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ビジネスモデリングによる 海外サービスビジネスの変革

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ビジネスモデリングによる 海外サービスビジネスの変革
ビ ジ ネ ス モ デリ ング に よ る
海 外 サ ー ビ スビ ジネ ス の 変 革
香港公文の原型回帰の事例
早稲田大学 商学学術院 教授
井上
逹彦
2011 年 5 月 25 日
日本語版
ASB Discussion Paper No.1
ビジネスモデリングによる海外サービスビジネスの変革
香 港 公 文 の 原型 回 帰 の 事 例
早稲田大学商学学術院 教授
井上達彦
要
約
海外へのサービスビジネスの展開において、国や地域の脈絡に合わせて、事業の仕組み を
移転・変革させることは重要な経営課題である。移転・変革の際に役立つのが、参照モデル
としてのビジネスモデル、すなわち、自社の事業の仕組みの青写真を描いたり、 実際に構
築したりするときに、準拠点を与えてくれるモデルである。このようなモデリングは、原型
回帰、横展開、単純模倣、自己否定、反面教師、差別化、という6つの基本型に整理できる。
本研究は、モデリング研究の一環として、自社の参照モデルを強く意識している公文教育研
究会に注目して、「原型回帰」によるモデリングの有効性について議論する。
Transformation of global service businesses by business modeling: Case
study of “Return to the original form” in Kumon Hong Kong Co. Ltd.
Tatsuhiko Inoue, Ph.D.
Professor, Waseda University School of Commerce
Abstract
An important management issue in the development of any global service enterprise is
building a business that can relocate and transform to match a range of domestic and local
markets. A business model that serves as a reference, namely a model that acts as a
blueprint or base when actually building the business, is particularly useful during the
relocation and transformation stages. This type of business modeling can be grouped into
six basic categories of “return to the original form,” “horizontal expansion,” “simple
imitation,” “self-denial,” “negative example,” and “differentiation.” As part of our business
modeling study, we focused on the Kumon Institute of Education Co., Ltd., which is keenly
aware of its own reference model, in our discussion of the effectiveness of the “return to the
original form” modeling.
1
はじめに
国内の市場は成熟し、日本企業も成長の機会を海外、とくにアジアへと求めるよ
うになってきた。成功の鍵は、国内で成功したビジネスモデルの海外への移転であ
る。とくに、サービス業は、製品を輸出さえすれば事業を行えるという製造業とは
異なり、事業の仕組みとしてのビジネスモデルそのものを移転しなければ顧客に価
値を提供することはできない。もちろん、海外にビジネスモデルを単純に移転して
も期待されたほどの成果が上げられないこともある。また、たとえ初期の移転に成
功しても、深く根付かなかったり、たがが外れて緩んでしまったりもする。このよ
うなときは、当該地域の脈絡に合わせて変革しなければならない。
ところが、海外の変革にはさまざまな困難が伴う。政治リスクはもちろん、経済・
社会状況の違いや文化の違いなどもあり、ときには、国内では予期し得なかった発
想の転換が求められることもある。ジョイントベンチャーやフランチャイズなど他
人資本が入った形態で海外展開した場合は、変革はより困難なものとなる。
そこで、本研究では、海外に移転した後の変革に成功したケースに注目し、変革
のマネジメントのポイントを浮き彫りにする。いかにして的確な青写真を描くのか、
そしてその青写真を実現するために、いかに人々を動機づけるのかについて考察す
る。とくに青写真を描くためのビジネスモデルについては注意深く検討する。参照
の方法を類型化し、ビジネスモデルを意識することのメリットを解き明かす。
調査対象としては、自社の参照モデルを強く意識している公文教育研究会に注目
した。その中でも、香港公文は、海外の脈絡に合わせながらも「原型回帰」によっ
て自らの変革を成し遂げている。本研究では、このケースに焦点を当て、変革のス
テップ毎に原型がどのような役割を果たすかについて考察することにしよう。
1.鍵概念
ビジネスモデル
まず、本稿の鍵概念であるビジネスモデルという言葉への理解を深めておこう。ビ
ジネスモデルというのは、経営学において、もっとも偉大な流行語の一つである。そ
の意味内容が曖昧だという批判を受ける一方で、人々を引きつけるような語感をもっ
ている。とくに、これから事業を立ち上げようとする者を魅了する。お手本として、
参照・模倣すれば自社も同じような収益性が得られると期待されるからである。
ただし、一般的には、そういったモデル独特の語感は表立って意識されることは少
ないのかもしれない。それゆえ、ビジネスモデルとは単純に「儲ける仕組み」と定義
2
される。当初は、ネットビジネスや IT 関連の脈絡のみで語られることが多かったが、
最近は、収益の上げ方全般に使われるようになった。実務の世界では、ビジネスモデ
ルは収益の上げ方、課金の部分などお金の流れに限定して捉えられることが多い。一
方、学術的には、収益の源泉の原理的な説明にまで遡って、有利なポジションや独自
の資源・能力なども含めた事業の仕組み全体をさす(加護野・井上,2004;井上,2006)。
この違いをディスカウントストアについて考えてみよう。たとえば、ウォルマート
と K マートのビジネスモデルは、共に、ディスカウントストアの典型だと言う点では
同じである。つまり、両社とも、本部による一括仕入れによって購入コストを下げ、
標準店舗におけるセルフサービスなどによってオペレーションコストを下げている。
しかし、同じようにやっているようで、ウォルマートは K マートよりも利益率が高
い。その理由は、出店政策の違いにある。K マートがどちらかといえば大都市に出店
しているのに対し、ウォルマートは小さな街にしか出店しない。このような街は市場
が限られているため、先に抑えておくと、他の大企業が新規参入しにくくなるのであ
る。その結果、地域独占を実現してより高い利益を享受することができる。
ビジネスモデルを狭く定義すると、このような出店政策は戦略の問題として切り分
けられる。ビジネスモデルは、「儲ける仕組み」に限定され、ディスカウントストア
の購入コストの削減と言う収益モデルだけに焦点が当てられる(Magretta, 2002)。
一方、ビジネスモデルをより広く定義すると、ウォルマートの地域独占の出店政策
はその一部として含めて議論される(Chesbrough, 2003)。また、固有の経営資源な
ども収益性の高さを説明するものとしてビジネスモデルに含められる。要するに、戦
略的な要素も含めて定義されるのである。このスタンスだと、ビジネスモデルは、
「誰
にどんな価値を提供するか、そのために経営資源をどのように組み合わせ、その資源
をどのように調達し、パートナーや顧客とのコミュニケーションをどのように行い、
いかなる流通経路と価格体系のもので届けるか、というビジネスデザインについての
設計思想」(國領,1999)と定義される。
言葉の本質
日本企業の場合、21世紀に入って収益性の低さが大きな問題となり、
「儲ける仕
組み」としてのビジネスモデルに大変な関心が寄せられた。とりわけ製造業におい
ては、
「日本企業が利益を上げられないのは、技術の問題ではなく、それを収益化す
る仕組みが悪い」と言われるようになった。そして、「モデルとなる仕組みを参照・
模倣して、仕組みを作り直せば、再び高いパフォーマンスを上げることができる」
という期待を、ビジネスモデルという言葉は抱かせたのである。
ここで視点を変えて、ビジネスモデルという言葉を「ビジネス」と「モデル」に
3
分けてその意味を考えてみよう。ビジネスという言葉は、本来、事業として捉えら
れるべきである。しかし、辞書には「利益の追求のみを目的として進める仕事」
