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3 - 日米エア・フォース友好協会
会 屁 20 0CT 1997 発行 :日 米 エ アフォー ス友好協会 〒107-91港 区赤坂 8-4-17 赤坂郵便局私書箱 62号 編集 :」 AAGA事 務局 印刷 :(財 )防 衛弘済会 ―一 二代 目会長 に鈴木昭雄元空幕長を選出 ―― 感 じていることを再認識 で きた。 今後 も日米両空軍 の友好親 善、相互 理 解 に陰 なが ら役 立 ちたいJと 述 べ た。 総会 に続 く記念講演会 の後、懇親会 が行 われ、杉 山統幕議長、村木空幕長、諸冨施設庁長官、 田村秀 昭参院議員 らの ほか、米軍 か ら当 日着任 したばか り の在 日米軍司令官 J.B.ホ ール 中将 が 飛 び込 み のか たちで途 中 か ら参加、 ほか に ラフォ ンテ ィ ン 5空 軍 副 司令官、在 日米軍 司令部 の主要幕僚十数名 な ど、 合 わせて約百 五 十人 が 出席 した。 ― 総 会 風 景 ― 」AAGAは 、昨年 7月 5日 設立以来、一 周年 を 迎 え、去 る 6月 27日 15:00∼ 16:00の 間 GH市 ケ谷 に於 いて、第 2回 総会 を開催 した。 総会 は、 出席者 63名 、委任状提 出者 109名 、 よ っ ホール中将 は三度 目の 日本勤務 とか、会員 の多 く と1日 交 を温 め る交歓 があ り、会 は大 いに盛 り上 が っ て いた。 なお、 当 日政務 のため欠席 の久 間防衛庁長官 か ら 祝辞、 当 日付 けで米空軍副参謀総長 (大 将 に昇任 ) に栄転 のエバハ ー ト中将 か ら祝電 が寄 せ られた。 て有効 に成立 し、大村会長 の議長、利渉 理 事 の司会 によ り、平成 8年 度事業報告、 同年度決算報告、平 成 9年 度事業計画、同年度予算、会則 の一 部改 正 、 及 び役員人事 の議案 につ いて審議 し、 いずれ の議案 も満場 一 致 で 可決承認 された。 役員人事 は、初代会長 の大村氏 が「 つ ば さ会 J会 長 に就任 したた めの交代人事 で、 二 代 目会長 に鈴木 氏 を選 出、 そ の後任 の副会長 に長谷川孝 一理 事 が選 ばれた ほか、事業活動 の実態 に沿 うよ う理事 の増員 が 図 られ、新 たな理 事 の選 出 も行 われた。離任 の挨 拶 で大村前会長 は「 JAAGAの 活動 を通 じて在 日 米軍人 が 日本人 か ら感謝 され る ことに喜 び と誇 りを ― 懇 親 会 風 景 ― 新 会 1長 就 任 挨 拶 先程行 われ ま した第 パ ー テ ィー において 関係 した 日米空軍 の両 隊員 が相 2回 総会 で大村初代会 互 に労 を称 え合 う暖か い心 の交流 を眼 に して 日米 両 長 か らバ トンを受 けま 空軍 の関係 は新 たな時代 に入 った ことを痛感 しま し した。会長 の鈴木 であ た。 ります。 私 自身 これ まで の恩 鈴 木 会 長 それ に加 えて今回在 日勤務 の経験 が深 い親 日家 の ホール新第五空軍司令官 をお迎 えす る、 またガイ ド 返 しが 出来 る一 つの機 ライ ンの見直 しも大事 な段階 を迎 え るなど この 日米 会 と嬉 しく受 け止 めて 空軍 の新 しい時代 の流 れ の 中 で、 これか らも JAA お ります。大村会長 と GAが 両空軍 の関係 を結 び付 ける接着剤 あ るいは潤 同様 にお 引 き立 ての程 滑油 の様 な役割 を多少 な りとも果 たす ことが 出来 れ よろ しくお願 い 申 し上 ば と一 同念 じて いる所 であ ります。 げます。 しか しなが ら、 」AAGAは 生 まれたばか りの組 思 い起 こ しますれば昨年 の七月、行 き先 きに多少 織、 まだ まだ基盤 は脆弱 で あ ります。承知 のよ うに の不安 を感 じつつ も、 JAAGAは 、離 陸 を いた し 竹 の成長 には強 い節 の存在 が欠 かせ ません。 その意 ま したが、 日米両空軍 の現役諸君特 に村木空幕長、 味 で 」AAGAの 成長 に と って本 日は大事 な節 目で エバハ ー ト第 五空 軍 司令官 か らの深 い理 解 と暖 か い あ ります。来賓各位 か ら会 員諸子 へ激励 を いただ け 支援 によ りま して、 これ まで の活動 の一 つ一 つ に強 れば幸 いで ござい ます。 い手 ごたえを感 じ、 それが大 きな満足感 とな って こ 会員 の皆 さん これか らも心 を新 たに して一 つ一 つ の度 のよ うに多 くの ご来賓 をお迎 え して盛 大 に一 周 友好 の活動 を楽 しみま しょう。 その活動 こそが多 く 年 を祝 う ことがで きま した。 この盛 り■ が り、会員 の方 々の共感 を呼 んで更 に 」AAGAの 輪 が広が る 一 同 に とって この上 ない喜 びであ ります。 もの と固 く信 じ、私 も先頭 に立 って汗 を流 す覚悟 で 話 は変 わ ります が、去 る四月米空軍創 立五十周年 お ります。 