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残念ナルシ鬼畜守銭奴オネエ剣士は我が道を行く!

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残念ナルシ鬼畜守銭奴オネエ剣士は我が道を行く!
残念ナルシ鬼畜守銭奴オネエ剣士は我が道を行く!
深水晶
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
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このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
残念ナルシ鬼畜守銭奴オネエ剣士は我が道を行く!
︻Nコード︼
N6479CE
︻作者名︼
深水晶
︻あらすじ︼
冒険者ギルドロラン支部に所属する︽歩く災厄︾とも呼ばれる金
髪碧眼の残念オネエ剣士︵脳筋ハーフエルフ男︶と、幼なじみの黒
髪魔術師︵高身長ガリ男︶他振り回される人々の物語。
5章更新開始しました。一部、不適切な表現︵罵倒等︶があります。
ご注意下さい。恋愛要素ほぼ皆無。
1
1 相棒の皮肉屋魔術師は頭が痛い
﹁なんてこった、レッドドラゴンだ。あの大きさならおそらくまだ
幼竜だろうが⋮⋮最悪だ﹂
皮肉屋の魔術師アランが、絶望的な声と表情でそれを見上げた。
バトルアクス
いつもは軽口ばかりの小人族の盗賊ダットがぽかんと口を開けて硬
直している。快活なドワーフのオーロンまでが戦斧を掲げたまま難
しい表情だ。
おたから
﹁うふふ、やったぁ! 本日の獲物もーらいっ!!﹂
そう叫んで、半ば閉じかけている扉を押し開け全開にして、金髪
を靡かせ満面の笑みを浮かべ、一人飛び込む剣士レオナール。
﹁おっ、ちょっ、おま⋮⋮っ!﹂
慌てて三人が彼を捕まえようとするが、遅かった。かろうじてダ
ットとアランが彼の肩や腕に触れる事ができたが、彼らの筋力では
細身とはいえバスタードソードを振り回す剣士を捕まえることなど
できるはずがなかった。
﹁ふざけんな、レオ!! 俺達の能力と装備で、ドラゴンなんか倒
せるはずないだろ! 早まるな!!﹂
アランは絶叫した。
2
◇◇◇◇◇ ﹁セヴィルース伯爵家所有の別荘がダンジョン化した?﹂
ここはセヴィルース伯爵領の食料庫とも呼ばれる、麦とエールの
生産地である田舎町ロラン。その冒険者ギルドの依頼受注受付であ
る。
ハーフプレートアーマー
レオナールは、見た目は優男な金髪碧眼の美青年である。細かい
傷のついた鉄製の胸部板金鎧を身につけ、そこそこ良品のバスター
ドソードを背に担ぎ、防寒と泥よけを兼ねた赤いマントを纏ってい
る。ハーフエルフなのだが、豊かな長い髪を常におろしたままなの
で、その尖った耳は見えない。
﹁そうなのよ。一応管理人は置いていたらしいんだけど、ご令息が
ジーベル
久々に使おうと連絡入れたら、庭先に管理人の死体が見つかって、
中に入った従僕もやられちゃったんですって。報酬は1金貨で報告
内容によっては追加報酬あり。ランク不問で期限もなし。⋮⋮今の
ところキャンセル一件、未達成二件ね﹂
冒険者ギルドの受付嬢ジゼル││童顔気味で細身なのに大きめの
胸に、クリクリとカールした赤毛とオレンジに近い茶色の瞳が魅力
ヘーゼル
的である││の言葉に、レオナールの相方で黒ローブを着た魔術師
のアラン││黒髪に淡褐色の瞳の仏頂面の青年││が眉をひそめる。
﹁おいおい、それ、ヤバイんじゃないか?﹂
アランが言うと、ジゼルは困ったと言わんばかりに首を左右に振
る。
3
﹁それが、事前にギルド職員が偵察に入った時点では、ゴブリンと
コボルトしかいなかったのよね。3組ともFランクで、村から出て
きたばっかりって感じの若い子だったせいかもしれないけど﹂
嫌そうな顔になったアランが、レオナールの方を向いた。
﹁おい、こんな怪しい依頼、やっぱり受けるのやめないか、レオ﹂
﹁ふふふ、何言ってるのよ、アラン。できたてほやほや初級ダンジ
ョン調査報告で1金貨よ? 私たちならゴブリンやコボルトなんて
朝飯前でしょ。こんなおいしい依頼そうそうないじゃないの。オル
ト村まで行く準備してくるから、受諾しておいてちょうだい﹂
レオナールは艶やかな笑みを浮かべ、顔にかかる髪をさらりとか
き上げ、立ち上がる。
﹁ちょっ、おい、レオ! 人の話はちゃんと聞け!!﹂
慌てて腰を浮かせ怒鳴るアランに、ばいばいと手を振り、腰をく
ねらせながら歩き去るレオナール。主にギルド周辺で︽歩く災厄︾
︽残念ナルシ鬼畜守銭奴オネエ剣士︾などと呼ばれる彼は、エルフ
の血を引くだけあって美形ではあったが、言動・所作がいちいち女
性っぽく、耐性がない者達には遠巻きにされ、そうでない者にもあ
いつはヤバイと距離を置かれていた。
先月、アランと共にギルド登録したばかりで低ランクではあるが、
元S級冒険者の凄腕剣士︽疾風迅雷︾ダニエルに師事しただけあっ
て将来有望と目される剣士である。ただ、その言動と性格のため、
彼に近付こうとする者はほとんどいない。
4
相棒のアランは、彼と同じ村出身で幼少時からの犠牲者、もとい
幼なじみで、周囲から世話役・お目付役と見なされている。
アランは諦めたように舌打ちして、また元の通り受付前の木製椅
子に腰掛け直す。
﹁レオナール一人で行っちゃったけど、いいの?﹂
ジゼルの言葉に、諦念の表情で憂鬱そうにアランは答える。
﹁あいつが俺の言うこと素直に聞くと思うか?﹂
ジゼルは苦笑した。
﹁アラン、昨夜二階の酒場であいつの下僕だとか言われてたわよ?﹂
﹁⋮⋮それ言ったの誰か教えてくれたら、﹃エラリタ﹄の焼き菓子
差し入れする﹂
エラリタは、ロランで人気の菓子店である。たいてい昼過ぎには
売り切れてしまうため、多忙で拘束時間が長めのギルド職員には、
入手難易度が高い品である。
﹁本当? アランってば優しくてステキ! 付属さえいなければ断
然ロラン支部一の有望株ね﹂
ジゼルが極上の笑みを浮かべる。
﹁⋮⋮やっぱり、あいつが諸悪の根源なんだな?﹂
5
﹁今更? あなた達のパーティー所属希望者が一人もいないのは、
どう考えてもレオナールのせいに決まってるじゃない。あの気まぐ
れ暴君な個人主義の守銭奴っぷりとキャラについていける心の広い
冒険者なんて、そうそういるわけないでしょう? いっそ見捨てた
ら? 有能で傲慢でない魔術師は稀少だから、選り取り見取りよ?﹂
﹁⋮⋮それができたら、ここまで一緒にやってない。あいつの母親
││シーラおばさんにも頼まれてるんだよ、あいつのお目付役。目
を離したら何しでかすかわからないからな。亜人嫌いの聖神教会の
連中にだって無謀な喧嘩を売りかねない﹂
﹁苦労性ね。わざわざ好んで厄介事抱え込むことないじゃない﹂
﹁どうするのが一番楽なのか、わかってるつもりだ。けどまぁ、あ
いつがあんなになったのも半分は環境のせいだからな。あいつはい
つだって笑ってるから、手遅れになるまで気付かなかったが﹂
﹁⋮⋮手遅れってあの性格のこと? それとも言動の方?﹂
﹁両方、全部だ。あいつ、話し言葉や所作が女っぽいからって、男
に興味あるわけでも、自分が女になりたいわけじゃないからな。と
いうか基本的に身内と見なした相手と自分にしか興味ないから⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ああ、それは見てたらなんとなくわかるわ﹂
﹁で、俺が下僕だとか言ったのは、どこのどいつだ?﹂
ニヤリと悪人顔で唇をゆがめたアランに、ジゼルは肩をすくめて
答える。
6
﹁パーティー名︽草原の疾風︾のゲルトとアッカよ﹂
﹁有り難う、ジゼル。依頼が完了したら、差し入れ楽しみにしてろ
よ。じゃ、依頼の受諾書をくれ。署名する﹂
﹁⋮⋮本当に受諾するの?﹂
﹁するしかないだろう? 俺が受けなかったら、一人で行くに決ま
ってる﹂
﹁ご愁傷様。あなた達なら無事帰って来ると信じてるわ﹂
にっこり笑いながら、書類を差し出すジゼルに、嫌そうな顔にな
るアラン。
﹁はぁ、面倒で厄介な依頼なら、最初から紹介しないで欲しかった
けどな﹂
溜息ついて、書類に署名しながら言った。
﹁私だって困ってるのよ。未達成パーティー二組は帰って来ないし。
このまま誰にも受諾されずに放置されたら、最悪クビになっちゃう
じゃない。女性向きの職場でギルド職員ほどの高給なんて、なかな
かないし﹂
﹁⋮⋮出たな、本音が﹂
アランは署名の終わった書類から顔を上げ、ジゼルを軽く睨んだ。
7
﹁仕方ないでしょ? 私だって苦労してるんだから﹂
拗ねたような顔をするジゼルに、アランは皮肉げな笑みを浮かべ
る。
﹁そんなものお互い様だろ。好きで苦労してるんだから、文句言う
な﹂
﹁ちょっと、こんな美人受付嬢目の前にしてその態度ってどうよ?
いつも体型判別できない服装だし、実は男じゃないとか?﹂
﹁は? ジゼル、お前、俺に喧嘩売ってるの?﹂
かなり本気で凄むアランに、ジゼルは慌てて謝罪する。
﹁ご、ごめんなさい、アラン! 私、そんなつもりじゃなくて﹂
﹁へぇ、じゃあ、どういうつもりで?﹂
﹁⋮⋮ぅ、アランにかまって欲しくて、甘えたの⋮⋮﹂
頬を赤らめて言うジゼルに、アランは軽く目を瞠った。
﹁え? 何? いつもの軽口や冗談じゃなくて?﹂
心底不思議そうなアランに、ジゼルの顔が鬼と化した。
﹁地獄に落ちろ! このスカシ野郎!!﹂
8
◇◇◇◇◇ ﹁⋮⋮女ってよくわからない生き物だな﹂
しみじみと言うアランに、面白い事を聞いたとばかりに笑うレオ
ナール。
﹁何言ってるの? アランは老若男女関係なく堅物の朴念仁でしょ
? 他はわかってるみたいに言うのは、どうかと思うわよ?﹂
その言葉に、アランは苦虫を噛み潰したような顔になる。それを
見てレオナールは声を上げて笑った。
﹁あはははははっ! あー、いつ見ても面白い顔っ! そんなに眉
間に皺寄せてばっかりだと、皺が増えてオッサン顔になるわよ? あとハゲるかもねっ、くくっ﹂
腹を押さえてくくくと笑う。アランが咎めるように睨むと、レオ
ナールは真顔を作る。
﹁一週間分×2の食料と、移動用の馬に、傷薬とか解毒剤や胃腸薬、
三日分の着替えと毛布なんかを積んでおいたわ。あと念のため魔法
が切れた時のためにランタンを私の分だけ用意したの。何か他に欲
しいものとか入り用なものとかある?﹂
﹁⋮⋮とりあえず今のとこ大丈夫そう、かな。できれば行きたくな
いが﹂
﹁往生際悪いわよ。それにアランが行かなくても私一人でも行くつ
9
もりよ?﹂
﹁わかってるよ。お前はそういうやつだからな!﹂
くっそぉ、と呻くアランを、楽しそうにニヤニヤ笑いながら見る
レオナール。
﹁わかってるなら、グチグチ言うのやめなさいよ。見てて面白いだ
けだから﹂
嫌そうな顔で睨むアランに、クスクス笑う。
﹁で、どうする? 今から出る? それとも明日早朝にする?﹂
﹁近いからどっちでも行けそうだよな。小さいけど一応宿はあるら
しいから、今日は移動で、明日から探索にしよう。やっておきたい
事もあるからな﹂
﹁了解っ。じゃ、行きましょ!﹂
﹁⋮⋮あーっ、本当、嫌な予感しかしねぇ⋮⋮﹂
俯いてぼやくアランを尻目に、レオナールは馬に跨がった。
﹁レンタルだけど、言うこと聞いてくれそうな良い子達選んでおい
たわよ。いくら近いと言っても、移動にイライラするのは勘弁した
いもの﹂
﹁お前の見立てなら大丈夫だろ。日暮れ前までに行ければ問題ない﹂
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アランも渋々馬に跨がり、二人で町の北門へと向かう。
﹁で、嫌な予感って、今回の依頼、アランは何だと思ってんの?﹂
﹁それがわかってたら、全力でお前を止めるに決まってるだろ。お
前は今頃、火魔法で全身こんがり焼かれてるよ﹂
﹁あらま、こわいわね。でも、何か考えてるんでしょ?﹂
﹁予測じゃないぞ、想像だ。⋮⋮件のダンジョンには、ゴブリンや
コボルトだけじゃなく、何かヤバイ凶悪な魔物がいる⋮⋮普通のF
ランクじゃ到底かなわない化け物だ﹂
﹁へぇ、で、もしそいつが出たらどうするの?﹂
﹁ケツまくってとっとと逃げるに決まってんだろ! それ以外にど
んな選択肢があると思ってんだ!!﹂
﹁その時の気分によるわね﹂
﹁⋮⋮おい﹂
アランは相棒を嫌そうな顔で睨む。
﹁だって、まだいるとも限らない、見てもいない魔物のことをウダ
ウダ考えるなんて、私の性分じゃないでしょ。それにアランも知っ
てるじゃない。
私は自分の直感に従って行動するの。倫理とか道徳とか常識とか
どうでもいいわ。そんなものいざって時に何の役に立つのよ? 家
畜や犬の餌にもならないわ。
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役に立つのは、この肉体一つだけ。どうでもいいことで振り回さ
れるくらいなら、速攻で対象をぶっ殺した方が早いわね、ふふ﹂
﹁⋮⋮レオ⋮⋮﹂
心底楽しそうな笑みを浮かべるレオナールに、頭痛をこらえるよ
うな顔で溜息をつくアラン。
﹁あー、本当、早く剣でぶった切りたい。何でも良いからぶっ殺し
たいわ!﹂
﹁おい、盗賊とか犯罪者以外の人間は殺すなよ?﹂
﹁うふふふ、わかってるわよ。町中で無差別に斬り殺して賞金首と
かになると、色々面倒だものね﹂
﹁ダニエルのおっさんは、なんでこんなやつに剣の扱い教えたんだ、
くそっ﹂
﹁うふふ、だって小さい頃は私、おとなしくしてたじゃない﹂
﹁⋮⋮お前、昔からわかってやってたのか?﹂
﹁きっと私が村に帰ったら皆びっくりするわね、ふふっ﹂
﹁そうだろうよ、今のお前見て性別間違えるやつはいないだろうな﹂
﹁村の皆が私を女の子だと思ってたのは当然ね。こんな美し過ぎる
少年がいるはずないもの﹂
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﹁⋮⋮女装もしてたしな﹂
﹁男だとバレてたら、父親に赤ん坊の内に殺されてたわよ。ハーフ
と言えどエルフの血を引いた女の子なら、子供でも奴隷として高く
売れるもの﹂
﹁⋮⋮お前がそういう意味で無事だったのは、不幸中の幸いだと思
ってる。⋮⋮はぁ﹂
アランは憂鬱そうに深い溜息をついた。
﹁溜息ばかりついてると、ハゲるわよ?﹂
﹁うるさい! 黙れ!! 誰のせいだと思ってんだ!! ちくしょ
う!!﹂
アランは本気で嘆いた。
◇◇◇◇◇ ロアンの町からオルト村まで一刻半である。昼過ぎに出たので、
二人は夕方前に余裕を持って到着した。
オルト村には魔物避けの簡単な囲いはあるが、門番や見張りなど
はいない。長閑な田園風景の間に、ポツポツと小さな家が点在して
いるのが見える。
﹁天気も良いし、馬で駆けるには良いわね、ここ。これで宿酒場の
食事がおいしかったら最高ね!﹂
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機嫌良さそうなレオナールの背中には、首なし状態で吊られてい
る猪型魔獣││牙がサーベル状に長く鋭く尖っている││サーベル
ボアがあり、右手にはその首から上がある。
楽しそうに首をクルクル回すレオナールを、同行者であるアラン
の他、運悪く遭遇してしまった村人が気味悪そうな顔で見ている。
﹁うふふふふー。今日の夕飯は猪鍋かしら?﹂
﹁⋮⋮そうかもな﹂
アランはなるべくそちらを見ないように目を逸らしながら言う。
魔獣を斬るのは良いのだ。街道付近やこの村周辺にいる程度の魔獣
と一対一ならば逃がさず自分に引きつけ、速攻で倒してくれる相棒
は非常に心強い。
ただ、倒した死体・死骸をいじり回す癖だけは何とかして欲しい。
言って聞くような男ではないので、諦めてはいるが。
﹁ほらほら、見て。ぐおー﹂
切られた喉の中に手を突っ込んで、口を開閉させて遊んでいる。
﹁悪趣味なことするな、善良な村人さん達にドン引きされてるぞ﹂
﹁私は善良じゃないから大丈夫!﹂
﹁⋮⋮自分で言うなよ﹂
頭が痛い、と小さく呟くアランとは裏腹に、鼻歌まで歌い出す上
機嫌なレオナール。
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﹁あー、本当、いいところね! 夕飯のおかずは、自ら飛び込んで
来てくれるし、町で溜めたストレスは発散できるし!﹂
﹁お前がいつ、どこで、ストレス溜めるんだよ﹂
﹁だって、町中で思い切り剣振り回せないじゃない?﹂
﹁⋮⋮頼むから勘弁してくれ﹂
切れるものならこいつと縁を切りたい、とちょっぴり思ったアラ
ンだった。
◇◇◇◇◇ レオナールが隣にいると、誰とも会話できないと判断したアラン
は、先行する事にした。村人に宿屋の場所を尋ね、礼として大銅貨
を数枚握らせると、レオナールを回収して、宿屋で獲物のサーベル
ボアと馬を預けて二部屋頼み、装備の手入れでもしていろと告げて
一方の部屋に叩き込んだ。
﹁夕飯はもちろん猪料理よね?﹂
﹁心配しなくても普通に出してくれるだろ。一応確認するから安心
しろ﹂
﹁わかったわ。で、アランは情報収集?﹂
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﹁まぁな。例の別荘のことは、地元の人間にも聞くべきだろう﹂
﹁いつもの事ながらマメねぇ﹂
﹁⋮⋮だいたいお前のせいだろ﹂
仏頂面で言うアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁被害妄想はたいがいにした方が良いわよ?﹂
﹁⋮⋮マッドな脳筋には期待してないから安心しろ﹂
ケラケラ笑うレオナールに、ぼそっと小声で呟くと、アランは背
を向けた。
﹁いってらっしゃい、気をつけてね∼﹂
本当に頭が痛い、とアランは呻いた。
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1 相棒の皮肉屋魔術師は頭が痛い︵後書き︶
前々から書こうと思ってたオネエ剣士の物語です。高校時代、D&
Dのシステムにだいぶ慣れてきたところで先輩方が卒業し、友人が
GMデビューした際に作った悪ふざけキャラ︵↑今、思い返すと結
構ひどい︶がモデル。
ハーフエルフでニューハーフ?のケイオティック︵より正確には混
沌にして中立︶の守銭奴でがめつい戦士︵ハーフエルフのくせに脳
筋気味︶、というコンセプト。
作ったキャラ名は確かユかフェで始まってたような気がしますが、
よく覚えてません。やっちゃいけないお約束をあえてプレイするた
めにケイオティックに設定したという。そのため友人達演じる仲間
キャラや、ゲスト出演するNPCが全員ニュートラル︵中立︶にな
ってしまいました。ケイオティック︵混沌︶とローフル︵秩序︶は
パーティー組めませんし。
当初、小説として書く際、女↓男の転生ものにしてみようと思い、
プロット書きましたが、TS転生にする必要性とか、前世記憶の必
然性とか﹁ねぇな﹂という結論に至ったので、普通に﹁冒険者ギル
ドを利用して依頼受注する冒険者もの﹂となりました。
元ネタがD&Dなので、剣士にしろ魔法使いにしろ、攻撃力とかシ
ョボくて、基本敵キャラは強めです︵ドラゴン≒絶望?︶。
D&Dの要素やルール、システムは適用してないので別物です。聞
き込みにはINTの値が関係するとか、スキルや魔法の種類は少な
めとか、ちょっとだけ名残はありますが。
以下を修正
×げぇえっと
17
○もーらいっ
×ハーフリング
○小人族
×優男でいかにも女にモテそうな金髪碧眼の美青年
○優男な金髪碧眼の美青年
18
2 気のいいドワーフ戦士は酒を愛する
おかみの話によると、今夜オルト村の宿屋に泊まるのは、アラン
とレオナールを含め、五人だという話である。残り三人は、未帰還
のパーティーのメンバーではないらしく、別件だという。
一人は神官風の男で、一人は戦士と思しきドワーフの男、もう一
人は小人族らしいのだが、ローブのフードを被ったまま早朝と深夜
に出入りするため、年齢性別不詳。神官風の男は一昨日から部屋に
閉じ籠もったきり食事以外に出てきておらず、ドワーフは何故か滞
在中ずっと無償で村の農夫達の手伝いをしており、毎晩のように宴
会をしているそうだ。
﹁⋮⋮嫌な予感がする﹂
アランが呻くように言った。
﹁今度は何?﹂
﹁お前、疑問に思わないのか? なんか怪しい連中ばかりじゃない
か﹂
﹁何処が? アランって心配性過ぎて、時折、被害妄想激しいんじ
ゃないかしら﹂
困ったわね、と言わんばかりにレオナールが大げさに肩をすくめ
る。
19
﹁いやいや、どう考えてもおかしいだろ? 個室とは言え、三日間
もこんな宿屋に閉じ籠もりきりとか、おかしいだろ?
あと、顔を隠してコソコソしてる小人族とか怪しさ全開だろ! それに、無償で一週間も農夫の手伝いしてるドワーフとか!!
どいつもこいつも怪しい胡散臭いやつらばかりだろうが!!﹂
﹁客観的に見れば、私達も怪しいと思うわ。村人も警戒して近付い
て来ないし﹂
﹁それは主にお前が原因だ!﹂
﹁嫌ねぇ、アランも代わり映えしない安っぽい黒のローブなんか着
て、十分怪しいわよ?﹂
﹁このローブはこう見えても付与魔法かかってて高いんだよ。これ
に替わる装備なんて入手できるのは王都くらいで、この辺りじゃ手
に入らないくらいだ﹂
﹁あら。じゃあ、盗賊なんかに狙われたら困るわね﹂
﹁どうせそんな命知らずが現れたら、お前が問答無用で斬るんだろ
?﹂
﹁たぶんそうなるわね﹂
﹁だから、その点については心配してない﹂
﹁⋮⋮悲観主義者なわりに、妙なところで楽観的ね、アランって﹂
﹁お前の人格と性格に関してはあまり信頼してないが、お前の技量
20
は信頼している。高ランク相手じゃなきゃ、たぶん問題ないだろ﹂
﹁あら、褒めてくれるの?﹂
﹁褒めてなんかいない。ただの事実だろ﹂
﹁ふふふ、アラン、そんなに照れなくても素直に絶賛しても良いの
よ?﹂
﹁くだらない戯言やめろ、レオ。寒気がする﹂
アランは本気の顔でぶるりと震えた。
﹁それから、目的地の別荘は来る途中に見た丘の上のテラスとベラ
ンダのある邸宅だ。俺達がギルドに登録するちょっと前くらい、先
々月の下旬頃にダンジョン化が発覚したらしい。
未帰還の内の1パーティーはガラの悪い連中だったらしくて、村
人達に不評だ。帰って来なくても心配されてもないようだ。逃げ帰
ったパーティーともう一方のパーティーは、良くもなく悪くもなく
って感じだが、生きていれば良いが、との言もあったから、素行の
悪い連中でもなさそうだ。
逃げ帰った連中は、帰る時は脅えた顔で何も言わずに一目散って
感じだったらしい。絶対こいつら何らかの情報持ってると思うんだ
が、ギルドに報告はしてないっぽいな。面倒なやつらだ。
キャンセルするくらいなら知ってる情報吐けば良いのに。そした
ら完了報酬は無理でも、情報分の金は貰えただろうに﹂
﹁で?﹂
﹁別荘は外側から見る分には、問題はなさそうだ。現在は施錠した
21
上、門と正面入り口のドアノブを鎖で封印しているようだ。出入り
できそうな窓は全て鎧戸が閉まっていて、あそこから出入りすると
なると面倒そうだな。
原因がわからないから、そもそも窓から出入りしたらダンジョン
の中に行けるとは限らないし、何処にどう出るかわからない。使用
人用の出入り口も施錠されていた。
ギルドの調査員は正面から入ったみたいだから、俺たちも同じと
ころから入る方が無難だろう。深入りしなけりゃ撤退できるようだ
しな。鍵は現在は村長が管理しているらしいから、明日挨拶に行こ
う。頼むから村長の前ではおとなしくしてろよ?﹂
﹁その時の気分によるわね﹂
﹁⋮⋮頼む。この依頼終わったら、飯奢ってやるから﹂
何か理不尽なものを感じつつ、呻くようにアランが言うと、レオ
ナールが満面の笑みを浮かべた。
﹁わかったわ。アラン、あなた優しい良い人ね!﹂
﹁レオ、お前それ、俺が何か奢ってやるとか言った時しか言わない
だろう﹂
﹁当たり前でしょ。オカネ出してくれる人は神様よ? お礼言うだ
けならタダだしね! まぁ、﹃優しい良い人﹄って﹃何の害も取り
柄もない凡人﹄とほぼ同義語だけど﹂
﹁⋮⋮お前はそういうやつだよ﹂
アランはがっくりと肩を落とす。
22
﹁あら、でもアランには感謝してるわよ? 便利で使い勝手良くて、
文句や愚痴はうるさいし時折面倒で鬱陶しいけど、なんだかんだ言
って面倒見良くて世話焼きだし。
私、その辺の有象無象とかバカの相手とかしてられないから、あ
なたと一緒だと本当楽で良いわ。無駄に敵対相手を斬らずに済むの
も、あなたのおかげだしね。
人間って、魔獣より斬りにくいのよね。雑食なせいか、大きさの
割に骨が多いせいか、わからないけど﹂
﹁⋮⋮そうかい﹂
アランは嫌そうに顔をしかめた。
﹁わかってるだろうが、喧嘩売られても頼むから村の中で無闇矢鱈
に剣振り回すなよ?﹂
﹁わかってるわよ。相手が抜かない限りは、抜かないわ﹂
﹁⋮⋮いや、なるべく素手で頼む⋮⋮﹂
﹁わかったわ! 素手で急所攻撃するだけにするから﹂
﹁わかってねぇよ! 全然わかってねぇだろ!! 頼むから、なる
べく厄介事や暴力沙汰は起こすな! 種も蒔くな!! 絶対にわざ
と挑発とかすんなよ!! マジでやめろ!!﹂
﹁うふふ、大丈夫よぉ。明日になれば思う存分剣を振るえるんだか
ら。武器や防具の手入れしたとこなのに、また汚すような事はしな
いわ。たぶん﹂
23
﹁たぶんじゃねぇええっ!! ふざけんな!! てめぇ焼くぞ!!﹂
﹁そう言えば今日は一度も攻撃魔法使わなかったものね、アラン。
昼間のザコ魔獣、どれかアランにも残してあげるべきだったわよね。
久々だからつい夢中になって斬っちゃって、私とした事がうっかり
してたわ﹂
﹁⋮⋮お前と一緒にすんな﹂
額を押さえて溜息をつくアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁ところで夕食は?﹂
﹁ついさっき日が沈んだばっかりなのに、もう食う気か?﹂
呆れたような顔で見るアランに、レオナールは満面の笑みを浮か
べる。
﹁やぁねぇ、剣士は身体が資本なのよ? 肉はいくら食べても足り
ないくらいよ?﹂
﹁お前、体格の割に良く食うよな﹂
﹁もっと筋肉がついても良いはずよねぇ。まだまだ成長期だから、
これからかしら?﹂
﹁⋮⋮知るか。だいたい、お前、血統的には本来剣士より魔法使い
が向いてるはずだろう﹂
24
﹁力自慢の屈強なドワーフには負けるかもしれないけど、人間の標
準的な戦士と比べても良い線いってると思うけど?﹂
﹁レオは見た目の割に脳筋だよな。頭悪いわけでもないし記憶力も
悪くないのに、呪文覚える才能皆無って、理解しがたい﹂
﹁面倒くさいことは苦手なんだから仕方ないでしょ? じっと座っ
て勉強するより、思い切り身体動かしてた方がスカッとして楽しい
じゃない﹂
﹁お前とは意見合いそうにねぇな。俺は痛い思いしたり、血を見た
り、汗を流すのは正直苦手だ。
貴族に生まれなきゃ王宮魔術師にはなれないし、裕福な地主や商
家に生まれたわけじゃないから独り立ちもできないし、農家の三男
じゃ魔法の才能あっても、流れの魔術師か冒険者になるくらいしか
道がない﹂
﹁急にどうしたの? 冒険者になるために村を出たのを後悔してる
わけ?﹂
﹁村を出たのは後悔してねぇよ。正直鬱屈してたし、あの村じゃ体
力も筋力もない俺は穀潰し扱いだろうしな。冒険者としてなら、力
の振るい所もある﹂
アランは首をゆっくり左右に振った。
﹁でも、俺は基本臆病な質なんだよ。叶うものなら、なるべくやる
事なす事、全て事前に情報収集してよく吟味して取捨選択して、準
備を十二分にして、慎重に着実に行ける依頼を選んで、問題なく速
やかに確実に仕事したい﹂
25
﹁ふんふん、それで?﹂
﹁だが、お前と一緒だとそれが全部無駄になる﹂
﹁あら?﹂
しかめ面で言うアランに、レオナールは心外とばかりに大仰に肩
をすくめる。
﹁私のせいだとでも言うつもり?﹂
﹁ここに来る事になったのも、お前のせいだろうが!﹂
﹁やぁね、アランったら﹂
レオナールはくすくす笑う。
﹁好きこのんでついてきたくせに、そんな事言っても信憑性ないわ
よ?﹂
レオナールの言葉に、アランは絶句した。
﹁おまっ⋮⋮そういうこと言うか?! 俺がお前のやらかす事に、
毎回どれだけ尻拭いさせられて奔走してるか、わかってて言ってん
のか!? おい!!﹂
﹁ねぇ、アラン﹂
レオナールはニヤリと唇にだけ笑みを浮かべる。
26
﹁私、あなたにつきあってくれだなんて言ったこと一度もないし、
尻拭いしてくれと頼んだ覚えもないわよ? あなたが自発的にやっ
た事に対して、私に恩に着せようって言うなら、別に要らないんだ
けど?﹂
目が笑っていない、冷酷でありながら穏やかなヒヤリとした口調
で、そう告げるレオナールに、アランは思わず息を呑んだ。
﹁付き合いだけは無駄に長いから、私の嫌がる事はわかってるわよ
ねぇ? アラン﹂
﹁⋮⋮わかってるよ。お前がどんな形であれ、何かを強制されるの
も、制限されるのも、死ぬほど嫌がってるってのは。そういう意味
で言ったんじゃねぇよ。
文句はあるし、愚痴も言いたくなるけど、お前を放っておけない
のは、俺の勝手だしな。
幼なじみで一番の遊び友達だったお前が、何かやらかして知らな
い何処かで野垂れ死ぬような事があれば、死んでも悔やみきれない
からな。
それに魔術の師匠であるシーラおばさんにも頼まれてるんだ。お
前が無理無茶無謀な事やらかしたり、自暴自棄になって自殺まがい
の暴走したりしないようにな﹂
アランは真顔で言った。レオナールは目をパチクリさせて、肩を
すくめた。
﹁私、自分のこと大好きだから、好きこのんで自殺や自爆しようと
は思わないわよ?﹂
27
﹁でも、なんでか知らんが、時折ものすごく信じがたいくらい致命
的にバカな事やらかすだろうが。そんな大バカ野郎を放置できるか。
それに俺も存分に自分の力を振るってみたいという気持ちはあっ
たしな。村では非力だのひ弱だとバカにされたが、ここでは有能だ
と認めて貰えるしな﹂
僅かに微笑むアランに、レオナールはニマニマ人の悪い笑みを浮
かべる。
﹁それに密かに女の子にもモテてるし、中高年のおばさん達にも評
判良いものね! この前、八百屋のマノアおばさんに﹃娘の婿にな
ってくれ﹄とか言われてたでしょ?﹂
﹁はぁ? あんなもん社交辞令だろ。いちいち本気にしてられっか。
だいたいマノアさんの娘って8歳じゃねぇか。結婚できる年齢にな
る15歳になる頃、俺達22歳だぞ?﹂
﹁そりゃそうだけど、あれ、かなり本気入ってるわよ?﹂
﹁お前、本当、人の機微とか、本音と建て前とか、様式美とか、そ
ういうの理解できないよな。他人の言葉を額面通り受け取ってたら、
詐欺師だの悪徳商人だのの良いカモだぞ?﹂
﹁あなたも人のこと言えないでしょ。私は野生の勘があるから大丈
夫﹂
﹁いや、それ、全然大丈夫じゃないからな﹂
﹁それより、食堂へ行きましょうよ。お腹が空いたわ﹂
28
﹁⋮⋮ちょっと早いけど、まぁ、いいか﹂
レオナールの催促に、アランは頷いて腰を上げた。二人で一階の
酒場兼食堂へ向かう。階段脇に宿屋の受付があり、右手奥が酒場と
なっている。
階段を降りた辺りで、宴会でもしているような賑やかな歓声が聞
こえてくる。アランは眉間に皺を寄せて立ち止まるが、レオナール
はそのまま酒場へと向かう。
﹁おい、レオ﹂
アランは舌打ちして、レオナールの背を追った。
﹁⋮⋮ああ、嫌な予感がする﹂
ぼやきながら。
◇◇◇◇◇ エールの入ったマグと、焼いた肉の大盛り、申し訳程度の野菜の
スープなどを並べたテーブルを、五人農夫と一人のドワーフが囲ん
で騒いでいた。
﹁あっはっは! さ、オーロンさん、いくらでも飲んでくれ!﹂
赤ら顔の中年の農夫が酒に酔って大声で機嫌良さげに、傍らのド
ワーフの男の背中をバシバシ叩きながら言う。
29
﹁うむ、奢りで酒が飲めるというのだから、言われるまでもなく有
り難くいただこう。太陽と光の神アラフェストと、農耕神サナトー
ルと、酒の神フォトラナンに感謝の祈りを!﹂
カッカッと笑う、上半身裸になった日に灼けた筋骨逞しいドワー
フの男。
﹁いやいや、こちとら、畑の開墾から屋根や柵の修理まで色々無償
でやって貰って、本当に感謝しとるんだ。どんどん飲んでくれ。樽
を飲み干してくれても構わんよ﹂
﹁おお、本当か。それは有り難い! いやぁ、本当、素晴らしい。
この村のエールは、最高だ! これまでわしが飲んだどのエールよ
りも!!
王都でまずいエールを飲まされた時は悲観したものだが、ここま
での代物を飲めるとは、この村まで足を伸ばした甲斐があったと言
うものだ!
この地を統べ、人々を慈しむ全ての神に感謝を! ああ、生きて
いて良かった!!﹂
﹁ハハハハ、あんたは本当、大袈裟だな、オーロンさん。そんなに
喜んでくれるというなら、こちらも奢り甲斐があるというもんだな
! 気持ち良く飲める酒ほど美味いものはない﹂
﹁オーロンさん、オレぁ、ドワーフを見たのはあんたが初めてだが、
あんたほど気持ちの良い旅人に会ったのは初めてだ。ドワーフって
のぁ、皆あんたみたいにお人好しで快活で酒好きなのかい?﹂
﹁うーむ、ドワーフと一口に言っても千差万別であるな。そこら辺
は、人間も亜人も変わるところはないだろうよ。善人も悪人も、そ
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のいずれでもない者もいる。
しかし、だから良いのだ。皆が一通り同じようではつまらぬもの
だ。同じ事柄も、違う者が見れば、感じるものはそれぞれ異なる。
だからこそ、同じ人間、同じ国の中で、同じエールと呼ばれる酒の
味も、千差万別であるのだから!﹂
﹁結局最後は酒の話になるんかい! ま、あんたらしいっちゃあん
たらしいな!!﹂
﹁心底酒が好きなんだなぁ。ワシも好きな方だと思うが、あんたに
ゃ負けるよ。ガッハッハ﹂
﹁ま、酒は不味いよりは美味い方が良いのは、間違いないな!﹂
﹁その通りだとも! だが、不味い酒も、美味い酒の有難味を知る
事ができるという点において、無駄ではないな!
世の中に無駄なものは何一つない。全ては神の恵みと慈愛と、地
に生きる者達の努力と働きによって生まれるものだ。
美味い酒を臓腑に流し込む時、今、この瞬間のために生きておる
のだと痛感する。
ああ、生きるという事は、本当に素晴らしいな! オルト村の麦
とエールと人々に祝福あれ!! このまま一生この村でエールを飲
みながら過ごしたいものだ﹂
﹁おいおい、あんた、それで良いのか、オーロン。あんたの本業は
戦士なんだろう?﹂
﹁わしはこの世にある全ての美味い酒を飲むために生きておる! 飽きるまでこの村のエールを浴びるように飲んで過ごすのは間違い
ないだろう。斧を振るって稼ぐ日銭など、そのために必要というだ
31
けのものだ。
この世に、酒を飲むこと以上に素晴らしいものがあるだろうか?
いや、ない!﹂
宣言通り浴びるようなペースでエールを飲むドワーフは、実に満
足そうで、幸せそうである。エールを口に流し込む度、嬉しそうに
目を細めている。
その傍らを、軽装の美貌の金髪碧眼の戦士が足早に通り過ぎる。
﹁うむ? 今のは⋮⋮﹂
首を傾げ、その背を見やるドワーフに、農夫の一人が肩をすくめ
る。
﹁あぁ、領主様のご依頼での件で今日、ロランの町から来たってい
う冒険者の片割れだな。
その猪型魔獣を倒した剣士だって噂だが、関わり合いにならない
方が良さげな輩らしいな﹂
農夫の一人が、声をひそめ眉間に皺を寄せ、小声で言う。
﹁何? 村人に害を為す無頼の輩か?﹂
ドワーフが剣呑な表情になる。
﹁いやいや、まだ何もしちゃいねぇが、村の入り口から宿屋の受付
まで、これ見よがしに血だらけの魔獣の首を弄びながら練り歩いた
って話だ。
そんな輩がまともな筈がないって村中噂になってるらしい。うち
32
のが言ってた﹂
﹁⋮⋮ふむ、なるほど﹂
ドワーフは緊張を解かぬまま、僅かに表情を緩め、首肯した。
﹁冒険者には無学な荒くれ者が多いとは言え、確かにそれは、まっ
とうで良識的な人間のする事だとは思えぬな。
しかし、領主様のご依頼とな? いったいこの平和な村で何を?
あんな輩が来るという事は、ただ事ではあるまい﹂
﹁ああ、そりゃ、ワシらには関係のない話だが、この村で一番見晴
らしの良い丘の上に、ひどく立派な三階建てのお屋敷があるだろう?
あれが領主様の別荘でな。一応管理しておる老齢の使用人がいた
んだが、長らく利用された事がなく半ば放置されてたのが、先々月
の末、ご子息が気まぐれに訪れたいと、その連絡に二人ほど寄越し
たんだな。
すると、庭先に管理人の死体が見つかった上、中に入った一人が
ゴブリンらしき魔物に大怪我を負わされ、慌てて逃げて来たが、瀕
死の重傷でな。
村長の家へ運び込まれて村のオババが懸命に治療したが、あえな
く死亡したんだ。
そっから大騒ぎだ。残った一人が、泡食ってロランの町のギルド
に駆け込んでな。屋敷に魔物が出たとだけ告げて、領主様の元へ逃
げ帰った。
その後、正式に領主様から、お屋敷の調査依頼が出されたんだが
⋮⋮先に受けた3組が失敗したとかで、な﹂
﹁⋮⋮なるほど、それで本日、4組目が来た、というわけか﹂
33
﹁さっきの剣士の片割れは、人当たり良く話術も巧みで、愛想も良
くて気前も良いと、顔を合わせた連中の評判は悪くないようだが、
あれの片割れというのがな。いまいち信用ならん﹂
ドワーフが件の剣士を見やると、いつの間にかその向かいに黒ロ
ーブの男が腰掛けていた。
﹁ん? 先程まであそこには誰も座ってはおらんかったはずだな?﹂
首を傾げるドワーフに、一番若い農夫が答える。
﹁ああ、オレらが話してる間に、こちらを避けるよう、やけに遠回
りで、静かにゆっくり歩いて行ったな。
盗賊のように足音消して気配を殺してってわけじゃないんだろう
が、こっちがじっと見てなきゃ気付かなくてもおかしくなかったか
もなぁ﹂
﹁ふむ﹂
ドワーフは眉をひそめた。視線の先にいる二人の男は、十代半ば
から後半くらいの見目良い若者で、服装・髪型や所作などを見る限
りでは、そこそこ育ちが良さげに見えるが、容姿・年齢とその内実
は一致しないものである。
﹁⋮⋮留意しておくべきだな﹂
一人頷くドワーフの男のマグに、農夫達が新しいエールを注ぐ。
﹁そんな事より、飲もうや、オーロンさん!﹂
34
﹁そうそう、料理は出来たて、エールは樽から注いだばっかりのや
つが一番美味いからな!﹂
﹁うむ、全くその通りだな!﹂
ドワーフは男達から視線を逸らし、椅子に座り直すと、マグを掲
げ、飲み干した。
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2 気のいいドワーフ戦士は酒を愛する︵後書き︶
もう一人も出したかったけど、長くなったので、ここまで。
次か、そのまた次くらいからダンジョン探索予定。
冒頭シーンまで、十話以内で収まるか微妙です。すみません。
以下を修正
×ハーフリング
○小人族
×これに替わる装備なんて
○これに替わる装備なんて入手できるのは
×面倒臭い
○面倒くさい︵レオナールの台詞のため平仮名に︶
×毎回どれだけ尻拭いされて
○毎回どれだけ尻拭いさせられて
36
3 お調子者の盗賊は捕らわれ、尋問される
﹁おい、レオ。お前のせいで、ものすごく悪目立ちしてる上に、俺
の評価にまで悪影響出てるんだが﹂
アランのぼやきに、レオナールは軽く肩をすくめる。
﹁そんなの今更でしょう?﹂
﹁あのな、初めて来た村で、しかも滞在して半日も経ってないのに、
そんな事になってるのが問題だって言ってるんだ﹂
﹁気にしなくて良いわよ。私たちの依頼の評価をするのは村人じゃ
なくて、ギルド職員と依頼人なんだから﹂
﹁だから関係ないと? 状況によっては、滞在期間が延びたり、こ
の村で食料や消耗品類を補給する可能性もあるんだから、下手に波
風立てない方が良いに決まってるだろう﹂
﹁そんなに心配しなくても、大丈夫よ。致命的な何かは起こってな
いわけだし﹂
﹁起こしてたまるか! ⋮⋮おっと、あまり大声で怒鳴らせるなよ
な、レオ﹂
﹁えぇ? アランが一人で騒いだだけなのに、私のせい?﹂
﹁原因がお前だと言ってるんだ。それくらい、わかれ﹂
37
﹁あなたのお母さんじゃないんだから、私に言わない事がわかるわ
けないでしょ﹂
レオナールはヒラヒラと手を振り、困った子ねとでも言いたげに、
首を左右に振る。
それを見てアランは顔をしかめ、こいつに何を言っても無駄だと、
嘆息した。
﹁⋮⋮はぁ、夕飯食い終わったら、酒場で情報収集するつもりだっ
たんだが﹂
﹁アラン、あなた、本当好きねぇ? そんなに集めてどうすんの?﹂
﹁情報が少ないより多い方が、間違いなく良いんだよ。玉石混交で
役立ちそうにないものもあるが、母体が多ければ多いほど、より正
確に、より広範囲に、より詳細に集まるからな。見える情報から、
見えてこない情報を類推する事も可能だ﹂
﹁⋮⋮ねぇ、アラン。私にそんな話するだけ無駄だと思うけど?﹂
レオナールに気の毒な人を見る目で首を傾げられて、アランはガ
ックリと俯いた。
﹁あー、悪かったな、脳筋相手に通じるはずがなかったよな。どう
せ何もかも全部、俺が悪いんだな。お前に何か言ったり説明したり
するだけ、時間と労力の無駄なのに。
みて
本当、俺は学習能力ないよな。お前が下手に人間語を話せるもん
くれ
だから、ついうっかり話しかけちまうが、そうだよな、お前って外
見だけは良いオーガみたいな生き物だから、仕方ないよなっ﹂
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﹁あなたみたいに体格は貧相なのに身長だけは無駄にある男が、変
に拗ねたりごねたりしても、全然可愛くないわよ?﹂
﹁言っておくが、お前に対する厭味だからな、おい﹂
﹁相手に通じない厭味や罵倒なんて、人相手にゴブリン語やコボル
ト語を話すようなものよ?﹂
﹁ああ、その通りだなっ。お前と話してると、なんか無駄にへこむ
から、もう良い。飯がまずくなる﹂
﹁そうね、早く夕食頼みましょう﹂
アランは仏頂面になりつつ、おかみに夕食二人前とエールを持っ
て来てくれるよう頼んだ。レオナールの頭は既に夕食の事で一杯の
ようだ。アランは自分の余裕のなさと学習能力のなさに、自己嫌悪
に陥る。
︵あー、もう、駄目だ。今更レオに、期待なんかするな。人間だと
思うから悔やむ羽目になるんだ。
こいつは人間語を話す、ちょっと頭良さげな魔獣だと思ってりゃ
良いんだ。どうせ状況判断とか調査とか分析とか戦闘指示や選択な
んかは、俺の担当なんだから︶
サーベルボアの肉はソテーと煮込みを選択できたので、両方頼ん
だ。自分一人なら、どちらか一方だけでもきつそうな量ではあるが、
レオナールが食べるから問題ない。その他に大麦のパンと野菜スー
プと羊のチーズが付いてきた。
39
レオナールは山盛りの肉の大皿二つを見て、上機嫌である。緩み
きった満面の笑みで、食前の祈りの言葉を口早に唱えると、大皿ご
と口の中へ流し込まんばかりの勢いで食べ始めた。それを見てアラ
ンはゲッソリしつつも、遅れて食事を始める。諦念の表情だ。
アランは酒場での聞き込みは諦めたが、聞き耳を立てる事にして、
周囲に気を配りながら、食事をする事にした。どうせ食事中のレオ
ナールとは、会話にならないので問題ない。
絶対自分の方が、負担大きいよなと、ぼやきながら。
◇◇◇◇◇ 結局、酒場では、夕刻前に集めた以上の情報は集まらなかった。
こちらから話しかける事なく、周囲の雑談を拾い聞きしただけだか
ら、仕方ないだろう。
新たにわかった事と言えば、同じ宿にいるドワーフ戦士は、とに
かく無類の酒好きで、村人達から絶大な賞賛と好意を得ているとい
う事くらいである。
二階へ上がり、アランが宿泊中の部屋に入ろうとした時、レオナ
ールが肩をそっと押さえて制止した。
驚いてアランが振り返ると、レオナールが首を左右に振り、目線
と手の動きで、廊下に留まるよう指示すると、バスタードソードの
柄に手をかけながら、静かにゆっくりとドアを開く。一見して、室
内に人の姿はない。が、二人とも緊張は解かない。
40
アランは耳を澄ませ周囲を見渡し、レオナールは一瞬屈んだかと
思いきや抜刀し、飛び上がり、ベッドの上の天井辺りを叩き付ける
ように、剣を振り上げる。
﹁ちょっ、おいっ⋮⋮!﹂
木の割れる破壊音と、ギャッという小さな悲鳴、濛々と舞う砂埃。
更に、バキバキと桟か何かが折れる音と共に、天井裏から8∼10
歳くらいの子供ほどの大きさの何かが落ちて来た。
﹁っ!﹂
慌てて杖を構えるアラン。レオナールはそのまま制止することな
く、着地と同時に剣を大きく薙いで、﹃それ﹄の胴体を真っ二つに
する軌道を描く。
﹁うぁっ! ちょっ!!﹂
叫びながら、﹃それ﹄は右から左へ横薙ぎにされた剣の軌道を避
けて、身軽な動作で跳ねるように後方へ飛びすさるが、そこへ更に、
左から右へと振るわれる追撃が来る。
それを上体を仰け反らせて避けると、灰色のローブのフードが頭
部からずれ、明るい金茶の短髪がこぼれ、尖った耳と幼い顔が覗い
た。
﹁⋮⋮小人族か﹂
首元にピタリと皮一枚の距離で当てられた刃に、灰色のローブを
着た少年は、諦めたように静止する。
41
﹁あー、もう、コッワイなぁ、お兄さん。こんなに愛らしくか弱い
オイラに、そんな物騒なもの向けないでよ。おしっこちびっちゃう
じゃない。
にしても、ショボい安宿とは言え、ずいぶん思い切り良いねぇ。
これ、修理代いくらかかっちゃうの?﹂
﹁⋮⋮首に剣を突きつけられて、ずいぶんと神経が太いわね?﹂
﹁え∼? お兄さんほどじゃないよぉ?﹂
﹁で? なんでこの部屋を狙ったの?﹂
﹁いやいや、別にここを狙ったわけじゃなくて、移動中に通っただ
けだよぉ。オイラは人畜無害で心優しい小人族だよ?﹂
﹁天井裏を移動する﹃人畜無害﹄とかあり得ないわね。それに、本
当に人畜無害なら最初の攻撃で死んでると思うけど?﹂
﹁ねぇ、お兄さん、理由も聞かずに通りすがりの罪のない子供を殺
そうとするとか、結構ひどいよ?﹂
﹁小人族の年齢など知った事じゃないわ。子供に見えても、オッサ
ンとかザラなんだから。そもそも嘘つきの戯言なんて聞くに値しな
いわね﹂
﹁っていうか、顔だけはキレイなお兄さん、もしかしてオカ⋮⋮﹂
その瞬間、刃が小人族の首の皮一枚を薄く切った。
﹁っ!!﹂
42
青ざめて硬直する小人族に、艶やかな微笑みを浮かべ、レオナー
ルは首を傾げた。
﹁ん? 何か言ったかしら?﹂
口調だけは優しげに、刃を押し当てながら、尋ねる。今度こそ脅
えて動かなくなった小人族の傍らに、背嚢の中からロープとナイフ
を取り出したアランがしゃがみ込んだ。
レオナールが刃を少し離すと、アランが小人族の背を押してうつ
伏せにさせた。レオナールが動かないように押さえ、アランが拘束
する。
膝を折り曲げた状態で、背中で左手首と左足首、右手首と右足首
をそれぞれ拘束し、左側のロープと右側のロープを背中で交差する
ように肩に回し、胸の前で更に交差させ、腰の辺りで巻いて、背中
側できつめに縛り上げた。
何度もやっているように迷いなく、手際が良い。打ち合わせも目
配せ等もなく、拘束は速やかに行われた。その事に気付いて、小人
族は戦慄を覚えた。
レオナールは剣を背にしまい、代わりに腰に下げている大振りの
ダガーを抜く。それを見て、アランが小人族の肩を掴んで起こすと、
床に正座するような格好になった。
ただし、若干背は後ろに反るような姿勢のため、これが長く続く
ようなら辛くなると予想できた。
﹁あの、人間も小人族も、腰は前にしか曲がらないんだけど﹂
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おそるおそる駄目元で発言する小人族。
﹁ご希望なら、もう一つ関節増やしてあげても良いのよ?﹂
一見穏やかに、しかし殺気を滲ませて、物騒な笑顔を浮かべるレ
オナール。
﹁ねぇ、アラン。これ、切り刻んでも良いかしら?﹂
﹁まだ駄目だ、聞く事があるからな。態度が悪いようなら、死なな
いように口が利ける程度に頼む﹂
﹁了ー解っ。ふふっ、楽しみねっ﹂
え、え?と言わんばかりに小人族がキョロキョロ目を動かして、
アランとレオナールを交互に見遣る。そしてアランが真顔で、レオ
ナールの目が笑ってない事に気付いて、ぶるりと震えた。
﹁で、もう一度聞くわ。どうして天井裏にいたの? 嘘ついたら刻
むわよ?﹂
﹁待て、尋問は俺に任せろ。俺が頷いたら、好きにして良いから﹂
アランが言うと、レオナールは一歩後ろに下がった。アランは小
人族の正面にしゃがみ込み、目線を合わせるように腰を下ろした。
﹁⋮⋮さて、まずは名前から聞こうか?﹂
小人族は涙目になった。
44
◇◇◇◇◇ 小人族の名は、ダット。職業は盗賊。この場合の盗賊は犯罪者と
いう意味ではなく、職能のことである。
ダンジョンなどでの罠解除や鍵開け、偵察的な仕事を担う。もっ
とも、本人は認めなかったが、この小人族の場合、窃盗や侵入など
も常習的にやっていそうだ。
﹁オイラの勘が言ってるんだ! あの神官は、何か隠してる、すっ
ごいお宝を持っているってね!﹂
つまり、同じ階に宿泊している神官風の男の部屋の様子を窺おう
と、自分の部屋から天井裏を通って向かおうとしたらしい。この村
へ来たのは、その神官風の男を王都から尾けた結果とのこと。
﹁⋮⋮どう見ても﹃盗賊﹄だな﹂
アランは顔をしかめた。ちなみに職能の意味ではない。
﹁斬り殺す?﹂
嬉しそうに言うレオナールに、アランはうんざりとした顔で首を
左右に振った。
﹁で、根拠は?﹂
胡散臭そうに尋ねるアランに、ダットは笑顔で答えた。
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﹁そんなものはないよ!﹂
アランは大きく溜息をついた。
﹁なぁ、一度死ぬか?﹂
その言葉にダットはギャッと飛び上がる。
﹁ギャーッ、やめてやめて!! こんなに善良でか弱く愛らしいオ
イラを殺したら、地獄に落ちるよ?!﹂
﹁ねぇ、アラン。こいつ、斬っても良いかしら?﹂
﹁⋮⋮悩むところだな﹂
﹁やめてっ、悩まないでっ!! 斬ったらダメ!! 死んじゃうか
らっ!!﹂
﹁大丈夫、あなたなら胴体を上下に切り離されても生きてる気がす
るから﹂
笑顔でレオナールが言うと、ダットはブンブンと首を左右に振っ
て否定する。
﹁無理無理っ! オイラは軟体動物でも、スライムみたいな切って
も増える流動性生物でもないから!!﹂
﹁⋮⋮たいした情報持ってないみたいだし、宿酒場のおかみか主人
に、物盗りとして突き出すか﹂
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﹁斬っちゃ駄目なの?﹂
﹁あー、後始末が面倒だからな。それにほら、明日はダンジョン潜
るんだから。人間の血は雑食だから汚れるって言ってただろう?﹂
﹁雑食って点においては、ゴブリンやコボルトもそう変わらないん
だけど。まぁ、賞金首でもなければ、部屋が汚れるだけ損かしら﹂
﹁いずれにせよ、俺はこの部屋で一晩過ごす気はないけどな。見ろ
よ、お前のせいでベッドの上がゴミと埃だらけだ。あれじゃまとも
に寝られるもんじゃない﹂
﹁⋮⋮そういう問題じゃないような。黒髪の兄さんも、毒されてな
い?﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁やっぱり斬っちゃ駄目?﹂
アランは溜息をつき、立ち上がった。
﹁とりあえず、一階に伝えてくる。レオ、こいつ見張っててくれ﹂
﹁抵抗したら斬っても良い?﹂
﹁ああ、抵抗したらな。⋮⋮そういうわけだから、おとなしくして
おいた方が良いぞ。こいつ本気でやるからな﹂
アランの言葉に、ダットは震え上がり、涙目になった。
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﹁えっ、ちょっ、黒髪の兄さん、オイラをこの物騒な兄さんと二人
きりにすんの?﹂
﹁下手に動かない方が良いぞ? 無駄口もやめといた方が良いな。
じゃ、行ってくる﹂
﹁いってらっしゃ∼い﹂
﹁やっ、やめてっ! 置いてかないで!! この兄さんと二人きり
とか勘弁してぇええぇーっ!!﹂
ダットの悲鳴を背に、アランはドアを閉め、階下へ降りた。酒場
の方ではまだ宴会が続いている。テーブルを拭いているおかみの姿
を見つけ、近寄った。
﹁忙しいところすまない、おかみさん﹂
アランの声に、おかみは振り返った。
﹁おや、アランさんだったかい? どうしたんだい、何か注文かい
?﹂
﹁いや、俺が宿泊する予定の部屋に、盗賊らしき男が侵入したんだ。
連れもいたので、捕らえてロープで拘束してあるが、部屋の一部が
壊れたり汚れたりして、使えそうにない。
あと、自警団か何かあるようなら、その盗賊を引き渡したいと思
ってな﹂
アランの言葉に、おかみの顔が険しくなった。
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﹁盗賊だって?﹂
﹁灰色のローブを着た、小人族の男だ。年齢は良くわからない。軽
く尋問したところ、ダットと名乗り、俺の隣部屋を狙ったと言って
るんだが、実際天井から侵入したのは、俺の部屋だからな﹂
正確には自発的に侵入したわけではなく、レオナールが天井を攻
撃したせいで、落ちてきたのだが。
好んで罪を犯す気はないが、言わない方が良い事を、進んで口に
する性分ではない。
正直である事が美徳だとは思わない。レオナールのように人に迷
惑かけてまで好き勝手に振る舞おうとは思わないが、アランだって
人並みに自分の事が可愛いのである。
﹁ちょっと待っておくれ﹂
おかみはそう言うと、宴会しているテーブルへと向かう。
﹁村長、ちょっとお話が﹂
どうやら、ドワーフと一緒に座っている農夫らしき男の内、一番
年上の男が村長だったらしい。
﹁うん? オルガ、どうしたのかね?﹂
﹁実は⋮⋮﹂
おかみが小声で耳打ちすると、村長の顔が険しくなった。
﹁何!?﹂
49
不穏な気配に、他の農夫やドワーフの表情も変わる。
﹁どうなさいましたかな?﹂
ドワーフが尋ねると、
﹁うむ。おぬし達にも来て貰おう。男手は多い方が良いからな﹂
村長を筆頭に、ドワーフ含め六人の男達が、おかみと共にアラン
の方へ歩いて来る。
﹁その捕らえた盗賊やらは?﹂
厳しい表情で問う村長に、アランは頷く。
﹁初めまして、村長。アランと申します。盗賊は、俺が宿泊するは
ずだった部屋です。拘束して、相方の金髪の剣士、レオナールに見
張らせています﹂
﹁ふむ、まずは部屋へ向かおう。オルガ、あんたはセルジュにこの
事を伝えて、念のため戸締まりしておくれ。
わしの家よりここで拘束したまま皆で見張って、朝一番にロラン
へ連行した方が良いだろう﹂
おかみは青ざめた顔で頷き、厨房の方へと駆けていった。
﹁では、案内して貰おう﹂
睨むような目で、村長がアランを見上げた。アランは頷き、
50
﹁では、ついて来て下さい﹂
そう告げて、部屋へと向かった。
51
3 お調子者の盗賊は捕らわれ、尋問される︵後書き︶
書く度に、予定︵予想?︶より長くなっているような気が︵汗︶。
次話でダンジョン探索開始できると良いなぁ、と思いつつ︵↑無理
かもしれない︶。
もっと要らないシーンをガッツリカットすべきでしょうか。
以下修正
×ハーフリング
○小人族
×荷袋
○背嚢
×大振りのナイフ
○大振りのダガー
ダットの一人称が複数あったので﹁オイラ﹂に統一。
52
4 お人好しのドワーフ戦士は、財布を開く
﹁うわぁああぁああ∼んっ!! 殺されるぅううぅ∼っ!!﹂
幼い子供にしか見えない小人族が、ロープで厳重に拘束され、大
振りのナイフを手に微笑む男から逃れようと、身をよじりながら、
泣き叫ぶ。
ドアを開けた瞬間、見えた光景に、アランは思わず右手で額を押
さえ、天を仰いだ。ついてきた六人の男達が、アランとレオナール
を睨み、殺気立つ。
﹁おい、これはどういう事だ?﹂
ドワーフの男が剣呑な表情で尋ねてくる。小人族が盗賊なのは間
違いないし、天井裏を歩いていたのも本当である。しかし、事情を
知らない者にとって、この光景はか弱く幼げな少年を監禁し、刃物
で脅迫しているようにしか見えない。
﹁おい、レオ﹂
溜息をつきながら、アランは相方に声をかけた。
﹁お帰り、アラン。応援にしても、ずいぶん大勢引き連れて来たの
ね。成人男性とは言え、軽装の小人族だから、2・3人もいれば十
分だと思うけど?﹂
﹁うん? 年齢聞いたのか?﹂
53
アランが聞き返すと、
﹁私とアランが15歳だと教えたら、16歳だと返されたわ。自発
的にベラベラ話してくれるのは楽で良いけど、うるさいのよね、こ
れ。何もしてないのに脅えたフリして大袈裟に騒ぐのは、勘弁して
欲しいわ﹂
縛り方のせいで、腕を使う事も、屈伸して這う事もできないため
逃げられないのに、ジタバタ暴れている姿は、慣れていない者の目
には、哀れに映るだろう。そして、おそらく本人も自覚して、わざ
とやっている。
﹁それで、王都から神官らしき男を尾けて来たという事は、そいつ、
ダットの本拠地は王都なのか?﹂
﹁本拠地と言えるものは特にないらしいわ。獲物を求めてあちこち
放浪してるみたい﹂
ギャーギャー騒いではいるが、先程のように二人の会話に入ろう
とする気配はない。
﹁神官のお宝がどうのこうの言ってたようだが、いったい何を狙っ
てたんだ?﹂
﹁そうねぇ、それはまだ聞いてないわねぇ﹂
レオナールはそう言うと、騒ぐ小人族の両足の間の床に、ザクリ
とナイフを刺した。小人族の悲鳴がピタリと止まる。
﹁で、何を狙ってたの?﹂
54
にっこり笑顔で脅すレオナールに、ビクリと硬直する小人族、ダ
ット。
﹁素直に吐いた方が良いぞ?﹂
アランが言う。
﹁そいつは、目的のためなら、人の目とか、常識とか、倫理とか気
にしないからな。腕は先程見た通りだ﹂
アランの言葉に、ドワーフの眉間に皺が寄るが、生憎彼は現在、
汚れても良い普段着のみで、何も装備していない。愛用武器は勿論、
ナイフやダガーなどの持ち合わせもない。部屋へ戻ればあるが、二
人がその気になれば、彼が戻ってくるまでに、この少年は殺される
だろう。ドワーフはグッと拳を握りしめた。
アランも、農夫と思しき五人の男も、屈強そうなドワーフも動か
ない事に気付くと、ダットは溜息をついた。
﹁⋮⋮はぁ、なんだか疲れちゃった。骨折り損のくたびれもうけ?
⋮⋮はいはい、神官の話ね。メチャクチャ高価そうな、分厚い古
書物だよ。
オイラに古書物の善し悪しなんかサッパリだけど、大事そうに油
紙と高そうな布で何重にも包んで抱えてたからね。
どうしてわざわざ王都からこんな辺鄙な村まで、馬車に乗って来
たのかは知らないけど﹂
先程までとガラリと変化した顔と口調に、農夫達は呆気に取られ、
ドワーフも苦虫を噛み潰したような顔になった。
﹁全く堪えてもないくせに、脅えたフリで泣き真似とか、いつもや
55
ってるのか? なかなか演技が上手いな。役者や大道芸人にもなれ
そうだ﹂
﹁子供にしか見えないから、どちらもうまくはいかないよ。まだ物
乞いのがイケるかもね。王都じゃ通用しないけど﹂
﹁王都ではありふれすぎてる上に、目も肥えてるだろうからな。物
乞いで食っていくには相当の技術と演技力が要るだろうよ﹂
アランが頷くと、ダットは舌打ちした。
﹁なんだよ、兄さん達。普通、こんなに愛らしい子供が泣いたり脅
えたりしたら、ほだされたり手加減したり、するもんじゃないの?
もっと寛容さを身につけた方が良いよ。そんなんじゃ女の人にモ
テないよ? 二人ともトシの割にずいぶん老けてんじゃない?﹂
﹁まだ気にするような年齢じゃないから、心配して貰わなくても結
構だ。それに、俺達はお前と違って犯罪者じゃない﹂
﹁まだ、でしょう? 金髪のお兄さんは、絶対、その内やらかすと
思うけど。それに、黒髪のお兄さんだって、自分では常識人のつも
りでいるけど、かなりおかしいよ? まぁ、まともな神経してたら、
つきあえないんだろうけど﹂
﹁ちょっと待て! 失礼な事言うな!! レオはともかく、俺はま
ともだ!!﹂
アランが抗弁すると、レオナールとダットが揃って肩をすくめた。
それを見て更にカッとなる。
56
﹁おい、訂正しろ! お前達と一緒にされたくない!! 断じて違
うぞ!!﹂
﹁まぁ、そう思っていた方が幸せかもねぇ﹂
レオナールが残念な人を見る目で、アランを見る。
﹁なっ、てめっ、レオ!! お前、どういう意味だ!!﹂
﹁別にぃ∼? アランちゃんてば、本当、真面目で堅物で融通利か
なくて頑固よねぇ∼。その上ちょっとズレてて、天然サン。
でもねぇ、あなたの信じてる﹃常識﹄とか﹃良識﹄ってやつが、
本当に他の人の言うそれと同じなのか、時折客観的に分析して擦り
合わせた方が良いかもね。きっと、自分ではわからないんでしょう
けど﹂
﹁おい、だから、どういう意味だ。何が言いたい? お前、普段直
球で言動するくせに、なんでこんな時だけ、そういう遠回しな言い
方しやがるんだ!﹂
﹁人は自分が信じたい事を、信じたいように信じるって事よ。特に
深い意味はないわ∼﹂
﹁嘘だ! 絶対嘘だ!! そんな俺を馬鹿にしたような目つきで言
われても、全然信憑性ねぇだろ!! あれか!? 俺がいつもお前
に言うから、仕返しされてんのか!?﹂
﹁ねぇ、アラン。この世には知らない方が良い事、気付かずにいた
方が幸せな事はいくらでもあるのよ? あなたが頭良くて優秀なの
はわかるけど、全て理解しようとする必要はないんだから﹂
57
レオナールとダットに、哀れむような視線を向けられて、アラン
は全身の毛が立つような感覚に襲われる。
﹁なっ⋮⋮なんだって言うんだ。お前ら、俺に何の恨みがあるんだ
よ!﹂
﹁別に恨みなんかないわよぉ∼? 気にしなくて良いわ。アランは
今のままの方が断然面白いから﹂
﹁面白いって何だ! 面白いって!! 面白くてどうすんだよ!!﹂
﹁⋮⋮確かに、金髪の兄さんにからかわれてるのは面白いね﹂
﹁なっ⋮⋮!﹂
アランは絶句して、二、三歩後ずさる。そんな三人の様子を見て、
農夫と村長は顔を見合わせ、ドワーフは苦笑する。
﹁それで、その小人族は、おぬし達から何か盗んだのか?﹂
ドワーフの言葉に、ダットが明るい顔になる。
﹁そうだよ! オイラ何も悪いことしてないよ!! ちょっと天井
裏歩いてただけで、まぁ魔法のローブとやらには興味なくもないけ
ど、古着で薄汚れてる上に着たきりじゃ価値半減だし、黒と金の兄
さん達のとこに忍び込もうなんて、露程も考えなかったね!﹂
その言葉に、レオナールはニヤリと悪い笑みを浮かべ、アランは
ダットを睨んだ。
58
﹁おい、なんで俺の着ているローブに魔法がかかってると知ってい
る。隠蔽の魔法もかかってるから、鑑識系の魔法か特殊能力がなけ
れば、わからないはずだぞ?﹂
アランの言葉に、ダットは﹃しまった﹄という顔になる。
﹁つまり、この階の宿泊客が室内でした会話とかは、盗み聞きされ
てる可能性が高いって事ね﹂
レオナールは床に刺さったままのナイフを抜いて、ヒラヒラとダ
ットの目前で揺らして見せた。
﹁ちょっ、なっ、やっ、やめてよ! オイラの愛らしい顔に傷がつ
いちゃうでしょ!?﹂
﹁もし私の手が滑ったとしても、それはそれで箔が付いて良いんじ
ゃない? きっと今より魅力的になるわよ﹂
レオナールは微笑み、ダットはぶるりと震えて涙目になる。
﹁え? え? 何言ってんの? わけわかんないよ!?﹂
楽しそうなレオナールに、アランは深い溜息をついて、視線を逸
らした。相方が遊んでいるのはわかっていたが、どうせ飽きるまで
は言ってもやめないだろう。
﹁⋮⋮本当、性格悪いったら⋮⋮﹂
小声でぼやき、現実逃避のため、窓の外に目をやった。夜のとば
59
りが降りて、星々が瞬いている。下弦の月が浮かぶ、雲一つない晴
天だ。
﹁待った! その、レオナール殿、と言ったか?﹂
ドワーフが一歩進み出て、ナイフでダットの頬をつつく真似をし
て遊ぶレオナールに声をかける。農夫達はそんなレオナールに、ド
ン引きして青ざめ、固い表情だ。
﹁なぁに? ドワーフさん﹂
レオナールが振り返り、にっこり微笑んだ。
﹁あぁ、すまぬ。わしの名はオーロン。生まれた里を出て見識を深
め、武者修行することを目的として、旅をしている戦士だ。ついで
に世界各地でまだ飲んだ事のない酒を飲む事を趣味としておる﹂
趣味と目的が逆になっているように見えなくはないが、事実であ
る。ただの酒好きの髭面のオッサンにしか見えないが、一応ドワー
フとしては若い。旅を始めて三年が経過している。その間に趣味に
興じていた時間と、研鑽に励んだ時間と、どちらが多かったかは、
推して知るべしである。
﹁部外者であるわしが、こんな事を言うのはあれだが、その小人族
がこの村でまだ窃盗をしておらず、被害が出ていないのならば、わ
しに預けては貰えんだろうか?﹂
ドワーフことオーロンの言葉に、レオナールやアラン、農夫達も、
驚いた顔になった。ダットは、怪訝な顔でオーロンを見上げた。
60
﹁ずいぶん酔狂ね? 見た目は子供に見えるけど、れっきとした盗
賊よ? この村ではまだ罪は犯していなかったとしても、他では絶
対やってるし、常習よ? 罪悪感どころか、今回みたいな目に遭っ
ても反省すらしないわよ?﹂
両手を上げ、大仰に肩をすくめるレオナールに、オーロンは神妙
な顔で頷く。
﹁わかっておる。だが、そやつの目はまだ濁ってはおらぬ。まだ手
遅れではないはずだ。環境が悪ければ、どんな者も罪を犯さずに生
きることはできん。非力で庇護もなくば、間違いなく。
おぬしには綺麗事と言われるだろうが、わしは、罪を犯したから
と言って可能性のある者を切り捨てるような生き方はしたくない。
それを他に強制するのは誤りだと思っておる。故に、周囲の者達の
意に反してもそれを貫こうとは思っておらん。
だが、できれば穏便に、皆が幸せになる形で、丸く収める事が出
来たら、それが一番だと思っておる﹂
オーロンの言葉に、レオナールは顔をしかめた。
﹁ずいぶんお人好しね。ある意味そんじょそこらの正義漢よりタチ
悪いんじゃない?﹂
﹁わしの出来る事には限りがある。故に、この世の全ての者を救え
るなどと自惚れてはおらん。だが、目の前にいる者の笑顔を見る事
ができるのなら、そのための力がわしにあるのならば、叶えたいと
思っている﹂
﹁ずいぶん楽天的な理想家ね。それで、その小人族を引き取ってど
うするつもり? そのふてぶてしさと図々しさじゃ、あなたが世話
61
して面倒見てやっても、ラッキーとは思うかもしれないけど、感謝
はしないと思うわよ? それでも構わないわけ?﹂
レオナールは笑ってない目で唇をゆがめて笑みを作る。オーロン
は苦笑した。
﹁別に見返りなどは求めとらん。おそらくおぬしも知っておるだろ
うが、人の心というのは、大地を流れる水以上にままならんものだ。
人知によってはどうにもならん理由で、時に枯渇したり氾濫したり、
人の意向通りに収まるという事は決してない。
おぬしが、おぬしの相方が、オルト村の人々が許容してくれると
いうなら、わしはその小人族が自活できる力をつけるまで、面倒を
見たいと思っておる。むろん、彼がそれを厭い、倦んだり逃げたり
する可能性もあるだろう。その場合は、これもまた仕方なしと、彼
がまた罪を犯す前に、わしが責任持って捕らえ、手を下そう﹂
﹁へぇ? 逃げられてもそれが出来る自信があるの?﹂
﹁幸い、ドワーフのネットワークというのは、この地にあまねく広
がっておるのでな。直接面識がなくとも、伝手を頼り、協力を要請
する事が可能だ。世界は広いが、ドワーフが一人もおらぬ町や国は
少ない﹂
真剣な顔で頷くオーロンに、レオナールは珍しく苦笑を浮かべた。
﹁確かに引きこもりのエルフや、協調性皆無の小人族とかと違って、
ドワーフ同士のつながりは暑苦しいくらい濃いらしいわね。それに
どの国家も組織も、表立ってドワーフ達と対立はしたくないでしょ
うし。
まぁ、私は、自分に害が及ばないなら、その小人族がどうなろう
62
と、どうでも良いわ。そうね、例えばこの部屋の修繕費や宿泊費を
負担してくれるとか、何か見返りがあるなら喜ぶかもね﹂
﹁わかった、わしが払おう。では、皆はどうだろうか。わしが、こ
の小人族を引き取っても良いだろうか?﹂
オーロンは室内にいる者達を見回した。アランは肩をすくめ、苦
笑する。
﹁俺もレオと概ね同意見だ。問題ない﹂
農夫達は顔を見合わせ、村長も難しい顔になるが、頷いた。
﹁オーロン殿の人柄はここ一週間ほどで、良く知っている。短い期
間だが、無償の助力や裏表のない深い誠意に、ワシらは心底感謝し、
敬愛しておる。正直、ワシはオーロン殿が何故そのように献身的と
言って良いほどに利他的で、寛容で忍耐強く心が広いのか、共感や
理解はできん。
だが、その人柄と行動に、有り難いと思い、得がたいものだと思
っておるのは間違いない。そのオーロン殿が望むというのならば、
了承しよう。
この村では本来盗賊というのは、軽微であれば村の者達に判断が
委ねられ、手に負えなかったり判断がつかなかったりする場合には、
一番近いロランへ送致する事になっておる。この村において被害が
皆無、あるいは軽微であるというなら、ワシの裁量で処断ができる。
この者の身柄は、オーロン殿に委ねよう﹂
村長の言葉に、オーロンは破顔した。
﹁かたじけない、感謝する、村長殿。それでは、太陽と光の神アラ
63
フェストとドワーフの誇りに誓って、この小人族の身柄は今後、わ
し、ドワーフの戦士、オーロンが預かり、責任持って面倒を見る﹂
オーロンは右手で拳を作って左胸に当て、厳かに宣言した。村長
は微笑み、農夫達は頷き、アランとレオナールは、苦笑いで見つめ
た。
宣言が終わると、アランは部屋に置いてあった自分の荷をまとめ、
レオナールはダットをうつ伏せにして、拘束を解く。
全て解き、最後のロープを引き抜く直前に、顔を上げてオーロン
と目を合わせる。
﹁最初に言っておくわよ。これを解放した後、私は責任持たない。
こいつが何かしでかしたら、あなたの責任。私とアランは関知しな
い。良いわね?﹂
﹁もちろんだとも。おぬしは優しい御仁だな﹂
オーロンがニカッと笑うと、レオナールは嫌そうな顔になった。
﹁私は他人の面倒事に巻き込まれるのが嫌なだけよ。自分が脳内お
花畑だからって、勘違いしないで。あなたと盗賊がどうなろうと、
知った事じゃないわ﹂
そう言って立ち上がると、アランと共に部屋を出る。
﹁⋮⋮苦手そうだな﹂
アランが苦笑しながら言うと、レオナールは顔をしかめた。
﹁できれば一生関わり合いになりたくないタイプだわ。あの手のや
64
つに絡まれると厄介だし面倒臭くて鬱陶しい﹂
フンと鼻を鳴らす様子に、アランは思わず笑った。
﹁まぁ、お前と気が合う事はなさそうだな。まぁ、俺達に関わらな
いなら良いんじゃないか? ああいう人を必要とする連中の方が、
圧倒的多数だろうし﹂
﹁そうね。私の半径百メトル︵=メートル︶内に近付かないなら、
問題ないわ﹂
﹁さすがにそれは無理だろ。でも、あの小人族が黙っておとなしく
してるはずがないってのは同意見だ。反省する可能性はゼロだな﹂
﹁ところで負担してくれる宿泊費って全額? 食事代は別払いだっ
たけど、請求したら貰えるかしら﹂
﹁おい、食事代は別に良いだろ。搾りすぎて恨みに思われたら、ど
うするんだ﹂
﹁あのカモネギでお人好しなドワーフなら大丈夫でしょ? 駄目元
でも言ってみたら出してくれそうじゃない﹂
﹁やめとけ。不穏の種は少ない方が良い。いずれ問題が起こるのは
間違いないだろうが、それが起こる率を上げたり、こっちが巻き込
まれる危険を増やす事はない﹂
﹁でも、アランってば不運体質だから、どうなるかしらねぇ?﹂
﹁おい、不穏な事言うな! だいたい、俺の不運は、たいていお前
65
が原因じゃないか!!﹂
﹁やぁね、人のせいにしないでよ﹂
レオナールはくすくす笑う。
﹁それであなた、新しい部屋はどこなの?﹂
その言葉にアランは固まった。
﹁わ、悪い! しばらく荷物預かっててくれ!! ちょっとおかみ
に聞いてくる!﹂
慌てて一階へ駆け下りたアランだったが、明かりは消え、おかみ
と店主は共に眠りについたようだった。ガックリと肩を落としなが
ら、レオナールのところへ戻ると、レオナールと交渉して、床にご
ろりと横になった。
﹁⋮⋮ベッドは無理でも、布団くらいは貸してくれないか?﹂
﹁荷物の中に野営用毛布があるでしょ?﹂
﹁固いんだよ﹂
﹁知らないわよ。私のせいじゃないわ。冬じゃなくて良かったわね、
アラン﹂
﹁⋮⋮良かった、ねぇ。とてもそうは思えないな﹂
アランは溜息をついた。
66
﹁明日の探索のために、ベッドで寝ておきたかったのに﹂
﹁ダンジョン内にベッドがあると良いわね﹂
﹁あったとしても、魔獣や魔物が出るようなところで、熟睡できる
か﹂
アランはぼやいた。
67
4 お人好しのドワーフ戦士は、財布を開く︵後書き︶
次話でようやくダンジョン探索です。
移動の戦闘とか面倒じゃね?と思ってカットしたから、やっと次で
戦闘シーン書けるはず。
今話読めばわかると思いますが、ドワーフ戦士オーロンは﹁中立に
して善﹂。
規則や慣習をむやみに乱す事はないが、場合によってはそれに反し
ても、自らの良心によって行動するタイプ。融通は利く方だけど、
一歩間違えたら困ったちゃん。
以下を修正
×ハーフリング
○小人族
×メルタ
○メトル
68
5 わがままオネエ剣士はご機嫌ナナメ?
﹁あー、身体がバキバキする﹂
顔をしかめて伸びをしたり前屈したり、腕を回したりしているア
ランを横目で見ながらレオナールが笑う。
﹁どうでもいいけど、寝る時までそのローブ脱がずに着たっきりと
か、どうなの? それ洗濯とかしているの?﹂
﹁このローブは汚染除去と浄化の付与魔法もかかっている上、簡単
な傷やほつれなら自己修復されるんだ。例えばドラゴンの爪なんか
で引き裂かれるとかいった攻撃を受けて、大きく破損しない限り、
どの付与魔法も永劫に継続する﹂
﹁ちょっと待って。確かそれ、軽めだけど、打撃軽減と斬撃軽減と
刺突軽減と属性魔法軽減と、重量軽減もかかっていたはずよね?﹂
﹁ああ、その通りだ。他にもある程度の冷気や熱気を防いだり、サ
イズ変更、形状維持の魔法もかかったりしている﹂
﹁それって、もし壊れたら修復・修繕できる職人や魔術師っている
の? だいたいそんなに大量の付与魔法を維持できるなんて、おか
しくない?﹂
﹁なんでも周囲の自然魔力を吸収する効果があるらしくて、それに
よって維持しているらしい。だから自然魔力のない場所では効果が
なくなってしまう可能性はあるらしいが、そんな場所がこの世に存
69
在するはずがないからな。
なんでも迷宮発掘品らしくて、庶民には稀少で貴重ではあるらし
いが、古い家系の貴族なら、先祖代々受け継がれる品の一つや二つ
に混じってたりする事が多いから、新興貴族や成金、高ランク魔術
師が買う事が多いとか。
まぁ、俺はシーラおばさんから譲られただけだけど﹂
﹁⋮⋮私の鎧と剣は師匠のお下がりで、付与魔法なんて一つもかか
ってないのに﹂
﹁だって、お前、シーラおばさんの昔使ってた装備、何一つ使えな
いじゃないか﹂
﹁剣士に魔術師用の装備なんて宝の持ち腐れでしょ? 稀少な迷宮
発掘品だなんてずるいわ。私も欲しい﹂
﹁でもこれ、ある程度魔力持ってないと着られないらしいぞ。それ
にいくら付与魔法の効果がすごくても、元がただの布だからな。物
理防御力に関しては、お前の鎧の方が上だぞ?﹂
アランの言葉に、レオナールは怪訝な顔をした。
﹁なら、そのローブと鎧を併用すれば良いじゃない﹂
﹁馬鹿、俺の非力さ舐めんな。お前の着てるような鎧を装備したら、
ろくに身動きできなくなる。胸当てのみの革鎧でも足元がふらつく
んだ。その状態で杖構えて魔法詠唱とか無理に決まってるだろ﹂
それを聞いて、レオナールは呆れたように肩をすくめた。
70
﹁ねぇ、アラン。あなた少しは筋肉つけた方が良いわよ?﹂
﹁余計なお世話だ! 魔術師に肉弾戦や筋力・耐久力を期待するな。
魔術師に求められる仕事ならやるけどな﹂
アランはフンと鼻を鳴らした。
﹁そんな事よりさっさと準備しましょう。念のため聞くけど、ロー
ブの下は着替えてるわよね?﹂
﹁お前、俺を馬鹿にしてるのか? ちゃんと着替えてるぞ﹂
﹁ローブを着てるせいで、何を着ても見えないけどね。たぶんギル
ド関係者やロランの人達は、アランがいつも同じ服を着てると思っ
てるわよ﹂
﹁あー、形状維持のおかげで皺にならないのは良いんだが、下に何
を着ても身体や服の線が出ないんだ。だから袖が膨らんだ服を着て
も、袖が全くない服を着ても、ローブを着ると見た目に変化はない﹂
﹁裸でも大丈夫そうね、それ﹂
﹁さすがに何も着ないとゴワゴワすかすかして気持ち悪いから、服
の上に着ないと地味に辛いぞ。それにいくら低防御の魔術師と言っ
ても、心許ないからな﹂
﹁戦闘とか探索用に、クロスアーマーとか買わないの?﹂
﹁どうだろう? けど、クロスアーマーよりこのローブの方が高い
し性能良いと思うぞ。このローブが破損するような攻撃受けたら、
71
クロスアーマーも破損すると思う。
どうせローブ着たら見えないんだから、着心地重視の服で十分だ﹂
﹁ふぅん、戦闘や探索に問題ないなら、どうでもいいわ。ちょっと
水浴びして着替えて来る﹂
﹁わかった。朝食を済ませたら、荷物を取りに来て、それから村長
のところへ向かおう﹂
﹁じゃあ鎧は朝食後で良さそうね。着るとさすがに食べづらいのよ
ね﹂
﹁そりゃあんな重量の鎧着たらそうなるだろ。肩とか上腕も動かし
づらくなるだろうし﹂
フルプレート
﹁全身板金鎧にするとさすがに動きが悪くなるから、肘とか手首、
膝や脛は革製なんだけどね。たまに血や汗で、手の平が滑りそうに
なる事があるから、革製の滑り止めのついた指貫グローブか手甲を
買うか悩むのよね。
盾を持たないから、左手で簡単な防御できるように手甲を装備す
るのも手かとは思わなくもないけど。でも敵の攻撃受け止めるより、
避けたり受け流したり攻撃した方が楽なのよね﹂
﹁その辺については、俺には専門外でサッパリだからな。お前の都
合良いようにすれば良いだろう。近接戦なんて自分でやらないから
な﹂
﹁そっちに敵が近付かないようなるべく気をつけてるつもりだけど、
アランはちょっとは近接戦闘の練習した方が良いと思うわよ? 魔
術師用の杖は打撃用に出来てないから使えないでしょうけど、雑魚
72
ゴブリン程度の攻撃なら軽く避けられるようになった方が良いと思
うわよ﹂
レオナールが言うと、アランは渋い顔になる。
﹁汗臭いのとか、身体動かすのとか苦手なんだよな﹂
﹁あなたガリガリで貧相だけど、私より身長高くて手足も長いんだ
から、もっと肉つけて筋力体力つけたら、多少はマシになりそうな
のにね。あなたの家族とか見る限り、私と違って筋肉付きやすそう
だし﹂
﹁そうかもしれないが、持って生まれた性格とか性質はそう変えら
れるもんじゃないぞ。読書したり魔法覚えたりするのは全く苦にな
らないが、間近で武器を向けられただけで身体が上手く動かなくな
るんだ。距離があれば魔法詠唱が間に合うから落ち着いて行動でき
るが、距離を詰められたらただ逃走することすらまともに出来るか
自信がない﹂
﹁アランは見掛けによらず小心者よね。私からすると、なんでそん
なに恐がりなのか不思議だけど﹂
﹁図太い神経のお前と違って俺は繊細なんだよ。普通の人間は当た
れば死ぬかもしれない攻撃間近にして、笑ってられないんだからな。
俺は臆病な小心者だから自分は絶対に安全な距離で、間違いのな
い攻撃手段で余裕を持って敵を確実に葬りたい﹂
﹁それってかなり贅沢よね﹂
﹁せっかく魔術師の才能を持って生まれたんだ。卑怯でも贅沢でも
73
自分勝手でも、自分が確実に勝てる敵だけ相手して、強い敵からは
すぐ逃げて戦闘は避けたい。
持てる能力使って可能なだけ楽して安全に着実に攻撃したい。面
倒なこと困難なことは全力で回避したい。命は一つしかないからな﹂
﹁私は目の前に剣が振るえる敵がいれば、それで十分だからどうで
もいいわ。勝てるか勝てないかは実際にやってみるのが一番だし。
頭で考えるのは性に合わないから任せるわ。
たいていの事は直感がどうすれば良いか教えてくれるし、気付い
た時には勝手に身体が動いてるから問題ないもの﹂
肩をすくめるレオナールに、アランは溜息ついた。
﹁⋮⋮この脳筋が﹂
﹁じゃ、遅くなっちゃうから行って来る。身体を拭うだけでも大丈
夫そうだけど、きちんと汗を流してから鎧着た方が、においとかが
軽減される気がするのよね﹂
﹁わかった。俺は探索用の荷物の最終確認やっておく﹂
﹁了解。じゃあね﹂
ヒラヒラと手を振りながら、レオナールは部屋を出て階下に降り
た。
朝食は現在作っている最中のようだ。前日、場所は確認している
ので、声をかけずに宿の裏手にある井戸へと向かう。
﹁あら﹂
74
そこにはドワーフと小人族がいた。オーロンがダットの髪をゴシ
ゴシ洗っており、ダットは目を瞑っておとなしくしているように見
えるが、顔の表情は嫌そうだ。
面倒臭いのに出くわした、とレオナールは思ったがなるべく目線
を合わさないように井戸へ向かった。
﹁おはよう、レオナール殿﹂
桶を手に取ったところで声をかけられ、レオナールは今朝の水浴
びを簡単に済ませる事に決めた。
水を汲んで、服を着たままザブリと水をかぶる。そのまま服の上
から持参の手拭いでゴシゴシ身体を擦る。
その様子を見て、オーロンは怪訝な顔になる。オーロンの手が止
まったのでダットが目を開き、その姿を目にしてポカンと口を開い
た。
﹁え、何それ? 服を脱がずに行水するの? ていうか服の上から
身体擦るの?﹂
ダットが話しかけてくるが、レオナールは答えず作業を続ける。
︵昨夜も洗ったんだから、だいたいで良いわ、だいたいで。流すの
は寝汗くらいだものね︶
聞こえてくる声や雑音は無視して、目的だけ手早く済ます事に留
意する。
﹁あっれ∼? 低血圧で不機嫌なの? それともまだ寝惚けてて聞
こえないの?﹂
75
﹁レオナール殿?﹂
擦るのと水をかぶるのを三、四回くらい繰り返し、濡れた髪を搾
って水を切り、濡れた服を脱ぐ。素早くタオルで髪や身体を拭うと、
着替えの服を着る。
﹁ふーん、金の兄さん、細身の優男かと思ってたら意外と筋肉ある
んだねぇ。そういえば、バスタードソードを両手でも片手でも軽々
と振ってたもんね。あれ、いきなりリーチが伸びるから慣れないと
びっくりするよね﹂
﹁ほう、そうなのか﹂
﹁うん、切り替えのタイミングが滑らかで事前動作がないから、初
見だとちょっと恐いよ。右手だけかと思ってたら左手でも持てるん
だもん。
まぁ、腕が伸びたりはしないから、目が良ければ見えるから避け
られると思うけど﹂
レオナールは唇をグッと噛みしめ、無言でその場を後にした。何
か言われているが、ひたすら聞こえないフリをする。
︵あ∼、朝から気分悪い︶
苦虫を噛み潰したような顔のまま部屋に戻った。
﹁お、レオ、思ってたより早い⋮⋮なって、どうした?﹂
﹁別に? 何もないわ﹂
76
思いきり何かありましたと顔に書いてあるが、昨夜の様子からだ
いたいの予想はついたので、アランは追及しない事にした。話した
ければ自発的に話すだろうし、話したくないとなれば、いくら聞い
ても口を割らないだろう。表情を見る限りではそれほど深刻な理由
ではないだろうと気にしない事にした。
﹁どうする? 食堂行くか?﹂
﹁頼んだら何か軽食作って貰えないかしら? また下に降りるの、
なんだか面倒になって来たわ﹂
﹁了解。ちょっと行って聞いてみる。場合によっては、俺が運ぶか
ら安心しろ﹂
アランはそう言って立ち上がる。
︵どうせあのドワーフか小人族とでも鉢合わせて、顔を合わせたく
ないとかいう理由だろうしな︶
ふて寝するようにベッドにゴロリと寝転がった相棒を尻目に部屋
を出た。
◇◇◇◇◇ 簡単な軽食を作って貰う事が出来たので、部屋で速やかに朝食を
済ませると、宿を出て村長の家に向かった。
﹁おはようございます、村長さん。昨夜もお会いしました冒険者ギ
77
ルド・ロラン支部から依頼を受けて来たアランとレオナールです﹂
爽やかな笑顔で明るく愛想良く挨拶する好青年ぶりには、普段相
方とのやり取りの時の様子など欠片もない。別人のようだ。
﹁おはよう。これから探索かね?﹂
﹁はい、そうしたいと思います。鍵を貸していただけますか?﹂
レオナールはいつ見てもアランのニコニコ顔は気持ち悪いと思う。
日頃の彼を知らない他人には概ね好評のようだが。ただの愛想笑い
で、心の底から笑っているわけではないと、知っているからだろう。
﹁こちらだ。どのくらい潜る予定だ?﹂
﹁中の状況がわからないので、入ってみないと明言できませんが、
最長で5日、内部の状況がどうであろうと、それより前には戻る予
定です。それより帰還が遅い場合、不測の事態に陥って退却できな
くなったと思われるので、その場合はロラン支部へ連絡していただ
けたら幸いです。
言うまでもない事でしょうが、決してダンジョン内には立ち入ら
ないで下さい。危険です﹂
アランの言葉に村長は頷く。
﹁調査依頼の成功と無事の帰還を祈ろう。よろしく頼む﹂
互いに気持ちのこもらない儀礼的な挨拶を交わして、村長の家を
後にする。
78
﹁あ∼、気持ち悪い。アランの愛想笑いって、詐欺師や山師が悪巧
みしてるみたい﹂
レオナールがうんざりした口調で言うと、アランは嫌そうな顔に
なる。
﹁あー、悪かったな、愛想笑いが似合わなくて。一言も喋らなかっ
たのはともかく、お前、態度悪かったぞ。言うだけ無駄だとは思う
が﹂
﹁わかってるなら言う必要ないでしょう。さ、早くダンジョンへ向
かいましょう﹂
アランは溜息をつき、諦めたような顔で丘の上の邸宅を見やった。
現実逃避である。
◇◇◇◇◇ 鍵を開けて両開きの扉を押し開けると、貴族の邸宅らしい、立派
な絨毯が敷かれた広いエントランスが見えた。天井は吹き抜けにな
っており、エントランスの正面奥の両脇には二階へ昇る白亜の階段
がある。
ここ暫くまともに掃除がされてないせいか、扉の開閉時に、薄く
積もった埃が舞ったため、ランタンに照らされたそれがキラキラと
光り、舞い降りる。
﹁︽灯火︾﹂
79
アランの唱えた呪文により、熱のない魔法の光がアランの前方に
浮かび上がる。
﹁普通の貴族の邸宅に見えるな﹂
アランは周囲を見回しながら言う。入ってすぐの左右に廊下があ
り、そちらを見ると左右に部屋が並んでいて、向かって右手の通路
は突き当たりで、左手の通路の先は右に折れている。
﹁右手は大広間、左手は普通の部屋と小部屋、かな﹂
﹁どうするの? 順に探索する? それともすぐ二階か地階へ進む
?﹂
﹁面倒でも確実に行った方が良いだろ。まずは一階だ。廊下やエン
トランス見ただけじゃダンジョンにはとても見えないが、事前調査
した連中がダンジョン化していると明言してるんだから、何かある
んだろう﹂
﹁じゃ、まずは右手から行くわね﹂
﹁ああ。いつもの通り、頼む﹂
アランが言うと、レオナールはにっこり笑って剣を抜いた。邸内
はしんと静まりかえっている。二人分の足音がやけに響いて聞こえ
る。日は昇っているのに、全体的に暗い。
夜目の利く亜人ならともかく、人間のアランでは、灯りなしに進
む事は難しいだろう。レオナールはハーフエルフなので、昼夜問わ
ず目が良い。耳も人間よりは良く聞こえるようだ。
レオナールが大広間の扉に手をかけ、おもむろに蹴り飛ばす。
80
音を立てて開いた先には三匹のゴブリンが待ち伏せしていた。前
衛の二匹は赤錆びたショートソードを、後衛一匹は弓矢を構えてい
る。
扉が開き切る前から駆け出し、向かって右のゴブリンを左下から
右斜め上へと、切り上げる。悲鳴と血飛沫を無視しそのまま返して
左のゴブリンに切りつけた。
右のゴブリンはそのまま崩折れ、左のゴブリンは斬撃の勢いで吹
っ飛んだ。
後衛のゴブリンが慌てて矢を放とうとした時には、アランの詠唱
が終わっていた。
﹁︽炎の矢︾﹂
魔法できた炎の矢が、後衛のゴブリンの眉間を居抜き、悲鳴と共
に燃え上がった。
レオナールは吹き飛ばされたゴブリンに近付き、絶命している事
を確認すると頷いた。
﹁部屋は広いけど、これだけか?﹂
アランが首を傾げた。がらんとした大広間は長らく掃除してない
のか厚く埃が溜まっていた。
﹁他に足跡がないか確認するわ﹂
レオナールの言葉に、アランは頷いた。
81
5 わがままオネエ剣士はご機嫌ナナメ?︵後書き︶
以下を修正
×ハーフリング
○小人族
×臭いとかが
○においとかが︵レオナールの台詞のため︶
82
6 剣士と魔術師はダンジョン探索中︵1︶
先程のゴブリン達は巡回または哨戒だったのではないかと推測さ
れた。というのも、大広間の中央部にはほとんど足跡がなかったの
に、壁際をグルリと回るルートを複数回、複数グループが歩いたよ
うな痕跡が見つかったからである。
彼らは、大広間を一周した後、二人が入ってきた両開きの扉から
見て左手奥にある、おそらく小物や使用人達が利用していたと思わ
れる扉へと向かっている。
おそらくはエントランスを突っ切る廊下も巡回路に入っているの
だろうが、そちらは大広間より掃除されていたり、通行人数が多か
ったりして痕跡が残っていなかったのではないだろうか。
ともかく、邸内を巡回する魔物のグループがいるかもしれないと
いう事で、二人は警戒を強める事にした。
﹁アランは︽夜目︾のスキルか呪文持ってたかしら?﹂
﹁残念ながらないな。お前は大丈夫だろうが、俺は敵を目視できな
いと攻撃できないから、現状で行こう﹂
﹁了解。まぁ灯りなしで判別つかなくはないけど、温度のない魔物
や無機物はぼんやりとしか見えないし、隠し部屋なんかは見つけら
れるがわからないから、灯りがある方が楽よね﹂
﹁しかし、ゴブリンとはいえ巡回があるというのは怪しいな。普通
のゴブリンにはそんな知性はないはずだろう?﹂
83
﹁ゴブリンをまとめるリーダーがいるって言いたいの?﹂
﹁そう考えるべきだろうな。あるいはダンジョンを作ったものの﹃
意志﹄か﹂
﹁まぁ、普通の邸宅がある日突然ダンジョン化して魔物が発生した
ら、国中パニックに陥るわよね﹂
私は楽しいけど、とレオナールが付けたしたので、アランはしぶ
い顔になる。
﹁まぁ、個人的には自然発生じゃなく、何か原因があって欲しいと
は思ってるな。ただ、そうなるとこのダンジョンの主が何者なのか
って事になる﹂
﹁魔物なら良いけど、魔神や魔人クラスだったらどうしようって?﹂
﹁ああ。そんな連中、シーラさんやダニエルのおっさんならともか
く、俺たちには荷が重すぎる。ヤバそうならとっとと逃げてロラン
支部に応援求めよう。ギルド経由ならおっさんにも連絡つくかもし
れないし﹂
﹁師匠は旅立つ直前に﹃もう一生働かず、世界中のイイ女達を口説
き回ってやる﹄とか宣言してたわよね﹂
﹁ダニエルのおっさんの事だ。どうせ今頃、女に貢ぐか賭け事で失
敗して無一文になって、冒険者稼業復活しているに違いない﹂
﹁まぁ引退するとか言ってたけど、あの性格じゃ何やっても金は貯
まりそうにないわよね﹂
84
﹁誰がどう見てもカモだしな。金に執着しないにも程がある﹂
﹁師匠は剣の腕だけは凄いけど、普段は煩悩だらけで隙が多すぎる
もの。悪い人じゃないけど、頭悪すぎなのよね﹂
﹁⋮⋮お前に言われるとかダニエルのおっさんも気の毒にな﹂
ボソリと呟いたアランにレオナールはじろりと睨む。
﹁何か言ったかしら?﹂
﹁気のせいだろ。とにかく無駄口叩かず慎重に行こう﹂
アランが言うと、レオナールは肩をすくめて了解と頷いた。
◇◇◇◇◇
大広間の奥の簡素な扉は、給仕する者達が待機すると思われる小
部屋へと繋がっていた。現在は使われていないため、がらんとして
何もない。
ゴブリン達の足跡は左手にある扉へと向かっている。
﹁そういえば、外から見た構造通りならさっきの大広間から外のテ
ラスに出るための両開きの扉や、庭を眺められる大きな窓があるは
ずだったんだがな﹂
﹁朝日が昇ってる時刻なのに暗い辺りで、あるはずの窓や扉がなく
85
ても不思議じゃないと思うわよ﹂
﹁元の構造がどんなだったかはわからないが、既に外観とは別の空
間になってるという事か﹂
﹁でも、エントランス見る限りでは、たぶん元の構造は踏襲されて
いそうよね。だとしたら貴族サマのお宝とか見つかるかしら?﹂
﹁おい、今回の依頼は調査だからな!? 何か見つけても領主様の
所有物だったら、こっそり懐に入れてバレたら俺達縛り首だからな
!!﹂
﹁大丈夫よ、見るだけなら犯罪じゃないわよね﹂
﹁嘘だ!! 今のはそういうニュアンスじゃなかった!!﹂
﹁静かにしなさいよ、アラン。魔物に見つかるわよ?﹂
ちっと舌打ちしてアランは口を閉ざし、レオナールを視線で促す。
この小部屋に何もないのは一見してわかるため、左手の扉へ向かう。
レオナールが聞き耳を立てて、扉の向こうの気配を探ってから、
扉を開く。
先程の部屋よりは広いが、同じく何もない部屋である。エントラ
ンスに向かう廊下側へ向かう扉と、下に降りる階段を見つけた。
ゴブリンの巡回はその階段と廊下の二方向に別れていた。
﹁どうする?﹂
レオナールがアランに尋ねる。アランは唸り、眉間に皺を寄せた。
86
﹁下に行くのは後回しだ。嫌な予感がする﹂
﹁あら、じゃあ下へ行きましょ﹂
﹁おい、人の話はちゃんと聞け!﹂
アランは慌ててるが、レオナールは無視して階段へ向かう。
﹁アランが嫌な予感がするっていうなら、何かあるのは地下に決ま
ってるわ。さぁ、何が見つかるかしら? 楽しみね﹂
楽しそうにさっさと階段を降りるレオナールを、アランは睨みつ
つも後を追いかけた。
階段を降りた先は配膳室のようだった。この部屋はところどころ
薄く埃がたまっているが、大広間やその他の部屋よりは比較的きれ
いだった。きちんと道具は整理され、つい数ヶ月前まではちゃんと
手入れされていたと思われる。
巡回のゴブリン達の痕跡は薄くなって判別しづらくなっていたが、
この部屋にある扉は一つだけである。
テーブルの間を縫って扉へと向かい、向こうの様子を探ってから、
開いた。
そこは厨房のようだった。配膳室と同じく数ヶ月前までは掃除と
手入れはされていたのだろうが、そこは何者かに荒らされていた。
鍋や調理道具などが床に散乱している。巡回が動かしたのか一本
道が出来ているが、それ以外はひどいものである。何かを探したの
か、ただ単に暴れた結果がこれなのか。
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﹁ここで戦闘か何かがあったようね。血痕があるわ﹂
﹁何?﹂
﹁たぶん一人分の血痕で人間なら軽症だと思うけど、散らかり過ぎ
てよくわからないわ。薄くて古い上に、何度も踏まれてるから﹂
﹁血痕はどこへ向かっている?﹂
アランが尋ねると、レオナールは無言で指を差す。それは障害物
のかき分けられた一本道と同じ方向である。アランは眉をひそめた。
﹁⋮⋮あまり行きたくないな﹂
﹁何かいるのね? ゴブリンとコボルト以外は何がいるのかしら﹂
ウキウキとした顔で言うレオナールに、アランはゲンナリする。
﹁おい、レオ﹂
﹁早く行きましょう﹂
弾むように、それでいて大きな音を出すこともなく、レオナール
はそちらへ向かう。確認してから開いた扉の先は、食料庫のようだ
ったが、荒らされていた。
﹁ほとんど中身がないわね﹂
﹁⋮⋮芋の食いさしが落ちてる。酷い臭いだな﹂
88
アランがそう言いながら、口元を押さえる。
﹁あら、これは中身が残っているわ﹂
レオナールが無造作に覗いた麻袋の中身は、カビかけの豆だった。
﹁豆はそのままじゃ固くて食えないからな。でもここまで固くて状
態が悪いのは、捨てるか、最悪家畜の餌にでもして処分するしかな
いだろうな﹂
﹁なら、私が持って帰っても問題ないわね﹂
﹁は!?﹂
レオナールの言葉に、アランは顔をしかめる。
﹁お前、何言ってんの? 今、言っただろ。そんなに古くて固くて
カビかけのくそ不味い豆は、二束三文、家畜の餌になれば御の字で、
そいつを食べようとしたり欲しがったりするやつはいないんだぞ?﹂
﹁家畜の餌くらいにはなるんでしょう? 幸いここは農村で、いく
つかの家では家畜も飼っているから何とかなるわ﹂
﹁重さのわりに価値がないと言ってるんだが﹂
しぶい顔で言うアランに、
﹁大丈夫よ、私が持つから。アランに持てとか言わないわ﹂
﹁⋮⋮そういう問題じゃないんだが﹂
89
ぼやくアランを無視して、レオナールは豆の袋を担ぎ上げた。
﹁ここに残しておいたらゴミにしかならないんだから有効活用する
のよ。村人はこんなとこに来ないでしょうし、領主サマもタダでゴ
ミ処理して貰えてラッキーね﹂
アランは頭痛を堪えるように額を押さえたが、レオナールは気に
しない。
﹁他にもないかしら﹂
全部で3袋見つけたが、さすがに全部持つのは諦めたらしく、内
2袋だけ背嚢に詰め込むと、口が開いたまま麻袋が覗いた状態の背
嚢を担ぎ上げる。
﹁さ、行きましょう﹂
更に荷物が増えたらたまらないとアランは同意した。
◇◇◇◇◇
レオとアランが探索を始めた頃、オルト村唯一の宿で作業着姿の
ドワーフが、逃げようとする小人族の襟首を掴むと抱き上げ、満面
の笑みで言う。
﹁さぁ、太陽の下、汗して働く喜びを共に味わおう!﹂
90
﹁やめてよ! オイラを巻き込まないでよ!! やりたいならオー
ロンの旦那一人でやりなよ!! オイラはそんな事やりたくないよ
!!﹂
﹁大丈夫だ、わからない事があれば、わしや村の皆さんが快く教え
るだろう。土いじりは楽しいぞ﹂
﹁楽しくないよ!! やらなくてもわかるってば!!﹂
﹁たっぷり汗をかき、くたくたになるまで働いた後の食事とエール
は、格別の味だ! この村のエールは普通に飲んでもうまいが、わ
しが最高の飲み方を教えよう。
今はわからなくても、きっとおぬしも好きになるだろう。心配せ
ずとも良い。おぬしにも出来る! 一度やってみれば良いのだ。
生きる事の喜び、神の叡知と慈悲と、大地の素晴らしさ! 土は
人を裏切らない。努力すればするだけ、その成果が現れる。
耕されない畑は実りをもたらさず、撒かない種は芽吹かず、水を
与えねば、育たない。愛情持って毎日かかさず、まめに世話をして
やる事で豊かに実り多く育つのだ。
身体の小さなおぬしには雑草取りか害虫駆除あたりの仕事が良い
だろうな。他にも色々仕事はあるが初めてだからな﹂
﹁いやぁーっ! 人でなし∼っ!! こんなに愛らしくてか弱いオ
イラになんて非道なっ!!﹂
﹁おや、オーロンさん、今日も畑の手伝いかい?﹂
﹁うむ、働いた後のエールは格別であるからな。実に素晴らしい!﹂
﹁おう、オーロンさん。今夜は一緒に飲もう!﹂
91
﹁おうとも。後でおぬしの畑にも顔を出す﹂
﹁人さらい∼!!﹂
﹁まあまあ、おぬしもその内労働の楽しさがわかるようになる﹂
﹁ならない! 絶対ならないから!!﹂
オーロンの肩の上でじだばた暴れるダットの悲鳴は、全ての者た
ちに無視された。それどころか微笑ましい光景を見るような目で見
られたのは、ダットにとって心外であり噴飯ものである。
しかし、傍目には駄々をこねる子供と、それをあやす大人にしか
見えなかった。
92
6 剣士と魔術師はダンジョン探索中︵1︶︵後書き︶
以下を修正
×夜目で
○灯りなしで
×背負い袋
○背嚢︵表記を統一︶
×ハーフリング
○小人族
93
7 剣士と魔術師はダンジョン探索中︵2︶︵前書き︶
戦闘・残酷な表現があります。
※ゴブリン戦を微修正しました。
94
7 剣士と魔術師はダンジョン探索中︵2︶
食料庫の外は、廊下だった。一階で見た廊下よりも狭く人間二人
がギリギリ擦れ違える程度で、薄汚れており、絨毯などは敷かれて
おらず、調度品や絵画の類も一切なかった。
﹁ねぇ、アラン。行きたくない方角はどっち?﹂
レオナールは首を傾げ、アランに尋ねる。
﹁⋮⋮お前、それ聞いて俺が答えるとでも思ってんのか?﹂
仏頂面でアランが言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁ふぅん、じゃ、こっち行こうかしら﹂
そう言って、レオナールはクルリと方向転換して、食料庫を出た
すぐの廊下を右に歩き出す。
﹁ちょっ、待て! なんでそっちへ行こうと思った!!﹂
途端にアランが慌てた。
﹁ん∼? 直感?﹂
﹁いや、違うだろ! なんか俺の顔見てから、決めただろ!? な
んでわかった!? 今のなんでバレた!?﹂
95
狼狽するアランに、レオナールはくすくす笑う。
﹁まぁ、別に良いじゃない。どうせ最終的には行くんだから﹂
﹁そういう問題じゃ⋮⋮くそっ、なんでだよ。そんなに顔に出てた
ってのか?﹂
﹁気にしない、気にしない。落ち着いて、アラン﹂
楽しそうに、レオナールは歩く。
﹁ああ⋮⋮すごく嫌な予感がする﹂
アランはぼやきながら、トボトボとついて行く。
◇◇◇◇◇ ﹁オーロンさん、茶を淹れたので、そろそろ休憩してはいかがかな
?﹂
﹁ほう、これは有り難い﹂
オーロンは肩に巻いた手拭いで額の汗を拭って、農夫が手渡した
マグを受け取った。
﹁これは、麦の香りですかな?﹂
﹁その通りで。育ち損なったクズ麦を煎った物と、ここらで採れる
96
アヌアの木の葉を刻んだものだが、暑い日に汗をたくさんかいた時
に、これを飲むとスッキリして疲れにくいと、この季節には良く飲
みますな﹂
﹁ふむ、それは良い。おい、ダット! ⋮⋮ダット⋮⋮?﹂
オーロンは辺りを見回し、ハーフリングの姿を探すが見つからな
い。小さいから見つからないのか、と思いかけたオーロンに、
﹁そう言えば、オーロンさんが連れて来られた子供は、畑仕事に飽
きたのか、四半刻くらいでキョロキョロしながら、あちらの方へ行
ってしまいましたな﹂
﹁何!?﹂
﹁あの年頃の子供ならば、遊びたい盛りなので、仕方ないですな。
あちらには川がありますから、水浴びにでも行ったのですかなぁ﹂
﹁申し訳ない、イーヴ殿。その子供は小人族の成人男性でな。暫く
わしが面倒見る事になったのだが、元が浮浪児だったもので、色々
問題がありましてな。途中で放り出すのは面目ないが、後日この埋
め合わせはするので、今日はここで失礼しても良いだろうか?﹂
﹁なんと、それは大変ですな。わかりました。本来はわし一人の畑、
ここは気にせず行って下され﹂
﹁本当に申し訳ない。おそらくダット、あのハーフリングがここへ
戻ってくる事はなかろうが、もし村の中で見かけたら、教えていた
だけると有り難い。では、お暇を﹂
オーロンは頭を下げると、慌てて指し示された方へと向かう。ど
97
うか問題起こしてくれるなよと、祈りながら。
◇◇◇◇◇ ﹁おかしいな、なんかやたら広くないか? 使用人区画のはずなの
に、これ、敷地外にはみ出してないか﹂
何処までも真っ直ぐ伸びる廊下を歩きながら、アランが眉をひそ
める。ここまでに使用人の寝室や、待機所や倉庫・物置と思われる
部屋をいくつか見てきたが、めぼしい物は見つかっていない。酒蔵
と思しきところは、空の樽が転がっているだけだった。
﹁そりゃダンジョンだから、一般常識に当てはめて考える方がおか
しいでしょ。それよりも、どうして何も出ないのかしら﹂
﹁そうそう何か出てたまるか。しかし、ダンジョンという割に、そ
れっぽいのがまるでないって、どういう事だ﹂
﹁ちょっと変だな、って思う程度よね。それよりアラン、まだこっ
ちへ行きたくないと思う?﹂
レオナールが尋ねると、アランは苦虫を噛み潰すような顔になる。
﹁時折思うんだが、お前、実は俺のこと嫌いなんじゃないか? 俺
の嫌がる事をする時のお前、どういうわけか顔が輝いて見えるぞ﹂
﹁別に悪意も悪気もないけど、私の趣味・嗜好とあなたのそれが違
い過ぎるせいだから仕方ないわね。私が楽しんでる時は、たいてい
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あなたは不機嫌だもの。諦めなさい﹂
﹁諦められるか! だいたいな、お前が嬉々としてる時は、絶対、
ろくな事にならないんだ!!﹂
﹁だから、あなたにとっての﹃ろくでもない事﹄が私にとっての﹃
楽しい事﹄なんでしょ? それが嫌ならパーティー解散して別行動
するしかないけど、アランってば嫌そうな顔してても、絶対私につ
いて来るじゃない。だから、諦めろって言ってるの。
ここまで親切に解説してあげるなんて、私ってば本当優しいわよ
ね!﹂
にっこり笑うレオナールに、アランはガックリ肩を落とした。
﹁⋮⋮くそ、自業自得だとでも言う気かよ⋮⋮ちくしょう⋮⋮泣き
たい⋮⋮﹂
﹁泣くのは宿屋に戻ってからにしてね。面倒くさいから﹂
きっぱり言われて、アランは溜息をついた。いくつかの部屋を調
べ、何の収穫もないまま歩いていたが、急に廊下が広くなり、石灰
石の床がごつごつとした黒っぽい玄武岩へと変わった。
﹁何だ、これ⋮⋮﹂
周囲を見渡すと、壁も、天井も玄武岩だ。廊下、もとい通路の幅
は今までの約六倍以上、天井は十倍以上の高さになっている。後ろ
を振り返れば、今まで通って来た廊下と扉が見える。
﹁これじゃまるで、洞窟⋮⋮﹂
99
アランが呆然と呟くと、レオナールは嬉しそうに微笑んだ。
﹁なるほど、﹃ダンジョン﹄らしくなってきたわね!﹂
アランは嫌そうな顔になった。
﹁なぁ、すっごく嫌な予感がするんだが、一度戻らないか?﹂
﹁え? なんでよ。ようやく面白くなってきたのに。何が出てくる
か楽しみでしょ﹂
﹁楽しくなんかねぇよ! ゴブリンとコボルトだけで十分だ!!﹂
﹁だってあいつら弱すぎてつまんないじゃない﹂
﹁大量に出てきたら十分脅威だろ!!﹂
﹁でも、全然出てこないじゃない﹂
﹁あのな、さっきのは巡回してたやつらだろ? 巡回とか哨戒って
のは、定期的に時間を置いて、一定のルートを回るわけだ﹂
﹁そうね。で?﹂
﹁つまり、たいてい、一定の時間で戻ってくる。が、先程の三匹は
俺達が倒した。だから、巡回が終わる時間になっても戻らない。戻
らないとなると、巡回させてるやつはどうすると思う?﹂
﹁う∼ん、追加の巡回または偵察を出す?﹂
100
﹁そうだな。普通に考えたら、何かあったと見て、偵察か応援出す
よな。何事もない状態が続いていたならともかく、俺達の前に何回
か冒険者が入ってるわけだから﹂
﹁わかった! 少なくともさっきよりは手応えある敵が来るってわ
けね!﹂
﹁おい、喜ぶな。俺達に気付かれないようこっそり偵察に来て、俺
達を発見して慌てて応援呼んだり罠を張ったりする可能性もあるん
だからな。だから一度外に出て、村長に一時報告しないか? それ
で、続きは明日にでも⋮⋮﹂
﹁大丈夫よ! 食料は五日分と予備で更に二日分あるんだから﹂
﹁そういう問題じゃない。この情報が外に出てないというのが問題
なんだ。隠蔽されているだけなのか、それとも報告したくても出来
なかったのか、現時点では判断できないんだからな﹂
恐い顔をするアランに、レオナールは満面の笑みを浮かべた。
﹁そうね。でもわかってる事が一つあるわ﹂
﹁何?﹂
﹁アランがそう言って、この先に進ませないようにしようと思って
る事くらい、お見通しなんだから﹂
嬉しそうに言うレオナールに、アランは顔をしかめた。
101
﹁⋮⋮レオ、お前﹂
﹁だから、アランが行きたくないなら、私一人で進むわ。アランは
好きにして良いわよ!﹂
そう言ってレオナールは駆け出した。
﹁おい! 待て!!﹂
アランが制止しようとするが、遅かった。元々の基礎体力や身体
能力が違うのである。しかも、レオナールは回避とスピード重視の
剣士である。
﹁わかった! わかったから!! 一緒に行くから、置いていくな
!!﹂
大声で叫び、はぁと溜息をついてから、のろのろと歩き始めた。 ﹁⋮⋮玄武岩って確か、耐熱性が高くて燃えにくいんだよな﹂
アランはボソリと呟き、不安そうに高い天井を見上げた。
◇◇◇◇◇ 洞窟内は、今が初夏とは思えないほど、ひんやりとしていた。ア
ランは時折、壁に手を触れては、憂鬱そうに天井を見上げたり、嬉
々としている相棒を見る。洞窟に入ってから暫く経った頃、レオナ
ールが表情を引き締めた。
102
﹁⋮⋮来るわ﹂
その言葉に、アランが杖を構え、いつでも詠唱できるよう準備す
る。通路の向こうから、ギギとかいう鳴き声と、鉄か何かが擦れ合
うような音が聞こえて来た。
レオナールはじりじりと前進し、いつでもダッシュで飛び出せる
よう低い体勢になる。
レオナールはカンテラを足下に置いて、更に前進すると、振り向
いてアランと目を合わせると、開いた手の平を見せたあと、指を一
本だけ立てた。アランが頷くと、ダッシュで駆け出す。
現れたゴブリンは、ショートソードを持ったのが三匹、柄が折れ
たのか中途半端な長さの槍を持ったのが一匹、弓矢を持ったのが一
匹、杖を持ったのが一匹。
﹁死ねぇええええええっ!!﹂
雄叫びを上げるように、低めの大きな声で叫ぶレオナール。ゴブ
リン達の視線が集中する。
バスタードソードを大きく横に薙いで、前衛を牽制する。ショー
トソードの二匹が足下を斬られて転がり、もう一匹のショートソー
ド持ちを巻き込んで転倒した。槍のゴブリンが狙いもつけずに突き
出すのを鼻で笑い、右足で蹴り飛ばす。
更に踏み込んで、杖持ちの側頭部に左肘を叩き込み、背後に回り
込んで右手に握った剣をその背中に叩き込む。杖持ちのゴブリンは、
本来曲がらない方向にくの字になって、崩れ落ちた。
﹁︽鈍足︾﹂
103
アランの詠唱した魔法が、前衛の四匹にかかる。弓矢を持ったゴ
ブリンは慌てて距離を取ろうとするが、レオナールがそれを許さな
い。右手の剣を左に切り替え、横に薙ぐ。弓矢持ちの側頭部に当た
り、よろめいたところへ、更に両手で握った追撃が腰へ来る。悲鳴
を上げて吹っ飛ぶ弓矢持ち。
そこへようやく槍持ちが来て、レオナールの背目掛けて槍を突き
出す。そのすぐ後ろにはショートソードの三匹。
﹁︽炎の旋風︾﹂
ショートソード持ちを中心に、炎の風が渦を巻きながら、音を立
てて燃え上がる。レオナールは慌てて転がりながら怒鳴る。
﹁ちょっと! 範囲攻撃魔法使う時は、声かけてよね!!﹂
﹁レオなら野生の勘とやらで大丈夫だろ﹂
﹁何それ! ぶっ殺されたいの!?﹂
﹁すまん。⋮⋮俺のミスだ。次から気をつける﹂
アランが謝罪すると、レオナールは肩をすくめた。槍持ちは直撃
は食らわなかったが、背中を焼かれて床を転がっている。ショート
ソードの方は放っておけば死ぬだろう。
レオナールは槍持ちに駆け寄り、下腹部を踏みつけ、両手で握っ
た剣を胸と腹の間に、思いっきり突き立てた。悲鳴を上げて、もが
くゴブリン。グリグリと突き込み、痙攣し始めたところで引き抜い
た。
杖持ちの絶命を確認し、弓矢持ちにトドメを刺して、レオナール
104
はアランの元へ戻って来た。
﹁言っておくけど、槍持ちのが攻撃仕掛けて来ようとしてたのは、
気付いてたんだからね﹂
﹁⋮⋮悪かった﹂
アランが俯くと、レオナールは頷いた。
﹁ま、いいわ。槍のはともかく、ショートソードのに、時間差で追
撃食らってたら面倒だったし。アランは単体攻撃魔法は問題ないけ
ど、範囲攻撃だと、ちょっと精度が甘いのよね﹂
﹁今度練習しておく﹂
﹁実践でやった方が、上達早いと思うけど?﹂
﹁お前と一緒にすんな。俺は小心者なんだ﹂
﹁んー、萎縮されると面倒なんだけど﹂
レオナールがしぶい表情になった。
﹁仕方ないわね。⋮⋮アラン﹂
﹁なんだ?﹂
レオナールが苦笑を浮かべて、アランの肩先に肘をぶつけた。よ
ろけるアランに、
105
﹁いつも言わないけど、感謝はしてるわよ﹂
と耳元で言って、背を向けた。驚いてアランが顔を上げたが、レ
オナールはすたすた歩き始めていた。
﹁お、おい!﹂
﹁さ、気分切り替えて、次へ行きましょ!﹂
﹁なぁ、レオ。お前、熱でもあるのか? 調子悪いなら無理しない
方が⋮⋮﹂
アランがおろおろと声をかけると、レオナールは立ち止まり、ア
ランを振り返ると睨み付けた。
﹁それ以上言うと、叩き斬るわよ?﹂
アランは口を閉じた。
106
7 剣士と魔術師はダンジョン探索中︵2︶︵後書き︶
どのくらいの表現で警告入れるべきか、よくわかってなかったりし
ますが。
この調子なら、十話以内に冒頭シーンまで持っていけそうだな、と
か思ってます。要らなそうなシーンがっつり削ったので、当然かも
ですが。
良く考えたら、この小説の主要人物だいたいトラブルメーカーじゃ
ね?とか思ったりしてます。
以下修正。
×ハーフリング
○小人族
×面倒臭い
○面倒くさい
×ショートソードを持ったのが二匹
○ショートソードを持ったのが三匹
×側頭部を左肘を叩き込み
○側頭部に左肘を叩き込み
×ショートソードの二匹
○ショートソードの三匹
うっかりゴブリン戦を、6匹なのに5匹で戦闘シーン書いてしまっ
たので、こっそり修正。たぶん最初はもう1匹分別の倒し方するは
107
ずでしたが、うっかり失念して書き忘れたので、他のやつらと一緒
にまぜて数だけ修正︵せこい︶。
108
8 逃走した盗賊もダンジョン探索中︵1︶︵前書き︶
残酷な描写・表現があります。※グロ注意。
109
8 逃走した盗賊もダンジョン探索中︵1︶
﹁こんな村にダンジョンがあるなんて知らなかったよね﹂
宿屋の自分の部屋で皮鎧を身に付けながら、ダットは呟いた。
﹁お宝、お宝がオイラを呼んでいる∼﹂
つぶて
調子外れな鼻歌を歌いながら、最後のすね当てを付け終わり、立
ち上がった。飛礫や投げナイフをあちこちに仕込み、腰にダガーを
下げ、最後に背嚢と短弓と矢束を背負う。
﹁さて、行くか!﹂
見つからないようこっそりと宿を出る。
﹁それにしても﹃働く喜びを共に味わおう﹄とか勘弁して欲しいよ
ね。頭沸いてんじゃないかな。自分の趣味嗜好を人に押しつけない
で欲しいもんだねっ。
この村の連中も頭おかしいやつらばっかりだし、新顔の冒険者も
頭おかし過ぎだし! こんなひどい目に遭ったの、いつぶりだろ?
死にそうな思いしたのは初めてじゃないけど、こんなに頭おかし
くなりそうな気分になったのは、初めてかも﹂
ぶつぶつ文句言いながら、隠形を使用して移動する。村の中で一
際目立つ丘の上にある領主の別荘。
﹁確か、あいつら表から入るって言ってたよな。って事は使用人入
110
り口からのが良いかも。窓は全て鎧戸が閉まってるって話だから、
面倒だしね﹂
盗賊であるダットにとって、施錠された扉など何の障害にもなら
ない。入るのに多少時間がかかるというだけの事であるが、たいし
た時間でも手間でもなかった。
﹁よし、ここだな﹂
建物の裏手に簡素な扉が見つかった。ちょうど村からも死角にな
るので、作業に時間がかかったとしても見つかりにくいのも良ポイ
ントだ、とダットは喜んだ。
解錠のための道具を取り出し、鍵を開けた。それほど難しくない
ありふれた鍵だったので、すぐに開いた。道具を腰から下げた袋に
しまうと、侵入した。
︵暗い、な。しかも、なんか変な臭いがする。放置されてたからか
なぁ︶
松明を付けるか悩んだが、真っ暗闇というわけでもなかったため、
そのまま探索する事にした。手拭いを鼻と口を覆うよう巻き、首の
後ろで簡単に縛った。
その一角は使用人や出入りの商人などの待機所、領主家族が滞在
した時に使用される厨房などがあるようだった。
︵暗いこと以外にダンジョンらしい物はなさそうだな。と、すると
管理人の部屋か二階の主寝室とか書斎なんかを探した方が良さげか
な。
ダンジョンとかいうから宝箱とかあるのかと期待してたのに、何
もないなんてガッカリだよ︶
111
足を早めかけたその時、何かに足を引っ掛けて転びそうになり、
慌てて立て直した。
﹁もう、一体何⋮⋮っ!﹂
足下へ目をやり、思わず息を飲んだ。そこに転がっていたのは、
冒険者だと思われる男の死体だった。
死後一ヶ月ほどだろうか、腐敗して生前の面影は全くない。ウジ
は湧いていないが変色し、ガスが発生して元の体型は全くわからな
い。だいぶ崩れてはいるが、死因は側頭部と腹の傷だろう。
良く見ると、周囲の壁や床には古い血痕が残っており、死体の向
こう側の床にも、薄く点々と血痕が落ちていた。
おそらくはどこかで襲撃に遭って負傷し逃げたが、血痕を頼りに
追われ、追い付かれて殺されたのだろう。頭の傷は鈍器、腹の傷は
刃物で、その他にも全身傷だらけだ。複数でなぶり殺しにあったと
思われる。
死体からは装備も荷物も剥ぎ取られ、かろうじて服だけは着てい
るという状態だ。念のため懐などを探ってみたが、何もなかった。
︵財布も奪うとかずいぶん頭の良い魔物がいるんだなぁ。それとも
人間?︶
おそらくこの男を殺したのは非力な魔物で、洗いざらい奪い取っ
たのは人間だろう。服は残っているのに、その他の所持物が、服の
裏ポケットに至るまで全て奪われている、というのが、とてもゴブ
リンに出来る所業だとは思えなかった。
112
︵金貨や銀貨とか光り物ならともかく、こんな所へ来る冒険者が銅
貨ならともかく、そんな物ジャラジャラ持ってるとは思えないしな︶
ダットが狙っているのは高価な宝飾品や金貨・銀貨の類だ。銅貨
はあっても困らないが、そこらの民家で盗めば簡単に手に入る。
骨董品や美術品などは売り捌くのが面倒だし、高い物が高く売れ
るとは限らない。重くて嵩張る上に、足元見られて買い叩かれやす
い物は獲物にしない事にしていた。
重くても狙う物があるとしたら、魔術書や古書物だ。これらは売
る相手を選べば、かなり高値で売れるのだ。それも真贋を問わずに。
もちろん本物の方が高く売れるのだが、偽物でも売り方によって
は、そこそこ高く売れる。相手を良く吟味する必要はあるが、時に
宝飾品以上の高値で売れる事もあるのだ。
冒険者の装備やアイテムは、物によっては高値で売れるが、大抵
は二束三文である。ダットならばマジックアイテムと財布以外には
手を出さない。
冒険者の装備品は大抵傷だらけで手入れが悪く、特に死人のそれ
は修理しないと使えなかったり、いっそ捨てた方がマシなレベルに
破損したりするのだ。
しかも、小人族である彼にとって大多数の冒険者の装備はサイズ
が合わないのである。屑鉄扱いにするとしても微妙なので、基本的
に無視する。サイズ変更のかかった魔法装備品ならば便利だが、そ
んな代物はそうそうない。
︵う∼ん、他にもこんな死体がいくつも転がってそうだな︶
ダットは肩をすくめ、ひょいと死体を飛び越える。
︵財布が落ちてたら嬉しいけど、なんか期待できそうにないな、あ
113
∼あ︶
大きく伸びをしながら、スタスタ足早に去る。床の血痕をチラリ
と見て、視線を正面に戻す。
︵たぶん一人で入るはずはないから、他の仲間がいるんだろうけど、
この血痕と同じ方向に行くと、斥候か何かに遭遇しそうで嫌だなぁ。
面倒臭そうだし、二階へ上る階段見つけよう︶
◇◇◇◇◇
どうやらダットは宿屋に戻ったようなので、宿泊しているはずの
部屋に声を掛けてみたが、返事はない。店主に声を掛け部屋の鍵を
開けて貰うと、中は無人で、しかも荷物がほとんどなく、ガランと
していた。
﹁すまない、店主殿、この部屋の小人族が出るところは見てないだ
ろうか﹂
﹁はぁ、旦那と一緒に出たところは見ましたが、戻った後は姿を見
掛けないので、てっきり部屋にいるものだとばかり﹂
﹁ふむ﹂
オーロンは首を傾げる。
﹁人目につかぬようこっそり出たか。小人族の盗賊ならばありそう
だな。しかし、昨日着ていた服以外に何もないという事は⋮⋮﹂
114
もしや村の外に逃げられたか、と思わないでもないが、それなら
ば昨夜の内に逃げていそうだ。
﹁逃げたのではないとすると、何処へ⋮⋮﹂
ううむ、と唸るオーロンに、店主は困惑顔になる。
﹁そう言えば、この階の他の客はどうしているかわかりますかな?﹂
﹁冒険者二人は丘の上の領主様のお屋敷に向かったようです。神官
様は、朝食後は部屋に戻ってそれきりです﹂
﹁神官殿の部屋を教えていただけるかな?﹂
﹁こちらです﹂
ダットの部屋から数えて4部屋目に案内された。オーロンは礼を
告げて、仕事に戻ってくれと言うと、店主は﹁それでは﹂と笑みを
浮かべて立ち去った。
オーロンは扉をノックした。室内に人の気配はするものの、無反
応である。更に強めにノックした。
﹁神官殿、ちょっとお聞きしたい事があるので、話を聞いては下さ
らぬか﹂
十回くらいノックしたあたりで、ようやくゴソゴソ動く気配がし
て、扉が開いた。
115
﹁お忙しいところ邪魔してすまない。お聞きしたい事があるのだが﹂
現れたのは薄汚れヨレヨレになった神官服をまとった、目の下に
黒い隈を作った目付きの悪いガリガリの男だ。顔色は悪く不健康そ
うだが、人間に見える。
艶のないごわついた銀髪、翡翠色に金の虹彩が入った瞳は血走り、
おそらくまともな格好をすれば、それなりに見えるのだろうが、そ
の姿はおとぎ話の幽鬼のようである。村の子供が見たら号泣間違い
なしのご面相だ。ほぼ無表情の半眼の虚ろな顔でこちらを見ている。
﹁⋮⋮手短に頼む﹂
﹁わしはオーロンと申す。申し訳ないが、ここに小人族の少年が訪
ねて来るか、侵入したりはしなかっただろうか?﹂
﹁⋮⋮何?﹂
神官は血走った目をギョロつかせた。
﹁件の少年は、わけあってわしが預かる事になったのだが、神官殿
の所有する古書物を狙っておったようなのでな。何もなければ良い
のだが、もしあればと思って、失礼ながら声を掛けさせていただい
たのだ﹂
オーロンの言葉に、男は目を向いた。
﹁ガルフェストの手記に価値を見出だす酔狂者が、この僕以外に存
在すると? 僕が知る限り、そのような者は見掛けてないが、人違
いでは?﹂
116
﹁いえ、この宿の宿泊客で神官と呼ばれそうな御仁は、おぬしだけ
のようなのだ。後は剣士と魔術師とわしなのでな。
不躾で済まぬが、おぬしは王都から馬車で来られたのでは? 小
人族はおぬしを追ってこの村へ来たそうだ﹂
﹁⋮⋮なんと! しかし、今のところ誰も訪ねてきてはいないし、
侵入者もいない。この村に来てから僕は一睡もしていないし、食事
以外に部屋の外には出ていない。
所持している古書物は一冊きりで、食事時も離さず持ち歩いてい
るから、僕以外、誰も触れてはいない﹂
身なりと形相はひどい有り様だが、どうやら理性的で話のできる
人物らしい。オーロンは思わずホッとした。昨夜から立て続けに、
これまで出会った事のない強烈な人物に遭遇していたので、理知的・
理性的で真っ当そうで常識的倫理観を持っていそうな相手に、心底
安心した。
﹁何も問題ないようならば安心した。忙しいところ本当に邪魔をし
て、申し訳なかった。すまない﹂
﹁いや、こちらこそ、あなたから話を聞くまで自分が狙われている
とは露とも知らなかった。礼を言う。あ、名乗り忘れていたな。僕
はヴィクトール。一応神官だが、趣味で古書物の研究をしている﹂
﹁失礼だが、王都からわざわざオルト村に? 馬車とは言え、半月
はかかるだろうに﹂
﹁僕の調べている事にこの周辺の地域が関係しているようなのでね。
あと、この村はロランに一番近くて宿代が比較的安い事で選んだ。
あと、人が少なくて静かな場所を探していたので﹂
117
﹁なるほど。確かにロランに一番近くて、物価が安く、人口が少な
いのはオルト村ですな﹂
﹁唯一誤算があったとしたら、田舎の農夫達が、僕の想像以上に酒
好き・宴会好きだという事くらいで。まぁ概ね静かで、昼間はすこ
ぶる仕事がはかどるので問題ない﹂
その宴会の原因というか元凶であるオーロンは苦笑した。
﹁重ね重ねすまない。では失礼する。もし、何かあれば宿の者にオ
ーロン宛てに言付けて下され﹂
オーロンの言葉に、ヴィクトールは頷いた。
﹁では失礼する﹂
オーロンが言うと、
﹁お探しの小人族とやらが見つかる事を祈ろう。では﹂
パタンと扉が閉まった。少々研究熱心すぎるようではあるが、悪
い人物ではなさそうである。それどころか、ちゃんとしていれば好
青年の部類だろう。オーロンは満足そうに頷き、それからさて、と
考え込む。
他にあの小人族が興味を持ちそうな事はなんだろうか、と。とり
あえず思いつく先を全て当たって見よう。
◇◇◇◇◇
118
ダットはほどなく階段を見つけ、二階の主寝室を目指していた。
︵どうせ客室には何もないだろうしね︶
ここまでのところ、他の死体や魔物などには遭遇していない。足
音も気配も消して、静かな邸内を探索している。
︵ここかな∼︶
二階で一番大きな部屋だと思われる、廊下の突き当たりにある両
開きの扉の前に立つ。施錠はされているようだが、問題ない。念の
ため様子を確認し、罠の有無も確認してから解錠作業に入る。
︵お宝、お宝、おったから∼︶
心の中で歌いながら、鍵を開ける。少々浮かれ気分で扉を開けて
中に侵入する。
部屋の一番奥に更に扉がある。まずは手前の部屋を探索しよう、
と歩を進めた。
﹁!?﹂
足元の床が青白く光った。丸い二重の円と、古代魔法文字と、記
号のようなもの。それがどういう内容のものなのかはわからない。
ただ、ダットに理解出来たのは。
﹁魔法陣⋮⋮っ!?﹂
灯りをつけていれば足を踏み入れる前に気付けただろう。薄暗い
119
中、床に触媒を使って描かれた魔法陣を見つけるのは、夜目の利か
ないダットには、難しかった。
転移陣だ、と気付いた時には遅かった。ダットの魔力を自動的に
吸収した魔法陣は起動し、既に転移が完了していた。クラリとめま
いを覚え、足が僅かにふらついた。
ダットが立っていたのは、玄武岩で覆われた、ドーム状の広間の
中央だった。洞窟のようだが、床も壁も天井もツルツルと磨かれた
ように光っている。転移陣の発光が止むと、辺りは真っ暗になった。
﹁⋮⋮嫌な予感﹂
ダットはブルリと背筋を震わせた。
120
8 逃走した盗賊もダンジョン探索中︵1︶︵後書き︶
というわけで新キャラ登場。ダンジョン探索話中心になるので、引
きこもり神官はしばらく出てきませんが、一応顔見せ。
ダット
たぶん、次の次くらいで、レオナールと剣士の視点になる予定。
新キャラ云々より盗賊の方がアレかもですが。演技抜いたらこんな
感じです。
以下を修正
×背負い袋
○背嚢︵表記を統一︶
×ハーフリング
○小人族
×︽暗視︾の能力を持たない
○夜目の利かない
121
9 逃走した盗賊もダンジョン探索中︵2︶︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
122
9 逃走した盗賊もダンジョン探索中︵2︶
オーロンは全ての村人の家を訪ね、ダットの行方を捜したが、見
つからなかった。小人族の盗賊がその気になれば、村人相手に隠密
行動するのはわけもない。
﹁しかし、もしや、まさかとは思うが⋮⋮﹂
オーロンは丘の上の邸宅を見やる。それだけはあるまい、と考え
ていたのだが、よくよく考えれば、おそらくは武器防具を装備して
出掛けたのだ。そう言えば、彼は、領主の依頼で来たという冒険者
二人組の部屋を盗み聞きしたという話だった。
﹁⋮⋮そこまで考えなしだとは考えたくないが、しかし、念のため
確認しておいた方が良いな﹂
オーロンは渋い顔で頷き、宿屋へ向かった。
◇◇◇◇◇
ダットはひんやりした玄武岩の床の上で座り込み、手探りで火打
ち石を取り出し、松明に火を点した。
ボッと音を立てて燃え上がった松明は、周囲をぼんやり照らし出
す。仄かに赤く染まる視界の中、ダットは周囲を見回した。
視界に入る限りでは、何もない。洞窟にしては、見事なまでに巨
123
ドーム
大な円形だ。中央部が一番高く、それからほぼ均等に傾斜した丸い
半球状の天井が広がっている。
松明の明かりでは全てを照らす事はできないが、この場所を広間、
と仮に呼ぶとして、その床もほぼ円形に見える。円柱の上にドーム
状の天井を被せたような構造だ。
足下に、触媒により魔法陣が描かれているのに気付いて、慌てて
飛び退く。それから、とん、と軽く足を乗せてみるが、魔法陣は起
動しなかった。
﹁?﹂
ダットは魔法や魔法陣について詳しくない。先程のは、足を乗せ
ただけで自動的に魔力を吸収して、勝手に起動したのに、こちらの
はそれだけでは起動しないようだ。もしかしたら、何か方法がある
のかもしれないが、古代魔法文字を解読できなければ、その知識も
ないダットには難しかった。
広間の天井の一番高いところは、標準的な人間の高さの約30倍、
低いところでも20倍近く、部屋の直径は100倍以上あるだろう
か。建築やその手の知識は皆無なダットだが、それでもこの場所の
すごさはわかった。これが天然ものだとは思えないが、人の手で造
れる代物にも見えない。
﹁⋮⋮ダンジョン、だもんな﹂
なんだってあり得るか、と思いつつも、息を呑んだ。この広間の
床や壁の玄武岩は黒々つやつやしていて、松明の明かりでわずかに
光って見える。
124
﹁何で光るんだろう?﹂
ダットは首を傾げる。彼はこれまで玄武岩を見た事はあったが、
ごつごつとした鈍い色のものばかりで、これほどまでに黒くつやや
かな状態のものは初めてだ。
﹁装飾品や宝石類のような価値はなさそうだけど、結構キレイだな﹂
しばらくぼんやりと眺めていたが、はっと気を取り直す。
﹁っと、こんな事してる場合じゃない。出来れば元の場所に戻りた
いけど、これ、使い方がわからないからな。⋮⋮仕方ない、現在地
の把握と探索するっきゃない。あんまり遠くなければ良いけど﹂
魔法の事は良くわからないが、歩いて帰れない距離だったら、な
んて事は恐ろしすぎて考えたくもない。
﹁⋮⋮ちょっと油断し過ぎてたかな﹂
はぁ、と溜息をついて歩き出した。とりあえず、床に注意しなが
ら、適当に壁の方へ歩いてみる。広すぎて、何処に何があるかはさ
っぱりだ。床に他の魔法陣があったとしても、近付かなくてはわか
らないだろう。
︵ちょっと憂鬱になってきた︶
顔をしかめ、うんざりしながらも、こんなところでぼんやりして
いたら、死を待つだけなので、とにかくここを出る通路か、起動す
る魔法陣か何かを見つけなくてはならない。
125
︵こんな何もないところで敵に遭遇したらヤバイよな︶
コボルトやゴブリンの一匹二匹ならば問題ないが、大勢に囲まれ
たら、と想像すると身震いする。
︵いやいや、待て待て。ここまで全然遭遇しなかったんだ、そうそ
う湧いて出るはずが⋮⋮︶
ふと、何か物音が聞こえた気がした。
﹁え?﹂
ダットは顔を上げ、そちらを見た。そして、サッと血の気が引い
た。そこにいたのは最弱の魔物、コボルト。直立歩行する犬に似た
小柄な生物であり、それは武器や防具など一切装備してない群れだ
った。
﹁十匹以上⋮⋮嘘だろ﹂
慌てて短弓を構える。正確には12匹である。コボルト達の瞳が、
一瞬赤く光ったように見えた。
矢を3本一度に抜いてつがえ、連射する。右端から2匹のコボル
トが転倒し、更にもう1匹の肩に突き立つ。肩を負傷したコボルト
はよろめき、速度を落とすが、止まらず走ってくる。
︵ヤバイ︶
弓を肩にかけて素早く距離を取り、投げナイフを投擲する。1匹
の胸に当たり、ドサリと倒れた。しかし、コボルト達の勢いは止ま
らない。
126
更に距離を取り、投げナイフの投擲。3回繰り返し、3匹を一撃
で仕留める。回収はできないので、投げナイフの残りはあと2本。
︵せめて弓の距離を保てれば︶
舌打ちしつつも、更に2回繰り返し、合計7匹を戦闘不能に追い
込む事ができた。しかし、あと5匹残っている。飛礫で牽制しなが
ら、1匹ずつ倒す事にする。
本来、ダットは︽隠形︾で潜んで、背後などからこっそり倒すか、
同じく隠れ潜んで短弓で狙撃するかという戦闘スタイルであり、コ
ボルトとは言え多数の敵に囲まれたり追われたりした状態で戦うの
は、あまり得意ではない。
顔をしかめつつ、飛礫を打って、1匹だけ引き離すよう立ち回る。
こうなると、ここの広さが唯一の救いになる。
これで障害物や高低差があれば、更に良かったのだが。何とか1
匹だけ引き離す事に成功すると、即座に背後に回り、首をかき切っ
た。すぐさま離れて、更にそれを繰り返す。
なんとか残り1匹にした時には、だいぶ疲労していたが、あと少
しだという思いもあり、ダットの唇には笑みが浮かんでいた。最後
の1匹の喉をかき切り、血しぶきを浴びることなく素早く離れると、
はぁ、と溜息をついた。
︵これで、やっと⋮⋮︶
そう思いかけた時、更なる足音を聞いて、愕然とした。
﹁⋮⋮なっ⋮⋮!?﹂
127
先程コボルトが現れた方角から、更に追加の群れが現れた。今度
は、先程の倍。
﹁⋮⋮う、そだろ⋮⋮っ!?﹂
ダットは呻き、わずかに肩を震わせる。しかし、呆然としている
暇はない。再度、弓を構え、矢をつがえた。
◇◇◇◇◇
オーロンは村長の許可を取り、邸宅の正面入り口から中に入った。
﹁彼が向かうとしたら、二階、か﹂
オーロンには盗賊の気持ちなど良く理解しがたかったが、ダット
が狙うとしたら何かを自分なりに考えてみた。
できればいて欲しくないが、最悪の状況を考慮した方が良いだろ
う。故に、最短距離で二階の主寝室へと向かった。
村長の話によれば、二階の部屋は全て施錠されているはずであり、
一階の主要な部屋の大半も本来ならば施錠されているのが当然なの
だと言う。
しかし、これまでに3組の冒険者が中を探索しており、現在どの
ような状態になっているか、誰にも把握出来てないようだ。
主寝室の鍵は、施錠されていなかった。奥に扉が見えたが、この
部屋にはクローゼットや戸棚などが置かれているが、いずれも荒ら
されていない。ここにダットは来なかったのだろうか、と一瞬考え
128
たが、ふと床に魔法陣が描かれているのが見えた。
オーロンは慌てて扉のドアノブを確認した。ここにはあまり埃が
たまっていない。しかし、それだけでは確信するには至らない。し
ゃがみ込み、薄く積もった床の上に、何か痕跡がないかと目を凝ら
す。
魔法陣の上に、小さな子供のような足跡を見つけ、舌打ちした。
﹁最悪の予想が当たったか⋮⋮﹂
そして、ゆっくりと立ち上がり、歩を進めると、魔法陣の上に足
を置いた。魔法陣が、オーロンの魔力を吸収して青白く発光した。
◇◇◇◇◇
大きく振られた腕と鋭い爪を避け、距離を取る。僅かずつ、ダッ
トを取り囲む包囲網は狭められつつあるが、焦ることなく着実に、
無表情で一匹ずつ屠っていく。
飛礫も残り少ない。故に、いざという時のために取っておくこと
にして、立ち回りとダガーによる牽制などで、近付く敵を少数に絞
り、倒していく事にした。それでも時折、かすり傷だが負傷が増え
ていく。
大きく避けず、最小限に控えているせいだ。残りのコボルトはま
だ十数匹。しかも、これで終わりとは限らない。
︵こんなところで死にたくないな︶
129
冷めた気分で、ダットは心の中で呟く。自分の失敗でこうなった、
自業自得だとわかってはいたが、こんなつまらない死に方は興ざめ
だ、と思う。
︵どうせなら派手にパァッと散りたいよな。でも、その前にガッポ
ガッポ稼いで、金貨の海で泳いでからにしたいな、うん︶
その時だった。広間の中心部が、青白く光り、ドームの天井もは
っきり見えるほど、目映い光がほとばしる。
﹁っ!!﹂
背中越しに光を浴びたダットも驚いたが、それを真正面から目に
したコボルト達は更に驚き、なおかつ目がくらんだらしい。
途端に動きが悪くなった。今の内だ、とばかりにダガーを構え直
し、手近の一匹に切りつけた。
﹁ダット!!﹂
どこかで聞き覚えのある声に、ぎくりと振り返った。
﹁⋮⋮オーロン⋮⋮ッ!﹂
真顔のドワーフ戦士は、普段の快活さが影を潜め、恐ろしい顔に
見えた。
﹁話は後だ! やるぞ!!﹂
バトルアクス
そう言って、背負った戦斧の柄を握り、大きく振るった。ギャギ
ャンッといったコボルトの悲鳴と共に、2匹のコボルトが吹き飛ば
130
され、更に別のコボルトにぶつかり、巻き込まれたコボルト3匹が
転がった。
その後も止まることなく、旋風のようなバトルアクスの刃が振る
われ、その度に面白いくらいにコボルト達が飛ばされ、転がる。
﹁⋮⋮メチャクチャだな﹂
ダットは苦笑を浮かべ、汗で滑りそうなダガーを握り直し、オー
ロンから逃れるようにこちらへ走ってきたコボルト達に、踊るよう
にかわしながら、次々切りつけた。
3匹がくずおれ、4匹がよろめく。しかし、焦る必要はない。
﹁うぉおおおおおおおおっっ!!﹂
雄叫びを上げながら突っ込んで来たオーロンが、よろめくコボル
トに次々トドメを刺して、ダットの目の前に走り込むと、くるりと
背を向け、残りのコボルトに対面した。
﹁おりゃああぁっ!! 掛かってこい!!﹂
ダットはガラにもなく涙ぐみそうになって、慌てて気持ちを切り
替える。汗に濡れた手の平を服のすそで軽く拭って、ダガーを握り
直し、気持ちを引き締める。疲労のためか、視界がいまいちだが、
先程よりは余裕がある。
オーロンの取りこぼしだけ相手にすれば良い。しかも、オーロン
が彼の目の前に立ってから、コボルトは脅えるような様で、あまり
近寄って来なくなった。弓矢に切り替えるべきか悩みつつ、おのの
き動きの鈍った1匹を倒す。
﹁なんだ、おっさん、結構強いんじゃない﹂
131
ダットが笑いながら言うと、
﹁わしより強い者はいくらでもいるが、これでもそこそこ修練は積
んでおる﹂
とオーロンが答える。
﹁でも力任せ過ぎでしょ? 技術はいまいちだよね﹂
ダットの言葉にオーロンはぐっと唸る。
﹁その辺りは現在修行中だ﹂
ダットは声を上げて笑った。
﹁けどまぁ、助かったよ。たかがコボルトとはいえ、連戦じゃいく
ら体力あっても持たないからさ。オイラ一人でも倒せなくはないけ
ど、楽できた方が良いよね﹂
﹁良く言う﹂
オーロンは苦笑する。
﹁まぁ良い、残り数匹だ。気合い入れて掃討するぞ!﹂
﹁おっさん元気だなぁ。オイラは疲れたから、そこそこ手を抜かせ
て貰うよっ!﹂
力ずくで蹂躙するオーロンと、コボルト達の合間を縫うように、
132
足を駆使し、死角を利用して急所を切りつけて倒すダット。それか
ら数分もかからず殲滅した。
﹁ところで、ここはいったい何処なのだ?﹂
バトルアクス
オーロンが戦斧を背に担ぎ直して、尋ねてくる。
﹁それがわかれば苦労しないよ。さっきの魔法陣で元の場所に戻れ
たら良いんだけど、起動の仕方がわからないんだよね﹂
﹁ふむ、ここは魔物も来るようだから、誤作動を防ぐためにキーワ
ードが必要なのかもしれぬな﹂
﹁キーワード?﹂
﹁起動させるための呪文のようなものだ。実際に見た事はないが、
そういうものがあると聞いた事がある﹂
﹁ふぅん、それってどうやったらわかるの?﹂
感心したような顔で見上げるダットに、オーロンは胸を張ってキ
ッパリと答える。
﹁誰にも教わらずにそんなものがわかるとしたら、天才か神の使い
だ﹂
ダットは顔をしかめた。
﹁⋮⋮つまり、わからないんだね﹂
133
﹁わしのせいではないぞ?﹂
肩をすくめるオーロンに、ダットは苦い顔になる。
﹁まぁ、いいや。とりあえず回収できそうな矢とか投げナイフとか
飛礫拾っておきたいんだ﹂
﹁ああ、わかった。では、わしも手伝おう﹂
二人がかりで、そこら中に転がるコボルトの死体やその近くから、
拾い集める。
﹁ずいぶん広範囲に走り回ったのだなぁ﹂
感心したように言うオーロンに、
﹁最初は体力温存とか考えてなかったからさ。今考えると失敗した。
一匹ずつ引きはがすだけなら、もっと上手いやり方もあったのに﹂
﹁いやいや、一人でこれほどの数を相手して倒すとは、若いわりに
腕は良いようだな﹂
﹁バカにしてるの?﹂
﹁違う、感心しておる。一人じゃなかったら、あるいは場所がここ
でなければ、おぬしの腕ならば、もっと短時間で全てのコボルトを
倒す事もできただろうな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
134
オーロンの褒め言葉に、むっつりとした不機嫌そうな顔で、ダッ
トはぷいと顔を背けた。
﹁うん? どうした、ダット﹂
﹁⋮⋮これ以上はもういいや。投げナイフは全部回収できたし、飛
礫は基本消耗品だから、また今度河原ででも拾ってくるし、矢はこ
れだけあれば、なんとかなりそうだし﹂
﹁ふむ。まだ何本か残っておるようだが、良いのか?﹂
﹁良いよ、面倒臭くなった。それに早く移動しないと、また追加が
来たら厄介だしね﹂
﹁そうか。しかし、ここはずいぶん広い洞窟だな。出口を探すにし
ても、いったいどちらの方角へ向かうべきか﹂
﹁コボルトがやって来たのは、あっちなんだよね。それも二回も﹂
ダットが指を差す。
﹁ふむ、という事は、あちらに待機所か巣があるという事か。では
別の通路を探した方が良かろうな﹂
﹁松明の火を消した方が良いのかもしれないけど、オイラ夜目が利
かないから、視界が真っ暗になっちゃうんだよね﹂
﹁それは、まぁ、仕方ないだろうな。またあの主寝室にあったよう
な魔法陣を踏むと厄介だ。灯りはあった方が良かろう﹂
135
﹁⋮⋮だよね﹂
ダットは溜息をつく。
﹁正直広すぎて、うんざりする。でもまぁ、さっき、さんざん逃げ
回ったおかげで、コボルトが来た以外の通路も見つけられたけど﹂
﹁ではそちらへ向かおう﹂
﹁こっちだよ﹂
ダットは頷き、先導する。コボルトの群れが現れた通路を左手に
進むと、通路が見えて来る。標準的な人間が両手を開いた状態で、
三人並べるかどうかくらいの幅、高さが同じくその身長の十倍以上。
ごつごつでこぼこした、自然の洞窟のような作りである。
﹁つるつるしてたのは、さっきのとこだけみたいだな。こっちは普
通の玄武岩だ﹂
ダットの言葉に、オーロンも周囲を見回し、ふむと頷く。
﹁あちらの方の床や壁は、磨かれたように艶々黒々としていたな。
こちらの方が若干灰色っぽい。組成も若干違うのかもしれない。詳
しくはもっと明るい場所で削り取ったものを調べなければわからな
いが﹂
﹁別に玄武岩なんて、どこにでもある石で金にはならないから、正
直組成がどうとかどうでも良いけどね﹂
﹁確かに、金にはならないな﹂
136
オーロンは苦笑する。
﹁しかし、ずいぶんと広そうな洞窟だ。これを探索するとなると、
ちょっと厄介かもしれんな﹂
﹁⋮⋮うわぁ﹂
げんなりした口調で、ダットは肩をすくめた。
トラップ
﹁来る時は一瞬だったのに、これって結構厄介な罠だな。︽罠感知
︾に引っかからない辺り、かなり悪質で性格悪い﹂
﹁本来は罠ではないのだろうな﹂
﹁オイラが踏んだ以外にもあんな魔法陣があって、全部ここに通じ
てるなら、少数パーティーや弱いやつらなら、おだぶつだな。最初
が12匹で、次が24匹だからな﹂
それを聞いて、オーロンが顔をしかめた。
﹁その次に48匹来たら、わしらでも苦労しそうだな﹂
オーロンがボソリと言った言葉に、ダットはピシリと固まった。
﹁ちょっ、オーロンの旦那! 縁起でもない事言わないでよ!!﹂
﹁⋮⋮さっきまで﹃おっさん﹄だったのに﹃旦那﹄に逆戻りか? いや、別にどちらでもかまわんが﹂
﹁そういう問題じゃないよ!! 恐いこと言わないでよね! いく
137
ら最弱のコボルトでも、倍・倍で来られたら、数で押されて溺死し
ちゃうよ!!
なんかおっかないから、早く移動しよう。オイラ、思わずこの﹃
広間﹄一杯にあふれるコボルトの群れを幻視しちゃった。現実にな
らない内に、早く行こうよ!﹂
﹁そんな事にはならんと思うが、まぁ、こんなだだっ広いところで
足の速いコボルトとやり合うのは、あまり嬉しくはないな﹂
﹁ほら、早く早く!﹂
必死な顔で自分の腕を引くダットに苦笑しながら、オーロンは歩
き出した。
138
9 逃走した盗賊もダンジョン探索中︵2︶︵後書き︶
キリが良いので、ここまでUP。
ドワーフ戦士無双orヨイショ回?
性格とか信条とかキャラ設定が逆のコンビ組ませるのが、わりと好
きだったりします。私の書くコンビの全てがそれに当てはまるとい
うわけではありませんが、対比で書くと引き立つので、多用しがち。
漫画と違って文章だけで書き分けする小説だと、似たようなキャラ
同士だとぼやけやすいから、というのが主な理由。
たぶんきっと、私以外の人が多用してるんじゃないかな、と思いま
すが。
次回剣士&魔術師視点。
以下を修正
×ハーフリング
○小人族
139
10 そして、合流︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
※右と左を間違えていたので、修正しました。
×十字路の右手から左手の通路に直進して行った
○十字路の左手から右手の通路に直進して行った
140
10 そして、合流
﹁⋮⋮?﹂
通路の途中で不意に立ち止まり、首を傾げるレオナールに、アラ
ンは怪訝な顔になる。
﹁おい、どうした? レオ﹂
﹁なんでもないわ。何か聞こえたかと思ったけど、気のせいかも﹂
首を左右に振るレオナールに、アランは不安になる。
﹁なぁ、それ、どういう⋮⋮﹂
レオナールは苦笑して、肩をすくめた。
﹁なんか遠くの方で、悲鳴というか、金属音というか、戦闘音が聞
こえたような気がしたのよね。でも、もう聞こえないから違ったか
も。
あれかしら、早く戦闘したいという期待と欲求が、幻聴聞かせた
のかしらね。魔法がたとえなかったとしても、人間の感覚って時折
信用ならないからコワイわぁ。
思ったより敵が出て来なくて、剣振ってガンガン斬り倒せなくて、
ストレス溜まってるのかもねぇ﹂
﹁⋮⋮勘弁してくれ﹂
141
げっそりとアランは呻いた。
﹁こんな所でお前に発狂されたら、絶対、非力な俺に止められるわ
けないんだから、人生、マジで終了するだろ﹂
﹁まぁ、あなたに肉壁とかは無理でしょうけど﹂
﹁肉壁とか言うな。お前、本気で言いそうだから恐いけど﹂
﹁だってアラン、あなたちょっと貧相過ぎるもの。もうちょっと横
に筋肉つけないと、盾にもならないでしょ﹂
﹁ちょっ、おい!! なんで俺が盾にならなきゃならないんだよ!
! 剣士が魔術師盾にしようとすんな!! 防御系の魔法持ってな
いけど、頼まれれば︽炎の壁︾なら唱えてやるから!!﹂
﹁︽炎の壁︾って普通に範囲攻撃魔法でしょ。位置指定だから、ノ
ーコン魔術師のアランにでもちゃんと唱えられそうだけど、発動タ
イミング失敗して、敵がいないのに発動、とかいうドジはやらかし
そうよね!﹂
﹁⋮⋮なんで嬉しそうにそんな事言うんだ。俺、そこまで酷くない
はずだぞ? それにもし、仮にそうなったとしても、実際火属性の
敵以外には、ちゃんと﹃壁﹄というか盾代わりになるだろ?﹂
﹁アランは甘やかすより、ビシバシきつめに言った方が良いんじゃ
ないかと思って﹂
﹁おい、どういう意味だ! 俺にそんな趣味嗜好はない!! ふざ
けんなっ!!﹂
142
怒鳴るアランを、悪い笑顔でニヤニヤと見るレオナール。
﹁別に良いのよ? そんな必死になって否定しなくても。あなたが
どんな趣味してても、気にせず私は友達でいてあげるから﹂
﹁おまっ⋮⋮!﹂
悔しそうにグッと唇を噛むアランの姿を見て、とても楽しそうに
笑いながら、レオナールは言った。
﹁ふふ、私の寛大さに、土下座して地面に口付けて感謝すると良い
わ!﹂
﹁誰がやるかボケ!!﹂
アランは低く唸るように叫ぶ。レオナールにからかわれ遊ばれて
いるとわかっていて、つい感情的になってしまう己に自己嫌悪しつ
つ、睨んだ。
﹁まぁ、あまりイジメすぎて使い物にならなくなると困るから、こ
の辺にしといてあげるわ﹂
﹁⋮⋮地獄に落ちろ﹂
ぼやくアランに、高笑いするレオナール。
﹁だってアランってば、本当、反応が面白いんだもの。仕方ないわ
よね、ほら、敵が出て来なくて暇だから﹂
143
﹁お前、﹃探索﹄とか﹃調査﹄の意味わかってるか?﹂
﹁大丈夫! 私が忘れても、アランが覚えてるから問題なし。それ
に今のとこ全然変化なしだもの。あー退屈! 早く何でも良いから
出て来ないかしら!!﹂
﹁不穏なこと言うな。言っておくが、今回の依頼はあくまで﹃調査﹄
で﹃討伐﹄じゃないからな?﹂
﹁わかってるわよぉ。討伐でも素材収集でもないから、面倒な剥ぎ
取りとか採取とかしなくて良いんですものね。
前々から思ってたのよ、ゴブリンの耳とか、コボルトの皮とか尻
尾集めて来いとか言う人って、実は特殊性癖なんじゃないかって﹂
﹁おい、違うからな。皮はともかく、耳や尻尾は討伐数を確定する
ためにギルドに提出するだけで、依頼人が欲しがってるわけじゃな
いからな!
だいたい、どういう性癖だよ!! 耳とか尻尾見て、それが何だ
ってんだ!! そういう想像するお前の頭の方が、絶対おかしいだ
ろ!!﹂
﹁あと思ってたのよね。純粋に金稼ぎとか生活に困ってとかいう理
由以外で冒険者だなんてやくざな仕事したがる輩って、被虐趣味か
嗜虐趣味のどちらかなんじゃないかしらって﹂
﹁おい、それ、思い切りブーメランだからな? 自分の事も言って
るからな!?﹂
﹁私の趣味や嗜好が、いわゆる﹃一般常識﹄から外れていて、人に
144
嫌われるようなものだという自覚は一応あるわよ?
でも、わざわざ人に理解されようと努力するのも、好かれようと
するのも、面倒で鬱陶しくて煩わしいわ。だいたい、たかが他人様
が私たちに何をしてくれるって言うの?
補償も報酬も見返りもないのに無駄な労力かけたくないわ。好か
れようと嫌われようと、さほど違いなんてないじゃない。
変に絡まれたりまとわりつかれたり、面倒な人付き合いしないで
済むだけストレス無くて楽じゃない。
私からすると、アランは自分で自分をいじめて喜んでるとしか思
えないわね!﹂
﹁⋮⋮よりによってお前が、それを言うか﹂
ガックリと肩を落として、アランは呟く。
﹁細かいことは気にしない方が良いわよ? だいたい、人間社会で
エルフがエルフの常識振りかざせば間違いなく秩序を乱す者だと認
識されるし、エルフに限らずそれ以外の亜人もだいたい同じでしょ?
私は厳密にはエルフじゃないし、亜人の括りに入るかどうかも微
妙だけど、根本から違う生き物が紛れ込んだら、それ以外から﹃お
かしなやつ﹄認定受けるのは至極当然じゃない。
別に私は、私の都合や道理を通そうとは思ってないわ。合わせる
気はさらさらないけど﹂
﹁⋮⋮別に今更、お前にそんな事求めてないから、安心しろ。期待
するだけ無駄だと知ってるからな。なるべく俺に迷惑かけずにいて
くれたら有り難いと思うくらいだ﹂
﹁前から言ってるけど、嫌なら付いてこなくて良いのよ?﹂
145
﹁真顔で言うなよ! 俺がお前について行くのは、俺の勝手で都合
だ。時折ついていけるか不安になったり愚痴りたくなるけど、村を
出る時から多少は覚悟してたからな。
まぁ、予想や予定とはだいぶ違ってる気がしなくもないが、そん
なもん、相方がお前じゃなくても想定通りになる事の方が稀だし、
仕方ない。
実際に冒険者になる前から、お前が相方なのは大前提だったから
な﹂
﹁アランって、時折、直球過ぎて困るわね﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁⋮⋮そんな事より、いつまで続くのかしら、この代わり映えしな
い一本道﹂
﹁この奥からゴブリンどもが来たんだから、この先に何かあるはず
だよな﹂
﹁で、アラン。まだ、こっちの方角行きたくない?﹂
レオナールが尋ねると、アランは嫌そうに顔をしかめた。
﹁お前、本当、しつこいな。⋮⋮でも、何故かさっきより、マシだ
な。できれば行きたくないとは思うけど、最初に感じたような忌避
感は消えたような﹂
アランが答えると、レオナールは眉をひそめた。
﹁それって、もしかして、隠し通路とか? だってこの道、多少曲
146
がりくねってはいるけど、ほぼ一本道でしょ?﹂
﹁隠し通路? まさか。そんな見落とし、するはずが⋮⋮﹂
﹁ないって言い切れる?﹂
﹁⋮⋮時折、壁に手を触れて確認してはいたんだがな。全て確認し
たかと言われると、正直﹂
﹁アランは嫌かもしれないけど、このダンジョン全て探索・調査す
るより、アランの﹃嫌な予感﹄を当てにした方が手っ取り早いし、
確実だと思うの。たぶんそれ、﹃原因﹄かこのダンジョンの核か主
だと思うから。
それに、他の冒険者グループの死体とか痕跡とかまだ見つからな
いってのが、気になるのよ。アラン、あなたはどう思う?﹂
真顔でレオナールに言われて、アランも真顔になる。
﹁⋮⋮隠し通路ではない、と思う。きちんと測量してマッピングし
たわけじゃないから、確実じゃないが⋮⋮たぶん、この通路、僅か
に湾曲している。右が外縁で、左が中心部、つまり﹂
﹁左手にぐるぐる回って行くと、中心部、あるいはアランが近付き
たくない元凶のいる方角に向かう事になるって事ね!﹂
レオナールが嬉しそうに笑った。
﹁たぶん中心部にはいないんだと思うぞ。中心部にいるのなら、移
動中に忌避感が強くなったり弱くなったりするのは変だからな﹂
147
﹁どっちしろ、近付けばアランが反応するんだから、問題ないわね﹂
こぼれんばかりの満面の笑みを浮かべるレオナールを見て、アラ
ンは深い溜息をついた。
﹁お前、今、俺のこと、﹃便利﹄だとか思ってるだろ?﹂
﹁だって﹃便利﹄じゃない。あー、本当、アランがいて良かった!
! 何処に行けば良いかわからないより、確実だもの!
アラン、この世に生きて存在してくれて、本当に有り難う!!﹂
﹁なんか違う⋮⋮こんな感謝のされ方、俺が期待してたのと違う⋮
⋮﹂
アランは呻くように呟いた。
◇◇◇◇◇
その頃、ダットとオーロンはどこまでも続く一本道を歩いていた。
﹁コボルトが出なくなったのは良いけど、暇だなぁ﹂
伸びをしながら言うダットに、オーロンは苦笑する。
﹁ご期待に添えそうだぞ、ダット。もう暫く進むと、十字路になっ
ている。問題はどちらへ行くべきかわからないという事だな﹂
﹁あー、間違えたら戻らなくちゃならないからなぁ﹂
148
ダットがしかめ面になる。
﹁せめて何らかの手掛かりがあると良いのだが﹂
﹁あの転移陣のせいで、方向感覚とか現在位置とかさっぱりだもん
ね。やたら広いから、しらみ潰しに全部調べたら、どれだけ時間か
かるかわからないし。
オーロン、あんた食糧どのくらいある? オイラ3日分しかない
んだよね﹂
﹁⋮⋮すまん。わしはダンジョンなどに潜るつもりではなかったか
ら、持って来てない﹂
﹁は?﹂
オーロンの言葉に、ダットは固まった。
﹁ちょっ、なんでそれで落ち着いてんだよ! あんた、死にたいの
!? ダンジョン入るのに食べ物持ち込まないとか自殺志願者!?﹂
﹁ちょっと入ってダットを見つけたらすぐ出るつもりだったからな。
革の水入れも中身空っぽのまま補充していない﹂
﹁なっ⋮⋮!﹂
ダットはクラリ、とめまいを覚えた。これはヤバイ、かなりマズ
イ、と思う。だが、何故かオーロンはケロリとしている。
﹁大丈夫だ。3日ほど何も食わなくても問題ない。里にいた事は一
149
週間ばかり坑道に潜って、寝食忘れて採掘し続けた事もある。あの
時は、さすがに死にかけたが﹂
﹁⋮⋮は?﹂
ダットはひきつった顔になる。
﹁3日くらい飲み食いしなくても問題ない。普段からたくさん食い
だめしておるしな﹂
オーロンはそう言ってカッカッと笑った。
︵ドワーフってどんだけ頑健なんだ。⋮⋮とんでもない種族だな︶
ダットは恐れおののいた。もちろんそんな事ができるドワーフは、
オーロンくらいである。
﹁ん?﹂
ダットか何か音が聞こえたような気がして立ち止まると、オーロ
ンが真剣な表情になった。
﹁⋮⋮新手か﹂
十字路の方から金属が振動したり擦れ合うような音や、ギャッギ
ャッという鳴き声が聞こえて来る。
﹁⋮⋮ゴブリン﹂
﹁音や気配から推測するに、さすがに48匹いることはなさそうだ
150
が﹂
オーロンが言うと、ダットは睨む。
﹁やめてよ。シャレにならないんだから。⋮⋮あー、戦闘とかあん
まりしたくないのに。ちょっと待ってて。偵察してくる﹂
だが、ゴブリン達が向かっているのはダットとオーロンのいる通
路ではないようだ。そのままオーロンを待たせて、ダットが︽隠形
︾で身を潜めて十字路の様子を伺うと、右手の通路からそのまま直
進して行く。
計12匹のゴブリン達が、全て消えたのを確認して、オーロンの
ところへ戻った。
﹁どうやらこっちには来ないみたいだ。哨戒か何かかも。十字路の
左手から右手の通路に直進して行ったよ。内訳は棍棒2、ショート
ソード3、槍2、弓矢3、杖2﹂
﹁杖持ちが2匹か、厄介だな。後ろから不意討ちで倒しておくか﹂
﹁え? オイラ達とは別方向なんだから、放っておけば良くない?﹂
﹁哨戒なら、また戻って来るだろう。正面から遭遇したら、もっと
面倒だぞ。このまま直進したとして、もし突き当たりなら戻って来
なくてはならないのだぞ? 倒せる時に倒しておいた方が良い﹂
﹁旦那って、見掛けによらず好戦的だね﹂
﹁そういうわけではないが、可能であるならば後顧の憂いは取り除
いておきたい性分でな。それに武器装備の魔物はなるべく早期に始
151
末しておきたいと思っておる。
無手の魔物ならば放置するが、武器持ちやスキルや魔術を使う魔
物は厄介だ。下手に扱いに習熟されたり成長されれば、後々倒すの
に苦労する。早めに駆除した方が手間がない﹂
﹁ダンジョンの魔物も成長するの?﹂
﹁うむ。⋮⋮かつて、そうやって成長し、放置された古いダンジョ
ンから溢れて、近隣の村々を滅ぼした例もあると言う。おそらくこ
のダンジョンの調査が完了すれば、駆除やボス討伐依頼などが出さ
れる事になるのだろう。
この村は良い村だが、ダンジョン経営には向いておらん。なによ
り、ここはセヴィルース伯爵領の食料庫。冒険者が集まる町になれ
ば、多くの畑や醸造所は潰され、冒険者向けの施設や店が建つ事に
なる。
だが、先を見れば領内でも有数の生産を誇るこの村を潰すのは、
大いなる損失だ。一度潰した畑や醸造所などは、二度と復活しない
からな。土は放置すれば痩せるし、人の技術はそれを知る者が死ね
ば廃れ潰えるものだ。
もし、ここの領主が目先の利益に目がくらんで、このダンジョン
を残す判断をするようならば、いずれこの村も近隣も緩やかな滅び
を迎える事になるだろう﹂
﹁オイラ、そんな難しいことはわかんないよ。オーロンの旦那に言
わせたら、目先の利益しか見えないって事になるんだろうけど﹂
﹁美味い麦とエールを育てるのは、一朝一夕にできるものではない。
それを育てる人と土壌が必要だ││というのはどうだ?﹂
﹁⋮⋮やっぱりわからないよ﹂
152
ダットが肩をすくめると、オーロンはううむ、と唸った。
◇◇◇◇◇
﹁⋮⋮アラン﹂
先を進んでいたレオナールが、振り返る。
﹁どうした?﹂
アランは壁に手を触れ、曲がり具合や傾斜を確認しながら歩いて
いるところだった。
﹁何か来るわ。⋮⋮たぶんゴブリンね﹂
レオナールの言葉に、アランは表情を引き締めた。
﹁まだ、距離があるから、もう少し進んだら準備して﹂
﹁了解﹂
﹁あと、さっきより数が多いみたい。杖持ちも混じってるかも﹂
﹁抵抗されるかもしれないが、︽眠りの霧︾を使った方が良いかも
しれないな。敵が近付いても、突撃しないでくれるか?﹂
﹁わかったわ﹂
153
それからしばらく進み、ゴブリンのグループを視認したところで、
アランは立ち止まり、杖を構えて詠唱を開始する。
かいな
﹁汝、暗く優しい眠りの霧に包まれ、風の精霊ラルバの歌を聴き、
夜の女神シルヴァレアの腕に抱かれ、混沌たるオルレースの下、深
き眠りにまどろみたまえ、︽眠りの霧︾﹂
︽眠りの霧︾が発動し、ゴブリン12匹が、発生したガスに包ま
れ、拡散する。杖持ち1匹を除いたゴブリン11匹がくずおれ、眠
り込む。それを見て、レオナールが駆け出した。
両手で握り振り上げたバスタードソードの刃を、何か魔法を詠唱
しようとする杖持ちの頭部目掛けて、強く叩きつける。鈍い音を立
てて頭部を砕かれ、倒れるゴブリン。
そのまま停止することなく、するりとターンして、近くで眠る杖
持ちの心臓に剣を突き立て、捻る。悲鳴を上げて仰け反り、痙攣す
るのを尻目に、悲鳴で目覚めた弓持ちに、横殴りの一撃を加えて、
距離を取る。
それを確認して、杖を握っているのとは逆の左拳を頭上に掲げた
アランが、︽炎の旋風︾を発動させる。
魔法の炎で焼かれ、悶え転がるゴブリン達。火が消えると、レオ
ナールが生き残りに次々とトドメを刺し、戦闘は終了した。
﹁⋮⋮思ったより上手く行ったな﹂
アランがほっと息をつく。レオナールは大仰に肩をすくめる。
﹁私は物足りなかったけどね。まぁ、合図やタイミングは今みたい
154
な感じで良いと思うわ。やっぱり訓練や練習より実践のが、身にな
るし確実よね!﹂
﹁その意見には絶対賛同しないぞ﹂
アランは嫌そうな顔をする。レオナールはニヤリと笑う。
﹁アランはやれば出来る子なんだから、私が実践で鍛えてあげるわ
よ?﹂
﹁⋮⋮やめろ。シャレに聞こえない﹂
﹁本気だもの﹂
ふふん、と言われて、アランはゲッソリした。
﹁勘弁してくれ﹂
レオナールが機嫌良さげに笑う。そこへ、
﹁もしや、レオナール殿とアラン殿か?﹂
どこかで聞いたような声に、二人が振り返ると、ゴブリン達が現
れた方角から、オーロンとダットが連れ立って現れた。武器を構え
ているところを見ると、ゴブリンを追って来たのだろうか。自分達
を襲撃に来た、という事ではないだろうな、とアランは考える。
途端にレオナールの顔が不機嫌になった。
﹁⋮⋮何故、こんなところに?﹂
155
アランが尋ねると、オーロンは苦笑し、ダットは苦い顔になる。
﹁うむ、ダットが誤って魔法陣を踏んでな。この先のドーム状の広
間に飛ばされた。わしはダットを捜索・救出に来たのだが、現在地
が不明でな。出来れば、脱出路を教示いただきたい﹂
アランは眉をひそめた。
﹁誤って魔法陣を? いったい、どこにそんなものが﹂
アランが聞くと、オーロンは困ったような笑みを浮かべた。
﹁うむ、屋敷二階の主寝室だな。ダットの足跡を魔法陣の上に見つ
けたので、追って来たのだが、すぐに村へ戻るつもりであったので、
ダンジョン探索用の用意をしておらん。3日くらいなら飲食なしで
も問題ないが、なるべく早く村へ戻りたい﹂
それを聞いてアランの顔が明るくなった。
﹁そうか、それは大変だな。レオ、そういうわけだから、一時報告
も兼ねて一度村へ戻ろう。なっ、そうしよう。それが良い!﹂
アランの言葉と態度に、オーロンとダットが怪訝そうな顔になり、
レオナールが嫌そうな顔になる。
﹁うん? いや、邪魔して申し訳ないと思うのだが、アラン殿はそ
れで良いのか?﹂
不思議そうに、オーロンが尋ねた。ダットも口は開かずとも同意
見である。探索の邪魔しやがって、くらいの事は思われて仕方ない
156
と考えていたので、意外である。
﹁邸内に帰るだけなら、一本道だから、ここを真っ直ぐ行けば問題
ないわ﹂
仏頂面で言うレオナールに、
﹁いやいや、邸内地下も結構面倒だから、俺達が案内した方が良い
だろう。人命に係わる事だから仕方ないよな! ほらほら、ここで
議論してたら、また新手が来るかもしれないだろ。さ、行こうか﹂
嬉しそうに笑いながら言うアラン。苦虫を噛み潰したような顔の
レオナールを引きずるように、アランはこれまで歩いてきた通路を
スタスタと逆戻りする。それに慌ててオーロンとダットが続く。
﹁案内して貰えるのは有り難いが、本当に良かったのか?﹂
﹁人命救助は何をおいても重要視するべきことだ。情けは人のため
ならず、義を見てせざるは勇無きなり。人として為すべきことを成
すだけのこと。いやぁ気分良いなぁ、ハハハッ﹂
機嫌良すぎて浮かれているようにすら見えるアランに、不機嫌過
ぎて鬼気迫る空気を醸し出すレオナール。困惑するオーロンとダッ
トは顔を見合わせる。
こいつら変だ、とダットは思い、オーロンは本当に良かったのか
と悩んだ。
157
10 そして、合流︵後書き︶
冒頭シーンまで行きませんでした。
たぶん次回。いけると良いなぁ、とか思います。
158
11 魔法陣︵挿絵あり︶︵前書き︶
挿絵で魔法陣の画像を挿入しました。
159
11 魔法陣︵挿絵あり︶
一行が邸宅を出たのは、それから一刻半の後だった。
アランはご機嫌、レオナールは仏頂面のままである。
﹁いや、助かった。ここまで案内して貰えるとは思わなかった。礼
を言う。何かあればぜひ助力しよう﹂
オーロンはそう言って二人に頭を下げた。するとアランが頷く。
﹁ああ、ならば聞きたいんだが、あんた達が探索した時の状況を詳
しく聞きたい。差し障りなければ、酒場の方で聞かせて貰えるか?﹂
アランの言葉に、オーロンは頷いた。一行は宿酒場へ向かった。
昼間なせいか酒場に客は一人もいなかった。農村では昼間、特に初
夏の季節は仕事がたくさんあるので、当然とも言える。
よそ者はこの宿の宿泊客のみで、内一名は宿泊中ずっと部屋に引
きこもっている。この時間に酒場に現れる者がいるとしたら、彼ら
くらいだろう。
四人は丸テーブルの一つに座った。オーロンを一番奥に、左から
アラン、レオナール、一つ椅子を空けてダットの順である。それぞ
れ水やエール、果実水などを注文した。
アランは探索用のメモをまとめている紙束を胸元から取り出し、
ペンを握る。
﹁それで魔法陣というのは、何処にあって、どんな模様があったの
か教えて欲しい﹂
160
﹁魔法陣があったのは二階奥の主寝室だな。階段を上り左手に向か
い、右の一番奥の部屋だ。正確には主寝室手前の居間だろうか。入
口から数歩の距離にあった。
丸の中に、何やら文字か記号のようなものが描かれていて、更に
その中に丸が描かれていた﹂
﹁中央の丸の中に、何か記号か意匠のような文様がなかったか?﹂
﹁うむ、渦巻き模様のような文様が描かれていたような気がするな﹂
オーロンが答えると、アランは顔をしかめた。
﹁混沌神のシンボル、か﹂
アランのつぶやきに、レオナールも顔をしかめた。
﹁なんだ? その文様は、何か問題あるのか?﹂
オーロンが怪訝な表情で尋ねると、アランは肩をすくめる。
﹁⋮⋮そうだな、普通はあまり使わない。俺も、魔法陣については
詳しくはないが、天空神のシンボルを使うのがより一般的だろう。
混沌神というのは、悪神ではないが、あまり印象が良くない神だか
らな﹂
﹁なるほど﹂
オーロンは納得し、頷いた。
161
﹁とにかく、明日にでも実物を確認してみよう。他に、何かおかし
な物を見たり、発見したりしただろうか? どんな些細な事でも良
い。情報が少ないので、何でも良いから知りたいんだ﹂
アランが言うと、オーロンは首を傾げる。
﹁わしはダットと合流するまで、ほぼ最短で行ったし、短時間しか
入っておらんからなぁ﹂
ダットが肩をすくめ、頷く。
﹁オイラだって、ほとんど迷子になってコボルト達と戦闘してただ
けだからなぁ。後は、あれか。あのダンジョンの何処かに、人間、
あるいは盗賊行為を行うやつがいるってくらいかな﹂
﹁何、どういうことだ!?﹂
アランは目を剥いた。
﹁服以外一切合切剥ぎ取られた人間の腐乱死体があったってだけだ
よ。今もあそこにいるかどうかはわからない。けど、少なくとも一
ヶ月前かその前後にはいただろうね。
ゴブリン達は人間の死体から武器や防具を奪う事は知っていても、
たぶん服を脱がさずに財布や貴重品を奪うような知能はないだろう
しね﹂
それを聞いて、アランは顔をしかめる。レオナールはふっと鼻で
笑って水を飲み干す。
﹁装備の方はともかく、どうして財布や貴重品がないとわかった?﹂
162
アランが言うと、ダットは﹁しまった﹂という顔になる。
﹁あ、オイラ、ちょっと用事を思い出したから、行ってくる!﹂
ダットは跳ねるように立ち上がると、止める暇もなく走り去った。
﹁ねぇ、あれ、本気で更正させるつもり?﹂
レオナールが冷笑し、オーロンは苦笑いした。
﹁先は長そうだ。しかし、まぁ、それでこそやりがいがあるという
もの﹂
﹁⋮⋮全然ダメだと思うけど。まぁ、いいわ。アラン、探索の続き
は明日にするんでしょ?﹂
﹁ああ、そのつもりだ。これから今日の探索内容をまとめて、村長
に報告してくるつもりだ﹂
﹁じゃあ、夕飯まで自由時間って事で良いかしら?﹂
﹁ああ。何だ、鍛錬でもするのか?﹂
﹁外に出て、なんか手頃な魔獣でも狩ってくるわ﹂
﹁わかった。じゃあ、夕飯の時に﹂
﹁ええ、じゃあね﹂
163
そのままレオナールはふらりと立ち上がり、宿酒場を出て行った。
◇◇◇◇◇
﹁ただいま﹂
レオナールは日が暮れ、暗くなった頃にツヤツヤした顔で帰って
来た。
﹁おかえり、レオ。飯食いに行くか?﹂
﹁そうね、お腹空いたわ﹂
レオナールが装備を外し、水浴びして着替えると、二人で一階へ
と降りた。
﹁今日は何を狩ったんだ?﹂
﹁大物は見つからなかったけど、角兎を20匹ほど。余ったら燻製
にしてくれるらしいわ。代金は宿を立つ時に計上するって﹂
﹁了解。なら、帰りは干し肉買わずに済みそうだな﹂
アランは嬉しげに笑った。レオナールも満足げである。二人で席
につき、兎肉のシチューとソテーを二人前頼む。もちろんソテーは
レオナールの分である。調理には時間がかかるので、それまでつま
みとエールを飲む事になった。
164
﹁⋮⋮で、村長に報告したの?﹂
﹁ああ、魔法陣はまだこの目で確認してないから、﹃ダンジョン発
生は人為的なものである可能性がある﹄とだけ伝えた。
最悪の事態が生じても、これが領主の耳に入れば、次からは初心
者もどきの低ランクを派遣するような事はないだろ﹂
﹁追加報酬貰えるかしら?﹂
ジーベル
﹁まぁ、予想通りなら、1金貨じゃ安すぎだな。混沌神そのものは、
悪神じゃないんだが、その信奉者が、な﹂
アランは嘆息した。
﹁頭のおかしい連中は、何処にでもいるでしょ。信奉する神、所属
する国、組織、種族問わず。でも、そんなに心配することないと思
うわよ?﹂
﹁俺は常に、その時考え得る一番最悪の状況を想定して、対策を立
てたいんだ。⋮⋮お前が独断専行したり、暴走しない限りはな﹂
﹁諦めたら?﹂
﹁なんでそこで、そんな台詞が出てくるんだ! ここは﹃考慮する﹄
とか﹃尽力する﹄とか言うところだろっ!!﹂
﹁⋮⋮いいかげん諦めなさいよ﹂
肩をすくめて、笑顔で言うレオナールに、アランはガックリとテ
ーブルの上に突っ伏した。
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◇◇◇◇◇
翌朝、朝食を取るレオナールとアランの前に、オーロンとどこと
なく疲れた顔のダットが現れた。
﹁昨日の礼に、わしらもダンジョン探索に付き合おう﹂
オーロンの言葉に、アランは首を傾げた。
﹁⋮⋮何故だ?﹂
﹁おぬしらには世話をかけたからな。借りは労働で返す主義だ。借
りっぱなしは性に合わん﹂
﹁別に借りという程の事はないと思うが?﹂
アランは眉をひそめた。
﹁あんたは律儀な性分なのかもしれないが、俺は何が起こるかわか
らないダンジョンに、良く知りもしない相手を気軽に連れていく趣
味はない。
いつ何処で、戦闘や不測の事態が生じるかわからない場所で、ど
ういう風に動くかわからない者を連れて、何かあれば、対応に苦慮
する羽目になる。
面倒事は嫌いだ。俺は相方のお守りだけで一杯だ。他の人間の事
まで考える余力はない﹂
166
﹁確かに、昨日の戦闘を見る限りでは、おぬし達に下手な助力は不
要だろう。しかし、わしら二人は、おぬしも気にしておった魔法陣
を踏んで転送された先で、大量のコボルトに襲われておる。
最初に転移したダットは一人で12匹を倒した後で、追加の24
匹に襲撃された。半数近くに減った辺りで、わしも転移し共に倒し
たのだが、それと同じ事がおぬし達にも遭った場合、前衛が少しで
も多い方が良いのではないか?
わしはこの通り、頑強なドワーフだ。膂力と耐久には自信がある。
アラン殿は確かに優秀な魔術師であり、その術は実に強力で効果的
だが、魔法の詠唱をせねばならないという制約上、どうしても短時
間に連発する事ができない。故に身を守る盾は、いくらあっても良
いのではないか?﹂
﹁⋮⋮あんた達の能力はもちろんだが、俺が一番問題にしてるのは、
信用・信頼だ。
俺とレオなら、事細かに説明する事なく、最低限の合図で円滑な
戦闘を行う事ができる。あんた達にそれを期待するのは、厳しいだ
ろう?﹂
アランはにべもない。
﹁まぁ、その通りだな﹂
オーロンは苦笑した。
﹁良いんじゃない?﹂
そう言ったのは、驚いた事にレオナールだった。驚いてアランが
レオナールを見ると、どこか人の悪い笑みを浮かべて、レオナール
が言う。
167
﹁アラン、﹃盾﹄は多い方が良いってのは、間違いないでしょう?
私もスピードと殲滅力には、そこそこ自信はあるけど、筋力や耐
久力に長けているとは、残念ながら言いがたいし﹂
アランは顔をしかめた。
﹁おい、レオ﹂
﹁頑健で頑丈なドワーフ様が、望んでご助力くださるって言うんだ
から、是非助けていただきましょうよ? 無報酬で良いんでしょう
?﹂
ニンマリ笑うレオナールの顔を見て、アランは悟った。
︵ああっ!! こいつ、内心﹃タダで使えそうな肉壁入手!﹄とか
思ってる!! 絶対こき使って、自分の盾、もとい壁として利用し
倒す気だ!!︶
﹁ちょっ、待っ、レオ!!﹂
慌てて腰を浮かすアランを気にもとめず、にっこり極上の笑みを
浮かべて、髪をさらりとかき上げながら、レオナールが言う。
﹁是非、オーロン殿のご助力をお受けしたいと思いますわ。ふふ、
心強いこと﹂
その顔を見て、ダットがうへぇ、という顔になる。
﹁⋮⋮絶対、本心で言ってない⋮⋮﹂
168
ぼやくダットに気付かず、オーロンはレオナールに歩み寄り、そ
の手を取った。
﹁それでは、ご一緒させていただこう﹂
アランとダットは、ゲッソリした顔になった。オーロンは気付か
ず、快活な満面の笑顔である。同じくレオナールも素晴らしい笑顔
なのだが、どこか腹黒い空気を醸し出している。
︵本日の生贄入手!︶
レオナールは、アランの方を向いて、ウィンクした。
◇◇◇◇◇
一行の目の前には、魔法陣があった。
<i118476|3534>
﹁⋮⋮なるほど﹂
じっと注視していたアランが呟く。
﹁解読できそう?﹂
レオナールが尋ねる。
169
﹁中央の渦巻きのような文様は﹃混沌神・オルレース﹄のシンボル、
真上の古代魔法文字は﹃印﹄。
ここが最初の文字だ。垂直の位置にある、4文字目は﹃場所﹄を
意味し、真下の7文字目は﹃転移﹄、場所の反対側の10文字目は
﹃命ずる﹄という意味だ。その他の文字は、細かい制御や、位置に
ついて記している。
﹃印﹄と﹃命ずる﹄の間の11文字目と12文字目は、ここで終
了という意味の定型だな。たいていの魔法陣に、これが記されてい
る。
これがついてないものは、常時発動型。一度起動したら、起動し
っぱなしというやつだ。最悪なやつは起動中、周囲の自然物や生物
から無差別・無制限に魔力を吸収するから、周囲に存在する生命体
はほぼ死滅する。絶対触れてはならない危険な魔法陣だな﹂
﹁何、それ、ひっどいわねぇ。そんなの描くのって、相当頭おかし
いわね!﹂
レオナールがそう言って、肩をすくめた。アランは苦笑した。
﹁⋮⋮まぁ、たぶん最初に描いた者は、単なる誤りだったんだろう。
でなければ、他に描きたい文字があって、詰める代わりに最後の2
文字を省略したら、自爆技になったとかいうオチなんじゃないか。
で、この魔法陣の場合、2文字目と3文字目で、この魔法陣の識
別名を付けている。これと対になる魔法陣は、この箇所が同じにな
っているはずだ。
5文字目と6文字目は位置の指定だな。これも、対となる魔法陣
には、同じ文字が描かれているだろう。
ちなみに、転移陣の場合、対になる魔法陣がないと、転移場所が
ないので、未来永劫、亜空を漂う事になる。
よって、知らない転移陣に足を踏み入れるのは、非常に危険だ。
170
術者が対のつもりで描いていても、誤字があったら対だとは見なさ
れないからな﹂
アランがそう言うと、三人とも嫌そうな顔になった。
﹁それはなんとも⋮⋮いや、無事に転移できて、本当に良かった﹂
オーロンが苦笑いで、頷いた。
﹁だが、8文字目と9文字目は初見だな。意味は不明だ。とりあえ
ず書き取って、後日調べる。ここには資料も辞書もないからな。
よって、この魔法陣を利用する事はあまりお勧めしない。無事転
移できた、という事は他の箇所は正しい記述だったのかもしれない
が、知らない信用できない魔法陣は、可能な限り利用しないのが吉
だ。どういう効果があるか、わからないからな﹂
アランが断言すると、オーロンとダットが微妙な表情になる。レ
オナールはくすくす笑った。
﹁そうよね、すぐには効果がなくても、後日、何か異常が起きたら
恐いものね﹂
レオナールの言葉に、オーロンとダットの顔色が若干悪くなる。
レオナールはわざと煽っているが、アランは素である。
ショートカット
﹁ダンジョン内を近道できるのなら便利だと思ったんだが、さすが
によくわからない魔法陣を踏む勇気はないな。確実に行こう﹂
﹁そうね。じゃ、アランの探究心も無事満たせた事だし、早く昨日
の続きと行きましょ﹂
171
レオナールは嬉しそうに笑った。
﹁今日は偵察役も盾役もいるし、探索中は楽できそうね。戦闘だけ
に集中できるわ。いっぱい敵が出てくれば良いのに。五十匹くらい
出ても良いわね!﹂
﹁勘弁してくれ﹂
アランはぼやいた。
◇◇◇◇◇
昨日と同じ経路で、地階へ降り、洞窟へ向かった。
﹁ねぇ、アラン。あなた昨日、隠し通路はないとか言ってたわよね
?﹂
﹁ああ、言ったな﹂
﹁ちょっと、そこの壁、壊してくれないかしら?﹂
﹁は?﹂
アランはきょとんとした。
﹁どういう意味だ?﹂
172
﹁私の直感が、そこの壁を壊せって言ってるの。この中で一番火力
大きいのは、アランでしょ? 大丈夫、これだけ人数いるんだから、
多少魔力の無駄遣いしても問題ないわ!﹂
﹁⋮⋮何だよ、思いつきかよ。何もなかったら、どうすんだ﹂
﹁大丈夫! 何もない事はないわ﹂
レオナールがやけに自信たっぷりに断言する。
﹁ふむ、昨日は気付かなかったが、確かにそちらの壁にある割れ目
から風が吹き込んでいるな﹂
オーロンの言葉に、アランが慌てて壁に飛びつくように走り寄り、
手を触れる。
﹁⋮⋮本当だ﹂
呆然と呟くアランの肩を、レオナールがポンと叩く。
﹁ねっ? だから壁壊してよ﹂
﹁いや、でも、玄武岩だぞ? 硬くて耐火性能高くて、壊しにくい
んだぞ?﹂
﹁アランなら出来る! ほら、割れ目があるなら壊しやすいでしょ
? 行け!﹂
﹁お前、他人事だと思って﹂
173
アランは溜息をついた。しかし、昨日歩いた距離を思えば、近道
できるに越した事はない。諦めて、深呼吸して息を整える。それか
ら、岩壁から距離を取る。
﹁離れてくれ﹂
そう告げて、全員が更に距離を取ったのを確認し、詠唱を開始す
る。
﹁地精霊グレオシスの祝福を受けし硬き岩の砲撃、標的を貫き、砕
け。︽岩の砲弾︾﹂
先程、指で確認した割れ目を標的にして、︽岩の砲弾︾を発動す
る。洞窟中に響き渡るような轟音が響き渡り、床や壁が振動する。
ぐらりとよろめきかけたアランを、素早く駆け寄ったレオナールが
支えた。
﹁本当、ひ弱ね﹂
﹁⋮⋮っ、だから、魔術師に身体能力を期待するな。でも、有り難
う、レオ﹂
﹁アランが怪我したら、後が面倒だもの。フォローするのは当然で
しょ﹂
狙った壁は、無事破壊され、新しく道が繋がった。
﹁確かに、壁の奥にも通路があるようだな﹂
﹁言った通りでしょ?﹂
174
自慢げな顔でニヤリと笑うレオナール。アランは苦笑した。
﹁じゃ、行きましょ!﹂
レオナールはそこらに転がる岩の破片を苦にせず、軽い足取りで
先に進む。アランは足下の悪さに閉口しつつ、ゆっくりと歩く。ダ
ットは、と言えば、
﹁オーロン、ちょっと、肩に乗っても良い?﹂
﹁何?﹂
オーロンは目を丸くするが、ダットに頼られたのが嬉しかったの
か、快諾した。ダットの方からすれば、単に楽したかっただけだっ
たのだが、この気のいいドワーフにとって、人に頼られるという事
は喜ぶべき事のようである。
︵なんか世知辛いな︶
それをぼんやり眺めて、アランは心の中で呟いた。手を触れると
グラリと揺れる岩の間を抜けて、ゴツゴツしているが平坦な通路に
出ると、ホッとして安堵の息をつく。
﹁⋮⋮来るわよ﹂
レオナールの声に、アランはビクリと肩を振るわせ、気を引き締
める。
﹁あれだけの轟音だもんな。失敗したか﹂
175
舌打ちしつつ、杖を構える。
﹁あれ? なんかずいぶん多くない?﹂
ダットが頓狂な声を上げる。
﹁ふむ、魔物どもの待機所が近くにあったのかもな﹂
頷くオーロン。
﹁わぁ、ステキ! 五十匹とは言わないけど、結構な数よ。ガンガ
ン行けるわね﹂
嬉しそうにレオナールが舌なめずりしながら抜刀し、駆け出した。
﹁おい、レオ!! こういう時は牽制か、眠りか束縛の魔法の方が
⋮⋮って聞いちゃいねぇ!﹂
アランは呻いた。数十匹のゴブリン・コボルト混成グループが現
れた。嬉々として飛び込み、剣を大きく横に薙ぐレオナール。オー
バトルアクス
ロンの肩からダットが飛び降り、弓を構える。オーロンは前に出て、
戦斧を構えた。
ダットが矢をつがえるのを見て、アランも詠唱を開始する。既に
レオナールが接敵して、群れの真っ只中で剣を振るっているので、
︽鈍足︾を選択する。
︵俺の範囲魔法が上達しない原因の一つは、絶対レオだよな︶
176
心の中でぼやきながら。
177
11 魔法陣︵挿絵あり︶︵後書き︶
予定より長くなったので、当初書くつもりだったシーンは次回へ回
す事にしました。
次回、戦闘シーン複数回あり、な予定。
以下を修正
×げえっと
○入手
×げっと
○入手
×未来永劫開
○未来永劫、
178
12 レッドドラゴン︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
179
12 レッドドラゴン
最初に遭遇した時点ではゴブリンとコボルトが半々くらいで、計
二十数体だった。コボルトはすべて装備なしの素手で爪や噛みつき
などの攻撃、ゴブリンは全て装備ありで杖持ちの魔術師なども混じ
っているようだ。
レオナールの先制により、コボルト3匹が戦闘不能、ゴブリン2
体が軽傷。次いでダットが放った矢により杖持ちゴブリン1体が戦
闘不能、弓持ちゴブリン1体が肩を負傷し動きが鈍くなる。
オーロンが雄叫びを上げて、まだ攻撃を受けてない敵や軽傷の敵
を引き付け、アランの︽鈍足︾が発動して十数体の動きが鈍くなっ
た。
そこへ新たなゴブリン6体が到着。レオナールが叫びながら突撃、
牽制する。だが、更に後方に10体のゴブリンのグループが三々五
々と走って来るのが見える。
︵どれだけ来るんだよ︶
アランは心の中でぼやく。アランは新手の十体の進路を予想し、
そこを標的に︽炎の壁︾の詠唱を開始する。
ダットは最初に来ていた後衛のゴブリンを引き続き連続で攻撃、
内3体を攻撃不能または行動不能にさせた。
オーロンは近付こうとするコボルト達を蹂躙、牽制し、4体をほ
ふった。
レオナールが躍るような軽い足取りで駆けながら、続けざまに2
体のゴブリンの腹を切り上げ、切り下して、行動不能にする。
180
ダットが速射でゴブリン3体の眉間を射抜いて倒したところで、
バトルアクス
アランの≪炎の壁≫が発動。新手の10体の内、8体が炎の壁に飲
まれ、2体が逃れた。
オーロンが振り回す戦斧は、その刃に触れたコボルト達を次々に
跳ね飛ばし、4匹が痙攣して動かなくなった。
アランが残りの新手のゴブリン2体を倒すべく、≪炎の旋風≫の
詠唱を開始。
ダットがゴブリン3体の頭部を次々に居抜き、レオナールがゴブ
リン3体の首や肩、胸などを斬り付けて倒し、更に1体の背後に回
って背中に斬り付け、顔を上げると、険しい表情になる。
﹁アラン! 後ろ!!﹂
アランが詠唱を中断して背後を振り返ると、コボルト8匹が瓦礫
を掻き分け、こちらへ来ようとしている。
﹁⋮⋮マジかよ﹂
舌打ちするが、前方の敵││ゴブリン5体、コボルト1匹││は
数は少なくなったが、距離はそれほどない。
アラン以外の3人ならば、攻撃を食らってもたいした事はないが、
アランは攻撃が少しかすっただけでも結構なダメージになる上、詠
唱も妨げられる。
今なら後方の敵に︽炎の矢︾一発分くらいなら詠唱・発動できる
が、その後に距離を詰められたら、逃げられなくなる。
焦るアランの前に、残りのコボルト1匹を倒したオーロンが踊り
出る。ダットも武器を弓からダガーに切り替えて、ダッシュした。
181
二人の姿を目にして、ようやくアランは冷静になった。舌打ちし
て、︽鈍足︾の詠唱を始めた。
バトルアクス
オーロンが、ようやく障害物のない場所へ抜けて来た先頭のコボ
ルト2匹を、雄叫びを上げつつ豪快に振るった戦斧で跳ね飛ばす。
ダットはゴロゴロ転がる岩の残骸を盾にして、コボルト達の死角、
特に腕や足下を狙って、一撃を加えては逃げる事の繰り返しで、徐
々にダメージを与えて行く。
アランの︽鈍足︾が発動し、コボルト達の動きが悪くなる。ここ
ぞとばかりにラッシュをかけるオーロンと、首を狙って攻撃を仕掛
けるダット。
その間にレオナールが、残りのゴブリン5体を倒し、行動不能に
なっている敵にとどめを刺して、応援に駆けつける。︽炎の矢︾の
詠唱を始めたアランの脇を走り過ぎ、低く身体を屈めた次の瞬間、
飛び上がった。
﹁これでラストぉおっ!!﹂
レオナールが右に、左に、スイッチしながら、剣を薙ぎ、最後の
2匹を斬り飛ばし、剣を高く掲げてハイテンションで大きく叫んだ。
﹁⋮⋮おい﹂
アランが、白い目でレオナールを睨んだが、レオナールは剣を掲
げたまま、笑顔でウィンクした。
﹁全部でゴブリン28、コボルト20、計48! 内、コボルト5
匹とゴブリン10体は私が倒したから、討伐数トップはこの私ね!
182
! 行動不能でとどめを刺した8体は計算に入れないであげたわ!﹂
﹁わざわざ数えてたのかよ﹂
呆れたようにアランが言うと、力強く頷くレオナール。
﹁危うくオーロンに超されそうだったから、思わず飛び込んじゃっ
たわ﹂
嬉しそうに言うレオナールに、オーロンは苦笑し、ダットは肩を
すくめた。
﹁お前、子供みたいな事すんなよ。危ないだろ、レオ﹂
アランがしかめ面で言うが、レオナールは気にしない。
﹁大丈夫、アランが私に魔法の制御ミスってぶつけたりしなければ﹂
﹁お前が射線に出て来たり、無闇矢鱈と突撃しなけりゃ、俺だって
そうそうやらかさねぇよ﹂
ムッとした顔でアランは言い返した。
﹁まぁ、それはともかく、他に敵がいないか確認して、さっさと移
動しましょう﹂
レオナールは大仰に肩をすくめて言った。
◇◇◇◇◇
183
周囲に残党または新手がいないか、4人で手分けして確認したが、
問題なさそうだとわかったので、先に進む事にした。暫く進むと、
十字路に出た。
﹁昨日見た十字路に似てるけど、違う場所みたいだ﹂
軽く伸びをしながら、ダットが言い、
﹁左の通路は奥に両開きの扉があるわ。右にも広めの空間があるみ
たいだけど、誰も何もいないみたい﹂
肩をすくめて、レオナールが言う。
﹁⋮⋮左には行きたくないな﹂
アランが言うと、レオナールがにっこり笑った。
﹁じゃ、左に行きましょ!﹂
﹁おい!﹂
レオナールを睨むアランを無視して、レオナールは足取り軽く左
に進む。
﹁⋮⋮良いのか?﹂
オーロンがアランに尋ねる。アランは首を左右に振って、溜息を
つく。
184
﹁嫌だと言ったら、レオが一人で行っちまうから仕方ない。あいつ、
俺が危険物発見器だと思ってやがる﹂
﹁﹃危険物発見器﹄?﹂
オーロンが怪訝な顔になる。アランは苦い顔になる。
﹁まぁ、先に進めばたぶんわかる﹂
そう告げて、レオナールの後を追う。オーロンは首を傾げ、ダッ
トは軽く肩をすくめ、それから連れ立って二人を追う。
﹁⋮⋮鍵が掛かってる﹂
扉の前で、むすっとしたように、レオナールが言って、アランを
見る。
﹁念のため魔力を温存したいから、︽解錠︾の呪文を唱える気はな
い﹂
フンと鼻を鳴らしてアランが言うと、レオナールの眉が上がった。
﹁じゃあ、力尽くでもぶっ壊す﹂
抜刀しようとするレオナールに、ダットがその腕に飛びつくよう
に、しがみつく。
﹁ちょっと待った! オイラが鍵を開けるから!! ったく、罠と
かあったらどうすんだよ。物理罠ならともかく、魔法罠だったら、
185
何が起こるかわからないんだよ?﹂
ダットが前に出て、扉の前でしゃがみ込む。ベルトから下げた袋
から鍵開け道具を取り出し、解錠作業を開始する。ダットの様子を
見ながら、オーロンは苦笑する。
﹁⋮⋮ずいぶん手慣れているな﹂
﹁そりゃまぁ、これが仕事だし?﹂
言いかけて、ダットはハッとして振り向いて、オーロンを軽く睨
む。
﹁気が散るから作業中に声掛けるのやめてくれる?﹂
この場にいる全員が﹁理由は違うだろうに﹂と思ったが、何も言
わずに、ダットの作業を見守った。カチャカチャと暫く音が続いた
が、ほどなく、カチャリと錠が降りる音がした。
﹁開いたよ。罠はないから、開けられる﹂
ダットはそう言って、両手で扉を押し開きかけ、隙間から見えた
光景に硬直し、思わず手を離した。同じ光景を見たアランが呻き、
オーロンが目を見開いた。
﹁なんてこった、レッドドラゴンだ。あの大きさならおそらくまだ
幼竜だろうが⋮⋮最悪だ﹂
アランが、絶望的な声と表情でそれを見上げ、苦しそうな声で低
く呟いた。
186
バトルアクス
ダットはぽかんと口を開けて硬直している。オーロンは戦斧を掲
げ、難しい表情になった。
しかし、そんな空気を読まず、レオナールが嬉しそうに叫ぶ。
おたから
﹁うふふ、やったぁ! 本日の獲物もーらいっ!!﹂
そしてレオナールは、半ば閉じかけている扉を押し開け全開にし
て、金髪を靡かせ満面の笑みを浮かべ、一人飛び込んだ。
﹁おっ、ちょっ、おま⋮⋮っ!﹂
慌てて三人が彼を捕まえようとするが、遅かった。かろうじてダ
ットとアランが彼の肩や腕に触れる事ができたが、彼らの筋力では
捕まえられなかった。
﹁ふざけんな、レオ!! 俺達の能力と装備で、ドラゴンなんか倒
せるはずないだろ! 早まるな!!﹂
アランは絶叫した。そして、一人で飛び込んで抜刀しかけたレオ
ナールがふと、幼竜の手前で立ち止まる。
﹁あら? あなた、動けないの?﹂
何を言ってるんだ、とアランは言おうとして、レオナールの見て
いるものに気付いて、扉を押さえたまま、立ち止まる。
オーロンがアランが押さえているのとは逆側の扉を押さえ、ダッ
トと共に、中へ入った。
レオナールは、その場で屈み、背嚢を下ろすと、中から昨日ここ
で入手した、カビかけの古い豆の入った麻袋を取り出した。
187
そして、袋の口を緩め、中の豆を幼竜の首が届く位置にざらざら
と床にこぼした。
﹁お腹空いてるんでしょ、好きなだけ食べて良いわ。空腹は辛いも
のね﹂
珍しく穏やかな笑みを浮かべて言うレオナール。幼竜の足には、
幾重にも鎖が巻き付き、その可動範囲を制限している。入り口付近
には来られないが、レオナールの屈んでいる場所は、幼竜が移動す
ればブレスや尻尾などで攻撃のできる場所である。
﹁⋮⋮おい、レオ⋮⋮﹂
アランは蒼白な顔で、レオナールに声を掛けた。幼竜がゆっくり
と鎖を引きずりながら二歩進み、舐めるように古豆をペロリと食べ
尽くし、更に催促するようにレオナールを見つめながら、小さく鳴
きながら首をクイクイと動かした。
レオナールがもう1袋の古豆を取り出すと、ざらざらとぶちまけ
た。それを更にがっついて食べる幼竜に、レオナールが苦笑する。
﹁大丈夫よ、誰も取ったりしないから、ゆっくり食べなさいな﹂
最後の豆を食べ終わり、意外とつぶらな瞳で、幼竜がじっとレオ
ナールを見る。
﹁豆はこれだけしかないわ。だけど、外にコボルトとゴブリンの死
体があるから、後で食べさせてあげる。それより、その鎖、痛そう
ね﹂
188
レオナールが言うと、幼竜は心持ち悲しそうな顔になって、かす
れるような小さな声で鳴く。小さく頷くと、レオナールは立ち上が
り、
﹁ちょっと待ってて。今、その鎖を斬ってあげる。ちょっと剣抜く
けど、あなたには当てないから恐がらないで﹂
そう言って二、三歩下がると抜刀し、
﹁はぁっ!!﹂
と、幼竜の足に巻かれた鎖目掛けて振り下ろす。慌てて駆け寄っ
たアランだが、幼竜は動かなかった。呆然と見つめるアランの前で、
じゃらりと音がして、鎖が落ちた。
レオナールがそれを外して誰もいない方へ投げると、幼竜の鼻面
をそっと撫でた。
﹁良い子ね。⋮⋮痛かったでしょ? 良く我慢してたわね﹂
にっこり笑うレオナールに、アランがおそるおそる声をかけた。
﹁⋮⋮おい、大丈夫なのか?﹂
レオナールは振り返り、にっこり笑った。
﹁この子、人間の言葉は喋れないみたいだけど、おとなしくて良い
子ね!﹂
レオナールの言葉にアランは複雑な表情になった。
189
﹁ぇ、ぅおい、レッドドラゴンって竜種の中でもかなり凶悪な部類
なんだぞ? 普通の成竜なら、交渉どころか会話も成立するかどう
か。
もし会話が出来たとしても、狡猾で凶悪で凶暴なんだ。幼竜の目
撃情報は聞いた事がないから知らないが⋮⋮﹂
﹁あなた、狡猾で凶悪で凶暴なの?﹂
レオナールが振り向いて、幼竜に尋ねる。幼竜は不思議そうに首
を傾げた。
﹁知らないってよ?﹂
レオナールがアランに言った。
﹁え? でも文献には⋮⋮﹂
﹁アランも実物見たのは初めてでしょ?﹂
﹁そりゃそうだが⋮⋮いや、本当にレッドドラゴンは危険で、人と
は相容れない生き物、のはずなんだが⋮⋮﹂
幼竜はもっと撫でろと言わんばかりに、レオナールの手に鼻を擦
り付ける。
﹁ふうん?﹂
そう言って、レオナールはよしよしとばかりに、幼竜の鼻を撫で
上げる。気持ち良さげに目を細める幼竜を見て、アランは呆然と呟
く。
190
﹁⋮⋮レッドドラゴンが手なずけられた?﹂
その様子を見て、オーロンとダットも武器をしまい、警戒を解い
て近付いて来る。
﹁ふむ、空腹時に食料を与えられて、主と認められた、というとこ
ろだろうか﹂
﹁竜を飼い慣らす話なんて、おとぎ話か遠い異国の話でしか聞いた
事ないね﹂
オーロンとダットの言葉に、アランが泣き出しそうな、困惑した
ような、怒っているような顔で、嘆くように叫んだ。
﹁なんだよ、それ!!﹂
絶叫するアランを迷惑そうに、レオナールと幼竜が見た。
﹁だって、だって、おとぎ話や伝説にも、名高い悪竜として知られ
るレッドドラゴンだぞ!?
善竜として有名なゴールドドラゴンやシルバードラゴンならとも
かく、なんでレッドドラゴンが餌を与えられたくらいでなつくんだ
!?
だって下手すりゃ家畜だってそっぽ向く状態の古豆だぞ! それ
をそのまま食べてなつくんだよ!! おかしいだろ!?﹂
﹁まぁ、そんな話は寡聞にして知らないが、目の前で見ていたから
な。信じるしかあるまい﹂
191
﹁だね。オイラも信じられないけど、見ちゃったしね﹂
頷くオーロンと、肩をすくめるダット。アランは不意にうずくま
り、拳で床を叩いた。
﹁⋮⋮ドラゴンなんか、なつかせてどうすんだよ!! だいたいこ
の大きさじゃ邸内通れないだろ!!
使用人通路狭すぎて、こいつ通れないだろ!? どうすんだよ!
! 得体の知れない魔法陣使って移動しろってか!?﹂
嘆くような顔と声で叫びながら、床を叩き続けるアランを、全員
が可哀想なものを見る目で、生暖かく見つめた。
192
12 レッドドラゴン︵後書き︶
思ったより書けませんでした。
戦闘シーン書いてて、何度か敵の数間違えて、数え直し、修正して
たせいもありますが。
冒頭シーンおよび今話の戦闘後の話は、私が実際、TRPGでやら
かしたプレイを元にしています。
いつも判定ミス多いくせに︵回数だけなら成功と半々︶、こういう
時だけ判定成功して、格上テイムでパーティー全員より強い竜をゲ
ット!したのでGMに嘆かれました。
以下修正
×背負い袋
○背嚢︵表記を統一︶
×げぇえっと
○もーらいっ
193
13 祭壇と少女
﹁本来ならば、レッドドラゴンは罠か番人代わりだったんだろうな
ぁ⋮⋮﹂
気を取り直したアランは、幼竜の足に巻かれていた鎖の先にあっ
たいくつかの歯車やレバーのある大きな装置を見て言った。
﹁混沌神のシンボルがここに描かれていて、5本あるレバーの内3
本を倒すと、ここに太陽、月、大地を意味する古代魔法文字が並ぶ。
たぶん日蝕を意味してるんだろうな。
この状態だと幼竜の鎖が短くなって、奥の部屋に進めるようにな
る。まぁ、この装置を作ったやつの意図は無駄になったが﹂
﹁どうでもいいから先へ進みましょうよ﹂
退屈そうにレオナールが言う。その隣に、レオナールの肩先に鼻
を擦り付け﹁きゅう﹂と鳴く幼竜。使役魔獣というよりは愛玩動物
のようだ。
アランはちょっと現実逃避したくなって天井を仰ぎ見た。
﹁⋮⋮ああ、いっそ幻覚だと思いたい⋮⋮﹂
﹁往生際が悪いわね﹂
レオナールが呆れたように言う。アランはふっと苦い笑みを浮か
べ、
194
﹁俺は面倒事は嫌いなんだ﹂
﹁諦めなさいよ﹂
ハン、と鼻先で笑うレオナール。アランは頭痛をこらえるような
顔で言う。
﹁仕方ないだろ、俺は小心者なんだ。こんな事になって、どんな報
告を上げたら良いんだよ。まともに書いたら、頭おかしくなったの
かとか、ホラふかしてやがるとか思われても仕方ないぞ?﹂
﹁大丈夫よ。百聞は一見にしかずって言うしね。見れば納得するで
しょ﹂
﹁危険な使役魔獣は立ち入り禁止とか言われて、追放されたらどう
すんだ﹂
﹁そしたら、ロランを離れて別の町に行けば良いじゃない。私たち
がロランを本拠地にしたのは、師匠が紹介してくれたのがロラン支
部だったからってだけじゃないの。他にこだわる事もないでしょう
?﹂
﹁⋮⋮ようやく顔を覚えて貰ったところだったのに﹂
アランは呻くように言ったが、レオナールは理解しがたいと言わ
んばかりの表情である。
﹁え? アランってば、そんなにロランの町を気に入ってたの?﹂
195
﹁別にそういうわけじゃないが、幼竜とは言え、レッドドラゴンを
受け入れてくれるようなところが何処にあるのかとか考えたら、も
のすごく頭が痛い。この大きさじゃ宿屋には泊めて貰えないだろう
しな⋮⋮﹂
アランは虚ろな瞳で、宙を見つめた。彼は本気で不安になって考
え込んでいるのだが、残念な事に、はたから見れば不気味としか見
えなかった。
﹁大きめの家か倉庫でも借りれば良いんじゃない? たぶん倉庫な
らいけると思うわよ。っていうか、なんで今からそんな事考えてる
のかサッパリ理解できないわ﹂
﹁レオ、お前⋮⋮今の内に考えておかなきゃ、どうすんだよ? そ
れに食費の問題だってあるからな。俺達の稼ぎでドラゴンなんか飼
えるのか?﹂
﹁食料なら問題ないじゃない。私たちは冒険者なんだから、自給自
足すれば良いでしょ。討伐系の依頼なら、討伐証明部位以外を売却
するか否かは自由だから、一石二鳥だしね﹂
レオナールがにっこり笑って言う。
﹁ああ、この子のおかげで、これからいっぱい心行くまで剣を振り
回せそうね!﹂
﹁⋮⋮どうせお前はそういうやつだよ﹂
アランはガックリと肩を落とした。
196
﹁でも、こんなところで考え込んでいても仕方ないでしょ? 気持
ち切り替えて、さっさと先に進みましょうよ。余計な事考えてたら、
失敗の元よ﹂
オーロンはレオナールとアランのやり取りを無言で見守り、ダッ
トは退屈そうに、部屋の奥の扉の前でしゃがみ込んでいる。
﹁とりあえず、罠はなさそうだよ。鍵もかかってなさそう﹂
つまらなさそうに、ダットが言う。
﹁ほら! いつまでもウジウジしないの!! 男の子でしょ?﹂
﹁⋮⋮くそ、レオのくせにお袋みたいな事言いやがって﹂
ぼやきながらも、アランはレオナールに促されるまま、ノロノロ
と歩いた。
﹁あ、ところでアラン﹂
﹁なんだ?﹂
アランは嫌そうに、レオナールを見た。
﹁嫌な予感は、まだしてる?﹂
嬉しそうなレオナールの言葉に、アランが無表情になった。
﹁してるのね! という事はこの先に何か大物がいるのね!! ド
ラゴンよりも脅威になる魔物って何かしら。楽しみね!﹂
197
レオナールは、ウキウキと奥へ向かう両開きの扉を押し開けた。
﹁ドラゴン以上の脅威⋮⋮?﹂
ハルバード
オーロンの呟きが漏れた時には、既に扉は開かれていた。そこに
鎮座していたのは、銀色に輝く槍斧を握る巨人││ゴーレム││だ
った。
﹁⋮⋮ちょっ⋮⋮!﹂
バトルアクス
ダットがおびえの混じった驚愕の声を上げる。オーロンが慌てて
戦斧を構え、レオナールの後を追うよう走った。憂鬱そうに、アラ
ンが杖を構える。ヨタヨタとぎこちない動きで、幼竜が続く。
﹁あー、ゴーレムかぁ。ちょっと相性悪くて苦手なのよねぇ。でも
まぁ、思いっきり斬りまくれるってところは魅力よね!﹂
レオナールが舌なめずりしそうな顔で抜刀し、突撃する。銀色の
ハルバード
巨人の左膝あたりに、ガツンと当たった剣が弾かれ、咄嗟にレオナ
ールは飛び退いた。
大きく振りかぶられた、人の顔と同じくらいの大きさの槍斧の刃
が、先程までレオナールがいた場所を通り過ぎる。
﹁動きは遅いみたいだけど、硬いわね。アラン、牽制するから、何
か魔法使って!﹂
アランは溜息ついて、頷く。
﹁了解﹂
198
諦念の表情である。オーロンはちょっと悩むような顔をしたが、
レオナールとは逆側から斧を振るう事にした。ダットは弓を構える
事もなく、後方で戦闘を見ている。
﹁特にやる事もないし、他に敵が来ないか、索敵だけしとけば良い
よね﹂
他人事のように言うダットの声を聞いて、眉間に皺を寄せながら、
アランは︽炎の壁︾の詠唱を開始する。
ヨタヨタと歩く幼竜がようやくレオナールの元にたどり着き、﹁
きゅう﹂と鳴いたかと思いきや、おもむろにグルリと回って、尻尾
でゴーレムの左足を攻撃した。レオナールはちょっと驚いた顔で、
ジャンプして幼竜の尻尾を避け、その直後、鈍い轟音と共に転倒す
るゴーレムに、軽く目を見開いた。
﹁あら、ラッキー。手伝ってくれて有り難う﹂
ハルバード
レオナールは幼竜にウィンクして、ガンガンと左膝を集中してバ
スタードソードを繰り返し叩きつけ始める。
ゴーレムは起き上がろうと身もだえしているが、右手の槍斧を手
放す事なく、左手を床につくような事もないので、起き上がれずに
いるようだ。
アランの額に冷や汗が流れる。ダットが口笛を吹いた。オーロン
は今の内とばかりに、右肩の付け根あたりを斧でガッツンガッツン
殴りつける。集中攻撃している箇所に、少しずつだがひびが入り始
めている。
199
幼竜がジャンプして、ゴーレムの腹の上に乗る。そして、そこで
短い足をよたつかせながら、タップダンスもどきを踊り始める。
﹁ぶほっ﹂
ダットが思わず吹き出した。たぶん、あれで攻撃しているつもり
なのだろう。時折尻尾もバシンバシン上下に振って叩き付けたり、
ジャンプしたりしている。レオナールとオーロンは気にせず攻撃し
続けている。
アランの眉間の皺が深くなったが、ようやく詠唱が終了する。杖
を持っているのとは逆の左手で拳を作り、高く掲げた。
﹁あなた、ちょっと、そこを離れてこっち来なさい﹂
レオナールが幼竜に手招きして、後ろに下がる。オーロンも慌て
て距離を取る。全員離れた事を確認したアランが魔法を発動させる。
﹁︽炎の壁︾﹂
途端に、ゴーレムが炎に包まれる。物言わぬゴーレムは無言でじ
たばたと手足を動いて藻掻いていたが、だんだんと動きが悪く小さ
くなっていく。追加の魔法がいるか、と次の詠唱の準備をするか迷
っていたアランだったが、その様子を見て、杖を下ろした。
﹁アラン、有り難う、感謝してるわ!﹂
レオナールが満面の笑みで言い、
﹁⋮⋮そりゃどうも﹂
200
仏頂面でアランが答える。
﹁あなたも有り難う。お手柄よ﹂
レオナールは幼竜を撫でて言う。
﹁きゅうきゅう﹂
ご機嫌そうに幼竜が鳴く。
﹁さすが魔術師だな、アラン殿﹂
オーロンが笑顔で言う。
﹁ゴーレム相手にこんな楽な戦闘したのは初めてだ﹂
頷くオーロンに、頭の後ろで両腕を組んだダットが、不思議そう
に尋ねる。
﹁え、旦那はゴーレムと戦った事があるの?﹂
﹁うむ。里の坑道で古いゴーレムをうっかり掘り当ててな。あの時
は、ここで死ぬのかと思ったものだ。一緒にいた弟が里の戦士を応
援に連れて来てくれたので、なんとか助かったが。わしが里を出て
旅に出ようと思ったのも、それが理由の一つだ。あのようにゴーレ
ムが出ても、足手まといではなく、ちゃんとした戦力となりたい、
と思ったのでな﹂
オーロンは頷いた。
201
﹁⋮⋮ゴーレムって、掘り当てる事があるんだ﹂
ダットは顔をしかめた。
﹁まぁ、古代王国のものか、誰か故人の廃棄物だろうな﹂
オーロンは苦笑した。
﹁先にも後にも、わしの里でゴーレムを掘り当てたのはわしだけだ
という話だ。まぁ、そうそう出て貰っても困るが﹂
﹁普通の人間の村なら下手すりゃ全滅するね﹂
魔法の炎が消えた時には、熔解した金属の塊がいくつか残ってい
た。
﹁ふむ、これはミスリルの合金だな﹂
オーロンの言葉に、レオナールの目がギラリと光った。
﹁何? じゃあ、売れるの、これ?﹂
﹁まぁ、多少混じり物はあるようだが、鍛冶屋では欲しがるかもし
れんな。まだ熱そうだから、冷えたらいくつか持ち帰れば良かろう﹂
オーロンが頷くと、レオナールが満面の笑みを浮かべた。
﹁ふふ、今回はこれが一番の収益になりそうね﹂
202
アランとて金銭は嫌いではない。今後の事を考えれば、いくら金
があっても困ることは無い。
竜の餌代やその養育にかかる費用の事など考えたくもなかったが、
レオナールがそれを真面目に考えるはずはないので、アランの担当
になるだろう。
﹁⋮⋮いかん、頭痛がしてきた﹂
額を押さえて呻くアランの肩を、ダットとオーロンがぽん、と叩
いた。アランが顔を上げると、二人がタイミング良く揃って、﹁頑
張れ﹂と言わんばかりに親指を立てた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁なんて顔してるのよ、アラン﹂
怪訝そうにレオナールが言う。ちょっぴり涙目で、僻み口調でア
ランが答える。
﹁お前、本当、いい性格してるよな﹂
﹁そうね。私ってば、本当いい性格で、最高に素晴らしいわよね。
だからひざまずいて、称え崇めても良いのよ?﹂
﹁羨ましくないけど、羨ましい性格してるよ。厭味が通じないあた
りが、最高だよな﹂
アランは言った。
203
◇◇◇◇◇
部屋の左右に同じような扉のついた部屋がある。右の部屋は無人
だった。大きなテーブルと椅子があり、書棚やベッドなどがあり、
また床には、先に見た魔法陣とは微妙に別の記述の魔法陣が描かれ
ていた。
5、6、8、9文字目が異なる。5・6文字目は場所の名前の指
定であり、8・9文字目はアランの知識にあるものだった。
﹁現代標準語に訳せば、﹃混沌神オルレースの加護の下、識別名︽
麦の里︾、場所名︽研究室︾より、対象物または人を欠ける事無く、
指定の位置への転移を命ずる﹄だな﹂
アランの言葉に、オーロンが顔をしかめた。
﹁すまん、アラン殿。その、﹃対象を欠ける事無く、指定の位置へ
の﹄というのが、8・9文字目の意味でよろしいか?﹂
オーロンが言うと、アランは頷いた。
﹁ああ、その通りだ。ごく一般的な転移用の魔法陣には必ずと言っ
て記述される定型だな。これがない魔法陣は、利用すると何が起こ
るかわからなくて恐いから、俺はなるべく利用したくないな﹂
悪気はないが、良い笑顔で言われて、オーロンは苦い顔になった。
﹁その、例の魔法陣の意味がわかったら、どうか教えて貰えないだ
ろうか﹂
204
﹁ああ、そう言えば、二人はあの魔法陣を使ったんだよな。何処に
連絡すれば良いか教えて貰えれば、そうしよう﹂
アランは頷いた。
﹁しかし、書棚はあるけど空っぽとか。机もベッドも使った形跡は
あるから、今はいないけど、以前に誰かがここにいた事は確かだな。
放棄されたのか、それとも単に留守なのかわからないが、確実に
言えるのは、人間、またはそれくらいの大きさの何かが、ここに暫
く滞在していた、という事だな﹂
﹁この魔法陣が何処へ繋がっているのか、確認しなくても良いのか
?﹂
オーロンが尋ねる。
﹁俺はしたくないな。無闇に乗って、正体もわからない敵の真ん前
なんかに出たら恐すぎる。俺達が受けた依頼は調査だ。ここまで調
べれば、後はギルドや依頼者が判断するんじゃないかな﹂
アランは首を振った。
﹁大変だ! 旦那!! 黒の兄さん!!﹂
ダットが駆け込んで来た。
﹁どうした?﹂
オーロンとアランが振り返ると、蒼白な顔のダットが、
205
﹁とにかく来てくれよ!!﹂
とオーロンの腕を引いて駆け出した。後に残されたアランは首を
傾げなが
ら、二人についていく。向かう先は、ゴーレムのいた部屋の左手の
部屋である。
その部屋の中央には巨大な祭壇があり、そこには少女が横たわっ
ていた。それをレオナールと幼竜が両脇から覗き込んでいる。そこ
へ、三人が到着した。
﹁どうなっている?﹂
アランが険しい表情で、レオナールに尋ねる。
﹁眠っているだけ、に見えるわね﹂
レオナールは普段通りの顔で言った。そこに横たわる少女の髪は
真っ白であり、肌も青白く感じられるほどに白い。
着ている服も、金の刺繍がされているものの純白のローブであり、
彼らが持ち込んだ灯りがなければ真っ暗闇の洞窟の一室、大理石で
作られたと思われる硬い祭壇の上で、彼女がすやすやと寝ている様
は、異様だった。
レオナールがそっと、左手を少女の口元に近付ける。
﹁呼吸はしてるし、脈拍もある。場所はおかしいけど、それ以外は
問題なさそうね。アラン、この子、魔法か何かで眠らされてるのか
しら?﹂
レオナールが首を傾げて尋ねた。
206
﹁俺は神官じゃないから、治療とか診察はできないんだが﹂
アランはそう言い、しかし、念のため少女に近付き、様子を観察
する。
﹁⋮⋮呪いや魔法の眠りや毒の気配はない、と思う。専門じゃない
から、間違ってるかもしれないが。とりあえず、彼女が普通の人間
だとしたら、保護するべき、なんだろうな﹂
アランはしぶい顔で言う。
﹁まぁ、仮に保護したとしても、私たちじゃその後の責任は持てな
いわよね﹂
レオナールが言った。
﹁ふむ。だが、このままにしておくわけにはいかんだろうな﹂
オーロンが頷く。
﹁じゃあ、どうするの?﹂
ダットが聞く。
﹁とりあえず、オルト村まで運ぼう。わしが抱いて運ぶ事にしよう﹂
オーロンの言葉に他の三人が首肯した。
207
13 祭壇と少女︵後書き︶
たぶん次か、そのまた次くらいで1章完結するはず、です。
残りは後始末編的な感じですが。
以下を修正しました。
×ちょっと相性苦手なのよねぇ
○ちょっと相性悪くて苦手なのよねぇ
208
14 不運な魔術師はグッタリしている︵前書き︶
戦闘・残酷な描写があります。※グロ注意
209
14 不運な魔術師はグッタリしている
ゴーレムの出現した部屋で、拾える限りのミスリル合金を手分け
して拾うと、帰りは十字路を直進した。広間││ドーム状の広い空
間││にある中央の魔法陣を見て、アランは顔をしかめた。
﹁二階の主寝室の居間にあった魔法陣と全く同じものだな﹂
﹁じゃあ、なんでこっち来た時に、起動しなかったんだろ?﹂
ダットが首を傾げる。
﹁⋮⋮なんかすごく嫌な予感がするな﹂
アランが顔をしかめて言うと、
﹁え、本当? じゃ、早速上に乗りましょ!﹂
レオナールが嬉しそうに言った。
﹁あのな、﹂
アランがレオナールを振り返ると、何故かレオナールは両手を突
き出した状態で、間近にいた。
﹁なっ⋮⋮!?﹂
ドン、と突き飛ばされ、アランは魔法陣の上に転がった。途端に、
210
魔力が吸収され、魔法陣がドームの天井まで照らし出すほど強く青
白く輝き、アランを転送した。
﹁じゃ、私も行くわ。あなたも来るのよ﹂
レオナールが嬉々として、幼竜と共に、魔法陣の上に足を乗せた。
幼竜は片足分しか乗せられなかったが、魔法陣が光り、一人と一匹
の姿は消えた。
ダットとオーロンは顔を見合わせ、先にダットが乗り、次にオー
ロンが乗った。
◇◇◇◇◇
レオナールが幼竜と共に、転移した時、魔法陣のすぐそばでアラ
ンが四つん這いでうずくまっていた。
レオナールは気にせず魔法陣の上から退き、幼竜を招き寄せる。
また、魔法陣が青白く輝きダットが現れ、ダットが退くと、光と共
にオーロンが現れた。
﹁ねぇ、アラン。いつまでうずくまってるの?﹂
﹁⋮⋮この、魔法陣、の、意味、が、わ、かった﹂
アランが呻くように、苦しそうに息を切らしながら、言った。き
ょとんとするレオナールに、アランが腹から絞り出すような、恨み
がましい声で、途切れ途切れに言う。
﹁魔力、を、吸収、する、んだ。しか、も、無制限、に、上限、を、
211
定め、ず、死な、ない、程、度に、限界、ま、で⋮⋮﹂
ぜいぜい、と荒い息で、ノロノロと顔を上げ、アランがレオナー
ルを睨みつける。
﹁魔術師、殺、し、だ、な。魔力、の、少ない、やつ、は、あまり、
影響、が、ない、が⋮⋮﹂
﹁なるほど。多いと、一気に魔力が吸われて、アランみたいな状態
になる、というわけね。つまんないの﹂
苦しそうなアランを気の毒げに見ながらも、オーロンは安堵した
表情になる。
﹁なるほど、オイラたちには問題ないってわけだね。金の兄さん、
可哀想だから背負ってあげたら? 自力で動けないみたいだし﹂
ダットが笑顔で言う。
﹁え∼っ?﹂
レオナールが不満そうな声を上げるが、
﹁くそ、誰、の、せい、だ、と、﹂
﹁あ∼、わかったわ。ねぇあなた、アランを背中に乗せる事ってで
きる?﹂
レオナールは幼竜に尋ねる。幼竜は、尻尾を揺らしながら頷いた。
212
﹁じゃ、お願いするわね﹂
そう言って、アランを幼竜の背中にしがみつくような格好で乗せ
た。しかし、アランは抵抗する気力も、幼竜に掴まるだけの体力も
ないようでグッタリとしている。
レオナールはそれを見て、背嚢からロープを取り出すと、アラン
を幼竜の背中に荷物のように、くくりつけた。
﹁これでよし﹂
にっこり笑うレオナールを、アランは批難するような目で見てい
るが、口を開く気力も体力もないようだ。
﹁もし敵が出たら私たち三人で対処しなくちゃね﹂
レオナールが言うと、オーロンが
﹁わしもこの少女を抱いているから、咄嗟に動ける自信があまりな
いのだが﹂
確かに少女とはいえ意識のない人間を抱えての戦闘は無理がある。
﹁じゃ、敵が出たら、基本私が対処して、ダットは護衛と索敵して
ちょうだい﹂
﹁わかった。この場合仕方ないよな。オイラも無事に帰りたいし﹂
そしてレオナールが廊下に出る扉を開くと、目の前にコボルト6
匹が待ち伏せていた。
213
﹁あ﹂
ダットが思わず声を上げた。レオナールはニヤリと笑って抜刀、
そのまま一番手前にいたコボルトに叩きつける。
頭を砕かれ崩れ落ちるコボルト。その背後にいたコボルト達が一
斉にレオナールに襲いかかろうとするが、避けられ逆に斬りつけら
れる。
腹や腕に切りつけられ動きが鈍くなると、その更に後ろにいた無
傷の2匹が、仲間の背後を回って、レオナールの左右から襲いかか
る。
レオナールは内1匹を足で払い、もう1匹を右手で握った剣で凪
ぎ払う。剣で凪ぎ払った方の敵の側面に回り、首を斬り捨てると、
足で払った方へとダッシュして、腹を斬る。
﹁がぁお﹂
幼竜が大きく口を開けて鳴き声を上げると、残りの4匹が脅えた
ようにクゥンと鳴いて、固まった。
レオナールは残りを手早く片付け、血払いをして鞘に納めた。
﹁有り難う﹂
レオナールは振り返って幼竜に礼を言ったが、どことなく不満げ
だ。幼竜はつぶらな瞳で何か期待するように、レオナールを見る。
﹁食べたいの?﹂
レオナールが尋ねると、ブンブンと首と尻尾を振る。
214
﹁⋮⋮うぐっ﹂
幼竜の背で揺らされたアランが、呻き声を上げた。
﹁アラン、頼むからそこで吐かないでよ?﹂
返事はなかったが、アランは何かを飲み込むような動作をした後、
グッタリした。
﹁なるべく背中を揺らさないように、尻尾も振らずにゆっくり食べ
るのよ、わかった? じゃないと背中が汚れる事になるわよ﹂
レオナールが言うと、幼竜はゆっくり頷き、ゆっくりとコボルト
達の死体を食べ始めた。
﹁そう言えば、レッドドラゴンは肉が好きで、特に人間や亜人の肉
を好むという伝承を聞いた事があるような﹂
オーロンがボソリと呟いた。
﹁ゴブリンやコボルトも魔物だけど、亜人みたいなものだから大好
物だったのね。今なら古豆なんかあげても見向きもしなさそうね。
どれだけお腹が空いてたのかしら?﹂
﹁それってオイラ達が餌になってた可能性もあるって事だよね?﹂
ダットの言葉に返事を返す者はない。幼竜の咀嚼音だけが辺りに
響く。
215
﹁あ、そうだ、レオナール殿。この幼竜に名前はつけぬのか?﹂
﹁この子の性別が良くわからないのよね。まぁ、どっちでもかまわ
ないけど、名前をつけるとしたら性別わかった方がつけやすいわよ
ね。どちらでも大丈夫そうな名前にしようかしら﹂
レオナールは幼竜の食事風景を楽しそうに見ながら言う。ダット
とオーロンは、そんな一人と一匹から目を逸らした状態で、口々に
言う。
﹁まぁ、ドラゴン本来の名前は人間には発音できないらしいから、
難しく考えなくても愛称みたいなものだと思えば良いしね﹂
﹁うむ、レオナール殿が呼びやすく愛着の持てる名なら何でも良い
のではないかとわしは思うぞ﹂
ルージュ
﹁じゃあ、赤。ルージュはどうかしら、あなたの名前﹂
レオナールが言うと、幼竜は顔を上げ、嬉しそうに尻尾を振って、
頷いた。
﹁背中に荷物がある時は必要以外はなるべく頭と尻尾を振らないよ
うにね。でも、気に入ってくれたなら良かったわ、ルージュ﹂
レオナールはにっこり笑った。
﹁⋮⋮気持ち悪い﹂
アランが呻いた。オーロンは無言で神に祈る仕草をし、ダットは
聞こえなかった振りをした。
216
﹁アラン、村に着くまで頑張ってね﹂
レオナールが声をかけると、アランの腕がだらりと力なく下がっ
た。
◇◇◇◇◇
廊下も階段も、時折軋むような音を立てたが、幼竜は問題なく通
る事ができた。さすがに使用人用通路の方は通れなかっただろうが。
玄関の扉も無事にくぐる事ができ、一行は外に出る事が出来た。
﹁なんか久々に太陽を見た気がするわ﹂
﹁今朝、来る途中で見たと思うけどね﹂
ダットが肩をすくめる。
﹁だが、今日はかなり戦闘をしたからな。汗を流したらゆっくりし
たい﹂
﹁それは同感﹂
オーロンの言葉にダットが頷いた。
﹁荷物を下ろしたら、また村の外に何か狩りに行こうかしら。何を
いくら狩っても、ルージュが食べてくれそうだから、問題なさそう
だし。魔獣ならいくら狩ってもすぐ増えるから大丈夫よね﹂
217
﹁金の兄さんは元気だな∼﹂
ダットが呆れたように言う。
﹁若いというのは羨ましいな﹂
オーロンが言うと、ダットは苦笑する。
﹁金の兄さんの場合、そういう問題じゃないような気が﹂
﹁ひとまず宿へ向かおう。幼竜は中に入るのは無理だと思うが、二
人を運ばねばな。アラン殿は魔力切れという事のようだからともか
く、この少女の診察をして貰えそうな心当たりがある﹂
﹁へぇ、こんな田舎に薬師や神官がいるんだ﹂
﹁薬師というか村の長老的な立場で薬にもそこそこ詳しい御仁と、
宿に滞在中の神官、ヴィクトール殿だ。ヴィクトール殿の方は、あ
ちらの都合を確認してになるが、以前会話した時の印象では、少々
研究熱心過ぎる点を除けば、真面目で話のわかる方だという印象だ
った﹂
オーロンの言葉に、ダットとレオナールが胡乱げな表情になった。
﹁なんか旦那の人物評はあんまり当てにならなさそう﹂
レオナールとアランも何も言わないが、同意見である。彼の目を
通せば、この世のほとんどの人間は好人物になるにちがいない。
なんとなくだが、オーロンは他人の悪意というものに鈍感に見え
218
る。本人にそれがない、あるいは理解が薄いために、相手の悪意で
すらプラス方向に解釈して、そのまま勘違いしそうだ、と三名は考
えている。
﹁そうか?﹂
不思議そうにオーロンが首を傾げる。
﹁それってずっと引きこもってるっていう男の事でしょ? だいた
い神官っていうけど、どこの神殿の神官よ﹂
﹁そういえば所属は詳しく聞かなかったな。なんでも王都リヴオー
ルから来たという話だが﹂
﹁話にならないわね。まぁ、別に私やアランが診てもらうわけじゃ
ないから、どうでもいいけど﹂
﹁どうでもいいのかよ! って思わずツッコんじゃった。まぁ、オ
イラも正直その女の子がどうなろうと関係ないから気にしないけど﹂
アランはまだ気力体力が回復していないので口を挟めなかったが、
内心﹁お前もかよ﹂と思っていた。そういうアランも自分に責任や
何かが被らないなら、どうでも良かったのでお互い様である。
﹁オーロン、あなたの責任でという条件なら、好きにすれば良いわ。
あの女の子が回復しようがしまいが、私たちには関係ないもの。た
だ、何かあった時の責任とかかぶるのは嫌。関わりたくないわ﹂
レオナールの言葉に深く溜息をつき、オーロンは頷いた。
219
﹁わかった。すべての責任はわしが引き受ける。おぬし達は好きに
すれば良かろう﹂
複雑な表情をしてはいるが言質は取れたので、レオナールはにっ
こり笑った。
﹁なら、全てお任せするわ﹂
そして彼らは、村人たちに遠巻きにされながら宿屋に着いた。
﹁すぐ戻るから、ちょっとここで待ってて﹂
レオナールが幼竜に言って、その背からアランを下ろし、中に入
ってしまう。オーロンもそれと前後するように少女を抱いてまた入
って行く。
﹁あれ?﹂
それらをぼんやり見ていたダットは気付く。おそるおそる振り返
ると、自分の鱗をペロペロ嘗めている幼竜と目が合った。
﹁ぎゃあお﹂
どこかユーモラスな鳴き声で、しかしダット一人くらいならパク
リと食べられそうな大きな口を開いた。中に鋭い牙と大きな舌が見
えた。
﹁ぎゃっ﹂
ダットは飛び上がり、慌てて飛びすさるとサッと身をひるがえし
220
て逃げた。幼竜はどこか笑うような顔でそれを見送ると、また身繕
いに戻った。
その様子を遠巻きに見た村人たちは、蜘蛛の子を蹴散らすような
勢いで散開した。
日暮れ前の数刻までに、レッドドラゴンの幼竜の存在は村中に広
まることになる。
221
14 不運な魔術師はグッタリしている︵後書き︶
アランは幼竜の背中にうつ伏せにくくりつけられました。南無。
アランの不運は大半がレオナールによる人災です。
以下を修正。また一部改行ミス修正。
×背負い袋
○背嚢︵表記を統一︶
×同意件
○同意見
×一週間以上
○ずっと
×抱いたまた
○抱いてまた
222
15 宿泊客はマイペース
レオナールはグッタリして動けないアランをベッドへ放り込むと、
﹁じゃ、私はあの子、ルージュと狩りに行って来るわ。その分じゃ
夕飯は食べられないでしょうから、お粥運んでくれるよう言ってお
くわね。お大事に∼﹂
と言って、部屋を出た。アランは布団の中で何か呪詛のような言
葉を吐いたが、レオナールはきれいに無視した。
階下に戻ると、宿の主人がすっ飛んで来る。
﹁あ、あああれはな、なんなんだ、いったい!! あんた達は何を
連れて来てんだっ!!﹂
すごい剣幕である。
﹁何って幼竜だけど﹂
﹁りゅ、竜でもトカゲでも何でもとにかく、よそから生きた魔獣や
魔物を連れて来て、繋ぎもせずに店の前に放置すんのは勘弁してく
れ!!
従魔なのか使役獣なのか、あんたの獲物なのか知らないが、こっ
ちはか弱い村人なんだ!!
冒険者ギルドなら、こんな事にも対処できるのかも知れないが、
こっちは荒事には全く心得がないんだから、二度とこんな真似はし
ないでくれ!!
