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オスティアにおけるモザイクの制作技法に関する基礎的研究

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オスティアにおけるモザイクの制作技法に関する基礎的研究
オスティアにおけるモザイクの制作技法に関する基礎的研究
― オ ル ソ 画 像 を 用 い た デ ィ オ ス ク ロ イ の 家 、七 賢 人 の 浴 場 の 床 モ ザ イ ク の 分 析 を 通 じ て ―
成清
耕太朗
1 研究の概要
他の写真との比較分析時に不具合が生じてしまう。そこ
1-1 研究の背景と目的
で、取得した画像データ、点群データを使って正投影画
モザイクとは、大量のテッセラ(石、ガラス、テラコ
像であるオルソ画像を作製することにより、作品全体を
ッタなどを立方体にカットしたピース)をモルタルや漆
一つの画像として合成した。
喰にはめ込んでつくる芸術形式であり、建築の装飾、特
2 古代ローマにおけるイタリアモザイクの歴史
に床の装飾として多く用いられた。対象地オスティアに
以下に古代ローマのイタリアモザイクの発展の流れに
ついて簡単に説明する 5)。
おいては、その大部分が 19 世紀初期までに発掘され、約
400 のモザイクが確認されている 1)。海外ではモザイクに
紀元前 2 世紀初期、イタリアではギリシャ世界に広ま
関する研究は進んでいるが、本論文において扱うオステ
っていた絵画のようなモザイク(写真 1 左上)の影響を
ィアのモザイクについては、制作技法に関する個別の研
受けていた。その一方で、地中海の西の方では新しく抽
究は進んでいない。
象的なモザイクの流れができていた。その例として、現
本研究では、2009,10 年に行ったイタリアのオスティア
在のチュニジアであるカルタゴでは紀元前 4 世紀のもの
における現地調査で得たデータをもとに、テッセラの形
が発見されている。
状・大きさを一つ一つのピースまで確認できるオルソ画
ローマ帝国とカルタゴは紀元前 264 年から紀元前 146
像を作製した。それをもとに、モザイクの割付や構成を
年(カルタゴ滅亡)まで三度にわたる戦争(ポニエ戦争)
分析することにより、さらに細かく分析した制作過程の
があったこともあり、イタリアでは、ギリシャ時代から
復元を目的とする。まず古代ローマにおけるイタリアの
の絵画のようなモザイクの影響だけでなく、地中海西か
モザイクの歴史、モザイクの制作手順を概観し、次にオ
らの抽象的なモザイク(写真 1 左下)の影響も受けてい
ルソ画像の分析による制作過程の復元、考察を行う。加
た。
えて、他のモザイクとの比較を行う。
当時のイタリアの壁の装飾は複雑なものが一般的であ
1-2 研究の対象
ったため、幾何学を用いた単純で抽象的なモザイク(写
研究の対象はローマの中心地から南西約24km のオス
真 1 中央)は、壁ではなく床の装飾として急速に広まり、
ティアにあるディオスクロイの家の「ヴィーナスのモザ
紀元前 2 世紀から使用され、紀元前 1 世紀にはギリシャ
イク」と「カストールとポルックスのモザイク」
、七賢人
風の絵画のようなモザイクをしのぐほど一般的になった。
の浴場にある「円形のモザイク」である。
この抽象的なモザイクには、紀元前 1 世紀の前半まで
ディオスクロイの家は、もともと 2 世紀に集合住宅と
は色付きのものもあったが、その後、黒と白の幾何学的
して立てられ、4 世紀に個人住宅として改築された。オス
なモザイクが一般的になり、多くの幾何学パターンが生
ティアにおいて、住宅に私有の温熱装置があるのはディ
まれた。幾何学的なモザイクは紀元前 1 世紀から紀元 1
オスクロイの家のみで、最も裕福な個人住宅の一つであ
世紀にかけて、イタリアで広く普及した。
2)
る 。そこにあるモザイクは多彩装飾モザイクの中で最も
大規模なものとされている 3)。
七賢人の浴場は二つの集合住宅の住民の為に建てられ
たものである。円形のモザイクのある空間は、フリギダ
リウム(冷水プールのある部屋)として使われた 4)。
1-3 研究の方法
現地調査では 3D レーザースキャナーで実測し、デジタ
ルカメラでの撮影を行った。撮影された画像データは、
写真 1
モザイクの歴史
正投影ではないため、撮影地点からの距離により、精度
その後、図柄をシルエットによって表現する方法が開
が異なり、歪みを生じる。そのため、写真単体の分析、
発され、2 世紀から 3 世紀初期にかけてイタリアモザイク
29-1
