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GOD WITH US - Oak Pointe Church

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GOD WITH US - Oak Pointe Church
GOD WITH US
Part 1: The Great Blessing
Genesis – Deuteronomy
Message 2 – Noah: The flood and the spread of nations
戻すことが出来るお方は神以外にはない。私たちの力で天国へ行くことはで
きない。それに対する恰好な応答として、創世記 12 章で、神はご自身の
御国をアブラハムを用いて建てられるようになる。創世記 6-11 章は、
アブラハムを通して、神のご臨在をこの世にもたらされるご計画の最初の
主要な段階である。
Genesis 6-11
神の子らと、人の娘たち:6:1-4
神は我らと共に
パート1:大きな祝福
創世記―申命記
第二メッセージ -ノア:洪水と民族の広がり
はじめに
創世記5章には、6章の重要人物であるノアへと導いてくれる系図が含まれ
ており、11章では、その次の重要人物であるアブラハムへと導く系図が含
まれている。したがって、創世記 6-11 章は、ノアからアブラハムの時代
への架け橋となる部分である。この部分は、創世記の主要な物語の展開
(アブラハム、イサク、ヤコブを通してのユダヤ民族の起源)のための準備
段階である(創世記 12-50)。このセクションでは次のことがらを学ぶ。
1)地球上の腐敗の蔓延と神による大洪水による裁きについて読む。
人類が、たとえわずかでも、神の高尚なデザインに似た未来を歩むために
は、神の介入が必要であることが明確になる。私たちだけの力では、深い
邪悪の世界へと沈んでしまう。 2)ノアの 3 人の息子、セム、ハム、
ヤぺテから民族が広がっていくことを学ぶ。これらの 3 つの家系から、子
孫の地理的な位置付けを明らかにするための特別な説明が挙げられている。
この箇所は、出エジプト記世代のイスラエルの民が、地理的な「世界の居場
所_」を探し求めていた時の系図の中に重要になって来る。 3)ハムの息
子であるカナンに対するノアによる呪いについて学ぶ。数百年後、神が
出エジプト世代にお与えなった地がカナンであった。したがって、この物語
は、部分的であるかもしれないが、なぜカナンの土地がイスラエルの民に与
えられたかを説明付ける。 4)人類がその名をあげるために都市を築き
バベルの塔を建てようとしたことを学ぶ。神はこの試みを断念させられる。
人類は必死にその真の栄光を回復し天国へと昇ろうとするが、私たちを園に
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、 6:2 神の子た
ちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。 6:3 そこ
で主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉に
すぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。 6:4 そのころ、また
その後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのとこ
ろにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、
有名な人々であった。 (創世記 6:1-4)
この一節の主なメッセージが、一部の論争のために失われてはならない。
神の霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。(3 節)それは、
当時の人類の罪に対する限りのある聖霊の働きを指す。この 120 年という
のは、洪水という形の神による裁きが来るまでに、聖霊が地上の悪事を抑制
してくださる残りの猶予時間を指す。したがって、創世記 6 章 3 節では、
最後の審判までの 120 年間という猶予の時が刻々と過ぎ始める。
この理解に困難な聖句によって大きな議論と論争が生じた。「神の子ら」に
は、4 つの異なった解釈がある。 1)「神の子ら」と「人の娘たち」と
は、普通の人間が結婚し子供を産んだということであり、それ以上の深い
意味はない。 2)「神の子ら」とは、前章で触れられた、敬虔なセツの
子孫を指し、その敬虔な男たちは、カインの子孫である不敬虔な娘たちと
結婚することによって罪を犯した。3)「神の子ら」とは、人の娘たちと
の一夫多妻の関係によって自分の王国を形成しようとした統治者である。
4)「神の子ら」とは、あるべき住まいから離れ、何らかの形で人の女た
ちと混ざり合わさった落とされた天使たちである。こうして巨人のような
奇妙な人種が誕生した。
それぞれの解釈に克服し難いところがあるが、私(ボブ牧師)は 4 つ目の
解釈の「神の子ら」とは、落とされた天使たちであることを信じる。この
見解では、落とされた天使たちはあるべき住む場所を離れ、人間の独裁者と
戦士が生息する体に住み、人の娘たちと不道徳な関係をもった。彼らの
珍しい子孫(ネフィリム、巨人の人種)はその結果である。(6 章 4 節)
これは最古のユダヤ人の通訳者による見解であり、新約聖書の著者たちも
支持しているようである。(参照Ⅰペテロ 3:19、20;ユダ 6;Ⅱペテロ
2:4)さらに、「神の子ら」という言い表しは、他の場所でも天使のよう
な存在を表すために用いられている。