223
でないと、あんた達は二度と宿には泊めない!!﹂
レオナールは自分だけなら幼竜を連れて村を出れば良いと思った
が、今はアランが動けない状態である。馬にくくりつけたとしても、
それほどスピードは出せないだろう。相方が落ちる心配しながらの
移動は面倒だ、と判断した。
﹁じゃあ、離れる時はこの子を厩にでも繋いでおけば良いのかしら
?﹂
﹁3メトル近い体高に加えて、体長5∼6メトルはありそうな生き
物を入れる事ができるもんか!﹂
﹁あら?﹂
﹁も、元いた場所へ返して来るとか、村の外ならかまわない。とに
かく早くなんとかしてくれ! 商売の邪魔だ!!﹂
レオナールはふっと気だるげな笑みを浮かべると、長い髪を掻き
上げた。
﹁とりあえず村の外へ出るわ。あと、連れがダウンしているから、
暇な時にでも良いから部屋に粥を運んでちょうだい。頼むわね?﹂
そう言って凄絶な色気を含んだ艶のある笑みを浮かべた。それを
見た宿の主人は、怯えた表情になり、及び腰になる。
﹁あ、ああ、わ、わかった! う、うちに迷惑か、かけてくれなき
ゃそれでいい!! す、好きにしてくれ!!﹂
224
﹁わかったわ。じゃあ、私たちは行くわね。後はよろしく﹂
そう言って、腰をくねらせながら幼竜と連れ立って村の出入口へ
向かって歩いて行く。
主人は、腰を抜かさんばかりの表情で、
﹁あ、あれが、噂に聞く⋮⋮⋮⋮ってやつか。初めて見た﹂
と小さく呟いて見送った。
レオナールにとって笑顔も威圧の手段の一つである。善良な村人
や町人を脅した、という事になればアランやギルドに文句言われる
羽目になるだろうが、これなら問題ないだろう、と考えている。
﹁これで平和的に解決できたわよね﹂
レオナールはにっこり笑いながら、幼竜に話しかけた。
幼竜は不思議そうに首を傾げた。
﹁きゅう?﹂
﹁さっ、気を取り直してあなたの晩御飯を狩りに行きましょう。お
腹いっぱい食べさせてあげるわね﹂
﹁きゅっきゅう!﹂
幼い竜は嬉しそうに尻尾を振りながら鳴いた。ご機嫌な一人と一
匹は軽い足取りで村の外へと出る。その間、村人たちはドン引きし
ていた。
225
﹁⋮⋮あれが伝説に聞く凶悪狂暴なレッドドラゴン⋮⋮﹂
﹁尻尾で道が削られて、でこぼこになってやがる。次の行商が来る
日までに整地しないと、下手すりゃ馬車の車輪がはまっちまう﹂
﹁母ちゃん、おっきなトカゲだ! あんなでっかいトカゲ初めて見
た!!﹂
﹁やめときな、あれは肉食で、子供なんかは大好物だ﹂
﹁え、え? おいらあのトカゲに食べられちゃう!?﹂
﹁トカゲに食べられたくなきゃいい子にして近付かないようにしな。
あのトカゲは成長すると人間の身長の何倍もの高さになるんだから。
人間なんてひと呑みさ﹂
﹁いったい、なんなんだい、あの金髪剣士﹂
﹁いやいや、あいつがやばくておっかねぇのは、初日で十分わかっ
ただろう。触らぬ神に祟りなし、だ﹂
﹁そんなことより仕事に戻るべ﹂
﹁そうだな、オレたちゃ明日のおまんまの心配だけで精一杯だ﹂
わいわいガヤガヤ騒ぎつつも、解散する村人たち。アランが見聞
きしていれば、頭痛を覚えただろう。レオナールは聞いても聞こえ
ない。フリではなく全く興味がないからである。
226
彼は、他人というのは好き勝手に言う生き物だ、と断じている。
故に、言いたいならば好きに言わせれば良いという考えである。ど
う振る舞おうと、何か弁解・抗弁しようと、結果的にはさほど変わ
らないだろうから、放置して気にしなければそれでいい、と思って
いる。
態度を改めるとか、周囲を気遣うと、言動を控えるとか、そうい
う発想は無いのである。
◇◇◇◇◇
﹁ヴィクトール殿はおられるか﹂
オーロンは白髪の少女を、自分の宿泊先のベッドに寝かせると、
神官の宿泊する部屋のドアをノックした。
﹁⋮⋮何だ﹂
相変わらずヨレヨレの神官服を着た、青白く隈の目立つ顔の、貧
相で不気味な容貌の男が細く開いた扉の隙間から、顔を覗かせた。
充血してショボショボになった翡翠の瞳を細めながら、ほう、と男
は息を吐く。
﹁オーロン殿か。して、例の少年は見つかったか?﹂
﹁ああ、コボルト共に襲われていたが、無事見つかった。それより、
ダンジョンで少女を保護をしたのだ。ヴィクトール殿の都合が良け
れば、どうか診ていただきたいのだが、構わないだろうか?﹂
227
﹁何? わかった。こちらは休憩にして、その少女を診察しよう。
研究より人命の方が大事だ。︽知識神リヴェルフェレス︾もご理解
いただけるだろう﹂
﹁おお、ヴィクトール殿はかの知識神を信奉しておられるのか。か
の神に仕える神官たちは、古代王国を含む全ての国々の知識・文化
への造詣が深く、なおかつ皆、勤勉で研究熱心だと聞く。一度お会
いしたいと思っていた﹂
﹁ふむ、そなたは、他の者と違って理解があるのだな。これまで、
僕は狂人扱いを受けた事はあれど、勤勉だと評された事はない。
おかげで家主に借家を追い出された。たった数ヶ月、家賃を滞納
しただけだと言うのに、頭の硬い事だ。こちらは金は払うと言って
いるのに、話も聞かない﹂
数ヶ月家賃を滞納したら、それも常習ならば、追い出されても仕
方ないのではなかろうか、とオーロンは思ったが、表には出さなか
った。
﹁では行こう﹂
そう言ってヴィクトールは黒革で作られた丈夫そうな薬包箱を手
に、部屋から出ようとする。
﹁そのまま行かれるのか?﹂
オーロンはボロボロで薄汚い、おそらくは何日も水浴びどころか
清拭もしていないと思われる神官に尋ねた。色あせ艶の無い銀髪は
薄汚れ、ほとんどねずみ色にしか見えない。
228
﹁うむ、持参した服はこれしかない﹂
それは問題ありすぎなのではなかろうか、とオーロンは思った。
﹁あの、失礼ながら、替えがないのは不便なのでは?﹂
﹁実家に帰ればあるのだが、面倒だ。着替える暇があれば研究をし
ていたい﹂
これは、変人扱いも狂人扱いも仕方ないのではないだろうか、と
さすがのオーロンも思ったが、彼が真摯で真面目で誠実な事は間違
いない。そう判断して、彼を自分の部屋へと案内する。
白髪の少女はまだ深く眠ったまま、目覚めない。その真っ白に輝
くような絹糸のように細く真っ直ぐでなめらかな髪が、生成りの麻
のシーツの上に広がり、陽光を浴びて、ところどころ僅かに輝きを
放っている。
﹁ふむ、僕の見るところ、これといった異常は見受けられないよう
だな。ずっとこの状態なのか?﹂
﹁うむ、ダンジョン奥の真っ暗な場所で、祭壇の上でこの状態のま
ま眠っていた。抱き上げて運んでも変わらぬ無反応だ。呼吸はして
いるようだが、身動き一つ、寝返りすらない﹂
﹁呪いにも、眠りの魔法にも、毒にもかかっていないようなのだが
⋮⋮確かにそれは異常だな。目覚めるまで待ったとして、そのまま
目覚めなかったとしたら、空恐ろしい﹂
﹁そうなのだ。それで、ヴィクトール殿にご足労願ったのだ。手遅
229
れになってからでは遅いのでな﹂
﹁⋮⋮ふむ、気付け薬でも嗅がせるか﹂
﹁お持ちなのか?﹂
﹁うむ、こんな身でも一応神官なので、時に診察や介抱を依頼され
る事もある。それなりに謝礼も貰えるので、仕事を探しに行かずと
も飯代くらいにはなる﹂
﹁なるほど。そう言えば、診察代はおいくらになりますかな?﹂
﹁僕は基本的に、治療費や診察代をいくらとは定めていない。相手
方の懐にもよるのでな。
僕に頼んで来る者はたいてい懐に余裕がない。貧しい者から搾取
して苦しめる趣味はない。払いたいだけ支払えば良いこと。
対価というものは、双方が納得できる形で支払うべきだ。後に禍
根が残るようでは、時間と労力をかけるだけ無駄ではないか﹂
真面目くさった顔で言う神官に、それは素晴らしいとオーロンは
頷いた。
﹁素晴らしいお心です。実に清貧で、慈悲深い。その、気付け薬は
おいくらですかな? その三倍の額を治療費としてお支払いする事
にいたしましょう﹂
﹁薬は僕が作ったものだ。金額はほぼゼロに近い﹂
ふむ、とオーロンは考えた。
230
﹁支払い云々は後だ。先に薬を嗅がせて、様子を見よう。これで起
きなければ、他の方法を探らねば﹂
﹁確かにそうですな。申し訳ない﹂
神官は箱の上蓋を取る前に、呪文を詠唱した。
﹁︽浄化︾﹂
神官が︽浄化︾を唱え発動すると、艶のなかったねずみ色の髪が、
月光を思わせるような見事な美しい銀髪に、薄汚れたヨレヨレの神
官服が洗い立てのように美しい状態へと変化する。
また、幽鬼のように見えた神官の顔が、華奢で整った儚げな顔立
ちの病弱そうな青年の憂いを帯びた顔へと変わる。あまりの変わり
ように目を剥くオーロンには気付かず、神官は箱の蓋を開け、中か
ら薬の入った瓶を取り出した。
﹁ちょっと強い臭いのする薬草をいくつか混ぜて調合している。慣
れない者は少し離れた方が良いだろう﹂
神官の言葉に、オーロンは慌てて距離を取った。それを確認する
と、少女の顔の近くで瓶の蓋を取った。
離れたオーロンの元にまでむわり、と刺激臭の強い薬の臭いが漂
ってきて、思わず顔をしかめた。
﹁!?﹂
白髪の少女が驚いたように、目を開き、飛び起きた。少女の瞳の
色は鮮血のような深紅である。
231
﹁××××っ!! ××××××××!? ××××××××××
×××××××××××!! ×××××××××!! ××××
×××××××××××××っ!!﹂
聞いた事のない言語だった。
﹁ふむ、これはおそらく古代魔法語だな。気付け薬を嗅がせた事を
怒っているらしい。よくわからないが、臭いについて抗議をしてい
るようだな。起き抜けにこれだけ元気ならば、診察も治療もいるま
い﹂
﹁そうか、助かった。考えたのだが、謝礼はこの宿の宿泊代一ヶ月
分という事でどうだろうか﹂
﹁うむ、それで構わない﹂
﹁では今、支払おう﹂
グランシェルテン
オーロンは財布を取り出した。この宿屋の一泊の宿泊料は大銅貨
セルラン
プテットセルラン
3枚である。一ヶ月は30日なので、大銅貨90枚だが、200枚
分の銀貨2枚と、小銀貨3枚││1枚辺りの価値は大銅貨10枚分
││を手渡した。
﹁多いようだが?﹂
﹁少ないが気持ちだ。それに、旅先で大銅貨を大量に渡されても困
るだろう。しかし、この村で銀貨を扱えるかわからないので、小銀
貨もつけた。行商は二ヶ月に一度しか来ないようだが、商人ならば
両替はできよう﹂
232
﹁そうか。心遣い感謝する﹂
そう言って、神官は薬瓶を箱に仕舞い、立ち去った。オーロンは
少女と向き合った。
﹁おぬし、身体は大丈夫か? 腹が減っているなら、粥でも運ばせ
よう﹂
﹁×××××××××××? ×××××?﹂
﹁ふむ、言葉が通じないようだな。それにしても、古代魔法語か。
アラン殿ならば何かわかるのかも知れぬが、今は当てにはできなよ
うだしな。とりあえず、粥でも作って貰おう﹂
オーロンは呟き、
﹁少し、待っていてくれ﹂
と告げて、部屋を出る。後には、怪訝な顔の少女が取り残された。
﹁××、×××××××××××﹂
不安そうに呟いた。
◇◇◇◇◇
﹁何だよ、あのチビドラゴン。すっげー性格悪いじゃん。あんなの
に騙されて甘やかすとか、あの金髪もたいしたことないね!﹂
233
ケッとばかりに吐き捨てるダット。
﹁あれは絶対腹黒だね。そうする方が自分に都合が良いから、金髪
に媚び売ってるだけで、あれは都合が悪くなったり面倒になったら、
絶対ガブリといくね! オイラの知った事じゃないけど﹂
こんなところはさっさとオサラバしよう、とダットは考えていた。
ミスリル合金も手に入ったし、他に用事はない。オーロンはあの白
髪の少女の世話をしている最中だろうし、あの幼竜が宿の前から移
動した後ならば、宿を出ても見とがめられないだろう。
そう判断して、窓からこっそり外を覗き、幼竜の姿がない事を確
認し、まとめた荷物を背負って部屋を後にした。一階の宿の受付で
精算し、徒歩で村の外へ向かう。移動は念のため︽隠形︾を使用す
る。
︵あのドワーフ、なんか色々言ってたけど、本気で隠れたオイラを
見つけられるはずがない。こんなしけた村なんかさっさとオサラバ
して、もっと稼げる町へ行こう︶
あの冒険者達は、ロランを拠点にしているようだし、別のところ
へ向かった方が良いな、と判断する。オーロンによって助かったの
は確かだが、だからといって振り回されるのは御免だ、とダットは
思う。
︵オイラは何にも縛られない、自由な小人族なんだから︶
何処だって、一人で十分なのだ、とダットはニヤリと笑い、村を
出た。辺りをきょろきょろ見回し、幼竜と金髪碧眼の剣士が何処に
いるか、近くにはいないかを探る。そして、慎重に近くの林の中へ
234
と進む。
︵確か、この村の北に少し大きめの町があるんだったかな。名前は
なんていったっけ。確か⋮⋮ラーヌとか言ったかな︶
とりあえずダットはオルト村北部の町、ラーヌを目指す事にした。
◇◇◇◇◇
夕刻、思う存分魔獣狩りを満喫したレオナールが満面の笑みを浮
かべて宿へ戻った。
幼竜は近くの林に放したままである。翌朝迎えに行くと言い置い
た。天気も良いし季節も初夏。問題ないだろうとレオナールは考え
た。
大雑把な脳筋である。当然林の中に棲む魔物や魔獣の事は考えな
いし、村人や旅人が林へ向かう事があるかもしれないとは思いつき
もしない。
幼竜が言い付けに従わず、どこか他へ移動してしまうかもしれな
い事も考慮にないし、もしそうなっても気にしないだろう。
幼竜に狩りができるのか確認もしなかった。ただ単に自分の趣味
に付き合わせ、後処理をさせただけである。
レオナールにとって幼竜は愛玩動物でも使役魔獣でもなく、魔獣・
魔物処理機である。便利だから連れ歩く事にした。それが互いにと
って利にかなうのならば、それで良いし、不満があれば離れるだろ
う。
そもそも狙ってなつかせたわけではないし、幼竜がレオナールに
235
なついたのだってたまたまだろう。臆せず餌をやる者なら誰でも良
かっただろう。
レオナールが出会った時、幼竜はとてもお腹を空かせていたが、
生まれてからこれまでずっと何も食べていなかったとは思えない。
ドラゴンの年齢や標準的な体長などの知識は全くないが、おそら
くあのダンジョンに閉じ込められてからは、出る魔物を食べたり、
場合によっては冒険者の死体を食べて過ごしたのではないか。
おそらく繋がれている幼竜に餌をやって、放してやろうと考えた
のがレオナールだけだったからなついたのだろうと考えていた。誰
があの幼竜を繋いだのか知らないが、哀れな事だ、とレオナールは
思う。
魔物や魔獣に、恩や情を感じる器官があるとは考えていない。期
待する気はないし、情をかけるつもりも毛頭ない。
ダンジョンを生み出したり幼竜を繋いだ者に対して、思うところ
もない。宝箱や財宝などは見つからなかったので、その辺りに文句
をつけたいくらいである。実にショボいダンジョンである。
﹁今回は依頼報酬とミスリル合金くらいしか収益はなかったわね﹂
レオナールがアランに言うと、アランは眉をひそめた。
﹁あの幼竜は?﹂
テイム
﹁ああ、可愛いけど正式なやり方で使役したわけじゃないから、成
獣になる前に離れるでしょ? それに売り物にはなりそうにないわ。
欲しがる人なんていそうにないもの﹂
﹁⋮⋮まぁ、貴族や騎士団とかは欲しがるかもな。レッドドラゴン
236
の使役魔獣なんて箔がつく﹂
﹁餌代とか厩舎とかかかる費用が半端なさそうだけどね﹂
﹁あのドラゴン、どれだけ食った?﹂
﹁あの子、ダンジョンで私たちが倒した魔物全て食べたのに、村の
外の林でも、角猪2頭に穴熊1頭、角兎30匹に沼蜥蜴を14匹食
べたわ﹂
﹁⋮⋮そんなにか﹂
アランはうへえという顔になった。
﹁真面目にあれ、飼う気か?﹂
﹁私たちについて来ようとする間わね﹂
﹁あいつが戦力になるか何か他に役に立つならともかく、ずっと飼
うなら金がかかるぞ?﹂
﹁なんなら町の外に放し飼いにしておけば良いのよ﹂
﹁賊の類いならともかく、旅人や町人や商人、貴族なんかが被害に
遭ったらどうする気だ﹂
﹁私たちに被害が及ばないなら問題ないわ﹂
アランは呻いた。
237
﹁くそ、お前はそういうやつだよな。ともかく町に戻ったら拠点に
ついても含めて考えるぞ。ギルドマスターに相談する﹂
﹁あのオッサンに? 師匠の呑み友達ってあたりでろくでなしでし
ょ﹂
﹁お前に言われるとはギルマスも気の毒に。場合によっては町外れ
に家を借りるか町の外に住む事になるぞ﹂
﹁私は魔獣や魔物が狩れるなら何処でもかまわないわ﹂
﹁じゃあ、詳しい事は明日だな。村長に報告して鍵を返してからロ
ランに戻ろう﹂
﹁明日の朝、ルージュの朝食がてらまた狩りに行きたいんだけど﹂
﹁お前の場合、狩りに行くついでに食わせたい、だろ。いいよ、別
に。お前がいなくても問題ないからな。昼前までには帰って来てく
れ﹂
﹁了解。じゃ、また次に顔を合わせるのは出立直前ね﹂
﹁お前がそう言うならそうなんだろうな。頼むから昼前には戻って
来てくれ。昼過ぎまでにはロランに着きたい。あと宿に携帯できる
昼食を頼んでおいてくれ﹂
﹁わかったわ。じゃあ、少し早いけどおやすみなさい﹂
﹁ああ、おやすみ。先に言っておくけど、夜は狩りに行くなよ。じ
ゃ﹂
238
アランと挨拶を交わしてレオナールは部屋を出る。
﹁夕食取って休憩したらまた林に行こうと思ってたのに、何故バレ
たのかしら﹂
もちろん長年の付き合いと表情のせいである。首を傾げながら、
とりあえず水浴びでもしようとレオナールは考えた。
239
15 宿泊客はマイペース︵後書き︶
思ったより長くなったのであと1、2回で1章完結するはず。
以下を修正
×ハーフリング
○小人族
×文句を抗議をしている
○抗議をしている
240
16 ロラン支部ギルドマスターは胃が痛い
翌朝、宿の主人に昼食の注文の確認と、村長への報告終了後、昼
前には出立したい旨を伝え、アランは朝一番に村長宅へと向かった。
﹁⋮⋮というわけで、奥に巨大な祭壇と、人型の何者かが寝起きし
滞在していた形跡と、怪しげな転移陣を見つけました。
鍵はお返ししますので、ギルドや依頼主である領主様の判断が出
るまでは、これまで通り関係者以外には封鎖した方がよろしいかと
思われます。昨日は不在でしたが、首謀者がいつ戻って来るかわか
りませんから﹂
アランがそう締めくくると、村長は呻き声を上げた。
﹁その、ダンジョン化をなんとかする事はできないのかね?﹂
﹁普通の古いダンジョンならあるはずの核が発見出来なかったので、
何とも言えません。
ダンジョンの全ての箇所を探索したわけではありませんが、一番
重要な箇所は調べたと思います。
その証拠に、手前の部屋にはレッドドラゴンの幼竜やミスリル合
金のゴーレムなどもいましたから。他の箇所で出た魔物はゴブリン
とコボルトだけでしたしね。
おそらく、これは予想や推測ではなく、私見で想像ですが、あの
ダンジョンは魔素や生命力などを吸収して成長しないタイプの、人
避けのためだけに作られたものなのではないかと。
一番重要な施設は、最奥の祭壇と居室だけで、それ以外は作成途
中か、ほとんど手を付けられていなかったのではないかと思います。
241
とにかく、これ以上の調査はFランクではなく出来ればSランク、
最低でもBランク冒険者にさせるべきです。
何しろ相手は、古代魔法語に熟達し、自力で魔法陣を組む事がで
き、普通の邸宅をダンジョン化できる存在なのですから。
おそらくは、高ランク魔術師、あるいは魔族なのではないかと思
います。
その辺りの判断は、ギルドと領主様がなされるとは思いますが。
俺は自分に出来得る限りの調査はしたつもりです。これ以上係わる
となると、今度は自分の命の心配をしなくてはならなくなる。
何故、首謀者がこの村のこの邸宅を狙ったのかは、全く理解でき
かねますし、この村の人々にはとても災難で気の毒だとは思ってい
テイム
ます。ただ、俺も命あっての物種ですので、これ以上危険を冒す事
はできません。
村長もご存じでしょうが、相方が運良くレッドドラゴンの使役に
成功しなかったら、どうなっていたかわかりませんし。万一戦闘を
回避する事ができたとしても、その後のゴーレム戦で無傷で勝利す
る事などできなかったでしょう﹂
﹁⋮⋮そう、か。それでは、仕方ない、な。ギルドと領主様のご判
断を待とう。わしらにはそれ以外、どうする事もできん﹂
げす
﹁この村はとても良い村だと思います。願わくば、この村が下種な
輩の不埒な思惑に潰されず、平和に過ごせるよう祈ります﹂
アランは丁重な挨拶をして、村長宅を後にした。
︵本当、勘弁して欲しいよな。俺には、いかにもヤバそうな、人知
を超えた高位魔術師を敵に回す度胸はねぇっての。何も悪いことし
てねぇのに、そんなやつに目を付けられるなんて、すげぇ気の毒だ
とは思うけど。
242
たぶんきっと、比較的周囲の街道が整備されて行き来しやすくて、
それでいて田舎で人口が少なくて、普段滅多に人が近寄らない比較
的広い敷地があるという点が、狙われた主な原因なんだろうな︶
アランはぼやく。後は、相方がこのダンジョン制作者に興味を持
たないでいてくれる事を願うだけだ。
︵まぁ、あいつは斬る事が出来る獲物と、その理由があれば何だっ
て構わないんだろうが︶
こういう時は、脳筋で良かったと思う。
︵でも、やっぱりせめて盾役とか回復役とか欲しいよな。あいつと
組んでる限り無理そうだが︶
だが、オーロンは仲間に入れたくないと思う。
︵どう考えてもあのドワーフ、レオ以上の地雷だし︶
事なかれ主義である。
︵好きこのんで厄介事を次々抱え込む、底なしのお人好しとか、ど
う見てもトラブルの元だ。ああ、どこかに良い人材転がってないか
な。人災はレオだけで十分だ︶
村長への報告と挨拶は済んだので、次に村人たちに出立の予定と
挨拶、それに滞在中の詫び代わりの大銅貨1枚ずつを配り歩いた。
感謝されたが、たぶん出て行ってくれるのかという喜びと、詫び金
に関してだろう。
村人たちには詳しい話はしない。報告内容を開示するかどうかは、
243
村長の判断に任せる。おそらく村人たちには詳細を伏せる事になる
だろうが。
︵う∼ん、ミスリル合金含めたら黒字だが、報酬だけだと微妙だな。
絶対に追加報酬貰おう。割に合わない︶
採算が微妙ならば金など配らなければ良いのだろうが、なるべく
なら来たくはないが、また別の依頼を受けてこの村に来る事もある
かもしれない。
ならば可能な限り、印象は良くしておくべきだ。既に手遅れかも
しれないが、門前払いされない程度にはしておかないと、受けられ
ない依頼が増えてしまう。
カネ
印象を良くしたいなら誠意と心配りと実績でなんとか努力しろと
いう意見もあるだろうが、手っ取り早く効果的なものは賄賂だと思
う。
金とコネは大事だ。世の中に金が嫌いな人間はそうそういない。
金が嫌いだと誰彼憚らずに公言できるのは、金に困った事のない金
持ちか、自分で金を稼いで自立した事のない若者だけだ。一度でも
困窮した事があればそんな事は言えない。
賄賂で解決できる事は賄賂を送って解決&根回しするのがアラン
のスタンスである。手っ取り早く効率的であれば何でも良い。地道
な努力や誠意など、家畜の餌にもならないと思っている。
アランには少なくとも、誠実という言葉は似合わない。真面目に
見えて、ちゃらんぽらんなところのある男である。
本人は認めないだろうが、幼少時から良くも悪くも相方の影響を
受けて育っている。レオナールの他に、その母であるシーラの影響
も受けている。
244
実はエルフであり年齢不詳な美しい容貌のシーラが、彼の初恋で
あるのは秘密である。彼女の弟子になった理由に、初恋や憧憬があ
ったのもある。
レオナールがレオノーラだった頃から、かの幼なじみに甘酸っぱ
い思いを覚えた事は皆無である。
見た目は稀に見る美少女の姿であった時でさえ、レオナールに色
恋的な感情を抱く人間が全く理解できなかった。
その本性を知る前から、あれは人の殻を被った何かだと感じてい
た。そんなレオナールと幼なじみであり友人になったのは、少しで
もシーラに近付きたいという下心が主だった。
今では、疫病神とか厄介者とか思ったとしても、見捨てられない
だけの情と義理と、哀れみがある。もちろん哀れんでいる事など、
相手に感付かせるような事はしない。
アランは家族の理解を得られはしなかったが、愛されて育った。
シーラは息子を愛していたが、それが許されない環境にいた。
元冒険者だったレオナールの実父が、彼の生まれる前に殺され、
母共々その兄に引き取られたのが、不幸の始まりだった。
子爵令息長男だったその男は、大の亜人嫌いだった。その男は、
自分の父親である子爵と実の弟を殺した罪が発覚して処罰されたが、
処刑はされなかった。
発覚がもう少し遅れていれば、シーラとレオナールは殺されるか、
奴隷として売られていたかもしれない。
子爵家は取り潰しになり、最悪の事態は回避されたが、その影響
と傷は深い。身体の傷は回復魔法で跡形なく癒やす事はできるが、
心や記憶を魔法で救う方法は今のところ見つかっていない。
アランはレオナールの人格と性格を仕方ないと諦めている。そう
245
いうものは一度形成されてしまえば、対処のしようがない。それで
も、見捨てる気にはなれないし、最初は困惑するだけだったが、だ
いぶん慣れてきた。
正直なところ、アランはレオナールを面倒臭いやつだとは思って
いるが、嫌いではない。好きなのかと問われれば、肯定もし難いが。
仲の良い喧嘩友達、と称するのが一番合っている気がする。相手
の性格が性格なので、こちらが一方的に怒っている事の方が圧倒的
に多いような気がするが。
一番の救いは、レオナールが良くも悪くも嘘は言わないという事
だろう。からかったり、不真面目な態度だったりすることはあるが。
共感はし難いし、理解もできない。でも相手の気持ちや感情を、
ある程度察したり感じたりする事はできるし、何を望んでいるのか
もわかる。それができるから、友人でいられるのだ、と思う。
相手が全く理解できない化け物や魔性だったら、仲間にも友人に
もならない。そしてたぶん、それが一方的なものではないから、互
いに友人だと思える感情があるから、友人関係が成り立つのである。
どちらか一方だけなら、友人にはなれないしならないだろう。
そして、アランには何故かレオナール以外の友人がいなかった。
これについては、本人的には大変心外である。自分には何も問題が
ない、とアラン自身は思っているのだが、何故か他に友人ができな
い。これは最大の謎だ、と考えている。
恋人ができない事に関しては諦めているので、問題ない。しかし、
レオナール以外の友人ができないというのは納得いかない。
︵俺ってなかなかいいやつだよな? 人格破綻者でも人に嫌われる
タイプでもないよな? 何が原因なんだ。世の中間違ってるよな︶
最大の理由は、客観性のなさと、空気の読めなさ、察しの悪さと
246
不器用さ、そして何より立ちかけたフラグを気付かずに自ら折るせ
いだという自覚は、ない。
その点に関しては、レオナールとアランは似たようなものなのだ
が、意識的にやる、または改善する気が皆無なのがレオナール、自
覚がなくわざとではないのがアラン、という違いである。
残念ながら、アランがそれに気付く事はない。誰かに指摘されれ
ば、改善の余地はあるのだろうが、今のところそんな親切な人間は
彼の身近にいないのが、彼の最大の不幸である。
全ての村人への挨拶を済まし、オーロンに会う事にした。
﹁保護した少女の意識が回復した?﹂
それならオーロンの性格ならば手放しで喜んでいそうなのに、何
故かそうではない。嫌な予感がする。
﹁実は彼女は古代魔法語しか話せないようで、意志疎通ができない
のだ﹂
﹁待て。それで何故彼女が話す言葉が古代魔法語だとわかった?﹂
﹁彼女を診て気付け薬を嗅がせて覚醒させてくれた神官殿が、教え
てくれたのだ。アラン殿は古代魔法語の造詣が深いのだろう。どう
か彼女の話を聞いては貰えないか?﹂
﹁ちょっと待て。俺の古代魔法語知識はエルフの師匠から学んだ、
読み書きだけだ。魔法書や魔法陣の解読には必須だからな。発音や
聞き取り可能なレベルではない。それは専門外だ﹂
247
﹁では、その師匠をわしに紹介する事は可能だろうか。あるいはア
ラン殿が筆談で尋ねる事は?﹂
アランは頭痛を覚え、額を押さえて呻った。
﹁師匠は今、里帰りして療養中だ。連絡が容易にできる場所ではな
いので、紹介はできない﹂
それでなくとも信用していない相手に紹介したりはしない。自覚
のないトラブルメーカーであるなら尚更だ。
﹁俺の知る古代魔法語は、目的のためもあって魔法書や魔法陣に良
く書かれる定型文が主で、日常会話に使われる語句や文字、複雑な
文法・表現などは知識にない。筆談も難しい。
他に魔術師を紹介する当てもコネも残念だがない。田舎出身の農
夫のせがれで、先月ギルド登録したばかりのFランクの新人だから
な﹂
﹁何!? Fランク、それも先月登録したばかりだと!? とても
そうだとは思えなかったぞ。
魔法陣を解読する知識と言い、魔法の手際や術と言い、てっきり
中位だとばかり思っていた﹂
﹁そもそも冒険者ギルドは成人の15歳以上でなければ登録できな
いからな。ただ、デビュー前に、レオナールの師匠に実戦はやらさ
れていたし、小遣い稼ぎの薬草採取もしていた。
レオナールの師匠は実戦こそが人を育てる、というのが信条の人
で色々やらされた﹂
レオナールはなんだかんだと言いながら、その影響をもろに受け
248
ている。
﹁俺もレオナールも、偏った知識と経験しかまだないんだ。そして
冒険者としての実績もない。ただ、ロラン支部のギルドマスターが、
レオナールの師匠の知人だったから、紹介というか、顔を合わせる
程度の事はできると思う。
元Sランクだったらしいから、それなりにツテはあるだろう。面
倒臭い人だから睨まれれば難しいだろうが、気に入られれば力にな
って貰えるかもしれない﹂
気に入られても面倒なのだが、それは言わない。
﹁では申し訳ないが、ロラン支部のギルドマスターを紹介していた
だけないだろうか﹂
﹁話を聞いて貰えるかまでは責任持てないが、それで良ければ。ど
うせこれから帰るところだ﹂
﹁何? そうか、本日いつ頃出立する予定で?﹂
﹁昼前には出るつもりだ。今日中にギルドへの報告も済ませたいか
らな。あと、昨日は言わなかったが、昨日ダンジョン内であった事
は口外しないで欲しい。
あのダンジョンの事は、ギルドと領主様が調査報告をもって判断
する事だからな。村長には一応概略を報告したが、村人はもちろん
部外者にも知られてはならない。無用な混乱を与えるだけだ﹂
﹁ふむ、ドラゴンの存在はバレてしまったが、今はダンジョンには
いないのだから、漏れても特に問題はない、か﹂
249
﹁あの大きさだ。隠しても無駄だろう。使役魔獣として認識される
なら大丈夫だろう、たぶん﹂
﹁では、わしも出る準備と挨拶をして来よう。いずれまたこの村へ
戻るつもりではあるが、状況によってはロランに長居する事になり
そうだからな﹂
﹁そんなにこの村が気に入ったのか﹂
﹁ここよりエールのうまい場所は知らないからな。飽きるまでは飲
む予定だ﹂
それを聞いて、アランはこいつはレオナールの師匠ダニエルの同
類かもしれないと思った。
﹁では、俺は他にやりたい事があるので失礼する﹂
﹁わかった。ではまた後で﹂
そしてアランはロランに帰ったらすぐ報告できるよう、部屋で報
告書を書く事にした。内容はメモに記してあるし、何をどう書くか
も既に決まっている。レオナールが戻るまでに済ませて準備してお
きたい。
ダットと顔を合わせる気はなかった。どうせあの盗賊はオーロン
が他に気を回している隙に、これ幸いと逃げようとしているだろう。
アランは関わりたくなかった。自分たちに被害がでなくて、巻き込
まれる事がなければそれでいい。
アランが報告書を書き上げ、荷物をまとめ終わった頃、レオナー
250
ルとオーロンが戻って来た。
﹁大変だ。ダットが昨夜の内に宿を出立していたらしい﹂
そんなところだろうとレオナールもアランも思っていたが、オー
ロンにはそうではなかったらしい。
﹁心当たりはないだろうか﹂
﹁そんなの俺たちが知るわけがない﹂
レオナールも無言で頷く。
﹁彼の件もどうにかしなくてはな。しかし、優先するのはあの少女
の方だ。早く解決して、家族や知り合いに合わせてやりたい﹂
ふとアランはあの白髪の少女にそういう存在がいるのか疑問に思
ったが口にはしなかった。彼女が無力でか弱い人間または亜人なら
ば、その家族は既に殺されているのではないだろうか。実際のとこ
ろ現時点では何もわからないが。
そして一行は村人たちに見送りされた。もちろん見送りされたの
はオーロンである。ここの村人たちに彼はとても愛されているよう
だった。そばにいるレオナールと幼竜のせいで、皆少し遠巻きでは
あったが。
そしてこの時、レオナールとアランは初めて引きこもり神官を見
た。人目を引く美形ではなかったが、そこそこ整った感じの、痩せ
すぎて病的で、愛想の欠片もなかったが、貴族出身なのか品が良く
育ちの良さそうな人物だった。
251
その引きこもり神官が、また会って話がしたいとオーロンに告げ
ていた。そんなに仲良くなっていたとは知らなかったが、オーロン
なら有り得る、とアランは思った。
オーロンは、きょろきょろと落ち着きない白髪の少女を自分の馬
に乗せ、一行は村を出た。
◇◇◇◇◇
道中特に問題なく、ロランへ到着した。そしてその足で冒険者ギ
ルドに向かい、報告の他に話したい事があるとギルドマスターへ面
会を求めた。
﹁報告は俺が直接受けるつもりだったが、わざわざご指名とは、い
ったいどうした? 新顔もいるようだが﹂
ニヤニヤ笑いながら、ギルドマスターである男、クロードが言っ
た。
﹁最初に言っておくと、彼は新しい仲間ではないし、特に親しいわ
けでもない。たまたま顔を合わせ、今回理由あって同行しただけだ。
またこの少女はダンジョン最深部で保護された。詳しい事は彼、
オーロンに聞いてくれ。彼女を世話しているのはオーロンだ。
それと、これが報告書だ﹂
﹁いつも通りだが、マメというか律儀というか。確かに要領を得な
い説明や報告を長々と聞くよりは断然マシだが﹂
252
そう言いながら、ギルドマスターは報告書を手に取り、ざっと流
し読みた。
﹁なるほど、で、報告書にあるドラゴンの方はどうした?﹂
﹁⋮⋮郊外にある森の中にいます﹂
﹁おい!?﹂
ギルドマスターは思わず腰を浮かす。
﹁わかってます。だけど町の中に入れて良いんですか? 幼竜とは
言え、首輪も拘束もないレッドドラゴンを﹂
頭痛を堪えるような顔でアランが言うと、ギルドマスターはしぶ
い顔になった。
﹁しかし、共通語が話せない身元不明の少女と、首輪のないドラゴ
ンか。胃が痛くなるな﹂
﹁俺もです﹂
アランが頷くと、ギルドマスターも嫌そうな顔になった。
﹁ドラゴンについては、とりあえず後で、俺の家に連れて来い。暫
くアランとレオナールもまとめて預かってやる。面倒だが、それが
一番手っ取り早い。その後どうするかは後だ。
それとその少女だな。心当たりに連絡してみるが、王都にいるか
ら少々時間がかかる。さすがに古代魔法語に習熟している人間は稀
少だからな。
253
ロランにそんな人材はいないだろう。俺の知る限りはいないな﹂
﹁助かります﹂
アランは頭を下げた。
﹁もちろん家賃や食費はいらないわよね?﹂
レオナールが満面の笑みを浮かべて言った。ギルドマスターは顔
をしかめて、
﹁お前、相変わらずだな。ドラゴンの餌代は無理だからな?﹂
﹁わぁ、さすがギルドマスター、有り難う。太っ腹!﹂
レオナールが言うと、苦虫を噛み潰した顔になる。
﹁頼むから、滞在中俺に迷惑かけてくれるなよ?﹂
﹁大丈夫、安心して。ギルドマスターはお金だけ出してくれれば良
いから﹂
﹁⋮⋮お前、本当その性格と図太さは王国一かもしれないな﹂
ぼやくようにギルドマスターは言った。
﹁しかし、本当に助かります。一番の懸案事項が片付きました﹂
アランが頭を下げると、
254
﹁お前も全然変わらないな﹂
と、しぶい顔をされた。が、少女の事に関してはレオナールとア
ランの管轄ではない。
﹁わしも心から礼を言わせて下さい。本当に助かります。言葉が通
じないというのは本当に難儀な事で。意志疎通ができないと、大変
だと改めて学ぶ事になりました﹂
ああ、とアランは思ったが、言葉が通じたとしても大変であろう
事は最初からわかっていた。だから関わりたくなかったし、責任も
取りたくなかった。そんな面倒事は御免である。
身近に手のかかる人物がいるのに、他まで面倒見きれない。
﹁それでは、依頼の調査報告に関しては、後日確認をとってまた話
を聞くぞ、アラン。
それで、オーロン。君の話も聞きたい﹂
﹁わかりました。こちらこそぜひお願いいたします、ギルドマスタ
ー﹂
﹁では、俺たちは先に部屋を出ても良いですか? 問題が出る前に
幼竜の確保、もとい保護をしておきたいので﹂
﹁⋮⋮そうだな。家の鍵は渡しておく。なるべく荒らさないように
頼む﹂
﹁ドラゴンはどうします?﹂
﹁庭にある小屋なら大丈夫だろう。今はガラクタしかなかったはず
だから、中にあるものは全部外に出して良い﹂
255
﹁それって、代わりに俺たちが掃除するってことですよね?﹂
﹁それが滞在費だと思え﹂
﹁この依頼、追加報酬出ますよね? 正直金貨1枚は安すぎますよ。
死ぬかと思ったんですから﹂
﹁それに関しては領主様と要交渉だ。報告書が正しいと確認された
後でな。言いたい事はあるだろうが、暫く待て。
どうせ俺の家に滞在中は生活費がかからないんだ﹂
アランは小さく舌打ちした。
﹁節約できるのは有り難いけど、それと報酬は別だと思うけど? ロラン支部と領主様は金払いが悪くて、財布のヒモが固過ぎるって
噂が流れたらどうするの?﹂
レオナールが言うと、ギルドマスターは嫌そうな顔になる。
﹁お前、絶対変な噂流すなよ? 報酬については成果が確かかを確
認してからじゃないと、なんとも言えないからな。もちろん、情報
が正しいと判断されれば、増額しないとは言ってない﹂
﹁手に入れたミスリル合金はこっちで売却してもかまわないわよね
?﹂
﹁まぁ、一部は後日、領主様に報告する時のために残していて欲し
いが、それ以外なら問題ない。お前たちもすぐに使える金がある方
が良いだろうからな﹂
256
﹁了解。じゃ、鍵をちょうだい﹂
ギルドマスターは顔をしかめながら鍵を取り出すが、レオナール
ではなくアランに手渡した。
﹁これ渡すのは一応お前を信頼してるからだからな。貴重品は置い
てないが、頼むからな﹂
と念を押した。
﹁大丈夫です。ギルドマスターの信頼を失うような真似はしません﹂
アランは笑顔で答えたが、やけに爽やかで、どことなく胡散臭げ
な顔で、ギルドマスターは少々不安を覚えた。
﹁では、俺たちはこれで失礼します。では、また﹂
レオナールとアランは、その場を後にした。
257
16 ロラン支部ギルドマスターは胃が痛い︵後書き︶
今回ちょっと長くなりましたがあと1話でこの章完結できそうです。
以下修正
×大義名分なしに斬る
○斬る
258
17 とりあえず終幕
﹁アランの愛想笑いは本当に気持ち悪いわよね﹂
﹁うるさい、わかってるから言うな﹂
馬屋に馬を返して北門に向かっていた。
﹁ああ、願わくばあのドラゴンが誰にも見つからず騒ぎを起こして
いませんように﹂
﹁今朝も良い子にして待ってたじゃない、ルージュ﹂
﹁魔獣狩って大量の骨を積み上げてたな。思わず人間の骨が混じっ
てないか確認したけど﹂
﹁大丈夫よ。人間を食べた時は証拠隠滅すれば良いじゃない﹂
﹁そういう問題じゃねぇえええっ!!﹂
思わず大きな声でツッコんでしまい、注目浴びてしまうアラン。
﹁あ、お騒がせしてすいません。⋮⋮ったくレオ、悪ふざけはやめ
ろよな﹂
周囲にペコペコ頭を下げてからレオナールを睨む。
﹁もちろん冗談よ。半分本気だけど﹂
259
﹁勘弁してくれ﹂
レオナールがにっこり笑い、アランはゲッソリする。
﹁だって、人間に襲われても殺すな、なんて言えないわよ。命が懸
かってる時に手加減してやれとか言われたら、アランだってムカつ
くでしょ?﹂
﹁レオ、お前は人間も魔物・魔獣も、同列に考えてるんだな﹂
﹁そうよ。敵意を持って攻撃してくるのは全て敵。恭順してきて使
えそうなら仲間で良いじゃない? 人を人目のあるところで殺すと、
後の処理が面倒だから、必要に迫られた時以外はやらないけど﹂
﹁もしかしてオーロンが助力するとか言った時も、その理屈で連れ
て行く事にしたのか?﹂
﹁そうね。力はあるけど動きが遅いから、アランの壁やらせた方が
良さげだったわね﹂
﹁ダットは?﹂
﹁あれはいなくても問題ないわよね。私とアランで手分けすれば似
たような事はできるし。信用できない、いつトンズラするかわから
ない手癖悪い盗賊なんてゴミね﹂
﹁お前、良くそれ本人に言わなかったな。成長したんだな、レオ﹂
﹁アラン、あなた私を何だと思ってるの? あの盗賊に面と向かっ
260
て罵倒したら、うるさくてかなわないじゃない。利点もないのに、
そんなことしないわよ﹂
﹁そのわりに、お前、これまで色々なやつに売らなくて良い喧嘩売
りまくったよな?﹂
﹁私たちに喧嘩売りたくて仕方なさそうな顔してたから、わざわざ
声かけてあげたのよ。最初に雑魚を見せしめにしておけぱ、後が楽
になるしね。あと、いつ来るかわからないより、来るタイミング調
節した方が楽になるじゃない﹂
﹁回避する方向へ持っていく努力はする気がないんだな﹂
﹁さしたる理由なく他人をぶちのめしたいという輩に、わざわざ理
由つけてやって、やりやすくさせてあげるのよ? これは慈悲とい
うやつね。
まぁ、私は被虐趣味じゃないから、自分はなるべく無傷で、相手
だけぶちのめすけど﹂
﹁慈悲じゃねぇ、それ絶対慈悲じゃねぇよっ!﹂
﹁あら? 私、子供の頃、良く﹃慈悲を与えてやる﹄と言って殴ら
れたんだけど、使い方間違ってたかしら﹂
﹁⋮⋮っ、それはそいつの頭がおかしいだけだから、それを基準に
するな。慈悲ってのは本当はもっと優しい心なんだ。人間ではなか
なか持てないくらいのな﹂
アランは苦い顔で言った。
261
﹁ふぅん、そうなの。じゃあ、親切?﹂
﹁それ、親切でもないからな。単にお前が気に食わないから挑発し
てるだけだろ?﹂
﹁そうね。この私を崇め奉る事もできない、頭の悪い雑魚は全部潰
しておきたいとは思ってるわね﹂
﹁俺は崇め奉ってないけどな﹂
﹁アランは別に良いわよ。そんな事されても気持ち悪いだけだし﹂
﹁気持ち悪い⋮⋮そりゃ俺だって気持ち悪いけど、お前、俺をなん
だと思ってんの?﹂
﹁使い勝手の良い下僕? ⋮⋮って言うと、アランの反応が楽しい
事になるから、面白いわね﹂
﹁⋮⋮ああ、俺に腕力・筋力があったら、全力でぶちのめしてぇ⋮
⋮﹂
﹁いつでもかかってきなさい、ふふ﹂
楽しそうに笑うレオナールに、悔しそうに呻くアラン。いつもの
光景である。北門で顔見知りの門番と顔を合わせる。
﹁おう、アランにレオナールじゃないか。さっき帰って来たとこな
のに、また何処か出掛けるのか?﹂
﹁ちょっとね。すぐに戻るわ﹂
262
レオナールが微笑みながら、答える。
﹁ずいぶん機嫌良さげだな、レオナール。アラン、またレオナール
にいじめられてたのか?﹂
﹁いじめられてねぇっ!! いじめられてなんかいねぇからな!!
こいつが俺のこと下僕とか言ってからかうから怒ってるんだ!!﹂
﹁え? お前、下僕じゃなかったの?﹂
﹁なっ⋮⋮!!﹂
門番に真顔で言われて、絶句するアラン。それを見て、門番は吹
き出した。
﹁あー、本当、アランはからかうと面白いな!﹂
﹁そうでしょ? 本当面白いわよね﹂
レオナールがにこにこ笑いながら頷く。
﹁まぁ、いいや。帰って来たんなら、今度、時間が合う時、一緒に
飲みに行こうや﹂
﹁良いわよ、ジェラールの奢りならね﹂
﹁は? なんで安月給の俺が、お前らに奢らなくちゃならないんだ。
お前ら仕事してきたんだろ?﹂
263
﹁報酬はしばらくオアズケよ。まぁ、全くのゼロじゃないけど、収
益物を売るのも手間だしね。やっぱり少額でも現金の魅力にはかな
わないわね﹂
﹁ま、そうそううまい話はないよな! まったく世知辛い世の中だ﹂
﹁一度で良いから濡れ手に粟で、金銀財宝に囲まれてウハウハした
いわ﹂
﹁そんなの誰だってそうだろ。まぁ、うまくておいしい話を、誰か
に聞いた話で、とか言われたら十中八九詐欺だけどな!﹂
﹁そんなものよね﹂
﹁おし、問題なし。何の用事か知らんが、いてら∼﹂
﹁ええ、また後でね。たぶんビックリするわよ﹂
﹁マジか。どんなビックリだろうな。楽しみにしておくよ﹂
﹁ふふ、期待に添えると思うわ﹂
挨拶を交わして門を出る。アランはいまだに落ち込んでいる。
﹁ジェラールにまで遊ばれた⋮⋮厄日だ⋮⋮ここ最近ずっと厄日だ
⋮⋮ろくな事がねぇ⋮⋮。くそぉ、俺がいったい何をしたって言う
んだ。俺の何が問題なんだ⋮⋮!﹂
﹁アラン、あまり考えすぎると禿げるわよ?﹂
264
﹁俺の親父がハゲなのは俺のせいじゃねぇよ!! 俺は母親似だか
ら、きっと大丈夫なはずだ!!﹂
﹁いや、誰もあなたのお父さんのハゲの話はしてないけどね﹂
呆れたような目でレオナールがアランを見る。
﹁そんな蔑むような目で俺を見るな!﹂
﹁被害妄想激しいわよ、アラン。からかうと面白いのは確かだけど、
そんないつまでも引きずるのは鬱陶しいわよ?﹂
﹁ああ、どうせ俺は鬱陶しくて、ジメジメしてるよ! お前基準だ
と、鬱陶しくてジメジメしてない人間なんて、いそうにないけどな
!﹂
﹁何いじけてるの? 立ち直り早いのが、あなたの取り柄でしょ?﹂
﹁それは言っても無駄だから諦めてるだけ⋮⋮いや、そんな事より
だな、お前、実は俺のこと嫌いなの? 実は俺、恨まれたり憎まれ
てたりすんの? 何か言いたいことがあるなら、すぐに吐け!﹂
アランが絡むと、レオナールは苦笑した。
﹁大丈夫、安心して。あなたのことはそれなりに気に入ってるから、
面倒くさいと思っても見捨てないわよ?﹂
﹁面倒臭いとは思ってるんだな?﹂
﹁ええ、私にしたら、ずいぶん譲歩してると思うけど? 私ったら
265
本当、心広くて優しくて慈愛に満ちてるわよね!﹂
﹁それ絶対違うからな! 絶対間違ってるからな!!﹂
﹁安心して、アラン。あなたのことは殺したいとか斬りたいとか思
った事はないから、今のところ﹂
﹁今のところなのかよ!! っていうかお前の基準はそれなのか!
?﹂
﹁えー、だって、アラン以外の人はたいてい一度は斬ってみたいと
思った事があるもの。あ、母親も斬ろうと思った事はないわね。師
匠は斬れるものなら、斬ってみたいわ。内臓や脳髄が普通の人間と
同じなのか見てみたいわね﹂
﹁斬るなよ!? 斬れる機会があっても絶対斬るなよっ!! 人は
一度斬ったら、元通りにはならないからな!!﹂
﹁人以外なら良いの?﹂
﹁⋮⋮他人の所有物もダメだからな。犯罪や迷惑にならない程度に、
自己責任で頼む﹂
﹁ふふ、大丈夫よ。ちゃんと見極めてから斬るから﹂
全然安心できねぇ、とアランは心の中でぼやく。町の近くの森の
中へ入る。
﹁ルージュ、いたら出て来て!﹂
266
レオナールが叫ぶと、血まみれの角兎をくわえた幼竜が木々の間
から現れた。地面に血が滴り落ちているので、ついさっき仕留めた
ばかりのようだ。
﹁あら、ご飯の最中だったの? ついでに何か狩ってく?﹂
レオナールが尋ねると、幼竜が頷いた。
﹁じゃあ、適当に何か狩るわ。アランはどうする?﹂
﹁できればお前たちと一緒にギルマスの家に行きたかったんだが、
先に行く事にする。掃除や整理しないと駄目そうだからな。買い出
しもしたい﹂
﹁そう。じゃ、夕飯前までには行くわね﹂
﹁⋮⋮お前、本当元気だな﹂
アランは呆れたように溜息をつく。
﹁一日中でも狩ってたいわね。まぁ、お腹が空くし、さすがに疲れ
るからやらないけど﹂
﹁お前にも一応それなりに人間らしいところがあって、良かったよ。
じゃ、俺はもう行く。お前らに付き合ってたら、日が暮れるからな﹂
﹁は∼い、じゃあ、また後でね。あと、夕飯の準備もよろしく!﹂
レオナールの言葉に、アランは振り返ってギッと無言で睨んだが、
その時にはレオナールは背を向けて、幼竜と共に森の奥へ向かうと
267
ころだった。
﹁あいつ、逃げたな⋮⋮﹂
今頃気付くアランである。
◇◇◇◇◇
ギルドマスター、クロードの家は、ロランの町の南側にある冒険
者ギルド付近で、門とギルドの中間くらいの距離にある。
表通りに面してるが、町を囲む石造りの外壁の南西の角にある、
比較的広い敷地と建物である。
門を入って正面に、彼が暮らす家があり、その隣に、石造りの倉
庫代わりの小屋がある。
一度入った事があるが、平屋で一部屋になっており、家具・装飾
の類いは一切なし。いらないものを適当に放り込んだ、物置という
よりはゴミ同然のガラクタ収容小屋である。
何故そんなものが入っているかというと、家主であるクロードが
面倒臭がりで、迷宮などで拾った売れない物や価値のないもの、壊
れた武具などを、処分したり整理せずに、適当に放り込むからであ
る。
﹁⋮⋮前に見た時より増えてないか?﹂
アランは顔をしかめた。
﹁これは、一人では無理そうだな﹂
268
アランは魔術師なこともあり、体力も筋力もあまりない。火の魔
法などで破壊するのならば、得意なのだが。性格・気性的に、掃除
や整理整頓は嫌いではない。むしろ好んでやる方だ。
相方の剣士が大雑把で剣で何かを斬る事以外に興味を示さないの
で、必然的にそうなったとも言えるが。
﹁⋮⋮収納されているのは、壊れて鉄くずになった武器防具に、破
損したり古くなった家具、何に使うかわからない魔道具に、放置さ
れた状態の良くない魔物・魔獣の素材⋮⋮﹂
かろうじて食料や真の意味でのゴミはなさそうだった。
﹁これならいけるな﹂
そして、アランは、鍛冶屋と家具屋、中古の魔道具屋、木材屋な
どを呼んで、見積もりと引き取りの手順を相談し、契約書に署名し、
引き取って貰った。
そして売った金は全て自分の懐に入れた。
﹁まぁ、これくらいの余録がないと、やってられないよな。さて、
残りはゴミか。適当に燃やすかな﹂
引き取って貰うついでに、全て庭先に積み上げて貰った。
﹁一応薪代わりになりそうなものと、危険物っぽいのは除去したは
ずだし﹂
満足そうに頷くアラン。
269
﹁火の精霊アルバレアと、地精霊グレオシスの祝福を受けし炎の壁
よ、燃え上がり、消し炭にせよ。︽炎の壁︾﹂
轟音と共に、ガラクタが燃え上がった。ただの火なら、これを調
理に使ったり、暖を取ったりできるのだろうが、この火に入れた火
耐性や魔法耐性のない、普通のものは全て燃え尽きて炭になってし
まう。ゴミを焼却するには都合の良い魔法だと、アランは思う。
臨時収入もあったので、ホクホク顔である。良い汗かいた、とば
かりに、出てもいない額の汗を手の甲で拭う仕草をした。
﹁ちょっと! 町中でゴミなんか燃やさないでよ!!﹂
が、隣家の住人︵ご婦人︶に咎められた。
﹁す、すいません﹂
アランはすぐさま謝罪した。
﹁消せないの? あの火﹂
﹁魔法の火なので、効果が消えるまではあのままです、すいません。
申し訳ない﹂
深々と頭を下げるアラン。
﹁おや、あんた、前にダニエルが連れてた子供かい? 確か金髪の
キレイな子と一緒だったわよね﹂
おばさんが首を傾げて尋ねる。
270
﹁あ、はい。しばらくレオナールと共にクロードさん宅でお世話に
なることになった、アランと言います。よろしくお願いします﹂
頭を下げて、自己紹介と挨拶をした。
﹁あたしはルネさ。男所帯じゃ大変な事もあるだろうけど、困った
事があったら、あたしに話しな。相談に乗れる事は相談に乗るから。
あと、庭先で物を燃すような事は、今後一切やめとくれ。近所迷惑
だし、火事にでもなったら大変だ﹂
﹁はい、気をつけます﹂
﹁しかし、あんた魔術師になったんだねぇ﹂
﹁前から一応魔術師でした、見習いですが。先月、ギルド登録して、
冒険者として活動しています。それまでも薬草採取して、マルコさ
んの薬屋に納入したりしていましたが﹂
﹁ふぅん、そうなのかい。じゃあ、今年、成人したんだね﹂
﹁ええ。俺が先々月末、先月にレオナールが成人を迎えたので、登
録しました。前から冒険者になりたかったので﹂
﹁ふぅん、冒険者なんてなりたくてなるような仕事じゃないと思う
けどねぇ。うちの息子も子供の頃は剣士か魔法使いになりたいとか
言ってたが、現実知ったら、普通に父親と同じ家具職人になると言
って、今はよそに見習いに行ってるよ。
あんたもせっかく魔法が使えるなら、やめて転職したらどうだい
?﹂
271
おばさんの言葉にアランは苦笑する。
﹁金もコネもない魔術師の就ける職はそうそうないですよ。基本的
に良い職や仕事は貴族と金持ちに独占されてますから﹂
﹁なるほど、そりゃ大変だねぇ。ところであんた、今日の夕飯はど
うする気だい? クロードは自炊しないから何もないだろう?﹂
﹁あ、出来ればお勧めの食材屋や道具屋を教えて貰えませんか? たぶん鍋や調味料も含め全部揃える事になりそうなのでお忙しいよ
うなら、市場で聞こうと思いますが﹂
﹁ふん、あたしが付き合ってあげるよ。目利きと値切りには自信が
あるんだ﹂
﹁それは助かります。ぜひよろしくお願いします﹂
そして、アランはお隣りさんと買い物に出かけ、予想より安い金
額で目的のものを手に入れる事ができた。
﹁︽浄化︾が欲しいな﹂
台所も掃除が必要だった。
◇◇◇◇◇
後日、無事に依頼報酬が支払われた。金貨1枚に加えて、追加報
酬と更に金貨1枚と銀貨20枚。
272
また、最深部の魔法陣や本格的な調査はAランク冒険者パーティ
ーを当てるとの事だ。
あと、
﹁そういえば︽草原の疾風︾のゲルトとアッカが先週末、飲み屋か
らの帰りに何者かに襲撃されて頭の毛を全部苅られたんですって﹂
ロラン支部受付嬢、赤髪のジゼルがジト目で言った。
﹁ほう、それは大変だな。日頃の行いが悪くて、天罰が当たったの
かもな﹂
白々しい笑顔でアランが言った。
﹁まぁ、雑魚の一人や二人、どうなろうと私たちの知った事じゃな
いわね﹂
にっこり笑ってレオナールが言う。
﹁人目につきにくい路地裏で魔法で眠らされてやられたらしくて、
昨日、そこの酒場で犯人がわかったら襲撃してやるとか息巻いてた
わ﹂
﹁ほお、まぁ俺たちには関係ない話だな。あいつら普段から素行悪
いから、何処で誰に恨み買ってるかわからないよな﹂
﹁本当、おとなげない人もいるものね。でもそのせいで受付のドー
ラが絡まれて迷惑したらしいわ﹂
ジト目でジゼルが言うと、アランは眉を上げて
273
﹁あいつら全くクズだな。更なる天罰が起きてもおかしくないな﹂
ニヤリと笑みを浮かべたが、目が笑ってない。
﹁ちょっと、アラン!?﹂
﹁まぁ、そんなバカはギルド前辺りに、全裸で吊るされるのがお似
合いよね﹂
レオナールが言うと、ジゼルの顔が真っ赤になった。
﹁ちょっとレオナール、あなたまさかそんな事しないわよね﹂
﹁私はやらないわよ。何処かの誰かはやるかもしれないけど﹂
事実である。まぁ、多少は手伝うかもしれないが。
﹁まあ、嫌な事は早々に忘れた方が良いぞ、ジゼル﹂
﹁そうよ、どうでもいい事まで気に留めてたら疲れるわよ﹂
なんだかんだで似た者同士である。
1章・完。
274
17 とりあえず終幕︵後書き︶
というわけで予想より遅くなりましたが1章完結。
後日、人物紹介とマップ掲載します。
また誤字を微修正しました。他にもあった気がするけど、探すと何
故か見つかりません。
後日談や番外編でリクエストあれば、後日書きます。
なければそのまま次章。
しばらく更新開きます。
以下修正
×面倒臭い
○面倒くさい︵レオナールの台詞のため漢字を平仮名に︶
275
1章 登場人物およびダンジョンMAP︵挿絵︶︵前書き︶
年齢などを追記しました。
276
1章 登場人物およびダンジョンMAP︵挿絵︶
■1章の主な登場人物
●レオナール
<i119225|3534>
種族 ハーフエルフ
年齢 15歳
職業 剣士
武器 バスタードソード︵両手/片手︶
防具 ハーフプレートメイル︵ブレストプレート。中装備︶
関節のみ防護する革装備
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国─︵ロラン︶
容姿 金髪/碧眼/先端が少しだけ尖った耳/身長1.73メトル
備考
自らの望みを叶えるためなら、手段を選ばない守銭奴。高飛車。
人をからかうのが好き。気分屋。
ハーフエルフなので夜目が利く。耳も若干良い。出身はウル村。
アランと二人の場合は斥候役も兼ねる。
ハーフエルフのくせに脳筋+性格のため、交渉・聞き込みが不得
意。
筋肉がつきにくく、アランより身長が低いのが悩み︵ハーフエル
フは本来人間より身長高め︶。
基本回避。防御より攻撃︵速さ︶重視。
母シーラはかつて冒険者︵魔術師︶として活躍していたが、とあ
る子爵令息の愛人になった事で転落人生を歩み、息子を娘と偽って
育てた︵その結果オネエに成長︶。
師匠は元S級冒険者の凄腕剣士︽疾風迅雷︾ダニエル︵シーラの
277
知人︶。
接敵直後にダッシュで駆け出し、自分の間合いで先制攻撃、両手
による強攻撃、右or左によるスイッチ攻撃︵上手く使うとリーチ
が変化するように見える︶、武器による受け流し︵俗に言うパリィ︶
などを駆使して戦闘する。
●アラン
<i119227|3534>
種族 ヒューマン
年齢 15歳
職業 魔術師
武器 魔術杖
防具 魔術師の黒ローブ︵迷宮発掘品︶
ヘーゼル
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国─︵ロラン︶
容姿 黒髪/淡褐色の瞳/身長1.83メトル
備考
基本真面目だが時折ちゃらんぽらんで皮肉屋。本人は常識人だと
信じているが、ちょっとズレている。世慣れているようで、慣れて
ない。レオナールの幼なじみで、被害者その1。出身はウル村。
家族はほぼ全員脳筋なのに、一人だけ知性派&秀才タイプのため、
苦労している。
師匠はレオの母シーラ︵風魔法が得意︶。
︽炎の矢︾︽炎の壁︾︽炎の旋風︾など炎系魔法を好んで使う。
︽灯火︾︽解錠︾︽施錠︾︽束縛の糸︾︽鈍足︾︽眠りの霧︾も
多用。
基本、レオが作った隙をついての魔法攻撃or妨害魔法だが、敵
が多い場合や探索時は頭脳となる。当然マッピングや情報収集、交
渉なども担当。
278
●オーロン
種族 ドワーフ
年齢 36歳
職業 戦士
武器 バトルアクス︵両手︶攻撃重視で命中低め
防具 フルプレートアーマー︵重装備︶
国籍︵本拠地︶ ?
容姿 土色の肌/暗い茶色の髪/黒曜石の瞳/身長1.24メトル
備考
ドワーフなので夜目が利く。筋力と耐久力が高い。肉盾。スピー
ドは遅く、命中・回避も悪いが、攻撃力・耐久力の高さが長所。
Cランク冒険者。
●ダット
種族 ハーフリング
年齢 16歳
職業 盗賊︵シーフ/ローグ︶
武器 ダガー、ショートボウ
防具 ハードレザーアーマー+灰色のローブ︵軽装備︶
国籍︵本拠地︶ なし
容姿 金茶の髪/茶色の瞳/身長0.87メトル
備考
装備は子供サイズなど小さいものだけ。隠形・命中・回避が得意。
●ヴィクトール
種族 ヒューマン
年齢 20歳
279
クレリック
職業 神官
武器 メイス
防具 神官服
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 銀髪/翡翠色の瞳/身長1.75メトル/病的なまでの痩身
備考
重度の古書物研究オタク。遺跡巡りも好き。趣味について語らせ
ると暴走する。
現在﹃ガルフェストの手記﹄という古書物を研究中。︽シグルド
の霊廟︾がロラン周辺にあるらしい?
●ルージュ
<i119269|3534>
種族 レッドドラゴン
年齢生後2ヶ月︵推定︶
職業 使役魔獣
装備 なし
容姿 体高2.6mメトル/体長5.3メトル/体表:赤
備考
あざと可愛い。﹁きゅっ﹂実は腹黒? 食欲旺盛。肉が大好物︵
次点で豆?︶。
足が弱っているので、リハビリ中。うっかりレオナールにテイム
されて、使役魔獣に。
●???︵仮称:レイシア︶
種族 ?
年齢 ?歳︵推定13歳︶
職業 魔術師見習い︵暫定︶
280
容姿 白髪/紅眼/身長1.53メトル
備考
謎の少女。古代魔法語しか話せない︵?︶。古代魔法語の読み書
きができる。
●ジゼル
種族 人間
年齢 17歳
職業 ギルド職員︵受付︶
国籍︵本拠地︶シュレディール王国─︵ロラン︶
容姿クリクリとカールした赤い髪/身長1.63メトル/オレンジ
に近い茶色の瞳/細身なのに巨乳
備考
密かにアランの事が好き︵?︶。
■オルト村ダンジョン
●邸宅1F
<i118446|3534>
●邸宅B1F
<i118447|3534>
●邸宅2F
<i118448|3534>
●洞窟
<i118449|3534>
281
○魔法陣1
﹁混沌神オルレースの加護の下、識別名︽麦の里︾、場所名︽主の
憩う場︾より、魔力を吸収し、警告を鳴らし、転移を命ずる﹂
<i118476|3534>
○魔法陣2
﹁混沌神オルレースの加護の下、識別名︽麦の里︾、場所名︽研究
室︾より、対象物または人を欠ける事無く、指定の位置への転移を
命ずる﹂
<i118702|3534>
282
1章 登場人物およびダンジョンMAP︵挿絵︶︵後書き︶
オーロン、ダットは後日挿絵追加します。
283
1 それぞれの近況︵前書き︶
2章ゴブリンの王国開始です。
284
1 それぞれの近況
アランの朝は早い。日の出と共に起床し、台所で火を起こして湯
を沸かし、パンを焼き、朝食用のスープを作る。
家人の洗濯物を収集し、井戸水を汲んできて洗って干す。庶民に
してはわりと広い平屋の家屋だが、使用人や家政婦などの類いは雇
っておらず、家主ももう一人の居候も、自発的には何もやらないし、
気にも止めないで散らかし放題やらかす傾向が強いので、役割分担
という考えはないようである。
それに関してアランは言いたい事がなくもないのだが、結局のと
ころ文句言う暇があれば、自分でやった方が早いという事で、彼が
この家の家事一切を手掛けている。
そもそも、そういった細々とした事が嫌いではないせいもある。
アランは神経質、もとい繊細であり、こだわり屋でもある。故郷で
家にいる時も、ダニエルたちと共に暮らしていた時も、ずっと家事
担当だったので、苦に思う事もない。
あえて言うなら、井戸から水を汲むぐらいの事は、たまに手伝っ
て欲しいくらいである。
﹁おはよう﹂
玄関側から現れた完全装備のレオナール││微かに血の臭いがす
る││にアランは眉を寄せる。
﹁お前、また日の出前から狩りに行ってたのか。いい加減にしない
と、この辺の魔獣・魔物が全滅するぞ﹂
285
﹁大丈夫よ。ゴブリンの巣を見つけたの。ゴブリンクイーンと取り
巻きと赤ん坊は残してあるから、しばらくしたら勝手に増えるから
問題ないわ﹂
﹁おい! それはギルドに報告しなくちゃ駄目だろ!!﹂
﹁ええ∼っ? やっと見つけた餌場なのに。近くに人里もないから
平気よ。被害が出る前に私とルージュが狩るから﹂
﹁そういえばあの幼竜、自力でゴブリンまで狩れるようになったの
か?﹂
﹁元々怪我も病気もしてなかったし、たくさん食べて自由に動ける
ようになったから、だいぶ動けるようになったわよ。
大きめの獲物はあの子だけじゃ仕留め損なうし、角兎はまだ不意
討ちでしか仕留められないし、コボルトには逃げられるみたいだけ
ど﹂
﹁⋮⋮お前、もしかして狩りの仕方、あいつに教えて育ててる?﹂
﹁そんなつもりは毛頭ないけど、あの子が勝手に学習して行動する
のは妨げてないわね﹂
ふむ、とアランは頷く。確かにレオナールが誰かに何かに積極的
に世話を焼いたり、何かを教えたりするような姿は想像できない。
いつものペースで好き勝手にやってたら、幼竜の方で勝手に学習し
た、という方が納得できる。
﹁ねぇ、アラン。今、何か失礼なこと考えなかった?﹂
286
﹁気のせいだろ。とにかく、嫌でも面倒でも、ゴブリンの巣がこの
近くにあるってんなら、報告だけはしないとまずいぞ。
何か事があれば、知ってて隠匿したとかで難癖つけられたり、罰
則食らったら、困るのは俺達なんだからな﹂
﹁朝食の時にでもクロードのおっさんに話せば良いかしら﹂
﹁それでも良いが、たぶん後でギルド行って改めて報告、って形に
なると思うぞ。仕事とプライベートはきっちり区別つけるからな、
あのおっさん﹂
﹁⋮⋮おはよう、お前ら。おっさんおっさん言うな。俺はこう見え
てまだ35歳なんだ。ダニエルより6歳も若いんだぞ﹂
眠そうな顔の家主、ギルドマスターのクロードが家の奥にある彼
の寝室から現れた。
﹁え∼? 二十歳超えたら全員オッサンよね?﹂
レオナールの言葉に、アランは微苦笑を返した。
﹁おい、お前ら! 自分が15歳だからって、その基準は酷くない
か!?﹂
﹁だって、考えてみてよ。ギルドマスターが成人してすぐ結婚して
たら、私たちくらいの子供の一人や二人いてもおかしくないのよ?
十分おっさんよね﹂
﹁くっ⋮⋮、レオナールに正論言われると、こんなにムカつくとは
⋮⋮屈辱だ⋮⋮!﹂
287
クロードが頭を掻きむしりながら、悶えた。その姿を、レオナー
ルが呆れたような目で見る。
﹁っていうかまだ、身支度できてないの? 後ろ髪がはねてるわよ。
そんなんじゃ嫁の来手がいないのも当然よね﹂
﹁言葉がイタイ! 胸に刺さって苦しいよ、天国のママン!! ち
くしょう、俺の周囲には何でこう優しさの足りないやつばっかりな
んだ。どいつもこいつも、ろくなこと言いやがらねぇ!!﹂
床の上を転がりそうな勢いだったので、アランがクロードの肩に
手を置いて止める。
﹁汚れるからやめてください。一昨日大掃除したとこなんです﹂
アランが言うと、
﹁ひどっ!! 俺の心配じゃなくて床の心配するとか酷すぎるっ!
!﹂
﹁洗濯物の心配もしています。台所は火を使う関係上、煤汚れがつ
きやすいのですが、この煤汚れというやつが掃除するにも洗濯する
にも、面倒なんです。
床でゴロゴロされると、竈などから飛んだ煤が広がる上に押し潰
されるのでやめてください。食事の支度が終わってから掃けば、ま
た暫く大掃除しなくても、こまめに掃除するだけで状態を維持でき
ますから。
俺が、ここへ来た初日、台所の掃除にどれだけの労力と時間を費
やしたか⋮⋮おかげで夕飯の支度をする時間が取れなくて、食材買
288
い込んだにも関わらず、外食する羽目になったのは、ギルドマスタ
ーも覚えてますよね? 俺の魔法のレパートリーに︽浄化︾はない
んです﹂
﹁あぁああああ、アランが小姑化してるぅうう、その内、棚の溝な
んかを指でこすって﹃ほら、クロードさん、掃除が行き届いていま
せんよ﹄とか言い出すんだぁあああっ!!﹂
﹁いや、掃除含む家事担当は俺ですから、それはありませんね﹂
アランにまで呆れたような目で見られて、クロードは悶絶する。
﹁お前ら、目上への配慮と敬意が足りないぞ!!﹂
﹁いや、だって、ねぇ?﹂
﹁まぁ、そうだな﹂
具体的にどうとは言わずに、目線で会話する二人に、クロードは
唸り声を上げた。
﹁くそぉ、結託するとは卑怯すぎる。多勢に無勢とか、おいちゃん
泣いちゃう! 泣いちゃうわ!!﹂
二人の目が﹃このオッサン面倒臭い﹄と言いたげなものになって
きたので、クロードはそこでやめて、真面目になる事にした。
﹁ところで、さっき、俺になんか話があるとか、ギルドへの報告が
どうたら言ってなかったか?﹂
289
クロードが真顔で言うと、レオナールは肩をすくめ、アランが溜
息をついた。
﹁とりあえず、先に朝食にしましょう﹂
◇◇◇◇◇
﹁で?﹂
食後のお茶を一口含み、飲み下したクロードが二人に促す。レオ
ナールは嫌そうな顔である。
﹁レオナールが、ゴブリンの巣を見つけたらしいんです﹂
アランが口火を切った。
﹁何!?﹂
クロードの顔が真剣なものに変わった。
﹁何処で見つけた?﹂
睨むような目で見るクロードに、レオナールは溜息をついて、渋
々口を開く。
﹁東門を出て、湖のある森を回って行くと岩肌が見えてくるでしょ
? それを北東へ向かうと、洞窟があるの。そこが私が見つけたゴ
ブリンの巣よ。
290
徒歩で行ける距離でようやく見つけた、おいしい狩り場なのに。
あそこを潰しちゃうと、遠出しないと、まとまって見つからないの
よね。
近場じゃ最近はにおいを覚えられたらしくて、ルージュ連れてる
と、ろくに狩れないのよね﹂
﹁ゴブリンクイーンと取り巻きと赤ん坊を残した、とかさっき言っ
てたから、かなり大規模な巣か、どこか別のところから巣立ってき
たやつらだと思います﹂
レオナールの言葉に、アランが補足する。
﹁⋮⋮それはまずいな﹂
クロードが舌打ちする。
﹁よし、後でギルドの俺の部屋へ来い。昼過ぎくらいで良いな。指
名依頼として、﹃ゴブリンの巣およびその周辺の生息状況の調査﹄
を出す。詳しい話は後でしよう。こっちも通常業務や職員たちと打
ち合わせしたりする必要があるからな﹂
﹁せっかく手頃で良さげな狩り場を見つけたのに﹂
レオナールがガックリと肩を落とす。
﹁お前、本当、それ病気だな﹂
クロードが眉をひそめて言う。
﹁町の中で人を斬っても良いなら、そっちのが断然手っ取り早いん
291
だけど﹂
真顔で言うレオナールに、
﹁ふざけんな! そんなアホなこと許すわけないだろ!! お前、
そんなんだからアラン以外に友達いないんだろ﹂
﹁飲み友達的なのは一応いるわよ?﹂
﹁ジェラールは通りすがりの旅芸人とだって、気軽に飲みに行くや
つだろ。あれを勘定に入れてどうする。
お前、何処へ行っても遠巻きにされてるじゃないか。普段の言動
が言動だから仕方ないが、ドラゴン拾ってきた事で、更に悪目立ち
してるよな?﹂
﹁そうね、今週だけで3人から謝礼金を貰ったわね﹂
もちろん、レオナールが彼らに感謝されて支払われたわけではな
く、闇討ちしようとしたり、喧嘩を売ろうとしたりして、返り討ち
になった者が、見逃して貰う代わりに差し出した金である。
ちなみに、差し出さなかったのは、自力で身動きできないくらい
に叩きのめされた連中である。
﹁謝礼金じゃなく、みかじめ料とか上納金のが近いだろ﹂
アランがぼやくように言う。
﹁そう言えば、︽草原の疾風︾のやつらが、先週だったか、全員全
裸で丸刈りにされて、ギルド前の時計台に吊されてたな。あれ、お
前らか?﹂
292
﹁さぁ、何処の誰でしょうねぇ﹂
アランはそらとぼけた。
﹁まぁ、殴られたり蹴られたりはしてないようだったから、レオナ
ールの仕業ではないな。あれ、魔法使わずに素手でやったなら、ず
いぶんな手練れだな﹂
﹁へぇ、それはすごいですね﹂
アランは棒読みで言った。レオナールがアランをニヤニヤ見てい
るので、バレバレである。
﹁ロランを拠点としている魔法使いは、俺の知る限り十人といない
んだがな﹂
﹁そうですか。まぁそれくらいいるんだから、誰か一人くらいは関
わってそうですよね﹂
仏頂面でアランが言う。はぁ、とクロードが溜息をついた。
﹁お前ら、本当問題児過ぎて、俺は胃が痛いよ。とりあえず、善良
な皆さんには迷惑かけんなよ?﹂
﹁嫌だなぁ、ギルドマスター。俺がそんな事するはずないじゃない
ですか﹂
乾いた笑みと、感情のこもらない声で返すアラン。レオナールは
ニヤニヤ笑っているだけ。
293
﹁とにかく、頼むからな!﹂
ちょっぴり泣きたい気分で、クロードは念を押した。
朝食後、クロードは手早く身支度してギルド支部へと出勤した。
レオナールがルージュと共に出掛けようとするのを、アランが押し
留め、ジロリと睨む。
﹁お前、出掛けたら夕方まで帰って来ないつもりだろう﹂
﹁他の狩り場探しに行きたかったのに﹂
レオナールが不満そうに言う。
﹁別の日にしろ。いつでも良いだろ、そういうのは。⋮⋮どうせ今
日の午後には、次の仕事を受けるんだ。依頼中は好きなだけゴブリ
ン狩って良いから﹂
﹁本当?﹂
レオナールが満面の笑みを浮かべる。
﹁ああ、とにかく今日の午前中はおとなしくしてろ。町の中なら出
掛けても良いから﹂
﹁ん∼、町の中で狩れる魔獣って何かいたかしら?﹂
アランの言葉に、レオナールが首を傾げる。
﹁おとなしくしてろって言っただろ! 人の話はちゃんと聞け!!﹂
294
アランが激高した。
◇◇◇◇◇
ドワーフのオーロンと、白髪紅眼の少女は、ロランの町にある中
程度の宿屋に、もう二週間ほど滞在していた。
﹁で、あなたが王都から来られた、アドリエンヌ殿か﹂
﹁ええ、はじめまして、オーロンさん﹂
ブルネット
そう言って、見事な褐色髪に碧い瞳の美女が、笑いかける。
﹁こちらこそ。この度はよろしく頼みます﹂
﹁それで、そちらが、ダンジョンで保護されたという⋮⋮?﹂
﹁うむ、とにかく言葉が通じなくて困っておりましてな﹂
少女は、無表情で宙を見上げてぼうっとしている。ここ最近は、
食事と睡眠時以外はこんな調子である。
﹁では話しかけてみましょう。︽はじめまして。私はアドリエンヌ。
あなたのお名前を教えて下さい︾﹂
アドリエンヌは、少女に近付き、古代魔法語で話しかけた。その
途端、ものすごい勢いで少女が振り向く。
295
﹁︽今のあなた!? あなた話せるの!?︾﹂
少女は飛び付かんばかりの勢いで、安堵と喜びの笑みを浮かべて
問い返す。
﹁︽ええ、基本的な古代魔法語を話す事が可能です。言葉が通じな
いのは不安ですし、大変ですよね。
差し支えなければ、あなたのお名前や出身など、あなたの身の上
につきお聞きしたいのですが、よろしいですか?︾﹂
アドリエンヌが尋ねると、少女は困った顔になった。
﹁︽わからないの︾﹂
少女の答えに、アドリエンヌは怪訝な顔になる。
﹁︽わたし、自分の名前も、過去の記憶も、現在の状況も、何もか
もわからないの。
最初、この見たことないおじさんが誰なのかわからなくて困った
けど、この人も困ってるみたいだし、それに親切にしてくれてるし、
有り難いとは思ってるけど、でも言葉が通じないから不安で不安で。
ねぇ、わたし、何故ここにいるの? この人は誰?︾﹂
少女の答えにアドリエンヌは絶句した。
﹁⋮⋮なんてこと⋮⋮!﹂
オーロンと少女が、不思議そうにアドリエンヌを見る。
296
﹁︽あなた、記憶喪失なの?︾﹂
﹁︽記憶喪失って何?︾﹂
少女がきょとんとした顔になり、アドリエンヌの顔が蒼白になっ
た。
﹁な、アドリエンヌ殿?﹂
驚いたオーロンが、声をかける。
﹁大変です。彼女は流暢に古代魔法語を話す事ができますが、記憶
喪失に加え、一般的知識のいくつかもないようです﹂
﹁⋮⋮なっ!?﹂
﹁とにかく彼女が何を知り、何を知らないかも探る必要がありそう
です。これは時間がかかりそうですね。︽あなたが自分の事で知っ
ている事、一番最近の記憶は何ですか?︾﹂
﹁︽寝ていたから良くわからないけど、硬い石の上のような場所で
ずっと眠っていたわ。それ以外の記憶はないみたい。
あと、夢の中で誰かに名前を呼ばれたような気がする。でも、な
んて呼ばれたかは覚えてないみたい︾﹂
アドリエンヌは頭痛をこらえるような顔になった。
297
1 それぞれの近況︵後書き︶
というわけで2章開始。
1章終了2週間後です。
以下修正
×臭い
○におい︵レオナールの台詞のため︶
298
2 剣士は肉屋で絡まれる
﹁アランってば、どうしてあんなに怒りっぽいのかしらね?﹂
﹁きゅう?﹂
レオナールはルージュと共に、町の南西部、つまりクロード宅の
近くにある市場を冷やかしながら歩いていた。
狩りに行けないのなら、と、ベッドで寝直そうとしたのだが、ア
ランに﹁掃除の邪魔だ﹂と叩き出されたのである。
﹁本当面倒くさいわ。町の外へ出るなと言われたから、昼まで寝倒
そうと思ったのに。剣の鍛錬するにしても、師匠みたいに頑丈な肉
壁そうそういないものねぇ﹂
ふぅ、とレオナールは溜息をついた。相手がいなかったら、一人
でやる、という発想はないようだ。
﹁今日は狩りに行けるかわからないから、何か適当に食べる?﹂
﹁きゅっきゅうっ!﹂
嬉しそうに、ルージュが鳴いた。
﹁ところであなた、肉以外には何を食べるの?﹂
﹁きゅきゅーっ!!﹂
299
ぶんぶん、と首を振り、ばしんばしん尻尾を地面に叩き付けるル
ージュを見て、レオナールはあら、と声を上げる。
﹁それって肉一択ってこと?﹂
﹁きゅきゅうっ!﹂
ルージュは何度も頷き、尻尾を嬉しげに左右に振る。
﹁ふーん。じゃあ、どうしてあの時、豆を食べたのかしら。肉が無
かったから?﹂
頷き、尻尾を振るルージュ。
﹁なるほどねぇ。じゃあ、豆は嫌いなの?﹂
レオナールが尋ねると、ルージュはちょっと困ったように、迷う
ように尻尾をゆらゆら揺らしつつ、首を傾げた。
﹁どちらでもないって事? まぁ、どちらにせよ、肉が食べたいの
ね﹂
﹁きゅきゅきゅっ!﹂
ルージュは頷き、眼を輝かせた。
﹁なんとなくだけど、最近ようやくあなたの言いたい事、だいたい
わかるようになってきた気がするわ。
まぁ、言葉が話せたらもっと楽だと思うけど。確かドラゴンって、
中には人間の言葉を話せるのもいたはずよねぇ? まだ子供だから
300
喋れないの?﹂
﹁きゅう?﹂
どうやら、ルージュにもわからないらしい。
﹁あなたが人間の言葉を話せたら、きっとあのダンジョンの事もも
う少し詳しくわかったでしょうにねぇ。まぁ、話せないなら仕方な
いわよね﹂
レオナールは左右を見回し、肉屋を探して歩く。飛び退かれはし
ないが、彼らに話しかけたり、呼び込みをかける者は一人もいない。
進行方向にいる者は、彼らが近付く前に距離を取るので、市場は
そこそこ人が多いのに、彼らの前を遮る者はいないため、正面を見
ていなくても、同じ歩調を保って真っ直ぐ歩く事ができた。
﹁ねぇ、ルージュ。肉屋はどっちだと思う?﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
尻尾を跳ね上げ、尻尾でレオナールの右前方を指し示す。
﹁ふぅん、あっちね。あなた、本当頭良いわね﹂
レオナールはにっこり笑って言った。後方で油断していた商人が、
尻尾を避けるため慌てて飛び退いたが、1人と1匹は気付かなかっ
た。そして、その光景を見ていた者は、改めてこいつらヤバイ、と
認識したのだった。
レオナールはルージュと共に、ルージュの教えてくれた方向へと
向かった。しばらく歩くと、レオナールにもかすかな血の臭いを感
301
じる事ができるようになった。
﹁へぇ、そっか。そう言えば肉屋と言えば、解体するから血のにお
いで判別できるのねぇ。いつも料理された状態のものしか見ないか
ら、うっかりしてたわ。
狩りの時は、血のにおいがするのは当然だと思ってたけど。市場
の外れにあるのも、そういった事が理由なのかしらね﹂
﹁きゅう?﹂
﹁内臓もあるようなら分けて貰いましょう。あなた、肝や心臓も好
きだものね﹂
﹁きゅきゅうっ!﹂
嬉しそうにルージュが尻尾を揺らす。傍らを通り抜けようとした
男が、慌てて尻尾を避けようとして、他の通行人にぶつかった。
﹁それにしても久しぶりに人の多い場所を歩いた気がするわ。あな
たがいると、周りが皆避けて通ってくれるから楽ね﹂
レオナールはにっこり笑った。通行人とぶつかった男が文句を言
いたそうな顔になったが、レオナール自身は丸腰でも、傍らにドラ
ゴンがいるため、諦めて立ち去った。
そして人混みを抜けて市場の端に近い大きな肉屋にたどり着いた。
店舗部分は小さいようだが、解体作業や加工する場所、保存用の倉
庫などの部分が建物の八割から九割を占めている。
﹁こんにちは、肉と内臓が欲しいんだけど何かあるかしら? 何で
も食べるから種類は問わないわ﹂
302
店先で、処理をした鳥の肉を吊るしていた男が振り返り、ドラゴ
ンに気付いて驚愕する。
﹁あ、あんたそれ⋮⋮っ!﹂
﹁生肉や内臓は好きだけど、街中で人間は食べないわ。この体見た
らわかると思うけど、何でも良く食べるの。
他には売れないようなゴブリンの肉や内臓も喜んで食べるから、
腐ってなければ、売れ残りでもかまわないから、たくさんちょうだ
い。いくらになるかしら?﹂
﹁ここは一応卸専門で個人の客には本来売ってないんだが⋮⋮まぁ、
その図体なら小売りの店じゃ足りないか。
捌きたての角猪肉もあるが、売れ残りで良いのか?﹂
﹁金貨3枚までは出すわ。何でも良いから大量に欲しいの。角猪の
内臓が残ってたら、それもちょうだい﹂
﹁さすがに金貨3枚は売れないよ。他の客に売る分がなくなっちま
う。角猪の内臓は後で捨てようと思って、今日捌いた他の肉の内臓
と一緒になってるんだが﹂
﹁じゃあ、まとめてちょうだい﹂
﹁ふぅん、そうかい。基本的には予約注文なんだが、うちは家畜だ
けでなく魔獣や獣の肉も扱ってるから、多めに入って来る事もあっ
てね。冒険者ギルドから安い肉も仕入れている。
そういう余った肉や安い肉は、大抵加工して売ってる﹂
303
﹁って事は、ここじゃなくて加工作業場に行けば良いのかしら﹂
﹁ここの肉も、これとこれは売れる。角猪のオスと、森鹿のメスだ
な。銀貨2枚だ﹂
﹁わかったわ。じゃあ、まずはそれをちょうだい﹂
レオナールは懐から財布を取り出して支払う。
﹁きゅきゅうっ﹂
男が肉の塊を梱包する作業を見て、ルージュがねだるように、レ
オナールに鼻を擦り付ける。
﹁ここで食べちゃダメよ。家に戻ってからにしましょうね。それに
まだ買うからしばらく我慢して﹂
﹁きゅう﹂
しょんぼりと尻尾を垂らす。
﹁⋮⋮ずいぶん慣れてるんだな、そいつ。でかいトカゲかと思った
ら蝙蝠みたいな羽が生えてるし、そいつ噂のドラゴンだよな?﹂
﹁そうよ。生の肉と内臓が大好物で血抜きしてなくても大丈夫よ。
たぶん血抜きしない方が好きだけど﹂
﹁残念ながら血抜きしてない肉はさすがにないな。ソーセージ用の
豚の血は取ってあるが、必要分しかないから、分けられない。どう
しても欲しいなら次から取っておくが﹂
304
﹁たぶん明日から仕事で出かけるから、次はいつ買いに来れるか予
定がわからないのよね﹂
﹁冒険者なら仕方ないだろうな。まぁ必要な時は事前に言ってくれ。
どうせ内臓や血はほとんど捨てるからな。で、状態があまり良くな
い変色した肉でもかまわないのか?﹂
﹁腐ってうじがわいてなきゃ大丈夫よ。まぁ変な臭いがするのは、
さすがに好んで食べないけど﹂
﹁腐った肉は処分してるよ。大抵腐る前になんとか処理してるがな﹂
男は困ったような笑みを浮かべる。
﹁味や臭いには問題ない、とはいえ最上の状態よりは落ちる、元は
高級牛肉なんだが、うっかりやらかしたやつがいて、温度管理が悪
くなって、変色したのがある。
店では売れないが、もったいないから加工して売ろうと思ってた
んだが、あんたに売ろう。牛3体分だから結構な量だが、問題ない
んだろ?﹂
﹁ええ、問題ないわ。良かったわね、ルージュ。高級牛肉3体分で
すって﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
﹁危なっ! ちょっ、こんなところでそのでかい尻尾振り回さない
でくれ。壊れたり怪我したりしたらどうするんだ﹂
305
﹁あら、ごめんなさい﹂
﹁まぁとにかく、その肉は銀貨5枚で良い﹂
﹁あら、ずいぶん安いのね?﹂
﹁元はその10倍くらいだったんだが、食うのには問題ないとは言
え、元より落ちるからな。それにあんたは、また何か買いに来てく
れそうだから、サービスだ。その値段で臓物もつける。臓物はどう
せ捨てるやつだからな﹂
﹁銀貨7枚で思ったよりたくさん買えたわね。この子、普段は魔物
や魔獣の肉を狩って食べさせてるんだけど、今日は狩りに行けそう
にないのよね。
次はいつになるかはサッパリだけど、また狩りに行けない時とか、
この子がおやつを欲しがる時は来させて貰うわね﹂
﹁あんたも大変だな﹂
実情を知らない男が言った。実際は幼竜の餌の方がついでだし、
今朝の狩りは既に済ませている。
﹁別に狩るのは問題ないわ。後始末も全部残さずこの子が食べてく
れるから問題ないし﹂
﹁あー、大量の血や臓物の臭いは人間でもキッツイからな。屋外だ
と拡散するとは言え、今度は他の魔獣か何かを呼びそうだしなぁ﹂
﹁やっぱりこんな端にあるのは解体と加工をするから?﹂
306
﹁ここらの土地代が安いのも理由の一つだが、それが一番大きいな。
裏に一本入るとスラムがすぐそこだ。来る時は気をつけてくれ﹂
﹁今日は丸腰だけど、いつもは剣を担いでるから大丈夫よ﹂
今日に限って武器も鎧もないのは、アランに置いていけと言われ
たからである。装備している状態で外に出したら、獲物を狩りに行
くのは目に見えている、と。さすがのレオナールも全くの丸腰で町
の外へ出たりはしない。
﹁あんた細く見えるが剣士なんだな﹂
﹁そうなの。肉がつきづらくて困っちゃう。もっと筋肉欲しいのに﹂
﹁まぁ、あんたなら、肉がいくらついても男前だろうね﹂
﹁あら、ありがとう。この町の人、皆シャイなのか、面と向かって
容姿褒められたのは、ここでは初めてだわ﹂
照れる事なく、謙遜もなく、肩をすくめ、髪を掻き上げながら、
レオナールはお礼を言う。
﹁へぇ、そうかい。男はともかく、若い女の子が騒ぎそうな容姿に
見えるが。ああ、もしかしてあんた女の子に興味はないってタチか
い?﹂
﹁男にも女にも特に興味はないわね。斬って良い対象なら話は別だ
けど﹂
﹁きれいで優しそうな顔して、おっかない兄さんだな。あ、そうだ。
307
俺はジャン、この肉屋の息子で、一応店の責任者だ。あんたは?﹂
﹁レオナールよ﹂
﹁肉は家まで運ぶか? それともドラゴンの背に載せていくかい?
今はうちの店員全員、配達に出ているから、配達するとなると、
早くても昼前後くらいになる﹂
﹁この子に載せて持って帰るわ﹂
﹁わかった﹂
丁寧に梱包され荷箱に入れられた肉は、ルージュの背中に紐でく
くりつけられた。
﹁きゅうきゅうっ﹂
ルージュはご機嫌である。
﹁じゃ、残りの肉も持って来よう。待っててくれ﹂
﹁私たちが行って手伝った方が早くない?﹂
﹁悪いが荷台は通れても、ドラゴンが通れるほど広くない。こんな
ところに主なしのドラゴンを置いてくのも不安だしな﹂
﹁大丈夫だとは思うけどまぁ、そうね。他の客が来ても逃げるわね﹂
﹁この時間には誰も来ないとは思うが、ちょっと待っててくれ。つ
いでに他に誰か来たら、待つように言ってくれると助かる﹂
308
﹁わかったわ。じゃあ、よろしく頼むわね﹂
﹁ああ、なるべくすぐ戻る﹂
肉屋の男、ジャンが加工作業所と思われる建物の中へ入って行っ
た。
﹁きゅきゅう∼っ﹂
琥珀色の瞳で、ねだるようにルージュが鳴く。
﹁待ってなさい。家に帰ったら好きなだけ食べて良いから﹂
ルージュは不服そうながら、しぶしぶといった感じで諦めた。
﹁きゅう∼﹂
レオナールは苦笑し、ルージュの鼻先を撫でてやる。ルージュは
嬉しそうに目を細めた。
﹁こんにちは∼ジャン、いる⋮⋮ってうぉぁわぁっ!!﹂
女性とは思えない悲鳴を上げて飛び退く、十代半ばから後半くら
いの年齢の見知らぬ少女。小柄で明るい茶髪に、灰色がかった青の
瞳、日に灼けた顔に大量に散ったそばかすが、愛らしく見える。
﹁なっなっなっ⋮⋮なっ!?﹂
女は目を白黒させてルージュとレオナールを見ている。
309
﹁ジャンなら、今、私の頼んだ商品を取りに行ってるわ。しばらく
したら戻って来るから、待ってると良いわ﹂
﹁ドッ⋮⋮ドラゴン⋮⋮ッ!! なっ、何をしに来たの、悪徳剣士
!? こんなショボイ店に来てもみかじめ料なんて取れないわよ!
?﹂
少女の言葉に、レオナールとルージュは怪訝な顔をする。
﹁うん? あなたは客じゃなくて、この店の関係者なの?﹂
﹁客だけど関係者でもあるわ! 何が目的なの、悪徳守銭奴剣士!
! 金目当てなら他を当たった方が良いわ﹂
﹁ちょっと聞きたいんだけど、悪徳守銭奴剣士って私のこと?﹂
﹁他に誰がいるのよ! うちの宿泊客3人に暴行して金を奪ったっ
て話は聞いてるんだからね! だけどおあいにく様、暴力振るわれ
ても無い袖は振れないのよ!!﹂
レオナールははて、と考える。身に覚えがありすぎて、どれの事
だかわからない。ただ、わかっているのは、
﹁それは相手の方から絡んで来たから反撃して、これで許して下さ
いって財布差し出して来たから受け取っただけよ?﹂
約1ヶ月前のギルド登録したての頃や、それ以前ならばともかく、
ここ最近、少なくとも2週間は、レオナールから喧嘩を売った例は
皆無なはずだ。人も殺していない。
310
﹁なんですって!? 3人は歩くのもやっとな状態で帰って来て、
いまだに仕事を受けられずに部屋で療養中なのよ?﹂
﹁おかしいわね。神官は無理でも、きちんと治癒師に見て貰えば動
ける程度にしか痛めつけてないはずだけど﹂
﹁治癒師なんかに診て貰ったりしたら、治療代がかかるでしょ!?
一文なしで仕事もできないのに、どうしたら治療して貰えるのよ
!!﹂
﹁銀貨1枚ずつ返却したから大丈夫だと思ってたけど、返し忘れて
そのまま没収した人たちがいたのかしらね?﹂
覚えてないわ、とレオナールが言うと、少女が真っ赤な顔で激高
した。
﹁あんたの悪行は常に聞いてるんだから! みんな言ってるわ、あ
んたは︽歩く災厄︾だって!!﹂
レオナールはふぅん、と頷いた。
﹁で? だから何? 何が言いたいの﹂
﹁とにかくあたしたちに関わらないで! 何が目的かは知らないけ
ど、あんたの望むようなものは何もないわよ!! 出てって! 早
く出て行きなさいよ!!﹂
﹁とは言っても、支払いはまだとは言え、頼んだ肉と内臓を受け取
らないと帰れないわねぇ﹂
311
﹁⋮⋮え⋮⋮頼んだ肉と内臓?﹂
少女はきょとんとした。
﹁最初に言ったわよね、ジャンは私が頼んだ肉と内臓を取りに行っ
てるって。先に頼んだ分はこの通り梱包して受け取ったし支払いも
済んでる。
銀貨5枚で残りの商品受け取ったら帰宅予定だけど、あなたのや
ってる事って、営業妨害ってやつかしら?﹂
﹁え? え?﹂
﹁まぁ、私は正直、肉が少しでも買えれば良いし、できたら全部買
って帰りたいけど、どうしてもってわけじゃないから帰っても良い
けど、ジャンはどう思うかしら?﹂
ニヤニヤ笑いながらレオナールが言うと、少女は顔を赤く染めた
り青ざめたりし始めた。
︵表情が目まぐるしくクルクル変わって反応が面白くて良いわね。
アランの次くらいにからかうと楽しいかも。
下手な相手をからかうと、泣かれたり後が面倒だけど、気が強く
て反応が顕著で、面白いわね︶
レオナールは相手を面白い玩具と認定した。次から暇な時に見か
けたら、からかって遊ぶ事にしようと考える。
﹁お待たせ。悪いが向こうで梱包して来た⋮⋮ってエレン? どう
した、追加注文か?﹂
312
ジャンが荷台に大量の肉と内臓を詰めた荷箱を積んで戻って来た。
﹁あ、ぁあ、あ⋮⋮っ!﹂
﹁エレン?﹂
目を白黒させ、顔色を激しく変化させて、呂律も回らない少女を
見て、ジャンは首を傾げる。
﹁次のお客さんが来たみたいだから、支払いと受け取りを済ませて
しまいましょう。済んだらすぐに帰るわ。この子が待ちきれないみ
たいだから﹂
﹁おっと、そうだな。さっきも言った通り、銀貨5枚だ。しかし、
こんなに載せられるか?﹂
﹁大丈夫よ、ルージュはこう見えて結構力持ちだし頑丈だから。ち
ょっと不器用でトロいところもあるけど、子供だから仕方ないわね。
きっとこれから伸びるわ﹂
﹁そうか﹂
﹁はい、銀貨5枚﹂
﹁確かに。じゃ、積むか。先に載せたやつのが軽いから積み直そう﹂
﹁わかったわ﹂
二人で協力して買った荷を積み直す。その間、ルージュは地面に
313
ペタリと伏せ、わずかに羽を開いて、動かないようじっとしている。
﹁いい子ね﹂
荷物を無事くくりつけると、レオナールはルージュの鼻先を撫で、
褒めてやった。
﹁ぐぁ、きゅうぅ﹂
ルージュが嬉しそうに目を細めた。
﹁じゃ、私は帰るわ﹂
﹁ああ、仕事頑張れよ。また来てくれ﹂
﹁ええ、いつになるかわからないけど、その内また来る事にするわ。
じゃあね﹂
レオナールはルージュと共に帰宅する事にした。さすがに重いの
か、ルージュの動きはのっそりしている。
﹁ちょっと買いすぎちゃったかしら?﹂
﹁きゅきゅう∼﹂
ルージュは首は動かさなかったが不満そうに、バランスを崩さな
い程度にゆっくり尻尾を揺らした。
﹁まぁ、気をつけて帰りましょうね。あなたが横倒しになったり、
転んだりしたら大変そうだし﹂
314
﹁きゅう∼﹂
帰る一人と一匹。エレンと呼ばれた少女は、まだアワアワしてい
た。
315
2 剣士は肉屋で絡まれる︵後書き︶
というわけでほのぼの日常回︵?︶。
次話は、ギルドです。
以下修正
×面倒臭い
○面倒くさい︵レオナールの台詞のため︶
×臭い
○におい︵レオナールの台詞のため︶
316
3 指名依頼︵前書き︶
非良識的な行いのシーンがあります。
317
3 指名依頼
﹁おい、その大荷物は何だ?﹂
一人と一匹が帰宅すると、庭掃除をしていたアランが、顔をしか
めて尋ねてきた。
﹁肉と内臓よ﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
﹁まさかそれ全部、か?﹂
おそるおそる尋ねるアランに、レオナールは頷いた。
﹁そうよ、銀貨7枚分。結構安いでしょ?﹂
﹁いやいやいや! 普通、肉みたいに腐りやすいもの、銀貨7枚分
も買ったりしないからな!! あと、お前の金銭感覚おかしいぞ!!
普通の肉はもっと安いんだぞ!? まさか、それ全部魔獣系の肉
とか言わないよな!?﹂
﹁銀貨5枚分は高級牛肉よ﹂
﹁⋮⋮何? いや、でもその量はあり得ないだろう。それ全部その
幼竜の物だとか言わないよな?﹂
﹁そのつもりだけど。あ、でも、高級牛肉はちょっとだけお裾分け
318
して貰いたいとこよね﹂
﹁おいおいおい、何無駄遣いしてんだ! バカ!! いや、お前の
金だから好きに使えば良いと思うが、お前普段がめついくせに、良
くわからない金の使い方するなよ!!﹂
﹁え∼? 何よ、別に良いでしょ、あなたに迷惑かけないから。さ、
ルージュ、倉庫で食事にしましょう﹂
ルージュの小屋代わりの倉庫に入るレオナール達の後を、アラン
もついて来る。
﹁何よ? 掃除してたんでしょ﹂
﹁文句は言わないから、一応中身を見せろ﹂
﹁どうして?﹂
﹁ボラれたり騙されたりしてるかもしれないだろ? 念のためだ﹂
しかめ面で言うアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁私、子供じゃないんだけど。保護者ぶるアランとかウザいわよ﹂
﹁ウザくて悪かったな! 良いだろ、心配したって﹂
レオナールは鬱陶しそうな顔をしたが、面倒なので無視する事に
した。ご機嫌なルージュの背から荷箱を下ろそうとして、一人だと
難しいことに気付いた。ルージュが床に寝そべっても、胸より高い
のだ。しかもルージュの背中は平らではない。
319
﹁ねぇ、アラン。私がルージュの背に乗って荷物下ろすから、受け
取って、その辺に置いてくれるかしら?﹂
﹁わかった﹂
二人で協力して荷を全て下ろす。
﹁結構重いな、これ﹂
﹁う∼ん、たぶん、これが内臓かな。この辺が牛肉で、あれが角猪
だと思う。森鹿は何処行ったかしら? ま、開けて見ればわかるわ
よね﹂
﹁お前、なにげに高い肉のラインナップ選んで来てるな。品質にも
よるけど、その選択でこの量が銀貨7枚は破格だな。
っていうか俺の行く肉屋には、森鹿とか置いてないんだが、何処
で買ってきたんだ?﹂
﹁うん、なんか市場の端っこ、スラムに近い一番東側ね。本当は卸
専門だって言ってたわ。だから肉は部位毎に切り分けた大きな塊だ
けど、ルージュが食べる分には問題ないもの﹂
﹁ふぅん、そんなところまで行った事ないな。卸専門なら、行って
も売って貰えなさそうだが。それって家庭用の包丁で切れる大きさ
か? まぁ、最悪魔獣素材剥ぎ取り用のナイフ使えば良いけど﹂
レオナールはまず内臓の箱を開けた。二重にした丈夫な袋の中に
内臓が詰まっている。
320
﹁ルージュの鼻先が入らないから、中身をぶちまけるか、何か入れ
物がいるわね﹂
﹁ぶちまけるなよ、掃除が大変だから。薪にしようと思ってた、古
い木のたらいがあるから、持って来る。ただちょっと汚いから洗う、
っておい!﹂
知ったことかと言わんばかりに、勢いよく内臓を床にぶちまける
レオナール。それに飛び付くように勢い良く食べ始めるルージュ。
﹁おい、レオナール⋮⋮﹂
﹁アランはまどろっこしくてクドイのよ。早く食べたいわよね、ル
ージュ﹂
ルージュは食べるのに夢中なようである。一心不乱に舐めるよう
にペロリと食べ尽くす。
﹁⋮⋮床に血の跡すら残さずとか⋮⋮ドラゴンの涎とか、水拭きで
取れるかな﹂
レオナールは無視して、次の箱を開けた。中には高級牛肉が、部
位毎に切り分けられた状態で、一頭分入っている。それも力任せに、
勢い良くぶちまける。
﹁おい﹂
途端にアランの表情が変わった。
﹁これ、銀貨数枚で買える肉じゃないぞ⋮⋮﹂
321
﹁本当は十倍くらいの値段だって言ってたわ。変色したから安く売
ってくれるって﹂
﹁おいおいおい、いや、変色ったってこれ、十分売り物になるから
な? っていうか普通の店なら、これくらい値下げなしに店で売る
ぞ。どんだけ高級店なんだ﹂
ルージュがいつもよりハイペースで食べている。気にせずレオナ
ールは次の箱もぶちまけた。アランの顔が蒼白になる。
﹁なぁ、レオナール。これ、高級料理屋とかで出すような肉だぞ。
下手すると金貨数枚支払うようなとこだ。庶民の口にはそうそう入
らない代物だぞ?﹂
﹁あらそう﹂
レオナールは最後の牛肉の箱もぶちまけた。それを見たアランが、
呻くような低い叫び声を上げた。
﹁でも、そういうの良くわからないからどうでも良いわ﹂
レオナールはにっこり笑う。アランはガックリと膝をつく。
﹁なっ⋮⋮なんて勿体無い事を⋮⋮っ!!﹂
﹁あ、森鹿見つけた﹂
そう言って、その箱の蓋に手をかけたレオナールの腕に、アラン
が飛び付く。
322
﹁ま、待て! それは取っておこう、な? 肩の部分か、柔らかそ
うなとこを一切れだけで良いから⋮⋮﹂
必死な形相で食いつくアラン。レオナールはニンマリ笑った。
﹁ねぇ、アラン。私が好きなこと教えてあげましょうか?﹂
﹁へ?﹂
アランがきょとんとした顔になる。
﹁他人の嫌がる事をすることよ!﹂
そう言って力任せにぶちまけた。アランがギャアッと悲鳴を上げ
る。
﹁ふふっ、面白い顔﹂
機嫌良さげに笑うレオナール。アランの眉が情けなく下がり、心
なしか涙目になる。
﹁⋮⋮お前、本当は俺が嫌いなんだろ。だから嫌がらせとかする時、
すげぇいい顔してるんだろ。でも食べ物に当たるのはやめろよな!﹂
﹁最初からルージュのために買ったのよ。どうせ私は何を食べても、
違いはわからないもの﹂
﹁⋮⋮俺は違うんだが﹂
323
﹁大丈夫! アランも食べたいなら、稼げば良いのよ。自分の金で
買いなさい?﹂
艶やかな笑みを浮かべて満足そうに笑い、レオナールは角猪の箱
もぶちまけた。
﹁ああ⋮⋮お前はそういう鬼畜で、天の邪鬼なやつだよな⋮⋮地獄
に落ちれば良いのに﹂
アランが床に四つん這いになって、呻くように呟いた。
﹁聞こえてるわよ?﹂
﹁ああ、知ってるよ、地獄耳。お前なんか嫌いだ⋮⋮何が楽しいん
だよ、わかんねぇよ、絶対理解できねぇよ、その感性﹂
﹁え∼っ? だってアランの反応が顕著で楽しいんだもの﹂
﹁やっぱりお前、俺のこと嫌いなんだろ?﹂
﹁別に嫌いではないわよ。ただ、まぁ、アランに偉そうにされると
ちょっとムカつくから、時折凹ませてやりたくなるだけで、私なり
に可愛がってるつもりよ?﹂
﹁お前、それ意味が違うからな、それ可愛がるの本来の意味じゃな
いからな! っていうか、俺に子供扱いされたと思ってむくれてた
のかよ! わかんねぇよ! もっと表情に出せよ!! 文句あるな
ら頼むから口で言え!!﹂
﹁ほらほら、男の子がこんなことくらいで泣いちゃダメよ?﹂
324
﹁泣いてねぇよ! つうか時折うちのお袋みたいな事言うのやめろ
よな! 口調と声音のギャップで微妙な気分になるからな!!﹂
﹁ところでアラン、昼食はどうする? ルージュには食べさせたか
ら、このまま留守番させるでしょ?﹂
レオナールが言うと、アランは深い溜息をついた。
﹁なんか何もかもどうでも良くなったから、飯の支度する気分じゃ
ないな﹂
﹁じゃ、そこらで適当に食べましょう﹂
﹁⋮⋮お前、本当に最悪だよな﹂
アランがぼやくと、レオナールが挑戦的な笑みを浮かべる。
﹁ふぅん、愛想が尽きた?﹂
﹁んなの、しょっちゅうだから今更だろ。お前がそれを喜ばなくて
も、俺はお前を見捨てる気は毛頭ないからな。
お前は、しっかり手綱を握っておかないと、何をやらかすかわか
らないからな。
俺はお前を犯罪者にしたくないんだ。本当はわかってんだよ、お
前、今でもあいつを殺したいんだろ?
でもダメだからな。あいつの処分は王と伯爵が決めた事で、絶対
に覆らないんだ。
お前は子爵家の血を引いてはいるけど、籍はないしハーフエルフ
だから正式な市民権が貰えたら御の字なんだ。
325
この国で、貴族と平民の間には大きな差があるんだ。人間扱いし
て貰えるのは、平民の中でも金とコネを持った一部の人間だけだ﹂
アランが沈痛な表情で真面目に言うと、レオナールは面倒臭げに
大きく伸びをした。
﹁あ∼、何でも良いから早く斬りたいわ﹂
﹁頼むから魔物と魔獣だけで勘弁な?﹂
﹁できればオークやオーガも狩りたいわね﹂
﹁まだ駄目だからな。もうちょいお前が落ち着くまで許可しないか
らな﹂
﹁え∼っ、つまんない﹂
﹁下手なことしてお前が死んだり傷付いたりして欲しくないからな。
うるさがられても言うぞ。
魔獣と魔物ならいくらでも満足できるだけ斬らせてやる。なるべ
くベストの状態でそれができるように俺がフォローするから、な?﹂
﹁アランって、私のこと融通の利かないワガママな子供だと思って
ない?﹂
﹁ただの事実だろ。お前が大人なら、どいつもこいつも皆大人ばっ
かりだろ。俺もまぁ人間できてねぇし、まだ大人にはなれないけど、
そんなもんだろ。
まぁ、面倒だったりウザかったりするかも知れないけど、我慢し
ろ。お前にとって面倒な事は俺がかぶってやるから﹂
326
﹁アランにそんな事して貰う筋合いないと思うけど?﹂
﹁俺が好きこのんでやってるんだから、ラッキーくらいに思ってお
けよ。雑用係がいると便利だろ?﹂
﹁まぁ、そうだけど﹂
﹁おい、そこは一応否定しろよ﹂
﹁えぇ? 面倒臭いこと言わないでよ。本音と建前とか謙遜だとか、
面倒だからやめてよね﹂
﹁脳筋のお前に期待するだけ無駄だよな。まぁ良い、面倒臭い話は
ここまでだ。ちょっと早いが、気分転換に飯食いに行こう﹂
﹁了解。ここの掃除は?﹂
レオナールが尋ねるとちょっとだけ嫌そうな顔になったアランが、
﹁どうせギルドの話が終わって、明日の買い出しとか準備終えたら
狩りに行くんだろ? その間に掃除するから安心しろ﹂
﹁アランって本当に便利で働き者ね! ありがとう﹂
﹁それ、褒めてるようで褒めてないからな。もっとマシな言い方し
ろよ﹂
アランは苦笑する。
327
﹁まぁ、アランが私の嫌いな事全部やってくれるから、助かってる
わ。時折押し付けがましくて面倒でうるさいけど﹂
﹁後半は要らないからな、それ﹂
﹁だって私が素直に褒めたら、ろくなこと言わないじゃない﹂
﹁は? そんな記憶はないんだが﹂
﹁アランは無自覚だから困るのよね。だいたい私がボロクソに言っ
てあげた時のが嬉しそうじゃない﹂
﹁そんなわけないだろ! お前の勘違いだ。失礼なこと言うなよ﹂
﹁まぁ、アランがどんな嗜好や性癖でも見ないふりしてあげるから
感謝しなさい﹂
﹁違うからな!? 誤解招くようなこと言うなよな!! 外でそん
な事絶対言うなよ。お前が何か言うと、俺にまでとばっちりが来る
んだからな﹂
﹁アランに関しては自業自得だと思うけど?﹂
﹁馬鹿言うなよ、俺は善良かつ臆病な小心者なんだからな﹂
﹁そうやって胸を張って言っちゃう辺り、アランらしいわよね﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁私はアランに似合うのは小心者じゃなく傲岸不遜だと思うわ﹂
328
﹁お前、俺をどういう目で見てるんだ﹂
﹁そんな事より出かける準備しましょう。血で服が汚れちゃったし﹂
﹁誤魔化すな! ってああっ!! 俺まで汚れてるじゃないか!!﹂
﹁そりゃそんなところで四つん這いになればね。今朝のおっさんの
事言えないわよね﹂
﹁⋮⋮くそぉ﹂
二人は着替えて家を出る事にした。
﹁じゃあ、ルージュ。お留守番頼むわね。眠かったら寝てても良い
わ。夕方には一応帰ると思うけど﹂
﹁きゅきゅう∼っ!﹂
尻尾を振って、ルージュは二人を見送った。
◇◇◇◇◇
二人はギルドの食堂で軽めの昼食を取り、受付に向かった。
﹁あら、お久しぶり、アラン。最近は冒険者稼業以外の事に精を出
してるみたいね﹂
329
開口一番ジゼルが言った。
﹁なんだよ、それ。俺たちがどういうペースで仕事しようと、ジゼ
ルには関係ないだろ﹂
アランは仏頂面で返す。
﹁ジゼルはアランの顔が見られなくて淋しかったのよね﹂
レオナールが茶々を入れる。
﹁ちょっ、べっ、別にそんなんじゃないんだからね! ただ、アラ
ンが遊んでろくでもない事してるから、苦言を呈しただけなんだか
ら!﹂
ジゼルが頬を染めて弁明する。レオナールは、あらあらと言いた
げな顔をするが、アランは眉をひそめた。
﹁ろくでもない事?﹂
﹁︽草原の疾風︾の件とか﹂
ジゼルが言うと、アランが胡散臭い笑みを浮かべた。
﹁いやぁ、俺は知らないなぁ。今朝、ギルドマスターに聞くまで知
らなかったね﹂
﹁嘘つかないでよ。レオナールの予告通りになってる時点で、犯人
はわかりきってるでしょ﹂
330
﹁そんな事よりギルドマスターに呼ばれて来たんだが﹂
アランが真面目な顔で言うと、ジゼルは溜息をついて立ち上がる。
﹁ええ、話は聞いてるわ。ついてきて﹂
ジゼルの案内で二階のギルドマスターの執務室へと向かう。中に
は、ギルドマスターのクロードと、サブマスターのリュカが待って
いた。
﹁よお、待ってたぞ﹂
クロードがニヤリと笑って手招きする。
﹁昼過ぎって言われたからこの時間に来ましたけど﹂
﹁おう、それで話なんだが﹂
ジゼルが目礼して部屋を立ち去る。
﹁今朝言った通り、指名依頼を出す。とりあえず銀貨4枚で、内容
によっては追加報酬をつける﹂
﹁銀貨4枚? 少なくないですか?﹂
アランが尋ねると、
﹁サポートをつける﹂
と、クロードは言った。
331
﹁はい?﹂
﹁で、それがまだこちらに来てないんだが、一応この場で顔合わせ
ておいた方が良いだろうと、呼んである﹂
﹁サポートってどういうこと?﹂
レオナールが首を傾げた。
﹁王都を拠点としている魔術師だが︽治癒︾や︽浄化︾も使える古
代魔法語のスペシャリストだ。本来は魔法学院の講師補佐で研究員
だが、わけあってロランに来ている﹂
アランは嫌な予感がした。
﹁ギルドマスター、もしかしてそれ⋮⋮﹂
﹁俺が招いた。が、本題の方が長引きそうだし、一応Bランク冒険
者なんで、ついでにギルドの仕事をして貰おうかと。
ほら、お前、回復とか防御系とか使えないだろ? 大規模戦闘す
る可能性あるとこ行かせるのに、発見者とは言え、お前ら二人だけ
とか、俺、鬼畜じゃねぇか。
だから支援と回復できるやつを付ける。いやぁ、俺ってば優しい
ナイスガイだな!﹂
自画自賛して頷くクロード。
﹁あとCランクの戦士とその連れの魔術師見習いもつけてやる﹂
332
アランの顔が引きつった。レオナールはまだわかっていない。
﹁遅くなって申し訳ない﹂
ノックの音と共に、どこかで聞いた声。
﹁おう、待ってたぞ﹂
クロードがニヤリと笑った。入って来たのは、ドワーフ戦士と白
髪少女に褐色髪の美女。
﹁⋮⋮あら﹂
アランが額を押さえて呻き声を上げ、レオナールが素で驚いた。
﹁紹介しよう。オーロンと、アドリエンヌと︽名なし︾ちゃんだ﹂
クロードの声が大きく響いた。
333
3 指名依頼︵後書き︶
一応前書きに警告。
というわけで次回探索、になるはず。
以下修正
×有り難う
○ありがとう︵レオナールの台詞のため︶
334
4 女魔術師と剣士はいがみ合う︵前書き︶
一部、女性に対して不適切な表現などがあります。ご注意下さい。
335
4 女魔術師と剣士はいがみ合う
﹁︽名なし︾ちゃんってどういう意味?﹂
レオナールが首を傾げて尋ねた。
﹁例のダンジョンで保護した少女だが、記憶が無いらしい。だから
名前も不明だ。⋮⋮で、とりあえずの呼称は決まったのか?﹂
クロードが言うと、
﹁とりあえずレイシア、と呼ぶ事になりました﹂
ブルネット
褐色髪の美女、アドリエンヌが答えた。
﹁仮の名をレイシアとしたのは、彼女が反応した文字を並べたリス
トから、名前らしく並べ直し、現代共通語で発音した際に、それが
一番近い発音になるからです﹂
﹁⋮⋮ずいぶん手間の掛かりそうな事をしたんだな﹂
半ば感心、半ば呆れたように、クロードが唸った。
﹁呼ばれた名を自分の名と認識できないようでは、意味がありませ
んから﹂
アドリエンヌは冷静な口調で、淡々と告げる。
336
﹁彼女は自分の名も、祭壇で眠る前の事も記憶にありませんが、眠
っている間、自分の名を呼ばれる夢を見ていたそうです。
あと、驚く事に、一度見た魔法を、無詠唱で再現できるという特
技を持っています。これは、とても希有な事です﹂
淡々としてはいるが、どことなく熱っぽい口調で、アドリエンヌ
は言い、こほん、と咳払いする。
﹁彼女は日常的に良く使われる言葉のいくつか、人として生活する
上で必要な言葉のいくつかが、その知識から抜けていますが、古代
魔法語は堪能で、読み書きもでき、魔法書などもすらすら読みます。
彼女との対話で、彼女の知識は、魔法と魔術に偏向している、と
いう事がわかりました。それも、現代には失伝されているような魔
法に関しての知識まであるようです﹂
﹁⋮⋮つまり、どういう事だ?﹂
﹁推測ですが、軟禁またはそれに近い閉鎖的な環境下で、魔法およ
び魔術に関する英才教育を受け、他人に身の回りの世話をされて育
ったのではないか、という事です。
彼女は自分の衣服を脱ぎ着する事ができず、食事の仕方もわから
ず、顔を洗ったり拭ったりする事もできませんでしたが、初めて見
た魔法、魔法書を再現する事には長けています。
これは異常です。おそらく彼女に身内または家族というものは、
いないと思われます。
どう見ても未成年にしか見えない少女への所業とは思えませんか
ら﹂
それを聞いて、レオナールがかすかに顔をしかめ、アランが苦い
顔になった。
337
﹁他にも、彼女は人間なら基本的なこと、例えば排泄の仕方なども
知らなかったようです。保護したオーロン殿は、これまで一人で大
変だった事がわかります﹂
﹁いや、里では弟妹の世話をしていたから、それほどでもない。ま
ぁ、言葉が通じない上に、人形のように無反応なのは、参ったが﹂
﹁スプーンの握り方も知りませんでしたからね﹂
それを聞いて、レオナールとアランがうわぁ、という顔になった。
そして、関わらないようにしようとして良かった、と思った。⋮⋮
のだが、
﹁それを鑑みると、早々に彼女の保護を投げ出した、この二人は、
とても信用出来ません﹂
糾弾する口調で、アドリエンヌが言い、レオナールとアランを鋭
く睨む。
﹁冒険者登録して一ヶ月の新人で、先月成人したてという事のよう
ですが、人としての情も、誠意も感じられません。
このような方々と組んで、何が起こってもおかしくない、危険な
魔物の巣穴へ向かえとおっしゃるギルドマスターの正気を疑います
わね﹂
レオナールは面白い事を聞いたという顔をし、アランは嫌な予感
をヒシヒシと感じて、身震いした。
﹁信頼できない方と一時的とは言え、パーティーを組む気にはなり
338
ませんわね。ご自分の都合が悪くなれば、何をしでかすかわかりま
せんもの﹂
﹁そこまでだ、アドリエンヌ﹂
クロードが強めの口調で遮り、溜息をついた。
﹁確かにこの二人は個人主義が過ぎる傾向があり、厄介事と見なし
た事柄からは全力で逃げようとする傾向があるのは間違いない。
だが、一時とは言えパーティーを組んだ相手に、危害を加えたり、
危険がおよぶような事は決してしないと、ロラン支部ギルドマスタ
ー、クロードの名にかけて断言しよう﹂
そして、クロードはアドリエンヌをジロリと睨んだ。
﹁どうせ、シーラの関係者と聞いて、対抗心を覚えてるだけだろう
? 八つ当たりはよせ。
シーラが二十年前、お前より優秀な冒険者で高位魔術師だったの
は、ただの事実だし、実践より知識に優るお前が同じ土俵で比較さ
れるのは少々気の毒だとは思うが、思い出というのは美化されるも
のだ。僻んで絡むのはみっともないぞ。七歳も年下を相手して﹂
クロードが厳しめの口調で言うと、
﹁なんだ、年増のひがみそねみなんだ。バッカみたい﹂
と、レオナールが口走った。
﹁なんですって!?﹂
339
アドリエンヌが激昂する。
﹁容色の落ち始めた、二十歳超えて結婚もしてない年増女のひがみ
そねみとか、気持ち悪いだけよね。
エルフと違って、人間って本当、老けるの早いから、身支度を整
えごまかすのが大変そうよね。その点は、ちょっぴり同情するわ﹂
レオナールの言葉に、アランがぎょっとする。
﹁おい、頼むからやめろ。言い過ぎだ﹂
慌てて取りなすが、既に手遅れだった。
﹁本当、救いがたいわ﹂
般若の形相で、アドリエンヌがレオナールを睨み付ける。
﹁太陽と光の神アラフェストよ、どうか、この不遜で身の程知らず
で哀れな若者に、ご慈悲を。
その調子だと、いつ何処で野垂れ死ぬかわかったものではないわ
ね﹂
﹁あら、早速殺害予告かしら、恐いわね﹂
﹁ふざけないで、わたくしはただの事実を申し上げているだけ。わ
たくしが手を下すまでもないわ﹂
﹁面白いこと言うわね、おばさん﹂
﹁口が過ぎるわよ、あなた。口は災いの元って言葉知らないのかし
340
ら。レオナールと言ったかしら?
あなたは矯正すべき事がたくさんあるようね。男のくせに女言葉
に女のような仕草、目と耳が汚れそうだわ﹂
﹁それはこちらの台詞ね。見苦しいおばさんの嫉妬に狂ったタワゴ
トとか、家畜の餌にもならないわね。
一度、ご自分の姿を鏡で見てはいかが? あまりの醜悪さに、失
神しなければ良いけど。ふふっ﹂
レオナールか毒気たっぷりに微笑み、アランはうわぁと天を仰い
だ。
﹁同じ言葉をお返ししますわ。あなたの方こそ、ご自分の姿を鏡に
写して、我が身を振り返った方がよろしいかと。
醜悪通り過ぎて気持ち悪いですわよ? ご自分を客観視するだけ
の心の余裕も理性もないだなんて、本当にお気の毒ですこと。
若いという唯一の取り柄ですら上手く活用できていないあなたに、
心より同情いたしますわ。
その調子ではどんなに恵まれた容姿も宝の持ち腐れ。醜悪以外の
なにものでもありませんわね﹂
﹁うふふ、わざわざそんな自分を卑下して、自虐的な自己紹介しな
くて良いわよ。若さも容色も失って、自分に自信がないのを必死に
厚化粧で上塗りして覆い隠そうとしても、かいまみえて痛いだけだ
から。
本当、余裕のないヒステリックなおばさんは、恐いわぁ﹂
アランが目線でクロードに何かフォローしてくれと告げたが、な
すすべなしと言わんばかりに、瞑目された。
ここでアランが口を挟めば、更に悪化するだけだろう。アランに
341
レオナールは止められないし、静かに怒り狂うアドリエンヌを相手
するのは、更に恐ろしい。
こういう時、アドリエンヌに関する何らかの情報を持っていて、
人生経験もあり、責任ある職務についているクロードになんとか上
手くまとめて欲しいものだが。
一見静かに淡々と語り合うように口論する様は、普通に怒鳴りあ
ったり殴りあったりするより恐しい光景である。二人とも見目は良
いだけに、鬼気とした迫力があり、更に心臓に悪い。
さて、アドリエンヌはアランが普通に謝っても聞いてくれるだろ
うか。試してみるのも恐ろしく、アランは震え上がった。
﹁少し良いだろうか﹂
オーロンが口を開いた。この時、アランは初めて彼を尊敬した。
この空気で、普段と変わらぬ口調と態度で、口を挟めるとは、驚嘆
に値する。
﹁二人とも、頭に血が上って周りが見えておられない様子。アドリ
エンヌ殿、レオナール殿、レイシアがお二人の様子を見て脅えてい
る事にお気付きだろうか。
元々、彼女は常に不安がり、見知らぬもの、見慣れぬものに脅え
がちで、容姿は13、4ほどだが、その心根は生まれたばかりの幼
子同然。
初めて会話した女性と、会話した事はなくともオルト村からロラ
ンへ来るまでに護衛してくれた見知った御仁が、人目も憚らず激し
く口論している姿は、言葉が理解できないこともあって、なお心臓
に悪い悪夢のような光景だ。情操教育にも悪い。
どうかここは控えていただけぬか。レイシアが脅えて泣きそうに
342
なっている﹂
言われた二人は、オーロンの背に隠れるようにしがみつき、震え
る少女の姿に初めて気付き、ピタリと口を閉じた。
﹁どうですかな、今日はこの辺りで収めて、とりあえず冷静になる
時間を取ることと、親睦を深めるためにも後程、共に夕飯を取ると
いうのは﹂
オーロンの言葉に、レオナールとアドリエンヌは無言で顔を見合
わせた。
﹁ならば俺がセッティングしよう。リュカ、アランは残ってくれ。
後の四人は退室して良い。宿泊先などに後で、詳しい時間や場所な
どを連絡する﹂
とクロードが言った。アランは、美味しいところだけ持っていき
やがって、という気持ちと、サブギルドマスターのリュカはともか
く、何故自分が残されるのかと首を傾げた。
﹁申し訳ありません。見苦しいところをお見せしました。今回はこ
れにて失礼いたしますわ﹂
そう告げて、アドリエンヌが退室する。
﹁では、申し訳ないが、レイシアが脅えているのでこれにて失礼す
る﹂
とオーロンも、震えて固まっている少女を軽々抱き上げ、退室し
た。
343
﹁大丈夫か、レオナール﹂
念のため、アランはレオナールに声をかけた。レオナールはいつ
も通りの顔で、肩をすくめる。
﹁確かにちょっとおとなげなかったわね﹂
﹁お前がおとなげないのはいつものことだろ。それよりも、俺が聞
きたいのは、つまり、その⋮⋮﹂
歯切れの悪いアランに、レオナールは苦笑した。
﹁大丈夫よ。あのくらいの嫌味や悪口は慣れっこよ﹂
﹁違う、だから俺はお前が思い出して傷付いたり恐がったりしてな
いか心配してるんだ﹂
アランが言うと、レオナールは苦笑した。
﹁アランってば心配性ね﹂
﹁仕方ないだろ。俺はお前が自己申告してくれないと気付けないん
だ﹂
﹁それって自慢にならないわよ?﹂
﹁知ってる。俺の相棒はお前なんだから、何かあって調子崩された
らすごく困るんだ。俺は鈍いからな。
遠回しな嫌味や悪口言われても気付かずスルーする自信ならある。
344
自分には理解の及ばない事だから勝手がわからない﹂
﹁あら、アランってば自分が鈍感な自覚あったのね﹂
﹁まぁ、ちょっとはな。良く言われるし。何がどう鈍いと言われる
原因なのかはサッパリだけど﹂
﹁心配しなくても大丈夫よ? 私、強くなったもの﹂
﹁いや、お前、普段の自分の言動省みろよな。お前が俺より強いの
なんか知ってるよ、でもちょっとは息を緩めろ、限界になる前にな﹂
﹁そんなに我慢してるつもりはないわよ? いつだって自由にして
るし﹂
﹁まぁ、な。でも何か言いたい事があったら言えよ。言われない事
は気付けないからな﹂
﹁了解、先に帰ってるわね。もしかしたら寝てるかもしれないけど、
かまわないわよね?﹂
﹁ああ、シーツの取り替えも掃除も済んでるから問題ない。なるべ
く昼間は寝ない方が、体調崩さなくて良いとは思うが﹂
﹁だって何もしないと、すぐ眠くなるんだもの﹂
﹁お前は魔獣狩り以外にできる趣味持った方が良いな﹂
﹁鍛練とか?﹂
345
レオナールがそう言い、アランは苦笑した。
﹁鍛練したいなら俺が見てやっても良いぞ﹂
クロードが言った。
ポールアックス
﹁ギルドマスターの獲物は確か長柄斧ですよね?﹂
﹁昔は、ダニエルの鍛練に良く付き合わされたもんだ。ああ、そう
言えばアドリエンヌだがな、あいつ十代の頃に若気のいたりでダニ
エルに告白してフラレてるんだ。ダニエル、当時はまだシーラのこ
と引きずってたから、珍しく言葉選び間違えたんだ。
それでちょっと根に持たれたり、恨まれたり八つ当たられたりし
てるかもしれないが、まぁ、適当にあしらってやれ﹂
﹁ナニソレ。そんな理由なわけ?﹂
﹁アドリエンヌにとっても闇に葬りたい過去のようだが、魔法学院
のお偉いさんで、そういうのを掘り返してつつく趣味の御仁がいる
んだよ。それがよりによって、シーラの信奉者でな。
レオナールはそいつに気をつけた方が良いかもな。子供の頃ほど
ではないけど、面影残ってるからな。年食った熱烈な崇拝者とかタ
チが悪い﹂
﹁ナニソレ、面倒くさいわね﹂
﹁俺も気をつけてはいるが、王都には近付かない事を勧める﹂
﹁行く用事なんてないから平気だと思うけど﹂
346
﹁まぁ、頭に入れておけ。ちなみに学園理事な﹂
﹁金と権力持った暇をもて余してる粘着クソジジイの相手なんか死
んでもごめん被るわね。目の前に現れたら斬ってもかまわないかし
ら?﹂
﹁アホ、相手は祖先に王家の血を引く高位の貴族だ。まぁ次男だし、
魔術師だから家の力を自由に使えるわけじゃないが、ちょっと問題
ある噂もある男だからな。表向きは処罰されるような事はないよう
だが。
まぁ、こんな田舎町にまで出て来るような酔狂さはないから安心
しろ。王都は居心地良いようだからな﹂
﹁それを聞いて安心したわ﹂
﹁まぁ、今は、王都にダニエルがいる。酒飲んで遊んでばかりいる
ようだが、そればかりじゃなさそうだから、あいつが腑抜けたり素
ボケかましてなきゃ、悪い事態にはならないだろ、たぶん﹂
﹁たぶん、ねぇ。あのバカ師匠、騙されて多額の借金してなきゃ良
いけど﹂
﹁あ∼、あいつ女の趣味最悪だからな。面倒そうな相手にばかり惚
れて、バカやらかす。自分に惚れる女には目もくれない辺り、救い
ようないな﹂
﹁被虐趣味でもあるんじゃないかしら。女にコケにされるの大好き
よね﹂
﹁別にそういうわけじゃないとは思うが⋮⋮まぁバカでアホなのは
347
間違いないな。ありゃ、死ななきゃ直らないだろう﹂
﹁まぁ師匠の病気はともかく、元気そうで良かったわね。私に被害
や迷惑かけないなら問題ないわ﹂
素っ気ない口調でレオナールは言い、髪を掻き上げる。
﹁じゃ、帰るわ。アラン、頑張って﹂
﹁おう、なんか不安と嫌な予感しか感じないけどな﹂
レオナールは笑顔で手を振り、アランは渋い顔ながらも手を振り
返す。レオナールが退室すると、クロードがニンマリ笑ってアラン
に告げる。
﹁アラン、お前何か作れ﹂
﹁は?﹂
アランが驚き困惑して、わずかに目を見開く。
﹁アドリエンヌの故郷は王国辺境と言って良い田舎でな。一応男爵
令嬢だが、彼女の実家は、腕の良い料理人を雇えるほどの財力もな
く、その辺の農婦が作った料理を食べて育った﹂
アランの額に冷や汗が浮いた。
﹁⋮⋮まさか﹂
﹁お前の作る料理は、美味くもなく不味くもない、普通の素朴で簡
348
素な田舎料理だ。そいつを食わせて郷愁に浸らせてやれ。
女を口説くには相手にとっての美味い物を食わせて機嫌取ってか
らにするのが手っ取り早い。任せたぞ﹂
クロードが人の悪い笑みを浮かべて、そう言った。
﹁む、無茶苦茶です! 俺は本職じゃありませんし、料理は趣味で
もなくただの慣れで、特に勉強したわけじゃないし、修行したわけ
でもありません!!
他人に饗するような代物は作れません!! 無茶振りにも程があ
ります!! サブマスターも何か言って下さいよ!﹂
アランが蒼白な顔で言い募ると、
﹁僕はクロードの咄嗟の思いつきにしては良いと思うけどね。王都
を本拠地にしてる下級貴族なんて、だいたい田舎者で、王都で上品
な料理を食べ慣れてるから、舌は肥えてるだろうけど、表面上はと
もかく、彼らの根底は故郷にあるからね。
ええっと、彼女の故郷はローレンヌか。まぁ、君の出身のウル村
とそう大差ない環境だから、ウル村で食べてるような食材や味付け
で問題なさそうだね。懐かしさと故郷への哀愁を呼び覚ませて、弱
ったところに畳み掛けると良いんじゃないかな﹂
味方はいなかった。アランはガックリと膝をついた。
349
4 女魔術師と剣士はいがみ合う︵後書き︶
一応警告。
筆者はこんな事を考えたり発言したりはしません。物語の進行上の
演出の一つです。
一応書いておきましたが。
たまに作中人物と、その書き手を混同される場合があるので。
自分と違う性格・思考のキャラだから書いていて楽しいのです。
何故か悪口雑言系は書くのが楽しいですが。何故でしょう。
以下修正。
レオナールの台詞をいくつかを漢字↓平仮名やカタカナに修正。
×サブのリュカ
○サブギルドマスターのリュカ
×少々を軽々抱き上げ
○少女を軽々抱き上げ
×後の三人は退室して良い。
ハルバード
○後の四人は退室して良い。
ポールアックス
※ポールアックスは本来槍斧の一種ですが、表記が同じになるので
長柄斧としました。
350
5 鈍感魔術師は大忙し
﹁できれば、今夜、と言いたいところだが﹂
﹁却下します﹂
クロードの言葉に、アランが即座に拒否する。
﹁まぁ、今日はやめた方が良いだろうな。頭を冷やす時間も必要だ
ろうし﹂
苦笑しながらクロードが言うと、リュカも頷く。
﹁さっきの今、じゃ、また同じ事繰り返しそうだしね。できればゴ
ブリンなんて弱いくせに増えるのが早い、厄介な魔物の調査・掃討
は、早めにやって欲しいけどね。
まぁ、今の状態で送り出したら、結果がどうなろうと、人間関係・
パーティー的にはどんな悲惨な事になるかは、目に見えてるから、
言わないけど﹂
﹁っていうか悪いな、アラン。あいつに聞かれたからって、お前が
シーラの弟子で、レオナールがその息子だって、うっかり言っちま
った﹂
その途端、アランが気色ばむ。
﹁つまり、何ですか? 俺は、ギルドマスターの尻拭いをさせられ
ると?﹂
351
﹁まぁ、あれだ。隠したってその内バレるんだから、最初に言って
おいた方が良いだろ、ハハッ﹂
ケラケラと笑いながら言うクロードに、アランは無表情になり、
拳を握り締めた。
﹁そうですか。確かにギルドマスターは腹芸とか、計算とか、人の
気持ちをおもんぱかるとかいうような、頭を使わないと出来なさそ
うな事は、苦手そうですよね﹂
棒読み口調で言った。
﹁⋮⋮アラン?﹂
クロードが怪訝な顔になる。
﹁で、いつにするにせよ、前もって準備は必要ですよね? 出来れ
ば彼女の食べ物の好みとかの事前調査、食材費用、あと会場の設置、
これはもしかしてギルドマスターのご自宅を予定してますか?
でしたら、俺が全てを整える事は不可能なので、手伝いをしてく
れる人物の派遣をお願いします。できれば、料理の下準備や、テー
ブルセッティングや給仕なども、ある程度人数が必要ですよね?
俺が作れるのは、あくまで﹃美味くもなく不味くもない、普通の
素朴で簡素な田舎料理﹄ですから、大皿に3・4皿ほど用意して、
小皿で分ける形式にしたいと思っていますが、それでも俺一人で全
ての料理をテーブルに並べるのは、骨ですから﹂
﹁お、おう。いや、おい、アラン、お前、なんか怒ってる?﹂
352
﹁怒ってるように見えますか?﹂
﹁え? いや、その、お前、真顔だとすっげーコワイ顔に見えるん
だけど⋮⋮﹂
﹁ギルドマスターにそう見えるって事は、そうなんでしょうね。で
も、俺が一人で全部できないのはわかりますよね?
利用する部屋の掃除や、簡単な装飾もしておきたいですし、手伝
いの人間が何人かいた方が楽だという事くらいは、察しが良いとか、
頭が良いとは言い難いギルドマスターにも、わかりますよね?
俺に無茶振りするくらいですから、全面的に協力して下さいます
よね? 俺、何かおかしな事言ってますか、ねえ?﹂
﹁コワイ、なんかコワイぞ、アラン!! お前にアドリエンヌの亡
霊が憑いてるように見えるぞ!?﹂
脅えるクロードに、リュカが笑う。
﹁ま、クロードが迂闊でバカなのは、今に始まった事じゃないよね。
言わない方が良い事は言わずにいる方が、色々楽だし、面倒やトラ
ブルがなくて良いと思うけど。
こればっかりは自分で学習しないとわからないよね? さすがに
ちょっと可哀想だから、アランを手伝ってあげなよ? 僕も一応協
力するけどさ﹂
﹁え? なんかお前も黒くない?﹂
﹁何言ってるのさ、クロード。こんなに慈悲深く寛容な僕に対して、
ちょっと失礼だと思うよ?
常々、君の無茶振りやその余波を受けて、振り回されている僕と
353
しては、他人事とは思えないしねぇ?﹂
﹁うわああああぁっ! 何だよ!! 何なんだよっ!! なんでこ
の季節に、冷気が漂ってるんだよ!! 原因不明のと、鳥肌がっ⋮
⋮! 寒いっ、寒すぎる!! 俺がいったい何をしたって言うんだ
よ!!﹂
﹁あえて言うなら、するべき事をやらないからだと僕は思うな。ク
ロードには期待するだけ無駄だと思うけど。
プライベートはともかく、基本的に仕事の時は概ね有能に見える
けど、時折致命的なところで迂闊でうっかりなのは、首を絞めたく
なるほど微笑ましいね﹂
﹁は!? いやいや、リュカ、首を絞めたいとか何コワイこと言っ
てんだよ! 俺は鷄じゃないぞ!﹂
﹁学習能力のなさは鷄並み、おっと鷄に失礼な発言だったね。いや
いや虫けら以下の間違いだったね、ハハハッ﹂
﹁ちょっ!? なんでどす黒さが増してるんだ! 優しくない! お前ら俺に優しくなさ過ぎる!! なんでそんなに怒ってるんだ!﹂
﹁普通に言っても理解できないバカはこれだから困るよね。大丈夫、
死なないから。
お前みたいな図太い神経のやつは絶対長生きするから問題ないよ。
良かったね﹂
アランはクロードから言質をもぎ取り、協力者として幾人かのギ
ルド職員と冒険者の派遣を約束させた。
354
﹁では、よろしくお願いしますね﹂
良い笑顔で言って、アランは右手の手の平を差し出した。
﹁ん? 何だ?﹂
﹁予算、即金でよろしくお願いいたしますね、ギルドマスター﹂
﹁アラン⋮⋮お前、いつからそんな子になっちゃったの?﹂
﹁世の中何をするにもお金は必要ですよね? ギルドマスターとサ
ブマスターの希望により決行日は明日という事になりましたので、
今から準備しないと時間が足りないと思いませんか?﹂
﹁お、おう﹂
﹁今から花屋へ下見と打ち合わせ、花瓶やテーブルクロスや食器、
鍋など必要な物を買いに行きたいので現金下さい。
あとついでに荷物持ちに誰かつけて下さると助かります﹂
どこか胡散臭い爽やかな笑みを浮かべて、言うアランに、しぶし
ぶと言った感じに胸元から金の入った革袋を取り出し、手渡した。
﹁あのな、アラン。これ、俺の今の手持ち全額だから、全部は使わ
ないで欲しいんだが﹂
﹁わかってますよ﹂
良い笑顔でアランは答えたが、何故か信じ切れない胡散臭さが拭
えない。クロードは冷や汗を額に浮かべながら不安そうに、懇願す
355
る。
﹁本当、頼むからな? これで今月の給料全額で、他にはないんだ
からな?﹂
﹁嫌だなぁ、俺を信用して下さいよ﹂
何処か黒い笑顔で、アランは頷いた。そんな二人のやり取りを見
ながら、リュカが立ち上がる。
﹁じゃあ、僕がついていってあげるよ﹂
﹁お、おい、リュカ?﹂
焦るクロード。満面の笑みを浮かべるアラン。
﹁本当ですか? 助かります。いやぁ、こういう時、ギルドマスタ
ーもレオもあまり当てにならないので助かります。ついでに相談乗
ってもらえますか?﹂
﹁うん、いいよ。僕と僕の妻は、時折人を呼んで家でパーティーす
る事があるから、少しはお手伝いできると思うよ﹂
﹁なぁリュカ、仕事まだ残ってるよな?﹂
﹁僕の通常業務は午前中の内に済ませたので、残りはクロードの分
だけだね。頑張ってね﹂
﹁それでは失礼します、ギルドマスター。お仕事頑張って下さい。
皆に迷惑かかりますからね。あと応援の件、忘れずにお願いします﹂
356
そして、慌てるクロードを置いて、二人で足早に部屋を出た。
﹁助かりますが、本当に良かったんですか?﹂
アランが改めてリュカに尋ねた。
﹁僕の業務が終わってるのは本当だよ。後はクロードの認可・裁量
待ちだから問題ない﹂
リュカが良い笑顔で答える。
﹁なら良かったです。俺、家に人を迎えて歓待した事なんて一度も
ないので、参考までにサブマスターのお話をお聞かせ下さい﹂
﹁リュカで良いよ。そうだねぇ、僕の場合、貴族らしい貴族のお客
様を呼ぶ事はあまりないけど、ギルド関係のお偉いさんを歓待した
り、仲間内や知り合いの冒険者を呼んでパーティーを開くんだ。内
容は招待相手によって変わるね。
今回の場合、相手は男爵令嬢だけど、あえてアットホームな雰囲
気でいった方が良いと思うんだ。下手に貴族向けのものを演出しよ
うったって、予算も時間も人手もそんなにないからね。それに、﹃
お客様の歓待﹄じゃなくて、﹃冒険者同士の親睦会﹄なわけだし。
だから、会場となる部屋の装飾もそういう感じで行こう。コンセ
プトは田舎の大きめの農家の主催する家庭的でフレンドリーで優し
い感じの、親しい仲間同士が参加するパーティー、みたいな感じで
さ﹂
﹁なるほど﹂
357
﹁必要そうな物を全部買うのも大変だから、いくつかはうちのを流
用すると良いよ。花瓶やテーブルクロスなんかは買っても良いとは
思うけどね。
食器類と調理器具は貸し出すよ。あと調理の手伝いや相談役に、
僕の妻エロイーズを紹介しよう。話を聞いたら、きっと協力してく
れるはずだから。
で、アランの得意料理って何? 僕は君の料理を食べた事はない
けど、あの舌だけは肥えてるクロードが太鼓判押したんだから、た
ぶん大丈夫だと思う。けど、準備の関係上聞いておきたいしね﹂
﹁豆のスープと、芋のトマト煮込みは、一応親父に褒められた事が
ありますが、俺、自分の作った料理食べて褒められたり、何か感想
言われた事ってないんですよね。
うちの実家はそもそもそういう事は全く気にしなくて、腹が膨れ
れば何でも良いって感じだし、レオナールは味音痴で筋肉つける事
しか考えてないし、ダニエルのおっさんは毒や腐った物じゃなけれ
ば良いとかいう人だし、ギルドマスターはあの調子だし﹂
アランが言うと、リュカが気の毒そうな顔になった。
﹁あー、まぁ、それはどれだけ頑張って作っても、張り合いなさそ
うだね。僕なんか妻の作った料理は、よほどひどい出来じゃなきゃ、
必ず褒めるけど﹂
﹁それ、夫婦だからじゃないですか?﹂
﹁それはあるかもしれないけど、やっぱり労力にはそれ相応の手応
えがあった方が、やり甲斐があるでしょ?
自分がそうだから、僕は良いと思ったら、誰が相手だろうと、そ
の場でその都度褒める事にしてるよ。
358
何やっても言っても、暖簾に腕押しじゃ、どんな聖人君子でも、
たまにはイラッと来そうじゃない。
僕はしょっちゅう、クロードを絞め殺してやりたいと思うしね。
まぁ、想像の中でしかやった事はないけど﹂
リュカに真顔で言われて、アランは一瞬ゾクッとした。
﹁そ、そうですか。まぁ、俺も時折呆れたり、イラッと来ますけど﹂
さすがに首を絞めたいとまで思った事はないが、それはそう思え
るほど長時間接していないからかもしれない。あんな人が上司で苦
労してるんだろうな、とアランはリュカに同情した。
﹁サブギルドマスター権限で、幾人か暇そうな職員にも協力させる
から、手分けして準備しようか?﹂
﹁そうですね。料理の下準備もしなくちゃいけませんし﹂
﹁じゃあ、食材の買い出しは手伝いをつけるから、君が行ってくれ
るかな? 僕はその他の道具を購入したり用意したりするよ。
食器やカトラリー類はうちのを流用するなら、インテリアもそれ
に合わせて揃えるべきだろうしね。
クロードの家の家具類や部屋の配置は頭に入ってるから、イメー
ジもしやすいし﹂
﹁わかりました、助かります。実に有り難いです、リュカさん。俺、
正直インテリアとか美的感覚みたいなものには自信ないので﹂
﹁うん、僕にまかせて﹂
359
そして、アランは男性職員1名とジゼル、リュカは男性職員2名
と女性職員3名をそれぞれ連れて、買い出しと準備に向かった。
◇◇◇◇◇
アランは、作る料理を、いつものパンと豆のスープ、芋のトマト
煮込み、野菜と豚肉のチーズ焼き、野菜サラダ、鶏の香草焼きにす
る事にした。
鶏ガラやベーコン、豚肉に鶏、豆、芋、トマト、玉葱、にんじん、
にんにく、葉野菜を数種類、香草などを買い込んだ。
そして鶏ガラや野菜・香草などでブイヨンを作り、豆を水に浸し
てふやかし、パン種を作る。
﹁知らなかったわ、アラン。あなた料理できたのね﹂
ジゼルの言葉に、アランは肩をすくめた。
﹁これくらい、誰だって普通にできるだろ?﹂
その言葉に男性職員エドモンが苦笑し、ジゼルが無表情になった。
﹁アラン、世の中には、その﹃これくらい﹄が出来ない人もいるん
だから、言葉には気をつけた方が良いと思うよ?﹂
エドモンの言葉に、アランは怪訝そうな顔になる。
﹁え? でも俺の故郷、ウル村じゃ作れないやつのが少ないが。ま
ぁ、代官のお貴族様や村長、俺の弟たちや親父は、料理は女のやる
360
事だとか言って全く手をつける事はなかったけど、でも他の家では
そういう事もなかったと思うな。
⋮⋮まぁ、俺は力仕事とか農夫の仕事はサッパリだったから、女
々しいとかひ弱とか散々言われたけどさ﹂
﹁まぁ、田舎の農村じゃ、男も女も子供も全員何らかの形で働くの
が普通かもしれないけど、ロランみたいな田舎町でも、農業に全く
関わりない家は結構あるからね。
ぼくもジゼルも、家は商家だし、子供の頃は勉強はさせられたけ
ど、家の仕事は特に手伝えとか言われなかったしね﹂
﹁へぇ? 俺はそっちのが良かったな。勉強したくても、その時間
を作るのが結構きつかったから、魔法書なんかを読んでの独学の時
間が結構多かったんだよな。
おかげで嫌でも古代語の読み書きが覚えられたから、それが今、
地味に役立ってるけど﹂
﹁魔法書を独学で読めるようになるとか、それ、かなりすごいと思
うけど﹂
﹁いやいや、さすがに最初の基本文字は教わったぞ? 師匠が木の
板に刻んでくれたお手製のやつ。
あと同じくお手製の辞書と、その元になった資料っぽい古書物を、
まとめてぽんと渡されてさ。﹃魔術師になりたいなら、これくらい
覚えられるわよね?﹄ってさ。今思うと、結構スパルタだよな﹂
﹁⋮⋮あのな、アラン。それ、あんまり人には言わない方が良いと
思うぞ?﹂
﹁え? なんでだ?﹂
361
きょとんとした顔で、アランが不思議そうに尋ねる。
﹁そんなやり方で、普通は魔術師になれないからさ﹂
エドモンが困った人を見るような顔で、答えた。
﹁そういうものか? 俺はてっきり、これがエルフ式なのかと﹂
﹁いや、エルフでもそれはさすがにないだろ。って言うか、たぶん
きっと、経済状況とか、身分的にそれが許される環境だったら、ア
ランはきっと魔術学院に入学しても、上から数えた方が早い成績取
れたと思うぞ﹂
﹁まさか。貴族や裕福な家の子供なら、幼い頃から英才教育受ける
だろ? そんな連中と一緒にされてたまるか。
俺は本当、全然知識が足りないし、知らない魔法語が多すぎるし、
今もまだ勉強中なんだから﹂
アランが苦笑して言う。それを聞いて、エドモンもジゼルも呆れ
た表情になる。
﹁⋮⋮ダニエルさんも相当脳筋だと思ってたけど、アランの師匠の
エルフも、かなりの脳筋というか、無茶振りしてると思うぞ? た
ぶん、普通の子供なら挫折してるだろ﹂
﹁そうか? それは努力と根性が足りないんじゃないか? 俺はと
にかく強い憧れと、現在の自分の環境から逃れたいって気持ちが強
かったからな。
あまり豊かじゃない田舎の農村の三男坊とか、畑仕事できなきゃ
362
穀潰し扱いだから、必死だよ。
魔術師になれなきゃ、一生自立できずに、憐れみの目で見られな
がら、家で家事・雑用だからな。⋮⋮死ぬ気でやれば、たいていの
事はどうにかなるよ﹂
﹁死ぬ気でやっても、どうにもならないやつだって、この世の中に
はいるんだけどな。まぁ、アランが努力家なのは、わかるけどな﹂
﹁アラン、人の気持ちに鈍感なのよね﹂
ジゼルが言った。
﹁世の中には、魔術師になりたくても、その才能がなくて諦める人
の方が、圧倒的に多いのよ。
そういう事を考慮しないで、努力が足りないとか言っちゃうから、
友達できないんだから﹂
﹁え?﹂
ジゼルの言葉に、アランは目を見開いた。
﹁アランに悪気はないのは知ってるけど、知ってるからって理解で
きるってのとは違うのよ?
悪気なく本気で言ってるから、タチが悪いんだから。そういうの、
世間知らずとか、傲慢って言うのよ﹂
﹁えぇっ!? も、もしかして、俺にレオ以外の友人ができないの
って、そのせいなのか!?﹂
アランが驚愕の声を上げる。
363
﹁まぁ、理由は他にも色々あると思うけどね﹂
エドモンが苦笑しながら言う。
﹁アランが理性的に、客観的に、自分を認識できない限り、一生、
友達なんかできないんじゃないかしら?﹂
ジゼルが大きな胸を突き出すように背を反らして、挑戦的な笑顔
でそう宣言し、
﹁⋮⋮マジか⋮⋮!﹂
アランは呻き声を上げて、頭を抱えた。
﹁あ、アラン。そろそろ鍋の様子見た方が良いんじゃない?﹂
エドモンが冷静に指摘して、アランは慌てて鍋に駆け寄った。
﹁⋮⋮ジゼル、気持ちはわからなくはないけど、言い方にもう少し
気を付けたら? 相手はアランなんだからさ﹂
エドモンがジゼルに小声でささやき、
﹁ダメよ。アランは真正面から正直な気持ちで言っても、全く通じ
ないもの﹂
と、ジゼルが小声で返す。それを聞いて、エドモンは肩をすくめ
た。
364
﹁それはお気の毒様﹂
﹁⋮⋮うるさいわよ﹂
仏頂面でジゼルは答えた。
365
5 鈍感魔術師は大忙し︵後書き︶
すみません。眼科行ったりランチしたり美容院したので更新遅くな
りました。
この展開でゴブリンの巣行けなくね?と初期プロットから、急遽1
エピソード付け足したわけですが。
なんか思ったより長くなっているような。
あまり引っ張るのもアレなので、次回会食で、そのまた次回にはゴ
ブリン退治行けたら良いなぁ、と思ってますが、予定通りになるか
不明です。
すみません。
なるべく不要なシーンはカットしていきたいのですが、時折つい指
が滑ります。口論シーンとかいがみ合いとか、何故か書くの楽しい
ので︵マズイ︶。
以下修正
×サブマスター
○サブギルドマスター
366
6 親睦会の準備と会食
﹁⋮⋮いったい、何の騒ぎなの?﹂
うたた寝していたレオナールが寝室から出ると、ちょうどリュカ
が現在は使用していない食堂室に、燭台を運んでいるところだった。
﹁やぁ、レオナール。アドリエンヌとの親睦を深めるための夕食会
が、明日の夜に決まったから今、その準備をしているところなんだ。
良かったら、君も手伝ってもらえるかな?﹂
そう言われて、レオナールは首を傾げた。
﹁え? まさかここでやるの?﹂
﹁そうだよ。アランから聞いてないかい? 彼は今、台所でその下
準備中だよ﹂
﹁⋮⋮寝てたから、声掛けなかったのかも。っていうか、ここでや
るんだ。しかも、料理担当がアラン?
⋮⋮それって、ギルドマスターの無茶振り?﹂
﹁そう。ちなみにクロードは今日は残業で遅くなると思うよ﹂
にっこり笑ってリュカが言うと、レオナールがニヤリと悪い笑み
を浮かべた。
﹁そう。たまには良いんじゃない? で、ここに何人来てるわけ?﹂
367
﹁ギルドの男性職員3名、女性職員4名、僕も入れて8名だね﹂
﹁それって留守番は鑑定士含めて3人だけって事よね? 大丈夫な
の?﹂
ニヤニヤ笑いながら、レオナールが尋ねた。
﹁そうだねぇ、たぶん夕方になったら、クロードも応援で窓口に座
る事になると思うよ?﹂
リュカが黒い笑顔で答えた。
﹁まぁ、それなら問題なさそうね、ふふ﹂
レオナールがにっこり微笑んだ。
﹁で、何をすれば良いの?﹂
﹁外に運ぶものが積んであるから、適当に持って来てくれるかな?
振り分けは僕か、玄関付近にいる誰かに聞いてくれれば良いから﹂
﹁喉が渇いたから、水か何か飲んだら、そうするわ﹂
﹁台所はアランと妻のエロイーズとエドモンとジゼルだな。エドモ
ンとジゼルは補助と荷物運び要員だけど﹂
﹁ふぅん、ジゼルも来てるんだ﹂
ニンマリ笑うレオナールに、
368
﹁あんまりからかわないでやってくれよ? アランの鈍さだけでも
可哀想なんだから﹂
﹁え∼? だってあの空回り具合が面白いのに﹂
﹁せめてジゼルがいない場所でやってもらえないかな?﹂
﹁やぁねぇ、ジゼルのいる前でやるから良いんじゃない。でも、ア
ランってば今は恋愛する気さらさらないから、たぶん何やっても言
ってもムダだと思うわよ?﹂
﹁頼むから、それは絶対ジゼルの前では言わないでくれよ﹂
﹁わかってるわよ、言わない方が楽しいもの﹂
﹁⋮⋮そういう意味じゃないんだけど、まぁ、いいか﹂
諦めたようにリュカは言った。
﹁じゃ、また後で﹂
そう言ってレオナールは台所へ向かった。レオナールが着いた時、
ちょうどアランがエドモンと協力してブイヨンを別の鍋に布で濾し
ているところだった。
﹁アラン、お疲れ様。災難だったわね﹂
レオナールが声をかけると、アランは顔をしかめた。
369
﹁お前に言われたくはないんだが﹂
﹁あら?﹂
﹁これも連帯責任ってやつなのかもしれないけど、でもどっちかっ
て言うとギルドマスターの思いつきって気がするんだよな。
あのおっさんが、そんなに細かい事や裏を考えるはずがない﹂
﹁それは同感ね。ついでに言えば、安くあげようとしたんじゃない
かしら﹂
﹁店でやるとなると、そこそこのグレードのとこじゃなきゃかっこ
つかないだろうからね。
もっと安くあげたいなら、ギルド付属の酒場を使えば良いだろう
けど﹂
エドモンが苦笑しながら言う。
﹁今日できる事はもう終わったから、後はパーティー会場の設営と
掃除だな﹂
アランが言う。
﹁ふぅん、水が飲みたくて来たんだけど﹂
﹁よし、井戸で飲んでついでに汲んで来てくれ﹂
アランがレオナールに良い笑顔で言う。
﹁え∼っ?﹂
370
﹁冷たい新鮮な水が飲めて一石二鳥だろ。頼む、レオ﹂
﹁はぁ、面倒くさいわ﹂
そう言いながらも水瓶を担ぎ上げる。少しは悪かったという気持
ちがあるのかもしれない。あるいは冷たい水、に心惹かれたのかも
しれないが。
﹁なぁ、レオ﹂
﹁何? アラン﹂
﹁明日、出席しないわけにはいかないけど、お前はずっと黙ってて
も良いからな﹂
アランの言葉にレオナールはプッと吹き出した。
﹁アラン、どれだけ過保護なのよ。別に私、子供じゃないのよ? 面倒だしウザイし気に食わないけど、あっちがわざわざ喧嘩売って
来なきゃ、相手なんかしないわよ?﹂
﹁おい、喧嘩売られたら買う気なのかよ!﹂
﹁そりゃ当然でしょ? 売られたら買うし、相手が降参するか、こ
っちに向かって来なくなるまで潰すわよ。闇討ちとか報復とか面倒
だもの。潰せる時にキッチリ潰すわ。
ネズミや害虫と一緒よ。私のテリトリー以外のところで何をどう
しようと気にしないけど、私のテリトリー内では自由になんかさせ
ないわ。その都度、キッチリ潰した方が楽じゃない﹂
371
﹁人間と害虫を一緒にするなよ﹂
﹁人間は町の中で殺してないわよ? 殺しておいた方が良さそうな
のも含めて﹂
レオナールは笑う。
﹁一応手加減はしてあげてるもの。相手が模擬戦でもないのに、武
器や魔法で攻撃してくるようなら容赦する気は無いけど。
﹃自己防衛﹄のために仕方なくなら、良いんでしょ?﹂
アランは苦い顔になる。
﹁まぁ、それを禁じてお前に危険が及ぶようなら仕方ないが、頼む
から不必要に斬るなよ?﹂
﹁ええ、安心してちょうだい﹂
そう言って立ち去る。
﹁大変だな、アラン﹂
エドモンが他人事のように言う。
﹁⋮⋮ああ、見た目が人間の姿なだけに困る事が多いけどな。相手
が、あいつを魔物か猛獣みたいなものだと認識してくれたら、もっ
と楽になるんだがなぁ﹂
﹁それは無理だろう。どう見ても人間あるいはハーフエルフで、そ
372
れ以外にはとても見えないからな﹂
﹁あいつは人間の常識に自分を合わせる気がないからな。頭が痛い
よ﹂
﹁でも面倒見るんだろ?﹂
﹁俺が見捨てたら、どうなるかわからないからな。たぶん俺以外に
あいつの面倒見たがるやつはいないから、何とかしてやりたいと思
ってるんだ﹂
﹁過保護過ぎるだろう。いっそ好きにやらせてみたら?﹂
﹁バカ言うな。あいつがやりたい事やったら、その日の内に賞金首
になるのは間違いない﹂
﹁あながち冗談に聞こえない辺り恐いな﹂
﹁ただの事実だ﹂
﹁⋮⋮本気で言ってるのか?﹂
﹁あいつは自分とそれ以外の区別はかろうじてついてるが、人間と
それ以外の区別はないからな。魔獣も魔物も虫も人も同列だ。
俺やダニエルのおっさんが駄目だと言うから、むやみと人を殺さ
ないようにしているだけだ﹂
アランの言葉にエドモンが肩をすくめた。
﹁なんで、あいつと組んでるんだ? メリットないだろ﹂
373
﹁⋮⋮たぶん、責任感じてるんだな。別に俺がそんなもの感じる必
要なんかないんだろうけど、でも、あいつがああなる前に、助けら
れるやつがいたとしたら、俺だけだったんじゃないかって後悔があ
るんだと思う。それにあいつのおかげで、村を出られたってのもあ
るし。
別に故郷や家族が嫌いなわけじゃないぞ? でも、ずっと感じて
たんだ。俺の居場所は、ここじゃないって。レオとレオの母親のシ
ーラさんがいなかったら、俺は今でも村で家事手伝いしてたと思う﹂
﹁難儀なものだな。ま、疲れて投げやりにならない程度に、頑張れ﹂
﹁ああ﹂
アランは笑い、空になった鍋を洗うために持ち上げた。
◇◇◇◇◇
﹁この家で﹃親睦会﹄なんかやろうと考えたやつは死ぬべきよね﹂
笑顔で言い放ったレオナールの言葉に、アランが顔をしかめた。
﹁おい、殺すなよ?﹂
﹁ふふ、殺さないわよ? ああ、言葉の選択をちょっと間違えちゃ
ったかしら﹂
﹁ちょっとじゃねぇよ! まぁ、でもあの人は俺達が願うまでもな
374
く、死んだら絶対地獄行きだろ﹂
パーティー会場予定の部屋の掃除と飾り付けが完了した。椅子と
テーブルとテーブルクロスと花瓶以外のものは全てサブギルドマス
ターのリュカの家から運ばれたものである。
台所には、食器やコップ、カトラリー類や、それらを運ぶための
トレイなどが運び込まれた。
﹁それで、更に玄関や廊下も飾り付けるって? 正気?﹂
レオナールの言葉に、アランはちょっと悩みかけた。
﹁いや、でも、さすがにそのままだとシンプル通り過ぎて殺伐とし
てないか?﹂
アランが嫌そうな顔で言うと、リュカが肩をすくめた。
﹁クロードは、自分が必要だと思う物以外置かないし、要らないと
なったら、思い切り良いからね﹂
﹁せめて絨毯くらいは敷いた方が良いと思うけど﹂
ジゼルが言う。
﹁絨毯ねぇ? 重量が結構あるのはともかく、これをまともに敷く
となると、結構面倒くさいわよね﹂
﹁なんかもうどうでもいい気分になってるのは確かだな﹂
アランが溜息をつく。
375
﹁けど、敷いた方が足音とか吸収されるだろ。歩く度に音が家中鳴
り響くってのは、俺達しかいない時はともかく、複数人集まるよう
な時は、ちょっとまずいだろ﹂
﹁私、もうご飯食べて水浴びして寝たいんだけど﹂
﹁明日に回すか?﹂
﹁いや、今やってしまった方が良いだろう。エドモン、手伝ってく
れないか?﹂
リュカが言った。エドモンは肩をすくめたが、リュカと共に絨毯
を運び出す。
﹁ジゼル、もう結構暗いけど、帰らなくて大丈夫か?﹂
﹁さっき摘まんだ軽食でお腹いっぱいで、もう寝るだけだから、い
つでも大丈夫よ﹂
﹁さすがに遅くなると、帰り道が恐いだろう?﹂
アランが眉をひそめて言うと、
﹁じゃあ、アランが送ってくれる?﹂
﹁え? なんで俺が送るんだよ。ひ弱で体力ない魔術師にそんな事
させるなよ。まだレオとかエドモンのが良いだろ?﹂
アランが言うと、ジゼルは不機嫌な顔になった。
376
﹁本当、アランって気が利かないわよね﹂
﹁は? なんでだよ。俺じゃガード役は無理だろ。エドモンなら背
は高いし、体格もギルド職員の中じゃ一番良いだろ。レオは、人避
けには良いだろうし﹂
﹁⋮⋮もういいわよ。アランには頼まないから﹂
ジゼルは溜息をついた。
﹁当たり前だろ。俺にやれって方が無理だろう。お前、時折わけわ
かんない事言うよな﹂
呆れたようにアランが言った。
﹁大丈夫? ジゼル﹂
ジゼルと仲の良いドーラが声を掛けた。
﹁ええ、大丈夫よ。有り難う、ドーラ﹂
その様子をレオナールが笑いをこらえるような顔で見ていた。
﹁⋮⋮どうした、レオ?﹂
不思議そうにアランが尋ねると、
﹁ふふ、何でもないわ。やっぱりアランって面白いわね﹂
377
﹁は? 何がだよ。お前が面白がるような事があったか?﹂
﹁良いのよ。そのままの方が面白いから、ぷぷっ﹂
アランは、レオナールがおかしいのは今更だと判断して、肩をす
くめた。残りのギルド職員達はこちらを見てはいたが、話しかけて
は来なかった。
﹁おっ、ずいぶん変わってるな﹂
ドアが開き、家主が帰宅した。それを見てレオナールが駆け寄る。
﹁お? レオナール、どうし、⋮⋮っ!!﹂
慌ててクロードは飛び退いた。
﹁おい、こら!! なんで殴ろうとする!!﹂
そのまま玄関先で拳と蹴りの攻防を始める二人。あいつ元気だな、
とアランはぼんやり見た。
﹁ちょっと! 一発で良いから殴るか蹴るかさせなさいよ!!﹂
﹁なんでだよ!! 疲れて帰って来た俺を珍しく出迎えてくれたの
かと思いきや! 一発でも殴らせろとか、嫌に決まってんだろ!!﹂
﹁往生際悪いわよ!!﹂
﹁いやいや、俺、何も悪いことしてないだろ!? 理由もなく殴ら
れるとか、そんな酔狂じゃねーからなっ! 確かに昼間は鍛錬見て
378
やると言ったが、今じゃねぇよ!!﹂
﹁鍛錬じゃないわっ! 一発で良いから殴らせろって言ってるだけ
じゃない! ケチねっ!﹂
﹁そういう問題じゃないからなっ!﹂
そんな二人を見て、リュカは
﹁元気だねぇ﹂
と言い、エドモンは
﹁あの辺は後回しですね﹂
と言った。
﹁ちょっ⋮⋮なんで誰も助けてくれないんだよ! 俺が何したって
の!!﹂
﹁ギルドマスター、すいません、オレ、疲れてるんで﹂
﹁頑張ってください﹂
そして、クロードはよそ見をした隙に、足を引っかけられて、鳩
尾を一発殴られた。
﹁ぐほっ⋮⋮!﹂
﹁やっと決まった! はぁーっ、さすがにちょっと疲れたわ﹂
379
レオナールがその場で壁に寄り掛かるように座り込んだ。
﹁ぐっ⋮⋮くそっ、おい、なんで俺が殴られなきゃならないんだ﹂
クロードが噛み付くようにレオナールに文句を言う。
﹁腹いせ? ほら、思いつきで面倒なことさせられたから﹂
﹁⋮⋮俺が悪いってのかよ﹂
クロードが呻いた。
◇◇◇◇◇
翌日の夕刻。
﹁やっと終わった⋮⋮!﹂
アランがグッタリと、台所の椅子に寄り掛かって、呻くように言
った。
﹁お疲れ様、はい、水﹂
レオナールがアランに水の入ったコップを手渡す。
﹁おいしいですね、このスープ。今度、改めてレシピ教えて下さい
ね﹂
380
料理の支度を手伝ったエロイーズがそう言った。水を飲み干した
アランが、破顔する。
﹁はい、こちらこそ助かりました。でも、特別な事は何もしてない
ですよ﹂
﹁アランさんは、仕事が丁寧なのね。具の大きさも計ったように均
一だし﹂
﹁あー、大きさが不揃いだと、火の入り具合が微妙なんですよね。
毎回同じ大きさにしておけば、火の調整とか時間とかも、味見しな
くても読めるようになるし。
効率考えたら、手を抜けるところとか、丁寧にやるところとか決
まってくるんですよね。特にスープは歯ごたえとか口当たりとか、
大事だと思うので﹂
﹁なるほどねぇ、勉強になるわ。お手伝いに来た私の方が得しちゃ
ったかも﹂
﹁いえいえ、エロイーズさんの助言で入れた香草とか、思ったより
良くて、都会の人はすごいなって思いました。俺の故郷にはなかっ
たので。
使ったことない食材使うのって勇気要りますよね﹂
﹁それはわかるわね。私も新婚の頃は失敗ばかりして、リュカにと
んでもない料理食べさせちゃったわ。
リュカってば、炭にしちゃった時以外は食べてくれるものだから、
私、しばらくリュカは味音痴なのかと思ってたの﹂
381
﹁⋮⋮うわ、それはすごいですね﹂
アランは何とも言えないような顔でそうコメントした。レオナー
ルは、そんなアランを見て、本当は﹃それは気の毒に﹄を言い換え
たんだろうな、と判断した。
玄関の呼び鈴が鳴り響いた。アランがすっと背筋を伸ばして、玄
関へ向かう。レオナールはその数歩後についていく。
﹁今晩は、お招きに預かり、有り難い。なんでもアラン殿がわざわ
ざ腕を振るっていただいたとか?﹂
オーロンと、その背にしがみつくように白髪の少女レイシア、褐
色髪の美女アドリエンヌ。
﹁こんばんは。本日はご足労いただき、有り難うございます。では、
こちらへどうぞ﹂
一礼し、アランは方向転換して、会場へと案内する。
﹁ほう、アクラナの花ですか。この辺りにしか咲かないようですな。
初めて実物を拝見した﹂
オーロンが満足そうに頷いた。レイシアは緊張している。アドリ
エンヌはすまし顔だが、一言も口を開かない。奥からギルドマスタ
ーのクロードと、サブギルドマスターのリュカがその妻エロイーズ
を伴って現れる。
﹁ようこそ、我が家へ。今宵は友人の家へ来たような感覚で、無礼
講で楽しんで貰えれば幸いだ﹂
382
笑って言うクロードの姿は、意外に貫禄があり、普段のふざけた
オヤジの姿は欠片もない。普段は生やしっぱなし伸びっぱなしで放
置されている顎髭も、きちんと整えたようである。
ジゼルとドーラが、ワインの瓶とグラスを運んで来る。全員に、
ワインが注がれたグラスが行き渡ると、クロードがグラスを掲げる。
﹁それでは、皆の親交がより深まることを願って、乾杯﹂
唱和して、親睦会が始まった。席順は入り口ドアから見て、一番
奥にクロード、右手にリュカ、エロイーズ、アラン、レオナール、
左手に、オーロン、レイシア、アドリエンヌである。
﹁故郷のウル村で良く食べられる料理を作りました。⋮⋮それ以外
は作れないので﹂
アランが愛想笑いを浮かべて言った。
﹁ふむ、見た目はシンプルだが、美味いな。ワインが進む﹂
嬉しそうにオーロンがワインを傾ける。レイシアがスープを美味
しそうに食している。アドリエンヌが複雑そうな表情で黙々と食べ
ている。
レオナールは肉だけ取って食べようとして、アランに睨まれ、し
ぶしぶと言った感じでサラダや野菜のチーズ焼きも取った。
﹁アランは、家にいた時から料理をしてたの?﹂
リュカが声をかける。
﹁ええ。うちは六人兄弟で、上に兄が二人、下に弟が二人、妹が一
383
人いるんですが、家にいた頃は妹を背中に負ぶいながら、家事をし
ていました。
最初は母が作ってたんですが、途中でまかされるようになって。
家で作ってた時は、もうちょっと塩を足していましたけどね。自分
の好みで作ると、味が薄いと文句言われるので﹂
﹁農家だとそれは仕方ないかもねぇ。炎天下で汗をかくから﹂
﹁俺は、農家の三男に産まれたくせに、日差しに長時間当たると倒
れたりするんですよね。
労力にならないどころか、邪魔になるって言われて。今は少しは
体力はついたし、ローブのおかげもあって、昔よりマシですが。で
も、農業は無理そうです﹂
﹁魔術師になりたくて、必死で頑張ったんだよね?﹂
﹁はい。このまま家で厄介者にはなりたくなくて。才能があるって
わかった時は、目の前が開けた気分でした。
この世に、自分の力を振るえる場所があるとわかって、思わず身
体が震えましたね﹂
アランは笑った。
豆のスープは、みじん切りにしたにんにくを炒め、玉葱のみじん
切りを加えて透き通るまで炒めた後で、豆とベーコンを加えて香草
とブイヨンで煮込み、塩胡椒で味を調えたものだ。
芋のトマト煮は、ベーコン・芋・玉葱・にんじんを炒めて水を加
え、ひと煮立ちさせてから、トマトを加えて煮たもので、素材の味
がそのまま生かされている。
野菜と豚肉のチーズ焼きは、塩胡椒した豚肉と野菜にオイルを絡
384
め重ねたものに、粉状に摺り下ろしたチーズを振りかけて焼いたシ
ンプルなもの。
野菜サラダは葉野菜やトマトなどに軽く塩胡椒して、オイルを絡
めたもの。
鶏の香草焼きは、塩胡椒して、皮に細かく切れ目を入れた鶏肉に、
細かく刻んだ香草と小麦粉を絡めて焼いたものである。
どの料理も複雑さはないし、装飾的なものもない。色は素材その
もので、ソースなどが使われたりもしていない。全て必要最小限の
塩と胡椒でのみ味付けされており、使われている香草も、この近辺
ではありふれた代物である。
﹁⋮⋮美味しい⋮⋮﹂
アドリエンヌがぽつりと呟いた。
﹁まぁ、小器用なアランの隠れた特技の一つだな﹂
クロードが言った。
﹁⋮⋮小器用ってなんですか﹂
アランが言うと、
﹁お前、何かやらせると、大抵すました顔で、良くも悪くもない程
度に、さらっとこなすだろ、運動と重労働以外﹂
﹁別にすましてないですし、さらっとこなしたりもしてません。て
いうか良くも悪くもない程度って、どんなのですか﹂
﹁文句つけたくなるほど酷くもなく、それで食っていけるほど良い
385
わけでもなく? 一言でいえば、可愛くない、だな﹂
﹁⋮⋮何ですか、それ﹂
﹁おい、アドリエンヌ。何か食べたい料理あったら、こいつに作ら
せてみろ。具体的に説明すればするほど、記憶の中にある味を再現
できるぞ﹂
﹁本当ですの!?﹂
アドリエンヌの瞳が輝いた。
︵あれ?︶
アランは怪訝な顔になった。
﹁おう、うろ覚えのレシピでも大丈夫だ。たぶん、後はこいつが何
とかする﹂
﹁えっ⋮⋮ちょっ⋮⋮何言ってるんですか!?﹂
慌てるアランに構わず、クロードが自慢げに頷いた。
﹁出来上がったのが、イメージと違ってたらダメ出ししてやれ。言
えば言うほど、叩けば叩くほど良くなるから﹂
気付いた時、アドリエンヌの顔が、アランの間近にあった。
﹁⋮⋮えっ?﹂
386
﹁かぼちゃのキッシュは作れる!? 昔、乳母が作ってくれたの!
!﹂
﹁⋮⋮は⋮⋮?﹂
アランは呆気に取られた。
﹁乳母が死んでから、誰に頼んでも再現できなくて⋮⋮あなたなら
出来るんでしょ!?﹂
アドリエンヌに詰め寄られて、アランはたじろぎつつ、横目でク
ロードを睨み付けた。
387
6 親睦会の準備と会食︵後書き︶
次回はまだ巣へ行けないっぽいです︵汗︶。
何故こうなった、と思いつつ。
何回も消して書き直して、を繰り返して、こんな感じになりました。
以下を修正。
レオナールの台詞をいくつか漢字↓平仮名に修正
×スフレ
○キッシュ
388
7 かぼちゃのキッシュ
﹁俺、キッシュとか作ったことないんですけど﹂
アランがぼやいた。
﹁俺が作れるのは田舎料理で、オシャレで都会っぽい上品な料理は、
ロランに出て来てから料理屋で食べた事があるものくらいで⋮⋮そ
れだって、食材に心当たりがあれば、どうすればそうなるか、みた
いな想像はできますけど、キッシュって何ですか!? 何、その謎
料理!!﹂
﹁⋮⋮そう言えばウル村は、鶏は飼ってても、一般住民は卵食べる
風習はなかったんだったな﹂
ふむ、とクロードは頷いた。
﹁クロード、君は本当に、適当な発言で人を振り回すの好きだよね
?﹂
リュカがぼそりと言う。
﹁一発だけじゃなく、潰しておくべきだったかしら、やっぱり﹂
レオナールの言葉に、
﹁いや、潰すとか何だよ! お前、なんでそんななの!? 敬意と
かないのかよ!!﹂
389
﹁あるわけないでしょ。何バカなこと言ってるの?﹂
呆れたような顔でレオナールは言う。ひどい、とぼやくクロード
を皆がスルーする。
﹁さすがに食べた事も見た事もない料理は作れないですよ?﹂
﹁一応私は作ったことあるけど、アドリエンヌさんが求めているも
のと同じかどうかはわからないわねぇ﹂
エロイーズが言った。
﹁やっぱり言ったやつが死ぬべきよね﹂
﹁なんでだよ! レオナール、お前、俺に殺意抱いてるのか!?﹂
﹁殺意は抱いてないけど、斬って中身が見てみたいとは思ってるわ
ね。特に心臓の色とか形状とか﹂
﹁やめろ、斬って中身出したらマジで死ぬから!﹂
真顔でしげしげ見ながら言うレオナールに、クロードが慌てて仰
け反り、距離を取る。それを鼻で笑うと、アランの方へ振り返る。
﹁ねぇ、アラン。あんなの真に受ける必要ないと思うけど?﹂
﹁いや、そりゃ、そうだろうけど、でも、あれ、本気だっただろ?
あんな必死なのに、無かったことにするのはちょっと気の毒じゃ
ないか? 原因がバカなおっさんだとしても﹂
390
﹁あぁっ、アランにまでバカとか言われた!﹂
クロードが嘆く。
﹁そりゃ言われるだろうよ。ていうか、どう見てもバカなのはクロ
ードだよね?﹂
リュカが笑う。
﹁アラン、私のおすすめのキッシュがおいしい店行って食べてみる
?﹂
ジゼルが心配そうに言う。
﹁誰に頼んでも再現できない料理って、いったいどういう代物だ?﹂
アランは頭を抱えた。
﹁でもまぁ、基本というか、どういう料理なのかわからない段階じ
ゃ、どうにもならないわよねぇ? やっぱりおっさんが、責任取っ
て土下座しに行くべきね﹂
レオナールがフン、と鼻を鳴らした。
﹁あ? そんな謝るような事してないだろ?﹂
心底不思議そうに首を傾げるクロード。
﹁罪悪感の欠片もない上、後悔も反省もないとか、本当困るね﹂
391
リュカが深い溜息をついた。
﹁後日うろ覚えのレシピは貰えるらしいけど、それで再現できない
ものを再現しろとか、無茶振りも良いとこよね?﹂
﹁藁にもすがる、というのは、ああいう感じの状態なのかしらねぇ。
お気の毒だとは思うけど、どうしようもない気がしなくもないわ。
困ったわねぇ﹂
エロイーズが首を傾げて言った。
﹁大丈夫だよ、エロイーズ。君がそんな事を悩んだりしなくても、
いざとなったらクロードが全部解決してくれるはずさ﹂
﹁そうなの? それは良かったわ﹂
リュカとエロイーズの会話に、クロードはうへぇ、という顔にな
った。
﹁責任者って責任取るために存在するんだから、当然よね。まして
や元凶なら﹂
﹁俺のせいなのかよ?﹂
﹁別に私が代わりにあなたの首を斬ってお詫びとして、持って行っ
てあげても良いのよ?﹂
それも楽しそうね、と笑うレオナールに、クロードは勘弁してく
れ、とぼやく。
392
﹁なぁアラン、今回の詫びに何か欲しい物あったら買ってやろうか
? 魔法書とか﹂
﹁ギルドマスターの財布でも良いですよ?﹂
アランが黒い笑顔でふところから、預かっていた皮の袋を取り出
した。
﹁しまった! まだアランに渡したままだった!! か、返してく
れ、全財産なんだ!!﹂
﹁ねぇ、アラン。そのお金で、今回協力した全員で、打ち上げ行か
ない? 肉が食べたいわ、魔獣肉とか。森鹿肉とか良いわよね﹂
﹁あー、確かに森鹿肉食べてみたいな。ついでにキッシュとかいう
のも食べてみるか﹂
アランとレオナールの会話に、涙目になるクロード。
﹁す、すまん、次の給料まであと半月近くあるんだ。頼むから返し
て⋮⋮﹂
その言葉に、アランは呆れたようにクロードを見る。
﹁自分の財布を盾にされて、ようやくそれですか。口先だけの謝罪
って、本当しようもないですよね﹂
﹁喉元過ぎれば熱さを忘れる、の典型パターンだよね﹂
393
リュカが追い打ちをかける。
﹁そ、そんなことない! 反省した! 反省してるから、頼むから、
返して⋮⋮っ!﹂
﹁じゃあ、四つん這いで三回まわってワンと鳴いてみてよ? 全裸
首輪姿でお腹見せて服従のポーズとかも良いわね﹂
レオナールが悪のりする。
﹁えっ、さすがに、それはひどっ⋮⋮﹂
﹁別にギルドマスターのそんな姿見ても誰も喜びませんよね? 喜
んでもレオナールくらいとか、誰の得にもなりませんし、そんな真
似しても、また同じこと繰り返しそうなのは目に見えてますし、意
味ないでしょう﹂
﹁確かにね。一晩寝たら忘れてそうだよね﹂
アランは、はい、と袋をクロードに差し出した。
﹁えっ? 返してくれるのか!?﹂
喜んで受け取るクロードを尻目に、アランは肩をすくめた。
﹁まぁ、期待はしてませんし。面倒事に巻き込まれるのは、本当勘
弁して欲しいから、二度とやらないって約束してくれるなら、それ
で良いです。
⋮⋮期待はしてませんが﹂
394
﹁そうか、そうか! 有り難う、アラン! お前は良い子だよ!!
おかえり、俺の全財産!!﹂
喜ぶクロードは受け取った袋にキスをして、いそいそとふところ
へ仕舞い込んだ。
﹁確かにダメそうね﹂
レオナールも肩をすくめた。
﹁期待するだけ無駄だよね﹂
リュカも言う。しかし、クロードの耳には聞こえてないか、素通
りしているようである。
この場にいる全員の目線が生暖かいものになったのにも、気付い
ていない。
﹁僕としては、なるべく早急に調査依頼に取り掛かって欲しいんだ
けどね﹂
リュカが吐息混じりに、そう言った。レオナールとアランは顔を
見合わせ、肩をすくめた。
◇◇◇◇◇ ﹁かぼちゃに、泡立てた卵と牛乳を加えて、塩胡椒で味付けして竈
で焼いたもの、か﹂
395
﹁簡単に言うと、そうなるわね。ただ、人によって細かく作り方が
違うし、入れる材料も行程も違ったりするのよねぇ﹂
﹁パイ生地の中に入れて焼く場合もあるわね﹂
﹁パイって何だ?﹂
﹁パイはサクサクとした小麦粉で作ったバターたっぷりの生地を焼
いたものよ。かぼちゃのキッシュは、卵のなめらかさと、かぼちゃ
のホクッとした食感を楽しむものだと思うわ。食べてみればわかる
けど﹂
﹁ま、クロードの奢りだから、遠慮なく食べなよ﹂
﹁肉料理注文して良いかしら?﹂
﹁キッシュを食べてからにしてね﹂
クロードを含めた全員で、ジゼルおすすめのキッシュのおいしい
料理屋に来ていた。計13名、テーブル2つ半の大人数である。
﹁久しぶりの外食ね、リュカ。あなたと一緒に出掛けるの、半年ぶ
りかしら?﹂
﹁そうだね、僕としては、もっと君と一緒に過ごしたいんだけどね﹂
独特の空気を作っている夫婦もいるが、この場にいる全員がスル
ーする。
﹁どうして俺の奢りって事になったんだ? ここへ来るまでに、そ
396
んな話題は一度も出なかったよな?﹂
﹁キッシュとかどうでも良いから、早く肉が食べたいわ﹂
﹁安心しなよ、レオナール。卵は肉より栄養があって、滋養がある
素晴らしい食べ物だよ。筋肉にもなる、はずだ﹂
﹁なんで﹃はず﹄なのよ、エドモン﹂
﹁ぼくは筋肉つけようと意識した事はないからね。でも、剣士や戦
士が、好んで食べる食べ物の一つだと思うよ﹂
﹁ふぅん、それが本当なら、卵も良さそうね﹂
﹁お前、本当、筋肉つける事と斬る事しか考えてないんだな﹂
呆れたようにアランが言った。
﹁え? それ以外に何を考えろっての? おかしなこと言わないで
よ﹂
﹁おかしいのは、お前の方だからな﹂
﹁やぁね、私から斬ることを除いたら、何が残るってのよ﹂
﹁⋮⋮微妙に反応しづらい事、真顔で言いやがって⋮⋮っ﹂
アランはガックリと肩を落とした。
﹁最低でも師匠ぐらいは肉つけたいわね﹂
397
レオナールの言葉に、アランは呆れたような目を向ける。
﹁お前な、あれでもあのおっさん、王国1・2の技能と才能で天才
だって言われてる、最速Sランク剣士だぞ? 言動はダメ人間だが﹂
アランが言うと、エドモンが肩をすくめる。
﹁あの人のこと、そんな風に言う新人とか、君らくらいだよ? 一
応、英雄で王国の少年少女達の憧れなんだから。
見た目も、四十代にはとても見えなくて格好良いし。妙齢のお嬢
さん方にも恋人にしたいナンバーワン剣士として人気なんだぞ﹂
﹁えー、だって、ねぇ?﹂
﹁だよな。俺たちが知ってるあの人って、大半が酒に酔ってグデン
グデンになったり、女や賭け事の事で愚痴ったりとか⋮⋮﹂
﹁わぁっ、もう良い! それ以上イメージ崩さないでくれ!!﹂
﹁剣士としては一応尊敬するけど、人としてはダメ人間の部類よ、
あれ。実態知って惚れる女がいるとしたら、ダメ男好きか、ダメ人
間製造器よね﹂
﹁遠くで仰ぎ見るのはともかく、近くに寄って間近で見たら、後悔
するタイプだよな。食べ物は、食えさえすれば、無機物でもかまわ
んとか言い出すし。
あの人、絶対、塩を含む調味料類は、身体を維持できる量あれば
問題ないとか思ってるぞ﹂
398
﹁さすがの私も、血のしたたる生の魔獣肉は食べる気にはならない
わね。師匠は、これも慣れればクセになるとか言ってたけど、さす
がに寄生虫とか、病気がこわいもの﹂
﹁味音痴のお前が、その辺まで師匠をリスペクトしないでくれて、
俺も安心してるよ。お前は、調理済みの肉だけだもんな﹂
﹁⋮⋮頼むから、それ以上聞かせないでくれ﹂
﹁世の中、知らない方が良いことっていっぱいあるわよね﹂
呻くエドモンを横目に見ながら、ジゼルがしみじみと言った。
﹁私、ダニエルさんってお会いした事ないのよね。ほら、私、王都
からこっち来たから﹂
ドーラが言う。
﹁ちょうど入れ違いみたいな感じだったものね、ドーラは﹂
﹁そうなの。稀に見る美男って王都でも噂だったから、楽しみにし
てたのに﹂
﹁戦闘中のあの人見て、同じこと言えるやつはいないと思うぞ。模
擬戦程度なら、一応人間らしいから、大丈夫だろうが﹂
アランが溜息をつきながら言う。
﹁笑いながらぶった斬って、罵倒や哄笑してるものね。あれはさす
がにちょっと下品かも﹂
399
﹁子供が見たら、泣き叫びながらお漏らしするレベルだよな。⋮⋮
俺はオーガよりも、戦闘中のあの人のがよっぽど恐いよ。迂闊に近
寄ったら、俺まで斬られそうで﹂
﹁あれに比べたら、私の方が健全よね﹂
﹁⋮⋮まぁ、あれに比べたらな﹂
アランが嫌そうながら認めた。
﹁そんなにひどいのか?﹂
エドモンが顔をしかめた。
﹁血を見るまでは、そこまで酷くはないんだがなぁ﹂
﹁一応人が相手だと、あそこまで興奮はしないみたいよね﹂
﹁人が相手の時は、一応手加減してるからだろ。あの人が対人戦で
本気出してるとこ見た事ないからな﹂
﹁そうね、頑丈な生き物相手の時だけかもね。たぶん強い相手が目
の前に現れたら、違うんでしょうけど﹂
﹁俺、そういう時は、絶対あの人に近寄りたくないな﹂
﹁私は師匠を斬れるようになりたいけど﹂
レオナールが言うと、アランは苦笑した。あえてコメントはしな
400
い。そこへかぼちゃのキッシュが運ばれて来る。
﹁甘い香り、は、かぼちゃか。何だ? これ、嗅いだことない匂い
だな﹂
﹁アランって、本気で卵料理食べたことなかったのね﹂
ジゼルが半ば驚き、半ば感心したように言う。
﹁そんな料理がこの世にある事も知らなかったな﹂
﹁え? でも、外食した事くらいはあるだろ?﹂
﹁今まで泊まった事のある宿屋では出た事ないな﹂
アランが首を左右に振りつつ答えた。
﹁え? 料理屋とか飲食店とか行った事なかったのか?﹂
﹁屋台以外の調理した食べ物屋に行った事はないかもな。俺の故郷
にそんな店はなかったし、ロランに来てからも、野外にいる事が多
くて、宿屋に泊まったのも、ギルド登録までの一年半で、五本の指
で数えられる程度だな﹂
﹁師匠は、食べ物についてはこだわりなかったものねぇ﹂
﹁お前も人の事は言えないだろ。登録してからは、宿屋で食べた方
が安上がりだったから、外へ食べに行こうとはあまり思わなかった
な﹂
401
﹁君たち、貧しい食生活送ってたんだな。あ、いや、アランの手料
理のことじゃなく、それ以外の話だからな﹂
﹁わかってるよ。食べ物に金を使いたがる人が身近にいなかったか
ら、俺の料理なんて、たいした事ないんだ。野外料理も、適当だし﹂
﹁いや、アランは頑張ってると思うぞ﹂
﹁そうよね、私が作るより上手いわよね﹂
ぼそりとジゼルが、呟くように言う。
﹁へぇ? ジゼルも自炊してるのか﹂
﹁なるべく貯金したいもの。買い物とか節制のためには、仕方ない
のよ。でも人様に披露できるような腕前じゃないからね﹂
﹁俺もだよ﹂
アランが言うと、ジゼルがジト目になり、エドモンとドーラがあ
ーあと言わんばかりの顔になる。レオナールはニヤニヤ笑っている。
﹁アランは基準の設定値がおかしいのよね。常に自分を標準以下に
置く癖がついてるっていうか。そんなに卑下して楽しいのか、サッ
パリ理解できないけど﹂
﹁だからと言って、お前みたいに無駄に自信過剰になるのは無理だ
からな﹂
﹁私は別に過剰じゃないわよ?﹂
402
ケロリとした顔でレオナールが言う。
﹁私がまれに見る美貌の剣士なのは、間違いのないただの事実だし。
今はともかく、将来は王国最強剣士は間違いなしだし?
みんなもっと、私を崇め称えて敬っても良いわよね、ふふ﹂
﹁⋮⋮どこからその自信が来るのか、本当不思議だよ、お前﹂
はぁ、とアランは溜息をついた。そして配膳されたキッシュを添
えられたスプーンで掬い、口に含む。
﹁⋮⋮っ!﹂
驚いたように、軽く目を見開いた。
﹁え? 何、どうしたの?﹂
不思議そうな顔をするレオナール。
﹁とりあえず温かい内に食べた方がおいしいわよ、レオナール﹂
ジゼルが言うと、ふうん、と頷き、レオナールもスプーンを手に
取る。
﹁なんだ、これ⋮⋮柔らかくてなめらかだ⋮⋮それに、このきめ細
かさ⋮⋮初めてだ⋮⋮っ!﹂
﹁う∼ん、芋や豆やかぼちゃをマッシュしても、こんな風にはなら
ないわね。変なの﹂
403
感動するアランの傍らで、レオナールが首を傾げる。
﹁でも、肉の方が噛み応えがあって好きだわ。あと肉汁の良さには
負けるわね!﹂
レオナールが満面の笑みで言い、皿をアランに押しやって、店員
に森鹿肉のステーキを注文する。
﹁⋮⋮レオナールには無駄だったみたいね﹂
ジゼルが呆れたように溜息をつく。
﹁そうだね、子供は結構好きな味だと思ってたんだが﹂
エドモンが困惑顔で言う。アランは気にせず、一口ずつ味わい、
舌で感触を確かめながら黙々と食べている。
自分の分を食べ終えた後は、レオナールの食べさしにも手を出し
ているので、聞いてないようで聞こえていたのかもしれない。
﹁どう? アラン、初めて食べたキッシュの味は﹂
﹁⋮⋮うん、⋮⋮レオとギルドマスターには合わないだろうけど、
俺は好きだな、これ⋮⋮﹂
それだけ答えると、黙々と食べる。
﹁気に入ってくれたなら、紹介した甲斐があったわね。この店のシ
ェフは、手が細かくて、味も繊細で、どの料理もおいしいのよ。た
ぶんアラン好みだろうと思ってたの﹂
404
ジゼルがにっこり微笑むが、アランには見えてない様子だ。
﹁作ってみたいけど、食べるやつが俺だけとか⋮⋮薪がもったいな
いな⋮⋮﹂
眉間に皺を寄せ、ぶつぶつ呟きながら、咀嚼している。
﹁生活費は全てギルドマスター持ちなんでしょう? だったら、薪
代とか食費とか、そんなに気に病む必要なくない?﹂
ジゼルが言うと、アランはハッと目を見開く。
﹁そうか! そうだったな!! そうか、俺の財布じゃないから、
別にかまわないよな﹂
﹁俺はかまうぞ!﹂
隣のテーブルからクロードが叫ぶが、アランには聞こえていない
ようだった。
﹁エロイーズさんからレシピ教えて貰って、何度か練習してみるか
な﹂
そう呟いて、にっこり笑った。いつもは少し鋭く見える目が細め
られ、つり上がっている事が多い眉が下がり、口角が上がり、柔ら
かな表情になる。その顔は年齢通りの少年に見える上、爽やかであ
る。
アランの笑顔に、ジゼルがウットリと見惚れるが、本人は全く気
付かない。いつもなら茶化すレオナールは、注文した肉の事で頭が
405
いっぱいで、それどころではないようだ。
﹁有り難う、ジゼル﹂
﹁う、うん、良いの。アランが喜んでくれたら、それで。頑張って
ね、アラン。応援してるから﹂
﹁ああ、有り難う﹂
アランは心から喜んでいるが、ジゼルの様子には全く気付かない。
不憫な、とエドモンとドーラが密かに同情した。
406
7 かぼちゃのキッシュ︵後書き︶
キッシュだけの回になりました。なんとなくそうなりそうだとは思
ったのですが︵汗︶。
次回もキッシュ関連回に。
どうしてこうなった、とか思ってるあたりマズイです。
前章より長くなりそうです。すみません。
以下を修正。
レオナールの台詞をいくつか漢字↓平仮名orカタカナに修正
×スフレ
○キッシュ
×設定レベル
○設定値
×好みだろうとは
○好みだろうと
407
8 ゴブリンと令嬢︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
408
8 ゴブリンと令嬢
基本的に冒険者登録ができるのは、その支部や出張所などのある
町や村で市民権を持っており、罪を犯していない者、あるいは既に
冒険者となっているBランク以上の者による推薦を受けた者に限ら
れている。
これはその町や村を治める領主、あるいは施政者にとって、素性
のわからぬ者に、むやみに武装の理由を与えたくないということ、
しかし、年々増える魔獣や魔物やダンジョンなどに関わるトラブル
を、全て領内の兵だけで対応できないため、可能なだけ外注で対処
したいことなどが理由である。
ヒューマン
亜人と呼ばれる人間以外の人、例えばエルフやドワーフ、ハーフ
リング、獣人などといった者たちは、その大半は市民権を持ってい
ない。
町や村で店舗等を持って商売などをしている者たちは、領主など
にその許可を申請し、審査を経て、認められて市民権を得ることで、
店舗や住居等を手に入れられるようになる。
一般にドワーフたちの申請の許可は通りやすい。何故なら、彼ら
には独自のネットワークがあり、村や町を訪ねる新参者のドワーフ
たちの大半は、同胞からの紹介があり、何処の里の出身か、あるい
は誰かの親類、あるいは知人たる証拠を持って旅しているため、身
元確認が比較的容易いためだ。
対してエルフは閉鎖的であり、基本的に個の繋がりが薄く、里を
出る事が少ない上に、個人主義的傾向が強い者が多いため、エルフ
以外の外部の者による紹介・身元保証がないと通りにくい。
ハーフリングに至っては悲惨である。大半の者が流浪あるいは住
409
居・住処を持たず、また犯罪者││スリや盗賊など││の確率が非
常に多いため、その申請がなかなか通る事がない。
獣人は、大抵人の町や村に近い場所に集落を作り、人の町や村と
交流していたり、中には税を納めることにより、領主などの庇護を
得ている場合もあるため、比較的通りやすい。
別にこれは亜人が差別されているというわけではなく、身元確認
や身元保証のしやすさが、市民権または冒険者登録や、申請許可な
どの通りやすさに繋がるからである。
レオナールが人里で生まれたにも関わらず、元々は市民権を持っ
ていなかったのは、母であるシーラが婚姻せずに、彼を生んだこと
と、彼女がその村で市民権を得ていなかったことが、原因である。
シーラとしては当時恋人であり元冒険者であったレオナールの実
父と婚姻することにより、市民権を得る予定だった。しかし、婚姻
する前に彼が死んだため、彼の実家である子爵家に声をかけられた
ため、その庇護と市民権の許可を得るため、そちらへ赴いた。
計算外だったのが、子爵の長男が、彼らと自らの肉親に害意を持
っており、実は殺すつもりで招いた事だ。だが、シーラの美貌が、
災いした。長男はシーラの美貌に魅了され、彼女に薬を盛って拘束
し、レオナールの命を盾に奴隷契約した。
﹃すまない、レオ。犯罪奴隷契約は基本的に不可逆だ。現状では、
彼女の奴隷契約を解約する手段はない。だが、必ずなんとか解放す
る方法を見つける。だから、それまで待っていてくれ﹄
ダニエルが苦痛を堪えるような、真剣な顔でレオナールにそう言
った時、レオナールは不思議だった。何故、彼はこんなに真剣で必
死なのだろう。
正直なところ、レオナールにはどうでも良かった。ただ、あの自
分を虐げ続けた男を、殺したいだけだった。それ以外はどうだって
410
良かった。法律がどうだとか、規則が慣習がどうだとか、倫理や道
徳がどうだろうと、自分には関係なかった。
ダニエルの奔走と交渉、子爵の直接の上司であるセヴィルース伯
爵の配慮により、平民としての市民権を得たが、それすらどうでも
良かった。
ようやく暴力などを振るわれることなく、自分の意志で行動でき
るようになったのに、何故、思い通り振る舞ってはいけないのか、
理解できなかった。
そして、何故、ダニエルとアランが必死に自分を止めようとし、
また自分と母を救おうとし、少しでも二人の立場や状況を改善しよ
うとするのかも理解できなかった。
︵何の利点もないのに︶
利害が一致するとか、自分たちに助力することで彼らに何らかの
利益や利点が得られるというなら、まだわかる。なのに何の利益も
ないどころか、不利益すらこうむる可能性がある状況下で、自分た
ちに味方し救おうとする彼らの心情が理解できなかった。
自分には見えない、何らかの利益を得られるからなのだろうかと
考えた事もある。だが、レオナールには、そういったものは見つけ
られなかった。
無償の愛、あるいはそれに準じるものの存在をレオナールは知ら
なかった。利害関係なしに、報酬もなく、人が、他の人に何かをし
ようとする気持ちも。
故に、アランが何の縁もゆかりもない、関わったところで、さし
て利点があると思えない事に、真面目に取り組もうとする理由が理
解できない。アランだけではなく、リュカを始めとするギルド職員
たちの気持ちも。
アドリエンヌは、味方でも仲間でもない。ギルドマスターである
411
クロードがサポート役として、押し付けようとした高位冒険者であ
る他人であり、何らかの借りも、義理も、責任もない。
冒険者としての仕事││依頼でもなく、何らかの報酬を提示され
たわけでもない。だから無視すれば良い、係わらなければ済む事だ。
そうしたからと責められる義理も筋合いもない。
より切迫しているだろう、白髪の少女レイシアの保護は拒否した
のに、何故このキッシュとやらの件にアランが係わろうとするのか、
レオナールには理解できない。そもそも面倒事や厄介事が苦手で、
金で解決できる事は金で解決する、合理主義のアランが、何故こん
な事に積極的に係わろうとするのか。
しかし、アランがそうしたいと言うのなら、したいようにすれば
良い。自分には関わりない事であり、どうでも良い。
︵そんな事より、早くゴブリン狩りに行きたいわねぇ。報告した以
外の場所にいるやつなら、こっそり狩りに行ってもバレずに済むか
しら?︶
レオナールは、エロイーズに嬉々としてレシピを教わっているア
ランを横目に、溜息をついた。
レオナールが理解できなくても、アランやダニエルの指示に従う
のは、彼らには義理といくばくかの恩があり、その内容が、自分に
害を及ぼすものではない、という理由だ。
故に、ルージュが自分になついているのは、彼あるいは彼女が必
要とする餌を、必要量確保して与えているからだ、と考えている。
それ以外に理由があるとは思えない。
たまたま利害が一致しているからこそ、今は行動を共にしている
だけで、不利益をこうむるようになったり、必要な量の餌を確保で
412
きなくなれば、離れて行くだろう。
それは仕方ない。レオナールとしても、そうなった場合、幼竜と
一緒にいる利点などない。共に行動することで、不利益の方が多い
だろう。
互いの利害が一致しているだけで十分だ。それ以外の意味も理由
もない。それでもどちらかが無理をしようとすれば、敵対するだけ
だ。
︵成長した竜と、斬り合うのも楽しそうよね︶
レオナールはその日を夢想し、笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇
ダットは予想外の事態に、焦りを覚えていた。日に日に、哨戒す
るゴブリンたちの数が増え、その行動範囲が広がっている。
︵あともう少しでラーヌへ行けるはずなのに︶
最初の内は、少数だったので倒したり回避したりするのも余裕だ
った。しかし、森の中を進む内、冒険者らしき者や村人らしき死体
や、襲われた痕跡を見かけるようになってきた。
その度に、金や金目の物をいただいていたのだが、その内、ゴブ
リンに遭遇あるいは見かける頻度が多くなってきたのだ。
幸い、︽隠形︾で移動するダットが見つかる事は、ほとんどない。
体力の消耗も最小限で済んでいるし、携帯食料なども足りている。
しかし、煩わしいことには変わりはない。
413
︵もう少しで街道だ︶
ここから先は、森を抜けるより街道を歩いた方が良いだろう。セ
ヴィルース伯爵領の領兵たちの巡回路からも外れている。見とがめ
られて捕まるような危険も、もうないだろう。
移動の痕跡も残していない。何より、ゴブリンたちを見るのがも
う嫌になっていた。
ラーナ方面から駆けて来る馬の足音、馬車の車輪の回る音などが
聞こえて来た。
︵やり過ごすか︶
ダットは森の木の陰で、足を止めた。馬車が間近に迫って来た時、
その前後へと武装ゴブリンたちが襲いかかった。
︵っ!︶
そのゴブリンのグループには、魔術師が4体混じっており、弓を
持ったのが7体もいた。14体の剣や槍などを持ったものもいる。
魔術師が先制し馬車を止め、弓持ちが馬を始末する。
馬車の護衛は、冒険者らしき者が4人、護衛騎士らしき者が2人。
従者らしき者が1人、女官と思われる者が1人、そして護衛対象と
思われる貴族らしい風体の少女が1人。
当然、ダットはそれを見過ごすつもりだった。しかし、隠れてい
た木の陰から身を乗り出し過ぎていた。馬車の中にいた少女と目が
合ってしまった。
﹁お願い! 助けて!!﹂
414
少女が大声で叫んだ。ダットはチッと舌打ちした。このままなら、
無事やり過ごす事が出来たのに、と思う。
気付いたゴブリンたちが、こちらにも攻撃を仕掛けようとしてい
る。
すぐさま、弓を構え、矢を射る。こちらへ視線を向けていた魔術
師ゴブリンの頭部を射貫く。
その生死を確認する事無く、次々に矢を射った。更に魔術師2体、
弓持ち4体を行動不能にする事ができた。
だが、剣持ちと槍持ちが距離を詰めて来ている。獲物をダガーに
替えて、距離を取った。
木を使い、死角からのヒットアンドアウェイ攻撃を繰り返す。出
来る事なら、この場を逃れたかったが、残った魔術師ゴブリンは頭
が良かった。
﹁⋮⋮っ!﹂
こちらが攻撃に出ようとしたタイミングで、隠れている木のギリ
ギリそばを、︽炎の矢︾が通り過ぎる。
回り込もうとしてくる剣持ち。援護として放たれる複数の矢。素
早く距離を取ろうとあがく。
﹁︽炎の壁︾﹂
少女の声で、魔法が発動される。ダットの目の前にいたゴブリン
が、轟音と共に燃え上がった。
冷や汗が背を、額を、伝う。それから改めて距離を取り、弓矢を
構え、数体を射る。そしてまたダガーに持ち替え、ヒットアンドア
ウェイ。
415
そうこうする内に、馬車側のゴブリンもあらかた退治または撃退
されたようである。応援に冒険者たちが駆け寄って来る。
散発的に放たれる魔法の援護を受けながら、ダットはゴブリンど
もを少しずつ片付けて行く。
︵一時はどうなるかと思ったけど⋮⋮︶
冒険者たちがダットに声をかけ、残りのゴブリンを掃討にかかる。
余裕を得た事で、距離を取り、弓で援護射撃する。全てのゴブリン
を倒し終わった頃には、全身汗びっしょりだった。
﹁おかげで助かったよ、えぇと、⋮⋮﹂
﹁ダット。小人族だ﹂
そう名乗る。冒険者らしき男は
﹁俺は、ジェルマン。王都からの護衛依頼の途中だ。後の3人は同
じ依頼を受けた同じパーティーメンバーで﹂
﹁クレールよ﹂
﹁セルジュだ﹂
﹁ベルナール﹂
ダットは軽く黙礼した。
﹁ところで、君は、どうしてここに?﹂
416
﹁馬車代ケチって徒歩でラーナへ近道しようとしたら、酷い目に遭
ったってやつさ﹂
ダットは肩をすくめた。
﹁そうか。しかし、一人で森を抜けようなんて、ちょっと無謀じゃ
ないか?﹂
﹁︽隠形︾と身軽さには自信があるからね。距離さえ置けば、ゴブ
リン程度、屁でもない﹂
﹁確かに、あの弓の技量はすごかったな。一射で倒すとか、なかな
か見られたものじゃない﹂
そこへ、従者がやって来る。
﹁そこの小人族、お嬢様がお話したい事があるとのことです﹂
その言葉にダットは思わず、顔をしかめた。厄介事の臭いしかし
ない。だが、拒否権はなさそうだ。
内心舌打ちしながら、それに従う。馬車の近くに行くと、馬車の
両開きの扉が大きく開かれていた。
女官従えて座る、貴族令嬢と思われる少女。ひざまずき、顔を伏
せるダットに、
﹁良いわ。面を上げなさい﹂
と告げる。先程助けを求めた時の声とは違い、威厳がある。命令
し慣れた者の口調だ。
417
﹁先程の援護は、助かりました。たとえゴブリンと言えど、25体
もいれば、この人数の護衛では、万一の事もないとは言いかねます
からね。
馬は予備の分がかろうじて無事なので、近くの村や町まではなん
とかたどり着けるでしょう。
しかし、こちらの護衛に、あなたほどの弓の巧者はいません。報
酬は出します。ロランまで護衛してもらえませんか? 金貨3枚出
しましょう﹂
目的地がロラン、という点は微妙だが、たかが護衛に金貨3枚は
破格である。そしてダットは金銭や金目の物に目がない。
﹁わかりました﹂
即座に了承した。
418
8 ゴブリンと令嬢︵後書き︶
キッシュ関連が続いて、話が進まないのも何かなと思ったので。
もうちょい後で入れるつもりでしたが、ここで挿話。
以下を修正
×ハーフリング
○小人族
419
9 気まぐれ剣士は日課に出掛け、異常に気付く︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
※グロ注意。
420
9 気まぐれ剣士は日課に出掛け、異常に気付く
いつもの通り、夜明け前にレオナールは目覚めた。しんと静まり
かえった、この時間の空気が好きだ。
寝室の窓を開けて、空気を入れ換える。まだ空は暗いが、︽暗視
︾のできるハーフエルフの目があれば、灯りは必要ない。
昨夜の内に手入れをしておいた防具を身に付け、マントを羽織り、
剣帯を掛ける。
廊下の絨毯は敷いたままだが、念のため音を立てぬよう、耳を澄
ませ、静かにゆっくりと歩き、玄関を出る。倉庫の扉を開くと、丸
まって寝ていたルージュが首をもたげる。
﹁ぐぁお﹂
﹁おはよう、狩りに行きましょうか﹂
﹁きゅうっ﹂
嬉しそうに鳴くルージュ。のそりと起き上がり、扉の方へ歩いて
来る。ルージュが外に出るまで扉を押さえて待ち、共に外へと向か
う。
﹁よお﹂
二階から、声が掛かる。レオナールがそちらを見上げると、ボサ
ボサ頭のクロードが眠そうに欠伸しながら、窓枠に寄り掛かるよう
に、こちらを見下ろしている。
421
﹁お前ら、これから狩りに行くのか?﹂
﹁どうせ、今日もゴブリンの巣には行けそうにないでしょ?﹂
レオナールが無表情で静かに答える。
﹁ま、そうだろうな。なんであんなに面倒臭いかねぇ? そんなた
いした事じゃねぇと思うし、ちょっと行って、ササッと済ましちま
えば、済むことだと思うんだが﹂
﹁それに関しては私も同感だけど、それじゃ納得できないんでしょ。
でもその原因作った当人が言うのは、どうかと思うわよ。正直どう
でもいいけど﹂
﹁とりあえず、巣の中に入らなきゃ、狩っても良いぞ、ゴブリン﹂
﹁あら、ギルドマスターのお墨付きを貰えるなんて、期待してなか
ったわ﹂
﹁まぁ、こっそり狩るより、許可が出て狩る方が、アランにバレた
時の言い訳のしようがあるだろ?﹂
﹁気をつかっていただいて、ありがとう﹂
﹁そう思うなら、少しは顔や口調に出せや、おい。⋮⋮本当、お前、
アランのいるところと、それ以外とだいぶ違うよな﹂
﹁一応、これでも気はつかってるのよ﹂
﹁はぁ、そうかい。ま、いいや、気を付けて行って来いよ﹂
422
だるそうな仕草でヒラヒラと手を振り、クロードはバタンと窓を
閉めた。
﹁じゃ、湖周辺からゴブリンの巣近くまで行ってみましょうか。そ
の前に出会えるかも知れないけど、近い方がきっといっぱいいるで
しょうしね﹂
﹁きゅうう﹂
ルージュが嬉しそうに、尻尾をゆらゆら揺らして頷いた。その姿
を見て、ふっと表情を緩めた。
﹁人間は色々面倒くさいわよね﹂
﹁きゅう?﹂
ルージュは不思議そうな顔をする。
﹁理由がなきゃ、何かをしちゃいけないとか、何かをするとトラブ
ルの元になるとか。本当面倒くさいわ。
殺人とか強盗とか、犯罪行為とかでとがめられるのは、まだ理解
できなくはないけど、別にそういうわけでもない他愛のない事でも、
トラブルや不穏の種になるのは、不思議よねぇ?﹂
﹁きゅきゅう⋮⋮﹂
﹁あなたに言っても仕方ないわね。今日は、ゴブリン以外にも何か
見つかると良いわねぇ? 何か食い応えのある大物がいると良いけ
ど﹂
423
﹁きゅきゅーっ!﹂
尻尾をブンブン振るルージュ。
﹁そうよね、ゴブリンだけじゃ飽きちゃうわよね。ちょっと本気出
してみようかしら?﹂
レオナールはニヤリと笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇
東門でギルドカードを提示して、外に出る。ロランの東門を出て
すぐ辺りから、ほぼ真北にあるオルトの東、北北東にあるラーヌの
南にかけて、森が広がっている。
東門から見て、若干北よりのほぼ東に、湖はある。今からなら、
湖に着いた辺りでおそらく日の出が見られるだろう。
ルージュに水浴びさせるのも良いかもしれない。その後、また汚
れるのだから、後回しにしてもかまわないだろうが。
森に入ってすぐの辺りで、レオナールは違和感を覚えた。
﹁⋮⋮?﹂
耳を澄まし、森の中の気配を探る。
﹁きゅきゅうっ!﹂
ルージュが尻尾を振り上げ、湖の方角を指す。レオナールは頷き、
424
音を立てずに済む程度に急いで、湖へと走る。
ルージュの方が若干速度が遅いが、その分歩幅が大きいため、平
均すれば同じくらいか、レオナールが一歩半くらいの差で速い。
レオナールとルージュが湖にたどり着いた時、湖のちょうど反対
側の岸辺で、大型の魔獣││サーベルボアの3倍ほどの大きさで、
4メトルほどありそうな体高の熊型魔獣││が倒れるところだった。
﹁ギギィ、ギィ!﹂
﹁ギギャ、ギグギャァ、ギィギ!﹂
斧や棍棒、槍などを持ったゴブリンたちが、駆け寄るのが見えた。
﹁ちょっと遅かったわね。横取りってのもアリかしら?﹂
レオナールが呟くと、ブンブンとルージュが無言で頷いた。
﹁じゃ、適当に蹴散らしましょう﹂
そう言って、レオナールはダッシュで駆け出した。一瞬遅れて、
ルージュも駆け出す。
レオナールが湖を回り込もうとするのに対して、ルージュは直線
距離、湖を真っ直ぐ目差し、湖に飛び込むと勢いよく泳ぎだした。
その勢いは、下手すると地面を走る時の速度よりも速い。当然だ
が、レオナールより先にルージュがゴブリン達の元へたどり着いた。
﹁ぐるぉおっ﹂
ザバァッと大きく水音を上げて、湖から飛び出したルージュに、
ゴブリン達が慌てて飛び退く。そこへ尻尾の一振りが遅い、5体ほ
425
どが跳ね飛ばされる。
﹁ぐぁお﹂
更に尻尾が振るわれ、3体が宙を飛ぶ。
﹁ギギャギャァ!﹂
リーダー格なのか、槍持ちゴブリンが大きく鳴き叫ぶと、残り数
体が退却しようと背を向ける。
そこへ容赦なく、ルージュの前足の爪による一撃が振るわれた。
更に1体の頭が砕かれ、血と脳漿が飛び散った。
﹁ギャギャア!ギャア!﹂
ルージュが尻尾を薙ぎ払い、残りの3体を跳ね上げる。そこへよ
うやくたどり着いたレオナールは、肩をすくめた。
﹁全部ルージュが始末しちゃったわね﹂
そう言って、柄に掛けていた手を下ろす。
﹁ぐぅあ、きゅう﹂
ルージュが甘えるように鳴く。
﹁良いわよ、食べても。周囲は私が警戒するから﹂
﹁きゅううっ﹂
426
嬉しそうにルージュが鳴き、舌なめずりする。そして、近い場所
に落ちているゴブリンは無視して、真っ先に熊型魔獣に飛びつき、
噛み付いた。
ごちそうは真っ先に食べるようである。野生の生き物としては、
当然とも言えるのかもしれない。レオナールは笑みを浮かべ、周囲
の警戒に当たる。
︵前回もこの辺りで見かけて、巣まで追ったのは確かだけど、でも、
ちょっとおかしいわね︶
レオナールは眉をひそめた。12体いたとは言え、たかがゴブリ
ンに4メトルもある熊型魔獣││ワイルドベア││が倒せるだろう
か。
一応、その死骸を見る限り、ゴブリンたちの持つ武器と同じ攻撃
により倒されたのだろうが。
︵3日前と、何かが違う?︶
違和感はあるのだが、それが何か良くわからない。
︵しばらく狩ってみれば、わかるかしら︶
﹁ぐぁお﹂
たしんたしん、と尻尾を鳴らすルージュを振り返ると、ゴブリン
も全て食べ終えたようで、跡形も無い。舌で口や前足などを舐め、
時折ちらりとレオナールを見ている。
﹁そうね。次のを狩りましょう﹂
427
頷き、歩き出す。湖の北へ暫く歩くと、岩肌が見えて来る。それ
を右手に、回り込む途中で、またゴブリンのグループを見つけ、レ
オナールは駆け出した。
走る途中で剣の柄に手を掛け、間合いに入ると同時に抜刀、その
勢いで振り下ろす。
﹁ギギャギャ!﹂
1体の頭部を叩き割り、左右から襲いかかるゴブリンたちを避け
て、バックステップ。
右に薙ぎ払い、2体を転がし、返す途中で左に持ち替え、左へ薙
ぎ払い、1体の腹を切り裂き、そのまま回り込み、首を刎ねる。
そこへルージュの尻尾による追撃が来て、残りのゴブリンたちが
跳ね上げられる。
︵いつもより重い?︶
レオナールは首を傾げた。両手で握って剣を振り、右手を離して
軽く振ってみるが、特に違和感はない。右手で握って振っても同様
だ。
剣を手に提げたまま、近くにあるゴブリンの死体に屈み込む。
﹁きゅう?﹂
﹁ちょっと、待って﹂
首の切断面を観察し、剣の刃を確認し、軽く振って違和感が無い
事を確認する。
﹁刃にも、身体にも異常はないわね、けど、いつもよりちょっと切
428
断面が歪んでるわ。おかしいわね﹂
落とした首を拾い上げ、切断面を上に向け、右手の剣を一度地面
に置き、その切断面を指先で撫でる。
レオナールは眉間に皺を寄せ、ふぅと溜息をついた。
︵ゴブリンが硬くなってる? この短期間で変化した? それとも、
前に見たのとは、別の群れ?︶
いずれにせよ、これはあまり良い兆候とは思えない。大きさや外
見に、特に変化はない。
亜種という事もなさそうなのだが、レオナールには判断がつかな
い。
﹁⋮⋮考えるのは、性に合わないのよね﹂
はぁ、と溜息をつく。どうしようか、しばし考える。
﹁ルージュ、この頭は持って帰るから、それ以外は食べて良いわよ﹂
そう言うと、ルージュが待ってましたとばかりに飛びつき、咀嚼
し始めた。
レオナールは両手でゴブリンの頭部を撫でさすり、何か違和感が
ないか、指で確認するが、異常は見つからない。
﹁うーん、何なのかしら。こういうのは、どう考えてもアランの担
当ね﹂
クルリと手のひらの上で頭部を回転させ、呟いた。
429
◇◇◇◇◇
﹁ただいま﹂
レオナールがクロード宅に戻ると、アランが顔を大仰にしかめた。
﹁おい、まさか、ゴブリン狩りに行ったんじゃないだろうな?﹂
﹁ギルドマスターの許可は貰ったわよ﹂
﹁え?﹂
きょとんとするアランに、レオナールはニヤリと笑う。
﹁巣の中に入らなきゃ、狩っても良いって言われたの。だから巣に
は入ってないわ。その周辺で少し狩ってきただけ。
それはともかく、ちょっと見て欲しいものがあるのよ﹂
そう言い、腰から下げていた革袋から、おもむろにゴブリンの頭
部を取り出す。
﹁おい、こんなとこでそんなもの出すな! っていうか、わざわざ
持って帰って来るなよな!!﹂
﹁これ、ちょっと、変なのよ﹂
レオナールはそう言うと、頭部をテーブルに置き、慌てるアラン
を尻目に抜刀、頭部目掛けて剣を振り下ろす。
430
﹁ちょっ、バッ⋮⋮何やって⋮⋮っ!?﹂
鈍い音がして、刃が途中で止まる。
﹁⋮⋮え⋮⋮?﹂
アランが呆然と、固まった。
﹁ね? いつもならこのくらいで通るはずなのに、このくらいの力
じゃ、途中で引っかかるのよ。で、ここでもうちょい力入れると、﹂
ゆっくりとだが、刃が動き出すが、斬るというよりは、力ずくで
押し切ろうとしているかのように、刃がグズグズと左右に揺れなが
ら降りて行く。
﹁更にもうちょい力入れると、ちゃんと斬れるんだけどね﹂
最後はすぅっとなめらかに刃が通った。左右に割られたゴブリン
の頭部が、テーブルの上で転がった。
﹁⋮⋮言いたい事はわかった。わかったが⋮⋮食卓でこんな事やる
な! このバカ!! すぐ片付けろ!!﹂
アランが激高した。レオナールは慌てて拾い上げ、革袋にしまう。
すかさずアランが文句を言いつつも、濡らした布巾で、テーブルの
血や脳漿を拭き取る。
﹁ったく、お前というやつは⋮⋮! なんで何度言っても、学習し
ないんだ!!
431
物を食べるテーブルには、魔獣や魔物の血で汚れた物は置くなよ
な! ここに置いても良いのは食器類やカトラリーだ!
不適切な物や汚れた物を置くな!﹂
﹁⋮⋮はぁい﹂
レオナールは肩をすくめた。言い分がなくはないが、ここで何か
言うと、説教が長引くのは既に学習している。
︵本当口うるさいわよね︶
﹁⋮⋮レオ、お前、ちっとも反省してないだろ?﹂
アランがジロリと睨む。ブンブンと首を左右に振るが、アランの
視線はそのままだ。
﹁生肉食による病気は気にするくせに、どうしてこういう事がわか
らないのかな。病気とか食中毒とか恐いんだぞ?
腹を下したり、嘔吐するだけで済むならまだしも、手当が遅れた
ら、最悪死ぬ事になる。食中毒の後始末も結構面倒なんだぞ、わか
ってるのか?﹂
﹁悪かったわ﹂
しぶしぶ謝った。アランはふぅ、と溜息をついた。
﹁念のため酢か酒でも拭いておくか﹂
そう言って、棚から酢を取り出し、布巾に染み込ませ、もう一度
全体を拭く。
432
﹁⋮⋮でも、原因不明だし、ちょっと、見過ごせないんじゃないか
と思って﹂
﹁ああ、言いたい事はわかる。わかるけど、そういうのは口で説明
すれば済む話じゃないか?﹂
アランがしかめ面で振り向き、布巾を持っているのとは逆の指で、
自分の口元を指し示す。
﹁ああ、言われてみればそうかも。でも、実際見た方がわかりやす
かったでしょ?﹂
﹁確かにわかりやすかったかもな。けど、もうちょっと考えろ﹂
﹁⋮⋮台所でやったのはマズかったと反省してるわよ﹂
﹁おい、ここじゃなくても怒るからな﹂
﹁え∼っ?﹂
﹁え∼、じゃねぇよ。当たり前だろ。考えればわかるだろうが!﹂
考えてもわからない、とは言いにくかった。
433
9 気まぐれ剣士は日課に出掛け、異常に気付く︵後書き︶
更新遅くなりました。
もうちょい書き足すか悩みつつ、更新。
以下を修正。
レオナールの台詞をいくつか平仮名に修正
×ラーナの南
○ラーヌの南
×レオナールの一歩半くらいの差である
○レオナールが一歩半くらいの差で速い
434
10 剣士と魔術師は先行する
﹁ゴブリンが頑丈になってる?﹂
スプーンを片手にクロードは首を傾げた。
﹁たぶんそういう事だと思うわ。ちょっと硬くなってて、いつもの
つもりでやると若干斬りにくいのよ﹂
レオナールは肩をすくめて言った。
﹁ちなみにこれが、そのゴブリンの頭⋮⋮﹂
﹁わぁーっ! やめろ! ここで出すな!! いい加減学習しろ!﹂
レオナールが説明のために、ゴブリンの頭部を取り出そうとして、
アランに制止される。
﹁あ、そうだったわね﹂
﹁さっき言ったところなのに、もう忘れてるとか、お前の記憶力は
どうなってるんだ﹂
アランがぼやく。レオナールは肩をすくめて、
﹁興味ないことは、すぐ忘れちゃうのよね﹂
﹁⋮⋮お前というやつは﹂
435
アランはガックリと肩を落とした。
﹁あと12体の武装したゴブリンが、ワイルドベアを倒してたのよ
ね。ルージュが食べたから証拠はないけど。
でもゴブリンって、そんなに強かったかしら?﹂
﹁普通なら返り討ちになるだろうな。その倍の数がいて、魔術師ゴ
ブリンが混じってたら、話は変わるだろうが﹂
﹁たぶん魔法使うやつは混じってなかったと思うわ。私がたどり着
く前に、ルージュが全部倒してたから、よく見なかったけど﹂
﹁なんでそこで確認しないんだよ﹂
アランが渋面で口を挟む。
﹁だって、その時は気付かなかったんだもの。ちょっとおかしいか
なとは思ったけど。私、面倒くさいこと考えるのは、苦手なのよね﹂
﹁この、脳筋め﹂
アランが呻くように言った。クロードがふむ、と頷く。
﹁同じ群れの個体が、戦闘を繰り返して成長したにせよ、別の群れ
から、より強い個体が流れて来たにせよ、放置できる事ではなさそ
うだな。
念のため警告出したり、東門にも通達して、森に入る者を制限し
よう。後でいつでも良いから、ギルドへ来てくれ。リュカにも聞い
て貰おう﹂
436
﹁了解﹂
レオナールが頷き、アランが淹れた茶をすする。
﹁何、これ、苦い﹂
﹁うるさい、文句言うな。最近暑くなって来たから、疲労回復に良
いと勧められた茶を買ってみたんだ。オルラの葉とか言ったかな﹂
﹁変なもの買って来ても良いけど、人に飲ませないでよね﹂
﹁お前のために買って来たんだ、感謝しろ﹂
﹁冗談やめてよ。迷惑だわ﹂
そう言って、マグをアランに押しつける。
﹁こんなの飲むくらいなら、井戸水のがよっぽど良いわ。私はアラ
ンと違って被虐趣味も自虐趣味もないんだから﹂
﹁おい! ふざけた事言うな! 知らない人が聞いたら、勘違いす
るだろうが!!﹂
﹁え∼﹂
﹁え∼、じゃねぇよ!! お前、本当ろくでもない事ばっかり言う
な。俺の悪評、ほとんどお前が出所なんだからな!!﹂
﹁それが広まるのは、皆が多かれ少なかれ信じる要素があるからじ
437
ゃないの? 噂なんて、根も葉もなければ、すぐ消えるわよね﹂
﹁お、ま、え、というやつはっ!! どうしてそうなんだ! 俺に
恨みでもあんのか!? あぁっ!?
いい加減燃やすぞ! 寝てる間なら︽炎の壁︾いけるかもしれな
いしな!﹂
﹁え∼、やめてよアラン。面倒くさい﹂
﹁面倒臭いってなんだ! 面倒臭いって!!﹂
﹁あー、お前らじゃれるのは良いが、俺はまだメシの途中だからな﹂
﹁それはギルドマスターが寝坊なんかするからでしょ? それより、
出掛ける支度しなくて良いの? 遅刻するわよ?﹂
﹁レオナール⋮⋮お前、本当、あれだよな﹂
はぁ、とクロードは溜息をつき、肩をすくめた。
﹁まぁ、今朝は、二度寝しちまったからな。なんかだりぃし、病欠
できねぇかな﹂
﹁リュカさんに報告しますよ﹂
アランが笑わない目で、言う。
﹁こえぇよ! お前、なんか真顔だとすげぇコワイんだけど!!﹂
﹁そうですか。でも35歳の良い大人が、二度寝したせいで怠いか
438
ら、仕事休みたいとか抜かしたら、恐い顔にもなるかもしれません
ね﹂
﹁⋮⋮軽い冗談だ。もちろん本気で言ったりしねぇよ、本当だよ﹂
﹁軽口に見せかけて、あれは本気入ってたわよね﹂
﹁おい、余計なこと言うな!﹂
﹁遅刻でもなんでもかまいませんが、早くご飯食べて出勤して下さ
いね。後片付けと掃除ができないので﹂
﹁お前ら本当、俺の扱いひどくねぇ?﹂
﹁そう思うなら、尊敬したくなる振る舞いを心掛けては? 尊敬と
か敬愛とか、日頃の行いの中で生まれるものだと思いますが﹂
真顔で言うアランに、クロードが悶える。
﹁イタイ! 心がイタイよ! 三十路のおっさんはナイーブなんだ
から、扱いには気を付けろよな!﹂
アランとレオナールの顔がしらけたものになる。
﹁ギルドは午前中は忙しそうだから、午後にする?﹂
﹁でも、内容が内容だから早めの方が良くないか? 台所の掃除だ
けして行きたいな﹂
﹁ふぅん? じゃ、それまで装備の手入れでもしてるわ﹂
439
﹁おう。場合によっては、その後、森へ確認に行くぞ。お前だけじ
ゃ、ちょっと怪しいからな﹂
﹁⋮⋮了解﹂
そう言って、レオナールが台所を出て行った。
﹁お前ら無視とか、ひどくねぇ?﹂
﹁まだ食べ終わってないんですか? 早く食べて出た方が良いと思
いますよ。俺達よりリュカさんのお怒りのが恐いと思いますが。
普段の行いに気を付けないと、その内刺されるんじゃないですか
ね﹂
﹁なんだ、それ﹂
クロードは肩をすくめて、残っていたパンを全てちぎってスープ
に放り込むと、流し込むように平らげた。
﹁ごちそうさん、じゃ、行って来るわ﹂
﹁お気を付けて﹂
クロードを見送って、アランは後片付けをし、竈を丁寧に掃除し、
床やテーブルなどを簡単に掃除をする。
食器や洗濯に使う灰汁は、前日竈で出た灰を水に浸けて置き、そ
れを布で漉したものを使用している。依頼その他で作れなかった時
は、重曹を使う事にしているが、節約のため、なるべくそうする事
にしていた。
440
﹁うーん、本気で︽浄化︾とかあると便利なのかな﹂
しかし、生来の性格が、安易に魔法に頼るべきではないのではな
いか、とも思わせる。
だが、冒険者としての仕事をしている時に、家事が重荷になるの
は、本末転倒なのではないかとも思う。
家主を見習って、使わない部屋は掃除せず、台所は使わず、家で
食事しない、洗濯はせずに新しく古着を買って、古い服は処分or
売る、などという事はしたくない。
︵俺の周囲ってダメな大人ばかりなんじゃないだろうか︶
アランは溜息をついた。
◇◇◇◇◇
午前中とは言え、すっかり日が高くなった頃に、アランはレオナ
ールと共に冒険者ギルドへと向かった。
ジゼルは受付で暇そうに、依頼書の束をペラペラと繰っていた。
﹁よぉ、ジゼル。ギルドマスターとサブマスター、いるか?﹂
﹁あら、アラン。ええ、二階の会議室で打ち合わせがてら、あなた
たちを待ってるわ。案内するわね﹂
﹁わかった﹂
441
会議室へ案内される。ジゼルがノックすると、
﹁おう、入れ﹂
とクロードが答える。二人が入室すると、クロードが手招きする。
提示された椅子に腰掛けると、リュカが二人に相対する。
﹁では、改めて報告を聞きたい﹂
リュカもクロードも真剣な表情だ。
﹁まずはこれね﹂
革袋からゴブリンの頭部を取り出し、革袋が下になるように置く。
﹁今朝、アランの目の前でやった事を、もう一度やっても良いんだ
けど、﹂
﹁やめろ﹂
仏頂面でアランが言う。レオナールは肩をすくめ、断面図を見せ
る。
﹁ここからここまでが、いつもゴブリンを斬る時の力加減でやった
ところよ。
ここからここまでは、それより少し力を込めたところで、ここか
らが更に力を入れた││加減で言えば、そうね、角猪を両断する時
くらいの力加減かしら? それくらいで斬ったところよ。
本当は見せた方が早いと思うんだけどね﹂
442
﹁つまり、通常の個体より硬かった、と言いたいんだな?﹂
クロードが促す。
﹁最初は剣が重くなったと感じたのよね。でも、剣にも身体にも異
常はなかった。
腹を切り裂くのは、まぁ、普通だったと思うわ。ちょっと浅かっ
たかな、とは思ったけど、間合いを読み間違えただけだと思ったの。
たまにあるから。だからトドメに首を斬ったんだけど、違和感を覚
えて、確認したわ。
その個体がたまたまだったのかもしれないから、その後、ルージ
ュがお腹いっぱいになるまで、30体くらい狩ったかしら?
どれも同じくらい、硬いと感じたわ。いつもより刃が入りにくく
て、ちょっとだけ斬りにくいって感じ。
でも、大きさに異常はないし、外見にも違いは見られない。ただ、
どのグループも、いつもよりちょっとだけ頭の良いリーダーが混じ
ってるように感じたわね。でもルージュがいるから、逃げようとす
る場合が多かったけど。
しっかり調べたわけじゃないけど、哨戒や狩りに出ているのが多
かった印象ね。
行動範囲も3日前までに比べると広かった気がするし、遭遇する
頻度も高かったかも。そんなに苦労するほど強いわけじゃないけど、
戦闘慣れしてない一般人には、ちょっとキビシイかもね。
わずかずつの違いだと思うんだけど、気のせいって言えるレベル
じゃないように感じたのよね。
3日前、ゴブリンの巣を見つけた時は、そんなに大きくない巣だ
ったから、ゴブリンクイーンとその取り巻き20数体ほどを残して、
後は全部ルージュの餌にしたわ。
でも、確実に、私の予想以上に増えているのよ。私が減らしたか
ら、よそから移動してきたのか、行動範囲が広がったのかはわから
443
ないけど﹂
﹁一刻も早く調査と討伐にかかった方が良さそうだね。最悪、招集
掛ける事になるかもしれない﹂
リュカが眉間に皺を寄せて言った。
﹁お前ら、先行しろ。報告はして貰うが、好きに動いて良い﹂
クロードが告げる。リュカがクロードに振り向き、
﹁おい、それは⋮⋮﹂
﹁1つめの巣は判明してるから、そっちはアドリエンヌたちを向か
わせる。そっちは、もう1人か2人、前衛をつけるけどな。
お前らは巣を見つけても、なるべく突入せずに、位置や行動範囲
を調べてくれ。他に、行けそうなやつを見繕って、応援に幾人か出
す。
幼竜がいるから、めったなことはないとは思うが、内部がどうな
ってるかわからん処には、なるべく突っ込ませたくないからな﹂
﹁了解﹂
そう言って、レオナールとアランが立ち上がった。
﹁お前らきっちり装備や準備して来てるようだし、朝の時点でアラ
ンは予想できてたみたいだしな﹂
﹁⋮⋮無理はしないで、十分気を付けて行動するように﹂
444
リュカが渋面で言った。
﹁肝に銘じます。では、失礼します﹂
そして、退室した。こころもち駆け足気味に階段を降り、クロー
ド宅へ戻ってルージュを連れて、東門へと向かう。
﹁ギルドマスターの前で﹃森へ確認に行く﹄って言ったんだから、
こうなることは当然よね﹂
レオナールが笑う。
﹁そうだな﹂
言葉少なにアランが頷く。東門でチェックを受けて、外に出る。
﹁アランは、ルージュに跨がった方が早いと思うわ﹂
レオナールの言葉に、アランは嫌そうな顔になったが、頷いた。
ルージュに屈んでもらい、レオナールの補助を受けて、その背に跨
がる。
﹁なぁ、ちょっと乗りにくいんだが﹂
﹁はい﹂
ロープを手渡すレオナール。
﹁適当に身体を結びつけておけば良いわよ﹂
445
﹁⋮⋮嫌な予感しかしないな﹂
﹁いざとなったら、ナイフでロープを切断して、飛び降りれば良い
のよ﹂
﹁上手く着地できる気がしないんだが﹂
しかめ面になりつつも、アランはレオナールに手伝ってもらって、
幼竜の身体にロープを巻き付け、下半身を縛り付けた。
﹁なぁ、これ、本当に大丈夫か?﹂
﹁右手さえ使える状態なら、魔法は打てるわよね? まぁ、最悪な
くても、なんとかなるわ、きっと。アランは魔法使わなくても、問
題ないもの﹂
﹁魔術師としての存在意義を否定されるとか、お前けっこうひどい
な﹂
﹁⋮⋮だってアランの価値ってそこじゃないでしょ?﹂
レオナールは大仰に肩をすくめた。
﹁私の苦手なことは全部してくれるんでしょ?﹂
﹁ああ、そうだな。なるべく期待にこたえる事にするよ﹂
﹁まかせたわ﹂
そう言って、レオナールは走り出す。ついで、ルージュも尻尾を
446
揺らしながら駆け出した。上下左右に揺れる竜の背の上で、アラン
は少し後悔した。
︵やばい⋮⋮これ、酔う、かも︶
どうせ索敵はレオナールとルージュがするだろう。アランがすべ
きことは、現在位置の確認、距離、ゴブリンの動向や、生息状況な
どだ。軽く瞑目し、祈る。
︵どうか、レオナールが喜ぶような、大物とか厄介な魔物には遭遇
しませんように︶
アランが願う時ほど、そういう祈りや願いは叶わないのだが。
﹁いるわよ!﹂
レオナールが低く叫び、速度を上げた。それに合わせてルージュ
も速度を上げるが、レオナールより若干遅い。
揺れが激しくなって、慌ててアランはしがみついた。何とか目だ
けは開いて、敵を目視で確認する。
ゴブリン12体。前衛6、弓が4、杖が2だ。この揺らされてい
る状態では、詠唱が出来る気がしない。
︵くそ、これ、本当に大丈夫か?︶
冷や汗が流れた。
447
10 剣士と魔術師は先行する︵後書き︶
というわけで次回戦闘です。
そういえばかぼちゃのキッシュって、一度も食べたことないのです
よね。
どこから出て来たんだろう、と思いつつググりながら想像で書いて
ます。
以下修正
×面倒臭い
○面倒くさい︵レオナールの台詞のため平仮名に︶
×そう願う
○願う
448
11 皮肉屋魔術師は眩暈を覚える︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
449
11 皮肉屋魔術師は眩暈を覚える
レオナールが抜刀、その勢いで剣持ち2体を凪ぎ払い、踊るよう
にステップを踏み、襲いかかろうとした槍持ちの腹を凪ぎ、杖持ち
の側面に回り込んで、首に剣を叩きつける。
次いで、ルージュがグルリと回転して、尻尾で残りの剣持ち3体
を凪ぎ払う。
﹁うぇっ⋮⋮ぐっ﹂
振り回されたアランが必死にしがみつきながら呻く。
︵無理無理無理、絶対無理! これは本気で死ぬ!︶
慌ててローブの下の腰から提げているナイフを手に取ろうとする
が、上下左右に揺れる上に、時折大きな横揺れが来る。横揺れも微
妙に上下動がある。
︵あ、くそ、これ︶
もしかして詰んだ、というやつなのではなかろうか、とアランは
青ざめた。が、ルージュが静止し、レオナールが剣を鞘に納める気
配がした。
﹁アラン?﹂
﹁⋮⋮死ぬかと思った﹂
450
アランがボソリと呟くと、レオナールが肩をすくめた。
﹁大袈裟ね。これくらいで死なないわよ﹂
﹁もう限界、どう考えても無理だ。降りたいから手伝ってくれ﹂
アランがゲッソリしながら言うと、レオナールは面倒臭そうな顔
をしつつも、結わえていたロープを外して降りるのを手伝った。
﹁きゅうぅ﹂
ルージュが甘えてねだるような声を上げる。
﹁ちょっと待って、アランが降りてからね﹂
よろめくアランを支えながら、ルージュに言う。ルージュは不満
そうに鼻を鳴らしつつも、アランが降りるのをじっと待った。
ようやく地面に立つと、アランは安堵しながら腰を下ろす。
﹁きゅう?﹂
﹁ええ、もう良いわよ。足元近くにアランがいるから踏まないよう
にね﹂
レオナールがルージュの鼻先を撫でて言った。
﹁きゅきゅう!﹂
﹁⋮⋮上下の揺れもひどいが、更に左右の揺れも来るから、俺が竜
に騎乗して移動するのは、無理があるぞ﹂
451
アランが言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁良い方法だと思ったんだけどねぇ。ま、無理なら仕方ないわ。な
るべく早く、巣の近くまで移動したかったんだけど。森を馬で移動
するのは無理そうだけど、竜ならいけると思ったのに、上手くいか
ないわねぇ﹂
﹁まともな鞍を作ったとしても厳しいと思うぞ。運動能力あるやつ
だと、また違うかもしれないが﹂
﹁ふぅん、今度試しに乗ってみるわ﹂
レオナールの言葉に、アランがギロリと睨んだ。
﹁お前、自分が乗ったことないのに、俺にやらせたのか?﹂
﹁だって、私よりルージュの方が遅いんだもの。わざわざ乗る必要
ないでしょ? この子が空を飛べるようになれば、話は別だけど﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁俺の運動能力と体力のなさは知ってるだろ。勘弁してくれよ﹂
﹁そうね、次から気をつけるわ﹂
絶対当てにならないだろうと、アランはガックリした。
﹁他の冒険者のパーティーに邪魔されない内にできるだけ多く狩っ
ておきたかったけど、仕方ないわ﹂
452
﹁頼むから置いてきぼりにするなよ﹂
﹁なるべく気をつけるわ﹂
﹁なるべくじゃなくて、絶対頼む。距離があれば大丈夫だが、近寄
られたら何もできなくなるからな﹂
﹁了解﹂
ルージュの食事が終わり、一行は歩き出した。ルージュとレオナ
ールが索敵するので、レオナールと二人だけの時より、索敵範囲が
広範囲になり、より的確になっている。嗅覚と耳の良さでルージュ
が、目の良さでレオナールがより優っているようである。
︵移動中の俺って、位置確認以外、もしかしてあまり役立ってない
?︶
一瞬顔をしかめたが、気にしない事にした。ここ数日はともかく、
ほぼ毎日、日に3∼4回一緒に狩りに行っていた事もあり、オルト
村からの帰りと比べて、言語を介さなくても、レオナールとルージ
ュの意思疎通と連携がスムーズになっているように見える。
ルージュと視線でなにやら確認したレオナールが振り返り、指で
次の敵のいる方を指し示す。アランが頷くと、ルージュと共に駆け
出した。アランが遅れて足早に後を追うが、あっという間に引き離
される。
レオナールが抜刀、ゴブリン1体を行動不能にすると、次々に斬
りかかる。ルージュがレオナールとは逆の方角にいるゴブリンたち
を、尻尾を振って薙ぎ倒す。
453
アランがようやく敵を視認した時には、16体のゴブリンの屍が
転がっていた。
︵⋮⋮なんか本気で俺、ついて行ってるだけになってる気が︶
タラリと額に冷や汗が浮かぶが、1人と1匹は全く気にした様子
はない。実に楽しそうに、生き生きとしている。
ルージュが次の食事タイムに入ったところで、アランがレオナー
ルに声をかける。
﹁なぁ、いつもこんな調子なのか?﹂
﹁そうね、だいたいそうだと思うわ﹂
﹁⋮⋮お前らを野放しにしておいたら、本気でこの森の魔獣と魔物
が全滅しそうだな﹂
﹁そんな事はないわよ? ここ、わりと広いもの。この森の北と南
じゃ、植生の違いもあるのか、生息してる魔獣や魔物も違うし、こ
っちである程度狩ったら、北にも行くし。
初心者冒険者の依頼の邪魔しちゃ悪いから、ゴブリン見つけるま
では、なるべくまんべんなく狩るようにしてたんだから﹂
一応自分たちもランクの上では、初心者冒険者のはずだよな、と
アランは苦笑した。
﹁俺よりお前の方が、この森については詳しそうだな。この依頼が
完了して、全て収束したら、教えてくれ﹂
﹁それは無理よ。そんなのいちいち覚えてないもの。私が覚えてる
454
のは、何を狩りたい時に、何処へ行けば良いかって事くらいよ﹂
レオナールの言葉を聞いて、アランがしょっぱい顔になった。
﹁⋮⋮お前に、自分の興味のない事も記憶できる能力があれば、最
高に有能だったろうな﹂
﹁世の中そんなもんよ。アランだって似たようなものじゃない﹂
﹁きゅう!﹂
ルージュの食事が終わったらしい。
﹁じゃ、行きましょうか﹂
﹁俺、も?﹂
マジか、とアランは少々落ち込んだ。
◇◇◇◇◇
結局ゴブリンの巣にたどり着くまでに、計4回の戦闘があった。
﹁確かに遭遇頻度が多いな﹂
そして、アランは今日、一度も魔術を使用していない。レオナー
ルとルージュの後を追いながら、時折メモを取ったり、日の差す方
角を確認したり、簡単な植生の確認などを行っただけである。
455
しかし、特攻癖のあるレオナールと行動していると、このような
事はほぼ日常茶飯事である。ただ、これまでは、魔獣や魔物との遭
遇頻度が比較的少ない街道であれば、だったが。
︵ダンジョンとか、魔獣や魔物の巣でも、こういうのが普通になっ
たら、マジで魔術の訓練やらないと腕が鈍るな︶
結局のところ、アランの魔術が必要になるのは、レオナールが手
こずったり、掃討するのに時間が掛かる量の敵に遭遇した時なのだ
から。
いざという時、使えませんでした、間に合いませんでした、など
という事になったら、目も当てられない。
魔法・魔術は繊細だ。一つ文言を間違えれば、発動しなかったり、
違う物になったりする。全ての古代魔法語が解析されているわけで
はなく、今も新しい文字や語句の発見がある。
それら全てを把握している魔術師・研究者は、おそらく何処にも
いないだろう。もしかしたら、エルフなどの長命種ならば知ってい
るのかもしれないが、彼らの知識・情報の大半は、隠匿されている。
アランは巣の周辺の大まかな地図と、ロランからのだいたいの距
離・方角などを書き留め、メモを懐に仕舞い込んだ。
﹁よし、もう良いぞ。で、次はどうする?﹂
﹁ねぇ、アラン。今日は何か嫌な予感がしたりしない?﹂
満面の笑みで、レオナールが言う。思わずアランが渋面になる。
﹁⋮⋮お前、俺をトラブルまたは強敵探知機か何かだと思ってない
456
か?﹂
﹁思ってるわよ? ねぇ、何かない?﹂
アランは顔をしかめ、首を左右に振った。
﹁今のところ、特にないな。だいたい俺のそういう予感は、何の情
報もなく、突然空から降ってくるわけじゃないからな﹂
﹁あら、そうなの?﹂
レオナールは意外そうな顔をした。
﹁事前情報からの、俺自身が自覚できない推測とか、それまでの観
察・分析からの違和感か見逃し、本能みたいなものが元になって、
警告してくるんだと思うぞ、たぶん﹂
﹁たぶん、なの?﹂
レオナールが首を傾げた。
﹁自覚できて、理解できてるなら、嫌な予感とかじゃなく、最初か
らこうだ、と判断できるわけだからな。お前みたいに気分や直感、
本能で行動してるわけじゃない﹂
﹁なるほど。じゃ、現時点では情報が少なすぎるってわけね﹂
﹁そういうことだ﹂
﹁役に立つようで、立たないわね﹂
457
肩をすくめるレオナールに、アランはムッとした顔になる。
﹁仕方ないだろ、制御できるものなら、とっくにしている。で、お
前の直感はどうなんだ?﹂
﹁特にないわね。とりあえず、よりゴブリンがいる方角へ行けば良
いと思うけど?﹂
﹁じゃ、索敵して、近辺のゴブリンを探すより他にないな﹂
﹁今度、私やルージュの索敵範囲よりも、広範囲に探せる魔法とか
仕入れておいてよ﹂
﹁そんなもの、店で売ってるもんなら、俺も欲しいけど、欲しい魔
法や魔術が、必ずしも見つかるとは限らないんだよ。まぁ、今度、
駄目元で古書店や骨董店に行って探してみるけど﹂
﹁ダンジョン発掘品もそうそう見つからないっていうか、仮に発見
されても、庶民の手には入らなそうだしね﹂
﹁便利で強力な魔法は、たいてい貴族や王族、大金持ちが独占して
るからな﹂
アランは肩をすくめた。
﹁前回の依頼の分も含めて、貯金も少しずつ増えてるから、購入可
能な金額で、使えそうな魔法見つけたら、入手・解読して使えるよ
うにする﹂
458
﹁了解、期待してるわ﹂
﹁⋮⋮こればっかりは、運もあるから何とも言えないがな﹂
﹁やっぱり金はいくらあっても、足りないわね。もっと稼ぎたいわ﹂
﹁無理しない程度にな。怪我をしたり病気になったりしたら、元も
子もない﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュがブンブンと尻尾を振り、ビシッと尻尾の先で、やや北
寄りの北東方面を指した。
﹁見つけたの!? よし、行くわよ!!﹂
そう言うと、レオナールが駆け出す。ルージュもその後を追い、
アランも慌てて後を追う。
その方角、木々の間に、先に見つけたゴブリンの巣のある処とは
別の、新たな岩壁が見えて来る。
︵⋮⋮なんか、大きくないか?︶
嫌な予感がする。近付くにつれて、大きな岩山が見えて来る。目
測だが、その岩山は、この森のほぼ中心部であるようだ。
この森には時折入った事があるが、こんな奥まで来たことは一度
もない。新たに見えてきた岩山は、ちょうど、ロランからオルト村
への距離の半分くらいに見える。
森の中で馬に乗って走る事などできない上、木の根や枝などがあ
るため、早足で移動しても、倍近い時間がかかるのだが。
459
あの岩山に、もし、別のゴブリンの巣か何かあるとしたら。アラ
ンはゾクリと、背を震わせた。
アランがレオナールたちの元へたどり着いた時、既に戦闘が始ま
っていた。数が多い。ざっと二十はいる。即座に杖を取り出し構え、
詠唱に入る。
﹁其れは、汝らの足下に絡む、容易にほどけぬ魔術の網、︽鈍足︾﹂
発動を確認すると、次の詠唱を行う。標的は、レオナールとルー
ジュから遠い、弓持ちのゴブリンたちとした。
﹁火の精霊アルバレアと、風の精霊ラルバの祝福を受けし、炎の旋
風よ、標的を中心として、渦巻き、焼き尽くせ、≪炎の旋風≫﹂
標的にしたゴブリンを中心に、炎の風が渦を巻きながら、音を立
てて燃え上がる。どうやら、目視で確認できる全てのゴブリンを掃
討したようだ。
﹁敵が多い時のアランの魔法は便利だけど、ルージュの餌が減っち
ゃったわね﹂
レオナールが肩をすくめて言い、
﹁きゅう⋮⋮﹂
と、ルージュがションボリしたように鳴いた。
﹁えっ、まさか俺に、攻撃魔法使うなって言うのか?﹂
460
﹁そういうわけじゃないわよ。助かるのは間違いないし。ま、その
分たくさん狩れば済むものね!﹂
﹁きゅきゅう!﹂
バシバシ、とルージュが尻尾で地面を叩いて頷いた。
﹁なんだよ、それ。だったら不満そうな口調で言うなよな﹂
アランはチッと舌打ちした。
﹁あはは、言ってみただけよ﹂
﹁言いたかっただけとか、勘弁してくれ﹂
アランは思わず溜息ついた。﹃こいつら似たもの同士なんじゃな
いだろうか、レオナールがもう1匹増えるとか、タチが悪い﹄と、
軽い頭痛を覚えた。
﹁ところで﹂
レオナールが、ニンマリ笑みを浮かべた。
﹁さっきより数が増えたし、更にちょっとだけ硬くなったみたいね﹂
アランはハッと顔を上げ、蒼白した。
﹁おい、まさか⋮⋮!﹂
﹁いよいよ楽しみになって来たわね、ルージュ!﹂
461
﹁きゅきゅーっ!きゅきゅきゅっ!﹂
興奮したようにドタンドタンと地面を踏み鳴らし、尻尾を左右に
ブンブン振るルージュ。ルージュのいる近辺の地面が、えぐられ、
圧縮されるのを見て、
︵ヤバイ⋮⋮こいつら、マジでヤバイ⋮⋮︶
アランはクラリと眩暈を覚えた。
462
11 皮肉屋魔術師は眩暈を覚える︵後書き︶
なんとか日付変わる前に書けました。
以下修正。
×狩りに発見されても
○仮に発見されても
×木や枝などがあるため
○木の根や枝などがあるため
×東方面を刺した
○東方面を指した
463
12 ゴブリンの巣の探索1︵前書き︶
戦闘・残酷な描写・表現があります。
464
12 ゴブリンの巣の探索1
岩壁を左に、少し歩くと、洞穴と見張りと思われるゴブリン2体
が立っているのが、見えて来た。
﹁やったわ! 新たなゴブリンの巣よ。さぁ行きましょ﹂
﹁ちょっと待て、突入するなと言われたはずだよな? おい﹂
﹁ギルドマスターは﹃なるべく﹄と言ったわ、絶対じゃないから大
丈夫! 好きに動いて良いって言われたでしょ?﹂
﹁絶対違うからな! 絶対そういう意味じゃないからな!? どう
しても必然性がある時はともかく、その必要がないのに入るなって
意味だからな!﹂
﹁やぁねぇ、あの人が私の性格知らないわけないじゃない。なるべ
くってのは、サブマスの手前つけただけで、私が新たな巣を見つけ
たら、絶対中に入る事はわかってるわよ。
だいたいアランは、私があきらめるとでも思ってるの?﹂
その言葉にアランは一瞬絶句し、ニヤニヤ笑うレオナールの顔を
見て、ガックリと肩を落とした。
﹁⋮⋮お前なんか嫌いだ﹂
アランはぼやいた。
465
﹁大丈夫、なんとかなるわよ。アランは本当に心配性ね。ダメそう
だったら、退却すれば良いじゃない。
通常のゴブリンよりは強いと言っても、大勢で密集して襲いかか
られない限り、問題ないレベルでしょ﹂
﹁嫌な予感しかしないな﹂
はぁ、とアランは溜息をついた。
﹁え? 本当?﹂
レオナールが嬉しそうに聞く。アランは嫌な顔をする。
﹁一応言うけど、お前が期待するような意味じゃないからな﹂
﹁なんだ、つまらないわ﹂
アランはさすがにちょっと、逃げたい気分になってきたが、ここ
で放置するとどうなるかは良くわかっている。
︵結局、こいつを見捨てられない俺が、割を食う羽目になるんだな︶
頭は痛いし、胃も痛くなりそうだが、諦めた。そうとなると、気
分を切り替えるしかない。
﹁すぐに突入はするなよ? 念のため見張りは︽眠りの霧︾で眠ら
せる。下手に応援呼ばれたりすると、ヤバイからな。
あと、中に入ってからも、先制できるようなら、魔法を最初に使
う。頼むから、無闇に特攻するのはやめてくれ。
お前が確実に敵を葬れるよう、お膳立てしてやるから﹂
466
﹁了解﹂
レオナールはニンマリ笑った。それをなるべく見ないようにして、
アランは杖を構え、︽眠りの霧︾の詠唱を開始する。
レオナールは剣の柄に手をかけ、体勢を低くして、いつでも駆け
出せるよう準備はしているが、アランの魔法が発動するまでは、動
くつもりはないようだ。そのことに安心しながら、詠唱を完了する。
﹁︽眠りの霧︾﹂
魔法が発動し、見張りの2体が、その場に崩れ落ちる。レオナー
ルが駆け出し、その身体が地面につく前に、向かって右の首を切り
落とし、その死体を抱き留める。
もう一方のゴブリンは、ルージュが首元に噛み付き、息の根を止
めた。そして、レオナールを伺い、レオナールが頷くと、咀嚼を始
める。
レオナールは見張りのゴブリンたちが手にしていた槍を手に取り、
その穂先をマジマジと見る。
﹁ねぇ、アラン。これ、見て﹂
呼ばれてアランが覗き込む。それは、血や泥などで薄汚れてはい
たが、比較的新しく、品質も中級ぐらいのものだった。
アランは思わず顔をしかめた。
﹁これはあれか、冒険者の持ち物か?﹂
﹁やっぱりゴブリンが持ってたにしては、そこそこ良品よね?﹂
467
﹁⋮⋮囚われてたり、しないよな?﹂
﹁さぁ? そんなの私にわかるはずないわ。でも、ギルドが把握し
ていない被害はありそうよね﹂
﹁⋮⋮リュカさんに突入について何か言われたら、これを理由にす
るか。ゴブリンに囚われているかもしれない冒険者を救い、解放す
るために、やむを得ず入ったと言えば、命令違反とか独断専行とか
言われずに済むだろう﹂
﹁建前はあった方が楽だものね﹂
レオナールがにっこり笑う。アランは肩をすくめた。
﹁まぁ、嘘も方便だよな。あの人を敵に回すのは正直恐い﹂
﹁ふふ、アランが協力的になってくれて、本当うれしいわ﹂
﹁お前が諦めてくれるなら、それが一番だけどな。どうしてもやる
ってんなら、最善またはよりマシな方を選ぶさ﹂
本音は逃げたいけどな、とぼやく。レオナールが喜ぶだけだから
言えないが、実際のところ、強敵あるいは厄介事の気配がぷんぷん
する。
アランは気を落ち着けるため、深呼吸すると、レオナールを見た。
﹁行きましょうか?﹂
疑問形だが、実質選択肢はない。アランが頷き、一行は薄暗い洞
468
穴の中に進んだ。
ルージュがギリギリ通れるくらいのゴツゴツとした岩肌の通路だ。
レオナールが先頭、次にルージュ、最後尾がアランである。
入り口から十数歩と進まない内に、レオナールが立ち止まり、ア
ランを振り返った。指を両手で6本立てる。
アランは頷き、杖を取り出した。ギャッギャッという鳴き声と共
に足音が聞こえて来る。詠唱だけ先に済ませて置き、目標を確認し
たところで、魔法を発動した。
身長0.9メトルちょっと、緑の肌に赤い眼のゴブリンたちが、
バタバタと倒れていくのを、レオナールとルージュが片っ端からト
ドメを刺していく。
ルージュがねだるようにレオナールに鼻を擦り付け、レオナール
が許可を出す。
﹁どうも︽灯火︾は使わない方が良いな﹂
アランは顔をしかめた。
﹁そうね、ゴブリンも︽暗視︾で、暗くても視界はある程度利くか
ら、灯りの類いはないみたいだけど﹂
﹁レオナール、カンテラ持って来てるか? 細く搾ればいけると思
うんだが﹂
この中で夜目が利かないのは、アランだけである。そして魔術は
目標を視認しないと、発動できない。
﹁あるわよ、ちょっと待って﹂
469
レオナールが背に担いだ荷から、カンテラと火打ち石を取り出す。
アランは火打ち石でカンテラに火を点し、ギリギリまで細くして、
最低限の光量にした。
そしてそれを左手に持つ。右手は杖を持ったままとする。
ルージュの食事が終わったので、一行は歩き出した。アランにさ
え、ゴブリンたちの気配を感じ取れるほど、この洞窟は、ゴブリン
たちで溢れているようだ。
めげそうになる気持ちを必死で立て直しつつ、レオナールたちに
遅れぬようついて行く。
どうやら次のグループが近付いて来ているようだ。レオナールが
振り返り、次は12体だと教えてくれる。
アランはカンテラを足下に置いて、︽眠りの霧︾の詠唱を開始す
る。金属の擦れ合うような音や、足音と共に、曲がりくねった通路
の奥から、ゴブリンたちが現れた。視認と同時に、魔法を発動する。
後は作業のように進んだ。同じような戦闘を、計8回ほど繰り返
し、アランがウンザリし始めた頃、通路が急に広くなった。
そこには、魔獣や人間の骨や、ゴブリンの食べさしと思われる腐
敗しかけの何かが多数転がっていた。
思わずアランは息を呑み、レオナールは周囲を確認しながら、一
番手前にある人の骨とおぼしきもののかたわらに、しゃがみ込んだ。
そして、その骨を指先で撫で、確認する。
﹁⋮⋮そんなに古くはないようね。どのくらい前とは断言できない
けど、比較的新しいみたい﹂
﹁くそ、マジか⋮⋮!﹂
470
アランが呻いた。
﹁幸い、と言って良いのかしら。成人男性ね。ちょっと大柄かしら。
結構抵抗したのか、複数箇所の骨に傷がついていて、肋骨や鎖骨が
折れてるわね﹂
﹁⋮⋮そこまで言わなくて良い﹂
唸るように、アランが言った。レオナールが立ち上がる。
﹁たぶん冒険者ね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アランはうつむき、唇を噛みしめた。そんなアランの様子に、レ
オナールは肩をすくめる。
﹁気にやむことないわよ。どうせ、私がもう一つの方を見つけてか
らすぐ、ここに来ていても、結果は同じだったと思うわよ?﹂
アランは瞑目し、深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
﹁量が多い時は、︽炎の壁︾や︽炎の旋風︾も使うぞ﹂
﹁かまわないわよ。私とルージュを巻き込まれなければ﹂
そう言って、レオナールはポンとアランの肩を叩く。
﹁安心しろ。俺はお前と違って、同じ失敗を二度繰り返さない﹂
471
﹁そうかしら?﹂
レオナールが大仰に肩をすくめた。
﹁どういう意味だ?﹂
﹁ふふっ、まぁ、今はどうでも良い事よ。アランがやる気になって
くれたみたいだし、気合い入れて行きましょうか﹂
レオナールが笑った。
◇◇◇◇◇
それからもいくつか戦闘をこなし、ゴブリンたちを掃討していく。
アランが積極的に攻撃魔法を使ったため、殲滅スピードは格段に上
がったので、レオナールもルージュも、まだまだ余裕である。
アランは多少顔に疲れを見せてはいたが、時折休憩を挟むだけで、
歩く速度は落ちていない。
﹁どのあたりまで来たかしら﹂
﹁あの岩山の内部全てがゴブリンの巣だとは、さすがに思えないし
な﹂
アランがしかめ面で言った。
﹁しかし、かなりの規模の巣だろう。ゴブリンの数も多い。︽炎の
472
旋風︾でも生き残るのがいたし、な﹂
﹁ほぼ即死で、放置しても大丈夫そうだったけどね﹂
もちろんレオナールがトドメを刺して、ルージュが処分した。
﹁まだ鎧を纏ったやつは見ていないが⋮⋮﹂
﹁いそうな気配?﹂
﹁冒険者は防具を身に纏ってただろうからな。場合によっては、入
り口で見た槍より、立派な武器を持ったやつもいるかもしれない﹂
﹁ゴブリンナイトとか?﹂
﹁⋮⋮最悪、キングとかな﹂
﹁クイーンがいたんだから、確かにキングがいてもおかしくないわ
ね。となると、その取り巻きはクイーンの周囲にいたのより、強い
かしら?﹂
嬉しそうなレオナールに、アランは溜息をついた。
﹁まぁ、お前とルージュがいれば、何とかなるのかもしれないが﹂
そう言って、ジロリと睨む。
﹁だからと言って、見つけ次第に特攻するなよ? ルージュの時み
たいに﹂
473
レオナールは肩をすくめた。
﹁だってドラゴン見たの初めてだから、思わず興奮しちゃったのよ、
ドラゴンなんてそうそう斬る機会ないし。
でも、拘束されて弱ってるの見たら、ちょっと気の毒になったの
よね。でもまさか、あれくらいで、なつかれるとは思わないわよね
ぇ?﹂
﹁お前、もしかして、今も機会があれば斬りたいと思ってる?﹂
﹁思ってるわよ。すごく楽しそうよね﹂
﹁⋮⋮勘弁してくれ﹂
アランはゲッソリした。
﹁とにかく、ヤバそうなの見つけたら、俺がまず最初に魔法を使う
から、攻撃はその後な。たぶん︽鈍足︾あたりになると思うが﹂
﹁了解。ふふ、楽しみね﹂
アランは、笑うレオナールから視線を逸らした。機嫌の良いレオ
ナールをまともに相手してしまうと、つい怒鳴りつけてしまう気が
したからだ。
︵平常心、平常心。ここはゴブリンの巣穴だ。落ち着いて対処しな
いと。こいつはどうせ、何を言っても無駄だ。
いざという時は、俺が何とかしないと︶
自信はないが、代わりにやってくれる人などいない。レオナール
474
には期待するだけ無駄だ。逃げたくても逃げられないなら、覚悟を
決めるしかない。
︵さすがにドラゴンより恐いものはないよな︶
最悪でもあの時の恐怖よりはマシだ。アランは開き直った。戦力
は十分とは言いがたいが、レオナールとルージュの連携や殲滅力は
予想以上だったし、あとはそれに上手く妨害魔法や攻撃魔法を絡め
れば、ゴブリン程度、
︵頼むから大丈夫でありますように︶
楽観はできないが、悲観的な想像はなるべくしないようにしよう、
とアランは心に決めた。この状況で脅えてミスをすれば、致命的で
ある。
︵本当、嫌な予感しかしないが︶
ナイトならともかく、ゴブリンキングにはまだ遭遇した事はない
な、と思いながら。
一行は更に先に進んだ。
475
12 ゴブリンの巣の探索1︵後書き︶
アラングダグダ&熱血回?
