Comments
Description
Transcript
妻の傷病日記 NO4 - ケーブルテレビ富山
妻の傷病日記 NO4 2011 年 9 月 25 日 日 晴れ 通 383 日 再 275 増設 185 非常に痰が多い、看護師も及ばないのか口が下向きになるように、涎を流れや すいような姿勢にしてある。居る間中、痰採りに追われる。きた看護師に痰が 多いと告げたが「多いね」と応えるだけで採ってはくれない。私を信用してい る訳ではないだろうが、採っても限がないのかも知れぬ。自力で吐き出す訓練 も必要かもしれない。 落ち着いているが、喉が鳴っている。これ以上どうにもならない。後は看護師 を信じて帰宅する。 2011 年 9 月 26 日 月 曇り 通 384 日 再 276 増設 186 日 朝のテレビ小説「ひまわり」倒れたお父さんが目が覚めた。 亡き女性を生涯思うことを娘は父の弱さと思い、兄は素敵な父だと言う。 小説と思っていてもなぜか涙が出る。 出来ることなら直ぐ忘れられればこんな楽なことは無いだろうし幸せだろう。 妻と私は永遠に続くトンネルの中を歩いている。出口に辿り着くことはもうな い。 体温は落ち着いている左右 36 度 1 分。表情も良し。 下向きにされた頬には唾液が溜まる。 看護師が話しかけていた。「昨日ベッドの柵が外されていたので注意して下さ い」 との事、全く気が付かなかった。 身動きできないので危険はないはず、申し送る程の出来事とは思えないが 「わかりました」と応える。 私の落ち度に違いないから。 天候も安定状態しばらくお留守の山歩き、久しぶりに明日、 立山山麓の低山歩きをしてこようとポテトチップス、 おにぎりのおかずに裂きイカなど買って帰る。 少し寒くなって温湿布を再開している。曲がりにくくなっていた指か暖めると 本人の緊張が解ける為か今日はずい分曲がった。妻は全身弛緩状態だが指だけ はいつの間にか握れなくなっている。用心して曲げようとしない意思が働いて いるのかと思うことも有る。横目で睨み付ける。ドライヤーで暖めた日もあっ たが効果は分からない。風呂とサウナの違いを考えればよいのか? 2011 年 9 月 27 日 月 晴れ 通 385 日 再 277 増設 187 日 予定どうり山歩きに出かけた。一年余り車での病院通いばかり、体を鍛えるゆ とりも無い。7 時 55 分から登り始める。低山と舐めてきたけれど山は山。無理 に押し込んできた食パンが災いしたのか、吐き気の兆候さえ出たが、時間が経 つに従って慣れてきた。天候は良いが霞が掛かり立山の眺望が利かない。 昨夜調べていた地図を置き忘れ記憶を頼りに周って来た。 と言うのはこの山は国立立山青少年の家の鍛錬、研修の山で縦横に登山道がつ けてある。何処へ行っても大丈夫なのだが体力の事もあるしこの後、もう一つ 高峰山へ登る予定があったが無事下山、すぐ林道を走らせ高峰山へ向かった。 簡単な山とネット上にはあったが、アップダウンを何度か繰り返しながら何と か辿り着いた。霞がなければ来拝山と同様、立山連峰が眺望出来るのだが、残 念ながら駄目だった。巡礼登山、森林セラピーと思えば充分その目的は達した。 夕刻の訪問、髪の毛もさらっとしている。ボサボサだが、最後に整えるとして 口の点検、タオルでは及ばなくなったのかティッシュペーパも当てられている。 声を掛けると口の周りに皺がよるくらい力を入れて閉じた。分かっているのだ。 名前を呼びながら「お母さん!あーん、アーん」と促すと開く。必要な部分に 保湿の為キュレルを塗る。妻は特別固い髪の毛をしている。だからいつも毛が 立ってボサボサだ。ペットボトルに廃品利用のポンプを付けて髪の毛を濡らし 櫛とドライヤーで整える。希望だが風呂の後、ブラシくらいは使って欲しい。 タオルで拭いたままでは、、、、、、 それと風呂の日は娘の残していった高そうな香水を少々耳裏と脇に付けてやる。 2011 年 9 月 28 日 晴れ 通 386 日 再 278 増設 188 日 午後2時過ぎ病院に行くと床返し着替えなどの最中、暫く待って病室へ、 まだ制服の異なる二人が作業をしていたが病院の看護師は「どうぞ」と言うの で入った。 口に一杯痰を溜めている。何で?と思うほど看護師と介護師の領域は異なるの であろうか? 急いで支度をしブラシを口に入て引き出す。たっぷり重く痰が巻きついている。 一日24時間、私が居る時間は僅か2~3時間焼け石に水であろう。その間ど の様に過ごしているのかと思うと不安になる。 病院スタッフはその道のプロ私が心配するほどの事ではないのかもしれないが、 素人だからこそ、築く事柄もある。状態は落ち着いている。右36度2分、左 36度1分。 病院に走る車中のニュースを聞いていた。国立立山青少年自然の家で研修中の 小学生と職員 1 人の 18 人がスズメバチに刺されて救急車で病院に運ばれたと言 う。昨日行って来た山だ!! 確かにビニール袋の白い紙に「スズメバチ」と 書かれた看板があちこちに有った。山頂でハチに絡まれ急いで虫除けスプレー を全身に吹き付けた。虫除けがスズメバチに利いたかは判らないが事なきを得 た。職員が入院したそうだ。 妻は相変わらず。痰さえなければ順調そのものだが、自動吸引機なんて出来な いものか。 2011 年 9 月 29 日 晴れ 通 387 日 再 279 増設 189 日 家に篭っているには惜しい気候だが徐々に悪くなる様子。 病院の妻も気になるが、身内と言えど預け人となっては気儘に出かけるのも気 が引ける。加減良く過ごしていて欲しい。 何の因果でと良く思う。親と同じ運命を姉弟に代わって背負ったのか。 それとも私の身代わりなのか、それなら納得できる気がする。 時間調整でさらに遅く出かけた。床返しが珍しく終わっていた。体温を計りに 来て正常とのことだったが、今日は気温が高いし体も熱い。計ってみると右 36 度 4 分、左 36 度 6 分。妻には高い、健常者は正常なのだが。 喉がガラガラ、吸引機にはそんなに溜まっていない。何で?と思ってしまう。 収まる日が来るのか、おばあちゃん達はいつも安定している、なんで?と思っ てしまう。妻はまだ若いのに、、、 夕刻は体温が上昇左右とも 37 度 2 分、今日は気温が 29 度もあったそのせいな らばよいのだが、痰が黄味を帯びている。目を開けていたが時間が来た。 2011 年 9 月 30 日 小雨 通 388 日 再 280 増設 180 日 夏もやっと終わった感じだが東京発のテレビは暑いと言っている。当地は 23 度 と半袖ではちと肌寒い。日も日々短くなる。 今日は夕刻までゆっくり趣味に没頭する。お湯を何度か忘れて空焚きをする。 リホームでガスから IH にして居て良かった。今後ますますこんな失敗を繰り返 すだろう。 夕刻病院に出かける。穏やか、痰は今日は少なめなのか吸引機は空、口に溜め ても居なかった。風呂にも入った様子、昨夜は熱があったのでまたお流れを心 配したが髪の毛はさらっとして顔の血色も良い。体温左右 36 度 2 分、理想の体 温だ。 いよいよ 10 月に入る、過ぎ去るのは早い。 2011 年 10 月 1 日 通 389 日 再 281 増設 181 日 ふすまを隔てて妻の 4 畳半の部屋がある。1 年前と同じままだ。7~80cm×5 0cm 位のチェジュのポスターが張ったままだ。 「冬のソナタ」も遠い話になった。 男優の「ぺ ヨンジュ」ではなく女性の「チェジュ」なのが妻らしく可笑しい。 余り男に関心を持たなかった。「何で化粧をするの」と訪ねた事がある。 女の目が怖いからだと応えた。男の目を引く為ではなかった。家ではスカート をはく事は殆ど無かったが何故か仕事には絶対ズボン姿では行かなかった。 午後相当遅く行ったがそれでも床返し時間と一緒になり待ち時間となった。 やはり一人作業、人数の都合でローテーションが組めないのか大変である。 低体温気味だが安定しているようだが、好調とは言い難い。何か難がある。 体温右 35 度 9 分 左 35 度 5 分。 夕刻右 35 度 5 分 左 36 度 常に変動している。おばあちゃん達は何事も無く平然としている。 午後の病院帰りにホームセンターで買い物を物色していると子供二人が「爺ち ゃ~ん」と叫びながら走ってきた。孫達だ!お母さんを病院で降ろして 3 人で ホームセンターで時間を潰すためだ。二人とも不思議に私になつく、妻が健在 の時はひっきりなしに着ていたが、今では殆ど来ないのだが忘れないらしい。 いつまで懐いてくれるか。 2011 年 10 月2日 曇り小雨 通 390 日 再 282 増設 182 日 健康な頃はお互い延命は望まないとか、器械に繋がれてまで行きたくないとか 理想を述べていた。決してこの様な出来事が起きない事が前提で軽く口にして いた。だがいざその立場に立つと簡単に延命処置は語れない。 急性期病院で当然の如く流動食を与えられ延命処置とは考えなかった。いつか 目覚める期待もあったし、だが介護病院を探して面談中の話で「流動食の注入 も延命治療と言われショックを受け延命を簡単に語れなくなった。急性期病院 の看護師にその旨伝えると延命治療だとは応えなかった。もう注入を断って餓 死させるわけには行かない。この先、決断を迫られる時は肺炎の重症化したと き外部の病院に行くか或いは此処で最期を看取るかの判断だろう。 過ごしやしい季節になった。暑さの発熱の心配はしなくて済むし寒ければ浮沈 を着せればいいし。 体温右 36 度 2 分 左 34 度 4 分。 枕もとのスピーカから「古城の月」の合掌が流れるとおおきな目と口を開いて スピーカに顔を向けようとして興奮している様子。何を感ずるのやら、、、 カレンダー眺める、週末から連休になる。娘からまだ連絡が無い。歓迎されて いないと感じて音沙汰が無いのだろう。 晩御飯用にカレーを作る。肉無しである。お金が無い訳ではないが余り好きで はない物にお金を出したくは無いし財布を持つとケチケチ根性も手伝って節 約々々になってしまう。妻の居る頃は当たり前のように有った果物や菓子や、 カップ麺などは全く買っていない。妻は贅沢をさせてくれた。 夕刻の訪問時、帰ろうとした間際大きく 2,3 度咳き込んで痰を出した。口に溜 めた物をだらだら流し、口もまた汚れてしまった。後始末に手間取った。 ナースコールして吸引すれば簡単なのだろうが余り騒ぎたくないのだ。時間を 掛けて綺麗にした。 2011 年 10 月 3 日 曇り小雨 通 391 日 再 283 増設 183 日 10 月から 11 月の気温とか、立山の初冠雪と地元ニュースが伝えている。 思い立てば近日中にもう一度訪れたい。今年最後の、、、 紅葉を見に行って雪を見てきたこともあった、懐かしく思い出す。 今年はもう T シャツも着ることもなし、箪笥の整理をした。 クリーニングをしてカバーのままのスカートが数枚出てきた。見覚えのあるい つも愛用していた色だ。捨てることも出来ずカバーを外して妻の部屋に掛けた。 居ない事が当たり前に思う日はまだまだ遠いようだ。やはり未だ逢いたい。 もう暫く時間をくれ!! 病院としては何事もなく穏やかな死を待つのだろうが、家族、夫としては何と かしなければとの思いで僅かな訪問時間の中で努力している。 看護師から注意を受けた。見ているわけではないのに、 「胃ロウに差しさわりが あるから激しくしないでください」との事。もう 1 年以上も続けている加減は 心得ているつもりだが病院で専門化が施してくれれば、余計な心配はしないの だが、また病院非難に取られても困るのだが家族としてはやるせない。 病院に気楽に話せない弱みがある希望が要求に取られるから辛い。「出て行け」 と言われればおしまいになる。待っている患者は多勢居るのだから。 注意されたり感心されたり、そんな事を繰り返してきた。 夕刻、温湿布最中に看護師が来た。「あれ~それは気持がいいわ ! !」. 素直に受け取ってくれれば有り難いのだが、責任が有るからか細かい注意は気 持良いものではない。若い人ほどその傾向がある。 今日は随分痰が少なかったし吸引機にもそれ程溜まっていなかった。良い方向 に行ってくれれば安心なのだが、毎日が一喜一憂の日々だから、、、 2011 年 10 月 4 日 晴れ 通 392 日 再 284 増設 184 日 いい天気、立山の天気、交通を調べているとケーブルカーが故障中で連休初日 まで運休なのだそうだ。代替えバスでは予定が立たないし、連休は避けたいし その後の天候が悪い。もう一山登っておきたいのだが。 日々病院に行きたくない思いが強くなってくる。風呂の日になるとホッとする。 少なくとも普段より面倒を見てもらえるし、風呂の日は一回の訪問に決めたか ら。 午後 5 時半テレビを入れると「家族が寝たきりに成ったら」とか言う番組をし ていた。もっと早く気が付けばよかった。 自宅で人工呼吸器、胃ロウをつけた母を介護している家族の事柄だった。 母は延命治療は望んでいなかったが、家族はそれを実行できなかった事などを 話していた。家族の立場は痛いほど判る。そんなに簡単に肉親の命を断つ事は 出来ない。他に生かす方法があるか余計に難しい。妻はおかげさまで自分で呼 吸をしている。これも奇跡かもしれない。急性期の執刀医師が言っていた。瞳 孔が開いて生きているのは始めての経験と。おそらく現在も目は見えていない と思う。しかし瞼は開くし見えていると信じたい。 穏やかな眠りの中に居る。喉はガラガラ言わなくなった。落ち着いてきている のだろうか。体温右 35 度 9 分 左 36 度 1 分。一通り作業を追え 1 時間足らず で帰路に就く。 2011 年 10 月 5 日 曇り雨 通 393 日 再 285 増設 185 日 妻が気がかりなのだが夕刻まで行かなかった。歯医者の帰り病院に寄る。夕刻 の時間帯は殆ど誰も病室には来ないので気が楽、自由に世話も焼ける。お湯も たっぷり有るし時間を掛けて暖める。表情も良好、痰の絡みなし、体温左右と も36度 1 分。そろそろ日に 1 回に改めようとも考えている。義姉に弱音を吐 いてみた。まだ返事なし。 帰りお米を買ってきた。私はグルメではないので高価な新米が並べてあったが 躊躇無く「生活応援の米」とある 10kg2580 円にする。一応コシヒカリと書いて 有る。 2011 年 10 月 6 日 通 394 日 再 276 日 増設 186 日 ある日ペンライトで口の中を見ると何か様子が違った。いつも照らしているん だが気が付かなかったのか歯がひどい状態になっている。上歯はそれ程ではな いが下歯が治療途中のような状態、被せ物が外れてしまったのだろうか? インプラント治療までして歯に気を使っていたのにいつの間にこんな状態にな ったのか不思議でならないし、なぜ気が付かなかったのかも不思議だ。急に変 ってしまった様でびっくりしまたガッカリした。衰えるばかりなのか。 結局今日も夕刻のみの訪問になった。泣き言を言った姉から電話が来た。 「余り評判が良くないそうだよ」そんな話だった。患者家族の要望は 100%だろ うからそれに応える病院など有るはずが無い。 私は色々不満を言うが、何処かに移りたいとは思わない。環境はこれ以上の所 はないし料金も世間以上とは思えない。もし出なければならない時は自宅介護 を考えざるを得ない。もし私一人で介護が可能なら今すぐでもそうしたい。 夕刻眠っていたが直ぐ起きた。平気そうな顔だったが口にブラシを入れると痰 が絡みついてくる。やっぱり不満が出てしまう。24 時間付きっ切りとは行かな いのが病院、、病に陥った者の宿命だ。我慢しなければならない。体温右 36 度 1 分左 36 度 3 分。安定である。 2011 年 10 月 7 日 通 395 日 再 277 日 増設 187 日 子供が発熱で今回は見送るといってきた長女からメールが入っていた。 年末帰れなくなるから一泊の予定で帰ると言う。 スノータイヤが必要だからだそうだ。 来ないならと山行きを考えていたのだが、さてどうしよう、、、来週は天候が悪 い。私がいない方が気楽で良いかもしれないな。観光客が少ない事を祈るのみ。 今日も夕刻のみ、穏やかな様子だが体が温かい、熱が有るのにと注意を受けか ねない。体温 右 36 度 6 分 左 36 度 9 分、常温に比して高い。風呂の日だっ たから温湿布はやめる。手の指を曲げていると痛みがあったらしく目を見開い て体をゆする。。麻痺はしていないのにどうしてか動かさない。、 2011 年 10 月 9 日 通 397 日 再 279 日 増設 189 日 昨日は山へ行ったり、帰って病院に行ったり、長女達が帰省したりでパソコン をひらくことができないまま疲れで寝てしまった。 夕刻病院に出かけたが容態はには異常なしだがやはり口にはたっぷり痰を持っ ていた。救いは白い痰である事だが1~2回ブラシが重く感ずる位多い。 これを飲み込むのは健常者でもと思う。体温右36度6分 左36度2分。 山は行きが少々早朝の麓歩きは多少凍っていたが、ゴーロの道は雪で覆われ返 って足に負担は掛からなかった。 余りの天候の良さに予定を変更し足を伸ばした。 稜線歩きは快適だったのだが帰路、真砂岳からの「大走り」の下山で様態が変 った。雷鳥沢にやっと辿り着いたのもつかの間、再び石の道、石の階段を何度 も休みながら室堂ターミナルにやっと辿り付いた。午後2時であった。朝7時 半から歩き始め時間的には6時間半、大した行程は無いが体の衰えは激しい。 午後病院から帰ると長女達はすでに名古屋に帰った後だった。 一拍位の滞在、孫も顔見知りが激しく抱く事も儘ならない。愛情が湧く時間も 無いままでは別れれが来る。今回は一抹の寂しさも起こらないしホッとするの が現状である。娘と妻の事は殆ど話さなかった。面倒を見ていない引け目から か母の事は触れたくないのか。 一人暮らしも慣れたようだ。このまま妻を見ながら一人で生涯を終えたい。妻 は誰に託そうか、、、、 2011 年 10 月 10 日 月 晴れ 通 398 日 再 280 日 増設 190 日 連休最終日、天候の良い絶好の行楽日和だろう。 山は冠雪が有り鮮やかな紅葉を愛でる事は出来なかったが、撮ってきたビデオ を編集しながら見ていると時間の立つのも忘れて昨夜は 5 時ごろまで起きてい た。日焼けか、まだ顔が火照っている。 病室は窓が明き爽やかな風が舞い込む。体温は左右 36 度と妻には最良の状態。 肌色も良い。首、肩などマーサージをすると大息をついている。 2011 年 10 月 11 日 火 晴れ 通 399 日 再 281 日 増設 191 日 夕刻のみの訪問。 丁度吸引が終わったところでほぼ綺麗な口になっているが、吸引では眼の届か ない所もある。上顎に張り付いていた痰を取り除く、まるで嫁いびりの舅の様 かもしれない。体温は右 36 度 9 分 左 36 度 6 分。 この頃、膝の屈伸をすると関節が鈍い音を発する。日々衰えるのみだろうか。 2011 年 10 月 12 日 水 晴れ 通 400 日 再 282 日 増設 192 日 気に掛かる事は早く済ませたい。締め切りには期日があるが直ぐに病院の支払 いを済ませている。午前中に出かけた。食事中でもあり口ケアーだけして早々 に引き上げてきた。しまった !! 体温計を脇に挟んだまま来てしまった。また クレームを付けられるだろうな。細かいからな。 良くあることだが名前や「お母さん」ではなく言葉として話し掛けると強く反 応する。顔を歪めて泣きそうな表情するのだが、何かを理解して感情を表して いるのではと感ずる。肉体的に苦しいからそんな表情をするのだろうとも考え たがそればかりではなさそうだ。見えないだろう両眼を大きく開いて見つめる。 やはり愛しさは変らない。体温右 36 度 2 分 左 36 度 3 分。真だ目を開けてい たが帰路に付く。 昨年の今頃は県都の中心にある公立病院まで日に二回通った。 遠路良く通ったものだと思う。今はその半分も無い。環境的には恵まれている。 2011 年 10 月 13 日 木 曇り 通 401 日 再 283 日 増設 193 日 インフルエンザの案内が届いた。役所の健康案内は大抵自身は見ることも無く 過ごしてきた。集団検診はお互い苦手で定年になってから全く行かない。 接種場所を探したが妻の居る病院はリストに無い。何で? インフルエンザは妻に移す可能性がある。ぜひ受けておきたい。 書類を見て おや? 自分の年齢が一歳若い、此処 1 年妻の年齢は頻繁に書い てきたが自分の年齢まで意識するゆとりも無かった。4 月に誕生日が着たから○ ○歳と思い込んでいた。改めて調べて見た。やはり 1 歳若かった。人にも言っ ていた○○歳と。 もう生活が不規則で日にちも曜日も年齢もみんなうやむやになっている。 9 月中にアメリカシロヒトリに葉っぱを全て食い尽くされ成長が止まった柿。 直径 5cm足らずでも私の重要なおやつ代わり。味もそっけないが秋の味覚は有 り難い。当分有る。 夕刻シーンとした病室、いつも鳴っているテレビが切ってある。騒々しくない NHK なら入れておいて欲しい。騒々しいお笑いタレント番組は病人も疲れるだろ うから遠慮したいが。気温が上がったせいか左 36 度 7 分、右 36 度 4 分。 足の温湿布だけする。 2011 年 10 月 14 日 金 晴れ 通 402 日 再 284 日 増設 194 日 気温が 23 度もある。枯れ草整理に庭作業に暫く汗を流した。顔のあちこちに蚊 に刺された痒みがある。もう消えても良い時期なんだが、気候のせいだろう。 徐々に日中の病院訪問が遠ざかって行く。これが週 1 回になり、月 1 回にとな って行くのかも知れない。 その方が私自身のためにはいいのかも知れぬ。何時までも妻を思っていては先 の自分は無いだろう。それでいいのだ。 妻に会えない長い一日。夕刻に訪れる。 余程要注意人物に見られているのか、マッサージをしているとか看護師が覗き に来た「ほどほどにお願いします」と注意。笑顔で言ったから未だ救われるが 無表情で言われるとやはりこたえるし来たくなくなる。 何もしなければそれで済むのだが、何もしなくて死を待つより、何かをしてや って死を待ちたい。それが家族なのだが病院の考えとは相容れないのだろう。 七十、八十ならそれでよいかもしれないがようやく年金を貰って自分自身の人 生を歩もうとした矢先なのだ。多くの夢も有ったはず、悔しいに違いない。 それが判るから何とかしてやりたい。人生を終わろうとしている人間を姥捨て 山に捨てたのではない。 体温右 36 度 9 分 左 37 度 2 分。 2011 年 10 月 15 日 土 曇り 通 403 日 再 285 日 増設 195 日 次女が久しぶりに一人出来た。皆な風ひきで家に居るといゆう。 薄着して暖房に頼っているから抵抗力の無い子になってしまう。勿体ない精神 で節約すればおのずと身体も丈夫になるのだがそれが分からない。 用事は子供の運動会のビデオを DVD にしてくれと言う。レンダリングに時間が 掛かり後で届けることにした。 土曜日病院スタッフも少ないはず。夕刻を待ちきれず出かけた。 異常なく眠っている。目立たないように口ケアー、マッサージを施し早々に引 き上げた。またクレームを頂戴しては気分が悪い。体温右 36 度7分 左 36 度 6 分。 気温のせいか夕刻右 36 度 7 分、左 37 度、少々顔を赤らめ苦しそうな表情をす る。45 分足らずで帰路につく。 2011 年 10 月 16 日 日 晴れ 通 404 日 再 286 日 増設 196 日 次女から仕事を与えられてしまった。幼稚園で爺ちゃん、婆ちゃんとお鍋会が 有るそうで出席して欲しいとの事、大変な難題を持ってきた。夫の両親は遠方、 私しか居ない。断ることも出来ず渋々受けた。自分の子供達の行事にもめった に出たためしは無いほど世間には出なかった。つくづく妻のいないことに気付 かされた。まだ日は有るが毎日気をもむ事になるだろう。日曜日だしさて何時 に病院に出向こうか、、、難しい。 家を午後 2 時 10 分に出た。午後のプログラムは隣の部屋に移り完了していた。 待つことなく病室に入る。穏やかに眠っている。体がやや厚い。気温も高そう だしサッシも閉じたまま。体温右 36 度 2 分、左 36 度 5 分、体が熱い割には 低い方だろう。 穏やかに眠っていてくれれば生きていてくれる甲斐があるし会いに来れる楽し みがある。居いなくなってしまう時の自分の状態が想像できない。ホッとする のか、悲しみにくれるのか。その時の愛情の度合いによって違うだろうと思う。 よく介護をした人は涙は流さないという。果たしてそんなものだろうか。 愛情がその時も持続しておればやはり別れの涙は出るだろう。 いつも平然としているように見えるお婆さんの 1 人が点滴注射に変っている。 特に苦しそうな様子も無いが何が起こっているのか。胃ロウの具合か、肺炎な らもっと苦しそうにするはずだが、、、家族見舞い客にめったに会うことも無い しそもそもどんな病気で皆入院しているのかわからないのだが。 夕刻の体温右 36 度 2 分、左 36 度 5 分。 2011 年 10 月 17 日 月 曇り 通 405 日 再 287 日 増設 197 日 妻は最末端の地方役人をしていた。庁舎中に響き渡る住民の怒鳴り声を受けた 事もある。理由が判らぬまま非難抗議を受けた事も数知れない。余り仕事の事 は家で話さない妻であったが、耐えられないときは流石に話した。 住民には決して反論は許されず、住民の顔色を伺いながらの人生だったのでは ないかと思う。多くの人々を相手にすれ仕事ストレスも多かったと思う。 課長級になれば多くは議会議員対策が主な仕事だった様子、宴会のビールの銘 柄にも気を配ったらしい。一癖も二癖もある議員連中。公務員も中央官庁の役 人とは雲泥。 残業も多くはサービス、1~2時間は残業にはならない。残業とは 9 時、12 時が 当たり前だった。お陰で子供の食事は良く私が作った。 不景気になれば余計に公務員は非難の対象になる。同じ地区にもそんな眼で見 る人はいた。極力、地区とは隔てて生きてきた。 退職間もなく亡くなった人も幾人も聞く。 「これから年金を貰って第 2 の人生を 歩むのに」と他人事のように言っていた。まさか自分がこんな風になるとは夢 にだに思っていなかっただろう。 長く感ずるようになった一日 夕刻を待って病院に出かける。異常なく、また口も綺麗にされている。よだれ の後が乾燥しているが。いつも口ケアーの後、太腿からマッサージ、目を開い て気持良さそうにしている。そして暖かいタオルで足首、甲を暖め、股には毎 回ローションを塗っている。オムツかぶれ防止のつもりだが。 滞在中は常に痰には注意し採っている。 先日、歯の状態をスーパーマクロモードでカメラに撮りパソコンで見てみると 口周りに産毛が一杯映っていた。病院は髭剃りはしないのだろうか?男性はど の様にしているのだろう? 妻が髭をそっている姿は見た事ないし、どうして いたのか?すねの手入れは見た事があったのでしてやったが。 2011 年 10 月 18 日 曇り 通 406 日 再 288 日 増設 198 日 一年 1 ヶ月余り続いた日に 2 回の病院通いだったが夕刻のみに切り替えて時間 をもてあまし気味になっている。落ち着かないし気に掛かる。 午後 6 時半ナースステーションには誰も居ないので気を遣うことも無い。 今日も安定、口は驚くほど綺麗にされている。いつもこんな具合なら何も心配 しないのだが、ピンセットで舌を強く押し下げたところ恐怖を感じたのか体を ビクっと動かす。指圧棒で両足裏を強く押すと右手指を動かすが、左指は全く 動かない。一体どんな脳になっているのやら。 急性期病院で二度ほど写真を見せられたが、主治医は悪い事しか言わないので、 真剣には見なかった。見たくなかった。その後は呼ばれる事も無くなりベッド での立ち話になった。二度の写真の様子も全く覚えていない。妻の脳の状態は 今は何も知らない。知りたくない。希望を持っているそれだけでいいのだ。 011 年 10 月 19 日 はれ 通 407 日 再 289 日 増設 199 日 またしても! 夕刻訪れ口ケアーに掛かろうとして驚いた。 同室の人と歯ブラシが入れ替わっていた。 先のときは黙って歯ブラシを替え名前も書き直したのに。 さて誰に訴えたら適当なのか? 考えているところへ話し易い看護師が通りかかった。呼び止めて穏やかに訴え た。 「皆に伝えますと詫びられた」。 自分としては精一杯の抗議だった。大事にはしたくないが注意はして欲しい。 興奮の為か温湿布をつい忘れてしまった。体温左 36 度 3 分 右 35 度 7 分。 午前中次女と孫と一緒に気になっていた大沢野石像の森を訪れた。 国道 41 号線を走ると神通川の対岸に奇妙な石像郡が見える。 づっと以前から気になっていたが訪れる機会は無かった。 天気も良いし散歩に行こうと言う事になり出かけてみた。 2011 年 10 月 19 日 はれ 通 408 日 再 290 日 増設 200 日 絶好の予報が出ていたので立山山麓の紅葉の中を歩こうと昨夜は支度して 午後 11 時過ぎには床に就いたが 5 時半の目覚ましを切って又眠ってしまった。 絶好の天気になったが家でくすぶる事になった。思い切って起きればよかった。 2011 年 10 月 20 日 はれ 通 409 日 再 291 日 増設 201 日 絶好の予報が出ていたので立山山麓の紅葉の中を歩こうと昨夜は支度して 午後 11 時過ぎには床に就いたが 5 時半の目覚ましを切って又眠ってしまった。 絶好の天気になったが家でくすぶる事になった。思い切って起きればよかった。 明日もいい天気が続く模様、睡魔に勝って出かけたい。 穏やかな眠りの中に居たのか、声を掛けると直ぐ気付く。 背中に手を入れ擦ると一息つくような声を上げる。 同じ姿勢も疲れるのだろう。重い病でも自分で体を動かせる 人は幸せだ。 「貴方よりもっとひどい人が居る」とはどんな人だろう。 体温左 36 度 2 分 右 36 度 4 分 明日の夕刻まで何事も無く、、、 2011 年 10 月 21 日 はれ 通 410 日 再 292 日 増設 202 日 夕刻の病室、いつも平然と眠っている隣のお婆さんに異変が会った。 発熱の様子で生理食塩水のパックと小さなパックを付けている。妻は未だ生理 食塩水なるものは経験が無い。痰も一杯、咳きも激しい。妻が仕切りに呻き声 を気にしている様子「隣のおばあさん病気だよ」と教えると泣きそうな顔をし た。判っているのではないかと本当に思う。本人も釣られてか、気温が高いせ いか息苦しそうにしている。体温右 36 度 4 分、左 36 度 5 分。 今日は山に行ってきた、7 時半ごろ登山口を出発し 12 時に目的地に着いた。 駐車場帰着 15 時。歩行時間 7 時間 30 分何事も無く終えた。 2011 年 10 月 22 日 曇り 通 411 日 再 293 日 増設 203 日 あっと言う間の 1 週間。土日は一日 2 回の病院門訪問と決めた日。何時間も居 る訳ではないけれど、様子を見て、少しの世話をするだけで安堵する、その為 に出かける。老人が多いせいか訪問する人は本当に少ない。だから余計自分だ け頻繁に行くのは気が引けるようになった。会いたいから行くのだが監視に行 くようで日々行き難くなった。 2011 年 10 月 23 日 曇り 通 412 日 再 294 日 増設 204 日 隣のおばあさん目を開けて見つめるくらい回復した。声を掛けたいくらいだが 「他所の人」言葉が出ない。今度は斜め向かいのおばあさんがパックを釣り下 げられている。この人も何時も何事も無いように健康そうだがどうしたのか。 妻といえばここ暫く不快そうな状態、熱も落ち着いているのだが肌が荒れて 弱々しい。どうしたのか。昼過ぎの訪問で激しいマッサージは出来ない。 今日はちょっと厳しい看護師だし太腿を擦る程度に留める。 朝、義姉から様子を問う電話があった。それぞれ皆忙しい。姉妹と言えど日々 遠ざかる。致し方ないな。 2011 年 10 月 24 日 曇り 通 413 日 再 295 日 増設 205 日 若い頃は歴史も好き信仰心も普通に持っていたが人生を歩むに従って徐々に信 仰心も歴史上の人物も尊敬の対象から外れていった。王も宮様も貴族も平氏も 源氏も信長も家康も所詮は殺りくを繰り返して頂点に立った人々。決して尊敬 に値しないし、自分の先祖もこれらの人々に虐げられた人だった事は間違いな いはずだ。 最近富に妻の事を抱えているから宗教について悩む事が多い。 いずれ近づく葬儀について既存の宗教では送りたくないと考えているが中々難 しいと思う。普通の人は何の疑問も感ぜずお経で送るのが常識だろう。 おそらく無宗教で送ると死者を哀れと感ずる人が多いだろう。 多くの葬儀に参列したが何れも坊さんが主役なのか飾り着けの品々の品評会な のかと感ずるほど死者の姿は薄い。 妥協して葬儀の為に仏教徒に成るべきなのか自分の考えを通すべなのか常に悩 む。 これが妻の安定状態なのか。欠伸でも溜息でももっと動作が大きかったはずな のだが、、、 訪問中に痰の吸引があったが終わっても次々と痰を出すし上顎にも舌にも吸着 している。吸引と口ケアーは1対でなければ意味がない。指導さえしてくれれ ば私にだって吸引くらい出来る。 体温右36度2分 左36度4分。明日の夕刻まで長いだろうな。 2011 年 10 月 25 日 曇り 通 414 日 再 296 日 増設 206 日 荒れ気味の顔の肌が風呂の影響で痛々しい。何時までたってもカテーテルのか ぶれ後が消えない。アレルギー症ではないのだがとにかく膚が弱い。若い頃か らだから体質だろう。こんな体質も今日の原因に関係が有るかも知れない。 毎日ローションは欠かせないがもっと患者の体質を考えて風呂につけて欲しい。 直りかけると風呂で荒らされて直る時間がないではないか。 もう此処に来て 1 年になろうとしているのだし、、、、無理な注文だろうか。 大きなクシャミをしてくれた。大きい事は元気な証拠と思いたい。 ボサボサ頭に霧を吹きかけドライヤーで整える。手足を揉みながらローション で仕上げ、そうこうしているとしかめっ面も穏やかな顔に変ってゆく。協力者 が居れば家で看たいと常に考えるが、誰も居ない、わが子も無理、妻よ諦めて くれ。 体温右 36 度 1 分 左 36 度 4 分 2011 年 10 月 26 日 曇り 通 415 日 再 297 日 増設 207 日 珍しく布団を半分着せてある。穏やかな様子だが声を掛けても起きない。 口ケアーに掛かろうとしたが看護師が来た。吸引をすると言うので気を使って 顔を上向きにすると「そんな事をしては駄目だ」と怒る。今日は機嫌が悪いら しい。吸引も乱暴、激しい往復運動を繰り返す。挙句に「この人は鼻から出来 ないので、他の人の半分も取れない」とのたまう。どう言う意味なのか?。 気になっていた上顎の痰を看護師が居なくなるのを待って取り除く。咳き込ん で血痰が出る。又肺炎かと思ったが、吸引で器官に傷をつけたのかもしれない。 両足、両腕が冷え切っているので「まさか熱など有るまい」と思ったが右 37 度 8 分、左 37 度 6 分???。もうイヤダ、、、 今日は「もう逝かせてやりたい」とつくづく考えてしまった 2011 年 10 月 27 日 晴れ 通 416 日 再 298 日 増設 208 日 昨夜の事が気になってよく眠れなかったのか起きても何もする気になれづ床の 中に居た。体が重い。このまま妻と供に永久に眠れたら幸せだろう。 もう病院に行くのは控えよう。嫌な事が目にも、耳にも入ってこないだろうか ら。