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2012年の世界経済の見通し ~危機の連鎖は不可避なのか
エコノミストの眼 201 2 年 の 世 界 経 済 の 見 通 し ∼危機の連鎖は不可避なのか 河野 龍太郎 BNPパリバ証券株式会社 チーフエコノミスト 新たな世界経済危機 米欧各国で金融市場の混乱が続いている。2008 年の世界金融危機に対する誤った日米欧の積極的 なマクロ安定化政策が新たな危機をもたらした、と いうのが筆者の世界経済に対する認識である。2009 年半ば以降、世界経済が回復に転じたかに見えてい たのは、米欧がバランスシート問題や財政赤字問題 を先送りする一方、さらなる裁量的な財政政策に 欧州から大量の資金が流れ込んだ中・東欧などで経 済危機が生じるリスクが高いことである。 図1:日米欧中の成長率・物価の見通し(前年比、%) 2010(実績) 2011 2012 2013 (年度) 実質GDP CPIコア 米国型CPIコア 日本 3.1 -0.8 -1.1 -0.4 -0.1 -0.9 1.2 -0.2 -0.6 0.7 -0.2 -0.2 (暦年) 実質GDP CPIコア 米国型CPIコア 4.4 -1.0 -1.2 -0.8 -0.2 -0.9 1.3 -0.2 -0.8 0.9 -0.2 -0.3 2010(実績) 2011 2012 2013 1.7 3.2 1.7 1.5 1.9 2.0 2.2 2.0 1.9 2011 2012 2013 1.5 2.7 1.4 0.0 1.9 1.3 1.2 1.5 1.2 2011 2012 2013 9.2 5.4 8.5 3.6 8.3 4.0 米国(暦年) 実質GDP CPI CPIコア よって「将来所得を先食い」し、同時に、アグレッ シブな金融政策によって新興国の「需要の先食い」 ユーロ圏(暦年) 実質GDP HICP HICPコア を行ったためである。後者に関して若干補足する と、バランスシート調整下にある米欧では、自然利 中国(暦年) 実質GDP CPI 子率(均衡実質金利)が大幅に低下しているため国 内経済を刺激する効果は殆どない。しかし、固定的 3.0 1.6 1.0 2010(実績) 1.8 1.6 1.0 2010(実績) 10.4 3.3 (出所)BNPパリバ証券作成 な為替レート制を通じて、先進国のアグレッシブな 金融緩和の効果が波及し、それが新興国の支出の前 倒しを助長した。これが2009年半ば以降の世界経済 の回復の実態である。 ユーロ圏の危機は簡単に収束しない なぜ、ユーロ圏で危機が続いているのか。多く の経済危機と同じように経済的、政治的に深刻な原 本来、大規模な信用バブルが崩壊した場合、バ 因がある。もちろん、通貨統合それ自体が誤りだっ ランスシートの修復が続く間は、低成長を余儀なく たといえるのかもしれないが、まず10年にもわたっ される。しかし、多くの民主主義国家では低成長を て大規模なバブルが醸成されたという経済的な要 甘受することができず、米欧で一時的な効果しか得 因がある。そして、バブル崩壊後は調整費用の分担 られない裁量的なマクロ安定政策が限界まで追求 において各国政府の間で迷走が続いたという政治 されたのである。カンフル剤(裁量的なマクロ安定 的要因がある。 化政策)の効き目が無くなってきたことが2011年の まず前者に関しては、通貨統合しか行われてい 世界経済減速の原因であり、カンフル剤が新たな危 ないにも関わらず、我々は、あたかも財政統合を 機のマグマを溜め込んだ。新たな危機とは、①文字 行ったかのような錯覚に陥り、財政力の最も高いド 通り財政の限界に達した南欧のソブリン危機が イツ国債と同じ水準まで南欧の国々の国債を買い ユーロ圏の金融システム危機をもたらし、同地域に 上げた。筆者は常々、「ユーロ加盟バブル」と呼ん 深刻なリセッションをもたらし始めていること、② できたが、ユーロ加盟に際し、南欧などで国債バブ ユーロ圏のリセッションが輸出入を通じ、米国や新 ルが生じ、その過程で「将来所得の先食い」が行わ 興国を中心に世界経済へ悪影響を及ぼしているこ れ、バランスシートが相当に毀損したのである。 