(『大
辞泉』)とも記されている。当時の時代背景もあって、利益追求の側面のみが注目さ
れてしまったのかもしれない。
一方、モデルというのは、もう少し多様な意味を持つ。 (1) 模範・手本または標
準となるもの。また、今後の範とするために試みられたもの。(2) 模型。また、展示
用の見本。(3) ある事象について、諸要素とそれら相互の関係を定式化して表したも
の。(4) 美術家・写真家が制作の対象とする人や物。(5) 小説・戯曲などの題材とな
った実在の人や事件(『大辞泉』)。
その本質は、単純化して参照する対象であり、模範とすべき対象だという点に集
約される。そう考えれば、ビジネスモデルの定義において、収益モデルに限定する
か、顧客セグメントや資源なども射程に入れるかはさほど重要ではないのかもしれ
ない。目的にあわせて、モデルとして参照する範囲を定めればよい。
ビジネスモデルという言葉は、確かに収益を上げる仕組みを意味するが、その本
質はそれだけに留まらないように思われる。むしろ、そのような仕組みを設計・構
築するときに、参照するときの対象として単純化されている点が重要なのではない
だろうか。
とりわけ、国内で成功したビジネスモデルを海外に移転するときには、仕組みを
単純化して移転先の脈絡(コンテクスト)に合わせる必要がある。また、海外にお
いてビジネスモデルを変革するときにも、自らが目指すモデルの原型などを意識し
て、その国や地域での脈絡に合わせて適応していかなければならない。このような
状況で役立つのが、自らが依って立つビジネスモデルなのである。
モデリング
モデルの存在というのは大きい。セブンイレブンが成功すれば、それと類似した
仕組みがあちらこちらで生まれるし、グラミン銀行が注目を浴びればマイクロファ
イナンスの仕組みが世界中に広がる。このことからも、モデルの影響力を伺い知る
ことができる。ここで、モデリングとは、
「モデルの行動や特性を観察することによ
って、自らの行動を変容させる学習の一種のことで・・・別の表現をすれば模倣行
動」(『新社会学事典』1423 頁)と定義される。本研究では、モデリングを参照も含
めた模倣を示す言葉として使うことにする。
個人レベルで考えても、モデルがいれば事業の創造や変革がスムーズに行われる。
企業家のように立ち振る舞う上司や同僚の中に放り込まれれば、誰もがそのような
行動をするはずだ。実際、リクルートのような企業では、つぎつぎに新しい事業が
4
生まれ、独立していっている。組織文化と言ってしまえばそれまでであるが、もっ
と突き詰めていうと、モデルの影響力を物語っている。参照対象があれば、事業の
変革をもっと身近に感じることができる。必ずしもゼロからの発想をする必要はな
く、模倣の力を積極的に活用して変革を引き起こすことができる。
フランスの社会学者であるガブリエル・タルドは、模倣というものを常識的な感
覚よりも広く捉えている。日常的な言葉遣いからすると、模倣というのは、意識的
に何かを真似た場合に限定されるのかもしれない。しかし、タルドの研究では、意
識的な模倣だけではなく、無意識的なものも模倣に含められている。ビジネスの現
場でも、ことさらに意識していたわけではないのに、いつの間にか影響を受けてい
たことは珍しくはない。幼少の頃の丁稚奉公の経験から、事業の本質を理解し、後
に大成功を収めたという成功物語もある。これも一種の模倣だと捉えられる。
また、タルドは、そのまま受け入れる「模倣」だけではなく、それを否定して受
け入れる「反対模倣」も含めている 1 。すなわち、「模倣には次の二通りの仕方があ
る。つまり、自分のモデルとまったく同じことをするか、まったく正反対のことを
するかである」(邦訳 pp.15-6)という。アルフレッド・スローンが、フォードに在
籍中、同じ黒い車ばかり生産することの有効性を理解すると同時にそれを否定し、
多様な車を作ることを進言した。残念ながらこれは受け入れられず、自分で新しい
会社、GM を創立しなければならなくなったのだが、これは、フォードのやり方に
強く影響を受けたが故の反対模倣だと言えるのかもしれない。
2.分析枠組み
変革の5ステップと参照モデル
以上の議論からもわかるように、事業の変革において大切なのは、何をどのよう
に模倣・参照するかである。本研究では、あるべき姿を描き出すときに参照するモ
デルの存在に注目して、分析の枠組みを構築する 2。
図1は、参照モデルを活用した変革プロセスを概念化したものである。基本的に
は、あるべき青写真としての事業の仕組みを描き出し、現状の事業の仕組みとの差
異を分析し、どのような経路によって両者のギャップを埋めようとするかを示して
いる。この分析枠組みでは、事業の変革は、①自らの事業の仕組みの現状を分析し、
②参照モデルと照らし合わせ、③青写真となる事業の仕組みを描き、④青写真と現
状とのギャップを逆算して行程を描き、⑤変革を実施する、という5つのステップ
を経て進んでいくとされる。これらのプロセスが計画的に進むとすれば、変革は一
直線に進むであろう。逆に、変革が紆余曲折をたどる場合、実施段階において常に
5
参照モデルと照らし合わせながら、青写真を何度も描き直すことになる 3。
図1
参照モデルを活用した事業変革の5ステップ 4
いずれにしても大切なのは、モデルとして参照する対象があるという点である。
参照モデルというのは、自社の事業の仕組みの青写真を描いたり、実際に構築した
りするときに、準拠点を与えてくれる概念的なモデルのことで、汎用性が高く単純
化される傾向にある。たとえば、1990 年代において、ファッションアパレルを含む
小売り流通業の参照モデルは、セブンイレブンの仕組みであった。というのも陳腐
化しやすい商材については、予測せずに直前に補充することでリスクを減らし回転
率を高めるのが有効だという共通点があるからである 5。
これは、異業種の先端的なモデルを創造的に模倣するというケースであるが、同
業の競合他社の逆転の発想からモデルを築くこともあるであろう。たとえば、グラ
ミン銀行のマイクロペイメントは、既存の銀行とは正反対のことをやって成功した
といわれる。すなわち、金持ちではなく貧しい人に、高額ではなく少額を、男性で
はなく女性に融資したのである(ユヌス,2009)。いずれの場合も、参照モデル(見
本例)としてのビジネスモデルが重要な役割を果たしている 6。
モデリングの類型
さて、モデリングが有効だとわかっても、何をどのように模倣するのかが問題で
ある。自身の事業が置かれた状況や、達成しようとする目的によって、参照すべき
6
対象も違えば 7、模倣の方法も違うのである。たとえば、業界を先導するリーディン
グカンパニーが同業他社から模倣するのは難しいはずだ。ここでは、模倣の対象と
方法に注目して基本的な分類を行い、マトリックスとして提示する。
まず、模倣の対象を、自己にするか他者にするかという基本的な選択がある。自
己から倣うというのはおかしな話であるが、たとえば、かつて成功をもたらした自
分の行動をモデル化して別の状況で転用するということである。その対極が他者で
あるが、自己に近い他者、すなわち中間という存在も大切である。具体的には、自
社の中の他事業のことを指す。自己とは切り離された存在なのでその意味では他者
であるが、ずっと身近で、情報も正確に得やすい対象であるという点では自己に近
い。自己と他者の双方の側面を持ち合わせた存在なのである。
肯
定
否
定
自
己
原型回帰
自己否定
中
間
横展開
反面教師
他
者
単純模倣
差別化
図1
模倣の対象と方法
次に、模倣の方法として、素直に模倣するか反対に模倣するかという基本選択が
ある。基本的には、素直に模倣する方が効率的で影響力も強い。しかし、成功のモ
デルが見つけられない場合は、反面教師的なモデルから学ぶしか方法がない。ただ
し、やみくもにその反対をしたからといって、必ず成功するとは限らない。反対と
いってもさまざまな反対があり、成功をもたらす反対を特定する必要がある(井上,
2010) 8。
自己をモデルにする
まず、意識すべきは誰をモデルにするかである。自己、すなわち自分の事業その
ものを肯定的にモデルにすると、原型回帰になる。原型回帰というのは、自社事業
を参照するのだが、時間的に遡ってそのルーツなり原型を明確にして参照するとい
うモデリングである(原点回帰と表現してもよいのであるが、KUMON において「原
7
点」というと特別な意味を含むので、本研究ではこれと区別するためにビジネスモ
デルの原点のことを「原型」と表現することにする)。
原型回帰がもっとも効力を発揮するのは、既存の事業のたがが緩んできたときで
ある。自社の提供する価値が普遍的である場合、ビジネスモデルの原型というのは
有効であり続ける。ところが、事業規模を拡大したり、長い時間が経過したりする
うちに、事業のたがが緩んでしまうこともある。このようなときは、藁をもすがる
思いでついつい他者に目が向きがちだが、流行の経営手法などを真似るはもっての
他であろう。このような状況でこそ原型回帰が求められる。
たとえば、(株)吉野家ディー・アンド・シーは、1973 年からの急速な店舗数の拡
大に、人材の育成、原材料の確保、資金の調達が追いつかず、1980 年に会社更生法
を申請している。ここから再起するときに行ったのが原型回帰なのである。店舗数
を適正規模に減らし、うまいものを早く提供することに徹し、自らのルーツである
築地の卸売市場のときの原型に立ち戻った(太田,2005)。