ギルドやアドリエンヌ側の話を入れるか迷いましたが、今回はこれ
で。
ちょっと短いです。すみません。
次回、ギルドおよびアドリエンヌ側の話になります。
いけたらレオナールとアランの続きも書きたいけど、たぶん次の次
あたりになると思います。
以下修正。
レオナールの台詞をいくつか漢字↓平仮名に
×まとった
○纏った
476
13 アドリエンヌと︽静穏の閃光︾
アドリエンヌがギルドに呼ばれた時、ちょうどオーロンが滞在す
る宿で、レイシアに現代共通語と、一般教養などについて教えてい
たところだった。
﹁え? ゴブリンが強化され、増加している?﹂
アドリエンヌ、オーロン、レイシアの3人で、招集のために訪れ
たギルド職員の話を、宿付属のカフェで聞く事にしたのだが、その
内容に、アドリエンヌもオーロンも、眉をひそめた。
﹁ええ、現在、ロランに滞在または、拠点としている、Dランク以
上の冒険者全員に招集をかけ、今朝より、東の森への立ち入り制限
と、ゴブリンの脅威について、布告と各所に通達を出しました﹂
﹁それは先に伺ったゴブリンの巣周辺のことだろうか?﹂
﹁⋮⋮ああ、そう言えば、先日、ギルドマスターから聞いてらっし
ゃるんですね。そうです。しかし、原因が他にもありそうだという
事で、その周辺一帯を、手分けして調査する予定になっています。
あなた方の担当区域については、ギルドマスターから直接お話す
るとの事です﹂
﹁緊急強制依頼ということだな?﹂
﹁ええ。申し訳ありません。発見した冒険者パーティーは既に先行
しておりますので、別件で依頼する予定です。
477
今朝方、王都方面から到着したAランク冒険者パーティーがあり
まして、特に不都合等がなければ、その方々と共にお願いしたいと
思っております﹂
﹁Aランクパーティー?﹂
﹁ええ、ジェルマン・バシュレ氏率いる︽静穏の閃光︾というパー
ティーです。
本当は別件、オルト村の件で指名依頼を出していたのですが、先
の依頼が長引いたという事で、本日、護衛依頼を兼ねて、ロランへ
到着したようです。
こちらの方が緊急性が高いため、要請に応じていただきました﹂
﹁ああ、彼には一度お目にかかったことがありますわ。内1名が魔
術学院の卒業生で、顔見知りだったこともありまして﹂
﹁はい、そうお聞きしております。面識のある信頼できる方のほう
が、ご安心でしょうから。
それにBランクの魔術師の方と同行させられるようなパーティー
は、このロランには他におりませんので﹂
﹁ご配慮いただき、有り難いですわ。あの方々なら、こちらからお
願いしたいくらいです﹂
アドリエンヌはにっこり艶やかに微笑んだ。
ハルバード
﹁ふむ、パーティー名までは知らなかったが、ジェルマン殿は槍斧
の遣い手という事で、話だけは聞いた事があるな﹂
オーロンは頷いた。
478
﹁それでは、わしも招集という事に?﹂
﹁ええ。︽静穏の閃光︾は前衛後衛のバランスの取れたパーティー
ですが、オーロン氏には、アドリエンヌ嬢の護衛をお願いしたく﹂
﹁⋮⋮話を受ける気はあるのだが、レイシアはわしが不在だと、ど
うやら落ち着かぬようなのだ。
アドリエンヌ殿のおかげで、意思疎通は図れるようにはなったの
だが﹂
﹁レイシア嬢は、高位魔術も使用する事ができるとか。私見ですが、
それならば、おそらく同行していただいても問題ないかと。
その辺りの詳しい事柄については、ギルドマスターと直接お話い
ただければ幸いです﹂
﹁了解した。では、準備をしてから、ギルドへお伺いするという事
でよろしいか﹂
﹁はい、結構です。事が事ですので。では、私はこれにて失礼いた
します﹂
ギルド職員は一礼をして、辞した。アドリエンヌが深刻な表情に
なる。
﹁⋮⋮やはり、先行したパーティーというのは﹂
﹁レオナール殿とアラン殿であろう。あの2人はオルト村ダンジョ
ンで、同行させてもらったが、Fランクで冒険者暦1ヶ月とは言え、
強化されたゴブリン程度に遅れを取ることはあるまい﹂
479
オーロンの言葉に、アドリエンヌは眉間の皺を深めた。
﹁アドリエンヌ殿?﹂
﹁いえ、今は悔恨の念にかられて立ち止まっているわけには、まい
りませんわね。
では、私も戦闘その他の準備をして、ギルドへ向かおうと思いま
すわ﹂
﹁確か、この宿の3階でしたな。エントランスにて待ち合わせて、
参るとしましょう﹂
﹁ええ。では、失礼いたしますわ。また、後ほど﹂
アドリエンヌは足早に立ち去った。
﹁⋮⋮まぁ、あの2人とは、合わぬであろうからな。悪い御仁では
ないのだろうが、二人とも少々アクが強すぎる故に、全ての人と同
じように仲良くというわけには、いかぬであろうしな﹂
オーロンは呟き、
﹁では、我々も部屋へ戻ろうか﹂
レイシアに声を掛ける。
﹁オーロン、出掛ける?﹂
﹁うむ、レイシアも一緒だ。とりあえず着替えて、装備を身につけ
480
て、ギルドへ向かおう。
こんな事であれば、レイシアの装備も調えておくべきであったか
な。しかし、わしの知る限り、現在着ているローブ以上のものは、
なかなか手に入らぬであろうな。
杖は、本当に必要ないのだろうか?﹂
﹁杖、ない。ある、邪魔﹂
﹁⋮⋮ふむ﹂
オーロンは頷く。
﹁本人が必要ないというならば、問題ないのだろうな。しかし、念
のため、わしの予備のナイフを渡して置こう。
小さなものだが、里から持って来たミスリル製のものだ。魔力を
流し込めば、鉄でもバターを切るように斬れる。
その分、少々扱いは難しいが、わしより魔力量に長けたおぬしの
方が、いずれ使いこなせるようになるだろう﹂
﹁ミスリル?﹂
﹁うむ、これだ﹂
﹁きれい﹂
レイシアはそう言って、嬉しそうに受け取った。
﹁ありがと、オーロン﹂
﹁いやいや、わしが持っていても、あまり活用できておらぬのでな。
481
まぁ、身分証明くらいにはなるが、他にも身分証明代わりの品はあ
るからな﹂
﹁みぶん、しょうめい?﹂
﹁うむ。もし、レイシアが迷子になっても、わしと同じドワーフ族
の者がそのナイフを見れば、連絡がつくであろう﹂
レイシアが首を傾げた。
﹁すまぬ、ちょっと難しかったな。まぁ、持っていると良い事があ
るかもしれん、という事だ﹂
﹁ありがと、うれしい﹂
レイシアが無邪気な笑顔を浮かべ、つられてオーロンも微笑んだ。
◇◇◇◇◇
3人が冒険者ギルドに到着した時、ギルド内部は冒険者たちでご
った返していた。
階段脇に立っていたギルド職員が、彼らの姿に気付くと、足早に
近付いて来た。
﹁お待ちしておりました、アドリエンヌ嬢、オーロン氏。ギルドマ
スターがお待ちです﹂
その時だった。階段を貴族とおぼしき一人の令嬢││年齢は15
482
歳前後くらいだろうか││が駆け下りて来た。
﹁お姉様! お会いしたかったわ!! もう、アドリエンヌお姉様
の顔が見られないなんて、このフランソワーズ、夜も眠れぬほど、
つらい日々を過ごしましたのよ!﹂
勢いよく飛びつかれて、アドリエンヌは思わず顔を引きつらせた。
﹁あ、あぁ⋮⋮フランソワーズさん、王都からわざわざこんな田舎
町までいらしたのね。
馬車でも半月かかる距離でしたでしょう?﹂
﹁うふふ、お姉様にお会いするためなら、たとえ火の中、水の中で
も飛び込んで行きますわ!﹂
テンションの高いフランソワーズに、アドリエンヌはドン引きで
ある。
﹁でも、魔法学院の授業はどうなされたの? 長期休暇にはまだ早
いですわよね?﹂
﹁そんなこと! お姉様の元へはせ参じるためでしたら、些細な事
ですわ!﹂
アドリエンヌは思わず、頭痛をこらえるように、額を押さえた。
﹁⋮⋮その、外出届けや、休暇申請、休学申請などは⋮⋮﹂
﹁それくらい、お父様にお願いすれば、何とか処理していただけま
すし、些細な事ですわ!
483
それより、お姉様、こんな田舎町まで、わざわざ来られて、その
滞在中、変な輩に絡まれたり、口説かれたりするような事はありま
せんでしたの? そのような不埒な輩、このフランソワーズが、全て炎で焼き尽く
して差し上げますわ!﹂
﹁⋮⋮相変わらず発言が過激ですのね、フランソワーズさん。困っ
た方だわ﹂
アドリエンヌが眉間にかすかに皺を寄せて、言った。そこへ新た
に階段を降りて来た人物が、近付いて来る。
栗色の髪に、明るい緑の瞳の槍斧を背負った青年である。
﹁⋮⋮フランソワーズ様。1Fはまだ混雑していて、危ないと⋮⋮﹂
﹁ジェルマンさん?﹂
アドリエンヌがほっとしたような顔で、声を掛けた。
﹁ああ、アドリエンヌ先生。お久しぶりです、ご無沙汰しておりま
す﹂
﹁いいえ、こちらこそ。ここでは他の方々の邪魔になりますので、
場所を移しましょうか﹂
﹁はい、そうですね﹂
青年ことジェルマンが安堵した顔になった。
﹁何? あなた、平民風情で、わたくしの目の前で、よりによって
484
お姉様にちょっかい出すつもりなの?﹂
とんでもない言いがかりである。ジェルマンは慌てて首を左右に
振った。
﹁滅相も無い! パーティーメンバーの一人、クレールが魔術学院
時代、先生にお世話になったとかで、一度お目に掛かったことがあ
るだけで⋮⋮!﹂
﹁あら、そうなの。ふふ、お姉様ったら、教え子達に本当に慕われ
てますものね。かくいうわたくし、フランソワーズもその一人です
けど﹂
うふふふ、と笑う令嬢に、アドリエンヌもジェルマンもドン引き
である。
﹁積もる話もありますし、今宵はご一緒に夕食でもいかがかしら?
わたくし、今朝、こちらへ着いたばかりで良いお店を存じ上げま
せんの。
お姉様のお勧めの飲食店がありましたら、そちらで食事したいと
思いますわ﹂
﹁ああ⋮⋮ごめんなさい、フランソワーズさん。わたくし、非常に
残念な事に、緊急指名依頼を受けておりまして、その打ち合わせの
ためにこちらへ来たのです。
ですから、申し訳ないけど、今宵のお約束は出来そうにありませ
んわ﹂
アドリエンヌがそう言うと、フランソワーズは満面の笑みを浮か
べた。
485
﹁その事でしたら、問題ありませんわ。わたくし、修行と社会勉強
を兼ねて、先日冒険者登録したところですの。
特例のランクアップ試験も受けて、Dランクですのよ。本当はC
かBまで上げたかったのですけど、何の実績もないから、受験でき
ないんですって。わたくしの実力なら、Bは確実ですのに﹂
アドリエンヌが、作り笑顔のまま一瞬硬直した。
﹁⋮⋮ああ、ギルドのランクアップ試験には、いくつか条件があり
ますからね。
実力があっても、実績がなければ、そうそう高ランク試験は受け
られないようになってますのよ。
これは、ギルド設立時からの伝統であると共に、容易に高ランク
者を出さぬための措置なのだそうよ。
経験を十分に積ませて熟れてからでないと、Cランク以上にはな
れないのです﹂
それ以外の理由や要因もあるだろうが、大金を積んで、ランクを
買おうとする者がいる限り、必要な措置なのだろう。
﹁そうですのね。お姉様と同じBランクになりたかったのですけど。
どれだけ短縮しても、最低3年以上は掛かりそうですわ﹂
それを聞いて、アドリエンヌは安堵の表情になった。
﹁フランソワーズさんは、まだまだお若いのですもの、急ぐ必要は
ありませんわ。無理をして、お身体に傷でも付いたら、大変ですわ﹂
﹁ああ! アドリエンヌお姉様!! このフランソワーズの事を案
486
じて下さるのですね! わたくし、大感激ですわ!!﹂
フランソワーズは感激した表情になって、アドリエンヌに抱きつ
いた。
﹁⋮⋮あの、フランソワーズ様。お気持ちはわかりましたが、移動
いたしましょう﹂
﹁そうね! わたくしとしたことが、こんな場所でお姉様に立ち話
させるだなんて!! さあ、行きましょう!﹂
フランソワーズがアドリエンヌの右手を取り、促すように手を引
いた。
︵どうしましょう。⋮⋮問題児が来てしまいました︶
アドリエンヌの顔が、強張り、青ざめた。
◇◇◇◇◇
﹁この度は、招集に応じていただき、本当に有り難い﹂
会議室へ入ると、クロードが立ち上がり、礼を言った。
﹁いえ、この度の事は、わたくしにも、いくばくかの責任がありま
すわ﹂
アドリエンヌが愁眉をひそめて、そう答えた。先日、同じ部屋で
487
見せた姿とは雲泥の、麗しの深窓の令嬢といった風情である。
﹁いや、あれからたった数日だ。この度のことは、早期に発見の報
告があったにも係わらず、楽観していた我々ギルドの責任でもある。
それで、申し訳ないのだが、アドリエンヌには、ジェルマン、フ
ランソワーズ嬢たちと共に、既に発見済みのゴブリンの巣の調査に
向かって貰いたい﹂
﹁わかりました。詳しいお話を聞かせていただきますか?﹂
﹁その前に簡単な紹介をした方が良くはないか? オーロン、レイ
シア以外は全員顔なじみなのだろうが﹂
その時、︽静穏の閃光︾メンバーの末席に座る、灰色のローブを
着てフードを目深に被った幼年の子供が、ピクリと肩を震わせた。
﹁どうした、ダット?﹂
ジェルマンが心配そうに、その子供?に声を掛けた。
﹁ダットだと!?﹂
オーロンが驚き、その子供を見遣る。
﹁おお、ダットではないか! いったい何処へ消えたのかと思って
いたら、ロランに来ていたのか!!﹂
オーロンが感激したような声を上げると、ダットは嫌そうにフー
ドを下げ、挨拶した。
488
﹁その節は、どうも﹂
以前会った時とは、格段に無愛想で、言葉少なである。オーロン
は首を傾げた。
﹁ふむ、緊張しておるのか。まぁ、この面子では、そうなっても致
し方あるまい﹂
そういう理由でもないのだが、答える必要性を感じなかったので、
ダットは返答しなかった。
﹁ほう、一人は顔見知りだったか。では、紹介しよう。こちらは︽
静穏の閃光︾のリーダー、ジェルマンだ﹂
﹁初めまして、オーロンさん。ジェルマン・バシュレです﹂
﹁お噂はかねがね伺っております。バシュレ商会の次男で、槍斧遣
いの、高名な冒険者だと﹂
﹁いえ、俺なんかまだまだ修行中の身で、俺の技量など、クロード
さんやダニエルさんに比べたら、ひよっこです﹂
﹁当たり前だ。そうそう18歳やそこらの若造に抜かれてたまるか
い﹂
クロードが肩をそびやかした。その隣でリュカが咳払いをし、ク
ロードは苦笑した。
﹁で、その隣に座ってるのが、﹂
489
﹁︽静穏の閃光︾のセルジュだ。ロングソードを主に使っている﹂
﹁彼の盾遣いは、我がパーティー随一です。彼が敵の攻撃を引きつ
けてくれるので、我々は攻撃に専念できます﹂
﹁更に隣が、﹂
﹁クレール、魔術師です。アドリエンヌ先生には、学院時代、大変
お世話になりました﹂
﹁ベルナール、精霊術士だ。弓も扱う﹂
﹁そして一番端が、小人族の﹂
﹁ダット。武器は弓とダガー﹂
そして、クロードは、アドリエンヌの右腕にピッタリしがみつい
ているフランソワーズに目をやる。
﹁ホラン侯爵令嬢、フランソワーズ嬢だ。つい二週間ちょっと前く
らいに、冒険者登録して特例措置でDランクに昇級した魔術師だ﹂
﹁フランソワーズですわ。お姉様に粉を掛ける男どもは、全員滅ぼ
します﹂
真顔でフランソワーズが、高らかに宣言した。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
さすがのクロードも言葉に詰まったらしく、無言でポリポリと頬
490
を掻いた。
﹁まぁ、そういう感じだ。ちなみに、こちらがドワーフのオーロン、
魔術師見習いのレイシアだ。この二人は保護者と被保護者だな。仲
良くやってくれ﹂
おそらく本音は、後は知らん、だろう。もちろんそれを正直に口
に出したりはしないだろうが。
﹁で、調べて欲しい巣は、ロラン東門から出たすぐの森にある湖の
北東にある。地図で言うと、この辺りだ﹂
すかさずリュカが広げた地図で、その場所を指し示す。
﹁現在は、招集に応じた冒険者たちを、ゴブリン掃討のため、順次
送り込んでいるので、東門は混み合っているが、この令状を門の兵
士に見せれば、それほど待たされずに通れるはずだ。あー、それで﹂
顎髭をさするクロードに、仕方ないとばかりにリュカが引き継ぐ。
﹁最初に向かわせたパーティーには、周辺のゴブリンの捜索と、他
に巣がないかを調査させています。
皆さんがこれから向かう巣には、入らないよう告げておりますが、
もし、彼らを見かける事があれば、その時の状況に応じて適切に対
処していただけるよう、切にお願い申し上げます。
よろしいでしょうか?﹂
リュカの言葉に、アドリエンヌ、オーロンが頷く。フランソワー
ズは聞いていないようだ。
491
﹁あの、質問してよろしいですか?﹂
ジェルマンが声を上げた。
﹁どうぞ﹂
﹁その、先行している冒険者パーティーというのは、どういった方
々なんでしょうか?﹂
ジェルマンが尋ねると、リュカが苦笑を浮かべた。
﹁ランクはF、登録して1ヶ月の2人パーティーですが、︽疾風迅
雷︾ダニエル氏の弟子のレオナールと、︽森の聖女︾シーラ嬢の弟
子アランです。レッドドラゴンの幼竜を連れているので、見たらす
ぐわかると思います﹂
﹁え!? Sランクのダニエルさんに、シーラさん、それにレッド
ドラゴン!?﹂
ジェルマンが思わず驚愕の声を上げた。︽静穏の閃光︾のメンバ
ー達も驚きを隠せない。
﹁金髪の戦士と、黒髪の魔術師だが、本人たちも派手で強烈だから、
たぶん一度会えば、そうそう忘れることはないだろう﹂
と、クロードが少々不親切な説明をした。リュカがちらりとクロ
ードを見たが、あえて言う事もないかと溜息をつく。
﹁あと、顔はアドリエンヌとオーロン、レイシアが知っている﹂
492
アドリエンヌが瞑目し、オーロンは苦笑した。レイシアは知らな
い他人ばかりなので、オーロンにしがみついて顔を伏せたままだ。
﹁そうですか、わかりました﹂
ジェルマンは二人の顔を見て、何かを察したように方向転換して、
頷いた。
﹁で、悪いが、できればすぐに向かってもらいたいんだが﹂
﹁はい、大丈夫です﹂
フランソワーズとレイシアを除く、全員が頷いた。
493
13 アドリエンヌと︽静穏の閃光︾︵後書き︶
というわけで、以前ちらっと登場した新キャラ。
以下修正
×ハーフリング
○小人族
494
14 ゴブリンの巣の探索2︵前書き︶
戦闘および残酷な表現・描写があります。
495
14 ゴブリンの巣の探索2
ゴブリンとの遭遇頻度が、更に上がって来たので、アランは魔力
を温存するため、使用を控えることにしたが、レオナールとルージ
ュは平常運行である。
実に楽しそうに剣を振るい、尻尾または爪、時に牙で敵を屠り、
殲滅していく。
︵あー、ちょっと魔力使いすぎたかも︶
アランは洞窟の壁に手を付きながら、反省している。魔力欠乏の
初期症状、軽い頭痛に襲われているためだ。
︵久しぶりにやったな、2年ぶり、くらいか︶
ていたらく
魔法が使えるようになって、嬉しくて調子に乗った挙げ句の為体
で、何か病気だろうかと勘違いして恥ずかしい思いをしたのを、昨
日の事のように覚えている。
シーラに﹃そう言えば、最初に言い忘れてたわ。知ってて当たり
前の常識だと思ってたから、失念したのね﹄と言われたのも。
今思い返すと、彼女は最初の内は、アランに魔法を教える気がな
かったのではないか、とも思う。アランが本気で魔術、魔法を習い
たがっているとは、信じていなかったようだ。
彼女は普段、とても無口だった。人目のあるところと、そうでな
いところの違いを見るまで、アランはシーラをクールビューティー
だと勘違いしていた。実際は、ただの人見知り、または人間を警戒
496
していたからだったのだが。
おそらく、アランが息子と同い年の子供だったから、次第に警戒
を解き、素の自分を見せてくれるようになったのだろう。
彼女の事を思い出す度に、アランは苦い思いになる。おそらく、
あの村で、一番シーラに近しいと言える関係になれたのは、自分だ
けだったのに、彼女の窮状に全く気付かなかった。
知った時には、既に手遅れだった。
︵あ、いかん。ここで落ち込んでどうする︶
アランは舌打ちして、顔を上げた。ちょうどレオナールがゴブリ
ンの首を切り上げ、血飛沫上げて跳ね上げるところが見えた。
そして、その首をルージュが口でキャッチ。それが最後のゴブリ
ンだったらしく、レオナールの許しを得ると、そのまま食事タイム
に突入したため、アランは視線を逸らした。
何度見ても、幼竜の食事風景は、心臓に悪いと思う。あれを平気
で正視できるレオナールの神経がわからない。
もっとも、レオナール自身も、時折自分の倒した敵や獲物の斬り
口を、撫で回したり、指でなぞったりして確認しているのだから、
平気なのだろう。
︵その内俺も慣れるのかな︶
今はとても信じられないが。しかし、これからも冒険者を続ける
つもりならば、慣れた方が楽だろう。
血や死骸などを見る事だけならば、だいぶ耐性がついたと思う。
だが、例えばそれを嬉しそうに撫で回す相方だとか、咀嚼する幼竜
には、まだ慣れる事ができない。
497
彼が魔術師としてやっていくには、冒険者以外の選択肢がなかっ
たのは、事実だ。だが、それだけでなく伝え聞く、活躍する高名な
冒険者や、伝説やおとぎ話に登場する魔術師に対する憧憬も、アラ
ンの心に存在する。
自分がその一人になれるとまでは信じていないが、小心者で臆病
で非力な自分にも、誰かの何かの役に立つ事ができるかもしれない、
というのは、魅力であり、強い牽引力を持っていた。
︵絶対、足手まといになんかなってたまるか!︶
くそ、と歯を食いしばり、足に力を込める。正面を睨み付けるよ
う、両足で立ち、見据えるアランに気付いたレオナールが声を掛け
る。
﹁あら、もう大丈夫なの? アラン﹂
﹁ああ、だいぶマシになった。けど、強敵が出てくるまで、しばら
くは魔力温存させてもらう。悪いな、レオ﹂
﹁別に良いわよ? その分思い切り剣を振り回せるし﹂
そう言って、剣の柄をトントンと叩くレオナールに、アランは苦
笑する。
﹁お前はそういうやつだよな﹂
﹁冒険者って良いわよね? こうやって思い切り剣で斬りまくって
も、誰にも文句言われないし、逆に感謝される事もあるし、報酬は
貰えるし﹂
498
﹁そうだな、人に危害や損害与えない限りはな﹂
﹁この仕事が終わったら、オーガやオークも狩りに行きたいわ﹂
﹁⋮⋮その内な﹂
﹁その内っていつよ?﹂
﹁ランクがDになったら、かな﹂
﹁えーっ、面倒くさいわ。もっと早く行きましょうよ。ルージュも
すぐ大きくなって、ゴブリン程度じゃ足りなくなるわよ?﹂
﹁⋮⋮やめてくれ、想像したくない﹂
レオナールの言葉に、アランは顔をしかめた。
﹁アランが想像したくなくても、あと数ヶ月もしたら、ルージュは
もっと大きくなるでしょ。だって、成竜って今の数倍は大きいんで
しょ?﹂
﹁考えたくはないが、伝説によると、大きいものは体高十数メトル、
体長に至っては二十メトル超らしい。言っておくが、そんな大きさ
になったら、絶対、街中では飼えないからな?﹂
﹁わかってるわよ。その前にたぶん自立して、自分の巣を作ってる
と思うけど﹂
﹁レッドドラゴンの巣⋮⋮頭が痛い﹂
499
アランが思わず額を押さえ、ヨロリとよろめいた。
﹁レッドドラゴンってやっぱり洞窟に住んでるのかしら?﹂
﹁⋮⋮伝説によれば、山の広い洞窟とか、高い場所が好きらしいが﹂
﹁ある程度育って自力で餌が取れるようになったら、山で放してあ
げれば良いかしら?﹂
﹁おい、恐いこと言うなよ! 普通のレッドドラゴンの餌って、人
間や亜人なんだぞ!?﹂
﹁人里近いところなんかに放さないわよ。でも、私が斬りに通える
ような場所が良いわね﹂
﹁おい、勘弁してくれ﹂
だいたい、斬りに通うってどういうことだ、とアランは呻いた。
﹁まぁ、今は未来のドラゴンにふさわしいすみかより、目の前のゴ
ブリンの巣よね﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
言いたい事はあったが、言うだけ無駄なので、飲み込むことにし
た。ストレスは溜まるが、忘れるしかない。
逃避である。どこか虚ろな目になるアランを気にも留めず、レオ
ナールは歩き出した。
500
︵とにかく、俺がしっかりしないと︶
気合いを入れ直し、アランはレオナールと、その後ろに続くルー
ジュの後を追った。
◇◇◇◇◇
不意に、頬に風を感じて、アランは立ち止まった。
﹁どうしたの?﹂
レオナールが怪訝そうに、振り返る。
﹁いや、今、なんか風が⋮⋮﹂
そう言って、アランが指先を口に含み、目を閉じて先程、風を感
じた方角へ指を向けてみる。
﹁うん、やっぱりそうだ。こっちから風が吹いている。でも、ここ、
岩壁に見えるよな﹂
アランは首を傾げた。
﹁ふぅん?﹂
レオナールが歩み寄り、アランの指し示した岸壁を撫で回した。
その途中、ニヤリと笑みを浮かべた。
501
﹁アラン、お手柄よ。ここ、隙間がある。たぶん、こう、﹂
肩先からグッと押しつけると、壁がグルリと回転した。
﹁お、おい!﹂
アランが慌てた。ルージュがその壁に突進する。どう見ても幼竜
が通れる大きさではなかったが、ダンダンと体当たりして、ぶち抜
いた。
﹁⋮⋮あっ﹂
ルージュが駆け抜けた先に、嬉々として剣を振るうレオナールの
姿が見えた。
﹁あのバカ⋮⋮っ!﹂
そこに見えたのは、通常の個体より1.3倍ほど大きな、革鎧を
身に纏い、戦斧を振るう大型のゴブリン││ナイトゴブリンと、通
常サイズのゴブリン二十数体、そしてその奥に、鉄鎧を身に纏い、
大型の槍を手に立つ赤い体表の、通常より1.5倍近く大きい、い
かめしい顔つきのゴブリンがいた。
アランは慌てて詠唱を開始する。
﹁其れは、汝らの足下に絡む、容易にほどけぬ魔術の網、︽鈍足︾﹂
取り巻きとナイトゴブリンに、鈍足が発動する。ルージュが取り
巻きたちをなぎ倒しながら、レオナールの元へ駆けつける。
次にアランは、︽炎の矢︾の詠唱を始める。
502
﹁あははっ! ゴブリン風情が、上手く避けてくれるじゃない!!﹂
レオナールが嬉しそうな声を上げる。ナイトゴブリンが振り上げ
た戦斧を、踊るように避けて、大きく哄笑する。
﹁そんなに遅いんじゃ、私には当たらないわよっ! もっと頑張り
なさいよ!!﹂
アランは、軽い頭痛を覚えながら、︽炎の矢︾をナイトゴブリン
目掛けて発動するが避けられ、別のゴブリンの頭部をかすめて、傷
付けた。
思わず舌打ちしつつ、次の詠唱を開始する。
レオナールが、威力より速さ重視に切り替えて、右に左にスイッ
チしながら、連撃を加える。
鈍足の影響もあり、ナイトゴブリンは完全回避を諦め、致命傷を
避ける程度にとどめ、隙を狙っては戦斧を振るう。
しかし、そこへ反対側からルージュの尻尾による薙ぎ払いが加わ
った。
﹁ギャゴガァッ!﹂
足をすくわれ、体勢を崩すナイトゴブリン。そこへレオナールの
斬撃が振るわれた。
胸から下腹部にかけて、大きく切り裂かれるナイトゴブリン。し
かし、レオナールは舌打ちする。切り裂かれたのは革鎧のみ、その
下の肌は無傷である。
そこへルージュの追撃が入り、ナイトゴブリンが転倒した。すか
さずレオナールがその下腹部を踏み抜き、鎧の隙間、骨のない脇腹
辺りを狙って、両手で握った刃を力一杯、突き立てた。
503
﹁ギガゴガァッ!﹂
ナイトゴブリンの悲鳴に構わず、グリグリ捻りながら、突き込ん
でいく。
﹁ごめんなさいね、まともに当てられなかったのに、こんな結果で。
でも勝負じゃないから仕方ないわよね。
次はちゃんと当てられるように修行しておくわ。相手はあなたじ
ゃないけど﹂
そして刃の先が床に触れて鈍い抵抗を覚えると、更に傷口を広げ
るように、左右に揺すり、掻き回した。
ナイトゴブリンが絶叫を上げて、暴れる。
﹁あらあら、そんなに暴れたらかえって傷口が広がるわよ?﹂
おもむろにルージュが、ナイトゴブリンの顔を右後ろ足で踏み抜
いた。鈍い音を立てて陥没し、ピクピクと痙攣して動かなくなった。
﹁有り難う、ルージュ。前に戦ったナイトゴブリンより強かったみ
たい。ちょっと情けなかったわね。もっと気合い入れなきゃダメね﹂
﹁きゅうう﹂
ルージュが首を左右に振る。レオナールが顔を上げた時、アラン
の魔法︽炎の壁︾が発動する。
﹁!﹂
レオナールとルージュの十数歩手前で、こちらに近付きつつあっ
504
たキングが燃え上がった。
﹁ガアアッ!﹂
キングは、悲鳴というよりは雄叫びに近い声を上げ、咆哮した。
アランの肩がブルリと震え、わずかに後退さった。
レオナールは慌てて剣を引き抜き、構えた。ルージュはまだ消え
ていない、炎の壁に向かって突進する。
全てを燃やし尽くすはずの炎の中から、キングが歩み出て来るが、
ルージュの突進を受けて、炎の中へと転倒した。
﹁行くわよ! しっかり歯を食い縛りなさい!!﹂
レオナールが低い声で叫ぶ。その声にハッと気を取り直すアラン。
慌てて杖を構え、︽鈍足︾を詠唱する。
﹁ぐぁお﹂
ルージュが炎の中のキングを蹴りつける。魔法の炎が消え、黒ず
んではいるが、ほぼ無傷のキングの姿が現れる。
キングは起き上がろうとしているが、ルージュの体重と膂力には
かなわない。
そこへレオナールが駆け寄り、その首へ叩き付けるように、刃を
振り下ろす。
アランは︽鈍足︾の詠唱を破棄して、︽岩の砲弾︾に切り替えた。
が、必要なかったらしい。
キングの首がゴロリと転がった。
﹁ふぅ、ルージュがいなかったら少し危なかったかしら? ちょっ
と油断し過ぎてたわね。ありがとう、ルージュ﹂
505
レオナールの言葉に、アランが顔をしかめた。
﹁おい、効果はなくても時間稼ぎくらいにはなっただろうが﹂
不満そうなアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁アランも有り難う。助かったわ﹂
﹁その言い方じゃ、まるで俺が礼を催促したみたいなんだが﹂
﹁気のせいでしょ。被害妄想激し過ぎるわよ?﹂
レオナールは首を軽く左右に振り、それから周囲を見回した。
﹁ここ、ムダにだだっ広いけど、お宝とかはなさそうね﹂
﹁そうだな。強い個体もしっかりした装備したやつもいたが、取り
巻きの数は少なかったし﹂
ルージュのおかげで、苦戦どころか、終わってみれば楽勝という
印象である。たぶんまともにやれば、全員無傷では済まなかっただ
ろう。
アランは思わずブルリと背筋を震わせた。
﹁ねぇ、巣の規模に対して、敵の数が少なかった気がしない?﹂
レオナールの不穏な台詞に、アランが蒼白になった。
﹁⋮⋮まさか﹂
506
﹁他にもどこかに、いそうよね﹂
レオナールが楽しげに言い、ニンマリ笑った。
﹁とすると、残りはいったい何処にいるのかしら?﹂
正直、想像したくない。したくないが、アランはうっかり想像し
てしまった。
﹁ねぇ、アラン。嫌な予感はしてる?﹂
ビクリと肩を震わせたアランに、レオナールはニヤリと笑った。
﹁さぁ、アランは何処にいると思う? 何処に行きたくないと感じ
てるかしら?﹂
アランは蒼白な顔で、目の前の相方を見下ろしながら、脳裏で呆
然と呟いた。
︵こいつ、いつの間にか、俺の思考の方向性を操る方法を覚えた!
?︶
それは、強力なナイトゴブリンや、炎魔法の効きづらいキングゴ
ブリンよりも、恐ろしかった。
507
14 ゴブリンの巣の探索2︵後書き︶
胃腸の調子が悪くて更新遅くなりました。すみません。
たぶん次の次か、そのまた次くらいで2章完結できると思います。
以下修正。
レオナールの台詞をいくつか漢字↓平仮名に
×ネガティブになって
○落ち込んで
508
15 ゴブリンの巣の探索3︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
509
15 ゴブリンの巣の探索3
﹁なぁ、レオナール。念のためこの巣全部探索してからにしないか
?﹂
﹁他に強敵がいるなら、それでも良いけど、その言い方だと違うわ
よね? 大丈夫、普通のゴブリンなら、頼まなくても応援の人たち
が狩ってくれるわ﹂
﹁な、なぁ、もしかしたら何か臨時収入になる財宝の類いも見つか
るかもしれないだろ?﹂
﹁ナイトの装備にしても、暫定キングの装備にしてもたいしたこと
なかったもの。あまり期待できないわね。
それにザコ相手ならともかく、強いかもしれない敵との戦闘前に、
ムダに荷物増やすのもね﹂
﹁それ、オルト村のダンジョンで聞きたかった台詞だな、おい﹂
﹁やぁね、豆は一応役に立ったじゃない﹂
﹁たまたまで、ただの運だろ! だいたい狙ってやったわけじゃな
いくせに!!﹂
﹁あの時はそういう気分だったんだもの。どうせろくに金になるも
のなかったじゃない、ミスリル合金以外﹂
﹁さっきあんな強そうなやつとやり合ったのに、まだ足りないのか
510
よ!﹂
﹁倒せたのはルージュのお陰だし、自分で倒したとは思えないもの。
どっちかと言えば、ルージュの補助の介錯役?
もっとこう、思い切り悔いなく、全身全霊で全力で斬った!って
気分になれないと、つまらないわよね﹂
﹁あれだけ大量に斬ったのに、まだ足りないのかよ、この脳筋! お前には疲労とか倦怠とか、そういうものはないのかよ!﹂
﹁まだまだイケるわよ? 一度に囲まれたらキツイけど、あと百体
くらいまでなら問題ないと思う﹂
笑いながら言うレオナールに、アランはゾッとした。
﹁あと百体とか勘弁してくれ。どれだけ無尽蔵な体力してんだよ﹂
﹁筋力と耐久力はともかく、体力と持続力には自信があるわね﹂
レオナールは胸を張った。アランが呻き声を上げた。
﹁くそ、まともな神経じゃお前にはついてけねぇよ、人外レベルだ
ろ! お前と同等な体力してんの、オーガかその幼竜くらいだろ!
!﹂
﹁たぶんルージュの方が、私より体力も持久力もあると思うわよ?
それよりアラン、そろそろ体力に余裕ないなら、ルージュの背に
乗る?﹂
﹁⋮⋮お前、本当、戦闘に関係ないことには記憶力皆無だな﹂
511
アランはガックリと肩を落とした。
﹁え? だって私はアランをおぶって戦闘なんかできないわよ?﹂
﹁誰もそんなこと期待してねぇよ! お前に言ったはずだよな、俺
に体力筋力、運動神経その他を、求めるなって!﹂
﹁そうだったかしら、記憶にないわ﹂
﹁ああ、そうだろうとも! お前ってそういうやつだよな!! 自
分が興味ないことは、どれだけ言ってもすぐ忘れちまうんだ!
言うだけ無駄で徒労だってわかってて、ついやっちまう俺が悪い
んだよな!!
下手にお前が人間の言葉理解して会話が通じてるように見えるか
ら、うっかり期待してバカを見るんだ!!﹂
﹁なに? それ、盛大なひとりごと? 頭のおかしい人みたいに思
われるから、ひとりごとを大声で叫ぶのはやめた方が良いわよ?﹂
怪訝そうに、首を傾げて言うレオナール。
﹁⋮⋮いっそ悪意や邪気があった方が、マシだよな﹂
アランは深い溜息をついた。自分は何度失敗したら、学習するの
だろうと、自己嫌悪する。
何をどう言い替えても理解できない相手と会話するのは無駄に疲
れる。
自分の言葉が、気持ちが少しでも相手に伝わっているのなら、こ
れほどの徒労感はないだろう。そして、たぶんこの相方は、一生こ
512
のまま変わらないだろうということもわかっている。
︵結局、俺が諦めて、他に方策を考えるしかないんだよな︶
気分を落ち着けるため、目を閉じて深く息を吸い、ゆっくり吐き
出し、呼吸を整え、熱くなった頭をクールダウンさせる。
︵平常心、平常心。俺が冷静にならないと、こいつは何処まで暴走
するかわからない。放置すれば、問題しか起こさないんだから、俺
は自分に出来ることをしないと︶
ふぅ、と息を吐いて、目を開く。
﹁とりあえず小休止を取ろう。お前自身は疲労を感じてなくても、
これだけ連戦が続いてるんだ。大なり小なり、疲れはあるはずだ。
何があるかわからない。移動する前に、水と干物類で軽食を取ろ
う。水分はもちろん、糖分や塩分は取っておいた方が良い﹂
﹁わかったわ。ルージュはたくさん食べたから、腹ごなし休憩かし
ら﹂
﹁きゅう?﹂
ルージュは不思議そうに首を傾げた。
﹁ドラゴンの生態は、良くわかってないからな。伝説だと、人と比
較すると無尽蔵、あるいはそれに近い体力と魔力を持つと言われて
るらしいが﹂
﹁ふぅん、それはすごいわね﹂
513
﹁幼竜も同じかは知らないぞ? 何しろ、幼い竜を育てたという記
録とか事例は聞いた事がないからな。
もしかしたら、高位貴族や王族、あるいは神殿などで秘匿されて
いるだけかもしれないが、俺の調べた限りは見つからなかった。
ドラゴンに関する専門家がいるなら、話を聞いてみたいが、たぶ
ん無名の俺が訪ねても門前払いだからな﹂
﹁わからないなら、無理して調べなくても良いわよ。別に特に困っ
てないから。まぁ、そういうのはアランの趣味や習慣みたいなもの
なんでしょうから、好きにすれば良いけど﹂
﹁まぁ、趣味と言われたらそうかもしれないが﹂
アランは複雑そうな表情になった。例え無駄でも、一応レオナー
ルのためにも調べておいた方が良いと思ったのだが、自分が興味を
持ったから調べたというのも事実である。
アランはなるべく汚れていない場所を探して腰を下ろし、背負っ
ていた荷物から、水筒と干した果物を取り出した。レオナールは干
し肉を食べるつもりのようである。
ルージュが干し肉に興味を示したが、レオナールが一切れ与えて
みると、しばらく咀嚼していたが、不思議そうに首を傾げ、それ以
上は興味なさげにそっぽを向いた。
代わりに、周囲の警戒に当たることにしたようである。邪魔にな
らないように、尻尾を立てて直立して、左右に首をゆっくり振る様
子は、見ようによっては愛らしく見えない事はないが、それに絶対
騙されるものか、とアランは考える。
﹁やっぱり加工した肉より生肉の方が好きみたいね﹂
514
﹁そりゃ、ドラゴンだから、そうなんだろうな。あの前足じゃ、調
理や加工なんかできないだろうし﹂
肉を調理・加工するドラゴンなんてものが存在するなら、ちょっ
ぴり見てみたい気もするが。
︵ドラゴンとか、1頭いれば十分だよな。まともに全部賄うことに
なると、食費が大変なことになるし︶
アランは少し塩気のついた干したプラムやオレンジ、ナッツなど
をゆっくり咀嚼しながら、ぼんやり考える。
﹁で、アランはここを出たら、何処へ向かえば、いると思う?﹂
レオナールの言葉に、アランは顔をしかめたが、渋々答える。
﹁⋮⋮他に、巣が見つからないようなら、お前が最初に見つけた巣
だろ。入り口付近は変わらないように見えても、もしかしたら、こ
の数日で拡張されている可能性もゼロじゃない﹂
﹁なるほどねぇ﹂
レオナールが感心したように頷いた。
﹁でも、そっちは今頃、アドリエンヌやオーロンたちが向かってる
はずだろ?
だとしたら、俺達が行っても、最悪無駄足になるかもしれない。
だから、一応念のため、他を探索してから⋮⋮﹂
515
﹁ふぅん、で、アランが行きたくない方角は?﹂
レオナールの質問に、渋面になるアラン。それを見て、レオナー
ルはクスクス笑った。
﹁なるほど、じゃあ、あっちの巣に行きましょうか﹂
﹁⋮⋮なんで、お前、俺の顔見ただけで、わかるんだよ﹂
﹁う∼ん、何となく? 良くわからないけど、ピピッと来るのよね。
不思議よね﹂
﹁嫌な特技だな、それ﹂
アランがぼやくと、レオナールは肩をすくめた。
﹁難しいことや面倒なことは、良くわからないのよね。興味のある
事だけに、勘が働く感じかしら?﹂
﹁お前にとっては都合の良い特技なんだろうな、それ。でも、ここ、
たぶんこの森のほぼ中央だろ?
ここにこれだけ広い巣があるんだから、他のどの場所にあっても
おかしくないってのは、わかるだろう?﹂
﹁でも、ゴブリンの巣がいくらあっても、それを養うための食料は、
無限じゃないわ。
やつらが、森の外にまで狩りに出てるっていうなら、ともかく。
でも、森の外にも被害が出ているなら、とっくにその情報や被害報
告が来ていても、おかしくないでしょ?﹂
516
﹁⋮⋮まぁ、そうだな。人間の被害が皆無ってわけじゃなさそうだ
が。でも、念のため、苗床になってる人の被害者がいないかだけ、
確認しておかないか? 放置すれば、被害が拡大するだけだ﹂
﹁あぁ、そう言えば、建前の件があったわね。面倒くさいし、早く
あっちへ行きたいけど、一応確認した方が良いのかしら?
でも、私たちに出来ることって、被害者がこれ以上苦しまないた
めに、とどめを刺してあげる事くらいでしょ﹂
﹁仕方ないだろ。助けられるものなら、助けてやりたいけど。囚わ
れているだけの状態の人がいる事を、期待するしかない﹂
﹁アランって、時折良くわからないわね﹂
レオナールが首を傾げる。
﹁面倒事や厄介事は苦手だが、別に人助けが嫌いってわけじゃない
ぞ。他にやってくれる人や、責任持ってくれそうな人がいれば、そ
っちに任せるけど。
嫌なことは、なるべくやりたくないけど、他にやるやつがいなけ
れば、仕方ないから自分でやるってだけだろ﹂
﹁ふぅん﹂
わかったような、わからないような顔で、レオナールは頷いた。
アランは、わかってないんだろうな、と考えて、苦笑した。
﹁たぶん、俺が、何でも出来る有能かつ万能人間だったら、何でも
無条件にでも、請け負うだろうさ。でも、そうじゃないからな。
自分より出来そうなやつに振った方が良いし、確実だろ。自分で
517
出来そうにないこと、最後まで責任持てそうにない事は、最初から
手を出さない方が良い。⋮⋮後がキツイからな﹂
﹁まぁ、そんなどうでもいい話は、ともかく﹂
レオナールの言葉に、アランは思わずガクッと来る。
﹁他には、どんな敵がいると思う?﹂
ワクワクした顔で聞いてくるレオナールに、憮然としながら、ア
ランは答えた。
﹁そんなの俺にわかるはずないだろ。でも、たぶんあのナイト級は
いるんじゃないかな、何の根拠も無い想像で、憶測だが。
あと、クイーンがいたんだろ? どんなだった?﹂
﹁確認だけして、戦闘はしてないのよね。私が見た時は身重で、動
きも鈍重だったし。
周囲の取り巻きも、クイーンの護衛が主で、積極的にこっちに襲
いかかって来なかったし﹂
﹁はっ!? おい、それ、初耳だぞ!?﹂
アランが顔色を変える。
﹁え? そうだったかしら。でも、ほら、わかるでしょ? 他に私
がクイーンを残す理由なんて、ないじゃないの﹂
レオナールがケロッとした顔で言うと、あちゃぁと言わんばかり
に、アランがペシリと自分の顔を叩いた。
518
そして、ものすごいしかめ面で、嫌そうに告げる。
﹁⋮⋮なぁ、それ、たぶん次世代のキングか、その候補だと思うぞ﹂
その言葉に、レオナールは目をパチクリさせる。
﹁あら?﹂
どうやら本気で知らなかったらしい。こいつは、どうしてそんな
初歩的な知識すらないんだろうか、とアランは頭が痛くなった。
﹁お前さ、ゴブリンの動きとか、様子見ても、判断できないのか?﹂
﹁え∼、だって、結局のところ、全部斬れば済む事じゃない?﹂
﹁⋮⋮お前というやつは﹂
アランは呻いた。
﹁それにしても、それ、かなりヤバイぞ。わざと秘匿したわけじゃ
なくても、知ってるのと知らないとでは、かなり違う。
一応俺も口添えしてやるし、ギルマスとリュカさんはわかってく
れると思うが、あのアドリエンヌとかは違うぞ。絶対、難癖または
抗議して来る。間違いなくだ。
たぶん、さっきの暫定キングは老齢で、そのクイーンは、次世代
の王を生むために、巣立ちまたは巣分けしたんだと思うぞ﹂
深刻な表情で告げたアランに、レオナールは満面の笑みを浮かべ
た。
519
﹁やったぁ! ラッキーじゃない!! やっぱりクイーン放置して
おいて良かったわ! これで当面の楽しみが出来たってわけね!!
そうとわかれば、先取りされる前に行きましょう!!﹂
嬉しそうにはしゃいで言うレオナールに、思わずアランはその場
に突っ伏した。
﹁⋮⋮なんで、お前はそうなんだよ、くそっ﹂
アランの嘆きをよそに、レオナールはいそいそと荷物をまとめ始
めた。
﹁あら、アラン。何故そんなところで寝てるの? 早く移動しまし
ょう﹂
﹁どうせ、それは決定事項なんだろうな、そうなんだろうな。お前
にとっては、より強い敵を斬る事以外にやりたい事なんか、ないん
だろうしな﹂
﹁ほら、早く! グチグチ言ってないで、準備してよ、アラン!!﹂
﹁お前なんか嫌いだ﹂
アランはぼやきつつも、渋々荷物をまとめて、移動の準備を始め
た。
◇◇◇◇◇
520
一方、その頃のアドリエンヌや︽静穏の閃光︾メンバーその他は、
調査予定のゴブリンの巣に到着したところだった。
﹁ここが、その巣か。気を引き締めて行こう。姿は、一般的なゴブ
リンと同じでも、強化されている上、数が多いみたいだからな﹂
ジェルマンの言葉に、マイペースのフランソワーズと、言葉が良
く理解できないレイシア以外の全員が、真剣な顔で頷いた。
一見、入り口付近に、ゴブリンの姿はないように見えたが、
﹁気を付けて。入り口付近の壁際に、たぶん4体ほどいる﹂
ダットが警告した。全員武器を構え、戦闘に備える。ジェルマン
が振り返り、全員の顔を見渡し、頷いた。
アドリエンヌとクレールとフランソワーズが、妨害魔法や攻撃魔
法の詠唱を、ベルナールが支援用の精霊術の詠唱をそれぞれ開始し
た。
ダットは後衛に下がり、弓矢の準備をし、オーロンは中衛へと下
がってバトルアクスを正面に構える。
ジェルマンの前に、盾とロングソードを構えたセルジュが立ち、
ジェルマンがハルバードを構えた。
﹁⋮⋮来る﹂
ダットが告げると、洞穴から、槍持ち2体と、弓持ち2体のゴブ
リンが現れた。
﹁ギギャギャアッ! ギガァ!﹂
アドリエンヌの︽束縛の糸︾、クレールの︽鈍足︾が発動し、遅
521
れてフランソワーズの︽炎の旋風︾、ベルナールの︽攻撃・回避速
度上昇︾が発動する。
︽束縛の糸︾︽鈍足︾が4体全てにかかり、︽炎の旋風︾が、弓
持ち2体を燃え上がらせた。
そこへダットの放った矢が、槍持ち1体の額に突き立つが、傷が
浅かったようで、止まらない。
突進して来るゴブリンたちを、セルジュが盾と槍で留め、いなし、
ジェルマンが向かって右のゴブリンの肩先辺りにハルバードの刃を
振るう。
オーロンは中衛へ下がっていたが、それを見て顔をしかめ、バト
ルアクスを振り上げ、突進した。
﹁うぉおおおおっ!﹂
額に矢が突き立っている、向かって左のゴブリンの頭部を叩き割
るように、バトルアクスを振り下ろした。
ゴブリンの額が叩き割られ、崩れ込んだ。右のゴブリンは、傷を
負っても気にする様子もなく、素早く連続して槍を突き込んで来る。
それを防ぎ、あるいはいなすセルジュに危うさはないが、ジェル
マンが何度ハルバードを急所目掛けて振るっても、動きが悪くなる
事はあっても、倒れる様子がない。
﹁おかしいわ⋮⋮! ゴブリンがあんな頑丈なはずがないのに!!﹂
アドリエンヌが悲鳴のような声を上げ、オーロンが渋い顔になる。
﹁⋮⋮まさか⋮⋮な﹂
オーロンが小さく呟く。が、気を取り直して、ジェルマンに加勢
する。二人掛かりで攻撃すると、呆気ないほどすぐに、ゴブリンは
522
倒れた。
そこへ、やけどはしたものの、かろうじて生き残った弓持ち1体
ハルバード
がよろめきながら、炎の中から現れる。
﹁があああっ!﹂
バトルアクス
オーロンの戦斧と、ジェルマンの槍斧が、ほぼ同時に振るわれ、
弓持ちの命を絶った。
そして4体全ての絶命を確認すると、ジェルマンが苦い顔で、全
員の顔を見渡した。
﹁⋮⋮このような状態のゴブリンを見たのは、初めてだ﹂
ジェルマンが言うと、硬い表情で︽静穏の閃光︾のメンバーも頷
く。
﹁ゴブリンクイーンが目撃されたとは聞いていたけど、明らかにお
かしいわ﹂
愁眉を寄せて、アドリエンヌが言う。ダットは後ろを振り向き、
周囲を警戒している。
フランソワーズは﹃さすがお姉様、眉間に皺寄せてもなお、お美
しいわ﹄などと呟いている。
﹁⋮⋮推論というより、憶測に近いのだが﹂
オーロンが口を開く。
﹁群れにキングが生まれると、その群れのゴブリン全てが強化され
る場合がある、という話を聞いた事がある﹂
523
﹁まさか⋮⋮!﹂
フランソワーズとレイシアを除く全員が目を見開き、絶句する。
﹁⋮⋮この巣には、ゴブリンキングが生まれているかもしれないっ
て、いうのか?﹂
ジェルマンが真剣な表情で言う。
﹁わしも、直接見聞きしたわけではなく、人から聞いただけだから
な。これがそうなのか、確信持っては言えん。
だが、物事は一番最悪のものを想定して当たる方が、そうでない
より、幾分マシだと思う﹂
オーロンの言葉に、沈黙が訪れた。
524
15 ゴブリンの巣の探索3︵後書き︶
思ったより長くなったので、最低でもあと4∼5話以上続きそうで
す。
ちょっと精霊術の魔法名が適当すぎかも。他の言い換え思いつきま
せんでした。
以下修正。
レオナールの台詞をいくつか漢字↓平仮名に
×やるのがいなければ
○やるやつがいなければ 525
16 ゴブリンの巣の探索4︵前書き︶
戦闘および残酷な表現・描写があります。
526
16 ゴブリンの巣の探索4
︵良く考えたら、レオがゴブリンを見つけて殺さない理由なんて、
相手が攻撃して来なかった以外の理由があるはずなかったんだよな。
あいつに自重とか自制とかあるわけないんだから。うっかりし過
ぎだ、くそっ。
俺がどれだけ嫌だと抗弁しても、抵抗しても、結局のところ、こ
いつは、自分のしたい事を、したいようにするんだよな︶
レオナールによって無理矢理ルージュの背に縛り付けられたアラ
ンは、グッタリとした状態で、激しく上下左右に揺すぶられつつ、
心の中で独白した。
しかし、先に乗った時と比較すれば、だいぶ幼竜の動きに慣れた
というか、わかってきた気がする。
幼竜は直進する場合にも、尻尾を左右に振ってバランスを取りな
がら駆けている。そのために、直進時でも上下左右に揺らされるの
だ。
また、前のめりの体勢で、一歩分が大きいため、上下動が激しい。
それに加えて、木の根などが着地予定地点にあれば、それを避けて
足を付けるため、時折左右にぶれたり、あるいは歩幅が更に大きく
取られたりする。
しかも、場所が森の中なので、直進できる場所が、湖のあった付
近以外では、ほとんどない。
基本、木の幹や枝、根などの間を抜けていくのだが、細い枝であ
る場合は、避けずにその頑丈な体表、ウロコなどを使って体当たり
で、へし折るのだ。
その際に、木の種類や枝の太さによっては、多少の抵抗を受ける。
527
ルージュ自身は、それを気にも留めず、足を止めたり、速度を緩め
るような事もないのだが、その背のアランにとっては異なる。
激しい揺れに加え、予測できないわずかな緩急や振動・衝撃など
によって、不規則に身体を揺さぶられるのだ。
どうやら、目を開けて周囲を見回すより、目を閉じてじっと動か
ずにいる方が、幾分マシだと気付いてからは、そうしている。
アランは自力歩行する生き物に騎乗した事など皆無であり、乗っ
た事のある動物は、馬やロバだけである。
︵馬は本当、良いよな。賢いし、こっちの言う事ちゃんと聞いて、
ペース配分とかも思い通りだし︶
ひたすら逃避中である。
︵実家のロバも、あまり賢いとは言い難いけど、真面目で一生懸命
で可愛いやつだった。あいつ、結構年寄りだけど、元気にしてるか
な︶
時折、金属音とか、横殴りの回転とか、咀嚼音とか、色々あるが、
アランは全てスルーした。どうせ、今は必要とされていないのだ。
レオナールにも、もちろんルージュにも。
︵生まれたてのキングと、それを生んで身軽になったクイーン、そ
れを守るナイトと、その他、か。杖持ちもいっぱいいるんだろうな。
魔術師以外にも色々いたらどうしよう。
まぁ、でも、俺のやる事は、普段とそんなに大差ないか。ああ、
すごく嫌な予感しかしないんだが︶
﹁あははははっ、気力がみなぎってきたわ! なんかいつもより身
528
体が軽いし、敵の動きが良く見えるし、遠くまで見聞きもできるみ
たい。もう、最高の気分よ!!﹂
相方の興奮した明るい声に、アランは背筋にゾワッと寒気を覚え
たが、ひたすら呼吸を整え、もしもの場合の時のために、先の戦闘
を参考に、ゴブリンキングとの戦闘を想定して、戦闘の組み立て、
使用すべき魔法の選択などに思いを馳せる。
アランは、レオナールの能力、戦闘などそれなりに熟知・把握し
ているつもりである。気まぐれでむらっ気のある性格のため、その
時々で動きや集中力などが変化するので、その時にならなければ、
どうなるかわからない事の方が多く、幼竜の一件など想定外の事も
起きやすいが、それでも概ねの方針は立てられる。
生まれたばかりとは言え、ゴブリンキングはおそらく強いだろう。
ナイト
は先程と同等か、それ以上を想定した方が良い。
クイーンが若輩ならば、あのキングの血を引く可能性が高いため、
炎属性は効きづらいかもしれない。
師匠のシーラが風属性により長けているのに、アラン自身は何故
か風属性は発動できなかったため、攻撃力の高い炎属性魔法を中心
に修得し、それ以外の攻撃魔法は︽岩の砲弾︾だけである。
当初の予想より、幼竜が戦闘で使える。何をどうするか、言葉も
通じないので判断が難しいが、これまでの戦闘でおそらく全ての攻
撃手段およびその動きを見たと思われる。
アランの指示に従ってくれるとは到底思えないが、レオナールの
指示には今のところ従っているようなので、どうしても指示したい
場合には、レオナール経由で行けるだろう。
︵よし︶
529
アランは脳裏で複数の想定で、何度もシミュレーションを繰り返
し、その度に戦術を組み立て直し、方針・方策を打ち出した。予定
外や想定外が起こる可能性はあるが、自分達だけの場合も、他に戦
闘に加わる者がいた場合の想定も、ある程度叩き出せただろう。
︵後は、何かとんでもないトラブルが起こらなければ︶
なんとかなる、いや、なんとかする。目を開けたアランと、ちら
りとこちらを振り返ったレオナールの目線が合った。
落ち着きを取り戻したアランに、レオナールはにっこり微笑んだ。
そして、更に移動速度を上げた。
◇◇◇◇◇
アドリエンヌや︽静穏の閃光︾メンバーその他は、突入前に、入
念な打ち合わせをした。
その結果、オーロンは前衛に出る事になった。後衛陣の護衛がい
なくなったが、ダットがついて、周囲を警戒・索敵し、可能な限り
早期発見、場合によっては前衛も兼ねるという事になった。
レイシアはオーロンと距離を置くのを嫌がったが、先程の戦闘を
見ていた事もあり、結局はアドリエンヌの説得を受け入れ、その隣
を歩く事になった。逆側はフランソワーズである。
洞窟の通路はギリギリ3人が並べなくもなかったが、それでは武
器が思うよう振るえないため、基本2人ずつ並んで行く事にした。
最前列が、セルジュとオーロン、次がジェルマン、その後ろがベ
ルナールとクレール、次がアドリエンヌを中心に左がフランソワー
530
ズ、右がレイシア、最後尾がダットである。
ちなみに、レイシアが右なのは、杖なしだからであるという理由
の他、フランソワーズが戦闘中以外はずっと、アドリエンヌの左腕
にしがみついているからである。
アドリエンヌは諦念の笑みを浮かべ、その他のメンバーは見て見
ぬ振りである。一応ジェルマンが一度、苦言というか忠告をしたの
だが、全く聞く耳持たないため、諦めたとも言える。
アドリエンヌが、フランソワーズに、この先は危険だから街へ戻
ってはどうかと行ってみたが、それなら尚更、一緒に行くと言って
聞かないため、仕方なく同行させる事にした。
レイシアは、一応オーロンに確認された際、﹃いく﹄と答えた。
入り口で遭遇した普通に見えるゴブリンが、想定外の強さだった
ため、ほぼ全員、気を引き締め、警戒している。
洞窟内に入る前に、一番魔力量の多いアドリエンヌが︽灯火︾を
唱え、突入した。
十数メトルも進まぬ内に、新手のゴブリンたちが現れた。一番詠
唱の早いアドリエンヌが︽鈍足︾を詠唱し、クレールとフランソワ
ーズが攻撃呪文を、ベルナールが︽速度上昇︾を詠唱する。
そして、︽鈍足︾発動直後に、無詠唱でレイシアが︽炎の旋風︾
を発動し、6体を巻き込んだ。
レイシアの魔法を初めて見た︽静穏の閃光︾メンバー達が、軽く
目を見開く。
次いで、クレールの︽竜巻︾、ベルナールの︽速度上昇︾、フラ
ンソワーズの︽炎の旋風︾が発動する。
クレールの魔法はレイシアと同じ目標を中心として発動し、更に
その炎の勢いを強化する。
531
フランソワーズの方は、レイシアの攻撃を免れた2体を中心に発
動し、残りの1体をベルナールとオーロンが倒す。
そして、フランソワーズの魔法が発動した方へ、更にレイシアの
追撃が加わり、全てのゴブリンが沈黙した。
﹁背後は問題ない。いつでも行けるよ﹂
ダットがそう告げ、ゴブリンたちの屍体を脇に避け、一行は先へ
進む事にした。
ゴブリンとの遭遇率は高かったが、最初の戦闘を教訓に、全員手
慣れて来た。
﹁サイズは小さいし速いけれど、オークあたりを相手しているつも
りで振るえば良いようだ﹂
安堵したような顔で、ジェルマンは言った。普段、武器を振るう
時は力を込めず、攻撃が敵に当たるインパクトの瞬間に力を込めて
振り抜く。
そうすることによって、速さと攻撃力を上げるのだが、見た目が
ゴブリンなため、初めての時はつい無意識で加減し過ぎてしまった
ようだ。
余分な力を込めても無駄が出る上、疲労しやすくなるため、弱い
敵にはそれを倒せる程度の力加減をする癖がついていたため、何度
斬りつけても傷が浅くてなかなか倒せないという状況になったので
ある。適切な力加減を覚えれば、後は問題ない。
﹁しかし、速くて身体が小さく、数が多いというのは正直厄介なも
のだ。通路のような狭い場所であれば、たいしたこともないが、広
い場所では注意せねばならんな﹂
532
オーロンが唸るように長い髭をさすった。
﹁広い場所で複数のゴブリンに遭遇した場合は、魔術師が多いとい
うことを利用して、火力で速攻で倒すしかなさそうですわね﹂
アドリエンヌが言った。
﹁こんな事なら鉄製の矢を用意するんだったよ﹂
ダットが言った。
﹁普通の木の矢じゃ、軽い傷を負わせるか、牽制くらいにしか役立
ちそうにない。使う時は、足や腕を狙うようにするけどね﹂
﹁ミスリル製の矢ならばあるが、長すぎるだろうか?﹂
ベルナールが矢束から矢を一本抜いて見せる。ダットは首を左右
に振った。
﹁オイラに長弓用の矢は使えないよ。見ての通り身体が小さいから
ね。腕や身長の関係で、短弓じゃないと扱えない﹂
﹁うふふ、わたくしの魔法があれば問題ないですわ、ねっ、お姉様﹂
﹁そ、そうですわね﹂
ピッタリしがみついたまま言うフランソワーズに、引きつりなが
らアドリエンヌが答えた。
フランソワーズの実力については、駆け出し魔術師としてはそこ
そこだろう。年齢を鑑みれば、天才と言って良いだろうが。
533
魔法の詠唱は、古代魔法語や呪文の内容・文言などに習熟すれば
するほど、慣れれば慣れるほど速くなる。その熟練度はアドリエン
ヌやクレールには負けるが、冒険者登録したばかりの新人はもちろ
ん、魔術学院の生徒たちの中でもトップに近いだろう。
また、物怖じなさと胆力、自分の能力にたいする自信などは随一
と言っても良いのではないだろうか。
だが、ダットが初めて会った時の彼女は、最初、突然森の中から
現れたゴブリンたちに襲われ、助けてくれと悲鳴を上げていた。そ
の後の対処に関しては、しっかりしていたし、いかにも高位貴族令
嬢といった風情だったが。
︵ま、貴族令嬢にもある程度の嘘とハッタリは必要だよね︶
他の者がそういった部分を知っているかどうかは知らないが、金
で雇われてはいるが、ダットには関わりないことである。
︵とりあえずこの仕事を無事に終えたら、追加報酬もらってトンズ
ラだ︶
先の護衛依頼の報酬金貨3枚は既にもらっている。正直ロランの
北門辺りでさよならしたかったのだが、ゴブリンの発生・強化のせ
いで、通行制限が出ていたのだ。
冒険者登録はもちろん、身分証明は何一つ持たないダットが街門
を出るには、ゴブリンの討伐または調査隊にまぎれ込むしかなかっ
たため、追加報酬を提示されたこともあり、話に乗ったのである。
この令嬢は金払いは良いし太っ腹だが、オーロンと同じく、ある
いはそれ以上に厄介事の臭いがする。この仕事が終わったら、さっ
さと逃げた方が良いだろう。
しかも、このゴブリンの調査にはあの剣士と魔術師も加わってい
534
る。あの連中と顔を合わせるなんて、ゾッとする。もちろんあの幼
竜も一緒だろう。この街は鬼門だとダットは考えていた。
ダットは更なるゴブリンの気配を前方に感じて、ピクリと顔を上
げた。
﹁新手だ﹂
その言葉に、全員が戦闘態勢に入る。後方にゴブリンの気配がな
いかと探ったダットは、思わず息を呑んだ。
︵⋮⋮金属音と、重い震動?︶
それはゴブリンのものではない。嫌な予感が脳裏をめぐる。
ダット以外のメンバーは前方に現れたゴブリンたち、目算で16
体に意識を集中させ、詠唱などに取り掛かっている。ダットは更に
意識を後方に集中させる。
と、不意にレイシアが振り返り、ダットに小さい声でささやいた。
﹁だいじょうぶ。あれ、敵、ない﹂
ダットは驚き、レイシアを振り向いたが、その時には既に彼女は
前方を向き、無詠唱で︽炎の旋風︾を発動していた。
︵あれか⋮⋮!︶
ダットの脳裏で像が結ばれた。赤い体表の幼竜と金髪の剣士と黒
髪の魔術師。
眉間に皺寄せ、ダットは見えない奥を睨み付けた。
535
16 ゴブリンの巣の探索4︵後書き︶
14・15日は更新休みます。
536
17 ゴブリンの巣の探索5
﹁いくら何でもこれはないだろ﹂
アランが虚ろな表情でボソリと呟いた。
目の前ではルージュが岩壁に体当たりを繰り返して、新たな通路
を作っており、その少し奥で音に駆け付けたゴブリンたちを、楽し
そうに斬るレオナールがいる。
﹁あははっ! クイーンの寝床まで近道すれば、先行してるパーテ
ィーより先に新生キングと戦えるはずよね!
ルージュだって、サイズの小さな雑魚より、食いでのありそうな
キングが食べたいわよね!﹂
﹁きゅきゅうーっ!!﹂
アランは何度目かの軽い頭痛を覚えて、岩壁に額をつけた。
︵今更か、今更なのか? でも、これはちょっとさすがに非常識過
ぎるよな。
通路を普通に進むのが面倒だからとか、先回りしたいからという
理由で、魔物の巣で岩壁壊して、近道しようとか言い出さないよな?
⋮⋮あー、この壁ひんやりしててちょっと気持ち良いな。震動と
か雑音が、すげーうるさいけど︶
絶賛逃避中である。
︵どう言い訳したら、許して貰えるかな。それともいっそ弁明とか
537
釈明とか諦めて、素直に謝罪するべき? でも処罰とリュカさんが
恐い︶
﹁ルージュ、頑張って! 終わったらいっぱいゴブリン食べさせて
あげるから﹂
﹁きゅきゅきゅきゅきゅーっ!!﹂
ルージュはゴブリンの放つ矢をその硬い鱗で弾き返し、炎の矢を
受けても物ともしない。全て無視して掘削もとい破壊作業を続ける。
レオナールが、杖持ち弓持ち全て片付け終えると、剣持ち槍持ち
棍棒持ちに取り掛かる。
アランは、それらを少し離れた入口との中間付近で、呆然と見て
いた。今のところ、出入口付近に外から帰って来るゴブリンの姿は
ない。
レオナールの大雑把過ぎて色々足りない説明によれば、入口から
入ってしばらく歩いた地点、最初の小部屋の手前を左方向に掘り進
めば、確認済みのクイーンの寝床があるらしい。
通路を真っ直ぐ行くと、そちらとは異なる方向へ向かって、いく
つかの小部屋や大部屋を経由して、入口方面へ戻ってくるような経
路をたどらないと行けないため、クイーンの寝床に一番近いこの地
点から近道した方が早い、とのことだ。
もっとも先のレオナールの襲撃のせいで、現在は他の部屋になっ
ている可能性があるのだが、それでもキングたちのいる場所に最短
で着けるはず、という言い分らしい。
かなり意訳&要約したが、内容は間違ってないはずである。
︵あっちに行って、こんな感じでグイーン、とかいう説明で理解で
きるの、俺くらいだと思うけどな︶
538
せめて図を描ける程度に、記憶していてくれれば良いのだが、脳
筋にそこまで期待するのはきびしいだろう。
サブギルドマスターへの対処も悩むが、先行しているはずのアド
リエンヌたちに、どう弁明・説明すべきか。てっきり普通に追うも
のだと考えていたため、頭が真っ白になってしまった。
︵ゴブリンキングとの戦闘は、最悪な場合でも幼竜を上手く使えれ
ば、なんとかなる。
問題はこっちだ。アドリエンヌも恐いが、一緒に行動するメンバ
ーの情報が皆無だからな。
レオナールに口を開かせるのは絶対ヤバイ。喧嘩売ったり煽った
りして、事態が悪化するのは目に見えている︶
相手が穏やかで寛容で良識的で理性的なタイプであったとしても、
気に食わないとなると態度が悪くなったり、相手の言葉尻や反応を
捉えて挑発したりしかねない。
相手がオーロンのような底なしのお人好しだったり、何か言われ
てもスルーできるリュカのように理性的だったり、ぼやきつつも流
せるクロードのような柳に風タイプならば、問題ないかもしれない。
今まで全く対処・対策して来なかったが││せいぜいで何も話す
なと言うくらい││これはちょっと考え、何らかの処置や対応をす
るべきではないだろうか。
︵でも事前に言っても、指示通りにしてくれない時もあるからな。
こいつ、本当に戦闘とか、自分が興味あること以外の記憶力最悪だ
し。言ったこと覚えててくれるかどうかは、運みたいなものだしな︶
頭が痛い。誰かに相談したい。クロード辺りなら﹃諦めろ﹄とか
﹃なるようになるだろ﹄とか、身も蓋もないことしか言わないのだ
539
ろうが。
﹁アラン、いつまで遊んでるの?﹂
レオナールに掛けられた声に、ハッとする。
﹁⋮⋮遊んでたんじゃない、考えてたんだ﹂
﹁何を?﹂
レオナールは、怪訝な顔になる。
﹁アドリエンヌたちに遭遇したら、どうするかだ﹂
﹁なるようになるわよ。そんな先のこと考えてても仕方ないでしょ﹂
﹁とにかくお前は、無闇に喧嘩売るなよ。相手は貴族でBランク冒
険者で、魔法学院講師補佐。コネと金と、地位や権威がある。下手
に敵対すると、厄介だ。
遭遇したら、なるべくお前は口を開かないようにしてくれ。戦闘
では頼りにしているが、話し合いや交渉事に関しては、期待できな
いからな﹂
﹁アランがなんとかしてくれるなら、全面的に任せるわ。私はそう
いうの面倒だもの﹂
﹁おちょくったり、喧嘩売ったりはするのにか?﹂
﹁相手を見るには、怒らせてみるのが一番なのよ﹂
540
﹁⋮⋮本当か? 単に気に入らなかったとかじゃなく?﹂
﹁まぁ、あのオバサンが気に入らなかったのは確かね。気位ばっか
り高くて、あの程度のくせに、自分の容姿に自信持ってるの、丸わ
かりだったもの﹂
﹁いや、あの人、普通に美人でナイスバディだろ。確かにシーラさ
んの人外レベルの美貌には、負けるかもしれないが、あのスタイル
の良さは勝ってるだろ﹂
﹁エルフに胸の大きさを期待するのは、間違ってるわよ? まぁ、
大きい人もいなくはないらしいけど﹂
﹁いや、胸の大きさがどうとか言ってるわけじゃなくてだな、とに
かく彼女は一般的な基準から言えば、美人なのは間違いないと言っ
てるんだ。シーラさんを基準にしたら、可哀想だろ﹂
﹁その言い方のほうが、可哀想だと思うけど?﹂
﹁なんでだよ、そんなことはともかく、無駄に威嚇や挑発したり、
喧嘩売るなよ、頼むから。お前だって問題なくキングやクイーン狩
りたいだろ?﹂
﹁まぁ、そうね。できればアランの魔法なしでやってみたいけど﹂
﹁それは駄目に決まってるだろ! さっきナイト相手にどうだった
か、忘れたわけじゃないだろ﹂
﹁⋮⋮︽鈍足︾かけた状態であれだったものね﹂
541
﹁ルージュに足留めか転倒で、動きを妨げるのを手伝ってもらえば、
たぶんいけると思う﹂
﹁なるほど、当たればなんとかなるものね﹂
﹁余裕があれば︽束縛の糸︾もかける。︽眠りの霧︾は雑魚はとも
かく、ナイト級以上には効かないかもしれない。雑魚が二十体超え
てたら使うぞ。それ以外基本的には最初に︽鈍足︾を使う。
数が多い場合、状況によって︽炎の旋風︾か︽炎の壁︾を使うか
ら、そういう場合、事前に合図するから詠唱中の牽制や、発動前の
回避を頼む﹂
﹁アランがそういう風に、具体的に言うのって、もしかして初めて
じゃない?﹂
﹁いつもは大雑把な指示で臨時応変で問題ないが、今回はそれでい
けるかちょっと微妙だろ。それにお前には、ルージュへの指示も頼
みたいからな﹂
﹁ああ、あの子、あなたが何か言ってもいうこと聞かなさそうよね﹂
﹁あいつと意志疎通できるのは、お前だけだろ。だから頼む。攻撃
魔法使う時以外は、いちいち合図はしないからな。炎の旋風は指一
本立てるか、詠唱前に使うと宣言する﹂
﹁了解。雑魚だけなら特に問題ないみたいだから、ナイト以上かし
ら?﹂
﹁たぶんな。それ以外でもヤバそうな時は指示する﹂
542
﹁わかったわ。アランがやる気になってくれると、私もテンション
上がるわね﹂
﹁ほどほどに頼む﹂
アランが渋面で言うと、レオナールは肩をすくめた。そして、お
もむろに武器を構え直す。先程から見ていると、やたらと遭遇率が
高い気がする。戦闘終了後に、アランがそう言うと、レオナールは
笑いながら答えた。
﹁だって、この部屋、左右に同じくらいの小部屋があるんだもの。
さっきから左右交互に来てるのよ。
ちょっと変形してるけど、間に小部屋や大部屋挟みながらこう、
ぐるりと四角に回ってるみたいな?﹂
﹁⋮⋮なるほど。でも、それって、俺達のいるとこだけじゃなく、
こっち来ようとしたゴブリンが、もしかしたら先行組の方へも行き
まくってるんじゃないか? ほら、順路的に﹂
﹁そうかもね。あっちで相手する数が多ければ多いほど、こっちは
楽できる上に、先回りしやすくなるってわけね!﹂
アランはうわぁ、と頭を抱えた。
︵これ、バレたら殺されるかもしれない︶
そして、アランは気付かなかった事にした。現実逃避とも言う。
﹁にしても、これでようやく半分くらいかしら? もっと速度上げ
られない? ルージュ﹂
543
﹁きゅきゅーっ!﹂
声高く返事して、破壊音が大きくなった。
︵いや、さすがにこの音、あっちにも、聞こえてるんじゃないか?
ドワーフの身体能力というか、聴力ってどのくらいだったかな。
確か︽暗視︾は持っていたはずだよな。
だいたい、この壁一枚隔てた先が目的の部屋だっていうならとも
かく、道具もないのに掘削しようとか、無茶が過ぎるよな︶
始める前に止められなかったくせに、そんなことを考えるのは、
今更というか手遅れかもしれないが。
絶対﹃相棒の暴走を止められなくて、すみません﹄なんて謝罪で
は、許して貰えないだろう。アランは思わず遠い目をした。
︵あー、この仕事終わったら、古書店と魔法書店めぐりをしよう。
めぐりとか言って、ロランじゃ3店舗しかないけど︶
﹁ねぇ、アラン、一応入口から敵が来ないか、ちゃんと見ててよ!﹂
レオナールの声にハッと正気に返ったアランは、気を引き締めて、
入口の方へ目を凝らした。
現実逃避したいのは山々だが、ここはゴブリンキングのいる可能
性が高い巣である。惚けている場合ではない。杖を握り直し、気持
ちを新たにする。
︵あ、でも今来られたら、ピンチじゃないか? 念のため︽炎の壁
︾あたり詠唱しておくか?︶
544
発動の文言を言わなければ、発動しないし、解除も出来る。よし、
とアランが詠唱を開始したところで、入口付近にから何か物音が聞
こえた気がして、慌てて詠唱速度を早める。
﹁ギャッギャッ!﹂
アランは顔を蒼白にさせながら、ゴブリンの視認と同時に、発動
する。
﹁︽炎の壁︾﹂
入口から魔獣の死骸を担いでやってきたゴブリン6体が、轟音と
共に燃え上がった。これで、しばらく安心である。炎のせいで、向
こう側が見えなくなってしまったが。
次の詠唱を始めるべきか迷っていると、レオナールに声を掛けら
れた。
﹁もう良いわよ、アラン﹂
思わずビクッと肩を震わせたアランに、レオナールが苦笑した。
﹁戦闘中に惚けられるのも困るけど、そんなに緊張しなくて良いじ
ゃない。無駄に疲れるわよ?﹂
﹁お前と違って、近接できないから、近付かれると恐いんだよ﹂
﹁やっぱり、ちょっとは訓練したら? 実戦で教えてあげても良い
けど﹂
﹁勘弁してくれ。でも、体力はもうちょい付けようと、ちょっと思
545
ってる﹂
﹁まぁ、あった方が良いわよね。じゃ、行きましょう﹂
﹁了解﹂
アランは頷き、ルージュを先頭に、ルージュがぶち抜いた穴の先
に進んだ。
◇◇◇◇◇
そこには、ゴブリンたちが集まり、待ち伏せしていた。
当然だな、とアランは思いつつ、︽鈍足︾を詠唱する。待ちきれ
ずにレオナールが飛び出し、ルージュも続く。
﹁︽鈍足︾﹂
運良く待ち伏せしていたゴブリン16体全てに魔法が発動し、1
体残らず効果が現れた。密集していたせいもあるだろう。思わずア
ランは拳を握った。
レオナールが剣を振るい、ルージュが尻尾で弾き飛ばし、詠唱し
かけた杖持ちを爪で薙ぎ払う。アランが︽炎の矢︾の詠唱を完了さ
せる前に、殲滅が終了した。
﹁⋮⋮あれ、なんか速くなってないか?﹂
﹁何が?﹂
546
﹁さっきの巣の時より、お前と幼竜の動きが速くなってるような気
がしたんだが﹂
﹁あら、そう言えばそうかもね。キング目前にテンション上がって
気合い入ってるのかしら?﹂
﹁え? そんなんで速くなるか?﹂
﹁さぁ? 良くわからないわ。でも速くなって困る事なんてないで
しょ?﹂
﹁そうだな。原因不明なのが、何となく気持ち悪いが﹂
そこは比較的広めの部屋だった。数日前までは、身重のゴブリン
クイーンの寝床だったらしいが、その片鱗は残っていない。
しかし、移動する間もなく、更に後続が現れた。アランに確認出
来たのは十体ほどだが、レオナールが声を上げる。
﹁まだまだ来るわよ!﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
幼竜が何を言っているか、アランには全く理解できないが、それ
は﹃肯定﹄という意味のようだった。
続々と、アリの行進のように、次から次へと現れる。即座に︽眠
りの霧︾の詠唱を開始する。
どれだけの数を減らせるかは不明だが、この数全てを一度に相手
するのは無理がある。目を閉じてできるだけ素早く確実に詠唱し、
発動する。
547
﹁︽眠りの霧︾﹂
二十体ほどに掛かっただろうか。その瞬間、レオナールとルージ
ュがゴブリンたちに襲いかかる。
﹁次、︽炎の旋風︾行くぞ!﹂
宣言と共に、詠唱を開始する。︽鈍足︾は掛けていないが、相手
が雑魚なら問題ないようだった。
その事に安心しながら、≪炎の旋風≫を発動して、数を減らす。
残りは二十数体。念のため、︽鈍足︾を詠唱する。その間にも、レ
オナールとルージュが、ほぼ一撃で複数のゴブリンを掃討していく。
︵あれ?︶
発動直前で、違和感を覚える。しかし、のんびりしている暇はな
い。そのまま発動する。
﹁︽鈍足︾﹂
部屋にいる全てのゴブリンに効果が及び、目に見えて遅くなった。
︵魔法の効果が強くなってる?︶
そんなバカな、と思いつつも、疑問に思う。
︵いや、︽炎の旋風︾はいつも通りだった。ということは︽鈍足︾
だけ?︶
ここはラッキーとでも思っておけば良いのかもしれないが、腑に
548
落ちない。アランは思わず顔をしかめたが、まだ戦闘中だ。気持ち
を入れ替え、︽炎の矢︾を詠唱する。
全てのゴブリンを倒し終えた時、部屋中ゴブリンの屍体だらけに
なっていた。目算でも五十近くはあるだろうか。かすかに眩暈を覚
えたアランが告げる。
﹁一度、小休止を取ろう﹂
﹁了解﹂
レオナールが答え、奥への通路の方を向いて、腰掛けた。ルージ
ュが物欲しそうな鳴き声を上げた。
﹁いつもなら良いわよって言ってあげたいけど、どうかしら?﹂
レオナールは首を傾げた。
﹁アラン、嫌な予感はする?﹂
﹁ちょっと引っかかるものはあるが、お前の期待してるようなもの
は、ないな﹂
そう答えて、水を口に含む。それを聞いて、レオナールはルージ
ュに許可を与えた。アランは、餌にかぶりつく幼竜に背を向け、ル
ージュが新たに作った通路の方を向いた。そして、干した果物とナ
ッツ類を口にする。
︵ある種の魔法の効果だけが増幅する、なんて事があるだろうか︶
アランは眉間に皺を寄せ、考える。もちろんアランはまだ勉強中
549
の身で、魔法や魔術に対して熟知しているとは言い難い。
﹁なぁ、レオナール。ここへ来て、なんか違和感あるか?﹂
﹁さぁ? さっき、アランが言ったみたいに、心持ち身体が軽くて、
速く動けてるかなとは思うけど﹂
︵⋮⋮速度の増幅? それと︽鈍足︾がどう関係するって言うんだ。
もしかして、増幅された速さが︽鈍足︾で解除されるから、効果が
増幅されたように感じたとか?
だが、あっちの巣では、そんなおかしな事はなかったし、入り口
付近で戦闘してる時は、普通、だったよな? くそ、他の誰かの意
見が聞きたい。でも、レオナールじゃ、な︶
アランは舌打ちした。
﹁どうしたの? 何か変よ﹂
レオナールが心配そうに声を掛けて来た。
﹁あ、いや、その、さっきやけに︽鈍足︾の効果が効き過ぎてなか
ったか?﹂
﹁言われてみれば、急に遅くなったような気がしなくもなかったけ
ど、効かないよりは良いんじゃないの?﹂
﹁⋮⋮それはそうなんだが。まぁ良い、何回か使って様子を見てみ
る﹂
﹁そうね。その方が良いと思うわ。魔法に関しては良くわからない
550
し﹂
﹁そうだな。こんなのは初めてだから、正直気持ち悪いが、特に判
断材料もないしな。それに俺は、特に速くなったりしてないみたい
だしな﹂
﹁相対的なものかしら?﹂
﹁う∼ん、何とも言い難いな。まぁ、わからないのは気持ち悪いけ
ど、仕方ない。後で考える事にする﹂
﹁その方が良いわね。戦闘中に余計なこと考えてると、ミスの原因
になるだけだもの﹂
レオナールは肩をすくめた。そして、ルージュの食事終了と共に、
休憩を終え、奥の部屋││途中の通路からも良くわかる、先の部屋
の2倍近い広さの大部屋││へと向かった。
551
17 ゴブリンの巣の探索5︵後書き︶
以下修正
×ショートカット
○近道
×ペナルティ
○処罰
×スピードアップできない?
○速度上げられない?
×tころで
○ところで
×キャンセル
○解除
552
18 ゴブリンキングとクイーンと魔法陣︵前書き︶
戦闘および残酷な表現があります。
553
18 ゴブリンキングとクイーンと魔法陣
そこにはナイトゴブリン3体、ゴブリン24体が、待ち構えてい
た。その奥には、キングらしき赤い肌の大柄な個体と、緑の肌のク
イーンが見える。
アランはそれらを視認し、︽鈍足︾の詠唱を開始する。
ロングスピアハルバード
ゴブリンたちの動きが速い。雑魚ゴブリンたちが文字通り肉の盾
となってナイトたちを守り、ナイトたちがそれぞれ長槍、槍斧など
を振るう。
クイーンが中級魔石がはめられたロッドを構え、詠唱し始めた。
﹁がぁお﹂
ルージュが牙を剥いて鳴き声を上げるが、脅えたり怯む様子はな
い。
﹁︽鈍足︾﹂
アランが額に汗を浮かべながら、︽鈍足︾を発動した。ナイトと
雑魚ゴブリンたちの動きが目に見えて悪くなる。
しかし、クイーンが遅れて︽速度上昇︾を発動したため、元の速
さに戻る。アランは舌打ちしつつ︽束縛の糸︾の詠唱を開始する。
ルージュが向かって左の雑魚ゴブリンたちを尻尾で薙ぎ払い、そ
の隙間を縫ってレオナールが突進、抜刀しそのままナイト目掛けて
刃を振り下ろす。
ナイトはわずかに首を傾げ、肩の鎧部分で受けようとしたが、レ
554
オナールの剣の勢いに体勢を崩した。
中央と右のナイトがレオナールの側面から攻撃しようと駆け寄っ
て来るが、そこへルージュが回り込み、尻尾で薙ぎ払う。
﹁︽束縛の糸︾﹂
アランが詠唱を終え、発動するが、雑魚以外に効果はないようだ。
次に、アランは︽岩の砲弾︾の詠唱を開始する。
ルージュが薙ぎ払った雑魚ゴブリンとナイトたちは、地面に転が
ったが、すぐさま跳ね起きようとする。しかし、そこへルージュが
突進し、空高く舞う。
体当たりではじき飛ばされなかったゴブリンたちは、その後ろ足
で踏み潰されたり、尻尾で薙ぎ倒された。
その間に、レオナールが左のナイトの頭部へ剣を叩き付け、頭を
砕いて息の根を止める。
血を吐いたり、肩を押さえたりしつつも、2匹のナイトたちが、
ふらつきながらも立ち上がった。雑魚ゴブリンは全滅である。
﹁︽岩の砲弾︾﹂
標的はクイーンとした。魔術師の存在は厄介だ。おそらく他のゴ
ブリンよりも効きにくいだろうが、早めに潰しておきたい。アラン
は顔をしかめた。
クイーンは︽守りの盾︾を発動していたらしい。無効化とまでは
いかなかったが、砲弾の勢いは弱められ、標的をかすめて背後に着
弾した。
﹁くそっ、ゴブリンのくせに器用すぎるだろう﹂
アランは思わず呻くように吐き捨てた。
555
﹁アラン、そのまま私があっちへ行くまで適当に何か撃っててよ!﹂
ハルバード
レオナールが剣で槍斧を弾き、ナイトの腹を薙ぎ倒しながら叫ぶ。
﹁わかった!﹂
アランは︽炎の矢︾を詠唱する事にした。効きにくい可能性は、
︽岩の砲弾︾より高いが、使い慣れているだけに詠唱時間がより短
く済む。
︽鈍足︾は更に短くできるのだが、先程のように解除させられる
可能性を考えると、そっちの方がマシな気がしたからだ。
ハルバード
レオナールは槍斧持ちを行動不能にすると、ルージュと交互に攻
撃しながら、最後のナイトを片付けに掛かる。
﹁︽炎の矢︾﹂
﹁ギギャ!﹂
クイーンが︽守りの盾︾で弾くと、ロッドをアランの方へと構え
て、何やら詠唱開始する。アランは︽炎の壁︾を素早く詠唱し始め
る。
最後のナイトが倒れるのと同時くらいに、詠唱が完了。
﹁︽炎の壁︾﹂
クイーンとキングを巻き込む位置に発動させた。クイーンが魔法
を解除して叫ぶ。
556
﹁ギギャギャ!﹂
キングがバックステップすると同時に、轟音と共に炎の壁が燃え
上がる。クイーンも若干巻き込まれつつ、背後に転がって避けた。
そこへルージュが突進する。炎の壁も無視して突っ込んで行く。
レオナールが炎の壁を回り込むように、クイーンの側面へと向か
った。
アランはそれを見て︽鈍足︾の詠唱を開始する。
ルージュがまずクイーンに体当たりをかまし、はね飛ばす。次い
でキングの足元を尻尾で薙ぎ払う。
﹁ギャガガッ!﹂
キングがよろめきながら、抜刀する。丈夫そうなロングソードだ。
しかし、ルージュの鱗は容易くそれを弾く。
﹁︽鈍足︾﹂
アランが魔法を発動させた。キングの動きが悪くなった。
レオナールが起き上がろうとしていたクイーンの側頭部に、剣を
叩きつけた。
﹁ギギャアッ!﹂
クイーンは悲鳴を上げて吹き飛ばされた。ピクピクと痙攣してい
る。
﹁ガアアァッ!﹂
557
キングが吠えた。ルージュの爪が、キングの頭部を襲う。
﹁ギャギャアッ!﹂
キングの頭頂部に近い場所が陥没し、そのまま崩れ込んだ。
レオナールが全てのゴブリンの絶命を確認した。
﹁⋮⋮事前対策が甘かったな﹂
アランが溜息つきながら言った。
﹁まさかことごとく防がれるとは。ゴブリンだと思って嘗めてたか
もしれない﹂
悔やむように言うアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁でもおかげで、こっちには魔法は来なかったわ。防衛に回ってく
れて良かったじゃない﹂
﹁でも、お前はソロでも魔法使わせずに倒せるだろ?﹂
﹁う∼ん、勝手に身体が動いてるから、良くわからないのよね。魔
法詠唱とか発動のタイミングとか正直サッパリだわ。まぁ撃たせな
きゃ良いとは思ってるけど。
それよりあっちの巣にいたナイトの方が断然強かったんだけど、
どういうこと? こっちのやつらの方が頭は良かったかもしれない
けど、なんか微妙よね﹂
﹁まぁ、何か色々変だよな﹂
558
アランが渋面になる。そこへ、レオナールとアランたちが来たの
とは別の方角、通常の順路で来た場合の通路から、アドリエンヌた
ちが現れた。
﹁えっ⋮⋮!? あなたたち、いったいどうして⋮⋮っ! それに、
何処から⋮⋮!?﹂
アドリエンヌが驚愕の声を上げる。アランは思わず額に手を当て、
天を仰いだ。
﹁君たちはいったい!? も、もしかしてそのレッドドラゴン⋮⋮
!!﹂
﹁レオナール殿とアラン殿か!?﹂
ジェルマンが絶句し、オーロンも声を掛けてくる。最後尾には不
機嫌そうなダットまでいる。
レオナールは先に言われた通り、何も言わないがニヤニヤ笑って
いる。アランは何もこのタイミングで現れなくても、と思いつつ、
覚悟を決めた。
﹁すみません、そちらの方々ははじめまして。アランと言います。
あちらは相方のレオナール。
実はこことは別の巣を見つけたのですが、気になる事柄があり、
こちらの巣に急行しました﹂
さあ、どう誤魔化す、もとい弁明すべきか。あるいは素直に謝罪
すべきか。
﹁あ、あの、このゴブリンたちは、君たち二人で?﹂
559
ハルバード
思案しながら前に出て口を開いたアランに、栗色の髪の槍斧を持
った青年が声を掛けて来る。
﹁あ、はい。主に相方の剣士と幼竜が。俺の魔法はほとんど防がれ
るか解除されたので﹂
﹁えっ⋮⋮!? ゴブリンが魔法を防いだり解除した!? 本当に
!?﹂
この人は誰だろうかと思いつつも、アランは頷いた。
﹁ゴブリンクイーンがロッドを装備して魔法を使ったのですが、や
けに小器用で。ゴブリンの割には詠唱も比較的速かったと思います﹂
﹁嘘⋮⋮っ!!﹂
アドリエンヌが声を上げた。アランはそちらを向いた。
﹁そんなはずはないわ!! 確かにゴブリン種の中には賢くて人族
の共通語を理解できる者もいるけど、比較的新しく見える、この程
度の小規模の巣に、それほどまでに魔法に精通した個体がいるはず
がないわ!?
だいたい、比較的ロランにそれほどまでに強いゴブリンがいたら、
既に被害報告が出ているはず⋮⋮!﹂
﹁ねぇ﹂
レオナールが口を開いた。悪い笑みを浮かべている。
560
﹁あなた、早とちりだとか勘違い多すぎって良く言われない?﹂
その言葉にアドリエンヌより先に、その近くにいたフランソワー
ズが声を上げる。
﹁お姉様を誹謗中傷するだなんて、あなた、何様のつもり!?﹂
アドリエンヌの前に歩み出た、場にそぐわぬミニドレス││比較
的動きやすい膝よりちょっと下くらいの長さの、彼女にとっては飾
りの少ない普段着用のもの││を着た金髪碧眼の縦ロールに赤いリ
ボンの令嬢が甲高く叫んだ。
レオナールは面白いものを見たと言わんばかりの顔になった。ア
ランは嫌な予感を覚え、慌ててレオナールに近付き、腕を引く。
﹁おい、レオ⋮⋮!﹂
﹁へぇ? 誹謗中傷、ねぇ? 言っておくけど、それはそちらのア
ドリエンヌさんの方じゃなくて?
ギルド職員を立ち合わせて検証してみれば、こちらの言い分があ
ながち間違いじゃないと確認できると思うけど?
実際に己の目で見たもの以外は信用できないと言われたら、︽嘘
発見︾の魔法でもかけて貰わないと、どうにも手の打ちようはない
かもしれないけど。
まずは現場を確認・調査してから、発言して貰えないかしら?﹂
自信ありげに言うレオナールに、ジェルマンが話しかける。
﹁すまない、俺は王都から派遣された︽静穏の閃光︾のリーダー、
ジェルマンだ。その、失礼だが、何か証拠が?﹂
561
﹁幸い、ついさっき戦闘が終了したところで、遺体は倒した時の状
況のまま、ほとんど触ってないし、魔法の痕跡もそのままだわ。
アラン、さっき、クイーンが︽岩の砲弾︾や︽炎の矢︾を弾いた
のはどの辺りだったかしら?﹂
﹁⋮⋮こっちだ﹂
そして一行は、アランの先導の下、クイーンの死骸の手前の焼け
焦げた地面の近くに歩み寄った。
︽炎の壁︾の痕跡の右の端ギリギリのところに岩で抉られた︽岩
の砲弾︾の跡が、左手前やや前方に︽炎の矢︾のやや小さな焼け焦
げが残っている。
﹁最初にクイーンがいた位置がここだ﹂
︽岩の砲弾︾と︽炎の矢︾の中間からやや右寄りの前方、︽岩の
砲弾︾からはゴブリンの歩幅で一歩半分の位置を差し示す。その位
置だと︽炎の矢︾はクイーンの左耳を、︽岩の砲弾︾は側頭部をか
すめる。
そして、アランはクイーンの死骸の近くにしゃがみ込む。クイー
ンの死骸は、頭部を砕かれて無惨な姿となっているが、アランの指
し示す左耳には軽いやけどが、右側頭部には鈍器か何かがかすって
皮の表面を抉ったような傷跡が残されていた。
﹁どう?﹂
レオナールが挑戦的に首を傾げて言った。アランは固い表情だ。
﹁確かに魔法がかすめた痕跡に見えるな﹂
562
真剣な顔でジェルマンが言う。
﹁でしょう?﹂
﹁だが、これだけでは証拠にはならない﹂
ジェルマンの言葉に、レオナールはアランを振り返った。アラン
は暗い表情だ。
﹁⋮⋮単に、俺が魔法の照準を失敗したようにも見えるからな﹂
アランの言葉にレオナールが目をパチクリさせた。
﹁アランが︽炎の矢︾や︽岩の砲弾︾を失敗するはずないじゃない﹂
﹁⋮⋮それを証明する方法はないだろ?﹂
アランが憂鬱そうに言った。
﹁さすがにクイーンが︽守りの盾︾を使ったり、︽速度上昇︾を使
った痕跡は残ってないからな﹂
アランが言うと、レイシアが後ろの方から歩み出て来て、
﹁アラン、ただしい﹂
と言った。その言葉に全員が驚いた。
﹁驚いた! もうそんなに話せるようになったのか!?﹂
563
アランが叫ぶと、レイシアは頷いた。
﹁アラン、︽岩の砲弾︾となえた。クイーン、︽守りの盾︾使った。
アラン、︽炎の矢︾使った、クイーン、︽守りの盾︾使った。まち
がいない﹂
﹁えっ⋮⋮でも、わたくしたちはそれを確認していないわ!? あ
なたも見たわけじゃないでしょう!?﹂
アドリエンヌの言葉に、レイシアは頷き、しかし首を左右に振り
ながら言う。
﹁魔法、わからない、ない。気配、気付かない、ない。私、まちが
う、ない。ぜったい、かくじつ﹂
微妙な空気になった。
﹁でも、証拠が﹂
アドリエンヌが言い掛けると、レイシアが首を左右に振る。
﹁アラン、うそ、ない。私、うそ、わかる。魔法、わかる。魔法、
私、まちがう、ない。私、うそ、ない。
アドリエンヌ、︽どうしてわからないの? 私には魔法を行使す
る時の魔力が全て見える。離れていても、このくらいの距離なら、
魔力の動きは全て見える。私は嘘をつかない。アランも嘘をついて
いない。
あなたはどうして否定するの? そんなに彼らの事が嫌いなの?
嘘をついたわけじゃないのに疑われるなんて可哀想。
564
私には優しくしてくれるのに、彼らには何故そうしないの? 何
か理由があるの?︾﹂
その言葉に、アドリエンヌは絶句した。そして目を伏せた。
﹁⋮⋮確かに、公平だったとは言い難いわね﹂
アドリエンヌは自嘲するように言った。レオナールは鼻で笑った。
﹁アラン、もう行きましょう。こんな茶番、付き合う必要ないわ。
キングとクイーンの死骸だけ拾って帰りましょうよ﹂
﹁⋮⋮レオ﹂
アランは苦笑した。それからなだめるように言う。
﹁ちょっと確認しておきたい事があるから、奥へ行こう﹂
﹁確認したい事?﹂
レオナールが怪訝そうな顔になる。
﹁何もないならそれで良いけど、念のため確認しておきたい事があ
る。それを確認したら、お前の言う通りにしても良い﹂
﹁ふぅん、わかったわ。ねぇ、雑魚やナイトはどうでも良いけど、
キングとクイーンを倒したのは私たちだから、死骸はもらっていっ
ても良いわよね?﹂
レオナールが尋ねると、ジェルマンが苦笑しながら答える。
565
﹁ああ、少なくとも俺たちは関与してないし、状況から見ても間違
いなく君たちのものだろう。俺たちが到着する直前まで戦闘音は聞
こえていたしね。
できれば、生きてるところへ駆け付けたかったが、間に合わなか
った﹂
﹁そう。じゃ、もらっていくわね。ルージュ﹂
レオナールはルージュに手招きする。ルージュの歩みに、他の面
々はおそるおそる距離を取り、それでいて興味深そうに眺める。
﹁きゅう﹂
﹁食べるのは後でね。一応これはギルドに持って帰って見せたら、
その後家で食べさせてあげる﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
﹁大丈夫よ。あなたの背中に載せたいからちょっと屈んでくれる?﹂
﹁きゅう﹂
ルージュが言われた通り屈むのを見て、オーロンが感心したよう
に髭を撫でながら言った。
﹁ずいぶん会話できるようになったのだな。最初からこの幼竜はお
ぬしの言葉がわかっておるようだったし、なついているようだった
が、それにしてもすごい。
幼竜と言えど、レッドドラゴンがここまでなつき、会話を交わせ
566
るとは、この大陸全て探してもおぬしくらいではないか?﹂
﹁さあ? そんなことにあまり興味はないわね。毎日一緒に狩りを
していたら、なんとなくこの子の言いたい事がわかるような気にな
ったけど、本当にわかってるのか、通じてるのかは確認する方法は
ないもの。
まぁ、否定と肯定は間違えることなくなったから、だいたいは通
じるようになったのかもしれないけど﹂
﹁ふむ、参考までに聞いても?﹂
﹁人に説明できるわけじゃないわ。悪いわね﹂
ちっとも悪いとは思ってない顔と口調で言うレオナール。オーロ
ンは肩をすくめた。
﹁そうか、こちらこそ不躾なことを聞いて済まなかった﹂
レオナールはアランとオーロンに手伝われて、キングとクイーン
の死骸を革の袋に詰めてルージュの背に縛り付けた。ちなみにアラ
ンは半強制、オーロンは自主的に手伝った。
それからレオナールとアランにルージュは2つある奥の部屋へ内、
右手の部屋へと向かった。そこはキングまたはクイーンの寝床だと
思われたが、その片隅に魔法陣があった。
﹁やっぱり⋮⋮!﹂
しゃがみ込んで、魔法陣には触れないように確認する。レオナー
ルが首を傾げた。
567
﹁それ、オルト村最深部で見た魔法陣そっくりね﹂
﹁全く同じものだ。オルト村の︽研究室︾つまり、あのベッドや書
棚のあった部屋に通じている﹂
﹁えっ⋮⋮! じゃあ、もしかして!?﹂
﹁ここには他にめぼしい物はなさそうだな。もう1つの部屋も確認
しよう﹂
﹁なんでアランはわかったの!?﹂
﹁⋮⋮厳密にはわかったわけじゃないな﹂
﹁もしかして、嫌な予感?﹂
﹁まぁ、そんなに強いものじゃないし、はっきり感じたわけでもな
いけどな。どちらかと言えば、違和感というか﹂
﹁何、それ﹂
﹁自分でも良くわかってないから説明しにくい﹂
アランは苦笑した。そしてもう一方の部屋へと向かう。そこには、
既にアドリエンヌたちがいて、アドリエンヌが部屋の中央付近にし
ゃがみ込み、熱心に何かを調べている。
アランは周囲に立つ人々の間からそこを見下ろして、不意に真剣
な表情になって、懐からメモを取り出した。
﹁アラン?﹂
568
不思議そうに声を掛けるレオナールを無視して、アランはそこに
描かれていた魔法陣をそっくりそのまま複写するようにペンを走ら
せる。レオナールは黙って見守る事にした。
アランは何度も確認しながら正確に写し取り、描き終えた後も何
度も確認する。そして間違いのない事を確認すると、改めて魔法陣
を見つめて、ウットリと微笑んだ。
﹁アラン?﹂
レオナールがそんなアランを不気味に思いながら、声を掛けると、
ようやく反応した。
﹁ああ、これはすごい魔法陣だ。敵味方無差別だから戦闘する場所
では使えないが、かなり優秀な性能で、しかも使える。
戦士にも魔術師にも重宝するのは間違いない。実に貴重な魔法陣
だ﹂
﹁それって私にも関係ある?﹂
﹁ここでこの魔法陣について解説しても良いが﹂
﹁ちょっと待って、やっぱり良いわ。話が長くなりそうだから。ギ
ルドに報告する時についでに聞く事にするわ﹂
﹁お前の役にも立つと思うが﹂
﹁後で結構よ。こんなところで、いつ終わるかわからないアランの
解説を長々と聞く気にはならないわ﹂
569
﹁ひどいな﹂
﹁ひどくないわよ、テンション高いアランがどういう反応するか、
良くわかってるもの。少なくとも興奮が冷めて、落ち着いてからに
するわ﹂
レオナールの言葉にアランは肩をすくめた。
﹁素晴らしい発見なのに﹂
﹁それはもう良いわ。用事は済んだんでしょ? さっさと帰りまし
ょう﹂
﹁そうだな、そうするか。じゃあ、後で﹂
﹁また今度聞くわ﹂
勘弁して欲しいという顔でレオナールが言って、アランの言葉を
遮った。
570
18 ゴブリンキングとクイーンと魔法陣︵後書き︶
すみません、更新遅れました。
やっと終わったゴブリン戦。
次回ギルドへの報告と終幕になるはず。
以下修正。
ロングスピア
×ロングスピア
○長槍
ハルバード
×ハルバード
○槍斧
×キャンセル
○解除
×標準
○照準
571
19 ギルドマスターはやっぱり頭が痛い
﹁ん、で?﹂
クロードが、ギルドマスター執務室の自分の椅子に深く腰掛け、
顎髭を撫でながら、ニヤリと笑った。
﹁どうせお前らのことだ。おとなしく言われた通りの事だけしたわ
けじゃないんだろ?﹂
﹁ほら、ね?﹂
レオナールが言った通りでしょ、と言わんばかりに肩をすくめた。
アランが渋面になる。
﹁ギルドマスターはそれで良いんですか?﹂
ほら、
﹁つったってよぉ、お前らが、俺らの言うままに動くような良い子
ちゃんかよ? そんなおとなしくて可愛いらしい優等生か?
どうなんだよ?﹂
﹁新たなゴブリンの巣を、森の中心部付近で見つけました。大規模
なものです。既に冒険者が被害に遭っていたようで、門番が比較的
小綺麗な中級品の槍を持ってたり、巣の内部で人間の骨をいくつか
確認しました。
巣の位置はこちら、周辺はこんな感じです。中でもいくつか、冒
険者のものとおぼしき武器や防具を見つけました。持ち帰らなかっ
たので、後で確認するようなら回収して来た方が良いと思います﹂
572
アランがそう言い、メモを差し出す。クロードは眉をひそめる。
﹁うわぁ、面倒そうだな。実際出向くのは俺じゃねぇけど、後始末
の書類が⋮⋮仕方ねぇか。被害は最小限に抑えられたって事で良い
んだろ?﹂
﹁⋮⋮だと、思いたいです。ただ、そっちの巣は全部確認したわけ
じゃないので、他に被害者がいる可能性が皆無ではないと﹂
﹁だが、ギルドへの報告を優先した?﹂
﹁とにかく広いので、我々だけでは時間がかかると思います。襲い
かかってきたのは、全て返り討ちにしました。死骸は幼竜が食べた
ので、それらの証拠は残ってませんが。
探索済みの箇所に関しては、後ほど報告書で提出します﹂
アランは余計な事は言わずに、言うべき事だけ口にする。保身は
大事である。
﹁ついでに、キングっぽい特殊個体と、ナイト倒したんだけど、も
う一方の巣に新しいキングがいそうだってわかったから、そっちへ
行って、キングとクイーンとナイトと取り巻きを、倒して来たわよ。
一階で、確認のため持ち帰ったキングとクイーンだけ、出してき
たわ。確認終わったら、ルージュの餌に欲しいんだけど﹂
レオナールが言うと、クロードは顔をしかめた。
﹁お前、ずいぶん簡単に軽く言うなぁ。普通のFランクは、キング
なんか倒せないんだぞ? で、どうして新しいキングがいるってわ
573
かった?﹂
﹁⋮⋮レオがバカなんです﹂
渋面でアランが言った。
﹁え∼? 私のせい? だって私、ちゃんとアランに言ったわよ、
クイーンと腹の中の赤ん坊は残したって﹂
﹁腹の中の、は聞いてないし、取り巻きたちがクイーンの護衛を優
先して、近付いて来なかったという話も聞かなかったぞ﹂
﹁でも、私が自分に襲いかかって来たゴブリンを逃がすわけないじ
ゃない。そしたら必然的にわかるわよね?﹂
﹁⋮⋮その点については俺のミスだが、お前は言葉が足りなさすぎ
る﹂
﹁あー、いや、な、アラン。お前は、自分が狩りに行く魔物や魔獣
の、生態とか習性とか性質とか、良く念入りに調べてるが、普通の
冒険者はそうじゃないからな? レオナールくらいの感覚のやつの
が、普通だからな?﹂
﹁ギルドマスターは、俺がおかしいとでも言いたいんですか?﹂
﹁そこまでは言わねぇよ。けど、それだけの情報で、新しくキング
が生まれてるかも、とか考える新人は、お前くらいだってのも、事
実だ。中級以上なら話は別だがな﹂
﹁だからレオのボケも許せ、と? でもそんなんじゃこいつ、いつ
574
まで経っても成長しませんよ﹂
﹁だって、言ったって無駄だろうが。とりあえず俺の部屋で、そん
な時間と労力の浪費するなよ。それより、他にも何かあるんだろ、
報告﹂
﹁⋮⋮無駄、確かに無駄でしょうが﹂
アランは、眉間の皺を深くした。険がきつくなり、こころもち眼
光も鋭くなった。
﹁最初に報告した巣の方でしたら、アドリエンヌさんたちの方が、
詳しいと思います。
俺達は⋮⋮レオと幼竜が、入口付近の壁をぶち抜いて作った近道
を通って、キング達のところへ行ったので﹂
﹁⋮⋮は?﹂
クロードが一瞬惚けた顔になった。
﹁その点に関しては、彼らの報告の方が、適切でしょう。新たな魔
法陣も見つかりましたが、アドリエンヌさんの方が詳しいでしょう
し﹂
﹁魔法陣?﹂
クロードは真剣な顔になった。
﹁たぶん、オルト村と同じ首謀者が、組んだものだと思います。一
つは最深部にあった転移陣の対で、もう一つは、能力強化付与の魔
575
法陣でした。
範囲が広すぎる上に、敵味方無差別に強化するので、戦闘中には
使えませんが、効果時間が1日と長いので、効果範囲を狭くしたも
のを、自宅やギルドなどに設置して、1日に1度それを踏めば、全
能力が強化される魔法が、その魔法陣の発動者を中心に、効果範囲
内の者全員が付与されます。
ただ、この魔法陣の厄介なところは、敵しかいない場所で使われ
た場合、です。
ゴブリンなどの魔物に限らず、例えば戦争や侵略なんかで、これ
を使用されると、とんでもない事になります﹂
﹁うっわ、なぁ、アラン、その魔法陣って﹂
﹁俺たち以外にも、あちらの巣を探索していた全員が見ています。
その効果についてわかってるのは、俺とアドリエンヌさんくらいか
もしれませんが﹂
﹁それは絶対、門外不出だ。わかってるだろうけど﹂
﹁個人的に研究したり、実験のため使用するのは、許可していただ
けますよね?﹂
﹁許可しなかったら、こっそり隠れてやるんだろうが。一応許可は
する。だが、人目につくとこでは絶対やるなよ?﹂
﹁幼竜のいる倉庫ででも、やりますよ。そっちの方が良いでしょう
し﹂
﹁そうだな。あれがいない時でも、あそこに入るやつはいないから
な﹂
576
そう言ってクロードが溜息をついた。
﹁全能力強化?﹂
レオナールが首を傾げた。
﹁ああ、そうだ。魔法陣をきちんと描いて設置しておけば、次から
魔法や魔術の心得がなくても、魔法陣を踏んで発動させるだけで、
強力な能力強化付与の効果が丸1日得られる﹂
﹁それって、とんでもなくない?﹂
﹁だから、そう言っている。この魔法陣を研究すれば、他にも活用・
流用出来るかもしれない。ああ、早く資料と照らし合わせて、実験
したい﹂
不意にウットリした表情になったアランに、レオナールとクロー
ドがウンザリした表情になる。
﹁この話は、アランにあまり振らない方が良いと思うわよ? たぶ
ん暫く飽きるまでは、この調子だと思うし﹂
﹁確かに色々ヤバそうだな﹂
そう言いながら、頷いた。
﹁俺はキング戦について、詳しく話を聞きたかったんだが﹂
﹁先のキングは炎魔法が効きにくい、赤い肌の特殊個体だったわね。
577
ルージュが踏みつけてくれてたから、楽だったけど﹂
﹁あんなのに上に乗られるとか、ぞっとしないな、おい﹂
﹁新生キングも赤い肌だったから、先のキングと同じ特殊個体だっ
たんだと思うけど、ルージュが倒しちゃったから、良くわからない
のよね。まぁ、後で死骸を確認しておいてよ。
どっちも頭部に致命傷がついてて、他はほぼ無傷だから、首だけ
落として、後は持って帰って良いわよね?
どっちかと言えば、取り巻きを盾にして長物使うナイトや、魔石
付きのロッドを持って魔法使ってくるクイーンの方が、善戦してた
と思うわよ?
それでも、その魔法陣?ってやつのせいか、ちっとも苦労しなか
ったけど。
たぶんそれ、私とルージュには効いてたけど、アランには効いて
なかった気がするわね。もしかして、通路作る時、アランだけ離れ
た位置にいたせいかもしれないけど﹂
﹁魔法陣については、俺もよくわからないからな。まぁ、良い。首
から下は持ち帰っても良いぞ。まぁ、落とす前に一応見せてくれ。
俺も下へ行く﹂
﹁アラン、もう行くわよ?﹂
﹁⋮⋮え? あ、ああ、そうか。あ、ギルドマスター、とにかく詳
しい内容は、後ほど報告書にまとめて提出します﹂
﹁おう、ほどほどにな。あっと、んじゃ一緒に行くか。首落とす前
の死骸見せてくれ﹂
578
﹁わかりました﹂
真面目な顔で頷くアランに、クロードは肩をすくめた。三人が一
階に降り、職員用のドアから、裏へと回る。討伐証明部位や魔獣・
魔物などを一時保管倉庫、そこにいくつかある、石灰石で作られた
台の上に、キングとクイーンが並べられていた。
﹁お疲れ様です、ギルドマスター﹂
眼鏡を掛け、汚れても良い服を着て作業していた、ギルド職員が
挨拶する。
﹁おお、ドニ。レオナールとアランが倒したキングを確認に来た。
頭部以外はドラゴンの餌に持って帰りたいそうだからな﹂
サンプル
﹁えっ、ド、ドラゴンの餌にしちゃうんですか!? めったに入ら
ない標本なのに!﹂
ドニがショックを受けたように震えながら叫んだ。
﹁だって、あなたにまかせてたら、折角の新鮮な餌が腐っちゃうじ
ゃない。あなたが代わりに餌になってくれるって言うなら、考えて
も良いけど?﹂
﹁えっ⋮⋮? あ、でもそれなら標本は残るか⋮⋮﹂
﹁いや、それ、考える余地とかねぇからな! レオナールの冗談、
真に受けてんじゃねぇぞ、おい﹂
悩み掛けるドニに、クロードが突っ込んだ。レオナールは肩をす
579
くめた。
﹁別にどっちが餌でも、私はかまわないけど? まぁ、ルージュが
楽しみにしてるから、できるだけゴブリンキングとクイーンの方を
持って帰りたいとは思ってるけど﹂
﹁お前はかまわなくても、こっちはかまうんだよ! おい、アラン。
こういう時、こいつに突っ込むのはお前の仕事だろ?﹂
クロードが声を掛けるが、アランはどこか中空を見つめたまま、
反応しない。
﹁⋮⋮重症だな、こりゃ﹂
﹁良くある事よ﹂
レオナールが大仰に肩をすくめた。
﹁アランは、どうしたんですか? 熱でもあるとか?﹂
﹁ああ、単に新しい魔法陣見つけて、それに夢中なんだろう。脳内
でどんな思考めぐらしてるのか、さっぱりだが。まっ、俺とロラン
支部と一般市民に迷惑かけなきゃどうでも良いが﹂
﹁なるほど。それにしても本当に持ってっちゃうんですか? あの、
ちょっとスケッチしてからでも良いですか?﹂
ドニがすがるのを、面倒臭そうにレオナールが見る。
﹁すぐ終わらせるなら良いが、時間がかかるようなら、途中でも取
580
り上げるぞ﹂
﹁わかりました! すぐ終わらせます!!﹂
そう叫んで、いそいそとドニは紙とペンを持ってくる。クロード
はその間に、ざっくり見る事にした。
﹁この防具はまだ新しいな。傷やヘコみはあるが、これで被害者も
とい持ち主の情報は得られるかね。量産品ぽいから難しいか?﹂
﹁駄目元で鍛冶屋か武器屋にでも聞いてみたら? あと、ギルド職
員でも受付とか﹂
﹁そうするしかないだろうなぁ。とりあえずこいつは剥いでおくか。
どうせいらねぇだろ?﹂
﹁そうね。どうでも良いわ。欲しいのは生肉と内臓の方だから﹂
﹁で、クイーンの方は生意気にもローブなんか着てやがるのか﹂
﹁置いてきたけど、立派なロッドも装備してたわよ? 魔術師の装
備でしょうね﹂
﹁⋮⋮魔術師⋮⋮ねぇ? あー、でも、これ、どっかで見た事ある
ぞ?﹂
﹁へぇ? 手掛かりになりそう?﹂
﹁ほら、これ、子供でも着られそうなサイズだろ? だから印象に
残ってるんだと思うんだが⋮⋮あーっ!! くそっ、まさか!!﹂
581
すぐそばで大声を上げたクロードに、レオナールは迷惑そうなし
かめ面になった。
﹁なんなの? 大声出さないでよ﹂
﹁あ、すまん。いや、これ、思い出したわ。確かオルト村の未帰還
パーティーの内の一組のやつだわ。成人したての4人組で、お前ら
と違ってすげー初々しい子供みたいなやつらだった﹂
﹁何それ。なんで、そんな物が、ゴブリンの巣に? ていうか、よ
りによってクイーンが着てるわけ?﹂
﹁確かその魔術師、ロランの魔術具店の四男だったはずだな。だか
ら、そのロッドとやらも、かなり質の良い物だ。とはいえ、アラン
の持ってる魔術杖には負けるけどな。あれも確か迷宮発掘品だし﹂
﹁⋮⋮不公平だわ﹂
レオナールがむくれた。
﹁私のは普通の、何も魔法かかってない鎧と剣なのに﹂
﹁おい、レオナール。そうは言うけどな、それ、駆けだしの装備と
しては、かなり良いものだぞ? ダニエルが二十代で、辺境で修行
と称して魔獣や魔物斬りまくってた頃に、使ってたやつだし。
あれだ、たぶんドラゴンに攻撃されでもしなきゃ、問題ないと思
うぞ﹂
﹁そうなの?﹂
582
﹁ああ。さすがに傷だらけの中古だから、売るとなると微妙だが。
同じ物を買おうと思ったら、金貨数十枚はいるぞ。付与魔法欲しい
なら、自分でオーダーした方が良いとは思うけどな﹂
﹁この前のミスリル合金は全部処分しちゃったし、またどこかでミ
スリル拾えないかしら? ミスリルゴーレムの出そうなとこ、何処
か知ってる?﹂
﹁⋮⋮言っておくが、ミスリルゴーレムとか、普通はBランクパー
ティーが狩りに行くレベルだぞ?﹂
﹁でも、ルージュとアランがいれば、そんなに苦労せずに済みそう
だもの。金属製のゴーレムって、斬りにくいから面倒だけど、装備
素材として使用できるのはおいしいわよね﹂
﹁アラン、使える魔法は少ないけど、わりと優秀だからな。小生意
気なのと、うるさいのが難点だが﹂
﹁あー、潤沢な資金か、がっぽがっぽお金無尽蔵に出してくれる、
口も手も出さずに見守るだけのパトロンが欲しいわ﹂
﹁アホか、そんなのいたら俺だって欲しいわ! このローブ、後で
オベール魔術具店に持って行ってみる。たぶん、間違いないと思う
が、に、しても、なんでゴブリンクイーンが着てたんだろうな﹂
﹁アランがオルト村ダンジョン最深部の転移陣と全く同じ物がある
って言ってたから、誰かがあっちからこっちへ持って来て、ゴブリ
ンに装備させたんだと思うけど﹂
583
﹁何のために? ゴブリンを強化するためか?﹂
そう言って、クロードが嫌そうに顔をしかめた。
﹁⋮⋮まさか、混沌神の信奉者が、この辺りで何かやらかそうとし
てるってのか?﹂
﹁そこまではわからないわ。ただ、これで終わりそうにないっぽい
わよね? ふふ、楽しみになってきたわ﹂
﹁おい、レオナール。お前、程々にしろよ。いくらなんでもお前、
高位魔術師または魔族か、下手するとそれ以上かもしれないやつ相
手に、無闇と突撃して斬りかかったりしないよな?﹂
﹁そっか、魔神って線もあるのね。それはすごく楽しみよね﹂
﹁⋮⋮いくらなんでも、魔神は無理だからな、俺やダニエルでも無
理だからな!﹂
﹁じゃあ、いっぱい修行や訓練しておかないとね。ドラゴン以外に
も斬る楽しみが出て来たわ、ふふ﹂
﹁⋮⋮お前、あのドラゴンもその内斬るつもりなのかよ?﹂
﹁私と敵対したらね。さすがになついてくる子供を斬れるほど、鬼
じゃないわよ?﹂
﹁アランがお前をオーガにたとえる理由が、良くわかるな﹂
クロードは頭痛をこらえるような顔で、額を押さえた。
584
19 ギルドマスターはやっぱり頭が痛い︵後書き︶
ほぼ終了ですが、次回終幕。
明日は親戚集まるのでたぶん執筆する時間とれなさげ。
次回更新は16日か17日くらいかも。なるべく16日に更新でき
るようがんばります。
誤字その他微修正。
585
20 終幕
アランはクロード宅の自分の寝室に割り当てられた部屋で、早速
報告書をまとめ終えると、資料となるシーラ特製の古代魔法語辞書
や、古書物や魔法書などを、全て引っ張り出し、時折紙に魔法語な
どを書き散らしながら、読み始めた。
︵この魔法陣は、起動者を含めた範囲魔法になるから、攻撃・妨害
系より防御・支援系だな。
もしかしたら転移陣にも応用できるかもしれないが、転移陣の実
験は危険だからやめておこう。そういうのは軍や兵を扱う連中に任
せておけば良い。俺やレオに使える実践的な魔法じゃないと。
戦闘に使えるように、起動者を除く範囲魔法を使えるようにいじ
ったとしても、レオが巻き込まれるようなら、意味がない。
それに魔法陣を描くには、どれだけ頑張っても魔法詠唱より長い
時間がかかるからな。
あ、触媒が足りないから、明日にでも買い出しに行こう。いつも
のかんらん石だけじゃなく、奮発して青金石とか孔雀石とかも買お
うかな。野営用に使えるやつとかも作っておきたいな。
まずは支援系と防御系で色々試してから、野営用に手を出そう︶
アランはいつもなら食事の支度を始める時間になっても、作業を
続け、部屋に籠り続けた。
レオナールはそれを見越していたので、いつもの日課││夕方ま
での狩り││をルージュと済ませ、屋台で軽食などを買って帰った。
﹁今日は外食するしかないのか?﹂
586
夜遅くにギルドから帰宅したクロードが青ざめた。
﹁一応アランに買って来た軽食の残りがあるけど﹂
﹁ガレットか。アランは食べたのか?﹂
﹁3個は食べてたわね﹂
﹁なぁレオナール、念のため確認するんだが、ガレットはいったい
いくつ買って来たんだ?﹂
﹁全種類を5個ずつしか買ってないわよ?﹂
﹁⋮⋮全種類って、たぶんこれギルド近くにある屋台のだよな。1
0種類5個買って、残り3個とか、お前どういう胃袋してるんだよ﹂
﹁そういえば、ルージュ以外の食費だから出してくれるのよね﹂
にっこり笑って、レオナールは右手を差し出した。
﹁⋮⋮お前本当、金に関することは忘れないよな﹂
クロードはゲッソリした顔で言った。
◇◇◇◇◇
﹁お、そう言えばアラン、例のかぼちゃのキッシュ、ゴブリンの件
とかあったもんだから、うっかりレシピ貰ったの忘れていた﹂
587
数日後、そう言って、クロードがアランに、レシピの書かれた紙
を渡した。
﹁パイ生地の中に、ベーコンと玉葱を炒めたもの、茹でたかぼちゃ、
卵・生クリーム、塩胡椒、チーズ、それにかすかに甘く酸味のある
風味、か。⋮⋮ギルドの資料室にローレンヌの特産や気候などにつ
いての資料ってありますか?﹂
﹁たぶん、あるんじゃないか? 持ち出しはできないが、資料室内
では書庫に入った物以外なら、誰でも自由に閲覧できる。詳しい事
は係員に聞いてくれ﹂
アランは頷いた。と、思い出したように尋ねる。
﹁ところで、ギルドマスター。どうして俺達とアドリエンヌさんを
同行させようと思ったんですか?﹂
﹁そりゃ、あれだ、お前ら絶対合わないだろうと思ったからな﹂
﹁⋮⋮は?﹂
アランの眉間に皺が寄った。それには気付かないのか、クロード
が笑いながら続ける。
﹁あいつなら、最悪の事態が生じたとしても、たいしたトラブルに
はならないだろうからな。
だったら、ここらで耐性っつうか、今後の対処や対策練るための
試金石っていうか、練習台になって貰おうかと。
ほら、高位貴族なんかと事を起こしてからじゃ遅いだろ? ま、
588
あいつ目当てでホラン侯爵令嬢が、王都から追っかけて来るのは、
少々予想外で当てが外れたが﹂
それを聞いて、アランが額を手で覆って、天井を仰いだ。
﹁⋮⋮その、ホラン侯爵令嬢って、金髪碧眼縦ロールのドレスを着
た少女、ですか?﹂
﹁その通りだが﹂
﹁⋮⋮そのホラン侯爵って、どんな感じの人かわかります?﹂
﹁娘に激甘のゆるいオッサンだなぁ。息子、長男の方はしっかりし
てるんだが、その下の娘は甘やかし放題で、好き勝手やらかしても、
全部オッサンが金と権力で揉み消してるから、半怪物化してる印象
だな、あれ。
外見はともかく、まともに嫁に行けそうにないご令嬢だな。アレ
どうすんだろうな。
一生家で飼う気か、それともいずれ何処かに押しつける気か知ら
んが、あれの世話させられるやつが気の毒過ぎる﹂
﹁レオが目を付けられたような気がするんですが、そのご令嬢に﹂
﹁は?﹂
クロードは一瞬、きょとんとした顔になった。
﹁俺の方も今後気を付けますが、既に手遅れな気がしますよ﹂
アランはそう言って、深い溜息と共に瞑目した。
589
﹁それ、俺のせいじゃねぇだろ﹂
そこまで責任持てねぇよ、とクロードはボソリと呟いた。
◇◇◇◇◇
後日、隠し味に干したオルラの実を細かく刻んだものが入った、
かぼちゃのキッシュがアドリエンヌの元へ届けられた。
同じものがその前夜、クロード宅の夕飯として出たのだが、喜ん
で食べたのはアランだけだった。
こうえ
ほうりょく
そうう
﹁このオルラの実の収穫期って、ちょうど初秋、暑い盛りの済んだ
黄恵の月、つまり、今が萌緑の月の終わった蒼雨の月だから、三ヶ
月ちょっと後なんですが、干したものやシロップ漬けにしたもの等
が、わずかに売ってるんですよね。
プラムの一種で、滋養強壮や疲労回復効果もあるのだとか。八百
屋や果物屋、乾物屋にも置いてありますけど、薬屋にもわずかに取
り置きがあるんですよね。ちなみに俺が購入できたのは薬屋でした﹂
﹁うんちくは良いけど、何故これをわざわざ作ったの、アラン﹂
﹁俺が食べたかったからだ﹂
アランはキッパリ断言した。
﹁そう﹂
590
レオナールはそう言って、気が進まなさげにスプーンでキッシュ
を口に運ぶ。
﹁⋮⋮甘い﹂
﹁砂糖や蜂蜜の類いは、入れてないぞ。素材の自然な甘さだ。まぁ、
デザートみたいなもんだと思って良いが﹂
﹁⋮⋮だったら何故、メインディッシュのような顔して出してるの
よ﹂
﹁ちゃんと肉も入れたぞ。あと、肉なら、シチューもあるだろう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
レオナールは不満そうだが、一応全部食べるつもりではあるよう
だ。
﹁いや、でも、いくらなんでも3夜連続キッシュはないと思うぞ?﹂
クロードがボソリと言った。
﹁出来がいまいち気に入らなかったので。文句があるなら、食べな
くてもかまいませんが﹂
﹁⋮⋮かぼちゃのキッシュ以外なら、何でも良い。もう見飽きた﹂
﹁安心して下さい、これで完成です。同じ物を作るので、彼女に届
けたいのですが、宿は何処ですか?﹂
591
﹁あー、﹃輝ける栄光の日々﹄亭だ。朝、渡してくれれば、ギルド
職員にでも届けさせる﹂
﹁ああ、そう言えばロランで一番高い宿屋ですね。確か料理とかも
美味いらしいけど、桁が違う上に、宿泊客以外はロビー以外に通さ
ないという。確かに面倒そうなので、お願いした方が良さそうです
ね﹂
﹁アランはあれほどコケにされたのに、わざわざこんな物作るなん
て、どうかしてるわ﹂
﹁かぼちゃのキッシュを届けるのは、俺が気に入る出来の物ができ
た礼代わりで、ついでのお裾分けだ。俺が食べてみたから作っただ
けだ﹂
﹁⋮⋮アランって無駄に凝り性よね﹂
レオナールは溜息をついた。
﹁反省した。凝り性のやつに、何か餌になりそうなものを与えると
どうなるか、つくづく学習した。かぼちゃのキッシュはもう勘弁だ﹂
うんざりした顔でクロードがぼやいた。
﹁あなたは自業自得でしょう。私は完全に巻き込まれた被害者なの
よ、頼むからノリや気まぐれ、思いつきで、何か適当にやらかさな
いで欲しいわよ。
わかってるでしょうけど、アランに冗談は通じないのよ。興味の
ない事には冷淡で、清々しいほどスルーするけど、下手に興味持つ
と、とことんこだわるし、熱心に研究したがるし、人の話に耳を貸
592
さなくなるし、厄介なのよ﹂
﹁おい、本人目の前に悪口かよ﹂
﹁ただの事実でしょ﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁まぁ、それより、昨夜組んだ魔法陣の効果はどうだった? 結果
次第で、今日は別のを試してみたいんだが﹂
﹁食事中よ。終わってからにしてくれる?﹂
﹁なるべく早めに結果を知りたいんだが﹂
﹁後でよ﹂
﹁わかった、後で必ずな。でもレオが俺より食べるの遅いとか、ど
うしたんだ? どこか体調でも悪いのか?﹂
﹁どこも全く、問題ないわ。今回までは食べてあげるけど、次にこ
れ出したら、絶対食べないわよ。忘れないでね、アラン﹂
﹁レオ、お前、何故キッシュが嫌いなんだ? 嫌いな理由が何かあ
るんだろ?﹂
﹁強いて言うなら、肉じゃないところね﹂
﹁そりゃ、肉じゃなく、卵と乳製品が主な材料だが、そういう問題
か?﹂
593
﹁次からメインディッシュは、肉料理にしてね。ベーコンは嫌いじ
ゃないけど、あれを肉だとは、絶対認めたくないわね。噛むと肉汁
がじゅわっとにじみ出るやつだけを、肉と呼びたいわ﹂
﹁お前、本当、肉が好きだな﹂
﹁好き嫌いの問題じゃないわよ。とにかく、これは食べ物ではある
かもしれないけど、食事として食べる料理だとは思いたくないわね。
下品な表現させてもらうと﹃ゲロみたい﹄だわ。私、料理の味や
食材のよしあしにあまり文句つけたくはないけど、ゲロを食べる趣
味はないの。
わかる? アラン﹂
﹁そんなにかよ﹂
﹁レオナールの言い分に同意する気はないが、これは女性受けはす
る料理なんだろうが、俺はあまり好んで食べたいとは思わないな。
なんというか物足りない。肉を食わせろとは言わねぇが、夕飯は、
ガッツリ腹持ち良さげな物が食いたいな﹂
クロードが言うと、アランは溜息をついた。
﹁わかりました。もう作らない事にします。食べたくなったら、一
人分だけにするか、外食します﹂
﹁ああ、そうしてくれると助かる﹂
クロードはホッとした表情になった。
594
﹁そういえば、2つのゴブリンの巣で見つかった装備の件だが、あ
れ、半数以上が、オルト村の依頼受けたやつのものだと、ほぼ確定
した。
他はソロで森に薬草採取に行ったやつとか、駆け出しのやつだな。
いついなくなってもおかしくないと周囲に思われてたらしくて、消
えても不思議に思われなかったらしい。
犠牲者の生き残りは確認できず、また遺体も全て喰われた後で、
骨しか見つからなかったから、どれが誰のかは想定される身長や体
格以外で判別できなくて、確認にはまだまだ時間がかかりそうだ。
鑑定系の特殊スキル持ちは、うちの支部にはドニしかいないから
な。あいつが、もうちょい仕事早ければ助かるんだが。アラン、お
前、何か良い案ないか?﹂
﹁思いつきで無茶振りはやめて下さい、ギルドマスター。どのみち
餌を与えてスピードアップさせるか、応援を呼んで、一時的に増員
するしかないでしょう﹂
﹁はぁ、魔法陣とかで、素人でも鑑定とかできたら、便利なのにな﹂
﹁それは俺も一度は考えた事がありますが、難しいんです。結局の
ところ知識がない事、知らない事を理解させる魔法なんてものは存
在しないので﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
﹁魔法は万能じゃないんですよ。簡単に言うと﹃道具﹄みたいなも
ので、時間をかければ別の方法でできる事を、より簡易に効率的に
できるようにしたものであって、不可能を可能にするわけじゃない
んです﹂
595
﹁俺が、魔法や魔術なんかサッパリだからか、不可能を可能にして
いるように見えるんだが﹂
﹁どういう事が出来て、どういう事が出来ないのかは俺も勉強中で
すが、人の許容力や理解を超えた事は出来ませんよ。
何をどれだけ理解し、それをどれだけ習熟しているかが、魔法・
魔術の行使能力や効果に反映されます。理解できていなければ、呪
文や文言が正しくても、魔法は発動しません﹂
﹁アランが風魔法使えないのは、そういう理由?﹂
レオナールが首を傾げながら聞き、アランが頷いた。
﹁おそらくそうだろうな。何故使えないのか、自分でもはっきりわ
かってないが、他の理由は見つからないし、たぶんそういう事だと
思う﹂
﹁面倒臭いな、魔法﹂
クロードが肩をすくめた。
﹁俺は、だからこそ面白いとも思いますけどね。どれだけ勉強して
も実質際限がなく、それでいて勉強すれば、練習すればするほど、
結果になって表れますから。
まぁ、金がないと、やれる事に制限あったり、手に入る知識を自
分で選べなかったり、色々厳しいのが現状ですが﹂
﹁せちがらいわよねぇ。あー、うちの庭にだけ、お金か金目の物が、
大量に降って来ないかしら﹂
596
﹁それ、普通に落下物で死ぬか、貨幣価値か、その降ってきた物の
価値が下がるか、どちらかだろう﹂
クロードが言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁貧乏人は、いくら働いても金持ちにはなれないってわけね?﹂
﹁必ずしもそうとは言い難いが、そうではないと否定もしてやれん
な﹂
﹁はぁ、つまんないわ。ミスリルかアダマンタイトかオリハルコン
でも降って来ないかしら。でなかったら、運良く何か拾うとか、ダ
ンジョンに落ちてて発見するとか﹂
﹁バカなことばかり言うなよ、レオ。もし、そんなダンジョンがあ
ったら、発見者が独占するに決まってるだろ﹂
﹁そうよねぇ。私だって見つけたら、絶対そうするもの。発見者が
自分だけなら、価値を落とす事なく、独占していつでも好きなだけ
売り払えるものね﹂
溜息をつく二人に、クロードが顔をしかめた。
﹁お前ら若いくせに、辛気くさい話すんなよな。ほら、何か夢とか
ないのか?﹂
﹁金が降ってくるとか、楽して儲ける話以外に? そんなの師匠を
斬るとか、隣国の英雄とやらを斬るとか、目の前にいるおっさんを
斬るとか、ドラゴン斬るとか、今のところそれくらいかしらね﹂
597
﹁⋮⋮いや、お前に聞いても、答えはわかりきってるよな。おい、
アラン、お前はなんかないのか?﹂
﹁なるべく安全な仕事で大金稼いで、魔法書や古文書を心行くまで
買い占めたり、いつか王都のダンジョン発掘物関連のオークション
で、目当ての本を落札しまくったり、とかですかね﹂
﹁お前ら、どうしてそんなに若者ぽくない発想しか、出ないんだろ
うな﹂
﹁え? 俺、今、ものすごく非現実的な発言しましたよね?﹂
﹁⋮⋮ほら、普通、お前らくらいの若者って﹃俺は世界一の剣士に
なる﹄とか﹃勇者になる﹄とか﹃伝説のドラゴンライダーになる﹄
とか言うんじゃねぇの?﹂
﹁私が世界一の剣士になるのは既に確定した未来だし、ドラゴンラ
イダーってのが、ドラゴンに騎乗する事なら、既にアランが何度も
乗ってるわよね?﹂
﹁いや、あれはどう考えても、荷物のように載せられてるだけで、
乗ってるわけじゃないよな? 可能性あるとしたら、お前の方だろ﹂
﹁ルージュが私より速く走れるようになるか、飛べるようになれば
ね﹂
アランが嫌そうに言い、レオナールが肩をすくめた。
﹁⋮⋮ああ、そう言えば、お前らはそうだったな。俺が悪かった﹂
598
クロードが額を押さえて言った。
﹁そう言えば、︽静穏の閃光︾ってパーティーの人達、Aランクで
王都から来たらしいですが、どうしてわざわざこんな町へ?﹂
﹁あれ? 言ってなかったか。あいつら、オルト村の調査依頼で来
たんだよ。緊急事態だから、今回の件にも協力要請したが﹂
﹁初耳です。じゃあ、そろそろオルト村の本格的な調査をするんで
すか?﹂
﹁もうやってる、というのが正しいな。お前らが最初に発見したゴ
ブリンの巣は、転移陣で、オルト村の邸宅地下の洞窟最深部に繋が
っていた。
で、次に発見した、森の中心部の方のやつでも、新しい転移陣が
発見された。
そっちは今、現在調査中だ。内容によっては教えてやれるかもし
れないが、たぶんダメそうだな。部外秘になる可能性が高い﹂
﹁新しいダンジョンが見つかるようなら、行ってみたいけど﹂
﹁そう言うだろうからな。今のとこ、お前が喜びそうなもんは見つ
かってないから、安心しろ﹂
﹁じゃ、どうでも良いわ﹂
レオナールがようやく食事を終え、椅子の上で伸びをした。
﹁よし、レオ! 早速だが⋮⋮﹂
599
﹁後にして。食後のお茶くらい飲ませてよ﹂
レオナールがアランを睨みつけ、腰を浮かせ掛けたアランが、渋
々と腰を下ろす。
﹁いつもと逆ってのも、ちょい新鮮だな﹂
クロードが顎髭を撫でた。レオナールが嫌そうに顔をしかめる。
﹁他人事だと思って﹂
クロードがニヤニヤ笑いながら、頷く。
﹁他人事だもんな﹂
﹁ギルドマスターにもご協力いただけるなら、是非、﹂
﹁いや、無いからな! 俺はゴブリンの件とかその他色々仕事が山
積みだからな!! 残念ながらアランに協力してやる暇はないな!﹂
そう言って、クロードは食べ終わった食器を重ねると、忙しい忙
しいと呟きながら、出て行った。それを不満そうに見送りながら、
レオナールがお茶を最後まで飲み干した。
﹁よし、じゃあ、レオ! 早速⋮⋮﹂
﹁⋮⋮機嫌の良いアランとか、迷惑以外のなにものでもないんだか
ら、やっぱり凹ませておくくらいでちょうど良いわよね﹂
ボソリと低い声で小さく呟いたレオナールに、アランがきょとん
600
とした。
﹁うん? 何か言ったか?﹂
﹁別に? 気のせいじゃない?﹂
レオナールはやれやれと言わんばかりに、首をゆっくり左右に振
った。
2章・完。
601
20 終幕︵後書き︶
更新遅くなりましたが、2章完結。なくても良さげな蛇足っぽいで
すが。
章を超える度に、登場人物増えていくので、後日投稿する2章登場
人物およびMAP他のページには、2章で新たに増えたキャラだけ
追加します。
後日談や番外編でリクエストあれば、後日書きます。
なければそのまま次章。
次章はまだ序盤しかプロットまとめてないので、最短でも1・2日
空くと思います。
602
2章 登場人物およびMAP︵挿絵︶
■2章の新規の主な登場人物
●クロード
種族 人間
年齢 35歳
職業 ロラン支部ギルドマスター
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国─︵ロラン︶
容姿 赤毛/オレンジがかった明るい茶色の瞳/顎髭/身長1.8
7メトル
備考
本性はテキトーでいいかげん&気まぐれで人迷惑なおっさん。悪
気はないらしい。マイペース。
他人への無茶振りが好き。
●リュカ
種族 人間
年齢 27歳
職業 ロラン支部ギルドサブマスター
国籍︵本拠地︶シュレディール王国─︵ロラン︶
容姿 褐色髪/灰色の瞳/身長1.84メトル
備考
普段は冷静沈着で穏和だが、時折腹黒。
愛妻家で妻のエロイーズとは、バカップル的会話を繰り広げるこ
ともある。
●アドリエンヌ
603
種族 人間
年齢 22歳
職業 魔術師
武器 ロッド
防具 魔術師のローブ︵深紅︶
ブルネット
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 褐色髪/碧瞳/身長1.7メトル
備考
古代魔法語を話す事ができる、ギルドマスターのクロードが招い
た魔術師。しばらく白髪の少女の家庭教師となってロランに滞在す
る事になった美女。
レオナールとアランを目の敵にしている︵主にダニエルとクロー
ドのせい︶。
︽治癒︾や︽浄化︾も使える古代魔法語のスペシャリスト。実践
より知識に秀でる。男爵令嬢で、出身はローレンヌ。
本来は魔法学院の講師補佐で研究員だが、Bランク冒険者でもあ
る。
●フランソワーズ
種族 人間
年齢 15歳
職業 魔術師
武器 ミスリル製魔術杖─︵オーダーメイド︶
防具 動きやすいドレス︵日替わり︶
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 プラチナブロンドの縦ロール/サファイアの瞳/身長1.5
6メトル
備考
ホラン侯爵令嬢。特例措置︵お金と権力︶でDランクに昇級。魔
術学院の生徒だが、アドリエンヌを追ってロランへ︵休学︶。炎系
604
魔法が得意。甘やかされまくったワガママ高飛車令嬢。
●ジェルマン
種族 人間
年齢 18歳
職業 戦士
武器 ハルバード
防具 ミスリルプレート
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 栗色の髪/明るい緑の瞳/身長1.85メトル
備考
バシュレ商会の次男。Aランクパーティー︽静穏の閃光︾のリー
ダー。
優しく穏和であり、正義漢、爽やか好青年。
●セルジュ
種族 人間
年齢 18歳
職業 戦士
武器 ロングソード
防具 バックラー、ミスリルメイル
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 褐色髪/茶色の瞳/身長1.93メトル
備考
︽静穏の閃光︾メンバー。盾役。
●クレール
種族 人間
年齢 18歳
職業 魔術師
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武器 魔術杖
防具 ローブ︵魔術付与あり︶
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 金髪/蒼の瞳/身長1.64メトル 備考
︽静穏の閃光︾メンバー。アドリエンヌの元教え子で王都魔術学
院卒業生。
●ベルナール
種族 人間
年齢 18歳
職業 精霊術士
武器 なしor弓
防具 クロスアーマー︵魔術付与あり︶
国籍︵本拠地︶ シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 銀髪/緑の瞳/身長1.84メトル
備考
︽静穏の閃光︾メンバー。
■ゴブリンの巣および周辺
●ロラン周辺︵ゴブリンの巣︶
<i121002|3534>
●ゴブリンの巣︵その1︶
<i121000|3534>
○魔法陣3︵能力強化付与︶
﹁混沌神オルレースの加護の下、効果範囲50メトル内の者の能力
606
値を、わずかに全てを上昇させる効果を、効果時間1日の間、与え
る﹂
︵ただし、魔法陣を発動させた時に、その範囲内にいた者にのみ効
果を及ぼし、複数回発動させても効果が重複する事は無い︶
<i121005|3534>
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2章 登場人物およびMAP︵挿絵︶︵後書き︶
イメージラフは完成次第、後日追加︵クロード、リュカ、アドリエ
ンヌ、フランソワーズ︶。
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1 師匠の剣士は王都で暗躍中
ノワール
﹁︽黒︾に連絡を取りたい﹂
黒衣の男が、占術師らしき白いローブにフードを被った老婆に、
声をかけた。老婆も男も、フードを目深に被り、容貌は良くわから
ない。
老婆は唇をニンマリ歪めた。
﹁では、話を聞こうか。さぁ、椅子に座って、この水晶玉の上に手
を置いて﹂
男は頷き、言われた通り右手を水晶玉の上に置いた。
﹁⋮⋮とある男を殺して貰いたい﹂
﹁前金は?﹂
﹁金貨2枚出そう﹂
﹁おやおや、ずいぶん太っ腹だねぇ。期限でもあるのかい?﹂
老婆はしわがれた声でクックッと笑った。
﹁特に期限はない。が、これまで送った暗殺者の内2名が失敗して
いる。だが、︽黒︾なら問題ないだろう?﹂
﹁安物買いの銭失いってやつだね、そりゃお気の毒様。そうさねぇ、
609
私が仲介始めてからは、一度も︽黒︾が仕事に失敗という話は聞か
ないねぇ。
だが、︽黒︾よりは未熟とは言え、前金に金貨2枚払う能力のあ
るあんたが、見繕った暗殺者だ。完全な無能というわけじゃなかっ
たんだろう?﹂
﹁それに関しては、標的について少しでも情報を集めれば、すぐわ
かる。とにかくそいつを殺して欲しい。
名前はレオナール、先月頭に冒険者登録したFランクの剣士だ﹂
﹁ほう?﹂
老婆は眉を上げた。
﹁⋮⋮知っているのか?﹂
老婆は唇に笑みは浮かべたが、明確な返答はしない。
﹁なるほどねぇ﹂
﹁⋮⋮とにかくそいつをやって欲しい。期限は半年。それを超える
ようなら、話はなかった事にして貰う﹂
男はそう言って金貨2枚を置き、立ち上がる。
﹁毎度あり﹂
笑いながら、老婆が呟き、男が人目を気にしながら立ち去ると、
水晶玉を胸元に入れ、ゆっくりその場を立ち去ろうとした。
不意に、その首元に刃が当てられた。
610
﹁なんだ、素人か﹂
大振りのダガー片手に老婆の背後に立つ、茶髪の長身の男が、低
く呟いた。
﹁おい、小娘。お前、いったい何故こんな真似をしている?﹂
恫喝するわけでもない、平坦な声音で耳元にささやく。
﹁⋮⋮私の幻術が効かないとか、はぁ、勘弁して欲しいわね﹂
老婆の幻影をまとった白ローブの少女が、溜息をついた。
﹁確かにお前の幻術は、その若さに似合わぬ腕だろうが、そこらの
一般人は騙せても、心得のあるやつを騙したり惑わしたりするレベ
ルじゃないな、お粗末だ﹂
﹁一瞬、本物の︽黒︾が現れたかと思ったけど違うみたいね。あな
たこそ何者? 刃を突き付けられるまで、気配すら感じなかったわ﹂
﹁俺は、お前の目的について、質問している。正直、お前自身の事
はどうでも良い。娘くらいの年齢の子供に、興味ないからな。
それより、命が惜しければ、さっさと答えろ。早死にしたいなら、
それでも良いが﹂
﹁おっかないわね、お兄さん。わかった、答えるわ。︽黒︾に対す
る営業妨害という名の嫌がらせよ。
そろそろ本物にバレそうだから、今夜で王都を発つつもりだった
の。宿賃と交通費は、そこそこ稼げたし﹂
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﹁暗殺の前金の横取りか?﹂
﹁ええ、そうよ。どうせ後ろ暗い金だもの。ちょっとくらい掠めて
も、かまわないでしょ。
これで暗殺対象の命も救われるし、私の懐も潤う。一石二鳥でし
ょう?﹂
﹁本物にバレたら、殺されると思うが﹂
﹁だから今夜でやめるつもりだったってば。まぁ、仮にあのいけす
かない野郎に見つかったとしても、殺される事はないわ。ちょっと
面倒な事にはなるだろうけど﹂
﹁⋮⋮知り合いか?﹂
﹁まぁ、顔見知りね。こっちは善良で平凡な流れの自由民だっての
に、どういうわけか目をつけられて絡まれたおかげで、太客になっ
てくれそうな相手に逃げられたの。だからお返しの腹いせ?﹂
﹁ずいぶん太い度胸と神経だな。なら、先程の依頼を遂行するつも
りはない?﹂
﹁当たり前でしょ。あなたもわかっただろうけど私、暗殺者じゃな
いもの。ただ、ちょっと裏社会の知識のある、ずぶの素人よ﹂
そう答えると、男はダガーを引いた。少女はゆっくり振り返り、
あら、と声を上げた。
﹁あなた、近頃評判の︽疾風迅雷︾さん? なんでこんな事してる
612
の?﹂
﹁先程の暗殺対象は、俺の不肖の弟子なんでな﹂
﹁ああ、なるほど。じゃあ、さっきの男が言ってた暗殺失敗の原因
って、あなたなのね。
そりゃいくら依頼しても失敗するわよね。それにしても、ずいぶ
ん過保護なのね﹂
﹁まぁ、ちっともなつかない可愛くないガキだが、下手に野良猫拾
ったからには、せめて自立できるまでは面倒見てやらないとな。
暗殺依頼理由の半分くらいは、俺が原因というか、関わってるし﹂
﹁知ってるかもしれないけど、私があの暗殺対象の名前聞いたの、
3件目なんだけど﹂
﹁知ってる。エルフに、貴族に、黒衣の魔術師。全員背後は洗って
あるし、今夜の寝床もわかってる﹂
﹁で、そっちは泳がせてるわけね﹂
﹁そうだな。トカゲの尻尾切りされたんじゃ、いつまで経っても解
決しないからな﹂
﹁ふーん、大変ね。何をやってるか興味ないけど、ま、頑張って。
私は見つかって捕まる前に、トンズラするわ﹂
﹁そうか。関わらないならどうでも良い。お前、まだガキなんだか
ら無茶はすんなよ、小娘。命あっての物種だからな﹂
613
﹁ありがとう。じゃ、そろそろ行くわ﹂
﹁⋮⋮念のため言っておくが、俺や弟子には近付かない方が良いぞ。
まともな格好すれば、そこそこ見目は良さそうだから、変なのに目
をつけられかねないからな﹂
﹁基本的に、日頃から幻術と精神魔法で誤魔化してるんだけど、ダ
メかしら?﹂
﹁下っ端ならともかく、中級以上は無理だろう。自分が可愛いなら、
身辺に注意を払うのはもちろん、厄介事には近付くな。じゃあな﹂
そう言って茶髪の男こと︽疾風迅雷︾ダニエルは立ち去った。
﹁あそこまで言われると、逆に気になるんだけど。いったい何なの
かしら? どうして︽疾風迅雷︾の弟子とは言え、Fランクの駆け
出し冒険者が同時に3件も暗殺依頼出されるのかしらね﹂
女は首を傾げながら、その場を歩み去る。そのまま乗り合い馬車
乗り場へと向かい、最初に来た乗り合い馬車に乗った。
︵行き先はラーヌ、か。王都の南西の田舎街ね。まぁ、何処でも良
いわ。早くここを離れられるなら︶
老婆の幻影をまとった少女は、目を閉じた。
◇◇◇◇◇ 614
﹁コボルトの巣の探索?﹂
冒険者ギルド・ロラン支部受付で、アランが首を傾げる。
﹁大きいのが見つかったのか?﹂
﹁そうみたい。ロランの北北東にあるラーヌの近郊で見つかったら
しいわ。一応あっちでも、探索依頼を出してるらしいけど、報酬が
ショボいせいもあって、受ける人がいないって話ね﹂
ジゼルが肩をすくめて答える。
﹁なんでそんな依頼、紹介するのよ?﹂
不思議そうにレオナールが首を傾げた。
﹁だってレオナールは、斬る事ができれば、どんな獲物でも気にし
ないでしょ?
たかがコボルトとはいえ、かなり大規模な巣穴で、この前のゴブ
リンの巣より数が多いらしいから、受けたがる人がいないって事ら
しいのよね﹂
﹁なるほど、確かに俺達向けの依頼だな﹂
アランが首肯する。
﹁調査内容によっては、一応追加報酬が出るらしいから、頑張って
ね。他にはランク不問で、新興の盗賊団の討伐なんてのもあるけど、
﹂
615
﹁私、そっちのが良いわ!﹂
﹁ダメだ!! 絶対許すわけないだろ!! 単発・単独、少数の集
団ならともかく、お前にはまだ、人間相手の大量討伐依頼は受けさ
せられない。どうなるか、目に見えてるからな﹂
アランが言うと、レオナールが舌打ちする。
﹁既に受けてるパーティーが複数あるから、今から受けて出掛けて
も、間に合わない可能性のが高いわよ、って言おうとしたんだけど﹂
﹁⋮⋮なんだ、じゃあ、どうでも良いわ﹂
﹁おい、ジゼル。仮にも受付担当のギルド職員なんだから、不用意
な事言うなよな。こいつ、下手すると暴走して一人でも突っ走りか
ねないんだから﹂
﹁ごめんなさい、アラン。でも、Fランク冒険者に紹介できる依頼
って、少ないのよ。
だいたい、あなた達に普通のFランク向けの薬草採取とか、町中
の雑用とか紹介しても意味ないでしょ?﹂
﹁⋮⋮確かにそうだが﹂
﹁正式な冒険者登録から丸2ヶ月経ったでしょ。あなた達、ランク
アップしないの? どう見てもFランクじゃないでしょ﹂
﹁アランに言ってよ﹂
レオナールは大仰に肩をすくめる。アランが仏頂面で答える。
616
﹁あのな、こいつがこの調子なのに、ランクアップなんか出来ると
思うか? Eランクに上がったら、オーガはまだだが、オークも狩
れるようになるんだぞ?
レオがもうちょっと落ち着くか、他にパーティーに入ってくれる
仲間ができない限り、俺はまだ受けたくないぞ﹂
﹁ごめんなさい。私がバカだったわ﹂
ジゼルが謝った。
﹁え? 何よそれ、仲間とか、そんなのいる? だって、ルージュ
がいるじゃない﹂
﹁あの幼竜は、実質ドラゴン版レオだろ。突撃・特攻癖のある前衛
ばかり増えても意味ないに決まってんだろうが﹂
﹁ああ、アランの壁がいるのね﹂
﹁お前らは平気だろうが、俺は絶対、オークの一撃で死ねるからな。
お前、常に後ろ気にしながら戦う気あるか?﹂
﹁⋮⋮面倒くさいわね﹂
﹁だから、お前には期待してない﹂
きっぱり言うアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁まぁ、期待されても困るし面倒だけど、そんな理由だとは思わな
かったわ﹂
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﹁考えればわかるだろうが﹂
﹁ねぇ、アラン。私がそんなこと、自分で考えたり、気付いたりす
ると本気で思ってる?﹂
レオナールが残念な人を見る目でアランを見ながら、そう言った。
﹁⋮⋮おい、お前、今、自分がものすごいバカだって自己紹介して
るって自覚あるか?﹂
アランが顔をしかめると、レオナールはふぅと大きく溜息をつく。
﹁諦めなさいよ﹂
﹁なんで、俺をたしなめるような言い方になってんだよ! 普通、
逆だろ!? おい!!﹂
﹁ねぇ、アラン。そんな事より、依頼、どうするの?﹂
荒立つアランに、ジゼルが冷静に尋ねる。
﹁⋮⋮っ、受ける。受諾書をくれ。⋮⋮だいたい、コボルトなんて、
ゴブリンと同じくらい弱いけど繁殖力高いんだから、放置しっぱな
しとか、バカばっかりだろ。
こういうのは報酬がショボかろうと、率先して受けないと、手に
負えないくらい増えたら、被害食らうのは自分達なんだからな﹂
﹁まぁ、その報酬ってのが、追加なしだと銀貨2枚なんだけどね﹂
618
﹁⋮⋮おい、それ、冒険者舐めすぎじゃないか?﹂
アランが顔をしかめた。
﹁銀貨2枚じゃ、2人分1ヶ月の食費くらいだろう?﹂
﹁だからショボいって言ってるでしょ。大丈夫、きっと追加報酬出
るから﹂
﹁⋮⋮なんだかんだ言って、この前のゴブリン討伐の追加報酬、ま
だなんだが﹂
﹁あれ、キングとクイーンにいくらつけるかで、上と揉めてるのよ
ね。ほら、あれでロラン所属のほぼ全ての冒険者に報酬支払ったで
しょ?
その上、AランクやBランク冒険者への報酬も支払ったのに、F
ランクに倒せるキングなんて、とかって言う人もいるわけよ。
もちろんうちじゃないわよ? 王都のお偉いさんとか、領主様か
ら派遣されて来た偉そうな下級役人とか。
ギルドマスターとサブマスターが頑張って交渉しているし、こっ
そり領主様にも連絡入れたから、近日中に決着つくと思うわ﹂
﹁⋮⋮生活費は当分心配要らないとは言え、入るはずのものが入ら
ないって、本当嫌な気分になるもんなんだぞ。この依頼終わるまで
には、なんとかなるんだろうな?﹂
﹁そうなってくれるはずだと思うけど、確約はできないわね。だっ
て、私が会議に参加してるわけじゃないんだもの﹂
﹁まぁ、ジゼルに文句言っても仕方ないよな。魔法書や古文書購入
619
はまた貯金してからだな﹂
﹁代わりに大量に触媒購入したものね﹂
﹁おかげで、研究ははかどったと思うんだが、目新しい発見は、あ
まりなかったかもな。
野営用の魔法陣が1つ開発できたくらいか。結局、あれ以上の効
果が期待できるようなものって作れなかったからな﹂
﹁魔法陣を1つでも新規に開発するとか、それ、王都の魔術師が聞
いたら、発狂すると思うわよ?﹂
﹁そうか? 王都の高位魔術師なら、それくらい軽いだろ? だっ
て開発するための金も時間も資料も、有り余るくらいあるんだから
な。
それで成果無いとか言ったら、ただの給料泥棒じゃないか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ジゼルが溜息をついて、瞑目した。レオナールは大仰に肩をすく
めた。
﹁本当、天然って恐いわよね﹂
﹁何の話だ?﹂
アランがきょとんとした顔になった。
﹁別に。アランが元気そうで絶好調で良かったわねって話よ﹂
620
﹁え? なんかそういう感じじゃなかっただろ?﹂
﹁そんなことより、依頼受けるんなら、さっさと受諾書に署名して、
準備してラーヌへ向かいましょう。ぼやぼやしてたら、日が暮れち
ゃうわ﹂
﹁そうだな。じゃあ、レオ、準備の方頼む。移動の食料品とかは俺
が買いに行くから、それ以外の馬とか⋮⋮いや、幼竜がいるのに、
普通の馬がまともに動いてくれるかな?﹂
﹁大型の騎獣とか、そっちで探してみるわ。ルージュを連れて見に
行けば、萎縮しないのがいるか判断つくでしょう?﹂
﹁じゃあ、細かい備品とかも俺の担当にした方が良さそうだな。手
分けして準備しよう﹂
﹁そうね。じゃ、また後で﹂
﹁おう、またな﹂
レオナールが歩み去り、アランは受諾書に署名し、ギルドを後に
した。
621
1 師匠の剣士は王都で暗躍中︵後書き︶
サブタイトル、ちょい悩みつつ、一応これで。
3章開始です。
以下を修正。
×1ヶ月
○2ヶ月
×面倒臭い
○面倒くさい︵レオナールの台詞のため︶
622
2 剣士と魔術師はラーヌへ到着
﹁これは⋮⋮トカゲ、か?﹂
アランは半ば呆然と、呟いた。
﹁ガイアリザード、岩石小竜とも呼ばれるトカゲ型魔獣らしいわよ。
おとなしくて動きはノッソリしているけど、体力と持久力はあるか
ら、馬より圧倒的に少ない休憩で長時間・長距離を移動できるらし
いわ﹂
﹁でかすぎないか? それに馬車? 2人しか乗らないのに﹂
そのガイアリザードの四肢や背には、頑丈そうな魔獣革製のハー
ネスが取り付けられ、中古だがしっかりとした造りの幌馬車がつな
がれている。
﹁力持ちだから引いても引かなくても速度はあまり変わらないし、
たくさん荷物が持てるわよ﹂
﹁なぁ、レオ。嫌な予感がするんだが、こいつ、貸出用の首輪もタ
グもつけてないように見えるんだが﹂
﹁銀貨3枚で良いから、買ってくれと泣きつかれたのよね﹂
肩をすくめるレオナールの返答に、アランの顔が引きつった。
﹁⋮⋮おい、こいつ、餌は何を食べるんだ?﹂
623
﹁雑食で、穀類でも草でも肉でも何でも食べるらしいわね。道端に
生えてる雑草とかでも良いらしいわ﹂
﹁絶対餌代かかるだろ﹂
アランはガクリと肩を落とした。ガイアリザードの体高は3メト
ル前後、体長は尻尾を伸ばした状態で5∼6メトルはあるだろうか。
頭頂部付近から背中にかけて、岩石のようにも見えるゴツゴツとし
た瘤のようなものが、生えている。
目蓋のないギョロリとした丸い瞳、爬虫類特有の縦長の細い瞳孔、
は見ようによってはユーモラスというか愛らしく見えないこともな
い。その大きささえ考慮に入れなければ。
﹁大丈夫よ、アラン。なんとかなるわ﹂
﹁既に赤字なんだが﹂
﹁よくある事よ﹂
項垂れるアランを放置して、レオナールはアランの購入した荷物
を馬車の荷台に積み込んだ。それぞれの部屋に置いてあった野営道
具なども、運び込む。
ふとアランが気付いた。
﹁なぁ、やたら荷物が多くないか? ラーヌまでは約半日で、直接
コボルトの巣穴近くへ向かっても、1日かからない距離なんだぞ?﹂
﹁ラーヌの南東に、新しいダンジョンが見つかったって噂を聞いた
のよね﹂
624
﹁おい、まさか﹂
﹁帰りで良いから、ついでに寄って行きましょうよ﹂
﹁⋮⋮ダンジョンは、ついでで行くようなところじゃないんだが。
それに、そんなダンジョンの話なんて聞いたことないぞ﹂
﹁騎獣屋で値切ったついでに、何か面白い情報ないか聞いたのよ﹂
それはただ普通に尋ねたわけではないのだろうな、とアランは思
った。
﹁大サービスでルージュの牙を間近で見せてあげたら、いっぱいオ
マケしてくれてね。この馬車も中古だけど、タダでつけてくれたの。
すごく丁寧で親切だったわね﹂
それは脅しというやつではないだろうか。アランはクラリと眩暈
を覚えた。
﹁ああ⋮⋮ヤバイ⋮⋮これがバレたら、また何か言われるんじゃ⋮
⋮くそっ、俺のせいじゃない、俺のせいじゃないはずだ⋮⋮っ!﹂
こんな事になるとは予想もしなかったアランは、現実逃避に入っ
た。そんな相方の姿に、レオナールは肩をすくめ、ガイアリザード
の鼻先を撫でた。
﹁まぁ、アランはいつもああだから、気にしないで。よろしく頼む
わね、岩石小竜くん﹂
625
﹁ギグゥ﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
ガイアリザードが低く響くような鳴き声を上げ、ルージュが嬉し
そうに尻尾を振りながら鳴く。
﹁ルージュもこの子と仲良くやって行けそうで良かったわ。一応、
躾ければ、戦闘できるかもしれないって話だったけど、どうかしら
ね?﹂
﹁きゅう?﹂
レオナールが首を傾げて言うと、ルージュも首を傾げる。そして、
﹁きゅきゅう、きゅきゅきゅ、きゅう?﹂
何やらガイアリザードに話しかけ、
﹁グギギィ﹂
ガイアリザードが低く鳴き、頷くように首をゆっくり上下に振っ
た。
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュがバシバシ尻尾で地面を叩きながら、嬉しそうにレオナ
ールに報告する。
﹁⋮⋮えーと、ルージュ、あなた今、その子に戦闘できるか確認取
626
ったのかしら?﹂
﹁きゅきゅう!﹂
そうそう、と言わんばかりに頷きながら、ルージュが答える。
﹁ふうん、その子も戦闘できるなら、アランの壁、もとい盾、ええ
と護衛?は任せて良いのね?﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュがぶんぶん頷きながら、ガンガン尻尾で地面を叩いて、
掘削する。
﹁あ、ルージュ。それ以上地面を掘らないでね。馬車の通行に問題
あるから﹂
レオナールが指摘すると、ルージュはハッとするように硬直し、
おそるおそる周辺を見回し、先程尻尾で叩いたところが大きく抉れ
ている事に気付くと、尻尾で周囲の地面を撫で回し、なんとかその
穴を埋めるだけの土をかき集めると、ジャンプして両足で土を固め
る。そして、ある程度固めると、そろりと後ずさり、大きく後ろ右
足を上げると、ドン、と踏み下ろす。
そして地面が陥没していない事を確認すると、どうだと言わんば
かりに、レオナールを振り返った。
思わずレオナールは苦笑した。
﹁ふふ、まぁ、良いんじゃない? あなたが踏みつけて大丈夫なら、
馬車くらい軽いでしょうし。良くやってくれたわね。後でご褒美に
何かあげるわね﹂
627
﹁きゅっきゅーっ!﹂
嬉しそうにルージュが鳴いた。その大きな鳴き声に、アランがハ
ッと我に返る。
﹁⋮⋮あっ、いかん、こんな事をしている場合では!﹂
﹁アラン、荷物は全部積み終えたから、後は馬車に乗って、町を出
るだけよ?﹂
﹁え?﹂
きょとんとするアランの腕を引いて、レオナールは馬車に乗り込
む。幌馬車の中は、半分近くは荷物に占領されているが、残り半分
はがらんとしている。
さすがにルージュやガイアリザードが寝そべる事ができるほどで
はないが、人間やハーフエルフの成人男性二人ならば、十分適切な
スペースを取って、足を伸ばして寝る事ができるだろう。予備の水
樽も4つ載せられている。
﹁なぁ、おい、俺が用意した食料は、余裕を見て十日分なはずなん
だが﹂
﹁ええ、私がその倍くらい買い込んでおいたわ﹂
アランの見たところ、倍どころか合わせて二人分の食料が一ヶ月
分くらいある。
﹁⋮⋮お前、ケチなのか何なのか、本当、金の使い方がおかしいぞ﹂
628
アランがゲッソリした顔でぼやいた。
﹁なぁ、なんで一ヶ月分も食料が要るんだ、おい﹂
﹁大は小を兼ねるって言うでしょ?﹂
﹁いくらなんでも多すぎるだろ!﹂
﹁大丈夫、余ったら岩石小竜くんの餌になるから﹂
﹁それ、お前の財布から出してるのか?﹂
﹁共有の方だけど、不満なら出しても良いわよ?﹂
レオナールの言葉に、アランは一瞬迷い、首を振った。
﹁いや、良い。まぁ、もしかしたら必要になるかもしれないからな﹂
﹁え? 何? また何か嫌な予感でもするの?﹂
嬉しそうにレオナールが尋ねると、アランは嫌そうな顔になる。
﹁⋮⋮お前、本当、嫌なやつだな﹂
﹁やったぁ! 今度は何かしら!? 良くわからないけど、楽しい
事になりそうね!﹂
﹁俺はちっとも楽しくねぇよ、くそっ。嫌な予感はするけど、行か
ないわけにはいかないし、俺達が受けなかったら、もっととんでも
629
ない事になりそうだからな﹂
渋面で言うアランに、わくわくするレオナール。
﹁今度は何が出るのかしら? それとも黒幕さんとか? ゴーレム
や強力な魔物が出るってのも、良いわね!﹂
﹁⋮⋮追加報酬で、今回の赤字が解消されると良いんだが﹂
憂鬱そうに、アランは呟いた。
◇◇◇◇◇ ラーヌはロランの北北東、オルト村からだとやや北寄りの北東に
ある宿場町である。ロランと同じく、セヴィルース伯爵領内であり、
王都からは早馬で十日、乗り合い馬車では十三日半ほどの距離であ
る。ロランとの距離は、街道沿いで馬で移動すると、途中4・5回
ほどの小休憩を入れて半日、つまり3刻ちょっとの距離である。
ガイアリザードの引く馬車だと、昼食を兼ねた休憩1回で、3刻
ほどで到着した。オルト村のような近い場所はともかく、それ以外
の距離のある場所であれば、ガイアリザードの方が、場合によって
は速いかも知れない。
﹁⋮⋮意外と揺れなかったな﹂
﹁そうね、街道沿いを来たせいもあるとは思うけど、馬より安定し
てるかもしれないわよね。騎獣屋で、そういう訓練を受けてたのか
もしれないけど﹂
630
ラーヌの南門で、ギルド証を提示して、簡単な確認を終えると、
ギルドの場所とお勧めの宿屋を聞いて、ラーヌの町の中へ入った。
﹁まずは宿屋、だな﹂
﹁そうね。宿は先に確保して置いた方が安心よね。ここは、王都や
他領へ向かう人たちも集まる町だし。その分、宿屋の数も多けりゃ、
質もピンキリみたいだけど﹂
﹁一晩だけでも、大部屋で雑魚寝とかは、勘弁して欲しいからな﹂
﹁私だって嫌よ。泥棒を気にしながらの雑魚寝じゃ、寝た気がしな
いもの﹂
﹁それもそうだが、ここじゃ新参者だと舐められて、ろくな目に遭
いそうにないからな﹂
﹁そういう時は、突っかかってきたのを全員ぶちのめしてあげれば
良いのよ﹂
﹁俺はそういうのを見たくないから言ってんだよ! ああ、何事も
起こりませんように。頼むから、無闇に武器を抜いたり、殺したり
するなよ?﹂
﹁命の危険を感じた時以外は、でしょ?﹂
レオナールがにっこり微笑む。その笑顔だけなら、爽やか好青年
風と見えない事もなかったが、
631
﹁自己防衛のために、仕方なくなら、うっかり殺しても許されるの
よねぇ﹂
うっとりと告げるその顔と声には、毒気がありすぎた。
﹁⋮⋮うわぁ⋮⋮マジで勘弁してくれ﹂
アランがゲッソリした顔でうつむき、肩を落とした。門番にお勧
めされた中級の宿屋は、かろうじて部屋を取れた。
﹁個室じゃなくて、二人部屋か﹂
アランが憂鬱そうに呟く。
﹁別に一晩寝るだけなんだから、問題ないでしょ?﹂
﹁そうかもしれないが、もし、オルト村みたいな事があったらと思
うとな⋮⋮﹂
﹁あはは、嫌だわ、アラン。そうそうあんな事があるとしたら、そ
れって、﹃不運﹄ってやつじゃない? 普通、そんな事、何度も起
こるはずないじゃない﹂
﹁何だろう、今、それが起こる可能性が更に倍増したような気がす
る﹂
﹁アランは本当、心配性ね。そこまで行くと、病気の域に近いわよ
?﹂
﹁⋮⋮気のせいだと思えない事が多すぎるんだが﹂
632
﹁ま、安心しなさいよ。変なのが侵入して来たら、今度こそ切り捨
ててやるから問題ないわ﹂
﹁⋮⋮それが一番心配なんだが。頼むから、部屋や備品は壊さない
ようにしてくれよ?﹂
﹁なるべく気を付けるわ﹂
レオナールの返答に、これはダメだ、とアランはガックリした。
きちんとした頑丈な厩舎に、ガイアリザードとルージュを預け、チ
ップと餌代に大銀貨2枚を渡して、貴重品と装備だけを身につけて、
冒険者ギルド・ラーナ支部へと向かった。
ラーナの町南東部に、建物はあった。夕刻過ぎのギルド内は、帰
ってきた冒険者達で混雑している。レオナールとアランが入ると、
幾人かの視線を受けた。ギルド内は混雑していたが、依頼受注受付
は空いており、誰もいなかった。真っ直ぐそちらへ向かい、暇そう
な男性職員の前に立つと、怪訝そうな顔で見上げて来た。
﹁ロラン支部所属の冒険者、レオナールとアランだ。コボルトの巣
の件で依頼を受けて来た。一応、こちらにも顔を出すように言われ
てるんだが﹂
アランがそう告げ、ギルド証を見せると、ああ、と男性職員は頷
いた。
﹁連絡は来ている。そうか、もう来てくれたのか﹂
﹁早ければ早い方が良いだろう。早速明日にでも、向かいたい。詳
しい話は聞けるだろうか?﹂
633
﹁ああ、この時間に受注受付に来るようなのんびり屋はいないから
な。もちろん、他のギルド支部から来た者や、護衛依頼でこの町に
来た者は別だが。ちょうど暇してたところだ。
⋮⋮でも、ここはちょっとうるさすぎる。別室を用意して、そち
らで話そう。夕飯は済ませたか?﹂
﹁まだ、これからだ﹂
﹁そうか、手短に済ませるのも良いだろうが、それよりオレの通い
の料理屋で夕食がてら、話す事にしよう﹂
﹁そちらの都合は良いのか?﹂
アランが尋ねると、男性職員は肩をすくめた。
﹁見ての通りだ。書類仕事も全て済ませて、これ以上やる事はない
が、就業時間内だから、椅子に座ってるだけだ。席を離れる口実が
出来て、万々歳ってとこだな﹂
﹁なら良い。こちらもラーヌの事は良く知らないので、助かる﹂
アランがそう言うと、男性職員はニヤリと笑った。
﹁見たところずいぶん若そうだが、良ければ娼館とかも紹介してや
るぞ?﹂
﹁あー、そういうのは良い﹂
アランが困ったように言うと、男性職員は目をパチクリさせた。
634
﹁お? 大抵の若いやつは、連れてってやると、喜ぶんだがな。あ
あ、でも、お前ら、そんなに困ったりするタイプじゃないか。逆に
モテてモテて、断るのに困ってるとか?﹂
﹁そういうわけじゃないんだが、余分な金もないし、明日からコボ
ルト討伐と巣の探索しなきゃならないのに、余分な労力使いたくな
い﹂
真顔で答えたアランに、おかしな事を聞いたとでも言いたげな顔
になり、男性職員はレオナールの方を見るが、レオナールは素知ら
ぬ顔である。
﹁あ、そっちは俺以上にそういうのに興味ないぞ。そいつが興味あ
るのは、目の前にいるのが、剣で斬って良い相手かどうかだ。興味
がない事には、全く関心を払わないし、すぐ忘れる﹂
アランがそう付け足すと、男性職員は肩をすくめた。
﹁⋮⋮お前ら変わってるな﹂
﹁良く言われる﹂
アランは肩をすくめた。
635
2 剣士と魔術師はラーヌへ到着︵後書き︶
次回、コボルトの巣の詳細説明と準備その他になります。
なるべく早く巣の探索行けると良いなぁ、とか思いつつ。
また筆が滑って予定より長くなったらどうしよう、とか思ってます。
以下を修正。
×占領している
○占領されている
×寝そべられるほどではないが
○寝そべる事ができるほどではないが
・追加
アランの見たところ、倍どころか合わせて二人分の食料が一ヶ月
分くらいある。
×他のギルド支部からの来た者
○他のギルド支部から来た者
×それよりはオレの通いの料理屋で
○それよりオレの通いの料理屋で
×困ったりしそうなタイプ
○困ったりするタイプ
636
3 男性ギルド職員の慰めは、心に響かない
男性職員ことジャコブが案内したのは、庶民的で良心的な価格で
酒と料理を出す家族経営の店だった。
﹁ここは酒の種類が豊富で飯もうまい、店主の娘で看板娘のアメリ
ーは、気立てが良くて可愛くて、冒険者はもちろん、一般市民にも
そこそこ人気の店だ。
今は時間が少し早めだから空いてるが、もうしばらくすると混み
出す。奥のテーブルへ行こう。空いてる内に話を済ませてしまおう﹂
﹁了解﹂
三人がテーブルに着くと、アメリーが注文を取りに来た。
﹁とりあえず飲み物はエールで﹂
﹁肉を何でも良いから、大盛りでちょうだい﹂
アランが飲み物を注文しようとすると、それまでずっと黙ってい
たレオナールが口を開いた。その口調が顔に似合わぬ女性口調なの
に、看板娘と男性職員の顔が一瞬硬直したが、すぐさまアメリーは
笑みを浮かべ、
﹁角兎のソテーと煮込みが提供できますが、どちらになさいます?﹂
と、尋ねた。
637
﹁両方お願いするわ。あ、これ私の分だけで同行者の分は入ってな
いから、注文は別に聞いてね。飲み物は、冷たいならただの井戸水
でも良いけど、ないなら私もエールで﹂
レオナールは髪を掻き上げ、にっこり微笑んだ。それを見て、ア
メリーは耳まで赤く染めたが、努めて平静な声で、
﹁承りました。お連れ様はどうなさいます?﹂
﹁俺は何か適当に、スープや野菜がついた定食みたいなものがある
なら、それで良い。あ、そいつにもスープと何か野菜つけてくれ﹂
アランが言うと、ジャコブも注文する。
﹁俺はいつもの定食と、まずはエール。食い終えたら、また何か酒
を注文するが、料理を一通り運び終えたら、呼ぶまでしばらく放置
で良い﹂
﹁わかったわ。お仕事なの? ジャコブさん﹂
﹁ああ、こいつらはロランから来た冒険者だ﹂
﹁そうなのね。では、しばらくお待ち下さいね﹂
アメリーは一礼して立ち去った。
﹁さっきは済まなかったな﹂
ジャコブが気まずそうな顔で言うのに、アランはきょとんとする。
638
﹁ん、何がだ?﹂
﹁娼館の話だ。まさか、そういう趣味だとは、﹂
﹁おい、何の話だ。ジャコブ、あんたまさか妙な勘違いしてるんじ
ゃないだろうな?﹂
アランが剣呑な顔で、ギロリと睨んだ。
﹁違うのか?﹂
怪訝そうに尋ねられるのに、アランはゲッソリした顔になった。
﹁当たり前だろ! 見てくれはどうであれ、俺は男に、それも中身
はオーガみたいなやつ相手に、欲情する趣味はない。くそっ、なん
でこんな事をまた説明しなくちゃならないんだ。ロランでやっと周
知できたのに!﹂
﹁そりゃ、ここがロランじゃないからでしょう? 心配いらないわ、
アラン。また絡まれたり、ふざけた事言って嘲られたら、全員口が
利けなくなるまで、ぶちのめせば済む事よ﹂
レオナールが肩をすくめて言うと、アランが髪を掻き乱して嘆い
た。
﹁だから、そういうのはやめろって言ってんだろ、この脳筋が! ⋮⋮ああ、くそ、またあの悪夢の再来とか勘弁してくれ。動かない
やつの心臓が止まってないかと、脅えて震える日々を過ごしたくな
い﹂
639
呻くアランに、レオナールが楽しそうに笑う。
﹁大丈夫よ、相手が武器を抜かない限りは、殺したりしないから﹂
﹁だから無闇に殺そうとするなと⋮⋮っ!﹂
唸るような声を上げるアランと、すこぶる楽しそうなレオナール
を見て、ジャコブは何かを察したようだった。
﹁ああ、猛獣と猛獣使いみたいな関係か﹂
ポンと手を打つジャコブに、アランが苦虫を噛み潰した顔で言う。
﹁ロランから、こいつに関する注意事項とか申し渡しとか、なかっ
たのか?﹂
﹁そういうのは聞いてないな。ただ、Fランクではあるが実力はそ
れ以上の、ちょっと変わった新人二人組が来るとだけ﹂
﹁それ書いたの、もしかしてギルドマスターのクロード、とか?﹂
﹁おう、良くわかったな。その通りだ﹂
﹁あのおっさん、マジで一回死ねば良いのに﹂
アランは呪詛を呟いた。
﹁絶対、皆にそう思われてるわね、あのおっさん﹂
﹁⋮⋮ロランのギルドマスターと親しいのか?﹂
640
﹁今は色々あって、居候している﹂
アランの返答に、ジャコブは何か言いたげな顔になったが、それ
を口にはしなかった。アランはうんざりした顔で言う。
﹁あんたもこいつと一度でも狩りや討伐に行ったらわかる。こいつ
のオーガ並みに無尽蔵な体力と特攻癖に付き合うには、万全の体調
で挑まないといけないんだ。
それがわかってたら、俺が仕事の前日に酒を飲み過ぎたり食い過
ぎたり、その他体調を崩すような事をやらかしたりせずに、なるべ
く早めに就寝したがる理由が良くわかるはずだ。
魔物の巣やダンジョンで置いてきぼりにされたり、幼竜の背中に
荷物のように縛り付けられて運ばれたり、ろくな目に遇わないんだ
ぞ!?﹂
﹁幼竜?﹂
ジャコブがおかしな事を聞いた、とでもいった表情になった。
﹁それも説明しないといけないのか。くそっ、あのおっさん、いっ
たい何を考えて仕事してるんだ。帰ったら、食事にこっそり下剤盛
ってやろうかな﹂
﹁ついでに斬って内臓出しても良い?﹂
﹁それはやめとけ。下剤もバレない程度にするつもりだから、お前
はせいぜい殴る程度で済ませろ﹂
﹁⋮⋮なんか聞いてはいけない襲撃計画ていうか、予告を聞いちま
641
ったような﹂
ジャコブがぼやいた。
﹁大丈夫、死ななきゃ良いのよ﹂
﹁あと、犯罪として認知・立件されなきゃ問題ない﹂
レオナールとアランの言葉に、ジャコブは頭が痛そうな顔になる。
﹁⋮⋮お前らを敵に回したり、恨まれたりしたら、すごく面倒臭そ
うな事は良くわかった﹂
﹁それで幼竜の説明だったな。今は宿の厩舎に、ガイアリザードの
成獣と一緒に預けてあるが、こいつ、レオナールがダンジョンでう
っかり手なずけたレッドドラゴンの子供だ。
今は体高2.6∼8メトル近くあるが、ブレスや魔法は使えない
し、人間の言葉も話せない。かろうじてレオとだけは会話できるよ
うだが、どこまで通じてるのかは検証したわけじゃないからサッパ
リだ。
わかってるのは、レオと恐ろしいくらいに息が合ってて、双方共
に敵の真っ只中に突っ込んで行く脳筋で、ゴブリンやコボルト相手
なら、ほぼ蹂躙といって良い戦闘力と殲滅力を持っている。
俺程度の魔術師じゃ、下手すると足手まといじゃないかと思うく
らいだ﹂
﹁おい、待て。ガイアリザードの成獣に、幼いとは言えレッドドラ
ゴン? お前ら正気か?﹂
﹁証拠が見たいと言うなら、今から宿の厩舎へ連れて行って見せて
642
も良いが﹂
﹁いや、それは後で良い。それにしても、吹かしや冗談じゃないん
だな?﹂
﹁ああ。だから、ギルドマスターが前もって通達してくれてたら、
こっちも楽だったんだが。南門で、使役魔獣と騎獣だって言ったら
普通に通れたんたが、もしかしてまずかったか?﹂
﹁くそっ、あいつらまともに仕事してねぇだろ。その幼竜は翼を閉
じている状態だったか?﹂
﹁当然だ。翼を開いた状態で門をくぐれるはずがない﹂
﹁種類も聞かずに通した?﹂
﹁その通りだ﹂
﹁すまん、それ、門番の怠慢だな。たぶんどちらも種類名を言って
いたら、事前予告なしに通れなかったはずだ﹂
﹁⋮⋮もしかして、ガイアリザードって﹂
﹁使役魔獣や騎獣として、一応認められてはいるが、確かきちんと
した認可と領主の許可証、それに移動前に申請というか事前通告が
必要なはずなんだが、ロランでそういう事は聞いてないか?
性質は確かにおとなしくて、慣れてさえいればそうそう暴れる事
もないが、皆無ではないし、肉も食う。今のところ死肉を食ったと
いう目撃例しかオレは聞いた事はないが、なにせ大型の魔獣だから
な。ちょっと暴れただけで被害は甚大だ。
643
まぁ、幼いとは言えレッドドラゴンが一緒なら、そちらの方が脅
威だが﹂
﹁厄介なのを掴まされたような気がしていたが、どうやら悪徳業者
か、夜逃げ寸前のやつに、ババを掴まされたな﹂
アランがチッと舌打ちした。
﹁ロランに帰ったら、斬っても良い?﹂
嬉しそうに尋ねるレオナールに、アランは渋面で答える。
﹁たぶん戻った頃には、とっくに逃げてるだろ。もうロランには、
お前に喧嘩売る店や商人はいないと、油断してたな。
切羽詰まってたのかもしれないが、かといって手加減してやる気
はない。ここで甘い顔見せたら、他のやつにカモられる。
被害を受けたのはロランだが、ここで詐欺の被害届けとか出せる
か?﹂
﹁ちょっと面倒だが、一応出せない事はない。同じ領内だからな。
この町に常駐しているのも、セヴィルース伯爵の領兵だ。ただ、上
はともかく、下は現地採用がほとんどだから、門番辺りには抜けて
るのも混じってる﹂
﹁ロラン北門の門番も、見逃してるからな。ジェラールのバカが、
女旅芸人の尻や胸元ばっかり気にして、仕事に手を抜きやがるから。
これで減俸を食らうな、ざまあみろだ﹂
﹁まぁ、自業自得よね﹂
644
レオナールが他人事のように肩をすくめる。アランがギッと睨み
付ける。
﹁あのな、レオ。発端はお前が悪徳業者に騙されて、あんなばかで
かい魔獣を売り付けられたりするからなんだぞ﹂
﹁え∼? だって、私は純然たる被害者よ?﹂
﹁いや、お前が被害者かどうかはともかくだな、とにかくバカで悪
賢い商人の口車に、容易に乗るからいけないんだ。
お前がバカな脳筋だと知ってて別行動させた上、ロランを出る前
にきちんと確認しなかった俺もバカだが、これに懲りたら、軽々し
く銀貨以上の買い物を、即決するな。せめて俺に相談してからにし
ろ﹂
﹁例の肉屋も?﹂
﹁あそこは良心的で、しかもお前で儲ける必要のない老舗かつ大店
みたいだから、問題ないだろ。
普段、利用しない店や商人との買い物・交渉には気を付けろ。悪
意を持ってやらかすやつは、いくらでもいる。そういう連中は逃げ
切れば、問題ないと高をくくって、反省も後悔しないからな﹂
﹁見つけたら殺して良い?﹂
﹁ダメだ。見せしめに殺しても、運が悪かったと思うだけで、効果
がない。犯罪行為をおかしたやつは、きちんと法律で裁いてやらな
いとな。
単独ではない可能性もあるし、たぶん他にもやらかしてる。そこ
らへんをキッチリつまびらかにしないと、他の被害者も気の毒だ。
645
似たような案件が、今後出ないとも限らないしな﹂
﹁斬ってルージュの餌にでもすれば、証拠隠滅できるのに﹂
﹁だから単独犯じゃなく、裏で犯罪組織と繋がってる可能性もある
だろ? ジャコブさん、ガイアリザードって正式な認可がいるって
事は、本来ならばきちんとした大店しか扱えない商品だよな?﹂
﹁そうだな。申請する場合、きちんとした飼育環境や、教育ができ
ると認められなければ、認可は降りない。
ガイアリザードは、性質や習性から言って、害獣扱いや討伐対象
じゃないから、狩るにも事前の許可が必要だ。故に、冒険者ギルド
の依頼に載る事もない。
専門の騎獣または使役魔獣を狩る業者しか、普通は狩らない。つ
まり、それ以外のやつが狩ると密猟として処罰される。
とは言え、初犯なら罰金刑で、悪質と見なされても数年の禁固だ
な﹂
﹁軽い刑罰なんだな。ってことは、悪徳業者や犯罪組織に騙されて、
ギルドを通さずに依頼を受けて、狩るやつもいる?﹂
﹁ああ、そういう連中は、罰金刑受けて、初めて犯罪だと知るって
事もあるな﹂
ジャコブの返答に、レオナールが目を軽く見開く。
﹁え? 何? 騙されて狩った場合も、罰金払わされるの?﹂
﹁当然だろ? 口では何とでも言える。知ってたか、知らなかった
か、証明する方法がない。
646
もちろん、︽嘘発見︾の魔法をかけてみるって手段もなくはない
が、その場合、それを使える魔術師を招聘する必要があるからな。
たぶん、そっちの費用の方が、払わされる罰金より多いんじゃない
のか?﹂
﹁その通りだ。だから、大抵は泣き寝入りだな。⋮⋮ていうか、な
ぁ、アラン。お前、いったい年齢いくつだ?﹂
﹁紅花の月中旬に成人したばかりの15歳だ。レオの成人が翌月の
若緑の月の頭だったから、その日にギルド登録した。ギルド登録か
ら、数えて2ヶ月と10日、か﹂
﹁お前、冒険者にしておくのは惜しいな。どうだ、ショボいFラン
ク魔術師なんかやめて、冒険者ギルドに就職して職員にならないか
? お前みたいな部下が欲しい﹂
﹁ちょっと! 勝手に勧誘しないでよね。確かにアランは魔術師よ
り事務系職員とかのが向いてそうかもしれないけど、引き抜かれた
ら、こっちだって困るんだから!﹂
﹁⋮⋮俺の魔術師としての才能、全否定かよ⋮⋮﹂
アランがガックリ肩を落とした。
﹁あ、そうだった。アランは魔術師として、自分の力を振るいたい
んだから、絶対、ギルド職員とかにはならないわよね﹂
レオナールの言葉に、アランがジットリとした目線を向ける。
﹁おい、お前、今それ、完全に忘れてただろ﹂
647
﹁そんな細かい事は気にしちゃダメよ、アラン。大丈夫、私と一緒
に行動する限りは魔術師として、存分に力を振るえるし、大好きな
魔法陣や古代遺物だって、きっといっぱい見つけられるわよ!﹂
﹁とってつけたように言われても﹂
ぼやくアランに、
﹁そんな事より、早くさっさと依頼の件、聞いて用件済ませてしま
いましょうよ。ゆっくり夕食取りたいでしょ?﹂
誤魔化すようにレオナールは笑った。そんな二人を見て、ジャコ
ブはだいたいの力関係?を把握した。
﹁大変だな、アラン﹂
肩をポンと叩かれ、アランは嫌そうな顔になった。
﹁⋮⋮まあ、とにかく、俺はせっかくなれた魔術師やめる気はない
し、ショボい魔法しか使えなくても、今後勉強と研究を続けて、少
しはマシなレベルにはなれると思いたいから、勧誘とかは諦めてく
れると助かるんだが﹂
﹁ああ、うん、勧誘はしないから、頑張れ。応援するよ。⋮⋮まあ、
料理が来たら話そう﹂
﹁長くなりそうなのか?﹂
﹁そうだな、たいした話でもない、か。とりあえず1部しか用意し
648
てないが、渡す資料は用意してある。ロランのギルドマスターが言
うには、1部で十分で、2部あっても用紙とインクの無駄らしいん
でな﹂
﹁全くその通りだな﹂
アランが頷いた。ジャコブがこっそりレオナールの顔色をうかが
ったが、全く興味なさげで、ケロリとしている。ふむ、と頷きつつ
資料をアランに手渡す。
﹁コボルトの巣が見つかったのは、ラーヌ東の山林だ。地図で言う
と、ここ﹂
アランの手元の資料の中に、簡単なラーヌ周辺地図があり、そこ
に赤いインクで×が記されていた。先日のゴブリンの巣は、ラーヌ
の南の森であり、今回の目的地とは別の場所である。ちなみにラー
ヌのやや東寄りの北東に、フェルティリテ山があり、その麓の林の
中である。
﹁あと、注意事項としては、近くで新興の盗賊団︽狡猾な森狼︾と
かいう連中の拠点が見つかって、その討伐に2、3のパーティーが
入ってるから、もしかしたらコボルトの巣へ向かう途中で、出くわ
すかも知れない。
ちなみに、その拠点はここ、山の中腹だから、近寄らなければ会
わないはずだが、連中が向かってもう3、4日経ってるからな。戻
って来る連中に、遭遇する可能性はある。
ちょっと荒っぽい連中ばかりだから、お前らみたいな面と品の良
さげな若いやつ見たら、ちょっかい掛けて来る可能性はある。バカ
ばっかりだが、悪いやつらじゃないから、なるべく穏便にな﹂
649
ジャコブの言葉に、アランがレオナールを見遣るが、聞いている
風はない。無表情になったアランが、
﹁出来るだけ善処します﹂
と答えた。それを見て、ジャコブは肩をすくめる。
﹁まぁ、殺さない程度に頼む。あいつら、じゃれるのと殴るのと、
たいした違いはないと思ってやがるからな﹂
﹁という事は、多少痛めつけても問題ない?﹂
真顔で尋ねるアランに、ジャコブは渋面になる。
﹁推奨はしてないからな。良いな、一応俺は忠告というか警告して
おいたからな﹂
﹁ああ、言いたい事はわかる。わかるが、足の速い体力バカの剣士
と、同じく無尽蔵の体力を持つドラゴンが暴走したら、ひ弱な俺に
は止められないからな。
あいつらに、ついて行くので必死で精一杯なんだ。しかも、更に
騎獣が増えたからな。いい加減人間の、会話が通じて責任を共有し
てくれる仲間が欲しい﹂
どこか虚ろな瞳と声で、切実に告げるアランに、ジャコブはなん
と返すべきか迷った。
﹁⋮⋮ええと、頑張れ?﹂
アランは乾いた笑みを洩らした。
650
3 男性ギルド職員の慰めは、心に響かない︵後書き︶
ダメかもしれない、と思ったのだけど、もしかしたら違うかも、と
思いましたが、やっぱり次回も巣の探索には出られないと思われ。
すみません。次回もラーヌの町です。
以下を修正。
×元棒食らう
○減俸を食らう
×きちんと飼育環境や教育できると
○きちんとした飼育環境や、教育ができると
×その通りですね
○その通りだな
×紅花の月、下旬
○紅花の月中旬
×その一週間後の
○翌月の
×1ヶ月と10日
○2ヶ月と10日
651
4 男性ギルド職員と情報屋と、怪しい男
全員の酒と料理が来たところで、ジャコブが簡単にコボルトの巣
について説明した。
件の巣が見つかったのは先月末のこと、発見者は薬草採取と、牙
角馬││角と新鮮な肝は薬として、たてがみは弓の弦や革鎧を縫う
糸などとして利用される事が多い││を狩りに行った冒険者である。
コボルトが、彼の狙っていた牙角馬を先んじて狩ろうとして失敗、
逃がすところを目撃した彼は、万一の可能性を考えて牙角馬を諦め、
コボルトの後をつけたところ、巣を発見したらしい。
﹁︽隠形︾スキル持ちか。良い腕と判断の冒険者だったみたいだな﹂
﹁ああ、ソロの弓術師で、天性の狩人だと思う。ソロだからコボル
トの巣の探索は無理だが、魔獣を狩らせたらピカ一だ。獲物を見付
け出す技術に才能、ほとんど無傷で倒して、剥ぎ取りも完璧。
あれでもうちょい愛想が良くて、コワモテではなく口下手じゃな
ければ、勧誘されまくりの逸材だろう﹂
﹁うちのパーティーに欲しいな。その前に盾役が必要だが﹂
アランが頷く。
パーティーメンバー
﹁あ、いや、でも、レオとルージュがいたら折角の︽隠形︾も無駄
になるか。仲間って難しいな﹂
アランは溜息をついた。
652
﹁あ∼、まぁ、ソロも含めどこの冒険者も、そいつは大なり小なり
苦労しているだろうな。金とコネのあるやつ以外﹂
﹁⋮⋮そうだよな。俺達なんかコネらしきものはかろうじてあって
も、何の役にも立ってないし。まぁ、あのおっさん達、一応元Sラ
ンクでも人間的にはちょっとなぁ⋮⋮﹂
コネ
親しくなったり、相手を良く知ればお近づきになりたくなくなる
類いの人物の人脈など、あってもなくてもそう変わりないだろう。
結局のところ、そういう人物と付き合えるのは、割り切って付き合
える合理主義者か、似た者同士・同類などという連中なのだ。
︵問題児はレオ一人で手一杯だ。真面目で誠実で、使える人材転が
ってないかな︶
もちろんそんな人材がいたら、引く手あまたで、目の前にどうぞ
と言わんばかりの状態で、転がってるはずがないのである。
﹁確認のため現地に向かった調査員は、巣に出入りするコボルトの
数と頻度が多かったため、位置は確認したが、内部の様子は全く不
明だ。
狩りの様子からいって、それほど強くはなさそうだという事で、
一応Fランクに設定した。ソロには無理だが、パーティーなら問題
ないだろうという判断だ﹂
﹁報酬がずいぶん低すぎるようだが﹂
﹁う∼ん、うちは宿場町というだけあって、依頼は他にもいっぱい
あるからな。先日、ロランであった強化されたゴブリン騒ぎみたい
に、コボルト達になんらかの異常や異質な点が見られるとか、クイ
653
ーンや特殊個体の発見とかそういうのはないからな。
それに今の話題と緊急性は、ランク不問依頼の盗賊団の方が高い。
そっちに取られて、こっちに回す予算が、な。
一応規模や新たに発見したりわかったものの内容次第で追加報酬
はつける予定だが、正直、上層部はこの件を重視していない。盗賊
団と違って、商人や民間人の被害が出ていない、または確認されて
いないからな﹂
﹁被害者が出た時点で手遅れだろうに、呑気なものだな。コボルト
の特性や習性は、どこの町や村でも良く知られたものだろう?﹂
﹁ああ、全くだ。だが、良く知られたありふれた弱い魔物だから、
軽視されているのも事実だな。
異常事態が生じない限り、コボルトやゴブリンの討伐や巣の探索
なんて、面倒な割にうま味がない仕事は、低ランク冒険者をこき使
ってやらせておけという考えなんだろう。
オレとしては今回、お前らみたいにFランクの新人なのに、たか
がコボルトと軽視しないで、本気で真面目に取り組んでくれる、慎
重さも持った連中が来てくれたのは、大歓迎だ。
どうしてもラーヌじゃ軽視されがちだし、それを受ける冒険者も
嘲られる傾向があるからな。先を見る目のない力自慢のバカばっか
りだ。
もちろん、そんな連中ばかりじゃないが、真面目に実直に仕事す
るやつは引く手あまただからな。ランクも高いし、多忙過ぎて、と
ても頼めない。しかも報酬が言っちゃなんだがゴミみたいなもんだ
からな。
銀貨2枚は庶民にとっちゃそこそこ高額だが、初期費用や恒常的
に経費のかかる冒険者にとっては端金だ。冒険者に成り立ての低ラ
ンクだって、見向きもしない。
魔術師のいないパーティーの新人が、まともに討伐・探索調査な
654
んかすれば、赤字は目に見えてるからな﹂
﹁金の悩みや問題は、どこも深刻で大変みたいだな。俺としては、
この時期に新たなコボルトの巣、それも大きそうなのが見つかった
というのが、すごく怪しいと思うんだが﹂
﹁何?﹂
ジャコブが顔をしかめた。
﹁それは、どういう意味だ?﹂
﹁まだ何の証拠も確証もないし、想像とか妄想の域に近いから、あ
んたの胸の内にしまっておいて欲しいんだが、たぶんこのコボルト
の件も先日のゴブリンの件に関わってるんじゃないかと思っている。
何の調査も、情報収集もしてないから、憶測だが、ゴブリンの強
化を狙った黒幕が、何らかの形で関わってる可能性が皆無じゃない。
そいつがどういうやつなのか、人間なのか、そうでないのかすら全
くわかっていないが、残された魔法陣から︽混沌神の信奉者︾であ
る可能性がある﹂
﹁︽混沌神の信奉者︾⋮⋮二十年程前に王都に魔物を呼び寄せて王
国転覆を狙ったり、数年前だったかに領内で怪しげな儀式を繰り返
していた連中か﹂
唸るような低い声になるジャコブに、アランは神妙な顔で頷いた。
﹁盗賊団の方は、問題なく片が付きそうなんだろ?﹂
﹁ああ。一応Bランク1組に、Cランクパーティーが2組、計18
655
名に見届け役のギルド職員で自衛はできるやつ1名が、討伐に向か
ったからな。ボスはBかC級だと目されているが、他は一般人に毛
が生えた程度だからな。魔術師が5人もいるし、問題ないだろう﹂
﹁宿場町だし、もしかしたら、目眩ましに使われた可能性は皆無じ
ゃないだろうが、一連の件とはたぶん関係ないだろう。
問題というか異常事態が生じた場合は、認識を改める必要もある
かもしれないが﹂
﹁アラン、お前がそう考える根拠は何だ?﹂
﹁今のところは、ただの勘だとしか言えないな﹂
﹁は? なんだ、ただの勘かよ。人騒がせな﹂
﹁ただ、気のせいだとか気の迷いだとか、思えないんだ。楽観的に
考えて失敗するより、より悪い方を想定して事に当たった方が、何
かあってもなくても、幾分マシだ。
妄想傾向のある心配性だと思ってくれても良い。ただ、ちょっと
頭の隅にでも置いておいてくれ。何もなければ、ただの笑い話だ﹂
﹁ふぅん、まぁ、お前とはまだ会って間もないが、真顔で戯言や冗
談言えるほどさばけてるわけでも、腹芸がうまいわけでもなさそう
だからな。半信半疑で覚えておくよ﹂
﹁ああ、そうしてくれ。気のせいなら、それで良いんだ。何事もな
ければ、それが一番だからな﹂
アランは頷いて言った。
656
﹁あと、出来ればで良いから、ここ2、3ヶ月で何かいつもと違っ
た事があったり、何かふと気になった事があるなら、知りたいんだ
が﹂
﹁⋮⋮と、言われてもな。思い当たるような事は特にないな。何か
あるとしたら例の盗賊団関連くらいだが、それだってこの町の役割
や特性上で言えば、特別おかしな事でもないからな。
人や物が多く往来する場所では、犯罪やトラブルも多発しやすい。
人の出入りや増減も激しいからな。全体の動きが活発だから、どう
しても個々、あるいは細々とした事に対する注意は疎かになる﹂
﹁ギルド職員より、飲食店や宿屋やその他の店の店員に聞いた方が、
良いかもしれないな﹂
﹁それがコボルト討伐や巣の探索・調査に必要なのか?﹂
﹁半ば俺の趣味みたいなものだな。役に立つ事もあれば、そうでな
い事もある。後者の方が圧倒的に多いが、まぁ、俺が拠点として活
動しているのは、ラーヌに比べたら人も情報も少ないロランやその
近郊だからな。
人が少ないから、情報収集の難易度も量も、その取捨選択もそれ
ほど難しくはない。ここみたいに全体の数も量も多くて、動きも激
しいと、期間や情報の種類を絞っても、色々難しいだろう。
たぶんこれほど大きな町だと、情報屋かその類いの仕事してるや
つもいるんだろうが﹂
﹁ああ、確かに情報屋とか何でも屋とか、口入れ屋のついでの副業
みたいな、そういう生業のやつは幾人かいるな。非合法やもぐりの
やつ、新参についてはサッパリだが﹂
657
﹁この町だと、占術師みたいなのもいそうだな﹂
﹁ああ、そこそこいるな。そう言えば、先週くらいから東通りで仕
事始めた占術師が、評判良いみたいだ﹂
﹁そう、それ! そういう新しく商売始めたやつの話とかが知りた
いんだ﹂
﹁そう言われてもな。オレは休日以外は、ほとんどギルド受付に座
ってるか書類仕事や雑用やってるし、休日は寝倒して過ごすから、
そういうのはサッパリだ。
ほら、見目が良くて若い女ならともかく、オレみたいなむさいの
相手に、世間話や雑談するような酔狂なやつも、そういないからな﹂
ああ、なるほどとアランは思い、しげしげとジャコブを見た。無
精髭を生やしたボサボサ頭の茶髪に明るい緑の瞳の、大柄だが、地
味でも派手でもなくごく普通の、これといった特徴も、潤いも癒し
も欠片もない、少し腹の出かけた中年男。
悪い男ではないが、特に用もなく仕事でもないのに、人が話しか
けたくなるようなタイプではないだろう。
﹁何か失礼なこと考えてないか?﹂
ジャコブが胡乱げな目付きで言った。
﹁いや。まぁ、暇な時で気の向いた時にでも、他のギルド職員に世
間話か雑談として、聞いて覚えていてくれると助かる。無駄になる
可能性もあるが、何か目新しい発見もあるかもしれない﹂
﹁ふぅん、わかった。じゃあ、お前達は今日は情報収集で、明日探
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索予定か?﹂
﹁ああ、そのつもりだ。土地勘も顔見知りもいない場所で、自力で
情報収集はきびしいから、腕の良い情報屋を教えてくれると助かる﹂
﹁それなら、もうしばらくしたら、そいつもここへ夕食取りに来る
はずだ。あいつは娘みたいな年なのに、アメリーがお気に入りらし
くてな。粉かけたり、自分から進んで話しかけたりはしないが、孫
娘を見るジジイみたいな顔で、店にいる間中眺め回している﹂
それを聞いて、アランはうわぁという顔になる。
﹁なぁ、そいつ大丈夫なのか?﹂
﹁眺めてるだけじゃ、犯罪にはならないからなぁ。アメリーもそう
いうのには慣れっこで、気にしてないらしいから、第三者のオレが
どうこう言う筋合いはないしな。
眺めているだけで満足していると言うなら、放置して関わらない
のが一番じゃないか? 下手に刺激しておかしな事になるのも恐い
からな﹂
﹁幼女趣味という年齢でもないだろうしな﹂
﹁ああ、少し幼く見えるがお前らと同年代だ。一応ギリギリ成人し
ている。それに護身の類いはある程度身に付けてるようだからな。
昼間以外に買い出し以外に、一人で外出するような事もないから、
たぶん大丈夫だろ﹂
﹁まぁ、何も知らない無知な町娘というわけじゃないだろうし、俺
達が心配しても仕方ないな。じゃあ、そいつが来たら教えて紹介し
659
てくれ。依頼に関する話はこれで全部か?﹂
﹁まぁ、話しておくべき事は、全部話したつもりだ。あと補足は資
料で事足りるだろうし。
しかし、まさか町の外にあるコボルト討伐と巣の調査で、ここ最
近の町の事について尋ねて来る冒険者がいるとはな。十年以上職員
やってるが初めてだ﹂
ジャコブの言葉にアランは苦笑する。
﹁ああ、俺は心配性で臆病だからな。誰が見ても安全に見える石橋
だとしても、なるべく事前に入念に叩いて、後顧の憂いをなくして
から渡りたい﹂
アランが言うと、ジャコブは肩をすくめた。
﹁最初は新人の割にはずいぶん毛色の変わったやつが来たもんだと
思ったが、面白いな、アラン。
まぁ、冒険者稼業に飽きたら、俺のところへ顔を出せ。その頃、
俺がラーヌで職員やってるかは不明だが、お前だけなら何とか都合
つけてやる﹂
﹁たぶんそういう予定は皆無だと思うが﹂
﹁そりゃ、今は若いし健康だからな。そんな事はまだ考えられない
かも知れない。だが、怪我をしたり体力的にきびしいと感じたら、
冒険者やってくのはキツイ。金とコネの大切さはわかってんだろう
?﹂
﹁必要ないとは思うが、有り難いと記憶しておくよ。あんたに心配
660
されるほど、頼りないつもりはないんだが﹂
﹁頼りないとかいう話じゃないぞ。気に入ったからだ﹂
﹁そいつはどうも﹂
アランは半ば困惑、半ば照れた顔で、かいてもない汗を拭う仕草
をした。
﹁この角兎のソテーのタレ、美味しいわね。お土産に持って帰れな
いかしら﹂
レオナールがボソリと呟いた。
﹁それは難しいだろ。文字通り飯の種で、それが売りなんだろうか
ら﹂
アランは苦笑しながら答えた。
﹁良い魔獣肉が狩れたら、持ち込みで何か作って貰えるかしら?﹂
﹁後で聞いてみるか? それなりの代金払えばいけそうな気もする
が﹂
﹁大丈夫だろ。たまに買い取りとか、持ち込みとかあるからな。適
正な代金払うなら問題ないだろう﹂
レオナールの疑問にアランが答え、ジャコブが保証した。それに
安心し、嬉しそうな顔で黙々と肉を食べるレオナール。
661
﹁おい、野菜とスープもちゃんと食えよ。そう言えば、腹が減って
きたな﹂
﹁冷めない内に食ってしまうか﹂
そして、アランとジャコブも食事に集中する事にした。食後にレ
オナールとアランは茶を、ジャコブは麦の蒸留酒を頼んだ。
その茶を飲み終えるかどうかくらいのタイミングで、情報屋がや
って来たので、ジャコブが手招きする。怪訝そうな顔で近付いて来
た情報屋に、ジャコブが二人を紹介する。
﹁こいつらはロランから来た冒険者で、黒髪がアラン、金髪がレオ
ナールだ。腕の良い情報屋を紹介して欲しいという話だから、お前
を紹介する事にした。
で、アラン、こいつがその情報屋で、名前はアントニオ。ラーヌ
でもそこそこ古株で腕は確かだ﹂
アントニオはスキンヘッドに、目の大きさが判別できなくなるほ
ど分厚い眼鏡を掛けた、無愛想な中年から老年に差し掛かろうとい
う風体の、中肉中背の男だった。
﹁はじめまして、アランだ。こっちは相方のレオナール﹂
アランが一礼して挨拶すると、レオナールは無言で会釈する。
﹁情報屋のアントニオだ。見たところずいぶん若そうだが、予算は
いくらくらいだ?﹂
﹁内容によっては大銀貨3枚、いや10枚くらい、かな。ここ最近
3ヶ月ほどで、ラーヌの町中や周辺で何か変化した事や、通常とは
異なる何かがあれば、それが知りたい﹂
662
﹁年齢の割にそこそこ懐に余裕があるようだが、ずいぶん曖昧で返
答しにくい質問だな﹂
﹁俺が知りたいのは、魔物や魔獣の、通常通りではない行動などの
微妙な変化や環境の変化、あるいはそれまでいなかった新参・新規
の人や組織の動向や傾向、だな。
何も問題なければ良い。あと、プロの目から見て、何の異常も変
化もなかったというなら、それでもかまわない。
別にそれが俺の知りたい、とりたてて役に立つ情報でなくてもか
まわない。今回、初めてこの町に来て、事前情報も予備知識も全く
ない状態だからな﹂
﹁おい、ジャコブ。こいつはいったい何者だ?﹂
﹁だからロランから来た冒険者で、登録してから1ヶ月ちょっとの
Fランクの新人魔術師だ。面白いやつだろ? さっき勧誘したが、
断られた﹂
ジャコブが答えると、アントニオは頷いた。
﹁なるほど、普通の新人の世間知らずな坊やとは思わない方が良い
な﹂
﹁いや、普通に新人で世間知らずなんだが﹂
アランが困惑した顔で言うと、ジャコブとアントニオは揃って肩
をすくめた。それを見てレオナールはニヤニヤ笑っている。
﹁その若さで情報の大切さや、必ずしも全ての情報が役に立つわけ
663
ではないとわかっているやつは、そうそういないし、何より役に立
たない情報にも、金を払うと言えるやつは少ないだろう。謙遜も過
ぎれば嫌味だぞ﹂
アントニオが苦笑しながら言う。
﹁別に謙遜してるつもりはないし、事実しか言ってないんだが。と
もかく、特に何もなかったという内容でも、支払いを渋るつもりは
ない。
予算を超えるようなら困るが、あんたはプロだ。俺みたいな若造
に、払えない情報を売る気はないだろ?﹂
﹁そうだな。その点は安心して良い﹂
﹁ならば、頼む﹂
アランが頭を下げると、微苦笑しながら、空いた椅子、レオナー
ルとジャコブの間に座った。
﹁魔獣・魔物に関しては、特に専門というわけではないが、この町
に商品として入ってきた分には概ね把握しているつもりだが、ここ
3ヶ月で変わった獲物が獲れたという話や、生息地や収穫量などの
変化についての噂話などは特にない。
新規に訪れた人間に関しては数えきれないほど、具体的には三桁
ほどいて、現在そのままラーヌに留まったやつは、ごく数人で、後
は出て行って戻って来てはいないと思われる。これは宿場町だから
当然だな。
その内、新たに商売を始めたやつの話を、まずするとしよう﹂
アランはメモを取りながら、情報屋の話に熱心に耳を傾ける。
664
﹁まず、評判なのは、先週から東通りで営業始めた占術師だな。白
いローブ姿の、フードを被った、あまり特徴のない地味な老婆で、
水晶玉とカードを使うという話だが、これが良く当たると噂になっ
ている。
失せ物、対人や相性、悩み事などピタリと当てて、適切な助言や
答えをくれるらしい。王都から来た流れの自由民で、知名度はそれ
ほどではないが、王都でも知る人ぞ知るという、悪い話は聞かない
占術師らしい。
もっとも、それほど腕が良いなら、より稼げる王都ではなく、宿
場町で比較的人が集まりやすく稼ぎやすいとはいえ、このラーヌま
で来たのか不明だが。
あと、裏通りで営業を始めた薬も扱う雑貨屋だな。店を構えた場
所が場所だけに、細々とした商売だが、田舎から財産一切合財担い
で家族総出で来たようだ。
もっとも、息子は表通りの建具屋で、娘は近くの薬屋で働いて、
夫婦で店をやっている。店の評判は良くも悪くもない。
が、このまま少しずつでも常連客がつけば、そうそうに潰れる事
もないだろう。雑貨屋はともかく、薬の方はそこそこ需要があるか
らな﹂
﹁なるほど。占術師はともかく、その雑貨屋に関しては、その、一
家総出で出てくるのは珍しくないのか?﹂
﹁まぁ、田舎で食い詰める前にとか、一攫千金を夢見てとか、良く
あるありふれた話だな。もちろん失敗して夜逃げするやつの方が断
然多いが。
薬屋なんて、田舎の方が稼ぎは少ないかもしれないが、長くやっ
ていくには良い気もするが、それぞれ事情があるだろうしな﹂
665
アランは頷いた。
﹁まぁ、田舎で細く長くやって行こうという人も、都会で成功した
い人もいて当然だな。俺も、田舎から出て来た口だし﹂
﹁後は、外から来た輸入物の高級嗜好品を扱う行商人だったが、こ
の町の大店の後押しと融資を受けて、市民権と店舗を持った男だな。
こいつは副支配人の姪の婿となったから、店の名前や名義こそは
別だが、実質は大店の新規事業の一号店みたいなものだな。
町の住人からはあいつは遣り手で、上手く玉の輿に乗っただとか
やっかみ混じりで評判だな。珍しい話と言えなくはないが、大店の
経営者が引き込みたいと思うような商才のあるやつだったんだろう。
他には、元からこの町にいた雇われ料理人が独立して始めた料理
屋だな。この店と同じ通りにある、十人も入れば満員になる小さな
店で、一人でやっててテーブルなしのカウンターのみ、夜だけ営業
している。
流行ってるとは言い難いが、前に勤めていた固定客がそのままつ
いていったから、そこそこ上手くいってるんだろう。
ここ3ヶ月で商売始めたのは、これくらいだな。後は、娼館で用
心棒として勤め始めた、幼少時はこの町の住人だった元傭兵に、田
舎から恋人と出て来て酒場に新規で入った娘。この恋人とやらは毎
晩別の酒場で呑んで、娼婦を口説いたり、管を巻いてるヒモだな。
他に、田舎から登録のため出てきた新人冒険者4名と、他の町か
ら仕事求めて移って来た中級冒険者パーティーが6名だな﹂
アランはそれらをサラサラと書き留め、顔を上げる。
﹁これで終わりだ。銀貨1枚で良い。たいした情報でもないからな﹂
﹁良いのか、ずいぶん安くないか?﹂
666
﹁お前は、またその内必要になったら、買いに来るだろう? 常連
になりそうな若い客だから、初回のみのサービス価格だ。恩に着て
くれるつもりなら、また何か情報を買いに来るか、酒でも奢れ﹂
そこでアランは銀貨1枚を支払い、看板娘を呼んで、お薦めの酒
を一杯と、情報屋の夕食の注文を、アランの支払いで頼んだ。
情報屋が目を細め、酒も入ってないのにわずかに紅潮した緩んだ
表情で、アメリーの一挙一動を観察する姿が視界の端に映るのには、
少々微妙な気分になったが。
明日の事もあるので、まだ飲むという二人を残し、支払いを済ま
。
せてアランとレオナールは宿屋に戻る。その途中で、ふとレオナー
ルが立ち止まり、アランを振り返った
﹁どうした、レオ﹂
怪訝な顔になるアランに、唇の前に指を一本立てたレオナールが、
アランの腕を引く。
﹁?﹂
そして、レオナールは足音を立てないようゆっくり歩いて、宿泊
先の宿の裏手に回った。
そこには、バスタードソードを振るう茶髪の長身の男と、全身黒
ずくめの衣装を身にまとい、髪も顔も布で覆い隠した小柄な痩せ型
のダガーを握る男とおぼしき人物が、激しい剣戟を交わしていた。
﹁え? ⋮⋮ダニエルのおっさん?﹂
アランは思わず、小さな声で呟いた。
667
4 男性ギルド職員と情報屋と、怪しい男︵後書き︶
というわけでやっと師匠登場です。
長くなったので分けるべきか悩みつつ。
次回探索行けたら良いけど、この進み具合だと微妙です。
以下を修正。
×黒づくめ
○黒ずくめ
668
5 師匠は魔術師に謝罪する
アランが呆然と見つめ、レオナールがやれやれと言わんばかりの
表情で注視する中、突然、黒ずくめが距離を取り、飛び上がった。
﹁!?﹂
思わずアランは息を呑んだ。黒ずくめはそのまま密集した││と
は言え0.5∼7メトルの幅はある││2軒の家屋の壁を、交互に
蹴りつけながら、登って行く。
﹁な、んだあれ⋮⋮っ!﹂
そして、最後に一方の屋根に手を掛けると、そのまま屋根の上に
上がり、駆け出した。見る間に遠くなって行くその影の速度は、固
い土の上を駆けていたとしても、かなり素早い、軽々とした動きだ
った。
﹁あ∼っ、くそっ、また逃げられた! やっぱ周囲の被害考えて、
手加減とかまずったな。初回は舐めてたにしても、今回も手加減し
たとは言え、ほぼ無傷で逃げられるとか、自信なくすなぁ。トシか
ねぇ﹂
ぼやく明るい茶髪に、琥珀の瞳、身長1.92メトルのすらりと
した長身の、月明かりで見ても人目を引く男前の剣士。
﹁王都にいるって話だったのに、どうしてこんなとこにいるの?﹂
669
レオナールが声を掛けると、振り返った剣士が、剣を背に担いだ
鞘へと収め、白い歯を見せてニッカと笑った。
﹁おう、不肖の弟子。元気にしてたか?﹂
﹁ええ、元気だったわよ、ろくでなしのダメ師匠﹂
白けた顔と素っ気ない口調で答えるレオナール。その態度に対し、
大仰に肩をすくめたダニエルは、微苦笑しながら答えた。
﹁本っ当、相変わらず可愛くねぇな、レオ。ほら、久々に会った師
匠に対する感動の挨拶とか、なんかこんな事あったよ褒めてよ師匠
!的な報告とか、ねぇの? 確か半年くらいぶりだよな?﹂
﹁は? 何を期待してるの? バッカじゃないの、ダメボケ師匠。
一回死ねば?﹂
レオナールは呆れたような顔で、ダニエルを見る。アランが溜息
をつきながら、代わりに補足する。
﹁あの、ダニエルのおっさん、俺達半年ぶりじゃなくて、三ヶ月ぶ
りの再会だから。なんでそういう間違いするんだ?﹂
﹁お? そうだったか? ま、細かい事は気にすんな! ちょっと
の差だろ!﹂
﹁いや、三ヶ月と半年じゃ、かなり違うと思うんだが。それより、
本当、どうしてここに? って言うか、いったいなんでこんな場所
で、あんなやつと町中でいきなり戦闘やらかしてるんだ?﹂
670
﹁あー、その辺は大人の事情ってやつで﹂
ははは、と誤魔化そうとするダニエルを、レオナールが白い目で
見ながら、断言する口調で言う。
﹁⋮⋮どうせ、何かで師匠が勝手に興味抱いて、ちょっかい掛けつ
いでに、問答無用で斬りかかったとか、そういう事でしょう﹂
﹁あれ、どう見ても密偵とか暗殺者とか、そういう風体のやつだっ
たよな。本気モードじゃないとは言え、ダニエルのおっさん相手に、
あんな剣戟やらかすレベルなんだから、かなりの凄腕じゃないか?﹂
﹁あー、確かにそんな相手なら、ちょっと斬りたくなっても仕方な
いわね﹂
﹁⋮⋮おい、レオ。お前、俺が強そうなやつ見掛けたら、誰彼構わ
ず斬りかかるとか思い込んでないか?﹂
﹁え? 違うの?﹂
不思議そうな顔をするレオナールに、ダニエルがガックリ肩を落
とした。
﹁どんだけ信用ないんだ、俺﹂
﹁そりゃ、日頃の行いのせいじゃないかと﹂
真顔でアランが追い打ちを掛ける。
﹁え、何? アランから見ても、俺ってそんなキャラ? ⋮⋮マジ
671
か、嘘だろ! 俺、そこまでひどくねぇよな!?﹂
﹁ねぇ、ダメ師匠。いいかげんトシなんだから、現実見ないとダメ
よ? 人間は老けるのもボケ始めるのも、早いんだから﹂
﹁おい、レオ、その毒舌どうにかなんねぇの? 表情豊かになって、
口数増えたのは良い事だと思いたいけど、無口無表情時代のお前の
が可愛く見えるって、どういう事?﹂
﹁バカは生きてる限り直らないらしいけど、死んだら直るかも知れ
ないから、一度斬られてみたら? 私、師匠の心臓と脳髄の色が見
てみたいわ﹂
﹁いやいや、レオ! お前、真顔でおっそろしい事言うなよな! お前の真顔って、結構迫力で冗談に聞こえないんだから、勘弁しろ
よ﹂
﹁安心してよ、ダメ師匠。冗談のつもり毛頭ないから﹂
﹁できるか! 阿呆!! ちょっ、アラン、なぁ、こいつ何か悪化
してねぇ!?﹂
﹁ああ、いつも通りだから、問題ない。そんな事より、ダニエルの
おっさんは、どうしてここに? 俺達がラーヌに来てると知ってて
来たとか?﹂
﹁いいや? さっきのやつを、王都から追っかけて来たら、お前達
に遭遇した﹂
ケロッとした顔で、サラッと言うダニエルに、アランが渋面にな
672
り、レオナールが呆れた顔になる。
﹁やっぱり、あいつを斬りたくて追いかけて来たんでしょ?﹂
﹁まぁ、その通りだが。いや、でも、あいつ王都で有名な暗殺者な
んだよ。賞金首で、賞金総額大金貨300枚って、とんでもねぇや
つだからな﹂
﹁大金貨300枚、それはおいしいわね﹂
ノワール
﹁だろ? ︽黒︾って呼ばれてる凄腕で、年間金貨1000枚は稼
いでるって噂だな﹂
﹁ああ、だんだんさっきのやつが金貨の塊に思えて来たわね。でも、
どうせ師匠があいつを斬りたいと思ったのは、そういう事とは関係
ないんでしょ?﹂
﹁⋮⋮まぁ、その通りだが﹂
頬を掻きながら頷くダニエルに、アランもレオナールまでもが、
溜息をついた。
﹁おっさんの戦闘狂にはずいぶん馴れたつもりだったが、夜とは言
え、人が歩く時間に、町の真っ只中で斬り合いやらかすまでとは﹂
呆れたように言うアランに、慌ててダニエルが弁明する。
﹁いやいや、これには切迫した譲れない理由があって!!﹂
﹁へぇ? どんな理由?﹂
673
レオナールが腕を組んで、首を傾げる。
﹁あー⋮⋮大きな声出したら、腹が減ったな﹂
ダニエルが腹を撫でながら、呑気な口調で呟いた。レオナールと
アランの眉間に皺が寄った。
﹁な、どっかメシ食えるとこ知らねぇ?﹂
先程までいた店、あるいはその通りに行けば開いている店がある
事はわかっていたが、面倒だったので、ダニエルを連れ宿屋へ戻っ
た。
そして、食事が出来るか尋ねたところ、軽食が出せるらしかった
のでそれを頼み、ダニエルに食べさせる事にした。
﹁そう言えば、宿取ってなかったな。今から探すの面倒だから、お
前らの部屋に泊めてくれ﹂
パンに切り目を入れ、ハムやチーズなどを挟んだものをパクつき
ながら、ダニエルが思い出したように言った。
﹁⋮⋮本当、ダニエルのおっさんは計画性とかなくて、思いつき重
視の、行き当たりばったりだよな﹂
はぁ、とアランが溜息をついた。全然変わらない辺り、この人は、
王都でどういう生活をしていたのだろうかと、アランは眉間に皺を
寄せた。
﹁屋根があれば十分だから、床で良いぞ﹂
674
ニッコリ笑うダニエルに、
﹁当たり前でしょ? 私たちが取った宿なんだから、私たちがベッ
ドで、バカ師匠は床に決まってるでしょ。何、寝ぼけた事言ってる
のよ﹂
白けた顔で冷淡に言うレオナールに、ダニエルが首を傾げた。
﹁⋮⋮なぁ、アラン。レオって前から、こんなだったか?﹂
﹁前からこんな風で、良くも悪くも変わってないと思うんだが。そ
れよりおっさん、俺達、先々月のレオの誕生日にロランで冒険者登
録して、冒険者として活動始めて、今日で2ヶ月と10日目だ。な
んか言う事ないのか?﹂
﹁おう、成人および冒険者登録、おめでとう。悪かったな、登録前
に放り出すような真似して。
いや、できれば、お前らが冒険者デビューするまで見届けたかっ
たんだが、ロランじゃやれる事に限りがあってな。
一応、王都の知り合いに協力頼んではいたんだが、色々あって、
俺が動いた方が早いと思って。他の連中、面子がどうの、体裁がど
うのってまどろっこしい事言いやがるからさ。
いや、頼んでおいて文句言う筋合いねぇかもしんねぇけど、人を
介してあれこれ指示すんの、面倒だからな﹂
ダニエルが言い訳じみた事を言うが、レオナールもアランも、あ
まり信用していない。どうせ思いつきで猪突猛進したんだろうと考
えている。だいたい、別れ際の台詞がひどかった。
675
﹃悪ぃ、王都の美人が俺を呼んでるからちょっと行って来る! お
前ら、成人まであとちょっとだから、頑張れ! あ、生活費これで
足りるかな? じゃあな!﹄
である。確か、アランの成人の誕生日の一週間ほど前だったろう
か。しかも生活費として渡されたのは、銀貨5枚。
二人とも装備や備品や薬などはいくつか持っていたため、買う必
要はなかったし、色々無茶振りされたおかげで、気候などに問題な
ければ、野宿・野営でも生きていける生活力はあったが、未成年二
人を放置するのに、これはひどい話だった。
ちなみに、冒険者登録するには、保証金が一人当たり銀貨1枚必
要である。これは低ランク冒険者が、例えば依頼を受けて、それを
遂行する事なく、そのまま放置するなどして、ギルドに損害を与え
た場合などに没収され、一年以上冒険者として、問題なく実績を積
むと、返還されるものである。
銀貨1枚なのは、低ランク冒険者の受ける依頼程度では、ギルド
に与える損害は概ね軽微であり、庶民にはそこそこ高額ではあるが、
払えないほどではない、という金額なためである。
一応、数日後に、手紙が届いたが、それもろくでもない内容で、
アランは読み終わる前から頭が痛くなった。
要約すると、﹃俺、冒険者とか面倒だしやめるわ、ハハッ! 世
界中で美人なネーチャン口説いて、うまい酒をガッパガッパ飲んで、
賭け事でガンガン金を増やして豪遊するわ! お前ら元気でやれよ
!﹄だった。
あの手紙を読んだ日とその翌日は、レオナールがものすごく不機
嫌だったのを、昨日の事のように覚えているアランとしては、ダニ
エルが多少キツく当たられるのは仕方ないと考えていた。
︵もう少しまともな理由があったとしても、あれはないと思うんだ
676
よな︶
レオナールじゃなくても怒って当然だと思うのだ。アランは腹が
立つより呆れたのだが。
︵元々このおっさんに、そんなに期待してなかったし、まともな保
護者っぽい事が出来るとも思ってなかったしな︶
レオナールがこの師匠であるダニエルに、どういう感情を抱いて
いるのかまで、きちんと把握しているわけではなかったが、それで
も一応あの時までは、いくばくかの尊敬または敬愛に似た気持ちは
残ってたのではないか、と推測している。
それをレオナール自身が認めるかどうかはともかく。
﹁どう考えても自業自得だと思うんだが﹂
﹁あん? この品行方正で清廉潔白な俺のどこが、自業自得だって
言うんだ? どっからどう見ても、ステキでカッコイイ、皆の憧れ
の剣士サマだろうが﹂
﹁⋮⋮口を開かなければ、ね﹂
アランが呆れたように言うと、
﹁やっぱり師匠も一度死ぬべきよね﹂
レオナールが言った。
﹁いやいや、一度でも死んだらそれきりだからな? っていうか﹃
も﹄なのか?﹂
677
﹁俺達、おっさんが紹介してくれたクロードのおっさんの、無茶振
りや適当振りの被害に遭ってるからな。なぁ、おっさん、他にもっ
とマシな知り合いいなかったのか?﹂
﹁マシな知り合い? ギルド関係だと、あいつが一番まっとうだと
思ってたんだが。後はマッドな研究オタク魔術師とか、魔物・魔獣
の解剖オタクの引き籠もりとか、ろくなやついねぇしなぁ。
人格者とは言わねぇけど、あいつ人当たりは良いし、わりと面倒
見良かっただろ?﹂
﹁そうかもしれないが、それ以外が色々ひどくないか?﹂
﹁う∼ん? そうか? 俺は気になった事ねぇな﹂
﹁ダメよ、アラン。師匠に言うだけムダに決まってるでしょ。だい
たい、テキトーさと大雑把さにかけては、あのおっさんよりひどい
んだから﹂
﹁そう言えばそうだった。ザルな神経の人に、わかるはずないよな。
俺がバカだった﹂
﹁あー、なんか久々だな、おい。そう言えば、お前らすげー生意気
で、本人目の前に、罵倒や悪口言える図太いやつらだったんだった。
王都じゃ礼賛賞賛、おべっかばっかりだから、うっかり忘れてた
な。調子に乗ってるつもりはなかったんだが﹂
ダニエルが肩をすくめた。
﹁罵倒や悪口じゃないわよ? ただの事実じゃない﹂
678
﹁だよな。嘘は言ってないだろ、おっさん。あんたに自覚がないだ
けで﹂
﹁おっさん呼ばわりも久々だわぁ。お兄さん呼ばわりとか、キャー
ステキーカッケーとか言われてたけど、そうだよな、俺おっさんだ
もんな。もっと仕事減らしてのんびりしてても良いよな、トシだも
の﹂
﹁⋮⋮師匠はこれ以上、仕事減らして遊んでどうするのよ? どう
せまともに仕事なんかしてないでしょ? さっきのだって仕事じゃ
なくて、お遊びの範疇でしょ?﹂
﹁⋮⋮お遊びって、まぁ、仕事とか頼まれたとかじゃあねぇけど、
酷くねぇ? 一応無収入ってわけでもないんだぞ?
何だったらここの支払いだって、宿泊費込みで全額持っても良い
し﹂
﹁ありがとうございます、ダニエルさん﹂
﹁きゃー、師匠、ヤッサシイ! 全額払ってくれるとか太っ腹! ステキ!﹂
全額持つと言った途端、豹変してペコリと頭を下げるアランと、
棒読みで賞賛?するレオナールに、ダニエルはガックリ肩を落とす。
﹁あー、そう言えば、お前らそういうやつだったよな。どうしてこ
うなったんだ。ウル村で出会ったばかりの時は、こんなじゃなかっ
たのに。もっと純真で子供らしいとこもあったはずなのに!﹂
679
嘆くダニエルに、アランがにっこり笑う。
﹁嫌だなぁ、ダニエルさんの教育・薫陶のおかげじゃないですか﹂
﹁そうよ、師匠がお金と、火の通った材料不明じゃない温かい食事
と、屋根のあるまともな生活の素晴らしさ、ありがたさを教えてく
れたんじゃない。やぁねぇ﹂
﹁何だよ、それ。その言い方じゃ、俺がお前ら虐待でもしたみたい
じゃねぇか?
俺は、俺なりに、お前らの将来考えて、何でも自分で出来るよう
に、俺がいついなくなっても自立・自活できるよう、色々教えてや
ったよな?﹂
﹁ですから、そのおかげですってば﹂
﹁そうよぉ?﹂
満面の笑みで頷くアランと、ニンマリ笑うレオナールに、ダニエ
ルは溜息をつく。
﹁そんなひどい目に遭わせたか? 記憶にねぇなぁ﹂
﹁大丈夫、そんな期待してませんから﹂
笑顔で言うアランを、ダニエルは嫌そうに見る。
﹁お前、その笑顔はすっげー胡散臭いぞ。それに心のこもらない敬
語とか、タメ口のがマシだわ。お前も本当、可愛くねぇガキに育ち
やがって。
680
初めて見た時はもっとキラキラした目をしてたのになぁ。あの純
真さや素朴さは何処行ったんだ﹂
ぼやくように言って、スープを流し込む。
﹁どんな子供も、いつかは成長するもんだよ、おっさん。それに子
供が無条件に純真だとかって、信じてたら、その内手酷く騙される
ぞ?
おっさんも一応昔は子供だったんだろ? 自分の子供の頃どうだ
ったか記憶にないのかよ?﹂
﹁自分の子供の頃ねぇ? 剣で斬ることしか考えてなかったなぁ﹂
しみじみ言うダニエルに、苦笑しながらアランが言う。
﹁言動はともかく、レオはそのまま、師匠とそっくりに育ってるよ﹂
﹁え∼? こんなダメ師匠と同じにされたくないわ﹂
レオナールが文句を言う。
﹁ここまでひどくないと思うのよね?﹂
首を傾げるレオナールに、アランは微苦笑を返すに留めた。
﹁まぁ、良いや。で、お前らなんでラーヌにいるんだ? ロランを
拠点にしてたはずだろ?﹂
﹁ラーヌ東の山林にある、コボルトの巣の探索と討伐の依頼受けて
来たんだよ﹂
681
アランの返答に、ダニエルはふむ、と頷く。
﹁じゃ、俺も一緒にそれ行く事にする﹂
ダニエルの言葉に、レオナールとアランが、きょとんとする。
﹁え? だってコボルトの巣だぞ? オーガの巣とかじゃなく、最
弱のコボルトなんだぞ?﹂
確認するように言うアランに、ダニエルは苦笑した。
﹁わかってるよ。確かにコボルトは最弱だが、その巣を探索して討
伐するとなると、ちょっと面倒だろ。
あいつらちょこまか狭いとこ逃げる上に、巣穴は外敵を封じたり、
牽制・撃退するための罠や造りになってるだろ?﹂
﹁実際、巣穴を探索した事はないが、資料でコボルトが好む罠や、
敵をはめるための巣の構造や、作戦などについては、調べてある。
たぶん飛び道具や罠を多用されるだろう事はわかっているけど、
それは幼竜の力業や、眠りの魔法で、大半はどうにかなるはずだ﹂
﹁幼竜?﹂
ダニエルがきょとんとした顔になる。
﹁ああ、そう言えば師匠は知らないんだったかしら? クロードの
おっさんから聞いてない?
オルト村でレッドドラゴンの幼竜を拾ったの。ルージュって呼ん
でるわ﹂
682
﹁実質、そいつと会話成立させられるのはレオだけで、なついてる
のもレオだけだ。うっかり餌付けされてなついたっぽい。
そいつも、特攻・突撃癖あって、レオと一緒に突っ込んで行くけ
ど、頑丈だから、強化ゴブリンの矢や魔法も効いてなかった。たぶ
んコボルトも同じだろう。俺の︽炎の壁︾を何度か、後ろ足で無傷
で踏み消してるしな。
あと、これは明日にでも被害届出そうと思ってるんだが、ロラン
でレオが、たぶん無認可のガイアリザードを掴まされた。一応領兵
に訴えるつもりだけど、ダニエルのおっさんがついて来てくれるな
ら、有り難い。
おっさん、知名度だけはあるからな。いた方が、話を聞いて貰え
るだろう﹂
﹁⋮⋮レッドドラゴンに、ガイアリザード。お前ら、なんか妙な事
になってねぇ? 人系種族でパーティー加入してくれるやつ、いな
かったのか?﹂
不思議そうに尋ねるダニエルに、アランが微苦笑を向ける。
﹁なぁ、おっさん。俺の相方がレオで、レオが自然体で振る舞った
らどうなるか、本気でわからない?﹂
﹁⋮⋮ああ、なんかすまなかった﹂
ダニエルは全くわかってない顔で、アランに謝罪した。
683
5 師匠は魔術師に謝罪する︵後書き︶
以下を修正。
×一ヶ月と十日
○2ヶ月と10日
684
6 剣士の師匠は超マイペース
﹁あー、久々にまともに寝たなぁ﹂
伸びをしながら言うダニエルに、アランが呆れた視線を向ける。
﹁おっさん、今までどんな生活してたんだ? 床で寝るよりひどい
生活とか、想像つかないぞ﹂
﹁うん? 王都にいる時は、知り合いが用意してくれた家で、使用
人が面倒見てくれてたが、ここ十日ばかりは、ほとんど徹夜で、用
を足す以外の休憩はほとんど取らずに、走りながら飲食する事が多
かったからなぁ。
さすがの俺も疲れたわ、ははっ﹂
﹁どれだけ無尽蔵の体力してるんだよ﹂
十日もほぼ徹夜で休憩なしとか、魔獣でもあり得ないだろうと、
アランは脱力した。
﹁アラン、師匠に常識を求めちゃダメよ?﹂
レオナールが髪を梳きながら言う。
﹁ああ、そういえば、そうだったな﹂
アランは溜息をついた。
685
﹁おいおい、何だよ、その言い方。まるで俺が異常者みたいじゃな
いか、失礼な﹂
ダニエルはそう言って胸を張るが、レオナールは肩をすくめ、ア
ランは聞こえなかった振りをした。
そんな二人に、ダニエルはやれやれと首を振り、それからアラン
に話しかける。
﹁しかし、そのローブ、前から思ってたが、便利だな。鎧にも同じ
付与魔法かけられると良いんだが。迷宮発掘品で探すしかないかね
ぇ?﹂
﹁鎧なら、もっと強力な付与魔法のが良いんじゃないか? このロ
ーブにかかってる魔法の種類はたくさんあるし、確かに汚染除去と
浄化は便利だけど、前面に立って戦闘するなら、もっと戦闘に役立
つ、高い効果のある魔法の方が良いに決まってる﹂
﹁いや、でも、手入れとか結構面倒なんだぞ。血もあれだが、体液
とか肉片とかないぞ⋮⋮﹂
﹁それ以上は言わなくて良い﹂
アランが真顔でキッパリと言った。
﹁昔、俺が十代の頃、ダンジョン潜ってスライム大量に斬った時な
んかなぁ、本当、酷い目に遭ったもんだ。運悪くそいつが消化・吸
収中で⋮⋮﹂
﹁その話はもう結構﹂
686
それ以上何か言ったらどうなるかわかってるだろうな、と言わん
ばかりの鋭い目つきで睨まれ、ダニエルは大仰に肩をすくめた。
﹁相変わらずアランは、冗談が通じないなぁ﹂
﹁⋮⋮冗談なのか?﹂
﹁いや、違うけど﹂
素直に答えて、アランに睨まれると、ダニエルはおとなしく口を
閉じた。
﹁朝食後は、領兵団の詰所へ行って被害届出したら、ギルドへ行っ
て、ダニエルのおっさんも行く事になったと連絡してから、巣に向
かおう﹂
﹁あ? わざわざギルドに伝えるのか? 別に俺は報酬要らねぇし、
付き添いと助言、アランの護衛、いざという時の援護役として行く
つもりなんだが。
ほら、お前らにゴブリンとオークとオーガの巣は付き合わせたけ
ど、コボルトは抜けてただろ? うっかり忘れてたから、実地で教
えておいてやろうかと思って﹂
﹁それは有り難いけど、後の面倒考えたら、一応連絡しておこうと
思ってさ。向かう先の山林奥の山に盗賊団の拠点があるらしくて、
盗賊討伐の帰りの連中に遭遇する可能性があると聞かされたからな。
俺達だけでも面倒臭そうなのに、おっさんもついて来るなら、念
のため一応保険はかけておこうかと﹂
﹁保険?﹂
687
ダニエルはきょとんとする。
﹁何もなければ、問題ない﹂
アランの言葉に、レオナールがニンマリ笑う。
﹁何? 嫌な予感でもするの?﹂
﹁⋮⋮お前、どうしてそういう事で喜ぶんだよ﹂
﹁だから、アランにとっての憂鬱は、高確率で私の楽しみなのよ﹂
﹁⋮⋮あ∼、お前のそれ、実は何か特殊技能なんじゃないのか? 良くわからないが、ちょっと変だと思うぞ。まぁ、異常および危険
探知用の魔道具代わりと思えば、便利でコストが安い上に、効果が
高めで精度も良いが﹂
﹁便利でコストが安い⋮⋮師匠と弟子で同じような感想とか、これ
だから、繊細さの欠片もない脳筋は﹂
アランは憂鬱そうにぼやいた。
﹁いや、でもその特技ってか才能は、お前が冒険者する上で、かな
りの強味になるぞ? 他のやつはそんな便利な能力持ってないから
な。それは魔術の才能より、下手するとお前の知能や記憶力より、
有益だ。
もちろん、お前の学習した事を、長期間に渡って記憶できる能力
は、何をやるにしても使える才能だが﹂
688
﹁つまんない事も、いつまでもしつこく覚えてる執念深さでもある
けどね。アランって、本当にどうでもいい事もたくさん覚えてるわ
よね﹂
レオナールが茶化す。
﹁レオの記憶力が悪すぎるだけだろ。俺が何か言っても、自分に都
合良い事以外は、全部きれいさっぱり忘れるのは、もはや特技と言
って良いレベルだよ﹂
﹁悪いけど、言われても全く覚えてないから、言うだけムダよ?﹂
﹁⋮⋮あ∼、まぁ、興味ない事をすぐ忘れちまうのは、仕方ねぇだ
ろ。俺だって、そうだし﹂
ダニエルが言うと、アランがギロリと睨む。
﹁ああ、同じ事がおっさんにも言えるよな。おっさんはそれに加え
て、記憶違いや勘違いや思い込みも時折混じるから、更にカオスだ
けどな﹂
﹁ぅおっと、こっちまで飛び火すんのかよ﹂
やぶ蛇だと言わんばかりの顔で、ダニエルは肩をすくめる。
﹁ま、あれだよ、個性ってことで。そういうのは人それぞれで、だ
からこそ特異なやつが光るんだよ!﹂
﹁何、俺今良いこと言ったみたいなドヤ顔してるんだよ。おっさん、
そういう台詞は、人格者が言わないと、説得力のない台詞だぞ﹂
689
﹁え? 俺、完全無欠の人格者で、超絶カッケー男前じゃねぇか?