と、③さらに金融システム危機に直面した欧州系金 最も分かりやすいのは、2007 ∼ 2008年の世界金 融機関のデレバレッジが新興国にクレジット・クラ 融危機の前まで景気の良かったアイルランドやス ンチをもたらし、特に過去3年間のブームにおいて ペインである。住宅・不動産価格の上昇と共に大規 ’ 12.1 42 河野 龍太郎(こうの りゅうたろう) 「東日本大震災復興構想会議検討部会」専門委員 経済産業省・資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会」委員 内閣府・行政刷新会議ワーキンググループメンバー(「提言型政策仕分け」評価者) 日経ヴェリタス『2008年(第13回)、2009年(第14回)、2010年(第15回) 債券アナリスト・エコノミスト人気調査』エコノミスト部門第1位 模な信用バブルが生じ、その過程で、過剰な設備投 財政統合がなされていないユーロ圏内で費用負担 資や過剰な消費が行われた。典型的な信用バブルが の確定に時間を要するのは当然、ということなのか 生じ、まず民間部門のバランスシートが大幅に毀損 もしれない。危機に対する適切な処方箋の一つが連 し、徐々にそのロスが政府のバランスシートに付け 邦主義的な財政統合であるが、その道のりは相当に 替えられた。ギリシャやポルトガル、イタリアでは 遠い。ユーロ共同債が発行されることも考えられる ブームは訪れなかったが、高水準の公的債務を抱え が、それには条約改正など各国の議会の承認を必要 ているにも関わらず、国債バブルによって資本コス とするため、短期間で可能になるとも思われない。 トが低下したため、放漫財政の継続が可能となり、 結局、大規模なバブル崩壊の常だが、今回も政 財政健全化や構造改革が先送りされた。 「将来所得 治的な費用負担の確定が行われるまで、中央銀行が の先食い」が行われ、政府部門のバランスシートが 対症療法を繰り返すことになるのだろう。懸念され 大きく毀損したのである。 るのは、マネタイゼーション的な政策がドイツを含 政府のバランスシートの毀損は最終的に民間か めユーロ圏全体の長期金利の上昇をもたらさない らの所得移転によって穴埋めされなければなら か、ということである。ECBが資金を提供する場 ず、それが困難となれば国債価格は暴落する。金融 合でも、IMFを通じて行えば問題国に厳しいコン 機関にとって安全資金だったはずの(南欧の)国債 ディショナリティを付与できるため、副作用がまだ は、今や不良債権となっており、金融機関は十分な 少ないのかもしれない。ユーロ圏が直面しているの 引当てを求められている。同時に、金融機関は適正 は南欧の国々の「将来所得の先食い」の後始末であ な自己資本比率を確保するためにデレバレッジを り、この調整はどのような政策を取るにせよ、誰が 行わなければならず、その過程でクレジット・クラ 負担するにせよ、避けては通れない。裁量的なマク ンチが生じ、企業や家計の支出が大幅に抑制され ロ政策で安易に対応すると、より大きな危機が訪れ る。仮に財政・金融政策でデレバレッジを一時的に るリスクがある。流動性対策として中央銀行が大規 抑えたとしても、過大な資産を抱えたままでは調整 模な資金供給を行うメリットは大きいが、それ以外 は終わらず、結局それは先送りに過ぎない。10年に については、新古典派的な世界を前提とした対応が も及ぶ国債バブルの調整が始まったのであり、問題 望ましいように思われてならない。マクロ安定化政 は簡単に解決しない。 策は、気休めか(効果のある時は)副作用の大きな 南欧を中心に大規模な国債バブルが生じていた ことが危機が長引く原因の一つだが、より大きな問 カンフル剤にしかならない(真の問題から目をそむ けることにもなりかねない)。 題は次に述べる政治的要因である。一般に大規模な バブルが崩壊する際、経済停滞が長期化するのは、 バランスシートの修復それ自体に時間がかかるた めだけではない。関係者間でバランスシート修復の 費用負担を確定できないためである(その確定まで 金融危機が続く)。