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25 - 日米エア・フォース友好協会

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25 - 日米エア・フォース友好協会
(1)
29h/1AR 2005
日米 エ ア フ ォー ス友好協 会
だ
第 25号
り
Japan America AF Goodwill Association
発行 :日 米エアフォース友好協会
〒105-0004港 区新橋 52513
編集 :」
F口
AAGA事
務局
刷 :財 団法人 防 衛 弘 済 会
結パ→ :http://rmw
bOud cOm/groupsttaaga/
ライ ト空軍 中将 が着任 0ワ ス コー司令官 は退役
2月 10日 (金 )、 在 日米軍 司令官兼第 5空 軍 司令
ワス コー中将 は 3年 半 に亘 る第 5空 軍司令官 と し
官 の指揮 権 が ワス コー 中将 か らライ ト中将 に移 譲
ての勤務 を総括 しつつ、素 晴 らしい部下 に恵 まれ任
され た。 式典 は午 前 10時 か ら横 田基地 第 15格 納 庫
務 を遺 憾 な く遂行 で きた と述 べ た。特 に航空 自衛 隊
にお いて 厳粛 に執 り行 わ れ た。 執 行 官 た る太 平 洋
との関係 では、 コープ・ サ ンダー、 コープ 。ノース・
軍 司令 官 フ ァー ゴ海軍 大将 と太平 洋 空軍 司令 官 ヘ
グア ムの熟成 は もとよ り、空 自のイ ラク派遣、 スマ
ス タ ー空軍 大将 が 訓 示 を述 べ られ た後、 ワス コー
トラ沖地震 へ の派遣 に際 し極 めて密接 な連 携 を保 ち
中将 が 司令官 と して の最 後 の巡 閲 を行 った。 そ の
得 た ことを高 く評価 され、最後 の勤務 を 日本 で送 る
後 指揮 官旗 の受 け渡 しを行 い、 この職 を最 後 に退
ことが 出来 た ことを誇 りに思 うと述 べ た。
役す るヮス コー中将 のス ピー チが行 われた。
Lt. Gen. Waskow returns the flag to Adm. Fargo
新司令官 ライ ト中将 は訓 辞 で ワス コー前 司令官 の
実績 を高 く評価 し、 それを継承 しつつ さ らによ り高
い次元 の安 全保障確保 に向 けてチ ャ レンジす る、 と
述 べ た。 今回 で 日本 Tl」 務 が4度 目 とな る事 か ら日本
には多 くの知人 がお り、 そ の一 人 と して在 日米軍司
令部作戦部長 と して勤務 した時 か ら親 しく交流 を継
式典終了後、格納庫扉が開 け られ、 そ こには保有
│
│
│
│
1
す る各種航空機 が展示 されてお り、 キ ャ ノ ビの下 方
に「 Lt
Gen Bruce A WrightJと
ベ イ ン トされ
たF16戦 闘機 が 披露 され た。 将校 ク ラブで の レセ
プ シ ョンで は、 レシー ビングで ライ ト新司令官 が一
人一 人 と握 手 され、 JAAGA会 長代理 の後藤副会長
続 して い る山 口御夫妻 の名前 をわざわざ挙 げた のが
には「JAAGAの 活動 について はよ く承知 して い る。
印象 に残 った。
感謝 して い る。Jと 述 べ た。
(IP_常 務 理 事記 )
(2)
前 司令官 ワス コー 中将離任 の挨拶 暖 旨)
ご来賓 の皆様
思 って いるか は語 り尽 くせ ません。
本 日は ご参集 いただ
この 3年 間 で 日本 は新 たな歴史 を作 り、 その過 程
きあ りが とうござ tヽ ま
に私 も参 加 で きた ことを )ヒ 栄 に思 い ます。 この間、
す。
米 目安全保障関係 の急速 な発展 が 国際社会 に知 れ渡
米軍 の選 りす ぐりの
りま した。 ブ ッ シュ大統領再選直後 に小泉総 埋大 臣
兵 を代表 して整 ダJし て
が大統領 に電 話 を し「私 は 日米 国盟 が世 界 の 中 で最
い る諸君、隊列 を組 ん
も重要 な二 国間関係 だ と確 信 して い ますJと 伝 え ま
で い る姿 は一 段 と堂 々
した。私 も同感 です。
と 見え ますcこ の老 バ
米 日の同盟 が世界 の 中 で最 も重要 な二国間関係 だ
イ ロ ッ トのために式典
と,亡 ヽ
か ら信 じて い ます。 この 同盟 がなか った ら現 在
に参加 して くれ た ことにおネしを言 い ます。諸君 とと
の ア ジア太平洋地域 はま った く違 った姿 にな ってい
もに ここ 日本 で勤務 で きた ことを光栄 に思 い ます。
たで しょう。両国 の歴 史 において 同盟 の 章 の題 名 は
私 は航空兵 一エアマ ンで あ ります。 エ ア マ ンと し
日本 の防衛強化 とア ジア太 平洋地域 の平和 と安定 の
て偉大 な我 が コのために奉 ilで きま した ことを栄誉
促進 とな るで しょう。我 々の孫 の世代 が この時代 の
に思 い ます。 Tl、 は我 が 国 が 戦 争中 だ った 1966年 の
歴 史 を学 ぶ 時、 今 日 ここにい る皆 さん は日本 におい
6月 に米空軍 士官学校 に 入学 したH寺 に エ アマ ンにな
て 自分 の果 た した役割 を誇 りに思 うで しょう。
Lt.Gen.Thomas C.Waskow
りま した。 エ ア マ ンと しての 初仕事 はベ トナ ムで の
私 の軍人生活 において在 日米軍 司令官、 そ して最
戦闘 で した。 そ して軍 ノ、と して現役 を終 え る本 日も
も輝 か しい業績 の あ るナ ンバ ー ドエ ア フ ォー スの司
わが 国 は戦争 中 であ りますこ世 界的 なテ ロ との戦 い
令官 が最高 の仕事 であ りま した。我 々の住 む不安定
は違 った形 の戦争 です。 テ ロ リス トたちは倫 理感 を
な 世界 に対応す る中 で、毎 日起 きる変革 の一端 を担
持 ち合わ せていません。 チ ェスボー ドの上 にゲ ーム
えた ことは光栄 であ ります。地域 の安全 と 世界情勢
を終 わ らせ る駒 はな く、地図上 に も敵 を示す境界線
において果 たす ことので きる役割 を 日本 は今認識 し
はあ りません。我 々 はこの戦争 に勝利 しますが、時
始 めてい るよ うに思 い ます。 そ して 日本 が新 たな責
間 がかか るで しょう。私 はこれ まで に何度 も「歴史
任 を担 い始 めてい ることで世 界中 の国 もそ の ことを
を読む よ りもそれを作 る側 にいたいJと 言 って きま
共感 しています。 日本 はよ り良 い明 日を築 くための
した。我 々が 自由 を守 り私 たちの生 き方 を守 った こ