を祝福 す るとと もに、 わが ブル ー イ ンパ ル スを激 励 最後 に重 ねて ご来賓各位 の暖 か い ご理 解 と会員 の す るために会員有志相 い集 い ラスベ ガスに行 って参 皆 さんの 」AAGAへ の深 い愛情 に心 か ら感 謝 を 申 りま した。 ブルー イ ンパ ルスの輝 か しい活躍 につ い し上 げ挨拶 といた します。 て は云 うまで もあ りませんが、終了後 の空幕長慰労 織母轟鷲 itl::I奮 =11織 :書 講苺■構凛峰 霧露 :摯 華鷲聾裏 壼轟 露燎:11事 =警 =諄 ::彗 諄 :寝織菫 i'1薔 事 :: =i譲 轟:l轟 ■11準 :=二 111場菫11■ 節轟森織警筆 │ =奪 ●Lミヽい. ・ 日米 エ ア ー フォース た とい うの はまだ耳新 しい ことで あ ります。 しか し 友好協会設立 一 周年記 なが らこう した両国 の政府 レベ ルの行動 の重要性 と 念祝賀会 に当 た り、防 同時 に私 ど もが忘 れて はな らな いのが 日米両 国民 の 衛庁 を代表 し一 言 お祝 間 の相 互理 解 と友好親善 の促進 であ ります。 日米両 いの言葉 を 申 し述 べ ま 国政府 間 の色 々な施策 も両 国民 の理 解 と協力 があ っ す。 当友好協会 が 昨年 て始 めて有効 に機能 し真 に実効性 の ある もの にな る 七月 に発足以来素晴 ら といえ ると思 い ます。 この意味 において 当友好協会 しい成果 を納 め ここに が 昨年設 立 されて着実 に 日米両 国間 の理 解 と友好親 目出 た く一周年 を迎 え 善 の実 を上 げつつ あ るとい う ことは誠 に時宜 を得 た た ことはご同慶 のいた 活動 で あ るといえます。特 に当友好協会 の主 目的 が、 りで あ ります。 わが 国 安全保障 の 中心 的存在 であ る日米 の ユニ フォーム又 の安全保障 に とって 日米関係 と日米安 全 保障条約 の はか って ユニ フォームを着 て いた人達 同士 の交流 で 重要性 は今更 申 し上 げるまで もな い ことで あ ります あ ると知 って大 いに意 を強 くしてい るところであ り が、 この 日米安全保障条約 を真 に実効性 の あ る もの ます。 今後私 どもも政治 レベ ル において しっか りと にす るため、政府 といた しま して も日米防衛協力 の 頑張 って い く決意 であ りますが、皆 さん も十 三 分 に 指針、 い わゆ るガイ ドライ ンの見直 しや沖縄 問題 の 活躍 されて共 に良好 な 日米 関係 の確立 を 目指 して手 解決等 に防衛庁 を 中心 に して 日夜努力 して い るとこ を携 えて ま い りた い と思 って お ります。最後 に この ろであ ります。先週 も米国 のデ ンバ ー において橋本 一 年 間 の会員 の皆 さんの ご活躍 に敬意 を表 し今後益 々 総 理 とク リン トン大統領 の間 で ガイ ドライ ンの見直 の発展 を祈念 してお祝 いの言葉 と致 します。 ヨ しが順調 に進展 して い ることをお互 いに評価 し合 っ 入 会 御 案 内 日米両空軍 のよ リー 層 の友好親善、相互理解 のため、現役 のい ろ い ろな活動 を側面 か ら 支援 しよ うとい う本会 へ の、 一人 で も多 くの参加 をお待 ち して い ます。 入会 につ いての連絡 は次 の とお りです。 [郵 便 ]〒 107-91 港区赤坂 8-4-17 赤坂郵便局私書箱第 62号 日米 エ ア フ ォース友好協会 [FAX] 03-3780-2945 [電 話 ] 03-3780-2961 03-3489-1120 03-3507-9253 03-3639-9814 石母 田 同 菅原 会員担 当行 治 (日 本航空電子 工 業 ) 上 淳 (東 京航空計器 ) 斉藤 嘉夫 (日 本生命 ) 工藤 公光 (丸 文 ) 平成 8年 度 決 算 報 告 書 (平 成 9.7.5∼ 9.3.31) (単 位 :円 ) 支 入 33,303 3,251,152 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 0 139 問 鋤 成 猾 碑 報 係 係 動 輪 3,217,710 出 慰 練 助 事 善 会 広 関 関 活 立 議 務 信 備 計 激 共 研 式 交 総 会 名 会 入 支 会 事 通 旅 雑 予 費 金 息 入 年 寄 利 雑 金 付 収 計 入 収 0 励 剛 修 斯 翻 報 簿 則 会 搬 前年度繰越金 支 出 収 522,593 336,861 35,747 482,248 0 0 142,519 36,350 10,815 224,303 0 9,050 134,700 2,747 0 1,977 0 1,939,910 翌年度繰越金 △ 3,251,152 計 1,311,242 △ 3,251,152 計 注 :平成 8年 度 は、協会設立年度である ことか ら、財政 の基盤がな く収支 の見通 しについて、不確 かな面 もあ っ たが、入会 の促進及 び旅費の個人負担、会議室 の便宜供与、印刷費 の節約等経費節減 の努力 によ り、 全般 的 に健全 な財政運営を行 うことがで きた。 