一国においてさえ費用負担を確 定するには相当な時間を要する(何処も危機が深刻 図 2:各国の財政状況(2011 年・推計値) 財 政 収 支 ︵ 対 G D P 比 ・ % ︶ 0 0 20 40 公的債務残高(対 GDP 比・%) 60 80 100 120 140 160 -2 -8 -10 -12 200 220 イタリア -4 -6 180 ドイツ スペイン ユーロ圏 ポルトガル フランス UK 日本 米国 アイルランド ギリシャ (出所)OECD、欧州委員会資料より、BNP パリバ証券作成 化して初めて、政治的決断がなされる)。政治統合、 ’ 12.1 43 二極化する新興国 れまでの好循環が悪循環に転じる恐れがある(行き 2009年半ば以降、世界経済の回復を牽引してい 過ぎの調整が始まると考えるべきである)。既に11 たのは、中国、ブラジル、インドなどの新興国であ 月中旬以降、対外的なファイナンスが困難になる国 る。前述した通り、先進国のアグレッシブな金融緩 が増えている。 和の効果が、固定的な為替レート制を通じて新興国 中・東欧ほどではないが、中南米もここ数年の に波及した。金融緩和の効果の本質は言わば「需要 ブームによってネットで資本輸入に転じている。特 の先食い」であるが、2011年に入ると、如何に総需 にブラジルでは高成長が続いたためネットで資本 要が強くても供給能力が追い付かなくなってき 輸入が拡大したが、資金供給を担ってきた南欧の金 た。その結果生じたのは、景気過熱によるインフレ 融機関がデレバレッジを進めることで、悪影響が広 加速と成長率の鈍化である。成長ペースの減速に対 がる恐れがある。アジアはネットで見れば資本輸出 し、一部の新興国では、金融引締め解除を模索する を続けているため、欧州系金融機関のデレバレッジ 動きが見られる。しかし、仮に金融緩和によって「需 の悪影響は最も小さい。ただし、ここ数年のブーム 要の先食い」を行おうとしても供給制約に直面して によってネットで資本輸入が拡大したインドへの いる国については、大した景気刺激効果は得られな 影響が気掛かりである。 1997年のアジア通貨危機や2000年前後の中南米 い。そうした国では、インフレが加速するだけに終 わる恐れがある。 通貨危機の後、多くの新興国は固定レート制を放棄 さらに、ここに来て欧州のソブリン問題の波及 した。相変わらず固定的な為替レート制を採用して も懸念される。従来、新興国経済の動向について一 いると言っても、現在は明確な(厳格な)固定レー 括りで論じてきたが、今後はクレジット・クランチ ト制ではないため、典型的な通貨危機に直面する国 に直面する国とそうではない国について分けて考 は極めて少ない。とは言え、資本流出圧力が増すこ える必要があるのかもしれない。過去3年間、先進 とで、信用収縮圧力が生じる可能性は高い。新興国 国の金融緩和効果の波及によって新興国経済に活 の高成長が終わったとは考えないが、2009年半ば以 況がもたらされたと述べたが、その際、ネットで大 降の高成長が、欧州からの借入れによってもたされ 規模な資本を輸入していた新興国については、ファ ていた国々については、しばらく厳しい時代となる イナンスの継続が困難となり、強い景気収縮圧力が 可能性がある。 働く。例えば、新興国で活発化していたインフラ投 資の資金供給を担っていたのは主に欧州系金融機 関であったが、そのデレバレッジによって一部の新 興国がダメージを受ける。 図 3:新興国・地域別の資本輸出入(名目 GDP 比、%) 8 6 (資本輸出 ↑) (資本輸入 ↓) 4 2 0 -2 まず、ネットの資本流入が大きい地域は中・東 欧であり、自己資本の毀損した欧州系金融機関のデ レバレッジによって、最も大きなダメージを被る。 リーマンショック直後に、中・東欧への資本流入は -4 -6 アジア 中南米 -8 -10 80 85 中国除くアジア 中東欧 90 95 00 05 10 (出所)IMF 資料より、BNP パリバ証券作成 一旦細ったが、ECBのアグレッシブな金融緩和も あって資本流入が再び加速していた。2011年年初ま 中国は転換期のマクロ政策運営に成功するか でドイツを始め北部の国々が好調だった理由の一 新興国のうち、中国など資本輸出国については、 つは、中・東欧向け輸出が活況だったことであり、 供給能力に比べて総需要が強過ぎることが問題なの その貿易金融を担っていたのも欧州系金融機関で であり(それ故、成長減速と同時に、インフレも加 あった。