強□ なパ ー トナ ーであ ります。
とは後世必ず評価 され、 そ して我 々 は勝利 します。
合衆 国 へ の破壊 的 な攻撃後 の2001年 11月 に着任 し
在 日米軍 および第 5空 軍司令官 と しての職務 を終
た私 の最 初 の任務 は、 ヘ ス ター大将が築 いて い った
えます が、 日本 において 陸、海、空、海:兵 隊 の 各軍
すば らしい仕事 を受 け継 ぎ更 に強化す ることで した。
の1兵 隊 たちの指揮 をす る機会 を与 え られた ことを 光
9月 11日 の 世界貿易 セ ンター とベ ン タゴ ンヘ の攻撃
栄 に思 ってい ます。軍人、軍属 とその家族 の皆 さん
は平和 と安‐
全の脆 さを気 づかせ るもので した。 また、
は我が国 の大切な宝物 であ り、特 に現在 の情勢 にあっ
この攻撃 は特定 の宗教団体 による合衆 国 に対す る攻
て は計 り知 れ ぬ ほど貴重 な存在 で あ ります。我 が 国
撃 で はな く、野蛮 な者 たちによる文明社会 へ の攻撃
が 困難 な状況 の時 に国 に奉仕す ることを 自 ら選 んだ
で した。文明国家 はみな標的 とな り得 るのです。我 々
若 い若者 たちで あ ります。 どれ ほど皆 さんを誇 りに
は これか らも平和 と民 主主義 の権利 を守 ります。 9・
(3)
11の 攻撃 に対す る合衆国 の対応 は迅速 で断同 と した
日本 に駐留 して い る第 3海 兵遠征軍 が、援助物 資 を
もので した。不朽 の 自由作戦 で は 日本 に駐留す る部
提供す るため の空輸支援 とマ ンパ ワー を派遣 しその
隊 が 直 ちに展開 しま した。第 7艦 隊 はイ ン ド洋 に、
指揮 を執 りま した。 ア ジアに展開 した本上部 隊 の支
第 5空 軍 はア ジア各地 の基地 に展開 し、 ア ル カイ ダ
援 を受 けなが ら、 日本駐留部隊が命 を繋 ぐた めの食
系 の テ ロ リス トに対す る防衛 を支援 す るため在 日陸
料や医療物資を被災‐
者に提供 している様子が毎 日ニュー
軍 と沖縄 に駐留す る海兵隊 は大 平洋 の友好 国 に展開
スで報道 されて い ま した。
平 凡な陸、海、空、海兵隊 の各兵上 が毎 日驚 くべ
しま した。
日本 の対応 もまた迅速 で断固 と した もので した。
き勇敢 な偉業 を成 し遂 げて い ま した。 それぞれ の活
日本政府 の命 によ り自衛隊 は迅速 に対応 しま した。
動 は公 に評価 を受 ける ことはないで しょうが 、被災
史上初 めて海 上 自衛隊 は、不朽 の 自由作戦 に参加 し
者 の方 々 には思 い は通 じて い ます。
て いる艦艇 にイ ン ド洋 において燃料補給 を行 い、航
日本 は迅速 に航空 自衛隊 の空輸機 を タイに派遣 し、
空 自衛隊 は何千 トンもの物 資 の輸送支援 を行 い、陸
各国 の 人道復興支援活動 に加 わ りま した。 その後 も
上 自衛隊 は警護活動 の ため の演習 を行 い ま した。 す
自衛 隊 は活動 を続 け、 被 災国 の復興 に現在 1000人
べ てが歴 史上初 の活動 で した。
以 上の 隊員 が現地 に派遣 されて い ます。 ここで も両
イ ラクにお ける平和 へ の脅威 を世界 が認 識 して い
国 は歴 史 を作 りま した。
る状況下 で、在 日米軍では日本 の防衛 を継続 して行 っ
日本がア ジア太平洋地域で確固たる リー ダー となっ
て きま したが、 同時 に周辺地域 の平 lEと 安定 を守 る
てい く中で、米 目安 全保 障同盟 はます ます強固な も
活動 へ の参力日も増加 して きま した]イ ラ
自由 │`F
'う
戦開始直後 ステ ル ス機能 な して バ タ タ ァド上空 を飛
のにな って きま した。 この ことは小泉総理大臣 のブ ッ
行 した の は嘉手 TFi基 地 と三it基 地所 蜃 の戦闘 ■ て し
な 二□関係を強化 して い くた めに、良 き友 人 と して
たc第 7艦 隊 で │ま その戦闘力 を派遣 しま した.売
大統 1頁 と協力 してい きますJと 言 う発言 で も確認 で
]
海兵遠征軍 は イラク国内 に展開 し戦開 に参力日しま し
たc在 日1空 軍 も戦闘力 に加 わ ってい ま した
シュ大統領 へ の電話 の最後 で「世界 の 中 で最 も重要
きます .
初 めに申 し Lけ ま したよ うに私 はエ アマ ンであ り、
=
日本政府 の命 によ り、再度 自衛隊 │ま 対 t麟 しま した
本 日 ここに参集 している陸、海、空、海兵 隊 のす ば
そ して新 たな史上初 であ る南西 ア ジアにお ける多 lII
らしい仕事 が私 の誇 りで す。 また、我 々の 日々の活
籍 の平和活動 へ の参カロの準備 を始 め ま したc航 空 自
動 に直接関与 しそ の任務 に対す る合衆 国政府 の軍属
衛 隊 で は所 有す るC-130機 を四 分 の一 派遣 し、 イ
の コ ミッ トメ ン トも私 の誇 りで す。
=
ラク上空 を飛行 しま した。陸 L自 衛隊 で は 自由 を追
更 に、在 日米軍施設 で我 々 と共 に働 き、 チ ームの
求 し、 や っと 自分 の人生 を 手 に入れた人 々 を支援 す
大事 な一 員 とな ってい る日本人従業員 の皆様 の コ ミッ
`
トメン トも私 の誇 りです。 あ りが とうごさ い ます。
るために三 個旅団等 か ら技 師 や 医療 関係 の隊員 を イ
ラクに派遣 しま した。 また歴 史 を作 ったので す。
ベ ーカー大使 のチー ム は、我 々 日本 で活動 す るも
年 12月 26日 、地震 と津波 による甚大 な被害 が
のた ち の クオ ー ターバ ヽ
ックであ ります。 ご支援 に感
イ ン ド洋 の周辺国 を襲 い ま した。我 々の対応 はまた
謝 す ると共 に、 お二人 の これか らの人生 に神 の ご加
迅速 な もの であ りま した。 フ ァー ゴ大将 の命 の下、
護 の あ ることを祈 ります。
H年
何十万 人 もの被害者 の命 を救 うた めの緊急援助 の基
フ ァー ゴ大将 とヘ ス ター大将 は在 日米軍 の将来像
礎 とな ったのは 日本駐留 の部隊 で した。 48時 間以 内
を示 して くれ ま した。私 を信頼 し、 わが軍 の最 も優
に統合支援部 隊 536が タイ の ウタパ オ に設置 され、
秀 な若者 たちを指揮す る栄誉 を 与えて くだ さ ったお
被 災国 に何 が必 要 か の調査 を始 め ると同 時 に、被災
二 人 に感謝 い た します。
国 に到着 し始 めた緊急援助物資 を配 り始 めま した.