何言ってもやっても、格好良く決まる、皆の憧れで最高な男で、
天才剣士サマだよな!﹂
﹁⋮⋮ああ、言動に既視感あると思ったら、言葉遣いと口調変えた
ら、まんまレオの日常会話だ。そうか、どこか聞き覚えあるような
気がしてたけど、おっさんが元凶だったんだな﹂
﹁あん? 元凶? 何がだよ﹂
﹁⋮⋮レオはうっかりこのおっさんを、自分の参考モデルに育って
しまったんだな。今頃気付くとか、俺ってバカだ。今からでも修正
効くかな﹂
﹁なんか失礼な事、言われてないか? 俺を参考にしたら、どうし
てダメなんだよ。もちろん中身も俺並みに格好良くなきゃ、格好悪
いけどな!﹂
ニカッと笑うダニエルを、アランが胡乱げな目付きで見た。
﹁まぁ、確かに大言壮語も自画自賛も、底の抜けた桶並みのナルシ
ストっぷりや自信も、相応の実力が伴っていれば、見て見ぬ振りし
て貰えるというか、許容されるという面はあるよな﹂
﹁アランって本当ふてぶてしいというか、失礼よね? デリカシー
の欠片もない﹂
レオナールの言葉に、アランはジロリと睨む。
690
﹁この世で誰に言われたくないって、お前にだけは、その台詞言わ
れたくねぇよ﹂
﹁ふふ、自覚がないってコワイわね﹂
﹁俺から言わせりゃ、お前らどう見ても似たもの同士だがな﹂
ダニエルが言うと、レオナールもアランも不服そうな顔になった。
﹁そんな事より、支度できたんなら、メシ食って詰め所だっけ? 行ってさっさと用事済ませよう﹂
そして三人は簡単に朝食を済ますと、領兵団の詰め所へ向かった。
◇◇◇◇◇
﹁⋮⋮というわけで、こういった場合、詐欺被害の届出を出すのは
当然として、件のガイアリザードはどうしたら良いでしょうか。現
在は宿屋、︽旅人達の微睡み︾亭の厩舎に預けてあるのですが﹂
﹁少なくとも、俺達の見る分には、指示に従うし、おとなしくて暴
れたりしないし、問題なさそうなんだよな。
本来なら詰め所へ連れて来て預けるべきなんだろうが、大きさが
大きさだからな。何だったら、伯爵に手紙を書いて直接指示を伺っ
ても良いんだが﹂
アランの説明に、ダニエルが補足する。担当の兵士││何故か下
っ端じゃなく、伯爵領から派遣されている隊長クラス││が頷きな
691
がら、何やら書類にペンを走らせている。
﹁いえ、︽疾風迅雷︾の呼び名を持つ高名な剣士であり、様々な魔
獣・魔物の知識も豊富な、Sランク冒険者であるダニエル氏の管理
下にあるのならば、魔獣の扱いに優れているとは言い難い我々の下
にあるより、よほど安全でしょう。
念のため確認はさせていただきますが、決着がつくまでは、あな
た方の手元においても問題ないと思われます。
おそらく後日、正式な認可が下りるとは思いますが、それまでに
何らかの事故やトラブルが生じなければ、罰金などもないでしょう。
もちろん、悪意を持った何者かに盗難されたりすれば別ですが、ダ
ニエル氏の管理下にあるならば、その恐れもないでしょう﹂
勘違いされているな、という事には気付いているが、誰一人とし
てそれを指摘する事はない。
レオナールはそもそも関心がないし、アランは経緯その他はどう
でも良く、自分達の都合良いように片付けば良いと考えているし、
ダニエルはわざと勘違いされる言動を繰り返しているように見える。
﹁仮に例えば、俺達が宿で寝ている隙なんかに盗難に遭ったとして
も、俺達が責任負わされるような事はないんだろ?﹂
ダニエルが尋ねると、隊長がもちろん、と頷く。
﹁当然です。しかし、可能な限りそうならないよう配慮していただ
ければ、幸いです。悪用された時の被害を思えば、ですが﹂
﹁まぁ、俺が昔どっかで聞いた話によれば、街道を暴走したガイア
リザードの被害で、三桁の商人・旅人・冒険者が重軽傷を負って、
内3名が死亡したって事らしいからな。
692
あの瘤みたいなトサカっぽいやつ、尖ったりはしてないが、やた
らめったら硬くて頑丈なあれのせいで、生半な刃じゃ斬れないらし
いし﹂
﹁へぇ? 鈍重に見えるけど、強いの?﹂
レオナールの目がキラキラと輝き始めて、アランはうわぁと苦い
顔になった。
﹁いや、硬いだけでそれほど強いというわけじゃないな。ただ頑丈
だから、斬るのにちょっとコツが要るってだけだな﹂
﹁え? あれ、ガイアリザードって許可無く狩ったら、罰金刑なん
じゃ?﹂
﹁狩ってはいないぞ。辺境で武者修行してた時に目の前に出て来た
から、一太刀浴びせただけだ。
思ったより硬くて、あの瘤のとこで弾かれたから、殺してはいな
い﹂
アランが尋ねると、飄々とした悪気ない口調で、ダニエルが答え
た。
﹁え? それってアリなのか? まずくないか?﹂
﹁大丈夫だろ? 俺が斬り付けたら、現れた時の倍くらいの速度で
逃げたからな。
面白そうだから斬ってみても良かったが、さすがにそんなのを追
いかけて斬るのは哀れだからな﹂
693
カカカと歯を見せて笑うダニエルに、アランは肩をすくめ、隊長
や兵士たちは聞こえなかった振りをする。
﹁⋮⋮きっと、おっさんが一度も斬った事ない魔獣や魔物のが珍し
いんだろうな﹂
﹁そんな事はないぞ? まだ行ってない場所も結構あるからな。で
も、俺が行った事ある場所に生息して人目に触れた事があるのは、
だいたい一度は斬ってるかな。
俺が知らない魔獣や魔物が出たり、近場で強そうなのが出たら、
知り合いどころか、面識ないやつまで快く教えてくれて、倒すと報
酬や報奨金までくれるし﹂
それって、好意とかで教えてくれるんじゃなくて、討伐して欲し
くて依頼してるんじゃないか、とアランは思ったが、口にはしなか
った。
﹁それで、事情聴取とか届け出に関しては、これで完了なのか? 他に何か署名その他必要な書類や手続きってあるのか?﹂
﹁あ、いえ、これで完了です。お忙しいところ、ご足労いただき、
有り難うございます。あ、あの、よろしければ握手させていただい
ても良いですか?﹂
隊長他兵士達も期待するような目で、ダニエルを見ている。
﹁お? 別に良いぞ。仕事お疲れさん、色々大変だろうが、頑張っ
てな!﹂
ニカッと笑って、ダニエルは隊長と握手し、その他の兵士達とも
694
握手し、激励する。その兵士達が、若い成人したての青年も、中年
も、喜びに頬を緩め、紅潮させているのを見て、アランは肩をすく
める。
﹁⋮⋮こうやって見ると、ダニエルのおっさんも、一応﹃英雄﹄っ
てやつなんだなぁ﹂
﹁ウル村では誰も知らなかったけどね﹂
﹁俺らの村って、実はすごいド田舎なのかな?﹂
﹁今更じゃない? だって、オルト村にさえ宿酒場があるのに、あ
の村にはそんなものすらなかったじゃない。
店と言えるものは一切なくて、自給自足と物々交換が当たり前で、
硬貨なんか見る機会なかったでしょ?﹂
﹁だな。三ヶ月に一度来る行商だけが、外からの唯一の訪問者だっ
たもんなぁ。俺は買い物した事なかったけど﹂
﹁私は姿を見た事もないわね﹂
﹁あ∼、まぁ、な。⋮⋮まぁ、だから、知名度なくても、ダニエル
のおっさんが来た時は、色々な意味で目立ってたけどな﹂
﹁鎧と剣見たのは、師匠の持ち物が初めてだったものねぇ﹂
﹁魔獣見たのもな﹂
﹁生肉食べる姿を初めて見た時は、さすがの私も驚いたわね﹂
695
﹁いや、あれは誰でも驚くだろ。俺、これが話に聞くオーガなのか
と思ったし﹂
﹁私はかろうじて絵本でオーガは見た事あったから、それはさすが
になかったけど﹂
﹁いや、でも、口の周り血まみれのおっさん見た時は、お前だって
真っ白な顔になってただろ?﹂
﹁そりゃなるでしょ? アランだってガタガタブルブル震えてたじ
ゃない﹂
﹁しばらく夢に見てうなされたもんな﹂
はぁ、とアランは溜息をついた。
﹁そう言えばオーガより師匠が恐いって、前に言ってたものね﹂
﹁戦闘中のおっさんは、生肉食事中より、恐ろしいからな﹂
アランは肩をすくめた。
﹁⋮⋮お前ら、人がちょっと離れた途端、悪口・誹謗中傷とか酷い
な﹂
﹁別に悪口とかじゃないわよ?﹂
﹁ただの事実で、思い出話してただけだしな?﹂
頷き合う二人に、ダニエルは溜息ついて、大仰に肩をすくめた。
696
﹁オーガより俺のが恐いってどういう事だ﹂
﹁一度、戦闘中の自分の姿を見せてやりたいよ。まぁ、おっさんの
事だから、どうせ見ても何とも思わないんだろうがな﹂
﹁ははは、カッコイイ俺の姿見て小便ちびんなよってか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アランはそっと視線を逸らし、レオナールは無言でニヤニヤ笑う。
﹁おい、そこで無反応とか、ちょっと傷付くんだが?﹂
﹁傷なんて欠片もついてないくせに、良く言うわ。用事が済んだな
ら、さっさとギルドに顔出して、ルージュ回収して巣に向かいまし
ょう﹂
レオナールが言うと、ダニエルは肩をすくめ、アランは頷く。
﹁そうだな。なるべく林とかで野宿はしたくないからな﹂
﹁どうせ野営の準備はしてるんだろ?﹂
ダニエルが尋ね、二人は頷く。
﹁でも、もしもの時の用意であって、積極的に野営する気はないぞ。
せずに済ませられるなら、しない方が絶対良い﹂
アランの言葉に、ダニエルは目をパチクリさせる。
697
﹁え? そうか? 夜になると、昼間見られない魔獣や魔物が見ら
れて面白いぞ?﹂
﹁⋮⋮それが嫌なんだよ﹂
アランがぼやいた。レオナールが笑う。
﹁本当、アランは恐がりよねぇ。私は正直どっちでも良いんだけど。
まぁ、ベッドの方が寝心地は良いし、ぐっすり眠れるから、どうせ
寝るなら宿の方が良いのは確かよね﹂
﹁ふぅん? ま、俺もどっちでも気にしないけどな。ここらの魔獣・
魔物は、だいたいわかってるし﹂
ダニエルは肩をすくめた。正直アランは安堵した。これで二人が
ぜひ野営しようと言い出したら、止められるはずがないからである。
︵脳筋ばっかり増えても、胃痛と頭痛と心労が増えるだけだよな︶
もちろん、いないよりいてくれた方が安心ではあるのだが。
︵なんで、ダニエルのおっさんは、俺達とコボルトの巣なんかに行
こうと思ったんだろう︶
それだけが疑問だった。
◇◇◇◇◇
698
受付に座っていたジャコブが、三人の姿を見た途端、口をあんぐ
り開けて固まった。
﹁お疲れさん、ジャコブ。このおっさんも一緒に巣に行く事になっ
たから、一応報告という連絡に来た﹂
アランが言うと、ジャコブの顔が引きつった。
﹁⋮⋮Sランク剣士、︽疾風迅雷︾のダニエル⋮⋮っ!﹂
﹁レオナールの師匠なんだよ。たまたまこっちで顔を合わせたら、
報酬要らないし、いざという時の援護兼付き添い・助言役として付
いて来るって言われてさ﹂
﹁おい、アラン! お前、こんなすごい人と縁があるのに、自分の
コネが何の役に立たないとか、なんて贅沢言ってんだ!!﹂
﹁は? いや、だって、実際使えないコネとか、意味ないだろ? ほら、誰も礼拝しない神殿に奉られてる立派で厳かな神像みたいな
もので﹂
﹁あ? どういう意味だ?﹂
﹁平たく言えば、無意味? いくら立派で価値があっても、必要と
する人がいないなら、存在意義がないって意味だ﹂
アランの言葉に、ジャコブが額を受付カウンターに打ち付けた。
﹁おい?﹂
699
怪訝な顔になるアランを、顔を上げたジャコブが恨めしそうに見
る。
﹁確かに俺のコネなんか必要ないよな。そんな最強のコネがあるん
じゃ﹂
﹁はぁ? 何だ、それ﹂
サッパリわからないという顔のアランに、ジャコブは深い溜息を
ついた。
﹁まぁ、お前、まだ若くて経験ないもんなぁ。仕方ない、か。⋮⋮
初めまして、ダニエルさん。ギルド職員のジャコブと申します。
この度は、コボルトの巣探索および討伐依頼に、ご協力いただけ
るとの事で、わざわざご足労いただき、有り難うございます﹂
﹁いやいや、ちょうど暇だったんでな。こいつら事前知識は一応あ
るし、コボルト討伐は何度かしてるが、コボルトの巣へ行くのは初
めてだから、ちょうど良い勉強というか授業になると思って、つい
て行く事にした﹂
﹁授業?﹂
レオナールが怪訝そうに首を傾げる。
﹁おう。お前ら罠とか、侵入者を阻むための特殊な構造した、本格
的なダンジョン探索はまだだろ? コボルトの巣は、そういうのの
勉強になるからな。ここがポイントってやつと、効率的な攻略法を
伝授してやる﹂
700
ニヤリと笑うダニエルに、アランの眉間に微かな皺が寄り、レオ
ナールが嫌そうな顔になった。
﹁⋮⋮どうせ、わざと失敗するような事させてから、正しいやり方
見せてやるとか言うんでしょ?﹂
﹁いやいや、そんな意地悪な事するわけねぇだろ? いくらコボル
トの巣とは言え、今回はわざとお前らが怪我するような真似はしな
いって﹂
﹁⋮⋮﹃今回は﹄ね﹂
アランが渋面で呟く。
﹁軽めの毒罠や麻痺罠でも、わざとかからせると後が面倒だからな
! そういう事やる時は、ちゃんと神官とか回復魔法使えるやつ連
れてくるよ﹂
カカカ、と笑うダニエル。
﹁どうせ、師匠はそういう人よね﹂
白い目で見るレオナールに、
﹁だから、今回は完全なボランティアだって。安心しろ!﹂
ニッカと笑うダニエルだったが、レオナールもアランも信用しな
かった。
701
6 剣士の師匠は超マイペース︵後書き︶
サブタイトルぴたっと来るの思いつかず、超適当です。
次回、巣へ向かいます。
以下を修正
×怪訝そうな
○怪訝な
×ギルド宇職員の
○ギルド職員の
702
7 コボルトの巣までの道中︵前書き︶
戦闘シーンがあります。描写は今回軽め。
703
7 コボルトの巣までの道中
コボルトの身長は0.6∼7メトル。乳幼児くらいの大きさであ
り、その体躯を生かしてちょこまか走り回り、暗視能力を持つ。
巣の外にいるコボルトは、それほどたいした事のない雑魚であり、
全ての魔物・魔獣の中で最弱と言われている。
彼らは、その弱さのため、しばしば他の魔物に隷属し、こき使わ
れている事が多いが、彼ら単独の巣を作る場合がある。
彼らは強い敵はなるべく避け、かなわないとなるとすぐ逃走し、
攻撃する場合には、その中で一番弱い、あるいは一番弱っている敵
を狙おうとする。
彼らは弱いが狡猾であり、どうすれば敵により被害を多く与えら
れるか、自らの被害を最小限にできるかを知っている。
他の魔物に隷属していないコボルトは、頭を使って戦闘する。
彼らの巣の通路は、大抵狭く造られており、罠を作るのが大好き
で、意外と器用である。光に弱く、暗闇を好む。
少数ではあるが攻撃魔法を使ったり、稀に回復魔法を使用する個
体もいる。彼らは弱く、まともに一対一で相対すれば、鍬や鎌を持
った農夫にも倒せるほどだ。
しかし、だからと言って油断していると、武装していても、経験
の浅い駆けだしの冒険者では、はめられて逆に殺される場合もある。
アランは、コボルトの好きな戦法や罠のパターンを、調べられる
限り調べ、記憶している。
それはこの依頼のために調べたものではなく、半ば趣味の一環、
また冒険者たるものが最低限知っているべき知識の一つだろうと、
704
判断した結果である。
﹁まぁ、そんなもん資料なんか読むより、実際に見た方が手っ取り
早いと思うがな﹂
ダニエルが笑顔で、アランの努力を全否定するが、後悔はしてい
ない。どう考えても無知であるよりは、わずかでも予備知識があっ
た方が、断然有利なのである。
︵この脳筋1号が︶
2号は相方のレオナールである。ルージュを3号とすべきか、魔
物・魔獣は含めないべきか、少々悩むところである。あまり考えた
くはないが、これ以上増えたらどうしよう、と。
宿でルージュとガイアリザードを回収して、東門を通って、外に
出る。門に近付いた辺りから、左前方にフェルティリテ山が見えて
来た。それほど高くはないが、自然豊かな美しい三角錐に近い山で
ある。
ダニエルが一緒だと、若干門番の対応が丁寧になる事を初めて知
った。ロランでも知名度が高く人気はあったが、門番や領兵が特に
特別扱いする事はなかったのだが。
その事を疑問に思ったアランが口にすると、ダニエルは肩をすく
めた。
﹁ロランはそこそこ程よく田舎だからな﹂
意味がわからないと首を傾げるアランに、苦笑しながらダニエル
が答える。
705
﹁ここの連中ほど腐ってないって事だろ。一般兵士達はもちろんピ
ンキリだが、金や利権や権力・コネなんかにギラギラ欲望たぎらせ
ても、あっちとこっちじゃ、入って来るものも出ていくものも、だ
いぶ違うからな﹂
と、親指と人差し指で丸を作る。
﹁金⋮⋮賄賂とか、か﹂
﹁それだけじゃないだろうが、まぁ、誘惑の多いところと、そうで
ないところの違いだな。
相手によって態度を変える癖っていうか習慣がついてるんだろう。
事情聴取の時もそんな感じだっただろ? ちらっと金や権力ちらつ
かせれば、態度が変わる。
伯爵も直轄地に関しては頑張ってるが、全ての領地を思うように
は回せてないみたいだしな。
生きていくには必要だから、お金大好きでもかまわないが、金に
振り回されるようになったら、人生つまんねぇと思うぞ。
上手く回りゃ、金なんてあくせくしなくたって勝手に転がり込ん
で来るもんだからな﹂
﹁さすがにダニエルのおっさんのは参考にならないぞ。普通はあく
せくしないと、金は手に入らないからな﹂
﹁金の方から勝手に転がり込んで来てくれるなら、詐欺師も泥棒も
物乞いも貧乏人もいないわよね﹂
アランが呆れた顔になり、レオナールが肩をすくめる。
﹁そうか? でも、俺、そんな金に困った記憶ねぇぞ。まぁ、いざ
706
となりゃ野宿して魔獣狩って食えば良いしな﹂
﹁そりゃ、おっさんはそうだろうけど、俺達は、っていうか普通の
人間は、そういうわけに行かないからな﹂
﹁俺が普通じゃないって遠回しに言われてる?﹂
﹁おっさんが人外なのは、今更だろ﹂
﹁それよりアラン、そろそろガイアリザードに乗ったら?﹂
﹁え? 何でだよ?﹂
顔をしかめて聞き返すアランに、レオナールが胸を張って答える。
﹁当たり前でしょ? アランってば、森や林歩く時、ものすごく遅
いし、すぐ息が切れちゃうじゃない。
頑張っても私たちとペース合わせられないんだから、折角騎乗も
できる魔獣がいるんだから、乗れば良いじゃない。
ルージュは嫌だって言ったけど、この子ならおとなしいし、歩く
のも上手で揺れにくいから、大丈夫でしょ?﹂
﹁⋮⋮おい、レオ。お前、問答無用で乗せようとしてないか?﹂
青ざめるアランの背を、レオナールがぐいぐい押して、ルージュ
の無言の指示でしゃがんだガイアリザードの膝の上に押し上げる。
﹁ご託や言い訳は良いから、早く乗ってよ、ほらほら!﹂
﹁ちょっ⋮⋮おい、人の話を聞け! そりゃ確かに俺は足手まとい
707
かもしれないがな、最初から荷物のような扱いは⋮⋮っ! おい!
!﹂
アランをガイアリザードの背に押し上げようとするレオナールの
姿を見て、ダニエルもそれを手伝う。
その時になってアランはようやく気付いたが、馬車に繋げられて
あぶみ
いた時のハーネスは、金具によって、馬車へ繋ぐための革のベルト
を取り外す事ができたようで、現在はその金具に鐙や鞍など、騎乗
用の革製の道具が付け替えられているようである。
﹁⋮⋮お前、最初からそのつもりだったのか? っていうか、いつ
の間に付け替えた?﹂
二人がかりで背に押し上げられ、呆然とアランが呟いた。
﹁ふふ、これでアランを気にする事なく、思いっきり駆けられるわ
ね、ルージュ﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
嬉しそうな一人と一匹の声に、アランはガックリと肩を落とした。
﹁でも、俺もその方が良いと思うぞ? アラン。お前、魔術師で体
力もねぇんだから、無理すんな﹂
﹁⋮⋮普通のパーティーでは、魔術師に無理させるような移動とか
しないと思うんだが﹂
半目になったアランが、恨めしそうにダニエルに言う。
708
﹁諦めろ﹂
爽やかな笑顔で、ダニエルが言った。
◇◇◇◇◇
そして、アランは諦念の表情で巨大な騎獣の鞍に跨がり、一行は
尋常ではない速度││常人で言えば駆け足くらいの速度││で、林
の中を行軍した。
山を左に見ながら、東門からほぼ直進ルートである。
﹁で、地図によれば若干南寄り、だな。近くなったら、餌か何かを
探してるコボルトが徘徊してるだろうから、そいつを目印にすれば
良いよな﹂
﹁そうね。ちょっと大雑把な地図だものね。アランが描いた地図な
ら、近隣に生えてる草木の種類まで細かく記載されてるのに﹂
﹁今回、それは期待出来そうにないぞ。あいつさっきから、半分死
んでるみたいな状態だからな。たぶん周囲の植生とか、方角とかの
確認できてないっぽい﹂
﹁そうねぇ、いつもの倍に近いハイペースで移動したから、仕方な
いかしら? ねぇ、ルージュ。あなた、ここまでのルートとか、巣
の場所は覚えられそう?﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
709
まかせておけ、と言わんばかりの顔と態度でルージュが鳴く。
﹁そう、有り難う。お礼にいっぱい食べさせてあげるからね。コボ
ルト以外でも、ルージュが好きそうな獲物を見つけたら、狩ってあ
げるわ﹂
﹁便利だな、その幼竜。俺も一匹欲しくなった。どっか山でドラゴ
ンの巣を探したら、見つかるかな?﹂
﹁伝説通りなら、運の要素が強そうね。ドラゴンはめったに卵を産
まないらしいから﹂
﹁しらみつぶしにドラゴンの巣は潰すなって、国から言われてんだ
よな。暴れたり、人民に被害を及ぼすのだけにしろとかって。俺は
狩れるもんなら、ガンガン狩りたいのに、面倒臭ぇよな、本当﹂
﹁ねぇ、師匠。私がいつか狩る分ちゃんと残しておいてね﹂
﹁ハッ、んなもん、早い者勝ちに決まってんだろ。狩りたきゃ俺に
狩られる前に、勝手に狩れよ﹂
﹁だって、今は無理そうだもの﹂
﹁じゃあ、諦めろ!﹂
アランはルージュに乗せ、いや載せられた時よりはマシとは言え、
揺らされて、目はかろうじて開いているが、グロッキー状態である。
確かに、上下左右の揺れはルージュよりはマシだったが、良く考
えれば││たぶん考えなくても││木の幹・枝・根を避けて進むの
には変わりはないわけで、不意に左右に激しく揺れたり、細かく急
710
に加速・減速するのは、馬やロバには到底ありえない動きなのであ
る。
︵あー、なんとなくわかってきたぞ。上下動より左右に大きく揺さ
ぶられる方が、気持ち悪くなるんだな。
良く考えたら、人間が普通に歩く時は、上下はともかく、左右に
はあんまり揺れないもんなぁ。
後はあれだな、急加速と急減速。あと細かく周囲に気を配ろうと
すると駄目っぽい。視界が目まぐるしく変わるとまずいのかな。
結局こいつに乗る時も、目を瞑っておくのが一番、マシって事な
んだろうな︶
帰りも乗せられるんだろうか、と考えると憂鬱になった。が、行
きよりはマシだと思いたい。
︵いっそ寝てしまおうかな︶
アランはぼんやりと考えた。
﹁きゅきゅきゅーっ!﹂
ルージュが高く鳴き声を上げた。
﹁どっち?﹂
レオナールが尋ねると、ルージュはバシッと尻尾で右斜め前方を
差す。
﹁索敵までするとか、本当便利だな﹂
711
感心したようにダニエルが言う。
﹁そうね、この子、鼻と耳が良いから、障害物が多いところでは、
私の索敵より範囲が広くて、精度も高いのよね﹂
﹁よっしゃ、この件済んだら、俺もドラゴン探す事にする! 卵や
幼竜じゃ無理そうなら、成獣でも良いや。ある程度頭の良いやつな
ら、死なない程度に刻めば、なんとかなるだろ﹂
﹁恨まれても良いなら、それで良いんじゃない? でも師匠はいつ
か私が斬るんだから、私の知らないとこで勝手に死なないでよ﹂
﹁お前、本当、可愛くねぇなぁ。素直に心配だから危険なことすん
なって言えば、俺もちょこっとほだされるかもしんねぇだろ﹂
﹁はっ、バカな事言わないでよね! 今でも斬れるもんなら斬って
みたいのに、まだ無理そうだから言ってるのに﹂
﹁はいはい、了解了解!﹂
そして一行は、ルージュが見つけたコボルトの方へと走る。が、
アランがコボルト達を目視できる距離に入った途端、コボルト達が
一斉に散開し、即座に逃げ出した。
﹁ルージュ!﹂
レオナールの指示で、ルージュが口を大きく開け、息を吸う。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
712
大声で低く、唸るような鳴き声を周囲に響かせた。その途端、コ
ボルト達の動きが鈍くなった。レオナールが駆け出し、抜刀、一番
近い場所にいたコボルトを斬り捨てる。
それを見て、一番遠いところにいたコボルトが、脱兎のごとく逃
走する。しかし、それには構わず、レオナールは次々に手近なとこ
ろから、行動不能にして行く。
結局逃げた一匹以外は全て斬った。それを見てダニエルが口笛を
吹く。
﹁へぇ、面白いな、それ。無詠唱で︽鈍足︾を発動するようなもん
か。たぶんきっと、威圧とかそういう類いなんだろうが﹂
﹁私がやるより効果範囲が広くて、効果が高いのよね。まぁ、練習
する前は、あんまり上手じゃなかったけど﹂
レオナールが肩をすくめた。アランは静止したガイアリザードの
背で、ぐったりともたれ、目を閉じて動かない。
﹁おーい、生きてるか? アラン﹂
ダニエルが声を掛けてもピクリともしない。
﹁そういや、俺が二十代の頃も、シーラやオラースをこのくらいの
速度で連れ回して、文句言われた気がすんな。シーラとか意外と口
が悪いから﹃死ね﹄とか言われたな。
あ、でも、シーラ達だけじゃなくて、カジミールやジルベールも
﹃少しは加減しろ﹄って言ってたか﹂
﹁やっぱり駄目なのかしら? って言うか、それ、パーティー全員
に言われてない?﹂
713
レオナールが首を傾げる。
﹁ふうん、どのくらいが良いのかサッパリだな﹂
﹁そうね。自分の感覚じゃないから、良くわからないわよね﹂
アランは聞こえても聞こえない振りをしていた。まともに捉えた
り考えると、腹が立つだけなのは良くわかっている。
どうせこの二人は、誰かに何か言われたくらいじゃ、反省も後悔
もしないのだから。
﹁で? 一匹だけ逃がしたやつの臭いを追うってわけか﹂
﹁そのつもりよ。真っ直ぐ巣に向かってくれてると良いんだけど﹂
﹁こっからは、ちょっと速度落として、周囲に他の痕跡ないか探し
ながら、索敵しつつ行くか﹂
﹁そうね。さっきのやつが、巣以外の場所に逃げてたら、ちょっと
面倒だもの﹂
ダニエルの言葉に、レオナールは頷き、それからはいつもよりは
若干早いが、かなり落ちる速度で歩き始めた。
おかげで、少しずつアランも回復してくる。それでも念のため目
を閉じ、なるべく物を考えないように、揺れに身体を任せ、じっと
する事にした。
この林は、ブナ、シイ、ニレ、オークやザクロ、ヤマモモなど広
葉樹が多く生えているが、たまにモミやナギなどの針葉樹も見える。
714
﹁あ、アーモンドの木が生えてる。ここ、野宿するには良さそうな
とこね﹂
﹁食うにはまだ少し早いな。実った頃に、また来るか?﹂
﹁え? 師匠、今回だけじゃなく、また来るつもりなの?﹂
﹁あー、それはどうなるか良くわからねぇな。予定は決まってない
が、今はちょっと色々様子見中だから、いつどう事態が動くか、わ
かんねぇしな﹂
﹁ふぅん、王都でいったい今、何やってるの?﹂
﹁うん? 気になるか?﹂
﹁別に。どうでも良いけど、豪遊するんじゃなかったの?﹂
﹁んー、なんかちょこっと調べてみたら、面倒そうな事に首突っ込
んじまったらしくてな。もうちょい掛かりそうなんだわ。
俺、どうも目立つらしくて、一応人を使って内偵っぽい事とかも
してんだが、最終的には俺が動く事になりそうだしな。
あ、一応言うけど、国王陛下の許可とか取ってあんぞ。事前の根
回しとかコネとか結構大事だって、学習したしな。
だから今滞在してんのも、公爵家の持ち物なんだよ。今回のため
だけに用意した物件らしいけどな。
俺がそこに住んでるのは大々的に公表してっから、王都来たら訪
ねて来ても良いぞ。その時、俺がそこにいるかどうかはわからんが、
ギルドに顔出して名前言えば、詳しい場所教えて貰えるはずだ﹂
﹁面倒臭そうだから、絶対行かないわよ。王都へ出向いても、自由
715
に人が斬れるわけでもないんだし﹂
﹁阿呆、どこのどの国に、自由に人が斬れる場所や町や村があるん
だよ。そんなもんあるとしたら、非合法の人斬りオタクの集まる怪
しげな施設か、︽混沌神の信奉者︾の拠点や神殿くらいだろ。
何、お前、犯罪者や賞金首になりたいのか?﹂
﹁犯罪者になると、後が面倒だから合法的に斬れれば良いなと思っ
てるけど、なかなか機会がないわね﹂
レオナールが溜息をついて言うと、ダニエルが嫌そうな顔になる。
﹁おい、あんまりバカな事言うなよ、レオ。で、俺と別れてから、
何人斬った?﹂
﹁殺したのはまだ一人だけよ? ソロの盗賊で、一応賞金首だった
から、報奨金貰ったけど。後は、死んでないし、﹃正当防衛﹄だか
ら大丈夫﹂
﹁⋮⋮お前の教育、どっかで間違ったかな﹂
はぁ、とダニエルが深い溜息をついた。
﹁大丈夫よ、アランや師匠が嫌がるような事はしてないから、一応
ね﹂
﹁頼むから﹃一応﹄とかつけずに済むように心がけてくれよ。アラ
ンが泣くぞ﹂
﹁へぇ? それが脅しになるとでも?﹂
716
﹁お前、アランの事、結構好きだろ? 俺に対してより、気配りと
か手控えしてんじゃねぇか。怒らせたり、困らせたりはしてるっぽ
いが﹂
﹁そういうの、正直良くわかんないのよね。でも、嫌いじゃないわ
よ。っていうか、嫌いな相手と一緒に行動できる自信ないわね﹂
﹁まぁ、良いや。一応﹃正当防衛﹄で、お前が挑発したとか、先に
抜いたって事じゃないんだろ?﹂
﹁そうね、挑発の範囲がどこまでになるかわからないけど﹂
﹁クロードの阿呆、そんなこと手紙に全く書いてなかったぞ﹂
﹁あのおっさん、そういう事テキトーだものね。アランとサブマス
を良く怒らせてるわ﹂
﹁済んだ事は仕方ないからまぁ良いとして、でもなるべくアランが
泣くような事はすんなよ。あれをお前の良心の基準にしとけ﹂
﹁良心、ねぇ?﹂
﹁お前がそういう、他のやつなら成長過程で、自然と習ったり学ん
だりする常識的なものがひどく欠けてて、基準となる価値観をろく
に持ってないのは知っている。
他にも色々足りてないし、知らない事もたくさんあって、どう振
る舞えばわからない時は、あいつを基準値にしとけば、だいたいは
間違いないだろう。あいつもちょっと変だが、お前よりはマシだか
らな。
717
俺が教えてやれれば良いが、俺もちょっとずれてるらしいから、
上手く教えてやれる自信ねぇからな﹂
﹁そういうのって必要なの?﹂
﹁人間社会で生きていくには、ある程度必要だろうな。お前はまだ、
人や世間に触れ、自由に行動できるようになって、それほど間がな
い。自分で何か考えて判断下すのは苦手だろう? 迷った時は、周
囲の人間に頼れば良い。
でも価値基準を他人に依った時、それを複数の人間に振ると、そ
の度毎にぶれて、周囲の評価は﹃いつどんな時に何をするかわから
ないやつ﹄になるから、概ね安定していて中庸な考え方ができて、
お前がなるべく合わせられそうなやつを参考にした方が楽だろう﹂
﹁なるほど、それでアランなのね?﹂
﹁お前が一番良く知ってて理解できそうなのもアランだろ。あいつ
は嫌がりそうだが、わざわざ好きこのんで、積極的にお前の面倒見
ようとするやつだから、別にかまわないだろう。
もしかしたら後で抗議されるかもしれないが、基準値が全くない
よりはマシだろうからな。
それで少しずつでも学習して、お前自身の価値観とか基準値を培
って行け。お前の人生を楽しみながら生きられるようにな。
周り全てに排斥されるようになったら、さすがにキツイだろ﹂
﹁う∼ん、良くわかんないけど、周り全員敵だと、好きなだけ斬り
まくれるってわけじゃないのかしら﹂
﹁阿呆、お前、野宿で自給自足より、屋根のある場所で、火を入れ
たまともな料理を食って、暮らしたいんだろ? だったら必要だ。
718
人間社会で自給自足以外に暮らすには、金銭が必要なのと同じく
らいにな﹂
レオナールがはぁ、と溜息をついた。
﹁人間って難しいわね﹂
﹁エルフだとしても、エルフの価値基準から激しく逸脱すれば、排
斥される。人間は数が多い上に、ある意味ではエルフより寛容だか
ら、お前は人間社会で生きる方が良い。
引きこもって静かに自給自足生活するなら、エルフの方が都合良
いだろうが、お前には無理だろ?
雑多で多様性があって比較的おおらかで、ある程度の実力があれ
ば、多少の事なら許容されるという点では、王国内ではロランが一
番だろう﹂
﹁師匠が私たちをロランに連れて来たのは、周囲に生息する魔獣や
魔物が弱くて、低ランク冒険者向きなのと、知り合いがギルマスだ
からだと思ってたわ﹂
﹁それもある。あと、事情を知ってる伯爵の領内で、特別扱いはさ
れないが、ある程度融通利かせて貰えそうなのや、俺がいなくても
ウル村へ帰れそうな距離である事も、理由の一つではある。
けど、俺なりに考慮した結果だ。お前がちょっとでも人間らしく
生きられそうなところを、選んだつもりだ﹂
﹁ありがとうと言うべきかしら?﹂
﹁それは今後、心の底からそう言いたくなった時にしてくれ。上っ
面だけで言われても、面白くもクソもねぇからな。別に礼を言って
719
貰うためにしたわけでもねぇし﹂
﹁へぇ、じゃあなんのため?﹂
レオナールが尋ねると、ダニエルはニヤッと笑った。
﹁そうだな、今は内緒って事にしておくか。別に隠すような事じゃ
ねぇが、今のお前に言ってもたぶん理解できねぇだろうし、どうせ
すぐ忘れちまうだろうからな。
お前が本当に笑えるようになった頃に教えてやる﹂
﹁ふうん﹂
レオナールは白けた顔で頷いた。それからルージュの先導で黙々
と歩き、開けた場所に出た。
﹁あれか﹂
自然に出来た断層の崖下に、土煉瓦と砂岩を積み上げて拡張した
構造物。ちらほら、コボルトの影が見え隠れする。
﹁ちょっとは楽しめると良いんだけど﹂
レオナールが笑みを浮かべて言うと、ダニエルは肩をすくめる。
﹁お前が楽しめるかどうかは、何とも言い難いな。ただ、人によっ
てはウザイとか面倒だとか鬱陶しいとか言うな。俺は結構楽しいと
思うが﹂
﹁どういう風に楽しいと思うわけ?﹂
720
﹁あいつら単体だとすげぇ弱いけど、頑張ってんだなと思うな。自
分達の弱点を理解した上で、それを頭使って、逆に強味にできるっ
てすごいと思わねぇか?
考えようによっては俺達が逆の立場になった時、あいつらのやり
方って迂遠で面倒だけど、参考になるとこあるんじゃないかと思う
な。
参考になった事は一度もないが﹂
﹁⋮⋮最後で台無しなんだけど﹂
﹁コボルトの巣は、基本的に自分たち以外のやつは、自由に行動で
きないよう制限されるような造りになっている。
これを無視できる子供サイズの生き物、例えば小人族や妖精族、
あるいは逆に狭い通路を壊しながら進める頑丈な生き物や使役ゴー
レムなんかが天敵だな。
コボルトの作った罠は人間サイズの敵だと効果的だが、ドラゴン
やガイアリザードなんかはそもそも敵に想定されてない。普通はコ
ボルトの巣なんか襲わないだろうし、まず入口や通路を通れない﹂
﹁つまり、ルージュとガイアリザードに通路を壊しながら進ませた
ら、罠も侵入避けも、意味がなくなるってわけね﹂
﹁コボルト達にとっては、これ以上なく不運で災難な事にな。でも、
こいつらは入口に置いて、勉強のため俺達だけで入ってみないか?
その方がコボルトの巣を堪能できるぞ?﹂
ダニエルが良い笑顔で言うと、ノソリと顔を上げたアランが口を
挟む。
721
﹁そうはさせませんよ。確かに、こいつらを同行させたら、コボル
トの巣は滅茶苦茶に破壊されて元の原型は残らないでしょうが、普
通に攻略したら、最悪甚大な被害受けますからね、主に俺が﹂
ダニエルが大仰に肩をすくめる。
﹁なんだよ、お前、最初から幼竜先行させて、罠や巣を力ずくで壊
すつもりだったのか?﹂
﹁どうせ、レオが連れて行きたがると思ってましたしね。ここのコ
ボルトは全て俺達が倒してもかまわないようなので、ついでに二度
と住めなくしてやるのも良いでしょうし、他の魔獣や魔物が再利用
できないようにしてやった方が、後々楽でしょうから﹂
﹁でもそれだと勉強にはならないだろ?﹂
﹁俺達はコボルトの巣の見学や勉強に来たわけじゃなく、討伐と中
の巣の様子を調べて報告しに来たわけですから、最後に入口は、岩
か何かで埋めるつもりです﹂
﹁え∼っ、じゃあ俺の講義は必要ないのかよ?﹂
﹁参考になりそうな事があれば聞いても良いけど﹂
アランはそろそろとガイアリザードの背から降りる。それに気付
いたレオナールが、ガイアリザードをルージュを介して屈ませ、ア
ランが降りる時に介助する。
﹁とりあえず、こいつに乗る時は、目を瞑って何も考えないように
した方が良いみたいだ﹂
722
﹁それ、地図とか描けそうにないわね﹂
﹁速度と揺れがなんとかならないと無理だな。動きが急じゃなけれ
ば大丈夫だと思うが﹂
﹁せっかく鞍を購入したのに﹂
﹁そんな事言われても。これって何とかなるもんか?﹂
アランは首を傾げた。レオナールは無言でダニエルを見た。
﹁うん? 俺に参考になるような事言えってか? 俺は薬師や治癒
師でも、研究者でもないからなぁ。まぁ、忘れなかったら今度知り
合いに聞いてみる﹂
首を傾げるダニエルを見て、アランはたぶん駄目だろうなと思っ
た。
723
7 コボルトの巣までの道中︵後書き︶
気になったので、年表きちんと書いて数え直したら、師匠との再会
が3ヵ月なのは間違いないけど、ギルド登録から1ヵ月と10日じ
ゃなく、2ヵ月と10日でした。
該当箇所は明日にでも修正しますが、今章終了したら年表つけて、
次章から年表もつけようと思います。
なくても大丈夫かと思ってたら、うっかりボケかましました。
すみません。
以下を修正。
×人民に被害を及ぼすだけにしろ
○人民に被害を及ぼすのだけにしろ
×人が斬れる場所が町や村が
○人が斬れる場所や町や村が
×ハーフリング
○小人族
×ノーム
○妖精族︵正確には違うけど、変更します︶
724
8 コボルトの巣の攻略1
周囲のコボルトたちを掃討し、切り出された砂岩と、その隙間を
埋めるように整形された土煉瓦が作る構造物へと歩み寄った。
崖の半ばから落石か何かで崩れた後があり、その上は緑に覆われ
ているが、その部分は土肌が見えている。そこをくり貫いて作った
洞穴の入口付近を補強するように、その構造物は建てられていた。
明らかに知性のある生き物が、計算して作ったと思わせるそれは、
レオナールならばそのまま通れるが、アランは少しだけ、ダニエル
くらいだと腰を屈めないと入口を通れない高さとなっている。
横幅は0.9メトルくらいだろうか。無理すれば二人並べない事
もないが、それでは武器を振るうのはほぼ無理である。
また、入口すぐの足元に段差があり、少し沈んでいる箇所がある。
明かりを付けずに油断した状態で侵入すれば、ちょうど人間サイズ
の生き物が爪先やかかとなどをわずかに引っ掛けて、転びはしない
がよろめいたり、歩く速度を弛める事になるだろう。
﹁で、この巣のやつらは、入口でまず侵入者の速度を落とさせる。
コボルトは身体が小さいから動作が素早く見えるが、移動速度自体
はそんなに早くないからな。
ここで応援を呼んだり、仲間に注意を呼び掛けるための時間を稼
ぐ。それと、群れや巣によってはそれと同時に入口付近に罠を張る
場合がある。ちょうどっ、こういう感じだ!﹂
ダニエルが説明しながら、アランを突き飛ばし、覆い被さるよう
に地面に伏せ、レオナールがピタリと壁に張り付いた。
そこへ、アランが直立した状態で、その頭部から首の位置辺りを
725
左右に両断するコースで、奥の天井から鎖に吊られた大きな鉈状の
刃物が降って来る。
しばらく前後に大きく揺れた後、段々揺れが小さくなり、最後に
は天井から吊り下がった状態で静止した。
﹁大抵は、落とし穴とか吊り天井で、ズドーン・ズダーンって感じ
だが、こういう初見殺しの即死罠も面白いよな﹂
楽しそうに笑いながら言うダニエルを、後頭部を床にぶつけたア
ランが、出来たたんこぶを撫でながら、睨み付ける。
﹁だから嫌だって言ったのに﹂
﹁ま、どうせこんな事よね﹂
無傷のレオナールが肩をすくめた。
﹁この罠のすごいところは1、2回目は反応しなくて、3回目に触
れたところで作動するとこだな。しかも若干の時間差つき。
人間サイズの重量のある生き物が踏んだ時には反応するが、それ
より軽い生き物には反応しない。
ソロで行動するやつも、調べもせずにいきなり中に入る事はあま
りないだろうからな﹂
﹁満足そうで何よりだ。もう俺達の好きにして良いよな、おっさん﹂
アランはダニエルを押し退けるように身体を起こし、慎重に立ち
上がった。ダニエルは肩をすくめながらも了承した。
砂岩と土煉瓦││日干し煉瓦││の共通項は、柔らかく加工がし
やすいという点である。
726
降水量がそれほど多くない地域では、建築材として十分使えるが、
残念ながら、それは魔獣・魔物最強のドラゴンの鱗の硬さ・膂力・
突進に耐えるほどではなく、リザード系の中では、硬さ・大きさが
トップレベルに近いガイアリザードの全力の突進に耐えられるほど
でもなかった。
﹁ゴブリンの巣で、ルージュに新しい通路作ってもらった時は、消
極的だったのに﹂
﹁あの時は、先行で別パーティーがいただろ。今回は俺達だけだし、
他に迷惑はかけずに済む。
それに今回は﹃巣に入るな﹄なんて言われてないし、可能なら全
て討伐せよ、だからな﹂
﹁巣に入るなとか言われたのに、壁を破壊して新たな通路作ったの
か? お前ら新人のくせに良くやるなぁ﹂
ダニエルが軽く目を見開き、呆れたような顔をした。
﹁おっさんに言われると、なんかすごく嫌な気分だな﹂
﹁えっ、何、それどういう意味だよ、アラン﹂
﹁文字通り、他に意味なんかないぞ﹂
﹁確かにギルドマスターは入るなとは言ったかもしれないけど、あ
くまで建前で言った﹃なるべく﹄であって﹃絶対﹄じゃなかったで
しょ。
それに報告に行った時、わかってたじゃないの。言い方が悪いわ
よ、アラン﹂
727
﹁俺はなるべくなら巣には入りたくなかったし、キング討伐もした
くなかったよ。お前が乗り気じゃ、避けられないから諦めたが﹂
﹁じゃあ文句言わずに、キレイサッパリ諦めなさいよ。面倒臭いで
しょ?﹂
﹁⋮⋮お前は、そういうやつだよな﹂
アランは深い溜息をつく。そして巣に帰ろうと戻って来たコボル
トを見つけて、素早く詠唱する。
﹁︽炎の矢︾﹂
眉間を炎の矢で貫かれたコボルトが、一緒にいた他のコボルトに
倒れ込んで、燃え上がった。
剣の柄に手を掛けたレオナールが駆け出し、残りの無傷なコボル
トたちを斬り倒す。
遅れて駆け寄ったルージュが、尻尾で残りを凪ぎ払い、戦闘が終
了した。
﹁きゅう﹂
﹁ええ、食べて良いわよ。私と師匠が索敵するから﹂
﹁事後承諾か。まぁ良いけど﹂
ダニエルが肩をすくめた。一行の背後では、ガイアリザードが入
口付近の通路を拡張するため、突進と後退を繰り返している。
728
﹁昔のアランなら、こういう事は考えなかったのにな﹂
ダニエルが言うと、アランは肩をすくめた。
﹁最初にやったのはレオだから、俺の発案じゃない。本来なら、コ
ボルトの思惑通りに巣の探索をしながら、討伐するべきなんだろう
が、別に残す必要はないし、それが手っ取り早くて有用なら採用し
ない手はない﹂
ルージュは食べ終わると、ガイアリザードの拡張した通路を更に
拡げるべく突進した。
地響きのような轟音と、砂埃を上げて、壁や天井などないかのご
とく、一気に貫く。
﹁これ、崩れないか? なんか、すごくもろいような﹂
ダニエルが首を傾げる。
﹁石の間に漆喰を流し込んで固めてあるっぽいから、大丈夫かと思
ったんだが﹂
﹁ふぅん﹂
ダニエルは頷き、手の甲で壁をコンコンと叩いた。
﹁これ、剣で斬れるかね﹂
﹁大理石を斬れるなら、これも斬れると思うが﹂
﹁ミスリルゴーレム斬った事あるから、軽いだろ﹂
729
そう言うとおもむろに抜刀し、斬り付ける。ちょっと刃を入れた
辺りで止め、足で壁を蹴りつけながら抜いて、刃の様子を見る。
﹁ふむ。出来なくはないが、ちょい面倒そうだな﹂
斬り付けた箇所は確かに切れ目はできているようだが、これを拡
げるとなると面倒である。
﹁剣はのこぎり代わりにはならないし、それくらいなら合金か鋼で
作ったピッケルとかのがマシじゃないか? 効率が悪すぎる﹂
﹁そういう事は、斬る前に言えよな﹂
﹁いや、普通わかると思うんだが、常識的に﹂
﹁でも、すごく揺れてるわよ? 足下がぐらつく程じゃないけど、
これ、音でコボルト達に逃げられないかしら?﹂
﹁そう言えば、始める前に、うっかり裏口とか他の出口の確認して
なかったな。ヤバイ、逃げられたら面倒だよな﹂
﹁そうねぇ、固まってる内に退治しておきたいわよねぇ﹂
﹁とりあえず煙でも焚いて、空気の流れを見るか。外を回って見る
より早いだろうし﹂
﹁まかせるわ﹂
レオナールが肩をすくめた。
730
﹁よし、ちょっと、あいつら一度止めてくれ。おっさん、ちょっと
だけ先行するから、念のため着いてきてくれないか?﹂
﹁おう。お前だけだと、身体能力的にすぐ反応できなくて、何かあ
ったらヤバイもんな﹂
﹁⋮⋮魔術師に戦士並みの身体能力期待するの、おっさんとレオく
らいなんだけど﹂
アランが眉間に皺を寄せてぼやく。レオナールが一度、作業を止
めさせ、その間に二人で先行した。
﹁結構長い通路だな﹂
﹁ああ、おっと、そこで一度停止﹂
ダニエルが声を掛け、アランを立ち止まらせると、抜刀し中空を
斬る。
﹁!?﹂
﹁鋼糸だな。こう、薄暗い場所で、首や胸の位置に張って置くと、
侵入者が自分から寄っていって、自動的にスパッと行くという、地
味で古典的だが効果的な罠だ。
この巣のコボルト、またはそのリーダーの趣味かな? 侵入防止・
抑制や足止め系じゃなく、即死または致命傷受けるタイプの罠が多
いのは。
俺、これ考えたやつ結構好きだわ。人間語話せたら、一晩くらい
語り明かしてみたいな﹂
731
頷きながら、ダニエルが言う。
﹁⋮⋮おい、おっさん。いったいそれ、何について話すつもりだよ﹂
アランが渋面になった。
﹁え? 例えば斬り合いや殺し合いの時、どこを狙うのが効果的か、
とか?﹂
﹁それ、おっさんも、レオの事言えねぇだろ!﹂
﹁迂遠で面倒臭いのより、手っ取り早く、効果的な方が面白いし、
ストレスなくて楽しいじゃねぇか。スパッとサックリ行きたいよな。
俺、フェイントとか、カウンター待ちとか、搦め手とか、だるく
て苦手なんだよな。
必要ならやらない事もないが、抜刀と同時に急所狙ってサックリ
さっぱり、一撃で決まった方が、スカッと快感じゃねぇ?﹂
﹁俺に同意求められても﹂
﹁悪ぃ悪ぃ、アランはそういうの苦手だったな、確か。ハハッ﹂
悪気なく言われて、やっぱりこのおっさん駄目だ、とアランは思
った。
﹁まぁ、この辺で良いです。あんまり先に進んで、面倒な事になる
のは御免ですし﹂
﹁了ー解っ。じゃ、適当に索敵してるぞ﹂
732
アランは手に持っていたカンテラを床に置き、背嚢を下ろして、
中から火打ち石と、あおぐための折り畳みの扇、細かい小枝と、灰、
それに事前に自作しておいた、視界と嗅覚を潰し、敵をいぶすため
に調合した粉末状の粉を出した。
小枝の上に灰と粉をまぶし、一番上に炭を置く。そして、火打ち
石で火をつけ、扇でパタパタとあおぐ。
﹁それ、何が入ってるんだ?﹂
﹁目や鼻に入ると、刺激臭で涙や鼻水が出る薬草と、リンとか、燃
えやすいよう真っ黒に炭化した炭を、乳鉢で細かく磨り潰したもの
とか、あと保存性を高めるための薬剤や、粉末状だとちょっと扱い
が難しいので、若干粘性を持たすのに油を入れている。
粉が舞い散ったり散布されると、後遺症はないけど、洗い流すま
で大変だからな﹂
﹁お前、本当、マメだよな﹂
﹁薬師としての勉強はしてないから、ほぼ書物読んでの我流だけど、
自分で準備できそうな事は、なるべく自分でやってるから。材料が
採れなかったら、薬屋買いに行くけどな。
でも、これ、おっさんのおかげもあるぞ? 見習い時代の一年半、
ほぼ毎日のように薬草採取やって、使えそうなのはだいたい覚えた
からな﹂
﹁お前、魔術師でやっていけなかったら、田舎で薬師の真似事やっ
て生きてけそうだな﹂
﹁⋮⋮前途のある若輩者に、不用意に不穏な事言うの、やめてくだ
733
さい﹂
﹁なぁ、アラン。時折、敬語になるの、なんで? 抗議する時は敬
語になる癖でもあるのか?﹂
﹁最近、ギルドマスター相手に文句言う事多かったからかな。あの
人には一応敬語使ってるし﹂
﹁お前の慇懃無礼な敬語毎日聞かされるとか、軽く拷問だな﹂
ダニエルが肩をすくめて言い、アランは聞こえなかった振りをし
た。
﹁本当は風系の魔法が使えたら、もっと楽なんだけどな﹂
溜息をついて、煙の動きを注視する。
﹁⋮⋮なぁ、アラン。それ、なんかすっげー臭いしないか?﹂
﹁ああ、慣れないとキツイかも。量を調節すれば、気付け薬にもな
るんだが﹂
﹁⋮⋮ええっ? そんなもんが気付け薬になるのか?﹂
﹁目と鼻を刺激するから、そういう臭いを嗅がされれば、怪我や病
気や毒なんかで動けない状態の患者はともかく、肉体が健常であれ
ば、たちどころに目が醒める。
もちろん量が多すぎれば、先程言ったように涙や鼻水が出るので、
使うのは微量だ。ロラン近くの森で、年中通してたくさん採れて便
利なんだ﹂
734
自然風が入口から入って来るので、あおがなくても煙は自然と奥
へと流れて行くのだが、火を起こす際にはあおいだ方が良い。
炭全体に火が回り、下に引いた小枝にも熱が伝わり始めたあたり
で、あおぐのをやめた。
﹁枯れ木をもっと拾っておけば良かったかな﹂
﹁必要なら拾って来ようか?﹂
﹁あー、一度レオのところへ戻る。で、拾って来てくれるなら、外
にこの煙が出てないか確認してくれると有り難い。
巣全体に広がるには、数刻かかりそうだけど﹂
﹁なんか煙が広がった先から、騒いだり、逃げ惑ってる気配がする
な﹂
﹁コボルトは俺達より嗅覚が発達してるだろうしな。俺も外で、こ
いつに足す枝を拾う事にする。
痺れ薬も入れるか迷ったんだが、痺れ薬、ロラン周辺だとあまり
生えてないんだよな。薬屋で買うと、なにげに高いし﹂
﹁まぁ、痺れ薬は冒険者なら、有用な毒の一つだからな。特に狩り
するやつには、重宝する。俺みたいに一撃必殺できるのは少数だか
らな、さすが俺﹂
﹁⋮⋮まぁ、確かに、便利だからな。おっさんは、どこか大量に生
えてる場所知らないか?﹂
﹁ハハハッ、俺に聞くな。知るわけないし、見てもわかるはずがな
735
い!﹂
ダニエルが胸を張って答えた。
﹁そうだな、脳筋に聞くだけ無駄だよな。自分で地道に探すか﹂
﹁若者は、若い内に苦労した分が身になるからな! たぶん﹂
﹁どうせ自分以外は、と付くんだろ?﹂
﹁そんなこともねぇぞ? 俺、十歳の時に孤児になってるからな。
で、しばらく弟と野宿生活してた。
そういや、最近あいつ顔を合わせてないが、元気かな?﹂
﹁おっさんの弟とか、苦労性か破天荒かどっちかだな﹂
﹁あいつ、王都で兵士になったからな。今は、王都にいないっぽい
が﹂
﹁連絡とかしてないのか?﹂
﹁だって、ほら、俺はほぼ拠点なしの根無し草だからな。依頼があ
れば、国内中飛び歩いてるからな。
あいつ、兵舎にいたはずなんだが、俺が王都行った時はいなかっ
たんだよな。兵士やめたりはしてないみたいなんだが、あいつ、何
故か俺の弟だって隠したがるから、連絡取り難いんだよな﹂
﹁⋮⋮まぁ、おっさんの身内だって公表して、良い事なんか何一つ
なさそうだもんな﹂
736
﹁え? そうか? 超絶カッケーお兄様がいるなんてステキ!とか
思わねぇ?﹂
﹁まず無いな﹂
アランが答えると、ダニエルは苦笑した。
﹁取り付く島もないとか、お前、本当いい性格だよな﹂
﹁おっさんに言われたくないけどな。まぁ、向こうが嫌ってるなら、
連絡取ろうとしたり、所在確認しない方が親切なんじゃないか?
おっさんはいざとなったら、時間はかかるがギルド経由で連絡取
れるんだし、それがないって時点でお察しだ﹂
﹁嫌われてない! たぶん嫌われてはないからな!! あいつは照
れ屋で、愛情表現がちょっと屈折してるだけだから!﹂
﹁物は言い様だよな﹂
呆れたような顔で、ダニエルを見るアランに、ダニエルが必死で
首を左右に振る。そんなダニエルを尻目に、アランは入口へと戻る。
ルージュとガイアリザードは、どうやら隠し通路か何かを見つけ
たらしく、そちらを拡張しているようだった。
﹁おい、こっちに行くのか?﹂
アランが尋ねると、
﹁コボルトサイズの狭い通路だけど、こっちの方がコボルトの臭い
が強くて多いらしいのよね﹂
737
﹁レオ、お前、どうしてあの幼竜とそんなに会話が出来るんだ。あ
いつ、きゅっきゅう言ってるだけだろう? それとも俺のいない場
所で、人間の共通語とか話すのか?﹂
﹁私はまだ、あの子が言葉らしきものを話すところを、見たり聞い
たりした事はないわね。
結構表情豊かで、手振り身振りつけて話してくれるから、私が聞
き返すと、肯定したり否定したりするのよ。
まぁ、どのくらいいるのかは、言葉が通じないから良くわからな
いけど、この通路を真っ直ぐ行くより、こっちの方が良いらしいわ﹂
﹁⋮⋮幼竜に関しては、お前にまかせる﹂
アランは思考を放棄した。
﹁ああ、そうだ。いつものいぶし用の薬を焚いたから、煙が見えた
ら気を付けろよ。煙に巻かれない限りは、ひどい臭い程度で済むは
ずなんだが。
しびれ薬は入ってないから、万が一巻かれても、洗い流せば症状
は治まるし、後遺症は出ない﹂
﹁ああ、それでコボルトが動き回ったり騒ぎ回ったりしてるのね﹂
レオナールが肩をすくめた。
﹁煙が漏れている箇所があれば、そこに隠し扉や隠し通路、脱出口
があるとわかるはずなんだが、焚いたばかりだからな。
一応これから様子見て枯れ枝や薬を投入しようと思ってるんだが﹂
738
﹁あまり広範囲に広がらなくても大丈夫だと思うけど?﹂
﹁コボルトの牽制や混乱を誘うのもあるが、一応、目的は脱出口が
ここ以外にないか確認するためなんだが﹂
﹁う∼ん、面倒だから、別行動しましょうか? ここはたぶんルー
ジュだけでも十分だから、ガイアリザードと一緒に他に出入り口が
ないか、探したら?﹂
﹁薬剤はもう焚いたから、別のとこから探した方が良いな﹂
﹁外に出て回ってみたら? ルージュを通して、指示は伝えておく
から﹂
﹁それって、騎乗させる前提で話してないか?﹂
﹁大丈夫、二人乗りできる鞍をつけておいたから!﹂
レオナールがにっこり笑った。
﹁それ、全然大丈夫じゃないからな!﹂
﹁なるほど、一緒に行けば良いんだな﹂
アランが叫び、ダニエルが頷いた。
739
8 コボルトの巣の攻略1︵後書き︶
話があまり進んでません。
次回もっと戦闘とか盛り込めるよう頑張ります。
以下を修正。
×十分使えるが、しかし、
○十分使えるが、
740
9 コボルトの巣の攻略2︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
741
9 コボルトの巣の攻略2
ガイアリザードの背に揺られて、アランとダニエルは周辺を探索
していた。街道を歩いた時ほどの速度での移動だったので、今回は
気分が悪くなるような事もなく騎乗できたため、アランは内心ほっ
としていた。
時折メモに周辺の植生や、気が付いた事、太陽やフェルティリテ
山を見上げて、現在位置を推測したりする。
﹁騎獣に乗るのも、たまには良いな。のんびりできて﹂
ダニエルが楽しそうな声で言う。
﹁早くてもこれくらいの速度なら、俺もそれに同意できるんだが﹂
アランがメモから顔を上げて言うと、ダニエルは笑った。
﹁お前、鍛えればそこそこの戦士になれそうな骨格してるのにな。
気性はもちろんだが、木剣もまともに持てない筋力体力だから、鍛
えてやりたくてもどうすりゃ良いかサッパリだな。
毎日肉を食わせて走らせるくらいしか思い付かねぇわ﹂
﹁俺は魔術師になりたくてなったのに、どうしてレオもおっさんも、
俺に戦士並みの体力要求するんだよ?﹂
﹁別にそういう事じゃねぇけど、お前、戦士とか剣士って、やっぱ
り身体がでかくて腕が長い方が有利だろ? そうでなくても、やれない事はないが、身体能力は元々の骨格や体
742
格も結構影響あるからな。
まぁ、炎天下に放り出すと、半日保たずにすぐ倒れるお前には、
無理そうだが﹂
﹁わかってるなら言わないでくれ。そんなことより、ここら辺りが、
ちょうどさっきの入口の裏側だな﹂
﹁ふぅん、コボルトの気配もないし、臭いもそんなにしないな﹂
﹁他に出入口がないなら、その方が都合が良い。一通り一周したら、
枯れ枝を拾って帰ろう﹂
﹁アランの気性や性格は、両親どちらにも似てないよな?﹂
﹁祖父の弟に似ているという話を、祖父に聞いた事があったな。物
静かで家で一人、黙々と手仕事をする人だったとかで、俺の家にあ
った籠や家具の大半は、その人の作だという話だ。
流行病で、俺が生まれる前に亡くなったそうだが﹂
﹁その内暇が出来たら、またお前の親父さんのとこに顔出して、酒
でも飲みたいな。お前、酒はイケる口だっけ?﹂
﹁俺もレオも、飲食以外に酒を飲む習慣はないな。俺は特に、あの
酔っ払いの醜態を見るに、自分がそうなりたくない気持ちが強くて、
飲もうという気にはなれないし﹂
﹁えー、なんだよ、つまんねぇな。飲めるなら飲めば良いだろ。今
度、俺が酒の良さを教えてやる!﹂
﹁いや、おっさんの醜態が一番見たくないんだが﹂
743
﹁ええ? 俺は酔っててもカッコイイだろ!﹂
﹁自分の酔いざまを一度見せてやりたいな、幻影魔法で行けるかな﹂
﹁お? 幻影魔法使えるようになったのか?﹂
﹁自力では無理だが、魔法陣に使う古代魔法語のストックにある。
ただ、ちょっと準備に時間と金がかかるのがネックだが﹂
﹁ああ、魔法陣か。なら、それなら風魔法も魔法陣で使えるんじゃ
ないのか?﹂
﹁効果範囲の指定がちょっと。自分のそばに誰もいない状態なら使
えるんだが﹂
﹁あー、なるほどな。それじゃちょっと実戦には使いづらいよなぁ﹂
﹁範囲指定に、除外の魔法語が見つかれば良いんだが。レオに事前
にそっちに近付くなと言って、聞いて貰える自信はないしな﹂
﹁⋮⋮あいつ、なんであんな猪突猛進に育っちまったんだろう?﹂
﹁傍から見てたら、おっさんもレオとそう変わらないぞ? 見本が
悪かったとしか思えない﹂
﹁え? 何だよ、俺がその悪い見本だとでも言うのか?﹂
﹁おっさんは、良くも悪くも、レオの見本だろ。あいつが初めてま
ともに接した最初の﹃大人﹄がおっさんなんだから﹂
744
﹁あいつの首輪にもっと早い段階で気付いていりゃな﹂
﹁⋮⋮それ言ったら、一緒に遊んでた俺が、最初に気付かなくちゃ
駄目だっただろ﹂
二人揃って深い溜息をつき、顔を見合わせた。
﹁いや、でも、当時、お前はあいつを女だと思ってたわけだから、
仕方ないだろ。まさか服を脱がしてみるわけにいかなっただろうし﹂
﹁でも、あいつが喋らない理由が性格じゃなく、首輪のせいだと知
ってたら、俺だってもっと⋮⋮!﹂
﹁あー、悪ぃ。振ったの俺だが、この話はナシな。⋮⋮まぁ、今、
現在の事だけ考えよう。なっ?﹂
なだめるように言うダニエルを、アランが真顔で睨むように見る。
﹁俺だって、責任感じてるんだよ。あいつとの付き合いは今年で5
年で、首輪外れてからは2年弱だ。
それ以前と、以降の違い見てたら、あいつがあの頃、どうしてあ
んなに暗い顔してたのか、今ならわかるからな。あれは⋮⋮諦めて
たんだ﹂
﹁アラン﹂
そう言って、ダニエルはアランの頭を強めにグシャグシャと撫で
た。
745
﹁お前のせいじゃない﹂
そう言われて、うっかり泣きそうになったアランが、ダニエルを
ギッと睨む。
﹁あんまり思い詰めるな。お前は﹃隷属の首輪﹄なんてものの存在
なんか知らなかったし、魔術や魔法に興味があっても、それで何が
出来るかなんて良く知らなかった。
知識のある俺が気付かなかったんだ。お前にわからなくても不思
議じゃない。そんなことより、今日明日の事を考えた方が良い。
これは、お前にもレオにも言わないつもりだったんだが、シェリ
ジエール家の傍系、あの元子爵の甥にあたる男が逆恨みで、何度か
レオに刺客を送っている。
今のところ、全て捕まえて別件で牢に放り込んであるから、こい
つらはいずれ全員処刑されるだろう﹂
﹁なっ⋮⋮!﹂
目を見開くアランに、ダニエルは続けて告げる。
﹁そっちは、その甥が関わってる裏事業の証拠集めをしているから、
近い内に汚職その他で正式に逮捕できる予定だ。
あと、こっちのが厄介なんだが、シーラの兄も人を使って暗殺依
頼を複数出している。
こっちも今のところ、全て潰してるんだが、一人だけ逃がした﹂
﹁⋮⋮まさか⋮⋮っ!﹂
﹁そいつはいずれ俺が片付けるから、心配するな。けど、問題はだ
746
な、玄人だけじゃなく、金を使って素人まで使おうとすんだよな、
あの腐れ外道。
前からちょっと危ないシスコンだとは思ってたんだが、こんな阿
呆な事するやつだって知ってたら、もっと早くぶっ殺しておくんだ
った﹂
﹁え? ちょっ、おっさん、ぶっ殺すって、本気か?﹂
﹁エルフを人間の法律では裁けないからな。少なくとも現時点では、
王国の法律に反する行為はしていない。
しかも本人は森の中の里に引きこもってる。シーラと話が出来る
状態だったら良かったんだが、連絡取るのもままならないからな。
一度里へ直接行こうとしたんだが、結界で弾かれた。だから、そ
っちはちょっと時間が掛かりそうだ﹂
﹁⋮⋮つまり、レオの周囲に気を配れって事だよな?﹂
﹁ああ。直接の危険なら、レオが自分で見つけるだろうが、それ以
外に関してはお前の方が適任そうだしな。
クロードにさせようと思ってたんだが、あいつ、時折とんでもな
いボケかますからなぁ。一応あいつにも手紙は出しておいたが﹂
﹁って言うか、おっさん、そんな大事なこと、俺達に隠しておくつ
もりだったのかよ?﹂
﹁悪ぃ。子供に余計な心配させたくなくてな。全部俺の方で止めて
解決できりゃ良かったんだが、ちょっと油断して調子こいてたかも
な。
俺、お前らには笑ってて欲しいんだよ。本来なら、今が一番楽し
い時期だろ? だから、それを心底楽しめるよう、環境を整えてや
747
るつもりだった。
どんだけかかるか、わからねぇけど、全部終わったら、お前らの
とこ顔出すから、その時は、何か適当な魔獣か魔物を狩りに行こう。
ダンジョン潜るのも良いよな。希望・要望あるなら、そっちに合
わせても良い。俺も、王都で面倒な人付き合いすんの、時折イラッ
と来るからな。ストレス解消にちょうど良い﹂
﹁⋮⋮まぁ、おっさんには、そっちの方が合ってるだろうな。まさ
か王都で本性丸出しで剣振れないだろうし﹂
﹁本性丸出しって。俺はいつでも本性・本音全開だろ?﹂
﹁ああ、そうだな。良くも悪くも、そうだろうな。だから迷惑な事
されても、おっさんだから仕方ないと思えるし﹂
﹁うん? 迷惑な事って、何かやらかしたか?﹂
不思議そうな顔で尋ねるダニエルに、アランが渋面になる。
﹁⋮⋮いや、期待してないから。おっさんにそんな機能付いてない
のは、重々承知している﹂
﹁え? なんか怒ってる?﹂
怪訝そうに言うダニエルに、アランは首を大きく左右に振った。
﹁そんな事より、コボルトの巣だ。さっさと確認終えて、レオのと
ころへ戻ろう。幼竜が一緒だから、滅多なことはないと思うが﹂
748
﹁そうだな。一応念のため門を出たところで引き離したけど、目的
地バレてたら、追いつく可能性はゼロじゃないからな﹂
ダニエルの言葉に、アランが目を剥いた。
﹁は!? あれ、暗殺者を引き離すためだったのかよ!?﹂
﹁レオは気付いてなかったから素だと思うけどな。都合が良いから
乗っかった。いちいち背後気にしながら、とか面倒臭ぇからな﹂
﹁⋮⋮そうか⋮⋮てっきりおっさんが早く行きたいだけだと思って
たが、そういう事なら仕方ない﹂
﹁ま、ちんたら歩くのも面倒ってのもあったがな!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アランが無言で睨んだ。
﹁あ、いやいや、あんなのがついて来てなきゃ、そこまで強行軍は
やらかさなかったぞ、たぶん﹂
慌ててダニエルが付け足したが、信用できるはずがなかった。
﹁おっさんは、本当、油断できないよな。あんたが敵に回ったら、
どうやって対処すべきかわからねぇよ。素と計算と入り交じってや
がるからな﹂
アランが言うと、ダニエルは肩をすくめた。
749
﹁えー? 何だよ、それ。それじゃ俺がまるで腹黒みたいだろ。俺
はいつも自然体だぞ?﹂
﹁そうは言うが、たまにニッコリ笑いながら、人を谷底に突き落と
すような真似するじゃないか。
あれも一応素なんだろうが、おっさんの行動原理や感情・思考は
読めそうにないぞ﹂
﹁谷底に突き落とすって、そんなひどい事したか?﹂
﹁少なくとも、おっさんを無条件に信用したら痛い目を見るって、
俺は学習したからな﹂
アランは肩をすくめて言う。
﹁いや、でも、俺、一応、お前らのことは可愛がってるつもりなん
だが?﹂
﹁わかってるよ。わかってるけど、おっさんの愛情表現や特別奉仕
なつもりの行為で喜ぶやつは、そうそういないって事は自覚しろよ
な﹂
﹁えー、マジかよ?﹂
あからさまにガッカリした顔になるダニエルに、思わずアランは
額を押さえた。
﹁まぁ、そのトシで今更自覚しろとか、無理だったよな。悪かった﹂
溜息ついてアランが言うと、ダニエルは困惑するように頬を掻い
750
た。
﹁うーん、どれがマズイのかサッパリなんだが﹂
﹁大丈夫。おっさんにそういう事期待しないから﹂
アランに笑わない目で言われたダニエルの顔が、少し引きつった。
﹁お、おう。なんかすまん﹂
反射的に謝った。
◇◇◇◇◇
﹁けっこう進めたわね。砂岩部分は全部貫通したし、ここからは礫
岩と石灰岩と花崗岩かしら? アランがいたら判別つくんだろうけ
ど、ちょっと自信ないわね。
ルージュ、ここからちょっと硬くなるけど、頑張ってね!﹂
﹁きゅきゅう!﹂
コボルトの中でも勇気のある者が必死にちょこまか、矢を射って
来るが、全てその鱗で弾き返して、物ともしない。
レオナールはその後ろにいるため、全く安全である。時折、回り
込もうとする者もいるが、そういうのにはルージュが尻尾や腕を振
るうため、近付こうとするコボルトはいなくなった。
一応レオナールはいつでも剣を抜けるよう準備していてはいたの
だが、敵が全くこちらへ来ないので、背後や、本来の通路奥から来
751
る者がないか、注意を払う事にした。
ふと、何かの気配││音はしなかったが、知らない臭いを嗅いだ
ような気がした││を感じて、抜刀し、振り下ろした。
﹁っ!﹂
そこには、飛び退いて剣を避ける、黒衣の小柄で細身な男の姿が
あった。
﹁あら?﹂
レオナールが首を傾げた。
﹁あなた、昨夜見掛けた、師匠と斬り合いしてた暗殺者さん?﹂
男は答えず、ダガーを振りかぶった。レオナールは剣の角度を変
えて、それを止め、押し切った。大きく背後に飛ぶ男。手応えが軽
かったから、自分で飛んだのだろう。
レオナールがニヤリと唇に笑みを浮かべた。
﹁ふぅん、ま、良いわ。ちょうど暇してたの。暇つぶしに付き合っ
てちょうだい?﹂
そして、レオナールの顔から表情が消えた。男が暗器を投擲する
が、無造作にそれを払い、腰を沈めたかと思うと、床を強く蹴りつ
け、男を射程距離に収めると、腹を殴りつけるように剣を横に薙ぐ。
今度も少し浅かったが、かすめる事には成功したようだ。微かに
血の臭いを嗅いで、レオナールは口元に笑みを浮かべた。
752
﹁あなたの血の色を見せてちょうだい?﹂
男が舌打ちし、飛びすさり、投擲する。最初のそれを顔を傾げる
事で皮一枚で避け、次のを剣身で、更に次を柄で弾くと、地面を踏
み込み、飛び上がって避けると、そのまま剣を男の頭部目掛けて振
り下ろす。
﹁!?﹂
男が更に背後へ飛び退き、何かを踏みつけた。それはアランが焚
いた薬であり、新たな空気を取り込んだ事で、小さくなりかけてい
た火が大きくなった。残っていた薬剤が一気に燃え上がり、煙に混
じる。
それを見たレオナールは肩をすくめた。男はゲホゲホと咳き込み、
涙を流しながら、更に背後に下がろうとしたが、そこも煙と薬剤が
まだ残っていたため、更に咳き込む羽目になった。
﹁あらあら、ふふっ﹂
笑いながら、レオナールは男の腹を硬く厚い靴底で蹴りつけ、倒
す。そして、暴れる男の足を掴んで宙吊りにして、煙の中から引っ
張り出した。
抵抗し、ダガーを振るおうとする男の肩を踏みつけ、骨を砕いた。
﹁っ!!﹂
更に剣の柄を使い、膝や肘の骨を砕き、ダガーを手放させた。そ
れから、入念に武装解除に取り掛かる。
が、面倒になって、途中で黒衣を剥ぐ事にした。頭に巻いた布に、
剣を突き刺し縫い止めて、大振りのダガーで切り裂いて行く。
753
﹁とりあえず裸に剥いちゃえば、武装解除も出来るわよね。後で売
れる物は、武器屋かくず鉄屋に売っちゃえば良いし﹂
男が抵抗する度に、殴りつけたり蹴ったりして、黒衣とその下の
胴着を脱がすと、その剥いだ服で手足を縛り、拘束した。
﹁よいしょ、っと。ルージュ、しばらくここを離れるけど、頼むわ
ね﹂
幼竜に声を掛けると、男を担ぎ上げた。その時、入口の方から気
配を感じて立ち止まると、カンテラを持ったアランとダニエルと目
が合った。
﹁おい、何をしてるんだ!? レオ!!﹂
アランが驚愕した声で怒鳴り、ダニエルがあちゃーという顔をし
た。
﹁なぁ、レオ、それ、もしかして、︽黒︾か?﹂
ダニエルが尋ねる。一瞬誰の事かと思ったが、そう言えば、この
暗殺者の呼び名がそれだったと思い出して、頷いた。
それは、灯りの中で見ると、少女のように美しい顔立ちと、見事
な銀髪紫眼の小柄な青年だった。
とてもこれが、あの暗殺者と同一人物だとは思えない容貌だった
が、拘束に使っているのは、着ていた黒衣である。一応、黒衣の下
に着ていたズボンは穿かせたままなので、上半身のみ裸である。
﹁これ、どうしたら良いかしら? 斬ってもかまわないなら、そう
754
するけど﹂
﹁あー、それ、俺が持って帰るわ。賞金とか報奨金はお前にやるよ﹂
﹁え? 本当?﹂
レオナールがきょとんとした顔で言った。
﹁ああ、たぶん俺が持って行って突き出した方が、良いだろう。こ
いつの首に掛かっている金が金だからな。
ここの領兵はちょっと信用できないから、俺が始末をつける。金
はギルド経由で手紙つけて、ロランへ送る。
お前らだけでコボルト討伐、できそうか?﹂
ダニエルの言葉に、アランとレオナールが答える。
﹁最初からそのつもりだったんだ。できないはずがない﹂
﹁できないはずないでしょ? バカにしないで欲しいわね﹂
その答えに、ダニエルはニヤリと笑う。
﹁わかった。んじゃ、先にラーヌへ戻ってるぞ。夕飯は一緒に食お
う。なんか適当なとこねぇか、調べておく﹂
﹁それ、師匠の奢り?﹂
レオナールが尋ねると、ダニエルが苦笑しつつも、頷いた。
﹁おう。とびっきり高くて旨いとこ紹介して貰うからな﹂
755
﹁有り難うございます、ダニエルさん﹂
アランが深々と頭を下げると、ダニエルは肩をすくめた。
﹁ま、コボルト相手だけど、一応気を付けてな。たぶん、大丈夫な
んだろうが﹂
﹁罠とか全部壊して行くつもりだからな﹂
アランが良い笑顔で言った。
﹁師匠、逃げないでよ﹂
レオナールが言うと、ダニエルは笑った。
﹁心配すんな﹂
そして、レオナールから男を引き取って、立ち去った。
﹁なぁ、レオ。大丈夫か?﹂
アランが心配そうに声を掛けた。
﹁え? 大丈夫よ。あいつ、アランの焚いた薬の煙吸って、涙流し
ながら咳き込んでたわ﹂
﹁あー、アレ吸ったのか。なら、しばらくおとなしいだろう。あれ、
洗浄しないと抜けるのにちょっと時間がかかるからな﹂
756
﹁私としては真面目に斬り合っても良かったんだけど﹂
﹁え? だって、あいつ強いんだろ?﹂
﹁そうね。でも、師匠より弱かったわよ﹂
﹁あの人と比べたら、誰だってそうだろ。⋮⋮っていうか、斬り合
ったのか?﹂
﹁斬り合ったという程、斬ってないと思うけど﹂
﹁怪我とかしてないか!?﹂
慌てるアランに、レオナールは苦笑した。
﹁大丈夫。どこも怪我してないわ。にしても、師匠と斬り合い出来
るレベルの割に、たいした事なかったような。変ね?﹂
首を傾げるレオナールに、
﹁灯りがなかったとか? ほら、あいつ人間だったろ?﹂
﹁ああ、なるほど﹂
アランの指摘にレオナールが頷いた。
﹁何か動きが鈍いというか、昨夜見た時と比べて、動きが遅い上に、
ためらいがあるように見えたのよね。
あれ、もしかして良く見えてなかったのかしら﹂
757
﹁たぶんそうだろ。人間レベルの夜目が利くってのは、ハーフエル
フのそれとは、比べものにならないからな﹂
﹁そっか。なら、もっとそれを上手く利用できていれば、殺せたの
かしら﹂
ふふっと笑うレオナールに、アランが渋面になる。
﹁おい、レオ﹂
﹁だって大金貨300枚の賞金首よ? 滅多に遭遇する事ないじゃ
ない﹂
﹁金はお前の懐に入るんだから、別に良いだろ﹂
﹁お金とこれは別よ。強い敵を斬るのは楽しいじゃない。わかって
いれば、遠慮しなかったのに﹂
残念そうに言うレオナールに、アランは頭痛を覚えた。
﹁そんな事より、今はコボルト討伐優先だろ? 依頼完了前に怪我
でもしたら、どうするんだ﹂
﹁ああ、それもそうね。あの暗殺者も、空気読めないわよね。夜に
でも来てくれたら良かったのに﹂
溜息つきながら言うレオナールに、アランは額を押さえながら言
う。
﹁とりあえず、お前に怪我がなくて本当に良かったよ﹂
758
﹁そうね。依頼を完遂できなかったら困るものね。アラン一人で討
伐はちょっときびしそうだもの。
その場合、ここまで来てラーヌに帰る羽目になってたわね﹂
﹁あんまり考えなしの行動するなよ、レオ﹂
﹁えー? でも、相手から攻撃してきた場合はどうすれば良いの?﹂
不思議そうに尋ねるレオナールに、アランが渋面で答える。
﹁俺達や幼竜がそばにいるんだから、助けを求めるとか、逃げると
か、あるだろ?﹂
﹁そんなのつまらないじゃない﹂
アランの眉間に深い皺が寄った。
﹁つまらないとか、そういう問題じゃない。万一の場合を考えろ﹂
レオナールは肩をすくめた。
759
9 コボルトの巣の攻略2︵後書き︶
コボルトの巣の攻略になってないけど、一応サブタイ。
以下を修正
×しかも、少なくとも現時点では
○少なくとも現時点では
760
10 コボルトの巣の攻略3︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
761
10 コボルトの巣の攻略3
ルージュがコボルト用の狭い通路に突進して拡張し、アランがル
ージュとガイアリザードを盾にしながら、︽眠りの霧︾や︽炎の矢
︾などでコボルトたちを無力化し、レオナールが背後からの敵に備
えて索敵し周囲に注意を払う。
︽眠りの霧︾で眠らされたコボルトの大半は、ルージュの突進や
ガイアリザードの歩行により、踏み潰され、万一生き残っても、レ
オナールに止めを刺される。
﹁よし、思った通り順調だ。後は魔力切れに注意をするだけだな。
適度なところで休憩を取ろう﹂
﹁これ、討伐というより駆除とか作業よね。つまんないわ﹂
レオナールが首を大きく左右に振り、溜息をついて言った。
﹁おい、つまらないとかそういう問題じゃないだろ﹂
﹁私はこう、もっと斬ってるって感じが好きなのに。力一杯剣を振
れないなんて、なんのための討伐なのよ﹂
アランがたしなめようとするが、レオナールはムッと不満げに眉
間に皺を寄せ、剣を握りしめる。その様子に、アランは小さく肩を
すくめた。
﹁そんなに言うなら︽眠りの霧︾じゃなく︽鈍足︾か︽束縛の糸︾
に切り替えるか?
762
そっちの方が、魔力の節約にもなるし。その代わり、被弾の確率
も上がるんだが﹂
﹁矢を射たせる前に倒せば良い話よね。もっとも狭すぎて、いつも
通りに移動ができるか微妙だけど﹂
﹁やっぱり広いところに出るまでは、現状維持だな。広くなってお
前が動けるようになったら、切り替える。一応事前に合図するから﹂
﹁了解。やっぱり魔獣・魔物討伐はガンガン斬らないとね﹂
嬉しそうに笑うレオナールに、アランはしかめ面になるが何も言
わなかった。不満を溜めすぎて、思わぬところで暴発・暴走される
よりはマシだと判断したためだ。
それから暫く歩き、ようやく広めの場所に出た。が、コボルトの
姿は見えない。アランが顔をしかめたその時、不意に背後からレオ
ナールに突き飛ばされた。
﹁っ!?﹂
すぐそばを︽炎の矢︾が通過する。レオナールは、アランを突き
飛ばした直後に、駆け出していた。
その背を見て、アランは舌打ちする。レオナールが駆け出したそ
の先に、慌ててカンテラを掲げ、そこにコボルトの群れを確認した。
すぐさま︽鈍足︾の詠唱に入る。レオナールに続き、ルージュも
駆け出した。ガイアリザードが、アランの視界を遮らない程度に前
に出る。
膝をついたままの姿で、詠唱を完了させ、発動させる。
﹁︽鈍足︾﹂
763
ギリギリ、レオナールの突入前に間に合った。レオナールが抜刀
と同時に、コボルトたちを薙ぎ払う。
ルージュがそこへ突進し、コボルトたちの間を駆け抜けた。レオ
ナールが更に右に薙ぎ、スイッチして左に薙ぐ。
そこへ背後に回ったルージュが、尻尾を振るった。薙ぎ倒された
コボルトが何匹かは、暗くてアランには数え切れなかったが、残り
のコボルトは十数匹。
︽炎の矢︾の詠唱に入ろうとしたアランの右側に、ガイアリザー
ドが移動した。
﹁グギィ﹂
ガイアリザードの鱗が、飛んできた矢を弾き返した。
﹁っ!﹂
慌てて、そちらにカンテラを掲げ、舌打ちし、早口で詠唱する。
﹁其れは、汝らの四肢を束縛する、幾重にも絡む数多の魔術の糸、
︽束縛の糸︾﹂
魔法が発動し、右手から来たコボルトたちの動きが、目に見えて
鈍くなる。続けて詠唱開始。
﹁火の精霊アルバレアと、風の精霊ラルバの祝福を受けし、炎の旋
風よ、標的を中心として、渦巻き、焼き尽くせ、≪炎の旋風≫!﹂
発動と同時に、新たに現れたコボルトたち全てが、炎に巻かれ、
燃え上がった。
764
﹁グギァアッ﹂
ホッとする間もなく、新手が現れた。今度はアランの背後だった
が、同じくガイアリザードが盾となった。
今度は弓矢ではなく︽氷の矢︾だ。アランは︽炎の矢︾を詠唱し
ながら、カンテラを掲げ、魔術師の姿を目で探した。
そして、盾を掲げたコボルトたちに囲まれ、詠唱中の杖持ちを視
認する。
﹁≪炎の矢≫﹂
発動した魔法が、魔術師コボルトの額に命中した。それと同時に、
盾を捨てたコボルトがダガーや鈍器を振りかぶりながら駆けて来る。
︽炎の旋風︾を唱える暇はないと見たアランは、右手のレオナー
ルを振り返った。
︵よし!︶
咄嗟にそちらへ駆け出した。
﹁レオ!!﹂
掃討を終えたレオナールが振り返り、駆け出した。
﹁おおおおぉおおおおっ!﹂
アランと擦れ違い、低い雄叫びを上げながら、剣を掲げ、右上か
ら左下へと振り下ろす。
コボルトたちが悲鳴を上げながら、転がった。
765
﹁あははっ! 数だけは多いみたいだけど、本当、雑魚ね! 当た
れば倒れる弱さなんだから、ポツポツ来ないで、もっと一斉に一気
に、壁になって来なさいよ!!﹂
レオナールは楽しそうに笑いながら、踊るように剣を振るい、周
囲に血飛沫を撒き散らす。
アランはうわぁ、という顔になりつつ、カンテラを掲げて、新手
が来ていないか周囲を確認する。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが大声で低く、やけに響く、唸るような鳴き声を上げた。
慌てて振り返り、ルージュの見る方角を確認すると、最初にコボル
トが現れた通路から、コボルトたちが駆けてくるのが見えた。
慌てて︽炎の旋風︾を詠唱する。アランは嫌な予感を覚えて、額
に汗を滲ませた。
﹁︽炎の旋風︾﹂
1匹除いて全てのコボルトが炎の渦に巻き込まれた。かろうじて
逃れたコボルトも、ルージュの前足で頭部を砕かれ、即死した。
﹁レオ! たぶんこれ、今来た通路以外全て、囲まれてるぞ!!﹂
﹁了解! 一度、最初の通路に撤退する?﹂
﹁いや、戻ったら、また引っ込まれて待ち伏せされるだけだ。危険
を承知で、一番敵が少ない通路に飛び込んで、確保しよう﹂
﹁わかったわ!!﹂
766
最初に敵が現れた通路へ、レオナールが駆け出し、次いでルージ
ュ、アラン、ガイアリザードの順で続いた。
奥にはコボルトたちが待機していたが、アランがたどり着くまで
に、レオナールとルージュで行動不能にする。
背後からの弓矢や魔法はガイアリザードが盾になるが、弓矢はと
もかく、魔法は痛みを覚えるらしく、かすめる度に鳴き声を上げる。
アランはギリッと唇を噛みしめつつも、無言で走る。
レオナールはそこで立ち止まらずに、更に左手の通路に走った。
アランは休む事なく、それに続いた。
その部屋の中央には、転移陣が記されていた。
﹁っ!﹂
青白く発光し、コボルト3匹が現れた。
﹁がああぁあああっ!﹂
雄叫びを上げて、レオナールが駆け寄り、斬り払った。その場に
音を立てて崩れ落ちるコボルトたち。
咄嗟にアランは︽炎の矢︾を詠唱し、転移陣を標的とする。レオ
ナールが転移陣から距離を取ったところで、発動させる。
﹁︽炎の矢︾﹂
転移陣中央の内円の一部を穿つように、炎の矢が突き立ち、小さ
な炎を上げて、触媒の一部を燃やし、炭にした。
﹁⋮⋮これで、使えなくなるの?﹂
767
レオナールが尋ね、アランが頷く。
﹁これで、これの対の転移陣は、行き先不明の片道切符になるはず
だ。事実上の無効化と変わりない。
念のためメモを取る。索敵と周辺の警戒を、頼む﹂
﹁了解﹂
素早く、転移陣の文字を書き取った。
︵識別名︽麦の道︾、場所名︽弱き1︾、残りは定型、か。1って
事は他にもある可能性が高い、か?︶
﹁よし、良いぞ﹂
アランが顔を上げる。ここには3方向に通路があるようだ。通っ
て来た通路から見て左右に通路が伸びている。
﹁どっちへ行く?﹂
アランが尋ねると、
﹁左はいないみたい。右へ行くわよ。体力は大丈夫?﹂
﹁今のところは。それより、この転移陣、他にもある可能性がある。
気を付けろ。気配がない場所でも、転移陣で新たに現れる可能性が
ある﹂
﹁それ、常時索敵してても、不意打ちされる可能性があるって事よ
768
ね﹂
レオナールが肩をすくめた。
﹁こういうのって良くあるの?﹂
﹁あるわけないだろ。あったら、コボルト討伐がFランクになって
るはずがない。
たぶん、オルト村のと同じやつが描いた転移陣だ。中央のシンボ
ルが混沌神の上に、識別名の付け方が似ている。
カンテラは仕舞って︽灯火︾を使う。こっから移動が多くなりそ
うだからな。
なるべく早く他の転移陣を壊さないと、時間が経つ毎に厄介にな
る可能性が高い﹂
﹁了解﹂
アランの言葉に、レオナールが頷いた。
﹁其れは、我の周囲を穏やかに点す、闇を照らす光、︽灯火︾﹂
魔法が発動し、熱のない魔法の光がアランの前方に浮かび上がる。
アランはその場に屈み、カンテラの火を消し、暫く冷ましてから背
嚢から、カンテラが入るピッタリの大きさの革袋を取り出し、それ
に仕舞った。
革袋はカンテラを保護するため、二重の革の間に綿などを詰めて
縫い込んである。それを背嚢の中の野営用毛布にくるんで、中に仕
舞った。
﹁レオにも掛けるか?﹂
769
﹁必要ないわ。隠し通路があったとしても、ルージュが臭いで見つ
けるから﹂
﹁了解﹂
そして、右の通路へと歩き出した。部屋へと出る直前に、アラン
が︽鈍足︾の詠唱を開始、発動と同時に、レオナールが駆け出す。
﹁︽鈍足︾﹂
︽灯火︾に照らされた室内に待機していたコボルト6匹全てに︽
鈍足︾の効果が及ぶ。レオナールが向かって右の3匹を、ルージュ
が左の3匹を倒した。
他に敵の姿は見えない。この部屋も3方向に通路がある。
﹁どうだ?﹂
﹁右前方、左前方、共に同じくらいいるわね。アラン、どっちに行
きたい? もしくは行きたくない方向はある?﹂
﹁⋮⋮左、かな﹂
苦笑を浮かべながら、アランが答えた。
﹁行きたくない方向が?﹂
レオナールがニッコリ微笑んで尋ねる。
﹁ものすごく行きたくないわけじゃないが、出来れば行きたくない
770
方向だ﹂
﹁って事は、そんなに強くないのかしらね?﹂
﹁厄介だとは思うがな﹂
﹁この巣のパターンは掴めそう?﹂
﹁⋮⋮わからない。一つ言えるのは、この転移陣描いたやつは、も
のすごく性格が悪い﹂
アランは首を左右に振った。
﹁どうしてそう思うの?﹂
﹁ゴブリンの巣は、範囲と効果時間の長いわりと強力な魔法陣と、
オルト村探索パーティーや、ロラン東の森で消えた冒険者の装備で
強化されていた。
この巣のコボルトたちは強化はされてないとは言え、即死する可
能性のある罠を複数仕掛けたり、複数の転移陣で速やかに援軍を移
動させる事で、断続的ではあるが、物量作戦で侵入者を足止めし、
疲労させる事が出来る。
これの何処が性格悪くないと言えるんだ?﹂
﹁⋮⋮なるほど。疲労を蓄積させれば、数か罠で、侵入者を仕留め
る事が出来るってわけね?﹂
﹁そういう事だ。このコボルトの巣は、討伐や調査のため、中に入
った侵入者、おそらく人間、依頼を受けた冒険者たちを、殺すか疲
弊させるために作られている。
771
転移陣の繋がってる場所が、この巣の中だけであれば良いが、も
し巣の外に繋がっていたら、コボルト以外の敵が現れる可能性もゼ
ロじゃない﹂
﹁えっ、本当!?﹂
﹁だからって、転移陣を1つでも残せというのは、ナシだからな!
見つけ次第、全て壊して使用不可にする。
お前だって、索敵が役立たなくなるのは、困るだろう?﹂
﹁うーん、いっぱい狩れるのは、特に問題ないんだけど、アランの
体力か魔力が尽きるわね﹂
﹁それがわかってるなら、言いたい事はわかるよな?﹂
﹁⋮⋮アランにも帰って貰えば良かったかしら?﹂
﹁おい!?﹂
アランが睨むと、レオナールは肩をすくめた。
﹁もちろん、冗談よ﹂
﹁嘘だ。今の、かなり本気入ってただろ?﹂
アランが詰問すると、レオナールは苦笑した。
﹁ごめんなさいね、悪気はないのよ? ただちょっと、本音がちょ
ろっと出ただけで﹂
772
﹁あのなぁ、レオ。もしかしたら、お前一人で討伐はできるのかも
しれないが、調査とか報告とか、出来るのか?﹂
﹁絶対無理ね!﹂
胸を張って明るく笑いながら言うレオナールに、アランは軽い頭
痛を覚えた。
パーティー
﹁って言うか、何のための仲間だと思ってるんだよ?﹂
﹁私が出来ない事、やりたくない事を、アランがやってくれるんで
しょ? で、私が魔獣や魔物を狩る﹂
﹁まぁ、そうだな。で、お前は俺に、何を期待する? 俺の役割は
何だと思ってる?﹂
﹁ええと、周囲の情報収集とか、いざという時の危険・強敵の探知、
あと、見つけた物の調査や判断。私の代わりに、面倒な事や良くわ
からない難しい事を考えて答えをくれる便利な人、かしら?﹂
﹁で、このコボルトの巣の探索・討伐に、その役割は必要? それ
とも不要か?﹂
﹁必要、ね。コボルト討伐と、転移陣の破壊だけなら、できなくは
ないと思うけど、それ以外に何かあったら、私じゃ判断つかないも
の﹂
﹁なら、言う事があるよな?﹂
アランが真顔で、じっとレオナールの目を見た。
773
﹁本当に、ごめんなさい。アランがいないと、困ります。だから、
失言を許してくれるとありがたいんだけど﹂
深々と頭を下げたレオナールを見て、アランが頷く。
﹁わかってくれるんなら、それで良い。次から気を付けろよ? お
前は要らないとか言われたら、俺だって傷付くんだからな﹂
アランが言うと、レオナールがちょっぴり申し訳なさそうな顔で、
再度謝った。
﹁ごめんなさい。もう言わないわ﹂
その言葉を聞いて、アランは苦笑した。
﹁じゃ、次行くか﹂
もちろん行く方向は左である。
774
10 コボルトの巣の攻略3︵後書き︶
以下を修正
×ただし、今度は弓矢ではなく
○今度は弓矢ではなく
パーティー
×パーティー
○仲間
775
11 コボルトの巣の攻略4︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
776
11 コボルトの巣の攻略4
﹁さて、と﹂
ダニエルは、コボルトの巣からしばらく歩いた辺りで、担いでい
た男を地面に下ろした。
﹁その銀髪紫眼、もしかして占術師の小娘の血縁か?﹂
﹁っ!?﹂
男が驚き、無言でダニエルを睨み付けた。
﹁少し調べたんだが、お前、あの小娘のいた孤児院を壊滅させてい
るよな? それが原因で、最初の報奨金が掛けられた﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁おい、死にたいなら無言を貫いても良いが、条件次第じゃ、お前
にかかってる全ての賞金を撤回した上で、安全な隠れ家と、表を大
手振って歩ける身分保障を付けてやれるんだが﹂
﹁⋮⋮何の冗談だ?﹂
男が鋭く硬い口調で尋ねる。容姿に比べると、やけに低い声音で
ある。ダニエルは苦笑した。
﹁お前がどこまで知っていて、あの孤児院を襲撃したかによるな。
777
正直、頭の軽い殺戮・破壊好きの、ただの犯罪者を拾い上げてやる
酔狂は持ち合わせてない﹂
しばらく男はダニエルを見つめ、その瞳が揺るがないのを確認し
て、ようやく答えた。
﹁あの孤児院が、人身売買組織と繋がっていたからだ。養っている
子供達の中で、要望に見合う子供を引き渡したり、それに見合う教
育を施す役割を担っていた。
俺も売られた一人だが、あいつらルヴィリアまで││俺の妹まで
売ろうとしやがった﹂
それを聞いて、ダニエルは肩をすくめた。
﹁どうせそんな事だろうとは思ったが。その人身売買組織だが、三
年前に活動が確認された︽混沌神の信奉者︾と繋がっている事が判
明している。
それをきっかけに、密かにシュレディール王国の王宮内に、その
調査と対策のための組織が結成された。
お前にその気があるなら、その組織に所属する密偵として勧誘し
たい﹂
﹁何!?﹂
﹁もちろん断るなら、ここで死んでもらう。だが、王国と国王陛下
に忠誠を捧げ、王国のために身骨を砕いて、その身を捧げる覚悟が
あるなら、拾って面倒を見てやろう。
働きに見合う報酬も国庫から出る﹂
﹁⋮⋮俺にかけられた賞金や報奨金は、あの金髪の剣士に全部やる
778
とか言ってなかったか?﹂
﹁俺のポケットマネーで十分払える金額だからな﹂
﹁⋮⋮金持ちが﹂
男が吐き捨てるように言う。ダニエルは肩をすくめた。
﹁金なんかめったに使わねぇのに、いくらでも入って来るからな。
貯金ばかりたまって使う暇がない。いい加減働き過ぎだと思うんだ
よな、俺﹂
﹁金に困ってるやつが聞いたら、くびり殺したくような台詞だな﹂
﹁お前も人のこと言えないだろう。で、どうする? 俺としては、
どちらでも良いんだ。
使える駒はいくらでも欲しいが、使えないならゴミだ。ゴミは速
やかに処理しないとな。じゃないと、他のものまで腐っちまう﹂
ニッコリ笑うダニエルを、男が冷たい目で睨んだ。
﹁そんな事で良いのか? ︽疾風迅雷︾。あんた、国の英雄なんだ
ろ?﹂
﹁好きなことやってたら、いつの間にかそうなってただけだからな。
別になりたくて、なったわけじゃない。
今やってる事だって、俺がやりたいから、やってるだけだ。別に
正義のためでも、王国のためでもない。
まぁ、今の国王陛下と王妹殿下には義理と恩があるから、それな
りのものは返したいとは思っているが、居心地が悪くなったり面倒
779
になったら、国を出てもかまわないとは思ってるな﹂
﹁それでいて、俺には王国に忠誠を誓い、身を捧げろと?﹂
﹁当たり前だろ、賞金首。お前には実績と信頼がない。︽黒︾とい
う犯罪者のそれでは、意味がない﹂
真顔で告げられ、男は冷たいものを飲み込むような表情になった。
﹁で、否と言えば、この場で殺す、か。それって、ほぼ一択じゃな
いか?﹂
﹁一応、殺す前に希望を聞いてやってるだろう?﹂
ダニエルは穏やかに微笑んだ。
﹁俺って本当、親切だよな!﹂
その言葉に、男は渋面になった。
﹁⋮⋮あんた、いい性格してるな﹂
﹁おう、なんか良く言われる。で、どうする? 好きな方を選べ﹂
﹁返答する前に、一つだけ聞きたい。俺が、お前や王国に従い恭順
した場合、妹の身分保障、あるいは保護は頼めるか?﹂
﹁小娘本人が望めば、出来なくはないと思うが、拒否されれば、難
しいぞ?﹂
780
﹁自由民は、王国も含め、誰にも税を払う必要もないし、恩も義理
もないが、保護も身分保障もない。
あいつはその気になれば、自力で稼ぐ事も出来るし、今は俺から
かすめた金もある。平民としての人頭税は十分支払えるはずだ﹂
﹁お前がレオを襲ったのは、あいつのやった事を誤魔化すためか?﹂
﹁⋮⋮そうだ。あいつは裏社会を舐めている。裏社会にも、それな
りの仁義がある。
何の後ろ盾も、義理も通さず、あんな真似をすれば、俺が放置し
ても、他のやつがあいつの命を狙う。
連中は、面子を大事にするからな。素人に面子を潰されて利用さ
れたとなったら、必ず報復する。
俺が一人で仕事しているなら、その辺はどうにかなったんだがな﹂
﹁ご愁傷様ってとこか。で、足抜けするには、どういった条件があ
る? もしくは、どこのどういう組織と敵対する必要があるんだ?
一応聞いておかないと、後処理が面倒だからな﹂
﹁俺が所属する組織は︽闇の咆吼︾。足抜けする方法は、死のみだ。
直接の上司は誰になる?﹂
﹁一応今のところは俺かな。でなかったら、王妹殿下、アンジェリ
ーヌ様だ﹂
﹁何?﹂
男は、おかしな事を聞いた、という顔になった。
﹁だからお前の上司は俺。俺が不在の時は、アンジェリーヌ殿下だ﹂
781
﹁⋮⋮そんな組織に、俺を勧誘すると?﹂
﹁心配すんな。お前以外に過半数は平民に自由民、多種族だ。貴族
や王族に対する礼儀作法とかは、特に要求されないから、安心しろ。
で、どうする?﹂
﹁妹の保護を頼めるなら、お前に全面的に従う。他の条件は特にな
い﹂
﹁了解。人手が足りなくて困ってたんだよ。有能そうなやつが入っ
てくれるのは、有り難い。その分、俺が楽できるからな!﹂
嬉しそうに笑うダニエルに、男が渋面になる。
﹁おい?﹂
﹁いやぁ、予定とはだいぶ違うが、ラッキーラッキー! これで仕
事も順調に進んでくれりゃ、更に最高だな! おっし、やる気出て
きた!! ハハッ﹂
楽しそうな鼻歌まで歌い出すダニエルに、男は不安そうな顔にな
った。
﹁⋮⋮本当に大丈夫なんだろうな?﹂
﹁何がだよ?﹂
きょとんとした顔で、ダニエルが聞く。
782
﹁今、聞いた事、全部だ。今更吹かしだとか言わないよな?﹂
﹁なんでだよ。全部本当だぞ? 何ボケかましてんだ。それとも、
逃げたくなったか? だったら今すぐ息の根止めてやる﹂
﹁いや、気が変わったわけじゃない。間違いじゃないのならば、問
題ない。でも、あんたが俺の上司なのか⋮⋮﹂
﹁おう、指示に従う内は、悪いようにはしないから、大船に乗った
つもりで安心しろ!﹂
男は全然安心できない、という顔になったが、ダニエルは気付か
なかった。
◇◇◇◇◇
一行が左の通路へ向かうと、その部屋の中央にも転移陣が描かれ
ていた。そこにいたコボルトたちを倒すと、アランが転移陣を確認
してから、触媒の一部をナイフで削り取って、使用できない状態に
した。
﹁識別名︽麦の道︾、場所名︽弱き3︾だな。となると、少なくと
ももう一つどこかにある﹂
﹁この部屋の通路は、さっき来たとこ以外は、右前方のやつしかな
いみたいね﹂
アランは転移陣から顔を上げ、立ち上がるとそちらを見る。ゾク
783
リと寒気が走るのを感じた。
﹁⋮⋮っ﹂
﹁ふふ、何かいるのね?﹂
嬉しそうにレオナールが笑った。
﹁いったい何がいるのかしら? さすがにもうドラゴンはないかし
らねぇ。いたら、師匠が喜びそうなんだけど﹂
﹁お前やダニエルのおっさんが喜ぶような魔獣や魔物とか、本当勘
弁してくれ。そんなんじゃない、思いたいが⋮⋮﹂
﹁違うの?﹂
レオナールが尋ねると、アランが嫌そうに顔をしかめた。
﹁だから、良くわからないって言ってるだろ? なんでそう感じる
のか、わかってたら最初からそうだって断言出来る。
出来ないから、嫌な予感と表現するしかない﹂
﹁便利な能力だと思えば良いじゃない。そっちへ向かえば、とりあ
えず一番の問題は片付くって事でしょう?﹂
﹁コボルトだけなら、本当に良かったんだが。くそっ、こんな時に
おっさんがいないとか﹂
﹁師匠がいなくちゃダメなレベルなの?﹂
784
﹁そうじゃない事を祈るしかないだろ。近付いたら、いつでも発動
できるように︽炎の壁︾あたり詠唱しておく﹂
﹁念のため、ガイアリザードに騎乗したら? その方が安心でしょ﹂
レオナールの言葉に、アランは渋面になった。
﹁え? 何、さっき外に出た時、降りる時とか平気そうだったじゃ
ない。慣れたんでしょ?﹂
﹁街道を移動する時くらいの速度だったからな。全速力で駆けるつ
もりだったら、無理だぞ。その状態で魔法を詠唱したり、発動でき
る自信は無い﹂
﹁ゆっくりなら大丈夫なの?﹂
﹁ああ、それなら問題ない。お前が全開の速度で駆けるつもりなら、
無理だが﹂
﹁なら、ゆっくり行きましょう。騎乗してたら、魔法撃ちながら移
動できて便利でしょ。
さっきみたいな状況になった時、アランの背後や周辺に注意払い
ながら立ち回るの、ちょっと面倒だもの。数が少ないなら問題ない
とは思うけどね﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
レオナールの助けを借りて、アランがガイアリザードに騎乗した。
﹁何度も乗り降りするようなら、今後、何か考えた方が良いかしら
785
?﹂
﹁あー、それは後日考えておく。今は、コボルトに集中しよう﹂
﹁了解﹂
そして、奥へと進んだ。奥の部屋では十数匹のコボルトたちが待
ち伏せしていた。射程距離に入ると、一斉に弓矢や魔法などで攻撃
してくる。
が、アランを狙ったものは、一部の魔法を除いて角度的に難しい
のか、ほとんどガイアリザードの体表に弾かれた。
一本だけかすめた︽炎の矢︾が、チリリと余波でアランの左頬を
炙った。
﹁っ!﹂
ほぼ無傷と言って良い軽傷だが、頬に小さな水膨れができ、腫れ
上がった。アランの目つきが半眼になり、早口で︽炎の旋風︾を詠
唱を始めた。
レオナールとルージュが右と左に分かれ、コボルトたちを薙ぎ払
う。そこへ、アランの︽炎の旋風︾が発動し、慌ててレオナールが
飛び退いた。
﹁ちょっと! アラン!! 範囲魔法使う時は、事前に声かけるか、
合図してって言ってるでしょ!﹂
﹁⋮⋮悪い﹂
アランが肩をすくめた。レオナールが眉間に皺を寄せて、アラン
786
を見上げ、首を傾げた。
﹁あら? 頬が赤く腫れてるけど、怪我したの?﹂
﹁軽い水膨れだ。問題ない﹂
﹁ふうん。まっ、いっか。じゃあ、次行きましょうか。ルージュ、
終わったら、ここのコボルト後で全部食べて良いからね? 今は先
を急ぎましょう﹂
﹁きゅう﹂
餌を名残惜しげに見つめながら、ルージュがレオナールに従って、
食べたいのをこらえている。通路は右と左に分かれていた。
﹁アラン、どっち?﹂
﹁右だ。⋮⋮次ではないはずだが、そろそろ近い。気を付けろ﹂
アランの言葉に、レオナールはニンマリ笑った。
﹁うふふ、楽しみねぇ、ルージュ。ルージュの餌になるものか、金
になるような獲物なら良いんだけど﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュが嬉しげに尻尾を左右に振った。右の通路を進む一行、
特に耳の良いレオナールとルージュに、何か鈍く響く重い金属音が
聞こえて来た。思わず足を止めるレオナール。
787
﹁どうした? レオ﹂
﹁アランには聞こえない?﹂
﹁何がだ?﹂
怪訝そうに聞き返すその顔に、レオナールは肩をすくめた。
﹁響くような重い金属音が聞こえるの。何かしら、これ﹂
レオナールの言葉に、アランの表情が硬くなった。
﹁なぁ、レオ。ものすごく嫌な予感がするんだが、それ、もしかし
て、オルト村の時に聞いた事ある音じゃないだろうな?﹂
﹁え? オルト村?﹂
きょとんとするレオナール。その言葉を聞いたルージュが大きく
高い鳴き声を上げる。
﹁きゅきゅきゅーっ!﹂
﹁えっ? 何、あなた、あれが何かわかったの?﹂
﹁きゅきゅきゅ、きゅっきゅーっ!﹂
ルージュが興奮したようにバシンバシン、と尻尾を地面に叩き付
けるように上下に振りながら鳴く。
﹁え? 何それ。それって私も知ってなきゃおかしな事?﹂
788
﹁そうだとは思いたくないが、その、それ、ゴーレムの足音、なん
て言わないよな?﹂
おそるおそるアランが尋ねると、ルージュが頷きながら高く鳴い
た。
﹁きゅきゅきゅーっ!﹂
﹁あら? そうなの?﹂
首を傾げるレオナールに、ブンブンと首を縦に振るルージュ。思
わずアランは眩暈を覚えた。レオナールが満面の笑みを浮かべた。
﹁アラン、ゴーレムの足音で間違いないみたいよ?﹂
﹁⋮⋮勘弁してくれ﹂
アランは呻くように呟いた。
﹁そうと決まれば、急ぎましょう!﹂
﹁おい、レオ!! 急がなくても、ここには俺達しかいないんだか
ら、大丈夫だ! 落ち着け!!
ミスリルゴーレムだったら、魔法じゃないとダメージ入らないん
だぞ!﹂
早速向かおうとするレオナールに、アランが慌てて怒鳴り声を上
げた。
789
11 コボルトの巣の攻略4︵後書き︶
たぶん次がゴーレム戦になるはず。
790
12 コボルトの巣の攻略5︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
791
12 コボルトの巣の攻略5
その部屋には二十∼三十匹ほどのコボルトたちが待ち構えていた。
ただし、弓矢を撃つための穴が空けられた、二階くらいの高さに作
られた、コボルトの背丈を少し超えるほどの防壁で覆われた回廊の
上だ。
幸い、レオナールが事前にルージュに指示し、ルージュが指示を
出したため、ガイアリザードは部屋に入る直前に立ち止まったので、
アランが狙われる事はなかった。
﹁レオ!﹂
雨あられとばかりに降ってくる矢の中を突撃する、レオナールと
ルージュ。慌ててアランは︽岩の砲弾︾の詠唱を始める。
﹁ルージュ!﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
レオナールが一瞬腰を沈め、壁とルージュの身体を交互に蹴り上
げながら、防壁を登って行く。
アランは一瞬目を疑うが、慌てながら詠唱に集中し直し、霧散し
かけたイメージを取り戻す。
﹁あははっ! 壁に隠れたくらいで私の剣から逃れられるだなんて
思ったら、大間違いよ!!﹂
あり得ない跳躍力で防壁を越えたレオナールが、コボルトたちの
792
中に飛び込んで行く。
アランは少々虚ろな目になりつつも、なんとか詠唱を終え、発動
した。
﹁︽岩の砲弾︾﹂
轟音や重い振動と共に︽岩の砲弾︾が防壁の一部を打ち砕く。岩
の破片がパラパラと辺りに降り落ちたが、ルージュは物ともしない。
レオナールが向かったのとは逆の防壁に向かって、突進を繰り返す。
その揺れと振動はアランたちの元にまで響いてくるが、ガイアリ
ザードがそれを緩和し、アランにまでは伝わらない。
アランはルージュには当たらない位置を標的に、逆側にも︽岩の
砲弾︾を放つべく詠唱を開始した。
その部屋はこれまで通って来た部屋と、さほど大きさは変わらな
いが、回廊と防壁は隣室││先程から嫌な予感を感じる部屋││へ
と繋がっているようである。
﹁︽岩の砲弾︾﹂
アランが魔法を発動させた直後に、ルージュが突進、一部が破壊
された防壁は、ルージュの突進を受けて、見る間にひびが入り、崩
れて行く。
﹁きゅきゅーっ!﹂
岩の破片と共に降って来るコボルトたちを、ルージュが嬉々とし
て尻尾や前足を振るって地面や岩壁へと叩き付け、打ち払う。
コボルトがドラゴンにかなうはずがないのは、頭ではわかってい
たが、一方的な殺戮に、アランはげんなりした。
793
﹁あいつが敵に回ったら、俺もああなるのかな﹂
脳裏にふと一方的に叩き潰される玉砕する自分の姿を幻視して、
溜息をついた。
レオナールの方もあらかた掃討が終わったところだった。全て倒
すと、コボルトの死体を下へ投げ落とす。
﹁ねぇ、アラン。次はどっち?﹂
回廊・通路はレオナールが立っている右手と、ルージュのいる左
手に分かれている。
﹁右だ﹂
アランが憂鬱そうに答えると、レオナールはニンマリ笑った。
﹁じゃ、私はこのまま進むわね。ルージュ、アランと一緒に右の通
路を進んで! あと、コボルトたちが回廊にいたら、さっきみたい
にガイアリザードを止まらせてね!﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
﹁じゃ、アラン! 後でね!﹂
﹁おう。気を付けろよ。たぶん、次の部屋にいるからな﹂
﹁わかってるわかってる! アランは魔法の詠唱、よろしくね!﹂
軽い足取りで駆けていくレオナールを見て、思わずアランは、あ
いつ元気だな、とぼやいた。もっとも、ここ2年弱で元気じゃない
794
レオナールなど見た事がないのだが。
ルージュが駆け出し、ガイアリザードがゆっくり歩き出す。
アランは、最初は苦手意識を多少感じていたが、幼竜に比べれば、
このガイアリザードの方がまだ取っつきやすいような気がしつつあ
った。
﹁後で傷に塗り薬をぬってやるからな﹂
﹁ギギィ﹂
返事をするように、ガイアリザードが鳴いた。もしかしてこいつ、
人語を解するのか、と思いかけたアランだったが、そんな事がある
はずがないと一蹴した。
人間語を理解出来る魔獣や魔物がいるなら、それらの調教師や騎
獣屋はもっと数があるはずだ。
人間語を理解できるレベルの魔獣・魔物は、基本的に知能やプラ
イドが高く、それらが使役・支配に応じる事はごく稀、ほとんどは
伝説や伝承レベルの話でしか聞かない事だ。
それらを容易に下す力を持つ者相手であれば、あり得ない事もな
いのだろうが、それはSランクでもごく僅かだ。
︵おっさんレベルなら、その気になればやれるんだろうけどな︶
アランの知る限り、ダニエルは人間最強である。普段の言動から
は、ふざけたおっさんとしか思えないが、内実や詳細を知らなけれ
ば、素直に尊敬できたかもしれない。
アランとレオナールが初めて遭遇した瞬間から、ろくでもない人
間だけど人外なおっさんだったが。
通路の中程を過ぎた辺りから、レオナールの哄笑と戦闘音が聞こ
795
えて来た。アランはいつでも発動できるよう︽炎の壁︾の詠唱を開
始した。
ルージュは回廊のコボルトたちは無視して、部屋のほぼ中央部に
陣取る白銀色のゴーレムに突進したり、時に足を狙い尻尾を振るっ
て、足止めに徹している。
﹁ギギィ﹂
ガイアリザードの鳴き声に、こちらを振り返ったルージュの目が、
一瞬笑ったように見えた。
それまでより断然速い動作で鞭のようにその太い尻尾が振るわれ、
ゴーレムが轟音や地響きと共に転倒した。即座に飛び退くルージュ。
﹁︽炎の壁︾﹂
アランの魔法が発動し、ゴーレムが音を立てて燃え上がった。そ
して、アランは再度詠唱を開始する。
ルージュはアランの魔法の発動を確認すると、クルリと背を向け、
左手の防壁へと突進する。
︵⋮⋮え? なんかあいつ、今、指示とか受けずに、自分で判断し
てなかったか?︶
ルージュが賢い事は、これまでも感じていたし、意外と器用で多
才なのもわかっていたが、アランは少し困惑する。
良く考えたら、あの足止めも、レオナールの指示ではなく、自分
で判断しての行動だったような気がする。
︵ドラゴンとは言え、まだ幼い個体が、あんなに賢いものか?︶
796
幼竜の目撃例は、伝説・伝承の類いにすら存在しないため、詳し
い事はわかっていない。成獣の大きさから言って、ルージュが生ま
れてそう経っていないだろうという事は推測できる。
ドラゴンの平均的な寿命や育ち方も良くわかっていないため、ル
ージュの年齢は不明であり、性別すらわかっていない。
詠唱は完了した。戦闘中に余計なことを考えている場合ではない
と、アランはイメージを描き直し、神経を集中する。
そろそろ小さくなりかけた炎の中で、起き上がろうと藻掻くゴー
レム目掛けて、二発目を発動する。
﹁︽炎の壁︾﹂
回廊のコボルトたちを掃討し終えたレオナールが、防壁を飛び越
えて、降ってきた。
音を立てて立ち上がる︽炎の壁︾を見て肩をすくめ、ルージュが
ちょうど破壊し終えた防壁へ駆け寄った。
﹁さっきはありがとう、ルージュ!﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
そして、破片を避けつつ、コボルトたちにとどめを刺していく。
声を上げるコボルトたちがいなくなった頃、ゴーレムも動かなくな
った。
それを確認して、アランはようやく安堵の吐息をついた。
﹁ねぇ? これ、ミスリルかしら?﹂
﹁⋮⋮この前のゴーレムに似ているから、その可能性はあるかもし
797
れないが、俺は金属の判別は得意じゃないからな。後で冷めたら持
って帰ろう。
この量なら、ミスリルじゃなくても良い値が付きそうだ﹂
﹁ふぅん。ねぇ、ミスリルだったら、私の鎧か剣を作るのに、残し
て置きたいんだけど﹂
レオナールの言葉に、アランは頷いた。
﹁お前が使いたいって言うならそれでも良いが、鍛冶代とかはどう
するんだ? ミスリルだったら、かなりの金が必要だぞ?﹂
﹁ふふっ、アラン、もう忘れたの? 師匠が賞金送ってくれるって
言ってたじゃない。大金貨300枚もあれば、どんな剣も鎧も作れ
るわよね﹂
﹁⋮⋮ああ、そういえばそうか。それならミスリルがなくてもいけ
るんじゃないか?﹂
﹁アランの魔法書も買わなくちゃね﹂
レオナールの言葉に、アランは目を丸くした。
﹁え? お前の収入なのに、俺も買って良いのか?﹂
﹁だって、一応戦力増強になるでしょ? じゃなくても、もっと便
利な魔法あると良いじゃない。探索に役立ちそうなのや、アランの
防衛に使えそうなのも、あっても良いわよね﹂
﹁良いのか? レオ﹂
798
﹁当たり前でしょ! アランを増強できれば、もっと強い魔獣や魔
物が狩れるじゃない。ドラゴンは無理でも、オークやオーガもガン
ガン狩りに行きたいしね。ゴブリンやコボルトばかりじゃ飽きちゃ
うもの﹂
通常運行だった。アランは多少苦労しつつも、ガイアリザードか
ら自力で降りて、ゴーレムの残骸のすぐそばにある魔法陣へと歩み
寄った。
﹁識別名︽麦の道︾、場所名︽弱き8︾⋮⋮﹂
それも転移陣だった。しかし、その8という数字を確認して、ア
ランがガックリと膝をつく。
﹁どうしたの? アラン﹂
﹁⋮⋮最低でも転移陣があと5つある事がわかった﹂
﹁あら、それだけ?﹂
レオナールが怪訝そうな顔になる。
﹁なんだ、もっと強敵がいるとか、そういう事なのかと期待しちゃ
ったじゃない﹂
﹁一応嫌な予感は消えたが、あと5つあるって事は、コボルトだけ
じゃなく、また強敵が現れる可能性もあるって事だぞ?﹂
﹁それがどうかしたの?﹂
799
不思議そうに顔を傾げるレオナールに、アランはこいつに言うだ
け無駄だったと学習し直した。とにかくこの転移陣も破壊しておか
ねば、更に追加を送り込まれてはたまらない。
この転移陣がどこに通じているのかも本来なら確認すべきなのだ
ろうが、Fランク冒険者にそんな事まで期待されてたまるか、とナ
イフで触媒を削り、機能しないようにする。
その部屋は、今まで通過してきた部屋より1.2∼1.5倍ほど
広かった。来た通路を含め6本の通路に分かれており、その内、防
壁つきの回廊が繋がっている通路は3方向である。
来た通路から見て右手に3本、来た通路を含めて左手に3本であ
り、左右の真ん中の通路は真っ直ぐ突っ切った形であり、それ以外
も多少ゆがみやずれはあるが、対角に近い形で繋がっている。
おそらくだが、回廊は真ん中を区切った菱形、あるいは三角形を
くっつけた形に近い形状になっているのではないだろうか。
﹁右手の通路は、出入口方面に向かってるかも。風があちらから流
れ込んで来てるみたいだから。アランの焚いた薬の火は消えたっぽ
いけど、風に臭いが若干残ってるわ﹂
﹁⋮⋮お前の嗅覚含む感覚って、ちょっと人外レベルじゃないか?
エルフの五感が人間以上だとしても、シーラさんもそこまで鋭敏
じゃなかったような﹂
﹁人間だって、鍛えれば感覚は鋭敏になるでしょ? 師匠なんて、
視覚と聴覚以外は、私より上じゃないの﹂
﹁あの人外を、人間の範疇に入れられても。俺くらいの感覚が普通
の人間だろう?﹂
800
﹁そうなの? 普通の人間って大変ね。不自由しそうだわ﹂
レオナールにしみじみと言われて、アランはガックリした。
﹁お前やダニエルのおっさんに比べたら、そうだろうよ。それで普
通に生きてるから、別に不自由はしてないけどな﹂
﹁そう? なんか面倒臭そうに見えるけど﹂
﹁まぁ、でも、お前のおかげで索敵とか探索とか、色々助かってる
よ。まだ薬剤が残ってる可能性があるから、あっちの通路は行かな
い方が良さそうだな﹂
﹁アラン、行きたくない方向とかある?﹂
﹁今のところはないな。ここがほぼ中央だとしたら、出入口側から
見てもう一つ左側に転移陣があるかもしれないから、そっちを見つ
けて破壊してから、反対側を探索しよう。
たぶんその方が、探索時間を短縮できるんじゃないかな﹂
﹁そうなの?﹂
﹁断言はできない。けど、この転移陣描いたやつが合理的なやつな
ら、転移陣は巣全体にほぼ均等に配置するんじゃないか。
この転移陣が転送専用だったとしても、そうした方が、侵入者が
どういうルートを通っても、迎撃しやすいからな﹂
﹁そういう考える事は、アランにまかせるわ﹂
801
レオナールは伸びをするように言った。アランはこれまで通った
ルートを、ざっとメモに描き、しばし考える。
﹁よし、こっちへ行こう﹂
通って来た通路を正面に見て左隣の通路を指差した。
﹁了解。じゃ、行きましょうか﹂
◇◇◇◇◇
作業に近いコボルト討伐を繰り返し、出入口から左半分に1つ、
右半分に4つの魔法陣を見つけ、破壊する事ができた。そして、8
より大きい数値の転移陣は見つからなかったため、アランは心底安
堵していた。
ここからは急ぐ必要もないので、倒したその都度ルージュに食べ
させても、たぶん問題ないだろう。
その事をアランがレオナールに告げ、レオナールがルージュに食
事の許可を出すと、
﹁きゅきゅーっ!﹂
と嬉しそうに鳴きながら、ルージュががっつくようにコボルトた
ちの死体を貪り始めた。ついでなので、レオナールとアランも小休
憩を取ることにした。
﹁⋮⋮結局、あのゴーレムだけだったのかしら、コボルト以外の敵
って﹂
802
﹁だと、思いたいけどな。今のところ嫌な予感とかもないし、たぶ
んこのまま全てのコボルトを片付けて、巣を潰せば問題ないだろう﹂
﹁ふぅん、終わって見たら呆気ないわね﹂
そう言うと、レオナールは水で喉を潤し、干し肉を咀嚼する。ア
ランはいつも通り、干した果物とナッツ類である。
﹁新しい魔法陣もなかったし、ゴーレムの残骸くらいかしら? 今
回の収獲って﹂
﹁そうだ、と⋮⋮っ!﹂
不意に、ゾワリと背筋に寒気が走った。驚愕と恐怖にビクリと固
まったアランに、レオナールが不思議そうな顔になる。
﹁アラン?﹂
アランの顔が蒼白になる。それを見て、レオナールの表情が真剣
なものになる。急いで荷を片付けると、アランに近付く。
﹁ねぇ、アラン。どっち?﹂
アランがおそるおそる、指差した方角は、先程ゴーレムの出た部
屋の方だった。レオナールがニンマリと笑みを浮かべた。
﹁今度は何かしら? また使えそうなら、ゴーレムでも良いけど、
アランはどう思う?﹂
803
﹁⋮⋮やめた方が良い。なんか、あれ、ヤバイ。⋮⋮レオ、とりあ
えず待て。少し様子を見てから⋮⋮﹂
アランの言葉に、レオナールは首を傾げた。
﹁様子を見たからって、何になるって言うの? 何か結果が変わる
とでも、思ってるのかしら﹂
レオナールの言葉に、アランはゴクリと息を呑み、素早く脳裏に
色々考えを巡らせる。
だが、考えるまでもなく、自分達には勝てそうにない強敵だと告
げても、レオナールを止める事はできないという結論に至った。
﹁レオ、行くならルージュを必ず連れて行け。俺もガイアリザード
に騎乗して行く﹂
﹁じゃ、アランが乗るのを手伝ってからにするわ﹂
ふふっとレオナールが満足そうに微笑んだ。アランは鉛を飲み込
んだような顔になりつつ、無言で片付けて、背嚢を背負った。そし
てレオナールの補助でガイアリザードに騎乗する。
﹁じゃあ、また後でね﹂
そう告げて、レオナールがルージュと共に駆け去った。アランは
それを苦い顔で見送って、ガイアリザードの岩石状の瘤をそっと撫
でた。
﹁⋮⋮気は進まないが、行くか。頼むぞ、ガイアリザード﹂
804
瘤をトントンと叩くと、のっそりガイアリザードが歩き始めた。
805
12 コボルトの巣の攻略5︵後書き︶
コボルトとの戦闘、大半が省略されてますが。
弱すぎると、長文になるだけでつまんないので、不要そうなところ
は全面カットしました。
806
13 黒衣覆面の魔術師と、剣士と魔術師は対峙する︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
人間相手に脅すシーンもあります。苦手な人は注意。
807
13 黒衣覆面の魔術師と、剣士と魔術師は対峙する
そこにいたのは、全身を覆う黒衣と覆面を身につけた、魔術師と
思われる、身長1.75メトルくらいの人間に見える男だった。
その部屋に、ルージュと共に駆け込んだレオナールは、思わず笑
みを浮かべた。
﹁あなたは私の敵、で、良いのかしら?﹂
男は無言で杖を振るった。詠唱も、発動の文言もなかったが、︽
風の刃︾と思しき魔法が放たれる。
レオナールは素早く駆け、男の懐へ飛び込むと抜刀し、脳天目掛
けて剣を振り下ろす。
﹁幻影術、か﹂
消えた幻に、レオナールは肩をすくめた。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが低く、唸るような咆哮を周囲に響かせた。すると、出
入口に近い場所に立っていた魔術師の本体が現れた。
男は舌打ちをし、出入口方面へと駆け出した。
﹁ちょっと! さすがにそれはないでしょう!?﹂
レオナールとルージュが駆け出し、男を追いかける。が、レオナ
ールは通路の途中で立ち止まった。
808
ルージュがそれを踏み抜いた途端、ガタンと音を立てて床が沈ん
だ。落とし穴の深さは2メトルほど、横幅は通路と同じく0.9メ
トルほど、縦幅は1.5メトルほどだろうか。通路一杯に先を尖ら
せた鋭利な杭が突き立っているが、ルージュが落ちると、ことごと
く折れた。
ルージュがレオナールに歩み寄り、レオナールがルージュの背に
飛び乗ると、落とし穴の向こう側へ歩く。レオナールがそちらへ飛
び移ると、ルージュも跳躍して、飛び上がる。
更に通路を真っ直ぐ駆けて行くと、何かスイッチらしきものを踏
む。レオナールが咄嗟に飛び退き、ルージュが前足で降って来たも
のを叩き落とす。
レオナールはその鉄くずを一瞬チラリと見たが、既に用を為さな
くなっているのを確認すると、また駆け出した。
進んだ先の部屋には、何匹かのコボルトたちがいたが、それらは
先の焚いた煙を吸い込んだ個体らしく、動きが鈍かった。
それでも、レオナールたちの姿を見てよろめきながら襲って来よ
うとしたようだが、レオナールの剣とルージュの体表や尻尾に弾き
飛ばされ、動けなくなる。そのまま立ち止まる事なく、駆け抜けた。
先の通路に男の黒衣が見えている。焚き火の後を踏み潰し、レオ
ナールを先頭に、ルージュが通路を拡張しながら駆けて行く。
先に隠し通路を拡張したところを右手に、そのまま直進、レオナ
ールが出口へと踊り出た瞬間、複数の︽風の刃︾が放たれる。
見えない刃を、まるで見えるもののように躱して、そのまま黒衣
の男へと突進する。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
809
ルージュが低い咆哮を上げた。揺らぎなく立つ男に、レオナール
が両手で握った剣を振りかぶった。左下から右斜め上へと横切る軌
道、それを後ろに飛び退く事で男はしのいだ。
更に剣を止める事なく、大きく歩を踏み出しつつ、右から左へ薙
ぐ動作に切り替える。
が、鈍い音と共に弾かれた。︽守りの盾︾の上位版魔法︽鉄壁の
盾︾か︽方形結界︾あたりだろうか。
︵こういう時、付与魔法がないと辛いわね︶
しかし、魔法は万能ではなく、全ての物理攻撃を吸収または無効
化できるわけではないし、術者の集中力が切れたり、魔力が切れれ
ば、何もない状態││無防備になる。
したがって、相手のそれが切れるまで、休ませる事なく絶えず攻
撃を加えてやれば良い。根比べというやつだ。
すぅ、と息を吸い込み、男に鋭い目を向けた瞬間、レオナールの
顔から表情が削ぎ落とされる。
瞳だけはギラギラと光っているが、それはどこか爬虫類じみた印
象を与えさせた。
レオナールが右から、ルージュが左から、男へ同時に襲いかかる。
一瞬、覆面から覗く男の目が揺らいだが、術は揺らぐ事なく、全て
の攻撃を防ぎ続ける。
レオナールは汗一つ掻くことなく、軽やかなステップで、同じ箇
所││男の右肩に近い場所││へ剣を振り下ろしては、斜め後ろへ
バックステップ、再度足を踏み出しては振り上げた剣を振り下ろす、
を繰り返す。
ルージュは突進・尻尾による薙ぎ払い・前足による振り下ろしな
どをランダムに繰り出している。
810
そこへようやくガイアリザードに騎乗したアランが到着した。そ
して、素早く状況を確認する。
﹁まずは、背後を塞ぐぞ! 火の精霊アルバレアと、地精霊グレオ
シスの祝福を受けし炎の壁よ、燃え上がり、消し炭にせよ。︽炎の
壁︾﹂
アランは男のすぐ後ろに近い地面、︽方形結界︾を使用していた
場合の効果範囲ギリギリの位置を標的に、︽炎の壁︾を発動する。
ルージュが突進をやめ、男の正面よりやや左の位置で、薙ぎ払い
と降り下ろしを交互に繰り出し始める。レオナールは変わらず同じ
攻撃を繰り返す。
次にアランは、レオナールとルージュの間の射線を縫う位置に標
準を定め、一番使い慣れている︽炎の矢︾を詠唱、発動する。
﹁︽炎の矢︾﹂
男の目が険しくなった。男の額を狙った炎の矢は、直前で掻き消
えたが、そのために何の魔法が使用されたか、アランは特定する事
ができた。
﹁レオ! そいつが使っているのは︽方形結界︾だ! 防御系では
比較的効果時間は長いが、それでも長くて四半時で再詠唱が必要に
なる。
おそらくは、それより短い時間で再詠唱するはずだ。その隙に畳
み掛けて集中力を削いでやれ!﹂
﹁言ってる意味が良くわからないから、そのタイミングになったら
﹃やれ﹄って言ってくれる!?﹂
811
﹁この、脳筋がっ!!﹂
頭痛をこらえる表情になりつつ、しかし、レオナールには見えな
いとわかっていて頷いた。
男が獰猛な目つきでアランを睨んだが、生憎その手の耐性は出来
ている。さすがに至近距離でのドラゴンの睨みに耐えられる自信は
ないが、ある程度距離がある人間もしくは人に見える者であれば、
問題ない。
男がいつ︽方形結界︾を唱えたのか、アランは目視したわけでは
ないが、レオナールの最高移動速度はわかっているし、途中で見た
破壊された罠の形跡を見れば、移動にかかったおおよその時間は、
予測がついた。
それから計算して、男が魔法を唱えてからの時間経過を推測する。
あの、ゴブリンクイーンのように、その都度攻撃を食らうタイミ
ングで、魔法を発動させて無効化されれば、対処に苦慮するだろう
が、効果時間のある魔法を使われる分には、問題ない。
どんな高位魔術師も、例え駆け出しでも戦士の筋力・体力・防御
力にかなう身体能力を持つ者は稀であり、たいがいは脆弱である。
故に、レオナールが時折言う﹃魔法を発動させなければ良い﹄と
いうのは間違いない。
ただ、高位魔術師は、魔法の効果がより高く、より多くの魔法を
修得し、詠唱時間がより短く済む傾向があるという点で、恐れられ
る存在なのだ。
﹃魔法を発動させない﹄という状態を維持する事が難しく、強力
な魔法を発動されれば、全滅する可能性が非常に高い。
もしかすると、ルージュだけは生き残るかもしれないが。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
812
ルージュが低く咆哮した。その直後、振り下ろしたレオナールの
剣が、先程までは弾かれた位置で止まる事なくスルリと進み、速度
を増して男の肩に直撃した。
﹁っ!?﹂
慌てて男が飛び退こうとして、炎の壁に接触し、悲鳴を上げた。
﹁ぎゃあああああぁぁっ!!﹂
﹁え!? なんだ!? 今、何が起こった!?﹂
混乱するアランに、笑みの形に唇をゆがめたレオナールが叫ぶ。
﹁良くわからないけど、今が攻撃のしどきってやつよね!!﹂
レオナールの鋭く素早く剣を振るい、ルージュが前足を大きく振
るう。それらの攻撃が当たっている事から、理由は不明だが、︽方
形結界︾の効果が切れているのは間違いない。
アランだけでなく男も混乱し、逃げようとする男の足下をルージ
ュの尻尾が払い、レオナールがその下腹部付近を蹴り上げ、踏みつ
ける。そして、剣を振り上げ、心臓目掛けて突き立てようとする。
﹁待て! 殺すな!!﹂
アランが慌てて叫ぶと、レオナールはチッと舌打ちして寸止めす
ると、代わりに先程傷付けた右肩の傷口に剣を突き立てた。
悲鳴を上げ、悶絶する男の右足の太ももを、空いている左足で踏
みつけると、右足を外し、胸の辺りを踏みつけ直す。
813
﹁アラン、ロープと口を塞ぐ布をちょうだい﹂
﹁了解。ちょっと待ってろ﹂
アランがガイアリザードから降り、背嚢を下ろし、ロープと布を
取り出す間に、悲鳴と苦悶の声が聞こえて来るが、渋面になりなが
らも聞こえない振りをして、淡々と作業にいそしむ。
まず布を渡し、男の口を塞ぐと、次にロープを渡して、二人がか
りで縛り上げる。
﹁きゅきゅう?﹂
ルージュが首を傾げる。
﹁ごめんなさいね。これは餌じゃないの。食べたかったら、巣の中
のコボルトたちを食べて来ても良いわよ? まだちょっとかかりそ
うだし﹂
レオナールが言うと、ルージュは悩むような素振りを見せたが、
食欲にはかなわなかったようである。背を向けて巣の中に入って行
く。
﹁さて、尋問と行きますか﹂
ニヤリとレオナールが笑い、剣を鞘に納めて、ダガーを握る。ア
ランは後ろ手に縛った男の左右の親指を念のため、ボタン付け用に
持ち歩いている縫い糸でグルグルと動かないよう締め付けながら拘
束する。
それから正面に回り、男の覆面を剥ぎ取り、黒衣の襟元、首近く、
鎖骨に近い部分の布、胸元などに、肌には刺さらぬよう縫い針を突
814
き刺していく。
﹁何それ?﹂
﹁現状では布に刺さっているだけだが、殴れば刺さる、はずだ﹂
﹁なるほど﹂
アランの返答に、レオナールが頷いた。それから口を覆っていた
布を外した。
﹁さて。ところで、何故私たちに攻撃して来たのかしら?﹂
﹁あー、待て、レオ。すぐに本題を聞きたくなる気持ちはわからな
くはないが、まずは名前を聞くところからだ﹂
﹁答えなかったら?﹂
﹁殴ってやれば良いだろ﹂
アランの答えに、レオナールはニンマリ笑った。
﹁で、あなたの名前は?﹂
男は、茶髪に茶色の瞳と、何処にでもいそうな平凡な顔立ちであ
ったが、今は蒼白になっていた。
﹁答えなかったら、痛い目に遭って貰うぞ? 場合によっては、︽
炎の矢︾で喉を焼く﹂
815
笑顔のレオナールの隣で、仏頂面のアランがそう宣告する。背後
でガイアリザードが退屈そうに鳴き声を上げた。
﹁ギギィ﹂
﹁ああ、忘れてたわ。あなたにも後で餌をあげる。ちょっと待って
てね﹂
レオナールが笑顔でガイアリザードに声を掛けると、意味ありげに
男を見た。男は陥落した。
◇◇◇◇◇
腹一杯餌を食べ終え、満足げなルージュと、途中で見つけた小川
のそばの草を食べさせ、お腹いっぱいになったガイアリザードと共
に、二人は拘束したままの黒衣の男を連れてラーヌへ戻り、ギルド
へ向かった。
念のためレオナールが残り、施設内にはアランだけが入った。
﹁ジャコブ、ちょっと報告と、巣で襲って来た怪しい風体の男を捕
まえたんだが、どうすれば良い? あと、もし、まだ近くにダニエ
ルのおっさんが近くにいるようなら連絡取りたいんだが﹂
﹁何?﹂
ジャコブが顔をしかめた。
﹁襲われたって、大丈夫か? もしかして、その頬の傷⋮⋮﹂
816
﹁ああ、それは別件だ。というかコボルトの魔法がかすめただけだ
から、たいした事はない。そういえば手当とかするの忘れてた﹂
﹁それ、明日になったら更に腫れるぞ? 治癒師とか紹介するか?﹂
﹁は? これくらいで治癒師も薬師も必要ないだろう。後で薬でも
塗っておくさ﹂
﹁まぁ、毒とか関係ない傷なら、それで良いんだろうが﹂
﹁︽炎の矢︾だ。数がちょっと多かったんでな。まぁ、俺以外は、
ガイアリザードが軽傷負ったくらいで後は無傷だが﹂
アランはそう言いながら、苦虫を噛み潰すような顔になった。怪
我してもおかしくない行動をしているやつが、無傷なのは納得行か
ない、とちょっぴり思ったからである。
︵あの猪突猛進の脳筋が︶
不条理だ、と思いつつ、説明する。
﹁黒衣覆面の魔術師だ。名を、カンタンというらしい。所属は︽混
沌神の信奉者︾﹂
﹁何!?﹂
﹁もちろん下っ端だ。ちょっと脅したらすぐ口を割った。幹部なら
ば、そうは行かないだろう。それでも、まともに戦えば高位魔術師
だから、結構キツイだろうが。
817
あと、下級貴族の係累らしい。本人は爵位も地位も何もないが。
面倒臭そうな相手だから、どうしたもんかと﹂
﹁おい、そりゃあ、俺みたいな下っ端に持って来られても、手に余
るぞ?﹂
﹁⋮⋮だよな。とりあえずコボルト討伐は完了した。後日、改めて
報告って事で良いか?﹂
﹁ああ、お前達の都合の良い時でかまわない。それより、そいつは
今どうしてる?﹂
﹁ギルドの外で、ガイアリザードの背に載せてある。見張りはレオ
とルージュ、幼竜だ﹂
それを聞いて、ジャコブは嫌そうな顔になる。
﹁よりによって、目立つのばっかりだな、それ。まぁ、良い、一応
確認する。たぶんお前らの師匠は、こちらに顔を出した後、宿屋に
向かった。だから宿に向かえば、たぶんいるはずだ。
お前らが今夜食べる飲食店はギルド経由で予約出したからな﹂
﹁それは有り難う。あのおっさん、世慣れてるようで、そういう細
かい事は苦手だからな﹂
﹁そうか。まぁ、俺はお前らのおかげでダニエルさんと顔見知りに
なれて、ちょっとラッキーだがな﹂
﹁そんなに良いもんか? まぁ、迷惑掛けられたり、引きずり回さ
れなきゃ、悪くはないんだろうが﹂
818
﹁ちょっと待ってろ。今、そっちへ回る﹂
﹁仕事は良いのか?﹂
﹁言っただろ? この時間はたいてい暇なんだ﹂
﹁わかった﹂
そしてアランは出入り口に近い扉のそばに立って、ジャコブを待
った。職員用の扉から現れたジャコブを伴い、外に出て、立ち止ま
る。
﹁あー⋮⋮﹂
レオナールがいた位置に、人だかりが出来ている。人混みの合間
からルージュとガイアリザードの姿が見えるから、間違いない。
﹁あいつ、早速何かやらかしたか﹂
ぼやくアランに、ジャコブが肩をすくめた。
﹁それも言ったろ? じゃれるのと殴るのと、たいした違いはない
と思ってやがるバカばっかりだって﹂
﹁あー﹂
忘れてた、とアランが呟いた。
819
13 黒衣覆面の魔術師と、剣士と魔術師は対峙する︵後書き︶
というわけで、だいたいの山場は超えましたが、もうちょい続きあ
ります。
820
14 剣士は、冒険者に絡まれる
﹁じゃあ、行ってくる﹂
アランが冒険者ギルドの建物内に消えるのを見送り、レオナール
はルージュたちと共に周囲を警戒しながら、待っていた。が、不意
に声を掛けられた。
﹁おい、お前、見掛けない顔だな?﹂
レオナールがそちらを振り向くと、冒険者と思われる髭もじゃの
小汚ない筋肉質な男││背中に担いだ戦斧や鎧姿から戦士と思われ
る││が立っていた。
その背後には魔術師と目される男や、弓矢を担いだ男、大剣を背
負った男など複数名の姿があり、一様に泥と汗と血に汚れ、何日も
髭を剃るどころか、顔を洗ってすらいないと思われる風体である。
常人より鼻の良いレオナールは、その悪臭に思わず顔をしかめた。
﹁ごめんなさい、物乞いの人たちかしら? 今は手持ちに余裕がな
いから、他を当たってくれる?﹂
﹁なんだと!? てめぇ、俺に喧嘩売ってるのか!!﹂
﹁物乞いじゃないなら、その悪臭どうにかした方が良いわよ? 本
当に酷い臭いだから。できれば口を開かず、近寄らずにいてくれる
とありがたいんだけど﹂
﹁てめぇ!!﹂
821
﹁この若僧、ちょっと面が良いからって図に乗りやがって! 可愛
がってやろう!!﹂
﹁死なない程度に揉んでやるよ!!﹂
﹁あら?﹂
レオナールは肩をすくめた。本人は挑発したつもりはなかったよ
うだが、どうみても挑発である。激昂した男たちに取り囲まれた。
﹁ふぅん﹂
レオナールは目を細めた。
﹁きゅう?﹂
﹁武器を抜くまでは、殺し合いじゃないから大丈夫よ﹂
﹁おりゃあああぁあっ!!﹂
飛び掛かって来た男の拳を、首を傾げてかわすと、足払いを掛け、
顔面に肘鉄をかます。
﹁てめぇええっ! やりやがったな!!﹂
﹁突っ掛かって来たのは、そっちでしょう﹂
﹁ニコの仇だ! 行くぞ!!﹂
822
﹁おう!﹂
男たちが一斉に飛び掛かる。が、ひょいひょい避けて、男たちを
同士討ちにしたり、足を払って転がしたりする。
﹁おい、レオ。お前、何をやってるんだ!?﹂
聞き慣れた怒声に、レオナールは肩をすくめた。
﹁お前もこいつの仲間か!?﹂
振り返った魔術師風の男は、仏頂面の黒髪魔術師の隣に、茶髪の
中年男性ギルド職員が立っているのに気付いた。
﹁なんだ、ジャコブじゃねぇか。なんだ、こいつら。見慣れない顔
だが、新人か?﹂
﹁ロランから来た冒険者だ。あっちはSランク冒険者︽疾風迅雷︾
ダニエルさんの弟子だ。こいつはその相棒兼お目付け役ってとこだ
な﹂
﹁⋮⋮何?﹂
アランは会話をかわす二人にかまわず、レオナールに声を掛ける。
﹁おい、レオ! 面倒起こすなって言っただろう!? お前が無駄
に元気なのは知っているが、今日くらいおとなしくしてろよ、バカ
!!﹂
﹁私のせいじゃないわよ!﹂
823
﹁嘘だ!﹂
﹁嘘じゃないわよ! 臭くて汚いのが話し掛けて来たから、口を開
かず近寄らないでって言っただけよ!﹂
﹁思い切り喧嘩売ってるじゃないか! バカ!!﹂
﹁え∼?﹂
殴ろうとして来た男の腕を払い、逆に腕を取ってひねり上げなが
ら、首を傾げた。
﹁でも、こいつら弱くてつまんないのよねぇ。まだ、ロランで私に
喧嘩売って来たやつらの方がマシなんだけど﹂
﹁⋮⋮一応、Bランク1組に、Cランクパーティーが2組、だった
よな?﹂
アランがジャコブを振り返り、尋ねた。
﹁ああ、あいつらな。盗賊団の討伐帰りのCランクパーティー︽蛇
蠍の牙︾の連中だ﹂
﹁これ、問題になるか?﹂
﹁あいつら普段から素行あんまり良くねぇからな。どうせいつもの
事だと流される可能性が高いが﹂
﹁じゃあ、レオをしばらく好きにさせても問題ない?﹂
824
﹁え? 何をする気だ?﹂
慌てるジャコブを尻目に、杖を片手に詠唱を開始するアラン。
かいな
﹁汝、暗く優しい眠りの霧に包まれ、風の精霊ラルバの歌を聴き、
夜の女神シルヴァレアの腕に抱かれ、混沌たるオルレースの下、深
き眠りにまどろみたまえ、︽眠りの霧︾﹂
レオナール含む全員を標的に、発動する。バタバタと倒れていく
男たち。レオナールは、ハーフエルフなので睡眠系魔法は無効化さ
れるため無事だったが、恨めしげな目つきでアランを睨む。
﹁ちょっと! 危ないじゃないの!!﹂
﹁は? どうせお前には効かないだろ?﹂
﹁そうだけど、至近距離の大男に目の前で気絶されると、うっかり
殴り飛ばしそうになるじゃない!﹂
﹁⋮⋮おい﹂
レオナールの言葉に、アランが半眼になる。
﹁だいたい、ちょっと外で待たせただけなのに、なんで早速乱闘騒
ぎ起こしてるんだよ﹂
﹁知らないわよ。向こうが勝手に喧嘩売って来ただけだもの﹂
アランとジャコブの視線が、一人だけ無事な︽蛇蠍の牙︾に向い
825
た。
﹁俺たちは、ギルド前に見慣れない武装したやつがいるから、声を
掛けただけだ。怪しいやつなら捕まえなきゃならないし、新人なら
教育してやってラーヌのシキタリを教えてやる必要があるからな﹂
と胸を張る。
﹁ラーヌのしきたり? そんなものがあるのか?﹂
アランが尋ねると、ジャコブは肩をすくめ、男が嬉々として答え
る。
﹁おうよ、先輩冒険者には敬意を払えってな! あと教育して貰っ
たら謝礼を払えって教えてるんだ!﹂
﹁⋮⋮やってる事は、レオとさほど変わらないな。積極的に声を掛
けるか、掛けないかの違いはあるが﹂
﹁だから、事前に忠告したつもりだったんだが。っていうか、レオ
ナールはロランでそんな事をやっているのか?﹂
﹁放置したら、相手が所持金差し出して降参するか、動かなくなる
までやるんだ。
こいつ、筋力は並みの戦士程度だが、体力と持久力はオーガ並み
で、そこそこ速くて相手の攻撃はだいたい避けるから、相手が殺す
気で掛からない限りは、時間はかかるが大抵こいつが勝つ﹂
﹁動きの早いオーガとかとんでもないな﹂
826
﹁筋力がオーガ並みじゃないだけ、マシだろう。だから、短期戦で、
動けないよう物量で固めて、一度に全員で殴れば、さすがにやられ
ると思う。
ただ、そういう時は、相手を挑発して数人暴走させたりして、崩
して対処するけどな。
見ての通り、睡眠系魔法は無効化するし、その他束縛系も抵抗力
高いから、あまり効かない。
毒にも耐性持ってる。一応攻撃魔法は効くが、普通に詠唱すると、
終わる前に攻撃して破棄させたり、避けたりするから難しい。
聞こえないように詠唱したとしても、こいつどうも発動を感知し
てるみたいな動きするから、当たるかどうかわからないな﹂
﹁なんだ、そのむちゃくちゃっぷり。Fランクのくせに、ほぼ人外
レベルじゃねぇか﹂
﹁いや、そうでもないぞ? 一応対処法はあるし、筋力は普通だか
らな﹂
﹁その普通ってどのくらいだよ?﹂
﹁だからその辺のあまり目立たないC・Dランクの戦士くらいだっ
て。さすがにダニエルのおっさんクラスの筋力とかないから﹂
﹁いや、駆けだしで、成人したてでそのレベルって異常だからな?﹂
ジャコブが呆れたような顔になった。
﹁まぁ、俺みたいな低ランク魔術師とか、ゴブリン・コボルトの魔
術師相手なら、楽勝だろうな。
俺が本気であいつをやるとしたら、就寝時くらいかな。野営時は
827
きびしいから町中で、効くかわからないが強めの薬盛っておいた方
が良いだろう。
高位ランク魔術師は、遭遇すること事態が稀だから、良くわから
ない。今回のは守勢だったし、何故か途中で魔法効果が消えたから、
なんとかなったが、最初から攻撃するつもりで遠方から術を使われ
てたら、どうなっていたか﹂
﹁魔法効果が消えた?﹂
﹁それについては原因不明だ。詳しくは報告書、いや別途書類を書
く。分けた方が良いんだろ?﹂
﹁悪いが、俺にはちょっと判断つかねぇな。報告上げるにしても、
ダニエルさんに来て貰った方が良さそうだ。
うちの幹部、金をかき集めて貯めるのは好きだが、正直仕事好き
だとは言い難い連中なんでな﹂
﹁あー⋮⋮﹂
領兵団の詰め所の事を思い出して、アランは頬を掻いた。
﹁結構面倒臭そうだな、この町で仕事するの﹂
﹁そりゃロランに比べたらな。低ランクだと、報酬は低くても仕事
は多いから、ロランよりは格段にランクは上げやすいと思うが﹂
ジャコブの言葉にアランが顔をしかめた。
﹁それ、EとかFランクの話だよな? C・Dランクはさすがに違
うだろう?﹂
828
﹁いや、残念ながらCランクも含む。さすがにBランク試験は厳し
くしてるし、数年に1組ランクアップすれば良いレベルになってる
が、それ以外はちょっと、な。個人差や試験官による﹂
アランが胡乱げな表情になった。
﹁それ、袖の下の差ってのも、あったりする?﹂
﹁公然の秘密だ﹂
その答えに、アランは溜息をついた。
﹁俺、ロランで登録して良かったよ。田舎者だから、そういうのに
疎いし、そんな気の回し方とか、そつなく振る舞う自信はないから
な﹂
﹁いや、でも、お前の図太さ、というか度胸や振る舞いは、Fラン
クの駆けだしには到底見えないぞ? ランクアップとかしないのか
?﹂
﹁レオの猪突猛進癖が直るか、他の仲間が入るまでは、考えていな
いな。ランクアップした途端、レオにオークの巣へ直行させられる
のは目に見えている﹂
﹁なるほど、仲間か。戦士か盾職が欲しいんだな?﹂
﹁ああ。今回は、ガイアリザードが俺の盾と機動力になってくれた
が、出来れば会話のできる人種が欲しい。なるべく常識があって、
使える人材が良いんだが﹂
829
﹁⋮⋮それが難しいんだろ、おい。どっちかだけなら、お前たちな
ら、すぐ捕まえられそうなんだが﹂
﹁いや、でも、うちにはレオがいるからな。真っ当なやつは、来た
がらないだろう。
それでもうちのパーティーに加わってくれる、人格・性格的に問
題のない、心の広い戦士が欲しいんだが﹂
﹁でも、ある程度力のあるやつが欲しいんだろう? 冒険者なんて、
半分くらいは金に困ったやつか、自分に自信があるやつか、とにか
く暴れたいやつだからな。
まともなやつもいるが、そういうのは金がなければ苦労したり、
知識がなくて危うかったりするし、金があるやつは、そもそも仲間
選びその他に苦労も不自由もしていない﹂
﹁だよなぁ﹂
アランは溜息をついて、レオナールを見た。レオナールは、眠っ
ている︽蛇蠍の牙︾の連中を集めて、地面に並べている。その姿が、
ぱっと見には死体を並べているように見えて、心臓に悪い。冒険者
ギルドの前の道を歩く通行人たちもギョッとした顔をしている。
﹁おい、何をしてるんだ? レオ﹂
﹁え? この辺にバラバラに落ちてると邪魔だから、一箇所に固め
て並べてるのよ。道の真ん中に、こんなのが落ちてたら、馬車とか
荷車とか、通りにくいでしょ?﹂
﹁ああ、俺のせいか。そりゃ悪かった。で、これで、全員か?﹂
830
﹁ああ、大丈夫だ、間違いない﹂
ジャコブが頷いた。
﹁それにしても、問答無用で仲間ごと︽眠りの霧︾をかけるとか、
お前、若いくせに容赦ねぇな﹂
︽蛇蠍の牙︾の男が、眉をひそめて言った。
﹁こいつにはどうせ効かないし、その方が手っ取り早くて問題が少
なく済む。全員軽傷で済んでると良いんだが﹂
﹁ああ、仮に怪我していても、俺が回復魔法使えるから問題ない﹂
男の言葉に、アランが男に尊敬の眼差しを向けた。
﹁何? あんた、もしかして、貴族か実家が金持ちなのか?﹂
男はキョトンとした顔になる。
﹁は? いや、別にそういうわけじゃないが。回復魔法っつったっ
て初級レベルだし、それくらいならザラだろう?﹂
﹁⋮⋮ロランには、治癒師と神官しか、いないんだが﹂
﹁へぇ? あれかな、ラーヌにはアネットさんがいるからかね﹂
﹁アネットさん?﹂
831
﹁ああ、引退した高齢の女魔術師で、大銀貨1枚払えば、初級の回
復魔法を伝授してくれる。もちろん魔術師に限るが﹂
﹁是非、紹介してくれ!﹂
アランがガシッと男の手を両手で握りしめた。
﹁は? いや、紹介って⋮⋮そんなもんしなくても、あの人は家を
訪ねさえすりゃ、誰にだって教えてくれるんだが﹂
﹁そうなのか!?﹂
アランがジャコブを振り返った。興奮して声を上擦らせ、顔を紅
潮させたアランの様子に、ジャコブが少々困惑しつつも、頷いた。
﹁ああ、必要なら地図を描いても良いが。⋮⋮って言うか、アラン
は回復魔法を使えないのか?﹂
﹁そうだよ。って言うか、回復魔法なんか使えない魔術師のが、多
数派だろ。ああ、憧れの回復魔法! ロランじゃいくら探しても魔
法書すら見つからなかったのに、こんなところにあるなんて!!
知っていれば、もっと早く来てたのに! 他には!? 他の魔法
を教えてくれる魔術師とかいるのか!﹂
﹁え? いや、俺に聞かれても、そういうのは、ちょっと﹂
ジャコブが困惑したように言い、
﹁魔術師向けの初心者講習で、︽炎の矢︾とか基本の魔術を習う事
が出来たような﹂
832
と、男が答えた。
﹁よし! その初心者講習も一応受けて帰るか。もしかしたら知ら
ない魔法もあるかもしれないし、他の魔術師の魔法を見られるかも
しれないからな!﹂
アランが目を細めて嬉しそうに、年相応の顔で、軟らかく微笑む。
その様子を見て、レオナールは肩をすくめたが、何も言わなかった。
アランが使える魔法が増えるのは、レオナールとしても望むとこ
ろだし、今回の件に関しては、自分が何らかの被害に遭いそうな気
配もない。
ラーヌでの滞在期間が延びそうではあるが、その分、今まで行っ
た事のない場所に行って、もしかしたら知らない魔獣・魔物を狩れ
るかもしれない。盗賊団の拠点やコボルトの巣がなくなった、フェ
ルティリテ山やその周辺の山林は、もしかしたら他の魔獣・魔物の
行動範囲が変わったり、広がったりするかもしれない。そう考えて、
ウットリと微笑んだ。
ジャコブと、︽蛇蠍の牙︾の男は、そんな二人を見て、微妙な表
情になった。
833
14 剣士は、冒険者に絡まれる︵後書き︶
というわけで、まだちょっと続きます。
以下を修正。
×喧嘩打ってる
○喧嘩売ってる
×蛇蝎
○蛇蠍
×無詠唱は試したことないが
○聞こえないように詠唱したとしても
×試験管
○試験官
834
15 剣士と魔術師は身支度する
ジャコブは件の魔術師を確認すると、レオナールやアランたちと
共に宿へ向かう事にした。
﹁どうせ暇だし、二人だと見張りとか大変だろ?﹂
﹁そうだな、レオ一人にしても問題なければ、それほど大変ではな
いはずなんだが﹂
﹁え∼? 私のせい?﹂
﹁学習能力ないのが一番問題なんだが、いくら言ってもどうせ忘れ
るだけだからな﹂
アランが何か諦めたような口調で言った。
﹁心当たりが全くないんだけど﹂
レオナールが言うと、やれやれとばかりにアランは首を左右に振
った。
﹁ああ、そうだろうとも。わかってるから、それはもういい。俺が
わかっていれば済むだけの話だ﹂
﹁なぁ、アラン。お前、それで良いのか?﹂
心底不思議そうにジャコブが尋ねる。アランは眉間に縦皺を寄せ
835
ながら答える。
﹁良くはないが、いくら言ってもどうせ数秒後にはなかった事にな
るんだから、仕方ない﹂
その答えを聞いて、ジャコブの視線が生温いものになった。
﹁そうか、頑張れ﹂
形ばかりで、誠意も心もあまり篭もってない言葉だったが、アラ
ンは頷いた。時折油断して後悔する羽目にはなるが、アランにとっ
ては今更の話である。
﹁︽蛇蠍の牙︾の連中が帰って来たという事は、他の連中、あいつ
らの同期の︽一迅の緑風︾やBランクの︽疾風の白刃︾も同じくら
いか、今日明日くらいには戻って来るって事だろう。︽一迅の緑風
︾はたぶん大丈夫だが、︽疾風の白刃︾の連中には気を付けろ。
あいつら、素行の悪さは︽蛇蠍の牙︾と似たり寄ったりだが、悪
知恵が働く上に立ち回りが上手い。ギルド上層部とも癒着している。
リーダーのベネディクトが男爵家の庶子で、母方がラーヌの老舗
商家のボナール商会と来てる。ちょっと面倒臭いやつだから、なる
べく近寄らない方が良い﹂
﹁⋮⋮可能なら、近寄りたくはないが、そいつの特徴って何かある
か?﹂
﹁金髪に緑の瞳で、ちょっとキレイな顔してる優男だな。とは言え、
お前の相方ほどじゃないが。
ただまぁ、良く見ると目つきがちょっとアレっつうか、下種くて
抜け目なさそうって印象か。身長はお前よりちょっと高いくらいだ
836
な。
あと一応剣士なんだが、ひょろく見えるかもな。剣の腕はそこそ
こだが、身体強化系の魔法が使えるから、それが強味だ。
パーティーメンバーは優秀で、内訳は戦士が1人、魔術師2人、
盾職1人に、神官1人だ﹂
﹁理想的な構成だな﹂
﹁元は、やつの教師として雇われた連中らしい。戦士は剣も槍も斧
も槍斧も使えるオールマイティだ﹂
﹁金とコネがあるって羨ましいな﹂
﹁おい、アラン! お前、金はともかくコネはあるだろう、コネは
!﹂
ジャコブがジロリとアランを睨む。
﹁だっておっさんは、頭の中身はレオとたいして違わないんだぞ。
いや、さすがにレオよりはマシだろうし、国王や王族、領主様含む
様々な貴族と面識もコネもあるんだろうが、それを上手く利用して
上手く立ち回ろうとか、それを俺達のために使おうって気がないん
だから、意味ないだろ?
もっと要領良かったり、気の回る人だったり、俺達を甘やかそう
って気が少しでもある人なら、また違うんだけど、あのおっさん、
結構スパルタなんだぞ。しかも、本人その自覚がなさそうだし。
あとおっさんが必要だと思う事以外は教えないってとこがあるか
ら、別のやり方すればもっと簡単なのに、ものすごい遠回りさせら
れたりするんだ。
コボルトの巣でも、わざわざ罠を発動させて、解説したりな。⋮
837
⋮おかげで後頭部に瘤が出来た﹂
﹁コボルトの巣の罠って、どうせ落とし穴とかだろう?﹂
﹁巣の入口すぐで、俺の頭を粉砕しそうな鉈が、天井から降って来
たぞ。あれ、知らずに迂闊に巣に入ったら、結構ヤバイと思う。
俺達以外入ってないんだよな?﹂
﹁入口で即死罠とか、古代の魔術師とかが悪ふざけで作ったとかい
った悪質なBランクダンジョン並みだな。
報告は全く入ってないし、ラーヌでわざわざ依頼も受けずに、コ
ボルトの巣に足を踏み入れるようなやつはいないと思う。
他にもっと、楽でおいしい仕事はあるしな﹂
﹁問題がないなら、それで良い。巣の中にいるやつは全部討伐して、
巣の入口は、天井崩して塞いで来たから、別の魔獣・魔物や盗賊な
んかの住処になる事はないだろう。中にあった転移陣も全て破壊し
た﹂
﹁転移陣? コボルトの巣にか?﹂
﹁それがたぶん︽混沌神の信奉者︾の痕跡だ。中央のシンボルが混
沌神で、魔法陣の古代魔法語の構成や識別名の付け方が、これまで
見てきたやつと似てたからな。
おそらく、今回捕まえたやつじゃなく、別のやつが描いたんだと
思うが、その辺はさすがに口を割らなかったからな。
野営する気はないし、一応抵抗はしなくなったから、早々にラー
ヌへ戻る事にした﹂
﹁⋮⋮お前ら、Fランクのくせに尋問とかもするのかよ。末恐ろし
838
いな﹂
﹁あー、その辺は、まぁ、おっさんの教育の賜物だな。一応野営も
できない事はないし、今の季節なら食料が全くない状態でも、数ヶ
月以上野外生活できなくもないが、すぐ近くに町があるのに、わざ
わざ外で寝たくはないからな﹂
﹁なぁ、アラン。俺の常識だと、下手するとBランクパーティーで
も、野営はともかく野外生活とかはきびしいと思うぞ?﹂
﹁金に余裕がなかったり、逃げたくても逃げられなかったり、必要
に迫られれば、最低限の知識と経験は必要だろうが、きっと誰でも
出来るようになると思うぞ。最後は覚悟の問題だ﹂
﹁⋮⋮そんな覚悟したくねぇな﹂
ジャコブがブルリと震える真似をして見せた。それを見たアラン
は肩をすくめる。
﹁ああ、しないで済むなら、その方が良いだろう。これもいつか、
糧になると思いたいんだが、必要なければ、その方が有り難い﹂
宿屋に行くまでの道中、問題が生じる事もなく移動する事ができ
た。
﹁じゃあ、俺がダニエルさんを呼んで来る﹂
ジャコブの言葉に、アランが頷く。
﹁ああ、頼んだ。俺達はここで待ってる。おっさんにこいつを託し
839
てから、厩舎へ行く方が良いだろうしな﹂
﹁こいつを担げって言うなら、私が担いで運んでも構わないけど?﹂
レオナールの言葉に、アランが渋面になる。
﹁だって、この幼竜、お前の言う事しか聞かないだろう。俺とジャ
コブじゃ、一人で運ぶのはきついからな。お前一人残して、さっき
の二の舞になるのは御免だし﹂
﹁え∼? もしかして、私、見張りが必要だと思われてるの?﹂
﹁さっき大丈夫かと思って一人にしたら、早速揉め事起こしただろ
うが! ここのギルドには正直顔が利くとは言い難いし、ダニエル
のおっさんは今だけで、いついなくなるかわからないんだから、余
計な揉め事とかはない方が良いし、可能性はできるだけ低くするべ
きだ﹂
﹁アランがいても、問題が起こる時は起こるわよ?﹂
﹁不吉な事を言うな! お前が言うと、現実になりそうだから、勘
弁してくれ!!﹂
﹁え∼? それはさすがに被害妄想ってやつじゃない?﹂
﹁いや、これまでの経験上言っている。お前が不吉な予言すると、
何故かそれが起こる事が多いんだ﹂
﹁でも、必ずってわけじゃないでしょう? それに、絶対、アラン
の﹃嫌な予感﹄の当たる率の方が高いじゃない。
840
っていうか、今のところ拍子抜けする事はあっても、何もなかっ
た事は一度もないわよね?﹂
レオナールの言葉に、アランは沈黙した。中空をぼんやり見つめ
るような様子から、何か思い出しているようだ。
その顔がどんどん虚ろになって行くのを見ながら、レオナールは
肩をすくめた。
それから、ガイアリザードの背に載せたままの男の様子を確認す
る。アランの飲ませた睡眠薬が良く効いているようである。
︵そういえば、魔術師だから拘束を優先して、ちゃんと武装解除し
てなかった気がするわね。後でしっかり没収しとかないと︶
そこへジャコブが、ダニエルと共に戻って来た。
﹁おう、お疲れ。妙なの拾って来たんだってな? お前ら、本当、
変なのに当たったり、拾って来る事多いよな﹂
﹁師匠に言われたくないわよ。それで、こいつなんだけど、どうす
る?﹂
﹁俺もこの宿に部屋を取ったから、そっちに運ぶ﹂
﹁良いの?﹂
﹁ああ、どうせ下っ端がそいつの面倒見るから問題ない。そいつを
運んで身支度整えたら、メシを食いに行こう。ジャコブも一緒だ﹂
﹁え? そうなの?﹂
841
レオナールは目をパチクリさせる。
﹁お前ら暫くラーヌに滞在するつもりなんだろ? 今日は慰労を兼
ねて親睦会として、明日にでもギルド幹部に挨拶しに行く。
俺もいい加減、王都戻った方が良いのかもしれないが、まだ助け
てくれとか戻って来いとか催促されてないからな﹂
﹁催促されなきゃ戻らないつもりなの?﹂
首を傾げるレオナールに、
﹁催促されても、暫くは余裕あるだろうから問題ないだろ。連絡は
魔術具でやってるから、即連絡つくし、大丈夫だ。
俺じゃなきゃ対処できない問題なんて、強力な魔獣・魔物が出た
時くらいだろうからな。
それ以外の用件なら、幻術使えるやつが、適当な形代に俺の幻影
映して座らせておけば問題ない。
どうせ貴族や商人が俺と面識持ちたいとか、どうでも良い内容だ
し。代理人には、そういうのは話半分に聞いて、貰えるもんを貰っ
たら、後は適当に慇懃無礼に無視っとけって言ってあるからな!﹂
﹁えー、そんなのが常態なの?﹂
﹁おう。これまで、それで問題起きたことは今のところ、一度もな
いぞ﹂
レオナールとダニエルの会話に、ジャコブが苦笑を浮かべる。ア
ランはまだ思考に没頭中である。
﹁おい、アラン﹂
842
ダニエルがポン、とアランの肩を叩くとハッと我に返る。
﹁おっさん! いつの間に!!﹂
﹁いや、さっきからいるからな? その捕まえた男は俺が、より正
確には俺の部下っぽいやつが面倒見るから、荷物片付けたり、汗を
流したり着替えたりして、メシ食いに行く支度して来い。ええと、
店の名前は何だっけ?﹂
﹁︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾です﹂
﹁ああ、それ。そこ行くから。服装は適当で良いよな?﹂
ダニエルの言葉に、ジャコブが一瞬硬直したが、頷いた。
﹁身綺麗なものであれば、問題ないかと。店の方には通達済みです
から﹂
その様子を見て、本当はダメなんだろうな、とアランは思ったが、
口にはしなかった。だいたい王都から十日もほぼ徹夜で休憩なしで
移動してくるような男が、高級レストランに行けるような服を持参
で来るはずがない。
金はさすがに持ってるだろうとは思うが、ダニエルは食事するた
めに服を買うという発想はない男である。必要に応じて、気を利か
せた周囲が用意する事はあるが。
﹁悪いな、ジャコブ。この人、こういう人なんだ﹂
﹁いや、店にはSランク冒険者のダニエルさんが行くから、問題な
843
いように扱ってくれと頼んである。
一度も会った事のない連中でも、絵姿とかで知ってたりして、有
名だからな。俺でさえ知ってたくらいだ﹂
﹁そんなに似てる絵なのか?﹂
﹁ああ、本物そっくりだ。それに吟遊詩人が良く謳う歌の生きてい
る伝説だからな﹂
﹁⋮⋮生きている伝説﹂
アランが頭痛をこらえるような表情になった。
﹁お前達にとっては身近な人なんだろうが、あまり人前でタメ口利
かない方が良いと思うぞ? 目を付けられる元になりそうだからな﹂
﹁そうだぞ? 崇めろとまでは言わねぇが、お前らちょっと敬意と
愛が足りねぇぞ? おら、超絶強くてカッコイイ俺を、称えて褒め
ろ!﹂
ダニエルがニッコリ笑って言う。レオナールとアランは聞こえな
かった振りをし、ジャコブが作り笑いになった。
﹁じゃ、おっさん、頼む! 俺達荷物下ろしたり、準備したりする
から﹂
そう言ってアランがガイアリザードから荷物を下ろして、宿の中
に入る。
﹁じゃ、私もルージュたちを厩舎に連れて行って休ませてあげるか
844
ら、また後で﹂
レオナールはヒラヒラと右手を振りながら、ルージュとガイアリ
ザードを連れて、厩舎へ向かう。ダニエルがその背を見送り、ジャ
コブに目を向けた。
﹁すみません。オレも色々準備があるので、失礼します。では、後
ほど﹂
ジャコブは頭を下げて、ギルドのある方角へと戻って行った。ダ
ニエルは肩をすくめ、眠っている男を肩に担いで、自分が取った部
屋へと向かった。
◇◇◇◇◇
アランとレオナールは荷物を部屋に置き、アランが頼んで運ばせ
たタライの水で、手早く汗を拭うと、比較的小綺麗な服に着替えた。
さすがにアランはいつものローブを着るのはやめたらしい。
﹁あら、着ないの?﹂
と首を傾げるレオナールに、
﹁さすがに高級料理店に、着て行くはずがないだろう。お前も、鎧
や剣は絶対置いて行けよ。わかってるだろうが﹂
﹁ダガーを見えないところにつるすのは良いわよね?﹂
845
﹁ダガーも置いて行けよ﹂
﹁え∼?﹂
﹁え∼、じゃない。メシ食うのに要らないだろ?﹂
﹁万が一、襲われたらどうするのよ?﹂
﹁ダニエルのおっさんが同行するのにか? あれ以上の護衛なんか
いるはずないだろう。
それに最悪、︽眠りの霧︾を使う。杖がないと発動にちょっと時
間がかかるが、一応無手でも使えるしな﹂
﹁⋮⋮なんかずるいわ﹂
﹁ずるくない。ほら、お前も早く着替えろよ﹂
﹁私は髪が長いし、鎧を外したりするから、アランより身支度に時
間がかかるのよ。わかってるくせに、急かさないでよ﹂
ムッとして返すレオナールに、アランは仕方ないかと頷いた。
﹁悪かった。俺のが準備早くなるのは、当然だよな。でも、日が暮
れる前に頼む﹂
﹁女の子じゃないから、そこまで時間掛からないんだけど﹂
不機嫌そうなレオナールに、アランは肩をすくめた。
﹁いや、別に皮肉や揶揄のつもりはなかったんだが。気分を害した
846
なら、すまなかった﹂
﹁まぁ、良いわ。ちょっと待ってて。髪を洗う時間はあるかしら?﹂
﹁⋮⋮うーん、予約の時間聞いておけば良かったな。でも、髪を洗
うのは、別に夕食後でも良いんじゃないか?﹂
﹁頭皮の汗とかも気になるのよね。ほら、どうしても全身汗をかく
から。髪ってなんだか、臭いがつきやすい気がするのよねぇ﹂
﹁そんなに気になるなら、切ったらどうだ?﹂
アランが言うと、レオナールは溜息をついた。
﹁髪を短くしたら、耳が見えるでしょ? 面倒臭いじゃない﹂
﹁すまん、気が回らなくて悪かった﹂
アランは即座に謝った。
﹁まぁ、それがなければ、別に短くても問題ないんだけど。皆が見
ても見なかった振りしてくれるなら、楽なんだけどね。見えなけれ
ば、人間扱いで済むってのも不思議なんだけど﹂
﹁ちょっとキレイな外見の人間って範疇で済むのは、確かだな。シ
ーラさんレベルになったら、耳を隠したくらいじゃすぐバレるけど﹂
﹁そうね。そこら辺は良かったかもね。どうせ外見なんて皮一枚の
ことで、ちょっと傷が付いたり、皺が増えたり、骨がゆがめば、評
価なんて簡単に覆るものだと思うけど﹂
847
﹁俺は、別に気にしないけどな。お前がどんな見てくれだろうが、
中身は変わらないだろうし。見るからに痛々しいのは、見ててゾワ
ッとするから勘弁して欲しいが。
男の傷は、歴戦の勇者の証って、単に治療が上手く行かないくら
いの重傷負ったか、金かけたくなくて、ケチったとしか思えないし
な﹂
アランは肩をすくめた。即死せずに済むレベルの怪我なら、どん
な傷でも金と時間さえ掛ければ、回復魔法で跡形もなくきれいに回
復出来るのである。
自分の身を守る事のできない一般人ならともかく、自分の身を守
る術を持ち、稼ぐ手段もある冒険者としては、むしろ恥だとアラン
は考えている。おおっぴらに言うとひんしゅくを買うから、公然と
は言わないが。
二人が身支度を終え、階下に降りると、ダニエルとジャコブが待
っていた。
ダニエルの服装は替わっていなかったが。一行は︽豊穣なる麦と
葡萄と天の恵み亭︾へと向かった。
848
15 剣士と魔術師は身支度する︵後書き︶
以下を修正。
×一番問題ないんだが
○一番問題なんだが
×蛇蝎
○蛇蠍
849
16 ︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾での会食︵前書き︶
後半に一部不適切な表現があります。食事時は避けた方が良いかも。
850
16 ︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾での会食
店の奥の個室に、うやうやしく案内された一行。店員の引いた椅
子に座ったダニエル、その右隣にレオナール、左隣がジャコブ、そ
の隣にアランが座った。
ジャコブが口を開いた。
﹁ところで、席は予約したんですが、料理は何が良いか聞いてから
注文した方が良いだろうと、何も頼んでいない状態なんですが﹂
﹁肉なら何でも良い﹂
﹁肉をたっぷりちょうだい﹂
異口同音にハモる師匠と弟子。他に何か注文があるだろうと思っ
ているジャコブに、アランが言う。
﹁こいつら肉しか言わないから、肉以外はなんか適当に頼む。俺が
わかるんなら、勝手に決めるんだが、あいにく高級料理店に来たの
は初めてだからな。
できれば、ラーヌまたはこの店でしか食べられない物を頼む。飲
み物もまかせた﹂
﹁え? それで良いのか?﹂
怪訝そうな顔のジャコブに、アランが頷く。
﹁二人とも肉さえ食べられれば、他はどうでも良いから、問題ない。
あえて言うなら、レオナールはどうも卵は好まないようだ。俺は結
851
構好きなんだが。
あ、俺はどんなのでもかまわないからな。新しい発見があれば、
それはそれで楽しいし、嬉しいから﹂
アランの言葉に、ジャコブが頷いた。
﹁なら、オレのお勧めって選択で良いか?﹂
﹁それで頼む﹂
ジャコブが注文をし、店員がワインの好み等を確認して、前菜な
どと共に運び込まれ、配膳された。
肉好きの二人のためなのか、前菜の割には少し大きめの鳥系魔獣
肉のソテーに、野菜ペーストのソースをかけ、香草などを付け合わ
せにした物や、茸をトッピングしたフォアグラ、生ハムと葉野菜な
どをソースで和えたもの、川魚のフリッター、カリカリに焼いたガ
ーリックトーストなどが出て来た。
﹁じゃ、始めるか。二人とも今日はお疲れさん﹂
ダニエルの言葉で会食が始まった。
﹁で、コボルトの巣では男に襲われた事以外は、特に問題なかった
のか?﹂
ダニエルが尋ねる。
﹁ゴーレムが出た以外は、特になかったわ。これ持って帰って来た
けど、何だと思う?﹂
852
レオナールが胸元から皮袋を取り出す。
﹁おい﹂
アランが顔をしかめたが、レオナールもダニエルも気にしない。
ダニエルはそれを受け取り、中の物を検分する。
﹁ミスリル合金だな。鍛冶屋に持って行くのか?﹂
﹁付与魔術つきの鎧や剣を作りたいのよね﹂
レオナールが答えると、ダニエルは首を傾げた。
﹁俺のやった鎧と剣、まだ使えるだろう?﹂
﹁でも、付与魔術つきのミスリルプレートなら、もっと早く動ける
ようになるでしょう?﹂
﹁あー、気持ちはわからなくはないが、まだちょっと早くないか?
どうせ鎧や剣なんて、消耗品なんだから、そこらの雑魚相手にす
る分には、今の装備で特に問題ないだろ。
今すぐミスリル鎧なんか作ったって、傷付いたり劣化するのが早
くなるだけで、経費に対する効果が薄い気がするぞ?
鎧だって普通にメンテナンスは必要なんだし、恒常的にかかる経
費考えたら、Cランクになってからで十分だろ﹂
﹁だって、アランばっかり迷宮発掘品の付与魔術つき装備とか、ず
るいじゃない﹂
﹁ああ、装備に経年劣化防ぐ付与魔術とか、形状維持や自動修復や
853
浄化をつけられたら、便利なのは確かだよな。
ただ問題は、浄化以外は、そういった付与魔術を使えるやつが王
都にもいなくて、現代の技術じゃ再現できないって事だな﹂
﹁つまり、迷宮発掘品じゃなきゃダメなの?﹂
﹁切れ味を良くしたり、血や汚れを付着しづらくさせたり、魔力と
発動用文言で︽浄化︾発動させる機能付けたり、魔力通すと物理効
きづらい敵にも効果ある魔法を発現できる剣とかは、作れるぞ。
あと、お前が欲しがりそうな効果っていったら、魔力通すと一時
的に重さを変えられる、とかか。これは熟練しないと実戦で使うの
は難しいが、慣れれば、敵にヒットさせる瞬間だけ重くして、威力
をちょっとだけ上げる事ができる。使い方誤ると、腕を傷めるがな﹂
﹁でも、あれば便利でしょう?﹂
﹁具体的にこういうのが欲しいって決まってるなら、俺が良い鍛冶
屋紹介してやっても良いが、ただ漫然と良い装備が欲しいと思うだ
けなら、やめとけ。金と時間の無駄だ﹂
﹁欲しい機能とかは決めてるわ。お金も素材もあるんだから、作ろ
うと思えば作れるでしょう?﹂
﹁付与魔術はともかく、剣や鎧本体の形や機能に関しては、どうな
んだ? 今のに何か不満や不自由感じてるのか?﹂
﹁う∼ん、これで慣れちゃったから、剣に関しては、形やサイズ、
重さとかはこのままで良いわ。鎧は使いやすくて軽くて丈夫なら、
特に希望はないかも。
でも、鎧は熱とか冷気みたいな、ある程度の温度変化を軽減した
854
り、︽浄化︾付与は最低限欲しいのよね。あと可能なら重量軽減。
そういうの、無理そう?﹂
﹁魔法防御は要らないのか?﹂
﹁ないよりあった方が良いかもしれないけど、結局のところ、魔法
は撃たせなければ良いと思うのよね。
不意打ちで遠くから広域で発動されたら面倒だけど、︽炎の矢︾
くらいなら、避ければ済む話だし﹂
﹁ま、そうだな。だいたい不意打ちで、お前にも探知できない距離
から、広域攻撃魔法とか撃たれたら、俺でも正直、避けられる自信
ねぇぞ?﹂
﹁え? そうなの?﹂
レオナールが首を傾げると、ダニエルは苦笑する。
﹁当たり前だろ。まぁ、俺の鎧は、ある程度の魔法は無効化したり
軽減できるし、いざって時のための結界用魔道具とか持ってるから、
例え戦略級魔法でも、一撃食らったくらいなら、何とか凌げるけど
な。
俺が無事でも、周りが無事に済みそうにないが﹂
﹁そういうの、必要かしら?﹂
﹁うん? 俺は時折、他国のやつにも自国のやつにも、襲われたり
する事があるから、その対策を色々講じた結果だが、低ランクなら、
普通はなくても平気だろ?﹂
855
﹁でも、私、今日変なのに、二度も遭遇して襲われてるじゃない﹂
レオナールが言うと、アランが肩をすくめた。
﹁どっちもほぼ独力で撃退した上、捕まえてるだろ。普通は無理だ
と思うんだが﹂
﹁ま、たまたまだろ! 普通のFランクが、そうそう高位魔術師や
凄腕暗殺者と戦う羽目になるとか、ないからな﹂
ダニエルが明るく言った。
﹁え∼? だって、あの魔術師の方は、たまたまだとしても、︽黒
︾とかいう暗殺者の方は、どう考えても、私が一人になった時を狙
って襲ってきたんじゃない?﹂
レオナールが首を傾げて言うと、ダニエルはそれを笑い飛ばした。
﹁ははっ、そんなわけねぇだろ、バカ。お前、いったい何様のつも
りだよ? お前みたいなガキをわざわざ暗殺者雇って殺そうとする
阿呆が、この世に存在してるとでも思ってんのか? 自意識過剰も
いいとこだろ。
そういう妄想してる暇があったら、もっと鍛錬に励めよ。お前、
その程度の腕で満足してるんじゃねぇだろうな?﹂
﹁そんなわけないでしょ、バカ師匠。毎日朝晩の狩りは、欠かして
ないわ﹂
﹁ロラン周辺は、初心者向けだと思ったから連れてったけど、ちょ
っと敵が弱すぎたか?﹂
856
ふむ、と頷き考える顔になるダニエルに、アランが慌てて言う。
﹁いや、だからと言って辺境とかは無理だからな! 駆けだしの俺
達には、ロランで十分だから!﹂
﹁⋮⋮アランは相変わらず、冒険心がねぇなぁ﹂
ダニエルが呆れたような顔になった。
﹁そんなものなくてもかまわないし、無理・無茶・無謀・無策は、
命を縮める元だからな﹂
アランが渋面で言う。
﹁せめて、オーク討伐くらいはさせて欲しいわよねぇ?﹂
溜息ついて言うレオナールに、
﹁たとえはぐれ相手でも、今はまだダメだからな。今のお前に人間、
または人間サイズの魔物討伐やらせようとは、絶対思えないからな﹂
﹁アラン、お前、こいつの保護者してるのか?﹂
ダニエルがきょとんとした顔で尋ねた。
﹁他に候補がいないからな。とにかくもうちょい落ち着いて、気持
ちに余裕が持てるようになったら、斬らせてやる。それまでは絶対
ダメだ﹂
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﹁気持ちに余裕って、どういう状態よ? サッパリだわ﹂
﹁頭に血が上った状態で、本能や感情のままに斬ってる内は、ダメ
だって意味だ﹂
﹁あー、つまり計算して、計算通りに行動できるようになるまでは、
って事か?
なるほど、今のレオじゃ、猪突猛進で暴走気味で、ちょっと賢い
敵の罠やフェイクに簡単に引っかかりそうだもんな﹂
ダニエルが、なるほどと頷いた。
﹁えー? そこまでひどくないわよ?﹂
肩をすくめるレオナールに、アランは首を大きく左右に振った。
﹁自覚がないから、余計恐いんだ。確かに、考えなくても身体が動
くってのは、考えて行動に移すよりは断然早いと思うぞ。
でも、それだけじゃ駄目なんだ。頭の悪い低級の魔獣・魔物相手
ならともかく、オーク・オーガなんて、個体によっては人間並かそ
れ以上の知能を持ってるからな。
それに突進癖が直らない内は、絶対御免だ。俺自身の保身だけで
言ってるわけじゃなく、お前の身の安全も考えて言ってるんだから
な?
俺がそばにいるなら、万一の時の支援や援護もしてやれるが、そ
うでなければ、どうしてやる事もできないからな。
お前、戦闘や移動に関して、俺がお荷物だと思ってるのかもしれ
ないが、お前のやり方は、すごく危うくて、何か想定外の事やミス
があれば、いつ死んでもおかしくないんだぞ?
人は死んだらおしまいで、取り返しがつかないんだ。回復魔法が
858
あってもだぞ?﹂
アランの説教に、レオナールが面倒臭そうな顔になる。
﹁アランは本当、心配性よね﹂
﹁それは確かに事実だろうが、お前がアランを安心させられる域に
ないのは、確かだな﹂
ダニエルが頷いて言った。
﹁おい、レオ。本気で嫌だと思うなら、自分の能力、実力で納得さ
せてみろよ? それが出来なけりゃ、文句言う筋合いなんてねぇな。
黙って言われとけ﹂
ダニエルが挑発するように、レオナールに言う。
﹁ちょっ、おい、おっさん⋮⋮っ!﹂
慌てるアランに、ダニエルがニヤリと笑みを返す。
﹁お前だって、落ち着きのない魔獣みたいな前衛と組んでたら、気
が気じゃねぇだろ? 自分の我を通したかったら、それなりの実力
つけなきゃ、ゴミだよな!﹂
カカカと笑うダニエルに、アランが渋面になる。
﹁だからと言って、わざわざ挑発しなくても良いだろ。レオは真っ
当に順当に、経験積んで学習すれば、普段の記憶力はザルでも、ち
ゃんと成長出来るはずだ。そこまでバカじゃないと思ってるからな﹂
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レオナールはムッとした顔で、眉間に皺を寄せ、黙り込んでいる。
﹁おい、レオ﹂
アランが心配そうな顔になって、声を掛ける。
﹁ほっとけ、ほっとけ。たまには使ってない頭を使わせてやれば、
良いだろう。お前ら二人とも成人したんだ。いつまでも子供扱いで
面倒見てやる必要ねぇぞ、アラン。
それともお前、一生、レオのお守りして面倒見るつもりか?﹂
最後だけ真顔になったダニエルに、アランはうっと言葉に詰まる。
しかし、眉間に深い皺を寄せて、アランは口を開く。
﹁でも、レオが何か考えて実行に移すと、たいていろくな事になら
ないんだ。で、レオがやらかすと、まず一番に俺が主にその被害と
いうか、余波を食らう羽目になるんだぞ?﹂
﹁それは、お前が考え過ぎたり、心配しすぎるのも、原因の一つじ
ゃないか?﹂
ダニエルの言葉に、アランが嫌そうな顔になる。
﹁おっさん、他人事だと思って適当言ってないか?﹂
﹁それは確かにあるかもしれないが、嘘は言ってないぞ、たぶん﹂
ダニエルが肩をすくめて、ニヤリと笑った。
860
﹁おっさん、時折わざとレオをいじめたり、からかったりして、遊
んでないか? すげぇ楽しそうなんだけど﹂
﹁ハハハ、確かにレオをかまうのは面白いし、楽しいけどな! お
前をかまうのも、同じくらい楽しいと思ってるぞ?﹂
﹁⋮⋮正直迷惑なんだが﹂
アランが嫌そうに言うと、ダニエルは声を上げて笑った。
﹁そんな事面と向かって俺に言うの、お前くらいだぞ?﹂
どう見ても嬉しそうに見えるダニエルに、アランはこのおっさん
最悪だ、と呟く。
ジャコブは反応に困って微苦笑する。
﹁ねぇ、師匠、明日、暇ならちょっと稽古つけて欲しいんだけど﹂
レオナールが口を開いた。真剣な顔である。それを見て、ダニエ
ルが嬉しそうな笑顔で頷いた。
﹁おう、かまわないぞ。でも、報告とか一緒に行かなくて良いのか
?﹂
﹁どうせアランがいればそれで問題ないもの。今回捕まえた連中は、
両方とも師匠、じゃなくて部下っぽい下っ端が見てくれるらしいか
ら、私たちは心配要らなさそうだし、アランが報告書書く時に、補
足する事があれば、その時点で加えておけば良いわ。
何を報告すれば良いかとか、そういうの、良くわからないもの﹂
861
﹁お前、甘やかされてるなぁ﹂
ダニエルが呆れたような顔になる。
﹁おい、アラン。お前、それで良いのか?﹂
﹁それに関しては、村を出る時からの約束だから、別に良いんだ。
そういうのは俺がやるから、レオには戦闘に関する事と、探索時の
目と耳を頼んでいる。後は、重い物を運んだりとか、準備の手伝い
とか。
対人関係とか情報収集とか、交渉事全般は、俺の担当だ﹂
﹁ちょっとはレオにも担当させようとか思わないのか?﹂
不思議そうに尋ねるダニエルに、アランは首を左右に振る。
﹁レオには無理だろ? もしかしたら、その内できるようになるか
もしれないが、今は絶対無理だ。出来ないとわかってる事を、わざ
わざやらせる必要なんてないし、俺の胃と頭が痛くなるだけだ。
だったら俺がやった方が早いし、確実だ﹂
﹁⋮⋮はぁ。なんでこんな風に育ったのかねぇ? お前、子供の頃
はもうちょい、のんびりしてたし、穏やかだっただろう﹂
ダニエルが前髪を掻き上げ、溜息をついた。
﹁適材適所ってやつで良いだろう? 全ての物事に万能である必要
はない。中途半端にしかならないなら、それぞれの得意分野で分担
した方が、早いし確実だ。
だいたい、レオにやらせたらどうなるか、想像してみれば、すぐ
862
わかるだろう。必要以外の面倒事は勘弁だ﹂
﹁素朴で純朴で、純真無垢で可愛かったアランが、こんな可愛くな
い面倒臭いやつに育つなんて⋮⋮!﹂
嘆くように天井を仰いだダニエルを、アランが白けた顔で見る。
﹁素朴だの純朴だの純真無垢だのが褒め言葉になると思ったら、大
間違いだからな、おっさん﹂
﹁俺が、でたらめ教えても素直に信じてたアランは、いったい何処
へ行ったんだ! あんなに反応面白かったのに!!﹂
﹁⋮⋮やっぱり、わざとだったんだな﹂
頭痛をこらえる顔でアランが溜息ついた。
﹁あ、そうだ。訓練とか稽古って、ギルドで場所借りられるのかし
ら?﹂
思い出したように言ったレオナールに、ジャコブが頷いた。
﹁ああ、事前に申請すれば借りられる。今回は俺が手配しておこう。
時間に都合とか、特に希望とかあるのか?﹂
﹁早朝と夕方はルージュの食事を兼ねて、日課の狩りに行くから、
それ以外で﹂
﹁大丈夫だ。早朝はそもそも開いてないし、夕方は大抵予約で一杯
だからな。昼間なら午前でも午後でも問題ないと思うが﹂
863
﹁どっちも、ってわけにはいかないの? 例えば半日とか﹂
﹁あー、大丈夫かもしれないが、それはちょっと確認してから返事
しても良いか?﹂
ジャコブが答えると、レオナールは頷いた。
﹁別に良いわよ。師匠も時間はいつでもかまわないわよね?﹂
﹁ああ、あんまり非常識な時間じゃなければな。でも半日押さえら
れても、一応昼休憩は取るぞ?﹂
﹁それは当然でしょ? ふふっ、色々試してみたい事があるのよね。
最近対人とかあまりまともにやってないから﹂
レオナールの言葉に、アランが渋面になる。
﹁全然やってないわけじゃないだろ。武器なしなら、俺が知らない
とこでも、やってるくせに﹂
﹁あれは娯楽とか遊びの範疇でしょ? 今回対人戦ちょっとあった
けど、あんまり納得できる出来だったとは言い難いし。
なんか微妙だったのよねぇ。もう、こう、斬り合いがやりたいの
に﹂
﹁この、脳筋が﹂
アランが呻いた。ダニエルがうわぁ、という顔になる。
864
﹁あれ、おい、レオ。お前、木剣じゃなく、真剣でやるつもりか?﹂
﹁そうよ。え、何その顔? まさか師匠、今更木剣で打ち合いする
つもりだったの?﹂
怪訝な顔で聞くレオナールに、ダニエルが苦笑した。
﹁あー。手加減、気を付けないとなぁ。怪我させると、アランがう
るさそうだしな。どのくらい加減すれば良いのかねぇ﹂
﹁そんなもの、適当でしょ。実際やりながらで良いじゃないの﹂
﹁んー、ちょっと自信ねぇから、明日、お前の狩りに付き合ってか
ら考えるわ。
今日もお前が剣振るとこ一応見たけど、相手がコボルトだったか
らな。あんまり参考にならねぇし﹂
﹁ふふっ、久しぶりに師匠と狩りに行くのも楽しそうね﹂
﹁あ、言っとくが、お前の剣を見たいから、ついて行くだけだぞ?
俺も振っても良いが、それだと見られないし﹂
﹁別に良いわよ。知らない魔獣や魔物見つけたら、名前とか教えて
貰えれば、それで十分だし﹂
﹁了解。んじゃ、そういう事で﹂
スープは冷たいジャガイモのポタージュが出た。アランはネギと
ジャガイモの香りを楽しみながらじっくり味わったが、レオナール
はあっと言う間に飲み干した。顔には、早く肉が食べたいと書いて
865
ある。
ダニエルはレオナールほどではないが、同じく早々に飲み終える。
ジャコブは少し早めだが、次の料理を出すよう、店員に頼んだ。
そのため、アランのスープがまだ半分近く残っている状態で、近
隣で捕れるエビや貝と野菜のグリルが運ばれた。
﹁肉は?﹂
﹁もうちょっと後だから、我慢しろ﹂
アランに言われて、レオナールはムッとしながらも、料理の三分
の一ほどを一度に、大口を開いて、パクリと食べた。
﹁おい、もうちょっと味わって食べろよ﹂
﹁うーん、思ったよりは噛み応えあっておいしいかも?﹂
首を傾げて言うレオナールに、アランはガックリした。
﹁アラン、スープ残ってるのお前だけなんだから、冷めない内に食
べろよ﹂
ニヤニヤ笑いながら言うダニエルに、アランは眉間に皺寄せつつ、
黙々と自分のペースを保ったまま食べる。
﹁いや、時間は気にしなくて良いからな﹂
慌ててジャコブがフォローした。それに対して、アランは無言で
頷いた。そしてアランがようやく魚料理に手を付け始めた頃に、肉
料理、分厚い肉の塊││高級牛肉の肩ロース││をグリルした物が
866
運ばれて来た。
ジャコブが目線ですまないと告げ、アランが気にするなと言わん
ばかりに首を左右に振る。
﹁うわぁ、おいしそう!﹂
嬉しそうにニッコリ微笑み、歓声を上げるレオナール。
﹁うん、これは確かに旨そうだな。生でもいけそうだ﹂
﹁⋮⋮生は駄目だろ、生は。食べたいなら、人目につかないところ
で、こっそり一人で食べてくれ﹂
ダニエルの言葉に、アランが突っ込む。
﹁二人とも肉が好きだそうだから、これが一番良いだろうと思って
選択した。料理人にも、なるべく肉を多めで頼んだんだが、喜んで
貰えたようで良かった﹂
ジャコブが満足げに頷いた。当然のように、アランが肉料理に手
を付け始めた頃には、食べ終わっていた。
だが、アランが食べ終わる前に果物などデザート類が運ばれるこ
とはなかった。
﹁なんか急かしたみたいで悪かったな﹂
悪気もなければ、反省もない顔と口調で、ダニエルがアランに笑
顔で言った。
﹁いや、どうせこうなる事はわかってたから良い﹂
867
アランが仏頂面で答えた。
﹁なんか色々すまない﹂
ジャコブがちょっとすまなさげな顔で言った。レオナールはデザ
ートとして出された果物を見て、顔をしかめながら皿をアランに押
しやろうとして、アランに睨まれ、肩をすくめた。
﹁お前は、俺が言わないと野菜や果物食べようとしないよな、レオ﹂
﹁別に野菜や果物なんか食べなくても、死なないわよ﹂
﹁とりあえずお前は食え﹂
﹁うぅ⋮⋮なんか、甘くてちょっと酸っぱくて、軟らかくて、気持
ち悪い⋮⋮﹂
嘆きながら食べるレオナールに、ダニエルが首を傾げる。
﹁なんでレオは果物嫌いなんだろうな。普通、子供は甘い物が好き
なんだが﹂
﹁子供扱いしないでよ﹂
レオナールが嫌そうに、心持ち潤んだ瞳で、ダニエルを睨む。ダ
ニエルは肩をすくめ、ジャコブはレオナールには見えないようにこ
っそり苦笑した。
﹁⋮⋮この感触がきらいなのよね。中途半端に軟らかくて、そのく
868
せポタージュみたいに飲み込めないから、咀嚼しないとダメな辺り
が。
野菜もあんまり好きじゃないけど、あれはまだ物によっては噛み
応えがあるから、まだマシだわ﹂
﹁お前、噛み応えの有無で旨いとかマズイとか言うなよな? 味で
判断しろ、味で﹂
﹁味も大嫌いよ、気持ち悪い﹂
﹁ジュースなら大丈夫って事か? ゼリーも食感が嫌だとか言いそ
うだしな。でも、焼き菓子もあまり好きじゃないみたいだしなぁ﹂
﹁別に食べなくても死なないんだから、良いじゃない。食べさせた
り飲ませようとしたり、しないで欲しいわ﹂
全く迷惑よ、とぼやくレオナール。
﹁ライムやレモンの果汁をちょっぴりかける程度なら、平気っぽい
んだが。でも、量を多くすると嫌がるな。あとマリネとか酢も苦手
みたいだ。
基本的に調味料は塩胡椒ベースのが好きみたいだな。ソースはあ
まり甘くなければ良いみたいだけど﹂
アランが首を傾げる。
﹁臭いの強い野菜や香草も、本当は嫌なんだから﹂
レオナールが抗議すると、アランは肩をすくめた。
869
﹁俺は好きなんだけどなぁ﹂
﹁食事には肉だけあれば他はいらないのに﹂
﹁そういうわけにいくか。身体を整えたりするのに必要だから食え
と言ってるんだ﹂
﹁アラン、お前、本当に保護者っぽいな。レオ、アランの言うこと
を全部聞けとは言わないが、偏食はやめた方が良いぞ。
身体を作るには一応野菜や果物も必要だからな。毒や腐った物だ
け拒否しておけ﹂
﹁臭いも嫌いなのに。これ、例え毒が入ってても誤魔化せそうな臭
いと味が、特に嫌いだわ﹂
﹁おい、レオ。こんな高級飲食店でわざわざ客に毒盛るわけないだ
ろ。バカな事を言うな﹂
﹁安心しろ、レオ。毒は入ってない﹂
三人の会話にジャコブが苦笑している。
結局レオナールが果物を食べ終えたのは、一番最後だった。残そ
うとしたら、アランが食べるよう強制したからである。
﹁う∼ん、そこそこうまかったと思うけどな。あれか? プラムっ
ぽい、ちょっと酸味強めのオルレの実が嫌だったのか? それとも
甘ったるくて柔らかいミルルの実か?﹂
﹁思い出させないでよ、師匠﹂
870
レオナールがげんなりした顔になった。
﹁わざと言ってるだろう、おっさん﹂
アランが白い目でダニエルを見た。
﹁ハハハ、まぁ好き嫌いできるくらい元気で良かったよな、レオナ
ール。今度お前にアルケンシュの幼虫のソテーやルルクカールのフ
リッター食わせてやりたくなったよ﹂
﹁それ以上言ったら、師匠の食事に毒盛るから﹂
明るく笑うダニエルに、レオナールが半眼になって言った。
871
16 ︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾での会食︵後書き︶
読んでも読まなくても本編に関係ないかも知れない、ほのぼの?会
です。
872
17 帰り道および、宿屋にて
﹁まぁ、あれだ。こいつら色々面倒臭いとこもあるけど、ラーヌ滞
在中は、よろしく頼む、ジャコブ﹂
笑顔で右手を差し出しながら言うダニエルに、ジャコブが力強く
頷き、その手を取って握手する。
握力強めのダニエルが加減しつつも、若干強すぎる力で握ったの
で、ジャコブの笑顔が一瞬引きつったが、ダニエルは全く気付かな
い。
すぐ離されたが、握手した右手の指が若干白くなっている。アラ
ンが気の毒げにジャコブを見て、瞑目した。
レオナールは、ミスリル合金の欠片を入れた革袋を胸元から取り
出し、袋の口に付いている革紐を、右人差し指と中指に絡ませると、
クルクル回しては止め、回しては止めを繰り返し、紐を巻き直して
長さを変えたりして、何かを確認しているようだ。
﹁こちらこそ。今回、彼らに会えた事は、オレとしては幸運だと思
っています。
本来なら、コボルト討伐なんて、ラーヌ支部で解決すべき事だと
思うのですが、恥を忍んでロランに応援を依頼して良かったです。
彼らは稀少な存在だと思いますから﹂
﹁そうか。そんなに評価してくれてんのか。おい、お前ら、期待裏
切るような真似すんなよ? そこまでバカじゃねぇのは知ってるつ
もりだが、お前ら二人とも、時折とんでもない無茶するからな﹂
ダニエルが笑顔で言うと、レオナールとアランが仏頂面になる。
873
﹁師匠に言われたくないわよ﹂
﹁全くだ。おっさんこそ無理・無茶・無謀の体現者じゃないか。ま
ぁ、常人にとっての基準で、おっさんにとってはまた別なんだろう
が、普通の人間なら死んでるような真似ばっかしてんのは、おっさ
んの方だろ﹂
﹁え∼? お前らの俺の評価ってそんななのかよ? 仕方ねぇだろ、
俺が常人には理解できないレベルの天才で完璧なのは!﹂
﹁まぁ、それはともかく、おっさんはいつまでラーヌに滞在するつ
もりなんだ?﹂
﹁何事もなければ、もう2、3日ってとこだな。たぶん何もねぇと
思うが、念のためな﹂
ダニエルのその言葉にアランが真顔になる。
﹁おい、おっさん。まさか、﹂
﹁あー、アラン。言いたい事は何となくわかるがな、それは黙っと
け。俺が言いたいこと、わかるよな?﹂
ダニエルがニヤリと笑う。アランが眉間に皺を寄せた。
﹁だいたい、なんで本人には⋮⋮﹂
﹁あー、だから黙っとけっての。地獄耳に聞こえちまうだろ?﹂
874
﹁え? 何よそれ、私のこと?﹂
レオナールがキョトンとした。アランが慌てて口を閉じる。ダニ
エルは笑って、レオナールの頭をグリグリ、グシャグシャと強めに
撫で回した。
﹁ちょ、何よっ!﹂
﹁まぁ、ここにいる間は、特に俺宛ての仕事が入らない限り、お前
らに付き合ってやるから、感謝しろ! 特にレオはたっぷり可愛が
ってやるからな! ハハハッ﹂
﹁うぅ、髪がぐしゃぐしゃ⋮⋮﹂
何とかダニエルの腕から逃れたレオナールだが、乱れた前髪を手
ぐしで直しつつ、恨めしそうにダニエルを睨む。
ニヤリと笑ったダニエルが、アランの頭も撫でようとするのを、
察知したアランがジャコブの裏に隠れた。
﹁えー、何だよ、それ。逃げなくても良いだろう?﹂
﹁おっさんのバカ力で撫で回されたら、俺の首が折れる。または髪
が抜けたりちぎれるだろう﹂
﹁は? いやいや、それはちょっと大袈裟だろう、アラン﹂
﹁俺はうっかりで死にたくない。頼むからそれ以上近寄らないでく
れ﹂
﹁ええっ!? そりゃいくらなんでもひどくねぇ?﹂
875
﹁アルコール入ってる時のおっさんは信用できない﹂
キッパリと言うアランに、ダニエルは肩をすくめた。
◇◇◇◇◇
店から少し歩いたところで、ジャコブと別れ、一行は宿へと向か
う。レオナールは指に絡めた革袋を高く投げ上げては受け止める、
を繰り返している。
﹁なぁ、レオ。お前、何やってるんだ?﹂
﹁う∼ん? ちょっとね、確認? ねぇ、師匠、ちょっと試してみ
ても良いかしら?﹂
﹁うん? 何をだ?﹂
怪訝そうに首を傾げるダニエルに、ニンマリ笑ったレオナールが、
﹁避けないでね﹂
と言って、手の中の革袋を投げ上げたかと思うと、指に絡めた紐
でグルグルと縦回転させ、それをダニエル肩先目掛けて投げつけた。
﹁おっ、ちょっ、痛っ! それ確かちょっと尖ってる箇所あったよ
な? 我慢できないほど痛くはないが、なんか地味に痛いんだが、
おい。
何だよ、レオ。俺、お前に何かしたか?﹂
876
﹁師匠は頑丈だから、利き腕に当てても大丈夫だと思って。飛び道
具ないとちょっと面倒だなって思ったから、ずっと考えてたのよね。
普通ならスリングとか使うんでしょうけど、わざわざ用意するの
もアレだし、ナイフやダガー投げると、破損とか考えると、手近に
あるもの使うのが良いんじゃないかと思って。
本当は、硬貨をいっぱい詰めた袋とか使った方が効果ありそうだ
けど、中身ばらまいたら面倒でしょ?﹂
﹁⋮⋮あー、あれか。魔術師対策とかか﹂
﹁そうね。遠距離攻撃してくるやつ相手にした時、距離を詰めるま
での間に攻撃したり、気を逸らしたり、集中力切らしたりできたら
良いなって思って﹂
﹁鎧着てるやつには、効果薄そうだが、軽装の魔術師相手なら、良
いんじゃないか? 最終的には近付いて斬るつもりなら、当たらな
くても牽制になりそうだし。
でもミスリル合金使う必要ねぇだろ。石とか砂で十分だろう﹂
﹁古釘とか鉄くずでも良さそうよね﹂
﹁釘はやめろよ、釘は。危ないだろ﹂
ゾワッとした顔で言うアランに、レオナールが首を傾げる。
﹁え? 何でよ? 敵に使うんだから、何でも良いでしょ?﹂
﹁お前のその発想が恐いよ! なんか古釘とか、うっかり刺さった
ら、後が酷いことになりそうじゃないか!!﹂
877
﹁だから良いんでしょ? 何を言ってるのよ﹂
キョトンとするレオナールに、アランがうわぁという顔になる。
﹁アランは妙なところで感受性豊かというか、想像力豊かだな。敵
の心配までするとか、その内頭が禿げるぞ?﹂
ダニエルが不思議そうに言う。
﹁⋮⋮昔、親父に、遠い親戚のおじさんが古釘を踏んで、その後、
足が腐り落ちて死んだという話を聞いた事があってな﹂
アランが眉間に縦皺を寄せ、蒼い顔でボソリと言う。
﹁あのクソ親父、その経過をやけに細かく、聞いただけでその情景
が目に浮かびそうなくらいに、説明しやがって⋮⋮!﹂
﹁ああ、なるほど﹂
ダニエルがポンと右手を左手で打った。
﹁そういう逸話なら、俺も昔、駆けだしの頃に、先輩冒険者とやら
から聞かされたぞ。一応実話を元にした話らしいけどな。
要するに傷口から毒素が入ったりして、身体の一部が壊死するっ
てやつだよな。あれ、実は早めに回復魔法かけたりすれば、防げる
んだぞ?﹂
﹁え? そうなのか?﹂
878
アランが驚き、安堵した顔になった。
﹁ああ。ただ、治癒師や薬師がいない田舎や、たいした事がないと
思ってまともな治療も薬も使わず放置したり、不衛生だったり、傷
が膿んでも放置したりすると、ヤバイけどな﹂
﹁⋮⋮ああ、そういう事か﹂
﹁俺の聞いた話の場合は、﹃だからどれだけ腕に自信があっても、
最低限、傷薬や、傷口を洗い流すための水やアルコールは携帯しと
け﹄ってオチだったぞ。
お前の親父さんの話には、そういうオチはなかったのか?﹂
﹁うちの親父が、そういう事に気が回るわけないだろ。あえて言う
なら﹃危険だから、大工や家具屋が作業している現場には近付くな﹄
だったかもな﹂
﹁それはそれで、一応正しい教訓になってるから問題ねぇだろ? だいたい、興味本位で子供に手元覗かれたら、困るだろうし﹂
﹁そりゃそうだが。俺、だから恐くて、釘はこれまで触れなかった
んだが﹂
﹁ぶはっ、釘を触ったくらいで、そんな事になるかよ、ブフッ﹂
ダニエルがブフブフ笑うのを横目に見て、アランはしかめ面にな
った。
﹁変な笑い方すんなよ。笑いたければ、大声で笑えば良いだろ、お
っさん﹂
879
アランが言うと、ダニエルは途端に吹き出し、腹を抱えて笑い転
げた。アランはそれを見て不機嫌そうに黙り込む。
﹁アランは本当、時折妙な事言い出すわよねぇ?﹂
レオナールの言葉に、アランが心外だ、という顔になった。
﹁え、おい、いくらなんでもお前にだけは言われたくないぞ、レオ﹂
﹁え? その言い方ひどくない? アラン﹂
﹁全然ひどくないぞ。これだけは自信持って断言できる﹂
﹁ええーっ? ちょっと、師匠、笑ってないで、何か言いなさいよ
!﹂
﹁あ∼? いや、お前らの会話、はたから聞いてる分には、十分面
白いけどな﹂
﹁何それ、どういう意味よ?﹂
﹁いや、若いって良いよな! 俺もトシ食ったわぁ、マジで。うん
うん﹂
笑いながら頷くダニエルに、レオナールがムッとした顔になった。
﹁なんかその笑顔、胡散臭くてムカつくわ﹂
﹁どうせ俺は胡散臭いおっさんですよっと。まぁ、あれだ。お前ら
880
は、今の内に色々楽しんでおけ! 今の楽しみや喜びは、今の内し
か味わえない物が多いからな!
おっさんになると、感動する事も少なくなるし、そういう感情と
か情動自体薄くなっちまうから、つまんねーのよ。
確認するまでもなく、なんとなくわかっちまうとか、すげークソ
つまんねぇんだよな。
でもさ、念のため、違うかもしれないと思って調べてみたりする
と、本当、最初の予想通りだったりすると、微妙な気分になるんだ
よ。
冒険したくても、冒険する事や機会が少なくなるっつうか、冒険
じゃなくただの作業になったりとかな。
本当はもっと冒険したいし、知らない魔獣や魔物斬りまくりたい
のに! 面倒臭い事ばっかりで、本当腹立つっての。
たまに、全部ぶっ潰して破壊しまくった方が楽じゃねぇかと思う
けど、それやったらどうなるかもわかっちゃってるから、すげーつ
まんねぇの。
俺、別に暴君や荒くれ者や犯罪者になりたいわけじゃねぇしな﹂
﹁おっさんが暴走とか、冗談でもやめてくれ。冗談じゃない﹂
アランがゲッソリした顔で言った。
﹁やらないぞ? でも、嫌いなやつ、ムカつくやつ、全部まとめて
ぶっ殺したら気持ち良さそうだな、とは考えるな。実際やったら、
後始末面倒だから、やらないけど。
俺が嫌いだっつっても、別のところでは、それなりに役に立つ事
もやってるらしいから、気に入らないからって排除すると、あちこ
ち不自由出るしな。
でもたまに出奔したり、放浪したくなるのは仕方ねぇよな﹂
881
﹁師匠も魔獣狩りする? ルージュ、結構量食べるから、ガンガン
狩っても大丈夫よ?﹂
﹁ん∼、気が向いたらな。どうせこの辺じゃ思い切り剣振れるよう
な獲物、いねぇだろうしな。
お前が捕まえなかったら、万全の体調・体勢で︽黒︾と斬り合え
たかもしれなかったんだが﹂
﹁え、私のせいなの?﹂
﹁そうは言わねぇけどな。まぁ、斬り合いしたいなら、王都でなん
か適当に探して見繕うから、心配すんな!
いざとなったらギルドで公募すんのもアリだろうしな!﹂
﹁それ、ろくでもない事にしかならない気がするんだが﹂
﹁大丈夫! 剣をまともに持てないやつ相手に、本気にならねぇか
ら﹂
﹁⋮⋮ねぇ、師匠。師匠の基準だと、私はどのくらいなわけ?﹂
﹁んー、やっとまともに剣を振れるようになった駆けだしってとこ
かねぇ?
あ、一応言うが、ある程度筋肉ついて身体が出来てこねぇと、振
るのもキビシイからな。しばらくはもっと振って、剣とか、刃の使
い方に慣れる事だな。
基本は一通り教えたはずだし、応用なんかはもう、これだって教
えるより、実践で考えて身につけた方が良いだろうしな。
つうか、ほら、俺とお前じゃ体格とか身体のつくりとか、全然違
うだろ?
882
俺のやり方教えたって、お前に再現できるはずねぇんだから、そ
の辺は身体で覚えて、自分で考えろとしか言えねぇよ。
だから、聞きたい事あったら質問しても良いけど、お前にとって
の最善を教えてやれるとは限らないぞ。
俺だったらこうする、でもお前がやるならどうするか考えろ、っ
て答えになるだろう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言でレオナールが考え込んだ。
﹁お前にとっての最善は、お前にしかわからない。俺が考えたとし
ても、それがお前の最善になるなんて断言できないからな。
でも、俺にはお前より、三十年近い経験がある。だから、困った
時や迷った時は、俺に頼れ。
全てキレイに解決してやるとは言わないが、俺で出来そうな事は
協力してやる。阿呆な事言われたら、どつくけどな﹂
ダニエルはそう言って、レオナールの頭をポンと叩いた。
﹁⋮⋮ちょっと、痛いんだけど。もしかして酔っ払ってる?﹂
﹁ハハハ、俺があの量のワイン飲んだくらいで酔ってるとでも? 冗談キツいぞ、レオ。お前ら宿へ送ったら、ちょっと追加で飲みに
行こうかね﹂
笑いながら言うダニエルに、アランが慌て、レオナールが肩をす
くめた。
﹁それはやめてくれ、おっさん。それは絶対トラブルの元だ﹂
883
﹁そうね、酔った師匠は、明らかに詐欺な戯言にも、軽く騙されそ
うだものね﹂
やけに真剣な目つきの二人に言われて、ダニエルは面倒臭げな顔
になったが、
﹁んー、まぁ、今日はやめとくか。明日は早起きしないと、いけな
いしな﹂
と頷いた。
﹁そうしてくれ﹂
﹁それが良いわよ、師匠﹂
ハモる二人の声に、ダニエルは溜息をついた。
◇◇◇◇◇
ダニエルは、レオナールとアランが部屋に入るのを確認してから、
最上階に取った自分の部屋に向かった。
﹁え? 殺した?﹂
︽黒︾こと本名フェリクスの報告を聞いて、軽く目を見開いた。
﹁おい、いったいどうしてそうなった?﹂
884
怪訝そうに尋ねるダニエルに、フェリクスが渋面で、抑揚を押さ
えた低く平坦な声で報告する。
﹁すまない。殺すのは得意なんだが、手加減はした事なくて。もち
ろん、殺さず捕まえるべきだというのはわかってたんだが、うっか
り急所に飛礫を投げて即死させてしまった。
俺の時は、武器解除するのに服まで剥いだのに、まさかあの男に
は身体検査してないとは思わなくて油断していた。本当に申し訳な
い﹂
﹁あー、あいつら素人だし、あれでFランクの駆けだしだからなぁ。
うっかり忘れたんだろう。魔術師捕まえるのは、結構大変だしな﹂
﹁一応、装備と服は剥いで、そこの袋に入れて保管してある。死体
は首だけ残して、あとは処分しておいた。これが、その首だ﹂
﹁まぁ、胴体は残しておいても、重い上に腐るだけだからな。わか
った。慣れない事させてすまなかった。俺も配慮が足りなかったか
もな。
で、何か聞き出せたか?﹂
﹁ああ、たぶん全部は聞き出せなかったし、裏は取れていないが、
多少は引き出せたと思う。拷問はあまり経験はないが、一応薬も使
った。
あいつ、魔術具の発動体を持っていた。それはなくすといけない
から、こっちで持ってる。これだ﹂
黒い魔石のはまった指輪を差し出した。
﹁俺は専門家じゃないから、どういった効果のものかわからないが、
885
あんたに渡せば問題ないだろう?﹂
﹁ああ、王都にいるやつに調べさせる。先に魔術具で連絡しておく
から、お前はこれらを持って、王都へ向かえ。
あ、これ、連絡用の魔術具な。じゃ、尋問内容とか、そっちの報
告を聞こうか﹂
ダニエルの言葉に、フェリクスは頷き、次の報告を開始した。
886
17 帰り道および、宿屋にて︵後書き︶
サブタイトル、これで良いのか悩みつつ。
︽黒︾の名前がようやく出せました。ルヴィリア︵妹︶と名前のバ
ランス取れてないですが。
887
18 剣士は林に狩りを楽しみ、魔術師は報告書を記しながら思
案する
翌日、早朝。レオナールが身支度を調え、装備を身に付け、厩舎
へ向かうと、ダニエルが待っていた。
﹁よっ、おはよ!﹂
﹁おはよう、師匠。⋮⋮手ぶらな上に、鎧もないように見えるけど、
それで良いの?﹂
﹁朝飯前に完全装備とかだりぃじゃん。面倒臭ぇ。散歩だ、散歩﹂
﹁師匠がそれで良いなら別に良いけど﹂
﹁おう。じゃ、行くか。で、何処へ行くつもりだ? 東の山林か、
西の森か。まさか平原の兎や鼠なんか狩らねぇだろ?﹂
﹁東の山林よ。盗賊の拠点とコボルトの巣が潰されたんなら、他の
魔獣や魔物の動きや行動範囲も変わってるんじゃないかと思って。
餌は豊富にありそうだから、コボルトが消えた分、その縄張りが
空白になったんだから、他の魔獣たちは狩りがしやすくなってるは
ずでしょ?﹂
﹁そうだな﹂
レオナールがルージュのいる房に近付くと、ルージュが嬉しそう
に起き上がる。
出入り口部分の柵の横木を開閉させて、ルージュを外に出すと、
888
レオナールに鼻を擦り付けて来る。
﹁ふふっ、おはよう、ルージュ。さぁ、今日も狩りに行きましょう
か﹂
﹁きゅきゅう﹂
﹁すごいなついてんなぁ、そいつ﹂
ダニエルが感心したように言う。
﹁そりゃ、どんな生き物も餌をくれる人にはなつくでしょ?﹂
ルージュの鼻先を撫でながら言うレオナールに、ダニエルは肩を
すくめた。
﹁そういうもんかねぇ。でも、お前だって満更じゃねぇだろ?﹂
﹁そうねぇ。子供で、お腹空かせてなくて、怪我もしてなかったら、
迷わず斬りに行ってたと思うけど﹂
﹁うん? お前、ドラゴン斬れる自信あるのか?﹂
﹁自信はなくても、機会があれば斬りに行くでしょ?﹂
﹁あー、まぁ、そうかもしれないが、お前にはまだ早いだろう。自
分でもわかってるんじゃないか?﹂
﹁確かにまだ斬れそうにないわね。斬ろうとしても、ルージュの体
表に弾かれる内は、全然よね﹂
889
﹁当てた事はあるのか?﹂
﹁一度だけだし、かすっただけよ。距離が近くて、一瞬ヤバイかな
と思ったけど、ここで振らないと逃がすと思って振ったら、ちょっ
と。
どうも同時に同じ獲物狙っちゃったみたいで。肝心の獲物は、一
歩遅くてルージュが倒しちゃったけど。
最近は狙う獲物は最初に分けて、相手の担当分には手を出さない
事にしたから、大丈夫よ。
早い者勝ちにしちゃうと、どうしても最後の数匹は狙いが被りや
すいのよね﹂
﹁同士討ちとか、人間相手だとちょっとでもうっかり攻撃当てると、
かすっただけでもトラブルの元になるからな。今の内に練習しとけ
よ﹂
﹁もう大丈夫だって言ってるでしょ。ニアミスしそうになっても、
寸止めも出来るから、問題ないわ。
最初は私の方が足が速かったけど、この子、最近どんどん動きが
良くなってるから、今は同じくらいじゃないかしら。
速度や距離を読み間違わない限り、絶対やらないわよ﹂
﹁ふうん。間違って俺に当てるなよ? 一応避けるけど﹂
﹁そう言われると当てたくなるわね﹂
﹁お前、本当、無駄に負けず嫌いだなぁ﹂
ダニエルは声を上げて笑った。東門を出た後は、駆け足で林の中
890
を駆けた。
﹁ルージュ、どっち?﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
尻尾を振り上げ、南東を指し示す。
﹁了解! ガンガン行くわよっ!﹂
レオナールはそう言って、速度を上げた。南東へしばらく進むと、
小川が見えて来た。
そこには、森鹿と呼ばれる魔獣が十数頭ほど、水を飲んでいた。
少し手前で速度を落とし、その背後へ忍び足で近寄り、抜刀する。
首を両断される若い雌。森鹿たちが高い鳴き声を上げ、一斉に駆
け出した。その正面にルージュが回り込み、咆哮する。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
数頭ほどが動きを止め、残りは動きが鈍くなる。だが、ルージュ
が駆け出すと、一斉に散開し、バラバラに逃げ出した。
動きの悪い3頭ほどを、レオナールが擦り抜けざまに斬り、ルー
ジュが特に大きめの個体を狙って前足を振り下ろし、2頭ほどを倒
し、そこで動きを止めた。
森鹿の群れは一気に速度を上げて逃走していった。レオナールは
それを見送って、血振りをし、剣を鞘に納めた。
﹁きゅう﹂
ルージュがレオナールにお伺いを立て、レオナールが頷き、許可
891
を出す。ルージュが飛びつくように、自分が仕留めた森鹿にかぶり
付いた。
そこへダニエルがレオナールに近付いた。
﹁いつもこんな感じなのか?﹂
﹁そうよ。今日は森鹿だったから、加減したけどね。ロラン周辺だ
と、なかなか見つからないのよね﹂
﹁まぁ、この環境だと、ロランよりは多そうだよな。とはいえ、ど
っちかって言うと稀少な方だろうが。ハンターの獲物としても狙わ
れやすいだろうしな﹂
﹁森鹿肉って、結構おいしいものね﹂
﹁そうだな、魔獣の中では比較的高値で取引されてる方だろうな。
高く売れる状態で狩るのは、難しいだろうが﹂
﹁生息数だけの問題じゃなくて、逃げやすいから?﹂
﹁そうだな。動きも速い方だしな。何より頭が良い。今回ここで狙
われたから、少なくとも一月以上はこの場所には来ないだろう﹂
﹁そうなの?﹂
﹁そうやって、敵から逃げては餌場や水場を変えまくるから、場合
によっては、次の餌場が見つからずに群れが全滅する事もある﹂
﹁えー、何それ﹂
892
﹁とは言えそれは冬期の話で、この時期にはないし、ここみたいに
餌が豊富なら、もしかしたら冬でも大丈夫かもしれない。
動ける範囲も、餌場も水場も山ほどあるからな﹂
﹁アランが好きな薬草とかもいっぱい採れそうよね﹂
﹁ハハハ、俺たちは見てもサッパリだけどな﹂
﹁見たって、全部同じ草にしか見えないもの。においは覚えられた
としても、名前と効能が覚えられないからサッパリだわ﹂
﹁興味なけりゃ、そんなもんだ﹂
ダニエルがうんうんと頷きながら言う。
﹁で、師匠から見て私の腕はどうなのよ?﹂
﹁だから昨日も言っただろ。﹃やっとまともに剣を振れるようにな
った駆けだし﹄だって。
刃の使い方がわかってなくちゃ、まともに斬ることなんか出来や
しないし、身体が出来てなけりゃ、まともに剣は振れない。
狙った獲物が斬れないなら、それは振り方が悪いか、刃の使い方
が悪いか、獲物または武器が悪いかだ﹂
﹁この前のゴブリンキングの時に、最初のナイトとの戦闘、ちっと
も当てられなくて、避けられまくったのよね。別に相手が見えてな
いわけじゃないし、間合いが遠かったわけでもないのに。
威力を犠牲にして速度上げて、狙いを変化させるようにしたら、
当たるようにはなったけど﹂
893
﹁そりゃ、あれだろ。お前の剣筋が素直過ぎたり、単純過ぎるから
だろう。ここを狙ってます、てのが丸わかりじゃ、避けて下さいっ
つってるようなもんだろうが。
確かに全力で力一杯振るのは気持ち良いだろうが、素振りならと
もかく、ちょっとでも知能のある魔獣・魔物相手に、真正面からそ
れじゃ避けられても仕方ない。
一撃必殺は決まるとすげぇ楽しいから、気持ちはわからなくはな
いけどな。
敵に視認されない速度で振れないなら、直に急所狙うのはやめと
け。動き止めたり鈍らせたり、弱らせてからにしろ。
敵に自分の思惑や意図を悟られないよう、目線や身体の動きでフ
ェイク作って騙すのも良い。攻撃すると見せかけて、タイミングず
らす、とかもな。
もしかして、対人戦が足りないのか? もっと頭使って剣を振れ。
じゃなきゃ相手に気取られないように、忍び寄って不意打ちで先制
攻撃で一撃必殺または重傷負わせるしかねぇだろ?﹂
﹁⋮⋮つまり、剣筋が読まれてたから、避けられたのね。速度では、
絶対私の方が勝ってたはずなのに﹂
﹁悔しいか?﹂
ダニエルが尋ねると、レオナールは頷いた。
﹁でも、次にゴブリンナイトと対峙した時は、あんな事にはならな
いわ。前回はルージュの支援・補助がなければ、無理だったけど、
次こそは独力で倒してやるんだから﹂
﹁その気持ちがあって、原因がわかったんなら、次はどうすればわ
かるよな?﹂
894
﹁師匠、練習に付き合ってくれるわよね?﹂
﹁良いぞ。んじゃ、今日はあれか、斬り合いよりそっち重視か?﹂
﹁力じゃ負けるけど、剣速勝負もしたいわ。あと命中精度も﹂
﹁それもまだ無理だろ。︽疾風迅雷︾なんて呼ばれてて、お前みた
いなガキに、剣速や動きの速度で負けてたまるかっつうの。
でも俺が見えない速度で動いちゃ可哀想だから、適当に手を抜い
てやるから、安心しろ。
当たりそうで当たらない速度の方が、楽しいだろ?﹂
﹁その言い方、ムカつく。油断してるとこに当ててやる﹂
ニヤニヤ笑って言うダニエルに、ムッとした顔のレオナールが呟
いた。
﹁おう、当てられるもんならな!﹂
楽しそうな笑顔でダニエルは言った。
◇◇◇◇◇
昨夜は早めに就寝したので、アランは起きて身支度を調えると、
早速報告書の作成、とりまとめに掛かった。
まずまとめるのはコボルトの巣関連である。︽黒︾という暗殺者
や、︽混沌神の信奉者︾の項目は別紙にまとめるつもりで、除外す
895
る。
まとめている最中に、ふと、討伐したコボルトの数が多すぎるの
ではないかという事に気付いた。
︵まぁ、巣の中に転移陣があって、その対になるものがあそこで見
つからなかった、という事は、他から送られて来たって事になるわ
けだが︶
巣の外で倒したコボルトの数が合計28匹。巣の内で倒した数は、
300匹前後。
いくらフェルティリテ山とそのすそ野の山林に餌が多く実り豊か
であっても、全てのコボルトが常時巣にいたとは思えない。
ここ3ヶ月で、近隣の魔獣や魔物の生息数や生息域に、大きな変
動がないとなれば、なおさらだ。
︵なら、いったい、どこからそのコボルト達は送られて来たんだ?
そして、どこに生息していた?︶
アランはゾワリ、と背筋に寒気が走るのを感じた。転移陣を早々
に潰した事には、後悔はない。
どう考えても、レオナールと二人きりでは、あれを潰さずに全て
のコボルトおよび敵を倒せたとは思えない。
仮に、転移陣の対になる場所の確認をしなかったのが、誤りだっ
たとしても、自分たちにはそれを確認できるだけの戦力や余裕はな
かった。ダニエルが同行していたなら、話は別ではあったが。
あの魔術師風の男が現れたのは、転移陣を使用不可能にしたから
だろう。あの男は転移陣の確認に来たのだ。男は徒歩だった。
という事は、最初の転移陣を潰してから移動できるくらい近くに
いた、あるいはそのくらい近くに別の転移陣があったのだろう。
896
︵それはいったい何処だ?︶
男がラーヌから来たのであれば、然程問題ではない。門を通って
はいなかったとしても、手掛かりが皆無という事はないだろうし、
掃討や探索にかかった時間を考えれば、魔術師にしては移動時間が
短いが、不可能というレベルでもない。
︵もしかしてマズったか?︶
いや、しかし、男はまだ生きているはずで、おそらくダニエル配
下の者により尋問が行われているだろう。
︵朝食時にでもおっさんに聞いてみるか︶
アランは頷き、報告書の続きに取り掛かった。
897
18 剣士は林に狩りを楽しみ、魔術師は報告書を記しながら思
案する︵後書き︶
ちょっと短いです。すみません。次回報告その他。
以下修正。
×フル装備
○完全装備
×臭い
○におい
898
19 剣士の師匠は魔術師の逆鱗に触れる
﹁おはよう、おっさん、レオ﹂
レオナールとダニエルが宿屋に戻ると、1F食堂でアランが待っ
ていた。
﹁おはよう、アラン。不機嫌そうね﹂
﹁おう、おはよう、アラン。なんかブッサイクな顔してんな? ど
うした?﹂
﹁不細工とか余計だ。着替えたら、朝食食うだろ?﹂
﹁えっ、アランってば、俺にメシ抜きで、レオと真剣でやり合えっ
ての? それはキッツくねぇ?﹂
大仰に肩をすくめるダニエルに、アランがギロリと睨む。
﹁いつ、誰がそんな事を言った。勝手な脳内変換するなよ、おっさ
ん﹂
ダニエルはアハハと笑いながら、ポンとアランの肩を叩いて言う。
﹁やだなぁ、アラン。ちょっとした冗談じゃないか! 目くじら立
てちゃイヤン﹂
ダニエルがウィンクする。
899
﹁なぁ、レオ。朝食済んでも、すぐには行かないんだろう?﹂
﹁え? そうね。ええと、ジャコブからの連絡では、いつだったか
しら?﹂
﹁鍛錬場のことなら、二つ目の鐘から使えるって話だったな﹂
﹁らしいわよ﹂
﹁⋮⋮お前、どうしてそういうのを、覚えられないんだよ﹂
﹁聞いても、何故かすぐ忘れちゃうのよね。不思議だわ﹂
﹁いや、俺の方が不思議だよ﹂
﹁まぁ、でも、これじゃ、レオに大切な用件一人で聞かせるのは、
危険だわな。だけど、これ、ちゃんと対策した方が良くないか?﹂
﹁前に、大切な用件はメモしとけって言ったはずなんだがな﹂
﹁記憶にないわね﹂
レオナールは肩をすくめ、アランは溜息をついた。
﹁これだもんな。まぁ、良い。報告書まとめてるんだが、お前の意
見も聞いておきたい。
あと、おっさんにも聞きたい事っていうか、直接じゃないけど確
認しておきたい事あるんだが﹂
900
﹁うん? 何だ?﹂
﹁いや、後で良い。早く汗流して、飯を食いたいだろ? だからそ
の後で、少し時間取ってくれると有り難い﹂
﹁了解。アランに頼まれ事されると、ちょっと嬉しいな﹂
﹁いや、報告書書くのに必要な事を、いくつか聞きたいだけだから
な。一部は例の魔術師関連だし﹂
﹁あー、それか。悪ぃ、それ、丸ごと全部、俺に預からせてくれな
いか? ギルドへの報告は控えた方が良い﹂
﹁え?﹂
アランは驚き、目を見開いた。
﹁丸ごと全部って、襲撃された事とかか? でも、あいつ、絶対今
回の巣の件に関わりがあるはずなんだが。
転移陣描いたのはあいつじゃないにせよ、俺達が破壊したから、
確認のために現れたとしか思えないし、あいつが何処から、どの時
点で俺達に気付いて移動したのとか、後日調査しないと危険じゃな
いか?
尋問では聞き出せなかったが、たぶんあいつら、魔物の強化ある
いは、低ランク冒険者の磨り潰しか消耗を狙っている。
でなけりゃ何らかの実験か、練習だ。今回はコボルトで、前回は
ゴブリンだったが、次回はもっと強い魔獣・魔物かもしれない。そ
うなってからじゃ遅い。おっさんならわかるだろう?﹂
﹁なら、わかってるよな、アラン。もし仮にそうだとしたら、お前
901
の手に負える事態じゃないって事も﹂
ダニエルが真顔で答えた。アランは思わず息を呑んだ。
﹁⋮⋮だっ⋮⋮でもっ⋮⋮!﹂
﹁まぁ、お前の気持ちはわからなくはないぞ? 自分が関わった依
頼で、実際対峙した相手で、だから最後まで関わりたいとか、調べ
たいとか、真実を突き止めたいとか思うのは、自然な事だ。
でも、自分の手に負える事かどうか、考えてみろ。中途半端に関
わって、でも、自分の手には負えませんでしたってなるのと、今の
時点で手を引くのと、どちらがマシだ? どちらが最善だと思う?﹂
﹁⋮⋮っ!﹂
たしなめるような口調のダニエルに、アランは悔しそうに、唇を
噛む。それを見て苦笑したダニエルが、アランの頭をゆっくり撫で
た。
﹁悪ぃな、横からかっさらってくみたいな事になって。けどまぁ、
悪いようにはしねぇから、安心しろ﹂
最後にポン、ポンと叩いて、手を離す。
﹁今日辺り、その件とか関連について調査する人員が、王都から来
る予定だ。だから、ギルドへの報告はそいつが着いてから頼む。
あと、捕まえた二人に関しては、報告書には勿論だが、後に残る
物には何一つ書き残すな。
既に書いた物があるなら、焼却処分するなりして、誰にも見られ
ないようにしろ﹂
902
﹁え? なんだよ、それ。どうしてそこまで⋮⋮﹂
﹁あー、後で話す。こんなとこで話せる内容じゃないからな﹂
ダニエルの言葉にハッとして、アランが周囲を見回す。数は少な
いが、ポツポツと宿泊客が、朝食を取るために集まって来ている。
商人や冒険者などが主だ。
﹁悪い、俺。気が回ってなくて﹂
﹁気にすんな。たいした事は言ってねぇしな。そんな事より、メシ
だ、メシ。さっさと着替えて来るから、ちょっと待ってろ!
っておい、レオ? 何故椅子に座ってるんだ?﹂
レオナールはアランの隣に腰掛けて頬杖をついている。
﹁うん? お腹空いたから。朝食注文しといたわよ、三人分﹂
﹁え? 鎧は? っていうか汗かいたんじゃないのか?﹂
怪訝そうに尋ねるアランに、レオナールは答えた。
﹁そうなんだけど、我慢できる気がしないもの。先に食べるわ﹂
﹁お前がそれで良いなら、別にかまわないが、今日はそんなにハー
ドだったのか?﹂
﹁えっ、そんな事はねぇだろ。森鹿6頭に、角猪1頭しか狩ってな
いし。移動が駆け足だったくらいで、疲れたとか言わねぇだろ?﹂
903
ダニエルも不思議そうに首を傾げる。
﹁普通は十分疲れる内容だと思うが、いつもはもっと、大量に狩っ
てるよな?﹂
﹁成長期だから、運動するとお腹が空くのは仕方ないわよね!﹂
﹁疲れたとかだるいとか、そういう理由じゃないなら良いけど、身
体や体調に違和感あるようなら、ちゃんと言えよ?﹂
﹁大丈夫よ。心配性ね、アラン﹂
レオナールが肩をすくめた。
﹁はい、お待ち﹂
そこへ宿屋のおかみが、角猪肉のソテーの大盛りをテーブルに置
く。どう見ても三人前には見えない││少なくともその倍の人数分
に見える││が、置かれた。
取り皿は三枚、並べられたフォークも三本である。一瞬、硬直し
て、それを見つめたアランだったが、
﹁注文はこれで良かったね﹂
﹁ええ、有り難う。おいしそう﹂
﹁ははっ、そりゃ良かった。たくさんお食べよ﹂
そう言って、おかみが背を向けて厨房へ向かうのを見て、ハッと
904
我に返る。
﹁おい、お前、まさか肉しか頼まなかったんじゃないだろうな﹂
﹁肉だけよ。アラン、朝食は軽めで良いのよね?﹂
きょとんとした顔で、レオナールが聞く。
﹁⋮⋮最低限、パンと野菜くらいは付けろ、このバカ!﹂
アランが低い声でレオナールに怒鳴り、慌てておかみを追いかけ、
パンと野菜と軽めのスープの追加注文をした。
﹁アランってなんで、あんなに短気なのかしら﹂
呟くレオナールに、ダニエルが呆れたような顔になる。
﹁だから、お前、肉以外も食えって言ってるだろ、レオ。っていう
か、若いってすごいな。この量を朝から食うのか。
俺も結構食う方だと思ってたけど、お前には負けるよ﹂
﹁三人分のつもりで頼んだんだけど、多かった?﹂
﹁うーん、お前、ちょっと、他人の食べる量とか覚えておいた方が
良くないか?﹂
肩をすくめるレオナールに、前髪を掻き上げながら、ダニエルが
言った。
905
◇◇◇◇◇
朝食後、三人はレオナールとアランの宿泊する部屋へと移動した。
宿の下働きの少年が、水の入ったたらいを部屋へ運ぶ。
アランが一人だけ、書き物机に座り、レオナールとダニエルが床
に座り込んで、剣帯や鎧などを外す。
﹁⋮⋮で、レオ。俺とおっさんが念のため外を確認中、あの︽黒︾
とかいうやつに襲われた以外、何らかの異変とか異常とかあったか
?﹂
﹁ないわよ。コボルトが矢を射って来たけど、全部ルージュの鱗に
弾かれて、こっちには来なかったし、通路いっぱいルージュの身体
が塞いでいたから、コボルトたちは1匹も来なかったし。
たまに近付くやつがいても、自滅してたしね﹂
﹁了解﹂
サラサラと書き込んで、最後に自分の名前を署名する。
﹁一応これ、後でレオも確認して、最後に自分の名前を書いてくれ﹂
﹁わかったわ﹂
﹁その前に俺が見てもかまわないか?﹂
ダニエルが尋ねると、アランが頷いた。
﹁ああ、かまわないが。⋮⋮もしかして、おっさんの駄目出し食ら
906
ったら、書き直しか?﹂
﹁︽黒︾と︽混沌神の信奉者︾の襲撃に関しては書いてないんだろ
う?﹂
﹁ああ。コボルト討伐と、その巣を塞いだ事と、行き先不明の転移
陣があったが、放置するとコボルトやらゴーレムやらが転移してく
るから全部潰しましたって内容になってる。
他に書きようがないからな﹂
﹁それなら書き直す必要はないだろう。でも、一応目を通しておき
たいからな﹂
アランの眉間に皺が寄った。
﹁なぁ、おっさん。もしかして、俺が今まで書いた報告書、少なく
ともオルト村ダンジョン辺りからの内容、知っているのか?﹂
﹁おう。王都支部から回って来たやつの写しを見た﹂
﹁俺、冒険者ギルドに出した報告および報告書って、基本的に部外
秘だと思ってたんだが﹂
﹁部外秘だぞ?﹂
ダニエルが頷き、アランの眉間の皺が深くなった。
﹁⋮⋮で、どうしておっさんがその写しを目にする機会があったん
だ? オルト村ダンジョンの追加調査は︽静穏の閃光︾ってAラン
クパーティーに依頼されたんだろう?﹂
907
﹁誰に頼めば良いかって打診されて、俺が推薦しといた。子飼いの
連中で適当なの見繕っても良かったんだが、今はパーティー単位で
動けそうなのはいなかったんでな。
あ、そうそう。王都ギルドで名誉顧問とかいう名ばかりの役職貰
ってるんだ、俺。これといって決まった仕事はないし、報酬も出来
高払い的な、雀の涙だがな!﹂
﹁それ、初耳なんだが﹂
﹁おう、王都に行ったら頼まれてな! 別に損になる事もねぇから
受けといた。やっぱギルドの情報網はでっかいからな。
依頼受注リストと報告リストのまとめを毎月貰って、気になった
とこだけ、写しを貰う事にしてるんだ。さすがに全部に目を通すの
は無茶だからな。
実は、お前らの初依頼から読んでる。俺の部下が、お前を勧誘し
たいつってたぞ。俺が断っておいたが。
お前、やっと念願の冒険者になったのに、王都で事務系の仕事と
かしたくねぇだろ?﹂
﹁俺は魔術師になりたくてなったのに、どうしてそんな勧誘が。俺、
そんなに魔術師向いてないか?﹂
﹁そんなことはねぇと思うけどな。ま、お前の筆記は見目も良いし、
報告書の内容や書き方も、見やすい上にわかりやすいからな。
簡潔だけど、必要な事は全部記載されてるってのも高評価らしい
ぞ?﹂
﹁⋮⋮複雑だ﹂
908
アランは渋面になった。
﹁それに比べ、レオナールの書く文字は、本当ひどいよな! アラ
ンに習って、書き取りの練習した方が良いんじゃねぇの?﹂
﹁判別できれば良いのよ、判別できれば﹂
レオナールがツンとした顔で言う。読めれば、じゃないところが
ミソである。アランが頭痛をこらえるように額を押さえる。
﹁あー、それに関しては俺もどうにかしてやりたいと思うんだが、
何度教えても、ペンの握り方がおかしいんだ。
スプーンやフォークはちゃんと使えるようになったんだが、どう
して同じようにペンが握れないのか、俺も本当不思議で。
正直、あの握り方で、ちゃんと線が書ける事が不思議だ﹂
﹁いや、線って、おい。⋮⋮確かに定規を引いて書いたみたいな署
名だったが、あれ、文字として見たらおかしくないか? 大きさも
ばらついてるし、毎回微妙に違うし﹂
﹁一応、角度はだいたい同じだろう? 文字の大きさとかバランス
取る事までさせると、書類が何枚あっても足りないから、読めなく
ても誰が書いたかわかるレベルなら、マシなんじゃないかと思うん
だが﹂
﹁なあ、お前ら二人とも、それで良いのか?﹂
ダニエルが不思議そうな顔になる。
﹁別に良いじゃない。署名って誰が書いたか、わかれば良いんでし
909
ょう?﹂
レオナールが面倒臭そうに肩をすくめた。
﹁一応知らないやつが見ても、読めた方が良いと思うけどな﹂
﹁署名に関しては、何度も書いてる内に覚えるだろうから、その内
なんとかなるだろ。大丈夫、時間はいくらでもある。
いくらレオでも、毎回書いてるんだから、少しずつでも全く上達
しない事はないだろう、たぶん﹂
アランが半ば諦念の表情で頷いた。ダニエルは呆れたような顔に
なったが、それ以上言うのはやめたようである。上衣を脱ぎ捨て、
たらいに浸けておいた布を絞って、身体を拭う。
レオナールは装備を全て脱ぎ終え、新しい着替えを取り出し、自
分のベッドの上に置いてから、同じように布を手に取った。
﹁髪を洗うのは後にした方が良いかしら?﹂
﹁どうせまた汗をかくだろう? 好きにすれば良いが﹂
﹁洗うのは良いけど、乾かすのがちょっと面倒なのよね。うーん、
耳の下くらいの長さに切りそろえた方が良いかしら?﹂
﹁うん? 切るのか? 俺はその金髪、結構好きなんだが﹂
﹁師匠は金髪碧眼の女の人が好きよね。⋮⋮何、私の性別間違えて
ないわよね?﹂
ダニエルの言葉に、レオナールがジットリとした半眼になる。
910
﹁いやいや、わかってるから! そういう意味じゃなくて、絹糸み
たいに細くてサラサラしててキレイじゃないか。
光を浴びると、キラキラ光って見えて、動いてると更にキラキラ
して、見てるとなんか、良いよなって気分に⋮⋮﹂
﹁それ以上何か言ったら、闇討ちするわよ﹂
レオナールが無表情でボソリと言った。
﹁す、すまん⋮⋮﹂
﹁おっさんが金髪コンプレックスか、フェチなのはわかった。そう
言えば︽静穏の閃光︾にいた女魔術師も金髪碧眼だったよな﹂
﹁い、いや、別にそういう理由で推薦したわけじゃないぞ!? だ
いたい、子供に興味はない!!﹂
慌てて弁明するダニエルに、アランとレオナールが白い目を向け
る。
ブ
﹁そういや、おっさん。アドリエンヌって名前に聞き覚えないか?﹂
﹁うん? 知らないな。記憶にはないが﹂
ダニエルの返答に、アランが溜息をついて、瞑目する。
ルネット
﹁王都の魔法学院の講師補佐で、古代魔法語のスペシャリストの褐
色髪の美女なんだが、本当に全く覚えてないのか?﹂
911
﹁魔法学院の講師補佐? そんな肩書きのやつには、会った事ない
な。で、それがどうしたんだ?﹂
ダニエルはきょとんとした顔をしている。本気で記憶にないらし
い。
﹁クロードのおっさんが言うには、彼女が十代の頃に、おっさんに
告白したら、酷い振り方されたって話なんだが﹂
﹁そうなのか? いやでも、ほら、俺、良くモテるからな! そう
いうのは日常茶飯事だし、しかし、酷い振り方ねぇ。悪ぃ、全然記
憶にねぇわ。勘違いじゃないか?﹂
ダニエルにケロッとした笑顔で言われ、アランの眉間に深い縦皺
が何本も入った。
﹁おっさんは一度、死んだ方が良くないか?﹂
アランの感情を押し殺した低い声に、ダニエルがギョッとした顔
になる。
﹁えっ、なんでだよ? ってか、おい、どうして怒ってるんだ、ア
ラン﹂
﹁まぁ、アランが怒るのは仕方ないわよね。詳しくはクロードのお
っさんに聞いてみれば良いわ。アランに無茶振りしたのは、あの人
だから﹂
﹁えぇっ? それ、俺関係なくねぇ?﹂
912
﹁それも確認してから判断した方が良いと思うわよ? 私は別にど
うだって良いけど。これ以上、絡まれなきゃね﹂
レオナールは肩をすくめた。
913
19 剣士の師匠は魔術師の逆鱗に触れる︵後書き︶
というわけで、ダニエル本人は、悪気なし&記憶なし。
思ったより長くなったので、報告次回です。すみません。
以下修正。
×装備を全て脱ぎ終え、鎧の下に着ていた
○︵上記削除。ダニエルは装備なしだったの失念してました↑どあ
ほう︶
914
20 更に剣士は絡まれ、囲まれる
レオナールとダニエルは、身支度および着替えを終えて、防具や
剣の簡単な手入れをしている。
その傍らで持参した茶を淹れながら、アランがダニエルに尋ねた。
﹁で、結局、どうしてあの二人の事に関しては、メモすら残しちゃ
いけないんだ?﹂
﹁アラン、お前、︽混沌神の信奉者︾に関して、どのくらい知って
いる?﹂
ダニエルが鎧を布で拭いながら、聞く。
﹁二十年程前に、王都に魔物を呼び寄せて王国転覆を狙ったり、三
年前に貧しい平民や自由民の女子供を誘拐したり、複数の人身売買
組織から買い取ったりして集めたり、二年ほど前に、ウル村郊外で
生贄の儀式を行っているのが発見された、という話だな﹂
アランの声が最後だけ若干低く、小さくなった。そんなアランを、
チラリと横目で見たレオナールが、肩をすくめて言う。
﹁ねぇ、アラン。私は気にしないわよ?﹂
﹁⋮⋮お前はそうだろうけどな、俺としては、あの時のお前の姿は、
一生忘れられそうにねぇよ﹂
アランが呟くような声で言い返した。ダニエルが溜息をついて、
915
立ち上がり、ガシガシとアランの頭を撫で、ついでとばかりにレオ
ナールの頭も撫で回す。
﹁ちょっ! 目に髪が入る!!﹂
ダニエルの腕を振り払って、レオナールが髪を梳かし直す。
﹁まっ、あの時のレオは薬で眠らされてたし、アランは正気だった
上に、何も知らず覚悟もなく見ちまったから、仕方ねぇよな。
念のため知り合いの治癒師と神官呼んでなかったら、死んでたん
だぞ、お前﹂
﹁記憶ないから、そんな事言われてもサッパリだわ。目が醒めた時
には、傷は全部治って動けるようになってたもの﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁⋮⋮あれ、見る前までは、平気で鶏絞めたり捌いたりして、料理
できたんだけど、あれ以来、血や内臓を見ると、思い出しそうに﹂
アランが青白い顔で言うのを見て、
﹁悪ぃ﹂
ダニエルが謝った。
﹁あれは子供に見せるようなもんじゃなかったよな。俺もあそこま
では予測してなくて、うっかりしてた。
アランが着いて行きたいと言った時に、断れば良かったと、俺も
反省してるよ﹂
916
﹁いや、それ自体は後悔してないからな! それに、必要となれば、
ちゃんと魔獣や魔物の腹もかっさばけるし、討伐証明部位の剥ぎ取
りも出来るんだ。別に生活に支障は出ていない。
まぁ、生きてるやつのは無理そうだが、魔術師に近接戦闘は期待
しないだろ?﹂
﹁アランみたいに、ひ弱な人にやらせるわけないでしょ? ただコ
ボルト程度の攻撃は、避けられるようになってくれないかとは思っ
てるけど﹂
﹁防御系魔法の必要性は、常々感じているよ。修得する機会があれ
ば、借金してでも修得するつもりだから、安心しろ﹂
﹁さすがに借金はやめた方が良いだろ。って言うか、シーラのやつ、
防御系教えてないのか?﹂
﹁俺が使えるのは、︽炎の矢︾︽炎の壁︾︽炎の旋風︾に︽岩の砲
弾︾、︽灯火︾︽解錠︾︽施錠︾と︽束縛の糸︾︽鈍足︾︽眠りの
霧︾の十個だけだ。
風系は攻撃・支援・防御・その他全て習ったけど、文言は正しい
のに、何故か発動しなかったから諦めたんだ﹂
﹁文言が正しいなら、普通は発動するんじゃないのか?﹂
ダニエルが不思議そうな顔になる。
﹁シーラさんが言うには、イメージが足りてないんじゃないかって。
確かに書物を読むだけじゃ、想像し難いんだよな、風系魔法﹂
917
アランの言葉に、ダニエルが眉根を寄せる。
﹁おい、ちょっと待て。お前、今、お前、何かおかしな事言わなか
ったか? 書物を読むだけって⋮⋮なぁ、実際に発動した魔法は見
た事ないのか?﹂
﹁シーラさんは、古代魔法文字の読み方・発音や意味は教えてくれ
たけど、実演はしてくれなかったな﹂
﹁⋮⋮あー、普通の魔術師は、師匠の発動した魔法を実際、自分で
見聞きして、何度も練習を繰り返して、魔法を修得するんだが﹂
﹁え⋮⋮っ?﹂
大きく目を見開き、硬直したアランに、ダニエルが気まずげな顔
で言う。
﹁そもそも、魔術を教えたり修得したりするのに、書物を読むだけ
って、かなり魔法・魔術に習熟していて、古代魔法語の知識があっ
て自信があるやつか、専門の研究者くらいしかいないぞ?
