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Page 1 Page 2 二つの産業革命(農業革命と工業革命) とロシア(1) 目 次

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Page 1 Page 2 二つの産業革命(農業革命と工業革命) とロシア(1) 目 次
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Author(s)
Citation
二つの産業革命(農業革命と工業革命)とロシア(1)
中村, 平八; Nakamura, H.
商経論叢, 39(2): 1-40
Date
2003-11-25
Type
Departmental Bulletin Paper
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
1
〈論
説〉
二 つ の 産 業 革命
儂 業 革 命 と工 業 革 命)と
ロ シ ア(1)
中 村
目
1さ
平
八
次
ま ざま な経 済発 展 段 階 説
ス ミス お よ び ドイ ツ歴 史 学派 の 経 済発 展 段 階説/マ ル クス とエ ンゲ ル ス の経 済発 展 段 階説/
マ ル ク ス ・レー ニ ン主 義(ス タ ー リ ン主 義)の 経 済 発 展 段 階 説/ロ ス トウ の経 済 発 展 段 階
説/ヒ ック スの経 済 発展 段 階説/ハ イ ル ブ ロー ナー の 経 済発 展 段 階 説/林 子 力 の経 済発 展 段
階 説/梅 樟 忠 夫 の 「
文 明 の生 態 史 観」/上 山春 平 の3段 階説
2農
業 革命
採 集 狩 猟社 会 か ら農 業社 会(農 耕 ・遊 牧 社 会)へ
採 集 狩猟 社 会=原 始 共 同体 儂 業革 命 以 前 の社 会)/農
業 革 命(農 耕 ・牧 畜 革 命)/農
耕革
命 と農業 社 会/農 業 革 命 後 の社 会 は 奴隷 制 社 会 か/牧 畜 革命/遊 牧社 会/遊 牧 民 と国家
3ス
ラヴ族 の 登 場
ルー シか らロ シ ァへ
東 ス ラヴ族(ル ー シ)と ア ジ ア系 遊 牧 民/キ エ フ ・ル ー シの建 国/キ エ フ ・ル ー シ の社 会 と
経 済/モ ンゴル 帝 国 の ロ シア征 服/〈 タタ ー ル の くび き〉/モ ン ゴル帝 国 は重 商 主 義 国家 で
あ った/モ ス クワ大 公 国の発 展/ピ
ョー トル大 帝 と ロ シ ア帝 国/ロ シア の村 落 共 同体 と農 奴
制/ロ シ ァ の農 奴制 マ ニ ュ フ ァクチ ュア
以 上,本 号掲 載
4工
業 革命
農業 社 会 か ら工 業 社 会 へ
工 業 革命/冨 岡倍 雄 の 「
南北 問 題 の 経 済 学 」/冨 岡倍 雄 の歴 史認 識/冨 岡 倍 雄 の 「産 業革 命
論 」/冨 岡倍 雄 の 「
エ ジプ ト工 業 化 の挫 折 」/工 業 革 命 の 世 界 的拡 大 と東 ア ジア の 工 業化/
梶 村 秀 樹 の 東 ア ジ ア工 業 化 論/18-19世
ス ー リ ッチ(1881年)の
紀 の ロ シ ア 経 済/チ ャ ー ダエ フ(1836年)と
問 題 提 起/ロ シァ の 工 業 革 命/F・
ザ
リス ト(国 民経 済学)の 信 奉 者
セ ル ゲ イ ・ウイ ッテ とロ シア資 本 主 義
5ロ
シア か らロ シア ヘ
ロ シア 革命 と ソ連邦 の 成立/世 界 第2位T対
米 経 済 水 準50-65%の
ソ連 邦/ソ 連邦 とは何 で
あ った か/ソ 連邦 の崩 壊 と新 ロ シ ア革命/貧 強 の新 ロ シ ア(2001年)世
16位 のGDP,第2位
界 ラ ンキ ン グ第
の 軍事 費/現 代 ロ シ ア経 済/ロ シ ア ど こへ 行 くの か
..........
本 稿 の 課 題 は,ロ
局 面 で,ス
ラヴ族
シ ア を 世 界 史 の 展 開 の な か で 捉 え る こ とで あ る。 世 界 史 の 展 開 の どの よ う な
ロ シ ア 人 は ス ラ ヴ 族,と
くに 東 ス ラ ヴ族 の 主 な 分 流
経 済 的 に どの よ う な生 活 を して き た か を明 ら か に した い 。 だ が,た
が 登 場 し,彼
らは
だ ち に そ の 作 業 に着 手 す る こ
とは で き な い 。 そ の 前 に,第 一 に,世 界 史 に 対 す る わ れ わ れ の 態 度 を 表 明 し て お く必 要 が あ る 。
第 二 に,世 界 史 が 存 在 す る と して,世 界 史 の 進 歩 あ る い は 発 展 に つ い て,わ れ わ れ が どの よ う に
考 え て い る か を明 らか に して お く必 要 が あ る。 結 論 の み を述 べ れ ば,わ れ わ れ は,世 界 史 の 存 在
2商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.Il)
説 を支 持 し,ま た 世 界 史 の 段 階 的 発 展 を認 め る 立 場 に 賛 成 で あ る 。 第 二 の 問 題 に つ い て 言 え ば,
幸 い す で に 経 済 発 展 段 階 説 あ る い は 段 階 論 とい う形 で 諸 説 が 提 示 され て い る。 そ こ で そ れ らの 説
の 紹 介 か ら始 め る こ と に す る。
な お 本 稿 は(1)と(2)に
分 か れ る が,(1)は
「農 業 革 命 と ロ シ ア 」,(2)は
「工 業 革 命 と ロ
シ ア」 を 叙 述 対 象 と して お り,そ れ ぞ れ の 論 文 は な か ば 独 立 して い る 。
1さ
ま ざまな経済発展段 階説
ス ミ ス お よ び ドイ ツ歴 史 学 派 の 経 済 発 展 段 階 説
世 界 史 の発 展 段 階 に つ い て は,こ れ まで に さ ま ざ ま な 説 が と な え られ て い る。 経 済 史 の 分 野 に
限 定 し て み て も,多
くの 発 展 段 階 説 が 現 わ れ,消
ム ・ス ミス(1723-90)は,そ
え て い っ た 。 た と え ば,経
の 著 書 『国 富 論 』(1776.邦 訳,中 公 文庫,1978)の
済 学 の創 始 者 ア ダ
な か で,諸
国民 の
経 済 発 展 の 歴 史 を,① 狩 猟 社 会 → ② 牧 畜 社 会 → ③ 農 耕 社 会 → ④ 市 民 社 会 と い う4段 階 で 説 明 し
た。 「
① 狩 猟 → ② 牧 畜 → ③ 農 耕 」 は 経 済 発 展 の3段 階 説 と呼 ば れ,古 代 ギ リ シ ア ・ロ ー マ 時 代 か
らの 説 で あ り,ス
は,後
ミ ス も こ れ を 自説 の な か に 取 りい れ た 。 ス ミス を 中 心 に 形 成 さ れ た 経 済 学 派
に古 典 学 派(古 典 派経済学)と 呼 ば れ,経
〈長 期 の19世
済 学 の 主 流 に な る の で あ る が,そ
れ は,い
わゆる
紀 〉 に,世 界 最 強 ・最 先 進 の 帝 国 に登 りつ め た イ ギ リ ス に 好 都 合 なglobalismの
済 学 で あ っ た 。 ス ミス は 『国 富 論 』 の な か で,当
時 イ ギ リ ス で 建 設 途 上 の 市 民 社 会,す
本 主 義 社 会 の 原 則 を 〈自 由 放 任 〉 で あ る と して い る が,ス
経
な わち 資
ミス 流 の 自由 主 義 の 経 済 学 に対 して 批
判 的 立 場 を と ら ざ る を得 な か っ た 弱 者 ドイ ッ,後 進 ドイ ッ の 経 済 学 者,た
と え ば リ ス トは,〈 国
民 経 済 学 〉 を提 唱 し て,そ の な か で 次 の よ う な発 展 段 階 説 を提 出 し た 。
そ の 強 烈 な 個 性 の ゆ え に,波 瀾 万 丈 の 生 涯 を 送 り,自 死 せ ざ る を 得 な か っ たF.リ
-1846)は
,後 に ドイ ツ 歴 史 学 派 経 済 学 の 先 駆 者 と か,ア
と 呼 ば れ る が,青
メ リカの 国 民 主義 経 済 学 の確 立 者 な ど
年 時 代 に は ス ミス の 経 済 学 の 「
忠 実 な弟 子 」 で あ っ た 。 ヨー ロ ッパ で は,1814
年 に ナ ポ レ オ ンが 没 落 し,彼 の 大 陸 政 策
策
ス ト(178g
イ ギ リス に対 す る ヨー ロ ッパ 大 陸 市 場 閉 鎖 な ど の 政
が 崩 壊 す る と,イ ギ リ ス 工 業 製 品 は ドイ ツ市 場 に あ ふ れ,ド
イ ッ の 商 工 業 者 に 大 打 撃 を与
え た 。 保 護 を 求 め る ドイ ツ 商 工 業 者 の 悲 痛 な 声 を 聴 く こ と に よ り,リ ス トは,「 自 由 貿 易 は 経 済
を 繁 栄 させ る 」 と主 張 す る古 典 派 経 済 学 の 命 題 に 疑 問 を い だ く に 至 り,ス
ミス と決 別 して,〈 国
民 経 済 学 〉 の 樹 立 を 目 指 す こ と に な っ た 。 主 著 『経 済 学 の 国 民 的 体 系 』(1841.邦 訳,岩 波 書
店,1970)の
め,次
の5段
な か で リ ス トは,温
帯 地域 の 各 国民 が 営 む主 な 産 業 に よ っ て経 済 的 発 展 順 序 を定
階 論 一 一 ① 未 開 状 態 → ② 牧 畜 状 態 → ③ 農 業 状 態 → ④ 農 業 ・工 業 状 態 → ⑤ 農 業 ・工
業 ・商 業 状 態 一
を提 唱 し,そ れ ぞ れ の 段 階 に お い て と る べ き 商 業 ・貿 易 政 策 は 異 な る と述 べ
た 。 リ ス トは,当 時 の ドイ ッ は 「
③ 農 業 状 態 」 か ら 「④ 農 業 ・工 業 状 態 」 へ の 移 行 過 程 に あ る と
認 識 し,す で に 「
⑤ 農 業 ・工 業 ・商 業 状 態 」 に あ る先 進 イ ギ リス に 対 抗 して ⑤ の段 階 ま で 発 展 す
る た め に は,自 由 貿 易 で は な く保 護 貿 易,具 体 的 に は保 護 関 税 お よ び 関 税 同 盟 の 強 化 ・拡 大 が 必
二 つの産業 革命 儂 業 革命 と工 業革命)と ロシア(1)3
要 で あ る,と 主 張 した 。 リス トに と っ て 重 要 な こ とは,ド
イ ツ と い う発 展 途 上 国 の 幼 稚 産 業 を 先
進 国 イ ギ リ ス との 競 争 か ら守 り,一 人 前 の 工 業 に 育 て る こ とで あ っ た(諸 田實rフ リー ドリッヒ ・
リス トと彼 の時代 』有 斐 閣,2003)。 そ の 意 味 で リ ス トの 経 済 学 は,今
日の 開発 経 済 学 の先 駆 け と
言 って よい。
歴 史 学 派 の 創 始 者 の ひ と りB.ヒ
ル デ ブ ラ ン ト(1812-78)も
ま た,そ
の 著 書 『自 然 経 済,貨
幣 経 済 お よ び 信 用 経 済 』(1864.邦 訳,r実 物 経済,貨 幣経済 お よび信 用経済 』未 来社,1972)の
な か で,
古 典 学 派 の 経 済 学 を批 判 して,国 民 経 済 の 歴 史 性 ・民 族 性 ・倫 理 性 を 強 調 し,財 貨 の 交 換 手 段 や
流 通 形 態 を 中心 に,①
自然 経 済 → ② 貨 幣 経 済 → ③ 信 用 経 済 とい う3段 階 区 分 を提 唱 した 。 こ こ で
い う① の 「Naturalwirtschaft,自 然 経 済 」 と は,現 物(実 物〉 経 済 も し く は生 産 物 経 済 の こ と で あ
り,② の 「貨 幣 経 済 」 は 近 代 市 民 社 会 の あ らゆ る特 質 を包 含 す る 経 済 で あ り,③ の 「
信 用 経 済」
は 貨 幣 経 済 が 生 み だ す す べ て の弊 害 が 解 決 さ れ た 理 想 的 経 済 の 意 味 で あ る 。
後 期 歴 史 学 派 の 中 心 的 経 済 学 者 で あ るG.vonシ
一 の 実 現 を求 め る 立 場 か ら
ュ モ ラ ー(1838-1917)は,ド
イ ツの 国民 的 統
,① 種 族 ・マ ル ク 団 体 経 済 → ② 村 落 経 済 → ③ 荘 園 経 済 → ④ 都 市 経 済 →
⑤ 領 邦 経 済 → ⑥ 国 民 経 済 と い う6段 階 説 を提 起 した 。 シ ュ モ ラ ー の 青 年 時 代,ヨ
ー ロ ッパ は 引 き
つ づ き政 治 的 経 済 的 に 動 乱 の 渦 中 に あ り,ド イ ッ も ま た 例 外 で は な か っ た 。 か つ て プ ロ イ セ ン,
ハ ノ ー フ ァ ー,ザ
近 代 化,工
ク セ ン,バ イ エ ル ン な ど300余
の 領 邦 に 分 か れ て い た ドイ ツ は,国 民 的 統 一 と
業 発 展 の テ ン ポ を 速 め て お り,「 ⑤ 領 邦 経 済 」 か ら 「
⑥ 国民 経 済」 の段 階へ の移 行 途
上 に あ っ た 。 ち な み に,ド
イ ツ 帝 国 と い う 形 で の ドイ ツ の 国 民 的 統 一 が 実 現 す る の は,1871年
の こ とで あ る。 な お シ ュ モ ラ ー の 言 う 「国 民 経 済 」 は,次
の ビ ュ ッ ヒ ャー の 言 う 「国 民 経 済 」 と
同 じ く,資 本 主 義 経 済 と理 解 して よい 。
後 期 歴 史 学 派 の 発 展 段 階 論 の な か で,最
-1930)で
あ る 。 彼 は,ド
も大 き な 影 響 力 を残 し た の はK.ビ
ュ ッ ヒ ャ ー(1847
イ ツ 帝 国 の 繁 栄 と没 落 を ま の あ た り に し た 経 済 学 者 で あ る が,リ
ス ト
や ヒ ル デ ブ ラ ン トの 発 展 段 階 説 を批 判 し,財 貨 が 生 産 者 か ら消 費 者 に 到 達 す る 道 程 の 長 さ を基 準
に,① 封 鎖 的 家 族 経 済(自 給 自足 経済)→ ② 都 市 経 済(生 産者 と消 費者 の問 で交換 が あ る顧 客 経済)→
③ 国 民 経 済(企 業 的商 品生 産 と財 貨 の流通 す る経済)と い う3段 階 説 を とな え た 。 ① の 「
封 鎖 的家 族
経 済 」 で は,財 貨 は 生 産 さ れ る 同 一 経 済 内 で 消 費 さ れ る。 こ れ は 古 代 ギ リ シ ア ・ロ ー マ の 貴 族 領
の 経 済 で あ り,ヨ ー ロ ッパ 中 世 の 荘 園 の 経 済 で もあ る 。 ② の 「
都 市 経 済 」 で は,財 貨 は 生 産 者 か
ら消 費 者 に 直 接 に 引 き渡 さ れ る 。 こ れ も ま た ヨー ロ ッパ の 封 建 時 代 に,手 工 業 者 に よ っ て つ く ら
れ た 「自 由 独 立 都 市 」 の 経 済 で あ る 。 ③ の 「国 民 経 済 」 で は,財 貨 は 企 業 に よ っ て 生 産 さ れ,消
費 者 に 至 る ま で に 多 くの 経 済 単 位 を 通 過 す る。 彼 は 「国 民 経 済 」 の 発 展 の 重 要 な要 素 と して 工 業
を あ げ,工 業 の 発 展 順 序 は 家 内仕 事,賃
仕 事,手
工 業,問
屋 制 家 内 工 業,工
場制 工 業 であ る と し
た。
マル クス とエ ンゲ ル スの経 済発 展段 階 説
古 典 派 経 済 学 者 や ドイ ツ歴 史 学 派 経 済 学 者 が 活 躍 し て い た19世
紀,独
自の道 を歩 む共 産 主 義
4商
経 論 叢
者 のK.マ
第39巻 第2号(2003.11)
ル ク ス(1818-83)は,4段
階 か ら な る 社 会 発 展 段 階 説 を 提 示 した 。 マ ル ク ス の 説 は,
後 に 『資 本 論 』 に結 実 し て ゆ く 『
経 済 学 批 判 』(1859.邦 訳,岩 波文庫,1956)「 序 言 」 の な か で 述 べ
られ て い る。 「
序 言 」 で は まず,マ
提 示 さ れ,つ
ル クス経済 学 の 「
導 き の 糸 」 と な る 史 的 唯 物 論(唯 物 史観)が
い で この 史 観 に も とつ い て,発
展 段 階 モ デ ル が 示 さ れ て い る。 こ こ で は まず,経
済
お よび 経 済 学 の研 究 に お い て 指 針 と な る 著 名 な 諸 命 題 を紹 介 し よ う。
「人 間 は,彼
ら の 生 活 の 社 会 的 な生 産 に お い て,一
諸 関 係 に入 りこ む,す
な わ ち,彼
定 の,必
然 的 な,彼
ら の 意 志 か ら独 立 し た
らの 物 質 的 生 産 諸 力 の 一 定 の 発 展 段 階 に対 応 す る 生 産 諸 関 係 に
入 りこ む 。 こ れ らの 生 産 諸 関 係 の 総 体 は,社 会 の 経 済 的 構 造 を形 成 す る 。 これ が 現 実 の 土 台 で あ
り,そ の 上 に 一 つ の 法 的 か つ 政 治 的 な上 部 構 造 が そ び え 立 ち,そ の 土 台 に 一
一一
定 の社 会 的諸 意識 形
態 が 対 応 す る 。 物 質 的 生 活 の 生 産 様 式 が,社 会 的,政
治 的,お
よ び精 神 的 生 活 過 程 全 般 を 制 約 す
る。 人 間 の 意 識 が そ の 存 在 を規 定 す る の で は な く,逆 に,人 間 の 社 会 的 存 在 が そ の 意 識 を 規 定 す
る」。
「社 会 の 物 質 的 生 産 諸 力 は,そ
た既 存 の 生 産 諸 関 係 と,あ
の 発 展 の あ る段 階 で,そ
れ ま で そ れ らが そ の 内 部 で 運 動 して き
る い は そ れ の 法 律 的 表 現 に す ぎな い 所 有 諸 関 係 と,矛 盾 す る よ う に な
る 。 こ れ らの 諸 関 係 は,生 産 諸 力 の 発 展 の 諸 形 態 か ら そ の 栓 桔 に 一 変 す る 。 そ の と き に社 会 革 命
の 時 期 が 始 ま る 。 経 済 的 基 礎 が 変 化 す る に つ れ て,巨 大 な 上 部 構 造 の全 体 が,徐
々 に せ よ急 激 に
せ よ,く つ が え る」。
「一 つ の 社 会 構 成 体 は,す べ て の 生 産 諸 力 が そ の な か で は も う発 展 の 余 地 が な い ほ ど に 発 展 し
き ら な い う ち はs決
して 没 落 す る こ と は な く,ま た,新
しい さ ら に 高 度 の 生 産 諸 関 係 は,そ
の物
質 的 な存 在 諸 条 件 が 古 い 社 会 の 胎 内 で,.化 し き らな い う ち は,決
して 古 い もの に と っ て 代 わ る こ
と は な い 」。 「
大 づ か み に 言 っ て,ア
よ び 近 代 ブ ル ジ ョア 的 生 産 様 式
が,経
ジ ァ 的,古
代 的,封 建 的,お
済 的社 会 構 成 体 の 進 歩 して い く諸 時 期 と して 特 徴 づ け ら れ る 」。
上 記 の 引 用 が 示 す よ う に,マ ル ク ス は,方
法 論 と して の 史 的 唯 物 論 の 諸 命 題 を述 べ た の ち,
「
① ア ジ ア 的 生 産 様 式 → ② 古 代 的 生 産 様 式 → ③ 封 建 的 生 産 様 式 → ④ 近 代 ブ ル ジ ョア 的 生 産 様 式 」
とい う発 展 段 階 説 を提 起 し た 。 だ が ④ の 「近 代 ブ ル ジ ョ ア 的 生 産 様 式 」,す な わ ち 資 本 主 義 的 生
産 様式 の 後 に くる 「
⑤ 共 産 主 義 的 生 産 様 式 」 に つ い て は,何
も言 及 して い な い 。 しか し,マ ル ク
ス は,「 ブ ル ジ ョ ア 的 生産 諸 関 係 」 は 「
社 会 的 生 産 過 程 の 最 後 の 敵 対 的 形 態 」 で あ り,「 ブ ル ジ ョ
ア社 会 」 の 胎 内 で 発 展 しつ つ あ る生 産 諸 力 は,同 時 に,こ
を もつ く りだ す,と
は,終
述 べ,そ
れ ゆ え に 「こ の[ブ
の 敵 対 を解 決 す る た め の 物 質 的 諸 条 件
ル ジ ョ ア 的]構
わ り を告 げ る 」 と結 ん で い る。 した が っ て,こ
成 体 を もっ て 人類 社 会 の 前 史
こで は 人 類 社 会 の 「本 史 」 と して の 「
⑤共
産 主 義 的 生 産 様 式 」 は 省 略 さ れ て い る,と 推 定 し て も よ い 。 と もあ れ,マ
ル ク ス の発 展 段 階 説 は
未 完 成 に 終 わ り,マ ル ク ス 以 後 さ ま ざ ま な解 釈 を生 む の で あ る 。
マ ル ク ス の 友 人F.エ
ン ゲ ル ス(1820-95)は,生
産 技 術 の 発 展 を尺 度 に,① 野 蛮 → ② 未 開 →
③ 文 明 と い う発 展 段 階 論 を と な え た 。 社 会 経 済 的 に み る と,① の段 階 は母 系 的 氏 族 制 ・封 鎖 的 自
二つ の産業革命(農 業 革命 と工業 革命)と ロ シア〈1)5
給 自足 経 済 ・共 産 制 な ど を特 徴 とす る無 階 級 社 会 で あ り,② の 段 階 は 父 系 制 家 族 ・私 有 財 産 制 ・
国 家 制 度 な どに よ っ て 特 徴 づ け ら れ る 階 級 社 会 で あ る 。 ③ の 段 階 は 階 級 社 会 の 最 後 の 形 態 で あ る
資 本 制 社 会 の 止 揚 形 態 と し て 登 場 す る 無 階 級 の 共 産 制 社 会 で あ る 。 し た が っ て エ ンゲ ル ス の 発 展
段 階 論 は,① 原 始 共 産 制 無 階 級 社 会 → ② 私 有 財 産 制 階 級 社 会 → ③ 高 度 共 産 制 無 階 級 社 会 と言 い 換
え て も よ い(エ ンゲ ルス 『
家族 ・私有 財産 お よび国家 の起源』1884.邦 訳,岩 波 文庫,1965)。
20世 紀 に 入 る と,ス
ミス や ドイ ツ 歴 史 学 派 の 経 済 発 展 段 階 説 は急 速 に 陳 腐 化 し,忘 れ 去 ら れ
て い っ た 。 そ の 理 由 と して は,歴
深 化 し た こ と,ま た20世
史 研 究 全 般,と
くに ア ジ ア に 関 す る歴 史 研 究 お よ び 歴 史 認 識 が
紀 初 め に ドイ ツ の 途 上 国 的 状 況 は 一 掃 さ れ,経
済 的 に は イ ギ リス を追
い 越 し,ア メ リ カ と と も に最 先 進 国 に な っ た こ と,を あ げ る こ とが で き る 。 他 方,マ
び エ ン ゲ ル ス の 発 展 段 階 説 は,共
ル クスお よ
産 主 義 者 は も ち ろ ん の こ と,非 共 産 主 義 者 や 反 共 産 主 義 者 に も
大 き な 影 響 を 与 え た 。 そ の 理 由 と して は,一 一つ に は,1917年
国 是 と す る大 国 ソ 連 邦 が 誕 生 した こ と,二 つ に は,1929年
の ロ シ ア革命 に よっ て共 産 主 義 を
の世界 大 恐 慌 な どにみ られ る よ うに
資 本 主 義 の 制 度 疲 労 が い ち じ る し くな り,勤 労 民 衆 の 資 本 主 義 に 対 す る 信 頼 が 失 わ れ 始 め た こ
と,を あ げ る こ とが で き る 。
マ ル ク ス ・レー ニ ン 主 義(ス ター リン主義)の 経 済 発 展 段 階 説
マ ル ク ス の 発 展 段 階 説 は,20世
で,い
紀 に 入 り,ロ
シ ア 革 命 後 の1920年
代 に マ ル クス 主 義 者 の 間
わ ゆ る 「ア ジ ア 的 生 産 様 式 論 争 」 とい う 一 大 論 争 を 引 き起 こ し た 。 そ の 後 ソ連 邦 で は ス
タ ー リ ン(1879-1953)の
式 」 と解 釈 さ れ,ま
時 代 に,マ
た 新 た に 第5段
ル ク ス の 「ア ジ ア 的 生 産 様 式 」 は 「原 始 共 同 体 的 生 産 様
階 と し て 「共 産 主 義 的 生 産 様 式 」 が 付 け加 え られ た 。1938
年 に 出 版 され た 『
全 連 邦 共 産 党(ボ)史
庫,1953)は,ス
小 教 程 』(邦 訳rソ 同 盟 共 産 党(ボ)小
タ ー リ ン主 義 の 代 表 的 著 作 の 一 つ で あ る が,同
物 論 に つ い て 」 の な か で,マ
史』全2冊,国
民文
書 の 「弁 証 法 的 唯 物 論 と史 的 唯
ル ク ス ・レ ー ニ ン主 義 の 発 展 段 階 論 と し て 次 の5段
階 説 が登 場 し
た 。① 原始 共 同体 制 度→② 奴 隷制 度 →③ 封建 制 度 →④ 資本 主 義→⑤ 社 会 主義 。
上 記 の 発 展 段 階 説 と 関 連 して,同
書 に は 次 の よ う な 注 目 す べ き記 述 が あ る 。 「3000年 の あ い だ
に,ヨ ー ロ ッパ で は,原 始 共 同体 制 度,奴
り,東 部 ヨ ー ロ ッパ,す
隷 制 度,封
な わ ち ソ 連 邦 で は,四
建 制 度 と い う三 種 類 の 社 会 制 度 が 入 れ 替 わ
つ も の 社 会 制 度 が 入 れ 替 わ っ た 」。 しか し な が ら
文 中 の 「ヨ ー ロ ッパ 」 お よ び 「東 部 ヨー ロ ッパ 」 とい う文 言 に注 意 を払 う 者 は 絶 無 に 近 く,ア ジ
ア な ど ヨー ロ ッパ 以 外 の 大 陸 や 地 域 に,ど の よ う な 「社 会 制 度 」 が 存 在 した の か,そ
制 度 の 交 代 は どの よ う な もの で あ っ た の か,と
ター リ ンの5段
こでの社 会
い う 問 い を発 す る 者 は い な か っ た 。 か く し て ス
階 説 は,ソ 連 ・東 欧 ・中 国 な ど社 会 主 義 圏 の 学 者 だ け で な く丁 西 側 先 進 国 や 途 上
国 の 歴 史 家 ・社 会 科 学 者 の な か に も,多
くの 無 批 判 的 な 追 随 者 を獲 得 し て い っ た 。
ロ ス トウ の 経 済 発 展 段 階 説
上 記 の マ ル ク ス ・レー ニ ン主 義(ス ター リン主義)の 発 展 段 階 説 に対 抗 し て,第2次
の 米 ソ 対 立 を 軸 とす る 東 西 冷 戦 の 時 代 に,ア
メ リ カ の 経 済 学 者W.W.ロ
世 界 大 戦後
ス トウ(1916-2003)
6商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
は,反 共 反 ソ の 発 展 段 階 説 を提 出 し た 。 彼 は,「 一 つ の 非 共 産 主 義 宣 言 」 と い う副 題 を付 し た 著
書 『
経 済 成 長 の 諸 段 階 』(TheStagesofEconomicGrowth,1960.邦
訳,ダ イヤモ ン ド社,1961)を
著 し,
