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25号 - 桃山学院大学
ISSN 1348−1312 第 論 25 号 文 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 軽犯罪法,鉄道営業法,新幹線特例法,刑事特別法 ………………………………………江 藤 隆 之 ( 1 ) 新しい捜査方法の適法性について ………大久保 正 人 ( 25 ) 障害者権利条約批准と障害者法制 ………瀧 澤 仁 唱 ( 73 ) 藤 隆 之 ( 97 ) 判例研究 強姦罪における行為基盤の欠如による 欠効未遂 …………………………………江 2015年10月 桃山学院大学総合研究所 1 立ち入りを禁じる特別刑法と 刑法130条 軽犯罪法,鉄道営業法,新幹線特例法,刑事特別法 江 I 本稿の目的 Ⅱ 軽犯罪法 藤 隆 之 (1) 総説 (2) 1条1号・潜伏罪 (3) 1条32号・田畑等侵入罪 Ⅲ 鉄道営業法・新幹線特例法 (1) 総説 (2) 鉄道営業法34条2号・婦人待合室等侵入罪 (3) 鉄道営業法37条・鉄道地内侵入罪 (4) 新幹線特例法3条2号・新幹線線路侵入罪 Ⅳ 刑事特別法 (1) 総説 (2) 2条・米軍施設等侵入罪 Ⅴ 各罪の関係 (1) 刑法130条と軽犯罪法 (2) 刑法130条と鉄道営業法等 (3) 刑法130条と刑事特別法 (4) 軽犯罪法と鉄道営業法等 (5) 軽犯罪法と刑事特別法 Ⅵ 結 語 キーワード:軽犯罪法,鉄道営業法,新幹線特例法,刑事特別法, 建造物侵入 2 (桃山法学 第25号 ’15) Ⅰ 本稿の目的 他人の住居,建造物等への侵入および不退去の刑事規制については刑法 第130条が主にこれを規定している。すなわち「正当な理由がないのに, 人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し,又は 要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は,3年 (1) (2) 以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する」というのである。 それでは,同条に該当しない客体への侵入等はいかなる犯罪も構成しな いのだろうか。そうではない。軽犯罪法は潜伏罪 (1条1号) および田畑 等侵入罪 (1条23号) を,鉄道営業法は婦人待合室等侵入罪 (34条2号) および鉄道地内侵入罪 (37条) を,新幹線特例法は新幹線線路侵入罪 (3 条2号) を,刑事特別法は米軍施設等侵入罪 (2条) を定め,それぞれ刑 罰を科す旨を規定している。 これらの罪は,それぞれに客体が異なり,また行為態様の規定方法にも 若干の違いが見受けられ,その関係とりわけ罪数関係はきわめて複雑なも のになっている。そこで,これらの罪の内容を明らかにし,相互関係を整 理する必要があろう。本稿では各罪の構成要件の明確化と相互関係の整理 (3) を行いたい。 Ⅱ 軽犯罪法 (1) 総説 軽犯罪法は,軽微な犯罪行為を列挙して定め,それに対して拘留または 科料を科す旨を定めた法律である。昭和23年3月18日第2回国会衆議院司 法委員会において鈴木義男法務総裁は軽犯罪法の提案理由について「警察 犯処罰令に代わるべき法律を制定する必要があるため」として「国民の日 常生活における卑近な道徳律に違背する軽い罪を拾うことを主眼とし」た (4) と説明した。この立法趣旨説明を受けて,軽犯罪法は最低限度の道徳律を 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 3 (5) 実体刑法化したものであるとすることで学説はほぼ一致している。たとえ ば橋本裕蔵は軽犯罪法を「いわば刑罰制裁をともなう道徳律」であると (6) し,伊藤榮樹は「軽犯罪法は,国民の日常生活における卑近な道徳律に違 背する比較的軽微な犯罪とこれに対する刑罰とを規定した刑事実体法であ (7) る」と述べたうえで「軽犯罪法は,日常生活における卑近な道徳律を基盤 とするものであるから,同法に規定する各種犯罪は,全体として,自然犯 (8) の範疇に属する」といい,自然犯の色彩の薄い第16号 (虚構申告の罪), 第17号 (氏名等不実申告の罪),第19条 (変死現場等変更の罪) について も,「国民一般がそのような行為に出ないよう留意することは,いまや, 日常の最低の道徳律に属し,いわば国民の公徳心からの要請とも考えられ (9) る」と述べる。大塚仁も同様に軽犯罪法には「国民の公徳心の涵養の指針 (10) としての意味をも看取しうる」という。判例においてもまた,「軽犯罪法 は……日本国民の社会生活を文化的に向上せしめる為最低限度に要請せら れる道徳律を実体刑法化したものである。……本法は日本国民の社会倫理 を文化的に向上せしめて,国民をして自由で幸福な生活を営ましめること (11) を目的としている」としたものがある。 しかし,立法趣旨説明はその時代背景を無視して理解されるべきではな い。当時の立法理由に「国民の日常生活における卑近な道徳律」という言 葉が持ち出された文脈は,新しい日本国憲法の下,警察犯処罰令下で行わ れていたような警察権力の肥大を防ぐことを目指し,犯罪を形式的な行政 犯として規定することを可能なかぎり避け,国民の日常生活の感覚に合致 し,個人の自由をむやみに侵害することのない規定にすべきであるといっ た謙抑方向の趣旨として理解される。先述の判例も本法が警察犯処罰令の (12) 「官僚主義的な精神を踏襲したものではな」いこととの対比で道徳律とい う術語を使用している。となれば,軽犯罪法を実定法化された道徳律とし てみることは,当時の立法趣旨を考える際には意義深いことではあるもの の,それを直接現在の解釈に使うべきかというと必ずしもそうではないだ ろう。現在の刑法学においては,道徳や社会倫理を刑法が直接保護すると いう構想はほとんど採られておらず,犯罪の本質はあくまで法益侵害ない 4 (桃山法学 第25号 ’15) (13) し法益保護を目的とする規範違反と解すべきであるから,本法1条各号の 罪を道徳律違反として理解することには躊躇を憶えざるをえない。むしろ, 各犯罪ごとに保護法益,行為規範を具体的に明らかにしていくべきであろ う。 そこで,本稿では軽犯罪法1条各号の罪を一律に道徳律違背の自然犯と はとらえず,各条文の規定から法益および規範を解釈によって導出する方 法論を採用したい。 (2) 1条1号・潜伏罪 本号は,「人が住んでおらず,且つ,看守していない邸宅,建物又は船 舶の内に正当な理由がなくてひそんでいた者」を潜伏罪とする旨を規定し たものである。これは警察犯処罰令1条1号の「故なく人の居住若は看守 せざる邸宅,建造物及船舶内に潜伏したる者」という規定を受け継いだも (14) のであるといえる。 本罪の客体が,刑法130条の客体と排他的関係にあることは条文上明白 である。本罪は刑法130条の客体である住居を当然除外したうえで,さら に人の看守する邸宅,建造物,艦船も含まれないように規定している。立 法の段階で刑法130条との整合性が考えられたことは容易に推察できよう。 この点,客体のみに注目して考ると,本罪が刑法130条に対する補充規定 (15) であるかのようにみえなくもない。 しかし,本罪は行為の点で刑法130条と異なっている。本罪の行為の規 定は「正当な理由がなくてひそんでいた」である。「正当な理由がなくて」 は刑法130条の「正当な理由がないのに」と同様に違法性阻却事由が存在 (16) しないことを注意的に規定したにすぎないと解すべきであるが,具体的な 行為としては,刑法130条と異なって侵入や不退去ではなく潜伏を禁じて いる。そのため,本罪が成立するためには単に侵入しただけでは足りず, (17) 侵入後一定時間の経過を必要とする。したがって,刑法130条で処罰から 漏れた侵入・不退去を捕捉する規定として本罪を理解することはできない。 また,「ひそんでいた」というためには人眼をさけて隠れていたことが 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 5 (18) 必要であり,公然と空き家等に居住することは本罪の対象にはならない。 なお,昭和23年3月25日の第2回衆議院司法委員会において,石川金次郎 委員から住居がなくて空き家の邸宅に入った者の救済は刑の免除 (2条) で対応するのかというの質問に対して政府委員である法務庁事務官國宗榮 は,そのような場合は「正当な理由」として1号に当たらないことが多い (19) 旨答弁しているが,公然と居住する場合には「正当な理由」というまでも なく「ひそんでいた」に当たらないとすべきである。他人の住居や看守さ れた邸宅等には公然と侵入しても当然刑法130条の罪が成立することに鑑 みても,本罪が刑法130条の補充法であるとはいいがたいであろう。もち ろん,他人の家屋等に公然と居住するような場合について不動産侵奪罪 (刑法235条の2) の成否が別途問題となる可能性はなおありうる。 本罪の保護法益については「個人的法益と社会的法益の両者にまたが (20) (21) る」とする見解と「公共の安全」としてもっぱら社会的法益に対する罪と して理解しようとする見解とがある。社会的法益に対する罪として理解す る見解によれば, 本号の趣旨は「ここにいうような場所が社会的に望まし くない行為に用いられることにより生ずる危険を防止することにある。例 えば,廃屋等が窃盗犯の根城になったり,賭博場として使用されたり,あ るいは,それらの場所の使用に伴い失火を誘発したりすることが考えられ (22) るので,それらの場所に潜むこと自体を禁止した」ということになる。 私見によれば,本罪は社会的法益に対する罪の抽象的危険犯として理解 されるべきである。というのも,本罪の客体は居住者がおらずかつ人が看 守していない場所のみが客体となっており,刑法130条においても住居以 外の客体については看守がなければ建造物等侵入罪の法益侵害が存在しな いと考えるのであれば,本罪は個人的法益の侵害が存在しない場合に成立 する罪として理解されなければならないからである。とりわけ,本罪が誰 の所有にも占有にもかからない空き家への潜伏をも適用範囲としていると 考えられることに徴すれば,個人的法益の侵害がまったくない場合にも本 罪が成立するのであるから,到底本罪は個人的法益に対する罪であるとは いえないように思われる。 6 (桃山法学 第25号 ’15) なお,本罪は抽象的危険犯であるが,第4条の「この法律の適用にあたっ ては,国民の権利を不当に侵害しないように留意し,その本来の目的を逸 脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない」 という規定の趣旨からするに,具体的な状況からおよそ公共の安全に対し てなんらの危険ももたらさない潜伏については,本罪の成立範囲から外し (23) て考えるべきであろう。 (3) 1条32号・田畑等侵入罪 本号は,「入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由なくて入っ た者」を処罰対象にする。客体別にそれぞれ検討していこう。 前段における「入ることを禁じた」とは,占有者,管理者が他人の立ち (24) 入りを禁止したことをいう。禁止すれば足りるから,その方法が口頭であ (25) るか書面であるか掲示であるかは問わない。「場所」とは,土地にかぎる (26) という見解もありうるが,建造物や艦船や自動車,公衆電話ボックス等も (27) 客体となると解するのが相当であるから,土地,地域,建造物および自動 車等建造物ではないが独立した空間を有し,管理者の管理権が及ぶものを いうと解すべきである。ただし,住居および人の看守する邸宅,建造物ま たは艦船は本罪の客体に含まれない。 なお,「禁じた」に推定的意思が含まれるかについては争う余地がある。 警察庁刑事局は,ドアがロックされていない自動車につき一般の運転者が 他人の立ち入りを許容しているとは考えられないから本罪の客体になると (28) いう。これは禁止の推定的意思で「禁じた」に足りるという立場であろう。 これに対して伊藤は,本号の客体は「占有者,管理者が他人の立入りを禁 止する意思を表明した場所」であるとして無施錠の自動車への立ち入りは (29) 本罪の適用外であるという。「禁じた」には「表明」が必要であるという 立場であると理解される。思うに,「禁じた」は推定的意思では足りず, 外形上禁止の表明が必要であるとする見解が妥当である。なぜなら,「禁 じる」は「意に反する」よりも狭い概念であり,日常言語においては単に 「意に反する」だけではなく「意に反するため禁止する旨を表明すること」 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 7 をそのプロトタイプ的な意味としていることは明らかだからである。通常, 「∼を禁じられた」といったとき,「∼が権限ある者の意に反するように 思われる」という意味ではなく,「∼をすることを権限ある者によって明 示的に制止された」という意味を持つだろう。そうであるならば,「禁じ た」とは明示的なものにかぎると解すべきである。このような語の日常言 語における中心的意味 (プロトタイプ的意味) よりも拡大して解釈すべき でないことは,軽犯罪法4条の趣旨からも導かれうるように思われる。 後段における「他人の田畑」とは,他人の管理する田畑をいい,それが 自己の所有にかかるものであっても他人が適法に管理していれば他人の田 (30) 畑である。単なる山林は田畑に当たらないが,果樹園は田畑であり,一時 的に耕作されていなかったとしても普段耕作が行われていれば田畑であ (31) る。職業としての農業目的にかぎられないから植物を一定規模植え育てて (32) いれば家庭菜園も田畑である。田畑への侵入を禁止する趣旨は,「耕作地 の土を踏み固める等,土地の機能を阻害する結果を生ずるから」であると (33) されている。 行為の規定は「正当な理由がなくて入った」であるが,「正当な理由が なくて」は,1号の「正当な理由がなくて」や刑法130条の「正当な理由 がないのに」と同様に解すれば良いだろう。問題は,不退去が処罰される か否かである。というのも本号は「入った」としか定めておらず不退去に 関する明文の処罰規定を置いていないからである。 (34) 積極説は,本罪は刑法130条と同様の構造を持つ継続犯であり,適法に ないし過失により立ち入り後に立ち入り禁止場所であることに気づいて不 法滞留を続けることは,不作為による立ち入りと解することができること を理由として,不退去も本罪を成立させるという。とりわけ,立ち入り禁 止になることが予定されているが立ち入りの時点では禁止されていない場 所にあらかじめ立ち入り,予定通り立ち入りが禁止された後に滞留を続け る場合を処罰しないというのは不合理であり,たとえば「開放時間を設定 して開放している観光庭園などで閉門時間後なお正当な理由がないのに退 (35) 去しない場合に本号の適用がないというのは不都合」であるという。 8 (桃山法学 第25号 ’15) (36) これに対して,消極説は,入る行為と立ち去らない行為とでは行為類型 を異にし,刑法130条後段のような規定を欠いている以上は,不退去では 本罪は成立しないという。 私見によれば消極説が妥当である。不退去を処罰する際は,その旨規定 するのが刑法130条の規定方法であり,このような規定方法は刑事特別法 2条にもみられる。立法者が刑法130条の規定を知らずに本号を規定した と考えることはできず,「あえて不退去を処罰範囲から外した」と解する のが素直であろう。積極説が例に挙げるように,立ち入りを禁じることが 予定されている場所にあらかじめ適法に立ち入っておき,その後不法に滞 (37) 留を続けた者を処罰する必要があるというのならば,その旨立法しなけれ (38) ばならないというべきである。 前段は個人的法益に対する罪であることは明らかであり,後段も耕作地 の保護を通じて耕作者の耕作を保護しているのであると解するならば,本 号は個人的法益に対する罪である。 Ⅲ 鉄道営業法・新幹線特例法 (1) 総説 鉄道営業法は,鉄道の安全とその円滑な運営を保護するために明治33年 に制定された法律であり,一部に罰則規定を持っている。その制定は,戦 後に制定された軽犯罪法はもとより,明治41年制定の警察犯処罰令よりも (39) 早い。鉄道営業法が対象としている「鉄道」は,一般公衆によって利用さ れていればそれが公有であるか私有であるかを問わない。ただし,鉄道に (40) 当たらない軌道には適用されない。 新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法 (新幹線特例法) は,当初,東海道新幹線の営業開始にともないその安全 を妨げる行為を処罰するために定められた東海道新幹線鉄道における列車 運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法 (東海道新幹線妨害特例法) として制定され,新幹線鉄道網の全国的な整備とともに,新幹線特例法へ 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 9 (41) と改正されたものである。本法は,新幹線が高速度で走行できることに鑑 み,その安全を妨げる行為の処罰について,鉄道営業法の特例等を定めた (42) ものである。この旨は,同法1条にて明文で謳われている。 (2) 鉄道営業法34条2号・婦人待合室等侵入罪 鉄道営業法34条は「制止を肯ぜずして左の所為を為したる者は十円以下 の科料に処す」としたうえで2号で「婦人の為に設けたる待合室及車室等 に男子妄に立入りたるとき」と定めている。いわゆる婦人待合室等侵入罪 である。本罪の保護法益については一般的に「社会的礼儀を維持するた (43) め」と解されているがそのような理解は現在の刑法学と適合的であるとは いいがたく,鉄道の安全とその円滑な運営を目的とした鉄道係員の制止権 であると解すべきである。このような理解は,刑法130条が平穏を保護す るとしてもその平穏の具体的な内容は住居権者ないし管理権者の決定に委 (44) ねられるため保護法益は平穏を目的とした住居権に帰着するとする解釈と 合致し,法文上鉄道の安全やその円滑な運営が妨げられたことを要求して いない規定とも整合的である。本罪の保護法益を,鉄道の安全やその円滑 な運営に対する抽象的危険犯としてみるべきでないのは,本罪の成立には 「制止」が前提とされていることから法は立ち入り行為そのものに危険を 擬制しているわけではないと解されるからであり,直接的には鉄道係員の (45) 制止権を侵害する侵害犯とした方が明確となるからである。 ここでいう「制止」とは,権限あるものの制止であり,具体的には鉄道 係員 (鉄道営業法第2章) による制止である。法文の規定上,制止権者を あえて鉄道係員に限定しなかったようにもみえるが,一般旅客に犯罪成否 を左右しうる制止権限を与える理由はないため,鉄道係員の制止のみに限 (46) 定して解釈するのが合理的だろう。もちろん鉄道の安全や円滑な運営にまっ たく資することのない制止 (いわゆる制止権の濫用) にあたる場合には, 有効な制止とはいえない。「妄に」は,刑法130条の「正当な理由がないの に」と同様に解する。また,本罪の主体は男子に限られている。法定刑が 科料であるため,刑法64条により教唆犯・幇助犯は成立せず,その行為の 10 (桃山法学 第25号 ’15) 性質上間接正犯も成立しない。 本号にいう「待合室」とは旅客が鉄道や人を待つために設けられた施設 のことをいうが,当該待合室が建造物であり看守されている場合には,後 述するとおり,もっぱら刑法130条で処断すれば足り,本罪の客体となら ないというべきである。 なお,現在各鉄道会社が設けているいわゆる「女性専用車両」は,鉄道 各社が提供するサービスであって,多くの場合男児や身体に障害のある男 性,その介護者たる男性等の乗車を認めており,一般男性に対しても鉄道 係員による協力のお願いというにとどまるから,「婦人の為に設けたる」 (47) には該当せず,本罪の客体とならない。「婦人の為に設けたる」とは,こ れを刑罰の対象にする以上緩やかな女性専用指定のみでは足りず,厳密に 女性 (および例外的に女性に連れられた男児) のみの利用に限定されたも のにかぎる,たとえば女子トイレや女子浴室,女子更衣室等と同程度の利 (48) 用制限を必要とすると解すべきである。また,現実にも女性専用車両が鉄 道会社からのお願いにとどまる以上,制止権の行使として制止されること (49) もないだろう。 行為は作為のみが規定されており,不作為を含まない。したがって,制 止前に客体内に立ち入り,その後退去を求められたが退去しなかったとし ても本罪は成立しない。 (3) 鉄道営業法37条・鉄道地内侵入罪 鉄道営業法37条は,「停車場其の他鉄道地内に妄に立入りたる者は十円 以下の科料に処す」と定めている。いわゆる鉄道地内侵入罪である。 本条にいう「停車場」とは,車両を停車させるための場所をいい,具体 (50) 的には駅,操車場,信号所等であるが,条文の構成上,「鉄道地」の例示 (51) として理解される。鉄道地とは,停車場にかぎらず「鉄道の営業主体が所 有又は管理する用地・地域のうち,直接鉄道運送業務に使用されるもの及 (52) びこれと密接不可分の利用関係にあるものをい」い,塀や柵があるかを問 (53) わない。なお,そこに定着する壁や屋根を持ち人の出入りに適する機構が 11 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 (54) ある場合については,判例はこれを刑法130条との観念的競合とするが, 後述するとおり,本罪の客体からは除外されるべきである。 なお,停車場その他鉄道地には「立ち入りが禁じられた」との制限がつ いていないが,立ち入りが禁じられた停車場その他鉄道地に客体は限定さ (55) れているといわなければならない。これに反して大阪簡易裁判所は,「停 車場は通常旅客又は公衆が自由に立ち入ることのできる場所である」とい い,本罪の客体には立ち入りが禁じられていない停車地も含まれ,行為者 に立ち入り禁止の認識がなくても本罪が成立するというのだが不当である。 鉄道営業法37条が立ち入りが許されている停車場に入った場合をその処罰 範囲としないのはもちろんのことである たとえば一般に立ち入りが許 されている駅のプラットフォームに一般旅客が立ち入っただけですべて犯 罪構成要件に該当し,後は違法性阻却の可否だけが問題となりうるという (56) ことはおよそ考えられない から,同条の客体は「立ち入りの許されて いない停車場またはその他の鉄道地」に限定されるべきなのである。した がって,本罪の成立には,当該鉄道地への立ち入りが許されていないこと の認識が故意の内容として必要であり,これを欠く場合は過失として不処 罰となる。 かくして,本罪も社会的法益に対する危険犯ではなく,鉄道の安全およ びその円滑な運営を目的とする管理権を侵害する罪として理解すべきこと が導かれる。 行為には,軽犯罪法1条32号,鉄道営業法34条2号と同様に不作為を含 まない。したがって適法に鉄道地に立ち入り,その後退去を求められたが 退去しなかったとしても,本罪は成立しない。現実的には,退去義務を課 した方が鉄道の安全確保およびその円滑な運営に資する場合が多いといえ (57) ようが,明文での処罰規定を欠く以上これを処罰することはできない。 (4) 新幹線特例法3条2号・新幹線線路侵入罪 新幹線特例法第3条は「次の各号の1に該当する者は, 1年以下の懲役 又は5万円以下の罰金に処する」と定め,2号に「新幹線鉄道の線路内に 12 (桃山法学 第25号 ’15) みだりに立ち入った者」と規定している。 本号の客体たる「線路」については,第3条1号に定義規定があり, 「軌道及びこれに附属する保線用通路その他の施設であって,軌道の中心 線の両側について幅3メートル以内の場所にあるものをいう」とされてい る。したがって,客体の範囲は明確である。 その他,「みだりに立ち入った」は,鉄道営業法37条の「妄に立ち入り たる」と同様である。 Ⅳ 刑事特別法 (1) 総説 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基 づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の (58) 実施に伴う刑事特別法,いわゆる刑事特別法2条をめぐっては砂川事件判 (59) 決が有名であるが,本稿では憲法的論点に触れることはしない。また,本 法の成立には様々な反対意見が出され,立法論的な是非も議論されており, 現在でもその是非をめぐって見解の対立が存在するが,本稿では立法論的 是非や政治的是非については問うことをせず,議論の対象を刑法解釈論上 (60) のそれにかぎることにする。 (2) 2条・米軍施設等侵入罪 刑事特別法2条は,「正当な理由がないのに,合衆国軍隊が使用する施 設又は区域 (協定第2条第1項の施設又は区域をいう。以下同じ。) であっ て入ることを禁じた場所に入り,又は要求を受けてその場所から退去しな い者は,1年以下の懲役又は2千円以下の罰金若しくは科料に処する。但 し刑法 (明治40年法律第45号) に正条がある場合には,同法による」と定 めている。いわゆる米軍施設等侵入罪である。 本罪の客体となる合衆国軍隊が使用する施設又は区域とは,定義規定に (61) あるように,日米地位協定2条1項の施設または区域をいう。具体的には, 13 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 地位協定25条に定める日米合同委員会を通じて両政府が締結したもの,お よびその運営に必要な現存の設備,備品および定着物である。なお,日米 安保条約第3条に基づく行政協定終了時に米国が使用している施設および (62) 区域は,両政府が合意したものとみなされる。この施設・区域に対しては, 公海上の訓練水域・空域なども含まれてしまい国際法に照らして不当であ (63) (64) るとの批判やその決定過程等に問題を孕むとの批判がなされている。当然, 公海上については日本政府には合意の権限はなく,公海上で米軍が演習す るときには米国が一般国際法上の公海利用の自由を根拠とする権限にもと (65) づいて一方的に水域を設定しているにすぎないのであるから,「両政府が 締結したもの」といえず,本罪の客体からは除外される。なお,その区域 について官報で公示すべきであるとの修正案が参議院で出されたが,採用 (66) されなかった。明確化のためには意味のある修正案であったと考える。た だし,本罪の客体となるには「入ることを禁じた場所」である必要があり, その点,ラインやブイ等によって区域の範囲が一定程度明確に明示されて いなければならないから,現実に原野や海において知らないうちに区域に 入ってしまったなどという場合には「禁じた場所」ではないから本罪の客 体でないとするか,故意がないとするかして本罪の成立を否定することに なろう。なお但書から明らかなように当該施設が住居または看守された邸 宅,建造物,艦船に該当する場合は,刑法130条の対象となり,本罪の客 体ではない。 正当な理由がないのにというのは,刑法130条と同様に解すべきである。 行為は作為と不作為の両方が定められているため,不退去も処罰の対象 となる。 Ⅴ 各罪の関係 以上のように各罪の成立範囲を検討してきたが,それぞれ他罪とどのよ うな関係にあるのだろうか。 14 (桃山法学 第25号 ’15) (1) 刑法130条と軽犯罪法 a) 1条1号 軽犯罪法1条1号を刑法130条の補充規定と解するのが一般的な見解で (67) ある。しかし,そのような見解は妥当ではない。 たしかに客体にかぎってみれば補充規定であるかのようにも思える。し かし,予定されている行為態様も保護法益も異なるため,補充の関係には 立たないというべきであろう。客体の限定により刑法130条と本罪とは排 他的関係にあり,両方の罪の同時成立が問題になることはない。したがっ て,刑法130条と軽犯罪法1条1号とはそれぞれ成立範囲を異にする別罪 である。 b) 1条32号 軽犯罪法1条32号と刑法130条は,ともに個人的法益に対する罪であり, (68) 軽犯罪法1条32号の作為態様にかぎって 補充関係にある。したがっ て刑法130条が成立する場合には,本罪は成立しない。これは前段のみな らず,後段の田畑侵入についても同様である。たとえば田畑が住居の囲繞 (69) 地にある場合は刑法130条が成立することになり,本罪は成立しない。 本罪と軽犯罪法1条1号との関係について,伊藤は「入ることを禁じた 邸宅,建造物又は船舶は,すなわち,人の看守する邸宅,建造物又は船舶 に当たることになるから,これらのものの内に潜むために立ち入る行為は, 専ら刑法第130条に当たることとなる。また,人の看守していないこれら (70) のものは,入ることを禁じた場所に当たることとはならない」といい,両 罪は競合しないというが不当である。フェンス等がなく扉を開け放ってい るものの立ち入り禁止の貼り紙はしてある邸宅や建造物は,看守されてい ないが立ち入りを禁じられているといえる。「人の看守する」と「入るこ (71) とを禁じた」は同義ではないからである。したがって,看守されていない が立ち入りを禁じられている建造物に潜むために侵入した時は,軽犯罪法 (72) 1条1号と32号が牽連関係に立つというべきであろう。 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 15 (2) 刑法130条と鉄道営業法等 a) 34条2号 婦人待合室が看守された建造物であるかその一部である場合,刑法130 条と鉄道営業法34号2号はともに客体内の平穏を目的とする管理権侵害の 罪であるから,法益が重なり合っており両罪の成立を認めるのは不当であ る。この場合,もっぱら刑法130条の一罪が成立し鉄道営業法の婦人待合 室等侵入罪は成立しないとすべきである。これに対して,車両内の車室は 刑法130条の客体ではないから,この場合に鉄道営業法34条2号の刑法130 条から独立した意義が認められるといえよう。すなわち,鉄道営業法34条 2号は,130条の対象外となる客体のうち建造物でない婦人待合室および 車室を捕捉する補充規定として理解される。 なお,本罪は,行為者が立ち入りを制止されることを前提としており, そうであるならば,そこは必ず立ち入りを禁じられた場所となるので,軽 犯罪法1条32号との関係が問題となる。後に検討しよう。 b) 37条 本罪の客体は停車場その他の鉄道地であるが,このような場所は立ち入 りが許されている場合は開かれており,立ち入りが禁じられている場合は 看守されているか立ち入り禁止が明示されている。当該客体が看守されて いる建造物である場合には,判例は刑法130条と同罪がともに成立するこ (73) とを認めるが,34条2号の場合と同様に法益が重なり合っており両罪の成 立を認めるのは不当である。