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胴板2階
胴 板 ふじつぼ 2階 南(前) みや ふじつぼ みや 【藤壺の宮】光源氏の義母でもあり禁断の恋の相手でもある藤壺の宮 きりつぼてい きりつぼ こうい 光源氏の父桐壺帝は最愛の妻桐壺の更衣を失った後、桐壺の更衣に酷似しているという 藤壺を妻に迎えます。源氏は藤壺が亡き母に生き写しだと聞かされるうちに憧れの恋心を 抱き、義母への思いを募らせていきます。そして遂にその思いを遂げ藤壺と一夜を過ごし ます。源氏物語でいう“禁断の恋”はここから始まったのです。この夜の出来事により藤 れいぜいてい 壺は源氏との子を懐妊し出産しますが、このときの不倫の子(後の冷泉帝)は桐壺帝との 子として育てます。その後、藤壺は女を捨て母として我が子を守り抜くために突然出家し てしまいます。身分も高く可憐で絶世の美女でありながら、我が子のためには出家までし てしまうという母親としても最高の女性です。また、物語のキーワードになる女性でもあ ります。 彫刻に採用したのは藤壺ですが、実は見本にするようないい源氏絵がありませんでした。 じゅうにひとえ からぎぬもすがた このため、平安時代の女性貴族の正装である“十二単衣”と呼ばれる唐衣裳姿に、右の絵 の藤壺が着ている十二単衣の柄を組み合わせて、正装姿の藤壺に仕立て上げました。彫刻 も ひのきせん では、正装の証である“裳”や“ 檜 扇 ”もきっちり身に付けいるのが分かります。 ひのきせん も 檜扇 裳 + たまかづら 蛍の光に照らされる 玉 鬘 この絵の構図を採用 不倫の子(源氏の子)を抱く藤壺 この絵の十二単衣の柄を採用 胴 板 【第5帖 わかむらさき むらさき 2階 西の南(右横の前) うえ 若 紫 】雀が逃げたことを悲しむ 紫 の上を、光源氏が小柴垣の外から覗き見 る場面 ひかるげんじ むらさき うえ この帖は、光源氏18歳、 紫 の上10歳、の物語です。 光源氏18歳の春、わらわ病み(俗に言うおこり)にかかった源氏は、北山に住む僧都を 訪ねて加持祈祷を受けました。源氏は、この北山で思いがけず美しい少女(紫の上)を発 見します。その少女は源氏が恋い慕い続ける義母の藤壺にそっくりだったので仰天します。 それもそのはず、少女は北山の僧都の妹尼の孫娘で藤壺の姪っ子だったのです。源氏は自 分の手に引き取って養育したいと尼君に懇願しましたが、少女が幼すぎるといって取り合 ってもくれませんでした。 紫の上の面倒を見ていた祖母の尼君が亡くなり、一人残された紫の上は父の宮邸に引き 取られることになっていました。それを知った源氏は、急いで紫の上を誘拐するように自 邸に迎えとってしまいます。しかし、やがては彼女も源氏になついていくのでした。 彫刻に採用したのは、光 源氏が加持祈祷を受けるた め北山を訪ねていたときの ことです。光源氏が北山の 僧都の庵室を小柴垣の外か ら覗き見ると、10歳ばかり ふせご の美しい少女が「伏籠に入 れていた雀の子を犬が逃が してしまったの・・・」と 眼を赤く泣きはらしていま した。光源氏が生涯を共に する最愛の妻、若き日の紫 の上との出会いの瞬間の場 面です。 胴 板 せきや 2階 西の北(右横の後) うつせみ 【第16帖 関屋】光源氏が“石山詣で”の途中に逢坂の関で空蝉と巡り会った場面 ひかるげんじ うつせみ この帖は、光源氏29歳、空蝉?歳の物語です。 ひたち すけ い よ すけ 若かりし頃の源氏がはかない契りを結んだ空蝉は、夫の常陸の介(もとの伊予の介)に ひたち 従い、常陸(茨城県)の任地へと下って行きました。 源氏が須磨から帰京した翌年、空蝉は任期を終えた夫に従って上京します。その途中、 おうさか せき いしやまもうで 逢坂の関のあたりで石 山 詣 の源氏の行列と行きあいます。華々しい源氏の行列の邪魔に ならないよう、空蝉は脇道に控えて行列を見送っていました。 そのことを耳にした源氏は、 家臣を使い空蝉に歌を届けさせます。空蝉は若き日を想い出して感慨にふけるのでした。 彫刻に採用したのは、 源氏が石山詣の途中、逢 坂の関で空蝉と巡り会っ た場面です。絵の下部を 進むのが源氏の牛車、上 は牛車から降りてかしこ まりながら源氏の一行を 見送る常陸の介や空蝉た ちです。時は9月、源氏 一行の旅姿は、色々の紅 葉、霜枯れの草の中で美 しく映えていました。 逢坂の関というのは、 京都と近江の国(滋賀県)との国境にあった関所で、都と東国を結びつける交通の要衝だ ったところです。関所の番小屋のことを“関屋”といい、タイトルはここに由来します。 現在の逢坂の関は、国道1号線沿いに関所跡の碑が立ち、その下を新幹線の新逢坂山トン ネルが抜けています。 胴 板 うきふね 2階 北(後) におうのみや 【第51帖 浮舟】匂 宮 が浮舟と宇治川の対岸にある別荘に行くために出した舟が、名所 “橘の小島”付近を通過する場面 うきふね におうのみや かおる この帖は、浮舟22歳、 匂 宮 28歳、 薫 27歳、の物語です。 