共 に仕事 を して きた 自衛隊 の皆様、皆様 は 自衛隊
(4)
を形作 る建築家 で もあ ります。皆様 とご家族 の ご多
生 は、 日本 中 に見 ることので きるあなた の足跡 には
幸 をお祈 りいた します。
LE敵 しません。若 い者 たちのためにあなたが して く
ライ ト中将、最高 の陸、海、空、海兵隊 の指揮 を
執 るこの職 へ の就任、お めで とうごさ い ます.ご 夫
妻 に とってすば らしい仕事 とな るで しょう。
私 にとって特別 な人 について触 れた いと思 い ます。
れ た ことす べ て に感 謝 します。
戦争 中 で あ る偉大 な我 が 国 へ の軍 ノ、と して の奉仕
を終 えよ うと して い る今、軍人 と して これか らも我
が 国 に奉仕す るInL様 の お一人お一 人を誇 りに思 い ま
彼女 は親友 であ り、最 も信頼 で きるア ドバ イサ ーで
す3私 は エ ア マ ンであ り、 これか らも皆 さまへ の奉
あ り、私 にと って最 も1人 事 な人であ ります。妻 の シー
仕 を続 けて い きます。
ラです。 日本 に駐留す る軍人、軍属 の家族 に対 す る
告様 が 成 し遂 げた偉業 に心 よ り敬服 いた します。
君 の思 いは とて も深 い もので あ りま した。北 は三沢
歴 史を 作 りそ して将来 その業績 を皆様 の子孫 が読 む
基地か ら南 は嘉手納基地 まで 、海外駐留 の家族 の生
て しょう=皆 様 が私 の誇 りで す。我 が 偉大 な国 へ の
活状況 の 向上 の ためにあなた の果 た した功積 も歴史
基 仕 に改 めて感謝 いた します。 アメ リカに神 の ご加
、たちのブ、
的 な もので した。 あなたが影響 を与 えたノ
〕二 〕ます ことをお祈 りいた します 。
輩」
新 司令官
ライ ト中将着任 の挨拶 腰 旨)
こ来賓 の皆様
本 日は ご参集 いただ
Lt. Gen. Bruce A. Wright
市長 に 喜■ ■ L_ヒ ││ま す。
こと
■、
ま して 今回 │ま 日本で の 四度 日の勤務 とな
きあ りが とうごさにヽま
り、海
す。 また、前 回 の 日本
勤務 時代 か らの友 人 も
うな気持 ちて ■ │ま す =こ の重要 なポス トで仕事 が
出来 ます ことを ■ 1-共 ヤ大変光栄 に感 じて い ます。
本 日は よ う こそお越 し
この機会 を与 えて くた 三 ったフ ァーゴ大将、ヘ スター
くだ さいま した。
大将 に感謝 いた しますこ
'に
ヽ]モ 三i二 三 うよ りも故郷 へ帰 って きたよ
妻 ケ リーと娘のジャッ
日本 の皆 さまには、 偉大 な両 国 の安 全保障 のため
キーは数週間後 に来 日
に今一度皆 さまと共 に仕事 が 出来 ます ことを嬉 しく
しますが 、 7年 間 の ブ
思 い ます。 日本 のパ ー トナーであ ること、 また地域
ラ ンクを経 て 日本 に帰 って こ られた ことを家族全 員
の一 員 となれ ることを誇 りに思 い ます。 日米両国が、
喜 んでいます。在 日米軍 での勤務 や青森県三沢基地
イ ラクでの世 界的 なテ ロ との戦 い及 びア ジアの津波
の第 35戦 闘航空団司令官 を務 めた ことな どを含 め、
の被 災国 にお ける人道復興支援活動、 またそ の他 の
このすば らしいLIlは た くさんの理 由 で私 たちに とっ
日本及 びア ジア 太平洋地域 にお ける平和 と安定 のた
て特別 な ところであ ります。
めの活動 に取 り組 んで いる今 この時期 に、 日本で勤
この二回 の勤務 で は 自衛隊 の カウ ンターパ ー トを
務 で きる ことは大 きな喜 びであ リチ ャ レンジで あ り
は じめ、航空 自衛 隊 の 山 口OBご 夫妻 やす ば らしい
ます。 日米両 国 の相互協力活動 が 日本 とア ジア太平
日米 の友 人 と言 う贈 り物 を手 に入れ ることがで きま
洋地域 の安全 と安定 に大 き く寄与 して い ることに疑
した。 また、在 日米軍 に と りま して各地方 自治体 の
いの余地 はあ りません。
首長 の皆様 は非常 に大 切 であ り、 この場 をお借 り し
この数 十年、 アメ リカの指導者達 が語 って きた通
て三沢 勤務 時代 に大 変 お世話 にな った三 沢市 の鈴木
り、米 日同盟 は最 も重要 な 1国 間関係 であ ります。
(5)
当 て て きま したが 、 今 後 はそ れ が
一 層 重 要 にな って きます 。 そ の 任
務 を遂 行 す るた め に、 共 にチ ー ム
を 組 み 、 自衛 隊 の 皆 さま とパ ー ト
ナ ー を 組 み 、 陸、 海 、 空、 海兵 隊
の 将 兵 とそ の 家 族 の 皆 さま へ の 支
援 を 約 束 します 。 我 々 は米 軍 人 と
自衛 隊員 の 無 私 の 姿 勢 と コ ミッ ト
メ ン トを誇 りに思 い ます。
ワス コー中将夫妻 の リー ダー シ ッ
プ と貢 献 に対 して こ こに い る全 員
を 代 表 して 感謝 い た します 。 退 役
後 も多 忙 で 輝 か しい 人 生 を送 る こ
と と思 い ます 。 ご多 幸 を お 祈 り い