現実的にも,刑法130条一罪の成立を認めれ ば足りるので,本条は客体が建造物でなく立ち入りが禁止されているか, 立ち入りは禁止されているものの看守されているとまではいえない場合の みを適用範囲とする刑法130条の補充規定ということになろう。 やはりこのような場合,必ず軽犯罪法1条32号の適用範囲となるので, 軽犯罪法との関係を後に検討しなければならない。 c) 新幹線特例法3条2号 新幹線特例法3条2号は,鉄道営業法37条のうち新幹線の線路にかぎっ (74) て重く処罰しようとする特別法である。それゆえ,刑法130条と新幹線特 16 (桃山法学 第25号 ’15) 例法3条2号との関係は,鉄道営業法37条との関係に準ずることになる。 (3) 刑法130条と刑事特別法 刑事特別法2条と刑法130条との関係は,法文上明らかである。刑事特 別法2条は但書を有し「但し刑法に正条がある場合には,同法による」と している。この規程は刑法130条該当の事案であれば刑法130条が適用され, 刑事特別法2条の適用を排除する趣旨であるから,刑事特別法2条は刑法 130条の補充法であると解される。刑事特別法という名であるが,本条に ついては刑法と特別関係にあるわけではない。また刑法130条が適用され れば本条の適用は排除されるから,一罪であり罪数上特段の問題も起きな い。 したがって,本条の適用範囲は合衆国軍隊が使用する施設又は区域のう ち入ることの禁じられた刑法130条の適用されない場所に「入り」あるい は「要求を受けてその場所から退去しない」場合に限られるといえよう。 刑法130条と刑事特別法2条は補充関係である。 (4) 軽犯罪法と鉄道営業法等 軽犯罪法1条32号は立ち入り禁止場所への立ち入りを処罰対象とするが, 鉄道営業法34条2号の婦人待合室等侵入罪は「制止された」という立ち入 り禁止の明示が前提となっており,37条の鉄道地内もすでに論じたとおり (75) 立ち入りが禁止されている必要がある。軽犯罪法1条32号違反と鉄道営業 (76) 法37条違反が同時に行われた場合について,判例は これを観念的競合と (77) し,学説には法条競合を認めて軽犯罪法違反が成立すると解するものがあ (78) る。思うに,このいずれの理解も失当である。鉄道営業法違反の罪につい ては法定刑は罰金等臨時措置法による是正措置を考慮しても科料のみであ り,拘留を規定している軽犯罪法より軽い。それにもかかわらず,鉄道地 内への立ち入りの際の処断刑がつねに拘留を含むとするのは,鉄道営業法 の存在意義を ある。 行為者にとって不利な方向に 失わせるという問題が 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 17 むしろ条文の関係に着目してみれば,鉄道営業法34条2号および37条は, 軽犯罪法1条32号の減軽類型としての特別規定であるというべきではない (79) か。軽犯罪法が一般的に立ち入り禁止場所への立ち入りを禁じ,それが鉄 道地等の場合にのみ鉄道営業法が適用されるといった具合にである。鉄道 営業法に拘留の規定がないのに,同法違反にはつねに軽犯罪法1条32号が (80) 成立し処断刑に拘留が含まれるとするよりは自然であろう。ただし,立法 の前後やその沿革から考えるとそのような解釈に若干の躊躇を憶えるし, そのように解するのならばなぜ鉄道の場合についてのみ軽犯罪法よりもな お軽く 拘留の可能性を排除して 処断されるのかについて説明がな されなければならないだろう。 思うに,鉄道営業法の独自の意義は同法43条に定める「左の場合に於て 鉄道係員は旅客及公衆を車外又は鉄道地外に退去せしむることを得」にあ る。43条は婦人待合室等侵入罪についても鉄道地内侵入罪についても鉄道 係員に旅客および公衆を車外または鉄道地外に退去させる権限を与えてい る。これは,軽犯罪法1条32号と大いに異なる点である。鉄道営業法は, 鉄道係員に当該行為者の排除権限を与えており,この排除にともなう必要 最低限の実力行使については刑法35条の法令行為として違法性阻却される。 すると,鉄道係員はこれらの犯罪に対しては一定程度自力での秩序維持が 認められているのであるから,行為者を敢えて重く処罰する必要はなく, 科料にとどめるので十分であると解することができることになろう。 したがって,鉄道営業法34条2号および37条は,軽犯罪法1条32号の減 軽特別法であると解される。 なお,新幹線特例法3条2号の罪も軽犯罪法1条32号の重く処罰する特 別法である。したがって,新幹線線路内への立ち入りは,新幹線特例法3 条2号のみを成立させ,軽犯罪法1条32号違反には問われないと解する。 (5) 軽犯罪法と刑事特別法 刑事特別法2条と軽犯罪法1条1号とは,これまで述べてきたことから も明らかなように,行為が異なるため特別関係や競合関係にはならない。 18 (桃山法学 第25号 ’15) したがって両罪が成立する場合は併合罪となる。 刑事特別法2条は作為の侵入について軽犯罪法1条32号前段の特別法で ある。軽犯罪法1条32号前段は,「入ることを禁じた場所」に入ることを 禁じており,刑事特別法2条の作為形態は「合衆国軍隊が使用する施設又 は区域であつて入ることを禁じた場所」に入ることを禁じている。その違 いは「合衆国軍隊が使用する施設又は区域」であるか否かにしかない。す ると,これは特別関係にあるというべきであり,刑事特別法2条の罪が成 立するときは,軽犯罪法1条32号は成立しない。 ただし,軽犯罪法1条32号は不退去を禁じておらず,先に論じたように 同号については不作為態様では犯せないものと解するのが相当である。こ れに対して刑事特別法2条は「要求を受けてその場所から退去しない」場 合を処罰する旨規定しており,不退去の事案の場合には両者は特別関係で はなく,刑事特別法2条の合衆国軍施設不退去罪の単純一罪が成立するの みである。 すなわち,軽犯罪法1条32号と刑事特別法2条は,作為態様であれば特 別関係にある。不作為態様であれば,刑事特別法2条の単純一罪である。 Ⅵ 結 語 以上のように,刑法130条と関連しそうな規定を有する特別刑法を取り 上げ,その成立範囲と各犯罪の関係を明確化した。その際には,可能なか ぎり倫理保護の思想を排除して解釈し,条文の表現に争いがある点につい てはできるだけ限定的解釈を心がけた。また,各罪の関係についても刑罰 がいたずらに重くならないように,判例の見解を退けながら,処断刑の拡 大を防ぐよう留意した。 これらの罪は比較的軽い刑罰しか予定していないものの,いわゆる治安 維持目的に濫用されるおそれがあり,実際にそのように利用されてきたも のであるので,限定的解釈を確立していくことには現実的に重要な意義が あろう。 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 19 本稿は,実務家を中心に「倫理」や「秩序」というキーワードをもって 行われてきた軽犯罪法解釈やその他特別刑法解釈の圧倒的通説や判例に多 くの異論を投げかけるものであり,強い批判も予想されるが,これら特別 刑法の現代的理解に学問的に資するところがすこしでもあれば幸いである。 (了) 注 (1) 横書きにともなって,条文の漢数字は算用数字に直し,読点はカンマ を使用した。本稿ではすべてこの例にならって表記する。また,これ以 降の条文,判例等の引用につき,カタカナはひらがなに,促音の「つ」 は「っ」に,旧漢字は新漢字に直すことにする。罰金および科料額につ いては,法文のままとし,罰金等臨時措置法による修正をその都度表示 することはしない。 (2) 刑法130条の意義については,江藤隆之「住居侵入と自由」桃山法学 第24号(平成26・2014年)1頁以下。 (3) なお,本稿はそれ自体が立ち入り等を禁止している罪を対象とし,立 ち入りの罪との関係が頻繁に議論されるもののその罪自体は立ち入りを 禁止しているわけではない罪,たとえば軽犯罪法1条23号 (窃視罪), 33号 (はり札罪),鉄道営業法35条 (無許可演説勧誘等罪) などは取り 扱わない。さらに,漁港漁場整備法24条1項 (無許可立ち入り罪・罰則 同45条1号) 等,本稿で取り上げたもの以外にも立ち入りを禁止する特 別法はあるが,紙幅の関係上すべてを網羅することは控えたい。 (4) 第2回国会衆議院司法委員会会議録第2号。 (5) 稲田輝明=木谷明「軽犯罪法」平野龍一・佐々木史朗・藤永幸治編 『注解特別刑法7』(青林書院,昭和57・1982年) 14頁。 (6) 橋本裕蔵『軽犯罪法の解説』4訂版 (一橋出版,平成11・1999年) 5 頁。 (7) 伊藤榮樹 (勝丸充啓改訂) 軽犯罪法』新装第2版 (立花書房,平成 25・2013年) 3頁参照。 (8) 伊藤・前掲注 (7) 3頁。同旨,稲田=木谷・前掲注 (5) 23頁。 (9) 伊藤・前掲注 (7) 3頁。 (10) 大塚仁『特別刑法』法律学全集42 (有斐閣,昭和34・1959年) 99頁。 (11) 東京高判昭24・7・29高刑集2巻1号53頁。 (12) 前掲東京高判昭24・7・29。 20 (13) (桃山法学 第25号 ’15) 私見によれば法益保護そのものではなく法益保護を志向する行為規範 違反が犯罪の本質である。行為規範については,江藤隆之「行為規範と 事前判断」 川端博先生古稀記念論文集』上巻 (成文堂,平成26・2014 年) 25頁以下。 (14) 伊藤・前掲注 (7) 50頁。 (15) たとえば,伊藤・前掲注 (7) 55頁。なお,稲田=木谷・前掲注 (5) 20頁は,「本号の罪は,刑法130条の住居侵入罪の補充規定であるとする のが一般的である」と述べるが,続けて「異質な点もある」と指摘して いる。 (16) 伊藤・前掲注 (7) 54頁。なお,橋本・前掲注 (6) 16頁は,これを 刑法130条と同様に解するとしながら,「特別な意味はない」とすべきで はなく「違法を意味すると解さなければならない」という。しかし,こ こで「特別な意味がない」とは「違法であるという以外に特別な意味が ない」すなわち構成要件の問題としては機能しないという趣旨であろう。 たとえば,高橋則夫『刑法各論』第2版 (成文堂,平成26・2014年) 148頁は,刑法130条の「正当な理由がないのに」について,「違法性阻 却事由が存在しないことを注意的に規定したにすぎず,特に意味はな」 いとしている。 (17) 伊藤・前掲注 (7) 54頁,大塚・前掲注 (10) 102頁。 (18) 伊藤・前掲注 (7) 54頁,橋本・前掲注 (6) 16頁,稲田=木谷・前 掲注 (5) 30頁。 (19) 第2回国会衆議院司法委員会会議録第5号。 (20) 稲田=木谷・前掲注 (5) 27頁。 (21) 橋本・前掲注 (6) 16頁以下。 (22) 伊藤・前掲注 (7) 50頁。 (23) あくまで本罪にかぎったことであり,私見が一般に準抽象的危険犯の 概念を認めるという趣旨ではない。準抽象的危険犯の概念については, 山口厚『危険犯の研究』(東京大学出版会,昭和57・1982年) 248頁以下 参照。 (24) 伊藤・前掲注 (7) 219頁。 (25) 橋本・前掲注 (6) 87頁。 (26) 大塚・前掲注 (10) 121頁はおそらくこの立場であろう。 (27) 稲田=木谷・前掲注 (5) 152頁。 (28) 警察庁刑事局『判例中心特別刑法「軽犯罪法」 1977年) 55頁。 (立花書房,昭和52・ 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 (29) 21 伊藤・前掲注 (7) 222頁。ただし,自動車そのものが無施錠であっ ても,自宅ガレージ内や契約者以外立ち入り禁止の駐車場に駐車してい る場合など,外形上禁止が明示的に表明されている場合には「入ること を禁じた」に当たるという。 (30) 伊藤・前掲注 (7) 223頁。 (31) 伊藤・前掲注 (7) 223頁,稲田=木谷・前掲注 (5) 155頁。 (32) 稲田=木谷・前掲注 (5) 155頁。当然,単なる鉢植えやプランター は含まれない。 (33) (34) 稲田=木谷・前掲注 (5) 155頁。 大倉馨「不退去的事案に対する軽犯罪法一条三二号の適用」警察学論 集31巻6号 (昭和53・1978年) 14頁。 (35) 橋本・前掲注 (6) 88頁。 (36) 伊藤・前掲注 (7) 222頁。 (37) 稲田=木谷・前掲注 (5) 156頁は,このような場合に「消極説を前 提としても『立ち入り行為』にあたると解する余地がある」というが, それは「あまりに文理から離れた」(伊藤・前掲注 (7) 223頁) 解釈で あり,不当であるというべきだろう。 (38) なお,もちろん,行為者が寝転んでいたり座り込んでいるなどでない かぎり,新たな範囲を指定して立ち入りを禁じて,その場所に作為によっ て立ち入った場合に本罪を成立させることは可能である。たとえば閉園 後の庭園のAゾーンに滞留している行為者に対し,新たにBゾーンへの 立ち入りを禁ずることによって,行為者の作為によるBゾーンへの立ち 入りを本罪の対象にすることは可能である。 (39) 鉄道営業法の沿革について原田國男「鉄道営業法」 注解特別刑法2 交通編 (2)』(青林書院新社,昭和58・1983年) 1頁以下参照。 (40) 伊藤榮樹=河上和雄「鉄道営業法」 注釈特別刑法第6巻Ⅱ』(立花書 房,平成 6・1994年) 4頁。 (41) 本罪の沿革については,平本喜「新幹線鉄道における列車運行の安 全を妨げる行為の処罰に関する特例法」 注解特別刑法2交通編 (2)』 (青林書院新社,昭和58・1983年) 1頁以下。 (42) 新幹線特例法第1条 「この法律は,新幹線鉄道 (全国新幹線鉄道整備法 (昭和45年法律第 71号) による新幹線鉄道をいう。以下同じ。) の列車がその主たる区間 を200キロメートル毎時以上の高速度で走行できることにかんがみ,そ の列車の運行の安全を妨げる行為の処罰に関し,鉄道営業法 (明治33 22 (桃山法学 第25号 ’15) 年法律第65号) の特例等を定めるものとする。」 (43) 原田・前掲注 (39) 67頁,伊藤=河上・前掲注 (40) 26頁。 (44) 江藤・前掲注 (2) 1頁以下。 (45) 制止に気がつかなければ本罪が成立しないことからも明らかである。 なお,原田・前掲注 (39) 68頁は,制止に気づかない場合は処罰できな いと正当に解しているにもかかわらず,本罪を「社会的礼儀を維持する ための罰則規定」(同67頁) と解しており,疑問である。 (46) (47) 原田・前掲注 (39) も同様に解する。 和田俊憲は条文は「車室」であるから「車両」ではなく,車両内の小 さな個室スペースをイメージしたのではないかという。なるほど,そう であるかもしれない。和田俊憲『鉄道と刑法の話』(NHK 出版,平成25・ 2013年) 140頁。 (48) そうでなければ単なるマナーに対して刑罰がかかることになってしま い妥当性を欠くだろう。刑事罰を科す以上,相当の限定が必要である。 (49) 和田・前掲注 (47) 140頁。 (50) 原田・前掲注 (39) 79頁。 (51) 伊藤=河上・前掲注 (40) 32頁。 (52) 最判昭59・12・18刑集38巻12号3026頁。 (53) 伊藤=河上・前掲注 (40) 32頁。 (54) 札幌高判昭33・6・10高刑裁特5巻7号271頁。 (55) 大阪簡判昭40・6・21下刑集7巻6号1263頁。 (56) こう解すると駅に入る一般乗客のすべてが鉄道地内侵入罪の構成要件 に該当し,ただ違法性が阻却されるにすぎないと考えることになり,現 実にそぐわないばかりか,理論的にも構成要件の違法性推定機能を損ね ることになり不当である。 (57) (58) なお,原田・前掲注 (39) 81頁参照。 制定当時は,日米安保条約にもとづく協定が地位協定ではなく行政協 定であったため,刑事特別法の名称も「日本国とアメリカ合衆国との間 の安全保障条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法」であった。内容と しては本稿の論述に影響を与えるような改正はないため,本稿において はいずれも刑事特別法として扱う。 (59) (60) 最決昭34・12・16刑集13巻13号3225頁。 刑事特別法に関する刑法学者の総説的論稿としては,木村龜二「刑事 特別法」法律時報266号 (1952年) 606頁以下。 (61) 日米地位協定第2条1項 立ち入りを禁じる特別刑法と刑法130条 23 「合衆国は,相互協力及び安全保障条約第6条の規定に基づき,日本 国内の施設及び区域の使用を許される。個個の施設及び区域に関する協 定は,第25条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければなら ない。「施設及び区域」には,当該施設及び区域の運営に必要な現存の 設備,備品及び定着物を含む。 合衆国が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く 行政協定の終了の時に使用している施設及び区域は,両政府がの規定 に従って合意した施設及び区域とみなす。」 (62) その詳細な解説については,琉球新報社編『日米地位協定の考え方』 (高文研,平成16・2004年) 29頁以下。 (63) 地位協定研究会『日米地位協定逐条批判』(新日本新聞社,平成 9・ 1997年) 21頁。 (64) 本間浩『在日米軍地位協定』(日本評論社,平成 8・1996年) 102頁以 下。 (65) (66) 本間・前掲注 (64) 114頁参照。 木村・前掲注 (60) この修正案を「あまり重要なものであったとはい い得ないようである」というが,区域の範囲について 実際に国民が 官報を読んでその境界を調べるかという実効性の有無はともかく 公 示することには一定の意味があったと思われる。 (67) (68) 伊藤・前掲注 (7) 55頁。 中山研一「軽犯罪法第1条第32号違反の罪と鉄道営業法第35条違反の 罪との罪数関係」法学論叢 (昭和42・1967年) 100頁,毛利晴光「住居 を侵す罪」大塚仁=河上和雄=中山善房=古田佑紀『大コンメンタール 刑法』第3版第7巻 (青林書院,平成26・2014年) 277頁。 (69) 通説によれば住居侵入罪であるが,私見は当該囲繞地が看守されてい る場合にかぎり邸宅侵入罪であると解する。江藤・前掲注 (2) 22頁。 (70) 伊藤・前掲注 (7) 225頁。 (71) 稲田=木谷・前掲注 (5) 157頁。 (72) 稲田=木谷・前掲注 (5) 157頁は,1号と32号について「多くの場 合観念的競合を構成する」というが,行為が異なるので観念的競合には ならない。 (73) (74) 前掲最判昭59・12・18。 平本・前掲注 (41) 34頁。それゆえ,鉄道営業法37条と競合するとき は新幹線特例法3条2号のみが成立することになる。 (75) そもそもあえて立ち入りを禁止していない場所であれば,立ち入りを 24 (桃山法学 第25号 ’15) 処罰する必要がない。最大決昭和34・12・16刑集13巻13号3225頁。 (76) 最決昭41・5・19刑集20巻5号335頁。 (77) 原田・前掲注 (39) 6頁も観念的競合と解する。 (78) 中野次雄「軽犯罪法1条32号の罪と鉄道営業法37条の罪との罪数関係」 警察研究38巻11号 (昭和42・1967年) 118頁。 (79) 前掲大阪簡判昭40・6・21は,両罪は特別法関係にないと解している。 その理由は,同判決は軽犯罪法1条32号の成立には行為者に当該場所が 立ち入りを禁じられている場所であるという認識が必要であるが,鉄道 営業法37条にはそのような認識が必要ではないからと説明する。しかし, すでに本文で言及したように,鉄道営業法37条の客体にも「立ち入りが 禁じられた」という限定がかけられるべきであり,そうであるからには 行為者に当該停車場等が立ち入りが禁じられた場所である認識が故意の 内容として当然要求される。 (80) 前掲判例最決昭41・5・19は,拘留29日および科料900円を科している。 25 新しい捜査方法の適法性について 大久保 正 はじめに Ⅰ 第4修正の保護法益と (1) 「捜索」 財産とプライバシー 1 Katz 判決と Jones 判決 2 Jones 判決の内容 (2) Ⅱ Jones 判決の評価 1 法廷意見と補足意見の相違点 2 Jones 判決の守備範囲 3 残された問題点 新しい捜査方法の適法性 (1) GPS 装置を装着する場合 1 強制処分と任意処分の区別 2 強制処分法定主義の意義 3 令状主義の原則 (形式要件と実質要件) 4 小括 (2) 既存の機能を利用する場合 1 法益侵害性 2 任意捜査の限界 3 任意捜査の規制 4 小括 おわりに キーワード:新しい捜査方法, 強制処分法定主義, 令状主義の原則 人 26 (桃山法学 第25号 ’15) は じ め に あなたの自動車に GPS 装置が取り付けられ, 走行する自動車の位置情 報を収集されているとしたら, あなたはどう感じるであろうか。 GPS 装 置を取り付けられたとしても, 自動車の運転には何ら支障を来たさないこ とから, それを許容することができるであろうか。 あるいは, あなたの携 帯電話の電波が追跡され, あなたの居場所が察知されているとしたら, あ なたはどう感じるであろうか。 携帯電話を使用する利便性との引き換えに, それを許容することがきるであろうか。 GPS 装置を使用した法執行行為については, 近時, アメリカ合衆国に おいて, 重要な判決が下されている。 また, 我が国においても, 下級審で はあるが, GPS 装置を使用した捜査方法の適法性が問題とされている。 科学技術の進歩が目覚しい現代社会においては, 最先端の技術が犯罪捜査 に応用され, 国民の 「プライバシー」 に影響を及ぼす危険性を否定できな い。 そして, 国民の 「プライバシー」 との関係において, 「新しい捜査方 法 (とりわけ 「監視型捜査」)」 の適法性が問題とされる機会が増加するこ とが予想される。 本稿は, アメリカ合衆国における GPS 装置を使用した法執行行為に関 する判例を参考にして, 我が国における 「新しい捜査方法」 の適法性につ いて, 若干の示唆を得ることを試みるものである。 Ⅰ 第4修正の保護法益と 「捜索」 科学技術が犯罪捜査に応用される現代社会においては, 対象者の秘密裡 に, その 「情報」 が収集される危険性がある。 GPS 装置を使用した法執 行行為は, 先端技術を利用した捜査方法の一つとされるが, それは, 対象 者のどのような 「法益」 に, どのような影響を及ぼすのであろうか。 アメリカ合衆国憲法修正第4条 (以下, 第4修正と記す) は, その第1 新しい捜査方法の適法性について 27 文で 「不合理な捜索及び押収に対して, 身体, 住居, 書類, 及び所有物の 安全を保障される人民の権利は, これを侵害してはならない」 と規定し, 第2文で 「令状は全て, 宣誓もしくは確約によって支持される相当な理由 に基づき, かつ逮捕する場所及び逮捕・押収する人又は物が明示されてい (1) ない限り, これを発付してはならない」 と規定している。 もっとも, 憲法 の条項は, 一般的に, その文言の 「簡潔性」 から生じる 「多義性」 を有し ており, 第4修正についても, いかなる態様の法執行行為が 「捜索・押収」 とされるのか, そして, いかなる捜索・押収が 「不合理」 とされるのかに (2) 関して見解の対立がある。 いかなる態様の法執行行為が 「捜索・押収」 とされるのか, そして, い かなる捜索・押収が 「不合理」 とされるのかについては, 第4修正が予定 する 「保護法益」 の理解に依存している。 そして, ある法執行行為が第4 修正の 「捜索」 に該当するのか否かを認定するに際しては, 「捜索」 とい う言葉が本来有する 「調べる・探す」 という意味を離れて, 当該法執行行 為が第4修正の 「保護法益」 に影響を及ぼすのか否かを基準として判断さ (3) れている。 したがって, 第4修正の保護法益を 「財産権」 と捉えるならば, 財産権を侵害する法執行行為が 「捜索」 とされるのに対して, それを 「プ ライバシー」 と捉えるならば, プライバシーの利益を侵害する法執行行為 が 「捜索」 とされる。 ここでは, 近年の合衆国最高裁判例の動向という観点から, 合衆国最高 裁が意図する第4修正の 「保護法益」 を明らかにすることを通して, GPS 装置を使用した法執行行為の適法性について検討する。 (1) 財産とプライバシー GPS 装置を使用した法執行行為が 「捜索」 に該当するのか否かは, 第 4修正の 「保護法益」 の理解に依存する。 それでは, 合衆国最高裁は, 第 4修正の保護法益として, 「財産権」 と 「プライバシー」 のどちらを重視 しているのであろうか。 28 (桃山法学 第25号 ’15) 1 Katz 判決と Jones 判決 コモン・ローの下において, 「個人の財産」 は神聖な権利とされており, (4) 個人の財産の保障こそが, 政府の主たる目的であった。 財産権の保障は, 第4修正の基礎をなす政策として, アメリカ合衆国憲法に採択された。 そ して, 比較的最近まで, 第4修正の 「捜索」 に該当するのか否かの分析は, 「憲法で保護された領域への侵入 (不法侵入)」 が存在したのか否か, すな わち, 私有財産に対する 「物理的な侵害」 があったのか否かに集中してい (5) た。 ところが, 第4修正の分析に際して 「財産権」 を重視する解釈は, 1960 年代になって支持を失い始めた。 Silverman v. United States 事件 (1961年) において, Douglas 裁判官は, 第4修正の問題を分析するに際しては, 「財産権」 の侵害ではなく, むしろ, 「プライバシー」 の侵害こそが重要な (6) 指針となる旨を示唆した。 その後, Warden v. Hayden 事件 (1967年) に おいて, 合衆国最高裁は, 「第4修正の最も重要な目的は, 財産ではなく (7) プライバシーの保護である」 旨を述べた。 最終的に, Katz v. United States 事件 (1967年) において, 合衆国最高 裁は, 第4修正の適用に際して, 「不法侵入 (現実の物理的な侵害)」 の存 (8) 在を要件とすることを破棄した。 そして, 第4修正の問題を分析するに際 しては, Katz 判決の補足意見としてHarlan 裁判官が述べた 「基準」 が使 (9) 用されることになった。 その 「プライバシー」 の基準は, ①個人がプライ バシーに対する合理的な期待を抱いていたのか否かという主観的要素と, ②そのようなプライバシーが社会において合理的であると認められるのか (10) 否かという客観的要素を内包するものであり , ①と②の要素を充足する 「プライバシー」 を侵害する法執行行為は, 第4修正の趣旨の範囲内にお (11) ける 「捜索」 に該当する。 このように, Katz 判決以降, 裁判所が, 「憲法で保護された領域への侵 入 (不法侵入)」 の存否に焦点を当てることはなくなった。 したがって, Katz 判決の登場によって, 第4修正の 「保護法益」 をめぐる議論, すな わち, 「財産権」 と 「プライバシー」 をめぐる論争は, 収束に向かったか 新しい捜査方法の適法性について 29 に思われていた。 ところが, 合衆国最高裁は, Jones v. United States 事件 (2012年) にお いて, 明らかに Katz 判決とは異なる 「保護法益」 の解釈を示したことか (12) ら, 修正4条の 「保護法益」 をめぐる議論が再燃することになった。 2 Jones 判決の内容 第4修正の 「保護法益」 をめぐる議論を再燃させるきっかけとなった (13) Jones 事件の概要は, 次の通りである。 FBI (連邦捜査局) と MPD (コロンビア特別区警察) の合同捜査本部 は, コロンビア特別区内でナイトクラブを経営する Antoine Jones につい て, 麻薬の不法取引の嫌疑で捜査を開始した。 合同捜査本部は, Jones の 行動を把握するために, Jones が使用する ( Jones の妻名義で登録されて いる) 自動車に 「電子追跡装置」 を装着することの許可を求めて, 裁判所 に令状を請求した。 コロンビア特別区連邦地方裁判所は, 「コロンビア特 別区内」 で 「10日間」, 対象車両に電子追跡装置を装着することを認める 令状を発付した。 ところが, 合同捜査本部は, 令状発付から 「11日目」 に, 「コロンビア特別区外 (メリーランド州)」 で, 公設駐車場に駐車中の対象 車両 (車体底部) に対して, GPS (Global Positioning System) 装置を装 着した。 そして, それから28日間にわたって, 対象車両の移動を追跡・監 視した。 その結果, Jones と共犯者が, 「共謀の上, 5キログラム以上のコカイ ンを譲渡する目的で所持していた事実等」 が明らかとなり, それが連邦法 に違反するものとして, Jones と共犯者は起訴された。 それに対して, Jones は, 令状によらない (令状の条件に違反する) GPS 装置の使用によっ て得られた証拠の排除を申し立てた。 2006年, コロンビア特別区連邦地方裁判所は, 当該法執行行為を 「プラ イバシー」 の観点から考察し, 対象車両が, Jones の自宅ガレージに駐車 中については, Jones の 「プライバシーに対する合理的な期待」 が認めら れることを理由として, その間に集積された情報を証拠から排除した。 そ 30 (桃山法学 第25号 ’15) の一方で, 公道上を自動車で移動する際には, Jones の 「プライバシーに 対する合理的な期待」 が認められないことを理由として, その間に集積さ れた情報の証拠能力を肯定した。 Jones 事件をめぐる陪審の評議には紆余 曲折があったものの, 2007年, 陪審の 「有罪評決」 を受けたコロンビア特 (14) 別区連邦地方裁判所は, Jones に対して終身刑を言い渡した。 2010年, コロンビア特別区連邦控訴裁判所は, 令状によらずに GPS 装 置を使用し, 証拠を収集することは, Jones の 「プライバシーに対する合 (15) 理的な期待」 を侵害するものとして, 原判決を破棄した。 これを不服とし た政府は, 合衆国最高裁に上告 (裁量上訴) した。 合衆国最高裁は, 以下の理由に基づいて, 上告を棄却した。 ① Scalia 裁判官による法廷意見 (16) Scalia 裁判官が執筆した 「法廷意見」 の概要は, 以下の通りである。 A 法執行機関が GPS 装置を自動車に装着し, それを使用して当該車両 の移動を監視したことは, 第4修正の 「捜索」 に該当する。 本件における 政府は, 情報を収集する目的で, Jones の自動車を物理的に侵害している が, このような私有財産への侵入が, 起草者の意図した 「捜索」 に該当す ることに疑いの余地はない (少なくとも, 20世紀後半に至るまで, 第4修 正は, コモン・ロー上の 「不法侵入」 と結び付けて理解されていた)。 