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特集「近藤原理先生お手伝い」その②

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特集「近藤原理先生お手伝い」その②
ピア宮敷から3人、島原深江・コスモ
ス 会 か ら 2 人。 総 勢 9 人 の 加 勢 を 得
て“一日仕事で”何とか菌打ちは終
了。今年の秋の椎茸発生が待たれる。
原理先生のお住まいの奥に小さな
納 屋。 ス コ ッ プ が 必 要 に な っ て 納 屋
生の“なずな”を体験。暑い日差し
段々田圃、段々畑が取り囲む。まず、
牽 く な ず な の 仲 間。 寮 の 下 は 棚 田。
の道。そのぬかるむ道をリヤカーを
装道路でない土の道。雨が降れば泥
ぬ“なずな”の証人。思わず目を見
に保存されていた。これがもの言わ
“鋤”“木の根子掘り道具”等が大切
な寮”開園当時の物と思われる“鍬”
の戸を開けた。と、そこには“なず
め て“ な ず な 合 宿 研 修 ” に
の中、お茶畑の土手の草刈りを僅か
耕耘機前の時代だ。鋤と鍬を高く振
何 年 か? 筆 者 は 初
参 加 の 機 会 を 持 っ た。 8 月
な時間だが手伝った。と、原理先生
昭和
8 日。 こ の 日、 参 会 者 は 午
張った。その一つの鍬を手に持って
茸 栽 培 ”“ 西 瓜 出 来 よ く 収 穫 1 2 0
日本短波放送の大野智也さん。そし
の裏山から確保した椎茸原木120
今回のお手伝いは1月に原理先生
個”とある。
て、主催者、原理先生講演は2時間
午 後 は 国 見 山 荘 に 移 動。 前 座 は
12
本への菌打ち。北総から4人、千葉・
11
写 し た 写 真 が 多 数 掲 載 さ れ て い る。
“ な ず な の 日 々” に は そ の 日 々 を 活
一歩を踏み出した。原理先生の著作
息子さん、寮生7人は共同生活の第
先生・奥さんの美佐子さん・二人の
37
(武井)
理先生お手伝いはこの秋か……。
“ な ず な 寮 ” を 後 に し た。 第 3 回 原
見送られて後ろ髪ひかれて私たちは
3 月 2 日 午 後 4 時、 原 理 先 生 に
で黒光りしたその鍬であった。
み た。
“なずな”の皆様の汗と血豆
年の記録
2
匹”
り上げて田を打つ。昭和
3
41
半 の 長 丁 場。
“優しい言葉で深い思
想”で話は解りやすく、頭がしびれ
るほど刺激的。以後、筆者の“なずな”
通いのきっかけとなった。当時、原
理先生は 才、筆者は 才か……。
30
1962(昭和 )年 月、原理
45
日本は高度経済成長前で田舎道は舗
▲原理先生手書き裏山絵地図。椎茸の原木になるク
ヌギの在り場所。(※40年前のなずなの日々時
代には畑でありお茶畑であった場所だ)
い。嬉しかった。
が近くにいて、私が鎌を使うのを見
E メールアドレス
[email protected]
前 中 に“ な ず な 寮 ” 参 集。
ホームページアドレス
http://www.hokuso-ikuseien.org/
に は“ 今 夏 退 治 し た マ ム シ は
施設の概要や理念 , 利用者の様子 ,
園長からのお知らせ等 , 盛りだくさん!
ぜひアクセスしてみて下さい。
て「ほー、鎌使いが上手かですねー」
北総育成園のホームページが
新しくなりました!