Lt^ Gen. Wright accept the f ag from Gen. Hester
その関係 は安全 保 障 に対す る相互 コ ミッ トメ ン トを
た します。転勤す るにあた って多岐 にわた りに支援
基盤 と し、常 に注意 をは らい向上 に努 めな ければな
くだ さ った ことに対 しケ リー、 ジ ャク リー ン共 々感
りません。 ヮス コー中将 と シー ラが この 3年 間 に築
謝 い た します。
いて きた公私 に亘 る皆様 との関係 を、 ケ リー と私 で
継承 して い くことを心 よ り楽 しみ に して い ます。
終 わ りに、 これか ら皆 さま とよ り親密 にな り、共
に仕事 に取 り組 んでい くことを楽 しみに して い ます。
在 日米軍及 び第 5空 軍 の諸君 に対 して言 いたい こ
ブ ッシュ大統領 は就 任演説 で米 日同盟 の重要性 につ
とは、我 々の任務 は これ まで と何 ら変 わ ることはな
いて次 の よ うに明確 に述 べ ま した。「 す べ ての 同盟
い とい う ことで す。 日本 の防衛 とア ジア太平洋地域
国 は、我 々があなた方 の友情 を称 え、助言 を信頼 し、
の安定 に取 り組 んで い くことが我 々の最優先事項 で
支援 を頼 み に して い ることを知 って頂 きた い」
あ ります。統合、及 び多国間 での即応態勢 に焦点 を
本 日はあ りが とうございま した。
Lt Gen.IA/askow&Wttght
ブルース
A.ラ
イ ト中 将 略 歴
ライ ト中将 は1973年 に空 軍十官学校 を卒業 し空 軍 に入 隊 しま した。 これ まで に戦闘飛行隊 々長、支援群 Hl
令、作戦群司令、戦闘団司令官 と して の職務 につ いて い ます。 また航空情報局司令官、第 8空 軍情報 。作戦
担 当副司令官、統合情報作戦 セ ン ター司 令官 を勤 め ま した。 中将 は高級操・l士 官 であ り3,000時 間以 Lの 飛
行経験 が あ り、 その ほとん どが 砂漠 の嵐作戦 およびプ ロバ イ ド・ コンフ ォー ト・ ア ン ド・ デ ィナイ作戦 にお
いて F-16を 含 む戦闘後 で65FIの 戦闘飛行経験 を持 ってお ります。
教育
:1973
コロ ラ ド・ スプ リング ス空軍十官学校
1984 ヴ ァー ジニ ア州 ノー フォー ク、総合幕僚大学
1992 ア ラバ マ州 マ ックスウェル空軍基地、空軍大学校
1996 ニ ュー ヨー ク州 シラキ ュース大学上級幹部国家安全保障課程
1998 ワシン トンDCフ ォー ト・ レス リー J.マ クネア ー、 国防大学
経歴
:1 1978年
3月 -1979年 7月 、嘉手納基地、第67戦 術戦闘飛行隊 において F-4Cワ イル ドイー ウィー
ゼル飛行教官
2 1979年
7月 -1980年 8月 、 フ ィ リピンクラーク空軍基地、第 90戦 術戦闘飛行隊 において F-4G
ワイ ル ドウ ィーゼ ル飛行教官
3 1980年
9月 -1981年 9月 、 ワ シン トンDC米 空軍司令部、空軍幹 部 副1練 課程 において航空 作戦 上
官
4 1981年 -198,1年 8月 、 ネバ ダ州 ネ リス空軍基地 、第422試 験 。評 価飛行 隊 において F-lE飛 行
教官
5 1984年
8月 -1985年 1月 、 ヴ ァー ジニ ア州 ノー フォー ク、総合幕僚大学
6 1985年
1月 -1988年 3月 、 ワシ ン トンDC、 総 合参謀本部
J3作 戦十官
7 1988年 3月 -1991年 6月 、 スベ イン、 トレホ ン基地、第614戦 闘飛行 にお いて F-16C作 戦十官
および飛 行隊長
8 1991年 7月 -1992年 7月 、 ア ラバ マ州 マ ックス ウェル空軍基地、空軍大学校
9 1992年 7月 -1993年 3月 、 ドイツ、 シュバ ンダー レム基地 において第 52支 援群司令
10 1993年 3月 -1994年 6月 、 ドイ ツ、 ラム シュ タイ ン基地 において第 86作 戦群司 イ
)
11 1994年 6月 -1997年 2月 、横 田基地 において在 日米軍司令部作戦部長
(J-3)
12 1997年 2月 -1998年 11月 、 三 沢基地 において第 35戦 闘航空団司令官
13 1998年 11月 -2000年 1月 、 ワ シン トンDC、 ペ ン タ ゴ ン、総 合参謀本部、情報・ 作戦副部長
14 2000年 1月 -2001年 12月 、 テキサ ス州 ケ リー空軍基地 および ラックラ ン ド空軍基地 において航空
情報局司令官、第 8空 軍情報 。作戦担 当副司令官、総 合情報作戦 セ ンター司令官
15 2001年 12月 -2004年 9月 、 ヴ ァー ジニ ア州 ラ ング レー空軍基地 において航空戦闘軍
司令官
飛 行経歴 :資
格 :高 級操縦十官
飛行時間 :3,000時 間以上
資格保有権 :T-37、 T-38、 C-21、 T-43、
F-4C/D/E/G、 F-16A/C
(ACC)冨 」
(7)
げ藤 奪
Briefing by 18th
JAAGAの
LAyl ng
法人賛助会員及 び個ノ、
賛助会 員参力[
続 きを終 え、第 18航 空団司令表敬 の後 ブ リー フ ィ ン