原型回帰をより積極的に捉えると、それによってこれまでの垢を落とし、仕組み
をリセットするという効果も期待できる。リセットできれば、新しい環境(時代や
地域)にあわせて、新しい可能性を模索できる。実際、吉野家は、わずか7年で更
生手続きを完了し、倒産以前よりも大規模に事業展開するに至っている。狂牛病の
危機があっても、うまいものを安くという原型を活かしながらも巧みにメニュー展
開して、乗り越えることになる
逆に、同じく自己をモデルにするにしても、それを否定すると自己否定となる。
すなわち、既存の事業の限界を感じて、これまでとは逆の発想で参照モデルを描く
という方法である。そもそも、自社の事業を否定するというのは、既存の仕組みの
不具合が顕在化したときに行われるものである。多くの場合、その不具合は、市場
環境、競争環境、技術環境の変化によって引き起こされる。既存の仕組みの完成度
や成熟度が高ければ高いほど、そして、過去の実績が大きければ大きいほど、不具
合の認識は遅れる傾向にある。
それでも業界についての知識や自社の事業についての知識は十分にあるため、腹
をくくり、大胆に自己否定することができれば、有効なモデルを描くことができる。
たとえば、IBM は、ずっとハードウェアの売上に依存してきたが、1990 代年以降、
既存のビジネスモデルを自己否定して、サービスやソリューションで収益を上げる
モデルを掲げ、それを実現したのである。
このように、自己否定の特徴は、まさに自分の事業を否定して、当該事業そのも
のを変革するという点にある。うまくゆけば大黒柱の改革を一気に進めることがで
きるが、困難も多い。変革している最中は事業の通常の運営ができないため、収益
8
源を確保するのが難しくなるからである。喩えて言えば、それは、自分の家に住み
ながらその家を大胆に改築するようなものである。既存部門を残したまま、付加的
に事業を立ち上げる方法ではないのでリスクが高い。
社内の他事業をモデルにする
次に、自己に近い他者をモデルにすることを考えてみよう。自己に近い他者とい
うと、曖昧に聞こえるかもしれないが、具体的には、社内の他事業や関連会社のこ
とである。純粋な他者よりも、ずっと身近で情報も得やすく、置かれた状況も類似
している。その肯定的な模倣が、横展開と呼ばれているものである。
横展開というのは、社内で成果を上げた事業の仕組みをモデルにして他の事業部
門や海外などの異なる市場に移転することである。文脈が近いため、ビジネスモデ
ルをそのまま移転しやすい。海外の市場などに移転する場合は、文脈がかなり違う
ので、当事者としては、そのまま移転している感覚はないかもしれない。それでも
異業種から創造的に模倣するよりも移転できる要素は多く、少なくとも出発点とは
なるはずだ。
このモデリングにおいて社内の成功モデルが大切なのは、それがあれば、自分た
ちにもできるという感覚が芽生えるからである。そもそも、他社のモデルというの
は、詳細がわかりにくい。また、文脈が離れれば離れるほど、仕組みの原理まで立
ち返らなければ参照できなくなる。たとえ、苦労して事業の仕組みがわかったとし
ても、「他社とは状況が異なる」として、受け付けられないこともある。
しかし、社内の成功モデルだと、詳細まで知ることができるし、移転される側も
受け入れやすい。言い換えれば、
「状況が異なるから同じようにはできない」という
言い訳もしにくいのである。部分模倣をつぎはぎすることなく、代理学習、観察学
習が可能で、モデリングの効率性を素直に追求できるのである。たとえば、ファッ
ションアパレルメーカーの(株)ワールドは、1990 年代前半に、週単位で企画・生産
する新しい事業の仕組みによって OZOC というブランドを立ち上げて、それを次々
と横展開して行った。ガールズファッションから、女性キャリア向けブランド、ミ
セスブランドへと、基本的には同じビジネスモデルを移転していったのである。
一方、社内の他事業を否定してモデルにするのが反面教師である。社内の他事業
を否定するというモデリングには、単純な自己否定や単純な他者否定とは違う、独
特の作用をもたらす。
反面教師というのは、毛沢東の演説からきた言葉である。毛沢東は、組織内に間
違った行いをする者がいたら、除外するのではなく、組織内で悪い見本として見せ
しめて役立てるべきだと言う。反面教師をモデルとして共有することによって、組
9
織内に類似の望ましくない行動が出ることを防ぐことができるからである。
反面教師は、自分たちの一部であるが、自己とは相対的に独立させて参照できる
対象である。近い文脈で相対的に独立しているからこそ、自己の改善がしやすくな
る。大黒柱を継続させたまま、いくつものモデルを描いて、それぞれ試行錯誤でき
るのである。先に説明した自己否定というのは、その大黒柱そのものを変革すると
いうアプローチであるため、変革はどうしても難しくなる。これに対して、反面教
師というのは、社内の既存の部門を他部門として残したまま、自らは新しい事業の
仕組みを立ち上げることができる。これまでとは逆の発想で参照モデルを描くにし
ても、大黒柱をそのまま継続させ、別部隊が反対模倣によって新事業を立ち上げる
わけだ。
先に紹介したワールドにおいても、社内の模範となる OZOC を立ち上げるプロセ
スで、反面教師的なモデリングが同時並行的に行われた。既存の高品質ミセスブラ
ンドのあり方を否定して、ヤングファッションのモデルだけではなく、高齢者向け
のモデルなども同時に検討された。スポーツブランドや紳士ブランドを実験的に先
行させて店頭の売上情報を企画に活かす方法が模索されたのである。
他者をモデルにする
最後に、他者をモデルにするということについて考えよう。他者といっても、近
く感じる他者と遠く感じる他者がいる。一般的には、同業であれば近く、異業種で
あれば遠いと思われるかもしれないが、それだけではない。たとえば、自社の事業
がフランチャイズであれば、異業種でもフランチャイズビジネスをしている会社に
親近感を覚えるかもしれない。単純な業種よりも、モデルとしての類似性の方が大
切だと考えるべきであろう。
さて、他者を肯定するというモデリングの典型は、単純模倣である。単純模倣と
は、文脈が近い同業他社のビジネスモデルをそのまま真似ることである。単純模倣
は、競争戦略論においても同質化戦略や模倣戦略の文脈でも議論されてきた(浅羽,
2002、Lieberman and Asaba, 2006)。その目的は、市場開拓や技術開発の投資を抑え
つつ、競合に追いつくことである。同業であるが故に同じような仕組みを築けば、
一定の水準まで近づけることができるし、他社と同じことをする限り負けなくても
済むという状況ではとても有効である。もちろん、コピー(複製)そのものを目的
にしている限り、オリジナルを越すことは難しいが、自らが同質化することによっ
て競合の利益の一部を奪うことはできるかもしれない。このように割り切るのが単
純模倣のモデリングである。
一方、他者の否定というのは、競合との違いを鮮明にすることによって自らを際
10
立たせるというモデリングのことである。実務の世界では、差別化の一環として行
われることが多い。すなわち、競合との違いを鮮明にすることによって自らを際立
たせることができるという前提で、
「他者の逆=望ましい自分の姿」というモデリン
グを行うわけである。
差別化が有効なのは、外から業界を眺めたとき、その発展が、逆またその逆で広
がっていく傾向が認められるからである。外から見てこのような法則が成り立つと
すれば、それを前提として、あえて同業他社の逆を行く形でビジネスモデルを描け
ばよい(井上,2010)。
3.リサーチデザイン
調査方法と調査対象
ここまで、変革の青写真を描くための 6 つのモデルの形式を、二つの軸から導き
出した。紙幅の都合上、すべてのセルに該当するケースをひとつずつ精査すること
はできない。今回の調査では、先に提示した5つのステップに照らし合わせて、海
外で事業変革を成し遂げた事例について分析することにしよう。
調査対象としては、明確な参照モデルをもって事業の変革を行ったグローバルな
企業が適切だと考えられる。そこで、今回は、(株)公文教育研究会である 9に注目す
る。同研究会は 1958 年に設立された教育事業体であり、国内では 17,000 の教室にお
いて延べ 144 万人の生徒が、海外では 45 カ国に 8,100 の教室があり、延べ 288 万人
の生徒が学んでいる 10(2010 年 3 月現在)。世界各地に6つの地域本社があり、多く
の地域でフランチャイズ展開を行っている。日本では長らく「くもん」でお馴染み
であるが、グローバル企業として今や
KUMON
で親しまれている。
KUMON といえばそのグローバル展開で脚光を浴びているが、その背景には明確
な理念が存在する。すなわち、
「個々の人間に与えられている可能性を発見しその能
力を最大限に伸ばすことにより、健全にして有能な人材の育成をはかり、地球社会
に貢献する」というものである。そのような人材の育成のための仕組みには目を見
張るべきものがある。
重要なのは、KUMON がグループ全体として、教育事業におけるルーツ、すなわ
ちそれは公文式は「個人別・能力別」であるということと、それを一人でも多くの
子どもたちに実現したいという点に集約される。本研究で提示しているビジネスモ
デルとしての原型というのは、このような理念レベルだけではなく仕組みレベルに