寮 周 辺 を 豚 小 屋、 山 羊 小 屋、
2016.5.20
234
とある。
“羊を飼いブタを飼う”
。
“椎
50
と誉めてくれた。原理先生との出会
特集「近藤原理先生お手伝い」その②
▶椎茸菌打ち終了。原理先生を囲ん
で記念撮影。奥日陰下に原木。
H ・ ・
28
第 234 号
北 総 の 里(北総育成園・笹川なずな工房・やまだ自然)
(1)2 0 1 6 . 5 . 2 0
雪の長崎への訪問から一か月ちょっ
半 に は 全 て の 原 木 へ の 植 菌 も 完 了 し、
の手入れを行い、昼食をはさんで2時
け る 場 所 を 作 っ た。 そ し て 園 長 は 庭
高木は山から木を集め、原木を立て掛
指示して作業は進んだ。城之内補佐と
原理先生は師匠でもあるし、また、武
た取り組みだった。私自身にとっても
ま受け止めた武井園長の思いが結実し
務でもなく、原理先生の願いをそのま
た今回の取り組み。損得でもなく、義
の仕事とは関係ないことに必死になっ
つかご一緒させてください!」とお願
等で武井園長に顔を合わせる度に、
「い
なったりと。そして、福祉協会の会合
に、懐かしく、また、郷里のことが気に
に度々長崎の関連記事が掲載される度
幼少の頃の遊び場。広報紙︻北総の里︼
れで、浦上天主堂や平和公園がまさに
長崎・近藤原理先生研修訪問記
と が 経 っ た 3 月 2 日。 こ の 日 の 朝 9
120本の原木を並べ終えることが出
井園長の原理先生の思いに対しての
で伐採作業を行ったが、かなりの重労
ある。前回は園長・補佐・高木の3人
作業を行うために集まったメンバーで
採して作った原木120本に植菌する
テーキをご馳走になった。そして午後
て下さった。上野さんも付き添い、ス
いと、近くのレストランに連れて行っ
にも関わらず、昼食は是非ご馳走した
原理先生は自宅内の移動も大変な体
たと思う。だから並んだ120本の原
加した他の方々も同じような思いだっ
意 気 に 感 じ る 」 よ う な 場 面 だ っ た。 参
た。仕事の上下関係は別にして「人生
支えるのが私の役割だと素直に思っ
真 っ 直 ぐ な 姿 勢 を 見 て、 そ れ を 全 力 で
加させていただくことが出来ました。
らげ担当 吉野支援員と私の3名で参
ジェクト」に当法人 多田理事長、きく
た だ き、「 近 藤 原 理 先 生 お 手 伝 い プ ロ
度、念願が叶い、武井園長よりご縁をい
いしていたところでした。そしてこの
高木 恭一
時、佐々町の近藤原理先生宅に9人の
来た。
働 だ っ た。 今 回 は「 原 木 の 運 搬 」
「植
の 作 業 も 終 え、 椎 茸 園 が 完 成 し た 後、
支援主任
応援部隊が集まった。前回クヌギを伐
菌作業(ドリルと植菌)
」
「原木の本伏
木を見ての満足感・充実感はこの上な
分のフライトで長崎に到
現場まで見に来られた原理先生の感激
した様子には、作業をやり遂げた私達
いものだった。そして喜んでくれた原
着し、早速1日目の目的である、島原
早朝7時
せ」の作業を行うため林産班チーフの
菅谷主任も加わったが、さらに夷隅市
ま ず は、 歓 迎 の 式 典 に お け る 感 激 の
再会。武井園長の周りにできる利用者
た。
(広報紙で見かけたあの光景)。そ
の輪は素晴らしい笑顔がいっぱいでし
長、コスモス会の近藤さん、相川さ
して、幹部職員さんが勢揃いしての意
見 交 換 会。 利 峰 理 事 長 の 引 き 込 ま れ る
講 話 で は、 我 々 障 害 福 祉 に 関 わ る 者 が
本来やらなければならない事、経営者
長崎に記録的な大雪を降らせた寒波
相 ま っ て、 そ の ス ケ ー ル の 大 き さ は、
だ き ま し た が、 雲 仙 普 賢 岳 の 威 容 と も
と し て の 視 点・ 気 構 え を 学 ば せ て い た
も 一 段 落 し、 穏 や か な 天 候 に 恵 ま れ、
障害福祉に留まらず(ついに国境をも
内野 浩二
楽しく、また、色々な「縁」を感じる
済・ 地 域 社 会 そ の も の を 支 え る も の で
超えたようです)
、 地 域 福 祉・ 地 域 経
実はわたくし、長崎市平和町の生ま
貴重な体験でした。
ピア宮敷施設長
「近藤原理先生お手伝い」に寄せて
でご紹介します。
んより、感想を寄せて頂きましたの
してくださったピア宮敷の内野施設
今回、原理先生のお手伝いに参加
た」と思った。
深江の「コスモス会」様に伺いました。
千葉から遠い長崎まで二度にわたっ
理 先 生 を 見 て、「 本 当 に や っ て 良 か っ
長・吉野さんが長崎と福岡出身という
てやってきて、山のクヌギの木を伐り、
にも感極まるものがあった。
25