そ の な か で ① 伝 統 的 社 会 → ② 離 陸 先 行 期 → ③ 離 陸take-off→
④ 成熟 期 → ⑤ 高 度 大 衆 消 費 時 代 と
い う5段 階 区 分 を提 唱 した 。
ロ ス トウ は,「 ① 伝 統 的 社 会 」 と し て,「 中 国 の 諸 王 朝,中
ロ ッパ 世 界 等,ニ
ナ ダ は1920年
ュ ー トン以 前 の 世 界 す べ て 」 を考 え て い る 。 ロ ス トウ に よ れ ば,ア
代 に,イ
して 日本 は50年
東 お よ び 地 中 海 の 文 明,中
ギ リス は30年
代 に,ス
ウ ェ ー デ ン,ド
代 に 「⑤ 高 度 大 衆 消 費 時 代 」 に 到 達 し た が,ソ
イ ツ,フ
世 ヨー
メ リカ と カ
ラ ン ス は40年
代 に,そ
連は 「
④ 成 熟 期 」 に よ う や く到
達 し た ば か りで あ る 。 当 時 ロ ス トウ が 最 も重 視 し た の は,「 ③ 離 陸 」 の た め の 先 行 条 件 と し て 国
民 総 生 産 の 約10%を
投 資 に 充 て る必 要 が あ る 開 発 途 上 国 で あ り,蓄 積 の 強 行 に と も な う 「
政治
的 社 会 的 混 乱 」 の 結 果,「 共 産 主 義 の 陰 謀 に よ る 権 力 奪 取 」 に 有 利 な 状 況 が 途 上 国 に 醸 成 さ れ や
す い と 考 え た 。 こ の こ とか ら 「② 離 陸 先 行 期 」 の 社 会 の 「近 代 化 」 を 支 援 す る こ と に よ っ て,
「
③ 離 陸 」 に と も な う途 上 社 会 の 混 乱 を 除 去 し,途 上 国 の 革 命 を 回 避 し よ う と す る ケ ネ デ ィ 時 代
の ア メ リ カ の 反 共 反 ソ の 世 界 戦 略 が 編 み だ さ れ た の で あ る。
以 上 の ス ミス か ら ロ ス トウ に 至 る 経 済 発 展 段 階 説 は,す
で に 多 くの 学 者 に よ っ て 研 究 さ れ,日
本 の 学 界 に も紹 介 さ れ て い る 。 し か し,イ ギ リス の 著 名 な新 古 典 派 経 済 学 者J.R.ヒ
段 階 説,ア
階 説,日
メ リ カの 経 済 学 者RLハ
イ ル ブ ロ ー ナ ー の3段
階 説,中
ッ ク ス の4
国 の 経 済 学 者 林 子 力 の2段
本 の 京 都 学 派 の 民 族 学 者 梅 悼 忠 夫 の 「文 明 の 生 態 史 観 」,梅 悼 と同 じ京都 学 派 に 属 す る
哲 学 者 上 山 春 平 の3段
階 説 は,十
分 に検 討 さ れ て き た と は言 え な い 。 そ こ で 以 下 に お い て こ れ ら
の説 を 紹 介 して み た い 。
ピ ックスの 経済 発展 段 階説
J.Rピ
ッ ク ス(1904-89)は,著
談社学術 文庫,1995)の
な か で,独 特 の 循 環 的 発 展 段 階 説 を提 示 した 。 彼 は,市 場 の 勃 興=商
経 済 の 浸 透 を 基 準 に,次 の4局
場 経 済=慣
透,商
書 『経 済 史 の 理 論 』(ATheoryofEconomicHistory,1969.邦
面 説 を 主 張 した 。 ① 非 市 場 経 済,つ
訳,講 …
人的
ま り慣 習 経 済 の 局 面 → ② 非 市
習 経 済 と指 令 経 済 な い し貢 納 経 済 と の 結 合 経 済 の 局 面 → ③ 商 業 的 部 分 へ の 市 場 の 浸
人 的 経 済 の 時 代(商 人的経 済 は形式 的 には伝統 的 な政治 的権威 の もとに置 かれ るが,後 者 は前 者 を
統制 するほ ど強力 で はない)→ ④ 市 場 経 済 と非 市 場 経 済 の 併 存 の 局 面(商 人的 経済 の工業 へ の浸透,産
業革命=近 代工 業 の勃興,「 政府の行政 命令」 に よる経済 活動 の 国家規 制,「中央 計画 経済」 に象徴 され る非 市
場経済 の創 出)。
ピ ッ ク ス に よ れ ば,① の 慣 習 経 済 は 非 市 場 経 済 で も あ る とい う。 も しそ う で あ る とす れ ば,こ
の経 済 は,非 商 品 貨 幣 経 済,つ
し,そ
ま り 自 然 経 済(生 産 物経 済,現 物経 済)と 言 い 換 え る こ とが で き る
して この 非 市 場 経 済 は,原 始 時 代 の 採 集 狩 猟 経 済 に相 当 す る 。 ② の 「
結 合 経 済 」 は,い
ゆ る奴 隷 制 も し くは封 建 制 の 経 済 の こ とで あ ろ うか 。 こ の 時 代,商
わ
品生 産 や 商 人 的 経 済 は 従 属 的
ウ ク ラ ー ド と して 存 在 した 。 しか し な が ら③ の 「商 人 的 経 済 」 が,長 期 間,帝 国 や 王 国,自
治都
二 つの産業 革命(農 業 革命 と工業 革命)と ロシア(1)7
市 の 支 配 的 ウ ク ラ ー ドと して 存 在 した か ど う か は 疑 問 で あ る 。 ④ の 段 階 は,い
命 」 の 時 期 か ら ソ連 消 滅 ま で の 約200年
わ ゆ る 「産 業 革
間 を指 して い る 。 こ こ で 言 う 「中 央 計 画 経 済 」 は 非 市 場
経 済 で あ り,旧 ソ 連 ・東 欧 ・中 国 に か つ て 存 在 し た 指 令 経 済 を 意 味 す る 。1989年
ヒ ッ ク ス は,91年
が,知
の ソ 連 の 崩 壊,翌92年
に死 去 した
に始 ま る中 国 の 社 会 主 義 的市 場 経 済 を知 らな か っ た
りえ た とす れ ば,「 ④ 市 場 経 済 と非 市 場 経 済 の 併 存 の 局 面 」 の 説 明 文 か ら 「"中央 計 画 経
済"に 象 徴 さ れ る 非 市 場 経 済 の 創 出 」 を 削 除 した で あ ろ うか 。
ハ イル ブ ロ ー ナ ー の 経 済 発 展 段 階 説
RobertLハ
1993>に
イ ル ブ ロ0ナ ー(1919-)は,〈TheNewEncyclopaediaBritannica,15thEd.,
掲 載 のEconomicSystems(Val.17,pp.908-913)と
い う大 項 目の 解 説 論 文 の な か で,人 類
が 経 験 し て き た 経 済 シ ス テ ム と して,①tradition(伝
command(指
令)に
統)の 原 理 に も と つ く経 済 シ ス テ ム → ②
した が っ て 組 織 さ れ る 経 済 シ ス テ ム → ③ 中 心 的 組 織 形 態 がmarket(市
場)で
あ る経 済 シス テ ム の 三 種 類 を あ げ て い る 。 そ し て ソ連 な ど 「現 代 の指 令 社 会 は,事 実 上,社 会 主
義 の 名 の も と に組 織 さ れ て い る」 と述 べ,こ
れ を② の 指 令 経 済 シ ス テ ム に分 類 して い る。
こ の 大 項 目の 筆 者 で あ る ハ イ ル ブ ロ ー ナ ー は,①
し て,ア
の 「
伝 統 的 経済 シス テム」 の具 体 的 な事例 と
フ リ カ の カ ラ ハ リ(遊 牧 ・狩猟),極 北 の エ ス キ モ ー(狩 猟 ・漁労),西
ン(遊 牧)の 生 活 を あ げ,彼
た 分 配 手 続 も な い の で,経
経 済 シ ス テ ム は,主
ア ジ ア の べ ドウ ィ
らの 狩 猟 ・遊 牧 ・漁 労 ・採 集 活 動 に は い か な る 調 整 様 式 も な く,ま
済 学 の 特 別 の 用 語 や 概 念 装 置 は必 要 と し な い,と 述 べ て い る 。 伝 統 的
と して 原 始 社 会 の 採 集 狩 猟 経 済 制 度 に相 当 す る と思 わ れ るが,牧
畜 革命 後 に
成 立 す る 遊 牧 民 の 経 済 制 度 も含 ん で い る か の よ う で あ る 。
ハ イ ル ブ ロ ー ナ ー に よ れ ば,② の 「指 令 経 済 シ ス テ ム 」 は,公 然 も し くは 隠 然 た る 権 力
理 的 な 強 制 も し く は刑 罰 を行 使 す る 権 力,あ
る い は 富 も し くは 特 権 を授 与 す る権 力
物
を使 用 す
る シ ス テ ム で あ る 。 この 経 済 シ ス テ ム は,資 源 お よ び 労 働 を動 員 す る能 力 を そ な え て お り,た と
え ば 中 国 の 万 里 の 長 城 とか エ ジ プ トの ピ ラ ミ ッ ドの よ う な 大 規 模 な建 造 物 の 建 設 が 可 能 と な る 。
指 令 シス テ ム の 登 場 は,歴 史 的 に み て 王 国 と か 帝 国 な ど と い う 中 央 集 権 国 家 の 出 現 と結 び つ い て
い る。 私 見 に よ れ ばsい
わ ゆ る 古 代 や 中 世 の 奴 隷 制 あ る い は 封 建 制 な どの 経 済 は,ま
さに指令 シ
ス テ ム が 支 配 的 な 経 済 で あ り,市 場 経 済(商 品経済)は 従 属 的 存 在 で あ っ た 。
20世 紀 に存 在 し た ソ 連 な ど社 会 主 義 国 で は,党
二政 府 の 指 令 に も とつ い て 経 済 活 動 が 行 な わ
れ,指 令 に よ っ て 国 民 経 済 の 運 行 が 調 整 さ れ る経 済 シス テ ム が 機 能 して い た 。 ハ イ ル ブ ロ ー ナ ー
に よれ ば,主
と して 生 産 諸 力 は 支 配 的 エ リ ー トの 消 費 あ る い は 権 力 ・名 誉 を 充 足 す る た め に 用 い
ら れ た。 ま た 彼 は,指 令 経 済 シ ス テ ム は,伝 統 的 経 済 シ ス テ ム と同 様,経
済 学 と呼 ば れ る特 殊 な
社 会 的分 析 装 置 を 必 要 と し な い,と 述 べ て い る 。
③の 「
市 場 経 済 シ ス テ ム 」 は,市 場 メ カ ニ ズ ム が 経 済 活 動 の 奨 励 者 お よ び 調 整 者 の 役 割 を果 た
す シ ス テ ム で あ る 。 ハ イ ル ブ ロ ー ナ ー は,市 場 経 済 シ ス テ ム が 中 心 的 役 割 を 果 た す 社 会 は 資 本 主
義 社 会 だ け で あ る と し て,社 会 主 義 的 市 場 経 済 シ ス テ ム の 存 在 は 認 め て い な い 。 ハ イ ル ブ ロ0
8商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
ナ ー の よ う な 「社 会 主 義 的 市 場 経 済 」 否 定 論 は,西 側 の 経 済 学 界 の み な らず,ソ
連 や 中 国 な ど東
側 の 学 界 に お い て も,多 数 説 で あ っ た 。
林 子力 の経 済 発展 段 階説
社 会 主 義 的 市 場 経 済 の 存 在 を 否 定 す る圧 倒 的 な 多 数 説 に 反 対 して,中
革 ・開 放 の 総 設 計 師 」 と呼 ば れ た鄭 小 平(1904-97)は,1992年
国 の 最 高 実 力 者 で 「改
春 節 の 南 巡 講 話 で,「 社 会 主 義 的
りん
市 場 経 済 」 肯 定 論 を打 ち だ した 。 こ の 郵 小 平 講 話 を 理 論 面 で 補 強 す る た め に,経 済 学 者 の 林 子 力
(Linzili,1925-)は,た
だ ち に 論 文 「現 代 市 場 経 済 と現 代 社 会 主 義 」 を公 表 し,市 場 経 済 シス テ
ム は社 会 主 義 の 経 済 シ ス テ ム で も あ る と い う 主 張 を した(林 論 文 は,日 山編r著 名 学者 論社 会主義 市
場 経済」 人民 出版社,1992年,に
掲 載。邦 訳 は神奈 川 大 学 『
商 経論 叢』 第34巻 第2号,1999年,に
こ の 論 文 の な か で 彼 は,次 の よ う な2段
る 。 ① 封 鎖 式 経 済 揃 資本 主義 的社 会形 態
化 経 済(社 会形態
掲 載)。
階 か らな る経済 発 展段 階 説 を提 出 した こ とで注 目 され
氏族 共 同体,奴 隷制 あ るい は封 建 制)→ ② 開 放 性 ・社 会
資本主義 お よび社 会主義)。
林 子 力 の 発 展 段 階 論 の 特 徴 は,「 ① 原 始 共 産 制 無 階 級 社 会 → ② 私 有 財 産 制 階 級 社 会 → ③ 高 度 共
産 制 無 階 級 社 会 」 とい う マ ル ク ス 学 派 の 三 大 段 階 説 を捨 て,「 ① 封 鎖 式 経 済 → ② 開 放 性 ・社 会 化
経 済 」 とい う二 大 段 階 説 を採 用 し,さ ら に 「原 始 共 産 制 無 階 級 社 会 」 を① の 「封 鎖 式 経 済 」 に,
「
私 有 制 階 級 社 会 」 の 最 後 の 形 態 で あ る 「資 本 主 義 」 お よ び そ の.止揚 形 態 で あ る 社 会 主 義 を② の
「開 放 性 ・社 会 化 経 済 」 に含 め て い る点 で あ る 。
林 は、① の 「
封 鎖 式 経 済 」 の特 徴 と し て,労 働 お よ び物 質 的 生 産 条 件 の 直 接 的 配 分,自
格 の 生 産,人
給 的性
的 従 属 関 係 を 指 摘 して い る。 歴 史 的 に み る と原 始 時 代 の 「氏 族 共 同体 」 も,近 代 以
前 に存 在 し た と さ れ る 「奴 隷 制 あ る い は 封 建 制 」 も,封 鎖 式 経 済 に 属 す る 。 林 は,ソ 連 社 会 主 義
を 「
伝 統 的 社 会 主 義 」 と呼 び,そ
れ は,前 資 本 主 義 的 な社 会 諸 形 態 に 共 通 の 「
封 鎖 式 経済 」 モ デ
ル を 国 民 経 済 的 規 模 で 再 現 した も の で あ る,と 主 張 す る 。 そ し て,こ
の ソ連 型 社 会 主 義 モ デ ル
は,社 会 経 済 構 造 の 均 衡 の 喪 失 と経 済 効 率 の 低 下 と い う 二 大 原 因 を 内 包 して い る た め,封 鎖 式 体
制 と して の 伝 統 的 社 会 主 義 の 破 産 は 不 可 避 で あ る,と 主 張 す る。
林 に よ れ ば,「 社 会 化 」 とい う概 念 は 商 品 化 ・市 場 化 と 同 義 で あ り,人 類 が 封 鎖 式 経 済 か ら社
会 化 経 済 へ,す
な わ ち 商 品 化 ・市 場 化 経 済 へ 向 か う こ と は,自 然 史 的 過 程 で あ っ て,人
間が 選択
で き る よ う な も の で は な い 。 社 会 化 の 観 点 か らみ れ ば,商 品 生 産 の 最 初 の 段 階 は 「生 産 物 の 社 会
化 」(商 品化,市 場化〉,第2段
階 は 「労 働 の 社 会 化 」(商 品化,市 場化),第3段
階 は 「財 産 権 の 社 会
化 」(商 品化,市 場 化)で あ る 。 第1段 階 に お い て 商 品 生 産 が 始 ま り,第2段
階 に お い て 「典 型 的
資 本 主 義 」 が 成 立 し,第3段
私 見 に よ れ ば,社
階 に お い て 「資 本 主 義 的 株 式 会 社 制 度 」 が 登 場 す る 。
会 化 の 第1段
階 の 「生 産 物 の 社 会 化(商 品化)」 が 全 面 的 に 実 現 し,「 商 品 に
よ る 商 品 の 生 産 」 が 行 な わ れ る の は,も
ち ろ ん 資 本 主 義 社 会 で あ る 。 しか し な が ら,「 生 産 物 の
社 会 化(商 品化)」 は,歴 史 的 に み る と,「 小 商 品(単 純商 品)生 産 」 ウ ク ラ ー ドの 形 態 で,す
資 本 主 義 以 前 の 社 会,た
でに
と え ば 奴 隷 制 社 会 や 封 建 制 社 会 の も とで 発 生 し,発 展 して い る 。 社 会 化
二 つの産業革 命(農 業革命 と工 業革命)と ロシア(1)9
の 第2段
階 の 「労 働 の 社 会 化(商 品化)」 は,ヨ
ー ロ ッパ に お け る封 建 制 末 期 の 〈資 本 の 本 源 的 蓄
積 〉 の 過 程 で 行 な わ れ た 。 資 本 の 本 源 的 蓄 積 と は,資 本 主 義 の 出 発 を準 備 す る蓄 積,ア
ダ ム ・ス
ミス の 言 う資 本 の 〈
先 行 的 蓄 積 〉 の こ とで あ る。 直 接 的 生 産 者 儂 民)と 生 産 手 段(耕 作 地)と の
分 離 の 結 果,一
方 に お い て,農 民 は 耕 作 地 を 奪 わ れ て 無 産 者 と な り,他 方 に お い て,地
主 その他
は 十 地 を 集 積 して 有 産 者 と な る 。 こ う して,一 方 に,自 己 の 労 働 力 以 外 に 売 る もの の な い 労 働 者
階 級 が 登 場 し,他 方 に,彼
ら を 雇 用 して 営 利 活 動 を行 な う 資 本 家 階 級 が 登 場 す る 。 労 働 力 を 売 り
賃 金 を得 て 生 活 せ ざ る を え な い 賃 労 働 者 の 広 範 な 形 成 こ そ,林
の言 う 「
労 働 の 社 会 化 」 で あ り,
そ れ は 「典 型 的 資 本 主 義 」 の 成 立 の 前 提 条 件 と な る。
林 子 力 は,次 の よ うに 述 べ て い る。 上 記 三 つ の社 会 化 の 展 開 と不 可 分 の 関係 に お い て,資
本主
義 は誕 生 し,成 長 して き た 。 資 本 主 義 の 止 揚 形 態 で あ る社 会 主 義 は,「 封 鎖 式 経 済 」 に 逆 戻 り し
て は な ら な い 。 「開 放 性 ・社 会 化 経 済 」 の 後 行 形 態 で あ る社 会 主 義 は,先 行 形 態 と し て の 資 本 主
義 の す べ て の 積 極 的 な 要 素 を継 承 し,発 展 さ せ る 必 要 が あ る。 そ うす る こ と に よ っ て,社 会 主 義
は 共 産 主 義 へ と発 展 して い く こ とが 可 能 と な る 。
林 モ デ ル は,マ
ル ク ス ・レ ー ニ ン 主 義 の 「① 原 始 共 同 体 → ② 奴 隷 制 → ③ 封 建 制 → ④ 資 本 主 義 →
⑤ 共 産 主 義 」 とい う単 線 型 発 展 段 階 論 で は な く,「 ① 氏 族 共 同 体 → ② 奴 隷 制 → ③ 封 建 制 → ④ 資 本
主義 →⑤ 共 産主 義」 お よび 「
① 氏 族 共 同体 → ② 封 建 制 → ③ 資 本 主 義 → ④ 共 産 主 義 」 と い う複 線 型
発 展 段 階 論 で あ り,こ の 点 は 重 要 で あ る 。 ま た 彼 は,「 三 大 社 会 化 を 基 礎 とす る社 会 経 済 の 組 織
構 造 は,異
な る 価 値 目標 を 追 求 し,異 な る経 済 制 度 あ る い は モ デ ル に な りう る。 そ れ は,現 代 資
本 主 義 か も しれ な い し,現 代 の 新 型 社 会 主 義 か も知 れ な い し,両 者 の 中 間 の何 らか の 制 度 か も し
れ な い 」 と述 べ て い る 。 歯 切 れ の 悪 い 言 い 方 で あ る が,要
「現 代 社 会 主 義 」 を選 ぶ か は,「 人 民 」 の 選 択 次 第 で あ る}と
す る に,「 現 代 資 本 主 義 」 を 選 ぶ か
い う こ とで あ ろ う。 そ う だ と す れ
ば,ソ 連 や 東 欧 の 「人 民 お よ び 政 府 」 は 「
資 本 主 義 → 伝 統 的 社 会 主 義(封 鎖式社 会 主義)→ 現 代 資
本 主 義 」 の 道 を選 択 し,中 国 の 「人 民 お よ び 政 府 」 は,「 資 本 主 義 → 伝 統 的 社 会 主 義(封 鎖式社 会
主義)→ 現 代 社 会 主 義(開 放性 ・社 会化社 会主義)」 の 道 を 歩 ん で い る,と い う こ と に な る 。
以 上,ス
ミス に 始 ま り林 子 力 に 至 る まで,さ
ま ざ ま な 経 済 発 展 段 階 説 を概 観 して き た 。 こ れ ら
の 発 展 段 階 モ デ ル の 多 くは,当 然 の こ と な が ら,あ る 大 陸 の あ る 地 域 の あ る 国 を考 慮 し て つ く ら
れ て い る。 ス ミス の 場 合 は,ユ
ー ラ シ ア 大 陸 の ヨ ー ロ ッパ の イ ギ リ ス を 念 頭 に お い た モ デ ル で あ
り,ド イ ツ 歴 史 学 派 は ドイ ツ を念 頭 に,ロ ス トウ は ア メ リ カ を念 頭 にモ デ ル を構 築 した 。 マ ル ク
ス 学 派 も ま た,実 際 に は 西 ヨー ロ ッパ の 歴 史 を 下 敷 に,発 展 段 階 モ デ ル を構 築 して い る。 こ れ ら
ヨー ロ ッパ 中心 主 義 史 観 の モ デ ル は,林 子 力 を除 い て,い ず れ も単 線 型 発 展 段 階 論 で も あ る。 最
後 に,わ れ わ れ は,梅 悼 忠 夫 と上 山 春 平 の発 展 段 階 説 を 紹 介 す る の で あ る が,そ
らの 学 問 的 中 心 で あ っ た 日本 ・京 都 学 派 の 今 西 錦 司(1902-g2)の
れ に先 立 ち,彼
思 想 に つ い て,言
及 してお き
たい。
今 西 錦 司 を 著 者 代 表 とす る 『人 類 の 誕 生 』(河 出書 房新社,文 庫版 「
世界 の歴 史1」,1989)は,自
然
10商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
史 学 者 の 共 同 著 作 で あ る が,経
済 史 や 経 済 学 を学 ぶ 諸 君 に もぜ ひ 読 ん で い た だ き た い 名 著 の 一 つ
で あ る 。 今 西 は 同 書 の 「は じ め に 」 の な か で 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「自然 科 学 が 実 証 主 義 一本
で 立 っ て い る と思 っ て い る 人 が あ っ た ら,そ れ は 大 ま ち が い で あ る 。 自然 科 学 は,は
じめ か ら実
証 主 義 と推 理 主 義 の 二 本 立 て で や っ て き た 。 そ の どち らが 欠 け て も,自 然 科 学 は な りた た な い 。
推 理 に よ る事 実 の さ き ど り を,自 然 科 学 で は仮 説 と も い う。 仮 説 は い ず れ 事 実 に よ っ て証 明 さ れ
ね ば な ら な い が,証
明 は な に もい ます ぐな さ れ な くて も よい の だ 。 仮 説 に は,遠 い 過 去 に た い す
る 仮 説 も遠 い 未 来 に た い す る仮 説 も あ っ て よ い の だ 。 で は,ど
う し て歴 史 も仮 説 を も っ て わ る い
で あ ろ うか 。 歴 史 に か ぎ り,ど う して 実 証 主 義 一一
本 で い か ね ば な ら な い で あ ろ うか 。 … … 実 証 主
義 と推 理 主 義 とい っ て み た と こ ろ で,実
際 は 実 証 主 義 者 だ っ て 推 理 に た よ る と き もあ り,推 理 主
義 者 だ っ て 実 証 を か ろ ん じ て い る と い う わ け の も の で も な い の で あ る 」。 今 西 の 主 張 は,推 理 あ
る い は仮 説 に依 存 せ ざ る を え な い 社 会 主 義 経 済 や 発 展 途 上 経 済 の研 究 者 に と っ て,示
唆す る とこ
ろが大 きい。
梅 悼 忠 夫 の 「文 明 の 生 態 史 観 」
うめさお ただ お
梅 悼 忠 夫(1920-)が
『
文 明 の 生 態 史 観 』 を 発 表 した の は1957年
で あ る が,こ
の論 文 が わ れ わ
れ 神 奈 川 大 学 の 途 上 国 研 究 グ ル ー プ に 強 烈 な衝 撃 を 与 え た の は,同 書 の 文 庫 版 が 出 版 さ れ た70
年 代 後 半 の こ と で あ る(梅 樟 忠夫r文 明 の生 態史観 』中公 文庫,1974)。 同 書 で 梅 悼 は,ユ
ー ラ シア大
陸 を 横 長 の 長 円 形 で あ ら わ し,こ れ を 生 態 学 的 構 造 の 観 点 か ら二 つ の 地 域 に 分 け た 。 「第 一 地
域 」 は,ユ
ー ラ シ ア 大 陸 の 東 端(図 形 の右 端)の 日本,お
よ び 西 端(図 形 の左端)の 西 ヨ ー ロ ッパ
で あ る 。 「第 二 地 域 」 は,ユ ー ラ シ ア大 陸 の 中 央 部(図 形の右端 お よび左 端 を除 く内側 の全 部分)を,
東 北(右 上)か ら西 南(左 下)の 方 向 に斜 め に 走 る 巨 大 な乾 燥 地 帯 お よ び こ の 乾 燥 地 帯 の 両 側 を平
行 に走 る 準 乾 燥 地 帯 で あ る 。
「第 一 地 域 」 に 属 す る 日本 と西 ヨ ー ロ ッパ は,東 西 に 遠 く離 れ て い る に も か か わ らず,両
者の
た どった 「
歴 史 の 型 」 は よ く似 て い る 。 「塞 外 野 蛮 の 民 」 と して ス タ ー トし,「 第 二 地 域 」 か ら文
明 を 導 入 し,後 に 「封 建 制,絶
対 主 義,ブ
ル ジ ョア 革 命 」 を経 験 し て,現 代 資 本 主 義 に よ る 「高
度 の 近 代 文 明 」 を もつ の で あ る 。 「第 一 地 域 」 は,暴 力 の 源 泉 か ら遠 く,破 壊 か ら 守 ら れ て き
た 。 東 端 の 日本 お よ び 西 端 の 西 ヨ ー ロ ッ パ は,「 中 緯 度 温 帯 。 適 度 の 雨 量 。 た か い 土 地 の 生 産
力 。 … … 何 よ り も,こ
こ は は し っ こ,中 央 ア ジ ア 的 暴 力 が こ こ ま で お よ ぶ こ と は ま ず な か っ
た 」。 日本 お よ び 西 ヨ ー ロ ッパ は,「 条 件 の よ い と こ ろ で,ぬ
して,今
くぬ く とそ だ っ て,何
回 かの脱 皮 を
日にい た った」 ので あ る。
「第 二 地 域 」 は,乾 燥 地 帯(砂 漠 とステ ップ とオ ア シス)お よ び 準 乾 燥 地 帯(森 林 ステ ップ とサ バ ン
ナ)か ら成 る 。 中 国 世 界(文 明 圏),イ
ン ド世 界(文 明圏),ロ
シ ア 世 界(文 明 圏),地
ム世 界(文 明 圏)と い う4大 世 界(文 明 圏)が あ り,古 代 文 明,た
明 ・メ ソ ポ タ ミア 文 明 ・イ ン ダ ス 文 明 ・黄 河 文 明 は,す
と え ば4大 文 明
中 海 ・イ ス ラ
エ ジ プ ト文
べ て こ の 地 域 で 発 生 した 。 遊 牧 民 が 暮 ら
す 「
乾 燥 地 帯 は悪 魔 の 巣 で あ る 。 暴 力 と破 壊 の 源 泉 で あ る 」。 古 来 繰 り返 し 「
遊牧民そのほかの