B 政府は, Jones には 「プライバシーに対する合理的な期待」 が認めら れないことを理由として, 第4修正の 「捜索」 に該当しないと主張してい るが, 本件における, GPS 装置の装着・使用は, 私有財産への侵入 (物 理的な侵害) を伴うものであることから, プライバシーの問題は考察する 必要がない。 C 確かに, Katz 判決の登場によって, 裁判所は, それまでの 「財産権」 に依拠したアプローチから離れて, 「プライバシー」 に依拠するアプロー チを採択することになった。 しかし, Katz 判決は, 「財産権」 に依拠した アプローチを排除するものではない。 すなわち, Katz 判決は, 第4修正 による保護の範囲を 「プライバシー」 に限定するものではなく, 従来の 新しい捜査方法の適法性について 31 「財産権」 の保護に加えて, 「プライバシー」 をも保護の対象とする旨を述 べるものである。 本件における GPS 装置の装着・使用は, 第4修正の 「捜索」 に該当 D することから, 令状によらない GPS 装置の装着・使用は, Jones の第4 修正の権利を侵害する。 ② Alito 裁判官による補足意見 Alito 裁判官が執筆した 「補足意見」 は, Katz 判決によって確立された 基準 (プライバシーに対する合理的な期待) の観点から, 本件を分析して (17) いる。 A 本件においては, GPS 装置を使用した監視が, Jones の 「プライバシー に対する合理的な期待」 を侵害するのか否かを分析する必要がある。 B それによると, 公道において, 人の移動を比較的 「短期間」 監視する ことは, 社会が 「合理的」 と認めるものであり, プライバシーの侵害とは ならない (すなわち, 第4修正の 「捜索」 には該当しない)。 C それに対して, 「長期間」 にわたって監視する場合は, もはや社会が 「合理的」 と認める範囲を超えるものであることから, そのような法執行 行為は, プライバシーの侵害となる (すなわち, 第4修正の 「捜索」 に該 当する)。 D 本件における GPS 装置を使用した監視は, 4週間にも及ぶ (長期間 に該当する) ものであり, そのような法執行行為は, 第4修正の 「捜索」 に該当することから, コロンビア特別区連邦控訴裁判所の判決を支持する。 ③ Sotomayor 裁判官による補足意見 Sotomayor 裁判官は, 法廷意見の結論に同調しつつも, プライバシー保 (18) 護の観点から, 以下のような意見を述べている。 A 憲法で保護された領域に対する物理的な侵害を伴う法執行行為は, 第 4修正の 「捜索」 に該当する。 B 私有財産に対する不法侵入 (物理的な侵害) を伴わない場合であって 32 (桃山法学 第25号 ’15) も, 社会が合理的であると認めるプライバシー (プライバシーに対する合 理的な期待) を侵害する場合については, 第4修正の 「捜索」 に該当する。 C 本件は, 政府が Jones の財産を 「物理的に侵害」 している事例であり, プライバシーをめぐる難しい問題を解決することは不要であるから, 法廷 意見の結論に同調する。 (2) Jones 判決の評価 Jones 判決の登場によって, Katz 判決の基準は 「過去の遺物」 となって しまったのであろうか。 それとも, Katz 判決の基準は生き残り, Jones 判 決の基準と両立するのであろうか。 その場合, 両基準の適用関係は, どの ように理解すべきなのであろうか。 ここでは, Jones 判決における 「法廷 意見」 と 「補足意見」 の相違 (対立) 点を整理し, Jones 判決の下におけ る 「プライバシーに対する合理的な期待」 の位置付けを確認することを通 して, Jones 判決の 「守備範囲」 を明らかにする。 そして, Jones 判決で は解決されない 「残された問題点」 を指摘する。 1 法廷意見と補足意見の相違点 Jones 判決は, GPS 装置を装着し, 追跡・監視 (情報収集) する法執行 行為について, それを第4修正の 「捜索」 と認定するものであるが, 第4 修正の 「捜索」 を認定する基準 (すなわち, 第4修正の 「保護法益」 の理 解) に関しては, 「法廷意見」 と 「補足意見」 との間で大きな見解の相違 がみられる。 ① Scalia 裁判官による法廷意見について Alito 裁判官は, Scalia 裁判官が執筆した法廷意見に対して, 次のよう (19) な批判を展開している。 法廷意見は, 自動車に GPS 装置を装着して使用する法執行行為が, 第 4修正の 「捜索」 に該当するものと評価しているが, GPS 装置を 「装着」 する行為と, それを 「使用」 する行為が, それぞれ 「捜索」 に該当するの 新しい捜査方法の適法性について 33 か否かについては検討の余地が残る。 法廷意見は, 第4修正の 「文言」 (第4修正が採択された当時の意義) を過度に重視しており, 21世紀の先 端技術である 「GPS 装置による監視」 の問題を, 18世紀の不法行為法に 基づいて判断しようとしている。 法廷意見は, 不法侵入の法理 (物理的な 侵害) に依拠して 「捜索」 を認定しているが, そのような不法侵入の法理 は, 合衆国最高裁において幾度となく批判に晒されており, Katz 判決以 降, 第4修正の適用に際して, 「政府による不法侵入 (現実の物理的な侵 害)」 を重要視しないことは, 多くの判例が蓄積するところである。 Alito 裁判官は, その他, 「法廷意見」 が抱える様々な問題点を指摘して (20) いる。 A 法廷意見は, 本件における本当に重要で検討すべき点が, 「長期間に わたって GPS 装置を使用すること」 の適法性であるにもかかわらず, そ れを無視して, 大多数の人が 「些細なこと」 と感じるであろう 「運転に支 障を来たさない小さい物体を車体底部に装着すること」 の適法性を重視し ている (この程度の物体の装着は, 近代不法行為法における回復訴訟の根 拠にもならない)。 B 法廷意見によると, 車両に GPS 装置を装着する場合には, 第4修正 の 「捜索」 に該当するのに対して, 法執行官が, GPS 装置を装着するこ となく, 同じ車両を 「長期間」 にわたって (例えば, 地上や上空からの援 助を受けながら) 追跡・監視したとしても, 第4修正の 「捜索」 には該当 しないことになる。 C 法廷意見の理論によるならば, 夫婦の共有財産制を規定している州と 規定していない州によって, 結論を異にする可能性がある。 すなわち, 夫 婦の共有財産制を規定していない州においては, 妻名義で登録されている 車両は, 夫の車両とはいえないことから, 夫が使用する妻名義の車両への 不法侵入 (物理的な侵害) は, 第4修正の 「捜索」 に該当しないことにな る。 D 法廷意見の理論によるならば, 不法侵入 (物理的な侵害) を伴わずに (純粋に電子的な手段によって) 監視が行われた場合については, 第4修 34 (桃山法学 第25号 ’15) 正の 「捜索」 に該当しないことになる。 ② Alito 裁判官による補足意見について Alito 裁判官の補足意見に対して, 法廷意見は, 次のような反論を展開 (21) している。 Alito 裁判官の補足意見は, 法廷意見について, 「物理的な侵害を伴わ A ない場合 (純粋に電子的な手段によって監視する場合)」 に対応できない と批判しているが, 法廷意見は, 「不法侵入の有無」 を排他的な基準とす るものではない。 物理的な侵害を伴わない場合については, Katz 判決の 規準 (プライバシーに対する合理的な期待) の適用を排斥するものではな い。 B Alito 裁判官の補足意見によると, 比較的 「短期間」 の監視は, 第4 修正の 「捜索」 に該当しないのに対して, 「長期間」 にわたる監視は, 第 4修正の捜索に該当するものとされるが, それらを区別する 「分岐点」 が 曖昧であり, 「捜索」 に該当するのか否かを判断する規準として明確性を 欠く。 Alito 裁判官の見解は, 「それだけでは法益侵害に該当しない法執行 行為であっても, それが積み重なるのであれば, 対象者の法益を侵害する 可能性が生じる」 という理論に基づくものであるが, Alito 裁判官自身が 自覚している通り, 法益 (プライバシー) 侵害となるのか否かの 「分岐点」 については, 裁判所が判断するのに適していない。 このように, Scalia 裁判官の法廷意見と Alito 裁判官の補足意見は, 第 4修正の保護法的 (すなわち第4修正の 「捜索」) の理解において, 重大 な差異がみられる。 この点について, Sotomayor 裁判官の補足意見は, 次 (22) のように述べている。 Alito 裁判官の補足意見は, 不法侵入 (物理的な侵害) の基準が内包し ている 「最低限度の保障機能」 を軽視するものである。 法廷意見の理解に よると, 第4修正は, ある法執行行為が 「物理的な侵害」 を伴う場合につ いて, それを私有財産 (財産権) に対する不法侵入として 「捜索」 とする 新しい捜査方法の適法性について 35 だけではなく (最低限度の保障), 「物理的な侵害」 を伴わない場合につい ても, プライバシーに対する合理的な期待を侵害するものとして, それを 「捜索」 とする可能性を残している。 すなわち, Katz 判決による 「プライ バシーに対する合理的な期待」 の規準は, それ以前の 「不法侵入」 の規準 を拡張するものであり, それに置き換えたり, それを縮小するものではな い。 したがって, Jones 判決で用いられた 「不法侵入」 の規準と, Katz 判 決にいう 「プライバシー」 の規準とは, 互いに排斥し合うものではなく, 両立するものである。 本件については, 「物理的な侵害」 を伴う事例であ る以上, 「不法侵入」 の規準の適用で解決することが可能であり, あえて 「プライバシー」 の規準を持ち出す必然性は認められない。 2 Jones 判決の守備範囲 Jones 事件において, 被告人 Jones は, ①自動車に GPS 装置を装着す る行為が 「捜索」 に該当すること, ② GPS 装置の装着・使用に関わらず, 自動車を追跡・監視する行為そのものが, 第4修正の 「捜索」 に該当する こと, ③ GPS 装置の装着・使用に関わらず, 少なくとも, 長期間にわたっ て自動車を追跡・監視する行為は, 第4修正の 「捜索」 に該当することを 理由として, 令状によらない法執行行為の違法性を主張していた。 この点について, 合衆国最高裁の法廷意見は, Jones の自動車に GPS 装置を 「装着」 し, それを使用して車両を 「追跡・監視 (情報収集)」 す る行為を, Jones の自動車 (財産) に対する不法な侵入として, 第4修正 (23) の 「捜索」 に該当するものと判断している。 そこには, GPS 装置を装着 するという要素と, それを使用して追跡・監視 (情報収集) するという要 素が含まれており, その点に鑑みるならば, 法廷意見は, 単に GPS 装置 を装着する行為 (①の行為), あるいは, 単に追跡・監視 (情報収集) す る行為 (②の行為) が, 第4修正の 「捜索」 を構成するとは考えていない ことを読み取ることができる。 それに対して, Alito 裁判官の補足意見は, 「プライバシーに対する合理 的な期待」 の侵害という観点から, ③の行為についてのみ, 第4修正の 36 (桃山法学 第25号 ’15) (24) 「捜索」 に該当するものと判断しており, プライバシーの重要性を強調す る Sotomayor 裁判官の補足意見は, ①の行為と②の行為の組み合わせだ けでなく, ②の行為, ③の行為についても, 第4修正の 「捜索」 に該当す (25) るものと判断している。 (26) 合衆国最高裁の立場は, 次のように要約することができる。 A GPS 装置を装着するだけでは, 第4修正の 「捜索」 には該当しない (9人の裁判官全員の見解が一致している)。 B 短期間の追跡・監視それ自体は, 第4修正の 「捜索」 には該当しない (Sotomayor 裁判官以外の8人の裁判官の見解が一致している)。 C GPS 装置を装着し, それを使用して追跡・監視 (情報収集) するこ とは, 第4修正の 「捜索」 に該当する (法廷意見を構成した4人の裁判官 と Sotomayor 裁判官の見解が一致している)。 D GPS 装置の装着 (物理的な侵害) がなくても, 長期間にわたる監視 は, 第4修正の 「捜索」 に該当する可能性がある (少なくとも, Alito 裁 判官の補足意見に同調した4人の裁判官と Sotomayor 裁判官の見解が一 致しているが, 法廷意見を構成した4人の裁判官については, この点を考 察していないので不明である)。 このように, Jones 判決において明らかになったのは, GPS 装置を 「装 着」 し, それを使用して 「追跡・監視 (情報収集)」 する法執行行為が, 第4修正の 「捜索」 に該当するという点であり, その点が Jones 判決の 「守備範囲」 と評価することができる。 それに対して, ① GPS 装置の装着 (物理的な侵害) を伴わない (純粋に電子的な手段による) 監視や, ② 「長期間」 にわたる監視について, それが第4修正の 「捜索」 に該当する のか否かは, 未だ明らかになっていない。 3 残された問題点 Jones 判決において残された問題点としては, 次の2点が挙げられる。 新しい捜査方法の適法性について 37 第1に, GPS 装置の装着・使用という 「物理的な侵害」 を伴う法執行行 為が, 第4修正の 「捜索」 に該当するとして, そのような法執行行為に際 して, 「令状」 や 「相当な理由」 が要求されるのか否かという点である。 第2に, 純粋に電子的な手段によって位置情報を収集する等, ある法執行 行為が 「物理的な侵害」 を伴わない場合, そのような法執行行為が第4修 正の 「捜索」 に該当するのか否かという点である。 ① 「令状」 と 「相当な理由」 Jones 判決において, 自動車に GPS 装置を装着し, それを使用して追 跡・監視 (情報収集) する法執行行為 (以下, GPS 捜索と記す) が, 第 4修正にいう 「捜索」 に該当することは明らかになった。 しかし, GPS 捜索に際して, 「令状」 や 「相当な理由」 が要求されるか否かについては, 別に考察されなければならない。 第4修正は, その第1文で 「不合理な捜索及び押収に対して, 身体, 住 居, 書類, 及び所有物の安全を保障される人民の権利は, これを侵害して はならない」 と規定し, 第2文で 「令状は全て, 宣誓もしくは確約によっ て支持される相当な理由に基づき, かつ逮捕する場所及び逮捕・押収する 人又は物が明示されていない限り, これを発付してはならない」 と規定し ている。 すなわち, 令状による捜索・押収こそが原則とされ, 令状によら ない捜索・押収は, 「特別に確立され, 明確に定義された例外」 に該当し (27) ない限り 「不合理」 であるとされる。 GPS 捜索を見てみると, それが 「公道」 で, 「自動車」 を対象として行 われていることから, 「緊急の必要性」 という側面と, 「プライバシーに対 する合理的な期待の減少」 という側面において, 令状主義の原則に対する 「特別に確立され, 明確に定義された例外」 に該当する可能性が生じる。 そこで, GPS 捜索の法的性質について, 第4修正の 「形式要件」 と 「実 質要件」 の観点から分析し, その適法性の要件を再検討する必要性が認め られる。 この点, United States v. Katzin 事件 (2013年) において, 第3巡回区 38 (桃山法学 第25号 ’15) 連邦控訴裁判所 (以下, 裁判所と記す) は, 極めて重要な判断を示してい (28) る 。 それは, Jones 判決では明らかにされなかった, GPS 捜索に際して 「令状」 及び 「相当な理由」 が要求されるのか否かについて具体的に述べ るものである。 まず, 裁判所は, 「相当な理由 (probable cause)」 よりも嫌疑の程度が 低い, いわゆる 「合理的な疑い (reasonable suspicion)」 に基づいて, 令 状によらない GPS 捜索が 「合理的」 とされる可能性について検討した。 裁判所は, 一般論として, 一定の状況の下において, 「令状」 及び 「相当 な理由」 によらずに捜索を行うことが許容される旨を述べた。 ここに一定 (29) の状況とは, ① 「特別の必要性 (special needs)」 が認められる状況, ② プライバシーに対する合理的な期待が減少する (diminished privacy excep(30) tions) 状況, ③いわゆる 「停止と身体捜検 (stop and frisk)」 に該当する (31) 状況である。 そして, 裁判所は, Katzin 事件における GPS 捜索が, ①刑 事訴追を目的とするものであること (したがって, 刑事訴追を目的としな い 「特別の必要性」 が認められる状況ではなかった), ②GPS 装置を装着 した時点において, 一般市民である Katzin には, 完全なプライバシーが 保障されていたこと (プライバシーに対する合理的な期待が減少する状況 ではなかった), ③法執行官の身体に対する現実的な危険がなく, 捜検に 許される時間を超えていたこと (「停止と身体捜検」 が認められる状況で はなかった) を見出し, 「相当な理由」 によらずに (「合理的な疑い」 等) に基づいて, 令状によらない捜索が許容される状況ではなかった (「相当 な理由」 に基づかない GPS 捜索は, 常に 「不合理」 である) との結論を (32) 下した。 次に, 裁判所は, 「相当な理由」 が認められる限りにおいて, 「令状によ らない GPS 捜索」 が許容されるのか否かを検討した。 この点について政 (33) 府は, 自動車に対する GPS 捜索が, 「自動車の例外 (automobile exception)」 に該当することを理由として, 「相当な理由」 が認められる限りにおいて, 令状によらずに行うことができる旨を主張した。 裁判所は, 「自動車の例外」 が, 対象車両に犯罪の証拠が積載されてい 新しい捜査方法の適法性について 39 ると信じる 「相当な理由」 がある場合に, 当該車両の令状によらない捜索 が許容されるものであることを確認した上で, GPS 捜索については, GPS 装置を装着する時点において, 法執行官が対象車両に犯罪の証拠が積載さ れているとは認識していない (対象車両の追跡・監視を通して, 将来的に 犯罪の証拠を発見し得る可能性が生じるに過ぎない) 旨を指摘し, 政府の (34) 主張を拒絶した。 すなわち, 「自動車の例外」 は, 自動車の 「可動性」 を 前提に, 証拠を収集・保全する 「緊急の必要性」 を基礎として確立された 「例外法理・法則」 であるところ, GPS 捜索については, そのような 「緊 急の必要性」 の要素を欠く法執行行為であると言える。 したがって, 自動 車の GPS 捜索は, 「自動車の例外」 の射程範囲を超えており, 令状によら ない GPS 捜索は, 第4修正にいう 「不合理な捜索」 に該当する。 また, 様々な規制の対象とされている自動車については, 住居と比較し て, 「プライバシーに対する合理的な期待が減少している (劣後する)」 こ とを指摘し, その点を令状によらない自動車の捜索が許容される根拠と解 する立場もある。 しかし, GPS 捜索は, 将来的に犯罪の証拠を収集・保 全することを目的としており, 法執行行為の時点で対象車両に積載されて いる証拠の収集・保全を試みる 「自動車の例外」 とは, 明らかに類型を異 にする。 したがって, GPS 装置を 「自動車」 に装着するからといって, それを 「自動車の例外」 の法域で問題とされる 「捜索」 と同様に解するこ とはできず, 令状によらない GPS 捜索は, この側面においても許容され (35) ないであろう。 このように, 令状によらない GPS 捜索は, 「合理的な疑い」 に基づく場 合だけでなく, 「相当な理由」 に基づく場合であっても, 第4修正の下に おいて 「不合理」 であると認定される。 したがって, 法執行官が GPS 捜 索を試みる場合, 「相当な理由」 に基づいて発付された 「令状」 が必要と される。 ② 物理的な侵害を伴わない場合 Jones 事件は, 法執行官が Jones の自動車に GPS 装置を装着した事例 40 (桃山法学 第25号 ’15) (すなわち 「物理的な侵害」 を伴う事例) であったことから, 法廷意見は, 不法侵入の観点から第4修正の 「捜索」 を認定している。 したがって, 合 衆国最高裁は, 純粋に電子的な手段によって位置情報を収集する場合 (す なわち 「物理的な侵害」 を伴わない場合) について, そのような法執行行 為の適法性を検討していない。 この点について, 法廷意見は, 「不法侵入 (物理的な侵害の有無)」 を排他的な基準とするものではなく, 物理的な侵 入を伴わない場合については, Katz 判決の規準 (プライバシーに対する 合理的な期待) に依拠する旨を述べているが, その具体的な適用基準につ (36) いては明らかにしていない。 Alito 裁判官は, GPS 装置を装着するのか否かに関わらず, 公道におい て, 人の移動を比較的 「短期間」 監視する法執行行為は, 社会が 「合理的」 と認めるもの (許容限度内) であり, プライバシーの侵害を伴わない (す なわち, 第4修正の 「捜索」 には該当しない) とするのに対して, 「長期 間」 にわたって監視する場合については, もはや社会が 「合理的」 とは認 めない (許容限度を超える) ことから, プライバシーの侵害となる (すな (37) わち, 修正4条の 「捜索」 に該当する) ものと考えている。 Sotomayor 裁判官は, GPS 機能を利用して追跡・監視する法執行行為の 特徴として, 他の追跡・監視手段よりも 「低コスト」 で行うことが可能で ある (すなわち, コストによる抑制が働かない) 旨を指摘している。 また, そのような追跡・監視が 「短期間」 のものであっても, 対象とされる人物 (38) の完全な 「行動履歴」 を提供するという特徴を指摘している。 行動履歴に は, 政治・宗教・性的嗜好に関するものも含まれるが, そのような情報を 政府が記録・保存し, 編集・利用するのであれば, プライバシーの侵害の みならず, 将来における 「表現の自由」 や 「集会の自由」 に対する萎縮効 果をもたらすであろう。 そのような観点から, Sotomayor 裁判官は, あら ゆる GPS 機能を利用した追跡・監視が, 第4修正の 「捜索」 に該当する (39) ものと主張している。 さらに, Sotomayor 裁判官は, プライバシーの重要性に鑑みるならば, 「個人が第三者に任意で公開した情報については, プライバシーに対する 新しい捜査方法の適法性について 41 合理的な期待が認められない」 という合衆国最高裁判例の再検討が必要で (40) あると指摘している。 身の回りの環境がデジタル化された社会において日 常生活を営むためには, 市民は, 携帯電話会社やプロバイダーに対して, 否応なく自らの個人情報を提供せざるを得ない現実に鑑みれば, そのよう な個人情報の提供を 「任意の開示」 と捉え, その 「プライバシーに対する 合理的な期待」 の喪失 (放棄) と捉えることには問題があるからである。 それでは, GPS 捜索との関連において, あるいは, 物理的な侵害を伴 わない追跡・監視 (情報収集) との関連において, 第4修正によって保護 すべき 「プライバシーに対する合理的な期待」 とは, いったい何を意味す るのであろうか。 この点について, Alito 裁判官は, その補足意見の中で, 「プライバシー に対する合理的な期待」 という基準それ自体が抱える問題点を示唆してい (41) る。 それによると, Katz 判決にいう 「プライバシーの規準」 は, ①個人 がプライバシーに対する合理的な期待を抱いていたのか否かという 「主観 的要素」 と, ②そのようなプライバシーが社会において合理的であると認 められるのか否かという 「客観的要素」 を問題とするものであるが, この 基準が要求する 「客観的要素 (合理的な人間が抱くプライバシーに対する 期待)」 は, ともすると, 「担当裁判官」 が抱く 「プライバシーに対する合 理的な期待」 に置き換えられる危険性がある。 それは, 「合理的な人間= 裁判官」 を意味するが, そのような裁判官による 「価値判断」 には大きな 問題が潜んでいる。 そもそも, 個人のプライバシーが民主主義の根幹に位 置付けられることに鑑みれば, 個人のプライバシーに関する繊細な問題は, 国民の代表である議会において, 綿密な議論を重ねた上で決定されなけれ ばならない。 また, 多様な意見を吸い上げ, 様々な資料を収集することが 可能な議会は, その 「組織」 や 「能力」 において, そのような 「価値判断」 (42) に最適の機関であるといえる (裁判所は, そのような 「組織」 や 「能力」 を有していない)。 このような観点から, Jones 判決の法廷意見を再考察するならば, 法廷 意見は, 裁判所の立場 (自らの能力) を弁えて, 「必要最低限度の役割」 42 (桃山法学 第25号 ’15) を演じたものと評価することが可能である。 すなわち, 法廷意見は, 第4 修正の文言に忠実に, 「身体, 住居, 書類, 及び所有物」 に対する不法な 侵入が認められる (「物理的な侵害」 を伴う) 法執行行為を第4修正の 「捜索」 とし, それをもって 「必要最低限度の人権保障」 を全うしようと しているのである。 そして, Jones 事件が 「物理的な侵害」 を伴う事例で ある以上, 「物理的な侵害を伴わない」 場合の考察については, 事例の解 決に必要がないものとして, それを今後の課題として残している。 その一 方で, Jones 判決の法廷意見は, 「物理的な侵害」 の規準 (最低限度の保 障) と Katz 判決の 「プライバシー」 の規準 (それ以上の保障) は, 互い に排斥し合うものではなく, 併存するものであると述べている。 これらの点を踏まえて, 法廷意見の 「プライバシー」 に対する考え方を 推測するならば, 多様化する 「プライバシー」 に関する事項の 「価値判断」 については, 裁判所の 「組織」 や 「能力」 の面から限界があることから, そのような事項については, Katz 判決等を叩き台として, 議会において 積極的な議論を展開し, その適用基準 (プライバシー侵害の 「分岐点」) に関する 「合意」 を形成することを期待しているように思われる。 Ⅱ 新しい捜査方法の適法性 我が国において, GPS 装置を使用して, 対象の位置情報を収集する捜 査方法 (以下, GPS 捜査と記す) の適法性は, どのように理解されてい るのであろうか。 我が国においても, 最近, 下級審ではあるが, GPS 捜 査の適法性に関する複数の決定が下されている。 その一つは, GPS 捜査 は, プライバシー侵害の程度が低いことから, 強制処分には該当せず, 任 意捜査として令状によらずに行うことができると判断したのに対して, 他 の一つは, GPS 捜査は, プライバシーを大きく侵害することから, 強制 処分に該当し, 令状によらない GPS 捜査は違法であると判断している。 今後, GPS 捜査のように, 先端技術を利用して, 対象者の情報を秘密 裏に収集する 「新しい捜査方法 (とりわけ 「監視型捜査」)」 が登場し, そ 新しい捜査方法の適法性について 43 の適法性が問題とされる機会が増えるであろう。 そのような 「新しい捜査 方法」 については, 個人の 「プライバシーに対する合理的な期待」 を侵害 するものとして, 法律によらない限り, 一律に 「違法」 と解することも可 能である。 しかし, 国民が抱く 「プライバシー」 の概念は, 時代とともに 変化しているだけでなく, プライバシーに対する 「感覚 (感受性)」 は, 人によって千差万別である。 したがって, 「新しい捜査方法」 の適法性を 考察するに際しては, 「プライバシー (平均的な国民が抱いているプライ バシーに対する合理的な期待)」 の概念を, 誰が, どのように判断すべき なのかという点を含めて, 極めて難しい問題が提起されることになる。 ここでは, アメリカ合衆国における議論 ( Jones 判決の法廷意見と補足 意見) を参考にして, ①GPS 装置を装着・使用して, 対象の位置情報を 収集する捜査方法 (GPS 装置を装着する場合) と, ②携帯電話等が発す る微弱な電波や携帯機器の GPS 機能を利用して, 対象の位置情報を収集 する捜査方法 (既存の機能を利用する場合) について, その適法性を検討 する。 (1) GPS 装置を装着する場合 アメリカ合衆国において, GPS 装置を装着・使用して位置情報を収集 (43) する捜査方法は, 第4修正の 「捜索」 に該当するものとされている。 そし て, そのような GPS 捜索は, 「令状」 及び 「相当な理由」 によらない限り (44) 違法であると考えられている。 日本国憲法第35条は, 捜索・押収について, 令状主義の原則を規定して いるが, それは, どのような 「法益」 を, どのような 「侵害」 から保護す ることを予定しているのであろうか。 前述のように, 合衆国最高裁は, Katz 判決以降, 第4修正の保護法益 を 「プライバシーに対する合理的な期待」 と捉え, そのような 「プライバ (45) シー」 を侵害する法執行行為が 「捜索」 に該当するものと理解していた。 ところが, Jones 判決の法廷意見が, 第4修正の保護法益を 「財産権」 と 捉え, 私有財産に対する 「不法侵入 (物理的な侵害)」 という基準を再び 44 (桃山法学 第25号 ’15) 持ち出したことから, 第4修正の 「保護法益」 をめぐる議論が再燃するこ とになった。 もっとも, 一般的な理解によると, 「不法侵入」 の基準と 「プライバシー」 の基準は, 互いに排斥し合うものではなく, ある法執行 行為が個人の財産に対する 「物理的な侵害」 を伴う場合には, 「不法侵入」 の基準が, 「物理的な侵害」 を伴わない場合には, 「プライバシーに対する (46) 合理的な期待」 の基準が適用されるものとされている。 憲法第35条については, それが第4修正を承継した規定であることから, その 「保護法益」 についても, 主として 「個人のプライバシー」 を保護す (47) る規定であると考えられている。 