が,規約中に談合行為を組合
学出版会,1973年)。
の目的として明記することは不可能であった。政府工
3)原田敬一『日本近代都市史研究』(思文閣出版,
1997年)。
事などの契約方法を定めた会計規則(明治22年公布)
が,明治35年に改正された際,「価格ヲ競上ゲ若シク
4)宮地正人前掲書。
ハ競下クルノ目的ヲ以テ連合ヲ為シタル者」を政府工
5)私は,別稿「日露戦後の土木建築請負業者と大林
事の入札から排除する規定がはじめて加わったからで
芳五郎」(広川禎秀編『近代大阪の行政・社会・経済』
ある。
青木書店,1998年)で,大林組の創業者である大林芳
14)『大阪朝日新聞』明治41年3月8日付(以下,『大
五郎という個人の事例を通して,日露戦後の大阪の土
朝』明41.3.8のように記す)。この時の役員選挙
建業者が都市社会で取り結んでいた社会関係を検討し
の結果および役員の営業規模については,前掲拙稿中
た。この時期の大阪の土建業者の具体的なイメージに
の表1と表2を参照していただきたい。
ついては,この別稿を参照していただければ幸いであ
る
。
15)池田実は,大正3年には大阪府警察部保安課所属
であった。玉置豊次郎『大阪建設史夜話』(大阪都市
6)大阪土木建築業組合編集発行『大阪土木建築業組
協会、1980年)によると,当時保安課のなかで「もろ
合沿革史』(1926年,以下『沿革史』と略す)30頁。
もろの〔建築物の〕取り締まり」の担当をしていたの
本章における以下の記述は,特に断らない限り『沿革
は「当時建築家で工学士」の池田であり,「建築許可
史』による。『沿革史』は,南区の請負業者たちが会
の生殺与奪の権を一人で握っていた」という。池田は,
合していたのは「島ノ内」署と記しているが,この当
大正9年10月に大阪府警察部に建築課が新設されると,
時「島ノ内」署なるものは存在しない。南署は大正8
初代の建築課長に就任した。
年(1919)に島之内署に改称されるから,「島ノ内」
署とは,南署のことであると思われるので,本文のよ
うに記した。
7)大日方純夫『警察の社会史』(岩波書店〔新書〕,
1993年)21-22頁。
16)『大阪毎日新聞』(以下,『大毎』と略す)明41.
11.15,『大朝』明41.11.17,『大阪時事新報』明
41.11.17.
17鴻池藤一編『大阪の土木建築界を回顧して』(大阪
建設業協会,1952年。1994年に『回顧録・大阪の建
8)『大阪府警察史』第2巻(大阪府警察本部, 1972
設』第1巻,大阪建設業協会として復刻) 168頁。本
年)58-61頁。
9)大日方純夫『日本近代国家の成立と警察』(校倉書
書は,1949年におこなわれた大阪の建設業界の古老た
ちによる座談会の記録である。
日露戦後の大阪における土木建築請負業者(飯田)59
1957
23)白戸伸一前掲論文,88頁。
年)40頁,「材木組合の設立」(『大朝』明41.11.14),
「大阪木材同業組合創立総会」(同,明41.11.28)。
24)藤田貞一郎前掲書,11頁。
18)高橋隆編『大阪木材業外史』(林業新聞社,
19)白田喜八郎『大林芳五郎伝』(1940年) 196頁。大
林芳五郎が結成当初の組合に入会しなかったのは,第
一に,彼が創業以来談合に加わらないアウトサイダー
25)同前,73頁。
26)三和良一「日本のカルテル」(森川英正編『日本の
企業と国家日本経営史講座4』日本経済新聞社,
であったからである。そして第二に,日露戦後恐 慌期
1976年) 170, 195頁。
27)白戸伸一前掲論文,88頁。
の大林組が,「小資本の請負業者」とは対照的に,増
28)小池金之助『同業組合及準則組合』(1939年)178,
設師団関係の軍工事や電鉄関係の工事を請負うなどし
183,201-203頁。
て経営的に好調であったために,ことさら同業者との
29)白戸伸一前掲論文,83頁。
協調を必要としなかったからである(前掲拙稿参照)。
30)小池金之助前掲書,218頁。
20)武田晴人前掲書, 197頁。
31)同前,234頁。
21)組合内で,どのような方式・形態で談合がおこな
32)白戸伸一前掲論文,73頁。
われていたのかという点については,史料的な制約も
33)同前,76頁。
あり,今のところ十分に明らかにすることはできない。
34)準則組合と重要物産同業組合の違いについては,
本稿が対象とする時期とはずれるが,談合の具体的な
白戸前掲論文のほかに,竹内庵「明治中期同業組合政
実態を教えてくれる証言がある。1968年10月の日本短
策の展開一日本資本主義との構造的連関を中心に
­」(『地方史研究の諸視角』国書刊行会,1982年)
波放送「建設夜話」での,当時鴻池組顧問鈴木末尾
加入していた五日会と呼ばれる大阪の大手土建業者の
