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小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の

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小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の
Research and Teaching Notes
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
言語使用の相違の具体的な様相
SOONHEE FRAYSSE-KIM
Concrete aspects of the differences in Language use appearing in primary
education textbooks used in North and South Korea
Since the partition of the Korean peninsula into two countries, more than half a century ago, South
Korea and North Korea (we will refer to them as SK and NK respectively) have developed their own
socio-cultural environment in quasi-total isolation from each other. A series of studies making
linguistic comparisons, undertaken since the 1990s in SK, as a part of the「North Korea Study」
Program, revealed the existence of linguistic differences.
Linguistic differences can be roughly considered through two domains: language form and language
use. The former means morphological differences due to different linguistic norms and also the
appearance of new lexicon coming up from the particular needs of each society. The latter means
phenomena such as one word keeping its primary morphological form and meaning, and at the same
time acquiring new meanings and uses. Most of the studies dealing with linguistic differences between
SK and NK focused on morphological changes so far. However we need to pay more attention to the
inner gap of language use, that is to say the difference of linguistic meaning and use. In fact the
importance of this matter has already been noticed by some scholars: “On the linguistic differentiation,
the problem of the meaning gap is more important than morphological difference.” Ko YeongJin
(2000) and “The important obstacle in future communication between South and North Koreans would
be the existence of these words keeping the same morphological form, but conveying different
meanings. That is to say, if the word form is the same, people would interpret it as the meaning they
use to know.” Kim UnMo(1999).
The purpose of this paper is to shed some light on concrete aspects of the differences in language use
appearing in primary education textbooks used in the two countries. It follows the article of the
previous issue of this journal (Fraysse-Kim2003)in which we exposed the differences appearing in
language form.
はじめに
朝鮮半島が分断されて半世紀になる。その間、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(以後SK、
NK)は、ほぼ完全隔離の状態で、それぞれ独自の社会・文化を発展させて来た。1990年代以来、
SKでは政府の和解的な対北政策の影響によって社会文化全般に渡って、いわゆる「北韓研究」が
盛んに行われている。言語研究はそのなかでも最も活発に研究されている分野である。しかし
SK・NK言語の比較に関する一連の研究(リ・オクリョン(1999)、コ・ヨングン(1999)、高榮珍
NUCB JLCC, 6, 1 (2004), 71-91
Soonhee Fraysse-Kim
72
(2000)等)は、両側の言語に相違があることを明らかにしたものの、実際の言語使用の現場で現
れる言語相違の様相の具体的状況はあまり知られていない。
SK・NKの間の言語格差は言語構造の変化(語彙の構造的、形態的格差)と語の使用上の変化
(意味・用法の変化)の二つの面で捉えることができる。言語の構造・形式的変化は両者の間の言
語規範の差異がもたらす語形の相違、そして各社会の必要によって生じる新造語などがその主原因
をなす。
意味・用法上の変化は、語の本来的意味と形式は同じであるが、それぞれの側で意味修正や意味
添加が起こったり、語の使い方が異なっている現象を示す。これは両者の社会の生活像の格差が、
その主原因であると考えられる。今まで行なわれたSK・NKの言語異質化問題を扱う大部分の研究
は、言語形式上の各差の現象を重点的に探っていた。しかし、もっと注目すべきなことは、言語使
用において、その深層で起きている相違の様相、つまり語の意味論上ないし用法上の両者の間のず
れであると思われる。事実上、この問題の重要性は既に指摘されている:コ・ヨンジン(2000)で
は「言語の異質化に関連し、重要な問題は形態上のそれではなく意味上のそれでなければならない」
と述べられ、またキム、チェ(1999)でも「南北韓人の相互コミュニケーションにおいて意志疎通
を妨げるのは、間違いなく、形態は同じであるが意味が異なる語彙であろう。形態が同じであれば、
当然自分が知っている内容として解釈するようになっている」と予見されている。
我々は、小学校の国語教科書という一つの言語使用の現場に焦点をあて、そこで現れる両者間の
言語格差の諸様相を観察することを通じて、朝鮮半島の言語相違現象の一面を具体的に把握するこ
とを試みる
言語形式上の変化に関しては、本論集の前回の号(Fraysse-Kim2003)で既に取り扱ったことが
ある。今回は両国の教科書言語でみられる言語使用上の相違の様相を探ることにする。
本稿では、まず分析資料として教科書の問題及び、いわゆる「北韓研究」における資料の問題に
ついて議する。次に教科書を分析対象にした先攻研究を紹介する。最後にSK語とNKの現行教科書
言語の比較・分析を通じた実証的な研究によって、両側の言語使用における相違の現象を具体的に
観察する。
1.「北韓研究」と資料の問題
SK・NKの言語的相違を議論する際、NK側の必要資料を取り寄せるのはかなり難しい仕事であ
り、そのため大部分の先行研究は、公的に公開された語学資料 −文法理論書、言語規範集、辞書
または官刊小説や新聞− などの書物を中心に観察と分析を行っている。言語変化の観察だけでは
なく、生活・文化などでの一般住民の意識構造の研究の際にも、同じ状況である。例えば、イム・
スニ(1999)はSK・NKの住民の結婚観について調べる際、SKの場合は、最近行われた世論調査を
下に、NKの場合はNKで出版された小説を主な分析資料として、そこからSK・NK住民の意識や価
値観などを比較している。果たして、世論調査と官の検閲を通過した小説類が資料として等しいの
かと問わざるを得ない。
