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GKH019006
1 03 『 ペス ト』 における 「 共和国の像」の意味 神 垣 享 介 序 1 9 47年に上梓 された 『 ペス ト』は,アルベール ・カ ミュの二作 目の小説作品である。 この作 品は,一読すれば分かるようにナチス占領下の フランスを寓意化 したものである。当時の人々 にとっては,近過去の歴史の寓話化であ り,そこで描 かれているペス トに襲 われた都市の状況 は身につ まされるものであったに違いない。 しか し,小説 『 ペス ト』はあ くまで文学作品であ って,歴史書ではない。如何 なる読みをされ ようがそれは自由であ り,そ うした多様 な読みに 耐 えられなければ文学作品 とは言えないであろう。それ故, この作品 も様 々な観点か ら読 まれ , 異邦人』 とは異 なって,真 っ向か ら対立す るような解釈 を巡 る文学的論争 てきた。 しか し 『 は起 きなかった。人為的なナチスの暴虐 を自然発生的な疫病 に象徴 させることの是非 は論ぜ ら れは したが,作品が何 を言お うとしているかの論争 は殆 ど生 じなかった。それ程 に,この作品 のテーマは明白であった。 しか し,テーマが明白であるに しても,そのテーマ を支 えるのは具 体 的な細部の描写の積み重ねであ り,作品中でのそれ らの有機的な結合であることは言 うまで もない。本論文の 目的は,そ うした細部の一つ として作品中で三度言及 される≪l as t a t uede l aR6 publ i que≫ 「 共和国の劇 に焦点 を当て,この像が有 している≪l e。 肌 C t b, es m t y x, hq u ' e 2 も を分析す ることにある。なぜ な ら, ロラン ・バル トがいみ じくも指摘す るように,「固有名詞 は,つねに注意深 く検討 しなければならない。 とい うの も,固有名詞は, もしこう言ってよけ れば,記号表現の王者だか らである。固有名詞の共示的意味 は,豊かで,社会的で象徴的であ 凱 ように思われるか らである。以下では, この 「 共和国の像」が物語のなかで象徴 し得 る も の を検討す ることになるが,それはナチス占領下の フランスの状況 と,解放直後 にフランス再 建のためにカ ミュ自身が取 った政治的立場 ( 主 に,対独協力者粛清問題)の二つの レベルでな される。 ,『ペス ト』 には何 人かの主要 な登場 人物がいるが,この 「共和 国の像」 を巡 るテーマ に 尚 関 しては二人の登場人物,つ まり医師 リウ- と新聞記者のランベールが特権的な地位 を占める ことになる。 とい うの も,先にも指摘 したように,この 「 共和 国の像」 に言及 されるのは三度 であるが,それは リウ- とランベール との対話の背景 に置かれてお り, この場面で集中的に三 度言及 されるか らである。 このランベールとい う登場人物は,アルジェ リアの第二の都市であ るオランでペス トが発生 した時,たまたまその地 に 「アラブ人の生活条件」 というルポルター ジュのために滞在 していた新聞記者である。彼 は自分はこの土地の者ではないのだか ら, この オランか ら出てい く権利があると主張 し,そのための保証書 を医師の リウ一に求めるのである が,その時のや り取 りが この 「 共和 国の像」 の下で行 われるのである。 この 「 共和国の像」 は 当時,オランの中心地 に位置 している閲兵広場 に実際 にあった ものである。 1 04 天 理 大 学 学 報 Ⅰ. 『 ペス ト』は,オランで発生 したペス トを巡る年代記の体裁 を装 っているが,カミュ自身が t l 指摘す る) よ うに,≪c o mmec o nt enue identl v alutt edel ares i stanc ee ur op6ennec ont r el e naz i s me≫を持 っているo当然のことなが ら, フランスにおいてはヴイシー体制下での レジス タンスが問題 となるが,この 「ヴイシー時代 とは, ドイツ軍の侵略によって第三共和政が崩壊 した一九四〇年七月か ら,連合国軍 とレジスタンスによってパ リが解放 された一九四四年八月 ( 5 ) までの四年間をさしている。 」 こう した歴史的事実 においてわれわれに重要 なのは,非合法で ある君主的なヴイシー体制 よって1 87 0年以来続いて きた第三共和政 に終止符が打 たれたことで ( 6 ) 共和 国の像」が まず第- に何 を象徴 しているかは一 目瞭 ある。 この事実 を踏 まえて見れば,「 然であるo この像 に初めて言及 されるその描写は次の ようなものであるo ≪I I s( Ri e uxe tRambe r t )r e par t i r e nte tar iV占 r r ents url apl ac ed' m es A .Lesbr anc hes de sf i c use tde spal mi er spendai e nt ,i mmo bi l e s ,g is r esdepo us s i と r e,aut o urd' unes t at ue 占r 。 nts 。u sl 。mo nume nt . ≫ ( pp. 1 2 8 8 」昌 ) d。l aR6 publ i que,p。 udr 。 us 。。 ts al e.I t ss , a汀et 『 ペス ト』は三人称の物語であるが,実際 には最終部 において明 らか にされるように医師 リ ウ-がその作者であるとい う設定 になってお り,従 って視点は リウ一にあるのであ り,それは カ ミュ 自身の視点 である と考 えて もよか ろ う。「 填 だ らけの汚れた共和 国の像」 とい う描写 は,共和 国が汚 されていること,つ まりはナチス占領下のヴイシー時代 のフランスその ものを 端的に象徴 している と考 えられる。勿論 ,『ペ ス ト』 においては,食料不足,通信手段 の困難 さ,夜 間外 出禁止,闇市,等々のナチス占領下の 日々の生活状況 を撃常 とさせる描写は非常 に 多い。だが,こうした生活状況はなにも当時の フランスに限ったことではな く,戦時下のあ ら ゆる国に共通の ものであろう。 ここでは,そうした具体的な 日常生活の描写 を拾 い集めるのが 目的ではな く,そ うした状況の給体 としての フランスその ものを表 していると思われる象徴 を 考察の対象 とする。 ところで,当時のフランスを象徴 しているのはこの 「 共利 国の像」 だけで ない。汚れた 「 共利国の像」 は,他のフランスの象徴 とも密接 な呼応関係 を形成 しているよう に思 われる。 フランスを象徴す るもの としては雄鶏がつ とに有名であるが,それは周知の よう に, ラテ ン語の gal l usが雄鶏 ( l ec o q) とゴール人 ( l eGaul o i s ) を同時に意味する ところか ら生 じている。『 ペス ト』でこの雄鶏が如何 なる扱 いを受 けているか を見れば,その象徴性 は 明 らかである。雄鶏が登場するのは,ランベールがオランを脱出するす る為 に非合法組織 との 接触 を求めて,或 るカフェにコタール とともに赴いた時の ことである。 ≪( …)unmag ni iquec f o qs or t i te ns aut i l l ant .( . . . )Unpe t i tho mme,pe r dudamsunl ong t abl i e rbl e u,s o r t i tduf o nd,s al uaCo t t ar ddupl s l u o i nqu' i ll ev it ,avanG ae n6c ar t antl e uxc oupdepi ed ( . . . )i )( p. 1 3 35) c oqd' n v u igour e magni f i queと形容 される雄鶏は,カフェのマス ター と覚 しき小柄 な男 によって強烈 な足蹴 によって追い払われている。 