過去10年間で見ても、ユーロ圏にとって中・ 速している) 、これらの国にとって欧州のソブリン 東欧は成長の源泉であったが、実体面と金融面のこ 問題は、景気過熱をクールダウンさせてくれる望ま ’ 12.1 44 しいショックだと言えるかもしれない。ただ、中国 たらすと共に、最終的にはインフレ加速が生じる。 について筆者は別の心配をしている。それは、1970 実際、1970年代前半には、日本の平均成長率は9% 年前後に高度成長の終焉が訪れた日本と同様の現象 台から4%台に急激に屈折すると同時に、全国的な が生じているのではないか、ということである。 不動産投機と狂乱物価と呼ばれた前年比25%に達 日本経済は、1950年代半ばから1970年代前半に する消費者物価の上昇が生じた。もちろん、全国的 かけて、平均成長率が9%を超える高度成長期に な 不 動 産 価 格 の 高 騰 は、 田 中 角 栄 政 権(1972 ∼ あった。好況期と不況期の平均は9.4%で、好況期 1974年)の列島改造政策が大いに影響している。ま は二桁成長が当然の如く期待されていた。しかし、 た、狂乱物価の直接の原因は1973年10月の中東戦争 経済統計を分析すると、1970年代に入る頃には、既 をきっかけとしたオイルショックである。ただ、潜 に高度成長の最大のエンジンであった国内におけ 在成長率の低下に気付かず、持続不可能な高い成長 る労働移動は収束に向かっていた。アーサー・ルイ を維持しようと拡張的な財政・金融政策を続けてい スの高度成長の理論によれば、農村の余剰労働が都 たことが底流にあるのは間違いない。 市部の成長部門で吸収される過程で高度成長が生 現在の中国に話を移そう。ここ数年、沿海部で じ、農村の余剰労働の吸収が終わった段階で高度成 大幅な賃金上昇が生じているところを見ると、中国 長は終了する。 は「ルイスの転換点」を既に通過したと判断され 日本の国内における人口移動を見ると、1950年 る。地方出身の労働者を引き留めるために、賃金が 代半ばから1970年代前半にかけて地方から三大都 2−3年で2倍、3倍になったという極端な話を新 市圏へ大規模な人口移動が生じていたことが確認 聞で目にすることもある。もちろん、内陸部で工業 できる。中学、高校を卒業した農村の二男、三男が 化が始まったことも、労働移動を抑制し沿海部の労 三大都市圏に向かう夜行列車に乗って、集団就職を 働力不足をもたらしている。それ故、成長分野への 経験したのである。高度成長期とはまさに日本列島 労働移動は続いており、トレンド成長率が維持でき 内での「民族大移動」期であった。 るという見方もある。ただ、1970年前後の日本でも 後知恵で考えれば、1960年代の終わりから国内 地方の開発政策が積極化された。都市の過密、地方 の労働移動は収束し始めており(=ルイスの転換点 の過疎を止めるために、自民党政権は都市から地方 を通過) 、日本の潜在成長率は1970年代に入る頃に へ積極的な財政移転を進め、地方経済の活性化を試 は既に低下が始まっていたと考えられる。全知全能 みた。地方から都市への人口移動を抑える大きな要 の神がマクロ安定化政策を司れば、物価安定を図り 因となったが、それが「国土の均衡ある発展」を目 つつ、60年代末から数年かけ成長率を9%台から 標とする田中角栄首相の列島改造政策に他ならな 4%台へ徐々に低下させることができたかもしれ い。地方を優遇した列島改造政策による都市への労 ない。しかし、1970年代に入っても政策当局者は日 働移動の阻害が日本のトレンド成長率を低下させ 本のトレンド成長率は9%台だと考えていた。この た可能性があるが、この議論は現在の中国に当ては ため成長率が8%を下回ると、景気後退局面に入っ まらないだろうか。胡錦濤国家主席が地方経済の底 たと考え、需給ギャップの継続的な悪化を回避すべ 上げを狙って掲げた「和諧社会」政策は、中国版「国 く、拡張的な財政・金融政策によって9%台の成長 土の均衡ある発展」のようにも見える。 率を維持しようとした。 筆者は、中国経済が早晩、供給面からの制約に 潜在成長率が低下しているにも関わらず、それ よって、インフレ加速なしには8%台の成長が困難 を上回る成長率を維持しようと拡張的な財政・金融 になるのではないか、懸念している。