しかし、このような資料的問題は、現在SKでいわゆる「北韓研究」に取り組んでいる諸研究者
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
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が抱えている最も大きな障壁であると思われる。
我々が教科書を分析対象に選んだのは、教科書の性質上以下のような特徴がみられるからであ
る:
教科書は、言語資料としてその均等性が認められる数少ない資料の一つである:SK・NKの教科
書は、両方とも国定でその製作に国が深く関与している。そのため各々の教科書には各々の国が志
向する理念や価値体制が反映されている。例えば、国語教科書は規範的で理想的な国語使用の見本
をなすものとして作られる。そして、このように設定された教科書言語が学校教育の中に押し付け
られるプロセスも国定教科書制度を採択しているかぎり、SK・NKにおいて同様であると思われる。
次は、国民の言語生活において国語教科書の語彙の重要性である:SK・NK共で義務教育機関で
ある小学校の教科書は、義務教育を受ける国民であれば誰でも必ず接する読本である。そして、国
語教育の基本目的の一つが国語の正しい習得であるなら、その教本である国語教科書の語彙は、諸
国民が通用する、国語の語彙の根幹をなすものであると想定することができる。
しかし、教科書言語使用は該当社会のイデオロギー及び公教育的価値観を教えるために働きかけ
られているため1、現実社会の言語と乖離があることを否定することは出来ない。
そのため、我々が教科書の言語を分析対象に用いる時、大事なことは、その結果を実生活の言語
に直接投影するより、それを教科書言語という特定な言語使用現場の枠組みのなかで分析・解釈す
ることである。そして、このような作業を通じて、現実社会の言語生活の実状を読み取ろうと試み
ることである。
このような事情を勘案すると、教科書は、NKからの直接情報が絶対的乏しい現状で、両者の言
語比較においてその資料的客観性(比較資料の均等性)と言語的重要性(国民の言語生活の根幹を
なす語彙)を保有している重要な情報源であると思われる。
2
教科書を分析対象にした研究の一例
「Recherche sur le changement linguistique selon l’idéologie」
– l’Etude comparative entre la Corée du Sud et la Corée du Nord du point de
vue de la lexicologie」(語彙的観点から見た南北韓比較研究)
(LEE Byung-Hyuk1982)
リは、言語を通じて社会の非言語的事実を究めようとする社会言語学的観点からSK・NKの言語
を比較・分析する際、両側の学校教科書を主要資料として用いた。
彼は、大部分の国家、特に開発途上国でのイデオロギーの変化は、そのイデオロギーの変化が反
映され、実践される場として言語変化を必要とするが、これは言語変化を通じて人間の意識と行動
に変化をおこすという仮説から出発するのであると述べる。彼はその仮説の検証対象として、1945
年以後二つの社会集団に分離されて以来、イデオロギー的に対立しているSK・NK社会を選んだ。
彼は、分断以後両社会で生じている言語変化を、「イデオロギー」、「言語」、「人間意識」とする3
つの変数からたてられたモデルに沿って説明しようと試みている。
分析対象としては、「特定社会の支配イデオロギー」が良く反映されている教科書、特に「人間
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の感受性が鋭敏な幼年期の教育」を担当する小学校の教科書を選んでいる。
SKの教科書は、SK社会に、前の時代と断絶された社会・政治的転換期を起そうとする政治的試
みがあった、1972年の「10月維新」2
以後の教科書(国語、社会、道徳、歴史の36冊)を分析
対象にした。
NKの教科書は、当時入手することができなかったため、1955年に創立された在日朝鮮総連系の
小学校の教科書(1973 ~1977年の間出版された国語、社会、話、キム・イルソンの幼年時代の本の
全12冊)で代用している。この論文で彼は、NKの教科書は「現在西側世界で求めるのは不可能な
もの」であると言い切っている。けれども、当時の在日朝鮮総連の教科書は「朝鮮総連系の学校の
任務はNKの共産主義を伝播する」ものであるため、学校の教科書もNKのそれの複写でしかないと
述べ、代用しても差し支えがないと見なしている。
彼は、名詞を基準にした語彙分析を中心にして、一般名詞を「語彙の起源」と「語彙の内容」の
二つの軸を基準に分類して分析を行っている。
「語彙の起源」の軸には、言葉の起源によって「純粋な韓国語」、「漢字語」、そして「外来語」の
3つに分類している。
「語彙の内容」の軸には、各々の名詞を語彙の内容によって「家族」
、
「社会」、
「国家」、そして「国際関係」の4つの範疇に分けている。彼は、各分野別語彙の量を比較して言語
使用の偏重を測ることで、両者の言語使用の傾向を観ようとした。
「語彙の起源」による分析結果では、SKの教科書で純粋なSK語の使用比率がNKより低い反面、
漢字語の比率はNKより高く、外来語の数もNKより高い結果が出ている。彼はこれを国語純化の観
点から見て、NKの社会で言語純化運動がSKに比べてかなり進んでいることを意味すると解釈した。
そしてNKの権力イデオロギーに根拠する強力な言語政策がここで反映されていると指摘している。
「語彙内容」による分析でSKの場合、「国家」の分野で語数が最も多く、次は、「家族」「社会」
「国際関係」の順に分布している。彼は、このような順序が生じた原因を「10月維新」に置く。SK
の政府は国家元帥の指導下に全国民が愛国心によって結束され、NKのような全国民的団結を得る
ため、「10月維新」を通じて国家体制の変革を企んだ。そのため教科書も「維新」理念によって改
正されていたと言っている。同時に、朝鮮半島の当時の軍事情勢、つまりSK・NK間の軍事的対決
が教科書に反映されている結果であると述べている。
分野別に語数が多い順序はNKの場合も同じく、「国家」、「家族」、「社会」、「国際関係」の分布を
見せている。彼はこの結果が、社会体制が党と国家中心で組織されていて、「国家」が社会・政
治・経済・文化などのすべての活動の上位に立っているNKの社会状況を示唆していると釈する。
また「家族」の分野の語の量が「国家」に次いで多いことは、NKでは全国民が「最高元帥 キ
ム・イルソン」を父とする一つの家族を成しているからであると述べている。リはNKで「キム・
イルソン」を「お父さん」と呼んでいることは、国家元帥に対する忠誠を父子関係に振り替えたも
のでしかないと言って、NKを「共産主義国家のなかでもめずらしい『家族国家』」とみなした
J.Pezeu-Massabuau(1981:『La Corée』Paris P.U.F)の見解を再確認している。
このような一連の対比分析を行ってから、リは以下のような結論をだしている:言語はイデオロ
ギーによって表象された社会現象の反映物であり、イデオロギーによって確立された社会関係の形
態は語彙とその意味を決定する。
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
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SK・NKが採択した対立的イデオロギーを独立変数と見なした時、この敵対的イデオロギーの採
択は、これらイデオロギーの内容を表現するための媒体として、つまり媒介変数として言語現象
(特に語彙分野の)に明示的、暗示的変化を起した。
従って、NKにおいては、共産主義イデオロギーによって作られた新しい語彙の使用は、言語と
は不可分離な従属変数としての人間意識を通じて、新しい形の人間を、つまり共産主義的人間を形
成している。
リの論文で重要な点の一つは、分断以後のSK・NKの社会の変化を、教科書の言語という媒体を
通して読み取ろうとした数少ない研究の一つであるということである。彼が試みたSK・NKの語彙
分析に関する統計的比較研究結果にはSKとNKの対照的言語政策の実行結果(特に「語彙起源)に
関する調査結果)がよく反映されている。また、SKで「10月維新」という政治・社会変革があっ
た1970年代の教科書で「国家」に関する語彙が「家族」のそれより夥しく多かったのは、当時の支
配イデオロギーが学校教育にいかに強く反映されていたかを示唆しているとも言える。
しかし、彼の論文の主眼点はNKのイデオロギーと言語変化に偏っているような傾向がみえる。
もし彼が言うように、NKで共産主義イデオロギーは言語という媒体を通じて人間意識の変化を起
し、その典型的な媒介者の役割をはたすのが教科書であるとすれば、「10月維新」以後のSKの社会
でも同じプロセスが行われていなかったかどうかを疑わねばならなかったはずであるが、残念なこ
とにこのような面はこの論文ではあまり触られていない。
我々は、今、リが1985年の論文の初頭で、「西側世界では入手するのが不可能である」と言った
NKの教科書の入手も「不可能」ではない時代にいる。
SKの社会も大きな変化を経て、「10月維新」があった1972年度とは随分変わった様相を見せて
いる。その間NKの社会ではどんな変化があったのか?
