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都市生活と危機管理

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都市生活と危機管理
都市生活と危機管理
中央大学特任助教・詩人
伊 藤 章 雄
はじめに
都市とは何かについて、40年くらい考えております。都市は大地の震動に出会うと、
正体がはっきり現われる、ということがこの頃ようやくわかってきました。本日は地震の
話を通して、都市とは何か?
そこで得られる幸福感とはどんなことなのか…。また、こ
れからの生活や行政のあり方などを、午後8時頃までお話してみたいと思います。
さて、今年 1 月 23 日付読売新聞朝刊一面記事にはびっくりしました。東京大学地震研究
所の平田直教授が「M7 級首都直下型地震は 4 年以内に 70%の確率で発生する」という研
究結果を発表したのです。多くの人が衝撃を受けました。というのは、首都直下地震に関
するそれまでの政府の公式見解は、30年以内に70%(後に98%と修正)の確率とい
うことだったからです。平田先生の4年内、70%は、極論すれば明日必ず来ると言うの
と同じです。昨年の東日本大地震の惨状が東京にもひろがった光景を誰もが思い浮かべた
はずです。私はかつて、東京都の防災部門の責任者をしていました。その現役時代の使命
感というか、闘争心のようなものがよみがえりました。
しかし、その後この試算は国の地震調査研究所が最新のデータを使って発表した 30 年以
内に 98%の確率の30年内を、4年内と置き換えたものとわかりました。反響のあまりの
大きさに平田教授は恐縮したのかどうか、今度は4年内、50%、と下方修正された。地
震調査研究所と同じデータを使って4年内、70%と試算したものが、どうして50%に
下方修正できるのか不思議ですが、前提条件を変えたのかもしれません。今は真相を問わ
ないことにします。
予算をとるためにチャンスがあれば戦略的に強いことを言う。地震学者の方から前に聞
いたことです。確かに災害はずっと来ないと忘れられてしまいます。悲惨なこと、いやな
ことは喉元過ぎれば忘れてしまう。これは日本人のタイフーン・メンタリティと外国人か
ら揶揄されるものです。が、忘れても来るものは来る。災害予算は保険と同じです。予測
はできなくても日本では必ず来るわけですから、必要経費を計上しておくことが大事です。
ところで、私は現在大学教員のほかに詩人という肩書も名乗っております。若いころは、
詩に力を入れ、評論集を出し月刊誌に連載もしておりました。絵画にも相当入れ込みまし
た。都庁の管理職になってから忙しくなり、詩とも絵画とも縁遠くなりました。しかし、
身体に一度しみ込んだスピリットは消えないばかりではなく、成長するものです。今も、
私の精神は芸術でできております。判断に迷うときは詩精神、美の精神に戻って選択する
ことにしております。
1
32年間行政マンとして勤めあげました。そのあと中央大学で都市景観や都市文化、都
市経営、危機管理等について講義し、ゼミを担当して現在に至っているわけです。
芸術は、行政政策を発想し、まちづくりをするうえで何より大切であること、また人間
が生きる上での力のみなもとであることを、学生たちに日々教えております。
しかし、先ほど申し上げましたように一度身体に植え付けられた精神は、その後そのこ
とに関係しなくなっても成長し、成熟します。学生にもいっておりますが、一度学んだこ
とは離れても成長する。行政でいえば、一度立案した政策は廃案になっても成長し続ける。
潜在意識に忘れさえしなければ、いつか陽の芽を見るチャンスが来て実現する。
そんなわけで私は、これから人生の最期を迎えるにあたって詩人で死ぬか、画家で死ぬ
か…その他何で死ぬかを思案しております。年を取っても、努力次第でどういう肩書を持
つか、人は選べるというふうに考えております。
ともあれ、以上のような事情があって、当初予告した芸術生活のテーマを急きょ都市生
活と危機管理に差し替えさせていただきました。
では、レジュメに沿って話を進めます。
1 危機は必ずやってくる。
先に紹介しました「地震が遠からず、かなりの確率でくる」という話に、実は私は本心
からビックリしておりません。それは常識だからです。10 数年前の阪神・淡路大震災の時
の東京都知事は、青島幸男さんでした。私はその直後に災害対策部長を命じられました。
青島知事は感受性の強い方で、大変怖がりで臆病なところがありました。関東地震、東
海地震がもし来れば、東京は混乱し、大変なダメージを受けることを話すと、それだけで
青ざめるわけです。
ある時大震災がもし起こった場合の最初の対応について話しました。真っ先に庁舎に駆
けつけることはもちろんですが、心がけとして都庁第一庁舎の屋上に昼夜を分かたず明か