筆者の仮説が 政策を続けると、何が生じるか。しばらくは、潜在 正しくトレンド成長率の低下が既に始まっている 成長率を上回る高成長は可能かもしれないが、それ とすれば、早く8%を下回る成長にクールダウンさ を続ければ、過剰流動性が不動産の大規模投機をも せることこそがハードランディング回避に必要と ’ 12.1 45 なる。しかし、多くの人は中国の成長率が8%を下 行った楽観的な経済主体は存在しない。この間、新 回ると雇用が悪化し、大きな経済問題が生じるた たな不況の原因となる「新たな過剰」は発生してい め、それを避けるべく早期に景気刺激策に転換すべ ないのである。現在、調整が進んでいる「過剰」は きだと考えている。もし、8%割れ回避のために、 2007年8月のクレジットバブル崩壊前に発生した 早期に景気刺激策へ転換すると、1970年代前半の日 ものである。この調整が続く間、つまりバランス 本と同様の経路を辿る恐れがある。欧州のソブリン シート調整が続いている間は、低成長は避けられな 問題のショックを相殺するために、中国政府がアグ いとしても、それが新たな景気後退を引き起すわけ レッシブな財政・金融政策に転換することになれ ではない。 実際、日本の景気循環を見ると、1990年代以降、 ば、いよいよ危ない。 さて、中国に関してもう一つ懸念していること 国内で新たな過剰が広範囲に発生することがな がある。人口動態とバブルの問題である。日本、米 かったため、景気拡大期間はそれ以前に比べると長 国の住宅・不動産バブルのピークは、後知恵で考え 期化している。米国のバランスシート調整について ると、生産年齢人口がピークに達した時期に訪れ は、現在、6割程度進捗したところである。残り4 た。5年刻みで見ると、日本は1990年頃、米国は 割の調整について、さらに3年程度を要すると見ら 2005年頃である。偶然の一致の可能性もあるが、住 れ、この間、国内で楽観的になる人はまずいないた 宅取得対象者の割合がピークになった時期が住宅・ め、成長が加速することがないと同時に、調整を必 不動産バブルのピークと重なるのかもしれない。あ 要とする新たな過剰の発生も避けられる。 るいは、人口ボーナスの影響が最も強く現れる時期 それでは、米国は景気後退を回避できるのだろ に住宅・不動産バブルのピークが訪れるのかもしれ うか。それとも外生的なショックによって、景気後 ない。中国では2010年頃に生産年齢人口の割合が 退に陥るのだろうか。考えられるショックとして ピークに達する。つまり、前述した日本の1970年代 は、次のようなものがある。①ユーロ圏のソブリン 前半の調整だけでなく、1990年代の調整も同時に中 危機の連鎖によって、ユーロ圏経済が深刻な後退に 国に訪れる可能性があるということである。 陥り、ユーロ圏向け輸出が大幅に悪化する。あるい 図 4:人口移動の推移(転入超過率=転入超過数/各圏の人口) 2.5% 2.0% 首都圏 (転入超過 ↑) 大阪圏 (転出超過 ↓) 東海圏 その他 1.5% 1.0% 0.5% 機につながり、米国の企業、家計の支出を大幅に抑 制する。②中国やブラジルなどの新興国経済がハー ドランディングし、同地域向けの輸出が大幅に悪化 する。③欧州のソブリン危機が米国の公的債務問題 0.0% -0.5% に伝播し、米国債の利回りが急騰、米国で金融シス -1.0% -1.5% はユーロ圏の金融危機が世界的な金融システム危 55 60 65 70 75 80 85 90 95 00 05 10 (出所)総務省資料より、BNP パリバ証券作成 テム危機が生じる。このことはドル基軸通貨体制の 崩壊と同時に、現在の国際金融体制の崩壊を意味す るが、もし国債価格の暴落が生じるとしても米国よ 米国の景気後退確率は50% り日本が先であろう。③の可能性はともかく、①と 米国がこのまま景気後退に到るかどうかは、ユー ②のリスクは決して低いとは言えない。2012年前半 ロ 圏 や 新 興 国 な ど の 海 外 経 済 次 第、 つ ま り 外 生 に米国が景気後退に陥るリスクは5分5分だと考 ショック次第である。一般に景気後退が生じるの えている。 