病院を変っても何処も同じ事は経験積みだ。もう諦めるしかない。 今日は行くことは無い。明日も。 体が冷え切っているのに体温が高いとはどう言う事なのか?看護師はこれを知 っているのだろうか。この頃体温を測りにくることもない様に見えるし。 暗くなって病院が気になりだし出かけてしまった。 両脇にアイスノンを抱いている。昨夜の熱が続いていたのか、持込のティシュ ぺ-パーが 2 箱も出してある。引き出しを見ると 1 個しかない。確か 4 箱あっ たはずなんだが、そんなに使うほど何かあったのかと思ってしまう。 熱が有るので何もしてやれない。口を開けて苦しそうな呼吸、ガラガラ鳴って いる。ブラシを入れると血が滲んだ痰が出る。吸引時の血であればよい、、、 体温を計れない。腹に体温計を当てて上から押さえて計る 37 度 4 分。 足は冷たいが手は暖かい。毎日どうしてこんなに違うのか、、、 2011 年 10 月 28 日 金 晴れ 通 417 日 再 299 日 増設 209 日 私の子供達の参観にさえめったに出たためしはないのに孫の参観に出席してき た。「実り釜」秋の野菜をなべで煮て昼食を孫達と共にする行事、妻が元気な ら私など行くことはなかったはず。クラスではお爺さんは私一人、全体でも数 名しか居ない。中には祖母が来ていないと泣いている子もいる。それぞれ事情 があろう。私でも孫は喜んでいる。出席してよかった 世間は狭い物、妻の病院の看護師に出会った。今度移動で看護病棟に移るとい う。さてそれは困ったな、、、うかつに病院の非難は出来なくなった。 医療病棟に居た頃は中々厳しい人であったから、、、その厳しさで介護病棟を 良くしてもらえれば嬉しいのだが。 参観が終わり皆でインフルエンザの注射に行って来た。これで今年は大丈夫だ ろう。 熱が続いた模様、背中にまだアイスノンを入れている。残念ながら口は非常に 汚いし痰を溜めている。大急ぎで口ケアーに掛かる。少々腹も立った。 後に看護師が現れて「いつも綺麗にしてもらって助かる」と言ってくれた。 今までその様にお礼を言ってくれたのは二人目。その言葉で怒りも消えるし、 その様に思っていてくれた事は有りがたいと思ったしこちらの思いも話す事が 出来た。 今までにない声でうめきを発しているが熱はそんなに高くはないのだが、、、 左 37 度 3 分、右 37 度、手足は暖かくなっていた。 普段より長く居たが可哀想だが引き上げてきた。 2011 年 10 月 29 日 土 晴れ 通 418 日 再 300 日 増設 210 日 夕刻 6 時半、アイスノンはつけていないが微熱は続いている。夕刻に上がって きたのかも知れないが。幸い苦しそうな表情はない。口腔ケアー中頻繁に咳き 込む。風邪でもひいた様な感じもする。看護師が気付き吸引するがその後も良 く咳き込んだ。余り動かすのも良くないかも知れぬ。軽くマッサージをし落ち 着いた頃合を見て帰宅する。 体温右 37 度 5 分、左 37 度 8 分。普段の体温に比せばやはり高い。 2011 年 10 月 30 日 日 雨 通 419 日 再 301 日 増設 211 日 「晩年は不幸であった」そんな言葉が心にいつも有った。それが現実となった。 予感が的中した。妻には不安を持たせる兆候が幾つか有ったし、私も随分苦労 を掛けた。 日中に行けなくなって一日が大変長く感ずるし看れない分心配が多くなった。 行かなくなってから発熱が続いている。隣のおばあさんも良く咳き込んでいる が誰も来ない。良く自分で処理していると感心する 妻もいつもそんな状態なのだろう。家に連れ帰るか、逝かせてやるのが最善な のだろうが、、、、 平日は日中は行かないと決めたが日曜日、12 時近くに病院に入った。 食事中、異常はなさそう。真っ先にライトを照らして口を調べる(意地悪舅に 見えるだろうな)今日は綺麗だが口には唾液を溜めている様子。でもホッとす る一瞬だ。これが汚ければ落胆するし絶望に陥れられる。担当者によって天地 の差がある。工場なら品質管理で統一されるのが当たり前なのだが、最先端を 行くべき病院では全く機能はしていない。管理において同じでなければならな いと思う。経営者、院長の器量、教育の問題なのだろう。 食時中でもあり足を摩ってやる程度にする。体温右 36 度 6 分 左 36 度 7 分 ようやく下がった。心置きなく帰宅する。 夕刻、白く醒めた顔色をしている。熱も下がったのか、右 36 度 6 分 左 36 度 7 分、健常ならば上々だが多少まだと思われる 同室の 3 人が似た様に咳き込んでいる。本当に風邪なのではないだろうか。 軽くマッサージをし温湿布で手足を温める。 明日の夕刻までまた辛抱してくれ。 2011 年 10 月 31 日 月 曇り小雨 通 420 日 再 302 日 増設 212 日 数日前から庭のヒイラギの臭いが夜病院から帰ると微かにしていた。 今日見てみると満開状態、もう雪の気配さえ感ずる程秋も深まった。今日も家 にじっとしていると肌寒い。明日から 11 月、ひしひしと 1 人を感じてしまう。 暑い々と言っている頃がまだ気持は晴れていた。再び春を待つ季節に突入する。 夕刻 6 時半口はまあまあだが喉元にはたっぷり痰を溜めている。1、2 度ブラシ を入れるとほぼ多くは巻きついて出てくる。 咳が多い、痰を吐き出すのにはいいがまさか又肺炎ではの心配もある。 肺炎に咳を伴うかは知らないが、そうでない事を祈る。 部屋で 3 人が咳をしているし、軽い風邪であってくれればいいが。 体温左右とも 37 度 1 分 私もインフルエンザワクチンを接種した日から喉の痛みと咳が出る。 接種の日は幼稚園の参観日であったので、或いはその日に感染しているかもし れない。 普段は病院以外、人と接触する機会は少ないし。妻の発熱はそれ以前だったは ずだから私からではないはず。 2011 年 11 月 1 日 火 晴れ 通 421 日 再 303 日 増設 213 日 日々のどの痛み咳が激しくなっている。予防接種のタイミングが悪かったのか。 運動会の DVD がやっと出来たので孫の家に届ける。この家族もいつも風邪を引 いている。一緒に予防接種をしに行ったのに、朝医院に行ってきたと言う。 私も夕刻までに収めたいが無理の様。今日は諦めるべきか、、、マスクを 2 重に してでも口ケアーだけはして来たい。病院を信頼したいのは山々だが裏切られ る事も多い。放ることは出来ないだろう。 落ちつかない 1 日を過ごし夕刻を待って病院へ。ベッド自体の様子が変わって いる。何か体に異常があってベッドを替えたのか、良く見るベッドの形式だが 妻は今まで使用したことがないので何をする器械がついているのか知らない。 看護師が来たので聞いてみた。エアーマットに替えたのだと言う。 聞いて安心した。少し待遇が良くなったのか。 今日は顔艶も良く髪も柔らかい。2 週間ぶりに風呂に入ったらしい。風呂の日は 顔が荒れているのが常なのだが今日は違った。口も綺麗、痰も殆ど持っていな かった。咳きもなし熱もない。やっと回復したらしい。 体温右 36 度 4 分 左 36 度 2 分 2011 年 11 月 2 日 水 晴れ 通 422 日 再 304 日 増設 214 日 気温が高かったせいか体温が上昇気味右36度7左36度6分。隣のおばあさ んも中々元に戻らない。赤い顔をして呻いている。今日もおおむね清潔になっ ている。マッサージ、手足を温め帰宅する。 近所で亡くなられた人がいる。病院に行く時、車が多く止めてあった。同じ班 でもあり元妻の同僚の家でもある。通夜、葬儀に出席せざるを得ない。妻がい れば押し付けているところだがそうは行かなくなった。 2011 年 11 月 3 日 木 晴れのち曇り 通 423 日 再 305 日 増設 215 日 今日は休日とは昨日夜遅く気付いた。妻のことを考える事意外関心ごとが無く なっている。歳のせいもあるが、新聞無しのせいもある。今日病院に行く途中、 地区の葬儀の案内の看板に注意して行く。新聞を見れば簡単だがその為に読ま ぬ新聞は取れない。通夜と葬儀は4日と5日とある。人の賑わう場所は避けて きたが慣れて行かねばならない。自分の時は誰にも迷惑は掛けずひっそりと直 葬で送って欲しいそれで充分だ。 12時過ぎ病院に入る。もずらしく同室に家族がいた。簡単な挨拶を交わす。 昼食は終わっている。ギャッジアップが苦しそう。手足は冷たいが体温が右3 7度1分、左37度4分。今日も気温は高め。気温のせいであればいいが。 昼の訪問時、腕に10円玉くらいの腫れがあった。虫刺されで有る事は直ぐ判 る。外部から体に付けてきた者がいるのだろう。私が良くするテープで酸素を 遮断してかゆみを押されるおまじない。暗示かも知れないが良く効く。だから テープを貼ってきた。夕刻看護師に指摘された。実に細かい。言い方が気に障 った。刺されても感じないと言う。そんな気持で看護をしているのかな皆さん。 全てがそうなのかと思う。苦しくても感じないから放って置いても構わないと 言う理屈になる。 体温右37度7分 左37度4分、高い 珍しく妻の弟が突っ立っていた。声をかける事もなく私の仕事を見ていた。 2011 年 11 月 4 日 金 晴れ 通 424 日 再 306 日 増設 216 日 妻が娘の為に掛けている簡易保険について契約者と受取人を娘の夫に変更しよ うと出かけたが本人の意志確認が出来ないから不可能とのこと。 解約も出来ないそうだった。 かっても銀行でもめた事があるが必ず後見人の話が出た。 手続きにはお金も時間も必要だったし。財産の使途を監視される様な制約でも あるし妻の存在を抹消される制度でもある。我が家には妻の財産、夫の財産と 区別してはいなかったのだが銀行の 1000 万円の保障制度(何と言う制度だった か?)の都合上振り分けていたに過ぎないが、妻がこの様になって家の財産を 自由に異動で居ない事のジレンマに歯がゆい思いをしている。 めったに掛からない長女から携帯が鳴った一週間ほど子供と帰ると言う。 家族で帰ると言うと嬉しくもないのだが二人だけで帰ると言うと私も気持ちも 変化しているのに気付く。素直に嬉しいと思った。何も気を使う必要がないか らだろうし自由に話が出来る時間も出来る。 午後遅くから悪寒が激しくなる。通夜を欠席するわけには行かない。マスクを 2重に付け喪服の下にカーデガンを付けて行く。 長説教で嫌われる僧侶の事、覚悟はしていった。珍しくお経は25分足らずで 終わったがそれからが長い長い話に自分が溺れている。自分の知識のうん蓄を 際限なく続く。話をしたいからお経を端折ったのだ。死者はもうお留守。家族 も寝ずの番をしているだろうに可哀想である。哀れな坊さんだ。 「昔は一昼夜語ったという」語るの自分の勝手だとのたもう。 私も腹が痛くなるし早く終わる事だけを願った。話など全く覚えていない。 もう一度人間の心理を学んで欲しい。 最悪の体に鞭打って妻の元に喪服の儘走った15分の滞在で終わる。 簡単に口ケアーと体温を片方だけ計ってきた。左36度1分。安心して急いで 帰宅する。明日の葬儀は午後でよかった。 益々仏教式の葬儀にへきへきする。葬儀のぶち壊しになりかねない。 せっかくビデオも流して順調だったの参列者は疲れ果ててしまった。。 2011 年 11 月 5 日 土 曇り小雨 通 425 日 再 307 日 増設 217 日 昨夜は苦しくて汗をかきながら床に入っていたが朝方にやっと眠ったようだ。 11時起床に起きてみた。午後1時の葬儀には何とか出席できそうだ。 葬儀は僧侶の説教もなし淡々と進む、不幸は不幸の人に襲い掛る。神とは不理 尽な仕打ちをする。昨年はお母さんを事故で無くしている。妻が葬儀に出席し ている。その後、間もなく妻が倒れた。 夕刻を待って妻の元へ走る。今日は久ぶりに顔肌が綺麗に変化していた。 体温、右 35 度9分、左 36 度 1 分。 2011 年 11 月 6 日 日 雨 通 426 日 再 308 日 増設 218 日 朝早く夢から眼が醒めた。汗でパジャマで湿っぽい。着替えて再び床に入った。 12 時過ぎまで床にいた。余り夢を見ることはなかったが熱のせいか。私の母も 居た、次女、孫。妻の声がする。振り返った顔は次女の顔だった。自分の子供 はある瞬間親の声や表情を表す。普段の想いが入り交ざって現れたのだろう。 妻の顔は出てこなかった。 午後病院に行く。同じ時間帯では顔の向きがいつも一緒で髪を整えない。又ク レームが付く恐れがあるので気を使う。7 日には専門家が来るのだが、いわゆる 障害者の頭にされかねない。妻は障害者ではなくまだ女性だと思っている。 午後 2 時 45 分病室に入る。真っ赤な顔をしている、又熱 !! 直ぐ熱を測る左右 とも 35 度 9 分? 床返し間もなくで体を移動したためのようだ。 看護その来ない隙を見て右の髪の毛を梳きバサミと鋏で整えた。 3 時過ぎはもう食事が始まった。終わる時間、勤務の交代を計算するからだろう か。 帰宅すると次女からメールが入っていた「夕刻は何時に行くの」。 「体が良くないので夕刻はお休みするから口ケアーを頼む」と伝えた。 2011 年 11 月 7 日 月 雨 通 427 日 再 309 日 増設 219 日 一日を殆ど寝ていた。殆ど食べ物の造り置きが切れている。柿を 2 個ばかり食 べる。 病院を迷ったがやはり 1 目ないと安心できない午後 7 時過ぎ病院に入った。 おばあさん達も冬に向かって次々と具合が悪くなる様子だ。 妻はほぼ安定だが手足がやけに冷えている。暖めてやると大きな目を開けてい る。体温右 36 度 5 分左 36 度 2 分。 2011 年 11 月 8 日 火 曇り 通 428 日 再 310 日 増設 220 日 熱はないが喘息になるのではと思うくらい咳が良く出る。体力も落ちているの か床に入ったり起きたりの一日。病因行きは気が引けるが行かない行は出来な い。風呂に入った事は判るが余りすっきりとした表情ではない。終始苦しそう な表情だった。今夜辺りから又発熱だろう。 連絡の付箋があった。ティシュウペーパーの要求だ。この頃驚くくらい減って ゆく。一体どんな使い方をしているのか。口に一杯痰を溜めるまで放っておく から大量に使うのだ。我慢するしかないがただだと思わないで欲しい。 体温左 36 度 1 分右 36 度 3 分。 2011 年 11 月 9 日 水 曇り 通 429 日 再 311 日 増設 221 日 妻が倒れた時長女が 2 ヵ月足らずで出産予定だった。家に帰る日を待っていた はず。また女の子であることも知っていたはずだ。その子が早 1 歳の誕生を終 えた。母方には似ていないようだが鼻だけは妻に似た様でちょっと悪い。 もし妻が元気なら二人で任地を訪ねている事も有っただろうに出不精の私1人 では行く事はない。23日から27日まで帰る様だが僅かの滞在、余り来る意 味がないと思う。 「お父さんの為にわざわざ来るなら必要ないから」と言ったが 来ると言う。 枕の高さを調節してくれたのは良かったが今度は硬くて高い。首が苦しそうだ し頭の血行が悪くなるはず。他の看護師のしたことを改める事は難しいのかも しれない。迷ったが調節分を取り外した。クレームを付けられる可能性がある ので通りかかった看護師に告げておいた。やっと楽そうになった。元に戻った だけだが。バスタオルで調節した方が良い。心配した発熱はなく比較的穏やか。 手足の冷えは激しい。体温右 36 度 2 分左 36 度 3 分。廊下を通ると暖房の暖気 が降りてきた。本格的に稼動状態に入ったようだ。 今度は乾燥に悩まされるのだろうか。 2011 年 11 月 10 日 木 薄曇り 通 430 日 再 312 日 増設 222 日 次女からメールが入っていた。携帯は体に付けて歩かないのでもっぱらパソコ ンに入っている。「お父さんの写真幼稚園のホームページに乗っているよ」 「公立の幼稚園にホームページ」そんな物が有るとは知らなかった。 早速検索、出てきた。 人の中に出る事を好まない私の最大の努力をきっと妻は喜んでいてくれるだろ う。 「優しいおじいさん」だと幼稚園の先生と園長が話していたと次女が話して いた。決してそんな私ではない。 同部屋の 4 人もそれぞれ落ち着いたようだ。咳き込む様子も少なくなった。 妻も同様落ち着いている。足は昨日ほどでもないが冷たい。右腕は温か、左腕 は冷たい。体温左右とも 36 度 3 分。 昨日外した枕調整のマットが片付けられていた。外すと今度は低く頭が沈み込 む。持ち込めれば家には沢山有るのに、、、、バスタオルで又調整する。 2011 年 11 月 11 日 金 通 431 日 再 313 日 増設 223 日 先行きを考えると際限なく不安に襲われるもの。暗くなってしまうので必要意 外は他人の体験などはあまり読まない。 単なる病人として日々苦痛なく過ごし生きてくれる事を願い僅かな時間だが私 の出来る世話をしてやること以外ない。 一年数ヶ月、日に 2 度の訪問で充実した日では有ったが心配も多かった。 日に一回にして妻との距離は遠くなったとは感ずるがいずれ私1人になる訓練 を与えられたものだろう。3年目には周一回、もっと減っているかもしれない。 支払日が始まっているので午前 11 時病院に入った。都会辺りの金額に比べれば 良心的と言える金額だろう。でも基礎年金の殆どを支払に周る。 健康ならそれなりのゆとりと楽しみが続いたはず無念である。 支払い終えて病室に行く。介護氏が妻の整理箪笥の掃除をしていた。 妻は口から痰が溢れているのが見える。役割が違うからか今そんな時間ではな いからか、気付かないからか、何も対処はしない。急いで口ケアーの用意をし 何度も何度もブラシで絡め取る。洗面台まで何度も往復する。吸引器が使えれ ば便利なのだが。携帯用の小さな吸引できる何かないものだろうか。口だけで よいのだが。ベビーコンプレッサーみたいな物は。 体温右 35 度 8 分、左 36 度。今日は風呂だ充分暖まって欲しい。 夕刻、穏やか。風呂に入っているし手足の温湿布はなし、軽くマッサージにと どめる。めったに椅子にかける事はないのだが目も開けているし腰掛けて話し 掛ける。そろそろ帰る用意をしていると顔が真っ赤にしている。窒息状態だが 暫く我慢して背中お起こして咳き込むのを待つ。咳き込めばもう安心、自力で 痰を吐き出す。飲み込まないうちにブラシで絡め出す。直ぐにナースコールを して吸引するのもいいが自力で出す訓練も必要な気がする。妻にはまだその力 があるようだ、体力がなくなり誰もいなければ窒息するだろう。 体温右 36 度、左 36 度 1 分。 2011 年 11 月 12 日 土 晴れ 通 432 日 再 314 日 増設 224 日 20 代始めから父の病、母の他界、父の死、弟の子の世話と辛酸を嘗め尽くして いた頃私の元に来る事になった。両親が健在であったら私の元には来なかった はずである。ほぼ諦めに似た心境であったのではないかと思う。 結婚当初淋しい女性だなと良く感じた。あまり喋らないし、甘える事は決して なかった。だから最初から良く喧嘩した。良く心が読めなかったし判らなかっ たので私が腹を立てた。比較にはならないが自分が体験した思いを今度は自分 の子にさせている。いやな因縁である。私には多くの思い出、幸福をもたらし てくれた。 土曜日だがいつもの夕刻に病院に行く。病室の皆んなも異常ない様子で落ち着 いている。 いつも冷たい手足は今日は比較的暖かだ。今日は天候が良く外気も暖かかった。 そのせいかも知れない。足を暖めると良く目を開く。滞在中軽く吸引して行っ たのだが今日も帰り際真っ赤な顔で息を止めている。じっと我慢して背中を起 こしてやる。何秒くらいであろうか、やっと咳き込んで痰を出した様子。素早 くブラシを喉元にいれ巻きながら引き出す。ずっしりと重い痰を引きずり出す。 際限なく続く痰との戦いだ。ひとまず安心して引き上げる。また明日まで無事 である事を祈って。 2011 年 11 月 13 日 日 曇り 通 433 日 再 315 日 増設 225 日 パソコン部品でよく利用する市内のパソコンショップから招待会の案内があっ たので景品目当てに出かけた。特に欲しい物が有った訳ではない。景品のトイ ヴァイオリンが欲しかった。唯それだけ。 帰り妻の元へ寄る。今日も穏やかな様子。看護師から朝は痰がひどかったと言 われる。深夜の看護が悪いからではとつい思ってしまう。家族のひがみであれ ばいいのだが。向かいのおばあさんが口から痰を噴出していた。どうしようと 迷ったがふき取った。体温右 36 度 1 分 右 36 度 3 分。 今日も何事もなく終わる。喋ってはくれないがこの世に姿を残していてくれる かぎり有り難い。悠久に旅立てば二度と姿を見ることは出来ない。魂を信じた いが、無に帰るだけだろう。人間も所詮地球上の一生物にすぎないのだから。 体温右 36 度 6 分日、左 36 度 2 分。 今日も帰り間際になって真っ赤な顔をして息を止めている。癖になったよう に、、、何とか咳き込んで痰を出してくれるたがゴミ箱には取り替えた吸引チュ ーブの包装紙が 1 個もない。1 度も吸引されていないのか、、、、? 2011 年 11 月 14 日 月 晴れ 通 434 日 再 316 日 増設 226 日 寒くなるという予報に反して太陽も出で暖かな日中になる。 まだ暖房機は入れる事はないが次女と子供が突然訪れたのでエアコンを入れた。 蒸し暑いくらいだ。節電の為コタツは4、5日前に用意した。 妻がいた頃は1日でも長居したが長男の幼稚園の迎えもあり昼過ぎに帰宅した。 今年も冬の漬物を止めるつもりで居たがやはり思い直して漬けることにし生 家に依頼した。思いついたらすぐ実行が性分、農協の精米上で米ぬかを貰って 来た(ご自由にとの張り紙があるので黙って)。これに熱を加えて煎り消毒し て使う。二人で居たころは3、40本漬けたが今年は10本の予定だ。 買えば楽だろうが余り口に合わない。塩と柿の皮、干した大根の葉、大量の米 ぬか、それだけ。 妻のことは安定しているので暫く書く事はないかもしれない。良い事なのだろ う。 2011 年 11 月 15 日 火 晴れ 通 435 日 再 317 日 増設 227 日 雑念やら、風邪の後遺症やらで昨夜も床に就いたものの再び起きだして朝にな ってしまった。呼吸器官がやられているのか咳き込みが止まらない。やはり天 皇さんと同じなんだろう。もう高齢者の仲間入りをしているから。 昨日次女に遺言と思って聞いてくれと告げた。 「もしお父さんがお母さんより先 に逝くようなことが有っても決して葬儀は出すな、お母さんが逝く日に一緒に 葬るように」と。 級友の中には早々に旅立った者も五指をもっと越えいるようだ。何時、何が起 こっても不思議な歳ではないし心身に自信も無い。。 今日は気温が下がった。風呂の日だし多分体温は低いだろうと想像して行った。 顔が白く白粉を塗った様に見える。すぐ体温を計る右36度7分、左36度2 分予想が外れた。今日は気安い看護師さん来たついでに吸引してくれた。何の 問題もなく鼻からチューブを入れた?丁寧に操作する、決して激しい往復運動 はしないし理にかなっている。確か「鼻から入れる事だ出来ないから採れない」 と乱暴な操作をしていた看護師が居たはず。 「鼻から入れるな」と言う指示は出 ていないのだろう。看護師それぞれである。統一されていない事は怖いともい える。 妻の元に誰か来て行った形跡がある。遅番の看護師では判らない。私は椅子は 使わないので椅子が置いてあると直ぐわかる。こんな時はいつも嫌な思いをす る。誰だろうか?妻はわからないし気味が悪い思いをする。 2011 年 11 月 16 日 水 晴れ 通 436 日 再 318 日 増設 228 日 今日も秋晴れになった。 大掛かりにリホームして1ヶ月後に妻が倒れて家どころの騒ぎでなくなり外回 りが全く整備するゆとりもなく2年目に入った。 気になっている排水も不備のまま、部品を求めて50分も掛けて大きなホーム センター武蔵まで出かけた。 流石大きいだけあり直ぐ見つかった。 帰り病院に寄りたいのは山々だが我慢し、替わりに次女の家による。 丁度昼になりそばを食べさせてもらった。 午後2時まで滞在する。 病院は今子供の入室を厳しくしているので一緒に行くことが出来なくなった。 長女が 23 日に帰っても母には会えないかもしれない。子供が人見知りが激しい し、見ている者がいない。さて、、、 今日は手足も比較的暖か、枕が 3cm ほど高ければいいのだが儘ならない。 呼吸の為には低い方が良いのだろうか? 今日も安定の 36 度 4 分、36 度 2 分。異常なし。 2011 年 11 月 17 日 木 晴れ 通 437 日 再 319 日 増設 229 日 遠い事と思っていたが否応なしにお墓について考えざるを得ない事態になって 調べる事も多い。 約束された土地はあるが、住宅地に隣接しているのでためらっているがそうせ ざるを得ないだろう。私には見栄を張る必要はないし豪華な大理石を積み上げ る積りはない。 質素な記念碑の様なお墓にしたい。古来からの様式は正直私は気持が悪いし自 身入りたくない。ずっとずっと先の話であってくれればと祈るのだが、、、、 朝晩は冷えるが日中は天気もよく暖か、いつもならそろそろ雪囲いを始める頃 だが、今年も自然のままに任せる事にする。とても家を飾ろうと言う気にはな らない。夕方次女からメールが入った。土曜日、幼稚園の生活発表会に出て欲 しい旨の依頼、気は進まないが僅かの時間らしいので了解した 長い 1 日を待って夕方病院へ、異常なし。安定が続く。体温左右とも 36 度 4 分。 2011 年 11 月 18 日 金 晴れ 通 438 日 再 320 日 増設 230 日 お墓についてネットで調べていた。富山県は信仰心が厚いからか値段が高いら しい。今は中国で製造する業者も多くある。本来死者は土に返るもの、年代と 共に墓も朽ち果てるのが自然なのであろう。見栄を張って無理に高価な石にす る必要もない。ましてや我が家の姓は私と妻で終わる。日本製の半分で済むな らそれに越した事はない。2 社にカタログを請求した。ビデオの更新をしたりし ていつもいつも死に付いて考えていると返って妻の調子は良いのではとも思う。 今日も安定であった。体温右 35 度 8 分、左 36 度 2 分。風呂の肌荒れはなし。 痰も少ない模様。明日は幼稚園だ、気は重いが、、、 2011 年 11 月 19 日 土 雨 通 439 日 再 321 日 増設 231 日 孫には悪い事をしてしまった。昨夜床に入ったものの咳、痰に悩まされてよく 眠れなかった。朝方は最悪、仕方なく次女に無理である事を知らせた。12 時過 ぎまで眠った。特に熱が高いわけではないので医者に走るのも気が引ける。 咳ばかりで胸が痛む。 病院にも「風邪の人、下痢の人の入室禁止」の張り紙があるが私には下痢はな い。 いつもマスクをして行く。今日も安定、手だけが冷たい。背中、肩、首、頭を 念入りにマッサージをする。体温右 36 度 3 分、左 35 度 9 分。 2011 年 11 月 20 日 日 雨 通 440 日 再 322 日 増設 232 日 11 時半過ぎ病院に入る。もう食事は終了。今日も穏やかに寝入っている。 声を掛ければ気が付いているようだが目は開かない。口ケアーをしていると 雄叫びのような声を上げる、時々あることだが、元気な証拠なのだと思ってい る。孫と一緒の幼稚園に行っている看護師さんが訪れ発表会の様子を話してく れた。自分の孫も私の孫も張り切っていたと言う。1 時間足らずの滞在、話し掛 ける時間も必要なのだが、男のこと話が続かない。 夜病院から帰ると待っていたかのように電話が鳴った。千葉の義姉からであっ た。12 月始めに此方に来るという。そのついでに叔母達と近くの温泉に泊まる と言う。「妹の世話のお礼がしたいから来ませんか」と誘われた。諸々考えた が窮屈でもあり夜は妻の元に行きたい、また女性ばかりの中で疲れてしまうの は目に見えている。せっかくだがお断りした。 夕刻も肌艶もよく健康そう。何で眠っているのか不思議なくらいだ。今日も息 を止める様相をした。これは息が出来ないというより痰を吐き出そうと努力す す姿ではと思った。止めた後必ず咳き込んで痰を出す。悪い兆候ではないのか もしれない。 体温右 36 度 3 分、左 36 度 2 分。 2011 年 11 月 21 日 月 雨 通 441 日 再 323 日 増設 233 日 夕刻のニュースでは立山室堂では積雪 40cm とか今月で高原バスも終わり立山は 静かな世界に戻る。今年は妻の祈願も手伝って何とか山歩きが出来た。 また除雪で体を鍛え来期の夢を見よう。無事妻共々冬を乗り切って春を迎えた い。今日は幼稚園が代休で次女は自分の病気の事で病院へ、子供を暫く見るこ とになった。次男が大丈夫なのか心配したが喧嘩ばかりしていても兄弟、二人 で喧嘩しながらも私と一緒に居た。二人とも心身共にぐんぐん成長している。 今日も異常なしか?看護師が体温計をみて「上がったね」と言った。 と言う事は今日は体温が低かったと言う事だろう。 再び計ると右 36 度 1 分、左 35 度 9 分。手足は冷たい。熱いタイルも直ぐ冷え る。両手足何度も何度も繰り返す。今日も何度か真っ赤な顔して痰を出そうと する。咳き込んだところを素早くブラシで引き出す。24 時間の内のひと時、焼 け石に水かも知れないが、、、 2011 年 11 月 22 日 火 晴れ時々曇り 通 442 日 再 324 日 増設 234 日 どうも体温がわからない。足が温かかったので、大丈夫と測定を後回しにした。 一通り作業を追え体温を計ると右 35 度 2 分、左 35 度 5 分、直前に看護師が測 定していったが何も言わなかったので気にしなかったのだが、明らかに低い。 タオルケットを首まで布団を乳房辺りまで掛けた。今日は風呂の日だったので そのせいであろうと納得させる。 今日は墓地の寸法を採って来たり写真を撮ったり、これを見積もりに出した。 何をしているのかと自信考えるがこれも長生きさせる 1 つの方法と思うので。 何とか実現したい。雪解けの後にも。 2011 年 11 月 23 日 水 晴れ後 通 443 日 再 325 日 増設 235 日 汽車の中から眠っている孫の写真が送られてきた。あと 1 時間余りで駅に着く。 どうしてなのか合える喜びは無い。来ても母の世話を出来るわけも無く、病院 さえ儘ならないだろう。私自身の生活パターンも狂ってしまう。冷蔵庫には何 も食材が無い。数日の滞在の為の買出しも分からない。無理して帰る事もない と言えばまた腹も立てるだろう。夫がしっ出張とかで次女がまた来て食事会を すると言う。そんな事より母を見て欲しいのが私の望みだ。。 2011 年 11 月 24 日 木 雨 通 444 日 再 326 日 増設 236 日 2011 年 11 月 25 日 金 雨 通 445 日 再 327 日 増設 237 日 長女が帰省した夜に早くも衝突した。昨日一日言葉を交わすことなく気まずい 思いをした。帰っても子供のことで精一杯、何をしに来たのか判らない。 夫も来たいと連絡があったが来るより娘に帰ってくれと言ってしまった。 早朝タクシーで何も言わず帰ってしまった。 もう家に戻る事はないかもしれない。私も一人暮らしに慣れた。今後共に暮ら すのには自由に慣れすぎたのだろう。哀れな性格かも入れない。 年末は一人ぽっちの侘しい年越しになる。 気分の冴えない 1 日を過ごしていたが夕刻妻の顔を見て落ち着いてきた。 手足は今日は暖か。顔色もいい。音楽が鳴る方に顔を向けようと力を入れてい る。 今日は調子が良いのか滞在中も帰るときも目を開いていた。だだ身体の温かさ に比べ体温右 35 度 7 分、左 35 度 3 分。体温と身体温度の関係が比例しない 暴走するコンピューターなのだろう。明日は二度の訪問にしようか。 2011 年 11 月 26 日 土 晴れ 通 446 日 再 328 日 増設 238 日 秋晴れのいい天気だが夜更かしが過ぎて何時までも床の中に居た。起きても誰 も居ない家、自然怠惰になる。 午後 1 時半過ぎ病院に入る。夫の苦しみも知らずか眠りに耽っている。 起きて苦しむよりまだいいのかも知れぬ。午後のプログラムが始まる前に口ケ アー手足のマッサージを終える。 隣の意識障害のおばあさんが口、鼻から痰を流している。気になり口を拭いた が恐れるような仕草をする。意識障害といえど恐れは判るようだ。 廊下を通りかかった介護師に知らせたが自分に処置する権限が無い様でナース コールをしていた。 此処にも看護と介護の壁がある。患者の為にもっと柔軟に対処すべきなのでは と常々思う。 帰り私の里に寄り墓地の使用を依頼した。好きなだけ使ってよいと言う。 本当に気が良すぎる位、私には真似は出来ない。 夕刻も安定。体温右 36 度 4 分、36 度 2 分。 里により葬儀について話たが宗教無しの葬儀なんて理解できないようだった。 それはそうであろう。進め方が判らないから。伝統に従って進めれば皆葬儀会 社が取り仕切る。簡単だから。しかし多くの人が持っているはず、理想の葬送 を。それを叶えてやりたい。 2011 年 11 月 27 日 日 晴れ後曇り 通 447 日 再 329 日 増設 239 日 日曜といえど静かな病院、病室もいつも良く付けてあるテレビも鳴っていない。 高音が気持ちよく響く賠償千恵子の童謡集を鳴らしてやる。気が付いているよ うだが目は開けない。気持ちよく眠っているようだ。軽く手足、背中のマッサ ージ。その間、介護師が食事の容器を片付けに一度来たのみ。訪問にはいい時 間帯だ。体温右 35 度 8 分、左 35 度 7 分。足は冷たいが、自分の足も冷たい。 心配なかろう。 午前兄夫婦にお別れ会用に準備しているビデをを見せた。 待ち時間用の映像を含めて 50 分程。 それでも疑問だらけの様子。刻み込まれた概念から離れられない様子。香典は? 法事は?お返しは?と疑問を投げかける。本当の送別をしたいだけなのにどう して難しく考えるのか不思議でならない。私が進みすぎているのか?不常識な のか?。 2011 年 11 月 28 日 月 晴れ 通 448 日 再 330 日 増設 240 日 義姉から電話あり、1 ヶ月病院に行っていないとの事、お詫びがてら、 千葉の妹から帰省の折温泉に行こうと誘われたけど断った由、運転手役も断っ たらしい。さて交通不便な場所どうするのやら。義姉も日々優雅に過ごせほど 裕福ではない。優雅で旅好きの妹に付きあいきれなくなったのだろう。 私も誘われたが世間話には付いてゆけないし女性相手で疲れるのは判っている 妻の側に居たいと辞退している。 夕刻、今日も安定、体温右 36 度 4 分、左 36 度 3 分。 2011 年 11 月 29 日 火 晴れ 通 449 日 再 331 日 増設 241 日 生家から漬物用大根、白菜が届いた。店で漬物を買う事が全くないので食事は 味気ない。2 週間ほど干して沢庵漬けにする。何年間も失敗し続けたが最近やっ と旨く出来るようになったのに妻はもういない。 白菜漬けは真だ旨くできない。もっぱら漬物の素で補っている。 墓のデザインが出来た。業者と何度もメールのやり取りをし信頼できると判断 した。二人が入るには大きすぎくらいになったが何れ絶える様相の我が家、家 より重要なのかもしれない。後は私の決心次第で契約となる。。 風呂の日だったが綺麗な顔をしている。介護も妻の弱点を学んでくれたのか荒 れていることが無くなった。ドライヤーも持参したが使う事もなし。以前は風 呂の日はボサボサ頭で乾燥していた。髪を濡らし整えドライヤーを掛けていた。 