り(自家発電で)をつける。明かりによって「大丈夫、都庁は頑張っている、みなさん落ち着
いて」というメッセージを都民に送る。そういうことにしていたのです。
「そのため私は都
庁舎の裏手の防災住宅に毎日寝どまりしています。待機住宅の窓から毎夜都庁舎のてっぺ
んを眺め、灯火のメッセージが東京中を照らす光景を想像しているのですよ」と言いまし
た。
すると、
「伊藤君、そんなことを言わないでくれ」
知事は子供のように怯えた目をし、頭を抱えてしまうのです。実にデリケートな人でし
た。
東京都の防災会議の冒頭の挨拶文の草稿を私が用意しました。その中に「地震は、近づ
くもの、決して遠ざからない」と述べた箇所があります。ここが挨拶文の急所です。
挨拶を始めた知事はそこまで来ると急に口ごもり、ついには飛ばしてしまいました。恐
かったのでしょう。私は、恐がる人と分かっていながら脅迫するような文言を入れた自分
2
の人の悪さに気づきました。誠にすまないことをしたと心の中でおわびし、以後そういう
表現はしないことにしました。
第六感的感度のよさも並大抵ではありませんでした。伊豆大島での防災訓練をした時、
バスで島内を移動します。私は案内と説明を兼ねて知事のうしろの座席に座りました。知
事の後頭部が目の前にあります。
「この頭は鬘(かつら)かな?」と想像した途端、知事はクル
ッと後ろを振り向き、
「君、これは鬘じゃないよ」と後頭部に手をやりました。私が心に思
ったことを感じ取り、ぴしゃっと言い当てたのには驚きました。
知事説明に伺っても青島さんはあまり意見をいう人ではありませんでした。素人だから
何も分からない、という評判が立ちましたが、判断力はシャープ、決して侮れる人ではな
かったです。
もう一つ青島知事について話をさせてください。知事になられてまず決めたことは公約
でもあった 1996 年(平成 8 年)開催予定の「世界都市博覧会」の中止でした。準備もかなり
進んでおり、都議会自民党は大反対です。各界各層、業界も多くは反対です。何とか知事
の決意を翻したい。策はないかと先生方は研究します。その結果誰が言い出したか分かり
ませんが、理論より体力勝負に持ち込むことだということになりました。
議会質問を延々とやり、答弁で知事の身体をくたばらせよう…。青島知事は癌もやって
いるし、答弁を長々とやると体が参って音を上げるだろうとの読みです。
そこで、議員の先生方は、議会質問を通告なしの質問も交えて延々と続けました。夜中
の12時で時計を止めてまでも、質問を引き伸ばすような戦術を使ってきました。
ところが、効果が一向に出ません。青島さんは、もともとは芸能人だったことを思い出
してください。
芸能人の撮影や打ち合わせは殆ど夜中ですから、夜になると目がらんらんと冴えてくる
わけです。夜半になるほど、知事の答弁は鮮やかになり、トランペットの音色のような伸
びが出てきます。速記録を読んでもわかりますが、この時間の知事の答弁は実にことばの
選択も内容も豊かでした。
青島さんと言えば無責任ソング『スーダラ節』の作詞で有名です。知事室にも自筆の額
を飾っておりました。無責任とはある意味でどの角度からの攻撃にも対応できる柔軟性が
あるということです。結局、自民党は青島知事について研究不足だったと思います。
さて、地震の話に戻ります。大地震が一定周期で起きるという考え方を確立した理論は
「プレートテクト二クス理論」です。地震の発生原因には 69 年周期説、ナマズ説等、巷間、
いろいろな説が言われておりました。科学的に疑問のないのはプレートテクトニクス理論
です。この論では地球の地表部は、頭蓋骨のように板(プレート)の群れで覆われている。プ
レートは深海から噴出するマグマに押されてゆっくり移動している。たとえば伊豆半島は
フィリピン海プレートが北へ移動して日本列島にぶつかってできた半島と言われています。
日本列島は北米プレートの上に乗っています。この北米プレートの下に太平洋プレート
3
が東から年間8センチ程度の速度で潜り込んでいます。もぐりこみの場所は海溝です。太
平洋プレートの下にはさらにフィリピン海プレートが年間4センチ程度の速度で押し潜っ
ています。その結果、日本列島が乗っかっている北米プレートに摩擦によるたわみが生じ
ます。北米プレートのたわみが限界点に達すると、弓のように跳ね返って海溝型の大地震
と津波が起こるというものです。
ちなみに今回の東日本大震災について、東北大学の今村文彦教授(津波工学)は震源となっ
たプレート境界面から上向きに枝分かれした「分岐断層」が同時にズレて、そのため大津
波になったと推定しております。
プレートテクトニクス理論は、地震発生のメカニズムの解明に大きく寄与しました。し
かし、いつ来るかの予測は正確にできません。またプレートの内部深くを震源とする都市
直下地震の予測に、この理論は適用できません。
関東地震は約 220 年周期、東海地震は約 150 年周期でやってくると言われております。