は、景気拡大局面において、楽観的になった企業や それでは、米国の中央銀行はどのように動くか。 家計が過剰投資や過剰消費を行い、その「過剰」の 米国の景気後退確率は5割と述べたが、仮に後退に 調整局面が訪れるためである。2007年8月のクレ 陥ることがなくても、低成長が続くことに変わりは ジットバブル崩壊後、米国で過剰消費や過剰投資を ない。低成長の原因は、バランスシート問題によっ ’ 12.1 46 て資本収益率(一人当たりのトレンド成長率)が大 である。バブルが生み出す持続不可能なビジネスや 幅に低下していることであり、それを高めるにはバ 雇用と変わりがないのではないだろうか。 ランスシート調整を促すしかない。しかし、そのた めの政策は全く行われていないのが実情である。 世界中の中央銀行の金融緩和はコモディティの FEDが行っているのはバランスシート調整の痛み 高騰を引き起こすか を和らげるための金融緩和であるが、資本コストが 痛みの伴う構造問題の解決が先送りされ、対症 あまりに低過ぎると、過剰債務を抱えることの負担 療法として中央銀行に皺寄せが向かう。これが現代 を軽減することにつながるため、バランスシート調 民主主義国家の病理である。ソブリン問題への対症 整の進捗をむしろ遅らせてしまう。あまりに極端な 療法としてECBはアグレッシブな金融緩和を続け 金融緩和を行い、それを継続することは効率的な資 ざるを得ない。いずれECBもQEに踏み切るであろ 源配分を損ない、トレンド成長率を低下させる恐れ う。米国では、社会のセーフティネットが不十分 がある。 で、他国よりも高失業を甘受することが難しいた 残念ながら、FEDにはこうした認識がとても乏 め、FEDもアグレッシブな金融緩和を続けざるを しい。仮に、景気後退に陥ることがなくても、高失 得ない。QE3の導入、あるいは時間軸効果を引き出 業の継続がもたらす社会への悪影響を恐れて、FED すための一層明確なガイダンスが導入される可能 は追加的な金融緩和に踏み切るのだと思われる。未 性がある。FEDが金融緩和に踏み切れば、それが だに国民皆保険を持たない米国では、失業と同時に もたらすドル安・円高を阻止するため、効果は乏し 医療保険を失うことになる(オバマ政権の努力空し いと認識しつつも、日銀も追加的な緩和に動かざる く、皆保険制度は各州で違憲判決を受け、来年半ば を得ないだろう。 にも最高裁が最終的な判決を下すと見られる)。こ 金融緩和に向かうのは、先進国の中央銀行だけ のため、高失業状況が続くことに対し、政治的な金 ではない。これまでインフレ抑制のために金融引締 融緩和プレッシャーは他の国に比べて相当に強い。 めを続けてきた多くの新興国でも、世界経済の減速 今夏以降、バーナンキ議長は、失業状態が長引 がもたらす自国への悪影響を恐れ、緩和に転じるだ くことで生じる人的資本の劣化の問題(hysteresis ろう。既にブラジルでは利下げが始まり、中国でも effect、履歴効果)を持ち出し、アグレッシブな金 預金準備率の引下げなど、引締めを解除する動きが 融政策を正当化しようとしている。しかし、米国の 見られる。民主主義国家でなくても、株価の低迷や 高失業問題の主因は産業構造の変化によるミス 低成長に政策当局者は弱いのである。 マッチであり(住宅・クレジットバブルでその問題 先進国だけでなく、新興国も緩和に転じれば、 が覆い隠されていたのである)、金融政策で解決で 何が生じるか。2012年のリスクシナリオとして、筆 きるものではない。また、仮に、アグレッシブな金 者が懸念しているのは、コモディティ価格の再騰で 融緩和の下で新たなビジネスが生まれ、雇用が創出 ある。もちろん、世界中の中央銀行が金融緩和に向 されたとしても、そのようなビジネスの資本収益性 かうのは、世界経済が下降トレンドに入っているた や人的資本はいかほどのものだろうか、大いに疑問 めであり、コモディティに対する実需は低下してい 図 5:米国の学歴別失業率(%) るはずである。そうであれば、コモディティ価格は 18 16 14 12 10 8 6 4 2 0 高校未卒 短大・専門学校卒 高卒 大学・大学院卒 上昇ではなく、低下するはずである。しかし、既に コモディティは金融商品化しており、各国の追加金 融緩和がどのような帰結をもたらすのか、心配であ る。