を参照した。
35)小池金之助前掲書,55-62頁。
(1912年鴻池組入社)の発言である。彼は,鴻池組が
団体において,戦時中のある時期まで侠客出身の談合
36)「大阪市の犯罪状況」(『大朝』明41.5.21)は,
屋による談合がおこなわれていたことを証言した。
「五日会の連中」は,「談合屋は初めはあまり使わな
明治39, 40, 41年における 博罪による検挙件数を,
かった」が,「そのうちにだんだんと談合屋の勢力も
年は3月まで)。
37)『史観』第107冊,1982年に掲載。後に大日方『近代
でてきたし,……割合に誠意をもったやり方をします
んで,……ついつい便利だから談合屋が言うてきたら
「いらん」とか「これは是非欲しい」というようなこ
とを言ってやった。……そういう時代が戦争まで続」
き,その後,「五日会のものとしては,いつまでも談
合屋を使ってやっていることはいかん」ということで,
それぞれ218件, 1050件, 397件と伝えている(明治41
日本の警察と地域社会』(筑摩書房, 2000年)に収録。
38)大日方純夫前掲論文,68-70頁。
39)布川弘『神戸における都市「下層社会」の形成と
構造』(兵庫部落問題研究所,1993年)の第六章「都
市「下層社会」に於ける自治の成立」。
昭和10年頃に「ある会を作り」,「商売人を入れずにわ
40)能川泰治「日露戦争前後の都市下層社会一大阪
れわれは始めた」という。五日会は,明治44年に東京
市の人力車夫を事例に­」(『歴史学研究』673,
1995年)15頁。
と大阪の有力な請負業者20余名によって結成された建
築業協会の関西支部の通称であり,大正7年に結成さ
41)「警察署長会議」(『大毎』明40.5.24)。
れた。結成当時の五日会会員は,大林組,竹中藤右衛
42)能川泰治前掲論文,16頁。
門,木村音右衛門,橋本料左衛門,松村組,銭高組,
43)「再度の売春婦検挙」(『大毎』明40.2.24)。同
鴻池組であった(『関西建築協会雑誌』第1輯8号,
記事によれば,南署はこれ以前にも売春婦検挙をおこ
1918年)。五日会は昭和19年の建築業協会の解散とと
もに活動を停止したが,昭和21年に談合組織として復
活した(武田前掲書, 210頁)。歴代の大阪土木建築業
なっていることがわかる。
44)『大阪府警察史』資料編I (大阪府警察本部,
1983
組合の組長は,慣例によって五日会の会員から選出さ
年)269-271頁。
45)前掲「警察署長会議」。
れていた(大阪建設業協会編集発行『大阪建設業協会
46)増川宏一『 博』Ill (法政大学出版局, 1983年)
七十五年史』1985年,206頁)。
316頁。旧刑法では,
博罪の場合,現行犯以外逮捕
22)以下の研究史整理は,藤田貞一郎『近代日本同業
されないことが明言されていたが,新刑法は非現行犯
組合史論』(清文堂出版,1995年)の「序論」を参照
でも逮捕可能とし, 博罪に対する刑罰も旧刑法と比
べて著しく重くしていた。
した。
歴 史 学 研 究 第 7 5 0 号
47)警察犯処罰令は,|日刑法中の違
罪に関する規定
郎兵術,鴻池忠治郎,久保田種吉である。
の大半を引き継いでいるが,旧刑法の違悌罪に対する
61)『沿革史』, 61-64頁。
処分が拘留で最高10日,科料で最高1円95銭であった
62)団子取とは,工事落札業者から金銭を強襲する行
のに対し,警察犯処罰令では拘留が30 H未満,科料が
為,もしくはそのような行為をする者のことであり,
2()円未満にまで引き上げられている。
団子取のなかには談合屋の役割を果たすものもいた
48)警察犯処罰令,違警罪即決例,行政執行法につい
( 5拙稿参照)。
ては,奥平康弘「天皇制国家の人民支配一治安維持
63)大阪大学附属図書館所蔵の大阪府警察部刑事課作
法体制論一」(中村政則編『体系日本国家史5』近
成『博徒侠客系統調査表』(1926年5月)75頁。この
代II,東京大学出版会,
調査表は,大阪の博徒・侠客の各親分ごとに,親分お
1976年)を参照した。
49)このほかに,玉造署は明治41年4月27日に,西署
よびその乾児・孫分の,住所・氏名・年齢・配下数な
は同年5月29日に,それぞれ単独で非常警戒を実施し
どを記したものである。鴻池忠治郎については,
ている。また,明治41年10月8日の東署による夜半警
拙稿参照。
戒と同年12月3日の南署による大検挙も,新聞記事に
5
64)「●博徒決闘せんとす」(『大朝』明治42.4.6)
は非常警戒とは明記されていないものの,その検挙規
は,「府下西成郡伝法村大字北伝法伝伊三こと鴻池忠
模からみて非常警戒であったと思われる。
三郎(五十八年)と西宮博徒親分広島末吉(三十五
司.で.