これは元東京大学の地震研究所の助手をして後に神戸大学教授になった石橋克彦さんの説
です。石橋さんは大正12年の関東大地震の震源が従来の通説遠州灘では被害状況と合わ
ない。違うのではないか。そこで南関東地域 400 年の地震の古記録を詳細に検討して、そ
の東側の状況を緻密に調査したところ、駿河湾の矢印の方向とピタッと合う。そして「駿
河湾地震説」に思い至ったと言います。しかも、220年、150年という周期があるば
かりでなく大地震発生の前には数十年にわたる大地動乱期があって、地震の回数が次第に
増加し、その総仕上げがカタストロフィというべき関東大地震になるというのです。
この説によって現在、静岡県を中心に予算を投入して東海地震予知体制をはじめ本格的
な防災施策が取られていることは、周知のとおりです。この点、東北地方には石橋さんの
ような説得力のある専門家がおらず、津波対策をはじめ地震対策が遅れたことは、不幸と
言えます。
なお、石橋さんの関東地震220年周期説、東海地震の150年周期説は東日本大震災
によって日本列島周辺のプレートの圧力バランスが崩れたため、プレートの移動速度の基
本は変わらないとしても今後予測通りに推移するかどうかはわかりません。はっきり言え
るのは静穏期から動乱期に入った。大地震は近づいているということです。
そして、私たちの心がけですが、地震発生の確率がゼロでなければいつ来てもおかしく
ないと考えるべきだということです。ちなみに、私は原発についても同様に思っています。
たとえ、一万年に一回の事故の発生確率であっても、ゼロでない限り中止すべきです。
とりあえず 220 年周期を前提にすると、関東地震は前回から約 1/3 の 80 年たっておりま
す。一応まだ時間があると言えるかもしれません。しかし、石橋克彦さんは関東大地震の
前に露払いのように約80年周期で小田原に直下の地震が来ると言っています。そのため
小田原市はお城をはじめ緊急防災対策をこの数十年進めています。すでに王手の時間に入
っていて、実際どうなるか心配でなりません。何度も言いますが地震は近づくもの、来な
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いという選択はあり得ないのです。
150 年周期の東海地震は前回から半分の時間が過ぎています。実は 1944 年に東南海地震
が発生しました。
この時の震源域から 140 ㎞北側の東海地震震源域では断層の動きがなく、
地殻歪みのエネルギーが蓄積されたままになっていると言われております。このことから、
東日本大地震に誘発されて 3 連動地震(東海・東南海・南海連動型地震)が起こるのではない
か…と心配されているわけです。
そのため相次いで新しい被害予測が国や自治体、研究機関等から出されています。恐い
のは震度6以上の地域です。地震の規模を示すマグニチュードが小さくても、震源が浅け
れば震度6以上の揺れが発生します。
東京都では、都心部の東京駅周辺から神田、御茶ノ水などを通り水道橋に達する付近、
隅田川沿いの地域、麻布周辺や赤坂見附付近に震度6以上の揺れが起こると想定されてお
ります。この地域はかつては湿地であり、長時間周期の揺れの増幅も考えなくてはならな
い。
と言って、過度に恐れる必要はありません。震度 7 でも安全が確保された事例を私たち
は阪神・淡路大震災で経験しています。阪急鉄道沿線が震度7に襲われたのですが、殆ど
建物の倒壊等の被害が出ませんでした。この沿線は山側で金持ちが多く住んでおり、家屋
の耐震強度が確保されていたのです。一方、震度 6 の甲子園球場に近い阪神電鉄の周辺、
阪神ファンが多いところは、昭和48年前の耐震基準で建てられた多くの古い家屋がメチ
ャクチャになりました。被害は備えの空白地帯に集中する、ということがよくわかります。
阪神・淡路大震災は社会構造の強弱をあぶり出したのです。冒頭、私が大地震によって都
市の正体が現れると述べたのは、これらのことを意味しています。
2 都市で遭遇する危機
以下で都市直下の地震にどう対処するか、お話させていただきます。
私は震度6が来るか、7が来るか、ビルは倒れるのか、鉄道はとまるのか、食糧は大丈
夫か、家に帰れるのかといったことは当面考えなくていいと、思っています。要は、大地
震が来たときに自分がどこにいてどんな状況に置かれ、その中で命をどう守るのか、この
ことに集中すればよい。死なないことが何より重要です。
いうまでもなく都市には世の中の危険因子がすべて出揃っております。危険のデパート
の中で私たちは暮らしているわけです。そして恐ろしいことに、その危険をすべて知って
いるわけではありません。殆ど知らないと言っていいでしょう。
都市には、消防車や救急車も入れない老朽木造住宅密集地のほか迷路のように複雑で過
密な飲食街や風俗営業があります。爆薬、毒薬、有害物、ガソリン等の貯蔵施設があり、