平成 目 1)日 米共同訓練参加者 の激励 4)米 空軍 との交歓 7)ス ポ ー ツ 交 流 8)シ ンボル (ロ ゴ)マ ーク募集 1)会 報 発 刊 成 2)一 般広報等・ 広報担当の訪間 3)将 来 事 業 検 討 則 改 正 7)理 18)監 事 会 査 *募 蘇ミ 要項 く―― (2号 ☆ ― ー ) GH市 ケ谷 多摩 発表 (本 冊) ☆ 分 ガ︲ 戦 6)総 会・ 懇 親 会 三沢 ) ○ ◎ 4)表 彰制度 の検討 rth フ ⑥ O 簿 作 CN 3 ― ○ 一般 運 営 事 業 0)名 2 沢・ 植 田 ○ 9)会 勢維持 。拡大 1 NDY CV ︲ 財 横 。 内 6)在 日米空軍50周 年記念行事 4/四 半期 CN brth 鶏 利 5)米 軍要人等 の講演 11 CN orth B/1 行 行 行 外 行 報 員 名 報 報 計 計 計 行 計 事 企 企 企 渉 企 広 会 会 会 広 企 企 企 企 企 監 友 好 親 善 事 業 3)米 空軍基地等 の研修 3/四 半期 7 5 2)米 空軍将兵 の激励慰問 5)会 2/四 半期 1/四 半期 実施 時期 項 9年 度 事 業 計 画 :GH市 ○ 3号 ★ ☆ ′ (追 錮う :号 ) : ケ谷) ☆│ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ★ │ 6月 27日 、 横 田基地 にお い て太 平 洋 軍 司 令 官 I Fttglemanか ら Gen.Richard Admiral Plueherの 統 裁 の もと指揮 官交 代 式 が 実 B.Myersに 司令 1 官旗 が手渡 された。 Gen Myersは 1993.11か ら 1 施 され Lt Gen」 ohn B Hall Jrが 新司令官 に任 命 1 996.7ま で在 日米軍 司令官兼第 5空 軍 司令官 と して 勤務 した経歴 を有す る。 され た。 Lt.Gen Hallは 、 1967年 マ サ チ ュセ ッツ大 学 を 卒 業 、前 職 は人 平洋 空軍 司令 部 の計 画部 長 、 日本 で 前司令官 の Gen」 Ohn した。 (元 5空 軍 司令官 ) の 勤 務 は 嘉 手 納 基 地 の 18 TAC司 令 の他、 1987.7か ら 2年 間、横 田基地 で第 5空 軍作戦 部長 の経歴 を有す る。 F-4 2,000時 間 の 他 、 F-15、 F-16等 3,700時 間 の飛行経験 があ る。 月 り 司令官 Lt Gen Everhart は Generalに 昇任 し、 米 空 軍副参謀長 に任命 された。 7月 11日 に行 われ た任 命 式 に は鈴 木 」AAGA会 長 が 招待 を受 け出席 した。 また 7 月 7日 、 ハ ワイの ヒ ッカ ム空 軍 基 地 で空 軍 参 謀 長 Gen 指揮権 の委譲式場全景 」A△ ⑥△ シンがルマい夕の受恣沐きる 当協会 も多方面 の関係団体・ 個人 との交流 の機会 が増 え るに従 い、協会 を象徴 す る ロゴマー ク作成 の声 も高 ま り、 本 誌前 号 に よ リデ ザ イ ン募 集 案 内 を した と こ ろ 36点 の応募 があ った。 去 る 9月 10日 グラ ン ドヒル 市 ケ谷 にお いて 理 事 長 及 び理 事 による投票 が行 われ、 その結果、 自井治夫氏 の作 品 を基 調 と して作成す ることが決 ま った。 今後、交換用 あるい はバ ッジ、 タイ ピン等 と して使用 す るよ う、 目下専門家 の手 にかか って い る。 なお、佳作 には、石母 田治氏、坂本祐信氏 の 2点 が選 ばれた。 G.Loberは 7月 11日 退官 『我 々 は な ぜ 嘉 手 糸 :1 』 内ヤ 心 打 つ真 摯 な基 地 周 辺 へ の配 慮 米空軍第 18航 空団司令 J.R.ベ ーカー准将 6月 27日 、JAAGAの 発足 1周 年 を記念 して、総会 に続 いて嘉手納 基地 司令 で も あるベーカー准将 による記念講演 が利渉理事 の講師紹介 の後、横田基地広報 の市川 さ んの通訳 によ り行 われた。 講話 は、第 18航 空団 の沖縄 にお ける存在が、 日米安保及 びア ジア地域 の平和 と安 定 にとって戦略的 に重要である こと。嘉手納基地 の管理運営 にあた って は、「沖縄 の 方 々の良 き隣人 であ らねばな らない」 として、 その施策 の実行 に真摯 に取 り組 んでい る状況 が紹介 された。要 旨は概 ね次 のよ うな もので あ った。 『第 18航 空団 は嘉手納空軍 基 地 にお け るホ ス ト 部隊 であ る。又「世界的 な関与」 とい う米 国空軍 の 主任務 を支援 す るため の最先端 にあ る。