はたして社会の変動は教科書の言葉に影響を与えるのか?影響があるならば、それは教科書の言
語にどのように反映されているのか?
本論はこれらの疑問に答えを探る一つの試みでもある。
3.小学校国語教科書で現われる言語相違の様相
3.1
資料
分析資料は、SKで2000年刊行された初等学校6年間の国語教科書と、NKで1900年から2001年の
間に発行された人民学校1∼4年と高等中学校1∼2年の総6年分の国語教科書である。(両方と
も日本の小学校の6年課程に当たる)
一冊の教科書のページ数はSKは平均153ページ、NKは平均126ページである。本の編集はSKの場
合、絵や写真、図などの内容に伴う二次的資料に半分以上の紙面が使われている。NKの教科書は
時々挿絵がのせられているもののほとんどの紙面は文字で埋め込められている。
3.2
分析
NK・SKの教科書の言語の中、最も使用度が高い100個の名詞を、各々概念別分類3して、対比分
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析を試みた。つまり、各分野別語彙の量と内容を比較し、言語使用の偏重と相違を観察することを
通じて、両者の名詞使用におけるその概念上のずれ、表現の過不足や語彙の特徴的な集中現象を探
る。
概念別に「分類された語の数を調べることによって、その言語を用いる人々の生活・思想・行動
をおしはかることができる」(中野洋1980:p.376)と言われる。それで、高頻度名詞を概念別に分類
してみると、各々の教科書の言語使用の偏重が良く見られ、教科書に反映されている両社会の支配
イデオロギーや価値観を推し量ることも容易であると思われる。
分類の基準として林大の『分類語彙表』を使った理由は、この分類表が日本の国立国語研究所資
料集に採択されているので、SK・NK語を超えて、ある語が表わし得る意味の世界を分類する際、
より客観的な基準をなすものであると判断したからである。
3.3
分析結果
(1)高頻度10位の名詞
両側で最も頻度が高い名詞10位を一覧化した。NKの高頻度10位の名詞の中、8の語(SK5個)
が「人間活動の主体」の分野に属する名詞である。その内容は、SKの場合、「人間」、「家」、「国」
などの領域の多様性が見えるが、NKの場合は「人間」に関する言葉が集中している。
表1:高頻度名詞10位
順
NK
位 頻度
単語の意味
SK
頻度
単語の意味
1
668 大元帥様
857 人
2
635 奴、やろう
791 ことば
3
537 お父さん
555 音
4
506 元帥様
451 仕事
5
465 家
426 家
6
376 音
369 子供
7
342 先生
343 中、内
8
313 人
308 先生
9
305 ことば
292 国
10
299 お母さん
289 考え
(灰入りで示した語は「人間活動
の主体」の分野に属する語)
(2)高頻度名詞群の概念別分類
表2は両者の高頻度名詞100位の語彙群を概念別に分類したものである。
分類された両者の高頻度100位の名詞のなか、分野ごとに共通に出現する語と片側のみで出現す
る語を分けて表わした。また、片側のみで出現する語の中、100位の語彙群のみならず、教科書全
体の語彙においても片側しか出現してない名詞は太い字で表記した。
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
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表2:高頻度名詞の概念別語分類
概念別分野
共出現語
抽象的関係
中、前、後、土
人間活動の主体
家、村、国、学校、お父さん、お母さん、
今日、日、朝、時間、おじさん、おじいさん、おばあさん、子とも、
SKのみ出現
場所、姿、力、
弟、兄、先生、少年、人、友、世の中
昔
家族、自身、組、世界、ソウル、独り、児童、
母ちゃん、人物、兵士、老人、
女子、日本、カンジ、王、証人
NKのみ出現
懐、瞬間、夕方
朝鮮、祖国、遊撃隊、軍隊、怨讐、野郎、
敵、将軍様、首領、将軍、隊長、人民、学生、
お母さま、ピョンヤン、将校、地主、日帝、米
帝、指導者、領導者、大元帥様、元帥様4、少年
団、キム・イルソン、キム・ジョンイル、マン
ギョンデ
共通率
76%
概念別分野
共出現語
SKのみ出現
24%
人間活動・行為
生産物・用具
自然・現象
言葉、お言葉、文、意味、内容、道、服
ウサギ、虎、花、
手紙、勉強、本、音、心、涙、考
水、木、風、空、
え、仕事、生活、歌、話、絵、声、
山、卵、身体、手、
名前
顔、胸、頭
感じ、心配、眠り、精神、文化、部屋、教室、食べ 雨、足
アリラン、仮面、舞台、組、鬼、物、物、自転車
漫画、ノルブ、フンブ、単語5、怒
り、
NKのみ出現
答え、愛、笑い、革命、挨拶
銃
白頭山
共通率
49%
29%
74%
(3)分布パタンー
分野別による出現語数の量的増減のパターンは両方とも似ている:身分、呼称、職業、社会組織
に関する「人間活動の主体」分野と生活、文化などの「人間活動ム精神・行為」の分野の名詞類は、
語数も多ければ出現頻度も高い。その反面、人間活動の生産物に関わる「生産物・用具」分野の名
詞の数が少ないことは、この分野の名詞類には、低頻度で、異なり語が数多く存在している可能性
を示唆している。
Soonhee Fraysse-Kim
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図1:分野別の語彙量の比較
(4)分野別特徴
Ⅰ.共通語の割合が高い基礎語彙群
時間、場所、空間的関係を表わす言葉や身体名や自然物、自然現象を示す言葉は、両者の間で語
彙使用上の格差はあまり現れなかった。この分野の語は、人間生活において基本的ないし普遍的な
言葉であるため言語変化に対しても抵抗力が強いことを示していると考えられる。
Ⅱ.
