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創立 50 周年 -記念講演会から- <キーワード> 天使の糸 ビー玉の中

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創立 50 周年 -記念講演会から- <キーワード> 天使の糸 ビー玉の中
五中だより
鳳
平成 22年
22年(2010 年) 11月
11月25日
上田市立第五中学校 TEL 2222-3076
〒386-
386-0003
上田市上野 441
文責:教頭 竹内秀行
創立 50 周年
-記念講演会から-
<キーワード>
天使の糸
ビー玉の中の地球
一人十色
記念式典・講演会
が無事、終了しまし
た。ご協力、ありが
とうございました。
【林 マヤさん】
私が生まれてから今までのことをお話したいと思います。この話の中から、共通点を
感じたり、取り入れてみたいことがあったりと皆さんなりにいろいろ感じてもらえるとう
れしいです。
まずは生まれたときのことからお話しましょう。私は長野県長野市で生まれました。男
の子と間違われるくらいでした。5歳のとき上田市に引っ越してきました。神科小学校出
身です。とてもおとなしい子でした。太郎山のふもとのリンゴ園で育ち、山や樹が私の悩
み事を聞いてくれました。私は山が大好きです。今でも東京のビルを太郎山や烏帽子に重
ね合わせて見ています。
五中時代もおとなしい子でした。今日は中学校の担任の先生がかけつけてくれました。
小沢先生です。
高校は東御清翔高校です。当時は東部高校と言っていました。私は天然パーマなのですが、
入学してすぐに風紀の先生に呼び出されて注意されました。その日の帰りに美容院にいっ
てアフロヘアにしました。制服のスカートは床につくくらい長くて、制服のウェストも細
くしていました。スカートを引きずって歩くので、当時のあだなはナメクジの理枝でした。
ちょっと反抗していた時代です。でも、こういうことがあって反省して、今があるのだと
思います。
高校を卒業して、東京に出ました。おにぎり屋やスナックでアルバイトをしていました
が、長続きしませんでした。そのころ身長が171センチと高かったので、友だちに勧め
られてモデル事務所に入りました。お金がなかったので、アフロヘアを続けることができ
ず、刈り上げヘアしていました。そのせいでぜんぜん仕事がなく、3年間がんばったけど
あきらめました。そこで、どうしようと考えたときに今一番好きなことをしようと考えま
した。そのころ好きだったことはパンクファッションです。そこで、パンクのメッカのロ
ンドンに行くことにしました。東京に居場所がなかったのです。パリ経由でロンドンに向
かいました。パリで乗り換えの時間があったのですが、サンジェルマンデルメのカフェで
お茶をしていたときに「きみ、おもしろい顔をしているね。ぼくとフォトしない?」と声
をかけてきたおじさんがいました。後で知ったことですが、その人は世界的有名なカメラ
マンのピーター・リンドバーグでした。そのとき撮影した写真がフランスの「マリクレー
ル」に掲載され、東洋人初のマリクレール登場となったのです。そのことがきっかけで、
その後パリコレのショーのオファーが多くくるようになりました。落ち込んで日本を飛び
出した形だったけれど、好きなことをしようとロンドンに行こうとしたこと、一歩進んだ
ということがよかったと思います。
ここで、マヤマヤのパリコレ講座を行います。姿勢が良かったり、歩き方がきれいだと
皆さんも今後役に立つことがあるかもしれませんよ。よく体の真ん中に針金を入れている
ようにと言われますが、針金だと痛いので、マヤマヤ流にアレンジしてみました。天使の
糸が体の真ん中に入っていると思ってください。天使が糸を引っ張っています。こうやっ
てちょっと気にして意識すると姿勢が良くなります。そして、歩くときは一本のラインの
上を歩くように。これからは横断歩道をパリコレだと思って渡ってみてください。