の在沖縄 日米基地研修 は、平成 17年 3月 2日 。3日
グ・ ルームで概況説 明 を受 け、屋外 の F-15展 示機
の両 日予定 どお り実施 された。
の前 で記念撮影 を して米空軍将校 クラブに移動 し J
参加者 はナ ブテス コ (株 )五 島徹夫氏 を団長 とす
AAGA主
催 の懇親 デ ィナ ー とな ったが、米軍側 は
る法人賛助会員 14名 、個 人賛助会員 8名 計 22名 で、
航空団司令以下 の主要幹部、 日本側 は南混団副司令・
」AAGAか ら岩崎克 彦常務 理事以下 5名 が研修 に
83空 司令 。JAAGA沖 縄支部長等 も参加 し、途 中、
同行 した。
地元 日本人学 生 による「空手模範演技 Jも 加 わ り、
3月 2日 朝、定 亥1に 入間基地 ベ ースオ ペ レー ショ
和 やか な懇 談 で親善 の環 が大 き く拡 が った。
ンに集 合 して 、各人 の紹 介、全般説 明、 C-1輸 送
ソフ ェス タイ
翌 3月 3日 、米空軍 NCO食 堂 でバ ヽ
機搭乗 関連 の ブ リーフ ィ ング等 を終 えて C-1に 搭
ルの朝食 を終 え、米軍 バ スで基地 内主要施設 に続 い
乗 し、定刻 どお り09:00人 間基地 を離陸 し 3時 間 の
て基地 を右 ││り に 1周 す る経路 の 中 で 、第 909空 中
飛行後那覇基地着。 南混団副司令挨拶 に続 いて基地
給油 中隊 で KC-135型 機 の実機研修、 第 18航 空群
食堂 で昼 食 を と り、第 302飛 行隊 の F-4EJ改
本部 で AWACS及
型
機 を研修 した後 バ スで嘉 手納基地 に移動 した。
嘉手納基地 で は VOQ(米 軍宿泊施設 )で 宿泊手
び F-15型 機 の ミッション・ ブ
リーフ ィング、第 44戦 闘飛行隊 でオ ペ レー シ ョ ン・
ルーム、救命装具室及び列線格納庫 (Flow Through)
(8)
で F-15C型 機 の実機研修、及 び 那覇空港 の滑走
タイ トなスケ ジュール であ ったが、最後 に短 時間、
路 工 事 に伴 い嘉手納基地 に展 開中 の空 自第 302飛 行
基地内 ゴル フ場 の クラブハ ウスに立 ち寄 る機会 を得 て、
隊 のア ラー ト待機 とデ モス クラ ンブル を研修 して全
各人、予定外 の記念品購入等 を楽 しまれて い た。
研修予定 を終了 した。嘉手納基地到着 か ら離隊す る
復路 の那覇基地か らは追 い風 にの り、 2時 間 15分 で
迄 の全行程 間 を第 18航 空団司令 ジ ャ ンマー ク・ ジュ
入間基地 に到着 し無事研修 を終了 したが、参加者 一 同
アス准将 は私達 と同行 し、移動間 に も要所要所 で適
日米航空団等 の活動状況 の実態 を実地 に見聞 し、 それ
切 な説 明 を加 え られ、研修 を極 めて意義 あ る もの と
ぞれ に感銘 を受 けてお られた様子 が伺 え、 その成果 は
された。
大 きい と云 え る。
(村 円博生常務理事記 )
黎 蘊露炒辟 熙藝鰈炸∫膵 直貿
Brig. Gen. Jouas and JAAGA's delegation
講演等の要望を募ります
「安 全 保障 に関 す る日米関係」等
H互 提供 な ど
防衛協 力 のための指針 や物 品役務本
ため、 主 として基 地周辺 の皆様 を対象 とす る講演、
に関す る論議 が しば しば行 われ る昨 今、事務局 で
懇談会等 を企 画 で きるよ う準備 しています。 ご要
は日米 関係 の現状 や展望 に関す るよ り良 い理解 の
L■
ぁれは御 一一
報 下 さい。
JAAGA事
務局
米 空 軍 嘉 手 納 基 地 研 修 の感 想
ナブテス コい航空宇宙 カ ンパニー
この度、 日米 エ アフ ォース友好協会
(JAAGA)
による米空軍嘉手納基地研修 に参加 させて いただ き
I
島
徹
夫
の を我 々団 員一 人ず つ にあてがわれ感激 であ りま し
たc
その後 のパ ー テ ィで は ジュアス団司令、 ジンク副
感想 を述 べ させていただ きます。
′
日
F今 、南 西諸島 について は中国 の潜水 1監 による領
司令他幹部 お よび南混団副司令 も出席 いただ き、 フ
海侵犯 とともに北朝鮮 の ミサ イル、核 問題 な ど脅 威
ラ ンクな雰囲気 で話 は進 み ま した。
を身近 に感 じるとき、極東防衛 の大 きな要 といえ る
翌 日は米軍 バ スで ジュアス団司令 が 自 ら案 内役 と
米空軍嘉手納基地 の研修 の案 内 を JAAGA新 井常
な り、 F-15型 機 にお け る説 明 とKC-135型 機 内
務理事 よ りいただ き、勇躍参加 を させて いただ きま
見学 とと もに、移動途 中 には卓窓 か ら各施設 の説 明
した。
が あ り、基地 での騒音 問題 (嘉 手納町 の民家側 にあ
また研修団 の団長 とい う ご下 命 を い ただ き、 1市 空
る P-3C航 空機 な どは 2年 を 目途 に南側 の F-15
機 関係 の高名 な方 々 をさてお き、 さて私 が とも思 い
と同 じ側 に移 され るとの こと)、 基地 で 使 用す る物
ま したが 、名誉 な こととお受 けす ることにな りま し
品等を基地周辺 で調達す るな ど基 地司令 と して も日
た.