「生産物・用具」の分野:NKの銃、SKの自転車
高頻度で出現する数少ない「生産物・用具」の分野の名詞の中、SKでその頻度が最も多いのは
「
jajeongeo(自転車)」(77回:NK8回)、NKは(174回:SK31回)「
実際NKでは、「
銃)」、「
chong(銃)」だけではなく、「
(機関銃)」、「
chong(銃)」である。
(ボ銃)」、「
(拳
(サッチャン)」など、あらゆる種類の銃の名が数多出現している。
Ⅲ.言語相違の現場
人々の生活の様相を表わす言葉やその主体を示す、身分・呼称に関する言葉には、両者の間、語
の使用上の相違が多く見られている。
「人間活動・行為」に関する言葉は、SKのほうがNKより語の量(1.4倍)もその使用頻度(1.6倍)
も高い。
この分野の名詞にはSKでのみ使用される「片側通用語」も多い。そのなかには「
(漫画)」、「
manwha
arirang(アリラン)」のようなフォークロアと娯楽に関する語が多い(この分野
のSK片側通用語の57%)。これは1990年以後、反共産主義意識の弱体化に伴って加速化するSK社
会の大衆文化社会への変動の現象を裏付ける一つのしるしとして考えられる。
その一方、呼称・身分・職業・社会的組織を示す言葉の「人間活動の主体」分野は、NKの方が
SKより語彙の量(1.3倍)も使用頻度(1.5倍)も高い。NKでのみ使用されるNK「片側通用語」が
多く、特に「キム父子」関連の特定名詞の過多使用が目立つ分野である。またSKとNKの間で共通
語率が最も低く、言語の使用上で見られる両側の間のずれもこの分野の言葉で集中的に見える
((5)を参照)。
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小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
(5)言語使用上の両者ずれの例
Ⅰ.単語「家族」の使用における両者ずれ
韓国語には、「
味をもつ語がある。「
「
kajok(家族)」「
jip(家)」「
kajeong(家庭)」
の3つの近似した意
kajok(家族)」は「親族関係を基に共同の福祉を追求する近親集団」、
kajeong(家庭)」はその「個別家族を集団的に指す」ことばである。また、「
jip(家)」
は住まいの根拠地または、「住まいと暮らしを現実的に一緒にする集団」である。NKでも「父母と
妻子、兄弟姉妹を始め肉親に近い人々が集まって生活を一緒に営む集団」を「家庭」また「
jip
(家)」と呼び、婚姻と血筋を基に密接に結ばれている人々の集団またその集団の成員を「家族」と
称している。6
図2.「家」、「家庭」、「家族」の使用頻度の格差
「
jip(家)」は、一般的に「
kajeong(家庭)」や「
kajok(家族)」を包括的に現すな
どその使用範囲が広いため、両国の教科書共で高頻度で出現する語であり、その使用頻度はSKで
426回、NKで465回ある。一方、「
kajeong(家庭)」はSKで31回、NKで9回、そして「
kajok(家族)」はSKで84回、NKで4回出現している。ここで注目したいのは、婚姻と血筋を基に
密接に結ばれている最も個別的で基礎的な社会組織体である「家族」ということばの両側の使用差
である。
以下はNKの教科書に4回出現した「
(家族)
」の使用例の全部である。
(…山犬にすべての「家族」を殺されて…)(NK高等中1)
(…ウンミの全「家族」をピョンヤンへ行かせましょう。)(NK高等中1)
(人民軍戦死の「家族」)(NK6年)
(…その間、国から遺「家族」達に特別な関心を…)(NK高等中2)
Soonhee Fraysse-Kim
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面白いのは、夕方、一家水入らずの団欒の時間を描く場面で(このような場面はNKの教科書に
めったに見られない場面であるが)さえ「家族」ということばが不在している。たとえば、普通
(夕飯の後、我々「家族」は楽しく話し合いました。)(SK小4)
のように書く場面も
(日曜日の夕方我が兄弟はお父さんといっしょにテレビを見ていました)
(NK人民2)
と書かれているのである。
上のNKの用例で「
kajok(家族)」は、血筋を基に密接に結ばれている人々の集団またその
集団の成員を示すより、単純な一つの組織単位を示すことばとして使用されている。つまり、個人
的な概念を内包する「
kajok(家族)」は、NKの教科書の中では用途の乏しくなったことばで
あるのだ。
そのかわり、「
sonyeondan(少年団)」と言う語は、その使用頻度(104回)も「
kajok(家族)」よりはるかに高く、またその用例からみても、「「
kajok(家族)」の用例より日
常生活的な活動性を現している:
「それから私が野営を終えて家に帰ると、きみの少年団生活も手伝って、私も学びながら互い
に助け合って、我が兄弟が模範的な少年団員に成ることを約束する」
(NK高等中2)
「きみが「少年団」に入団して我が家では偉大な元帥様の少年近衛隊がまた
一人生まれるようになったよね。」(NK高等中2)
「あなたの学習と「少年団」生活そしてウサギ飼育により大きな成果がある
ように...」(NK高等中1)
「バスで宣伝する「少年団」の課業を遂行するため市外行きのバスへ...」
(NK高等中1)
Ⅱ.単語「世界」と「世の中」の使用における両者ずれ
「
segye(世界)
」もSK・NKの間で使用傾向の相違が見える言葉である。
SKの小学校国語教科書では、「
segye(世界)」と「
の差があまりない(91回対81回)。その反面、NKでは「
sesang(世、世の中)」の使用頻度
segye(世界)」の使用は「
sesang(世、世の中)
」という語より凄まじく乏しい(91回対10回)。
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
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図3:「世界」と「世の中」のSK・NK使用頻度の差
「
segye(世界)」と「
sesang(世、世の中)」は意味的類似性があるとしても、本来は
概念が異なる語である。