この聖句に込められるメッセージは非常に大きいと解釈することが出来る。
創世記 3 章で起こしたサタンの反乱は、ここ 6 章で進行している。サタン
は、自分の悪魔の種を人類に植え広げるために、悪霊を送り込んだ。
この方法で、サンタンは、約束された女からの種がこの世に生まれてくる
ことを避けることができると期待した。(蛇を打ち砕くお方-創世記 3 章
15 節)このことによって当時の極端なレベルでの邪悪の蔓延の説明がつ
く。ここに「ネフィリム」についての記載があったことも理解できる。旧約
聖書に記されている巨人は、彼らの大きさと強さのために有名であった。破
損した人間の種を根絶し、ノアの種を用いて一からやり直された神の強い決
意を理解するのに役立つ。
聖書を読む時、サタンは神に背き自分の王国をこの世界に確立しようとして
いるという宇宙背景を覚えて読むことを勧める。神とサタンの対立は、
イエス(蛇を打ち砕くお方)の生涯と宣教の中にもはっきりと見られるよう
になる。パウロが、私たちは霊的戦争の只中にいることを強く強調している
ことに注意しましょう。(エペソ 6 章:10-13)聖書の最終本である
ヨハネの黙示録は、サタンが人類の上の支配権を確立しようとする全ての
試みを滅ぼされる、神とサタンの最終的な偉大な戦いが中心となっている。
ベルの腐敗の強調が繰り返されていたことに注意しましょう。状況は、人類
を犠牲にコントロールできない状態であった。
6:5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも
悪い事ばかりであるのを見られた。 6:6 主は地の上に人を造ったのを悔い
て、心を痛め、 6:7「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。
人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを
悔いる」と言われた。(創世記 6:5-7)
6:11 時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。 6:12 神が地を見られる
と、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからであ
る。 6:13 そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそう
と決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに
滅ぼそう。 (創世記 6:11-13)
・・・すべてその心に思いはかることが、いつも悪いことばかりであるのを
見られた。(6:5)神は、私たちの行いだけでなく、心の思いをも懸念し
ておられる。罪の根源は汚れた人間の心である。だからイエス様は、私たち
の心の問題の状態を強調された。(参照マタイ 15:18-20)ですから聖霊
によって新しく生まれなければならないのです。(ヨハネ3:1-10)神に
よって新しい心を与えていただかなくてはならない。(エぜキエル 36:
26,27;エレミヤ 31:31-34)神は、ノアの内に人と違うものを見られ
た。ノアは主の前に祝福された。 (6:8)ノアは曽祖父であったエノクに
似た信仰を受け継いでいた。
ノアは、地球上に人類を保護するために、神がお選びになった唯一の人間で
あり、最初の「終末を準備する者」であった。彼は正しい人であったからこ
そ神に選ばれた。
神は世を浄化される選択をされた:6:5-22
ウイルスに汚染されてしまったコンピューターは、作動システムに妥協を受
ける。時には、完全削除を実行し、機器の再起動が必要となることがある。
時に、人の手足が重度に感染されると、体の残りの部分を守り繁栄させるた
めに切断をを要される時がある。言い換えると、重症の汚染が生じた場合、
状況を逆転させ将来の可能性を取り戻すために厳しいアクションが必要とな
る。まさに創世記 6 章の地球全体の状態がそうであった。当時、極端なレ
6:8 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。 6:9 ノアの系図は次のとおりであ
る。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神
とともに歩んだ。(創世記 6:8-9)
ノアの義についてのある鍵となる事柄が創世記 5 章の系図にみられる。
ノアは 595 年間、彼の父親であるレメクの影響を受けていることが分か
る。また 600 年間もの間、彼の祖父であるメトシェラの影響も受けてい
る。(メトシェラは、大洪水が起きた同じ年に死んでいる。)エノクはメト
シェラの父であり、レメクの祖父であり、ノアの曽祖父であった。エノク
は、神とともに歩んだ。神が彼をとられたので、彼はいなくなった。彼は
365 歳という比較的若い年齢であったことを思い出しましょう。ノアの先祖
には、神を敬う伝統があったことが分かる。
ノアは、新しい地球の再出発のために、残った命を維持するための箱舟を造
るように指示された。神のご計画に従って、ノアとその息子たちによって、
この大規模な箱舟を造るのに、100 年近くかかった。あるオランダ人が、創
世記 6 章の神の指示に従って、現代版の箱舟を造った。興味のある方は、
http://www.foxnews.com/science/slidesshow/2012/12/12/man-builds-lifesized-replica-noah-ark/#slide=1 をご参照ください。
洪水とすべての生き物の破壊:7:1-24