もっとも, 憲法第35条の解釈に際しては, 「捜索」 から保護される法益と, 「押収」 から保護される法益とを区別して 考察される傾向がある。 そこでは, 捜索から保護される 「プライバシーに 対する合理的な期待」 と, 押収から保護される 「個人の支配権」 とを想定 することが可能であり, それらが相俟って, 憲法第35条の 「保護法益」 を 構成している。 そして, 我が国の法体系をみてみると, 問題となる捜査方法を, 「強制 処分 (強制捜査)」 と 「任意処分 (任意捜査)」 とに区別した上で, 「強制 処分」 に該当する場合には, 「強制処分法定主義」 と 「令状主義の原則」 (48) に服するものとしている。 したがって, 新しい捜査方法の適法性を考察す るに際しては, まず, 当該捜査方法が 「強制処分」 に該当するのか否かを 認定した上で, それが 「強制処分」 に該当するのであれば, 次に, 「強制 処分法定主義」 と 「令状主義の原則」 との関係を検討するという順序を辿 る。 それでは, 我が国の法体系の下において, GPS 捜査は, どのように位 置付けられるのであろうか。 1 強制処分と任意処分の区別 刑事訴訟法第197条1項但書は, 「強制の処分は, この法律に特別の定の ある場合でなければ, これをすることができない」 と規定している (強制 処分法定主義)。 一般的には, 強制の手段を用いた捜査方法が 「強制捜査」 新しい捜査方法の適法性について 45 であり, 任意の手段を用いた捜査方法が 「任意捜査」 であると考えられる (49) が, 我が国の刑事訴訟法の解釈においては, 明文にある 「強制の処分」 と の対意の観点から, 通常の 「任意」 の意味からは離れて, 「強制処分 (強 制捜査)」 に該当しない捜査方法を 「任意処分 (任意捜査)」 と総称してい (50) る。 そして, 「強制処分」 は, 対象者の意に反して重要な権利 (法益) を 侵害する可能性が高いことから, 犯罪捜査規範第99条は, 「捜査は, なる (51) べく任意捜査の方法によって行われなければならない」 と規定している。 このように, 我が国の刑事訴訟法は, 捜査方法の性質に応じて, 「強制 処分」 と 「任意処分」 とに区別しているが, どのような捜査方法を 「強制 の処分」 とするのかについてまでは言及していない。 したがって, GPS 捜査の適法性を考察するに際しても, まずは第35条の保護法益との関係に (52) おいて, 「強制処分」 の性質を明らかにすることが重要となる。 かつての学説は, 「物理力の行使の有無」 や 「法的義務付けの有無」 と (53) いう基準を用いて, 「強制処分」 と 「任意処分」 とを区別してきた。 しか し, 科学技術の発達とともに科学的な捜査方法が開発された現代社会にお いては, 「物理力の行使」 や 「法的義務付け」 を伴わなくても個人の権利 (法益) が侵害される危険性が増大している。 このような状況を, 「任意処 分」 の問題として, 厳格な法的規制によらずに放置するのであれば, 個人 の権利 (法益) が十分に保護されなくなってしまう。 そこで, 学説におい ては, 個人の権利 (法益) を侵害する捜査方法は, すべて 「強制処分」 と (54) する見解が現れ, 多くの支持を集めるようになった。 この見解によるなら ば, 捜査機関が何らかの実力を行使し, それが対象者の権利 (法益) を制 約する場合, そのような捜査方法は, 直ちに 「強制処分」 に該当すること (55) になるであろう。 しかし, 現実の捜査実務においては, おおよそ何らかの 権利 (法益) の制約がある場合に, それらを全て 「強制処分」 として取り (56) 扱うことが, 必ずしも適切とはいえない事情がある。 なぜなら, 捜査機関 が 「犯罪の捜査」 を行う場合, 捜査対象者との間の 「駆け引き」 を要する ことから, 現実問題として, 何らかの 「有形力」 を行使せざるを得ない状 況に陥ることが容易に想像しうるからである。 そこで, 最近の学説におい 46 (桃山法学 第25号 ’15) ては, 「強制処分」 が令状主義の厳格な要件に服することに鑑みて, その ような厳格な要件を課してまで保護しなければならない 「重要な権利 (法 益)」 に対する 「実質的な侵害 (制約)」 を伴う処分に限って, それを 「強 (57) 制処分」 と解する立場が有力になっている。 「強制処分」 と 「任意処分」 の区別について, 最高裁昭和51年3月16日 決定は, 「強制手段とは, 有形力の行使を伴う手段を意味するもの」 では ないと述べ, 「個人の意思を制圧し, 身体, 住居, 財産等に制約を加えて 強制的に捜査目的を実現する行為など, 特別の根拠規定がなければ許容す (58) ることが相当でない手段」 こそを 「強制処分」 として位置付けている。 判 例による 「強制処分」 の定義については, あまり洗練されたものとはいえ (59) ないという批判もあるが, 学説の多くは, 少なくとも, ① 「意思の制圧の 有無」 と, ② 「身体, 住居, 財産等 (重要な権利・利益) の制約の有無」 という2点については, 「強制処分」 と 「任意処分」 を区別する実質的な (60) 基準として機能するものと理解している。 このような観点から, GPS 捜査についてみてみると, 収集される 「位 置情報」 は, それ自体では特別の意味を持たないことから, 位置情報の収 集によって, 直ちに対象者の 「意思が制圧」 されたと評価することは難し い。 しかし, 捜査機関による GPS 装置の装着は, 自動車等の 「財産」 に 対して, 物理的な侵害を加えるものであり, それは明らかに対象者の 「個 人の支配権」 を侵害している。 そして, 個人の支配する 「領域」 に侵入し てまで情報を収集するという側面において, 対象者の 「プライバシー」 に 対する実質的な影響を否定することができない。 したがって, GPS 捜査 は, 「個人の支配権」 を侵害し, 「個人のプライバシーに対する合理的な期 待」 に影響を及ぼす 「強制処分」 に該当し, 「強制処分法定主義」 と 「令 状主義の原則」 に服するものと考えられる。 2 強制処分法定主義の意義 GPS 捜査が 「強制処分」 に該当するとしても, 現行法において, その ような捜査方法を規律する規定はない (現行法に規定される 「強制処分」 新しい捜査方法の適法性について 47 の類型には当てはまらない)。 刑事訴訟法第197条1項但書は, 「強制処分 法定主義」 を規定し, 「強制の処分は, この法律に特別の定のある場合で なければ, これをすることができない」 ものとしているが, 現行法に規定 のない (現行法の規定に当てはまらない) 「新しい捜査方法 (強制処分)」 が問題とされた場合, その適法性をどのように評価すべきなのであろうか。 この点について, アメリカ合衆国憲法を見てみると, 第4修正は, 「令 状主義の原則」 を宣言する規定であると同時に (第2文・令状条項), 「合 理性」 の観点から対立利益のバランスを調整することが可能な 「均衡法理」 であることを明言している (第1文・合理性条項)。 そして, 「新しい捜査 方法」 についても, 「合理性条項」 に基づいて, 裁判所が個別的・具体的 に対立利益を衡量し, それが 「合理的」 と認められるのであれば, 判例法 (61) として許容されるものと考えられている。 それでは, 我が国の法制度の下において, 現行法に規定のない 「新しい 捜査方法 (強制処分)」 が行われた場合, 当該捜査方法が 「合理的」 と認 められる限り, それを現行法の 「解釈」 として許容することが可能なので あろうか。 我が国の場合, 憲法第35条が 「令状主義の原則」 を規定してい るだけではなく, 適正手続の要請を受けた刑事訴訟法第197条1項但書が 「強制処分法定主義」 を規定していることから, そのような 「解釈」 の可 否が問題となる。 強制処分法定主義について, 学説の中には, 次のように解するものもあ る。 すなわち, そもそも強制処分法定主義は, 個々の規定で 「令状による べき」 旨を明示することによって強制処分を令状主義の下に置き, 個人の 権利を実質的に保障する規定であって, 強制処分を法に規定された既成の ものに限定し, いわゆる 「新しい強制処分」 を排斥する規定ではないとい (62) うものである。 この見解によると, 「令状主義の原則」 の趣旨に基づいた 厳格な要件を課すのであれば, 現行法の解釈によっても 「新しい強制処分」 (63) を採用することが可能であるとされる。 この見解は, 刑事立法が容易ではなく, 現実の必要性に対応しえない我 が国の現状を踏まえた上で, 裁判所の判断 (判例) を通して, その打開を 48 (桃山法学 第25号 ’15) 図ろうとするものである。 しかし, 既存の強制処分は刑事訴訟法によって 規制されるが, 「新しい強制処分」 については, 刑事訴訟法による規制で はなく, 直接, 令状主義の原則の趣旨 (あるいは適正手続の理念) による 規制を受けるというこの見解に対しては, 「裁判所の役割 (機能)」 という 観点から問題が指摘されている。 「新しい強制処分」 説の展開は, 社会状 況に応じて柔軟な対応を可能にするという点において注目に値するが, そ れは反面, 裁判所 (官) の 「価値判断」 に基づいて, 当該捜査方法が許容 される条件を導き出すことに他ならない。 それは, 裁判官による自由な法 解釈 (あるいは法創造) を意味するが, 裁判所 (官) に対してかくも広範 かつ強大な 「権限」 を与えることが, 裁判所の役割 (機能) として相応し (64) いか否かについては, より詳細な検討が必要であろう。 確かに, 一国の法制度は, 「立法」 と 「解釈」 のバランスの上に成り立っ ており, 法制度がある程度の実質化を伴うことは, 事実上やむを得ないと (65) 考えられている。 実質論の展開は, ある意味において, 法制度の 「理念 (66) (理想)」 と 「現実」 との溝を埋める役割を果たしており, 法律の背後にあ る趣旨 (目的) を探求することを通して 「適正手続」 の理念を貫徹するの (67) であれば, 「解釈」 による実質化も, 必ずしも不当であるとはいえない。 しかし, このような裁判所による法形成を一般化することについては, 深 刻な問題が潜んでいる。 そもそも, 国民の権利 (法益) を制約する捜査方 法が問題となる場合, その適法性は, 幅広く国民の意見を吸い上げて, 多 くの情報・資料に基づいて判断されるべきであるところ, そのような 「価 値判断」 を行う権能を有するのは, 裁判所ではなく国民の代表たる国会で ある。 したがって, 国民の権利 (法益) の制約につながる捜査方法の問題 は, その可否・要件を含めて, 国民の代表からなる 「国会」 を中心に議論 されるべき事項であると言える。 ところが, そのような問題が 「裁判所」 に持ち込まれる場合, 価値判断の基礎となる情報・資料が少ない上に, 裁 判官自身が専門的知識を有しないことから, 捜査の専門家たる捜査機関へ の配慮により, 「現状」 が追認され, 結果として, 被疑者・被告人に不利 (68) な判断 (法解釈/法運用) が導かれやすいことが指摘されている。 また, 新しい捜査方法の適法性について 49 裁判所が 「合理的な人間 (平均的な国民が抱くプライバシーに対する合理 的な期待)」 を想定して 「価値判断」 を行う場合, ともするとそれは, 国 民の認識 (常識) から離れて, 「裁判官=合理的な人間」 となってしまう 危険性を否定できない。 そもそも 「適正手続」 の保障は, 法律の定めがあるだけでは不十分であ り, さらにそれが適正なものでなければならないという趣旨であって, 手続さえ適正であるならば, 法律の定めがなくてもよいという趣旨ではな (69) い。 また, 刑事手続は, 生来的に人権を侵害する性質を有している以上, (70) その明白性・形式性・確実性が担保されていなければならない。 その意味 において, 法の 「解釈・運用」 による安易な解決は, 手続の対象となる者 の立場を不安定にさせる可能性が高い。 したがって, 対象者の権利を擁護 する緊急の必要性が認められる場合を除いて, 国民が十分な議論を尽くし たうえで, 「立法」 による解決を選択する方が, より 「適正手続」 の理念 (71) に合致するように思われる。 このように, 国会を 「国権の最高機関」 かつ 「唯一の立法機関」 として 位置づける憲法第41条, 主権者たる国民による手続の法定を要請する憲法 第31条, そして, 「適正手続」 の理念を受けて 「強制処分法定主義」 を規 定する刑事訴訟法の趣旨に鑑みれば, 我が国の法制度は, 法律で規定する 強制処分以外の 「解釈による強制処分」 を許さない, 真の意味での 「強制 (72) 処分法定主義」 を要請しているものと解される。 したがって, 「新しい捜 査方法 (強制処分)」 を導入する場面においては, 刑事司法制度全体のバ ランスを考慮に入れた上で, 積極的に議論を展開し, 国会による 「立法」 (73) を基軸に据えるべきであると考えられる。 そのような観点から GPS 捜査を見てみると, 現行法上, そのような捜 査方法を規律する法律は存在していない (現行法に規定される 「強制処分」 の類型には当てはまらない)。 したがって, 強制処分法定主義の趣旨に鑑 みるならば, そのような捜査方法を, 現行法の 「解釈」 として行うことは 許されず, 当該捜査方法の 「目的, 手続・要件」 を法定することが必要と なる。 50 (桃山法学 第25号 ’15) 3 令状主義の原則 (形式要件と実質要件) 強制処分法定主義の趣旨に基づいて, GPS 捜査を法律で規定する必要 があるとしても, そのような捜査方法は, 憲法第35条との関係において, どのように位置付けられるのであろうか。 「新しい捜査方法 (強制処分)」 の法定に際しては, 憲法第35条の 「形式要件 (令状手続)」 と 「実質要件 (正当な理由)」 について, それぞれ詳細に分析することが必要であり, そ れらの分析を通して, はじめて当該捜査方法が適法とされる条件を設定す ることが可能となる。 この点, 第4修正は, 「令状主義の原則」 を宣言する規定であるが (第 2文・令状条項), それは同時に, 「合理性」 の観点から対立利益のバラン スを調整することが可能な 「均衡法理」 であることを明言している (第1 文・合理性条項)。 そして, 合衆国最高裁は, 令状を要求することが不可 能ないし困難な 「緊急事態」 について, 令状手続を免除している。 また, 個別的・具体的な事例において, 「真実発見」 の要請と 「人権保障」 の要 請とが抵触する場合には, 実質的な側面から対立利益のバランスを再調整 し, その実質要件を緩和 (免除) することを通して, 合理的な結論を導く ことを可能としている。 それでは, 我が国において 「新しい捜査方法 (強制処分)」 を規定する に際して, 憲法第35条の形式要件である 「令状手続」 を免除し, 実質要件 である 「正当な理由」 を緩和 (免除) することは可能なのであろうか。 ① 形式要件 (令状手続) 我が国においても, 憲法第35条それ自体が 「第33条の場合を除いては」 と規定しているように, 一定の状況については, 令状主義の原則に対する 「例外」 が認められており, それを受けた刑事訴訟法第220条1項2号は, 「逮捕する場合」 において必要があるとき, その 「逮捕の現場」 で, 令状 によらない捜索・差押えを行うことを認めている。 それでは, そのような 捜索・差押えは, いかなる理由で 「令状手続」 を免除されるのであろうか。 この点, 合衆国最高裁は, 第4修正の 「捜索」 に該当する場合であって 新しい捜査方法の適法性について 51 も, 令状を要求することが不可能ないし困難な 「緊急事態」 が認められる (74) 限りにおいて, 「令状手続」 を免除している。 合衆国最高裁によると, 令 状を要求することが不可能ないし困難な 「緊急事態」 とは, 様々な危険を 防止する (令状によらない法執行行為を行う) 「緊急の必要性」 が認めら れる状況を意味するものとされ, そのような 「緊急の必要性」 を基礎づけ る危険として, ①被疑者が逃亡する危険, ②証拠が毀棄・隠匿される危険, (75) ③人の生命・身体に対する重大な危険が挙げられている。 それに対して, 最高裁昭和36年6月7日判決は, 「逮捕に伴う捜索・差 押え」 の適法性が問題とされた事例において, 「令状によることなくその 逮捕に関連して必要な捜索, 押収等の強制処分を行うことを認めても, 人権保障上格別の弊害もなく, 且つ, 捜査上の便益にも適う」 と述べてい (76) る。 この一文については, 「逮捕に伴う捜索・差押え」 の場合に令状手続 が免除される根拠を述べるものと解する見解もあるが, この判例そのもの は, 逮捕現場には証拠が存在する蓋然性が高いことを理由として, 対立利 益である 「人権保障の必要性」 と 「能率的・効果的な捜査の必要性」 を再 調整しているに過ぎないように思われる。 そして, そもそもそのようなバ ランスの問題は, 憲法の理念に適合するための基準である実質要件 (正当 な理由) に関連するものであり, 形式要件である 「令状手続」 が免除され る根拠とは関連性が薄いものと考えられる。 なぜなら, 令状主義の原則を 採用する法制度の下において, 「令状を要求することが可能かどうか」 と いう問題は, 当該法執行行為の 「相当性」 の判断に立ち入る前提として, 一般的・類型的に認定されるべき先決事項と言えるからである。 その意味において, 「令状手続」 を免除しうる根拠を, 「対立利益の均衡」 の観点から考察する見解については, 令状主義の原則の形式的側面 (令状 手続) と実質的側面 (正当な理由) とを 「混同」 するものであり, 不適切 であると評価することが可能であろう。 この点について, 東京高裁昭和44年6月20日判決は, 「逮捕者らの身体 の安全を図り, 証拠の散逸や破壊を防ぐ急速の必要がある」 と述べ, 形式 要件である 「令状手続」 が免除される根拠として 「緊急の必要性」 を挙げ 52 (桃山法学 第25号 ’15) (77) ており, 適切な方向性を示すものであると言える。 このように, 我が国において, 憲法第35条の形式要件 (令状手続) が免 除されるのは, 「緊急の必要性」 が認められる場合に限定されるが, GPS 捜査については, どのように評価すべきであろうか。 GPS 捜査は, 将来 において証拠を発見・収集することを目的として行われるものであり, 必 ずしも, 逮捕者の身体の安全を図り, 証拠の散逸や破壊を防ぐ 「緊急の必 要性」 が認められる 「緊急事態」 であることを前提にしていない。 したがっ て, 一般論として, GPS 捜査は, 「令状手続」 によることが必要であると (78) 考えられる。 ② 実質要件 (正当な理由) 新しい捜査方法 (強制処分) の法定に際して, 当該捜査方法が行われる 「目的」 や 「状況」, 当該捜査方法による 「法益侵害の程度が低いこと」 等 を理由として, 憲法第35条の実質要件 (正当な理由) を緩和し, 免除する ことは可能なのであろうか。 憲法第35条は, 「適正手続」 を掲げる総則規 定 (第31条) の要請を受けて, 手続が適正であるための最低限度の基準を (79) 設定する各則規定であると解されることから問題となる。 この点, 第4修正は, 「相当な理由」 という客観的な基準を設定し, 対 (80) 立利益の調整を図っている。 その一方で, 「人権保障」 の要請と 「真実発 見」 の要請とが合理的に調和する 「均衡点」 は, 必ずしも全ての状況で一 致するとは考えられていない (個別的・具体的にバランスを調整する方が, より合理的であるということも考えられる)。 そこで, 合衆国最高裁は, 一定の状況においては, 「相当な理由」 を免除し, 一定の状況においては, より緩やかな均衡基準 (合理的な疑い) を適用することを通して, そのバ (81) ランスの調整に努めている。 それに対して, 我が国において 「新しい捜査方法 (強制処分)」 が適法 であるためには, 当該捜査方法は, 「令状を請求すれば発付されるであろ (82) う」 実質を伴うものでなければならない。 なぜなら, 憲法第35条が 「合理 性条項」 を規定していないのは, 我が国の令状主義の原則が, 「合理的な 新しい捜査方法の適法性について 53 例外」 を留保していない (個々の事例において, 対立利益の均衡を再調整 し, 実質要件の緩和・免除を通して合理的な結論を導くことを予定してい ない) ことを意味するからである。 すなわち, 各則規定の実質要件 (正当 な理由) は, 手続が適正であるための最低限度の基準を設定することを通 して 「人権保障」 を担保するものであるところ, その基準を 「下方修正 (緩和・免除)」 することは, 適正手続の理念に反し, 許されないものと言 わざるを得ない。 したがって, 「合理的な例外」 を留保しない憲法の趣旨 に鑑みれば, 「新しい捜査方法 (強制処分)」 が憲法の理念に適合する 「適 正」 なものであるためには, 令状を請求すれば発付されるに足る実質, す なわち 「正当な理由」 を伴うものでなければならない。 以上のことから, GPS 捜査が適法であるためには, 「正当な理由」 の基 準か, それ以上に厳格な基準を充足している必要があるものと考えられ (83) る。 4 小括 捜査機関が GPS 装置を装着し, それを使用して位置情報を収集する捜 査方法については, 国会で議論し, 法律として規定する必要性があること を見てきたが, そのような立法に際して参考になるのは, いわゆる 「盗聴」 の適法性に関して規定する 「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律 (通 信傍受法)」 である。 なぜなら, 通信傍受と GPS 捜査は, 対象者の情報を 秘密裏に収集するという側面において, 類似性を有するからである。 通信傍受法は, 薬物犯罪等の組織的犯罪について, 伝統的な捜査方法に よるのでは, 末端の行為者を検挙することしかできず, 抜本的な犯罪対策 としては 「不十分」 という事情を背景として制定された。 通信傍受法によ ると, 捜査機関による通信傍受は, 薬物関連犯罪, 銃器関連犯罪, 集団密 航の罪, 組織的な殺人の罪に限定して認められる。 また, 通信傍受は, ① 対象犯罪が行われたと疑うに足りる充分な理由がある場合, ②対象犯罪が 行われ, かつ, 同様の犯罪やその犯罪の実行を含む一連の犯行の計画に基 づいて行われる犯罪が引き続き行われると疑うに足りる充分な理由がある 54 (桃山法学 第25号 ’15) 場合, ③重大犯罪が対象犯罪と一体のものとしてその準備のために行われ, かつ, 引き続き対象犯罪が行われると疑うに足りる充分な理由がある場合 において (「犯罪の嫌疑」), 当該犯罪が数人の共謀によるものであると疑 うに足りる状況があり (「通信の蓋然性」), 他の方法によってはこれらの 犯罪を解明することが著しく困難であるとき (「補充性」) に限り, これを することができる。 そして, 通信傍受は, ①被疑者の氏名, ②被疑事実の 要旨・罪名・罰条, ③傍受すべき通信, ④傍受の実施の対象とすべき通信 手段, ⑤傍受の実施の方法及び場所, ⑥傍受ができる期間, ⑦傍受の実施 に関する条件 (例えば, 傍受の実施をすることができる時間帯を限定する ことなど), ⑧有効期間等を記載した 「通信傍受令状」 に基づいて行われ る。 このような通信傍受の要件を参考にして, GPS 捜査の手続要件を考察 する場合, そこで問題となるのは, 通信傍受と GPS 捜査との間にみられ る 「法益侵害の程度」 の差異である。 まず, 当該捜査方法によって収集さ れる 「情報」 であるが, 通信傍受については, 対象者の会話の 「存在」 の みならず, その会話の 「内容」 までもが収集の対象となることから, その 性質上, 「通信の秘密」 を侵害し, 「個人のプライバシー」 に直接的な影響 を及ぼす。 それに対して, GPS 捜査については, 収集される情報が, 単 なる 「位置情報」 であり, それ自体では特別な意味を有しないことに鑑み れば, 通信傍受と比較して, 「個人のプライバシー」 に及ぼす影響は少な い。 したがって, GPS 捜査に際して課される要件は, 通信傍受に際して 課される要件と比較して, より緩やかであっても適法であるものと考えら れる。 その意味において, GPS 捜査の対象とされる犯罪については, 通 信傍受のように限定的である必然性は認められず, 「特定の犯罪」 の捜査 過程において, 「位置情報」 が重要性を有する限りにおいて, 幅広く認め ても差し支えないと思われる。 また, 当該捜査方法の 「補充性」 について も, 厳格に解する必要性は認められないであろう。 もっとも, それ自体は特別の意味を有しない 「位置情報」 であっても, そのような情報が集積することによって, ある時点から重要な意味を持ち, 新しい捜査方法の適法性について 55 対象者のプライバシーに影響を及ぼす危険性を否定できない点に鑑みるな らば, GPS 捜査による 「位置情報」 の収集が許される 「期間」 (あるいは 「時間/回数」) については, 令状の条件として, 厳格に規制する必要性が 認められよう。 (2) 既存の機能を利用する場合 捜査機関が GPS 装置を装着し, それを使用して対象の位置情報を収集 する捜査方法については, 憲法第35条の 「保護法益」 を侵害する 「強制処 分」 に該当し, 「強制処分法定主義」 と 「令状主義の原則」 の支配に服す ることを見てきた。 それでは, 捜査機関が自ら GPS 装置を装着すること なく, 既存の機能 (携帯電話等が発する微弱な電波や携帯機器の GPS 機 能) を利用して対象者の位置情報を収集する捜査方法は, 憲法第35条の保 護法益との関係において, どのように評価されるのであろうか。 ここでは, 携帯電話等が発する電波を追跡し, 対象者の位置情報を収集 する捜査方法を例として, そのような捜査方法の適法性を検討する。 1 法益侵害性 捜査実務においては, 所在不明の被疑者を発見・逮捕する必要がある場 合に, その所在を特定することを目的として, 携帯電話会社のシステム端 末を操作して, 被疑者の使用する携帯電話の電波を追跡し, そこから所在 (84) 位置を探索する捜査方法が用いられている。 そして, そのような探索に際 しては, 電気通信事業者に 「正当化事由」 を与えるために, 「検証許可状」 が請求される場合が多い。 なぜなら, 通信事業者に対しては, 通信の秘密 やプライバシーの保護等の憲法の規定を受けた電気通信事業法により, 法 律上 「守秘義務」 が課されており, 「正当化事由」 がない限り, 捜査機関 に情報提供を行うことができないからである (正当化の一事由として裁判 (85) 官の発付した令状の提示が求められる)。 したがって, ここにいう 「検証 許可状」 は, 当該捜査方法それ自体の 「法益侵害性」 を前提として発付さ れるものではないことから (当該捜査方法を 「強制捜査」 と位置付けてい 56 (桃山法学 第25号 ’15) るわけではない), その 「法益侵害性」 については, 改めて検討されなけ ればならない。 携帯電話等が発する電波を追跡し, 対象者の位置情報を収集する捜査方 法については, 捜査機関が GPS 装置を装着する捜査方法とは違って, 対 象者の 「個人の支配権」 を侵害するという性質を有しない。 それでは, そ のような捜査方法は, 携帯電話等の使用者の 「プライバシーに対する合理 的な期待」 を侵害するものとして, 「強制処分」 と評価されるのであろう か。 当該捜査方法の 「法益侵害性」 は, 制約される権利 (法益) の内容と, それを制約する方法・程度等を考慮に入れ, 実質的な観点から利益衡量し て判断されるが, ここでは, 単なる 「位置情報」 の収集が, 対象者の 「プ ライバシー」 に影響を及ぼす性質を有するのか否かが問題となる。 このような捜査方法の法的性質については, ①携帯電話等の使用者が 「自らの位置情報を探知されることはない」 という期待を有している (携 帯電話等の電波を追跡されることに同意していない) こと, ②捜査機関が, 長期間にわたって 「個人の行動」 を把握することが可能になる (プライバ シー侵害のおそれが大きく, 行動を抑制する効果をもたらす) ことを理由 (86) として, それを 「強制処分」 と解する見解が有力ある。 しかし, ①の点については, プライバシーに対する国民の 「認識」 は時 代によって変化するのと同時に, その 「感覚 (感受性)」 は人によって千 差万別である点を指摘することができる。 携帯電話等の電波を追跡し得る ことは, 国民の間に周知の事実であり (実際にそのようなサービスを積極 的に利用している人も多い), 人によっては, 通信機器の 「利便性」 との 引き換えに, そのような 「追跡」 を容認しているかもしれない。 また, 一 般的には, 電波の追跡に同意しない国民であっても, こと 「犯罪の捜査」 という目的の下においては, 「暗黙の同意」 が形成されていると考えるこ とも可能である (例えば, 「防犯カメラ」 の存在に異論を唱えるものは, もはや少数派と言えるであろう)。 ここで問題となるのは, 平均的な国民 が抱く 「プライバシーに対する合理的な期待」 の概念であるが, このよう な問題については, 多様な意見を吸い上げ, 様々な資料を収集することが 新しい捜査方法の適法性について 57 可能な 「国民の代表」 である国会が, 十分な議論を重ねた上で判断すべき 事項であり, 少なくとも裁判所が, 個別的な事案の解決を目的として判断 すべき事項ではないように思われる。 また, ②の点については, まず, 携帯電話等の電波を追跡する捜査方法 それ自体の 「性質」 が問題となる。 当該捜査方法は, 従来から任意捜査と して一般的に行われている 「尾行」 「張り込み」 「聞き込み」 に代わるもの である。 これまで, 「尾行」 「張り込み」 「聞き込み」 といった捜査方法が, 任意捜査として行われていたが, 都市化の進展や個人情報保護法の影響か ら, 以前のような効果を得られていないのが現実である。 また, 近年の大 多数の犯罪においては, 直接的であれ間接的であれ, 携帯電話等の移動通 信機器が使用されており, そのような側面からも, 従来の捜査方法を現状 に対応させる必要性が認められる。 