のピア宮敷から多田理事長・内野施設
縁で応援に来てくれた。そしてコスモ
椎茸の原木にするという、およそ福祉
▲原理先生お手伝いの9人の仲間はお手伝いが嬉
しくて仕方なかった。H28.3.2
ス会から近藤さん・相川さんも来てく
れ、9人という十分な人員で作業にあ
たることが出来た。そのため作業は順
調に進み、空いた時間で長崎県の景勝
地を訪れることも出来、充実した3日
間となった。
㎏はあり
原 理 先 生 に 挨 拶 し た 後、 さ っ そ く
作業に取り掛かった。1本
植菌を行い、全体の流れを菅谷主任が
会の2人がドリル、ピア宮敷の3人が
担して作業に取り掛かった。コスモス
そうな原木を椎茸園予定地へ運び、分
20
2 0 1 6 . 5 . 2 0 (2)
北 総 の 里(北総育成園・笹川なずな工房・やまだ自然)
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私が学生時代を過ごした街で、およそ
日が暮れて一路佐世保へ。佐世保は
積み重ねたものの重みを感じました。
慮、 日 陰 に 咲 く 花 へ の こ だ わ り な ど、
そして、園内・建物内外の細やかな配
られていたことが非常に印象的でした。
あ っ て の も の で す ……。
」とおっしゃ
いて事業をさせていただいている。縁
非 常 に 謙 虚 で、
「色々なご縁をいただ
ギッシュさを感じましたが、一方では
した。ご子息の利一郎氏からはエネル
ら、私は原理先生の息子さんと同級生
と話になった時、何と女将さんが「あ
先生と言われる方のご縁で来ました」
他 愛 の な い 会 話 で し た が、「 近 藤 原 理
た こ と が あ っ た の で す よ ……」 な ど、
葉 か ら 来 ま し た よ ……」「 は る か 昔 来
最初は、
「お客さんどちらから?」「千
た)
、そこでなんとも極めつけの縁が。
ましたが(オーナーは代わっていまし
が未だ存在していたことにまずは驚き
ていた食事処に行きました。そのお店
またとない貴重な経験をさせて頂き、
財産であることを再認識いたしました。
の 姿 勢 こ そ が 北 総 の 宝 で あ り、 千 葉 の
結び次代に繋げていくという武井園長
築き、色々と恩を着る。そして、縁を
年月をかけてしっかりとした関係を
男たちの生き様を見たようでした。
ことを実践し障害者と共に歩んできた
入 れ た か っ た 様 で す が )、「 働 く ……」
れも行い(城ノ内さんはもう少し手を
茸 の 植 菌 だ け に 留 ま ら ず、 植 栽 の 手 入
有り難うございました。
で す よ 〜」
。 こ れ に は、 若 干 お 疲 れ 気
「近藤原理先生お手伝い」に寄せて
とのことで、当法人の理念に通ずるも
のを感じ、強く感銘を受けた次第です。
今 回 は、 椎 茸 の 菌 打 ち 作 業 の お 手 伝
い と い う こ と で、 椎 茸 の 菌 打 ち 自 体 私
近藤 哲生
陽春の候となりましたが、皆様には
には初めての体験でしたので、初めは
次長
のプロフェッショナルさには脱帽しま
ますますご清栄のこととお慶び申し上
した。準備・段取りが完ぺきでした。椎
安 も あ り ま し た が、 北 総 育 成 園 の 皆 様
私自身、障がい児者福祉と教育に甚
くうちに、その不安はすぐに解消され
と一緒に汗を流し作業をさせていただ
を は じ め、 お 手 伝 い に 参 加 さ れ た 方 々
大なる貢献をされてきた先生と同じ名
ました。
作業をしながら、昨年北総育成園の
見学をさせていただいた際に、林産班
の皆さんが重たい原木を一生懸命運ば
し、家族ぐるみで知的な発達に遅れを
宅を今でいうグループホームに開放
り、食事をご一緒させていだたき、
「な
参加者全員に先生がご馳走してくださ
ま た、 お 昼 は 近 所 の レ ス ト ラ ン に て
れていたのを思い出していました。
持つ方々と暮らしを共にしてこられた
制 度 も 確 立 さ れ て い な い 時 代 か ら、 自
近藤先生は、まだ社会の偏見も強く
き、本当に嬉しい限りです。
とともに、初めてお会いすることがで
字 と い う こ と も あ り、 大 変 光 栄 に 思 う
では、大変お世話になりました。
さて、3月の近藤原理先生お手伝い
お手伝いになるのだろうか、という不
コスモス会ノベル
▲原木にドリルで穴を開けるコスモス会の近藤さんと相
川さん。今回の原理先生のお手伝いで共に汗を流し、
また一つ姉妹の絆が深まった。H28.3.2
げます。
振 り 返 る と、 改 め て“ チ ー ム 北 総 ”
し、酒杯を重ねていきました。
味であった武井園長も生気を取り戻
四半世紀ぶりの訪れです。夜はおいし