最近はその必要が無くなった。持参はしているが。 安定が続く墓に熱中しているからなのかも知れぬ。 体温右 36 度 4 分、左 36 度 2 分、誰に感謝すべきなのか。私より先に逝くな。 2011 年 11 月 30 日 水 雨 通 450 日 再 332 日 増設 242 日 今日でアルペンルートが終わった。今日の入山は 150 人とかニュースが報じて いる。 夕刻病院へ、看護師からインフルエンザの用紙を持って来てと言われた。 何気なく私の書類と一緒にあると。思っていた。 看護師からマッサージは程々にと注意を受ける。余程気になるらしい。病院で してくれれば私がやる必要はないはず、それが出来ないから家族がやるしかな い。ただ死を待てと言うか。今日も順調、体温右 36 度 2 分、左 36 度 3 分。 帰ってインフルエンザの書類を何度も何度も捜すがない。 ふと考えた。あれは高齢者に来る物、妻は未だ若い。ネットで調べた。 65 歳以上と60歳から65歳未満の呼吸器系に障害のある一級障害者とある。 元々資格がないようだ。とんだ時間を潰してしまったらしい。 2011 年 12 月1日 木 雨 通 451 日 再 333 日 増設 243 日 妻のインフルエンザの補助について行政センターに行って来た。 やはり妻は対象外であった。同じ障害者でも障害の分野が異なるらしい。 同じではないかと思うが、接種料金が病院によって異なると言う。おかしな話 だ。今年は制度が厳しくなり、非課税者、生活保護世帯の無料接種も廃止され たと言う。福祉の後退か、或いは当たり前なのか、、、、 病院には正規料金での接種を依頼した。 いよいよ 12 月。魔の季節の到来になるか、逆に身体を鍛える季節にするか自分 次第だが、だが除雪作業は御免こうむりたいものだ。 夕刻病室に入ると直ぐインフルエンザの問診表を書かされる。もう私より病院 の方が詳しいはず、署名するのが主な目的になろう。 喉元に痰をためてガラガラ鳴っている。直ぐ取りたかったのに、、、、手間を取ら された。今日は身体が温かい。気温が下がった為暖房が強く感ずる。直ぐ体温 に影響する。右 36 度6分、左 36 度 4 分。明日は姉、伯母達が来る日だ。風邪 など持ち込まないで欲しい。枕元で世間話はしないで欲しい。 2011 年 12 月 2 日 金 曇り 通 452 日 再 334 日 増設 244 日 11 時、姉がタクシーで乗りつけた。伯母達を周り病院を回り、温泉地に行くと なると相当の出品のはず、姉御肌の義姉の真似はとても出来ない。 これには私にも原因がある。男の人の面会はお断りしてきている。 従兄弟と言えど許していない。所詮興味本位でしか見られないのは判っている から。だから運転手がいないのだ。長姉にも断られたし。 私が居るのだが女性相手は苦手、愛想も良くない、車の運転も好きではない、 まして行動的で人見知りしない姉は苦手な部類に入る。 病院に心付けを言い出したこともあり危ない。出来るだけ目立って欲しくない。 正直なところ物見遊山のついでに来て欲しくない。黙ってきて黙って帰る姉で はない。気が付くのは立派だが煙たい面もある。 夜、病室に入ると笑っているような表情をしている。余程機嫌が良いのか。 顔の肌もいい。前回も姉、伯母達が来たときも美しい顔をしていてくれた。 何か影響を及ぼすのか。良い顔をしていてくれると私を褒めてくれる。 体温右 36 度 1 分、左 36 度、理想の状態だろう。 2011 年 12 月 3 日 土 曇り 通 453 日 再 335 日 増設 245 日 病院職員が帰る時間と午後の作業の合間をぬって 12 時半病院に入る。 昨日ほどの肌艶はないが安定の模様。体温左右とも 36 度 1 分。弱い溜息をつく。 大きな溜息が欲しい。 帰って携帯を開く。姉からの着信あり 12 時 06 分。駅からだ。 妻の元に寄ったらしい。交通不便な所なのに。気の毒な事をした。もう無理し てまで来なくていいよ。 応えてもくれないのだし。 夕刻の病院、ベッドと洗面台の往復、マッサージとベッドの周りを周回してい ると汗が出てきた。暖房が日々強くなる。妻も赤い顔をしている。 随分肩幅が小さくなった様だ。毎日見ていると慣れてしまう。どの位体重があ るのか計る術がない。知らぬ方が私のためか。 2011 年 12 月 4 日 日 晴れ曇り 通 454 日 再 336 日 増設 246 日 ある身内が世間話の話だろうが「意識障害になって五年も生きた」と笑い話の ように話す。家族が死を望んでいると考えているからこんな言葉が出てくるの だろう。身内でさえもこの程度だから他人にとっては無縁の事だろうし話の種 程度のことだろう。 だから面会も拒否して来たし、自分の口から病院名も語らない。でも皆知って いる。身内の口も他人の口は閉ざせない。 暗闇の世界に居るから眠ってばかりいるのか。でも決して悲しみの顔はない。 悟りきった如く、これが本当の無の境地。難行苦行した坊さんでさえ到達でき ないだろう。死に臨まない限り。 体温右 36 度 1 分、左 35 度 8 分 土日も直ぐに終わる。明日からまた一日 1 度の訪問に返る。 焼け石に水のような気もするが、最近では極端に酷い事もなくなっている。 訪問する事で病院に隙を与えない効果はあるのだろう。風邪のような状態から 脱して安定してから 1 ヶ月が過ぎた。私の心も安定状態にある。 体温右 36 度 2 分、左 36 度 1 分。 2011 年 12 月 5 日 月 曇り 通 455 日 再 337 日 増設 247 日 夕刻、手足が冷たい、さぞかしと思いきや体温右 36 度 6 分、左 36 度 3 分 比較的高め、全くばらばらで不規則。 最近の曲をオルゴールにした CD を作っていった。聞かせると関心を示した。 目も開けて聞いている様子。大型のオルゴールの方が効果がある低音も響いて。 お墓の最終デザインが漸く決定した。 契約にははるばる訪ねてくると言う。お互いの信頼を確認する為のようだ。 それにしてもこんな田舎まで来るとは経費も掛かるだろうに、はるばると~ 2011 年 12 月 6 日 火 曇り 通 456 日 再 338 日 増設 248 日 父親と子供(娘達)との仲立ちの役割を担ってきた妻が家から消えて直接子供 達の考えを聞けることが出来なくなった。 先日の長女との考えの相違を今日次女から聞く事になった。 長女達も私も安易な方法を選んでしまったようだ。相違と言うより一致した。 将来とも別々の生活を望んでいる。お互い窮屈な生活は望まなかった。 これで将来の見通しがはっきりした。今後荷物を徐々に処分して行く事になる。 大金を掛けたリホームも無駄になった様だ。 後は妻を見届けるのみ。 家の出来事も知らぬまま眠り続ける。体形を整え CD を鳴らす。気が付いた。 廊下で若い男性の介護師がが上司に一生懸命抗議をしている声が響く。いつも 静かな病院ないに響く。一生懸命やっているのに報われない不満の様子。 大いに議論をした方がいいのだろう。マッサージをしているとき珍しく主治医 が様子を見に来た。 「楽にしてあげてください」と声を掛けていった。看護師は 注意ばかりだが。 長女の気持は分かったが一抹の寂しさが募ってくる。 自業自得なのだが。 2011 年 12 月 7 日 水 曇りのち雨 通 457 日 再 339 日 増設 249 日 厚いのか顔が赤みを帯びて口を開いて眠っている。 倒れてから 1 年以上も激しいいびきに参ったがいつの頃からか随分静かな呼吸 になった。 今日は唇が少々汚い。さぞかし中はと思いきやまあまあの様子。ブラシの GUM にいつもしかめる。オルゴールの CD が気になるようで盛んに顔を音のするほう に向ける。看護師か嫌う姿勢になるので元に戻すとまた向ける。力が入ってい る。何事もされるままだが意識が入るとコントロールできるらしい。止めると 音を探すのか盛んに首と両目を動かす。あっと言う間の時間が過ぎる。まだ起 きている様だが引き上げる。ホッとするひと時。帰って味気ない食事だ。 体温右 36 度 4 分、左 36 度 1 分。 2011 年 12 月 8 日 木 通 458 日 再 340 日 昨夜白菜漬けを食べてみた。美味し!! 増設 250 日 今まで何をしてきたのか。白菜 2 個、塩4%程、昆布適量(多い方がいいのだ ろうが高い)と唐辛子 2 本、それだけで試して見た。 今まで必ず白菜漬けの素を使用していたが、買出しは面倒だし、量に比して高 い。ネットで調べると塩と昆布と唐辛子だけで出来そうだった。 4~5日目だろうか、旨くいった。こんなに簡単とは。 妻の残していった 1 夜漬けの素がたくさんあるが好きな味ではないから、、、 2011 年 12 月 9 日 金 通 459 日 再 341 日 増設 251 日 床に入ってもあれこれ考える事が怖いので完全に眠くなるまで夜更かしになる。 今日ももう深夜の 1 時 45 分になろうとしている。昨夜も遅かった。コタツのみ 暖房も付けず手が冷え切っている。 目が覚めると微かな雪がちらついた模様だ。日本列島どこも冷えたらしい。 午前太陽が出たのを見てスノータイヤを交換する。病院の支払日が近づく。 手数料のかからない平日の今日 ATM からおろした。 夕刻を待って病院へ、穏やかな眠りのある。私のミルトンに漬けている口腔ケ アーのくるリーナブラシの容器の蓋が開いたままになっている。時々そんな事 がある。看護師が使ってくれているのだろうか? CD を掛けたり身体に触れていると目覚めた。見えないと思うが瞼は開ける。 いつもより身体は温かい。体温右 36 度 4 分、左 36 度 5 分。 2011 年 12 月 10 日 土 通 460 日 再 342 日 増設 252 日 立山連邦も姿を現す気分が晴れる青空が広がっている午前。 午後あたりは再び崩れてくるとニュースは伝えている。 昨年の今頃は何処の病院だったかはるばる市の中心街にある病院へ走っていた はず、遠い昔の事のように感ずる。良くぞ二人とも頑張ってきたものだ。 先の事は予測も付かないがとりあえず年賀状は出せる状態にある。 今日は土曜日、支払いもあるし早めに出かけよう。 午後 2 時 20 分予報に反していい天候が続く。 体温は低めだったが、異常はなし。目覚めても居る様子。 「軽く吸引します」と 言う事でしかめっ面をしなが耐えている。食後間もないので軽く足のみマッサ ージをする。体温右 36 度 5 分、左 35 度 9 分。 よく眠るがこの頃は気配を感ずると直ぐ気が付く。僅かの進歩なのか。 両眼を開けることもよくする。 痰の色もいたって白い。欠伸、溜息の勢いがもう少し大きければいいが弱々し い。体温左右とも 36 度 1 分。 明日は墓地下見、墓碑の契約に訪れると言う。果たして無事契約が成立するか 初めての面談だある。 2011 年 12 月 11 日 日 通 461 日 再 343 日 増設 253 日 何も記録する必要がないほど安定が続く。体温 36 度 3 分、左 36 度 1 分。 永遠に平穏が続けば心強いが何が待っているか判らない。人々から忘れ去られ るのも可哀想な気もする。 2011 年 12 月 12 日 月 通 462 日 再 344 日 増設 254 日 寺からは昔から催しの案内が届く。生家が真宗だから会員の端に名が有るのだ ろうが仏壇が有るわけでもなく、仏教徒でもない。母が生前仏壇を買ってやる からと心配して逝ってしまったが「今は仏壇の守は出来ない」と妻共々断って きた。 日本人だから神道や仏教をないがしろにはしないがのめり込む事はしないし。 頼る事もしない。長女が後を引き継ぐ見込みが無くなった今、大きな荷物を背 負わなくて正解だったと思う。この先も位牌など残そうものならまた子供達は 始末に困るだろう。偶像は残さない。墓碑は子供達に将来負担が掛からぬ様に 建てるが守れとは言わない。子供たちの気持次第、朽ち果てるのも自然の摂理 だろう。妻は私の胸に子供たちの心に刻み込まれている。それで充分だ。 全ての人間の行くところは全じ「悪人も善人も」と誰かが言っていたはず。 宗教は言葉の発明。他人が考え付かない考えを発明し商品化したもの。そんな 思いがする。悟りとはそんな物。 2011 年 12 月 13 日 火 通 463 日 再 345 日 増設 255 日 体温は低めだが手足は暖か、穏やかな眠りにあったが気配に直ぐ気付く。 口に始まり足のマッサージ、瞼を大きく開けて不思議そうな様子。指圧棒で足 裏をつつけばビンビン反応する。こんな事は毎日身体に触れている者でなけれ ば気付く事もないだろう。流れ作業ではとても気付く暇もない。 今日は風呂の日だったので温湿布は省略、時間が余るので椅子に座り話し掛け る。ペンライトで目に光を当てる。微かに光は感ずるのかもしれない。 協力者、体制を整える事が可能ならどんなにか在宅介護が有効だろうがだが 夢でしかない。いつ異常が起きるか判らない身体だし。 体温左右共 35 度 8 分。 2011 年 12 月 14 日 水 通 464 日 再 346 日 増設 256 日 家庭の財産は夫婦共有の物なのだが世の中には悪人も多くて、成年後見人なる 制度が出来ている。しかしその後見人が被後見人の財産を使い込む犯罪も多い という。何の為の制度か疑問を持つ。 銀行、郵便局の窓口で何度か成年後見人の手続きを持ち出されて困惑すること があった。言うのは簡単だが被後見人に不利益もあるし日数、費用も相当掛か る。選挙権が無くなる。印鑑証明が無効になる。裁判所に経費の報告の義務も あるらしい。家族にとって煩わしいのみで何のメリットも無いし被後見人の存 在が抹消される制度だ。 印鑑証明が使えなければ住基ネットの更新が出来なくなる。税の申告がパソコ ンから出来なくなる。欠陥法律そのものだ。 お墓の一時金の振込みに妻と折半で出した。妻の預金が厳格な郵便局から簡単 に引き出せるか不安であったが、無事引き出すことが出来た。 二人分を合わせて銀行の窓口に現金で持っていったが、ここでも無駄な事をし ていると指摘された。 一度 ATM で私の講座に全額入金しそこから他銀行に振り込めば手数料が安くな ると教えてくれた。付き添って貰って無事振り込んだ。 本当に金勘定は苦手だ。妻に全てを頼ってきた日々はお金の心配などしたこと も無かったのに。 暖房が強いのか赤い顔をしている。枕元でガサガサさせていると直ぐ気付く。 顔をベッドに向けて淋しそうな表情をする。普段妻はめったに涙は見せなかっ た。ドラマを見ていて私は涙ぐんでも平然としていた。こんな時も涙を流さず 絶えているのか。涙を流せ!! 一緒に泣こう。 体温右 36 度 4 分、左 36 度 2 分。 2011 年 12 月 15 日 木 通 465 日 再 347 日 増設 257 日 初冬の北陸の陰気さを感ずる日が多くなる。雪が積もればまた落ち着いた冬の 風景も有るのだが。 出て行きたくない気持も起こる寒い雨の今日、そんな事も言っていられない。 病室に入りまず気付くのは吸引器に溜まっている痰の多さだ。調子も良さそう だし、喉がガラガラ鳴っているようだが苦しそうでもない。隣のお婆さんの物 だろうと思っていた。 看護師が来て「痰、大丈夫かな」と様子を見に来た。 「夕刻から痰が多くて」と 言う。 やはり妻のものだった。滞在中自分で出そうと努力している。その都度ブラシ を突っ込み引き出す。僅かづつだが絡み付いてくる。 オルゴールの CD の最後に入れたビリー・バンバン の「また君に恋してる」に 大変反応する。瞼を大きく開き音源に目を向けようと頭を動かす。ヒットする曲は意 識障害に関係なく感ずるものがあるのだろう。ボリュームを上げて何度か繰り返し聞 かせた。 体温右 36 度 5 分、右 36 度 4 分。 2011 年 12 月 16 日 金 通 466 日 再 348 日 増設 258 日 記録をたどると昨年の 12 月 16 日に待機病院から希望していた今の病院に医療 として転院してきた。妻が倒れてから未だ 3 ヶ月程であった。余りにも早く処 置を打ち切られ此処に辿り着いた。此処に来て良かったと思う事も有れば後悔 した事もあったが、しかし此処の環境は捨てがたく、他に替るなら家に連れ帰 って諸共にとは思った。 一年、妻も環境に溶け込んだのか状態が安定したのか平穏の中に居る。あと 2 週間で無事新年を迎える事だろう。 今日も異常なし、体温右 36 度 4 分、左 36 度 2 分。「家に帰るよ!!」と大き な声で呼びかけると泣きそうな顔をする。ずっと付いていれば意識は戻り続け ているのかもしれないが儘ならぬ。 2011 年 12 月 17 日 土 通 467 日 再 349 日 増設 259 日 朝積雪5cm位だろうか。除雪の必要もないが、隣家は綺麗になっている。 通り道のみママさんダンプを走らせる。 12時丁度に病院に入る。昼食も終わって安静の時間。軽く口掃除とマッサー ジ。時間は有るのだが話し掛ける言葉に困る。経験から不安な時、手を握って もらうと安心できる。感覚のあるだろう右手を握り締めてやる。 体温右36度2分、左36度。 最近は本当に口周りが綺麗になっている。本人が汚さないのか、病院の介護が 良いのか判らないが、此処1ヶ月人事の変更が有ったようで、よく見かけた顔 が全く見なくなった。 なかなか乾かなかった大根を今日やっと漬けた。沢庵には未だ乾燥が足りない がもう漬けないと間に合わない。16本を一人で4月末までに食べないと嫌な 香りの漬物に変る。ザラメを入れたいところだが節約の為安価な白砂糖を多め に入れた。結果は如何にだ。 2011 年 12 月 18 日 日 通 468 日 再 350 日 増設 260 日 12時半過ぎ病院に入る。赤い顔で息苦しそうな態勢になっている。 痰も多そう。急いで取り掛かったがそんなに取れない。奥深い様子だ。 何度も何度も喉を刺激してみる。大きく咳き込んだ。ずっしり重い痰が絡みつ いてきた。身体に触れていると徐々に落ち着き始める。 向かいのおばあさんが始めて声を出して呼んだ。「痒いから看護婦さんを呼ん でくれ」と言う。めづらしく今日はよく喋ると看護士さん。いつも手は手袋で ガードされている。可哀想な姿。だが意思表示が出来る事は羨ましい。 体温右36度1分、左36度。 年賀状をやっと買ってきた。正月が近い感覚は全くない。 1昨年までカラフルな年賀状を何種類も作り出していた。昨年はモノクロの淋 しい物、今年もモノクロの気分が続く。 夕刻、滞在中痰採りに熱中する。2~3度大きく咳き込み痰を出す。咳き込む のが一番大量に吐き出すので都合が良い。息を長く止める事もあり気が気でな いが痰を出す準備時間のように思える。 マッサージの合間を温湿布に当てる。大変手足が冷たく直ぐタオルが冷えてし まう。手足とも20回以上タオルを熱湯に漬けに行くが今日はボイラーの配管 が冷えるのか熱湯とはゆかない。ドライヤー、使い捨てカイロ、アンカなど利 用できればいいがクレームが付く事は目に見える。 2011 年 12 月 19 日 月 通 469 日 再 351 日 増設 261 日 午前次女が果物の差し入れに来た。子供が持ってきた林檎1個と私の茶菓子を 平らげていった。またしても!!夫が長期出張と言う。6ヶ月以上と言う。 お互い心配していない様子。夫は夫で何時も行っている親会社らしい。次女は 「亭主元気で留守がいい」のだろうか。 今日も淋しそうな表情で顔を真横にしてベッドに向けている。何度も顔を上げ てみるが力を入れて向こうとしない。まるですねているかの様子。笑ってしま った。 いつも手足が冷えているので靴下を持ってった。ところが左足は温か。右足が 冷たい。仕方なし片足だけにした。きっと笑いの種になる屋も知れぬ。 帰る頃には痰も何回か吐き出し楽になったのか楽そうに眠ったようだが瞼の下 で目玉が動いている。 体温36度5分、左36度1分。 2011 年 12 月 20 日 火 通 470 日 再 352 日 増設 262 日 二日ほど前から何かさえない、顔色、表情に不安を感ずる。体温にそれ程の不 安はないのだが。今日は暖房が高めなのかマッサージを終えると額に汗を感じ た。足は温か、手は冷たい。テレビの明石屋さんまの声が気になるのかしきり に音源を捜す仕草をしている。帰る頃も閉じた瞼がしきりに動く。別れ難いが 引き上げる。体温左右とも35度8分。 2011 年 12 月 21 日 水 通 471 日 再 353 日 増設 263 日 医学、医療体制の進歩で個々の人生の予測の幅が大きくなってしまい人生設計 が返って難しくなった。 当然私が先立つ事を前提に今まで生きてきたし遺言も妻に宛てた内容だった。 しかし今となって書き直そうにも難しい。現状では妻が先立つだろうという予 測はあるが、介護次第で私より生きることもあり得る。 妻の事、預貯金、不動産、長女が引き継ぐと思っていたが否定的な返事に戸惑 う始末。やはり同じ姓を名乗るだろう男の子が居たら心強かったのだろうか。 何に付けても「夫に相談しないと」の返事ばかり。お前達の意見を聞いている のだが。 病室に入って足の冷えを調べる。冷たい。健康な頃も足首が冷えると言ってい たのを思い出し箪笥にあった毛糸のサポータを持っていった。 靴下を持っていっても履かしてもくれないし、自分で管理するしかないのだが。 きめの細かい看護は無理なのであろう。毎日行かない人には分からないだろう し顔を見に行くだけなら気にもならないだろうがそれが出来ない深みにはまっ た。足首を見てどのように思うか不安でもある。またクレームか? 体温右36度4分、左36度2分。 今日は健康そうな肌に変っていた。安心して帰宅する。 2011 年 12 月 22 日 木 通 472 日 再 354 日 増設 264 日 夕刻足のサポータは外されていた。足が温かだ。今日は風呂にでも入ったのか 顔が荒れている、暫くこんな事はなかったのだが?明日は休日になるので今日 になったのかもしれない。保湿クリームで手当てする。体温左右とも35度8 分。 今日は冬至とか、これから日々日が長くなる。有りがたい。近年当地も12月 に末まで積雪は無い事が多かったが昨年もしかり今年も今夜あたりから積雪の 予報が出ている。除雪で身体を鍛えた方が 自分の為には良いのだろう。文句を言いながら直ぐ春は来る。 2011 年 12 月 23 日 金 通 473 日 再 355 日 増設 265 日 昼 12 時積雪 2cm 位か。予報の 15cm には程遠い。 予報の北陸地方とは何処が中心なのか、当地は殆ど積雪予報はあたら無い事が 多い。 12 時病院に入る。異常はなかったが様だが部屋に居た看護師さん気を使ってく れたのか吸引をしてくれる。先ず鼻から、確かに液体が吸引されてゆく。 看護師が去って再び口ケアーをして見る。どんどん痰が取れる。 痰は採っても採っても際限が無くしつこい。 多くの死亡診断に肺炎の併発が上げられる。痰の処理が如何に重要かがよく分 かる。肺炎死、窒息死は聞きたくない。せめて衰弱死なら納得するが。言うは 安いが、実行は困難を伴う。患者は妻だけではない。 体温右 35 度 7 分、左 35 度 9 分。 夕刻の3~4の積雪の中病院へ、寒い。正直こんな時間に出かけたくはないが 見捨てる気は未だ起きない。ある日突然スイッチが入る日を信じている。 体温右36度2分、左36度1分。 2011 年 12 月 24 日 土 通 474 日 再 356 日 増設 266 日 北陸、日本海側は大荒れの予報に朝の除雪を覚悟で床についた。朝積雪 0cm 太陽さえ出ている。本当に当地はいい所らしい。 今日はクリスマスイブ普通なら大人二人暮らしでもケーキが出た。殆ど妻一人 で平らげた。私も食べないわけではないが妻の気持ちを察して嫌いな振りをズ ーッと通してきた。そんなことが幾つかある。よくいただいた赤飯、餅は妻が 大好き、食べさせたくてズーッと嫌いな振りを通してきた。 今は口ケアーのブラシを一生懸命しゃぶるのみ。 12 時病院に入る。まだ食事中だったが構わず口ケアーを始めていると看護師が 現れた。悪いことに看護師長。案の定クレームを受けた。 「嘔吐の危険があるの で注意して下さい」と素直に「はい」と答える。私も注意を払っているし現在 まで嘔吐をさせたことは無いが相手も責任がある。注意されて然りである。 最近何かさえない。連休で毎日行くから余計気になるのだろうが。表情がよく ない。体温は異常はないのだが。肌艶、顔の表情から判断すると。 暗証番号のなぞがやっと解けた。放って置いた銀行のキャッシュカードの暗証 番号から解けた。0 を先にするか1を先にするかの違いであった。 ある銀行と郵便局の暗証番号は失効したが掛け合って銀行は再発行してくれた が郵便局は頑として融通が利かなかった。あくまで本人か成人後見人でないと 駄目と。法律上財産は夫婦は一体ではない事をまざまざと感じた。1 部の悪人の 為に多くの善良な夫婦、家庭が迷惑する制度に疑問を感ずる。最悪治療費さえ 払えなくなることもあり得る。後見人制度ももっと弱者を労る制度であって欲 しい。手続きの難解さ法外な手数料。何の為の制度なのか。場合によって被後 見人の不利にさえ働く。 2011 年 12 月 25 日 日 通 475 日 再 357 日 増設 267 日 早朝除雪車の音に目覚める。積雪の模様、起き出して外を確かめる 10cm 位か。 日曜だし、誰も来ないし再び床に入り日と寝入り。 9 時近くやっと起き出す。隣さん息子と除雪機の試運転中。直ぐ外に出て除雪に 掛かる。新雪の10cm程では器械よりママさんダンプの方が早い。 根雪になると日々硬くない除雪が困難になってゆく。 病院止めようかなどと考えてしまうが時間が来ると心が競ってくる。間もなく 11 時半出かける時間が迫る。昨日もクレームを受けたし、正直気が重い。 12時病院に入る。顔色は穏やかだが鼻周りの荒れはなかなか静まらない。 乱暴に顔をごしごし洗われると回復に時間が掛かる。程ほどか洗わないで欲し い。シャネルと記述のある香水金曜日につけたが今日も匂う。シャネルでも安 価なのか。娘の残していった物、金額は不明。 体温右36度6分、左35度7分。 3 連休も終わるが間もなく正月休みが待っている。 今年も雪の正月を迎える事になった。 午後の除雪から夕刻出かける頃は再び道は雪に埋まった。 穏やかに寝入っている。顔肌も良さそうだが喉のガラガラは痰のせいか。 看護師でなければどうにもできぬ。体温右 36 度 2 分、左 36 度 1 分。 帰宅後除雪、車も通らず除雪にはもってこいの時間帯、こんな時間に除雪して いる馬鹿はいないだろう。朝少しでも楽をしたいので。 2011 年 12 月 26 日 月 通 476 日 再 358 日 増設 268 日 家の庭で積雪 40cm 位だろうか。5 時起きで目覚ましセットしたが寒さに勝てず 起きなかった。通勤ラッシュが終わる 8 時半から除雪それでも車がひっきりな しに通る。1 時間の除雪。既に除雪車の寄せてゆく雪は硬い。序々に積雪が高く なるとやはり 4 時起き、5 時起きにしなければ車で除雪が困難になる。妻が居れ ば助けてくれるのだが。 2011 年 12 月 27 日 火 通 477 日 再 359 日 増設 269 日 昨夜の除雪から降雪4~5位か、積雪60cmになった。 下着のままスキーウエアーを着込む、汗防止、洗濯削減の工夫、除雪50分、 もう一段落して欲しい。 夕刻の病室、入った途端ムカット真夏の様相。皆真っ赤な顔をしている。 妻も喉が渇くのか口をムニャムニャさせている。スポンジブラシに微かに水を 含ませ舌の上に乗せてやる。設定温度 24 度。真夏日のようになっている。 切りたい所だがまたクレームが付く。取り合えづ 20 度まで下げた。 看護師が慌てるように入ってきた。どうも忘れていた様子、エアコンを切りに きたと言う。事情を説明したが設定温度を変えてはいけないと言う。切るか入 れるかの操作が決められていると言う。不思議な規則があると思った。それぞ れ事情があるのだろう。「そうですか」と応える他はない。 流石に全身が温かいがこれだけ熱いと乾燥も激しい。 体温左右とも 36 度 1 分、今日は風呂の日、石川五右衛門のようなヘアースタイ ルになっている。生憎、最近はドライヤーは持参していない。髪の毛を濡らし 櫛で癖を直す。 2011 年 12 月 28 日 水 通 478 日 再 360 日 増設 270 日 絶好の冬ばれ、カンジキ着けて里山を散策したいところだが急ぎ事が出来てし まったので断念。家に篭ってパソコンとにらめっこ。勿体なし。 夕刻の病室、昨夜に比してヒンヤリしている。足が気になり真っ先に手を入れ てみる。湯たんぽが入っている。めずらしい。私が毎日温湿布をしたりサポー タをつけたりしてたので気を使ってくれたのか。今日の当番さんに感謝である。 顔色も良し、異常なし。体温右36度1分、左35度9分。 箪笥の上に袋に入った小さな御鏡餅が置いてある。多分次女だろう。年末早々 から夫の里で正月を迎えるのだろう、毎年の事。不思議な事に姑女と仲が良い 誰に似たのやら。 2011 年 12 月 29 日 木 通 479 日 再 361 日 増設 271 日 日も皆金時さんの様に赤い顔、空調が実によく効いている。家でエアコン 今 24度はこんなに熱くは無いはず、実に蒸し暑い。乾燥のせいか痰が舌、唇に 吸い付いている。ピンセットで取り除く。もちろん空調のスイッチは切った。 恐れながら、、、後が怖い、反論は出来ないから。ごもっともで御座いますと 引き下がる。髪の毛も気になる。堂々と出来れば綺麗に揃えるのだがクレーム の対象になる。いちいち断るほどの事柄でもないと思う飛散には注意を払って いる。毎月出入りの業者はいるのだが周りを見るとみな男のような髪にされて いる。まだそうはされたくない。今日は片側のみすいた。頃合を見て反対側も すく積りだ。クレームクレームはうんざりする。病院の所有物ではないのだし 無茶をする訳でもない。 2011 年 12 月 30 日 金 通 480 日 再 362 日 増設 272 日 私の里からボタ餅(ボタン餅)が届いた。早朝起きて見た時外は雪模様、再び 床に潜り込んだ。玄関のチャイムが鳴ったときは既に9時。飛び起きた。妻が 居れば喜ぶだろうに、、、、、。 病院も今日から休日体制のはず、午後病院に行こうと思ったが迷いが出てきた。 気持ちよく帰って来れない気が何となくする。いつも道理、殆ど誰も来ない夕 刻にする。病院にも〆飾りが下げられた。 滞在中多くを口ケアーに時間を取られる。誰もいないときは本当にどの様にし ているのか。いつも横向きの顔にタオルが当てられている。口に溜まった痰を 垂れ流すからだろう。常に付いて居れる雰囲気なら心置きなく世話をしてやり たいのだが。 体温右36度4分、左36度1分。 2011 年 12 月 31 日 土 通 481 日 再 363 日 増設 273 日 大晦日、今年も妻一筋に明け暮れた。年初めに肺炎の併発、その結果胃ろうの 増設に他病院に入院、一喜一憂を繰り返してどうにか安定状態で今日を迎えた。 随分時が経ったように思うがまだ倒れて一年5ヶ月足らずなのだ。 私自身もよくぞ今日まで辿り着いたと思う。 午後の病院流石にいつもに比して見舞い客の靴が多いが大病院のような賑わい は無い。同室にも見舞い客がいた。時々見かける人だ。 気になっていた反対側の髪を梳いた。寝た状態での散髪は困難を極める。飛散 しないように慎重に進めた。手足は冷たいが空調にはいたって弱い、乾燥が激 しい。出来るだけ低い方が調子は良い。靴下を履かせる。 体温右36度4分、左36度1分。 今日の夜は供に過ごしたいが面会は9時まで、せめてぎりぎりまで過ごしたい。 午後 7 時半家を出る。道中は車が少ない。大晦日、紅白でも見ているのか。 病院近くのパチンコ屋も閑散としている。病室からスキー場のライトが光々と 見える。 淋しい大晦日、お婆さんのテレビから紅白歌合戦が騒々しい。誰も見ていない テレビ。妻が騒々しさが気になるのか盛んに音源を捜す。暫く椅子に腰掛けて 妻に話し掛ける。「家に帰ろう」と何度も、泣きそうな顔をしてまた眼をつぶ る。箪笥の中の鏡餅が出してあった。8 時 50 分帰途につく。 体温右 35 度 4 分、左 35 度 5 分。 2012 年 1 月 1 日 日 通 482 日 再 364 日 増設 274 日 病院にいて目出度い事は無いのだけど、昨年の新年には「おめでとう御座いま す」と挨拶を交わされたので病院も然りなのかと思った。新年の挨拶は苦手だ が避けては通れない。昼前病院に入りナースセンターの入り口で挨拶をする。 出勤者は僅か。明日明後日と人が交代する。毎日挨拶になるのか、儀礼は窮屈 にも感ずる。 血色が良い日は体温が低い。体温左右35度5分。部屋の温度は低め妻に快適 なようだ。高いより布団の方が体調に良い。 訪問客は0に近い。 妻あての年賀が数枚あった。病気を知った上での心遣い感謝の返信を出した。 それぞれ考えがあろう。気を使って出さない人。様子を気にしてくれる人。 来年は来なくなるだろう。 夕刻の面会者はゼロ。シーンとしている。手足は冷たし。温湿布。 体温左右とも36度1分。汚い」痰ではないが次々と出す。切が無い。頃合を見 計らって引き上げる、階段で男性の看護師に新年の挨拶「大変ですね」のねぎ らいを受ける。「お互い様」と応えるべきだったが何と応えたか。 2012 年 1 月 2 日 月 通 483 日 再 365 日 増設 275 日 病院スタッフにもそれぞれ性格がある。いつも笑顔の人、ヒステリックを感ず る人、好き嫌いをしてはいけないがその日の気持を大きく左右される。 余り人間が得意ではない私に妻は大きな課題を与えてくれた。我儘で我慢が出 来ない私には大きなストレスになる。妻の為に耐えなければならない。 一つ発見がある。看護師より介護師に親しみを持てること。全てでは決してな いが。 体温低めの35度5分。日中は低い事が多い様子だが異常はないようだ。 昨日より面会者が多いようだ。でも賑わうと言う程でもない。 同室のおばあさんにも面会があった。いつもの夫婦。看護師が聞いていた「さ っきの人、娘さん?お嫁さん?」「知らない!」との答え。 今日の面会気持ちよい面会にならなかった。夜止めようかな。 今日は賀状無し。 夕刻、迷ったが出かけた。明日からまた夕刻のみにしようと。 眠っていたが足のマッサージを始めるとパッチリと目を開けている。 あしが冷たいので靴下を履かせたいがどうもクレームが来そうな予感もする。 クレームが激しいと何事も躊躇せざるを得ない。何事も病院の対応がないから 家族が手を出す。それがクレームとなればとても病院に感謝の気持は湧かない。 師走に喪中はがきが来た。文面に病院に感謝の気持が述べてあった。儀礼的な 言葉なのか、真実の言葉か、体験から今まで感謝までできる病院はなかった気 がする。特別重篤な状態だからかもしれないが。 こんな事を書けば直ぐ追い出されるだろうが。 体温右35度9分、左35度6分。 2012 年 1 月 3 日 火 晴れ 通 484 日 再 366 日 増設 276 日 ようやく晴れた。遅い時刻にお雑煮を食べる。家にこもっているのも惜しい。 スノーシュを担いで里山に出かけた。久しぶりの里山歩き、積雪 15cm 位か。 途中まで長靴できたがスノーシュを着けた。やはり歩きやすい。 土建屋さんも暇なのか今年は除雪がしてない。踏み後もなし。 残念ながら立山の眺望は良くない。 今日は午後も病院行きの予定はない。 午後 3 時過ぎ次女家族が訪れた。夫の実家から病院に寄ってきたと言う。家族 で行っては見て来るだけで精一杯だろう。 