そして, 現状への対応の一環として, 携帯電話等が発する電波を追跡し, 対象者の位置情報を収集する捜査方法 が行われ, その適法性が問題とされているが, 当該捜査方法が対象者の 「プライバシー」 に及ぼす影響は, 従来から任意捜査として行われている 「尾行」 「張り込み」 「聞き込み」 と比較して, より重大であるといえるの であろうか。 この点, プライバシーに対する 「感覚 (感受性)」 が千差万 別であるならば, 人によっては, 携帯電話の電波を追跡され, その 「位置 情報」 を収集される方が, 実際に捜査官に追跡され, その行動 (社会生活) を監視される 「尾行」 「張り込み」 「聞き込み」 という捜査方法よりも, プ ライバシー侵害の程度が 「低い」 と考えるかもしれない (捜査官が追跡・ 監視する場合, それに伴う 「近所の目」 という問題も生じる)。 確かに, それ自体は特別な意味を有しない 「位置情報」 であっても, そのような情 報が 「集積」 されることを通して, 個人の政治的・宗教的・性的嗜好が明 らかになり, プライバシーを侵害する可能性を否定できないことから, そ れを 「強制処分」 に位置付け, 厳格に規制しようとする見解は傾聴に値す (87) る。 しかし, ある捜査方法が 「強制処分」 に該当するのか否か, すなわち, 当該捜査方法の 「法益侵害性」 を判断するに際しては, 当該捜査方法が 「現実」 にプライバシーに及ぼす影響を基準として考察すべきであり, 「将 58 (桃山法学 第25号 ’15) 来的」 に影響を及ぼす 「可能性」 については, 未だ不確定な要素が多く, 「法益侵害性」 の判断において考慮すべきではないように思われる。 そし て, 情報の 「集積」 によってもたらされるプライバシー侵害の危険性につ いては, 当該捜査方法が許される 「期間 (時間・回数)」 を規制する等, それを防止する措置を講じることによって解決すべきである。 次に, 携帯電話等の電波を追跡する捜査方法に必要とされる 「費用」 が 問題となる。 この点, 携帯電話等の電波を追跡するという捜査方法は, 最 小限度の人的・物的資源で行うことが可能であり, コストによる 「抑制」 が働かないことから, そのような捜査方法は, 「強制処分」 と位置付ける (88) べきとする見解もある。 しかし, そのような指摘は, 「防犯カメラ (監視 カメラ)」 の画像解析等, ハイテク化された捜査方法の全てに当てはまる のと同時に, 現代社会において, コスト (税金) を意識しない捜査方法な ど, もはや存在し得ないと言っても過言ではないであろう。 現在, 公私を 問わず, 防犯カメラ (監視カメラ) が街中に設置されており, それらに録 画された画像の解析が, 犯罪捜査の主流となりつつある。 防犯カメラ (監 視カメラ) の解析という捜査方法によって侵害され得る 「肖像権」 (自ら の容姿を撮影されるだけでなく, その画像は, 顔にぼかしやモザイクが入 るにせよ, メディア等で公開される可能性がある) とは違って, 電波の追 跡を通して収集される位置情報は, それ自体では特別な意味を有しない, 未だ 「不確か」 なものである。 ある捜査方法が 「強制処分」 に該当するの か否かを判断するに際しては, 「保護法益」 との関係において, 当該捜査 方法それ自体の 「性質」 を基準として考察すべきであり, それにかかる 「費用」 等の周辺事情によって, 当該捜査方法の 「性質」 が変更されるの は 「本末転倒」 と言わざるを得ないであろう。 最終的に, 携帯電話等の使用者には, それを 「使用しない」 という選択 を通して, 電波の追跡・監視から逃れる (自らを守る) 自由が担保されて いる。 これらの点に鑑みれば, 携帯電話等の電波の追跡による位置情報の 収集は, 使用者に対する 「強制的」 な要素は低く, 未だ 「受忍限度内」 に 留まり, 必ずしも 「プライバシー」 の侵害にはあたらないものと考えられ 新しい捜査方法の適法性について 59 (89) る。 2 任意捜査の限界 携帯電話等が発する電波を追跡し, 位置情報を収集する捜査方法が, 「強制処分」 に該当しないとしても, それは, 個別的・具体的な状況の下 において, 任意捜査として許される可能性があることを意味するに留まり, 常に適法な任意捜査とされる訳ではない。 任意捜査の限界に関して, 最高裁昭和51年3月16日決定は, 「捜査にお いて強制手段を用いることは, 法律の根拠規定がある場合に限り許容され るものである。 しかしながら, ここにいう強制手段とは, 有形力の行使を 伴う手段を意味するものではなく, 個人の意思を制圧し, 身体, 住居, 財 産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など, 特別の根拠規 定がなければ強要することが相当でない手段を意味するものであって, 右 の程度の至らない有形力の行使は, 任意捜査においても許容される場合が あるといわなければならない。 ただ, 強制手段にあたらない有形力の行使 であっても, 何らかの法益を侵害し又は侵害する恐れがあるのであるから, 状況の如何を問わず常に許容されるものと解するのは相当でなく, 必要性, 緊急性なども考慮したうえ, 具体的状況の下で相当と認められる限度にお いて許容されるものと解すべきである」 と述べ, 当該法執行行為の 「必 要性・緊急性・相当性」 を, 個別的・具体的に検討すべき旨を指摘してい (90) る。 一般的に 「任意捜査」 の許容性は, 「捜査比例の原則」 の下, 目的の正 (91) 当性, 手段の必要性及び相当性を総合的に比較衡量して判断される。 それ では, 携帯電話等が発する電波を追跡し, 位置情報を収集する捜査方法の 適法性を判断するに際して, そこで要求される 「目的の正当性」 「手段の 必要性」 「手段の相当性」 とは, 具体的に何を意味するのであろうか。 まず, 「目的の正当性」 である。 近年, 高齢者が振り込め詐欺等の 「特 殊詐欺」 事犯の被害者となる事例や, 青少年が性犯罪や暴力事件等の被害 者となる事例が多発している。 そして, そのような犯罪の大多数において 60 (桃山法学 第25号 ’15) は, 携帯電話等の移動通信機器が利用されている。 そのような現状の下に おいて, 高齢者や青少年等の社会的弱者が犯罪の被害者になることを防止 するためには, 携帯電話等が発する電波を追跡し, 被疑者 (事例によって は被害者) の位置情報を収集する捜査方法が非常に有用である。 次に, 「手段の必要性」 である。 当該捜査方法は, 従来から任意捜査と して一般的に行われている 「尾行」 「張り込み」 「聞き込み」 に代わるもの である。 これまで, 「尾行」 「聞き込み」 「張り込み」 といった捜査方法が, 任意捜査の典型として行われていたが, 都市化の進展や個人情報保護法の 影響の下, そのような捜査方法によっては, 以前のような効果を得られな いのが現実である。 また, 大多数の犯罪で携帯電話等の移動通信機器が使 用されている現状に鑑みれば, 捜査機関の捜査方法についても, 現状に対 応していく必要性が認められ, その意味において, 携帯電話等が発する電 波を追跡し, 位置情報を収集する捜査方法は, 必要不可欠であると言えよ う。 最後に, 「手段の相当性」 である。 ある捜査方法の相当性を判断する場 合, その 「手段それ自体の相当性」 と, それを継続することによる 「程度 の相当性」 という側面が問題となる。 まず, 手段それ自体の相当性である。 この点, 携帯電話等が発する電波 を追跡し (あるいは GPS 機能を利用し), その所在を確認するという手段 は, 親が子の所在を確認し, 会社が社員の所在を把握する等, 一般社会に おいても幅広く利用されており, 一般市民にとっても馴染みの深い手段で あるといえる。 したがって, そのような手段を捜査に応用したとしても, それをもって手段の 「相当性」 を欠くとはいえないであろう。 次に, 程度の相当性である。 位置情報そのものは, 特別な意味を有しな いとしても, そのような情報が集積することによって, 「ある時点」 を超 えると, 対象者のプライバシーに影響を及ぼす可能性を否定できない。 こ こで問題となるのは, いつ 「ある時点」 を超えるのか, すなわち, 適法な 任意処分と違法な強制処分の 「境界線」 である。 それは, 当該捜査方法を 継続することが, 一般市民の 「受忍限度」 を超える 「期間 (時間・回数)」 新しい捜査方法の適法性について 61 を意味するが, プライバシーに関する事項は, 人によって 「感覚」 を異に しており, 裁判所による事例毎の判断には馴染まない。 したがって, 当該 捜査方法が, 一般市民の 「受忍限度」 を超える 「期間 (時間・回数)」 等, プライバシーに関連する事柄については, 国民の代表である国会が, 多様 な意見と資料を基礎として合意を形成し, その 「判断基準」 を明示すべき である。 3 任意捜査の規制 携帯電話等が発する電波を追跡し, 位置情報を収集する捜査方法が, 一 般的には 「任意捜査」 と評価されるとしても, ある捜査方法を 「強制処分」 と 「任意処分」 とに区別しようとする場合, その区別に困難を伴う 「中間 領域」 が生じる。 また, そのような中間領域に属する捜査方法の適法性を 認定するに際しては, 「強制処分」 と 「任意処分」 の相関関係に起因する 複雑な問題に直面することになる。 なぜなら, 「強制処分」 に該当しない 捜査方法を 「任意処分」 に位置付けるとしても, 「任意処分」 に伴って有 形力を行使した場合 (対象者のプライバシーに何らかの影響を及ぼした場 合) に, 直ちにそれを違法な 「強制処分」 と認定することはできないから である。 判例の基準によると, 当該捜査方法の 「法益侵害性」 は, 問題となる権 利 (法益) の内容と, 捜査方法の態様との間の 「相関関係」 によって判断 されるが, それには, 裁判所による実質的な 「価値判断」 を伴うことが避 けられない。 そして, 「強制処分」 と 「任意処分」 の中間領域に属する捜 査方法の 「適法性」 が問題となる場合, 裁判所は, 能率的・効果的な捜査 の必要性 (真実発見) と法益侵害を必要最小限度に食い止める必要性 (人 権保障) とを利益衡量する必要に迫られるが, そのような価値判断に際し ては, 違法と判断することによる実務への影響を回避するために, 当該捜 査方法を 「強制処分とまではいえない」 と認定し, それを 「任意処分」 に 位置付けることを通して, 当該事例の解決を試みる (実務の現状を追認す (92) る) 傾向がみられる。 そこでは, 客観的には 「強制処分」 として厳格な要 62 (桃山法学 第25号 ’15) 件に服すべき捜査方法が, 裁判所による価値判断を通して 「任意処分」 に 位置付けられ, 緩やかな基準 (必要性・緊急性・相当性) 下に許容されて (93) いる 「現実」 を否定することができない。 このような 「現実」 に鑑みるならば, プライバシーに関する微妙な問題 が生じる (中間領域に属する) 捜査方法については, それが 「任意捜査」 に該当する場合であっても, より客観的な 「基準」 を設定することが必要 (94) になってくる。 その意味において, 携帯電話等が発する電波を追跡し, そ の位置情報を収集する捜査方法は, それ自体は 「任意捜査」 として許容さ れるとしても, それによる情報の集積が, ある一定の限度を超えると, 「プライバシー」 に影響を及ぼす (受忍限度を超える) 可能性を否定でき ないこと, あるいは, そのような受忍限度の 「境界線」 について, 裁判所 が判断することが困難であること等に鑑みれば, そのような捜査方法が許 容される 「状況」 や 「期間」 について, 予め法で規定しておくことも検討 に値するであろう。 この点, 確かに刑事訴訟法第197条1項但書は, 「強制の処分」 の法定に しか言及していない。 しかし, それは 「任意処分」 の法定を否定するもの ではなく, 強制処分法定主義の趣旨に鑑みれば, 「強制的な要素」 を含む 「任意処分」 については, その明白性・形式性・確実性を担保し, 「捜査機 関の裁量権」 や 「裁判所による追認」 を厳しく制限することが求められよ (95) う。 したがって, 「強制的な要素」 を排除し得ない 「携帯電話等が発する 電波を追跡し, 位置情報を収集する捜査方法」 については, 適正手続の観 点から, その手続要件 (とりわけ, それが許容される 「状況」 や 「期間」) を明示することが必要になるものと考えられる。 4 小括 合衆国最高裁は, Jones 判決において, 捜査機関が GPS 装置を装着し, それを使用して位置情報を収集した場合について, そのような法執行行為 が第4修正の 「捜索」 に該当する旨を判示しているが, GPS 装置を装着 しないで, 既存の機能 (携帯電話等が発する微弱な電波や携帯機器の GPS 新しい捜査方法の適法性について 63 機能) を利用して位置情報を獲得する捜査方法の適法性については, その 適法性の判断を示していない。 この点について, Jones 判決の補足意見においては, ①個人のプライバ シーを重視する観点から, 全ての追跡・監視が 「捜索」 に該当するという 見解や, ②短期の追跡・監視は 「捜索」 に該当しないが, 長期にわたる追 跡・監視は 「捜索」 に該当するという見解もみられる。 しかし, このよう な見解についても, 「モザイク理論」 をめぐる問題や, プライバシーの侵 害を判断する 「権限」 と 「能力」 をめぐる問題を抱えており, これから検 討すべき課題が山積している。 ここでは, 携帯電話等が発する電波を追跡し, 位置情報を収集する捜査 方法を 「任意捜査」 と位置付け, 議論を展開してきたが, 任意捜査であっ ても, 国民のプライバシーに影響を及ぼす捜査方法については, 何らかの 方法で, その 「明白性・形式性・確実性」 を担保する必要性が認められる。 そして, プライバシーに関する事項を判断する 「権限」 と 「能力」 を有す るのが国会であることに鑑みるならば, 当該捜査方法の限界 (任意捜査の 限界) を国会で議論し, その適法性の判断基準を示すことが喫緊の課題と なるであろう。 したがって, 「新しい捜査方法 (監視型捜査)」 については, それを 「強制処分」 と位置付ける場合だけでなく (「強制処分法定主義」 と 「令状主義の原則」 に服する), 「任意処分」 と位置付ける場合であって も, 適正手続の要請から, その手続要件を法定するのと同時に, 統一的な 「様式」 を採用する等の方策を施して, できる限り捜査機関の裁量が働く 余地を排除することが望まれる。 お わ り に 現代社会の犯罪は, その動機や手段の側面において, かつての犯罪とは 様変わりしている。 自動車の普及は, 人々の行動範囲を広げただけでなく, それに伴い犯行エリアを拡大させている。 コンピューターや携帯電話等の 移動通信機器の普及は, 日常生活の利便性を向上させた反面, それらを使 64 (桃山法学 第25号 ’15) 用し, 直接 「姿」 を現すことなく 「秘密裏」 に犯罪を行うことを可能にし ている。 また, 動機が不明で, 加害者と被害者の関係が希薄な犯罪が増加 しており, 従来からの 「尾行」 「聞き込み」 「張り込み」 といった捜査方法 が効を奏さなくなっている現実がある。 これまで 「基本」 とされてきた 「足を使った捜査方法」 は, (未だ 「基本」 ではあるにせよ), ある特定の 犯罪との関係においては 「時代遅れ」 となっており, 犯罪の 「進化」 に伴っ て, 捜査方法についても, 先端技術を取り入れ, 高度化させる必要性に迫 られている。 そして, 大多数の公共施設や商業施設に防犯カメラ (監視カ メラ) が設置され, 地域社会や一般家庭への設置も進みつつある 「防犯意 識」 が高まった現代社会においては, 「プライバシー」 に関する国民の意 識にも変化の兆しが見られる。 そのような現状に鑑みるならば, 「新しい 捜査方法 (監視型捜査)」 を導入する場合に, 直ちにそれを 「プライバシー の侵害」 と捉える見解は, もはや平均的な国民の認識から乖離しており, 能率的・効果的な法執行を望む 「声」 への配慮を欠くものと評価すること が可能であろう。 したがって, 「新しい捜査方法」 の導入をめぐる議論に 際しては, 多種多様な意見と資料が集まる 「国会」 が, 被疑者・被告人の 人権を保障する必要性 (人権保障の要請) と, 能率的・効果的な法執行の 必要性 (真実発見の要請) を十分に検討し, それらを慎重に利益衡量した 上で, 犯罪捜査 (防犯) との関連において, 国民が抱く 「プライバシーに 対する合理的な期待」 の概念を明らかにすることが期待されよう。 現在, 我が国においては, 「取調べの可視化 (取調べの全過程の録音・ 録画)」 や 「弁護人の取調立会権」 の導入に向けた議論が活発である。 確 かに, 取調べを利用した 「自白の強要」 や, それに基づく 「誤判」 や 「冤 罪」 を防止するためには, 取調べを可視化し, 取調べへの弁護人の立会を 制度化することが必要不可欠である。 その一方で, アメリカ合衆国と比較 して, 捜査機関に許される捜査方法が限定されている我が国の刑事訴訟法 の下において, 証拠収集方法としての 「取調べ」 を制約することは, 捜査 機関の両手両足を縛るのに等しく, 「犯罪との戦い」 が極めて困難になる ことが予想される。 したがって, 人権保障の要請から, 証拠収集方法とし 新しい捜査方法の適法性について 65 ての 「取調べ」 を規制するのであれば, 真実発見の要請から, それに代わ る捜査方法の一つとして, 「新しい捜査方法 (監視型捜査)」 の導入が積極 的に議論されなければならないであろう。 本稿においては, アメリカ合衆国における GPS 捜索に関する議論を参 考にして, 我が国の法制度の下における 「新しい捜査方法 (監視型捜査)」 適法性について検討してきた。 そして, 「GPS 捜査」 と 「携帯電話等の電 波を追跡し, 位置情報を収集する捜査方法」 の適法性について, 前者を 「強制捜査」, 後者を 「任意捜査」 と位置付けた上で議論を展開してきたが, 捜査の高度化が推進されるこれからの社会においては, 国民の 「プライバ シー」 に影響を及ぼす捜査方法が, 続々と登場して来ることが予想される。 そして, そのような捜査方法の適法性を判断するに際して中心的な役割を 果たすのは, 我が国の平均的な国民が抱く 「プライバシーに対する合理的 な期待」 の概念である。 国民の 「プライバシー」 に関わる事項ついて, そ れを判断する 「権限」 と 「能力」 を有するのが国会であるならば, 国会に おいては, 「プライバシーに対する合理的な期待」 の具体的な内容を議論 し, 「新しい捜査方法」 の適法性を判断する際の明確な 「基準」 を設定す ることが課題となる。 犯罪捜査 (防犯) との関連における 「プライバシーに対する合理的な期 待」 の具体的な検討は今後の課題として, ひとまず本稿を閉じることにし たい。 注 (1) アメリカ合衆国憲法修正第4条は, 「不合理な捜索・押収に対して, 身体, 住居, 書類, 及び所有物の安全を保障される人民の権利は, これ を侵害してはならない。 令状はすべて, 宣誓もしくは確約によって支持 される相当な理由に基づくもので, かつ捜索する場所及び逮捕・押収す る人又は物が明示されているものでない限り, これを発付してはならな い」 と規定している。 (2) Craig M. Bradley, Two Models of the Fourth Amendment, 83 Mich. L. Rev. 1468, at 1473 (1985). (3) Joshua Dressler & Alan C. Michaels, Understanding Criminal Procedure 66 (桃山法学 第25号 ’15) Vol. 1: Investigation, 67 (6th ed. 2013). (4) Entick v. Carrington, 19 Howell’s State Trials 1029 (1765). (5) Olmstead v. United States, 277 U.S. 438, at 464 65 (1928). Silverman v. United States, 365 U.S. 505, at 515 (Douglas, J., concurring) (6) (1961). (7) Warden v. Hayden, 387 U.S. 294, at 304 (1967). (8) Katz v. United States, 389 U.S. 347 (1967). (9) Terry v. Ohio, 392 U.S. 1, at 9 (1968). (10) Katz v. United States, 389 U.S. 347, at 361 (Harlan, J., concurring) (1967). (11) (12) Id. United States v. Jones, 132 S.Ct. 945 (2012). Jones 判決については, 以下の文献を参照。 Erin Murphy, Back to the Future: The Curious Case of United States v. Jones, N.Y.U. School of Law, Public Law Research Paper No. 1310 (2013); Thomas K. Clancy, United States v. Jones: Fourth Amendment Applicability in the 21st Century, Ohio State Journal of Criminal Law 10 :1 (2012); Richard M. Thompson II, United States v. Jones: GPS Monitoring, Property, and Privacy, Congressional Research Service April 30, 2012 (2012); Fabio Arcila, Jr., GPS Tracking out of Fourth Amendment Dead Ends: United States v. Jones and the Katz Conundrum, 91 North Carolina Law Review 1 (2012). 我が国における Jones 判決の研究につ いては, 以下の文献を参照。 三井誠・池亀尚之 「犯罪捜査における GPS 技術の利用 −最近の合衆国刑事裁判例の動向−」 刑事法ジャーナル42 号 (成文堂・2014年) 55頁, 湯淺墾道 「位置情報の法的性質 −United States v. Jones 判決を手がかりに−」 情報セキュリティ総合科学4号 (2012年) 171頁, 辻雄一郎 「電子機器を用いた捜査についての憲法学か らの若干の考察」 駿河台法学1号 (2012年)。 (13) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945 (2012). (14) 451 F. Supp. 2d 71 (D.D.C. 2006). (15) United States v. Maynard, 615 F. 3d 544 (D.C.Cir. 2010). (16) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 948 (Scalia, J., opinion of the court) (2012). Scalia 裁判官が執筆した法廷意見には, Roberts 裁判官, Kennedy 裁判官, Thomas 裁判官, Sotomayor 裁判官が同調している。 (17) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 957 (Alito, J., Concurring) (2012). Alito 裁判官が執筆した補足意見には, Ginsburg 裁判官, Breyer 裁判官, 新しい捜査方法の適法性について 67 Kagan 裁判官が同調している。 United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 953 (Sotomayor, J., Concurring) (18) (2012). (19) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 957 (Alito, J., Concurring) (2012). (20) Id. (21) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 948 (Scalia, J., opinion of the court) (2012). (22) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 953 (Sotomayor, J., Concurring) (2012). (23) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 948 (Scalia, J., opinion of the court) (2012). (24) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 957 (Alito, J., Concurring) (2012). (25) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 953 (Sotomayor, J., Concurring) (2012). (26) Tom Goldstein, Why Jones is Still Less of a Pro-Privacy Decision Than Most Thought (Conclusion Slightly revised Jan. 31) (30 January 2012) (http://www.scotusblog.com/2012/01/why-jones-is-still-less-of-a-proprivacy-decision-than-most-thought/). (27) Katz v. United States, 389 U.S.347, 357 (1967). (28) United States v. Katzin, United States Court of Appeals for the Third Circuit (No. 122548) (3rd.Cir., 2013). (29) Skinner v. Railway Labor Executives’ Association, 489 U.S. 602 (1989). (30) United States v. Knights, 534 U.S. 112 (2001). (31) Terry v. Ohio, 392 U.S. 1 (1968). (32) (33) United States v. Katzin, 122548 (3rd Cir. 2013). Carroll v. United States, 267 U.S. 132 (1925). (34) United States v. Katzin, 122548 (3rd Cir. 2013). (35) California v. Carney, 471 U.S. 386 (1985). (36) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 948 (Scalia, J., opinion of the court) (2012). (37) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 957 (Alito, J., Concurring) (2012). (38) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 953 (Sotomayor, J., Concurring) (2012). (39) Id. (40) Id. 68 (桃山法学 第25号 ’15) (41) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 957 (Alito, J., Concurring) (2012). (42) Id. (43) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945 (2012). (44) United States v. Katzin, 122548 (3rd Cir. 2013). (45) Katz v. United States, 389 U.S. 347, at 357 (1967); United States v. Jacobsen, 466 U.S. 109, 113 (1984). (46) United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 948 (Scalia, J., opinion of the court) (2012). (47) 渥美東洋 「捜索・押収におけるプライバシーの概念」 石川才顕 手続と人権 (48) 刑事 (日本評論社・1986年) 102頁以下参照。 ある論者によると, 捜査は, ①無令状でなされれば違法な強制処分と なる捜査, ②任意処分にあたるが, 具体的状況の下での利益衡量の結果, 相当と認められず違法となる捜査, および, ③任意処分にあたり, かつ 具体的状況の下で相当と認められる適法な捜査という3つの類型に分類 される。 洲見光男 「任意捜査と権利制約の限界」 刑法雑誌39巻2号 (有 斐閣・2000年) 242頁参照。 また, ある論者によると, 捜査は, ① 「強 制処分」 としてしか行えない分野 (承諾に基づく留置等), ②対象者の 同意があるならば 「任意処分」 として行えるが, 同意がなければ 「強制 処分」 しか行えない分野 (承諾に基づく検証・捜索・押収等), ③同意 がなければ 「任意処分」 も 「強制処分」 も行えない分野 (取調べ等), ④同意がなくても 「任意処分」 として行うことができるのと同時に, 「強制処分」 として行うことも可能な分野 (任意処分に付随する有形力 の行使等), ⑤同意がなくても一定の法益侵害を伴う 「任意処分」 を行 うことが可能な分野 (尾行・張込み・情報収集等) という5つの類型に 分類される。 川上和雄 「任意捜査の限界」 三井誠他編 刑事手続・上 (悠々社・1988年) 90頁参照。 (49) 井上正仁 「任意捜査と強制捜査の区別」 刑事訴訟法の争点 (有斐閣・ 2013年) 54頁, 三井誠 刑事手続法 (1) 新版 (有斐閣・1997年) 79 頁。 (50) 田宮裕 刑事訴訟法 [新版] (有斐閣・1996年) 65頁。 この点につい て, 任意捜査の語を用いているが, 強制処分に基づかない捜査は, 非強 制捜査とする方がより正確であるとする見解もある。 三井誠・前掲注 (49) 79頁。 (51) 井上正仁・前掲注 (49) 54頁。 (52) 洲見光男 「任意捜査と権利制約の限界」 刑法雑誌39巻2号 (有斐閣・ 新しい捜査方法の適法性について 69 2000年) 241頁, 井上正仁・前掲注 (49) 54頁。 (53) 団藤重光 条解刑事訴訟法 事訴訟法 (弘文堂・1950年) 361頁, 平野龍一 (有斐閣・1958年) 82頁, 高田卓爾 刑事訴訟法 刑 (2訂版) (青林書院・1984年) 143頁。 (54) 田宮裕編 刑事訴訟法Ⅰ (有斐閣・1975年) 129, 130頁, 井上正仁・ 前掲注 (49) 46頁, 三井誠・前掲注 (49) 81頁。 (55) 川上和雄・前掲注 (48) 93頁。 (56) 江口和伸 「職務質問のための実力の行使」 刑事訴訟法判例百選 [第 9版] (有斐閣・2011年) 6頁。 (57) 井上正仁 「任意捜査における有形力の行使」 [第7版] (58) 刑事訴訟法判例百選 (有斐閣・1998年) 4頁, 三井誠・前掲注 (49) 81頁。 最高裁昭和51年3月16日決定 (刑集30巻2号187頁, 判例時報809号29 頁, 判例タイムズ335号33頁)。 (59) 後藤昭 「強制処分法定主義と令状主義」 法学教室245号 (有斐閣・2001 年) 12頁。 (60) 井上正仁・前掲注 (49) 55頁, 田口守一 刑事訴訟法 第6版 (弘 文堂・2012年) 46頁。 (61) 安冨潔 「令状によらない捜索・差押」 警察学論集45巻8号 (1992年) 185頁, 渥美東洋 刑事訴訟法 全訂第2版 (有斐閣・2009年) 87頁 以下, 杉原泰雄 「 人身の自由 と刑事手続」 法律時報45巻2号 (日本 評論社・1973年) 25頁。 (62) 田宮裕・前掲注 (50) 71, 120頁。 (63) 田宮裕・前掲注 (50) 71, 120頁。 (64) 村井敏邦 「令状主義は誰のもの?」 法学セミナー435号 (日本評論社・ 1991年) 104頁, 井上正仁・前掲注 (49) 59頁。 (65) 愛知正博 「実質論の視角を問い返す必要性」 ジュリスト1148号 (有斐 閣・1999年) 82頁, 亀山継夫 「刑事訴訟法における判例と立法の役割」 刑事訴訟法の争点 (新版) (有斐閣・1991年) 24頁。 (66) 井上正仁・前掲注 (49) 59頁, 愛知正博・前掲注 (65) 82頁。 (67) 愛知正博・前掲注 (65) 82頁。 (68) 亀山継夫・前掲注 (64) 24頁。 (69) 村井敏邦・前掲注 (64) 104頁。 (70) 村井敏邦・前掲注 (64) 104頁。 (71) 井上正仁・前掲注 (49) 59頁, 小田中聰樹 「刑訴法の理論状況の一分 析 (覚書)」 刑事法学の歴史と課題 (法律文化社・1994年) 359頁。 70 (桃山法学 (72) 第25号 ’15) 村井敏邦・前掲注 (64) 104頁は, 「従来, 強制処分法定主義は, とも すれば令状主義と混同されるきらいがあったが, 両者は密接に関連する ものの, それぞれに独自の意義を持つ別個の存在であることを改めて確 認する必要があるとされる」 と述べている。 井上正仁・前掲注 (49) 59 頁, 三井誠・前掲注 (49) 80頁。 (73) それに対して, 裁判所による消極的立法効果を肯定するものとして, (弘文堂・1996年) 45 46頁, 椎橋隆幸 「電 話傍受の適法性について」 法学新報103巻7号 (1997年) 36頁注44, 等。 荒木信治 刑事訴訟法読本 判例の法源性を肯定するものとして, 洲見光男 「修正4条による裁量統 制手法」 光藤景皎先生古稀祝賀論文集上巻 (成文堂・2001年) 202頁。 (74) アメリカ 合衆国における, 令状を要求することが不可能ないし困難 な場合と令状による保護が必要とされない場合の議論については, Wayne R. LaFave, Being Frank About the Fourth: On Allen’s “Process of ‘Factualization’ in the Search and Seizure Cases”, 85 Mich.L.Rev.427, at 459 (1986) 参照。 (75) Welsh v. Wisconsin, 466 U.S. 740, at 74748, 753 (1984); Minnesota v. Olson, 495 U.S. 91, at 100 (1990). Welsh 判決については, 鈴木義男編 アメリカ刑事判例研究・第3巻 (成文堂・1989年) 1頁 (萩原滋執筆) 参照。 (76) (77) 最高裁昭和36年6月7日判決 (刑集15巻6号915頁)。 東京高裁昭和44年6月20日判決 (高刑集22巻3号352頁, 判例時報575 号85頁), 安冨潔・前掲注 (61) 185頁。 (78) 但し, 「逮捕状」 が発付されている場合や, 「正当防衛・緊急避難」 が 成立する場合については, 個別的・具体的に検討することが必要になる であろう。 (79) 東京高裁昭和44年6月20日判決 (高刑集22巻3号352頁, 判例時報575 号85頁)。 加藤晶 「逮捕現場と捜索・差押場所」 警察実務判例解説 (捜 索・差押え編) 別冊判例タイムズ10号 (判例タイムズ社・1988年) 99 頁。 (80) Stephen A. Saltzburg, Daniel J. Capra, Catherine Hancock, Basic Criminal Procedure, at 127 (4th.ed. 2005); LaFave, supra note (74), at 441, 安冨 潔・前掲注 (61) 185頁, 渥美東洋・前掲注 (61) 64頁以下参照。 (81) LaFave, supra note (74), at 44142; Terry v. Ohio, 392 U.S.1, at 21, 30 (1968). Terry 判決については, アメリカ法2号 (1969年) 246頁 (松 尾浩也執筆), 阪村幸男 英米判例百選Ⅰ公法 (有斐閣, 1978年) 170 新しい捜査方法の適法性について 71 頁参照。 (82) 高柳信一 「行政手続と人権保障」 憲法講座2巻 (有斐閣・1963年) 264頁。 (83) 安冨潔・前掲注 (61) 185頁, 渥美東洋・前掲注 (61) 87頁以下参照。 (84) 池田弥生 「携帯電話の位置探索のための令状請求」 判例タイムズ1097 号 (判例タイムズ社・2002年) 27頁。 (85) 電気通信事業者の個人情報に関する収集・利用・管理等については, 「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」 参照。 (86) 池田弥生・前掲注 (84) 28頁。 United States v. Jones, 132 S.Ct. 945, 957 (Alito, J., Concurring), 953 (87) (Sotomayor, J., Concurring) (2012). (88) 緑大輔 「監視型捜査における情報取得時の法的規律」 法律時報87巻5 号 (日本評論社, 2015年) 67頁。 (89) 本稿においては, プライバシー侵害の程度は低く, 未だ 「任意処分」 に留まるものとして議論を進めるが, もちろん 「強制処分」 に該当する と評価することも可能であるし, その場合には, 「GPS 捜査」 と同様の 議論が必要になるであろう。 (90) 最高裁昭和51年3月16日決定 (刑集30巻2号187頁, 判例時報809号29 頁, 判例タイムズ335号33頁)。 (91) (92) 安冨潔 刑事訴訟法 (第2版) (三省堂・2013年) 43頁。 井上正仁・前掲注 (57) 4頁, 最高裁昭和59年2月29日決定 (刑集38 巻3号79頁) 参照。 (93) (94) 川上和雄・前掲注 (48) 93頁。 学説の中には, 客観的に権利 (法益) の侵害が認められる法執行行為 は, その侵害の程度を問わずに, すべて 「強制処分」 としたうえで, そ こに令状主義の原則の厳格な要件を課していく方が, 「適正手続」 の趣 旨により忠実である (そのように解したとしても, 一般的・類型的に権 利侵害性が認められない行為を排除することは可能である) と主張する ものもある。 後藤昭・前掲注 (59) 12頁等参照。 (95) 井上正仁・前掲注 (49) 59頁, 小田中聰樹・前掲注 (71) 359頁, 村 井敏邦・前掲注 (64) 104頁, 亀山継夫・前掲注 (64) 24頁等参照。 73 障害者権利条約批准と障害者法制 瀧 澤 仁 唱 目次 1 はじめに 2 障害をもつ者の権利条約批准に向けて求められた制度改革 3 条約批准と関係立法の動き 4 まとめにかえて 障害者の社会保障確立に向けて キーワード:障害者, 障害者権利条約, 批准, 障害者法制, 法改正 1 は じ め に 「障害者の権利に関する条約」 (略称:障害者権利条約 外務省ホー ムページによる) は2006年12月13日に国連で採択され, 2007年9月28日に 高村正彦外務大臣 (当時) が条約に署名したけれども, 批准書が寄託され たのは2014年1月20日で, 同年2月19日に同条約は我が国で効力が発生し (1) (2) た。 「障害 (「障がい」 の用語を使わずに 「障害」 を本稿では使う) をもつ (3) (4) 者の権利条約」 (以下 「条約」 という。) は, 条約採択から効力発生まで7 年以上を要しており, 2009年2月24日に批准され, 5月26日に拘束力をも (5) つにいたったドイツとは大きく異なっている。 日本とドイツは, GDP が世界第三位と第四位, 国土面積も37.8万平方 (6) (7) (8) キロに対し35.7万平方キロでほぼ同じ, 人口1億2729万人 (2013年度) に (9) 対し, 8200万人 (2014年度) も比較的近く, 法制度も似た部分が多い。 ド イツ人にとっては牽強付会の感があるかもしれないけれども, 明治時代よ 74 (桃山法学 第25号 ’15) り, 日本の近代化にドイツの諸制度, 中でも法制度の継受 (場合により換 骨奪胎) がなされてきたことは歴史が示している。 日本では高齢化社会と少子化, 経済の停滞など, 社会保障に対する種々 の逆風が吹いている。 ドイツでも同じように高齢化, 少子化など, 似た状 況がある。 実際には為政者に都合のよい換骨奪胎であったが, ドイツ法の 日本法への 「継受」 のようなものが行われてきており, 似たような制度が あるという錯覚が生じてもいる。 社会保障制度の中核をなす社会保険制度, 生活保護類似の制度や社会福祉の制度も似たようなものが日独に多いと思 われがちである。 ドイツの社会保障が取り上げられる場合に, 以前は, ドイツがゆとりあ る社会で, 理想国家とまでは言わないまでも, 日本の手本とすべきものの 一つとして取り上げられてきた。 ドイツは第二次世界大戦において枢軸国 の一員として日本と共に戦い, 壊滅的な敗北を喫し, 国土が焦土と化した にもかかわらず, ドイツ民主共和国 (東ドイツ) およびドイツ連邦共和国 (西ドイツ) に分裂させられたとはいえ, 東ドイツは 「社会主義」 国家群 の優等生として成長し (ただし, 統計のごまかしがあったと言われている が, 今となっては厳密な正誤比較ができない), 西ドイツは高度経済成長 をとげた。 1990年の東西両ドイツ統一後も, 経済的発展をとげ, EU結成 の中心となりその主要国家の一つである。 日本も敗戦後, 今では想像もで きない荒廃した国土から復興し, 「経済大国」 といわれるまでになった。 社会保障の中心をなすのが社会保険制度 (厳密に言えば日本の社会保険 制度は公費負担が入りながら, 給付制限の根拠として社会保険料支払を要 件とするなど厳密な意味での社会保険とは言いがたく, あえて言えば偽 「保険」 制度である。) と租税による公的扶助であり, 障害者法制 (高齢者 法制を含む) も制度が似ている部分があり, 比較の対象としてとりあげら れやすい。 例えば, 公的介護保険制度はドイツのそれを換骨奪胎したもの (実際には根本的に違う部分が多い) であり, 障害者雇用制度では義務づ け雇用や雇用納付金制度などが似ている。 日独の制度が似ているといっても, 法制度全体から見るとかなり違う部 75 障害者権利条約批准と障害者法制 分がある。 条約が国連で採択され, その後ドイツでは署名と批准が行われ た。 しかし, 日本は2007年に署名したけれども批准が国連での採択後7年 以上も遅れた。 批准するためには, 国内法整備が必要だからというのがそ の主な理由であった。 ところが, ドイツではそのような国内法整備はなさ れなかった。 従来の法制で間に合うというのがその理由であり, 条約の水 準は最低ラインというイメージが強かった。 ドイツで新立法を一切しなかっ (10) たのは以前から種々の法制度が存在したからであると報告されている (そ の後, 補充のための立法がなされたがここでは取り上げない)。 日本における障害者差別禁止法制定の要因の一つが条約批准に向けた国 内法整備であった。 国民の諸権利に関わる国際条約批准や国際的動向を追 うのに, 日本は常に動きがにぶい。 国際障害分類 (ICIDH) や国際生活機 能分類 (ICF) の法制度への取り入れがドイツではなされてきたのに対し, 日本ではほとんどなされてこなかったことなどはその例証となる。 これは 日本の法制度全体に内在する限界に起因する, つまり, 障害者または非障 害者が社会保障の権利主体として明確に扱われ, その権利を実現する制度 が日本の法制度全体に整っていないからだとも私は考えている。 障害者差別禁止立法は世界的潮流でもある。 障害者差別禁止法や, それ に類似した法律が世界の数十ヶ国で制定されてきた。 数十ヶ国としたのは, 差別禁止法と一括りにできないにも拘わらず, 法が次から次へと作られて いるという例を述べるために, 法律名まで変えて紹介されている例がある からである。 例えば, 「平等化法」 と訳すべきものを 「障害者差別禁止法 (11) (ドイツ)」 として紹介されてきた例がある。 外国制度紹介で 「超訳」 がな されるとその後の影響が大きい。 例えば, Poor Law が 「救貧法」 と訳さ れ定着したために, イギリスでは1601年から生活困窮者保護が行われてき (12) たかのような紹介がなされている。 差別禁止法は, 障害者への差別行為を 禁止する法であり, 平等化法は障害者の法的地位を非障害者と平等にしよ うとするものである。 差別禁止だけでは, 真の平等がもたらされるかは疑 問であり, 真に法的地位を平等にするためには社会保障が必要である, と いう点が重要になる。 76 (桃山法学 第25号 ’15) 本稿では, 条約批准にあたり, 国内法整備に求められてきた問題点を述 べることにする。 本稿では, とりわけ現行障害者基本法の差別禁止条項の 検討を行ったうえで, 真の障害者差別禁止および平等化には何が必要とさ れるか, 現在日本の一般の障害者が置かれている状況を検討し何が障害者 をめぐる法制度に必要かを述べてみたい。 2 障害をもつ者の権利条約批准に向けて求められた制度改革 (13) 条約批准にともない, 関連諸法の改正または新法制定の動きが見られた。 本稿では, 障害者と社会保障に関連して条約および関連法制を取り上げる ことにする。 21 障害をもつ者の権利条約の内容 条約の条文見出しのみをあげると以下のようになる。 障害者の権利に関する条約 (外務省仮訳文案) は以下の通りであった。 前文 /第1条 目的 /第2条 的義務 /第5条 /第7条 定義 /第3条 一般原則 /第4条 平等及び差別されないこと /第6条 障害のある児童 /第8条 一般 障害のある女子 意識の向上 /第9条 施設及びサー ビスの利用可能性 /第10条 生命に対する権利 /第11条 人道上の緊急事態 /第12条 法律の前にひとしく認められる権利 /第13条 司法手続の利用 /第14条 身体の自由及び安全 /第15条 危険な状況及び 拷問又は残虐 な, 非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの自由 / 第16条 搾取, 暴力及び虐待からの自由 /第17条 の保護 /第18条 生活及び地域社会に受け入れられること /第20条 すること /第21条 自立した 個人的な移動を容易に 表現及び意見の自由並びに情報の利用 /第22条 イバシーの尊重 /第23条 健康 /第26条 個人が健全であること 移動の自由及び国籍についての権利 /第19条 家庭及び家族の尊重 /第24条 リハビリテーション /第27条 相当な生活水準及び社会的な保障 /第29条 プラ 教育 /第25条 労働及び雇用 /第28条 政治的及び公的活動への参 加 /第30条 文化的な生活, レクリエーション, 余暇及びスポーツへの参 加 /第31条 統計及び資料の収集 /第32条 国際協力 /第33条 国内に 77 障害者権利条約批准と障害者法制 おける実施及び監視 /第34条 約国による報告 /第36条 協力 /第38条 40条 障害者の権利に関する委員会 /第35条 委員会と他の機関との関係 /第39条 締約国会議 /第41条 寄託 /第42条 ことについての同意 /第44条 委員会の報告 /第 署名 /第43条 拘束される 地域的な統合のための機関 /第45条 発生 /第46条 留保 /第47条 な様式 /第50条 締 報告の検討 /第37条 締約国と委員会との間の 改正 /第48条 廃棄 /第49条 効力 利用可能 正文 正文は以下の通りである。 仮訳文案と違う見出しには下線を施した。 前文/第一条 目的/第二条 一般原則/第四条 一般的義 務/第五条 平等及び無差別/第六条 障害のある女子/第七条 障害のあ る児童/第八条 施設及びサービス等の利用の容易さ /第十条 定義/第三条 意識の向上/第九条 生命に対する権利/第十一条 危険な状況及び人道上の緊急事態 /第十二条 法律の前にひとしく認められる権利/第十三条 用の機会/第十四条 身体の自由及び安全/第十五条 司法手続の利 拷問又は残虐な, 非 人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの自由/第十六条 搾取, 暴力及び虐待からの自由/第十七条 すること/第十八条 個人をそのままの状態で保護 移動の自由及び国籍についての権利/第十九条 した生活及び地域社会への包容/第二十条 自立 個人の移動を容易にすること/ 第二十一条 表現及び意見の自由並びに情報の利用の機会/第二十二条 プ ライバシーの尊重/第二十三条 家庭及び家族の尊重/第二十四条 第二十五条 健康/第二十六条 ハビリテーション (適応のための技能の習 得) 及びリハビリテーション/第二十七条 教育/ 労働及び雇用/第二十八条 当な生活水準及び社会的な保障/第二十九条 相 政治的及び公的活動への参加 /第三十条 文化的な生活, レクリエーション, 余暇及びスポーツへの参加 /第三十一条 統計及び資料の収集/第三十二条 国際協力/第三十三条 国内における実施及び監視/第三十四条 三十五条 締約国による報告/第三十六条 国と委員会との間の協力/第三十八条 九条 委員会の報告/第四十条 二条 署名/第四十三条 条 正文 報告の検討/第三十七条 締約 委員会と他の機関との関係/第三十 締約国会議/第四十一条 寄託者/第四十 拘束されることについての同意/第四十四条 域的な統合のための機関/第四十五条 十七条 障害者の権利に関する委員会/第 改正/第四十八条 効力発生/第四十六条 地 留保/第四 廃棄/第四十九条 利用しやすい様式/第五十 78 (桃山法学 第25号 ’15) 条約の翻訳文については, 「障害者」 の呼称や種々検討すべき点も多い。 (14) 私は, 川島聡=長瀬修仮訳 「障害のある人の権利に関する条約 仮訳」 (2008年5月30日付) のものがより専門的で正確な訳ではないかと考えて いることを付言しておくけれども, ここでは立ち入らない。 22 条約内容からうかがえるもの 条約の内容全体からうかがえる重要なものをあげると以下のとおりであ る。 第一に, 差別を禁止して非障害者との平等をはかる点である。 例えば, 第5条にあるように, 徹底して平等をはかろうとする条約の思想を重視す る必要がある。 第二に, 適用範囲をできるだけ広げ普遍的に適用しようとする意図がう かがえることである。 例えば, 第6および7条などの規定がそれである。 第三に, 条文名からも当然であるけれども 「権利」 という文言がいたる ところの条文に明記されていることである。 第四に, 社会保障による実質的平等化をはかろうとする点である。 文言 において, いくら機会の平等を保障したとしても, そこにいたる過程も保 障しなければ, 平等化は画餅に帰する。 このうち, とりわけ社会保障に関わる第28条を掲げると仮訳文案は以下 の通りである。 第28条 相当な生活水準及び社会的な保障 1 締約国は, 障害者及びその家族の相当な生活水準 (相当な食糧, 衣 類及び住居を含む。) についての障害者の権利並びに生活条件の不断の改 善についての障害者の権利を認めるものとし, 障害を理由とする差別なし にこの権利を実現することを保障し, 及び促進するための適当な措置をと る。 2 締約国は, 社会的な保障についての障害者の権利及び障害を理由と する差別なしにこの権利を享受することについての障害者の権利を認める 障害者権利条約批准と障害者法制 79 ものとし, この権利の実現を保障し, 及び促進するための適当な措置をと る。 この措置には, 次の措置を含む。 障害者が清浄な水のサービスを平等に利用することを確保し, 及 び障害者が障害に関連するニーズに係る適当かつ利用可能なサービス, 装 置その他の援助を利用することを確保するための措置 障害者 (特に, 障害のある女子及び高齢者) が社会的な保障及び 貧困削減に関する計画を利用することを確保するための措置 貧困の状況において生活している障害者及びその家族が障害に関 連する費用を伴った国の援助 (適当な研修, カウンセリング, 財政的援助 及び休息介護を含む。) を利用することを確保するための措置 障害者が公営住宅計画を利用することを確保するための措置 障害者が退職に伴う給付及び計画を平等に利用することを確保す るための措置 正文は以下の通りである。 第二十八条 相当な生活水準及び社会的な保障 1 締約国は, 障害者が, 自己及びその家族の相当な生活水準 (相当な食 糧, 衣類及び住居を含む。) についての権利並びに生活条件の不断の改善 についての権利を有することを認めるものとし, 障害に基づく差別なしに この権利を実現することを保障し, 及び促進するための適当な措置をとる。 2 締約国は, 社会的な保障についての障害者の権利及び障害に基づく差 別なしにこの権利を享受することについての障害者の権利を認めるものと し, この権利の実現を保障し, 及び促進するための適当な措置をとる。 こ の措置には, 次のことを確保するための措置を含む。 障害者が清浄な水のサービスを利用する均等な機会を有し, 及び障 害者が障害に関連するニーズに係る適当なかつ費用の負担しやすいサービ ス, 補装具その他の援助を利用する機会を有すること。 障害者 (特に, 障害のある女子及び高齢者) が社会的な保障及び貧 困削減に関する計画を利用する機会を有すること。 80 (桃山法学 第25号 ’15) 貧困の状況において生活している障害者及びその家族が障害に関連 する費用についての国の援助 (適当な研修, カウンセリング, 財政的援助 及び介護者の休息のための一時的な介護を含む。) を利用する機会を有す ること。 障害者が公営住宅計画を利用する機会を有すること。 障害者が退職に伴う給付及び計画を利用する均等な機会を有するこ と。 どちらの訳文を見ても, 障害者がその権利を実現するためには, 締約国 が社会保障を具体的に行う必要があることを定めていることがわかる。 23 制度改正の視点 条約の批准と問題点 23 1 憲法と条約と法律 日本国憲法第98条第1項は 「この憲法は, 国の最高法規であつて, その 条規に反する法律, 命令, 詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は 一部は, その効力を有しない。」 とし, 第2項で 「日本国が締結した条約 及び確立された国際法規は, これを誠実に遵守することを必要とする。」 と定めている。 これを文字どおり読み, 条約を批准し遵守しようとすれば, 現行障害者 法制と相容れない部分が多数出てくるのであり, 相当大きな法制度変更が されなければならなくなる。 ここで疑問となるのは, 条約には明確に 「権 利」 という文言が多用されており, この文言の重みを為政者はどのくらい 理解しているかである。 23 2 障害者関係法の改正 条約批准にからめて, 関係国内諸法規の改正や新たな法制定の動きが あった。 条約批准後の法制度整備について以前問題となっていた障害者基 本法は以下のようになっていた。 障害者基本法第3条 (基本的理念) の第1項には 「すべて障害者は, 個 障害者権利条約批准と障害者法制 81 人の尊厳が重んぜられ, その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有 する。」 (下線瀧澤。 以下同じ) とされ, その第2項では 「すべて障害者は, 社会を構成する一員として社会, 経済, 文化その他あらゆる分野の活動に 参加する機会が与えられる。」 とあり, 第3項で 「何人も, 障害者に対し て, 障害を理由として, 差別することその他の権利利益を侵害する行為を してはならない。」 とあった (改正障害者基本法の検討は後述)。 文言上は 「権利を有する」 とあるけれども, 有権解釈では, 具体的権利が発生する と述べられたことは一度もない。 国を被告とした裁判でもその主張は一貫 しており, これら規定は理念規定としての位置づけしかなされてこなかっ た。 また, 差別禁止法制定が必要なことからもわかるように, 第3項が具 体的差別禁止に有効な規定となっていなかったのは周知のとおりである。 障害者などの福祉サービスを受ける者の法的地位が問題になる法制を見 ると, 権利規定のなさはいっそう明らかになる。 社会福祉法第3条 (福祉 サービスの基本的理念) は, 「福祉サービスの利用者が心身ともに健やか に育成され」 (下線瀧澤。 以下同じ) とある。 児童福祉法第1条第2項 「すべて児童は……愛護されなければならない。」, 身体障害者福祉法第2 条 (自立への努力及び機会の確保) 第2項 「すべて身体障害者は……参加 する機会を与えられるものとする。」, 老人福祉法第2条 (基本的理念) 「老人は……敬愛されるとともに……健全で安らかな生活を保障されるも のとする。」, 母子及び父子並びに寡婦福祉法第2条 (基本的理念) 「…… 児童が……すこやかに育成されるために必要な諸条件と, その母子家庭の 母及び父子家庭の父の健康で文化的な生活とが保障されるものとする。 2 寡婦には……健康で文化的な生活が保障されるものとする。」 と判で 押したように受動態表現が使われている。 これは, 障害者などが誰かに何 かをされる客体であることを表し, 権利主体とはとらえられていないこと を表している。 このような規定がなかった知的障害者福祉法でも, 第1条 の2 (自立への努力及び機会の確保) 第2項 「すべての知的障害者は…… 参加する機会を与えられるものとする。」 が付け加えられた。知的障害者福 祉法にもほとんど同じ文言が入れられたのは決して偶然ではない (なお, 82 (桃山法学 第25号 ’15) 「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」 には同様な規定はない。)。 しかし, 旧軍人または軍属の戦争被害者を援護する戦傷病者特別援護法は このような規定をもたないけれども, 第1条 (目的) 「この法律は, 軍人 軍属等であつた者の公務上の傷病に関し, 国家補償の精神に基づき, 特に 療養の給付等の援護を行なうことを目的とする。」 とあるように, 国家が 積極的に補償責任を負う考えにたち, 他の障害者法制とは全く異なる考え (15) に基づいた法制度となっている。 一般の障害者に関わる日本の障害者法制には本来の意味の 「権利」 規定 がなく, 日本の障害者法体系と条約の障害者の権利体系が整合性をもてる かという疑問が生じる。 3 条約批准と関係立法の動き 条約批准にからめて, 新たな法制定の動きがあった。 その主なものの一 つが障害者虐待防止法であり, もう一つが障害者差別禁止法である。 本稿 と関わりがあると思われる点についてのみふれる。 31 障害者虐待防止法 2011年に 「障害者虐待の防止, 障害者の養護者に対する支援等に関する 法律」 (平成二十三年六月二十四日法律第七十九号) が制定された。 以前 (16) に 「障害者虐待の防止, 障害者の養護者に対する支援等に関する法律案」 (自民党・公明党案) および 「障がい者虐待の防止, 障がい者の介護者に (17) 対する支援等に関する法律案」 (民主党・社民党・国民新党案) が提出さ れたが, 2009年の国会解散とともに廃案となり, ようやく2011年に成立し た。 同法第2条第1項で障害者の定義は障害者基本法を引用するのでそれ については後述する。 32 改正障害者基本法の内容 障害者差別禁止規定に関わって ADA のもたらした衝撃は, 人種差別のいまだにあるアメリカ合衆国な 障害者権利条約批准と障害者法制 83 らではの差別禁止の一環として注目すべきものがあった。 しかし, 自己責 任原理を強調し, 小さな政府を志向するような政治風土があり, 貧弱な社 会保障制度のままのアメリカ合衆国では限界があったともいえる。 障害者 差別禁止をただうたえば, 差別禁止がなされるわけではないことの証左と もなると考えられる。 以下では, 改正障害者基本法の差別禁止規定に限定 してその問題点を探ることにしたい。 1) 改正障害者基本法の差別禁止規定 障害者基本法は平成23年8月5日法律第90号により, 多くの条文が改正 された。 本稿に直接関わる条文は第4条である。 以下条文を掲げる。 (差別の禁止) 第四条 何人も, 障害者に対して, 障害を理由として, 差別することその他 の権利利益を侵害する行為をしてはならない。 