も及ぶが、KUMON が他者に倣おうとするのではなく、自己を大切にしているとい
う点が重要である 11 。モデリング6類型における「原型回帰」の典型事例として適切
11
であると考えられた。
さらに、香港公文は、「原型回帰」のモデリングによって、2003 年から 2009 年に
かけての改革に成功している。香港公文は、初期の移転に成功し、一定の成果を収
めたにもかかわらず、さらなる躍進を目指して積極的に変革を行った。香港公文は、
数々の独自の工夫によって原型回帰を実現させた。現地のパートナーの特質を生か
し、変革を実現したのである。変革後の事業の仕組みは、KUMON らしく原型回帰
したものであったが、本国のそれとも異なり、他の国や地域の KUMON からも注目
される対象となっている。
4.ケース
KUMON の 仕 組 み
香港公文の変革に先立って、まず、KUMON の事業内容と仕組みについて説明し
ておこう。KUMON の教室では、一斉授業は行われない。学年やレベルによるコー
ス分けもない。生徒1人ひとりが手渡された教材を黙々と解くという光景だけが広
がっている。教室には「先生」と慕われる指導者は存在するが、その指導者の役割
は教えることではない。1人ひとりの生徒に見合った教材を前もってファイルにセ
ットして準備し、教室時間中は子どもの手元を見たり採点したりしてそのセットが
正しかったかどうかを観察し、次のセットに反映させる。このような指導法によっ
て KUMON の教室において「ちょうどの学習」と「自学自習」が実現する。
自学自習というというのは、読んで字のごとく自ら学んで自ら習うことである。
一見、当たり前に思えるが、自ら学ぶためには、教材が難しすぎても易しすぎても
いけない。負荷がちょうどでなければ、生徒は集中できない。それゆえ KUMON の
教材は、スモールステップで細かく分かれたプリントを開発している。たとえば、
算数・数学であれば 6A から V の 28 段階に分かれている(2010 年現在)。各段階が
200 枚で構成されており 12 、1 枚ごとの学習量は適切であり、また進む幅も小さい。
スモールステップで細かく分かれたプリントがあれば、ちょうどよい難易度の教
材をちょうどよい分量だけ渡すことができる。これによって、生徒は自分が今でき
るちょうどのレベルに合わせて「自学自習」が実現する。
KUMON はこの教材を軸に、国際展開を進めていった。そのきっかけは、日本企
業の国際進出とともに現地での教育ニーズが生まれたためである。赴任先でも馴染
みのある教材で学びを継続したいというのは当然のことであろう。
このようなきっかけで世界に広がって行った KUMON であるが、その教育方法は、
国の教育制度によい意味で影響を受けない独自のものである。教材も高度に標準化
12
されており、公文式で進める限り、その国毎の個別事情(受験や学校カリキュラム)
に左右されることなく、広げることができる。普遍的な学びの力を育んでいるため、
進学塾などとは一線を画する独自のポジションを築いている。
香港の改革
さて、さまざまな工夫によって香港に移転された KUMON であったが、普及が進
むにつれて新たな問題が生じていた。拠点数は増えたのだが、教室における KUMON
らしさが薄れつつあったのである。
実は、標準化された教材があってもその使い方に不備があれば自学自習は促せな
い。たとえば、保護者が学年相当以上のレベルの教材からスタートすることを望ん
だとき、教室の指導者が、ついついその期待に応え、高いレベルからスタートさせ
てしまったら何が起こるだろうか。
出発点を 高くして しまうと 、生徒は 枚数を たくさんこ なすこと が難しく なる。
KUMON では、一定量のプリントを解き進めるのにかかった時間や出来具合という
のが次のステップに進めるか否かの指標となっている。仮に、時間がかかり過ぎた
り、出来具合が悪かったりすると、復習回数を増やさざるを得なくなるだろう。そ
うすると、生徒にとっては後戻りするような形になり、進捗度合いが少なくなる。
このような循環に陥ると、長期にわたって同じレベルの教材をこなすことになる。
指導者が、このような状況を見るに見かねて教えようとすると、ますます事態が
悪化する。そもそも、KUMON の学習は、学年を追い越したところから真価が発揮
される。ところが、教えられてその水準に達した生徒は、たとえ学年を越えていて
も自分で学ぶ力がついていない。教えることをずっと続けて行くと本人にとって辛
い学習となり、「自学自習」が身に付かないわけである。
万が一、この状況がエスカレートすると塾との同質化が起こる。KUMON がわざ
わざそこに参入し、教えるということに長けた塾と真っ向から勝負しては勝ち目が
ない。もちろん、勝ち目がないというのは、塾と同じフィールドで勝負した場合の
架空の話である。KUMON はそもそも塾とは違うフィールドに立っており、異なる
活動と資源 によって 「自学自 習」とい う独特 の価値を提 供してい る。それ ゆえ、
KUMON としても、塾と競合しているという意識はない。ただ、このような強みを
理解できていなければ、強みも弱みに変わり、自滅してしまう。
香港の一般的なビジネスでは、オーナーと実際に事業を行う者の分離(所有と執
行の分離)は珍しいことではなかった。だから、日本国内と比べると、教育マイン
ドよりもビジネスマインドが強い人たちが KUMON のフランチャイジーになったと
いわれる。
13
現場の指導者にしても、「歴史がたって教材が古くなってきた。もっと文章題や
図形を入れてマーケットのニーズに合うようにしなければならない」と平然と言い
出す者も出てきた。教室の営業会場については、教育関連業者向けに設置された、
天井高などの規制に十分には対応できていなかった。
香港の風土というのは 15 年かけて培われたものであり、よほど意識して海外の
KUMON の教室を見ない限り、問題として感じ取ることはできない。このまま普及
活動ばかり続けていても将来性はない。すでに、300 ぐらいの教室が設置済みで、拠
点数を大幅に拡大することはできない。科目についても、数学、英語、中文と展開
済みであり、新たな科目を導入することによる成長も見込めない。
このような状況で香港に赴任したのが吉田金一郎氏(以下、敬称略)である。以
下、香港公文の改革を、①現状の把握、②参照モデルの決定、③青写真の描写、④
行程の明確化、⑤変革の実施する、というステップに沿って記述していこう。
①現状の把握
吉田は、香港に赴任する前に、既にいくつかの地域の立ち上げで実績を上げてお
り、長い海外展開のキャリアの中で成功体験も失敗体験も積んでいた。「赴任した
ところが自分の会社」という吉田が、香港に入ってすぐに、香港の将来について、
危機感を感じ取った。
同氏が赴任してまず着手したのが、現状を把握するための全社員の面談である。
一人一人ヒアリングしていくと、対応すべき組織の改善点も明らかになった。後に、
ここで明らかになった問題一つ一つに対して、しかるべき対応がなされることにな
る 13 。次に、吉田は全教室を訪問して回った。一日に何カ所も回るのであるが、なか
なか自身が思い描いたようなモデルとなる教室に出会えなかった。
②参照モデルの決定
「根本からやり直さなければならないのか」と感じ始めていたとき、ある日、理
想的な教室に出会うことができた。当時 200-300 人という規模の教室であったが、
指導面でも運営面でも KUMON らしいオペレーションが行われていた。すなわち、
「個人別・能力別の教育を一人でも多くの子どもたちに実現する」という公文式の
原点に沿ったオペレーションがなされていたのである。それは、吉田がかつて赴任
していたインドネシアやタイで立ち上げた 500 人規模の教室を想起させるものであ
り、それを純化させた吉田なりの公文式のあるべき姿、原型に近いものであった。
「モデルとなるような教室があるのであれば大丈夫。香港の全ての教室をこの姿に
すればいい。」このように感じた吉田は「できる」という感触を掴んだ。
14
改革にあたって、吉田が、特に意識したのが KUMON の強みである。KUMON 本
来の一番の強みはどこなのか。それを徹底して理解して、しっかり強化しながら他
と差別化を図っていこうとした。当時から公文式の教材を模倣したコピー商品が出
回っていたが、吉田はそれに動じることはなかった。
「やはり、本物と偽物とは絶対に違います。というのもコピーがいくらがんば
っても、自らの歴史というものが語れないのです。でも、KUMON はものすごく
歴史があって、ルーツがあるわけです。コピーにはルーツがないのです。思想上
の何かを思ってこうやった、正当性のようなものがない。きちっとやれば、絶対
にうちが負けることはない。」(吉田社長)
それはすなわち、基本的なことを徹底してやっていくということでもある。具体
的には、生徒の学年よりも2学年も3学年も下から出発することの理由を指導者が
しっかり理解し、そのことをわかりやすく説明できるようになるということである。
それができなければ本当の意味での KUMON の評価には結実しない。そう感じた吉
田は、KUMON の原点に立ち返り、それに立脚することにした。
③青写真の描写
まず、香港の保護者にアピールできる価値として、生徒の進度にこだわることに
した。2学年分、3学年分というような学力の余力を貯金のような形で増やして行