くお酒をいただきました。
2日目、私が当時下宿していた町の
年代の全盛期に
隣町に近藤原理先生のお宅はありまし
た。先生には、昭和
軍艦島に渡って障害児の診断に行かれ
た話から、最近のご様子まで、その話
題は多岐に亘り、生涯現役の気概と熱
意を感じました。そして、なるほど原
理先生の思いが共感を呼び、関係が深
く広く広がっていくことが想像出来ま
した。
この先、椎茸園がどのように生かさ
れ て い く の か 楽 し み で た ま り ま せ ん。
先生には末永くお元気でご活躍いただ
きたいと思います。
2日間の日程を終え、その夜は慰労
会を催しました。
当時の記憶を辿り、お店は私が通っ
▲束の間の再会。コスモス会の皆さんが手作りのプラカー
ドを持って歓迎してくださった。温かい姉妹の絆に感
謝。H28.3.1
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共に汗を流し、共に食事をして一緒に
と2人で障害者と共に働き、共に汗を
当時先生は大学の教授の傍ら、奥様
とがあります。
生活されてきたのだろうと思い、感慨
かき、共に生活をされていました。
ずな寮」の皆さんはこんな風に先生と
深いものがありました。
ノーマライゼーションの原点であ
の一つとして、自分達で“お堂”を
作ってしまった。
んだ物を使う。全部手作り。納骨堂
柱となる杉の木も自分の山から選
長崎コスモス会と姉妹結縁したの
も兼ねている。見せてもらって、中
“ 釈 迦 堂 ”は
素晴らしい借景の中にあった
は1992年のこと。この姉妹のご
に入らせてもらって、何だか私もお
世話になりたくなった。眼科遥か有
当日は作業がはかどり、自宅のお庭
年前、コスモス会理事
長・本田利峰さんと、私が厚労省ア
明海、背後は噴火の終息した普賢岳。
縁は今から
共存し合うということを実践されてい
メリカ・カナダ研修で一緒であった
る、地域の中で健常者・障害者が共に
でき、先生の喜ばれている姿を見て本
たことに感銘を受けたことを今でも忘
釈迦堂は素晴らしい借景の中に鎮座
のお手入れまでさせていただくことが
当に良かったと思いました。
年目とな
近 藤 原 理 先 生、 北 総 育 成 園 武 井 園
来たりは思うようでないが、一年に
る。いざとなると遠隔地で行ったり
日本の福祉はこれまでにも過去の歴
3月1日㈫、私自身は1年半ぶり
管理者
職員の皆様、近藤先生と会える機会を
最 後 に 北 総 育 成 園 武 井 園 長 先 生、
迦堂”はコスモス会支援職員の手作
に使った家造りを物にしている。“釈
邪 魔 者 扱 い の“ 孟 宗 竹 ” を ふ ん だ ん
た時、ふと
(武井)
ことに因る。今年でもう
き、本当にありがとうございました。
長先生、コスモス会 本田理事長の3名
一度は相互に職員利用者が訪問。一
今回はお手伝いに参加させていただ
また収穫の時期には、ぜひお声掛け
は、若い時から福祉に対する想いがと
夜を共に交歓し、絆を深めご縁は大
ください。
ても熱い方々です。
はますます厳しくなっており、2年後
史を踏まえ様々な制度が確立されてき
に長崎深江の姉妹を訪ねた。今回は
近年、障がい者福祉を取り巻く環境
にはまた大きな制度改正も控えていま
ましたが、最近のテレビ新聞等で未成
同じ長崎佐々町の近藤原理先生お手
切に継続されている。
すが、原点は近藤先生が実践してこら
年の集団暴行、殺人事件が報道される
員・利用者5名(引率責任は白樫副
れた「共生」に尽きると思いますので、
私も4年後は還暦を迎える身であり
園長)がお世話になった。その際、“釈
伝い②の前日。昨年の夏に北総の職
ます。さらに東京オリンピックが開催
迦堂”のことを新しい話として聞い
度に心が痛みます。
される年でもありますので、今後も利
た。利峰さんは一単なる福祉経営者
これからも信念を持って取り組んでい
用 者 さ ん に 対 し て、「 お も て な し 」 の
ではない。並はずれた人間哲学・自
きたいと思います。
コスモス会 メープルレインボー
気持ちで精一杯支援をしていきたいと
然 哲 学 者。 利 用 価 値 が 見 つ か ら ず、
「近藤原理先生お手伝い」に寄せて
相川 源海
思っています。
頂きましてありがとうございました。
り。 宮 大 工 さ ん を 職 員 と し て 採 用。
今回北総育成園 武井園長先生にお
近藤原理先生のお名前をお聞きし
そして近藤原理先生、これからもお
左 官 屋 さ ん、 元 瓦 職 人 で あ っ た 人、
声をおかけして頂き、近藤原理先生の
年前の事が脳裏に浮かび
元気で、末永くお幸せにお過ごしくだ
お手伝いに参加いたしました。
ました。私が福祉に携わりまだ3年目
それらの人が支援員として働き、そ