二つの産業 革命 儂 業革命 と工 業革命)と ロシア(1)11
暴 力 」 が 現 れ て,周 辺 の 文 明 世 界 を破 壊 し た 。 破 壊 と征 服 が 繰 り返 さ れ,お
び た だ しい 生 産 力 の
浪 費 が 起 こ っ た 。 「第 二 地 域 」 で は,「 封 建 制 」 を発 展 さ せ る こ と な く,巨 大 な 「
専 制 帝 国 」 をつ
く り,そ の 矛 盾 に悩 み}多
くは 「第 一 地 域 」 諸 国 の 「
植 民地 ない しは半植 民 地」 とな った。 最 近
に至 っ て よ うや く,数 段 階 の 革 命 をへ て,新
わ れ わ れ は,遊 牧 民=暴
しい 「近 代 化 」 の 道 を た ど ろ う と して い る 。
力 団 とい う梅 悼 の 見 解 に は 反 対 で あ る 。 そ れ は,定 住 民 と して の 農 耕
民 や 商 工 民 の 偏 見 で あ り,ロ シ ア を含 む 近 現 代 ヨ0ロ
ッパ の あ る い は ヨ ー ロ ッパ か ぶ れ の 見 方 で
あ る(江 上 波夫,松 田壽 男,杉 山 二郎r世 界 史 の新 視 点』六 興 出版,1981)。 世 界 史 的 に み れ ば た し か
に,遊 牧 社 会 は 農 耕 社 会,と
りわ け工 業 社 会 の 論 理 と軍 事 力 に 敗 れ,農 耕 社 会 や 工 業 社 会 に 繰 り
込 まれ て い っ た 。 欧 米 に お け る近 代 国 家 の 成 立 と と もに,遊 牧 に 内 包 さ れ る 移 動 性 の 原 理 と,す
べ て の 人 間 を 国 民 と して 完 壁 に支 配 し よ う とす る西 欧 近 代 国 家 の 論 理 とが 衝 突 し,国 家 の 側 は 力
に よ る 遊 牧 民 絶 滅 政 策 を展 開 した の で あ る。 遊 牧 民 絶 滅 政 策 を典 型 的 に遂 行 した 国 家 の 一 つ が,
社 会 主 義 を掲 げ る ソ連 邦 で あ っ た こ と は,興 味 深 い 。 遊 牧 民 の 生 活 領 域 と精 神 は,徴 税 ・兵 役 な
ど をめ ぐっ て,国
家 権 力 が 及 ぶ 範 囲 外 に あ り,さ ま ざ ま な 摩 擦 ・反 乱 の 源 泉 に な っ て い る,と い
う 見 解 を,定 住 民 の 側 の 国 家 権 力 は も っ た の で あ る 。
氏 族 小 集 団 をつ く り,家 畜 と と も に水 と草 を 求 め て 移 動 し,テ ン ト生 活 を 送 る遊 牧 民 は,本 来
的 に分 散 ・分 権 的 で あ り,国 家 な る も の を必 要 とせ ず,平
や や 詳 し く述 べ る 。 梅 悼 は,も
和 を好 む民 で あ っ た 。 こ の 点 は あ とで
っ ぱ ら 「暴 力 と破 壊 」 とい う 間違 っ た 観 点 か らで は あ るが,人
の 歴 史 に お け る遊 牧 民 の役 割 に つ い て,考
類
え る 契 機 を 与 え た 。 ま た 「資 本 主 義 」 を 生 み だ す こ と
に なる 「
封 建 制 」 は,日 本 と西 ヨー ロ ッパ の み に 存 在 し,乾 燥 ・準 乾 燥 地 帯 の 諸 国 に は存 在 し な
か っ た,と
い う梅 悼 の 見 解 は 興 味 深 い 。
遊 牧 は,太 古 の 昔 か ら,モ
ン ゴ ル 高 原 や カ ザ フ 高 原,ア
ナ トリ ア 高 原,南
ロ シア草 原 や東 ヨー
ロ ッパ 平 原 な どで 行 な わ れ て きた 。 東 ヨ ー ロ ッパ 平 原 や 南 ロ シ ア草 原 は,ス
ラヴ族 の発祥 地 で あ
り,長 い 間 ス ラ ヴ族 は,遊 牧 社 会 や 有 畜 農 業 社 会 を つ く り,近 隣 の ア ジ ア 系 遊 牧 民 と共 存 し,と
き に 争 い,支 配 と従 属 の 歴 史 を 刻 ん で き た 。 現 在 の ロ シ ア 連 邦 の 領 土 に は か つ て 遊 牧 民 や 狩 猟 民
が 活 躍 した シベ リ ア お よ び 極 東 が 含 ま れ る し,国 境 を接 す る モ ンゴ ル や 中 央 ア ジ ア 諸 国,西
ア 諸 国 は,主
アジ
と して 遊 牧 民 が 活 躍 した 国 で あ る 。 ロ シ ア に つ い て 考 察 す る と き,遊 牧 社 会 を 忘 れ
る こ とはで きない 。
上 山 春 平 の3段
階説
① 自然 社 会 → ② 農 業 社 会 → ③ 工 業 社 会
わ れ わ れ は,あ る 国,あ
済 発 展 段 階 モ デ ル は,大
る 地 域,あ
る 大 陸 の み に 妥 当 す る発 展 段 階 モ デ ル に は 賛 成 し な い 。 経
き な程 度 に お い て,特
定 の 国 ・地 域 ・大 陸 を 越 え た 普 遍 性 を も た な け れ
ば な ら な い 。 そ の 意 味 で,既 存 の モ デ ル の な か で 唯 一 注 目 さ れ る の は,日 本 の 京 都 学 派 に属 す る
うえやま しゅんぺ い
哲 学 者 の 上 山 春 平(1921-)の
説 で あ る 。 上 山 説 が 最 初 に公 表 さ れ た の は1961年
r思想 の科学 』1961年11月 号,中 央 公論社),わ
あ る。 全7巻
で あ る が(雑 誌
れ わ れ が 上 山 説 の全 容 を 学 ん だ の は1990年
か ら成 る 『日本 文 明 史 』 の 第1巻
「
文 明 史 の構 想
の こ とで
受 容 と創 造 の 軌 跡 』(角 川 書店,
12商
経 論 叢
平 成2年)の
第39巻 第2号(2003.11)
な か で,上
山 説 が 全 面 的 に展 開 さ れ て い る。
上 山春 平 は,「 人 類 史 の 過 程 を,巨 視 的 に み て,生
産 方 法 の 不 可 逆 的 な 展 開 の 過 程 とみ な す 見
地 を と りな が ら,こ の 過 程 に お い て も っ と も重 大 な エ ポ ッ ク と見 られ る の は,穀 物 の 大 量 生 産 の
方 法 を確 立 した"農 業 革 命"と,科
命"で
は な い か,と
学 を背 景 とす る 機 械 的 大 量 生 産 の 方 法 を 生 み 出 した"産 業 革
い う観 点 か ら,人 類 史 を 次 の 三 つ の 段 階 に 区 分 す る 説 を提 唱 した 」。 ① 自然
社 会 儂 業 革命以前)→ ② 農業 社 会 儂 業 革命 以降,産 業革命 以前)→ ③ 工 業 社 会(産 業 革命以 降)。
す ぐれ て 常 識 的 な発 展 段 階 説 で あ る が,基 本 的 に わ れ わ れ は 上 山説 を 支 持 した い 。 上 山 説 は,
段 階 区 分 の標 識 と して,「 農 業 革 命 」 と 「
産 業(工 業)革 命 」 と い う,人 類 社 会 の 発 展 過 程 に お い
て,地
球 上 の ど の 大 陸 ・地 域 ・国 に お い て も,遅 か れ 早 か れ,内 発 的 に せ よ外 発 的 にせ よ,発 生
す る 可 能 性 の あ る 客 観 的 な事 態 を 用 い て い る。 こ れ は 卓 見 で あ る 。 上 山 モ デ ル が 普 遍 的 モ デ ル に
な り う る 理 由 は,ま
-)も
さ に こ の 点 に あ る 。 ち な み に ア メ リ カ の 経 済 史 家 ダ グ ラ ス ・ノ ー ス(1920
ま た ,農 業 革 命 を 「第1次
経 済 革 命 」,工 業 革 命 を 「第2次
経 済 革 命 」 と捉 え,経 済 史 に
お け る そ の 意 義 を 強 調 して い る(StructureandChangeinEconomicHistory,1981.邦
訳 「
文 明史の経 済
学一 財産 権 ・国家 ・イデオロギー』春 秋社,1989)。
上 山 に よ れ ば,①
の 「自 然 社 会 」 で は,氏
が 認 め られ る 。 ま だ 国 家 は 存 在 せ ず,社
族 的 も し く は擬 制 氏 族 的 共 同 体(部 族 組織)の 発 展
会 組 織 は,「 家 族 と 氏 族 共 同 体 と い う 二 重 構 造 」 を な
す 。 ② の 「農 業 社 会 」 で は,自 然 社 会 が 農 業 革 命 に よ っ て 農 業 社 会 に移 行 す る 過 程 に お い て,氏
族 共 同体 の 機 能 は 地 域 共 同 体 と 国 家 に 分 化 す る 。 社 会 組 織 は,「 家 族 と地 域 共 同 体 と国 家 と い う
三 重 構 造 」 に 発 展 した 。 ③ の 「
工 業 社 会 」。 人 類 社 会 の 先 進 的 部 分 は,産 業 革 命 に よ っ て 農 業 社
会 か ら工 業 社 会 へ の 移 行 過 程 に さ しか か っ て い る 。 この 過 程 に お い て,国
家 の機 能 は国際 機構 と
そ の 下 部 機 構 と して の 国 家(国 際 国家)に 分 化 し,そ れ に 併 行 して,地 域 共 同 体 の 機 能 は 職 業 共
同 体(職 能組 合,企 業 組合 等 々)に 吸 収 さ れ る。 社 会 組 織 は,「 家 族 と職 能 共 同 体 と 国 家 と 国 際 機
構 」 とい う 四 重 構 造 に 発 展 す る 。
以 上 が 上 山 説 の 概 略 で あ る が,わ
れ わ れ は,上
山説 ① の 「自 然 社 会 」 を 「
採 集 狩 猟 社 会 」 に,
② の 「農 業 社 会 」 を 「
農 耕 ・牧 畜 社 会 」 に 言 い 換 え る 。 ま た ① 「
採 集 狩 猟 社 会 」 と② 「
農 耕 ・牧
畜 社 会 」 の 問 に,前 者 か ら後 者 へ の 移 行 を必 然 に し た 第1次
産 業 革 命 と して,〈 農 耕 革 命 と牧 畜
革 命 〉 を 設 定 す る 。 そ し て② 「農 耕 ・牧 畜 社 会 」 と③ 「工 業 社 会 」 の 問 に,前 者 か ら後 者 へ の 移
行 を推 進 した/推
進 し て い る 第2次
れ わ れ の 経 済 発 展 段 階 説 は2革 命3段
産 業 革 命 と して,〈 工 業 革 命 〉 を 設 定 す る 。 した が っ て,わ
階 説 で あ り,次 の よ う な二 つ の 類 型 に分 か れ る 。 ① 採 集 狩
猟社会→ 〈
農 耕 革 命 〉→ ② 農 耕 社 会 → 〈
工 業 革 命 〉 → ③ 工 業 社 会,①
採 集 狩 猟 社 会 → 〈牧 畜 革
命 〉→ ②遊 牧 社会 → 〈
工 業 革命 〉 →③ 工業 社会 。
2農
業革命
採集狩猟社会 から農業社会(農 耕 ・遊牧社会)へ
採 集 狩 猟 社 会=原 始 共 同 体(農 業 革命以 前の社会)
二つ の産業革命(農 業革命 と工業 革命)と ロ シア(1)13
今 か ら150億 年 前 の ビ ッ グ バ ン で 宇 宙 は誕 生 し,そ の 宇 宙 に46億
年 前 に 生 命 が 誕 生 し,400万
年 前 に人 類 が 登 場 した(松 井孝 典r地 球倫 理へ 』岩波 書店,1995)。 太 陽
系 の 地 球 に 生 ま れ た 人 類 は,今 か らお よ そ1万5000年
革命)を 開 始 し た 。 この 革 命 に至 る ま で の 期 間,す
か ら99.9%の
期 間,人
年 前 に 太 陽 系 が で き,32億
前 か ら5000年
な わ ち 人 類400万
前 に 農 業 革 命 儂 耕 ・牧畜
年 の 歴 史 の う ち の 約99.6%
々 は採 集 狩 猟 に よ っ て 生 活 を 支 え て き た 。 しか し21世 紀 の 現 在,も
っぱ
ら野 生 の 植 物 性 食 物 を採 集 し,野 生 の 動 物 を 狩 猟 す る 〈
獲 得 経 済 〉 は,地 球 上 か ら ほ と ん ど姿 を
消 し,〈 食糧 生 産 経 済 〉 の 生 活 様 式 が 支 配 的 に な っ て い る 。 先 にハ イ ル ブmナ
と く,今 日 に お い て は,ご
ー が 例 示 した ご
く少 数 の 集 団 の み が,砂 漠 ・半 砂 漠 や 熱 帯 森 林,極
耕 に も牧 畜 に も適 し な い 生 活 条 件 の 厳 し い 辺 境 の 地 で,採
北 の 氷 原 な どの 農
集 狩 猟 生 活(獲 得経 済)を 営 ん で い る
にす ぎない。
採 集 狩 猟 民 は,野 生 の 動 植 物 な ど の 天 然 資 源 に100%依
生 産 ・加 工 ・保 存 や 備 蓄 を行 な う技 術,ま
存 して 生 活 し た 。 彼 らは ま だ,食 糧 の
た 自 然 環 境 の 改 造 や 制 御 を 行 な う技 術 を も っ て い な
か っ た 。 生 存 の た め に必 要 な 天 然 資 源 の 賦 存 状 況 か らみ て,一
住 地 の 移 動 を繰 り返 した 。 移 動 す る生 活 様 式 は,彼
ヵ所 に 定 住 す る こ とは で きず,居
ら の 社 会 ・経 済 組 織 に 大 き な 影 響 を 与 え た 。
彼 らが 所 有 す る 家 財 道 具 は 背 負 っ て 運 搬 で き る だ け の 量 に か ぎ られ,日 常 生 活 は きわ め て簡 素 で
あ った。
採 集 狩 猟 民 は,食 物 を求 め て 朝 か ら晩 ま で 働 き,疲 れ は て て 夜 は 空 腹 の ま ま地 面 に転 が っ て 寝
る だ け だ,な
ど と想 像 して は な ら な い 。 彼 らの 労 働 時 間 は1日
平 均3-5時
間 と推 定 さ れ,食
も十 分 で あ り,豊 富 な 余 暇 時 間 を談 笑 や 歌 と踊 りで 過 し た 。 も ち ろ ん,失 業 と か 倒 産,過
金 銭 を め ぐ る 紛 争 な ど は 存 在 し な か っ た 。 し か し,彼
ら は 疫 病 や 風 土 病,自
風 ・洪水 ・野火 ・旱 魑 ・冷害 ・雪害 な ど)に よ る 集 団 の 全 滅,他
の 危 険 に 囲 ま れ て お り,決
法』世界 書院,1992;同
労 死,
然 災 害(地 震 ・台
の 人 問集 団 や檸 猛 な野 獣 に よる襲 撃
し て 楽 園 に住 ん で い た わ け で は な か っ た(山 内 殺r経 済 人 類 学 の対 位
『
経 済人類学 への招待 』筑摩書 房,1994)。
採 集 狩 猟 民 の 居 住 集 団 は,親 族 関 係 で つ な が る 家 族 の 集 合,す
規 模 は 数 十 人 か ら100人
の な か で はr性
事
な わ ち 氏 族 共 同体 で あ り,そ の
前 後 で あ っ た 。 家 族 が 社 会 ・経 済 生 活 の 基 本 的 単 位 で あ り,氏 族 共 同 体
と年 齢 に も とつ く分 業 ・協 同 が 行 な わ れ た 。 す な わ ち,一 般 に 女 性 が 採 集,男 性
が 狩 猟 に従 事 した 。 象 ・水 牛 ・犀 ・カ バ な ど大 型 動 物 の 狩 猟 は,男 性 の 協 同 作 業 で あ っ た 。 共 同
体 成 員 の 労 働 の 成 果 は,共 同 体 の 所 有 で あ り,成 員 に 平 等 に 分 配 され た 。 男 女 間 の 分 業,扶
養者
と被 扶 養 者 とい う年 齢 に よ る 区 別 を 除 く と,共 同 体 の 成 員 は 対 等 平 等 で あ り,職 業 ・身 分 ・階 級
等 は存 在 しな い 。 あ る個 人 が そ の 知 識 や 能 力,経
と は あ る が,そ
験 に よ っ て 共 同体 の な か で 影 響 力 を発 揮 す る こ
れ は い か な る特 権 と も結 び つ か な か っ た 。 家 族 お よ び 共 同 体 の 統 合 原 理 ・生 活 原
則 は,慣 習 お よ び伝 統 で あ っ た 。
こ の よ う な 採 集 狩 猟 社 会(経 済)を,リ
ス トは 「
未 開状 態 」,ヒ ル デ ブ ラ ン トは 「自然 経 済 」,
ビュ ッヒ ャー は 「
封 鎖 的 家 族 経 済 」,エ ン ゲ ル ス は 「野 蛮 」,ス タ ー リ ン は 「原 始 共 同 体 」,ロ ス
14商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
トウ は 「
伝 統 的社 会 」,ヒ ッ ク ス は 「
非 市 場 経 済 二慣 習 経 済 」,ハ イ ル ブ ロ ー ナ ー は 「
伝統経済 シ
ス テ ム 」,林 は 「封 鎖 式 氏 族 共 同 体 」,上 山 春 平 は 「自然 社 会 」 と呼 ん だ 。 わ れ わ れ は,こ
の社 会
を,生 産 技 術 的 観 点 か ら 「採 集 狩 猟 社 会 」,社 会 経 済 的 観 点 か ら 「原 始 共 同 体 」 と呼 ぶ こ と に す
る 。 こ れ は,生 産 技 術 革 命 と し て の 農 業 革 命 をagriculturalrevolution,社
業 革 命 をagrarianrevolutionと
会 経 済 革 命 と して の 農
呼 ぶ こ と に ヒ ン トを 得 た 考 え 方 で あ る 。 す な わ ち,agricultural
revolution以 前 の社 会 が 「
採 集 狩 猟 社 会 」 で あ り,agrarianrevolution以
前 の 社 会 が 「原 始 共 同
体 」 とい う こ とにな る。
農 業 革 命(農 耕 ・牧畜 革命)
ま ず 最 初 に 用 語 の 整 理 を して お き た い 。 広 義 の 農 業 革 命 は 農 耕 革 命 と牧 畜 革 命 と を含 む が,狭
義 の 農 業 革 命 は 農 耕 革 命 の み を 含 意 す る 。 した が っ て,広 義 の 農 業 社 会 は 農 耕 社 会 と牧 畜 社 会
(遊牧社 会)の 双 方 を 含 む が,狭
義 の農 業社 会 は農耕 社 会 の み を意 味す る。
採 集 狩 猟 社 会(原 始 共 同体)の 時 代 は,す で に述 べ た よ う に,と
て つ も な く長 い あ い だ っ つ い
た 。 採 集 狩 猟 民 は,植 物 の 実 や 根 を採 集 す る さ い に,地 上 に 落 ち た 実(種 子)が 芽 を だ し,成 長
し て 実 を つ け る こ と に 気 づ い た 。 彼 ら は,こ の 現 象 を何 百 回,何
千 回 と見 て い な が ら,な ぜ そ う
な る か 分 か ら な か っ た 。 しか し}つ い に こ れ らの 現 象 の 因 果 関 係 を知 り,彼
らは 植 物 を栽 培 す る
よ う に な っ た の で あ る 。 採 集 狩 猟 民 は,野 生 の 動 物 の 狩 を す る さ い に,動 物 の 習 性 を知 り,こ れ
を飼 い な らす よ う に な っ た 。 動 物 の な か で 最 も早 く飼 い な ら され た の は 犬 で あ り(約1万
遅 れ て 山 羊 や 羊,牛
年 前),
や 馬 が飼 育 され る ように なっ た。
専 門家 は,次 の よ う に説 明 す る 。 今 か ら約1万
年 前,長
い 氷 河 時 代 が 終 わ り,地 球 上 に 乾 燥 期
が 訪 れ た 。 野 生 の 植 物 性 ・動 物 性 食 物 の 採 集 狩 猟 は 困 難 に な っ た 。 この 自然 環 境 の 変 化 に 対 応 し
て,人 類 は,地 球 上 の い くつ か の 地 域 で,野 生 植 物 の 栽 培 化 に 成 功 し,そ の 結 果,植 物 の 栽 培 を
組 織 的 に 行 な う農 耕 が 発 生 し た 儂 耕 革命,狭 義 の 農業 革 命)。 同 じ 頃,地 球 上 の い くつ か の 地 域
で,群 棲 す る草 食 の 有 蹄 類 動 物 の 家 畜 化 に成 功 し,そ の 結 果,家
畜 の 飼 育 ・繁 殖 を 組 織 的 に行 な
う牧 畜 が 発 生 し た(牧 畜革命)。 農 耕 と牧 畜 の 発 生 は}同 一 地 域 の 場 合 もあ る し,別 地 域 の 場 合 も
あ っ た。
農 耕 お よ び 牧 畜 の 技 術 発 展 が 始 ま っ た 。 そ して 農 耕 ・牧 畜 労 働 の 労 働 生 産 性 が,採
の そ れ よ り も 高 く な る 時 期 が 訪 れ,そ
は,農
集狩 猟労 働
の 結 果,緩 慢 で は あ る が 技 術 移 転 が 始 ま っ た 。 採 集 狩 猟 民
耕 技 術 や 牧 畜 技 術 を習 得 し,生 活 を 改 善 し て い っ た 。 採 集 狩 猟 社 会(原 始 共 同体)は 次 第
に姿 を 消 し,農 耕 ・牧 畜 社 会 の 時 代 が 到 来 した 。 人 類 の 歴 史 を 画 す る こ の 最 初 の 生 産 技 術 革 命
は,広
義 の 農 業,す
な わ ち 農 耕 お よ び牧 畜 の 分 野 で 遂 行 さ れ た の で,わ
れ わ れ は,こ
の 革 命 を広
義 の 農 業 革 命 と呼 ぶ こ と にす る 。
上 山春平 の 言 う 「
農 業 革 命 」,わ れ わ れ の 言 う 「農 耕 革 命 と 牧 畜 革 命 」 は,か
G.チ ャ イ ル ド(1892-1957)が
つ て 考 古 学 者V
「
新 石 器 革 命 」 と呼 ん だ 革 命 に 相 当 す る 。 食 糧 採 集 か ら食 糧 生 産
へ の 移 行 は 人 類 史 を画 す る 革 命 で あ り,「 新 石 器 時 代 」 に こ の 革 命 が 起 こ っ た の で,「 新 石 器 革
二つ の産業革命(農 業革命 と工業革命)と ロ シア(1)15
命 」 と呼 ぶ 。 こ れ が チ ャ イ ル ドの 立 場 で あ っ た 。 し か し,世 界 各 地 で の 考 古 学 研 究 に よ れ ば,
「
新 石 器 」 は 地 球 上 に 普 遍 的 に存 在 せ ず,地
時 代(前1000年
域 に よ っ て は 青 銅 器 時 代(紀 元 前3500年 以 降)や 鉄 器
以 降)に 農 耕 と牧 畜 が 出 現 した 事 例 が あ る の で,「 新 石 器 革 命 」 とい う用 語 は 使 用
さ れ な くな り,現 在 は 「食 糧 生 産 革 命 」 とい う用 語 が 使 わ れ て い る。
農 耕 革 命 と農 業 社 会
新 た に 始 ま っ た 農 耕 は,食 糧 採 集 か ら食 糧 生 産 へ の 移 行 を 必 然 とす る 巨 大 な技 術 革 新 で あ り,
技 術 革 命 で あ っ た 。 先 に 農 耕 革 命 は,地 球 上 の い くつ か の 地 域 で 起 こ っ た と述 べ た が,京
都学 派
の 今 西 錦 司 グ ル ー プ に 属 す る 中 尾 佐 助(1916-93)は,四
つ の 農耕 文 化 圏
バ ンナ 農 耕 文 化,地
を 設 定 して い る(中 尾佐 助 『
栽培 植 物 と農
中 海 農 耕 文 化,新
大 陸農 耕 文 化
根 栽 農 耕 文 化,サ
耕 の起原』岩 波新書,1966)。
根 栽 農 耕 文 化 は,高 温 多 湿 の 東 南 ア ジ ァ が 起 源 地 で あ り,栄 養 繁 殖 の 根 菜 作 物(タ ロイモ,ヤ ム
イモ,バ ナナ,さ と う きび)の 栽 培 を 中 心 と し,オ セ ア ニ ア や ア フ リ カ の 熱 帯 雨 林 地 域 に 広 が っ
た 。 サ バ ンナ 農 耕 文 化 は,夏
に 高 温 多 湿 の 西 ア フ リ カが 起 源 地 で あ り,種 子 に よ っ て 繁 殖 す る夏
作 物(シ コク ビエ などの ミレ ッ ト,サ サ ゲな どの豆類,ゴ マ,ひ ょうたん)の 栽 培 を 中 心 と し,後
ドか ら中 国華 北 に広 が っ た 。 地 中 海 農 耕 文 化 は,冬
にイ ン
に温 暖 湿 潤 の 地 中 海 東 海 域 か ら西 ア ジ ア が 起
源 地 で あ り,種 子 に よ っ て 繁 殖 す る 冬 作 物(小 麦 ・大 麦 ・ラ イ麦 な どの麦 類,エ ン ドウ な どの 豆類,
ビー ト)の 栽 培 を中 心 と し,当 初 か ら家 畜 の 飼 育 と の 結 び つ きが 強 く,有 畜 農 業 が 行 な わ れ た 。
こ の 農 耕 文 化 は そ の 後 ヨ ー ロ ッパ を は じめ 世 界 各 地 に広 が っ た 。 新 大 陸 農 耕 文 化 は,メ キ シ コ 高
原 や ア ン デ ス 山 脈 が 起 源 地 で あ り,主 作 物 は 根 茎 作 物 の キ ャ ッサ バ,じ
ゃが い も,か ぼ ち ゃ,さ
つ まい も,種 子 作 物 の トウ モ ロ コ シ で あ る。
西 ア ジ ア の い わ ゆ る 「豊 穣 な 三 日 月 地 帯 」(今 日の イ ラン西 部 ・イ ラ ク北 部 ・トル コ南 部 ・シ リア ・
パ レステ ィナ にわた る地域)で は,紀 元 前9000-7000年
頃,小
麦 ・大 麦 な ど の 栽 培 や,羊
・山 羊 の
飼 育が 始 まった。 中尾 の 言 う 〈
地 中 海 農 耕 文 化 〉 の 誕 生 で あ る。 そ して こ の 地 中 海 農 耕 文 化 は,
紀 元 前5000年
頃 イ ン ドや ヨー ロ ッパ に伝 わ っ た 。 東 ア ジ ァ の 中 国 で は 紀 元 前5000年
中 流 域 の 黄 土 台 地 で 粟 の 栽 培,長
江 下 流 域 の 低 湿 地 帯 で 稲 の 栽 培 が 始 ま り,犬 や 豚 の 飼 育 も行 な
われ る よう にな っ た。東 南 ア ジ ァの 〈
根 菜 農 耕 文 化 〉 は 紀 元 前5000年
ナ 農 耕 文 化 〉 は紀 元 前4000年
た が っ て,採
前 後 に黄 河
頃,ア
頃,ア
メ リ カ 大 陸 の 農 耕 文 化 も紀 元 前5000年
集 狩 猟 社 会 か ら農 耕 ・牧 畜 社 会 へ の 移 行 の 時 期 は,約1万
フ リ カ の 〈サ バ ン
頃 か ら始 ま っ た 。 し
年 前 か ら6000年
前 とみ
る こ とが 可 能 で あ る 。
狭 義 の 農 業 革 命,す
な わ ち 農 耕 革 命 は,巨 大 な 生 産 技 術 革 命(agriculturalrev・luti・n)であ る と
同 時 に,社 会 経 済 的 に み て も人 類 の 歴 史 を 画 す る 大 き な 社 会 革 命(agrarianrevolution)で
あ った。
後 者 に つ い て 簡 単 に 言 え ば,食 糧 採 集 か ら食 糧 生 産 へ の 移 行 に よ り,農 業 の 労 働 生 産 性 が 上 昇
し,食 糧 の 需 給 バ ラ ンス に 顕 著 な 変 化 が 生 じ,食 糧 の 余 剰 が 生 ま れ た 。 そ の 結 果,氏
族 共 同体 の
成 員 の 全 員 が,食 糧 生 産 労 働 に 従 事 す る 必 要 は な く な っ た 。 か く し て社 会 的 分 業 が 可 能 と な り,
16商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
一一方 に 農 民 ・牧 畜 民 ・漁 民 ・狩 猟 民 ・職 人 ・商 人 ・芸 人 な どの 「
被 支 配 階 級 」 が 生 ま れ ,他 方 に