く。このプロセスをきっちりやれば公文式の絶大な効果を感じ取ってもらえるはず
だ。
次のこだわりが高校教材である。KUMON では高校課程を意識した教材作りがな
されている。高校教材をしっかり学習してもらわなければ、KUMON の価値伝達は
実現しはない。足し算、引き算、かけ算、割り算という段階でやめられては、本当
の価値を十分に感じとってはもらえない。
そして、最後のこだわりが、最終教材までやりとげたという修了生(コンプリー
タ)の輩出である。高い学力をもった修了生を世の中にたくさん輩出することによ
って、本当に強いブランドを築けると考えたのである。このような考えから、香港
においては、高進度、高教材、そして修了生の輩出というのが主要となる三つの目
標に据えられた。
これらの価値を提供するためには、量的拡大よりもクオリティを追求する必要が
ある。拠点をいったん減らしてでも、一つ一つの教室の場空間を適正なものにして、
指導法を徹底しなければならなかった。これによってのみ、本来の KUMON ブラン
15
ドが構築できると考えられた。日々、本当の公文式のよさを感じ取ってもらい、修
了生たちが社会に出て、政界、実業界、法曹界、医学会などの分野で活躍すること
によって、地球社会に構築するという使命を果たすことができるし、真のブランド
構築にも結びつくと考えたのである。
④行程の明確化と⑤実施
クオリティを上げるために、まず、吉田が取り組んだのがライセンスの獲得であ
る。
当時の KUMON にとって問題になったのは、教室についてのライセンスであ
る。具体的には、消防法をクリアして保健所の認可をとらなければならなかった。
たとえば、天井は 2.7m 以上、トイレが男女に分かれていて、ある一定の広さに対し
ての排気口の数などと言うものである。
このような厳格なライセンスは日本国内には存在しなかった。それゆえ、日本で
は、自宅に容易に教室を開設することができた。家庭教育を原点として始められた
KUMON は「自らは学校という範疇には含まれない」と考えていたため、ライセン
スへのこだわりは低かった。このような状況に加え、各国の法律や規制は国内とは
異なっており、海外展開においてライセンスの取得は各国の大きな課題であった。
さらに、香港においては現地の法律が変わったという背景もあり、香港でのライセ
ンス取得率は高いとは言えなかった。
しかし、海外ではライセンスは大切である。指導者の心理としても、ライセンス
が取得できていない教室だと、後ろめたさがつきまとい、より多くの生徒を指導し
ようという気持ちが高まらない。この意味でも、会場をきちんとすることは指導者
が生徒を思い切って伸ばせる状況を築くことに結びつく。
もちろん、ライセンスさえ満たせばいいというものではない。教室をどこに構え
るかはブランド構築においても重要な問題であるし、家賃が高いと言ってもある程
度のキャパシティがなければ、生徒数を拡大させて発展させることはできない。し
かも、生徒がとる平均教科数(数学、英語、中文)を増やし、継続期間を伸ばして
いくと、どうしても座席数が不足気味になる。座席数が限られていると、必要以上
に回転率を上げなければならなくなり、成長の大きな阻害要因となるわけである。
そこで、香港公文では、一定の条件をクリアした教室に対しては十分な支援をす
ることにした。香港公文では、初期投資はもちろん、毎月の賃料についても支援を
するなど家賃補助に関しても設計し直した。
指導の質の改善
次は、指導の質の改善である。指導者の行動を変えるといっても、まず考え方か
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ら変えてもらわなければならない。ところが、考え方を変えるというのが難しい。
指導者になって一定のキャリアを積んでいるわけだから、指導者自身の主張もある。
そこで、吉田は、「自分で気づいて、自分で実感してもらうのが一番早い」と考
えた。具体的には、「これがいい」と感じさせるお手本を見てもらうことにした。
会社が経費の大部分を負担して、自分の目で南アフリカなど海外のいい教室を見て
もらったのである。食事の時間も惜しんで研修を進めていった。とくに、教室見学
に行った後には、「何に気づいたのか。自分の教室をどうするのか」という点につ
いて徹底的に話し合い、研修の最後でなんらかの自己宣言をしてもらうことにした。
このような研修を全教室について行った。なかなか変わらない人もいたが、そう
いった指導者に対しては、2回、3回と根気強く連れて行った。そうやって、少し
ずつ他の地域の素晴らしい教室から学んでもらった。ともすると、香港という地域
に閉じて「井の中の蛙」の状態に入り込んでしまう。「これでいいんだ。これはこ
うなんだ。」と、他の世界を知らないが故に思い込んでしまう。
もちろん、成功モデルを丹念に見せても、すぐにうまくやれるようになるわけ
ではない。変革のプロセスではあつれきもあったが、吉田は、決して引くことはな
かった。吉田には過去に指導者と正面からぶつかりあっても仲良くなれるという原
体験もあったからである。
また、個別交渉に応じることも、ある教室に特別扱いすることもなかった。原則
に反するような取り決めを、例外として上が認めては元も子もない。現場レベルで
は裏切られたような感覚になる。それゆえ、個別に話があるときは、必ず地区担当
とリーダーを同伴させて向かい合ったという。
KQS を 通 じ た 対 話
もう一つ、吉田が積極的に行ったことは、きわめて具体的な行動指針の提示であ
る。香港公文にも KQS(公文品質標準:Kumon Quality Standard)というものがあ
る。これは、文字通り KUMON の教室の質としてあるべき基準を 60 項目で示した
ものである。たとえば、最も基本的なものの一つとして、教室で一人一人の生徒の
成績表をきっちり記録していきましょうというのがある。他にも、生徒とのコミュ
ニケーションのとり方や教室の運営のあり方の基礎的なことが多岐にわたって書か
れている。
KQS は、これまで社内では教室の基礎作りのために用いられた経緯があったが、
吉田は、すこし異なる形、より発展させた形で活用した。それは、一つには、自己
診断ツールとしての使い方である。「自分で気づいて、自分で実感」するための教
室見学と相まって、指導者に主体性を促すことができた。もう一つは、対話として
17
のツールである。KQS の項目は全て基本的なものばかりなので、60 項目あっても、
そのほとんどはクリアされている場合が多い。逆に言えば、残された1つか2つの
項目について話し合えばいいことになる。「これを使ったら、先生とたくさん会話
をするきっかけができる」、そう考えた吉田は、本部の地区担当者が指導者と仕事
しやすくするためのコミュニケーションツールとして捉えた。特に、海外の事務局
員は、比較的頻繁に転職してしまうため、できるだけ早い段階で、指導者とうまく
コミュニケーションをとれるようになってもらう必要があったのである。
コミュニケーションという面では、KQS は本部のコミュニケーションも活性化さ
せた。「どこをクリアしたらより KUMON らしい指導が実現して実績に結びつくの
か」という点について、本部の社員が KQS を囲んで勉強会のような形でブラッシュ
アップするようになった。KQS の基準自体も上がっており、これに従えば、一定の
成果が出るというようになってきた。
KQS は、基本的には自己診断とコミュニケーションのツールとして使われている
が、評価と成果にも直結している。評価の面では、無事クリアできたものについて
は表彰されるし、逆に、クリアできなければ KUMON のスタンダードを満たせず、
契約を打ち切らなければならなくなる(実際に、このようなことが起こるケースは
皆無に等しい)。一方、成果についても、KQS を満たすことによって、教室の平均
教科数が増え、継続期間が伸びるということが香港では証明されている。KQS の基
準自体も指導のレベルとともに上がっている。
香港公文の収益モデル
KUMON の収益モデルというのは、単純化して言えば、収入=1教科あたりの会
費
のべ生徒数、と言い表すことができる。香港においても1教科あたり HK$550
(¥5800)という課金である 14 。そのためには、拠点としての教室を増やし、より多
くの生徒に普及させていく必要がある。
とはいっても、生徒を集めるために、頻繁に広告を打てばコストがかさむし、過
剰な教室設置をすれば初期投資がかさむ。コスト面に注目すると、教室一つ一つの
効率性を上げ、生徒一人一人の継続性を伸ばす必要がある。先の式で言うと、同じ
く生徒数の平均を上げるにしても、むやみやたらに拠点数を増やしたり、広告宣伝
に頼ったりしない方が効率的なのである。
ところが、世界的に見ると、拠点数を増やして生徒を増やすというのが展開初期
の基本的なやり方であった。なぜなら、公文式の原点は「個人別・能力別の教育を
一人でも多くの子どもたちに実現すること」だからである。香港もこの考えのもと、
拠点数を増やす方法で成長してきたが、拠点数が 300 近くにも達してこれ以上の拡
18
大は難しくなっていた。この状況で、収益構造を維持しながら改革を行うというの
は至難の業である。それでもなお、吉田は、一時的に拠点数を減らしてでも、一つ
一つの教室の指導水準をクオリティとして高める必要があると考えた。
というのも、質の低下が長期的には深刻な問題を引き起こすと考えられたからで