7:11 それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源
は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、 7:12 雨は四十日四十夜、地に降り
注いだ。(創世記 7:11,12)
洪水のは、地球の下から上から襲いかかり、素早く地面を覆い、150 日間残
った。ノアとその家族は一年と少し箱舟で過ごした。(7 章 11 節と 8 章 13
節を比較)イエスは、ご自分の二度目の再臨とノアの時に地上に洪水が来る
ことを照らし合わせて、ノアの歴史的現実を強く強調された。
24:37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 24:38 すな
わち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、め
とり、とつぎなどしていた。 24:39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのも
のをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、
そのようであろう。(マタイ 24:37-39)
新約聖書のへブル書は、ノアについて信仰によって生きた典型的な模範であ
ると語っており、それゆえ神は喜ばれた:
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、
恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって
世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。
(へブル人への手紙 11:7)
信仰がなくては、神を喜ばせることはできない。(へブル書 11:6)偉大な
信仰のホールオヴフェイムであるへブル書 11 章を読み、個人個人が神の教
えを信じ、神の命令に従うことが、いかに難しいことであったかと言うとこ
ろに注意してください。信仰を貫くことは決して容易なことではない。信仰
は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。
(へブル書 11:1)信仰とは、神をみことばによって知り、神に従うことに
よって前進することである。
水は治まる;ノアは神を礼拝する;8:1-22
モーセは、神のご計画と目的の内にあった彼らの原点を示すために、
出エジプト世代に宛てて書いたということを忘れてはならない。神の裁きで
あった洪水からノアを守り抜かれた場面についてイスラエルの民は何を思っ
たか想像してみましょう。イスラエルの民は、神の守りの御手によって、少
し前に、二つに分けられた紅海を歩いて渡った。そのうえ彼らは、神がその
水を用いられてパロの全軍を破壊されたことを目撃した。神がノアを洪水か
ら守られたことによって、出エジプト世代は、神に信頼する者はお守りにな
る神であり、また、神を拒否るるものには、その影響をもたらされる神で
あることを確信したはずである。
ノアは、箱舟の上で最後の二か月の間、忍耐強く、神がお赦しになる時
まで、出舟を待った。最終的に箱舟を降りた時、ノアは直ちに祭壇を築き、
神を礼拝した。ノアにとっての最優先は神にひれ伏し、次のことを認め感謝
することであった。1)世の罪を裁いてくださる神の神聖さ。2)彼と家族
を救ってくださった神の哀れみ。このノアの礼拝行為に対する主の反応に注
目しましょう:
8:20 ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのう
ちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。 8:21 主はその香ばしいかおり
をかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわ
ない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、
このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。
8:22 地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、
昼も夜もやむことはないであろう」。(創世記 8:20-22)
「神は香ばしい香りをかいで心に言われた・・・」ここは、聖書全体の中で
神の御心がうかがえることが出来るごく数か所のうちの一つである。神は、
ノアの捧げものの喜ばしい香りを嗅がれたことによって、神のお心の内に、
二度と同じ形で地球を破壊されないという決心をされた。神の意図は次の章
で、ノアとすべの未来の世代に契約を結ばれる際に正式になる。
ここで神が人間の本性について述べられるコメントを見過ごしてはならな
い:生まれながらにして全ての人間の心は悪に傾いている。このような聖句
は、「原罪」の教義へと導く-私たちは、アダムから受け継ぎ、生まれなが
らに罪な性質をもっている。(参照:詩篇 51:5;エペソ人 2:3)だから
私たちは子供たちに「良い子でいるように。」教えなくてはいけないのでし
ょう。人間の本性は、良くない傾向に向かうように配線接続されているから
である。
「神は香ばしい香りを嗅がれ心の中で言われた・・・」それが、たった一人
の人間が神に礼拝した時の神の反応である。あなたは、礼拝する時、心を静
めて、神のみ心の反応を考慮したことがありますか?神は、感情をお持ちで
ある。神は、喜ばれ、悲しまれ、怒りを覚えられ、嘆かれ、楽しまれるお方