の多くを占めるようになる。白の背景に黒のシルエット
を利用することで、モザイクの平面構成を 3 次元的に表
現することができるようになった(写真 1 右)
。
白黒のシルエットのモザイクは、3 世紀の間に徐々に色
付きのモザイクに取って代わり、4 世紀には色付きのモザ
イクが優勢となった。
3 モザイクの制作過程の概要
先行研究などにより既にわかっているモザイクの制作
程について簡単に説明すると次のようになる 6)。
まず土台に主要なガイドラインが切れ込まれる。次に
テッセラをガイドラインに沿って並べ、内部は後から埋
められるのが一般的であった。モザイクが幾何学的な構
成をしている場合などは、掛け釘と紐を使ってガイドラ
インがひかれた。
テッセラを埋める作業は主任の職人が複雑で細かい部
分を、助手や見習いが簡単な部分の作業を行った。
図 1
最初に図柄の部分が制作され、次にその周りを囲うよ
「ヴィーナスのモザイク」のオルソ画像
文字列の背景のテッセラは、外枠、アルファベットの
うに 2、3 列の白いテッセラを並べ、残りの部分はラフに
形、記号の形にそって列状に並べられている。
テッセラが並べられる。テッセラが並べ終えると、表面
背景におけるテッセラの列の形が長方形(図 2 左)で
をならすために平に押し付けられる。その時、以前に作
はなく、三角形に近い形(図 2 中央)になっている場合
業された部分と同じ高さになるように注意された。
は、三角形の辺に接しているテッセラの列から並べられ
作業の最終段階として、表面を滑らかにするために、
たと考えられる。また、テッセラの列が2辺に挟まれて
また、光沢を出すために表面が磨かれた。この作業を怠
いるとき(図 2 右)
、片方の辺付近のテッセラの列にテッ
ると表面がでこぼこしてしまい、テッセラが外れてしま
セラが付け足され、その辺に接するように角度を調節し
い徐々に破損してしまうため、非常に重要視されていた。
ている場合は、その反対側の辺からテッセラの列を並べ
次章でさらに細かい分析、考察を述べる。
たと考えられる。
4「ヴィーナスのモザイク」の分析
4-1「ヴィーナスのモザイク」について
4 世紀後期から 5 世紀前期に作られたモザイクであり、
全体が海を表現したモザイクとなっている。中央にヴィ
ーナス(愛と美の女神)、その両脇にトリトン(海神)、
それを囲むようにネレイデス(海に棲む女神たち)
、海獣
図 2
文字列の背景の制作方向
が配置され、それらの間には海の水を表す黒い線が描か
この 2 つの条件下でテッセラが並べられたと仮定する
れている。上の文は「あなた方が、より多くをつくり、
と、
テッセラの列が並べられた方向は図 3 のようになる。
よりよきものを捧げるように」という意味である。
左端から破損部分までで方向が判断できた所は全部で
4-2 背景の割付の分析
14 カ所、そのうち、テッセラの並びが、下から上が 1 カ
モザイクの背景の割付を見ると、ほとんどのテッセラ
所、左から右が 12 カ所、右から左が 1 カ所である。この
は列状に並べられており、制作時の作業工程の変化を色
ことから、左端から破損部分までは左から順に制作した、
濃く反映している。分析するにあたって、テッセラの列
もしくは、いくつかのパートに分けられ同時進行で左か
を明確にするため、オルソ画像に列に沿って線を引き、
ら順に制作したと考えられる。
テッセラの列がどう並んでいるかを明確にした。
破損部分から右端までで方向が判断できた所は全部で
以下に「文字列の背景」「図柄内部の背景」「図柄外部
8 カ所、そのうち、テッセラの並びが、左から右が 3 カ所、
の背景」に分けて、さらに細かい分析から特徴示し考察
右から左が 5 カ所である。破損部分左に比べ、判断でき
していく。
る場所が少なく、わからない所が多いためどちらの方か
4-2-1 文字列の背景の割付
ら制作したか判断は難しい。
29-2
図 3
文字列の背景の割付
次に、文字の構成に注目してみると、左端から破損部
境界には、空間を細かく分けてテッセラを効率よく並
分まではアルファベットが 13 字あり、その間隔は全体的
べるために自然発生的にできたと考えられるものと、隣
に広く一定でないことに対し、破損部分から右端までは
り合った図柄をつなぐようにひかれたものがあり、後者
アルファベットが 16 字あり、その間隔は全体的に狭く、
は図柄の間の背景を段階的に埋めるために必然的に引か
特に右にいくに従って狭くなっている。
れたものと考えられる。
このことから、文字列は左から順に作り始め、最後の
オルソ画像に後者の境界線を引くと図 6 のようになる。