ある。この考えのもとになったのが、下記の図である。この図において、横軸に継
続期間が記されており、きちんとサービスが提供できているのか、そして顧客が満
足しているかを示している。一方、縦軸には新入会数、すなわち、新しい生徒がど
れだけ入ってくるかが記されている。新入会数についても、指導実績がよければ口
コミで多くの人が入会すると考えられるが、他にも、よい場所に会場があれば信頼
度が高まって入会が増えたり、積極的な広告活動によって入会が増えたりすること
もある。
継続期間と新入会数の組み合わせにおいて、双方が高い水準にあれば望ましく、
双方が低い水準にあれば望ましくないことは明らかである。双方が高い場合は現状
維持でよいのかもしれないが、双方低い場合は、まずは、入会時の説明や入会後の
面談を徹底しなければ改善は見込めない。
在籍期間が長くて新入会数が少ない場合は、顧客は満足しており、指導の質は十
分だという可能性も考えられる。通常であれば指導の質が高ければ口コミによって
新入会数が増えるのであるが、教室のキャパシティが限られていたり、何らかの理
由で口コミがうまく機能していないこともある。このような場合は、教室のキャパ
シティを拡張させるか教室の移転をすると同時に、広告や PR を打つ必要がある。
図3
新入会と在籍期間の2軸の考え方
19
難しいのは、新入会数は多いが在籍期間が短いという場合である。というのも、
継続期間が短いということは、指導の質が不十分な可能性があることを意味するか
らである。このような教室は、積極的な広告などで生徒数を確保し、一定の収益貢
献ができていていたとしても、KUMON らしい指導ができていない可能性が高い。
多くの生徒に、公文らしい指導ができず、KUMON のブランドを壊している可能性
すらある。だからこそ、質の向上が大切だと考えられたのである。
このような発想に基づき、拠点数を 264(2004 年)から 127(2008 年)へと減ら
した。拠点を減らすことによる変革というのは、香港公文が初めてであった。普及
をベースに成長してきた地域が多かっただけに、「量より質」という方針で拠点を
減らすような改革は他に類を見ない。しかも、それを短期間で行った。教室の質の
改善と指導者のマインドセットをほとんど同時に変革したのである。
「改革を2年間で一気にやった。壊れる心配がなかったかと聞かれたら、全く
なかったわけではない。それでも、ゼロから作り直すぞというつもりがあった。
それでやめるヒトがいたらやめてもいいではないか。別に作り直せばいいではな
いか。このように腹をくくっていました。でも、壊しません。壊さなくてもすむ
ように、プロセスをしっかり踏みながら、教室削減をしながらも生徒数を維持す
る方針は守った。」(吉田金一郎社長)
5.分析
原型回帰
ここまで分析の枠組みに沿って、香港公文の変革のプロセスを整理してきた。①
自らの仕組みの現状を分析し、②参照モデルと照らし合わせ、③青写真となる事業
の仕組みを描き、④青写真と現状とのギャップを逆算して行程を描き、⑤変革を実
施する、というステップに沿って記述してきた。
その結果、香港公文の事業変革が、この5つのステップに沿って、オーソドクス
な手順にしたがって変革を進めてきたことが確認できた。さらに、いずれのステッ
プにおいても、その参照モデルが、一定の役割を果たして事業をスムーズに変革さ
せることに役立ったことが浮き彫りにされた。KUMON の変革を分析する限り、
「原
型回帰」のモデリングによる変革にはいくつかのメリットがあるように思える。順
に説明しよう。
まず、①自らの仕組みの現状を分析する、というステップにおいて、原型を持つ
20
ことによって、現場の異変にいち早く気づくことができた。原型を持つことによっ
て、たがの緩み具合を「ずれ」として認識して、実際、吉田は公文式を熟知してお
り、「何か違う」という雰囲気を察知できた。
②のステップでは、香港公文は世界中の他の KUMON 同様、迷うことなく自らの
参照モデルを決めることができた。香港公文にとっても原型は明確なので、指導面・
運営面での KUMON らしいオペレーションであるか否かを評価できた。理想の教室
も容易に見抜いて、「香港の全ての教室をこの姿にすればいい」という変革への自
信へとつなげることができたわけである。
③明確な青写真を描く、というステップでは、自信を持って青写真を描くことが
できた。KUMON には、環境に左右されない「自学自習」という普遍的な価値があ
る。だからこそ、自らの事業を見つめ直すことでより完全な青写真が描けたのであ
る。ここでもし、原型に回帰すべきかどうかで迷いがあったら、自らの強みを忘れ
て、進学塾をモデルしてしまったかもしれない。また、公文式の教材を模倣したコ
ピー商品も気になったかもしれない。しかし、原型を持つことによって、KUMON
は自分が何をやるべきで、なにをやってはならないかの青写真を明確にできた。
この点は重要なので、もう少し一般化して説明しよう。事業規模を拡大したり、
長い時間が経過したりするうちに、事業のたがが緩んでしまうこともある。原型を
うまく移転・伝承できず、本来の仕組みが仕組みとして機能しなくなることもある。
一般に、このような不確実ときは、藁をもすがる思いで、ついつい他者に目が向き
がちである(Abrahamson)。しかし、他社を模倣するのがよいとは限らない。たが
が緩んだからといって、もし、流行の経営手法を取り入れたらどうなるであろうか。
問題は自分自身にあるわけだから、流行の経営手法などを真似ても混乱を招くだけ
である。青写真を描く段階で、原型を明確に参照できていれば、マネジメントの流
行に振り回されずに済むのである。
それでは、④青写真と現状とのギャップを逆算して行程を描き、⑤変革を実施す
るというステップはどうだろうか。これらのステップでも、原型回帰の参照モデル
は一定の役割を果たす。まず、逆算で行程を描くときも、変革を実施するときも、
常に予定の軌道からズレが生じていないかを照らし合わせて修正できる。香港公文
の場合、そのようなズレは生じてはいなかったようだが、たとえ生じていたとして
も、原型が明確であるが故に軌道修正も素早く行われたと考えられる。
次に、原型回帰は、自己のルーツに立ち返るために、社内にアレルギー反応を引
き起こし難い。たとえば、いくら優れた仕組みだとしても、環境がまったく異なる
他社を模倣しろと言われれば、困惑が広がるであろう。その意味で、他社を参照し
たモデルの策定には固有の難しさがつきまとう。原型回帰であれば、かつてできて
21
いたことだから、実現できるはずだという感覚になりやすい。
さらに、原型回帰をより積極的に捉えると、それによってリセットするという効
果も期待できる。リセットできれば、新しい環境(時代や地域)にあわせて、新し
い可能性を模索できる。実際、香港公文で実現した改革も、日本で生まれた原型に
回帰しつつも、今の時代の現地に適応したビジネスモデルとなった。
表1
原型回帰型のモデリングの変革ステップ別のメリット
原型回帰によるモデリングの主要なメリット
①現状把握
現場の異変にいち早く気づくことができる。
②参照モデル決定
理想的なオペレーションをそれとして評価できる。
③青写真の明確化
流行に流されず、自信を持って青写真を描くことができる。
④行程の逆算
軌道からズレが生じていないかを照らし合わせて修正できる。
⑤変革の実施
社内にアレルギー反応を引き起こし難い。
実施のベースにある考え方
ただし、④青写真と現状とのギャップを逆算して行程を描き、⑤変革を実施する、
というのはそれほど容易なことではない。たとえ、原型回帰のモデリングをしたと
しても、必ずしも変革がスムーズに進むとは限らない。実際、KUMON 全体として
原型回帰を指向しているが、地域により様々な課題を持っている。香港はなぜ成功
したのだろうか。④と⑤のステップにおいて、どのような考え方が根底にあったの
だろうか。
その答えは、原型に回帰させたときの方針にある。吉田は「教室削減をしながら
も生徒数を維持する方針」を行程として描き、実施局面でそれを守ったのである。
そもそも、香港公文の場合、規模の拡大に伴って一部指導の質が下がり、継続期
間が短くなってしまうことが問題であった。広告や PR 活動に力を入れ、ときには顧
客に迎合(高いレベルでスタート)するなどの対処療法によって教科数を維持する
ことはできるが、指導の質は高まらない。短期的には問題を緩和するが、継続期間
は伸び悩むので、長期的にはブランドイメージをも損なうのである。
現状のビジネスがこれで回っているとしたら、それを断ち切るのは難しい。なぜ
なら、一時的にでもビジネスを止めてしまうと、収益が大幅に悪化するからである。
ここで重要なのが、吉田の「教室削減をしながらも生徒数を維持する方針」であっ
た。
当時、香港公文でライセンスを取得した教室は多くはなかった。また、日本とは
22
異なり、算数・数学のみの入会が多かった。よい立地に十分なキャパシティをもっ
た教室を整えれば、拠点あたりの生徒数を伸ばすことができる。また、指導の質さ
え上げれば、拠点あたりの教科数を増やすことができる。教室の数を減らしても減
益にならない。香港改革の背後には、このような考え方があったと考えられる。
間接アプローチ
そこで吉田は、拠点あたりの生徒数を伸ばすために、教室の改善から始めた。た
とえ指導の質に問題があるとしても、そこに最初に直接働きかけるのではなく、外
堀を埋めるような形で改革を進めて行くことも大切である。すなわち、場所を支援