彼 ら を 支 配 す る 王 侯 貴 族 と,こ れ に 服 属 ・奉 仕 す る神 官 ・武 官 ・文 官 ・専 門家 な どが 生 ま れ た。
職 業 ・身 分 ・階 級 が 成 立 し,富 の 蓄 積 が 始 ま り,私 有 財 産 制 度 が 生 ま れ,都 市 や 国 家 の誕 生 を促
した 。 こ の あ た りの 経 緯 は,今 西 錦 司 が 「超 世 帯 的 世 帯 」 と い う概 念 を使 い,「 軍 隊 と戦 争 」 の
始 ま り,「 国 家 」 の 成 立 を 見 事 に 説 明 し て い る(今 西錦 司 ・他 「
人 類 の誕 生』河 出文庫,1989)。
これ
は ま さ に 人 類 最 初 の 巨 大 な 社 会 革 命 で あ り,後 世 の 「
工 業 革 命 」 に優 る と も劣 ら な い 影 響 を 地 球
社 会 に 与 え た 革 命 と して,農 耕 革 命,す
な わ ち狭 義 の 農 業 革 命 と 呼 ぶ こ と に す る 。
生 産 技 術 的 に み て,agriculturalrevolution(農
耕革命)の 結 果 成 立 し た社 会 は,狭 義 の 農 業 社 会
で あ る 。 こ の 命 名 に 異 論 の あ る者 は い な い 。 で は 社 会 経 済 的 に み て,agrarianrevolution儂
命)の 結 果 成 立 した 社 会 は,い
か な る 性 格 の 社 会 か 。 議 論 百 出 で あ る 。 ス ミ ス は 「農 耕 社 会 」,
リ ス トは 「農 業 状 態 」,シ ュ モ ラ ー は 「
村 落 経 済 」,マ ル ク ス は 「
古 代 的 」 生 産 様 式,エ
は 初 期 「未 開 」 社 会,ス
耕革
ンゲ ル ス
タ ー リ ン は 「奴 隷 制 」,ヒ ッ ク ス は 「結 合 経 済 」,ハ イ ル ブ ロ ー ナ ー は
「指 令 経 済 」,林 子 力 は 「
奴 隷 制 」 あ る い は 「封 建 制 」,上 山 春 平 は 「
農 業社 会 」 と呼 ん で い る。
こ こ で は ス ミ ス,リ
ス ト,・上 山 の 「
農 業 儂 耕)社 会 」 説 が 多 数 派 で あ る が,学
問 的真 実 を多 数
決 で 決 め るわ け には いか な い。
農 業革 命後 の社 会 は奴隷 制社 会 か
日本 の 代 表 的 国 語 辞 典 に 「奴 隷 」 お よ び 「奴 隷 制 」 と い う項 目が あ り,次 の よ う な 記 述 が あ
る 。 「奴 隷 」 とは,「 人 間 と して の 権 利 ・自 由 を 認 め られ ず,他
人 の支 配 の下 に さ まざ まな労務 に
服 し,か つ 売 買 ・譲 渡 の 目 的 と され る 人 。 古 代 で は ギ リ シ ア ・ロ ー マ,近 代 で は 南 北 ア メ リ カ の
植 民 地 に 典 型 的 に 現 れ,日
本 の 古 代 の 奴 碑 も 大 体 こ れ に 当 る」。 「奴 隷 制 」 と は,「 生 産 労 働 の 担
当 者 が 奴 隷 で あ る社 会 制 度 。 古 代 社 会 に 一 般 的 な もの と され る。 特 に ギ リ シ ア ・ロ ー マ の社 会 は
そ の 典 型 」(r広 辞苑 』第5版
岩波書店,1998)。
ま た 別 の 書 物 を み る と,次 の よ う な 知 識 を 得 る こ とが で き る 。 奴 隷 は,そ
の補 給 源 か らみ る
と,次 の5種 類 が あ る。 ① 犯 罪 を犯 し,奴 隷 身 分 に 落 と さ れ た 「
犯 罪 者 奴 隷 」,② 戦 争 で 敗 者 と
な り,勝 者 の 奴 隷 に さ れ た 「
戦 争 捕 虜 奴 隷 」,③ 経 済 的 苦 境 に お ち い り,自 身 や 妻 子 を売 っ て 奴
隷 と な る 「債 務 奴 隷 」,④ 暴 力 ・甘 言 ・詐 術 に よ り拉 致 誘 拐 さ れ た 「拉 致 誘 拐 奴 隷 」,⑤ 奴 隷 の 子
で あ る た め 奴 隷 と な る 「家 生 奴 」。 入 手 方 法 か ら み る と,購 買 奴 隷,贈
与 奴 隷,相
続 奴 隷 の3種
類 が あ る。 労 働 内 容 か らみ る と,① 家 内 奴 隷(家 事労働 に従事す る下僕 ・下 女 な ど),② 労 働 奴 隷 儂
場 ・牧 場 ・鉱 山 ・手 工業 ・土 木 工 事 な どで使 役),③ 技 能 ・技 術 奴 隷(歌 手 ・踊 り子 ・剣 奴 ・医 者 ・技 術
者 ・教 師な ど),④ 兵 士 奴 隷(下 級兵士.司 令 官 に昇進 し,奴 隷 王朝 を創建 した もの もい る)の4種
類 があ
る 。 所 有 主 体 か らみ る と,公 共 奴 隷(官 奴 隷)と 私 奴 隷 の2種 類 が あ る 。
と こ ろ で 上 記 国 語 辞 典 の 説 明 は 正 しい だ ろ うか 。 原 始 共 同体 の 崩 壊 後 に 成 立 す る 社 会 は,「 一
般 的 」 に 奴 隷 制 社 会 だ ろ う か 。 こ の 問 題 を 検 討 す る さ い に 役 立 つ の は,レ
ウ
ク
ラ
ー ニ ン(1870-1924)
が ロ シ ア 資 本 主 義 お よ び ソ連 過 渡 期 経 済 の研 究 に さ い して 用 い た 〈yK∬aR>と
ド
い う概 念 で あ
二つの産業 革命(農 業革命 と工 業革命)と ロシア(1)17
る 。 上 記 の 国 語 辞 典 は,ウ
区 別 して い な い が,だ
ク ラ ー ドと して の 奴 隷 制 と経 済 的 社 会 構 成 体 と して の 奴 隷 制 社 会 と を
が 両 者 は 厳 密 に 区 別 す る必 要 が あ る。 奴 隷 制 ウ ク ラ ー ド とは,あ
る人 間が
他 の 人 間 を所 有 ・支 配 して 物 質 的 生 産 に従 事 させ る と い う生 産 関 係 に も とつ く経 済 制 度 あ る い は
経 済 形 態 の こ とで あ る。 こ の 意 味 で の 奴 隷 制 は,原 始 共 同 体=採
農 耕 社 会 の み な らず,近
集 狩 猟 社 会 の 崩 壊 後 に登 場 し た
代 資 本 主 義 社 会 に も存 在 し た 。 遺 憾 な が ら21世
紀 の 現 代 社 会 に も,闇
の 世 界 に 奴 隷 が 存 在 し,奴 隷 制 ウ ク ラ ー ドが 運 動 して い るか も し れ な い 。 近 現 代 に お い て 存 在 し
た/存 在 す る 奴 隷 制 は 資 本 主 義 的 奴 隷 制 で あ る 。 す な わ ち,支
配 的 ウ ク ラ ー ドは あ く ま で 「資 本
主 義 」 で あ り,「 奴 隷 制 」 は 「
小 商 品 生 産(単 純 商 品生 産)」 ウ ク ラ ー ド と と も に,従
属 的 で 補助
的 な ウ ク ラー ドで あ る に す ぎ な い 。
あ る社 会 に奴 隷 制 ウ ク ラ ー ドが 存 在 す る か ら とい っ て,そ
な い 。 あ る社 会 の 基 本 的 な 物 質 的 生 産,と
決 定 的 な役 割 を 果 た して い る場 合,言
の 社 会 を 奴 隷 制 社 会 と呼 ん で は な ら
くに 農 業 生 産 に お い て,奴 隷 制 ウ ク ラー ドが 主 要 か つ
い 換 え れ ばr支
配 的 ウ ク ラ ー ドが 奴 隷 制 で あ る場 合,そ
の
社 会 を奴 隷 制 社 会 と呼 ぶ こ とが で き る。 わ れ わ れ の 考 え に よ れ ば,こ の 意 味 で の 奴 隷 制 社 会 は,
古 代 ギ リ シ ア ・ロ ー マ の み で あ る。 この 社 会 に は,支
配 的 ウ ク ラ ー ド と し て 「奴 隷 制 」 が 存 在
し,従 属 的 ウ ク ラ ー ドと して 「小 商 品 生 産 」 が 一 定 の 役 割 を果 た し て い た 。 も ち ろ ん,こ
の社 会
の 周 辺 地 帯 に は,採 集 狩 猟 ウ ク ラ ー ドの 下 で 暮 らす 「氏 族 共 同体 」 が 存 在 した し,牧 畜 ウ ク ラ ー
ドに 属 す る遊 牧 民 の 「
氏 族 共 同 体 」 や 国 家 も存 在 した 。
中 国 や イ ン ド,ロ シ ア や 日本 な ど の 古 代 社 会 に 奴 隷 が お り,奴 隷 制 ウ ク ラ ー ドが 存 在 し た こ と
は 間 違 い な い 。 し か し,こ の 奴 隷 制 が,支
配 的 ウ ク ラ ー ドと して,こ
れ らの 社 会 の 基 本 的 な物 質
的 生 産 に お い て 主 要 か つ 決 定 的 な役 割 を 果 た し た,と 言 え る だ ろ うか 。 マ ル ク ス が 「資 本 制 生 産
に 先 行 す る諸 形 態 」(1857-58年
に執筆,邦 訳 『経済学 批判 要綱 』 皿,大 月書 店,196ユ 年 に収録)の な か
で 述 べ た 〈allgemeineSklaverei>(一
般的奴隷制,全 般 的奴隷制,総 括 的奴 隷制,総 体 的奴隷 制 などの訳
語が あ る)と い う 概 念 を古 代 ア ジ ア 諸 国 に 適 用 し て,広
く農 民 を 国 家 奴 隷 と把 握 し,こ れ ら の 国
を 総 体 的 奴 隷 制 社 会 だ と認 識 す る 説 が あ る 。 また ア ジ ア の 古 代 社 会 を 〈
国 家 奴 隷 制 〉 と規 定 す る
研 究 者 が い る(中 村哲r奴 隷制 ・農奴制 の理 論
版会,1977;中
マ ルクス ・エ ンゲル スの歴 史理論 の再構 成』 東京大 学 出
村 哲編 『
東 ア ジア専 制 国家 と社会 経済』 青木 書店,1993;『
研究,未 来社,1994;不
飯 沼二 郎著 作集』 第1巻,世
界史
破哲 三 『史的唯物論研 究』新 日本 出版社,1994)。
上 記 の 総 体 的 奴 隷 制 社 会 説 あ る い は 国 家 奴 隷 制 説 は,反 証 不 可 能 な 立 論 で あ ろ うか 。 わ れ わ れ
の 考 え で は,ア
ジ ア古 代 社 会 の 支 配 的 ウ ク ラ ー ドが 何 で あ っ た か の 問 題 は,い
ま だ解 決 して い な
い 問 題 で あ り,い っ そ う の 研 究 が 求 め られ て い る 。 した が っ て 今 こ こで ,ア ジ ア 古 代 社 会 の 支 配
的 ウ ク ラ ー ドに つ い て,確 定 的 な こ と を 述 べ る わ け に は い か な い 。 しか し,後 述 す る よ う に,古
代 ス ラ ヴ 族 は奴 隷 制 社 会(支 配的 ウ クラー ドが奴隷 制で あ る社 会)を 経 験 せ ず に,歴 史 の 歩 み を 始 め
て い る。
牧 畜革 命
18商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
牧 畜 の 起 源 に つ い て は 諸 説 が あ る 。 大 別 す る と,狩 猟 起 源 説 と農 耕 起 源 説 とで あ る 。 前 の 説 で
は,狩 猟 対 象 と す る 野 生 の 畜 群 の 移 動 に追 随 す る な か で,畜
群 を群 れ と して 管 理 す る 技 術 を獲 得
す る こ と に よ っ て 牧 畜 革 命 が 成 立 し た,と 考 え る 。 後 の 説 で は,農 耕 を営 む 過 程 で,個
別 的 な飼
育 に よ る 家 畜 化 を通 じて 牧 畜 が 発 生 し た,と 考 え る 。 民 族 学 的 な考 察 の 結 果 に よれ ば,狩 猟 起 源
説 に 妥 当 性 が あ る 。 極 北 の 野 生 の トナ カ イ 群 に 追 随 す る 狩 猟 民 は,群
れ の 移 動 に つ き従 い な が
ら,必 要 に 応 じ て 狩 猟 を行 な う生 活 を し て い る。 狩 猟 対 象 と し て の 畜 群 に 追 随 す る 生 活 の な か
で,固
有 の 群 れ に 対 す る所 有 権 が 生 じ,群 れ の 行 動 を 管 理 す る技 術 が 生 ま れ た,と 推 測 さ れ る 。
野 生 動 物 の 肉 や 骨,毛
や 皮 を 利 用 す る技 術 は,牧 畜 革 命 以 前 に,す な わ ち採 集 狩 猟 社 会 の 時 代 に
す で に 一 定 程 度 発 達 し て い た が,搾
乳 や 去 勢 ・繁 殖 の 技 術 の 習 得 は ま さ に 牧 畜 革 命 の 内 容 そ の も
ので あ る。
遊 牧 社 会 論 の 専 門 家 も狩 猟 起 源 説 を 支 持 し て い る 。 「
遊 牧 が 農 耕 の な か か ら派 生 し て きた と す
る 説 が あ る 。 しか し,農 耕 と遊 牧 に お け る生 活 原 理 の ち が い を み れ ば,こ の 説 の 正 当 性 につ い て
は 疑 問 を は さ む 余 地 が あ ま り に もお お い 。 定 住 と移 動 と い う 生 活 形 態 の 差 は根 本 的 だ 」。 「
遊牧が
狩 猟 の 系 譜 か ら う ま れ で た こ と は 確 実 で あ る。 農 耕 が 採 集 の 系 譜 上 に あ る こ と と 対 照 的 とい え
る 。 移 動 性 を有 す る野 生 有 蹄 類 の 群 れ に 追 随 す る 狩 猟 民 集 団 の な か で,搾 乳 と去 勢 の 技 術 を獲 得
す る こ と に よ っ て 遊 牧 が 成 立 す る。 こ れ は,農 耕 の 成 立 よ りも は る か に ふ る か っ た 可 能 性 が つ よ
い 。 遊 牧 に お い て は,生 活 に不 可 欠 な 道 具 類 は 農 耕 に 比 較 し て ひ じ ょ う に 簡 素 な も の で す ん だ か
らで あ る 」(松 原正毅 『
遊牧 の世界.一トル コ系 遊牧民ユ ル ックの民 族誌 か ら』中公文庫,1998)。
牧 畜 は,群 棲 す る 有 蹄 類 動 物 を 管 理 し,家 畜 の 乳 ・肉 ・血 ・毛 ・皮 ・骨 ・角 ・糞 な どの 産 物 に
基 礎 を お く生 活 様 式 で あ る 。 牧 畜 が,い
た か は,明
つ,ど
こで,ど
の よ う な過 程 を へ て 人 類 史 に登 場 し て き
らか で な い 。 そ れ は,牧 畜 が 考 古 学 上 の 痕 跡 や 歴 史 的 記 録 を 残 し に くい 生 活 様 式 だ か
らで あ る 。 そ れ で も牧 畜 が ユ ー ラ シ ア大 陸 を斜 め に 走 る 大 乾 燥 地 帯 にお い て 発 生 し た の は,間 違
い な い 。 牧 畜 の 対 象 と な る 主 要 な 家 畜 は,羊
・山羊 ・牛 ・馬 ・酪 駝 ・ヤ ク ・ トナ カ イ で あ る 。
羊 お よ び 山 羊 は,牛 や 馬 よ り も早 く家 畜 化 し た と考 え られ る 。 羊 の 骨 は,西
ア ジアの初 期 農耕
遺 跡 か ら出 土 して い る 。 イ ラ ク 北 東 部 の シ ャ ニ ダ ー ル 遺 跡 で は 紀 元 前9000年,レ
エ リ コ 遺 跡 で は 前8000一
前7000年,ギ
バ ン ト地 方 の
リ シ ア の ア ル ギ ッサ ・マ グ ラ 遺 跡 で は 前7200年
の 文化
層 か ら,羊 の 骨 が 出 土 して い る。 農 耕 の 開 始 と ほ ぼ 同 じ時 代 に 牧 畜 が 始 ま っ た と言 っ て よ い 。 山
羊 の 骨 は,エ
リ コ 遺 跡 ほ か 西 ア ジ ア の 初 期 農 耕 遺 跡 で 前8000年
頃 に あ た る 文 化 層 か ら発 掘 さ れ
て い る。
牛 は,羊
・山 羊 よ り遅 れ て 家 畜 化 さ れ た 。 牛 の 骨 を 出 土 す る最 も古 い 考 古 学 的 事 例 は,ト ル コ
の ヒ ュ ユ ッ ク 遺 跡 や ハ ジ ラ ル 遺 跡 で あ り,前6500年
頃 と さ れ る 。 前3000年
期 第3王 朝 期 の 宮 殿 の レ リー フ に,牛 の 搾 乳 の 場 面 が あ る。 馬 は,ウ
の,メ
ソ ポ タ ミア 初
ク ラ イ ナ か ら トル キ ス タ ン
に か け て の ス ッテ プ(草 原)で,前3000年
頃,家 畜 化 が 始 ま っ た と推 測 さ れ る 。 当 初 は 肉 用 や 車
の 牽 引 獣 と し て 用 い られ た が,前2000年
頃,騎 乗 用 に 使 わ れ る よ う に な り,重 要 性 を ま した 。
二つ の産業革 命(農 業革 命 と工業 革命)と ロ シァ(1)19
牧 畜 民 の 戦 闘 性 が 開 花 す る の は,騎 馬 技 術 の 獲 得 以 後 で あ る 。 ユ ー ラ シ ア大 陸 の 騎 駝 は,フ
ブ 騎 駝 と ヒ トコ ブ酪 駝 の2種
類 が あ り,フ タ コ ブJ駝
は 中 央 ア ジ ア か ら東 よ りの 地 域,ヒ
タコ
トコ ブ
騎 駝 は 西 ア ジ ア お よ び 北 ア フ リ カ に分 布 す る 。 イ ラ ン 中 央 部 の シ ャ リ ・ソ ク タ遺 跡 か ら騎 駝 の 糞
が 発 掘 され た 。 年 代 は 前2600年
頃 で あ り,家 畜 化 さ れ た フ タ コ ブ 騎 駝 の も の と推 測 さ れ る 。 騎
駝 は,車 の 牽 引 ・荷 役 に用 い ら れ た 。
遊牧 社 会
牧 畜 に は,遊 牧 的 牧 畜 と定 住 的 牧 畜 の 二 種 類 が あ る。 移 動 性 の 高 い 遊 牧 は,家 族 全 員 が 家 畜 群
と と も に 移 動 し,テ
ン ト(ゲ ル,ユ ル タ)生 活 を 送 る。 冬 営 地 と夏 営 地 が 設 け られ(地 域 によっ ては
秋営 地,さ らに春営地 が設 け られる ことが ある),草
て の 移 動 距 離 は,長
い も の で1000キ
と水 を 求 め て 営 地 問 を季 節 移 動 す る。 年 間 を通 じ
ロ に 及 ぶ 。 移 動 の 途 中 で 羊 を沿 道 の 農 民 の 穀 物 ・布 と交 換
し,都 市 の バ ザ ー ル(市 場)で 家 畜 や 畜 産 品 を 売 り,自 給 で き な い 生 活 必 需 品 や 武 具 を 買 う。 定
住 的 牧 畜 は 」 冬 営 地 に定 住 的 な住 居 と耕 地 を も ち,夏 営 地 で 家 畜 群 と テ ン ト生 活 を 送 る 場 合 と,
そ の 逆 の 場 合 が あ る。 牧 畜 の 経 営 単 位 は 基 本 的 に 家 族 で あ り,経 営 規 模 は お の ず と限 定 され,子
供 を含 め た 家 族 全 員 の 労 働 力 が 必 要 で あ る 。 地 域 に よ り家 畜 の 組 合 せ や 頭 数,重
の 種 類 な ど は異 な る。 参 考 ま で に 現 代 の トル コ系 遊 牧 民 の場 合,一
な 所 有 頭 数 は,羊200-300頭,山
1979-80年,松
羊300頭,牛30頭,酪
要 度 の高 い家 畜
世 帯(6-8人)当
駝10頭,馬5-10頭
りの 平 均 的
で あ る(調 査 年
原正i毅 『
遊牧 の世界 』中公文庫,1998)。
牧 畜 活 動 は,ス
ッ テ プや 荒 蕪 地 ・砂 漠 ・半 砂 漠 ・山 岳 地 帯 な ど生 活 条 件 の 苛 酷 な乾 燥 地 帯 で 行
な わ れ る 。 夏 季 の 大 旱 越 や 野 火 の発 生 で牧 地 が 壊 滅 し,冬 季 の 寒 波 や 雪 害 で 家 畜 が 全 滅 す る こ と
も あ る。 家 族 を 単 位 とす る 経 営 で は,管 理 で き る 畜 群 の 規 模 に 限 界 が あ り,乳 や 毛 ・皮 な どの 産
物 は 穀 類 の よ う に貯 蔵 の 対 象 に は な ら な い 。 と く に遊 牧 で は,所 有 し う る 財 産 は酪 駝 な ど の 移 動
手 段 に 規 定 され,必
要 最 小 限 の 生 活 用 具 以 外 は 所 有 し な い 。 遊 牧 社 会 で は,農 耕 地 域 で 発 達 した
土 地 の 私 的 所 有 も な い し,富 の 蓄 積 も困 難 で あ り,し た が っ て 貧 富 の 差 は 農 耕 社 会 ほ ど大 き くな
く,階 層 差 も小 さ い 平 等 な社 会 で あ る,と 言 え る 。
遊 牧 社 会 は,家 族(5-6人)が
基 礎i単位 で あ り,共 通 の 祖 先 を もつ30-50家
族 が 集 ま っ て遊
牧 集 団(氏 族)を つ く り,家 族 や 家 畜 の 群 れ を 自然 災 害 や 人 為 的 脅 威 か ら守 っ た 。 さ ら に血 統 的
に 近 い 氏 族 が 集 ま っ て 部 族 を つ く り,部 族 が 連 合 して 国 家 を建 て,有 力 な 部 族 長 が 君 主 に な る 場
合 もあ っ た 。 しか し,通 常 は 家 族 連 合(氏 族)で 遊 牧 生 活 を 行 い,そ
れ 以 上 大 き な社 会 組 織 は 不
必 要 で あ っ た。 広 大 無 辺 の 空 間 を移 動 す る 諸 遊 牧 集 団 を統 制 す る こ と は 困 難 で あ り,ま た あ え て
統 制 す る必 要 も な か っ た 。 こ れ が 本 来 的 な遊 牧 社 会 で あ る 。
遊 牧 社 会 論 の 専 門家 は,農 耕 民 と遊 牧 民 の 生 活 形 態 の 差 違 を次 の よ うに 考 え て い る。 農 耕 生 活
に お い て は,「 定 住 に よ っ て 蓄 積 は 累 積 的 に ふ え,土 地 や 家,家
生 産 の 余 剰 に よ っ て,フ
具 な ど の 財 産 に 転 化 して ゆ く。
ル タ イ ム ・ス ペ シ ャ リス トや 官 僚 機 構 な ど直 接 生 産 に従 事 し な い 人 口 を
多 数 か か え る こ とが 可 能 に な っ た の は,農 耕 社 会 の 発 展 の な か か ら で あ っ た 。 移 動 を生 活 形 態 の
20商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
基 盤 に と りこ ん だ 遊 牧 に お い て は,累 積 的 な 蓄 積 は お お き くな りえ な い 。 遊 牧 は,本 来 的 に 大 規
模 な寄 生 的 人 口 を か か え う る だ け の 余 剰 を うむ こ と の で きな い 生 産 体 系 だ 。 そ の 意 味 で は,遊
牧
社 会 は 基 本 的 に エ ガ リ タ リ ア ン な(平 等 的 な)社 会 と い え る だ ろ う。 も と も と十 地 や 家 屋 な ど に
転 換 して 財 産 を 形 成 す る思 想 は,遊 牧 民 に は な か っ た の で は な い か 。 遊 牧 が 畜 群 との 相 補 的 な 共
生 関 係 の うえ に 成 立 し,畜 群 内 部 の 再 生 産 に 全 面 的 に 依 存 して い た か らで あ ろ う」(松 原正 毅r遊
牧 の世界 』中公文庫,1998)。
遊 牧 民 と国 家
歴 史 文 献 に よ れ ば,ユ
ー ラ シ ア 乾 燥 地 帯 の 西 方 の 最 も古 い 遊 牧 国 家 は,イ
タイ 国 で あ る 。 ス キ タ イ は,前6世
紀 か ら前4世
紀,黒
ラ ン系 遊 牧 民 の ス キ
海 の 北 側 に 広 が る南 ロ シ ア 草 原 地 帯 を支
配 し,ペ ル シ ア 帝 国 の 侵 略 を許 さ ず,騎 馬 戦 術 で ペ ル シ ア の 大 軍 を敗 走 させ た 。 ス キ タ イ は,カ
ザ フ 草 原 か ら モ ン ゴ ル 高 原,チ
え た 。 前3世
紀 か ら後3世
パ ル テ ィ ア は,メ
氏,ク
ベ ッ トや シベ リア に 至 る 内 陸 ア ジ ア の 諸 遊 牧 民 に 大 き な 影 響 を 与
紀,カ
ス ピ海 南 東 地 域 に イ ラ ン系 遊 牧 民 の 国 家 パ ル テ ィ アが あ っ た 。
ソ ポ タ ミア 地 方 の 支 配 を め ぐ っ てmマ
と 争 い,東 方 で は バ ク ト リ ア,大
月
シ ャ ー ナ 朝 と戦 っ た 。 中 国 の 後 漢 と 交 流 し,後 世 そ の 道 は 〈
絹 の 道 〉 と称 さ れ た 。
乾 燥 地 帯 の 北 方 で は,前4世
紀 末 か ら後1世 紀,ト
旬 奴 が モ ン ゴ ル 高 原 で 活 躍 し た 。 旬 奴 は,中
6世 紀 か ら8世 紀,ト
ル コ系(モ ンゴル系 ともい われ る)遊 牧 民 の
国 華 北 を 侵 攻 し,秦 の 始 皇 帝 や 漢 の 武 帝 と争 っ た 。
ル コ系 遊 牧 民 の 突 蕨 は,モ
ン ゴ ル 高 原 か ら中 央 ア ジ ア に か け て 大 帝 国 を建
設 し,「 西 域 」 の 支 配 を め ざ す 中 国 の 唐 と争 っ た 。8世 紀 か ら9世 紀,ト
ル コ系 遊 牧 民 ウ イ グル
は,中 央 ア ジ ア で 東 突 厭 を 滅 ぼ して 建 国 し,「 西 域 」 の 支 配 を め ぐ っ て 中 国 唐 朝 と争 っ た 。 そ し
て13世
紀 に は モ ン ゴ ル 帝 国,15世
紀 に は オ ス マ ン トル コ帝 国 が 登 場 し,世 界 史 を 大 き く書 き換
え る こ と に な る 。 こ の 二 つ の遊 牧 帝 国 は,後 述 す る よ う に,ス
ラ ヴ社 会,と
りわ け ロ シ ア社 会 の
歴 史 に 直 接 に 関 係 す る(杉 山正 明r遊 牧民 か ら見 た世 界 史』 日本 経 済新 聞社,1997;小
松 久 男 編r中 央
ユー ラシア史』 山川出版社,2000)。
中 央 ユ ー ラ シ ア の 広 大 な 乾 燥 地 帯 で は,東 西 南 北 に 道 が 走 り,各 地 域 を 結 び つ け,こ
の地帯 の
一 体 化 と繁 栄 に貢 献 し た 。 な か で も重 要 で あ っ た の は 次 の 四 つ の 幹 線 道 路 で あ る。 北 か ら 〈タ イ
ガ(森 林)の 道 〉,〈ス テ ッ プ(草 原)の 道 〉,〈オ ア シ ス の 道 〉,〈海 の 道 〉。 〈タ イ ガ の 道 〉 は,北 緯
60度 付 近 を走 り,南 ロ シ ア 草 原(キ ェ フ)か ら ウ ラ ル 山 脈 を越 え て バ イ カ ル 湖 に 至 り,さ
ベ リア の ア ム ー ル 川 流 域(ハ バ ロフス ク)を 結 ん で い た 。 後 世 こ の ル ー トを使 っ て,ロ
リ ア征 服,極
東 へ の 進 出 が 行 な わ れ た 。 現 在,世
プ の 道 〉 は,北 緯50度
らに シ
シアの シベ
界 最 長 の シベ リ ア 鉄 道 が 走 っ て い る。 〈
ステ ッ
付 近 を 通 り,南 ロ シ ァ 草 原 一カ ザ フ草 原 一ジ ュ ン ガ ル 盆 地4ル
モ ン ゴ ル 高 原 な どの ス テ ッ プ を結 ぶ 交 通 路 で あ る。 こ の 道 は,ス キ タ イ 文 化 の 東 伝,旬
ゴ ル の ヨ ー ロ ッパ 侵 攻 の ル ー トに な っ た 。 〈オ ア シス の 道 〉 は,北 緯40度
タ イ 山麓 一
奴やモン
付 近 を走 り,乾 燥 地 帯
に 点 在 す る オ ア シ ス 都 市 を結 ぶ 通 商 路 で あ り,盛 ん に 隊 商 が 往 来 した 。 オ ア シ ス 都 市 は 水 に恵 ま