この雄鶏が フランスを象徴 しているのは言 をまたないが,そ うし た見地か らすれば雄鶏 に強烈な足蹴 を食 らわせる 「 ノ J 、 柄 な男」 は, コタール ( 対独協力派 を象 徴する作品中で唯一否定的な登場人物) と顔 な じみであることか らして もヒッ トラーのカリカ 『 ペス ト』 における 「 共和国の像」の意味 1 05 チュア とも読めよう。 ところで,一見 したところ 「 共和国の像」 と雄鶏のエ ピソー ドは, ラン ベールが二つの場面 に登場 している以外 には何 ら呼応関係 はない ように見える。だが,子細 に 読むな らば, この二つの場 面は明 らか に意図的 に配置 されていることが分 かる。そのため に は,先 に引用 した 「 共和国の像 」の場面 を今一度見てみ よう。 ≪I I sr e par t i r e nte tam i V占 r ent s url apl ac ed' Ar ' ne s.Legbr anc he sdesf ic use tdespal mi e r spe ndai e nt( ". )> )( p. 1 2 8 8 . イタリックは引用者)「 共和国の像」は閲兵広場 ( l a pl ac e d' Am es ) にあ り,無花果の木 と 郁子の木 ( pal mi e r s)がその回 りに垂 れ下が っている。一方,雄鶏の場面が展 開 され るカフ ェまでの道順 は次の ように描写 されている。 ≪I I s( Ra mbe r te tCo t t ar d)pr ir e ntl eb oul e u aT . dde sPal mi e r s,t r a ve r s と r e ntl apl ac ed' Ar mes e tdes c e ndi r entve r sl equar t i e rdel aMar ine.A gauc he,un c af 6pe i nte n ve r t s ' a br i t ai ts o usuns t o r eo bl i quedeg r o s s et o i l ej aune . ≫ ( イタリックは引用者) ( p. 1 3 35) そのカフェに行 くのに彼 らは閲兵広場 を横 断 しているのだか ら,当然 ,「 共和 国の像」の側 を通 ることにな り,それをE ]に した筈であるOその上,閲兵広場 までは榔子の木通 り( l ebo ul e - ba r d de s Pal mi e r s ) を進んでお り,その Pal mi e r sは勿論 「 共利国の像」の回 りに垂れ下が っている pa l mi e r sを想起 させ よう。 このように,郁子の木通 りと閲兵広場 を介 して 「 共和 国 の像」が暗示 されているのは明 らかであ り,その直後 に雄鶏の場面が置かれているのだか ら, これ ら二つの象徴 は極めて密接 な関係 にある と考 えられる。 さらには,汚れた 「 共和 国の像 」 を経 て足蹴 にされる雄鶏へ とランベールを導いているのが コタールであるとい う事実 も見逃 し てはなるまい。なぜ なら, この二つの象徴 は,対独協力派の象徴であるコタールを介すること によってより緊密 な関係性 を構築 し, より明白なメッセージ性 を帯びると考 えられるか らであ る。 共和国の像」 と 「 雄鶏」 と並んでフランスを象徴する もの として,「ジャンヌ ・ダ 最後 に,「 ルクの像」 (これ もオランに実在 していた) にも触 れておかな くてはなるまい。 これ も又, ラ ンベール絡みであ り,それは彼 が脱出組織 との連絡役 を待 っている場面で言及 されている。 ≪Les o l e i l ,de r i占 r r el e島mai s o nsdel ' e s t ,r 6C hauf f a i ts e ul e me ntl ec as quedel aJeanne d' Ar ce nt i も r e me ntdo r 6 equigar ni tl apl ac e . ≫ ( p. 1 3 4 2) このジャンヌ ・ダルクに関 して も,ナチス占領下の フランス を象徴 していることは間違いな い ように思 われるが, しか し 「 共和国の像」や 「 雄鶏」の ようにその象徴性 は単純ではない。 なぜ なら,当時の フランスでは 「ジャンヌ ・ダルクとい うシンボル もあいまいであった。 ヴイ ( a ) シー派 とレジス タンスの双方が,ジャンヌ というシンボルの争奪戦 を繰 りひろげた」からであ る。今 日ではフランスの象徴その もの とも思われるジャンヌ ・ダルクであるが,第三共和政下 ではた とえ国民的な人気があろうとも,共和国のシンボルとはな り得 なかった。 とい うの も, モー リス ・アギュロンも指摘するように 「 国王の友や神の娘 は, ( 共和国の)象徴 の役 目にふ さわ しいとひろ く認め られるわけにはいかなかった」 ( 括弧内は引用者の補戯 か らである。 それに対 して共和政 を否定 して誕生 したヴ イシー政権 にとって,ジャンヌ ・ダルクはペ タンと 並んで救世主であ り,ナシ ョナ リズムの象徴 であ り,「 国民的統一,愛国心,服従,献身的 自 ( 1 0 ) 己犠牲,敬虞,教会 と国家の和解 などのシンボル として呈示 され」たのである。一方, レジス 1 06 天 理 大 学 学 報 タ ンス側 は ドイツをイギ リス に見立 てる ことによって 「 侵 略者 と戦 った愛 国者 と しての ジ ャ ン ( l l ) ヌ像 を呈示」 したのであ る。 『 ペ ス ト』 にお い て も 「ジ ャンヌ ・ダル クの像」 が どち ら側 を象 徴 してい るのか一概 には決 め難 い。 とい うの も, この像 が現 れるのは.物語 の真 ん中あた りで あ り,ペ ス トが ま さに娼猟 を極 めている時期 であ るが,又 同時 に,明 らか に レジス タンス を髪 葉 とさせ るペ ス トに対す る 自発 的 な保健 隊の運動 も拡大 しつつ ある時期 だか らである。で は何 故 , この像 は両義 的 な性格 を帯 びる ように示 されてい るであ ろ うか。考 え られ るの は,物語 の この時点 でペ ス ト ( ナチス, ヴ イシー派) と保健 隊 (レジス タンス) の戦いが本格化 している こ との象徴 なので はないか, とい うことであ る。 だが, ラ ンベ ール個 人 に限 って言 えば, この ジ ャンヌ ・ダル クは レジス タンス を象徴 してい る ように思 われ る。 なぜ な ら, この 「ジャンヌ ・ダル クの像」 を 目にす る直前 に, ラ ンベ ー ルは リウ- とクルー と保健 隊 の こ とを話 してお り,そ こで保健 隊 とは最 も縁 が遠 い と思 われていたパ ヌル-神 父 さえ も参加 の意思表示 を した と知 らされてい るか らであ る。 そ う した会話 の直後 に置かれている,全 身金色 で兜 を被 った勇 猛 なジャンヌ ・ダル クの姿 は,明 らか に, 自らの幸福 ( 愛す る女性 に再会す るこ と) を追求す る理 由で保健 隊へ の参加 を拒 んでい る彼 を戦 い に誘 ってい る ように思 える。 共和 国の像 」「 雄鶏 」「ジ ャ ンヌ ・ダル クの像」 を通 して 占領 下 の フラ ンス を象徴 す 以上 ,「 る三つの事例 を見 て きた。前者二つ に よって汚 された フラ ンス を,次 いで両義 的 な性格 を有す るジャンヌ ・ダル クをラ ンベ ールが順 を迫 って見 たこ とは,その後 の彼 の運命 を予告 してい る lpe utyavo i rdel aho nt eae t r eheur e uxt o ut ように思 える。 なぜ な ら,彼 は最終 的 には ≪i . ≫ ( p. 1 3 8 9) と考 え, オラ ンに留 まる決意 をす るか らである。 