デパートやホテル、地下商店街があります。また、鉄道、地下鉄、高速道路なども多い。
東京には1000本を超える超高層ビルがあり、東京湾には6000を超える石油タンク
があるのです。これらはふだんは快適で便利な生活を保障してくれますが、ひとたび大地
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震ともなれば凶器に変じます。
昨年の東日本大震災で、震源地から約 700km離れた大阪の超高層ビルが被害を受けまし
た。橋下知事の肝いりで賃借した大阪府庁(咲洲庁舎)の民間ビル(地上 55F、高さ 256m)
です。震度は 3 でしたが、ビルが往復 3 メートル、13 分間揺れました。これは長周期地震
動の仕業です。通常の震動とは異なり、数秒~数十秒周期でゆっくりと揺れる震動で、超
高層ビルの固有振動数と一致したことによる増幅効果が発生したものです。吊り橋を渡る
とき、その人間の持つ固有の振動数とつり橋の固有振動があうと共振を起こし、想像以上
に揺れて恐くなります。あれと同じ理屈です。大阪府庁舎が建っている場所の地盤は、
かつての湿地で柔らかく、地盤の揺れの固有周期が 6.5 秒であったということです。
東京スカイツリーが建っている墨田区の地盤は固有周期が 6~8 秒であるといいますが、
免震対応ができているため、大きな被害はでませんでした。
実は三陸海岸の津波被害はこの共振現象で大きくなっています。あのあたりの地形は海
岸線に集落ごとに港、港が続いております。その港の湾にも固有振動があるのです。この
振動と津波の固有振動とが一致するととんでもないエネルギーが生じて津波は山の上まで
駆け上がり、まさかここまではと油断した人々を大被害にまきこむのです。津波は地震が
つくった波の高さだけが恐いわけではない、ということです。
いずれにしても都市は未知の世界で半分以上できている。東京に大地震が来た場合どん
な被害が、どんな原因で発生するか、予測もつかない。良い因子も悪い因子も板の両面の
ように背中合わせに同居している大都市東京の本当の素顔を、誰も知らないわけです。
都市は、文明の成果であり、英知の結晶と言われたりします。神は田園をつくり、人間
は都市をつくったとおごり高ぶっていう人もいます。確かにそれには理由も根拠もありま
す。
田舎においては、例えば、農業生産物を 300 人の人間が一人前ずつで栽培すると、30
0人分の生産量、扶養力が生まれます。その生産効率は太陽の速度にしたがっており、足
し算構造と言えます。
一方、都市は組織をつくり工場で生産します。そこでは人工的な掛け算の効率が働きま
す。田園に比べて何倍もの生産が得られます。神は足し算構造でしか人間を養えないが、
都市は掛け算構造で幾何級数的な人数を養えるということが言えるのです。
このように都市は素晴らしい。だが、豊かさの増大、便利の加速化とともにそこには同
じテンポで危険が育っていることを忘れるわけにいきません。
何よりいけないのは都市において人間は、ゆとりがあるともったいないと感じることで
す。土地もビルもゆとりがあると、もったいないと思い、建蔽率、容積率ギリギリまで使
ってしまいます。都市には常に価格や生産効率に関して競争原理が働いており、そのため
にゆとりがあると隙間を埋めてしまうのです。これは資本主義の病理と言うべきものです。
そんなこともあり、都市における大地震での被害は、想定するより 10~100 倍の大きさ
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に達すると考えるのが私の見解です。私たちが街を歩いても、知らない部分、無知の領域
が限りなくあるではありませんか。電力供給システムを始め超高層ビルや地下街、鉄道や
高速道路がどんな管理システムで動いているのか、当事者以外誰も知らないでしょう。
私たちの目につかないところで日々何が起こり、何が隠され、明らかにされているか分
からない。都市人は性善説のもとで毎日暮らしていて、実際に何が起こっているのか…つ
ぶさに知らされず、理解しようとも、疑おうともしていないのです。
私は長い間都市とは何かを考えてきて、少なくとも知っていると思う100倍は知らな
いこと、闇があるという結論をもちました。そのため阪神・淡路大震災の発生直後、犠牲
者が 50 人余と報道された段階で、
その 100 倍の犠牲者があると予想し、
人にも話しました。
実際には 6000 人の犠牲者でした。予測がたまたまあたったためにあいつは防災に向いてい
ると、急きょ災害対策部長に異動させられたのかと半分名誉に、半分残念に思っている次
第です。とにかく、近代の都市には、「目に見える部分」と「目に見えない部分」との差は
100~200 倍あると想定した方がよいと思います。
3
そもそも都市生活の都市とは何か?