匂宮は二条院で出逢った浮舟のことが忘れられないで想いを募らせています。 正月、匂宮は、ひょんなことから薫が宇治に浮舟をかくまっているのを知り、早速宇治 に行き薫を装って浮舟のもとへと忍び込みます。浮舟が人違いと気付いた時には既に手遅 れで匂宮は遂に想いを遂げました。浮舟は情熱的な匂宮に次第に惹かれていきます。 2月、薫は久しぶりに浮舟のもとへと宇治を訪れます。浮舟が匂宮と契りを交わしたこ とを知らない薫は、物想いに沈む浮舟を慰めます。 一方、匂宮は雪が降るにもかかわらず宇治の浮舟を訪れます。匂宮は対岸の知人の別荘 で心おきなく過ごそうと夜半ひそかに舟を出し、自分で浮舟を抱いて乗せます。名所“橘 の小島”のそばを通過するときに永遠の愛を誓う匂宮に浮舟が返歌します。 「橘の小島の色はかはらじを この浮舟ぞ行方知られぬ」これは、「橘の小島の緑のよう .... にあなた(匂宮)の心は変らないでしょうが、宇治川に漂う浮き小舟のような私(浮舟) はどうなるのかわかりません。 」という意味で、“浮舟”という名はこの歌に由来します。 彫刻に採用したの は、匂宮が浮舟と二 人で心おきなく過ご すために、対岸にあ る知人の別荘に行く ために舟を出したと ころです。場所は、 宇治川の名所“橘の 小島”付近です。こ こで“浮舟”の由来となった歌が歌われたわけです。源氏物語の終わりに繋がる場面とい うことで後方の胴板に採用しました。 胴 板 わかなじょう 2階 東の北(左横の後) けまり み す 【第34帖 若菜上】六条院で蹴鞠を楽しんでいた柏木が、走り出た猫が御簾をめくったた めに女三の宮の姿を目撃できた場面 ひかるげんじ かしわぎ おんなさん みや この帖は、光源氏39∼41歳、柏木24∼26歳、 女 三 の宮14∼16歳の物語です。 すざくいん 朱雀院は最愛の娘・女三の宮を源氏に嫁がせようとします。源氏は拒否しますが、最終 的に承諾しました。女三の宮は、六条院(源氏が造ったハーレム)の春の寝殿に移ってき ました。そこは、源氏の正妻である紫の上が住む御殿でしたが、身分の高い女三の宮は最 高の待遇で迎えられ、紫の上は正妻の座が脅かされるのではと衝撃を受けます。 けまり み す 一方、六条院で蹴鞠遊びが催されました。その際、柏木は猫の飛び出した御簾の影に女 三の宮の姿を見て、その美しさに以前からの想いを一層募らせていくのでした。 彫刻に採用したのは、柏木 が思いを寄せる女三の宮の姿 を目撃した場面です。3月の うららかな日、六条院で柏木 たちは蹴鞠を楽しみました。 女三の宮が御簾の内側で立っ ていたところ、子猫が走り出 てきて、それを追って親猫ま でも走り出てきます。そのと きに、御簾がめくれあがって 外にいた柏木に立ち姿を見ら れてしまうのです。当時の女 性は座っているのが行儀良いとされていましたし、夫や実父以外には顔を見せるのは、は したないこととされていました。つまり女三の宮は二重にはしたなく不用意だったわけで す。ただ、柏木には、その不用意さにも増して美しさが妙に印象的だったことでしょう。 彫刻では、立ち姿の女三の宮と、猫も親猫と子猫の2匹を描いてポイントをきっちり押 さえました。さらにボールも加えて蹴鞠遊びの様子を分かりやすく表現しました。 胴 板 わ か な げ 2階 東の南(左横の前) あかしのちゅうぐう おんながく 【第35帖 若菜下】紫の上、明 石 中 宮 、女三の宮ら女だけで催された音楽会“ 女 楽 ”の 場面 ひかるげんじ かしわぎ おんなさん みや この帖は、光源氏41∼47歳、柏木26∼32歳、 女 三 の宮16∼22歳の物語です。 女三の宮を垣間見た柏木はますます思いを募らせ悶々とした日を送ります。一方、源氏 は、幼い妻女三の宮の機嫌をとることに気をとられ、紫の上はつらく悩んでいました。 すざくいん 源氏は朱雀院の五十の賀宴を計画し、その日のために女三の宮に琴を教えます。年が明 おんながく けいよいよ間近となってきたので、リハーサルを兼ねた 女 楽 (女性だけの演奏会)を催 しました。音楽会は夜が更けるまで続きましたが、その直後、紫の上は重い病に倒れ、六 条院から二条院に移りました。源氏は熱心に紫の上に付きっきりで看病しました。若い頃 の日々を思い出し二人だけで過ごす幸せから、紫の上は少しづつ快方に向かいます。 その一方で源氏が不在となった六条院では、ある日柏木が忍び込み女三の宮と契りを結 びます。やがて女三の宮は懐妊し、それを見舞った源氏は布団の下より柏木からの恋文を 見つけ、2人の密会を知ることになります。柏木は良心の呵責に悩み、ノイローゼから病 に倒れるのでした。 彫刻に採用したのは、 有名な女楽の場面です。 わごん きん 和琴を弾く紫の上、琴 そう を弾く女三の宮、箏を あかしのちゅうぐう 弾く明 石 中 宮 、右下は、 び わ あかし きみ 琵琶を弾く明石の君で す。彫刻では、明石の君 は描かれてませんが、貴 人たちの風雅な音楽会 を表現するにはこれだ けでも十分すぎると言 えるでしょう。