s eul Ⅰ. 以上 で 「 共和 国の像」 とナチス占領下の フラ ンスの関係 を考察 したが, この像 は同時 に別 の レベ ルでの共和 国の問題 を呈示 している ように思 われ る。 これ までは ラ ンベ ール とリウ-が こ の像 に対 して如何 なる感情 を有 しているのか, また彼 らがそれ に どの様 な反応 を示 してい るの か は触 れ ないで きた。以下 で は この像 に対 す る彼 らの反応 を分析 し,それが フラ ンス解放直後 にカ ミュ 自身が 関わった政治的状 況 を如何 に反映 してい るか を見 ることにす る。 まず最初 に, ラ ンベ ールが この像 の下で示す態度 に注 目 してお きたい。 ≪Lef eut r eunpe ue nar i占r r e,l ec o ldec he is m ed6 bo ut o nn6s o usl ac r avat e,malr as 6, 1 ej o ur nal i s t eava itunai rbut 6e tbo ude ur . ≫ ( p. 1 2 89) 依情 地 で ( but 6),ふ くれ面 を した ( boudeur ) この ラ ンベ ー ルの態 度 は,何 か挑 戦 的 な も の を含 んでい る ように見 える。 この時点で は, オランを出るための保証書 を リウ一 に断 られて 共 はい ないのだか ら,その態度 は リウ一に向 けての もので はあ る まい。彼 の態度 の矛先 は,「 和 国の像」 ではないか と思 われ る。 とい うの も, この後 で リウ一 に保証書 を断 られて ランベー ルが発 す る言葉 は,≪( . . . )vousnepouvezpasc o mpr e ndr e.Vo uspar l ezl el angagedel a r ai s o n,vo us6 t esdansl ' abs t r ac t i o n. ≫ ( p. 1 2 8 9) とい うものだか らであ る。 それ に対す る リ c t e url e val esye uxs url aR6 publ i que≫ ( p. 1 2 89) なのであ る。今 回言 ウ-の反応 は≪Ledo 及 され た 「 共和 国の像」 は, リウーの態 度 か ら も明 らか な よ うに 「 理性 の言葉 -抽 象 -共和 国」 とい う関係 を示 してお り,それ はラ ンベ ール において も分 かち難 く結 びついてい る。 ここ で ラ ンベ ールが リウ一 に,≪Vo uspar l ezl el angagedel ar ai s o n≫ と言 うの も偶 然で はな 『 ペス ト』 における 「 共利 国の像」 の意味 1 0 7 い。 なぜ な ら,ペ ス トが発 生す る前 ,彼 が 「アラブ人の生活条件」 に関す る意見 を求 めて初 め て リウ- を訪 ねた時, リウ-が 自分 は 「 留保 の ない証言」≪l est 6mo i gnagesB ansr 6s e ves≫ r ( p. 1 2 2 6) しか認 めないので,それ に応 じられ ない ラ ンベ ール には協 力 で きない と伝 えた時, ランベ ールは ≪C' es tl el angagedeSai nt Jus t≫ ( p. 1 2 2 6) と皮 肉 を込 めて言 っているか らで あ る。 フランス革命 に よって樹 立 され た共和 国 を,「 理性」 の神 聖化 に よって恐怖 政治へ と導 いたサ ン ・ジュス トの名前 をラ ンベ ールが挙 げた こ とは,彼 の なかで 「 理性 -抽 象 -共和 国」 が一つの固定観念 になっているこ とを窺 わせ る。で は何故 , ラ ンベ ールが これ程 まで に 「 共和 国の像」 に敏感 に反応 し,敵意す ら見せ るのか とい う疑問が生 じるが,それ は比較 的簡単 に推 量 で きる。 スペ イン戦争 の体験 にその原 因が ある と考 え られ る。あ くまで もオラ ンを脱 出す る ことに固執す る彼 は, リウ-や タルー に よる保健 隊へ の参加 の要請 を拒否す るの だが,それ に は 自分 だけの理 由があ り,それ はスペ イ ン戟争 に参加 した経験 か ら生 じた と説 明す る。彼 は, 自分 は ス ペ イ ン戦 争 を共 和 派 の 側 に立 っ て ( 原 文 で は負 け た側 ≪Du c 6 t 6desvai nc us≫ ( p. 1 351) とい う表現 であ るが)戦 ったが,それ以来 い ささか考 える ところが あ った と語 り, そ して,そ こか ら得 た教 訓 を次 の ように言 ってい る。 ≪( …)mo i , j ' enaias s ezdesge nsquimeur e ntpo urunei d6 e.Jenec r o i spasal ' h6 r o Ⅰ s me,J eS ai squec ' es tf ac i l ee tj ' aiappnsquec ' 6 t ai tmeur t ie r r .Cequlm' i nt 6 r es s e,C ' es t - qu' onv ivee tqu' o nme ur edec equ' o nai me. > )( p. 1 351) この台詞 は,彼 が観念 の人 間ではな く,感情 の人 間だ とい うこ とを示 している。 こう した彼 の立場 は,最後 まで変 わる こ とはない。 ところで, ラ ンベ ールがスペ イ ン戦争 に国際義勇 兵 と して参加 した事実 は,本質 的 には左 派 に属す る活動 的 な ( 従 って,本来 な ら真 っ先 に保健 隊 に 参加す る筈 の)人物 である ことを示 している。 さらには彼 の行動 は,スペ イ ン共和 国 を不干渉 9 39年 にフラ ンコ政権 を承認 した フラ ンス第三共和 政 に対す る批 の名 目で見殺 しに し, 尚且 つ 1 判 を も示 してい よう。 そ して,その戦争 において彼 の得 た認識 は,共和 派 陣営 において も 「 観 念 」「ヒロ イズム」 つ ま り抽象 は死 を もた らす もの だ, とい うこ とであ った。つ ま り,二重 の 意味 (フラ ンス第三共和 政 とスペ イ ン共和派 陣営) において彼 は共和 国 に失望 した人物 なので あ る。 しか しなが ら, カ ミュ 自身 に関 して言 えば,彼 は終生 スペ イ ン共和 派 の熱烈 な支持者 で あ った。それ故 ,スペ イ ン共和派 に対す るラ ンベ ールの否定 的 な態度が,作者 カ ミュの本心 で はない こ とは明 らかであ る。つ ま り, ラ ンベ ール とスペ イ ン共和派 との関係 は,戦後 の カ ミュ とフラ ンス共和 国再建 の関係 を暗示す るための隠れ蓑 であ った, と考 え られ るか らであ る。以 下 では,戦後 の村独協 力者粛清問題 に関わった カ ミュ 自身の経験 を踏 まえて共和 国の テーマ を 見 てい くこ とにす る。 カ ミュ と共和 国の問題 を考 える上で最 も興味深 いの は,パ リ解放直前 の 1 9 4 4年 8月21日の 「コ ンパ」紙 での彼 の論 説であ る。 ≪C' es tparl al ut t ec o nt r el ' e nvahi s s e ure tl est r ai t r esquel e島For c esFr anc ai s esde l ' I nt 6 r ie urr 6 t abl i s s entc hezno usl aR6 publ i que,i ns e par abl edel al i ber t 6.C' es tparl a l ut t equel al i be r t 6e tl aR6 publ i quet io r mphe r ont .