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【第 回】殺人の罪 2
2005 年度秋学期 「刑法 II(各論)」講義 2005 年 9 月 30 日 【第 2 回】殺人の罪 1 人の意義 自然人(法人を含まない。例外:名誉毀損罪[230 条]など 「人」=* →【第 11 回】2「名誉に対する罪」参照。) 他人(本人を含まない。例:自殺は処罰されない。後掲 4-1 参照。) * 胎児 →→→→→→→→→→→→→→→ 人 →→→→→→→→→→→→→→→ 死体 ↑ ↑ 「人の始期」 「人の終期」 (堕胎罪[212 条以下]との区別) (死体損壊等の罪[190 条]との区別) 1-1 人の始期 A. 独立生存可能性説 ※ 母体外において独立に生存保続可能であれば人にあたるとするもの。母体保護法 2 条 2 項参照。 B. 分娩開始説(出産開始説・陣痛開始説) ※ かつて嬰児殺規定(StGB §217)を有していたドイツ刑法のもとで採用されていた見解。 C. 一部露出説 D. 全部露出説 ※ 民法における通説。 E. 独立呼吸説 判例(1)は C 説を採用したとされるが、これは傍論に過ぎない(どの説に立っても殺人罪が成 立する事案であった)。 学説上は C 説(多数説)と D 説(少数説)が対立 ※ A 説では堕胎罪規定が事実上無意味になる、B 説では基準が不明確でありかつ人の始期が早くなりすぎる (さらに嬰児殺規定を持たない日本法ではこの説を採用する必要性もない)、逆に E 説では人の始期が遅く なりすぎる、としてほとんど支持を得られていない。 C 説は一部露出により母体から独立した直接的攻撃が可能になる点をその理由とするが、これ に対しては D 説の立場から、「人」という客体の範囲を独立侵害可能性という行為態様により決 定するのは妥当でなく、胎児との区別は客体の価値によって決すべきである、とされる。しかし、 全部露出の前後で生命の価値の高低が区別されるかは疑問である。 ※ なお、胎児性致死傷の問題については、【第 3 回】1-3 にて取り扱う。 1-2 人の終期 A. 三徴候説(心臓死説): 心停止・呼吸停止・瞳孔反射消失を総合して判定 -1- B. 脳死説: すべての脳機能の消失(=全脳死)により判定 B 説が主張されるようになった背景として、 (i) 生命維持技術の進歩(特に人工呼吸器[respirator]の使用)により、脳の機能の消失後も心 肺機能の維持が可能になったこと (ii) 脳死段階で摘出することにより初めて移植可能となる臓器(心臓・肝臓など)の移植に ついては、B 説の採用により初めて臓器摘出行為が許容されるようになること がある。 ただ、従来は札幌医大事件(「 和田心臓移植」、1968 年)などのため、医師に対する根強い不 信感から B 説に対する反対も有力であった。 その後、いわゆる脳死臨調の答申(資料 (2)参照)を受け、数次にわたる国会審議を経て制定 された「臓器の移植に関する法律(臓器移植法)」(平成 9 年法律 104 号)により、現在は脳死 判定と脳死体からの臓器摘出を、臓器提供者の書面による意思表明と家族の拒否の不存在を要件 に認めている。←一般的に「脳死=人の死」としたものでない点に注意 [問]臓器移植法の規定に違反した脳死体からの心臓等の摘出は? 上記 A 説→同法は殺人罪の違法性阻却の要件を規定→殺人罪成立を肯定 上記 B 説→同法は臓器摘出の手続要件および死体損壊罪の違法性阻却の要件を規定 →殺人罪成立を否定、死体損壊罪の成否の問題 2 殺人罪・同未遂罪・同予備罪[199 条・203 条・201 条] ※ この部分に関しては、すでに刑法総論でほとんど議論されているので、省略する。 3 尊属殺人罪規定の削除[旧 200 条] 旧 200 条「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」 当初、最高裁は憲法 14 条に違反しないと判断(最判昭和 25 年 10 月 25 日刑集 4 巻 10 号 2126 頁) ↓ 判例(10)により、憲法 14 条 1 項に違反し無効 ただし、尊属殺の法定刑を加重すること自体ではなく、加重の程度が著しく不合理であることを その理由とする(なお、尊属殺であるが故に差別的取扱をしていること自体を違憲とする意見が付 されている)。 ※ 上記の判断を踏まえ、最高裁は尊属傷害致死罪[旧 205 条 2 項]については合憲としている。判例(11)参照。 旧 200 条の規定は前掲判例(10)以降も刑法典に残存していたが、1995 年の刑法の平易化を目的 とする改正の際に、他の尊属規定(尊属傷害致死罪[旧 205 条 2 項]、尊属保護責任者遺棄罪[旧 218 条 2 項]、尊属逮捕監禁罪[旧 220 条 2 項])とともに削除された。 4 自殺関与罪・同意殺人罪[202 条] ※ 4-1 処罰根拠 -2- 202 条前段:自殺関与罪、後段:同意殺人罪 4-1-1 自殺関与罪について * なぜ自殺は処罰されないのか?(自殺の不処罰根拠) A. 自殺は違法だが期待可能性が欠ける(責任阻却) →自殺関与罪の処罰根拠を 共犯 理論で説明が可能。(★ 要素従属性についての制限従属 性説を想起せよ!) しかし、自己決定権の観点からは、自己の生命を自ら処分することを違法とするのは困 難。 