米 関係維持 に並 々 な らぬ配慮 を進 めてお られ ること
入間基地 よ りC-1輸 送機 にて 3時 間 にて 那覇基
地 に至:着 し、 早 速
JAAGAか
南西 航 空混 成 団萩 原 副 司 令 ヘ
ら岩 崎常務理事他 の幹部 の方 々 とお礼
を感 じま した。
滑走i各 2本 の広大 な嘉手納基地 と作戦基地 と して
つ 屯設、 また
隊員お よび家族 が米国本土並 み の生
の ご挨拶 を行 い、後 F-4E」 改型機 の見学 を受 け、
活維持 で きる施設 の充実 を眼 の あた りに して、米軍
丁寧 な説 明 の際、 F-4EJ型 機 は33年 の運用 とい
のブ レゼ ンスのす ごさを感 じた次第 です。
う ことで、 ご説明 の隊員 によればその方 の年齢 と同
また
那覇基地夜間工事 の ため、 ここ半年 臨時 に
じとの こと、 その間幾多 のパ イ ロ ッ ト、整備 の方 々
嘉手納 に展開 されてい る F-4EJア
が これを支 えて こ られた のか と思 うと誠 に感 慨深 い
習 を見ることがで き、 5分 での 出撃 を見 ることがで
ものが あ りま した。 また JAAGA村
きた の │ま 感激で した。 24時 間待機体制 の 中、 随時的
田常務理 事 よ
り1立 空 自衛隊 での F-4パ イロットでの経験談 を見学
の際、 お聞かせいただき、 よ り理解 が深まりましたc
ラー ト模擬演
な体市1維 持 の ご苦労 も判 りま した。
今回の研修 について翻 ってみます と、まず 」AAGA
]「
覇基地 よ り嘉手納基地 に移動 し米空軍第 18航 空
の 関係者 の 方 々によ る米空軍 /航 空 自衛隊等 へ の周
Fllジ
ュアス准将 の 出迎 えを受 け、嘉 手納基地 の位置
到 な事前準備 と共 に、第 18航 空団 の ジュア ス准将 自
付 けにつ いて准将 自 らの丁寧 な説 明 を受 け、准将 は
-15の バ イ ロ ッ トで現在 も団 の要 と して飛行 され
「
て い ると伺 うとともに、米空軍嘉 手納基地 はま さ し
く極東 にお ける米軍 の要 で あ ると感 じま した。
ら、 JAAGAメ
ンバ ー を通 じて 日米親善 の架 け橋
を促進 され よ うとす る、熱 い思 いの もと自 ら 2日 間
ご案 内 いただいた こと (な か なか このよ うな ことは
な く、司令 の JAAGAの 思 いの表 れ と米軍関係者
我 々研修団 に対 す る ジュアス団司令 の配慮 は並 々
か ら伺 い ま した)、 また親 しく懇 親 の場 を lll司 令、
な らぬ ものが あ り、詳細 な行動 スケ ジュール、 どの
副司令 の 出席 の もとデ ィナ ー と朝食 と 2回 も設定 い
よ うな米軍 関係者 が参加 す るな ど案 内書 が事 前準備
ただ き、大 いに 日米交流 がで きた ことは意義深 い も
され、宿泊施設 に向 か い ま した。
ので した。
宿泊施設 は居間 のつ いた広 く快適 な設 備 を伴 った も
改 めて第 18航 空団 ジュア ス団司令、 ジンク菖1司 令
(10)
並 びに隊員 の 方 々、 また
ト混成団
南西航 ク
萩原畠1
よ り御礼 中 し上 げます。
亡、
司令並 びに隊員 の方 々に′
また
JAAGA理
定 いた だ き、 か つ
事 の 方 々に は今回 の研修 を設
今後 も日米 エ アフォー スの交流 が益 々隆昌 され る
ことを祈念 し御礼 の 言葉 とさせて いたた きます。
あ りが とうござヽヽ
ま した。
研修 中、細 やかな心配 りを いた
平成 17年 1月 20日 (木 )横 田基地 、 同 1月 28日
(金 )三 沢基地、 同 2月 5日
NCOク
だいた こと、一同 を代表 し心 よ り感謝 申 し Lげ ます。
(土 )嘉 手納基地 の各
ラブにお いて 平 成 16年 度 JAGGA賞 の 受賞
田、三沢、嘉手納 の各米軍基地 において、選 ばれた
各基地 における米空軍優秀隊員 (The Best of Best)
と共 に表彰が実施 され た。
受 賞者 は、 浦 山南 混 団 司令・ 滝脇 那 覇基 地 司令
式 が実施 された。
本賞 は日米関係 の 向上 に貢献 した年度優秀 隊員 を
(嘉 手納 )、 平 田三沢基地 司令 (三 沢 )、 田中防空指
各基地 司令 の推薦 に基づ き被表彰者 を決定、 」AAG
揮群副司令 (横 田)等 航空 自衛 隊VIP及 びJAAGA
Aが 表彰 す る もので あ るが、表彰式 は米空軍 におい
各支部長等 同席 の下、 JAAGA代 表者 と して 出席 し
て は公 式行 事 で あ る年度 表彰
(Annual Award)
式 に取 り込 まれ る等高 い評価 を得 てお り、本年 も横
Annual Award
た村木会長 (横 田)、 江藤副会長 (三 沢 )、 後藤副会
長 (嘉 手納 )か ら感 謝状 と記念 の盾 を受 領 した。
at
Kadena
(11)
W,/O lmagawa
&
Lt. Gen.
Etoh
]
Col. Kreulen
基地
所属部 隊
受
賞
者
表
影
〓
J A A G A Award04受 賞者 の功績等
日。
米
&
内
Gen. Muraki
容
*三 沢基地准曹会会長 と して 日米 の相互理解 と関係強化 に尽
三
沢
第 3航 空団
施設 隊
力
准
rH尉 今川 徳治 *日 米交流行事 (基 地綱 引 き大会 、米軍基地研修、 ダイ ニ ン
グア ウ ト)を 成功 に貢献
*日 米 の下士官 お よびその家族 間 の親 睦 に貢献
*(横 田基地 )訓 ‖練調整幹部付 と して円滑 な連 絡調整 に尽力
府
中
空幕教育課
(元 総隊司
運用課
*横 田基地 で のマ ラソ ン競技、 ス ペ シ ャル オ リンピ ック等 ヘ
1等 空曹
秋元
洋一
の ボ ラ ンテ ィア参加 呼 びか けの実施
*日 米 の下士官交流、 リク レー シ ョンの計画 と実行 にお ける
貢献
空 自
*空 自連合准曹会副会長 と して 日米 の下士官交流 に尽力
入間
那覇
中警 団司令部
人事部
83空 隊検査 隊
准 空 尉
遠藤
登
*ス ペ シ ャル オ リンピ ックで の ボ ラ ンテ ィア活動、米軍行事
へ の積極 的参加
*基 地行事 へ の米軍人招待 時 の調整、接遇 を通 じて、 日米下
3等 空曹 本」田 健治
士官 の相互理解 と親睦 に貢献
*グ ア ムで の 日米共 同訂│1練 (コ ープ ノー ス)に お ける調整業
務 に尽力
*16年 9月 の空軍参謀長等会議 (ACCJ)の エスコー ト役
で活躍
*嘉 手納基地 で の ア ラー ト待機 に関わ る細部 の調整 に貢献
*f呆 全 中隊 の教育、訓練担 当将校 と して陸 自 との統 合部 隊編
三沢
第 35航 空 団
大尉
マー シュW.ギ ブソ ン
成 に尽 力、 三 沢基地 防護能力 の強化 に貢献