私は子供にお年玉、次女から私にお年玉をくれる。実家の親にも渡すそうな。 子供たちは喧嘩ばかりで落ち着かない。早々に帰っていった。 夕刻病院に行く。シーンと静か。来客 1 名か。 口が匂う。時間を掛けて口掃除。仕上げに GUM で。 今日の足は体温に比して氷のように冷たい。温湿布の後、靴下と足首にサポー タをつけた。もう病院に気を使って居れぬ。対応がないのだから。 風呂は今日で何日入っていないのかな、死にはしないけど。 2012 年 1 月 4 日 水 雪 通 485 日 再 367 日 増設 277 日 夕刻の訪問、空調温度が高いと手足も暖かいのだが皆顔が赤い不快そう。 昨日つけた靴下、サポータは着けたまま、直ぐ抜いた。今日は空調は弄らない。 空調が効いて手足が暖かい方が良いのか、低めで快適な方がいいのか、よく分 からなくなった。高くなれば切断、低くなれば入れる。どうしてこんな方法を 取るのか。節電なのか。体温右 36 度 1 分、左 36度。 一日顔を見ずに過ごすと色々雑念が湧く。夜の面会を終えるとホッとする。 今日も一日無事であった事が心を安らげてくれる。 2012 年 1 月 5 日 木 雪 通 486 日 再 368 日 増設 278 日 朝の積雪 10cm 位か、通勤ラッシュが終わる頃から除雪にかかる。40 分。 妻の散髪が気にかかる。自分でしてみたがトラ刈気味。迷ったが今月の散髪を 電話で依頼した。人数の制限があるので申し込みだけ受けるとの事だった。 長め希望したが果たして希望が届くか当てにはならない。どの様に整髪するの か一度様子も見てみたい。典型的な短髪にされるならもう依頼しない。 2012 年 1 月 6 日 金 曇り 通 487 日 再 369 日 増設 279 日 まる一日置いての病院、赤い顔でいたが手足は温かかった。口も心配するほど の事もなかった。家では暖房を絞っているので病院は夏のように感ずる。 病院を信じて徐々に妻から離れるべきなのかもしれない。 体温右35度7分、35度6分。 2012 年 1 月 7 日 土 晴れ曇り 通 488 日 再 370 日 増設 280 日 土曜日だが夜のみの訪問。部屋はヒンヤリしている。どうも室温の管理が旨く ない。21~23でセットすれば一定するのに、職員の仕事を増やしているし 手動で上げたり下げたりでは患者にも悪い。調節を気が付かないこともある。 幸い気持良さそうで血色も良い。口は少々難、痰の塊が出てきた。今日は調子 が良さそうで瞼も開けている。右手もよく動く。部屋の温度が低い方が妻には 良いようだ。手足も不思議と温かい。此の儘室温が下がればまた手足も冷える のか? 風呂は未だの様子、清拭なのかな。 体温右35度8分、左35度8分。 2012 年 1 月 8 日 日 晴れ曇り 通 489 日 再 371 日 増設 281 日 部屋がヒンヤリしているのに赤い顔をしている。酸素不足なのか。手足はそこ そこ。ティシュペーパーの減りがまた早い。 いつも痰を溜めているからと感ずる。 連休でスタッフも少ない為か口ケアーが充分ではない。 右手がよく動く。握ってやると返すようにも思う 体温 35 度 6 分。 2012 年 1 月 9 日 夕刻異常なし。 月 晴れ曇り 通 490 日 再 372 日 増設 282 日 体温右 35 度 4 分、左 35 度 8 分。 2012 年 1 月 10 日 火 晴れ 通 491 日 再 373 日 増設 283 日 支払日が始まる。銀行振り込みならば都合が良いのだが、毎月の現金払いが面 倒だ。今日は見送った。 記録更新とも思えるほど安定状態が続く。10 月末の発熱を脱してから高熱を出 していない。ずっと安定を保ってくれれば安心なのだが。 今日は風呂の日だったはずだがどうもそんな気配は感じられない。私の勘違い ならいいが。 体温右 35 度 9 分、左 35 度 8 分。 他のお婆さんたちは腰辺りまで布団を着ているが、、、、、、 いつも迷うが胸辺りまで着せてきた。 昨年の今日、長女が夫の任地に旅たった。私の一人暮らしも 1 年が経った。 よくぞ今日まで辿り着いた。あの頃は妻はまだ医療病棟の個室にいた。 日々変化する様態に一喜一憂していた。 2012 年 1 月 11 日 水 雪 通 492 日 再 374 日 増設 284 日 午前中に支払いを済ませた。会いたい気持を抑えて直ぐ病院を離れた。 午前中は色々作業もあるだろうし、また嫌な思いをさせられるのが怖い。 健康な頃は本当によく喧嘩した。お互い譲る事はなかったので長引く事も多か った。そんな事も重なってストレスが蓄積して行ったのかななどと後悔もして みる。 一昔前なら既にこの世の人ではないだろう。どちらが良いかと問われれば安ら かな最後だろうが夫にとっては生きていてくれる事が私自身の生きがいになっ ている。居なくなった時の自分の姿が哀れである。 夕刻気付いたが妻の長姉からメールが入っていた。昼に病院に行ったという。 久しぶりの訪問だろう。 箪笥の中に新聞の切り抜きを入れていた由。 私がいつも儀式について考えているから参考にと持ってきてくれた。 夕刻の訪問から帰りさっと目を通してみた。 最初に当県は全国一葬儀に掛ける費用が高いとある。納得である。 世間体の為の葬儀なのだ。よく聞く、豪華な葬儀は立派な葬儀と称えられる。 こんな葬儀でありたい「親族のみで済ませました」と また後でゆっくり読んでみたい。 今日も異常なし。室温は高く赤い顔押していたが体温は低めの正常範囲。 右 39 度 9 分、左 35 度 8 分。 2012 年 1 月 12 日 木 曇り晴れ 通 493 日 再 375 日 増設 285 日 白菜の漬物が切れた。白菜は高そうだし、真冬にくれる者もいないしと未だ1 ケ月に満たないが沢庵漬けを上げて見た。上々だった。これで又食欲もでるだ ろう。4月末の気温が上がる頃までは充分あるはず。 林檎で作ったジャムも切れてしまったがついでがないのでスーパに林檎1個を 買いにも行けない。初めて林檎で作ったジャムが大変旨く出来たので既製の物 を買う気にならない。細かく刻んで電子レンジに掛けてから煮込むと変色もせ ず綺麗な色に出来上がる。 節約の為の知恵はボケ防止には良いだろう。 この頃お湯を沸かしていて、パンを焼いていて忘れる事も多い。100均でス トップウオッチを2個も買っている。 心細き人生が続く。 夕刻の病室に、いつもと様子が、今の時間は手当ての時間ではないが妻の周り のカーテンが引かれていた。直ぐ看護師が出てきて「どうぞ」と言った。 ギャッジアップされたままだからこれもこの時間帯では普通の状態ではない。 他の人は普通の状態。どうしてか聞きたいのは山々だが我慢する。しつこく聞 いてまた嫌われる。様態は異常なし。床返しの状態は今までとは違う。マッサ ージの後同じ元に状態にしておいた。 体温35度9分、左35度8分。 帰り林檎1個欲しさに買い物をする。妻のいる時は好き放題食べていたが、自 分で買うとなると躊躇する。1個150円の林檎1個にする。その他未だ必要 のない物だが林檎一個では格好がつかないので買う。 2012 年 1 月 13 日 金 曇り晴れ 通 494 日 再 376 日 増設 286 日 作年12月の積雪で大雪を覚悟していたが今年に入り北陸の予報に反して当地 は雪はいたって少ない。北陸とはいったいどこの事やらと思われる。 未だ大雪になりやすい2月を控えているのだが大雪にならない事を祈る。 私の家のバックの高台は不動産業者に軽井沢と称されるくらいの景勝地。 住宅の増加とともに「我関せず」主義の私には見知らぬ人が増えた。 残念ながら我が家は関西電力の鉄塔が立ち並び立山連峰の絶景も台無しである。 福島と同様都会の電力はこんな遠方から運ばれる。盗人じゃないの。 今日はやっと風呂に入った様子が読み取れる。カサつき気味の顔手足を保湿ロ ーションを塗りながらマッサージ。 何時の頃からか足裏を指圧棒で突付くとパッチリと目を開けるようになった。 何をされるのかと驚くのだろう。反応も強くなっている。1日1mmの進歩で も張り合いが持てる。いつも側に居てやれればどんなにか良いのだろう。 命の尊さは苦しみのない人には到底分かるまい。言うはた易いが。 2012 年 1 月 14 日 土 晴れ 通 495 日 再 377 日 増設 287 日 昨夕から雪模様になったが明けて3cm位の積雪、日中は太陽も出る。 気温は低いが除雪もなく過ごしやすい冬になっている。 突然売薬さんが訪れる。全く使っていないので契約を打ち切りにしてもらった。 30 数年の付き合いだったが売薬の薬は使う事もなくなった。必要な時必要な薬 が入っていない事が多いのであまり役には経たない。 今会って来たばかりなのに「お母さん只今」と家に入る。 いつもシーンとした家、淋しさについ妻の名前を呼ぶ。もう決して戻ることは ないのだと思うと胸が締め付けられる。 今日も安定、めづらしく体温が 36 度を越していた。右 36 度 3 分、左 36 度 1 分。 しかし足が冷たし、迷いながらソックスを着けてきた。 2012 年 1 月 15 日 日 晴れ 通 495 日 再 377 日 増設 287 日 何事も迷いの多かった 20 代、クラシック音楽と山と舟木一夫に慰められていた。 妻と出会ってこれらすべてに遠ざかった。 ようやく私も暇になり妻も定年間近になり山行きを始めた矢先の出来事。再び 暗い 20 代に逆戻りした気分だ。この 30 数年が幸せな日々であった事を改めて 知る。日曜の今日朝から舟木一夫の若かりし頃の歌を聴いて過ごす。寂しさだ けが込み上げるだけなのだが、、、、今はクラシック音楽は聞き気になれぬ。 自由に病院に行けない状況に苛立たしさがあるがこれ以上の病院が有るとは思 えないので我慢する事が妻の為に賢明な道だろう。 まとまりのない一日を過ごし夕刻病院に走る。表情は穏やかだ。 手足は温かい。昨夜履かせたソックスを取る。体温を計りながらマッサージと 温湿布を施す。体の温かさに比して体温が低い。不思議な状況は続く。 体温右35度4分、左35度6分と低いが本人はいたって平気の様子。 訳が分からぬ身体に戸惑うばかり。 2012 年 1 月 16 日 月 曇り 通 496 日 再 378 日 増設 288 日 今日明日は散髪日だが今日はされていなかった。私が時々切っているので それ程見苦しい分けではないけれど後頭だけは一人では旨く行かない。 手助けしてくれるものが居れば素早くするのだが、かって義姉に頼んだところ 本格的な道具持参でちょっと大げさになり病院から注意を受けてしまった。 それから自由に髪の手入れが出来なくなり困った。 どんな髪にされるのか心配も有り美容師に今まで頼んだ事がない。 おそらく男の様にされるのだろうと予想はしている。明日が心配だ。 今日も順調そうな様子だが滞在中は痰採りに追われる。白く綺麗な痰だが頻繁 に採れる。久しぶりに大声を出した。吠えるような。 体温左右とも 35 度 8 分。 2012 年 1 月 17 日 火 晴れ 通 497 日 再 379 日 増設 289 日 顔を上向きにして苦しそうにしている。痰を流した後が乾燥状態。 右脇にアイスノンを 2 個入れている。発熱だろうか。既にアイスノンは常温状 態。体温右 36 度 2 分、左 36 度 4 分、普段に比べれば高いが下がったのだろう か。風呂は不明。散髪は見送りらしい。多人数の為か、発熱の為か? 左足が真っ赤なうっ血状態、態形に無理があったのか、マッサージをしても収 まらない。 帰宅して間もなくかっての妻の同僚から電話あり、妻の夢を見た人から様子を 知りたいと連絡があったので教えて欲しいとのこと、私も知っている人なので 久しぶりに長話をする。気に掛けてくれる人が未だにいることに感謝である。 2012 年 1 月 18 日 水 晴れ 通 498 日 再 380 日 増設 280 日 E-tax での確定申告は 16 日から始まっている。ぽつぽつと二人の各種の源泉徴 収表が舞い込んでくるが全て揃うまで少し時間が必要だ。 年一度の利用なので毎年初心者同然で緊張する。最練習中。 役所に出かければ簡単なのだろうが、妻の元の職場でもあり行きたくはない。 一度体験すればこんなに便利な物はない。 住民基本台帳カードが三年更新と短いのが難点、1 度目の更新で妻の更新を拒否 され抗議の甲斐があり何とか更新できた経緯がある。次回の更新に不安を持つ。 夕刻の病室が異常だった。点滴用のスタンド、紙おむつがいっぱい、口ケアー 用の容器に付箋が張ってあった。「足が赤くなっているのでマッサージは禁止」 と。 足を見てみると左足大腿部から湿布が巻かれている。手には注射針のみが刺し てある。 昨日のうっ血が進行した様子。 間もなく看護師が説明に来てくれた。 「足の爪から細菌が入った様なので抗生剤 と湿布をしている」と。昨日親指の爪が内出血していて痛がったいた。 僅かそれだけの事でこんなになるとは抵抗力がないのだろうか。 しかし内的な原因ではない発熱だった事は一安心でもある。 体温右 37 度 4 分、左 37 度 2 分、時間を置いて 37 度 4 分と 37 度 1 分。 心当たりは私の爪切りにある事もありえる。或いは風呂での感染もありえるだ ろう。私のせいにされない事を。今日は肩揉みと口ケアーのみで終える。 -----紙おむつこんなに何するのかな? 2012 年 1 月 19 日 木 晴れ 通 499 日 再 381 日 増設 281 日 医師のお陰か医学のお陰と、大腿部にも広がったうっ血が終息に向かいつつあ ると告げられた。未だ湿布が巻かれていた。 体調は良い様でホッとしている。。 明日は風呂の日だが無理だろう。左足だけマッサージを簡単に済ませた。 体温右36度、左36度5分。 蜂窩織炎(ほうかしきえん)、教えていただいて風さんありがとう御座いました。 2012 年 1 月 20 日 金 曇り 通 500 日 再 382 日 増設 282 日 神はとことん弱者に攻撃加える。 元々神など存在はしないだろうが弱い人間は藁をもすがる。神は藁に過ぎない 存在なんだろう。人間を単なる生物と見れば当然の経過を辿っているに過ぎな い。体の抵抗力が衰えれば次々と細菌に蝕まれる。奇跡を願っているが生ある ことが奇跡なのかもしれない。あの時安らかに眠りについていたら、妻の苦し みも私も苦しみも別のものであったのかも知れない。生きてくれることに感謝 は変わりないが。 今日はもう週末、時が過ぎるのは超特急。 こんな状態なのに薄桃色の白粉を塗ったような美しい肌に安堵もするし不思議 な光景でもある。風呂の日に肌を荒らされないから良いのか、今日は風呂だが もちろん入っていない。 「ほうかしきえん」、ネットの文書を読めば読むほど安易なものではなさそうで 不安をもたらすが本人はいたって呑気そうで安心だ。 右足はまだ紙で包まれている。消毒薬か湿布か。 左足はなんともなし、温湿布と軽くマッサージを施す。 ネットからの知識に寄れば10日ほどの抗生剤の処置は必要と言う。 体温右36度2分、左36度4分。平熱が36度以下くらい多少は高いのだろ う。 2012 年 1 月 21 日 土 曇り 通 501 日 再 383 日 増設 283 日 あさのラジオ番組で東京は雪が積もったようで話題にしていた。 当地はいたって穏やか時には太陽さえ出る。が間もなく大寒波の襲来も報じて いる。38豪雪並みとか、この陽気で信じがたいが。 夕刻、特に異常も感じられず。相変わらず右足は包まれている本人は苦しそう な様子もない。 足を刺激すればビンビン反応はするのだから、痒み、痛みは感ずるはず。 かつての診断書には「痛みも何も感じない植物状態」とあった。 決してそんな事もない。人の気配は感ずるし、痛みも感ずる。耳掃除をすると 大きな動作で身震いもする。騒音も気にする。口腔ケアーで「アーンと開いて」 といえば口も持続して開ける様になった。今は口ケアーで苦労する事はない。 異常がないかぎい医師は診ることはないだろうから細かい事はよく身体に触れ る家族と介護師が一番よく分かるはずだ。 2012 年 1 月 22 日 日 はれ 通 502 日 再 384 日 増設 284 日 づっと気になっていた長姉の事、姉と言っても親子ほどの差がある姉。 骨折で入院しているが総合病院と介護施設の有る病院。人づてに聞いて行った 事はあるが行くたびに会えることが出来なかった。名簿にないと。 陽気のいい今日やっと辿りついた。思っていた以上に健康そう。年齢も90歳 に届いているのではないか?。言葉は小さいが受け答えに不自由はない。 姉はベッドに腰掛けたまま小1時間話してきた。妻の事も色々心配してくれた。 妻の母親とは親しかった間柄。涙を流してくれた。もっと早く来るべきだった が、こんなに元気とは思わなかったのでついつい億劫になっていた。来てよか った。 個々にも不幸な人はいる。30代で目の見えなくなった人、40台で母親異常 に老け込んだ病弱の人、姉はここにいてコミュニケーションを図っている様だ。 ぼけることは無かろう。 午後2時暖かな陽気に久しぶりに里山に出かけた。 平地や私の家の庭は雪が溶けてけてしまったが山は未だ少し残っている。土建 屋さんの車の後も無し未だ眠りの中に山はある。 数日前の絶景の立山は今日は無いのだか、、、、姿は現している。 外見は異常なく眠っているように見えた。いつものように口腔ケアーのため口 にブラシを入れる。痰の硬くなった塊が出てくる。舌の上、歯、顎と。如何に 休日といえど命に直結している事、可哀想な有様だ。勉強会、講習会など病院 というところは会社のような技術向上に努めないのだろうか。何時取ったか分 からぬ免許証で一生事足りるのだろうか。とても感謝の念はもてない。 千客万来だから無駄な労力はいらないのだろうか。書きたくはないがこれが医 療なのか、手を出せばクレームは付けるのに。 妻よもう逝った方が賢明かも知れぬな。 右足の状態は分からないが妻の様子からは異常は見られない。 体温左右共 36 度 4 分。 2012 年 1 月 23 日 月 雪 通 503 日 再 385 日 増設 285 日 せめて穏やかに介護病院での生活を送らせてやりたいと思うのは家族の気持。 裏切られればいけないと思いながら非難に繋がる。 蜂窩織炎(ほうかしきえん)。かかった事も聞いたこともない病名、 蜂窩織炎 素人から見れば病院にいて何故外的細菌に感染するのか。 正月休みで清潔がおろそかに成ったとしか思えない。 掃除にしても私がベッド周りを拭く。外部委託の掃除のおばさんは床をぬらし て行く程度で掃除とはとてもいえない。悪い業者に委託しているものだ人にも 寄ろうが、、、、。大きなモップは隙間には入らない。文句も言えないので自分で することになる。 昼には再びうっすらと雪が積もった。どんよりとした天候に心も暗くなる。春 よ来い、また気持も持ち直せるのに。 もやもやした一日を過ごし夕刻妻の顔をみてホッと落ち着く。大急ぎで自分の スケデュールをこなす。椅子に腰掛ける時間は全くない。別れ難いが「また来 ている」と思われるのも嫌だし、早々に帰る。男は辛い。 私が女であったなら病院もそんなにクレームを付ける事もないのではと考えて しまう。 今日も穏やかで口は綺麗だった。これが普通であってくれたなら家族が心配す る事もないのだが。 雪の中帰路につく。今夜は大雪のようだ。 体温右 36 度 2 分、左 35 度 8 分、平熱にある様子。蜂窩織炎(ほうかしきえん) は終息に向かっているのだろう 2012 年 1 月 24 日 火 雪後晴れ 通 504 日 再 386 日 物指しが埋まってしまう程の積雪、35cm 位か。 増設 286 日 夜更かしが激しいので、かっての様に除雪車の音と供に起きれない。 通勤ラッシュが終わる8時半過ぎまで何も出来ない。 1時間余りの除雪を終えた。近隣の家は時間を掛けて奇麗に除雪されているが 今の私にはそんな気力が無い。誰も喜んでくれるものもないし、他人の目も気 にしない。 今日の郵便で確定申告用の証書類が揃った。 嫌な事は先に済ます性格、四、五時間余り試行錯誤しながら二人分を送信した。 妻は医療費が嵩み 1 万円以上の還付があった。今年のハードルを一つ越した。 いつもトラブルが付きまといヒヤッとする。住其カード読み取り不可!!、或 いは暗証番号何度かのミスで解除の手続きが必要にもなる。 今年から何百万以下の所得者は確定申告はしなくてもよいとメッセージが出た。 税は払わなくてもよいと言う事?なのか?意味が判らない。 さて病院へ行く準備をしていると次女から電話が鳴った。 ノロウィルスに掛かり動けないという。子供たちに食事を作って欲しいと言う。 夫は東京からの飛行機が出ないという。 直ぐスーパーに寄り食料を買出し、妻の元を大急ぎで立ち寄り、そして次女の 家に行く。真っ青な顔をして寝ていた。この家族は本当に病気が多い。最近の 密閉された家が健康に悪いのではないかと思う。 少々の隙間風に耐える身体を日ごろから作らないと。暖房、冷房に頼り過ぎる とひ弱になってしまう。 妻は順調に回復に向かっていると話があった。 体温右 35 度 5 分、左 36 度 1 分。 2012 年 1 月 25 日 水 雪 通 505 日 再 387 日 増設 287 日 夜の病院から帰って除雪 40 分、ジュース缶より安いビールを引っ掛けて今日の 一日が終わった気分になる。 それから毎日代わり映えのしない食事を作りそれでも美味しく頂いたら 9 時も とっくに過ぎている。 今日の妻には吉報がある。右足に巻かれてい巻物が取られていた。そっと様子 だけは見てみた。ネットに書かれていた恐ろしげな状態ではない。 ただ足の甲が腫れが引いたためか象のように皺があるし不潔そう。清拭してや りたいが未だ不安がある。まずは一安心。今後再びアルコール含有のウエット ティシュで足指を消毒する事にする。かつてしていた事があったのだがいつの 間にかお留守になってしまった。病院ばかり当てにしていては駄目だ。 体温左右とも 36 度 4 分。この事以来冷えた足にバスタオルが添えられている。 2012 年 1 月 26 日 木 雪 通 506 日 再 388 日 増設 288 日 雪の吸音効果で除雪車の音も聞こえない。除雪を気にしながら布団から離れら れない。 昨夜の除雪から新たに 5c程度の降雪だが道路には雪が寄せられている。 簡単に車庫と人間一人が通れるだけの道を作る、40 分の運動で終わる。 調べて見ると昨年の今頃も雪が降り続いていた様子がうかがえる。 妻の様子も不安定で不安な日々を過ごしていた。 あの頃に比べれば随分安定もし自分の心も安定している。 日中はニュース報道とは裏腹に太陽さえ出て心地よい日になる。 午後道路からの細いアプローチを倍に広げた。深夜また塞がってしまうだろう が。 妻の右足にアザが残る事もなく抗生剤の投与も終了したらしい。点滴注射のス タンドが片付けられた。まだ甲に浮腫みが残っているのでマッサージ、温湿布 は控えた。 体温左右共 36 度 4 分、もうすこしで普通になるだろう。 2012 年 1 月 27 日 金 曇り 通 507 再 389 日 増設 289 日 予報ほどの積雪ではないが 10cm 位か。 日々、身体も雪も重くなってきた。気温が高めなのか除雪車の寄せてゆく塊は 未だ凍ってはいないので救われる。私の生きている内に融雪装置は付かないも のか。近隣には既に設置されている所もあるのだが今でも議員の力量に拠るの だろうか。家の前の道路は中核工業団地への通勤路、とっくに設置されてもお かしくは無いのだが。 今年は日に 2 度の除雪するほどの降雪ではないが、ひどい年は日に 2 度も除雪 車が来る。そのたびに除雪の労働を強いられる。 当地は今年はニュース報道とは裏腹に降雪は多いとは感じない。 日中の積雪は殆どなし。 今日はまだ風呂は入れてもらえなかった。仕方ないだろうまたぶり返しては元 も子もない。足の浮腫みは引いていた。不潔そうなので買ったばかりのアルコ ール含有のウェットティシュで拭いてみると黄色い薬品の色が付いて来た。直 ぐ止めた。未だ処置中かも知れぬ。足指にガーゼも挟んであるし。体温右 36 度 2 分、左 36 度 1 分、体温の割りに手足は暖か。常に不規則は続く。 2012 年 1 月 28 日 土 曇り 通 508 再 390 増設 290 日 昨夜からの降雪は 10cm強。 嬉しいことに除雪車が来ていない。ホッとする一時。予算が無くなったのか? それでも順調に車は動いている。 小学生時代の冬の道路は人間がつける 1 本道、車が有る家は近所の酪農家のみ。 冬は荷を担いで遠方まで運んでいた。 そんなことが当たり前の時代、子供だったから生活の苦しみは知らない。 土建屋さんは冬は失業が当たり前。いつの頃からかブルドーザーが 出現し除雪されるのが当たり前のようになったのか思い出せない。 今の至れり尽くせりの贅沢な時代が良いのか、何も無くても幸福感があった昔 が良いのか。無駄な長生き、無駄な競争の無い国、遠い時代が良かった思う。 午後遅く除雪車が通ったようで塞がっている。強行突破して病院に走る。よう やく雪国らしく降雪が増えてきた。 車の行きかえりは危険がいっぱい車中はいつも曇ったままだ。 体温が日々下がってきた左右とも 35 度 8 分。 未だ手出しはしない方がいいのだろうが汚いので温湯でこっそり拭く。 枕元に付箋が張ってある「右足はクッションの上に」。 どうしてなのか。 今日はいつもついているテレビが鳴っていない。静か過ぎる。 久しぶりに石原裕次郎を鳴らしてきた。聞いている様なので止められなかった。 帰宅後除雪にかかる。午後3~4時頃の除雪から7、8cmも降った。 今日3度目。8時半食事の用意。9時過ぎやっと落ち着く。 ああ!! 夢も希望もないな。 2012 年 1 月 29 日 日 曇り 通 509 再 391 増設 291 日 積雪 0 で除雪車の通った日は難儀する。何時もの 1.5 倍の労力。 雪が凍って重いしママさんダンプが刺さらない。お隣さん除雪機械で楽そうだ が時間的には変らない。雪を飛ばす場所が無い。労力を惜しまねば人力のほう が有益かも。機械をもてあます、本心羨ましいとは感じない。 実姉の病院に訪問する。家に一人で家に居るより元気そうで安心だが此処もい づれ追い出される言っている。医療が進歩するなら生かすべも進歩しなければ 全く医療の進歩は害になる。 生かすだけで放る医療なら最初から救うな!! 姉が見舞い客の話をする。お金に何の不自由も無い人、だが不幸を嘆き涙して 行ったと。人間何が幸せで、何が不幸なのか、人それぞれに悩みは尽きない。 自分は幸いと思う事が救われるのでは。 あの日から足指にガーゼが巻かれているが薬が着いているようには見えないの で指付きのソックスを切断して履かせて来た。 左足の比べ右足は汚そう。マッサージは未だ恐ろしいが清拭と温湿布はする。 浮腫みはほぼ無くなったが、清拭をすると肌が真っ赤に変る。 未だ異常の内にあるのか。 2012 年 1 月 30 日 月 晴れ 通 510 再 392 増設 292 日 遅い起床、カーテンを引くと太陽が照っている。家中のカーテン、ブラインド、 障子戸を開け乏しい熱を取り入れる。 今朝、除雪車も来ていないし昨夜降った数センチの除雪も 20 分足らずで終わる。 今週も雪が続く模様、この陽光も一瞬にして暗くどんよりとした天候に変る事 も不思議は無い。 午後3時には曇り、夜病院から出ると雪が降っていた。快晴もやはり続かない。 すっかり熱は正常になった。35度9分、低めだが一番楽そうにしている体温 帯のある。手足の冷たさは難点だが健常者でも手足は冷たい。 ホウカシキエンの後遺症なのか左足に比べ艶がなく皺さえ目立つ。 明日風呂に入れてもらえるかは未だ疑問だが入れてやりたい。 先日実姉の元に行った時「早く逝かせてやれば長生きすれば、、、、、」と言った。 多分、兄弟として私を心配しての言葉だと思う。私の身内は皆そう思っている のだろうと判断している。幸いにも未だ私はそんな事は考えられない。覚悟は しているが。できるものなら5年なら諦める。人の心は移り気だろうが。 2012 年 1 月 31 日 火 雪 通 511 再 393 増設 293 日 昨夜は7~8cmの積雪、幸い除雪車は来ていない。本当にホッとする。 8時半、家の道を除雪後直ぐ屋根の雪下ろしに掛かる。何年振りになるか記憶 に無い。太陽も出て心地よかったのもつかの間雪模様に変る。 降り積もった雪は実に重い。格闘4時間、一階部分の除雪は終えたが大屋根に 登る体力はもう無かった。まるで山登りのように体力が徐々に消耗する。 休み休みの作業、老齢をひしひしと思い知る。 玄関の小屋根(2.5m)から滑り落ちる出来事があったが骨折も無く痛みだけで 終わった。 今夜からまた大寒波とか、何とか持ちこたえてくれるだろう。 何時もなら食事の用意も出来て待っていてくれるのだろうがもうそんな映像は 見ることだ出来ない。悲しい。 病院の行きかえりは凍結、坂道で止まると発進が困難なほど、おまけに病院の 近辺はすごい霧が出ていた。車中も曇っているので見込み運転。 珍しく夜間通用口で院長に出会った。昼間行かなくなって全く顔を見ることが なかった。低姿勢で私にスリッパまで出してくれ恐縮する。 今日も風呂に入った様子はなかった。暫く我慢が続く。右足も軽くマッサージ を始めた。マッサージといえば左ひじを痛めたようだ。屋根雪降ろしで疲労が 出たのか。非常にいたし。○さんケンショウ炎その後どうしたのかな?体温 右 37 度 1 分、左 37 度。どうしたのか身体は熱くないのに。、 2012 年 2 月1日 水 雪 通 512 再 394 増設 294 日 2 月に入った。時の過ぎるのが待たれる。 除雪車が来なくなって 3 日目、報道は大雪を報じているのだが幸い心配したほ どの降雪はない。 気温が低い為か雨だれの音は全くしないし降った雪も解けない。 昨夜は布団の中で痛くて右腕を動かすのが辛かった。疲れではなく屋根から 落ちた時の痛みのようだ。 次女の家に餞別と PC 用のスピーカを届けに言った。夫は間もなく短期転勤、家 を空ける準備か屋根雪を下ろしていた。昼の弁当を買っていったのだが直ぐ退 散してきた。 昼に僅かだが 2 度目の除雪をしたのに夕刻病院に出かける頃は6~7cm程の 積雪になっていた。帰宅後また除雪の覚悟をする。 常に足に添えられていたクッションが取り除かれた。今年に入って常に 2 個使 用されていた。ベッドの付箋ももう無し。蜂窩織炎で方針が変ったのか?。 右足の甲以外は異常ないようだ。両足指にガーゼが挟まれている。 体温右 36 度 4 分、左 36 度。作業時間 1 時間、気付いているので座って話し掛 けてやりたいが男では言葉が出てこない。別れ難いが程々がいいのだろう。 帰って除雪、簡単に夕食を済ませると午後 9 時もまわってしまう。 ニュースはまだ大雪の予報を報じている。 2012 年 2 月 2 日 木 雪 通 513 再 395 増設 295 日 天の恵み以上の贈り物を除雪車は与えてくれる。 スコップで砕きながら格闘2時間。 勤めていた頃は良くぞ耐えてきたものと感心する。 少ないと思っていた積雪もいつの間にか家の庭で90cm を超えた。 道路には「万里の長城」が築かれてゆく。除雪車の威力はすごいがもっと時代 にあった除雪方法は無いものか。毎年毎年同じ事を繰り返し歳をとってきた。 動けなったとき雪に埋もれてあの世へ逝くのだろうか。 ぶくぶく太った豚さんたちに弱者の痛みは分かるまい。総理様。 大雪警報は解除だが大雪注意報は出ているとか。何処が違うのか。予報に振り 回される。 病室は冷え気味だが手足は暖か。口も綺麗、家族が気をつければ病院も注意す る。手足は暖かだが少しでも刺激になればと暖める。足にクッションがないと 随分細く見える。このままで行くのか。健常ならば足にクッションを当ててい るわけではないから心配する事もないかもしれないが。 2012 年 2 月 3 日 金 晴れ 通 514 再 396 増設 296 日 荒天から一転朝から好天になった。まだ大雪注意報中いつ荒天に転ずるかは時 間の問題だろう。 朝の運動に車庫とバラのバーゴラの雪下ろしをする。バラのバーゴラなんて単 管4本の支柱のみ、良くも1m近くもの積雪を支えている。 明日は立春、もう暫くの辛抱、少しは精神的にも肉体も楽になろう。 今も儀式用に作ったビデオ映像を更新し続けている。これが最後と思いつつ明 日になれば追加削除を繰り返す。DVD メディアをもう4、50枚使い果たした。 ブルーレイディスクメディアは高価なので書き換え可能なメディアを使ってい るが式場で利用できるかは不明なので両方の方式を作らざるを得ない。 バックグラウンドの音楽は全てハイドンになった。 一部にサトウハチローの詩に打たれ歌謡曲を使っている。一所に行った山の風 景のバックにマヒナスターズの信濃恋歌の合掌、スチールギターのエコーが風 景に良く似合う。 お経の入る余地は全く無い。 日々涙しながらの編集、もう過去は戻ってくれない。 一日好天が続いてくれた。気持も晴れ晴れとして夕刻病院に走る。変わりなく 眠っている。呼びかけると直ぐ気が付く。口をしっかり閉じる。何をされるか 分かるよう。看護師が来て風呂に入ったことを知らされる。鼻周りが赤みを帯 びている。一度荒れてしまうと回復は難しい。毎日保湿クリームは欠かした事 はないのだが。 気にしていた足のクッションが 2 個添えられていた。1 つは新しそうな柔らかい 物に変っている。これは気にいった。 思い切り右足もマッサージを開始する。 風呂の影響か体温 35 度 4 分、左 35 度 3 分。布団を胸まで着せてきた。 2012 年 2 月 4 日 土 晴れ 通 515 再 397 増設 297 日 疲れてくると愚痴りたくなる。 昨夜病院から帰る頃は道路はスムースに動いていたし夜の積雪は 1~2cm、土曜 日だしまさか除雪車が通っていたとは予想もしなかった。 道路の凍った塊をかき混ぜて両脇に寄せてゆく。 除雪費用が念出できると無駄使いと思えるほど念入りに通る。お互い様と思い たいがもう疲れる!! 除雪車の後始末に 1 時間半。もう止めてくれ!! 炊飯器が壊れた。気をつけて水で洗ったのだが電源さえ入らない。 分解すると釜の内側に巻かれたグラスウールびしょ濡れ。基盤を乾燥させて見 たが駄目らしい。遠い昔記念品に貰った馬鹿でかい1升炊きの炊飯器で2合炊 いた。一人用を買いたいが4~5千円はするんだろうな。調べると電子レンジ 用炊飯器があった。1000 円で買える。緊急用なら便利かな。 日中は気温が緩んだ。雨だれの音も聞こえる。夕刻も雨模様、凍結も無し、 午後 5 時、外も随分明るくなってきた。 今日も異常はないが喉が気になるのか仕切りに飲み込む仕草をしている。 咳払いをしてくれればいいのだがなかなか難しい。滞在中頻繁に痰を取ってや るが奥深くて取れないようだ。看護師に請求すればいいのだが遠慮が先走る。 気付いてくれるように退散する。体温左右とも 36 度 4 分。 2012 年 2 月 5 日 日 晴れ 通 516 再 398 増設 298 日 2人で生活していた頃の冬の灯油は暖房で 600L 以上は使っていたはず。 主な 4 部屋で暖房機を置いていたから随分贅沢をしていた。 一人になったとたん今年は去年の残り 50L で済ます予定でいる。 エアコンも夜、断続的に使う程度。 いつも居る部屋は小さな電気ストーブのみで厚着をしている。 寝室は寝る前に布団乾燥機(ダニコロ)を暫く入れると朝まで暖かい。 電気と灯油どちらが得かは知らないけれど、配達して貰うとまとまった金額が 掛かるし、買いに行くのも面倒くさい。