それだって、初歩の魔法や最初に修得した魔法は、そんな無茶な
覚え方してないと思う。それって、シーラが魔法を発動できなくて、
そうしてたのか?﹂
﹁えっ⋮⋮いや、全く使えないというわけじゃなさそうだったけど
⋮⋮?﹂
アランが思い出しながら答えると、ダニエルがうーむと唸った。
﹁あいつ、性格けっこう悪いからなぁ⋮⋮冗談でやったら、あっさ
918
り修得されて、引っ込みつかなくなったか、悔しくなって、そのま
ま続行したとか? 十分あり得そうだな⋮⋮。
悪ぃな、それ、普通の修得方法じゃねぇわ。たぶん、普通の魔術
師が覚える方法だったら、普通に使えるようになると思うぞ?
文言を正確に覚えてるなら、問題ない。たぶん、実際誰かが使う
とこ見たら、あっさり修得できるだろう﹂
﹁えっ、そうなのか?﹂
﹁お前がちゃんとした魔術師に、普通のやり方で習いたいなら、紹
介してやれるぞ。
ロランに知り合いの魔術師はいないが、確かこの町ならアネット
婆さんがいたはずだからな!﹂
﹁あ、そのアネットさんって、この町の冒険者に大銀貨1枚で初級
の回復魔法を伝授してくれるって、昨日教えられたんだが﹂
﹁初級回復魔法で、大銀貨1枚? 相変わらずボッてるなぁ。それ、
俺の紹介状で、半額以下になると思うぞ。他の魔法教わっても、た
ぶんお釣りが来る﹂
ダニエルが言うと、アランの急に目がキラキラしたものになる。
﹁本当か!? おっさん!!﹂
﹁お、おう。あの婆さんが俺を覚えていれば、間違いない。もし、
忘れたとか言いやがったら、﹃ブラックドラゴンの牙と鱗の代金を
払え﹄って言ってやれば、言う事聞いてくれるはずだ﹂
﹁有り難う、ダニエルさん! 俺、初めて、あんたを心から尊敬し
919
た!! あんたにも、ちゃんと使えるコネってあったんだな!!﹂
嬉しそうに、若干頬を紅潮させ、興奮した口調で、満面の笑みを
浮かべた少年のような顔のアランに、ダニエルは困惑する。
﹁お、おう。なんか色々引っかかる事はあるが、そんなに喜んで貰
えるとは思わなかったな。じゃあ、後で紹介状書いて渡す。
まぁ、ちょっと面倒臭いところもある婆さんだが、お前なら大丈
夫だろう。
あ、一応言うけど、レオは連れて行かない方が良いぞ。ろくな事
にならないからな。
あの婆さん、シーラと仲があまり良くないから、シーラの話題も
出さない方が良いだろう﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁ああ。エルフがあまり好きじゃないみたいでな。若い頃にエルフ
とトラブったみたいで、それが原因らしいんだが、地雷っぽいから
深くは聞いた事がない。
お前もそれについては、触れない方が良いと思うぞ。あの婆さん、
ヒス起こすと会話できなくなるからな。
元は小身貴族出身らしくて、実は結構礼儀作法とか気にするタイ
プだから、最初から敬語で行った方が、受けは良いだろう。
気に入られれば、わりと面倒見は良い方だから、損はないはずだ﹂
﹁わかった、有り難う。いや、本当、助かる!﹂
ニコニコしているアランに、ダニエルが苦笑しつつも、頷いた。
﹁いや、別にたいした手間じゃないからな﹂
920
そんな二人に、レオナールが首を傾げながら、尋ねる。
﹁ところで、師匠。︽混沌神の信奉者︾がどうのって話、途中じゃ
なかった?﹂
﹁ああ、それな。別に隠す事じゃねぇし、たぶんその内バレると思
うから言っておくが、それについての調査をしているんだ。一応機
密事項だから、人には言うなよ。
で、連中にも、俺が動いているのはバレてるもんだから、ちょっ
と動きにくくてな。
まぁ、王宮に何度も通い過ぎたり、王都でちょっと派手に行動し
過ぎたせいもあるんだが。
それで、ここ一年ちょっとで、幾人かの貴族とかの処罰もしたか
ら、恨みも買ってる。
でも、俺に矛先が向く分には、問題ない。どんなやつが送られて
来ても、大抵どうにかなるからな。
問題は知らずにこの件に関わったやつや、俺の下で働いてるやつ
だな。
部下に関しては割れないように、王宮以外で直接的な接触は避け
てるんだが、それ以外がちょっとキビシイ状態なんだ。
把握出来た分には保護したり、情報や痕跡消したり、努力はして
るんだが、何人か姿が見えなくなったり、死亡が確認されたりして
いるんだ。
で、ロランにはいないけど、他の支部はちょっと怪しいんだよな。
一番怪しいのは、王都支部で、何番目かの候補にラーヌ支部もあ
るんだが、もしかしたらギルド職員もしくは幹部の中に、︽混沌神
の信奉者︾のメンバー、もしくはそれと繋がってるスパイがいる﹂
﹁えっ!?﹂
921
アランは勿論、レオナールも目を見開いた。
﹁だから、証拠になるようなものや、情報が漏れる要因になるもの
は、なるべく残さない方が良い。
書き損じでも、下手に拾われると、厄介な事になるかもしれない
からな﹂
﹁えっ、じゃあ、今後、報告出す時は、どうしたら良いんだ?﹂
﹁ロランでは今まで通りで良い。王都支部も、ギルドマスターとサ
ブマスターは問題ない。怪しいのは顧問と、一部の職員だけだから
な﹂
﹁ああ、候補は一応絞れているんだな?﹂
﹁ちょっと時間は掛かったけどな。いずれ絞り出せると思うから、
その辺は心配するな。俺が直接やってるわけじゃねぇけど、状況報
告だけは聞いている。
クロードやリュカにも協力して貰ってるから、お前らがロランで
活動する分には、支障はないはずだ。
ラーヌでの活動については、俺がちょっと手を回しておくから、
大丈夫なはずだ﹂
﹁え? 何か企んでるのか、おっさん﹂
﹁企むとか、俺が腹黒みたいな言い方すんなよ。ま、お前らが面倒
な事考える必要はねぇって事だ! 大船に乗った気でいろ。
困った事があれば、俺に相談・報告しろよ。俺に直接は無理でも、
クロードかリュカ経由ででもな!﹂
922
ダニエルはカカカと笑って、自分の胸を拳で叩いて、胸を張る。
アランが怪しげな人物を見る目を向けて言う。
﹁いや、おっさんは十分腹黒だろうが。基本、脳筋思考と見せとい
て、演技や誤魔化しなんかも大得意だろ。
酒飲んで酔ってる時は、ただのダメ人間だけど﹂
﹁師匠が面倒なおっさんなのは、今更でしょ﹂
﹁ははは、酷い言いようだな、おい﹂
苦笑しながら、ダニエルは立ち上がった。
﹁じゃ、そろそろギルドの鍛錬場に行くか。アランはどうする?﹂
﹁本当は、レオとおっさんがやってる間に報告しようと思ってたん
だが、後の方が都合良いんだよな?﹂
﹁二度手間になるからな。ま、でも一緒にギルド行くか?﹂
﹁え? でも、脳筋二人の打ち合いとか見てもなぁ﹂
アランが肩をすくめた。
﹁うーん、そろそろ王都からのが来てもおかしくはないんだがな。
何かやりたい事とかあるのか?﹂
﹁特にはないが。報告書も一応書けたし﹂
923
﹁あ、そうだ。それ見せてくれ﹂
﹁ああ、はい﹂
アランが報告書を手渡し、ダニエルがそれをざっと目を通す。
﹁ふぅん。いつも思うけど、ちゃんと細かく地図とか描いててマメ
だよな、お前﹂
﹁きちんと計測してるわけじゃないから、結構おおざっぱに描いて
るけどな。でも、俺以外が見て把握できるように心がけてる﹂
﹁うん、それが結構難しいと思うけどな。おかげでわかりやすくて
助かってる。その調子で真面目に仕事してたら、指名依頼とかも増
えると思うぞ﹂
﹁Fランク相手に指名依頼するような酔狂な人はいないだろう。最
低でもCランク以上じゃないと﹂
﹁で、ランクアップするには、レオにも状況判断できる能力がつか
ないと、って話になるわけだろ?﹂
﹁そんな事言われても、難しい事はサッパリなんだけど﹂
﹁いや、全体について把握しろとは言ってないぞ。俺が言ってるの
は、戦闘時についてだからな。探索時については、これまで通りで
問題ない。暴走されるのは困るけどな﹂
肩をすくめるレオナールに、アランが言う。
924
﹁まぁ、レオは頭で考えるより、身体で覚えるタイプだからな。と
りあえず、いくつか叩き込んで学習させてやるか。慣らしは今朝の
狩りで済んでるだろうから、鍛錬場行ったら、すぐ始めてもかまわ
ないだろう?﹂
﹁望むところよ﹂
レオナールが挑戦的な目つきで、答える。その返答に、ダニエル
が嬉しそうに笑った。
﹁おーし、死なない程度に遊んでやるよ﹂
﹁師匠こそ、ぎっくり腰とかにならない程度に頑張ってね﹂
﹁ははは、面白い事言うなぁ、レオ。翌日筋肉痛で泣くなよ、おい﹂
﹁暑苦しいから、ここで師弟の心温まる挑発会話するのやめてくれ
ないか? 最近ただでさえ気温上がり始めてるのに、更に無駄に室
温が上がるだろ﹂
﹁え? いやいや、俺らが会話したくらいで室温あがったりしない
からな?﹂
﹁暑苦しいのは師匠だけで、私は関係ないでしょ。だいたい、何よ
? 心温まる挑発会話って﹂
﹁文字通りの意味だろ。まぁ、程々に頑張って来いよ、レオ。少な
くとも報告と魔法の修得が終わるまでは、ラーヌに滞在するつもり
だから、今日は別に倒れるまでやってもかまわないけど、怪我とか
はなるべくしないようにな﹂
925
﹁あ、そうか。アネット婆さんの紹介状書いておけば、アランが今
日にでも行けるんだな。なんか紹介状書くのに良さそうな上質な紙
って持ってるか?﹂
﹁うーん、普段持ち歩くのは、あまり上質なやつじゃないからな。
報告書用に使ってるのが、一番良い紙なんだが﹂
﹁これか。んー、ちょっと質は落ちるが、ま、仕方ねぇか。どうせ
アネット婆さん相手だしな。
よっしゃ、ちょっと紙とインクとペン貸してくれ。銀貨1枚で足
りるか?﹂
﹁いや、大銅貨で十分お釣りが来るからな。駆け出しに、そんな高
い紙が買えるわけないだろ﹂
﹁じゃ、大銅貨1枚だな。ちょっと待ってろ﹂
ペンにインクを付け、サラサラと文面を書く。
﹁え? なんかそれ、適当すぎないか? 書き出しが﹃よぉ、婆さ
ん元気か? 俺だ、ダニエルだ﹄とかって何か酷くねぇ?﹂
﹁大丈夫、大丈夫! 逆に、俺が形式張ったキッチリ整った紹介状
なんか書いてみろよ。俺の筆跡を真似た偽物だと思われるのがオチ
だろう?﹂
﹁⋮⋮あー、言われてみればそうかも﹂
アランは納得した。
926
﹁だから、テキトーで良いんだよ、テキトーで。俺からだって確実
にわかれば良い話だしな!﹂
﹁納得したくないが、納得した﹂
アランが渋面で答えた。
◇◇◇◇◇
そして、途中まで同行したが、アランはアネットの家へと向かい、
レオナールとダニエルは冒険者ギルドへと向かった。
﹁よぉ、ジャコブ﹂
﹁おはようございます、ダニエルさん、レオナール。先に宿の方へ
連絡した通り、鍛錬場の予約は取れています。
時間前でも空いているので、使おうと思えば使えますが、どうし
ますか?﹂
ギルドに入ると、混雑のピークは過ぎたとは言え、まだ幾人かの
冒険者達がたむろしており、ダニエルの姿にざわつく者も複数いる。
﹁とりあえず、もうしばらくレオとアランが滞在するみたいだから、
ラーヌ支部の職員や幹部に挨拶しておきたいんだが、今、大丈夫そ
うか?
難しそうなら、後でも良いんだが﹂
927
﹁だっ、大丈夫だと思います。あ、でも、ちょっと確認してきても
良いですか?﹂
﹁おう、かまわないぞ。少なくともギルドマスターとサブマスター
には、挨拶しておきたいと思っている。
時間に都合がつくようなら、顧問のガストン殿とも顔を合わせて
おきたいな。
レオ、お前はどうする? 着いてくるか?﹂
﹁面倒臭そうだから、別に良いわ﹂
﹁ふうん、別に損にはならないと思うぞ? 俺の弟子だって事を宣
伝する良い機会だ。面倒事になる率が下がると思うぞ?﹂
﹁かえって別の面倒事が来そうじゃない。どうせそんなお偉いさん
と顔を合わす機会なんて、そうそうないんだから、問題ないでしょ
?﹂
﹁ま、どっちでも良いけどな。じゃ、お前は先に鍛錬場行くか?﹂
﹁そっちの方が良いわね﹂
﹁そうか。ってなわけで、頼めるか?﹂
ダニエルがジャコブに尋ねると、ジャコブが頷き、隣の席の女性
職員に、ギルドマスターに連絡するよう告げる。
﹁ちょっと待って下さい﹂
そうして受付の外へ扉をくぐって回って来た。
928
﹁先触れは出したので、鍛錬場を回ってから、応接室へ案内します﹂
﹁了解﹂
そしてジャコブは、地下1階奥の鍛錬場へ案内し、レオナールを
そこに残して、2階の応接室へダニエルを案内した。一方、残され
たレオナールだが。
まずは、とバスタードソードを抜き放ち、素振りを始めた所で、
鍛錬場の扉が開かれた。
腕を止めて、そちらを見るレオナールの前に、五人の冒険者が乱
暴な足取りで現れる。
﹁おい、お前! 見ない顔だが、いったいダニエルさんといったい
どういう関係だ﹂
剣呑な目つき、あるいは怪しい者を見るような訝しげな目つきで
見られているようだが、武器を抜いて襲いかかりそうな人物はいな
い。
一名だけは弓術士なようだが、それ以外は全員、いかにも戦士ま
たは剣士といった装備の男達である。
それを確認して、レオナールは無言で素振りを再開した。
﹁おい、聞いているのか!?﹂
リーダー格と思われる、一番体格の良い大剣遣いが、激昂する。
だが、レオナールは柳に風とばかりに、無視をする。
一撃、一撃に力を込めた強撃の振り下ろしを繰り返す。
﹁おい!!﹂
929
男が、レオナールの斜め後ろの位置に歩み寄り、右肩に手を掛け
ようとした瞬間、ビュッと音を立てて、右手一本で握られた剣の先
が、男の右頬から拳一つ分の距離で寸止めされる。
﹁⋮⋮っ!!﹂
﹁真剣で素振りしている人のそばには近寄っちゃいけないって、習
わなかったの?﹂
無表情で、感情を削ぎ落とした抑揚のない、それでいてやけに室
内に響く高めの声で、レオナールが告げた。
﹁こ、声を掛けられているのに無視するのは、どうなんだ!﹂
﹁自分の名もまともに名乗れないのに、相手に自己紹介しろという
人間相手に? それとも、あなた、殺されたいのかしら?
命知らずの自殺志願者または被虐趣味の変態だとしても、私に係
わらないで欲しいわね﹂
冷徹な声音で、氷のような視線を向けるレオナールに、男は渋面
になる。
﹁おい! 黙って聞いていれば貴様!! おれたちを誰だと思って
いる!!﹂
周囲の男達が激昂し、騒ぎ出す。
﹁知らないわね。ラーヌに来たのはつい先日だし、長居する予定も
ないもの。
930
わかってるのは、あなた達が初めて会った人間に、まともに挨拶
する事もできないゴブリン並の低脳揃いだって事くらいかしら?﹂
そう言って、冷笑する。リーダー格っぽい男が口を開こうとした
時、扉が開かれ、新たな人物が入室する。
金髪に深い緑色の瞳の、優男の剣士と、魔術師風の男だ。
﹁僕は︽疾風の白刃︾のベネディクトだ。昨日は、彼ら、︽蛇蠍の
牙︾の連中を一方的に叩きのめしたそうだね?﹂
にっこり笑う優男。その台詞で、改めて周囲を見回し、なるほど
と頷いた。
﹁ああ、身綺麗になってるから気付かなかったわ。昨日の人達だっ
たのね、あなた達﹂
そこへ、更に5人の男達が入って来る。戦士が1人、魔術師2人、
盾職1人に、神官1人である。
﹁今日は、あの黒髪の魔術師は連れていないようだな﹂
ベネディクトと共に入って来た魔術師の男が、ベネディクトのそ
ばからリーダー格以外の︽蛇蠍の牙︾4人の元に近付きながら言っ
た。
﹁よくわからないけど、報復、という事かしら?﹂
レオナールは︽蛇蠍の牙︾の大剣遣いから距離を取って、剣を構
え直す。
931
﹁いやいや、ちょっとした挨拶だろ? ほら、コミュニケーション
は大事だろう﹂
︽蛇蠍の牙︾の魔術師がそう言い、ベネディクトがふふっと笑う。
﹁挨拶どころか、道理のわからない常識知らずの新人君がいると聞
いたからね。応援に駆けつけたよ﹂
﹁へぇ﹂
レオナールが半眼になった。
﹁じゃあ、師匠が来るまで、全員で遊んでくれるって事かしら? 有り難いわね﹂
そう言って、ペロリと下唇を舐めた。
﹁死にたいやつからかかって来なさい!!﹂
レオナールが低く叫んだ。
932
20 更に剣士は絡まれ、囲まれる︵後書き︶
というわけで次回、︽蛇蠍の牙︾︽疾風の白刃︾との戦闘です。
以下を修正。
×書けだし
○駆け出し
×戦斧それを確認して
○それを確認して
933
21 ︽蛇蠍の牙︾と︽疾風の白刃︾と︽一迅の緑風︾︵前書き
︶
人間相手の戦闘描写があります。苦手な人は注意して下さい。
934
21 ︽蛇蠍の牙︾と︽疾風の白刃︾と︽一迅の緑風︾
レオナールに最初に飛び掛かったのは、︽蛇蠍の牙︾のリーダー
格の、大剣遣いである。
抜刀してそれを振り下ろすが、レオナールはそれを斜め前方に足
を踏み出す事で避けると、男の左脇腹に斬り付け、薙いだ。男が悲
鳴を上げて、崩れ込む。
躊躇いのない動きに、︽蛇蠍の牙︾の幾人かが思わず息を飲むが、
激昂した戦斧の男が斬り掛かる。昨日、レオナールに殴り掛かって
最初に倒された男である。
﹁貴様ぁっ!!﹂
﹁雑魚が﹂
吐き捨てて、レオナールが男の戦斧を、剣の腹で打ち払って、下
腹部辺りを蹴りつける。
そこへ矢が飛んで来るが、顔を傾げる事で避けると、その隙を狙
って突いてくる槍を、右にステップして躱す。
﹁クソがっ!!﹂
戦斧遣いが我武者羅に武器を振り下ろしながら、レオナールの右
手から駆け寄り、槍遣いが左手から素早く連続して突いて来る。
更に槍遣いの後ろを回ってロングソード遣いが走り、それらの背
後から弓術士が矢を射って来る。
魔術師の男が呻きながら自力で這って移動してきた大剣遣いに、
回復魔法をかけて止血している。︽疾風の白刃︾の連中は傍観する
935
ようだ。
レオナールは戦斧遣いは、攻撃が大振りで避けやすいため後回し
にして、先に面倒そうな槍遣いを潰そうと考えた。
が、そこへ盾を構えたロングソード遣いが駆け込んで来たため、
先にそちらを倒す事にした。
﹁死ねぇっ!!﹂
怒号と共にロングソード遣いの右腕に強撃を叩き込む。
﹁ぎゃあっ!!﹂
思わずロングソードを取り落としバランスを崩すが、慌てて男は
盾を構えた。
﹁遅いわ!﹂
男に足払いを掛けながら、槍遣いから見て間にロングソード遣い
を挟む形に回り込み、左肩目掛けて剣を叩き込む。
﹁うがぁっ!!﹂
ロングソード遣いが崩れ込むと、側頭部に左肘を叩き込み、大き
く踏み込んだ右足で、男の左膝付近を踏みつけ、槍遣いの脇腹目掛
けて右手で握った剣を振るう。
﹁くそっ!﹂
慌てて槍遣いがバックステップして、ギリギリ躱す。そこへ戦斧
遣いの戦斧が、右斜め後ろから振るわれる。
レオナールはそれを屈んで避けると、その場でクルリとターンし
936
て、剣を右手から左手に持ち替えて、そのまま薙ぐ。
﹁がっ!!﹂
槍遣いが背後から突こうとするのを、戦斧遣いの腕を掴んで盾に
する。危うく同士討ちを避けるために寸止めすると、レオナールは
ニヤリと笑った。
戦斧遣いの腕を放して、放り投げると、その死角になる角度から
剣を振り上げ、槍遣いの右腕を斬り付けた。
﹁うっ⋮⋮! くそっ⋮⋮てめぇっ⋮⋮!!﹂
﹁卑怯とか言わないでよ。それ言うなら、数で掛かって来るのはど
うなのって話になるから﹂
そう言いながら、右足を振り上げ、脇腹辺りに回し蹴りを叩き込
む。槍遣いが倒れ込むと、慌てて弓術士が構えていた矢を放つ。
だが、それを紙一重で避けると、弓術士に駆け寄り、慌てて武器
をショートソードに変更しようとしている男の側頭部に蹴りを叩き
込んで、昏倒させた。
それらをただ黙って眺めていた魔術師が、口笛を吹いた。
﹁すっげぇな、とても成人したてのFランクの新人とは思えないな。
師匠の薫陶か?﹂
その言葉に、レオナールが眉を顰める。
﹁何? あなた、この人たちの仲間じゃないの?﹂
﹁パーティーは組んでるが、別に仲間ってわけじゃねぇな。他にい
937
いところがあれば、そっちへ行く﹂
﹁ふぅん。襲って来ないなら、やるつもりはないけど、それで良い
の?﹂
﹁俺レベルでも魔術師ってのは、一応稀少なんでな。需要はある。
こいつらが俺を必要だって言うなら、報酬貰える内はいてやっても
良いが、それが損になったり、報酬を渋るようなら、離れるだけだ﹂
そう言って、他の倒れている男達にも回復魔法をかけて、最低限
の止血だけする。
﹁で、あなたたちも私と遊んでくれるの?﹂
レオナールが︽疾風の白刃︾を見遣り、肩をすくめる。
﹁ずいぶん思い切りが良いな、新人君。犯罪者として手配されても
良いのかい?﹂
ベネディクトがニヤニヤ笑いながら言う。
﹁犯罪者? 全員死んでないし、手加減したわ。初級とは言え回復
魔法が使える魔術師がいて、更に強力な治癒魔法が使える神官まで
いるんだから、即死させない限りは、よっぽどじゃなければ死なな
いわよね。
それに、そっちから喧嘩売っておいて、犯罪者扱いは失礼ね。降
りかかる火の粉は払うし、武器を持って襲って来る人間相手なら、
武器で応戦するのも問題ないわ。
それにここは、鍛錬場だもの。死なない程度に揉んであげただけ
よ﹂
938
そして、レオナールは剣を正面に突きつけた。
﹁それとも、何か、反論がある? 文句があるなら掛かって来なさ
い。死なない程度に遊んであげるわ﹂
レオナールは毒気たっぷりな艶のある笑みを浮かべて、挑発した。
﹁ベネディクト様﹂
ハルバードを背負った男が近付き、ベネディクトに何かをささや
く。ベネディクトはそれに頷き、口を開いた。
﹁君は確かに問題児で、特別な教育が必要なようだが、僕達もあま
り暇ではないのでね。今日のところは失礼するよ。また日を改めよ
う。
その時までに、その反抗的な態度が改善されていると良いんだが﹂
もったいぶった口調でベネディクトは言い放ち、部屋を出て行っ
た。︽疾風の白刃︾の他の5人もそれに続き、出て行った。そこへ
慌ただしく駆ける足音が聞こえてきて、扉が大きく乱暴に開かれる。
﹁おいっ! だいじょ⋮⋮っ!?﹂
そこへ駆け込んで来たのは、︽蛇蠍の牙︾の面々と同じくらいの
年齢の6人の男女である。内訳は女性弓術士1、女性魔術師1、男
性魔術師1、男性剣士2、男性槍術士1。
﹁えっと⋮⋮﹂
939
怪我をしているが、最低限の応急処置的な回復魔法で止血済みの
︽蛇蠍の牙︾の面々が床に転がり、その傍らに︽蛇蠍の牙︾メンバ
ーの魔術師がしゃがみ込んでいる。
一人だけ直立しているレオナールをマジマジと見て、最初に飛び
込んできた剣士の男が怪訝そうに尋ねた。
﹁あー、もしかして、君がロランから来たFランクの新人剣士でレ
オナール?﹂
﹁そうだけど。あなた達は?﹂
レオナールが聞き返すと、男が頷き、答える。
﹁俺達は︽一迅の緑風︾だ。君が︽蛇蠍の牙︾と︽疾風の白刃︾に
締められそうになっていると聞いて、慌てて駆けつけたんだが⋮⋮
遅かった上に、必要なかったみたいだな。すまない﹂
﹁なんだ、あっさり負けたから応援が来たのかと。違うのなら良い
わ。邪魔だから全員出てってくれると有り難いけど﹂
﹁なんだ、見学させてくれないのか?﹂
︽蛇蠍の牙︾の魔術師が言う。
﹁見学?﹂
﹁あんた、︽疾風迅雷︾の唯一の弟子なんだろ? 体力と持久力は
オーガ並みってあんたの相方が言ってたのは、確かに事実みたいだ
が、噂の英雄︽疾風迅雷︾直伝の力を是非見せてくれよ﹂
940
魔術師の言葉に、︽蛇蠍の牙︾の面々が口々に声を上げる。
﹁そんな事は聞いてねぇぞ! おい!! どういうつもりだ、ジェ
ローム!﹂
﹁アホか! ︽疾風迅雷︾の弟子だと知ってたら、こんな⋮⋮っ!﹂
魔術師は大袈裟に肩をすくめて、首を左右に振る。
﹁はぁ、俺は一応言ってやっただろうが、やめとけって。どうして
もやりたけりゃ、お前らだけでなく人数集めて、一斉にかかれって﹂
﹁はぁ!? 普通、Fランクの新人相手にそんな事するわけねぇだ
ろ!! だいたい、先に聞いていたら、こんなやり方はしなかった
だろ!
だいたい、お前も︽蛇蠍の牙︾のメンバーだろう!? 毎回思っ
てたが、そのやる気のなさは何なんだ! いったい!!﹂
﹁だ∼からさぁ、無償で面倒な事はやる気がねぇって言ってんだろ。
俺に協力して欲しいなら、報酬払えよ、報酬を﹂
騒ぎ始めた︽蛇蠍の牙︾の面々を、レオナールは嫌そうに見て、
面倒臭そうに溜息をつく。
﹁その、怪我はなかったのか?﹂
︽一迅の緑風︾のリーダーと思われる剣士の男が、心配そうに尋
ねてくる。
﹁おかまいなく。問題なく無傷よ。治癒師や薬師が必要なのは、あ
941
ちらだけどね﹂
そう言って、掲げていた剣の血を拭って、鞘に納めた。
﹁へぇ、新人だって聞いてたのに、ずいぶん強いんだな。それで、
本当に︽疾風迅雷︾ダニエルさんの弟子なのか?﹂
興味津々といった口調で聞かれ、少々うんざりした気分になりな
がら、レオナールは頷き、肯定する。
﹁そうよ﹂
すると、男の目がキラキラと喜びに輝く。
﹁じゃあ、もしかして、さっき見掛けたダニエルさんも、こっちへ
来るのか?﹂
期待に満ちた声に、レオナールは顔をしかめつつ、頷いた。
﹁ラッキー! ダニエルさんに直に会えるとか!! ここで待って
たら、剣の腕も見られるよな!﹂
居座る気満々の男の言葉に、レオナールの眉間に皺が寄った。
﹁ねぇ、まさかあなた、ここで師匠が来るまで待つつもりなの?﹂
﹁頼む、是非見学させてくれ!! 君の鍛錬の邪魔はしないし、さ
せないから!!﹂
キラキラした少年のような目で、男ががっしり両手でレオナール
942
の手を握り、懇願する。
レオナールが気持ち悪いものを見る目つきで、相手を見るが、意
に介しない。というか、全く気付いてもいないようである。
﹁できれば今すぐ、出てって欲しいんだけど﹂
レオナールがぼやくように言ったが、他の︽一迅の緑風︾メンバ
ーおよび︽蛇蠍の牙︾の魔術師が、一斉に頭を下げて声を揃えて、
大きな声で叫ぶ。
﹁お願いします!!﹂
レオナールは大仰に顔をしかめた。
◇◇◇◇◇
結局、レオナールは、この場にいる全員をいない者として無視す
る事にした。話しかけられてもひたすら無視して、剣を振る。
﹁すごいな、さっきからずっと休みなしに降り続けてるのに、息も
切らさないとか。そんなにやって、疲れないか?﹂
悪気はないようだが、︽一迅の緑風︾のリーダーはお喋りな質の
ようである。
呻いたり文句を言ったりしていた︽蛇蠍の牙︾の面々も壁際に寄
ってグッタリと寄り掛かり、思い思いに休んでいて、動く気配がな
い。
魔術師は声は掛けて来ないが、興味津々といった目つきで、こち
943
らを見ている。
︵聞こえない、聞こえない。あれは雑音。反応したら負け︶
一心不乱に強撃を打ち込み続けるレオナール。振り下ろしは連続
で百回振り終わったので、今は振り上げである。
更に右からと左からの薙ぎを振ったら、右手のみで同じく繰り返
し、左手のみで繰り返し、である。
邪魔が入ったので、ダニエルが来るまでに、全部振り終えられな
い可能性が高いのだが。
︵とにかく強撃だけでも消化しておかなくちゃ︶
目の前の事にだけ集中しようと、気を引き締めながら、ひたすら
剣を振り続ける。
思い浮かべる標的は人型の黒い靄に包まれているが、その体格は
良く知る者││元シェリジエール家当主で爵位は子爵、名をオクタ
ヴィアン││のそれである。
口元に緩く笑みを浮かべ、感情を削ぎ落とした視線の中に映る幻
影は、どれだけ強く剣を振っても揺るぐ事がない。
シーラの奴隷契約を解除する前に、オクタヴィアンを処刑すれば、
シーラの命も絶たれるという。
だが、その契約は﹃犯罪奴隷契約﹄であり、元は滅びた魔術大国
の古き知識を元にした術式であり、完全に解明されていないため、
通常の方法では解除できないとの事。
故に、ダニエルはそれを解除するための方法を探し出すと、レオ
ナールに約束したのだが。
︵どうでも良いわ︶
944
確かにシーラは幾度もレオナールを守ろうとし、彼女なりに努力
し続けたのだが、レオナールにとっては、それすらもどうでも良か
った。
シーラの命も、自分の命すらも、大事なものとは思えなかったし、
それ以外の人間のそれも、守らなくてはならない物だとは思えなか
った。
レオナールの言葉遣いや仕草のほとんどは、母親であるシーラを
真似たものである。
彼の用いる言葉の大半は、これまで彼がどこかで見聞きしたもの
であり、発音や使い方も、それらを真似たものである。
レオナールは、普通の子供が親や周囲から自然と教わる事柄の大
半を知らずに育った。
それの意味するところを正確に理解できなくても、表面上真似る
事で、大抵の物事はどうにかなった。
どうすれば良いかわからない時は、誰かの真似をするか、無視し
て反応しないというのも手段の一つだと学習している。
ただ、剣を振る時、何かを斬る時、心地良さを、快感を覚える。
生きるという事がどういう事かは良くわからない。
︵剣を振っている時、斬っている時、とても楽しいと思う︶
それだけで十分だと、本当は思うのだが。それだけでは駄目だと、
アランとダニエルは、きっと言うのだ。
レオナールは、何故二人がそう言うのかはわからない。理解でき
ない。どれだけ説明されても、わからなかった。
おそらく、これからも理解できないだろうと思う。彼らの言う事
の大半は理解できないのだから。
945
でも、嫌いではない。ちょっと面倒だとは思うけれど、しかし、
相手を斬りたくなるほど、殺したいと思うほど嫌ではない。
レオナールにとって、大事なのは、それを斬りたいと思うか、そ
うではないかだ。
それ以上の難しい事は、良くわからない。アランは経験を積めば
自然と学習するものだと言うが、正直なところ、レオナールはそう
はならないのではないかと考えている。
言ったら長々と説教されるのは間違いないので、口にはしないが。
︵どうしたら、もっと大型の魔獣や魔物を斬らせて貰えるようにな
るのかしらね︶
レオナールには理解できなかった。一番の問題は、自分の命を大
事にしないからだ、という事すらわからなかった。
946
21 ︽蛇蠍の牙︾と︽疾風の白刃︾と︽一迅の緑風︾︵後書き
︶
死亡者はいないけど、一応警告つきで。
一番問題なのは、戦闘描写より、レオナールの思考回路&倫理観だ
という気がしなくはないですが。
947
22 魔術師は気難し屋の老婆に魔術を習う
アランは二人と別れた後、アネットの家を訪ねた。ラーヌ東地区
にあるその家は、古くてこぢんまりしているが、一人暮らしするに
は良さそうだとアランは思った。
飴色になった木の色と、微かに匂う薬草の香りに、故郷の祖母の
家を思い出した。
出入り口の扉には、青銅のノッカーがしつらえてある。それを握
って、ノックすると僅かに魔力が吸われるのを感じた。
︵魔道具か︶
外側からその術式を確認できないが、用途を推測するならば、お
そらく客の識別あるいはノックした者の魔力を利用して扉の外の様
子を感知するのだろうか、と考える。
︵いずれにせよ、あれば便利だから、分解して中身が見たいな。い
や、でも無理だろうな。
組まれている術式が古代魔法語だったら、せめて使われている文
字や単語が知りたい。
でもこの大きさだと古代魔法語じゃなくて呪術紋章の方かな。呪
術紋章はちょっとしか勉強してないから、見てもサッパリになりそ
うだが、あれも研究すると、なかなか面白そうだし、何より小型化
できるから、携帯可能な魔道具作るには、最適な術式だからな。
ああ、でもあまり色々手を出して中途半端になるのもなぁ。別に
魔道具職人になる気はないしなぁ︶
そういった事をつらつら考えていると、ノッカーから、﹃入りな﹄
948
という老婆の声が聞こえて来て、ガチャリと扉が解錠された。
﹁了解しました、はじめまして。お邪魔します﹂
アランはドアノブを掴んで回し、押し開けた。
︵なるほど、外に声を伝えられて遠隔で解錠・施錠もできるんだな。
すると古代魔法語ではなく呪術紋章の方か。
便利な魔道具だな。買うと高そうだが︶
パタパタと音がして、青色の小鳥が飛んでくる。
﹃着いてきな﹄
使い魔か、魔法生物の類いか、はたまた幻覚・幻影魔法なのか。
魔力は感じるが、それが何なのか、アランには判別できなかった。
︵なるほど、これが普通の魔術師か︶
その基準はダニエル称するところのものであり、実のところ普通
ではないのだが、普通の魔術師に会った事が、ほとんどないアラン
には、わからなかった。
どちらかと言えば、おとぎ話や民話・伝承に出て来るタイプの魔
術師を演出した、ハッタリに近いものだったのだが、田舎育ちで魔
術や魔道具に縁のない生活をしてきたアランには、どんなハッタリ
も演出も無意味である。
見聞きしたものを素直にそのまま受け取って、考察する。そして
アランの﹃普通﹄の基準値がまたずれていく事になる。
玄関から廊下を真っ直ぐ歩いて、右手の扉の前で、小鳥の姿が幻
のように消えた。そこでアランはノックをする。
949
﹁こんにちは、はじめまして、入室してもよろしいですか?﹂
﹁ああ、お入り。我が家へようこそ、新人魔術師のボウヤ﹂
老婆の肉声が、扉の向こうから聞こえて来た。それを確認して、
アランはゆっくり扉を開いた。
大きなはめ込み窓のかたわらに、ゆったりした背もたれ付きの籐
椅子に腰掛けた、ローブを着た白髪の老婆がいた。
﹁はじめまして、アランと申します。ダニエルさんの紹介状を持参
で、こちらへ参りました﹂
﹁なん、だって⋮⋮?﹂
老婆がピクリと眉を上げ、一瞬嫌そうな顔になった。それを見て、
ああ、と思わず溜息をつきたくなったが、ここで紹介状を出さない
というわけにもいかないだろうと、胸元から紹介状を取り出すと、
それを両手に掲げるように持って、老婆の元へ歩み寄り、手渡した。
そして、視線を伏せた。
紹介状の内容は、目の前で見ていたので良く知っている。
﹃よぉ、婆さん元気か? 俺だ、ダニエルだ。元気にしてたか? 俺はすこぶる元気だ。
今は一応王都で仕事しているんだが、ここ数日はラーヌに滞在す
る予定だ。けど、安心しろ。呼ばれない限り、行かねぇからな。
一応宿は︽旅人達の微睡み︾亭だ。
で、知り合いの新人魔術師が、魔術を習いたいって言ってるから、
950
あんたを紹介することにした。俺の知り合いに普通の魔術師って少
ねぇからな。
そいつの師匠は、悪戯好きで面倒臭がりな人見知りで、ちょっと
ばかり性格悪いとこがあるから、特殊なやり方で魔術を修得させら
れて、使えるのは︽炎の矢︾︽炎の壁︾︽炎の旋風︾︽岩の砲弾︾
︽灯火︾︽解錠︾︽施錠︾︽束縛の糸︾︽鈍足︾︽眠りの霧︾だけ
らしい。
風系魔術の発動文言は、一通り全部覚えてるらしいけど、発動し
た風系魔術を見た事がないらしい。
あと回復魔法も修得したいらしいから、よろしく頼む、格安で。
追伸
嫌だと言ったら、前にむしられた﹃ブラックドラゴンの牙と鱗﹄
の代金回収しに行くから、覚悟しろよ。
十年分だから、やっぱ相場に加えて年利1割追加で良いだろ。だ
いたい、あの時の言い分じゃ﹃修理代﹄って事らしいけど、どう考
えてもおかしいだろ。
あんたの家の壁の一部凹ませただけなのに、全部没収とかあり得
ないよな!﹄
やはり、書き直して貰うべきだっただろうか、とアランが考え始
めた頃、老婆はそれを読み終え、溜息をついた。
アランは顔を上げ、老婆の顔色をうかがった。眉間に皺を寄せて
はいるが、思ったより怒ってはいないように見える。
﹁で、風系魔術の発動文言は覚えてる、という事らしいが、例えば
︽風の刃︾は言えるかい?﹂
﹁はい。⋮⋮風の精霊ラルバの祝福を受けし、目には見えぬ風の刃
951
よ、敵を切り裂き、身骨を断て、︽風の刃︾﹂
﹁⋮⋮魔力の流れや動きはあるのに、発動しないとか、生まれて初
めて見たよ。いったい、どういう修得方法したんだい?﹂
﹁基本文字の読み方・発音を事前に口頭で教わり、師匠の記した古
代魔法語で書かれた書物を、解読しました。
直筆の古代魔法語辞書と、その資料も手渡されましたが﹂
﹁⋮⋮は? 何だって!? まさか、その師匠ってのは、あの偏屈
でお高いエルフじゃないだろうね﹂
その言葉にアランがビクリと反応すると、
﹁やっぱり! 古代魔法語を普通に読み書きできる種族なんて、エ
ルフか妖精族か竜人くらいだ。妖精族や竜人は滅多に見掛けないか
ら、大抵はエルフだろうがね。
あいつらと来たら、古代魔法語は第二言語か表記文字みたいなも
のだと思っているからねぇ。
人間からしたら、あれは古語な上に特殊な表意文字だってのに、
そういう事を全く考慮してないんだからね。
しかも、あれは本来エルフ語で発音するのが正しいとかほざくん
だから、ふざけた話だよ!﹂
しまった、とアランは思わず青ざめた。エルフの話はするなとか、
ヒス起こすと会話できなくなるなどと、忠告されたのに。
﹁エルフ語で発音しようが、共通語で発音しようが、正しい古代魔
法語で発動文言を発音すれば、それまでの課程に問題なければ、魔
法・魔術は発動する。
952
という事は、意味が正しければ、ゴブリン語で発音しても問題な
いって話だ。
ただ、連中の発動文言は、とても古代魔法語に聞こえないって疑
問が出てくるわけさ。ならば、発動文言とはなんぞやという話にな
るわけで⋮⋮﹂
しかし、これはヒスではないような気がする。かと言って愚痴で
もない。どちらかと言えば蘊蓄か自説を論じている、という事にな
るのだろうが。
︵⋮⋮長い︶
そして、途中で時折﹃くそエルフ﹄だの﹃くたばれエルフ﹄だの
という罵倒が挟まれる。
内容的には興味深いとも言えなくはないのだが、そのために聞い
ていて、気力というか集中力がゲッソリ削げられるのである。
﹁だいたい連中は、引き籠もり過ぎて、頭が固くて古臭すぎて、カ
ビが生えてるのさ。
くそエルフどもと来たら、自分達の知らない事は、この世に存在
しないものだと思い込んでやがる。
しかも、自らの知識は、やたらもったいぶって隠匿し抱え込んで、
世に広く公開してやろうだなんて、露程も思わない⋮⋮﹂
︵ああ、この辺はもう聞かなくても良さそうな感じだな⋮⋮︶
アランが虚ろな目つきで、ぼんやり中空を見つめ始めた頃、よう
やく老婆が、おや、と言葉を切った。
﹁そう言えば、折角の客だってのに、茶も淹れず、椅子も勧めてな
953
かったねぇ。こりゃ、すまなかった﹂
﹁あ、いえ、それは大丈夫です﹂
﹁いやいや、そういうわけにはいかないだろうよ。そう言えば、ダ
ニエルの紹介だったね。
って事は、エルフってのは、あれか、︽森の聖女︾だとか言われ
て調子に乗ってるシーラだね﹂
﹁あ、いえ、別に調子に乗っているというわけではなく、﹂
﹁いやいや、わかってるから良いんだよ。あんたも苦労してるんだ
ろうね。師匠があのシーラで、さしずめ現在の後見役がダニエルっ
てとこかい?
あの二人は元Sランクパーティー︽光塵︾の連中の中でも、特に
問題児でね。若い頃から、しょっちゅうトラブル引き起こす困った
連中だったよ。
光神神官のオラースは苦労性な真面目な男でね、カジミールと一
緒に手分けして、そこら中頭を下げ回っていたよ。
ジルベールも品の良い好青年だったんだが、あれもお人好しな質
で、強く言えない方だったから、苦労していたね。
オラースは気の毒に、いつも説教役になっていたけど、あんたも
知っているだろうが、あの二人は人に言われたからと、反省したり
感じ入るような性格じゃないからねぇ﹂
︵ヤバイ、やっと終わったと思ったら、なんか矛先変えてまだ続い
てる!?︶
﹁あっ、あのっ! お話中すみませんが、よろしければ俺が茶を淹
れましょうか?
954
茶器と茶葉がどこにあるか教えていただけたら、後はやりますか
ら!﹂
長話から逃げるためだけに、そう言ったのだが。
﹁ああ、茶器と茶葉なら、そこの棚にあるよ。水差しはそこ。魔力
を流せば湯になるポット型の魔道具がこれだ﹂
アランは、思わずクラリと目眩を覚えた。
︵ああ、どうしよう。逃げられない︶
そして茶器と茶葉を出して、細いU字の口のポットに水を注ぎ、
魔力を流して湯を沸かし、茶器を温め、茶葉を入れ、湯を注ぎ、蒸
らし終わるまでの間、老婆の愚痴のような、長くてとりとめのない
話を聞かされる羽目になった。
︵田舎のばあちゃんのお小言の方がずっとマシだったな。あれはち
ゃんと理論立ってて、簡潔でわかりやすかったからなぁ︶
﹁それじゃ、そろそろ本命の話に入るとするかね。諸々合わせて大
銀貨1枚ってとこで良いよ﹂
それが安いのか高いのか、アランにはわからなかったが、最初に
話を聞いた時点で、回復魔法が習得できるのならば、それだけ払っ
ても良いと考えていたため、快く頷き、即座に支払った。
老婆は、満足そうに頷き目を細めて、アランの淹れた茶をすすっ
た。
﹁貴族でもないのに、茶の淹れ方をちゃんと知っているとは驚いた﹂
955
﹁はい、昔、祖母に習いました﹂
﹁ほう。あんたの祖母は、貴族に仕える使用人だったのかい?﹂
﹁いえ、村の薬師でした。元は先代の薬師様に習ったとかで。先代
は、元々村の出身ではなく、流れの自由人だったと聞いています﹂
﹁自由人ねぇ? 国籍も持たぬ流浪の旅人に、茶をたしなむ習慣が
あるとも思えないが。まぁ、人それぞれの理由や経緯があるんだろ
うからね。
残念ながら、私ゃ茶は好きなんだが、あまり淹れるのが上手いと
は言い難くてねぇ。最近目が弱って来たせいか、なかなかねぇ。お
や、もう空だ﹂
もう全部飲んだのか、と焦りながらもアランは立ち上がる。
﹁よろしければ、また淹れましょうか? あ、でももう水があまり
ないみたいですね。汲んで来ます﹂
﹁その必要はないよ﹂
と、老婆はアランを制して、
﹁其れは命を繋ぎ、喉を潤す甘露の水、この水差しを満たせ、︽命
の水︾﹂
水差しの底の方にあった水面が見る間に上がり、口ギリギリまで
満たされた。
﹁ほら、頼んでも良いかい? えぇと、あぁ、んー、名は何と言っ
956
たかね?﹂
﹁アランです﹂
﹁ああ、そうだった。アラン、頼むよ﹂
﹁わかりました﹂
アランは頷き答え、茶器から古い茶葉を取り出して捨てると、新
たな茶をまた淹れた。
﹁それじゃ、まずは簡単な回復魔法から行こうか。これは、小さな
擦り傷や軽い打ち身くらいなら完治できるが、それ以外だと止血が
できたり、痣が薄くなったり、腫れが若干マシになる程度の、応急
処置的な魔法だよ。
できたばかりの軽い傷や、打ち身はあるかい?﹂
﹁軽いやけどなら、昨日できたばかりのがあります。コボルトの放
った︽炎の矢︾がかすめたんですが﹂
﹁ふぅん、問題ないね。まぁ、一度の詠唱じゃ、腫れが引く程度の
効果だが﹂
﹁あれ? もしかして同じ傷に、重ね掛けできるんですか?﹂
﹁ああ。一度に複数人で同時に、同じ傷に重複して掛ける事は出来
ないが、何度かに分けてなら掛け直して、時間と魔力を費やせば、
軽い傷ならば完治させる事も可能だよ。
しかし、ある程度重い場合には、痕が残る場合もある。その場合
は、より上位の術を掛ける必要がある。
957
まず、私が掛けて見せるから、それを真似てごらん。傷が治るま
では術を発動させられるから、練習にはちょうど良いだろう﹂
﹁了解です﹂
アランが満面の笑みで頷いた。
958
22 魔術師は気難し屋の老婆に魔術を習う︵後書き︶
というわけでその頃のアラン。
昨日の更新は17時ちょい前と夜の2回分でしたが、後で前話が一
部予告詐欺になってる事に気付きました。
進行予定が急遽変わったり、予定より話が長くなるのは今更かもで
すが。
以下を修正。
×ちょっと悪戯好きで
○悪戯好きで
×ノーム
○妖精族
×ユー字
○U字
×一度に複数人で重複する事は出来ない
○一度に複数人で同時に、同じ傷に重複して掛ける事は出来ない
959
23 魔術師は逃走し、剣士は師匠にしごかれる
﹁よぉ、またやらかしたらしいな、レオ。お前、ちょっとの間も一
人で歩けないとか、子供かよ?﹂
鍛錬場に現れたダニエルの言葉に、レオナールが渋面になった。
﹁私のせいじゃないわよ﹂
﹁日頃の行いが悪いんじゃねぇの? 日常的に喧嘩売り歩いてると
しか思えねぇな!﹂
カカカと笑うダニエルに、レオナールが不機嫌な顔で言い返す。
﹁師匠にだけは言われたくないわ﹂
﹁ハハッ、俺はお前ほどむやみやたらと喧嘩売られたり、絡まれた
りしないぞ!
どうせ無自覚に喧嘩売ったり挑発したとか、ちょっとムカついた
とかどうでも良い理由で、いつもの強気や負けん気で、掛かって来
いとでも言ったんだろう。見なくてもわかるぞ﹂
﹁絡まれたからやっただけで、致命傷は与えてないわよ。ちょっと
転がしただけじゃない﹂
レオナールの返答に︽蛇蠍の牙︾と︽一迅の緑風︾の面々がそれ
ぞれ仲間と顔を見合せた。
960
﹁へぇ、転がした、ねぇ? まぁ殺さなかったのだけは褒めてやろ
う。加減と自制はできるようになったんだよな?﹂
﹁失礼ね。そんなに無差別に殺してないわよ。師匠とアランがうる
さいから。ちょっとやり過ぎた時でも、治癒師か神官を呼べば助か
るくらいにしかしてないわよ﹂
レオナールが言うと、ダニエルは肩をすくめた。
﹁でも、お前風に言えば、しょっちゅう転がしてるんだろ?﹂
﹁武器を抜かない相手には素手でしかやってないわ。アランがそば
にいる時は、問答無用で︽眠りの霧︾をかけられるし﹂
﹁お前には効かないだろ?﹂
﹁効かないとかいう問題じゃないわよ。予告なしでやられると勝手
が狂うじゃない﹂
﹁修行が足りないんじゃねぇの?﹂
﹁そんな事より師匠、早く斬り合いましょうよ。ずっと待ってたん
だから﹂
﹁ああ、悪かったな。ここのギルドマスター、やたら話が長くてな
ぁ。しかもどうでも良い内容だし、うっかり寝そうだった﹂
﹁何、身体が動かないから手加減しろとでも?﹂
レオナールが挑発的にニヤリと笑うと、ダニエルが不敵な笑みを
961
浮かべた。
﹁面白いこと言うな、レオ。後で泣き面かくなよ﹂
﹁ふふっ、眠くなるような打ち込みとかやめてね。つまんないから﹂
﹁ああ、死なない程度に、背筋が凍るような剣撃をくれてやるよ。
楽しみだろ?﹂
﹁それは楽しそうね﹂
笑顔でやり合う師弟の応酬に、﹁あれが、元Sランクの薫陶か﹂
と誰かが呟いた。
◇◇◇◇◇
﹁なんだ?﹂
アランがアネットの家を出てしばらく歩いたところで、見知らぬ
男達││おそらくは冒険者││に囲まれた。正直、身に覚えはない
のだが、心当たりはいくつかあった。
︵できれば絡まれたくはなかったんだが︶
金髪碧眼の剣士1、槍斧を持った戦士1、大きな盾と槍を持った
戦士1、魔術師1、神官1という構成を見る限り、質が悪いと聞い
た︽疾風の白刃︾ではなかろうかと、検討を付けた。
962
﹁君はロランから来たアランだよねぇ?﹂
ニヤリと笑って、金髪碧眼の剣士ことベネディクトが尋ねて来る
が、既に確信しているような様子である。しらばっくれても無駄な
のだろうな、と溜息をついて、アランは肩をすくめた。
﹁そうだと言ったら?﹂
﹁我々に着いてきて貰おうか﹂
﹁何故?﹂
﹁何故だって? わからないとでも言うのかい?﹂
﹁着いて行く理由がない﹂
アランが真顔で答えると、ベネディクトは一瞬眉間に皺を寄せた
が、笑顔を作って言う。
﹁ははっ、相方と同じで生意気だね。目上の人間の言う事には素直
に従ったらどうだい?﹂
﹁冗談だろう﹂
素直に従ったら、酷い目に遭う事は間違いないだろう。かと言っ
て抵抗して捕まっても、同じく酷い目に遭いそうだが。アランは参
ったな、と眉をひそめた。
﹁⋮⋮命が惜しくないようだな。素直に従うなら、拘束するだけで
済んだかもしれないのに﹂
963
ベネディクトの言葉にアランは大仰に肩をすくめた。ろくでもね
ぇな、と心の中で呟いた。
﹁完全武装で取り囲んでおいてか?﹂
﹁君は、駆け出しの魔術師なんだろう? 君の相方は、かの︽疾風
迅雷︾の弟子らしいが、君は今頃アネット婆さんの家を訪ねるくら
いだ。どうせ使える魔術もあまりないのだろう? 意気がって抵抗
するより、素直に我々の指示に従ったらどうだい?﹂
﹁つまり、与し易しと見てこっちへ来たわけか﹂
はぁ、とアランは溜息をついた。
﹁全く勘弁してくれ。この町はいったいどうなってるんだ。こんな
に治安が悪いんじゃ、おちおち歩けやしないな﹂
﹁君の意見や感想など、どうでも良い。それより、我々に従うんだ。
拒否するならば、痛い目を見て貰おうか﹂
︵ここがロランなら、おとなしく無抵抗な振りして、着いて行くと
ころなんだが、なんかヤバそうだしなぁ。
レオやおっさんも近くにいないし、他に知り合いはいない。俺は
荒事とか苦手なんだけどなぁ。仕方ない、か︶
懐から皮袋を取り出し、中に指を差し入れる。
﹁何をしている?﹂
964
﹁いや、賄賂って利くのかなと思って﹂
﹁はぁ? バカにしてるのか。たかがFランクの駆け出しが出せる
はした金なんかに用はない﹂
﹁いや、昨日取って来たばかりのミスリル合金だ﹂
﹁何、ミスリル合金? バカな、そんなものを持っているはずがな
い﹂
﹁嘘じゃない。コボルトの巣にいた、ミスリルゴーレムのものだ。
その時の相場によって、売値は変わるが、手持ちを全て売れば、
金貨2枚分にはある。帰りに換金するつもりで少し持って来た﹂
真顔で相手の目を見つめて言うアランに、ベネディクトは困惑の
表情を浮かべる。そんな彼にかたわらの戦士が何かを耳打ちする。
﹁持っていると言うなら、その袋の中身を見せてみろ﹂
﹁わかった﹂
そう言ってアランは笑って、袋を投げた。空高く投げ上げられた
オラン・デ・ラ
ファタ・リタ・ウラ
皮袋の口が、宙で開き、中に入っていた粉末が、辺りに舞い散った。
ディ・ロア
﹁ちぃっ! やはり出鱈目か!!﹂
シ・エル
﹁風の精霊ラルバの祝福を受けし、無名の風よ、踊り舞い狂え、︽
風の乱舞︾﹂
早口のエルフ語で詠唱し、発動文言をいつも通り古代魔法語で発
965
ディ・ロア・サフィ・レル
オイエ・ディファ
サフィ・オヌ
音する。対象は皮袋と︽疾風の白刃︾。中の粉が風にあおられ、踊
サファ・エル
るように巻きながら拡散する。
・ラ
﹁火の精霊アルバレアの祝福を受けし炎の矢、敵を貫き、燃え上が
れ。︽炎の矢︾﹂
︽炎の矢︾が皮袋を貫き、燃え上がる。火打ち石で付ける火と違
い、魔法の炎は勢い良く燃え上がる。白い煙がもうもうと立ち上ぼ
り、先の︽風の乱舞︾がそれを周囲に撒き散らす。
炎が瞬く間に燃え広がり、燃え上がる炎をまとった粉と白煙がゆ
っくり巻きながら、降りて来る。
﹁散れ! 散開しろ!!﹂
慌てて散開する彼らを見て、アランはニッコリ微笑んだ。
﹁な⋮⋮に⋮⋮?﹂
炎からも白煙からも、距離を取ったはずなのに、幾人かが咳き込
み涙を流し始める。
特に動きのあまり良くない魔術師と神官が、涙と咳でまともに歩
アグナ・ディ・レアン
デルファ・ラ
オ・
くのもきびしい状態になる。慌てて駆け寄った弓術師も同じ状態に
ディ・ロア
なったのを見て、残りの3人は慌てて距離を取った。
シ・エル
ディ・ファス
サウ・デ・ラ
﹁風の精霊ラルバの祝福を受けし、万物に捕らわれぬ疾風よ、我が
身を包み、追い風となれ! ︽俊敏たる疾風︾﹂
発動した魔法がアランの身体を包み、心持ち身体が軽くなったよ
うに感じた。アランはクルリと身を翻し、駆け出した。
966
﹁なっ! 逃げるな!!﹂
ベネディクトが叫ぶが、止まるはずがない。そのまま追えば、炎
と白煙の向こう側になる。
男達は、魔術師・神官・弓術士をその場に置いて、三方に分かれ、
遠回りしてアランを追い掛ける事にした。
︵エルフ語と古代魔法語の組み合わせは初めてだったけど、共通語
で唱えた時より難易度は上がるが、詠唱時間が速くなるかも。一か
八かで試してみたけど結構良いな、これ。これからも色々試してみ
るか。
今回、色々魔術修得したり、使えるようになったし、これからの
組み立て考えなきゃな︶
そして、当初向かおうとしていた冒険者ギルドではなく、︽旅人
達の微睡み︾亭へと向かった。
宿のおかみに、レオナールとダニエルが帰宅するまで、それ以外
を部屋に案内したり、通さないようお願いして、部屋へ戻った。
﹁さて、次は︽結界︾を試してみるか。おっと、その前に﹂
扉を開き、外側のノブに、背嚢から出した白い色のどろっとした
液体を、刷毛で薄く塗って置く。内側のノブを握って扉を閉め、施
錠した。レオナールなら、予告しなくても臭いで気付くだろう。
原液ではなく、糊や保存性を高めるための薬剤などを混ぜ合わせ
てあり、少量ならばたいした毒ではないが、かぶれて赤く腫れ上が
るので、嫌がらせにはなる。
口に入れたり、触れた部分に傷があったりすれば、少量でも大変
な事になる場合もあるが、初期の回復魔法で十分治せるレベルであ
る。
967
懐から杖を取り出し、一呼吸置いて、詠唱する。
﹁其れは、我を中心とする、邪悪なる意識の他者から内を守る、容
易に破れぬ堅き壁、父たる天空神アルヴァリースの下、我と我の周
囲を守る盾となれ、︽方形結界︾﹂
いつもよりゆっくりめに、意識を集中して詠唱し、発動した。慣
れない呪文なので、きちんと発動出来るか少々自信がないため、慎
重に唱えたのだが、どうやら成功したようだ。問題は、効力の方だ
が。
﹁⋮⋮効力を試す機会がない事を祈りたいが、無理だったら、ちゃ
んと効力を発揮する事を祈ろう﹂
そして、今日、修得してきた魔術に関して、メモに書きとめ、ま
とめる。また、エルフ語で詠唱した時と、共通語で詠唱した時の違
いについて考察・実験しようと、メモを書き散らしながら、どのよ
うな実験を行うべきなどについて、考える事にした。
しかし、残念ながら、平穏な時間はそう長くなかったようである。
ドンドン、と激しく扉がノックされる。アランはそれをきれいに無
視した。
︽方形結界︾発動中なので、他の魔術は使えない。とりあえず、
喉が渇いたので、お茶を淹れる事にした。
何か怒鳴りながら、ドアノブをガチャガチャ鳴らす音が聞こえる。
全く聞き覚えのない声なので、おそらくあの盾を持った男の声だろ
う。
耳打ちしていた男の声は、直接は聞かなかったが、もっと低音だ
ったような気がする。ささやき声だったので、もしかしたら普段の
声は、それとはまた違うかもしれないが。
968
その内、男がノブを握るのをやめ、唸るような罵り声を上げ始め
た。
︵命に別状はないが、一時的に声が出なくなる毒って何かあったか
な。麻痺毒や神経毒だと、効き過ぎたり、人によっては過剰反応が
出る場合もあるから、扱い難しいしな。
適量って言っても、体格や体質によって違う場合もあるし︶
その時、窓の外から石を投げ込まれた。が、︽方形結界︾が弾き
返す。ちゃんと機能しているようだ。アランは心底安心した。
︽方形結界︾の効果時間は最長四半時だが、その前に彼らは帰っ
てくれるだろうか?
アランは首を傾げ、あまり楽観はできないな、と考える。再詠唱
の時間を忘れないようにしないと、と思いながら、背嚢から古文書
を取り出した。
それを出したのは、再詠唱までの時間がわからなくならないよう
にという配慮である。
︵12ページ読んだら、再詠唱しよう︶
何度も繰り返し読んでいる古文書なので、実は全て丸暗記してい
るのだが、それでもこの本を読むのが好きだった。
何が素晴らしいと言って、文字や表現が美しいのだ。しかも、合
理的で無駄がなく、わかりやすい。
修辞が多すぎて、難解なだけの文章を解読しながら読むのは、結
構辛い。それが普段使用している自国語や共通語ならば、それはそ
れで楽しめるのかもしれないが、物によっては、文字を判別する事
も難しい古文書の場合、ただの苦行である。
蒸らしを終えた茶をカップに注ぎ入れて、ほう、と息をついた。
そして、飲み終えて後始末をし、茶器を片付けて、読書にいそしん
969
だ。
◇◇◇◇◇
鋭く、風をまとった刃が、頬の皮一枚、すれすれのところをかす
めて、止まる。
一瞬遅れて反応したレオナールが、それを払う。
﹁ほらほら、遅いぞ! 見えてないのか!?﹂
見えてはいる。だが、身体の反応が追いつかない。レオナールは
軽く舌打ちをし、神経をとがらせ集中しようとする。
ダニエルは目線を向けているところとは、違う場所、レオナール
の警戒が弱い、あるいは意識を張り巡らせていない箇所を狙って、
剣を振るう。
﹁何故、こうなってるか、理由はわかるか?﹂
ダニエルがニヤリと笑う。わかっている。すぐに反応できない箇
所を狙われているからだ。
そして、レオナールが自分の全身をくまなく等しく気を配る事が
出来ていないからだ。目や、手、足の動きに騙され、反応してしま
うからだ。
わかっているのに、つい、ブラフやフェイクにピクリと反応して
しまい、結果本命の攻撃に、反応が遅れる。
︵悔しい︶
970
何故なのか理由がわかるのに、ダニエルの思惑通りに踊らされて
いる自分に歯噛みする。
わかっているのに、つい反射的に反応してしまう。それさえなけ
れば、もう少しマシな動きができるはずなのに。
ダニエルは長身の上、筋肉質だ。特に、肩から上腕にかけての筋
肉がすごい。彼が現在使っている剣は、少なくとも2∼3年前のレ
オナールには扱えない重量のものだった。長さもレオナールのもの
より若干長い。
手足も長いので、その分ダニエルが有利であるのは確かなのだが、
手加減しない状態の彼は更に速く、目で追うのがやっとのレベルな
ので、だいぶ手加減されている。
身体が反応したり騙されなければ、当てられるはずの速さなのだ
が、無駄に目や身体が動いてしまうため、間に合わない上に、その
分少しずつ疲労が溜まっていく。
ダニエルが、チラッとレオナールの右足の太ももあたりに、視線
を走らせる。ダメだ、と思う前に身体が反応して右足を引いて、左
にステップしてしまう。
ほら、と言わんばかりにダニエルが笑う。
レオナールはわかっていると、ダニエルを睨み付け、動き始めた
身体を無理矢理動かして、後方に仰け反るように上体を反らし、や
けに重く感じる両腕を押し出すように、ダニエルの重い剣を受け止
めた。
一応、これでも寸止めするべく、直前で速度・威力が落とされて
いるのだが、まともに打ち合わせれば、痺れるような振動と重さに、
油断すると剣を取り落としそうになる。
体力はまだ尽きてないはずだが、やけに手の平に汗をかくため、
手が滑りやすいように感じる。また、焦燥感や苛立ちが、更に身体
971
の重さを加えているような気がする。
額の汗を拭う事もできずに、振り乱した髪の間からニヤニヤ笑う
男を睨み付ける。
﹁うん、今度は間に合ったよな。でも﹂
ダニエルが右に押すように力を加えると、身体がグラリと揺れた。
﹁間に合っただけじゃ駄目だ。どんな攻撃が来ても打ち払うために
は身体の重心・支点が大事だって、前に教えたよな?
剣を払うのも、打ち下ろすのも、然程力はいらない。身体の動く
方向と筋肉の動き方を理解し、重心とバランスがわかっていれば、
それを崩すのはそれほど難しくない﹂
体勢が崩れたところに、ダニエルの拳が振るわれる。
﹁がふっ⋮⋮!﹂
かすめただけのそれに吹っ飛ばされて、かろうじて受け身を取っ
て転がった。
そこへすかさず、ダニエルの追撃が入り、眉間の拳一つ前で剣先
が突き付けられる。
﹁な?﹂
ニヤリとダニエルが笑いながら、首を傾げて見せる。
﹁⋮⋮わざわざ転がさなくても﹂
ムッとした表情で、レオナールがダニエルを睨み上げると、ダニ
972
エルは肩をすくめた。
﹁バランス崩して倒れそうになったら、わざわざ自分で飛んで転が
ったんだろ? ちっともダメージ受けてない癖に、良く言う﹂
﹁自分がバカ力だって自覚ないみたいね、バカ師匠。例え直撃じゃ
なくても、かすめたら痛いのよ。
あの体勢で、更に後方にステップするのは無理なんだから、仕方
ないじゃない﹂
﹁だけど、あれじゃやられる時間を長くするだけだろ? もっと先
を考えて行動しろ。
ちょっとくらい体勢崩しても、立て直せるだけの心の余裕とバラ
ンス感覚と筋力をつけろ﹂
﹁頑張ってるつもりだけど、なかなか筋肉つかないんだから、無茶
言わないでよ。
バランス感覚も筋力も、結局ある程度の筋肉つかないと、難しい
んだから﹂
﹁そんな事言われても俺、そんな事で悩んだことないからなぁ。食
って動いてたら、自然と肉ついて、身体が出来てくるもんじゃねぇ
の?﹂
﹁そんな特殊な例を、基本にされても困るわ。でも、やっぱり師匠
との斬り合いは勉強になるから、もっとやりたいけど﹂
﹁うん? そろそろ昼飯にしないか。腹空いただろう?﹂
ダニエルに言われて、レオナールは初めて空腹感に気付いた。
973
﹁あら﹂
首を傾げたレオナールに、ダニエルは苦笑する。
﹁面倒だから、ギルド内の食堂で良いよな?﹂
﹁ええ、何でもかまわないわ﹂
﹁そういえばアランはどうするんだろうな﹂
﹁子供じゃないんだから、自分で好きに食べるでしょ?﹂
﹁ま、お前と違って、マイペースだがしっかりしてるもんな、あい
つ﹂
﹁何よ、それ。どういう意味?﹂
﹁お前はどっからどう見ても、危なっかしいからな。まぁ、仕方な
いけど。
どうせお前は子供扱いされてるとか思うんだろうが、俺から見た
ら、お前もアランも十分子供だからな。
悔しかったら、俺の年齢と身長超えてみろ﹂
﹁⋮⋮無理なこと言わないでよ。それ、師匠を殺す以外に方法ない
わよね﹂
﹁え? おい、なんで真顔でそんな事言うんだ。恐いこと言うなよ。
俺は百歳超えるまでは、最低趣味でも剣を振るつもりなんだからな﹂
974
﹁それ、ハーフエルフか小人族並みの寿命じゃない? それともエ
ルフの不老と長命や、ドワーフの頑健さを見倣うつもり?﹂
﹁俺なら出来る!と思ってるんだが﹂
﹁⋮⋮本当に現実になりそうで恐いわね。確か純粋な人族だったわ
よね?﹂
﹁そのはずだな。でも、要は気合いと根性、精神力だ。気の持ちよ
うでどうにかする!﹂
﹁それはどうかと思うけど﹂
レオナールは呆れたような目つきでダニエルを見た。なる、じゃ
なくするという辺りがダニエルらしいと思わなくはないが。
﹁今でも十分人外なのに﹂
レオナールがぼやくと、ダニエルは声を上げて笑いながら、胸を
張る。
﹁何でもやる前からできないと思えば絶対できない。やってやると
決めたら、とことんやる。魔獣や魔物の生肉や新鮮な血は旨いぞ﹂
﹁そんな特殊な体質と味覚と胃腸を持ってる人は、師匠だけに決ま
ってるでしょ﹂
レオナールは嫌そうにダニエルを見つめて言った。
975
23 魔術師は逃走し、剣士は師匠にしごかれる︵後書き︶
昨日は更新し損ねてしまいました。すみません。
今月25・26・27日は更新休みます。
今話は別に警告なくても大丈夫かな?と警告つけてません。
対人だけど、これくらいはセーフかなと思ってたり︵自分がグロ平
気なので基準難しい︶。
一部ルビがおかしかったので修正。精霊の名や神の名には、ルビあ
りません。ルビ非対応ブラウザだと、︵︶多くて表示微妙かも。
以下を修正。
×できないと思えば絶対できる
○できないと思えば絶対できない
×を魔術師1
○魔術師1
×ハーフリング
○小人族
976
24 魔術師は宿で思案する
レオナールとダニエルが、冒険者ギルド内の食堂で昼食を取って
いる時、アランは宿の部屋で、何度目かの︽方形結界︾の再詠唱を
行い、お茶と干し肉と干した果物とナッツ類をテーブルに並べ、黙
々と咀嚼していた。
時折、扉の外や窓の方角から声や音が聞こえて来るが、ほぼ無反
応である。
︵思ったよりしつこいな。いっそ︽眠りの霧︾でも掛けてやろうか。
でも一応Bランクらしいから、魔法抵抗されると、その後がきつい
よな。
詠唱はエルフ語で時間短縮できるとは言え、︽方形結界︾クラス
になるとちょっときびしいし。こんな事なら、対人非殺傷用に何か
準備しておくべきだったかな。
さっきコボルト用に作っておいた催涙薬は全部使ったし、ドアノ
ブに塗ったかぶれ薬は、投擲には向いてないからなぁ。手持ちの毒
や薬や何かで、使えそうなものあったかな。
昨日レオが作ってたみたいな感じで、中に毒か薬仕込んで置いて、
当たると散布されるみたいなやつ作れるかも。
ああ、ここに卵があれば良かったのに。あの殻、何気に中身仕込
んだ投擲道具作るのに便利だよな。せめて部屋から出られると良い
んだが︶
陶器でも良いのだが、宿の備品を使うのは問題あるし、手持ちに
はない。
扉のそばに一人、窓の外に一人、となるとあと最低一人、または
977
魔術師たちが適切な処置をして復帰した場合、更に三人いるはずだ
が、残りは何処にいるのだろうか。
︽方形結界︾は比較的長い時間、物理・魔法による攻撃を弾いた
り、無効化する事ができるが、発動している間、中で魔法を使用で
きないという弊害がある。
詠唱はできるのだが、方形結界の範囲外に効果を及ぼす事ができ
ないため、反撃が出来なくなるのだ。
アランの目論見では、これだけ長い時間騒ぎがあれば、領兵団の
衛兵が様子を見に来たり、それを恐れて男達がどこかに去ったり、
何らかの動きがあると思っていたのだが、そうはならないようであ
る。
︵やっぱ賄賂とかでお目こぼしなのかな。やっぱ腐ってんな、ここ
の領兵。せめて冒険者の誰かに伝わったりして、間接的でも良いか
ら、レオやダニエルのおっさんに伝わると良いんだが、この分じゃ
それも期待出来そうにないからな。
それより、このままじゃ宿屋追い出される羽目になったりしない
か、心配になって来た。
︽方形結界︾って初めて使ったんだが、移動しながら発動可能な
のかね。部屋の中で動く分には、問題なさそうなんだが。誰も助け
てくれないようなら、冒険者ギルドまで歩くしかねぇのかな。
でも、さすがに間近で攻撃受けながら歩くとか、勘弁して欲しい
な。俺は荒事は本当苦手なのに。
やっぱこれ、レオが目をつけられて、それで俺のとこにも来たの
かね。下手に部屋を空けて、荒らされるのも困るしな︶
﹁はぁ、どうしたもんか﹂
部屋には窓が二つあるのだが、両方とも投石により、割られてい
978
る。ひょいと窓の外を確認すると、来る途中には人通りのあった通
りは、ほぼ無人であり、開いていた店は全て閉まっている。
投石していたのは戦士風の男だったが、アランが顔を出したのを
見ると、即座に投げ槍を投擲してくる。
思わず顔を引っ込めたアランの眉間の位置で、それが弾かれるの
を見てゾクッとした。
落下した槍が穂先を下にして、地面にザクリと刺さるのを、視線
の端で確認し、軽い眩暈を覚えてしゃがみ込んだ。
﹁何だよ、あれ。俺がいったい何したって言うんだ﹂
幸いなのは、巻き込まれる人が少なさそう、という事くらいだろ
うか。しかし、宿の者はどうしているのか、少々気になった。
これほど好き放題しているという事は、宿の他の客やおかみや主
人にも、危害を加えている可能性がある。
︵読み間違えたかな︶
アランは眉間に皺を寄せ、立ち上がった。テーブルの上を片付け、
背嚢から必要そうな物や使えそうな物を探し、回収したミスリル合
金を詰めた袋の中から、一番小さな欠片を選り出し、その先端が鋭
く尖っている事に気付くと、砥石を取り出す。
﹁ミスリル合金もこれで研げると良いんだが﹂
三角錐に近い形のそれを、革の手袋をはめて丁寧に慎重に、研ぐ。
時折掲げて、断面を確認しながら、作業する。
﹁そう言えば、コボルトの巣で回収した鋼糸もあったな﹂
979
それを持ち帰った意味は特になかったし、使い途なども考えてい
なかったので、鉄くず扱いで売り払えば良いかとも思っていたのだ
が、折角なので使う事にする。
罠として張られていたのだから、これは研がなくても良いだろう。
本当は穴を空けたいところなのだが、ミスリル合金に穴を空ける
事ができる道具など、持っているはずがない。
それが可能な魔法の心当たりもないため、研いで磨き終えたミス
リル合金の破片を、息を吹きかけながら、丁寧に布で拭うと、尖っ
ていない方に鋼糸を巻き付け始める。
﹁これ、すっぽ抜けたら恐いよなぁ。たぶん、糊では固定できない
だろうしな﹂
アランが普段使っている糊は小麦を水で溶いて、火をかけて作っ
たものだが、日持ちしないので持ち歩いていないし、ここでは作れ
ない。
尖っている部分に、何らかの薬や毒を塗るという事も出来なくは
ないが、それはやめておいた。
鋼糸のもう一方の先を、いつも持ち歩いている裁縫道具を開いて、
中から使えそうな糸巻きを取り出し、そこに巻いて短くすると、グ
ルグル回してみた。
小さくて軽いせいか、結構な勢いでビュンビュンと回るそれを、
唸りながら眺め、回転が安定したと思われる頃に、前方へと投げて
みた。
ガツッと激しい音がして跳ね返ってきたそれを、慌ててしゃがん
で避けるが、その避けたそれも反対側の結界に当たって跳ね返る。
冷や汗を掻きながらその動きを注視し、ようやく勢いがなくなっ
980
て落ちてきた頃には、再詠唱が必要な時間が経っていた。
﹁⋮⋮あっぶねぇ⋮⋮。︽方形結界︾の中で物投げるのは、ヤバす
ぎるな。
っていうか、これ、本当に使うなら、︽鉄壁の盾︾で使った方が
良いか。でも、︽鉄壁の盾︾は効果時間短すぎるしな。
しかし、これ、どのくらいの威力があるんだろう。さすがに相手
を殺す気はないんだが、レオと違って俺、運動神経ないから、魔法
ならともかく、物を狙った場所に当てるとか、加減するとかまず無
理だよな。
これ使うくらいなら、胡椒と唐辛子を粉末にして撒いた方が良い
ような気が﹂
とりあえず部屋の外にいる男をどうにかしよう、と考えた結果、
︽方形結界︾ではなく︽鉄壁の盾︾を唱え、発動した直後に扉を解
錠し、開く。
と、その時、ちょうど男が殴り倒され、昏倒する光景を目にして、
思わず硬直した。
﹁⋮⋮え?﹂
倒れたのは、先程見た大きな盾と槍を持った戦士である。殴り倒
した方は、見知らぬ大柄な男だ。
慌てて杖を構えたアランに、大男が人好きのする笑顔を向ける。
﹁よぉ、災難だったな、坊主﹂
ヘーゼル
大男は褐色の肌に、金茶の短髪、淡褐色の瞳の、南国の戦士風と
見える風体である。
981
背中に担いだ大剣は、ダニエルが使うそれよりも長く、刃も幅広
く厚みがありそうだ。
男の身長はダニエル並で、上腕はアランの太ももくらいの太さで
ある。
﹁えぇと、あなたは?﹂
﹁ああ、おれはダオル。南国、ラオリ諸島連合国の出身だ。宿で変
な動きをしていた連中は、これで最後のはずだ﹂
﹁ああ、すみません、有り難うございます。ご迷惑をお掛けしまし
た﹂
それを聞き、アランは慌てて頭を下げて礼を言った。
﹁いやいや、こんな事やらかして、いったい何を考えてるんだかな、
こいつら﹂
そう言って、大男は倒れた男を軽々と抱き上げた。
﹁あの、すみません。たぶん、こいつらを指揮していた金髪碧眼の
男がいたんじゃないかと思うんですが、見掛けませんでしたか?﹂
﹁ああ、あれってレオナールって坊主じゃなかったのか。そう言え
ばあいつ、ハーフエルフには見えなかったな﹂
﹁⋮⋮レオを知ってるんですか?﹂
思わず身構えて距離を取るアランに、大男は苦笑した。
982
﹁ああ、ダニエルと知り合いでな﹂
しかし、気を緩めないアランに、更に続ける。
﹁一緒に仕事していたんだが、ダニエルに呼ばれてこちらへ来た。
王都からじゃなく、辺境から直接こっちへ来たんだが、ダニエルは
ここにいないのか?﹂
その言葉に、ようやくアランは構えを解いて、返答する。
﹁冒険者ギルドの鍛錬場で、レオと真剣で打ち合いやっています。
もしかしたら、昼なので昼食取りがてら、休憩中かもしれませんが﹂
﹁で、お前はアラン、で合っているか?﹂
﹁はい、その通りです。はじめまして、アランと申します﹂
笑顔で名乗るアランに、大男も目を線のように細めて笑う。
﹁さっきも名乗ったが、おれはダオルだ。仕事が済むまでは暫くこ
の宿に滞在予定だ。よろしく﹂
﹁はい、よろしくお願いします﹂
﹁で、アラン。お前もこれからギルドへ行くつもりだったのか?﹂
﹁ええ、どうもこのままじゃ埒があかないので。時間稼ぎしても衛
兵は来ないし、事態も進展しないようだと思ったので。
でも、良かったです。宿の人に迷惑掛けるのが心配だったから﹂
983
﹁ハッハッハッ、思ったより人数がいたので、時間が掛かってすま
なかったな。
後は、外にいるやつを全員片付けるだけなんだが、さっきの金髪
剣士を逃がしたから、あれが首謀者って事になると、既にいないか
もな﹂
﹁あ、でも、その今、肩に担いでる男が、そいつのパーティーメン
バーなので、関わっていた証拠にはなるかもしれません。
ただ、首謀者のベネディクトが貴族の庶子で、この町の老舗商家
の孫らしいので、口を割るかどうか。ギルド上層部とも癒着してい
るそうですし﹂
﹁ふむ。一応ギルドと領兵団にも通告しておいて、身柄はこちらで
預かっておくか。他に、同じパーティーのやつがいないか、確認し
て貰えないか?﹂
﹁はい。この町で顔を知っている冒険者は︽蛇蠍の牙︾と︽疾風の
白刃︾だけなので、たぶんほとんどわからないと思います﹂
﹁いざとなれば、こちらで尋問して吐かせるから問題ない。この国
で言うなら、おれは﹃蛮族﹄の類いで、故郷にいた時は、しょっち
ゅう小競り合いに借り出されていたからな﹂
﹁え? あの、若く見えるけど、ダニエルさんと同じく歴戦の戦士
なんですか?﹂
﹁いくつに見えたのかは知らんが、戦士として実戦に出たのが十歳
くらいで、今は三十過ぎたところだ。故郷では主に船の上で生活し
ていて、切り込み役をやっていた。ランクはソロでAだ﹂
984
アランは思わず息を呑み、相手を凝視してしまう。
﹁それはすごい。でも、そんなに強かったなら、故郷でも大活躍だ
ったのでは?﹂
﹁⋮⋮嵐に遭遇して、船が難破した。しばらく漂流して、ようやく
里へ戻ったら、既に壊滅していた﹂
重い告白を受けて、アランが硬直した。なんと言えば良いやら、
悩むアランに、大男は大きく声を上げて笑った。
﹁まあ、18年前の昔の話だ。それ以来、自由民として各地を旅し
ている。ダニエルと出会ったのは、この王国の辺境にある︽魔の森
︾だ。いきなり生肉食わされそうになったのは、仰天したが。
いや、王国に生肉を食う習慣がなくて、本当に良かった﹂
﹁それは、すみません。あの人、俺達にも勧めて来た事あったんで
すが⋮⋮﹂
無差別だったか、と溜息をついた。
﹁本気で旨いと思ってるようだから、悪気はなかったんだろうが、
あれは困るな。
当時は共通語もあまり上手くなかったから、意味を取り違えたか、
聞き間違いかと思ったが﹂
﹁という事は素を知ってるんですね﹂
﹁この国では英雄らしいな。あいつの噂や風評を聞く度に、笑いを
こらえるのに苦労するが﹂
985
﹁英雄の本性なんて知らない方が良いですし、皆に知られたら幻滅
どころか、排斥に走る過激な連中も出て来そうですよね。
でも、あの人、人外だからドラゴンでも倒せそうにないですが﹂
﹁魔人はともかく、魔族・魔神級じゃないと殺せそうにないな。あ
の速さや膂力も恐ろしいが、それ以上に体力が半端じゃない。
あの速さを長時間維持できるはずがないと見て、長期戦なんか仕
掛けようものなら、まず間違いなく自滅する。
かと言ってまともに打ち合いに行くのは自殺行為だしな﹂
﹁対人で本気出す事ほとんどないから、あれが最高速だと思ってた
ら、更にその上がありますからね。
あの人の本気を見たら、普段はどれだけ分厚い皮を被ってるんだ
と思いますし。
でも、その剣見る限りでは、あなたの膂力も相当では?﹂
﹁俺は両手で握るが、あいつはあれを片手でも使えるからな。さす
がにあのクラスの剣を片手で握る自信はない。
しかも身体が軟らかくて、バランス感覚も良い。見えない速さで
一直線に来る剣撃も恐ろしいが、攻撃が何処からどう来るかわから
ないのも恐ろしい﹂
二人で一階に降りると、食堂付近にロープで拘束された男達が、
転がっていた。どの男もほぼ無傷に見えるが、全員気絶している。
これはすごいな、と思う。レオナールと比較してはいけないと思
うのだが、つい比べてしまった。
︵レオに殴られた連中は、大抵ボロボロだからな。弱いやつだと一
撃で済むから、比較的軽傷だけど、そこそこ強いと、かえって酷い
986
目に遭わされるからな。
まぁ、だから一度やられても、再度絡んで来たり、報復に走る連
中が多いんだが︶
﹁どうだ?﹂
一人一人、顔を確認するが、記憶にある顔はない。アランが首を
左右に振ると、﹁そうか﹂と頷いた。
﹁ああ、あんた、無事だったかい﹂
宿のおかみが声を掛けて来た。
﹁すみません、ご迷惑をお掛けして﹂
﹁いやいや、あんたも災難だね。こいつら、ラーヌでも札付きのチ
ンピラどもでね。
普段はスラムにいるんだが、金で動く連中だから、時折こうやっ
て問題起こすのさ。
領兵団に通報しても、ボナール商会なんかの裏方が保釈金や賄賂
で解放して、そのままトンズラして、また繰り返しさ﹂
﹁と、いうことは、普段からしょっちゅう︽疾風の白刃︾の連中は
こういう事をやらかしてるって事か。
それで捕まらないって事は、やっぱり賄賂とか、そういう事、な
んだろうな﹂
﹁ああ、領兵団も冒険者ギルドも、金を持ってるやつの味方さ。た
だ、Sランクのダニエルさんの宿泊中に、こんな事をやらかすとは
思っちゃいなかったけど﹂
987
﹁大丈夫。安心してくれ、そいつらは二度と解放される事はない﹂
ダオルはそう言って、ニッコリ笑った。
﹁そりゃ、良かった! こいつらには本当、迷惑してたんだよ﹂
おかみが安堵した顔で、心底嬉しそうに言った。
﹁しかし、こんな人数どうするんですか? ダニエルさんの取って
る部屋でも、置いておけないでしょう。場所はあるんですか?﹂
﹁ラーヌでの活動用に、家を借りるか買おうとは思っていたが、さ
すがにすぐには用意できないし、とりあえずすぐに使える貸倉庫を
借りようとは思っている。
その前に、連中が目を覚まさないよう眠りの魔法を使ってくれな
いか? 睡眠薬を流し込むのでも良いが、この人数にそれをやるの
はかなりの苦行だ﹂
﹁了解しました。では、少し離れて下さい﹂
ダオルは肩にかついでいた男を、転がっている男達のそばに置き、
距離を取った。
おかみも言われた通りに離れた。それを確認して、アランは︽眠
りの霧︾を詠唱、発動する。
﹁︽眠りの霧︾﹂
元々気絶していた事もあり、全員に掛かったようである。
988
﹁しかし、これを運ぶのも大変じゃないですか?﹂
﹁ああ、荷馬車か何か借りないと無理だな﹂
その言葉に、アランがポンと手を打った。
﹁そうだ、厩舎に俺達が乗って来た幌馬車があります。今は荷を下
ろしてあるので、拘束して転がすだけなら、しばらく置いておける
と思います。
ただ、場所が厩舎なので、誰でも入れるという難点がありますけ
ど﹂
﹁幌を下ろして置いても、外部から人が入れるからな。普通の幌馬
車には、奴隷や囚人を運ぶ馬車のような拘束具は付いてないだろう
から、仕方ない﹂
﹁あんた達が良ければ空き部屋や、うちの倉庫に閉じ込めて置く事
もできるよ﹂
おかみの言葉に、アランもダオルも驚いた。
﹁いや、でも、それじゃ業務に支障がでないか?﹂
﹁いやいや、これでこいつらの起こすトラブルと決別できるなら、
願ったり叶ったりだよ。
倉庫は出入りが多いから、鍵のかけられる空き部屋の方が良いだ
ろうね。部屋の動かせる備品を取っ払えば、ベッドやチェスト類は
そのままでも、転がすだけなら、結構広く使えるはずだよ。
意外とテーブルや椅子は場所を取るもんだからね﹂
989
﹁では、使用する部屋の宿代も払おう﹂
ダオルが言うと、おかみは首を左右に振った。
﹁いや、お代はいいよ。感謝の気持ちさ。その代わりと言っちゃな
んだが、徹底的にやっておくれよ。
こいつらがいなくなれば、それだけでも、町がスッキリするよ﹂
よほど、このチンピラどもは嫌われているようである。ダオルは
頷き、それではという事で、男達を空き部屋に運ぶ事になった。
力仕事には向かないアランは、おかみと共に空き部屋の備品を、
宿の物置に運ぶ作業を手伝った。
途中、窓の外を一応確認したが、先程までいた戦士の姿はもちろ
ん、人影は全く見当たらなかった。
﹁でも、本当に良かったのか? 昼時にこんな騒ぎになって、客も
寄りつかず、営業妨害になったんじゃないのか﹂
﹁別に、これが初めてじゃないからねぇ。あんたが悪くないのは、
わかってるさ。あいつらは、新顔を見掛けると、連中に従うように
なるまで、そいつにつきまとうのさ。
おかげで町のあちこちの中小の店や宿が、被害にあってる。高級
店やボナール商会の息がかかった店、取引店なんかには被害は出な
いがね﹂
﹁それはまた、露骨過ぎるな﹂
﹁まぁねぇ。うちはボナール商会みたいな大店とは取引ないから、
恩恵は全くないし、他の大半の店や宿がそうさ。
おおっぴらに言ったりはしないが、蛇蠍のように嫌われてるね。
990
あいつらに比べたら、倉庫の食料を食い散らかすネズミの方が可愛
いくらいだ﹂
それは酷い、とアランは眉間に皺を寄せた。
﹁これまで、それが問題になったり、対策を立てようとしたり、な
んらかの処置をしようとする人は現れなかったのか?﹂
﹁そりゃ、皆無ではなかったさ。けど、それは大抵Cランク以下の
冒険者だったり、それほど金持ちじゃない一般人や、小さな店や宿
だったからね。
どうにかしようと立ち上がった連中は、今は一人もこの町にはい
ないよ。死んだり、行方知れずになったり、他の町へ逃げたりね。
だから、わたしも含め、腹は立つが、黙って飲み込む連中が多か
ったんだ。
でも、ダニエルさんが来たからね。ラーヌでも評判だよ。あの人
がどこやらの何やらを捕まえたとか、そいつがきっちり罰を受けて
処刑されたとか、そういう噂を聞く度に、爽快な気分になったもん
だよ。
まさか、この町に来るとは思わなかったがね﹂
なるほど、とアランは頷いた。ダニエルの実態的には、正義感と
かそういう理由ではなく、気が向いたからとか、たまたま人に頼ま
れて暇だったからとか、どうせそういうしょうもない理由なのだろ
うが、知らなければそう見えても不思議じゃない。
そして、今回の件もそういった事とは関係なく、きっとおそらく
は、皆の期待通りの展開になるのだろう。
その理由は、大衆が期待したりそう望むような理由ではなく、た
991
またまこの町にレオナールとアランが仕事に来て、たまたまダニエ
ルがこの町で彼らと遭遇し、レオナールとアランが絡まれたのをき
っかけに。
︵ちょうど良い暇潰しが出来たとか、言いかねないもんな、あの人︶
もちろん彼が、レオナールとアランを彼なりに可愛がっているか
ら、というのも動く理由の一つにはなりそうだが、たぶん本人はそ
うは言わないだろうと思う。
ウル村の一件でも、そうだったのだから。アランはこっそり溜息
をついた。
992
24 魔術師は宿で思案する︵後書き︶
サブタイトルが微妙に合ってない気がしますが、一応これで。
一連のエピソードを本編に入れたのは失敗だったかなとも思いつつ。
もうちょい続きます。
次の章はダンジョンになる予定ですが、まだまだ先になりそうです。
今月中にいけるか微妙です。
以下を修正。
×何処からどう来るか振るわれるか
○何処からどう来るか
改行ミスと前話の誤字︵逆の意味になってた︶などを修正。
993
25 悩む師匠と笑う弟子
結局アランは宿の食堂で、ダオルと共に少し遅めの昼食を取る事
にした。
彼ら以外の宿泊客は全員外出していたらしく、被害に遭った者が
最小限で済んだ事に、アランはホッとした。
まともな昼食を取る事ができ、とりあえずの安全が確保されたた
め、ギルドに行く必要はなくなった。
︽疾風の白刃︾の連中に襲われなければ、レオナールたちと共に
食事を取るつもりだったのだが、そうするつもりがなければ、脳筋
どもの鍛錬には興味はない。
ダニエルが言っていた王都からの応援とは、ダオルの事なのだろ
うが、襲撃された直後の事であるし、拘束して閉じ込めてあるとは
言え、見張りもなしに男達を宿に置いたままギルドへ向かうのは、
不安があった。
故にアランは今日はもうレオナールたちが戻るまで、宿に引きこ
もるつもりである。
軽食にスープとサラダがついた程度の、簡単な昼食を取ると、ア
ランはおかみに厨房を少し貸して貰えないか聞いてみた。
﹁いったい何をするつもりだい?﹂
﹁小さい鍋を借りて、糊を作ったりしたいんだ。ほとんどの作業は
部屋でするつもりだから、しばらくだけで良い。
あと、鶏の卵があれば、いくつか買い取りたい﹂
材料があれば、薬剤などの補充、調合もしておきたいが、簡単な
994
道具はあっても素材や薬は手持ちにない。外に出てまたあの連中に
遭遇したらと思うと、買い出しに行きたいとも思えない。
﹁あまり数はないけど、どのくらい要るんだい?﹂
なるべくたくさん、と言いたいところだが、卵はあまり安いもの
ではなく、また毎日買えるものでもない。
あまり日持ちがしないため、定期的な入手が難しいため、ものす
ごく高級または稀少というわけでもないが、庶民にはなかなか口に
入れる機会がない食材の一つである。
﹁3個あれば良い。中身はなくても良いから、なるべく損傷の少な
い殻があれば、有り難いんだが﹂
﹁殻だけで良いのかい? なら、料理に使った後のでもかまわない
かい﹂
﹁なるべくきれいな状態のものが望ましい。鶏じゃなくても卵なら
何でも良いんだが、最低でも鶏卵くらいの大きさのものが欲しい。
とは言え、大きすぎると困るから、手で握れるサイズのものが良
いんだが、たぶん鶏卵以外だと、更に入手難易度が高くて価格も高
いだろうから﹂
﹁なるほどねぇ。今朝、ちょっと使った分は、他のゴミと混じって
しまってるから、今晩の夕食に使う分を残すって事でかまわないか
い?﹂
﹁ああ、それで十分だ。今すぐ使うつもりはない。あと、今日は行
かないが、後日買いに行きたいから、おすすめの薬屋と、雑貨店を
教えて貰えると助かる﹂
995
﹁ああ、それなら、ここの近くにあるよ。この宿の裏の更にもう一
本裏手の通りに、薬も扱う雑貨店ができたんだ。︽薬と雑貨の店カ
プレ︾だよ。
品揃えが良いってわけじゃないし、店もこじんまりとしているが、
品質は問題ないし、接客している夫婦も気持ち良い人たちだ。
具体的に何が欲しいか言えば、店に並んでない商品でも、数日後
に買える事もあるよ。
相談事にも乗ってくれる。この町で昔から営業している大手の薬
屋もなくはないが、ボナール商会の息が掛かっているからね﹂
それは勘弁して欲しい、とアランは渋面になった。
﹁もしかして、老舗や大店の大半はボナール商会と繋がってるのか
?﹂
﹁全てがそうだというわけじゃないが、大半がそうだね。ボナール
商会は、先日もやり手の商人を取り込んだところだしね﹂
﹁やり手の商人?﹂
﹁輸入物の高級嗜好品を扱う行商人だったんだが、ボナール商会の
主の妻の甥の娘の婿になったのさ。
一応﹃アンギール商会﹄とは名乗っているが、実質はボナール商
会の別事業の支店みたいなものだね。主はその婿だが、店員はボナ
ール商会から派遣された連中だからね。
婿は渉外役兼商品の買い付けに飛び回っていて、店にはいないん
だ。玉の輿だと言う者もいれば、あれは吸収されて利用されただけ
だと言う者もいる。
996
新婚なのに、初夜と最初の三日ばかりは過ごしたが、後はほとん
ど家に帰れない生活をしているって、話だからねぇ。
だけど婿の方だって、大金を持参金代わりに貰ったり、無利子で
資金提供を受けたりしているから、損はない。
一応ボナール商会の子飼いだが、部下や腹心を育ててるって話だ
し、その内そいつらに引き継ぎさせて、自分は落ち着くつもりなん
じゃないかね。
まあ、扱ってる商品が商品だから、一般庶民には関係ない店さ。
その婿は待遇も良いし、むしろ幸運な部類なんだろう。
中には一家離散になって借金返済のため奴隷になったり、夜逃げ
した連中もいるからね。
潰されるくらいなら、自ら飛び込んで協力した方がマシだと考え
る連中の方が多いだろう﹂
アランはそう言えば、店の名前などは出なかったが、雑貨屋も含
め、情報屋から聞いた話にどちらもあったな、と気付いた。
つまり、ここ三ヶ月の話だ。
﹁普通、結婚してすぐに、そうやって家を留守にするのって、商人
としては当たり前なのか?﹂
﹁当たり前ってわけじゃないが、そういうのは人それぞれだからね
ぇ。大抵は金のない連中が、出稼ぎに行くって話の方が、大半だ。
商人は商人で、それなりの理由ってのがあるんだろう。
色恋で貰った嫁というわけでなし、大店の資金や人手の提供と、
引き替えみたいなものだからねぇ。仕事や商売の方が大事なんだろ
うよ﹂
アランはうわぁ、という顔になった。それは面倒臭そうだ、とも
997
思う。いくら美人でも紐付きの嫁など、自分なら御免こうむるな、
と考えた。
結婚などまだまだ先の話で、自分ができるかどうかもわからない
が、一応それなりに夢はある。
ただ、余裕は全くないので、十年後くらいには家族を養えるくら
い稼いで、結婚できていると良いな、くらいの気持ちだが。
自分の周囲に既婚男性がリュカくらいしかいない辺りを見ると、
冒険者が結婚して家庭を持つのは、難しいのだろうかと思わなくも
ない。
リュカは冒険者経験は皆無で、成人後に就職して、ギルド職員と
して長年勤めた人物であり、その妻は幼なじみで隣家の住人だった
そうである。
︵俺の幼なじみって、レオナール以外だとウル村の遊び友達だけど、
同年代は男ばっかりだったしなぁ︶
妹の友人は年が離れすぎていたし、一番年齢が近い女性で五歳年
上と四歳年下という辺りで、同じ村の中に、恋愛対象になるような
同年代の少女はいなかった。
しかも、ウル村での彼は、全く評価されておらず、それどころか
﹃役立たず﹄という陰口すら叩かれたりしていたので、家族は好き
だが、二度と村に戻るつもりはない。
高名な魔術師、冒険者となれたなら、一時的な帰郷も考えなくは
ないだろうが、まだまだ先の事であるし、そうなる可能性もわから
ない。
人口二百人にも満たない田舎の村から、数千人規模の町へ出て来
たのだから、驚きの連続である。
︵都会には、田舎とは全く別の文化・風習・価値観があるって事な
998
のかな。生活リズムも歩く速度も、会話の口調や内容ですら、全く
異なるわけだし︶
ロランでだいぶ慣れたと感じていたが、ラーヌでまだまだだな、
とつくづく感じた。そして、この町に長居する気にはなれない、と
も思った。
良くわからない理由で、老舗の大店が、間接的に潜在的な敵にな
ってしまったようであるし。
︵それにしても、どうしてこんな面倒臭い事になったんだろうな︶
おそらくは、レオナールが要因なのだろうと思うが、どうせ本人
に尋ねても、心当たりがないと言われるのがオチだろう。
アネットのところで、かなりの魔術を使えるようになったので、
後は報告さえ済ませれば、アランとしてはこの町に用はないのだが。
﹁嫌な予感がする⋮⋮﹂
それだけで、憂鬱である。なんとなく、としか言いようがないの
だが、おそらくすんなりこの町を出る事はできないような気がする。
しかも、ロランを出る時にレオナールが言っていた、ラーヌの南
東の新しいダンジョンの噂を、このラーヌで全く聞かないという辺
り、ものすごく嫌な予感しかしないのだが、行きたくないと言って
も無駄であろう事が、容易に想像つく。
ダンジョンの件に関しては、ダニエルがラーヌに滞在中に、情報
屋と連絡つけて、事前情報を収集しておきたいところである。それ
が終わるまでに、何も起こらなければ良いのだが。
︵そうならない気がするんだよなぁ⋮⋮︶
999
はぁ、とアランは溜息をついた。
そして、厨房で火を借りて、糊を作ると、それを小皿に移し、鍋
を洗って返すと、部屋に戻った。
背嚢から乳鉢と乳棒、計量用のスプーンや、薬剤、万が一の野営
用に持ち歩いている胡椒と唐辛子などを取り出した。
小型のナイフで胡椒と唐辛子を細かく刻み、乳鉢で細かく磨り潰
し、薬包紙に計量用のスプーンで小指の爪ほどの量を取っては包む。
それが終わると一度乳鉢を水で洗い流し、丁寧に布で水気を拭き
取った。
︵足りない材料が多すぎるけど、とりあえず手持ちで出来そうなも
のを作っておこう︶
毎回薬や毒を撒いて逃走というのも芸がないが、最低限の自衛は
必要だろう。
魔法を無詠唱で使えれば楽だし便利なのだが、それは特殊体質だ
ったり、よほど魔法・魔術に精通していなければ無理である。
高位の魔術師でも詠唱時間を短縮したり魔法の効率化によって、
発動までの時間を短くする事はできても、無詠唱はできない。
どちらかというと伝承・伝説の類いであり、常人には不可能だと
いうのが、魔術師の常識である。
故に、無詠唱に見えるものの大半は、詠唱する時の声を他人に聞
かれないようにする、魔道具やダンジョン発掘品などの古代文明の
遺産を使用する、などといった方法で、相手にそう誤認させている、
あるいは別人に詠唱させて詐称している、などといったものである。
そして、有用な魔道具やダンジョン発掘品は高価で稀少なため、
王侯貴族や裕福な一部の平民、そして金と力のある冒険者でなけれ
ば、入手する事はほぼ不可能である。
それでも、いつかは自分もそんな代物を、と夢見たくなるもので
1000
ある。とりわけ冒険者であれば。
︵無いものは仕方ないけどな︶
諦め・割り切りが良すぎるのは、アランの長所でもあり、欠点で
もある。
◇◇◇◇◇
剣を持って踊るように、楽しげにそれを振るうダニエルと、それ
に振り回されつつも、少しずつ動きに無駄がなくなっていくレオナ
ール。
見える場所にはないが、既にいくつかの箇所に痣を作っているが、
痛みを覚えても、それを無いように振る舞い、動いている。
打たれたり殴られたりしても、その瞬間以外はほぼ無反応ではあ
るが、痛覚がないわけではないし、感覚が鈍いわけでもない。
ただ、一時的にそれを無視する事が出来るというだけである。さ
すがに骨折したり、肉を激しく損傷すれば、動きに支障が出たりす
るため、無反応を保つ事は難しいが。
そこへ、魔力で包まれた白い物が飛来し、ダニエルの目前へ、ヒ
ラヒラと落ちて来た。
慌ててレオナールが振るった剣を右手一本で打ち払い、それを左
手で掴むと、
﹁悪ぃ、小休憩だ﹂
と、ダニエルはレオナールに告げた。
1001
ほぼ無表情だったレオナールが、怪訝そうに眉をひそめた。
﹁何?﹂
﹁連絡用の魔道具だ。たぶん王都からの連絡か、応援がラーヌに着
いたって連絡だろう。緊急だと対処しなくちゃならないから、ちょ
っと待て﹂
ダニエルはそう言って、剣を鞘に納めると、左手で掴んだ手紙と
思しきものの表裏を確認してから、封を切る。
それを見てレオナールも剣を鞘に納めて、その場に座り込んだ。
汗を拭いたいところだが、その前に少しでも身体を休めておきたい。
﹁⋮⋮あー、マジか﹂
中に入っていたのは薄い紙切れ一枚だった。しかも、中に書かれ
ている文章も短文三行のみ。書いた本人の性格を示すように、簡潔
すぎるほど簡素な文面だが、伝えたい事は良く理解できた。
﹃ラーヌに着いた。
宿で襲われたため、相手を拘束した。
アランは無事に保護した。以上。
ダオルより﹄
﹁でも、誰に襲われたか書いとけよ﹂
ダニエルは、思わず眉間に皺を寄せて呟いた。
﹁え、何?﹂
1002
レオナールが、不思議そうに首を傾げた。
﹁アランが宿で襲撃されたらしい。誰に襲われたかは書いてないが、
無事保護されたらしいから、大丈夫だ。
緊急性はない。早くこちらへ来い、とは書かれてないからな。ど
うする?﹂
ダニエルが肩をすくめて言うと、レオナールが渋面になる。
﹁それだけ? 他にないの?﹂
﹁ないな。あいつ、必要だと思った事以外書かないし、連絡して来
ないからな。
心配なら戻るし、折角取ったんだから、このまま時間まで鍛錬す
るのでも良いが、お前はどうしたい?﹂
レオナールがムッとした顔になる。
﹁それを私に聞くの?﹂
﹁うん? 何だ、俺がお前にどうしたいか、尋ねるのが問題だって
言いたいのか?﹂
ダニエルがニヤリと笑って、からかうように言う。
﹁別にアランの心配なんかしてないわよ。あの子、日常的な面では
ちょっと鈍いところもあるし、運動神経はあまり良くないけど、危
険察知能力は高いし、要領良いもの。
それに師匠が言ったんでしょ。我を通したかったら、それなりの
実力つけなきゃ、ゴミだって。実力で納得させろ、って﹂
1003
﹁そうだな。で?﹂
﹁現状で問題なくて、護衛役もいるなら、このまま続けるに決まっ
てるでしょ﹂
﹁うんうん、早くランクアップして、強い魔獣や魔物狩りに行きた
いもんな? でも、一朝一夕に実力なんかつかねぇぞ。
焦っても、なるようにしかならない。自分の能力超えたものを求
めても、それは悪あがきってやつだぞ? 身体を壊す元だ﹂
﹁⋮⋮何が言いたいのよ﹂
﹁素知らぬ顔して、すっとぼけてるつもりかもしれねぇが、そろそ
ろ体力限界なんじゃねぇの?
別に今日じゃなくても、また稽古つけてやるから、無理すんな﹂
ダニエルの言葉に、レオナールはものすごく嫌そうな顔になる。
﹁それに、お前が転がした連中の仲間がやったなら、ギルドから帰
る時に、俺達が襲撃される可能性も皆無じゃないだろ?
そういう時に、俺はともかく、お前、ヘロヘロな状態でどうすん
の? 深窓の令嬢みたいに、俺に守って貰う気か? ハハッ﹂
その言葉に、むっつり黙り込んだまま、レオナールは帰り支度を
始めた。
﹁お? もうやめて帰るのか?﹂
ダニエルがからかう口調で、そう尋ねると、レオナールが振り返
1004
ってギッと睨んだ。
﹁殺されたいの?﹂
﹁おっと﹂
ダニエルは大仰に肩をすくめ、真顔になった。
﹁で、どうする?﹂
﹁見てわからないの?﹂
レオナールが睨みながら、タオルで簡単に露出している部分の汗
を拭い、背嚢を担いだ。
﹁了解、了解。んじゃ、帰るか!﹂
ダニエルは身に付けた装備以外は、荷物はない。おそらく、財布
や貴重品くらいは身に付けているのだろうが。
﹁お疲れ様でした!﹂
結局最後まで見学していた︽蛇蠍の牙︾と︽一迅の緑風︾の面々
が挨拶する。
そして、︽蛇蠍の牙︾の魔術師が近くに歩み寄って来て、二人に
告げる。
﹁たぶん、︽疾風の白刃︾の連中と、リーダーのベネディクトの意
を受けたスラムのチンピラどもの仕業だと思うぞ。いつもの手だ。
連中やボナール商会に狙われると、降参するまであちこちで付け
1005
狙われて、襲撃されたり嫌がらせされる。
服従して金を払えば、すぐ収まる。どうするかは、あんたら次第
だ﹂
﹁そいつらバカなの?﹂
レオナールが不思議そうに、首を傾げて言った。その言葉に、魔
術師は苦笑する。
﹁まぁ、そう言ってやるな。今までそれが許されてきて、守られて
きた連中なんだ。それ以外の事なんか知らないし、挫折した事も、
自分が苦しめられた事もない。
生まれてからずっと、自分のやりたいように生きてきたんだ。今
更、他の生き方はできないだろ﹂
﹁潰しても、かまわないわよね?﹂
レオナールがニヤリと笑って言うと、
﹁潰せるもんならな。失敗すれば、殺されるか、かどわかされるか、
逃げるしかない﹂
﹁ねぇ、師匠﹂
レオナールが、チラリとダニエルを見る。ダニエルは苦笑した。
﹁はいはい、俺に動けってんだな。お前、師匠を顎で使おうとすん
なよな﹂
﹁私がやっても良いけど、指名手配とかされるのは面倒だもの。使
1006
えるものは何でも利用しろって教えてくれたの、師匠でしょ?﹂
﹁だからと言って、無茶振りすんなよな﹂
﹁え? 出来ないの?﹂
わざとらしく驚いたような顔をするレオナールに、あー、とダニ
エルが髪を掻き上げ、ぼやくように言う。
﹁くっそ、なんでこんな可愛くないのに育ったんだ! 師匠お願い
助けて、とか言ってくれりゃあ、ちったぁ可愛げあるってのに﹂
﹁ええと、﹃師匠お願い助けて﹄?﹂
レオナールに棒読みで言われて、ダニエルが苦笑する。
﹁ああ、わかった。お前に演技とか計算とか、無理だよな。うんう
ん、俺の方こそ無茶振りしたよな、悪かった。
んじゃまぁ、可愛い弟子に頼まれたから、動いてやるか。ま、期
待して待ってろ。お前は何もしなくて良いからな﹂
﹁え? ダメなの?﹂
心底不思議そうな顔で聞くレオナールに、ダニエルが困ったよう
な顔になった。
﹁だってお前、加減とか、やって良いこと駄目なことの区別つかね
ぇじゃん。
お前が動くと、どんな段取り立てても、何か全部ぶち壊されそう
だろ? そこまで考えるの、面倒臭ぇよ﹂
1007
﹁でも、﹃正当防衛﹄ならかまわないのよね?﹂
レオナールの言葉に、ダニエルは溜息つきながら頷いた。
﹁ああ、本当に﹃正当防衛﹄で、それが必要最小限ならな。面倒臭
いから、殺すなよ。
賞金首ならともかく、一般人や素人、犯罪者扱いされてないない
グレーなやつは、下手に殺すと後始末が面倒なんだ。
いざとなったら最強の切り札使ってやるけど、無駄な労力使わせ
るな。頼むから﹂
﹁バレない程度に、犯罪にならない程度でやるから安心して﹂
ニッコリ笑うレオナールに、ダニエルが渋面になる。
﹁全然安心できねぇよ﹂
1008
25 悩む師匠と笑う弟子︵後書き︶
ネーミングセンスないので、サブタイトル微妙なのが悩ましいです。
というわけで次回以降、反撃、になるはず︵うっかり別のエピソー
ド加えなければ︶。
たまに自分でも思ってもみない︵プロットにない︶事つるっと書い
ちゃうので、困ります。
以下を修正。
×むしろ幸運の部類
○むしろ幸運な部類
×人口百人にも満たない
○人口二百人にも満たない
×別人に詠唱させている
○別人に詠唱させて詐称している
×ほぼ無反応ではなるが
○ほぼ無反応ではあるが
1009
26 マイペースな剣士と、魔術師の憂鬱︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。人間相手の戦闘描写があ
ります。苦手な人は注意して下さい。
1010
26 マイペースな剣士と、魔術師の憂鬱
ヘーゼル
レオナールとダニエルが宿に戻ると、食堂に背に大剣を担ぎ、動
きやすそうな革鎧を身につけた、褐色の肌に、金茶の短髪、淡褐色
の瞳の大柄な男がいた。
﹁よう、ダオル、久しぶりだな。お前が来るとは、予想外で驚いた﹂
ダニエルがそう声を掛けると、大男はゆっくり近付いて来て、明
るく人なつこい笑みを浮かべて、答える。
﹁ああ、ずっと辺境にいたんだが、ラーヌへ行くよう言われてな。
あっちの仕事は終わったところだから、問題ない。
どうせおれはこの風体だ。王国内じゃ何処へ行っても目立つから
な。出来る仕事は限られている﹂
﹁ああ、そうか、なるほどね。っていうか、辺境からだと、俺が連
絡してから移動しても間に合わねぇだろ? って事は王都へ帰還中
だったのか?﹂
﹁まぁな。ちょうどこちらの方向へ移動する最中だった。それで、
おれが出した手紙は読んだか?﹂
﹁ああ、読んだから来た。で、そいつらはどうした?﹂
﹁おかみの好意で、拘束して空き部屋に閉じ込めてある。アランに
魔法で眠らせて貰ったから、しばらくは保つ。
俺は戦闘はともかく、尋問はあまり得意ではないので、していな
1011
い﹂
﹁ああ、尋問はわりと特殊な技能だからな。あとは慣れだ。でも、
俺がやるから問題ない﹂
﹁出来るのか?﹂
不思議そうな顔で尋ねられ、ダニエルは苦笑する。
﹁何度もやった事はあるから、大丈夫だ。それに、俺の顔は有名だ
からな。顔見ただけでチビったり、勝手にペラペラ話してくれるや
つもいる﹂
﹁ほう、それは便利だな。で、その隣の青年が、お前の弟子のレオ
ナールか﹂
﹁ああ。そう言えば会うのは初めてだったな。レオ、こいつはダオ
ル。南国、ラオリ諸島連合国の出身で、大剣遣いだ。
基本ソロで、パーティーを組む事はほとんどない。ええと今のラ
ンクは何だっけ?﹂
﹁去年、Aに昇格した﹂
﹁という事で、Aランクらしい。ダオル、遅くなったが、ランクア
ップおめでとう﹂
﹁ああ。出来る事が増えるのは良い事だ﹂
ダオルはそう言って頷き、レオナールに向き直る。
1012
﹁ダオルだ。はじめまして﹂
身長は1.94メトルくらいだろうか。ダニエルより若干高く、
手足は更に太く、胸板も厚いので、大きく見える。
笑顔を浮かべず無表情で近寄られれば、威圧感を感じる事だろう。
﹁はじめまして、レオナールよ﹂
レオナールが挨拶すると、ダオルは少し目を瞠ったが、何も言わ
なかった。
﹁それでもう宿は取ったのか?﹂
﹁ああ、3階に。隣に連中を閉じ込めてある﹂
﹁ふうん、わかった。後で案内してくれ。あ、俺も3階の一番奥の
部屋だ﹂
﹁了解した﹂
ダオルが頷く。それからレオナールにまた向き直ると、微笑んだ。
﹁ああ、レオナール。今後、時折顔を合わす事になるかもしれない
が、その時はよろしく頼む﹂
ダオルの言葉に、レオナールは肩をすくめた。
﹁わかったわ。ソロでAランクって人に、冒険者登録したてのFラ
ンクがよろしく頼まれる事態なんて、ほとんどないとは思うけど。
じゃあ、私は部屋へ行くわ。しばらくはラーヌに滞在する予定だ
1013
から、顔を合わせる事はあるでしょうけど﹂
ヒラヒラと手を振って、レオナールは背を向け、階段へと向かっ
た。ダオルはその背を見送り、怪訝そうな顔でダニエルを見遣る。
﹁おれは彼が不快になるような言動をしただろうか?﹂
﹁気にすんな。あいつ、あれで意外と人見知りするんだ。喧嘩売ら
れたり挑発的に振る舞われなかったなら、問題ない。
レオの初対面時の人間の振り分けは、﹃敵﹄か﹃身内﹄か﹃それ
以外﹄だからな。
たまに初対面の人間相手に、3つの内のどれにも当てはめられな
いやつもいなくはないが、﹃それ以外﹄に認定されるのが大半だ。
何度自己紹介しても名前を記憶されない事もあるが、何度か顔を
合わせて﹃こいつは大丈夫だ﹄と判断されれば、覚えるから安心し
ろ﹂
﹁⋮⋮それで冒険者が務まるのか?﹂
﹁相方のアランがいるからな。交渉事全般はそっちが担当している。
見たらわかるだろうが、対人関係でもっぱらトラブルを量産して
るんだよ、あいつ。しかもわざとやってる場合と、無自覚でやって
る場合とがあるからな。
跳ねっ返りな上に強気なのは見てて面白いけど、危なっかしくて
時折ヒヤヒヤする﹂
﹁わかってるなら、注意してやらないのか?﹂
﹁あいつ、興味ないから言ってもすぐ忘れるんだよな。あれは人間、
または生きる事に興味を持たない限り、無理だろう﹂
1014
ダニエルの言葉に、ダオルが眉をひそめた。
﹁そうなのか?﹂
﹁ちょっと特殊な育ち方していてな。たぶんあれは、人間嫌いなん
だと思う。嫌いというよりは、興味がない、かもしれないが。
俺としては、その内で良いから、剣を振る事と同じくらい﹃他人﹄
に興味を持ってくれるようになってくれると嬉しいけど。まぁ、こ
ればかりは人に言われてどうにかなるもんじゃねぇからな。
あいつの殻をガツンと突き破って揺り動かしてくれるような出来
事が起これば、嫌でも変わるだろう。良くも悪くもな﹂
﹁せっかちで短気なお前にしては、悠長なんだな。だが、言いたい
事はわかる。俺も一時期は、何も見えない時期があったからな﹂
﹁そうだな、元自殺志願﹂
﹁よせ﹂
ダオルが渋面になった。
﹁お前のそういうところ、嫌われる元だぞ﹂
﹁ハハッ、他人の弱味をいじるのって楽しいよな! でもま、嫌な
事言われて、ムカついたり怒ったりできるのは良い事だからな。
俺だって相手は選ぶさ。傷付いて内に籠もるやつ相手には、やら
ないって。見返してやるって気持ちで、奮起してくれたらよっしゃ
!とは思うが﹂
1015
﹁言っておくが、誰にでもそういうやり方が通じるわけじゃないか
らな﹂
ダオルが嫌そうな顔で言った。
﹁おう。でも、お前もレオも俺が全力で踏みに行っても、自力で立
ち上がる力と根性、持ってるからな﹂
﹁たまには優しくしてやれ、まだ子供と言って良い年齢だろう﹂
﹁子供扱いされたくねぇらしいけどな。俺なりに可愛がってるつも
りだぞ? 頭撫でると嫌がられるけどな!﹂
﹁お前は絶対結婚したり、父親になったりしない方が良いな﹂
﹁あー、それは自分でもそう思う。たぶんそういうの向いてねぇわ﹂
ダニエルは肩をすくめた。
◇◇◇◇◇
レオナールは自分達が宿泊している部屋の扉に近付き、朝出る時
にはしなかった臭いに気付いて、立ち止まる。
︵⋮⋮ああ、あれかしら︶
見当を付けて、ノブには触れずに、扉をノックする。アランが応
答し、扉を開いた。
1016
﹁どうしたの、これ﹂
レオナールが尋ねると、アランは大仰に肩をすくめた。
﹁心当たりねぇか?﹂
その言葉に、レオナールは一瞬キョトンとする。
﹁金髪碧眼の剣士1、槍斧を持った戦士1、大きな盾と槍を持った
戦士1、魔術師1、神官1。
もう一人の魔術師は見掛けなかったが、宿にスラムを拠点にして
いるとかいうチンピラどもが来たから、それを呼びに言ったか何か
で別行動してたんだろう﹂
アランに言われた内容をしばらく考え、ようやく︽疾風の白刃︾
の事だと思い出した。
﹁ギルドの鍛錬場で会ったわ。何か言ってたかもしれないけど、良
く覚えてないわね﹂
﹁⋮⋮覚えておけよ、そういうのは。喧嘩売るか、売られるか、絡
まれるか何かしなかったか?﹂
﹁確か、挨拶とか応援とか言ってたわね。やり合ったのは︽蛇蠍の
牙︾の方だけど、そっちを魔術師以外全員転がしたら、何か良くわ
からない事言って、出て行ったわ。
アランのところへ行くくらいなら、私と遊んでくれれば良かった
のに。︽蛇蠍の牙︾は転がしがいのない雑魚だったけど、あっちは
もう少しやりがいありそうなのが、混じってたんだけど。
1017
どうしてそっちへ行ったのかしら?﹂
不思議そうに首を傾げるレオナールに、アランは渋面になった。
﹁お前とやり合うより、俺の方がやりやすいと判断したんだろ。お
前、他に何かやらかしてねぇの? 念のため確認するけど﹂
﹁やらかす? 何を? 素振り中だったから、剣は使ったけど、殺
さなかったし、致命傷になりそうな場所も狙わなかったわよ。
文字通り﹃転がした﹄だけだから﹂
アランの眉間に深い皺が寄った。
﹁⋮⋮おい、その﹃転がした﹄基準が良くわからないし、殺さなか
ったのはともかく、剣を使ったってどういう事だ。まさか真剣じゃ
ないだろうな?﹂
﹁真剣だけど。何か問題ある?﹂
怪訝そうな顔のレオナールに、アランが無表情の半眼になった。
﹁よし、わかった。お前、そこに座れ﹂
アランが指差した先は廊下である。
﹁え? なんで? 部屋に入れてよ。汗かいて気持ち悪いんだから﹂
﹁その前に、説教だ。一応確認するが、その時、相手は武器を抜い
て構えていたか?﹂
1018
﹁完全装備だったけど、最初は抜いてはいなかったわね。ただ、私
が素振り中なのに、迂闊に近寄って来たから、多少脅しはしたけど。
でもこっちに襲いかかって来た時には、抜いてたわよ。だから、
そのまま剣で応戦したんじゃない。
確か、無手で殴り掛かって来た時はダメで、武器持って襲われた
時は、こっちも剣で応戦しても良いんでしょ?
それに手加減はしたわよ? 回復魔法使える連中がいるから、安
心してやったのは確かだけど。
それに︽蛇蠍の牙︾の魔術師は、回復魔法で止血はしてたけど、
こっちには来なかったから手出しはしてないわ﹂
ほら、問題ないでしょう、と言わんばかりの口調と態度で言うレ
オナールを見て、アランは眩暈と頭痛を覚えた。
﹁おい、なんでそれを、自信持って言えて、自分が何もやらかして
ないと思えるんだ。それ、剣抜かなくても対処できたんじゃないの
か、なあ﹂
﹁ちょっぴり斬ったけど、斬ったとは言いがたいくらいにしか斬っ
てないわよ? それに、あの場に回復魔法使える人がいなくても、
死なない傷だし。
あー、最初のやつだけ、見せしめに脇腹斬ったから、あれはすぐ
治療しないとダメだったかもだけど、でも大丈夫だったから、問題
ないわよ﹂
﹁⋮⋮お前の﹃大丈夫﹄と﹃問題ない﹄の基準が知りたいよ⋮⋮﹂
思わず額と顔を手で覆い、扉の内側に寄り掛かったアランの前を
通って、レオナールが室内に入る。
そして呻くアランを無視して、剣帯を外し、鎧を外し始める。
1019
﹁あ、そうだ、アラン。その︽疾風の白刃︾だけど、師匠に頼んだ
から﹂
﹁⋮⋮え?﹂
アランが顔を上げ、キョトンとした顔になる。
﹁期待して待ってろって言ってたから、たぶん心配する必要ないわ
よ。それに、また何かして来たら、やり返しても良いって言われた
から﹂
レオナールに都合の悪い事は省いてあるが、嘘ではない事だけを
告げる。その言葉に、アランはようやく安堵した。
﹁あー、あのダオルさんて人も何とかするとか言ってたしな。じゃ
あ、どうにかなるかな﹂
﹁そうそう、アランは何も心配しなくて良いから﹂
﹁でも、しばらくは単独行動するのは、やめた方が良さそうだな。
近いうちに、この宿の近所の薬と雑貨の店と、情報屋に行きたいん
だが、付き合ってくれるか、レオ﹂
﹁んー、師匠との鍛錬する時以外なら別に良いわよ。今日はちょっ
と早く帰って来ちゃったし、次の予約入れないできたから、いつに
なるかわからないけど﹂
﹁ふぅん、じゃ、ギルドへの報告もあるし、情報屋は今夜、買い物
は明日にするかな﹂
1020
﹁そうね。それでかまわないかも。に、しても、何か臭いがするん
だけど、何してたの?﹂
﹁ああ、念のため、ちょっとな。たぶんもうあまり残ってないと思
うが、ノブの薬も拭き取っておく﹂
﹁って、ノブにかぶれ薬塗ったって事は、ここまで来たの?﹂
﹁ああ、そうだ。窓も割られたから、木戸を閉めた﹂
アランに言われて、窓の木戸が閉まっていて、代わりに︽灯火︾
で部屋が照らされている事に、レオナールはようやく気付いた。
﹁怪我はしなかったの?﹂
﹁︽方形結界︾使ったからな。お前が帰るまでに掃除したから、痕
跡は残ってないはずだが﹂
﹁マメねぇ。そんな事、宿屋の人にまかせれば良いのに﹂
﹁人に頼むより、自分でやった方が早い。それに、ここは室内に踏
み込まれなかったけど、他に荒らされた部屋とかはあったみたいだ
しな。
襲撃してきた連中は、ダオルさんっていう戦士の人が全員捕まえ
たから、たぶん盗みとかが仮にあったとしても、没収できたはずだ
と思うが。
︽疾風の白刃︾は盾持ってたやつだけしか捕まってないから、ま
た何か動きがあるかもしれない。
1021
あと、リーダーの金髪剣士が、ボナール商会の孫らしいから、も
しかしたらボナール商会、またはそいつらに報酬を貰ったスラムの
チンピラの襲撃か妨害、嫌がらせとかが起こる可能性もある﹂
﹁面倒くさそうね、それ﹂
他人事のような顔で言うレオナールに、アランは渋面になる。
﹁俺だけじゃなくて、お前も対象だからな。お前、本当に︽疾風の
白刃︾もしくは金髪剣士には、喧嘩売ってないのか?﹂
﹁特に記憶にないわね﹂
そう答えるレオナールに、アランは絶対信じられない、と憂鬱に
なった。
︵ああ、嫌な予感がする⋮⋮︶
ここはラーヌだ。土地勘はなく、知り合いもほとんどいない。
とにかく、ここを出るまで、あるいは事が終わるまでに、出来る
事はしておこう、と気を引き締めることにした。
◇◇◇◇◇
ダニエルとダオルはやる事があるという事で、ダニエルは嫌な予
感はするが、ジャコブが以前連れて行ってくれた家庭料理の店、︽
日だまり︾亭へと向かった。
1022
﹁いらっしゃい。あら、この前、ジャコブさんと来た、ロランの冒
険者の人? ジャコブさんなら来てないわよ﹂
看板娘のアメリーが、二人を見て、すぐ気付いて声を掛けて来た。
﹁いや、良いんだ。アントニオさんが来たら、声を掛けてくれるか
? 奥のテーブルに座っているから﹂
おおるりおばねどり
﹁わかったわ、アントニオさんね。注文はどうするの? お肉は角
兎と、角猪、珍しいところで大瑠璃尾羽鳥が用意できるけど﹂
﹁折角だから、大瑠璃尾羽鳥をいただくわ。近くで獲れたのかしら
?﹂
﹁ええ。常連さんが獲って来てくれたの。今日の目玉よ。そんなに
量が多くないから、全員には出せないんだけど﹂
﹁あら、良いの?﹂
﹁お客さん達、コボルト討伐してくれたんでしょう? 感謝の気持
ちよ﹂
アメリーがウィンクして言った。
﹁じゃあ、他に、エールとパンとスープとサラダと、何かおすすめ
料理を頼む﹂
アランが言うと、アメリーが嬉しそうに笑った。
﹁ええ、注文うけたまわりました。じゃあ、ちょっと待っててね﹂
1023
そう言って、奥へ消えた。レオナールとアランは一番奥のテーブ
ルに座った。
﹁あの子、お前に気があるんじゃないか?﹂
アランが言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁まさか。そういうのがあるとしたら、アランでしょ﹂
﹁何で俺だよ。だって、お前が肉しか頼まないのわかって言ってた
だろ、あれ﹂
﹁それくらいで、どうして私に気があるって話になるのよ。客商売
なら、そんなもんでしょ。新顔の客の好みを覚えてたら、たいてい
の客は気分良くなるでしょうし。
それに前回来てから、そんなに間がないから覚えてただけでしょ﹂
﹁まあ、別にどうだって良いけどな﹂
アランは肩をすくめた。
﹁どうだって良いなら、何故話を振ったのよ?﹂
怪訝そうに、レオナールは首を傾げた。
﹁いや、お前は相変わらずだと思ってさ。興味ないんだろ?﹂
﹁何をよ?﹂
1024
﹁うーん、まぁ、俺もあんまり人のこと言えないからな。まぁ、良
いか。
とりあえず、アントニオさんが来るまで適当に時間潰すから、あ
まり急いで食うなよ? ちょっとなら、追加注文しても良いから﹂
﹁わかったわ。どんな料理が来るかしら?﹂
﹁そんなに数はないって言ってたからなぁ。煮込みかソテーだとは
思うが。量を増やすなら煮込みじゃないか?﹂
﹁もう一品肉料理頼んだ方が良かったかしら?﹂
つむ
﹁たぶん頼まなくても、もう一品は肉料理になると思うぞ﹂
﹁そうなの?﹂
﹁俺の予想が当たればな﹂
みは
のんびりした口調でそう言って、目を瞑り掛けたアランが、ハッ
と目を瞠り、ガタリと音を立てて、立ち上がった。
﹁え? 何?﹂
キョトンとするレオナールに、アランが真顔で告げる。
﹁⋮⋮店を出るぞ﹂
﹁え?﹂
驚いた顔になったレオナールに、低くささやく。
1025
﹁嫌な予感がする。ここにいると、店に迷惑が掛かる。外に出よう﹂
﹁注文はどうするの?﹂
﹁仕方ないから、取り消すしかない﹂
﹁ふぅん。⋮⋮ねぇ、もし襲われたら、死なない程度なら、何やっ
てもかまわないかしら?﹂
レオナールが表情を消して、ヒヤリとした声音でボソリと言った。
﹁重傷は負わせるなよ﹂
アランが言うと、頷いた。そして、アメリーを捕まえると、急用
が出来たので注文は取り消して帰ると告げ、足早に外に出た。
﹁で、どっち?﹂
唇だけでニヤリと笑うレオナールが尋ねた。
﹁こっちだ﹂
アランは店の入り口から見て右手を指差した。
﹁本当便利ね、それ﹂
﹁有り難いと思うべきかどうなのか、時折自信なくなるけどな﹂
寒気にブルリと身体を震わせて、アランは答えた。そして、その
1026
方角へと歩き始めた。
﹁ああ、なるほど﹂
レオナールの︽暗視︾か聴覚または嗅覚に感知したのか、レオナ
ールが満足そうに頷いた。
﹁⋮⋮何人くらいだ?﹂
﹁ざっと二十人はいるわね。もしかしたら、他にも隠れているかも
しれないけど。
町中だと、人の気配が多過ぎて、色々なにおいが混じってるから、
正確に判断するには、ルージュを連れて来なくちゃ難しいかもね﹂
﹁幼竜を連れて町中歩くわけにはいかないだろ﹂
﹁羽を閉じていたら、トカゲと間違う人もいるかもしれないわよ?﹂
﹁そんなウッカリ人間ばかりじゃ、かえって困るだろ﹂
アランがぼやくように言った。
﹁弓が最低でも5、魔術師っぽいのが3、後は棍棒とか剣とか槍と
か斧とか槍斧かしらね﹂
﹁了解。ああ、そうだ、これ、いるか?﹂
﹁何? これ﹂
﹁ミスリル合金を磨いて、鋼糸を巻いた。きつめに巻いたが、巻き
1027
付けて縛っただけだから、すっぽ抜けるかもしれない。
使えるかわからないが、作ってみた。準備に時間が取れれば、鍛
冶屋にでも持って行って、きちんと加工したいところなんだが﹂
﹁なるほどね。試しに使ってみるわ。幸い的は多いし、当たらなく
ても牽制にはなるでしょ﹂
﹁とりあえず、俺に盾を唱えて、次に鈍足か束縛を唱える。その後
は、弓と魔術師優先で攻撃魔法を使うが、お前の方が早いようなら、
お前にまかせる﹂
﹁わかったわ﹂
そう答えて、レオナールが駆け出し、アランはまず︽鉄壁の盾︾
を詠唱する。
﹁其れは、我の身を守る、容易に破れぬ鉄壁の盾、︽鉄壁の盾︾﹂
レオナールが、先頭にいた数人の腕や腹などを狙い、剣を横に薙
ぐ。悲鳴を上げる男達。
アランはまず視界を確保するため、︽灯火︾を唱える。
その間に、レオナールは、次々と斬り付け、魔法を詠唱しようと
した魔術師の一人を、側頭部に回し蹴りを放って昏倒させる。
﹁散れ! 散開しろ!! 固まるな!!﹂
ハルバード
槍斧を持った男が叫ぶ。それを見て、レオナールはニヤリと笑う。
﹁見∼つけたっ!﹂
1028
更にもう一人の魔術師の腹を殴って、舌なめずりしながら、槍斧
の男に飛びかかる。
﹁っ!﹂
レオナールが振り下ろした剣を、男は槍斧で受け止め、払った。
﹁ふふっ、見掛けた時から斬りたいと思ってたのよね﹂
そう言うと、素早く左右にスイッチしながら、剣を振るう。男は
それを左右に払いながら、後退する。
アランの︽灯火︾が発動し、周囲が照らされた。
﹁今度は遊んでくれるんでしょう?﹂
笑いながら言うレオナールに、男は眉をひそめる。
﹁⋮⋮戦闘狂か﹂
それが自分に当てはまる言葉なのか、レオナールにはわからない
が、思わずニヤリと笑った。
﹁防御だけじゃなくて、攻撃もしてよ。楽しくないでしょう?﹂
そう言って、更に速度を上げた。男は舌打ちし、石突き部分で大
きく強めに払った。
レオナールは一度大きく後ろに飛んで、着地と同時に地面を蹴り、
また距離を詰めた。
﹁攻撃を、したくても、リーチが違うんだが、な﹂
1029
男がレオナールの剣撃を払いながら、答える。
﹁手を抜いてるくせに、良く言うわ﹂
そう言って、右手で振るった剣を払われた瞬間、左手で先程受け
取ったものを投げつけた。
﹁っ!﹂
男の右肩に当たったそれを、鋼糸を引いて、引き戻す。そして、
それをそのまま、グルグルと縦に回した。
レオナールの背後から近寄ろうとした者の腕に当たり、悲鳴を上
げて飛び退いた。
アランの︽鈍足︾が、周囲の何人かに掛かる。レオナールがその
まま手を離すと、前方へ飛来し、囲もうとしていた一人の肩に当た
って、そのまま倒れ込んだ。
﹁晩飯の恨み、覚悟しなさい!﹂
低く吠えるように叫ぶと、両手で握った剣を構えて振り上げ、男
の右肩へ斬り付けた。
1030
26 マイペースな剣士と、魔術師の憂鬱︵後書き︶
というわけで次回も引き続き戦闘です。
以下を修正。
×殴り掛かった来た時は
○殴り掛かって来た時は
×フル装備
○完全装備
×言い難い
○言いがたい
×面倒臭そうね
○面倒くさそうね
×臭い
○におい
×そんなに量が多いから
○そんなに量が多くないから
×︽暗視︾か嗅覚に
○︽暗視︾か聴覚または嗅覚に
×負わすなよ
○負わせるなよ
1031
27 踊る剣士と、怒鳴る魔術師︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。人間相手の戦闘描写があ
ります。苦手な人は注意して下さい。
1032
27 踊る剣士と、怒鳴る魔術師
ハルバード
レオナールの剣は、槍斧の男の右肩の皮一枚をわずかに切り裂い
た。男が驚愕した顔になる。
当然だろう。男の上半身は、おそらく鋼鉄製と思われる金属鎧で
覆われている。先に当てたミスリル合金によって傷付けられた箇所
を強撃で叩き付け、重量などで押し切ったのだ。
先に当てられたのがミスリル合金と知らなければ、同じ鋼鉄製に
見える剣に斬られたように見える。
﹁貴様、まさか魔法を使えるのか!﹂
レオナールのバスタードソードは、駆け出しの新人が持つにして
は、かなりの良品ではあるが、どう見ても魔剣や魔力付与加工され
た代物には見えない。
また、レオナール本人が魔法を使う事はできないが、その発動や
魔力の流れなどを、感知する事ができる。
筋力はそこそこといったところだが、魔法に弱い剣士・戦士の方
が多いため、見習い魔術師くらいには匹敵する魔力を持ち、標準的
な魔術師並の魔法抵抗力を持つ剣士は、稀少だ。
レオナールが剣だけではなく、魔法・魔術にいくばくかの興味を
見いだす事が出来れば、前衛で剣を振るいながら魔法も使える、魔
法戦士となる事も不可能ではなかったはずである。
実際は、魔法・魔術には露程も興味を抱かず、剣を振る事、剣で
斬る事にしか、興味を持てない上に、自分が興味のある事以外は全
く記憶できず、思考をめぐらすこともない、脳筋なのだが。
﹁あなたには、そう見えるの?﹂
1033
レオナールは笑った。男には魔法・魔力の素養はない。男の知識
は、自分が仕えるベネディクトの知るものに準じる程度のものでし
かない。
ベネディクトは、彼の魔術の教師たちに言わせると、魔術師とし
て大成するほどではないが、その魔力のほとんどを身体能力向上に
使えば、魔法戦士としては才能があるだろうと言われていた。
魔術師は近接戦闘に弱い。だが常に遠距離から攻撃する事が出来
れば、剣士や戦士よりも強い。
男は、魔力が伸び、魔法に精通すれば、魔術師と戦う事ができる
剣士に育てる事ができるかもしれない、という夢を見た。
だが、この目の前の剣士が既にそれを可能としているなら。一瞬、
焼け付くような嫉妬を覚えた。
自分の預かり知らぬところで、既にそんな剣士・戦士が存在して
いたなら、それは自分の功績ではなく、他人の功績・才能であり、
先駆者である。
﹁ふざけるな!﹂
ハルバード
ハルバード
男は激昂し、槍斧の中央に近い部分を握って、レオナールに斬り
掛かる。
レオナールが哄笑を上げて、ステップして避け、槍斧の刃を払う。
﹁やる気になってくれたのは嬉しいけど、猪武者には用はないわよ。
それじゃオークや雑魚と斬り合うのと何が違うのよ?﹂
アハハ、と笑うレオナール。鬼の形相と化した男は、先程までと
は雲泥の速さ・強さで槍斧を振るうが、同時に冷静さや理性、計算
を忘れ、技術も何もない。
1034
その攻撃はわかりやす過ぎ、単調過ぎた。速さというアドバンテ
ージがなければ、何処を狙っているのか見える攻撃は、払うも避け
るも、容易である。
﹁あまりガッカリさせないでよ。あなた、あらゆる武器のスペシャ
リストなんでしょ?﹂
レオナールが男を挑発する。
﹁ここは舞踏会会場じゃないわ。踊りたいだけなら、他でやってく
れないかしら?﹂
﹁貴様っ!!﹂
ますます剣戟が激しくなったが、攻撃は更に単調になった。レオ
ナールはなるほど、と考える。
挑発される側はただムカつくだけだが、する側になるとこうなる
のか、と。
これならいくら攻撃を繰り出しても翻弄され、無駄な体力を消耗
するだけである。身体の力が入り過ぎると、かえって動きが悪くな
る事もわかった。
熱くなって視界が狭くなれば、見えるはずのものが見えなくなる。
良い学習材料だ、とレオナールは思った。
﹁ふふっ、もっとちゃんと見せてよ? 槍斧相手に真剣で打ち合う
機会って、意外と少ないんだから、ちょっとは頑張ってよね!﹂
そう言って、手足を狙うような攻撃にシフトする。ことごとく打
ち払われるが、最初の時ほど余裕を持って行われてはいない。
この血の気の上りようでは、やりようによっては、早く終わらせ
1035
られない事もなかったが、
︵それじゃ、ちょっと面白くないものね、ふふっ︶
レオナールは、ストレス発散と怒りの解消を兼ねて、遊ぶ事にし
た。
︵まずは体力を削ってあげるわね、おじさん︶
そして、速さ重視で消耗戦を狙い、小刻みに攻撃部位を変えなが
ら、上下左右に振り回す。
力を込めるのは、ヒットする瞬間だけで十分である。それ以外は
力を抜いた方が、より速く、なめらかに動かせる。
緊張したり、熱くなりすぎれば、筋肉に余計な力が入って、動き
が鈍くなるし、視界も狭くなり、集中力はかえって落ち、感知能力
も反応力も低下する。
︵師匠はこれを教えようとしてたのかしら?︶
しかし、あの師匠の場合、あれが素だとしか思えなかったりする
のだが。
◇◇◇◇◇
アランは︽風の乱舞︾を詠唱し、弓矢による攻撃を妨害する事に
した。ついでにまだ残っている魔術師の集中力を削ぐ事ができれば、
有り難いのだが。レオナールは、槍斧の男との戦闘に夢中である。
1036
︵あれは、ちょっと周りが見えなくなってるかな︶
直接、彼に攻撃する者があれば別だが。アランの詠唱中に、無傷
な魔術師が詠唱を開始したが、それを察知したレオナールが、槍斧
の男がその射線に入るよう移動したので、魔術師は一度詠唱を中断
した。
おそらく、その魔術師の位置からは、レオナールを視認しづらか
ったのだろう。
こういう場合、体躯に恵まれない事も利点となる。視界の悪さも
影響しているのかもしれないが。
アランはレオナールの援護をすべく、︽風の乱舞︾をエルフ語で
素早く詠唱する。
﹁︽風の乱舞︾﹂
︽風の乱舞︾が発動し、周囲の砂埃を巻き上げ、放たれた矢は的
を外れ荒れ狂う風に翻弄される。
誰かが、先程レオナールが投げたミスリル合金の欠片を投擲した
が、それも︽風の乱舞︾の影響を受け、舞い狂う風に乗って、制御
不能の飛来物と化す。
念のため、アランはレオナールにも︽鉄壁の盾︾を唱える。この
魔法は一度だけ、物理または魔法による攻撃を無効化する。
︽守りの盾︾は発動した直後からの数秒だけの盾なので、攻撃を
受けるまでは効果が持続するという点で、こちらの方が使い勝手が
良い。
ただし、効果時間は︽方形結界︾と然程変わらないため、掛け直
ししないと、効果は消えてしまう。
魔力の流れを感知したレオナールが、チラリとアランを振り返る。
1037
アランは詠唱途中なので、左親指を立てて、レオナールを指し示し、
左右に振った。
それで頷き、槍斧の男に視線を移した。槍斧の男は、自分との剣
戟との最中にレオナールが目を離した事に激昂し、力任せに大きく
脇腹を斬り払おうとするが、素早くレオナールはそれを打ち払った。
﹁︽鉄壁の盾︾﹂
魔法が発動し、レオナールに︽鉄壁の盾︾が掛かった。次に、︽
炎の矢︾を無傷の魔術師を標的に詠唱する。
複数相手には範囲魔法の方が楽ではあるが、︽炎の旋風︾では加
減をしたり、攻撃する位置などを調整するのは難しいためだ。
おそらく、本人自身も装備も、魔法抵抗が高いであろうから、か
すめる程度に当てれば、死にはしないだろう、と判断した。
唐辛子等の散布は、レオナールを巻き込む率が高いため使えない
し、その他に調合した毒や薬などは、魔術師よりも戦士や弓術士対
策であるため、使っても動きを鈍くする程度の効果しか期待できな
い。
︵折角作ったとりもちもどきも、視界が悪い上に乱戦だと使いづら
いしなぁ︶
魔術師対策は、今後、何か考えた方が良いかもしれない。殺した
り、重傷を負わせても問題ないのならば、簡単なのだが。
魔術師に負傷させて集中力を低下させたり、行動不能にできれば、
︽眠りの霧︾を発動するつもりである。
レオナールには効果がないので、巻き込んでも全く問題ない。
﹁︽炎の矢︾﹂
1038
杖を握る腕をかすめるような位置を狙って、発動する。魔術師は
何か呪文を詠唱中だったようだが、アランの攻撃により、中断する。
重傷を負わさないよう気を遣いすぎて、少し軽傷過ぎたようだ。
夜目や暗視のスキルや魔法がなくても、相手がこちらを睨んだのが
わかった。
︵︽眠りの霧︾はエルフ語にしても、詠唱時間がちょっと長いから
な。あっちが妨害に何か唱えたら面倒かな︶
と、思いかけて、一番最初に︽鉄壁の盾︾を唱えた事を思い出し
た。舌打ちして、︽眠りの霧︾をエルフ語で詠唱する。
︽鉄壁の盾︾の効果時間が切れるまでは、最初の一撃は無効化で
きる。
相手がそれを予想していたり、その詠唱・発動がバレていれば、
複数の魔術師・弓術士がいるあちらが有利だが、こちらを見ている
魔術師以外は、レオナールを標的・標準としているようである。
ならばアランの仕事は、こちらの意図や思惑に気付かれない内に、
なるべく多くの敵を無力化する事だ。
案の定、こちらを見ていた魔術師が、アランを標的に何らかの魔
術の詠唱を開始した。
︽炎の矢︾だ、と思ったその時、それが発動したが、︽鉄壁の盾
︾により無効化される。
魔術師が何かを叫ぼうとする、その直前に詠唱が完了した。
﹁︽眠りの霧︾﹂
半ば祈りを込めて、発動させた。なるべく人の多い場所を狙った
が、発動した魔法で倒れたのは、狙った内の2/3というところだ
ろうか。
1039
人数で言えば11、2人というところだ。その内、弓術士が4、
魔術師が1。残った弓術士1、先程︽炎の矢︾を発動した魔術師を
含む魔術師が2、残っている。
アランは慌てて︽鉄壁の盾︾をエルフ語で詠唱する。︽炎の矢︾
が飛来するが、ギリギリ間に合った︽鉄壁の盾︾により、無効化さ
れた。
再度、︽鉄壁の盾︾を詠唱する。詠唱が必要ないため、連射が可
能な弓術士の攻撃については、︽風の乱舞︾が反らしてくれる事を
祈るしかない。
﹁︽鉄壁の盾︾﹂
これで次の一撃は、どうにか凌げる。その隙に、最低1人の魔術
師を潰しておきたいが。
︵くそっ、やっぱりもう一人盾役または、優秀な前衛が欲しいよ、
これ! レオはやっぱり複数の対人とか、知恵の回る複数の魔物相
手じゃ、頼りにならねぇよ!!︶
ちょっぴり泣きそうな気分になりつつ、一番速く詠唱できる︽炎
の矢︾を詠唱する。
﹁︽炎の矢︾﹂
最初にこちらへ︽炎の矢︾を放ってきた魔術師を標的に、発動す
る。先程は腕を狙って失敗したので、今度は脇腹辺りを狙ったのだ
が、悲鳴を上げて転がる魔術師を見て、舌打ちした。
︵くそっ、焦ると加減が難しいな。でも頭や首はもっとヤバイだろ
1040
うしな。どうしろってんだ︶
不意に背後から足音を聞いて、アランは一瞬ギクリと硬直した。
﹁おい、大丈夫か!﹂
聞き覚えのある声に、アランは舌打ちした。
﹁来るな! 邪魔だ!!﹂
足音は二人分。ジャコブと、アントニオだ。
﹁おい、応援に来てやったのに、邪魔はないだろ、邪魔は﹂
ジャコブが軽口を叩くように、文句を言う。
﹁うるせぇ、余裕ない時に、声掛けて来んな!﹂
アランは怒鳴りつけて、︽炎の矢︾の詠唱を開始する。
﹁一応、オレも多少は剣を使えるんだが﹂
ジャコブがこぼすように言ったが、無視して詠唱に集中し、発動
させる。
﹁︽炎の矢︾﹂
もう一人の魔術師の肩をかすめ、最後の魔術師が転がった。ジャ
コブがそれを見て口笛を吹いた。
1041
﹁すごく速いな、詠唱。これで成人したての駆け出しとか、嘘だろ
う? 優秀じゃないか﹂
﹁なんで来てるんだよ、こんなとこに! 危ないだろ!!﹂
アランが渋面で怒鳴ると、ジャコブが肩をすくめた。
﹁助けに来たのに、怒鳴られるとか、ひどいな、おい﹂
﹁そんな暇があるなら、宿へダニエルのおっさんを呼び出しに行っ
てくれた方が、有り難い﹂
﹁もしかして、オレ、暗に足手まといだと言われてる?﹂
﹁それ以外に聞こえたなら、俺の言い方が悪かったな﹂
そう吐き捨てて、アランは次に弓術士を標的に︽炎の矢︾の詠唱
に入った。
﹁⋮⋮なんか、オレ、アランの印象、だいぶ変わったんだが﹂
アランは無視して、詠唱を完了させ、魔法を発動させる。
﹁︽炎の矢︾﹂
そして、弓術士の右肩を負傷させ、とりあえず一息をついた。
﹁アランは、戦闘中に性格変わるのか?﹂
ジャコブが真顔で尋ね、アランが渋面になった。
1042
﹁どういう意味だよ。人が集中したい時に声掛けて来るとか、勘弁
してくれ。こっちは、相手を殺さないよう加減するのに、精一杯な
んだ。
向こうがどういうつもりかは知らないけどな﹂
﹁あっちは手加減する気皆無だと思うぞ﹂
﹁そうか。じゃあ、帰ってくれ﹂
アランが素っ気ない口調で言い捨てると、慌ててジャコブが追い
すがる。
﹁いや、でも、応援は必要だろ!?﹂
﹁必要ない。とにかく、ここにいるとあんたらも巻き込まれるから、
とっとと、去れ。いない方が集中できる。
それとも、邪魔しに来てるのか?﹂
アランが真顔で睨むと、ジャコブが引きつった顔になる。
﹁えっ、なっ、何かすごい恐いんだが、おい。何だよ、それ。折角
心配して来てやったのに﹂
﹁迷惑だ。邪魔したいんじゃなければ、早くこの場を去ってくれ。
頼むから﹂
﹁⋮⋮ものすごく好意的に解釈したいんだが、ちょっと凹むな、こ
れ﹂
1043
ジャコブがぼやくが、アランは無視して、︽眠りの霧︾の詠唱に
入った。
﹁行こうぜ、ジャコブ。これじゃ本当に邪魔してるみたいだ﹂
アントニオが、ジャコブに言った。
﹁え? でも⋮⋮﹂
﹁どう見ても、アランも、レオナールも、助けは必要ないだろ。ア
ランの言う通り、おれ達が助力しようとする方が、邪魔になる。
だったら、他の方法で助力した方が良いだろう﹂
アントニオの言葉に、ジャコブが渋面になったが、こちらを見向
きもせずに詠唱を続けるアランをチラリと見遣り、溜息をついた。
﹁⋮⋮そうするか﹂
そして、アントニオと共にジャコブは、その場を去った。
アランはそれらの声を意識から遮断して、詠唱を完了し、先程標
的にしなかった連中目掛けて、発動した。
﹁︽眠りの霧︾﹂
ハルバード
6人が倒れ、残りは槍斧の男だけとなった。もちろん、他に隠れ
ていなければ、だが。
アランは鋭い目つきで周囲を見回し、他に連中の仲間がいないか、
目を凝らす。
と、風切音を聞いた。
1044
﹁っ!﹂
耳元ギリギリを、矢羽根が通過した。その射線を追って目をやる
と、酒場か飲食店と思しき建物の二階部分の窓が開いていた。
標的は見えない。アランは舌打ちした。
︵どうする?︶
非殺傷で見えない標的を無力化する魔法の手持ちはない。アラン
の筋力や運動神経では、投擲などであそこに何かを当てるような事
も不可能だ。
︵上手く行くか、正直自信はないが︶
昼間作った唐辛子と胡椒を細かく磨り潰した薬包紙を取り出し、
先程耳元をかすめた矢を拾い上げた。
そしてとりもちもどきを取り出し、薬包紙を矢羽根に取り付ける。
ディ・ロア
デルファ・ラ
エ・ディ・ファス
そしてそれを左手で構え、右手の杖で矢を標準し、詠唱を開始する。
シ・エル
サウ・デ・ラ
﹁風の精霊ラルバの祝福を受けし、疾風よ、其れの周囲を包む、追
い風となれ! ︽俊敏たる疾風︾﹂
そして、矢をその窓目掛けて投擲した。駄目元でやってみたのだ
が、思ったより上手く飛んでいる。
︵あ、でも︶
若干上過ぎた。窓枠をかすめて、跳ね返る。だが、怒号のような
ものが聞こえて、窓が音を立てて閉じられた。
アランはそれを見上げ、首を傾げた。
1045
﹁あれ?﹂
矢はそのまま、落下していく。上手く行ったのか、どうなのか、
良くわからなかった。
﹁⋮⋮そんな事より、他にいないか、探すか﹂
あの位置からまた弓を放たれないのならば、それで良い。あの窓
またはその周辺が開かれないか、注意を払っておくべきだろうが。
あと一撃分の保険は残っているとはいえ、見えない敵から集中攻
撃されるなど、悪夢である。
︵本当、荒事は苦手だってのに︶
眉間に深い皺を寄せ、アランは左右を見回した。
1046
27 踊る剣士と、怒鳴る魔術師︵後書き︶
いつもの戦闘と比較したら、わりと軽めじゃないかな、と思いつつ。
次回でとりあえず戦闘終了予定。
不憫なジャコブさん回?
以下修正。
×鉄鋼製
○鋼鉄製
×ダンスホールでも、舞踏会会場でもない。
○舞踏会会場じゃないわ。
︵中世ファンタジーなのにダンスホールはないですね。すみません︶
1047
28 相方の魔術師を、剣士は理解できない︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。人間相手の戦闘描写があ
ります。苦手な人は注意して下さい。主人公の言動がちょい問題あ
りかも?
1048
28 相方の魔術師を、剣士は理解できない
時折、かする程度に傷付けたり、剣の平たい部分で打ったりしつ
つ、レオナールは男の攻撃パターンや、武器の扱い方を観察してい
た。
︵んー、もう良いかしら?︶
冷静な時なら、もっと面白かったのだろうが、熱くなっている状
態では反応がつまらない、とレオナールは感じていた。
︵邪魔がいなくなったから、もう本気出してくれても良いんだけど、
これ、本気で周りが見えてないわね。
うっかり遊びすぎて、アランにほとんど無力化させちゃったから、
後で文句言われそうねぇ。
っていうか、他にいないのかしら、確か全員じゃないわよね。有
象無象なんて、いくら数がいても変わりないのに。何考えてるのか
サッパリだわ︶
どうせ集めるなら最低でも五十超、可能ならば百人くらいは集め
て来て欲しいものだ、とレオナールは思う。二十や三十じゃ、たい
した事はない。
もちろん、その全員が精鋭の傭兵、あるいは統率された指揮官付
の騎士や兵団であるという場合は別だ。
しかし、一般人に毛が生えた程度のチンピラを、実戦経験のある
冒険者にぶつけてどうしようというのか。
﹁眠くなるような斬り合いじゃ、張り合いないわね﹂
1049
レオナールは冷笑した。
﹁つまんないわ﹂
もっと高揚するような、興奮するような、あるいはヒヤリとする
ような、そういう攻撃をしてくれるなら、もっと楽しめたのに。
血を見るのが好きだというわけではない。肉や骨を断つのが快感
だというわけでもないし、相手が傷付き、苦しむのを楽しんでいる
わけでもない。
ただ、自分の身体が動き、相手がそれに反応し、それに対してど
う対応するか、そういう攻防や言葉を介しないやり取りが楽しいの
だ。
もちろん、自分の攻撃がキレイに急所などに入って、一撃で倒せ
た時も快感・爽快感を覚えるのだが、本当に楽しいのは、敵の動き
からその意図や思惑を読み、どう動けばそれを阻止でき、こちらの
思惑通りにする事ができるか、そういう駆け引きだと思う。
殺したいと思って殺した事はない。ただ、斬りたいと、イメージ
通りに剣を振りたいと思うだけだ。
正直なところ、イメージ通りに振るえるのならば、相手の生死も、
自分の生死もどうだって良い。
自分の意思通りに身体を動かそうとして、それが上手く決まると
気持ちが良いのだ。
しかし、その快感の度合いも、相手次第である。強い敵を倒せな
いのなら、雑魚も木偶もそう変わりはない。
﹁ねぇ、もっと私を楽しませてよ? 遊ぶのも良いけど、ちょっと
は本気見せてくれる?﹂
1050
﹁くそガキがっ⋮⋮!﹂
レオナール本人的には、この時、挑発する気は皆無であり、単に
本音を口にしただけなのだが、相手はそうは受け取らなかった。
ますます怒りを募らせ、熱くなる男に、レオナールは心底不思議
に思い、首を傾げた。
︵⋮⋮難しいわね、人間って。これ以上、いくらやってもムダかし
ら。なら、アランがキレる前に終わらせた方が良さそうね。仕方な
い︶
レオナールの顔から感情が削げ落ちた。男が槍斧を大きく強く、
水平に薙ぎ払う。それを屈んで避けると、地面を蹴りつけ、飛び上
がる。
﹁何っ!?﹂
レオナールはバスタードソードを振り上げ、振り下ろす。ガァン
と響くような音を立てて、右肩にヒットし、更に亀裂・破損を拡げ
る。
そして着地する前に、男の下腹部辺りを両足で蹴りつけ、飛びす
さった。
男が、バランスを取るため、左足を僅かに一歩引き、槍斧を正面
に構える。
そこへ再度地面を蹴りつけ、距離を詰めたレオナールが、男の右
ふくらはぎを側面から、回し蹴りで払った。
レオナールが分厚く堅い革のブーツを履いているように、男も革
のブーツを履いて防護していたのだが、重心が若干左足寄りになっ
1051
ているところだったため、ガクリと右膝が曲がった。
そこへ、更に左のかかとで男の右膝を踏みつけ、右手で握った剣
ハルバード
の柄で、槍斧を下から跳ね上げるように叩く。
慌てて槍斧を引き戻そうとする男の腹を、左手の平でトン、と押
すと、剣をクルリと回して側面から脇腹に叩き付ける。
﹁ぐっ⋮⋮!﹂
男の力が緩んだ瞬間を狙って、左手で槍斧の柄を跳ね上げ、掴む。
そして投げ捨て、着地すると、素早く右足を払った。
倒れ込む男の下腹部辺りを踏みつけると、男の鼻先、拳一つ分の
距離に、剣の刃を突きつけた。
﹁はい、終わり。⋮⋮で、念のため聞くけど、どうして私たちを襲
ったの?﹂
男は無言でレオナールを睨み付けた。そこへアランがゆっくり近
付いて来る。
﹁聞くだけ無駄だろ? それより周囲を索敵してくれ。どこに敵が
いるか、わからない﹂
アランの言葉に、レオナールは肩をすくめた。そして、右足で男
の顔面を蹴りつけた。
﹁おい!﹂
アランが咎めるような声を上げるが、レオナールは気にせず、そ
のままグリグリと踏みにじる。
1052
﹁抵抗する気力がある内は、気が抜けないわ。しっかり心を折るか、
動けなくなるまでやっとかないと﹂
﹁あーもう、わかった。ちょっと待ってろ。⋮⋮汝、暗く優しい眠
かいな
りの霧に包まれ、風の精霊ラルバの歌を聴き、夜の女神シルヴァレ
アの腕に抱かれ、混沌たるオルレースの下、深き眠りにまどろみた
まえ、︽眠りの霧︾﹂
魔法が発動し、男がガクリと意識を失った。
﹁後々の事考えたら、しっかり心を折っておいた方が良かったと思
うけど?﹂
レオナールが首を傾げて言うと、アランは溜息をついた。
﹁下手すると自分の息子くらいの年齢のやつにそこまでされたら、
最悪再起不能になるだろ。後が面倒だから、やめとけ﹂
﹁そうかしら? でも、そんな相手に集団で襲いかかるような下種
で下劣な品性の男、どうなってもかまわないじゃない。
むしろ、新たな被害者を出さなくなって、かえって良いんじゃな
いの?﹂
﹁それは俺らの仕事じゃねぇだろ。だいたい、お前、ダニエルのお
っさんにまかせたとか言ってなかったか?
自衛と身を守るための反撃はともかく、それ以上の事やらかした
ら、あのおっさん、余計な事すんなとか、段取り狂わすなとか、文
句言ってくんじゃねぇの﹂
﹁アラン、何か怒ってる?﹂
1053
レオナールが怪訝そうに尋ねると、アランはギッと睨み付けた。
﹁とにかく他に敵がいないか、周囲を索敵してくれ。使える魔法は
増えたが、索敵とかに使える魔法は全くねぇんだよ。ほら、早くし
ろ﹂
︵なんだかよくわからないけど、怒ってるわね。やっぱり、大半ア
ランに片付けさせたからかしら? そんなに魔力消費させたかしら
ね。
コボルトの巣の時と比べたら、そんなにたいした事なかったかと
思ったんだけど。
うーん、魔法の事は良くわからないものねぇ。それとも面倒くさ
いことさせんなとか、もっとお前が片付けとけとか、そういう事か
しら︶
レオナールは首を傾げつつも、周囲を視覚・聴覚・嗅覚により、
注意を払う。建物越しの人の気配が雑多なため、いつもより、余計
なものが多すぎる。
眉をひそめながら、辺りをグルリと見回すが、こちらを見ている
ハル
者は見つからず、怪しい動きをしている者も見つけられなかった。
﹁⋮⋮大丈夫そうに見えるけど?﹂
バード
﹁︽疾風の白刃︾の金髪の剣士がいない。あと、魔術師二人と、槍
斧の戦士はいるが、神官もいない。
それと、さっきあの酒場の二階から弓矢で射られた﹂
﹁怪我をしたの?﹂
1054
レオナールは慌ててアランを振り返るが、アランは首を左右に振
る。
﹁いや、当たらなかったから無傷だ。まだしばらく俺もお前も︽鉄
壁の盾︾の効果があるが、効果が切れない内に、伏兵か見届け役を
捕まえておきたい﹂
﹁伏兵ねぇ? じゃあ、そこの酒場の二階、見に行く?﹂
ハルバード
﹁その間に、こいつら回収されてもつまらないだろう。特にこいつ、
槍斧の戦士は、絶対に確保しておきたい﹂
﹁こいつらを拘束して運ぶには、人手が足りないわね﹂
﹁ロープは常に持ち歩いてるわけじゃないしな。レオは何か持って
るか?﹂
﹁持ってるわけないじゃない。だって、本来なら夕食取って、アラ
ンの用事済ませたら、宿に戻るつもりだったんだもの﹂
﹁万一のために、戦闘できるよう完全装備で来たのは幸いだったよ
な。⋮⋮それより、お前、頼むから戦闘時は、全体見て行動してく
れよ﹂
﹁え? どういう意味?﹂
﹁このおっさんが、お前が遊んだり絡んだりしたくなるタイプだっ
てのは、わかってるよ。
だけどな、他にもまだ敵がいっぱいいる状態で他を放置して、目
の前の事にだけ集中するのは勘弁してくれ。
1055
今回は事前に︽鉄壁の盾︾を使えるようになっていて、前もって
詠唱する事も出来たし、運良く俺に弓矢も当たらなかったから、な
んとか処理できたが、結構危うかったんだぞ?﹂
﹁そうなの?﹂
レオナールがキョトンとした顔になる。
﹁そうなんだよ。確かに、弓術士と魔術師に攻撃魔法使うとは、事
前に予告したが、非殺傷魔法の手持ちが少ないから、結構きつかっ
たんだ。
︽眠りの霧︾は人間相手、特に魔術師相手だと、かからない事も
多いからな﹂
そこへ、足音が聞こえて来た。レオナールがあら、と声を上げる。
﹁⋮⋮誰だ?﹂
アランが尋ねると、レオナールは笑顔で答えた。
﹁師匠と、ギルド職員のジャコブって人と、情報屋ね﹂
﹁あー﹂
アランが呻くような声を上げた。
﹁そういや、俺、言ったな、確か﹂
﹁何を?﹂
1056
レオナールの質問に、アランは苦笑を浮かべた。
﹁いや、さっき声掛けられて、イラッとして、おっさん呼んで来い
って言ったんだよな﹂
﹁うん? どういう事? っていうか、ジャコブが来てたってこと
? ここに?﹂
﹁ああ。ちょうど、弓術士と魔術師とやり合ってる最中で、一番気
が張ってた時だったんだよな。
あのおっさん、こっちが神経尖らせてる時に、のんびり話しかけ
て来るから、つい﹂
他に何か言ってなかったかな、とアランは首を傾げたが、思い出
せない。とにかく、巻き込ませないよう追い払おうとした記憶だけ
はある。
﹁よぉ、お前ら大丈夫か? って、もう終わってんのか﹂
ダニエルが声を掛けて来た。
﹁はぁい、師匠。わざわざ荷物持ちありがとう。ロープか鎖か何か
拘束するものある?﹂
レオナールが言うと、ダニエルが苦笑する。
﹁お前、俺をこき使う気満々だな、レオ。悪いが、一応戦闘できる
装備はしてきたけど、ロープの手持ちはないな﹂
﹁なんだ。気が利かないわね﹂
1057
﹁なるべく急いで来たつもりだったんだがな。あ、ジャコブ、何か
持ってる?﹂
﹁えっ!? い、いや、持ってません。すみません﹂
ジャコブが何故か謝っている。
﹁ロープなら手持ちが少しある。でも、全員分はない﹂
と、アントニオが言った。
﹁わぁ、ありがとう。借りても良いかしら?﹂
﹁ああ﹂
ハルバード
そう言って、アントニオがロープをレオナールに手渡した。レオ
ナールはそれを受け取ると、嬉々とした表情で、槍斧の男の拘束に
取り掛かる。
アランがそれを手伝いながら、ジャコブを見た。
﹁悪い、ジャコブ。さっきは戦闘中で、ちょっと気が立ってた。ち
ょうど一番神経使うところだったんだ。
でも、ああやって鎧も装備してないのに、魔法の撃ち合いやって
る最中に近付くのは、危ないぞ﹂
﹁ああ、こっちこそ悪かった。神経集中している時に邪魔されたら、
誰だって怒るし、気が散っていらつくよな﹂
ジャコブに真顔で謝られて、アランはキョトンとした。
1058
﹁うん? ああ、まぁ、そうだけど。でも、俺もちょっと焦ってて、
余裕なさすぎたからな。それにこの人数だから、どうしようか困っ
てたんだ。
ダニエルのおっさん呼んできてくれた事も含め、応援に来てくれ
て有り難う。すごく助かる﹂
そう礼を言うと、ジャコブが苦笑した。
﹁ああ、いや、喜んで貰えて良かったよ﹂
ダニエルが笑って言った。
﹁おいおい、アラン。俺にはそんな気を遣ってくれた事ねぇじゃん
かよ。普段から俺にも、もっと感謝の念とか、お礼とか、賞賛とか
してくれたって良いだろう?﹂
﹁はぁ? いや、おっさんには礼するような事より、嫌がらせとか
迷惑のが多く掛けられてるだろ。
そんなに感謝されたり賞賛されたきゃ、余計な事言ったりやった
り、しなけりゃ良いだろうが﹂
﹁⋮⋮おい、ずいぶんだな。お前の口から、きゃーステキカッコイ
イ天才ダニエルさん、とか出るとは思ってねぇけどさ。でも、ほら、
もっと何かねぇの?﹂
ダニエルは頬を掻きながら、尋ねた。
﹁何がだよ? あ、そうだ、おっさん。そこの酒場の二階、一応見
てきてくれないか? さっきあそこから弓矢でこっち狙ってきたや
1059
つがいたんだ。
もういないかも知れないけど、いたらそいつも拘束して連れてき
て欲しいんだが﹂
﹁うーん、ロープはねぇけど、一人くらいなら気絶させて運んで来
りゃ良いか。あ、悪い、ジャコブ。どっかでロープ買って来たりで
きるか?﹂
﹁あ、はい。じゃあ、近くの雑貨屋に置いてないか、見に行きます。
あれば買って来ますね﹂
そうして、ジャコブはロープを買いに走り、ダニエルは近くの酒
場の建物内に入って行った。
アントニオは、レオナールとアランが拘束するのを眺めている。
﹁ずいぶん手際が良いな。慣れてるのか?﹂
﹁ああ。時折やってるから。一応、やり方はダニエルのおっさんに
習ったんだが﹂
﹁それは、人間限定の縛り方だな。もしかして魔獣・魔物を生け捕
りにした場合の、拘束の仕方も習ったのか?﹂
﹁ああ、一応、大きさとかタイプ別に、いくつか習ったかな。今の
ところ、魔獣・魔物の生け捕りの依頼は受けた事ないが﹂
﹁だろうな。Fランク冒険者に、そういう依頼を出すやつはいない
だろうし﹂
﹁そうだな、俺が依頼主でも、Fランクには頼もうとは思わないだ
1060
ろう﹂
ロープの長さがあまりないので、後ろ手に縛って、足首と腰の辺
りで、動けないよう、縄が動かないようにグルグル巻いて結び目を
作っただけである。
縛る前に、一応武器などを身に付けてないかチェックして、武装
解除済みである。
財布などは、中身だけチェックして、元の場所に戻しておいた。
他の拘束していない者達も含め、武装解除して、一箇所に集めて
地面に並べた。
あれだけの騒ぎを起こしたのに、人の気配がする近所の酒場や飲
食店から、一人も出て来ないのが、少々不気味である。
﹁なんで、誰も来ない上に、様子見に来たりもしないんだ?﹂
﹁係わり合いになりたくないからだろう。たぶん、他の連中は、お
前らが勝つとは思ってないだろうし、見て見ぬ振りをするのにも慣
れている﹂
﹁ベネディクトと︽疾風の白刃︾の神官がいなかったから、てっき
り見届け兼報告役か、伏兵がいると思ったんだが﹂
﹁ベネディクトは、今頃、自宅か飲食店か酒場か娼館にでもいるだ
ろうよ。神官は、この町の光神神殿にいるだろうな﹂
﹁何だって? ラーヌの町の神殿所属の神官が、現役の冒険者、し
かもよりによって、こんな事をしでかす連中の仲間なのか?﹂
﹁神殿所属の神官と言っても、色々だ。とは言え、ラーヌの町の神
1061
殿に関しては、何処も似たり寄ったりというか、各神殿に貢献して
いる神官については、色々優遇されている﹂
﹁貢献って、つまり、金、賄賂か?﹂
﹁神殿の場合は、賄賂とは言わないな。寄付とか、浄財とか、まあ、
色々言い方はあるが、要するに一番わかりやすい貢献が金集めなの
は確かだ。
金集めが上手くて、人集めが上手い神官が、神殿で出世する﹂
﹁⋮⋮酷い話だな。つまり、清廉潔癖で清らかな聖人的な神官って
のは、伝説・伝承の類いにしか存在しないのか﹂
﹁地方の田舎や辺境、巡礼・巡回してる中には、いるかもしれない
が、どのみち出世はしないだろうな。
そういう連中は、世渡りが下手そうだし、立ち回りや根回しが上
手いとは言い難いだろう﹂
﹁夢も希望もないな﹂
はぁ、とアランが溜息をついた。
﹁アランは夢を見すぎだと思うけど?﹂
レオナールが言うと、アランは眉根を寄せた。
﹁別にそういうんじゃねぇよ。でも、世の中あんまり酷い事ばかり
だとは思いたくないんだよな。
全ての人間が善人ってわけじゃなく、とんでもない悪党も大勢い
るけど、世の中の大半は、そのいずれでもない普通の人だと思って
1062
るからな﹂
﹁アランは、世の中には善人、悪人、それ以外の普通の三種類の人
しかいないと思ってるの?﹂
﹁いや、それもちょっと正確ではないとは思ってるぞ。
だいたい、俺なんかまだまだ知らない事だらけだってのに、世の
中とか社会とか、俯瞰して見られるわけないし、全てわかったよう
なつもりになれる程賢くもないし、悟りを開いてるわけでもないし
な﹂
そう言ってアランは肩をすくめた。
﹁だけど、世の中には嫌な事ばかりじゃなくて、良い事、楽しい事
もいっぱいあるだろ?
だから、なるべく嫌な事、面倒な事は全力で回避して、楽しい事
を楽しいと思えるような過ごし方をしたいと思ってるんだ。
⋮⋮とりあえず、ラーヌは面倒臭い事が多すぎて、楽しめる自信
はあまりないが﹂
﹁それは、ラーヌに住む者としては残念だが、まぁ、現状を考えれ
ば、そう言われても仕方ないな﹂
アントニオの言葉に、アランは慌てた表情になった。
﹁あっ、すまない。そういうつもりじゃなかったんだが、俺、田舎
育ちで世間知らずなもんだから﹂
﹁いや、実際、ラーヌに慣れた人間以外には、風通し悪くて暮らし
にくいのは、確かだろうからな。
1063
ただ、こんな町だからこそ、俺の商売が成り立っているとも言え
るから、微妙なところだ﹂
﹁ああ、そうか﹂
なるほど、とアランは頷いた。確かに情報の有用性が重視される
のは、それが必要とされたり、正確なそれを自力で入手・収集する
のが困難な場所だろう。
なくても問題ない、あるいは自力でそれを入手するのが容易い場
所であるなら、商売として成り立つものかどうか。
﹁そう言えば、アメリーに聞いたが、何か用があったのか?﹂
﹁あー、それはまた、今度にする。今聞いても、頭に入るか自信な
いしな。でも、予告しておいても良いか?﹂
﹁ああ、何だ?﹂
﹁ラーヌ南東のダンジョンについてだ。そういう噂があるか、ある
としたらどういう内容か、実在しているかどうか﹂
﹁⋮⋮何処で聞いた?﹂
﹁レオナールが、ロランの騎獣屋で聞いたらしいんだが﹂
﹁悪いが、聞いた事はないな。一応、調べておくが﹂
﹁あー、あんたが聞いた事ないというなら、それは良い。あと気に
なる事と言ったら、そのロランの騎獣屋の方だが、そいつは詐欺を
やらかしてるから、たぶん捕まらないだろう。
1064
俺達に無許可のガイアリザードを売りつけたんだ。気付いたのが
この町に来てジャコブに話を聞いてからだから、もう遅い。
なぁ、レオ。騙されてる可能性が高いけど、やっぱりそのダンジ
ョンってやつは⋮⋮﹂
﹁もちろん確認はしに行くわよ。アランは存在しないと思ってるの
かしら?﹂
﹁普通に考えたらそうだろう﹂
﹁でも、私はあると思ってるわ﹂
自信満々な顔でレオナールが胸を張る。
﹁は? 何でだよ﹂
﹁強いて言えば、勘、だけど。あれは嘘ついてる顔じゃなかったの
よね。
もしかしたら、私たちをハメるための罠って可能性は皆無じゃな
いでしょうけどね﹂
﹁そう思うなら、行かないって選択はないのかよ﹂
﹁やあね、アラン。面白そうな事、楽しそうな事は、直接確認しな
いと。﹃かもしれない﹄とか﹃たぶん﹄とか、そんな推測・推論な
んかどうでも良いわ。
わからなかったら、実際確認してやってみる、で良いじゃないの﹂
﹁⋮⋮俺は、お前のそういうところが、すごく嫌なんだが﹂
1065
アランがぼやくように言うと、レオナールはニッコリ笑う。
﹁別にアランがどう思おうと、私は行くわよ。アランが行きたくな
いって言うなら、別行動になるだけの話よね﹂
レオナールの言葉に、アランはものすごく嫌そうな顔で、深い溜
息をついた。
﹁はあ⋮⋮。そういうやつだよな、お前って。わかった、俺も行く。
お前一人で行動させられるかよ﹂
﹁そんなに嫌なら、ついて来なくても良いのに﹂
﹁嫌だけど、お前を野放しにしたらどうなるか考えたらゾッとする﹂
﹁どうしてアランはそうなのかしらね?﹂
﹁それは俺の台詞だっ!!﹂
アランが渋面で叫んだ。
1066
28 相方の魔術師を、剣士は理解できない︵後書き︶
サブタイトルが微妙︵いつもの事ですが︶。
レオナール、人によってはメチャクチャ嫌われるだろうな、と思い
ながら書いてます。
なるべく読んでくれる人が、過剰?な期待しないようにキャラ設定
したつもりですが。
たぶん普通に俺様にすると、ハーレム展開とか恋愛要素とか期待さ
れるかもしれない、と思ったので、この設定になりました。
中身オーガなハーフエルフが、人間社会で生活する様子や、成長︵
?︶を描きたいというのが、一応プロット立てた時のコンセプトで
す。
以下修正
×フル装備
○完全装備
×分厚い堅い革のブーツ
○分厚く堅い革のブーツ
×面倒臭い
○面倒くさい
×有り難う
○ありがとう
×世の中、
○世の中には
1067
×巡察
○巡回
1068
29 激昂する魔術師とマイペースな剣士
アランは思わず溜息をついた。
︵どうしてレオは人の恨みを買う事を、平気でやろうとするんだろ
う。下手に恨まれたら、トラブルの元になるだけだろうに︶
何も考えてないだけか、恨まれてもたいした事はないと考えてい
るか、トラブル上等来るなら来いのいずれかに違いない、とアラン
は思う。
ダニエルがどう処理するつもりなのかはわからないが、普通に考
えれば、この連中が重罪を犯した証拠が見つからなければ、あるい
は殺した相手が貧しい平民や保証のない自由民だけならば、おそら
くたいした罪は問われずに解放されてしまうだろう。
厳重な処罰を下される犯罪者というのは、一般庶民にとって迷惑
な存在ではなく、領地や国家に対して、あるいはそれらを治める王
や貴族たちにとって、損害を与える、あるいは統治に支障をきたす
者の事である。
もちろん領地を治める領主や王にとって、治安が悪く荒れている
状態よりは、治安が良く安定している方が民心が乱れず、人が集ま
りやすく、税が安定して納められやすい等といった利点がある。
故に、多数の平民を殺害し、多額の金を奪ったり盗んだりすれば、
処罰される。
だが、統治あるいは税額の面で、いてもいなくても然程変わらな
いような貧しい平民、納税の義務も国などからの保護・保証もない
自由民などは、いくら殺され、財を奪われても、明確な証拠が見つ
1069
からなければ、罪にはならない。
彼らは無頼の輩とは見られるかもしれないが、支配する側にとっ
ての被害や損害がなければ、無辜の民と扱いはあまり変わらない。
︵ボナール商会とやらがバックにいるのなら、下手すると賄賂で揉
み消されて証拠不十分とか、おかみに聞いたように保釈金払ってト
ンズラパターンになりそうだよなぁ。
そうなると殺すか心を折るのが手っ取り早いと言えばそうなんだ
が、それやって、ボナール商会が文句付けてきたら、最悪俺達が犯
罪者扱いされかねないからな。
襲って来たのが町中じゃなくて、目撃者もいなけりゃ、きっちり
証拠隠滅して白を切るってのも考慮するんだが︶
頭が痛い、とアランは溜息をついた。
﹁悪ぃ、悪ぃ、なかなか話聞いて貰えなくて、ちょっと時間かかっ
ちまった。待たせたな!﹂
ダニエルが男を二人担いで、戻って来た。
﹁へぇ、おっさんの顔が利かなかったのか?﹂
﹁ああ、それもある。あと、酒場の店主が賄賂で買収されてたみた
いだな﹂
﹁斬ったの?﹂
首を傾げてレオナールが尋ねると、ダニエルが肩をすくめた。
﹁おい、レオ、お前と一緒にすんな。仕方ねぇから身分証と、王か
1070
ら貰った勲章見せて、懇切丁寧に説明してやったよ。
1階にいたのは、善良な庶民の皆さんと冒険者だったから、協力
してくれたしな﹂
言われて見れば、抱えられている男達は、どちらもロープで拘束
されている。
﹁でも、どうするんだ? こんなにたくさん捕まえても、何処に置
いておくんだよ。宿に既に捕まえた連中もいるだろう?﹂
﹁とりあえずしばらくは、同じ部屋に放り込んで置けば良いだろ。
大丈夫、数日くらいなら問題ない﹂
﹁本気かよ? あの部屋、本来は一人用だろ。あそこに四十数人放
り込むとか、身動き一つできなくなるんじゃ﹂
アランはその光景を想像して、嫌そうな顔になった。
﹁それはともかく、さすがにこの人数を宿まで運ぶのは骨だから、
自分の足で歩かせた方が良いな﹂
﹁歩くかしら?﹂
ダニエルの言葉に、レオナールが首を傾げた。
﹁ハハハ、大丈夫、俺にまかせとけ。最初に抵抗した何人か殴って
おけば、聞き分け良くなるだろうよ﹂
﹁それ、私が殴っても良いかしら?﹂
1071
﹁あー、俺がやっといた方が良いだろう。後々考えたらな。悪いけ
ど、お前じゃ外見で舐められるし、知名度ゼロだからな﹂
﹁何よ、それ。私たち、こいつらのせいで夕食食べ損ねたのに﹂
﹁宿で食わせてやるから、我慢しろ﹂
﹁でも、大瑠璃尾羽鳥は食べられないじゃない﹂
﹁うん? 何だ、それが食べたいのか?﹂
﹁何、食べさせてくれるの?﹂
﹁今日は無理だが、今度狩って来てやるよ﹂
﹁それ、いつ何処で狩れるかわからないじゃないの﹂
ムッとした顔になるレオナールに、ダニエルは笑った。
﹁そりゃ、そうだ。さすがの俺でも、必ずこの日に狩ってやると宣
言して狩れるもんじゃねぇよ。例え生息地に心当たりあってもな﹂
﹁心当たりがあるの?﹂
﹁おう。王都から来る途中で見掛けたからな。まぁ、もしかしたら、
今は巣を変えちまった可能性はなくもないが﹂
﹁なら、我慢するわ。アラン、料理できるわよね﹂
レオナールが振り返って言うのに、アランがキョトンとした顔に
1072
なる。
﹁え、持ち込みしないのか? 俺がやるより旨いだろう﹂
﹁できればソテーか、串焼きか、丸焼きが食べたいのよね。それに
師匠が狩るなら、夜営で食べる事になる可能性もあるし﹂
﹁えっ? なぁ、おっさん、﹂
﹁悪いな、ラーヌの北東の森の中だ。なるべく早く持ち帰ったとし
ても1日はかかるな﹂
﹁で、獲ったらすぐに料理しろってか、おい﹂
アランは渋面になった。
﹁移動は徒歩じゃないから、前にやった時よりは楽よ。良かったわ
ね、アラン﹂
﹁⋮⋮そういう問題じゃないだろ﹂
クラリと頭痛を覚えて、額を押さえるアラン。しかし、レオナー
ルはもちろんダニエルは全く気にしない。
﹁ついでに他にも旨そうなの狩るか。アラン、頼んだぞ﹂
楽しそうなダニエルにポンと肩を叩かれ、
﹁既に決定事項なんだな﹂
1073
了承した覚えはないんだが、とアランはガックリ肩を落とした。
しかし、経験上、この二人に普通に嫌だと言っても、嫌だと思う
理由を挙げ連ねても、無駄な事はわかっていた。
﹁俺の周辺って、人の話聞かないやつばっかりな気がする﹂
呻くように呟いた。もしかしたら、アランがすぐ諦めて従ってし
まうせいもあるかもしれない、とは自覚がなかった。
◇◇◇◇◇
﹁おら、とっとと歩け。ちんたら歩くなよ。歩かないと、ちょっと
ずつ尻の肉が減るかもなっ! ハハハッ﹂
ダニエルが最後尾の男の尻をゲシゲシ蹴り上げ、笑いながら言う。
先頭を歩くのは、レオナールとアランである。
ジャコブとアントニオは、ひとまず帰宅した。アントニオは明日、
宿の方へ訪ねると予告を残して。ジャコブは明日も仕事である。
何事も起こらなければ、たぶんコボルト討伐の報告で、顔を合わ
せる事になりそうだが。
﹁おっさん、楽しそうだな﹂
﹁師匠ってば、人の嫌がる事する時、すごく生き生きとしてるわよ
ね﹂
﹁お前は人の事言えないだろ、レオ﹂
1074
﹁え∼? そんな事ないわよ。アランの嫌がる事をするのは、楽し
いけど﹂
﹁おい! お前、やっぱり俺の事、本気で嫌いなんじゃねぇの!?﹂
﹁そんな事はないわよ。でも、絶好調のアランは人迷惑だから、凹
ませたくらいでちょうど良いとは思ってるけど﹂
﹁なんでだよ! 俺、そんな人迷惑な事してねぇだろ!! どっち
かと言えば、人迷惑な所業やらかしまくってるのは、レオだろうが
!!﹂
﹁自覚がない天然サンとか、本当困ったものね﹂
レオナールはふぅ、と溜息をついて、肩をすくめた。
﹁は!? ちょっと待て、俺がいったい何をしたって言うんだよ!
! 具体的に詳細に説明してみろ!﹂
﹁説明するのが面倒臭いし、説明しても﹃それがどうした?﹄とか
言うのは目に見えてるから、そんな時間と労力の無駄になる事はし
たくないわね﹂
﹁なんだよ、それ!!﹂
心外だ、とばかりにアランが激昂する。
﹁うるさいわね。耳元で怒鳴らないでよ。それに、近所迷惑でしょ
?﹂
1075
﹁⋮⋮おまっ⋮⋮!﹂
アランが口をパクパクと開閉させて、絶句する。レオナールは本
当困った人ね、と言わんばかりの口調と顔で、サラリと髪を掻き上
げた。
﹁アランは何かに夢中になると、それ一辺倒になって、周りが見え
なくなるのよね。
それはそれで役立つ事もあるんだろうけど、たまに使い物になら
なくなったり、空気読んでくれなかったりするから、本当困るのよ
ねぇ。
しかもその間の記憶も自覚もないんだもの。促せば、自力で歩い
てくれる事だけが救いかしら?
正直、アランってばムダに大きいから、例え気絶させても、私じ
ゃ運べないのよね﹂
﹁そんな事してるか?﹂
﹁ほら、これだもの。まぁ、もう慣れたから良いわ。扱い方もわか
ってるし。
でも、知らない人の前でやられた時に、フォローできる自信ない
から、勘弁して欲しいけど﹂
﹁なぁ、レオ。それ、具体的にいつやった?﹂
﹁一番最近だと、能力強化付与の魔法陣とかぼちゃのキッシュかし
ら。後は、特に直接被害は受けなかった気がするし﹂
﹁え? 心当たり全くないんだが﹂
1076
﹁どうせそう言うと思ってたわ。考え事すると自分の世界に没頭す
る癖があるのよね。
ねぇ、アラン。考え事したら、たまに時間が思ったより経ってる
事とか、記憶にない?﹂
﹁あー、そう言えば魔法陣の研究してた時、気付いたら朝になって
たか。そういやあの日、夕飯どうしたんだっけ?﹂
﹁私がガレットを買って来たわよ。渡したら、一応食べてたけど、
記憶にない?﹂
﹁悪い、全然覚えてない。って事は、クロードのおっさんは?﹂
﹁おっさんも、私の買ってきた残りを食べたわよ﹂
﹁そうか。悪かったな、うっかり食事の支度忘れるとか﹂
﹁最初から予測済みだったから、狩りに出た帰りに買ったから、問
題なかったけどね。代金はおっさんの財布から出して貰ったし﹂
﹁え、予測済みって俺、そんなに何回もやってるか?﹂
﹁ウル村にいた頃から、そうだったわよ。あの頃は魔法・魔術関連
が多かったけど。
ウル村でも有名よ、アランの病気がまた始まったって。だから、
余計女の子にモテなかったんじゃない﹂
﹁うるさい。どうせ俺は生まれてこの方、一度も女の子にモテたこ
となんかねぇよ! でも、仕方ねぇだろ、そういうのは縁のないや
つは一生縁がないんだ。
1077
たぶん稼げるようになれば、よほど人格・性格に問題なければ、
その内相手も見つかる。クロードのおっさんみたいに一生独身とか
にはならない、たぶん、きっと、絶対⋮⋮!﹂
フルフルと震えながら呟くアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁んー、アランの場合、そういう問題じゃなさそうだけどね﹂
﹁は? じゃあ、何が問題だって言うんだ。俺の人格のどこに問題
があるって言うんだよ?﹂
﹁ふふっ、まぁそんな事はどうでも良いじゃない。別に、アランの
人格や性格に問題があるとは言ってないわよ。
あえて言うなら、天然で空気読めなくて、察しが悪いところだと
は思うけど﹂
﹁え? そんなにひどいか、俺﹂
﹁そうね、普通の女の子だったら、序盤で音を上げて、回れ右する
でしょうね﹂
クスクス笑いながら、レオナールが答えた。
﹁全く記憶にないんだが﹂
眉間に皺を寄せるアランに、レオナールは笑いながら言った。
﹁アランが問題だと思ってないなら、別にそれで良いんじゃないの
?﹂
1078
﹁はぁ? 何だよ、それ。気になる言い方だな﹂
﹁私にとっては、どうでも良い事だもの。今のままでも問題ないし、
そうじゃなくなっても関係ないし。好きにすればとしか、思わない
しね﹂
﹁でも、あれだろ。空気読めないとか、察しが悪いとか、地味に日
常生活や仕事に支障を来しそうな要因なんだが﹂
﹁見てる分には楽しいし、面白いから、問題ないと思うけど?﹂
﹁おい、それ、どういう風に問題ないんだよ。って言うか、お前が
面白くてどうすんだよ。
だいたい、お前が面白いとか言うの、トラブルとか、面倒な事や
問題な事ばかりじゃねぇか。
俺がわかってなくて、お前が何か気付いてるなら、ちゃんと言え
よな!﹂
﹁言っても言わなくても、支障がないもの。どうでも良くない?﹂
首を傾げるレオナールに、アランが嫌そうな顔で言う。
﹁お前が問題ないとか支障ないとか言って、本当に問題も支障もな
いって事、ほとんどないじゃないか﹂
﹁そうかしら?﹂
﹁お前にとっての﹃問題ない﹄は、この世の大半の人にとっては﹃
問題あり﹄だからな﹂
1079
アランはそう言って睨み付けた。レオナールは肩をすくめる。
﹁それは、アランにとっての常識とか普通でしょ? 私には関係な
いわ﹂
﹁お前、それで済ますなよ! それで主に俺が酷い目に遭うんだか
らな!﹂
アランが怒鳴ると、レオナールはやれやれと言わんばかりに首を
左右に振る。
﹁本当、アランってば、被害妄想激しいわよね﹂
﹁妄想じゃないだろ!﹂
アランの抗議は、むなしく空に響いた。
1080
29 激昂する魔術師とマイペースな剣士︵後書き︶
全く話が進んでません。すみません。
昨夜はうっかり寝落ちして、更新し損ねました。眩暈がするので、
今日はこれで。
明日も昼間仕事あるので、更新遅くなりそうです。
更新できる時はなるべく更新しますが、26・27日のイベント終
了まで、準備があるので、コンスタントに更新するのは難しいかも
です。
申し訳ありません。
1081
30 駆ける剣士と憂鬱な魔術師とマイペースな盗賊と︵前書き
︶
軽めですが、人間相手の戦闘シーン・残酷な描写があります。苦手
な人はご注意を。
1082
30 駆ける剣士と憂鬱な魔術師とマイペースな盗賊と
宿の前の通りに入る直前、アランは背筋にゾワリと悪寒を覚えて、
思わず足を止めた。
﹁どうしたの、アラン﹂
怪訝そうに尋ねたレオナールは、アランの顔を見て、あら、と肩
をすくめた。
アランは無言で、堅く強張った表情で、眉間に皺を寄せて、通り
を見つめる。
﹁なるほど、宿の方ね。じゃ、私が先行するわ﹂
レオナールはそう言って、駆け出した。
﹁おい! 待て、レオ!!﹂
慌てるアランに、最後尾にいたダニエルが近付いて来て、声を掛
ける。
﹁どうした、アラン﹂
﹁⋮⋮たぶん待ち伏せされてる、と思う。レオが一人で行きやがっ
た﹂
﹁マジで便利だな、それ。でも大丈夫だろ、宿の方ならダオルがい
るし、問題ない。
1083
それより、こんな所で立ち止まってる方があれじゃねぇの? ま
ぁ、俺がいるから、大丈夫だとは思うが﹂
ダニエルの言葉に、アランは渋面になりつつ、戦闘に備えて︽灯
火︾を唱える。
﹁おっさんにも︽灯火︾掛けるか?﹂
﹁俺はなくても良い。このくらいの灯りがあれば問題ない﹂
﹁なら、このまま進むぞ﹂
﹁了解。それでアランは準備良いのか?﹂
﹁良くはないけど、仕方ない。どうせ着いた時には始まってるだろ
うしな。用心深く隠れている伏兵とかがいれば話は別だが﹂
﹁じゃ、ま、行くか﹂
ダニエルの言葉に、アランは頷いた。
◇◇◇◇◇
駆け出したレオナールは、通りに入ったところで、辺りが静まり
返っている事に気付いた。
︵別に、周囲に隠れてるってわけでもなさそうね。
一日に三度襲撃するくらいなら、一度に掛かって来れば良いのに、
1084
もしかしてものすごくバカなのかしら?
それもこれで嫌がらせのつもりなのかしらね︶
と、気配を感じて走りながら抜刀し、飛来した物を叩き斬った。
短めの矢が、落ちる。更に三本の矢が飛んで来た。
︵右の建物の影に一人、左に一人、もう一人が右斜め向かいの建物
の二階、か。屋内にいるやつ以外はやれそうね︶
まずは手近にいる右の弓術士を狙う事にした。背を低め、地面を
強く蹴ると、一気に距離を詰める。
慌てて逃げようとする男の左肩を斬り付ける。悲鳴を上げて転が
る男の腹を踏み抜き、逆の足で右の手首を踏み砕く。
次に、左の弓術士へ向かおうと振り向いた時には、既に逃げ出し
ていた。
レオナールは舌打ちし、先程回収した鋼糸を巻いたミスリル合金
と取り出すと、グルグル振り回し、投げつけた。
男の背中に当たり、悲鳴を上げながら倒れ込む。それを見た屋内
の男が、窓の向こうへ顔を引っ込める、が。
﹁あら﹂
レオナールは軽く目を瞠り、そして、唇だけで笑みを浮かべた。
そして抜刀したまま、男のいた建物へ飛び込んだ。
﹁なっ、何だ、あんたっ!!﹂
﹁死にたくなければ、邪魔しないで!﹂
1085
酒場の主人らしき男に言い捨てると、そのまま階段へと駆け走る。
弓矢を射った人物の気配は既にない。
更に上へ昇る。三階奥の部屋の窓が開かれる音を聞いて、飛び込
んだ。
﹁ちょっ、早っ!﹂
窓枠をまたぐように腰掛けた状態の、灰色ローブ姿の小人族がそ
こにいた。
﹁こんなところで会うとは奇遇ね、ダット。どうしてここにいるの
かしら?﹂
レオナールは右手一本に剣を掲げ、慌てて屋根に上がろうとした
小人族の足を左手で掴んで、引きずり下ろした。
﹁ぎゃー、やめてやめて! 兄さん達が対象だって知らなかったん
だよ!!
だいたい、オイラだって最初からこんな面倒事には巻き込まれた
くなかったんだから!﹂
﹁へぇ、何か面白そうな話が聞けそうね?﹂
﹁ないってば、ない! 何にもないって! 金の兄さんが喜びそう
なネタなんて何も持ってないから、お願い離してっ!!﹂
﹁そんなのは聞いてみなくちゃ、わからないでしょう?
ふふっ、別に素直に話したくないって言うならそれでも良いのよ
? 少しずつ削いであげるから﹂
1086
﹁どこをだよ!! やめてよ! この襲撃に参加しなくちゃ売り飛
ばされるか、集団で袋叩きにされて身ぐるみ剥がれそうだったんだ
から、仕方ないだろっ!!﹂
﹁仕方なかったかどうかは、後で判断してあげるわ。さ、ここを汚
すのも何だから、移動しましょう﹂
﹁ぎゃーっ! やめてやめて! 殺さないでっ!!﹂
﹁ねぇ、ダット? あまりうるさいようなら、喉を切り裂いて、二
度と声を出せないようにしてあげても良いのよ?﹂
レオナールがニンマリ笑うと、ピタリと黙った。
﹁そうそう。わかったなら、そのまま抵抗しない方が良いわよ。意
外と物わかりの良い子ね、あなた﹂
ダットはグッタリと脱力した。レオナールはダットを肩の上に担
ぎ上げると、階下へ降りた。
﹁おい、剣士の兄さん、それ⋮⋮っ﹂
﹁知り合いなの。お騒がせしたわね、皆さん。じゃあ、失礼するわ。
おやすみなさい﹂
艶然と微笑み、右手に抜き身の剣を提げ、腰を揺らして立ち去る
レオナールを、酒場の主人と客は、しばし呆然と見送った。
レオナールが建物の外に出ると、ダニエルとアランが宿の前で戦
闘開始したところだった。
1087
﹁あら、次の戦闘が始まっちゃったみたいね﹂
そう言って、アランの元へと駆け寄った。
﹁ごめんなさい、ちょっと遅くなったわね﹂
﹁え、レオ? って言うか、おい、それ⋮⋮﹂
﹁急いでたから拘束してないけど、預かっててくれる?﹂
﹁ちょっ、レオ!﹂
﹁じゃ、行って来るわ!﹂
制止しようとするアランの足下に小人族を荷物のように転がすと、
ダニエルのいる方へと駆け走った。
﹁待てよ、おい!﹂
慌てるアランに構わず、手近にいる男へ斬り付けた。
ダニエルは剣を抜かずに、素手や蹴りでチンピラたちを転がして
いた。そこへ飛び込み、腕や肩、腹などを次々に斬り付け、薙ぎ払
った。
﹁おい、レオ。折角殺さないよう手加減してんのに、何やってんだ﹂
﹁え? これくらいじゃ死なないわよね?﹂
ダニエルの言葉に、レオナールが首を傾げて言った。
1088
﹁いやいや、腹は深いとまずいだろう﹂
﹁そんなに深く切ってないわ。表面だけよ﹂
﹁⋮⋮そう言えば、お前、夕飯まだだったか﹂
ダニエルはチッと舌打ちした。
﹁んじゃ、とっとと早く終わらせるか﹂
そう言って抜刀して、駆け抜けた。常人の目には視認できない速
さで剣を振るい、腕や手首などを斬り付け、鎧越しの胸や腹を払い
転がす。
それを見て、アランがうわぁ、と呻き声を上げた。
﹁なんか、すごいね、あの人﹂
ケロッとした顔でダットが言って、肩をすくめた。
﹁おい、盗賊。なんで、お前、こんなとこにいるんだ﹂
﹁うーん? ちょっと、色々あってね。
宿屋に泊まろうとしたら、この人達に絡まれて、協力しないと奴
隷として売り飛ばすか、身ぐるみ剥いで袋叩きにするって脅された
んだ。
で、弓矢射ってたら、金の兄さんに捕まったと﹂
﹁お前、それ、射る前に相手がレオだと気付いてただろう?﹂
﹁標的は金髪の剣士と黒髪の魔術師だとは聞いてたけど、まさか兄
1089
さん達だとは思いもしなかったよ。偶然って恐いね﹂
アランは絶対嘘だ、と思った。だいたい、この小人族と来たら、
全く動じていない。
﹁それよりも、全然話が違うんだけど。まぁ、報酬なんて雀の涙だ
し、とりあえずの目的は済ませたし、もうこの町は出てもかまわな
いんだけどね﹂
﹁とりあえずの目的?﹂
アランが怪訝な顔になると、ダットは肩をすくめた。
﹁矢と食料と飲料水の補充だよ。後は軽い金策、かな﹂
﹁ほう、どこで仕事した?﹂
アランがジロリと睨み付けると、ダットは大仰に肩をすくめた。
﹁いやいや、そんな黒の兄さんが心配するような事はしてないよ。
オイラは穏和で善良な小人族だよ?﹂
﹁嘘つきが。どうせどこかで盗みでも働いたんだろう?﹂
﹁んー、疑い深いのは良くないよ? そういうのって疑心暗鬼って
やつだと思うね!﹂
明るく一見無邪気そうな笑顔でダットは言ったが、アランはこの
小人族を信用する気は毛頭ない。
1090
﹁確かロランで貴族令嬢や︽静穏の閃光︾と一緒にいたよな。まさ
か、あの連中から盗みを働いて逃亡中っていうんじゃないだろうな
?﹂
﹁まさか。契約完了して報酬貰ったから、さよならしてきたのさ。
元々オイラはラーヌへ行くつもりだったし、あの人達はロランが
目的地で、本来なら街門くぐったところで契約完了するはずだった
んだ。
それがゴブリンどものせいで、やつらの討伐が終わるまでは、戦
力と見なされない自由民は、許可がなければ外に出られないとか言
われて、仕方なく調査隊に臨時メンバーとして加わる羽目になった
んだ。
全くさ、一昨日までは結構順調に来てたのに、兄さん達があんな
連中に目をつけられたせいで、こっちまでとばっちりさ。
なるべく身の振る舞いには気をつけてたつもりだったのに、あい
つら、人数集めをどぶさらいの要領と同じだと思ってるんじゃない?
ああしろこうしろとは言われたけど、具体的な説明や支援はない
し、矢はタダじゃないのに最低限の支給もなし、飯も自腹。唯一寝
る場所は用意してくれたけど、どこのどいつか知らない、殴るのと
撫でるのの区別もつかない荒くれ連中と同じ部屋で、薄手のかび臭
い毛布一枚で雑魚寝とか、勘弁して欲しいね﹂
﹁そいつは気の毒かもしれないが、俺たちのせいじゃないだろ。強
いて言うなら日頃の行いが悪かったからだろう﹂
﹁オイラの日頃の行いが悪いというなら、兄さん達のがひどいと思
うね。少なくともオイラは、荒事とは無縁の、か弱くいとけない、
平穏と自由を愛する小人族だからね﹂
1091
﹁良く言う。どうせ、チンピラどもに遭遇しやすく絡まれやすい界
隈をうろつき回ってたか、金持ちの懐狙って怪しげな動きでもして
たんだろ﹂
アランが皮肉げな口調で言うと、ダットはムッとした顔になった。
﹁仕方ないだろ。この風体じゃ表通りのご立派な店は、門前払いだ。
大抵裏通りの小さな店か、スラムみたいなところじゃないと、取
引にも応じて貰えないんだ﹂
それを聞いて、アランはマジマジとダットを見つめた。
﹁⋮⋮なるほど、少なくとも金持ちには見えないし、亜人嫌いはも
ちろん、そうじゃなくてもある程度高額な、まともな取引ができる
ようには見えないからな。
もっとマシな服や装備を買ったらどうだ? 少なくとも俺達と一
緒に拾ったミスリル合金が適正価格で売れたら、一切合財新調でき
ただろう。
俺より多く持ち帰ってたみたいだからな﹂
﹁適正価格で売れたならね﹂
その言葉にアランは眉をひそめた。
﹁まさか﹂
﹁二束三文で買い取られそうだったから、諦めて退散したよ。もし
かしたら、もっとマシなとこも見つかるかもしれないからね﹂
﹁あー、それは残念だったな﹂
1092
﹁別に、いつもの事だし。小人族とバレたり、子供と勘違いされれ
ば、大抵軽んじられたり、見る目がないと思われてカモだと思われ
る。
平民でちゃんとした身分保証のある純人の兄さんには、関係ない
だろうけどね﹂
﹁俺達の場合、カモられそうになっても、それを糸口に交渉したり、
ブラフ使ったり、レオが殴ったりしてるからなぁ﹂
﹁へぇ、暴力以外の方法も使ってるんだ﹂
﹁おい、盗賊。お前、俺達をいったい何だと思ってるんだ。言って
おくが、犯罪者とその予備軍以外には、概ね穏健だぞ、俺は﹂
﹁冗談はさておき﹂
﹁冗談じゃねぇよ! ただの事実だ!!﹂
﹁戦闘終わったみたいだよ?﹂
肩をすくめ、指差しながら言うダットに、アランがそちらを向く
と、レオナールとダニエル以外に立っている者はいなくなっていた。
﹁待ちなさい!﹂
レオナールが叫び、剣片手に駆け出した。アランがハッと視線を
戻すと、ダットの姿がない。
レオナールが逃げ出したダットの後を追い掛け、路地の向こうへ
姿を消した。
1093
﹁前から思ってたが、油断も隙もないな、あいつ。逃げ足だけは早
いというか﹂
﹁なんだ、アラン。あの小人族、知り合いなのか?﹂
﹁ああ、ちょっとな。あいつ流れの盗賊で、以前宿の天井裏にいた
のをレオが捕まえた事があるんだ﹂
﹁へぇ、あいつ、良く逃げられたな﹂
﹁未遂で被害がないからって、お人好しなドワーフがあいつの面倒
見るからと、解放するように言われたんだ﹂
﹁そのお人好しなドワーフは?﹂
﹁たぶんロランにまだいるだろう。でなかったらオルト村だ﹂
﹁面倒見れてないよな、それ﹂
﹁今はもっと世話と手間が要りそうな、面倒臭くて厄介そうな身の
上の少女の世話で手一杯なんだろ。
その内余裕ができたら、回収しに来るつもりなんだろうが﹂
﹁それ、大丈夫なのか?﹂
﹁知らない。俺達には関係ない事だからな。もちろんあいつに迷惑
被るようなら、容赦する気はないが﹂
﹁ふぅん﹂
1094
ダニエルは肩をすくめた。
﹁レオはどうなんだ?﹂
﹁どうって?﹂
﹁あの小人族とそのドワーフだよ﹂
﹁どっちも嫌いだろ。あいつ、小人族の事はゴミとか言ってたと思
う。ドワーフは苦手そうだったな。
あの小人族は、今回の襲撃した一味に加わってたらしいから、捕
まえたら戻って来るだろう﹂
﹁ふぅん、レオが追い掛けっこしてる間に片付けておくか。アラン、
後は頼んだ﹂
﹁へ?﹂
ダニエルの言葉にアランはキョトンとした。
﹁レオのフォローとか、夕食の段取りとかな。早くしないと、おか
みと主人が眠っちまうだろう。
この時間じゃ屋台も怪しいし、酒場は空いていてもまともな飯が
食える店があるかどうか﹂
ダニエルの言葉に、アランは蒼白になった。お腹を空かせたレオ
ナールと同室で就寝など、想像したくもない。干し肉など夜営用の
食材はたっぷり用意してあるが、
1095
︵さっきの怒り具合から言って、まともな肉料理を食えなかったら、
どんな事になるか︶
苛立ちをチンピラどもや︽疾風の白刃︾に向けるのは良いが、う
っかりそのストレス解消の矛先が自分に向けられたら、と全身に寒
気が走った。
慌ててアランは宿に駆け込み、料理または軽食が出せないか、駄
目なら自分が作るので厨房が借りられないか、交渉した。
使った食材の代金や薪代などを負担するという条件で、厨房を借
りて軽食を作る。
通常なら四人前の分量で、肉や野菜やチーズなどを巻いたクレー
プを焼いた。
冷めても食べられるようにという配慮である。
﹁旨そうだな、一つくれ﹂
そう言ったダニエルに、
﹁レオナールが食べた後に残ったらかまわないが、今は駄目だ﹂
とアランはキッパリ断った。ダニエルは肩をすくめて断念した。
1096
30 駆ける剣士と憂鬱な魔術師とマイペースな盗賊と︵後書き
︶
昨日は更新しそこねました。すみません。
ダットの名前の由来は脱兎です︵超テキトー︶。
ちょっと読み返してみたら前章でキッシュとスフレが混雑してまし
た。最初スフレで書いて、かぼちゃのキッシュに変更したら、直し
てないとこがあったみたいです︵大ボケ︶。
後で修正しますが、他にも大ポカやらかしてそうです。
以下を修正。
×ハーフリング
○小人族
×静止しようとする
○制止しようとする
×日頃の行いか悪いというなら
○日頃の行いが悪いというなら
×買い取られそうになったから、逃げてたよ
○買い取られそうだったから、諦めて退散したよ
1097
31 盗賊は、剣士に戦慄する︵前書き︶
いつもの事?ですが、レオがアレです。
1098
31 盗賊は、剣士に戦慄する
レオナールは無言で剣を振るった。紙一重で避ける小人族に、ニ
ヤリと笑って、左右に、上下に、剣をスイッチしながら振るって行
く。
﹁ちょっ、ちょっと、危ないよ!﹂
ダットはそれを完全に見切って、最小限の動きでひょいひょい躱
す。
﹁ちょこまかとうるさいわね、ちょっとはおとなしく出来ないの?﹂
﹁この状態でおとなしくしたら死ぬよね!?﹂
冗談じゃないとばかりの表情で、ダットは叫ぶ。
﹁大丈夫、あなたならたぶん死なないわ﹂
ニッコリ笑って言うレオナールに、ダットは嫌そうな顔になる。
﹁力加減なく急所狙っておいて、良く言うよ!﹂
﹁試しに上下左右に身体を分断してみれば良いのよ﹂
レオナールはたいした事ではないと言わんばかりの口調で、から
かうように言った。
1099
﹁やめてよ! それ絶対死ぬから! それで死なないやつなんて、
不死者か魔法生物かスライムくらいだから!!﹂
プルプルと首を左右に振りながら、ダットが振り下ろされた剣を、
屈んで避ける。
﹁あなたが動かなくなるまで振るってみれば、わかることよね﹂
﹁わかった! 悪かった!! オイラが悪かったから! 降参する
! だから殺さないで!!﹂
ニンマリ笑うレオナールに、ダットは両手を掲げて叫んだ。
﹁あなたの言葉に、どれほどの価値があるのかしら? 息をするの
と同じくらい日常的に嘘をつくあなたに?
あなたは人を信じてないでしょう? だから嘘をつく事にためら
いがないし、裏切る事に動揺も呵責もない。人を殺す事にも﹂
レオナールの言葉に、ダットの顔から表情が消えた。
﹁あんたにオイラの何がわかる﹂
﹁あなたの事なんか何も知らないし、知る気もないわ。
あなたの言葉には、価値も信憑性もないから、別にどっちだって
かまわないのよ、生きていようと、死んでいようと。
ただ、この場であなたを生かして逃がすつもりは毛頭ないだけ。
金になるなら何でも奪い、何でも売るような節操なしの盗賊なん
て、五体満足で生かしておけば、絶対面倒な事になるもの。
私、目の前にいる相手が、本当の事を話してるか、嘘をついてい
1100
るか、なんとなくわかるのよね。だから、あなたが嘘をついてる事
が丸わかりなの。
良かったわね、ここにお人好しのドワーフがいなくて。
あなたの味方するような底なしの善人や建前が大事な偽善者はい
ないわよ、嬉しいでしょう?
あなた、本当はそういう人、大っ嫌いだものね﹂
﹁人の事は言えないだろう? 殺人狂﹂
ダットが真顔でレオナールを睨んだ。レオナールは肩をすくめた。
﹁別に人を殺すのが好きなわけじゃないわ。私にとって、人も魔獣
も魔物もその他の生き物・無生物、どれもさして変わりないもの。
構造を調べたり、斬り方を色々変えたりするのは、次に上手く斬
るための勉強になるからだし。
小人族はまだ斬った事がないから、内部構造が人間と同じなのか、
出来れば解剖して細かく調べたいわね﹂
真顔で告げたレオナールに、ダットはゾワリと背筋を震わせ、蒼
白になった。
﹁なっ⋮⋮!﹂
﹁小人族の血の色も赤いのかしら? 心臓の位置は人間と同じ左胸
なの? まぁ、斬ってみればわかる事よね﹂
ダットはレオナールが本気で言っている事に気付いて、慌てた。
﹁ちょっと待った! 斬らなくてもわかる!! 大きさとか違うだ
けで、骨格や内臓は人間とほとんど変わらないから!!﹂
1101
﹁でも、たぶん大きさは違うわよね。もしかしたら形も違うかも﹂
﹁そんなに違わないってば! 機能も構造も何も変わらないよ!!﹂
﹁口が滑らかな生ゴミがさえずっても、うるさいだけよ? 少しは
おとなしくしたら?﹂
﹁嫌だ! あんた、イカれてるよ!!﹂
ダットがブルリと震えて言った。
﹁だから何? 手加減しろとか見逃せとか?
悪いけど、私、あなたが何を言っても、ゴブリンやコボルトが騒
ぐのと同じようにしか聞こえないの。
うるさいから黙っててとしか思えないのよね﹂
﹁狂ってる⋮⋮!﹂
ダットは目の前の剣士が、自分のこれまでの経験・価値観で図れ
ない男だという事に、ようやく気付いた。
﹁あんた、本気で頭おかしいよ!﹂
﹁だから何? あなたが何を言いたいのか、何を目的にしているの
か、サッパリだわ。
最初はただの時間稼ぎで、何か秘策でも準備しているのかと思っ
たけど、そういうわけじゃなさそうだし。
時間を掛ければ掛けるほど、あなたが体力消耗して、じり貧にな
るだけだと思うんだけど、仕掛けて来ないの?﹂
1102
﹁オイラはあんたと違って、荒事が苦手なんだよ! 殺しもあまり
得意じゃないし﹂
﹁でも、皆無じゃないわよね? ほら、見せてよ。本気出しなさい
よ。そしたら私も本気で斬ってあげるから﹂
﹁バカなこと言うな! 不意討ちか油断させて隙を狙った事しかな
いのに、剣士のあんたと正面から斬り合って、か弱いオイラがかな
うはずがないだろう!?﹂
﹁あら、さっきまで余裕ありそうだったのに、急にどうしたの? 小用でも催したのかしら、それとも大きい方?﹂
﹁ふざけんな! 言葉でオイラを挑発したり、翻弄できると思った
ら、大間違いだからな!!﹂
﹁へぇ?﹂
レオナールは目をわずかに細めた。
﹁自分が賢いつもりでいるおバカさん、あなた、どこからどう見て
もゴミなのに、良く恥ずかしげなく、そのバカ面さらせるわよね。
しかも演技下手すぎて、気持ち悪いったら。醜悪なだけだから、
やめた方が良いんじゃない? 才能ないわよ﹂
﹁うるさい! あんたに言われたくない!! だいたい、気狂いの
くせして、良くもぬけぬけと! オイラはあんたほど酷くはないね
!!﹂
1103
﹁だから?﹂
レオナールはニッコリ笑う。
﹁仕掛けて来ないなら、時間のムダだから本気で行くわよ﹂
レオナールの顔から、感情が削げ落ちた。無表情で無感動で無機
質な青い瞳が、ダットに向けられる。
路傍の石を見るような、何処を見ているのか、見ていないのか、
判別しづらい目。
ダットは勝てない、と思った。逃げる事はできるだろうか、と考
え、次の瞬間、何もかもどうでも良くなった。
ヒュッと音を立ててバスタードソードが降り下ろされる。瞑目し
動かないダットに、レオナールはキョトンとした顔になった。
﹁急にどうしたの?﹂
﹁斬るなら斬れば良いだろ﹂
ダットは目を開け、首筋に皮一枚の位置で止められた刃をチラリ
と見た。
﹁どうして止めた?﹂
﹁聞きたいのはこっちの方よ、さっきまでちょこまか逃げ回ってた
のに、どうしたの? 動かない的を斬ってもつまらないじゃない﹂
怪訝な顔で言うレオナールに、ダットは渋面になった。
1104
﹁あんた、つくづく趣味悪いな﹂
﹁動いてるのを斬るから楽しいのに、つまらない事しないでよね﹂
不満げなレオナールに、ダットが溜息をついた。
﹁つまり、オイラを動く玩具だと思ってたわけだ。
猫と一緒だな、動く物を見ると反応して追いかけ、捕まえられそ
うだと判断すれば、動かなくなるまでなぶって遊ぶ、あるいは一息
に殺して食べる﹂
﹁どうでも良いお喋りする暇があるなら、逃げるか仕掛けるか何か
しなさいよ。眠くなるでしょ? 私を楽しませてよ﹂
﹁冗談だろ? あんたを喜ばせるだけだとわかってるのに﹂
﹁何が言いたいのか、何をしたいのか、サッパリ理解できないわ﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁良くわからないけど、抵抗する気はないって事かしら﹂
﹁まぁ、そうだな。聞きたい事があるなら、普通に質問すれば答え
るけど?﹂
﹁どういうつもり? 急に態度が変わったわね﹂
﹁嗜虐趣味のやつってさ、相手の反応を楽しむのが目的だから、無
反応だと怒ってむきになるか、飽きてどうでも良くなるか、大抵ど
っちかなんだよな﹂
1105
﹁言っておくけど、別に嗜虐趣味じゃないわよ﹂
﹁でも動く物を斬るのが好きなんだろ?﹂
﹁そうね、否定はしないわ﹂
レオナールは頷いた。
﹁だったら、やっぱり無駄にあんたを喜ばせてやる必要はないだろ
う。
やっとわかったけど、そう言えば前回も反抗・抵抗した時の方が
楽しそうだったもんな。
今だってそうだ。逃げたり抵抗している時は、あんなに楽しそう
だったのに、こっちが諦めたり、何でも聞けと言ったら、そうやっ
てつまらなさそうな、不満そうな顔になる。
あんたに比べたら、あの黒髪の兄さんの方がよほど理解できるし、
御しやすい﹂
﹁ふふっ、あなたにはそう見えるのかしら﹂
レオナールが笑った。
﹁あんたは、俺の嘘がわかると言ったけど、俺だってあんたが本気
で言ってる時と、口先だけの時は区別がつく。
あんたはどう見ても頭がおかしいし、言動の大半は薄っぺらだ。
まるで人間以外のものが、人間そっくりの皮をかぶって、人間の
上っ面だけ真似ているように見える。
言葉に意志が宿っていない。あんただってオイラの事なんか言え
ない大嘘つきだ﹂
1106
﹁だから?﹂
レオナールは不思議そうに首を傾げた。
﹁何が言いたいのかしら。良くわからないから、もっと簡単に言っ
てくれない?﹂
﹁あんたは人間の皮をかぶった化け物だ﹂
﹁あらそう。話はもう終わった?﹂
レオナールは大仰に肩をすくめた。ダットは嫌悪をあらわに、レ
オナールを仰ぎ見た。
﹁今まで、あんたはただの戦闘狂か、嗜虐趣味か、殺しが好みなの
かと思ってたよ。
でも、そういう類いの問題じゃないな。あんたは、人間じゃない﹂
﹁だから、何? 何が言いたいわけ? 理解しがたいわね﹂
レオナールは、相手が何を言いたいのか、何が目的なのか、サッ
パリ理解できず、首を傾げた。
普段からアランに﹃中身はオーガ﹄と評されているので、人間じ
ゃない、と言われるのが侮蔑だとわからなかったし、もしそうだと
わかっても、だから何だとしか思えなかっただろう。
誰かに何かを言われて、傷付く事ができるとしたら、それは自分
をこうだと認識する意識や自覚、価値観や倫理観などがあって、そ
れを否定されたり肯定される事で、衝撃を覚えたり、劣等感を刺激
1107
されたりといった、なんらかの情動がなければ、相手の言葉の意味
を認識しただけでは、そうならない。
言葉の意味はわかるが、理解できない、あるいはそれに対して何
も感じない場合、それによる感情の動きはもちろん、意思や心など
といったものに、何の影響も起こらない。
何も感じないし、理解できないから、記憶する事もない。残った
としても、誰かが何かを言った、くらいのものである。
ましてや﹃どうでも良い﹄としか思わない、名前や顔すらも他と
区別するための記号のようなものとしか認識していない相手では、
﹃良くわからないけど、絡まれている﹄くらいの事しか理解できな
い。
﹁何が目的なの?﹂
場合によっては、無抵抗でも斬り捨てるべきか、とレオナールが
思い直しかけたその時、
﹁よぉ、レオ。お前にしちゃずいぶん時間掛かってるから、迎えに
来てやったぞ﹂
ダニエルが現れた。
﹁あら、師匠﹂
﹁うん? どうした、レオ﹂
﹁良くわからないけど、急に無抵抗になったのよね、これ。どうし
てかしら?﹂
1108
レオナールが尋ねると、ダニエルは苦笑した。
﹁お前、本当バカだな。そしたら適当にふん縛って、連れ帰れば良
いだろう?﹂
﹁そうなの?﹂
﹁うーん、もしかしてお前用に、対策全部考えてやらないといけな
いのか? でも、お前、絶対忘れるしなぁ﹂
ダニエルが肩をすくめて言った。
﹁そう言えば、ロープがまだ残ってたんだった﹂
言われて思い出した、とばかりにレオナールがポンと手を打った。
そしてロープを取り出し、ダットを縛ろうとする。
﹁ちょっ、待っ、待った! おとなしく着いて行くから、縛らなく
ても良いよ!!﹂
﹁ですって。どうする? 師匠﹂
﹁おいおい、こいつお前に矢を射ってきた襲撃犯の一人だろう? だったらどうして、こいつの言う事聞いてやらなくちゃならないん
だ。
抵抗しないと言われても、信用できないんだから、気絶させるな
り、拘束するなりして、運んだ方が楽だろう。
そこまで指示してやらなきゃ、わからないのか?﹂
﹁ああ、そうね。私ったら、どうかしてたみたい﹂
1109
﹁おいおい、勘弁してくれよ﹂
﹁ちょっ! 本当、何も抵抗しないから!! 縛らなくても大丈夫
だから!﹂
﹁はいはい、ちょっとうるさいから、黙れ﹂
ダニエルがダットの鳩尾をおもむろに殴って気絶させた。
﹁よし、これで縛りやすくなっただろ?﹂
﹁ありがとう、師匠﹂
レオナールに満面の笑みを向けられ、ダニエルは苦笑した。
﹁あのなぁ、何、あんなやつに調子崩されてるんだ? お前、ちょ
っとは頭使わないと、ますますバカになるぞ﹂
﹁師匠に言われたくないわよ﹂
﹁いやいや、俺はお前ほど酷くないからな? ほれ、さっさと運ん
で、夕食にするぞ。
さっき、アランがお前のためにクレープ焼いてたからな﹂
﹁そうなの?﹂
レオナールが首を傾げた。
﹁腹が減っただろ?﹂
1110
ダニエルに言われて、レオナールは頷いた。
﹁そうなのよね。お腹が空くと、考えるのが面倒臭くて﹂
﹁いやいや、お前、お腹が空いてなくても、物事深く考えないだろ﹂
﹁早くご飯食べて水浴びして寝たいわ。さすがにちょっと疲れたか
も﹂
﹁おう、了解。じゃ、ちゃっちゃと済まそうぜ﹂
﹁わかったわ﹂
そして、二人がかりでダットを拘束して、宿へ戻った。
1111
31 盗賊は、剣士に戦慄する︵後書き︶
剣は振るってるけど、戦闘シーンというほどではないかも、という
事で前書きによる注意は省略しました︵当たってないし︶。
この二人、なにげにお互いの相性悪い気がします。
以下修正。
×ハーフリング
○小人族
1112
32 師弟の会話
レオナールがダニエルと共に宿へ戻ると、一階は灯りが消されて
いた。そのまま階段へと向かう。
﹁アランのお前の夕飯は部屋の方だ。スープは用意できなかったが、
代わりにお茶を淹れてくれるってよ。
あと、水を張ったたらいも用意してある﹂
﹁アランは相変わらずマメねぇ﹂
半ば感心、半ばあきれたように言うレオナールに、ダニエルは肩
をすくめ、その後真顔になった。
﹁なぁ、レオ﹂
﹁なぁに、師匠﹂
﹁お前、いつもああなのか?﹂
﹁どういう意味かしら﹂
レオナールは首を傾げた。
﹁小人族の件だ。まさか相手が急に無抵抗になったから、どうした
ら良いかわからなくなったとか言わないよな?﹂
﹁ああ、だって前に、アランが無抵抗になったやつは斬るなって言
1113
ってたから﹂
レオナールが答えると、ダニエルが一瞬顔をしかめた。
﹁なぁ、レオ。それ、補足説明ついてなかったか? もしくは無抵
抗のやつを斬らない理由とか﹂
﹁え∼、理由?﹂
レオナールはキョトンとした顔になった。
﹁アランは毎回話や説明が長いから、何か色々言ってたような気が
するけど、良く覚えてないわね﹂
﹁⋮⋮アランの苦労がわかるな、これ﹂
ダニエルが渋面になった。レオナールが怪訝な顔になる。
﹁これはあれだな、アランがランクアップしたくないと言うのも、
仕方ないな。
戦闘面の問題だけじゃなく、全般に渡る判断力も状況把握すら怪
しいし。冒険者以前に、人として問題あるレベルだったかもな﹂
﹁どういう意味?﹂
﹁お前が冒険者やるのは、まだ早すぎたかもしれないって事だ。ど
うだ、一時アランとのパーティー解散して、俺に着いて来るか?﹂
﹁何それ。師匠は今、王都で何かやってるんじゃないの?﹂
1114
﹁四六時中面倒を見てはやれないが、教師役をつけてやるから、し
ばらく一般常識や教養や何やら教育してやる。
合間に鍛錬とかもしてやるから安心しろ。冒険者やるのに、最低
限の対人の対処や判断もできないんじゃ、話にならない。
アランにはちょっと荷が重すぎるだろ﹂
﹁冗談よね?﹂
レオナールが首を傾げた。
﹁冗談に見えるか?﹂
レオナールは、真顔のダニエルをマジマジと見つめ、肩をすくめ
た。
﹁ねぇ、師匠。私はやっと冒険者になれたんだから、やめる気はな
いわよ﹂
﹁一時的だと言っただろう。これなら大丈夫というレベルになった
ら、復帰させてやる﹂
﹁あのね、師匠。それ、やるだけムダだと思うわよ? 座学なんて
やった事がないもの。絶対聞いた端から、忘れるわね﹂
胸を張って言うレオナールに、ダニエルは眉間に皺を寄せた。
﹁やった事がないから、やるんだろう﹂
﹁より正確に言うわね。やらされても、私はやる気がなかったから、
やらなかったの﹂
1115
ダニエルがうわぁ、という顔になった。
﹁お前、何でそれを、偉そうな顔と態度で言えるんだ﹂
﹁アランと同じこと言うわね﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁誰だって言うだろ。言っておくがな、今のお前は図体と態度ので
かい子供だ。
ちょっとした判断もまともにできない上に、必要最低限の知識も
価値基準すらもない。
自分の判断基準を他人に依っているが、その内容すらきちんと把
握できていないから、かえって、いびつでおかしなものになってい
る。
俺もある程度わかってたつもりだが、お前、ちょっとひどすぎる
ぞ? それじゃ、いずれ何か重大なミスをやらかしかねない。
そうなった時、きっとアラン一人じゃフォローしきれなくなるだ
ろう﹂
﹁だから?﹂
﹁だから、それがきちんとわかるように、教育してやると言ってる
んだ﹂
﹁だから、ムダだってば﹂
レオナールは肩をすくめて言った。
1116
﹁いくら時間と労力かけても、ムダだと思うわ。だって、興味のな
い事は、全く覚えられないんだもの。
やり方を変えればわかるようになるって、師匠は言いたいんでし
ょうけど、やる前からできないとわかっている事を、わざわざやる
必要はないわ。
悪いけど、たぶん私、師匠の言ってる事も、アランの言ってる事
も、半分も理解できてないと思うのよね。
だから、それ以外の人の言う事なんて論外。
師匠は、ゴブリンやコボルトの言葉を理解しようと思った事ある
? 私にとって、人の言葉ってのは、そういう類いのものなのよ。
たぶん一生懸命考えてくれてるんだろうとは思うけど、そういう
の全部ムダだから、やめた方が良いと思うわ。
うるさい雑音にしか聞こえないもの﹂
﹁⋮⋮お前というやつは﹂
ダニエルはガックリと肩を落とした。そして困ったような顔で苦
笑し、レオナールの頭をガシガシと乱暴に撫で回した。
﹁ちょっ、何よ! 髪が乱れるじゃない﹂
﹁まぁ、お前の言い分は本当ひどいが、一応お前的には気を遣って
くれたつもりなんだろうな。
たぶん俺達相手じゃなきゃ、何も言わずに無視するんだろうし﹂
﹁だって、説明とかすごく面倒臭い上に、どうせ言ったら、相手が
激昂したり苛立ったりするだけなんだから、言わなくて済むなら、
言わなくて良いでしょ。
別に理解して貰おうとか思ってないから、どうでも良いわ。それ
1117
より、髪の毛かき混ぜるのやめてよね。汗掻いてて気持ち悪いんだ
から﹂
﹁はいはい。っていうかお前、自分が本音を正直に言ったら、相手
が怒るかもしれないとは思ってるんだな﹂
﹁理解はできないけど、常々体験してるし、理由は良くわからない
けど、どういう言動したら、どういう反応が返って来るかくらい、
学習してるわ。
でも、合わせる気はないし、やっても出来ないから、最初からや
らない方がマシじゃない?
たぶん中途半端に合わせようとする方が、面倒な事になると思う
わ。
たいていの人って、これが出来るのなら、あっちも出来るんじゃ
ないかって、期待したり考えたりする生き物だもの。
最初から全部ダメって表明しておけば、それ以上期待したり、や
れって言われずに済むでしょう﹂
﹁言いたい事はわからなくもないんだがな、それ、無駄に人と衝突
したり、不快感を与えたり、トラブル起こしたりする元になってそ
うなんだが﹂
﹁それは、ある程度仕方ないわよね。でも、アランが頑張ってくれ
たから、ロランでは大抵の人が諦めてくれたわよ?
慣れたとも言うのかもしれないけど﹂
﹁⋮⋮あー、そいつは気の毒に﹂
ダニエルが肩をすくめた。
1118
﹁私もアランも基本的に、不特定多数の人と仲良くしたいと思うタ
イプじゃなくて本当に良かったと思ってるわ。
人付き合いなんて最小限で良いもの。それ以上なんて、面倒臭い
だけよね?﹂
﹁でも、俺が今問題だと思ってるのは、敵対している相手、もしく
は犯罪者や襲撃者、お前に危害加えようとするやつについての扱い
についてなんだが。
わかってるか? お前さ、さっきのあれ、あのままあいつに逃げ
られてたら、どうするつもりだった?﹂
﹁逃げたら捕まえるわよ。必要なら、足か腕を斬ったり、折ったり
して﹂
﹁捕まえられなかったら? 後日、人数集めて報復に来られたら?﹂
﹁その時は、その時、対処すれば良いでしょ。手加減が無理そうな
ら、しなけりゃ良いのよ。﹃正当防衛﹄なら仕方ないんでしょ?﹂
﹁直接的なやり方でなく、間接的に来られたらどうする気だ? 例
えば、宿泊してる宿屋の関係者がさらわれるとか﹂
﹁それは別に私たちに被害出てるわけじゃないから、関係なくない
?﹂
﹁そのせいで、宿に泊まれなくなったら?﹂
﹁その時は、仕方ないから他の宿を探すか、面倒臭いけど、首謀者
や実行犯捜しに行って、ぶちのめすしかないわね﹂
1119
﹁さらわれた相手が、既に殺されてたら?﹂
﹁それは仕方ないわよね。だって、それはやった相手が悪いのであ
って、私たちがどうにかできる事じゃないもの﹂
﹁⋮⋮うーん、やっぱり、俺が悪いのかねぇ⋮⋮﹂
はぁ、とダニエルが溜息をついた。
﹁どういう意味?﹂
﹁いや、なんというか、お前がそう考える心当たりが、自分になく
もないという辺り、やっぱ俺に子育ては無理だという事がつくづく
良くわかったというか、身と心に突き刺さるというか。
俺、出来ればお前とアランには、俺とかの悪い影響はなるべく受
けずに、可愛い良い子に育って欲しいと思ってるんだが、なんか既
に手遅れっぽい感じがヒシヒシと﹂
﹁可愛い良い子とか、それ騙されたり虐げられやすい、カモ代表じ
ゃないの? なんでそんなものに育って欲しいとか言うのか、サッ
パリね。
師匠って嗜虐趣味なの? それとも女だけじゃなくて稚児趣味ま
であるのかしら? 最悪ね﹂
﹁いやいや、違うからな! 全然的外れだからな、それ!! どう
してそんな妙な事言うんだよ!?
だいたい、俺はそんな言葉、お前に教えた覚えねぇぞ! どこで
学習したんだ、そんなの!!﹂
1120
﹁冒険者ギルドや下町の酒場へ行けば、いくらでも聞けるわよ? あと、絡んで来たり喧嘩売って来る連中が、侮辱や罵倒に使って来
たりね。
冒険者ギルドのおかげで、語彙がだいぶ増えた気がするわね﹂
﹁おい、その手の語彙は必要ないから、封印するか忘れておけ﹂
ダニエルが嫌そうな顔で言う。
﹁あら? でも罵倒語は結構便利よ。対人には必須よね!﹂
﹁いや、それ、絶対違うと思うぞ。
って言うかさ、レオ、シーラと似た口調や発音で、下品な語彙や
言い回し使われると、俺、なんか思わず土下座したくなるんだが﹂
﹁どうして?﹂
﹁だって、あいつ、お前がこんな言葉使ってるとか知ったら、絶対、
引き籠もりやめて、俺を全力で潰すために、襲撃かけて来そうじゃ
ねぇか。
あいつ、怒らせるとメチャクチャ恐いんだぞ。しかも忘れてくれ
たかと思えば、いつまでもしつこく覚えていたり﹂
﹁そんな事言われても、あんまり接触する事なかったから、サッパ
リね。
脱走するのはそう難しくなかったけど、あの人の周囲は、警戒が
凄かったから、あいつがいる時は会話すらなかったもの﹂
﹁⋮⋮うん、悪かった。なぁ、レオ、お前、後悔してないか?﹂
1121
﹁どういう意味?﹂
﹁色々な。俺に師事した事含めて、なんてのかな、例えば、俺がや
った事が、本当にこれで良かったのかと、時折ちょっとな﹂
﹁良くわからない事言うわね。何が言いたいのか、何を意図してる
のか、さっぱりだわ。でも、私、後悔なんてほとんどした事ないわ
よ?
一つだけあるとしたら、あいつを殺せなかった事くらいだけど﹂
﹁あー、それについては、悪ぃけど、勘弁な。でも、お前の不満や
怒りが少しでも解決できるように、処理したつもりだし、後始末も
ちゃんとする。
とりあえずは、シーラの契約解除してからだけどな。
今、あいつがいるのは、決められた看守以外は接触できない場所
で、食事以外には、時折尋問を受ける他は、動く事も許されない禁
固刑を受けている。
たぶんあいつ、他にも情報握ってるはずなんだよ。でも、そっち
は俺にまかせろ。悪いようにはしないから。
レオ、俺は時折嘘も言うが、お前たちには絶対幸せになって欲し
いと願っている。だから、そのための努力や行動を怠るつもりはな
い。
困った時は、迷わず俺を頼れ。いつでも何処でも、可能な限りな
るべく早く駆けつけてやるし、出来る事なら何でもしてやる。
俺は正直、子供の扱いなんか良くわかんねぇし、良い大人の見本
とか絶対無理だし、たぶんどっちかと言えばロクデナシの部類だと
思うが、お前らのために何かしてやりたいって気持ちだけは、確か
だからな﹂
1122
﹁急にどうしたの、師匠。なんか年寄りくさいわよ?﹂
﹁⋮⋮年寄りくさいとか。お前、時折、ひどいよな。
⋮⋮ってそういや、レオが﹃師匠大好き!﹄とか言う可愛い子供
だった事は、一瞬たりとてなかったな﹂
﹁何それ、妄想? とうとう頭がおかしくなったの、師匠﹂
真顔で言うレオナールに、ダニエルがはぁ、と溜息をついた。
﹁お前、そういうとこ、シーラそっくりだよな﹂
﹁そう言われても、良くわからないわ。そんなに似てるかしら?﹂
レオナールが首を傾げる。
﹁うーん、ちょっとした仕草や所作が似てるせいもあるのかもな。
まぁ、初恋補正がかかってないとは言い難いが﹂
﹁師匠ってば、本当、趣味悪いわよね。あの人の他は、人妻とか、
未亡人とか、ヒモにたかられてる年増の酌婦とかだったわよね。
今もそういうのやってるの?﹂
﹁おい、どういう意味だ。趣味とかじゃねぇぞ。俺はいつも真摯で
本気だ。
まぁ、世の中のいい女は、大抵既に他のやつに目をつけられたり、
結婚したりしてる事が多いのは、事実だが﹂
﹁⋮⋮確か、人妻は現在の国王の妹で、宰相夫人だったかしら。確
か金髪碧眼の美人だけど、今年三十三歳とかだったかしらね﹂
1123
﹁お前、どうして、そういうどうでも良い事は覚えてるんだ﹂
無表情になったダニエルがボソリと言う。レオナールは肩をすく
めた。
﹁だって一時期酒飲む度に、うるさかったじゃない? なんであん
ないい女が人妻なんだって、ぼやいてたじゃない。
そりゃ普通の貴族や王族の娘は、早ければ十五歳、遅くても十八
歳までには大抵結婚するんだから、夫が死ななければ、人妻なのは
当たり前よね? しかも王妹と来れば、直系中の直系。上級貴族の中でも、特に富
裕で権力も持ってる、条件の良い男のところへ嫁ぐのは当然よね。
そんな女に横恋慕しても、相手にされないのは当たり前でしょ﹂
﹁殿下は美貌だけでなく、内面も素晴らしい女性なんだよ。頭も切
れるし、バランス感覚も良い。それでいて、女性らしさも寛容さも
持ち合わせている。
きっとお前も直接会ったら、メロメロだぞ?﹂
﹁そんな機会は一生ないし、私が誰かをそういう対象として見る事
は絶対ないわね﹂
﹁お前、なんでそういう事言うの? それって、人生つまんなくね
ぇ?﹂
﹁例えばの話よ? 師匠は、オークを性的対象として見られる?﹂
﹁おい、なんでよりによって、オークだよ。良くわかんねぇが、要
するにレオにとって、人種全般が対象外だと言いたいのか?﹂
1124
﹁まぁ、そういう事ね。だからといって、魔獣や魔物に性的興奮を
覚える事もないけど﹂
﹁あー、まぁ、それは良かったとしか言いようがねぇけどな。でも、
淋しくないか?﹂
﹁別に。そんな風に考えた事も、感じた事もないわね。私から見た
ら、そういうものに振り回されてる人達の方が、面倒臭そうだし、
どうでも良い事に振り回されて、大変そうだとしか思えないけど。
理解しがたい生き物だとしか思わないわね﹂
肩をすくめるレオナールを、ダニエルはしばらく真顔で見つめ、
仕方ないとばかりに肩をすくめた。
﹁まぁ、そういうのは、考えたり意識的にそうなるもんじゃなくて、
感じるものだからな。たぶん、人の本能的な感覚なんだと思うぞ。
エルフ種はそういう情動が薄い傾向があるから、ある程度は仕方
ない。他の長命種は必ずしもそうとは言い難いんだが﹂
﹁とりあえず、師匠やロランのギルドマスターやサブマスター、職
員の女の子見てる限りでは、面倒臭そうとしか思えないわね﹂
﹁へぇ、ギルド職員の女の子?﹂
﹁アランにご執心なのよ。でも、アランってば鈍いから、やり取り
が時折噛み合ってなくて、面白い事になってるけど﹂
﹁⋮⋮あいつ、わりと興味ない事には、無関心だったり不注意だっ
たりするとこ、あるからな。大丈夫なのか?﹂
1125
﹁時折、困る事もあるけど、たいてい何とかなってるから、大丈夫
でしょ。
何かに夢中になってる時は、それ以外の事に注意が向きにくくな
るのが難点だけど﹂
﹁んー、なんかサポート要りそうだな。お前が俺に着いてこないっ
てんなら、役立ちそうな便利なやつを見繕って送るか?﹂
﹁それはアランが喜びそうね。明らかにランクが違い過ぎると面倒
だから、その辺り考慮して貰えれば助かるけど﹂
﹁じゃあ、現時点で、冒険者ギルドに登録してないやつが良さそう
だな。本命は盾になる戦士か、最悪でも戦闘時に挑発とか支援がで
きる遊撃役かな。
で、頭脳労働と対人処理と、レオの教育係もできそうな器用で頭
が良くて、察しの良いやつか。結構難しいな﹂
﹁一人に全部やらせようってのが、難しいんじゃないの?﹂
﹁そうかもな。まあ、考えておく。良く考えたら、俺、頭使うの苦
手だから、補佐に考えさせた方が良さそうだけど﹂
﹁でも、アランってば、どうして最初から師匠に頼まなかったのか
しら﹂
﹁あいつ、俺のコネ使えねぇとか思ってるみたいだからな。
まあ、俺の直接の知り合いは、ちょっと変なやつが多いのは事実
だし、じゃなかったら地位が高すぎたりして、自由に動けなかった
り、コネがあっても早々会えないやつが多かったりするから、それ
1126
もある意味間違いじゃないんだが。
だけど、間接的なコネだとそうでもないんだけどな。あ、これア
ランには暫く伏せとけ。その方が面白いからな﹂
﹁アランをムダに怒らせたり、苛立たせたりしないなら、別に良い
けど﹂
﹁大丈夫だっての。そこら辺はちゃんと考えてやるから。俺を信用
しろ﹂
﹁師匠を全面的に信用すると、たまに痛い目を見るんだけど﹂
﹁あん? そんな酷い事したか?﹂
﹁師匠基準では酷い事でも、痛い目でもないんでしょうけどね。で
も安心して。師匠にそんな過大な期待したりしないから﹂
ニッコリ笑うレオナールに、ダニエルが渋面になる。
﹁そこまで言われると、なんか悔しいから、アランとレオナールが
大喜びして感動してくれそうなやつ、捜して選んでおく事にする﹂
﹁無理しない方が良いわよ? 師匠、いい加減トシなんだから﹂
﹁いやいや、自分で言うのはともかく、人にトシだとか言われたく
ねぇからな!? 俺はまだまだこれからなんだからな、おい!!﹂
﹁師匠がムダに元気で若く見えるのはわかってるけど、そろそろ人
間なら、老化現象が始まってもおかしくないでしょう?﹂
1127
﹁中年呼ばわりはされても仕方ないから良いが、老化とか言われる
と泣くぞ、おい﹂
﹁じゃあ、泣けば? 私、師匠の泣いたとこ見た事ないから、見て
みたいかも﹂
﹁悪ぃが、そのリクエストは受け付けらんねぇわ、無理﹂
そして二人は、二階のレオナール達の宿泊する部屋の前に到着し
た。
﹁じゃあ、師匠。おやすみなさい﹂
﹁あー、俺も中に入る﹂
﹁そうなの?﹂
レオナールが首を傾げて、ダニエルの肩に担がれた小人族に目を
やった。
﹁ああ、これか。一応、アランに︽眠りの霧︾かけて貰って後で適
当に放り込んでおく﹂
﹁潰れないかしら? これ﹂
﹁そんなにヤワじゃねぇだろ﹂
そして、二人はノックしてから入室する。
﹁おかえり、レオ。遅かったな。おっさんも一緒か?﹂
1128
アランがダニエルに気付いて、首を傾げる。
﹁ああ、これに︽眠りの霧︾をかけて貰いたいのと、ちょっと話が
ある﹂
﹁何? もしかして、レオが何かやらかしたのか﹂
﹁ちょっと! なんで私が何かやらかしたとか考えるのよ﹂
﹁え、違うのか?﹂
アランがやや驚愕したように、軽く目を瞠った。レオナールが渋
面になる。
﹁それについては、俺の部屋でしよう。レオナールは食事に集中し
たいだろうしな﹂
﹁じゃあ、茶を淹れたら、そっちの部屋へ行く。三階の一番奥の大
きい部屋だよな?﹂
﹁ああ、じゃあ、魔法だけかけてくれ﹂
﹁了解﹂
アランはダットに︽眠りの霧︾をかけた。
﹁じゃ、また後でな、アラン。レオ、おやすみ﹂
﹁ええ、おやすみなさい、師匠﹂
1129
そしてアランはレオナールのために茶を淹れて、カップに注ぐと、
部屋を出る事にした。
﹁じゃあ、行って来る。遅くなるようなら、先に休んでろよ、レオ﹂
﹁子供に言うような事言わないでよね。眠くなったら寝るわよ。い
ってらっしゃい﹂
頷き、アランは部屋を出て階段へと向かった。一人残されたレオ
ナールは、茶をすすり、冷めたクレープを頬張りながら、考える。
︵やっぱり、さっきの事かしらねぇ?︶
確かに、無抵抗になられたからと、対応に迷ったのはまずかった
のかもしれないが、何が問題なのか、レオナールには理解できなか
った。
1130
32 師弟の会話︵後書き︶
サブタイトルつけるの苦手です。パッと決まる時は決まるのですが。
早くモフモフとかトカゲとか書きたいですが、しばらく登場しませ
ん。ケモ度100%のモフモフとか、トカゲとか爬虫類系、可愛く
て良いよね、とか思うのですが。
以下を修正。
×ハーフリング
○小人族
×お前おとアランには
○お前とアランには
×本当は盾になる戦士か
○本命は盾になる戦士か
1131
33 魔術師は思案する
アランは、扉にノックをする前に、深呼吸した。大きく息を吸っ
て、ゆっくりと吐く。それから、ゆっくり、二回、ノックした。
﹁おう、入れ﹂
ダニエルの返答に、中に入ると、真顔のダニエルが革張りのソフ
ァの中央に座っていた。
︵嫌な予感がする︶
そう思いながら、その対面、樫材の側面に彫刻の施されたテーブ
ルの向こう側の、同じく革張りの椅子に腰を下ろした。
﹁で、何かあったのか?﹂
アランが尋ねると、ダニエルが苦笑した。
﹁なぁ、アラン。何か困った事、ねぇか?﹂
その質問に、首を傾げた。
﹁どういう意味だ?﹂
﹁お前、レオを持て余したり、対処に困ったりした事、ねぇの?﹂
ダニエルの言葉に、アランの眉間に皺が寄った。
1132
﹁やっぱりあいつ、何かやらかしたのか?﹂
﹁⋮⋮レオ、あの小人族が何を思ったか、急に無抵抗になったら、
どうしたら良いかわからなくなって、困惑してたぞ﹂
﹁え⋮⋮?﹂
驚いたように、アランが目を瞠った。
﹁相手が諦めて抵抗しなくなったなら、最初に決めた通りに、拘束
して捕まえれば良いって事を、自分で思いつかなかったみたいなん
だよな。
それってちょっと問題じゃねぇか?﹂
﹁確かに無抵抗の相手は斬るなとは言ったが、相手を良く見て判断
しろと言ったはずなんだが。
俺、レオに何て言ったかな。確か、相手が抵抗する気力が全くな
くて、自分より弱い相手で、こっちに報復して来るようなタイプじ
ゃなくて、その場限りで済む場合なら放置でも良いけど、それで済
まない相手なら、確実に拘束しろ、それが無理なら斬っても良い、
判断に迷うようなら、そいつを連れて俺の判断を仰げって言ったと
思うんだがなぁ﹂
﹁うーん、あいつあれで一応、相手を良く見て判断しようとはして
たのかもな。けど、その判断ができないなら、問題外じゃねぇの?﹂
﹁それくらいの判断は出来ればして欲しかったんだが、まだ無理か。
そう言えば、ゴブリンの巣を見つけて、幼竜の餌として独断で狩
った時も、クイーンとその取り巻きがレオに向かって来なかったか
1133
ら残したとか言ってたな﹂
﹁おい、それ、問題だろ﹂
﹁ゴブリンの巣を見つけた事も、俺が幼竜の餌のために近隣の魔獣
が全滅するんじゃないかと心配したら、ゴブリンの巣を見つけたか
ら大丈夫だの、クイーン残したからその内増えるから問題ないだの
言いやがったんだよな﹂
﹁それ、かなりの問題発言だろ。どうしてそこで、キッチリ矯正・
教育しておかなかったんだ﹂
﹁一応その場で説教はしたはずだし、何故クイーンを残したかの理
由が判明した時も、その危険性や脅威について説明したつもりなん
だが、あいつ何故か喜んでたんだよな⋮⋮。
あの時はとにかく、早く処理しないとヤバそうだったから討伐優
先して、後で説教してやろうと思ってたんだが⋮⋮﹂
アランはそう言いかけて、ハッと気付いて、青ざめた。
﹁ああ、しまった! 特異で有用な魔法陣見つけて、うっかりそれ
にかまけて、忘れてた!
レオは魔獣や動物みたいな生き物だから、その都度すぐに言わな
いと忘れるから、何を言っても理解できなくなるのに!!﹂
ショックを受け、苦渋を噛みしめるような表情になったアランを
見て、ダニエルはああ、と察して苦笑した。
﹁で、どうする? 今回のこれ、たぶんあいつ、まだ何が問題なの
か、理解できてないと思うぞ。
1134
俺が言うか、それともアラン、お前が言うか、どっちにする?﹂
﹁俺がレオと直接話す。これからも、こういう事は何度でも起こる
だろうが││いや本当は起こって欲しくはないが││それを期待す
るのは無理だから、俺が対処する。
言わなきゃ何度でもやらかすのは確実だからな﹂
﹁なぁ、アラン。あいつ、お前には荷が重いと感じたりはしないか
?﹂
﹁今のところ、面倒だし頭や胃が痛いとは思っても、荷が重いと感
じた事はない。
それに、あいつと一緒に冒険者になって組むと決めた時に、覚悟
した。俺はレオを見捨てたり、なかなか学習できないからと放置す
る気は毛頭ないぞ。
あいつがあんな風で、俺が頼りなく見えるから、おっさんが心配
するのはわからなくはないけど、大丈夫だ。心配要らない﹂
アランは眉間に皺を寄せ、顔をしかめてはいるが、キッパリ言い
切った。そんなアランを見て、ダニエルは苦笑した。
﹁お前、時折すっげぇ男前だな。でも、あいつの面倒見るの、正直
だるくなったり、辛くなったりしないか?