*警 備 に関す る陸 自 との協定 の締結 に尽力 し、基地 防衛 の実
習等 を通 じ基地 隊 員 の安 全確保 、 日米 の信頼関係 の強化 に
貢献
米軍
横
田
第374航 空団
所 沢燃料流 出復 旧 チー
ム (代 表 :大 佐 ダ ク
レー レ ン)
ラ スEク フ
*16 8.31の
所沢通信所 の燃料流 出事 故処理 にお ける功績
・ 迅速、機 敏 な対応
・ リー ダー シップ、 テームヮーク、卓 kし た実 行力 および政
府や 自治体 との連 携 による日米 の信頼 関係 の強化 に貢献
ll・
*日 米交換 卜上官 と して、過去 3回 の空 自隊 員の嘉手納研修
に尽力
嘉手納
第 18航 空団
1等 載彗 Kト ラウィック
*ス ペ シ ャル オ リンピ ヽ
ノクヘ の ボ ラ ンテ ィア の募集、 日米 中
隊 レベ ル将校親交 クラブの設立、那覇基地先任空曹 の招 待
等、友好親 善 に貢献
*空 自 11級 空曹 60名 の米空軍 卜上官課程 へ の入校等 に貢献
(12)
今年度 2度 目のtJAAGAゴ ル フ トー ナメ ン トは、
勤労感謝 の 日の 11月 23日 、小春 日和 を絵 に描 いたよ
うな好天無風 まさに絶好 の ゴル フ 日和 の 中、米軍多
摩 ヒル ズゴルフ コー スにお いて 開催 された。米空軍
佃1か らベ イカ ー第 5空 軍 畠1司 令官 は じめ20数 名、航
空 自衛 隊但1か ら津曲航空 幕僚長 は じめ30数 名、 そ し
てJAAGAか ら村 木会長以下 40数 名、 そ の他 ボ ラ ン
テ ィア参 加 の大 会役 員等 を 含 め総計 100余 名 が参加
した。
未 だ薄暗 い うちか ら来場 した腕 自慢達 が、 日米交
歓 の賑 々 しい ムー ドとテ ィー オ フ前 の多少 の緊張感
Opening Speech by Gen. Muraki
を楽 しみなが ら、 トーナメ ン トブ レ ックフ ァース ト
刻 7時 にス ター ト・ ホー ンが全 ホールに鳴 り響 き、
の テ ー ブル を囲 んだ。 そ う した中、大会役 員等 の ス
シ ョッ トガ ン方式 で各 ホールが一 斉 にテ ィー オ フ、
ター ト準備 も整斉 と進 み、大気 予報 に悩 まされた昨
ここに熱戦 「 SPORTEX`04BJの 火蓋 が 切 って落
年大会 とは打 って変 って雲 ひ とつない朝 あけの下 ク
とされた。
ラブハ ウス前 での開会式 とい う運 び とな り、競技要
それぞ れ のパ ー テイ は概 ね USAFと
JASDFそ
れ
領 の説 明等 が行 なわれた。 そ の後 各パ ー テ ィは カー
にJAAGAの 各 メ ンバ ー によ る混 合編成、 日が昇 る
トに分乗 しそれぞれ の ス ター トホー ル に進 出 し、定
につ れて の気温上昇 で ス ウィ ング リズ ム は勿論 の こ
と英 会話 の トー ク リズ ム まで も滑
らか スム ー ズ とな り、 各 ホー ルで
舌戦 含 み の熱戦 が 展開 されたc競
技 開始 30分 後頃 か らJAACA役 員
が ドリンクカ ー トを運 転 し各 ホー
ルを回 り、奮戦 中 のプ レイヤーに
ビール・ コー ヒー等 の デ リバ リー
サー ビスを行 い好評 を博 した。 こ
の ドリンクサ ー ビスのせ いか、 は
たまたあまりの好天 によるものか、
つ いつ い力 が入 り過 ぎて の超 フ ッ
クや超 スライスを披露す るプ レイ
ヤ ー もチ ラホ ラ・ ・ 。。 こ うした
御同輩 を尻 目にあ くまで もマイベー
At club house
スのマイ ペ ー スでパ ー稼 ぎに専念
(13)
す るベ テ ラ ン会員 が健在 す る一 方 で 、「 ホス ト役 に
徹せよ
l」
とのJAAGA某 理事長 の指示 が 効 き過 ぎ
ドラ コ ン賞 2名
(USAF× 2)、 ニヤ ビン賞 4名 (US
AF× 2,JASDF× 1,JAAGA× 1)の 受賞者 が それ
たのか、実力発揮 を遠慮 した若手会員 も居 た りして、
ぞれ表彰 された。 なお総 合結果 につ いて は、 ネ ッ ト
ホールによ って は予想外 の混戦模様。 よ く伝 わ らな
の全体平 均 が 767で 、 内訳 はUSAFが 860、 (JASDF
い英会話 コ ミュニ ケ ー シ ョンが幸 い し、鋭 い舌戦 を
が 755、
仕掛 けたつ もりが和 やか な ジ ョー クで切 り返 されて
員の 1老 骨奮闘振 り"を い ささか実証 した様 な成果
の苦笑 い・ 0な どな どは何時 もの とお り。 そ うした
が 得 られ た.某 会員 曰 く、「悪 か ったの は、 オ レの
笑 いの渦 を中心 に 日米交歓 の輪 が あち こちの ホール
ス コアーだ けだ った
に広が った。平素 の運動不足 も手伝 って予期 せぬ長
ル フ コ ンデ ィ シ ョンと最高 の 日米交歓 ムー ドの 中、
距離走 に息 を切 らす向 きも一 部 には見 られたよ うだ
人成功 の「 SPORTEX'04BJは 終了 した。
JAAGAが 719と
い う状 況 で 、 (JAAGA会
│IJ・
・ ・ とい う、絶好 の ゴ
が、全般 と して は故 障者 もな くお昼 を回 る頃 には全
(吉 田常務理 事記 )
競技 を無事終了 した。
クラブハ ウスに場所 を変 えての ラ ンチ タイ ムで は
トー ナメ ン ト恒例 の “
反省会 "が テ ー ブル毎 に盛 り
上が り、身振 り手振 りの 日米 コ ミュニ ケ ー シ ョ ンも
これまた何時 もの とお りの盛況 ぶ り。 こ う した うち
に も成績集計 は順調 に進 み、表彰式 に移 った。村木
会長 の張 り込 んでの英語 ス ピー チに続 き、 ユ ーモ ア
溢 れ るベ イカー副司令官 と津 曲航空幕僚長 の挨拶 の
後、 成績 発表 とプ レイヤ ー表彰 が 行 われ た。 1位
(USAF), 2位
(」
ASDF), 3位 (USAF)の 上位
入賞者 に加 え、 5番 跳 びの跳 び賞 で ベ イカー副司令
官 や津 曲航空幕僚長 を含 む計 17名 の受賞者 が、 また
★ 原 稿 募 集
First Party
★
皆様か らの フ リーな投稿や 、 」AAGAの 活動 に対するご意見や ご要望 を頂戴 し
皆様 と共に歩む JAAGA
として更なる発展 を期 していきたい と思 います
皆様の貴重な ご意見や各 種投稿 をお待 ち しています
投 稿 受 付
越智 通隆 丁e
03-3437-8972 (三 井物産エアロスベース
Fax 03-3437-8755
)
(14)
JAAGAか ら伊藤副会長等 が参 加
12月 19日
(日 、横田基地将校 クラブにお いて ワス コー
中将 主催 の ク リスマスパ ー テ ィーが 開催 された。
例年 は「 オープ ン・ ハ ウスJと い う形で司令官 の