まず、日本の辞書で「世界」は、「地球上の全ての国家、全ての地域、全人類社会」と第一次的
意味が定義されている。ただし「自分を中心とした生活の場、自分の知識・見聞の範囲、生活圏、
世の中」のように、個人のまわりを意味する時「世の中」と同じ意味を持つ場合もある。この場合、
「世の中」は「世間:人々が互いにかかわりあって生活している場。世の中。また世の中の人々。」
と類似した概念の語である。(『大辞林』三省堂)
SKで、「
segye(世界)」は、その一次的意味として「地球上のあらゆる国。地球全体。地球
上の人類社会全体。万国」と定義されている(『大辞典』三省出版社)。
またNKでは、「(人類社
会の面で見た)地球。人類社会全体、または地球上のあらゆる国」(『現代朝鮮語辞典』科学院出版
社)と定義されている。
一方、「
sesang(世、世の中))はSKでは「人類が住んでいる地球上、世間。一人の人間が
生まれてから死ぬまでの間」(『大辞典』三省出版)、NKでは「人々が住んでいる地球上。自分が住
んでいたり、活動している社会または領域」(『現代朝鮮語辞典』学友書房)と定義されている。
つまり、SK・NKの両方で、「
segye(世界)」は、地球上で自国を囲むあらゆる国を包括的
に示す具体的な区画の概念を持つ語として理解される。その一方で、「
sesang (世、世の中)」
は、「自分のまわりの空間、あたり、生活活動の空間」の意味で、明白な区画的範囲が示されない
まま、「この世を去る」また「この世、あの世」のように、より形而上学的で観念的な意味を持つ
語としてその意味が区別されている。
次は両側の教科書に出ている「
sesang(世)
」の使用例である:
(「世」には国も多く首都も多いです。)(NK高等中1年)
(我々はこの「世」で一番幸せです。)(NK人民3年)
Soonhee Fraysse-Kim
82
(この「世」のどこにも見つからない…)(NK人民2年)
(「世」の人々はピョンヤンを<<公園の中の都市>>であると称えます。
)
(NK人民4年)
(ガラスはカエルたちに井戸の外の「世」の話を聞かせてくれました。)(SK初等3年)
(「世」にもっと広く知られるようになりました。)(SK初等6年)
(「世」に生まれて一回も髪を刈ったことがないことは?)(SK初等3年)
(「世」の人々は燈台を夢と希望の象徴だと称えます。)(SK初等5年)
SK・NK共に、「
sesang(世、世の中)」は、「世に生まれて」、「世の人々」、「井戸の外の世」
のように、人々の見聞の範囲、生活圏を示すことばとして使用されている。
次は両国教科書での「
segye(世界)
」の使用例である。
(「世界」の各国の人々がサッカー競技をみるために我が国を訪ねるでしょう。)
(SK初等2年)
(このように通信の発達によって「世界」は近所のように縮まって…)
(SK初等5年)
(世界最初の現代的漫画映画は1908年フランスのエミル・コルが作った…)
(SK初等5年)
(実にクムガン山は「世界」で最も美しい山です。)(NK人民2)
83
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
(ですから、全「世界」が敬愛する大元帥さまを偉人の中の偉人であると…)
(NK高等中1)
(「世界」の人民達はピョンヤンを希望の燈台として仰ぎみています)
(NK人民4)
(「世界」最大傑作のチュチェ思想の塔が…)(NK高等中6)
SKの例で「
segye(世界)」は、意味的に自国を囲む外国、人類社会などを示す具体的な区
画性を持つことばで、「
sesang(世、世の中)
」と分別される。
しかし、NKの教科書のなかで「
segye(世界)」の使用例をみると、そのほとんどが、「世
界第一の」、「世界的に有名な」「全世界が敬愛する」など最高・最上の意味を強調するため用いら
れており、これはSKの「世界の人種」、「世界の各国」など、より中立的述べ方に比べ対照的言い
方である。このような言い方はむしろ「この世で一番」という方とあまり違いがないようにみえる。
結局、NKの国語教科書のなかで、「
segye(世界)」は「
sesang(世、世の中)」よりそ
の使用頻度が乏しいだけではなく、その使用においても、ことばの実際的意味が充分現れていない。
要するに、NKの教科書には、外の「世界」、つまりあらゆる国々の相互作用によって形成される国
際社会に関する具体的概念が欠如されているのである。
実際、NKの教科書に出現する外国名も、「
く、他に「
miguk(米国)」と「
ilbon(日本)」しかな
yureop(ヨーロッパ)
」が1回出現している程度である(Fraysse-Kim2003)7。
その反面、NKの教科書で高頻度に出現する(49回)地名に「
mangyeongdae(マンギョン
デ)」がある。
「
mangyeongdae(マンギョンデ)」はキム・イルソンの誕生地でピョンヤンの近くにある、
いわばNKの名所の一つである。しかし、教科書で「
mangyeongdae(マンギョンデ)」は単
純に「大元帥様が誕生された場所」だけではなく、その「見学」を「指おり数えて待って」いる
「虹が綺麗に立っている『マンギョンデ』」は「革命の揺籃」であり、人々の「心の故郷」である。
そして、NKの子供たちは「
mangyeongdae(マンギョンデ)」を訪ねるたびに、「お父さん元
帥様を代々に永遠に、高く仕えていく燃える心」を再確認するわけである。
mangyeongdae
(マンギョンデ)」は、まさしく北朝鮮の聖地であり、その聖地巡礼のような見学の体験談が全学年
の教科書にいろいろな形で載せられている。そして、子供たちは「
mangyeongdae(マンギ
ョンデ)」を訪ねるたびに、「お父さん元帥様を代々に永遠に、高く仕えていく燃える心」を再確認
するのである。それこそ「少年よ世界を見ろ」ではなく、「少年よマンギョンデを見ろ」と激励し
ているようにみえる。
Soonhee Fraysse-Kim
84
Ⅲ.親族名の使用方法のずれ
NKで親族・親戚の名の使用法には、国全体が一つの家族をなしているように共同的、かつ集団
的な意味の父、母、兄、姉、を使用する傾向が強い。
(豊年田植えに立ち上がったお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん達よ!)