横 田 の第 5 の平和 と安全 と、 その結果生 ず る繁栄 を支 えてお り、 日米相 互 の利益 であ る。 冷戦 の終結 で、 WWⅢ の可能性 は少 な くな ったが 空軍司令部 の隷下 に属 す るが、米国 の各軍、各省 の 精 強第 18航 空団存 在 の重要 性 は 日米利 益 に と って 航空部隊等 の支援 を も実施 してい る。 今 も変 わ ることはない。 嘉手納基地 の ユニ ー クな点 は、 12,000 FTの R/ Wが 2本 あ り、 いかな る航空機 に も対応 で きる こと と、沖縄 とい う戦 略的 な位置 にあ ることか ら、緊急 沖縄 が よ き要 石 であ るためには、我 々 は沖縄 にお いて、 よ き住人 でな ければ な らな い。 そのために、次 のよ うな施策、活動を行 っている』 有事 の際 には、米本土 か らの後続部 隊 の展開基地 と とス ライ ドを使 って紹介 した。 して機能 で きることであ る。 ☆騒音軽減 の施策 第 18航 空団が米空軍 の「世 界 的 な 関与 Jの 目標 を如 何 に支援 して いるか は、任務 に明示 されている。 このため嘉手納基地 を管 理 し、戦 闘態勢 にある 3 個 中隊 の F-15戦 闘機、 西太平 洋 唯 一 の KC-135 給油機、HH-60救 難 ヘ リ、本国基地所属 なが ら常 時 1∼ 2機 配備 の RC-135、 海 上 交通 路 確 保 の た めの海軍 の P-3C、 AWACS等 の航空及 び地上 レー ダー、 そ して これ らを機動配備す るために要 す る施 KC-135E/Gの 交換、 F-15T/O時 の A/B使 用禁止飛行場使用 の見直 し (F-15は 内側 R/W の み使用 )防 音 壁 の拡張、 サ イ レンサー格納庫 の 建設等 々 ☆隣人 と して個人的 な人 間関係 を良好 にす る施策 飲酒機会 の制限 :許 可年齢 の 引上 げ、販売 時間 の 短縮 ☆ 隊員 の教育用 ビデオ の作成及 び活用 設 を保持 し、 いかな る場所 で も、何時で も、何度 で 沖縄 の文化 を理解 し、良好 な人間関係 を理 解 させ も、 出動 で きる即応態勢 を整 え、制空権 を獲得 し、 る教育用 ビデオを、本国 の承任 を得 て作成、教育 勝利す るのが、第 18航 空団であ る。 に活用 戦略的位置 の沖縄 へ の我 々の駐留 は、 ア ジア地域 ☆友 の会活動 と して (7) オ ー プ ンハ ウス、 レコー ドコンサー トの開催、沖 核心 に触 れ る好機 であ る。』 縄 マ ラソ ンのスポ ンサー、 ドラ ゴ ンボー トレース 次 で、 『 今春、 ネ リス基地 で 行 われ た米 空軍 50周 ヘ のチーム参加、養老院慰 間、海岸清掃等 のボ ラ 年記念行事 につ いて紹介 し、 T-4ブ ルー イ ンパ ル ンテ ィア活動 スの デ モ フライ トの素 晴 らしさを称賛 し、 そ こで村 続 いて、 『 ア ジア地域 で は、 ヨー ロ ッパ と違 って 木空幕長 も出席 した世界空軍参謀長会 議 が行 われ、 米国 との二 国間同盟又 は友 好関係 に基 づ く、米軍 の ブ ッ シュ前大統領及 びサ ッチ ャー前英国首相 が挨拶 存在 が、平和 と安全 を維持す る重 要 な責任 を果 た し し、 「 航空力」 の価値 につ いて 強調 され た こ と と、 ている。 RRホ グルマ ン空軍大 将 の「将来 の航空力」 論 を この地域 にお いて、友好関係国 の利益 が脅 か され 紹介 し、我 々の未来 は、新 しい技術 を利用す る能力 る事態 が発生 した場合、我 々米軍 が沖縄 に存在 して にかか って いる。 「航 空力 Jは 早 くて、 決 定 的 で 、 いるの と、 そ うでな い場合 とで は状況 が全 く違 う。 戦 略的 で、 正確 な攻撃 を行 う ことが で きる。 ︱ ︺ 現代戦 に要求 され る「 時間」 に とって、信頼 で きる 空軍 は、 ここ数年 で再編成 され、変容 したが、最 前方軍事力 の プ レゼ ンス こそ、紛争 を抑止 し、安定 大 の強 み は、優 れた要員 と、変化 に対応 で きる能力 を促進 す るために必要 であ る。 そ して有能 な「航 空 であ る。 力 Jは 、信頼 で きる防衛 を提供で きるキィーである。 又、嘉手納 は、我 々の戦闘機 、 AWACS空 母機 、 日米 の「航 空力」 の将来 に期待 している。 これか らも、 自由 で民主 的 な社会 の 中でプ ロの軍人 として、 海兵隊機 あ りで、航空 自衛隊 と我 々が コー プノース 困難 な問題 に、勇気 を持 ち、果敢 に対処 して行 こ う』 やキ ー ンス ワー ド等 ダイナ ミックな演習 を行 う好条 と結 んだ。 件 に恵 まれてお り、 これ までの演習 を通 じ、常 に新 しい成果 を学習 し、代替要員 の レベ ル を維持 して行 く上で も有益 な成果 をあげて い る。 その後、活発 な質疑 が行 われ た。 (紙 面 の都 合 に よ り割愛 ) 講演会 を終 わ るにあた って鈴木会長 か ら謝辞 が述 この演習 こそ、我 々が 日本 に駐留 して い る 目的 の べ られ、記念 の雛人形一対 が贈呈 された。 ︱ ︺ │11ド 電 撃 毬 (││ ■■│'‐ 記念 品を贈呈 す る会 長 前 空軍参謀総長講演『湾岸戦争 の教訓』 元空軍大将 マ ック ピ‐ ク氏 JAAGAは 、 9月 10日 GH市 ケ谷 で、前米 空軍 参謀総長 2月 24日 に は、 多 国籍 軍 の地上部 隊 が、両国 に侵攻 空軍大将 メ リル、 マ ック ピー ック氏 し、 4日 間 の地上戦闘をもっ っ て終了 した。戦果及 び被害 て は、 サ ンダー・ バ ー ドの は概 ね予想 どお りで あ った ソロパ イ ロ ッ ト)を 招 き、 と述 べ た。 そ して この航空 講 演会 を行 っ た 。 又 、 翌 展 開、作戦 か ら撤 収 までを 11日 に は、 空 自幹 部 学 校 通 して得 た教訓 と して、 A、 (か 1.テ で も講演 が行 われ、 それぞ クノ ロジーの大切 さ 11)機 動 性 :機 動展開、 れ聴衆 に多大 の感銘 を与 え た。 空輸能力 (量 、距離、 マ ック ヒー ク氏 は、 1990 時間) 年 8月 2日 のイ ラクによるク ェー ト侵攻 の直後 の同 (2)宇 宙利用 :通 信衛星、気象衛星 年 10月 に、太平洋空軍司令官 か ら、 空軍 参謀 総 長 (3)PGH(命 中精度 )、 に就任。湾岸戦争 で は、航空作戦 を指 導 し、多国籍 軍 の勝利 に大 きな貢献 を した。 当 日会 場 は、 約 160名 の会 員 及 び現 役 幹部 が 出 ステルズ戦闘機 (空 の潜 水艦 ) 2.組 織 3.人 的要素 (一 元統制 の必要性 ) (訓 練 され た良質 な人材 ) 席、石塚 理 事長 の講師紹介 の後、湾岸戦争 の映像 を 等 につ いて、具体例 を挙 げて説 明 し、次 の よ うに結 まとめた ビデオが映 されたあ と、横 田 のマギー さん んだ。 これ らの教訓 に特 に新 しい ものはない。即 ち、 の通訳 によ り始 め られた。 3つ は、戦 闘 における永遠 の教訓 であ り、 それを湾 講演 の要 旨 は次 のよ うな もので あ った。 岸戦争 で再度、学 んだ こと、 そ して これ らの教訓 の 8月 2日 のイ ラクの ク ェー ト侵攻 に、米 国 は、直 重要性 を我 々が理 解 して いた ことを証 明す ることに ちに「 砂漠 の嵐」作戦 を立 案 し、準備行動 に移 った。 な った ことに意義 が あ る。 又、負 ける ことは、勝 つ ことよ りも多 くを学 べ る 世界各地 に展開中 の航空部 隊 は、急 き ょ、 それぞれ の基地 か ら機動展開 し、 6週 間後 の 9月 半 ばには、 ことに留意 しなければな らな い。世界 中 のサ ダム・ 十分 の態勢 を確立 して いた。 同時 に他 の軍種及 び他 フセイ ン達 が、我 々以上 の ことを学 んだ こと は確 か 国 の友軍 も展開を始 めたが、特 に地上 軍 には時間 が だ。 この ことか らも軍事専 門課程 は、決 して完全 に かか った。 終了す ることはない と述 べ た。 我 々米空軍 は、 この間休止状態 であ ったが、 この 間 に上 級指揮官 の交替 を速 やか に完了 し得 た。 「砂漠 の嵐」作戦 は、翌年 1月 17日 に、 他 国籍 軍 によるイ ラク及 び ク ェー トの空爆 により開始 され、 0 紙面 の都合 によ り、要 旨 の記事 とな りま したが、 幹部学校 の「 朋友 Jに は全 文掲載 され る予定。 (9) ‐ 米空母│(イ ン→ヽ ‐ :栞艦体験記│ ‐ ´デ│ン│→ ‐ │‐ │‐ 1轟晶 :桑督単 「米 空母 が 日本海 に入 った」 の情報 に「 ス クラ ンブル がかか るぞJと 身構 えて い ると、予想 に違 わず、 日に 3回 くらい、 日 本海方面 へ飛 んだ ことが私 にとっ ての米空母 との繋 が りであ った。 今回、 JAAGA企 画 の米空 母研修 の公募通知を受 け、予 て、 やぶ導 死 ぬ まで に一 度 との思 いが あ っ │ ││││││` たので応 募 した。幸 い参加 の一 11 1ti‐ │ │‐ ・ ■ ││■ ・・ 員 に加 えて頂 き、宮城県 の片 田 舎 を後 に した。 6月 7日 午前 6時 厚木基 地前集合 とのことであったので、 他 の参加者 も含 め殆 どの者 が前 日か らの泊 り込 み と 所、 しか も小 さ く倉庫 の 中 と言 った感 じであ った。 な った。 厚木基地 で は、 NAF司 令 スウ ィガー ト大佐 の歓 午 前 7時 、厚木基地 を離 陸、 ター ボプ ロプの騒音 の 中、沖縄北東 100マ イ ルの洋 上 に向 か った。 この CV-620イ ンデ ペ ンデ ンス 迎 を受 け、空 母 まで の所要 の ブ リー フ ィ ングの後、 8万 トンの戦 勇躍 C-2輸 送機 に乗 り込 んだ。 