方で余白が狭くなってしまい、文字が入るように詰めて
(2)中央の図柄と中央左の図柄の間のズレ
いったと考えるのが自然である。また、計画的なレイア
図 7 にあるように、中央の左の
ウトが行われていないと思われるため、いくつかのパー
トリトンのヒレに注目すると、他
トごとに分かれて同時進行で作業を行った可能性は低い。
のヒレと比べて先が切れている
4-2-2 図柄内部の背景の割付
ように見える。さらに、そのとぐ
図柄内部の背景の割付は、大きく3種類に分けられる。
ろを巻いた部分の形が、他のとぐ
1)一方から順に列状にテッセラを並べていくもの(図 4
ろに比べて左側が少しへこんで
左)
、
いるように見える。このことから、
2)二方向から交互にテッセラを並べていくもの(図 4
中央左のネレイスと虎の海獣の
中央)
、
図柄が先に制作され、中央のヴィ
3)外側から渦状にテッセラを並べていくもの(図 4 右)
ーナスとトリトンの図柄が後に制作されたた考えられる
である。
ため、そこに新たな境界線を引くことができる。
図 7
図柄間の境界
(3)波を表す黒の線の役割
波を表現する黒の線には 4 つの特徴がある。
① 図柄の隙間を埋めるように描かれているが、配置にお
ける計画性があるとは思われないこと。
図 4
② 付近の図柄に合わせて上下関係が決められており、中
図柄内部の背景の割付
図柄外部の背景はほとんどが列状に並べられているの
央が上、外側が下という関係になっていること。
(図 8)
に対し、内部の背景はいくつかの技法が使われているこ
③ 黒の線とその延長線上のテッセラの列によって背景を
とから、図柄内部の背景は、外部の背景を作った者では
区切っていること。
なく、図柄を作った職人の手による可能性がある。
④ 区切られた背景のテッセラは黒の線に沿って一体的に
4-2-3 図柄外部の背景の割付
並べられていること。
(図 9)
(1)割付線の存在
図柄外部の背景のテッセラの列が、全体においてどの
ような段階で制作されたかを分析するため、図 5 のよう
にテッセラの配置に作業割りが生じていると思われる所
に境界線をひいた。この場合、右側の列は先に並べられ、
左側の列は右側の列に沿って並べられたと考えられる。
図 8
波の線の配置
図 9
波による区画
この 4 つの特徴から、黒の線は初めから決められたレ
イアウト上に配置されているのではなく、外側から中央
に向かって段階的に配置され、その黒の線と図柄で区画
された空間を埋めるように図柄外部の背景が制作された
と考えられる。
図 5
割付線
図 6
全体の割付線
29-3
また、図柄外部の背景は段階的に制作した場合、時間
はどちらの場合も、外側のテッセラの列の並びを見ると、
差が生じてしまい、白の背景にパッチワークのように意
外枠の正方形、または、円に沿って、内側の複雑な図柄
図しない境界線が浮き彫りになってしまう。黒の線はこ
まで並んでいることから、テッセラは共通して外側から
の境界線を緩和する効果があると言える。
内側に向かって並べられていることがわかる。
黒の線には、海水を表すだけでなく、背景を段階的に
さらに、どちらも広い空間に、図柄が配置されている
制作するための基準線として、または、背景制作時に生
が、図柄外部の背景には、
「ヴィーナスのモザイク」には
じてしまう境界を緩和す
海水を表す黒のテッセラの線、
「円形のモザイク」には植
る中間としての役割をも
物を表す黒のテッセラの模様が描かれている。このこと
つことが考えられる。
が背景を埋めるテッセラの列に影響を与えている。
(1)(2)(3)より、
海水を表す黒のテッセラの線は上下左右に垂直に近い
図柄の背景の作業区割と
形で描かれているため、それを基準に埋めているテッセ
テッセラを埋めた方向を
ラの列も上下左右に垂直に並べられている。それに対し
矢印で示すと図 10 のよう
植物の模様は茎の部分は曲がりくねり、葉の部分が飛び
になる。
図 10
出しているので、テッセラの列も曲線状に並べられてい
全体の作業区割
4-3 小結
る部分が多く存在している。
モザイクの外枠である幾何学部分は先に制作されたも
このことから、図柄外部の背景を埋める段階では、曲
のと仮定し、4-2 をもとに文字列部分と図柄部分の制作過
線の多い「円形のモザイク」よりも直線の多い「ヴィー
程の復元をする。
ナスのモザイク」の方がより容易にテッセラを並べるこ
文字列のモザイクにおいては、左端から右に向かって、
とができたと考えられる。さらに、
「ヴィーナスのモザイ
先に記号、アルファベットが描かれ、その制作状況に応