そんなら使わないほうがいいと。 一人だから全て我慢を通してしまう。 お金はあっても使えない。 替わりに財布を持ってくれる者が居ればどんなにか楽だろう。 織炎を脱してから低めの体温が多い。足にはバスタオルが添えられるようにな って冷たいことはないので有り難い。今日は人手不足か口が少々汚い。舌に吸 い付くように取り付いた痰の塊をピンセットで肉とともに引っ張る。ピクット 痛みに反応する。 体温右 35 度 8 分、左 35 度 6 分 2012 年 2 月6日 月 晴れ曇り雨 通 517 再 399 増設 299 日 たしか3月上旬の気温になるはずだったのに当地は気温が上がらなかった。 6 度とニュースが、 明後日から再び大雪の予報が出ている。 手も身体も熱かったので熱だろうと感じたが意外と低い。 右 36 度 1 分、左 36 度。左足だけ冷たい。いつものように口ケアーを追え顔に 保湿クリームを塗り終えた頃看護師が来た。 「顔が荒れ気味なので薬をつけてあ るから何もつけないで欲しい」と。後の祭り。 でも今日のクレームには腹は立たなかった。指図されたと受け取れない言葉使 いだったのだろうと思う。高飛車ではなく低姿勢。お互いその様であれば腹を 立てることもないし。 2012 年 2 月 7 日 火 曇り 通 518 再 400 増設 300 日 異常なしだが手が冷たいのに布団の外、腕まで冷たし。 看護師も患者家族に観察されている。またあの人かと。 物言わぬ物体でも家族にとってはかけがいのない命。 体温右 35 度 8 分、左、35 度 9 分。 2012 年 2 月 8 日 水 雪 通 519 再 401 増設 301 日 明ければ再びの積雪、窓から道路を見る。除雪車が通っていない。 正直ホッとする。ラッシュの終えるのを待って除雪。 新雪を測って見ると 15cm ある。除雪車が来ないのは不思議な位だが、それでも 車はスムースに動いている。適宜きめ細かな除雪対策をすれば費用も半減する かもしれない。数日で億単位の費用が吹っ飛ぶ除雪。建設会社の失業対策と思 えばいいのか。 総動員を掛けれ必要の無い道路まで除雪に掛かる。税の無駄使い。 子供達の通学が終わってから歩道の除雪が始まる。下校の時は歩道は雪で埋ま ることになるかも。何しているの?と素人は思う。 昼過ぎ、明日は支払い日、準備の為遠方の ATM まで出かけた。殆どの道は既に アスファルトが出ている。大雪注意報が出ている割に気温が高いのか、積もる のも早いが消えるのも早い、春の訪れも近いのか。 病室の皆が赤い顔をしている。ムカットするほどの室温。 個室なら直ぐ切るところだがそうもゆかない。口ケアに始まりマッサージ温湿 布と行きたいが流石に温湿布なんてとても出来ない。妻も熱くて真っ赤になっ て苦しそう。クレームが出ようが我慢できずエアコンを切った。 昨日は申し込んだはずの散髪がなされなかった。昨日、今日と自分で切った。 一人では充分とは行かないがまた二人で大げさにしているとクレームが付く。 遠慮しながらの散髪。見られてまた連絡されても困る。一体患者は誰の所有な のか。なさけない。 2012 年 2 月 9 日 木 雪 通 520 再 402 増設 302 日 日付けの感覚が 1 日狂ってしまった。朝 5 時、目覚めてテレビをつけてみた。 2 月 9 日木曜日といっている???。てっきり金曜日、支払いに行かなければと 思い込んでいた。月曜が先頭に来るカレンダーで 11 日が赤になっていたので何 か勘違いした。それともボケたのか? 明けて積雪 17cm、あくまで我が家の庭の測定だが。除雪車は来ていない。 余程予算が無くなったとしか思えない。予算が有る時はたらふく使い、無くな るとパタッと来なくなる。なるで庶民の家計と同じ。 しかしそれでも車はスムースに動いている。 除雪基準を上げては如何と思う。消費税を上げる前にこんな事にも節約できる 余地が有る。日中除雪に汗を流すのは老人。 国会でクイズ遊びをしている連中もそんな時間があればボランティアに出たら いいのではと思う。 今日はよく降った。僅かずつだが朝昼夜の 3 回の除雪。今日は病院止そうかと も思ったがやはり気になり雪の中を出かけた。異常なしだが何処から出てくる のか痰の硬い塊がブラシに掛かって来る。やはり一日足りと放っては置けない。 飛行機が病院の上空を爆音を立ていった。両眼を開いて音を探している様子を 示す。体温左右とも 36 度 2 分。 2012 年 2 月 10 日 金 雪、曇り 通 521 再 403 増設 303 日 予報とは裏腹に 10 センチ程の積雪。昨日に比べればグッと少ないが除雪車が出 動している。どうもチグハグナ除雪対策としか思えない。 お陰で 1 時間の労力を強いられる。塊が凍っていないことが救いであった。 嫌なことは早く済ませたいと病院に支払いに出向く。妻の元に寄りたいが我慢 して直ぐ帰宅する。苦手な看護師を作ってしまうと妻をも巻き添いにしてしま う。当たらず触らずで行くには顔を合わせない方が得策だろう。妻よ許せ!! 季節外れの短期転勤(長期出張)に行って1週間、次女から何の連絡もない。 雪の中、我儘な子供たちを抱えてどうしているのかメールをして見た。除雪し ながら何とかやっていると返事が来た。明日午後病院で待ち合わせる事になっ た。妻の事柄がもう5、6年遅かったらどんなにか動きやすかっただろうに。 風呂に入った様で頭も綺麗になっている。表情も穏やかで苦しそうな様子はな い。織炎にかかった右足は肌艶がなく乾燥している。クレームが付くかもしれ ないが保湿クリームを塗りマッサージを施す。顔も塗ってやりたいが暫く我慢 しなければならないだろう。体温右35度8分、左35度9分。 2012 年 2 月 11 日 土 晴れ 通 522 再 404 増設 304 日 屋根から激しく雪解け水がしたたりおち程の良い天候の一日だったが 夜 8 時半、病院を出る頃雪模様になっていた。 午後 2 時半次女家族と病院で落ち合ったが、孫達は落ち着いていてはくれず妻 の世話どころではない。妻も気付いた様で大声を上げたそうだ。私は側に居な かったから聞かなかったが、私と交代した時も頻繁に孫達は病死すに入ってき ていたから何事が起こっているのかと思っているのだろう。 その足で家に来て夕飯を食べてからやっと帰った。 とにかく兄弟喧嘩が激しく騒々しい。 今日の夕刻の訪問は止めるつもりであったが子供たちが帰り急に静かになると やはり病院に車を走らせている。 昼には出来なかった作業を終え一日が終わった気になる。 体温右 36 度 1 分、左 35 度 6 分。 2012 年 2 月 12 日 日 曇り雪 通 523 再 405 増設 305 日 生有る者は悲しい運命を背負わされている。 否応無しに幾多の別れを味わわねばならない。 親との別れ、兄弟との別れ、伴侶との分れ若ければ若いほど悲しみは深い。 「会うは別れの始め」こんな悲しい思いをして人生を歩まねばならぬなら最初 から誰にも会わないほうがいい。 究極生まれてこない方が最も幸福なのだろう。 が生命の性(さが)はそれを許さない。 自分の意志に関係なく生命は生み出される。 宗教的解答はお経の中にもに数多有るだろうが真の解答は自分が見つけるしか ない。 死に望んでも答えは出てこないだろう事はわかっているが。 妻を見ていると脳が壊れた時やっと無の境地に達するのではとも思う。 生きて悟り、無などあり得ぬのでは。 後世に名を残した高僧も単なる野心家達なのでは。真に悟れば後世に名など残 さないし 自分の後継も残さないはず。 私の生家の宗教は当地では当然のように浄土真宗。 子供の頃は下寺(本寺の下請けをする人)のお坊さんが定期的に訪れてお経を 上げていたから私の身体にも仏教の雰囲気が染み込んでいる。 信仰を求める人は自分が救われたいから信心するのであって教祖を、中興の祖 を礼賛する為に信心する訳ではない。だが多くの仏教行事はは教祖を崇める偶 像崇拝の行事に終始しているのではと思う。 これでは会社の経営と同じではいか。創業者の銅像を拝んでいるのと同じ。 どの宗教も同じだろう、だから信仰心を持っていても宗教団体には絶対所属は しない。 仏教の世界もキリストの世界も私は尊んでいる。 私の煩悩を知る由もなく今日も穏やかな眠りの中にいる。気配を感じて頭を動 かす。手が冷え冷えとしているが動かさない為でもあろう。 作業を終えれば 1 時間があっと言う間に過ぎる。体温右 35 度 8 分、左 35 度 9 分。 車に戻るとフロントガラスが既に凍っていた。。 2012 年 2 月 13 日 月 曇り 通 524 再 406 増設 306 日 母の死の頃は未だ宗教に何のわだかまりも持っていなかった。 普通は年齢とともに信仰心が増してゆくと思うが私は年齢とともに信仰を失っ ていった。信仰と言っても日本の仏教であり神道の宗教団体のことなのだが 祈る心までは無くしては居ないつもりだ。 神社仏閣には必ず賽銭箱が置いてある。「金を出せ、金を出せ」と脅迫される。 さすが入れないと後ろめたい思いがする。大きな神社に行けば至る所に賽銭箱。 どんな宗教もそうなのか? 祈ることにお金は必要は無いはず。祈ることに神社仏閣の豪華な建物は必要も 無いはず。自分の周りには多くの神が居る。ただ祈ればいい。と私は思う。 親鸞も言っている筈、南無阿弥陀仏と唱えれば往生できると。ただそれだけの はず、時が進むとこの宗教も豪華絢爛な様相に変貌した。 久しぶりに里山を散策してきた。子供の様に高台から妻の居る病院に向かって 「お母さん!!○○」とさけんでいる。いつまでも生きてくれると信じて何度も 何度も。俺の神様だから!! 524 日といえば一年 5 ヶ月位か。 急性期病院で将来の見込みはないと宣告されてびくともしない状態を想像して いた。それが目を開けたと喜び、声を上げたと喜び、痛みを感じるようにもな っている。状態が随分安定するようにもなった。随分の進歩に感ずる。 脳幹に傷があり呼吸も危ぶまれた時期もあったが器械に頼ることなく生存して いる。病院を替わるたびに命の保障は出来ない説明ばかりで落胆もしたが今の ところ急変する兆候もない。 静かに寝ているところを私が行って身体をいじくるから嫌な顔もするが、足な どマッサージをすると溜息をついて楽そうにしてくれる。 体温右 36 度 1 分、左 36 度 2 分。 2012 年 2 月 14 日 火 曇り 通 525 再 407 増設 307 日 毎日抹香臭い話ばかりになるが、私の心は常に非常事態に備えているのでつい その様な考えばかりでいっぱいである。 近所に JA か経営する葬儀場が有る。日を置かず次々と看板が入れ替わるほ程の 繁盛振りで笑いが止まらないのではと下衆の勘ぐりをしている。 私も何度も縁者の葬儀でこの議場に来ている。どれもが画一的で味気ない葬儀 になっている。豪華に飾りつけ外見はすばらしい物ばかり。しかし飾り付けに 比して内容が実に薄っぺら。何の感動も伝わらない。悲しみも湧かない。 演技をするあまり会場の後まで聞こえない蚊の鳴く様な司会者の声と音楽。 余り流行りすぎる葬儀社も考え物と思う。 質素の中にも気品と感動が欲しいと日夜悩んでいる。妻はこれだけ時間を与え てくれているのだから心に残る儀式にと。 夕刻を待って病院へ走る。この時間帯は病院スタッフは殆ど見当たらない。 声は聞こえるが姿は?。風呂の後の顔が荒れ気味。長い間鼻からカテーテルを 差し込んでいたのでテープ被れのアザが浮かび出てくる。 薬を塗っているので保湿クリームを止められが反って荒れが酷くなっている。 まだクリームの方がいいのではとも感ずる。もう暫く様子を見なければ分から ないのだが。万全ではない口ケアーも時間を掛けてやれば本当に綺麗になる。 身内でなければ他人の口内など見たくもないだろうが。 体温右 36 度 2 分、左 35 度 8 分。 2012 年 2 月 15 日 水 雨 通 526 再 408 増設 308 日 小雨がしとしと降っている。子供の頃は 2 月は冬の真っ只中、雨が降る事はな かったはず。今は真冬でも雪から雨に変る事も多くなった。やはり温暖化の進 行はあるのだろう。子供の頃、3 月雪解けの頃、雨が降ると寂しい思いをした。、 子供にとって冬は大変楽しい季節だった。スキーにそりにと遊びまわった。今 は雨になると雪が溶けると喜んでいる。 子供が小学生の頃、スキー場に通った時期があった。あの頃は子供時代に戻っ て冬を楽しんだ。子供が長じて徐々に行かなくなり冬はまた苦しい時期に戻っ た。 時はあっと言う間に過ぎ去り歳老いていってしまった。 4 歳年下の妻が私より早くこんなになるなんて不理尽である。 頼りない私に甘える事もなく人生を終えるのか。 今日も異常なし穏やかな表情。口は難あり、何をおいてもまず口ケアーにかか る。我ながら実に旨くなった。吸引機も実践すれば旨くなるだろうがそれば病 院の面子もあり許さないだろう、介護師さえ出来ないのだから。 荒れていた鼻周りの荒れは治まっていたが明後日にはまた風呂。気をつけて欲 しいもう一年も経つのだから分かってもらっても良さそうなものだが。忙しく て一々そんな事、気に掛けておられないのだろう。 何処かの老人ホームで複数の介護師から虐待を受けたニュースが流れた。 人間のすることだから人事ではなく心配になる。伝えてはくれない身体だから。 傷跡があるとやはり気になる。まさかそんな事はないだろうが。 体温右 36 度 3 分、左 36 度。 2012 年 2 月 16 日 木 雨 通 527 再 409 増設 309 この後、強い寒気が再び来るとは思えない良い天気になっている。 時期が来ればあっという間に溶ける雪だが少しでも早くと一時(いっとき)除 雪に精を出した。直ぐ息も絶え絶えになる。山登りの様な疲れかた。肺が弱い のだろう。元々虚弱体質、こんな身体で良くぞ山登りに行くものだと自身感心 する。 右足の甲に残っていた織炎もほぼ浮腫みが引いた。 足の指を消毒綿で拭いてやる。親指の爪が引っかかったので爪を切ると水とと もに血が出てきた。水疱が有ったようだ。これは困った。また何をしたと言わ れかねないの大袈裟には出来ぬ。ティシュペーパーを指に挟んできた。 私の声は当たり前にしているが、廊下からするスタッフの声、隣のお婆さんの うめき声には目を開いて興味を示す。 体温右 36 度 4 分、左 36 度。 2012 年 2 月 17 日 金 雪 通 528 日 再転院 410 日 胃ろう増設 310 日 昨夜は積雪 3、4cm。 今日午前は降り続いている。 除雪のついでに昨日崩した雪を向かいの田んぼに片付ける。 2 月も中旬、これが最後の寒波だろうし明日、明後日の大雪が過ぎれば除雪車も 来ることはないだろう。 雪道が心配で早めに家を出たが山間の我が家の近辺に比べれば平地は雪は少な い。凍結もなくスムースに動いていた 風呂の影響もなく綺麗な顔をしている。扱い次第で大違い。製造会社には標準 作業というものがある。誰が作業をしようと均一の製品が出来る。 介護病院にだって有ってしかるべき。人によってまちまちでは病院自体を信用 できなくなる。未だに入浴施設は見たことがないし、入浴している姿も見るこ とはない。 体温右 36 度 6 分、左 36 度 2 分。 大雪警報が出ている明日の除雪は必至であろう。土曜日ゆっくりやろう 2012 年 2 月 18 日 土 雪 通 529 日 再転院 411 日 胃ろう増設 311 日 午前 3 時半、床の中で除雪車の音がする。 「やはり降っているのか」覚悟はして いたが。積雪20cm、驚くほどの事もない。 前回から間があったので道路の雪も解けていたので新雪の除雪程度で柔らかい。 それでも 1 時間の除雪時間。もし今後降り積もれば明日は大変な作業が待って いる。一つ一つ克服してようやく春を迎える喜びは雪国の特権でも有りかもし れない。 健常者にとって痰を吐き出すことは容易なことだが脳障害者には苦しみである。 今日も滞在中に二度ほど息を止めて真っ赤な顔をして痰を出そうとしていた。 咳き込むまでじっと待つ。15 秒か 30 秒かやっと咳き込んで痰を出す。 飲み込まないうちにとブラシを喉奥に突っ込み回転させて引きずり出す。 経験から学んできた。看護師には出来ないと思う。歯ブラシなどで出来る ことではないし側に付いていないと都合よくそんな状態に間に合わない。 ブラシを舌の上で転がすと盛んにしゃぶる。口の運動としてはいい事だと思う。 足にバスタオルが巻いてあっても冷たい。その他今日も異常なし 体温右 36 度 1 分、左 36 度 2 分。 2012 年 2 月 19 日 日 通 530 日 再転院 412 日 胃ろう増設 312 日 昨日の午後の事、35 年間我が家に鎮座してきた神棚を取り外した。 家を建てた三十数年前、当り前の様に母が買った物。私は信心深くはないので 拍手など打つこともなかったが妻は物事が有るごとに手を合わせていた。 赤飯、餅など頂くとまず神棚に供えていた。 それなのに神は妻を裏切った。私に罰を与えるならなっとくもしようが何で妻 なのか。 「こんな木偶(でく)神ならこの家にはいて欲しくない」と妻の出来事 以来考えていた。しかし相手が悪い。中々実行に移せなかった。所詮神棚なん て偶像、心まで捨てる訳ではない。年末に配布された伊勢の札も袋に入ったま ま放ってある。もう要らない物だが強制的に自治会からお金は払われている。 神様、罰を与えるならどうぞ人を間違えずに私に罰をお与えください。 東北地方の人々も神が間違えたのじゃないのと疑いたい。 昼過ぎ絶好の天候に誘われ里山散策。スノーシュを履いても 20cm は沈む。 あえぎあえぎ 13 時 42 分展望台着、所要時間 1 時間 30 分。 立山は中々美しい姿を現さない。眺る事も無く折り返す所要1時間 08 分 トータル2時間38分。少しは若返ったか? 2 月も下旬に入るもう大きな寒波もくるまい。一気に雪解けに向かって欲しい。 今日も安定状態、同室のおばあさん達はいつも平然としている。痰をガラガラ させている訳でもない。妻は行くたびに喉辺りがガラガラしている。滞在中は マッサージしながらも痰採りは欠かせない。さて帰ろうと思うと息を止め始め ることもしばしば。片付けたブラシをまた取り出す。 体温右 35 度 8 分、左 36 度 1 分。 2012 年 2 月 20 日 月 晴れ 通 531 日 再転院 413 日 胃ろう増設 313 日 昨夜、いつも見ている BS 韓国歴史ドラマ「トンイ」のあと「妻を看取る」と言 うドキュメンタリードラマが入った。題名に引き寄せられて見入った。 国立がんセンターの名誉総長である垣添忠生と言われる医師の手記をドラマ化 したものである。天皇が前立腺がんの手術された頃記者会見にも顔を見せてお られる。その後間もなくの頃、奥さんを癌で亡くされている。医師として他人 の死を看取ってきた人。妻の死に心を乱す様子が描かれていた。 子供の姿はなし、妻の希望で葬儀なし、淋しい見送りである。 このような人でさえ心が穏やかではなくなる。もし私の妻が居なくなるとき私 はどんな状態で居るのかと思うと怖い。 今も死んだも同然であると思うが姿はこの世にあるし身動きもする。唯話さな いだけ。真の別れはまだ味わっては居ない。 昨日降ろした神棚を分解したが社は壊せなかった。妻が祈っていた姿が目に浮 かぶ。妻の部屋の棚に社のみ乗せた。 3 月ひな祭りが近づく。娘達が嫁いだ後も妻はお雛様を飾っていた。処分しよう と出して見たが、、、やはり出来なかった。そのまま廊下に飾ってしまう。オル ゴールが悲しげに響く「楽しいひな祭り」サトウハチロー詩とか、もの悲しい 旋律だ。 夕刻出掛けようとしている所に電話が鳴ったが滅多にかからない電話。出ると 女性にきまっている。長電話の可能性があるので無視して家を出た。急用なら また掛かるだろう。 今日も口に難あり、口臭もある。滞在中もひっきりなしに痰採りに追われる。 食欲が有るから唾液も多いのか。口は湿りがち、良い傾向なのではと素人判断。 織炎だった右足甲はいつもどす黒くなった。 体温左右とも 36 度 1 分、最適。 2012 年 2 月 21 日 私の空間公開。 火 晴れ 通 531 日 再転院 413 日 胃ろう増設 313 日 1 日の大半を過ごす私の空間。午前はラジオビタミン、午後はふるさとラジオを 聴きながら。 机にしている台は妻の嫁入り道具を利用したもの。廃棄しようとしたが中々了 解が貰えずにいたがやっと許可がでた。上部を廃棄、下部だけ利用したもの。 写真は寂しさを紛らわす為に賑やかに掛けている、家中にいっぱい。 夜はコタツが恋しいので居間に移動しラップトップ PC を弄りながらテレビを見 ている。昔からながら族。 二人とも家に居るようになってそれぞれ自分の部屋で過ごすことが多かった。 妻は絵を描いたり本を読んだり、ユーキャンの英語の CD をよく勉強していた。 「韓国語をやってみたら」と進めたけど頑として聞かなかった。 私も妻が退職してから意識的に干渉しないように注意はしていた。 朝も私はパン、妻はご飯であったり、パンだったり、それぞれ自分で準備した。 昼は私が作ることも有り「何が食べたい~」と聞きに来ることも多かった。 でもそんな生活が発見を遅らせた事になったのかもしれないが。 もう運命と諦めるしかない。 風呂に入った後の心地よさか既に眼を開けている。この頃本当に喉に痰を溜め ていることが多い。2、3回ブラシを入れると多くは採れるが次々と出してく る。放っていても自分で処理するかもしれないが滞在する内は助けてやりたい と何度も何度も痰採りに励む。風呂の日は温湿布は省略。時間が余る分マッサ ジを念入りに。椅子に腰掛けて黙って顔を見ていることが出来ない。 2012 年 2 月 22 日 水 曇り晴れ 通 532 日 再転院 414 日 胃ろう増設 314 日 絶好の雪融け日和、少しでも早くと 1 時間ほど汗を流す。 昼飯面倒だから焼きそばでも作ろう。だが面倒な生焼きそば、美味しい焼きソ バ「UFO」が食べたい。いつもスーパーの陳列の前に立って見る。「勿体ない」 と 1 個 38 円也の生焼きソバになる。貧乏性は生涯直らない。 この頃良く考える。妻は無実の罪で刑務所に居るようなもの、死んだほうがま しなのではと。家族にしても病院に拘束されている以上好きには出来ない。 さりとて家で看てやれる状態ではない。 死して私の元に(心に)いつも居てくれればどんなにか良いのではと。 仏教が本山に分骨するように私の元気な内に立山連峰の何処かの山に少しの遺 骨を葬りたい。 異常なし、部屋がシーンとしているので CD を鳴らす。スピーカの音に首をそら そうとする。家に居ればどんな事でも試して見れるのだが残念だ。地鳴りする ようなスピーカもある。ミニスピーカでは大した効果は期待できまい。 体温右 36 度 2 分、左 35 度 9 分。 2012 年 2 月 23 日 木 通 533 日 再転院 415 日 胃ろう増設 315 日 いまさら原因を云々しても仕方がないのだが、昨夜 NHK8 時からの「ためしてガ ッテン」での事、硬膜下血腫についてアニメーションで説明した。血管が破れ て二ヵ月後に症状が現れるという。私はずっと倒れたその日が出来事の始まり と思い込んでいた。自覚が出た時点で病院に走っていれば重大な事態には至ら なかったらしい。倒れる前に自覚症状があったはず、弱音をはかない性格が明 暗を分けたのだろうか。出血した血が脳液と混ざり脳を圧迫して重大な結果に なってしまった。知識を得てももうどうにもならぬ。馬鹿野郎と怒ってやりた い。 代用食兼おやつ代わりの食パンが直ぐ切れる。生活の知恵が一年余りの一人暮 らしでだんだん身に付く。薬屋さんで食糧を良く買うようになった。同じ商品 でもスーパーより随分安い。男が食料の買出しには随分抵抗があったがこの頃 は余り意識しなくなったが 1 つの欲しい物のために一つ買ってくることが出来 ない。何れこんなことも何とも思わなくなうのだろうか。 すね毛が気になっていたがすぐワックスを忘れていってしまった。 すね毛処理などみっとも良い物ではないしクレームが付けば厄介だし。 鬼の居ぬ間にと言う訳でワックスを塗ってタオルで隠し布団を掛けておく。 その間に口ケアーにマッサージに精を出す。10 分~15 分待って濡れタオルで拭 取る。面白いように綺麗になる。 今日も片付けた後に大きく咳き込んで痰を出す。またやり直しである。 幸いにも帰り支度にかかる頃、看護師が現れた。 辛うじてセーフ。 病院を出る頃大雨になっていた。今夜は急速に雪解けが進む。 同じ苦しい思いをすぬにしてもまだ春に味う苦しみの方がいいではないか。 粗末ながらも夕食を美味しく食べれる、ほっと一日が終わる。 2012 年 2 月 24 日 金 晴れ後曇り通 534 日 再転院 416 日 胃ろう増設 316 日 高山線の車窓から眺めると芸術的に見えた樹木。家を建てる前に母が植えたヒ バの木。 今日全ての葉を落とした。もう再生は無い上高地状態。 外も内も妻が消えて徐々に物品が消滅するばかり。 もう形ある物は買わない。自身の身も滅したい。 午後の事、雪を融かす為、道路の側溝のグレーチングを取り外して雪を詰めて 置いた。。何を間違えたのかライトバンがそこに車輪を落としてた。我が家の来 客でもない。間もなく救助者が車で駆けつけてきた。数人で持ち上げて道路に 上がった。おかしな光景。どう間違っても落ちるはずはないのに? 今日の妻、いつも低い枕がかさ上げされていた。気を使ってくれたのだろうが どうも硬い。ギャッジアップされているとどうも苦しそうだ。水平状態なら 良い具合なのかもしれないが。しかし勝手に手直しも儘ならない。痰多し。 温湿布はしない日なので時間が出来た。椅子に掛けて話し掛けてみる。時折両 眼を開けて何かを考える様子なのだがまた眼をつぶる。 体温右 35 度 9 分左 35 度 8 分。 2012 年 2 月 25 日 土 通 535 日 再転院 417 日 胃ろう増設 317 日 妻が安定状態が続くので私の題材も関係の無い事に飛んでしまう。 ネットを見ていると思いがけない発見がある。 第 2 次大戦を振り返る時、テレビなどで神宮外苑で行進する学徒出陣の風景画 用いられる。行進曲が非常に印象があった。 何かを調べていて「分列行進曲」に出くわした。あの風景に流れる行進曲だっ た。何か懐かしく琴線に触れるメロディ。 何と明治 19 年に招聘音楽家のシャルルー ルルーが陸軍の依頼で作った扶桑歌 (前奏部)と抜刀隊(トリオ部)、を合わせて行進曲として編曲したものだった。 大戦当時敵国の音楽は憚られたが日本陸軍には大切な音楽だったので作曲者を 伏せて演奏され続けたと言う。 今でも自衛隊、警察の式典に用いられていると言う。 なぜ警察が?それは抜刀隊は士族出身の警察官で組織され西郷隆盛軍と戦った いわれからだそうだ。音楽にも隠れた歴史がある。異国風でも有り純日本的で もある懐かしさが有る。 無駄話終わり 朝、玄関のチャイムがなった。長姉の子であった。子と言っても私とは五つく らいしか違わない。 姉が退院したと快気祝いを持ってきた。姉はづーっと此処(病院)に居たいと 言っていたが、介護施設ではないので 3 ヶ月で追い出されたようだ。 これから介護施設へ毎日通院することになった由、家に閉じ込めておく事にな らなくて良かった。 洋菓子も持ってきてくれたが「夕刻病院へ行く折、届ける」と次女の家にメー ルを入れた。 栄養補給に自分で食べればいい様なものだが、、、、 次女の家に寄り病院へ走る、少々の遠回りだがこの家も夫が短期転勤(長期出 張)中、拠りに寄ってこんな時に姉妹二人とも転勤の運命に会うとは。 昨日今日と訪問中にギャッジアップされていて作業がやり難い。高く硬い枕を 潰しても凹まない。取り外したり、入れたりと四苦八苦。高くした理由がわか らないので勝手に低く出来ない。背中の枕を深く押し込んで首の負担を軽くし てやる。低過ぎたり、高過ぎたり、自分の身になれば分かるだろうに。 体温 36 度 1 分、36 度 2 分。腰掛ける時間もなく帰宅。 2012 年 2 月 26 日 日 通 536 日 再転院 418 日 胃ろう増設 318 日 妻の事とは今日も全く関係がないが、昨日国会質疑で当地選出の議員が野田総 理の出生の話をしていた。父が当地(富山市)の山間部の出身である事を。 地元は保守王国なので総理大臣に就任した時もその様な事は報道されなかった ように思う。有名人が当地と何らかの関係が有ると「あやかり」で大きく報道 するのだがこの時はなかった。 私は千葉に居る級友から聞いていた。級友の母方の祖父と野田総理の祖父とは 親友で田舎に来ていおり遊びに来たらしい。野田氏本人に確かめたと言う。 この級友も故郷を離れ都会でたくましく生き抜いている。 今度の震災で千葉の液状化で甚大な被害を受けて大手不動会社を相手に集団で 訴訟を起こしている。長引くと思うが良い結果になることを祈る。 問題が難しく素人には何も意見は述べてやる事は出来ないが身体に気をつけて 生き抜いてくれればと思う。 土日と言えど日中病院に行きにくくなって歯がゆい思いをしている。 病人本人も家族も病んでいる。古い看護師はそんな事は考えないのだろう。気 に障ることをずけずけと言う。何気なく言っているのだろうが徐々に看護師を 避けるようになり日に 1 度になってしまった。幸い夕刻の訪問時、嫌な思いを する事がなくなり短時間に精一杯の事をしている。いつでも連れかえれる状態 なら病院に気を使う必要はないのだろうが今の状態は言葉は適当ではないが人 質に取られたようにもの、追い出されないようにするしかない。 今日は水平に休んでいた。枕の高さは丁度。ギャッジアップの時は枕を外して 欲しい。今日は頭頂部の髪を梳いて見た。髪の飛散に神経を使う。またクレー ムを付けられかねないから。散髪日の張り紙がしてあったが先月依頼したのに してもらえないのに。 幸いにも安定が続いてくれる。 体温右 35 度 7 分、左 35 度 6 分。 2012 年 2 月 27 日 月 通 537 日 再転院 419 日 胃ろう増設 319 日 安定状態継続。足指が冷たし、しっがりとバスタオルで包んだ。 体温右 35 度 9 分、左 35 度 4 分。胸まで布団を掛ける。 向かいのおばあさんが呼んでいる。出向いたが何を言っているのか意味が判ら ない。看護師を探したがセンターには誰も居ない。遠くに居た介護師を呼んだ。 どうもおしっこをしたいと言っているらしい。 自分の事では呼べないが頼まれると無視も出来ない。 2012 年 2 月 28 日 火 通 538 日 再転院 420 日 胃ろう増設 320 日 今日の放射冷却で昼頃はまだ雪の上を歩けた。 小学時代も、中学時代もこんな日は雪に乗って田畑の上を歩いて学校に行った 楽しい思い出がある。 ネットで調べてみると方言が色々ある。富山では「そーら」 「すんずら」と言う そうだが私は聞いたことがない。私たちは「しんば」に乗ると言っていたはず。 聞き伝えだから正確な発音は知らない。福岡では「しんばり」と言うそうだか らこれに近い。福井県武生ではおさら」。 同じ県内でも随分多くの言葉がある。 明日は日中は気温が高いと言う。2月ももう終わる雪解けよ急いでくれ。 顔が荒れている。風呂の日だったからと諦めるしかない。病院の薬も利かない のか手当てされていないのか少しも直らない。まだ私の保湿クリームの方がま しではないか。塗ってやりたくても止められているので困っている。 時間が出来たので座って話し掛ける「家に帰ろうか」、急に表情を変えて泣きそ うな顔をした。分かっているのじゃないだろうか。 体温 36 度 2 分、左 36 度 2012 年 2 月 29 日 水 通 539 日 再転院 421 日 胃ろう増設 321 日 雪のゆるむ時間を待って墓地の除雪に行って来た。 朝の冷え込みとは裏腹にびっしょり汗をかいた。 予定通りならば 3 月中に基礎工事に入るはず。準備だけはしておきたい。 12 月 11 日の契約以来、連絡は無いが真心の無い悪人も居ないはず。 信じて待っている。騙されたとしてもそれは自分が悪い。諦めるしかない。 偶然にもこれを書いた直後メールが入った。 「経過報告ですが、3 月初旬から墓石の加工作業に入ります。 日本到着は、予定通り 3 月の末ごろで進めさせていただいております」 これで疑う余地は無くなった。 病院から出ると天頂を過ぎた辺りに月そして満天の星空。 明朝も放射冷却で冷えだろう。 ラジオでは関東辺りは今日は雪が激しかったらしい。 真っ赤な顔をして脇に体温計が「また何か起こったのか」と恐れた。 看護師が来たので聞いてみたが通常の測定、顔は暖房のせいだと言う。 ホッとする瞬間。 「笑ってみて」と問いかけた。気のせいなのか笑みを浮かべた 様に見えた。常にレム睡眠状態なのか反応を返してくれる。 2012 年 3 月 1 日 木 通 540 日 再転院 422 日 胃ろう増設 322 日 弥生三月、待ちに待った 3 月に入った。やっと冬を越した安堵感がある。 寒い冬ではあったがニュース報道ほどの雪の苦しみは無かったんではと思うが 除雪を手抜きした為だろうか。そうなのかもしれない。 昔大工さんが勝手に作っていった仏間が気になってしょうがない。 昔の棟梁はそれが常識だったのだろうと思う。 若い頃はさほど気にならなかったのだが、金ぴかの観音開きの戸が如何にも趣 味が悪い。仏壇も必要としない今、家具を分解して棚を作ってみた。 まだ未完成だが、気が向いた時に少しづつ続けよう 金ぴかもいずれ地味な色合いに張り替える、自分で。 今日は珍しく手足が暖かかった。この頃足のクッションの当て方に工夫が見ら れる。有りがたい。安定が今日も続く。 体温右 36 度 5 分、左 36 度 2 分。 2012 年 3 月 2 日 金 雨 通 541 日 再転院 423 日 胃ろう増設 323 日 太陽光より雨の方が目に見えて雪溶けが進む。来週には田んぼの土の色も目立 ってくるかもしれない。 食料の買出しで一度外出したのみで家に閉じこもる。 今日は温湿布の休みの日、たっぷりマッサージに時間を当てる。 頭から股間つま先まで。股間の荒れるのを防ごうと保湿クリームを塗ろうと足 を開くと拒否反応を起こす。力を入れて閉じようとする。いつも感じていたこ とだが羞恥心を失ってはいないと感ずる。下半身をマッサージするときはきま ってパッチリと目を開けている。防御の態度を取っているのかもしれない。 体温右 35 度 6 分、左 35 度 5 分。 2012 年 3 月 3 日 土 雨 通 542 日 再転院 424 日 胃ろう増設 324 日 午前墓地の雪溶け具合を見てくる。手を加えただけあって急速に溶けた。 もう2,3 日もすればすっかり地肌が出る。 桜の開花は4月8日とか。その頃には形になっているのだろう。 ポカンと口をあけて目を開けていた。外見からも口の汚さが分かる。 大急ぎで口ケアー。舌にまで吸着している。ブラシでは無理。7 つ道具のピンセ ットで念入りにつまみ出す。 ペンライト、指圧棒、髪用梳き鋏、手拭 2 本、口ケアー様ハンカチ 2 本、充電 式乾電池単3、単4。以上は常に持ち歩く。 常に箪笥に常備の物。ミルトン、口ケアーブラシ、保湿クリーム、ピンセット、 テープ(ベッドの髪の毛掃除用)等随分多い。 体温右 36 度 3 分、左 36 度 2 分。 2012 年 3 月 4 日 日 晴れ日 通 543 日再転院 425 日 胃ろう増設 325 深く知りたくない。知識が増えれば返って何も出来ない自分を苦しめることに なる。急性期病院でも MIR の写真を見ないようにして来た。