( ". ) Cenes e r ai tpasas s ezder ec onqu6 irl r esappar e nc esdel i be r t 6dontl aFr anc ede1 9 3 9 de va its ec o nt ent er .Etno usn' aui ronsac c ompl iqu' unei nf l mepar t i edeno t r et ac hes il a R6 publ i quef r an9 ai s edede mai ns et r o uvai tc ommel aTr o i s i 占meR6 publ i ques o usl ad 6- 1 08 天 理 大 学 学 報 ( 1 2 ) pe nda nc e6 t r o i t edel ' Ar g e nt . i ) 8月21日は,「コンパ」紙が地下新 聞を脱 して公然 とその姿 を表 した最初の記念すべ き日で あ り,以後 カ ミュは翌年の 1月 まで殆 ど毎 日の ように 「コンパ」紙 に主筆 として発言するので io r deo Bt o utpa r a i s s a i to uve r t :c en' 6 t a i tpl usl ' o c c uあるが,その期 間 とはまさに≪unep6 pa t i o ne tl er e imedeVi g c hy,c en' 6 t a i tpl us l aI I IeR6 publ i que,c en' 6 t itpase a nc o r el aI Ve, 、 l い ≫なのである。 こうしたすべてが開かれている nim8 mer 6 e l l e me nts aphas ed' 6 1 a bo r a t i o n. ように見 えた時期 にあって,真 っ先 に第三共和政 とは異 なる新 しい共和 国の再建の意思 を高 ら かに宣言 している事実 は,ポール ・ヴイアラネ- も指摘するように≪I l( Ca mus )s a l ue l ' a n ( l 1 ) Id' uner 6 publ i quet o t al e me ntr 6 g6 n6 r 6 e≫ と言 えよう。そ して,同 日の 「コンパ」紙 には無 ロ ッ トマ ンはこれ もカ ミュの手 によるも 署名の 「レジス タンスか ら革命-」 と遺 された論説 ( のだろうと推測 していi1 5 iが示す ように,新 しい共和 国は革命 によってこそ再建 されるのであ る。 この期 間カ ミュは,「 革命」 とい う語 を何度 か使用 しているが,その内実 については殆 ど ( 1 6 ) 語 ってはいない。当時のカ ミュが革命 と言 う場合,極めて道徳的,倫理的な意味合いで用いて ぉ り,ジヤニーブ ・ゲランも指摘 しているようだ, '論説における特徴的な語嚢は,「 真理」「 モ ラル」「 希望」「 名誉」 といった倫理 的な範噂 に属す る ものである。ただ,留意 してお くべ き ( 1 8 ある は,1 9 4 4年の 9月1 9日の論説で 「 反抗」 と 「 革命」 を区別 して,反抗 -レジス タンス は心情 ) ( l ec o e ur )か ら生 じる全的拒否であ り,革命 とは観念であると記 していることで 。そ し て,彼が何 よりも第三共和政 に対 して非難するのは,共和国を堕落 させ,ナチスの占領 に,ヴ イシー政権 に道 を開いた政治家,官僚,財界人なのである。 カミュは新 しい共和政 を革命 とい う名で遂行す るために 「コンパ」紙で論陣を張 るのであるが,その手始め として≪≪l ar 6 vo l u- ( 1 9 t i o nadmi ni s tra t i ve≫quido i t8 t r ea mo r c 6 eparl ' 6 pur a t i o ndel aha ut eadmi ni s t r a t i o n・ ≫ を主張するのである。先 に引用 した 8月2 1日の論説で彼 は,「 侵略者 と裏切 り者 に対す る戦い ) によってこそ, フランス国内軍はフランスに, 自由と一体 となった共和 国を再建す るのだ」 と してこの間題 を予感 しているように見 える。9月1 9日には≪Lar e vo l ut i o n,c en' e s tpasf o r c 6 - ( 2 0 ) . ≫ と記 し,彼 の 目指 している革命 は必要 に応 じては殺 人-粛清 を も容認す る ことを認め f a u t me ntl ag ui l l o t i nee tl e gmi t r a i l l e us e s ,o upl ut 6 t ,c es o ntl e smi t r a i l l e us e squa ndi ll e 1 7 い る。 カミュが この粛清問題 ている。だが,そ うした態度は長 くは続かない。カ ミュが対独協力者の粛清の許容か らその誤 りを認識するに至 る経緯はモー リヤ ックとの論争 に明確 に表れてい か ら得 た最大の教訓は次の ような言葉 に要約 され よう。 ≪D6 C hi r e me ntd' a vo i rac c u 1 r ' i n j us t i c ee nc r o ya nts e r irl v aj us t i c e・Lec o nna i t r ed u mo i ns(e t d 6 c o u v i r r a l o r s c ed 6 c h i r e me n t p l u s g r a n d : r e c o n n a i t r e q u el a j u s t i c e t o t a l en ' e x 2 2 ) i s t epas . ≫ - この言葉 を解説すれば以下の ようになろう。『シーシュボスの神話』 において この意味のな い世界で人間は生 きるに値するか と自問 したカ ミュに とってその答 えは,周知 の ように 「 然 り」 であった。それ故,意味 を持つ ことを求め られている唯一の存在である人間を抹殺するナ ( 2 3) チスに対 して戦 うことは 「 正義」であった。 しか し,「その敵が去 り,それ にたい して反抗す べ き現実の象徴が不在 になれば,「 正義」の観念 はにはか に純粋 な形而上的観念 に逆戻 琴 ' 」す ることにな り,反対 に今度は彼 自身が人間の死 を求める側 にまわって しまったことは明 らかに 1 09 『 ペス ト』 における 「 共和国の像」の意味 , 「 不正義」 に加担 したことになる。そ して,この 「 不正義」 に駆 り立てたのは 「 革命」 とい L 151 う 「 観念」であったことは間違いない。刷新 された新 しい共和 国の再建 を夢見たカ ミュにとっ ( 2 6) て,それは拭い去れない汚点 とも言 うべ き認識であったに違いない。そうした認識の反映が, スペイン戦争に共和派 として参加 したランベールの≪( . . . )mo i ,j ' e n aias s e zdesge nsqui l ' h6r o l ' s me, J eS ai BqueC ' es tf ac i l ee tj ' aiappns me ur e ntpouru m ei d6e.Jenec r o i spasa ) とい う台詞 に如実 に表れていよう。従 って,先で も指摘 し quec ' 6 t itme a ur t ie r r. ≫ ( p. 1 351 たように, ランベールのスペ イン共和派 に対する失望は,スペイン共和派 を戦後の共和 国再建 に置 き換 えてみれば,それはそのまま対独粛清問題 に関わったカ ミュ自身の失望,つ まりは自 己批判 を表す ものだ と了解で きよう。 以上でランベールが 「 共和国の像」 に対 して抱 く敵意の由来 を考察 して きたが,では 『 ペ ス ト』においてはこの 「 共和国の像」が否定的側面のみを象徴 しているか と言 えば,そ うでは ない。なぜ なら,医師 リウ一によってランベールの台詞,ひいては考えが修正 される仕組みに なっているか らである。