▲背は普賢岳、眼下に有明海。素晴らしい借
景の中に手づくり釈迦堂は建つ。
▲釈迦堂内、ご本尊様を拝む。筆者とコスモ
ス会本田利峰理事長。
24
さい。
する。 れずにいます。
25
だった頃、先生の講演をお聞きしたこ
30
2 0 1 6 . 5 . 2 0 (4)
北 総 の 里(北総育成園・笹川なずな工房・やまだ自然)
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腸薬、下痢止めなど、さまざまな病気
り返していく草たちに目をとめる人は
を採取して天日干しすることはできな
の 治 療 の 役 に 立 て る 知 恵 を、 昔 の 方 た
を 選 択 し た 結 果、「 ド ク ダ ミ 茶 」 に 行
いので、乾燥したドクダミを分けてい
ちは、身につけていた。そんな暮らし
日頃よりお世話になっております千
ただくことにしている。千葉・東庄に
の知恵は、工業化、情報化、商業化の
いない。飲み物としてだけでなく、胃
ある知的障害者施設「北総育成園」の
濁 流 に 一 気 に 流 さ れ て し ま っ た。 流 さ
きついた。さすがにドクダミそのもの
利用者さんが、暑い夏、近くの山で自
れ て し ま っ た 後 に 出 現 し た の が、 コ ン
で賄える仕事ではなく園全体で協力し
葉明徳短期大学の加藤次郎先生より林
産班のどくだみ茶にまつわるご寄稿を
生するドクダミを何百キログラムも採
ビ ニ で あ る。 麦 茶 を 買 っ て い く 人 は、
てもらい乗り切っている。そして多く
5月の終わりから北総
頂戴しましたのでご紹介します。
取して乾燥し、袋にパックされたもの
麦 の 穂 を 見 た こ と が な い。 爽 健 美 茶 も
ちの四季の変容に興味を示す人はいな
ペットボトルの飲み物を買いに行くの
刈られてしまう前にヨモギの葉を摘ん
過ぎた女性は、道路わきで雑草として
は「超市場」。「いままでの市場(いち
は「スーパー」と略称する。日本語訳
スーパーマーケットのことを、ひと
おにぎり。そして、お茶は、乾燥した
おばあも、名も知らない草をその辺か
沖縄で一泊させていただいた民宿の
するよ。
」
いを馳せる。
がら﹃北総の里﹄に暮らす人々に、思
ぼくは、熱いドクダミ茶をすすりな
年来のお
るかに得られるものが沢山ある。
(菅谷)
自然がある。机上で仕事するよりもは
いる。そしてそれを受け止めてくれる
沢山の方のお力添えの上に成り立って
てもらう予定である。どくだみ採りは
月に保護者と一緒にどくだみ採りをし
流である。今年も早速ご連絡頂き、6
友人であり、そのご縁で叶った職員交
施設長と北総の武井園長が古くからの
お手伝い頂いている。蒼生学園の砂川
年前からは沖縄の蒼生学園の職員にも
どくだみを供出して下さっている。2
ライオンズクラブの皆様も永年に亘り
職員は多くのことを学んでいる。栗源
け入りどくだみを刈るその後ろ姿から
しくなっても我が子のためにと山に分
力も大きい。高齢となり立ち仕事が厳
に」と足を運んで下さる。保護者の協
付き合い。毎年朝早くから「北総の為
推進委員会」の皆様はもう
りしている。
「明るい社会づくり船橋市
のボランティアの皆さんのお力もお借
期を逃せない。林産班だけ
月頭までが勝負であり時
は花が咲く5月下旬〜7
りが始まる。どくだみ採り
では林産班のどくだみ採
かつてこの国には「水筒」という道
を 分 け て い た だ い て い る。 こ れ を 朝、
種類の草た
千 葉 明 徳 短 期 大 学 加藤 次郎
具があった。出かけるときには水筒に
十六茶も、同じである。
いる。
煮沸して、保温容器に移し持ち歩いて
118
お茶を入れて持ち運んだ。いまではコ
ンビニ全盛時代である。お昼の時間に
が、ふつうの暮らしになった。
で集め、庭先で大きなザルに広げ乾燥
ば)の概念を超える販売形式の店」と
い。
過 去 の 遺 物 の 僕 は、 お 昼 ご は ん を
させ、ひと夏の冷茶にするのだという。
いう意味である。市場(いちば)は人々
を
買って済ますことへ、どうも抵抗感が、
「これを飲んでると、病気しらずなの
近所でひとり暮らしをしている
なくならない。
の 生 業 の 出 会 う 場 だ っ た。
「 ス ー パ ー」
ドクダミを煎じて煮出し、保温ポット
ら摘んできて、陽当たりのいい庭で干
とは人のくらしの生業を「超えたもの」
。
に移して一日中持ち歩く。車での移動
いまでは、何の価値もない邪魔な雑
が多いので、おにぎりは、運転中の空
たまにコンビニに立ち寄り、飲み物
草として刈られ、除草剤で立ち枯れる
したり裏返したりしていた。一年中の
コーナーに目をやると、ありとあらゆ
草 た ち。 し か し、 つ い こ の 間 ま で は、