ク」の海水を表す黒のテッセラの線が上下左右に垂直に
じて背景が埋められていった。
近い形で配されているのは、背景のテッセラを容易に並
図柄を含むモザイクにおいては、まず図柄を制作し、
べるためである可能性が考えられる。
その制作状況に応じてできる背景の空間に、基準線とし
6 結論
て波模様の黒のテッセラを並べ、その基準線によって区
本研究の結論を以下に記す。
画された背景の空間にテッセラを埋めていく。この作業
・
「ヴィーナスのモザイク」の背景、構成を分析すること
を繰り返すことにより、このモザイクの背景は制作され
により、文字列部分は左から右へ、図柄部分は外側から
たと考えられる。
内側に向かって制作された可能性を示した。
5 他のモザイクとの比較考察
・黒のテッセラの線には、海水を表すだけでなく、背景
「ヴィーナスのモザイク」と「カストールとポルック
7」
を段階的に制作するための基準線として、または、背景
8)
スのモザイク 」
「円形のモザイク 」の背景における比
制作時に生じてしまう境界を緩和する中間としての役割
較考察を行い制作技法の共通点を明らかにし、異なる点
があるという新しい解釈を示し、さらに背景を埋める作
を示し考察を加える。
業を容易にするために黒の線を上下左右に垂直に近い形
で配された可能性を示した。
注1)
注2)
注3)
注4)
注5)
注6)
図 11
「カストールとポルックスのモザイク」(左)
図 12
「円形のモザイク」(右)
Roger Ling, Ancient Mosaics ,1998,pp.40-1
Russell Meiggs, Roman Ostia ,1973,pp.259-60
Katherine M.D.Dunbabin, Mosaics of Greek and Roman World ,1999,pp.64-5
Sonia Gallico, guide to the excavations of OSTIA ANTICA ,2000,p.64
Roger Ling, Ancient Mosaics ,1998,pp.34-48
Roger Ling, Ancient Mosaics ,1998,pp.14-5、及び、Katherine M.D.Dunbabin,
Mosaics of Greek and Roman World ,1999,p.8
注7)
Richard Prudhomme,
LE DÉCOR GÉOMÉTRIQUE DE LA MOSAIQUE
ROMAINE ,1985,p.297、及び、Katherine M.D.Dunbabin, Mosaics of Greek
and Roman World ,1999,pp.64-5 より、
「カストールとポルックスのモザイク」
は、上部がかぎ十字を用いた幾何学的な構成、下部は正方形、長方形、正六
角形、ひし形、L 字型を用いた幾何学的な構成となっており、下部の中央の正
方形にはディオスクロイ(カストールとポルックス)が描かれている。
注8)
Sonia Gallico, guide to the excavations of OSTIA ANTICA ,2000,pp.43-44
より、
「円形のモザイク」は紀元130年前後に白と黒のテッセラで作られた
円形のモザイクであり、植物とアカンサスの模様、猟師、野生の動物で構成
され、図柄の足下の黒のテッセラで描かれた線は地面を表現している。また、
「円形のモザイク」のオルソ画像は、点群データの精度が不十分で全体を作
製することができなかったため、部分的に作製したものを使用した。
【参考文献】
1) Roger Ling, Ancient Mosaics ,1998
2) Katherine M.D.Dunbabin, Mosaics of Greek and Roman World ,1999
3) Russell Meiggs, Roman Ostia ,1973
4) Richard Prudhomme, LE DÉCOR GÉOMÉTRIQUE DE LA MOSAIQUE ROMAINE ,1985
5) Sonia Gallico, guide to the excavations of OSTIA ANTICA ,2000
3つのモザイクの共通点は、図柄輪郭部に沿って背景
と同じ色のテッセラを並べている点と、図柄内外の背景
のテッセラが一方から列状に並べられている点である。
また、
「ヴィーナスのモザイク」と「円形のモザイク」
29-4
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