(NK高等中2年)
(素材は社会主義建設に参加しているお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん
達の力強い闘争の姿でも見つけることができます。)(NK人民3年)
また、「
る。「
abeoji(お父さん)」は「父なる首領」のような呼び方で最も頻繁に使用されてい
abeoji(お父さん)」の総出現頻度537回の中421回、つまり78%が、「
(キム・イルソン)」か「
(偉大なる)」、「
kimilseong
kimjeongil(キム.ジョンイル)」を修飾する「
widaehan
gyengaihanwn(敬愛する)」などと共起する。また、「
eomeonim
(お母さま)」のような語はその用度の90%がキム・イルソンの母か、キム.ジョンイルの生母に限
って使われている。
Ⅳ.呼称と身分を示す語の使用で見られる両者の相違
伝統的呼称である親族名は、その意味的用法に差が生じていても両者共通で使用されつつある通
用性と持続性を見せているが、社会一般人の呼称や身分を示す言葉の使用には両者の間に相違が観
える。これは各々の社会的必要性に応じて新しい呼称が作られたり、既存の呼称が他の呼び方にと
りかえられたりすることが原因であると思われる。
「友」を意味する言葉のSK式「
chingu」とNK式「
dongmu」の使用において両者ずれ
がその一つの例である。
「
dongmu(友達)」という言葉は、元々「いっしょにつき合う人」の意味でSKでも一般的
に使われていた言葉であったが分断の後、NKで「労働階級の革命偉業を作り上げるため革命隊伍
でいっしょに戦った人」を親しく呼ぶ語としての理念的意味が加われた。従って、SKではこれま
で普通に使われて来た「
dongmu(友達)」の使用が避けられ、「
chingu(友達)」という
言葉が代替されるようになった」と言われている(コ・ヨングン1999:p.160)
。
この傾向は両者の教科書言語の使用ではっきり現れている:SK教科書の中では「
(友達)」の使用頻度が282回に対して、NKでは18回しか使われていない。しかし、「
chingu
dongmu
(友達)」の使用はNK教科書で277回もあるのに対して、SKでは20回しかない。SK・NKはお互いに
相手の側で使う言葉の使用を避けているのである。
その他、SKでは「
sonyeon(少年)」、「
yeoja(女子)」、「
adong(児童)」、「
85
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
noin(老人)」などジェンダーや年に準拠した身分を示す語が多く使用されている。また、「
byeongsa(兵士)」のような、我軍でも敵軍でもない、軍事的に中立的な呼び名や「
jeungin
(証人)」のような司法用語も高頻度に出現している。これはSK・NKの間の軍事的対決が強く反映
されていた1970年代の教科書と異なる現象で(2章参照)、SK社会の脱軍事主義・脱反共主義への
変動が2000年代の教科書の言語使用に反映されていることと考えられる。
その一方で、NKで高頻度で出現する呼称・身分を示す語のなかには、「大元帥」、「元帥」などキ
ム父子の偶像化のために作り立たされた「偶像の言葉」と、「野郎」、「怨讐」など人々に敵対感を
あおりたたせ、人々から闘争心を掻き立てる「憎悪の言葉」とも言われる以下のような独特な言語
使用の方法が観察される。
●偶像の言葉8
表1の高頻度10位の名詞の一覧表でもすでに見られるに、NKで最も頻度が高い名詞は
「
daewonsunim(大元帥様)」という語である。これはNKの亡き国家主席キム・イルソン
を称する語の一つで、それ以外にもキム・イルソンとその息子で継承者であるキム・ジョンイルの
父子を称する語は「
(将軍様)」「
wonsunim(元帥様)」「
janggun(将軍)」「
jidoja(指導者)」「
suyeong(首領)」、「
janggunnim
yeongdoja(領導者)」などが
ある。これら7つの呼称の使用頻度(2300回)は高頻度100位名詞の総頻度の15%を占める。
「
daewonsunim(大元帥様)」のような語は「キム・イルソン」と100%共起する語であ
り、幼い時のキム・イルソンを称する時でさえも用いられている:
(敬愛する首領キム・イルソン大元帥様はその日も友達と一緒に楽しく走り回りながら遊んで
いました。)(NK人民1年)
キ ム 父 子 は そ れ ぞ れ 特 別 な 呼 称 で 称 さ れ て い て 、「
s u y e o n g ( 首 領 )」 と 「
daewonsunim(大元帥様)」などの呼称はもっぱらキム・イルソンを称する修飾的呼称9の一つであ
り、キム・イルソンが亡くなった1994年以後出版された教科書でも、このような言語使用は守り続
けていた。そしてキム父子が一緒に言及される時は、次のようにそれぞれの称呼を同伴する:
(紀行文は見学や踏査をする場所に残っている、敬愛する首領キム・イルソン大元
帥様と親愛する指導者キム・ジョンイル先生の不滅の革命業績と賢明な領導、大きな愛と拝領
が心熱く伝えてくるように書かなければなりません。)(NK人民3年)
結局、NKで通用されている、「
「
janggunnim(将軍様)」、「
daewonsunim(大元帥様)」、「
suyeong(首領)」、「
jidoja(指導者)」、
reongdoja(領導者)」などの名
詞はその語用が独占的な語で、キム父子を称する時に使う以外は他の使用法が無い語である。例え
Soonhee Fraysse-Kim
86
ば、「
jidoja(指導者)」は辞書で「ある集団の統一を維持しながら、その成員の行動におい
て彼らにその方向を提示する役目を持つ人物」(SK:大辞典)、「他人を指導する位置にいる人」
(NK:現代朝鮮語辞典)と定義されている。しかし、NKの社会で、事実上「
jidoja(指導
者)」と言う言葉は「キム・ジョンイル」を称する呼称として独占的に用いられた結果、「キム・ジ
ョンイル」を修飾する語としての用法以外は、他の使用が許されない排他的語、つまり元々の言葉
の意味と用法が消えてしまった、いわば「空き語」になったのである。
●憎悪の言葉
NKでは、
「主語と目的語の身分によって叙述語の選択が変わる。つまり、その対象が米国、南韓、
地主などの時は叙述語も敵意を含めた語彙を使い、俗語と卑語で、乱暴で荒い表現をする」(キム、
チェ1999:p.312)言い方が文化語10の話法の一つとして、教育現場でも教えられている:
(勿論怨讐の野郎達に対して話す時は「地主の野郎のつら」、「米帝の野郎がくたばった」のよ
うな式で話さなければなりません。)(NK人民3年)
(それから怨讐の野郎達に対しては頭はデガリ、死ぬはくたばる、食べるはチョモッタなど
の俗語の同意語を使って怨讐の野郎の汚らしい体たらくを表わさなければなりません。)(NK
人民3年)
「
nom(野郎)」という語はNKの人々の敵とみなす全ての対象に施される呼称で、NK教科書
で出現する名詞のなか「