この C-2輸 送機 歴 は 1959年 プル ック リン海軍造船所 で建造・ 就役、 は E-2Cを 輸送機 に改装 した ものなので窓 は 2カ 大西洋艦 隊 に所 属。 1964年 キ ュー バ の ミサ イ ル危 機、 1964年 ベ トナ ム戦争、1970 年 ヨル ダ ン危 機 、 1980年 に は イ ラ・ イ ラ戦争 とアフガ ン紛争、 1983年 ベ イ ル ー ト危 機 と グ レ ナダ進攻作戦等 と多数 の場面 で 活 躍。 1983年 か ら 3年 間、 就 役寿命延長 のため ドックイ ン、 鰈 その後、太平洋艦 隊 に配属 され た。 厚木 か らの約 3時 間 の飛行 も ヽ磯 ヽ . ,1 終 りに近 づ いた。 2つ の窓 か ら 射 し込 む太 陽 の光線 と身体 に加 わ るGの 方 向 で搭乗機 の姿勢 を 判 断す る搭乗機が大 きく旋回 し、 (10) 暫 しくて ドドーの音 と共 に、座席 に押 しつ け られ 強 い Gを 感 じつつ機 は止 ま った。 離艦 の時間 が迫 ってい る中、 ムー ア司令官 か ら研 後部 ドアーが大 き く上 に開 き、 甲板上 の光景 が見 えて きた。 F-14、 F-18、 A-6等 客室 に戻 り、焼飯 を添 えた ラ ンチを御馳走 になった。 や各種 の色 の 修者 全 員 に記念 の帽子、 フェ リン艦長 か ら我 々の着 艦時 の写真 を綴 じ込 んだア ルバ ム と一人一人 の名前 [THE ORDER OF THE HOOK] ジ ャケ ッ トを着 た乗組員 が忙 しく動 いてい る。指示 を書 き込 ん だ があ り、洋 上を全速 で航行 してい るイ ンデ ペ ンデ ン の証 明書 を添 えた記念品を戴 いた。 スの 甲板 に、 ムー ア准将及 びスタ ッフ達 の 出迎 えを 受 けて、降 り立 った。 ここで A-6を 日本側 か らは、松村団長 か ら「 T-4ブ ルー」 の 模型 と羽子板 を贈呈 して交歓 した。 バ ックに参加 者 全 員 での記念撮影 離艦 の た め、 司令 官及 び主 要 幹 部 の見送 りの 中 し、直 ちに、第 5空 母群 司令官 ムー ア准将 の客室 に C-2に 乗 り込 んだ、 そろそろ くるかな と思 って い 通 され、歓迎 の挨拶、 主 要指揮官及 び幕僚 の紹介 の ると、突然、 シ ョル ダーバ ン ドが肩 に食 い込 み、体 後、我 々の搭乗機 の着艦 の もよ うも収録 した ビデオ が座席 に強烈 に引 っ張 られ る。 によるブル ー フ ィ ングを受 けた。 後方 に座 って いた クルーが大 き く手を回 し、離艦 我 々 は、 2班 に分 かれた艦 内を研修す る事 にな っ た。艦 内 の通路 は予想以 上 に狭 か った。案 内 され る ままにつ いて行 くと艦橋 の指揮所 に出 た。 指揮所 か らは、 甲板 上 の動 きが よ く見 え る。着艦 準備 に動 きまわ る隊員、艦橋正面 の 甲板 で は次 の発 艦 を持 つ トムキ ャッ ト。 の成功 を伝 えて くれた。 2時 間半程 の飛行 で再 び厚木飛行場 に降 り立 った ときは、貴重 な体験 に満足 し、 マ ッカーサー元帥以 上 の感激 で地上 の人 とな った。 インデペ ンデス号 に 【DNT'T TREAD ON ME】 と書 かれ た シ ンボル旗 らしきものが、誇 らしげに掲 艦橋 の左側 を見 れ ば 、 折 しも F-18ホ ー ネ ッ ト げてあ ったの が気掛 か りと して残 るが、 ともあれ、 が着艦 の ための接近 中、 ア ングル デ ッキ上 には 4本 世界 の平和 に貢献 してい る老 イ ンデ ペ ンデ スに栄光 の捕捉 ヮイヤ ーが張 られて着艦 を待 ってい る。 あれ。 やがて、 F-18が 甲板 上 に 叩 きつ け られ るよ う (参 考 )【 DNT'T TREAD ON ME】 は米海 軍 で メ ンな よ │]意 で、 この旗 を掲 げることは現 に着艦、 2本 目の ワイヤ ーが ア レステ ィ ング・ フ ッ は [ナ クにガ ッチ リ引 っ掛 か り、概ね 100m内 で停止 した。 役 の最古参艦 の みに許 され る。 この 甲板 上 の情景 は、空軍 パ イ ロ ッ トだ った私 には、全 く異質 な ものに映 る。 気 づ いて見 れば、天気 は上上、 はるか水平線 上 には行動 を共 に して い る駆逐艦 や輸送 艦 が見 え る。 再 び艦橋正 面 の 甲板 に 目を遣 れば F-14が 大 き く翼 を 拡 げ、 アフターバ ー ナ ーの赤 い炎 を後 方 の遮蔽板 に吹 きつ け、今 や遅 しと発 艦 を待 って い る。 この間約 1時 間、 ア ッと言 う 間 の研修 の前半終了。 司令官 の ■爆 ││││││││ %lfな (11) ヅ 凰滸 (そ の 凸濶 蓼 1)在 日米軍 司令部 ご存知 の読者 が 多 い 内容 か も しれ な いが 、 」AAGA活 動 の よ り よ き理 解 と親 善 の増進 に役 立 つ ことを期待 し、主 と して空 軍部 隊 に つ い て シ リー ズ で 紹 介 す る こ と と しま した。