諦めたわけではな い。知りすぎて絶望しているより、何も知らず希望を持つことの方が自分の為 でも有り妻の為でもある。調べても希望を持てる文章は全く無い。 「知らぬが仏」 日々異常なく過ごしてくれている事が、毎日顔を見れることに幸せを感じる事 で満足している。他の臓器と違い壊れたものは元に戻らない。妻ももし目覚め て現実を知ったらさぞ苦しむと思う。 今の中で喜びを見出したい。 これが私の妻への愛なのだ。家で見るのが最良だが私一人ではお互いの命を縮 める事になる。残念だが諦める。 午後 6 時半、この頃の病院は家族にとってゆっくり世話を焼ける時間帯になる。 日中は病院のプログラムとかち合う事も多く随分待つ事が多かった。 文句も言われ嫌な思いもよくした。 夕刻の今は管理職は居なくなり細かい事を言う者もいない。 今日は舌が随分荒れている。発疹の様な、胃の具合なのか? 体温 36 度 5 分、左 36 度 1 分。 2012 年 3 月 5 日 雨 通 544 日 再転院 425 日 胃ろう増設 325 出てきた妻名義のキャッシュカードの再発行の相談に T.D 銀行に出向いた。 郵貯銀行は全く応じてはもらえないので T.D 銀行の対応に不安があった。 また成年後見人を持ち出されては話しにならぬ。 窓口で事情を説明し、まず心当たりの暗証番号を色々打ち込んでみたが全く駄 目だった。長々と説明を受け拒否されることも覚悟した。 さすが民間銀行、面倒な手続きを踏んでいかねばならないが応じてくれる事に なった。 1 申請書に記入する。 2 その申請書を自宅に郵送される 3 本人の筆跡で住所、名前を記入 4 それを銀行宛に返送する 5 銀行から電話で出頭要請が有る。 6 出向いて暗証番号を申請。 7 カード発行 実にガードが固い。 郵貯銀行はどうしてあんなに杓子定規なのか? 場合によっては治療費さえ引き出せない事態が起こる。 成年後見人制度は時間もお金も掛かる。 後見人も使い込みはする。病む人の人権も剥奪する弱者にとって悪法そのもの だ。多くの庶民は何億円ものお金を動かしているわけではない。 1 部の悪人のために細々と暮らす庶民が迷惑する制度。 風呂から 3 日目になると顔のあれも引いて綺麗になっているのだが、 しかし明日はもう風呂の日、せっかく収まった肌もふたたび犯される。 風呂に入れてくれるのは有り難いのだが肌が荒れる様な事では困る。肌が弱い ことは知っているはずだから。 今日だったか?報道で介護上の虐待がすごい数になっている。 介護施設での虐待、家庭での虐待。職場環境のせいなのか。人材不足のためな のか。 体温右 36 度 2 分、左 36 度 2012 年 3 月 6 日 曇り晴れ 通 545 日 再転院 426 日 胃ろう増設 326 日 もう一昨年になる。リホームして高価なドアが不要におなった。いつか何かに 利用しようと保存していた。5、6 万はしているはず。 妻の出来事があってとても何かしようと言う気は起こらなかったがこの頃は 徐々に生きる意欲も湧いてきている。 と言う訳でドアを入れ替える作業に取り掛かった。安っぽいドアから保存して いたドアに入れ替えた。 サイズが合わず難儀したが外枠費用 2 千円余りで成し遂げた。 夕刻、薄ピンクの綺麗な顔をしていた。何処が悪いのかと思うくらい健康そう。 風呂の日で荒れた肌を覚悟していたが、担当者によってこんなに違う。この人 に指名したいくらいだが誰なのか皆目分からない。 腰掛けて話し掛ける。目を開けたり閉じたり「家に帰るよ!!」の言葉に大きく 反応する。 体温右 36 度 3 分、左 36 度 4 分。 2012 年 3 月 7 日 晴れ 通 546 日 再転院 427 日 浅い眠りが深夜の激しいの風音を感じている。 何処かで春一番が吹いたとか。 こちらも春一番なのだろうか。 6 時半東の空が赤く染まり始める。 深夜の風で急速で雪解けが進んだ。 胃ろう増設 327 日 迷い続けたテーブルの処分と昨日入れ替えたドアを焼却してしまった。 勢いよく燃え上がった。 惜しい物であったが妻の居ない現実、もう人が集うことも無い、必要性を考え て決断した。罰が当たっても甘んじて受けたい。 顔を急角度でうなだれていた。滑り落ちたかと直してみたがまた自分で傾ける。 これが楽なのか? 枕をバスタオルに変えてみる。 今日も顔の肌が綺麗で健康そう。何の異常もなし。 体温 36 度 2 分、左 35 度 8 分。 2012 年 3 月 8 日 晴れ 通 547 日 再転院 428 日 胃ろう増設 328 日 再転院 429 日 胃ろう増設 329 日 異常なし。 体温右35度6分、左35度8分。 2012 年 3 月 9 日 晴れ 通 548 日 昨日は些細な事があり大変傷ついてしまった。所詮病院関係者と言えど患者家 族は赤の他人、余計な事には関わりたがらない。ただ妻の代筆を頼んだだけだ ったのだが。大変考え込んでしまい、妻を連れ戻したいとまで考えてしまった。 酒をあおって心を静めた。 T.D 銀行から呼び出しの連絡が有ったので出かけた。1 週間ほどでキャッシュカ ードが郵送される事になり無事再発行の手続きが終わった。 これで私が居なくなっても子供たちが迷う事が無いし後見人などと請求される 事も無いはず。妻の為にもなる。 風呂の日だったが今日も綺麗な肌をしていた。 両手の甲にテープでガーゼが止められている。点滴針? 看護師が来たけれど何も言わない、私も聞かなかった。告げる事の程ではない のだろう。風呂に入った形跡はあるし異常が有る様子も無い。 体温右 36 度 3 分、左 35 度 9 分。 聞いて気を病むより知らない方がいい。自分が治せる事が出来ないし。 髪が長くなり白髪が実によく似合う。どんぐる眼(まなこ)を輝かせるが果たし て見えているのか、、、、 2012 年 3 月 10 日 土 曇天 通 549 日 再転院 430 日 胃ろう増設 330 日 2011/3/08 胃ろう増設。 2011/09/06 胃ろう不具合、交換の為急性期病院へ外来交換。 2012/03/09 現在異常はない様子。6 ヶ月に入っているが気になる頃。 在宅で 3 ヶ月ごとに交換とあったブログが有ったが普通はどれ位なのか。 施行を施した急性期の医師は扱い次第では一年は持つといってたが常にスタッ フが交替する病院では均一な維持は困難だろう。 いつも考える。いつまで妻に愛情を注げるか。 松本サリン事件の河野さんの姿が浮かぶ。妻にあれだけの優しい言葉を掛けら れないし器量も強さも無い自分が恨めしい。 雪の予報も出ているようだが寒い。 妻が気になりサボる気持も無くなり夕刻車を走らせている。 穏やかに半眼状態。気付いているのだろう。 手のガーゼは取られていた。点滴の痕跡は薄い、何だったのか? 概観だけ見れば何で寝ているのか不思議なくらいなのだが、、、、 いっそ一緒に行こうか、、、、楽になるのだろうな、、、、 体温右 36 度 1 分、左 35 度 8 分 2012 年 3 月 11 日 日 晴のち曇 通 550 日 再転院 431 日 胃ろう増設 331 日 東日本大震災から一年、それ以前に我が家には災難が降りかかっていたから痛 みは他人事ではなかった。独りぼっちになった人も多いはず。物質で助けられ ても真の助けは出来ない。一人耐えて生きる道しかない。誰かにすがって泣き たかろう。 雪もすっかり溶けたが今度は思うような靴が無い。見舞い返しのカードがあっ た。 靴ってこんなに高いの?自分で買う事が無かったから驚くばかり。 やっと手頃なものが有ったがサイズが無い。迷っていると店員か来てくれた。 「取り寄せる」と言うので依頼する。 これからも自分で全てをなして行かねばならぬ。 「恥ずかしい」とは言っていら れない。一人で生きるのは辛い事だ。 妻には今後もし自力で生きる事が出来なくなった時は眠りにつかせてやりたい。 私自身の覚悟はやっと出来た。 夕刻、再び雪景色に戻った。 気分が晴れないことに追い討ちを掛ける。 雪の激しく降る中病院に急いだ。 シーンとした病室で今日も半眼、直ぐ気配を感じ取る。 作っていった賛美歌などの CD を鳴らしながら作業を進める。 おまけに入れていった藤山一郎の「長崎の鐘」を変造したものを聞いた時 激しい呼吸とともに様相が変わった。何かを感じ取ったのだろう。 体温右 35 度 9 分、左 35 度 8 分。今日も無事過ぎる。 2012 年 3 月 12 日 月 雪 通 551 日 再転院 432 日 胃ろう増設 332 日 10 時過ぎ支払いの為病院に出向く、銀行振り込みなら都合がいいのだが、家族 が顔を見せなくなるからだろうか。 病室に行きたいのは山々だが午前の看護介護で忙しかろう。そのまま帰宅する。 この頃調子がいいようで今日も半眼の状態でいる。不快な表情も無く実に健康 そう。何かを喋っても良さそうにも見える。足が冷たい、念入りに何度も暖め バスタオルで包んで見る。マッサージをしていると不思議そうにもしているが 溜息もだす。安らかな顔をしてくれると私の心も和む。 枕がもう少し低ければ、、、、ひねり潰してみる。 体温右左供 35 度 8 分 朝の雪も直ぐ溶けた。 昨夜の風雪で荒れた日に北陸地方に春 1 番が吹いたと新潟気象台が報じた。 当地は新潟まで遥かに遠いのだが。 2012 年 3 月 13 日 火 雪 通 552 日 再転院 433 日 胃ろう増設 333 日 次女家族から音信が無いのでメールを入れてみた。日曜日から子供が二人とも 水疱瘡で家に閉じこもっていると言う。昼食を買って出かけてみた。 子供たちは変わりなく動き回っていて大丈夫だったが、母親は疲れている。 妻がいる時は常に頼って来ていたが、今は儘ならない状態、可哀想でもある。 男の私では頼りにならないし、、、。 何時まで続くか、調子が良くて何も記す必要が無いほど。 久しぶりに唯一好きだった流行歌手の森進一を鳴らす。何か笑みさえ浮かべた 様にも見える。ひいき見かも知れないがそんな表情に感ずる。 私は暗いこの歌手は好まないのでいつもは鳴らせない。勝手なのだが。 先ほどまで雪がちらついていた空模様、病院を出る頃、雲間から宵の明星が輝 いている。明日は温かくなるとか、たのしみだ。 2012 年 3 月 14 日 水 雪 通 553 日 再転院 434 日 胃ろう増設 334 日 妻のことで精一杯なのだが世の中そうはさせてくれない。 昨夜 11 時過ぎめったにかからない電話がなった。 病院からかと出て見た。義姉から千葉の妹の家に重大事が起きたと言う。 これだけ距離が離れている、おいそれと行く訳にも行かない。 ましてや私は山以外旅行などしたことも無い。知らされてもどうにもならない し行き来もない。 よく来てくれる姉には感謝せねばならないが私には姉の様な行動力は無いし、 私が出かけても義理程度の遠い親戚でしかないだろう。 見舞いを貰うのはいいのだが返すのも苦労する。 遠くの親戚は困る。どうしたものか。 冷たいが正直私には今、妻のことしか頭に何も無いのだ。 無事で快復してくれる事を祈るしかない。 部屋に閉じこもってラジオを掛けていると電話も携帯も、宅配便も気付かなか った。宅配はネットで買い物をする事が多いので顔見知りの中、玄関に放り込 んでいってある。ケーブルテレビのターミナルが遊んでる。ブラウン管テレビ を廃棄してパソコン用のモニターのみ買ってターミナルに繋げば高価なテレビ は要らない。韓国LG社製23インチ、1 万円そこそこで買えた。日本のメーカ ーが苦戦している訳だ。 電話は義姉からだった。妻の病院に今年初めての様子、健康な状態に大変驚い ていた。妹の家の出来事は気にしていない様子に私もホッとしている。 見舞いを郵送すべく準備した。明日書留郵便で送る予定だ。 妻が居れば私にこっそりと多くの見舞いをするだろうが、今の私には見栄は張 れない。 今日も異常なし。 鼻の周りが輝いている「ヒルドイド軟膏」の付け過ぎじゃないの。 ヒルドイドって保湿薬とか。 体温右 36 度 1 分、右 36 度 2 分。 2012 年 3 月 15 日 木 晴れ 通 554 日 再転院 435 日 胃ろう増設 335 日 午後8時過ぎ、病院から帰り粗末でも美味しいと思ってご飯を食べれる事が幸 いだと思う。 2人のときはよくケチをつけた。あまい、辛いと我儘を言ってこの歳まで来た。 文句を言った割には料理は上達しなかったようだ。長時間待たされて食卓に着 くとガッカリした事もよくあった。 今では良き思い出でありもっと労わった言葉を掛けてやればよかったと後悔し ている。 介護師さんが入り口で躊躇する様に入ってきた。向こうも気を使っている様子 が伺える。 「髪の毛が長くなっているので散髪をされては」との言葉であった。 私も気になっていたので即座に依頼した。 1月に依頼した積りだっが今日までなにも成されなかった。 髪の毛が強いし短くされるとすごく寝癖がつくので、散発してもらえないなら このままでも良いと思っていた。 今日も異常なし快調が持続する。 体温右36度3分、左36度2分。 2012 年 3 月 16 日 金 晴れ 通 555 日 再転院 436 日 胃ろう増設 336 日 念入りに洗われたのか、乱暴に洗われたのか、どちらとも言える。 鼻の周りが荒れている。薬が塗られ形跡がある。分かっているのだから薬より 優しく洗って欲しい。 全ての作用を終えて帰る頃にはまだ目を開けていた。 話し掛けてみる「笑ってみて!ニコッとしてみて」と問いかけた。 右頬をピクリと痙攣させた。妻は痙攣をさせる症状はないし、顔も正常で歪ん だ現象は持っていない。笑おうと努力したのではないか? 些細な事だが大変嬉しい。赤子が「笑った、這った、立った」以上の喜びがあ る。 帰り難かったが時間か来る。 体温右 36 度 3 分、左 36 度 2 分。 2012 年 3 月 17 日 土 雨 通 556 日 再転院 437 日 胃ろう増設 33 日 もう体力もないし遠くへは行けないし無理も出来ない。今年は何処の山を歩い ているだろう。雪融けとともに山が誘う。 20 代の頃、槍ヶ岳には 2 度行っている。新穂高から長い々道のりを経て辿りつ いた。確か脚がつって登山者に介抱を受けた記憶がある。 あれから 30 年以上も立っているがもう行きたくても行く体力は無い。 あの頃集めていたバッジが出てきた。いくつも有った筈だが結婚とともに山は 終りワッペン、バッジの類は逸散した。 老後の楽しみにこれから再びだったのに、妻が元気なら 2 人で歩いていただろ うに。 いつも平然としている同室のおばあさん二人が同時に悪くなっていた。 妻も受けた事が有る抗生剤と栄養剤が吊るされていたし看護師も部屋に居た。 薬から肺炎と察せられる。 意識に障害の有る人の方が苦しそうな呼吸をしているがもう一人の人はいつも の如く何事も無いように平然としている。 以心伝心か妻の表情も余りよくない。目も余り明けないし直ぐ寝てしまう。 感染するわけでもないのに、順番が回って来ない事を祈る。 体温左右とも 36 度 4 分。少し高めだろう。 2012 年 3 月 18 日 日 雨 通 557 日 再転院 438 日 胃ろう増設 338 日 土日とも雨、心も暗くなる。あれ以来玄関の鍵は常に閉じている。 人との接触も益々好まなくなって行く。電話も留守電にしている。 順調な今は病院からの連絡はまず無いだろう。 自分の部屋に閉じこもって居ると電話のベルも聞こえないから。 口を開くのは語らぬ妻に話し掛ける事以外殆ど無い。今も変らぬ私の唯一の友 なのだ。「晩年は不幸であった」そうなってゆくのだろう。 東京都の一世帯の人数が 1.99 人になったという。 1 人暮らしが多いという事らしい。孤独な人が益々増えてゆく。 おばあちゃん達と伝心したかのように行き苦しそうにしている。状態のせいか 治まっていた痰も多くなって口が汚いし喉がガラガラとなっている。顔の肌も 荒れている。 介護の大半を痰採りに費やす。くるリーナブラシで喉を刺激するせいかドンド ン出してくれる。くるリーナブラシが無ければ今もおどおどとしているかもし れない。もう看護師が居ようと痰採りに励む。長く続いた安定状態も今日でス トップなのか。 隣のおばあちゃん山を乗り切った様子、顔色もよくなっていた。 体温右 37 度、左 36 度 7 分、妻には高い。 2012 年 3 月 19 日 月 雨 通 558 日 再転院 439 日 胃ろう増設 339 日 朝再びうっすらと雪化粧をして寒い。 夜病院から帰るとテレビで「足こぎ車椅子」の開発のドキュメントを放送して いた。夕食を後にして見入っていた。妻には縁遠い事だがそれでも「何時か」 の望みも捨てられない。まだ脳出血の半身不随ならどんなにか先の希望があっ ただろうが何の因果か宝くじにでも当った様なもの。他人の経験しない事を与 えられてしまった。すばらしき体験にするか、不幸な体験にするか私の器量次 第だろう。 今日も相変わらず痰が多かったが滞在中に咳き込んだりして随分出してくれた。 帰る頃は落ち着いて眠りに付いてくれた。 心配した発熱も治まった様子。 明日は休日で風呂は無いはず、たまにはその方があり難い。また肌を荒らされ ても困るから。 同室のおばあさん達も栄養剤の点滴のみ、抗生剤は終わった様子、二日ほどの 抗生剤投与、軽かったのか?おばあちゃん達が強かったのか。妻はもっと長か ったはず。 体温右 36 度 3 分、左 36 度 2 分。 2012 年 3 月 20 日 火 雨 通 559 日 再転院 440 日 胃ろう増設 340 日 先日靴を会にいって注文したし並みのがキャンセルされたので手に入らなかっ た。春は来るし毎日の病院行きにも不自由している。今日はいい天気だし、ネ ットで調べてワシントン靴店をカーナビに打ち込み辿りついた。今まで何処を 探していたのかと思うほど手ごろな値段が沢山あるではないか!!。 高価な靴一足より安価な靴を二足買った。パソコン機器を買うのは余り躊躇し ないのに生活用品には金は出さない性格なのだ。98 円の食パンより 88 円の食パ ンを選んでいる。だからいつも二十代の体形を保っているのだろう。 今まで体重 60k を突破したことは無い。反面動作はすばやいが長続きはしない 短距離型、登山は本来合っていないから何時も難儀する。 庭の芝を燃やしていると隣家の主人が話しかけてきた。 退職したと言う。私より一歳若い。仕事一筋で来た人、土曜日もめったに休ん でいなかった。私のように仕事は三番めの人生とは違うだろう。無駄使いする 人でもなし、働き者は暫く時間を持て余すだろう。 ベッドにブルーのチューリップの札。風呂に入れない時によく掛けてあるから 清拭の連絡なのか?いまだに分からない。風呂は入っていないので手足の温湿 布を施す。しかめっ面ではないのでまあまあの状態なのだろうが顔には赤い斑 点もちらほら有る。胃がよくないのか。 体温 36 度 3 分、左 36 度 1 分。 午前、車のラジオから瀬戸内寂聴さんの電話でのインタビュうが入っていた。 91 歳になるとかまだ忙しくてとのこと。妻とは 30 歳も違う。どうして妻はこん な運命を背負ったのか?やりきれなくてしょうがない。私の人生と変えてやっ てもいいのに。 2012 年 3 月 21 日 水 晴れ時々曇 通 560 日 再転院 441 日 胃ろう増設 341 日 妻にいつか孫が使うと拒否されていた子供の机を焼却した。 もうそんな心配は要らない状況になったし、埃をかぶって放置するよりすっき りしたい。躊躇していた神の祠もついに処分した。 悪い例えだが東北大震災で多くの神社仏閣が流されたはず、僧侶、神官も普通 の人と一緒の状況になった。それでも神様のお陰と神に感謝できるのだろうか。 そして人々を導いてゆけるのか?私なら出来ない。神の無力を見せつけられた から。肉親を奪ってくれてありがとう。家、田畑を破壊してくれてありがとう。 そう祈るのか? 生き残った人々も亡くなった人同様の苦しみがある。あの時いっそのことと思 う人も多いはず。。 夕刻の病室、どうも妻に生気が無くなった。顔もひどく荒れているし。どうす ればこんなに荒れるのか?顔はもう触ってくれるな!! 家を出る頃は明るくなったせいかカラスがかん高い声で泣き叫ぶ。嫌な予感さ え感ずるのに。 何処と言って悪そうではないが私を明るくさせてくれる雰囲気ではない。 体温右 36 度 2 分、左 35 度 8 分。今日もまだ水色のチューリップが架かってい る。 病院近くのガソリンスタンドの看板が 157 円になっている。急騰の気配、病院 の回数を減らすべきか。私のスタンドはもっと高いだろうな金持ち相手のJA だからな。選択できる程スタンドはないし。 2012 年 3 月 22 日 木 曇 通 561 日 再転院 442 日 胃ろう増設 342 日 陽気が良くなってくると破壊の毎日になるのか。 道路沿いの生垣が乱れに乱れきった。外は暖かいしと、思い切って半分に切り 詰めた。妻が居れば嘆いただろうが、もう手入れが出来ないしそんなゆとりも もてないだろう。コンクリートは嫌いだから引き抜くことは出来ないのだが。 一昼夜でこうも変る物かと思うくらい綺麗に肌荒れが治まっていた。 介護の扱いによる物か、健康が回復した物かは分からないが安堵するし生きて いてくれる事に幸福を感ずる。賛美歌を鳴らしいっときの介護に励む、時間は あっと言う間に過ぎ去る。おばあさん達の点滴注射は続いている。 明日はまた風呂の日、せっかく綺麗になった肌を荒らさないで欲しいと願わざ るを得ぬし、忙しさは理由にならない。患者を労わって欲しい。人それぞれの 弱点があるのだし。 体温右 36 度 2 分、左 35 度 8 分。 2012 年 3 月 23 日 金 雨 通 562 日 再転院 443 日 胃ろう増設 343 日 35 年になるのか、よくぞ溜め込んだと思うくらい無駄なものが仕舞ってある。 全く着る事もなかった和服の小物類、、ブランド?と思しきバッグ 座布団。 今では海外にもラフなスタイルで出かける時代だが妻の時代は旅行と言えば衣 服を新調していたから随分溜まっているし、通勤着も大昔の物までたまりに溜 まっている。洋箪笥、和箪笥と随分と整理せねばならない。昔は形見分けとい って縁者が持っていった様だが今はそんな時代でもなし。 もう着る事も無かろうと思うが処分の餞別に難儀する。 今日は座布団類を選別してみた。もう来客も無かろうから。。 まだこの世の人だが生きてる事自体が奇跡だと思う。この上に奇跡が起これば 心機一転やり直す。 意味があるのかこの時間帯の体の向きと異なる。他の人はいつも道理なのに。 私の行くこの時間帯は規則正しく常に同じ向き、口腔ケアー、マッサージとも いつもと四手(よて)が違うとやりにくい。 妻も勝手が悪いのかいつもの方向に顔を向けたがる。 いつもは出来ない左の髪の毛が手入れできたのでたまにはいいのだが。 風呂に日だったが怒りを感ずるほどの荒れは無かった。介護人によっては大き く異なることは明白だ。 体温右 35 度 7 分、左 36 度 2 分。統計を取っている訳ではないが体が下の方が 体温は低いのか? 有料老人ホームの高額の初期費用(契約金)についての報道があった。 入所 1,2 週間で死くなった場合、途中退所する場合、色々問題があるようだ。 私など集団生活に不向きな人間は特に注意が要るようだ。 この家で人知れず往生する運命のようだ。 2012 年 3 月 24 日 土 雨 通 563 日 再転院 444 日 胃ろう増設 344 日 ガソリン仕方なく入れた、158 円、まだ上がるそうだからまた仕方なく満タンに した。帰宅してカーディガンのポケットに入れて行った携帯電話がない。 スタンドに電話したり庭を探したりであせってしまった。 家の電話から携帯に電話してベルを頼りに探し回った。 車の座席の下から出てきた。どうして????。 今日も新たに賛美歌のCDを作っていった。穏やかな顔で聞いていた。その中 に「主よ 御手もて引かせたまえ」と「しずけき祈り」が有った。なんともい えない笑みを浮かべ美しい顔になった。私も聞いた事のある曲、きっと妻も記 憶に残っているに違いない。今日は顔の荒れも泣く綺麗と言える位、穏やかな 表情。ちなみに 2 曲とも森山良子歌だった。 CDを 2 回聞かせたがまだ起きている様子。別れがたいがCDを止めて帰宅す る。 体温右 35 度 8 分、左 35 度 8 分。体の向きはいつもの向きになっていた。 昨日は遅れたのか、、、 2012 年 3 月 25 日 日 雨雪雷 通 564 日 再転院 445 日 胃ろう増設 345 日 4 月まで一週間、あられ、雪がちらつく寒い日になっている。いつまで続く悪天 候。来週は地区の作業奉仕、奉仕と言うより強制労役、高額の罰金が付いてく る。悪法も一人歩きすれば止める事は誰にも出来ない。正直者は馬鹿を見るこ とも有るだろう。老人家族も多いだろうに。時期が悪い。 今日も賛美歌を聞きながら心地よい時を過ごしているように思える。曲によっ て興味を示す仕草もある。 日に何度も口周りを拭き取って呉れれば有り難いのだが唇に線状に塊をつけて 口臭も酷い。時間を掛けて口ケアーに勤めた。 体の状態が良いと時間の経つのも早い。今日はCDを鳴らしたままにして来た。 終われば止まるから。 体温右35度6分、左35度4分、布団を胸まで着せて帰る。 車に薄っすらと雪。 2012 年 3 月 26 日 月 曇り 通 565 日 再転院 446 日 胃ろう増設 346 日 目覚めのひと時が一番不安が募る。そんな事もあって無理に寝ようとは思わな いのでつい夜更かしになる。 話さなくとも妻が側にいてくれたら力強いだろうに。 朝、部屋が随分明るい。良い天気なのだと障子戸を開けた。 また 2~3cmの雪。春が遠のく気分、ガッカリする。 昼頃には殆ど溶けた。 ここの所、良い表情をしている事が多いのでビデオカメラを持参した。 今日も良い表情をしている。口ケアーを終えたところでビデオを回す。 大きな口をあけて大欠伸を続けて二度もしてくれた。帰ってからブログにとビ デオから静止画に取り出したが流石格好はよくない。取り止めた。 足の甲に 1cmほどの腫れがある。まさかまたあの織炎?ちょっと気になる。 水色のチューリップがまだ下がっている。清拭の標識? 体温右 36 度 9 分、左 36 度 1 分。 朝の目覚めが一番の不安なら面会を終え帰宅の途につく時が一番安堵する時。 今日も無事に終わる。 2012 年 3 月 27 日 月 曇り 通 566 日 再転院 447 日 胃ろう増設 347 日 悠久の住処に百合とバラを刻むと事にしているのだが、妻に聞かせる音楽を探 して時に偶然にも有名な賛美歌の歌詞にこんなしがあった。 「百合の花と 気高くも 咲き出にし 聖きマリア」 「奇すしきバラ かぐわしく 恵みたもう 愛のみ母」 私はやはりキリスト的な世界に意識なく居たのだと思う。 音楽の影響も大きいと思う。 私には神道や仏教は気持ちのよい世界ではない。 生きる為の宗教ではなく、常に死後を意識させる。 今頃、私達の悠久の家は海の上に居る頃だろうか。 以心伝心か? 遅く E-mail を開くと墓石の会社からメールが入っていた。 4 月 2 日ごろ基礎工事に入り 4 月 10 日頃組み立てますとの事。 4 月は出費が嵩む。車検に 10数万が必要と車のディーラから受けているし。 一度は捨てた車なのに妻の出来事でそれも出来ない羽目になった。 目の再検査にも行きたいし、、、 夜病院から帰り用意して炊飯器を開けると空っぽ。 孫達が遊びに来て忙しくなったので忘れてしまった。 1 時間待つ間、散歩で採って来た「ふきのとう」で一品作ってみた。 食べれるかどうか? 今日は 4 月上旬だかの気温とニュース報道。 病室も暑かった様子、皆、布団を外している、なのに暖房が動いている。 赤い顔で体温も普段より高い。左右とも 36 度 6 分。36 度前後が最善なのに。 NHK 午後 9 時ユースで胃ろうでの延命の問題を扱っていた。 おもに高齢の人を対象にした報道で妻の場合はどう考えてよいのか分からない。 異常のない今は命を断つ行為は出来ない。本人の今の気持が分からないし、、、、 もし重体になり法が許した時、選択が可能になったとき、本人の為に逝かして やるのが愛なのかもしれない。 2012 年 3 月 28 日 水 曇り 通 567 日 再転院 448 日 胃ろう増設 348 日 昨日、今日、余り状態がよくないのか、今日一人だけギャッジアップされてい た。上顎の痰が乾いて固まっているし良い状態では眠っていないはず。 マッサージを程ほどにして腰掛けてずっと手を握ってやる。安心するのか時々 目を明けて私を見ている様にも見える。 季節に変わり目を体が感じているのか、そうであって欲しい。そうすれば何れ 落ち着く日が来よう。 今日もずっと賛美歌を聞かせる。一番落ち着く音楽なのかもしれない。かつて 色んなリラクゼーションの音を試したけれど余り関心を示したようには思えな い。 ギャッジアップに高い枕、息苦しそうだが勝手な事も出来まい。楽な体形を工 夫して帰宅する。 体温右 36 度 6 分、左 36 度 5 分。まだ高い。 今日は介護師試験の発表があったとニュース報道。 つい最近まで関心を持つ事も無かった事だ。 残念ながら外国人の合格者は90何人のうち30数人と低い。 日本人以上に純粋に仕事に励んでいるだろうに勿体ない事だ。 多くの人が仕事を続けられるといいのだが。残念ながら妻の病院には研修に来 ているものは居ないようだが。 2012 年 3 月 29 日 木 晴れ 通 568 日 再転院 449 日 胃ろう増設 349 日 昼過ぎ、14 度有るそうだ。家に篭っているのも勿体ない位。 昨年だったか級友からザゼンソウの話を聞いたのを思い出し、里山に入って見 た。谷間に沿ってかっては山の作業道があった道を辿っていった。 夏場は萱や潅木が茂り入ることは出来ないが雪で倒された今はかっての道跡が 現れている。 未だ季節が早いのか花らしき物は何も無い。水芭蕉、カタクリの咲く頃ならば まだ 1 ヶ月早い。 級友は今度の震災で液状化の被害に会い集団で訴訟を起こしている。それどこ ろではない。 ネットのニュースに寄れば大手不動産会社は訴訟に応ずる構えという。 長引くだろうが力を尽くして欲しい。 水色のチューリップが下げられてから風呂に入っていないのでは? 今日はやけにフケが多い。特別ひどい異常があるとも見えないが。 明日風呂の日、注意してみてみよう。 顔が荒らされている。薬より優しい介護をお願いしたい。 いつまでもカテーテルの止アザが直ってくれない。 「肌が弱い」と言う前に労わってやって欲しい。 体温左右とも36度5分。 2012 年 3 月 30 日 金 晴れ曇り 通 569 日 再転院 450 日 胃ろう増設 350 日 生家からジャガイモの種芋をたくさん貰った、迷惑なほど。 土地は広いのだがいたる所に庭木がある。 南側の生垣を切り詰めて日当たりを良くして植えた。 確かジャガイモは痩せた土地でも大丈夫?なはず、何とかなるだろう。 ガーデニングより生活が重要になってきた。5月には夏野菜も作らねば。 昨日に続き春の陽気が清々しい。心地よい汗をかいた。 やはり風呂には入っていない様だ。頭のふけは無かったが、シャンプーで洗っ た様な柔らかさはない。原因が分からない。看護師とも顔を合わせたが何も言 わないので大した理由ではないと思う。胃ロウに異常が出てきたのか? 体温は普段に近づいている様子。左右共 36 度 2 分。この頃左右が近い事が多い ように思う。、 2012 年 3 月 31 日 土 雨 通 570 日 再転院 451 日 胃ろう増設 351 日 あの日から 570 日になる。よくぞ今日まで生き抜いた。 告別用のビデオ映像を更新しながら今日まで来た。何十回の更新になるだろう。 思いつくたびに編集を重ねてきた。飽きることなく元気だった頃の映像を見て いる。目頭が熱くなる事もたびたびある。終わることなく更新を続ける事が出 来る事が今の私の幸せなのかもしれない。 明日は雪模様と予報は報じている。地区の環境整備(こちらでは井浚いと言う) テキパキと進めばいいのだがいつも時間つぶしのだらだら作業は性に合わない。 またその後宴会が始まる。田舎の悪い慣習は改まる事は無い。親睦と言えば聞 こえはいいのだが私には合わない。作業が終わればさっさと引き上げる。 顔色も白く元に戻って健康そうな肌色になっている。今日はギャッジアップも 無く寝かされている。楽そうである。何度も呼びかけてやっと気づいた様子。 熱も普段の 36 度前後まで下がっている。妻にとっては 36 度 6 分は正常ではな く調子が大きく異なる。 手足も少し冷たいくらい。温かいより少々冷た目がいい。 体温右 36 度、左 35 度 8 分。 2012 年 4 月 1 日 日 雨 通 571 日 再転院 452 日 胃ろう増設 352 日 朝 7 時、太陽さえ出ているが寒い日。 8 時半からの整備作業に服装を迷うが雪の予報も出ている。雨具を着けて望む。 割り当ての区域を 10 時半過ぎに終える。これから集合時間まで時間を潰すこと になるので、宴会よりも時間が惜しい。堂々と?作業を終え引き上げてきた。 酒が、宴会が好きならその場を逃すすべは無いはずだが私には苦痛の時間。 損な性分に生まれたものだ。 やっと 4 月になった。お金に追われる月になる。墓石、車検、妻の支払いと 何処から幾ら引き出すか電卓を叩く。 妻の元気な頃はお金の計算などしたことも無かったし ATM など行ったこともな かった。私の給与も全て妻名義の妻の職場の共済組合に預けていた。 私名義の貯金など無きに等しい。まさかこんな日が来るとは思わ無かったから。 今日またギャッジアップされたまま。他の人は正常にされているのに、 顔色は普通、食事時間を長くされているのかもしれない。やはり胃ろうの具合 かも。今日はいつも話してくれる看護師だったけれど特別妻に就いては何も言 わない世間話。心配する事は無いだろう。 体温右 36 度、左 35 度 7 分。 病院から帰ると墓石会社からメールが入っていた。明日基礎工事を始めますと の事。また大阪からはるばるあの営業マンがやって来ると言う。大変な仕事だ。 2012 年 4 月 2 日 月 晴れ 通 572 日 再転院 453 日 胃ろう増設 353 日 予報通りいい天気になった。 ジャガイモの為に切った生垣の木屑を始末する絶好の日だ。 生木でも蒸し焼きにすると勢い良く燃える 2 時間程で全て燃え尽きた。 野火の季節でもあり枯れ草が湿っている今日が一番良い。 延焼すればとんでもないことになる。 また墓石の基礎工事に大阪から営業員とともに二人の作業者が来ている。 天の助けで今日は天気に恵まれたが明日はもう崩れるという。 今日中にコンクリートを打って帰ると言う。 私は邪魔にならないように家から様子を覗っている。 午後タイヤ交換をする。 車検時に替えてもらえば済むことだが、積んで行くのは面倒くさいから。 午後 3 時 10 分コンクリートミキサー車が山の方へ向かった。 コンクリート打ちが始まるようだ、西日が眩しくて見えなくなった。 4 時 20 分、とっくに帰ったと思っていたミキサー車が帰って行った。 随分時間を食っている。手作業で難儀したのかも知れない。 3360×2965×30tで馬鹿でかい。地主の希望だから。 夕刻病室に入り散髪の具合を見る。やっぱり!! 障害者はこんな頭といった見本のようにされている。 看護師が来たので「坊主にされた」と言ってしまった。 報告されなければいいが。 清潔感があっていいのかもしれないがまだ私にとっては女性である。 顔の欠点を丸裸にされたように映る。 