して、気持ちを高揚させた上で、指導の質を高めていった方が効果的な場合もある。
変えたい部分に、あえて直接ふれないという意味で、変革における間接アプローチ
だと言えよう。
KUMON のような多店舗展開型ビジネスにおいては、教室という場所の改善は重
要である。なぜなら、場所と人とコンテンツというのは、サービスを提供するため
の基本三要素だと考えられるからである(井上・真木,2010)。最終的には、これら
が三位一体となって「ちょうどの学習と自学自習」が実現する。吉田は、KUMON
の原型ともいえる指導を実現するために、本部が場所の経費負担をすることで有能
な人が自信を持って仕事ができるようにした。そして、香港はビジネスマインドが
強い人が多かったが、指導者の目指す像においてビジネスマインドと教育マインド
のバランスを設計し直し、教育マインドを高める施策を中心に打ったのである。
その指導の質を高めるための施策というのも、実に考え抜かれたものである。ポ
イントはいくつかある。第一に、よい手本を見せた。非常に優れた香港の指導者で
あっても、自らの経験に縛られる部分もある。このような指導者に有効なのが、他
の教室の指導を見せることである。百聞は一見にしかずといわれるように、たとえ
地域が離れていても、
「これは」と思えるお手本を示すのはとても大切なことである。
実際、香港で最大規模の教室を運営する指導者のモデルは、南アフリカの地域の教
室だったという。
第二に、指導者達の動機づけを促した。よい手本を見せることによって、指導者
たちは、心の底から主体的に指導の質を高めようという気持ちになった。質の向上
を通じた教科数の拡大が所得水準に結びつくことを論理的に設計したという点も大
切である。
第三に、指導者との対話を重視した。KQS を最低限クリアしておかなければなら
ない基準と定め、その KQS をきっかけに指導者と話ができるようにした。KQS は、
自己診断とコミュニケーションのツールとして活用され、指導の水準を高めること
23
に貢献した。最終的には KQS を満たせば実績も上がるという実績を示すまでに至り、
指導者の具体的な指針としての役割を果たした。
システム性への配慮
以上のことからもわかるように、香港公文は、改革時に単に拠点を減らしたわけ
ではない。指導者を動機づけながら、望ましい指導が具体的にイメージできるよう
にして指導の質を向上させたのである。もし、質の向上についての入念な下準備な
しに拠点数を減らしていたとしたら、それに比例して教科数も減っていたはずであ
る。もともと、香港では、算数・数学の教科のみを学ぶという生徒の比率が多かっ
たので、指導の質が向上したことを梃子に英文と中文も学んでもらえるように努め
た。だからこそ、拠点数を減らしながらも教科数を維持することができたのである。
言い換えれば、公文式の原型が実現されていないから拠点を減らすという規範的
な発想だけではうまくゆかないということである。指導の質を上げるための万全の
施策を準備して、補完的な施策として打って行く必要がある。総教科数を減らさな
いための決意を持ち、それに向けて最大限に努力していくという姿勢が必要なので
ある。
最後に、この改革で忘れてはならないのは、時間を区切って、短期で一気に改革
を成し遂げたという点である 15 。5年という期間を5年としてではなく、1年半の3
セットとした。事業の仕組みというのは顧客に価値を提供するためのシステムで、
複数の要素が支え合って成り立っている。個々の要素では果たせない機能を全体と
して果たす必要があるので、相互に補完し合っている仕組み全体を変えなければ意
味がない。長期にわたって部分部分を少しずつ変えて行くというアプローチをとる
と機能不全に陥る。機能不全に陥ると、どうしても対処療法をせずにはいられなく
なる。香港公文の改革スピードは、このようなシステム性に配慮したものだといえ
る。
原型回帰は万能か
以上の議論から、香港公文が原型回帰によって変革に成功したことがわかってい
ただけたと思う。また、参照モデルとしての原型回帰の力強さも感じていただけた
と思う。しかし、原型回帰というのは万能ではない。原型回帰のレベルにもよるが、
全ての会社がそのルーツに立ち返ればうまくいくとは、とても考えられないからで
ある。何らかの条件があてはまるときだけに、原型回帰が功を奏するはずである。
最後に、どのような状況だと原型回帰が効力を発揮するかを述べておきたい。
KUMON が原型回帰してうまくいく理由は二つある。一つは、提供価値の普遍性
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である。ちょうどの学習によって自学自習を実現するという教育事業の価値は、時
間と空間を超えた普遍性を有している。自社の提供する価値が普遍的である場合、
ビジネスモデルの原型というのは有効であり続ける。
ただし、顧客への提供価値が普遍であっても、同じ価値を競合も提供できるとす
れば原型回帰するだけでは不十分となる。したがって、もう一つの理由は、仕組み
の独自性である。ライバル他社が同じ価値を提供できないからこそ、自らが原型を
守り続けることによって事業を継続することができるのである。
陳腐化するような価値を原型回帰で追求しても意味がない。また、いくら普遍的
な価値であっても、同じ価値を多数の競合が提供していたとしたら、そこに回帰し
てもビジネスとしては成り立ち難い。KUMON の場合、自社の提供する価値が普遍
的であり、独自性を保ち得ているからこそ、ビジネスモデルの原型というのは有効
であり続ける。
もちろん、この二つの条件がなければ原型回帰をしてはならないということでは
ない。原型回帰にもさまざまなレベルがある。二つの条件が備わっていない場合で
も、原型に返りつつも環境の変化に適応すれば、時代の要請に合わせた回帰ができ
ることもある。
結び
長年ビジネスを進めて行く上で、たがが緩んだときどうすればよいのだろうか。
困ったときには藁にもすがる思いで、ついつい流行の経営手法や性質の異なるライ
バルを模倣したくなる。隣の芝が青く見えたりもする。
しかし、流行の経営手法というのは、振り子のように行ったり来たりしており、
それがメディアによって促されている可能性も高い。したがって、そういう時は、
一度冷静になって自らの強みを見直す必要がある。原型回帰がいつも有効だとは限
らないが、状況によっては効力を発揮してくれる。
この研究では、ビジネスモデルの本質を参照する対象であることに定め、どのよ
うな状況だと「原型回帰」のモデリングが有効であるかを検討してきた。また、原
型をもつことの強みについて考察してきた。香港公文の事例をみても、原型をもっ
ていることの幾つかのメリットを感じ取れる。ビジネスモデルの本来のあるべき姿、
原型をもっているため、軸がぶれることがない。危機的な状況でも経営の流行など
に振り回されることなく、一貫した姿勢で意思決定ができる。
さらに、逆説的ではあるが、軸がしっかりしているからこそ、現地や環境変化へ
の適応ができる。実際、香港改革は、果たすべき使命という意味では原型回帰であ
25
るが、その方法論やアプローチにおいては、新しさが認められる。場所の支援など
は香港独特の制度であるし、継続期間を重視する姿勢は、吉田の改革によって、改
めてその重要性が明確にされた。香港の改革によって、KUMON の世界観は一層広
がり、より豊かなものになったのである。
これに対して自らのルーツや企業理念がしっかりしていない会社は、自らの強み
はおろか、自らが顧客に提供している価値そのものを深く理解することはできない。
海外への移転に際しても、何に譲歩し、何に譲歩すべきでないかについて明確な見
解を持てない。ましてや、ただでさえ困難な変革を、海外において成し遂げるのは
不可能だといえよう。
このように考えると、自社のビジネスモデルの原型を意識しながら海外に展開す
ることには、事業の拡大を超えた大きな意義があることがわかる。一言でいえば、
それは、事業の仕組みを海外で鍛えることの意義に等しい。異なる脈絡に持ち込む
ことによって、その応用範囲を広げ、価値供給の仕組みを柔軟にしてイノベーショ
ンを引き起こせる。KUMON においても、香港に展開することによって日本や他の
国・地域とは制度上異なった形で自学自習を実現することができるようになった。
このような制度上のイノベーションは国内だけにとどまっていたのでは生まれる由
もない。海外に展開することによって、原型の仕組みを純化させざるを得なくなる。
そして純化によって、かえって応用の方法が見つけやすくなり、自らの使命を果た
しやすくなる。
日本とは異なる脈絡におかれていたが故に、香港公文は、新しい可能性を切り開
くことができた。異なる脈絡、海外でこそ可能な試行錯誤というのがあるのかもし
れない 16 。これを機会として捉えれば、能動的に認知革命を引き起こすことができる。
サービスビジネスのイノベーションを引き起こすことができるわけである。
【謝辞】本稿は早稲田大学重点領域機構における、アジア・サービス・ヒジネス研究所(所
長:太田正孝教授)のプロジェクトの一環として進められたものであり、研究助成を受けて行
われたものである。本稿の作成にあたっては、中国公文社長の吉田金一郎氏からインタビュ
ーする機会をいただき、言葉にできないほどの刺激を受けた。また、公文教育研究会のグル
ープ広報室と調査企画室からは、多大な調査協力を頂いた上に、論点を整理する上での有意