始 め に太平 洋 空軍全般 図 です 。 (大 平洋空軍全般組織) 司令部 :ハ ワイ、 ヒ ッカ ム基地 第 5空 軍 田 横 (日 本) 第 374輸 送航空団 田 横 (UH lN、 C130、 C21、 第 7空 軍 オ ーサ ン 第 11空 軍 エ ル メ ン ドル フ (韓 国 ) (ア ラ ス カ ) 第 18航 空団 嘉 手 納 C9) (F15C/D、 E3、 KC 135、 第 15基 地 団 ヒ ッカ ム (ハ ワイ) HH 60) 第 13空 軍 ア ンダー ソ ン (グ ア ム) 第 35戦 闘航空団 三 沢 (F16C/D) に所在す る場合 は、在 日米軍である。 (在 日米軍司令 部 ) 在 日米 軍 司令 部 が設 立 され たの は1957年 (昭 和 在 日米軍 の任務 は、○在 日米軍 の戦闘能力を保持 32年 )の ことで、 それ まで 日本 に置 か れ た 国連軍 し、米軍 の前方戦略を支援 し、○ 日米相互協力及 び 司令部 の韓国 ソウル移駐 に伴 う措 置 であ った。 安全保障条約 に基づ き、 日本政府 との相互防衛協力 当時 の 所 在 地 は府 中 で あ り、 初 代 の 司 令 官 は Sredric H.Smith Jr中 将 で あ る。 そ の後 、 米軍 基地 の集約計画 によ り、 1974年 11月 に 同司令 部 は 横 田基地 に移 り、現在 に至 って いる。 在 日米軍 の人員兵力 は、陸軍 が座 間 に第 9戦 域司 令部 と第 17支 援群等 に約 1,900名 、海軍 が 横 須 賀 、 三 沢、沖縄 に所在 す る艦 隊支援部 隊及 び対潜哨戒部 隊等 の第 7艦 隊 の一 部 に約 6,900名 、沖縄 及 び岩 国 を推進 し、○極東地域 にお ける日米両国 の国益 を守 り、任務遂行能力 を維持す ることである。 第 5空 軍司令官 は、在 日米軍司令官 を兼 ねている が、在 日の陸軍・ 海軍 の部隊 に対 しては、部隊運用 上 の指揮権 はな く、行政管理上 の責任 のみを有 して いる。 司令部 は、約 180名 の幕僚 によ り第 1部 か ら第 6部 (」 6)ま (Jl) でが編成 されて い る。 に所在 す る海兵 隊 に約 21,000名 、 そ して空 軍 は三 」 1(人 事 )は 、 日本 に所在 す る米国防省所属 の 沢、嘉手納、横 田に所在 す る戦 闘機部 隊輸送機部隊 人員、 その家族及 び退役軍人等 の管 理監 督。 日米両 4万 5千 余 の人 員兵 力 で 国政府 間 の駐留軍労務者 の労務費分担 に関す る管 理 等 の約 15,000名 の総勢 約 あ る。 なお、 日本 に常駐 して いない、第 7艦 隊 の艦艇 や 航空機及 びそ の他 の米軍部 隊 が一 時的 に日本 の領域 運営。 J2(情 報)は 、在 日米軍 を代表 して、 日本 にお ける統合 の米軍情報及 び対情報計画等 の作成、調整。 (12) 在 日米各軍 との情報収集要求計画 に関す る駐 在武官 」 6(指 揮統制、 C4シ ステ ム)は C4シ ステ ム 及 び米 国政府機 関 との連絡保持。本 国政府 に対 す る を管 理運 用 して の統合及 び共 同作戦 に対 す る戦 略的 軍事情報 の提供 に関す る調整。 指針 の提供。 J3(作 戦 )は 、 日本 との共 同防衛 の ため の統合 以上 が在 日米軍 司令部 の概要 であ るが、陸軍主体 及 び連 合作戦 につ いて、 司令官、副司令官、参謀長 の在韓米軍 が韓国防衛 の意味合 いが強 いのに対 し、 に対 す る補佐。潜在す る地 域 内偶発事態 に対 す る独 海兵 隊や海・空軍が中心 の在 日米軍 は、 日本 に前 方 自の、又 は、共 同 の対処 の準備。統合及 び 自衛隊 と 展 開す ることによ り極東地域 での紛争 を抑止す ると の共同 の防衛計画 と演習 に関す る米軍部 隊 の指揮。 共 に、紛争発生 時 には緊急展 開部隊 と しての役割 を 米国大使館、 防衛庁及 び他 の 日本政府機 関 との運 用 担 うた め、 その要 の司令部 と して不断 の活動 が続 け 上 の連携 の保持。 られて いる。 J4(後 方 )は 、後方活動 の方針、計画及 び運 用 なお、 日本政 府 は在 日米軍 に、一 時使用 を含 め約 に関す る開発、調整、実施 につ いての司令官 に対 す 130カ 所 の施設・ 区域 を提供 す ると共 に、 そ の駐 留 る補佐。 経費 の一 部 と して、毎年、防衛予算 の約 1割 程度 を 」 5(計 画 )は 、 日米安全保 障条約 に関す る支援 負担 して い る。 日米地位協定 の管 理運 営。 在 日米軍空軍き地 ② トピッタス 日米友好デ ー 0 7月 1日 は各地 で 日米友好 デ ーが開催 されたが、横 田基地で も色 々な行事 が行 われ、 地域 の市民 350人 が参加 した。