です。意識してこのことを覚えて神を礼拝しましょう。あなたの礼拝は神の
心を動かすのです。
ノアとその子孫と結ばれた神の契約:9:1-17
この部分は創世記 1,2 章で、初めて神が人間に満たし、支配し、大地を
征服するように命じられた箇所のやり直しのようにも見られる。重要な修正
が加えられて、ノアとその子孫は、神の地上の総督としての役割を再任命さ
れた。
-神はノアに再び土地を再繁殖させるよう命ずる
9:1 神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、
地に満ちよ。 9:2 地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのも
の、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、 9:3 すべ
て生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあな
たがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。
(創世記 9:1-3)
ここで新しい「恐れおののく」関係が獣と人間の間に存続するところに注目
してください。それは、以前は、草食であった人間がここで動物、魚、鶏を
捕え食するようになった現実に関係している。
-人間の生命の尊厳を強調される
9:4 しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。 9:5 あなた
がたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる
獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復する
であろう。 9:6 人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたち
に人を造られたゆえに。9:7 あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、
地の上にふえよ」。(創世記 9:4-7)
「あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。い
かなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復
するであろう。」ここでは、人の生命の尊さが強く強調されている。獣に殺
された人間であろうが、人に殺された人間であろうが関係なく、神は全ての
殺された人の命のために報復されるのです!なぜなら、神がご自分のかたち
に人を造られたからである。(6 節)人間における神のイメージが歪んでし
まったので大洪水は正確に訪れた。洪水の後、神は人類は神のイメージを担
う唯一の被造物であり、そのイメージは尊重され、保護されなくてはならな
いことを再度断言された。軽率に人間の命を絶つ行為は神に対する重大な
侮辱である。
-神の契約がすべての将来の世代のために承認された
9:8 神はノアおよび共にいる子らに言われた、 9:9「わたしはあなたがた及
びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。 9:10 またあなたがたと共にいる
すべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すな
わち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたし
はそれと契約を立てよう。 9:11 わたしがあなたがたと立てるこの契約によ
り、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また
地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。 9:12 さらに神は言われた、
「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物
との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。 9:13 すな
わち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約の
しるしとなる。 9:14 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れ
る。 9:15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあ
らゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべ
て肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。 9:16 にじが雲の中に現れるとき、
わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間
に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。 9:17 そして神はノアに言わ
れた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立
てた契約のしるしである」。(創世記 9:8-17)
ここで神は、前に心の中で言われたことを正式に発表された:神は二度と