考えようによっては、乳幼児の世話するより大変だろ、あれ﹂
﹁大丈夫だ。ムカついたら、あいつに文句や愚痴を言って、その都
度ストレスは発散している。
あいつ自身に効果がなくても、俺が口にするだけで少しはスッキ
リするしな。大半は諦めて飲み込むけど。
ただまぁ、あいつ、あの調子だから、いつも俺が一方的に怒って、
1135
喧嘩とかにはあんまりならないんだよな。それが有り難いのかどう
なのか、判断に困るけど。
本当はさ、レオと対等に喧嘩できた方が良いんじゃないかと思う
んだ。ただ、ガチでやり合ったら、死ぬのは確実に俺だけど﹂
﹁別に殴り合いの喧嘩はしなくて良いだろ。口だけで十分だ。⋮⋮
でも、あいつ、お前に言い返したりしないのか?﹂
﹁そういうんじゃないんだ。あいつの反応は大抵ムダだと言ったり、
流すだけだったり、茶化して煙に巻いたり、毒舌吐いて終わりだっ
たりだしな。
あいつ、なんか表面的な事やその場限りの事だと、ちゃんと言っ
て来るけど、まだ他に心の中に溜めて言わない事あるんじゃないか
って、感じるんだ。あいつに言いたい事があるなら、直接俺に言え
って、常々言ってるのに。
言わなきゃどうしようもない事、わからない事って結構多いから、
考えてる事、感じてる事は元より、気になった事があれば、何でも
言って欲しいんだけどな。
俺の出来る範囲では、あいつとこまめに会話しようとしてるつも
りなんだが、出来てるかどうか、時折自信なくなる。
でも、諦める気はないぞ。諦めて、やらなくなったら、他に代わ
りになるやつはいないと思ってるからな。
あいつがどう思ってるかは時折自信なくなるけど、俺はあいつの
友人だと思ってるし、友人でいたいと思ってる。
互いに完璧に理解しあえるとは思わないし、思えないけど、そん
なのレオが相手じゃなくても同じだし、そう変わりはない。
レオは文句言うだろうけど、俺はレオが人として、あるいは冒険
1136
者として十分に経験積んで成長したと思えるまでは、ランクアップ
はしないつもりだ。
そもそも、十分な経験積みもせずに、軽い気持ちでランクアップ
するやつ、俺は個人的には嫌いだし、尊敬できないと思ってるから﹂
﹁そうなのか?﹂
ダニエルが首を傾げて尋ねる。
﹁金に困ってるなら、ランクアップは必須だけど、報酬目当て以外
の理由で、ランクアップする必要って何だよ?
俺たちはいざとなったら、冒険者ギルドの依頼報酬だけでなく、
近隣で薬草採取したり調合して売ったりすれば、生活費くらいは十
分稼げるし、俺は魔術書や古文書とかに金をかけなきゃ、経費はほ
とんど掛からないし、レオは前衛の割に攻撃受ける事がほとんどな
いから、必要経費が最小限で済む。
自分で出来る部分は、自分でやって経費を抑えているから、生活
費の負担を考慮してもランクアップする必要性は特にない。
特に今は、クロードのおっさんが生活費全額出して面倒見てくれ
てるから、かなり楽だしな。
金や生活費および必要経費に問題がないなら、ランクアップする
意味は、例えば狩れる獲物が増えたり報酬額が上がる事以外なら、
見栄とか面子とか、そういう類いの理由だろ?
そんなものを大事にするやつに、ろくなやつはいない﹂
﹁⋮⋮それは極端な理由だと思うが﹂
ダニエルが肩をすくめた。
1137
﹁んな事言ったら、特例で一気にランクアップした俺なんかどうな
るんだ?
別に好きこのんでランクアップしたわけじゃなく、頼むからどう
かランクアップして下さい的な展開で、二十代の間にSランクまで
上がっちまったんだが﹂
﹁おっさんは例外中の例外だろ。そうじゃなくて、わざわざ金を積
んだり、実力に見合ってるとは言い難い連中の事だ。
俺はそういうのが反吐をはくほど嫌いだし、自分がそう見られる
のも我慢ならない。周りに遅いと言われるくらいでちょうど良い。
どうしてもランクアップしなくちゃならない理由がなければ、急
ぐ必要はない。
下手にランクアップしてもろくな事にならないんだ。絶対確実に
行けると確信できるまでは絶対しない﹂
﹁そこまで言うなら、確かに今はランクアップする必要はないんだ
ろうな。
でも、ほら、若者って早くランクアップして、強い魔獣や魔物を
狩りたいと思うもんじゃないか?﹂
﹁それは戦闘狂とか、見栄っ張りとか、レオみたいなとにかく何か
斬りたいやつだけだろ?
俺は万が一の不安がある間はもちろん、必要がない事をするつも
りはない﹂
﹁アランは若いのに冒険心が足りないなぁ。まあ、今のレオには不
安があるってのは間違いないから、それに関しては同意できるが。
でも、あれだぞ、ランクアップできるようなら、した方が楽だぞ。
俺の時はなかったが、今は無茶するやつや、問題起こすやつがい
るからって理由で、中位以上にランクアップするのには、制限期間
1138
がもうけてあるからな﹂
﹁知ってる。でも、細かい金策に関しては、俺が何とかするから、
問題ない。レオがうるさいだけだ﹂
たいした問題じゃない、とアランは言い切った。ダニエルは肩を
すくめた。
﹁まぁ、お前の好きにすりゃ良いけどな、あまりやり過ぎるとレオ
が暴発・暴走しないか?﹂
﹁適度に息抜きさせてやれば問題ない。レオは幼竜のおかげで魔獣・
魔物狩る大義名分ができて喜んでるから、しばらくは問題ないだろ
う。
俺、ロランじゃ結構レオに自由行動させてるぞ? 時折トラブル
も拾って来るが、今のところ俺の胃や頭が痛くなる程度で済んでい
る。例のガイアリザードの件以外は﹂
﹁お前も勉強しなくちゃいけない事がたくさんあるのに、あんなお
荷物抱えて大丈夫か?﹂
﹁どうかな。たまに実は俺の方があいつの足枷になってるんじゃな
いかと思うんだが。
俺は一人で何でも出来なくたって、それぞれの得意分野でやって
いけば良いと思っている。
偵察役がいなくてもやっていけるのは、レオのおかげだし。先制
攻撃や不意討ちを避けられるだけで、かなり有り難い﹂
﹁俺はアランの特技の方が役に立つと思うけどな﹂
1139
﹁あんなのを当てにしてたら駄目だろう。確かに時折便利だと思わ
なくもないが、本当はあんなものに頼らずに仕事できなきゃ、成長
しない﹂
﹁あるもんは使えば良いだろ、便利で経費も掛からないんだから。
出来れば俺が欲しいくらいだよ。正直、レオより役に立つ﹂
﹁そんな事言って良いのか、おっさん﹂
﹁レオが可愛くないけど可愛い弟子なのは当然だが、便利で使い勝
手が良くて汎用性高いのはアランだろ﹂
﹁その言い方はなんかムカつくんだが﹂
﹁じゃ、有能と言い換えるか?﹂
﹁なんかわざとらしく聞こえるから良い。で、おっさんの呼び出し
は、小人族の件だけか﹂
﹁まぁ、大半の理由はそれだな﹂
﹁大半?﹂
﹁アランがレオの面倒見るのは気が重いと言うなら、騙し討ちにし
てでもレオを持って帰ろうと思ってたんだが、それだけやる気があ
るならまかせてみるかと思ってな﹂
﹁⋮⋮おい、おっさん﹂
ジトリとアランがダニエルを睨む。
1140
﹁ハハッ、ま、あれだ。二人で共倒れになっても可哀想だしな! 引き離した方が良いならそうするかと。
あ、言っておくが一時的にだぞ? レオに常識その他叩き込んだ
ら帰してやるつもりだったし﹂
﹁全くおっさんは、油断できないな。何も考えてませんといった笑
顔で腹黒いし﹂
﹁だから腹黒じゃねぇってば。これくらい普通だっての﹂
﹁おっさんの普通の基準値ってちょっと変だからな。まぁ、でもお
っさんのおかげで、迂闊に人を信用しちゃいけないと勉強になるか
ら良いけど﹂
﹁そこまで酷くないだろ?﹂
﹁さぁ、どうだかな。人の評価はそれぞれだから、千差万別だよな﹂
アランは真顔でダニエルをジロリと睨むと、鼻で笑った。
﹁おっさんがそう思うんなら、おっさんにとってはそうなんだろ。
俺とは意見が違っても仕方ない。
元々の価値観・倫理観が違う上に、性格も思考も文化も何もかも
違うんだ。
俺の感覚や考えと、おっさんのそれが同じになる方が気持ち悪い﹂
﹁気持ち悪いって、それも何だかひどくねぇ?﹂
﹁おっさんがどう思おうと、俺には関係ない。互いに被害や迷惑掛
1141
けないなら問題ないだろ﹂
﹁アラン、すっかり可愛いげなくなっちまって。ちょっと淋しい気
持ちになるじゃないか﹂
﹁おっさんに可愛いと思われて俺の得になる事なんか一つもねぇだ
ろ。知った事かよ。それより用が済んだならもう帰って良いか?﹂
﹁おう、悪かったな。時間取らせて﹂
﹁別に。まぁ、レオの件は教えてもらえて助かった。たぶんあいつ
聞かれなきゃ言わなかっただろうし。
じゃあ、おやすみ、おっさん。酒飲み過ぎるなよ﹂
﹁ああ、おやすみ、アラン。また明日な﹂
アランは挨拶を交わして部屋を出た。
﹁さて、どうしたものかな﹂
どう言えば、相方にわかってもらえるのか、それが一番問題だっ
た。
1142
33 魔術師は思案する︵後書き︶
以下修正。
×ハーフリング
○小人族
1143
34 そして、翌朝︵前書き︶
最後の方、ちょっと下品な話題が出て来るため、想像力豊かな人は
ご注意ください。
1144
34 そして、翌朝
食事を終え、たらいの水で清拭を済ませた頃に、アランが戻って
来た。
﹁思ったより早かったわね、アラン﹂
﹁ああ﹂
仏頂面でアランが頷くのを見て、何かを察したレオナールが立ち
上がった。
﹁ごめんなさい、アラン。私、ちょっと用事を思い出したから、﹂
﹁逃げようとすんな! わざとらしすぎるだろ、バカが!!﹂
素早くアランが扉に︽施錠︾をかけた。ドアノブに手を掛けよう
としたレオナールが、溜息をついて振り返る。
﹁魔法で︽施錠︾されると、鍵を壊すか、扉を外すか、穴を空ける
か以外の方法で出られなくなるんだけど﹂
﹁話がある。そこの椅子に座れ。それが嫌なら、床の上でもかまわ
ないが。好きな方を選んで良いぞ﹂
真顔で睨むアランに、面倒臭い事になりそうだと思いつつ、レオ
ナールは渋々椅子に腰を下ろした。
1145
﹁で、俺の言いたい事わかるか、レオ﹂
﹁言われない事はわからないわ。でも、もしかして小人族の件かし
ら﹂
﹁それはわかってるんだな? で、何が問題だったのかは、わかっ
てるのか?﹂
﹁特に問題なかったんだから、それで良くない? 現に小人族は捕
まってるわけだし。それにアランが言ったんでしょ、無抵抗になっ
たやつは斬るなって﹂
﹁なあ、レオ。相手を良く見て判断しろ、判断に迷うようなら、そ
いつを連れて俺の判断を仰げって言ったのは覚えているか?﹂
﹁あら、そうだった? アランが長々と何か言ってた記憶はあるん
だけど、ごめんなさい、良く覚えてないわ﹂
レオナールの返答に、アランはガックリと肩を落とした。
﹁お前なぁ、俺の言う事が理解できないなら、理解できないって、
その場で言えよ! 言わなきゃわからないだろ!!﹂
﹁えー、でも、それ言ったら、アランが言う事の大半が理解できな
いんだけど。その度にいちいち聞き返さなくちゃならないの?﹂
﹁⋮⋮おい。じゃあ、お前、どう言えば理解できるんだよ?﹂
﹁諦めたら?﹂
1146
レオナールの言葉に、アランが渋面になった。
﹁あのな、レオ。それだと、お前には絶対単独行動させられないっ
て話になるんだが﹂
﹁それは困るし、面倒ね﹂
レオナールは肩をすくめた。アランは深い溜息をついた。
﹁で、お前さ、俺がどうして﹃無抵抗のやつは斬るな﹄って言った
か理解してるか?﹂
﹁さあ?﹂
レオナールが首を傾げるのを見て、思わずアランは舌打ちした。
﹁余計なトラブルを減らしたり、お前を犯罪者にしないためだ。
だから、相手が明らかな犯罪者だったり、お前に危害を加えよう
としていたり、無抵抗を装ってるやつだったら、無力化するのは問
題ない。
自分の身を守るためには、状況によっては剣を抜いても良いと、
何度も言ってるはずだよな?﹂
﹁そうね。という事は、あれ、斬っても良かった?﹂
﹁斬らずに済ませるなら、斬らなくても良いが、仮に斬ったとして
も、文句を言うのはあのお人好しのドワーフくらいだからな。
幸いあれは自由民で、根っからの犯罪者かつはぐれ者だ。だから
斬っても特に問題はないし、不利益も今のところない。
あの小人族が︽静穏の閃光︾またはどこぞの有力者のお墨付きや
1147
庇護を得たりしてなけりゃな。
でも、たぶん大丈夫だ。あれは、そうそう人を信用するやつじゃ
ないし、そこら辺上手く立ち回れるようなら、最初から俺達の襲撃
グループに混じってるはずがない﹂
﹁そうなの?﹂
怪訝そうな顔のレオナールに、アランは思わず溜息をつき、眉間
を指で揉みながら答える。
﹁あのな、レオ。お前がもし、仮に、貴族や力のある商人、高ラン
ク冒険者のご機嫌取って、上手く交渉して自分にとって都合の良い
条件・状況を作れるやつだったとする。
それだけの交渉力や人を見る目があるなら、あんないかにもチン
ピラな連中、それもお前から見て雑魚と言えるレベルのやつらに、
良いように使われると思うか?﹂
﹁そもそも、交渉力なんかなくても、あんな雑魚の言う事なんか無
視すれば良い話じゃない?﹂
﹁あー、それはお前だからな。そうじゃなくて非力で自分の身を守
る力もなかったとしたら、だ﹂
﹁良くわからないけど、アランだったら魔法が使えなくても、なん
とかできそうよね﹂
﹁そこまでの交渉力はないし、知識も経験もないから、期待されて
も無理だけどな。
って言うかお前、俺のこと非力で自分の身を守る力もないと思っ
1148
てる?﹂
﹁魔法を使える距離と余裕があれば、私がいなくても全く問題ない
と思うけど、アランのいつもの予感が働かなくて、不意打ちで襲撃
されたら、きびしいでしょ。
ここがロランだったら、その心配もほとんどないけど、ラーヌだ
もの。
町の情報を熟知しているわけでも、知り合いや顔見知りが大勢い
るわけでもないでしょう?
ロランだったら、何が起きても上手くやるってわかってるわ﹂
﹁そうか。で、小人族の件だが、オルト村の件だけ見ても、あいつ
が行き当たりばったりで、短絡的で、考えなしにその場しのぎの言
動するのは、わかっている。
そもそもあいつが庇護を必要としてるなら、あのドワーフから逃
げ出す理由なんかねぇだろ。
もっとも逃げられても、たいした事にはならないだろうから、お
前が面倒なら見逃すって手もあるが、わざわざ捕まえに行ったなら、
そういうわけでもないんだろう?
それとも、目の前で逃げたから反射的に追い掛けただけとか言わ
ないよな?﹂
アランの言葉に、レオナールは肩をすくめた。
﹁たいした情報は得られないかもしれないけど、ちょっとは引き出
せそうだと思ったのは確かよね。
あれの口が軽いのは、わかってるし。でも、アラン。目の前で追
い掛けたら捕まえられそうな獲物がいたら、追い掛けたくならない
?﹂
1149
﹁別に。俺は自分に不利益がなければ、利点がない事は、最初から
手を出さないようにしてるしな﹂
レオナールは聞いた相手が悪かった、とちょっぴり思った。
﹁ほら、目の前でちょろちょろ動いてる手頃な獲物がいたら、斬り
たくなるでしょう?﹂
﹁お前と一緒にするな。
だいたい、情報目当てで追い掛けたなら、相手がどう反応しよう
が、相手の思惑がどうであろうが、俺やお前には関係ないだろ?
だったら最終的にどうすれば良いかも、そう変わらないだろうに、
どうして迷う必要がある?﹂
﹁私、正直まだ、斬っても良い獲物と、そうじゃないのと区別つか
ないのよね﹂
﹁ほう、特別講義が必要か?﹂
真顔でジロリと睨むアランに、レオナールが飛び上がった。
﹁ちょっと待って! それ、絶対時間かかるでしょう!? 勘弁し
てよ! 座学は苦手なんだから!!﹂
﹁もちろん冗談だ。折に触れ、斬っても良い敵と、それ以外につい
ては講釈・説明しているのに、ちっとも覚えてないやつ相手に、長
々と講義してやっても、無駄なのは良くわかってるからな﹂
アランの言葉に、レオナールはホッと肩の力を抜いた。
1150
﹁でも、しばらくは日課の狩り以外の単独行動は禁止だ﹂
アランの言葉に、レオナールは大きく目を見開いた。
﹁ええっ!?﹂
そんな相方を見て、アランは大仰に肩をすくめた。
﹁当たり前だろう。少なくとも、このラーヌの滞在中、あるいはあ
のチンピラどもや︽疾風の白刃︾、もしかしたら︽ボナール商会︾
の件が終わるまでは、俺かダニエルのおっさんの同行なく町の中を
歩き回るな。
それが嫌なら、それなりの判断力や、状況に応じた立ち回りを覚
えろ。それができない内は、お前は半人前として扱う﹂
﹁えぇっ!?﹂
レオナールがショックを受けたような顔になった。
﹁当たり前だろ。俺はそれくらいの判断は出来ると思ってたのに、
実際はできなかったんだからな。
ロランでも騙されて違法なガイアリザードを独断で買って来てる
し、これ以上単独行動させて、何か問題起こったら困るからな。
俺の目が届かない場所で、俺の知識や能力で収められないトラブ
ルや面倒を起こされたら、どうにもならない。
ここでダニエルのおっさんと会えたのは、本当良かったよ。俺一
人じゃフォローしきれる自信ないからな。
レオに本気で逃げられたら、俺じゃ対処しきれない﹂
﹁うぅ⋮⋮あ、でも、報告終わったら、この町すぐに出るんでしょ
1151
う?﹂
﹁ああ、何事もなく出られたらな。でも、大瑠璃尾羽鳥を狩って食
べたり、この近くのダンジョンにも行きたいんだよな?
少なくともロランに帰るまでは様子見るし、場合によってはロラ
ンに着いてもしばらく単独行動禁止にするからな﹂
﹁えー⋮⋮﹂
アランの言葉に、レオナールがガックリと肩を落とした。
﹁それより、装備の手入れとかは済ませたのか? まだならさっさ
としろ。明日はたぶん色々やる事があるからな。なるべく早く就寝
しよう。
ただでさえ、予定より色々あって疲れたからな﹂
﹁⋮⋮明日、ギルドで報告するのよね?﹂
﹁そのつもりだ。だが、捕まえた連中の事があるからな。あれを宿
に残して、おっさんやダオルさんとギルドへ行ったら、また宿が襲
撃されるのは目に見えてるからな。
最初の話では応援、つまりダオルさんと一緒にギルドへ行って報
告する予定だったんだと思うが、今の状況ですんなり済ませられる
気がしないからな。
だいたい、なんでここまでしつこく絡まれるんだ。あいつらに、
どういう利点があるのか、サッパリだな﹂
﹁それについては同感だけど。単なるバカなんじゃないの? そう
としか思えないけど﹂
1152
﹁俺は今、お前に、自分が興味ない事も記憶できる能力があってく
れたら、と心底思うよ。
神に祈って効力あるなら、名を知ってる神全てに祈りを捧げたい
くらいだ﹂
﹁ええ∼﹂
﹁当たり前だろ。お前が心当たりないとか、記憶にないとか言う事
の大半、そのまま信じたら痛い目に遭うのは、たいてい俺なんだか
らな﹂
﹁それは、さすがに被害妄想でしょ?﹂
﹁違うから言ってるんだ! どういうわけか、お前とトラブった連
中の半分は、何故かお前じゃなくて俺の方へ来るからな﹂
﹁そうだった? でも、アランも時折単独で絡まれたり、喧嘩売っ
たり、自分から積極的に嫌がらせしたりしてるでしょう?﹂
﹁否定はしないが、その半分くらいの原因もお前だからな。お前が
忘れてるだけで﹂
﹁忘れたって事は、きっとたいした事ないのよ﹂
﹁そうだったら良いけどな、俺は、そういういわゆる雑事や対人に
関しては、お前を信用しない事にしているんだ。
お前の言う事まともに信じたら、とんでもない目に遭うからな﹂
﹁えー﹂
1153
不満そうにレオナールはアランを見るが、この件に関しては間違
ってない、とアランはレオナールを睨み付けた。
◇◇◇◇◇
翌朝の朝食時、レオナールとアランは、ダニエルやダオルと同じ
テーブルに席を取った。
﹁で、どうなった?﹂
﹁言っても理解できないみたいだから、しばらく一緒に行動して実
地で学習させる事にした。
どうしても俺が付き合えない時は、レオの面倒を頼む、おっさん。
ラーヌにいる間だけで良い﹂
﹁まあ、それが一番無難かもな。で、ギルドへの報告はどうする?
このままだと、行くまでの間にも、ギルド内でも、行った後も、
安心できないと思うが﹂
﹁それ、相談したかったんだ。できるものなら、今日報告済ませた
かったんだが、捕まえた連中の事も考えたら、人手が足りなすぎる
よな?﹂
﹁ああ。王都から更に応援呼んでも良いが、それだと時間が掛かり
すぎるから、昨夜の内に伯爵に連絡取った。
今日の午後には、来る予定だ。さすがに伯爵本人は来ないけどな﹂
﹁え﹂
1154
アランが一瞬固まった。レオナールは気にせず黙々と食べている。
顔色を変えたアランがダニエルに詰め寄る。
﹁おい、おっさん! いったい誰が来るんだよ!! まさか、貴族
か!? お偉いさんが来るとかないよな!?﹂
﹁ハハハ、まあ、その件は気にすんな。もうお前が心配する必要な
い。直属の一個中隊を寄越してくれるらしいからな﹂
﹁ちょっ、それ、大事になってないか!? って言うか、どうして
そうなった!!﹂
﹁面倒臭いから、後腐れなくサックリ潰して良いかって聞いたら、
そいつを向かわせるから、何もしてくれるなとさ。
じゃあ、俺は何をしたら良いんだって聞いたら、その中隊長に返
事の手紙持たせたから、それを読んでくれってさ。
直接俺に言えば良いのに、まどろっこしいよな﹂
それは文字通り、何もしてくれるなという意味だろうに、とアラ
ンは思ったが、口にはしなかった。
﹁領主様も気の毒にな。おっさん、あまり人に迷惑かけるなよ?﹂
﹁ハハッ、何言ってるんだ、アラン。品行方正、完璧超人、ステキ
で超絶かっこいい、この天才剣士ダニエル様に﹂
胸を張って言うダニエルに、顔をしかめながらアランが言う。
﹁じゃあ、その人らが来るまで、待機だな﹂
1155
﹁でも、それじゃ午前中暇じゃないか? レオ、どうする? また
訓練するか?﹂
﹁そうしたいところだけど、良いの?﹂
﹁駄目だ、やめといた方が良い。それよりおっさん、尋問とか良い
のか?﹂
﹁うーん、一通りしてみたけど、あいつらたいしたこと知らなかっ
たんだよな。でも、例の小人族から面白い事聞いたぞ﹂
﹁え?﹂
アランが眉をひそめ、食事を全て平らげたレオナールがキョトン
とした。
﹁何? あの小人族がどうしたの?﹂
﹁ああ、あいつ、一昨日の夜、連行されたあばらや、つまりあのチ
ンピラ共のアジトの一つを、隅々まで探索したらしくてな﹂
ダニエルの言葉に、アランがうわぁ、という顔になった。
﹁あら、じゃあ﹃盗賊﹄として働いたって事かしら?﹂
﹁そうだな。残念と言うべきか、盗賊としての成果は何もなかった
らしかったが、あのチンピラども、お前たちの襲撃について話し合
ってたらしい﹂
1156
﹁やっぱりあいつ、知ってたんじゃないか﹂
アランが渋面になった。
﹁で、お前らが捕まえた︽疾風の白刃︾の戦士とチンピラどもの顔
役の一人が、前金の受け渡しするところを天井裏から盗み聞きした
らしいぞ﹂
﹁あいつ、何処へ行っても似たような事やってるんだな﹂
アランは呆れたように言った。
﹁そりゃそうでしょ。普段やらない事やってたなら、私達に捕まえ
られた時、あんなに平然としてるはずないじゃない﹂
﹁確かにあれは常習だとは思ってたが。でも、宿とか金持っていそ
うなやつのところならわかるが、あのチンピラどものたまり場だぞ?
あいつら、金なんか持ってそうにないし、たまたま金が入ったと
してもあっという間に使い切りそうじゃないか﹂
﹁いやいや、もしかしたら貯め込んでるかもしれないだろ?﹂
ダニエルが言うと、アランは肩をすくめた。
﹁あんな汚い格好で、ろくな装備もせずに襲撃する連中がか? い
くらなんでも冒険者舐めすぎだろ。
例え駆け出しの新人でも、冒険者として本来の拠点以外の町へ行
くやつ相手に、バカだろう。
︽疾風の白刃︾の連中はまともな装備だったが、あのチンピラ連
中、まともな鎧着てるやつがいなかっただろ。
1157
金がないか、浪費しすぎで、最低限の装備や経費もかけられない
としか思えない﹂
﹁報酬は一人当たり、大銅貨10枚だと﹂
﹁ショボいな。そんな報酬でこんな事やらかすとか、頭がおかしい
のか?﹂
アランが顔をしかめた。
﹁どうもあいつら、常習ぽいからな。それにほら、どうせ足りない
分は、襲撃した相手から奪えば良いと思ってるんだろ﹂
﹁既に失敗してるのに? 不思議な連中ね﹂
﹁一応、昼間に来たのと、夜に来たのは、別のグループらしいぞ。
どっちもスラムにたむろってるやつららしいけどな。
で、駆けだし冒険者ってのは聞いてても、ろくな情報知らなかっ
たし、俺が誰かも知らなかったみたいだな。
夜の襲撃は、本来なら挟み撃ちするはずだったみたいだな。一応
連絡役の下っ端もいたらしいが、そいつは形勢不利と見て逃げたっ
ぽい﹂
﹁うーん、アランの例の予感がなくても、あの程度の連中なら、普
通に襲撃受ける前に見つけられたと思うんだけど﹂
﹁食事中以外は、だろ。お前、食事してる時は、他に神経回ってな
い時あるじゃないか﹂
レオナールの言葉に、アランがとげを刺すような口調で言う。レ
1158
オナールは肩をすくめた。
﹁そんな事はないわよ、たぶん﹂
﹁どうだかな。だいたい、お前、肉の事になると、信用出来ないか
らな﹂
﹁あー、確かになぁ﹂
ダニエルが同意した。
﹁確かに、大瑠璃尾羽鳥は魅力だったわ。食べられなかったのが、
ものすごく残念。あいつらの生皮剥いで、剥製作ってやりたいわ﹂
﹁それはやめとけ﹂
不満そうに、どこかギラリとした口調と顔で言うレオナールに、
アランが溜息ついて言った。
﹁そういえば、︽疾風の白刃︾のメンバーも何人かいたわよね? そいつらから情報は引き出せたの?﹂
﹁盾役の戦士は口を割ったけど、たいした情報は得られなかったな。
もう一人の戦士は怪しいんだがな。アラン、何か良い薬知らないか
?﹂
﹁手持ちのかぶれ薬を分けようか? 拘束した状態で、顔に塗った
り、上半身脱がせて塗ってやると良いかもな。
森の中で全裸にして蜂蜜塗って放置するってのも良いかもしれな
いが、それだと見張りを置かないと、魔獣や魔物に襲われて死ぬか
1159
もしれないからな﹂
﹁それ、下半身に塗った方が効果あるんじゃないのか?﹂
ダニエルの言葉に、アランが渋面になった。
﹁おっさんがやりたいなら、そうすれば。俺は想像するだけで気持
ち悪いから、絶対御免だが。
その場合、分けたかぶれ薬は買い取ってくれ。返品不可だ﹂
﹁いや、別に買い取りでも良いけどな?﹂
ダニエルが首を傾げて言い、アランは仏頂面で食事の続きに戻っ
た。
1160
34 そして、翌朝︵後書き︶
26、27日は更新お休みさせていただきました、すみません。
今回の前書きの予告どうよ、と思いつつ。
小学校低学年の時、隣の席の男子に﹁○便﹂というあだ名を付けら
れたので﹁○玉﹂ってあだ名を付け返した事があります。相手が凹
んでやめるまで連呼してあげました。
男の子の方が、わりとナイーブだと思います。
以下を修正。
×ハーフリング
○小人族
×わかっいる
○わかっている
1161
35 再度の襲来と、魔術師の憂鬱︵前書き︶
人間相手の戦闘および残酷な描写・表現があります。苦手な人はご
注意下さい。
1162
35 再度の襲来と、魔術師の憂鬱
アランはかぶれ薬をダニエルに銅貨2枚で売った後、部屋へ戻り、
後日買い出し用に何がどれだけ必要か、リストを書き出した。
レオナールは、予備武器の大振りのダガーや、剥ぎ取り用ナイフ
などの刃物を研いだり、持ち手を布で拭ったり、薄くクリームを塗
ったりしていた。
﹁ロランに戻ったら、剣を一度研ぎに出そうかしら﹂
﹁調子悪いのか?﹂
﹁そういうわけじゃないけど、やっぱり本職にやって貰うと、仕上
がりや切れ味が断然違うのよね﹂
﹁共有金から出せば良いが、いくらかかるかわかるか? ミスリル
合金はこの前売ったところだから、相場によっては換金が遅れるか
もしれない。
今回、追加報酬ついたとしても、正直あまり期待できないし、微
妙だからな。ミスリル合金含めれば問題ないが、現金だけだと間違
いなく赤字だ。
場合によっては、いつもより依頼受ける頻度を増やすか、薬を採
取・調合して共有金を増やしておきたい﹂
﹁今書いてるリストも、必要経費の計算するためなの?﹂
﹁それもある。書き出した方が、買い出し行く時に漏れがないとい
うのが主な理由だが。備品その他必要なものがあれば、言ってくれ。
1163
今後の予定を立てるのにも役立つ﹂
﹁じゃあ、討伐依頼何か受けたりするの?﹂
レオナールが期待するように尋ねると、アランは肩をすくめた。
﹁出来たら、ラーヌからロランまでの配達依頼があれば良いんだが、
たぶんないだろう。
なるべくラーヌでは積極的に依頼を受けたくないが、ロランより
は仕事多そうだから、もしかしたら受ける事になるかもしれない。
しばらくは問題ないが、ロランへすぐ戻っても、あまり良い仕事
はなさそうだしな﹂
﹁ラーヌは人は多いけど、コボルトの巣の依頼みたいに、物によっ
ては競争相手がいない仕事もありそうよね。報酬は期待できそうに
ないけど﹂
﹁俺達なら、たぶん最小限の経費で討伐できるし、二人だから他の
パーティーよりはマシだろう。
でも、ギルド職員はジャコブ以外と会話してないけど、あまり関
わりたくない感じなんだよなぁ。
レオはどういう印象だった?﹂
﹁私に聞かないでよ﹂
レオナールは肩をすくめた。それを見て、アランは溜息をついた。
﹁まぁ、それはともかく、今回の件で今後の課題がいくつか出てき
たのは、確かだな﹂
1164
﹁課題?﹂
﹁忘れたとは言わせないぞ。俺もあるけど、お前はもっと、対人対
策や対処を考えて、学習する必要がある﹂
﹁⋮⋮人間って、面倒臭いわね﹂
﹁ウル村に帰りたくなったか?﹂
﹁まさか。でも、なんかロランより面倒臭いわよね、ここ。手っ取
り早く叩き潰した方が、断然早いと思うんだけど。
ロランでやった時みたいに、ここでもやれば良いと思うけど、ど
うしてダメなの?﹂
﹁町の空気が違うってのが一番の理由だな。
ラーヌは、どうやら金とコネ持ってるやつが強いらしい。商会に
喧嘩売ったり、難癖付けられて面倒な事になるのも困る。
ロランでやれたのは、ギルドマスターがクロードのおっさんで、
町長がダニエルのおっさんの大ファンだってのが強いな。
二人ともユルくて、冒険者同士の諍いがあっても﹃元気だな﹄程
度で、よほどの事がない限り介入せず、当事者同士で解決させるだ
ろう?﹂
﹁空気が違うとか言われても、意味わかんないんだけど。
良くわからないけど、ラーヌの町の有力者やギルドマスターが介
入したり、なんか面倒になるかもしれないって事?﹂
﹁そういう事だな。空気が違うってのはさ、例えば、ここは領兵も
ギルド職員も、公平さは期待できないって事かな。
俺達は新参者で、よそ者だからな﹂
1165
﹁私達が新参者でよそ者なのは、ロランでもそう変わらないわよね
?﹂
﹁それでも、ダニエルのおっさん経由とは言え、ギルドマスターや
町長と面識があって、ある程度温情がある分違うだろ。⋮⋮なぁ、
レオ﹂
﹁何?﹂
﹁お前に言っても無駄かもしれないが、これ以上問題起こすなよ?﹂
真顔で言うアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁私がいつ問題起こしたのよ?﹂
﹁おい、こら、いつも起こしてるだろうが! コボルトの巣から帰
ったその日に、ギルド前で絡まれたりしてたくせに﹂
﹁私のせいじゃないわよ。向こうから絡んできただけだもの﹂
﹁とにかくお前はラーヌ滞在中は、絶対、単独行動禁止だからな。
わかったか?﹂
渋面のアランに、レオナールは肩をすくめ、立ち上がった。
﹁何処へ行くつもりだ?﹂
﹁ちょっと、喉が渇いたから水でも飲んで来るわ﹂
1166
その返答に、アランは一瞬考えたが、それくらいなら良いか、と
頷いた。
﹁わかった。なるべくすぐ戻って来いよ?﹂
﹁はいはい、本当うるさいわね、アランってば﹂
そう言ってヒラヒラと手を振って、レオナールは丸腰で外に出た。
︵いっそのこと、全員殺してスラムとやらに埋めるか、︽炎の壁︾
あたりで証拠隠滅しちゃえば簡単だと思うのにね。面倒臭い︶
そして、一階に降りたレオナールは、軽く目を瞠った。
﹁あら﹂
おかみが何かを叫ぼうとしたが、薄汚い格好のチンピラに殴りつ
けられ、崩れ落ちた。
一人だけ優雅に椅子に腰掛けた金髪碧眼の男が、階段前に立つレ
オナールを見た。
﹁やあ、新人君。昨夜は良く眠れたかい?﹂
ベネディクトの傍らに魔術師風の男と、白地に金と銀の刺繍が縫
い込まれた、光神神殿の神官服を着た男が立ち、スラムのチンピラ
と思しき男達が、ナイフや片手剣や斧や鈍器などを構えて、二十数
人でレオナールを取り囲む。
レオナールはニンマリ楽しそうに、微笑んだ。
﹁残念ながら、学習能力はないみたいねぇ﹂
1167
鼻で笑うように言ったレオナールの言葉に、男達は殺気立つ。
﹁てめぇ、丸腰で良く言いやがる! 命が惜しくねぇみたいだなっ
!﹂
男の言葉にフッと鼻で笑うと、大仰に肩をすくめた。
﹁それは、こっちの台詞でしょう? 雑魚をいくら集めてもムダだ
って理解できない頭の出来じゃ、同じ失敗を繰り返すしかないわね。
おバカさんって、本当お気の毒。死ななきゃわからないみたいね﹂
﹁てめぇっ! ぶっ殺すっ!!﹂
﹁ふふっ、掛かってらっしゃい﹂
そう言って、右手の平を上へ向け、右人差し指をクイクイ軽く動
かし、挑発した。
激昂して一番先に飛び掛かった男の足を素早く右足で払い、左手
でその手首を握ると、ひねり上げ、盾とする。
仲間に胸から腹辺りを斬り付けられて、絶叫する。それを見て、
いく人かためらう者もいたが、ほとんどの者がかまわず飛び掛かる。
レオナールの背後は階段であり、半円状に取り囲まれ、武器を振
るわれるが、それらを軽く避けては、武器を持った腕を狙い、ある
いは捕まえて盾にして、少しずつ数を減らして行く。
﹁何の騒ぎだ!﹂
アランが背後から駆け下りて来た。
1168
﹁ちょうど良いわ、アラン。獲物よ。向こうから出向いて来たみた
い﹂
レオナールが返すと、アランが舌打ちした。そして詠唱を開始す
る。
﹁おい﹂
椅子に腰掛けたままだったベネディクトが、傍らの男に指示を出
す。
魔術師と神官が詠唱を開始するが、それに気付いたレオナールが
手近の男の剣を奪い取り、投げつけた。
﹁っ!?﹂
詠唱を中断した魔術師が慌てて飛び退き、神官はそのまま詠唱を
続けて、魔法を発動させる。
﹁︽方形結界︾﹂
投げつけられた剣が弾き返され、近くにいたチンピラの後頭部に
直撃して、昏倒した。
﹁︽眠りの霧︾﹂
アランが︽眠りの霧︾を発動させ、残りのチンピラ達が全員眠り、
崩れ落ちるように倒れた。
レオナールは男達を見回し、一番程度の良さそうな片手剣を拾い
上げると、そばにいる男の足の腱を切り裂いた。
1169
悲鳴を上げて転げ回る男の頭を、柄で殴り、気絶させた。
﹁おい!﹂
﹁ロープがないんだから仕方ないでしょ?﹂
咎めるように睨むアランに、レオナールが肩をすくめた。
﹁そういう時は、服を脱がして裂けば良いだろ。ついでに武装解除
もできる。
あいつらは︽方形結界︾使ったから、こちらにしばらく手出しは
できない﹂
﹁ねぇ、アラン。ルージュを連れて来て﹂
﹁えっ⋮⋮、あれをか? おっさんじゃなくて?﹂
﹁師匠より、面白い事になると思わない? ここは私がいるから、
しばらくは大丈夫﹂
アランは嫌そうな顔になったが、舌打ちして、了承した。
﹁わかった、ちょっと待ってろ。どうせろくでもない事考えてるん
だろうが、どっちにしろ、あまり大差ないだろうからな﹂
﹁そんな事ないわよ? 師匠はほら、あれで一応﹃人間﹄だから﹂
レオナールはニヤリと笑った。
﹁相手が結界を解除しない限り、何もできないとは思うが、なるべ
1170
く殺すなよ。後が面倒になるから﹂
アランはそう言うと、裏口の方へ走り去った。
﹁おい、誰を呼びに行こうとしてるかしらないが、この町で僕に逆
らうとどういう目に遭うか、まだ学習できていないようだな﹂
ベネディクトの言葉に、レオナールは冷笑した。
﹁学習できてないのは、そちらでしょう? ここまで来てわからな
いなんて、お気の毒。
あなたは自分の常識が通じない相手がこの世に存在するって、知
らなかったのかしら。
世間知らずの箱入りのワガママお坊っちゃまに、振り回される人
達も自業自得とはいえ、御愁傷様。
もう手遅れだけど、良い事教えてあげるわね。私、売られた喧嘩
は買うし、襲われたらやり返すけど、自分から手を出した事は、今
のところ一度もないの。
だってその辺の有象無象どもには、興味ないもの。私が興味ある
のは、目の前にあるものを斬っても良いかどうか。それと、斬って
楽しめるかどうかよ。
それ以外は食べられるかどうかだけど、安心して。人や生肉や内
臓を食べたり、生き血をすすったりはしないから。
もっとも調理済みで材料不明だったら、気にしない場合もあるか
もしれないけど、それは仕方ないわよね?﹂
﹁は? 何を言ってるんだ?﹂
1171
﹁まぁ、目の前にいるのがゴブリンだろうが、人だろうが、大きさ
や動き以外は些細な違いよね。
どうせ相手が何かさえずっていても、私には理解できないもの﹂
そう言うと、レオナールの顔から表情が削げ落ち、無表情になっ
た。目線はベネディクトに向けられているが、焦点は合わされてい
ない。
訝しげな顔のベネディクト目掛けて、レオナールが駆け出した。
﹁バカが! ︽方形結界︾の効果が続く限り、どんな攻撃も無駄だ。
全て弾かれる。これだから無知で物知らずな新人は⋮⋮っ?﹂
レオナールは、ベネディクト達の手前、一番近い場所にあるテー
ブルを勢い良く蹴り上げ、途中で受け止めた。
残り二本の足で若干斜めではあるが、テーブルがほぼ垂直に立っ
た。
﹁⋮⋮何をしている?﹂
﹁このくらいの位置だったかしら?﹂
そう呟いて、レオナールはテーブルを足で押しながら、位置をず
らすと、途中で止まった。
﹁うん、これくらいね。じゃあ、後は﹂
更にもう一つテーブルを蹴り上げて垂直に立たせると、それが結
界に阻まれ動かなくなるまで押し引きずらせた。
神官がハッと顔を強張らせ、慌ててベネディクトに進言する。
1172
﹁若様、ここは一度引きましょう﹂
﹁何?﹂
﹁このままでは、逃げられなくなります﹂
﹁何を言っている。これくらいのもの、障害物でも何でもない。何
故、僕たちが逃げなければならないんだ。たかがFランクの新人相
手に﹂
﹁今は問答している場合ではありません。さぁ、早く!﹂
神官が促そうとするが、
﹁あら? 冒険者になりたての駆け出しの新人から、逃げるの? 愚かで卑怯な臆病者。
まだ何もしてないのに、わざわざこんなところまで何をしに来た
のかしらね? 物見遊山? 酔狂なことだわね﹂
レオナールが煽った。
﹁何?﹂
﹁ちょっとくらいなら、遊んであげても良いのよ? 逃げたいなら
それでもかまわないけど、その代わり今日一日かけて色々なところ
で、あなたの弱虫っぷりと情けなさを吹聴してあげるわね。
ついでにあのワガママぼっちゃまは、まだオシメが取れていなく
て、ママンのお乳が恋しいみたいだって、大きな声で喧伝してあげ
る。
きっと楽しい事になるわね。本人が嫌がるような醜聞や、他人に
1173
とって面白い噂って、どういうわけか広まるのが早いもの﹂
レオナールは三つめのテーブルを蹴り上げ立てると、それも同じ
ようにする。
﹁待て、いったい何をしている?﹂
ベネディクトが怪訝そうに尋ねた。
﹁何をしているように見えるかしら?﹂
レオナールはそう言って、四つめのテーブルを立てて押しやった。
︽方形結界︾に接触し取り囲むように四つのテーブルが立っている。
その足は全て外側を向いている。
﹁よいしょ、えい!﹂
レオナールはテーブルの一つを少し手前に動かし、結界側にテー
ブルを傾けるように倒した。
触れた瞬間、反対側に弾かれるが、それを靴底で受け止め、レオ
ナールはふむと頷いた。
﹁なるほど、同じくらいの強さで弾かれるのね。という事は⋮⋮﹂
﹁おい、レオ。何をしている?﹂
アランが宿屋の正面入口に立っている。
﹁あら、アラン。連れて来てくれた?﹂
1174
﹁ああ、連れて来たが、どうするんだ? まさか中に引き入れろと
は言わないよな?﹂
﹁別にそれでも良いんだけど、この宿の耐久性がちょっと心配だか
ら、今回は良いわ。
修理代を代わりに払ってくれそうな人はいるけど、万が一の事が
あると困るものね。
⋮⋮ルージュ! いつものやつお願い、いつもより大きな声でや
っても良いわよ!!﹂
﹁え?﹂
アランが嫌な事を聞いた、という顔になり、慌てて両手で耳をふ
さいだ。
﹁ぐがぁあああああおぉおっ!!!﹂
幼竜が、いつもより大きめの声で咆哮した。
﹁ぐあっ! なっ⋮⋮何の声だ!?﹂
明らかに魔獣・魔物かその類いの咆哮に、ベネディクト達が焦る。
レオナールがおもむろに手近のテーブルを蹴り上げると、跳ね上げ
られたそれが三人に向かって倒れ込む。
﹁何っ!?﹂
レオナールがそれを確認して、強く踏み込みながら、神官目掛け
て剣を振るい、魔術師を蹴りつけた。
1175
﹁アラン!﹂
レオナールの声に、アランが慌てて詠唱を開始する。
﹁くそっ、なんでっ!?﹂
慌てつつも、ベネディクトは腰の剣を抜き放ち、レオナールが振
るう剣を打ち払う。
︵ちょっと、いつもより射程が短くて軽いから、目測が甘いかも︶
レオナールが舌打ちをし、更に踏み込み、速度を上げ、時折右か
ら左へ、あるいは左から右へと素早く持ち替え、縦横無尽に剣を振
るう。
﹁なっ、くそっ、ちょこまかと!﹂
ベネディクトにとって、レオナールの剣は軽いが速い。
しかも彼が見慣れた者達は利き腕でしか扱わず、逆の手に持つと
したらマンゴーシュや丈夫なダガーか盾であるのに、予備動作なし
に同じ剣を左右に切り替え、読みづらい剣閃を描く。
視線・視点も何処へ向けられてるのかわかりにくく、表情もない
ため思考なども読みづらい。
それでも、拮抗し、打ち払う事が出来ていたのは、レオナールが
相手の急所や腕や肩などの関節を狙うからだ。
﹁︽眠りの霧︾﹂
アランの詠唱が終了し、発動した。魔術師と神官にはかかったが、
ベネディクトはかろうじて抵抗できた。
1176
﹁アラン! これ、使いにくいから部屋から持って来て!!﹂
﹁無茶言うな! あんな重いもの、俺に運べるわけないだろう!!﹂
アランの返答に、レオナールは眉間に皺を寄せた。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが更に咆哮し、どおん、と体当たりした。
﹁ちょっ、待っ、駄目だっ! やめろ、ルージュ!!﹂
アランが慌てて怒鳴るが、幼竜が言う事を聞くはずがない。
どたどたと後退すると、勢いよく踏み込んで、駆け出し、宿の入
り口を体当たりで拡張した。
﹁なっ!?﹂
大音響を上げて、石の壁が崩れ、破壊され、吹き飛んだ。アラン
がガックリと脱力し、その場で座り込んだ。
﹁ぐぁお﹂
ルージュが甘えるように鳴き、どたどたとレオナールの方へ走り
寄り、驚いて目を見開くベネディクトを天井近くまで跳ね飛ばした。
﹁あら、ルージュ﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
1177
撫でろと言わんばかりに、鼻を突き出す幼竜に、レオナールは苦
笑し、手に持っていた剣をその場に突き立てると、ルージュの鼻先
をそっと撫でてやった。
﹁そうね、有り難う。今ちょっと手持ちはないけど、後でご褒美を
あげるわね﹂
レオナールはニッコリ笑い、ルージュは嬉しそうに鳴いた。
﹁⋮⋮修理代どうすんだよ、おい﹂
アランが床にうずくまったまま、ぼやいた。
1178
35 再度の襲来と、魔術師の憂鬱︵後書き︶
というわけで、次回は後始末編になります。
以下修正。
×サブウエポン
○予備武器
×まさか商会に
○商会に
1179
36 剣士と占術師の遭遇
︽旅人達の微睡み︾亭・一階の正面入り口は、木製の扉も、壁に
使われた石灰石も再利用不可能なまでに粉々に破壊されていた。
高さ3メトル前後、幅は2メトル前後の大穴が空いている。瓦礫
は既にアランとレオナールによって、撤去&掃除されている。
ルージュも尻尾で瓦礫をかき集めようとして、アランを慌てさせ、
レオナール経由で止められ、廃棄物の運び出しだけを手伝った。
﹁あー、こりゃ思い切り良くやったなぁ。俺も若い頃は良くやった
が、こんな目立つような事はしなかったぞ?
どうせやるなら、バレないようにやれよ、レオ﹂
ダニエルの言葉に、アランが渋面になった。
﹁そういう問題じゃねぇだろ、おっさん。て言うか、レオには冗談
が通じないんだから、臆面なく隠蔽とか勧めないでくれ。
どうせなら、もっと常識的に説教するか、どうするべきか諭して
やって欲しいんだが﹂
﹁それは無理だろ? 自分でやらなかった事を人にやれとか、いく
ら俺でも、そんな厚顔無恥な真似はできねぇよ﹂
明るくケロッと言い放つダニエルに、アランは言う相手を間違っ
たと反省し、諦めてレオナールに向き直る。
﹁なぁ、レオ。頼むから町中で、他人様の持ち物を破壊するような
真似はやめてくれよ。だいたい、今回はどう考えても必要なかった
1180
だろう?﹂
﹁えぇっ、私のせい? 違うでしょ。
別にルージュに指示出してやらせたわけじゃないし、ルージュだ
って人間や町の常識なんか知らないし悪気はなかったんだから、責
任はないし、叱るほどの事でもないでしょう?
人は死んでないわけだし、犯罪やらかしたわけでもないし﹂
レオナールはそう言って、大仰に肩をすくめた。
﹁ああ、俺が初級回復魔法を修得できていなかったら、あの金髪剣
士は死にはしなくても、一生まともに歩けない身体になってた可能
性高かったけどな。
全身の骨がことごとく折れたり、ひび入ったりしてたぞ、あれ。
内臓に刺さったりして特にヤバそうなとこだけは何とかしたが、
後は高位神官に治療させるしかない。
それでも完全に元通りにはならないだろう。身体的な傷は完治で
きたとしても、精神的なものは、魔法ではどうにもならないからな﹂
アランがジットリとした目つきで言ったが、レオナールもダニエ
ルも気にした様子は皆無である。
﹁宿のおかみは、幸い脳しんとうと軽い打ち身と擦り傷程度で済ん
だし、本当良かったよな。
とりあえず、俺が宿の主人に修理・補償代と慰謝料出しておいた
から、最悪でも犯罪にはならないだろ。
床に転がってた連中に関しては、人が集まって来る前に回収でき
たし、無関係の人間には見られずに済んだのが不幸中の幸いってや
つだよな!
いざとなれば、あいつらに責任押しつければ良いし﹂
1181
﹁おい、おっさん﹂
アランがダニエルを睨み付ける。
﹁本当にそれで済むと思ってるのか?﹂
﹁おう。ちょうど昨夜出掛けた先で、ちょっと便利な魔法と技能持
ってるのをスカウトしてな。
正直あんまり期待はしてなかったんだが、偽装や隠蔽には持って
来いなんだよ。いやぁ、良い拾いもんだったわ、ハハッ﹂
﹁いつの間にそんな事してたんだ? 俺と話した後か?﹂
﹁おう。出掛けた酒場で偶然な。見つけようとすると、意外と逃げ
隠れ上手いんだよな、あいつ。
運動能力はアランよりはマシ程度か。戦闘能力は期待出来そうに
ないし、特に突出したものがあるってわけじゃないが、わりと小器
用で便利だな﹂
﹁ふぅん、よりによっておっさんに気に入られるとは、気の毒に﹂
﹁うん? なんで俺に気に入られると気の毒なんだ?﹂
アランの言葉に、ダニエルが怪訝な顔になった。
﹁そりゃそうだろ。またおっさんの犠牲者が増えたって事なんだか
ら。
まともな神経してないか、いろいろな意味でタフなやつである事
を祈るしかないだろう﹂
1182
﹁犠牲者? 相変わらず酷いな、アランの俺に対する評価・表現と
きたら。もっと優しくしてくれても良くねぇ?﹂
﹁冗談だろ。おっさんにちょっとでも甘い事抜かしたら、倍以上の
害や面倒を被る羽目になるだろう。そんなのは、絶対御免こうむる
ね﹂
アランは鼻で笑うような口調で言った。
﹁なぁ、ダオル﹂
ダニエルがちょうど現れたダオルに声を掛け、フォローしてくれ
とばかりに視線を向けたが、ダオルは大きく肩をすくめ、首を左右
に振った。
﹁そんなどうでも良い事より、大事な話がある﹂
﹁あん? 何だ、なんかあったか?﹂
﹁ここでしても良いのか?﹂
﹁わかった。場所を移そう。ここに俺がいてもやる事は特にねぇか
らな。おい、レオ、アラン、何か用事あったら、最上階の俺の部屋
へ来い。
そこにいなかったら、たぶん捕まえた連中のとこだから、伝言残
すか、暫く待て。じゃあな﹂
﹁あ、おっさん、今朝聞いた一個中隊とやらが来たら、どうする?
おっさんの部屋を教えれば良いのか?﹂
1183
﹁おう、それで良いぞ。顔見知りのやつだと良いんだが、誰が来る
かまでは聞いてないんだよな。じゃ、また後でな!﹂
ダニエルはヒラヒラと手を振って、ダオルと共に階段を上って行
った。
﹁で、アランは何をしてるの?﹂
不思議そうにレオナールが尋ねた。アランは先程から、破壊され
た箇所を含め、あちこちの壁をペタペタと触れて、何かを調べてい
る、または確認しているように見える。
﹁いや、大工を呼ぶ前に試してみたい事があってな﹂
﹁あら、でも、宿の主人が既に手配したんじゃないの?﹂
﹁でも、今日明日中に直せるってわけじゃないだろ? だから応急
処置というか、当座の処置が出来ないかと思ってな。
ちょうど手持ちに触媒があるし﹂
﹁触媒? なにアラン、もしかして魔法陣を描こうって言うの?﹂
﹁ああ。例の魔法陣の範囲は円形だったが、ちょっと手を加えれば
方形にも出来る事がわかっているからな。
ただ、出入り制限と許可の指示が難しいから、昼間じゃなくて夜
間専用になりそうだ。
問題は魔法陣を起動させていると、効果時間内は外に出られない
って事になりそうだから、それをどうしたもんかと﹂
1184
﹁言ってる意味がサッパリわからないんだけど?﹂
﹁つまり、魔法陣で︽方形結界︾の拡大版みたいなやつを作れるっ
て事だ。
ただし、一度起動させたら、効果時間が終わるまで、外に出られ
なくなる上、それを解除する方法が実質ない。
魔法陣を破壊した場合、効果が解除されるのか、あるいは暴走す
るのかが不明だ。結果がわからないのに、試してみるわけに行かな
いしな。
野営用に組んだ魔法陣の改造だから、町中での使用は考慮に入れ
てないんだよ。
もっとも資料があっても実用的なのを作れるかって言えば、微妙
なんだが﹂
﹁どうして、そんなものが要るの?﹂
﹁こんな大穴が空いてたら、泥棒や荒くれ者に侵入されかねないだ
ろう? ここを板か何かで塞いだとしても、壊せば済む事だし﹂
﹁魔法で何かできないの?﹂
﹁土魔法で、建設用に使えるやつがあったはずだけど、使う機会が
あるとは思えなかったから、文言とか覚えてないんだよな。土魔法
で使えるのは︽岩の砲弾︾だけだ。
風魔法は使えるようになったし、新たに初級回復魔法と、防御系
を三つ修得したけど、現状使えそうなのはない。
重さを無視して物体を浮遊させる魔法はあるんだが、幼竜がいれ
ば使う機会はないだろうしな。
魔法陣の件は、主人が戻ったら話してみようと思っている。許可
が出れば使うつもりだ﹂
1185
﹁ふぅん、まあ、アランの好きにすれば?﹂
﹁俺は主人が戻るまで、ここで待つつもりだが、レオはどうする?﹂
﹁あら、単独行動しても良いのかしら?﹂
﹁宿の中なら、な。これ以上襲撃してくるやつがいなければ、お前
の助力が必要になる事はしばらくないだろうし﹂
﹁ふふっ、また来たら面白いわね﹂
﹁冗談やめろ。これ以上面倒事は勘弁してくれ。お前に言っても仕
方ないが﹂
﹁わかってるなら言わないでよ。水が飲みたかったのに、結局飲め
なかったのよね。飲みに行っても良いかしら?﹂
﹁井戸か。⋮⋮ついでに周辺を軽く見て回って来てくれ﹂
﹁良いの?﹂
﹁ああ。ただし宿の周辺だけだぞ。あまり遠出せずに、なるべく早
く戻ってくれ。頼むから﹂
アランの言葉に、レオナールは肩をすくめ、頷いた。
﹁了解。じゃあ、井戸で水を飲むついでに、見回りして来るわ。ね
ぇ、アラン。何か異常を見つけたり、怪しいやつを発見したら、ど
うする?﹂
1186
レオナールが言うと、一瞬アランは顔をしかめ、答えた。
﹁状況にもよるが、その時は一度戻って報告してくれ。絶対に、一
人で対処しようとしない事! 絶対だぞ、レオ﹂
﹁ハァ、信用ないわね﹂
レオナールがやれやれとばかりに、首を左右に振った。アランは
そんなレオナールをギロリと睨む。
﹁当たり前だろ。単独行動を禁じた時点で、それくらいはわかって
欲しいんだが﹂
﹁そう言われてもねぇ?﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁とにかく、何かあれば俺を呼べ。おっさんは今忙しそうだからな。
俺じゃ頼りないかもしれないが、お前一人よりはだいぶマシなはず
だからな﹂
﹁頼りないとまでは言わないわよ? 相手が人間なら、私よりアラ
ンの方が上手くやるでしょ﹂
レオナールの言葉に、アランがキョトンとした顔になった。
﹁え、急にどうした、レオ? どこか調子悪いのか?﹂
﹁は? どうしてアランは私がたまに褒めたら、調子悪いのかとか、
1187
聞いてくるわけ?﹂
ムッとした顔になったレオナールが、詰問口調で言う。
﹁え? いや、でも、ほら、体調とか身体的なものや健康的な意味
じゃなくて、精神的に何か調子が狂うような事があったのかと、例
えば弱気になってるのかとか、何か嫌な事があったのかとか、気に
なるだろ?﹂
﹁へぇ? アランは弱気になったり、嫌な事があると、褒めるわけ
?﹂
﹁そういうわけじゃねぇよ。けどさ、心配になるだろ? 普段強気
で高飛車なお前が、元気なかったり、気力落ちてたりしたらさ﹂
﹁ねぇ、アラン。今の私が、どこか元気ないように見えたり、気力
が落ちてるように見えたりする?﹂
﹁いや。でも、俺はそういうの自力で気付けないからな。細かくフ
ォローできれば良いんだろうが、自信がない。
だからその都度聞いてるんだ。考えてもわからない事は、本人に
直接尋ねた方が早い﹂
アランが真面目な顔で答えると、レオナールは大仰に肩をすくめ
た。
﹁気をつかってくれてありがとう。でも、それ、ものすごくズレて
るし、間違ってるから。
アラン相手じゃなきゃ殴ってるとこよ。私がアランをまともに殴
ると死にかねないから、やらないけど﹂
1188
﹁非力で軟弱で悪かったな。でも、魔術師に戦士・剣士並の耐久力
は期待しないでくれ﹂
﹁大丈夫よ、わかってるから。でも昔と違って、日中外で活動して
も倒れなくなったのは良かったわよね﹂
﹁そりゃ、村にいた頃よりは体力ついたからな。たぶん少しだけど、
筋力も増えてると思う。
じゃなきゃ、今かついでる背嚢も運べてないと思うし﹂
﹁そうね、アランは頑張ってると思うわ。お互い冒険者になりたく
て、やっとなれたんだから、頑張りましょう﹂
﹁そうだな。もう少しお前がトラブル起こさなくなってくれると、
有り難いんだが﹂
﹁私のせいじゃないわよ?﹂
﹁その言葉を信じられたら、もっと良かったけどな。
そりゃ、お前だけが悪いってわけじゃないのは確かに真実の一端
だとは思うが、お前が上手くかわせるようになれば、もっと状況は
良くなるはずだ。
今は無理でも、少しずつ出来るようになれば良い﹂
アランの言葉に、レオナールは曖昧な笑みを返し、明確な返答は
避けた。
﹁じゃ、行って来るわ﹂
1189
﹁ああ、気を付けてな﹂
レオナールはヒラヒラと手を振って、宿の元正面入り口の大穴か
ら外に出た。
向かいの店や、酒場などを除く周囲の店のほとんどは開いている
ようであり、客や通行人の姿もちらほら見える。宿の大穴を眺める
野次馬もいるが、ざっと辺りを見回したところ、怪しい人物はいな
いように見える。
︵まあ、真っ昼間からあからさまにおかしな動きをしていたら、バ
レバレだものね︶
念のため耳をすませ、軽く伸びをする振りをしてから、大きく息
を吐いた。
バスタードソードは背負っていないが、念のため大振りのダガー
を腰に下げている。
やはり使い慣れた武器は、常に身近にあった方が良いとの判断だ。
喉が渇いているのは間違いないので、建物をグルリと回ってすぐ
裏手の井戸に向かっても良いが、見回りついでに、軽く散歩する事
にした。
宿の前の通りを奥へ向かって歩き出す。周囲には、小さめだが古
くからありそうな商店や、︽旅人達の微睡み︾亭と同規模の宿屋や
食堂が軒を連ねている。
そろそろ早めの昼食を取る者もいるのか、開いている食堂も多い。
︵屋台はこの辺りにはなさそうね。でも、持ち帰りの軽食を売って
いそうな店はあるみたい︶
ふと、店先で果物のジュースを売っている果物屋を見つけて、立
1190
ち止まった。
﹁いらっしゃい! お好みの果物で絞ったジュースの販売もしてる
よ!!﹂
若い男が、明るい声を掛けて来る。
﹁甘いのや、酸っぱいのは苦手なんだけど、そういうのって何かあ
る?﹂
﹁うーん、難しい事言うね、にいさん。苦いのも苦手?﹂
﹁そうね。正直なところ、水が一番好きなんだけど、エールくらい
なら飲めるわね﹂
﹁ふむふむ、じゃあ、これはどうかな? シェジャの実だ。試しに
一口食べて、いけそうなら絞るよ﹂
﹁良いの?﹂
﹁ああ。普段は他の果物と合わせる事が多いし、もしかしたら微妙
かもしれないけど、甘味も酸味も苦味も控えめって言うと、これく
らいしか思いつかないんだな。
後味が変わってると思うかもしれないから、嫌だったらそう言っ
てくれ﹂
そう言って男は、朱色に見える凹凸のある皮で包まれた丸い実を
手に取り、その上部をナイフで削り取った。
﹁皮は食べられないが、皮の近辺が旨いから、その辺をかじると良
1191
い﹂
レオナールはそれを受け取り、口に直接付けて、歯で実を削り取
ると、咀嚼した。
﹁⋮⋮食感はぶどうに似てるわね。瓜みたいな匂いがして、薄甘く
て、酸味はほとんどなくて、咀嚼している時にはないのに、後味に
は若干苦みを感じる⋮⋮? 汁気は多いみたいね﹂
﹁どうする?﹂
﹁特に大好きって味でもないけど、これなら大丈夫そうね。絞って
くれる? いくらかしら?﹂
﹁毎度あり。銅貨3枚だ﹂
﹁あら、ずいぶん安いわね﹂
﹁ああ。実はこれ、見切り品なんだ。でも、品質には問題ない。シ
ェジャ単体だと売れないみたいだから、ジュースに混ぜて売る事に
したのさ﹂
﹁それ、大丈夫なの?﹂
﹁今のところ抗議されてはないし、実際試作した時、これならいけ
ると思ったからね。わりと好評だよ。値段のせいもあるかもしれな
いけど﹂
﹁ふぅん。はい、銅貨3枚﹂
1192
﹁有り難う。じゃあ、ちょっと待ってて﹂
男がシェジャの実をいくつか籠に入れて、店の奥へ行くのを見送
った。レオナールはジュースができるまで暇なので、周囲を観察す
る事にした。
果物屋の隣は八百屋、そのまた隣は金物屋と思われる。果物屋の
ちょうど向かい側には、一見したところ何の店かわからない古ぼけ
た小さな店がある。
看板はあるが、刻まれた文字が薄くなっている上、癖があって読
みづらい。
︵⋮⋮石?︶
レオナールに読めたのは、かろうじてそれだけだ。石材屋だろう
かと考えて、しかしそれにしては入り口が下り階段になっているの
が奇妙だと、首を傾げた。
﹁お待たせ! 何を見てるんだい?﹂
﹁あの向かいの店、いったいなんの店なのかしら?﹂
﹁ああ、あれ? 昔は営業してたけど、今はやってないんだ。元は
魔石と魔術具を売ってたんだが﹂
﹁奥に人の気配がするみたいだけど?﹂
レオナールが尋ねると、男は頷いた。
﹁ああ。店はやってないが、元の店主の母親だった婆さんが一人で
住んでるよ。だから、一見店に見えるが、今は民家だな﹂
1193
﹁へぇ、この辺は店しかないのかと思ったわ﹂
﹁全部が店ってわけじゃないのは確かだな。たまに普通の家も混じ
ってるし、そうでなくとも、店と家を兼ねてるところが多い。
ここら辺はそこそこ安く買えるからね﹂
﹁そうなの。教えてくれて、ありがとう﹂
レオナールは聞いても忘れそうだと思いつつも、礼を言った。
﹁いやいや、あんた︽旅人達の微睡み︾亭に宿泊してる冒険者だろ
う? 昨日・今日と大変だったな。
あの連中、しょっちゅうあんな事やってるんだ。また来るかも知
れないけど、気を付けろよ。腕っ節には自信あるんだろうが﹂
男の言葉に、レオナールは肩をすくめた。
﹁いくら来てもムダだと思うけど。もう少し強いのが来てくれない
と、正直退屈だわ﹂
レオナールが溜息交じりにそう言うと、
﹁おや、金髪のお兄さん、ずいぶん物騒だねぇ﹂
その声にレオナールが振り返ると、白いローブ姿の女が立ってい
た。
﹁やぁ、婆さん。また来てくれたのかい?﹂
1194
﹁ああ、何でも良いからお勧めのを頼む。適当に絞っておくれ﹂
そう言って、女は大銅貨1枚を男に手渡した。
﹁了解﹂
そう言って、男が籠にいくつか果物を乗せ、奥へと行った。
﹁婆さん?﹂
レオナールはキョトンとした。
目の前にいる女は、どう見ても若く見えるし、声も若く聞こえる
高く澄んだ声だ。下手するとレオナールよりも若いように見えるの
だが。
﹁かろうじて女には見えるけど、成人してるかどうかも怪しい子供
にしか見えないんだけど﹂
レオナールが言うと、女はチッと舌打ちした。
﹁うるさいわね、あんたもなの? 私の幻術が効かないとか、自信
なくしちゃうわ﹂
そう言ってフードを深く被り直し、立ち去ろうとする。
﹁待って、別にあなたが身元不詳だろうと、幻術を使ってようと、
どうこうしないわよ。だって賞金首じゃないでしょう?﹂
レオナールがそう言いながら、女の腕を掴み、引き留めた。
1195
﹁当たり前よ。今のところ、追われるような身の上じゃないのは確
かね﹂
少女が胸を張って言った。
﹁あと、私は18歳で成人してるわ。少しばかり背が低いからって
子供扱いしないでよね﹂
身長1.53メトルといったところだろうか。レオナールより頭
一つ分は低く見える上に、ずいぶん小柄で痩身の少女である。
﹁身長も低いけど、童顔だし、胸もないじゃない。その凹凸にとぼ
しい胸はエルフ級よね。幻術使わなくても、男装すれば十分男の子
に見えるわね﹂
レオナールとしては、正直な感想を告げただけだったのだが、
﹁最低!﹂
少女は激昂し、平手でレオナールの頬を打った。一瞬呆然とする。
︵何、今の。見えない速さじゃないのに、反応できなかった︶
原因不明の出来事に、少し混乱しながら、怒る少女をじっと見つ
めた。
1196
36 剣士と占術師の遭遇︵後書き︶
なんとか今日中更新。慌てて書いたので、誤字とかあるかもしれな
いですが。
明日、誤字修正やチェック予定。
以下修正。
×効果がキャンセルされるのか
○効果が解除されるのか
1197
37 占術師の少女は絶叫する︵前書き︶
倫理的に問題発言多いです。苦手な人はご注意下さい。
1198
37 占術師の少女は絶叫する
﹁ねぇ、あなた、今、何をしたの?﹂
レオナールは心底不思議に思い、尋ねた。
﹁えっ、何よ! 私とやろうっての!?﹂
白ローブの少女が噛み付くように叫び、睨みながら身構えるが、
小動物がキャンキャン吠えて騒いでいるようにしか見えない。
﹁そんなのはどうでも良いわ。どうせハエが止まったくらいのダメ
ージしかないし。
それより、今のはいったい何? 幻術じゃなかったわよね。見え
ていたのに、一瞬身体が反応しなかったわ。
あれ、︽束縛の霧︾や︽鈍足︾でもあんな感じにはならないでし
ょう? 初めて見た魔法だわ﹂
﹁は? 知らないわよ。︽変装︾︽擬装︾︽変声︾︽隠蔽︾︽認識
阻害︾︽知覚減衰︾くらいしか使ってないわよ。何が言いたいわけ
?﹂
﹁︽認識阻害︾と︽知覚減衰︾のせいかしら。それって常時発動し
てるの?﹂
﹁何故それをあなたに教えなきゃいけないわけ? オ○マさん﹂
﹁ふぅん、教えたくないんだ?﹂
1199
レオナールは目を細め、唇だけで笑った。それを見て、少女がギ
ョッとした顔をした。
﹁な、何よ! わ、私に喧嘩売るつもり!? 言っておくけど余分
な金なんかないわよ!!
それに拉致して人買いに売ろうったって、そうはいかないんだか
らっ!!﹂
﹁どうでも良いけど、そんな大声出さない方が良くない?
いくら︽変声︾や︽認識阻害︾使ってても違和感覚えて、幻術破
る人が増えても知らないわよ?﹂
レオナールの言葉に少女の顔がサッと蒼白になった。
﹁お、脅してるわけ? 何を企んでるのよ。言っておくけど、私に
はう、後ろ楯があるんだからね。ただの流民だと思ったら大間違い
なんだから﹂
﹁あなた自身には力も権力もないわよね。でも、そんな事はどうで
も良いわ。
私が知りたいのは、あなたが今使ってる魔法がどういうものか、
実際﹃使える﹄かどうかなの。
私には魔法が使えないからあまり関係ない事だけど、内容によっ
ては色々考えなくちゃいけないわよね﹂
レオナールが相手を見定めるように、ジッと見つめる。少女がビ
クリと身体を震わせ、しかし、なけなしの勇気を振り絞って睨み付
ける。
1200
﹁はい、お待ちどおさま。ん、どうしたんだ?﹂
果物屋の男が怪訝そうに首を傾げる。少女が男が差し出したジュ
ースを受け取ると、
﹁有り難う。また、頼むよ﹂
とだけ告げ、素早く立ち去ろうとした、が。
﹁⋮⋮どうして、着いて来るの?﹂
数歩もいかない内に少女が振り返って、数歩遅れて着いて来るレ
オナールに向かって言う。
﹁見回りついでの散歩よ。あと、怪しい人物の観察?﹂
﹁あんたの方がよっぽど怪しいと思うけど﹂
少女がジロリと睨み付ける。
﹁あと、ここじゃ人目が多いからやらないけど、斬れるかどうか試
したくて﹂
レオナールが良い笑顔でさらりと告げた言葉に、少女が仰天し飛
び上がった。
﹁変態! 犯罪者!! キ○ガイっ!!﹂
叫んで脱兎のごとく駆け出したが、その数歩後ろから平然とした
顔で、息も切らさず、レオナールが追いかける。
1201
﹁キャーッ、キャーッ!! 辻斬りよ、辻斬り! 殺人狂!!﹂
﹁ねぇ、それ、たぶん︽認識阻害︾と︽知覚減衰︾のせいで、ある
程度近くにいる人間以外には聞こえないかもよ?﹂
レオナールの指摘に、少女はますます青くなる。
﹁あわわわ、あっ、うぅっ、走ってたら上手く魔法が使えないとか
⋮⋮っ!
いっ、イヤァッ!! まだ死にたくないっ! 例え死ぬとしても、
こんな変態に殺されたくないぃぃっ!!﹂
﹁失礼な﹂
とは言うものの、レオナールが気にしたり、傷付いたりする様子
は欠片もない。そもそも罵倒・罵声には慣れているため、雑音にし
か聞こえない。
アランはいちいち気にするようだが、それは彼が自分自身の価値
基準で推し量ろうとするためだ。
レオナールにとって、人間の言葉の大半は、ハエの羽音程度にし
か感じられない。殴られたりすれば、うるさいと感じる程度である。
この世の大半の出来事は、霧に覆われた薄闇の中、あるいは水底
深いところへ潜った状態で感じる、水の外で起こるそれを、俯瞰す
るようにしか感じられない。
自分自身の身に降りかかる事ですら、他人事というか無関心であ
り、実害ありそうな事にだけ場当たり的に対処しているだけである。
普段なら、こんな戦闘能力の欠片も感じない少女を斬りたいなど
1202
と思ったりしないのだが、先程の感覚のおかしな平手打ちの原因究
明や、その対策を考えるには、相手の説明・解説を聞くより、直接
斬り合うのが一番手っ取り早いと感じていた。
﹁大丈夫、手加減するから、ちょっとだけ斬り合いましょうよ。護
身用に短剣を使うくらいの事は、出来るんでしょう?﹂
﹁イヤアァアッ! 人殺しっ! 変態っ! 人でなしぃっ!! 来
るな! キ○ガイ!! ああっ、皆さん、この人頭おかしいのっ!
誰でも良いから助けてぇええっ!!﹂
少女が悲鳴を上げて逃げ回る。だが、近隣に少女の魔法に抵抗で
きる人がいなかったのか、誰も反応しない。
少女は路地裏に飛び込み、今まで走ったのとは逆方向、つまり先
程の通りから見て、より大きな通りに向かう方角へと駆け出した。
そちらは、レオナール達が宿泊する宿の方角でもあり、宿の裏手
にある井戸のある通りでもあった。
レオナールがキャーキャー叫ぶ少女を追いかけていると、不意に
魔法の発動を感知し、首を傾げてヒョイと避けた。︽風の刃︾であ
る。
レオナールが避けた先で、効果を発揮する射程を超えたため、そ
のまま消滅する。その発動元と思われる方向に、仏頂面のアランが
立っている。
﹁危ないわね! いきなり何をするのよ、アラン﹂
レオナールがようやく立ち止まった。少女が慌ててアランを盾に
するように、背後に飛び込み、おそるおそるといった表情でレオナ
ールの方を覗き見た。
1203
﹁俺の使う魔法くらい、平気で避けるくせに良く言う。それより、
レオ。お前帰りが遅いと思ったら、いったい何をしている?﹂
﹁面白そうな、怪しいのを見つけたから、追いかけてたけど、何か
問題ある?﹂
怪訝な顔で尋ねるレオナールに、アランは頭痛をこらえる顔にな
る。
﹁どう見ても、暴漢に襲われそうになっているか弱い少女と、それ
を追う犯罪者にしか見えなかったぞ。
何があったんだ、レオ。財布を掏られたとか、何か被害に遭った
のか? いったいどういう事だ﹂
﹁それ、面白い魔法使うのよ。だから、ちょっと斬ってみたくて﹂
レオナールが答えると、アランが絶望的な表情になった。
﹁なっ⋮⋮バカか!? あれほど犯罪者とその予備軍以外の人間は、
理由なく斬るなと言ってるのに、どうしてそんな⋮⋮っ!
お前なんでそんなバカなんだよっ!! 無闇矢鱈に、人でも何で
も斬ろうとすんなーっ!!﹂
アランは時折かすれたり裏返った声で、絶叫した。
◇◇◇◇◇
1204
︽旅人達の微睡み︾亭の一階食堂に、レオナール、アラン、ダニ
エルと、白ローブの少女が丸テーブルを囲み、腰掛けていた。
少女はアランとダニエルの間、その向かい側にレオナールである。
少女は脅えつつも、先程からずっとレオナールを睨んでいる。
両者の話を聞いて、アランは深い溜息をつき、ダニエルは困った
ような笑みを浮かべ、肩をすくめた。
﹁あー、レオ。言いたい事はなんとなくわかったし、気持ちはわか
らなくはないが、これを斬っても何の役にも立たないし、参考にな
らないからやめておけ。
それにまだ利用価値があるから、斬られたら俺が困る。似たよう
な術を使えて人を斬れるやつなら、他に心当たりがあるから、こん
な一般人に毛が生えた程度の女子供を斬ろうとすんな﹂
﹁殺したりはしないわよ?﹂
レオナールはキョトンとした顔で言った。
﹁ちゃんと寸止めして、怪我させないようにするから、ちょっとだ
け斬り合って、試してみたかっただけなんだけど﹂
﹁⋮⋮それ、模擬戦って事か?﹂
渋面のアランが尋ねた。
﹁そうよ? 他にどんな意味があるのよ。普通にやったら手応え一
つなく斬れる雑魚相手に。
とにかくさっきの感覚忘れない内に、あれを究明したかったのに﹂
レオナールは何がいけないのかしら、とばかりに首を傾げる。
1205
﹁お前の言葉が足りないのと、言動に問題がありすぎるのが一番の
問題だが、相手の承諾なく模擬戦なんかできるわけないだろ?﹂
アランが呆れたように言った。
﹁相手が本気で抵抗してくれるなら、十分だと思ったんだけど。
ほら、こっちがどれだけ手加減しても、明らかにまともに打ち合
えないんだから、死に物狂いで相手してもらった方が良さそうでし
ょ?﹂
﹁お前、自分が犯罪者として訴えられるかもしれないとか、他者に
そう見られるかもしれないとか、考えないのか?﹂
﹁結果的に、都合通りになればそれで良いから、他はどうでも良か
ったんだけど﹂
﹁冒険者資格や、平民身分保証を剥奪されたとしてもか?﹂
﹁え? 理由なく殺したり傷付けなければ良いのよね?﹂
ケロリとしたレオナールの言葉に、アランはクラリとめまいを覚
えた。
﹁なぁ、やっぱり荷が重くないか?﹂
ダニエルの言葉に、うっかり頷きたくなったアランだが、ゆっく
り首を左右に振り、気を落ち着けるため深呼吸して、息を整えた。
﹁相手の理解と了承なく斬りかかったら、常識的に考えて、お前が
1206
犯罪者または悪者だからな。お前が心の中でどう思おうが、相手に
は関係ない。
それが他者に通じてないなら、お前は罪もないか弱い女性に斬り
かかる殺人狂、あるいは誰にでも斬りかかる戦闘狂呼ばわりされて
も仕方ない。
誰が見ても明らかな証拠がなく、誰にも理解されなければ、町の
治安を乱す荒くれ者だと思われるんだぞ?﹂
﹁⋮⋮面倒臭いわね﹂
﹁そういう問題じゃねぇだろ、おい﹂
﹁じゃあ、どう言えば良かったの?﹂
﹁もっと優しく紳士的に、丁寧に尋ねてみるとか⋮⋮﹂
﹁私に出来ると思う?﹂
怪訝そうに首を傾げて尋ねるレオナールに、アランはゴツリと額
を打ち付け、テーブルに突っ伏した。
﹁うぅ⋮⋮レオのバカ⋮⋮っ! 地獄に落ちろ、くそったれ!﹂
アランがぼやくように呻いた。
﹁なぁ、レオ? お前、本気で、それでこの小娘がお前の相手して
くれると思ったのか?﹂
﹁どうしても逃げられないとわかったら、本気出すでしょ? 相手
を罵倒しながら逃げられる内は、余裕あるに決まってるじゃない﹂
1207
肩をすくめて言うレオナールに、少女がダニエルの上着をクイク
イと引いて、耳打ちした。
﹁ねぇ、この人、頭おかしいの? 本物のアレな人?﹂
少女の言葉に、ダニエルが苦笑した。
﹁あー、こいつ、ちょっと特殊な育ち方しててな。常識とか倫理と
か、そういうの疎いんだ。
人としてまともに社会で生活するようになって、実質的に、累計
一年も経ってないんだよ﹂
﹁このナリで、精神年齢一歳?﹂
﹁そこまで酷くはないはずだが、人生経験はそれ以下だな。生まれ
てこの方、自分の意志を示す事も、自由行動も制限されてたわけだ
から﹂
﹁その割には、言葉や口調、発音はまともに聞こえるんだけど﹂
﹁ああ、話す事は制限されていたが、言葉は理解できていたからな。
レオ、お前確か、周りの話してる言葉を聞いて覚えたって言ってた
よな?﹂
﹁ええ。何故か私が言葉を理解できてないと思ってる人も、幾人か
いたけど﹂
レオナールが言うと、アランが顔を上げた。
1208
﹁そりゃ、あれだろ。言葉が聞こえて理解できていても、反応しな
いなら、聞こえないか、理解できてないと思われても仕方ない。
俺だって、初めてお前に会った時は、食べ物以外にはあまり反応
しないから、俺の言う事が理解できているのか、判断つかなかった
しな。
でも、よくよく観察すれば目は動いてるし、わずかながら身体が
反応している事があったからな。
だから、話せないだけなんだと思ってたわけだし﹂
﹁そうなの?﹂
﹁食べ物以外にもわりと好奇心旺盛なくせに、警戒心だけはやたら
強いから、大角山猫か、大牙虎みたいだとは思ったけどな﹂
アランの言葉に、レオナールはわずかに顔をしかめた。
﹁あれ、もしかして、野生動物を餌付けする感覚だったの?﹂
﹁そういうわけじゃねぇよ。そんなに腹を空かせてるのなら、気の
毒だとは思ったくらいで。
どうせ、毎日自分や家族の分作ってるんだから、お前の分が増え
ても、さほど手間でもなかったしな﹂
﹁確かにありがたかったわ。全然足りなかったし、食べられそうな
物で、自力で取れるものは取って食べてたけど、お腹壊す事も多か
ったのよね﹂
二人の会話を聞いて、少女が顔をしかめた。
﹁何それ。いったいどういう生活? 特殊なんてものじゃないでし
1209
ょ、それ。孤児院で育った私より、酷くない?﹂
﹁あー、なんつーか、あれだ、ほぼ軟禁状態で虐待と放置を受けて
たんだ。もっとも、監視が甘かったから、しょっちゅう脱走してた
みたいだが﹂
﹁部屋の鍵なんか、適当に何か突っ込んで壊せば、押しただけで開
くようになるもの。
一応鍵穴に鍵を差し込んで回せるようにはしておいたし、そんな
に注意深い連中もいなかったから、楽勝だったわ。
まあ、普通に窓から木を伝って降りる方が早いと気付いてからは、
そうしてたけど。
今なら鍵穴なんか触れなくても、どんな鍵でも壊せる自信あるけ
どね﹂
レオナールが、明るく笑い飛ばすように言った。
﹁だからといって、何でもかんでも力尽くで壊そうとするなよな﹂
アランが渋面でぼやく。
﹁アランの判断が遅いのが悪いんでしょ? どうでも良い事を深く
考え過ぎるのが、アランの欠点ね﹂
レオナールがふふっと笑った。
﹁ねぇ、あの人、あんな事言ってるけど、本当にどうでも良い事な
の?﹂
﹁俺は違うと思うけどな﹂
1210
少女の質問に、アランはそう答え、ダニエルが笑いながら言った。
﹁そりゃ半々くらいだろ。アランは物事に優先順位つけるのが苦手
っぽいとこあるもんな。
世間知らずっぷりでは、レオほど酷くはないが、一般的な新人冒
険者と比較すると、ちょっとな。田舎から出て来たばかりじゃ仕方
ないけど﹂
﹁田舎者で悪かったな。でも、常に情報収集は軽視しないし、おこ
たってないぞ。
知らない事、わからない事は調べたり、人に聞いたりすれば良い
だけだ。知らなくて得する事なんか、まずないからな﹂
﹁いやいや、世の中には知らない方が良い事だって一応あるぞ。ま
ぁ、若者は知っておいた方が良い事の方が、断然多いんだろうが﹂
﹁なんだよ、おっさん。おっさん扱いして欲しいのか?﹂
アランがダニエルをジロリと睨む。
﹁おいおい、なんでだよ? そんな事は言ってねぇだろ﹂
そう言ってダニエルは溜息をついた。そして、おもむろに少女の
方へ向き直る。
﹁⋮⋮まあ、そういうわけで、あれだ。こいつらに関しては、いず
れ紹介はしようと思ってたんだが、どういう感じのやつらか、だい
たいわかっただろ、ルヴィリア﹂
1211
ダニエルがそう言うと、ルヴィリアと呼ばれた少女が、眉を大き
くひそめた。
﹁えっ、紹介ってまさか⋮⋮っ!﹂
﹁おい、レオ、アラン。紹介するな、この小娘が、昨夜スカウトし
たてのルヴィリア。
本業は占術師だが、薬師の真似事と、古代魔法語はさすがに無理
だが、ちょっとした各国語の知識、現代魔法語の知識に、短剣術や
投擲、幻術および精神魔法が使える。
あと、職業柄、人の話を聞くのが得意で、情報屋の真似事をした
り、悪人相手の詐欺まがいの所業もやった事があるらしい。
で、俺からの依頼の仕事もやってもらうが、当面お前らのフォロ
ーに付いて貰おうと思ってる﹂
﹁えっ、それ⋮⋮っ﹂
アランが絶句し、レオナールが軽く目を瞠った。
﹁ちょっ、やめてよ! ダニエルさん、聞いてた話と全然違うんだ
けど!!﹂
ルヴィリアが悲鳴のような甲高い声を上げる。それを無視して、
ダニエルが告げた。
﹁で、金髪碧眼の剣士が俺の弟子のレオナール。黒髪の魔術師がア
ランだ﹂
﹁いやあああぁあぁあっ! 嘘つき!! 変態っ!! この腹黒詐
欺師、地獄に落ちろっ!! クソ××野郎!!﹂
1212
ルヴィリアが絶叫した。
﹁酷いな、おい﹂
ダニエルが心外そうに呟いた。
1213
37 占術師の少女は絶叫する︵後書き︶
これは変態・殺人狂・狂人呼ばわりされても仕方ないよね、と思い
ます。
悪気ないで済んだら警察いらんのじゃ、という言葉が異世界で使え
ないのは悩ましいです。
本当はカタカナ英語もどきな言い回しも、別表現︵漢字︶にしたい
のですが、しっくり来ないやつはどうしようかと悩みます。
句読点や﹁︽﹂などを追加修正。
1214
38 剣士は逃走を諦める
小柄で痩身、中性的な容貌の銀髪蒼眼の白ローブの少女が、ジッ
トリと睨み付けている。
この世の全てが己の敵だと言わんばかりに、警戒心バリバリであ
る。アランが大きく溜息をついた。
﹁で? おっさん、何て言って、この子を騙くらかしたんだ?﹂
﹁え、何だよ、アラン。そのいかにも俺が悪いみたいな言い方。騙
してはないぞ。まぁ、わざと伏せた内容があったのは事実だが。
だって本当の事正直に言ったら、断られて逃げられるだろう? 手付金先に渡しておけば、あとは良いように運ぶだろうと思っただ
けだ﹂
﹁手付金?﹂
ダニエルの言葉にアランが疑問に思いながら、ルヴィリアの方へ
視線を向けると、不機嫌そうな表情で、ボソリと呟くように言った。
﹁仕方ないでしょ。お金はほぼ全額持ち出して来たけど、衣類は全
部置いてきちゃったんだもの。こっちで生活するなら、必要でしょ。
お金って入って来る時は控えめなのに、出て行く時はあっという
間なの! 私のせいじゃないわ! 持って来たお金の大半は借家代
に消えちゃったのよ。
別に自力で稼げないわけじゃないわよ。でもこの町って、稼ぎは
ショボいくせに、ショバ代やらみかじめ料やら仲介料やらいう名目
で、やたらと経費がかかるのよ﹂
1215
﹁えっ⋮⋮、それ、騙されてないか?﹂
アランが言うと、ルヴィリアが大きく目を見開いた。
﹁何ですって?﹂
﹁ああ、いや、俺もこの町の事は良く知らないから、もしかしたら
あんたの言う通りなのかもしれないが、だとしたら、この町で新し
く商売始めた連中のほとんどが借金まみれって事になるんじゃない
か?
でも、そういった話は聞いた事なかったから、どうなんだろうと
不思議に思っただけだ﹂
アランの言葉に、ルヴィリアがしばし呆然とし、クルリとダニエ
ルの方を見た。
﹁いや、俺もラーヌの事は良く知らねぇよ。そういうのは、元から
ここに住んでるやつに聞くべきだろ?
なんなら、幻術なしの今の状態で、宿のおかみか主人に聞いてみ
ればどうだ? 実年齢より幼く見えるから、快く教えて貰えるだろ
う﹂
﹁⋮⋮そうする﹂
ルヴィリアは不機嫌そうながら、頷いた。そんな少女にニヤリと
笑いながら、ダニエルが言った。
﹁あ、それと、その借家、俺が交渉して買い取っても良いぞ? 実
物見てから判断させて貰うけどな﹂
1216
﹁本当!?﹂
途端に、キラリと瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。
﹁⋮⋮あれはお金大好き、って顔に書いてあるわね﹂
﹁おい、余計な事言うな﹂
レオナールがボソリと呟き、アランが慌てて相方の脇腹を小突い
て、低く小さな声で返す。
幸いルヴィリアには聞こえなかったらしく、目をキラキラと輝か
せ、ウットリとした笑みを浮かべている。
﹁あまり広いとは言い難いし、古くてぼろいけど、こじんまりした
庭があって、余裕が出来たら薬草とか植えて育てたいとか思ってた
のよね。
できればいくつか改修したい箇所もあるし、家具なんかも揃えた
いと思ってたのよね。あと、これが一番大事なんだけど⋮⋮﹂
﹁おい、なんか借家買い取る以上の内容に、勝手に改変されてない
か?﹂
ダニエルが額に冷や汗を浮かべた。
﹁人間の脳って面白いわよね。妄想も現実と思えちゃう辺り、すご
いわよね﹂
レオナールが半ば感心したように言うと、アランは首を左右に振
った。
1217
﹁いや、そういうもんじゃないだろう。でも、あれ、きっと人の話
聞かないタイプだな。
たまにああいうおばちゃんいるよな、見た目普通そうなのに﹂
﹁他人の金を使う事や、出してもらう事に躊躇ってものがないのが、
末恐ろしいわ﹂
﹁お前はああなっちゃ駄目だからな、レオ﹂
真顔で言うアランに、レオナールは頷いた。
﹁大丈夫よ、安心して。相手から差し出して来たら貰うけど、言わ
れない内から請求した事はないわよ、今のところ﹂
﹁本当かよ?﹂
﹁本当だってば。私が何も言わなくても、相手が勝手に、どうぞこ
れで許して下さいって財布差し出して来るのよ。どうも金を出した
ら、私に許して貰えるって勘違いしてるみたい。
どうせ、その場で別れたら、相手の顔なんて覚えてないのにね。
もちろん貰える物は貰うし、金はあるに越した事ないから嬉しいけ
ど。
いちいち誰にどれだけ貰ったとか、わざわざ覚えてないからムダ
なのに、不思議よね﹂
﹁お前、本当、それ、心当たりないのか?﹂
﹁うーん、ワインか何かを頭から掛けられて、下ろし立ての服を汚
されてムカついたから、弁償代払わせた事があったからかしらねぇ?
1218
あれ、ロランで初めて自分で稼いだ金で買った服だったと思うけ
ど﹂
﹁あー、それ、なんか記憶あるぞ。あの時、夕食中断させられて、
お前ものすごくキレてただろ。
一口も手をつけてないシチューとソテーの皿をひっくり返された
せいだと思うが﹂
﹁そこまで詳しくは覚えてないわね。覚えてないって事は、たいし
た事なかったんだと思うけど﹂
﹁⋮⋮覚えてないって便利な魔法の呪文だよな﹂
アランは深い溜息をついた。
﹁とにかくだな! ルヴィリア、必要経費なら出してもかまわない
が、不要なものには出さないからな! そこまで酔狂じゃないぞ﹂
ダニエルがキッパリ言い切ると、ルヴィリアは夢から醒めたよう
な顔になった。
﹁⋮⋮そう言えば、昨夜の条件、あなたが目を掛けてる青年二人の
支援を暫くして欲しいって話だったけど、この人達、私とそう変わ
らない年齢な上に、たぶん冒険者か何かよね?
私、せっかくここで落ち着けそうだと思ってたんだけど、まさか
四六時中彼らについて回れとか言わないわよね?﹂
ルヴィリアの言葉に、レオナールがプッと吹き出し、アランが渋
面になった。
1219
﹁おい、おっさん。まさか必要最低限の話もしてないのか?﹂
その質問に、ダニエルが笑顔で答えた。
﹁ああ、ルヴィリア。一応言っておくが、こいつらロランを本拠地
にしてる冒険者だから、その借家は俺らの仮の拠点として使わせて
貰おうと思うが、お前の家にはならないぞ﹂
﹁なんですってぇ!? ちょっと、それ、どういう事よっ!!﹂
﹁報酬は払うし、希望するなら平民としての籍も用意してやる。初
年度の人頭税も負担して良い。
代わりに冒険者登録して、こいつらとパーティー組んでもらう﹂
﹁きっ、聞いてないんだけど!?﹂
﹁おう、今初めて言った。良く考えたら、俺の伝手で現在冒険者登
録していなくて、Fランク冒険者になれそうなやつっていなかった
んだわ、ハハッ﹂
﹁おい、おっさん、俺達も初耳なんだが﹂
﹁一応レオには先に言ったが、﹂
﹁おい、レオ!﹂
アランがギロリとレオナールを睨む。レオナールは肩をすくめた。
﹁つい昨日の話だし、本命は盾になる戦士で、最悪でも戦闘時に挑
発とか支援ができる遊撃役って話だったわよ。
1220
でも、それ、使えるの? 少なくとも盾は無理よね?﹂
レオナールが言うと、ダニエルが頷いた。
﹁運動能力に関しては、アランよりはマシって程度だが、幻術と精
神魔法が得意なようだからな。
あと闇魔法も使うんだよな? 人相手だとある程度魔法抵抗ある
やつには、幻術と精神魔法は効きづらいが、低ランクの魔獣・魔物
相手なら問題ない。
攻撃魔法はあまり持ってないみたいだが、代わりに投擲が使える
し、白兵よりそっちの方が使い物になるだろう。アランの盾にはな
らないが、︽認識阻害︾や︽知覚減衰︾があるからな。
効きさえすれば、かなり強味になる魔法だ﹂
﹁なるほど﹂
アランが頷いた。
﹁えっ、ちょっと、よりによって、こいつらと組ませるつもり!?
あ、えと、黒髪の人はまだ良いわよ、少しは常識ありそうだし。
でも、こいつ、金髪の方! どう見てもおかしいでしょ、こいつ
!! こんなのと一緒に行動するなんて、どんな目に遭わされるか、
わかったものじゃないわ!?
だってこんな華奢でか弱い乙女に、面と向かって、斬れるかどう
か試したいとか抜かしたのよ!?
こんなド腐れ×××野郎といたら、命がいくつあっても足りない
わっ!!﹂
ルヴィリアが大きな声で甲高く叫んだ。
1221
﹁下品ね﹂
レオナールが眉をひそめて言うと、ルヴィリアが心外な、と言わ
んばかりの表情になった。
﹁あんたにだけは言われたくないわよ、このキ○ガイ! 絶対、あ
んた、何回か人殺してるし、数え切れないくらい斬ってるわよね!?
そんな殺人・戦闘狂相手に、どうやって身を守れってのよ!! この変態××野郎に近付かない以上の護身はないでしょう!?﹂
キャンキャン叫ぶルヴィリアに、レオナールが両耳を手で塞いで、
顔をしかめた。
﹁なんか、これ、うるさい。小人族も相当だったけど、それ以上に
うるさい上に、やけに頭に響く声だわ。アラン、何とか黙らせてよ﹂
﹁無茶振りすんなよ、レオ。だいたい、お前がバカな事言うからだ
ろう。叫ばれるのが嫌なら、自分で謝れ。
じゃないと、顔を合わせる度にこれだぞ?﹂
﹁私が謝れば、どうにかなるの?﹂
﹁知らねぇよ、俺に聞くなよ。なあ、レオ。お前、そろそろ暴力と
力尽く以外の手段で、物事解決すること覚えろよな。
人の言葉って、半分はそのためにあるようなもんなんだからな﹂
これはアランの説教が始まりそうだ、と悟ったレオナールが席を
立ち、クルリと背を向けようとした。
﹁おい、待て。逃げるな、レオ。せめて彼女に謝ってからにしろ﹂
1222
アランがすかさずレオナールの上衣の裾を掴んで引き留めた。レ
オナールはやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、溜息をついて、
向き直る。
﹁ごめんなさいね、ちょっとしたいたずら心と悪気はあったけど、
軽い興味と好奇心で、どうしても斬りたいわけじゃないから、もう
やらないわ。
悪かったわね。安心して良いわよ﹂
口調だけは神妙に、胸を張って、眉根を若干寄せて言ったレオナ
ールの言葉に、アランがパカリと口を開き、ルヴィリアの眉間に深
い皺が寄る。
ダニエルがあちゃーという顔になった。
﹁地獄に落ちろっ! クソ×××野郎!!﹂
ルヴィリアが叫んで、駆け出した。一直線に宿の外へ向かう少女
の背を見送って、ダニエルが立ち上がる。
﹁んじゃ、俺、ちょっと追い掛けて宥めて来るわ﹂
そう言って、少女の後を追った。レオナールはどう、やったわよ、
とばかりにアランを振り返る。
﹁⋮⋮お前、本気でバカだろう⋮⋮﹂
アランがポツリと呟いた。
﹁え? 言われた通り、謝ったわよ?﹂
1223
﹁あれの何処が謝罪だよ。あの言い方じゃ、挑発してるか、喧嘩売
ってるとしか思えないだろう﹂
﹁そうなの? 難しいわね﹂
レオナールが首を傾げた。アランが渋面になった。
﹁おい、レオ。俺がお前に謝る時、あんな言い方してないだろ?﹂
﹁それは個人によるんじゃない? 私なりに謝ったつもりだけど﹂
﹁お前が謝ったつもりでも、それが相手に通じないなら、謝った事
にはならないんだよ!
結局のところ、謝罪されて許すかどうかは、相手の判断なんだか
ら﹂
﹁面倒臭いわね﹂
ふぅ、と溜息をつくレオナールに、アランはクラリと頭痛を覚え
た。しかし、これはどうにかしないとまずいだろうと判断した。
﹁よぉし、わかった。俺がお前に、他人様に対する誠意ある謝罪の
仕方をみっちり教育してやる﹂
﹁え? 何、アラン。私、何かあなたを怒らせるような事した?﹂
﹁俺はな、レオ。正直、善良とは言い難いし、自分の利害に関係な
ければ、他人の事なんかどうでも良いと思うし、必要ないと思えば
場合によっては切り捨てるから、冷酷だの冷淡とか言われるのも仕
1224
方ないし、結構倫理観は緩い方だと思っている。
それでもな、やって良い事と、駄目な事の区別くらいはついてる
つもりだし、お前もそうだと信じたかったんだが、違うみたいだか
らな。
この際、きっちり教育してやらないと、何がどうなるかわからな
いから、この辺りで締めて矯正しておかないと、まずいよな﹂
アランは唇だけに笑みを浮かべ、ギロリとレオナールを睨みなが
ら言い、腕を掴んだ。
﹁じゃ、部屋へ行こうか、レオ﹂
﹁え? なにかあまり良くない予感がするんだけど﹂
﹁そうか。人の機微に疎いお前でも、わかっているよな。大丈夫、
非力な俺が、お前に危害なんか加えられるはずがないだろう。
安心して着いて来い。最終的には俺に感謝したくなるはずだから、
問題ない。
お前に︽眠りの霧︾が効くなら、もっと手っ取り早い方法がある
が、仕方ない。ほら、とっとと歩け﹂
﹁ちょっと、アラン。何か顔とか口調とか、恐いわよ? ゾワッと
するんだけど。ほら、鳥肌が﹂
﹁ああ、後で聞いてやるから、話は後な。今、睡眠薬や痺れ薬の手
持ちがないんだよ﹂
﹁⋮⋮ねぇ、どうして睡眠薬や痺れ薬の話が出て来るの?﹂
レオナールの質問に、アランはニッコリ微笑んだ。
1225
﹁あまり手間を掛けさせるなよ﹂
理由はわからなかったが、逆らってはいけないような気がして、
レオナールはとりあえずアランに従う事にした。
◇◇◇◇◇
﹁普通は謝罪したり、礼を言う場合、その理由なんかも言った方が
良いと思うんだが、お前の場合、余計な事は言わない方がマシみた
いだから、謝る時は﹃ごめんなさい﹄、礼を言う時は﹃ありがとう﹄
で行け。
っていうかレオ、お前、俺に謝る時はもう少しマシな言い方出来
るのに、どうしてああいう言い方になった?﹂
﹁アランが謝れと言うから、私なりに謝っただけなんだけど。
だって︽認識阻害︾と︽知覚減衰︾に興味あるのは間違いないけ
ど、別に対象があれである必要はなかったのは確かだもの﹂
﹁⋮⋮お前が自分から望んだわけじゃないのに、俺が謝らせたのが
間違いだって事か?﹂
﹁面倒くさいし、どうでも良いけど、今は特に斬りたいとは思わな
いもの。ちょっとした気の迷いだったみたいね。たまにはそういう
事もあるわよね﹂
﹁自分が悪かったとは、全く思ってないし、何か感じる事もないみ
たいだな﹂
1226
﹁それは当然でしょ。仕方ないわよね。でも、まさか師匠があれと
組ませるつもりだとはね。役に立つかしら?﹂
﹁レオ、人相手にあれとかそれとかこれとか言わない方が良いぞ。
侮辱と取られかねないからな。
人の場合は、せめてあの人、その人、この人だ。もっとも、そっ
ちもあまり使わない方が好ましいが﹂
﹁そうなの?﹂
﹁使うなら、あなた、彼、彼女の方が適切だ﹂
﹁でも、アランや他の人も使ってるわよね?﹂
﹁そうか? それ対象の行為とか何かについてじゃなく言ってたか?
いずれにせよ、誤解の元になる場合もあるから、使わない方が良
いだろうな。俺も気をつける。
それで、話を戻すがさっきの場合の謝罪は、﹃ちょっとしたいた
ずら心と悪気﹄だの、﹃軽い興味と好奇心﹄がどうのとかは言わな
くて良い。
お前の心の中にしまっとけ。言わなくて良い事は言わない方が良
い。
だから﹃ごめんなさい。どうしても斬りたいわけじゃないから、
もう二度とやらない。本当にごめんなさい﹄あたりにしておけば、
より適切だった。
お前の語彙にない事や、思ってもない事を言えとは言わない。そ
んな謝罪や礼に意味も意義もないからな。
思いつかないなら﹃ごめんなさい﹄と頭を下げるだけで、だいぶ
1227
心象が変わる。
彼女とどのくらいの期間パーティー組む事になるかわからないが、
今の状態のままじゃまずいからな﹂
﹁アラン、もしかして彼女とパーティー組んでも良いと考えてるの
?﹂
﹁どのくらいの技量なのか、実際に実戦で使えるレベルなのかは確
認しないとわからないが、おっさんの目にかなうなら、問題ないん
じゃないかと思うからな。
本当は盾が欲しいところだが、最悪ガイアリザードに任せるとし
ても、︽認識阻害︾と︽知覚減衰︾が便利で有効な魔法なのは間違
いない。
効かない相手に対する方策は︽鉄壁の盾︾で対処すれば、今まで
より格段に戦闘が楽になるはずだからな。
魔法は使えば使うほど、詠唱が速くなったり熟練するのは間違い
ないし、しばらくはランクを上げるつもりはないから、その間に慣
れて貰えば良い。
もちろん盾役や、その他のパーティーメンバーも捜すつもりだが﹂
﹁てっきりアランの事だから断ると思ってたわ﹂
﹁どういう意味だ。確かに多少問題はありそうだが、仲間として使
えそうなら歓迎するぞ。場合や状況によっては、文句は言うかもし
れないが﹂
﹁あのドワーフがダメで彼女が大丈夫な理由っていったい何? 違
いがわからないわ﹂
﹁決まってるだろう。あのドワーフは、悪気なくトラブルを呼び込
1228
み、理解も反省もしないタイプだ。
自分が悪かったとは思わない上に、自分の力量の限界がわかって
ないから、際限がない。
あれは自分の正義を声高に主張するやつより質が悪い。自分が異
物だと自覚して、自分が正しいと思う事をやるからな。
しかも、何をやらかすか予測がつかない。
その点、彼女は俗物というか、ある程度理解と常識の範疇に収ま
っているからな。
確かにうるさいし騒がしいのは間違いないが、金に弱そうだから、
最初は手探りになるだろうが、制御可能なレベルだろう。
感情も読みやすそうだし、言いたい事ははっきり言うタイプだか
ら、内に溜め込む事もない。
予測のつきにくい、理解し難い人物よりはマシだ。それにあの分
じゃ、たぶんあまり保たないだろう﹂
﹁保たないと思うけど、仲間にするの?﹂
﹁しばらく保てば十分だ。いないよりはマシだろうしな﹂
﹁本当に?﹂
レオナールが首を傾げると、アランは苦笑した。
﹁実際に使ってるところや、戦闘見ないと断言はできないし、確証
もないけどな。そんなに期待はしないが、おっさんが勧めるなら悪
くはないはずだ。
正直、パーティーに女の子が混じるとか、トラブルの元になるよ
うな気がしなくはないが、本人の前では言えないが、口を開かなけ
れば性別不詳に見えるから、人前、特に冒険者の前でだけ気を付け
1229
れば問題ない﹂
﹁アランとしてはどうなの? 面倒だとは思わないわけ﹂
﹁同じパーティーにレオがいても入ってくれて使えるなら、年齢性
別を問うつもりはないが、人格者が入ってくれるとは思えないから、
性格・人格に特に問題なければ、それで良い。
少なくとも普通の範疇には収まりそうだし﹂
﹁あれで?﹂
﹁あんなもんだろ。若干金に振り回され過ぎな気はするが、年齢的
にも流れの自由民で孤児という立場からしても、あれくらい普通だ
ろ。
変なやつだとは思うが、異常ではない﹂
﹁私とは違って?﹂
笑って言ったレオナールに、アランが真顔になる。
﹁レオ﹂
咎めるような声。
﹁何?﹂
﹁他のやつは色々言うと思うがな、レオ。俺はお前が異常だとは思
ってないぞ。特異だとは思うけどな。
お前は今、良くも悪くも、今まで経験しなかった新しい事に触れ
て、日々学習中だ。
1230
今できないからと言って、将来できないとは思わない。実際、昔
はできなかった事ができるようになってるのは事実だからな。
俺はレオを完全に理解できてるとは言い難いし、これからそうな
る自信も正直ないが、お前が困った時や、助けが欲しい時には、必
ず助力したいと思っている。
お前の抱える問題の全てを解決してやるとは言えないが、どんな
手段を使っても最悪な状態よりは、いくらかマシな状態にはしてや
るから、頼りにならないかもしれないが、一応言うだけ言ってみろ。
たぶんお前一人で判断するよりはマシだから﹂
レオナールは一瞬キョトンとした顔になり、それから苦笑した。
﹁そうね、その時はそうするわ﹂
レオナールがそう答えると、アランは頷いた。
﹁おっさんがいない時は俺が保護者代わりだからな﹂
﹁えーっ、何それ。それほど誕生日が違うわけでもないのに、良く
言うわね?﹂
﹁たった十数日でも俺がお前より早く生まれたのは間違いないだろ
? 文句があるなら、俺の年齢超えてみろ﹂
﹁師匠みたいな事言わないでよ﹂
﹁おっさんも似たような事言ったのか?﹂
﹁そうよ。そういうの屁理屈って言うのよね?﹂
1231
﹁屁理屈の範疇になるかどうかは知らないが、年齢や誕生日に関し
てはただの事実だ。それより、レオ﹂
﹁何?﹂
﹁お前に足りない語彙と、その使い方について解説してやる﹂
レオナールがハッとして立ち上がり、ドアノブを捻ろうとするが、
回らない。
﹁前もって︽施錠︾をかけた。レオ、こっちへ来て座れ。じゃない
と︽方形結界︾かけるぞ﹂
﹁それ、かけたらどうなるの?﹂
﹁結界の内側から外に、あるいは外部から内への物理的攻撃は全て
弾かれるから、結界の外にあるものは壊せない。移動はできるけど
な﹂
良い笑顔で言うアランに、レオナールは逃走を諦めた。
1232
38 剣士は逃走を諦める︵後書き︶
ちょっと︽疾風の白刃︾関連引っ張り過ぎました。
あと3話で今章完了予定です。不要そうなところはガッツリカット
しまくりますが。
以下を修正。
×駄目だかなら
○駄目だからな
×サポート
○支援
×ハーフリング
○小人族
×持たない
○保たない
×持てば
○保てば
×みないと
○見ないと
1233
39 乙女心の代償金︵前書き︶
後半、具体的な描写はぼかしてありますが、残酷な描写・表現があ
ります。苦手な人はご注意下さい。
1234
39 乙女心の代償金
領主││セヴィルース伯爵││が派遣した中隊がラーヌへ到着し
たのは、その日の午後、昼時を過ぎた辺りの事だった。
﹁んじゃ、これで全員だな。で、本当に俺は何もしなくて良いのか
?﹂
ダニエルがその中隊を率いてきた中隊長に尋ねた。
﹁ええ。団長曰く、あなたに任せると、どんな小さな火種も大火に
なる上、被害・損害が甚大になるので、絶対に手を借りるなと厳命
されました﹂
﹁マジか。相変わらず俺への評価が辛過ぎる上に、口が悪ぃな、あ
いつ﹂
ダニエルがぼやくように言った。中隊長は表情を崩す事なく、続
ける。
﹁そして、こちらが我が君から、ダニエル殿へと預かった手紙です。
必ず直接手渡しするようにと言付かって参りました﹂
﹁了解。確かに受け取ったぞ。ジョスラン殿によろしく言っといて
くれ﹂
﹁申し訳ありませんが、私は我が君に直接お目通りのかなう身分で
はありませんので、了承いたししかねます。
1235
また、差し出がましいようですが、我が君の名を軽々しく口にな
さるのは、お控えになった方がよろしいかと存じます﹂
﹁はーっ、カタいねぇ! そんな事より、今夜あたり親睦を深めに、
一緒に飲みに行かねぇか、おい﹂
﹁いえ、申し訳ありませんが、任務完了するまでは、そのお誘いを
お受けする事は出来かねます故、誠に相済みませんが、またの機会
にお願いいたします﹂
﹁またの機会っていつだよ?﹂
﹁この度のご連絡および、ご協力有り難うございました。また、何
かございましたら、是非ご連絡いただければ幸いであります。
お手数お掛けしました。では、これにて失礼いたします。ダニエ
ル殿のご健勝とご多幸を祈ります﹂
慇懃にそう告げ、一礼すると、中隊長はダニエルから引き取った
︽疾風の白刃︾とチンピラ達を連れ、︽旅人達の微睡み︾亭を出る
と、ラーヌの領兵団の兵舎へと向かった。
﹁⋮⋮で、言われた通り、おとなしくするのか?﹂
引き取りに際して、ダニエルの数歩後ろで無言のまま直立してい
たダオルが、ダニエルに尋ねた。
﹁どう思う?﹂
ダニエルはニヤリと笑った。
1236
﹁お前がそんな優等生なら、今みたいにはなってない。味方にして
も、敵に回しても、厄介過ぎる。
故に常日頃から四方八方より警戒されているわけだからな﹂
﹁わかってるなら聞くなよ。さぁて、じゃ、ちょっと出掛けて来る
わ﹂
﹁彼らに、行き先を聞かれたらどうする?﹂
﹁適当に遊びに行ったとでも、言っておいてくれ。それで納得する﹂
﹁⋮⋮気の毒に﹂
ダオルが顔をしかめて言うと、ダニエルは大仰に肩をすくめた。
﹁知らなくて良い事は、知らない方が良いだろ? 若者には夢と希
望とある程度の自由がないとな!
面倒なしがらみとか、鬱陶しい枷とか、嫌らしい大人の思惑なん
ぞとは、無縁で良いんだよ。心が汚れちまうからな。
俺はなぁ、子供の喧嘩に親が出るような展開が、一番大っ嫌ぃな
んだ。反吐が出るだろ。
あいつらは嫌がるだろうが、あれらに積極的に関わると、俺を敵
に回すぞってのは、喧伝しておいた方が良くねぇか?
ラーヌだけの問題じゃなくて、王都や他の地域の連中にも、さ﹂
﹁お前が腹黒くておとなげないのは、今更だったな。じゃあ、これ
だけ言っておく。殺すなよ﹂
﹁ハハッ、俺を誰だと思ってんの? このくらいの雑魚相手に、殺
1237
したりしねぇよ。それに、生かしておいた方が後々役立つからな。
あ、そうだ。アネット婆さん呼んでおいてくれ。回復魔法使える
なら、他でもかまわねぇんだが、口を封じるのが面倒だからな﹂
笑って言うダニエルに、ダオルが深い溜息をついた。
﹁⋮⋮これが王国一の英雄とか、本当、シュレディール王国の国民
が気の毒過ぎる﹂
◇◇◇◇◇
翌日、レオナールとアランは、ダオル、ルヴィリアと共に冒険者
ギルドへと赴いた。
﹁というわけで、最後に主要通路の天井に︽岩の砲弾︾を打って崩
し、出入り口はレッドドラゴンの幼竜とガイアリザードの体当たり
で破壊して塞いだから、魔獣・魔物の住処になったり、盗賊や荒く
れ者などの拠点になる可能性は低いだろう。
以上が報告だ。簡単な周辺地図や、コボルトの巣の地図などの補
足も報告書の最後の二枚に記してあるので、必要なら確認してくれ。
数が多かったので、討伐部位は持ち帰らなかったが、かまわなか
ったか?﹂
﹁討伐部位があれば、討伐数に応じて報奨金が出る場合もあるんだ
が、良かったのか?﹂
ジャコブが尋ねると、アランは肩をすくめた。
1238
﹁どうせコボルトの報奨金なんか、出ても銅貨数枚くらいだろう?
いくら荷物はガイアリザードや幼竜で運べるって言っても、30
0匹前後の尻尾を切り取って持ち帰るのは、だるいしな。
今回はミスリルゴーレムの残骸があるから、そちらを優先した方
が良い。重さはたいしたことないが、かさばり過ぎる﹂
﹁まぁ、その通りだな。たぶんうちだと銅貨2∼3枚ってとこだ。
でも、ミスリルの塊と比べたら、低ランクの討伐部位はどれもカス
だろ。
しかし、いくら魔術師がいるとは言え、普通Fランクの新人はミ
スリルゴーレムなんぞ倒せないぞ? 無事に逃げ帰って来られるか
も微妙だ﹂
﹁︽炎の壁︾二発分で倒せるから、魔術師がいないパーティーはき
ついと思うが、まともな前衛がいる魔術師を含むパーティーなら、
何とかなるかもしれない﹂
﹁いや、普通のFランクパーティーだと、ストーンゴーレム相手で
も一撃で瀕死だからな。魔術師の話じゃないぞ、前衛の戦士の話だ
からな﹂
﹁レオは攻撃受けないからなぁ。今回は、幼竜が︽炎の壁︾の詠唱
完了まで足止めしてくれたし﹂
アランが言うと、ジャコブだけでなく、ダオルやルヴィリアまで
驚いた顔になった。
﹁えっ、ちょっと! そのレッドドラゴンの幼竜って、どんだけ器
用で賢いのよ!!
仮にもドラゴンのくせして、そんなにも従順で細かな指示にも従
1239
うわけ!?﹂
ルヴィリアが大きな声で叫ぶ。ダオルは何も言わないが、ただで
さえ真顔だと強面なのが、凶悪なまでのしかめ面になっている。
ジャコブは懐疑的な表情だ。
﹁幼竜に関しては、俺じゃなくてレオの管轄なんだが、お前、あい
つに指示出したのか?﹂
アランが傍らのレオナールに尋ねると、レオナールは肩をすくめ
た。
﹁知らないわ。必要そうな時は指示を出す事もあるけど、あの子、
いつも自分で好きに動いてるもの。けっこう賢いのよね。
残念ながら人の使う共通語は話せないから、あの子の言いたい事
全てはわからないけど、私の言葉をちゃんと理解してるみたいだし、
もしかしたら、私より頭良いかも。
一度教えた事はすぐ覚えるし、自分でどんどん改良するのよね﹂
﹁⋮⋮伝承によると、共通語や古代魔法語を話したり、魔法を使う
ドラゴンもいるらしいからな﹂
アランが半ば呻くような声で言った。
﹁なぁ、アラン、レオナール。それ、真偽の方はともかく、人には
話さない方が良いと思うぞ﹂
ジャコブが低い声で言った。
﹁え?﹂
1240
キョトンとしたアランに、ジャコブは渋面で告げる。
﹁それが本当だとしたら、その幼竜をさらおうと考える連中も現れ
かねないからな﹂
﹁えっ、だって、幼竜とは言え、レッドドラゴンだぞ?
あいつ、どういうわけかレオの言う事は素直に聞き従っているが、
他のやつの言葉なんか聞いているかどうかも怪しいぞ。少なくとも
今朝は俺の言う事には従わず無視しやがったからな。
あいつが従うのも、甘えてみせるのも、レオ相手だけだ。
あいつに体当たりされたら、どんなやつでも吹っ飛ばされて、全
身骨折だぞ。
その辺のチンピラや盗賊なんぞ、命があれば不幸中の幸いってと
こだな﹂
﹁ところが、ドラゴンなんてのは、眉唾だという連中もいるからな﹂
ジャコブが溜息ついて言うと、アランは眉をひそめた。
﹁あいつがドラゴンか否かなんて、見ればすぐわかるだろう?﹂
﹁それがわからないのもいるんだよ。あるいは、見ても理解したく
ない、あるいは出来ない連中がな。だから、くれぐれも気を付けろ。
今回は念のために、個室取っておいて良かったよ。あんな事の後
だから、十分過ぎるくらい注意した方が良い﹂
﹁え、何? あんた達、何かやらかしたの?﹂
ルヴィリアが嫌そうな顔で言った。アランは溜息をついて、肩を
1241
すくめた。
レオナールは相変わらず話を全く聞いてないし、答えたり反応し
たりする気配もない。
ジャコブは苦笑し、ダオルは黙って見つめるだけだ。
﹁ちょっとな。とりあえず一通り済んで後始末だけだが、それは俺
達には関係ない。
適当に処理してくれるって話だから、安心したいところなんだが、
な﹂
﹁それ、宿の入り口に大穴が出来てたのと関係ある?﹂
ルヴィリアがレオナールとアランを睨むような顔で、尋ねた。
﹁おい、アラン! お前、もしかして⋮⋮っ﹂
ジャコブが慌てたような顔になった。
﹁俺じゃないぞ、やったのは幼竜だ。一応止めたんだぞ、聞きはし
なかったが﹂
アランが慌てて答えると、ジャコブが渋面になった。
﹁じゃあ、レオナールか?﹂
﹁いや、あれは幼竜がレオナールのそばに駆け寄ったせい、だと思
う﹂
﹁だと思う? どういう意味だ﹂
1242
﹁誰も指示は出してないが、レオが使い慣れた武器じゃなくて、攻
めあぐねてたのを見て、駆け付けたんだと思う。
入り口壊して中に入ると、一直線にレオの所へ向かったからな。
ついでに相手を跳ね飛ばしたが。あれはたぶん事故だった、と思う﹂
﹁おい、アラン﹂
ジャコブが仏頂面になった。
﹁思う、思うって、それ、半ば現実逃避してないか、おい。お前、
本気でそう思ってるのか?﹂
﹁⋮⋮そう思いたいんだ、勘弁してくれ。あの幼竜に関しては、正
直俺だって頭痛い事ばかりなんだよ! できれば存在そのものも認めたくないが、目の前にいるんだから、
仕方ない。
でも、かなうものなら、あれを勘定に入れたくないし、せめて俺
の指示に従うなら良いが、よりによってレオの言う事しか聞かない
上に、自己判断して勝手に行動するとか、どうすりゃ良いんだ!!
しかも、あいつの戦闘スタイル、レオそっくりの猪突猛進なんだ
ぞ!? そりゃ、もしかしたら、レオよりは頭良いかもしれないが、だか
らといって、それの何が救いになるって言うんだよ!!
どうせ俺の言う事なんか聞きゃしないし、レオが俺の指示に必ず
しも従うわけじゃないから、下手すると俺を置いてきぼりで一人と
一匹で突撃するに決まってるんだ! クソっ!!﹂
怒濤のように嘆き叫ぶアランに、ジャコブが一瞬唖然とした顔に
なり、その隣のレオナールに視線を移したが、素知らぬ顔である。
1243
次いで、二人の背後に立つダオルに視線を向けると、ダオルは無
言で首を左右に振った。
更に救いを求めるような表情で、アランを挟んで逆の隣に座るル
ヴィリアに視線を向けたが、ルヴィリアは大きく溜息をついて瞑目
し、ポンとアランの肩を叩いた。
途端に、アランがハッと正気に返った。
﹁ああ、すまない。少々取り乱した﹂
頭を下げて言うアランに、少々?とレオナールを除く全員が内心
首を傾げたが、暗黙の了解でそれには触れずに流す事にしたようで
ある。
代わりに生暖かい視線を向けているが。
﹁おい、レオ。頼むから、あの幼竜に、町中では問題起こさないよ
うに言ってくれ﹂
﹁ねぇ、アラン。確かにあの子、私の言う事は聞いてくれるけど、
その都度言わないと、たぶんわからないわよ?﹂
レオナールの言葉に、アランが一瞬硬直した。
﹁素直な良い子だから、一度言えばわかってくれるけどね﹂
レオナールがそう付け足すと、アランが渋面になった。
﹁そうだな。その点はお前より賢いよな﹂
﹁そうね。きっとあの子、私が覚えてない事も覚えてそうだわ。本
当、人の言葉が話せたら良いのに。そしたら、今よりもっと便利よ
1244
ね﹂
﹁⋮⋮そうだな、嫌味が全く通じないお前よりはな﹂
若干眉を下げて、アランが小さく呟いた。
◇◇◇◇◇
﹁そう言えば、おっさんは何やってるんだ? 昨日の午後から姿見
ないけど﹂
冒険者ギルドを出たところでアランが言うと、ダオルが答えた。
﹁遊びに行くと言って出掛けてそれきりだな﹂
それを聞いて、アランは大仰に肩をすくめた。
﹁相変わらずテキトーでマイペースだな、あのおっさん。俺はこれ
から必要なもの買いに行こうと思うけど、どうする?
出来ればレオには、護衛兼荷物持ちで着いてきて欲しいんだが﹂
﹁別に良いわよ。今日のところは特に予定もないし﹂
アランの言葉に、レオナールが頷きながら答える。
﹁私はどうしようかしら。本業の方の仕事にしに出掛けても良いけ
ど、なんかやる気出ないのよね。買い物したくてもあまり手持ちは
ないし﹂
1245
それは使いすぎなのではないのだろうか、とアランは思ったが、
レオナール相手ならば説教するところだが、関知するところではな
いため、特に反応しなかった。
﹁おれも荷物持ち手伝おうか?﹂
﹁それは助かるが、ダオルさんは何かする事ないのか? 何か仕事
があるなら、そちらを優先して貰ってかまわないんだが﹂
﹁なくは無いが、急ぎでもない。それに、護衛と荷物持ちは多い方
が良いだろう﹂
ダオルの返答に、アランは頷き、ダオルにも着いてきて貰う事に
した。
﹁私は借家に戻れば良いのかしら。まだ暫くは使ってても良いのよ
ね?﹂
ルヴィリアが言うと、ダオルが頷いて言った。
﹁ああ、交渉・契約が完了するまでは問題ない。特に何もないとは
思うが、身辺には気を付けろ。
念のため、︽旅人達の微睡み︾亭で︽偽装︾︽隠蔽︾を掛けてか
ら移動した方が良いだろう﹂
﹁わかったわ。ご忠告有り難う。でも︽旅人達の微睡み︾亭だとち
ょっと遠回りなのよね。
適当な店か人気のなさそうな場所で掛けてからにするわ﹂
1246
﹁大丈夫か?﹂
アランが尋ねると、ルヴィリアは胸を張ってフフンとばかりの顔
で答える。
﹁ご心配なく。別に面倒事や厄介事には、不慣れってわけじゃない
のよ。
腕っ節に自信があるってわけじゃないけど、逃げ隠れするのは得
意で慣れてるの。
ウザいやつに付きまとわれた事も、一度や二度じゃないしね﹂
﹁そうか。気を付けて帰れよ。知り合いの遺体はあんまり見たいも
んじゃないからな﹂
アランが言うと、ルヴィリアは顔をしかめた。
﹁余計なお世話よ! じゃあね﹂
そう言うと、ルヴィリアは一番近い路地を折れ、足早に歩き去っ
た。
﹁アランって、時折お節介よね。それとも、一応可愛い女の子だか
ら?﹂
レオナールが揶揄するように言うと、アランは軽く肩をすくめた。
﹁そういうわけじゃねぇよ。おっさんが戻って来る前に、彼女が死
体になったら、最悪俺達が確認する羽目になるだろう?
面倒臭いし、まだ知り合いって程の仲でもないから、惨殺死体確
認しろとか言われても、それが本人かどうかわかるはずねぇだろ。
1247
顔だって宿でチラッとしか見てないんだから﹂
﹁ああ、それは確かに困るわよね。でも、わざわざ私たちに確認し
ろって言って来るかしら?
だって、私たちと彼女のつながりなんか知ってるの、ジャコブや
師匠や宿の人だけでしょう。
どうせ身元不明で適当に処理されるから、問題ないわ。実際、冒
険者登録もまだだもの﹂
﹁それもそうか。じゃあ、別にどうでも良いか。後はあれだな、後
味悪くなるだけの話だ﹂
レオナールとアランの会話に、ダオルが僅かにピクリと眉を上げ
たが、口は開かず、無言で彼らの会話を聞いていた。
﹁で、宿の裏通りだったかしら?﹂
﹁ああ。薬屋と雑貨屋、あと出来たら鍛冶屋かな。他は急ぎじゃな
いから、いつでも良い﹂
﹁了解﹂
レオナールとアランが並んで歩き、ダオルがそれに数歩遅れて続
く。
ダオルはわずかに思案する顔になったが、声には出さず、周囲に
注意を払いながら歩いて行く。
◇◇◇◇◇
1248
﹁えっ、ちょっと、何これ⋮⋮っ!﹂
ルヴィリアが思わず悲鳴のような声で叫んだ。
﹁おう、お帰り。思ったより早かったな﹂
ダニエルが背中を向けたまま、左手を挙げてヒラヒラと振った。
慌てて駆け寄ったルヴィリアが、大振りのダガーを右手に握って
作業にいそしむダニエルに駆け寄った。
﹁ちょっと! 人の家の庭を、勝手に汚さないでよね!?﹂
﹁いやいや、もうお前の家じゃないからな﹂
ダニエルの言葉に、ルヴィリアが愕然とした表情になった。
﹁⋮⋮何ですってぇ!?﹂
﹁あ、別にしばらくここで住んでても良いぞ。ちょっとうるさいか
もしれないが、すぐ終わらせるから。
あー、たぶん今夜中には終わると思うから、安心しろ﹂
﹁あ、あ、安心しろって、ちょっ、やだっ、やめてよ! あのねっ、
ここ、狭くてボロいけど、一応私、気に入ったから契約したんだけ
どっ!!﹂
ルヴィリアが泣きそうな顔でダニエルの腕にしがみつき、ガクガ
クと揺さぶった。
1249
﹁おいおい、利き手はやめろよ、利き手は。手元が狂ったらどうす
る気だ﹂
﹁この腹黒×××が! 乙女の小さい夢を、希望を、どうしてくれ
んのよ!! クソ××が!!﹂
﹁年頃の女が臆面もなく、そういう言葉を大声で口にしない方が良
いと思うぞ。嫁に貰ってくれる男がいなくなるぞ?
アネット婆さんみたいに、一生行かず後家で過ごしたいなら、そ
れでも良いけどな﹂
﹁本人の目の前で、相変わらず失礼な男だね。だから、恋人の一人
もまともに捕まえられないんだよ﹂
﹁うるせーな。それは今、関係ねぇだろ。それより、ほら、回復魔
法頼む﹂
﹁本当、人を人とも思わぬ男だね。私ゃあんたの召使いじゃないん
だよ﹂
﹁だから、報酬は払うって言ってるだろ。
⋮⋮っていうか、こいつら、別に︽混沌神の信奉者︾と繋がりが
あるわけじゃなかったんだなぁ。折角、手掛かりあるかと思って張
り切ったのに﹂
﹁あんたもずいぶん面倒な事に関わってるみたいだね﹂
﹁んー、なんか色々成り行きでな﹂
﹁あんたが成り行きや行き当たりばったり以外で、何かする事があ
1250
るのかい?﹂
﹁失礼な。色々あるよ、当たり前だろ﹂
﹁どうだかねぇ。どうせ怪しいところは、虱潰しに潰せば良いと思
ってやしないかい?﹂
アネットの言葉に、ダニエルは大仰に肩をすくめ、少女を振り払
うと、右手のダガーの汚れを拭った。
﹁それはあるけど、手掛かりがろくにないから仕方ない。全部終わ
る頃には、キレイになってるだろ﹂
﹁壊しすぎて、大穴だらけになってそうな気がするけどね﹂
﹁無視しないでよぉーっ!! 死ねっ! この腹黒鬼畜ド腐れ野郎
っ!!﹂
﹁あー、わかった、わかった。で、俺にどうしろって?﹂
﹁乙女の心を著しく傷付け悲しませた、慰謝料を払って貰うわ! とりあえず金貨30枚くらいで!!﹂
﹁⋮⋮お前の乙女心って、金で買えるんだな﹂
ダニエルが呆れたように言った。
1251
39 乙女心の代償金︵後書き︶
ルヴィリア嫌われそうだな、と思いつつ。
一応メインではなくサポートキャラの予定ですが。
1252
40 終幕
数日後、︽ボナール商会︾の商会長と副会長が代替わりした。
それぞれ高齢と病のためという事だったが、ほぼ同時期だった事
もあり、また直前に、その両名をほぼ同時に見掛けなくなったとい
う噂もあり、商会内または親族内での陰謀などによる交代劇が噂さ
れた。
また、それまで素行が悪く、悪名高かった︽疾風の白刃︾のパー
ティーメンバー全員が揃って、領兵団に傷害および家屋・店舗など
の破壊等の理由により逮捕され、冒険者登録取り消し処分となった。
ただし、彼らには才能があり、更正の余地もあるという事で、三
ヶ月間の禁固刑の後、再教育を受けた後、解放される事となった。
しかし、冒険者登録が許可される事はなく、例えば領兵団に入団
するなどと言った理由以外で、武装を許可される事もないとの事だ。
また、光神神殿所属の神官は、本人不在のまま査問会となり、追
放処分を受けて、無所属となったらしい。
他に、ラーヌに駐屯する領兵団の幹部や一部兵士による、賄賂や
横流しなどの不祥事が発覚し、それらに関わった者達が大量に更迭・
降格・減給・除隊などの処分を受け、より悪質だった幾人かが逮捕
された。
なお、兵士の過半数が訓告・厳重注意を食らい、今後の引き締め
のため、二隊に分けて交代で全員二週間の講習と三ヶ月の軍事演習
を受ける事になったらしい。
それ以外にも、いくつかの不正取引や犯罪まがいの所業を行って
いた悪徳商会が取り潰され、逮捕されたという話である。
1253
﹁それって、あれか、あのベネディクトってやつ、領兵団に入団し
なかったら、飼い殺しって事か?﹂
アランが首を傾げて言った。
﹁新しい商会長は、あいつの叔父に当たる人物らしいが、ベネディ
クトとその母親の事を毛嫌いしているらしいからな。
母親の方は、先日、修道院に入ったらしいぞ﹂
ダニエルが笑顔で答えた。
﹁おっさん、やけに詳しいな﹂
アランが胡乱げな目でダニエルを見た。ダニエルはスッキリつや
つやした顔で答える。
﹁今、ラーヌの町中、この手の話題で溢れ返ってるぞ。なにせ、町
で一番の商会だからな。
醜聞だってのも多少はあるだろうが、この町の住人にとっては死
活問題だからな。
次に権力を握るのが誰か、あるいは自分がそれに成り代われるか
どうかは、重要だ。波に乗り遅れると、大変だからな。
で、次の予定はどうするって?﹂
﹁一応鍛冶屋で、ロランより高い相場でミスリル合金を売る事が出
来たから、しばらく資金稼ぎする必要はなさそうだ。
レオが大瑠璃尾羽鳥を狩りに行きたいとか言ってるぞ。おっさん
の都合はどうなんだ?﹂
1254
﹁たぶん問題ないと思うんだが、今日一日は待機だな。あ、急遽予
定が入ったら、フォロー頼むぞ、アラン﹂
﹁おい、守れない約束なら最初からするなよ﹂
﹁守るつもりはあるんだぞ。俺も依頼とか仕事とかそういうの関係
なく、魔鳥・魔獣をのんびり狩るのも楽しいと思うし。
でも、そろそろ、補佐のやつが切れそうなんだよなぁ。だけど、
俺いなくても仕事は回ってるわけだし、特に問題ねぇと思うんだよ
なぁ﹂
﹁そうかよ。でもあいつ、ものすごく期待してるみたいだから、今
度破られたらおっさん、二度とレオの信頼は得られないかもな﹂
﹁マジか?﹂
﹁俺が冗談や嘘でこんな事言うとでも?﹂
真顔で言うアランに、ダニエルはうわぁという顔になった。
﹁それはヤバイな。わかった、今夜辺り魔道具で定時連絡来るはず
だが、その前にとっとと済まそう!﹂
﹁一日待機とか言ってなかったか?﹂
アランが首を傾げると、ダニエルはハハハと笑った。
﹁ダオルに見つかるとうるさいから、バレない内にこっそり出ると
するか。
お前ら、確か幌馬車買ってたよな。俺、このまま先に出るから、
1255
後で荷物回収して来てくれ。宿のおかみと店主には話しておく﹂
﹁それ、夜逃げみたいだな﹂
アランが呆れた顔になった。
﹁ただいま、今、戻ったわ﹂
日課の狩りから戻ったレオナールが、修繕された宿の入り口から
現れた。
﹁おう、レオ。詳しくはアランに話を聞いてくれ。俺は、先に町を
出て待ってるから。待ち合わせは北門を出たところな! 街道脇で
待ってるから﹂
﹁え? 何、どうしたの、師匠﹂
﹁大瑠璃尾羽鳥狩りに行くんだろ? ダオルや、今回新しく就任し
た大隊長とかに見つかると面倒な事になるからな。
あいつらが仕事している間にこっそり出る﹂
﹁それ、門を出る時にバレないの?﹂
レオナールが首を傾げると、ダニエルがニッコリ笑って答える。
﹁大丈夫、俺は門を出ないから!﹂
﹁それ、別の意味で問題なんじゃ﹂
アランが渋面になった。
1256
◇◇◇◇◇
﹁何それ、私関係なくない?﹂
ルヴィリアが仏頂面で言った。
﹁だってまだ、冒険者登録してないし、申請許可待ち中でしょ。行
きたかったら、あんた達二人で行けば良い話でしょ﹂
﹁ついでだから、事前に戦力確認と。必要なら連携その他を練習し
ておいた方が良いだろう。
幸い、ラーヌ北東の森は盗賊でもいない限り、一般人でも歩ける
くらいで、それほど強い魔獣は出ないらしい。
予備の毛布とテントとかがあるから、今回はそれを使ってくれ。
俺達が一年前に使ってたやつで、俺達には小さいけど一人なら十
分使えるはずだ﹂
﹁え、何、決定事項なの?﹂
﹁うん? ルヴィリア、お前、おっさんと契約したんだろう? 契
約解除するなら、受け取った支度金とか違約金払う必要があるんじ
ゃないのか。
違うのか?﹂
アランが怪訝そうに尋ね、ルヴィリアが蒼白になった。
﹁なっ⋮⋮なんで、よりによって、あんた達と野営しなくちゃなら
ないの!?﹂
1257
﹁ダニエルのおっさんは先に行ったから、あまり待たせるとどうな
ってもしらねぇぞ。あと、レオと幼竜が乗り気みたいだからな。
俺は預かった金で宿の精算とか、ギルドその他へ挨拶とかして来
るから、その間に、レオと荷造りや馬車への積み込みしておいてく
れ。
あ、ダオルさんに、おっさんの行方聞かれても知らないって答え
ておいてくれってさ。じゃ、頼んだ﹂
﹁えっ!? 何それ! 普通重労働とか、か弱い女の子にやらせな
いでしょう!?﹂
﹁大丈夫だ、問題ない。たぶん俺よりは筋力も体力もありそうだか
らな。︽重量軽減︾はともかく︽浮遊︾くらいは使えるだろう?﹂
﹁使えないわよ! 私が使えるのは幻術と精神魔法と闇魔法だけな
んだから﹂
﹁闇魔法ってどんなのが使えるんだ?﹂
﹁一定時間視界を暗くしたり、魔法毒をかけたり、夢を見せたり、
過去を思い出させたりよ。
ほとんど本業の補助にしか使ってないから、荷物運びには向いて
ないわよ﹂
﹁そうか。でも、重い荷物はレオが運ぶから問題ない。俺の荷物と
おっさんの部屋の荷物なら、持てるから安心しろ﹂
そう告げて、アランは立ち去った。
1258
﹁ちょっと! この頭おかしい変態と二人きりにしないでよ!!﹂
﹁失礼ね﹂
レオナールは肩をすくめた。
◇◇◇◇◇
レオナール、アラン、ルヴィリア、ルージュは正規の手段で北門
を通り、街道を北進してダニエルと合流すると、馬車をガイアリザ
ードから外して森の入口付近に隠し、荷物を載せ替え森に入った。
まともな戦闘経験がないというルヴィリア││これまで逃走した
り︽変装︾︽隠蔽︾などを駆使して隠れたり人込みにまぎれたりし
て荒事や戦闘を避けてきた││に何ができるかを確認したり、ダニ
エル指導の下、戦闘訓練や角兎などの低ランク魔獣相手に実戦を繰
り返した。
約束通り、ダニエルが無事大瑠璃尾羽鳥を狩る事に成功したのだ
が、それをアランが捌いて下ごしらえ中に、ダニエル所有の魔道具
に連絡が届いた。
﹁あちゃー、なるべく現在位置を捕捉されないよう移動しまくった
んだがなぁ﹂
呻きながら、届いた手紙の封を開け中身に目を通すと、着ていた
コートの胸の内ポケットにそれを仕舞った。
1259
﹁悪ぃ、俺もう戻らないとマズイらしい。このまま王都に帰還する
から、お前らは今夜はここで野営して、明日朝一でラーヌへ戻れ。
ダオルが以前ルヴィリアの借りてた家にいるから、詳しい話を聞
いてくれ。ルヴィリアの冒険者登録はロランのが都合良いだろう。
籍の取得手続きだけラーヌで済ませれば、ロランで入市税は取ら
れないはずだ。他の経費や税はダオルが持ってるから出して貰える﹂
﹁師匠、例の報奨金は?﹂
﹁忘れてた。ラーヌのギルド受付で話せば受け取れる手筈になって
いる。ロランで受け取りたい場合はそう言え。
あ、たぶんコボルトの報酬と前回のゴブリンの追加報酬も受け取
れるぞ﹂
﹁本当?﹂
﹁本当か?﹂
レオナールとアランの声が被った。
﹁ああ、ラーヌでもロランでも受け取れるはずだ。でも無駄遣いす
んなよ﹂
﹁師匠じゃあるまいし﹂
﹁大丈夫だ。俺が見張るから問題ない﹂
レオナールはアランを睨んだ。
﹁何よ、それ﹂
1260
﹁お前は時折理解し難い使い方するからな。後から悔やむより、常
に見張っていた方が手っ取り早い﹂
キッパリ言い放つアランを、レオナールは嫌そうに見た。
◇◇◇◇◇
支払われた報酬は、コボルト討伐および調査が追加報酬込みで大
銀貨3枚と銀貨2枚、ゴブリン討伐の追加報酬が金貨3枚であった。
﹁コボルトの報酬、ショボいわね﹂
レオナールがボソリと言った。
﹁なんなら、ランク不問の報酬良さそうな依頼何か受けて行くか?
お前らならオススメいくつかあるんだが﹂
﹁それは良い。オススメの鍛冶屋や店の情報教えてくれた方が有り
難い﹂
﹁なぁ、アラン。お前、何故冒険者になろうと思ったんだ?﹂
﹁冒険者としてなら、俺にも出来る事があるとわかったし、レオナ
ールもなりたがったからな。
でも可能な限り、確実に安全に着実に行きたい。懐もようやくち
ょっと暖まったからな。
ところでまた情報屋に会いたいんだが、例の飲食店以外だと何処
で連絡が取れる?﹂
1261
﹁正直言うと、あの店で待ち伏せるのが一番確実で間違いないんだ
が、本来の連絡方法教えるか。
東通りの古物店の店主に俺の紹介だと言って、アントニオと連絡
が取りたいと告げれば良い。
午前中は確実に寝てるし、午後も不定期に出かけたりしてるから、
必ずしもすぐに連絡取れるとは限らないが﹂
﹁わかった、有り難う﹂
そしてレオナールとアランはギルドを出た。
﹁で、どうするの?﹂
﹁お前、ダンジョン行きたいんだろう? しばらく周辺の情報集め
たり、使えそうな魔法が書かれた本なんかを売ってたりしないか、
探してみるから、お前も装備新調したり研ぎに出すならすれば良い。
ただし、必ずルヴィリアかダオルさんと一緒に行動しろ。既に頼
んであるから、快く引き受けてくれるはずだ﹂
﹁快く、ねぇ?﹂
褐色の戦士はともかく、白ローブの少女はそうは思えない。最初
が悪かった上に、元々レオナールは女性受けが悪いため││もちろ
ん普段の言動と性格のせいである││一対一でまともに会話した事
がないような気がする。
﹁ただ、ルヴィリアは今、アネットさんの家だから、今日はダオル
さんに頼めば良いだろう。予定は聞いてあるから問題ない。さ、行
くぞ﹂
1262
﹁何処へ?﹂
﹁ダオルさんのところに決まってるだろ﹂
アランの返答に、レオナールは肩をすくめた。
3章・完
1263
40 終幕︵後書き︶
なくても良さげな後日談かも。
次はダンジョン探索です。
以下修正
×ただし
○しかし
×でも
○だけど
1264
3章 登場人物およびダンジョンMAP︵挿絵︶
■3章の新規の主な登場人物
●ダニエル
種族 人間
年齢 41歳
職業 剣士
武器 バスタードソード︵両手/片手︶
防具 ハーフプレートメイル─︵ブレストプレート。中装備︶+関
節のみ防護する革装備
国籍︵本拠地︶シュレディール王国─︵ロラン︶
容姿 明るい茶色の髪/琥珀の瞳/1.92メトル
備考
︽疾風迅雷︾の異名を持つSランク剣士。レオナールの師匠。
超マイペースで女好き︵好みがうるさいが、基本的につれない相
手が好きなので、フラレまくり︶で
酒と肉︵生肉含む︶と賭け事が好き。残念美形。腹黒。
●ルヴィリア
種族 人間
年齢 18歳
職業 占術師
武器 ダガー
防具 白のローブ
国籍︵本拠地︶特になし
容姿 銀髪/蒼眼/身長1.53メトル
備考
1265
一応占術師だが、闇・精神・幻影魔法を小技的に、護身程度の短
剣・投擲も使え、薬師や、密偵のような事もする。小器用で芸達者。
孤児院出身。旅をする自由民。短気でお金大好き。マイペース。
口が悪い。レオに胸の事を言われているが、全体的に肉が薄い。今
後成長するかは不明。
実は中性的な美少女だが日常的に素顔を隠しているので、それを
知る者はごく少数。幻術や変装などで、老婆に化けたり、小柄な少
年に化けたりする。
打たれ弱く、スピードはそこそこ。能力値的には魔術師系なのに、
何故か攻撃系魔法が使えない︵デバフ・隠蔽系が主で、唯一攻撃に
使えそうなのが毒魔法︶。
王都を拠点とする暗殺者︽黒︾と確執がある。
ノワール
●︽黒︾ことフェリクス
種族 人間
年齢 23歳
職業 暗殺者
武器 ダガー︵双剣︶、暗器など。
防具 クロースアーマー︵魔術付与あり︶
国籍︵本拠地︶シュレディール王国︵王都リヴオール︶
容姿 銀髪/蒼眼/身長1.68メトル
備考
実はルヴィリアの実兄。王都を拠点とする、高名な暗殺者。色々
運のない人。
●名前はまだない
種族 ガイアリザード
年齢 2歳
職業 騎獣
装備 ハーネス
1266
容姿 体高3メトル前後/体長5∼6メトル
備考
頭頂部付近から背中にかけて、岩石のようにも見えるゴツゴツと
した瘤のようなものが、生えているため、岩石小竜とも呼ばれるト
カゲ型魔獣。
動きはのっそりしているが、体力・持久力・筋力は高め。
戦闘も可能。ルージュを介して、簡単な会話も可能な知能を持つ。
気性は穏和で、忍耐強い。雑食。
●ジャコブ
種族 人間
年齢 39歳
職業 ギルド職員
国籍︵本拠地︶シュレディール王国─︵ラーヌ︶
容姿 茶髪/明るい緑の瞳/身長1.87メトル
備考
無精髭を生やしたごく普通の、腹の出た中年男。善人かつ面倒見
が良いが、貧乏くじを引きがち。
アランの外見評価ぼろくそ?︵↑悪気はない︶
■コボルトの巣および周辺
●ラーヌ周辺MAP
<i123280|3534>
●コボルトの巣MAP
<i122987|3534>
1267
1∼3章の年表
考えるのが面倒臭いので、登場人物名や地名はフランスをモデルに
しているけど、
季節は現代日本の四季に概ね準拠。
■紅花の月︵早春︶
︵16日 ダニエル、ロランを突如出立︵王都へ︶︶
︵19日 アラン成人︵誕生日︶︶
︵27日 オルト村・邸宅のダンジョン化発見︶
■若緑の月︵春︶
︵4日 レオナール成人︵誕生日︶&ギルド登録︶
︵1∼30日 3組がオルト村調査依頼受諾
2組未帰還︵ガラの悪いパーティーと、オベール魔術具店
四男含むパーティー︶↓後にゴブリンの巣で装備発見︵死亡確認︶
1組キャンセル↓失踪↓後にゴブリンの巣で装備発見︵死
亡確認︶
その他、ロラン拠点の幾人かの冒険者の失踪↓後にゴブリ
ンの巣で装備発見︵死亡確認︶
︽混沌神の信奉者︾が、オルト村およびロラン周辺で暗躍
?︶
■萌緑の月︵初夏︶
︵6日 オーロン、オルト村到着&滞在開始︶
︵11日 ヴィクトール&ダット、オルト村到着&滞在開始︶
14日 1−1∼4話 オルト村ダンジョン調査依頼を受諾、ロラ
ン出立&オルト村到着
1268
15日 1−5∼10話 ダンジョン探索開始
1−11話︵前半︶村への一時帰還、村長への1回目の中間
報告
16日 1−11話︵後半︶オーロン&ダット一時的に協力、2F
魔法陣確認&2回目の探索開始
1−12∼15話 幼竜発見、ミスリルゴーレムとの戦闘、
謎の少女レイシア発見など︵ダット逃走︶
17日 1−16話 村長への2回目の報告、オルト村出立、ギル
ドへの報告
1−17話︵前半︶報告後、クロード宅・倉庫の掃除、居候
開始
︵アドリエンヌ&︽静穏の閃光︾招聘、アドリエンヌ個人の馬
車で王都出立︶
︵20日 ︽静穏の閃光︾&フランソワーズ個人の馬車で王都出立︶
21日 1−17話︵後半︶報酬の精算︵1章・完結︶
ラーヌへ
24日 3−1話︵前半︶ ダニエルの王都での暗躍・ルヴィリア
︵占術師︶との遭遇、ルヴィリア王都出立
30日 2−1話 ゴブリンの巣発見、アドリエンヌとオーロン・
レイシア初対面
2−2∼4話 午前中・肉屋、午後・ギルドにて
2−5∼6話︵前半︶親睦会準備
■蒼雨の月︵夏︶
1日 2−6話︵後半︶ 親睦会︵会食︶開催
2−7話︵前半︶ 親睦会︵会食︶終了後
2日 2−7話︵後半︶キッシュの試食︵クロードの奢り︶
3日 2−8話 アラン、エロイーズにキッシュのレシピ習う
1269
フランソワーズ&︽静穏の閃光︾ゴブリン遭遇、ダッ
トが雇われる
︵夜 ダニエル、王都から、︽黒︾を追って出立︶
4日 2−9話 レオナール、ゴブリン狩りに行き、異常に気付く
2−10話 ゴブリンの異常を報告・ロラン東の森へ先行
︵ダット&フランソワーズ&︽静穏の閃光︾ロラン到着︶
2−11∼12話 ゴブリンの巣周辺調査&討伐&巣の探索
2−13話 アドリエンヌ・オーロン・レイシア・︽静穏の
閃光︾、ギルド招聘&指名依頼
2−14∼18話 ゴブリン討伐&巣の探索︵ナイト、旧キ
ング、クイーン、新生キングとの戦闘︶、魔法陣の発見など
2−19話 ギルドへの報告
2−20話︵中︶ アドリエンヌからのレシピ︵メモ︶がア
2−20話︵前︶ 依頼報告書作成、魔法陣の研究
6日
ランの手に渡る
2−20話︵後︶ 3晩連続キッシュ試作&完成︵2章・完
︵8日 ルヴィリア、ラーヌに到着、翌日から営業開始︶
9日
結︶
︵10日 アドリエンヌの元に、キッシュが届けられる︶
14日 3−1話︵後半︶コボルトの巣探索&討伐依頼を受諾
3−2話 ロラン出立&ラーヌ到着
3−3∼4話 ギルド職員との食事&依頼説明、情報屋の紹
介・遭遇、ダニエル発見
3−5話 ダニエルとの再会
15日 3−6∼17話 コボルトの巣の探索&討伐開始。︽黒︾
の襲撃&捕縛、︽混沌神の信奉者︾の下っ端︵1名︶の襲撃&捕縛、
︽蛇蠍の牙︾との遭遇
16日 3−18∼23話︵午前中︶ レオナール、冒険者ギルド
へ︵︽蛇蠍の牙︾との戦闘、︽疾風の白刃︾︽一迅の緑風︾との遭
1270
遇など︶、アランはアネット邸へ︵帰りに襲撃︶
3−24∼34話前半︵午後︶宿への襲撃、ダオルとの遭遇他
17日 3−34話後半∼39話前半 ︽疾風の白刃︾関連の襲撃
など
18日 3−39話後半 冒険者ギルド・ラーヌ支部への報告
21日 3−40話前半 大瑠璃尾羽鳥狩りにラーヌ出立
23日 3−40話後半 ラーヌへ帰還︵途中移動他︶、冒険者ギ
ルド・ラーヌ支部にて報酬精算︵コボルト報酬およびゴブリン追加
報酬、報奨金受け取りなど︶
1271
1 ダンジョン探索準備
﹁ダンジョンなんて聞いた事がないわね﹂
﹁やっぱりか﹂
ルヴィリアの返答にアランは僅かに眉をひそめた。
﹁レオ、ここまで情報がないのはやはりおかしいと思うぞ。普通に
考えたらデマだと思うんだが﹂
﹁それはないわ﹂
﹁でも、その根拠はお前の勘だけなんだろう?﹂
﹁ごちゃごちゃ言ったり考えあぐむ暇があるなら、現地に行って確
かめた方が早いわよ﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁ねぇ、こんなの信用するわけ? やめた方が良いと思うわよ﹂
﹁やめた方が良いというのは同感だが、レオが行くと言ったら決定
事項なんだ。レオの気が変わらない限り﹂
アランが諦念の表情でそう言うと、ルヴィリアが呆れた顔になる。
﹁二人パーティーで一応代表はあんたなんでしょ、アラン。
1272
リーダー
パーティーの代表の判断・決定は、よほど理不尽だったり問題な
い限り、メンバーなら従うべきでしょ?﹂
﹁レオに代表なんか出来る筈がないからな。必要最低限の会話すら、
まともにする気がないんだ。
無理にやらせたら、とんでもない事になるのは目に見えている。
俺がやるしかない﹂
ルヴィリアは肩をすくめた。
﹁そんなだから、パーティーに入ってくれる冒険者が一人もいない
んじゃないの? パーティーの代表は統率力と的確な判断力が必須
よ。
更に贅沢言うなら、メンバーの心を掴む求心力と魅力がないと。
メンバーの管理もできない代表とか、お飾りどころか役立たずじゃ
ない﹂
ルヴィリアの言葉にアランが低く呻いた。
﹁仕方ないんだ、言っても聞かないし、興味ない事はことごとくキ
レイサッパリ忘れるんだ⋮⋮!
レオと来たら、下手するとオーガやオークより頭悪いんだぞ、戦
闘に関する事以外は!!﹂
﹁失礼ね﹂
レオナールが肩をすくめたが、それに反応する者はいない。
﹁何か餌で釣るとか出来ないの?﹂
1273
﹁斬る事と、肉を食う事、筋肉つける事以外に興味ないんだぞ!?
これでも頑張っているつもりだ。
でも、これはするな、あれはするなと言っても、一晩どころか一
刻経たない内に、酷い時は数歩歩いたら、忘れているんだぞ。その
くせ自分に都合良い事は一度言えばずっと覚えている。
俺はいまだにレオが何を記憶できて、何が記憶できないのか、わ
からないんだ。
一つ言えるのは、素直に聞いているように見えて﹃わかった﹄と
言われても、理解できてなさそうな時は﹃わかった﹄と言った直後
には忘れている。
正確には、最初から頭に入ってないだけなんだろうが﹂
﹁それ、魔獣よりタチが悪くない?﹂
﹁そうだな。魔獣はわかってないのに﹃わかった﹄とは言わないし、
それ以前に言葉は話さないからな。
たぶんレオは﹃わかった﹄という言葉を言えば、相手がそれ以上
言わなくなると学習しただけで、意味がわかってて言うわけじゃな
いんだろう﹂
﹁それはかなり好意的すぎる見方だと思うけど、アラン、あなたそ
れで良いわけ?﹂
﹁あまり良くはない。レオが間違って学習している事はたくさんあ
るし、本当に意味を理解しているのかわからない事もたくさんある
けど、それは見つけたらその都度指摘して、少しずつ学習してもら
うしかない。
レオが色々問題抱えているのは知っているし、全てを理解はでき
ていないが、レオがどういうやつか一番知っているのは、たぶん俺
だから俺が助力しながら、少しずつで良いから人間社会で生きてい
1274
けるように、出来る事を増やしていけば良い。
それに何もかも一人でやらなきゃならないわけでもないからな。
人それぞれ得手・不得手があるのは仕方ない。
知識を得て経験を積み上げ、適切・不適切を知り、ある程度の適
応力と判断力をつければ何とかなる、はずだ﹂
﹁はず、ねぇ?﹂
﹁ちゃんとした子育ては経験ないが、故郷では弟妹を乳幼児期から
世話して面倒見ていたからな。乳幼児期の子供と獣・魔獣には似た
ところがなくもない。
個人差があるから、一人に成功した手段が他に通じるわけでもな
いけどな﹂
﹁まぁ、私も孤児院にいたから、言いたい事はわからなくはないけ
ど、でもこんなに大きな子供は見た事はないわね﹂
ルヴィリアはそう言って、レオナールを横目でチラリと見た。
﹁何よ、私が子供だって言いたいわけ?﹂
レオナールがムッとした顔になる。
﹁ある意味ではそうだろ。知らない事や良くわからない事でも、興
味を惹かれたら考えなしに、真っ直ぐ飛び込んで行くだろう。
あれは知識と経験のない子供には、良くある事だ。大抵の子供は、
失敗する事によって学習するんだが⋮⋮﹂
﹁何よ、子供以下だと言いたいわけ?﹂
レオナールが肩をいからせて、アランをジロリと睨む。
1275
﹁お前は普通の人が嫌がる事を楽しむ風潮があるからなぁ﹂
アランは溜息をついた。
﹁魔獣・魔物の群れに飛び込んで囲まれるのも、大勢の人間に襲撃
されるのも、ご褒美または娯楽としか思えないんだからな。
俺はできればもっとお前に、人らしい趣味や楽しみを持って欲し
いんだが﹂
﹁きちんと調理された食事を食べるのは好きよ? 好きなだけ食べ
られるし、お腹壊したりしないもの﹂
レオナールの言葉に、アランはやれやれと首を左右に振った。
﹁食事を楽しむってのは、例えば食材そのものや、味や見た目や食
感や匂いや盛りつけ、そういったものを楽しむもんだと思うんだよ
な。
料理そのものだけじゃなく、店の雰囲気や食器の並べ方、店員の
振るまい方一つでも雲泥だ。
でも、お前の場合、それが肉でさえあれば、味はもちろん加工方
法ですら何でも良いと思ってるだろう?﹂
﹁ねぇ、アラン﹂
レオナールが、残念な人を見る目をアランに向ける。
﹁独り言はそんな大声で言うべきじゃないわよ? 頭おかしい人だ
と思われるわ﹂
大仰に肩をすくめて言うレオナールに、大きく目を見開くアラン。
1276
﹁独り言じゃねえええぇええええええっ!!﹂
アランの絶叫を、レオナールは何も聞かなかった顔で無視してお
茶を飲み、ルヴィリアは嫌そうに顔をしかめて両手で耳を塞いだ。
◇◇◇◇◇
ラーヌを出立するのは決定事項なため、アランはここで世話にな
った相手に挨拶をしようと、まずダオルの元を訪ねた。褐色の大柄
戦士は、快く出迎えてくれた。
﹁で、ラーヌを立って、そのダンジョンへ向かうと﹂
﹁ええ。めぼしい物はだいたい入手できたし、ひとまずラーヌでの
用事は全て終えたと思うので﹂
﹁なら、俺も行こう﹂
﹁え? でも、良いんですか。こちらへは仕事でいらしたんですよ
ね?﹂
﹁その通りなんだが、今は色々あって領兵団の監視が付いてやりに
くい。ほとぼりが冷めるまで、冒険者として長期または護衛依頼を
受けようと考えていたが、Aランク向けのものは少ない﹂
﹁なるほど。それは有り難いですが、何もない可能性もあるんです
けど、良いんですか?﹂
1277
﹁町で人を相手に交渉するより、外で魔獣・魔物相手に大剣を振る
方が楽しい。気分転換にもなる﹂
﹁わかりました。そういう事でしたら、こちらこそお願いします﹂
アランが深々と頭を下げると、ダオルは苦笑した。
﹁敬語は不要だ。そんな丁寧な礼もいらない。ダニエル相手には、
もっとくだけていただろう?﹂
﹁あー、えっと、わかった。でもおっさんは、肩書きとかは色々付
いてるが、本人はかなりいい加減でメチャクチャだから、その⋮⋮﹂
﹁言いたい事はわかる。ちょっとでもあいつの事知ってたら、尊敬
とかそんな気持ちは吹っ飛ぶな﹂
ダオルはそう言ってクスクス笑った。その笑顔に、アランの感情
や表情も緩んだ。
﹁食料は多すぎるくらい用意してあるから、後は野営道具や、装備
の手入れ道具、その他必要だと思うものを用意してくれれば良い。
手持ちのランタンが一つしかないから、薬とかの買い出しついで
に、ルヴィリアの分を買いに行こうと思っているが、ダオルさんの
分も買って来ようか?﹂
﹁俺の分は必要ない。さん付けも不要だ。俺の準備は手持ちの分で
問題ないから、新たに何か買う必要はないだろう。荷物持ちは必要
か?﹂
1278
﹁レオに着いてきて貰うから、大丈夫だ。挨拶回りは連れ回すだけ
無駄というか、かえって相手の気分を害する事になりかねないから、
宿に置いて来たが﹂
アランの言葉に、ダオルは苦笑した。
﹁いつもそうなのか?﹂
その質問に、アランが苦い顔になる。
﹁あいつが人に興味を示すのは相手を斬りたいと思った時くらいだ
から、興味を示しても示さなくても、大抵ろくな事にはならない。
無関心より、下手に興味持ったり、無差別に喧嘩売る時の方が恐
ろしい﹂
﹁そうか。なら、おれもなるべく気を付けるとしよう﹂
﹁⋮⋮その、こんな事を頼むのは、不躾な上に、迷惑だとは思うん
だが、何かあれば、出来れば気遣ったりしないで、言うべき時はそ
の都度ガツンと言ってやってくれると有り難い。
一緒に行動すると、間違いなく迷惑掛けると思うが、申し訳ない。
先に謝る﹂
﹁大丈夫だ。ダニエルでだいぶ慣れている﹂
﹁あー﹂
ダオルの返答に、アランは呻くような声を上げ、額を押さえた。
﹁その、レオはおっさんの縮小版に加えて、魔獣・魔物並の知識レ
1279
ベルと感性だ、と考えた方が良いかもしれない。一言で言うと、常
識が通じない脳筋だ﹂
﹁了解した。心得ておこう﹂
﹁では、今日はこれで失礼する。出立は明日の朝、一つ目の鐘の後、
南門を出る予定だ。
ガイアリザードに幌馬車を繋げて行けるところまで移動し、馬車
で行けないようなら、ガイアリザードと幼竜に荷物を載せて移動す
る﹂
﹁食料と水がいらないなら、おれの荷は自分で担ぐ分だけだから問
題ない。では、準備でき次第、そちらの宿へ行く﹂
﹁了解。では、また明日﹂
挨拶を交わし、アランは次にアネットの家へ向かった。アネット
に出立する事と、ダンジョンへ向かう事などを話し、別れの挨拶を
すると、
﹁南東にダンジョン、ねぇ。聞いた事がないね﹂
﹁はい。存在しない可能性もありますが、存在するなら探索して、
何かあればギルドへ報告しようと考えています﹂
﹁その場合は、こっちへ戻って来るのかい?﹂
﹁緊急性がなければ、おそらくラーヌではなく、ロランのギルドで
報告する事になると思います。なので、お別れの挨拶をしに来まし
た﹂
1280
﹁ふぅん、そうかい。まぁ、またこっちへ来るような事や、魔術に
関して相談したい事があれば、訪ねて来な。死なない限りは、家に
いるだろうからね﹂
﹁はい、また、機会があれば、訪問します。色々とご教授いただき、
有り難うございました。どうかご壮健で﹂
﹁あいよ。憎まれっ子世にはばかるってやつさ。私ゃ、誰よりも長
生きするつもりだから、安心しな。たぶんひよっこ冒険者のあんた
より長生きするよ﹂
老婆の言葉に、アランは苦笑しながら深々と礼をし、早々に暇乞
いした。
アネットの事は嫌いではないのだが、また何かの加減でつらつら
と長話されてはたまらない。
意味や意義のある話では、長話でも悪くはないのだが、挨拶回り
は午前中で終わらせ、昼前に宿へ戻って、午後には買い出しに行き
たい。
冒険者ギルドの受注受付窓口に一つだけ空いているところがある。
その両脇には、そこそこ人が並んでいるにも関わらず、である。
アランはその一つだけ空いている窓口に近付き、そこに座る中年
男を見て、やはりと苦笑した。
﹁おはよう、ジャコブ。この時間は盛況だな、あんたのとこ以外は﹂
﹁おはよう、アラン。それは言ってくれるな。何故、こうなってい
るかは、あまり考えたくないんだ。別に俺の仕事ぶりや対応に問題
があるというわけじゃないと思うんだが﹂
1281
﹁そうだな。大きな違いがあるとするなら、両脇の窓口は若い美人
だってくらいか。ロランの窓口にも男性職員はいるが、ジャコブよ
り見目は良いし、清潔感ある服装・雰囲気で話しかけやすいのは事
実だな﹂
﹁おい、アラン。お前、慰めようとしてるのか、トドメを刺しに来
てるのかどっちだよ﹂
﹁あえて言うなら助言? せめて散髪と髭剃りはマメにした方が良
いと思うぞ。
あと服装。不潔とまでは言わないが、皺だらけで色あせたよれた
服だと、だらしなく見えるな。
髪も毎朝自分できちんと手入れできないなら、もっと短く揃えれ
ば寝癖もつかないだろう。
白や生成りはきちんと洗濯して、皺にならないように干したり、
ちゃんと管理できないなら、汚れや皺の目立ちにくい柄や、色の濃
いものを選んだ方が良くないか?﹂
﹁⋮⋮知らなかった、アランってそういう事にうるさいんだな﹂
ジャコブが呻くように言うと、アランは呆れたような顔になった。
﹁これくらい常識だろう。レオでさえ言われなくても、自分の身支
度くらいはできるぞ? 料理や洗濯や掃除は俺の担当だが﹂
﹁お前がもし女だったら、絶対嫁にはしたくないタイプだよ﹂
﹁ハッ、どうせ身綺麗にしても無駄だと思ってるだろう? それが
一番問題なんだ。もしかしたらあるかもしれない機会を、自分で潰
してるんだからな。
1282
俺が言うまでもなくわかっているとは思うが、自力で恋人や伴侶
を得る事ができるのは、生まれながら美貌や金や権力持ってるやつ
以外は、ある程度自分の身の回りの事が出来て、他にも気を回せて、
いくらか余裕のある人だけだからな。
何もしなくても、相手から寄ってきて一見親切に振る舞うとか、
それ、夢か妄想でなければ、十中八九詐欺だぞ﹂
﹁お前、時折キツイ事言うな﹂
﹁聞きたくなければ、好きにすれば良いとは思うけどな。だいたい、
冒険者なんて大半が男なのに、同性にまで敬遠されてちゃ、窓口に
も立たせて貰えなくなるだろう﹂
﹁いや、早朝なら俺の前にも人も並ぶんだぞ? 俺は低ランク冒険
者の相談にも乗ってやるからな﹂
﹁それ、早朝以外は仕事してないって事じゃないのか?﹂
アランの言葉に、ジャコブはグッと言葉に詰まった。
﹁誰の目にも見えない努力は、努力した内に入らないと思うぞ。
全ての努力が全ての人に認めて貰えるわけじゃないが、誰にも認
められないとしたら、努力する方向が間違ってるか、足りていない
かどっちかだろ。
知らない人には、人の内面なんか見えないんだから、まずは相手
に不快感を与えない程度の身支度は調えるべきだ。きっかけがなけ
れば、その後なんて無い。
大丈夫だ、誠意を持って接して、あんたなりの仕事をすれば、き
っと理解者も現れる。
あんたが相談乗ってやった冒険者はどうだ? 相手がよほどのバ
1283
カじゃなければ、腐らず真面目に仕事していれば、その内どうにか
なるだろ。
誠意や信頼は、金やコネでは買えないからな﹂
アランが真顔で言うと、ジャコブが微苦笑を浮かべた。
﹁⋮⋮なんか、くすぐったいというか、その、有り難う﹂
照れたように言う中年男に、アランは首を傾げた。
﹁うん? 急にどうした、ジャコブ。それより、今日来た理由だが、
そろそろラーヌを立とうと思って、挨拶しに来たんだ﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁ああ。結局、情報は集まらなかったが、明日の朝、ラーヌを出て
南東の森へ向かってから、ロランへ戻る事にした。
同行者は、先日冒険者登録したルヴィリアと、この町に滞在中の
ダオルさんだ。何も問題なければ、そのままロランへ戻る。ダオル
さんはこっちへ戻って来るだろう﹂
﹁わかった。わざわざすまないな、アラン。またこちらへ来る事が
あれば、いつでも訪ねて来てくれ﹂
﹁ああ、ギルド受付にいなかったら、︽日だまり︾亭へ行けば会え
るだろう?﹂
﹁不吉な事言うな! 死なない限りは、ここにいるから、安心しろ﹂
﹁それも十分不穏な台詞だと思うが。
1284
じゃあな、ジャコブ。次にまた来る事があるかどうかはわからな
いが、ロランから近いからまた会う機会もあるかもな。それまで、
元気でいろよ﹂
﹁そっちこそな。冒険者相手にこんな事いうのもあれだが、怪我や
体調には気を付けて頑張れよ﹂
﹁ああ。またな、ジャコブ。本当ならレオも連れて来るべきなんだ
ろうが、下手にあいつを連れ回すと何が起こるかわからないからな﹂
﹁あー、まぁ、頑張れよ﹂
ジャコブは苦笑した。アランは手を振って、冒険者ギルドを後に
した。
◇◇◇◇◇
アランは宿に戻ると、レオナールを連れて宿の表と裏の通りで、
いくつかの雑貨や干した果物や木の実、薬などを購入した。
﹁ランタンに油、予備の火打ち石に、ロープ、防具用の汚れ除去剤
と、革製品手入れ用のクリーム、各種薬の補充に、あと何かあった
か?﹂
﹁砥石はまだあるし、干し肉かしら?﹂
﹁おい、一ヶ月分の干し肉が幌馬車に積んであるのに、まだ要るの
かよ。どれだけ食う気だ﹂
1285
﹁そう言えば、あの子の分の採取・剥ぎ取り用ナイフはあるの?﹂
﹁持ってると言ってたから、大丈夫だろう。よほどの安物でなけれ
ば、刃物は使い慣れた物の方が良いだろうしな。
ああ、でも、一応念のため、採取品とかを入れる袋はいくつか購
入しておくか﹂
﹁そうね。でも、今回は荷物持ちはいらなかったんじゃないの?﹂
﹁ああ、念のためな﹂
アランの言葉に、レオナールは眉をひそめた。
﹁念のため?﹂
アランは周囲に注意を払いながら頷いた。
﹁いざという時は何か事が起こる前に眠らせた方が安全だし、防げ
るものなら防いだ方が確実だからな﹂
﹁⋮⋮もしかして、私を一人にすると問題が起こると思ってる?﹂
﹁夕飯は好きなもの食わせてやるぞ、レオ。何が食べたい?﹂
﹁肉なら何でも良いわ。大瑠璃尾羽鳥が食べられるなら、また食べ
たいけど﹂
﹁とりあえず︽日だまり︾亭へ行ってみるか。たぶん肉の種類の指
定は微妙だが﹂
1286
もしかしたら、アントニオにも会えるかも知れないからな、とア
ランは頷いた。
1287
1 ダンジョン探索準備︵後書き︶
長らくお待たせしました。4章開始です。
というわけで今回のダンジョン探索は4名+2匹です。
以下を修正。
×南西
○南東
1288
2 ︽日だまり︾亭にて
その晩、レオナールとアラン、ルヴィリアの三名で︽日だまり︾
亭へ食事に出掛けた。ルヴィリアは嫌々だったが。
﹁いらっしゃい。今日は大角熊と森鹿が入ってるわよ﹂
アメリーが二人に気付くと、すぐ声を掛けて来た。
﹁両方頼めるかしら?﹂
﹁熊肉は熊汁鍋と甘めの味付けの煮込み、鹿肉はソテーとシチュー
があるけど、どうする?﹂
レオナールが言うと、アメリーが尋ねる。
﹁じゃあ、熊汁鍋と鹿肉のソテーでお願い﹂
﹁俺は鹿肉のシチューが食べたいな。熊汁ってくどくて癖がありそ
うだ﹂
﹁そんな事はないわよ? まあ、熊肉は好き嫌いあるだろうし、熊
汁は寒い時期のが美味しいかもしれないけど、食べた事ないなら、
きっと思ったより軟らかくておいしいと思うわ﹂
﹁そう言われると、ちょっと悩むな。個人的には、牛や豚より鹿の
方が好きなんだが﹂
1289
﹁うーん、それだと鳥や鹿肉の方が良いのかしら? じゃあ、小さ
めの器で熊汁を少し持って行くわ。そっちは料金要らないから、気
に入ったら今度注文してちょうだい﹂
﹁ああ、でも、明日の朝にはラーヌを立つ予定だから、今夜が最後
かもしれないんだが﹂
アランが言うと、アメリーはあら、と軽く目を瞠った。
﹁そういえば、ロランの人だったわね。忘れてたわ。それは淋しく
なるわね。また、こっちへ来る事があれば、寄ってちょうだい。
基本的に建国祭の翌日以外は、営業しているから﹂
﹁ああ、また来る時は食べに来よう。ルヴィリア、お前は何を頼む
? 俺はシチュー以外は、サラダとパンと何か適当な煮込みと、エ
ールを頼むつもりだが﹂
﹁私もそれで良いわ﹂
ルヴィリアの声に、アメリーは驚いたようにそちらを向いた。
﹁えっ⋮⋮小さい女の子?﹂
ルヴィリアの身長は1.53メトル、同じくらいの年齢と思われ
るアメリーの身長は1.67メトルである。アメリーの言葉にルヴ
ィリアはムッとした顔になる。
﹁成人はしているわよ﹂
﹁あら、ごめんなさい。うちの店、ちょっと味が濃いめで価格安め
1290
で量が多いのが売りだから、男性とか大柄のお客さんが多いのよ。
気付かなくて、本当ごめんなさい。量は少なめにした方が良いか
しら?﹂
﹁大丈夫よ。さすがにそこの金髪剣士ほどは食べないけど、黒髪魔
術師くらいの量なら食べられるから﹂
﹁それなら良かった。いっぱい食べて言ってね。夜遅い時間は無理
だけど、もし欲しかったらお代わりもできるから、欲しかったら言
ってね。
追加料金はいただくけど、ちょっぴり安めに設定してるの。彼女、
二人のお連れさん?﹂
アメリーが首を傾げると、アランが頷いた。
﹁ああ、先日からパーティーに加入したルヴィリアだ。一応魔術師、
になるのか?﹂
﹁魔術も若干使えて斥候もできる雑用係の方が、合ってる気がする
わ﹂
ルヴィリアはそう言って肩をすくめる。
﹁そうなのね。デザートか飲み物に甘い物とか、何かいるかしら。
ミルルの実とオルラの実、アリルの実があるんだけど﹂
﹁ミルルの実で。あと甘めの果実酒があるようなら、それもお願い。
最初の一杯はエールで良いわ﹂
﹁わかったわ。注文は以上で良かったかしら?﹂
1291
﹁ああ、それで頼む﹂
﹁じゃあ、しばらく待っててね﹂
アメリーはそう言って、店の奥へと消えた。
﹁ふぅん、意外とモテるんだ?﹂
ルヴィリアがジトリとした目つきで、アランとレオナールを見回
した。
﹁え? そういうんじゃないだろ。接客だから、あんなもんだろう。
もし、仮にそういうのだとしても、レオの方だろう。こいつ、中身
はともかく、見てくれだけは良いから﹂
﹁一言余計よ。私が美しいのは、間違いないけど﹂
レオナールはそう言って、サラリと髪を掻き上げた。それを見て
ルヴィリアがうわぁという顔になる。
﹁その顔で、その声で、その口調は、なんか色々アレなんだけど﹂
ルヴィリアが嫌そうに言うと、アランが瞑目した。
﹁諦めろ﹂
◇◇◇◇◇
1292
三人が食事をほとんど終え、レオナールとアランが食後のお茶を、
ルヴィリアがミルルの実に手を付け始めた頃、アントニオが店にや
って来た。
﹁こんばんは、アントニオ﹂
右手を挙げて声を掛けたアランに気付いて、アントニオが近付い
て来た。
﹁こんばんは、アラン、レオナール。⋮⋮と?﹂
﹁ルヴィリアよ﹂
﹁ああ、はじめまして、こんばんは、ルヴィリア。アントニオだ﹂
軽く会釈して挨拶を交わすと、アランとレオナールの間の空いた
席に、アントニオが腰掛けた。
﹁例のダンジョンだが、やはり情報がない。南東の森での変わった
出来事などの情報もない。それで、先日人を向かわせたんだが﹂
アントニオの言葉に、アランは眉をひそめた。
﹁え? いや、それは良いって言ったはずだよな﹂
﹁別にその分お前から取ろうってわけじゃない。これは、ちょっと
した興味というか、好奇心ってやつだから、気にするな。
それより、南東の森の話だが結局見つからなかった。というか、
三人向かわせて、二人は何も発見できず、一人戻って来ないやつが
1293
いた﹂
﹁えっ、それって⋮⋮!﹂
アランがギョッとした顔になり、レオナールが興味を示した。
﹁それをわざわざ私達に言うって事は、つまり何か他に情報、ある
いは確信する事があるのかしら?﹂
ニヤリと笑うレオナールに、アントニオは苦笑を返し、アランに
向き直る。
﹁勿論、何も言わずに急に姿を消すようなやつじゃないし、他の二
人より腕が良い斥候だ。
だから、ついでというのはなんだが、ダンジョンでもし、そいつ
を見掛けたら、あるいはその痕跡を見つけたら、連絡をくれないか。
必要なら、指名依頼を出そう﹂
﹁Fランクに指名依頼? ギルドを通した方が良いと判断したって
事か、アントニオ﹂
﹁そうだ。そいつの名前は、エリク。赤毛に茶色の瞳の男だ。身長
や体格はあんたくらいだな、アラン。
獲物は長弓とダガーだ。いつも通りなら、革の胸当てと籠手と脛
当てを付けていて、もしかしたら防寒用に黒いマントを羽織ってい
るかもしれない﹂
﹁わかった。本人か手掛かりになりそうなものが見つかったら、連
絡する。正規の連絡手段と、こっちとどちらが都合が良い?﹂
1294
﹁一応正規の方で頼む。ほぼ毎日この店に来てはいるが、必ずしも
ここへ来られるというわけでもないからな。
もし、連絡が付きにくいようであれば、手紙を託してくれれば良
い﹂
﹁わかった。わざわざすまなかった。情報提供有り難う﹂
﹁いや、何も情報ないというのが気に入らなかっただけだ。他はと
もかく、このラーヌ近郊に関してだからな。周辺の森全てを熟知し
ているわけではないが﹂
﹁そのエリクが消えたのがいつくらいからかわかるか?﹂
﹁ああ、先週半ばに南門をくぐって以来、戻って来ていない。ソロ
だし慎重なやつだから滅多な事はないと思いたいが、四日後に会う
約束をしていたのに来なかったからな。それが昨夜だ。
拠点としている宿にも戻っていないし、東西南北いずれの門も通
っていないし目撃されていない。他の冒険者なら心配しないが、あ
いつの性格から言ってこんな事は珍しい。
だが、冒険者ギルドや領兵団に捜索願いを出しても無駄だろう。
まず相手にされない。今ならまだ生きている可能性の方が高いと思
っているが、数日後だと手遅れかもしれない。
Fランクに指命依頼を出すのは確かに稀な事だが、駆け出し冒険
者に実績を積ませるために、知己の者が指命依頼を出す事もある。
普通は高ランク冒険者の推薦がなけりゃ、早期のランクアップは
きびしいからな﹂
﹁別に俺達はランクアップしたいと考えてはないんだが、俺達の情
報が元で人が死ぬのは後味悪いから、生きていればなるべく助けよ
う﹂
1295
﹁私はランクアップしたいんだけど﹂
レオナールが言うと、アランは睨んだ。
﹁黙れ。お前はどうせ狩れれば何でも気にしないだろう﹂
﹁強くて斬り応えがあるやつの方が、楽しいし嬉しいわよ﹂
レオナールの言葉を、アランは無視して、アントニオに尋ねる。
﹁それじゃどうする。後で冒険者ギルドへ行くか?﹂
﹁実はここへ来る前にジャコブに声を掛けて、依頼を出して来た。
明日には出ると聞いて、一応宿に伝言も残したが﹂
﹁そうか。なら、もうすぐ食べ終わるから、帰りにでも寄るか﹂
﹁この時間だと、もうギルドにジャコブはいないと思うが、かまわ
ないのか?﹂
﹁別にジャコブがいなくても受注はできるだろう。ダニエルのおっ
さんが王都に帰ってから、何故か腫れ物を扱うような態度になった
気がするが﹂
﹁そりゃ、ギルド職員や幹部が大量に逮捕・処分されたからな。お
前らを敵に回すとヤバイと思われているんだろう﹂
﹁俺達は何もしてないぞ。とんだとばっちりだな﹂
1296
アランが肩をすくめた。
﹁⋮⋮そうだな、お前らは何もしてないな。降りかかった火の粉を
払っただけで﹂
アントニオが苦笑した。
﹁で、それを受けるわけ?﹂
デザートを食べ終えたルヴィリアが口を開いた。
﹁ああ、そのつもりだ。あ、そうだ、アントニオ。そのエリクの臭
いがついた物とか何かないか?﹂
﹁臭い?﹂
怪訝な顔になるアントニオに、アランは頷く。
﹁ああ。幼竜に臭いを追わせた方が早いだろうからな﹂
﹁なるほど。そういう事なら、あいつの泊まる宿で何か借りて来る
か。宿の主人とは一応顔見知りだし、延長の代金を立て替えすれば、
融通してくれるだろう。しばらく待っていてくれ﹂
﹁わかった。良いよな、レオ、ルヴィリア﹂
﹁別にかまわないわ。お茶をゆっくり飲む時間があるのは有り難い
もの﹂
ルヴィリアが答え、レオナールはテーブルに顔を伏せて、
1297
﹁しばらく寝てるから、用事が済んだら起こして﹂
と告げて目を閉じた。ルヴィリアが呆れたような顔になる。
﹁ねぇ、いつもこんななの?﹂
﹁予告するだけマシだろ。いきなり寝られると、こっちが驚くから
な﹂
﹁基準がおかしいわよ、それ﹂
ルヴィリアは嫌そうな顔をする。
﹁なるべくすぐ戻る﹂
そう言って、アントニオが店の外へ出て行った。
﹁あら? アントニオったら、注文せずに帰っちゃったのかしら﹂
アメリーが彼らのテーブルへ歩み寄ってきて言った。
﹁ああ、またしばらくしたら来る。俺が彼に頼み事をしたところだ。
戻って来るまで待っていようと思うんだが、お茶のお代わりを貰っ
て良いか?﹂
﹁わかったわ。ええと、二人分で良かったかしら?﹂
アメリーは、テーブルに伏せたまま身動きしないレオナールをチ
ラリと見て尋ねる。
1298
﹁それで頼む。ルヴィリア、他に何か頼むか?﹂
﹁お茶で良いわよ。支払いはしてくれるんでしょ?﹂
﹁ああ、共有資金の方でな。食費も一応パーティーにかかる経費の
内だと思っているから、よほどの事がない限りは共有から出す﹂
﹁大丈夫よ、買い食い分やおやつは自分の財布で出すから﹂
﹁うん? いや、別に欲しかったら頼んで良いんだぞ。冒険者は身
体が資本だから、常識の範囲内であれば問題ない。必要なだけ飲食
すべきだ。
俺には他人の適量なんてわからないから、各個人の判断にまかせ
る。必要量食べずに倒れたり、体調崩される方が困る﹂
﹁そういう意味じゃないんだけど。楽しみのために食べるとか、そ
ういうのないわけ、アラン﹂
﹁楽しみ? いや、食事は楽しんだ方が良いだろう。心と身体の健
康のためには﹂
﹁⋮⋮あんたに言った私がバカだったわ。可愛い店員さん、お茶二
人分持って来てくれれば良いから﹂
﹁了解、ありがとう。すぐ持ってくるわね﹂
そう言って、アメリーは立ち去った。
﹁良かったのか?﹂
1299
不思議そうに尋ねるアランに、ルヴィリアは頷いた。
﹁ええ。心配しなくてもお腹いっぱい食べたわ。それよりアラン、
あんた、人の気持ちを理解できないやつって言われた事ない?﹂
﹁え? 急にどうした?﹂
怪訝な顔になるアランに、ルヴィリアが肩をすくめた。
﹁人が生きるためには、無駄や浪費と思える事も必要なのよ。もち
ろん過ぎれば、問題だけどね。
冒険者ってもっと享楽的で刹那的な人間が多い印象だったんだけ
ど﹂
﹁そりゃ、色々いるだろう。冒険者になる理由だって、千差万別だ
ろうからな﹂
﹁ふぅん、あんたはなんで冒険者になんかなろうと思ったの? あ、
そこの金髪剣士の事情は聞かないわよ。聞かなくてもだいたい想像
つくし﹂
ルヴィリアに聞かれて、アランは苦笑した。
﹁そうだな、一番最初は魔術師になりたいと思ったんだ。で、コネ
も金もないド田舎の農家の三男坊が魔術師になろうと思ったら、冒
険者登録して依頼を受けるのが一番難易度が低くて確実だった。
あとは、知り合いに元冒険者がいたり、レオが冒険者になりたい
って言ったのもある。
1300
冒険者になる事を現実として意識して考えたのは、レオが冒険者
になりたいって言った時だな。
なにせ、当時は身近に冒険者なんて、俺とレオの師匠である二人
以外に見た事なかったから、おとぎ話や吟遊詩人の歌の中の存在み
たいなもので、現実的な職業として意識した事がなかった。
でも、俺が農夫になるのは能力的にまず無理だったし、他にやれ
そうな事と言ったら、簡単な薬を調合する事くらいだが、それを仕
事にできるレベルじゃなかったから、選択肢にはなりえなかった。
だから、冒険者になるというのは、消去法に近いな。でも、念願
の魔術師になれたから、不満はない。唯一の才能っていって良い力
だし、魔術師としてなら、存分に自分の力を振るえる上に、人の役
に立つ事もできる。
何よりレオを野放しにする事なんか、できるはずがないからな﹂
﹁思ってたのと全然違う理由だったわね。一番最後に関しては同意
するけど﹂
﹁なんだ、どういう理由だと思ってたんだ?﹂
﹁どういうって言われても困るけど、ほら、もっと夢のある理由か、
でなければもっと切羽詰まった理由か、でなかったら巻き添えくら
った的な理由かと。
あんまり面白い理由じゃなかったのは確かね﹂
﹁面白いって何だ、面白いって。そんな理由で冒険者になるバカが
いると思ってるのか?﹂
﹁実際いるから言ってるんだけど。私のいた孤児院出身で冒険者に
なったのは、大半が手っ取り早く金が稼げるからとか、おとぎ話や
1301
英雄の剣士に憧れて、とかだったもの﹂
﹁孤児って流民扱いかと思ってたんだが、冒険者になれるものなの
か?﹂
﹁そうね。一応男爵様が出資者の一人で、時折慰問でいらしてたか
ら、希望した子の幾人かはその後ろ楯を得て、平民籍と冒険者登録
したわ。
ただ、残念ながら才能あるのは一人もいなかったみたいで、現在
は全員死ぬか行方知れずだけど﹂
﹁え?﹂
淡々とした口調で告げたルヴィリアに、アランは引きつった顔に
なる。
﹁商家や下級貴族の使用人として就職した人もいたけど、気付いた
ら同じ孤児院で連絡できる相手は一人もいなくなってたわね﹂
そう言って肩をすくめたルヴィリアに、真っ青な顔になったアラ
ンが慌てて頭を下げた。
﹁すまなかった﹂
﹁え?﹂
ルヴィリアはキョトンとした顔になった。
﹁何? 急にどうしたのよ﹂
1302
﹁お前、苦労したんだな。知らなかったとはいえ、無神経な事を言
った。すまない﹂
重ねて謝るアランに、ルヴィリアは理解しがたい、といった顔に
なった。
﹁そんな謝られるような事、言われたかしら。記憶にないわ﹂
怪訝そうに言うルヴィリアに、アランは顔を上げ、相手の顔をじ
っと注視した。
﹁そう言えば、あんたには話さなかったかしら。ダニエルには話し
た事あるからてっきり聞いてると思ってたけど、私のいた孤児院は
私が成人する直前くらいに、賊に襲撃されて放火されて全焼したの。
子供達は殺されなかったけど、管理していたシスターは全員殺さ
れたわ。しかも、出資者だった男爵様も一家全員殺されて、屋敷が
放火されたの。
だから、やったのは同じ犯人だと思うんだけど、金銭目的ではな
かったみたい。でも、怨恨だとは思えないのよね。
だって殺されたシスター達も男爵様夫妻も、皆善良で優しくて穏
やかな人達だったんだもの。
きっと殺人狂か、頭のおかしいやつが面白半分でやったんだと思
う。あの日は、食料か水に眠り薬が混ぜられていて、気付いたら何
もなくなってたわ。
途方に暮れてたところを、流れの占術師のお婆さんに拾われたの。
幻術に使ってるのは、そのお婆さんの姿よ。
その方が信頼されやすいし、舐められずに済むもの﹂
1303
﹁その、他の生き残りはどうなったんだ?﹂
﹁さあ? そこまで余裕なかったから、どうなったのかサッパリだ
わ。師匠のお婆さんが死んでから、捜してみたけど一人も見つから
なかったから、死んだんじゃない?﹂
気まずそうに尋ねたアランに、淡々とルヴィリアが答える。その
返答に、アランがギョッとした顔になった。
﹁え? なんかずいぶんアッサリしてないか?﹂
﹁そうかしら?﹂
ルヴィリアが首を傾げた。
﹁スラムやなんかでは良くある話でしょ。ま、仕方ないわ。保護者
も後ろ楯もない流民相手じゃ、縁を切りたい連中の方が多いでしょ
うし。
私は拾ってくれたお婆さんのおかげで、食いっぱぐれる事もなく
悠々自適に生きてるけど、金に困って食い詰めて犯罪者になったり、
娼婦になったりするなんて話は、いくらでも転がってるでしょう?
そう珍しい話じゃないわ﹂
﹁悪い、俺、ものすごい田舎者だから。やっぱり都会って恐いな。
俺の故郷、ウル村は魔獣・魔物被害もなければ、盗賊も稼げないか
ら見向きもしない平和な村なんだ。
だから店も宿も一軒もないし、冒険者も来ない。三ヶ月に一度行
商人が来る程度で、ほとんど物々交換で生活しているから、余分な
金持ってるのは、村長と領主様から派遣された代官くらいだったん
だ﹂
1304
﹁え、ウル村って、何年か前に、怪しげな集団が生贄の儀式をやっ
て、村人数人を殺されたとかっていうとこじゃなかった?﹂
ルヴィリアの言葉に、アランが一瞬ギクリとした顔になり、慌て
てレオナールを確認したが、全くの無反応なのを確認すると、ルヴ
ィリアに向き直った。
﹁悪い、その話はまた今度にしてくれないか。それより、ルヴィリ
アは良くうちのパーティーに入る気になったな。
正直な話、おっさんがいなくなったら、てっきりルヴィリアは逃
げると思っていた。気乗りしなさそうだったからな﹂
﹁私を何だと思ってるのよ。貰った支度金の大半既に使ったんだも
の。反故にするはずないでしょう。
だいたい、あの︽疾風迅雷︾を敵に回すなんて恐ろしい真似する
はずないじゃない。
あの人つい最近まで王都にいたはずなのに、どういうわけか私を
あっさり見つけるし、あんな化け物平気で敵に回せるバカは、先日
捕まった甘やかされた坊っちゃんくらいでしょ﹂
﹁そういえば、あいつらあれ、どうする気だったのかな。どうでも
良いからすっかり忘れてたけど、何を考えてたのかサッパリわから
ない連中だった﹂
﹁聞くところによれば、今まであれで問題なかったみたいよ。手を
出す相手は平民で金をあまり持ってない冒険者登録したての新人ば
かりだったから﹂
﹁あれ? じゃあ、もしかしてこれまで殺されたやつもいたのか?﹂
1305
﹁公にはなってないけど、いたんじゃないかしら。行方不明扱いだ
けど﹂
﹁ふぅん、やり過ぎたかと思ってたが、それなら別にやり過ぎって
わけでもなかったか﹂
﹁そうね。さすがに幼竜と言えどドラゴンに撥ね飛ばされるとは、
本人も予想しなかったでしょうけど。
町中有名になってるわよ。しばらく話題になるでしょうね﹂
﹁マジか。やっぱり早めに出るべきだな﹂
アランはそう言って舌打ちした。
﹁あら、あんた達、ダニエルと共に町の英雄扱いよ? 特にこれま
であいつらに苦汁味合わされてた下町連中にはね﹂
﹁ダオルさんは話に挙がってないのか。余計面倒だな﹂
﹁どうして? 有名になったから、もうあんた達に喧嘩吹っ掛ける
バカはいないでしょ﹂
﹁逆だ。これまで無名だったのに、あいつらにしつこくつきまとわ
れてたから同情的だった連中も、下手に名前が売れたから、興味本
位で手を出して来る可能性が高くなったんだ。
とにかく面倒な事になる前にラーヌを出て、ほとぼりが冷めるま
では近寄らないようにしないと。
レオは売られた喧嘩は残らず買うやつだから、ろくな事にならな
い﹂
1306
﹁それの何が問題なの?﹂
﹁弱いやつならさして問題ないが、強いやつ相手だと手加減できな
いから、最悪殺しかねない﹂
﹁冒険者同士の喧嘩で死人が出るのは良く聞く話だけど、なるべく
当事者にはなりたくないわね﹂
﹁同感だ。レオが捕まるのも困る。ヤバくなったら眠らせるしかな
いが、高位ランクだと効かない事もあるから、本当に困る。
あいつは、目的のためなら手段を選ばないところがあるからな﹂
アランの言葉にルヴィリアはゾワリと悪寒を覚え、自分の両肩を
撫で擦った。
﹁そうね、あれが野放しなのも十分恐いけど、暴走されても困るわ
ね﹂
﹁暴走したレオを止められるのは、ダニエルのおっさんくらいしか
知らないからな。ダオルさんに制止できるなら良いが、そこまで迷
惑掛けられない﹂
そこへ、アントニオが戻って来た。
﹁アラン、一応袋に入れて持って来た。あいつが時折はめていた革
の手袋だ。着替えや寝具なんかはどれも洗濯済みで、臭いがつきそ
うなものといったら、これくらいしか見つからなかった﹂
﹁有り難う、アントニオ。何か見つかったりわかったりしたら、必
1307
ず連絡する﹂
﹁ああ、頼んだ﹂
﹁じゃあ、俺達はこれで帰る。元気でな﹂
﹁ああ、有り難う。そちらこそ元気で﹂
挨拶を交わし、レオナールを叩き起こすと、一行は︽日だまり︾
亭を後にした。
1308
2 ︽日だまり︾亭にて︵後書き︶
思ったより長くなったため、ラーヌ出立は次回になります。
改行抜けてる箇所と以下を修正。
×南西の森
○南東の森
1309
3 剣士の本音と、魔術師の嘆き
冒険者ギルド施設内は閑散としていた。受付にいるギルド職員も
交代で休憩を取っているのか、この時間帯は人数が少ないのか、受
注受付に1名、報告受付に2名、納入・換金受付││採取品などの
引き取りなどを行う││に1名しかいなかった。
アランを先頭にして、一行は受注受付に向かった。
﹁ロラン支部所属のアランだ。指名依頼が入っていると思うんだが﹂
ちなみに彼らのパーティー名は今のところない。いずれ必要にな
れば付けようと考えてはいるが、レオナールはそういった事に全く
興味がなく、アランは必要がなく区別が付けばどうでも良いと考え
るタイプである。なので、現在パーティー名は︽未定︾になってい
る。
受付にいたのは、淡い茶色の髪と青い瞳の若い女性職員である。
﹁ロラン支部所属のFランク、剣士のレオナールさん、魔術師のア
ランさん、魔術師兼斥候のルヴィリアさんですね。
はい、承っております。ラーヌ所属のCランク斥候のエリクさん
の捜索依頼、依頼者はラーヌ在住のアントニオ様。依頼書はこちら
となっております﹂
女性職員が依頼書を取り出し、カウンターに置く。アランはそれ
をざっと眺めて、聞いた事以上の情報がないのを確認した。
報酬は、エリク生存の場合は金貨一枚、死亡または遺品などを持
ち帰った場合は銀貨二十枚、いずれも満たさないが何らかの痕跡を
発見したり情報を見つけた場合、内容によって適宜銀貨十枚以下を
1310
支払う、となっていた。
期限は三ヶ月。それほどの期間は必要ないと思うが、余裕を見て
書いたのだろう。
﹁こちらは控えとなっておりますので、そのまま持ち帰っていただ
いて結構です。こちらの依頼を受諾いただけるようでしたら、こち
らの受諾書に署名をお願いします﹂
更にその隣に依頼受諾書を並べた。アランは無言でペンを手に取
り、署名した。それから、依頼書を折り畳み、ローブの下の上衣の
内ポケットにそれを仕舞った。
﹁報告は、ラーヌ支部で行った方が良いんだよな? この依頼の担
当職員はいるのか?﹂
﹁はい。一応担当職員はジャコブとなっておりますが、不在でした
ら他の職員でも結構です。皆様の依頼達成および帰還をお待ちして
おります﹂
儀礼的かつ事務的な笑顔と礼に、アランは軽く会釈して、立ち上
がる。
﹁では、失礼する﹂
その間、レオナールもルヴィリアも一切口を開かなかった。彼ら
が背を向け建物を出ると、両隣の窓口に座っていた職員が対応した
職員に話しかけるのを、レオナールの耳が拾い取った。
﹃ねぇねぇ、どうだった?﹄
1311
﹃あれでしょ、噂のロランの新人冒険者﹄
レオナールは大きく伸びをした。
﹁⋮⋮本当面倒くさくて、うっとうしい生き物よね﹂
ボソリと言ったレオナールに、不穏なものを感じたアランが渋面
になった。
﹁おい、無闇矢鱈と喧嘩売ったり、揉め事起こすなよ?﹂
﹁大丈夫、安心して。面倒くさいから、自分からはしないわ。考え
るのもダルイもの。向こうから絡んで来ない限りは何も起こらない
わよ﹂
﹁本当だろうな。⋮⋮くそっ、﹃取り扱い注意﹄って札を作って首
から提げてやりたいよ﹂
﹁﹃猛獣注意﹄と﹃触れるな危険﹄も追加した方が良くない?﹂
アランが呻くように言うと、ルヴィリアが茶化す口調で言った。
アランが嫌そうに軽く睨むと、溜息をついた。
﹁冗談にならない辺り、シャレにならねぇよ﹂
アランがチラリと横目でレオナールを見るが、ケロリとした顔で
ある。
﹁なぁ、レオ。お前、何とも思わねぇの?﹂
1312
﹁え、何が? アランの独り言、じゃなかった、今のはルヴィリア
との会話だったかしら。それにいちいち反応しなくちゃならないわ
け?
私は関係ないわよね。二人で話してるなら、それで会話が成立し
ているなら良いじゃない。
交流を深めてるんでしょう。どうぞ、おかまいなく。好きにすれ
ば良いじゃない。私はどうでも良いし、面倒だもの﹂
﹁いや、今、お前の話をしていたんだが﹂
﹁そうなの? でも聞けって言われなかったから、聞いてなかった
わ﹂
﹁じゃあ、俺が話を聞けって言ったら聞くのか、レオ﹂
﹁お腹いっぱい食べたら眠いから、たぶん何を言っても無駄だと思
うけど、アランが話したいなら、好きにすれば?﹂
﹁いや、それ聞く内に入らないからな! っていうかお前、俺がい
つ、何をどう言っても無駄じゃねぇか!! いつなら問題ないって
言うんだ、このバカ!!﹂
﹁諦めたら?﹂
レオナールは大仰に肩をすくめて言った。
﹁おまっ⋮⋮なんでそうなんだよ! お前はもっと危機感を持て!!
今のままじゃ、何処行っても問題しか起こさないし、人とまとも
に会話できないし、理解もされないし、受け入れて貰えない可能性
大なんだぞ!
1313
わかってるのか!?﹂
﹁悪いけど、私、どうしてアランが怒ってるのかサッパリわからな
いんだけど﹂
首を傾げて言うレオナールに、アランはガックリ肩を落とした。
そんな相方にレオナールは怪訝な顔をしつつ、グラリと傾いだ肩を
素早く支える。
﹁何、どうしたの。気分悪いの? 具合悪いなら、早めに休んだ方
が良いわよ﹂
レオナールの言葉に、アランは思わず低く呻いた。
﹁⋮⋮うぅ、なんかもう、気を失って倒れるまで酒が飲みたい気分
だ⋮⋮﹂
ルヴィリアが半ば呆れ、半ば同情するような顔で、トドメを刺し
た。
﹁ねぇ、それ、たぶん何言っても理解できないと思うわよ?﹂
アランは一瞬、何かわめき怒鳴り散らしたい気分になったが、そ
れが無駄で近所迷惑なだけな事も理解できたため、虚ろな表情で空
を見上げた。
︵⋮⋮ああ、空がきれいだなぁ。明日は、晴れそうだな︶
現実逃避である。
1314
◇◇◇◇◇
翌朝、早朝に起床した一行は身支度を調え、前日にまとめておい
た荷を持って、宿を出た。前日に精算は済ませてある。
厩舎へ行くと下働きの少年が待っており、そこでルージュとガイ
アリザードを引き取り、ガイアリザードが装備しているハーネスに
幌馬車をつなぎ、乗り込んだ。
御者台に乗ったのはアランである。普段なら二人で乗るのだが、
今日は同行者がいるため、レオナールは荷台の方へ乗った。
﹁生まれて初めてドラゴンをこんな間近に見たな﹂
半ば感心した声でダオルが言った。
﹁あら、初めてだったかしら。レッドドラゴンのルージュよ﹂
レオナールがルージュを、興味深げなダオルと、距離を取ろうと
するルヴィリアに紹介した。
﹁ルージュ、こっちの大きいのがダオル、小さいのがルヴィリアよ﹂
﹁きゅう!﹂
﹁小さいとか余計よ!﹂
脅えながらも噛み付くように叫ぶルヴィリアを、ルージュはチラ
リと見るが、すぐに興味なさげに視線を外し、じっと見つめてくる
大男の方へ視線を移した。
1315
どこかキラキラした瞳で全身くまなく見つめるダオルに、ルージ
ュは不思議そうに首を傾げた。
﹁触れても良いか?﹂
ダオルに尋ねられ、ルージュはレオナールを振り返る。
﹁ルージュの好きにすれば?﹂
レオナールの返答に、ルージュはダオルに向き直る。ダオルは背
に担いだ大剣を剣帯ごと外し、両手の籠手を外すと、素手の両手に
何もない事を示すように、手の平をルージュに見えるように掲げて
見せた。
指輪や腕輪などの装飾品もない、ゴツゴツした太い指と大きな手
の平である。左の手の平には刃物によるものと見える古い傷痕がう
っすら見えている。
ルージュはまず、その手のにおいをかぎ、異常がない事を確認し
て、コックリ頷いた。
それを見て、嬉しそうに目を細めたダオルが両手で抱きつくよう
に、ルージュの口元から顎にかけて、そっと撫でた。
嬉しそうなダオルに反し、若干ルージュが嫌そうに目を細め、レ
オナールを見た。
﹁ぐぁお﹂
床すれすれの位置で、尻尾を不満そうにゆっくり左右に振る。そ
んなルージュに、レオナールは肩をすくめた。
﹁嫌なら嫌って言えば良いじゃないの﹂
1316
﹁ぐぁあ、うぐぉあぁ﹂
ブンブン、と首を左右に振るルージュ。
﹁うん? なぁに、くっつかれるのが嫌?﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
そう!と言わんばかりにルージュが首を縦に振った。
﹁撫でられるたり、触られるのは問題ないの?﹂
﹁きゅーっ!﹂
ブンブンと首を縦に振った。ふむ、と頷いたレオナールは、ダオ
ルの肩を叩いて注意を促す。
﹁ねぇ、ルージュがくっつかれるのは嫌だって言ってるから、ちょ
っと離れてくれる?﹂
﹁え、駄目なのか?﹂
ダオルは残念そうに幼竜から離れた。名残惜しげにルージュを見
上げる。
﹁触るのは良いらしいわ。でも、尻尾や腹や角はやめた方が良いと
思うわ。あと、目の周り。
爪は、機嫌良い時ならたぶん大丈夫だと思うけど、触れ方によっ
ては怪我するから、あまりお勧めしないわね。
鼻先を撫でてやるのが一番嬉しいみたい﹂
1317
﹁そうか、有り難う﹂
ダオルは目を細め、表情を緩めて、鼻先を優しくそっと撫でた。
﹁きゅきゅーっ!﹂
﹁なるほどな。さっきはすまなかった。⋮⋮俺の故郷では、竜は力
を象徴する神様みたいなものでな。毎年春になると、捧げ物をして
お祝いをしていたんだ。
俺が住んでいた頃には、見掛けたことは一度もないが、かつて近
くの山に竜が住んでいたらしい。
こっちでは、ドラゴンと言ったら、大半が脅威で最悪の敵という
扱いのようだが。しかし、実に美しい生き物だな、ドラゴンという
のは﹂
深く吐息をつくようにウットリと見つめるダオルに、ルージュが
少し不安そうにレオナールを見た。
﹁きゅう﹂
﹁⋮⋮仕方ないわね﹂
そう言って、レオナールはゆっくりダオルをルージュから引きは
がした。
﹁え?﹂
﹁ベタベタされるのは好きじゃないんですって。だから、ここまで
にしてあげてくれるかしら﹂
1318
レオナールがそう言うと、
﹁そうか﹂
と名残惜しそうな顔をしつつも、ダオルは距離を取った。ルージ
ュは安心した様子でその場にペタリと座り込んだ。
﹁きゅうきゅう﹂
甘えるような鳴き声に、レオナールは苦笑しながら、荷台に置い
てある革袋の一つを持って来て、その口を緩めた。中には干し肉が
詰まっている。
﹁気を付けてゆっくり食べるのよ﹂
そう言って、干し肉を差し出した。人間の口には少し大きすぎる
それは、ルージュの口には一口に少し足りない量だが、その性質上
ちょうど良い大きさだとも思われた。
ゆっくりと咀嚼する様子を見たダオルが、レオナールに声を掛け
る。
﹁その、おれが与えてもかまわないだろうか﹂
﹁それはやめた方が良いかも。わかってるとは思うけど、ドラゴン
の牙って結構鋭いから、下手に触れると皮が切れるわ。
触り方によっては肉や骨も切れたり砕けたりするけど﹂
﹁そうか、残念だ﹂
1319
ダオルは諦めて、眺めるだけにした。しかし、あまりに注視され
るので、ルージュはダオルにクルリと背を向けてしまったので、ダ
オルはガックリと肩を落とした。
﹁しつこいと嫌われるわよ?﹂
レオナールが半ば呆れたように言うと、
﹁うむ、気を付ける﹂
とダオルは頷いた。そんなダオルに、荷台の端に座ったルヴィリ
アが、口元を隠し、残念な人を見るような目つきで見ていた。
レオナールは荷台の荷物から木の桶を見つけると、それに水瓶か
ら水を注ぐと、ルージュのかたわらに置いた。
﹁今の内に食べておいた方が良いと思うわよ﹂
レオナールはそう言って、背嚢から軽食と水筒を取り出し、食べ
始めた。ダオルとルヴィリアも頷き、軽めの朝食を取った。
南門で検問を受け、町の外に出ると、レオナールがアランの分の
軽食と水筒を持って御者台へ行った。
﹁アラン、朝食持って来たわよ﹂
﹁有り難う。しばらく代わって貰えるか?﹂
﹁良いわよ。あの様子なら、たぶん大丈夫だろうし﹂
﹁へぇ、そうなのか、意外だな。絶対ルヴィリアなんか、ギャーギ
ャー騒ぐかと思ってたのに﹂
1320
﹁近付きはしないけど、今のところおとなしいわ。まるでオーガキ
ングの前に引き出された大角山猫みたいに﹂
﹁そうか。だが、そのくらいのが良いんじゃないか?﹂
﹁そうね。でも、アラン。そう思ってたのに、あれをパーティーに
入れるとか、どういうつもり?﹂
レオナールが真顔で尋ねると、軽食のガレットを取り出しながら、
アランは苦笑した。
﹁騒いでうるさそうだが、諦めと順応は早そうだからな。それに金
で動くのはわかっている。
考えてる事はわかりやすいし、どうすればこちらの思惑通りに行
動するかわかっていれば、問題ないだろ。結果的にこちらの都合通
りになるなら、過程とかはどうでも良い。
問題があるようなら、おっさんに抗議して脱退させれば良い。最
初からそんなに期待はしていない﹂
﹁それ、加入させる必要あるの?﹂
レオナールが怪訝そうに首を傾げた。
﹁どうせあれを断っても、おっさんが他に誰かねじ込んで来るだろ
う? 何を考えているかわからないくせ者が来るよりは、あれのが
マシだろう。
︽隠蔽︾持っていても、本人の性格はどう見ても隠密とか密偵と
かそういうのには、向いてなさそうだろ。
おっさんはサポート要員だとか言っていたが、あのおっさんの言
1321
う事をそのまま真に受けるのは、な﹂
﹁え、アランってば、師匠のこと、敵だと思ってるの?﹂
﹁そういうわけじゃないが、あのおっさんの言う事丸々信用する気
になれないのは確かだな。
敵か味方かって話だと、たぶん一応味方なんだろうが、素直に全
面的に信頼したら酷い目に遭わされるのは目に見えている。
有能なら、役に立って貰うさ。信頼できるかどうかは、別にして﹂
﹁アランはそれで良いわけ?﹂
﹁信頼ってのは、一朝一夕に築けるもんじゃねぇだろ。仲間になり
ました、だから信頼してくれ、なんてあっちも考えてないだろう。
だいたい嫌々加入されてもな。
使えないやつなら、経費がかかる上に報酬が減るんだから、放逐
するのも仕方ない。使えるやつなら、御の字だって話だろ?﹂
﹁やっぱり理解できないわ。面倒なだけじゃないの?﹂
﹁そうは言っても、いずれランクアップするなら、やっぱり二人だ
けってのは無理があるだろ。
まぁ、これも経験の内だろ。勉強だと思ってやってみて、駄目だ
ったら、その時は俺がどうにかするよ﹂
﹁ふぅん、そういうの良くわからないから、アランにまかせるわ﹂
﹁面倒臭いとしか思ってないだろ、レオ﹂
呆れたように言うアランに、レオナールは肩をすくめた。
1322
﹁それ以外にどういう感想があると思ってるの?﹂
﹁一応考えてはいるんだよ。どうするのが一番良いか、より良い状
態に持って行くには、何が必要か、とかさ。
現状ではパーティーメンバーとかいう話じゃないけどな。できれ
ばお前がもっと協力してくれると有り難いんだが﹂
﹁そう言われても、私、アランの言ってる事、半分も理解できない
んだけど﹂
﹁⋮⋮レオに教師が必要なのは、確かなんだけどな。問題は、レオ
が受け入れるかと、相手が許容できるかって話なんじゃないかと思
うんだよな。
俺が教師役やれば良いと思うんだが、お前、俺の話ちっとも聞か
ないもんな、レオ﹂
﹁だって、アランの話って、くどくて長いだけで、要領得なくて意
味不明なんだもの。師匠の教え方の方が、よっぽどわかりやすいわ
よ?﹂
﹁おい、おっさんの教え方って、講義や説明がほとんどなくて、実
践と実戦だろうが。
お前に足りないのは、言葉の理解や絶対的な知識、一般常識なの
に、言葉による説明・解説なしで、どう勉強するって言うんだよ﹂
﹁だから、アランの説明ってムダに長くて、理解不能なんだってば。
それに常々言ってるでしょ? 座学は苦手だって﹂
﹁俺が悪いって言うのかよ﹂
1323
アランは呻くようにボソリと言って、髪をかきむしった。
﹁じゃあ、どう説明すりゃ理解できるってんだ!﹂
﹁知らないわよ。わからないから、わからないって言ってるんでし
ょ。どういう風にわからないのか、なんて聞かないでよ。
私だって何がどう理解できないのか、良くわからないんだから﹂
﹁うぅ、泣きたくなってきた﹂
ガックリ肩を落とすアランに、レオナールがムッとした顔になっ
た。
﹁アランが﹃理解できないなら理解できないって、その場で言え﹄
って言ったから、その通りにしたのに、アランってば本当、面倒く
さい﹂
﹁⋮⋮面倒臭いとか﹂
アランはぼやくように呟き、大きく溜息をついた。
﹁まぁ、申告されないよりはマシなのか。でも、すっげー頭痛くな
ってきたぞ、おい﹂
﹁言わない方が良いなら、言わないわよ?﹂
﹁だから、言われないよりマシだっつってんだろ。レオ、言いたい
事や、何か気付いた事があるなら、面倒でもだるくても、その都度
俺に言え。
1324
他のやつにはそうする必要はないし、トラブル起きるだけだから
問題外だが、知らないよりは知ってた方が、言わないよりはマシな
状態・状況にしてやるから、ちゃんと言ってくれ、頼むから﹂
﹁わかったわ﹂
﹁なあ、レオ。それ、﹃うるさい黙れ﹄の意味で使ってないよな?
了解した、とか肯定の意味で言ってるんだよな?﹂
﹁言いたい事が良くわからないけど、なんとなくわかったような気
がするから、それ以上言わなくても良い、っていう意味の省略かし
らね﹂
﹁それ﹃わかった﹄って言わねえだろ!!﹂
アランは絶叫した。
1325
3 剣士の本音と、魔術師の嘆き︵後書き︶
サブタイトル、絶叫にしようかと思いましたが、良く考えたらアラ
ンは、ほぼ毎回絶叫したり怒鳴ったりしているので、嘆きにしまし
た。
トカゲか、もふもふ撫で回したいと思ってたら、こんな話になりま
した。
4章入ってから﹁南東の森﹂が﹁南西の森﹂などになっていたので
修正しました︵ド阿呆過ぎる︶。
以下を修正。
×首輪
○腕輪
1326
4 幼竜と剣士の不満
ラーヌ南東の森は、先日コボルト討伐を行った北東の森と、ゴブ
リン討伐を行ったロラン北東の森の間にある。
それぞれの森の合間に街道が東と南に向かって伸びており、東に
はアマル川が流れている。
﹁で、この森のどの辺りだって?﹂
﹁ロラン方面へ抜ける途中とは聞いたけど、詳しい場所はあの魔獣
屋も知らなかったみたいね。
そんなに広くないから、わからなければくまなく探せば見つかる
わよ﹂
﹁おい﹂
アランがレオナールをギロリと睨んだ。
﹁それにいざとなったら勘頼りで良いじゃない。どんなスキルや魔
法もかなわない最強の特技でしょ﹂
﹁お前、最初からそれ当てにしてただろう﹂
﹁あははっ。ねぇ、アラン。行きたくない場所ない?﹂
﹁今のところねぇよ、残念だったな﹂
﹁じゃあ、行方知れずの斥候さんの遺品ちょっと貸してちょうだい﹂
1327
﹁おい、確認してもいないのに勝手に殺すな。預かり品って言え﹂
﹁じゃあ預かり品貸して。ルージュににおい嗅がせるから﹂
﹁背嚢の一番上に入っている。なるべく他のにおいがつかないよう
に袋は二重にしておいた﹂
﹁まぁ、ないよりはマシよね﹂
﹁お前、それで良く実際行けば良いとか言えたな﹂
﹁うーん、なんか一応ヒントっぽい事は聞いたような気がするけど、
色々あったり日が経ったせいか、忘れたのよね。
でも、忘れたって事はきっとどうでも良い事よ。どうしても必要
ならその内思い出すでしょ﹂
明るく軽い口調で言うレオナールに、アランはしまったと蒼白に
なる。自信ありげに言うものだから確認を怠ったのがまずかった、
と反省したが、本人はケロリとしている。
﹁おい、レオナール。どうしてお前、そんな平然としているんだ﹂
﹁世の中の大半の事は、なるようになるものよ﹂
笑顔で言うレオナールに、アランは渋面になる。
﹁それを口にして良いのは、日々平穏に人に迷惑かけないように暮
らしている老人だけだ!﹂
1328
アランは叫んだ。
◇◇◇◇◇
件の森の手前の街道で馬車を止め、レオナールが借り物の革手袋
のにおいをルージュに嗅がせ、そのにおいを探すように頼むと、し
ばらく嗅いでから小走りに森の中へと駆け出した。
﹁ちょっ!﹂
慌てるアランに構わず、レオナールも背嚢を担ぎ上げ、駆け出し
た。
﹁見つけたら、合図の狼煙を上げるわ!﹂
﹁待て! こんな真っ昼間に森の中で狼煙あげて見つけろとか、無
茶言うな!!﹂
﹁大丈夫! 何とかなるわ!!﹂
レオナールはそう言い捨てると、木立の中に姿を消した。アラン
はガックリと肩を落とし、深い溜息をついた。
﹁大丈夫か?﹂
ダオルがアランに声を掛けた。
﹁正直あまり大丈夫とは思えないな。悪い、迷惑掛けて﹂
1329
﹁まぁ、おれは一応慣れているから﹂
ダオルが苦笑して言った。
﹁それで、狼煙は木の枝や葉を燃やしているのか?﹂
﹁一応、それに加えて俺が作った煙を出すための薬剤を燃やす事に
なっている。燃やした時に独特の香りのする薬草を乾燥させた粉末
を、リンと炭と油を混ぜて練ったものだ。
量を増やしたり、一緒に燃やす木の枝や葉の種類を工夫すれば煙
の量を増やせるのは間違いないが、これだけ木が密集して生えてい
る場所で、見つけられるかどうか。
レオと違って匂いだけで場所を確認できる自信は、ちょっと﹂
﹁強めの匂いなら、おれにも探せそうなんだが、どうだろうか﹂
﹁近くに寄れば、わかる匂いだと思う。ちなみにこれだ﹂
そう言って、背嚢の奥の方から革袋を取り出し、ひとつまみ練り
固めた薬剤を取り出した。
﹁⋮⋮あまり嗅いだことのない匂いだな﹂
﹁匂いの強めの香草を数種類を混ぜている。蜜のような甘ったるい
匂いと、わずかに刺激臭のある清涼感のある匂い、それと柑橘類系
の匂いがすると思うんだが﹂
﹁変な匂いではないが、変わっているのは確かだな﹂
1330
﹁普段何処かで嗅いだ事のあるような香りだと、探すのが大変だか
ら。まあ、ぶっちゃけると、レオの嫌いな香草なんだが﹂
アランの言葉に、ダオルが目を丸くした。
﹁それ、嫌がられなかったか?﹂
﹁嫌な匂いの方が覚えられるだろう? あいつの好きな匂いって言
ったら、肉を焼く時の匂いだから、論外だ﹂
﹁ああ、なるほど﹂
ダオルが納得したように、頷いた。
﹁で、どうするの? 行けるところまで馬車で行くって話だったけ
ど﹂
﹁どうするかなぁ﹂
ルヴィリアに尋ねられ、困ったように頭を掻きながら、アランが
呟き、レオとルージュが消えた木立の奥をしばし見つめる。
﹁どう見ても馬車が通れそうには見えないな。仕方ない。ここで、
荷物の載せ替えをするか。
ダオル、街道から見えなさそうなところで、荷台部分を隠して置
けそうな場所、近くにあるかわかるか?﹂
﹁幌付きのままでか?﹂
﹁最悪、幌は外して大きめの布でくるむ。水樽は1つか2つ残して、
1331
後は置いていくしかないだろうな。全部ガイアリザードに積むのは
無理そうだし﹂
﹁了解した﹂
三人で手分けして、ガイアリザードに荷を積んだり、幌と荷台を
布でくるんで、木に立てかけたりした。
それから、アランが愛用のナイフで地面に何かを刻む。
﹁魔法陣か?﹂
﹁ああ、低ランク魔獣にしか効かないが、魔物避けだ。効果時間は
3日で人には効かないが、気休めにはなる﹂
そう言って、刻んだ魔法陣に触媒を降りかけ、寝かせたナイフで
余分な触媒を払ってから、再度魔法陣を確認する。
﹁︽結︾﹂
古代魔法語で呟き、右手で魔法陣の外円に触れた。魔力を吸い上
げた触媒が青白い光を放ち、グルリと時計回りに一周する。
次に内円が同じように輝き、中心の天空神のシンボルが光を放ち、
最後に刻まれた古代魔法語の文字が順に光を放って行く。
最後の文字が輝き、更に強い光が数秒放たれ、全ての光が消える
と、ようやくアランは指を外円から離した。
﹁初めて見たわ、魔法陣を描くところ。意外と簡単そう﹂
﹁いや、そんな事はない。普通の魔術師は魔法陣一つ描くにも、資
料やら見本やらを見ながら描いているし、何の道具も使わずに正確
1332
な円を描くのは無理だろう﹂
﹁俺の師匠は慣れだって言ったな。慣れれば、誰だってこのくらい
出来るはずだって﹂
﹁⋮⋮お前の師匠は、無茶振り過ぎるな﹂
﹁まぁ、この魔法陣は何度も描かされたから﹂
そう言ってアランは立ち上がり、魔法陣の上に足を置いて、発動
させる。
﹁樽の中の水は捨てて置いた方が良いだろうな。そんなに時間をか
けるつもりはないが、腐らせると後始末が面倒だ﹂
﹁そうだな。俺がやろう﹂
ダオルがそう言って、3つの樽の水をあけた。アランは日差しを
遮るように目の上に右手を掲げて、森の木立の合間を見回した。
﹁全く何処にも何も見えないな、あのバカ﹂
﹁ドラゴンの足跡、痕跡を探してみるか﹂
ダオルが言った。なるほど、ルージュが駆けて行くのを確認した
木と木の間は、小さな細い枝が折れて地面に落ちていたり、折れ曲
がったりしている。
また、わずかながら足跡も残っているようだ。後ろ足の半分ほど
の足跡が、アランの三歩半から四歩分くらいの幅でついている。
1333
﹁もし何も痕跡が見つからない場所に出たら、私が占術で占ってあ
げるわ﹂
ルヴィリアが言った。
﹁斥候もできる、とか言ってなかったか?﹂
﹁魔法で代用してるんだけど、魔力が豊富なわけじゃないから、な
るべく温存しておきたいのよね。
占術だと魔力は必要ないし精度も良いから、下手な索敵魔法より
正確よ。こう見えても失せ物探しと、人探しは得意中の得意なんだ
から﹂
﹁わかった。いざという時は頼む﹂
そうして、三人と一匹はダオルを先頭に、幼竜の痕跡をたどって
後を追った。
◇◇◇◇◇
ルージュが邪魔な小枝をバキバキ折りながら、木立の中を駆けて
行く。その後ろをレオナールが無言で追う。日課の際の移動速度と
同じなので、追うのは問題ない。
︵なんかアランが怒ってたわね。でも、そういうのは後で考えれば
良いわ︶
どうせ考えても自分にその理由がわかるはずがない、と考えてい
1334
るせいもあるが、考えるが面倒だからというのも理由の一つである。
また、アランが怒るのは日常茶飯事だと思っているせいもある。
ルージュの走りには迷いがない。大きな身体に短い足で、バラン
スを取るために長い尻尾を左右に振りながら、走っている。
チラリと地面に目をやり、その足跡が残っているのを確認して、
これなら着いて来られるだろうと判断した。
そうでなくても、ガイアリザードがいる。ガイアリザードなら、
レッドドラゴンであるルージュの匂いをたどって追えるだろう。
レオナールも匂いには敏感な方だと思うが、それはあくまで純人
と比較してである。さすがにルージュや嗅覚の鋭い魔獣には負ける。
においを頼りに人を捜すなんて事は、まず無理だ。
周囲はニレやブナやオークなどの広葉樹がほとんどであり、今は
一年で一番緑の繁る時期である事もあってか、視界はあまり良いと
は言い難い。
しかし、ラーヌ近郊という事もあり、定期的に人が入るのだろう。
木が密集していたり、下草が腰まで生え繁っているという事もない。
こちらの森は、コボルトのいた森より、薪や木材として向いてい
る木が多い印象だ。また、あちらの森に比べ、魔獣・魔物も少ない
ように見える。
︵だとしたら、ダンジョンの噂がないっていう方がおかしいわよね︶
アランならばそんなものは存在しないからだと言うのだろうが、
レオナールはその存在を全く疑っていなかった。
理由は勘だ、としか言いようがないのだが。人の表面的な嘘に騙
されやすい方だ、と言われれば否定しがたいので上手く抗弁できな
いが、それでも必死な人間の表情が作られたものか、そうでないか
の違いは見分けられる自信がある。
1335
死、あるいは恐怖に脅える人間の顔には、慣れている。人の顔か
ら他の感情は読み取れなくても、他人の恐怖を見分ける自信はある。
それ以外の感情には疎いだけかもしれないが。人は良く笑顔を作
って見せるが、レオナールにとっては、それらの大半は気持ち悪い
ものだとしか感じない。
笑顔を作って見せる人間の大半は、心の中でろくな事を考えてい
ないと思っているせいもある。
笑顔が、あるいは笑う事に対して良い感情を持つものだという前
提がなければ、それを見せられて心を許すなどという事はあり得な
い。それが自然にこぼれたものではなく、人に見せるためのもので
あるなら、尚更だ。
故に、何故人がそれを作って他人に見せようとするのかも理解で
きない。
レオナールが、アランに笑顔を見せる理由の大半は、それを見せ
るとアランが安心するからである。安心すると、そうでない状態の
時よりしつこく絡まれない、と学習した。
アランの事は嫌いではないが、良くわからない理由で絡まれたり、
説教されるのは苦手だ。それが、どうやらレオナールのためを思っ
ての事らしい、というのは学習したのだが、何故それが自分のため
なのかは理解できない。
︵アランの心配って、大半がムダというか、空回りだと思うのよね︶
そういうバカなところも嫌いではない。面倒臭いと思うだけだ。
どうしても嫌で面倒なら、寝てしまうか逃げれば良いと思っている。
しばらく経てば、いつの間にか普段の状態に戻っているのだから。
最初は驚いたが、何度か怒鳴られている内、慣れてしまった。レ
オナールは、アランは時折良くわからない理由で怒鳴ったり叫んだ
1336
り嘆いたりする人、と認識している。どうせ他人事だと思って見て
いるので﹃からかうと反応が顕著で面白い﹄としか感じない。
言っている内容は、古代魔法語の文言のように意味不明なので、
大半は聞き流している。アランが知れば、激昂する事実だが。
﹁きゅう!﹂
ルージュが立ち止まり、レオナールを振り返った。そこには森の
木々に隠れるほどの高さの岩山があった。一見して、ただの岩壁が
連続して続いているように見える。
だが、ルージュが立つ先をじっと注視すると、一瞬その岩壁が揺
らいだ気がした。
﹁⋮⋮これ、あの娘の使ってたのに、感覚が似てる⋮⋮?﹂
レオナールがその揺らいで見えた岩壁に歩み寄り、そっと撫でる。
岩の感触だ。しかし、何か違和感がある。
﹁隠蔽、認識阻害、知覚減衰⋮⋮﹂
魔法には詳しくないし、知識もほとんどない。ルージュがその時、
尻尾を大きく振るった。
﹁!﹂
音はなかった。大きく振った尻尾をピタリと止めると、その先が
不意に消失したように見えた。
﹁ごめんなさい、ちょっとだけ触るわ﹂
1337
そう言って、レオナールが指で消えたルージュの尻尾をたどると、
そこに見えなくなった尻尾が存在した。触れたレオナールの指も見
えない。
﹁気持ち悪いわね、これ﹂
﹁きゅうぅ∼﹂
﹁あ、あなたの尻尾の事じゃないわよ。これ、魔法かしら? たぶ
ん幻術と精神魔法よね﹂
﹁きゅうきゅうっ﹂
ルージュがブンブン、と首を縦に振った。
﹁有り難う、とても助かったわ、ルージュ。すごいわ、ここまで最
短距離だったわね。あなたにお願いして良かったわ﹂
レオナールはそう言って、ルージュの鼻先を撫でた。
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュが自慢気に尻尾を振りながら胸を張って鳴いた。
﹁ちょっと待っててね、ルージュ。今、狼煙の準備をするから﹂
そう言ってレオナールは背嚢を地面に下ろし、ゴソゴソと奥の隅
から小さな革の袋を取り出した。それから、いくつか乾燥していそ
うな小枝や葉や草などを拾い集める。
少し離れたなるべく木が少ない開けた場所で、一番燃えにくい枝
1338
を一番下に置き、その上に枯れかけた葉や草などを積み重ね、その
上に革袋から取り出した薬剤を3つのせると、火打ち石で乾いた木
の葉に火をつけた。
﹁あ、火をつけてから薬剤入れた方が良かったかしら? 火を起こ
すのはあまり得意じゃないのよね﹂
普段はアランにやらせているので、上達するはずがない。相方が
やっているところも見ているようで見ていないため、余計である。
薬剤の量も本当は多めなのだが、森の中だからとか考えてやった
わけではなく、たまたま取り出したらそうなっただけである。
しばらく見ていると、白い煙が出て苦手な臭いが漂い始めたので、
レオナールは慌てて距離を取った。
﹁もう、この臭い嫌いだって言ったのに、嫌がらせかしら﹂
思わずぼやくように言った。
﹁きゅう!﹂
レオナールはルージュを振り返り、その不満げな顔を見て苦笑し
た。
﹁アランにこれ、改善して貰いましょうね﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
全くだ、と言わんばかりにルージュが首を縦に振った。
1339
4 幼竜と剣士の不満︵後書き︶
次回のサブタイトルは﹃幻影の洞窟の探索1﹄になるはず。
以下修正
×背負い袋
○背嚢︵で表記を統一︶
1340
5 幻影の洞窟の探索1
合図の狼煙が上がった事に一番最初に気付いたのはルヴィリアだ
った。ダオルの視線は下へ向きがちだったせいもある。
アランは太陽のある方角を確認したり、植生や簡単な地形などを
書き留めたりしており、視線をあちらこちらへ向けてはいたが、視
界を広く取る分、一点に対する集中力はいくぶん低くなっていたか
もしれない。
﹁思っていたより煙の量が多いな﹂
ダオルが木立の間から立ち上る煙を見上げて言う。
﹁あいつ、薬剤の量を間違えたな﹂
アランが舌打ちした。
﹁わかったのなら、早く向かいましょ。ここ、魔獣は見かけないけ
ど虫が多いから、さっさと済ませてしまいたいわ﹂
ルヴィリアが言った。一行は、狼煙を目印に移動速度を速めた。
﹁ここ、右手へ向かって傾斜しているな﹂
﹁うむ。少し下っているようだな。見通しが悪いから、先の方はど
うなっているか見えないが﹂
﹁そう言えばコボルトの巣も、断層で隆起したらしい崖を利用した
1341
造りになっていたな。街道のある辺りは概ね平坦なのに﹂
﹁なるべく起伏の少ないところを街道にしたのかもしれない。おれ
は辺境からアマル川沿いの南の街道を下って来たが、ラーヌ辺りは、
多少の起伏はあるが、ちょうど緩やかな谷のようになっているよう
だ﹂
﹁谷、か﹂
﹁とはいえ、エルヴィラから北は、馬車で移動する分には特別気に
ならない程度だろう。気になるのか?﹂
﹁ああ、いや、これは趣味みたいなものだから。探索には関係ない﹂
狼煙の位置は、ラーヌから見て東にちかい南東であり、コボルト
の巣よりもラーヌに近い場所のようだ。
﹁この森、日当たりも地味も水も問題なさそうなのに、生息する動
植物の種類がやけに少ない気がするな。人が頻繁に入っているせい
なのか、他に何か原因があるのか﹂
﹁定期的な伐採はされているようだし、人の出入りもありそうだか
ら、おそらく前者が原因だろうな﹂
﹁虫は多いけどね。本当これ、うっとうしいわ﹂
アランの独り言に、ダオルとルヴィリアが口を開く。
﹁虫が嫌いなのか?﹂
1342
﹁そうね、好きとは言い難いわね。でも、一番大っ嫌いなのはクモ
よ、クモ。あの足のいっぱいあるところとか、種類によっては毛が
生えてたりする辺りが、ものっすごく嫌。想像しただけで寒気がす
るわ﹂
﹁足は二本多いだけだろう。そんな事言ったら、ムカデとかゲジゲ
ジとかはどうなるんだ﹂
﹁やめてよ! 名前だけでもほら、こんなに鳥肌が!!﹂
ルヴィリアがぐいっとローブの袖口を肘まで引き上げて、右腕を
アランに突き出して見せる。
﹁虫が嫌いとか言ってたら、田舎で生活はできないし、冒険者とか
きびしいだろ。森や山の探索とか移動とか多いんだぞ。ダンジョン
だって、場所によっては虫系のやつだって出て来るし。
ダンジョンに出て来るのは大抵大きいぞ。コボルトやハーフリン
グより大きいのもいる﹂
﹁やめてって言ってるでしょ!? 気持ち悪い事言わないでっ!!﹂
甲高い悲鳴混じりの声で叫ぶルヴィリアに、アランは肩をすくめ
た。
︵これは虫系魔獣とか出たら、うるさそうだな。これは判断ミスっ
たか。出ない事を祈るしかないが︶
先を進むにつれ、前方に灰色の岩壁が見えて来る。
﹁砂岩、泥岩、礫岩ってとこか。これも断層っぽいな﹂
1343
位置を確認して書き留めるアランに、ルヴィリアが怪訝な顔にな
る。
﹁どうしてそんなに頻繁に書き留める事があるの?﹂
﹁え、だって、ギルドに報告する時や、ギルドで確認取る時に、情
報があるのと無いのじゃ、だいぶ違うだろう?﹂
﹁私、冒険者ってもっと脳筋で雑な仕事してるのかと思ってたわ﹂
ルヴィリアの言葉に、アランは眉をひそめ、ダオルは苦笑した。
﹁十把一絡げにされるのは、気分良いものじゃないな。そういうの
は千差万別だろ﹂
﹁アランの仕事が丁寧なのは、間違いないな﹂
岩壁の近くへ向かうと、レオナールが駆け寄って来た。
﹁アラン!﹂
その声にアランが右手を挙げて応じる。
﹁ちょっと、アラン! あの薬の臭い、嫌だって言ったのに、何な
のあれ!!﹂
駆け寄って来たレオナールが、噛み付くように怒鳴る。
﹁嫌な臭いの方が記憶に残りやすいし、覚えやすいだろ﹂
1344
アランは肩をすくめて言った。
﹁何それ! 嫌がらせ!?﹂
﹁お前にわざわざ嫌がらせしてどうしようってんだ。そんな事より、
あれか?﹂
岩壁を指し示すアラン。しかし、レオナールは首を左右に振りつ
つ、狼煙を指差した。
﹁そんな事よりって! あれ、どうにかしてよ!!﹂
﹁もう必要ないから、消せば良いだろ。だいたい、一度に燃やす量
が多すぎだろうが。あれ、一つで一回分だぞ﹂
﹁そうなの?﹂
﹁何のために、同じ量にして練り固めてると思うんだよ。粉末状だ
と扱い辛いし、お前は目分量とか苦手だろう﹂
﹁でも、今ある分は仕方ないにしても、次からは違う臭いにしてよ﹂
呆れたように言うアランに、レオナールが珍しく嘆願する。
﹁どうせ次回作る時には、忘れてると思うけどな﹂
﹁何が言いたいのよ?﹂
肩をすくめて言うアランに、レオナールはジロリと睨んだ。
1345
﹁使用頻度が少ないから、たぶん一年分以上あると思うぞ﹂
﹁えっ⋮⋮!﹂
アランの言葉に、レオナールが絶句する。
﹁だからその内慣れるし、それで覚えるだろう。そうしたらわざわ
ざ変える必要ないよな﹂
アランがニヤリと笑って言うと、レオナールが愕然とした顔にな
った。
﹁それ、ひどくない?﹂
﹁全然酷くないぞ。どうせ中途半端なのにしたら、忘れるだろ。覚
えやすくて良いじゃないか﹂
﹁アランの横暴! ひとでなし!!﹂
﹁だから何だ? 言っておくが、変える気はないからな﹂
アランがキッパリ言うと、レオナールはガックリ肩を落とした。
﹁⋮⋮最悪﹂
そんなレオナールの姿に、アランが鼻で笑う。
﹁言っておくが、これはお前に対する嫌がらせとかそういう理由じ
ゃないぞ。なるべく安価で手軽で、一番効果のありそうな素材を選
1346
んだんだ。
文句があるなら、稼げるようになってからにしろ﹂
﹁ランクアップさせてくれない上に、依頼受注の頻度もそっちが決
めてるくせに、良く言うわ﹂
﹁当たり前だ。わざわざ無理するようなもんじゃないからな。お前
の裁量にまかせたら、負担とか効率とか休息とか関係なしに、片っ
端から討伐依頼を受けようとするに決まっている。
冒険者なんて命あっての物種だし、身体が資本だ。無理して身体
を壊したり負傷したら、元も子もない﹂
﹁じゃあ、せめてランクアップさせてくれたって良いでしょ﹂
﹁少なくともあと三ヶ月は様子を見る。登録から一年とまでは言わ
ないが、最低半年は現状維持だ﹂
﹁アランって本当、面倒くさい﹂
﹁面倒臭いとか言うな!﹂
その様子を見ていたダオルは苦笑し、ルヴィリアが困惑した顔に
なった。
﹁ねぇ、アラン。こんな事言うのあれだけど、さすがにそれ、ちょ
っと可哀想じゃない?﹂
﹁可哀想? 誰が。一応言うが、これはこいつのためでもあるんだ
ぞ。この前の戦闘はおっさんがいたからわからなかったかもしれな
いが、レオの戦闘の仕方見てたら、俺の心配も理解できるはずだ。
1347
こいつの特攻癖ときたら、本当にひどいからな。格下相手や命が
かかってない時はともかく、そうでない場合を考えたら、心臓に悪
過ぎる﹂
アランはいまだに、レオナールがレッドドラゴンに一人で特攻し
たのがトラウマである。
そのレッドドラゴンは運良く仲間になったが、似たような状況に
なれば、明らかな格上にも飛び掛かる可能性が高い。レオナールは
全く反省していないのだから。
﹁きゅきゅーっ!﹂
岩肌の前に立つルージュが急かすように鳴き声を上げた。アラン
は幼竜に近付き、その尻尾の先が消失しているのに気付いて、驚い
て足を止めた。
﹁え!? なっ、し、尻尾はどうした!?﹂
アランの狼狽ぶりに、レオナールがニヤニヤ笑いながら、ルージ
ュの消えた尻尾の近くに自分の指を伸ばして、それが岩壁に消える
ところを見せた。
﹁幻術ね。しかも認識阻害と知覚減衰までかかっているわ﹂
普段自分が良く使う魔法なだけあって、ルヴィリアが言い当てた。
﹁待て。だとしたらこれ、高位魔術師の仕業か? かなり高度なレ
ベルだろう。普通に見たら、ほとんど違和感を感じないぞ﹂
﹁確かに幻術の構成や再現度はものすごい高レベルだけど、認識阻
1348
害はちょっと上手いくらいで、知覚減衰に至っては普通だと思うわ。
たぶん精神魔法はそれほど得意じゃなさそう﹂
﹁いや、でも、このレベルで展開・維持できるなら十分すごくない
か?﹂
﹁そうね。効果範囲が尋常じゃないわ。もしかしたら魔法陣か魔道
具を使っているのかも。これが常態だとしたら、人力かつ詠唱でこ
れを展開・維持するのはキツそう﹂
﹁魔法陣、か﹂
アランは顔をしかめた。それを見たレオナールが楽しそうな声を
上げた。
﹁何、アラン。嫌な予感がするの?﹂
期待を込めたレオナールの視線に、アランは思わず渋面になる。
﹁レオ。一応言うが、この先絶対単独行動するなよ。最低でも幼竜
は連れて行け﹂
﹁大丈夫よ。ルージュなら言わなくてもちゃんと着いてきてくれる
もの。今回はガイアリザードと大剣遣いがいるから、アランを残し
ても問題なさそうだしね﹂
ニッコリ笑うレオナールを、アランはギロリと睨み付けた。
﹁おい、それ、大丈夫って言わないだろ。頼むから無闇矢鱈に特攻
したり、突出して先行しないでなるべく指示に従ってくれ﹂
1349
﹁その時にならないとわからないわね﹂
﹁レオ﹂
﹁だって、考えるより先に身体が動くんだもの。難しい事は良くわ
からないわ﹂
肩をすくめて言うレオナールに、アランは諭すように言う。
﹁あのな、レオ。今回はここにどんなやつが出て来るか情報がない
んだ。もし、ドラゴン級の魔獣や魔物が出たら、どうするつもりだ?
頼むから、考えなしに飛び掛かるのだけはやめてくれ﹂
﹁私は斬れれば何でも良いのに﹂
﹁自分が到底かなわない相手でもか﹂
﹁そうよ。知ってるでしょう?﹂
﹁知っているからやめてくれと言っているんだ。お前のためにって
理由が気に入らないなら、俺のためにそうしてくれ。
やっと冒険者になれたんだ。命にかかわるような真似はしないで
くれよ。俺がランクアップしたくないのは、お前が自分の生死や負
傷を考えずにすぐ特攻するからだ。
俺は正直、高レベルの強敵より、お前の特攻癖の方が恐いよ。お
前はもっと慎重に、冷静になれ。
出来れば、きちんとした状況把握と戦力確認をして、戦術を考え
られるようになって欲しい。
1350
今すぐとは言わない。少しずつで良いから。な?﹂
﹁良くわからないけど、わかったわ﹂
レオナールが答えると、アランは激昂した。
﹁それ、絶対わかってないだろう!!﹂
何故これで話が通じないのか、アランには全く理解できない。こ
れ以上どう言えば、通じると言うのか。
﹁だいたい何がわからないんだよ!﹂
﹁一言で言うなら、話が長い?﹂
﹁長いって言われるほど長いか?﹂
﹁なるべく三文節内でまとめて貰えると助かるんだけど﹂
﹁おい、それは逆に難しいだろう。お前、思いつきで適当な事言っ
てないか?﹂
﹁じゃあ五文節くらい?﹂
﹁よし、わかった。希望に応えて短くまとめてやる。無茶をするな、
次に特攻したら飯抜きだ﹂
﹁えっ、さっきそんな事言わなかったわよね?﹂
﹁お前が理解しやすいようにしただけだ。それに飯抜きって言われ
1351
たら覚えられるだろう?﹂
﹁ひどい!﹂
﹁酷くない。酷いのはお前だろ。水は好きに飲ませてやるから安心
しろ﹂
﹁戦闘後はお腹が空くのに!﹂
﹁なら、特攻するな。簡単な話だろう?﹂
﹁特攻しなければ良いの?﹂
﹁ああ。絶対にするなよ﹂
﹁⋮⋮わかったわ﹂
レオナールは渋々ながら、頷いた。
◇◇◇◇◇
ルージュを先頭に、レオナール、アランとルヴィリア、ダオルの
順に、岩壁にしか見えないその場所から、侵入した。
中は、外より若干低い気温の洞窟のようだ。壁は砂岩で主に構成
されている。
﹁暗いな。どうする? 一応ランタンは用意してあるが、︽灯火︾
を使うか?﹂
1352
﹁︽灯火︾を使ってくれた方が楽なのは確かね﹂
﹁そうだな。ランタンはどうしても片手がふさがるからからな﹂
﹁わかった﹂
アランは︽灯火︾を詠唱し発動させた。そこは天然の洞窟ではな
く、明らかに人工的に造られた空間だった。
天井は一番高い所で十五メトル以上ある。凹凸はあるが、ほぼ正
方形に近い形状で、横幅は三十メトル前後というところだろうか。
一見何もないように見える。だが、アランはふと嫌な予感を覚え
た。歩き出そうとしたレオナールの肩を掴んで、制止する。
﹁待て﹂
﹁何、アラン﹂
﹁念のために一つだけランタンに火を点ける。しばらくその場で移
動せずに、周辺に注意と警戒してくれ﹂
﹁わかったわ﹂
アランの言葉にレオナールは肩をすくめた。
﹁あと、ルヴィリア。念のため、索敵と罠がないか調べてくれ。魔
術の方で良い﹂
﹁初っぱなから慎重ね﹂
1353
ルヴィリアは半ば呆れたような顔をしたが、指示に従う。ダオル
も周囲を注意深く見回し、背後にも警戒を払う。
アランは背嚢からランタンを取り出し、火打ち石で火を点した。
﹁特にこの部屋には何もないし、遠くの方で水が滴るような音は聞
こえるけど、他におかしな音も聞こえないみたいよ﹂
レオナールが言う。
﹁︽物体感知︾︽生体感知︾では、範囲内に感知できるものはない
ようよ。でも、室内あるいはかなりの広範囲に︽隠蔽︾︽認識阻害
︾︽知覚減衰︾がかかっているみたい﹂
﹁幻術はここにはかかってないのか?﹂
﹁この部屋に関しては、なさそうね。たぶんかかっている魔法に抵
抗できないと、何か見落としをする可能性はあるけど、ここには特
に何もないと思うわ﹂
アランはますます嫌な予感を強めながら、ランタンをあちらこち
らに向け、周囲を見回した。
﹁ねぇ、アラン。何か気になる事があるの?﹂
レオナールが不思議そうに尋ねる。
﹁ああ、なんか上手く言えないけど、嫌な予感がするんだ﹂
﹁それ、いつものやつ?﹂
1354
レオナールに聞かれ、アランはしばし無言で考える。落ち着かな
い気分なのは確かだ。しかし、寒気がしたり、冷や汗をかいたりは
していない。いつものそれと同じかどうか考えるが、わからない。
︵わからない?︶
アランは首を傾げた。何か忘れているような、気付かなければな
らない事を見落としているような気がする。
﹁なぁ、ルヴィリア。本当に幻術はかけられてないか?﹂
アランが尋ねると、ルヴィリアは大仰に肩をすくめた。
﹁ないって言ってるでしょう﹂
﹁そうか。それなら良いんだ。しつこく聞いて悪かった﹂
アランはそう告げて足下に視線を落とした。淡いクリーム色の砂
岩と赤褐色の砂岩がマーブル状になっている。
背後を振り返ると、ダオルの背後の通路の奥に森が見えた。
︵何だろう、この違和感は︶
アランは首を傾げた。
1355
5 幻影の洞窟の探索1︵後書き︶
更新ものすごく遅れてしまいました。すみません。
というわけでダンジョン探索です。
1356
6 幻影の洞窟の探索2︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
虫が苦手な人はご注意下さい。微グロ注意。
1357
6 幻影の洞窟の探索2
結局最初の正方形の部屋では何も見つからなかったため、一行は
入り口を抜けた時と同じ隊列で、更に奥へと進む事にした。
前方には︽灯火︾の光が浮かび、クリーム色の砂岩でできた通路
を照らし出している。アランは左手にランタンを掲げ、上下左右に
それで照らしながら、進んだ。
﹁もうちょっと先に行くと、広くなっているみたい。生き物の気配
や怪しい物音とかはないようね﹂
﹁きゅう!﹂
レオナールが言い、同意するようにルージュが鳴いた。アランは
落ち着かない気分で、四方に視線を巡らせ続ける。
﹁何よ、落ち着きないわねぇ﹂
ルヴィリアが呆れたように言う。アランはそれには答えず、この
焦燥感と不安の元が何なのか、思考しつつランタンで照らされた先
を睨み付けるように見回している。
レオナールが後ろを振り返り、そんなアランの姿を確認すると、
肩をすくめた。
﹁放っておきなさい。それ、たぶん今は聞こえてないから。何かわ
かったら言うだろうから、それまで好きにさせとけば良いわ﹂
﹁いつもこんななの?﹂
1358
ルヴィリアが怪訝な顔で尋ねた。その質問に、レオナールは頷い
た。
﹁そうね。何か気になる事がある時は、こんな感じで没頭して、周
囲に無反応になる事が多いわね。
ところで、認識阻害や知覚減衰はまだ掛かってるの?﹂
﹁ええ。もしかしたらこれ、この洞窟全体に効果があるのかもしれ
ないわ﹂
﹁それ、普通に可能な事なの?﹂
﹁普通、人族の単独の術者では、構築も維持も展開も無理よ。そん
なに広範囲に展開したら、いくら魔力があっても足りないもの。
でも魔法陣で補助して他者の魔力を使えるなら、不可能ではない
かも。あるいは、術者が一人ではなく複数いるとか、そういう魔道
具があるとか、新種の魔石か何かがあるとか﹂
﹁ふぅん。魔獣や魔物で、そういったスキルまたは性質を持つ生き
物がいるって事はないのかしら?﹂
﹁そんな生き物がいるかどうかは知らないが、幻術・精神魔法など
が得意な魔獣・魔物と言えば、アラクネが有名だ。
主に使うのは各種毒に、︽擬態︾︽夢魔︾︽幻覚︾︽魅了︾に︽
認識阻害︾︽知覚減衰︾︽隠蔽︾。他に︽吸血︾だったか﹂
ダオルの言葉に、ルヴィリアが嫌そうな顔になった。
﹁ちょっと、アラクネって⋮⋮っ!﹂
1359
﹁上半身が純人族の女性の姿で、下半身がクモという魔物だな。餌
は生きて動く物なら何でも。
自らが生み出した糸を使って巣を作って獲物を待ち構えて捕らえ、
血などの体液を吸い上げる。
自然に出来た洞窟などを利用して巣を作る事もあれば、森の奥に
作る事もあるという。
上半身が人の女性の姿なのは、一番の好物が人間で、人を幻術な
どで騙して捕らえ、餌にするためではないかと言われている﹂
﹁やめてよ! クモなんか出たら、私、気絶するか一目散に逃げる
わよ!?﹂
﹁どっちもやめた方が良いわよ? それ、間違いなく死ぬから﹂
﹁全くだ。一目散に逃げる気力があるなら、それを攻撃か防御に使
え。幸い、アラクネならば戦闘経験がある。
弱点は下半身のクモ部分の中央部に近い背中側、人型部分のすぐ
後ろ辺りだ。腹側が軟らかいから下から攻撃した方が楽だが、その
剣なら上からでも斬れるだろう。
どちらかというと火に弱いが、魔法耐性はそこそこ高めだから、
鋭利な刃物か重量のある鈍器で攻撃すると良い。
心臓には中ランクの魔石があるから、無傷の魔石を得られればそ
こそこの値になる。魔石を破壊した方が、倒すのは断然楽だが﹂
﹁もしかして、アラクネって中位ランクの魔物?﹂
レオナールが尋ねると、ダオルは頷いた。
﹁そうだ。しかし、幻術や精神魔法がなければオークよりはるかに
1360
弱い。コボルトやゴブリンと比較するなら少し上というところか。
足や外骨格も切って斬れない事はないが、腹部が軟らかいからそ
ちらを攻撃した方がてっとり早い。
毒と群れに囲まれるのだけが恐ろしいが、動きは遅いから、時間
を掛けずに速攻で倒せば、問題ない。
他には、粘着力のある糸を吐いたり、麻痺などの効果のある神経
毒で攻撃したりするという事だな。
毒はクモ部分の顎のところの牙を刺し、糸は尻から出すから、そ
こだけ気を付ければ良い。
人型の部分はまるで生き物のように動きはするが、獲物を騙すた
めの飾りのようなものだから、攻撃するだけ無駄だ﹂
﹁わかったわ。情報色々ありがとう﹂
そう言ってレオナールの視線がダオルからアランに移り、キョト
ンとした。
﹁何をしているの、アラン﹂
アランは通路の途中で屈み込み、ランタンで床を照らして何かを
熱心に見つめていた。
ランタンを軽く揺らすと、キラリと何か糸のような物が光る。ア
ランはランタンで照らす位置を変えながら、その糸の位置を確認し
ていたようである。
カンテラの光を浴びると銀色に光る糸が一本、通路の左脇にピン
と張られている。
﹁これだな、たぶん︽隠蔽︾︽認識阻害︾︽知覚減衰︾が掛けられ
ている﹂
1361
﹁えっ、何、それ!﹂
レオナールがアランに駆け寄り、その傍らに屈み込んで手を伸ば
し、その糸に触れようとした。
﹁待て! それに触れるな!!﹂
慌ててダオルが制止した。
ジャイアントスパイダー
﹁それは、おそらく巨大蜘蛛またはアラクネの糸だ。こいつを下手
に切ったり触れたりすると、主や仲間が大勢集まって来る事になる。
だから⋮⋮﹂
それを聞いたレオナールの顔が、パァッと明るく輝いた。その表
情を見てアランが、ギョッとした顔になった。
﹁待て、レオ! 早まるな!!﹂
アランが慌てて叫ぶ。だが、レオナールはニンマリ笑って、素早
くその糸を床に叩き付けるように右拳を振り下ろし、付着した糸を
強引に引き千切るように大きく腕を振るいながら、跳ねるように飛
びすさった。
﹁つまりたくさん魔獣が斬れるって事よね!﹂
﹁やめろって言ってるだろう! このバカ!!﹂
嬉しそうな声を上げるレオナールに、アランが悲鳴のような声を
上げた。不意に奥から、ゴソゴソガサガサと、何かが大量に這い回
1362
る物音が聞こえて来る。
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュが警告するような鳴き声を上げた。レオナールはすぐさ
ま立ち上がると、ルージュのそばへと駆け寄り、剣の柄に手を掛け
抜刀し、両手で構えた。
﹁ルージュ! ここで迎撃するわよ!!﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
﹁⋮⋮くそっ、レオのバカ野郎⋮⋮っ!!﹂
アランはその場に膝をついて、崩れ落ちるように、うずくまった。
﹁いやぁっ! なんかおぞましい不吉な音が聞こえて来るぅっ!!