B. 自殺は違法ではない(違法性阻却) →自殺関与罪の処罰根拠を自殺とは別個の理由に求めることになる( 独立犯罪 と理解)。 4-1-2 同意殺人罪について 原則として、個人的法益に対する罪において被害者の同意がある場合は、法益が処分されて いるので違法ではなく、犯罪不成立。 しかし、 生命は極めて重大は法益であるので、 paternalism の見地から国家が介入する(具 体的には、他人の手による処分の制限)ことを認めた、と考える。 ※ なお、傷害の場合(=同意傷害)については、【第 4 回】2「傷害罪」の中で取り扱う。 4-1-3 減軽処罰の根拠 普通殺人罪[199 条]に比べて法定刑が軽い理由 上記 4-1-1 の A 説→根拠を責任減少に求めざるを得ない。 B 説→被害者の意思に合致した法益処分であることによる違法性減少に求める。 4-2 未遂の成立時期 同意殺人罪については、殺人行為の開始時。 自殺関与罪について A. 自殺関与行為(教唆・幇助)があった時点 B. 自殺者の自殺行為への着手の時点 自殺関与罪を共犯の一種と理解する立場からは B 説に、独立の犯罪類型とする立場からは A 説に親近性があるとされるが、仮に自殺関与罪を独立の犯罪類型であると理解しても、未遂の 成立の要件として生命に対する現実的な危険の発生の時点が要求する、即ち B 説を採用する ことは可能。 (★ 未遂犯の処罰根拠についての議論を想起せよ!) 4-3 殺人罪との区別 4-3-1 自殺者・被殺者の有効な自殺意思・殺人への同意の有無 自殺関与罪・同意殺人罪の成立のためには、有効な自殺意思または殺人への同意が必要。 * 被害者が意思決定能力を有すること(自殺の意味が理解できること) 従って、自殺の意味を理解できない幼児や意思能力を欠く精神障害者の自殺意思・同意 は無効(後者について、判例(5)参照)。 * 自殺意思・同意が自由な意思によりなされたこと -3- 従って、意思決定の自由を奪う程度の威迫があった場合は普通殺人罪が成立。 (判例(4)(普通殺人罪成立の事案)、判例(7)(自殺関与罪成立の事案)参照) 欺罔による場合 A. 自殺意思・同意が任意であるのみならず真意であることを要求する。 →動機の錯誤であっても、欺罔がなければ自殺意思・同意がなかったであろう場合 は自殺意思・同意は無効であり、普通殺人罪が成立。 B. 自殺意思・同意に動機の錯誤があるに過ぎない場合は、自殺意思・同意は有効で あり、自殺関与罪・同意殺人罪が成立。 C. 自殺者・被殺者が自己の生命について法益関係的錯誤があれば、その場合の自殺 意思・同意は無効であり、その他の事情に関する錯誤は自殺意思・同意の有効性に 影響を及ぼさない。(←総論の領域における「法益関係的錯誤説」からの帰結) 判例(3) 「( 死の)決意は真意に沿わない重大な瑕疵ある意思であ」るとして、普通殺人罪を肯 定。←上記 A 説を採用。 しかし、この立場では生命とは関係のないものを保護することになりはしないか、 との批判が可能。 (また、この立場は減軽処罰の根拠を責任減少的にとらえているのではないか、と も理解可能。) なお、自殺意思・同意の有効性が否定されただけでは直ちに普通殺人罪が成立するわけでは ないことに注意(普通殺人罪の構成要件該当性を満たすか検討の必要)。 4-3-2 同意殺人罪における行為者の同意の存在に関する錯誤 * 同意がないのにあると誤信した場合 →客観的には普通殺人罪にあたるが、38 条 2 項により同意殺人罪の限度で成立(抽象的 事実の錯誤の問題)。 * 同意があるのにないと誤信した場合 →減軽処罰の根拠を責任減少に求める場合 同意の存在を知らなければ減軽の理由がないので、普通殺人罪が成立。 減軽処罰の根拠を違法性減少に求める場合 A. 普通殺人罪成立 B. 殺人未遂罪成立(この場合、客観的に成立している同意殺人罪は包括される) C. 同意殺人罪成立 (★ ※ 不能犯論における客体の不能についての議論を想起せよ!) なお、本来この項目で触れるべきである 安楽死・尊厳死 の問題については、都合により講義中に取り扱うこ とができない。関心のある方は、下記 《参考文献》 に挙げるものをはじめ各種文献を調べて欲しい。なお、概 説書/体系書、その他参考書等によってはこの問題は総論の問題として扱われていることがあるので、それら も参考にしていただきたい。 《参考文献》 -4- 1 について * 町野朔「脳死者からの臓器の摘出」犯罪各論の現在 pp. 40-58 同 * 「脳死と心臓死」犯罪各論の現在 pp.59-78 甲斐克則「刑法における人の概念」刑法の争点[第 3 版]pp. 124-125 なお、冒頭で触れた法人の問題については、 * 今井猛嘉「刑法における法人の地位」刑法の争点[第 3 版]pp. 128-129 4 について * 高橋則夫「同意殺人罪の成立要件」刑法の争点[第 3 版]pp. 130-131 なお、総論の問題であるが、4-3-1 の中で触れた「法益関係的錯誤説」については、 * 佐伯仁志「被害者の錯誤について」神戸法学年報 1 号 pp. 51-123 安楽死・尊厳死の問題については、さしあたり、 * 町野朔「安楽死」犯罪各論の現在 pp. 17-39 * 甲斐克則「安楽死・尊厳死」刑法の争点[第 3 版]pp. 40-41 -5-