2 社会的障壁の除去は, それを必要としている障害者が現に存し, かつ, その実施に伴う負担が過重でないときは, それを怠ることによつて前項の 規定に違反することとならないよう, その実施について必要かつ合理的な 配慮がされなければならない。 3 国は, 第一項の規定に違反する行為の防止に関する啓発及び知識の普及 を図るため, 当該行為の防止を図るために必要となる情報の収集, 整理及 び提供を行うものとする。 改正前の条文は第3条 (基本的理念) 第3項に 「何人も, 障害者に対し て, 障害を理由として, 差別することその他の権利利益を侵害する行為を してはならない。」 とあっただけである。 この条文が平成16年6月4日法 律第80号によって付け加えられたのは周知のとおりである。 1967年改正で 身体障害者福祉法から差別禁止規定が削除されてから, 我が国には2004年 まで障害者差別禁止規定そのものがなかったという驚くべき事実があった。 平成23年8月5日法律第90号による法律改正と同時に第2条の障害者の 定義も改正された。 84 (桃山法学 第25号 ’15) (定義) 第二条 この法律において, 次の各号に掲げる用語の意義は, それぞれ当該 各号に定めるところによる。 一 障害者 身体障害, 知的障害, 精神障害 (発達障害を含む。) その他の 心身の機能の障害 (以下 「障害」 と総称する。) がある者であつて, 障害 及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受け る状態にあるものをいう。 二 社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障 壁となるような社会における事物, 制度, 慣行, 観念その他一切のものを いう。 この第2条は改正前は次のようになっていた。 (定義) 第二条 この法律において 「障害者」 とは, 身体障害, 知的障害又は精神障 害 (以下 「障害」 と総称する。) があるため, 継続的に日常生活又は社会 生活に相当な制限を受ける者をいう。 社会的障壁という概念がなかったため, 日常生活又は相当な制限を受け る原因が障害者自体にあるとする考えに今までたっていたが, 「障害およ び社会的障壁により……制限を受ける」 という内容に変わった。 これは, 日本の障害者法制における障害概念にとっては, 大きな変更であるといえ る。 この改正条文に関わって本稿に関わる限りにおいて以下管見を述べる。 「何人も」 の意味 第4条第1項は 「何人も, 障害者に対して, 障害を理由として, 差別す ることその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。」 と定める。 この条文だけみると, 誰でも 「差別することその他の権利利益を侵害する 行為」 (以下 「侵害行為など」) をしてはならない, と読める。 しかし, 第6条 (国及び地方公共団体の責務) は 「国及び地方公共団体は, 第一条 障害者権利条約批准と障害者法制 85 に規定する社会の実現を図るため, 前三条に定める基本原則 (以下 「基本 原則」 という。) にのつとり, 障害者の自立及び社会参加の支援等のため の施策を総合的かつ計画的に実施する責務を有する。」 と定める。 これを 見ると実施の責務を有するだけで, 国および地方公共団体が 「何人も」 の 範囲に入るとは考えられていないように思われる。 他の条文をみても, 国 および地方公共団体が中立的な位置に立つ, つまり権利利益の侵害行為な どせず, 追及される対象になるとは考えていないように思われる。 障害者 が障害をもつにいたった理由やその時の法的地位により, 制定法などによ り明確に差別的取扱いを受けている現状については, 問題とされにくい規 定になっている。 社会的障壁の除去 第4条第2項は 「社会的障壁の除去は, それを必要としている障害者が 現に存し, かつ, その実施に伴う負担が過重でないときは, それを怠るこ とによつて前項の規定に違反することとならないよう, その実施について 必要かつ合理的な配慮がされなければならない。」 と定める。 この条文の主語は 「社会的障壁の除去」 であるが, 誰によって 「必要か つ合理的な配慮がされ」 るのか, 全く不明確である。 また, 誰が誰に対し, それを要求しうるのか, 具体的に言えば, 訴える当事者が誰になるのかよ くわからない。 さらに, この条文は, 多くの問題を含む。 社会的障壁の定 義の問題については後に検討するとして, 障壁の除去を 「必要とする障害 者が現に存し」 という文言は, 予防的に障害を除去することをふくまない 可能性をもつ。 例えば, 施設の障害者利用に障壁があると痛感する非障害 者が裁判で訴えて, その障壁を除去しようとしても, 訴えることができな いと言われかねない。 しかも, 障壁除去の 「実施に伴う負担が過重でない とき」 が 「かつ」 という接続詞でつながって条件づけられている。 「過重 な負担」は極めてあいまいな概念であり, さらに 「その実施について必要 かつ合理的な配慮がされなければならない」 とあるけれども, これもあい まいである。 費用負担については第12条 (法制上の措置等) が 「政府は, 86 (桃山法学 第25号 ’15) この法律の目的を達成するため, 必要な法制上及び財政上の措置を講じな ければならない。」 とあるので, これを根拠に国の支出を求めることは可 能であろう。 しかし, 前述の条件を全て満たす必要があり, そのさじ加減 は最終的には裁判所に係っているのである。 国の行為 第4条第3項は 「国は, 第一項の規定に違反する行為の防止に関する啓 発及び知識の普及を図るため, 当該行為の防止を図るために必要となる情 報の収集, 整理及び提供を行うものとする。」 と定める。 国の行為は 「情 報の収集, 整理及び提供」 にすぎない。 しかも, ここにいう 「ものとする」 という表現は 「する」 より弱く, 俗に言う 「腰が引けている」 表現である。 これは, 「合理的な理由があれば, それに従わないことも許されるという (18) ような解釈がでてくる余地のありうる」 文言である。 2) 障害者の定義 改正障害者基本法は第2条第一号で 「障害者 身体障害, 知的障害, 精 神障害 (発達障害を含む。) その他の心身の機能の障害 (以下 「障害」 と 総称する。) がある者であつて, 障害及び社会的障壁により継続的に日常 生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」 と定義 し, 第二号で 「社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活 を営む上で障壁となるような社会における事物, 制度, 慣行, 観念その他 一切のものをいう。」 としている。 改正前の第2条 (定義) は 「この法律 において 「障害者」 とは, 身体障害, 知的障害又は精神障害 (以下 「障害」 と総称する。) があるため, 継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限 を受ける者をいう。」 となっていたが 「精神障害 (発達障害を含む。) その 他の心身の機能の障害」 という従来の障害概念が広げられた。 「その他の 心身の機能の障害」という文言は広く解釈可能で, 今後の障害概念拡充に 道を開くものといえよう。 さらにこの考えをもとに 「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活 障害者権利条約批准と障害者法制 87 又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」 を障害者とした。 こ の障害者概念は, 自己に内在する障害をもつものを障害者としていた旧規 定に比べると社会的障壁という文言を入れたことにより障害者が社会的障 壁によって生み出されうることを鮮明にした点で大きく前進したといえ, 障害者の定義を大きく変えるものとなった。 社会的不利をその構成要素に 入れていたとはいえ, 機能障害を中心に障害概念を考えていた1980年の国 際障害分類 (ICIDH) の障害概念を超えて, 環境因子を取り入れた2001年 の国際生活機能分類 (ICF) の考えに遅ればせながら, 一部追いつくよう になったと考えられる。 しかし, 障害者が 「身体障害, 知的障害, 精神障害 (発達障害を含む。) その他の心身の機能の障害 (以下 「障害」 と総称する。) がある者であつ て, 障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制 限を受ける状態にあるもの」 (下線瀧澤。 以下同じ) とあり, 「障害又は社 会的障壁」 となっていない点には問題がある。 社会的障壁とは障害がある 者に障壁となるものであり, 「障害及び社会的障壁」 を読み替えると 「障 害及び障害がある者に障壁となるもの」 となる。 障害および社会的障壁の 二つがあって 「相当な制限を受ける状態にあるもの」 が障害者となるから, 障害がある者に障壁となるものがなければ障害者ではなくなる可能性があ り, 障害者の範囲が狭められかねない。 毛を吹いて傷を求めるつもりはな いけれども, 「及び」 としたために問題を生じる規定になったといえる。 3) 附帯決議の意味 改正障害者基本法可決にあたり, 衆議院および参議院で附帯決議 (平成 23年7月28日参議院内閣委員会) がなされた。 一から七はほとんど同文で, 障害者政策委員会の委員の人選の公平・中立をうたう八のみ参議院で付加 されている。 意思疎通に困難がある障害者に対する意思疎通のための手段 についてとりあげられ, 手話もとりあげられるなど一定の評価すべき決議 でもある。 しかし, 水を差す気持ちは毛頭ないけれども, 附帯決議の二面 性を指摘しておかねばならない。 一つは, 法律を補足する解釈の手段とし 88 (桃山法学 第25号 ’15) て使えるという点と具体的な権利実現のための規範として使えるかといえ ば, 必ずしも使えるわけではないという点とである。 旧障害者基本法第3条に差別禁止規定が入れられた平成16年改正では参 議院で2004年5月27日付けの附帯決議がなされた。 障害者基本法の一部を改正する法律案に対する附帯決議 平成十六年五月二十七日 参議院内閣委員会 障害者基本法の一部を改正する法律案に対する附帯決議 政府は, 本法の施行に当たり, 次の事項の実現に向け万全を期すべきであ る。 一. 障害者施策の推進に当たっては, 障害者の個人の尊厳にふさわしい生活 を保障される権利を確認した法第三条第一項の基本的理念を踏まえ, 障害者 が, 社会, 経済, 文化その他あらゆる分野の活動に, 分け隔てられることな く参加できるようにすることを基本とすること。 二. 障害者の雇用・就業, 自立を支援するため, 障害者の地域における作業 活動の場の育成等を推進するとともに, 併せて精神障害者の雇用率の適用・ 復職支援, 在宅就労支援を積極的に推進するため, これらについて法的整備 を含め充実強化を図ること。 三. 障害者に対する障害を理由とする差別や権利利益侵害が行われた場合の, 迅速かつ効果的な救済のために必要な措置を検討すること。 四. 情報バリアフリー化の推進は, 障害者等のコミュニケーションの保障に 資するべきものであることにかんがみ, 情報通信機器やアプリケーションの 設計面のみならず, コンテンツや通信サービスについても, 手話, 文字, 点 字, 音声等の活用による改善及び充実を促進すること。 五. 障害のある児童・生徒とその保護者の意思及びニーズを尊重しつつ, 障 害のある児童・生徒と障害のない児童・生徒が共に育ち学ぶ教育を受けるこ とのできる環境整備を行うこと。 六. 「障害者」 の定義については, 「障害」 に関する医学的知見の向上等につ いて常に留意し, 適宜必要な見直しを行うよう努めること。 また, てんかん及び自閉症その他の発達障害を有する者並びに難病に起因 障害者権利条約批准と障害者法制 89 する身体又は精神上の障害を有する者であって, 継続的に生活上の支障があ るものは, この法律の障害者の範囲に含まれるものであり, これらの者に対 する施策をきめ細かく推進するよう努めること。 七. 国連における障害者権利条約の策定等の動向を踏まえ, 制度整備の必 要性について検討を行うこと。 右決議する。 これを見ると, この間国はいったい何をしてきたのかと言わざるをえな い。 附帯決議の効力はこの程度のものである。 力関係で法改正のときにい れられなかった内容を, 附帯決議に入れて妥協をはかるというのが国会運 営の常である。 裁判になったときに附帯決議の内容に言及することはでき る。 しかし, これで反対した政党のメンツがたったと思って, 法案に反対 した政党が賛成票を投じたとすればその姿勢に疑問なしとしない。 1990年制定の ADA (「障害をもつアメリカ人法」) は, 障害者差別禁止 法の嚆矢としてずいぶん注目された。 中には法律的な常識を無視した条文 紹介があり, 条文そのものをどこまで読んで紹介しようとしているのかわ からない 「紹介」 や文献があったことを記憶している。 ADA が, 障害者 の交通, 通信などの利用改善に大きなインパクトを与えた, 当時としては めざましい点を十分評価したい。 けれども, ADA を子細に検討すれば, 諸手をあげて評価すべきものとは言えない内容も持っていた。 ADA の主 要な強調点のうち, 雇用に関わる内容をごくおおざっぱにまとめれば, 同 じ仕事ができる能力があれば (「有資格障害者」), 障害者と非障害者を差 別してはならないというものである。 例えば, タイプライターを同じスピー ドで打てれば, 障害者と非障害者を差別してはならないというものであり, 車椅子使用者は場所をとるので労働者一人当たりの事務所家賃などの経費 がかかるといった点で差別されかねなかったからである。 しかし, 逆にい えば, その能力のない障害者は排除されうるのであり, 自己責任原理が貫 徹され, 社会保障による援護が少ないアメリカ合衆国で限界が露呈したの は当然と言える。 判例でも障害者に有利なものが続出したわけではなく, (19) むしろ障害者が負ける判決がめだってきた。 90 (桃山法学 4 第25号 ’15) まとめにかえて 障害者の社会保障確立に向けて ドイツでは新立法を一切せずに, 権利条約の署名と批准がなされた。 以 (20) 前から種々の法制度が存在したからであると政府は報告している。 それが真実かは詳細に今後検討すべきであるが, 真実であるならば, 真 の平等がはかられる可能性のある法制がすでにできあがっていたとも考 えられる。 その根底に, ドイツ連邦共和国基本法第3条第3項第2文 “Niemand darf wegen seiner Behinderung benachteiligt werden.” (何人もそ の障害のゆえに差別されてはならない) が定められていることは無視でき ない。 日本国憲法には周知のようにそのような規定がない。 日本では障害 者基本法改正だけでは差別禁止の実効性はあがらず, さらなる法改正が必 要であり, 権利条約を批准するには種々の法改正や立法がいるはずであっ た。 法制度の水準が条約の水準以上の国とそれよりも低い国との違いがこ こに出ている。 ここでは, 障害者差別禁止法だけでなく, 真の障害者差別禁止および平 等化のためには何が必要かを述べて本稿を終わることにしたい。 日独の障 害者法制を瞥見比較して必要となることを以下に述べる。 ① 直接差別, 間接差別および合理的配慮を行わないことの排除 この三要件は絶対に譲れないものである。 しかし, 機会の平等がこれら ではかられたとしても, その後の不断の支援が必要である。 ② 社会保障制度による平等化 障害者に対する差別を禁止しただけでは, 解決できないものが多々ある。 社会保障により, 差別を排除し, 合理的配慮が行われ, 実質的平等をはか る必要がある。 スタートラインに同時に立てても走っている時も支援が必 要な場合があり, 機会の平等保障では不十分である。 障害者の社会保障水 準は, 障害者をその構成要素とする国民全体の社会保障水準と関連する。 障害者権利条約批准と障害者法制 91 それが真の意味のインクルージョン (ある集団がある集団を包摂するとい う意味でなく, 相互に包摂するという意味で使う) 実現につながる。 条約 が批准され法や制度を変えただけで, 人間行動が変わるわけではない。 条 約内容を実現する国内法が制定されてもそれを実効あるものとする制度が なければ法は機能しない。 差別禁止と社会保障 (社会保険, 公衆衛生およ び医療, 公的扶助, 社会福祉, 住宅保障など) による法的地位の実質的平 等化が必要である。 参考 ドイツ連邦共和国 障害者を平等化するための法律第1条 この法律の目的は, 障害者の不利益を除去および防止すること並びに社会 生活における障害者の平等な参加を保障すること及び障害者に自己決定され た生活遂行を可能にすることである。 その際に, 特別な需要が考慮される。 ③ 国家制度全体を是正する措置の必要性 国 (立法, 行政および司法を含む) や地方公共団体の差別行為や権利利 益の侵害行為なども是正する制度が必要である。 障害者間差別をもたらす 法制度を作ったり, ある障害者が放置されたりするような立法不作為を認 めさせてはならない。 国や地方公共団体も差別をする可能性があり, それ をも是正する必要があるという視点が重要であるのに, それらが無視され て法制度が作られてきた。 「障害を理由とする差別の解消の推進に関する 法律 (平成25年6月26日法律第65号)」 が制定 (施行は2016年4月1日) されたけれども, 上のような状況が改善される可能性は低い。 衆参両院で なされた附帯決議も実効性あるといえるかは, 障害者基本法改正の際の附 帯決議に対するのと同じ批判があてはまる。 ④ 真の権利実現のための制度構築の必要性 この間の社会保障 「改革」, とりわけ社会福祉の基礎構造改革は 「自分 さえ良ければ良い」 という万人の万人に対する戦いを助長するものとなっ た。 利用契約制度による市場化の先駆けが2000年4月1日施行の介護保険 制度であり, 2003年4月1日から完全施行の社会福祉法では, 児童福祉法, 92 (桃山法学 第25号 ’15) 身体障害者福祉法及び知的障害者福祉法で措置制度により行われていた福 祉サービスが利用契約制度 (支援費支給制度) に変更された。 措置の実施 責任が放棄され, 市町村は支援費区分認定, 支援費支給および情報提供を 主にすればよくなった。 介護保険制度で行われている要介護度認定制度が ずさんな形で制度化されたのが支援費支給区分認定である。 措置制度と違 い, 行政機関窓口では要援護者のニーズ把握とそれによる順位付けが不要 となり, 行政機関は事業者などと直接交渉する必要がなくなった。 これに より行政の大幅なスリム化と能率化が図られることになった。 これは50年 続いてきた措置制度 (財政支出と都道府県, 市および福祉事務所を設置す る町村は具体的な実施責任を負っていた) をほとんど廃止する内容を持っ ていたが, 要援護者 (新法制では利用者) は事業者や施設を自由に選ぶこ とができると喧伝され, 障害者法制ではその論拠にノーマライゼーション (?!) が使われた。 しかし, 対等平等な関係が成り立つはずもない法律関 係を対等平等であると擬制したところに種々の問題が生じたのは当然であっ た。 その後生じたのは, 利用者と事業者の対立, 利用者どうしの対立であっ た。 その後 「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法 律 (平成十七年十一月七日法律第百二十三号)」 が制定され, この傾向は 一層強まった。 ⑤ 権利意識の醸成 2011年の障害者基本法改正にあたり, 障害者の権利など考えていない国 (21) 会議員がいることが関係者の話からうかがえた。 日本には障害者の権利を正面から定めた法律がどこにもない。 ドイツと 違い, 日本の福祉関係法にはその対象者が権利主体となって 「障害者は∼ の権利をもつ」 という文の形をした条文規定がない。 障害者などの要援護 者は誰かによって何かされる客体ではあっても, 何らかの法的地位を自ら つかみとる権利主体とは認められてこなかった, といえる。 これはドイツ の社会保障法制と大きく違うところである。 障害者が真に権利主体となりうるかを検討すれば, 障害者差別禁止法お 障害者権利条約批准と障害者法制 93 よび平等化法制定がなされねばならなくなるであろう。 障害者が権利主体 となって国や地方公共団体に対し, 具体的権利を行使できる法規定や機関 がない限り, 真の差別禁止および平等化ははかれないことを銘記すべきで ある。 本稿においては, ドイツの障害者法制との比較まで論を進めることがで きなかったけれども, 彼我の差の検討は国民の権利意識や社会裁判所など の権利実現制度なども考慮しなければならないことにつながる。 障害者の 社会保障水準はつまるところ, その国民の社会保障水準にも規定される。 条約批准および国内法整備は国民の社会保障水準を向上させる契機ともな ることを銘記し, 改正諸法にもそれを反映すべきであった。 前述のように, ドイツでは, 新立法を一切せずに, 権利条約の署名と批 准がなされた。 以前から種々の法制度が存在したからであると報告されて (22) いる。 それが真実であるかは今後詳細に検討すべきであるが, 真の平等が はかられる可能性のある法制がすでにできあがっていたとも考えられる。 障害者権利条約は批准の前に日本の障害者法制を大きく変える可能性が あるとして, 種々の運動団体, 市民団体, 政党などが努力し法案なども提 起された。 条約内容を具体化するつもりなら, 大幅な法改正がなされてし かるべきであった。 しかし, それがほとんどないままにひっそりと批准さ れてしまった。 羊頭狗肉的な条約批准であったと言っても過言ではない。 条約を忠実に国内で適用するのであれば, 矛盾の多い法体系を再度見直し, 徹底的な法改正や立法が必要である。 (2015年7月24日) 注 (1) 外務省ホームページ 「障害者の権利に関する条約 (略称:障害者権 利条約)」 (平成27年7月15日) (http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/ index_shogaisha.html 参照。 2015年7月18日確認)。 (2) その理由については拙著 障害者間格差の法的研究 (ミネルヴァ書 房, 2006年) 9・10頁参照。 (3) 外務省訳文 (http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000018093.pdf 参照) は 94 (桃山法学 第25号 ’15) 「障害者」 となっているが, 原文 (Convention on the Rights of Persons with Disabilities) に基づき 「障害をもつ者」 とした。 (4) 原文に忠実に訳せば「諸権利」となり, 一般的抽象的権利でなく, 個々 具体的な権利を意味すると考えられるが, 日本語では煩瑣になるため 「権利」 とした。 Bundesministerium Arbeit und Soziales der Vereinten (5) Nationen Rechte von Menschen mit Behinderungen (Erster Staatenbericht der Bundesrepublik Deutschland) Vom Bundeskabinett beschlossen am 3. August 2011. S.4. (6) 国土地理院 「平成26年全国都道府県市区町村別面積調」 (平成26年 10月1日) (http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201410/opening. htm 参照。 2015年7月24日確認)。 (7) 「ドイツ連邦共和国大使館・総領事館」 ホームページ (http://www. japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/Startseite.html 参照。 2015年7月24日確 認)。 (8) 国立社会保障・人口問題研究所 「人口統計資料集 (2015年)」 (http:// www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2015.asp?fname=T01-01. htm 参照。 2015年7月24日確認)。 (9) 注7ホームページ参照。 (10) 前掲 Bundesministerium Arbeit und Soziales 注5文献 S.4 参照。 (11) 日本弁護士連合会人権擁護委員会編 障害のある人の人権と差別禁止 法 (明石書店, 2002年) 492頁以下参照。 (第3版) CD-ROM 版参照。 (12) 有斐閣 法律用語辞典 (13) 拙稿 「障害者雇用促進制度における障害者の範囲の見直し」『労働法 律旬報』1794号 (2013年) 18頁以下参照。 (14) http://www.normanet.ne.jp/~jdf/shiryo/convention/index.html 参照。 (15) 詳細は, 拙著前掲注2文献238頁以下参照。 (16) http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g 17101049.htm 参照。 http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g (17) 17101050.htm 参照。 (18) 林修三 法令用語の常識 第3版 (日本評論社, 1975年) 49頁参照。 (19) Edi. L H Krieger BACKLASH Against the ADA (The University of Michigan Press, 2003) (20) 前掲 Bundesministerium Arbeit und Soziales 注5文献 S.4 参照。 障害者権利条約批准と障害者法制 (21) 藤井克徳 「改正障害者基本法の評価 (下)」 95 すべての人の社会 号 (2011年8月号) 2頁参照。 (22) 前掲 Bundesministerium Arbeit und Soziales 注5文献 S.4 参照。 374 97 <判例研究> 強姦罪における行為基盤の 欠如による欠効未遂 江 藤 隆 之 目次 【事実の概要】 【判旨】 【検討】 はじめに 1)本判決の構造 2)本判決の位置づけ 3)任意性判断 4)欠効未遂の概念 5)行為基盤の欠如による欠効 6)本事例へのあてはめ おわりに キーワード:中止未遂, 任意性, 欠効未遂, 姦淫の中止 対象事件:和歌山地方裁判所平成18年6月28日刑事部判決平成18 (わ) 126 号 事件名:強姦未遂被告事件 裁判内容:有罪 (懲役2年6月)・確定 出典:判タ1240号345頁,下級裁判所判例集登載 98 (桃山法学 第25号 ’15) 【事実の概要】 被告人は,平成18年2月11日午後7時過ぎころ,駅構内で見かけたA女 (当時16歳) に声をかけ,同女とともに電車に乗り込み会話を続けるうち に,性的欲望を次第に募らせ,同女を利用して射精したいなどと考えるよ うになった。同女と降車した後も,並んで歩きながら,繰り返し同女に話 しかけていたが,同女から「ほんまに無理。」などと全く相手にされなかっ たため,同女に強いてわいせつな行為をしようと企て,同日午後8時50分 ころ,第1現場において,同女に対し,その左肘付近を掴んで同女の身体 をガードレールに押し付け,その背後から強く抱きつき,両手で同女の着 衣の上からその両乳房を弄んだところ,同女が身体を左右に激しく振るな どして抵抗したことから,「おまえ,ほんま犯すぞ。」などと語気鋭く申し 向け,次いで,被告人を畏怖する余り抵抗を諦めた同女の手を引いて第2 現場に連れ出し,同女に対し,「黙ってこっち来い。大きな声出すな。」な どと再度語気鋭く申し向け,同女のスカートをまくり上げてパンツを覗き ながら自慰行為をするなどしていたが,さらに,同女を人気がなく暗い第 3現場に連れ込み,同女に「脱げ。」などと申し向けながら,そのパンツ を脱がせ,同女の臀部を手で撫で回し,その陰部に手指を挿入するなど, 強いてわいせつな行為をしているうちに,著しく性的欲望を募らせ,この 上は,同女を強姦しようと決意し,同女の身体を背後から両手で強く押さ え付け,あるいは地面に仰向けに押し倒し,同女に対し,「俺が一方的に やったら犯罪になるので,おまえが入れろ。」と申し向けるなどして,強 いて同女を姦淫しようとしたが,被害者が自己の陰茎をその陰部に容易に 挿入することができないでいるうち,同女から口淫することで許してほし い旨を告げられるなどしたため,それに応じ,口淫によって射精したため, 姦淫を遂げなかった。 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂 99 【判旨】 有罪 (強姦未遂罪)。懲役2年6月 (求刑懲役5年)。確定。中止未遂の 成立を任意ではないとして認めなかった。以下,判決理由の重要部分を引 用。 「被告人が,被害者を姦淫することを決意し,被害者の身体を背後から 両手で強く押さえ付け,自己の陰茎を同女の陰部に挿入しようとした後, 同女に「俺が一方的にやったら犯罪になるので,おまえが入れろ。」と命 じて自己の陰茎を同女の陰部に挿入させようとした際,被害者の口淫の申 出に応じて,それ以上同女に姦淫を求めることなく立ち上がり,その後も, 同女に対して姦淫行為には及んでおらず,強制わいせつ行為をしたに止まっ ているという本件事実経過に照らすと,強姦の実行の着手後,その既遂に 至らないうちにこれが中止されたことは明らかである。」 「被告人は,上記認定のとおり,被害者に命じて自己の陰茎を同女の陰 部に挿入させようとしたが,容易に挿入することができなかったため,強 い射精欲求が満たされずいら立っていたところへ,第2現場においては被 告人に対する手淫行為さえ拒否していた同女から,予期せぬ口淫の申出を 受け,一刻も早く射精したいとの思いで,同女に口淫させることにしたも のである。また,被告人は,その後,泣き出した被害者に対し,謝罪しつ つも警察に通報しないよう懇願し,泣きやんだ同女が立ち去ろうとした際 には,再び性欲を募らせたことから,自己が射精するまで帰らせない旨告 げて,同女に自己の陰茎を手淫させ,あるいは同女の乳房を舐めるなどの わいせつ行為を繰り返し,結局射精し,自己の性的欲望を充足させるに至っ ている。