官舎 にて催 されて い るパ ー テ ィーで あるが、司令官
は既 に官 舎 を 出 てい るため、 今回 はオ フ ィサー ズ 。
1時 間 半 のパ ー テ ィー は、米倶1の いつ も通 りの暖 か
いホ ス ピタ リテ ィー に満 ちた接遇 を受 けた大変楽 し
い もので あ ったが 、 イ ラク問題 の影響 か らか全般 に
落 ち着 いた雰 井1気 のパ ー テ ィーであ った。
パ ー テ ィー半 ばにはJAAGAメ ンバ ーが集 ま り、
伊藤会長代 理か らワ ス コー司令官 に、 9月 29日 に行
クラブで の 開催 とな った。
航空 自衛隊 か らは津山航空幕僚長 ご夫妻、 国母神
われ た司令官送別会 時 の写真 を編 集 したCD(四 ツ
総隊司令官 ご夫 妻、香川航空支援集 団司令官 ご夫妻
家常務理事作成 )を H曽 呈 した ところ、司令官 は大変
を始 め、航空幕僚監部、幹部学校 の勤務者及 び夫人
喜 はれた.バ ー テ ィー終 了時 に司令官 か らJAAGA
等約 50人 程 が参加 、 JAAGAか らは会長代理 の伊藤
の活動 を高 く評 価 して い る 旨のス ピーチ もあ り、素
畠1会 長 を始 め、後藤副会長、 山 口副理事長夫妻、阪
晴 らしい ク リスマス・ パ ー テ ィとな った。
東常務 理事夫妻、 山本常務 理 事 夫妻 が 出席 した。約
Lt.Gen lA/askow&」 AAGA members
(山 本常 務理 事 記 )
(15)
´
濃1豪 懸お懇
ぶJぶ
'群
1月 31日 、本年 も福生・ 横 田交流 クラブの新年 会
た。両氏 とも昨年 に引 き続 き流暢 な 日本語 で挨拶 を
が横 田基地 で 開催 され、村 木会長以 ド4名 が招待 を
し、参加者 一 同 は驚 きとと もに1人 変感心 した。 シス
受 け出席 した。石川同 クラブ会長 は挨拶 の 中 で、同
ラー基地司令 は昨年末 の スマ トラ沖大地震 に際 し米
クラブが 創立 16年 を迎えた こと、近隣 の あ きるの市
側現地指揮官 と して、 隊 員 250名 とC130型 輸送
とI請 穂 町 が 昨年横 田基地 との交流 クラブを立 ち Lげ
機 8機 とともに地 震直後 か ら、 タイの ウタバ オ飛行
た こと等 を紹介す るとと もに、地元 と横 田基地 との
場 に展開 し、 同地 で約 lヶ 月間勤務 して い たが、丁
交流 が広 が ることは大 変嬉 しい との所感 を述 べ た。
度 この 日の交流 クラブ新年 会 に合 わせ るかの様 に任
世 界的規模 の米軍再編 の 中、横 田基地 をめ ぐる話題
務終了 とな り横 田に帰 1隊 した。石川会長 は じめ福生 。
も軍民共用化等 、新 聞紙上 を賑 して い るが、本年 は
横 田交流 クラブの皆様 には毎年 JAAGAに 対 して新
いよいよその結論 が見え る年 といわれてお り、懇親
年会 へ の ご招待 を頂 いて い ることに対 し本 ペ ー ジを
会 で もその話題 があちこちで聞かれた。米側 か らラー
お借 りしてお礼 叶│し 上 げます。
セ ン在 日米 軍菖」
司令官、 シス ラー基地司令が挨拶 し
Col&Mrs.Shissler&Gen.Muraki
(越 智常務 理 事記 )
(16)
ο
ο
¨ 新 ス 会 貞 の 紹 介 ・・
1正
会
員
名
勤
住所 。電話番号 (上 段 :自 宅、下段 :勤 務先 )
先
務
造
276-0022
八 千代市 上高野 114312
047-486-8366
堀 国内燃 機 工業 m
150-0021
渋谷区恵 比寿西 2110プ ライムホリグチビル
03-3780-1251
夫
359-0027
所沢市松郷 10594
04-2945-0627
Z^<-Z(,iri)
107-0062
港区南青 山2517ポ ー ラ青 山 ビル 9F
03-5785-5973
206-0821
稲城市長 峰353-802
042-350-0578
107-0052
港区赤坂 2117
03-3568-8062
江
賢
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磯
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田
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2
一
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氏
4
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l -l')
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ATT新 館 5F
個人賛助会員
名
勤
制
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人会
ズ社
シ
一
法ヽ
ジ支
一
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京 潟 垣一
会く
一
東
い新
社も
一
裕
美
稲
住所 。電話番 号 (上 段 :自 宅、下段 :勤 務先 )
先
務
井
酒
一
T
氏
彦
945-0307
羽本
寸大字刈羽 376521抑
刈羽郡 メリ
東京 エ ネ シス刈羽寮
0257-45-3646
945-0016
柏崎市 青山町字青 山94
0257-45-2111
197-0003
福生市熊川
197-0017
福生市福生 23004
会
JAAGAは
11235
042-551-5550
042-553-6633
募
員
、 今年 で 創立 9周 年 を迎 え、 更 な る前進 を 目指 して 個 人会 員 の会勢拡大 に努 めてお
ります。
会 員 のInL様 の勧誘及 び推薦 、情報提供 に関す る ご協力、 ご支援 を是 非 と も宜 しくお願 い致 します。
なお 、個 人会 員担 当窓 日は、次 の とお りです 。推薦若 しくは情報提 供 を頂 いた方 には直接 会 員担
当 の係 か ら連 絡 させて頂 きます。
【入会資格】
正
会
員
個 人賛助会員
:
:
航空 自衛隊 の OB
航空 自衛隊 の OB以 外 の方 で、 正会員 3名 の推薦 が必 要 です。
【連 絡 先】
【
郵便】 〒1050004 東京都港 区新橋 5-25-1-3
日米 エ ア フォース友好協会 会 員担 当行
電話】
【
0334891120
尾
崎
利
夫 (東 京航空計器い )
0367164303村
岡
亮
道 (三 菱 重 工い )
靖 (横 浜 ゴ ムm)
0354004722 宇都宮
033286-0339新 井 洋 一
(新 東 亜 交 易m)
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