ああああああぁっ!!﹂
涙目のルヴィリアが、慌てて腰に提げた革袋の何かを探しながら、
悲鳴を上げている。言葉と裏腹に意外と余裕がありそうである。
それらを困ったような顔で確認したダオルが、周辺を軽く見回し、
大剣を鞘から抜き放った。
﹁アラン、立ち上がって前を向いてくれ。そろそろ来るぞ﹂
ダオルの言葉に、アランはランタンを床に置くと立ち上がり、右
手に杖を構えた。
﹁ちくしょう、レオ! お前、覚えてろよ!!﹂
1363
﹁言われた通り、特攻はしてないわよ﹂
アグナ・ディ・レアン
デルファ・ラ
﹁言われてない事ならやるってか! ふざけんな、死ね!!﹂
﹁ちょっとアラン、口が悪いわよ?﹂
﹁うるさい、お前が悪い!!﹂
ディ・ロア
激昂した後、エルフ語で詠唱を開始する。
シ・エル
ァス・ディ・ファス
サウ・デ・ラ
オルヴ
﹁風の精霊ラルバの祝福を受けし、万物に捕らわれぬ疾風よ、我ら
の身を包み、追い風となれ! ︽俊敏たる疾風︾﹂
︽俊敏たる疾風︾がレオナール、アラン、ルヴィリア、ダオルに
発動した。
アランとしてはルージュにも掛けたつもりだったのだが、何故か
掛からなかったようである。
﹁何これ、アラン﹂
﹁速度上昇系魔法だ。後は適宜︽炎の矢︾か︽炎の壁︾を放つ。︽
鉄壁の盾︾が必要なら、言ってくれ﹂
﹁すまない、アラン。︽鉄壁の盾︾ってどんな魔法だ?﹂
﹁一定時間内に受けた攻撃を、物理・魔術に関わらず一回だけ弾い
たり無効化したりする防御魔法だ。毒液や粘着糸などにも効果があ
るはずだ﹂
1364
﹁おれとルヴィリアには必要だと思う。頼めるか?﹂
﹁了解﹂
オ・ディ・ウルヴァ
セ・ガヌ
フォルヌ・ガルヴ
アランは︽鉄壁の盾︾の詠唱を開始した。
エ・イス
﹁其れは、我の身を守る、容易に破れぬ鉄壁の盾、︽鉄壁の盾︾﹂
まずダオルに掛け、次にルヴィリアの分を詠唱し始める。
﹁来たわよ! まずは5匹!!﹂
ジャイアントスパイダー
レオナールが叫び、数歩前に出た。闇の中から5匹の真っ黒な大
きなクモ││大きい物なら体長0.8から9メトルはある巨大蜘蛛
││が壁や天井などに張られた糸の上を伝ったり、床を這って現れ
た。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが咆哮した。一瞬にして、視界が鮮明になる。それまで
ほとんど見えなかった糸が、光の当たる部分だけは見えるようにな
った。
レオナールが剣を振り上げ、飛びかかって来た巨大蜘蛛の中央部
を正面から斬り付けると、グシャリと嫌な音を立てて、両断された。
白みがかった半透明の体液と内臓が飛散して、レオナールの顔や
肩、腕に降りかかった。
﹁うわ、何これ、軟らかくて気持ち悪い。コボルトより脆いわよ!﹂
﹁さっきの話は、巨大蜘蛛の上位種アラクネだからな。巨大蜘蛛な
1365
ら、コボルト以下だ。
アラクネと同じく毒と糸に気を付けた方が良いのは確かだが、よ
ほどの大群に囲まれない限りは問題ない﹂
﹁了解!﹂
レオナールは正面ではなく、側面から斬りかかる事にした。ダオ
ルが飛び出し、右手から来た巨大蜘蛛の心臓付近を叩き潰した。
勢い良く両断すると体液が高く吹き出るので、加減した方が良さ
そうだ。レオナールは横目でそれをチラリと見て思った。
アランの詠唱が完了し、ルヴィリアに︽鉄壁の盾︾が掛けられた。
ルヴィリアはキャーキャー叫びながら、天井近くに張られた糸を
伝って来た巨大蜘蛛に、先の尖った棒状の暗器を投げつける。頭部
に命中し、ダオルの倒した死骸の上へと転がり落ちた。
ピクピク痙攣してはいるが、致命傷を与えたようだ。
﹁いやあぁっ! 来ないで来ないでっ!!﹂
しかし、ルヴィリアは両目をつぶって悲鳴を上げているため、倒
せたかどうか確認できていない。目をつぶって適当に投げたにして
は、運が良い。
ルージュがグルリと身体を回転させながら尻尾を振るい、死骸も
残りの個体もまとめて弾き飛ばした。
アランは念のため自分の分の︽鉄壁の盾︾の詠唱を開始する。
巨大蜘蛛達が続々と通路の奥から現れる。アランは詠唱を始めて
から、︽炎の壁︾の詠唱に切り替えるべきか悩んだが、先程の戦闘
から考えると、詠唱完了する前に倒してしまう可能性の方が高い。
そのまま詠唱を続行し、発動する。
1366
﹁︽鉄壁の盾︾﹂
何故かその前の二回の︽鉄壁の盾︾より詠唱が早かったような気
がして、アランはわずかに首を傾げた。
その間にも、次々に巨大蜘蛛が現れては倒されていく。
︵いや、考えてる場合じゃないか。とりあえず︽炎の矢︾詠唱して、
その時狙えそうなやつに発動しよう。
今のところ囲まれる可能性は低いから、おそらく問題ない︶
アランは︽炎の矢︾の詠唱を開始した。雲霞のごとくとまではい
かないけれど、途切れることなく次々現れる巨大蜘蛛をレオナール
とダオル、ルージュが一撃で倒していく。
その合間にルヴィリアが時折投擲する暗器が巨大蜘蛛の頭部や腹
や背を突き破り、行動不能にしていく。
悲鳴がうるさいのを除けば、実は良い腕なのではないだろうか。
両目を閉じたままなので、運が神がかり的に良いだけかもしれない
が。
アランは不意に嫌な予感を覚えて、ゾクリと身を震わせた。そし
て背後を振り向いた。
﹁︽炎の矢︾﹂
発動させた燃え盛る魔法の矢が、背後の部屋から現れたそれの顎
付近に命中した。それはきしむような悲鳴または威嚇音を上げて退
けぞった。
﹁新手だ!﹂
1367
アランの声にレオナールが即座に反転する。
﹁まかせたわ!﹂
ダッシュで駆け寄り、アランのかたわらを走り去ると、それに向
かって剣を薙ぎ払う。
﹁やった! これアラクネで良いのよね!!﹂
満面の笑みを浮かべて叫ぶ。
﹁ああ、それがアラクネだ。気をつけろ!﹂
﹁うふふっ、やっと斬りごたえありそうなのが出てきたわ! 楽し
ませてちょうだいねっ!﹂
嬉々として剣を振るうレオナールに、アランは頭痛を覚えつつも、
︽炎の矢︾の詠唱を開始する。
︵しかし、あれ、何処から現れたんだ?︶
アランは渋面になりつつ、巨大蜘蛛より二倍近く大きい毒々しい
赤にまだら模様の蜘蛛の下半身と、肌の白い優美なたおやかな女性
の姿の上半身を持つアラクネをじっと見つめた。
1368
6 幻影の洞窟の探索2︵後書き︶
昨夜は途中で寝てしまいました。すみません。
アラクネ画像はわりとあるし、知っているつもりで書いてみるとど
ういう身体構成なのか知らなかったりして、しまった!とか思って
います。
昨日は蜘蛛の尻と顎と断面図ばかり見ていたのでアラクネ画像に心
癒されました。
アラクネさん素敵。今作中では残念ながらかませ扱いですが。
風邪引いたっぽくて喉と頭が痛いので、素敵なアラクネさん探す度
に出たいです︵脳内旅行?︶。
以下を修正。
×角
○牙
1369
7 幻影の洞窟の探索3︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
虫が苦手な人はご注意下さい。グロ注意。
1370
7 幻影の洞窟の探索3
アラクネはコボルトに比べれば遅いが巨大蜘蛛よりは速く、八本
足を上手く使って前後左右に移動したり、尻から糸を吐いて天井な
どに飛び上がったり、張られた糸を伝って移動したり、なかなか予
測し難い器用な動きをする。
また、赤い八つの目は光を感知するだけであり、身体に生えてい
る毛が振動を感知する││つまり、全身が目のようなもの││ため、
死角がない。
しかも、この個体は人型部分の腕に、革製の手甲と頑丈そうな大
振りのダガーを装備し、軽い攻撃ならば払ったり受け流したりする
ようだ。
︵人型部分は飾りだって話だったのに、ずいぶん器用ね。身体的構
造と腕の長さの問題が原因なのか、武器を使って攻撃はして来ない
けど、これで槍や槍斧を持たせたら厄介そうだわ︶
もっとも、単に非力で大型の武器が扱えないだけかもしれない。
腕はアランやルヴィリアと比べてもかなり細い。手首や肘などをオ
ーガ級の膂力で握れば、簡単に握りつぶせそうだ。
試しに頭上からの振り下ろしの強撃で、ダガーを握った腕ごと剣
で殴りつけてみると、あっけなくガクリと腕が下がるが、レオナー
ルが振り切る手前で止めて素早く剣を引き戻すと、すぐさま動いて
正面でダガーを構え直した。
︵腕の稼働範囲は、人と変わりなさそうね。でも痛覚はなくて、腕
が痺れて動きが悪くなったりはしないみたい。
足が使えて視界が広いみたいだから、人族や人型魔物と同じに考
1371
えない方が良いけど︶
糸を吐かせたり、毒を注入する鋏角を使わせないよう、足や剣で
牽制を入れながら、挙動などを観察する。
剣を振るうには必ず予備動作が必要であり、剣は当てただけでは
攻撃力は無いに等しい。
厄介な事に、このアラクネは予備動作から次の攻撃を予測し、回
避あるいは受け流しを行い、致命傷を避けているようだ。
︵面倒な︶
レオナールはゼロ距離または遠距離からの攻撃手段を持たない。
こうなると、相手が予測出来ても反応できない速度で攻撃するか、
連携などで相手が反応できない隙を突くしかないだろう。
﹁︽炎の矢︾﹂
アランの発動した魔法の矢が、アラクネの蜘蛛部分の眼球付近に
命中し、アラクネはきしり声を上げて、仰け反った。その隙を狙っ
てレオナールがすかさず、剣を大きく強く薙ぎ払った。
﹁キシャアアアァァアアーッ!!﹂
悲鳴を上げて悶え暴れるアラクネの体液が、レオナールの全身に
降りかかる。不快そうに目を細めつつ、強引に腕を振るい、更に深
く突き刺しえぐり、ブーツの底で蹴倒して踏みつける。
﹁うるさいのよ! いい加減死になさい!!﹂
そう叫ぶと、軟らかい腹の部分を何度も何度も刺す。アラクネは
1372
のたうち藻掻き、足でレオナールを払おうとしたり、顎で噛み付こ
うとするが、その度にレオナールの足や腕で払われたり蹴られたり
する。
﹁うーん、この辺かしら?﹂
何度目かに剣を突き刺した時、ようやく手応えを感じた。
﹁よし、やっと見つけたわ!﹂
体重をかけて深く突くと、アラクネはビクビクと痙攣してはいる
が、動かなくなった。
﹁あーもう、全身ドロドロだわ﹂
レオナールはどろりとした液に濡れて雫を垂らす前髪を掻き上げ、
撫で付けながら大きく息を吐いた。
﹁お疲れ、レオ。怪我とか大丈夫だったか?﹂
アランが苦笑して尋ねる。レオナールは肩を大きくすくめた。
﹁怪我はないけど、この惨状よ。他に何かないか見て回りたいけど、
これ、何とかならないかしら?﹂
﹁川も町も同じくらいの距離だからな。他の水場に関しては、幼竜
に探させた方が早くないか? 一応水差し一杯分の水を呼び出す魔
法を修得したけど、足りると思うか?﹂
﹁水差し一杯ねぇ。無いよりはマシかもしれないけど、胸や背中ま
1373
で濡れてるのよね。今のところ無事なのはブーツの中だけかしら﹂
レオナールの言葉に、アランはそれらを想像してブルリと震えた。
﹁と、とりあえず顔だけでも拭いておけ﹂
アランが背嚢から軟らかそうな布を取り出し、レオナールに差し
出した。
﹁どうする? 一度町へ戻るか?﹂
﹁え、ここまで来て帰るの? どうせだから探索してから帰りまし
ょう。まだ入口しかまともに見てないじゃない﹂
﹁お前が良いなら、別にかまわない﹂
アランは肩をすくめて、ダオルとルージュの方を振り返った。ち
ょうど、彼らの戦闘も終了または終わり近かったようだ。
ダオルがちょうど大剣を拭い、鞘に納めるところだった。
﹁お疲れ様。怪我はしなかったか?﹂
アランが尋ねると、ダオルは首を左右に振った。
﹁いや、おれは大丈夫だ。幼竜は何度か攻撃を食らっているように
見えたが、全て鱗と皮で弾いたようだな。それにしてもレオナール、
大丈夫か?﹂
﹁少々気持ち悪いし、気分もちょっと萎えたけど、おおむね大丈夫
かしら。目や耳の中には入らなかったから﹂
1374
﹁水差し一杯分の水でも召喚するか?﹂
﹁中途半端に流しても、それはそれで気持ち悪そうだから、とりあ
えず顔と頭だけで良いわ。戦闘に支障なければ問題ないわ。
前にも血みどろになった事あるし、あの時に比べたら臭いもそれ
ほどひどくないから、だいぶマシだもの。
臭いがキツイと索敵能力や気配察知も感覚や集中力が落ちるから、
困るのよね﹂
レオナールの言葉に、アランはゲンナリとした顔になった。
﹁そうだな、お前が一番気にするのって、どうせそういう事だった
よな﹂
それらを聞いて、ダオルが声を上げて笑った。
﹁アハハッ、そうか。それなら良かった。で、どうする? 奥へ向
かうか、外に出るか﹂
﹁勿論奥へ向かうわよ。まだ入口で、ここが何で、他に何があるか
わからないもの。
それに奥でもこんな戦闘が続くなら、今外に出て、また出直して
も同じ事の繰り返しでしょ? その度に出直してたら、キリがない
し面倒じゃない﹂
﹁了解した。アランも続行するって事で良いのか?﹂
﹁ああ。少なくとも、行方知れずの斥候の手掛かりは見つかってな
いからな。レオ、幼竜はここだと言うんだろう?﹂
1375
﹁そうよ。ルージュ、この奥かしら?﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
首を縦に振って鳴くルージュに、レオナールが笑みを浮かべた。
﹁ところで、ルージュ。これは食べたくないの?﹂
レオナールがアラクネを指差すと、ルージュは慌てて首を横に振
った。
﹁きゅきゅきゅーっ!﹂
﹁うーん、これは肉じゃないのかしらねぇ?﹂
そう言いながら、人型部分の腕を切り落として、断面を覗き込ん
だ。
﹁あら、肉はあるけど、骨はないのね。という事はこれも外殻扱い
なのかしら﹂
そう呟いて、首を傾げながら拳で腕の表面を叩いてみる。見た目
は軟らかそうなのに、叩くと思ったより固い。
気になって更に切断してみようと剣を握るレオナールに、アラン
が蒼白な顔で怒鳴った。
﹁おい、気持ち悪いことするな!﹂
アランの言葉に、レオナールはキョトンとした顔になる。
1376
﹁気持ち悪い? だってほら、今後どう斬るか勉強になるし、身体
構造を知っておいた方が戦闘にも役立つでしょう。気持ち悪いなら、
見なければ良いじゃない﹂
﹁そういう問題じゃない。弱点なら教えて貰っただろう﹂
﹁聞いたけど、それだけじゃ戦闘にはあまり役立たなかったでしょ
う? だいたい、人型部分で防御するとか聞かなかったわ﹂
﹁それについては、申し訳ない。しかし、そのアラクネはおそらく
特殊個体だな。
外見や大きさは普通のアラクネとそう変わらないと思うんだが、
武器や装備を扱う個体など、初めて見たし、これまで聞いた事もな
い﹂
ダオルの言葉に、アランは嫌な予感を覚えた。
﹁⋮⋮つまり、何か? 普通の個体は武器や防具を装備しないし、
その扱い方も、戦闘の立ち回りも知らないって事か?﹂
﹁そうだ。そんな個体がもしいるとしたら、人為的な干渉か、ある
いはここのアラクネが生まれつき他の個体より頭が良く、何度も対
人戦闘を繰り返して、経験を積んで学習したという事だろう。
だが、だとしたらギルドへの報告が上がってないのは異常だ。例
えばこの手甲は、冒険者の持ち物だろう。そのダガーも中級品だ。
おそらくは、この奥にその持ち主または、その遺体や遺品がある
だろうな﹂
﹁そうか、有り難う﹂
1377
アランはそう答えると、渋面で腕組みした。その視線は何もない
壁に向けられているが、実際は何も見てない事はレオナールには良
くわかる。
肩をすくめて、悲鳴を上げなくなったルヴィリアの方を見ると、
人形のように固まり、立ちつくしている。
﹁ルヴィリア?﹂
ルヴィリアの視線は、レオナールがアラクネと戦闘を行っていた
方へ向けられていたのだが、声を掛けても無反応である。
怪訝な顔でレオナールが近付き、ルヴィリアの目の前で大きく手
を振ってみるが、反応はない。
﹁あら、どうしたのかしら?﹂
ダオルが近付きルヴィリアの肩をポンと叩くと、その場に崩れ落
ちそうなり、ダオルが慌てて支えた。
﹁大丈夫か?﹂
声を掛けたが、反応はない。呼吸はしているし、脈拍はあるよう
だ。ぱっと見た限り外傷はないように見えるし、それ以前にルヴィ
リアの近くにたどり着いた巨大蜘蛛はいなかったはずである。
﹁どうやら、気絶しているようだな﹂
﹁目を開けて立ったまま気絶とか、器用な子ね﹂
レオナールが呆れたように肩をすくめた。ダオルは困ったような
1378
苦笑いを浮かべ、仕方ないのでルヴィリアを抱き上げ、外へと向か
う。
﹁それ、どうするの?﹂
﹁入口にガイアリザードがいるはずだから、その背に置いて来る。
このまま放置するよりはマシだろう﹂
﹁そう言えばあの子、一緒に中に入って来なかったわね。ルージュ、
指示しなかったの?﹂
レオナールがルージュに尋ねると、ルージュはキョトンとしたよ
うに首を傾げた。
﹁きゅきゅう?﹂
レオナールは苦笑した。
﹁ごめん、それ、何言ってるかわからないわ。まあ、代わりの肉壁
がいるから問題なさそうね。戦闘にも役に立つみたいだし。
それにしてもあの娘、いてもいなくても変わりなかったわね。ア
ランの好奇心を満たすのには役立ったのかもしれないけど﹂
﹁きゅう、きゅう!﹂
﹁それにしてもルージュ。本当に良いの? こんなのでも一応肉よ。
殻や毛が多いから、食感悪そうで食べ応えもあまりなさそうだけど﹂
そして、先程斬った腕をルージュの一口サイズに切断すると、手
甲のない方を差し出した。
1379
ルージュはそれをマジマジと見つめ、においを嗅いだ。
﹁どう? 食べられそう?﹂
レオナールに尋ねられ、ルージュはおもむろに口を大きく開けて、
パクリと食らいついた。そして、それをゆっくり咀嚼する。若干目
を細め、頷いた。
﹁そう。じゃあ、手甲とかダガーはこっちで回収するけど、それ以
外は自由に食べて良いわ﹂
レオナールがそう言うと、咀嚼と嚥下を終えたルージュが、ペロ
リとレオナールの顔を舐めた。
﹁えっ、何?﹂
驚くレオナールに構わず、ルージュは腕や足、肩などに付着して
いる体液を舌で舐め取った。さすがのレオナールも困惑した顔にな
る。
﹁何よ、ルージュ。それ、気に入ったの?﹂
レオナールの質問に答えず、ひたすらルージュはレオナールの全
身を舐め回す。
レオナールは諦めて、右手に持ったままだった剣を、左手に持っ
ていた布で丁寧に拭うと、背の鞘へと収め、されるがままになった。
﹁ルージュ、汚れを舐め取ってくれるのは有り難いけど、今度はあ
なたのよだれでベトベトだわ。この洞窟に水場はあるかしら?﹂
1380
﹁きゅうきゅう!﹂
機嫌良さげにルージュが頷いた。
﹁そう。後で教えてくれるかしら。全部食べ終わった後で良いから﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
了解、と言わんばかりにコクコク頷きながら、ルージュが高らか
な鳴き声を上げた。レオナールの全身を舐め尽くすと、アラクネの
死骸に飛びつくようにむしゃぶりついて、咀嚼し始めた。
戻ってきたダオルがそんな様子を見て一瞬ギョッとした顔になる
が、無反応のアランと微笑んで見つめるレオナールに、困ったよう
な苦笑を浮かべて、歩み寄る。
﹁魔石は良かったのか?﹂
ダオルの言葉に、レオナールは肩をすくめた。
﹁え? たぶん壊れちゃったと思うわよ﹂
﹁破損していても一応換金できるぞ。かなり値は落ちるが﹂
﹁どのくらい?﹂
﹁質や状態にもよるが、大銅貨1枚くらいにはなる﹂
﹁大銅貨1枚、ねぇ。ないよりはマシかしら。ルージュ、魔石って
まだ残ってる?﹂
1381
レオナールが尋ねると、ピクリと咀嚼を中断したルージュが、フ
ルフルと首を横に振った。
﹁ですって。次からは取り出してから与える事にするわ﹂
﹁そうか。ドラゴンって魔石も食べるのだな﹂
﹁後片付けして貰うのには便利よ﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
ダオルは困ったように微笑んだ。
1382
7 幻影の洞窟の探索3︵後書き︶
更新遅れました。すみません。
蜘蛛は大丈夫ですが、昆虫︵特に飛ぶやつ︶は苦手です。ゴのつく
黒い例の虫も苦手です。
一桁台の年齢時に、ブランコの支える棒を握ったら、アゲハの幼虫
がそこにいて、それから数日高熱と湿疹に悩まされた事があり、以
来虫が苦手です。蝶の鱗粉で湿疹出たり、ゴキさんに顔面飛びかか
られた事もアリ︵私が嫌いな物は大抵トラウマ体験ありで、嫌いに
なった具体的なエピソードなしに嫌いなものはほぼ皆無︶。
クトゥルフ系全般やゲームや映画などのスプラッタやグロ系はおお
むね平気ですが、リアルの血はちょっとでも気絶しそうになります。
採血や献血で10回中8∼9度の頻度で倒れています。人迷惑。な
るべく目を瞑って見ない事にしていますが、終わった後でも見ると
眩暈を覚えて足がふらつき、吐き気を覚えます︵そして最悪失神↓
数時間後に目覚め、記憶ない間に別室に寝かされている↓やっちま
った!になります︶。
この血を見て倒れるのも、小3の時の怪我︵古釘を踏んで貫通しか
けた︶が原因です。デフォでドジで不注意なので、幼い頃はトラウ
マ製造器でした︵自分だけでなく、うっかりそれを目撃した人含む︶
。
トカゲ可愛いです。もふもふも出したいけど、いつになるやら不明
です。
1383
8 幻影の洞窟の探索4
﹁先程出入りした際、入口を含むこの近辺の幻術や精神魔法全て解
除されていたようだが、アランの魔法か?﹂
平常時に戻ったアランに、ダオルが尋ねた。その質問に、アラン
の眉間に皺が寄った。
﹁いや、残念ながら︽魔法解除︾はまだ修得していないから、俺じ
ゃない。⋮⋮でも、前にも不意に相手の魔法が解除されていた事が
あったな﹂
そう言って、アランは半ば睨むような顔で、レオナールとルージ
ュを見た。
﹁私じゃないわよ?﹂
レオナールが肩をすくめて言うと、アランは溜息をつく。
﹁それはわかっている。俺は、その幼竜が原因だと思うんだが、レ
オ、心当たりないか?﹂
﹁さぁ? 少なくとも記憶にはないわね﹂
﹁おい、忘れたとは言わさないぞ。直近ではベネディクトの配下が
張った︽方形結界︾が消えただろう。
あれ、お前が指示を出して幼竜が咆哮したら、解除または消滅し
ていた。あれ、わかっててやったんだろう?
1384
今更しらばくれても無駄だぞ﹂
﹁無駄なら、聞く必要ないじゃない。一応言うけど、別に確信持っ
てやったわけじゃないわよ。そうした方が良いような気がしたから、
やってみただけ﹂
﹁つまり、あの時、確信に至ったわけだ﹂
﹁そうね。でもあれは魔法解除じゃなくて、実は単に術者の集中力
を削いだり脅えさせたから、魔法が取り消されたのかもよ?﹂
﹁でも、今回の魔法が解除された原因は、幼竜の咆哮だろう。あれ
の前と後で、詠唱速度や効率が違っているように感じた。
なぁ、レオ。今後、おかしな魔法の存在を感じたら、なるべくあ
れを指示してくれないか。
お前、魔法の気配とか発動タイミングとか、なんとなくでもわか
るんだろう?﹂
﹁別にわかるわけじゃないわよ? たまに妙な違和感覚えるってだ
けで﹂
﹁俺が見ている分には、今のところどんな魔法も全て発動直前に感
知しているように見えるぞ。何故そんな事ができるかはサッパリ理
解できないが。
あの咆哮が俺の魔法も解除または取り消すなら問題だが、今回詠
唱途中でやられても、問題なかったからな。
ならば、使わない手はない。何故そうなるか理解できないのは気
持ち悪いが、便利なのは間違いない﹂
﹁ねぇ、アラン。もっと短くわかりやすく言ってくれる?﹂
1385
レオナールに残念な人を見る目で言われ、アランはガックリと肩
を落とした。諦めて簡潔に言う。
﹁⋮⋮なんかあやしいと思ったり、妙な違和感覚えたら、幼竜に咆
哮させてくれ﹂
どうせ理由や理屈を並べても理解できないのだから、具体的に何
をやるかだけ言う方が良いだろうとの判断である。
︵俺、何が哀しくて、このバカと組んでるんだろうなぁ⋮⋮︶
アランがしばし呆然とうつろな目つきであらぬ方を見つめたのは、
仕方ないかもしれない。
◇◇◇◇◇
通路の奥は左右に分かれていた。しかし、先程背後から現れたア
ラクネの事を考えると、このまま奥へ進んでも良いものか悩むとこ
ろである。
﹁ダオル、先程出入りしたと言っていたよな。最初の部屋で何か気
付いた事とかなかったか?﹂
﹁最初に見た時には気付かなかったが、かなりたくさんの糸が張ら
れていた。しかし、糸を一本切っただけであの大群に襲われたのを
考えると、あの部屋で引っ掛からなかったのは奇跡に近い﹂
1386
﹁それって、ルージュが先頭でその後についていったからじゃない
? 最初の部屋で索敵・探知した時も、あまり動き回らなかったし﹂
﹁なるほど。俺達が気付かなくても、幼竜は全て把握した上で行動
していたという事か。
⋮⋮こいつからしたら、俺達はバカか間抜けに見えてそうだな﹂
﹁そんな事ないわよね、ルージュ﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
ルージュが首を縦に振りつつ、尻尾を揺らした。そんな幼竜をジ
ロリと横目に見て、アランはやれやれといった風に肩をすくめた。
﹁まぁ、それはともかく、一度最初の部屋に戻ろう。一応どんな風
になっていたか、もう一度確認して、怪しいところがないか調べよ
う。
前に調べた時は、敵の術中だったからな﹂
﹁アランは相変わらずねぇ﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁さっきおれが確認しておけば良かったな。そこまで気が回らず、
すまなかった﹂
ダオルが謝ると、アランは首を左右に振った。
﹁いや、別に良い。俺が自分の目で再確認したいってのもあるから
な。
1387
もしかしたら、俺達が気付かなかっただけで、最初からあの部屋
に潜んでいたというのもなくはないが、それなら幼竜かレオナール
が気付かないというのも変だ。
不安要素はなるべく潰しておきたい﹂
そして最初の部屋へ戻った三人は糸に触れないように周囲を調べ
た。その結果、天井付近に大きな空洞があるのを見つけた。
そこへ続く糸がある事から、道具なしに人が上り下りする事は難
しいが、巨大蜘蛛やアラクネは自由に出入りできそうである。
﹁蜘蛛達の住処にしては、天井が高いように思ったが、どうやら通
路が二層構造になっているのか。
糸を全て燃やしても、また新たに来たやつが張り直すだけだろう
な﹂
﹁アラン、心配なら︽岩の砲弾︾で潰しておけば?﹂
﹁それもそうだな﹂
レオナールの言葉にアランは頷いた。
﹁地精霊グレオシスの祝福を受けし硬き岩の砲撃、標的を貫き、砕
け。︽岩の砲弾︾﹂
発動された︽岩の砲弾︾が天井付近の通路を破壊し、瓦礫で塞い
だ。
﹁もし、ここがダンジョンなら、一定時間で修復されそうだな﹂
﹁それって阻害できないの?﹂
1388
﹁ダンジョンがどうやって作られているかも、どのように維持・管
理されているのかも、良くわかっていないからな。
わかっているのは、現在発見されているいずれのダンジョンも、
それを維持・管理するための核を破壊すれば、存続できなくなると
いう事だけだ。
どのくらい保つかはわからないが、気休めにはなるだろう。
念のため、駄目元で何か仕掛けておくか?﹂
﹁ダンジョンならば、異物や死体・死骸も吸収されそうだな﹂
ダオルの言葉に、レオナールが肩をすくめた。
﹁でも、この前行ったダンジョンは、数ヶ月前の腐乱死体があった
のよね?﹂
﹁そうだな。あれは、宝箱とかそういった類いのものは無かったが、
ダンジョンとしか言いようのない構造だった。
あれを作ったのと同じ作成者なら、もしかしたらイケるかもな﹂
アランはそう答えて、背嚢から革袋を取り出した。
﹁卵?﹂
﹁中身を取り出して、薬剤を詰めたものだ。素手で触れない薬品を
投擲するために作った。
俺がやるより、レオにやって貰った方が間違いないから、あそこ
へ投げてくれないか?﹂
﹁念のために聞くけど、これ、何?﹂
1389
﹁巨大蜘蛛もアラクネも毒耐性がありそうだし、対人用に非殺傷で
効果のありそうなものを作ったから、たいした効果はないだろう。
本来ならかぶれたり痛みを覚えるんだが。粘着力があるから、動
きが遅くなるかもしれない。戦闘中使えそうなら使って見るか?﹂
﹁うーん、いらないわ。もっと面白いのはないの?﹂
﹁後は唐辛子と胡椒で作った催涙効果を狙った物と、麻痺毒と、複
数種類の毒だな。
最初から相手が蜘蛛とわかっていれば、それなりの対策も考えた
んだが。だけど、お前そんなの必要か?﹂
﹁だって、軟らかいし遅いけど、当てるのに苦労したんだもの﹂
レオナールが大仰に肩をすくめると、ダオルが苦笑しながら言う。
﹁全て見ていたわけじゃないが、レオナールの剣は素直過ぎる印象
だ。もう少しフェイントや牽制や遊びを使った方が良い。
確かに最短距離で急所を狙いに行きたい気持ちはわかるが、狙い
が見え見えでは、多少知恵の回る敵には通用しない。
隙はなければ、生み出すものだ。敵に自分の意図を読ませず、狙
い通りに行動させてやれば、自分がどう動けば良いか見えて来る。
先程の戦闘で動きは見たはずだ。ならば、敵の動きを予測する事
も、どう動けば敵をどう動かせるかも、わかるのではないか?﹂
﹁自信ないけど、やってみる﹂
レオナールが答えると、ダオルはニッコリ笑った。
1390
﹁わからなければ、自分ならどうするか考えるのも良い。全てその
通りになるわけではないが、参考にはなるだろう﹂
﹁大丈夫か、レオ。お前、頭を使うのは苦手だろう?﹂
アランの言葉に、レオナールはムッとした。
﹁うるさいわね。確かにお勉強は苦手だけど、アランに心配される
ほど、ひどくはないわよ﹂
﹁どうだかな。まぁ、たぶん問題ないだろう﹂
﹁どういう意味?﹂
レオナールはキョトンとした顔になる。
﹁お前は頭で考えるより、身体で覚える質だろう。だから心配して
ない。もし、危なくなったら助けてやるから、感謝しろ。
一応初級だが回復魔法も覚えたからな。解毒魔法は修得できなか
ったが、ルヴィリアと手分けして解毒薬は一通り揃えた。
よほど特殊な毒じゃなければ、問題ないはずだ。無駄だと思うが
一応言っておくぞ。
どうしても勝てそうにない敵が現れたら、撤退するぞ。ダオル、
その時は申し訳ないが、協力よろしくお願いする﹂
﹁ああ、わかった。具体的には?﹂
﹁レオは特攻癖があるので、物理的に止めて運んで下さい﹂
1391
﹁了解した﹂
﹁物理的に止めるって、それどういう事なの?﹂
﹁さぁな。そうならないように、お前も協力すれば問題ないだろう。
そんな事より、先へ進むぞ﹂
﹁そんな事より、ねぇ? で、アラン。行きたくない方とかある?﹂
﹁ないって言ってるだろ!﹂
噛み付かんばかりに怒鳴り睨むアランに、レオナールは肩をすく
めた。
﹁じゃあ、ルージュ。さっき言った通り、まず水場のある方へ案内
してくれるかしら﹂
﹁水場?﹂
レオナールの言葉に、アランは怪訝そうな顔になった。
﹁ルージュに全身舐められたのよね。悪気はないんだろうけど、ド
ラゴンのよだれって独特の臭いがするから、ちょっと不便なのよ。
しばらく私の嗅覚は当てにしないでね。代わりにルージュが索敵
してくれると思うから﹂
﹁ついでにその幼竜に、何かを見つけたら教えるように言ってくれ﹂
﹁何かって何?﹂
1392
﹁それがわかれば苦労しない。例えば俺の使った以外の魔法とか、
罠とか、隠し扉や通路とか、怪しげな何か、だ﹂
﹁ふぅん。ねぇ、ルージュ。アランの言ってた事聞いてた? 良く
わからないけど、何か怪しげなものを見つけたら教えてくれだって﹂
﹁きゅきゅう?﹂
﹁そう言われても困るわよね。うーん、たぶん私達が気付かなくて
ルージュが気付いた何か、だと思うけど﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
幼竜はわかった、という風にコクコク頷き、尻尾を左右に揺らし
た。
◇◇◇◇◇
最初の分岐を左に進んだ奥││レオナールとルージュにとっては、
水がしたたる音が聞こえて来る方角││に、地底湖とおぼしき岩に
囲まれた湖があった。
﹁飲めるかな、この水﹂
﹁わからないけどやめておいた方が良いと思うわよ? ルージュ、
しばらく水浴びするから索敵お願いするわね﹂
﹁おい。こんなところで中に入ったりしないよな、レオ﹂
1393
﹁さすがにしないわよ。何がいるかわからない水の中に入るわけな
いでしょう。さっき借りた布借りるわね。
ついでに鎧も洗いたいけど、こんなところで洗うのは無理そうだ
から、拭うだけにするわ。ねぇ、アラン。機会があったら︽浄化︾
覚えてよ﹂
﹁機会があったらな。一応言うが、便利だけど神官やごく一部の貴
族しか使えない、一般に公開されてない魔法だから、期待するなよ﹂
﹁︽浄化︾じゃなくても代わりになりそうな魔法あったらお願いね﹂
﹁あるかな、そんなの﹂
アランは首を傾げた。剣帯や鎧を外すレオナールを横目に、アラ
ンは周囲をグルリと見回した。
ここの天井は一番高いところで三十メトル近くあるだろうか。目
測なので、間違っているかもしれない。
部屋全体で見ればほぼ円形のドーム状、現在地はひょうたん型の
ような湖のくびれている部分の左辺で部屋全体ではほぼ外縁付近、
といったところだろうか。
﹁水の流れる音が聞こえるな﹂
﹁左に向かってゆっくり流れているみたいね。もしかしたら外の川
とつながっているかも﹂
﹁アマル川って確か、王都の方にまで流れていたよな﹂
アランが渋面になる。
1394
﹁そうだな。どのくらいの幅の水路が流れているかわからないが、
もし船が通行出来るようなら、王都まで川を下って行けるという事
になる﹂
﹁それ以前に、もしアマル川とつながっているなら、これに毒でも
流されたら大変な事になる﹂
﹁王城の水源は別だが、庶民の使う水の大半はアマル川だな﹂
アランの言葉に、ダオルの表情も険しくなった。
﹁なら、潰す?﹂
レオナールが軽い口調で言った。
﹁そうだな。可能ならそうした方が良いだろう。ダオル、調査・探
索してからになると思うが、俺達の手に負えそうにないと判明した
時は、フォローや応援、連絡等頼む﹂
﹁わかった。やはり、一緒に来て良かったようだ﹂
﹁でも、考え過ぎかもよ?﹂
深刻そうな二人をからかうように、レオナールが言った。
﹁お前が言ったんだろ、外の川とつながっているかもって。それに
アマル川の水を利用しているのは、王都の庶民だけじゃない。この
下流の村や町、農村の多くが利用している。
最悪の場合、畑で収穫される麦や野菜などにも混入するって事だ
1395
ぞ﹂
﹁つまりパンが食べられなくなる?﹂
﹁ガレットやエールもだ﹂
﹁水は大丈夫よね?﹂
﹁ロランは大丈夫かもしれないが、ラーヌは影響あるかもしれない
な。俺達が泊まった宿は井戸を利用していたが。
普通に考えたら、巨大蜘蛛やアラクネの毒が地底湖に混入する事
は考えられないが、ここには何者かが関与している可能性もある。
ここの魔獣全てを討伐したとしても、専門家に調査して貰った方
が良いかもしれないな﹂
﹁ふむ。洞窟内では、魔道具が上手く働かない場合もあるから、念
のため一度外に出て途中経過を連絡しておいた方が良いか﹂
﹁それって、今回の探索に邪魔が入ったりしない?﹂
ダオルの言葉に、レオナールが警戒して尋ねた。
﹁大丈夫だ。だが、あまり間を置かずに封鎖して調査した方が良い
だろう。おれが所持している魔道具で連絡すると、王都なら最短半
日で連絡が着く。
その後の対処次第だが、今日中という事はないだろう﹂
﹁それを聞いて安心したわ﹂
レオナールはニッコリ笑った。
1396
﹁少なくとも、アラクネをサックリ斬れるまで帰らないから﹂
レオナールが言うと、アランは嫌そうな顔になった。
﹁どうせお前が気にするのってそういう事だよな﹂
アランは深い溜息をついた。
1397
8 幻影の洞窟の探索4︵後書き︶
更新遅くなりました。
あまりストーリー進んでませんが。悩ましいです。
脳筋は書いてて楽しいけど、ストーリー進行的には困るよね、と思
います。でもアランが主人公だったら、たぶんシリアスになるか、
可もなく不可もない物語になるような気がします。
アランはなるべく善悪どちらにも寄らないニュートラルを意識して
いるつもりですが。意図した通りになってるか微妙です。
正確に言えば、レオナールも善悪どちらでもないですが。動物︵猛
獣・害獣含む︶って概ねそうだよね、と思います。
1398
9 幻影の洞窟の探索5︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
1399
9 幻影の洞窟の探索5
レオナールが全身の汚れを拭い終えたため、この場所からはひょ
うたん型の湖を泳いで渡らない限り他の場所へは行けそうになかっ
たので、ルージュを先頭に通路を戻って他の分岐へと向かう事にし
た。
﹁ねぇ、ダオル。巨大蜘蛛やアラクネは、どのくらいの力加減でや
れば良いか学習したから大丈夫だと思うけど、他に出て来そうな敵
の特徴とか教えてくれるかしら﹂
﹁すまない。おれは基本ソロで野外の狩りや討伐は良くやるが、ダ
ンジョン探索はほとんど経験がない。
ダンジョンにどんな魔獣や魔物がいるかは、その製作者の思惑次
第だ。その製作者の意向や性格によって傾向や特徴が現れる事はあ
るが、未発見のダンジョンがどうなっているかは良くわからない﹂
﹁レオ、たぶんこのダンジョンは、オルト村ダンジョンやゴブリン
の巣、コボルトの巣に関係したやつが作った物だと思うぞ﹂
アランの言葉に、レオナールが首を傾げた。
﹁何故そう思うの?﹂
﹁今のところ勘だとしか言いようがない。あえて理由を付けるなら、
このダンジョン製作者の性格が悪くて、その意図するものが﹃タチ
が悪い﹄から、だ﹂
1400
﹁タチが悪い?﹂
怪訝な顔のレオナールに、アランは頷いた。
﹁オルト村では、罠としか思えない魔術師だけが疲弊する上に、通
常施すべき安全策を取らない転移陣を描いた。
そこで捕らえた冒険者をゴブリンの餌にした上、その装備をゴブ
リンに与え、巣にいるゴブリンを強化するための魔法陣を描いて放
置または観察した。
コボルトの巣は、罠に掛かれば死にかねないようなものをいくつ
か設置し、コボルトやゴーレムを送り込む8つの転移陣を描いた。
このダンジョン内で魔法陣が見つかったなら、おそらく間違いな
いだろう。あるとすれば、幻術や精神魔法系、あるいは能力強化付
与の魔法陣と転移陣だ。
たぶん、わざと弱い魔物や魔獣で実験してやがる﹂
﹁何のためによ。考え過ぎじゃない?﹂
レオナールは肩をすくめて言った。
﹁現時点では、憶測とか妄想の類いだ。真実とは限らない。⋮⋮同
じやつがそれら全てを実行しているとしたら、目的は実験、または
本番前の練習だ。
弱い魔物・魔獣でやるのは、不測の事態が起こって失敗したり、
制御できなくなっても最小限の被害で済む。
前回、捕らえた魔術師がいただろう? たぶん張本人は直接魔法
陣の設置や管理をせず、下っ端または捨て駒にできる実行役にやら
せている。
その方が安全だからな。もしかしたら、ロラン近郊だけでなく他
の場所でも似たような事をやらせているかもしれない﹂
1401
アランが真顔で言うと、ダオルが眉をひそめた。
﹁本番前の練習って、つまり、後日本番があると言いたいのか?﹂
﹁そうだ。研究熱心な魔術師は大勢いるし、それを実験したり実地
で使用してみたがる魔術師も少なくない。
ひと
だが、わざわざ自分が作った魔法陣を人目に触れるようなところ
に設置したり、魔物・魔獣に使わせたり、冒険者で試したりしない。
自宅や研究室、あるいは人気のないところで、安全策を取った上
で使用あるいは実験した上で、それを秘匿したり、魔術師ギルドや
その他の組織に所属している者であれば自らの功績として論文など
を書いて発表するだろう。
魔術師の多くは、自己顕示欲や自尊心や名声欲が強いか、研究バ
カ、あるいは保身その他の理由で自分の術や知識を秘匿し抱え込む。
同業の大半は潜在的な敵だ。自分の研究テーマを盗まれる事を恐
れる魔術師は多い。
実用的で金になりそうなもの、あるいは早期に他人に見つけられ
そうな発見・着想なら、その前に売るだろう。
魔法・魔術の研究には膨大な金と時間が掛かる。よほどの金持ち
でなければ、大なり小なり苦労するからな。
もっとも、魔法陣やダンジョン製作者、首謀者と思われる人物に
は一度も遭遇した事がないから、違うかもしれない。
でも、気まぐれや遊びでこんな事をやらかした、というよりは、
何か目的や理由があって実験または練習した、という方が納得が行
く。
気まぐれや遊びで容易く人を殺せる魔術師など、絶対相手にした
くないからな﹂
1402
﹁アランはそんな事考えてたの?﹂
レオナールが大仰に肩をすくめて、可哀想な人を見る目でアラン
を見てくる。アランは溜息をついた。
﹁理解できないものが一番恐いからな。俺は魔獣・魔物よりも、人
の悪意や害意の方が恐ろしい。
何が一番恐いって、人は嘘をついたり、表面上を取り繕ったり、
偽装・欺瞞する事が可能だ。
その上、多くの人は善悪どちらにも分類できない。同一人物が状
況によって、善にも悪にもなる。
だからといって全ての人を信用しないというわけにもいかないし、
それでは社会で生きる事もままならない。
絶対に信じられるものなんて、ありそうでなかなか無いもので、
それだけに稀少で貴重だ。だから俺は⋮⋮﹂
﹁ねぇ、アラン。もっとわかりやすく言ってくれる?﹂
レオナールの言葉に、アランは何かを諦めたような表情で瞑目し
た。
﹁⋮⋮お前には何か言うだけ無駄だよな﹂
﹁え、今のそういう内容だった?﹂
キョトンとするレオナールに、アランは溜息をついた。
﹁お前は戦闘と力仕事と索敵・探索だけに集中しろ。考えるのは俺
1403
の仕事だ。それで良いだろ﹂
﹁だったら最初から口にしなければ良いでしょう? アランって、
本当面倒くさいわね﹂
﹁面倒臭くて悪かったな﹂
アランはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。レオナールがやれ
やれと言いたげに肩をすくめる。
﹁アランは見えないものを目を凝らして見ようとしたり、存在しな
いものを存在していると仮定して、それに固執して無駄に足掻いて
いるように見えるわね。
別に良いじゃない。見えないものは見えない、今この場に存在し
ないものは存在しない、それじゃダメなわけ?﹂
﹁俺は臆病で慎重なんだよ。だいたい事前予測や情報収集・考察な
しに、その場で適切に臨機応変に振る舞う自信はない。何度も様々
な状況を想定して対策を練っておかないと、不安で仕方ない。
即時発動できる魔術は存在しないし、俺はお前と違って自分の素
の肉体を武器にできないからな。まさかお前に四六時中優先的に守
って貰うというわけにはいかないし﹂
﹁あら、試しに地べたに頭を擦りつけて土下座で懇願してみたら?﹂
﹁何をだよ! って言うか、なんで俺がそこまでする必要があるん
だ!!﹂
﹁必要はないけど、やってみたら面白いかもしれないでしょ?﹂
1404
﹁バカな事を言うな。面白いと思うのはお前だけだろ﹂
﹁四つん這いで三回まわってワンでも良いわよ?﹂
﹁ふざけんな、死ね﹂
アランが吐き捨てた。レオナールは、アランが時折使うその台詞
の意味を﹃うるさい、黙れ﹄の類義語のように捉えている。ある意
味間違ってはないが、アランが知ったら嘆くこと間違いなしである。
レオナールは肩をすくめ、口を閉じて索敵等の作業に戻った。
◇◇◇◇◇
﹁この糸を切ったら、また出て来るかしら?﹂
作業に飽きてきたレオナールが首を傾げて言うと、アランが唸る
ような低い声で答えた。
﹁次にやったら、お前の頭か心臓目掛けて︽炎の矢︾を撃つ﹂
﹁えーっ﹂
﹁えー、じゃない。なんでさっきのあれで懲りてないんだよ﹂
﹁なんで懲りるの? 初めてだったから、ちょっと手際は悪かった
けど、そこそこ楽しかったじゃない﹂
﹁俺は楽しくねぇよ!﹂
1405
アランは噛み付くように吠えた。
﹁糸が増えて来ているのは確かだな。近いかもしれない﹂
ダオルがポツリと言った。その言葉に、アランがギョッとした顔
になる。
﹁近いって、巨大蜘蛛やアラクネが、か?﹂
﹁ダンジョンに棲むものに該当するかはわからないが、野生の蜘蛛
系魔獣ならば今はちょうど産卵期直前で、大量に餌を必要として狩
りをする。
そのため活動が活発になるから、先月から今月あたりが毎年討伐
依頼が増える。
本来、ダンジョンから生まれる魔獣・魔物類は、ダンジョン内の
魔素を吸収して成長するが、もしこちらの巨大蜘蛛やアラクネが、
外部から運び込まれた巨大蜘蛛やアラクネなら、今が一番活動が活
発になる時期だろう﹂
﹁そうか。転移陣を利用すれば、野生の魔獣・魔物を任意の場所で
繁殖・生育できる。餌が足りなければ送る事も可能だな﹂
アランが渋面で頷いた。
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュが警告するような鳴き声を上げ、
﹁来るわよ! 巨大蜘蛛が11匹以上!﹂
1406
レオナールが補足した。全員武器を構えて敵に備える。アランは
︽俊敏たる疾風︾の詠唱を開始する。
先程も聞いた複数の蜘蛛達の這う音が徐々に近付いて来る。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが咆哮する。視界がより鮮明に、音がより明瞭になる。
アランが︽俊敏たる疾風︾を発動させたところで、奥の通路から巨
大蜘蛛達が現れる。
︵幻術か精神魔法の影響で、若干距離感が狂うみたいね︶
おそらく術の効果が発揮している時は、五感全てがその影響下に
あるのだろうが、一番顕著なのが視覚なのだろう。
巨大蜘蛛もアラクネもあまり動きの速い魔獣ではない上、身体も
比較的大きめなので、多少目測などが狂ってもレオナール達が攻撃
する分にはさほど問題にならないが、弓矢による攻撃で急所などを
狙う場合には影響が出るかもしれない。
︵相手が巨大蜘蛛なら、多少目測を誤っても加減できるし、振れば
当たるから問題ないわね︶
アランの使う︽炎の矢︾︽岩の砲弾︾︽風の刃︾はいずれも個体
を狙う攻撃魔術だが、低ランク魔獣にはかすっただけでもそこそこ
威力のある魔法であり、コボルトやゴブリン程度ならば一撃で死亡
または瀕死である。
通常の駆け出し冒険者パーティーならば、アランが攻撃役でレオ
ナールが牽制または回避盾役になるのだろうが、そんな役割分担な
ど考慮した事はない。基本的に臨機応変である。
1407
レオナールがなるべく正面を避けて素早く駆け寄り、側面から急
所目掛けて剣を振り下ろしては、次の獲物目掛けて縦横無尽に駆け
る。
ダオルが速くはないが必要最小限の力・動きで的確に急所を潰し、
ルージュが尻尾で複数の巨大蜘蛛を薙ぎ倒し、前足による打ち払い
で床や壁へ叩き付け、時折突進で吹っ飛ばす。
アランがその合間に︽炎の矢︾を詠唱し、放つ。
︵四、三、六、二ってとこかしら。じゃ、最後の1匹は貰いましょ
!︶
順にレオナール、ダオル、ルージュ、アランの討数である。顎や
足を避けて一番奥の巨大蜘蛛の心臓目掛けて剣を振り下ろす。
﹁あ﹂
うっかり力を込めすぎて、巨大蜘蛛の頭部と腹部が両断される。
慌てて避けるが、体液の一部が腕に掛かった。
わずかに顔をしかめるレオナールに、ルージュが歩み寄り大きな
舌でベロリと舐め取った。
﹁⋮⋮有り難う﹂
レオナールは微妙な顔で、ルージュに礼を言った。
﹁まだ奥にいるわね﹂
レオナールの言葉に、アランが尋ねる。
1408
﹁どのくらい?﹂
﹁少なくとも、今来た倍は確実ね。大きいのも混じってそう。ルー
ジュは、どう?﹂
﹁きゅきゅきゅ、きゅーっ! きゅっきゅーっ!!﹂
首と尻尾をブンブン振りながら訴えるが、正直何を言っているか
は不明である。
﹁レオ?﹂
アランが怪訝そうにレオナールを見る。レオナールは肩をすくめ
た。
﹁私に聞かないでよ、アラン。別に会話できてるわけじゃないんだ
から。でも、肯定はしてくれてるみたい。
他にも何か言ってるんだと思うけど、何が言いたいのかはサッパ
リね﹂
﹁きゅきゅうぅ﹂
ルージュが困ったように首を傾げた。
﹁あなたが人の言葉を話せたら楽なんだけど、仕方ないわよね。と
りあえず、警戒は解かずにこのまま行きましょう。
たぶん待ち伏せされてると思うけど、問題ないでしょ﹂
﹁そうだな。巨大蜘蛛とアラクネならば、どれだけいても問題ない
だろう﹂
1409
ダオルが頷き、アランも頷いた。
﹁そうだな。この面子なら問題なさそうだ﹂
﹁嫌な予感はしない?﹂
レオナールがニヤリと笑って尋ねると、アランが嫌そうに眉をひ
そめた。
﹁ない。残念だったな﹂
﹁ふぅん? でも、何か思うところがありそうね﹂
﹁お前が喜ぶような事はねぇよ。余計な事に気を散らしてる暇があ
るなら、周囲の索敵と警戒してくれ。
気付いた事や見つけた物があれば、教えてくれ。詠唱中以外の時
は﹂
﹁詠唱中に見つけたら?﹂
﹁後でも問題なければ後で良い。それじゃ間に合わないなら、お前
にまかせる﹂
﹁良いの?﹂
﹁仕方ないだろ。ダオルに頼れるようなら、そっちに頼るのもあり
だと思うが、俺が詠唱中なら微妙だろう。
でも無理とか無茶とか無謀な事はなるべくするな。命大事に、死
なない程度に頼む。
1410
多少の怪我なら治してやれるが、さすがに首スッパリ腹パックリ
とかされたら、ぶち切れるからな﹂
﹁えぇっ、それさすがに死んでない?﹂
﹁お前ならギリギリまで生きてそうだ。でも見たくないから、やる
なよ﹂
﹁大丈夫よ、たぶん﹂
レオナールは苦笑した。
﹁特攻だけはするなよ﹂
﹁はいはい、したら飯抜きになるのよね。覚えてるわよ﹂
しかめ面で睨むアランに、レオナールは肩をすくめる。
﹁今のところ変わったにおいとかはないから、心配しなくてもたぶ
ん大丈夫よ﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュが尻尾を大きく振るった。
﹁糸?﹂
通路の奥から糸が網のように飛んで来たが、ルージュの尻尾によ
る薙ぎ払いで、全て引きちぎられ床に叩き落とされる。
1411
﹁︽炎の壁︾の詠唱をする。レオ﹂
﹁何? 特攻はしないわよ﹂
﹁なるべく幼竜やダオルと距離を取らないようにしろ。常にどちら
かの近くにいろ﹂
﹁それ、かなり行動が制限されない?﹂
﹁常に離れ過ぎないように気を付けていれば、問題ない。練習だと
思え﹂
﹁今までそんな事言わなかったじゃない﹂
アランの言葉に、レオナールが溜息をついた。
﹁ああ。これまでは敵が弱かったし、俺とお前しかいなかったから
な﹂
﹁つまり、今回はルージュとダオルがいるから?﹂
﹁そろそろお前に﹃連携﹄を覚えて欲しいからな。いつまでも一人
で猪突猛進や特攻してないで、頭を使え。
人と協力する事を覚えろ。戦闘中も周囲に気を回して、注意しろ。
勘や本能に頼るな。
ダオルならお前に合わせてくれるし、幼竜はお前と似たような行
動しかしないから、そんなに難しくないだろ。
ランク上げたら、俺達だけで行動する事は今より減るぞ。その時
になって慌てるより、今の内に学習しておけ。
1412
自分以外の戦闘を見るのも勉強になるだろう? 良い機会だ。こ
れまではちょっとお前を自由にさせすぎたと反省している﹂
ギロリと睨むアランに、レオナールはうわぁと顔をしかめる。
﹁えぇっ、自由にさせて貰った事なんかないわよ?﹂
﹁過去の自分の言動を振り返る癖を付けろ。お前に足りないのは、
自重と反省と学習能力だ。上手い飯が食べたいなら、俺の言いたい
事がわかるよな?﹂
﹁アランってば横暴!﹂
﹁横暴じゃない! お前のために言ってるんだ、バカ!!﹂
アランは渋面で怒鳴った。
1413
9 幻影の洞窟の探索5︵後書き︶
更新遅れてすみません。
体調微妙なので、今週病院行って来ます。
たぶん重い病気ではないと思いますが、時折頭が痺れるような眩暈
に襲われ、その後全身筋肉痛っぽくなるので。
胃腸薬︵消化を良くする常備薬︶しか飲んでないため、原因不明。
微熱は毎日のように出てるので、関節や筋肉の鈍い痛みはそっちが
原因かもですが。
1414
10 幻影の洞窟の探索6︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
1415
10 幻影の洞窟の探索6
その部屋は白い糸が張り巡らされていた。その隙間から巨大蜘蛛
やアラクネの姿が見えるが、ぱっと見で総数は不明である。
後方に一人立つアランが左腕を上げるのを合図に、通路の左手に
ルージュが、右手にレオナールとダオルが寄って、中央を空ける。
﹁︽炎の壁︾﹂
︽炎の壁︾が発動され、部屋の入り口周辺に、高さ3∼4メトル
以上、幅2.5∼3メトル以上の燃えさかる炎の壁が出現する。
炎に焼かれた蜘蛛魔獣達が苦悶のきしり声を上げる。レオナール
は剣を正面で構えながら、炎の壁を焦れる気持ちのまま睨み付ける。
﹁落ち着け、レオ﹂
﹁いつ消えるの、これ﹂
﹁ついでだから覚えろ。別に初めてじゃないだろう。心の中でゆっ
くり十数えて、一呼吸おけ﹂
﹁わかったわ﹂
﹁心配しなくても、野生の魔獣・魔物と違ってダンジョンの敵は逃
げない。野生のものも自分の巣へ侵入された場合は、よほどの強敵
相手でなければそうそう逃げない。
何故かわかるか?﹂
1416
﹁知らないわ﹂
﹁ダンジョンの敵は、ダンジョン製作者または主の意志や命令によ
って行動し、それに反する行動は取らない。
野生の魔獣・魔物は、自分の巣を守るためには命を賭ける。侵入
者を撃退・死亡させ、仲間が少数でも生き延びられれば、そのまま
今の巣を存続させる事も、新たな巣へ移る事も可能だ。
巣を作れる場所は無限ではないし、それを得て維持するためには、
外敵との戦いは必須だからな。
人だって、自分が宿泊している宿や所有する家を襲撃されたら、
相手がよほどの強敵でなければ、抵抗するだろ。それと同じだ。
人には知性や理性や感情があるが、基本的に生き物だという事に
変わりはない。
人と魔物の行動基準や理念は同一ではないが、全く重なるところ
がないわけじゃない。
レオ、考えろ。敵が何をやろうとしているか、何を目的にしてい
るか、観察・分析して、想像しろ。
ただ目の前の敵に剣を振っているだけじゃ、木偶相手にしている
のと変わりない。
どんな魔獣・魔物も人に使役される魔法生物でさえも、意志や意
図無く行動しているわけじゃない。相手を良く観察してお前がどう
動くべきか、考えろ。
見ただけでは意味がない。見て、わかって、どうするべきか考え
判断しろ。戦闘時以外は俺が考えてやるけど、俺は剣は良くわから
ない﹂
﹁考えるより、見て感じた方が早いと思うけど﹂
1417
レオナールが言うと、アランが呆れたような顔になる。
﹁ゴブリンナイトの時はどうだった? あれ、幼竜のフォローなし
に倒せたか?﹂
アランの言葉に、レオナールが渋面になる。
﹁何よ、アランはわかるって言うの?﹂
﹁お前がどうしたら良いかはわからないが、何故ああなったかは見
ていればわかる。
俺もクイーン相手に体験したが、敵に攻撃を読まれて対処された
からだ。それに対抗するには、読まれても対処できない速度で攻撃
な
するか、牽制やフェイントで本命を読まれにくくしたり隙を作らせ
るか、仲間との連携でそれらを為すかだ。
お前の理想はダニエルのおっさんなんだろうが、今の俺達におっ
さんの真似は無理だ。そういうのは訓練・鍛錬だけにしろ。
実戦では無様だろうがどんな手段を使おうが、目的を達成できれ
ば良い。勝ち負けにこだわる必要もない。今の自分にできる事をす
るしかない﹂
レオナールは溜息をついて、肩をすくめた。
﹁頭を使うのは苦手なんだけど﹂
﹁苦手と言ってやらなければ、いつまで経ってもできないだろう。
俺にできる事は俺がやるけど、できない事は自分でやれ。
それともレオ、お前は俺に剣の立ち回り覚えろとでも?﹂
1418
ギロリと睨むアランに、レオナールは髪を掻き上げ、くしゃりと
握りしめた。
﹁⋮⋮わかったわ。苦手だけど、やってみる。じゃないと、強い敵
は斬らせて貰えないんでしょう?﹂
﹁その通りだ。これまであまり大型の魔獣・魔物は練習していなか
ったからな。おっさんがいる時は除外して﹂
﹁まあ、師匠がいる時といない時じゃ大違いだってのは、わかって
るわ。私じゃ師匠みたいに動けないのもわかってる。
何より、師匠がいる時のアランはわりとのんびりしているのに、
私と二人の時は時折ピリピリして苛立ってるもの﹂
﹁安心感が違うのは間違いないな﹂
アランが頷くのをレオナールは嫌そうに見て、わずかに唸り声を
上げる。
﹁見てなさい! その内アランをひれ伏せさせてやるんだから﹂
﹁その意気だ。せいぜい頑張ってくれ。そろそろ前向いた方が良い
ぞ﹂
アランが言うと、レオナールは舌打ちして前を向いた。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが咆哮した。炎の壁が消え、奥から巨大蜘蛛が飛び出し
てくる。吐かれた粘着糸はルージュが尻尾で叩き落とし、更に突進
1419
して糸を吐こうとした個体を跳ね上げた。
レオナールも一番手近な、足を上げて構える巨大蜘蛛の腹を斬り
払い蹴倒すと、逆の足で心臓付近を素早く踏み抜いた。そのまま他
の巨大蜘蛛を斬り払い、視界を確保する。
ダオルも近い場所から確実に、巨大蜘蛛達を屠っていく。ゆっく
り歩くような速度であるが、無駄がなく安定感がある。
アランはレオナールにあれを参考にして欲しいと願っているが、
レオナールの理想がダニエルである限り、それが難しいのは良くわ
かっている。
︵正直、人外を目標にされても困るんだがな︶
ダニエルは何処に目がついているのかわからないような反応や動
きと速さで、速度と膂力で瞬殺する剣士である。
何をしているのか、理解できても反応できない速さは確かに憧憬・
目標になるのだろうが、普通は目に見えたとしても身体が動かない
し、反応できない。
人は誰もがその骨格や筋力・体力の範囲内でしか行動できないし、
脳や脊髄の反応速度を超える事はできない。
︵相手が動き出すより前に反応するようなのは、化け物レベルなん
だが、あいつわかってるのかな︶
仮に速く動けるようになれたとしても、知覚レベルが人の範疇で
ある限り、ダニエルと全く同じ反応速度では動けない。
普通の人は、そこを予測や勘・運などで補うのだ。それは完璧で
はないが、経験や知識の蓄積によって精度を高めていくものだと、
アランは思う。
理想を現実にする事は難しい。そもそも体格・体質が明らかに違
1420
うレオナールが、ダニエルのような力を得るのはほぼ不可能だ。
魔法や魔術の補助によって、その差をある程度補える可能性がな
くもないが、腕や足の長さはどうしようもないし、膂力や反応速度
については差がありすぎて、魔法で補っても同じにはならない。
いずれ理想とは異なる自らの戦闘スタイルを身に付けなければな
らない。負けず嫌いで、不可能だと言われればかえってやる気にな
るレオナールが、いつそれに気付くかは不明だが。
アランは溜息をついて、詠唱を始めた。敵が多いので︽炎の旋風
︾だ。
︵俺がわかっているだけじゃ、どうしようもない︶
どうするべきか、考えてもわからない事が多すぎて、頭が痛い。
口で言って理解できないなら、身体で学習させるしかない。その時、
レオナールがどう反応するかは、わかりそうでわからないが、その
時考えるしかないだろう。
アランがレオナールの行動を事前に予測できた事は、ほとんどな
いのだから。
﹁︽炎の旋風︾﹂
発動した魔法は、部屋の三分の二の巨大蜘蛛を巻き込む事に成功
した。
﹁らぁああああっ!!﹂
低いうなり声のような咆哮を上げて、レオナールが剣を振り上げ
振り下ろし、残りの巨大蜘蛛を駆逐すると、アラクネへ飛びかかっ
た。
1421
アランが思わず顔をしかめたが、その背後からダオルが歩み寄ろ
うとしているのが見えて、安堵した。
ルージュはその反対側で尻尾による薙ぎ払いや突進で、掃討して
いる。幼竜といえどドラゴン相手に巨大蜘蛛やアラクネ達がかなう
はずがないので、そちらはどれだけ猪突猛進・特攻しようと構わな
い。
アランは︽炎の矢︾の詠唱を開始する。
一体のアラクネをレオナールが右手正面側から、ダオルが左手背
後側から剣を振るう。
入り口付近で遭遇した個体より戦闘慣れしており、右手にレイピ
ア、左手にマンゴーシュを装備しているが、腰の可動範囲が狭い事
もあって、二人の連携に対応できていない。
レオナールが左でアラクネの右肘を切り落とし、距離を取って体
液を避けつつ、スイッチして右手に握った剣でアラクネの足下を大
きく薙ぎ払う。
ダオルが仰け反るアラクネの心臓目掛けて大剣を振り下ろし、ト
ドメを刺した。
それと前後してルージュが、もう一体のアラクネの身体を前足で
跳ね上げ、噛み付いて核ごと心臓を噛み潰した。
アランは動く敵がいなくなったのを確認して、魔術を解除した。
前進し、レオナールとダオルの方へ歩み寄る。
最初の部屋と天井の高さはほぼ同じで、広さは二倍近く広い。通
路はやはり上下二層になっているようだ。
部屋に張られていた糸の大半は燃やされるか薙ぎ払われるかして、
隅の方や高い場所にいくつか残っている他はない。
念のため上層の通路は︽岩の砲弾︾で塞ぐ事にした。
1422
﹁︽岩の砲弾︾﹂
轟音と共に上層の通路の入口の天井が崩れ、塞がれる。たとえ気
休めでも思わぬところから不意討ちされる確率は下げたい。
﹁一時休憩にしよう﹂
﹁了解﹂
﹁わかったわ。ルージュ、食べて良いわよ﹂
レオナールが言うと、ルージュはアラクネの心臓付近にかぶりつ
いて、咀嚼しはじめた。
それを横目に見ながらアランは水と干した果物とナッツの入った
袋を取り出した。
﹁アラン、いつもそれ食べてるけど好きなの?﹂
﹁汗をかいたり疲れたりした時は、適度な水分と糖分が必要だから
な。果物やナッツ類は身体に良い。
お前も肉ばかりでなく、もっと野菜や果物やナッツ類を摂取した
方が良いぞ﹂
アランが言うと、レオナールはやぶ蛇だったと言わんばかりに顔
をしかめた。
﹁ちゃんと食べてるわよ﹂
﹁俺が言うからだろ? 肉と同じくらい身体を作るのに大事なんだ
から、好き嫌いせずにちゃんと食え。
1423
身体壊したり調子崩してからじゃ遅いんだからな﹂
﹁そんな事よりアラン、掘り出し物は見つかった? ほら、ラーヌ
の古書店とか色々回ったんでしょう?﹂
レオナールは慌てて話題を変えた。
﹁ああ。でも予算が合わなかったり、既に知ってるやつだったり、
あまりコストに見合わない微妙なやつだったりしたから、結局買わ
なかった。
王国東部の国境に隣接した三領地からの街道の合流地点で、有名
な宿場町の一つだって話だから、期待したんだが。
やっぱり西北の港都市や王都みたいな大都会の方が良いのかな。
ラーヌも俺達には十分都会に見えるけど﹂
﹁残念だったわね﹂
﹁そうだな。でも、先日教わった魔術があるから、しばらく問題な
いだろう。
︽鉄壁の盾︾の恩恵はお前には理解できないかもしれないが、︽
俊敏たる疾風︾はお前好みだろ?﹂
﹁どうかしら? そういうのいまいち良くわからないのよね。気休
め程度には違うかもしれないけど﹂
﹁⋮⋮おい。確かにまだ習熟していると言えるレベルには達してな
いかもしれないが、ない状態とは明らかに違うだろ?
身体が軽くてキレが良くなっていつもより速く動けるだろう?﹂
﹁アラン、おそらくレオナールは普段から全力ではなく抑えた速度
1424
で移動したり攻撃しているから、恩恵を感じ難いんじゃないか?﹂
ダオルの言葉にアランはハッとする。
﹁速ければ強いというわけではない。武器の威力はその重さに加え
て、当たる瞬間に籠められる力などにもよる。速さを意識しすぎれ
ば攻撃は軽くなってしまう。
レイピアやダガーなど速さが重視される物ならともかく、バスタ
ードソードは筋力と技術が重要な武器だ。
俺やアランは普段はあまり速く動けないから効果がはっきりと感
じられるのだろう。
レオナールにはおそらく筋力を高める魔法の方が効果を感じられ
るのではないか?﹂
﹁筋力か﹂
なるほど、と頷くアランにレオナールが言う。
﹁予告なしに掛けないでよ? 調子狂うと困るから﹂
﹁文言は覚えているし使い方も実演されたが、練習してないから試
しに掛けてみても良いか?﹂
﹁嫌って言ったら?﹂
﹁⋮⋮次回にするか﹂
レオナールは嫌そうな顔になった。
1425
﹁正直魔法ってあまり好きじゃないのよね。なんか気持ち悪くて。
なるべく使って欲しくないんだけど﹂
﹁おいレオ、俺の存在意義を何だと思ってるんだ!﹂
﹁決まってるでしょ。私の苦手な事やってくれる便利な危険探知機。
他には代えられない才能よね!﹂
﹁⋮⋮お前なんか嫌いだ﹂
アランは呻くように低く呟いた。
1426
10 幻影の洞窟の探索6︵後書き︶
更新遅くなりました。
うっかり書きかけを保存し忘れた事に気付いた時のやるせなさと来
たら︵泣︶。
今章のプロット甘かったかもと反省中。
ゲームしたい病︵現実逃避とも言う︶にかかっています。
読み返したら誤字脱字ありそうだけど探すと見つからないのが悩ま
しいです。
脳内で勝手に誤字とか補完されるのはラノベ系読むには便利なスキ
ルですが、自力で見つけるのが難しいのが悩みです。
後日読み上げソフトで探す予定ですが︵softalkか詠太︶。
以下修正。
×張り巡らせられていた
○張り巡らされていた
×キャンセル
○解除
×部屋の広さは、天井の高さはほぼ同じで他は最初の部屋の二倍近い
○最初の部屋と天井の高さはほぼ同じで、広さは二倍近く広い
1427
11 幻影の洞窟の探索7︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。微グロ注意。
1428
11 幻影の洞窟の探索7
﹁前より数が多くて、部屋も広いわ。動いているのより動かない個
体の方が多いけど、その半数は食事中で、残りは休憩または待機中
ってとこかしら。
餌は大きさから言ってゴブリンやコボルトサイズが多いけど、森
の魔獣やそれ以外も混じってそうね﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
通路の奥を睨むように見ながら、レオナールが告げ、ルージュが
同意する。
﹁⋮⋮食事中、ね﹂
アランが嫌そうに顔をしかめた。
﹁その中に人と思われるものは?﹂
﹁生きている中にはいなさそうね﹂
サラリと答えるレオナールに、アランは苦虫を噛み潰すような顔
になる。
﹁念のために聞くが、行方不明のエリクのにおいは?﹂
﹁ルージュ、どう?﹂
1429
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュが尻尾を振り上げ、奥の部屋を指し示す。
﹁奥の部屋よ﹂
﹁わかった﹂
肩をすくめて言うレオナールの言葉に、アランは頷き、ギリリと
強く歯を噛みしめた。
﹁ねぇ、アラン。別にあなたが気負ったり責任感じたりする必要な
いわよ?﹂
﹁わかっている。でも、俺が洩らさなければ防げたかもしれない﹂
﹁でも、餌になったのは一人や二人じゃないわよ。魔獣・魔物は生
きるために捕食するんだから、それに対する備えも力もなしに、そ
の巣に不用意に近付く方がバカだわ。
弱者は強者の糧になるものよ。それが嫌なら冒険者なんて因果な
商売やめて、町に引きこもれば良い。
ウル村みたいなド田舎と違って、ラーヌなら町の外に出なくても、
いくらでも金になる仕事があるんだから﹂
半ば呆れたように言うレオナールに、アランが不思議そうに眉を
ひそめた。
﹁え、何だ、レオ。もしかして、俺を慰めているつもりか?﹂
珍しい、と言いたげなアランの口調に、レオナールが仏頂面にな
1430
った。
﹁戦闘前や探索中にアランが使い物にならなくなると困るでしょ。
所構わず無駄にテンション上げたり下げたり、ムラ気があるのは勘
弁して欲しいわ﹂
﹁お前ほどじゃないだろ。でも、有り難う、レオ﹂
﹁礼を言われる事じゃないわ。便利な道具が使えるように手入れし
ただけよ。こんなところでポンコツになって呆けられたら面倒だも
の。
頭を殴って直るなら、そうするけど﹂
﹁完全装備のお前に殴られたら死ぬだろ! 俺のひ弱さをなめるな﹂
﹁それ、ちっとも自慢にならないんだけど﹂
﹁魔術師に耐久力期待する方が間違いだ。俺を殴る暇があるなら魔
獣を殴れ。幸い数だけはたくさんいるみたいだしな﹂
﹁そうね、雑魚がたくさんいるみたい。ねぇ、アラン。本当に嫌な
予感とかしないの?﹂
﹁ない。残念だったな。でも猪突猛進じゃ倒せない練習台がたくさ
んいて、勉強になるだろ?﹂
﹁どっちかって言うと、今回は手加減の練習な気がするわ。蜘蛛と
か肉食系魔獣の体液ってちょっと臭いのよね。
悪食のゴブリンやオークほどじゃないけど。巨大蜘蛛はコボルト
より軟らかいから困るわ﹂
1431
﹁人相手ならちゃんと手加減できてるだろ。なら、魔獣相手にだっ
て出来ないはずがない﹂
﹁余計な神経使うと、イライラするのよね﹂
﹁良い機会だから、忍耐力を養え。嫌な事も我慢できなきゃ、この
先やっていけないぞ﹂
﹁アランは私に何をやらせたいのよ﹂
﹁わからないか? 俺はこの先も冒険者としてやっていくために、
常々お前に対して抱いている懸念を潰しておきたいんだ。
当てにならない安心できない相棒とは、冒険者活動したくないか
らな﹂
﹁えぇっ! アランは私のこと、当てにならないとか安心できない
とか思ってるわけ!?﹂
大きく目を瞠るレオナールに、アランは呆れたような顔で大仰に
肩をすくめた。
﹁自覚なかったのか? じゃないとランク上げないとか、仕事制限
したりするわけがないだろう﹂
﹁どうしてよ! この私のどこに問題があるっていうの!?﹂
レオナールが胸を張って言うと、アランは鼻で笑った。
﹁どこもかしこも問題だらけだろう。俺の出す課題をクリアできる
1432
なら、今後の方針を考慮してやる﹂
﹁何よ、その上から目線! アランのくせに!!﹂
﹁誰が上から目線だ。おかしな事を言ってるつもりはないぞ。お前
にやる気がなくて、人の話を聞かないだけだろ。
⋮⋮わかっているだろうが、俺は体力も筋力も耐久力もなくて、
ものすごく打たれ弱い。下手するとゴブリンやコボルトに殴られた
だけでもヤバイくらいだ。
冒険者として活動する事に異存はないし、このまま漫然と現状に
甘んじるつもりもないが、お前が前衛として当てにならなくて他に
加入者もいないなら、お前を使えるようにするしかないだろう。
悔しかったら俺の期待する以上の成果を出せ。無駄な御託やいい
わけは要らない。目に見える結果が全てだ。
俺を実力や能力でひれ伏せさせてくれるんだろう? 是非そうし
てくれ。言っておくが、出来ない事をやれとは言ってないからな﹂
﹁⋮⋮上等ね。今に見てなさい。目に物見せてやるんだから! そ
の時は、土下座して頭を地面に擦り付けつつ懇願させてあげるわ﹂
﹁そうか。期待して待つから、無理しない程度に頑張れ、レオ﹂
﹁なんかムカつく!!﹂
レオナールは噛み付きそうな勢いで怒鳴ると、グッと拳を握りし
めた。
﹁戦闘前に無駄に熱くなるなよ、レオ。その労力と熱意は敵にぶつ
けてくれ﹂
1433
肩をすくめて言うアランを、レオナールはギロリと睨んだ。
﹁そうね。アランを殴ると死ぬまではいかなくても、邪魔な荷物に
なるもの。無駄な事はしないわ。でも、覚えてなさいよ!﹂
﹁俺はお前と違って早々忘れないから、安心しろ。これなら問題な
いと判断すれば、今後受ける依頼内容やペースに反映させる。
俺が不安を払拭できるかどうかは、お前次第だ﹂
﹁ふふっ、やってやろうじゃない﹂
ギラギラした目つきで唇だけに笑みを浮かべるレオナールに、ア
ランは溜息をついた。
﹁レオ﹂
焚き付けたのは自分だが、明らかに目の色が違うレオナールにア
ランは肩をすくめ、革の水袋を突き出した。
﹁何?﹂
﹁水を一口飲んで深呼吸しろ﹂
レオナールは困惑した顔をしつつも、アランの言葉に従った。水
袋を返して深呼吸する相方をじっと観察し、アランはその肩を軽く
叩く。
﹁お前はやれば出来るやつだと信じている。だから無駄に気負うな。
できない事をやれとは言ってない﹂
1434
真顔のアランをしばし見つめて、レオナールは肩をすくめた。
﹁別に気負ってなんかないわよ、失礼ね﹂
﹁それなら良い。数が多いなら、射程距離に入ったらさっきと同じ
ように︽炎の壁︾を詠唱する。後は同じように頼む。
ただ、情報を持って帰らないといけないからエリクらしき遺体が
あれば、なるべく損傷させないよう気を付けろ。俺も注意する。
ダオルもよろしく頼む﹂
﹁わかったわ﹂
﹁了解した﹂
そして更に奥へ進んだ。入り口が見えてきた辺りでアランが立ち
止まり、声を掛けてから︽炎の壁︾の詠唱を開始する。
﹁火の精霊アルバレアと、地精霊グレオシスの祝福を受けし炎の壁
よ、燃え上がり、消し炭にせよ。⋮⋮︽炎の壁︾﹂
範囲内に人の大きさのものがないか確認してから、発動した。レ
オナールがドクドクと鳴る自らの鼓動の速さで数えて十八を超えた
辺りで、︽炎の壁︾が晴れる。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが咆哮し、突進する。レオナールもそれに追って、大部
屋へと飛び込んだ。ざっと見て半径百メトル以上、円形ドーム型で
ある。
その床から天井まで複数の白い糸が四方に張り巡らされ、そこか
1435
しこに白い糸で覆われた何かが引っ掛かっている。
床には幾つも、かつて生き物だったものの残骸が放置されており、
その中には冒険者のものと思われる鎧や背嚢、ダガーや剣、弓など
が無造作に転がされていた。
それらを目で確認し、アランはこの部屋で︽炎の壁︾の使用は控
える事にした。迂闊に使って被害者の亡骸や遺品まで燃やすのは問
題だ。
︽俊敏たる疾風︾はレオナールにはあまり好評でなかったような
ので、︽鈍足︾の詠唱を選択する。
巨大蜘蛛やアラクネの動きは遅く、吐かれた粘着糸はルージュが
叩き落としてくれ、遠距離攻撃はないので、一度に多数に囲まれた
り、背後から不意打ちを食らったりしない限りは、少しずつ倒せば
問題ない。
ダオルは手近なところから着実に、ルージュが突進と尻尾による
薙ぎ払いで空けた所へレオナールが飛び込んで、襲いかかる巨大蜘
蛛達を次々と屠って行く。
﹁糸が邪魔!﹂
レオナールがイライラと剣を薙ぐよう糸を断ち切り、乱暴に振っ
た。剣や腕が引っ掛かると、横糸に付着している粘着物質により若
干動きが鈍くなり、振り払うため次の動作や動きに僅かな遅れが出
る。
蜘蛛達はそんな糸の上を滑るように渡って、四方から襲いかかっ
て来るので、わずらわしい。
﹁︽鈍足︾﹂
1436
大部屋の巨大蜘蛛、四十前後の内、効果があったのは全体の三分
の二弱ほど。アランは舌打ちしつつ、︽炎の矢︾をエルフ語で唱え
る。
﹁レオナール、倒した蜘蛛の死骸を使え! その方が剣で払うより
楽だ!﹂
ダオルが巨大蜘蛛の心臓を的確に潰し、大剣でその死骸を大きく
薙ぎ払いながら、助言した。ダオルが薙ぎ払った死骸は、途中他の
巨大蜘蛛をかすめたりしつつも、網の目のように張り巡らされた糸
を薙ぎ、大きく弧を描いて飛んだ。
その軌道上にあった糸は断ち切られ、ヒラヒラと揺れている。
﹁なるほど﹂
レオナールは頷き剣を左手で構え、足下に落ちた巨大蜘蛛の死骸
の毛むくじゃらの足を右手で掴み、周囲の糸を薙ぎ払うべくグルン
と回転させると、遠心力を利用して投げ飛ばした。
﹁う∼ん、なんか違うわね。こうもっと手っ取り早く効率的に何と
かならないかしら﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
レオナールがぼやくと、ルージュがわかったと言わんばかりに突
進しながら尻尾を振り回し、周囲の糸を薙ぎ払った。
﹁ありがと、ルージュ! 糸はルージュに任せたわ!﹂
レオナールはそう叫び、空いた場所で剣を振るう。アランの発動
1437
した︽炎の矢︾が、糸の密集している地点を射貫いて、一体の巨大
蜘蛛の腹に命中した。
傷を負った巨大蜘蛛は苦悶のきしり声を上げて仰け反った。
﹁うるさいのよ、黙りなさい!﹂
暴れる巨大蜘蛛に、舌打ちしながらレオナールがトドメを刺した。
﹁悪い!﹂
アランが声を掛けると、レオナールは肩をすくめ、次の獲物を見
定め、剣を振るった。
﹁そんな事より、この糸全部燃やせないの!﹂
﹁証拠の遺品や遺体まで燃やすわけにいかないだろ! 少しずつで
我慢しろ!!﹂
﹁⋮⋮仕方ないわね﹂
レオナールは邪魔な糸を睨みつけつつ、倒した蜘蛛を時折投げた
り、蹴り飛ばしたりしつつ、徐々に自由に動ける空間を作る。
幼竜であるルージュの体長は5メトル半弱、その内尻尾の長さは
2メトル半から3メトルくらい。尻尾だけならその射程は2メトル
にも満たないが、大抵は後ろ足で回転しながら振り回すので、およ
そ4∼5メトル前後といったところだろうか。
ルージュの一歩分がゆっくり歩いた場合で0.5∼6メトル程な
ので、大きく回転すればそれ以上になるが。
﹁ぐあぉうっ! きゅきゅーっ!!﹂
1438
レオナールの苛立ちを感じ取ったのか、ルージュが不意に前足と
尻尾を振り回しながら突進した。ドタドタと大きく足を踏みならし
地面を震動させながら、部屋の中央まで走ると、その場で回転しな
がら尻尾で周囲を大きく薙ぎ払った。
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが咆哮し、更に突進を繰り返して縦横無尽に駆け巡る。
その度に糸がちぎり飛ばされ、巨大蜘蛛やアラクネ達が宙を舞い、
時折えぐられた岩の欠片が跳ね上げられる。
あれは当たったら痛いなんてものじゃ済まないなと、アランは冷
や汗を掻きつつ、邪魔にならない地点・射線に︽炎の矢︾を放つ。
あの欠片がアランをかすめれば、最悪一撃で重傷である。
さすがにレオナールもルージュから距離を取る事にした。
跳ね飛ばされた岩の欠片も糸を断ち切るのに貢献しているが、鋭
利に尖っている上に回転しながら様々な角度・軌道で舞うそれに、
知性ある者なら好んで近付きたがらないだろう。ルージュがこじ開
けた糸のない空間は、幼竜の独壇場となった。
見ようによってはユーモラスにも見える奇妙なステップを踏んで、
前足や尻尾を振るって不器用に踊っているように見えるが、その何
処かがかすめただけで即死または致命傷である。
アランはひたすらそちらを無視して呪文を唱え、ダオルは手近の
敵を確実に的確に作業のように屠って行く。
レオナールは諦めて自分が動く空間は、自分で確保する事にした
ようである。同年代と比べれば特に非力というわけではないのだが、
膂力自慢とも言い難いレオナールに、ルージュと同じ事ができるか
1439
といえば微妙である。
何も障害物がない場所であれば、ルージュより早く走り移動・回
避・攻撃できるのだが、糸が邪魔をしている。
﹁蜘蛛は別に嫌いじゃないけど、この糸、本当邪魔だわ!﹂
レオナールは、ちょっぴり蜘蛛系魔獣が嫌いになりそうだと思い
つつ、剣を振るう。
アランは移動せずに攻撃できるため、それほど苦労はしていない
が、レオナールやダオルの動きを見る限りでは、確かに面倒だろう
と内心溜息をついた。
そして、燃やしても問題なさそうな場所だけ、︽炎の旋風︾で焼
き払う事にした。
︽風の刃︾の範囲攻撃版である︽風の旋風︾を使えば良いのかも
しれないが、詠唱は暗記しているとは言え、まだ使い慣れていない
ため実戦では不安があった。
出来ればもう少し習熟してからにしたい。詠唱したは良いが、イ
メージが練られておらず魔力だけ消費して不発という事になるのは
地味に困る。
﹁レオ、ダオル! ︽炎の旋風︾を使うぞ。なるべく邪魔にならな
い地点で発動させたいが、地点発動型じゃないから不測の事態が起
きたらすまん!﹂
アランが予告すると、レオナールが怒鳴り返した。
﹁わかったわ、できればあの辺りに使ってくれないかしら!﹂
レオナールの指し示す場所を確認し、アランは頷いた。見る限り
1440
では燃やして困るものはなさそうだ。
﹁了解!﹂
﹁了解した!﹂
アラン、ダオルが返答した。そしてアランは︽炎の旋風︾の詠唱
を開始した。
レオナールは、指示した地点以外から距離を取りつつ、敵を屠り、
邪魔な糸を排除する。
ルージュもレオナールも暗視が使えるので、暗い場所でも敵を視
認できるし、糸のある場所も確認できるので、アランから離れても
視覚に問題ない。聴覚・嗅覚も人間よりは優れている。
﹁蜘蛛の糸って水はどうだったかしら﹂
﹁蜘蛛事態は水に強いとは言い難いが、蜘蛛の糸は雨水に濡れても
強度に問題ない。
水分を含むとかえって切断しにくくなる場合があるから、やめて
おいた方が良いな。
あと松明やランタンくらいの火では、魔法の火ほど燃えないよう
だ﹂
﹁なんて迷惑で面倒なのかしら、蜘蛛の糸!﹂
﹁これで防具や鎧下に使えれば良いのだろうが、アラクネの糸で作
ると、下手すると同じ表面積のミスリル合金鎧より高くつく上、製
作に時間がかかる﹂
﹁鎖帷子やクロスアーマーの方が費用対効果が高いってわけね! 1441
有能な魔獣使いでもアラクネの飼育は面倒そうだし﹂
﹁餌やスペースの関係上難しいだろう。しかし、このダンジョンは
ある意味巨大蜘蛛とアラクネの飼育場だな﹂
﹁飼育場にしてはムダが多いし、経費が掛かりそうね! コボルト
とゴブリンなら、他に飼育・育成してそうだから、いくらでも餌に
出来そうだけど﹂
アランはレオナールとダオルの位置を確認し、狙った地点に近い
巨大蜘蛛を目標にして︽炎の旋風︾を発動する。
6体ほどの巨大蜘蛛と周辺の巣や糸が炎の渦に巻き込まれ、燃え
上がる。蜘蛛達はそれで即死またはほぼ即死し、魔法の効果が切れ
るまでに周辺の糸が焼き払われた。
いつもより若干長めに燃やしたのだが、アランのイメージ通りに
いったようだ。
アランの視力・視界では大部屋の全てを見渡す事はできない。追
加の︽灯火︾を唱えて、灯りを増やす事にした。
素早く詠唱し発動させ視界を確保すると、次の︽炎の旋風︾を詠
唱する。
結局、大部屋の全ての魔獣を倒すのに、半時ほどかかった。
1442
11 幻影の洞窟の探索7︵後書き︶
ものすごい更新時間かかりました。すみません。
グロとまではいかないけれど、人の遺体を臭わせる表現があるので、
苦手な人のため一応警告。本当に苦手なら序盤で回れ右してそうで
すが。
なんか中途半端かとも思いつつ、だらだら書いてもほぼ作業な戦闘
描写面白くないしね、という事でこんな感じに。なんか中途半端な
カット&描写ですが。
コストパフォーマンスを漢字にすると費用対効果かなと思いますが、
なんかイマイチ感が拭えないのが悩ましいです。
あと2話くらいで蜘蛛ダンジョン終わらせたいですが、例によって
予定は未定。というか予告しても予告詐欺になりそうです︵指が勝
手に動くので↑病気︶。
以下を修正。
×懸念や不安
○懸念
×仕事制限したりしないわけがないだろう
○仕事制限したりするわけがないだろう
×0.4∼5メトル程
○0.5∼6メトル程
︵歩幅が短すぎたので修正︶
1443
12 ミスリルゴーレム
﹁この中から探すのは一苦労ね﹂
レオナールが肩をすくめて言った。
﹁⋮⋮エリクとやらに関しては幼竜に識別させられるだろう。問題
は被害者が何名かだな。
装備が剥ぎ取られていたら判別できないから、人数くらいしか確
認できないだろう﹂
﹁じゃあ、まずエリク?とやらを探しましょう。ルージュ、教えて
!﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
レオナールの声にルージュが頷き、ドタドタ音を立てて一直線に
走り出す。レオナールがそれを追走する。
アランは周囲を見回し、まずは歩いて部屋の大きさを把握する事
にした。
﹁亡骸を回収したいが無理そうだな﹂
ダオルが言った。その目線の先には蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにさ
れたミイラが転がっている。着ている服は薄汚れてはいるが、比較
的状態は良さそうに見える。
しかし、亡骸はほぼ骨と皮なので下手に触れると損壊させてしま
いそうだ。地底湖があるせいか、洞窟内の空気はひんやり冷えてお
1444
り、外よりも湿度が若干高い。下手に動かすより、この場に残した
方が長く状態を保てるかもしれない。
アランは部屋全体の大きさを確認するため、周囲を調べながら部
屋の隅まで歩いて見ることにした。
視界で確認できる限りで人と思われるミイラが数体ある。部屋全
体でどのくらいあるのか考えると、頭が痛くなる。
床も壁も天井も砂岩である。床だけクリーム色と赤褐色で、壁と
天井は濃灰色である。しかし注意して見れば、床の赤褐色は砂の色
ではない。
﹁血だ⋮⋮﹂
赤褐色は滴った血の跡であり、マーブルだと思ったそれは、獲物
となったものたちが引きずられたりしたりした痕跡だ。
蜘蛛系魔獣は生き餌を好む。そこまで考えた辺りで気分が悪くな
り、アランはグラリとふらついた。
﹁大丈夫か?﹂
ダオルが上体を傾げさせたアランの背を支えた。
﹁⋮⋮ああ、すまない。大丈夫だ。有り難う﹂
アランは礼を言った。幻術の恐さは知っていたつもりだが、空恐
ろしく感じた。
自分の感覚・思考を信じられないというのは恐ろし過ぎる。認識
阻害への対策を立てておかなければ、と蒼白になりながらアランは
考えた。
1445
これが高位魔術師や高ランク魔獣・魔物、あるいは魔族などによ
る術であれば、被害は甚大だ。
レオナールならば、そんなものは関係なく斬れば良いとか、発動
させなければ良いと言うだろうが、アランはそう楽観できない。
﹁遺品になりそうなものを回収して帰ろう。なければないで仕方な
いだろう。今日中に三人で全て事細かく調査するのは無理だ﹂
ダオルの言葉にアランは頷いた。遺骸から被害者の年齢を推測す
るのは難しいが、可能な限りそのおおよその身長や服装くらいはメ
モしておく事にした。
ダオルが心配そうな目でアランを見ているが、アランは平静を保
とうと表情を取り繕い、冷静に見えるよう振る舞う事を心掛けた。
﹁アラン、こっちよ!﹂
レオナールの声に、アランとダオルはそちらへ向かった。それは
部屋のほぼ中央部。そこに糸にくるまれた軽装備の冒険者らしき遺
骸があった。
体格はレオナールと同じくらいに見える。肉や臓器を失ったミイ
ラ状態なため、実際はそれより大きかったはずだ。装備等は剥ぎ取
られ、簡素な衣服だけを身にまとっている。
﹁遺品になりそうな物がないな。見つけられそうか?﹂
アランが心持ち青白い顔で眉間に皺を寄せた。レオナールは首を
傾げ、ルージュに尋ねる。
﹁ルージュ、この人が使ってた装備とか見つけられるかしら。たぶ
ん革鎧とか弓や短剣だと思うけど﹂
1446
﹁きゅう?﹂
問われてルージュは首を傾げた。レオナールはそんなルージュを
しばし見つめ、それ以上反応がないのを確認すると、肩をすくめた。
﹁ダメっぽいわね。仕方ないから遺体をガイアリザードに載せて帰
りましょう﹂
﹁人の遺体を入れられそうな袋は手持ちにないな。あまり気が進ま
ないが夜営用の毛布にでもくるむか。他に適当な運搬方法があれば
良いんだが﹂
﹁折り畳んだら麻袋に入りそうだけど﹂
﹁バカな事を言うな、レオ。この状態でそんな事したら損傷するだ
ろ!﹂
レオナールの発言にアランが睨み付ける。
﹁馬車まで運べばその後はなんとかなるだろう。いつもより遅い速
度で移動するぞ﹂
アランはそう告げて、背嚢から毛布を取り出した。
﹁アラン、待ってくれ﹂
ダオルがそう告げて、自分の背嚢から麻布を取り出した。かなり
大きな物であり、エリクの遺骸をくるむ事ができそうな代物である。
1447
﹁それは?﹂
﹁大きな獲物をくるむのに使っている。一応その都度洗ってはいる
が、繰り返し手洗いしているから、魔法による洗浄に比べるとあま
り綺麗とか言い難い。だが、この場合は問題ないだろう﹂
︽浄化︾に比べたら、どんな洗濯上手も負けるだろう。見た限り
では問題なさそうに見える。
正直使用頻度が少ないとは言え、私物の夜営用毛布を使うのはで
きれば避けたいため、アランは頷いた。
﹁俺達にはまだ必要ないが、その内購入した方が良いかもな。革袋
より麻布の方が嵩張らないだろうし﹂
あまり質の良い布には見えないが、魔獣や遺体などを包むには問
題ない。アランとダオルが協力して遺体を布に包むのをレオナール
は上から見つめた。
ルージュが餌をねだって鼻を擦り付けるのを、そっと撫でて宥め
た。気持ち良さげに目を細めるルージュに、﹁後でね﹂と言い聞か
せる。
﹁⋮⋮!﹂
遺体をのけた後の床に6行の古代魔法文字が刻まれていた。
﹁レオ! お前、エルフ語の読み書きは出来たか!?﹂
﹁え? 前にも言ったけど、あまり得意じゃないわよ。良く使う言
葉や簡単な修辞くらいしかわからないわ﹂
1448
﹁それで十分だ。俺は資料にあった文字は可能な限り記憶したが、
直訳しかできない。⋮⋮おい、この箇所とこの箇所の意味は?﹂
﹁ええと、﹃贈り物﹄?と⋮⋮自信ないけど﹃頑張る﹄か﹃努力す
る﹄とかそっち系?﹂
﹁﹃頑張る﹄と﹃努力する﹄は微妙に意味が違うと思うんだが、な
んとなくわかった。
⋮⋮﹃日は天にあり。平原の民および森の民の流れをくみし汝ら
よ、我は歓迎し、我が成果の一つを汝らに贈呈す。汝らに喜びあら
ん事を。汝らの健闘、あるいは努力を祈る﹄⋮⋮おい、何か来るぞ
!﹂
アランはゾワリと悪寒に襲われ、慌てて警告する。
﹁やったあ! 強敵ね!?﹂
レオナールが嬉しそうに舌なめずりして抜刀する。それを苦々し
い顔をしながら、アランが頷く。
﹁何が来るかはわからないが奥からだ。たぶん転移陣がある。この
刻まれた文章に魔術や魔力はない。
おそらく何らかの形で監視されていたか、ここにいた魔獣が倒さ
れると発動する何かがあったのかもしれない﹂
﹁そんな事はどうでも良いわ。問題は斬れるかどうかよ! ミスリ
ルゴーレムは斬りにくいから、違うのが来ると良いわね。
アラン、やっぱりその特技、下手な感知系スキルや魔術より便利
よ。最高ね!﹂
1449
﹁⋮⋮俺は最悪な気分だよ﹂
興奮して嬉しそうなレオナールに対して、アランは心底嫌そうに
仏頂面で低く答えた。
﹁すまない、アラン、レオナール。俺はまだ何も感知できないんだ
が、何なんだ?﹂
ダオルが怪訝そうに尋ねる。
﹁アランの特技よ。強敵やトラブルの気配が﹃嫌な予感﹄とやらで
わかるみたい。まぁ、アランにとって嫌な事で、アランが被害?を
こうむるものしかわからないみたいだけど。
だから直前まで何が起こるかはわからないわね﹂
﹁俺にとっての不幸や良くない事の大半は、レオナールが喜ぶ事だ
からな。魔術師限定罠とか特殊なもの以外は。
だから魔獣や魔法生物か人か何かわからない。ただ近付いてきて
いるから、罠とか動かない何かではないのは確かだ﹂
﹁そんなスキルや魔法は聞いた事がない。それは凄い特技だ。冒険
者なら誰でも欲しがるだろう﹂
﹁でしょう!? なのにアランは嫌がるのよね。すごく便利なのに﹂
﹁ああ、お前がそれを避ける努力をしてくれるならな﹂
ゲッソリした顔で苦々しく言うアランに、ダオルは何かを察した
ようだ。なるほどと頷く。
1450
﹁では戦闘があると?﹂
﹁そこまではっきりわかるわけじゃない。ただ、残されていた文言
から言ってろくなものじゃないだろう。これは俺達に向けたメッセ
ージだ。
⋮⋮おい、レオ。これは俺達がここに来ると事前にわかって準備
されたものだぞ﹂
﹁つまり﹃挑戦状﹄または﹃宣戦布告﹄ってやつね!﹂
﹁喜ぶな! つまりこれは罠だ!! 俺達にダンジョンの情報を流
したやつは、このダンジョン製作者か首謀者かその手先だ。だから
⋮⋮﹂
﹁長々とした御託や解説は結構よ! どんな敵が相手でも斬れば良
いわ﹂
そう言ってレオナールは武器を構えて奥の通路を注視する。
﹁あ、そういえば﹃日は天にあり﹄はエルフ語で﹃平常通り﹄だか
ら同族同士の日常の挨拶に使われるわ。手紙でも会話でもね。
だから人の共通語で言うと﹃こんにちは﹄的な意味かしら﹂
﹁レオ、参考までに聞くがその逆の意味は何だ?﹂
﹁逆?﹂
﹁平常じゃなく不穏とか災厄、あるいは相手を呪うような意味の言
い回しだ﹂
1451
﹁さあ? 私に尋ねるより他にエルフ語に詳しい人に聞いた方が良
いんじゃないかしら。
﹃日は地に落ちる﹄だったかもしれないけど良く覚えてないわ。
言ったでしょう。座学は苦手だって﹂
﹁お前、シーラさんからエルフ語を教わってるはずだろう?﹂
﹁そんな事言われても物心ついた時は首輪付けられて話せなかった
から、時折聞かされただけよ。言われた事の半分も理解できたか怪
しいもの。
アランの方が丁寧に教わってると思うけど?﹂
﹁大量の書物や資料を読んで丸暗記しただけなんだが。あれを丁寧
と言われても﹂
﹁会話はできたでしょう?﹂
アランは、あれを会話できたと言えるものかと反論したかったが、
レオナールがどんな状況だったかを思い返せば口にしがたい。
アランがシーラと直接顔を合わせられたのは日に長くて数刻、そ
れも数日に一度、あるいは月に数回だ。シーラの周囲の監視をくぐ
ってなので、仕方がない。
子爵家の使用人ですらレオナールの存在や名を知る者は少数で、
シーラはアランしかいない時ですら彼の性別が判明するまで﹃レオ
ノーラ﹄と呼んでいた。
アランがそれでは長いと﹃レオ﹄と呼んでいたのは偶然である。
もし当時から女の子としての愛称で呼んでいたなら、間違えないよ
う苦労する羽目になったかもしれない。
奥から何か重い足音が聞こえてきた。
1452
﹁レオ、残念ながらあれはゴーレムだと思うぞ﹂
﹁せめてトロールだと嬉しいんだけど﹂
﹁やめろ! 恐ろしい事を言うな!!﹂
﹁アランはオーガとトロールどっちが嫌?﹂
﹁どちらも嫌に決まってるだろ! 強いて言えばトロールの方が動
きが鈍くて的が大きいから少しはマシだろうが、どちらの攻撃もか
すったら間違いなく死ぬ﹂
﹁戦ってより楽しそうなのはオーガよね。師匠の戦闘を見る限り﹂
﹁お前の﹃楽しい﹄は﹃難易度が高い﹄の間違いだろう!﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
ルージュが警告するように高く鳴く。
﹁来るわ! たぶんミスリルゴーレム、でもいつものやつよりちょ
っと大きいかも。アラン、詠唱よろしく!
ダオル、ミスリルゴーレムと戦った事ある?﹂
﹁ダンジョン探索経験はあまりない。しかもゴーレムはその製作者
あるいは術の構成、行使者の技量により能力に多大な差がある﹂
﹁いつものやつと同じなら、魔法が効くはずだけど﹂
1453
﹁﹃成果﹄というんだから、これまでと同じだとは思わない方が良
い。一応︽炎の壁︾を詠唱するが期待するな﹂
﹁他の魔法は使えないの?﹂
﹁これより攻撃力の高い魔法は今のところ使えない。シーラさんの
風魔法になくはないが、使いこなせる自信がないんだ。
次回までに練習して実戦で使えるよう習得しておく﹂
﹁わかったわ!﹂
レオナールとアランの会話に、ダオルが何か言いたげな顔になっ
たが口にはせず、大剣を構えて襲撃に備える事にした。
アランが︽炎の壁︾の詠唱を開始し、レオナールとルージュ、ダ
オルが前進する。音が大きくなり、通路の奥からミスリルゴーレム
が現れた。
﹁大きい﹂
ダオルの言葉にレオナールがニヤリと笑った。
﹁トロールより大きいけど、ドラゴンの成獣よりは小さいわよ﹂
﹁比較対象がおかしい﹂
それはルージュの体高の約倍、5∼6メトルの高さの巨大な剣を
持った巨人であった。
1454
12 ミスリルゴーレム︵後書き︶
次回戦闘です。更新遅くなりました。
今回初めてipadで書いてみましたが途中で挫折↓携帯で書きま
した。ipadで小説を書く場合、キーボードないとツライです︵
指でもタッチペンでもちょいキビシイ︶。
VITAは試してないけどipadよりキビシそうです。
1455
13 迂闊︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
1456
13 迂闊
以前倒したミスリルゴーレムは身長3∼4メトルだった。今回は
その倍近い。見た目はその大きさを除けば、あまり変わらないよう
に見えるが、実際戦ってみなければわからない。
無骨な大剣の刀身は2メトルほどだろうか。切れ味はあまり良く
なさそうだが、いかにも重そうな剣だ。
﹁︽炎の壁︾﹂
アランが︽炎の壁︾の詠唱を終え発動する。常ならば対象の全て
を覆い燃やし尽くす魔法の炎は、その首下辺りまでしか届かない。
直感的に足りないと気付いたアランは即座に︽炎の壁︾の詠唱を
開始する。ミスリルゴーレムが大きく腕を振るうと、炎が掻き消さ
れた。
﹁!?﹂
﹁あら﹂
アランが驚愕して思わず詠唱を中断し、レオナールが軽く目をみ
はり、ダオルが渋面になる。
大剣を抜こうとするミスリルゴーレムにダオルが向かって右から、
レオナールが左から駆け寄り、剣を振るった。レオナールは剣を弾
かれ、後ろに飛び退きながら眉をひそめた。
﹁あ∼、本当硬くて嫌い! やっぱりミスリル合金の剣作ろうかし
ら。アラン、何か使えそうな魔法ないの!?﹂
1457
レオナールは攻撃を諦め、牽制に努める事にした。幸いあまり動
きは速くないが、自分の身長以上の大きさの剣を使われるのは厄介
そうだ。
何より腕の長さが倍以上あるため、攻撃範囲が広すぎる。膂力も
あるようなので、かすっただけでもまずい。
﹁無くもないが、ぶっつけ本番になる!﹂
アランの答えに、レオナールはニンマリ笑う。
﹁使えるなら何でも使って! ルージュ、手伝って!!﹂
﹁ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
ルージュが低く咆哮し、突進する。
﹁っ、︽認識阻害︾と︽知覚減衰︾か!﹂
アランが舌打ちした。ルージュの咆哮により解除されているが、
術者が唱えたものなのか魔法陣によるものなのか、判断がつかない。
つくづく厄介だと思いつつ、一度も実戦で使った事のない魔法、
シ・エル
ノ・イェラ・エル
ディ・ロア
アグナ・シス
アランの師匠シーラが得意とする風系攻撃魔法の一つを詠唱する。
ル
ヴァラク
デルファ・イェルレ・ディ・イルエ・ラ
オイエ・シザス
アヌ・レダル・ラ
﹁風の精霊ラルバと雷の精霊イルガの祝福を受けし、全てを切り裂
き破壊する疾風迅雷の刃よ、敵を斬り刻み命を絶て! ︽疾風迅雷
の剣︾﹂
アランの知る魔術の中で、最高の威力を誇る単体攻撃魔法である。
もっとも実際にその発動を見た事はなく、知識があり詠唱・文言を
知っているというだけの代物なので、不確実なものを嫌うアランと
1458
しては、いきなり実戦で使いたくはなかったのだが。
魔力が消費され、術が発動する。ものすごい虚脱感にガクリと膝
を地に付けそうになるが、かろうじてこらえて、揺らぐ視界の中で
放った魔術の結果を確認する。
ルージュの突進により上体を崩し掛けつつも足を踏み出してこら
えたミスリルゴーレムに向かって、アランには視認できない雷のご
とき速さで複数の風の刃が空を走り、轟音と共に連続して切り刻む。
﹁わぁ、8連続とか、本気出した師匠並の速さの連撃ね! ちょっ
と音がうるさいけど﹂
レオナールが歓声を上げ、肩をすくめて距離を取った。ダオルも
慌てて飛び退き、ルージュは少し離れた場所で機嫌良さげに尻尾を
左右に振りつつ見守った。
︽疾風迅雷の剣︾によって斬られたミスリルゴーレムの頭部、四
肢、六分割された胴体が大きな音を立てて落下する。
﹁イメージ補強に、ダニエルのおっさんの剣を想定したからな﹂
アランは答えた。それしか思いつかなかった、という事もある。
本当はもう少し文献を熟読して、イメージを固めてから使いたかっ
たのだが仕方ない。
目に見えない理解できない剣の動きは、魔法のようにも見える。
ミスリルゴーレムが動かないのを確認すると、アランは安心して両
膝両手を地につけ、脱力した。
﹁大丈夫?﹂
﹁あまり大丈夫じゃないが、少し休めば問題ない。⋮⋮できればも
う魔法は使いたくないが﹂
1459
レオナールが首を傾げて尋ねると、アランが気怠げな声で答えた。
﹁ミスリルゴーレム以外なら問題ないわ。安心して任せなさい﹂
レオナールが満面の笑みで言うと、アランが嫌そうに顔をしかめ
た。
﹁しばらく動きたくないが、奥に転移陣がないか確認しないとまず
いな。見つけたら次の敵が送られる前に壊さないと、危険だ﹂
﹁転移陣、か。おれ達でも破壊可能か?﹂
ダオルが尋ね、アランが頷く。
﹁ナイフで魔法陣の触媒の一部を削れば良い。できれば陣を確認し
たいから、俺も行く。待てないようなら、外円や内円の一部を削っ
ても使用できなくなるから、そうしてくれれば助かる﹂
﹁この中で一番早いのは私ね。じゃあ、行って来るわ﹂
レオナールがそう言うと、抜き身の剣をそのままに奥へ向かって
駆け出した。
﹁きゅきゅーっ!﹂
その後を追うように、ルージュが駆け出す。
﹁バカ、レオ! 一人で突っ走るな!!﹂
1460
慌ててアランが叫び制止しようとするが、あっという間に一人と
一匹は闇の奥へと姿を消した。
﹁背負うか?﹂
気の毒そうに言うダオルの言葉に、アランは不承不承ながら頷い
た。
◇◇◇◇◇
﹁変ねぇ。アランの魔法で一撃だったから、もっと強いのがいると
思ったんだけど﹂
﹁きゅう?﹂
首を傾げて呟くレオナールに、ルージュが不思議そうに首を傾げ
た。
﹁それともあのミスリルゴーレム、あれで結構強かったのかしら。
でも魔法の事はよくわからないからサッパリね﹂
アランが聞いたら﹁︽疾風迅雷の剣︾は上級魔法だ!﹂と抗議し
ただろう。中級下位の︽炎の壁︾とは比べものにならない術と威力
であり、多くの魔力と集中・構成力・精度が必要なのだが、レオナ
ールには興味がないため、説明されても理解できない。
︵やっぱり斬れないのは問題だから、新しい剣が必要ね!︶
1461
結局のところ、詠唱を待つより斬った方が早いと考えている。あ
る意味間違いではないが、アランが嘆くだろう。
適材適所などという考えが、レオナールにあるはずがない。一朝
一夕に筋力がつかないなら、ミスリルゴーレムが斬れる付与魔術を
掛けた剣を買えば良いと思っている。
幸いそれだけの金も素材もある。前回の分では希望通りの大きさ
の剣を作るには少し足りないが、今回の分を足せば十分だ。鎧は無
理だが、籠手も作れるだろう。
﹁こんなにおいしいなら、次はアダマンタイトやオリハルコンとか
も良いわね。斬れないのは困るけど。
ねぇ、ルージュ。しばらく作業するから、周囲を見張っててくれ
る? 敵が来たら教えてね﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
大きく頷くルージュに、レオナールは頷き返し、その場に屈み込
んだ。そして、右手の剣を傍らに置くと、床に描かれた四つの魔法
陣の外円部の触媒を愛用のダガーで削っていく。
魔法陣の意味など理解はできないが、魔法陣を使えなくするやり
方は、アランのそれを見て学習している。円が少しでも切れていれ
ば発動しなくなるので、レオナールにも問題なくやれる作業である。
問題はレオナールが見ても、どれが転移陣かわからないこと、う
っかり触れて魔力を流してしまうと魔法陣が発動すること、発動し
た魔法陣を破壊した場合暴走する可能性があること、なのだが。
﹁あ﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
1462
次の魔法陣を削ろうとして、うっかり触れて発動させてしまった。
よりによって、転移陣を。レオナールの魔力を吸い上げ、発動した
魔法陣が青く輝き、レオナールを転移させた。
その後をルージュが追う。ダオルに背負われたアランがちょうど
それを目撃し、声にならない悲鳴を上げた。
しかし、間に合わない。慌ててダオルが駆け寄った時には、魔法
陣の光は消えていた。
ダオルの背から下ろされたアランは愕然と、残された魔法陣を見
つめた。よりによって残された転移陣は二つ。隣接しているため、
どちらが発動したのか、離れた場所から見ていた二人にはわからな
かった。
﹁記述を見る限りでは、どちらの転移陣にも罠の類いはなさそうだ
が⋮⋮﹂
﹁一応両方試してみる、というわけにはいかないのか?﹂
﹁⋮⋮レオが暴走しなけりゃな﹂
苦い声で言うアランの言葉に、ダオルがなるほどと頷いた。
﹁すぐに戻って来れば良いんだが、それが期待できない。向こうの
魔法陣も複数あるようなら、魔法陣の区別がつかないから、どれを
踏めば良いかわからないだろう。
あいつの事だ。自分の踏んだ魔法陣の文字や模様なんて見てもい
ない﹂
﹁それはまずいな﹂
1463
ダオルが思わず眉をひそめた。
﹁わからないなら、自力で歩いて帰れば良いとか言いだしかねない﹂
﹁まさか。何処につながっているかはわからないが、最悪相手の本
拠地か魔物の巣だぞ?﹂
ダオルがバカなと言わんばかりに言うが、アランは憂鬱な表情で
首を左右に振る。
﹁常識では考えられない事を言い、普通ではあり得ない事を言って、
実行するのがレオなんだ。あいつの脳筋ぶりときたらオーガ並、場
合によってはそれ以下だ﹂
﹁オーガの知能と言ったら、人型の魔物の中でほぼ最低レベルだぞ
?﹂
﹁だからそう言っている﹂
絶句するダオルを尻目に、アランは懐からメモを取り出し、四つ
の魔法陣を素早く書き留める。
﹁転移陣以外は壊されているから、このまま行こう。手掛かりがな
いのが困るが、仕方ない。一応両方起動させて確認するしかない。
⋮⋮あいつ、よりによって剣を置いていくとか、バカが﹂
魔法陣の傍らに置かれたままのバスタードソードを睨み、アラン
が吐き捨てるようにぼやいた。
﹁この剣はおれが持とう。アラン、一人で歩けるか?﹂
1464
﹁ああ。残念ながらしばらく魔法は使えそうにないが﹂
﹁おれも魔法陣に関する知識はない。さっき出たようなミスリルゴ
ーレムを一人で相手する自信はあまりないが、魔獣・魔物であれば、
大抵は問題ない﹂
﹁ダオルがいてくれて、助かった。俺一人だったら、どうなってい
たか﹂
﹁⋮⋮確実に助けられるかどうかわからないが、出来る限り尽力す
る﹂
﹁有り難う、ダオル。識別名︽麦の道︾場所名︽蜘蛛1︾と︽蜘蛛
2︾か。これじゃ参考にならないな﹂
四つの魔法陣は二つずつ二列に並んでいる。通路側から見て、そ
の右脇下部にバスタードソードに残されており、下部の魔法陣二つ
の外円が削られている。
それぞれ︽知覚減衰︾と︽認識阻害︾である。上の列の二つが転
移陣だ。目を凝らして見るが、どちらの転移陣が使用されたかはわ
からない。せめて痕跡が残っていれば良いのだが。
﹁ダオル、どっちの転移陣だと思う?﹂
﹁ふむ﹂
ダオルは魔法陣に触れないよう慎重に屈み、︽灯火︾の光の下、
何か痕跡がないか床に視線を走らせ、匂いを嗅ぐ。
1465
﹁あまり自信はないが、こちらだと思う﹂
そう言って、右の転移陣を指差した。
﹁根拠を聞いても良いか?﹂
﹁ああ。右の方には微かにドラゴンのにおいが残っている、と思う。
使用された魔法陣の上にドラゴンのよだれ、あるいはレオナールの
毛髪でも落ちていれば、確実にどちらだと言えるんだが、そこまで
においが強くない。
残念ながら彼らの足跡や痕跡は残っていない﹂
﹁わかった。右へ行こう﹂
﹁良いのか?﹂
﹁違っていたなら、仕方ない。左も確認すれば良い。なるべく早く
見つけて捕まえたいが﹂
﹁その、聞きたいんだが、愛用の武器がなくても無茶するのか?﹂
怪訝そうに尋ねるダオルに、アランが頷く。
﹁ああ、バスタードソードがなくても、大振りのダガーがあるから
な。あいつ、屋内や近距離の対人には、バスタードソードよりダガ
ーを使う事が多いんだ。他の用途にも使ってはいるが﹂
﹁わかった。この転移陣は二人同時に使えるのか?﹂
﹁なるべく一人ずつの方が良いと思うが、この大きさなら二人乗っ
1466
ても大丈夫だろう。外円からはみ出さない方が良い。少しくらいは
み出しても問題ないだろうが、念のためだ﹂
﹁了解した﹂
そして、ダオルとアランは右側の転移陣││識別名︽蜘蛛2︾│
│の上に同時に乗った。魔力が吸われて魔法陣が発動し、二人は転
移した。
1467
13 迂闊︵後書き︶
ちょっと短めですが、更新。
次回、レオナール視点↓アラン視点になります。
以下修正
×なるべく
○︵該当箇所削除︶
1468
14 命の価︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
1469
14 命の価
青い光の輝きと共にレオナールは転移された。ベージュ色の砂岩
の床、壁、揺れるランプの明かり。
レオナールが顔を上げると、そこにフードを目深に被った黒のロ
ーブをまとう男が、樫製と思われる美しい曲線を描く椅子に腰掛け
ていた。
男の前には同じく樫製と思われる書き物机があり、ランプとペン、
インク壺などが置かれていた。
﹁バカというのは、本当に質が悪いな﹂
何かを記していた男がペンを置き、立ち上がった。男の身長はア
ランと同じか、それより高いくらいに見えた。魔術師なのか、身長
の割に華奢な体躯で手足が長く、ローブの先から見える肌の色は青
白い。
﹁⋮⋮エルフ⋮⋮?﹂
レオナールは呟き、魔法陣の外へ出た。背後の魔法陣が再び輝き、
ルージュが転移してくる。
﹁きゅきゅーっ!﹂
光が止む前に、ルージュはレオナールに飛びつくように駆け寄っ
て来て、瞳を金色にきらめかせ、男を威嚇するように睨む。
﹁本当に、質が悪い。どうも合わないようだな、思いつきで言動す
1470
るバカは﹂
﹁あなたがミスリルゴーレムの主かしら?﹂
レオナールが右手のダガーを構えつつ尋ねると、男は呆れたよう
な吐息を洩らす。
﹁それを尋ねて、相手が答えるとでも? ずいぶんおめでたい頭だ。
わたしがこの世で最も嫌いなのは、使えないバカだ﹂
﹁つまりあなた自身ってわけね。お気の毒﹂
大仰に肩をすくめて言うレオナールに、男が剣呑な気配になる。
﹁何?﹂
﹁他人と会話できない自己陶酔型バカって、本当タチが悪いわよね
ぇ。うっとうしい自己紹介お疲れさま。
誰の何の役にも立たない上に気持ち悪いんだから、早々に目の前
から消えるか、いっそ死ねば良いのに。
レェヴ・イシア
デ・
同じ害悪でも、チンピラや盗賊のがマシだわ。同じ人迷惑でも、
毒は毒なりに、何らかの形で役には立つもの﹂
レオナールはそう言って声を上げて笑った。
ディ・ロア・ミスリル・ラ
﹁⋮⋮この場の状況を読む事もできないようだな。バカが﹂
男が吐き捨てた。
グレン・エル
オル
﹁地精霊グレオシスの祝福を受けし聖銀よ、混沌たるオルレースの
1471
ネ・ノグ
オラン・デ・アヴィ・テト
オ・ディルス・アムス
リグト・ヴェ・ラ
下、生命なき無名の動く人形となり、我が命に従い、恭順せよ。︽
聖銀の使役人形︾﹂
レオナールが早口のエルフ語で詠唱する男の側面を大きく回るよ
うに駆け出し、叫ぶ。
﹁ルージュ!﹂
﹁きゅうっ! ぐがぁあああああおぉっ!!﹂
男の目の前に出現したミスリルゴーレムにルージュが咆哮し、レ
オナールが詠唱を完了したばかりの男の首元を狙って斬り掛かる。
﹁っ!﹂
男が舌打ちして、飛び退いた。レオナールは更に追いすがり、左
足で男の膝下を蹴り上げ、そのまま膝で腿の辺りを蹴手繰り、バラ
オラン・ガルヴ
ンスを崩す男目掛けてダガーを突き出す。
エ・オ・ディ・ウルヴァ
﹁其れは我の身を守る無名の盾、︽守りの盾︾﹂
ダガーによる突きは︽守りの盾︾により弾かれる。レオナールは
即座に後ろに一歩踏み込み、右足で側頭部を狙った蹴りを繰り出し、
男を地面に叩き付けた。
﹁ぐっ⋮⋮!﹂
大きな音を聞きつけ、その洞窟内に作られたと思しき書斎あるい
はそれに類する部屋へ、複数人が駆け寄る足音が聞こえてくる。
その時、魔法陣が青く輝き、アランとダオルが転移して来た。
1472
﹁レオ!!﹂
アランの声に、レオナールが満面の笑みを浮かべてダガーを倒れ
伏した男の膝下辺りに突き立て、左手で抜き取った。
﹁がぁっ⋮⋮!﹂
﹁ちょうだい!﹂
そして、レオナールはアラン達に背を向けたまま空いた右手を高
く掲げる。ダオルが抜き身の剣を投げ、レオナールがそれを大きく
伸びをして受け取った。
﹁⋮⋮貴様⋮⋮っ!﹂
﹁魔術師ってどうして自分が近接戦闘すること考えないのかしら。
やわくてモロいくせに、防具もつけないとか。自殺志願としか思え
ないわ﹂
﹁お前の基準で考えるな、バカ!!﹂
呆れたように言うレオナールに反論したのは、アランである。
﹁別にアランには期待してないわよ?﹂
﹁知ってるけど、俺以外の魔術師にも期待するのが間違ってるだろ
!﹂
﹁ハイハイ、うるさいから魔法使う時と嫌な予感した時以外は黙っ
1473
てて! ダオル、来るわよ!!﹂
そう叫んで、レオナールは通路へ向かって駆け出した。
﹁おい、突撃すんなって言ってるだろう!!﹂
アランが怒鳴るが、レオナールは聞いていない。
﹁どうする?﹂
ダオルがアランに尋ねる。
﹁あっちも面倒だが、とりあえずは目の前のこいつだろう﹂
アランが唸るように言って、ミスリルゴーレムとその向こうに転
がる魔術師に視線を向ける。ダオルが頷いて言った。
﹁先のよりは小さいが、ゴーレムを倒すより術者を気絶させた方が
早い﹂
﹁頼めるか?﹂
﹁ああ。人相手なら問題ない﹂
﹁あの体格だとエルフまたはハーフエルフという可能性もあるから、
気を付けろ﹂
﹁了解﹂
アランは念のため足下に視線を落とし、今発動した転移陣一つし
1474
かないのを確認する。それから背嚢から薬剤を入れた革袋を取り出
した。
﹁レオ!﹂
こちらを振り向いた相棒に向かって、口を閉じたままの革袋を投
げる。
﹁何、これ﹂
﹁さっきのとは中身は別だ。嫌がらせ程度にしかならないが、その
中身を相手に投げてやると面白い事になるかもな﹂
レオナールは袋の口をゆるめ、中に卵の殻が複数個入っているの
を確認し、頷いた。そして、中の一つをつかみ取り、駆け付けた黒
衣の男達目掛けて投げつけた。
唐辛子と胡椒入りの卵はぶつけられた衝撃で割れ、後続の男達に
よって巻き上げられ、数人を除いて咳き込む羽目になった。
それを見たレオナールは要らないと判断したが、下手に扱うと自
分まで害を被りそうだと渋面になった。
﹁これ、袋ごと投げ返しても大丈夫?﹂
﹁強く投げないでくれ。魔獣の卵の殻を使ったし袋の中には緩衝材
を入れてあるから、ちょっとなら大丈夫だが、衝撃には弱い﹂
アランの返答にレオナールは面倒臭げな顔になり、軽く放り投げ
た。アランは慌てて前に出て、それを受け止める。魔法陣の外に出
てしまったため渋面になるが、出てしまったものは仕方ない。
1475
﹁まいったな﹂
発動した魔法陣は、最後に使用した者がそのまま魔法陣の上にい
る場合、常時発動型でない限りは再発動しない。
事故防止のためにはそのまま使用する直前までは、魔法陣の上に
いるつもりだったのだが、仕方ない。
ぞっとするような不安と、全身の毛が逆立つような寒気が止まら
ない。その原因は、今のところ目の前のミスリルゴーレムとその術
者だと思われるが、それとは別の嫌な予感がする。
︵なるべく魔力は無駄に消耗したくないんだが︶
魔力を使いすぎると倦怠感を覚え、それを超えると昏倒する。限
界は術者の気力・精神力にもよるので、どこが限界なのかは本人が
経験により学習するしかない。
魔法陣はあらかじめ設置しておけば誰にでも使える便利な代物だ
が、発動に必要な魔力が足りず限界を超えて吸われれば、恐ろしい
凶器と化す。
魔力さえあれば人はもちろん魔獣や魔法生物ですら使用できると
いうのが、長所でも短所でもある。
再度転移陣を発動させ、また向こうで踏み直して戻るというのも
手ではあるが、不確実性を嫌い、危険や不安定なものを厭うアラン
は、単独行動する危険を避けて諦めた。
現状維持である。
魔力が回復したらまず︽鉄壁の盾︾を唱えたい。先の術の効果は
既に切れている。無理をすれば現時点でも使えなくはないが、気力・
精神力が切れればかえって危ういだろう。
アランはダオルはそこそこ信頼できるし戦力あるいは先輩冒険者
として頼りになるが、レオナールとルージュに関しては頼りにして
1476
はいけないと考えている。
いざという時頼りになるのは自分自身だ。敵を目前にして身動き
できず判断力も低下してしまうのは、避けたい。
レオナールは嬉々とした表情で、黒衣の男達と斬り合っている。
幸い、あの中には魔術師らしき人物は混じっていないようだ。
全員揃いの衣装を着ており、多少連携が取れることを除けば、技
量はさほどでもなさそうだ。
ラーヌで襲撃してきた連中よりはマシ程度である。使う剣や槍な
どを見ると、金のかけ方は段違いだが。
︵金を持て余している富裕な平民、もしくはうだつの上がらない貴
族か︶
相手は実戦慣れしてないわけではないが、こなれているというわ
けでもない。レオナールが普段遊んでいる冒険者連中と似たような
ものだろう。
ならば放っておいても問題ない。相手は殺しにかかってきている
のだろうが、レオナールは遊んでいる。ダオルとルージュが応援に
行けば、すぐ終わるだろう。
﹁終わったぞ﹂
その声にアランがダオルの方を見ると、黒ローブの男が昏倒して
おり、ミスリルゴーレムも動かなくなっていた。
できればミスリルゴーレムを持ち帰りたいが難しいだろう、とア
ランは羨望の目を向けつつも、ダオルに歩み寄った。
﹁魔封じの類いは持っていないが、拘束して口に何か噛ませておけ
ば良いかな﹂
1477
﹁現状ではそうするしかないな。自害を防ぐためにも﹂
アランは背嚢からロープを取り出し、手際よく手足を拘束してい
く。自力で歩けるように、両腕を背中にまとめて、足は最低限動か
せる程度にする。
適当な布を猿轡とした。できれば何か固い物を噛ませておきたか
ったが、使えそうなのは薪に使う小枝くらいのものである。使用頻
度が高いようなら、何か用意するべきだろうかと思いつつ、諦めた。
念のため、昏倒している魔術師らしき男に︽眠りの霧︾を使って
おこうと考えたが、エルフまたはハーフエルフには効かないので、
男のフードを下ろして確認した。
﹁⋮⋮エルフか﹂
アランは眉をひそめた。
﹁珍しいな。エルフが人とつるんでこんなところにいるとは﹂
﹁エルフにも変わり者やはぐれ者はいるからな。フードを被った上
に仮面をつけるとは、ずいぶん厳重だな﹂
男は銀色の仮面を付けていたが、下ろした濃い金髪の間から覗く
長くて先の尖った耳の特徴は、見間違うことなくエルフである。
仮面を外すと、エルフ的な細過ぎるが整った冷悧な顔立ちが現れ
る。エルフ基準ではレオナールもアランも太り過ぎに見えるだろう。
そもそも骨格からして別物なので仕方がない。
多くのエルフは魔法戦士であるが、このエルフはシーラ同様純粋
な魔術師のようだ。一切の刃物も弓矢の類いも持っていない。
1478
杖もないようだが、代わりに指輪型の発動体を左指に装備してい
た。
﹁良いな、指輪型か﹂
﹁欲しいのか?﹂
﹁やはり片手が空くのは魅力だな。これは外しておいた方が良いだ
ろうが、証拠品の一つとして提出を命じられて没収されそうだよな﹂
そう言いながら、琥珀色と翠色の魔石がはまった指輪を外す。
﹁地属性と風属性ってことは、その二種の魔術に長けているのか。
俺が使うなら新たに追加で火と水も付けたいところだな。
水は無理でも火は絶対欲しい﹂
﹁それなら最初から自分で作った方が早いと思うが?﹂
﹁土台のミスリルと魔術具技師の代金が心もとない。ミスリル合金
は手持ちにあるが、人件費の方がきびしい。元があった方が若干安
くなるから、手持ちでいけそうだが。
さすがに発動体に全財産出したら、後が辛い。魔法書とかも欲し
いし、先日触媒を買いすぎたからな。
本当は麻痺毒や睡眠薬も欲しいんだが、買うと高いし自生してい
るのは見つからないし、エルフみたいに無効化できる相手じゃなけ
れば、大抵魔法で代用できるから持ってない﹂
﹁ところでどうする? あちらは幼竜が向かったようだから、応援
は必要なさそうだが﹂
1479
ルージュが黒衣の男の幾人かを撥ね飛ばしているのが見える。ア
ランはしばし瞑目し、
﹁こちらはもう大丈夫だと思うんだが、嫌な予感が収まらない。周
囲に警戒しつつ早めに戦闘を終わらせた方が良いだろう﹂
﹁魔力は大丈夫か?﹂
﹁自分用に︽鉄壁の盾︾を唱えることくらいはできそうだ﹂
﹁ではそれを見届けたらあちらの応援に向かおう﹂
﹁ああ、よろしく頼む﹂
﹁しかし、便利だな﹂
﹁本当はこんなものに頼りたくはないんだが﹂
渋面でぼやくアランに、ダオルは苦笑した。
﹁おれは羨ましい。どんな力でも使えるものは使うべきだ﹂
﹁それはわかっている。だから、嫌だと思いつつも利用している。
こんなものウル村では必要なかったんだがな﹂
﹁行ったことはないが、ウル村は良いところなようだな﹂
﹁何もないけどな。世事の喧騒に疲れた人が隠遁するには良いかも
しれない。一人になりたい場合は向いてないが﹂
1480
﹁そうか﹂
ダオルは人好きのする笑顔で頷いた。アランは︽鉄壁の盾︾を詠
唱し発動した。
﹁では行って来る﹂
ダオルはそう言って部屋の出入り口付近へと向かった。アランは
ふと傍らの書き物机の上に視線を向けた。
そこには古代魔法語あるいはエルフ語による手紙と思われる上質
な紙が置かれていた。インクは生乾きで、つい先程書いたように見
える。
﹃ラーヌ南東の巨大蜘蛛研究施設に関する報告﹄││そこまで読め
たところで慌てて手に取った。
まだ十数行しか書かれていないが、これは重要な手掛かりだ。こ
んなものがあるという事は、エルフの男は首謀者ではないが、責任
者の一人なのだろう。
何が書かれているのか知りたいが、嫌な予感がますます強くなっ
ている。紙を胸元にしまうと、杖を構えて振り返った。
﹁レオ、ダオル!﹂
アランは大きな声で叫び、その場で転がった。短剣を握った黒衣
の男の攻撃はギリギリ外された。︽鉄壁の盾︾の効果はまだ残って
いる。
逃げられるものなら即座に逃げたいところだが、逃げ足にはあま
り自信がない。先程投げ返された催涙剤を革袋から取り出し、投げ
つけた。
短剣の男が低く悲鳴を上げる。
1481
レオナールが軽い舌打ちをし、ダオルが即座に戻ろうとするが妨
げられる。
﹁仕方ないわね!﹂
レオナールが高く跳躍する。黒衣の連中の肩や頭部を蹴りつけな
がら、更に跳躍を繰り返す姿を見て、アランは思わず﹁あいつ、人
間離れしてきてるな﹂と呟いた。
蹴りつけられた連中はことごとく転倒したり、バランスを崩した
りしている。
﹁夕飯、奢りなさいよ!﹂
本当は夕食なしに加えて説教してやりたいところだが、自分の命
と安全には変えられない。
﹁わかった!﹂
とアランが返すと、レオナールはニンマリ笑った。
﹁期待してるわ!﹂
レオナールが唐辛子と胡椒を吸い込んで苦しむ男に飛び掛かった。
︵でも説教はしてやりたい︶
何故こんな事になったのかという理由・原因については叩き込ん
でやりたい。言わない事は理解できず考えもしない相方を、アラン
は睨むように見つめた。
1482
14 命の価︵後書き︶
説教したいアランと何も考えてないレオナール。
寒くなりました。雪が降りました。風邪引かないよう気をつけまし
ょう︵特に自分︶。
もし誰かがレオナールに何故﹁同じ害悪でも、チンピラや盗賊のが
マシ﹂なのかツッコんだら﹁私が斬るためよ!﹂と答えること間違
いなし。
以下を修正。
×青い光が輝き
○青い光の輝き
×もて甘している
○持て余している
1483
15 魔術師は心底説教したい︵前書き︶
人相手の戦闘および残酷な描写・表現があります。※グロ注意。
1484
15 魔術師は心底説教したい
レオナールは、咳き込む短剣遣いの右肩目掛けて剣を降り下ろし
た。男は涙と鼻水で顔を汚しつつも気配で感じ取ったのか避けよう
としたが、レオナールの剣が右肩を直撃、肉を断ち骨を砕く。
﹁ぐぁあああっ!!﹂
そのまま押し切り、短剣を握ったままの腕が落とされた。レオナ
ールは苦悶の叫びを上げる男の下腹を蹴りつけ踏み倒すと、剣を突
き立てた。グリグリと捻りながら奥までねじ込み、更に骨を避けて
脇腹を裂くよう切り払った。
﹁うるさいわね﹂
レオナールはブーツの底で、悲鳴を上げる男の顔面を蹴り付けた。
﹁おい、レオ﹂
﹁何? まだ殺してないわよ。でも何人か残せば問題ないでしょ。
それともこれ、必要なの?﹂
アランも敵に情けをかけろとは思わないが、人も魔獣・魔物も同
じように﹃もの﹄扱いな相方には懸念がある。このまま放置すれば
男は死ぬだろう。短剣遣いの男は、他の連中とは別の場所から現れ
た。魔法陣は光らなかったから隠し通路か何かがあるのだろうが、
治癒魔法なしにこれから尋問を行うのは無理だろう。
﹁せめて息の根を止めてやれ﹂
敵だとしても無駄に苦しめる必要はないと、アランは思う。アラ
ンの知る初級回復魔法では焼け石に水であり、延命すら困難だ。僅
かな時間とはいえ生かす意味もなく苦しめるだけなら、殺してやる
方が良いだろう。
レオナールは肩をすくめ、男の首を切り付け絶命させた。
﹁別に問題なかったと思うわよ? ちゃんと行動不能にしたもの。
あの状態で巻き返すには高位神官でもいないと無理でしょう。それ
1485
とも次からキッチリ殺した方が良い? 人相手の時にそういう判断
は独断でするなって言われたから、一応殺さなかったんだけど﹂
﹁どうしても手加減できない時以外は、なるべく殺すな。前にも言
ったが、殺せばそのままだが生かしたままで拘束すれば、生かすも
殺すも可能だ。情報の有無は雲泥だからな﹂
レオナールが情や倫理、人としての尊厳などを諭して理解できる
ようならば、早々に是正し教育しているところである。そもそも好
き嫌いはあっても愛情や友情、家族愛などを理解できるかすら怪し
い。レオナールがアランやダニエルになついているのは間違いない
し、ある程度心を許しているとは思うのだが、幼竜であるルージュ
以上の情緒や感性があるかどうかも微妙だと、アランは感じている。
悪いやつではないと思っているが、それはアランにとってであり、
それ以外の者にとっては︽歩く災厄︾と称されても仕方ない言動が
常である。
そもそも本人が持ち合わせていないもの、あるいは理解の及ばな
いものはいくら諭しても無駄だ。情や道徳的観念が理解できないな
ら、それに替わるもので理解・納得させたい。レオナールには、ま
ず普通の感覚、というものがない。人として扱われない期間が長す
ぎた。それが屈辱的で心を傷付けられるものだという認識がない。
彼には常識や知識もないため、心の傷はないが、それが良かったの
か悪かったのか。どんな状況にも傷付かない強靭さは、ある意味羨
ましくもあるが、倫理や情を持たない、自ら思考する事も悩む事も
葛藤する事もない生き物を、人と呼べるのだろうか。
アランとしてはレオナールには、多少常識の範疇を逸脱していて
もかまわないが、人でいて欲しいと思っている。人の形をした人で
はない生き物、寿命を全うすれば自分より長生きし、死の間際まで
老化もしない生き物の面倒を一生見る自信はない。同情心はあるが、
それは罪悪感と表裏一体であり、慈悲などとは程遠い代物である。
﹁レオ﹂
﹁何、アラン﹂
1486
﹁人を無駄に苦しめるな。恨みを買うだけ損だ。手加減できるなら、
なるべく苦しめずに無力化しろ﹂
﹁え∼っ?﹂
﹁それともしばらく飯抜きにされたいか?﹂
﹁ええっ、夕飯奢ってくれるんじゃないの!?﹂
アランが脅すと、レオナールは大きく目を見開いて、それは酷い
と言わんばかりの顔になった。
︵こいつにとっては﹃飯抜きになる﹄方が酷い事なんだよな︶
アランは頭が痛い、と思いながら溜息をつく。
﹁奢ると約束したから、反故にはしない。でもお前、飯抜きになる
と言われない事は忘れるだろう?﹂
﹁アランってばひどい! そんな理由で飯抜きとか、極悪非道鬼畜
冷酷嗜虐趣味!! 私に死ねって言うの!?﹂
﹁死ねとまでは言ってない。恨みを買うと後が面倒だと言えば喜ん
でやりかねないだろ、お前。レオにわかりやすく言ってやったまで
だ﹂
﹁私は斬りたいだけなのに﹂
﹁だから人を無闇矢鱈に斬ろうとすんな!! 犯罪者になって手配
されるのは論外、そうでなくてもお上やギルド関係者に要注意人物
として目を付けられたら、普通に生活するのもきびしくなるんだか
らな! あと、例え相手が犯罪者や社会に害を及ぼす連中でも、下
手に目を付けられたら同じくらい大変なんだぞ。お前は喜ぶだろう
が、俺は絶対御免だからな! そうなったら毎食肉抜きにしてやる﹂
﹁やめて! 肉抜きとか、そんなの何を楽しみに生きていけって言
うの!? 肉のない食事なんて、塩抜きのスープより味気ないじゃ
ない﹂
﹁いや、さすがに塩抜きのスープはただの拷問だろ。お前は塩より
肉が優先なのか?﹂
﹁当然でしょ! 肉さえあれば、塩抜きでも我慢するわ!!﹂
﹁いや、塩抜きはさすがにまずいだろ。言っておくが、人が塩なし
1487
で生活したらあっという間に動けなくなるぞ。塩は水と同じくらい
大切だから、適度に摂れ。でないと死ぬぞ。まぁ、肉にも多少は含
まれていると思うが﹂
﹁今晩は鹿肉か猪肉が食べたいわ。なければ兎や鳥でも良いけど﹂
﹁おいレオ、俺の話聞いてるのか?﹂
﹁聞いてる、聞いてる。だから肉抜きはやめて! 頼むから﹂
レオナールが拝むように言うと、アランの顔が無表情になった。
諦観、とも言う。レオナールを自分の都合通りに教育したいわけで
はないのだ。ただ、もう少し生きやすいよう社会や常識や他人に歩
み寄って欲しいと願っているだけなのだが、それがとても難しい。
しかし、諦めたくもないのである。ダニエルにまかせれば喜んで引
き取るだろうが、剣士としては凄い人物だとは思うが、保護者ある
いは教育者として信頼できる人物だとは思わない。彼にまかせたら
ますます常識からは遠ざかり、社会不適合者が増えるだけである。
︵バカなだけなら、まだ救いはあると思いたい。少なくともレオは
素直で嘘はつかないからな︶
言わない事はあるが、それはわざと隠蔽しているわけではなく、
本人が気付いていなかったり必要と感じなかったり、失念している
だけなので、指摘して促せば話す。どこかの誰かさんのように、わ
かっていてわざと隠したり、しらっと嘘をついたりはしないのだ。
そうこうしている内に、残りの連中も無力化されたようだ。ルー
ジュが﹁きゅきゅーっ!﹂と鳴いて注意を促し、ダオルがこちらへ
歩み寄って来る。
﹁アラン、怪我はなかったか?﹂
﹁ああ、大丈夫だ。それよりすまなかった﹂
アランが謝ると、ダオルは苦笑した。
﹁いや、問題ない。それより、他にも黒衣の連中がいないか確認し
て来ようと思う。アランとレオナールはここで待機していた方が良
いと思うが、どうする?﹂
﹁えっ、私も行きたい﹂
1488
﹁お前は何でも良いから斬りたいだけだろう。だいたい、予定なく
こんなところへ来る羽目になったのは、お前がドジったからだぞ。
わかってるのか?﹂
アランが睨んで言うと、レオナールは困った顔になった。
﹁えっ、だってちょっと触っただけなのに、勝手に魔法陣が発動し
たのよ﹂
﹁魔法陣ってのはそういうものだ。魔力があれば誰にでも発動でき
るし、最低限の形式が整っていれば誤った記述でも発動する。だか
ら便利でも危険でもある。前にも言ったはずだぞ、レオ﹂
﹁ごめんなさい、覚えてないわ﹂
﹁そうだろうとも。覚えていたら、記述内容もわからないのに迂闊
に触れたりはしないよな﹂
﹁あれ、外円にちょっと触れただけで発動したんだけど、そういう
ものなの?﹂
﹁その通りだ。外円・内円共に、線が切れたり繋がってなかったり
したら発動しないが、多少線が歪んでるだけなら発動する。あと重
要なのは中央のシンボルだな。存在しない誤ったシンボルでも何か
描かれていて、外円・内円がきちんと繋がっていれば、他に記述が
なくても発動する。もっとも、シンボル以外記述がない魔法陣は発
動しても効果はないから無意味だが﹂
﹁そうなの?﹂
﹁俺の知る限りではな。例え書き損じの点や線でも何か描かれてい
る場合には、最悪魔力を無限に吸収して起動し続ける可能性はある
が﹂
﹁確か、その点や線は触媒で描かれてるものだけよね?﹂
﹁その通りだ。まぁ、普通に考えて、そんな魔法陣は存在しないと
思うが﹂
﹁どうして?﹂
﹁なぁ、レオ。俺はお前の前で何度も魔法陣描いているだろ? そ
れでどうして、そういう疑問が出て来るんだよ。触媒で陣を描いた
1489
後、固定化しないと使えるようにならないんだぞ? 固定化する前
ならいくらでも描き直せるんだ。意図しない限り、そんなおかしな
魔法陣はできないだろう。
そんな事はともかくレオ、お前はもっと慎重に行動しろ。今回は
大丈夫だったが、発動させただけで死ぬ魔法陣だってあるんだから、
気を付けろ﹂
﹁一応反省はしているわよ。でも、敵の拠点っぽいとこ見つけられ
てラッキーだったわよね﹂
﹁⋮⋮レオ﹂
﹁ごめんなさい、アラン! 食事抜きや肉抜きは勘弁して! お願
い!!﹂
アランにジトリとした目つきに睨まれ、レオナールは慌てて謝罪
する。そこへルージュが歩いて来た。
﹁きゅうきゅう!﹂
レオナールに鼻を擦り付け甘えるルージュの視線の先にあるもの
に気付き、アランは蒼白になった。
﹁あら、これが欲しいの? ルージュ﹂
﹁おい、やめろ! せめて身元確認してからにしろ!!﹂
慌てるアランに、レオナールは目を軽く瞠り、不思議そうな顔に
なる。
﹁え? ダメなの?﹂
﹁駄目に決まってるだろ!! たぶんこいつら︽混沌神の信奉者︾
だとは思うが、ちゃんと確認しないと後々面倒な事になるに決まっ
てるだろうが! 頼むから勘弁してくれ!!﹂
もちろんアランの本音は、幼竜が人の死体を食べるところなど見
たくない、である。嘘はついていないが、アランが見たくないとい
うだけではレオナールは実行してしまうだろう。
﹁頼むから、食べさせるのは倒した魔獣と魔物だけにしてくれ。そ
れならよほど稀少な素材以外はだいたい問題ないから﹂
﹁わかったわ。ルージュ、悪いけどそれはダメよ。後で巨大蜘蛛の
1490
残りを食べさせてあげるから、我慢してね。足りなければ他にも何
か狩るから﹂
﹁きゅうぅ﹂
ルージュは残念そうな声を上げたが、レオナールに鼻を撫でても
らって、機嫌を直したようである。そんな一人と一匹を見て、アラ
ンは少々泣きたい気分になった。
︵くそっ、情緒とか感性とか忌避感とか、どうやったら身につくん
だ⋮⋮っ!︶
弟妹が嫌がる物事をどうやって受け入れさせるかと苦労した記憶
はあるが、情緒や感性や倫理などというものは、放っておいても育
つものだと思っていたので、考えた事もなかった。駄目な事は駄目、
で済んでいたのだ。レオナールには通じない。何故駄目なのか説明
し、納得しなければ忘れてしまう。
何故魔獣・魔物は殺しても良くて、人は理由なく殺すべきでない
のか、それを説明するのが難しい。人に害を為すから、という理由
であれば、犯罪者や乱暴者は見つけ次第に問答無用で殺しても良い
という事になる。レオナールが自力で殺しても良い相手とそうでな
い相手を識別・判断できるのなら、問題ない。しかし彼には、情状
酌量というものが理解できず、善悪が理解できない。全ての物事を
一律にしか捉えられず、理解・判断できない。
そういったものは、一朝一夕には身につかないのは、アランにも
わかっている。だから少しずつやっていくしかないし、それ以外に
どうしようもない。
︵一応、俺のことを友だと思ってはいるようだが、実際あいつにと
って友というのがどういう存在なのかは、疑問なんだよな︶
もしや﹃餌を与えてくれる人﹄や﹃便利な人﹄の事じゃないだろ
うな、という不安が時折脳裏をよぎってしまうのだ。そこまで酷く
はないはずだと思いたいし、そこを本気で疑えば友情など成立しな
い。信頼も情も介在しない友人関係など、御免被りたい。
﹁アラン、気分悪そうだけど大丈夫?﹂
1491
怪訝そうに尋ねるレオナールに、アランは少しだけ安堵する。
︵そうだよな。こいつ、性格とかは悪いし致命的にバカで、ちょっ
と救いがたいとこもあるけど、俺に何かあれば心配したり、それな
りに気を遣ってくれたりするんだ︶
﹁⋮⋮悪い、少し休む。それとレオ、さっきは有り難う、助かった﹂
﹁ふふっ、疲れちゃった? まあ、仕方ないわね、アランってば体
力ないし。普段戦闘中でも、そんなに動かないものね。やっぱりア
ラン用の肉盾がいるわよね﹂
﹁せめて護衛とか支援とか援護って言え﹂
そう言ってアランは目を瞑り、壁を背にして床に座り込んだ。レ
オナールはそんなアランの傍らで耳をすませ、周囲を警戒する。
﹁だいたい、お前が突撃したり、目の前の敵に夢中になって周辺へ
の注意がおろそかにならなければ、俺だって早々危ない目に遭わず
に済むんだぞ﹂
﹁でも、いざという時はわかるでしょ?﹂
﹁俺に対する危険については、な。でも、わかってるか? 俺にと
っての危険以外はわからないんだぞ。何も感じないし、気付けない
んだ。だから、あまり当てにはならない。お前だけが狙われた時は、
嫌な予感はしないんだ。俺の言いたいこと、わかるよな?﹂
﹁ああ、そういえばコボルトの巣で襲われた時、そうだったわね﹂
﹁おい!﹂
アランは思わず目を開いた。
﹁もう少し真剣に考えろよ、レオ。じゃないと、本気で死ぬぞ。好
きこのんで自殺や自爆する気はないんだろ? なら、もっと注意し
ろ、頭を使え。やらない事は、いつまで経ってもできないぞ。俺は
死にたくないし、お前を死なせたくもない。今回は大丈夫だったか
らといって、次回もそうだとは限らないんだからな﹂
﹁自分でもやらかしたとは思ってるし、反省してるわよ。でも、済
んだ事は仕方ないでしょ。次から気を付けるわ﹂
﹁まだ済んだわけじゃないぞ。ラーヌに戻って報告するまでは、完
1492
了じゃない。お前が死ななくたって、バカな失敗で怪我とかしたら
本気で怒るからな。一週間オートミール粥だけ食わせてやる﹂
﹁やめて! あんなゲロみたいなもの食べるくらいなら、死んだ方
がマシだわ!!﹂
﹁なら、気を付けろ。どうしても避けられないものなら仕方ないけ
ど、あんなポカミスやらかすな﹂
﹁だから反省してるってば。不注意だった自覚はあるし、恥ずかし
い失敗だっていう自覚もあるわ。そこまでバカじゃないわよ﹂
﹁そうか。わかってるなら良い﹂
﹁アランって時折上から目線で、ムダにえらそうよね﹂
﹁どこがだよ?﹂
﹁15日早く生まれたからって、保護者ぶらなくても良いでしょ?
たいした違いでもないのに﹂
﹁それはお前が悪い。俺に偉そうにされたくなければ、俺が心配す
るような事しなけりゃ良い﹂
﹁えーっ、アランが心配性で偉そうで短気なのは、元々でしょ。私
が何もしなくたってそんなじゃない﹂
﹁何もしてなくはないだろ、おい。いつも何かやらかしてるくせに﹂
﹁記憶にないわね﹂
﹁どうせお前はそういうやつだよ。お前が覚えてないだけで、俺は
全部覚えているからな。ちょっと目を離すと、毎回信じられないよ
うな事やらかすんだ。どうしてそんなにしょっちゅうトラブル起こ
したり失敗するのか、理解できねぇよ! だいたいだな⋮⋮っ﹂
﹁待って、アラン! そういうのは後にしてよ。大声出さなくても
聞こえるんだから。こんなところでやめてよ。何か声や物音がして
も、聞こえなくなるでしょ﹂
レオナールの言葉に、アランは舌打ちした。
︵こいつに正論言われると、本当、ムカつく⋮⋮っ!︶
後で説教すると、忘れている事の方が多いのが、更に怒りを増す
要因になっている気がする。アランはギリリと歯噛みしつつも、グ
1493
ッと堪えた。
1494
15 魔術師は心底説教したい︵後書き︶
一応警告。
ファンタジーでなくとも、何故人を殺してはいけないか、は説明し
づらいです。
甥っこに聞かれた時、﹁●ちゃんは死にたくないでしょ? 死んだ
らゲームも漫画もテレビも見られないんだよ﹂という話をしたので
すが、納得はできなかったようです。
マジ難しい。
以下を修正。
×身元確認からにしろ
○身元確認してからにしろ
×︽黒の信奉者︾
○︽混沌神の信奉者︾
1495
16 マイペースな剣士と眩暈のする魔術師
レオナールにとって、毎日満足に食事が取れるということは当た
り前ではない。一番古い記憶は四歳頃からで、それ以前のものはな
い。
その記憶を頼りにすれば、初めて彼に無条件て食べ物を与えたの
はアランであり、初めて彼が覚えた共通語は﹁食べろ﹂と﹁お前に
やる﹂である。
最初のきっかけは、アランが地面に落とした木の実入りのビスケ
ットをレオナールが奪って食べた事だが、レオナールはその事をあ
まりよく覚えていない。
それを見たアランがレオナールの分も用意するようになり、幾度
か繰り返す事によりレオナールが学習した。
それが自分のために用意されたものであり、奪い返されたり暴力
を振るわれたりしないという事に気付いた時、何故そんな事をする
のか疑問に思った。
いまだにアランのことが理解できているとは言い難いレオナール
だが、なんとなくわかっているのは、態度はともかくアランは身内
認定した相手に甘い、またはその世話を焼くのが好きだということ
だ。
場合によっては、うるさい、またはしつこいと思えるほどに。そ
の大半は﹁面倒臭い﹂としか思えないが、それで助かっている部分
もあるので強く言えないのも事実である。
︵面倒臭いけど、頼まなくてもやってくれるのが楽なのは確かなの
よねぇ︶
1496
レオナールとしては、アランがいてもいなくてもかまわないのだ
が、いる方が格段に便利で楽なので一緒にいる、という感覚である。
アランが知れば嘆くこと間違いなしである。アランがいなければ
もっと面倒な事になるという自覚はあるので、それに関して感謝し
なくもないのだが。
︵いなければいないで、その時はその時だし︶
その場合、一箇所に腰を落ち着けることはないだろうし、誰かに
顔を覚えられるような付き合いもないだろう。
犯罪者になれば町や村への滞在が難しく、まともな方法で生活費
などを稼ぐのが困難になるというのは理解しているのだが、それが
絶対に必要だという意識もない。
斬ることと、満足のいくだけの食事ができれば、他人など必要で
はないのだから。
ハーフエルフの聴力は人より若干高めなため、レオナールは人の
多い場所が苦痛だ。
人の声は、その他の物音より聴覚を刺激しやすく、意識して制限
しなければ、意味不明な言葉も脳内で半自動的に意味のある言葉と
して翻訳されてしまう。
物心ついた頃から、その意味は理解できなくても聞こえた音を丸
暗記する事ができた。聞いた当時は、意味がわからなかった。
少しずつ理解出来るようになったのは、十歳前後くらいからだろ
う。邸内の人間の大半はレオナールが言葉を理解できない者として
扱っていたため、聞き苦しい言葉も良く聞こえた。
それらの大半が理解するだけ無駄だという事に気付いた時、それ
らを記憶し理解しようという気が失せた。
1497
自分に向けられているように聞こえるのに、何故それを自分に言
うのか理解できない内容であれば、尚更だ。
必要なことだけ聞くという取捨選択ができなかったので、全部聞
き流す事にした結果、人の話し言葉は雑音と化した。
それで全てを遮断できれば、もっと楽だったのだが。
︵面倒臭いけど、仕方ないわね︶
文句言いたげな表情で睨むアランに、レオナールは苦笑した。
﹁心配掛けて悪かったわ。ごめんなさい、アラン﹂
こういう場合あえて言葉を削って最小限にした方が良い、と学習
した。何か付け足すと、余計アランの怒りを倍増させるらしいと経
験則でわかっている。
何故そうなるのか、までは理解できないが。レオナールが謝罪す
ると、ようやくアランの表情が緩んだ。
﹁ところでレオ。お前、魔法陣踏んでヤバイと思ったら、すぐ戻っ
て来ようと思わなかったのか?﹂
﹁だって転移先にこの魔術師がいたのよ? なるべくすぐ逃げ帰っ
ても同じ結果だったと思うけど﹂
﹁だから俺の目の届かないところで、お前に単独行動させたくなか
ったんだ﹂
﹁えぇっ、もしかしてアラン、私を監視しないと何かやらかすと思
ってる?﹂
1498
﹁当然だろ。逆に尋ねるが、やらかさなかった事があったと思って
るのか?﹂
﹁え、そんなに失敗してないわよね?﹂
﹁お前に学習能力というものはないのか!﹂
キョトンとするレオナールにアランは激昂した。
◇◇◇◇◇
﹁ざっと見て来たが、他にも魔法陣らしきものはあるが、人は他に
いないようだった。外にも出られるようだが、確認するか?﹂
戻って来たダオルの報告に、アランは頷いた。
﹁ではその魔法陣と、出入り口に案内してくれ﹂
﹁了解した﹂
その洞窟、あるいはダンジョンはコボルトの巣の半分くらいの大
きさだった。
﹁転移陣が四つだな。識別名︽麦の道︾場所名︽蜘蛛1︾︽弱き者
︾︽弱き1︾︽古き墓場︾。
︽蜘蛛1︾はさっきの場所で、︽弱き者︾はたぶんコボルトの巣
にあったのが︽弱き1∼8︾だったからおそらくコボルト関連だろ
う。
1499
︽古き墓場︾は初めて見たからサッパリだが、嫌な予感しかしな
いな﹂
﹁じゃあ、早速行きましょう!﹂
アランの言葉に嬉しそうな顔で言ったレオナールを、アランが睨
み付けた。
﹁おい、ふざけんな。今から厄介そうなダンジョンぽいところへ行
こうってのか? お前、本気で死にたいようだな﹂
﹁えぇっ!? なんでよ。面白そうじゃない﹂
﹁面白いとか言うのは、お前だけだ﹂
﹁⋮⋮墓場というくらいだ、アンデッドが出そうだな。でなければ
遺跡か。ただの古びた墓場に転移する魔法陣など普通は作らないだ
ろう﹂
ダオルが渋面で言った。
﹁だから楽しそうでしょ?﹂
﹁準備不足だ、諦めろ﹂
﹁えぇっ、食料はたくさん持って来たでしょう!?﹂
﹁ガイアリザードの背の上にな。それに不死者対策は出来てない。
付与魔法なしだと、1体倒すにも時間がかかるぞ。
アンデッドは魔法なしだと核を壊さないと動き続けるし、幼竜の
1500
餌にならないし、核を壊したらただの臭いゴミだ。
行くなら、せめて聖水くらいは用意したい﹂
﹁じゃあ、次の目的地はその︽古き墓場︾ね!﹂
﹁勝手に決めるな。その前に少し金を稼いでおこう﹂
﹁え? だって、ここへ来る前に少し稼いだり、今回の報酬がある
でしょう? それに、師匠から送金された収入もあるし﹂
﹁それはお前の金だろ。準備にも金が掛かるんだ﹂
﹁保存食料は大量にあるのに?﹂
﹁薬剤やその材料、ランタンの油、調味料、飲料水は確実に要るだ
ろ。その他の消耗品は今のところ、前のがあるから大丈夫だと思う
が﹂
﹁足りないなら、ちょっとなら出しても良いわよ?﹂
﹁ミスリル剣欲しいとか言ってなかったか?﹂
﹁そりゃもちろん欲しいけど⋮⋮ねぇ、今、目の前にあるのに、ど
うしてもダメなの?﹂
﹁ダメだ。もし、そう書いてあるだけで、転移先が壁の中とか密室
だったらどうする気だ。踏み直しする空間もなければ戻って来られ
ないぞ。
だから事前に情報収集もしておきたい﹂
1501
﹁また?﹂
﹁とにかく今日は、ここの出入り口を確認したらラーヌへ戻ってギ
ルドで報告するぞ。捕まえた連中の中に賞金首がいれば、臨時収入
にもなる﹂
﹁面倒臭いわね﹂
レオナールは嫌そうな顔になったが、渋々頷いた。ダオルの案内
で一行は出入り口へと向かった。洞窟の外は森だった。
﹁植生や気温からいって、コボルトの巣に近そうな感じだな。だと
したらフェルティリテ山が見えるはずだな。なければ別の場所だろ
う﹂
﹁あの山なら、あればすぐ見つかるだろう﹂
アランの言葉に、ダオルが頷いた。
﹁どう、ルージュ?﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
幼竜が尻尾で差した方角に、山が見えた。アランが慌ててメモを
取り出して、おおよその現在地を書き出した。
﹁太陽があっちだから、たぶんラーヌの北北東辺りか。ガイアリザ
ードや馬車の回収を考えると、ちょっと面倒だな。
少し離れた場所に転移陣を設置したいけど、良いか?﹂
1502
﹁それはあれば助かるが、大丈夫か?﹂
ダオルが尋ねると、アランは頷いた。
﹁設置場所が見つかったり壊されると面倒だから、なるべく人目に
つかず、魔獣や魔物に荒らされない場所に設置したいんだが﹂
﹁屋外でそういう場所探すの、難しくない?﹂
﹁わかっている。ただ、手元に紙があるから、短期間なら問題ない﹂
アランが言うと、レオナールもダオルも怪訝な顔になった。
﹁どういう意味?﹂
﹁紙の上にも魔法陣は描けるんだ。一番大きな紙でも四方0.5メ
トルに満たないくらいだが、人間用なら問題ない﹂
﹁ルージュならはみ出すわね﹂
﹁お前も体験して知っているだろ? なるべく魔法陣からはみ出さ
ない方が良いのは確かだが、定型にのっとった転移陣なら多少はみ
出しても問題ない﹂
﹁じゃあ、設置できそうな場所を探してくるわ。その間に魔法陣を
描いておいて﹂
﹁おい、レオ。お前、俺が言ったこともう忘れたのか?﹂
﹁ルージュと一緒に行くし、遠くには行かないから安心してよ﹂
1503
﹁信用できるか! ダオル、すまないが頼む﹂
﹁わかった。なるべくすぐ戻る﹂
ダオルが立ち去るのを、レオナールが不服そうに見送った。
﹁私にだってそれくらい出来るわよ﹂
﹁お前はしばらく単独行動禁止だ。俺が大丈夫と認めるまでは、絶
対ダメだ﹂
﹁子供扱いしないでよね﹂
﹁お前は子供より質が悪いだろ。悔しかったら態度で示せ。どんな
いいわけしようと、目に見える結果が全てだ。
お前の手元に魔法陣が転がってきたというわけでないならな﹂
鼻で笑って言うアランを、レオナールはムッとした顔で睨み付け
た。
﹁いいかげんしつこいわよ﹂
﹁うるさくてしつこくて陰険で悪かったな、諦めろ﹂
折角こちらから謝ってあげたのに、とレオナールは憤慨した。い
っそ単独行動してやろうかと思ったが、これ以上アランを怒らせる
と面倒なので、悩むところである。
︵どういうわけか、アランを斬ろうとは思わないのよね︶
1504
レオナールがその気になれば、いつでも斬れるはずなのだが、イ
メージが全く浮かばないのだ。それになんとなく気が進まない。や
ると後で悔む事になる気がするのだ。
︵何故かしらねぇ。やっぱりいると便利だから? いないと、ちょ
っと面倒そうよね︶
特に対人関係のことに関してはアランにまかせきりである。彼が
口を開くと、相手を怒らせたり絡まれたりすることが多いからとい
うのもある。
本人的には、よくわからないけど相手が勝手に激昂した、という
印象なので、アランに叱られる度に自分は悪くないのに、と考えて
いる。
他人に歩み寄る気も理解する気も皆無なので、それが改善されな
い限り理不尽な目に遭っているとしか思えないだろう。アランにと
っても、レオナールにとっても、不幸な事である。
もっとも、レオナールはアランが短気で怒りっぽいと思っている
ので、アランと付き合う限り意味不明な理由で怒鳴られるのは仕方
ないと考えている。
︵それに説教されたり怒鳴られたりするくらいでそれ以上の害はな
いから、暫く我慢していれば良いだけだもの。意味不明なゴブリン
の言葉みたいなものよね︶
それが聞いていない、と言われる理由の一つなのだが、自覚はな
い。アランがもし、自分の言葉の大半がゴブリン語扱いされている
事を知れば、激昂すること間違いなしである。
アランは地面に屈み込んで、0.47∼8メトル四方の紙に、慎
1505
重に触媒で魔法陣を描いている。
最後の結びの文字を描き終わると、崩さないようゆっくり右手人
差し指で魔法陣の外円に触れ、古代魔法語で固定するための発動文
言を放ち、魔力を吸わせる。
﹁︽結︾﹂
紙に描かれた魔法陣が青白い光を放ち、順に輝いた。全ての光が
消えてから指を離し、その隣にもう一枚同じ大きさの紙を置くと、
同じような作業を行う。
﹁よくそんな面倒臭いことできるわね﹂
﹁できなきゃ使えないし、意味ないだろう﹂
そう言って、二枚の紙の両端を持って、魔法陣を内側になるよう
に合わせて丸めた。
﹁円の大きさが同じくらいね﹂
﹁多少違っても文字やシンボルが全く同じなら問題ないはずなんだ
が、念のためだ。魔法陣はまだまだ未知の部分も多い。
過去には原因不明の事故の例もあるらしいからな﹂
﹁便利かもしれないけど、面倒臭いわね﹂
﹁正しく使えば、問題ない。転移陣なんて、特にだろ﹂
﹁面倒なのは設置の場所と方法よね。私は何度見ても区別つかない
し、使いこなす自信は全くないわ﹂
1506
﹁古代魔法語の知識がないと大変なのは間違いないが、お前はどう
して覚えられないんだ?
他のやつが言うなら仕方ないと思うが、レオはかなり頻繁に目に
してるはずだろう?﹂
﹁そんなの決まってるでしょ。興味がないからよ﹂
怪訝そうに尋ねるアランに、レオナールはフッと笑って答えて、
さらりと髪を掻き上げた。
﹁胸張って偉そうに言うな!﹂
﹁アランってば本当短気ね﹂
﹁お前のせいだろ! だいたい、そういう事を自慢気に言えるお前
の神経がどうなってるのか、知りたいよ!!﹂
﹁神に愛される美しい天才は、凡人には理解しがたいものよね。仕
方のないことよ﹂
﹁お前のその根拠のない自信が、どこから来るのかサッパリわかん
ねぇよ⋮⋮﹂
アランは呻くように呟いた。
◇◇◇◇◇
1507
﹁少し離れた場所で、古い角牙熊の巣を見つけた﹂
﹁穴を岩か何かで塞ぐか、木の枝か何かで隠蔽できると良いな。︽
知覚減衰︾と︽認識阻害︾の魔法陣を見つけたから、それを設置し
てみても良いが﹂
﹁穴を塞いでも、また来て使うんでしょ。面倒臭くない?﹂
﹁そうなんだが、必ずしもすぐ来られるとも限らないからな﹂
﹁えっ、どうしてよ﹂
﹁ラーヌでまたトラブルが起こらないとも限らないだろう、この前
みたいに。本当はなるべく早くロランへ戻りたいんだが﹂
﹁じゃ、何もなければまた来るのよね﹂
﹁レオ、次回は対の魔法陣があるから、ロランからでも行けるんだ。
急がなくても良い﹂
﹁でも、さっきの拠点っぽいとこ、ギルドか何処かに報告するんで
しょう? 次来た時中に入れるの?﹂
﹁それはダニエルの管轄だな。責任者が彼だから、おれが報告出す
際にその旨伝えておこう﹂
﹁という事は今回捕まえた連中も、俺達がギルドとかに報告する必
要はないって事か?﹂
﹁その通りだ。さっき、周辺を見るついでに連絡も出しておいた。
1508
応援もどこかから派遣されるだろう﹂
﹁なんかそれ、追加の追加で、どんどん増えていきそうなんだが﹂
﹁王国中に人員が派遣されているはずなんだが、いまだ首謀者は判
明していないし、どういう組織なのかもよくわかっていないからな。
どうしても後手に回りがちだ。
だが、くわしい事は知らない方が良い。下手に係わると口封じに
殺されたり、拉致・誘拐されかねない。実際、そういう被害も出て
いる﹂
﹁え、でも、俺達二人とも既に係わっているだろ?﹂
﹁始末されていない︽混沌神の信奉者︾を見たことがあるのか? 下っ端じゃなく、他を指図するような幹部クラスを﹂
﹁⋮⋮ダオル、聞いてないのか?﹂
アランが声をひそめ、怪訝な顔になった。
﹁ダニエルから一通り話は聞いたつもりでいたんだが、違ったのか
?﹂
ダオルが不思議そうに尋ねると、アランは口ごもった。
﹁あー、その、とりあえずその角牙熊の巣へ向かうか﹂
明らかな話題変換をするアランを、レオナールが横目でチラリと
見た。ダオルは訝しげな顔はしたが、頷いた。
1509
﹁こちらだ﹂
その巣は、比較的若い角牙熊が棲んでいたと思われるが、あまり
使われない内に引っ越したのか、あるいは猟師や冒険者に狩られた
のか、においも足跡などの痕跡も薄くなっていた。
あまり大きくない巣穴なので、他へ移動したのかもしれない。
﹁ルージュやガイアリザードは出入りできるか微妙ね﹂
﹁紙に描いてあるから先に人を転移させて、広い場所へ置いて再度
発動させれば良い。だから使う時は、レオが最後だな﹂
﹁ふぅん、問題ないならそれで良いけど﹂
そう言って、レオナールは退屈そうに大きく伸びをした。アラン
は魔法陣を描いた紙を平らな場所に置くと、入り口付近に触媒で︽
知覚減衰︾と︽認識阻害︾の魔法陣を描いて、魔力を吸わせて固定
化した。
全員が外に出てから、魔法陣を発動させる。
﹁へぇ、あのダンジョンの出入り口ほどじゃないけど、魔獣や魔物
相手ならこれでいけそうね﹂
﹁そうだな。高位魔術師じゃなければごまかせると思うが﹂
﹁おそらく大丈夫だろう。場所を知らずにここを見つけるのは、難
しい。この森は広いから、全て探索し調べ尽くすのはほぼ不可能だ﹂
﹁同じ魔法陣なんだが、術者による魔術だったのかな、あれ﹂
1510
﹁幻術や精神魔法を毎日かけに通ってたとか? いくら転移陣があ
っても面倒じゃない、それ﹂
﹁そうだな。そう言えば、入口付近は︽隠蔽︾もかかってたんだよ
な。でも、指定がちょっと自信がないし、今回は諦めるか﹂
それから今度は魔獣避けの魔法陣を描き、固定化し、発動する。
少し眩暈を覚えて、アランはその場にしゃがみ込んだ。
﹁大丈夫?﹂
﹁魔力不足だ。しばらく休めば問題ない﹂
﹁そうか。おれは先程の洞窟へ行って連中の様子を見て来よう﹂
﹁そうだな、放置している間に目覚めてたら面倒だ。特にエルフの
魔術師が厄介だ。あの状態じゃ魔法は使えないはずだが、魔法陣は
生きてるからな﹂
アランが動けるようになるまでレオナールとルージュが周辺を警
戒し、先の洞窟へと向かった。それが見えて来た辺りでレオナール
とルージュが立ち止まった。
﹁どうした、レオ﹂
﹁何も感じない? 人が増えているわ。何人かはわからないけど、
少なくとも十数人はいるみたい。ルージュはどう?﹂
﹁きゅきゅーっ! きゅっきゅうーっ!!﹂
1511
ルージュはブンブンと頷き尻尾を振るが、アランには何が言いた
いのかサッパリわからない。レオナールがそれを見て渋面になった。
﹁もしかして、もっと多い?﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
そうそう、と言わんばかりに上下に頭を振る幼竜。なんだと、と
驚愕するアランに、レオナールが困ったように肩をすくめた。
﹁ですって。でも、戦闘音は聞こえないのよね。もうちょっと近付
かないと会話内容まで聞こえないから、ちょっと行って来るわ。
ルージュ、あなたはアランとここで待っててくれる?﹂
﹁きゅう!﹂
﹁おい、レオ!﹂
慌てるアランに、レオナールはニッコリ微笑む。
﹁あら、あなたが来ても足手まといになるだけでしょう。ここでル
ージュと一緒に待ってる方が良いと思うけど?﹂
言われて、アランはグッと息を呑む。
﹁なぁ、レオ。頼むから無茶するなよ?﹂
﹁大丈夫、安心しなさい。ねぇ、アラン、嫌な予感はする?﹂
レオナールに言われて、アランは気付く。
1512
﹁⋮⋮何もないな﹂
﹁ふーん、じゃ、やっぱり敵じゃなさそうね。ちょっと確認してす
ぐ戻るから、待ってなさい﹂
﹁そうか、ダオルの応援か﹂
﹁だと思うんだけど、確証はないから。何か会話してるっぽいから
聞いてくるわ。低く籠もった声だと、ちょっと聞き取りづらいのよ
ね﹂
﹁わかった。一人で接触しないで、何かわかったら戻って来いよ?﹂
﹁大丈夫。知らない人と会話するだなんて、そんな面倒臭いことす
るわけないじゃない﹂
レオナールはそう言ってヒラヒラと手を振りながら、洞窟へと向
かった。
﹁⋮⋮知らない人との会話が面倒って、お前、それはそれでまずく
ないか⋮⋮?﹂
アランは軽い眩暈を覚えた。
1513
16 マイペースな剣士と眩暈のする魔術師︵後書き︶
話が進んでNEEEEEって感じですが︵汗︶。
地の文を何回も書いては消し、を繰り返しました。
やっぱり心情とかそういうのは、文章でこうだ!って書くより、ス
トーリーで納得できなきゃね、と思ったので該当箇所を削除。
見えないものを魅せなきゃね!とか思うのですが、ここ暫くダラダ
ラしすぎなので、反省中。
あと2∼3話くらいで今章完結できたら良いなと思いつつ。↑自信
皆無。
1514
17 逃げる魔術師と怒る占術師と嗤う剣士
洞窟の中は、外より若干気温が低い。空気の流れは皆無ではない
が風はなく、湿度も若干外より低いようだ。何よりにおいが違う。
魔獣・魔物はもちろん動植物のにおいも、人の生活臭すらない。
埃っぽくもなく、腐臭もない。先程の戦闘のせいか血臭は残ってい
る。内と外では、同じ砂岩でも色も質も異なるようだ。
自然にできた洞窟ではなく人工的に作られたものだと、そのほぼ
平らな砂岩の壁や床、天井を見れば誰にでも理解できる││レオナ
ールにはこれがダンジョンなのか、資材を運び込んで作られたもの
なのかは区別はつかないが、いずれにせよ魔術を使っただろう事は
想像がつく││そういう造りだ。
入り口周辺に人の気配はないが、少し奥まった場所││最初の戦
闘をした部屋周辺││に十数人から二十数人、その手前に6∼7人
の気配と声がする。
そちらに近付くにつれ、ボソボソとした声が大きく明瞭になって
くる。戦闘音はないし激しく言い争っているわけでもないが、どう
やら揉めているようだ。
︵斬りたい︶
嫌なにおいがする。
﹁⋮⋮なら、この場は我々が管理しよう。以前の約定もあるし、そ
ちらは手が足りていないのだろう? ならば、我々に委ねた方が良
かろう﹂
1515
知らない男の声だ。
︵斬りたい︶
男は笑っているようだが、ねっとりした悪意と嘲りと驕りを感じ
る。
﹁それはセヴィルース伯による指示か、それとも独断か? わかっ
ているのだろうな、ダニエル・アルツとオルトレール公とアンジェ
リーヌ殿下の不興を買う覚悟があるのか?﹂
ダオルの声が聞こえる。しかし、先の声の主は彼を侮っているの
か、声を上げて笑った。
いとこおじ
﹁わたしを誰だと思っている。伯の義理の従兄弟叔父で騎士団の第
五隊隊長だぞ。元は流れの異国出身の平民ごときが意見できる相手
だと思っているのか、痴れ者が﹂
﹁今の内に忠告するが、ここで退いた方が良い。でなければ後悔す
る事になる。ダニエルがこの件に関して、どれほど熱意を注いでい
るか知っていれば、そのような言動ができるはずがない。
ドラゴン
あの男は敵と見なした相手は問答無用で全て食らい尽くす。Sラ
ンクというのは、災害級魔獣級と同じくらいの脅威だぞ﹂
﹁ハッ、所詮は威を借る狐か。お前こそわかっておるのだろうな。
わたしを敵に回せば、ラーヌの外に出ることはおろか、内にいても
満足に眠れない生活を過ごす事になるぞ﹂
﹁そうか、忠告はしたぞ。では、連れと合流次第ここを去る﹂
1516
﹁ハハハ、わかれば良いのだ﹂
︵斬りたい。すごく、気持ち悪い︶
レオナールは剣の柄に手を掛け、抜刀しようとした。
﹁おい﹂
聞き慣れた声にレオナールが振り返ると、呆れた顔のアランがル
ージュと並んで立っていた。
﹁⋮⋮あら﹂
軽く目を瞠ったレオナールにアランが足早に歩み寄り、人差し指
で額を軽く突いた。
﹁レオ、お前今、何をしようとした?﹂
渋面のアランに、レオナールは声を上げて笑った。
﹁あははっ、ごめんなさい。ついうっかり﹂
﹁ついうっかりで人を斬ろうとするなよ、おい。まったく、念のた
め後を追いかけて良かった。お前というやつは本当に油断ならない
な。だいたいまだ敵対もしてないのにどうして抜こうとした﹂
﹁え、においが臭かったから?﹂
ポマード
﹁は? お前、臭かったら斬ろうとするのか? ってこれ、整髪剤
1517
の香りか、これが嫌なのか? でも、貴族や金持ちは大抵使ってい
るだろ⋮⋮ってまさか、お前⋮⋮﹂
﹁嫌なものは嫌なのよ。それにあれ、なんか気持ち悪い。ウザイか
ら黙らせたい﹂
﹁よくわからないが、そんな理由でいちいち斬ろうとするな。なぁ、
レオ。町に帰ったら鹿でも猪でも好きな肉食わせてやるから、それ
までしばらく我慢しろ﹂
﹁あれ斬ったらスッキリしそうなんだけど﹂
﹁やめとけ。斬ったら厄介な事になって夕飯食えなくなるぞ。最低
一晩牢で過ごす事になる。それに斬ってもにおいは消えないだろ﹂
﹁吐きそうに甘くて変なにおいなんだけど﹂
﹁我慢しろ。離れれば問題なくなる﹂
﹁その前に吐いたらどうしてくれるの?﹂
﹁安心しろ、レオ。ちょっと吐いたくらいで人は死なない。人は普
通斬ったら死ぬか怪我するから、やめておけ。死んだ人は生き返ら
ないんだ。
⋮⋮お前が貴族が嫌いなのはわかってるつもりだが、無闇矢鱈と
喧嘩売ろうとするな﹂
﹁別に喧嘩売ろうとしたわけじゃないわよ。それより、どうして?
私、待っててって言ったわよね﹂
1518
呆れたような顔をするアランと、不思議そうに頭を傾げるルージ
ュを見ながら、レオナールは首を傾げた。
﹁当たり前だ、俺はお前を信用してないからな。お前を単独行動さ
せるわけがないだろう。俺が歩き出したら、普通にこいつも着いて
きたぞ。この幼竜、お前より頭良いよな﹂
アランはキッパリ言い切った。
﹁それ、意味ないわよね、様子見てくるって言ったのに。何かあっ
たら危ないでしょ﹂
﹁その時は﹃嫌な予感﹄がするだろ。︽鉄壁の盾︾か︽眠りの霧︾
一回分の魔力は回復した。無いよりはマシだろ﹂
﹁今まで探索中に魔力切れ起こしたことあまりなかったのに、今回
頻度ひどいわね﹂
おれ
﹁使い慣れない高位魔術を使ったからな。シーラさんくらいの魔力
量があるならともかく、駆け出しの魔術師が使うには、ちょっとな。
その後の休憩も短かったし。俺の心配してくれるなら、問題起こさ
ないように努力してくれ、頼むから﹂
﹁でもたぶんあれ、斬った方が良い部類だと思うわよ?﹂
﹁だとしても、それは俺達が判断することじゃない、レオ。そう思
うなら、しかるべきところへ訴えたらどうだ﹂
﹁⋮⋮面倒臭い﹂
1519
レオナールの返答に、アランは大きな溜息をつき、大仰に肩をす
くめた。
﹁自ら手を下す方が余計面倒だと思うぞ。時間と手間は掛かるが、
自分の手は汚さずに済むし、何より犯罪者扱いされずに済むからな。
面倒臭そうな相手なら俺とダオルでなんとかするから、お前はち
ょっとおとなしくしてろ。嫌なら聞こえない振り見えない振りして、
今日の夕飯の事だけ考えていれば良い﹂
﹁それで良いの?﹂
﹁どう考えてもお前が剣を抜くよりマシだろう。それに、お前の嫌
な事は代わりにやってやるって約束だからな﹂
﹁わかった。アランにまかせるわ﹂
﹁了解。一応言うが、何言われても絶対剣は抜くなよ?﹂
﹁なるべく気を付けるわ﹂
﹁なるべくじゃねぇよ! 抜こうとしたら夕飯抜きだからな﹂
﹁えっ、さっき奢るって、好きな肉食わせてやるって言ったじゃな
い!﹂
﹁人の話は良く聞け。剣抜かなきゃ食わせてやる﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
渋々頷くレオナールに、アランはなるべく早めに町へ帰ろうと決
1520
心した。アランを先頭に、レオナールとルージュが続いて歩くと、
こちらへ向かって歩くダオルに遭遇した。
﹁ダオル﹂
﹁アラン、ちょうど良かった。先程、領兵団のラーヌ駐留黄麒騎士
団所属の第五小隊が来た。捕まえた連中は彼らが連行すると言って、
現在拘束して運んでいるところだ﹂
﹁待て。領兵団の連中は何処から来た?﹂
アランが眉をひそめて尋ねると、ダオルが苦い顔になった。
﹁巨大蜘蛛の方から魔法陣で転移してきたらしい。運び込んでいる
のも、そちらだ﹂
﹁どういうことだ? 俺達が発見する前に、あの場所を知っていた
とでも?﹂
﹁いや。どうもおれ達が門を出た後、着いてきた者がいたようだ。
おそらく場所を確認して、小隊を向かわせたんだろう﹂
﹁何? おい、それ、まさか﹂
﹁冒険者の装備や遺体には興味はないだろうが、宝物や財宝でもあ
ると思っているのだろう。違うと言ったが、あれは信用してない。
︽混沌神の信奉者︾の名称くらいは知っているが、詳しくは理解
してないようだ。セヴィルース伯と直接の伝手はないから、これか
らすぐダニエルに連絡するつもりだ﹂
1521
﹁その方が良いだろうな。外でするのか?﹂
﹁ああ。屋内でも出来なくはないが、外の方が良い﹂
﹁わかった。面倒な事になったな。魔法陣は使えそうか?﹂
﹁しばらく難しそうだ。場合によっては、徒歩で先の場所へ向かっ
た方が早いだろうな﹂
﹁ガイアリザードとルヴィリアは無事かな。こんな事なら連れて来
るんだったな﹂
アランは嘆息した。
﹁そうだな。幼竜が通れるならガイアリザードも問題なかっただろ
う。どのみち遺体または遺品の確保があるから、戻らなくてはなら
ないが﹂
﹁レオが暴走しなきゃ、こんな事にはならなかったんだよな﹂
アランに恨めしげな目を向けられ、レオナールは肩をすくめた。
﹁私のせい? だって、どのみち連中とは遭遇してたんじゃないの﹂
﹁違う。そうじゃなくて、あれがなければ、エリクの遺体を確保し
てから向かえたと言ってるんだ。少なくとも誤転移はなかっただろ
うからな﹂
﹁アラン、しつこい﹂
1522
﹁これだけうるさく言えば、忘れっぽいお前も学習するだろ? し
てくれなきゃ困るが。
まあ、それはともかく、そういう事ならこのまま外に出てさっき
の洞窟へ向かうしかないだろうな。あまり気は進まないが﹂
﹁そうだな。おれとしてもあの連中に幼竜の姿をさらす気にはなら
ない﹂
﹁何か言ってたのか?﹂
﹁おそらくこの拠点も、巨大蜘蛛のダンジョンにも、彼らが望むよ
うな宝物の類いはない。そうなると、それに替わる代物を欲しがる
だろう。幼竜は、とても稀少だからな﹂
﹁まともな神経してたら、こんなもの欲しがらないだろう。レオと
一緒だとそうは見えないかもしれないが、幼竜とはいえれっきとし
たドラゴンだ。愛玩動物じゃないし、下手に手を出したら死ぬぞ﹂
﹁それが理解できない者もこの世にいる。つい先程会話したが、あ
の小隊長はこちらの話に聞く耳持たないようなので、一旦引く事に
した。
領主の遠い親戚とはいえ係累なのに、こんなところで小隊長やっ
ている時点で仕方ない事かもしれないが﹂
﹁それは早々に退散した方が良さそうだな﹂
一行は足早に外に出た。追ってくる気配はないが距離を置いてか
ら、ダオルは紙に何かを書きつけて封をすると、魔道具を取り出し
押しつけた。
封をした手紙と魔道具が白く輝き、手紙がふわりと宙に浮いた。
1523
そして、北東へ一直線に飛んで行く。
﹁結構速いな﹂
﹁ああ、人に運ばせるよりずっと速い。魔術師ならば使い魔を利用
できるのだろうが、これは魔力の少ない者でも使えるのと場所を選
ばないのが利点だな。
特に使用制限はなく、魔力が少なくなると赤く光るようになるか
ら、魔石を交換すれば問題ない﹂
﹁使い魔を持つ魔術師も少数だろう。それは特定の相手にしか使え
ないのか?﹂
﹁ああ。対の魔道具を所持した者にしか届けられない。問題がある
とするなら、常に移動していると届くのが遅くなることだ。
それと、あれより速く移動していると、いつまで待っても届けら
れない。また、対の魔道具を持たない者は触れられないが、あれに
魔法などで攻撃して燃やしたり破損させることは可能だ﹂
﹁手頃な値段なら欲しいんだが、高いんだろうな﹂
﹁ダニエルが知人の魔術具技師に作らせたらしい。たくさん持って
いるから、頼めば融通して貰えるだろう。値段まではわからないが﹂
﹁おっさんなら頼めば無償でくれそうだが、後が面倒そうだ﹂
﹁ずいぶん可愛がっているように見えたが?﹂
﹁それは否定しないが、あのおっさんの感情表現はゆがんでいる上
に、本性見せた相手には色々面倒臭いんだよ。ダオルの目にどう見
1524
えているのかは知らないが、あの人無償奉仕は基本的にしないぞ。
与えた分は強制的にでも徴収する。それが目に見える形のものじゃ
なかったりするから、鈍感な人や美化している人には気付かれない。
敵にしても味方にしても面倒なんだ﹂
﹁敵にしても味方にしても面倒、というのは同意する﹂
﹁じゃあ、行くか。早いところ回収して、済ませてしまおう﹂
アランの言葉に、ダオルは頷いた。
◇◇◇◇◇
一行は南下し街道を越えた辺りで、ルージュを先頭に巨大蜘蛛や
アラクネのいた洞窟を目指した。途中から多くの枝が払われ、草が
踏み荒らされ、土が踏み固められて道のようになっている。
﹁あの連中、馬で来たのか﹂
﹁ドラゴンが走った後だから、通常よりは走りやすかっただろう。
その前に枝葉を鉈か何かで切り払ってあるようだが﹂
﹁稀少な薬草や樹木はないようだから良いのかもしれないが、結構
無茶するな﹂
﹁荷車のような跡もある。もしかすると、おれ達は何日も前から見
張られていたのかもしれない﹂
1525
ダオルが渋面で言うと、アランも顔をしかめ、レオナールも肩を
すくめた。
﹁やはりラーヌは早々に発った方が良さそうだ﹂
アランはウンザリしたした口調でぼやく。
﹁えっ、古き墓場は?﹂
﹁転移陣があるからロランからでも行けるだろ。ラーヌは組織丸ご
と換えなきゃダメなんじゃないか?﹂
﹁どんな組織も一度に全て変えようとすると弊害があるから、丸ご
と交換は無理だろう﹂
﹁全部斬れば済むのにね﹂
﹁⋮⋮それで済むなら、お役人の仕事も多少は楽になるだろ﹂
アランは溜息をついた。洞窟前にたどり着くと、ルヴィリアが駆
け寄って来た。
﹁ちょっと! 置き去りにするなんて酷いじゃない!!﹂
ルヴィリアの叫びに、ダオルはふむと頷き、アランはしまったと
いう顔になった。レオナールは素知らぬ顔である。
﹁すまない。すぐ戻るつもりだったのだが、諸事情あって遅くなっ
た﹂
1526
ダオルが謝り、アランも慌てて頭を下げた。
﹁悪い。ちょっとレオがドジ踏んで遠回りする羽目になった﹂
﹁えーっ、それ、ちょっと省略しすぎじゃない? 私も悪かったか
もしれないけど、それだけが原因じゃないでしょう﹂
﹁良くわからないけど、レオナールのせいなのね! そんな事より、
大変なのよ!! ラーヌ駐留の領兵団の小隊が来たのよ。なんか半
数が騎馬で、下働きと従者と輜重付き! 煮炊き道具まで持参よ﹂
﹁⋮⋮あー、そうらしいな。とにかく証拠の遺体を回収してラーヌ
に戻ろうと思ってるんだが﹂
苦い顔でアランが言うと、ルヴィリアが眉をひそめた。
﹁えっ、まだ回収できてないの? どれだけ時間経ったと思ってる
のよ。早くしないと日が暮れるわよ﹂
﹁蜘蛛見て入り口で気絶してた人に言われたくないわね﹂
レオナールが鼻で笑いながら言うと、髪を掻き上げた。その言葉
と態度に、ルヴィリアがカッとなる。
﹁うっ、うるさいわね! 人には誰しも苦手なものがあるのよ!!﹂
﹁虫嫌いとか冒険者としては致命的よね﹂
﹁⋮⋮あぁ、それだけど、悪いけど私、冒険者なんて無理だわ。絶
対無理。でも良く考えたらダニエルから最初に言われた仕事内容っ
1527
て、あなた達の支援とレオナールに一般常識を教える事だから、冒
険者になる必要なかったのよ!﹂
﹁え?﹂
﹁は?﹂
キョトンとするレオナールとアランに、ルヴィリアが満面の笑み
で宣言した。
﹁そういうわけだから、私、町で引きこもるわ! 昼間はあなた達
仕事するから、会うのは夕方から夜で十分よね。私も昼間は本職、
占術師と薬師の仕事をするわ。確か冒険者ギルドの仕事に、薬草採
取とか薬の納品とかもあったはずだから、問題ないわね!﹂
﹁⋮⋮問題ないかどうかはともかく、レオに常識が必要なのは確か
だな。学習できるか否かは別にして﹂
コホンとわざとらしい咳払いをして言うアランを、レオナールは
睨む。
﹁ちょっと、アラン! 今、こいつ面倒だから私に押しつけよう、
とか考えなかった!?﹂
﹁そんな事はないぞ。お前に一般常識がないのはただの事実だから
な﹂
アランは胡散臭いニッコリとした笑顔を作って言う。
﹁私は嫌よ! なんでそんな面倒臭いこと⋮⋮っ!﹂
1528
﹁言っておくけど、私だって断れるものなら断りたいし、やりたく
ないわよ。でも、手付金と報酬貰っちゃったから、その分の仕事は
するわ。だいたい、私が冒険者になっても、少なくともあなた達の
役には立たないでしょ。足手まといになるくらいなら、最初から同
行しない方が良いわよね﹂
ルヴィリアが﹁ほら、これで問題ないでしょ﹂と言わんばかりの
表情で堂々と言い切る。アランは一応正面を向いてはいるがルヴィ
リアと目を合わせず、愛想笑いのまま頷いた。
﹁そうだな。それで別に問題ない。そういえば薬師や情報屋の真似
事が出来るという話だったな。なら、町に滞在してそっち方面で支
援してくれると、俺の仕事が減って助かるな﹂
﹁ちょっと、アラン! 自分だけ逃げないで、こっちのフォローも
してよ!! 別に教育係や指導役なんて要らないわよ!﹂
﹁レオ、お前はもうちょっと頑張って頭使った方が良いと思うぞ。
どうしても嫌なら、俺よりダニエルのおっさんを説得した方が早い
だろ、ハハッ﹂
﹁ちょっと! どうして私と視線合わせようとしないのよ!!﹂
﹁うん、今日も天気に恵まれて良かったな。よし、日が暮れない内
に回収して、ラーヌへ戻るか!﹂
﹁わざとらしいわよ、アラン!﹂
アランはレオナールともルヴィリアとも目を合わせぬよう、ダオ
ルを促して洞窟の中に入った。残されたレオナールとルヴィリアは
1529
顔を合わせた。
﹁ねぇ、あなた私のこと嫌いなんでしょう? それでもやるわけ?﹂
﹁ええ。残念ながら使ったお金は返って来ないから仕方ないわ。そ
れに、私もそろそろ稼がないと。お金っていくらあっても飛ぶよう
に消えちゃうのよね﹂
﹁それ、使い方が悪いんじゃないの?﹂
レオナールは呆れたような目でルヴィリアを見た。
﹁うるさいわね! あなたみたいな変態××××野郎に言われたく
ないわよ!!﹂
﹁うるさいはこっちの台詞よ。躾けのできてない犬みたいにキャン
キャンわめくのはやめてくれないかしら?﹂
﹁死ね! ××野郎!!﹂
﹁下品ね﹂
ルヴィリアの怒りの叫びと、レオナールの哄笑が辺りに響いた。
1530
17 逃げる魔術師と怒る占術師と嗤う剣士︵後書き︶
スマホなどPC以外の端末向けに改行増やす事にしました。
ガラケーなのでスマホだとどう見えるのか知りませんが、ipad
やVITAから見る限りでは、スマホの画面だと見づらそうです。
あと3話で完結すると良いなと思ってますが、書く度に増えている
ような。
1531
18 ラーヌへの帰還
﹁アラン、良いのか?﹂
ダオルに尋ねられて、アランは困ったような苦笑を浮かべた。
﹁良くはないだろうが、短期間ならたぶん大丈夫だろ。でも、おっ
さんに伝えておいてくれると有り難い。あと、次にこんな事する時
は事前連絡は絶対欠かすなって。紹介された時から、どうせ続かな
いと思ってたから、期待はしていなかった。彼女が今後どうしよう
と、俺に害がなければ問題ない﹂
﹁レオナールは本気で嫌がっているようだったが﹂
﹁そりゃ嫌がるだろ。でも、俺が教師役するよりはたぶんマシだろ
うからな。ヤバイと思ったら止めるが、それまでは様子見る。たぶ
ん一週間もしない内に両方音を上げると思うが、特に問題なければ
好きにやらせれば良い。
あいつ、俺が言っても好きこのんで他人と関わろうとしないから
な。いい加減、絡まれても暴力・暴言以外の方法で対処する方法を
学習して貰おう﹂
﹁それを本人に言ってやれば良いだろう﹂
﹁言って聞くようなやつならそれで良いが、レオが理解できると思
えないな。例え数秒前の事でも、興味ない物事はすぐ忘れるんだ。
それが必要になった時に助ければ良い。
やらない事はできないんだから、無理矢理にでもやらせてみれば
1532
全く身にならない事もないだろう。俺だとつい手加減したり、甘や
かすからな﹂
﹁それがわかっているなら、アランが教えてやった方が良い気がす
るが﹂
﹁どうかな。俺、一応あいつの友人やってるけど、たぶん対等じゃ
ないんだ。お互い言いたい事は結構言い合ってると思うが、まとも
な喧嘩は一度もした事がない。
もし、仮に本気でぶつかり合ったら、その時は最悪それが最初で
最後の決裂になりかねない。なんていうのかな、あいつ、人の形は
しているけど、まだ人になりきれてないんだ。
ほら、赤ん坊って、言葉話し始めるまではわりと獣みたいな行動
する事あるだろう? あれに似てると思う。人の真似をするのは上
手いけど、それが何を意味しているかまでは理解できてない、そん
な感じなんだよなぁ﹂
﹁精神年齢が幼いということか?﹂
﹁それも無くはないが、ちょっと違う気がする。上手く言えない。
わかっているのは、あいつが本気で嫌だと思って逃げたら、俺には
どうしようも出来ないって事だな。
今のところ、レオと対等以上につきあえる人がいるとしたら、ダ
ニエルのおっさんだけだと思う。でも、あのおっさん、人間として
はものすごくダメな部類で、凄腕剣士じゃなかったら間違いなく魔
獣レベルの害悪しか周りに振りまかないだろ。レオにあれを参考に
されると困る。
あいつ、ああ見えてものすごく素直で影響受けやすいからな。騙
されやすいとも言うが﹂
1533
﹁ダニエルが人迷惑なやつだ、という意見には同意する。ある意味、
おれもあいつの毒を被った口だ。救われた部分がなくもないが﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁ほぼ初対面で死にたければ勝手に野たれ死ね、と言われたな。た
だし、俺の視界に入るところで死のうとしたら、全力で妨害してや
る、と。そして、それから半年ほど寝る時以外不定期につきまとわ
れた﹂
﹁⋮⋮それ、憲兵とか領兵に突き出して良いレベルなんじゃないか
?﹂
﹁そうだな、辺境じゃなければそうしたかもしれん。何度か剣を抜
いてやりあったが、一方的に遊ばれただけだった﹂
﹁え、それで、よくまぁ、あのおっさんと付き合う気になれたな﹂
﹁ダニエルは、自分の都合通りに事を進めるためには、手段を選ば
ないからな。最後は根気と気力・体力の勝負だ。おれの場合は、諦
念もある。こちらが諦めなければ、死ぬまでつきまとわれるかもし
れない、というのは恐怖と紙一重だが﹂
﹁それは気の毒としか言いようがないな。あのおっさん、ほとんど
人外だし。今はどうだ、ダオル。後悔してるか?﹂
﹁後悔しない生き方はできそうにないが、現状に後悔はないかと聞
かれたなら、ない。面倒なのと遭遇した、という気持ちがなくはな
いが、今では感謝もしている。それなりに居場所も見つけた。あと
は彼が起こすトラブルに巻き込まれなければなお良い、というだけ
1534
だ﹂
﹁そうか。なら良かった。弱味握られてこき使われてるとかじゃな
くて﹂
アランが安心したように言うと、ダオルは苦笑した。二人がエリ
クの遺体を見つけた場所へたどり着くと、三名の領兵と遭遇した。
﹁貴様、何者だ!﹂
剣を抜こうとする領兵に、ダオルが身分証と冒険者ギルド証を見
せた。
﹁先程も小隊長殿に挨拶させてもらった、Aランク冒険者のダオル
だ。後見人はダニエル・アルツとアレクシス・ファラー。︽疾風迅
雷︾と︽蒼炎︾の方がわかりやすいか﹂
﹁︽疾風迅雷︾に︽蒼炎︾だと!? 冒険者が何故ここにいる﹂
﹁依頼を受けて先にこの場所を探索していたのは、我々の方だ。こ
こには、行方不明の冒険者の遺体と遺品を探しに来た。それを回収
すれば、撤収する﹂
ダオルの返答に、兵士達は何か相談し、先程の男が頷いた。
﹁良いだろう。ただし、お前達がそれを回収してこの洞窟を出るま
で、見張らせて貰おう﹂
あまり嬉しい展開ではないと思いつつ、アランもダオルも了承し
た。麻布で包みかけて放置された遺体はそのままの状態で見つかっ
1535
た。きちんと包み込んで、ダオルが担ぎ上げる。
︵できればもう少し色々、調べておきたかったな︶
アランはそう思うが、彼らがここに居座る間は難しいだろう。余
計な事を言って絡まれたくはないので、無言でそのまま外へと向か
った。
◇◇◇◇◇
﹁ところでドジったって、何をやらかしたの?﹂
ルヴィリアの質問に、レオナールは聞こえない振りをした。
﹁ちょっと、聞こえてるんでしょ? 答えなさいよ﹂
﹁うるさいわね。それをあなたに教えて、何か意味があるの? 済
んだ事だし、あなたには関係ないでしょう﹂
﹁そうね、関係ないわね。ただの好奇心よ。あとはそうね、あんた
に対する罵倒文句のバリエーションが増えるかもね﹂
﹁それ、私に何の利点があるのよ?﹂
﹁私にはあるでしょ!﹂
胸を張って言うルヴィリアに、レオナールが白けた視線を向けた。
1536
﹁前から思ってたけど、面倒臭い女ね﹂
﹁好奇心旺盛じゃなければ、今頃こんなところで、こんなことして
ないわよ。面倒臭い云々に関しては、人の事言えないでしょ。あん
た達全員面倒臭いじゃない。だいたい、面倒臭くない人ってどうい
うの? だいたい、あんたの目で見て面倒臭くない人がこの世に存在する
わけ?﹂
﹁お喋りは長生きしないって、ママに教わらなかったの?﹂
﹁おあいにく様! 私、幼少時に両親と別れて孤児院育ちなの。院
長先生は良い人だったけど、別にお喋りするなとは言われなかった
わね。まぁ、当時の私は地味でおとなしい良い子だったけど﹂
﹁あなた、おとなしい良い子の意味を調べた方が良いわよ。たぶん
きっと間違って覚えてるから﹂
﹁あんたに言われたくないわね! 私は相手を見て合わせるから問
題ないわ。これでもプロの占術師だもの。相手の期待する役割を演
じるのは得意なのよ﹂
﹁なら口を閉じて、そのまま一生黙っててくれる?﹂
﹁嫌よ。どうしてあんたのために、そんな事をするっての? 私は
無償奉仕はしない主義なの。私に何かして欲しければ相応の報酬を
払いなさい。
だいたいあんた、私にいまだにまともな謝罪してないじゃない。
今からでも良いわ。両手両膝地に付けて、﹃ごめんなさい、私が悪
かったです﹄って言ってみなさい。そうしたら今後の対応考えてあ
1537
げても良いわ﹂
レオナールは面倒臭くなったので、口を閉じた。ルージュが甘え
るように、﹁きゅう﹂と鳴いた。
﹁ああ、そうね。お預けにして、そのままだったわね。ごめんなさ
い、ルージュ。じゃあ、ちょっと狩りに行く? でもアランがうる
さそうね。いっそ全員殺した方がてっとり早いと思うんだけど﹂
﹁え、ちょっと、レオナール! 何の話してるの!?﹂
﹁ルージュは干し肉はあまり好きじゃないのよね。入り口付近のは
食べちゃったから奥へ行くか、外で狩るかよね。でもここの森、外
では全く魔獣見なかったから、見つかるかしら?
良い肉屋があれば良いけど、あなた血抜きしない肉の方が好きだ
ものね。本当、人ならここにもいるのに﹂
チラリとルヴィリアを見たレオナールに、ルヴィリアは戦慄し、
全身鳥肌が立った。
﹁えっ、ちょっ、何言ってるの!? ねぇっ!!﹂
﹁アランがダメだって言わなかったら、もっと楽なんだけど。ねぇ、
ルージュ。あなた何が食べたい?﹂
﹁きゅきゅきゅーっ!﹂
ルージュが何を言ってるのかは、理解できない。たぶん肉だ、と
でも言っているのだろうが。
1538
﹁おい、何を騒いでるんだ?﹂
アランとダオルが、現れた。
﹁あら、お帰りなさい、アラン。ルージュが餌を欲しがってるの。
何か狩ってから帰っても良いかしら。生肉ならたぶん何でも良いん
だけど﹂
レオナールの言葉に、アランが渋面になる。
﹁あまりお前に単独行動させたくないんだが﹂
﹁じゃあルージュが喜ぶ肉を買ってくれるってわけ? ふふ、新鮮
な肉なら人でもかまわないわよ? 罪人なら問題ないわよね﹂
﹁おい、﹂
アランがそれ以上言う前に、領兵三名が慌てたように、回れ右す
る。
﹁わ、我々は任務に戻る! いいか、くれぐれも悪さをするなよ、
冒険者ども!!﹂
走るような速度で立ち去る男達を見送って、レオナールが肩をす
くめた。
﹁ところで、あれ、何だったの?﹂
﹁⋮⋮さっきダオルやルヴィリアが言ってただろ、もう忘れたのか
?﹂
1539
﹁それは覚えてるけど、なんであの人たちと一緒だったの?﹂
﹁ちょっとな。それよりレオ、この洞窟に入るのは諦めた方が良さ
そうだぞ。数日、数ヶ月先はわからないが、今日明日は無理だ。ど
こで狩りをするつもりだ?﹂
﹁コボルトの巣があった森が良さそうよね。適当に狩って帰るから、
先に帰っててくれる?﹂
﹁いつもだったら頷くところだが、お前一人にして本当に大丈夫か。
寄り道したり、絡まれたり、トラブルに遭遇したりしないか?﹂
﹁信用しなさいよ﹂
﹁できるか! でも、早く済ませたいし、どうしたもんかな﹂
﹁おれが付き合おう﹂
﹁良いのか、ダオル﹂
﹁ああ。しかし、そうなると積み替えや、馬車の回収が困るか﹂
﹁なら、それ手伝ってからなら良い? どうせそこまでは同行して
も変わらないもの﹂
﹁その方が助かるな。今夜の宿はどうする。前と同じところにする
か?﹂
﹁一晩だけなら、おれが今いる借家でも良さそうだな。食事は外で
1540
適当に済ませれば問題ない。場所はルヴィリアが良く知っているか
ら、問題ないだろう﹂
﹁⋮⋮元は私の家だったんだけど﹂
ダオルの言葉に、ルヴィリアがボソリと呟く。
﹁じゃあ、ダオルの住んでる家に泊まろう。自炊できるようなら俺
が作るけど、どうする?﹂
﹁自炊できるようにはなってないから、外食の方が楽だと思うぞ。
使うとなると、竈の煤や蜘蛛の巣を払うところから始めないと﹂
﹁あー、疲れてなけりゃやるんだがな﹂
アランが少し遠い目になった。
﹁ベ、ベッドはどうするのよ! 確か一つしか用意してなかったわ
よね﹂
﹁ああ、それは問題ない。後日人が増える予定だったから、客室全
てに家具と寝具を入れてある。でも、地下の部屋には入らない方が
良い。人が使える状態じゃないからな﹂
﹁わかった﹂
﹁金持ってる人って、時折お金の使い方がおかしいわよね﹂
ダオルの答えにアランが頷き、ルヴィリアがボソリと呟いた。
1541
﹁じゃあ、日が暮れる前に戻るか﹂
エリクの遺体をガイアリザードに載せ、馬車の荷台と幌を回収し
て荷を載せ替え、アランとルヴィリアはラーヌへ、レオナールとダ
オルはそのまま北の森へと向かった。
◇◇◇◇◇
﹁で、その家ってどこにあるんだ?﹂
﹁南区の東の端の方ね。要らない荷物置いてからにする? でも遺
体があるから、冒険者ギルドに向かった方が良いかしら﹂
﹁あー、遠回りになるけど仕方ないな。そういえばルヴィリアは︽
重量軽減︾も︽浮遊︾も使えないんだったか﹂
﹁言っておくけど、普通は使えないわよ。そういうアランは使える
の?﹂
﹁︽浮遊︾の方はな。︽重量軽減︾は見つけた当時、金が足りなく
て諦めた。次に見つけたら買いたいが﹂
﹁魔術師は使える魔法があればあるほど良いんでしょうね。私、魔
法の適正はあるみたいだけど、魔力量はそんなでもないのよね。魔
法耐性が高いから、助かってるけど。たまにいるのよね、幻術系や
催眠系をかけようとするやつ﹂
﹁俺だって、魔力量が豊富ってわけじゃないぞ。でも選択肢は増え
1542
るからな。それに必ずしも毎回レオと同行しているわけじゃないし﹂
﹁そうなの?﹂
﹁成人する前の見習い時代は、基本俺一人で薬草や調合した薬の納
品に行ってたよ。採取の時は一緒だったけど﹂
﹁ふぅん、四六時中一緒にいるのかと思ってた﹂
﹁そんなわけないだろ。だいたい、あの性格だ。俺がああしろこう
しろって言ったって、あいつが嫌なら好き勝手に行動するし、一緒
にいると面倒事に遭遇しやすいからな﹂
﹁それはわかるわね。どうして、あれと一緒にいるの?﹂
﹁一言でいうなら、利害の一致、なんだろうな。それだけじゃない
と思うが。俺としてはレオが死ぬか、俺を必要としなくなるまでは、
できるだけ面倒見てやるつもりだけど、あいつがどう考えているか
までは知らない﹂
﹁え? 何ソレ、あなたあいつの保護者のつもりなの。でも現状ほ
ぼ野放しじゃない?﹂
ルヴィリアが呆れたように言うと、アランは苦笑した。
﹁いや、そういうんじゃなくて、できればずっと一緒に冒険者やり
たいけど、俺があいつについて行けるか、ちょっと自信ないんだ。
なるべくならあいつに切られる前に、独り立ちできるようにしてや
りたいと思ってるし、そうなった時は、俺は俺でやっていこうと思
ってる。
1543
俺がなりたかったのは、冒険者じゃなくて﹃魔術師﹄だからな。
小さな事でも良いから、誰かに感謝して貰えるような、そういう魔
術師になれれば十分だ。
だからランクを上げようとか、ガツガツ金を稼ごうって気はない。
そういうのに血道を上げると、面倒事や厄介事が多くなるだけだし
な。
正直、レオをちょっと甘やかしてるとは思ってるけど、どう考え
ても出来ることより出来ないことの方が多いし、今できない事を無
理にやらせようとしても無駄だろ。だから少しずつ出来ることを増
やしたり、得意分野を伸ばしたりした方が良い。
たぶん今のあいつに、嫌がる事させても何も身につかないし、学
習する気がないから意味もない。好きなもの、大事なものを増やし
て、人に慣れさせてからの方が良いだろうし、何より興味を持たせ
てからじゃないと、どうにもならない﹂
﹁何? それってつまり、私が普通にあいつを教育しようとしても
無駄だって言いたいわけ?﹂
﹁レオに一般常識を教育・学習できるかどうかはともかく、読み書
きはまともに出来るように教えてやってくれると助かる。
ただまあ、最初に言っておくと、あれは図体の大きい幼児だと思
った方が良い。人見知りが激しい上に、人と物と虫や獣なんかの区
別ができていない。一度に詰め込もうとするのは無理だ。間違いな
く聞き流されるか、聞かなかった事にされる﹂
﹁もしかして絵本の読み聞かせから始めた方が良いレベル?﹂
﹁俺が教えたからそこまで酷くはないはずだが、文字一つ書かせて
も俺以外には判読が難しいからな。でもあいつに書き取りをさせて
も、真面目にやらないし。この文字を十回書けって言うと、一応そ
1544
の通りにはするんだが、どれ一つとして同じに書けてないんだ。あ
いつ、目は悪くないどころか常人より良いはずなんだが﹂
﹁それって、ものすごく不器用ってことなんじゃないの?﹂
﹁あんなに器用に剣を扱えるのにか? ペンの持ち方もおかしくな
いんだが﹂
﹁剣とペンじゃ大きさがだいぶ違うでしょ。それに好きなことは熱
心にやるもの。得意不得意は誰だってあるじゃない﹂
﹁そうだな。あいつがもっと色々な事に興味持ってくれれば、それ
が一番だと思う。ちょっと偏り過ぎなんだよな﹂
﹁アランはちょっと、面倒見すぎてるんじゃないの? やらなくて
も代わりに誰かがやってくれるなら、いつまでたってもやる気にな
らない気がするけど﹂
﹁でも、あいつ、トラブルや戦闘を喜ぶんだぞ。俺が面倒見なかっ
たら、そこら中に喧嘩売りまくって人を斬りまくって、指名手配さ
れる未来しか思い浮かばないんだが﹂
﹁この世の全ての人がそうだとは言わないけど、人って楽な方へ流
れるものよ。面倒臭いことや辛いことは、なるべくしたくないのが
人情ってもんじゃない?
自分でやらなきゃどうしようもないって事態になったら、嫌でも
やるでしょ。それができないやつは、社会からはじき出されて当然
だわ。群れになじめない生き物は、排斥され淘汰されるの。それが
自然の摂理ってやつよ。死にたくなければ、本気出すでしょ﹂
1545
﹁レオにそれが理解できてるとは思えないんだが﹂
﹁それが本当だとしたら、甘やかしすぎじゃないの? そんなおバ
カさんは、世のため人のため、一度死んでみれば良いのよ﹂
﹁一度でも死んだら、それで終わりだろ?﹂
﹁そうね。だけど、それの何が問題? 自分が生きる環境に順応で
きないやつは、死ねば良いのよ。死ぬのが可哀想だとでも言うの?
なら、アランは一生面倒見てあげるわけ? そうしたいなら、そ
うすれば良いわ。ただし、人に迷惑掛けないでね、共倒れになった
としても﹂
﹁⋮⋮キツイな﹂
﹁所詮は他人事だもの。仕事はするわ。仕事以外の事をする気はな
いけど。私はこの世で一番自分が可愛いの。自分以上に大切なもの
はないから、何においても自分を最優先にするわ。だから、あなた
たち見てるとイラッとするわね。正直な感想言うと、気持ち悪い?﹂
ルヴィリアが首を傾げて言った。
﹁気持ち悪いとまで言われると、どう返すべきか悩むな﹂
﹁そこで怒らずに真面目に返されると、私も困るんだけど。何よ、
アラン、イラッとしないの? 赤の他人にここまで言われてムカつ
かないわけ?﹂
﹁別にしないな。まあ、ルヴィリアが赤の他人だから気にならない、
というのが正解か﹂
1546
﹁それはそれで、なんかムカつくわね。正面切ってそういうこと言
わない方が良いわよ、アラン。相手がぶち切れて襲いかかってきた
らどうする気よ﹂
﹁ルヴィリア程度なら、俺一人でもなんとか出来そうな気がするか
らな﹂
や
﹁何ソレ、ちょっと本気でムカついてきたかも。戦りあいたいなら、
相手になるわよ?﹂
﹁は? いや、別に喧嘩売ったつもりはないぞ。幻術と精神魔術の
厄介さは今回勉強になったし、ルヴィリアが良ければ報酬払って教
えて貰いたいと思うんだが﹂
﹁え、何? アラン、私に魔法習いたいって言うの?﹂
ルヴィリアは驚き、目を見開いた。
﹁ルヴィリアが嫌なら諦めるけど、できれば頼む。そもそも教えて
くれる気があるのか、いくらくらいの報酬なら良いと思うか知りた
い﹂
﹁ふぅん、じゃあ基礎を教えるだけなら金貨3枚って言ったら?﹂
﹁え、良いのか!? なら頼む。いつから頼める?﹂
﹁え? アランの都合と報酬を払ったらだけど⋮⋮まさか払うの?
っていうか、払えるの? あなたFランクでしょ﹂
1547
﹁ああ、何とかギリギリ払える。それに今回ミスリル合金が大量に
手に入ったから問題ない﹂
﹁ミスリル合金!? それって私の分もある?﹂
﹁え? 最初に報酬の話をしなかった俺も悪いとは思うが、ルヴィ
リア、お前、自分が参加しなかった戦闘の戦利品も分配しろって言
ってるのか?﹂
﹁⋮⋮戦利品?﹂
﹁ミスリルゴーレムが2体出たんだ﹂
アランの言葉にルヴィリアは一瞬絶句した。
﹁え、じょ、冗談よね?﹂
﹁こんな冗談言ってどうする。事実だ。でなければこんな平地でミ
スリルなんか出るはずがない。だいたいミスリル合金は人工でしか
できないだろう﹂
﹁だって、普通、ミスリルゴーレムなんて駆け出し冒険者に倒せる
はずないでしょ? いくらダオルがAランク剣士でも﹂
﹁ミスリルゴーレムなら魔法当てられれば、大丈夫だろ?﹂
﹁待って、私、冒険者としては素人だけど、私の一般的な常識だと
ミスリルゴーレムってCランク以上のパーティーで倒すものなんだ
けど﹂
1548
﹁そうなのか? でも、普通のミスリルゴーレムならレオと幼竜が
いれば止められるぞ。それとも、あれ、弱かったのかな﹂
﹁そうか、そういえばレッドドラゴンがいるから⋮⋮でも、なんか
そういう問題じゃないような﹂
﹁とにかくミスリル合金はダオルと俺達三人で分配するつもりだっ
たんだが﹂
﹁仕方ないわね。私、洞窟入ってすぐの最初の戦闘しかしてないし。
何もしてないのに、分けろとは言いにくいわ﹂
﹁へえ、それでも出せと言われるかと思った﹂
﹁私お金は好きだけど、相手構わず喧嘩売るほどではないわよ。ア
ランは忍耐強いみたいだけど、レオナールはキレさせると恐いもの﹂
﹁あいつ、別にキレなくても斬りたがるタイプだぞ﹂
﹁余計悪いじゃない。あれ、本当にタチが悪い生き物よね﹂
﹁頼むから返答しづらいこと言わないでくれ﹂
﹁あら、これくらいで困るの? アランも内心ちょっとは思ってる
んじゃない?﹂
﹁まぁ、それはともかく、金貨3枚で魔法を教えてくれるんだな?﹂
アランは慌てて言った。
﹁そうね。それにしても、絶対払えないと思ったのにあっさり出そ
1549
うとするなんて、アランは絶対カモにされるわよ。もっと警戒心持
ったらどう?﹂
﹁知識や情報を得るのに金が掛かるのは当然だし、の価値も人それ
ぞれだろう。心当たりは他にあれば渋るだろうが、それだけの価値
はあると思うから出そうと判断しただけだ。ないと思えば最初から
諦めるか保留する﹂
アランに真顔で言われて、ルヴィリアは諦めたように溜息をつき、
肩をすくめた。
﹁金貨は金貨ても小金貨で良いわ。それ以上の価値のあるものを、
教えられる自信はないから﹂
﹁良いのか?﹂
﹁良くもまぁ、こんな成人したての小娘が金貨3枚分の知識を持て
ると思えるわね。ちょっと甘過ぎるわよ、アラン。それじゃ悪意の
ある人に絞り取られるだけよ。
まぁ、それがあなたの良いところなのかもね。困ったことがあれ
ば力になってあげても良いわよ。私が暇な時なら有料でね﹂
﹁わかった、その時は頼む。けど、金持ちじゃないから報酬はあま
り期待しないでくれ﹂
﹁場合によっては出世払いか、労働で払って貰うから気にしなくて
も良いわよ﹂
﹁ははっ、了解﹂
1550
アランは冗談だと思い、軽く流すことにした。もちろん魔術につ
いての話は本気である。
平然とした顔を作るルヴィリアの頬が少し赤くなっていることに
は全く気付かなかった。
1551
18 ラーヌへの帰還︵後書き︶
ギルド報告まで行けませんでした。
次回ギルドに報告。
1552
19 占術師の素朴な疑問
アランとルヴィリアが冒険者ギルドに入ると、そこそこ混雑して
いた。受付は一つを除き、行列がついている。
﹁受注受付とはいえ、あれで良いのか。ラーヌ支部はロラン支部よ
り、金に余裕あるのかもしれないが、非効率だろうに﹂
この時間帯に依頼受注する者が少ないのは理解できるが、職員を
無駄に遊ばせるくらいなら他の職員の手伝いをさせるとか、別の仕
事を割り振っても良いのでは、とアランは思う。もしかして、朝は
逆の現象が起きているのかもしれないが、そうなるとますます非効
率だ。せめて、勤務時間をずらすといった手段もあるだろうに。
今回の依頼の担当職員はジャコブなので彼に報告をする予定だが、
あの様子ではそういうケースは少なそうだ。他の受付は二十人前後
から四十人近くは並んでいる。アランは眉をひそめた。
︵無駄が多すぎる。ロランは討伐証明・素材引取および鑑定受付が
一つある他は、受注も報告も依頼も登録も同じ受付でやるのに。あ
れで同じ給料と勤務時間だとしたら、絶対不平不満が出ると思うん
だが。
仕事の効率化・均等化は、冒険者や職員にとっても、幹部にとっ
ても、良い事ずくめだろうに︶
アランとレオナールの受付がほぼ毎回ジゼルなのは、何故か他の
職員の列に並んでも、その職員が何らかの用事で席を立ち、ジゼル
と交代することが多いからである。ロラン支部で、その理由や原因
に気付いていないのはアランくらいだが。
1553
﹁あの人以外は若くてきれいな女の人ばかりね。顔で採用したのか
しら﹂
ルヴィリアが辛辣な意見を、淡々とした口調で言う。
﹁まぁ、見てくれはある程度大事だろうな。大事なのは美醜じゃな
く、相手に不快感を与えないかどうかだと思うが﹂
アランが溜息をつき、声量を落として答えた。
コワモテ
﹁荒事担当の用心棒さんは見えないところに配置されてるのかしら﹂
﹁そこまでは知らない。でもいないと面倒そうだよな、冒険者の男
女比率を考えたら﹂
﹁やっぱり何処の支部も男だらけで汗臭いの?﹂
普段通りの声量で嫌そうな顔で言うルヴィリアに、アランが眉間
にしわ寄せながら、首を左右に振ってフォローする。
﹁汗臭いのは仕方ない。冒険者ってのはそういう仕事だからな﹂
﹁アランはあまり汗かかない方?﹂
﹁悪かったな、汗をしっかりかくほど動く前に息が切れるんだ。体
力つけなきゃいけないのはわかっているけど﹂
﹁ふぅん。そういえばアラン、護身用に投擲とか杖術とかやらない
の?﹂
1554
﹁⋮⋮そういえばルヴィリアは投擲と短剣が使えるんだったな﹂
﹁まぁ、護身程度にね。正直幻術含めて占術以外は基本くらいしか
習得してないわ。ただ、私、ものすごく運が良いみたいで、目を閉
じて投げた方が命中率良いみたい。不思議よね﹂
﹁なんだよ、それ。本業のやつが聞いたら泣くぞ﹂
﹁たぶん目を開けてる時は雑念や意図、あるいは欲が入るからだと
思うわ。当たれって考えて投げるより、無心で投げた方が良いみた
い﹂
﹁俺の場合、どっちも外すから、やっぱり基本ができているか否か
は大事だと思うぞ﹂
﹁まぁ、それは最低限必須よね﹂
ルヴィリアの答えにアランは複雑な気分になった。
︵ああ、その通りだ。できない俺が何を言っても、負け犬だよな︶
アランは記憶力という点においては同ランク冒険者随一といって
良いのだが、自覚はない。一度読んだ情報を丸暗記して長期間記憶
できるような者は、研究者でも稀である。
記憶した情報を上手く活用できれば、他に先んずることもできる。
ただ、最低ランクの駆け出し冒険者に、そこまでの情報・記憶・分
析力は必要とされず、ある程度の能力があれば力押しでも全く問題
ないため、現状では目立った差異がないというだけである。
1555
﹁ともかく報告しよう﹂
﹁そうね。あの人こっちを見ているわよ﹂
ルヴィリアに言われてアランがそちらを見ると、ジャコブがじっ
とこちらを見ている。アランは頷き、ルヴィリアと共に近付いた。
﹁よぉ、ジャコブ。相変わらず暇そうだな﹂
﹁お疲れ、アラン。前にも言ったが、この時間は仕方ないんだ。そ
れより今、目が合ったのに無視しようとしなかったか?﹂
﹁気のせいだろ。先日受けた依頼の一時報告に来たんだ﹂
﹁一時報告? ということは今日は見つからなかったのか?﹂
﹁いや、発見した。報告書がまだできていないから、遺体の引き取
りをして貰おうと思って来たんだが﹂
﹁報告書? ああ、この前の依頼の時に出してくれたやつか。別に
要らないぞ。他の冒険者はそんなもの書かないしな。裏に搬入口が
あるんだが、そちらへ回ってくれ。場所はわかるか?﹂
﹁行った事はないが、たぶん大丈夫だ﹂
﹁じゃあ、搬入口前に立って待ってるぞ﹂
﹁わかった。有り難う、ジャコブ﹂
二人は一度外に出て馬車に乗り込み、ギルド裏へと回った。表の
1556
通りに比べると若干狭いが、対面は無理だが交互通行ならば騎獣用
の大型の馬車でも問題なく通れるだろう。
御者台に座るアランを見つけたジャコブが大きく手を振って来る。
アランは搬入しやすいように、少し通り過ぎた位置で停めた。
﹁そういえば前にガイアリザードで来たと言ってたもんな。この幌
馬車はどこで借りたんだ?﹂
﹁自前だ﹂
﹁おい、お前らFランクだろ? よくそんな金があったな。それと
もダニエルさんに買ってもらったのか?﹂
﹁いや、レオがガイアリザードと一緒に買ってきた。あのおっさん
はそんな気を回すような人じゃない。レオの装備はあの人のお下が
りだが﹂
﹁ガイアリザードとその馬車なら、普通金貨数十枚はかかるだろう
?﹂
﹁レオは銀貨3枚だと言ってたぞ。どこでどんなやつから買ったの
かはわからないが、どう考えても怪しすぎるな。見たところ罠や欠
陥は見つからないんだが﹂
﹁銀貨3枚じゃ賃貸料にもならないだろ﹂
﹁確かに銀貨って言ってたんだが、あの時もう少し詳しく聞いてお
くべきだったな。あいつのことだから、たぶんもう既に忘れていそ
うだが。やっぱりあいつに単独行動させると、ろくなことにならな
いな、くそっ﹂
1557
苦虫を噛み潰したような顔になるアランに、ジャコブは肩をすく
めた。
﹁苦労してそうだな、アラン﹂
﹁同情するならその分報酬その他でよろしく。夕飯奢ってくれても
良いぞ﹂
﹁ははっ、薄給のオレにたかるなよ。お前らFランクのわりには稼
いでそうだし、オレより強力なコネ持ってるし、余裕もあるだろ。
金もコネも力もない淋しいおっさんをいじめるなよ﹂
﹁ジャコブ、自分がおっさんだなんて露ほども思ってないくせに、
自称しない方が良いぞ。ここにレオがいたら、おっさん連呼される。
あいつは趣味悪いから、人が嫌がることは喜んでやるからな﹂
﹁なぁ、アラン、お前の言葉もやたら胸に痛いんだが﹂
﹁俺のせいかよ? 自分で自分をおっさん呼ばわりしておいて﹂
﹁やめてくれ。アランに真顔で真面目に言われると、自分がバカな
こと言った気になったり、謝りたい気分になるから!﹂
﹁そう思うなら、最初からやめておいた方が良いぞ。そんな事より
早いところ用事を済ませよう﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
アランは、御者台から荷台へ向かい、踏み台を下ろす。︽浮遊︾
1558
を詠唱し、麻布にくるまれた遺体を宙に浮かばせ、破損させないよ
うそっと抱えて荷台から降りた。
﹁こっちだ﹂
ルヴィリアを見張り役として残し、アランはジャコブの案内で搬
入口から中へ入った。天井の高いがらんとした作業場を抜け、奥の
扉を開くと通路が伸びていた。すぐ右手の扉を開くと、石や木など
で作られた棚が並ぶ倉庫のような部屋である。
﹁一時保管倉庫だ。鑑定その他は後日になる﹂
アランは指定された棚に遺体を置き、頷いた。
﹁了解した。先に言っておくが、巨大蜘蛛かアラクネの餌になった
後で、遺体はミイラ状になっている。装備は剥ぎ取られているから、
服装とおおよその骨格くらいしか手掛かりがないが大丈夫か?﹂
﹁鑑定魔法が使える職員がいるから、たぶん問題ない。エリクはう
ちの支部所属だし、面識もある﹂
﹁へぇ。鑑定魔法ってどんな感じだ? 興味はあるけど、見た事な
いんだよな﹂
﹁あー、魔法のことはよくわからないんだが、事前にそれについて
の知識・認識がある場合、対象物にかけると照合ができる、らしい。
だから知らないこと、わからない事に関しては詳細がわからなかっ
たり、鑑定不能になる場合もあるとか。
元は古物商だったベテランだから、この辺りのことならたいてい
問題ない。で、どのくらいの規模の巣だったんだ?﹂
1559
﹁そうだな、討伐合計は巨大蜘蛛が92匹、アラクネが6匹。全て
を探索したわけじゃないから、細かく探索すればもっといたかもし
れない。ラーヌ駐留黄麒騎士団所属の第五小隊に追い出されたから、
それ以上調べられなかったが、他にいたら連中が倒すだろうから、
たぶん大丈夫だろう﹂
﹁思ったより規模が大きいな。黄麒騎士団所属第五小隊? よりに
よって、あの嫌味ったらしい傲慢髭子爵か。それで、どうした?﹂
﹁ダオルがダニエルのおっさんに連絡したから、後日何か動きがあ
るだろう。どうなるか俺には明言できないし、判断できない。アン
トニオの依頼の件が完了したら、ロランへ戻ろうと思ってる﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁他にやる事があれば滞在が延びる可能性はあるが、そのつもりだ。
報告はできれば別室でしたいけど、大丈夫か?﹂
﹁ああ。なら、準備をするから待合所で待っててくれ﹂
﹁わかった。馬車があるから、ルヴィリアは先に宿へ返して、俺一
人で報告する。問題ないよな?﹂
﹁ああ。じゃあ、また後で﹂
ジャコブの言葉にアランは頷き、搬入口から外に出た。
﹁ルヴィリア、俺一人で報告するから、馬車を宿へ戻して先に休ん
でてくれ﹂
1560
﹁わかったわ。私、何もしてないけど良いの?﹂
﹁⋮⋮まぁ、気絶したのは不可抗力だし、俺達が置いてきぼりにし
たから仕方ないよな。念のために聞くが、怪我とかしてないよな?﹂
﹁心配ご無用よ。役に立てなくて悪かったわね。でも、あんなのが
出て来るとは思わなくて。知ってたら最初から登録とかしなかった
んだけど﹂
﹁そうだな。最初にそういう話し合いしておくべきだったよな。戦
闘が出来るか、連携が出来るか、どういう事が出来るかってことし
か、頭になかったからな。俺もレオも、ルヴィリアみたいな理由で
戦闘ができないとかそういう経験なかったから。
よく考えたら、冒険者が常識だと思っている事のほとんどは、一
般の人からしたら常識じゃないって、失念してた。理由があるから、
あるいは戦闘できる能力があるからと言って、必ずしも実戦が可能
ってわけじゃない。
わかってるつもりで、理解できていなかった。俺だって初めて生
の血や戦闘を見た時は、脅えて何も出来なかったのに、うっかりし
てたよ。こっちこそ悪かったな。ルヴィリアがダニエルのおっさん
に事情も聞かされずに引っ張って来られてたの、知ってたのに﹂
﹁ううん。出来ると思ってた私も悪かったわ。実際、ダニエルさん
と一緒に狩りに連れて行かれた時は、一応動けたし。でも、あんな
に大きなのが出るなんて知らなかったのよね。小さいサイズなら、
なんとか我慢できたと思うんだけど﹂
﹁確かシュレールの無限迷宮とか、確認されたいくつかのダンジョ
ンでは全く虫系魔獣が出ないらしいけど、中級以上の冒険者しか入
1561
場許可されてない。
低級および初心者向けに開放されているダンジョンは、ロランや
ラーヌ近郊には無い。俺もレオも特に依頼にこだわりないし、レオ
は剣を振れれば獲物は何でも良いから、歩けば必ず敵が出て、確実
に金も稼げるダンジョンが近くにあれば良かったんだが﹂
﹁誰でも楽に容易に金を稼ぐ方法があれば、飛びつくと思うわよ。
そんなうまい話があるなら、誰でも金持ちになってるわ﹂
﹁まあな﹂
﹁私が冒険者として活動するのは無理そうだけど、他にできる仕事
がないわけじゃないから、なんとかなるわ。私、最初、お金持ちな
商家の子供の、子守か簡単な庶民の一般常識教える仕事だと思って
たのよね。せいぜい十歳前後の。だって、流れの自由民の私に持ち
かけるのって、それくらいじゃない? 報酬も無駄に良かったし。
まさか十五歳の、しかもアレみたいな性格どころか人格も倫理も
壊れたヤツ相手に、どこから手をつけたら良いかわからない一般常
識と道徳教えなきゃならないなんて知ってたら、最初から受けなか
ったわ﹂
﹁その点は同情する。あいつも、俺に対してはそこまでひどいやつ
でもないんだが、まあ、特に初対面がひどかったからな。いざとな
ったら、飯抜きとか肉抜きとか言えば、表面上は従うかもな。やり
過ぎると逃げられるが﹂
﹁駄目じゃない、それ。だいたい、本人にやる気がないのって、一
番面倒でしょ﹂
﹁それがないと自分が困るって、理解してくれれば良いんだが、ど
1562
うしたら良いかは俺も困ってる。出来れば、町中を自由に単独行動
できる程度の常識や記憶力・判断能力は持って欲しいんだが﹂
﹁それって、どの程度よ?﹂
﹁別に無理なことや難しいことなんか求めてないぞ。ただ、ごく一
般的な十五歳の冒険者レベルで十分だ。今のあいつは、誰が何を言
ってもやってもろくに覚えてないし、自分の言動ですら記憶が怪し
い。金銭感覚もおかしいし、道徳皆無だし、常識も判断力もほとん
どない。
せめてわからないなら人に聞いたり相談すれば良いのに、それも
しない。世間知らず、で済むレベルでもないしな。
でも、あいつが実際まともに生活した事ないのも、知らない事が
多いのも確かだから、今、できないのは仕方ない。これから教え、
学んでいくしかない。知らない事をできないのは当然だからな﹂
﹁私、あれが何を知ってて、何を知らないのか、知らないんだけど﹂
﹁見た目に騙されるな。よちよち歩きの幼児か、言葉を話せる魔獣
だと思った方が早いだろう。正直なところ、本当に言葉の意味を理
解できているかどうかも、ちょっと怪しい。時折、間違った意味で
使ってる事もあるし。流暢に話しているように見えるし、理解して
言ってるようにしか見えないが、単に人真似が上手いだけにも見え
るんだ。⋮⋮大半が、俺が見たことある人の口調や仕草に似ている
からな﹂
﹁それって下手すると、幼児よりひどくない?﹂
﹁知識と経験を積めば、今よりは良くなるはずだ。誰だってそうだ
ろ? 普通は失敗と成功を繰り返して、修正・適応していくんだ。
1563
レオにはその機会がなかっただけだ。
間違ってたり失敗したら、その都度指摘してやれば良い。今、や
らなければ、いつまで経ってもできない。俺も協力する。最初の内
は俺も同席するから、安心してくれ。まずはお互い慣れた方が良い﹂
﹁慣れ、ねぇ。慣れるかしら?﹂
首を傾げるルヴィリアに、アランは苦笑した。
﹁躾けも調教もされてない凶暴な魔獣に、不用意に手を出したら噛
まれる。でも、魔獣は最初は拘束したり餌を制限したりして、餌付
けしながら、ある程度時間をかけて調教するものだろう?﹂
﹁なるほど。でもあれ、餌付けできるの?﹂
﹁今の俺とレオを見たらわかるだろ。餌付けしたのが俺で、途中ま
で調教したのがダニエルのおっさんだと考えてみれば、想像できな
いか?﹂
﹁そうなの?﹂
﹁結果的にはそういう感じかもな、不本意だが﹂
アランとしては、そういうつもりは毛頭なく、対等な友人関係を
築けていると思いたいのだが、時折自信がなくなる。本当は違うの
ではないか、とは思いたくないが。
︵だけど、餌を作ってくれる人、便利な道具││そう思われてない、
という確実な実感もないんだよな︶
1564
そこを疑えば、友人関係など崩壊してしまうし、信頼できなくな
る。うっかり口に出してしまえば、レオナールのことだ。相手が嫌
がるから、といった軽い理由で喜んで肯定しかねない。結局、本音
は見えない。見せて貰えない。それは、レオナールがアランを信頼
していないからではない。
︵せめて俺を試そうとしているとか、何かまともな理由があるなら
マシなんだろうが、どうせ﹃その方が厄介事になりそうで面白い﹄
とか、どうでもいい理由でやりかねないんだよな︶
人の心を傷付けることが、人にとってどれほど残酷なことかを彼
が理解できれば良かったのだが、今のレオナールは、誰のどういっ
た言動にも傷付かないし、意に介しない。
それが、彼がそれを理解できないせいなのか、彼がこれまで過ご
したひどい環境に順応してしまったせいなのか、それとも全てを拒
絶しているからなのか、アランには判断できない。
︵とりあえずまともで対等な喧嘩ができる程度の感性や価値観は持
って欲しい。俺が何を言ってもやっても無反応かわかったふりして
聞き流されてたら、その内限界が来るからな︶
アランは、自分がそれほど忍耐強い人間でないことを知っている。
いつまでも同じことの繰り返しでは、きつすぎる。それでもレオナ
ールは少しずつ前進しているのは確かだ。
一番最初は何か話し掛けても、食べ物以外には無言・無表情で無
反応だったのだ。人に似た姿をしているだけに、不気味と感じる者
も多かっただろう。
アランは人見知りして緊張しているのだと勘違いしたから、あま
り気にしなかった。あの時点で違和感を覚えていたら、レオナール
と親しくなることはなかったかもしれない。
1565
実際、レオナールは全ての人を警戒していたし、自発的に近寄る
こともほとんどなかった。アランが何度か食べ物を与え、それが常
習化し、目の前で食べるようになるまでは、触れ合う距離まで近付
くこともなかった。
獣が人になったくらいの変化はあったと思う。内面にまでそれが
およんでいるかどうか、自信はないが。
︵赤ん坊だって、行動だけ見れば幼獣とあまり変わらないからな︶
﹁無理そうなら言ってくれ。許容範囲とか限界とか相性とか、人そ
れぞれだ。おっさんもそれくらいは説明すれば理解してくれるだろ
う﹂
﹁私、あの人、敵に回したくないのよね﹂
﹁誰だってそうだろ。困窮している時に現れると英雄みたいに見え
るが、特に何もない平時には厄介事しか振り撒かないし﹂
﹁英雄、ねぇ。今のところそっちは見たことないけど、噂が本当な
らそうなんでしょうね﹂
ルヴィリアの言葉にアランは心底気の毒げな表情になった。
﹁それは気の毒だな。それじゃあのおっさん、災厄の塊にしか見え
ないだろ。キツイな、それ。あの人相手だと逃げても無駄だろうし﹂
﹁神出鬼没ってああいうのを言うって知ったわ。二度と体験したく
ないけど﹂
﹁俺が知ってるあの人の弱点って万能じゃないし、ああ見えて結構
1566
腹黒くて冷酷なとこもあるからな。あのおっさん、最終的に目的を
達成できれば手段選ばないし、相手の気持ちを斟酌しないってのが
一番問題だ。
だから好きな相手にはことごとく振られるんだ。外面剥いだら、
毒がキツ過ぎるからな。あれを許容できる人がいるとは思えない﹂
﹁えっ、そんなにひどいの?﹂
﹁一応多少は手加減してるとは思うぞ。でも、あの人、致命的に何
かが壊れてずれてるんだよな。うっかり信頼して甘えたら、よくわ
からない理由で突然突き放されることもあるし。ちょっと距離置い
て半ば疑うくらいでちょうど良いくらいだ。
でも、それって恋愛とか家族としては致命的じゃないか? 俺は
嫌だな、殺伐としていて﹂
﹁何? アラン、ベタベタ甘えるのが好きなの?﹂
﹁そういうわけじゃないが、常に気を付けなくちゃいけないのは勘
弁したいな。気が休まらないだろ。面倒だし、何より疲れる。あの
おっさん、嫌いじゃないし恩もあるけど、面倒臭い。レオがなつい
てなければ、できれば距離置きたいよ﹂
﹁あの人、アランのこと可愛がってるように見えるけど?﹂
﹁そうなんだろうな。でも可愛がり方があまり嬉しくないんだ。悪
気ないのはわかってるけど、だからといって喜べない。何だってそ
うだろ。需要と供給が合ってないと噛み合わない。でも、嫌いでは
ないぞ。好きとも言い難いが﹂
﹁よくわからないけど面倒臭そうね﹂
1567
﹁それは間違いない﹂
﹁じゃ、私、先に宿へ戻るわ。何か必要なものとかあれば買い出し
したり準備するわよ﹂
﹁今のところないな。好きに過ごしてくれ。例えばレオ用の教材を
準備するとか﹂
﹁うっ、そうね。一応子供向けに準備したものはあるんだけど、あ
れ、興味持つかしら﹂
﹁そういえば、レオが子供らしい遊びに興味示したところは見たこ
とないな﹂
﹁えっ、なら何になら興味あるの? 剣と食べ物以外で﹂
ルヴィリアが尋ねると、アランが固まった。
﹁⋮⋮え?﹂
アランは考え、思い出そうとした。レオナールが何に対して反応
したかを。
︵あれ? 嘘だろ、何も思い付かない⋮⋮いや、︶
﹁⋮⋮動くものを見るのは好きだと思うぞ。単調な作業とかは苦手
だが、音がするものとか、見ただけだとよくわからない複雑な構造
になってると気になったり。
農作業には興味ないけど、水車は不思議そうに見ていたぞ。俺が
1568
説明したら熱心に聞いてた。小麦を粉にしていると言ったら驚いて
たし﹂
﹁それ、本当に食べ物とか関係ない?﹂
当時のレオナールに料理や食材が理解できていたかは不明だが、
アランは断言できなかった。
1569
19 占術師の素朴な疑問︵後書き︶
遅くなりました。
話が進んでないのに長くなったので、削るか修正するか悩みました
が、とりあえず更新。
仕事なので31∼1日は更新できません。
また実家に帰るので、たぶん早くても5日まで更新できません。
携帯とipad持って行くので、余裕あれば更新できるかもしれま
せんが、自信皆無。
大晦日&年明けは雪が降るか凍りそうなので、悩ましいです。
雪国育ちでも寒さに強くないし、夏生まれでも暑さに強くないので。
温度変化が一番の強敵ですが、ずっと寒いのもつらいです︵特に水
仕事が︶。
我が家の廊下は冬、冷蔵庫︵野菜室︶代わりに、庭は冷蔵庫代わり
になります。
大きいものや熱いものをそのまま冷やせるのは、冷蔵庫より便利か
も。
更に北の人は大変なのでしょうが。
以下修正。
×待合室
○待合所
1570
20 一時報告
アランはルヴィリアと別れ、一人で冒険者ギルド待合所へ向かっ
た。受付の列は先程に比べると少し減っているようだ。代わりに待
合所や施設内の酒場兼飲食店は、人が増えている。
待合所にある木製の長椅子に腰掛けると、一瞬視線が集まるのを
感じたが、すぐに四散する。
︵当たり前だが、ロランより多いな。俺達と同じくらいの連中もい
れば、下手すりゃ爺さん世代までいる。依頼の数とかも多いんだろ
うな。中級以上だと商隊護衛とか結構ありそうだし︶
稼ぎたければ、断然ロランよりラーヌだろう。それはわかってい
るが、どうも好きになれない町だとアランは思う。第一印象が悪か
ったというのもあるが、やはりアランが田舎育ちなせいもあるかも
しれない。人の多さだけでも厄介だ。レオナールとルージュが一緒
なら、トラブル遭遇率も高くなる。
︵低ランクの内はともかく、ずっとロランで活動するわけにはいか
ないのはわかってるんだが︶
ロラン周辺は基本的に低ランク向けの依頼が多い。せいぜい中級
者までだろう。高ランクは引退者かギルドマスターしかいない。
︵まだずっと先のことだ。今から考えても仕方ないな︶
その頃になっても、アランがレオナールとパーティーを組んでい
るとは限らない。状況も大きく変わっているだろう。
1571
︵いくらなんでも、その頃になってもレオが全く成長してないなん
てこともないだろう。そうでなけりゃ本気で泣くぞ、俺︶
﹁お、ロランの駆け出し魔術師か。久しぶりだな﹂
レオナールとダニエルはラーヌですっかり顔を覚えられたが、ア
ランはそこまでではない。黒髪の魔術師と組んでいるという噂は流
れているが、人の多い時間帯にはあまりギルドへ行かないためだ。
声を掛けられ、アランが顔を上げると目の前に︽蛇蠍の牙︾の魔
術師が立っていた。
﹁あんたか﹂
﹁一人でいるなんて珍しいな。いや、初めて会った時も一人でギル
ドにいたのか。オレらは外にいたから知らないけど﹂
﹁ああ。ちょっと別行動で報告に来た。あんたこそ一人なのか?﹂
﹁他のやつらはそこで酒を飲んで飯食ってる。オレは報告して討伐
証明出して報酬貰ったとこだ。実はお前が最初にギルドへ入った時
からいたけど、気付いてないだろ﹂
ニヤニヤ笑いながら言う男に、アランは肩をすくめた。
﹁あの行列の中にいるあんたを見つけろという方が無理だろ﹂
﹁そりゃそうだ。相変わらず元気で生意気そうだな。気の荒いやつ
らに絡まれなかったか?﹂
1572
﹁あんた達以外にか? 幸いあれ以来はないな。でもそんなもんだ
ろ﹂
﹁へぇ? そりゃ変だな、一人や二人はいると思ったのに。それと
も、みんな自粛してんのかね。ま、あの派手な相方がいる限り大丈
夫か﹂
﹁別の意味で大丈夫じゃないがな﹂
アランは肩をすくめた。
﹁そういやお前ら、いつまでラーヌにいるんだ?﹂
﹁この報告が終わって何もなければ、明日には立つつもりでいる﹂
﹁そっか。ロランよりこっちのが依頼数も報酬も良いだろ。お前ら
なら問題起こさなきゃ、すぐランク上がると思うが﹂
﹁ロランのが慣れてるし、居心地良いからな。ギルドマスターの家
で居候してるから、生活費もあまりかからないし﹂
﹁へえ、生活費考えなくて良いのは羨ましいな。どうだ、今夜暇な
ら、いいお姉ちゃんのいる店教えてやろうか?﹂
﹁悪い、今日は疲れているから早く休みたいんだ﹂
﹁そうか。なら仕方ないな。俺はこれから打ち上げで、生活費残し
て有り金全部注ぎ込む予定だ﹂
1573
﹁いくらなんでもそれは問題だろ。魔術書買ったり貯金したりしな
いのか﹂
﹁魔術書ねぇ。その内必要になったら考えるが、今は特に欲しいの
はねぇな。それよりいっぱい飲み食いして遊びたい﹂
﹁困ってないなら、羨ましい限りだ。俺は使える呪文が少ないし、
金銭的余裕もないから。余計なお世話だと思うが、ほどほどにな﹂
﹁おう。あぁ、そうだ。若い内はあまり難しいこと考えないで気楽
にやった方が良いぞ。肩肘張ってると無駄に疲れるからな﹂
﹁ああ、有り難う。たぶんもう会うことはないだろうが、元気で﹂
﹁おう、そっちこそな。じゃあな﹂
魔術師は立ち去った。その背中を見送って、アランはぼんやり考
える。
︵気楽にやれ、か。それが言いたかったのかな。でもそんなに親し
くねぇよな。面倒見良さそうにも見えないっていうか、むしろ逆だ
ろうし。暇だったのかな︶
若い頃の自分を思い出しての老婆心というやつだとは、思いつき
もしなかった。
◇◇◇◇◇
1574
﹁よお、待たせたな﹂
ジャコブに声を掛けられ、アランは面談用の個室へと案内された。
息苦しく感じるほどではないが狭い。部屋の中央に簡素な木製テー
ブルがあり、それを挟むように待合所にあったのと同じような背も
たれのない4∼5人掛けの長椅子があった。
アランとジャコブは対面になるように腰掛ける。ジャコブは椅子
の中程、アランは出入口に近い右の端の方に座った。
ジャコブは手に持っていた書類や紙、インク壺やペンなどを並べ
た。
﹁じゃ、始めるか﹂
ジャコブの言葉にアランが頷き、自作のラーヌ周辺と巨大蜘蛛の
洞窟││探索箇所のみ記述││の地図を、机の上に並べて置いた。
﹁了解。まず、ここがエリクらしい遺体を見つけた洞窟のあった場
所だ。ラーヌの東に近い南東で、森の中央より若干ラーヌ寄りに入
口がある。
現在は第五小隊が森を切り開いて馬や荷を運び込んだから道みた
いになっていて、俺達が向かった時よりも通りやすくなっているか
ら、場所の確認がしやすくなっているはずだ。
この地図は複製してないし書き込みが多いから、提出できない。
必要なら、複製する﹂
﹁それは問題ない。こっちで書き留めておく﹂
﹁それで、こちらが内部の探索箇所を記した地図だ。俺逹が最初に
探索した際には、幻術や隠蔽・認識阻害・知覚減衰などの魔術が掛
けられていたが、今は解除されている。
1575
しかし、︽知覚減衰︾と︽認識阻害︾は内部で発見した魔法陣に
よる効果だと思われるため、魔法陣を起動させると、出入口が外壁
と区別つかなくなったり、周囲への認識能力などが落ちるといった
可能性がある。検証できなかったので推論だが﹂
﹁幻術に精神魔法か。厄介だな。しかも魔法陣だって? ちなみに
どういう魔法陣だったんだ?﹂
﹁これが書き写したものだ。左が認識阻害で右が知覚減衰。全て探
索できてないから、他にもあるかもしれない。どちらも効果範囲は
300メトル、効果時間は1日だ。魔法陣の大きさは魔獣に使用さ
せるためか、直径2メトル以上はあったが、発見した魔法陣は破壊
した。
だけど、他にないとは限らない。ジャコブはわかってるだろうが、
認識阻害も知覚減衰も掛けられていると気付かなければ、かなり厄
介な魔法だ。戦闘の有無に限らずな﹂
﹁認識阻害や知覚減衰の魔法陣なんて、初めて見た。どちらも踏む
だけで発動するんだろう? これ、発動者以外に効果があるってこ
とで良いんだよな?﹂
﹁その通りだ。耐性があれば問題ないんだろうが、普通の冒険者は
幻術や精神魔法対策なんてしていないよな?﹂
﹁ああ。金持ちの商人や貴族なら別だろうが、それらを防ぐための
魔法装備や魔道具は高い上に、そこそこ需要があるからな。その辺
の魔道具屋では扱ってないし、魔法書も出ないだろう。それ、第五
小隊は知っているのか?﹂
﹁直接小隊長と会話したのはダオルだけだが、たぶん話していない
1576
と思う。仮に善意でこちらが報告または忠告して聞いてくれるよう
なら、一方的に締め出したり追い出されたりはしなかっただろうし
な﹂
﹁それ、ヤバくないか?﹂
ジャコブが眉をひそめた。アランは仏頂面で答える。
﹁そう言われても、そんなの自己責任だろう? これはギルド上層
部へは内密にしておきたいんだが、転移陣で移動した先、ラーヌ近
郊の森の洞窟内で︽混沌神の信奉者︾らしき連中を捕まえたが、そ
いつらごと接収されたんだ。一応ダオルがそいつらが︽混沌神の信
奉者︾だと忠告したようなんだが﹂
﹁何だと!? おい、なんで、それ⋮⋮っ!!﹂
﹁落ち着け、ジャコブ。俺達、ダニエルのおっさんに︽混沌神の信
奉者︾関連にはかかわるなと言われてるんだ。そっちはダオルやお
っさんの部下とかで調べるから、ギルドへの報告もするなって。だ
から、おっさんには連絡済みだ。数日中に動きがあるだろう。
詳細は聞かされてないから良くわからないが、下手に係わると危
害を加えられたり、命の危険があるんだとさ。俺だってこれが初め
てじゃないし、思うところが無くもないが、命あっての物種だ。
それに人の生死に関わるような厄介事には、あまりかかわりたく
ない。心臓がいくつあっても足りないいからな。そういうのは、一
生に一度あれば十分だ﹂
﹁お前、若いくせにずいぶん達観してるな。普通、そういう風に割
り切れるもんか?﹂
1577
ジャコブが心底不思議そうな顔で尋ねるのに、アランは苦笑した。
﹁そう言えば、ジャコブに話したことはなかったな。⋮⋮二年ちょ
っと前に、ウル村郊外で︽混沌神の信奉者︾が生贄の儀式をやって、
村人4人が殺された事件を知っているか?﹂
﹁ああ、詳しくは知らないが聞いた事はある﹂
﹁その生贄の内、唯一の生き残りがレオだ﹂
﹁何!?﹂
﹁俺とダニエルのおっさんと、おっさんの仲間の神官や魔術師達と
共に、その儀式が行われていた洞窟へたどり着いた時、ちょうどレ
オが祭壇の上でナイフを突き立てられていたところ、だった。心臓
はまだ収まっていたが、高位神官がいなかったらレオは間違いなく
死んでいた。
その時の実行者は首謀者含め全員捕まえて処分された筈だったん
だが⋮⋮︽混沌神の信奉者︾は今も存続していて、王国中に潜伏し
ている﹂
アランは、あの時の光景を忘れたくても忘れられない。鎖骨の下
辺りから下腹部まで切り裂かれ、白い祭壇から流れ落ちる血を、弾
かれた血濡れたナイフを、死んだように蒼白な顔で目を瞑ったまま
動かないレオの姿を。
﹁⋮⋮あの連中、生贄は処女の心臓が必要だとか、ふざけたこと言
いやがって⋮⋮!﹂
﹁え!? おい、レオナールは男だろう!?﹂
1578
﹁ああ。あの当時、レオは娘として育てられていたんだ。ウル村は
人口四十軒ちょっとの村だったから、未婚の少女は片手の指で数え
られるくらいしかいなかった。俺の妹は大丈夫だったが、妹の友達
や一番上の兄貴の婚約者は助けられなかった。
俺達がウル村を出てロランに出て来たのは冒険者になるためもあ
るが、それ以上にその事件の後、居づらくなったせいもある﹂
レオナールは死ぬ寸前の重傷を負わされたが、高位神官の治癒魔
法にかかれば、一瞬で跡形無くきれいに癒やされる。だが、既に死
亡した者を生き返らせる方法はない。しかし、魔法や魔術とほぼ関
わりなく生活していたウル村の人々には、それが理解できなかった。
被害にあったのが、8歳から18歳までの見目麗しい少女達だっ
たこともあり、多くの村人達がその死を悼み、その命を奪った者達
を憎んだ。また、一連の首謀者がレオナールの近親者だった事が漏
れた。
それ以前からレオナールは村の住人から遠巻きにされていたせい
もあり、その孤立はますます深まり、また憎悪や嫌悪の念を向けら
れるようになった。そのレオナールと多少交流があったアランの弟
妹にも猜疑の目が向けられるようになったのが、アランが旅立ちを
決意した一番の理由である。
アランの一番上の兄は何も言わなかったが、二番目の兄に﹃逃げ
るのか﹄と糾弾された。両親には好きにすれば良いと言われ、弟妹
には泣かれた。
﹁元々、俺もレオも農夫には向いてなかったからな。冒険者の方が
断然向いていると思うんだが﹂
苦い笑みを浮かべて言うアランに、ジャコブが困ったような顔に
1579
なる。
﹁お前ら、若いのに苦労してるんだな。なんと言って良いか⋮⋮す
まん﹂
﹁そんな顔すんなよ、ジャコブ。って俺のせいか、悪かったな。ま
ぁ、そんなわけで、自分の手に余りそうなことは最初から手を出さ
ない方がマシって学習したんだよ。どうせ足手まといになって周囲
の足を引っ張って、かえって迷惑かけるだけだからな。
ま、自分に出来ることを自分の裁量でやっていくしかねぇよな。
俺は英雄になる自信サッパリ皆無だし、そういうのはおっさんとか
人外レベルの連中に任せた方が楽だし、人のため社会のためだ。
出来ないことをできないと嘆いても意味がないし、自分の才能以
上のことは逆立ちしたって無理だから仕方ない。代わりに、俺は俺
のできる事をできる範囲でやる。そうするより他にないだろ?﹂
﹁そう、だな。うん、そうだ。オレも時折嫌になることはたくさん
あるが、そんなもの生きてりゃいくらでもあるからな!﹂
﹁そうだな。大変じゃない人のが少ないだろ、たぶん。なんか色々
脱線したが、報告の話に戻って良いか?﹂
﹁おう、頼む﹂
﹁じゃ、続き行くぞ。これが南西の洞窟内部の探索箇所の地図だ。
エリクの遺体発見場所がここ。ここには他にも多数の遺体があった
けど、外見で判別するのは無理だろう。
ざっと見た限りではどの遺体もミイラ状態な上に、衣服以外は全
て剥ぎ取られていて、装備はもちろん金も所持品も装飾品もない。
遺品の一部はもしかしたら、アラクネまたは魔獣・魔物が装備し
1580
ているかもしれないが、他で保管されている可能性もある。
洞窟のこの部屋で見つけた二つの転移陣の内の一つが、ラーヌ北
東のこの辺りにある洞窟に繋がっていて、ここに少なくとも二十三
人の黒衣の男達が詰めていた。
そっちの地図は描いてないが、比較的狭いから迷うことはないだ
ろう。その洞窟で見つけた魔法陣は4つとも転移陣で内一つは、最
初に見つけた洞窟へ転移するもので、もう一つは先日のコボルトの
巣だ﹂
﹁何!? なら、あのコボルトの巣は、そいつらが関わっていたと
いう事か!?﹂
驚くジャコブに、アランはしまったと舌打ちした。
﹁悪い。そっちにも黒衣の男が出たんだが、それはダニエルのおっ
さんにギルドへ報告するなと言われて報告しなかったんだ。だから、
報告には︽混沌神の信奉者︾関連は削っておいてくれ﹂
アランの言葉に、ジャコブが憂鬱そうな顔になった。
﹁なぁ、アラン。⋮⋮悪いが、改めて報告書提出してくれるか。ど
れを報告して、どれを報告しないべきか、オレには判断つかないん
だが﹂
﹁わかった。なら、そうする。何もなければ明日報告書を提出しよ
う﹂
﹁頼む、急がなくても良いから。⋮⋮遺体が発見された報告は今夜
中にあいつに伝えておく﹂
1581
﹁了解した。アントニオは、エリクと仲が良かったのか?﹂
﹁そうだな、仕事を通じてではあったが、そこそこ仲が良かったよ
うだな。エリクは真面目な良いやつだったから﹂
﹁そうか。何て言ったらわからないが、お悔やみを言っておいてく
れ﹂
﹁いや、オレもアントニオもこんな商売だから、人死にには慣れて
る。気を遣わせて悪かったな﹂
﹁人が死ぬのには慣れていても、親しい人を亡くすのには早々慣れ
ないだろ。多少鈍くなるかもしれないけど。俺に言われるのはムカ
つくかも知れないが﹂
アランの言葉に、ジャコブは苦笑した。
﹁いや、正直オレはあんまりそういうのないんだよ。若い頃はそう
でもなかったけどな。なにせ、冒険者ってのは死ぬやつが多すぎる。
お前はあまりそういうの心配いらなさそうだが、気を付けろよ﹂
﹁ああ。俺は早々死にたくないからな。ただ、死にたくないからと
必ずしも避けられるとは限らないのが痛いところだが。予測出来な
い事が多すぎるし、何より相方があれだからな﹂
﹁そう思うなら、どうにかしないのか?﹂
﹁したいと思ってるよ、切実に。目下足掻きまくってる最中だ﹂
そう言って笑うアランに、ジャコブは肩をすくめた。
1582
﹁そうか。上手いこと言えないが、とりあえず応援する。将来有望
な若者がしっかり育ってくれれば、オレたちの仕事が楽になるから
な﹂
﹁将来有望かどうかは知らないが、程々に頑張るよ。ジャコブも大
変そうだが、頑張ってくれ﹂
ギルドマスター
﹁ああ。糞爺が早く引退または異動してくれる事を祈りながら、目
を付けられない程度にやるさ。ちょっかい掛けられると、面倒臭ぇ
からな﹂
﹁ハハッ、そりゃ大変だ。じゃ、またな﹂
﹁気を付けて帰れよ!﹂
アランは頷き、冒険者ギルドを出た。
1583
20 一時報告︵後書き︶
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
やたらめったら時間掛かりました。
今章まだ終わりません。すみません。
以下を修正。
×待合室
○待合所
×9歳から15歳まで
○8歳から18歳まで
×四十人ちょっと
○四十軒ちょっと
×好きに知れば良い
○好きにすれば良い
1584
21 ある意味似た者同士
夕暮れ間近の街道を、レオナールとルージュとダオルは、ラーヌ
東門へ向かって歩いていた。お腹いっぱい食べたルージュはご機嫌
そうに尻尾を左右に揺らしている。レオナールも心行くまで剣を振
ったので、満足そうだ。ダオルは表には出していないが、少々バテ
気味である。
﹁いつもこんな感じなのか?﹂
問われて、レオナールが眉をひそめた。
﹁何が?﹂
﹁先程の狩りの事だ。毎日これでは大変じゃないか?﹂
ダオルの言葉に、レオナールは首を傾げた。
﹁そうかしら? どちらかといえば、いつもよりは少なかったと思
うけど﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
﹁でも、一応私もルージュも満足するだけ狩ってるから、数が少な
かっただけで、肉の量的にはいつもと同じくらい狩ったのかしらね。
あの洞窟の蜘蛛も全部食べてたら、もっと早く終わったでしょうけ
ど﹂
1585
﹁そうか﹂
ダオルは苦笑した。一行が東門に近付くと、複数の領兵の姿が見
えて来た。
﹁⋮⋮変だな。二十人は超えているぞ。さっきの小隊の連中にして
は、鎧や装備がキレイすぎる。演習帰りか?﹂
﹁よくわからないけど、検問か何かやってるように見えるわね﹂
﹁検問? 門の外でか﹂
﹁だってさっきから門へ入ろうとする人を、しきりに撫で回してい
るみたいだもの。小突き回しているのかもしれないけど﹂
﹁何かあったのか。まあ、行ってみればわかるか﹂
﹁そうね。たぶん別の門へ回っても同じような事やってそうだし﹂
一行が門に近付くと、領兵が数人駆け寄って来た。
﹁冒険者のダオルとレオナールだな?﹂
責任者だと思われる高そうな装備の領兵が声を掛ける。
﹁その通りだが、おれたちに何か用か?﹂
﹁お前達を黄麒騎士団所属第五小隊への襲撃および殺害容疑で、逮
捕する﹂
1586
﹁はぁ?﹂
﹁何!?﹂
顔をしかめるレオナールと、驚き瞠目するダオルを残りの領兵達
が取り囲む。
﹁抵抗するな。おとなしく着いてくれば、それなりに扱う。だが、
あくまで抵抗すると言うなら⋮⋮﹂
﹁斬っても良いかしら?﹂
レオナールは首を傾げて言った。
﹁きゅう!﹂
ルージュが嬉しそうに高く鳴き、牙を見せるように口を開いて、
長い舌をペロリと出した。舌の先からポタリと唾が落ちる。
﹁なっ⋮⋮!?﹂
責任者らしき男がぎょっとした顔になる。ダオルが慌ててレオナ
ールを制止しようとする。
﹁やめろ、レオナール。それはまずい﹂
﹁アランも拘束されたのかしら? だとしたら、連行先で暴れた方
が良いのかもね﹂
だが、レオナールは意に介する風もなく微笑み、大仰に肩をすく
めた。
1587
﹁おい﹂
﹁ぐるきゅきゅう!﹂
冷や汗をかくダオルと、ますます嬉しそうに笑っているように目
を細めるルージュ。若干粘性のある唾の飛沫が、一番先頭にいた責
任者の顔にかかり、彼を含む怯んだ領兵達が後退りした。
﹁と、とりあえず事情を聞きたい。問題なければすぐ解放する﹂
﹁あら、さっきは逮捕とか言ってなかった?﹂
﹁そんなことより、その魔獣をおとなしくさせろ!﹂
領兵の言葉にレオナールは首を傾げた。
﹁まだ何もしてないわよね、ルージュ﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
心外だといったように眉をひそめるレオナールに、ルージュはま
ったくだと言わんばかりに大きく首を縦に振った。ダオルが眉間に
皺寄せながら、領兵達に向かって抗弁する。
﹁どのような事情・容疑かはしらないが、おれたちは第五小隊に退
去するよう言われた後は、北東の森で幼竜の餌を狩っていた。人違
いだと思われるが﹂
﹁そんなことは我々が取り調べの上、判断することだ。おとなしく
従え!﹂
1588
責任者はそう告げ、忌々しげな顔で睨む。
﹁なるほど。それは領主様もご存知なのか?﹂
﹁お前らの知ったことではない!﹂
責任者が叫んだところで、レオナールが剣の柄に手を掛けた。
﹁もう良いわよね。この人達さっきから悪意と害意しか感じないし、
アタマから私達の話を聞くつもりもないみたいだし、ここで問答し
てても仕方ないわ。時間の無駄よ。
どうせ連行先は詰所だろうから死なない程度に斬って、問題出そ
うなら始末してしまえば良いじゃない﹂
﹁駄目だ、レオナール! 大丈夫だ、今日明日中には応援が来るは
ずだから⋮⋮っ!﹂
その時、門の向こうから、ざわめきと共に、青地に金の刺繍を施
された上質のローブを身にまとった男が現れた。制止しようとした
領兵達は、男の胸に輝く勲章やローブの意匠などを見て、後退りす
る。
細身の魔術師風で、銀髪蒼眼。年齢は三十半ばぐらいで眼鏡をか
けており、いかにも貴族といった優雅な所作と振る舞いで、こちら
へ歩いて来る。傍らに従者を一名連れている。
﹁待たせたかな、ダオル﹂
男が苦笑を浮かべ、玲瓏な声が辺りに響く。ダオルが首を左右に
振った。
1589
﹁いや、むしろ早いくらいだ、アレクシス。まさか貴方が来るとは
思わなかった。どうやって来た?﹂
グリフォン
﹁鷲獅子だ。こちらと王都を繋ぐ転移陣を設置した方が便利だろう
? 弟子や部下にやらせても良いのだが、僕が来る方が手っ取り早
い。それに確認したいこともあった﹂
﹁︽蒼炎︾アレクシス⋮⋮一体何故ここへ⋮⋮っ!﹂
責任者の男が呻くように叫ぶのに、アレクシスと呼ばれた男はチ
ラリと視線を走らせ、興味なさげに視線を戻すと、ダオルの隣にい
るレオナールとルージュを見た。
﹁なるほど、彼がダニエルの弟子のレオナールと、レッドドラゴン
の幼竜か。なかなか生きているレッドドラゴンを、それも幼い個体
を目にする機会はないからな。
ふむ、思ったより小さいな。出来れば卵の状態から生育状態を観
察したいのだが、さすがに子育て中のドラゴンどもは気が荒くて、
僕がドラゴン狩りに参加した際は、酷く抵抗された上、戦闘終了後
に見たら卵は破損していた。駄目元で治癒魔法を掛けて暖めてみた
が、死んでいたようで孵らなかった。
仕方ないから中身を取り出して形状をスケッチした後、解剖して
みたが、あまり参考にならなかった。できれば完全な状態で解剖し
てみたかったのだが⋮⋮﹂
アレクシスは穏やかで冷静に見える顔と声だが、瞳だけ爛々と輝
いている。その視線をルージュに向けたまま外さない。
﹁きゅきゅきゅーっ! きゅっきゅーっきゅうぅううーっ!!﹂
1590
珍しくルージュがうろたえ脅えた声で鳴き、足を若干もたつかせ
ながらレオナールの背中へ隠れようとした。体高3メトル前後の体
躯では隠れられなかったが、甘えすがるようにレオナールに鼻を擦
り付ける。
レオナールはそんなルージュの姿に苦笑しながら、銀髪の男に声
を掛けた。
﹁悪いけど、他を当たってくれるかしら﹂
﹁ふむ、まぁ、生きている状態でも調べられない事はない。解剖し
なくとも方法や手段はいくらでもある。
ああ、挨拶が遅れたな。はじめまして、レオナール。僕の名はア
レクシス・ファラー。現在の肩書きはシュレディール王国魔術師団
長、および魔術師ギルド名誉顧問、および︽混沌神の信奉者︾対策
室の副室長だ。
それで、報酬はいくら払えば良い? 言い値を払おう。⋮⋮ドミ
ニク﹂
アレクシスが傍らの従者に声を掛けると、従者が重そうな上質の
皮袋を取り出す。それを見て、レオナールはうんざりした顔で溜息
をつき、首を大きく左右に振った。
﹁聞こえなかったかしら? 私は他を当たってと言ったの。いくら
払おうと、売る気も協力する気もないわ。どうしてもと言うなら、
力尽くでねじ伏せてみれば良いじゃない。その方が楽しいでしょ﹂
ニヤリと笑うレオナールに、アレクシスは僅かに目を見開いた。
﹁ほう。この僕に正面から喧嘩を売るとは、面白い。だが、あいに
1591
く弱い者いじめをしたり、力や権力を盾に強制する趣味はない。僕
が好むのは、この世のありとあらゆる生物の生態を解明し、その身
体構造などを隅々まで調べ、研究することだ。
いかなる生物も、その内臓や骨格は合理的で無駄がなく、美しい。
一見無駄に見える器官も、よくよくその生態を調べれば、そうでな
いことが良くわかる。
神の賜り物に、意味や理由の無いものなどなく、存在が無意味な
ものも無駄もない。生きて存在するものは、全て美しい。
いかに表皮が醜かろうと、その皮を剥げば美醜などない。故に、僕
はこの世に生きる全ての存在を愛している﹂
アレクシスは胸の前で両手を組み合わせ、それを高く掲げると、
恍惚とした表情で滔々と言い切った。レオナールはそれを気味悪げ
に見ながら、隣のダオルに囁いた。
﹁⋮⋮ねぇ、ダオル、この人、危ない人?﹂
ダオルは苦笑した。
﹁⋮⋮あー、少々研究熱心だが、悪い人ではない、と思う﹂
レオナールは心の中で、アレクシスを﹃解剖狂﹄と呼ぶ事にした。
アランがこの場にいたら、お前にそれが言えるかと突っ込んでいた
だろう。
◇◇◇◇◇
﹁で、拠点は何処にある?﹂
1592
アレクシスの質問に、ダオルが答えた。
﹁南区の東、職人街の奥だ、案内する。だが、あまり広くはないし、
アレクシスが泊まるには質素だ。宿は他に取った方が良いと思うが﹂
﹁なに、こう見えても若い頃は冒険者の真似事もしていた。庶民の
利用する宿にも何度か泊まった事があるし、冒険者時代だけでなく
軍に入ってからも、天幕なしの露天で野宿の経験もある。
まぁ、初めての野営つきの狩りでダニエルに同行を依頼したのは、
誤りだったと悔やんだが、あれも思い返せば貴重で希少な経験だっ
た。随行する人員が少なければ良いというものではないと、学習出
来たから無駄ではない﹂
﹁⋮⋮なるほど﹂
ダオルは苦笑した。レオナールは渋面で首を傾げている。
﹁事情聴取がなんたらとか、逮捕がどうたら言ってたのに、どうし
て何事もなく解放されたのかしら?﹂
﹁詳細は知らぬが、どうでも良い理由だったのだろう。あるいは保
釈金目当てや恫喝目的とか。まあ、当人らが問題ないというのだか
ら、気にすることはない﹂
アレクシスが言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁よくわからないけど、気持ち悪いわ﹂
﹁ははっ、他人の思惑というのは大概気持ち悪いものだ﹂
1593
﹁それはどうかと思うぞ、アレクシス﹂
レオナールの感想に頷きながら言うアレクシスに、ダオルが頭痛
をこらえるように、眉間を指で押さえた。レオナールは、ふうん、
と感心したような顔になる。
﹁もしかして、あなたも人の悪意とかわかる方?﹂
﹁そうだな。どちらかといえばそうかもしれん。世俗というのは概
ねわずらわしいものだが、それと無関係に生きることは難しい。そ
もそも僕は、自分の身の回りのことを何一つ出来ない。
わずらわしいし面倒ではあるが、自分のやりたいこと以外の全て
の物事を他人に委ね任せる限り、仕方あるまい。細々と指示を出す
のも、手間が掛かる。
正直なところ、しがらみや他人の思惑などとは関わりなく、この
世のありとあらゆる生き物の身体構造や生態を研究し、寝食を惜し
んで論文を書き続けていたいのだが、寝たり食べたりしないと倒れ
て動けなくなってしまう。
おそろしい事に、人という生き物は無駄を厭って言葉を惜しめば
惜しむほど、誤解や齟齬が生じたり、自身の言葉の使い方が的確で
なくなったり、声が出なくなったりするようだからな。本当にわず
らわしくて億劫だ﹂
そう言ってアレクシスは心底嫌だと言わんばかりに、溜息をつい
た。
﹁逆に言葉を重ねても誤解や齟齬は生まれるでしょ。少しでも人と
接する機会がある限り、厄介事の種は消えない気がするけど﹂
1594
﹁それも真理だ。人の悩みや苦痛など、生きて存在する限り絶える
ことがない。思考したり感じたりしなくなれば別だろうが、そんな
生物はつまらない。
食べて排泄するだけに見える生物も、良く調べれば何らかの役割
を果たしている。人も含めてな﹂
﹁へぇ、そういうもの?﹂
﹁その生物、または個体の価値は、一面から見ただけではわからな
いものだ。様々な角度から何度もじっくり時間をかけて観察し、時
に薬液を使ったり解剖したりして、様々な事柄を調べることにより、
それまで気付かなかった新たなものが見えてくる。
レオナール、もし君が僕より先に死んだなら、是非解剖させてく
れ。ハーフエルフはまだ解剖した事がないのだ﹂
﹁死んだ後なら問題ないからかまわないけど、生きている内は勘弁
してちょうだい。あと、積極的に私を殺しに来たら反撃するから﹂
﹁ははは、安心したまえ。そんなことはしない。別に検体は君でな
くてもかまわないのだ。まだ生きているものをわざわざ殺しはしな
い﹂
﹁できれば、そういう会話は往来では控えて欲しいんだが﹂
ダオルが言うと、アレクシスはふむと頷き、周囲を見回した。
﹁なるほど、気の弱い善良な市民には少々不適切な話題だったか。
やはり、たまには外に出なくてはな。籠ってばかりだと一般常識や
世知に不慣れになるようだ﹂
1595
ダオルはそういうレベルの問題ではないと指摘したかったが、諦
めた。どう考えても、二人ともそれが理解できると思えなかったか
らである。
1596
21 ある意味似た者同士︵後書き︶
というわけで解剖オタクの魔術師アレクシス登場。
結婚できないおっさんが増えました。
一人称私の人を増やしたくないため、僕にしましたが、いまいち微
妙な気がします。
1597
22 マイペースな魔術師団長と困惑する魔術師
﹁どうしてそんなところで座り込んでいるんだ?﹂
アランは首を傾げた。視線の先でルヴィリアがそこそこ上質な魔
獣の毛皮で作られた絨毯の上に、潰れた蛙のような姿で顔を両手の
間に入れてペタリと伏せている。
アランの常識では年頃の少女が人目のある場所でして良い姿では
ない。気まずげにルヴィリアから視線を逸らし周囲を見回すが、彼
女以外にこの家の居間らしき場所に人の姿はなく、アランの知覚で
きる限り気配もなく、荒らされた様子もない。
﹁⋮⋮私の買った家具が、絨毯が、調度品が⋮⋮何一つ残ってない
! 私の初めての家だったのに!! あの腹黒剣士、全力で呪って
やる! 今度会ったら飲食物全てに下剤か毒を混入させてやるわ!