今かかっていた音楽はじつは私の曲なのです。パリにいたころにジャズシンガーになり
たいと思っていて、作ったCDですが、ぜんぜん売れませんでした。借金を抱え、電気も
停められ食べるものもありませんでした。人間不信になり、自身喪失して自殺も考えまし
た。富士山の樹海で死のうと思って富士山に行ったのです。そうしたらソフトクリームの
のぼりがあって「死ぬ前にソフトクリームくらい食べよう。」と思って食べたら、すごく
おいしかった。それで、死ぬのやめたのです。人生っていろいろありますね。CDにこだ
わるのをやめて楽しんで歌いたいと思うようになったのです。今はライブ活動をしていま
す。いつか五中でもライブができたらいいです。
現在はタレント活動をしていますが、私はものを作るのが好きなのです。今は茨城に住
んでいますが、野菜作りをしています。いつか長野に帰ってきて農業をやりたいです。無
農薬、有機で育てていておいしいのです。山口大根も育てています。私の実家は山口なの
です。太郎山のふもとの貧しい土の中でも育つ大根です。種を分けてもらって去年からつ
くっていますが、ぜひ皆さんにも伝統野菜にチャレンジしてほしいです。
また、エコグッズ作りもしています。はし袋を作っています。マイはしを持ち歩く会と
いうのをやっているのですが、なぜかというと、割り箸のためにアジアの山が無くなって
いるという話を聞いたからです。私は山が大好きで、幼いころから山にいっぱい元気をも
らったから、山が無くなったら大変と思って、それから割り箸は使わないようにしていま
す。また、洋服作りもしています。マヤマヤブランドの服はふるさとの信州を思い浮かべ
て作っています。
家にいろいろなコーナーを作っているのですが、幸せを呼ぶ小さな開運コーナーという
コーナーがあります。にぎって小さな幸せを掴むという意味で小さいものを集めているの
ですが、集めるきっかけになったのは、青い地球のビー玉なんです。タレントになったば
かりのころ、テレビの収録でうまくしゃべれなくて、スタジオを飛び出してしまったこと
がありました。そのときにたまたま雑貨屋に入ったらこの小さなビー玉があったのです。
世界地図が精巧に描かれていて、これを見ていたら世界旅行をしているように気分になり
ました。覗き込んでいたら、ビー玉に小さな自分が映っていて、自分は世界規模で見たら
なんて小さいんだろうと思ったのです。小さい自分を大きく見せようとしていた自分に気
づいたのです。そこで、自分を大きく見せる必要はない、このままの自分でいいんだと思
ったのです。この小さなビー玉を買って、それを握り締めてスタジオに戻りました。その
後の収録では、うまくしゃべれなかったけど、自分が感じたことをしゃべりました。それ
でいいんだよと周りの人が言ってくれて、とてもうれしかったです。
十人十色という言葉がありますが、私は一人十色だと思うのです。自分の色は決めなく
ていい、一人でいろいろな色があっていいんだということです。虹色みたいにいろいろな
色が重なっていくのもいいと思います。皆さんには、自分の大好きなことを見つけて、自
分らしく羽ばたいていってほしい。五中生ということを誇りに思って自分らしく生きてい
ってください。
実行委員長の宮下幸良さんから 50 周年記念事業に係わっての寄贈物品である日本画
「水煙」
作者:平子真理さん’96 年日展出品作品の紹介があり、学校長や生徒会長の涌井 光の挨拶が
続き、祝辞として、母袋上田市長さんや第 13 代校長 竹内 聰先生、PTA会長の白石洋一
さんの祝辞、
そして 50 年のあゆみをスライドと生徒会総務のナレーションで振り返りました。
ご来賓、地域の方々、保護者等総勢で 180 名余のご参列をいただき、462 名の生徒と教職員で
しっかりと節目を作ることができました。
林マヤさんのご講演は、生徒にとっても心に希望と勇気が持てるものでした。講演の要旨を
掲載しましたので、ご家庭でも味読してみてください。
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