れ,農
民 や 職 人,商
人 や 人 足,騎
兵 や 役 人 な どが 定 住 し て お り,旅 館 や バ ザ ー ル が あ っ た 。 〈オ
二つ の産業革命(農 業 革命 と工業 革命)と ロ シア(1)21
ア シス の 道 〉 は,中 国 北 西 音匠 天 山 山脈 北 側(天 山北路)あ る い は 南 側(天 山南路)一中 央 ア ジ アーイ
ラ ン高 原 北 部 一メ ソ ポ タ ミ アー地 中 海 東 岸 を 結 ぶ 「
東 西 交 通路 」 で あ る。 〈
海 の 道 〉 は,中
国南部
沿 岸 一イ ン ドシ ナ 半 島 ・マ レ ー 半 島 沿 岸 一イ ン ド洋 沿 岸 一ア ラ ビ ア 海 沿 岸 一紅 海 を結 ぶ 海 上 ル ー トで
あ る 。 ドイ ツ の 地 理 学 者F.vonリ
ヒ トホ ー フ ェ ン が1877年
に 〈Seidenstrassen,シ
ル ク ロ ー ド,
絹 の 道 〉 と名 づ け た の は,〈 オ ア シ ス の 道 〉 の こ と で あ る 。 古 来,遊 牧 民 の 国 家 も,「 西 域 」 を支
配 した 中 国 の 国 家 も,オ ア シ ス都 市 と 〈シ ル ク ロ ー ド〉 を支 配 下 に お き,そ れ を利 用 す る 隊 商 か
ら各 種 の 物 資 ・商 品 を通 行 税 と して 徴 収 した 。 そ の 代 償 と し て 隊 商 は,各 種 の便 宜 や 交 通 の 安 全
を保 障 され たの で ある。
遊 牧 国 家 の 形 成 に つ い て 考 え て み よ う。 中 央 ア ジ ア 史 が 専 門 の 間 野 英 二(1939-)は,次
う に 述 べ て い る 。 遊 牧 社 会 に 有 能 な 指 導 者,た
のよ
とえ ば チ ンギ ス ・ハ ンの よ う な 人 物 が 現 れ る と,
諸遊 牧 集 団が平 和裡 に 「
棲 み 分 け 」(今 西 錦司)し て い る ス テ ッ プ地 帯 の 状 況 は 一一
変 す る。 に わか
に 騒 が し く な り,氏 族 間 や 部 族 間 の 戦 争 が 起 こ り,最 高 勝 利 者 の ま わ りに は 多 くの 氏 族 ・部 族 の
代 表 が 集 ま り,彼 を 中核 とす る 遊 牧 国 家 が 形 成 さ れ る。 遊 牧 国 家 の 指 導 者 の 責 務 はrな
まず,遊
に よ りも
牧 民 た ち を経 済 的 に満 足 させ る こ とで あ る 。 満 足 させ られ な い 場 合 は,遊 牧 社 会 が 本 質
的 に もつ 分 散 傾 向 に し た が っ て,遊
牧 民 た ち は 彼 の も と を 去 り,遊 牧 国 家 は 瓦 解 す る(間 野英 二
r内陸ア ジア』朝 日新 聞社,1992)。 遊 牧 社 会 論 ・社 会 人 類 学 が 専 門 の 松 原 正 毅(1942-)は,同
じこ
と を次 の よ う に述 べ て い る 。 「基 本 的 に は 遊 牧 生 活 は 個 に 基 盤 を お い た もの だ っ た … … 。 べ つ に
リ ー ダ ー は い な くて も,緊 密 な 社 会 組 織 を 欠 い て い て も,日 常 的 な 遊 牧 生 活 に な ん の 支 障 も な
い 。 必 要 が あ れ ば,歴
史 的 に み れ ば 必 要 な と き だ け ,ピ ラ ミ ッ ド的 な社 会 組 織 が 機 能 した の だ ろ
う 。 遊 牧 社 会 は本 質 的 に個 の 離 合 集 散 の 可 逆 性 が た か い 社 会,と
い え る の で は な い か 」(松 原正毅
『
遊 牧の世 界』中公文庫,1998)。
い っ た ん 遊 牧 国 家 が 成 立 す る と,こ の 国 家 を 維 持 す る た め に ,常 備 軍 や 統 治 機 構 が 必 要 に な
る 。 当 然,こ
れ ら諸 機 構 を維 持 す る た め に は,莫 大 な 富 が 必 要 で あ る が,遊
牧社 会 内 部 に この富
は存 在 し な い 。 で は こ れ ら の 富 を ど こ か ら調 達 す るの か 。 答 え は 簡 単 で あ る 。 騎 馬 で の 戦 争 に た
け た 遊 牧 民 の 軍 事 力 を 利 用 し,周 辺 の 豊 か な 農 業 地 域
て,そ
オ ア シス都 市 や農 業 国家
を侵 攻 し
の 富 を 強 奪 す れ ば よい 。 あ る い は 軍 事 力 を背 景 に,周 辺 の 農 業 国 家 を 外 交 的 に 従 属 させ ,
そ の 富 を吸 い 上 げ れ ば よ い 。 す な わ ち,遊 牧 国 家 とい う,遊 牧 社 会 が 本 来 必 要 と しな い 巨 大 な 組
織 が ス テ ップ 地 帯 に 成 立 す る と,そ の 維 持 の た め に 対 外 遠 征 が 必 要 に な り,対 外 交 渉 が 不 可 欠 に
な る 。 そ して,指 導 者 が 周 辺 地 帯 か ら十 分 な 富 を獲 得 で き な くな っ た と き,遊 牧 民 は 離 散 し,遊
牧 国 家 は 崩 壊 す る。 騎 馬 戦 十 は 家 族 の も と に 帰 り,も との 遊 牧 生 活 に戻 る 。 国 家 な き分 散 的 な遊
牧 社 会 の 時 代 が 訪 れ る。 い つ の 日か ま た有 能 な 指 導 者 の 出 現,そ
た な遊 牧 国 家 の 成 立,周
辺 農 耕 地 帯 へ の 侵 攻 ・収 奪,や
の ま わ りへ の 遊 牧 民 の結 集,新
が て 財 政 危 機,国
中 央 ユ ー ラ シ ア の 遊 牧 民 の 間 で は,古 代 か ら近 代 に 至 る まで,国
な パ タ ー ンが 繰 り返 さ れ て きた 。 し た が っ て,遊
牧 社 会 に,農
家 の崩壊 ……。
家 形 成 に 関 して,上 記 の よ う
業 社 会 の 時 期 区 分,た
とえ ば古
22商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
代 ・中世 ・近 代 とか,奴 隷 制 社 会 あ る い は封 建 制 社 会 と い っ た 歴 史 区 分 を適 用 す る の は,無 理 で
あ り,か つ 無 意 味 で あ る 。 で は遊 牧 社 会 に,ど の よ うな 発 展 段 階 区 分 を 適 用 す れ ば よ い の か 。 こ
れ は 難 しい 問 題 で あ る 。 さ し あ た り,① 遊 牧 社 会 が 家 畜 の 放 牧 ・繁 殖 を 中心 とす る 独 自 の 再 生 産
様 式 を 維 持 し,独 立 性 を 保 持 し得 て い た 時 期 とS② 上 記 再 生 産 様 式 の 維 持 が 困 難 に な り,独 立 性
を 喪 失 し て い っ た 時 期 と に 区 分 で き る 。 ⑦ 独 立 時 代 と② 独 立 喪 失 時 代 の 画 期 は,18-19世
あ る 。 こ の 時 期,ア
ジ ア の 遊 牧 社 会 は,最 終 的 に 独 立 性 を失 い,近
紀で
隣 の ロ シ ア や 中 国(清 朝),
遠 く イ ギ リス や フ ラ ンス な どの 帝 国 主 義 列 強 の 植 民 地 ・従 属 国 に転 落 して い っ た 。
さ て ① の 「独 立 時 代 」 の 遊 牧 経 済 で あ る が,こ
の 経 済 の 労 働 対 象 は,羊
家 畜 で あ る 。 労 働 手 段 は,家 畜 の 移 動 ・飼 育 ・繁 殖 ・解 体,畜
・山羊 ・馬 ・牛 な どの
産 物 の 加 工 ・保 存 に さ い して 必 要
な各 種 の 道 具 ・器 具 類 で あ り,牧 畜 犬 や 騎 乗 用 の 馬 も ま た 労 働 手 段 で あ る。 こ れ らの 労 働 対 象 と
労 働 手 段,つ
ま り生 産 手 段 は,遊 牧 民 家 族 を代 表 し て 家 長 が 所 有 す る 。 家 族 所 有 と言 っ て も よ
い 。 遊 牧 労 働 に は,家 長 を は じめ 労 働 能 力 を 有 す る 家 族 全 員 が 従 事 す る 。 労 働 生 産 物,す
なわ ち
家 畜 や 畜 産 加 工 品 の 処 分 は,家 族 と経 営 の 再 生 産 維 持 の 観 点 か ら,長 年 の 共 同 体 慣 行 に従 っ て 行
な わ れ る 。 肉 や 乳 な どの 食 糧,衣
牧 経 済 は,お
類 な どの 個 人 消 費 財 は,家 族 員 に 必 要 に 応 じ て 分 配 さ れ る 。 遊
お む ね 単 純 再 生 産 で あ り,経 済 成 長 率 は ゼ ロ と考 え て よい 。 あ る 遊 牧 民 の 家 族 お よ
び 経 営 に 困 難 が 生 じ た 場 合 は,そ の 家 族 が 所 属 す る 氏 族 共 同 体 に よ る 援 助 が あ る 。 以 上 の よ う な
もの と し て,遊 牧 民 の 経 済 的社 会 構 成 体 は,数 千 年 も存 在 して きた の で あ る 。
3ス
ラ ヴ族 の登 場
ル ー シか らロ シアへ
東 ス ラ ヴ族(ル ーシ)と ア ジ ア 系 遊 牧 民
ス ラ ヴ 族 は,ラ
テ ン族 ・ゲ ル マ ン族 と と も に今 日の ヨー ロ ッパ を構 成 す る三 大 民 族 の 一 つ で あ
る 。 そ の な か で ス ラ ヴ族 は 現 在,人
口 最 多 で あ る が,歴
史 に登 場 し て くる 時 期 は 最 も遅 く,文 献
上 に現 れ る の は 前5世 紀 の こ とで あ る 。 ス ラ ヴ族 の 原 郷 に 関 して は 諸 説 が あ るが,ド
プ リ ピ ャチ,ヴ
東 部,ウ
ィ ス ワ,ド
ク ラ イ ナ 西 部,ベ
ニ エ ス トル の 四 つ の 川 に 囲 ま れ た 地 域,す
ニ エ プ ル,
な わ ち,現 在 の ポ ー ラ ン ド
ラ ル ー シ あ た りだ と考 え られ て い る 。 ス ラ ヴ 族 は,こ の 原 郷 か ら,水
路 を 通 じ て 周 辺 地 域 を 開 拓 し,勢 力 を拡 大 して い っ た 。
ル
キ エ フ 国 家 が 建 設 され た9世 紀 前 後 の 国 際 関 係 をみ る と,PyCb(ロ
シ
シアの古 名)は,黒
海周
辺 地 域 か らバ ル カ ン半 島 南 部 に ま で 進 出 して い た古 参 の ビザ ン ツ帝 国(東 ローマ帝 国)と 対 立 し,
ま た 西 ア ジ ア か らザ カ フ カ ー ス ま で を 支 配 す る 新 興 の イ ス ラ ム諸 王 朝 と対 立 し て い た 。 南 ロ シ ア
草 原 や そ の 周 辺 の ス ラ ヴ 族 の 生 活 圏 で は,ア
ジ ア 系 の 騎 馬 遊 牧 民 が 活 躍 して お り,彼
らは 〈
森の
民 〉 ル ー シ に 脅 威 を 与 え て い た 。 まず そ の 一端 を み て み よ う。
カ ザ フ 草 原 に い た 遊 牧 民 の フ ン族 は,2世
て い た が,4世
紀 頃 ヴ ォル ガ 川 流 域 の ス テ ッ プ 地 帯 で 遊 牧 生 活 を し
紀 後 半 に は 西 進 し て ドン川 を越 え,東
ゴ ー ト族 を征 服 し,ゲ ル マ ン族 の 大 移 動 の
原 因 をつ く っ た 。 こ の と きの ゲ ル マ ン族 の 南 下 で,ス
ラ ヴ 族 は 東 西 に 分 断 さ れ た 。5世 紀 に フ ン
二つ の産業革 命(農 業 革命 と工 業革命)と ロ シァ(1)23
族 は,ド ナ ウ 川 中 流 域 に 大 帝 国 を建 て,こ
の フ ン帝 国 の 崩 壊 後,ス
の 地 に ハ ン ガ リ ー(フ ンの地)の 名 を残 し た 。5世 紀 末
ラ ヴ 族 は,南 方 へ の 進 出 を は か り,ド ナ ウ 川 下 流 域 お よ び 黒 海 北 西 部 沿
岸 か らバ ル カ ン半 島 の ビザ ン ッ 帝 国 領 へ 侵 入 し た 。 ス ラ ヴ族 の バ ル カ ン進 出 は,7世
した 。 こ れ よ り前 の6世 紀 に ス ラ ヴ 族 はsド
ニ エ プ ル 川 上 流 域,エ
紀 末 に完 了
ル ベ 川 下 流 域 お よ び バ ル ト海
沿 岸 部 ま で 進 出 し た 。9世 紀 末 に は ドナ ウ川 中 流 域 に マ ジ ャ ー ル(ハ ンガ リー)人 が 侵 入 し,ス ラ
ヴ 族 は 西 と南 に分 断 さ れ た 。 領 土 の 拡 張 や 縮 小,た
化 が 進 行 し,今
び 重 な る 他 民 族 の 侵 入 の 結 果,ス
ラヴ族 の分
日 の 東 ス ラ ヴ族(ロ シア人,ウ ク ライナ人,ベ ラルー シ人),西 ス ラ ヴ 族(ポ ー ラ ン ド
人,チ ェコ人,ス ロヴ ァキア人,ソ ル ブ人),南
ス ラ ヴ族(ブ ルガ リア人,セ ル ビァ人,ク ロアチ ア人,ス ロ
ヴェニア人,マ ケ ドニア人,モ ンテネ グロ人)と い う三 つ の ス ラ ヴ 族,が 形 成 さ れ た。
東 ス ラ ヴ 族,す
な わ ち ル ー シ の 故 地 は,6世
下 に お か れ た 。 バ ザ ー ル は,南
紀 か ら9世 紀,ト
ロ シ ア 草 原 を 本 拠 に,サ
ル コ系 遊 牧民 のバ ザ ー ル の支 配
サ ン朝 ペ ル シア や 新 興 の ア ラ ブ帝 国 と
争 っ た 。 ヴ ォ ル ガ 川 下 流 域 の 首 都 ア テ ィ ル は,東 西 の 交 易 路(シ ル クロー ド)と 南 北 の 交 易 路(ア
ラブ と ヨー ロ ッパ 中部 とを結 ぶ)の 交 差 点 で あ り,ユ ダ ヤ 商 人 や ム ス リ ム 商 人,ル
ー シ(ヴ ァ リャー
グ人)商 人 が 活 躍 し,国 際 貿 易 の 中 心 地 と し て 繁 栄 し た 。 カ ス ピ海 は 〈
バ ザ ー ル の 海 〉 と呼 ば れ
た 。 後 に ル ー シ の 首 都 と な る ドニ エ プ ル 河 畔 の キ エ フ も,バ ザ ー ル の 交 易 拠 点 二軍 事 拠 点 の 一 つ
と して 発 展 し た。 バ ザ ー ル で は 牧 畜 の ほ か 農 業 ・漁 業 も行 な わ れ た が,隊
ス ラ ヴ族 な ど周 辺 諸 族 か ら徴 収 す る 貢 税,戦
ザ ー ル の 支 配 階 級 は,冬
は都 市 周 辺,夏
商 か ら徴 収 す る 関 税,
争 捕 虜 の売 却代 金 が 国家 の主 要 な財源 で あ った。 ハ
は 草 原 地 帯 で 過 す と い う半 遊 牧 の 生 活 を送 っ た 。 バ ザ ー
ル の 遊 牧 民 の な か に は,遊 牧 をや め,定 住(役 人 濃 民 ・商 人 な ど)を 選 ぶ もの が 増 え た 。9世 紀
後 半 に な る と,新 興 の ル ー シ,ペ チ ェ ネ グ,オ
グ ズ な どの 軍 事 的 圧 迫 を 受 け た 。965年
には キエ
フ ・ル ー シ の ス ヴ ャ トス ラ フ公 に よ っ て 首 都 ア テ ィ ル を 攻 略 さ れ,バ ザ ー ル 国 は事 実 上 崩 壊 し た
が,軍 事 通 商 国家 バ ザ ー ル は,ル
ー シ が モ デ ル とす る 国 家 で あ っ た 。
トル コ系 遊 牧 民 の ペ チ ェ ネ グ は,8世
が,9世
紀 に は ヴ ォ ル ガ,ウ
紀 に ア ル タ イ 山 脈 か らバ ル ハ シ 湖 周 辺 で 活 躍 し て い た
ラ ル 両 川 の 河 間 地 帯 へ 移 住 し,9世
紀 末 に は黒 海北 岸 地 帯 に移住 し
た 。10世 紀 初 め 以 降 た び た び キ エ フ ・ル ー シ領 に 侵 入 し,略 奪 と殺 獄,拉
致誘 拐 を行 なっ た。
972年 に は ドナ ウ の ブ ル ガ リア 遠 征 か ら帰 国 途 中 の キ エ フ 公 ス ビ ャ トス ラ フ を襲 い,殺
しか し,11世
戦 い に敗 れ,ペ
紀 半 ば ポ ロ ヴ ェ ツ 人 の 圧 迫 を う け て 黒 海 西 岸 に 移 動 し,11世
害 した 。
紀 末 ポ ロ ヴ ェ ツ との
チ ェ ネ グ は 滅 亡 した 。
トル コ系 遊 牧 民 の ポ ロ ヴ ェ ッ は,10世
一 部 が ヴ ォル ガ 川 方 面 に 移 動 し
,11世
た 。11世 紀 末,先
紀 頃 ま で カ ザ フ 草 原 で 遊 牧 生 活 を送 っ て い た が,そ
の
紀 に は黒 海北 岸 の ス テ ップ や カ フ カー ス 方 面 へ 進 出 し
住 の ペ チ ェ ネ グ を 滅 ぼ し て か ら一 大 勢 力 と な り,ル ー シ と 敵 対 す る よ う に
な っ た 。 「農 民 が 耕 し は じめ る と,ポ ロ ヴ ェ ッ が き て,矢
で 殺 し,馬 を 奪 い,村
に や っ て きて,
妻 子 とす べ て の 財 産 を奪 う」(「ロ シア原 初年代記』)。12世 紀 末 に 書 か れ た と言 わ れ る ル ー シ の 英 雄
叙 事 詩 『イ ー ゴ リ 軍 記 』 は,ポ
ロ ヴ ェ ッ とル0シ
の 戦 い を 主 題 に した もの で あ る 。 ポ ロ ヴ ェ ツ
24商
経 論 叢
は,13世
第39巻
紀 初 め,バ
第2号(2003.11)
ト ゥ の 率 い る モ ン ゴ ル 帝 国 軍 に 敗 れ,そ
の支 配 下 に組 み込 まれた 。
キ エ フ ・ル ー シ の 建 国
ロ シア で最 初 の 国家
い 。 建 国 当 時 の9世
〈キ エ フ ・ル ー シ 〉 を 建 設 し た の は 誰 か 。 確 実 な 回 答 は 現 在 に 至 る も な
紀,ス
ラ ヴ 人 は 文 字 を も っ て い な か っ た 。 決 定 的 な 国 内 史 料 は 存 在 せ ず,傍
証 と な る 外 部 史 料 も な い 。 こ の 問 題 に 関 係 し て,ロ
以 来,ロ
紀
シ ア の 内 外 で ノ ル マ ン説 と反 ノ ル マ ン説 とが 激 しい 論 争 をつ づ け て き た 。 ノ ル マ ン説 に
よ れ ば,〈 ル ー シ 〉 と 呼 ば れ て い た ノ ル マ ン 人(北
フtル
シ ア の 古 名 ル ー シ の 起 原 を め ぐ り,18世
欧 の ス カ ン ジ ナ ヴ ィ ア 系 ヴ ァ イ キ ン グ)が,キ
ー シ を 建 国 し た の で あ る 。 反 ノ ル マ ン 説 は,こ
名 称 で あ り,キ
(邦訳rロ
れ に 反 対 し て,〈 ル ー シ 〉 は ス ラ ヴ 内 部 の
エ フ ・ル ー シ の 建 国 者 は ス ラ ヴ 人 で あ っ た,と
ノ ル マ ン 説 は,12世
ヴ ィ ア か ら招 致 し た
シ を 建 国 し た,と
主 張す る。
紀初 め に キエ フで編 纂 され た ロ シア最 古 の 年代 記
シ ア 原 初 年 代 記 』,名 古 屋 大 学 出 版 会,1987)と
エ
「過 ぎ し 歳 月 の 物 語 』
い う 文 献 に 依 拠 し て お り,北
方 の ス カ ンジナ
〈ヴ ァ リ ャ ー グ 人 〉 と も 〈ル ー シ 〉 と も 呼 ば れ る ノ ル マ ン 人 が キ エ フ ・ル ー
主 張 す る 。 「た が い に 内 輪 も め が た え な い 」 ス ラ ヴ 人 は,バ
ル ト海 の 彼 方 の
〈ル ー シ 〉 の も と に 使 者 を 送 り,「 わ れ ら が 国 土 は 広 大 に し て 富 め り。 さ れ ど秩 序 な し 。 請 い 願 わ
く ばr来
た り て わ れ ら を 治 め た ま え 」 と 伝 え た 。 こ の 願 い を 聴 き い れ た 首 長 リ ュ ー リ ク は,二
ク
ニ
ャ
の 弟 と 「ル ー シ な る ヴ ァ リ ャ ー グ 人 」 の 一 族 郎 党 と と も に ロ シ ア に き て,KHA3b(公)と
ル
シ
り,こ の 地 を 統 治 し た 。 そ れ 以 来,Pycbの
ル
ス
カ
ヤ
ゼ
ム
リ
人
ジ
な
ャ
地 は,PyccKaR3eM」IH(ル
ー シの
地)と 呼 ば れ る よ う に な っ た。 こ れ に対 し て 反 ノ ル マ ン説 は,〈 ル ー シ〉 と い う名 称 は ロ シ ア 国
家 の 建 国 時 と さ れ る9世 紀 中 頃 以 前 に ス ラ ヴ の 地 に存 在 した と述 べ,こ
起 原 を 否 定 し,ス
の語 のス カ ンジナ ヴ ィア
ラ ヴ 起 源 説(バ ザ ール説,フ ィ ン説,ゴ ー ト説 もあ る)を 主 張 し た 。 後 世 の ロ シ ア
の 民 族 主 義 者 や 愛 国 主 義 者 に と っ て,「 外 国 人 が ロ シ ア 国 家 を創 設 し た 」 と い う 説 は,受 け 入 れ
が たい説 で あ った。
ロ シ ア 史 家 の 田 中 陽 児(1926-)は,当
時 の キ エ フ ・ル ー シ の 景 観 を 次 の よ う に 描 い て い る 。
「
欝 蒼 と し た 森 林 を 縫 う よ う に流 れ る 大 ・小 の 河 川,湖
沼 の 沿 岸 に あ る 要 所 要 所 に は,砦
た 町 や 集 落 が 点 在 し て い た 。 針 葉 樹 林 に つ づ い て 厚 くひ ろ が る 混 合 樹 林 帯 で は,樺,樫,楢
か,椎,松,落
葉 松 な ど の つ ら な りが,南
を兼 ね
のほ
に ひ ら け た 広 大 な ス テ ッ プ と接 し なが ら消 え て い く。
林 間 の ひ らけ た 大 地 に は,森 林 を 伐 採 して 焼 く風 景 が 見 う け られ(焼 畑 農業),狩 猟,蜂
蜜 採 取,
河 川 ・湖 沼 の 漁 労 な ど,さ ま ざ ま な林 間 諸 営 業 で 暮 ら し を た て て い る 在 地 の 民 の 住 居 が あ っ た」
(田中陽児他 『ロ シア史 』1,山川 出版社,1995)。
「原 初 年 代 記 』 に は,次 の よ う な記 述 が あ る。6-7世
民
ア ヴ ァ ー ル,ブ
ル ガ ー ル,バ
ザ ー ル,つ
紀 か らス ラ ヴ 人 は,南
い で マ ジ ャ ー ル,ペ
ロ シ ア草 原 の 遊 牧
チ ェネ グそ の他 の 略 奪 に あ
い,貢 納 を 強 制 さ れ た 。 当 時 奴 隷 貿 易 も盛 ん で あ り,人 狩 に あ い,ビ ザ ン ツ 帝 国 や ア ラ ブ 帝 国 に
奴 隷 と し て 売 ら れ る ス ラ ヴ 人 も多 か っ た 。 しか し,い
まだ氏族 共 同体 の発展段 階 に と どまっ てい
た 〈
森 の 民 〉 の ス ラ ヴ 人 は,遊 牧 国 家 の 暴 力 に 立 ち 向 か うす べ が な か っ た 。
二つ の産業革命 儂 業革命 と工業 革命)と ロ シア(1)25
8世 紀 中 頃 か ら,ル ー シ の 社 会 組 織 形 態 に 変 化 が 発 生 し た 。 そ の 原 因 は,第
農 業 の 発 達,在
来 の 焼 畑 農 業 や 河 川 ・林 間 諸 産 業 の 発 達,牧
一一に,南 部 の 耕 作
畜 の 発 達 と騎 乗 技 術 の 習 得 で あ り,
第 二 に,遊 牧 民 の 民 族 移 動 や 彼 ら との 抗 争 で あ る 。 ル ー シ の 氏 族 共 同 体 は 次 第 に解 体 し,村 落 共
同体 が 発 達 した 。 私 有 財 産 の 蓄 積 が 行 な わ れ,政
ザ ン ツ や 遊 牧 民 と の 対 立,ス
治 や 軍 事 に 関 心 を もつ 豊 か な 階 級 が 現 れ た 。 ビ
ラ ヴ 諸 部 族 間 の抗 争 と統 合 の 過 程 で,有
力 な 部 族,部
族連 合が 登場
し た 。 か く し て 原 初 的 な都 市 国 家 建 設 の 諸 条 件 が 成 熟 し て き た 。
『原 初 年 代 記 』 に よ れ ば,ま
さ に こ の よ う な 時 期 に,リ
ュ ー リ ク(?-879)が
招 か れ,北
市 国 家 ノ ヴ ゴ ロ ドの 公 に 就 任 した の で あ る 。 彼 の 死 後,一 族 の オ レ ー グ(?-912)が
公 とな り,遺 児 イ ー ゴ リ(?-945)と
と もに 南 下 し て882年
征,ビ
ザ ン ツ遠 征 を行 い,ま
ノヴ ゴロ ド
に キ エ フ に 入 城 し,キ エ フ 大 公 を 名
の り,ス ラ ヴ 諸 族 を 支 配 下 に お い た 。 か く して 北 の ノ ヴ ゴ ロ ドと南 の キ エ フ,つ
治 め る キ エ フ ・ル ー シが 誕 生 し た 。 オ レ ー グ の 死 後,イ
の都
ま り全 ル ー シ を
ー ゴ リ が 大 公 位 に つ き,カ
フカ ー ス 遠
た 遊 牧 民 ペ チ ェ ネ グ と戦 っ た 。 イ ー ゴ リ は,貢 税 の 追 加 徴 収 をめ ぐ
る紛 争 が 原 因 で 殺 さ れ た。 息 子 の ス ヴ ャ トス ラ フ(?-972)は,バ
ザ ー ル や ブ ル ガ リアへ の遠 征
を 繰 り返 し,東 は ヴ ォ ル ガ 河 口 か ら 西 は ドナ ウ 平 原 に い た る 地 域 を 支 配 した 。 ス ヴ ャ トス ラ フ
は,ブ
ル ガ リア 遠 征 か らの 帰 途,対
子 の 聖 ウ ラ ジ ー ミル 大 公(955頃
立 す る 遊 牧 民 ペ チ ェ ネ グ の 待 ち伏 せ に あ い,殺
一1015)は,ビ
され た。 そ の
ザ ン ツ の キ リ ス ト教(正 教)を 国 家 宗 教 と し て 受
容 し,ビ ザ ン ツ 皇 帝 の 妹 と結 婚 し た 。 彼 か ら孫 の ヤ ロ ス ラ フ 賢 公(978頃
一1054)の 時 代 が キ エ
フ ・ル ー シ の 最 盛 期 で あ っ た 。
ス ラ ヴ 族 と宗 教 の 関 係 で あ る が,彼
族 は,主
ら は 宗 教 的 に み て 三 つ に分 か れ た 。 東 ス ラ ヴ族 と南 ス ラ ヴ
と して キ リ ス ト教 の 正 教 を 受 容 し,西 ス ラ ヴ 族 は,主
と して ロ ー マ の カ ト リ ッ ク 教 を受
容 した 。 しか し,バ ル カ ン半 島 に居 住 す る 南 ス ラ ヴ 族 は,15世
マ ン トル コ の 支 配 下 に お か れ た た め,イ
ヴ ィ ア に は,正 教 徒,カ
ラ ヴ ィ ア の 解 体 過 程 で,内
トリ ッ ク 教 徒,イ
紀 以 降 長 ら くイ ス ラ ム 国 家 オ ス
ス ラ ム 教 に 帰 依 す る 者 も 多 く,た
とえ ば 旧ユ ー ゴス ラ
ス ラ ム 教 徒 が 暮 ら し て い る ・1991年
以 後 のユ ー ゴス
戦 が 起 こ り,宗 教 問 題 もか ら ん で,民 族 浄 化 の 名 の も と に,血 で 血 を
洗 う悲 劇 が 起 き た こ と は記 憶 に新 しい 。 東 ス ラ ヴ族 に 属 す る ル ー シ は,ビ ザ ンツ か ら キ リス ト教
の 正 教 を受 容 し,ギ
リ シ ア 文 字 を も と に 作 ら れ た グ ラ ゴ ー ル 文 字(キ リル文字,今 日の ロ シァ文字)
を 習 得 した 。 こ う して ル ー シ は,宗 教 だ け で な く,文 学 ・美 術 ・法 律 ・制 度 な ど に お い て も ビザ
ン ツ文 化 の 影 響 を強 く受 け,15世
紀 の ビザ ン ッ 帝 国 の 滅 亡 後 は,正 教 世 界 の 総 本 山 と して,〈 モ
ス ク ワ=第 三 の ロ ー マ 〉 を 自負 す る よ うに な っ た 。