daewonsunim(大元帥様)」(668回)の次の2番目に頻度が高い
語(635回)である。このような量的な根拠から言わせるとNKでは、「大元帥様」を仰ぐこととほ
ぼ同じ信念で「敵」を怨んでいるように見える。
NKで「
階級や「
「
nom(野郎)」で呼ばれる対象は、「
jiju(地主)」と代表される封建制度の搾取
seongyosa(宣教師)」などの「資本主義の手先」、そして「祖国解放」のため戦う
yugyeokdae(遊撃隊)」を襲った日帝討伐隊の「
janggyo(将校)」などがいるが、そ
のなかには日本の天皇 やSKの前大統領チョン・ドハンなどの実在する人物もいる12。これら人民
11
の「敵」はみんな「
wonssu(怨讐)」であり、「
wonssu(怨讐)」は「
nom(野郎)」
と100%共起している。
NKの教科書の中には、「
れる人民の「
jiju(地主)」、「
iljei(日帝)」、「
mijei(米帝)」と呼ば
wonssu(怨讐)」の残酷な行為や、またこれらの「
wonssu(怨讐)」が民
衆の蜂起、またはキム・イルソン「大将軍様」に導かれたわが軍隊(遊撃隊と人民軍隊)よって打
ち殺され、追い立てられる物語が多数ある。そしてその敵が打ち殺され、追い立てられる場面は非
常に生々しい表現で描かれている:
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
87
(チョ・グンシル英雄おじさんが重機(機関銃)を撃っています。
おじさんは頭と両腕を負傷しました。包帯を巻いていますが血が続けて流れています。
おじさんは手で重機を撃つことができません。それで齒で重機を撃っています。
重機は激しく火を吐いています。米帝の野郎は群れに倒れています。)
(NK人民2)
((…)お父さん大元帥様は正しくそれを利用して日帝の野郎のなかま同士で戦うようにさ
せた。ついに、森のなかでは猛烈な戦闘が行われた。味方同士に戦う犬の戦いだった。銃が乱
射して(…)あちこちで犬のように倒れていく日帝の野郎達の悲鳴が慌ただしく聞こえた。空
を覆った密林も怒っているようにサーサーと泣叫んだ。)
(NK人民4)
Ⅴ.教科書の偉人
普通、教科書には、当社会が偉人と見なす人物に関する物語が掲載され、子供達にその人物の業
績や生き方を道徳的模範として提示している。「教育は特定の社会で望まれる価値を伝授・志向す
る活動であり、教育の過程では絶えず価値の選択が行っている」(チョ・ナンシム1988:p.186)と言
われているように、教科書に提示されている模範的な人物像は、特定社会が望ましいと思われる、
選択された価値観のキャッチフレーズみたいなものである。
NKで最も多く出現する人物名は、勿論「
「
kimilseong(キム・イルソン)」(183回)と
komjeongil(キム・ジョンイル)」(138回)それから「
スク)」(キム・ジョンイルの生母)、「
の父)、「
kimjeongsuk(キム・ジョン
kimhyeongjik(キム・ヒョンジク)」(キム・イルソン
kangbanseok(カン・バンソク)」(キム・イルソンの母)などキム父子やその直系
家族である。
一方、従来SKの教科書の偉人は、「祖国の防衛と繁栄のため赫々たる功績を立てた李舜臣などの
英雄的軍人たち」であって、普段学生達から選ばれる、最も尊敬する歴史上の人物には「李・舜臣、
世宗大王、金・庚信13、『甚だしくは』朴・正ヒ14『まで』いるほど『軍事主義文化』が学校教育の
中に強く内在されていた」と言われておる。(ノ・ウンヒ1988:p67)。
科書では「
しかし、最近(2000年)教
Gandhi(ガンジー)」のような人物の名前が従来の偉人のだれの名よりも多く出現
している。勿論、「
Gandhi(ガンジー)」も「
Isunsin(李・舜臣)」もその人物像によ
Soonhee Fraysse-Kim
88
って象徴される第一の価値は愛国心と民族主義である。しかし、その愛国心と民族主義の発揮の方
法において後者は武力を使って、前者は非暴力主義を掲げた平和的手段に頼っていったことでその
違いがある。その意味で、教科書のなかで「
Gandhi(ガンジー)」が「
Isunsin(李・
舜臣)」将軍より多く出現していることは、武力より平和が価値ある生き方であることを子どもた
ちに教えようとする、いわば「公教育での価値選択」の変化がSKで行なわれていることを示唆し
ていると思われる。
考察
両者の教科書言語の間に語の使用上の相違が生じる原因としては、もちろんまずは環境の相違が
あげられる。「各環境は伝統的用語法と固有語法によって成り立った自己独特な言語を創出する」
(Dubois, 1962:p.2(リ・ビョンヒョク1982:p.186から引用))と言われるように、環境が異なる両社
会では、同じ言葉が使用されていても、その中に付与されている意味には隔たりが生じる可能性が
ある。そのうえ、「国家イデオロギー装置」のなかでも主導的役割を果たす学校の教科書言語は、
必然的に特定社会の「支配イデオロギー」が強く働きかけられ、それがまた両者の言語使用に影響
を及ぼしていると考えられる。
各々の教科書には次のようなの支配イデオロギーが作用され、それは両者の言語使用に大きな影
響をもたらしているように見える:
NKでは、国全体が一つの家族のような「家族国家」を志向し、外側に背を向けたまま、最高元
帥を頂点に全国民が結集して「自力更生」をめざす孤立主義を固守する。さらに外部の敵の存在を
絶えず認識させることによって、国民のなかに危機感と敵対心を造成させる。そしてその危機感と
敵対心を原動力に「社会主義革命」への戦闘心を高揚させる。結局NKの教科書の言語使用には、
現在のNKの国家イデオロギーである「チュチェ思想」が強く作用している。
このようなNKの社会的特徴は、1970年度の教科書を対象に言語相違の考察を行ったLEE.BH
(1982)15で観察された30年前のそれとあまり変わりがないようにみえる。30年の間隔をおいても同
一な社会状況が観察されることは、NKの社会の凝結状態を裏付ける具体的証拠として受け取って
もいいだろう。
反面、SKの教科書の言語使用には大きな変化がみえる。30年前のSKの教科書には「軍事主義」
「反共主義」のイデオロギーが強く反映されていたと言われている(LEE.BH1982:2章参照)。しか
し、現今のSKの教科書言語使用には反共主義、軍事主義社会から抜け出し、大衆文化的市民社会
へ変動しつつあるSK社会の姿が反映されている。
このようにみると、両者の教科書言語使用には、該当社会の支配イデオロギーが常に作用してい
て、それはまた学校教育を介して、両社会集団の言語使用、さらに人々の価値観の形成に影響を及
ぼしていると考えることができる。従って、現在朝鮮半島の社会・政治的現状からみれば、両社会
の住民の意識の差異はますます深まっていくことが予想される。ゆえに両者間の言語使用において
も、その隔たりが大きくなりつつあり、人々の間の相互理解もさらに難しくなるだろう。
しかし、ここで我々が勘案しなければならないことがある。
