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32 詩 「 苺 」 古郡 陽一 勤めから 遅く戻っ た母は 苺に砂糖 とミル ク を
(佳 作 受 賞 作 ) 詩 「 苺 」 古郡 陽一 もう超えていますよ 妻や娘たちの気苦労の集積 介護ヘルパー ご家族でみる限界 と 寒川に老人ホームの一室を求め 遅く戻った母は 苺に砂糖とミルクを混ぜ 四か月経った 勤めから スプーンで一匙一匙 いつも 週一度 帰り仕度をして待っている母 妻とホームへ たびたび母からの電話 迎えに来て よ 家に帰りたいのよ 残っている 五歳の私の口に含ませる 今も舌先に 独り住いの母を どこも悪いところが無いのに 母の乳房のような甘さ 家に迎えて二十年になる 卒寿の祝いを前に 泣き込み 聞きながら 激す 寂しいのよ! どうして帰れないの? プロ野球の実況や水戸黄門のドラマも 辛抱強く 何か欲しいものは? 妄執の言の葉 母の部屋から聞こえなくなった お母さん 台所でのボヤ 混線しだした おさなご 記憶の順列は、 幼児 の積み木のように崩れ 買い求めてきた 魂の回路も 六月初め 赤信号での横断や 32 口に運ぶ 子供のように喜び もぎたての真赤な苺に 母は フォークで一つ一つ 誕生日には苺のゼリーを クリスマスには苺のケーキを 口いっぱいに溢れ 持って来るよ 甘みが 柔らかで 瑞々しく 甘くて美味しい! 舌にほのかな酸っぱさの残る 苺の味は いつまでも 忘れずにいてほしいから 小さくなった母の口元が紅色に染まる 父を新婚三年で喪い 平塚の自宅への 二人の子供を育てあげた母 片親だと 車を降り 帰り道 意地を張って生きてきた強い意志も 相模川の川べりを散策する 侮られてはと ささやかな幸せの日々の思い出も あれカワセミじゃない 液状化し 熔けて 私に カワセミに逢うと 神の留守の合間に と言っていた母 翡翠のような美しい夢が叶うのよ 幼い頃 妻が双眼鏡を 本当に来てよね 生き死に二つの海を渡っている 失禁してしまったのだろうか 母はいま 又来てよね 手を振り続ける 溢れる涙を拭きながら 母は 33 母を一人ぼっちにしてしまった深痛が 胸に込み上げ 眼に滲んで霞む もしも痴呆になったら 丹沢の峰も 私たち 信州の老人ホームにでも 妻の手には させたくないもの 早めに入りましょうね 子供達に こんな思いは 久しぶりに添えられた 二十年来の戦友をいたわる げみしょう ねん 華微笑 のぬくもりがあった 34