いた時間に少しずつ口に入れて空腹を
る 種 類 の 飲 み 物 が 勢 ぞ ろ い し て い る。
家族の健康を維持するための必需品と
健康茶として。
電気釜の残りご飯に梅干しを入れて
よ。一杯、飲んでかない?ごちそう
なると、最寄りのコンビニにお弁当と
16
癒す。
スポーツドリンク、ビタミン補給ドリ
コンビニに行けば、麦茶、ジャスミ
して、重宝がられてきた。
健康に役立ちそうな、気を引くフレー
ン茶、サンピン茶、なんでもみんな揃っ
ンク、脂肪燃焼ドリンクなど、どれも
ズがずらりと並んでいる。目移りがし
けれど、野や山や道路わきで、ひっ
ている。
め る こ と に す る。
「人の気を引く飲み
そりと誰の目にもとまらず、生死を繰
て選ぶのが難しいので、選ぶことをや
物 」 で は な く「 自 分 で 作 っ た 飲 み 物 」
▲山に分け入ってのどくだみ採り。自然の懐
に抱かれ五感をフル活用して取り組む。
H27.6.18
30
80
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(5)2 0 1 6 . 5 . 2 0
ハナコの死を通して学ぶ
私もそうなりたい。
に 埋 め ら れ た。 こ れ は 幸 せ な こ と。
の季節に桜の下で死んで桜の木の下
ナ コ の こ と を 皆 可 愛 が っ て く れ た。
な気持ちは持つことは出来ない。ハ
やってもらえる人で生きたら、そん
回保護者職員懇
談会が執り行われました。この保護
日㈮、第
者職員懇談会は年に2回開催してお
4月
の中で、皆の中で役割と出番を持ち
り、 今 年 で
それは自分が“働くこと生きること”
自分に自信を持ち、他人を認める余
さて、園では“一期一会一輪の花”
の精神ということで、この人たちを
力があるからだ。他の生き物や花を
家
考える上で生き物との関わりを大切
族、
名の保護者の皆さんが参加し
年 継 続。 当 日 は
にしている。生き物とは動物と植物、
愛でる力も自分の置かれている立場
40
“豊かな感性教育”
武井 敏朗
129
74
二つある。
37
供 の 名 前 は「 ナ ナ コ 」
。親を一回り
は親の「ハナコ」と園で生きた。子
んで、何匹かはもらわれたが、一匹
解らない。雌犬でそのうち子供を生
年目か。雑種の黒犬。何の雑種かは
でてやってほしい」とメッセージ。
し「もう長いことないから、皆で撫
何回か「ハナコ」のそんな様子を流
はもうできない。館内放送でこの間、
たりすると嬉しそうだが元気な反応
うな状態。頭を撫でたり、
首をさすっ
ない。後ろ足がブラブラしているよ
から、横たわり腹から下に力が入ら
ナコ”が死んだ。死ぬ2週間ほど前
から自然の大切さを教えられ、命の
も出来ないからである。小さいうち
であり、喜びや悲しみを分かつこと
と物を分け合うことが出来ないから
て教えることは至難の業である。人
をしても通じない。まして死につい
う な 子 に“ 一 期 一 会 一 輪 の 花 ” の 話
が出来ない子が増えている。そのよ
の出来ない、周りの人に対する配慮
子供を猫可愛がりし、我慢すること
ことだ」と。今日の日本は少子化で
でも手に入れられるようにしてやる
は知っているであろうか。それは何
にする一番確実な方法は何かあなた
中 で こ う 書 い て い る。「 子 供 を 不 幸
エミールの著者ルソーはその著の
性教育である。
獲得する。この人たちへの豊かな感
識する。この時人は本物の謙虚さを
自然の一環の一粒でしかない私を意
る。いやでも大脳は活発に活動する。
出会ったり、五感はフルに刺激され
い。暑かったり眩しかったり、蛇に
る。ここではマニュアルは通用しな
の中に足を踏み入れさ迷う時間を作
に は“ 何 が 起 こ る か 解 ら な い ” 自 然
レールの上で生きるのではなく、時
ない。何時も安全で快適な敷かれた
の生活からは花を愛でる心は育た
で微妙に影響する。与えられただけ
以上にお世話を掛けていると思いま
「 ◯ ◯ の 姉 で す。 歳 を と っ て 今 ま で
息子の為に頑張っていきたいです。」
りましたが、これからも出来る限り
とりに「◯◯の父です。私も歳を取
ることになりました。保護者一人ひ
遽参加保護者より一言頂く時間を取
かった事ですが、園長の計らいで急
す。プログラム上には予定していな
護者の姿もあり、頭の下がる思いで
……」と参加してくださる高齢の保
族 も 少 な く な る 一 方 で「 こ れ だ け は
は 即 ち 保 護 者 の 高 齢 化。 年 々 参 加 家
てくださいました。利用者の高齢化
園の入り口で拾われて、今年で
小柄にして体全体毛がふさふさして
大切さや、他人への配慮を学ぶ機会