直ぐに長くなる。我慢我慢。 体温左右とも 35 度 8 分。 2012 年 4 月 3 日 火 風雨 通 573 日 再転院 454 日 胃ろう増設 354 日 昨夜 11 時頃から強い風が吹き始めた。日中の焚き火のあとが気になりだし深夜 起き出して水をかけた。未だ灰の中は真っ赤。今度は風音が気になりだし眠れ ない。 家から墓石のシートがパタパタとして剥がれているのが見える。 職人は大阪だし自分で始末するしかない。風の中でロープをかけて縛る。 未だ雨が少なく気温が高めに救われる。 暴風雨だし今日は休もうかと思うけれど時間が来れば用意している。 K さんのブログに有った「白雪姫プロジェクト」の中にもあった。 実際は植物状態ではなく意識があっても意思表示が出来ないだけなのではと私 もよく考える。全く身動きせずただ眠っているだけの状態とは違う。 そんな事を思うととても休む気にはならない。全面的に病院を信頼できればズ ル休みも結構なのだが、日によって介護状態は異なる。人間の為す事、几帳面 な人もいれば雑な人も居る。得意、不得手も有るだろうし一人に時間は掛けら れない。 風呂は入っていない。まだ水色のチュ-リップが下がっている 体温 35 度 9 分、左 35 度 5 分。 部屋に黒い埃が、、、暴風により換気扇から綿埃が舞ったようだ。う~ムムム、、、 2012 年 4 月 4 日 水 雨 通 574 日 再転院 455 日 胃ろう増設 355 日 物的被害は無かったが隣家との境の木製の柵が倒された。経年劣化で固定して いたシュロ縄が全て切れてしまった。 暴風が去って今日は寒くなる。気象学では普通の現象という。 リホーム以前なら屋根瓦が飛んでいたかもしれない。 4 月半ばまで金銭的負担が重なり気が重い。開放されたくて ATM3 箇所をまわり 現金を確保した。何時までたっても ATM は苦手だ。妻のこと以来パスワードに 悩まされ続けた ATM はトラウマになってしまった。 今日は私の誕生日だ。私が忘れていても妻はケーキを用意していた。殆ど自分 で食べてしまったが、食べたい時も嫌いな振りをして妻が食べる事に満足して いた。もうそんな日は来ない。 そう言えば去年の妻の誕生日、覚えていたかな? 何の異常も無く半眼状態で居る。浅い眠りなのか。 僅かにギャッジアップされているがやはり枕がもう少し、食パン 1 枚分の厚さ でもいい低くしたい。 手足はともかく体が冷たい訳ではないが右 35 度 6 分、左 35 度 3 分。 一通り作業を終えてタオルケットも布団も胸上まで掛けた。 一つ有り難い処置がしてあった。 腕を乗せる小さな枕が付け加えられた。これは感謝したい。 出来るだけ話しかけてやりたいがテレもあり中々難しい。 次女から誕生日のメールがあった。 長女は 12 月の事柄からお互い一切連絡はしない。普通タイヤを置いて行ってい るのだが、、、、、 2012 年 4 月 5 日 木 雨 通 575 日 再転院 456 日 胃ろう増設 356 日 深夜、断続的にに突風が吹き荒れていた。いつまでも不安定な天候が続く。 地球は政治も経済も気候も天変地異も全て連動しているかのようだ。 一つ狂うと全てが狂ってしまう。まだまだ不幸が襲ってくる気配さえ感ずる。 毎年楽しみにしている NHK 大河ドラマ。せめてこんな世の中、きらびやかな平 安の風景、臭いを期待していた、演出が懲りすぎて風景も登場人物も汚いし騒々 しい。ハイビジョンでなくてもアナログテレビで充分だ。あの時代はあんなに 澱んだ風景だったのか。 まるで今の震災に合わせた様な暗さで見ていると気持が萎える。 今日は最良の状態、口は綺麗、手足は温い、体温も低めだが許容の範囲。 顔肌もよし。 口ケアーの時間が短縮できると椅子に掛けて話し掛けるゆとりも出来る。 手を握って居れば安心もするはず。手術中に苦しくなったとき看護師が手を握 ってくれた事があり落ち着いた経験がある。 2012 年 4 月 6 日 金 雨、曇り 通 576 日 再転院 457 日 胃ろう増設 357 日 みぞれの降る朝になる。 東京、大阪は桜が満開という。こちらは梅が満開状態。 桜は8日辺りが開花とかこんなに寒くて桜の雰囲気でもないが来週には満開に なるはず。 リホーム以来、放ってある道路からのアプローチ、コンクリートで固める気も 無いし塀を延長する気にもなれず一番や安上がるヤブランを植えて緑にするこ とにした。 午後 4 時、墓石会社からメールが入っていた。 「明日、明後日(土、日)の二日 間、墓石の組み立てに来ます」との事。随分早まった。 天候は冷えそうだが悪くはなさそうだ。 信じてよいのか確信はもてないが、、、 夕刻の訪問時「お父さんが(私)判れば手を握ってみて」と問いかけた。 二度ピクリ、ピクリと返した。何かの偶然かもしれないが、否定する事も出来 ない。痰が少ないのか今日も綺麗な口をしている。GUM で口臭を抑える程度で口 ケアーを終える。時間が余ったので腰掛けて話し掛けた時の出来事だった。 体温右 36 度、左 35 度 6 分。 2012 年 4 月 7 日土 設 358 日 曇り時々雪時々晴れ 通 577 日 再転院 458 日 胃ろう増 朝、薄っすらと雪化粧。 雪が時々ちらつく中、墓石の組み立て作用が始まった。 職人さんは昨日夜ビジネスホテルで止まり今日もう一泊して明日仕上げて帰阪 する。 未だ途中だが予想以上に大きくなる。職人も大阪ではこんな大きなものを作っ たことがないという。都会では土地の制約が有るからあろう。 当地は全国一墓石が高いという。 隣に立っている小さな墓石でさえも 100 万以上と言うから私は良い選択をした。 お墓の値段は石の質ではなく人気の有る石が高いのだと言う。 色々墓石に関して知識を得た。 夕刻の病室。薄目を開けて待っているかのように見える。 今日も口はまあ綺麗な方。看護師が来て「暖房入れようか」と聞いたが他の人 は真っ赤な顔をしている妻には丁度良い。 水色のチューリップが無くなっていた。一つ難が去ったのだろう。風呂に入れ そう。 舌に痰の塊が吸着しているのが見えた「お母さん! あ~んと口をあけて」と 問いかけると判っているように口を開く。ピンセットで一つ一つ掴み取る。 何の抵抗も無く従う。舌の上をブラッシングすると必ずしゃぶりだすので 綿棒で撫でてやる。美味しそうになめる。食べる訓練にならないかな。 2012 年 4 月 8 日 日 晴れ 通 578 日 再転院 459 日 胃ろう増設 359 日 1 月からも最も美しい立山連峰が久方ぶりに現れた。墓石の組み立ても快調に進 んだ。午後 4 時半大阪からの職人三人が帰路に就くのを見送った。 こんな場所に公表すべきでないだろうが自分のための記録だから記す。 今日も快調にいた様子。口を開けて寝ているのか口の中は乾燥して上顎に塊が 膜を張っている。 看護師も言っていた。この頃、口ケアーがやり易くなったと言う。 「口を開けて」 というと従うというし反応が大きくなったとも。 私が感じていることを看護師も気付いていてくれた。有り難い。 体温右 36 度、左 35 度 7 分。 2012 年 4 月 9 日 月 曇り雨 通 579 日 再転院 460 日 胃ろう増設 360 日 職人でも趣味で何でもこなす私の目は誤魔化せない。詳細に点検すると疑問が たくさんある。目に付く欠陥は午前中修理した。 墓石会社に写真を送り欠陥を指摘した。 営業員は恐縮していた。修理に向かわせると言う。 そこまで要求はしなかったが。行くと言う。 良心的な態度にこちらが恐縮。職人さんはははるばるご苦労な事だが。 なんともない人のように普通に眠っている。 少しは痩せたのだろうが毎日見ているから感じない。 顔に麻痺が有るわけでもないし健康な頃と変らない表情だから妻を見る目は少 しも変らない。 今日は「大きく口を開けて」と問う。開けたと思う。欠伸のような開け方では ないが。 体温右 35 度 9 分、左、35 度 7 分。 明日は車検、この一年 6 ヶ月の間に随分と車をいじめた。傷だらけ。 今後も傷は増えるだろう。修理をしても無駄だ。此の儘で行こう。 お金も惜しいし。 2012 年 4 月 10 日 火 晴れ 通 580 日 再転院 461 日 胃ろう増設 361 日 今日も気温の高い良い天気。 立山アルペンルート富山県側が弥陀ヶ原まで開通した。山も絶好の天気模様ら しい。雪国の人間がわざわざ雪を見に山には行かないけれど。 天気が良いと庭をあちこち弄りだす。漸くそんな事も楽しめる心境になってき ている。苦しみも時間が解決してくれる。今週当番のゴミステーションの清掃 にも行って来た。妻のいる頃は行った事は無かった。決して依頼もされなかっ たし全て自分で処理していた。苦労を掛けていた。 髪の毛が短くなって風呂に入ったのかどうか判断がつきにくい。 妻の髪の毛は非常に硬い。長いときは風呂に入ると柔らかく感じたのに。 常にごわごわ頭になった。 目を瞑っていても常に瞼が動いている。起きているのか眠っているのか。 表情は穏やかそのもの。無の境地なのか。 体温右 36 度4分、左 36 度 1 分。 2012 年 4 月 11 日 水 雨 通 581 日 再転院 462 日 胃ろう増設 362 日 昨夜からの強風が午後になっても止まない。桜は何処に行くのやら。 雨強風の中、大阪の墓石会社からクレームの点検に見えた。 インターネットを介して探した会社だが実に誠意のある会社に感心する。 クレームを付けた基礎の側面を大理石の帯を巻いてくれる事になった。 しかも無料という提案に驚いた。これから東京方面に向かうという。 好意に報いる為に明日残金を振り込んでおこう。また恩は返してくれるはず。 車検は必要最小限+ラジエータ関係のポンプ(12000 円)の出費になった。 まあこんなものらしい。 来月は自動車税とか。車を持っていて得なことは何も無い。出来るなら再び降 りたい。食料は自転車で、さぞかし健康になるだろう。 車を引き取って帰り妻の病院に寄る。 今日も異常なし。 体温右 36 度 3 分、左 36 度 1 分。 2012 年 4 月 12 日 木 晴れ 通 582 日 再転院 463 日 胃ろう増設 363 日 振り込みに ATM に出かけた。難なく事は終わるはずだった。 振込みのボタンを押し次の画面が出た。何かキャッシュカード何とかという メッセージが出た。カードを入れたが入って行かない。何度か試したが同じ。 ATM トラウマがまた出てくる。やくやく支店まで走り行員のお姉ちゃんに救いを 求めた。メッセージのキャッシュカード選択ボタンを押さずにカードを入れて いた。パソコンは自在に操るのに ATM 恐怖症は直らない。 帰るとポケットに入れたはず?の勝手口の鍵がない。出た時の行動を思い浮か べて探したがついに見つからない。諦めた。 本当にボケが始まっているようだ。こんな事はもういくらでも有る。 めがね、携帯電話、コーヒーの飲みさし、USB メモリーなどなど切が無い 笑い話--ドラッグストアーでお米を買った。10kg3000 円以上が多い中で 1980 円の「自然 のまま育てたお米」と言うのがあった。もちろん飛びついた。私はグルメでは ない食することが可能ならばそれでよい。試して見る価値のある値段だし。 陽気のせいか病室の御婆さん達がパックをぶら下げている。二人は点滴注射、 一人はなぜか遅い流動食。妻は仲間入りはしていなかった。普通どおり。 いつも足を指圧棒で押さえる事は有るが、手のひらは殆どすることはない。。 動かない左手の平を突付いてみるとどうなるだろうと試してみた。 突付いた左は親指がわずかに動いた。それより肩を震わせ、口を大きく開け、 めを大きく開いた。何度か繰り返してみた。恐れているのか、痛いのかどちら かは判らないけれど、大きな反応があることは確かだ。今後続けてみる価値は ありそうだ。もう手遅れかもしれないが諦める事はしない。死の準備は用意万 端、来るものなら来いだ。 体温左右とも36度3分。 2012 年 4 月 13 日 金 晴れ 通 583 日 再転院 464 日 胃ろう増設 364 日 プロの仕事を素人が手直しをする。午前中は墓標の不満な点を手直しをする。 探せば手抜きは見つかる。 家のリホーム後も随分と手直しをしていた。 私は典型的な日本人かもしれない。発想は出来ないが物真似をする事は実に得 意だ。好奇心が強いので物を作ることには大変興味がある。 反面金勘定は苦痛に等しい。銀行員や事務員などとても出来ない職種だったろ う。だからいつも貧乏が付きまとう。妻は苦労した。 今日は医療病棟にいた頃いつも顔を合わせていた若い看護師。介護に移ってか ら滅多に見ることはなくなったが笑顔があって清々しい。年配の多い看護師の 中で数少ない一人。今日はピンチヒッターなのだろう。 昨日試した左手に刺激を与える実験を見てもらった。「少しでも良くなれば良 いですね」と返してくれた。 変らず今日も穏やか。体温右36度2分、左36ぢ1分。 2012 年 4 月 14 日 土 雨 通 584 日 再転院 465 日 胃ろう増設 365 日 全くといって妻の夢を見る事は無かったが昨夜は夢を見た。 バスなのだろうか高い乗り物に乗って運転手も、高い乗り物の上で妻と話して いるのも自分。全く普通の体になって退院して帰る様子だった。1 つだけ言葉を 覚えている。「寝ている間、何も聞こえていなかった」と言っていた。 目覚めて「ガッカリ」という気がしなかったのは私が強くなっている?せいな のか。夢は直ぐ忘れてしまう。覚えているうちにと記した。 三度目の転院は私の元にそして新たな悠久の住みかにしてやりたい。 毎日いつでも訪れてやろう。綺麗な花を植えてやろう。 ジャムが切れたので一番安かった三個入り 437 円也の林檎を買った。 帰って直ぐジャム作り。さてご飯にしましょうと炊飯器を開ける。 またスイッチをと言うよりコンセントが入っていなかった。 やはりボケが相当ひどい。 時々有るのだが口腔ケアーでブラシを喉奥に入れると血がついてくる。 おそらく痰吸引の際に器官に傷が付くのだと思う。看護師の技量も様々。 常に勉強会、講習会はしていただきたいものだ。 大昔に取った看護免許では心もとないし、出身も様々だろう。大病院、個人病 院。公立、私立。出身元が立派な病院ならばいいのだが、必ずしもそうともか ぎらないはず。また圧倒的に準看護師が多い。準看と看護師の違いは知らない が、正と付くからには技量は上と思うのだが。 体温 36 度 4 分、左 36 度 3 分。 2012 年 4 月 15 日 日 雨晴れ 通 585 日 再転院 466 日 胃ろう増設 366 日 肌寒くも無く春のいい日になった。 今日は妻に事は忘れて夏野菜の下準備に精を出した。 庭の木々の隙間を塗って支柱を立て、ガーデニングによく使ったワイヤーメッ シュをトマト、キウリの支えにする。 妻の事ばかり考えていても妻は急速に良くなる筈はないしどんな名医も不可能 を可能にする事は出来ない。ましてや素人の自分が知識を得たとしても在宅介 護ならまだしも病院預けでは何も出来ないだろう。自分がまず生きがいを得て 妻を見守ってやるのが最善の妻への孝行だろう。苦しんでいては妻のためには ならない。 普段の体温を越えると様子が変る。今日は眉間に皺を立てて息苦しそうにして いるし、盛んに息を止めて痰を出そうと努力している。 長く息を止めると気が気ではない。大息をついて呼吸を始めるとホッとする。 体温右 36 度 5 分、左 36 度 4 分、体のせいか、気温のせいか妻には高いのだ。 はるばるまた大阪から職人が一人墓石の手直しに来た。夕刻見に行ったが大変 綺麗になっていた。このままでも構わないのだが相手方の希望で基礎部分の周 りにも石を張るというから採算が合うのだろうかと此方が心配になる。 2012 年 4 月 16 日 月 晴れ 通 586 日 再転院 467 日 胃ろう増設 367 日 妻は「やめられない止まらない」と言いながら草むしりを始めると暗くなって も中々止めなかった。土の庭は手入れが行き届いていると綺麗だが手抜きをす ると直ぐ雑草に悩まされる。 飽きっぽい私は長続きがしない。断続的に何回も繰り返して何とか維持してい る。今日も作業中に次女が来た。墓標を見に来たのだが「立派だね」と特に感 動も無い。 昼、私の作った簡単な手料理を食べて早く帰った。 あの安い米の感想は「食べれない事も無い」そうだが、やはり値段なりの味が する。 今日も余り機嫌がよくないようだ。表情が悪い。 赤い顔もしている。足元を見ると湯たんぽが?それほど冷たい足でもないの に?体温右 36 度 7 分、左 36 度 3 分。高いのに? どう判断すればよいのかちぐはぐな状態。日中は暖かくすがすがしい日だった のだし。湯たんぽを足から離す。取り去りたいがそれが出来ない。 2012 年 4 月 17 日 火 曇り 通 587 日 再転院 468 日 胃ろう増設 368 日 草取りをしていると隣の主人が話しかけてきた。 娘の結婚で祭りに獅子が来るので見に来てくれとの誘いであった。 病院に居る頃でも有るし信仰、信条、金銭の事も有りお断りした。 話のついでに「お祝いに幾ら出すんんだ」と聴いて見た。 3 万円位だろうとの事。大昔はもっと多く、家の格式?も有ったが 5 万円と言う 話もよく聞いた。 もちろん娘の夫の親が出すことになるのだろうが、招待を受ける娘の親は迷惑 な話である。 我が家の場合そんな事を夫の両親に要求できる常識は無かったので獅子舞はお 断りした。また祭りはしたことも無いので。 伝統を守ることは良いことかもしれないが、それに伴う悪しき慣習も付いてく る。それでも妻が居るまで御花(酒、お金)は出してきたが妻が倒れてからは 私はもう出さない。神にもう恩はない。 たかりの伝統は御免蒙りたいものだ。 肌はきめ細かな白い肌になって健康そうになっていた。 手足はやや冷たいが熱いよりは状態はいつも良好だ。口ケアー、マッサージと 進めてゆくとしかめっ面になってきた。せっかく穏やかに眠っていたのに起こ されて、、、 手を使わないから爪がよく伸びる。おそらく爪切りは病院でしてもらったこと は無い。伸びれば直ぐヤスリでそぎ落としているから。よく失敗して血を出し たがヤスリに変えてから巧く行っている。 風呂だったので温湿布は止めると時間が出来る。両手を握って話し掛ける。 体温左右とも 35 度 7 分。 2012 年 4 月 18 日 水 通 588 日 再転院 469 日 実家の前を通ると風景が変っていた。 胃ろう増設 369 日 実家の前にある神社が丸裸にされていた。神社が改築されるまで鬱蒼とした鎮 守の森であったが徐々に伐採されついに裸になった。実家は立山連峰が一望で きるようになり新たな土地に来た気分に違いない。 私の地区の神社は遠いところにありこの神社より親しみは無いがまだ鎮守の森 は残っているようだが信仰心が薄れ地区も大きく変貌してしまった昨今、何れ 伐採の運命が待っているだろう。 信仰心はともかく子供の頃からの風景が変貌して行くのは寂しい物だ。 昨日立山アルペンルートが全線開通した。室堂の雪の大谷は17m有るとか。 生涯見ることは無いが。 今日も異常なし。帰り支度をし CD を止めると両目を開いて何かを探している様 子。音が消えたからか。帰り際に目を開けられると帰りにくくなる。 体温右 36 度 5 分、左 36 度 1 分。 2012 年 4 月 19 日 木 通 589 日 再転院 470 日 胃ろう増設 370 日 墓標を建てたら魂を入れるために僧侶の読経をする宗派もあるそうだが、 魂とは何なのだろうと不思議に思う。愛する家族が亡くなって遺骨を入れると き初めて拝む対象が出来ると私は考える。愛する人が神になったとき私はそれ を拝む。菩薩様でも阿弥陀様でもない。 それでも建てて放っておくのもけじめが付かない。 お花を供える代わりにガザニアとバーベナの鉢植えを 4 個作り、一人で墓標に 備えた。もちろん初めてローソクに火をつけた。これから回数を重ねて自分で 魂を入れてゆく。 異常なし、手足が少々冷たい。暖かな日は手抜きをしたいが冷たくては放って 置けない。体温は普通より高いのだが。もう大分経つが膝関節が鈍く壊れそう な音を発するようになっている両足とも。毎日足の屈伸運動はしているのだが。 今日は背中のマッサージを忘れてしまった。やっと今気づいた。 2012 年 4 月 20 日 金 晴れ 通 590 日 再転院 471 日 胃ろう増設 371 日 また夢を見たようだ。すじが有ってないのが夢。喧嘩している様子、私は木を 切っていた。妻は育てた物を始末する事を嫌った。雑草でも花が咲いていると 取らなかった。植えた木が気に入らなくなり始末しようとすると必ず反対した、 「育てるには何十年、切れば一瞬」だと。 この頃、後ろめたい思いをしながら育てた木を切っている。 そんな事も有ってこんな夢を見たのだろう。 何も書く事が無いほど、何も無い。口は綺麗だし、体温も今日は理想状態。 暖房が入っているのか、部屋は熱め、暖房を切って布団を着せたいところだが 我儘は出来ない。体温右 36 度 2 分、左 36 度 1 分。 夕刻から小雨模様、新緑の芽生えに雨は必要なのだそうだ、道中のラジオが言 っていた。 2012 年 4 月 21 日 土 通 591 日 再転院 472 日 胃ろう増設 372 日 自分だけの宗教を設立。 神道も捨て、仏教も捨てたからには何かすがる物を見つけなければと思うけれ ど既製の宗教は信ずるに足りない。ならば自分で作るしかない。 と言う訳で自分だけの宗教を作る。 元来から音楽を通してキリストの世界に憧れを持っていたが歴史ある宗教は権 威ふりかざすし間違いも、罪も犯してきた。 自分だけの為に清廉潔白なキリスト教を作りたい。 考えれば仏教も、キリスト教も同じ外国の宗教、しかも色んな分派が乱立して いる。自分が作っても何ら可笑しなことではない。 当県に浄土真宗親鸞会という分派がある。西本願寺派の寺が反旗を掲げて立ち 上げた浄土真宗である。誰がどんな宗教を作ろうと勝手なのだ。 カトリックでも無し、プロテスタントでも無し、ものみの塔でも無し、統一教 会でもない。ただ救いを求める宗教が欲しいから。 今日は絶好の庭仕事日和、7 時から道路沿いの草むしりに励む。 あっちの土をこっちに、こっちの土をあっちにとガーデニングにも励む。 立ち直るまで 2 年、3 年と掛かると聞いていたけれど 591 日とは何年何ヶ月だろ うか、意外と早く立ち直っているのではと思う。この頃、このまま病院におい て置くより往生を遂げて私の心のうちに戻って呉れればと考える事も多い。 キャベツの芯を幾つも水に浸して置くと根が出てきた雪解けを待って土に植え たところ菜の花のように蕾が出るまでに育った。試しに昼の味噌汁の具にして 食べた。柔らかくて美味しかった。キャベツのように丸く育つと思ったが立ち 上がってきた。 田舎に居て山菜は殆ど食べる事は無かった。妻が好まなかったと言うより料理 に手間が掛かるので好まなかった。今年はゼンマイ採りに行ってみようかな。 野菜は高いし。 午後 4 時生家から赤飯が届いた。妻が居れば喜ぶのに、、、今日は地区の祭りお 宮に向かう獅子舞の笛、太鼓が聞こえていた。我が家は普段のままの生活が続 くのみ。 今日も隣家から獅子舞に誘われたが親戚の集まっている場所に他人の私がゆけ るわけが無い。 夕刻の病室、酸素マスクのお婆さんのカーテンが引かれていた。看護師も頻繁 に訪れる。非常勤であろうか、滅多に見ない医師も様子を見に来た。 今日はホースが酸素のバルブに繋がっていた。 今日は音楽は遠慮せざるを得ない。妻も快調とまでは行かないが、異常なし。 マッサージをしていると汗が出る。陽気のせいで皆んな余り快適ではないのか もしれない。 2012 年 4 月 22 日 日 雨 通 592 日 再転院 473 日 胃ろう増設 373 日 10 時辺りから小雨混じりの強い風邪になった。外仕事は出来なくなる。 昨日は百合苗を 11 本購入した。年末に球根で植えたかったが機会を逸した。 冬に向かってそんな気分に成れなかったのだろう。庭に百合の新芽があちこち に出ている。今年も草取りで幾つも切ってしまった。 夕刻病室はいる。暫く呆然となる。あのお婆さんのベッドには何も無かった。 整理箪笥は引き出しが階段状に引き出されていた。 駄目だったのかもしれない。この部屋では一番意思表示が出来た人だったのに。 妻も何れこんな光景になるのだろう。思うとさびしいことなんだな。 お陰で妻は今日も安定状態。椅子が一つ置いてある。誰が着たのか、話さぬ妻 は語ってくれない。夫としてはわからない人の訪問は非常に困る。たとえ心配 してくれたとしても有りがた迷惑、何か連絡が欲しい。 体温左右とも 36 度 1 分。 2012 年 4 月 23 日 月 雨 通 593 日 再転院 474 日 胃ろう増設 374 日 雑草のように山スミレが咲く、繁殖が旺盛で草むしりをする妻に「採ってしま え」とよく忠告したものだが決して採らなかった。今が盛りと咲く可憐な花を 見ていると私も取れなくなっている。3 種の山スミレが咲く。かって里山で群生 していた美しさに引かれ持ち帰った物、こんなに繁殖力が有るとは思わなかっ た。 ケーブルテレビのデータ放送で「おくやみ」欄が出来たので助かっている。 噂話や世間話が全く入らない状態でこの事が気がかりだった。今尚、新聞は取 っていないし。 同室のお婆さんがやはり! 土曜日私が夕刻に訪れた後のことのようだ。思っていた以上に高齢であった。 安らかにと祈りたい。 今日も異常なしだが、此処暫く笑みを含んだ爽快な顔は見られない。 顔色も白い健康そうな肌は見ていない。 今日は一通りのメニュウーをこなす。帰宅目掛けて二度も大きく咳き込み口を 汚してしまった。 病室に新たな人が既に入っていたが周りはカーテンが引かれていて様子が分か らない。 この病室はナースセンターに近い。それだけ重症者であると言う事らしい。 今日も CD は聞かせられなかった。 体温右 36 度 4 分、左 36 度 2 分。 2012 年 4 月 24 日 火 晴れ 通 594 日 再転院 475 日 胃ろう増設 375 日 いい天気、墓標の彫刻が彫りっぱなしなのでカラーでと思い近くのホームセン ターに出かけ色を探したが手ごろな油性の色が無かった。絵を描く絵の具程度 の量でよいのだがペンキにそんな物は無い。 諦めて白のみ一缶かった。1時間ほどで出来上がった。側に居ても細かくて何 を描いてあるのか分からぬ常態が黒い墓標に白の百合とバラそして4文字の HG 行書体の文字が浮き出てきた。 此処数日両眼が赤い。無理に起こすからかとも思っていたが、涙や目脂が多い。 私はいつも洗眼材で目やにを取り、充血があれば目薬を注している。もちろん 自前の物だ。病院は多分一日一回タオルで顔を拭く程度だから睫毛の裏までは 目脂は取れないので自分でするようになった。何も無ければいいのだか、、、 こんな陽気のいい日も黙って眠っているだけとは酷なことだ。私に取っては生 きていてくれる事に感謝しているのだが本人の事を思うとこれで良いのだろう か。殺す訳にも行かず、安定であれば有ったでまた別の苦しみが湧いてくる。 体温左右とも36度1分、他の人は布団は足元のみ、妻はいつも腹以上に着て いる。 今日は音楽を聞かせた。 2012 年 4 月 25 日 水 晴れ 通 595 日 再転院 476 日 胃ろう増設 376 日 体温だけを見れば何も異常は無いようだけど、どうも不安を感ずる状態が続い ている。額の細かい吹き出物、目の充血、苦しそうな表情、この頃、顔の肌が 赤い事が多い。目を開く事が少ない、直ぐ眠る。 安堵して帰宅できなくなった。季節的な原因であれば良いが。天気が良いので 外仕事をしていることが多いので何時も放っている携帯を一日中腰にぶら下げ るようになっている。 体温右36度4分、左36度1分。異常はないと思うのだが? 2012 年 4 月 26 日 木 強風 通 596 日 再転院 477 日 胃ろう増設 377 日 11 月 25 日長女が帰省した折に気まずくなってから今日までお互い連絡はしなく なった。5 月の連休は今もって連絡が無いところを見ると帰らないように思う。 夫の実家で寝泊りすれば良いように思うが、どうも子供の頃から放任、良く言 えば独立独歩らしく。家が狭い事もあり歓迎はされないようなので帰りたくと も帰る場所が無くなった。 スノータイヤのままでどうしているのか、、、、 妻が倒れて 2 ヶ月程で女の子が出来たが、あの頃は孫どころの騒ぎではなかっ た。年が明けて夫が転勤になったこともあり、帰省しても人見知りをするので 孫に触れる事も無かった。自然愛情も湧かなくなった。 萎れたガーベラの鉢を持って次女が来た。鉢を崩してみると殆ど砂だけの土。 花は買ったが土は家にあった砂を使ったらしい。保水が全く無いので萎れてし まう。 22 日訪問の犯人が判った。次女が使ってそのままにして帰ったと言う。 私は滅多に椅子を使う事が無いの普段は置いてない。心配掛けやがって!! 同室のお婆さんが亡くなった事を話すと「やっぱり」と次女も気付いていた。 「お 悔やみ欄」で知った住所の事を話していると「私の住所だ」という。葬儀案内 の看板を確かに見たと言う。 滅多に合う事も無い、母の顔も知らない中学時代の級友からお母さんの病気の ことを聞かれたと言う。世間は本当に狭いとつくづく思う。 お母さん調子が悪い事を告げたが日曜日は元気だったと言う。 確かに私もその様に書いているが、、、 食糧難でオオバギボウシを食べてみた。 山菜であることは知っていたが園芸用に沢山育てていたが、ジャガイモが影に なるので移動か捨てるしかない。ならば食べてみようと思ったわけである。 昼飯用にシメジと一緒に炒めて見た。シメジが余り良い匂いはしないしギボウ シと意識して食べるからか美味しいとは感じないが料理次第では癖の無い野菜 かもしれない。みんな食べた。 今日は顔肌もよく調子が良さそうに見えた。口ケアーに随分時間を費やす。だ んだんしかめっ面になってくるが拒否反応は絶対しない。嫌だけど従っている のかも知れない。まだ目の充血は取れない。 体温右 36 度 5 分、左 36 度 1 分。 2012 年 4 月 27 日 金 晴れ 通 597 日 再転院 478 日 胃ろう増設 378 日 傷だらけに成った車、車検時に何とかしようと思ったが、何れも部品の取替え で大きな出費になり全て諦めた。 一箇所、是非直したいと思った後部のハッチの凹みも全て取り替えて 20 万円と 見積もられ諦めた。いつか自分で直したいと考えていたが天気の良い今日試し てみた。 裏板のプラスチックの板を外すのに難儀した外すことが出来た。後は木片で細 かく叩きながら修正する。完全に元通りとは行かないもののひどい凹みは直っ た。20 万円の儲けだ!! 車のディーラーはこんな修理もしない時代なのかな? 持ち込む所が間違いだったのか? 判っているものと信じて、今日妻に二つの報告をした。 一つは長女が第二子をみごもった事。 以心伝心か、昨日長女について書いたばかり。夕刻にメールが入っていたのを 今日遅くまで気が付かなかった。4 ヶ月目だそうだ。 二つ目は墓標を建てた事。片目だけを開けて聞いていた。目が左右にきょろき ょろと動き不思議そうな表情。理解できたら幸いだが。 今日もまだ目が充血してしている。 涙を拭いても直ぐ浮き出てくる。目を弄るのを止めたいが目脂が有るので放っ て置けない。洗眼は長く続けているが異常は無かったから私の責任ではないと 思うが疑われる可能性は有るだろう。。さてどうした物か。冷やしてみるか。病 院は気付いているのかな? 体温右 36 度 3 分、左 3 度 5 分。 2012 年 4 月 28 日 土 晴れ 通 598 日 再転院 479 日 胃ろう増設 379 日 9 時も過ぎると初夏のような陽気になる。お隣さん友人と山菜取りに出かけたよ うだ。私も味噌汁用にゼンマイくらいは欲しい。 田舎に生まれても山菜取りの習慣は無い。大きな農家だったから農作業が忙し くて山菜取りどころではなかったのだろうと思う。結婚しても妻は山菜の料理 には疎かったし下処理を嫌がった。 幸いにも収穫を分けてもらった。 僅かであるが下処理は面倒くさいゼンマイの綿を採り、重曹の熱湯でゆでたが 加減が全くわからない、適当にゆでてみたがゼンマイの葉っぱが溶けたように なった。後は切って冷凍で保存してみた。一人では一度に食べれないから。 この時間帯にギャジアップが良くあるようになった。口ケアー、マッサージが やりにくい。枕は高いので滞在中だけでも広いバスタオルに変えてやる。高く されているのは何か意味があるだろうから。 新たな薬品?が名前入りで置かれていた。目の洗浄のホウ酸だろうか?。 牛乳のような液体でホウ酸とは違うようにも、、、ポンプ付きの容器は何かの空 き容器らしい。目脂で瞼がくっついている。やはり自分の洗浄液は使わねばな らない。 体温右 36 度 7 分、左 36 度 6 分。気温が高く蒸し暑いせいだろう。顔も赤く快 適ではなさそうだ。 2012 年 4 月 29 日 日 晴れ 通 599 日 再転院 480 日 胃ろう増設 380 日 私は浄土真宗の家で生まれたから寺からは準会員(会費無し)扱いだと聞いた ことがある。仏壇もないし教徒である標も受けていないし仏教徒と意識したこ とはない。慣習に従って他家の葬儀には仏教式に習って所作はしている。 妻のことが起きて慣習に従わない事を宣言しておきたいと思ったからだ。 一番親しみのある十字架を掲げた。もし妻にもしもの事が有ってもにわか仏教 徒に仕立て上げたくは無い。妻も仏教に関心を持っていた事もないし、お経も 全く知らない。儀式の為だけに仏教徒にはしない。 大型連休、妻が居れば誘って何処かに行っているのだろうが一人ではそんな気 も起こらない。 庭で草むしりに精を出す。と言っても飽きっぽいので断続的でしかない。 病院から留守電が入っていた。 「介護保険負担限度額認定」の手続きを今年もや ってみるから印鑑を持ってきてくれ」との事。 市民税が非課税で無い限り無理なんだが? 今年からの確定申告は例年と異なり 400 万円未満は申告しなくてもよくなった が、市民税の計算はどうするのだろうか。 病院の言う通り駄目もとで申請だけはしてもらおう。 私は医療費があるので確定申告はしたのだが。 今日も暑い日だった様でサッシが空けてある。午後 7 時とも成れば冷気が入っ てくる。妻の体温が低めなら躊躇無く閉めるのだが昨日に増して高い。 右 36 度 8 分、左 36 度 3 分。 ひっきりなしに痰を出す。喉を刺激するから余計に出るのか? 帰り際になってやっと目を開けだす。 目の充血がまだ収まらぬ。 2012 年 4 月 30 日 月 晴れ 通 600 日 再転院 481 日 胃ろう増設 381 日 朝 8 時電話がなった。この時間帯は暫く音沙汰が無い義姉だろうと出てみた。 病院の相談員だった。出勤しているからとの事だった。 「介護保険負担限度額認定」に変更があった由、相談員も良くわからないので 申請してみるとのこと。無理と思うがだめもとでお願いした。 その足で妻の元に寄った。ゆっくり世話をしてやりたかったが、熱が有る様子。 また余計な世話と取られても気落ちがするのみ、苦手な看護師さんの顔も見え た。残念だが10分で引き上げた。 夕刻体温右 37 度 2 分、左 37 度。サッシは開いて冷気も感ずる。タオルケット 1 枚にして帰路に着く。 2012 年 5 月 1 日 火 晴れ 通 601 日 再転院 482 日 胃ろう増設 382 日 今日も初夏のような日、起きて直ぐ草取りに掛かる。