キ エ フ ・ル ー シ の 社 会 と経 済
旧 ソ 連 史 学 は,「 ロ シ ア で は,共
し社 会 の 発 展 は,こ
同 体 制 度 が 解 体 す る 過 程 で 家 父 長 的 奴 隷 制 が 発 生 した 。 しか
こで は 基 本 的 に 奴 隷 制 へ の 道 を た ど ら な い で,封 建 制 へ の 道 を す す ん だ 。 …
… ロ シ ア で は ,原 始 共 同体 制 度 か ら封 建 制 へ の 移 行 は,ヨ
没 落 して,封
ー ロ ッパ 諸 国 で 奴 隷 制 度 が と うの 昔 に
建 的 関 係 が か た ま っ た 時 代 に 起 こ っ た 」 と述 べ,ロ
シ ア封 建 制 の 時 代 は,キ エ フ ・
26商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
ル ー シ建 国 の 「9世紀 か ら1861年
の 農 奴 解 放 の と き ま で 」 と し て い る(ソ 連科 学 ア カデ ミー経済研
究所r経 済 学教科 書』1954.邦 訳,合 同 出版社,1955)。
ま た ソ 連 の 歴 史 家 は,「 あ ら ゆ る 民 族 が 社 会 発
展 の す べ て の 段 階 を通 っ て き た わ け で は な い 」 とい う点 で 意 見 が 一 致 し て い た 。 し た が っ て,東
ス ラ ヴ族 は,奴 隷 制 社 会 を 飛 び 越 え て,「 ① 原 始 共 同 体(採 集 狩猟 社 会)→ ② 封 建 制 社 会 儂 業社
会)」 と い う発 展 を し た の で あ る 。 で は キ エ フ ・ル ー シ は い か な る 種 類 の 封 建 制 社 会 で あ っ た の
か。
キ エ フ ・ル ー シ は,キ エ フ大 公 の 宗 主 権 お よ び貢 税 徴 収 権 を 認 め る諸 公 国 の ゆ る や か な 連 合 体
で あ っ た 。 国 庫 収 入 の 財 源 は,① 貢 税,②
関 税,③
罰 金,④ 奴 隷 の 売 却 代 金 で あ っ た。 貢 税 は 毛
皮 な ど現 物 で 〈
森 の 民 〉 に 課 せ られ,関 税 は 河 川 交 易 路 を利 用 す る商 人 か ら徴 収 さ れ た 。 軍 事 組
織 は,① 従 士 隊,②
社 会 で あ り,公
徴 兵 隊,③
傭 兵(騎 馬遊 牧民)の 三 部 構 成 で あ っ た 。 ル ー シ の 社 会 は 身 分 制
とそ の 一 族 の 下 に 貴 族 が お り,貴 族 層 の 下 に は 自 由 農 民 と不 自 由 民(半 奴隷,年
季奉 公人,解 放奴隷,奴 隷)が い た 。
ル ー シ の 基 礎 的 な 生 活 単 位 は,家 父 長 制 家 族(4-5人)で
あ り,丸 太 小 屋 に 住 み,3-5戸
ほど
で 集 落 を つ く り,そ の よ う な集 落 が 集 ま っ て 氏 族 社 会 を 形 成 して い た 。 家 長 た ち が 氏 族 集 会 を組
織 し,慣 習 に よ り共 同 体 の 生 活 を 規 制 し て い た。 森 林 お よ び 森 林 ス テ ッ プ に住 む 〈
森の民〉の
ル ー シ は,伐 採 焼 畑 農 業 や 狩 猟,牧
フ 公 は,毎
年11月
業 や 漁 業 に 従 事 して 暮 ら しを た て て い た 。 キ エ
に な る と従 十 隊 を 引 き連 れ,〈 森 の 民 〉 が 住 む 河 川 ・湖 沼 沿 い に 集 落 を 巡 回
し,さ ま ざ ま な産 物
ど
畜 や 養 蜂,林
穀 物,馬
・羊 な どの 家 畜,テ
ン ・狐 の 毛 皮,海
狸 の 獣 皮,蜂
蜜,蜜 蝋 な
を貢 税 と して 徴 収 しな が ら冬 を過 した 。4月 に な り ドニ エ プ ル 川 の 氷 が と け る と,公 は こ
れ ら の 貢 物 を 船 に 積 ん で キ エ フ に 帰 っ た 。6月 に な る と,毛 皮 ・蜂 蜜 ・蜜 蝋 な どや 奴 隷(戦 争捕
虜)を 船 に積 ん で 船 団 を 組 み,ド
ニ エ プ ル 川 を下 り,黒 海 を へ て ビ ザ ン ツ帝 国 の 首 都 コ ン ス タ ン
テ ィ ノ0プ ル まで 行 っ た。 ビ ザ ン ッ か ら は,ブ
ドウ 酒 ・香 料 ・武 器 ・道 具 ・宝 石 細 工 ・織 物 ・書
物 ・聖 像 な ど を もち 帰 っ た 。 す な わ ち ル ー シ の 一 次 産 品 と ビ ザ ン ツ の 手 工 業 製 品 とが 交 換 さ れ る
〈
垂 直 貿易 〉 が行 なわ れ た。
ロ シ ア の 歴 史 に お い て,河
ア ゾ フ海,黒
海,カ
川 は 重 要 な役 割 を果 た した 。 北 流 して バ ル ト海 に注 ぐ川 ,南 流 して
ス ピ 海 に 流 れ 込 む 川 。 広 大 な ロ シ ア の 大 地 を 貫 流 す る 川 は,「 ヒ ト ・モ ノ ・
カ ネ ・情 報 」 を 運 び,古 来 ル ー シ の 通 商 ・植 民 の ル ー トに な っ た 。 船 団 を組 む 商 人 か ら徴 収 す る
関 税 樋 行税)は,国
庫 の 主 要 な財 源 で あ っ た 。 数 多 くあ る 川 の な か で,ヴ
ォ ル ガ 川 と ドニ エ プ
ル 川 は 特 別 の 川 で あ っ た 。 ロ シ ア 人 は 昔 か ら,こ の 二 つ の 川 の こ と を,親 愛 の 情 を こ め て 〈
母な
る ヴ ォル ガ 川 〉,〈父 な る ドニ エ プ ル 川 〉 と呼 び,詩
ドニ エ プ ル 川 が 利 用 で き な くな っ た と き,ロ
た ち の 歌 声 が 聞 こ え た と き,ロ
に 詠 ん で き た 。 治 安 が 乱 れ て,ヴ
ォ ル ガ川 や
シ ア は 衰 退 し た 。 商 船 が し き りに往 来 し,船 曳 人 足
シ ア は繁 栄 した 。 ル ー シ の 首 都 キ エ フ は,バ
ル ト海 と黒 海 ・地 中
海 と を つ な ぐ ドニ エ プ ル 川 中 流 域 の 河 畔 都 市 で あ り,経 済 的 に も文 化 的 に も きわ め て 重 要 な 軍 事
要 塞 都 市 で あ っ た 。 『原 初 年 代 記 』 は}〈 ヴ ァ リ ャ ー グ か らギ リ シ ア へ の 道 〉 につ い て 述 べ て い る
二つの産業 革命 儂 業革命 と工業革命)と ロシァ(1)27
が,そ
れ は ま さ に ドニ エ プ ル 水 系 の こ と を指 して い た 。
9世 紀 半 ば か ら13世 紀 初 め まで,ロ
シ ア の 政 治 ・経 済 ・文 化 の 中 心 は キ エ フ に あ っ た 。9-10
世 紀 の キ エ フ ・ル ー シ は,貢 税 の 徴 収 を 土 台 と す る 〈
貢 税 制 〉 国 家 で あ っ た 。11-12世
紀初
め,キ
エ フ 大 公 の 力 は 弱 ま り,諸 公 国 は 次 第 に 自立 し,領 地 の 世 襲 制 が 始 ま っ た 。12-13世
紀,キ
エ フ ・ル ー シ は 四 分 五 裂 状 態 に な り,世 襲 領 地 制 を 中 心 とす る 〈
分 領 制〉 が 国家 の基 本 形
態 に な っ た 。 公 国 の 数 は,12世
紀 中 頃 に は15力
国,13世
紀 初 め に は50力
国 に増 加 した。 キ エ
フ 大 公 の 権 威 は ま っ た く失 わ れ,分 領 諸 公 国 間 の 対 立 が 激 化 し,戦 争 す ら起 こ っ た 。 ル ー シ の 内
紛 に ビザ ン ツ 帝 国 や 遊 牧 国 家 ペ チ ェ ネ グ,ポ
こ の よ う な 状 況 の も と で,1240年,モ
ロ ヴ ェ ッが し き りに 介 入 し た 。
ン ゴ ル 軍 の キ エ フ 総 攻 撃 が あ り,キ エ フ は 陥 落 し・ 徹
底 的 に 破 壊 さ れ た 。 キ エ フ の 滅 亡 後,ロ
シ ア の 中 心 は,キ
プ チ ャ ク汗 国 の首 都 サ ラ イは 別 と し
ル
て,キ
エ フ か ら モ ス ク ワ に 移 り,ま
た15世
シ
ロ
紀 以 後,〈PyCL>に
う 言 葉 が 使 用 さ れ る よ う に な っ た 。15-16世
紀,モ
れ,〈 封 地 制 〉 が 成 立 し た 。 モ ス ク ワ 大 公(ッ
績OMeチWaT重,封
シ
ヤ
代 わ り 〈POCCHA>と
い
ス ク ワ を 中 心 とす る 中 央 集 権 国 家 が つ く ら
ァ ー リ)は,側
ず る 〉 よ う に な っ た 。 す な わ ち,軍
近 や 従 臣 を任 意 の 土 地 に
役 に 服 す る こ と を 条 件 に,封
地 と農
民 を 彼 ら貴 族 に 与 え る 〈農 奴 制 〉 が 成 立 した 。
ヴ
エ
ル
フ
ノ
農 民 の 在 り方 も変 化 した 。 キ エ フ ・ル ー シ の 時 代,BePBLと
呼 ば れ る 村 落 共 同 体 が あ り,
十 地 は 共 同 体 の 所 有 で あ っ た 。 し か し,個 々 の 家 族 に よ る耕 作 地 の 私 有 が 始 ま っ た 。 土 地 の 私 的
所 有 の 発 展 に と も な い,共
同体 は次 第 に解 体 し 始 め た 。首 長 や 長 老 が 土 地 を奪 い と っ た・
ボ
ざ ㎡e㌔rAと
呼 ば れ る 農 民 は,初
め は 自 由 な 農 民 で あ っ た が,後
ヤ
に60Ape(世
レ
襲貴 族)に 隷
属 す る 者 が 現 れ た 。 地 主 に 金 を 借 り,返 済 で き な く な っ て 土 地 を 失 い,隷 属 農 民 に な る 者 が 多
か っ た。 〈
分 領 制 〉 の 時 代,公
〈
封 地 制 〉 の 時 代,封
の 世 襲 分 領 地 の 耕 作 は奴 隷(戦 争捕 虜奴 識
債務 奴隷)が 行 な っ た ・
地 の 耕 作 は 農 民 が 行 な っ た 。 農 民 は ま だ,地 主 と土 地 に 完 全 に 縛 りつ け ら
れ て い な か っ た 。 す な わ ち,あ
る 地 主 か ら別 の 地 主 の も とに 移 る権 利 を も っ て い た 。 しか し,!6
世 紀 末,国 家 は こ の 権 利 を農 民 か ら と りあ げ た 。 農 民 は,地
主 の 土 地 に完 全 に縛 りつ け ら れ て,
農 奴 に転 落 し,ロ シ ア に 〈
農 奴 制 〉 が 成 立 し た 。 農 奴 は,領
主 に 人 身 的 に隷 属 し,領 主 の 直 営 地
で 賦 役 労 働 に 従 事 した 。 旧 ソ連 史 学 は,封 建 制 の 概 念 を広 く と り,〈 貢 税 制 〉,〈分 領 制 〉,〈封 地
制 〉,〈農 奴 制 〉 をす べ て ロ シ ア 封 建 制 に 含 め て い る。
モ ンゴル帝 国 の ロ シア征服
キ エ フ ・ル ー シが 分 裂 状 態 に あ っ た13世
紀 初 め,遠
くア ジ ア の モ ン ゴ ル 高 原 で,チ
ンギ ス 汗
(1162頃 一1227)と い う,ス テ ップ の 遊 牧 民 が 生 ん だ 英 雄 が 活 動 し て い た 。 彼 は モ ン ゴ ル 系 お よ び
トル コ系 遊 牧 民 の 諸 部 族 を 統 一 し て,モ
な っ て い た 。 チ ン ギ ス 汗 の 死 後,後
ン ゴ ル 大 帝 国 を建 設 す る た め に,遠 征 に つ ぐ遠 征 を 行
継 者 の オ ゴ タ イ 汗(1186-1241)は,1235年
・カラコルムに
ク リル タ イ を招 集 し,中 国 ・ペ ル シ ア ・ロ シ ア の 三 方 面 に 軍 を 進 め る こ と を決 定 した 。
ロ シ ア 遠 征 軍 の 総 司 令 官 は,チ
ン ギ ス 汗 の 孫 バ ト ゥ(1207-55)で
あ っ た 。 バ ト ゥ は,途
中 ト
28商
経 論 叢
第39巻
ル コ系 騎 馬 軍 団 を加 えつ つ
略 し,翌37年
征 服 し,大
年,バ
第2号(2003.11)
〈ス テ ッ プ の 道 〉 を 進 み,1236年
に ま ず ヴ ォ ル ガ ・ブ ル ガ ー ル を 攻
に は リ ャ ザ ン 公 国 な ど ル ー シ 諸 公 国 を 征 服 し た 。38年
公 を 戦 死 さ せ た 。40年
に は 由 緒 あ る 都 市 キ エ フ も 陥 落 し,徹
ト ゥ の 軍 勢 は さ ら に 西 進 し て,ポ
軍 の 戦 法 は,「 降 伏 せ よ,さ
に は ウ ラジ ー
一ミ ル 大 公 国 を
底 的 に 破 壊 さ れ た 。41
ー ラ ン ド ・ ド イ ッ ・ハ ン ガ リ ー に 攻 め 入 っ た 。 モ ン ゴ ル
も な け れ ば 繊 滅 」 で あ り,略
も 容 赦 な く殺 害 し た 。 ヨ ー ロ ッパ に 今 日 も根 強 く残 る
奪 ・破 壊 の か ぎ り を 尽 く し,一
〈黄 禍 論 〉 の 起 原 は,こ
般市民
の と きの モ ン ゴ ル
軍 との 戦 争 に あ る 。
バ ト ゥ は,1242年,オ
ゴ タ イ 汗 死 去 の 知 ら せ を 受 け ,ヨ
に ス テ ッ プ も 尽 き て お り,よ
ー一ロ ッ パ か ら 軍 を 引 き 返 し た 。 す で
い 放 牧 地 の な い 森 林 ヨ ー ロ ッ パ は,モ
か っ た 。 バ ト ゥ は 帰 国 の 途 中,ヴ
プ チ ャ ク 汗 国(1243-1502)を
ン ゴル 軍 に と って魅 力 が な
ォ ル ガ 川 下 流 の サ ラ イ を 都 と す る ジ ュ チ ・ウ ル ス,す
なわ ちキ
建 国 し た 。 こ の 国 は 最 初 モ ン ゴ ル 帝 国 の 一一部 で あ っ た が,後
立 国 に な っ た 。 そ の 版 図 は,東
は イ ル ト ィ シ 川 か ら 西 は ドナ ウ 川 ま で,北
に独
は ノ ヴ ゴ ロ ドか ら 南 は
ク リ ミ ア お よ び カ フ カ ー ス ま で で あ っ た 。 こ の 国 の す べ て の 権 力 は 汗 に 集 中 し,汗
は軍 隊 の最 高
司 令 官 で あ る と 同 時 に 行 政 ・司 法 の 長 で も あ っ た 。 い か な る こ と も 汗 の 許 可 な し で は 行 な う こ と
が で きなか った。 同時代 の ロ シ アの
バ ト ゥ は,広
な 自 治 都 市(た
督)や
の こ と を ツ ァー リ と呼 ん で い る 。
大 な キ プ チ ャ ク 汗 国 を 支 配 す る た め に ,全
の も の に ゆ だ ね た 。 支 配 形 態 は,柔
ガ チ(総
『年 代 記 』 は,汗
軟 か つ 多 彩 で あ っ た 。 汗 の 直 轄 地 も あ り,ノ
だ し貢 税 支 払 義 務 を負 う)に
バ ス カ ク(司 政 官)を
近 い も の も あ っ た 。 汗 は 最 初,ル
配 置 し,戸
ト ゥ は,ウ
ヴ ゴ ロ ドの よ う
ー シ に 対 して は ダ ル
に
に忠 誠 を誓 うル ー シ諸 公 に ゆ だ ね ら れ
ラ ジ ー ミ ル 大 公 ヤ ロ ス ラ フ を ル ー シ諸 公 国 の 長 に 任 命 し,
彼 の 死 後 は そ の 子 ア レ ク サ ン ド ル ・ネ フ ス キ ー(1220頃
に 対 し て 間 接 支 配 を し た 理 由 の 一 つ は,遊
移 住 し て,ル
の行政 を一族
ロ 調 査 ・駅 伝 ・徴 税 ・徴 兵 等 を 遂 行 し た が ,後
こ の 仕 事 は ル ー シ の 公 に 委 託 さ れ た 。 ル ー シ の 統 治 は,汗
た の で あ る 。1243年,バ
国 を い く つ か に 分 け,そ
一63)を
そ の地 位 に つ け た。 ル ー シの 民
牧 民 の モ ン ゴ ル に と っ て,寒
冷 な森林 地 帯 に わ ざわ ざ
ー シ を 直 接 統 治 す る ほ ど の魅 力 や 利 益 が な か っ た か ら で あ る 。
<タ タ ー ル の く び き>
TaTaPbl(タ
タ ー ル)と
は 誰 か 。Kro(く
び き)と
は 何 か 。 タ タ ー ル と は,キ
プ チ ャ ク汗
国 の 支 配 者 で あ る モ ン ゴ ル 人 や トル コ系 の 人 間 と そ の 末 喬 を 指 し た 。 く び き と は,車
を 引 く牛 馬
の 首 の う し ろ に か け る 横 木 の こ と で あ り,転
じて
ロ シ ア は,1240年
ン ゴ ル の 支 配 を 受 け た 。 こ の240年
タ
タ
か ら1480年
ノ
レ
ス
は,〈TaTaPCKoeHro,タ
コ
エ
ま で の 間,モ
イ
「自 由 を 束 縛 す る も の 」,「 圧 政 」 を 意 味 し た 。
間 を ロ シ ア人
ゴ
タ0ル
の くび き〉 の 時 代 と 呼 ん だ の で あ る。 ロ シ ア 人 が
「くび き」 と呼 ぶ の は,こ の 時 代 を不 幸 な 時 代 と捉 え て い た か らで あ る 。 旧 ソ 連 の あ る 経 済 史 家
は,「 く び き」 につ い て 次 の よ う に 述 べ て い る 。 モ ン ゴ ル の 支 配 は,ロ
シ ア の 都 市 と手 工 業 に 壊
滅 的 打 撃 を与 え た 。 キ エ フ時 代 に 西 欧 諸 国 の 水 準 に 並 ん で い た ロ シ ア 手 工 業 は,モ
ンゴルの侵 入
に よ っ て 一 瞬 の う ち に 衰 退 して し ま っ た 。 モ ン ゴ ル の 支 配 は,「 西 欧 の 諸 国 が 急 速 に 発 展 し始 め
二 つの産業 革命 儂 業革命 と工 業革命)と ロ シァω29
た と き に,ロ
シ ア の 文 化 の 発 達 を150-200年
間 は ば ん だ 」。 ロ シ ア の 後 進 性 の 原 因 は,ひ
とえに
〈タ タ0ル の くび き〉 の ゆ え で あ る(田 中陽児他 『ロシア史』1,山川 出版社,1995)。
モ ン ゴ ル と そ の 時 代 を語 る と き,野 蛮 ・暴 力 ・破 壊 ・殺 数 ・残 酷 ・圧 政 な ど と い う否 定 的 用 語
が 総 動 員 され て きた 。 こ れ らの 用 語 は す べ て,被
害 者 側=ロ
圧 倒 的 に 被 害 者 側 の もの が 多 い 。 一 例 を あ げ れ ば,13世
シ ア側 の もの で あ り,記 録 や 伝 承 は
紀 の ル0シ の 年 代 記 『バ ト ゥの リ ャ ザ
ン襲 撃 の 物 語 』 が そ うで あ る 。 「タ タ ー ル 勢 は 町 の な か で,あ
剣 で 切 り殺 し,あ る 者 は 川 で お ぼ れ させ,僧
ま た の住 民 を女 子 供 に い た る まで
侶 と修 道 士 を ひ と り もあ ま さ ず 切 り尽 く し て,町 全
体 を焼 きは ら っ た 。 ま た あ り とあ ら ゆ る リ ャザ ンの 富,名
高 い 財 宝 を奪 い と り,キ ー エ フ や チ ェ
ル ニ ー ゴ フ の縁 者 た ち を 捕 虜 に した 。 か ず か ず の 神 の 聖 堂 は 打 ち こぼ た れ,聖
なる祭壇 の なかで
多 くの 血 が 流 され た 。 町 の な か に は ひ と り と し て 生 き残 っ た 者 が な か っ た 」(外 川継男rロ シァ と
ソ連邦』講談社 学術 文庫,1991)。
加 害 者 の モ ン ゴ ル 側 は,こ
の と き の こ と を何 も語 っ て い な い 。 加 害 者 と被 害 者 と い う 立 場 の 相
違 は 別 と して,一 般 に 遊 牧 民 に は 自分 た ち の 記 録 を 残 す とい う習 慣 は な く,モ
外 で は な い 。 しか もチ ン ギ ス 汗 や バ ト ゥの 時 代,モ
ン ゴ ル は,他
ン ゴ ル の 場 合 も例
の す べ て の 遊 牧 民 と 同 じ く,文
字 を も っ て い な か っ た 。 モ ン ゴ ル 帝 国 の 分 邦 イ ル 汗 国 の 政 治 家 ラ シ ー ド ・ウ ッ デ ィ ー ン(12471318)は,ペ
ル シア語 で モ ンゴル帝 国の歴 史書 『
集 史 』 を残 し て い る が,そ
モ ス ク ワ 大 公 国 が 頭 角 を現 し て,1480年
国 家 で あ る カ ザ ン 汗 国(1437-1552),ア
れ は例外 で あ る。
に キ プ チ ャ ク 汗 国 の 支 配 を 脱 し,や が て は そ の 継 承
ス ト ラ ハ ン汗 国(1466-1556),ク
リ ミ ア 汗 国(1430-
1783)な ど を滅 ぼ し,逆 に ロ シ ア 人 が タ タ ー ル を 支 配 す る よ う に な っ た 。 そ し て ロ シ ア 人 の 間 に
〈タ ター ル の く び き〉 伝 説 が 登 場 した の で あ る 。 しか し,ロ シ ア 人 側 の 主 張 に は 問 題 点 が 多 い 。
彼 ら は,か つ て ル ー シ を 支 配 し た キ プ チ ャ ク汗 国 の 歴 史 に つ い て,モ
タ ー ル に つ い て,ロ
ン ゴ ル人 や そ の子 孫 の タ
シ ア 愛 国 主 義 と い う偏 っ た 立 場 か ら研 究 した 。 タ タ ー ル 人 は 反 論 を 許 さ れ
ず,沈 黙 を 強 い ら れ て き た 。 そ の 間 の 事 情 は,ロ
1991年 に ソ 連 邦 が 崩 壊 して,国
シ ア 帝 国 時 代 も,ソ 連 邦 時 代 も同 じで あ る 。
際 法 上 は ロ シ ア 連 邦 と対 等 な トル コ系 ム ス リ ム の 国 家(カ ザ フ
ス タン,ウ ズベ キス タ ン,キ ルギ ス,ト ゥル クメ ニス タ ン,ア ゼルバ イ ジ ャン)と,イ
ラ ン系 ム ス リ ム の
国 家(タ ジキス タン)が 中 央 ア ジ ア や カ フ カ ー ス に 生 ま れ た 。 新 生 ロ シ ア 連 邦 内 で も 主 と して タ
タ ー ル 人 が 住 む タ タ ー ル ス タ ンの 地 位 が 向上 し た 。 旧 ソ連 邦 の ム ス リ ム や タ ター ル 人 は 初 め て,
モ ン ゴル 帝 国 史,キ
プチ ャ ク 汗 国 史,ム
ス リ ム お よ び タ タ ー ル 人 の 歴 史 を 自主 的 か つ 主 体 的 に 研
究 す る 政 治 的 条 件 を 獲 得 し た 。 彼 ら の 研 究 が 前 進 し,新
し い 知 見 が 生 ま れ,〈 タ タ ー ル の く び
き〉 伝 説 や タ タ ー ル 野 蛮 説 が 是 正 され る こ と を期 待 した い 。 タ タ ー ル か らみ た ロ シ ア 史,さ
らに
は 遊 牧 民 か らみ た ユ ー ラ シ ア 史 を提 示 す る 必 要 が あ る 。 彼 らが 残 し た歴 史 記 録 は き わ め て 少 な い
た め,そ
の 歴 史研 究 は 困 難 を き わ め る が,若
付 記 す れ ば,日 本 に 岡 田 英 弘(1931-)と
い世 代 の研 究 者諸 君 の奮起 を望 み たい。 参 考 まで に
い う歴 史 家 が お り,彼 は 移 動 民=遊
牧 民 が 「世 界 史 」
を創 り,遊 牧 民 の モ ン ゴ ル 帝 国 が は じめ て 「世 界 」 を創 っ た,と 彼 ら遊 牧 民 の 事 業 を高 く評 価 し
30商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
て い る(岡 田英弘 『
世界 史の誕生』 ち くま文庫,1999)。
モ ン ゴ ル 帝 国 は重 商 主 義 国 家 で あ っ た
モ ン ゴ ル帝 国 は,東 は 中 国 の 東 北 部 か ら西 は ロ シ ア,ア ナ ト リ ア,東 地 中 海 沿 岸 に至 る ユ ー ラ
シ ア 大 陸 の 大 半 を支 配 し た 大 帝 国 で あ る 。 規 模 か ら言 え ば,ロ
ー マ 帝 国 の 数 十 倍 もあ る 史 上 最 大
の 帝 国 で あ り,宗 家 の 大 汗 が 支 配 す る 大 元 ウ ル ス(元 朝,モ ンゴ ルお よび 中 国)と,オ
チ ャ ガ タ イ ・キ プチ ャ ク ・イ ル の4汗
者 た ち が,無
は,帝
ゴタイ ・
国 か ら構 成 さ れ た 。 こ の よ う な 大 帝 国 を建 設 し,運 営 した
知 蒙 昧 の 野 蛮 人,冷 酷 無 比 の 殺 人 征 で あ る はず が な い 。 も と も と少 数 の モ ン ゴ ル 人
国 を運 営 す る た め に,多 数 派 の 漢 族 や トル コ系,イ
ラ ン系,ス
ラ ヴ系 な どの 住 民 の 協 力 を
え な け れ ば な ら なか っ た 。 た と え ば バ トゥ は,ト ル コ系 の キ プ チ ャ ク 族 を 〈ジ ュ チ ・ウ ル ス 〉 に
迎 え い れ,自
分 た ち の 仲 間 に して い る。 ま た 各 種 の 才 能 に秀 で た 人 材 を 抜 擢 し,活 用 しな け れ ば
な ら な か っ た が,そ
の さ い,人 種 ・母 語 ・宗 教 ・習 慣 を 問 題 に す る よ う な こ と は な か っ た 。
モ ン ゴ ル 帝 国 は,ユ
ー ラ シ ア 大 陸 に超 大 型 の 国 際 経 済 圏 を 建 設 した 。 国家 理 念 は,商 業 立 国 す
なわ ち 〈
重 商 主 義 〉 で あ り,そ の 実 現 の た め に,次
の 三 つ の 制 度 の 整 備 に努 め た 。 そ の 第 一 は,
交 通 制 度 の 整 備 で あ る 。 陸 上 交 通 で は 〈オ ァ シ ス の 道 〉 に 駅 伝 制 度(ジ ャムチ)を 導 入 した 。 す
な わ ち,10里
ご と に 宿 駅 を 設 け,人
た 。 こ の 駅 伝 制 度 を 利 用 し て,ヴ
馬 ・食 糧 を供 給 し,隊 商 が 無 事 安 全 に 旅 行 で き る よ う に し
ェ ネ ッ ィ ァ の 商 人 マ ル コ ・ポ ー ロ(1254-1324)は,モ
ンゴ ル
帝 国 の 首 都 大 都(現 在 の北 京)を 訪 れ た の で あ る 。 海 上 交 通 で は,大 都 と 天 津 と を 水 路 で つ な
ぎ,海 の 玄 関 口 と した 。 こ う して 大 都 は,中 国 南 部 沿 岸 の 海 港 都 市(杭 州 ・福 州 ・泉 州 ・広州)と
つ な が り,さ ら に 〈
海 の 道 〉 を通 じて 東 南 ア ジ ア や イ ン ド,西 ア ジ ア の 支 邦 イ ル 汗 国 との 交 易 が
可 能 に な っ た 。 モ ン ゴ ル 政 府 は,中
国 在 住 の ム ス リ ム の 海 洋 商 業 勢 力 と 友 好 関 係 を 結 び,彼
らの
能 力 と資 本 を 活 用 して 海 上 貿 易 の拡 大 に 努 め た。 貨 物 の 輸 送 コス トはz海 運 の ほ うが 陸 運 よ り圧
倒 的 に安 価 で あ っ た 。 な お こ の 〈
海 の 道 〉 は,皇 帝 ク ビ ラ イ(1215-94)の
客 人 と し て16年
間を
中 国 で 過 し た マ ル コ ・ポ ー ロ が 帰 国 に さ い して 用 い た ル ー トで あ る(マ ル コ ・ポー ロ 「
世界の記
述』13世 紀 末.邦 訳,「完訳
東方見 聞録」全2冊,平