また、前述した通り、成長率の8%割れを回避 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 (出所)EcoWin、Bloomberg より、BNP パリバ証券作成 するため、中国政府が積極的な財政・金融政策に転 じる場合、それがコモディティ価格の押し上げにつ ’ 12.1 47 や大きな問題ではなくなっている。 ながるリスクがある。 こうした現象は、常々論じている通り、日本の 図 6:エコノミスト商品価格指数 260 240 220 200 180 160 140 120 100 80 60 05 トレンド成長率がゼロ近傍まで低下していること に対応している。一人当たりのトレンド成長率は 1%程度で、バランスシート問題やソブリン問題に 直面する米欧よりも良好だが(米国の一人当たりト レンド成長率は0.5%弱、欧州ではゼロ近傍) 、日本 06 07 08 09 10 11 (出所)The Economist より、 BNP パリバ証券作成 では生産年齢人口が年率0.9%のペースで減少して いるため、経済全体のトレンド成長率が0.1%に留 まるのである。それ故、多少の経済成長でも失業率 日本で失業が問題視されていない理由 は低下する。 ユーロ圏が景気後退に陥ること、新興国がハー これらのことは、2009年から国内の純資本ストッ ドランディングするリスクがあること、米国の景気 クの取崩しが始まったこととも関係している。生産 後退リスクは5分5分であることから、日本が頼み 年齢人口の減少によって、トレンド成長率がゼロ近 とする輸出の拡大は全く期待できない。もとより民 傍まで低下しているために、純資本ストックが拡大 間内需は期待できないため、通常なら日本経済は景 しなくなったのである。仮に資本収益率が上昇して 気後退に向かうのだろうが、東日本大震災の復興需 いないにも関わらず、積極的な設備投資が行われ、 要が下支えするため、今のところマイナス成長は避 一人当たりの純資本ストックが増加すると、過剰ス けられると予想している。多くのエコノミストが掲 トックが発生するだけである。過剰ストックの発生 げる2012年度の2%台成長は相当難しいと考える を避けるため、企業が国内では資本ストックを増や が、1%程度の成長は達成可能だろう(日本の景気 していないのである。 見通しについては、従来から変わっていない) 。た 成長率が低下しているが、その最大の原因は生 だし、米国が景気後退に陥るケース、あるいは中国 産年齢人口が減少していることであり、低成長で 経済が70年代の日本と同様の経路を辿る場合にはこ あっても必ずしも景気が悪いというわけではな の限りではなく、2012年度はマイナス成長に陥る。 い。成長率が低いからと言って、短期的な痛みを伴 さて、先ほどFEDは高失業に対応し金融緩和を う構造政策を行わない理由にはならないのであ 進め、日銀は円高・ドル安に対して金融緩和を進め る。もし低いことが問題となるとすれば、それは一 ると論じた。あまり気が付かれていないことだが、 人当たりのトレンド成長率であり、我々が政策目標 日本では今や失業率はほとんど問題視されていな とすべきは、一人当たりのトレンド成長率である。 い。事実、2009年7月に5.5%でピークを打った後、 1990年代以降の日本の経験だけでなく、近年の米欧 2011年10月には4.5%まで低下している。失業者数 の姿を見ても明らかなように、一人当たりのトレン は2009年7月の364万人から292万人へ低下してい ド成長率を高めるには構造政策が不可欠であり、財 る。東日本大震災の復興で問題となっているのも、 建設関係労働者の不足である。とは言え、失業率が 低下しているといっても、就業者が増えているわけ でもない。一体何が生じているのかというと、高齢 化によって労働市場から退出する労働者(失業者) が増えているのである。もちろん新卒者や若年の失 業は引き続き大きな問題ではあるが、生産年齢人口 の減少が続く日本では、マクロ的に見た失業はもは 図 7:生産年齢人口の推移(15 ∼ 64 歳、100 万人) 90 85 80 75 70 65 60 55 50 45 40 1950 60 70 80 90 2000 10 20 30 40 (出所)国立社会保障・人口問題研究所資料より、 BNP パリバ証券作成 ’ 12.1 48 予測値 50 さらに、雇用保険制度に目を転じると、2000年 政・金融政策では対応できない。 