そのことを最 もよ く示 しているのは,当然 の ことなが ら 「 共和 国の 像」の下での二人の対話の場面である。 この場面は,先で も触れたように,ランベールがオラ ンを出てい く為の保証書 を リウ一に求 め るが彼 はそれ を断 り,それ に対 す る ラ ンベ ールの ) vousnepo uvezpasc o mpr e ndr e.Vouspar l e zl el angagedel ar ai s o n,vo us8 t esdans ≪( . . . c t e url e val e sye uxs url a l ' abs t r ac t i o n. ≫ ( p. 1 2 8 9) とい う台詞に反応 して リウ-が≪Ledo R6publ i que≫ ( p. 1 2 8 9)す る場面であ る。 リウ-の この身振 りに よって,ラ ンベ ールの台詞 が共和 国の問題 に結 び付 いていることは明 らかである。そ して,その身振 りに続いて リウ-は 次の ように反論する。 ≪e t( l edo c t e ur )°i tqu' i lnes avai tpass ' i lpar l ai tl el angagedel ar ai s on,ma主 si lpadai t 9 19 0) l el angagedel ' 6 ide v nc ee tc en' 6 t ai tpasf o r c 6 mentl ame mec hos e. ≫ ( pp. 1 2 8 ランベールの l el angagedel ar is a o n を訂正 して, 自分 は l el angagedel ' 6 idenc v eを話 し てお り,それ らは必ず しも同 じものではない と主張する リウ-のなかに,カ ミュ自身が辿 った 変遷の跡が読み取れるように思われる。 というの も,カ ミュ自身1 9 4 4年1 0月 7日の 「コンパ」 el angagedel ar i as o n を推奨 しているか らである。≪Etnousvo udr iOns 紙の記事のなかで l i ,det e ni rs uruns u j e tdi f f c i l ee nt r et o usl el angagedel ar ai s one tde es s aye r ,au j our d' hu ( 27) 6. ≫ここで ,l el angagedel ar ai s on とい う表現が用い られていることは,二つの l ' humani t 意味でわれわれの関心 を引 く。 まず,この論説の 日付 である。それは,モー リヤ ックとの論争 の直前であ り,粛清 を容認する立場 を取 っていた時期 に当たる。二つ 目は,論説の主 旨が,共 産主義者 とはその方法は異 なるとはいえ,目指す 目的は同 じだ として反共産主義 を戒める もの だか らである。つ まり,革命 を信 じ,共産党 との連携 さえも視野 に入れていた希有 な一時期 な のである。従 って, この l el anga gedel ar ai s o n とい う表現は,カミュにとっては自らの過 ちの象徴 ともなる ものであろう。但 し,r ai s o n とい う語が持つ意味は多様 であ り,すべての r ai ( : 姐) s o n を否定する ものではないoMi c he lWi no c kが見事 に分類 したように,カ ミュにおいては l a r ai s o nr ai s o m abl e( 良識的分別) と 1 ar ai s onr ai s o nnant e( 理性)は区別 しな くてはな らな ai s o nは 1 ar ai s on r ai s o nnant eである。そ し い。勿論,ランベール とリウ-が問題 とする r ,「セルヴイール」誌 のインタビューに答 えて, 9 45年1 2月には て,粛清の誤 りを認めた後の1 一つの思想体系 を信 じるほ どには理性 を信用 していない と言 っている。 11 0 天 理 大 学 学 報 ≪Jenes ui spasu n phi l o s o phe.Jenec r o i spasas s e za l ar is a o npo urc r o i r ea uns ys t も me.Cequim' i nt 6 r e s s e , C ' e s tdes a vo i rc o mme nto npe uts ec o ndui r equa ndo nnec r o i t ( Z ?) nie nDi e unie nl ar a i s o n.> ) この l ar a i s o nは,それが生み出す抽象観念 と言い換 えても差 し支えあるまい。革命は観念 か ら生 まれるとしたあのカ ミュの面影はもはやない。そ して 「 神 も理性 も信 じられない時,如 何 に振 る舞 うか」 と自問 したカミュにとって,その答えの一つが リウ-の言 う l el a ngag ede 9 4 6 l ' 6 ide v nc eを実践することであったのは間違いないOそのことを最 もよく示 しているのが,1 l v o i 郵 こドミニコ教団の修道院での講演であろう。そこでカミュは,キリス ト教会が戦時中に声 を 引l 上げなかったことを取 り上げ,その過ちをキ リス ト教徒 自身が≪aha ut ee tc l ir a e x≫語 ( 3 B ) ることを期待 し,そうすることによってこそ≪i l s( l e schr 6 t i e ns ) s o r t e ntdel ' a bs t r ac t i o n.≫ のだとし,キリス ト教徒であれ,そうでない者であれ≪L e r as s e mbl e me ntdo ntno usa vo ns ] 汁E be s o i nes tunr as s e mbl e me ntd' ho mmesd6 c i d6 sa pa r l e rc l ire a tp a y e rdel e r p u e r s o nne .≫ であると語っている. ≪ ahauteetclairevoix≫とか≪parlercla ir≫といった表現は, リウ -の l el a ng ag edel ' 6 ide v nc eと同質の もの と考 え られ るO「 理性 の言葉 -抽 象」 に対 して 「 明白な事実の言葉 ( はっきりと語ること)-抽象か ら抜 け出る」 とい う構 図は明 らかであ る。さらに言えば,明白な事実の言葉を語ることこそが,相互の立場 を越えて真の対話 を生み 出すことも出来るのである。この講演においてカミュは,対話の有効性 を認識するに至った経 緯 としてモーリヤ ックとの論争 を挙げ,そ してモーリヤ ックが正 しかったことを公 に認めてい ( 3 4) る。対話 によって相手側の論拠 をも熟慮 し,相手側が正 しいかもしれないという自己 と相手側 を相対化する態度 こそがモーリヤ ックとの論争から得た最大の教訓であろう。こうした態度は 9 47 年 2月に 「 民主主義 と謙虚 さ」 と遺 政治の領域においてこそ必要なものであ り,カミュは1 された論説の中で,そうした態度 を謙虚 さと名付 け,この謙虚 さこそが民主主義,ひいては共 和政の根幹 を成す ものだとしている。 ≪L e d6 mo c r a t e,apr も st o ut ,e s tc e l uiquiadme tqu' una dve r s a i r epe uta vo i rr ai s o n,qui l el a i s s edo nes ' e xpr ime re tquiac c e pt eder 6 l6 f c hi ra s e sa r g ume nt s .Quandde spa r t i 80 u e ur sr is a o nspo urac c e pt e rdef e me r rl a de sho mme ss et r o uve ntas s e zpe r s uadesdel bo uc hedel e ur sc o nt r a di c t e rsparl u av io l e nc e,a lo r sl ad6 mo c r a t i en' e s t pl us ・Que l l eque l i l ) s ° i tl ' o c c as i o ndel amo d6s t i e,c e l l e c ies tdo nes a l ut a i r eauxr 6 publ i que s . ≫ 以上のことを踏 まえて再 び 『 ペス ト』 に立ち戻 ってみ よう。 リウ-はランベール と別れた use t esdamsl ' a bs t r ac t i o n. ≫という言葉 について,ペス トが猛 級,ランベールが言 った≪vo 威 を振 るっている最中,自分が病院で過 ごしている日々が果 して抽象なのかと自問 し,確かに isqua nd l ' a bs t r ac t i o ns eme tavo us 不幸のなかには抽象の側面があると認めるが,≪Ma us t ue r , i lf autbi e ns ' o c c upe rdel ' a bs t r ac t i o n. ≫( p. 1 2 91 )と考える。 ここで注 目すべ きは,no ust ue rと記 されていることである。 この vo usは読者 に向けられたもの と t ue rではな く,vo も考えられるが,抽象の問題がランベールによって里示 されたことを考慮すれば,ランベール を念頭に置いたもの と見なす こともできよう。そうであるならば,彼が立ち去った後 もリウは彼 との対話 を続けていることにな り,それは相手の論拠 をよく考えることを受け入れる態度 であるO事実,引 き続いて彼は抽象 について自問 し続け,自らにとっての抽象を次のように走 『 ペス ト』における 「 共和国の像」の意味 111 義づけている。 ( {Etaubo utdec e t t el o ng uev is i t edes o i r st ou j o rsS u e mbl a bl e s ,Ri e uxnepo uvai te s i , p6 r e rr ie nd' aut r equ' unel o ng ueS ui t edes c 占 ne spar e i l l e s ,i nd6 丘ni me ntr e no uv e 1 6 e s ・Ou l ape s t e,c o mmel ' a bs t r ac t i o n,6 t itmo a no t o ne. ≫ ( p. 1 2 9 2) つまり, リウ-は医師としての自らの仕事が,ペス ト患者 を診察 し,彼 らの隔離 を命 じるこ とによって生 じる嘆願 と悲嘆の 「 際限な く繰 り返 される同 じような場面の連続」 を抽象 と考え てお り,彼にとって抽象 とは極めて具体的な事実の連続なのである。ペス トという抽象に対 し て 「 同 じような場面の連続」 とい う抽象 を対置 させることによって,彼は人の命 を救 う医師と して対処 しなければならないのである。ペス トを代表 とする 「 人を殺す抽象」 に対 して 「人の 命 を救 う抽象」が対比 されているのは明 らかである。そ して例外的に抽象が個々人の幸福 より も優先するの も 「 人を殺す抽象」に村する武器 としての 「 人の命 を救 う抽象」の場合であ り, 歴史的には,ナチス との戦いにのみ当てはまるのであ り,その敵が去った後では用いてはなら ないのである。そのことを粛清問題 を通 してカ ミュが学んだことは先にも触れたが,その教訓 が次の記述のなかに反映 していることは明らかである。 ≪Po url ut t e rc o nt r el ' abs t r ac t i o n,i lf autunpe ul uir e s S e mbl e r .Mai sc o mme ntc e l a po uva i t i le t r es e ns i bl eaRa mbe r t ?L' abs t r ac t i o npo r Rambe u r t6 t a i tt o utc equis ' o ppo s itas a o nbo nhe ur .Etav6 it r 6,Ri e uxs av itquel a ej o ur nal i s t ea vai tr a i s o n,dansun c e r t ins a e ns .Ma i si ls a va itauS S iqu' i lar ivequel r ' a bs t r ac t i o ns emo nt r epl usf o r t equel e bo nhe ure tqu' i lf autal o r s ,e ts e ul e me nt ,e nt e ni rc o mpt e. i )( p. 1 2 9 3) リウ-はランベールとの対話の後 にこうした結論に至るのであるが,その場合でも 「ランベ ールがある意味において正 しい」 と認めてお り,そうした彼は,カミュが民主主義者を定義 し た 「 相手が正 しいか もしれないことを認め,それ故相手に発言 を許 し,相手の論拠 をよく考え ることを受け入れる者」の態度 を体現 していよう。一方,ランベールについても,上で挙げた 引用 に続 く件がその後の彼の変化 を如実に語っている。≪C' e s tc equide vai tar ive r raRam- be r te tl edo c t e r putl u ' a ppr e ndr edansl ede t a i lparl e sc o nf i de nc e squeRa mbe r tl uif it ( 3 6) )ウ-の考 えを受 け入れること,それは彼 もまた リウ- と同 じ ul t 6 ie r ur e me nt . ≫ ( p. 1 2 9 3) 1 謙虚 さの態度 を自らの ものにし,彼 も真の民主主義者の資格 を得たことを示 している。 共和国の像」 に言及 される場面が もう一つある。 ところで,これまで触れないで きたが,「 それは リウ-とランベールの対話の場面を締め括 る件で登場する。 ≪Unes e ul ec ho s epe ut 8 t r ec ha n ge ite a tc ' 6 t a i tRi e uxl ui me me.I ll eB e nt itc a es o i rl a aupi e ddumo nume ntal aR6 publ i que,c o ns c i e nts e ul e me ntdel adi f nc i l ei ndi f 粍r e nc equl c o mme nc a i tal ' e mpl i r ,r e ga rda ntt o u j o ur sl apo r t ed' h6 t e lo 心Ra mb e r ta va i tdi s par u. ≫ ( p. 1 2 9 2) ランベールとの対話が リウ一にとって転換点であったことを示 してお り,それは 『 ペス ト』 におけるこの 日の対話の重要性 を示 している。 この記述は, リウ-が 自らにとっての抽象が 11 2 天 理 大 学 学 報 ,l apes t e,c ommel ' abs t r ac 「 際限な く繰 り返 される同 じような場面の連続」 であ り,≪Oui t i on,6t ai tmonot one. ≫ ( p. 1 29 2) なのだ と認識 した後 に置かれているのであるか ら,それは ペス ト-抽象 に向けた リウ-の決意表明 とも読 め よう。 だがその戦いは決 して華々 しい もので , はな く 「困難 な無関心 さ」 とい う表現が示す ように ヒロイズ ム とは無縁 の ものなのである。 