洪水によって地球を破壊されないと約束された。雲の中の虹は、神が地と私
たち将来の世代に、この契約を思い出させるための永遠の象徴である。
神は、契約を維持してくださるお方であるという事実は、エジプト脱出の
際、この同じ神であるヤハウエと正規の契約を結んだイスラエルの民にとっ
ては、大変激励されたことに違いない。イスラエルの民は、神との契約関係
において、神は、必ず約束してくださったことをお守りになる方であるとい
うことを学んだであろう。そして、出エジプトと申命記では、モーセが
イスラエルの民に、今度は彼らが神に答えて、彼らの役割を果たさなくては
ならないということを教える。
モーセが、この教えを再集計したのには、別にもう一つ重要な理由があっ
た。おそらく出エジプトの世代にカナンを占領するにあたって「外交政策」
の説明を要したであろう。エジプトから脱出してきたイスラエルの民に
カナンの地を所有する権利がどこにあったであろうか?答えは、カナンの地
の邪悪の起源は、洪水の後、ノアによるカナンの呪いの宣言した時までさか
のぼる。ノアの時代に起こったその一事件だけが、カナン人が土地から追い
出された理由でなかったということを念頭においてください。カナン人の
邪悪化があまりにも酷かったので、神がその土地に彼らを吐きださせられた
ということが、他の聖句にはっきりと示されている。(参照:15:16;
レビ記 18:24-28)したがって、ノアの孫であったカナンに対する呪いと
いうのは、神がカナン人を土地から追い出し親や年長者を尊重する必要性に
ついての明らかな教訓がここにある。これは十戒の一つとなる。「あなたの
父と母を敬え。あなたの神、主があたえようとしておられる地イスラエルの
民にお与えになるために関与した複雑な出来事と条件の一つに過ぎない。
だから、カナンの土地の具体的な領土の境界について、次の章に挙げられて
いる。(参照 10:19)創世記は、イスラエルの民に、彼らの原点は、神の
人類のための広大なご計画と目的の内にあることを教える役割をはたして
いる。
カナンの呪い:9:18-29
セム、ハム、ヤぺテの子孫:10:1-32
9:18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナ
ンの父である。 9:19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、
広がったのである。 9:20 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めた
が、 9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。 9:22 カ
ナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。 9:23 セム
とヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸
をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。 9:24 やがてノアは酔いがさ
めて、末の子が彼にした事を知ったとき、 9:25 彼は言った、「カナンはの
ろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。9:26
また言った、「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとな
れ。9:27 神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるよ
うに。カナンはそのしもべとなれ」。9:28 ノアは洪水の後、なお三百五十
年生きた。 9:29 ノアの年は合わせて九百五十歳であった。そして彼は死ん
だ。 (創世記 9:18-29)
であなたの齢が長くなるためである。」(出エジプト 20:12)しかし、
10 章の系図の目的は、一番最後の句に挙げられている:
10:32 これらはノアの子らの氏族であって、血統にしたがって国々に住んで
いたが、洪水の後、これらから地上の諸国民が分れたのである。(創世記
10:32)
民族はノアの 3 人の息子たちから生まれた。この章は、彼らがカナンでの
自分の土地の相続によって移動した際、イスラエルに最も重要であった国に
焦点を当てている。その他の系図と異なり、この系図には、ノアの 3 人の
息子から湧き出た民族の一般的な領土の位置を記録している。
王国が完全に現れる。このこの話は創世記 11-12 章の【物語初めに、私た
ちはバビロンの王国が神の裁きによって倒されるのを見る(11 章);それ
からアブラハムの呼び出しによって見えてくる神の御国。(12 章)】に似
ている。
セムからアブラハムまでの系図
:
11:10-32
創世記 11 章の系図は、セム(ノアの 3 人の息子の内の一人)から始まり、
アブラハムへと繋げ、神の次のご計画へと私たちを備えてくれる。しかしこ
こにももっと深い意味が秘められている。創世記 10 章の系図に注意を払っ
ていた人は、ノアの子、セムの子孫も含まれていたことに気付かれたことで
しょう。(10:21-31)では、どうして再び創世記 11 章でセムの系図が挙
げられているのか?(11:10-27)この二つの系図は、エベルが二人の
息子、ペレグとヨクタンを産むところまでは同じである。10 章の系図は、
当方のバビロンへと移動したヨクタンの子孫へと続く。一方ペレグの子孫
は、アブラハムの誕生へと続き、継続する神の人類に置いてのご計画へと私
たちを導びく。この二つの家系に託される重要なメッセージは何であろう
か?