都市の定義について、M.ウェーバーは「都市とは大きい集落であり、住民の大多数が
工業または産業から生ずる収入によって生計を立てている居住地域」と言っております。
田園と対比した定義ですが、現代都市の定義としては不十分です。都市を知るには自分で
定義するのが一番いい方法です。それは自分の認識を知ることであり、都市でどういう生
き方をしようとしているかを見定めることにもつながるからです。
まず、第一に都市とは、
「人々が集まり、知恵を使って生きる場所」であります(一般論)。
ここでは大勢の人が生きることができます。個人の能力差にかかわらず、生きるかてが
得られます。
第二に都市は、
「人々が田園集落(原始共同体)の神の掟、世間の縛りから逃れ、個人の能
力と責任の下で欲望を開放し、物質的満足と精神的満足を追求できる場所」であると言え
ます(農村集落的運命共同体からの自由)。
かつて田舎はつまらないし、職もなく、東京や大阪といった大都市に若者が集まりまし
た。大都市に移り住むということは、地方のボス支配から逃れる唯一の方法であり、救い
であり、自由を得、より高い学問を身につけるチャンスでもありました。
ドイツには、
「都市の空気は自由にする」という中世の格言があります。農奴や奴隷身分
の者が都市に逃げ込むと、一年と一日を無事に過ぎた翌日に封建領主から解放されること
になっていたと言います。身体的自由だけでなく、心の自由も得られるので、まさに都市
は天国であったわけです。
第三に都市は、
「自然の営みを超えた速度と効率による生産活動を通して余剰を生み、よ
り多くの人間の生存を可能にする装置」であります。すなわち、知と科学の集積による扶
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養力が田園にくらべて大きい。それが都市というわけです。
第四に都市は、
「政治、経済などにかかわる権力や財及び欲望の拡張をめぐって人々がル
ールをつくり、安心、安全に個人の尊重と生存が確保される市場」であります。
イギリスの政治学者T.ホッブスの国家論によると、近代国家の起源は、人間は自然状
態のままではいがみ合い、殺し合いに明け暮れる。それでは安心して平和に暮らせない。
そこで国家という法人をつくり個人が人権の一部を提供し、これと契約して地域を治めて
もらう。国家は憲法を制定し、外交、防衛のほか納税の義務その他の制度を営むルールを
つくる。すなわち、安全・安心の暮らしのためのルールを束ねた擬制の組織体が国家であ
る。これが、ロック、ルソーも唱えた社会契約説です。上記の都市の定義はこれと同じ発
想、いわゆる社会契約説を援用して都市の姿をとらえたものです。
私の家の窓からベランダを眺めていると、メジロとヒヨドリがリンゴを争ってたえず喧
嘩しています。自然界においては、掟(ルール)がない。人間も自然状態ではこうなる。都市
もルールがなければ、餓死者や困窮者が出るのだということがよくわかります。
第五に都市とは、
「誰もが自由に利用できるインフラと誰にも適用されるルールを備え
た協働、共存及び分配の社会システム」であります。(現代都市経営の視点)
現代都市における行政の役割は、道路を作ったり、図書館を建てたり、協働、共存のた
めの社会システムを構築するところにあります。私が東京都でした仕事の究極の目標もこ
こにあったわけです。それが最大多数の最大幸福の実現をいつか必ずもたらすと信じてい
ました。
最後に都市は、
「人類の生存システムであり、かつ破滅のシステム」であります。(都市へ
の文明論的アプローチ)。
すでに述べましたが、都市においては、ゆとりや余剰の単純な蓄積はもったいない。ゆ
とりを活用して何かを作り、儲ける方法を考えなくてはならない。これを綿密に実行する
と遊びもゆとりもない超精密に凝縮した科学的都市が出来上がります。しかし、精密、過
密になればなるほど都市システムは複雑化する。都市の内部には失敗の種や有害か、爆発
等の危険が育ち、合成の誤謬、人的ミスや錯覚などそれを顕在化させるエネルギーも侵入
します。それらにヒューマンエラーやイデオロギーによる世界制覇を狙うテロリストとい
ったものが作用すると、破滅のシステムとなります。
都市は適正に管理しない限り生き延びることができない。このことはアメリカの偉大な
経済学者、シュンぺータの「資本主義はその発明発展によって滅ぶ」という予言に二重ね
て考えると良く理解できます。
4 危機管理の考え方
危機管理とは「緊急事態の発生に際して最悪の事態を想定しつつ被害を最小限度に止
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めること」と一般的に定義されます。その本質は、攻めではなく守りを固めることにあり
ます。
福島原発事故において、アメリカでは原子炉が炉心溶融する最悪の状況を想定し、在
日米国人を 80 ㎞圏外に避難させる検討をしていたといいます。
1962 年のいわゆるキューバ危機では、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようと
しました。アメリカの喉元にミサイル基地が作られる。核戦争の危機が増大します。これ
に対してケネディ大統領はミサイル搬入船を阻止する海上封鎖をし、臨戦状態になりまし
た。この間、国連総長や中立国が仲裁に入るなど、両国間の水面下の交渉により危機は回
避されました。
その後、この危機を教訓として、ケネディ大統領とフルシチョフ首相の米・ソの両首脳
が直接、対話するための米ソ直通電話(ホットライン)が作られ、米ソ平和共存と「雪解け」
ムードが生まれたことは御存じのとおりです。
この危機以来、危機管理という概念が一般化したのです。危機管理にはクライシス・マ
ネージメントと、リスク・マネージメントという二つの言葉が使われています。キューバ
危機のような軍事衝突による戦争の危機や大規模テロや大災害による危機管理を、
「クライ
シス・マネージメントと(手に負えない危機)」と言います。
一方、リスク・マネージメントというのは、加害と被害の予想がつく危機であります。
リスク・マネジメントの歴史は古く、原点は保険にあります。2~3000 年前、砂漠地帯
をキャラバンを組んで行く場合や船で商品を運ぶ場合盗賊や海賊、あるいは海難事故等に
会う危険が伴いました。
紀元前のメソポタミアのバビロニアでは、こうしたトラブルに備えて賠償システムが考
案されております。
「冒険賃借」といわれる危険移転システムです。この「冒険賃借」とは
航海に先立って荷物相当分の金を借り、交易に成功すれば高額の利息を付けて返し、失敗
すれば借金をチャラにする仕組みであります。
大航海時代、地中海に面したフィレンツェやベネチアの海上保険制度でも、荷主と船主
との間で海難事故に際しての賠償ルールが設けられておりました。
これら海上での保険の制度をドイツでは、陸上生活における火災や盗難などの危険に
対して導入するようになりました。
危機管理力とは、危機管理体制と極限管理能力とを合わせ持ったものであります。まず、
危機管理体制というのは、緊急事態に迅速かつ正確に対処するために情報収集や分析を行
い、戦略的な対応策を立てるための組織体制であります。東京都でいうと防災体制といっ
たもので、災害対策本部を中心として整備され、警視庁、消防庁、自衛隊、ガス会社、電
力会社、交通会社等、都市を運用している関係諸機関で構成されます。NHK、民間放送局
等もこのメンバーに加わります。これらの諸機関が、いざというとき都庁第一庁舎の災害
対策本部室に集まり、災害発生時の初動対策から復興・支援までの組織力として活動しま
す。
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それに対して、極限管理能力というのは限界情況に追い込まれた場合の個人的能力
であります。職員・社員が危機に直面して判断を誤ると大きな被害をこうむります。その
判断力とそれの実行に伴う指揮命令力や勇気、責任力などが内訳になります。
つまりこの能力は、危機に際して、最善の考え方ができるかどうかです。生まれてから
の学習や経験で体得した人間総合力と言えます。これは、年齢に関係ありません。その状
況下で最良の選択をする人がたとえ最年少でもリーダーになる。そういう能力資格です。
この極限管理能力は危機管理感覚とも言い換えられます。それまで生き抜いてきた知恵
の集積ですから、この能力は、ふだんから日々の仕事を通して意識的に磨いておかなけれ
ば発揮できません。
危機管理に対する組織的対応方式には、原因管理型と結果管理型とがあります。原因管
理型とは、襲う危機の顔を明快するため、予測と分析を優先します。日本のシステムがこ
れに当たります。そのため平時に災害別、危機別に組織をつくります。大雨が降ると建設
省(現国土交通省)、海難事故では運輸省といった具合にです。
この方式の欠点は初動体制が遅れるということです。何処がやるべきか、誰がやるべき
か、自分のところではないと組織の利害をち密に計算しながら、不毛の小田原評定をする
からです。
昭和 52 年 9 月 6 日、ソ連の最新鋭ジェット戦闘機であるミグ 25 が突如として日本の
領空を侵犯し、函館空港に強行着陸するという「ベレンコ中尉亡命事件」がありました。
その際、この事件の所管をどこでやるかということで、ダラダラと議論をしておりまし
た。
「これは、密入国事件だから、出入国管理法を所管している大蔵省でやればよい」とか、
「飛行機は拾得物だから、警察庁だろう」「いや飛行機の所管は運輸省だ」と言うと、運輸
省は「民間航空機は取り扱っているが、軍用機は取り扱っていない」と言う。「いずれにし
てもソ連にジェット機を返す必要がある。所管は防衛庁だ」と言うと、「自衛隊のパイロッ
トが戦闘機に乗ってソ連に行くと密出国になる。」と反論する。「それでは機体を輸出品と
して扱うか」というと、通産省は「武器輸出三原則に抵触する」と言う。
このように、各省庁がセクショナリズムを発揮し、初動態勢の立ち上げが遅れてしまう。
まさにタイフーンメンタリティのもたらす悪弊というべきです。
日本において、台風、洪水の襲来による最大の危機は米作への被害です。米本位の経済