えることが出来るから。
北総のこの人たちは重たい障害を
知らせを聞いたYさんを始めとする
間を認め、大切にする心を育ててき
の役割と出番のある暮らしの中で仲
(絵鳩)
改めてそう思う春の一日でした。 う な 仕 事 を し て い か な け れ ば ……。
ちちははにきちんと顔向けできるよ
既 に 鬼 籍 に 入 ら れ た 保 護 者 も 含 め、
価 が 問 わ れ て い る の だ と 思 い ま す。
てできた北総育成園。今こそその真
「親亡き後の我が子の幸せ」を願っ
員 の 方 も 背 筋 が 伸 び る 思 い で し た。
直 接 言 葉 を 頂 い た 事 で、 受 け 取 る 職
すが、よろしくお願いします。」等、
い て、 親 よ り 人 懐 っ こ く 頭 も 良 い。
を持った子は幸せである。大切な感
死んだ。
いないのを発見。その後、白樫副園
抱えているが“働くこと生きること”
利用者の皆さんに見送られて、3分
長以下
人ほどの職員、放送で死の
夕方、職員の鈴木さんが息をして
性教育である“自然・生・死”を教
皆に可愛がられたが何年か前に先に
4月2日㈯、夜6時頃、犬の“ハ
29
56
132
た。何時も“ご利用者様”で何でも
10
咲きの玄関桜の下に埋められた。桜
▲もう立つことも出来なくなってしまったハ
ナコの頭を優しく撫でてくれるYさん。この
2日後、皆に見守られながらあの世へ旅立っ
た。H28.3.31
15
2 0 1 6 . 5 . 2 0 (6)
北 総 の 里(北総育成園・笹川なずな工房・やまだ自然)
第 234 号
「老いに寄り添うということ」
〜看護師の視点で考える〜
師岡小百合
お願いします。100均行くべよ。」
と 元 気 に 声 を か け て く れ た。 担 任 に
共に働く仲間は、一生の友なのです。
自分の体が思うように動かせなくなっ
なりAさんと初めての買い物、念願
の100円ショップに満足し「安く
た 時 で も、
「お〜い」と呼べば答えて
①ハナコが教えてくれたこと
その2日前、手芸班の皆でハナコに
クドナルドのドライブスルーへ。初
りにアイスが食べたいとのことでマ
くれる仲間がいます。物を落ちて拾え
なくなっても、拾ってくれる仲間がい
会いに行った。ハナコは声を出す力
看護師
ます。ここは、本当にいつも賑やかで
て い ー よ ね。」 と 喜 ん で く れ た。 帰
私が看護師として北総育成園に入職
夜になっても、いつも誰かが起きてい
4 月 2 日 夕 方、 ハ ナ コ が 死 ん だ。
年目になり
して、早いもので今年で
て学んだことや今思う事について少し
たりします。孤独で眠れぬ夜を過ごす
も立ち上がる力もなく静かに皆から
か ら 流 れ る と「 何 だ
めて行ったようで注文の音声が機器
人どこに居る
声をかけられるのを受け入れてい
」とおどろいてい
気に吠えていた姿は、もうなかった。
ている。その分、楽しみを作り頑張
た。作業、生活皆さん本当に頑張っ
すごいね
一 緒 に 来 て い た 手 芸 班 の F さ ん は、
んだ
互 い を 必 要 と し て 認 め 合 っ て い ま す。
ハナコの見える所までは来るものの
た。あの活発に跳ねて人が通ると元
皆さんは、仕事が好きだということで
たとえ自分で体を動かせなくなっても
我々職員が思う以上に、皆さんはお
す。北総の仕事とは、もちろん作業の
(藤原)
りの糧をたくさん使ってあげたいと
いその人の歴史を仲間が認めてくれて
なかった。確かに若い頃のハナコは
あ る 日 の 余 暇 の 時 間 に、 Y さ ん
います。素晴らしい信頼関係がそこに
が部屋から出て来て、何やら火山の
入職して作業を体験した時「大人の
た。「 で も ね、 ハ ナ コ は も う 年 と っ
掃除用具入れの中身を全部出してい
労働と全く変わらない。ここには社会
私はこれからも、働くこと生きるこ
て元気がないんだよ。Fさんが腰痛
た。何をするのかと見ていたら、空
とっても活発で噛みつかれた人もい
との中、利用者の皆さんが、仲間の中
いのと一緒でハナコも身体が痛いん
は存在しています。
で少しでも長くいられるように願って
ました。
今まで何も知らなかった自分を痛感し
利用者の皆さんは作業に参加するこ
していたが途中で止めて、Yさんと
の掃除用具入れの中身をほうきで掃
体を撫でてくれた。北総の歴史と共
一緒に掃除をしようと思った。Yさ
だ っ て。」 と 言 う と「 う ん ……」 と
に一緒に年をとってきたハナコとF
んがモップをやり始めたので、私も
います。そして、この人たちに元気に
さ ん。“ 犬 怖 い ” と 言 っ て い た F さ
後に続きぞうきん掛けをした。火山
き始めた。そこで、私も流しを掃除