集中してすれば一日、二 日で終わるんだが飽きっぽいので続かない。断続的でも取れば見違えるように 綺麗になる。今は勿忘草があちこちに咲き誇っているので除草材や器械が使え ない。毎日こつこつと取るしかない。取っても雨が降れば直ぐ新たに芽吹いて くる。私が動けなくなったらどうなるのやら。 今日も熱がある。右 36 度 9 分、左 36 度 7 分。 隣のおばあさんも脇にアイスノンを入れている。 体温が高いのも気候のせいなのだろう。今日も帰宅する頃に目覚め始めた。 椅子に腰掛けて手を握りながら話し掛ける、 「手を握って」と言うと握り返した。 瞼を動かしながらだから無意識とは思えない。 「もう帰るよ!!」と言うと泣きそ うな淋しそうな表情をする。だらだら側に居ても介護の邪魔になろう。別れ難 いが帰路に付く。今日の看護師さん見つめた訳ではないが見かけない若い人だ った。 2012 年 5 月 2 日 水 晴れ 通 602 日 再転院 483 日 胃ろう増設 383 日 ジャガイモが元気に生長している。草取りがてら剪定をして肥料を補う。そろ そろ雨が欲しい頃、土が乾きすぎている。 夕刻から雨模様。病室は心地よい温度、冷気が感じられた。サッシはまだ開か れていた。迷ったが閉めた。お陰かどうか妻の状態も穏やかな表情になってい る。 私の口ケアー様のブラシを入れている消毒用の容器が開けたままになっていた。 確か昨日もブラシが出しっぱなしになっていたはず。看護師が使用しているの か? 深く眠っている様子。身体を動かし始めても目は開けない。作業が終わる頃、 漸く瞼を動かし始める。体温右 36 度 6 分、左 36 度 3 分。 2012 年 5 月 3 日 木 曇り 通 603 日 再転院 484 日 胃ろう増設 384 日 朝起きてコーヒーカップ片手に庭を散策する。落葉樹の若葉が美しい。 草むしりは大変だがコンクリートで固めた味気なさは無い。自然の美しさの喜 びを感ずる朝のひと時。 世話を受けているからには病院に感謝しなければならないのだろうが、家族か ら指摘されなければ気付かないようでは何の為の病院に居るのかと腹立たしい 時もある。交代勤務で誰にも責任は無いだろうか? 患者一人に最終的に責任を持てる看護士或いは介護師が欲しい。 目の充血が始まってもう 1 週間以上は経ったはず。迷ったが思い切って看護師 に聞いてみた。 「何が起きているのでしょうか」と看護師は気付いていない様子 で「先生に診てもらいます」との返事。遅い!! 何も言わない妻は死人扱いなのか? 指で瞼を開けようとしても力を入れて開かない。目薬を入れると滲みるのか泣 きそうにしている。 今日も苦しそうな表情、体温がまた上がっている。 右 36 度 9 分、左 36 度 6 分。平熱の 36 度辺りからすれば高い。 余り目も開けてくれない。直ぐ寝てしまう。 2012 年 5 月 4 日 金 曇り 通 604 日 再転院 485 日 胃ろう増設 385 日 田んぼに水が入り田植え準備の器械音が連日一日中どこかで聞こえる。 遅植えが推奨されているが私の生家は最早、今日田植えを始めた。常に早いの は我が一族の血統かも知れない。せっかちなのだ。10 年ほど農繁期になると妻 とともに連休中は手伝いに行った。妻は良く冗談に「絶対農業は手伝わせない」 と言ったはずと。米を貰っている以上手伝わない訳には行かなかった。 妻は私以上に農作業を手伝ってくれた。 肌色が白く治まってらくそうな表情で眠っていた。夕刻頃は素足で居ると冷た くなるくらい気温が下がった。お陰で妻の状態も落ち着いた。手足も冷たいく らい。この方が妻には良い。まだ目脂が多く充血。 体温右 36 度 4 分、左 36 度 1 分。 2012 年 5 月 5 日 土 晴れ 通 605 日 再転院 486 日 胃ろう増設 386 日 ラジオによると今日は母に感謝する日の意味も含んでいる「こどもの日」なの だそうだ。 妻がいれば何遠慮する事無く子供達も集まってくるのだろうが、、、、 だだっ広い部屋に時計の音だけが響き淋しさが込み上げてくる。居るはずも無 いのに墓地に出かけて鉢の花の手入れをする。 日中 25 度まで上がったとニュースが伝えていた。 そのせいなのかどうも生気が感じられなくなった。反応も鈍いし、しかめっ面 をして直ぐ眠ろうとする。衰えが進んでいるのか、、、 冷たいタオルで顔を冷やす。 体温右 36 度 6 分、左 36 度 4 分。顔は赤い。団扇をもってゆくつもりなのに直 ぐ忘れてしまう。 帰宅時、車の中で酔っ払いたい気分になる。 「ドラッグストアーに寄りあのジュ ースより安い酒を買った 2012 年 5 月 6 日 日 雨 通 606 日 再転院 487 日 胃ろう増設 387 日 昨年9月に胃ロウの交換をしてから8ヶ月になる。その後何の話も聞いた事が 無い。 妻の状態を病院から聞く事は滅多に無い。何も起こっていないと言う事だとも 思うが、かって医師には「明るい話は聞いた事が無いので詳しく知りたくない」 と言った事があるので何も話さなくなっているのかもしれない。暗い話を聞か されてじわじわ苦しまされるよりある日突然、駄目でしたと言われる方が良い からだ。覚悟はもう出来ているし何も知らない方が日々の介護の励みになる。 いつか何かが起こると希望が持てるから。知りすぎる事は私には何の役にも立 たない。知らぬが仏で尽くしてやりたい。 口ケアー少々難あり、舌に痰の塊が直ぐ見えた。直ぐピンセットで取り出す。 吸引機だけではどうしても残ってしまうのが現実。後の始末は担当者の性格に よって左右されるのだろう。全ての人が几帳面とは限らないから。 目の充血が一向に改善されない。表情も晴れない、今日もしかめっ面。 今日は右足が冷たい。最近暖かな日が多いので足のバスタオルは取られてしま った。 体温右36度4分、左36度。 妻の弟が訪れた。久々に顔を合わせたが早々に帰ってしまった。連休は山菜採 りに行っていたそうな、ワラビ、竹の子だと言う。少し持ってきて欲しい物だ。 他人さえくれるのだから。 2012 年 5 月 7 日 月 晴れ 通 607 日 再転院 488 日 胃ろう増設 388 日 状態の良い時は「もう覚悟は出来た」「何時その時がきても」と思っているは ずが、やはり異常が続くと気に成る。床の中で考える。もしかして目の充血は 脳内で再び出血しているのではと。病院に居るのだからそんな事は直ぐ気付く はずだと思うが看護師の技量が判らないし、医師もおそらく毎日見ていること は無いだろうからやはり心配になる。 顔色が白くしかめっ面ではない。ホッとする。口は乾燥気味だがブラシで刺激 を与えると潤ってくる。痰も咳き込んで徐々に吐き出す。ブラシは相当喉奥ま で入れているが嘔吐までする事は決してない。ただ始めようとブラシを口に入 れようとすると用心するのか嘔吐の様相をする。入れる前に「掃除をするよ、 口を開けて、あ~んして」と了解を得ると受け入れる。ガーゼで唇、歯を拭く と嫌がる。病院の介護のトラウマが植え付いているのだと思う。 今日は団扇を持参にて扇いでやると大きく溜息をついた。気持がいいのだと思 う。 体温右36度1分、左36度2分。 帰宅して夕刻、隣家から貰った竹の子を処理する。病院の道中でコイン精米所 で米糠を貰ってきた勝手にだが。スーパーマーケットで400円も500円も する竹の子、、有り難く頂かねば、同情してくれているのかな。 2012 年 5 月 8 日 火 晴れ 通 608 日 再転院 489 日 胃ろう増設 389 日 季節はめぐる。待ちに待った春も新緑が黄緑から緑に深まりあっという間に夏 が過ぎ秋が過ぎ再び長い冬がめぐってくる。出来ることならどんな状態だろう と妻と二人で季節を過ごしたい。 何度か病室に出入りしていた看護師さん「あまり嬉しそうな顔をしていないね」 と言った。ちょっとむかっと来たがこらえた。どう言う意味かわからないし悪 意の言葉じゃないかもしれないし。事実、口ケアーやマッサージをすれば全て が気持がよい訳ではない、口ケアーには GUM も使うし嫌な顔にもなる。しかも この頃余り調子も良くない。日中いい顔をしていて私のいるときにしかめっ面 をしているのであれば何も文句は無いのだが。 体温右36度5分、左36度4分。常に変動する。 健常者の自分も毎日検温して比較する必要がある。 自身の体温 右35度8分、左36度1分。こんなに低いものなのか。 2012 年 5 月 9 日 水 晴れ 通 609 日 再転院 490 日 胃ろう増設 390 日 昨日の看護師の「嬉しそうな顔じゃない」の言葉に傷つきずっと頭から離れな かった。 私が作業をする前はどんな表情なのか詳しく観察してみた。調子の良い時の笑 みを感ずる程の表情ではないがしかめっ面ではない。 口のケアーでのど奥までブラシを入れると多少のしかめた顔をする。目のケア ーに移り目脂を柔らかくするために洗浄剤を瞼にかけガーゼで拭き取る作業を すると泣きそうな顔をする。今非常に充血している為に刺激が強い為だと思う。 昨日看護師にこの様な表情を見られた為に「嬉しそうな顔じゃない」と言われ てしまった。今日は目薬は止めた。充血は取れない 体温右 36 度 5 分、左 36 度 1 分。 私の体温は介護作業を終えて計った時は左右 36 度 5 分だった。 今現在左 35 度 9 分、右 35 度 8 分。 どうも体温 36 度 6 分が標準というのは壮健な若者の体温なのじゃないのか? http://labaq.com/archives/51743542.html 此処に面白い話が書いてあった。 私もどれだけ妻にストレスを与えていたのか計り知れないと思う。 今日午後次女家族が来た。孫の男の子二人、次男はおとなしいが長男は我儘で 騒々しい。妻もこの長男には往生したきらいがあるのだ。性分は中々直らない。 2012 年 5 月 10 日 木 雨、曇り 通 610 日 再転院 491 日 胃ろう増設 391 日 そろそろ夏野菜を植えたいし、病院の支払い日が始まるしで ATM とホームセン ターが同じ場所にある場所で苗を買った。トマト 10 本、キウリ 4 本、ナス 5 本 を買った。1950 円意外と安く上がった。高い苗を買ってもお隣さん直ぐ枯らす みたい。育て方次第だろう。昨年は捨て値の 20 円で買っても実ってくれたし。 雨が上がった隙を来て準備していた場所に植えた。雨の日は駄目らしいが私に は常識は通用しない。破天荒な性格だから失敗も多いが。 久方ぶりの穏やかな表情をしている。午後急速に気温が下がった気がする。 東京もテレビでは 14 度を表示していた。 お陰かどうか妻も手足は冷たい。温湿布をする。ふやけて垢が出る。連休を挟 んでいたので風呂に入っていないのか? ついでに手足を拭いてやる。 帰り際になって目をパイパチし始めた。最近余り動かさなかったのだが。今日 は洗眼剤も目薬も控えてみた。 体温右 35 度 9 分、左 36 度。 私自身は右 36 度 2 分、左 35 度 9 分。 2012 年 5 月 11 日 金 曇り 通 611 日 再転院 492 日 胃ろう増設 392 日 ストーブが欲しいほど寒くなった日、妻の体もてきめんに反応している。 体温 35 度 3 分、左 35 度 2 分。低すぎるが、穏やかな表情。 目の充血を訴えていたが反応もないし結果も出ていない。 今日は若い愛想の良い看護師、もう一度訴えてみた。自分の手で確認していた、 メモを取り明日先生に報告しますとの事だった。先日の年配の看護師は調べる 事も無く先生に診てもらいますとの事だったがその後顔を合わせても何も言わ なかった。今日も充血はひどい。触るだけでも痛い様子をする。温水だけで目 やにを取る。 2012 年 5 月 12 日 土 曇り 通 612 日 再転院 493 日 胃ろう増設 393 日 ベッドの枕元に付箋が張ってあった「目薬は当院の物を使用していますので個 人の目薬を中止してください」とあった。 今まで治療されていたのかどうかは不明だが連絡が行ったことは確かなので安 心と言える。今日も気温が低い為か体温が低いがタオルケット 1 枚で居た。 体温右 35 度 4 分、左 35 度 3 分、顔はやや赤みを帯びているがタオルケット 1 枚は心もとない。布団を胸下まで着せた。 自身の体温右 36 度 4 分、左 36 度 1 分。 自然の摂理から言えば既に寿命は終えているはずだが医学の力で持ちこたえて いる。意識の中で恨んでいるやも知れない。私自身の考え方も大きく変りつつ ある。やっと子供たちの考えの域に達したのかもしれない。もう私の心の中へ 帰って欲しい。 2012 年 5 月 13 日 日 晴れ 通 613 日 再転院 494 日 良い天候になった。水遣りに墓地に出かけた。 胃ろう増設 394 日 兄夫婦がサツマイモの苗を植えていた。久方ぶりに世間話を仕入れた。妻の居 なくなった今、近隣の話は全く入ってこない。浦島太郎は益々浦島太郎になっ て行く。 しかめっ面もなく穏やかに寝入っていた。帰るまで目を開く事は無かったが開 けようとする意志は見えるがやはり未だ目が痛いのか大きく開けない。 体温右 36 度 2 分、左 35 度 9 分。温湿布を手抜きしたので時間が出来た。 腰を降ろし聖歌を聴きながらじっと顔を見つめていた。突然看護師が入ってき た。こんな姿どんな風に見られているのかとふと思った。 自身右 36 度 4 分、左 36 度 1 分 2012 年 5 月 14 日 月 晴れ 通 614 日 再転院 495 日 胃ろう増設 395 日 リホーム 1 ヶ月で妻が消えて車庫跡の処置に難儀し続けている。 思いつきで廃材利用で門扉を作って見た。 今の時代はモダンで風流は流行らないが見栄えは如何なものだろうか。 貧乏性の私には億単位のお金が有っても今の私には使うことは出来ないが。 田植えの終わったばかりの田んぼにカモ?が優雅に泳いでいる。夫婦なのだろ うか。 真っ先に目を見る。目脂は綺麗にされている。私がしつこく言った甲斐があっ たのだろうか。綺麗であれば家族が弄る必要もないのだが本人が何も言わない 以上心配は尽きない。先の若い看護師さんは「気が付いた事があれば教えて欲 しい」との言葉を呉れたが中々気軽には言えないのが本音だ。 今日は私が目を弄らなかったので穏やかな表情で終始した。絶好調とは言い難 いが目が治ればまた調子を戻してくれるだろう。 体温右 35 度 6 分、左 36 度 1 分。 自身左右共 36 度 3 分、 2012 年 5 月 15 日 火 雨 通 615 日 再転院 496 日 胃ろう増設 396 日 やっと重い腰を上げて 1 年 5 ヶ月ぶりに目の検診を受けた。 妻が介護病院に移るまで待機していた時の富山市街の遠い T 病院である。 8 時半から始まる病院は少ないのでは、たいてい 9 時が診療開始だが。 待ち時間も無く直ぐ見てもらった。 幸か不幸か進行はしていなかった。私としては濁りを取って奇麗な景色が見た かったが手術はしないほうが良いとの事。このままこの目と付き合ってゆくこ とになった。 目の中心部に白濁があり天気が良いと光彩か小さくなり霞が多くなるのだそう だ。。 全体的には白濁は少ないらしい。 車の運転免許の更新には耐えるのではないか、更新前にもう一度検査した方が いいだろうとの事。残念ながら私の希望は受け入れられなかった。 検診料 5000 円は覚悟していたが意外にも検診料 2100 円、前回は確か 5000 円余 りだったはずなのに、、、。 午後3時滅多にならない電話のベル、すわ病院か、、、 次女であった。富山駅北口駐車場でバッテリーが上がったので来て欲しいと言 う。駅周辺は絶対近寄りたくない場所、しかも雨模様。転勤中の夫の所からの 帰りと言う。少々腹も立ったが急いで出かけた。ところが数年行かぬ内に全く 様変わりしていた。皆目判らない。カーナビを利用しようにも目標が判らない。 周辺をぐるぐる回ったが危険極まりない。 携帯は病院行きのかばんに中に入れたまま。いらだつし腹が立つしガソリンは 少ないし引き返した。 これ以上探していては事故を起こす事は目に見えている。 帰宅して汽車で帰るように連絡したが駐車場の事務所に助けを求めてみるとい っている。 毎週のように帰省しているのに何で会いに行く必要があるのか。無性に腹が立 っている。少々懲りた方が良い。 身動きできない身体に生気を持てと言っても無理だろう。衰えるのが早いかめ 知れない。今日も眠ってばかり、一度も目を開けない。風呂に入って気持が良 くて眠っているのならいいのだ、疲れ果ててしまっているのか。抱くようにし て背中を摩ってやると大息をついた。せめてもの安心材料になる。 次女はどうしたやら、お母さんの事以外心配を掛けてくれるな。 お父さんは貴方達の事までもう気は回らない。 体温右36度1分、左36度 自身右36度3分、36度5分 2012 年 5 月 16 日 水 晴れ 通 616 日 再転院 497 日 胃ろう増設 397 日 眠りこけている。この頃気付くのも遅い。呼びかけても中々起きない。。 暑さのせいなのか。衰えの為なのか。目のせいなのか。 瞼にガーゼを当てるだけで泣きそうな顔をする。治療のトラウマなのか。 病院の薬とは大きな容器に白い沈殿物のあるあの液体なのだろうか。 それにしても直りが遅い。 体温右 36 度 4 分、左 36 度 3 分 自身右 36 度 3 分、左 36 度 1 分 2012 年 5 月 17 日 水 晴れ 通 617 日 再転院 498 日 胃ろう増設 398 日 今日、「イヌマキ」を切った。 わずか直径 15cm 程だったが育てるに35 年も経っている。切るのにたった5分 余り。 妻が見たら嘆くだろう。没落が進むように感ずる。何もかも重荷になっている。 子供の頃村役場に有ったイヌマキの大木に登って実を取って食べた。現在地区 センターとなった場所に 1 本残っている。そんな記憶から植えていたが実がな る事はなかった。雄の木だったのだろう。 我が家の歴史もまた一つ消えた。 今日は目の充血を訴えたあの若い看護士さん治療に使っている目薬を見せて説 明してくれた。思っていた白い沈殿物の容器とは違っていた。 しっかり治療は受けている様子で安堵する。昨夜も脳に異常が発生しているの ではないかと考えていると寝付けなかった。放って置かれても本人が訴えるわ けでもなく何も判らないし。他人にとってはどうでも良い物体かもしれないし、 とひがみ根性も出てくるし。 比較的体温も高いし団扇でゆっくり扇いでやると気持良さそうにしていた。 体温右 36 度 5 分、左 36 度 4 分。 2012 年 5 月 18 日 金 雨のち 通 618 日 再転院 499 日 胃ろう増設 399 日 1 月中頃に E-Tax で確定申告したが 5 月に入って音沙汰が無かった。 税務署に確認の連絡を入れてみた。 「確かに受け取っているが通信エラーが有り 順次確認をしている」との返事だった。 私もエラーの原因を調べて見たところ三年ごとの住民基本台帳カードの更新を E-Tax にも再登録しなければならなかった。実に面倒な仕組みになっている。 とても一般の人が気軽に利用出来るものではない。 2 週間程度で税金の還付が受けられる E-Tax だが今日やっと国税還付金振込通知 書が届いた。 既に E-Tax へは住基カードの更新情報を再登録してある。せめて住基カードの 更新を運転免許並みに 5 年にして欲しい。 久方ぶりに生気を感じた。何がとは説明が出来ないが笑みかと感ずるような表 情もする。しかめっ面をすることもなし。目も回復に向かうのではと思う気配 もあった。 体温右 36 度 2 分、左 36 度。体温も理想的だ。私の気持ちも明るくなる。 私の本心はやはり生きて欲しいのが自身わかる。 2012 年 5 月 19 日 土 晴れ 通 619 日 再転院 500 日 胃ろう増設 400 日 夕刻網戸から冷気が入っていた。閉じるべきか、迷うが閉じた。しかしマッサ ージを始めると汗が出るくらいになる。今更開けると窓際のおばあちゃん寒い はず、相部屋は難しい。 看護師さん目薬が効かないので抗生剤を使っているといっていた。目にアレル ギーを起こした事が有るのかとの問い、全くないはず。病院も眼科は専門では ないはず試行錯誤しているようだ。疑われるだろう保湿クリームも持ち帰った。 目が治まるまで何も出来ない。 体温36度2分、左36度1分、目以外は調子は良い。 ティシュペーパーが全く減らなくなっている。痰の量も少ない模様、口も綺麗 だ。 2012 年 5 日 20 日 晴れ 通 620 日 再転院 501 日 胃ろう増設 401 日 ドラッグストアーで買った卵にどうも疑問を感じながら使っている。 いつも値段が安定しているのだが今度買った物は直ぐ割れる、黄身が崩れる物 もある。特別安くもないのだが。スーパーマッケトで 1000 円以上お買い上げの 方“たまご”一パック 50 円と言う日に出会う。釣られて要らない物を買う日も ある。稼ぎの悪い主人を持つ主婦は大変なんだなとつくづく思う。妻も大変だ ったはずだ。今は無の境地で休んでいて欲しい。 10kg1980 円の米、あまり得ではなかった。間もなく無くなる。 洗米が大変だし早く無くなった気がする。胴割れ米が多い、まずい。 贅沢と言うより得ではない。 新聞の拡張員が新聞を置いていった。久しぶりの新聞。おやっと驚く写真入の 記事が目に入った。地区の名士(中国古代の小説の作家)が亡くなっていた。 地元ケーブルテレビでは常連のように顔を見ていた。デジタルになってケーブ ルテレビから遠ざかり顔を見ることは無くなったが 60 歳と未だ若い。妻ともほ ぼ同年、60 歳は若すぎる。 珍しく体温を計られていた。看護師さん「正常です」と言っていた。 しかし身体は気温のせいか熱かった。改めて計りなおしてみた左右とも 36 度 6 分。妻にすれば高いうちに入る。一通り作業を終えて再び計ってみる。 左右とも 36 度 3 分、少しは楽になったのだろう。団扇で扇いでやると穏やかな 表情をしている。目も力を入れて開こうとしなかったが、微かに開けるように なっていた。回復に向かっていると感ずる。 以前はベッドから下がり過ぎて上に上げるのさえ苦労したがお尻と肩に手を入 れ引きずり上げると難なく移動出来るようになった。 体重って定期的に量られているのだろうか。しつこく聞かないように心がけて いるので何も判らない。 2012 年 5 日 21 日 晴れ 通 621 日 再転院 502 日 胃ろう増設 402 日 スカイツリーが出来たと大騒ぎ、金環日食と言って大騒ぎ日本中が報道によっ て右往左往。そんな私も釣られて金環日食を見たが「それがどうしたの」と言 うくらい感動もなし。 隣さんから虫ゴムを貰い暫く放って置いた自転車が直った。気前良く何でもく れる。 妻がいる頃は妻と世間話をしていたが私とは余り話すことは無かったが、あち らも定年になり毎日のように顔を合わせるようになり話すようになった。 多少の同情も有ると思う。私がもっと愛想がよければよいのだが人相手が苦手 なのは最大の欠点だからどうしようもない。 マッサージをしていると年配の看護師が入ってくるなり「相変わらず激しいね」 と言った。ジョークなのか皮肉なのか判断が出来ない。関節を動かして筋肉の マッサージをしているに過ぎない。以前にもこの看護師から注意を受けた事が ある。愛する妻に乱暴な手当てをするわけもない。余り世話を焼かれるのが嫌 なのだろうと思う。自分たちの立場が無視されていると感ずるのじゃないかと。 この頃またよく考える。隔日にしようかなどと。 一番いいのは在宅だが、それでは今の病院に居るより悪い結果になる可能性が ある。虐待するのは身内だそうだから。愛していても苦しくなるとその様にな って行く危険がある事は間違いない。 体温36度9分、左36度5分。帰宅時左右共36度7分。 2012 年 5 日 22 日 晴れ 通 622 日 再転院 503 日 胃ろう増設 403 日 この頃は毎日のように聖歌、賛美歌を聴いて会えない妻に会っている。 劇的な変化はもう望めないだろうと思うと悲しい思いがします。。 80、90 歳のおばあちゃの元気な姿を見ると羨ましくてならない。 死に時を失った妻が哀れにも思います。 いつまでも生きて欲しいと思うの本人にとって酷な事でしょう。。 かといって命を絶ってやることもできない。 朝の目覚めが心身ともに辛い。 いさぎよく諸共に逝きたい。 マンネリに成ってしまったブログこれをもって終了します。 これから FC2 のブログに戻って新たな題材で日々を綴って行けたらと思います。 ありがとうございました。 今日は久方ぶりに訪問を休む。これを機会に訪問を減らそうかとも考える。 出来る事なら病院を替えて見たいが、取り返しが付かない事態もありえる。 病院から忌避される時まで我慢してみるしかないだろう。 2012 年 5 日 23 日 今日も休む 晴れ 通 623 日 再転院 504 日 胃ろう増設 404 日 2012 年 5 日 24 日 晴れ 通 624 日 再転院 505 日 胃ろう増設 405 日 今日は笑顔の若い看護師「中々目の充血が引かない、引き続き手当てをしてい る」との報告あり。表情は穏やかだが身体が熱い。 体温右 36 度 8 分、左 36 度 4 分。サッシは1部開けてあるのだが網戸の立て付 けが悪く隙間がある。ビニールテープで応急手当してきた。誰か気が付いて修 理してくれる事を願う。昼間は良いが外はもう暗い。サッシを閉じるにはまだ 暑い。 2012 年 5 日 25 日 曇りのち小雨 通 625 日 再転院 506 日胃ろう増設 406 日 休む 2012 年 5 日 26 日 晴れ 通 626 日 再転院 507 日胃ろう増設 407 日 土地を手に入れた頃に植えたヒバとヒマラヤシーダをついに切った。 エンジンがかかりにくく切れ味が全く悪いチェーンソーをだましながら何度も エンストを繰り返しながらやっと切った。 4,5年もすれば根も腐る。その時の為に長く残す。根元から切ると根っこを掘 り起こすのに苦労するので、それまでは花の鉢台にする。 さて切った木、誰かストーブの薪に持って行ってくれないかな。 しっかり口を閉じて眠っている。唇が渇き気味。まず背中を大きく摩ってやる。 大きな息をする。やはり気持がいいのだろう。床返しされても誰もマッサージ まではしてくれないだろうから。 時折目を開けようとするのだが以前のように目玉が見えるほど開かない。 充血はまだ続いているようだ。 体温右 36 度 4 分、左 36 度 6 分。身体には異常は感じない。 2012 年 5 日 27 日 晴れ 通 627 日 再転院 508 日胃ろう増設 408 日 ネギとかニラとかの野菜は購入する事は無い。妻がいるときも私の生家から沢 山貰ったが枯らしてしまうほど食べなかった。 必要に迫られて家の周りにあるノビルに挑戦してみた。 酢味噌はよく聞くがどうも食べれそうも無い。 味噌炒めにしてみた。一口食べてみた。どうも美味しくない。 砂糖、醤油、塩を振りかけて炒めた。臭みも気に成らなくなった。 昼飯はこれでいける。 夏日のような一日、病院のサッシは開けてあったが、空調は未だの様子。 鼻に薄っすらと汗をかいている。背中を摩って空気を入れてやる。 マッサージの前に団扇で扇いでやると大息をつく。気持が良いのだ。 体温を計りながらマッサージ。 体温右 37 度 2 分、左 37 度 2012 年 5 日 28 日 設 409 日 小雨後晴れたり曇ったり 通 628 日 再転院 509 日胃ろう増 他に見るべきものがあれば平清盛は見ないかもしれない。 皆さんどうなのかと視聴率を見てみた。10.2%とある。 どうしてもイメージにある平安の香りが無い。戦国時代もどきの黒澤映画の時 代のわからぬ娯楽映画を見ているよう。 昨日は軍議の場面で孫子の兵法?が出てきた。あの時代に?。うさぎ丸、源為 朝もゴロツキ見たいで可笑しくて腹が立つ。為朝は卑しくも天皇に通じる武士 のはず気品が欲しいと思うのは無理なのか。可笑しなメイクに嫌気が差した。 出てくる出てくる俳優が皆ミスキャスト。 それでも見ている。後の韓国歴史ドラマ、トンイを楽しみに 2012 年 5 日 29 日 晴れのち曇り 通 628 日 再転院 510 日胃ろう増設 410 日 障子の破れが目立ってきた。内部はまだ和風が多く障子戸、ふすま戸が多い。 ホームセンターで親戚のお嫁さんに声を掛けられた。思わぬ所で声を掛けられ ると、とっさに誰だったか思い出せない。老いは進んでいる。 私の庭が見てみたいと言っていた。特に何もしていないが、先日切った木の上 に山登りの帰りに山道で拾ってきた岩石を乗せてみた。それが面白いらしい。 異常なく眠っている。1 年以上もいびきが酷かったがこの頃は余りいびきを聞か ない。呼吸が楽な証なのだろう。裸体を見ることは無いが床ずれの話も聞かな い。胃ろうの事も何も聞かないし聞いた事も無いから安心はしている。 体温右 36 度 3 分、左 36 度 2 分。 部屋の一人が入れ替わっていた。要注意の人が来たのだそうだ。 妻は今は必ずしも命の危険は無いはずだが妻が選択されることは無かったが、 不思議な気もする。このまま安定が続けば何れ移る可能性はある。 2012 年 5 日 30 日 晴れのち曇り 通 629 日 再転院 511 日胃ろう増設 411 日 休む 千葉から留守電あり、6月3日帰省すると言う。一々連絡してくるのは何故な のか。供子に会いたいだけなら黙って会って行けばいいと思うのだが。 知らされても送り迎えは出来ない。顔を合わせれば放っても置けないものを、 何故気を使わせるのか。遠路はるばるくる必要もないと思うし、夫も大病の後 なのに。気晴らし気分で来られても。 2012 年 5 日 31 日 晴れ 通 630 日 草取り、障子張りに費やす。 再転院 512 日胃ろう増設 412 日 刺激を与えなければ何時までも眠り続けるのだろうか。 幸い新たに来た人もテレビを持ってきた。テレビが無ければいつもシーンとし て何の刺激も無い。 特に苦しそうでもないが気温が高いせいか熱が多少有る。 体温右36度9分、左36度7分。歯茎1本から血だ出ている。 2012 年 6 日 1 日 金 晴れ 通 631 日 再転院 513 日胃ろう増設 413 日 千葉の義姉から留守電あり。明日午後、供子を見に来るという。 自身も病気の夫を見ていなければならないはずなのに、来る必要も無いのに ご苦労な事だ。妻をだしに遊びに着たいのだろう。言い顔をすれば利用される 放って置く。妻が心配なら黙って来て行けばいいものを、一々連絡してくる。 恩を着せようと言うのか。 病院は休む。 2012 年 6 日 2 日 土 晴れ 通 632 日 再転院 514 日胃ろう増設 414 日 病院で常に清潔な口をしているのは無理だろう。異常がない限り定期の時間の 介護作業で終わる。 舌に痰の塊を乗せて眠っている。真っ先に口ケアーに掛かる。くるリーナブラ シで喉、舌、上顎、頬の内側、歯茎とブラシで清掃、終わると子供用歯ブラシ にガーゼを巻きつけ口全体を拭き取る。とても病院でこんなに時間を掛けてく れることは無理だろう。 未だに目は開けない。開けなくなって随分時間が経っている。 体温左右とも36度4分。 三時過ぎだろう義姉から留守電あり、 「千葉の妹から何か連絡あったか」との問 い。返事はしなかった。何を話したいのやら。 2012 年 6 日 3 日 日 晴れ 通 633 日 再転院 515 日胃ろう増設 415 日 親切に近所から菜っ葉を貰ったんだけど、本当に申し訳なく後ろめたい思いで 処分してしまった。もう歳だし今から何を口に入れようと寿命には影響はない と思うが、初めて放射能汚染を嫌う人々の気持が少しわかった。 と言うのは土作りをしている所を見ていたのだ。 普段の家庭ゴミや庭木等諸々の物を焼却した灰を土に混ぜていたのだ。ゴミの 中にはプラスチックある。また草取りに除草剤も使用している。 見ていなければ問題なく有り難く頂くのだが命を粗末にする私でも抵抗を感じ て。 午後3時姉達からは何も音沙汰なし、どうしているのやら。 いつも道理の病院の気配。誰も来た雰囲気は感じなかった。 姉が来ると決まった様に顔の血色がよくなる。果たして最近にない肌をしてい た。来て行ったのだろうか? 日曜日にしては口は大変綺麗なのに感心する。体温左右とも36度4分。 「目が中々治らない」と看護師さん。治療は続けていると言う。病院を信じて 気長に待とう。 2012 年 6 日 4 日 月 晴れ 通 634 日 再転院 516 日胃ろう増設 416 日 今年 2 度目の境界の土手の草刈に汗を流す。手を加えると見違えるように綺麗 になる。 千葉の姉の事が気になり妻の里に電話で聞いてみた。 新潟に用事があり富山を回って直ぐ帰ったらしい。 誰も快く車の運転はしてくれない。富山の姉が妻の病院に行ってくれたらしい。 富山の姉も妹の我儘に付き合っても居られない。遠い親戚は都合がよくない。 せいぜい年に一度帰省すれば歓迎もしようが、頻繁に来られても面倒は見切れ ない。妻が元気ならお土産やら交通費の負担もしていたようだが。 病院は休む。ネットで爪やすり(578 円)を買う、爪の生え具合なのか爪きり器 具が欠陥なのかよく失敗して出血させる。いつもヤスリで削っているのだが昨 日は失敗だった。 2012 年 6 日 5 日 火 晴れ 通 635 日 再転院 517 日胃ろう増設 417 日 境界の土手をロープカッターで仕上げる。毎日外作業を続けると庭も随分綺麗 になってくる。切った木の処分、色々考えたが結局焼却に決めた。 大木が多数ある。早朝から始めないと夕暮れまでに処分できないだろう。 明日朝早くから作業に取り掛かる予定を立てる。 夕刻の病院へ、右頬が真っ赤、そうか今日は風呂だったから、それに気温も高 い、サッシが開けてあったが無風、額や手を冷やす、大息をつく。気持がいい のだろう。毎日着てやればいいのだが、意地悪げな老齢の看護師が居るから。 早く退職して欲しいがこんな人に限って「憎まれっ子、世に憚る」だからな。 2012 年 6 日 6 日 水 曇り 通 636 日 再転院 518 日胃ろう増設 418 日 私の住む地区も子供の頃に比べると四倍になるほどの変貌を遂げているが岐阜 との県境に位置する地域、自然が豊富。 農村地帯であり焚き火をしても咎められる事もなし。 隣の空き地で朝 6 時から丸太の焼却をした。何時に燃え尽きるやら、買い物に も出られない。 2012 年 6 日 7 日 木 晴れ 通 637 日 再転院 519 日胃ろう増設 419 日 本当によく眠る。最近首を動かす事も無くなっている。目の充血が始まった頃 から反応が少なくなっている。要所々をマッサージをすると深い呼吸をするが 目に触れると表情が苦しさに変わってしまう。 体温右 36 度 9 分、左 36 度 6 分。 2012 年 6 日 8 日 金 晴れ 通 638 日 再転院 520 日胃ろう増設 420 日 2012 年 6 日 9 日 土 雨 通 639 日 再転院 521 日胃ろう増設 421 日 気温が下がったせいか過ごしやすい日になる。 午後6時15分長袖に着替えて病院に向かう。 落ち着いた表情でいる。起きている様でもあり眠っているようでも有るが声を 掛けて抱くように背中、首回りを摩ってやる。念入りに時間を掛けて口ケアー をする。安息の溜息も漏らす。大分目を開けようと努力している様子だが充分 開けない。 体温左右とも35度4分、久しぶりに35度台、この方が楽そうな表情である。 安心して帰宅の途に付く。