に長く親しんできた日本人は、地震より台風に対する感覚が鋭い。台風は予告期間があり
ます。黒雲が現れても 1~2 日のゆとりがあるわけです。その間にどうすれば台風の被害を
防げるかを考え、自分の省に及ぶプラスマイナスの影響を値踏みする。台風ばかりではな
く万事が万事官僚は権益への影響を考える習慣、風土ができています。役所のセクショナ
リズムの根源はここにあると言えます。
結局、ベレンコ中尉は、アメリカへ亡命しました。
なお、結果管理型のアメリカでは、ハリケーンなどの災害の襲来に対して、被害を最
10
小にすることを第一に考えます。FEMA(Federal Emergency Managemen Agency) =連邦
緊急事態管理庁という組織があります。FEMA は、調整権を持っているだけでなく、予算
も持っております。ただ、救助はやるが、原因分析はやりません。だから、次の危機に同
じ失敗をする可能性はあります。日本のような原因管理型の組織では、同じ過ちを繰り返
さないという特長があります。
結果管理型の危機対応は欧米のような国境がないところで生まれたと考えます。名づけ
れば「アースクエイク・メンタリティ型組織対応」でしょうか。
地震は予測ができない、予測をやっている暇がない、そういう性質の危機が国境のないと
ころに生じます。そこでは隙を見せればすぐに外敵が侵入します。そして、異民族に占領
されるばかりでなく殲滅される危機もあります。古代、中世を通じてヨーロッパはそうい
う戦争を繰り返してきた歴史があり、その中で敵は地震のようなものという感覚が育って
きたと思います。だから、即座に対応できるような結果管理型感覚が身についた。初動体
制が日本にくらべて上手いわけです。
日本のタイフーンメン・タリティでは、初動体制を上手くやることが、いわれるほど高
く評価されていません。それより上手く生きるという対応が重視されます。例えば、北朝
鮮の武装船を領海内で発見し、向こうが先に発砲してき、撃ち返した時も、まず正当防衛
で火器を使ったと弁明する。危機管理としてはおかしな弁明です。領海侵犯は子供の喧嘩
ではありません。これが「アースクエイク・メンタリティ」に基づく行動では領海の外へ
直ちに相手側を撃ち払うわけです。組織でうまく生きることに配慮したような弁明はしま
せん。
危機管理に関してもう一言述べます。かつて「仕事とは意思決定の連続である。
」と言
われました。意思決定の本質は価値の評価であります。その決定には、利害関係者や周辺
への影響が大きく、リスクが伴います。その意味で、危機管理は誰かが得をし、損をする
判断をすることになります。
つまり、リスクという概念の延長で考えれば「仕事とは危機管理の連続である。
」と言っ
た方が適切。臨場感、緊張感、リアル感が高まります。その姿勢で仕事に向き合うことが
必要になるのではないかと思います。
5 危機から生きる延びる方法
危機から生き延びるためには、普段から備えるものは備えるということが大切であり
ます。食料、水、耐震補強、家具の固定、家族の連絡方法などについて取り決めておかな
ければならない。また、街を良く知っておくことが大事です。ふだん繁華街など歩いてい
るときには、どっちに行けば安全かを絶えず観察する。道のつながり、空き地の位置など
を頭に入れる。どこにコンビニやスーパーがあるかなども記憶しておくとよいです。いつ
でもどこでも迷わず安全地帯へ逃げ込めるように街を探検し、イメージトレーニングしな
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がら歩くと、都市で行き場を失ってうろたえる確率はぐんと下がります。
しかし、最も大事なことを申し上げます。それは食料の確保などではありません。
現実に大地震が来た時に瞬間どう対応するか、できるかです。
私事でありますが昨年の 3.11 の地震のとき、自宅にいて、これはちょっと大きくなるな
と考えた途端大きくぐらっと来たのです。私は、とっさに本箱を改造した5段のサイドボ
ードを両腕で押さえました。一番大事にしているセーブル陶磁器やベネチアングラスや抹
茶茶碗等の骨董品がそこに収納してあるのです。これらを守ろうとした。しかし、揺れは
激しい。押さえきれるものではありません。それでも倒れて壊れないよう両手を広げて守
ろうとしたのです。自分の欲望のしぶとさに驚き、諦めて離れようとした時です。ボード
の上に載せてあった蛍光灯が落ちてきて、見上げた瞬間の顔の真ん中にぶち当たりました。
鏡を見ると鼻梁が裂け、大量出血です。小金井市役所に届けるべきかどうか迷いましたが、
止めました…
このとき思ったのです。大地震から生き延びるためには、何もかも捨てなければならな
い。義理も人情も捨てる。心に欲があると逃げ遅れる。迷えば瞬時に安全地帯に行くタイ
ミングを失う。
生きるためには、無が必要だ。心を空にして逃げることだ、と悟りました。
阪神・淡路大震災の時、しばしば蘇る二つのシーンがあります。
一つは、避難所にいる老人がトイレの数が少ないから、飲食を控えていると話してい