エベル
バベルの塔:11:1-9
人間は、最初の巨大都市を築き、中央に高層タワーを建てようとした。
11:4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせ
よう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよ
う」。(創世記 11:4)
そのプロジェクトは、人間の誇りと自己名誉の保存を動機としていた。
「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは
名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。神はこの大規模な建築
プロジェクトの背後にある人間のプライド精神と意図に反対された。神は、
彼らの言語の混乱によって彼らを分散された。後の聖句に挙がる名前
「バビロン」(バベルが由来)それは人類の歴史を通して、様々な形で表示
されているように、サタンの反キリスト(神)の王国と同義語になる。
黙示録 18 章で、この偉大な反キリスト運動の最後の描写に大バビロンと
名付けられているのは決して偶然ではない。その最後の場面で、神の裁きに
よってバビロンは最終的に打倒される。そして、黙示録 19-22 章で、神の
↙
↘
ペレグ
ヨクタン
↙
↘
アブラハム
(神の王国)
バビロン
(人間の王国)
創世記 10 章と 11 章の物語の構成のなかの、バビルの塔の物語によって
ペレクとヨクタンの家系へと分かれて行くところに注目しましょう。メッセ
ージは?シェムの一つの家系(ヨクタン)がバビロンへ立ち、人間の王国を
築く計画へと導いた。もう一つの家系(ペレク)は、アブラハムと神の人間
の内に神の御国を築かれるご計画へと導いた。人間の優れた一家系が自分た
ちの名をあげようとし、もう一つの優れた家系は、神が「アブラハムの子」
と呼ぶ者たちとなる。
サマリー ・ 重要箇所
この聖書箇所には多くの実用的な教訓があります。
3 つの重要な教訓:
1)信仰深い遺産を新しい世代へと受け継ぐことの大切さ。エノクは神と
共に歩み、神はエノクを比較的若い年で天国に召された。エノクのひ孫、
ノアも神と共に歩み、神はノアを残りの人類を保存されるために大洪水から
守られた。メトシェラとレメク(ノアの祖父と父)は、エノクとノアを繋
ぐ、世代の架け橋であった。あなたは、家系に、信仰深い遺産を次の世代に
受け継ぐために何をしているでしょうか?あなたは、エノクのように、将来
の世代が後にたどりつく「信仰の足跡」を指し示す拠点となっているでしょ
うか?
2)神が何かを築かれるために、時には、何かを破壊されなくてはならな
い必要がある。その背景には、神から私たちへの深い哀れみがある。神は、
私たちの不純を洗い流され、新たな神の目的のために、洪水を送られ、
また、私たちが自分の「バベルの塔」を築いてきた努力を阻止されるような
ことをされる時も、神が、私たちを用いて永遠に価値のあるものを築かれよ
うとなさっているためである。聖書のこの箇所は、神の裁きに焦点を当てて
いる。しかし、神の裁きと懲戒処分の背景には、贖いの目的があることを忘
れてはならない。長くても、時が来れば、洪水を治めてくださり、また、塔
が崩れても、自分の目で神の壮大な哀れみを見ることが出来る拠点へとたど
り着かせてくださるので、私たちはどんな試練の中に置かれても、信仰をも
ってこのことを信じなくてはならない。
3)ノアの物語には、真っ暗で困難な中に置かれても、「世の光」となろ
うという意欲的な人間の模範が見られる。新約聖書のペテロの手紙第二で
は、ノアのことを「義を述べ伝えた」(第二ペテロ5:2)者と呼んでい
る。およそ 100 年の間かかったノアの箱舟の建設の間、神の霊は、ノアを
通して邪悪な者たちの世代にも、神に信頼し望みを置くように呼びかけられ
た。
ノアと家族は、人々からの嘲笑と軽蔑に耐えてながらも、団結して神に従っ
た。神は、当時ノアとその家族を用いられたように、今日も、あなたとあな
たの家族を用いられることが出来るお方である。しかし、私たちは、世の
文化の強い潮流に立ち向かうことをいとわず、神の御心にかなう道を歩く
必要がある。イエスは、次のように仰った。
5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何に
よってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ
外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。 5:14 あなたがたは、
世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 5:15 また、あか
りをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、
家の中のすべてのものを照させるのである。 5:16 そのように、あなたがた
の光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見
て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
(マタイ 5:13-16)
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