50)『大阪府警察史』資料編I,
217-218頁。
51)実際に大阪市内の各警察署は,憲政擁護運動中に
年)とが双方より決闘状を取り交わし兇器を用意し,
忠三郎方は昨夜
島東の町忠三郎妾たか(三十五年)
おきた大正2年2月11日の民衆騒擾の当日に,徹夜の
方に集り居り決闘せんとする模様を,早くも警察本部
非常警戒をおこなっている(『大阪府警察史』第2巻,
にて知り,赤埴警部は直に刑事を随へて出張し,曽根
14-15頁)。
崎,伝法の二署よりも警官出張警戒したれば双方血を
52)『大阪府警察史』資料編I, 219頁。
見ずして引き分かれたり」と報じており ,すでにこの
53)「市内の臨時非常警戒」(『大朝』明40.12-2)。
記事の段階で警察が,鴻池忠次郎を侠客と認識してい
54)「全市非常線の結果」(『大毎』明40.12.2)。
たことが確認できる。
55)大日方前掲論文,73頁。
65)『沿革史』,72-73頁。
5 6 ) 小 林 佐 兵 衛 と 小 林 授 産 場 に つ いて は , 平 田 隆 夫
「明治大阪慈善事業史資料(2)」(『大阪市史紀要』20,
66)①被選挙権問題(政府・府県・市町村と契約を結
1969年),原田敬一「都市貧民論一その支配の構造
一」(『部落問題研究』87,1986年。後に原田前掲害
会議員の被選挙権を認められていなかった),②営業
に収録)と,二つの拙稿,「明治前期の大阪消防と消
67)柳沢遊『日本人の植民地経験一大連日本人商工
防頭取」(『部落問題研究』127, 1994年)と「明治前
んでいる土建業者には,衆議院議員や府県会・市町村
税問題,③土建業者が施主に納める保証金制度問題。
業者の歴史一』(青木書店,1999年)42頁。
期大阪における消防頭取と都市民衆世界一消防頭取
68)全国的な土建業者の信用調査機関である日本実業
の仲裁という行為に注目して­」(『年報都市史研究
興信所(明治39年設立)が,植民地を含めた全国の土
2城下町の類型』山川出版社, 1994年)がある。
建業者の信用の程度(財産・経歴・工事実績など)を
57)明治36年に大阪で第五回内国勧業博覧会が開催さ
記載した『日鮮満土木建築信用録』の第一版を出版し
れた際にも,小林授産場が,警察によって検挙された
たのは,明治45年のことであった。
乞食淘摸の収容施設として利用された(船橋半三郎編
『浪華老侠小林佐兵衛伝』1917年, 183頁)。
69)刑法改正については,吉井蒼生夫『近代日本の国
58)『沿革史』56-57頁。本章における以下の記述は特
新刑法において,旧刑法の「兇徒緊衆ノ罪」が「新し
に断らない限り『沿革史』による。
59)ただし,大阪土木建築業組合は,この時強制組合
家形成と法』(日本評論社,1996年)がある。吉井は,
い社会運動が高揚したことに対応して」「騒擾ノ罪」
に改正され,その主体においても行為の態様において
になるものの,昭和16年に工業組合に改組されるまで
も抽象化されたことに注目し,この改正は,明治36年
準則組合のままであった。
の治安警察法の制定などの治安立法の体系化に対応し
60)木村音右衛門,有山福重郎,杉本安兵衛,古川政
吉,岡本吉造,森下新造,仲谷弥太郎,池田勘蔵,松
村雄吉,稲住兼吉,合資会社大林組,浜本勘次郎,銭
高善造,橋本料左衛門、長瀬兵馬、薗部需松,米田次
ていたと指摘している。
70)竹中藤右衛『私の思い出』(全国建設業協会, 1962
年)45-47頁。
71) 5拙稿, 141-150頁。
日露戦後の大阪における土木建築請負業者(飯田)
61
2001年6月15日発行(毎月1回15日発行: 1954年3月8日第三種郵便物認可
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編集者歴史学研究会/〒lOl-OO51東京都千代田区神田神保町2-2誠華ビル/TEL03-3261-4985/代表者小谷狂之/振替口座00120-1-177282
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印刷:奥村印刷/製本:梶田製本◎Rekishigaku
雑誌09605-06
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2001
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Printed
定価900円
in
Japan
本体857円
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