ま た 貿 易 振 興 策 の 一 つ と し て,モ
凡 社,2000)。
ンゴル帝 国 は 「
交 通 税 」 を全 廃 した 。 そ れ ま で ユ ー ラ シ ア 各
地 の 在 地 権 力 は,都 市 ・港 湾 ・渡 津 ・関 所 を 通 過 す る た び に 隊 商 や 船 団 か ら 「交 通 税 」 を 徴 収
し,そ の 額 は 馬 鹿 に な ら ず,遠
米 ・茶 ・砂 糖 ・果 実,馬,香
隔 地 交 易 の 発 展 を 妨 げ て い た 。 当 時 ア ジ ア 各 地 に お い て,麦
辛 料,絹
布 ・綿 布 ・絨 毯,染
料,陶
・
磁 器 ・ガ ラス 器 ・漆 器,紙,道
具 ・武 器,火
薬,金 銀 細 工 品 な ど が 産 出 さ れ,〈 オ ア シ ス の 道 〉 や 〈
海 の 道 〉 を 通 じて 取 引 さ れ
て い た が,モ
ンゴル帝 国 はそ の振 興 をはか っ たの で ある 。
第 二 に,貨
幣 制 度 を 整 備 し,銀 本 位 制 を採 用 した 。 イ ラ ン系 や トル コ系 商 人 が 活 躍 し て い た 内
陸 ア ジ ア の ス テ ップ 地 帯 で は,古
くか ら貨 幣 と し て 銀 が 使 用 され て い た 。 モ ン ゴ ル 帝 国 は,こ の
銀 を 公 式 通 貨 に し た 。 銀 の 地 金 約4グ
ラ ム(漢 語 で は銭),約40グ
ラ ム(両),約2キ
ロ グラ ム
(錠)と い う3段 階 の 秤 量 単 位 を 定 め,徴 税 や 商 取 引,価 値 計 算 に 用 い た 。 ロ シ ア が 銀 通 貨 圏 に
二つ の産業革命(農 業 革命 と工業 革命)と ロ シア(1)31
入 っ た の は,モ
ン ゴ ル 帝 国 の 支 配 時 代 で あ る 。 大 元 ウ ル ス で は,銀 の 補 助 貨 幣 と し て,交 紗 と い
う紙 幣 を発 行 し,ま た 後 述 す る 〈
塩 引 〉 を 使 用 した 。 銀 と 〈
塩 引 〉 は,大 型 取 引 の 決 済 に 使 用 さ
れた 。
第 三 に,租 税 制 度 。 た と え ば 大 元 ウ ル ス で は,貨
換 券 の 販 売 代 金 で あ り,10-15%が
幣 歳 入 の80%は
〈
塩 引 〉 と 呼 ば れ る塩 の 引
〈タ ム ガ税 〉 と 呼 ば れ る 商 税 で あ っ た 。 〈
塩 引 〉 と は,国 営
製 塩 場 か ら指 定 業 者 が 塩 を 受 け と る さい の 引 換 証 の こ と で あ る 。 モ ン ゴ ル 政 府 は,中
国歴 代 王 朝
の や り方 を 踏 襲 し,塩 の 生 産 ・販 売 を独 占 し,主 要 な 歳 入 源 に した 。 銀 を支 払 い 〈
塩 引 〉 を入 手
した 者 は,た
だ ち に こ れ を 塩 と交 換 し な く て も よ く,一 般 的 な 取 引 や 決 済 に用 い る こ と が で き
た。 〈
塩 引 〉 は,銀 本 位 制 の も と で 〈
見 換 紙 幣 〉 の 役 割 を果 た しs現 物 の 塩 に よ っ て も価 値 を 保
証 さ れ た優 れ も の で あ っ た 。 〈
塩 引 〉 は,大 規 模 な 経 済 活 動 に 従 事 す る 人 々 に広 く歓 迎 さ れ た 。
市場 を流 通す る く
塩 引 〉 は,い つ か は現 物 の 塩 と交 換 さ れ る が,そ
は,塩
を 消 費 者 に 売 却 し た あ と,売 却 代 金 の 約3%を
ば,3%の
〈
消 費 税 〉 とい う こ と に な る 。 塩 に 限 らず,商
な わ ち約3%の
の さい 塩 を 入 手 した 販 売 業 者
商 税 と して 納 付 した。 今 日流 に 言 え
品 全 般 に つ い て,売
上 の30分
の1,す
商 税 が 課 せ られ た 。
バ トゥの ロ シ ア 遠 征 軍 の な か で,モ
ン ゴ ル 人 は わ ず か4000人
に す ぎ な か っ た 。 バ トゥ は,キ
プ チ ャ ク族 な どの トル コ系 諸 族 を 「
準 モ ン ゴ ル」 と して 〈ジ ュ チ ・ウ ル ス 〉 に迎 え い れ,大 勢 力
に し て い っ た 。 キ プ チ ャ ク 汗 国 の 建 国 後 は,イ
団,そ
ラ ン系 ム ス リ ム 商 業 勢 力 と トル コ系 ウ イ グ ル 商 人
の 国 際 商 業 組 織 の オ ル トク を 活 用 した 。 こ の 両 群 の 商 人 団 は,情 報 の 収 集,資
調 達 な どで モ ン ゴ ル 軍 の 作 戦 を 支 え,建 国 後 は,徴 税 ・財 務 は も と よ り,と
金 ・物 資 の
きには行政 の 一部 も
代 行 した 。
モ ン ゴ ル 帝 国 が 採 用 した 重 商 主 義 政 策 は,ム ス リム 商 業 勢 力 の 商 圏 ・商 機 の 拡 大 を う な が し,
彼 らの 歓 迎 す る と こ ろ で あ っ た 。 大 元 ウ ル ス の 実 例 で あ る が,皇 帝 ク ビ ラ イ は,オ
ル トク の 有 力
者 や 関 係 者 を経 済 部 門 の 官 僚 に抜 擢 し,大 規 模 な プ ロ ジ ェ ク トの 企 画 ・立 案 ・実 行 に あ た らせ
た 。 ク ビ ラ イ 政 権 が 推 進 した 各 種 の 国 家 事 業 は,オ ル トク に 致 富 の 機 会 を 与 え た 。 彼 ら は競 っ て
事 業 を 請 負 い,実
際 の 施 行 に あ た っ て は 中 心 と な り,ク ビ ラ イ の 国 家 建 設 事 業 に 協 力 し た(杉 山
正明 『
遊 牧民か ら見た世界 史』 日本経 済新 聞社s1997)。
英 逼 を も っ て 知 られ るバ ト ゥが 建 国 し た キ プ チ ャ ク 汗 国 に お い て も,大 元 ウ ル ス の 場 合 と 同 じ
く,重 商 主 義 政 策 が 採 用 さ れ,イ
ラ ン系 ム ス リ ム 商 業 勢 力 や オ ル トク が 重 用 さ れ た ・ キ エ フ ・
ル ー シが 滅 び て キ プ チ ャ ク汗 国 の 時 代,二
つ の ル ー トを 通 じて 外 国 と の 通 商 が 行 な わ れ た 。 第 一
の ル ー トは 東 方 お よび 南 方 と の 交 易 で あ る 。 キ エ フ 時 代 の ドニ エ プ ル水 系 に代 わ りヴ ォル ガ水 系
が 主 な通 商 路 と して 栄 え た 。 こ の 水 系 は カ ス ピ 海 ・黒 海 に つ な が り,〈 オ ア シ ス の 道 〉 を 経 由 し
て 東 方 の 中 央 ア ジ ア や イ ン ド ・中 国,南
方 の 西 ア ジ ァや エ ジ プ トと結 ば れ て い た 。 第 二 の ル0ト
は 北 西 方 面 と の 交 易 で あ り,ノ ヴ ゴ ロ ドが 重 要 な 役 割 を 果 た した 。 ロ シ ア 産 の 毛 皮 や 蜜 蝋 ・蜂
蜜,東
方 の絹 織 物 ・綿 織 物,絨
毯,香
料,真
珠 ・宝 石 な どの 商 品 が キ プ チ ャ ク汗 国 の 首 都 サ ラ イ
32商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
に 集 ま り,国 内外 の 各 地 に 運 ば れ,販 売 さ れ た が,商 業 都 市 ノ ヴ ゴ ロ ドは,古
くか らバ ル ト海 経
由 で 西 欧 と つ な が っ て お り,ル ー シ諸 地 方 と西 欧 と を結 ぶ 中 継 貿 易 地 で あ っ た 。 ロ シ ア の 最 も重
要 な輸 出 品 は 毛 皮 で あ り,ノ ヴ ゴ ロ ドで ハ ンザ 商 人 は ロ シ ア 産 の 毛 皮 を買 い つ け た 。
外 国 と の 交 易,と
りわ け 東 方 お よ び 南 方 と の 交 易 で,運
ばれ て きたの は貨 物 だ け で は な か っ
ハ
ザ
ル
ヤ
た 。 先 進 的 な イ ス ラ ム 経 済 圏 の 言 語 で あ る ペ ル シ ア 語 や ト ル コ 語 か ら,6a3ap(市
タ
ヴ
ァ
ル
カ
(駅 ・宿 場),ToBap(商
用 語 が ロ シ ア 語 に 入 り,定
ば,キ
ズ
ナ
カ
品),Ka3Ha(金
バ
ラ
ム
場),RM
銭 ・国 庫),Ka6apa(債
務 契 約)な
どの 経 済
着 し て い っ た 。 ア ジ ア が 主 体 の 当 時 の 世 界 経 済 の 在 り方 を 考 え る な ら
プ チ ャ ク汗 国 の 支 配 時 代 の ロ シ ア を
あ ま り に も 短 絡 的 で あ り,一
〈タ タ ー ル の く び き 〉 の 一 言 で 片 づ け て し ま う の は,
面 的 で あ る 。 キ プ チ ャ ク 汗 国 の政 治 お よ び 経 済 の研 究 の 前 進 を 期 待
した い 。
モス ク ワ大公 国 の発展
北 東 ロ シ ア の ウ ラ ジ ー ミ ル 大 公 国 は,キ
し,キ
エ フ大公 国に代 わる全 ロ シアの宗 主 で あ る こ とを主張
プ チ ャ ク 汗 も こ れ を 認 め た 。 モ ス ク ワ は 最 初,こ
ズ ダ リ 公 国 の な か の 一 寒 村 に す ぎ な か っ た が,12世
領 公 国 に な っ た 。 モ ス ク ワ 公 国 は,キ
ル,ロ
ス ト フ,ト
の ウ ラジー ミル大公 国 の前 身 であ る ス ー
紀 半 ば に 城 壁 を も つ 町 に な り,1271年
プ チ ャ ク 汗 国 の 絶 対 的 支 配 の も と で,巧
ヴ ェ ー リ な ど の 有 力 な 公 国 と 指 導 権 を 争 い,徐
ラ ジ ー ミ ル 大 公 ア レ ク サ ン ド ル ・ネ フ ス キ ー(1220-63)の
み に,ウ
に分
ラ ジー ミ
々 に 勢 力 を拡 大 して い っ た 。 ウ
孫 に あ た る 無 官 の ユ ー リ ー は,キ
プ
チ ャ ク 汗 の 妹 と 結 婚 し,1317年
つ い に 念 願 の ウ ラ ジ ー ミル 大 公 位 を 手 に入 れ た 。 ユ ー リ ー の 弟
イ ヴ ァ ン1世(在
ま た1328年,ウ
位1325-40)も
ミ ル を モ ス ク ワ 公 国 に 併 合 し て,モ
ラ ジ ー ミ ル 大 公 位 の 勅 許 状 を 入 手 し,ウ
ス ク ワ 大 公 国 と 称 す る こ と を 許 さ れ た 。 彼 は,キ
ラ ジ ー ミ ル に 移 動 し て い た 正 教 会 の 府 主 教 座 を モ ス ク ワ に 移 し,モ
心 に す る こ と に 成 功 し た 。 イ ヴ ァ ン1世
89)は,1380年
ル の 支 配 か ら脱 し,全
拒 否 し た が}タ
プ チ ャ ク 汗 国 の 力 を 冷 静 に 測 り,汗
タ ー ル に 貢 物 も 送 ら な か っ た 。1480年
を,ロ
ンゴ
の勅 許 を得 ず にモ ス ク
に は キ プチ ャク汗 に対 す る忠 誠 を
ァ ー リ を 称 し,ビ
シ アが
ヴ ァ ン3世
がキ
〈タ タ ー ル の く び き 〉 か ら 最 終
の 主 な 仕 事 は,「 ル ー シ の 地 を 集 め る 」 こ と で
ヴ ゴ ロ ドや ト ヴ ェ ー リ を 併 合 し,ま
ェ ル ニ ゴ フ な ど を 獲 得 し,西
の 姪 と 結 婚 し,ッ
の 時 代 に,モ
タ ー ル の 側 に は こ れ を 懲 罰 す る 力 が な か っ た 。 ロ シ ア 史 で は,イ
的 に 解 放 さ れ た 年 だ と し て い る 。 イ ヴ ァ ン3世
ツ ク,チ
敗 を誇 る タ タ ー ル に最 初 の 一 撃
ロ シ ア に君 臨 す る こ と に な る 。
プ チ ャ ク 汗 に 対 す る 忠 誠 を 公 然 と 拒 否 し た1480年
あ っ た 。 彼 は,ノ
ス ク ワ を全 ロ シ ア の 宗 教 的 中
ミ ト リ ー ・ ド ン ス コ イ の 曾 孫 の イ ヴ ァ ン3世
イ ヴ ァ ン3世(1440-1505)は,キ
ワ 大 公 の 位 に つ き,タ
エ フか ら ウ
の 孫 の モ ス ク ワ 大 公 ド ミ ト リ ー ・ ド ン ス コ イ(1350-
の ク リ コ ヴ ォ の 戦 い で タ タ ー ル の 大 軍 を 破 り,不
を 与 え た 。 モ ス ク ワ 大 公 国 は,ド
ラ ジー
た リ ト ア ニ ア と 戦 っ て ス モ レ ン ス ク,ポ
部 に そ の 領 土 を 拡 大 し た 。 彼 は ま た,ビ
ザ ンッ皇 帝 の紋 章
ロ
ザ ン ッ最 後 の 皇 帝
「双 頭 の 鷲 」 を 使 用 し た 。 ツ ァ ー リ と は ,
ロ ー マ 皇 帝 の ラ テ ン語 の 称 号 カ エ サ ル の ロ シ ア 語 形 で あ り,当
時 ル ー シ で は ビザ ン ツ 皇 帝 とキ プ
二つ の産業革命(農 業革命 と工業 革命)と ロ シア(1)33
チ ャク汗 のみ に用 い られて いた称 号 で あ る。
イ ヴ ァ ン3世 の 孫 に あ た る イ ヴ ァ ン4世(1530-84)は,歴
代 の モ ス ク ワ大 公 の な か で 初 め て
正式に 「
全 ロ シ ア の ツ ァー リ」 と して 即 位 し た 。 そ の性 格 の 激 し さ ゆ え に雷 帝 と呼 ば れ た イ ヴ ァ
ン4世 は,対 外 的 に は カ ザ ン汗 国 と ア ス トラハ ン汗 国 を 滅 ぼ し,ヴ
ボ
ヤ
た 。 内 政 面 で は,対 立 す る ル ー シ諸 公 を 倒 し,ま た60Apeと
奉 仕 す る家 臣 に 変 え,彼
ォ ル ガ水 系 を 支 配 下 に お い
L
呼 ば れ る 門 閥 貴 族 を ツ ァー リ に
ら の 世 襲 領 地 を ッ ァー リが 家 臣 に 貸 与 す る封 地 に 変 え る こ と を め ざ し
た 。 す べ て の 貴 族 は,そ の 領 地 の 規 模 に 応 じ て,一 定 の 兵 や 馬 を供 出 し,軍 役 に つ く こ とが 義 務
づ け られ た 。 貴 族 は15歳
後,そ
に な る と 国 家 に奉 仕 す る 義 務 が 生 じ,そ れ は 死 ぬ ま で つ づ く。 彼 の 死
の 領 地 は,奉 仕 の 義 務 と と も に息 子 た ち に 受 け継 が れ る。 イ ヴ ァ ン4世 は,強 力 な 中央 集
権 国 家 の 樹 立 を め ざ し,ッ ァ ー リ ズ ム の 基 礎 を 築 い た 君 主 で あ る。
キ プ チ ャ ク 汗 国 か らモ ス ク ワ 大 公 国 の 時 代,引
きつ づ き ロ シ ア の 主 要 産 業 は 農 業 で あ っ た 。 主
な 農 作 物 は ラ イ麦 とオ ー ト麦 で あ っ た が,耕 作 方 法 は粗 放 で あ り,生 存 可 能 な 食 糧 の確 保 が や っ
とで あ っ た 。 三 圃 制 農 法(耕 地 を夏作地 ・冬作地 ・休 閑地 に3分 して輪 作 に よ り地力 維持 をは か る農 法,3
年周 期 で一巡)は 国 の 中 央 部 で よ う や く普 及 し つ つ あ っ た が,森 林 地 帯 で は,従 前 と 同 じ く森 を
焼 き払 っ て 耕 地 化 し,地 力 が 落 ち れ ば他 所 に 移 っ た 。 基 本 的 農 具 の 黎 も,馬 一 頭 で 牽 く,先 端 に
鉄 製 の 二 本 の 刃 を つ け た だ け の 初 歩 的 な もの で あ り,土 壌 を 深 く掘 り起 こ す こ と は で き な か っ
た。
人 口 の 大 部 分 は 農 民 で あ り,農 民 は 国 有 地,御
料 地,領
主 地(世 襲 地 あ るい は封地 〉,教 会 ・修
道 院 領 地 な ど に属 して い た 。 領 主 地 に住 む 農 民 は,国 税 の ほ か に領 主 に 地 代 そ の 他 の 支 払 義 務 を
負 っ て い た。 農民 の 負 担 は い つ の 時 代 も軽 く は な か っ た が,モ
オ
ブ
リ
チ
ニ
重 く な り,戦 争 と 自然 災 害,OHPHqHHHaの
ス ク ワ 大 公 国 の 発 展 期 に は と くに
ナ
っ つ く16世 紀 後 半 に は と りわ け 過 重 で あ っ
た 。 追 い つ め られ た 農 民 の 選 択 肢 は,逃 亡 しか な か っ た 。 負 担 が 苛 酷 で あ っ た 封 地 の 農 民 は,生
活 条 件 の よ い 教 会 ・修 道 院 や 貴 族 の 領 地 に 逃 げ 込 む か,辺
境 あ る い は 国外 に逃 れ て カザ ー ク に
な っ た 。 国 家 は,勤 務 貴 族(封 地)を 保 護 す る た め に,農 民 の 移 動 の 禁 止,す
な わ ち 〈農 奴 制 〉
へ の 道 を考 え は じめ た 。
農 民 の ほ か に 貴 族,聖
ク
ニ
ヤ
は,KHR3も(公)に
職 者,都
市 住 民,奴
隷 が お り,ま た 民 族 的 に も多 様 で あ っ た 。 貴 族 に
ジ
ボ
ヤ
ヘ
レ
次 ぐ 身 分 の 世 襲 領 地 を も つ と60Ape呼
ば れ る古 い タ イ プ の 門 閥 貴 族
ト
ヴ
ォ
リ
ャ
ネ
と,大 公 か ら封 地 あ る い は 俸 給 を 拝 領 し,軍 役 な ど に従 事 す るABOPRHe呼
ば れ る 新 しい タ
イ プ の 勤 務 貴 族 の 二 つ が あ っ た 。 イ ヴ ァ ン4世
しい 勤 務 貴 族 を
は,古 い 門 閥 貴 族 の 力 を そ ぎ,新
登 用 して,中 央 集 権 的 な専 制 国 家 を建 設 した 。
他 民 族 の 宗 教 に対 して モ ン ゴ ル は 寛 容 で あ っ た。 ロ シ ァ で も教 会 ・修 道 院 は税 を 免 除 さ れ,土
地(土 地付属 農民)や 財 産 は 保 護 さ れ た 。 諸 公 の 贈 与 や 寄 進 に よ っ て,教 会 ・修 道 院 は広 大 な 領 地
を も っ た 。 教 会 ・修 道 院 が ロ シ ア各 地 に 続 々 とつ く ら れ,聖
職者 は 宗教 的 文化 的 活 動 の 中心 に
な っ た 。 教 会 ・修 道 院 の 経 済 的 基 礎 は,農 民 に よ る所 領 地 の 耕 作 で あ っ た 。 な お 教 会 ・修 道 院 領
34商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
地 が 国 有 地 化 さ れ る の は1764年
の こ と で あ り,こ の 措 置 で そ こ に 住 む100万
の男 子 農 民 は国有
地 農民 に編入 され た。
宗 教 に お け る ビザ ン ツ と ロ シ ア の 関 係 を み る と,ロ
シ ア の 教 会 は,コ
ンス タ ン テ ィ ノ ー プ ル総
主 教 座 の 管 轄 下 に あ り,府 主 教 も多 く は ビ ザ ン ツ か ら派 遣 さ れ た 。15世 紀 初 め,ビ
ザ ン ツ帝 国
は ア ナ トリ ア や バ ル カ ン半 島 で 勢 力 を 拡 張 す る オ ス マ ン トル コ の 脅 威 に直 面 し た 。 ビザ ン ツ 皇 帝
は,ロ
ー マ 法 王 と西 欧 カ トリ ッ ク の 援 助 で トル コ の 脅 威 か ら逃 れ よ う と し,結 果 的 に は ロ ー マ 教
会 へ の 吸 収 を もた らす 東 西 両 教 会 の 合 同 を考 え て い た 。 ロ ー マ 教 会 へ の 屈 服 は,正 教 信 仰 へ の 裏
切 り を意 味 し た 。 合 同 に 反 対 し て,ロ
こ の こ と を 契 機 に ロ シ ア 教 会 は,コ
シ ァ 主教 会 議 は,自 主 的 に 自分 た ち の 府 主 教 を選 出 し た 。
ン ス タ ンテ ィ ノ ー プ ル か ら事 実 上 独 立 し た 。1453年
の ビザ
ン ツ帝 国 の 滅 亡 は,背 教 者 に対 して 神 の 罰 が 下 っ た の で あ る 。 な お モ ス ク ワ に 総 主 教 座 が 創 設 さ
れ る の は,1586年
の こ とで あ る 。
貴 族 や 聖 職 者 の ほ か に 商 人 や 手 工 業 者 な どの 都 市 住 民 が い た が,総
世 紀 末 に お い て も3-4%に
す ぎ な か っ た 。 当 時 の モ ス ク ワ の 人 口 は10-20万
ポ
が,商
人 口 に 占 め る 比 率 は,18
工 業 者 は 全 住 民 の13%程
サ
人 とい わ れ た
ド
度 と推 定 さ れ た 。HocaA(商
工 業地 区)の 住 民 と 呼 ば れ る 一
般 の 商 工 業 者 は,移 動 の 自 由 が 制 限 され,租 税 負 担 の た め 業 界 団 体 に 縛 りつ け られ て お り,西 欧
ポ
ロ
プ
で の よ う に ギ ル ド を 組 織 す る こ と も な か っ た 。 そ の ほ か に,XOπoIIと
り,16-17世
業 者,下
紀,全
人 口 の10%以
上 を 占 め て い た 。 彼 ら は,各
種 所 領 地 に お い て 耕 作 者,手
僕 の 仕 事 を し た 。 主 と し て 逃 亡 農 民 か ら 成 る カ ザ ー ク は,ド
ク 川 な ど の 方 面 で 大 集 団 を 形 成 し て い た 。 モ ス ク ワ 大 公 国,そ
に と も な い,そ
の 版 図 に 百 を 越 え る 非 ロ シ ア 民 族(タ
ャ ー ト,サ バ な ど)が
呼 ば れ る奴 隷 が お
ニ エ プ ル 川,ド
ン 川,テ
工
レ
の継 承 国家 ロ シア帝 国 の領 土拡 大
ター ル,バ
シ キ ー ル}チ
ェ チ ェ ン,朝 鮮,ブ
リ
従 属 民 族 と して 含 まれ る よ う に な っ た 。
ピ ョ ー トル 大 帝 と ロ シ ア 帝 国
イ ヴ ァ ン4世(雷
帝)の
死 後14年
ス
し,し
ム
目 の1598年
ば ら く 政 治 的 社 会 的 なCMyTa(動
た 。 約300年
乱)が
帝)は
力 な 権 力 を て こ に,強
た 君 主 で あ る 。 彼 は,ス
イ
ン
ペ
に ロマ ノ ブ朝 が 成 立 し
し 人 物 ロ シ ア 史 を 書 く と す れ ば,
大 な 国 家 を 築 き,徴
シア の
兵 制 の 軍 隊 を 強 化 し,バ
ル ト海 に 臨 む ネ
「近 代 化 ・西 欧 化 」 に 努 め,絶
対 王 政 を敷 い
ウ ェー デ ン と の北 方 戦 争 に勝 利 し て ロ シ ア を ヨ ー ロ ッパ の 大 国 に
ラ
に はKMnepaToP(皇
ア 帝 国 の 建 国 者 に な っ た(土
ト
ル
ヴ
帝)お
ェ
リ
よ びBe∬HKK且(大
キ
帝)の
称 号 を 受 け,ロ
シ
肥 恒 之 『ピ ョー トル 大 帝 とそ の 時 代 』 中 公 新 書,1992)。
ピ ョ ー トル 大 帝 の 時 代,ロ
宗 主 国 オ ス マ ン トル コ 帝 国,西
は,キ
つ づ い た 後,1613年
逸 す る こ と の で き な い 人 物 の 一 人 で あ る 。 ピ ョ ー ト ル1世(1627-
ヴ ァ 河 口 に 新 首 都 ペ テ ル ブ ル ク を 建 設 し,ロ
し,1721年
つ づ い た リュ ー
一リ ク 朝 は 断 絶
つ づ い た ロ マ ノ ブ 朝 は 多 く の 人 材 を 生 ん だ が,も
ピ ョ ー ト ル1世(大
1725)は,強
に,約700年
タ
シ ア に は 三 方 に 敵 対 す る 国 が あ っ た 。 南 の ク リ ミア 汗 国 お よ び そ の
の ポ ー ラ ン ド,北
プ チ ャ ク 汗 国 の 継 承 国 家 で あ る と 称 し て,ロ
の ス ウ ェ ー デ ンで あ る 。 南 方 の 敵 ク リ ミア 汗 国
シ ァ に 貢 税 を 納 め さ せ,ま
た しば し ば ロ シ ア
二 つ の 産 業 革 命 儂 業 革命 と工 業 革 命)と
南 部 の 都 市 や 農 村 を 襲 撃 し,略
ぐ ド ン 川 の 河 口 に は,ロ
奪 や 誘 拐 を繰 り返 し た 。 ク リ ミア 汗 国 が 所 在 す る ア ゾ フ海 に そ そ
シ ア が ア ゾ フ海 か ら黒 海 に 進 出 す る こ と を妨 げ る オ ス マ ン帝 国 の ア ゾ フ
要 塞 が あ っ た 。 陸 軍 の み で の 第1次
遠 征 を 試 み,1696年
権,ダ
ア ゾ フ 遠 征 に 失 敗 し た ピ ョ ー トル は,急
に は ア ゾ フ 要 塞 を 占 領 し た 。 し か し,ロ
こ と で あ る 。 西 方 の 敵 ポ ー ラ ン ド は,リ
以 降,ボ
ト ア ニ ア=ポ
紀 に は 最 盛 期 を 迎 え,ロ
露 土 戦 争 に 勝 利 後 の1774年
ー ラ ン ド 王 国(ヤ
ン ド も,17世
シ ア と の 戦 争(1654-67),ス
ス マ ン ト ル コ と の 戦 争(1672-76)で
国 土 は 荒 廃 し,多
紀半 ば
ウ ェ ー デ ン との 戦
く の 領 十 と バ ル ト海 交 易
の 利 権 を 失 っ て い た 。 当 時 デ ン マ ー ク も ま た ス ウ ェ ー デ ン に 痛 め つ け ら れ て い た の で,ピ
ル の ロ シ ア は,こ
の ポ ー ラ ン ドお よ び デ ン マ ー ク と 同 盟 を 結 び,北
ス ウ ェ ー デ ン と20年
も 戦 い,い
わ ゆ る 北 方 戦 争(1700-21)に
の
ギ ェ ウ ォ 朝,1386-1572)
シ ア と 対 立 し た 。 こ の ポ0ラ
グ ダ ン ・フ メ リ ニ ツ キ ー の 乱(1648),ロ
争(1655-60),オ
遽 海 軍 を創 設 し て 再
シ ァ が トル コ か ら黒 海 の 自 由 航 行
ー ダ ネ ル ス ・ボ ス ポ ラ ス 海 峡 の 通 行 権 を 得 る の は,第1次
を つ く り,15-16世
ロ シ ア(1)35
ョー ト
方 の 敵 で あ る バ ル ト海 の 帝 国
勝 利 し て,バ
ル ト海 の 支 配 者 に
なっ たの であ る。
東 ア ジ ア と の 関 係 を み る と,ピ
め,1689年
に は 中 国(清
朝)と
ョ ー ト ル は,砂
金 と毛 皮 を求 め て シベ リア 開 発 を押 しす す
ネ ル チ ン ス ク 条 約 を 結 び,両
な っ た 。 彼 は 日 本 に つ い て も 関 心 を い だ き,1702年
本 の 話 を 聴 き,ロ
(1681-1741,ロ
を 探 検 さ せ た が,彼
は 大 帝 死 後 の1728年
位1682-1725)の
争 を 遂 行 す る た め に,巨
る に 至 っ た 。 政 府 は,各
に
「伝 兵 衛 」 を 引 見 し,日
治 世,常
の 専 売 権 を 特 定 の 商 人 に 与 え,彼
ー リング
ジ ア と ア メ リ カ と が 陸 続 きで あ る か 否 か
「ベ ー リ ン グ 海 峡 」 を 確 認 し,1741年
には ア ラス カ
ドル で ア メ リ カ に売 却)。
備 軍(歩
兵 を 主 とす る21万
額 の 資 金 が 入 り用 に な り,軍
種 の 臨 時 税 の ほ か,渡
か ら 人 間 の 髭 に い た る ま で40種
て ら れ,徴
命 じ て,ア
地 を ロ シ ア 領 に し た(1867年,720万