その一方で,被害者が上記申出をしたのは,夜間人気がなく暗い 梅畑内の,倉庫の陰に隠れた人目につきにくい場所で被告人の命令により 今まさに姦淫されそうになった同女において,被告人を畏怖する余り,そ の要求を拒絶することが極めて困難な状況に陥っていたことから,被告人 から無理やり姦淫されるという女性として最悪の事態を回避すべく,被告 100 (桃山法学 第25号 ’15) 人の性欲を口淫により減退させることを意図したためであることは明らか である。 そうすると,被告人は,被害者を利用して早急に射精の目的を遂げるこ とによって自己の性欲を満たすことができさえすれば,その手段としては 姦淫行為に必ずしもこだわるものではないという心理状態のもとで,自己 の陰茎を被害者の陰部に挿入できないという犯罪遂行の物理的な障害に遭 遇した際,同女から予期していなかった口淫の申出を受けて,今すぐにも 可能な口淫により一刻も早く射精の目的を遂げようと考えてその方針を転 換したにすぎないのである。このような事情にかんがみれば,被害者の上 記申出は,性欲が著しく昂進していたという被告人の当時の心理状態のも とで,十分犯罪遂行の外部的障害となり得るものであったと評価できるし, その後,被告人が,被害者に対して執拗に口淫や手淫をさせ,実際に射精 していることに照らしても,上記申出に基づく被告人の中止行為が何ら反 省,悔悟,憐憫等の心情に基づくものでないことも明らかである。 したがって,本件において,被告人が自己の意思によって強姦行為を中 止したとはいえないから,被告人に中止未遂は成立しない。」 【検討】 はじめに (1) 本件は強姦未遂について中止未遂の成立を自己の意思によるものではな いとして否定したものである。結論には賛同するが,理由に異議があるの で,以下に検討したい。 1)本判決の構造 本判決は,中止未遂の成立を否定している。その理由は,「自己の意思 によって強姦行為を中止したとはいえないから」すなわち任意性がないか らであるとしている。 そこで,本判決の判断構造を明らかにしてから,任意性に関する裁判所 101 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂 の判断の当否を検討しよう。 本判決は,任意性を否定するにあたって,ふたつの理由を挙げている。 それは,①被害者の申し出が「性欲が著しく昂進していたという被告人の 当時の心理状態のもとで,十分犯罪遂行の外部的障害」となるものであっ たこと,②「被告人の中止行為が何ら反省,悔悟,憐憫等の心情に基づく ものでない」ことである。 ①の判断は,学説上主観説と呼ばれる判断方法である。主観説は,外部 的障害がないのに行為者が自由な意思決定に基づいて中止した場合を任意 (2) とし,外部的障害を認識して止めた場合を不任意とする見解をいう。行為 者の立場にたって,「私は,たとえできるとしても,やるつもりがない (Ich will nicht zum Ziele kommen, selbst wenn ich es )」を任意, 「私は,たとえやろうとしても,できない (Ich kann nicht zum Ziele (3) kommen, selbst wenn ich es wollte.)」を不任意とするフランクの公式によっ て表現されるのがこの主観説である。行為者にとって「できる ( )」 か否か (ob ich es kann) すなわち外部的障害の表象による行為選択に関す る主観的自由の有無と「するつもりである (Wollen)」か否か (ob ich es will) という行為者の主観面によって任意性を判断するという立場であ (4) る。 ②の判断は,その文言から限定的主観説の立場であることは明らかであ る。限定的主観説とは,「中止行為が反省・悔悟・憐憫・同情といった動 (5) (6) 機による場合」に限り任意性を肯定する見解である。 このように,本判決は,主観説と限定的主観説のコンビネーションによっ て,中止の任意性を否定しているのである。 2)本判決の位置づけ それでは,このような主観説と限定的主観説のコンビ―ネーションによっ て任意性を否定する本判決は,これまでの判例の流れの中でどのように位 置づけられるのだろうか。 判例は古くは主観説によって任意性を判断していた。たとえば,大審院 102 (桃山法学 第25号 ’15) 大正2年11月18日判決は「外部的障害」があることを理由として中止未遂 (7) (8) の任意性を否定しており,同様の判断は大審院昭和11年3月6日判決にも 受け継がれている。ここでいう主観説は,行為者が外部的障害をすこしで も認識したら任意性を否定するという厳しい意味における主観説であり, 大審院の判断はほぼこの主観説で一致していた。 ところが,戦後,判例は客観説への転換をみせたといわれるようになる。 「犯罪の完成を妨害するに足る性質の障害」を問題にした最高裁昭和32年 (9) 9月10日決定にはそのような客観化の契機が含まれており,外部的障害の (10) 有無の判断を「一般の経験」に求めた東京高裁昭和39年8月5日判決では 明らかに客観的基準が表現されている。 このような流れをみれば,判例は主観説から戦後に客観説へ転換したと いえそうにも思えるが,実はそうではない。 このことは, 戦後のいくつか の判例をみてみれば明らかになる。判例の立場はまったく一貫していない (11) のである。下級審においては「哀れみ」,「愛情」を認定して任意性を肯定 (12) した限定的主観説による判決も,逆に中止の動機が「憐憫の情にあったか ……によって中止未遂の成否が左右されるという見解は,当裁判所の採ら ないところである」とまで断言して限定的主観説を明示的に否定した判決 (13) もみることができる。それどころか,客観的基準と限定的主観説とをミッ (14) クスして判断する判決すら散見される。戦後の判例には,客観説によった もの,限定的主観説によったもの,客観説と限定的主観説とを混ぜたもの の3種類が主にみられるのである。本判決は,客観的基準は一切示さず, 主観説と限定的主観説のコンビネーションによって判断したという点に若 干の特色がある。 それでは,本判決はこれまでの判例の主流から外れるものであるかとい えば,否である。統一された判断基準が確立されておらず,判断が場当た り的に行われてきた以上,このような判決は,さほど奇抜なものではない といえるだろう。障害が当人にとってなのか (主観説),一般人にとって なのか (客観説) という点はあまり意識しないまま判決しているようにも 思われるため,客観的基準が「一般に」や「客観性」という言葉でもって 103 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂 明確に用いられていないからといって,一概に判例の流れから外れた判決 であるとはいえない。むしろ,判例の場当たり的な判断の在り方を良く表 しているとでも評すべきである。 3)任意性判断 ところで,本判決が任意性を否定したことは妥当であっただろうか。 たしかに,限定的主観説のいうような動機は被告人に認められない。限 定的主観説を採るならば任意性は否定されるだろう。しかし,そもそも刑 (15) 法に倫理判断を持ち込もうとする限定的主観説は妥当ではない。この点, (16) 現在の学説においては大まかな一致をみているといって良いだろう。限定 的主観説の基準は任意性を否定するために判例では好んで用いられるもの の,そのような基準自体不当であるというべきである。 それでは,主観説によって任意性を否定できるかといえば,これもまた 困難であるように思われる。というのも,たしかに陰茎の挿入をうまく行 いえなかったという事情はあるものの,それは,挿入を被害者に任せてい たためであり,被害者が口淫の申し出をした後もあるいは射精後もなお被 告人には被害者を強姦することは可能だったからである。本判決は被害者 の口淫の申し出を「十分犯罪遂行の外部的障害となり得るものであった」 というが,姦淫はなお可能なのだからそのような認定は妥当ではない。と なれば,強姦については「私は,たとえできるとしても,やるつもりがな くなった」にすぎないのであって,フランクの公式にいう「私は,たとえ (17) やろうとしても,できない」には当たらないといわなくてはならない。 となると,本件では 主観説を採る場合には 任意性は肯定される べきことになろう。 では,主観説以外を採れば任意性を否定できるかというとそうではない だろう。客観的基準をとってもそれが任意性を否定する経験上通常の障害 かといわれれば,必ずしもそうはいえないと思われる。口淫の申し出を受 けた一般人が姦淫を中止するか否かの経験則は明確な形で存在しないから である。 このような曖昧な場合に, 行為者に不利な判断をすることは難し 104 (桃山法学 第25号 ’15) (18) い。 私見は消極的折衷説を主張しているが,その立場からも任意性を否定 することは困難である。本件のような事案においては,限定的主観説か不 (19) 合理決断説を採らないかぎり,任意性は否定できないだろう。 それでは,任意性を否定できないからといって,本件に中止未遂の成立 を認めて良いのであろうか。否である。その理由を以下に述べよう。 4)欠効未遂の概念 本件は,任意性を検討するまでもなく,欠効未遂 (fehlgeschlagener Ver(20) such) の特殊類型として中止未遂の成立を否定すべき事件であった。以下, 欠効未遂概念を概観する。 欠効未遂の中心的な定義は「目的達成の (現実的あるいは錯誤による) (21) 不可能性のために,もはや放棄も後戻りもできない未遂」というものであ る。 刑法43条但書は中止未遂について「自己の意思により犯罪を中止した」 と定めているが,「中止した」とはどういう意味であろうか。「中止した」 とは,論理的当然として「止めない選択肢もあったにもかかわらず止めた」 という意味である。たとえば,犯行を警察官に発見されて取り押さえられ た状況においては,行為者がいくら「悪いことをしてしまった。心から反 省し犯罪を止めよう」と主観的に思っていたとしても,任意でないという (22) 以前に「中止した」には当たらない。警察官に取り押さえられた時点で, 中止行為の論理的可能性は消滅したのである。このように,中止行為の前 (23) 提として「中止の可能性」が考えられなくてはならない。最初から中止の 可能性がない事案,すなわち未遂そのものが中止される前に失敗に終わっ た事案においては,任意性を判断するまでもなく,中止未遂成立の可能性 (24) は排除され障害未遂となるのである。このような未遂を欠効未遂という。 (25) (26) 我が国では欠効未遂概念を否定する見解が圧倒的に通説であるが,欠効 未遂概念が必要であることおよびその大まかな内容については私はかつて (27) 論じたことがあるので,必要性と内容の議論はそちらに譲る。本稿では, 欠効未遂を本件事案に適用するのに必要な範囲で言及しておきたい。 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂 105 欠効未遂は,行為者がその欠効性を認識することによって成立する。た とえば,イェシェック・ヴァイゲントは,「中止未遂は,行為者が既遂に 至ることがなお可能だと思っていることを常に前提としている。これに対 して,行為者が,すぐ利用できる手段によって事象をそのまま継続しても もはや結果を達成しえないと確信するに至った場合には,欠効未遂となり, もはや実現されえない故意を放棄することはできないので,そこからの中 (28) 止は不可能となる」という。そしてこの欠効性の判断は,これまでは任意 性の主観説に用いられる公式であると考えられてきたフランクの公式によっ (29) て行われる。「やろうと思ってもできなかった」と行為者が認識した場合 が欠効未遂なのであるから,その判断は原則としてフランクの公式による ことになるのである。 すると,本件については,主観説を採用しても任意性を認めなければな らないはずだと批判したとおり,やはり欠効未遂も認められないというこ とになりはしないだろうか。そう結論づけるのは早計である。たしかに, 本件は欠効未遂の基本的な類型,すなわち「やろうと思ってもできなかっ た」には該当しない。しかし,行為遂行の不可能性を行為者が認識したと いう基本類型に該当しなくとも欠効未遂が肯定されるべき特殊な場合がい くつか存在するのである。この欠効未遂が特別に認められるべき場合につ いてさらに検討を進めよう。 5)行為基盤の欠如による欠効 ロクシンによれば,欠効未遂は基本型である①構成要件実現の不可能性 が行為者に認識されたときの他に特殊な場合として,②行為対象の性質が 行為計画と合致しないとき,③行為対象が行為者の期待に沿わないときに (30) 成立するという。後者2つは,いわゆる「所為遂行の無意味性による欠効」 (31) といわれる事例群である。このような場合,BGH は行為遂行は事実的に (32) はなお可能であることを理由として欠効を認めていないが,学説において (33) は欠効を認める見解が多数である。 欠効未遂の概念を認める多くの学説は,たとえば,一定のまとまった額 106 (桃山法学 第25号 ’15) が欲しくてハンドバッグを奪った窃盗行為者がその中にわずかな金銭しか 発見しなかった場合,そのわずかな金銭を窃取することは可能であっても, 欠効が認められると解する。所為のさらなる遂行が行為者にとって意味を 失ったからである。また,暗殺者が銃撃して重傷を負わせた相手が標的と していた政治家でなかったことに行為者が気づいた場合も 争いはある (34) ものの 同様に考えることができよう。このように,行為者が客体に失 望し,それ以上の行為遂行が無意味になった場合に欠効未遂が認められる と学説の多くはいう。なぜならこれらの場合には行為者の行為遂行を動機 (35) づける「行為基盤が欠如する (Wegfall der )」からであ る。このような場合,行為者がさらなる行為遂行を行わないのは,「自己 の意思による行為遂行の放棄」とはもはやいえない。行為者が行為の遂行 を決意する選択肢が外部的要因によって失われたからである。したがって, 犯罪遂行中に何らかの事情によって行為者にとって行為をさらに遂行する 基盤が欠如した場合には,「自己の意思による行為遂行の放棄」の前提が 欠如するため,欠効未遂の成立を認めるべきなのである。 これにくわえて,中止未遂の成立を排除すべきか否かについてさらに問 題となる事例群がある。それは,犯罪遂行中に行為者の目的が達成されて しまった場合や,他の方法によって容易に目的達成できることに行為者が 気づいたため,当初予定していた構成要件的行為の遂行が最後までなされ なくなった場合である。たとえば,射精を目的とする行為者が,当初計画 の姦淫よりも被害者の申し出た口淫によってより容易に目的達成可能であ ると認識するにいたったため,当初計画していた姦淫の遂行を行わなかっ た場合や,姦淫前に射精してしまったため目的を達成し姦淫行為の遂行を (36) 行わなかった場合などである。 このような場合を欠効未遂という名で呼ぶか否かは別として,法的効果 としては欠効未遂と同様に中止未遂の成立が排除されるべきであるという 学説が唱えられている。それは,目標達成の場合も,行為者にとって当初 予定していた所為の遂行が無意味になった場合であるといえるのであり (37) 「行為基盤が欠如する」からである。 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂 107 私見も,行為者の計画にとって重要な目標が別の手段で達成できる場合, 当該手段を放棄し,別手段に移ることは,「行為者の計画にとって (当初) (38) 行為の遂行が無意味になった」場合に該当すると解する。したがって,こ のような場合にも欠効未遂と同様の法的効果を認め,中止未遂の可能性を 排除すべきである。これを欠効未遂と同様の効果をもたらす欠効未遂では (39) ないものとして整理することもできようが,「行為基盤が欠如し,行為者 にとって遂行が無意味になった」という理由も中止未遂の成立を排除する という効果も同じなので,私はこれを行為基盤が欠如するタイプの欠効未 遂に含めて理解したい (これはただの名称・分類の問題である)。 6)本事例へのあてはめ 本事例においては,被告人の行為目的は被害者を利用した射精である。 被告人が,当初はわいせつ行為と自慰行為によって射精を試みようとした ことからもその点は明らかであり,本判決も「被告人は,被害者を利用し て早急に射精の目的を遂げることによって自己の性欲を満たすことができ さえすれば,その手段としては姦淫行為に必ずしもこだわるものではない という心理状態」の下で「今すぐにも可能な口淫により一刻も早く射精の 目的を遂げようと考えてその方針を転換したにすぎない」と認定してる。 それゆえ,被害者による口淫の申し出は,被告人に対して姦淫より少ない 抵抗で目的を達しうる新たな選択肢を提供し,それにより被告人にとって 姦淫の遂行にこだわること自体を無意味化し,その行為基盤を失わせたも のと評価されるべきである。となれば,本件は行為基盤の欠如による特殊 な欠効未遂に該当するというべきであっただろう。 したがって,本判決が中止未遂の成立を否定した結論は正当であるが, その理由については問題があるといわなければならない。任意性を検討す るまでもなく,中止の前提を欠くため「中止していない」というべきであっ た。 108 (桃山法学 第25号 ’15) おわりに 任意に行為を中止したといえるためには,行為者が行為を遂行すること になお可能性と意味を見出していることが前提とされなくてはならない。 そうでなければ,「中止した」と「失敗した」の区別がつかなくなってし まうからである。これは,「中止した」との文言から導かれる論理的な帰 結である。 今後も,女性がせめて姦淫を避けたいという思いから口淫や手淫等の申 (40) し出をしたため姦淫を遂げなかった同種の事案については,行為者の目的 が射精にあるかぎり,任意性を検討するまでもなく中止未遂の成立を否定 すべきである。 (了) 注 (1) 中止未遂の任意性については,江藤隆之「中止未遂における任意性に ついて」桃山法学第16号 (2010) 1頁以下参照。 (2) 小野清一郎『新訂刑法講義総論』(有斐閣,昭和23・1948年) 186頁。 (3) Reinhard Frank, StGB, 1930, 46 II. (4) Michael Strafrecht, AT., 1996. S. 480. (5) 西田典之『刑法総論』第2版 (弘文堂,平成22・2010年) 321頁。 vom Versuch freiwillig ?, Straf(6) Paul Bockelmann, Wann ist der rechtliche Untersuchungen, 1957, S. 183. (7) 大判大 2・11・18刑録19輯1212頁。 (8) 大判昭11・3・6 刑集16巻272頁。 (9) 最決昭32・9・10刑集11巻9号2202頁。 (10) 東京高判昭39・8・5 高刑集17巻6号557頁。 (11) 江藤・前掲注 (1) 13頁以下。なお,本判決を解説している判タ1240 号345頁は,実務は任意性を客観的事情と主観的事情をともに考慮して 判断しており,その流れに本判決も位置づけられるという。しかし,客 観的事情をどのように考慮するのか,たとえば客観的事情を行為者が受 け止めるのかそれとも一般人か,主観的事情をどのように考慮するのか, たとえば広義の悔悟は必要か否か,などによってその中身はまったく異 なってくるのであって,単に客観的事情と主観的事情を考慮しているか ら一貫しているとも,本判決がその流れに位置づけられるともいえない 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂 109 だろう。たとえば「外部的障害」を考慮するにしても,「一般人をして 外部的障害」(客観説) なのか「行為者にとって外部的障害」(主観説) なのか「行為者の受け止め方を加味しながらも一般人にとって外部的障 害」(折衷説) なのかではまったく異なるのである。 (12) 大阪高判昭33・6・10裁判特報5巻7号270頁。 (13) 浦和地判平 4・2・27判タ795号263頁。 横浜地川支判昭52・9・19刑裁月報9巻 9・10号739頁,東京地判平 8・3・28判時1596号125頁。 (14) (15) Alexander Peter Gutmann, Die Freiwilligkeit beim vom Versuch und bei der Reue, 1963, S. 120. 吉田敏雄『未遂犯と中止犯』(成文堂,平成26・2014年) 188頁は,限 定的主観説が「広義の悔悟がなくとも,行為者の法秩序にかなった生活 への回帰が認められることを見逃して」いると批判する。 (16) 西田・前掲注 (5) 321頁のように支持者がいないわけではないが, きわめて少数であるといえる。 (17) Vgl. BGHSt7, 296. 本事案は,行為者が被害者を強姦目的で押し倒し たが,被害者が時間稼ぎのために機転を利かせて「暴力を使わないでし てくれたらよかったのに。ちょっと休んでから,それでもまだ性交がし たいなら,乱暴なしでどうぞ」と申し向け,行為者は被害者の言うとお り強姦を中止したところ,通りがかった者に被害者が助けを求めたとい うものであるが,BGH は「行為遂行はなお不可能ではない」としてい る。 (18) (19) 江藤・前掲注 (1) 18頁以下。 不合理決断説は,行為者にとって中止が不合理な選択であるにもかか わらず中止を決断したときを任意とする山中敬一の見解である。山中敬 一『中止未遂の研究』(成文堂,平成13・2001年) 26頁以下及び75頁以 下。山中は「状況の好転」による中止を明確に任意ではないとしている。 同43頁以下。 (20) Mareike Herrmann, Der im Strafrecht, Eine kritische Analyse de lege fernda, 2013, S. 50 ff ; 24 StGB de lege lata und Markus Kampermann, Grundkonstellationen beim vom Versuch, Zur Abgrenzung von fehlgeschlagenem, unbeendetem und beendetem Versuch in 24 Abs. 1 StGB, 1992, S. 1 ff. 園田寿「 欠効未遂』について」 法学論集第32巻第 3・4・5 号合併号 (1982) 404頁,江藤隆之「欠効未 遂の概念について」法学研究論集第23号 (2005) 1頁以下。邦訳として 110 (桃山法学 第25号 ’15) は,失敗未遂,失効未遂とも。斉藤誠二「いわゆる失効未遂をめぐって (上) (下)」警研第58巻第1号 (1987) 3頁以下,第58巻第3号 (1987) 3頁以下,金澤真理『中止未遂の本質』(成文堂,平成18・2006年) 170 頁以下, 鈴木一永 「失敗未遂について」 法研論集140号 (2011) 185頁以 下など。 (21) Claus Roxin, Strafrecht AT. Bd. II, 2003, S. 502. (22) これを任意性の問題であるとする見解が我が国においては圧倒的通説 的であるが,失当である。行為者の身体が取り押さえられている場合, 行為者の主観面の問題などではなく,中止行為の問題であることは明ら かであろう。 (23) Matthias Bergmann, Einzelakts-oder Gesamtbetrachtung beim vom Versuch ?, ZStW, Bd. 100, 1988, 331 f. (24) たとえば,行為者が離れた場所にいる被害者に向け殺意をもって弾丸 を一発しか込めていない銃を撃ち外れた場合,他の殺害方法もとりえな いならば, これはもはや任意性の検討に入るまでもなく中止できないと いうべきであろう。Vgl. Frank Zieschang, Studienprogram Srafrecht AT., 2. Aufl., 2009, S. 136. (25) たとえば金澤・前掲注 (20) 192頁。なお,町田行男『中止未遂の理 論』(現代人文社,平成17・2005年) 191頁以下は,原則として客体の不 存在に限って欠効未遂 (町田の用語法では欠効犯) を認めるという。 (26) そもそも多くの教科書では欠効未遂概念の要否について検討すらされ ていない。 (27) 江藤・前掲注 (20) 1頁以下。ただし,本稿で論ずる「行為基盤の欠 如」の場合については未検討の課題であった。 (28) Hans-Heinrich Jeschck / Thomas Weigend, Strafrecht AT., 5. Aufl., 1995, S. 542 f. 邦訳として西原春夫監訳〔鈴木彰雄訳〕 ドイツ刑法総論』(成 文堂,平成11・1999年) 422頁を引用した。 (29) Vgl. Roxin, a. a. O. (Anm. 21), S. 503. (30) Roxin, a. a. O. (Anm. 21), S. 505 ff. (31) Kristian , Strafrecht AT., 7. Aufl., 2012, S. 536 f. (32) Diethelm Klesczewski, Strafrecht AT., 2. Aufl., 2012, S.179. (33) Vgl. Christian Strafrecht AT., 4. Aufl., 2003, S. 250. (34) a. a. O. (Anm. 31), S. 537. Vgl. Hans Joachim Rudolphi, Systematischer Kommentar, 7. teilweise. 8. Aufl., 2003. S. 40. (35) a. a. O. (Anm. 31), S. 537. また「動機の欠如 (Wegfall des 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂 111 Motivs)」 とも。Vgl. Georg Freund, Strafrecht AT., 2. Aufl., 2009, S. 346 f. (36) なお,通常はこの問題は未遂の終了/未終了の区別において問題とさ れている。たとえば,「懲らしめる」のが目的である行為者が未必の殺 意をもって被害者を刺突した後,「懲らしめる」目的は達成されたと感 じて立ち去った場合,その立ち去りが中止に十分であるか否かという観 点から議論されている。Denkzettel-Fall : BGHSt 39, 221. しかし,これ は中止の可否の問題として取り扱うべきであろう。Vgl. Wolfram Bauer, Die Bedeutung der Entscheidung des Strafsenats des BGH vom 19. 5. 1993 die weitere Entwicklung der Lehre vom strafbefreienden NJW, 1994, S. 2590 ff. Bauer, a. a. O. (Anm. 36), S. 2590 ff. (37) (38) ただし,ロクシンは動機の欠如の場合,動機は所為外の要素であるた め,所為を無意味なものにしうるがそれをもって欠効となることはなく, あくまで任意性の問題であるという。Roxin, a. a. O. (Anm. 21), S. 516. しかし,大金を手に入れようとしてわずかな金銭しか見つけられなかっ た場合に欠効を認める際に考慮されているのも実は「当該客体を手に入 れたい」ではなく「大金を手に入れたい」という所為外の要素であるこ とを見落としてはならないだろう。行為が無意味になったのなら,行為 者が行為を遂行することは考えられなくなるのであるから,それは行為 者にとって選択肢がなくなったのであって,任意の中止といいうる前提 を欠くことになるというべきであろう。任意の中止は,論理的に行為者 にとって行為遂行がなお可能でありかつ意味があるときにのみ行いうる のである。 なお,ロクシンは予防の必要性が消滅することによる答責性消滅事由 として中止未遂を理解し,その任意性について規範的観点から「犯罪者 の理性説」を主張している。このような規範的考慮によればたしかに動 機の欠如の事例を任意性の問題としても,任意性を否定できるため 理論上はともかく 実際上の問題は起こらない。ところが,ロクシン のような規範的色彩を強く帯びた任意性判断を採用しない見解によれば, 動機の欠如について欠効性を認めないかぎり,中止未遂の成立を肯定す る不当な結論にいたりかねないだろう。 (39) Bauer, a. a. O. (Anm. 36), S. 2590 ff. (40) たとえば,東京地判平14・1・16判時1817号166頁では,被害者が姦淫 を避けるために自ら手淫や口淫をしており,このようにせめて姦淫だけ は避けようと行為者の性欲の減退を企図する被害者は多い。なお,東京 112 (桃山法学 第25号 ’15) 地判平14・1・16で姦淫が未遂に終わった理由は,主に,①被害者の抵 抗によって行為者が射精しないままに陰茎が萎えてしまった,②行為者 が「被害者とは友達になれるかもしれないと思うようになり,嫌がって いるのに強姦してしまうと友達になれないと考え」るにいたったからで あるが,①については基本的な欠効未遂であり,②については行為者が 「被害者と性交ができる関係を維持できる (他の方法で目的達成できる)」 と考えて 実際にこの行為者は後日自ら被害者に電話し,花火見物に 誘っている (待ち合わせ場所で逮捕) 姦淫しなかったのだから,② の理由を強調したとしても行為基盤の欠如による欠効未遂である。 Issue No. 25 (October 2015) Articles Die Betreten verbietenden Nebenstrafgesetze und 130 StGB ………………………………ETO Takahiro ( 1 ) The Legitimacy of the Technological Surveillances ……………………………………………OKUBO Masato ( 25 ) Die Ratifizierng des der Vereinten Nationen die Rechte von Menschen mit Behinderungen und das Rechtsystem Menschen mit Behinderungen ……TAKIZAWA Hitohiro ( 73 ) Case Study Der fehlgeschlagene Verscuh wegen des Wegfalls der bei der Vergewaltigung ……………………………………………ETO Takahiro Edited by St. Andrew’s University Law Studies Association St. Andrew’s (Momoyama Gakuin) University 1 1 Manabino, Izumi, Osaka 594 1198, Japan ( 97 )