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
89
たとえば、「はたしてSKの現実社会も教科書に観られるように、真の脱反共・軍事主義の法治的
市民社会の時代を迎えるようになったのか?」、「NKの人々は現実生活でもチュチェ思想の理念に
徹しているのか?」などの疑問は、教科書言語と現実生活の言語との近・遠関係を問う問題である。
いくら現実生活の言語が教科書言語に密接な影響を与えているとしても、「公教育の価値観」(チ
ョ・ナンシム1988:p186)の媒体である教科書の言語は自然発生的生活の言語とは乖離があること
は当然である。しかし、一方で、義務教育制度の下で国民のだれでも必ず接する教科書の言語が、
人々の言語生活に重要な影響を与えることも想定できる。特にSK・NKのように、国定教科書の政
策が行なわれている社会では、つまり学校教育を受ける子どもは一斉に同じ国語教科書を使って言
葉の学習をすることが義務付けられているような状況では、なおさらであると思われる。
ここから浮かび上がる問いは次のものである:「教科書言語は子ども達の言語生活にとれぐらい
の影響を及ぼしているのか?」これはまた逆に、「教科書言語と現実生活の言語の間にはどれぐら
いの乖離があるのか?」を問うことである。
これらの問いに答えがでれば、両者の教科書言語の相違の現象と、その相違が招く結果について、
もっと具体的に予測することができるかも知れない。そのためには、教科書とその教科書で学習し
た子ども達の作文の言葉を比較・分析することが一つの方法として考えられる。しかし、この仕事
は今後の課題となる。
結論
我々は両者の教科書言語を比較することを通じて、言語相違の二重構造を把握することができた。
それは言語生活の表面に現れる語の形態的差異(Fraysse-Kim2003)と、底辺に敷かれている語の
使用上の格差である。教科書言語の中で見られる言語使用上の相違の主な様相は、特定の語に対す
る両者の概念的差異であり、これは両社会の人々の間の価値観・世界観の相違と緊密な関係がある
と思われる。形態的相違の問題は辞書という代案があるが、言語使用上の問題は人々の価値観・世
界観が異なっているかぎり解決し難しいことである。そして、このような「人間の考え方の差異」
は、SKとNKの言語相違のプロセスに最も中心的な因子をなしていると思われる。そのため、SK・
NKの言語相違の問題を論議する際、もっと検討せざるを得ないことは、両者の言語生活の深層で
作用する両社会の人々の思考様式の相違の諸現象であると思われる。
謝辞
この論文のため貴重な助言をくださった名古屋大学の藤村逸子教授と忙しい仕事のあいだ、この論文を読んでくだ
さった名古屋商科大学のオ・デウァン先生にこの場をかりて感謝の言葉を伝えたいと思います。
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『朝鮮日報』ソウル
小学校国語教科書の言語使用に見られる朝鮮半島の南北言語相違の現象
91
『労働新聞』ピョンヤン
注
1. アルチュセールは、現代社会で学校教育は支配階級のイデオロギーの強力な伝播者、仲介者または媒体であり、そ
の機能は伝統社会での教会のそれに等しいと述べている。彼は学校は(…)あらゆる社会階級の子供達を対象にし
て子供が最も<<傷付きやすい>>年月のあいだ支配イデオロギーで包まれた『機能』(仏語、算数、自然史、科学、
文学)また簡単純粋な状態での支配イデオロギーそのもの(道徳、公民、哲学)を教えていると言っている。
(Althusser1970:p.33-53)
2. 1972年10月17日当時の大統領「朴・正ヒ」が長期集権を目的に断行した超憲法的非常措置。この措置によって維新
体制が成立され1979年10月26日大統領が殺害されるまで7年間持続された。(ヅサン・ドンア百科辞典参照:
kr.encycl.yahoo.com)
3. 高頻度100位の名詞を『分類語彙表』(林大1964国立国語研究所資料集6)に基づいて5つの概念に分ける。人間活
動に関するものは、活動の主体であるもの「人間活動の主体」と人間活動そのものの様相「人間活動ム精神及び行
為」に、その在り方のわく組みに関するものは「抽象的関係」に分別する。また人間が直接に活動の結果として作
り出したもの及びつくりだすため利用するものは「生産物ム結果及び用具」、人間の主体的活動からは比較的自由に、
外界として存在するものは「自然ム自然物及び自然現象」の5つの領域に分けて語彙を分類する。
4. ここで大元帥様と元帥様、また将軍様と将軍がここで二つの語に見なされている理由は、実際文脈の中で各々の語
の指示対象が異なり、固有名詞に等しいと考えられるので、(例えば、「大元帥様」はキム・イルソンの独占の語で
キム・ジョンイルは「元帥様」留まる)別々の語として処理するようにした。
5. ‘単語’と言う言葉はSKでは[
ナッマル]
、NKでは[
タンゴ]とする別の語で使用されている。
6. SKの家族関係に関連する「家族」「家庭」「家」の三つのことばの概念的区分は、チェ・ホンギ(1995:709−710)
を参考にした。
7. 参考としていうと、SKの教科書では、60個以上の外国名が出現している。
8. コ・ジョンソクはキム父子の名前の前に常に用いられている最高の尊称修飾辞をこのように呼んでいる。(コ・ジ
ョンソク2001:pp.263~264)
9. NKのどんな法令や規定にも「首領」と言う職制は存在しないし、また公式統治体系でも「首領」の地位は含まれ
ていないと言われている。(ユ・セヒ1997:p33)
10. NKの首都ピョンヤンのことばを基に発展させたNKの標準語。NKでは、ことばを社会主義革命の一つの手段とみな
し、固有語を中心に人々の思想道徳的教養を高め、社会主義的生活様式を碓立させることばの使用を目指す、いわ
ば「文化語運動」が国家的次元で行なわれている。(社会科学出版社1996『偉大なる領導者キム・ジョンイル同志
の思想理論−言語学』参照)
11. 物語りの時間的状況(植民地時代)から見て、ここでの天皇は日本の昭和天皇である。
12. NKで「南朝鮮」
(使用例:7回)と呼んでいるSKに対しての直接な敵対感情は教科書の中ににあまり現れていない。
「米帝の侵略者は南朝鮮から出ていけ!」のようにむしろ米国に植民化されているSKの住民を哀れんでいる内容が
大部分である。その反面SKではNKを「北韓」(使用例:21回)と呼んでいて、そのなかで20回はNKの文化語など
言語に関することに言及されている。
13. (595~673)三国統一を成したシルラの名将
14. (1917~1979)1961年5.16軍事革命を起して政権を握った後、独裁政治を布きながら「10月維新」、「セマウル運動」な
どの国家中興策を実施した。
15. この論文でも「全世界から孤立し、閉鎖された、首領と党を中心とする家族国家」とするNKの支配イデオロギー
ないし社会状況が言及されている。(2章参照)
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