たシーンです。あまり飲食を控えすぎて脱水症状や病気を悪化させた例もありました。
これは、行政担当者にとって本当に辛いシーンでした。
もう一つは、家が燃えさかっています。炎の前に消防士がホースを持って突っ立って
います。ホースから水がでないので、ただ呆然と眺めているというシーンです。
このとき、東京消防庁にはヘリコプターで水をまけという電話が殺到していたそうです。
東京消防庁だけでなく自衛隊のヘリコプターも空中消火の準備をしていた。ところが、国
の自治省消防庁は、日本ではヘリコプターから水を撒いた経験がないと禁止した。
一年前の米国カリフォルニアのノースリッジ地震のときは、ヘリコプターから空中消火
をして民家を救った例があります。せめて日本でも試みるべきだったと思いました。
「前例
がない」というのは緊急ではなく平時の感覚です。
あのときヘリコプター消火をやっていれば被害住民も全力を尽くしてくれたとそれなり
に感謝の念をもって満足したでしょう。消防士もやるべきことはやったという達成感、そ
して市街地火災でどれくらい有効に消火ができるのか時、データが取れたはずです。
6 懲りないひとびと
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以下はおまけの話になります。
忘却すること、風化することは、ヒューマンエラーではなく、人間の属性であると私は
考えます。
昭和 50 年頃、岩手県宮古市田老町で津波の対策を視察しました。この田老町は、明治 28
年の三陸大地震の津波で住民の 7 割が犠牲になり、昭和 8 年の三陸大地震の津波では住民
の 4 割が犠牲になった。やや文学的な言い方をすれば「人が湧いて、また、死んだ」と
いう感じの集落です。
ここは小ぶりな湾に国の援助でつくった高さ 10mの防潮堤が 300~500 メートルにわた
ってあり、海は見えない状態にありました。新聞報道などでは、海の見えない田老町と言
われております。防潮堤の通用門に続く道路橋は津波が襲来するときは 90°回転し、水門
として使用でき、川幅も安全で津波対策は万全だと住民は話しておりました。
それから 20 年ほどして、この町を再訪したとき、驚くべき光景を目にしました。防潮堤
の外側、つまり海側に民家や作業場が建っているのです。正気かと思いました。かつて多
数の村人が何回にもわたって犠牲になったのに、そんな津波の教訓など屁とも思っていな
いのか。しかし、やがて私はそこに住む人々の勇気を感じました。大地震や津波を恐れな
い人々がいることに妙な感動が湧いてきたのです。強い。心から命をかけて海に生きてい
る。教訓を忘れることを恥じるどころか、堂々と防潮堤の外側に建物をたてている。田老
町の人たちは、海の色と空の色が一緒になるように命と死が天地で一緒になること、宇宙
の一コマの出来事としか考えていないのではないかと思いました。
津波の教訓を忘れることは、ヒューマンエラーではない。人間に備わった属性だ、と教
えられた思いでした。しかし、このときはまだこの考えに半信半疑の思いでした。
昨年の 4 月、私の大学で危機管理ゼミ参加者の選考をしました。その中に石巻出身の女
子学生がおりました。彼女は3,11に帰省していて地震の被害を受けました。津波も来
た。あと一歩というところで波は引いた。津波のかぶさった集落は跡かたもなくなってい
ました。級友を失い、彼女の心には深い傷と悲しみの湖が生まれました。一か月、避難所
でボランティアをした。
面接の終わりに私が「三陸沿岸には、明治、昭和の三陸大地震で住民の7割、4割が死
んだ集落がある。それにもかかわらず信じられませんが、危険な防潮堤の外側に住む人が
いるんです。聞けばあなたの家もそういう地形のところにあるということですが、恐ろし
くないですか。あなたが、そんな勇気をもった一人でないことを心から願う気持ちです。
安全安心の場所に住んで、幸福な一生を送ってほしい。それが私の危機管理ゼミの目標で
すが、いかがですか」としめくくった。
すると彼女は「津波はこれからも来ると思います。けれども、人は海のそばに住めると
思います」と述べた。彼女の答えに私は息をのんだ。言葉を失った。たじろがない人がい
るのだ。大地と海の力がそんな強い意志を育てるのだ。
こんなひとびとを前に津波から逃げ遅れるのはミス、過去の教訓をわすれた仕業だ、と
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いうようなことは言えない。歴史の教訓をものともしない。あるいは教訓を意識して忘れ
る。それは単なるミステークではない。忘れることは決してヒューマンエラーではない。
人間の属性だ。属性なら、これからも防潮堤の外に住む人が現れるだろう。
ならば、行政が過去の教訓を記憶し、引き継ぎ、生かし、四六時中住民に代わって地震
と津波から集落の人々を守らなければならない、防災専管組織とはそういうものでなけれ
ばならない、心からそう思ったのです。
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