代以降、産業構造の変化によって、非正規雇用が大 社会保障制度改革と平成の開国について 幅に増え正規雇用が減少しているにもかかわら ところで、2001年にジョージ・アカロフ教授や ず、正規雇用を中心とした雇用のセーフティネット ジョゼフ・スティグリッツ教授と共に情報の経済学 のままである。非正規雇用の十分な受け皿が存在し の分野でノーベル経済学賞を受賞したスタン ないために、最後のセーフティネットである生活保 フォード大学のマイケル・スペンス教授の近著「マ 護の若年者受給が急増している(若年受給者に対し ルチスピード化する世界の中で(早川書房) 」によ ては、福祉政策だけでなく就業訓練を重視した労働 れば、20年以上に亘って高成長を続けている新興国 政策としての施策が必要だが、制度が追い着いてい の共通点は、①自由貿易を推進し、海外経済へのア ないのが実情である) 。就業訓練、就業紹介につい クセスをより高めるだけでなく、②世界経済の変化 ても、政府の事業は増えているが、昭和の時代から に合わせ、国内の経済構造の変化を積極的に促して 発想が変わっていないため、全く効果は上がってい いることである。例えば、賃金が上昇すると労働集 ない。時代の変化に対応した制度改革が行われてい 約的産業は国際競争力を失い低賃金国に移転し、国 ないため、人的資本の蓄積が遅れ、一人当たりトレ 内では人的資本集約型産業や知識集約的産業にシ ンド成長率が回復しないのである。社会保障であっ フトせざるを得ない。これまで雇用を創出してきた てももはや厚生労働省だけでは対応が困難となっ 産業が縮小することを恐れて保護政策を取ると、中 ており、経済産業省や文部科学省の関与も求めら 所得国から高所得国への移行に失敗する。韓国や台 れ、適切な政策が行われるためには省庁再編が必要 湾では、むしろ構造変化を促進する政策を断行し、 なのかもしれない(あるいは、省庁再編が制度改革 持続的な高成長を獲得している。日本に関する記述 の重要な柱となるのかもしれない) 。 は少ないが、本書を読むとなぜ停滞が続いているの 否が応でも我々は、世界経済の変化に直面して か原因がはっきりと見えてくる。既得権への配慮か いるのであり、それに対応した制度改革、構造改革 ら、世界経済の環境変化に対応した制度改革を日本 を進めて行かなければ、我々は豊かになれない。 「平 政府は怠ってきたのである。 成の開国」を進めることと社会保障制度改革を進め 筆者は11月22 ∼ 23日の2日間、行政刷新会議の ることは、実は世界経済の変化に合わせて国内の経 「提言型政策仕分け」に民間評価者(仕分け人)と 済構造の変化を促していくことのコインの裏表に して参加した。筆者が参加したのは、医療、介護、 他ならない。TPP参加についても、 「税と社会保障 生活保護、年金、雇用保険などの社会保障に関する の一体改革」についても、後退という選択はあり得 政策仕分けだが、そこで改めて認識したのは人口動 ないはずである。いかに昭和の時代が懐かしくと 態や社会構造、産業構造などの変化に対し、日本の も、当時の社会や経済構造に固執することは、皆が 社会保障制度が全く追い付いていないということ 貧しくなるという選択である。 である。人口が増え、高い経済成長が続くことを前 提とした年金・医療制度を続けてきたために、結 局、将来世代に負担をツケ回しすることになってい るのである。筆者が会議で強調したのは、今や日本 の社会保障制度は、世代間不平等の拡大(=財政赤 字の拡大)を前提に運営されており、改革は急務と いう点である。2000年代に入って、将来の負担増を 懸念し現役世代が消費を抑制する非ケインズ効果 図 8:日本の高齢者/現役比率の推移(%) 80 予測 70 60 50 40 30 20 10 0 1950 60 70 80 90 2000 10 20 30 40 50 (出所)国立社会保障・人口問題研究所資料より、 BNP パリバ証券作成 も観測され始めている。 ’ 12.1 49