ピ ョ ー ト ル 大 帝(在
持 し,戦
に は 日本 の 漂 流 民
国 と通 商 を 行
シ ア の 青 年 に 日 本 語 を 教 授 す る よ う に 命 じ た 。 ピ ョ ー ト ル は,ベ
シ ア海 軍 所 属 の デ ンマ ー ク 人)に
に 到 達 し て,同
国 の 国 境 を 画 定 し,中
船 場,橋,水
の 陸 軍,新 設 の 海 軍)を
事 費 は 国 家 財 政 の3分
車,蜂
の 巣 箱,馬
維
の2を
占め
の 水 飲 場,内
風 呂
以 上 の も の に 税 を か け た 。 塩 ・火 酒 ・石 炭 ・大 黄 ・タ バ コ な ど
ら に 利 益 の 一 部 を 上 納 さ せ た 。 後 述 す る 人 頭 税 は,軍
兵 と 結 び つ い て い た 。 軍 事 以 外 の 政 策 も 戦 争 関 連 の も の が 多 く,大
事 費 に充
砲 ・軍 船 ・軍 服 ・
帆 布 な ど の 軍 需 品 を 生 産 す る た め に 各 種 の 官 営 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア が 設 立 さ れ た 。 航 海 学 校,海
軍 兵 学 校,砲
術 学 校,医
術 学 校 な どが 開 校 さ れ た 。
国 家 機 構iが 整 備 さ れ,1708年
務,陸
軍,海 軍,司
法,歳
入,歳
に は 県 制 度,1711年
出,鉱 業,工
業,商
年 に は 総 主 教 座 を 廃 止 し て 宗 務 院 を 設 置 し,国
し,正
れ,15歳
に は 元 老 院,1719-21年
業 な ど12の 政 府 行 政 機 関)が
設 け ら れ た 。1720-21
庫 収 入 を 増 や す た め に 教 会 ・修 道 院 領 を 国 有 化
教 会 を 皇 帝 権 力 に 従 属 さ せ た 。 貴 族 は 人 頭 税 を 免 除 さ れ た が,国
家 へ の奉 仕 を 義 務 づ け ら
か ら 死 ぬ ま で 文 武 い ず れ か の 官 職 に つ く こ と が 強 制 さ れ た 。1722年
宮 内 官 に つ い て14官
に は 参 議 会(外
等 か ら な る 官 等 表 が 制 定 さ れ,昇
格 の 基 準 が 決 め ら れ,貴
に は 武 官 ・文 官 ・
族 で ない ものが
36商
経
論 叢
第39巻
第2号(2QO3.11)
ボ ヤ
貴 族 に な る 道 が 開 か れ た 。 こ の よ う な 官 僚 制 度 の 整 備 に と も な い,新
ド
ヴ
ナ
リ
ャ
区 別 は消 滅 した 。
1718-22年
に 全 国 的 な 人 ロ 調 査 が 行 な わ れ た が,そ
の 目 的 は,課 税 単 位 を 「世 帯 」 か ら 「人
間 」 に 変 え,増 収 を は か る こ と で あ っ た 。 総 人 口 は1570万
税 対 象 人 口 は540万
人 で あ っ た 。 人 頭 税 は,人
オ
プ
ン
チ
人,領
主 地 農 民 儂 奴)を 主 とす る 課
口 調 査 簿 に 記 載 され た す べ て の 男 子(赤 子 か ら老
人 まで)に 賦 課 さ れ,逃 亡 農 民 や 死 亡 農 民 も20年
ル
レ
ネ
ABOPRHe)の
こ
旧 貴 族(60Apeと
毎 の 人 口 調 査 で 除 籍 さ れ る ま で,農 村 共 同 体
ナ
(MKpや06田HHa)の
連 帯 責 任 で 納 税 を 求 め ら れ た 。 税 額 は,農
ホn お よ び 商 工 地 区 住 民1ル
ー ブ リ14カ
の 課 税 対 象 に な っ た の で,長
奴74カ
ペ イ カ,国
有地農民
プ
ペ イ カ で あ っ た 。xo」Ion(奴
隷)も 農 民 と同 じ く人 頭 税
い 歴 史 を もつ ホ ロ ー プ制 度 も終 末 を 迎 え た 。 農 奴 か らの 人 頭 税 の 徴
収 は 領 主 の 責 任 と さ れ た の で,こ
の 調 査 の あ と農 奴 は 領 主 の 許 可(旅 券)が な け れ ば 居 住 地 を離
れ る こ と が で き な くな っ た 。 人 頭 税 と旅 券 制 度 の 導 入 に よ り,領 主 の 農 民 支 配 力 は よ りい っ そ う
強 ま り,こ れ 以 後 十 地 と切 り離 し て 農 奴 の 売 買 が で き る よ う に な り,ロ シ ア の 農 奴 制 は奴 隷 制 と
た い して 違 わ な い もの に な っ た 。 人 頭 税 の 徴 収 は 苛 酷 を き わ め,そ
の た め に 農 民 の 逃 亡,一 揆 が
し き り に起 こ っ た 。
ロ シ ア の 村 落 共 同 体 と農 奴 制
ロ シ ア の 経 済 は,キ エ フ ・ロ シ ア の 時 代 か ら1861年
の 農 奴 解 放 の 頃 ま で,狭 義 の 農 業 が 主 要
な 産 業 で あ り,商 業 や 手 工 業 は 副 次 的 な 存 在 で あ っ た 。 自然 経 済(生 産物 経 済)が 主 で あ り,商
品 貨 幣 経 済 は 従 で あ っ た 。 指 令 経 済 が 主 で あ り,市 場 経 済 は 従 で あ っ た 。 農 奴 解 放 後,ロ
シアの
工 業 化 は急 速 に 展 開 し}そ れ に と も な い 農 業 社 会(自 然経 済)か ら工 業 社 会(商 品貨 幣 経済)へ の
移 行 が み られ,社 会 経 済 的 に は,資 本 主 義 が 支 配 的 な ウ ク ラ ー ドに な っ た 。 しか し,ロ シ ア 資 本
主 義 は1917年
た が,こ
の ロ シ ア 革 命 で 一 旦 姿 を消 し,そ れ 以 後 〈
社 会 主 義 〉 の 実 験 が70年
の 実 験 も1991年
の ソ連 邦 解 体 で 中 断 し,ロ
余 り行 な わ れ
シ ア は 資 本 主 義 発 展 の 道 に戻 っ た 。 さ て こ
こ で 問 題 と な る の は,キ エ フ 時 代 か らモ ン ゴ ル 支 配 時 代 をへ て モ ス ク ワ 大 公 国 時 代,さ
らには ロ
シ ア 帝 国 時 代 儂 奴解放 以前)の ロ シ ア 社 会 の社 会 経 済 的 な性 格 に つ い て で あ る。
ロ シ ア に お い て は,こ れ らの 時 期 をす べ て 封 建 制 とみ な す 見 解 が 有 力 で あ る が,ロ
儂 奴制)の 起 原 お よ び 性 格 につ い て は,今
言 う と こ ろ の 封 建 制 は,第
シア封建 制
日な お さ ま ざ ま な 議 論 が あ る 。 日本 の 西 洋 経 済 史 学 が
一 に,村 落 共 同 体 を基 礎 に して お り,農 民 は い ず れ か の 共 同体 に 所 属
して 一 定 の 土 地 を 占 取 し,共 同 体 の 一 員 と して 生 活 す る 。 商 人 や 手 工 業 者 が つ く る ギ ル ドも,村
落 共 同 体 の 擬i制で あ る。 封 建 社 会 は,村
落 共 同 体 ま た は そ の 擬 制 集 団 を細 胞 とす る有 機 体 に た と
え る こ とが で き る。 第 二 に,封 建 制 は,土 地 所 有 に も とつ く領 主 一農 民 関 係 を基 軸 に して お り,
封 建 領 主 は,小
農 民 の 生 産 す る 余 剰 を 地 代(労 働 地 代,生 産物 地代,貨 幣地 代 な ど)と し て 収 取 す
る 。 租 税 や 関 税 な ど各 種 の 公 租 や 商 人 の 利 潤 も封 建 地 代 の 転 化 形 態 とみ る こ とが で き る 。 地 代 の
重 圧 が 生 産 者 の も と に お け る 利 潤(資 本)の 発 生 を 制 限 し て い る 。 封 建 制 は,農 奴 制 を前 提 とす
る 生 産 様 式 で あ り,農 民 は 独 立 の 小 農 民 的 経 営 を営 み,直 接 生 産 者 と して 事 実 上 の 土 地 保 有 権 を
二つ の産業革命(農 業革 命 と工業 革命)と ロシア(1)37
もっ て い る。 名 目上 の 土 地 所 有 者 で あ る 領 主 は,農 民 に対 す る 人 格 的 支 配 に も とつ く経 済 外 的 強
制 に よ っ て,農 民 か ら封 建 地 代 を収 取 す る(諸 田實他 著r新 版西洋経 済史』有 斐i閣,1985)。
ソ 連 時 代 の 通 説 で は,す で に 述 べ た よ う に,キ エ フ ・ル ー シ の 建 国 時 の9世 紀 か ら,ロ シ ア は
ミ
封 建 制 で あ っ た 。 ま ず 村 落 共 同体 に つ い て み る と,ロ
オ
プ
ン
チ
06田HHaと
ル
シ ア の 村 落 儂 村)共 同 体 は,MHPと
か
ナ
呼 ば れ,農
民 の 生 活 全 般 が 営 ま れ る場 で あ っ た 。 共 同体 で は,各 農 家 の 家 長 か ら
な る 集 会 が 定 期 的 に 開 か れ,村
長 ・書 記 ・会 計 な どの 役 員 を 選 出 し,さ
ま ざ まな活 動 を行 な っ
た 。 主 な 仕 事 は,国 家 お よ び 領 主 か ら連 帯 責 任 で 課 せ ら れ る税 ・義 務 を 成 員 に配 分 し,同 時 に そ
の 配 分 と連 関 させ て 共 同 体 の 耕 地 を 成 員 に分 配 す る こ と で あ っ た 。 耕 地 の 配 分 単 位 と な る 農 家 労
働 力 は,時 の 経 過 と と も に変 化 す る の で,毎 年 耕 地 の 配 分 の 微 調 整,定
期 的 に耕 地 の 全 面 的 な 再
配 分(割 替)が 行 な わ れ た 。 共 同 体 の 土 地 の う ち,屋 敷 地 ・庭 畑 地 は 農 民 の 私 的 所 有 で あ り,耕
地 は 個 別 的 に 利 用 さ れ 定 期 的 に 割 替 られ た 。 放 牧 地 や 森 林 は 共 同 体 の 所 有 で あ り,共 同 利 用 さ れ
た 。 共 同体 は,国 家 か ら課 せ られ た 兵 役 者 の 人 選 を行 い,軍 隊 の 宿 舎 の 建 設,軍
供,道
路 ・橋 の 整 備 な ど を し な け れ ば な ら な か っ た 。 共 同 体 は,共
賃 借 ・購 入 し,未 亡 人 ・被 災 者 に対 して 扶 助 を行 い,出
隊へ の食 事 の提
同体 費 を集 め,製
粉所 な ど を
稼 ぎや 農 民 一揆 の さ い に は 共 同 行 動 の 拠
点 に な っ た。 ロ シ ア の 共 同 体 は,国 家 お よ び 領 主 に よ る 農 民 支 配 の 手 段 と して の 側 面 と,農 民 の
自治 組 織 と し て の 側 面 を も っ て い た 。
定 期 的 な 土 地 割 替 を 主 要 慣 行 とす る ロ シ ア の 共 同 体 の 起 原 に つ い て は,ロ
い て,19世
紀 半 ば 以 降 激 しい 議 論 が な さ れ て き た 。 一 つ は,そ
シアの 歴 史学界 にお
の 起 原 を古 代 ロ シ ア に 求 め,キ
エ フ ・ロ シ ア 時 代 の 農 村 共 同 体(ヴ ェル フ ィ)と の 歴 史 的 連 続 性 を 主 張 す る 。 い ま 一 つ は,そ
の
起 原 を ピ ョー トル 大 帝 時 代 の 人 頭 税 の 導 入 と結 び つ け る 見 解 で あ る 。 土 肥 恒 之(1947-)は,土
地 の 割 替 は ピ ョー トル 以 前 の17世
紀 に す で に 存 在 して い た の で,人
は な く,農 奴 制 の 確 立 に よ る 領 主 の 農 民 支 配 の 強 化,共
す べ き で あ る,と
頭 税 の 直 接 的 影 響 と して で
同 体 の 連 帯 責 任 制 の 確 立 と の 関連 を 重 視
主 張 して い る(土 肥 恒之 「ロ シア近世 農村 社会 史』創文社,1987)・
ロ シ ア の 共 同体 の 歴 史 的 性 格 を め ぐ っ て も論 争 が あ り,ア ジ ア 的 共 同 体 説 と ゲ ル マ ン的 共 同 体
説 とが あ る 。 ア ジ ア 的 共 同 体 説 の 論 拠 は,(1)屋
敷 地 ・庭 畑 地(ヘ レデ ィゥム)の み の 私 有,(2)
耕 地 の 定 期 的 割 替(納 税義務 負担 のための実 質的平等 の原則,個 別経営 の未 成熟〉,(3)共
位 は 家 父 長 制 大 家 族,(4)社
会 的 分 業 の 展 開 の 低 位 性(ッ
ンフ ト的工 業 に まで発 達 してい ない クス
ター リエ業の存在)で あ る 。 ゲ ル マ ン的 共 同 体 説 の 主 た る 論 拠 は,(1)ミ
同 体 で は な く,土 地 占 取 者 の 隣 人 集 団 で あ る,(2)共
同体 の構 成 単
同 体 の 成 員 は,家
ー ル は ア ジ ア 的 な種 族 共
父長制的直系家族で あ
り,持 分(フ ー フェ)に も とづ き3種 の 土 地(屋 敷 地 ・庭 畑地,耕 地,共 同地)を 個 別 的 に 経 営 す る
再 生 産 の 基 本 的 単 位,す
な わ ち 封 建 的 自営 農 民 で あ る,(3)定
存 在 も,そ れ 自体 と して は,ア
ロ シ ア の 農 民 は,15世
期 的割 替制 や 実質 的平 等 の原則 の
ジ ア 的 共 同 体 と規 定 す る に は 不 十 分 で あ る 。
紀 まで は 自 由 な 移 動 が 認 め ら れ て い た 。 だ が,15世
紀 末 の イ ヴ ァ ン3
世 時 代 の 〈1497年 法 典 〉 は,農 民 の 移 動 を 秋 の ユ ー リ ー の 日(ロ シア暦11月26日)の
前 後 各1週
38商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
問 に 限 定 し,移 動 す る 農 民 に 移 動 料 を 支 払 わ せ た 。 こ れ と 同 じ 内 容 の も の が イ ヴ ァ ン4世 の
〈1550年 法 典 〉 に 引 き継 が れ た が,16世
紀 末 に 農 民 は ユ ー リー の 日の 規 定 が 保 証 す る 移 動 の権 利
を 失 い 始 め た 。 そ れ と 同 時 に,領 主 の 逃 亡 農 民 へ の 追 求 権 の 期 限 も5年,10年,15年
れ,1649年
の 〈
会 議 法 典 〉 で そ れ は 無 期 限 と定 め ら れ,こ
ロ シ ア の 農 奴 制 は,ピ
ョー トル 大 帝 の 時 代 に,ロ
と延 長 さ
れ に よ り農 奴 制 は 法 的 に 完 成 し た。
シ アの 「
近 代 化 」 を 支 え る も の と して 完 成 した
ので あ る。
ロ シ ア の 農 民 は,18世
紀 後 半 か ら19世
紀 前 半,国
有 地 農 民,御
料 地 農 民,領
主 地農民 儂
奴)の 三 種 類 に 分 類 さ れ た 。 国 有 地 農 民 お よ び御 料 地 農 民 は,農 奴 と違 っ て 売 買 さ れ る こ と は な
か っ た が,人
頭 税 と貢 租 を 支 払 う義 務 が あ っ た 。 農 奴 と呼 ば れ た の は領 主 地 農 民 で あ り,1857-
60年 の 第10回
人 口 調 査 に よ れ ば,ヨ
ー ロ ッパ ・ロ シ ア に お け る 領 主 地 農 民(農 奴)人 口 は2200
万 人 で あ っ た 。 ロ シ ア の 農 奴 は,国 家 に 対 して は 人 頭 税 の 支 払 い と兵 役 が 義 務 づ け られ,領
主に
対 し て は 人 格 的 に 隷 属 し,貢 租 ・賦 役 を 強 制 され た 。 領 主 の 土 地 の 一一
部 は 直 営 地 で あ り,他 の 一
部 は村 落 共 同体 儂 民)に 分 与 さ れ た 。 分 与 地 を受 け 取 る代 償 に,村 落 共 同体 儂 民)は 貢 租 ・賦
役 の 義 務 を 負 っ た 。 貢 租 は,農
産 物 や 手 工 業 製 品,現 金 や 出 稼 ぎ の 貨 幣 所 得 に よ っ て 納 め ら れ
た 。 賦 役 は,領 主 の 直 営 地 で の 農 作 業 が 主 で あ っ た が,ほ
働 も あ っ た 。 賦 役 は 週3日
が 慣 例 で あ っ た が,次
か に領 主 の 経 営 す る 工 場 や 鉱 山 で の 労
第 に 週4日
か ら5日 あ る い は そ れ 以 上 に な っ
た。
賦 役(労 働 地代)は,農
民 の 全 剰 余 労 働 の 搾 出,人 格 的 自 由 の 制 限,生
産 力 発展 の制 約 を と も
な う封 建 的 支 配 の 最 も粗 野 な 形 態 で あ る 。 エ ル ベ 川 以 西 の ヨー ロ ッパ を み る と,賦 役 は 封 建 制 初
期 の 古 典 荘 園 の 領 主 直 営 地 に お い て 農 民 儂 奴)に 課 せ られ た 。 そ の 後 西 ヨ ー ロ ッパ で は 領 主 直
営 地 は解 体 し,農 民 は 自 己 の 全 労 働 時 問 を 自 己 の 経 営 地 に 投 入 し,そ こ か ら得 ら れ る 生 産 物 の 一一
定 量 を領 主 に納 め る よ う に な り(生 産物 地代),農 民 の 領 主 に対 す る 身 分 的 隷 属 は 緩 和 さ れ た(隷
農)。 封 建 制 の 崩 壊 期 に は,商 品 経 済 の 発 展 に と も な い,農 民 は 恒 常 的 な 小 商 品 生 産 者 に な り,
商 品 販 売 に よ り得 た 貨 幣 の 一 定 量 を領 主 に 支 払 う に 至 り(貨 幣地代),農
に 緩 和 され,独
で は,16世
民 の 身分 的 隷属 度 は さ ら
立 自営 農 民 も登 場 した 。 と こ ろ が エ ル ベ 川 以 東 の 東 ヨ ー ロ ッパ の ドイ ツ 人 入 植 地
紀,商
品 生 産 の た め に領 主 が 直 営 地 を 再 拡 張 し賦 役 を復 活 させ た(再 版 農奴制)。 ロ シ
ア の場 合 は,こ の よ う な再 版 農 奴 制 で は な い が,農
奴 制 そ の もの が ロ シ ア 帝 国 時 代 に 確 立 し た の
で ある。
ロシ アの農 奴制 マニ ュフ ァク チ ュア
ピ ョー トル1世(大
帝)の 時 代 は,ロ
シ ア 絶 対 王 政 の 成 立 期 で あ る と 同 時 に,ロ
シ ア の 「初 期
工 業 」 化 の 開 始 期 で もあ っ た 。 ピ ョー トル 大 帝 の 「上 か ら」 の 工 業 化 政 策 は,そ の 後 の ロ シ ア の
工 業 化 方 式 の 原 型 に な っ た 。 彼 の 工 業 育 成 政 策 は,第 一 に 官 営 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア の 設 立,第
に 民 間 企 業 家 へ の 援 助,第
た。
三 に 保 護 関 税 制 度 の 実 施,第
二
四 に 外 国 技 術(技 術 者)の 導 入 で あ っ
二つ の産業革命(農 業 革命 と工業 革命)と ロシア(1)39
ロ シ ア で は ピ ョー トル の 時 代 に,す
船,火
薬,兵
器,軍
服,帆
で に 述 べ た よ う に 軍 事 目 的 の た め に,鉱
山=製 鉄 業,造
布 な どの 官 営 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア が 続 々 と設 立 さ れ た 。 この 時 期 に始
ま っ た ウ ラ ル の 製 鉄 業 の そ の 後 の 発 展 は め ざ ま し く,ロ シ ア は 鉄 の 輸 入 国 か ら輸 出 国 に 転 換 し
た 。 民 間 私 企 業 の 育 成 の た め に,営 業 独 占権,補
わ れ,私
助 金 の 交 付,免
税,製
品 の 政 府 買 付 な どが 行 な
企 業 に お け る 農 奴 労 働 力 の 使 用 が 認 め られ た 。 国 内 工 業 の 育 成 の た め に,外 国 製 の 帆
布 ・亜 麻 ・布 ・鉄 な ど に は 高 率 の 関税 が か け られ た 。 多 数 の留 学 生 が 西 欧 諸 国 に派 遣 さ れ,ま
た
多 数 の 外 国 人 技 術 者 ・職 人 が 雇 い 入 れ ら れ た 。
ロ シ ア の マ ニ ュ フ ァ クチ ュ ア は,西 欧 の た と え ば イ ギ リ ス の マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア と比 較 した と
き,ど
こが どの よ う に違 うの か 。 最 大 の 相 違 点 は,マ
な 背 景 で あ る 。 イ ギ リス の 場 合15世
ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア を 生 み だ した 社 会 経 済 的
紀 は 封 建 制 の 転 換 期 で あ り,領 主 直 営 地 の 定 期 借 地 制 へ の
移 行 お よ び 賦 役 の 金 納 化 が 急 速 に 進 行 し,そ れ ま で の 労 働 地 代 や 生 産 物 地 代 に代 わ っ て,貨 幣 地
代 が 地 代 の 主 要 な 形 態 に な っ た 。 農 民 は 農 奴 制 の 廃 止,地
代 の 引 下 げ,商
品売 買 の 自由 を求 めて
立 ち上 が っ た(た とえば その先駆 は,1381年 の ワ ッ ト ・タィ ラー の舌L)。賦 役 か ら解 放 さ れ た 農 民 や 手
工 業 者 は,余 剰 生 産 物 を 近 隣 の 市 場 で 売 買 し,貨 幣 的 富 の 蓄 積 を 始 め た 。 農 村 の 直 接 的 生 産 者
儂 民 ・手工業者)の 経 済 的 地 位 は 向 上 し,〈 農 民 的 商 品 経 済 〉 あ る い は 〈
農 民 的 貨 幣 経 済 〉,<農 民
的 市 場 経 済 〉 と呼 ば れ る もの が 広 汎 に 発 展 した 。 独 立 自営 農 民 や 手 工 業 者 の 小 ブ ル ジ ョ ア 的発 展
の な か か ら 自生 的 に マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア が 成 長 し,そ れ は ま た 封 建 制 の 解 体 を促 進 す る役 割 を 果
た し た 。 イ ギ リス 毛 織 物 マ ニ ュ フ ァ クチ ュ ア を例 に と れ ば,技 術 的 に は ま だ 手 工 業=道
に と ど ま っ て い た が,分
業 と協 業 が 行 な わ れ,経
具 の段 階
営 者 は ヨー マ ン(独 立 自営農民)あ る い は小 親 方
出 身 の 産 業 資 本 家 で あ り,賃 金 労 働 者 を雇 用 して い た 。 新 興 の マ ニ ュ フ ァ クチ ュ ア 経 営 者 は,既
存 の 商 業 資 本 家 の 独 占権 や 問 屋 制 支 配 と対 立 し た 。
こ れ に 対 して ロ シ ア の マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア は,軍 事 的 国 家 的性 格 の 特 権 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア で
あ り,支 配 的 ウ ク ラー ド と して の 農 奴 制 と対 立 ・矛 盾 す る ど こ ろ か,む
奴 制 を補 強 す る も の で あ っ た 。 ロ シ ア の 場 合,一
し ろ 農 奴 制 に 立 脚 し,農
般 に マ ニ ュ フ ァ クチ ュ ア の 経 営 規 模 は 小 さ く,
大 き な場 合 も小 作 業 場 や 家 内 手 工 業 者 の 集 合 に す ぎず,問
屋 制 的性 格 を 帯 び て い た も の が 多 か っ
た 。 熟 練 労 働 力 の 不 足 の た め,生 産 技 術 は低 か っ た 。 最 大 の 相 違 点 は 労 働 力 で あ っ た 。 ロ シ ア の
マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア で は,国 有 地 農 民 や 御 料 地 農 民,領
主 地 農 民 儂 奴)が 働 き,出 稼 ぎ 農 民 や
逃 亡 農 民 も働 い て い た 。 彼 ら は 農 民 あ る い は 農 奴 身 分 の ま まマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア で 強 制 的 に働 か
さ れ る非 自 由 労 働 力 で あ り,「 自 由 」 な 賃 金 労 働 者 で は な か っ た 。 ピ ョー トル の 工 業 化 政 策 は,
ツ ァー リ専 制 権 力 の 強 化 を め ざ した 「上 か ら」 の 工 業 化 政 策 で あ り,農 奴 制 の 枠 内 で の 工 業 化 で
あ っ た 。 一 言 で い え ば,ピ
ョー トル 期 の ロ シ ア の マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア は,農
奴制マニ ュファク
チ ュ アで あ った。
以 上 に お い て ロ シ アの 農 奴 制 と農 奴 制 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア に つ い て 紹 介 し て きた が,agrarian
revolution以 後 の ロ シ ア社 会 の 社 会 経 済 学 的 な 性 格 規 定 と し て 〈
農 奴 制 〉 で よい の か,と
い う大
40商
経 論 叢
第39巻 第2号(2003.11)
問 題 が 残 る 。 キ エ フ ・ル ー シ と い う国 家 形 態 で の ス ラ ヴ 族(ロ シア人)の 歴 史 へ の 登 場 は9世 紀
の こ とで あ り,そ の 時 す で に 人 類 は 農 業 ・牧 畜 社 会 に 移 行 して 久 しか っ た 。 ス ラ ヴ 族 や ロ シ ア 人
が 生 産 技 術 革 命 と して のagriculturalrevolutionに
大 き く貢 献 した とい う よ う な 事 実 は 確 認 され
て お らず,技 術 的 に は 彼 ら は,農 業 革 命 儂 耕 ・牧畜革命)の 恩 恵 を 受 け,自 然 諸 条 件 が 厳 しい 北
の 寒 冷 な 森 林 地 帯 で は 農 業 を展 開 し,放 牧 に 適 し た 南 の ス テ ッ プ 地 帯 で は 遊 牧 生 活 を送 っ た 。 ロ
シ ア 人 が 経 験 し た狭 義 の 農 業 社 会 が い か な る 社 会 経 済 的 な性 格 の社 会 で あ っ た か に つ い て は,今
後 さ ま ざ ま な 角 度 か ら解 明 を深 め な け れ ば な らな い が,こ
れ ま で の 研 究 蓄 積 に依 拠 す る か ぎ り,
西 洋 経 済 史 学 が 言 う と こ ろ の,封 建 制 の 初 期 形 態,「 粗 野 な形 態 」 と し て の 〈
農 奴 制 〉 の社 会 で
あ っ た,と
み な す こ とが で きる 。 こ れ が,本
稿 にお け る われ われ の立 場 で ある。
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