んもハナコの最期にはきちんと向き
の廊下から食堂の廊下までを一緒に
ハナコに近づいて「大丈夫?」と身
合ってくれた。ハナコが身を以て命
行 な っ た。 一 通 り 終 わ り、「 Y さ ん
寄り添っていきたいと思っています。
の尊さやFさんの思いやりを見せて
私の担任は、たんぽぽ寮に決まっ
4月より新年度が始まった。
からもたくさんYさんと関わってい
私までとても嬉しくなり、またこれ
よ!」 と 元 気 に 返 事 を し て く れ て、
ご ざ い ま し た。」 と 言 う と、「 い い
た。利用者さんは皆挨拶をしてくれ、
きたいと改めて思った。 (西村)
くれたようでした。 中でもAさんが「藤原さんよろしく
②新年度スタート
き れ い に な り ま し た ね。 あ り が と う
とで必要とされる人になることを体感
力して、物作りをしたり、汗を流して
山仕事や畑仕事をしたり。それは、製
品 に な り 販 売 さ れ て い ま す。 自 分 が
作ったものが世に出る喜びを、皆知っ
ています。
い つ ま で も、 元 気 に 働 い て い た い。
それは自分も含めて誰でも願うことで
す。しかし、
老いは確実にやってきます。
そんな時、利用者の皆さんには、作
業があります。我々のように定年があ
りません。仕事も無くなりません。仕
(安藤)
しているのだと思います。みんなで協
の縮図がある」と思いました。そして、
ことです。
「犬怖いんだもん」と近くまでは来
今、一番に思うことは北総利用者の
!?
……自分を分からなくなっても……長
!!
思う。 ③Yさんとの時間
!?
こともないかもしれません。
年を通して、看護師とし
10
お話させて頂きたいと思います。
ます。この
10
事仲間を生涯失うことはありません。
▲高齢となり介護度が増すAさん。車椅子から
ベットへの移乗は男子職員2人がかり。朝夕の
お勤めだ。
第 234 号
北 総 の 里(北総育成園・笹川なずな工房・やまだ自然)
(7)2 0 1 6 . 5 . 2 0
北 総 の 里 は 桜 の 里。 今
年も園を取り囲むように
100本以上の染井吉野や
ぼたん桜が咲き誇りまし
た。 桜 を 楽 し め る 時 間 は ほ
ん の 僅 か。 そ の 一 期 一 会 の
美 し さ に 利 用 者 を 重 ね て、
今しか見る事ができない北
総の風景をぜひ記録に残し
て 欲 し い ……。 武 井 園 長 か
ら の メ ッ セ ー ジ を 受 け、 写
真 ク ラ ブ、 広 報 委 員 会 が 窓
口 と な り「 平 成 年 度 桜 の
写真コンテスト」を開催し
ま し た。 応 募 総 数 は 1 5 0
枚。 職 員、 保 護 者 に よ る 投
票 の 結 果、 上 位 入 賞 作 品 を
ご紹介します。
✿1位✿ 撮影者:飯田「Mr.北総は今年66歳」
49
✿3位✿ 撮影者:武井「桜山遠望」
✿2位✿ 撮影者:安藤「桜の下を“いってらっしゃい”」
✿5位✿ 撮影者:白樫「田中掃除大臣」
✿4位✿ 撮影者:榊「春の昼下がり」
編集後記
4月 日から 日にかけて最
大震度7の大地震が熊本県で発
生。 そ の 後 も 余 震 活 動 が 続 き、
名もの尊い命が失われまし
た。怪我をした方、住まいを失っ
た 方 も 大 勢 お り、 仮 設 住 宅 に
入れない方の悲痛な様子が連日
ニ ュ ー ス 番 組 で 流 れ て い ま す。
改めてお亡くなりになった皆様
の ご 冥 福 を お 祈 り す る と 共 に、
一日も早い復興に向けて自分た
ち が 出 来 る 事 は 何 か を 考 え、 少
しずつでも実行していかなくて
はと考えます。
武 井 園 長 の「 街 道 を ゆ く 」 で
も 触 れ て い ま す が、 飼 い 犬 の ハ
ナ コ が 4 月 2 日 の 夜、 咲 き 始 め
た桜の木の下で天国に旅立ちま
し た。 年 間 生 活 を 共 に し た 仲
間との別れは辛く寂しいもので
す が、 死 を 持 っ て 知 る 事 が で き
る 命 へ の 感 謝 な ど、 学 ぶ こ と も
大 き い で す。「 動 物 は 最 高 の オ
ンブズマン」とは武井園長の教
え で す が、 物 言 わ ぬ 動 物 が 大 切
に さ れ て い る 環 境 は、 職 員 一 人
ひとりの心がけによって保たれ
ま す。 動 物 や 野 の 花 を 通 し て、
自分の辛さを訴えられない利用
者の心を読む技術を磨いていけ
る よ う、 今 年 度 も 丁 寧 に 日 々 を
重ねていきたいと思います。 (絵鳩)
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