そ して リウ-の決意は 「 共和 国の像」 を介在 させ ることで俄 に硯実の様相,つ ま りは共和 国の ための戦いの様相 を帯 びるのである。それは当然, この作 品がナチス との戦いの寓話化 なので あるか ら,共和国再建 を目指 して レジス タンス に参加 したカ ミュ自身の論拠 の正当性 を示 して いることは明 白である。 だが,粛清問題 を通 して学んだ ように,ペス トは単 にナチスだけを象 徴す る ものではな く,理性 が生み出す抽象観念 -イデオロギーで もある。従 って, リウ-の決 意 は引用 の3 5で示 した ように,民主主義,共和政 を否定す る 「 暴力 によって反対者の口を封 じ るほ どに, 自らの理屈 ( r ai s ons) を確信 す る党 や人間たち」 に立 ち向か うカ ミュ 自身の決意 とも読 め よう。 結 以上で ,『ペス ト』 において 語 「 共和 国の像」 が象徴 的 に果 た している役割 を見 て きた。それ は,ナチス占領下 にあった フランスその ものの象徴であ り,戦後の共和 国再建の希望 のなかで の粛清問題 によるカ ミュ自身の蹟 きの,そ してその教訓 を基 に しての有 り得べ き民主主義 の象 徴 であ った。だが,カ ミュの選 んだ対話 による相互理解 の道 は,戦後 の イデオロギー全盛 の時 代風潮 のなかでは殆 ど効力 を持 たない絶望的 な道 であった。 しか し,絶望的で困難 な道であろ うともカ ミュは この態度 を堅持 し続 ける。例 えばそれは ,1 95 4年 に生 じたアルジェ 1 )ア戦争 に 際 して,最後 まで両者 の対話 を求め続けた ことに も窺 える。絶望的 に両者の和解,休戦 を呼 び ,「共和 国の像」 の下で 「困難 な無 関心 さ」 を意識 しなが らも自らの職務 かけるカ ミュの姿 は を果 たそ うとす る 1 )ウ-の決意が,作者 自身の もので もあったことを示 しているO ところで, カ ミュにとっての共和 国の問題 を論 じる場合 ,スペ イ ンの問題 を抜 きに しては語 れない。本論 において も, ランベール とスペ イン戦争 の関係で若干の言及 を した。 しか し,彼 のスペ イン共和派 に対す る否定的な態度 は,実際 にはカ ミュの ものではない ことも指摘 してお いた。それ を証明す るかの ように,彼 の精神 的成長 には リウ-を筆頭 とす る主要登場人物 と並 んで端役 にす ぎないスペ イ ン人たちが寄与 しているのである。 カ ミュがスペ イン共和派 に対 し て抱 く共感が, どの ような形 で具体的 に 『 ペス ト』 に反映 しているかについては稿 を改めて考 察 してみたい。 注 (1) ≪l as t at uedel aR占 publ i que≫は翻訳 ( F ペス ト』,宮崎嶺雄訳,新潮社)では, 「 共和の女 神の像」 と訳 されているが,それではフランス革命以後数多 く建立 されてきたこの像が持って いる 「 「フランス」共和国の寓意の表現」 ( モーリス ・アギュロン, r フランス共和国の肖像』 , 阿河雄二郎 ・加藤克夫 ・上垣豊 ・長倉敏訳, ミネルヴァ書房,1 9 8 9年,p. 2) とい う本来の意 味が唆味になるので,本論ではアギュロンに倣って 「 共和国の像」 と訳す。 (2) l Abe r tCamus ,The at T , e S ,Re c i t e ,No uu e l l e s,Bi bl i o t he quedel aP1 6 i ade,Gal l i mar d,1 9 7 4, ( 以下では PL. Ⅰと略)p. 1 9 8 6. (3) ロラン ・バル ト 『 記号学の冒険』 ,花輪光訳,みすず書房,1 9 8 8年,p. 1 9 3. , (4) pL. Ⅰ ,p. 1 9 7 3. 『 ペ ス ト』 にお け る 「 共和 国 の像」 の意味 (5) 渡辺和行 11 3 ,Fナチ占領下の フランス』,講談社,1994年 ,p.19. ら首長 となった権威主義的で君主制的 な新体制 を組織 す る 「 第一お よび第二憲法令」の公布 に ,『フランス憲法史』,時本義昭訳 ,み よってそ うではな くなった。 」モー リス ・デュヴェルジェ 9 95 年 ,p p. 1 2 7 8. すず書房 ,1 , LaPe s t e,PL. I .( 以下 LaPe s t eか らの引用は本文 中にページ数で示すO) (7) A lbe r tCamus (8) 渡辺和行 ,o p.c i t . ,p. 1 9 6. p.c i t . ,p. 2 21 . (9) モー リス .アギュロ ン,o ( 1 0) 渡辺和行 ,o p,c i t . ,pp. 1 7 0 -1 . ( l l )I bi d"p. 1 9 6 . ,Es s ai s,Bi bl i o t hも quedel aP1 6 i ade,Gal l i mar d,1 9 7 2,( 以下では PLI Iと ( 1 2) A lbe r tCamus 略)p. 1 5 2 0. ( 1 3) Je anJac que sBe c ke r ,≪Al be r tCamuse tl apo l i t i ql l eal al i b6 r a t i o n≫i n CaT nuSe tl a po l i t i qu e,Edi t i o nsL' Har ma t t a n,1 9 8 6,p. 1 0 71 i x,≪Ca n us ,6 di t or ial i s t edeCo T nb at :≪del aR由i s t anc ea l aR6 vo l l l t i o n≫ ( 1 4) paulVi l1 a ne a ?≫i n CaT nuSe tl epT Y ! T ni e rCo T nb at ,Edi t i o nsdeL' Es pac eEur o p6 e n,1 9 9 0,p. 1 07 . ( 1 5 ) H. R. ロ ッ トマ ン, 『 伝記 アルベ ール ・カ ミュ』,大久保敏彦 ・石崎晴巳訳 ,清水弘文堂 ,1 9 8 2 年 ,p. 36 8. 革命」 は絶対 的革命 ではな く,相対 的革命であ り,その具体的 な方策 ( 1 6) カ ミュが考 えてい た 「 と して 「 集産主義 的経 済」 ( 経 済 の領域 での正 義) と 「自由主 義 的 政治」 ( 政 治 の領域 で の 自 usnec r o yo nSPaSi c iauxr e vo l ut i o nsd6 f ni i t i ve s .( …)No usc r o yo ns 由)を挙 げているO≪No j us t e me ntauxr e vo l ut i o nsr e l at i ves≫ ( PL. I I ,p. 1 5 27 .1 9 4 4年 9月1 9日)≪ ( . . . )no u且d6 s i r o ns I ,p. 1 5 2 8.同年 1 0 po url aFr a nc eune6 c o no i ec m o l l e c t i is v t ee tu n epo l i t i quel i b6 r le. a ≫ ( PLI 月 1日) r t r ai tdel ' ar t i s t ee nc i t o y e n,Fr a n9 0 i sBo l l in,1 r 9 9 3,p. 85輔 を ( 1 7 ) Je any ve sGu6 in,Camuspo r 参照。 ( 1 8) ≪Lar 6 vo l ut i o nn' e s tpa且l ar 6 vo l t e.Cequiapo r t 6l aR6 s i S t anC epe ndantquat r eans , C ' e s tl ar 6 vo l t e.