朝 か ら多摩 ヒル での ゴル フ トー ナメ ン トや基地 内 の史 跡探訪 ツア ーが行 われた。夕方 か らは、飲食 のサー ビスの後、 アメ リカ ンフォー クダ ンス、 バ ン ド演奏、剣道模範試合、津軽 三 味線 の演奏等盛大 に行 われた。 救難活動 0 8月 6日 の大韓航空機 の グア ム島 での航空機事故 に際 し、横 田基地所属 の第 3空 輸飛 行 隊 の C-9輸 送機及 び第 374医 療群 の外科 医、看護婦等 が派遣 され災害救助、 医療 支援 を行 った。 7日 に事故犠牲者 6名 を、 8日 に負傷者 11名 を グア ム 島 か ら韓 国 ヘ 輸送 した。 エ ア 0フ ォース・ボール 0 9月 11日 に都 内 の ニ ュー・ 山王・ ホテルに於 いて、第 374輸 送 航 空 団 司令兼 横 田基 (13) 地 司令 の ブライデ ィ ング大佐 の主催 によるエ ア・ フ ォース・ ボールが 第 5空 軍 司令 官 ホール 中将 や村木空幕長以下約 400名 の参加者 の 下 に盛 大 に行 われ、 当協会 か らは村 松、長谷川両副会長 と大橋理事 が招待 されて参加 した。今回 は特 に米 空軍 創 立 50周 年 を祝 うイ ベ ン トと して、太平洋空軍 音楽隊 によ り米空軍 の歴史 を回顧 す るア トラク シ ョ ンと、続 いて米本国 か ら来 られた ロビー・ ライズナ ー退役 准 将 に よ る記 念 ス ピー チが行 われた。 同准将 は 1922年 生 まれ、朝鮮 戦 争 にお いて は MIGを 7機 撃 墜 して エース にな り、 ベ トナ ム戦争 で は、捕虜 (POW)と して の経 験 を持 つ 真 の歴 戦 の 勇 士 で あ り、特 に、北 ベ トナ ムの捕虜収容所 での苦難 に満 ちた生 活 の様子 や停 戦 によ り 釈放 されて迎 えの飛行機 に乗 る時 の感動 な どの体験談 は誠 に感 銘深 く、 ス ピーチが終 了 した時 には参加者 全 員 が起立 して の拍手 が暫 し鳴 り止 まず 、 創立 50周 年 を飾 るに 相応 しい光景 であ った。 平和 の 園 ○ 嘉手納 に駐留す る第 18航 空団 は、 目立 たない存在 とな ってい た 日本軍 降伏調 印式跡 地 を、空軍創設 50周 年 を記念 して大 々的 に改修 し、 Peace Garden(平 和 の 園 )と 命名 した。 当協会 は本庭園建設 に当 た り 12個 の庭石 を寄贈 し、 これ が 樹 木 と共 に 中 央 の碑銘 を取 り囲み、 “日本風 "を 醸 し出す重要 な役割 を果 た して い る。 ベ ーカー准将主催 の開園式 はホ ール第 5空 軍 司令官、西川南混団司令、原 島沖縄大使 及 び近 隣市 町村長 臨席 の もと、 9月 18日 午前 9時 か ら現地 で厳 か に執 り行 な われ 、 当協会 か らも長谷川副会長 が参列 した。 ベ ー カ ー准将 は式辞 の中 で、 この庭 園 を戦後 の 日米協力・ 友好 の 歴史 を偲 ばせ る場所 と して将来 の平和 に 役立 て よ うと呼 び掛 けた後、 直接造園 に 当 た った部 隊及 び個 人を賞賛す ると共 に、 JAAGAか らの協 力 に感 謝 の意 を表明 した。 (14) 米空軍創立 50周 年記 念式 典 ○ 平成 9年 9月 12日 夜、 三 沢基地 NCOク 催 による米空軍創立 50周 年記念式典 ラブにおいて、 35航 空 団 司令 ライ ト准将主 (AF BOWL)が 開催 され 、 JAAGAか らは松 村冨1会 長 が参列 した。 式典 は、 ホ ール第 5空 軍司令官夫妻及 び空 自か らは第 3航 空団司令夫妻、北警団司令 等 の臨席 の もと、参加者 が約 1,000人 に も及 ぶ とい うパ ー テ ィであ ったが、整 斉 か つ 和 か に執行 された。 特 に本式典 で は、開会直後 に、 ライ ト准将 か ら」AAGAに つ いて 極 めて 好意 的 な紹 介 が行 われた うえ、 ス ピーチの機会 も設 けて いただいた。 」AAGAに よる三 沢 基 地 に おける日米友 好 に功労 の あ った 下士官、空曹 に対 す る表彰 はス ピー チにひ きつづ き実 施 したが、 タイ ミング も良 く参加者 に JAAGAの 「願 い」 を強 くE日 象 づ け る こ とが で きた。 小川原湖 に キ ャ ビン 0 7月 、米空軍 三 沢基地司令 の ライ ト准将 は、基地湖岸 の水泳場 に出来上 が ったキ ャ ビ ンを訪 ね、前 3空 団司令 の林将補 や 日米航空団 の基地業務群司令 の ドナ大佐、外 園 1 佐等 と完 成 を祝 った。 これ は、林将補 が、飛行安 全上 の理 由 で伐採 された滑走路端 の 杉 の木 を有効活用 し、 日米 両航空団共 同 でキ ャ ビンを建 て よ うと発案 した もので ある。 12フ ィー ト 026フ ィー トのキ ャ ビンには電 気、水道、冷房 の施 設 が あ り、 ア ウ ト ド アの リク リエー シ ョンに利用 され る。