義なコメントを頂戴した。また、アイデアの検討や資料の作成については、早稲田大学大学
院商学研究科の真木圭亮さん、永山晋さん、泉谷邦雄さん、からはこのプロジェクトの共同
研究者として支援を頂いた。記して感謝する。
26
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モデリングの権威である社会心理学社の Bandura(1971)も反転模倣を一つのモデリング
行動として捉えている。
2 代表的なものをあげると、Kotter(1996)
、竹内ほか(1986)、加護野(1988)。組織変革
を整理したものとしては、Van de Ven & Poole(1999)と大月(2005)を参照 。
1
3
偶発的な要素を活かしながら行う変革は、創発的アプローチというものに該当する 。
図中において事業の仕組みを示したアイコン(P- VAR)については、井上(2006)が詳し
い。P-VAR というのは、事業の仕組みや事業デザインとしてのビジネスシステム、ない
しはビジネスモデルを複数の構成要素から示したもので、ポジション(Position)、提供
価値(Value Proposition)、活動システム(Activity-System)、ならびに経営資源(Resource)
から成り立っている。ここで、ポジションとは、自らが価値を生み出し収益をあげるた
めの立ち位置のことで、業界における特定の領域やそこでの役割のことをさす。顧客価
4
28
値とは、自らが顧客に提供している価値を、製品レベルではなく、機能レベルや欲求レ
ベルにまでさかのぼってその本質を定義したものであり、一連の活動システムによって
提供されている。事業における諸活動を可能にするのが資源であり、価値を生みだし、
他社にない独自性の源泉となるものである。 Osterwalder and Pigneur(2010)は、これら
に顧客関係(Customer Relationships)とチャネル(Channel)などの要素を加えたより包
括的な分析・設計枠組みを提示している。
5
安室(2003)は、ビジネスモデル分析の目的は、「業種やドメインを超えた共通性」を見
つけることだという。すなわち、業種やドメインを超えた、
「『共通するパターン』を発見し、
抽出し、個別の『価値創造・課金システム』として『モデル化』すること」だとしている。
たとえば、ファッション衣料と日用雑貨とでは産業そのものは異なるが、ともに陳腐化しや
すい商品を扱っており、短サイクル補充型のモデルが適合する。ビジネスモデル分析は、こ
のような共通性を見出し、適用することだといわれる。仕組みを成り立たせているいくつか
の要素を、業種などの文脈から切り離して抽出し、他の文脈に適用するというスタンスであ
る。
6
この点については、井上(2011)が詳しい。自己否定の典型例は、アパレル会社のワール
ドの事業変革である(井上, 1998)、逆転の発想については様々な事例があるが複写機業界な
ども一つの典型である(井上, 2010)。
模倣対象についてはいくつかの先行研究がある。Abrahamson(1996) や Bikhachandani
et al.(1992)は、ファッションリーダーやトレンドセッターが模倣対象になると言う。ここで、
ファッションリーダーというのは、イノベーションの先端にいる競合や特定の領域で能力の
ある競合のことで、市場についてより優れた知識があると想定されている(Abrahamson,
1991; 1996)。また、Lieberman and Asaba(2006)においては、模倣についての研究が概
観されており、他社が情報優位にあると考えるから行われる模倣において、成功した企業や
評価の高い企業規模が模倣の対象となることが述べられている。Semandeni and
Anderson(2010)は、競合の組織レベルの革新度が高いほど情報優位にあると認識され、模倣
の対照となりやすいこと、また、同様に、提供する商品・サービスの関連度が高いほど、そ
の競合は情報優位にあると認識されやすく、模倣の対象になりやすいことを実証した。緊密
に関連した商品サービスを提供すれば、その特定の市場について優れた情報をもっていると
いうシグナルになる(Bikhchandani et al., 1998)からである。
8 井上(2011)は、逆転の方向を前後/左右/上下に喩えて、事業提案の発想法を提示して
いる。前後は垂直方向の前方統合と後方統合を意味し、垂直統合している企業にとっては水
平展開が、水平展開しているものにとっては垂直統合が逆転の発想に該当する。同様に、左
右というのは、競合と補完を意味し、それぞれ逆転の発想を行うことができる。上下は、新
規市場創造と破壊的技術によるローコストオペレーションを意味し、逆転の発想によって異
なる次元の市場へと展開することができる。
9 香港公文についてのデータ収集は、三つの段階を経て行われた。まず、海外の事業の仕組
みを調査する以前に国内の事業の仕組みを理解する必要があるため、第一段階として、国内
調査が実施された。次に、海外への移転についての理解を深めるために、第二段階として、
公文の事業の仕組みの移転について、海外業務支援室長へのインタビューが行われた。第三
段階として、香港公文に焦点を当てて現地のデータを収集するために、香港で開催されてい
た指導者研究大会の記録をとった。その上で、調査企画室から各種資料を提供してもらい、
香港改革についてインタビューを行った。そして最後に、実際に改革を行った吉田金一郎氏
(現中国公文社長)にインタビューして、当事者の視点から語ってもらった。前提知識とし
ての国内調査については、インタビュー50 時間、観察 60 時間。香港における観察は約二日
間に及んだ。インタビューは、海外業務支援室長、調査企画室、中国公文社長へのものを総
計して 6 時間である。なお、日本公文教育研究会の事業の仕組みについては、井上・真木
(2010)が詳しい。
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延べ生徒数は会員数ではなく、合計学習教科数のことを示す。たとえば、生徒が3つの教
科を学んだ場合、3人とカウントされている。なお、国や地域によって提供している科目は
異なる。
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調査を進めていて興味深かったのは、公文が常に原型回帰を指向しており、それが当たり
前のことだと感じていることであった。外部の研究者の視点からすると、回帰できる原点が
あること、そして出会ったほとんどの社員や指導者がその原点について意識していることは
大変な強みだといえる。ところが、公文自身は回帰できる原点を持つことの強みを(当たり
前のものとして)十分に理解できていないようにも感じられた。今回のこの研究が、原点に
ついて何らかの気づきを提供できれば研究者として望外の喜びである。
ただし、最終教材P教材のみ 120 枚である。
全社員の肩書きを取ったり、仕事の進め方をプロジェクトチーム制にしたり、地区担当の
担当を一人 15 教室にしたり、適宜、対応していった
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入会金は HK$130、会費は中学以上は HK$600 である。
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香港の場合、短い期間で結果を出す、というのは、今まで指導者が培ったやり方を変えて
もらうためにもプラスに作用した。早期に新たなやり方のよさを実感してもらい、次の段階
に進みやすくなった。つまり、スピードがスピードを生んだといえるのかもしれない。そも
そも、今まで培ったやり方を捨て、新しいやり方にするためには、ビジネスマインドの強い
香港の指導者は早期に新たなやり方の効果を実感してもらう必要があった。これを早い段階
で感じさせることで、新たなやり方になじめない教室に、継続するかやめるかの判断材料を
与えられる。新たな気持ちでコミットするにしても、公文以外に新しい事業機会を求めるに
しても、よい契機を与えられる。
16
石井(2009)は、新しいビジネスモデルが生まれるときに働く知を「ビジネスインサイ
ト」と呼んだ。このようなインサイトは、内部に「棲み込む」という暗黙知によって引き起
こされるとされているが、そのような知識創造を促すのが「文化を超えるコンテクストマネ
ジメント」(太田,2008)であるのかもしれない。インドでこそ生まれる BOP 型のビジネス
モデル(Prahalad, 2010; Singh, 2010)、あるいは東アジアに展開するからこそ引き起こさ
れるビジネスモデルのイノベーション(川端, 2006)などもその典型だと考えられる。
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1. 当ケースは、ビジネス教育用に作成されたものであり、経営の適否判断のために作成されたものではない。
2. 当ケースは、既に外部に公開されている資料及び、インタビューならびに取材をベースに作成した。
3. 当ケースを、無断で複写・転載することを禁止する。
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