( …)Lar 6 vo l t e,C ' e s td' abo r dl ec o e ur . m sl ' e s pr it ,o 血l es e nt i me ntde ie v nti d6e ,( …)C' e s t Ma isi )v ie ntu n t empso 血e l l epas s eda I I ,p. 1 5 2 6) l emo me ntdel ar e vo l ut i o n. > )( PL. ( 1 9) Ma r eMar t i n,i : ( {Co T nb at> )e tl apr e s s edel aLi b6rat i o n> )i n CaT nuSe tl epr e 7 ni e rCo T nb at ,Edi t i o nsdeL' Es pac eEur o p6 e n,1 9 9 0,p. 1 3. ( 2 0) PL. Ⅰ Ⅰ ,p. 1 5 2 7 . ( 21 ) 論争の概要は以下の ような ものである。 9 4 4年 1 0月1 9日 「フ ィガロ」紙 にて,当時一種無法状態 の中で行 われてい た モー リヤ ック :1 粛清 に関 して,対独協力者 に対す る寛容 な態度の必要性 を説 く。 カ ミュ 0日,21日の 「コンパ」紙 において,正義 の立場 に則 って革命 をな し遂 げね :2 ばな らず,そのため には不正義の体現者 であ る対独協力者 の粛清 もある程度 仕方 ない, と反論。 2日 「フィガロ」紙 にて,一体何 の名 において対独協力者 を処刑す る権利が モー リヤ ック :2 レジス タンスの人 々に与 え られているのか, とカ ミュに反論。 カ ミュ 5日,正義 に則 った粛清 を主張す るが,歯切 れが悪い。 :2 カ ミュ :粛清 はカ ミュが考 えていた ように正義 に則 って行 われてい るわけではな く, 11 4 天 理 大 学 学 報 「 疑わ しきは罰せ よ」的 に無差別 に行 われてお り,カ ミュにもその ことが明 らかになって きた。翌年の 1月 5日には,粛清の行 き過 ぎを認め,この まま ではモー リヤ ックが正 しいことになって しまうと警鐘 を鳴 らす。 0日,≪i le s tc e r t ai nd6 s o m ai r squel ' 6 pur a t i o ne nFr nc a ee s tno n :8月3 カミュ 6e≫ ( PLI I ,p. 2 8 9) と記 し s e ul e me ntma n qu6 e,mai se nc o r ed6 c o nS i d6r て,粛清の誤 りを認める。 1 9 4 6年1 2月,聖 ドミニ コ教会員 を前 に して,論争 に関 してはモー リヤ ックが 全面的に正 しかったことを公 に認める。 ( 2 2) A lbe r tCamus ,Car ne t s , j anv i e r1 9 4 2T T W S1 951,( 以下では Ca ne r t s I Iと略) Ga ll i mar d,1 9 6 4,p. 25 0. ( 2 3) カ ミュは rドイツ人の友への手刷 の中で次の ように記 している。≪J' ic a ho i S il aj uS t i c eau c o nt r ai r e,po urr e s t e rf id 色l eal at e r r e.Jec o nt i nueac r o i r equec emo nden' apasde告 e ns S uPe ie r ur ・Ma iSJ eS ai Squaque l quec ho s ee nl uiadus e nse tc ' e s tl ' ho m e,par c equ' i les t Ⅰ Ⅰ ,p. 2 41 . ) l es e u18 t r eae x i ge rd' e navo i r . ≫ ( PL. ( 2 4) 西永良成 評伝 アルベール ・カ ミュ』,白水札 1 9 7 6年 ,p. 1 21 . ( 25 ) カ ミュは 「 観念」 を持 ったが故 に無垢ではな くなった と暗示 している0≪J ' i V6 a c ut o ut ema ,r J e ne u S S eaVe Cl ' i d6 edemo ni nno c e nc e,C ' e s t -むd i r ea ve cpasd' i d6 edut out .Au j o ur d' hui… ≫ Ca ne r t s n,p. 1 5 4. ( 2 6) レジス タンスを戦ったすべての者 による共和国の再建, とい うカ ミュの希望が解放後の一瞬 , の夢 に過 ぎなかったことを 『 ペス ト』の終結部 に置かれている一節が象徴 的 に示 している。 ≪Po url emo me nt ,de sge nsd' o ig r ine St r 由 di L f i r e nt e ss ec oudo yai e nte tP・ at e T ・ ni s ai e nt . βquel apr 6 s e ns edel amo r tn' a va itFasr 6a li s 6 ee nf it a ,l aj o i edel ade ' l i L ・ T ・ anC el'6 L' e gl i t t a bl i s S it a ,aumO i nspo urque l que she ur e s . ≫( p. 1 4 6 4.イタリックは引用者)ここでは l i be rte の代 わ りに d 6 1 i vr nc a eが用い られているが,動詞の d6 1 i vr e rの語源であるラテ ン語の de l i be - DgO Sによれば≪me t t r ee nl i be r t 6≫と定義 されている。 r ar eは,辞典 L ( 27 ) PL. Ⅰ Ⅰ ,p. 27 3. L es i i c l edo si nt e l l e c t u e l s,Se ui l ,1 9 97,p. 4 0 9. ( 2 8) Mi c he lWi no c k, ( 2 9) PL. I ,p. 1 9 3 7. t u e l l e sI では1 9 4 8年 となっているが,実際 には1 9 4 6年の ( 3 0) この講演の抜粋が収め られている Ac 誤 りである。PL. Ⅰ Ⅰ ,p. 1 5 9 7 . 参照。 ( 31 ) PL. Ⅰ Ⅰ ,p. 37 3. ( 3 2) I b i d. ( 33) I b i d. ( 3 4) ≪J epui st 6 mo i g ne rc e pe nda n tque,mal g r 6que l que se xc と sdel n gageve a nusdeFr an一 冒 O i sMaur iac , J en' alJ amai sc e S S 6dem6 di t e rc equ' i ldi s ai t .Aubo utdec e t t er e le f c t i o n,e t J eVO uSdo r nea ins imo mo pl nl O nS url ' ut i l i t 6dud i lo a g uec r o ya nt Jnc r o ya nt ,j ' e ns ui sve nu Ar e c o nna 壬 t r ee nmo i 一 m合 me,e tpubl i que me nti c i ,que,po url ef o nd,e ts url epo i ntpr 6 c i s deno t r ec o nt r o ve r s e,M.Fr a nc : o i sMaur iacavai tr is a o nc o nt r emo i ・ ≫I bi d.pp・ 3 71 2・ ( 35 )I bi d.p. 3 2 0. ( 3 6) ランベールが リウ-の態度 を模倣することによって変化 してい く過程 については,拙稿 「r ペ ス ト』 における模倣 -ランベールの場合- 『 仏語 ・仏文学」第2 2号 ,1 9 9 4年, を参照。 」