!﹂
音量はそれほどでもないのに、心の底から絞り出すようなルヴィ
リアの声と口調に、アランはなんとなく心情を察した。
﹁ダニエルのおっさんには薬も毒も効かないぞ。血抜きしないゴブ
リンの生肉を食べてケロリとしているくらいだ。見たことはないが、
どぶねずみやコウモリも食べた経験があるらしい。弟に食べさせた
ドラゴン
ら三日下痢嘔吐と発熱で寝込んだと本人が言っていた。俺なら見た
瞬間、全力で拒否するが。
どうしても嫌がらせしたいなら、災害魔獣級に効くレベルの毒が
必要だと思うぞ。俺の知識では、一度にその量の毒を気付かせずに
飲ませるのは難しい。飲ませると効果がどうしても薄くなるし、効
1598
くまでに時間もかかる。
魔法毒を使えればそっちの方が手っ取り早いだろうが、発動前に
斬られそうだから難しい。傷口から注入するのも、きびしいな。あ
のおっさんと同レベルじゃないと無理だと思う﹂
ドラゴン
﹁災害魔獣級に効くレベルの毒で嫌がらせってどういう胃袋してん
のよ⋮⋮﹂
ルヴィリアはうううと呻いて、プルプル震えた。
﹁そんなことより、その格好はどうかと思うぞ。夕方前にはレオと
ダオルも帰って来るだろうし、それまでにはそれをやめるか、移動
した方が良いと思う。ダオルはともかくレオに見られたら、後悔す
ることになるぞ。あいつ、人の弱味をつついたり、からかったりす
るのが好きだから﹂
アランが言うと、慌ててルヴィリアは飛び起きた。
﹁何それ! 前々からあいつ、最低最悪な性格だと思ってたけど、
常習なの!?﹂
﹁たぶん、深い意味や理由はないぞ? ただ、それをやると相手の
反応が顕著だからだろう。あいつ、悪気はないけど、人の心情とか
感性とか頓着しないというか、理解できないからな。魔獣に人の気
持ちを理解できないようなものだ。
知能低めの狩猟する魔獣の前に、動くものを転がしたら飛びつく、
みたいな、そういう感覚なんだろう。それが相手を傷付けたりいた
ぶる事になるということは、理解できないみたいだ。
なんていうのかな、あいつ自身は同じことされても、信頼してい
る相手に剣やナイフで斬られても、傷付いたりしないというか、そ
1599
ういう感覚がないんだ。
あいつにとって斬ることは遊びの範疇で、自分が死んだり傷付く
ことも、他人がそうなることも、たいした事じゃない。俺は、それ
をどうにかしたいと思っているが、どうしたらレオが学習できるか、
ってとこでつまづいてる﹂
﹁⋮⋮え∼っ、私、一般的な知識とかは教えられるけど、人間育成
みたいなことはできないわよ。そんなことした事ないもの。そこま
で責任持てないわ﹂
﹁責任持てとは誰も言ってないだろう? そこら辺に関しては、レ
オが人に興味を持てば、自然と学習すると思うんだが、興味を持た
せるのが難しい。あのバカ、嫌なことに関しては、聞き流すか全力
拒否だからな。聞かせるだけならできるが、聞いてないし覚えてな
いから意味がない﹂
﹁んー、それって二、三歳くらいの駄々をこねる子供みたいな感じ
? それとも十代の大人や社会とかに対する反抗・反発心的なやつ
?﹂
﹁悪いが、二、三歳くらいの子供がどうだったって記憶は薄いんだ。
俺の子守経験は弟妹だけだからな。幼少期の弟には初めてだった事
もあってちょっと苦労したけど、妹はあまり手が掛からなかったし、
弟も成長してからはそんな面倒なことはなかったし。レオに対して
も、初期の内はそんなに係わり合いになるつもりはなかったから、
ちゃんと見ていなかった。
でも、あいつは人並みの十代の感性とか思考能力がない。﹃ない﹄
というより、まだ﹃育ってない﹄と思う。ここ二年でようやく自分
の意思や感情を発露・発言するようになったんだ﹂
1600
それ以前のレオがどれだけ異常だったのか、当時のアランは気付
かなかった。感情の起伏があまりないか、それを表に出さないだけ
なのだろうと思っていたから、それ以上踏み込んで考えなかったの
だ。
﹁それ、要するに精神的には二歳児くらいってことよね?﹂
﹁二歳児にしては色々アレだけどな﹂
アランは肩をすくめた。ルヴィリアは眉間に皺を寄せて、溜息を
ついた。
﹁まぁ、良いわ。どっちにしろ、こうしろああしろって言われるの
が嫌な子供ってことのは間違いないでしょうし。とりあえず、アレ
に何を言われても、子供の戯れ言と考える事にするわ。
そうじゃないと、腹立たしくなるだけで、精神衛生上よろしくな
いもの。怒りは美容に良くないし、若い身空で眉間の皺が標準なん
て、ゾッとするわ﹂
﹁美容って、そんなの気にするような年齢か?﹂
﹁アラン。それ、女の子には絶対禁句よ。それを口にする時は命を
捨てる覚悟をしなさい﹂
﹁え? なんだそれ⋮⋮っておい、ルヴィリア、なんだその顔⋮⋮
っ﹂
無表情になったルヴィリアに、アランが戸惑いながらそう言いか
けた途端、カッと鬼のような顔になる瞬間を目にして、思わず息を
呑んだ。
1601
﹁死にたいようね。女子に顔をどうとか言うなんて、本気で死にた
いみたいね﹂
ヒヤリとするような冷たい口調で、殺気の籠もった目でこちらを
見るルヴィリアに、アランは背中にブワッと冷たい汗が吹き出すの
を感じ、身震いした。
﹁す、すまなかった﹂
目線を逸らしながら言うアランに、ルヴィリアは笑ってない目で
ニッコリ微笑んだ。
﹁良いのよ、わかってくれれば。アランがわかっているかどうかは
知らないけど、美醜に限らず女性の大半にとって、外見や年齢、体
型や体重について言明を避けることをお勧めするわ。でなければ、
後ろから刺されたり、毒を盛られる事になるわよ。
女って、一度言われた事や、された事を、一生覚えているから﹂
その声音と口調と表情に、滝のような汗を流しながら、アランは
無言で頭を下げた。何故かは理解できないが、そうしなければ危険
だ、といつもの﹃予感﹄が教えてくれたのだ。
︵女の子ってこわい︶
女性不信や恐怖に至るほどではないが、アランは物理的なもので
はない怖さを感じて、身震いした。
◇◇◇◇◇
1602
﹁ただいま﹂
﹁今、戻った﹂
アランが台所の表面的な部分だけ掃除し終えた頃に、玄関からレ
オナール達の声が聞こえてきた。のだが、
﹁誰だ?﹂
アランは思わず小声で呟いた。声の聞こえたレオナールとダオル
より先に、どう見ても貴族としか思えない風貌の魔術師風の男と、
その従者らしき男が、頓着しない様子で堂々と、アランのいる台所
へ入って来たからだ。
グリフォン
﹁ふむ、君がシーラの弟子のアランか。僕の使い魔の鷲獅子と似た
髪の色だな。しかし、残念ながら手入れが悪そうだ。ブラッシング
はまめに行っているか? 食事は足りているか? どうも毛艶と手
入れがいまいちなように見える﹂
﹁⋮⋮は?﹂
見知らぬ男に真顔で言われて、アランはキョトンとした顔になっ
た。そこへダオルが入室する。
﹁すまない、アラン。彼はおれの上司、アレクシス・ファラーだ。
ダニエルの知人でかつて冒険者をしていた事もあるから、もしかし
たら名を聞いたことがあるかもしれないが﹂
﹁もしかして、元Sランク冒険者の︽蒼炎︾アレクシス?﹂
1603
﹁そうだ。現シュレディール王国魔術師団長、および魔術師ギルド
名誉顧問でもあり、家を継ぐ予定はないが伯爵家出身だ﹂
それを聞いた途端、アランは深々と頭を下げ、丁重な礼をした。
﹁失礼いたしました。知らぬこととはいえ、ご挨拶が遅れ、申し訳
ありません。︽静かなる古き精霊の森︾出身のエルフである魔術師
シーラの弟子、ウル村出身のアランと申します。姓はなく、ようや
く見習いから駆け出しになったばかりの修行中の身ですので、いた
らぬところがあれば、ご指摘・ご指導のほど賜りたく存じておりま
す﹂
アランの豹変振りと慇懃な口調と、年齢や出身の割に堂に入った
礼の所作に、アレクシスは軽く目を見開き、マジマジと見つめた。
﹁⋮⋮なあ、ダオル。彼は幼少期に行儀見習いか奉公にでも出た経
験があるのか?﹂
﹁そのような話は聞いた事がないし、経歴から言っておそらくない
だろう。彼は平民で、長子でも後継でもなければ、富裕でもない農
家の出だ﹂
﹁そうか。シーラにそんな知識があるとは思えないし、あれがそん
な事を弟子に教える性格でもないのに、不思議なことだな。まあ良
い、些細な事だ。アラン、丁重な挨拶いたみいる。
だが、そういった仰々しい挨拶も敬語も不要だ。無駄が多すぎる。
普段通りで良いぞ。面倒だ﹂
気怠げに言うアレクシスに、アランは目を大きく見開いた。
1604
﹁わかった。⋮⋮この口調で良いのかな。不都合あれば率直に言っ
てもらえると助かる。正直、貴族的な修辞や礼儀作法にはうといし、
人の機微に聡くもない﹂
﹁問題ない。それに関しては、僕も得意ではない。面倒で冗長でわ
ずらわしいだけだ。そういうのが嫌で学園卒業してすぐ家を飛び出
して冒険者になったのに、引き戻されて面倒な役職を押しつけられ
たのだ。
できればやりたくないから拒否したかったのだが、魔術師団長に
関しては拒絶すれば反逆罪になると脅され、仕方なかった。実務は
部下にやらせているから、ほぼ名目だけで、代理では済まない場合
と、儀礼上必要な時だけ仕事をしている。僕の署名が必要な時は代
筆させているし、部下が優秀なので問題ない。
魔術師ギルドに関しては実務も含め、仕事らしきものは全く何も
していない。名義だけで良いと言われたので、それ以上のことは知
らないし、知りたくもない。
箔だの権威だの、面倒なことだ。僕は自分のやりたい事を好きな
ようにしたいだけだと言うのに﹂
ふう、と溜息をつくアレクシスに、アランは無言でダオルを見た。
ダオルは苦笑しながら、ゆっくり首を左右に振った。アランは表情
に迷いながら、とりあえず話題を変えることにした。
﹁見えるところは掃除したが、薪も材料もないので、お茶も出せな
いのだが、かまわないだろうか?﹂
﹁ふむ、見たところ水瓶も空のようだな。それでは、何もできまい。
となると、外へ食べに行くしかないな。寝室は使えるのか?﹂
1605
﹁全室、確認と簡単な清掃済みだ。ただ、シーツや布団などは四人
分しか敷いていない。あと四半時貰えれば、問題ない﹂
﹁ああ、それならば、うちの従者にやらせよう。⋮⋮ドミニク﹂
アレクシスが声を掛けると、従者の男が無言で頭を下げ、音もな
く速やかにアランに歩み寄る。
﹁申し訳ないですが、寝具のある場所と寝室の位置を教えていただ
けますか?﹂
小声で囁く従者に、アランは頷いた。
﹁アレクシスさん、ここより居間の方が良いと思う。少し、お待た
せする事になる﹂
﹁仕方ない、しばし待つとしよう。ダオル、居間はどちらだったか
な?﹂
﹁途中で通り過ぎただろう。まさか、玄関から真っ直ぐ家の奥まで
向かうとは思わなかったぞ﹂
﹁当然だろう、人の気配のない場所へ行ってどうする。ああ、無論、
ここが貴族とか体裁を気にするような家ならばしないぞ。だが一人
は女、もう一人は男で、前者に動きがなく、後者が忙しなく動いて
いるなら、声を掛けるのは後者だろう?﹂
﹁何故そうなるのか理屈はわからんが、まぁ、女性が一人で寝室に
いる場合は、全く面識のない男が戸を隔てていたとしても声を掛け
るべきではないだろうな﹂
1606
﹁うむ。前にそれで不審者と間違われた事がある﹂
﹁⋮⋮おい、それはまずいだろう﹂
ダオルが咎めるようにアレクシスを見た。
﹁大丈夫だ。悪いとは思ったが、問題が起こる前に対処した。本当
に、シーラは短気で執念深い。たった一度、それも鍵の掛かった部
屋に侵入したわけでもないのに、グチグチと。ダニエルは全く気に
しなかったというのに、狭量なことだ﹂
﹁それは、ダニエルがおかしいと思うぞ。宿屋か借家か持ち家か知
らないが﹂
﹁だが、問答無用で︽拘束の枷︾と︽毒の霧︾と︽神雷の槍︾を詠
唱短縮で放って来たのだぞ? 僕で無ければ、どのような惨事にな
ったことか。短慮と勘違いで宿屋の扉を破壊するとは、無辜の民に
むごい事をする。だから、女という生き物は理解できない﹂
﹁程度はともかく、知己の者以外を訪ねる時は、手順を踏んだ方が
良い。それが一番問題ない﹂
﹁やはり、他人はわずらわしいな。引きこもっているのが、一番だ﹂
ふう、と溜息をつくアレクシスに、ダオルは呆れたような視線を
向けた。ダオルの先導で居間へと向かうアレクシスを見送って、ア
ランは気分を切り替えて従者へと向き直った。
﹁では、こちらです、ドミニクさん﹂
1607
﹁主同様、わたくしにも敬称・敬語は不要です﹂
﹁わかった﹂
アランは頷き、ダオル達とは違う方、台所の扉を出て左手へと向
かった。
1608
22 マイペースな魔術師団長と困惑する魔術師︵後書き︶
今回もあまり話が進んでません。すみません。
右手中指を深爪すると、痛くてキーボードが打ちにくいと学習しま
した。
もう痛みませんが、何をしても痛いなと思ったら出血していました。
そりゃ痛いですよね︵バカ︶。洗い物が地味につらかったです。
ウル村の住民が四十人というのは、少なすぎるので四十軒に変更し
ます。
それでも少ないですが。×5くらいのつもりです。一人しかいない
家もあるけど、だいたい同居する家族が多いので。
中世史どころかヨーロッパの歴史は全くうといので︵読んだ小説の
舞台になっている場合を除く︶色々なんちゃってファンタジーです。
学生時代の社会のテストは、日本史の戦乱に関すること以外は、簡
単な問題もほぼ×でした。
あまりに酷いので、高三の時に受験のため、先生から三ヶ月間、毎
月プリント20枚を課題として出されたくらいです。
自業自得ですが、興味ないことは記憶できない&聞いても忘れるの
は致命的です。
今回の執筆に関して、﹁イヤイヤ期﹂﹁反抗期﹂などで検索したと
ころ、多くの方が苦労しているようです。
アランの対処がことごとく﹁やってはいけない﹂反応のようで苦笑
するしかありません。
でも、同年齢の男同士で黙って抱きしめるとか、絵面的に書きたく
ないですね。オカンorお姉様になってくれそうな女性の登場人物
1609
がいないのがいけないのですが。
以下修正
×あいつ自信
○あいつ自身
1610
23 初めての︽浄化︾
アランはドミニクに物置部屋と客間の位置を教え、居間へ向かっ
た。居間の扉は開かれていた。革張りのソファにアレクシスが長々
と寝そべり、レオナールが毛足の長い絨毯の上に直接腰を下ろして
鎧の手入れをし、居間の入り口付近の壁に寄り掛かったダオルが呆
れたように見ていた。
﹁ダオル﹂
アランが声を掛けると、ダオルは身を起こし振り返った。
﹁ああ、アラン、レオナールには一応客間へ行けと行ったんだが、
面倒だからここでやると言ってあの通りだ﹂
ダオルが少し疲れたように言って、肩をすくめた。
﹁そうか、悪かったな。⋮⋮レオ、装備の手入れをここでやるな。
汚れるだろう﹂
﹁人が住む限り、家というのは多かれ少なかれ汚れるものよ。汚れ
たら掃除すれば良いじゃない﹂
レオナールは当然のことだと言わんばかりの口調で言って、肩を
すくめた。アランは思わず眉間に皺を寄せた。
﹁おい、自分が掃除しないくせに良く言うな﹂
1611
﹁面倒だもの。それに、どうせ言われなくてもアランがするでしょ
? 掃除とか家事とか大好きじゃない﹂
﹁誰もやろうとしないから俺がやってるんだろ! ふざけんな!!﹂
レオナールの言いぐさに、思わずアランが激昂すると、レオナー
ルはおどけるように大仰に肩をすくめた。
﹁別に頼んでないわよ? アランが好きでやってるくせに、文句言
わないでよね﹂
﹁あのな、ここでそんなことすると、泥とか汗とか血とか体液とか
脂とか、いろんなもので汚れるだろ! 魔獣の毛皮は、加工してな
い状態なら皮脂でそれらをある程度保護しているけど、絨毯として
加工する時はそういうの全部除去するから、ものすごく汚れやすく
て、汚れが落ちにくいんだ。
この絨毯、店で買うとどのくらいすると思ってるんだ? ︽浄化
︾があればともかく、普通の洗濯・掃除じゃ、汚れたら絶対元には
戻らないんだぞ!?﹂
﹁︽浄化︾なら僕が使えるから、問題ない﹂
アレクシスが横から口を挟んだ。アランが振り返ると、軟らかそ
うなソファの上でブーツを脱ぎ、足を伸ばしたアレクシスが頬杖を
つきつつ、ニヤリと笑った。
﹁掃除が趣味だと言うなら、遠慮するが?﹂
﹁是非お願いします﹂
1612
アランは即座に頭を下げた。
◇◇◇◇◇
﹁で、レオ。お前、どうしてここでやってるんだよ﹂
﹁え? 玄関入って一番最初に目についた部屋だから?﹂
﹁ソファも椅子もあるのに、どうして床、絨毯の上でやろうと思っ
たんだ﹂
﹁広いでしょ? なんか無駄に疲れたから、移動するのもだるかっ
たのよね﹂
﹁へぇ、珍しいな。いったいどうした? 具合でも悪いのか? 飯
の量が足りなかったか?﹂
﹁んー、町へ戻るまでは問題なかったんだけど、わけわかんないの
に絡まれたからかしらねぇ?﹂
﹁は? 絡まれた? 今度は何だ、おい﹂
真顔で詰め寄るアランに、レオナールはうるさげにシッシッと追
い払う仕草をする。
﹁大丈夫、大丈夫。この貴族のおにーさんのおかげで、追い払えた
から。それより、それ以上近付かないで。手元に影が出来るじゃな
い。邪魔﹂
1613
アランは困惑して、ダオルとアレクシスを振り返った。
﹁東門前で領兵に逮捕されそうになった﹂
ダオルの言葉に、アランが大きく目を見開いた。
﹁なんだって!? いったいどうして!! 何をやらかした!?﹂
﹁ちょっと、アラン。いつも私が何かやらかしてるみたいな事言わ
ないでよ。っていうか、本当、邪魔だからあっち行って﹂
掴み掛かろうとするアランを、レオナールがうるさげに払う。よ
ろめきつつも、転倒を免れたアランは、両拳を握りしめ怒鳴った。
﹁くそっ、ふざけんな、いつも何かやらかしてるだろうが! 素直
に吐け!!﹂
﹁待てアラン、今回に関しては濡れ衣だ。森で会った第五小隊が襲
撃され、運良く逃げた小物一名を除き全員殺傷されたらしい。生き
残りは数名いるが、口を利ける状態ではないようだ﹂
ダオルが仲裁に入り、門であった事を簡単に説明した。アランが
眉をひそめた。
﹁何? それって、あの後の話だよな。あいつらと別れて数刻しか
経ってないだろ。何故そんな⋮⋮っ﹂
﹁それがわかれば良いが、現時点では不明だ。故に、ラーヌは厳戒
態勢に入った。門の出入りは制限されている。アレクシスのおかげ
1614
で逮捕は免れたが、後日事情聴取はされるだろう。おそらく、最後
に彼らと会ったのはおれたちだ。おそらくおれたちがやったとまで
は思われてないが、なんらかの関与を疑われている可能性はある﹂
﹁何のために? それより、︽混沌神の信奉者︾が仲間と拠点を奪
還するために、連中を襲撃したという方があり得るだろう﹂
﹁正確な情報を得ているわけではないが、現場には第五小隊の者た
ちの遺体しか残されていなかったのだろう。でなければ、魔法陣の
使用が判明していないか、あるいは⋮⋮﹂
﹁魔法陣が破棄・破壊された、という可能性もある、というわけか﹂
アランは眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。
﹁でも、アランが描いた魔法陣があるわよね?﹂
レオナールが場違いに明るい声で言う。
﹁あれがあれば外出には問題ないし、門に近寄らなければ良いでし
ょう?﹂
﹁お前、魔法陣を使えば明日の朝の狩りに行けると思ってないか?﹂
﹁違うの?﹂
キョトンとした顔で言うレオナールに、アランは盛大な溜息をつ
いた。
﹁バカ、もし外で見つかったら、間違いなく逮捕されるぞ。第五小
1615
隊の連中の遺体が南東で見つかったのか、北東で見つかったのかは
わからないが、北東なら襲撃現場付近に転移することになるぞ。だ
としたら、確実に見張りがいるぞ。仮に南東だとしても、︽混沌神
の信奉者︾かその関係者が見張ってないとは限らない﹂
﹁見つけたら斬れば良いでしょ?﹂
何を言ってるの、といった口調で言うレオナールを、ギロリとア
ランが睨む。
﹁バカなことを言うな。前者ならお尋ね者だし、後者でもそういう
のは下っ端だから、いずれにしても後がまずい。合法的に斬れなく
なるぞ、レオ﹂
﹁えー、面倒くさーいっ﹂
﹁面倒臭いとか、そういう問題じゃねぇだろ。お前、三食肉抜きに
されたいか?﹂
﹁いやぁっ! 肉抜きとか!! 生きてる意味がないじゃないの!
!﹂
﹁⋮⋮そこまでかよ﹂
肉抜きと聞いた途端に作業を止め、両手で顔を覆ってブルブルと
首を左右に振るレオナールを見て、アランが呆れたような顔になる。
﹁アランは肉の良さや有難味が理解できないから、そんなことを言
うんだわ。どうせ食事は人が生きるための義務、または抑えがたい
摂理くらいにしか思ってないのよ!﹂
1616
﹁おい、さすがにそれはないぞ。俺だって、人並みに食事を楽しん
でるからな。お前、俺をなんだと思ってるんだよ﹂
﹁アランは基本的に自分の興味ある事以外はどうでも良いのよ!!
趣味は研究と情報収集と家事で、それ以外の一般的な快楽とか悦
楽とは無縁の、出家した僧侶みたいな味気ない生活を送るのが夢だ
と思ってるド変人なんだわ!﹂
﹁おい、いくらなんでも、それはないだろ?﹂
大袈裟に嘆くように叫ぶレオナールに、アランは渋面になった。
﹁時折、健康のためだとか言って、苦いもの飲食させようとするし、
気まぐれに人を振り回すし、あれをするな、これをするなって口う
るさいし!﹂
﹁おい、レオ﹂
アランがレオナールを睨んだ。
﹁それ以上言うと、本気で怒るぞ﹂
アランが言うと、レオナールは肩をすくめた。口は閉じたが、顔
に﹁面倒臭い﹂と書いてある。アランは深い溜息をつくと、やれや
れと首を左右に振った。
﹁俺だって、好きこのんでお前に説教しているわけじゃない。お前
の好きにやらせると、ろくな事しないからだろ。お前が何も問題起
こさなきゃ、俺も口うるさく言う必要なんかないんだ。
1617
頼むから、ちょっとはおとなしくしてくれよ、少なくともラーヌ
の厳戒態勢が解かれるまでは。お前が何かやらかすと、俺まで害を
被る羽目になるんだから。
わかってると思うが、俺はお前と違ってひ弱で善良で凡庸な魔術
師なんだ。魔法が使えなければ、ちょっとした事で死んだり怪我し
たりするんだぞ。お前、俺を殺す気か?﹂
﹁⋮⋮なんかずるい、アラン﹂
レオナールがムッとした顔になった。
﹁だいたい、アランのどこがひ弱で善良で凡庸なのよ? 私を言い
くるめたいだけに見えるわ。私の知る限り、アランほど傍若無人で
こずるくて、普段はものすごく要領悪いくせに、いざという時にな
ると立ち回りの上手い人間、他には知らないわよ﹂
﹁どんな悪人だよ! それ!!﹂
アランは思わず怒鳴った。レオナールは肩をすくめ、両手を上げ
る。
﹁悪人とまでは言ってないわ。被害妄想じゃないの。それとも耳が
悪いのかしら。治癒師に診てもらったらどう?﹂
﹁ほう、レオ。お前、俺に喧嘩売ってるのか?﹂
アランがギロリとレオナールを睨んだ。目が爛々と輝いている。
レオナールは思わず笑った。
や
﹁何、戦るの? 面白いわね。そう言えばアランと模擬戦やったこ
1618
とないわね。それとも、模擬戦じゃなく殺し合い? 手加減抜きで
やり合うのも楽しそうね!﹂
心底楽しそうに、目をきらきら輝かせて楽しそうに言うレオナー
ルに、アランは眉をひそめた。
﹁お前⋮⋮本気で言ってるのか?﹂
﹁え、何? 私がこんな冗談言うとでも?﹂
不思議そうにレオナールが首を傾げるのを見て、アランはガック
リと肩を落とした。
﹁本気のお前とやり合ったら、間違いなく負けるのは俺じゃないか
⋮⋮﹂
﹁そうかしら? まぁ、模擬戦だったら間違いなく私が勝つけど、
手加減なしの殺し合いだとどうかしらね。ほら、アランには例の特
技があるでしょう? まぁ、アランってば軟弱だから、生きた盾が
ないと辛そうだけど﹂
﹁あのな、レオ。俺は体力も運動能力もないから、間違いなく最初
の一撃でやられると思うぞ﹂
﹁んー、まぁ、このまま素手でいけば間違いなく私が勝つとは思う
けど、もたもた鎧着てる間に詠唱されたら微妙じゃない?﹂
﹁俺がそういうことすると思ってるのか?﹂
﹁アランは、いざとなったら割り切ってやるでしょ? 私が敵なら
1619
容赦しないんじゃないの。普段はごちゃごちゃ言ってても、自分の
命が掛かっていたら、勝つためなら、手段は選ばないでしょう?﹂
﹁そこまで非人道的じゃないつもりだが、お前にはそう見えるのか
?﹂
アランは睨み付けてはいたが、内心ちょっぴり泣きそうな気分に
なった。レオナールはキョトンとした顔をしている。
﹁俺としてはお前は身内枠で、どちらかといえば甘やかしてるつも
りだったんだが﹂
﹁そうなの? まぁ、他に対しては一線引いてるわよね、アラン﹂
﹁お前の目にどう見えているか知らないが、俺はお前の保護者のつ
もりでいたからな。俺は、口ではどう言おうと、被保護者に理由な
く暴力を振るわないし、意味なく行動を制限しないぞ﹂
アランの言葉にレオナールはふむ、と頷いた。
﹁つまり、私に理解できないだけだって言うのね?﹂
良いこと思いついた、という顔で明るく笑って言ったレオナール
に、アランは思わず天井を仰いだ。
﹁この救いがたい大バカが⋮⋮っ! くそっ、本気で見放したい!
! なんでこんなに言葉が通じないんだ、このくそ脳筋っ!!﹂
﹁アランはいちいち言い方がまどろっこしいのよね。要するに、理
由なく私を殴らないし、意味なくあれこれやるなとは言わないって
1620
ことでしょ? もっと簡単にわかりやすく言えば良いのに﹂
﹁わかってるなら、お前、﹂
﹁ねぇ、アラン。そんなことより、早くご飯食べたいわ。早く出掛
けましょう。装備の手入れもあらかた終わったし、後はお腹を満た
したり行水して、早く寝たいわ﹂
﹁⋮⋮お前というやつは﹂
アランは呻くように呟いた。
﹁行水? 水浴びするには、まだ若干肌寒いと思うが﹂
ソファに寝そべっていたアレクシスがムクリと起き上がり、不思
議そうな顔で尋ねた。
﹁だって、今日はかなり汚れたもの。これで行水も清拭もしないで
寝たら、翌朝すっごいにおいになるわよ?﹂
レオナールが答えると、アレクシスはふむと頷き、呪文を唱えた。
﹁天上の父たる天空神アルヴァリースと母たる大地の女神フェディ
リールに、我らこの地上に生きる日々の喜びと感謝を捧げ奉らん。
神の御力を持って、彼の心身を清め、悪しき呪いを払いたまえ、︽
浄化︾﹂
アレクシスが発動文言を唱え、魔力を注いで術を発動させると、
レオナールの汗や魔獣の体液や皮脂などで汚れペタリとしていた髪
が、見る間に美しく艶やかに変化し、余分な水気が飛ばされ、軟ら
1621
コットン
かく軽く膨らみ、サラリとした状態になる。鎧の下に着ていた汗じ
みた簡素な木綿製の貫頭衣とズボンが、洗い立てのような清潔な状
態へと変化する。
﹁えっ? えっ、何これ!﹂
目を瞠って驚くレオナールに、アレクシスはニヤリと笑って答え
る。
﹁︽浄化︾だ。これで、わざわざ日が暮れてから行水する必要もあ
るまい﹂
﹁⋮⋮ねぇ、もしかしてこれ、鎧や剣にもかけられる?﹂
﹁そうだな。汚れを除去することくらいならばできるが、その程度
だ。切れ味を良くしたり、保存状態を良くしたり艶を出したり保護
するためのクリームを塗る代わりになったりはしない﹂
﹁それ、最初から掛けてくれれば、もしかして装備の手入れをする
時間が短縮できたんじゃないの?﹂
レオナールがすました顔のアレクシスを、睨んだ。
﹁そうかもしれないが、趣味なんだろう? ダニエルにかけると嫌
がられるから、遠慮したのだが﹂
怪訝そうに言うアレクシスに、レオナールは不機嫌な顔になった。
︵このおっさん、嫌い︶
1622
レオナールは、先程までアレクシスを、変人だがちょっとは話の
わかるかもしれない男、と評価していたが、﹃最悪に面倒くさいお
っさん﹄に格下げした。
﹁ついでに、絨毯にも掛けるか?﹂
アレクシスがブーツを履きながら言うと、アランがキラキラした
目を向けながら頷いた。
﹁是非お願いする﹂
アランは生まれて初めて目の前で詠唱され、発動される︽浄化︾
に夢中である。ちなみに彼の第一印象でアレクシスは﹃うさんくさ
いおっさん﹄だったが、今は﹃憧れの高位魔術師﹄に変化した。
1623
23 初めての︽浄化︾︵後書き︶
このサブタイトルどうよ、と思いつつ他に考えつかないので、これ
で。
こんな主人公で大丈夫か、という声が脳裏に聞こえてきます。
色々アレな性格なのは、序盤から見えてますが。
貫頭衣と表記したのは、シャツだとボタンつきのあれを想像しそう
だし、チュニックと書くと上着っぽいの想像するからなのですが、
これもまた微妙な気がします。
丸首シャツ、というのもなんか違いますし、悩ましいです。
1624
24 当てにならない魔術師団長の使い方
一行は夕食を取るため、外に出た。今回はアレクシスがいるため、
︽日だまり︾亭ではなく、︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾であ
る。
レオナールとアランの知っているロランの飲食店はその2つだけ
であり、庶民的な家庭料理を出す店に連れて行ってもアレクシスは
文句を言わないかもしれないが、アランにその勇気はなかった。
﹁というかダオルは、他に知らないのか?﹂
﹁安酒を飲ませる店なら。客層的にやめておいた方が良いだろう﹂
ああ、とアランは頷いた。
﹁どうして私に聞かないの?﹂
ルヴィリアが不満そうに言うと、アランが微苦笑を浮かべた。
﹁いや、お前は自分が行きたい場所やお勧めの店があるなら、こち
らが聞かなくても言って来そうだろ?﹂
﹁何それ! 私が出しゃばりだとでも言いたいわけ!?﹂
﹁そんな事は言ってない。だけど、我慢するようにも見えない。思
ったことは、すぐ口に出るだろ﹂
﹁⋮⋮否定できないわね。まぁ、知らない事もないけど、正直あん
1625
た達が行ってる店の方がおいしいし、客層も微妙なのよね。高級店
も知らなくはないけど、︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾に比べ
たら落ちるし﹂
﹁なら、やっぱり聞くだけ無駄だろ﹂
あっさりそう言ったアランに、ルヴィリアが眉をつり上げる。
﹁無駄!? 無駄ですって!!﹂
﹁うるさい、小娘。発情期の犬みたいにキャンキャン騒がないで﹂
レオナールがピシリと言った。
﹁なっ⋮⋮はっ、発情期の犬ですって!? よりによって発情期の
犬!? あんた、道端で何、下品なこと言ってるのよ!!﹂
﹁大きな甲高い声で人目を引いてるのは、あなただけどね﹂
叫ぶルヴィリアを横目で見て、レオナールは鼻で笑った。
﹁みっともないから、やめたら?﹂
﹁⋮⋮なっ、なっ⋮⋮!!﹂
ワナワナと震えるルヴィリアの姿を見て、レオナールはクスクス
楽しそうに笑った。
﹁なんか、前にどこかで見た事あるわね。そうそう、ねぇ、アラン、
あなたのお隣で飼われてた小型犬、あれ、今のこの子にそっくりよ
1626
ね。足をプルプルさせてキャンキャン吠える、あのうるさい犬﹂
﹁オレールさんの犬か? 言われてみれば、髪を両脇で結んだら似
てるかもな。あいつ、小さくて白い長毛種で目が大きくて、足が短
かった⋮⋮っておい、ルヴィリア、何故俺を睨むんだ?﹂
﹁足が短くて悪かったわね!﹂
ルヴィリアが真っ赤な顔で、噛み付くように叫ぶ。アランは慌て
て弁明する。
﹁いや、お前のことじゃないぞ! 犬の話だ、犬! 俺の実家の隣
で飼われてた犬だよ!!﹂
﹁でも、私に似てるんでしょ!?﹂
焦るアランを、ジットリした目つきで見るルヴィリア。
﹁いや、だから、似てると言われたらそうかもしれないって程度で、
言われなきゃそうは思わないよ。だいたい、似てると言い出したの
はレオの方で、俺は⋮⋮っ!﹂
﹁でも、似てるって言ったわよね﹂
冷ややかな目つきでルヴィリアがアランを見ている。アランの背
にジワリと冷たい汗がにじみ始める。
﹁え? 何、俺のせい? おい、レオ。お前が最初に言いだしたん
だろ!﹂
1627
アランは慌てて、レオナールの肩を揺らすが、
﹁さぁて、今夜の夕飯、楽しみね!﹂
レオナールはルヴィリアともアランとも視線を合わさず、素知ら
ぬ顔で言った。
﹁おい、レオ! お前が言い出しっぺなんだから、何とかしろ!!﹂
﹁今日はおいしい肉が食べたいわね﹂
﹁レオ、お前⋮⋮っ!﹂
﹁森鹿肉も良いけど、分厚い高級牛肉をたっぷり食べたい気分だわ﹂
レオナールはそう言って、アランを横目でチラリと見た。
﹁レオ、お前、まさか俺に奢れって言ってるのか?﹂
冗談だろ、と言いたげな口調で言うアランに、レオナールは冷め
た視線を向ける。
﹁え、何、アラン。独り言? 公道で大声で独り言いうの、やめた
方が良いわよ。変な人だと思われるわ﹂
﹁おい、待て。名前呼びかけてるのに、独り言扱いするとか、お前、
性格悪くなってないか?﹂
﹁やぁね、面と向かって性格悪いだなんて、ひどい言いぐさね。傷
付いちゃうわ﹂
1628
レオナールはわざとらしい溜息をついて、やれやれとばかりに肩
をすくめ、首を左右に振った。
﹁嘘をつくな、嘘を! そのニヤニヤ笑ってる顔のどこが傷付いて
る顔だ、レオ。だいたいお前、面倒臭いことは全部俺に押しつけれ
ば良いって思ってないか? お前が始めたことなんだから最後まで
責任持てよな! お前はいつも⋮⋮っ﹂
激昂するアランのローブの袖口を、ルヴィリアが引いた。驚いた
アランが振り返ると、ルヴィリアが無表情でアランをじっと見つめ
ていた。
﹁⋮⋮え⋮⋮?﹂
﹁ねぇ、アラン。私が謝ってって言ってるのに、無視してレオナー
ルと話し始めるとか、酷くない?﹂
﹁え、謝れって言われたか?﹂
アランが尋ねると、ルヴィリアは真顔のまま唇だけを歪めて笑っ
た。
﹁そのくらい、前後の会話や声や顔で、判断つくわよね?﹂
﹁え?﹂
アランはポカンとした。そんな彼にルヴィリアが真顔で詰め寄る。
﹁わかるわよね? それとも、それが理解できない無能だとでも?
1629
あるいは、そこにいる常識知らずの狂人、とてつもなく愚かで低
俗な低脳と同類だとでもいうのかしら?﹂
ヒヤリとした声で言うルヴィリアに、アランは既視感を覚えた。
︵なんか、これ、最近どっかで見た気がする︶
何故、レオナールではなく自分が詰め寄られ、糾弾されるのかは
理解できないが、本能が危険だと警告してくるので、アランは即座
に頭を下げて謝った。
その様子を、レオナールがニヤニヤ笑みを浮かべて観察していた。
﹁ふーん、面白い事になってるわね﹂
﹁おい、レオ。お前、何を他人事のように見てるんだ。そもそも、
お前が変なこと言い出すからいけないんだぞ。ほら、お前も謝れ!﹂
﹁ん∼? 別にそれは期待してないでしょ? ほら、人ってどうで
もいい人のことは、わりとどうでも良いじゃない? 特に女の子は﹂
﹁は? 何言ってるんだ。人を不快にさせておいて、それはないだ
ろ、レオ﹂
﹁本当、アランはニブイわよね。蚊に刺された事は一晩経てば忘れ
るけど、魔獣に引っかかれた事はそうそう忘れないでしょ?﹂
﹁何の話だよ。だいたい、蚊に刺されてもそう簡単に死なないけど、
魔獣に引っかかれたらちゃんと治療しないと下手すりゃ死ぬだろ?
比較がおかしい﹂
1630
﹁その内後ろから刺されて死にそうね、アラン﹂
﹁なんでだよ! 俺が何をしたって言うんだ、レオ﹂
﹁別に∼? 私にかまうより、その鬱陶しい目つきの小娘ちゃんを
かまってあげたら? 喜ぶわよ﹂
レオナールの言葉に、アランがルヴィリアの方を向くと、何故か
ジトッと睨まれていた。
﹁⋮⋮どうした、ルヴィリア。何か嫌な事あったのか?﹂
﹁別に。アランはレオナールのこと、好きなのね﹂
﹁どういう意味だ? 念のためいっておくが、俺は男色趣味はない
ぞ。普通に女の子が好きだ。レオがこんななせいか、何故かおかし
な勘違いされるけど、出来れば二十歳までには十分な資金を稼いで、
家を借りて結婚したいと思ってるんだ。
あと五年あるし、着実に実績積んで信用を重ねれば、それくらい
の貯金とコネは作れるだろうからな。だからくれぐれも、変な噂流
すのやめてくれよな。こいつ、レオが何か変なこと言い出しても、
気にするな。どうせその時の気分や悪気のある冗談で、半日後には
言った本人が忘れる程度の内容だ﹂
﹁ふぅん、じゃあ、恋人とか作る気があるんだ?﹂
﹁⋮⋮女の子って、そういう話好きだよな。俺全然モテないし、金
もコネも実績もないし、今そういうの考えるだけ無駄だろ? そん
な暇もないし、そういう労力掛けるだけの余力もないし。
マメじゃない甲斐性なしの男はモテないって言われるのはわかっ
1631
てるぞ。でも、そういうのは他のやつに言ってくれ。俺はいっぱい
いっぱいなんだ。
これ以上他に何かやるのはきついし、考えるだけで憂鬱になる。
そりゃ、人並みにモテたいし、生活や気持ちに余裕できたら、女の
子と付き合いたいよ。でも、現状では絶対無理だな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ルヴィリアがしかめ面になった。
﹁どうした?﹂
﹁アランって、実はものすごいバカよね﹂
﹁なっ!?﹂
﹁まぁ、良いわ。余計なお世話だと思うけど、二十歳で結婚って、
女の子だと行き遅れって言われる年齢だって自覚はある?﹂
﹁知ってるよ。けど、田舎はともかく都会だとそれほどでもないん
だろ? 十八歳で独身とかザラだし、その上冒険者となると、ウジ
ャウジャいる。
でも、それは仕方ないよな。同じ年齢で他にもっと稼げるやつの
が多いんだし、いつ死んでもおかしくない稼業だし、引退するのは
負傷か三十前後ってのが普通だ。そういう連中を﹃普通﹄の基準で
比べる方が間違いだろう。
まぁ、自分達が普通とは違う異常な環境だって意識せずに、それ
にどっぷり浸って漫然と生きてたら、男も女も一生独身になりかね
ないってのは間違いない。
異常な環境に順応すると、自分が異常だって自覚しなくなるから
1632
な。あまりに乖離すると、日常会話すらも通じなくなる﹂
﹁別にそこまで真面目な話が聞きたかったわけじゃないんだけど、
アラン、あなた空気読めないとか、察しが悪いとか言われたことな
い?﹂
ルヴィリアに真顔で言われて、アランは思わず言葉に詰まった。
﹁アランってきっと、女の子に相談乗ってとか愚痴を聞いてって言
われたら、真面目に話を聞いて、的確に助言しようとして、ボロク
ソにけなされるタイプね!﹂
﹁⋮⋮悪かったな﹂
ルヴィリアの言葉に嫌な思い出が次々と甦り、アランはだから何
故突っかかってくるんだ、と思いつつ、ルヴィリアを睨んだ。
◇◇◇◇◇
︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾は本来事前予約が必要な店だ
ったが、アレクシスの名前を聞くと支配人が出てきて奥の部屋へ案
内された。
特別な食材の在庫がないことを何度も丁重に謝られたが、この場
にそれを気にする人物はいない。何か適当に作ってくれとアレクシ
スに言われた支配人は、腕を奮ってお口に合うものを提供しますと
言って、張り切って退室していった。
﹁にぎやかな人ね﹂
1633
レオナールの人物評にアランは首を傾げた。
﹁そうか? あんなものだろ。普通王都からお偉いさんが来る時は
何ヵ月も前から通達が来て、準備期間もたっぷりあるものだろうし﹂
﹁部下に事前に予定を知らせろとよく言われるが、予定通りに行動
したことはあまりないな﹂
真面目くさった顔でアレクシスが言う。その背後に立つ従者は無
表情である。
アランはきっとこの人も周囲に色々迷惑振り撒いているのだろう
なと考えた。しかも、その自覚がないか、あっても反省しないタイ
プだ。
しかし、そんなことはアランには関係ないので笑顔で聞き流す。
ダオルは苦虫を噛み潰すような顔をしていたが、何も言わなかった。
レオナールは出てくる料理にしか興味がない。
﹁初めて︽豊穣なる麦と葡萄と天の恵み亭︾に入ったわ。さすがラ
ーヌ一番の高級料理店ね。外観はもちろん内装や家具・装飾品の類
いも他とは段違い。店員の所作や歩き方も別物で洗練されているわ。
黒檀のテーブルや椅子なんて間近で初めて見たわ。しかもこんな
に黒くて艶があって、見事で美しい細工! 優美なラインでその上、
座り心地もよく考えられている。一脚持って帰りたいくらいだわ﹂
ルヴィリアはしきりと感嘆していた。目が別人のようにキラキラ
輝いている。
﹁金目のものが大好きって顔に書いてあるわね。アラン、あの子が
盗みを働かないよう気を付けたら?﹂
1634
﹁バカか。そんなことする愚か者がいるか。小人族の盗賊だって、
営業時間内に正面入口から堂々と盗みに入ったりしないだろ﹂
レオナールの言葉にアランが返して、肩をすくめた。
﹁そういえばあの盗賊どうなったのかしら?﹂
﹁他のチンピラ達は罰金取られて町を追放だって聞いた気がするな。
殺しをした連中以外は。他に余罪が見つからなかったなら、同じく
追放されているだろう﹂
﹁ロランに戻って来なければ良いわね﹂
レオナールが言うと、アランは嫌そうな顔になった。
﹁やめろよ、考えたくもない。どうせもっと稼げそうな町へ向かう
だろ﹂
﹁またどこか妙なところで顔を合わせそうよね﹂
﹁悪い冗談はよせ。会いたいのか?﹂
﹁全く。でもあれ、悪運悪そうよね﹂
﹁さあな。俺はあいつには二度と会いたくない﹂
アランが面倒臭そうに言うのを見て、レオナールはニヤリと笑っ
た。
1635
﹁悪運とか不運って面ではアランも相当よね﹂
﹁嫌なこと言うな﹂
そこへ食前酒と前菜が運ばれて来た。食前酒は軽めの果物酒、前
菜は野菜と鶏肉のゼリー寄せと角猪肉のハムと香草サラダ、一口サ
イズの川魚の切身のソテーにソースがかかっている。
﹁では、食べようか。今日はゆっくり休んで、明日から動くことに
しよう﹂
アレクシスが言う。ダオルが口を開く。
﹁先程東門であったことも含め、報告は出した。できればアレクシ
スも調査に加わって貰えれば有り難い﹂
﹁⋮⋮転移陣を設置して試用運用して、余裕があればな﹂
アレクシスの顔には面倒臭いと書いてある。あまり期待はできな
さそうだ。
﹁そうか。おれはともかくレオナールとアランが気の毒だな。もし
かすると幼いレッドドラゴンも難癖つけて取り上げられるかもしれ
ない﹂
ダオルが言うと、アレクシスの目の色が変わった。
﹁是非とも協力しよう﹂
それを見て、アランはなるほどと頷き、レオナールは胡乱げな目
1636
付きでアレクシスを見た。
1637
24 当てにならない魔術師団長の使い方︵後書き︶
ファンタジーで﹁同じ土俵で勝負する﹂はまずいと思い、別表現に
しましたが、言い換え面倒だと思います。
グレードを等級と書くのも微妙なので悩ましいです。そう書くしか
なさげですが。
読み返したらおかしなとこたくさん出て来そうです。
うっかりPSNでクロノトリガー購入してしまいました。
積みゲー&小説たくさんあるのに。
新年会で着物着たら、紐が一本肋骨の間に入って、ご飯がたくさん
食べられませんでした。
甘いものはあまり好きじゃないけどケーキ食べたい気分です︵我が
家でケーキ買うのは旦那がデフォ︶。
近所にケーキ屋&洋菓子店はあるのですが、最近ちょい貧血気味な
ので、あまり長く外出したくないので悩みます。
倒れたら人様に迷惑掛けるので。
1638
25 気まぐれな神々に祈りは通じない
人の話し声は雨音に似ている。もっとも、人のそれは、雨音より
も雑多で不規則で、何より耳につく。
けれど、アランの説教・説明する時の声は、発音は明瞭ではある
ものの抑揚があまりなく、一定のリズムを刻んでいるため、聞き流
すには最適だ、とレオナールは思う。本人が聞いたら、嘆くだろう
が。
︵狩りに行きたいって言っただけなのにね︶
レオナールはバレないように心の中で溜息をつく。聞いているよ
うで聞いてない、は得意だと思う。
感情が表に出にくく、意識して作らないと表情が変わらないこと、
人の話を聞いているフリをする時は無表情無反応より、微笑を浮か
べて時折わずかに顔を動かすだけの方がそれらしく見えること。基
本相手の方を向きつつも決して相手の目は見ないこと。
︵完璧ね︶
それでも時折、話を聞いてないとバレることはあるが、特に問題
ない。内容は聞いていないが、音を記憶するのは得意なので、その
一部を脳裏で再現すれば、相手の話した内容をだいたい把握できる。
適当に切り取った部分のみを再現するため、話のキモではない場
合も多々あるが、レオナールにとっては些細なことである。
もしそれがどうしても必要なことならば、必要な時に思い出すだ
ろう。それは無意識の領域で記憶の倉庫に整理され、ラベルのない
1639
まま一見無造作に保存されているが、存在しないわけではないのだ
から。
レオナールにとって必要でないことは、おおむね不要物、または
不要物予備軍である。
表層意識の大半は本能と直感に支配されており、理論的な思考回
路はほぼ皆無だが、意識しない部分では全く思考しないわけではな
いだろう。
︵ルヴィリアの声は抑揚が激しくて音程・音量・リズムが不規則で、
何より甲高くて耳が痛いから、アランの説教ならいくら聞こえてき
ても問題ないわね︶
ひどい感想である。
◇◇◇◇◇
一行は翌日、事情聴取のため領兵団の詰め所へ出頭するよう、使
いの領兵に命じられた。
﹁アレクシスさんも来るんですか?﹂
アランが従者と共に着いてくるアレクシスに言うと、アレクシス
は物憂げな顔でゆっくり首を左右に振った。
﹁前にも言ったが、敬語は不要だ。午前中の内に王都との転移陣の
設置と簡単な試験運行も完了済みだ。仕事が終わったなら戻って来
いと言われたが、まだやる事があると断ったので、問題ない﹂
1640
アランには、何がどう問題ないのかサッパリ不明だが、昨夜のダ
オルとの問答で何らかの力添えをしてくれるのだろうと考えた。ど
の程度当てになるのかはわからないが、おそらく何もないよりはマ
シだろう。
レオナールはいつも通り狩りに行きたがったが制止した。詰所へ
出頭するため家を出る際も、剣やダガーなどを持って行こうとした
が、全力で止めた。
アランは、レオナールに帯剣させて何も問題が起こらないとは思
えなかった。
そのためレオナールは現在非常に不機嫌である。何をやらかすか
わからないため、目を離すのは危険なので、ダオルとルヴィリアに
も協力を頼んだ。
﹁レオ、暫くの間我慢しろ。お前のために言ってるんだからな﹂
アランがそう言い聞かせるが、レオナールは聞いているのかいな
いのか知らん顔である。どこを見ているかわからない無表情で黙り
こくっている。
﹁レオナール、今日はいつもより食事量が少なかったようだが、大
丈夫か?﹂
ダオルが声を掛けても無反応だ。アランが首を左右に振る。
﹁食事量に関しては問題ない。普段バカみたいに食うのは日課の狩
り含む運動量のせいだ。狩りも訓練も依頼もない時は、あんなもの
だ﹂
1641
﹁さすが保護者ね﹂
ルヴィリアが半ば呆れたような顔で言った。
﹁そんなことより着いたぞ。おい、レオ﹂
アランはレオナールの肩を強く掴み、揺さぶった。
﹁くどいようだが、絶対問題起こすなよ。暴力は振るうな。
おそらく事情聴取は個別で行われるだろうし、何か侮蔑的なこと
を言われたりするかもしれないが、手を出すな。
面倒だったら無視でも良いし、返事は﹃はい﹄か﹃いいえ﹄か無
言でもかまわない。 最悪の事態にはならないようにアレクシスさ
んも協力してくれるみたいだし、いざという時はなんとかする。
だから、頼むから面倒事起こすなよ﹂
﹁面倒事って例えば?﹂
﹁事情聴取中に尋問役の兵士を殴り倒すとか、挑発して乱闘すると
かだ。
お前が何もしてないのに殺されそうになった時は、防御・回避は
もちろん反撃しても良い。その場合は仕方ないからな。
でも、死なない程度に軽く殴られるとかならその場は我慢しろ。
後で抗議・交渉する時の大義名分になるかもしれないからな。
事情聴取については、お前が不利になるような言質を取られない
ように気をつけろ。
相手の言動は全て記憶しろ。お前に判断つかないことは俺が吟味・
検証して判断してやる。
お前に判断できることなら、問題ない範囲で好きにしろ。喧嘩は
売るな﹂
1642
﹁面倒くさいわね﹂
﹁俺がお前と一緒にいられるなら、全部俺にまかせろと言いたいと
ころなんだが、相手の意図や思惑がわからないし、交渉できるかも
不明だ。
ダオル、アレクシスさん、昨夜聞いた以上の情報はわからないん
ですよね?﹂
﹁たぶん王都にしても領主殿にしても、早くて今日の午後にならな
いと返答は来ないだろう。
アレクシス、王都からの応援はどうなっている?﹂
﹁僕が向こうに転移した時は対応できる責任者はいなかった。ダニ
エルはいつも通り行方不明で、ヘルベルトは面談中で、ウーゴは外
出中だ。
王女殿下は宰相と打ち合わせで、本日の公務は特にないから戻り
次第、なんらかの手配・采配をして下さるだろう﹂
﹁ダニエルはまた酒の飲み過ぎか、それとも喧嘩か暴力沙汰か、魔
獣討伐か﹂
﹁知らない。彼については僕の管轄じゃない。たぶんウーゴが捜索
中だろう。
ステファンが何か言っていたが、急ぎの決済がどうとか面倒臭そ
うだったから逃げて来た﹂
アレクシスの言葉にダオルが苦い顔になる。アランは見知らぬ王
都の者達に少し同情した。
1643
ダニエルは強化版レオナールだ。何かあっても自力・独力で対処
できる分いくらかマシかもしれないが、それ以上に悪知恵が働き巧
妙なので、より質が悪い。
天を仰ぎ、神に祈る仕草をした。気休め程度にしかならないが。
﹁早く済ませてお昼ご飯食べに行きましょう。朝はパンとスープだ
ったから、たっぷり厚みのある肉が食べたいわ﹂
﹁燻製肉もあっただろ﹂
﹁あれを肉だと思いたくないわね。咀嚼する時に肉汁が出ない、血
の味もにおいもない固いだけの雑巾もどきを!﹂
﹁なんだ、朝食に不満だったから機嫌悪かったのか。まぁ、食肉用
の豚で臭みはないけど、あれは最初の乾燥に失敗したっぽいな﹂
﹁吐き出さなかっただけ十分配慮したわよ。一口でやめたけど、あ
んなゴミ食べるくらいなら死んだ方がマシだもの﹂
﹁携帯食料の類いは置いて来たからな。まだ屋台は出てないし、開
いてる店もそれほど多くないから、時間的にちょっときびしいな﹂
﹁クッキーなら持ってるけど、どうする?﹂
ルヴィリアが言った。レオナールとアランが見ると、ニヤリと笑
った。
﹁私、常に携帯食や簡単なおやつを持ち歩いてるの。頭脳労働が本
職だから、糖分摂取は大事なのよね。魔法使い過ぎた時にないと困
るし。
1644
どうしてもって言うなら、少しくらい分けてあげても良いわよ。
まぁ、あんたの態度と私の機嫌によるけど﹂
﹁そうか、なら頼⋮⋮﹂
﹁結構よ、必要ないわ。甘い物は苦手だし、別に特にお腹が空いて
るわけでもないもの。
まぁ、ちょっとイライラしているだけよ。ここに剣か代わりにな
る物があれば、もっとマシな気分だったかも﹂
﹁ダメだ! お前、それ、武器があったら使うつもりだろう!!﹂
﹁そんなことはないわよ。でも手元にあれば落ち着くのよね。撫で
るだけでも穏やかな気持ちになれるのに﹂
﹁嘘だ! 絶対その逆だろ!! もし仮にそうだとしても、脳内で
は斬るか殺してるだろ!﹂
﹁ふふっ、何を言ってるのかしら、アラン。何の根拠もない誹謗中
傷はやめた方が良いわ。人格を疑われるわよ?﹂
﹁どうせ今日はまだ剣を思い切り振ってないから、とにかく理由つ
けて使いたいだけだろ!﹂
﹁別に生の血を見たいと言ってるわけじゃないわよ。あの金属の光
沢は、見ていると心が洗われるわ。
美しいものを見ると、幸せな気持ちになれるでしょう?﹂
﹁お前基準だと、一般的な基準ではろくでもないものだろ。この脳
筋が﹂
1645
アランが唸るように言うと、レオナールは艶のある笑みを浮かべ
た。
﹁確かに私は肉や血を見るのは好きだけど、四六時中見たいわけで
もないわよ? 考え過ぎよ、アラン﹂
﹁信用できるか。とにかく頼むから、問題起こすなよ? 何かやら
かしたら、本気で泣くぞ﹂
﹁アランに泣かれるのは困るわね。なにげにしつこいし、根に持つ
し。
安心しなさい、アラン。特に何かない限り殺したりしないから。
少なくとも街中ではね﹂
﹁誤解が生じるようなことを言うな。下手なことを言うくらいなら、
無駄口叩かず黙ってろ。
お前が饒舌になると、ろくな事がない﹂
﹁あははっ、アランってば心配性ね﹂
﹁俺は事実を言ってるだけだ。まともな飯を食べたいなら、言動に
気を付けろ﹂
アランは軽い頭痛を覚えた。
◇◇◇◇◇◇
1646
付き添いのアレクシスは別室、あとの三人は個別に小部屋に入れ
られた。
アレクシスを除く各人につけられた領兵は三名、アレクシスと従
者はどうやら高位貴族向けの応接室または接待用の客間へ案内され
たようだ。
小部屋は奥行き百メトルちょっとくらいのほぼ真四角の狭いとこ
ろに、調書を置くための小さなテーブルと、座り心地の悪そうな簡
素な椅子が二脚置かれている。
ただでさえ狭いのに屈強な完全装備の男が複数入ると、余分な空
間などほとんどなくなる。
奥の椅子にアランが、手前の椅子に三名の領兵の内、責任者らし
き強面の男腰掛けた。
︵あいつ、大丈夫かな︶
レオナールのことが心配になった。彼のやらかすかもしれない事
以上に、過去の酷い記憶で彼が傷付いたり脅えたりしないだろうか、
と。
﹁では、昨日の事を聞かせて貰おうか﹂
﹁はい。初めて第五小隊の方々に遭遇した時は別行動していたので、
直接会話したのはダオルで、我々は直接顔を合わせていません。
場所はラーヌ北東の森でフェルティリテ山の南西、ラーヌ北北東
です。
場所については、簡単ですがこちらの地図に記載しました。計測
なしの太陽の方角と移動距離からの換算なので、正確ではありませ
んが、参考になると思います﹂
1647
そう言って、手描きの地図││今回、このために書き写した複製
││をテーブルに置いた。
﹁1が最初に遭遇した洞窟、2が次に遭遇した洞窟です。この二つ
は内部にあった転移陣の一つにより繋がっていました。 我々が使
用したのは識別名﹃麦の道﹄場所名﹃蜘蛛2﹄で、その他の転移陣
は確認しておりません。
2の洞窟では入口から見て最初の分岐を右に行った奥にある4つ
の魔法陣の内の右上、1の洞窟では書き物机と椅子のある部屋にあ
る魔法陣です。
古代魔法語の知識のある方なら容易に判別できるでしょう。
第五小隊の隊長殿に、早急に撤退するよう言われたので、どちら
の洞窟も探索・調査は途中までしか行っていません。
1の洞窟で第五小隊の方々との遭遇前に、怪しげな風体の集団に
襲われたので、反撃し無力化しました﹂
﹁怪しげな風体の集団?﹂
﹁はい、全員黒ずくめで覆面や仮面、フードなどで顔を隠していま
した。魔術師もいたようです﹂
︽混沌神の信奉者︾については、聞かれない限りは伏せると事前
に打ち合わせた。正直に話して信用されるとは限らないし、もしそ
の仲間または関係者が混じっていれば、ろくな事にならない。 そ
の他については、嘘にならない事実を述べる。実際に調査・判断す
るのは彼らの仕事である。こちらは身の潔白を証明できれば問題な
い。
1648
最悪でもアレクシスが︽真実の鏡︾という真偽を判断するための
魔術が使えるため、それを使って証明する。
本来は光神神殿に務める神官のみが使える魔術だが、アレクシス
が貴族のたしなみと教養の一環として習得したらしい。本音は、実
利のために習得したのだろう。
他にも︽魔法感知︾や︽魔法解除︾、︽審判︾などの魔術が使え
るらしい。
︽審判︾は宣誓した内容に反した言動を行うと、神の怒りにより
激しい苦痛を味わうという魔法である。
効果時間は四半時だが、かけ直しができる上に、効果が切れた後
の後遺症が皆無という拷問に便利な術で、これも本来は光神に仕え
る神官のみが使える魔術だ。
アレクシスが実際使った事があるのかは尋ねなかった。言わずも
がなである。
﹁それで、次に会った時は?﹂
﹁2の洞窟へは町へ戻る前に荷物を取りに行ったことと、冒険者ギ
ルドの依頼で行方不明だった冒険者の遺体を引き取りに行き、巡回
または探索中と思われる兵士の方々に遭遇しました﹂
﹁名前と風体は?﹂
﹁すみません。若い三名の男性でしたが、詳しい容貌まではわかり
ません。一名は俺と同じくらいの身長で赤髪、他二名はそれより若
干低い茶髪でした。
彼らと共に洞窟入口まで戻って、馬車を回収した後、町へ帰還し
ました。
彼らは我々が外に出たところで中へ戻り、その後遭遇しなかった
1649
ため、東門で聞くまで彼らに起こった出来事を知りませんでした。
ちなみに回収した主な荷は洞窟前に待機させたガイアリザードの
背に、回収した馬車はこの×印をつけた位置に置いてありました。
回収の際の順路はこちらの太い曲線です。
馬車回収後は、レッドドラゴンの幼竜に餌を与えるため、二手に
別れて俺とルヴィリア││仲間の女性魔術師││は街道を通って馬
車でラーヌ東門へ、レオナールとダオルと幼竜はラーヌ北東の森へ
向かいました。
昨日の町の外での行動は以上です。
あと補足するなら、ルヴィリアは2の洞窟に入って最初の戦闘で
巨大蜘蛛を見て気絶したため、洞窟前で待機しました。
以降、途中探索等のため、領兵の方々に遭遇するまでに単独行動
もありましたが、撤退するよう言われて馬車の回収まではありませ
ん。
また金髪剣士のレオナールは、人見知りで口下手なため、もしか
すると失礼があるかもしれません。その時は彼に代わって謝罪いた
します。
過去に成人男性に酷い目に遭った経験があり、見知らぬ人物に強
い不信や警戒心を抱いているようなのです﹂
嘘はついてない筈である。アランはレオナールが全く問題を起こ
さないとは信じていない。
願わくは兵士達を警戒させたり、危害を加えないことを祈ってい
るが、残念ながら神は気まぐれである。
﹁ふむ。ではもう一度昨日の君の行動について尋ねる。東門で詰問
1650
されるまで、できるだけ詳しく、覚えているようならそれに費やし
た時間なども口述してくれたまえ﹂
その言葉に、アランはゲンナリした。その時、隣室で激しい物音
と男の悲鳴が轟いた。
﹁何事だ!?﹂
気色ばむ兵士達を横目に、アランは頭を抱えた。
︵あのバカ︶
気まぐれな神々は祈りに応えてはくれなかったたようである。
1651
25 気まぐれな神々に祈りは通じない︵後書き︶
サブタイトルがネタバレですが、よくあることです。
下痢・発熱等で更新遅れました。すみません。
バレンタインは市販の3千円くらいのチョコです。ゴ○ィバと悩み
ました。
あまり高いの買っても即日食べられるので、見映えよく適度な量で
モ○ゾフの品を購入。
旦那は妻よりスイーツに詳しいので毎年面倒、もとい選択に悩みま
す。
奇をてらうより定番が無難と学習しましたが。
1652
26 気まぐれな剣士は自らを省みない︵前書き︶
男性が男性に対するセクハラ行為があります。
人同士の暴力表現︵素手による乱闘︶があります。
苦手な人はご注意下さい。
1653
26 気まぐれな剣士は自らを省みない
﹁美しいって罪ね﹂
レオナールは物憂げな表情でそう言って、髪をかき上げた。
﹁ああ、お前の存在が罪だな﹂
眉間を揉みながらアランが疲れた声でぼやいた。
﹁いったいどうして、兵士三人を殴り飛ばしてボコボコにしたんだ
よ、おい﹂
﹁肩とか撫でられたから?﹂
﹁もっと具体的に言え﹂
﹁オッサンにネットリ撫で回されて気持ち悪かったから殴ったら、
拘束されそうになったから反撃したのよ。
自己防衛なら手を出しても良いのよね。見ての通り殺してないわ。
動けなくなるまで殴っただけよ﹂
レオナールが言うと、アランは無言でレオナールの両頬をつねり
上げた。
﹁いふぁい﹂
﹁加減しろ! やれば出来るだろ!!﹂
1654
﹁れふぃぅかぁといっふぇ︵できるからと言って︶、やぅとふぁか
ふぃふぁないふぁよぇ︵やるとはかぎらないわよね︶﹂
﹁黙れ﹂
◇◇◇◇◇
レオナールが事情聴取を受けるのは初めてである。
これまで様々なトラブルに遭遇または引き起こしてはいるが、領
兵団に限らず単独で何かを聞かれる事はなかったのだ。
大抵アランやダニエルが対処して、同席してもそれを見ているだ
けだった。
︵もろそうな椅子ね。軽く剣を振ったら壊れそう︶
重い鋼鉄製の刃物を振り下ろせば、木で作られた家具の大半は壊
れたり傷付いたりするだろう。
指示されるまま、足が少しぐらつく座りの悪い背もたれなしの四
角い椅子に腰掛けた。
﹁では事情聴取を始めるとしようか。昨日、何をしていた?﹂
目の前に座る男の目に、不穏なものを感じた。
﹁依頼﹂
1655
レオナールはそう答えて口を閉じた。それくらい調べれば簡単に
わかることだ。
アランは昨日、レオナール達が狩りをしている間に冒険者ギルド
への報告を済ませている。
︵三名ともロングソードで鉄製鎧か。左端以外は雑魚ね︶
左端の一名だけが、いつでも剣を抜けるように、軽く力を抜いた
状態ですぐ動けるように神経を配っている。
右端の兵士はただ直立してぼうっと立っている。鎧や装備に慣れ
ていないのか、身体の動きもぎこちなく重そうだ。
中央、つまり目の前の椅子に腰掛けた兵士は、髪をオールバック
に、口髭を美しく整えており、装備も他二名より若干良いもののよ
うだ。
ポーズなのか、だらけた姿勢で軽く腕を組み、テーブルの端で頬
杖をついている。
唇は緩んでいるが、目は笑っていない。事情聴取とはいえ初対面
の人物を見るには注視し過ぎである。
酒のにおいこそしないが、トロンとわずかに潤んだ瞳と紅潮した
顔を見る限り、ほろ酔い状態なのかもしれない。
とすれば、だらしない姿勢もわざとではなく酔っているからなの
だろうか。
レオナールは無表情無反応のまま、相手を観察する。
﹁⋮⋮依頼、ねぇ? で、何処で第五小隊と遭遇した?﹂
まだ先程の話が続いていたのか、とレオナールは思った。彼が答
えてから随分間が空いていたので、この男は目を開けたまま夢を見
ているのか、話題変換のため思考でもしているのかと思っていたが、
1656
単に彼の反応または返答の続きを待っていただけだったのか。
﹁南東の森の洞窟﹂
北東の森の連中と会ったのはダオルだけだから、誤りではない。
﹁南東の森の洞窟の位置は?﹂
﹁馬車や荷車、人馬の通行した後があるから、探せばすぐ見つかる
はずよ。詳しい場所が知りたければアランが知ってるわ﹂
﹁アランとやらは物知りなんだな﹂
﹁そういう担当だから﹂
﹁ふん、ではお前の担当は?﹂
﹁剣﹂
﹁ほう? その細腕でか﹂
﹁肉が付きにくい体質なの﹂
﹁そうか、まるで女のようだな﹂
そう言って、男が無造作に右手を伸ばし、レオナールの肩に触れ
た。
﹁!﹂
1657
﹁ほう、思ったより肉付きは良いな。まだまだ細いが、剣を持つ身
体だ。ここの、首の付け根から上腕にかけてついた筋肉。
これは鉈や斧ではなく、木剣でもなく、鉄の剣を振って作ったよ
うだな。
幼く身体が出来ていない内はダガーを、成長し重さになれる毎に
大きさの違う剣へ、切り替えて。
しかし、まだ四年か五年といったところか。熱心に鍛錬はしてい
るようだが、実戦や対人戦はまだそれほど数をこなしていない。
ふむ﹂
﹁!!﹂
男は右手で肩や上腕などを撫で回しながら立ち上がり、左手でレ
オナールの尻を鷲掴みにした。
﹁小さくて締まった尻だな﹂
レオナールは男の腕を振り払い、殴った。男が向かって右寄りに、
レオナール側に屈み込むように立っていたため、彼の左拳はやや側
面から男の顎を打ち抜いた。
大きな音を立てて、短い悲鳴を上げながら男が床に倒れ込む。
しかし、レオナールは容赦しなかった。即座に男の股関辺りを蹴
り上げると、両拳で続けざまに顔を殴る。
﹁何をするんだ!﹂
左側の兵士が飛び掛かり、レオナールを羽交い締めにする。
レオナールはもがき、頭突きや肘鉄、かかとなどで背後の兵士を
攻撃し、振り払った。
1658
﹁貴様っ!﹂
︵何をするはこっちの台詞よ!︶
レオナールは激昂していた。気持ち悪いしものすごく嫌ではあっ
たが、肩までは我慢した。
︵ラーヌの詰所では尻を撫で回すのが普通なわけ!?
死ねば良いのに! 気持ち悪い気持ち悪い、ああ、気持ち悪い!
死ね死ね死ね!
バカと変態は全員地獄に堕ちろ!! 残らず死ね!!!︶
振り払った兵士を殴り、鳩尾に肘鉄を食らわせ、下腹部に膝蹴り
をかます。
完全に血の気が上っていた。
相手が動かなくなっても攻撃をやめなかった。
﹁ききき貴様っ、こっ、こんなことをして、た、ただで済むとでも
⋮⋮﹂
残った兵士がへっぴり腰でそう言いながら、腰の剣を抜こうとす
るが、手が震えて抜けない。
動かなくなった兵士を離したレオナールが、クルリと振り向き、
爬虫類を思わせるような無機質な表情で、相手の姿を見た。
︵そういえば、まだいたわね︶
笑わない目で口角を上げ、獰猛な笑みを浮かべた。
﹁ギャアアァァアァッ!!﹂
1659
亡霊にでも遭遇したような悲鳴を上げて、気弱な兵士は後退りし
た。
その途端、獲物を見つけ捕らえる時の大型猫系魔獣のようなしな
やかさで、レオナールが飛び掛かった。
◇◇◇◇◇
物音と悲鳴で、他の兵士が駆け付けた時、最後の兵士は既に気絶
していた。
最後の兵士に限っては三発しか殴っていない。それ以上殴る前に、
首元に剣を突き付けられたからだ。
﹁おい! 聞いているのか!?﹂
︵⋮⋮なるほど、カッとして我を忘れると、周囲への警戒がおろそ
かになるのね︶
勉強になったと首肯するレオナール。
﹁おい! 聞こえているなら返答しろ!! 何故このような蛮行に
出た! お前、自分の現在の立場や状況がわかっているのか!?﹂
︵こういう場合、どうすれば良いのかしらね。初めてだから、わか
らないわ。アランは何か言ってたかしら?︶
複数の兵士に取り囲まれ、剣を突き付けられているため、抵抗は
していない。
1660
だが、どう対処すべきかわからないので、口を閉じて無表情無反
応で静止し、待機している。
︵まぁ、万が一牢に放り込まれたとしても、アラン達がなんとかし
てくれるわよね︶
最悪、そのままでは死ぬかもしれない事態になれば、死に物狂い
で抵抗し、可能ならば武器を奪って反撃すれば良いと考えている。
︵やっぱり剣かダガーを持って来れば良かったわ︶
アランが聞いたら﹁駄目に決まってるだろう﹂と怒鳴っていただ
ろう。
︵さぁ、どうなるのかしら?︶
自分のことなのに、他人事または物見遊山である。
◇◇◇◇◇
﹁お前がバカだって事は知ってるつもりだったが、思ってた以上の
大バカだった⋮⋮っ!﹂
アランが半ばかすれた声で絶叫した。
﹁ひどい言いぐさね﹂
レオナールは大仰に肩をすくめた。
1661
﹁ただの事実だろうが!!﹂
すぐ近くで大声で叫ばれ、レオナールは思わず両手で耳をふさい
だ。
﹁近くにいるのに大声出さないでよ。ちゃんと聞こえてるから﹂
﹁ああ、耳には聞こえていたとしても、内容を聞いているとは限ら
ないけどな﹂
﹁ちゃんと聞いてるってば﹂
レオナールはやれやれとばかりに肩をすくめた。
﹁だったら、アランならどうしたって言うの?﹂
﹁良いか? 俺達は魔物や魔獣じゃない。暴力振るう前に、言葉を
使え。言葉と理屈と相手の情を利用しろ!
お前と一緒だった兵士は一番若いのが平民で、残り二名が貴族だ
った。
上級貴族は相手の性格にもよるから期待しない。
でももう一方は下級貴族だから、立ち回りによっては味方になっ
てくれた可能性もある。
そして、最後の平民兵士だと立場もあるから難しいかもしれない
が、同情されれば、もしかしたら取り成しや説得しようとしてくれ
るかもしれない。
まぁ、お前には無理だろうけど﹂
﹁やっぱり無理なんじゃない﹂
1662
﹁待て、そこで結論を急ぐな。狙い目は下級貴族の兵士だ。
これも相手の性格によるっていえばそうだが、平民よりはマシだ。
場合にもよるが、多少知識もあり、いくらかの処世術も知ってい
るかもしれない。
正論で理を諭し、情に訴えるんだ。⋮⋮ってやはり人の感情や機
微を読めないお前には無理か。
でも、せっかく見た目だけは恵まれてるんだ。上手く使えよ。
黙ってたらか弱げで繊細そうに見えたり、良いところのご令息に
見えたりすることもあるんだからさ﹂
﹁⋮⋮聞くだけムダだった﹂
﹁無駄とか言うな! クソッ、お前にできるやり方?
脅える振りしてプルプル震えながら涙目で獲物を見上げるとか?﹂
﹁私にできると思ってるわけ?﹂
﹁⋮⋮っ! そ、そうか、とっさの演技ができるようなら苦労はし
ないよな。すまなかった﹂
そう言って謝るアランを、レオナールは胡乱げに見た。
﹁何それ。気持ち悪い﹂
﹁気持ち悪くて悪かったな!﹂
それらを眺めていたアレクシスが軽く肩をすくめ、隣に立つダオ
ルに尋ねた。
1663
﹁彼らはいつもああなのか?﹂
﹁付き合いは短いが、概ねあんな感じだ﹂
﹁そうか。若者は理解しがたいな﹂
ダオルが一瞬お前に言われたくはないだろうとジロリと見たが、
すぐに真顔になる。
﹁で、どうだって?﹂
﹁尋問をした責任者の兵士は酒を飲んでいたようだな。怪我はたい
したことはない。魔法で治した。
しかし、前後のことを良く覚えてないらしい﹂
﹁本当か?﹂
﹁まぁ、ある程度の羞恥心があれば、平民に一方的に殴られて昏倒
するなど忘れたくもなるだろうな。
事実であるかどうかは然程重要ではない。被害者である彼の意向
にもよるだろう。
大事にして糾弾し、勤務中に酒を飲んでいたことがバレる可能性
と、記憶も傷もないからと不問にして、器の広さを見せるのと。
選ぶのは自由だろう?﹂
﹁そう言って脅したのか﹂
﹁僕には︽真実の鏡︾と︽審判︾がある。いざとなれば使うと助言
したが、それだけだ。脅しだなんて人聞きの悪い﹂
1664
﹁⋮⋮協力してくれと言ったのはおれだからな。まぁ、いい。
それでアレクシス。何かわかったことはあるか?﹂
﹁さてね。しかし、彼らには僕に知られたくない何らかの事情があ
るようだ。だから、ドミニクに任せた﹂
﹁あの従者か。そういえばいないな。何も言われなかったか?﹂
﹁フッ、仮に聞かれても使いに出していると言えば事足りる。
我々貴族にとって従者とは使い勝手の良い家具、あるいは身の回
りの世話をしてくれる便利な道具だ。
そういったことを気にするのは平民くらいだろうな。
少なくとも僕に面を向かって尋ねる者はいない。聞くだけ無駄と
知っている。
聞かれて答えることなら、最初から言うだろう﹂
﹁そうか﹂
ダオルは溜息をついた。
﹁何かわかったら教えてくれ。あと連絡か何か来たら、できるだけ
早く知りたいんだが﹂
﹁ふむ、そうだな。まぁ、殿下が何らかの采配をして下さるだろう
から、問題ない﹂
﹁前から思ってるんだが、お前とダニエルは普段何をやってるんだ
?﹂
1665
﹁ダニエルについては管轄外だ。僕のことなら、君も知っているだ
ろう﹂
﹁つまり、自分の好きな研究をするか、書物などを読んでばかりで、
副室長はもちろんその他の仕事もしていないわけか﹂
﹁部下が優秀で助かっている。決裁はしているぞ。しないと、ヘル
ベルトがうるさいからな﹂
﹁お前はもう少し他人を気遣った方が良いと思う﹂
ダオルが呆れたように言った。
﹁必要とあらばそうしよう﹂
アレクシスは真顔で頷いた。
﹁⋮⋮商売道具持って来るべきだったかしら。水晶は重いからカー
ドあたりを﹂
ルヴィリアがポツリと呟いた。
﹁カード? なんのために﹂
アランが尋ねた。
﹁占うためよ。決まってるでしょ﹂
﹁占い、ねぇ﹂
1666
アランは首を傾げた。
﹁だいたいあの﹃嫌な予感﹄とやらでわからなかったの? このバ
カが何かやらかすかもしれないって﹂
﹁そんなのわかるわけないだろう、常識的に考えて。
別に俺に危機的状況が迫ったってわけでもないのに﹂
﹁なっ、私が非常識だとでも言いたいの!?﹂
﹁そんなことは言ってない。でもあり得ないだろ。
だいたい危機察知能力みたいなものは、一般的に知られているス
キルだってその直前にしか感じないものだ。
何でもできる、何でもかなう万能なスキルや魔法は、存在しない。
夢か伝説の中だけだろう。それとも、お前の占いはそういった力
があるのか?﹂
﹁残念ながら、必ずしも全てがわかるわけじゃないわ。でも私の占
いで出たことは、確実に現実になるの。今のところ全てね﹂
﹁それは⋮⋮凄まじいな﹂
アランは思わず息を飲んだ。
︵普段のアランなら絶対あり得ないと即座に否定するでしょうに。
調子悪いのかしら?︶
レオナールは首を傾げた。とりあえずアランが他の人と話してい
る間は、レオナールが説教されたり怒鳴られたりせずに済む。
1667
他人はわずらわしいし面倒だが、それはとても有り難いと微笑ん
だ。
︵結果的に死ななかった、殺してないんだから、問題ないわよね︶
レオナールの心の声がアランに聞こえていたら、間違いなく説教
されていただろう。
アランに人の心を読む能力はない。この場の全員にそういったス
キルはないし、そのようなスキルは物語や伝説の中にしか存在しな
い。
レオナールはこのままでは致命的な失敗をしない限り、反省しな
いだろう。皆にとって不幸なことに。
1668
26 気まぐれな剣士は自らを省みない︵後書き︶
一応念のため注意書きしました。
レオナールは人に触られるのが苦手なので、ブチギレてます。
すぐ正気?になってますが。
アランにはレオナールによる不自由な説明のみなので、余計頭が痛
いでしょう。
旦那にチョコレート渡したら、お返し?に○のこの里を貰いました。
ここでボケるかネタかまさないとね!と思ったので、ボケてみたら
怒られました︵本気ではなさげで機嫌は悪くない&平常通り︶。
個人的には○のこの里より、○けのこの山が好きですが、どちらも
おいしいと思います。
1669
27 顛末と介入
レオナールが髭の兵士を殴り付け盛大に暴れた後、集まった兵士
に取り囲まれる前の話である。
﹁俺も行きます。たぶんうちのレオナールが原因だと思いますから﹂
物音を聞き、騒ぐ兵士達にアランは告げた。彼らがアランの行動
をそう簡単に認める理由もないので、乱闘がやむまでには間に合わ
ないかもしれないが、行かないよりはマシだと判断した。
︵じゃないとあいつ、何をやらかすかわからないし︶
レオナールかアランの予定・予測の範囲内に収まっている事は、
ほとんど期待できない。
言うことを聞いているように見える時もなくはないが、大抵はそ
う見えるだけである。
︵自重とか、論理的でまっとうな思考とか、そんなものは期待でき
ないからな︶
本人の意志を尊重してやりたくても、ろくでもないことしかやら
ないので、それに任せるのは自殺行為だ。
﹁何? いや、その必要はない。他の者が対処するから問題ない﹂
﹁いえ、たぶん俺が行かないと、皆さんが困るでしょう。
あいつは、俺や身内と認識した人物以外にはまともな反応しない
1670
ので、おそらく扱いに困ると思います。
俺が行った方が、事態の鎮静化は早いと思います﹂
﹁逃げたり抵抗したりしないだろうな?﹂
﹁自らこちらから出向いたのに、そんな無駄なことはしません。
セヴィルース伯の領民で、身元や所在・所属も知られているのに
逃げてもすぐ捕まるのは明白です。
後ろ暗い事は何もないのだから、調べに協力して早く終わらせた
方が良い。
昨日何があったのか、詳しい事情は知りませんが、今回の件が解
決しなければ、俺達も安眠できませんから﹂
アランが真顔で滔々と告げると、責任者の男は眉間に皺を寄せて、
考え込む顔になった。
︵押してどうにかなるようなら畳み掛けるんだが、この兵士がいま
だにどういう男なのか読めないからな。
頼むからレオ、兵士を殺すなよ。人は死んだら生き返れないんだ
からな︶
レオナールには死を厭ったり恐れたりといった感覚がない。この
世の大抵の生き物には、生存本能が生まれつき備わっているはずだ
が、彼は危険と聞けば喜んで飛び込む。
アランが彼にやってはいけないことを幾度告げ、幾度それを破ら
れたかを考えると、頭が痛くなる。
︵わかったと言われても、すぐ忘れるからな︶
だいたい、面倒事を起こすな、暴力を振るうなと言ったのにこの
1671
有様だ。何か言ってもその大半が無駄になるとわかっていても、だ
からといって諦めてしまえば、どうしようもない。
自分が見放せば、これ幸いとばかりに飛び出して行くのがレオナ
ールだと、アランはわかっていたからだ。そもそも、見捨てられる
ものなら、とっくの間にそうしている。
全く割に合わない。そもそも、何をどれだけ努力したとしても、
報われるどころか感謝もない。勿論そんなものは最初から期待して
いないが、徒労と感じないわけではない。
せめて、レオナールが人の言葉を話さなければ、もしかしたら相
互理解できるかもしれないなどという期待をせずに済んだのだが。
︵あいつは、どう見えようと、中身はオーガか魔獣だ。人の言葉や
理屈で言い聞かせようとしても、難しいのはわかっている。それで
も、全くの無駄じゃないはずだ︶
そう信じているからこそ、無駄とわかっていても説教しているの
だ。
隣室へ兵士達が駆け込み、乱闘と思しき音が途絶え、静かになっ
た。しかし、聞こえて来るのは兵士達の声だけで、レオナールの声
は聞こえてこない。
アランは立ち上がった。
﹁おい、待て﹂
﹁一緒に来て下さい。たぶん、見ればわかると思います﹂
責任者の男は怪訝な顔になったが、アランが背を向けると、何も
言わずに他二名と共に着いてきた。隣室の扉は開かれたままだった。
兵士達が詰問するような怒声が聞こえているが、それに対する返答
はない。
1672
﹁おい、聞いているのか! 貴様!!﹂
レオナールが複数の兵士達に剣を突きつけられ、囲まれているの
が見えた。両手を開き、中腰で静止した状態でピクリとも動かない。
顔は一応上げて兵士達に向けられてはいるが、反応はしていない。
ただ黙って見ているだけだ。
︵予想通りだ︶
アランは思わず溜息をついた。
﹁レオ﹂
アランが声を掛けると、レオナールが振り返った。
﹁⋮⋮アラン﹂
﹁俺は確かお前に言ったよな? 絶対問題起こすな、暴力は振るう
なって。どうして暴れた?﹂
アランが真顔で言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁だって気持ち悪かったんだもの﹂
﹁お前は気持ち悪かったら、人を殴るのか?﹂
渋面で尋ねたアランに、レオナールがニッコリ笑った。
﹁生理現象だから仕方ないわよね﹂
1673
アランは激昂した。
﹁ふざけんな!! 生理現象で人に暴力振るうのはお前だけだ! この考えなしの脳筋が!! お前はどうして、そう、穏便に事を済
ますって事ができないんだ! 何かと言えばすぐ手や足出しやがっ
て!
何か? 相手が動いていたから、危害を加えられると思ったから、
殴ったとでも?﹂
﹁そうね。少なくとも何もしない、動いたりしない相手を殴ったり
はしないわね﹂
﹁剣を向けられても危害を加えられなければ、止まれるようになっ
ただけマシだとでも?﹂
﹁さすがの私も、この状況で暴れるほどバカじゃないわよ﹂
﹁ああ、そうか。そりゃ良かったな。ずいぶん学習したよな。でも、
とりあえず悪いことしたら、謝る事も学習しろ。ほら、今すぐにだ。
皆さんに﹃申し訳ありません。殴ってごめんなさい﹄と謝罪しろ﹂
﹁⋮⋮私が悪いの?﹂
レオナールがきょとんとした顔になった。
﹁おい、お前が悪くなかったら誰が悪いと言う気だ。成人したんだ
から、そろそろ﹃ごめんなさい﹄を覚えろ。﹃すみません、悪かっ
たです。もうしません﹄と言ってみろ﹂
1674
﹁そんな絶対嘘になることは言えないわよ。だいたい、酔って人の
身体を撫で回すような変態を野放しにしておく方が害悪でしょ? 本当、﹂
﹁何?﹂
アランは顔をしかめた。
﹁美しいって罪ね﹂
レオナールは物憂げな表情でそう言って、髪をかき上げた。
︵⋮⋮こいつ、どうしてこんなバカなんだ︶
アランは頭痛を覚え、ちょっと逃げたい気分になった。レオナー
ルの戯言をいちいち本気に受け取っていたら、疲れるだけだ。どこ
まで本気で言っているのかも怪しい。
﹁ああ、お前の存在が罪だな﹂
眉間を揉みながら、アランが疲れた声でぼやいた。
﹁いったいどうして、兵士三人を殴り飛ばしてボコボコにしたんだ
よ、おい﹂
﹁肩とか撫でられたから?﹂
﹁もっと具体的に言え﹂
﹁オッサンにネットリ撫で回されて気持ち悪かったから殴ったら、
1675
拘束されそうになったから反撃したのよ。
自己防衛なら手を出しても良いのよね。見ての通り殺してないわ。
動けなくなるまで殴っただけよ﹂
︵駄目だ、こいつ。俺の言いたいこと全然わかってない︶
面倒事、という概念について具体例を説明してやらなくてはなら
ないのだろうか。アランは思わず眩暈を覚えた。
◇◇◇◇◇
﹁ずいぶん賑やかだな﹂
アレクシスが騒ぎを聞きつけて現れたのは、レオナールを囲んで
いた兵士達が剣を鞘に納め、彼を椅子に座らせようとしていた時だ
った。
﹁よろしければ協力しようか? 僕は︽真実の鏡︾と︽審判︾が使
える。︽魔法感知︾と︽魔法解除︾も使えるから、魔術や魔道具で
阻害しようとしても、それを判別、解除する事が可能だ。
彼らは僕の友人の可愛がっている弟子だから、報酬・報償は必要
ない。無償で行おう。どうかな?﹂
﹁⋮⋮アレクシス殿﹂
﹁それとも、僕がこの場にいることに何か問題があるとでも? も
しや迷惑だと?﹂
1676
﹁いえ、そんなことは﹂
﹁うむ、そうだろう。この僕がわざわざ出向いて君達の力になって
あげようと言っているのだ。好意を無駄にすることはない。
なにせ、僕が自発的に誰かのために力を振るうことなど、めった
にないのだ。感謝したまえ﹂
そう言って満足げに笑うアレクシスの姿に、レオナールとアラン
は引いていた。
﹁敵にしたくないタイプね﹂
レオナールがボソリと呟くと、アランが呻くように低くささやい
た。
﹁余計なこと言うな﹂
アレクシスは︽魔法感知︾でこの場に使われている魔法・魔道具
がない事を確認すると、︽真実の鏡︾を詠唱した。発動すると、レ
オナールの身体が淡く光った。
︽真実の鏡︾は、嘘をつくと対象者の身体を淡く光らせて、術者
以外の者にも真偽の判断を視覚的に可能とする、主に高位神官と一
部の貴族が使用する魔法であり、解除しなければ丸一日効果がある。
裁定には非常に便利だが、使用者が少ないため、稀少な魔法である。
﹁ご協力感謝します、アレクシス殿﹂
﹁いや、こちらの都合もある上、偶然この場に居合わせたからな。
礼には及ばん。では、僕も立ち会おう。間違いはないと思うが、問
題が起こらぬとは限らないからな﹂
1677
微笑みながら威圧するアレクシスを、レオナールが真顔で見つめ
ている事に気付いたアランは、嫌な予感を覚えた。
﹁おい、レオ。あれは参考にするなよ﹂
﹁え、どうして?﹂
﹁お前と彼とでは絶対的に立場が違うから、参考にならない﹂
﹁えーっ﹂
﹁そんな事より、お前は少しは反省しろ。余計な事を考えるな。人
の話は真面目に聞け﹂
﹁反省は一応してるわよ﹂
﹁俺がうるさいからだろ。そうじゃなくて、自分の何が悪かったか、
わかったか?﹂
﹁自衛は問題ないって言ってたのに﹂
﹁限度があるだろ。だいたい、触られるのが嫌なら﹃やめてくださ
い﹄と言って払うくらいに留めれば済む話だろ? それで相手が聞
かなかったならともかく、お前のことだ、どうせいきなり殴ったん
だろう﹂
﹁えーっ、だって気持ち悪くて我慢できなかったもの、仕方ないわ
よ。ほら、害虫・害獣は見たらすぐ叩き潰したくなるでしょ?﹂
1678
﹁人は叩き潰すな。死んだら生き返らないんだ。割れた器が元通り
にならないようにな。だから人を相手にする時は慎重に行動して、
言葉を惜しむな。人には言葉っていう便利な道具があるんだ。
人相手に言葉を使わないのは、木を切り倒すのに斧を使わず素手
で殴り掛かるようなものだろ。お前は相手の言葉や反応と、自分の
思考や感情を咀嚼・吟味して、いったん考えてから行動を起こす癖
をつけろ。脊髄反射で言動するな。
だから、お前の中身はオーガ並だと俺に言われるんだぞ。わかっ
てるのか?﹂
﹁オーガは強いから別に良いけど﹂
﹁バカだって意味に決まってるだろ!﹂
﹁アラン、声が無駄に大きい﹂
﹁お前がバカだからだろ。⋮⋮皆さん、本当にすみません。こいつ、
ものすごいバカなんです。この通り人見知りが激しいので、知らな
い人とは満足に会話ができないようで、大変ご迷惑をお掛けしたと
思います。レオナールに代わって、俺が謝罪します。ごめんなさい﹂
アランが申し訳なさそうな顔で、周囲の兵士達やアレクシスに頭
を下げる。レオナールは白けた顔で、肩をすくめた。
﹁おい、こら。お前も謝れ﹂
アランが無理矢理レオナールの頭を下げさせた。が、すぐに腕を
振り払われる。
﹁レオ﹂
1679
アランが咎めるようにレオナールを見ると、レオナールは嫌そう
に顔をしかめた。
﹁嫌なものは嫌。⋮⋮どうしても﹃あれ﹄を我慢しろって言うなら、
この詰め所の人間全員ぶちのめしてでも出て行くわ﹂
﹁おい、レオ! バカなこと言うな!!﹂
アランが慌てて怒鳴りつける。そこへアレクシスが割って入る。
﹁レオナール、君はいったい誰に何をされて、それが不満なんだ?﹂
アレクシスがレオナールに尋ねた。
﹁そこに転がってるオッサンに身体を撫で回された上に、尻を掴ま
れたのよ。あんなのが常習で普通だとしたら、私は普通じゃなくて
結構よ。あんな事されながら事情聴取受けろとか、冗談じゃないわ﹂
レオナールがそう返すと、アレクシスは周囲を見回した。
﹁ということのようだが、それが常態なのかな?﹂
﹁ちっ、違います! な、何かの間違いだと思われます﹂
﹁へぇ、間違い? それは当然、既に確認したという意味で言って
るのかね﹂
アレクシスがニンマリと目を細めて言った。そしてレオナールへ
と振り返る。
1680
﹁そう、そんな事をされたのか。それは恐かっただろうねぇ﹂
﹁恐いというより、ものすごく気持ち悪かったわ﹂
﹁それは気の毒に。僕がそんな真似をされたら、問答無用で相手が
消し炭になるまで燃やしているかもしれないね。もっとも、そんな
事をするような者が、この詰め所にいるとは考えたくもないが。⋮
⋮ねぇ、君もそう思うだろう?﹂
突然話を振られた平兵士が思わず頷くと、満足げな笑みを浮かべ
たアレクシスが、アランに話しかける。
﹁だ、そうだが、君はどう思う? アラン﹂
﹁え、あ、その。それが事実だとしたら、情状酌量の余地がなくは
ない、と思いますが、俺にはその、若輩な上、世知には疎いため、
判断つきません﹂
アランはドギマギしながら答える。どういった返答を期待されて
いるのか、全く判断がつかないため、どっちつかずの曖昧なものに
なる。
﹁そう﹂
アレクシスは内心が読めない笑顔で目を細めて、小さく頷いた。
アランの顔色が悪くなったが、アレクシスは気にせず、兵士達の方
へ振り返る。
﹁それで、こういう場合、誰が責任者なのかな? 僕は誰と話せば
1681
良いのだろう﹂
兵士達の視線が、いまだ床に転がったままの、髭の男に向けられ
た。
﹁とりあえず、回復魔法を使うとしようか﹂
アレクシスは床に転がる三人の兵士を、魔法で治療し、意識を回
復させた。
1682
27 顛末と介入︵後書き︶
話が全く進んでません、すみません。
前回の内容じゃ省き過ぎだな、と思って補足入れたら、補足だけに
なってしまいました。
アランは自分が同じ事されても、それほど気にならないため、それ
くらいで殴るなんて、と内心思っているため、
あまりレオを擁護する気はありませんが、問題になったり、罪や責
任を問われるのは困るとかんがえています。
レオは嫌なものは絶対嫌!なので、反省する気は皆無。
1683
28 合わないものは合わない
簡単な事情聴取を終えた後、試しに嘘をつくように言われたレオ
ナールが﹁お腹は空いてないわ﹂と言って眩く輝くのを確認したと
ころで、アレクシスが遠回しに軽食を要求したため、一行は別室に
案内された。
﹁これ、やっぱり隔離されてるよな﹂
ボソリとアランが言うと、レオナールは大仰に肩をすくめ、ルヴ
ィリアがゲンナリした顔になる。アレクシスが微笑みながら、答え
た。
﹁あちらも一応面子や体裁というものがあるだろうからな。まぁ、
あまり心配する必要はない。どうせその内に迎えが来るだろう﹂
﹁⋮⋮迎え?﹂
アランは嫌な予感を覚えた。アランの顔色が変わるのを見て、レ
オナールが興味を惹かれた顔になる。
﹁そんなどうでも良い事より、ここから出たら是非、幼竜に触らせ
て欲しいのだが﹂
アレクシスがレオナールに向かって言った。レオナールは不審者
を見る目つきでアレクシスを見た。
﹁どういう意味かしら?﹂
1684
﹁解剖させろとは言っていないし、傷付けるつもりも毛頭無い。撫
でるついでに、鱗を一枚失敬しようとは考えてもいないから安心し
たまえ﹂
全く安心できそうにない言い分である。
﹁生きてる竜から鱗を剥ごうだなんて、ひどいわね。人間だってち
ょっとでも生皮を剥いだら痛いのに﹂
﹁ドラゴンの生きた表皮は欲しいが今回は諦めるし、鱗はたまたま
落ちていたら欲しいという程度だ。無理矢理剥いだりしないと約束
しよう。ああ、それと、あの幼竜が瀕死になったら至急連絡くれた
まえ。悪いようにはしない﹂
満面の笑みを浮かべて言うアレクシスに、レオナールはジットリ
した目つきを向ける。この場合の悪いようにしない、は彼の都合に
とってという意味だろう。死ぬ前に解剖しなくても、嬉々として生
体標本または生体試料としそうである。対価は、気前よく支払って
くれるだろうが。
﹁折角生きた幼いレッドドラゴンの個体を見に来たのだ。まだじっ
くり隅々まで見てない上に、触れもせずに王都へ帰るつもりはない。
ちょっとで良いのだ。痛がる事などしない。
まあ、多少はドラゴンの痛覚や表皮の厚さや生きた状態の肉質や
頑丈さを調べたい気持ちはなくもないが、心ゆくまで実験・調査す
るための時間はないから、今回は諦める。警戒されているようだし、
無理はしないぞ﹂
それは幼竜やレオナールの心情などを考慮してではなく、自分に
1685
都合が悪いからという意味に聞こえる上に、また次の機会を狙うと
宣言している。うっとりした顔つきで、僅かに頬を染め、合間に吐
息をつきながら語る様は、どう見ても残念なオッサンである。
﹁私は断ったはずよね? あの子も解剖されたくないって鳴いてた
じゃない﹂
﹁うん? いや、違うぞ。他に良い個体が見つかれば、あの幼竜に
はこだわらない。滅多に見つからず確保できないから稀少なだけだ。
一応ダニエルに捕獲を頼んだが、あれは大雑把で忘れっぽいから、
あまり当てにはならない。殺す方が得意なようだし、全く困ったや
つだ﹂
ふぅ、と吐息をつくアレクシスを、皆が生温い目で見た。人の事
を言える性格ではないが、当人に自覚はないようである。
﹁なぁ、ダオル﹂
あれは大丈夫なのか、とアランが思いながらダオルに声を掛ける
と、ダオルは申し訳なさげな顔でゆっくり首を左右に振った。
﹁すまない﹂
アレクシスが更に交渉しようと何か言っているが、レオナールは
無反応に徹する事にした。
︵相手するだけ無駄ね︶
聞き流すと決めると、人の声は雑音になる。幸い、アレクシスの
声も聞き流すのに適した声だったので、レオナールとしては問題な
1686
い。相手の話す内容も、聞いても聞かなくても結論に変わりはない
ので、気を留める必要もないだろう。
アランも呆れたような顔で見ているので、無視したからといって
説教されることもないはずだ。
︵いざという時はなんとかするって言ったくせに︶
いざという時とは、どういう時なのだろうか、とレオナールは疑
問に思った。たぶんアランのそれとレオナールにとってのそれは別
なのだろうが。
アランにとっては﹃問題を起こさないこと﹄が最重要で、その中
に﹃人の目がある、もしくは目につくかもしれない場所で、人を殺
さないこと﹄が入っている事はレオナールにもわかっている。レオ
ナールにとってはどうでも良いことだが。
︵面倒くさいのは全部殺してしまえば、てっとり早いのにね︶
人と魔獣・魔物の区別はいまだにつかない。魔物の中には人の姿
に似ていると言えなくもないものも混じっているのに、何故魔物な
ら殺しても問題なく、人は殺してはいけないのかが理解できない。
言葉を話す生き物を殺すのが駄目だということなら、コボルトや
ゴブリンなどの魔物は殺してはいけない生き物になるはずだ。ドラ
ゴンも殺すべきではない生き物ではないのか。
︵人もゴブリンもあまり違いはないわよね。二足歩行して群れや巣
を作って。ちょっと見た目が違って、文化や言語が違うだけでしょ。
害になる生き物は殺しても良いっていうなら、他の何よりも一番
害になる生き物って﹃人間﹄よね︶
ただ害になるだけでなく、それを隠蔽したり誤魔化したりする知
1687
能と技術を持つのだから、魔獣や魔物よりも厄介な生き物だと、レ
オナールは思うのだが、アランはそうは考えていない。
︵ねぇ、師匠。アランを私の良心の基準値にしろって言ったけど、
それって結構難しいわよ。だって、何故そうなるのか、良くわから
ないんだもの︶
それは、理解できない言葉を丸暗記することより難しい。レオナ
ールは、自分が人間としても、エルフとしても、特異な生き物だと
いう自覚は一応ある。
本音を言えば、彼にとってはどうだって良いことで、生きていくの
には特に問題ないと考えている。
︵何のために必要なのかしらね︶
人を含め全ての生き物は、呼吸をして、毎日必要な量の飲食と休
憩を取れば十分生きていける。それはただ、生命を長らえているだ
けで、﹃人として生きる﹄こととは別なのだが、それがレオナール
には理解できなかった。
︵アランを見てると、無駄に空回りして、振り回されて、疲れてる
だけに見えるんだけど︶
レオナールとしては、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んで、
自由に剣を振って、斬りたいものを好きに斬り、思い通りに身体を
動かしたいだけなのだが。
︵どうして怒られるのかしら︶
1688
残念ながら、説明されてもレオナールには理解できなかった。
︵でも、アラン、前に﹃嫌なことは我慢するな﹄って言ってたのに︶
もちろんその言葉の前後には、色々ついていたのだが、レオナー
ルには意味が理解できなかったので、うろ覚えである。探せば記憶
のどこかに残っているかもしれないが、本人が必要としないので、
それを思い出す可能性は限りなく低い。
︵人間って面倒くさい︶
しかし、エルフとして生きることもできないため、より自由度の
高い人間社会で生活するしかない。だが、面倒なことばかりなので、
いっそ人の住む町には寄りつかない方がマシなのではないかとすら
思ってしまう。
︵アランが一緒なら、野営でも問題ないと思うのに︶
自分一人では獲った魔獣などを調理するのは無理だが、アランに
はそれができる。
塩や調味料などを得るのに、町や村などに立ち寄る必要はあるが、
生きていくためにずっとそこにいる必要はないように思う。
しかし、アランの様子を見る限りでは、人里を離れている間は常
に緊張・警戒し、町や村など人のいる場所などでは安心するようで
ある。
︵アランは人間がいる場所が好きみたい。火を通した食べ物を売っ
てる店や、屋根のある家や宿があるからかしらね︶
アランに関しては付き合いが長いだけに、考えていることはなん
1689
となくわかるが、理由はわからなかった。
レオナールとしては、人里離れた森や平原より、人がいる場所の
方が落ち着かない。彼にとって大半の人は潜在的な敵である。
飲食店や宿で食事をしたり身体を休めることは嫌いではないし、
むしろ好ましいことだと考えてはいるが、レオナールにとってアラ
ンやダニエルなどごく一部を除いた人々は、自分に害をなす可能性
のある生き物だ。
物心ついた頃から、見知らぬ人に警戒心を抱かなかった事はない
し、相手が近寄って来たり、身体を動かす時は、危害を加えられる
可能性があると身構えていた。
それまでの経験から、特に人間という生き物は注意深く観察して
いても、次に何をするかわからず、行動や思考が読みにくい上に、
個体差が激しく千差万別なため、かなり危険な生き物だと思ってい
る。
Aという個体がとある状況で行動したとして、Bという個体が同
じ状況で同じ行動を取らないのは何故なのか、レオナールには理解
できない。
善悪を含む概念全般も理解できていないこともあって、人は理解
不能で予測不可能な生き物である。
それが更にレオナールの混乱や拒否感を強めている。
レオナールとしては剣を振るえるのであれば、冒険者でなくても
かまわない。ただし団体行動ができず、人に合わせる気もないため、
その他の選択肢はほぼない。
レオナールが冒険者になることにしたのは、ダニエルが勧めたか
らだ。 ダニエルはレオナールに、﹁お前はもっと色々見た方が良
い﹂と言ったので、そう言われた頃からはそれに従っているつもり
である。
1690
︵面白いこともなくはないけど、大半は面倒で退屈よね︶
人に比べたら、ゴブリンの方がまだ理解しやすい。ゴブリンには
建前や体裁はないし、同じ群れの同胞以外は、全て敵または獲物で
ある。
ゴブリンはレオナールにとっても敵または獲物だが、その点は羨
ましいと思う。
魔獣・魔物との戦闘はとても楽しい。手加減など考えなくても良
く、勝つために手段を選ばなくても文句を言われない。
仲間以外は全て敵という辺りも、とてもわかりやすくて良い。
勝ち負けなどはどうでも良い。生死すらも気にしない。
殺すなという制約がなければ、きっと人との戦闘も面白いだろう
とレオナールは思う。
手段や加減を考えなくて良いなら、もっと夢中に、没頭できるは
ずだ。
遊ぶのは嫌いではないが、本気で斬り合う方が面白い。ただの喧
嘩、もしくは命懸けではない争い・闘いでは、どうしても気持ちが
冷めてしまう。
熱くなれない戦闘では意味がない。全身全霊をかけて集中できな
い斬り合いでは、物足りない。
初めて剣を握った時から、相手を斬ることしか考えた事がない。
剣を振るう理由は、敵を斬り殺すためであり、それ以外の理由はな
い。
レオナールは自分が人間だという意識も、エルフまたはハーフエ
ルフだという意識もない。それどころか自分が生物だという自覚も
ない。
そんなものがなくても生きていくのに不都合はない。
飲食や呼吸が足りない苦痛は身に染みているので、不都合がない
1691
限りはたっぷり取ることにしている。
経験から、飲食と適度な運動と休憩を取らなければ、病気や怪我
をしやすくなると知っている。
難しいことは良くわからない。アランがお前のためという事は大
抵意味が理解できない。
貴族やそれに仕える兵士に逆らうと面倒な事になるらしいが、い
ざという時は全員殺してしまえば良いではないか、とひそかに考え
ている。
アランに言えば怒られるのはわかっているため、口にはしないが。
︵まぁ、十人や二十人ならともかく百人単位だとさすがに無理かも
しれないけど︶
アランは自分やレオナールが死ぬことを恐れている。怪我は治せ
るが、死ぬと元には戻せないため、死んだ者には一生会えなくなる
らしい。
自分が死ねば、残るのはその遺体だけで、何をすることもできず
に終わるというが、それの何が問題なのかわからない。
しかし、本人が嫌だということに付き合わせる気はないので、死
ぬとしたら自分一人で死ぬべきだろう。
アランはレオナールが死んだら必然的に自分も死んでしまうと言
うが、当人が言うほど柔ではない。
アランは割り切る時は面白いくらいに割り切り、思い切った手段
を取る。自分の都合や保身のためなら、嘘も演技も平然と行い、な
りふり構わない。
実戦よりも嫌がらせに多用されているが、︽眠りの霧︾や︽束縛
の糸︾は使える魔法だ。一部の亜人には効果がないが、人間にはと
ても効果がある。
アランは気付いているかしらないが、あれを持ち歩けるような物
1692
にあらかじめ魔法陣に描いて、いざという時に連発すれば、かなり
の武器になるはずだ。
レオナールに眠りや束縛の魔法は効果がないが、薬物は効くので、
食事などに盛られたら気付かぬ内に殺されても不思議ではない。
アランは使える魔法の種類はそれほど多くはないが、良く使用す
る魔法については、熟知・熟達している。本人の記憶力が良いこと、
発動時間をより短縮し、効果的に使うため、努力・研究しているこ
となどが原因である。
魔法・魔術を使用する最大の弱点は詠唱時間と必要魔力量である。
レオナールは魔法のことは良くわからないが、魔法陣が魔法の知
識がなくても、魔力さえあれば誰にでも即時発動できる便利なもの
であることは知っている。
レオナールだけでなくルージュにさえ、触れるだけで発動できる
のだ。
魔法陣の知識があり、それを描けるのはアランだけなので、下準
備は必要だが、対象は無差別になるが、街中で手分けして別々の場
所で発動させれば、かなりの広範囲に効果を及ぼすことができる。
レオナールはアランが何故そうしないのか、とても不思議に思っ
ている。
︵アランはわざと自分の能力を制限とか加減とかしてるように見え
るわね︶
使える手段・選択肢を最初から捨てているように見える。
アランは特に理由なく人に危害を加えてはいけないと考えている
ようだが、
︵敵対しないからといって、見てみぬフリをされるなら、それは敵
じゃないかしら︶
1693
どんな理由があれ、結果的に敵に利する行為をするなら、敵とみ
なした方が良いと思うのだが、アランはそう思わないらしい。
︵自覚ないみたいだけど、アランを敵に回すのはかなり恐いわよ。
味方なら、時折面倒だけど、便利で有能だから楽だけど︶
あとは体力・筋力・俊敏さを身につければ最強だと思うのだが、
おそらくそんな事にはならないだろう。
︵もったいないわよね︶
﹁どうした、レオ。腹が減ったのか?﹂
アランが不思議そうにレオナールを見た。お腹が空いているのは
事実なので、レオナールは頷いた。
﹁仕方ないな。ルヴィリア、今朝言ってたクッキー、まだ残ってる
か?﹂
﹁それはいらない﹂
レオナールが言うと、アランは首を傾げた。
﹁腹が減ってるんだろ?﹂
レオナールは首を左右に振った。毒が入っているかもしれない物
を食べる気にはならない。
﹁肉じゃなければ食わないつもりか﹂
1694
もちろん肉の方が有り難い。が、親しくない、あるいは信用でき
ない相手からもらった食べ物に毒が入っているのは良くある事であ
る。
少なくとも幼少期のレオナールにとってはそうだった。だから、
食べ物は自分で入手するか、人から盗むのが一番安全だった。
今はアランが毒味しているので問題ない。
﹁アランが食べた後なら食べても良いけど﹂
﹁なんでだよ? 俺は別に腹減ってないぞ﹂
アランは怪訝な顔になったが、ルヴィリアはわかったようだ。
﹁何よ! あんた、もしかして私が毒か下剤仕込むとでも思ってる
の!?﹂
ルヴィリアが激昂した。だが、レオナールは彼女がただの親切心
で食べ物を差し出すとは思えない。
何か裏がある。きっと何か企んでいるに違いない。
﹁お金大好きな守銭奴が、対価もなく無条件に何かを差し出すはず
がないわ﹂
﹁なんですって!?﹂
﹁大声出さなくても聞こえるわ。耳が痛い﹂
﹁⋮⋮お前、俺に毒味させるつもりだったのか﹂
1695
アランがレオナールにしかめ面を向けている。
︵しまった︶
﹁ほら、アランなら変な物入ってたらすぐわかるでしょ?﹂
﹁最近そういうのは気にしなくなったと思ってたんだが、もしかし
て店で買った食べ物とかも毒味させてたのか?﹂
﹁信用できると判断したらしてないわよ﹂
レオナールの返答に、アランはガリガリと頭を掻いた。
﹁あーっ、悪かった。気が回らなかったよな、すまん。自分が気に
ならないから失念してた。俺が先に食えば問題ないんだろ?﹂
﹁怒らないの?﹂
レオナールはきょとんとした。
﹁仕方ないだろ。別にお前が悪いわけじゃない﹂
二人のやり取りに、ルヴィリアは眉をひそめた。
﹁何? どういう意味?﹂
﹁悪い、こいつ警戒心強いんだ。ルヴィリアが相手だとかそういう
理由じゃない。野生動物みたいなものだと思っておけば良い﹂
﹁野生動物、ねぇ?﹂
1696
ルヴィリアが白けたような目付きでレオナールを睨む。
﹁馴れれば、その内大丈夫になるから、暫く我慢してくれ﹂
アランはそう言うと、レオナールを真顔で見た。
﹁何?﹂
﹁顔色は良さそうだな﹂
﹁別にどこも具合悪くないわよ?﹂
﹁わかってる。レオ、どのくらい待てそうなんだ?﹂
﹁さぁ?﹂
レオナールは首を傾げた。そんなものは実際食べてみるまでわか
らない。今まで多いと感じたことはないし、待たされて限界だと思
ったこともない。
幼い頃、死なない程度には飲食物を与えられたが、あの頃の飢餓
感や焦燥以上のものは、味わったことがない。
食べられない事への恐怖感が強いため、なるべく出歩く時は非常
食を携帯しているせいもある。
特にここ最近は、飲食に関して我慢というものをした記憶がない。
﹁ルヴィリア、とりあえず2枚くれないか﹂
﹁⋮⋮別に良いけど﹂
1697
そう言うと、ルヴィリアは手のひらサイズの麻袋をローブの中か
ら取り出し、中からクッキーを二枚手に取り、アランに渡した。
﹁有り難う﹂
アランはそう言って一枚を口に入れる。ゆっくり咀嚼し、飲み込
んでから口を開く。
﹁おいしいな、これ。蜂蜜と油脂とクルミが入ってる?﹂
﹁ラーヌの焼き菓子店で買ったものだけどね。自分では作れないか
ら﹂
﹁ふぅん、後でその店教えてくれ。レオ、大丈夫だ。変なものは入
ってない﹂
アランがもう一枚のクッキーをレオナールに手渡した。
レオナールはにおいを嗅いで、クッキーを指で一回転させてから
一口だけ食べた。
﹁⋮⋮甘い﹂
﹁それは我慢しろ﹂
﹁蜂蜜のにおいは好きになれないわ﹂
﹁それは食べる前からわかってただろ?﹂
﹁咀嚼するとにおいが更に出るわよね。水で良いから飲み物が欲し
い﹂
1698
﹁そう言えば、飲み物がないな﹂
アランが渋面になった。
﹁ないものは仕方ないでしょ。ねぇ、アラン。甘やかせ過ぎじゃな
い?﹂
﹁そうか? そんなこともないだろ。ほら、レオ。ゆっくり噛めば
問題ないだろ﹂
レオナールはやっぱり食べるんじゃなかった、と後悔しながら咀
嚼した。
︵アランとは味覚の好みが全然違うから、こういう時、ものすごく
困るわ︶
特に、甘過ぎるものも平気で食べておいしいなどと言うところが
難点である。
︵口の中が蜂蜜の味になっちゃう︶
もちろん小麦粉や木の実の味や香りなどもしているのだが、レオ
ナールが苦手なせいか、蜂蜜の味とにおいばかりが強調されている
気がする。
︵どうせなら、生姜や胡椒と塩を入れたら良いのに︶
クッキーは蜂蜜や果物などが入っていない物、あるいは量が控え
めの方が好きだ。
1699
︵ルヴィリアからは二度と食べ物をもらわない︶
レオナールは強く決心した。
1700
28 合わないものは合わない︵後書き︶
もうちょいでこの章終わるはずですが、長引いてます。すみません。
この章が完結したら起承転結の起が終わります。
1701
29 騒がしい騎士とマイペースな魔術師
見習い兵士または従士と思われる年若い少年達が人数分の肉の入
ったシチューやパンなどを部屋に運び込み、給仕する。
﹁飲み物はエールでよろしいでしょうか?﹂
﹁僕はワインを頼む。産地や銘柄は、任せる﹂
アレクシスが給仕役の少年にそう言って、両腕を組んで目を閉じ
た。ダオルが他の三人に確認するような視線を向け、アランとルヴ
ィリアは頷き、レオナールは無反応のまま、身動ぎせずに目の前の
皿をじっと見ている。
﹁レオ?﹂
﹁水が欲しいわ﹂
レオナールはアランの問いかけに答えつつも、目の前に並べられ
る皿から目を離さない。アランは肩をすくめ、代わりに給仕の少年
に告げる。
﹁すまない、こいつの分は水で、他はエールを頼む﹂
︵緊張している、というより警戒しているのか。最近初めての場所
に来たり、初対面の人間に会っても、以前よりリラックスしてて、
だいぶ良くなってきたと思ってたんだがなぁ。やっぱりまだしばら
く単独行動させない方が良いかもな︶
1702
警戒心バリバリの獣のようだ、とアランはこっそり溜息をついた。
その姿に、八年前、初めてレオナールに食べ物を与えた時の事を思
い出した。
︵あの頃に比べたら、挙動や表情とかは人間らしくなってはいるん
だけどな︶
残念ながら現在、その言葉遣い・口調・仕草および言動は、あら
ゆる意味で彼にはそぐわないものになってしまっている。
八年前、初めてアランがレオナールをまともに認識した頃の彼の
行動・反応は、アランの常識では異常といって良いものだった。
通常、人はどれほど寡黙で表情の変化が少ない者でも、なんらか
の思考や感情が、目や口・所作などに表れるものだと、アランは考
えているが、レオナールにはそういう動きまたは変化が感じられな
かった。
初期は空腹時にしか人前に現れなかったせいもあるが、空腹か否
かくらいの違いしか、読み取れなかった。
感情や知性、心の機微といったものを感じさせない、眉一つ動か
さない無表情な顔は、爬虫類またはそれに似た魔獣、あるいは精巧
に作られた無機質な人形のような印象を与えた。
何かを真顔で注視していたり、眉はほとんど動かさずにわずかに
目を細めたり、顔を動かすことなく視線だけを動かしたり、どこを
見ているかわからないぼんやりした目付きでいたり。
後になって気付いたが、ぼんやりしているように見える時は、空
腹、または興味がない、あるいは周囲に耳をすませているようだ。
たまに考え事をしている場合もあるが。
肩や腕、歩き方などを見て、緊張しているのか、逆に力を抜いて
いるのかを判別できる。
1703
レオナールは、二十代後半以上の成人男性が苦手、あるいは強い
警戒心を抱きやすく、また成人男性の大声や物音などに過敏に反応
する。
それは彼が物心ついた時から、その年齢の男性││オクタヴィア
ン・シェリジエール、セヴィルース伯爵の元部下で、ウル村の徴税
などを担当する役人だった子爵││とその意を組んだ使用人に、日
常的に罵倒あるいは怒鳴られたり、暴力を振るわれたりしていたた
めである。
アラン自身は、父や次兄が普段から大きめの声で話しがちであり、
何かあれば怒鳴るような口調で話しかけられる事が、しばしばあっ
たため、喧騒や大声が聞こえても何とも感じない。男兄弟が四人も
いれば、家族全員が集まる夕飯時は大騒ぎである。自然、話す声も
大きくなる。
アランの父は2メトル近い長身に加え、アランの約二倍の肩幅と
アランの太ももほどの上腕を持つ、筋肉隆々の巨漢である。田舎の
農夫より、冒険者や海賊・山賊の方が似合いそうな外見だ。
三白眼に、眉間が繋がりそうな太い眉。日に灼けた禿頭。分厚い
大きな唇と、ガッシリとして前に突き出しているような頑丈そうな
顎。額や頬骨が高く、その分目の周辺がくぼんでいるように見える
ため、ますます凶悪に見える。
大きな白い歯を見せて笑えば、慣れない者には威嚇しているよう
にしか見えない。その容姿・体躯にみあった低い割れ鐘のようなし
ゃがれ声も、拍車をかけている。
大抵の子供には恐れられる容貌と声音で、確かにレオナールは初
めてアランの父と遭遇した時には、強い警戒を見せていたのだが、
彼が自分に危害を加えないとわかると、徐々に慣れていった。
アランのすぐ上の兄に対しては、彼の言動が粗暴になりがちなせ
1704
いか、最後まで慣れなかったようだが、それ以外のアランの家族と
はそこそこ良好な関係を築いていたと思う。
アランは次兄とはあまり仲が良くない││いがみ合ったり憎み合
ったりしているわけでもないが││ため、特にフォローしなかった
せいもあるだろう。その事で次兄に絡まれた事も時折あったが、ア
ランは自業自得だと思っている。
︵そういえば、兵士達の半分くらいは、エルン兄みたいな体格・外
見か︶
エルンとはアランの二つ年上の次兄・エルネストの愛称であり、
明るい茶色の髪に緑の瞳の、父親譲りの体格の良い男である。声も
大きく、悪人ではないのだが、がさつで少々乱暴なところがある元
ガキ大将である。
エルネストは手加減というものができないため、腕や肩などを掴
まれれば痣ができ、歩く度に大きな物音を立て、戸は蹴破る勢いで
開け、怒鳴ってるのは喋っているかわからない音量で話す。
レオナールでなくても嫌う者がいておかしくない所業だと、アラ
ンは冷ややかに思う。アランも一応何度か注意を促したことはある
のだが、聞く耳持たないどころか噛み付いてくる具合なので、知っ
たことかとしか思えない。
︵精神的外傷とかになってなきゃ良いんだが、大丈夫かな、あいつ︶
レオナールが聞けば一笑に付すだろうことを、アランは真剣に心
配している。アランの視線に気付いたのか、レオナールがアランの
方へ振り返った。
﹁何?﹂
1705
﹁いや、大丈夫か?﹂
﹁何がよ。問題ないわ。変なにおいはしないみたい﹂
﹁毒味は必要か?﹂
アランの言葉に、レオナールはまばたきをしてから、ニッコリ笑
った。
﹁お願いできるかしら﹂
﹁わかった。飲み物はどうする?﹂
﹁じゃ、ついでだからそっちもよろしく﹂
二人の会話を聞いたアレクシスがフッと笑った。
﹁何?﹂
レオナールが睨むようにアレクシスを見ると、アレクシスは更に
唇を歪めて笑った。
﹁いや、仲が良いことだなと思ってな。しかし、そんなに毒が心配
なら、︽毒物感知︾の魔法を掛けようか? その方が一度に全ての
飲食物を調べられるし、何より手っ取り早い﹂
﹁是非、よろしくお願いします!﹂
レオナールが答えるより先に、アランが答えて頭を下げた。レオ
ナールは﹁この魔法オタクが﹂と言わんばかりの目でジロリとアラ
1706
ンを睨んだが、浮かれているアランは全く気付かない。
それらを白々とした顔で見つめていたルヴィリアが、肩をすくめ
た。
﹁アランは魔法を見るのが好きなの?﹂
﹁好きというか、勉強になるからなっ!﹂
ウキウキした表情、キラキラした目で嬉しそうに言うアランに、
ルヴィリアは少々呆れたような目を向け、チラリとレオナールを見
た。
﹁良いの? レオナール﹂
﹁あれは直らない病気だから仕方ないわ﹂
ウンザリした顔でレオナールは答え、無表情で黙り込んだ。しか
し、アランは全く気付かない。今か今かとばかりに、アレクシスが
詠唱するのを待っている。
﹁一応言うが、魔法を使用するのは、料理と飲み物が全て出てから
だぞ?﹂
アレクシスが言うと、アランはコクコク頷きながら、
﹁もちろんです!﹂
と満面の笑みを浮かべた。
﹁アランは魔法のこととなると、表情が全然違うわね﹂
1707
ルヴィリアが呆れたように言った。そうこうする内に料理が全て
並べられ、各自の飲み物も運ばれた。ワクワクした顔のアランの前
で、アレクシスが詠唱する。
﹁天上の父たる天空神アルヴァリースの愛と、母たる大地の女神フ
ェディリールの慈悲に、我ら感謝と敬愛の意を捧げ奉らん。神の御
力を持って、邪なる悪意を退け、これらに含まれし毒物の有無を明
らかにせよ、︽毒物感知︾﹂
テーブルに置かれた全ての物が淡く光った。いずれの皿やコップ
にも、特に変化はない。
﹁人に害を与える毒物、あるいは悪意を持って混入された薬物が入
っていれば、反応して赤く光る。しかしこの魔法の欠点は、例えば
笑い茸をその他の食用茸と誤って使用したといった場合には、反応
しない。即死する程の量が使われていれば、また別なのだが。しか
し、無いよりはマシなので、これと︽解毒︾は貴族が覚える基本魔
法の一つだな﹂
﹁他にはどういった基本魔法があるんですか?﹂
アランがキラキラと輝く瞳で、頬を紅潮させ、尋ねる。
﹁他には︽浄化︾、︽呪い感知︾に︽解呪︾、︽魔法感知︾や︽魔
法解除︾などか。高位貴族で文官系の者は︽真実の鏡︾や︽審判︾
を修得している場合もあるが、素養が必要なので、こちらは使える
者は少ない。職務に関するものか、身を守るものが多いだろう。自
分が使える魔法を公言する者はいないので、私見だが﹂
1708
﹁あっ、すみません、つい﹂
﹁いや、勉強熱心なだけだろう。若い内はそれで良い。向学心のな
い無能は、死んだ方がマシだからな。将来有望な若者を導くのは、
大人の役目の一つだ﹂
アレクシスはしかめつらしい顔で、頷きながら言った。
﹁それは、真面目に仕事をしている人間が言うべき言葉だと思うん
だが﹂
ダオルが窘めるように言うが、アレクシスには聞こえなかったよ
うである。
﹁食べても良い?﹂
レオナールの言葉に、アランはハッと正気に返った。睨むように
目の前のステーキやスープを見つめるレオナールを見て、アレクシ
スが苦笑を浮かべた。
﹁では、いただくとしようか﹂
彼らに提供された食事は、分厚い牛肉のステーキと、柔らかく煮
込んだ兎肉と野菜のスープ、それに野菜の煮込みと、山積みにされ
た白パンである。
﹁なんで、こんなにあるの?﹂
ルヴィリアが白パンの山を見て、眉をひそめた。
1709
﹁そりゃ、兵士達の基準で出したんじゃないか? いらないなら残
せば良い。どうせ余ったら、レオが食べるし、それより更に余るよ
うなら、食いさしでなければ問題ないだろう﹂
アランが言うと、レオナールの眉間に皺が寄った。
﹁私は残飯処理係じゃないわよ﹂
﹁でも食うだろ? レオ、このステーキ半分お前にやるよ。たぶん
食べられないし﹂
﹁わぁ! アラン、ステキ!! 大好き! 愛してるッ!!﹂
﹁⋮⋮お前というやつは﹂
不満げな顔から一変して、満面の笑みを浮かべ嬉しそうに言うレ
オナールに、アランは溜息をついた。しかし、約束したので、ナイ
フで切って半分をレオナールの皿に分けてやる。
﹁全部くれても良いのよ?﹂
﹁それじゃ俺の分がなくなるだろ。お前、本当、肉ならいくらでも
食うよな﹂
アランが呆れたように言うが、レオナールはご機嫌である。
﹁ルヴィリアの分も食べてあげましょうか?﹂
﹁結構よ! 確かに量が多いけど、私は食べられるから﹂
1710
﹁あら、そう。残念ね﹂
﹁ふむ、では僕の分を食べるか? これほどの量は必要ないのでな﹂
アレクシスが言って、皿ごとステーキを差し出すと、レオナール
の顔が更に明るく輝いた。
﹁ありがとう、アレクシス!! あなた、すごく良い人ね!﹂
﹁こんな事で礼を言われるとは。どうせ食べようと思っても食べら
れないのだ。それに、肉は嫌いではないが、特に好きでもないから
構わない。若いのだから、好きなだけ食べれば良かろう﹂
﹁ええ、ぜひいただくわ!﹂
レオナールのアレクシス評は若干向上した。現金なものである。
◇◇◇◇◇
一行が食事を終えても、解放される気配は皆無だった。
﹁やっぱり、どう考えてもこれ、隔離だよな﹂
﹁まあ、もうしばらく待て﹂
﹁そういえばさっき迎えがどうとか言ってましたね﹂
アランが言うと、アレクシスが頷いた。
1711
﹁うむ、予想より遅れているが、今朝あちらに顔を出した際に、行
く先は告げて来たからな。おそらくステファンかウーゴが来ると思
うのだが﹂
アレクシスがそう告げた後、しばらくとしない内に周囲が騒がし
くなり、誰か数人が歩いてくる物音が聞こえてきた。
﹁おい! アレクシス!!﹂
大きく開かれた扉の向こうにいたのは、騎士風の黒髪の長身の男
である。
﹁おや、ヘルベルトか。何故君がわざわざ来た? 忙しい筈だろう﹂
﹁ああ、その通りだ! だが、この糞忙しい時に遊んでるバカを捕
まえて欲しいと、ステファンに泣きつかれてな。わざわざオレが迎
えに来てやったと言うわけだ。感謝しろ﹂
﹁⋮⋮まさかお前が来るとはな。時期を見計らったつもりだったの
だが﹂
﹁逃げるなよ、アレクシス。逃げたら地の果てまで追いかけて首根
っこ捕まえて吊るしてやる!﹂
﹁吊るすとか、君は乱暴だな﹂
﹁安心しろ、お前限定だ。他には絶対やらん﹂
﹁そんな特別扱いはいらないのだが﹂
1712
﹁お前は言って理解できないからだろ! 言葉が通じるなら、手を
出す必要はない﹂
﹁野蛮な﹂
﹁黙れ! 皆に迷惑かけるな!! どうせ解剖対象があるとか、珍
しい魔獣を見つけたとか、アホなこと抜かすんだろ! お前の言い
訳なんぞ聞くだけ無駄だ! ほら、帰るぞ!!﹂
﹁待て! 彼らも一緒だ。ヘルベルト、きちんと周りを見ろ。ダオ
ルと、ダニエルの弟子のレオナール、それに⋮⋮﹂
﹁そういえば何故こんなところにいるんだ?﹂
ヘルベルトと呼ばれた男が怪訝な顔になった。
﹁こちらの兵士や責任者の話を聞かなかったのか?﹂
﹁知らん。お前を早く連れ帰ることしか考えていなかった﹂
﹁⋮⋮これだから脳筋は﹂
アレクシスが苦々しい口調で呟いたが、アランは思った。
︵でも、レオやダニエルのおっさんよりは会話できそうだよな︶
レオナールは顔をしかめていた。
1713
29 騒がしい騎士とマイペースな魔術師︵後書き︶
サブタイトルが微妙に合ってない気がしますが。
番外編始めました。
シリーズ管理でリンクしています。
たぶんないより、ある方が良いだろうということで。
本編にごく一部除いてウル村の人達︵アランの家族含む︶は出て来
ないので。
以下を修正
×エルンスト
○エルネスト
×毒物発見
○毒物感知
1714
30 たぶん価値観と優先度の違い
﹁彼らに第五小隊襲撃容疑がかかっている? だとしても、それが
お前に何の関係がある﹂
ヘルベルトは眉をひそめて言った。
﹁将来有望な若者を庇護し導くのは、大人のあるべき姿だろう?﹂
アレクシスはフッと鼻で笑い、大仰に肩をすくめ、当然といった
口調で答える。
﹁そんな建前はどうでも良いから本音を言え﹂
ヘルベルトは露骨に顔をしかめると、頭痛がすると言わんばかり
に眉間を揉んだ。
﹁当初はどうやらろくな証拠もなく彼らを捕らえて尋問するつもり
だったようだな。おそらく何らかの思惑の下、有りもしな罪を着せ
て処断しようとしていたのだろう。その辺りは今、調べさせている
ところだ。
セヴィルース伯が到着するのが早いか、証拠が集まるのが早いか。
いずれにせよ日が暮れる前には決着がつく筈だ﹂
﹁つまり時間稼ぎが必要だと言いたいのか?﹂
﹁いや﹂
1715
アレクシスはそう言ってニヤリと笑った。
﹁そんな無駄なことはしない。僕はこんなところに長居する気は毛
頭ない﹂
﹁なら何を﹂
﹁ここの連中が我々を外に出す気がないというなら、是非とも帰し
たいと思って貰うようになれば良い﹂
﹁⋮⋮嫌な予感がするんだがアレクシス、いったい何をした?﹂
﹁僕は何もしていない。君も僕の性格は良く知っているだろう? 興味のない事に無駄な労力を費やす趣味はない。必要なら他にやら
せることはあるが﹂
﹁おい!?﹂
ヘルベルトがアレクシスを咎めるように睨むが、意に介する風は
ない。アレクシスは髪を掻き上げて、深々と吐息をつく。
﹁まあ、そう大袈裟に取るな、ヘルベルト。人に探られて痛む腹が
ある輩には、あえて堂々と探りを入れてやった方が親切だろう?﹂
﹁それは探りを入れてるんじゃなくて、牽制していると言うんじゃ
ないか?﹂
﹁大丈夫だ、無駄にはならない。それに僕が何もせずにただ居座る
方が、疑心暗鬼を呼ぶ。彼らが納得できる理由が必要だ。何でも建
前や名目は必要だろう?﹂
1716
﹁⋮⋮いったい何を企んでいる? お前が全く何もせずに、こんな
ところで茶を飲んでいるはずがない。お前は確かに無駄と判断した
事は一切やらないが、娯楽や研究に関係しないことに時間を費やす
はずがない﹂
ヘルベルトが詰問すると、アレクシスは眉を顰め、つまらなそう
な口調で告げた。
﹁君の悪い癖だな、魔術師の手管や手札について明言・詮索しよう
とするのは。伏せるべきことは伏せ、自分の意識の及ばぬ領域につ
いては係わらぬ方が、賢明だろう。我が身が可愛いならばな﹂
﹁⋮⋮お前がまどろこっしくて、面倒臭い男なだけだろう。文句が
あるなら、回りくどい表現を使わずはっきり言ったらどうだ﹂
﹁では、君にもわかる表現で言おうか。うるさいから、黙ってくれ。
邪魔をするというなら、全力で潰す。⋮⋮ほら、期待に応えてやっ
たぞ﹂
アレクシスは気だるげな顔と面倒臭げな口調で言うと、椅子の背
もたれに寄りかかり、溜息をついた。
﹁⋮⋮ドラゴンが空から降ってくれば楽しいだろうに。あれほど美
しい生き物はいない﹂
﹁お前は他領の領主の兵団駐屯地を壊滅させる気か!﹂
騒ぐ二人を横目に、他の四人はアランの淹れたお茶を飲んでいた。
1717
﹁ヘルベルト殿はアレクシスの従兄で、近衛騎士団に所属している。
おれは直接の知り合いではないが、あの通り二人は仲が良く、しば
しばヘルベルト殿が訪ねて来るので、面識がある﹂
﹁仲が良い、ねぇ?﹂
ダオルの説明にアランは首を傾げた。確かにいがみあっているわ
けではないだろうが、あれを仲が良いと言って良いのだろうか。
﹁アランって、紅茶淹れるの得意なの?﹂
ルヴィリアが紅茶をひとしきり楽しみ、感心しながら尋ねた。
﹁祖母に仕込まれただけだ。自分でも研究していないこともないが、
適した温度や抽出時間は、茶の種類によってだいたい決まっている。
厳密には大きさや状態などによって違うが、慣れればどうすれば良
いかわかる。 わからなければ、飲んで試行錯誤すれば良いし、販
売者に淹れ方を聞いて参考にすれば手っ取り早い﹂
﹁茶なんて、味と匂いのついた水だと思うけど﹂
レオナールは匂いをかいだだけで、口はつけてない。
﹁毒は入ってないぞ﹂
アランが肩をすくめて言うと、レオナールは首を左右に振る。
﹁なんかこれ嫌い。嫌なにおいがする﹂
﹁お前の嫌いなものは入ってないと思うが﹂
1718
﹁香料、たぶん動物性の甘い香りがする﹂
じゃこう
﹁ああ、そう言われればそうだな。麝香か、それに似た匂いがする
かもな。でも、そんなに気にするほどか?﹂
﹁香りの強いものは嫌い。植物性のも動物性のも﹂
﹁全く匂いのない物なんて、この世に存在しないだろ﹂
﹁何が入ってるかわからなくなるような強いにおいのものは嫌だっ
て言ってるのよ﹂
﹁飲みたくなければ飲まなくても良いが、香辛料や香草・薬草は我
慢しろよ。あと野菜と果物も﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
レオナールは顔をしかめ、返答しなかった。そこへ、扉をノック
する音が聞こえた。
﹁はい﹂
アランが扉に近付いた。
﹁ドミニクです。旦那様はいらっしゃいますか?﹂
﹁はい、こちらに在室されています﹂
そう言って扉をゆっくり開いた。扉の前には見張りの兵士とアレ
1719
クシスの従者が立っている。従者は会釈すると室内に入り、扉を閉
めた。
﹁旦那様﹂
従者が呼び掛けると、アレクシスが振り向いた。
﹁ドミニクか。首尾は?﹂
﹁暫くお待ちいただければ、こちらの責任者の方がいらっしゃいま
す。報告は後ほどいたします。また、﹃鳥﹄は夜には戻るでしょう﹂
﹁そうか﹂
﹁おい、まさか他領で使い魔を放ったのか?﹂
﹁黙れと言ったのが聞こえなかったのか、ヘルベルト。なんなら脅
しではなく本当に黙らせてやろうか?﹂
アレクシスが冷たい目で静かにヘルベルトを睨み付けた。
︽蒼炎︾の由来は、彼が使用する多彩な魔術の内、一番攻撃力の
高いものが炎系魔術である事から来ている。高温の青白い炎の柱を
放つ︽蒼炎︾を使えるのは、現在アレクシスだけだという噂だ。
だがそれ以上に有名なのは、彼が変人で、たとえ国王陛下の命令
であろうと気が向かなければ従わず、めったに招集・招聘にも応じ
ない、王宮に詰めているのにその姿を見る事が稀少な人物だという
ことだろう。
ドラゴン
Sランク冒険者は、その多くが災害級魔獣と同等の力を持ってい
る。かつてダニエルが所属していたパーティー︽光塵︾のメンバー
1720
の内では、ダニエルとシーラとオラース││光神神殿所属で、ダニ
エル幼少時には後ろ楯となった司祭││が、ほぼ同期の︽深遠の探
求者︾ではクロードとアレクシスとベルトランが該当する。
ヘルベルトは近衛騎士団内では中堅であり、剣や槍の腕も悪くは
ないが、Sランク相手では分が悪かった。
﹁⋮⋮アレク、お前は始祖に恥じるような所業はしていないだろう
な﹂
﹁怠惰や自己の楽しみに寄りがちなことを批判されることはあるだ
ろうが、天空神と大地の女神に顔向けできなくなるような事をした
覚えは皆目ない﹂
ヘルベルトはアレクシスの答えに、頷いた。
﹁ならば深くは詮索すまい。だが、王都には今日中、あるいは遅く
とも明日の朝には帰るぞ。お前の判断や決裁待ちの仕事が大量に溜
まっている﹂
﹁おかしいな、ステファンには指示したはずだが﹂
﹁何をどう指示したと言うんだ﹂
﹁暫くかかる予定だから、代わりにやっておけと﹂
﹁そりゃ、あいつが涙目で俺に頼むわけだな。そういうのは指示と
は言わん!﹂
そこへ更にノックの音が聞こえてきた。ドミニクがアレクシスを
伺い、アレクシスが頷くと、ドミニクは扉へと向かった。ヘルベル
1721
トは言いたいことはまだまだあるが、視線をアレクシスから扉の方
へと変更した。
﹁ラーヌ駐留黄麒騎士団所属のラーヌ駐屯所責任者のマクシミリア
ン・オルトールだ。話がしたい﹂
レオナールは扉の向こうの声に、聞き覚えがあった。
﹁入室を許可する﹂
アレクシスが言って、姿勢を正した。ヘルベルトはアレクシスの
背後に護衛のように立つ。ドミニクが扉を開くと、領兵団の制服を
着た、オールバックに口髭の貴族風の男が、兵士二名を連れて入室
する。
﹁お初にお目にかかる、アレクシス殿。わたしはラーヌ駐留黄麒騎
士団所属のラーヌ駐屯所責任者のマクシミリアン・オルトールだ﹂
先程と違って素面の男の目は猛禽類のように鋭く、防具も武器も
身に付けてはいないが、姿勢や歩き方にも隙がない。
レオナールはわずかに目を細めた。いつでも立ち上がれるよう、
椅子には浅く腰掛けている。脳裏では、いつものように相手を斬る
としたらどうするかと考えているが、顔には出ていない。視線に動
きはあるが、あくまで無表情である。
﹁前置きは良い。本題を﹂
アレクシスが気だるげに先を促した。マクシミリアンは頷き、部
屋全体を見回すと、
1722
﹁出来れば、容疑者の彼らは外して貰いたい﹂
﹁容疑者? おかしな事を言う。どちらかと言えば、彼らは被害者
だろう。自分達が何に巻き込まれ、何をされそうになったのかくら
いは教えてやるべきでは? 後ろ暗いことがなければ問題ないだろ
う﹂
アレクシスは大仰に肩をすくめると、ニヤリと笑った。
﹁それとも、何か? 彼らがいると、まずい事でもあるというのか
な。例えば、勤務中の飲酒とか﹂
その言葉に、マクシミリアンの眉間に皺が寄る。
﹁その、アレクシス殿は彼らとどういった関係で?﹂
﹁おや、聞いていないのか? そこの大男は僕の部下であり、金髪
の剣士、レオナールは僕の同僚・ダニエルの唯一の弟子だ。そして、
四名とも僕とダニエルが後見人となって、冒険者ギルド登録を行っ
ているのだ。つまり、我々が子同然に可愛がって面倒を見ている冒
険者、という事だな﹂
レオナールとアランは、ダニエルはともかくアレクシスに後見人
になって貰った記憶はないし、面倒を見てもらった覚えもないが、
それをわざわざ口に出す必要もない。
﹁ほう、それは初耳ですな。だからと言って、我々の立場と職務上、
彼らを特別扱いするというわけにはいかぬのだ。
お恥ずかしい事に先日、こちらでは不祥事と汚職が発覚し、更迭・
処分が行われ、多数の人員入れ替えが行われたばかりでな。
1723
引き継ぎもそこそこに転任したばかりで全てを掌握しているとは
言い難いのだ。そして上から下まで慌ただしいところに、この襲撃
の報。
そこへタイミング良く同じ方角から戻って来る冒険者と来たら、
我々が彼らを怪しむのも無理からぬこととは思いませんかな?﹂
﹁先程、︽真実の鏡︾を行使して事情聴取を行い、彼らの証言の真
偽を証明した。彼らは第五小隊襲撃には関与していないし、それを
目撃していない。では、容疑は晴れたと見て良いはずだな?
それとも、まだ何か彼らに聞く事があるのだろうか。てっきり、
解放前の挨拶または謝罪に来たのかと思えば、そうではないようだ
な﹂
﹁失礼だが、我々、セヴィルース伯領ラーヌ駐留黄麒騎士団は、ラ
ーヌの治安維持と防衛のため、わずかでも疑わしき者は全て取り調
べる必要がある。
今回はたまたま、アレクシス殿がいらして︽真実の鏡︾という稀
少な神術を行使し、彼らが第五小隊の襲撃には関与していないと証
明されたが、このような事は早々ない。
アレクシス殿が被後見人に肩入れしてしまうお気持ちはわからな
くもないが、我々の立場も考慮いただけると有り難いですな﹂
﹁それで、そちらの用件は? できれば夕飯までには、この兵舎を
出たいものだが。でなければ、ここにいるヘルベルトのように、王
都から続々と迎えの催促が来る事になりかねない。
今回はヘルベルトだったが、次はどうかな? ダニエルが来ると、
うるさいだけでは済まないので、面倒なのだが。彼は困ったことに、
破壊が何より得意な男だからね。
落ち着いて理性的に行動するという事ができないのが、最大の欠
点だ。彼の歩いた後は、どこもかしこも穴だらけで後始末に困る﹂
1724
﹁その、彼ら四名に関しては、今回の件に関与した可能性が低いと
いう事で、解放しても問題ないという裁定が下りた。
現在は上部の承認待ちというところだが、ラーヌの外へ出ないの
であれば結構だ。承認が下りれば、ラーヌの門の出入りも、ロラン
への帰還も自由となる。それまでしばらく、ラーヌに滞在願おう﹂
﹁そうか。おそらく、明日か明後日にはダニエルが到着すると思う
が、それまでに承認が下りることを祈ろう。では、我々は退出させ
て貰おう。
遅くなったが、第五小隊の襲撃の件、犠牲となった兵達に追悼す
る﹂
﹁これは有り難いことで。アレクシス殿も、様々な役職を兼任され
て、ご多忙だろう。くれぐれもご自愛なされよ﹂
﹁⋮⋮ところで、一つ聞きたいのだが﹂
﹁は、何か?﹂
﹁僕は、マクシミリアン・オルトールという名を寡聞にして知らな
いのだが、どちらの出身で、どのような業績を上げた方だったかな
?﹂
アレクシスは顔から笑みを消し、冷ややかな目でマクシミリアン
を見据えた。
﹁⋮⋮っ!﹂
思わず息を呑むマクシミリアンに、アレクシスは冷笑を向ける。
1725
﹁まぁ、ここで尋ねても数日後には忘れているだろうから、返答は
必要ない。おそらく次にあなたとここで会う事はないだろう。では、
壮健で。失礼する。
⋮⋮さ、ダオル、レオナール、アラン、ルヴィリア。もう退出し
て良いそうだ。共に戻ろう。あと、今夜の夕食の手配を頼む。ヘル
ベルトの分もな﹂
﹁はい﹂
アレクシスは用は済んだとばかりに、さっさと出口へと向かう。
ドミニクが扉を開き、アレクシス、次いでヘルベルトが部屋を出る。
ダオル、アラン、ルヴィリアがそれに続き、最後に残ったレオナー
ルがマクシミリアンを一瞥してから出た。
︵素面で完全武装でも、あの髭男を斬るのは問題なさそうね。それ
ほど数がいなくて囲まれなければ、いけるかしら。挑発は効きそう
だし。
アランが協力してくれれば、かなり楽できるわね。グチグチ文句
は言われそうだけど︶
ふふっと笑みをこぼすと、振り返ったアランが怪訝な顔になる。
﹁どうした、レオ。何かお前の興味を引くような事があったか﹂
﹁そうね。たいしたものはなかったわ﹂
﹁お前がそんな風に笑ってる時って、大抵ろくなこと考えてないよ
うな気がするんだが﹂
﹁アランは攻撃魔法より、妨害系魔法を多用した方が良いと思うわ
1726
よ。刃物が効く敵を相手にするなら、複数対象の攻撃魔法は詠唱時
間と消費魔力考えたら、あまり旨味がないでしょう?
魔法耐性の低い敵に妨害魔法は効果的よ。敵が少なくて遠いとこ
ろにいるならともかく、室内や洞窟みたいに視界が狭くなる場所で
は、攻撃するより妨害の方が絶対良いわ。
アランってばすぐ炎系魔法を使いたがるけど、あれ、私が敵の近
くにいる時は必要ないでしょ。アランがどうしても敵を倒したいな
ら仕方ないけど、そうじゃない時は控えた方が効率良いわ﹂
﹁いきなり何の話だよ﹂
﹁もちろん敵と戦う時の話に決まってるでしょ﹂
﹁だから、どうしてそういう話を脈絡なく、こんなところで話して
るんだよ。唐突過ぎるだろ。それ、今する話か? っていうかおと
なしくしてると思ったら、そんなこと考えてたのか?﹂
﹁えっ、アラン、私が何をしてると思ってたの? 私が食事と鍛練
と戦闘以外の何を考えると思ってるのよ﹂
﹁⋮⋮わかった。後でじっくり話す時間を取ってやるから、今はし
ばらく黙ってろ、レオ﹂
アランが渋面で言うと、レオナールは頷いた。
﹁もちろん、戦術・戦闘の話よね?﹂
レオナールの質問に、アランは無言で生温い笑みを浮かべた。
1727
30 たぶん価値観と優先度の違い︵後書き︶
更新遅くなりました。すみません。
アラン﹁もちろん説教に決まってんだろ!﹂
レオナールの真面目で真摯な態度は、アランにとっての不真面目。
以下修正。
×黄麟騎士団
○黄麒騎士団
1728
31 剣士と魔術師団長の対話
一行は朝までいた家に戻った。
﹁よし、レオ。早速話をするか﹂
アランがニヤリと笑って言うと、レオナールは首を左右に振った。
﹁ちょっと待って。ルージュに餌をあげておきたいの。朝にもあげ
たけど、あの子すぐお腹空くから。干し肉は嫌いじゃないみたいだ
けど、咀嚼回数が多くなるせいか一度にたくさん食べられないから、
回数必要になるみたい。生肉の方が好きだし腹持ちも良いみたいだ
けど、仕方ないわよね﹂
﹁わかった。なら、それまで掃除や洗濯しているから終わったら声
を掛けろ﹂
﹁了解﹂
アランはレオナールと会話を交わした後、自分にあてがわれた部
屋へ行く前にレオナールの部屋へと向かった。どこぞのギルドマス
ターと違って散らかし放題ということはないが、レオナールが自発
的に掃除や洗濯などする筈がないので、アランは自分の分をするつ
いでに一緒にやる事にしている。
ダオルが店の予約等をしに行き、ルヴィリアは寝室用の部屋で今
後について占うと引きこもった。ドミニクはアレクシスに断りを入
れて出掛けてしまった。
1729
﹁どうしてついてくるの?﹂
レオナールは同じ敷地内にある厩舎へ向かう途中、後ろからつい
てくるアレクシスとヘルベルトに胡乱げな目を向けた。
﹁貴重な幼竜の給餌だ。解剖で、身体的構造やどのような過程で消
化されるのかはわかっているが、生きている状態の個体が餌を食べ
ているところはまだ見た事がない。ドラゴンの飼育例は、記録にも
残っていない稀少な事例だ。この機会を逃すと、次にいつ見られる
かわからない﹂
﹁先に言っておくけど食事中は近付かない方が良いわよ。ドラゴン
は本当は血抜きしてない生肉のが好きだから、餌と間違われても知
らないから﹂
﹁ほう、生き餌を用意しているのか? それとも何らかの方法で血
抜きしてない生肉を保存しているのか﹂
﹁どちらもないから、外に出られるようになるまでは干し肉しかな
いわ。幸いたくさん買っておいたから。でもさすがに続くと不満は
出るでしょうね。なにしろ周囲には新鮮な餌が歩き回っているのに、
食べられないんだから﹂
﹁なるほど、それは辛いだろうな。おい、ヘルベルト、お前ちょっ
とそこらで生きた生肉調達して来い﹂
﹁は? そういうのは従者にやらせろ。何故俺を使い走りさせよう
とする﹂
それまで黙って見ていたヘルベルトが渋面になった。
1730
﹁ドミニクには他に仕事がある。今、手が空いてるのはお前だけだ。
金魚の糞のように僕の尻を追いかけ回す暇があるなら、早く行って
こい。大きな図体で鬱陶しい﹂
﹁前から思っていたが、俺の扱い酷くないか!?﹂
﹁お前は僕の下僕だろう? 黙って従え﹂
﹁誰が下僕だ! せめてお目付役と言え!! 伯父様に頼まれてい
るから、仕方なく面倒見てやっているだけだ﹂
﹁そんなことは頼んでいないし、どうでも良い。それより早く買っ
て来い﹂
﹁お前を放置するとろくなことしないだろう﹂
﹁大丈夫だ、安心しろ。幼竜の給餌を観察するだけだ。何も問題は
ない﹂
真顔で言うアレクシスに、ヘルベルトは眉をひそめた。
﹁ところで、先程から幼竜とかドラゴンとか不穏な言葉が聞こえる
んだが、いったい何がいるんだ?﹂
レオナールは嫌な予感を覚えた。
﹁レッドドラゴンの幼体だ。目撃例や飼育・生育例などの記録がほ
とんどないが、おそらく生まれてから三年未満の個体だろう。もし
かしたら一年未満かもしれない﹂
1731
﹁なん⋮⋮だとっ⋮⋮!? どうしてそんなものが、こんなところ
にいる!!﹂
﹁それはその幼竜が、彼、レオナールに飼われている使役魔獣だか
らだ﹂
﹁なっ⋮⋮レッドドラゴンの幼体を使役魔獣にだと!? それは国
の許可や認可を受けてのことか!?﹂
﹁冒険者ギルドの承認・認可は受けているはずだぞ。書類の控えは
ダニエルの机の上で見た﹂
﹁お前⋮⋮っ、レッドドラゴンは災害級魔獣の中でも、特に上位で
危険な生き物なんだぞ!? ダニエルのような化け物クラスならと
もかく、どうしてこんな若者が⋮⋮っ! 危険じゃないか!!﹂
騒ぐヘルベルトを無視して、レオナールは足を速め、その後に続
くアレクシスも歩幅を広くした。
﹁おい、聞け!! 何かあったらどうする気だ! 取り返しがつか
ないんだぞ!?﹂
グリフォン
﹁大丈夫だ。幼竜は彼にとてもなついている。無闇に手を出さなけ
れば問題ない。私の使役魔獣の鷲獅子と同じようなものだ。屈服さ
せ服従させたり、幼い個体または卵の状態から飼育し、扱いを間違
えなければ問題ない。
例えば、お前が五歳の時に犬相手にやらかしたように、餌を食べ
ている時に手を出すような所業をしなければな﹂
1732
﹁っ!﹂
後ろが騒がしいが、知ったことかとレオナールは厩舎の中に入っ
た。幌馬車の荷台も置かれている。後部にある折りたたみ式の踏み
台を開き中に入ると、荷台に載せたままの麻袋を持ち上げる。
グリフォン
︵そういえば鷲獅子はここにはいないみたいだけど、他へ預けてあ
るのかしら?︶
グリフォン
レオナールはまだ鷲獅子を見た事はないが、確かかなり大きな魔
獣だったはずだ。使役魔獣としては有名ではあるが、飼育・使役の
難易度が高いため、腕の良い魔獣遣いか高位貴族くらいしか使役し
ていないだろう。討伐ランクはB級である。
グリフォン
︵いつか鷲獅子も斬ってみたいわね︶
レオナールは使役や飼育に興味はないので、討伐対象としてしか
魔獣・魔物に興味は持たない。ルージュに関してはたまたまなつか
れたので面倒見ているだけである。
もっとも、さすがのレオナールも相手になつかれれば、情や愛着
が湧く。一緒に狩りをする相棒としても、楽しいし面白い。常に新
しい発見があるのも良い。アラン相手には期待できない事も、ルー
ジュ相手ならば期待できる。
しかし、他にルージュのような存在を増やそうという気は皆無で
ある。
﹁ルージュ、餌の干し肉よ。悪いわね、こんなものしかなくて。外
に出られるようになったら、いっぱい狩りましょうね﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
1733
ルージュのいる房に近付き、横木を開閉させて中に入ると、麻袋
の中身をぶちまけた。
﹁ちょっと待ってて。水と追加の干し肉も持って来るから﹂
﹁きゅきゅうっ、きゅっきゅー!﹂
嬉しそうに鳴くルージュの鼻面を撫でると、荷台の上の空いてい
る樽を担ぎ上げて下りた。
﹁レオナール、そこにいたのか﹂
厩舎の入り口にアレクシスが立っている。一人のようだ。
﹁あの人は?﹂
﹁生肉を調達に行かせた。血抜きしていないものは難しいだろうが、
できるだけ新鮮な牛か大型の魔獣の肉を買ってくるように言ったか
ら、期待してくれ﹂
﹁間に合うかしら?﹂
﹁さあな。急げとは言ったが、どうだろう。あいつは僕の頼み事に
は非協力な場合もあるからな。で、その樽は何だ?﹂
﹁井戸で水を汲んでくるのよ。水瓶だと量が足りないのよね﹂
﹁それで飲めるのか?﹂
1734
﹁さすがにこのまま飲まないわよ。人間だって樽に直接口をつけて
飲んだりしないでしょう﹂
人間は一度にそれほどの量の水は必要としないし、飲もうとして
も飲めないのだが、レオナールは慣習としてそうしないのだと考え
ている。それも間違いではないが。
﹁なるほど、馬や使役魔獣用の水桶があるのか﹂
﹁そうよ。だから、﹂
﹁ならば、水があれば汲みに行く必要はないな﹂
アレクシスの言葉に、レオナールは眉をひそめた。
﹁どういう意味?﹂
レオナールが尋ねると、アレクシスはニヤリと笑った。
﹁そういう魔法があるという事だ﹂
レオナールは思わず渋面になった。
︵魔法ってなんかズルイ︶
アランが使っている魔法にそんな便利なものはなかった。魔術師
としての経歴・経験も違えば、生まれた時の身分・立場・環境も大
きく違うのだから、比較する方が誤りなのだが、魔法が使えると出
来ることや利便性が大きく異なるとなれば、何か理不尽なものを感
じてしまう。
1735
それを嫉妬・羨望というのだが、レオナールは今の今までそんな
ものを感じた事はなかった。あえて言うなら、ダニエルに対する憧
憬混じりの想いがそれに似ていたが、レオナールにとってダニエル
は目標であり、いずれ越えるべき壁である。
魔術師・魔法は、いれば、またはあれば便利だが、なくても他で
代用できるものだと思っていた。それは確かに間違いないが、自分
がそれを使えない事を理不尽だと感じる事はなかったし、使いたい
と思うような事もなかった。
レオナールの内心など気にも留めず、アレクシスはスタスタとル
ージュの房へと向かうと、房内に設置されている水桶を対象に、詠
唱する。
﹁水の精霊エルクレイスの祝福を受けし、命を繋ぎ喉を潤す甘露の
水、この水桶を満たせ、︽命の水︾﹂
何も無い中空から水が現れ、水桶に注ぎ込まれ、縁ギリギリまで
満たした。それを目を細めて見つめていたレオナールが、満足げな
笑みを浮かべるアレクシスを振り返った。
﹁ねぇ、それ、私にも使える?﹂
﹁使いたいと思い、覚える気があれば、使えないことはないだろう。
君はエルフの血を引く割には魔力量は少なめだが、人間と比べれば
多い。︽命の水︾程度の精製魔法ならば、魔術師の素養がなくとも
使えるし、君の魔力量ならば樽三本分くらいは軽いだろう﹂
﹁それ多いの、少ないの?﹂
﹁全く魔力・魔術を使ったことのない初心者としては多い方だろう。
1736
剣もそうだと思うが、鍛えれば鍛えるほど魔力量は伸びるし、扱い
や技術も上達する。熟達すれば、より少ない魔力量で術を発動させ
る事もできるから、魔力量だけが魔術師の能力ではない。
君の相棒アランは、平民の人間としてはかなり多い方だな。もっ
と体力と栄養をつけた方が良さそうに見えるが﹂
﹁ああ、あの子、体力・筋力ないのよね。だいぶマシにはなったん
だけど。最初は連れ回すと、吐いたり倒れたりしてばかりだったし﹂
﹁何か持病持ちなのか?﹂
﹁そんな事は聞いた記憶がないわね。虚弱なのは間違いないけど、
一応健康体のはずよ﹂
﹁そうか。体力がもっとあるようなら、僕が鍛えてやっても良いの
だが。でないとたぶん途中で音を上げるだろうからな。レオナール、
君を弟子にしてやるとまでは言わないが、ここに滞在する間、ある
いは僕が暇で仕方ない時ならば多少手ほどきしても良いが、どうす
る?﹂
アレクシスの言葉に、レオナールはしばし悩んだ。
︵面倒くさそうなのや、退屈でうっとうしいのは嫌なんだけど、あ
ると便利なことは確かなのよね︶
﹁ねぇ、それ、文字とか面倒な理屈とか覚えなきゃ使えないの?﹂
﹁覚えて理解できた方が、熟達しやすいだろうな。だが、練度はと
もかく使えれば良いというなら、詠唱と発動文言とイメージを覚え
れば大丈夫だ。魔力量の無駄や詠唱時間を短縮したり、応用や転用
1737
をしたいなら、その魔術の詠唱・発動文言の意味や、それがどうい
った理論でできているかといった事も理解できた方が良いが、初級
および低位魔法なら問題ない﹂
﹁詠唱ってのは精霊の祝福がどうたらってところで、発動文言は︽
命の水︾よね﹂
﹁その通りだ。なるほど、エルフの母を持つだけあって、古代魔法
語の発音は問題ないようだな﹂
﹁⋮⋮どういう意味?﹂
﹁平民出身の魔術師志望者の多くがつまづくのが、古代魔法語の発
音・読み方だ。貴族は幼少時から学ぶ事が多いからな。そしてエル
フ語の発音は古代魔法語と近い。
実際、古代魔法語のエルフ訛りがエルフ語というだけだからな。
古代魔法語をより早口に短縮したり簡略した単語や言い回しが多い
が、元は同じものだ﹂
﹁それは知らなかったわ﹂
﹁まあ、それは知っている者も少ないからな。それに、古代魔法語
を母国語のように話せる者も少ない﹂
﹁⋮⋮なら、古代魔法語しか話せない人はいないってこと?﹂
﹁そうだな、そんな人物がいるとしたら、古代魔法語を母語とした
﹃エレクレンヌ神聖王国﹄出身の者か、﹃神々の庭﹄で生まれ育っ
た者くらいだろう﹂
1738
﹁エレクレンヌ神聖王国に、神々の庭?﹂
﹁前者は三千年前に滅びた古代王国で、古代魔法語を母語としてい
たと伝えられている。後者は、世界の果てにあるという伝承の、神
と人と精霊が共に暮らしているという楽園だ。どちらも存在しない﹂
アレクシスの返答に、レオナールは眉をひそめた。
﹁存在しないなら、どうでも良いわ。つまり、エルフ語の古語が古
代魔法語ってことなのよね?﹂
﹁そうだ。かつてはエルフも人間や他の亜人らと共に同じ国で暮ら
した事があったが、何か仲違いするような事があって今のようにな
ったと言われている。真偽は不明だが﹂
﹁エルフと人間は、全然気が合わないと思うわよ。気質的にも、慣
習・思考・信仰・信念的にも﹂
﹁僕もそう思う。だが、必ずしも相互理解が不可能だとは思わない
し、個人ではまた別の話だろう? 人もエルフも多種多様な個人差
がある。中には、気の合う者もいるだろう。その逆もあるが﹂
﹁⋮⋮そうね﹂
レオナールはそんなことが可能だとは思っていないが、頷いた。
そう信じたいのならば、信じれば良い、自分には関係ないことだと
思うからだ。
︵誰が何をどう思おうと、自由よね︶
1739
それ以前に面倒臭いだからというのもあるが。
﹁それで、︽命の水︾の他に使いたい魔法は?﹂
﹁︽浄化︾かしら。他は別に良いわ﹂
レオナールは必要だと思わないことは、いらないと考える質であ
る。
﹁︽浄化︾はイメージ力が大切だな。詠唱に対象を指定する箇所が
あるから、そこを変更するだけで良いが、どの程度浄化するかはイ
メージ力に掛かっているので、意外と難しい﹂
﹁イメージ力って何?﹂
﹁頭の中で具体的に魔法を使った時の情景を思い浮かべること、で
きればそれを補完する理論や構成も組み立てられた方が、術の発動
や効果が目的に沿うものとなる。まぁ、実際にやってみれば良い。
一度や二度では思い通りに発動させる事は無理だろうが、練習す
れば何とかなるだろう﹂
﹁手取り足取り教えて欲しいとは思わないけど、大雑把ね、それ﹂
﹁弟子にしてやるとまでは言わないがと最初に言っただろう。懇切
丁寧に教えて欲しいのならば、頭を下げて懇願してみてはどうだ?
まぁ、気が向かなければ教える気にはならないが﹂
﹁アランじゃないから、別にそこまでして教えを請いたいとは思わ
ないし、使えないなら使えないでかまわないわ﹂
1740
﹁君はそうだろうな。だが、君はきちんと鍛錬・修練すれば、普通
の魔術師程度には使えるようになると思うぞ。やりようによっては、
そこそこのところまで行くと思うが、やる気がなければ難しいな﹂
﹁別に魔術師や魔法剣士になりたいとは思わないわね﹂
魔法が使えたら便利であるし、戦術の幅も広がるが、それほど魅
力を感じないし、何より詠唱を覚えたり練習するのが面倒だ。
﹁やる気の無い者にやる気を出させる魔法はない。だから、その気
があるなら実演する程度のことはしてやろう。それ以上は面倒見る
気はない。そこまで暇ではないからな﹂
﹁それ、手ほどきって言うの?﹂
﹁普通は言わないだろうな。でも、昔の魔術師は、弟子に技術は盗
めと教えたという。自分で考えて鍛錬しないなら、それまでだ。や
りたい事が山ほどあるのに、子守りや他人の世話をする気はない﹂
﹁まぁ、実際見せて貰えるだけでも有り難いんでしょうね﹂
﹁そうだろう。僕のような高位魔術師がそうそう出歩く事はないか
らな﹂
うんうんと頷くアレクシスに、レオナールが半眼になった。
﹁それはともかく、見るだけでも楽しいの?﹂
アレクシスはルージュが水を飲んだり、干し肉を食べたりする姿
を、面白いものを見つけた子供のように、柵に寄り掛からんばかり
1741
に近寄って注視し、目を離さない。
﹁うん、楽しいな。やはり良いものだ、生きて動いている魔獣の姿
は。ほら、骨や筋肉の動き方が良くわかる﹂
﹁⋮⋮えーっ﹂
それのどこが面白いのか、レオナールには理解できなかった。
1742
31 剣士と魔術師団長の対話︵後書き︶
相変わらずサブタイトルが微妙です。
ネーミング能力皆無なのが悩みの種。
1743
32 剣士は聞こえない振りをする
﹁よし、話し合いを始めようか﹂
そう言って、据わった目付きで唇だけに笑みを浮かべるアランに、
レオナールは首を傾げた。
﹁ねぇ、アラン。これからさっきの、領兵団詰所の話の続きをする
のよね?﹂
﹁ああ、その通りだ。ほら、こっちに来て座れ﹂
﹁なんか嫌な予感がするんだけど﹂
﹁早く部屋の中へ入れ、扉ごしに会話する気か?﹂
アランがにこやかな笑みを浮かべて手招きする。何か腑に落ちな
シェ・レト
ノ・イト・シェス
いものを覚えながら、レオナールが促されるまま部屋の中に入ると、
オ・ディラ
﹁我が命ず、錠を下ろし、かの扉を閉ざせ、︽施錠︾﹂
ボソリと小さな声が聞こえて、扉が施錠された。
﹁っ!﹂
レオナールは慌てて振り返り、扉のノブを回そうとしたが、固定
されて回らない。
1744
﹁ちょっと、アラン! どういうこと!?﹂
﹁よーし、レオ。お前の望み通りじっくりトップリ心行くまで話し
合おう。昨日からずっと我慢してたんだ。説教してやる﹂
﹁ええっ!? 何で!!﹂
﹁それがわかるまで話してやるから感謝しろ﹂
﹁話が違うんだけど!?﹂
﹁そんなことはないぞ、俺は何の話をするとは言わなかっただろう
?﹂
﹁⋮⋮アラン、だましたわね!?﹂
﹁お前の美点は素直なところだよな。欠点も同じだが﹂
﹁卑怯者!﹂
﹁最初から正直に言ったら、絶対逃げるだろ。俺は約束したことは
忘れない限りはきちんと守る点は、お前の良いとこだと思ってるぞ、
レオ。でも、自分に都合悪いとこは何故か良く忘れるよな﹂
﹁済んだことはもう良いじゃない。そうやっていつまでもしつこく
根に持つの、アランの悪い癖よ﹂
﹁お前が忘れっぽくて切り替え早すぎるだけだろう。でも、説教は
かろうじて忘れてない内にやらないと意味がないからな。さすがに
昨日・今日あった出来事を忘れたとは言わせないからな﹂
1745
﹁だから反省はしたって言ってるじゃない﹂
﹁その反省した内容について言ってみろ。俺が反省して欲しいとこ
ろとずれてる気がするからな。まあ、茶くらいは淹れてやる。水や
湯の補充は魔法で出来るから、夕飯までは部屋の外へ出る必要ない
ぞ﹂
﹁えぇーっ﹂
アランは嫌がるレオナールを、椅子に腰掛けさせ、茶を淹れる準
備をする。不満げにテーブルの上に肘をついてそっぽ向くレオナー
ルに、アランは苦笑しながら言った。
﹁まあ、あれだ。時間があれば、お前のしたがってた戦術について
の話も聞いてやる﹂
﹁もう終わったことより、これからの戦闘のやり方について話し合
った方が良いと思うけど?﹂
﹁お前は終わった事は忘れても問題ないと思ってるんだろうが、今
後同じことを繰り返さないとはとても思えないからな。失敗を教訓
にしてその都度、試行錯誤と改善していかないと、いつまでたって
も成長しないだろう?
いつまでもお守りと監視付きでいたくないなら、学習しろ。頭を
使え。じゃなきゃ、俺はお前を信用する気になれない﹂
﹁私を信用できないなら、パーティー解散する?﹂
レオナールは肩をすくめて言った。
1746
﹁俺はお前とパーティー組んでいたいから、問題点を改善して、今
後繰り返さないで欲しい。四六時中俺が庇って面倒見てやれるわけ
じゃないし、できるものならお前の好きにさせてやりたいと思って
いるからな﹂
アランは真顔でキッパリ言った。レオナールは怪訝な顔になる。
﹁ねぇ、アラン。もっとわかりやすく言って﹂
思わずアランの眉間に皺が寄ったが、気を取り直して答えた。
﹁俺はできればお前とずっと一緒にいたいし、やりたいようにやら
せたいと思ってる。でも、今の考えなしのお前に好きにやらせたら、
何をしでかすかわからないから恐い。だから、頼むから協力してく
れ﹂
﹁私に何をやれって言うの?﹂
﹁一言で言うなら、無差別に喧嘩を売るな、だな。嫌なこと我慢し
て、なんでもされがままになれとは言わない。でも、嫌なことは嫌、
とまず言え。暴力振るう前に、言葉を使うようにしろ。
言葉で拒絶しても聞かないやつもいるが、相手がまともなら、そ
れで解決できる。暴力振るうのは最終手段だ。人の最大の武器と道
具は﹃言葉﹄だ。相手が人なら、まず最初に会話しろ﹂
﹁⋮⋮会話って苦手なんだけど﹂
﹁でも、お前、俺相手とか、ある程度親しくなった人とならちゃん
と話せるだろう? どうして、赤の他人だとできないんだ?﹂
1747
﹁だって、何故か向こうが勝手に怒ったり、おかしな事してくるん
だもの。面倒くさいじゃない﹂
﹁お前がそう言う時は、だいたいお前が怒らせたり挑発するような
事言ってるだろ。まぁ、︽草原の疾風︾の連中みたいに、相手に問
題がある場合もあるけど、たいていはお前の言葉の選択や態度が問
題だったり、問答する以前にお前が手を出してるだろ。
お前は魔獣じゃなく人だ。苦手だと思う事こそ、繰り返し何度も
やって、経験と試行錯誤を重ねながらより良い方法を探し、学んで
いかなきゃ、いつまで経っても改善しないだろう?
お前に足りないのは、何故そうなったか、過去の失敗を振り返り、
何をどうすれば良かったのか、何をしてはいけなかったのか、考え
ることだ。反省ってのは、本来そういう事だろう? お前が今回し
た反省って何だ?﹂
﹁うっかり周囲への注意がおろそかになってて、囲まれるまで反応
できなかったこと?﹂
﹁お前は何を反省してるんだ!!﹂
レオナールはしばしアランの説教を食らう事になった。
◇◇◇◇◇
﹁さて、では、本日わかったことを話そう﹂
アレクシスが全員を食堂に集めて言った。ドミニクが肉や野菜と
1748
チーズを挟んだ無発酵パン、ソースをかけた鳥肉のロースト、野菜
スープなどを配膳していく。
﹁鳥系魔獣の肉?﹂
ゲッソリした顔をしていたレオナールが、鳥肉の皿を覗き込んで、
呟いた。
なないろやましぎ
﹁はい。今朝獲れた七色山鴫の肉です﹂
﹁へぇ、それっておいしいの?﹂
ドミニクの言葉に、レオナールが聞き返した。
﹁食べ物の好みは人それぞれですので明言はいたしかねますが、主
を含めて好まれる方が多いかと存じます﹂
﹁ふぅん、そうなの。教えてくれて、ありがとう﹂
レオナールが微笑みながら言うと、アランが眉を上げて驚く。
﹁珍しいな、お前が人に礼を言うなんて﹂
﹁ちょっと、アラン。どういう意味? 私だって、感謝すればお礼
くらい言うわよ﹂
﹁えっ、だって、いつもそんなことしてないだろ。ある程度親しく
なった相手ならともかく﹂
﹁そんなことないわよ。ちゃんと初対面の人にも言ってるわ﹂
1749
レオナールの答えに、アランが信じられないという顔になる。
﹁嘘だ!!﹂
﹁こんなことで嘘なんかつかないわよ。何、ケンカ売ってるの、ア
ラン。売られたなら買うわよ?﹂
笑顔で言うレオナールに、アランはゾッとした顔になって身震い
する。
﹁冗談だろ。体力バカのお前とそんなことしたら、俺が死ぬだろう。
勘弁してくれ﹂
そんな二人のやり取りに苦笑しながら、行儀悪く頬杖をついたア
レクシスが尋ねる。
﹁そろそろ続きを話しても良いだろうか?﹂
﹁あっ、す、すみません、アレクシス様。お話の途中邪魔して申し
訳ありません﹂
﹁敬語や敬称は不要だ。無駄な言葉や言い回しが増えてかえって面
倒だ。
ともかく、わかったことだが、全滅した第五小隊の隊員の一人が
冒険者ギルドに勤めるある職員と懇意にしていたらしく、未発見の
ダンジョンがラーヌ近郊にあるという情報を得たらしい。
その時点では詳細な場所はわからなかったらしいが、ラーヌ所属
の冒険者に依頼して調べさせたようだ﹂
1750
﹁それって冒険者がおれ達を尾行したってことか﹂
ダオルが尋ねると、アレクシスは頷いた。
﹁現時点では裏付けまで取れていないが、おそらくそういうことだ
ろう。騎士に森で隠密行動は難しいからな。
そうでなければ、視覚・聴覚・嗅覚に優れたドラゴンに気付かれ
ずに尾行するのは不可能だ﹂
﹁その、それについては、幼竜に先行させて狼煙で合図して合流し
たのと、森で幼竜が目的地に一直線に駆けたせいで、隠密が得意な
斥候でなくても見てわかるような痕跡があるから、簡単だったと思
います﹂
アランが補足するとアレクシスはほう、と頷いた。
﹁では、小隊にとってもわかりやすかっただろうな﹂
﹁はい。今は、小隊の行軍のおかげで更にわかりやすくなっていま
す。森が切り開かれ、人馬の通った跡と輜重の台車の作ったわだち
が残っていますから、雨が降ってもしばらくは消えないでしょう﹂
﹁ふむ。まぁ、とにかく冒険者が職員に報告して職員が隊員に連絡、
隊員が小隊長に報告して、彼らはそのダンジョンへ向かった。
彼らはその後、連絡や報告することがなく、事前の予定時間まで
に帰還しなかったため、ラーヌ全ての門で検問を強化し、町の内外
に兵を出して調査したところ、東門付近で雑役担当の下働き一名が
発見され、彼らの遺体などが発見された。
未だ行方不明の者が幾人かいるが、他の隊員の状況から生存はほ
ぼ絶望視されている。しかし、行方不明の一人である小隊長が、遠
1751
戚で傍系ではあるが、領主の血縁者だということで、余計な気を回
した現在のラーヌ駐留騎士団の責任者が、責任回避のための生贄を
求めた﹂
﹁それがおれ達というわけか。彼らは、おれ達の素性をわかってい
て、企んだのか?﹂
﹁新任の責任者は、一応部下などから話は聞いていたようだが、君
達が全員平民ということで問題ないと判断したようだな。
ところでダオル、ダニエルと連絡は取れたのか?﹂
﹁ああ。昨夜はアルムレンスに行って、本日こちらへ来るらしい﹂
﹁相変わらず無駄に動き回る男だな、羽もないのに。王都にいない
と思えば、いつの間に。
アルムレンスということは伯に会いに行ったのか?﹂
﹁ちょっと待ってくれ! アルムレンスって領都だよな、領主様が
お住まいの城下町﹂
﹁その通りだ。セヴィルース伯は幼少時から冒険者に興味があるら
しくて、僕は昔、彼にどうしてもと頼まれてダニエルを紹介したこ
とがある。
悪い人ではないが人を見る目がないらしく、何故かダニエルに信
奉に近い憧れを抱いているようだ。何度か忠告はしてみたが、残念
ながら改善できなかったので諦めた﹂
アレクシスはそう言って肩をすくめた。
﹁⋮⋮その、アレクシス様はダニエルさんが嫌いなんですか?﹂
1752
言いづらそうな顔で、ルヴィリアが尋ねた。
﹁別に嫌いではないな。とんでもないバカだとは思っているし、害
になることはあっても、人の利になることは一切しないやつだとは
思っているが、僕に無関係ないところでやる限りは問題ないだろう﹂
アレクシスの返答に、アランが諦念の表情になった。
﹁まぁ、僕がしゃしゃり出た後に、ダニエルと領主が駄目押しして
くれるようだから、今後彼らが君達に手を出すことはないだろう。
ついでに掃除もしてくれるはずだ、主にダニエルが﹂
﹁あの、すみません。それ、ラーヌが隅々まで破壊されたりしない
でしょうか?﹂
アランが嫌そうな顔で言うと、アレクシスがニッコリ笑った。
﹁まぁ、たぶんセヴィルース伯もしくはその意を汲んだ者が来るか
ら、最悪の事態は避けられるだろう、きっと﹂
穏やかな笑みではあるが、胡散臭いことこの上ない笑みだった。
◇◇◇◇◇
ダニエルが騎士と思われる男と共に現れたのは、日暮れ過ぎだっ
た。
1753
﹁よぉ、災難だったな﹂
カカカと声を上げて笑いながら言うと、装備やマントを脱ぐこと
なく、ドッカと居間のソファに腰を下ろした。鎧や剣の重量などで
ギシリときしむが、お構いなしである。
﹁それ、大丈夫か?﹂
アランが眉をひそめて言うと、ダニエルは一瞬とキョトンとした
が、すぐに声を上げて笑う。
﹁ハハッ、大丈夫だ。家具屋に言って一番頑丈なやつを入れて貰っ
たからな。まぁ、さすがに魔法陣や呪術紋章は仕込んでないから、
武器や魔法とかで攻撃したら、壊れるだろうが﹂
﹁そんなことするバカは、おっさんとレオくらいだろ﹂
アランは呆れたように肩をすくめた。
﹁おいおい、いくらなんでもそんなアホなことするわけないだろ!
お前の俺に対する評価、おかしくねぇ? なぁ、アラン﹂
﹁むしろ妥当だと思うが。そんなことよりダニエル、アルムレンス
から直接こっちへ来たのか?﹂
アランに詰め寄ろうとするダニエルに、アレクシスが冷めた表情
で尋ねた。ダニエルはアレクシスを振り返り、ニヤリと笑った。
﹁面倒なことは先に済ませた方が楽だろ。領兵団の詰め所で用事済
ませて来たぞ。今夜はゆっくりするつもりで机仕事も済ませて来た
1754
から、たっぷり飲めるぞ﹂
﹁おい、おっさん! 俺達は付き合うつもりないから、酒を飲む気
なら一人で行けよ﹂
アランが慌てて言うと、ダニエルは目をパチクリさせた。
﹁え、何でだよ。折角お前らも成人したんだ。一緒に飲もうぜ? 前回は飲まなかっただろ﹂
﹁嫌だ。なんであんたみたいに酒癖悪い男と、わざわざ一緒に飲ま
なきゃならないんだ。ただの拷問だろ。動けなくなるまで泥酔する
のも問題だが、絡み癖と抱きつき癖と泣き上戸と破壊癖と女好きを
直してから言えよ。でなきゃ、飲む量減らすか断酒しろ。人迷惑だ﹂
アランがダニエルをギロリと睨み付けた。アレクシスが頷く。
﹁まったくだな。彼の方がよくわかっている。人に迷惑をかける酒
の飲み方をするやつは、一人で自己責任で飲め。︽解毒︾で酔いを
覚ますことは可能だが、お前の場合無意味だからな。
酒を飲む資格があるのは、自分の酒量を知り、他人に迷惑かける
ことなく酔いを楽しみ、例え酔っても分別を失わない者だけだ。貴
様は酒を飲む資格がない﹂
﹁言われてるわね、師匠﹂
ニッコリ微笑みながら言うレオナールに、ダニエルが大仰に顔を
しかめた。
﹁え∼、なんかお前ら酷くねぇ? 俺がいったい何したってんだよ﹂
1755
﹁毎回色々やらかしてるでしょ?﹂
不満そうなダニエルに、レオナールが言う。アランが渋面で溜息
をついた。
﹁お前も人のこと言えないだろうが﹂
ボソリと低く呟いたアランの声は、室内の全員の耳に届いたが、
レオナールは聞こえなかった振りをした。
1756
32 剣士は聞こえない振りをする︵後書き︶
ものすごく更新遅くなりました。すみません。
クレープと書くか、無発酵パンとするか悩んだ挙げ句、無発酵パン
にしました︵ものすごいアホな悩み方ですが︶。
舞台背景的に卵やバターは使えないだろうという事で避けている&
なるべく固有名詞以外の表記をカタカナにしないようにしているの
ですが、悩ましいです。
今話では使わず削除しましたが、フットワークなどの言い換えをど
うするか毎回悩みます。使うことになったら﹁機敏﹂か﹁身軽﹂と
表現する予定ですが。
以下修正。
×過去に失敗を
○過去の失敗を
×チーズの無発酵パン
○チーズを挟んだ無発酵パン
×セルヴィース伯
○セヴィルース伯
×僕に無関係なところで
○僕に無関係ないところで
×男と現れたのは
○男と共に現れたのは
1757
33 魔術師は悪気がない
﹁とりあえずセヴィルース伯のところへ言って話してから、白虎騎
士団の団長と騎士団員連れて来た。えっと、ここにいるのがその騎
士団員の一人で監視役だ﹂
ダニエルがニッカと笑って言った。
﹁おっさん、また何かやらかしたのか?﹂
﹁日頃の行いが悪いからじゃないの?﹂
アランがダニエルを胡乱げな目付きで見ながら、レオナールが髪
を掻き上げながら言うと、ダニエルは大仰に肩をすくめた。
﹁おいおい、違うからな。今回は転移陣を使ったからだ。都市間の
転移陣は許可を得て使用する場合でも一応監視役がつくんだ。万一
の事故が起こった場合に備えてな﹂
﹁そうなのか?﹂
アランがダオルに尋ねた。
﹁王都からなら王都兵団の兵士が、領都からならば領兵団の兵士が
つくことはある。が、通常は転移陣の管理施設内までだ。町の中ま
で付いて来ることはまずない﹂
ダオルが答えた。
1758
﹁転移陣の利用許可が下りるのは大抵貴族か有力な商人など、平民
でもごく一部の者だけだ。ダニエルは現国王にいつでも好きな時に
使用して良いという免状を賜っているが、なにせ普段の行状が行状
だからな﹂
補足するようにアレクシスが言った。
﹁おっさんの場合、一人だと何処で何するかわからない危うさがあ
るのは確かだが、下手に腕のある同行者がいる方が危ないんじゃな
いか?
ほら、気まぐれに不意討ちで斬りつけたり﹂
アランが言うと、ダニエルはやれやれとばかりに首を左右に振っ
た。
﹁お∼い、アラン。俺、そこまでバカじゃねぇぞ。確かに戦闘や斬
り合いは好きだが、無闇矢鱈に時や場所構わずに仕掛けたりしねぇ
からな。あと相手は選ぶ。
明らかに格下相手に斬り合い仕掛けたら、ただのいじめか嫌がら
せだろ﹂
﹁へぇ∼、そうなんだ∼。知らなかったわ∼﹂
棒読みでルヴィリアが言って、横目でレオナールをちらりと見た
が、レオナールは反応せずにダニエルに話し掛ける。
﹁そんなことより師匠、この前来たばかりなのにどうして来たの?
わざわざ転移陣まで使って。
何か急な用でもあったわけ? まさか仕事サボって息抜きに来た
とか、酒を飲みに来たとか言わないわよね?﹂
1759
レオナールが首を傾げて尋ねると、ダニエルは大袈裟に天を仰ぎ、
嘆くように首を振った。
﹁ああ! 可愛い弟子とその友人の危機と聞いて、慌てて駆け付け
た才色兼備な完璧師匠にこの言い種!
助力を感謝してくれとまでは言わないが、来たのが迷惑と言わん
ばかり。何故なんだ!﹂
﹁だから、日頃の行いが悪いからだろ﹂
嘆く真似をするダニエルに、アランがボソリと低い声で言った。
音量は小さいが明瞭な発音なので、室内にいる全員に聞こえた。
﹁おかしいな、俺、そんなひどいことしてないだろ。世界に二人と
いない心優しい超カッコイイ素敵師匠だろ?﹂
﹁おっさんとそれ以外の人の優しさの基準や定義には、大きな差異
がありそうだな﹂
﹁ほら、師匠って色々規格外でズレてるから﹂
肩をすくめて言うレオナールに、﹁お前が言うな﹂という視線が
集まったのは言うまでもない。夕飯は外へ食べに行き、戻ったとこ
ろでそれぞれの部屋へ解散となったが、
﹁ああ、悪ぃ、アラン。お前に渡す物があるんだ、ちょっと来てく
れ﹂
ダニエルがアランを呼び止めた。不審げにダニエルを見たアラン
1760
に、ダニエルは苦笑した。
﹁いや、晩酌に付き合えって意味じゃねぇから安心しろ﹂
﹁当たり前だ﹂
アランは半眼で答えた。レオナールが不思議そうな顔で見ている
のに気付いたダニエルが、その頭をワシワシと乱暴に撫でた。
﹁ちょっとやめてよ!﹂
﹁悪ぃ、急ぎでお前用の土産は持って来るの忘れたから、また今度
な! 小遣いのが良ければ明日の朝にでも用意するが﹂
嫌そうにダニエルの手を振り払い、手ぐしで髪を整えるレオナー
ルに、ダニエルがニヤニヤ笑いながら言った。
﹁いらないわよ、別に。お金はいくらあっても問題ないから、くれ
るって言うなら貰うけど﹂
素っ気なく言うレオナールに、ダニエルは幼子を見るような目で
嬉しそうに笑み崩れる。
﹁ハハッ、素直に欲しいって言えよ、レオ。大金貨3枚くらいで良
いか? それとも白金貨の方が良い?﹂
﹁白金貨なんて、貰ってもつかいみちないから困るでしょ。大金貨
なら、かろうじて武具屋で使えそうだけど。前から思ってたけど、
金銭感覚おかしいわよ、師匠﹂
1761
﹁まぁ、破損や損傷がなくても装備には恒常的に金が掛かるからな。
今は使わないなら、ギルドにでも預けておけ。少なくとも盗難は防
げるからな。
あ、預けるならラーヌじゃなくてロランにしておけ。普段利用す
る支部じゃないと面倒だからな﹂
﹁わかったわ。じゃあ、私、疲れたから今日は早めに寝るわ﹂
﹁どうせ明日は早朝から出るつもりだろ﹂
溜息をつきながら言うレオナールに、アランが肩をすくめながら
確認する。
﹁当然でしょ。しばらく狩りに行ってないから、いつもより遅くな
るかも。朝食に間に合わなかったら、先に食べてて良いから﹂
﹁了解。程々にしておけよ﹂
半ば呆れたような顔で言うアランに、レオナールは微笑みながら
答える。
﹁ルージュの腹具合と、明日の調子によるわね。鈍ってるようなら
勘を取り戻したいし﹂
﹁あ∼、悪ぃ、レオ。それ、俺、付き合えねぇわ﹂
ダニエルがすまなさげに髪を掻き上げながら言うと、レオナール
は肩をすくめた。
﹁別に師匠は来なくて良いわよ? 監視付きじゃ着いて来られる方
1762
が面倒じゃない﹂
﹁そうか。その内に暇見て、鍛錬付き合ってやるから、今回は勘弁
な﹂
﹁ええ、面倒な付属がいない身軽な時にお願いするわ﹂
﹁おう、おやすみ、レオ﹂
﹁おやすみなさい、師匠、アラン﹂
挨拶を交わし別れて、アランはダニエルにあてがわれた部屋へと
向かった。
◇◇◇◇◇
﹁で、いったい何をたくらんでる? どうせ建前以外の用があるん
だろ、おっさん﹂
アランはダニエルと二人きりになったところで口を開いた。監視
役は隣室である。
﹁おいおい、何だよ、その言い種。たくらむとか人聞き悪いぞ﹂
ダニエルが大仰に肩をすくめながら言うと、アランが白けたよう
な顔になった。
﹁俺を一人残したってとこがアレだろ、レオに隠し事があるんだろ。
1763
無駄口叩く暇があったら、さっさと用件言えよ﹂
﹁⋮⋮はぁ、アラン坊やはどうしてこんな可愛くない子になっちゃ
ったんだろうねぇ。ま、そっちのが楽と言えば楽だけどな﹂
ダニエルはやれやれと言いたげに首を振った。アランはそんなダ
ニエルをジロリと睨む。
﹁早く本題に入れ﹂
﹁つれねぇなぁ、様式美ってやつだろ。まっ、いっか。んじゃまぁ、
ぶっちゃけるけど、ルヴィリアの顔と髪って他で見た記憶ねぇか?﹂
ダニエルの言葉に、アランは首を傾げた。
﹁銀髪? ⋮⋮おっさんと俺が知ってるって言えば、アレクシスさ
んとかか?
でも明らかにあの二人は血縁関係なさそうだよな。髪の色は微妙
に違うし、どう見ても別人種の顔立ちだし﹂
﹁よく似た小柄で童顔な顔だよ。ラーヌ近郊で見ただろ、チラッと
だが﹂
ダニエルの言葉に、アランはハッと息を呑んだ。
﹁⋮⋮まさか、あの暗殺者か!?﹂
﹁ご名答。あれがあいつの兄だ。というわけでそっちは保護という
名目でこき使う事にした。有能な間諜と斥候・偵察役が欲しかった
んだ。
1764
素の容姿はちょいと目立ちすぎて使いづらいが、前職柄忍び込ん
だり、人目を避けて行動するのも得意だからな。
で、あいつが所属していた組織は一応潰したが、もしかすると残
党がそっちへ行くかもしれないから警告に来た﹂
﹁はぁ!? なんだそりゃ!!﹂
アランは思わず激昂した。
﹁つうと何か!? おっさんの不始末の尻拭いしろってことかよ!
!﹂
﹁一応通達は回してるし、生死不問で手配も掛けてるが、何せアレ
の同僚だからな。すぐ捕まえられるようなやつなら、最初から取り
逃がしたりしないわけだ。
レオに知れたら問題外だが、ルヴィリアもちょいと確執っていう
か揉め事があって、怨恨とか憎悪みたいな感情があるみたいだから、
直接知らせるわけに行かないんだよ。ほら、あいつ、人のいうこと
素直に聞くタイプじゃねぇだろ?
ってことでしばらくダオルを用心棒代わりにお前らに同行させる。
お前もなるべく気を配っておいてくれ﹂
﹁ちっ、で、俺に何しろって言うんだ。言っておくが、魔法や魔術
に関すること以外は、戦闘含めて不得手だぞ。暗殺者なんかに襲撃
されても対処できないぞ﹂
アランは嫌そうな顔で溜息をついた。
﹁気休め程度にしかならないかもしれないが、これを渡しておく﹂
1765
ダニエルは胸元から、小さな革袋を取り出し、テーブルの上に置
いた。アランは警戒しつつもそれを受け取り、中を覗くと、黄色い
魔石のついたピアスが一つ入っていた。
﹁何だ? ⋮⋮魔道具か?﹂
﹁ああ、︽遠話︾ができる遺跡発掘品だ。何らかの妨害とかがなけ
れば、国内なら何処でも俺に繋がる。
ロランは無理だが、主要都市には俺達が随時使用可能な転移陣を
設置していくから、何処にいてもすぐ駆け付けられるようにする予
定だ。
今回、ラーヌに設置したから、ロランなら走って二刻ちょっとで
たぶん行ける﹂
﹁馬車より速いとか、本当おっさんは人外だな﹂
アランが呆れたように言うと、ダニエルが自慢げに胸を張る。
﹁そりゃ、当然だろ。馬は休息が必要だし、常に最速を維持できな
い。よほど体力と根性がないと俺の真似は無理だろう。
俺と同じように走れる化け物馬がいたら別だが、たぶんA級以上
の魔獣じゃないといないだろうな﹂
﹁なぁ、おっさん、駄目元で聞くけど、この魔道具もう一組手に入
らないか?﹂
﹁うん? 手持ちはないが、そう珍しい物でもないから、一年くら
い待っても良いなら入手できないこともないと思うが、そこそこす
るぞ。何に使うんだ?﹂
1766
﹁そんなの決まってんだろ。レオと俺で使いたいんだ。あいつ、戦
闘時の突進癖も問題だが、時折あり得ない失敗やらかすからな。は
ぐれたりした時用に、連絡手段が欲しい﹂
﹁⋮⋮気持ちはわからなくもないが、あいつが魔道具の使い方覚え
られるか? 仮に覚えたとしても、いざって時に使わないんじゃ、
どんな便利な道具も宝の持ち腐れだと思うが﹂
﹁呼び出し専用になることはわかっているし、あいつに都合が悪け
りゃ反応しない可能性が高いけど、無いよりは確実にマシだろ。
できればこっちであいつのいる位置が把握できる機能が付いてた
らなお有り難いが、遺跡発掘品ってことは、それは期待できないだ
ろ﹂
﹁小型化するのはキツイだろうが、お前なら頑張れば自力で作れる
んじゃないか?﹂
﹁魔力消費量と大きさを度外視すればできなくもないかもしれない
が、それだと本当に作って持たせても無駄な代物しか出来ないだろ。
バカにも簡単に使えないと意味が無い﹂
﹁⋮⋮お前、本当、容赦ねぇな﹂
ダニエルは呆れたように言った。
﹁何がだよ? 当たり前のことしか言ってねぇぞ。魔力を通せば誰
でも使える魔法陣だって、適切に使えないバカ相手じゃ危険な代物
だろ﹂
アランは前日のことを思い出して、苦虫を噛み潰したような顔に
1767
なった。
﹁何かあったのか?﹂
﹁あのバカ、勝手に一人で突っ走って、魔法陣を壊そうとして誤っ
て起動させて転移したんだ。しかも、︽混沌神の信奉者︾の拠点に
な。
幼竜も後を追ったから、正確には一人ってわけじゃないが、いく
ら賢くても魔獣じゃ、いざって時にはヤバイだろ。まったく心臓に
悪い。ダオルが一緒じゃなけりゃ泣いてたかもな﹂
﹁お前なら本当に泣きそうだな﹂
﹁いや、それくらいで本気で泣かないからな!? 比喩だよ、比喩
!! どんだけ涙腺ゆるいと思ってんだ! もう子供じゃないんだ
ぞ!!﹂
﹁でも、お前はレオに何かあったら絶対泣くだろ?﹂
﹁程度によるだろ。それにレオじゃなくても、流血沙汰や状態の悪
すぎる死体は苦手だ。でも仕方ないだろ、慣れてないんだから﹂
﹁そうだな、でも、いい加減慣れた方が良いだろ。冒険者になった
んだから﹂
﹁大量の血が流れなきゃ大丈夫だ。少しはマシになった﹂
﹁人の臓器は見ても平気になったか?﹂
﹁⋮⋮そんなもん冒険者でもそうそう見る機会ねぇよ﹂
1768
アランが不機嫌そうにぼやいた。ダニエルは肩をすくめた。
﹁まあ、おいおい慣れていけば良いか。とりあえず︽遠話︾の魔道
具はピアス型じゃなくても使いやすければ良いんだよな?﹂
﹁ああ、機能と利便性に問題がなければ良い。レオにも使える物な
ら大丈夫だ﹂
﹁⋮⋮それ、悪気なく言ってるあたり、お前はすごいよな﹂
溜息をつきながら言うダニエルの言葉に、アランは怪訝な顔にな
った。
﹁どういう意味だよ﹂
﹁俺は嫌いじゃないが、色々大変だろうなと思って。まぁ、それは
ともかく、何か困った事があれば、俺を呼べ。
他に何か面倒事が起こってなきゃ、一日かからずに駆け付けてや
るし、口頭で済む話ならいつでもすぐ話せるから。頼りになるだろ
?﹂
﹁まぁ、荒事とかに関しては最強だよな。わかった。おっさんと緊
急に連絡取りたい時は利用する。おっさんに使えるなら消費魔力量
とかそんなに無いんだろ?﹂
﹁遺跡発掘品だからな。そのローブと同じで︽遠話︾発動中は自然
魔力を利用するから、発動時にちょっと使うくらいだ。薪に火を付
ける時に使う︽発火︾くらいの消費量だな﹂
1769
﹁有り難う。やっぱりこれ、高いのか?﹂
﹁そんなに高くはねぇよ、白金貨2∼3枚ってとこだな﹂
﹁それ、ものすごく高いだろ。そんなもん一般市民には買えないだ
ろう﹂
﹁大丈夫だ。ちょっと稼げるBランク冒険者ならオークションとか
で十分買える金額だろ?﹂
﹁自分の言葉に疑問持たないのか、それ。普通のやつは買えないっ
て言ってるのと同義なんだが﹂
アランが呆れたように睨むと、ダニエルは肩をすくめた。
﹁お前らなら頑張れば五年以内にBランクになれるだろ? 低ラン
クの内は、討伐依頼ばかり受ける事になるだろうが﹂
﹁俺は討伐依頼は最小限にしか受けるつもりないから、それは無理
だな﹂
﹁何故だ? 討伐依頼のが楽に稼げるだろ?﹂
パーティー
﹁それは人によると思うが⋮⋮特攻癖のある相方しか仲間にいない
内は、討伐依頼はあまり受けたくない。レオの場合、討伐依頼なん
か受けなくても自発的に狩りに行くしな。
常時依頼で処理することもなくは無いが、今はあの幼竜の餌が大
量にいるから、たぶんいちいち討伐証明部位を取ってないだろ。
他に近接職の仲間が入るか、レオが周囲を見て戦闘してくれるよ
うになるまでは、どうしても必要な場合や強制依頼以外は受けるつ
1770
もりはない﹂
﹁あ∼、つまりあれか。レオに怪我させたくないってわけか﹂
﹁それ以上に俺が死にたくないからな。あの幼竜も戦闘の仕方はレ
オと大差ないし、安心できない。魔法や魔術は絶対に詠唱が必要だ
から、集中できないと発動できないし、俺は魔術以外の攻撃手段を
持ってないからな﹂
﹁自衛程度で良いから、短剣や杖で近接戦闘できるように鍛えたら
どうだ?﹂
﹁冗談だろ。おっさんもレオも、どうしてそういう発想になるんだ
よ。それが出来るようなら、言われずともやるに決まってんだろ。
⋮⋮俺の体力のなさをなめるな。どう考えても自殺行為だろ﹂
アランの言葉に、ダニエルはうわぁという顔になった。
1771
33 魔術師は悪気がない︵後書き︶
体調不良や家業その他で、ものすごく更新遅くなりました。
地の文が少なすぎる&おかしな表現があったため、加筆修正しまし
た。
以下修正︵加筆分は略︶。
×ついてくる
○付いて来る
×使い途
○つかいみち︵レオナールの台詞なので漢字↓ひらがなに変更︶
×結構高い
○そこそこする
×できない事もないかもしれないが
○できなくもないかもしれないが
×魔力を通せば誰でも魔法陣だって
○魔力を通せば誰でも使える魔法陣だって、
×適切に使えないなら、バカ相手じゃ
○適切に使えないバカ相手じゃ
×臓器は見ても
1772
○人の臓器は見ても
×近接戦闘できるよう鍛えたら
○近接戦闘できるように鍛えたら
1773
34 愚痴を吐く魔術師と反省する師匠︵前書き︶
前半と後半で視点変更あり。
1774
34 愚痴を吐く魔術師と反省する師匠
白金貨1枚は大金貨100枚、金貨200枚、小金貨1千枚であ
り、銀貨4千枚分││平均的な庶民の家族四人の食費約二年半分│
│である。ちなみに、銀貨1枚は小銀貨10枚、大銅貨100枚、
銅貨1万枚、小銅貨10万枚になる。
一般的な平民向けの宿屋の一泊分の宿泊料が大銅貨5∼8枚で、
同じく一食分の食事代が大銅貨1∼2枚くらいである。
大半の庶民は金貨を手に取る事は生涯通してほとんどないが、武
器・防具は新品を購入すると、安いものでも金貨数枚はかかるため、
新人冒険者の大半はお下がりまたは中古品、あるいは最小限の装備
で活動している。
とはいえ、金がないからと防具も着けずに魔獣討伐などに出掛け
れば、命がいくつあっても足りないため、見習い制度がある。
この見習い登録は、師事する者や推薦者がいる者は、ランクC以
上の冒険者もしくはそれに該当する能力を持つ戦闘職の実績がある
者の付き添いで登録することで、未成年でもその監視下で活動がで
きるという制度である。年齢制限は特にないが、慣習的に13歳以
上で武器または魔術などが使える者である事が望ましいとされてい
る。
二年ちょっと前、︽混沌神の信奉者︾によるウル村の生贄事件の
後、レオナールの体力回復を待って、彼らはロランへ出て来た。以
来、成人までの約一年半、ダニエルの管理下で見習い登録をして活
動していたのだが、
﹁ところでアラン、正式登録からもうすぐ三ヶ月になるが、あれか
ら調子はどうだ?﹂
1775
﹁⋮⋮気になるか?﹂
明るい声でニヤニヤ笑いながら尋ねるダニエルに、アランは嫌そ
うな顔で言った。
﹁うっかり忘れてたコボルトは前回済ませたし、新人冒険者に教え
なきゃならない事は一通り教えたつもりだが、もしかしたら他に忘
れた事があるなら、ダオルに頼んでおくぞ?﹂
﹁おっさんが見習い期間があと半月残ってる状態で、俺達を放り出
してロランを出たから、レオの誕生日前々日まで、近くの森で野営
する羽目になったぞ﹂
半眼で言うアランに、ダニエルが首を傾げた。
﹁うん? 財布は渡したよな?﹂
﹁銀貨5枚と銅貨40枚入りのやつ、な。ロラン最安値の一泊料金
が素泊まり・大部屋雑魚寝・寝具自前・洗顔用の水付きで一人につ
き大銅貨2枚、個室・朝食事付きで一番安いのが大銅貨5枚だ。
俺だけならともかくレオが大部屋なんぞに泊まれる筈がないから、
個室に泊まるとして、19泊すると大銅貨190枚、つまり銀貨2
枚分の金が飛ぶ﹂
﹁おい、いったい何の話だ?﹂
きょとんとした顔になるダニエルを無視して、アランは続けた。
﹁正式登録するために支払う保証金が二人分で銀貨2枚だ。平民1
1776
人1食分がだいたい大銅貨3枚くらいで、宿で朝食が出るから夕食
だけ食べると大銅貨114枚、つまり銀貨1枚と大銅貨14枚って
わけだ。先の宿泊料と合わせたとしても、銀貨2枚と大銅貨4枚は
かかるってこと。
俺の言いたい事がわかるか、なぁ、おっさん﹂
﹁俺、計算苦手だから暗算できないけど、アランが正しいなら、つ
まりちょっとだけ足りないってことか? でもお前らならそこそこ
稼げただろ?﹂
﹁おっさん、見習いは推薦者の監視・同伴がなければ、そもそも依
頼が受けられないのを忘れてないか?﹂
アランがジトリとした目で真顔で言うと、ダニエルはポンと手を
打った。
﹁あ∼っ、そう言えばそうだったな、忘れてた。悪ぃ、悪ぃ、うっ
かりしてた。すまん﹂
手をヒラヒラと振って謝るが、軽い。心底悪いことをしたとは絶
対に思ってない顔である。アランは深々と溜息をついた。
﹁おっさんがいる時から、冬以外は野宿というか野営が多かったし、
おっさんが出る直前まで野営してたから、その点はあまり問題なか
ったと言えば問題なかったが、どう考えても宿には泊まれないし、
外食も気軽にできる金額じゃなかったから、野営以外の選択肢がな
かった。
薬草を調合して薬屋に売って小金を作ったり、森で仕留めた獲物
を捌いて食ったりしたが、レオが空気読まずにやたら食うから、か
なり心臓に悪かった。
1777
財布見せて説教したら、珍しくちゃんと反省してくれたが、本当
心許なかったし。正式登録した後のことも考えると、常に財布に最
低銀貨1枚くらいは残しておきたかったからな﹂
﹁ふ∼ん、じゃあ、登録後はガンガン依頼受けまくったのか?﹂
﹁本当に聞きたいか?﹂
アランの目が光を失い、空をさまよい始めるのを見て、ダニエル
は目をパチクリとまたたいた。
﹁うん? どうした、アラン。なんか顔色悪いぞ。体調悪いのか?﹂
﹁体調はすこぶる良いよ、嫌な事を思い出さなければ、な﹂
﹁どういう意味だ?﹂
不思議そうな顔になるダニエルに、アランは憂鬱な顔で更に溜息
をついた。
﹁⋮⋮まぁ、おっさんに空気読めとか無理なこと期待しちゃ駄目だ
よな。初依頼は騒ぐレオを何とかなだめて、平原で穴兎の毛皮と肉
の納品にしたよ。さすがに疲労も溜まってたしな。
しばらくは穴兎狩りつつ薬草採取して、宿屋で外傷用の軟膏作っ
て薬屋に売って、たまに森で角兎狩って納品してたんだが﹂
そうボソリと言った後、アランの目の焦点が合わなくなった。
﹁おい、アラン?﹂
1778
﹁町で滞在中に、買い出しや納品するのに別行動すると、その度に
レオのやつが問題起こすんだ。ロランじゃもうすっかりレオは有名
人だよ、おかげで今は週に数回しか絡まれなくなったし!
町の中にいる時より野営してる時のが精神的には楽だとか、絶対
おかしいよな!? なんか間違ってるよな!? いい加減慣れてき
たけど、正直こんな事に慣れたくなかった!!
無駄に愛想笑いとか言い訳とか、謝罪とか、相手を煙に巻いて誤
魔化すための屁理屈とか、方便とかお世辞とか、詐欺まがいのやり
口とか! 故郷の家族には絶対口が裂けても言えないけど、色々智
恵を絞って表情筋動かして、報酬も見返りもないのに、冷や汗かき
ながら頑張ったよ!!﹂
目の前にいるのに視線の合わないアランに、ダニエルは背中に冷
や汗が吹き出すのを感じて、ゾクリと身を震わせた。
﹁⋮⋮あ∼、これ、似たようなの、どっかで見たことある⋮⋮﹂
ボソリと呟くダニエルの声が聞こえないのか、アランはあらぬ方
を見つめながら、口走る。
﹁おっさんにギルドマスターとか紹介されたけど、全っ然っ、信頼
できて当てになる大人がいないもんだから、試行錯誤しながら、ど
うにかレオを飼い慣らそうと、いや、少なくともヤバイ方へ向かわ
ないように、飴と鞭を使い分けて、何とか操縦しようとしたさ!
あの野郎、なだめても叱っても、次から次へと問題・乱闘起こし
やがって! 傷害だけならともかく、物損とか弁償とか、身に覚え
のない酒代とか飲食代とか!!
くっそ、思い出したら腹が立ってきた!! 稼いだ端からあいつ
の尻拭いで金が消えるから、何度も懇切丁寧に教えてやったよ! 1779
当然だろ!!
なのに、あいつ、今度は喧嘩吹っ掛けて来る相手から金を脅し取
るようになりやがって!! 今は言わなくても相手の方から差し出
してくるらしいけど、一時はロラン町内の皆さんの視線が痛かった
よ!
俺は無実だ! パーティーリーダーとして監督責任を問われるの
は仕方ない!! でも、あいつの所業は俺が指示してるわけじゃな
い! やめろと言っても一晩寝たら忘れてるんだ! 頼むからそん
な目で見ないでくれ!! 同類扱いしないで欲しいのに!!﹂
フルフルと震えるアランを見ながら、ダニエルが溜息をついた。
﹁⋮⋮うん、その、途中で放り出して、悪かったな。辛かったんだ
な、アラン﹂
ダニエルは、テーブルに伏したアランの後頭部をそっと優しく撫
でた。アランは小刻みに震えながら、何かボソボソ呟き続けている
が、大半は意味不明である。
酔ってはいない筈だが、アランとしては珍しい言動である。興味
のある事に没頭・集中した時の姿も奇行と言えなくもないが、弱音
や愚痴を高々と言いつのるのは、あまり無い。
﹁⋮⋮鬱憤とか色々溜まってそうだな⋮⋮﹂
アランをなだめるように撫でながら、ダニエルは眉間に皺を寄せ
た。
︵そういえば、レオはともかくアランはそんなに精神力が強いって
わけじゃないもんなぁ⋮⋮︶
1780
年齢の割にはしっかりしているように見えるから油断していた、
とダニエルは反省した。
◇◇◇◇◇
翌朝。レオナールはいつも通り日が昇る前に起床し、身支度した。
自分一人の個室だと、同室者を気に掛けなくて良い分楽だと思う。
レオナールは気遣いや配慮というものが苦手ではあるが、寝てい
る時の物音や声ほど不快なものはないと知っているため、壁が薄い
宿屋や二人部屋などでは、なるべく音を立てないよう気を付けてい
る。
︵特に金属音って、響くのよね︶
ハーフプレートアーマー
同室者がいない時も、胸部板金鎧を装備する際は勿論、剣帯を肩
に通す時、愛用のダガーを腰から吊す時など、なるべく音を立てな
いよう気を付けている。
しかし、今朝のように気持ちがはやっている時は、つい物音を立
ててしまうことがある。ブーツも気を付けないと音を立てる事があ
る。
︵狩りの時は、特に気を付けないとね︶
野生の獣や魔獣はちょっとした音や臭いなどに敏感だ。髪や体は
もちろん、胸部板金鎧や膝上丈の革のブーツは、毎回きちんと手入
れしないと、汚れや傷などの状態もさることながら、臭いがものす
ごいことになる。
レオナール本人はまだ未経験だが、冒険者の中にはとんでもない
1781
悪臭を周囲に振りまいている者もいるのだ。人間よりは臭いに敏感
なレオナールとしては、絶対にああはなりたくないと思う。
︵あんな臭いさせてたら、獲物が逃げちゃうじゃない。最低限の自
己管理もできないとか、無能なのを喧伝してるようなものなのにね。
うっかり臭いが移ったらと思うと、存在するだけで吐き気がするわ︶
アレクシスのおかげで、︽浄化︾の詠唱・発音はわかった。練習
はしていないが、狩りの最中や帰りにでも試してみようと思い、微
笑んだ。
︵使えなかったとしても、その時はその時よね︶
自分で使えないなら、アレクシスかアランにでも頼めば良い。お
そらく二人とも、他に作業中でなければ快く詠唱・発動してくれる
だろう。
︵自分で使えたら、好きな時に使えるから手っ取り早くて楽だけど、
使える人がいるなら、別にできなくても良いわね︶
レオナールにとっては、剣を振ることと斬ること以外は、どうで
も良い。呼吸や飲食すること、肉を食べることですら、そのために
重要だという以外の意味はない。
好きなことを、好きなように、好きな時に出来る、ということが、
とても嬉しく、楽しいと思う。
︵飲食も排泄も睡眠もなしに剣を振り続けられたら、もっと楽しい
のに︶
アランが聞いたら嘆きそうなことを考えて、笑み崩れた。
1782
34 愚痴を吐く魔術師と反省する師匠︵後書き︶
一話の中であまり視点変更したくないけど、視点変更することにな
りました。
レオナールが相変わらずアレです︵汗︶。
以下修正。
×もうすぐ四ヶ月になるが
○もうすぐ三ヶ月になるが
1783
35 不穏の影
アランがいつも通りの時間に起床し、身支度を整え部屋を出て階
下へ降りると、アレクシスの従者ドミニクが朝食の支度をしている
最中だった。
﹁何か手伝いますか?﹂
アランが声を掛けると、ドミニクが手を止め振り返ると、会釈す
る。
﹁これはアラン様、おはようございます。いえ、結構です。どうか
おくつろぎになって下さいませ﹂
見ると既にパンは焼き上がり、スープを煮込み始めたところのよ
うである。となると、水汲みなども既に済ませているだろう。
︵普段自分がしている仕事が、目覚めた頃には既に終わってるとか、
楽ではあるけど妙な気分だな。しかもライ麦パンじゃなくて小麦粉
パンか。さすが貴族様だ。
スープも俺の作るのとは雲泥だな。材料はさほど変わらないはず
なんだが。ああ、でも質と値段が全く違うか。加えて手間も違う、
ってことかな。俺は庶民料理しか作れないし︶
どうやらスープは何度も麻布で漉し、アクをこまめに取り除き、
沸騰させないように弱い火で煮込んで、濁らないように丁寧に作っ
ているようである。
1784
︵うっわ、何この透明度! ものすごい丁寧だな。さすがに俺はこ
こまで手をかけられないぞ。いったい何時頃起きたんだろう︶
﹁何か不手際がございましたでしょうか?﹂
﹁いや、すごいなと思って! 同じ事やれって言われても、俺には
無理そうだし、やっぱり本職の方はすごいですね﹂
﹁⋮⋮食事の支度は本来わたくしの本業ではないのですが、アレク
シス様は大勢の随員を連れ歩くのを厭われますので。必要とされた
結果、でしょうか。本職の方と比べれば、わたくしなどまだまだで
ございます。
粗末なわたくしの技量をお褒め下さり、誠に有り難うございます﹂
﹁あの、ドミニクさん、俺は平民なので敬語は結構です。何かお手
伝いできればと思いまったんですが、食器を用意したり、配膳のお
手伝いをしましょうか?﹂
アランの言葉にドミニクは微笑み、頷いた。
﹁本来ならばお断りするべきなのでしょうが、お願いしてもよろし
いでしょうか﹂
﹁はい﹂
アランはホッとしながら笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇
1785
手加減など考えず、ひたすら無心で剣を振るうのは、とても楽し
い。傍らの幼竜が時折邪魔な木を薙ぎ倒し、短い前足の爪や長い尻
尾で獲物を薙ぎ倒したり、突進して跳ね飛ばすのを横目に、レオナ
ールは踊るように森を駆ける。
森鹿の群れを挟み撃ちするように回り込み、襲撃を掛けたところ、
面白いくらいに逃げ惑い混乱するのを屠る。幼竜と合わせて6頭を
倒したところで、動きを止めた。
﹁きゅきゅう?﹂
﹁食べても良いわよ﹂
﹁きゅきゅきゅう?﹂
本当に?と確認するように首を傾げる幼竜に、レオナールは苦笑
した。
﹁大丈夫よ、私が警戒してるから﹂
︵⋮⋮念のため森の奥まで引っ張ってみたけど着いてきたってこと
は、やっぱり私達がねらいってことよねぇ? の割には殺気とかは
感じないし、近付いても来ないんだけど。いったい何なのかしら︶
汗をかいたために、髪が張り付くのを厭って、掻き上げる。
︵本当言うと斬りたいけど、あれ、近付いたらやっぱり逃げるかし
ら? それより、攻撃してこない人間相手には剣を抜いちゃいけな
いんだっけ。つきまとわれるのは面倒だから斬りたいんだけど、ア
ランに怒られたり凹まれるのは困るのよねぇ︶
1786
アランに怒ったり説教される分には良いのだが、凹んだり嘆かれ
たりするのが困る。わざと広範囲に追い散らしたのは、追ってくる
人物の出方を見るためでもあったのだが、
︵すごい跳躍力ねぇ。一跳びで木の上に移動するとか、獣人かしら。
人間でも鍛えたらできるかもしれないけど、でも、あれ、師匠でも
無理よねぇ。
あぁ、でも、それ以前に師匠の場合、体重が問題になるかしら。
力任せに跳躍しても、枝の方が耐えきれなくて折れるわよね。体格
から見て子供か女ってとこかしら︶
普通の人間であれば見えない、なかなか気付きにくい距離だが、
レオナールも幼竜も、目も耳も鼻も良い。
︵となると、ルージュのことも、私がハーフエルフってことも知ら
ないのかしら?︶
周辺に気を配りつつ、そちらを向いた時、
﹁あ﹂
木上の覆面・灰色の装束を身に纏った小柄な人物と、目が合った。
その人物は動揺したのか、その場で後退ろうとして、枝から落ちた。
思わずレオナールはポカンと口を開けた。
﹁え、何?﹂
﹁きゅきゅう?﹂
1787
食事を一時休止して、何かあったのかと言わんばかりに鳴く幼竜
に、レオナールは首を左右に振った。
﹁大丈夫、問題ないわ。食事を続けて。終わったら水浴びに行きま
しょう﹂
﹁きゅきゅう!﹂
高く鳴き、頷いてから食事を再開する幼竜に思わず微笑みつつ、
もう一度先の方角を振り返ったが、既に灰色装束の人物の姿は消え
ていた。
︵さて、どうしようかしら? 追ってみるか、それとも放置するか。
そんな手練れってわけでもなさそうだしねぇ︶
途端に興が冷めたレオナールは、追跡者に対する興味や好奇心も
減退した。
︵斬って楽しめる相手ならともかく、雑魚とかどうでも良いわ。相
手するのも面倒くさいし、殺して良いならともかく、そうでなけれ
ばダルイだけだもの︶
においからすると一応近くにはいるようだが、警戒するほどの敵
には思えない。一応念のため、周囲に耳をすませつつ、レオナール
は溜息をついた。
﹁そろそろもっと強い敵が狩りたいわ。できれば手加減する必要の
ない﹃人﹄だと、なお良いのに。生死不問の賞金首が目の前に現れ
たら、すごく楽しいのにね﹂
1788
﹁きゅきゅう?﹂
﹁アランが言うには、そういう人ならたとえ武器を抜いてない人間
でも、問答無用で殺して良いんですって。ねっ、楽しそうでしょう
? 攻撃されるのを待たなくても良いし、手加減もしなくて良いの
よ﹂
うっとりとした表情で微笑むレオナールに、﹁きゅきゅーっ!﹂
と嬉しそうに幼竜が鳴いた。そして、幼竜が食事を終え、川で水浴
びをして、ラーヌへ戻った時には、レオナールは森で見掛けた人物
のことはすっかり忘れていた。
◇◇◇◇◇
﹁ルヴィリア、お前に冒険者稼業が難しいらしいという事はわかっ
た。そりゃ戦闘中に正気を失うようなやつを連れ回すのは自殺行為
だよな。そんな面倒臭いの、金貰ってもゴメンだな。
で、どんな計画であいつに教育すんの? 言っておくがあいつ、
実地はともかく講義とかするだけムダだぞ。しかも、興味ないこと
はすぐ忘れるし、幼児か獣並に集中力ないから、興味を引くのも難
しいと思うぞ﹂
ダニエルがニヤリと笑いながら言った。
﹁やっぱり絵本の読み聞かせとか無理かしら?﹂
ルヴィリアが顔をしかめながら言うと、ダニエルは大仰に肩をす
くめた。
1789
﹁そんなもんで覚えられるなら、シーラやアランがとっくにやって
るだろ。簡単な金勘定はできるようになったんだから、やればでき
ない事はないと思うが、どうやって覚えたかは俺に聞くなよ。懇切
丁寧に教えたのはアランだ﹂
﹁ねぇ、あなた一応あれの師匠なんでしょ? いったい弟子に何を
教えたの?﹂
﹁剣を振ることと、獲物の特徴、あとは実際連れて行って見せて、
やらせただけだな。わからないことは実際にやってみるのが一番だ。
頭の中だけで考えても面倒臭くて頭が痛くなるだけだしな! 考え
るより、感じろ!って感じだ。
どうせ人の感覚とか身体の動かし方なんて、個人差があるんだか
ら、同じようにやれって言っても無理だろ。まず体格・身体能力が
別物なんだし。なら、実際自分でやって、自分で考えた方が手っ取
り早い。
他人にああしろこうしろとか言われてその通りにやるだけだと、
教えられた以外のことが起きた時、かえって混乱するだろ。魔獣の
斬り方なんて、身体で覚えるのが一番だ。慣れれば、考えるより先
に身体が動くようになる。
よっぽど能力が低くなければ、生死がかかってる状況なら、どん
なやつでも必死になるもんだ。本気でヤバそうなら、ちゃんと助け
てやるしな。死なない程度にやれば、どんなバカでも学習するもん
だ。死や苦痛を嫌だと思うなら、だが﹂
ニッカと笑うダニエルに、ルヴィリアが深々と溜息をついた。
﹁ちっとも参考にならないわね﹂
1790
ルヴィリアの目が残念な人を見るものになった。
﹁一般常識と文字の読み書き、ねぇ? それって実地で学習するも
のなの?﹂
﹁俺はそうやって覚えたぞ。俺の教育係はアランほど甘くなかった
からな。まぁ、それが必要だと思えば、真面目にやるんじゃねぇの
? 何でも死ぬ気になれば、何とかなるもんだろ。
要は、それができなきゃ命取りだと学習すれば良いんだ。この世
の大半のことは、死なない限りは大抵どうにかなる。
何をどうしても取り返しがつかなくなるような致命的失敗ってや
つのが、実際稀少だろう。絶対にひっくり返せないような、とんで
もないことやらかしちまうのは、天地が割れたりひっくり返るのと
同じくらい、そうそうないことだ。
だったら、多少の失敗は問題ない。次からどうにかすれば良い話
だしな﹂
﹁でも、それって最低限の知識や倫理観ある人限定じゃないの? そもそもたたき台にする基礎や基盤のない人に、判断できると思う
わけ?﹂
﹁うん? でも、あれだろ、逆に言えば、生きるために必要な最低
限の思考力や判断力のないやつって、成人するまで生きられないだ
ろ。よほど過保護に、つきっきりで庇護されない限り。
それに、生きるのに最低限のことができないやつは、何もしなく
ても淘汰されるもんだ。俺はあいつに生きるための手段の一つを教
えた。それが活かせないなら、野垂れ死んでも仕方がない﹂
﹁えっ⋮⋮何、それ。ちょっと冷たくない? あんなのでも、可愛
い弟子なんでしょう?﹂
1791
﹁ああ、もちろんレオのことは可愛いと思ってるし、俺なりに可愛
がってるつもりだ。可能な限り面倒事から守ってやりたいと思うし、
どうでもいいウザい理由であいつに危害を加えようとする連中を、
片っ端からぶっ潰そうと思う程度にはな。
でも、あいつがもし俺の敵になるなら殺すし、あるいは望んで自
爆するなら、それでも構わないと思っている。これまで死にたがり
や、周りが見えてないバカは、いくらでも見てきた。仮に俺が救い
たいと思っても、本人が足掻く努力しないなら、何をどうしても救
えないんだ。
まぁ、さすがに﹃どうか助けてくれ﹄って泣きついてきたら、全
力で助けてやるけどな! だいたい、俺は既にあいつに一緒に来る
かと誘って振られてるんだ。
やりたい事があるって本人が言うんだから、好きにやらせてやり
たいよ。その道が栄光に続く道だろうが、破滅へ向かう道だろうが、
な﹂
笑って言ったダニエルに、ルヴィリアがドン引きした顔になった。
﹁他人事だけど、面倒臭そうね。あなたも、あなたの周りも﹂
ルヴィリアがそう言うと、ダニエルが苦笑した。
﹁そうだな。面倒なのが嫌だから、組織に入らずに冒険者になった
はずなんだが、個人じゃできることに制限があるからな。やりたい
ことを実現するのは、余計なことや面倒なことが多くて困る。
人任せにできなかったからこの現状なんだが、今更愚痴って後
悔しても、始める前には戻らない。だから、なるべく早く、俺の手
を離れても問題ないようにしたい﹂
1792
﹁私は私にできることしかしないわよ﹂
﹁それで良い。できないことをやれとは言わねぇよ﹂
﹁安心したわ。それで、あれの学習計画とか実行前に報告した方が
良いの?﹂
﹁予定や計画なんていくら立てても、無駄な時は無駄だろ。実際に
何をしたか、結果どうだったか報告もらえれば、それで良い﹂
﹁わかったわ﹂
﹁で、ロランに着いたらまた占術師やるつもりか?﹂
﹁ええ、そのつもりよ。それが本業だしね﹂
﹁なら偽装や商売方法は変えた方が良いぞ﹂
﹁どういうこと?﹂
真顔で言ったダニエルに、ルヴィリアは首を傾げた。
﹁お前はラーヌで有名になりすぎた。危ない橋を渡ってる自覚があ
るなら、もっと危機感持った方が良いぞ。命と金が惜しいならな﹂
﹁考えておくわ﹂
﹁一応聞くが、︽黒︾を誘ってるつもりじゃないだろうな?﹂
﹁まさか。あんな厄介なやつに、私みたいな非力な娘が太刀打ちで
1793
きるわけないでしょ? 依頼料ちょろましてやって、ちょっとスッ
キリしたから、どうでも良いわ﹂
﹁なら良いが、バカなことやらかすなよ。ああいう裏稼業のやつっ
て面子を大事にするからな。連中は舐められたり信用失ったら、飯
の種に困るし仕事にも支障が出るから、目の色変えるぞ。
自暴自棄な自殺志願者の世話とか尻拭いとかできねぇぞ﹂
﹁別に自暴自棄にはなってないし、自殺志願でもないわよ。まぁ、
あのド腐れ野郎の顔にツバかけてやりたいとか、どういうつもりな
のか問い詰めたいとか思ってたけど、最近飽きたのかちょっかい掛
けてこなくなったから、正直どうでも良くなってきたのよね。ほら、
やっぱり自分が一番可愛いし﹂
﹁折角、使える特技があるんだから、やんちゃなことはすんな。見
てくれはどうでも一応若い女なんだから、気を付けろ。まかり間違
って特殊性癖のやつとかに売られたくねぇだろ﹂
﹁⋮⋮何が言いたいのかしら?﹂
ルヴィリアがジトリとした目つきになった。
﹁いや、だってなぁ? そのエルフ並の平坦な胸と、痩身なのかと
思いきや、ややぽっちゃりした腹とか、運動不足丸わかりのボテ足
とか、とても成人してるようには見えない身長とか、パーツは整っ
てるのに特徴がない顔とか、なにより色気皆無の腰や尻とか、特殊
性癖のやつでもなきゃ⋮⋮﹂
﹁死ね! 乙女の敵!!﹂
1794
﹁おい! ナイフ投げるな!! 家具が傷付く!!﹂
﹁なら、鈍器なら良いのね!﹂
﹁飾り壺とかもっと駄目だろ!! だいたい俺は嘘は言ってねぇよ
!!﹂
﹁余計失礼なのよ!! あんた、いいとしのオッサンなのに、繊細
さや心配りの一つもないわけ!?﹂
ダニエルはルヴィリアが投げつけるナイフを避け、調度品類を受
け止め、なんとか近付いて後ろ手に拘束する。
﹁いやーあーっ、変態が!! 鬼畜ド腐れ変態に、襲われるぅうー
っ!!﹂
﹁おいっ、ありえねぇこと言うな! 人聞き悪い﹂
ダニエルは舌打ちした。
1795
35 不穏の影︵後書き︶
以下修正。
×鍛えたらきたえたら
○鍛えたら
×ハーフエルフって
○ハーフエルフってことも
×来るか誘って
○来るかと誘って
×ドン引きする顔
○ドン引きした顔
1796
36 遅すぎる忠告に、魔術師は青ざめる
レオナールが戻って来たのは、昼近くになってからだった。
﹁楽しかったけど、さすがにちょっと疲れたかも。途中で干し肉食
べたとはいえ、腹空いたわね。ねぇ、ルージュ、ちょっと寄り道し
ても良いかしら?﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
レオナールが幼竜の鼻筋を撫でながら言うと、頷きを返す。長い
尻尾を立ててゆらり、ゆらりと左右に揺れる。この頃の幼竜は、歩
く際に以前ほど身体が左右に揺れなくなった。体重移動なども無駄
がなくなってきたように見える。その結果、移動・反応速度が上が
った。
︵私も負けてられないわね︶
ルージュ
幼竜との狩りはとても楽しい。回数を重ねる毎に相手の意図が通
じやすくなり、連携が良くなっていることや、互いに学ぶことがあ
ることもその理由の一つだが、一人の時は﹃何でも良いからとにか
く斬りたい﹄という欲求のままに剣を振っており、結果はどうでも
良く、効率なども考える必要がなく、無駄が多かった。
︵具体的な目的がないと、集中力も落ちるし、雑になるし、頭を使
うこともないって事かしらね︶
最初は狩りのついでに餌を与えて邪魔なゴミを処分できるから、
1797
一石二鳥だと思っていた。
︵ルージュがいなくなったら、今よりずっとつまらなくなりそう。
一人で何も考えずに思うままに振るのも嫌いじゃないけど、それほ
ど新しい発見がないのよね。
アランと一緒だと、やりたくてもできないことが多すぎるのよね︶
アランが無能というわけではないし、一緒だと便利なことが多い
のも確かだが、慣れた狩り場に共に狩りに行くということになると、
足音や気配を消すことも、周囲に注意を払うこともできず、体力が
なく移動も遅く、咄嗟の判断力もあまり良いとは言い難いため、足
手まといになる。
パーティーメンバーとして戦士あるいはその他前衛職が入れば、
また違うのだろうか、とも考えてみた事はある。だが、その場合、
面倒事や煩わしさの方が多そうだ。
︵ルージュは嘘ついたり騙したりしないし、文句言わないし、言っ
たとしても理解できないもの︶
人の一番恐ろしいところは、外見で敵味方を判別できないこと、
嘘をついたり偽装したり誤魔化したり、同一人物が相手や状況によ
って態度・言動が変化したりするところだ。
︵それに人間って何故か、同じ群れの同種族間でも優劣つけたがる
から、面倒なのよね。それだけなら良いけど、死ぬ覚悟も斬られる
覚悟もなく攻撃してくるのが一番理解できないわ︶
全ての人間がそうだというわけではないが、冒険者にはその傾向
が強いように感じる。レオナールが外見で侮られやすいことに加え
て、自覚なく喧嘩を売っているせいもあるが。
1798
︵アランは戦士の仲間が欲しいみたいだけど、余計な文句を言わず、
無駄なことや邪魔をしない人じゃないと、絶対困ると思うのよね︶
そして冒険者という輩は、ある程度の実力がある場合、大抵自意
識が強く、自分に自信がある。これまで自分が成功してきたやり方
にこだわる。信仰心がそれほど篤くなくとも、縁起にこだわるもの
も多い。
かといって、手垢のついていない全くの新人、あるいは同年代の
冒険者と組めるかといえば、
︵少なくともロランにはいないわね︶
彼らと同年代の冒険者が全くいないわけではないが、仲間を募集
している者はいないし、実力も性格も雲泥であり、遠巻きにされて
いる。
実力がある者はその大半が既にパーティーを組んでいるし、そう
でない者は性格や言動に問題があったり、好んで単独活動している。
パーティーを組む者達は、同郷であったり、あるいは紹介だった
り、積極的に声を掛けて勧誘していたりする。レオナールとアラン
の場合、それらは期待できない。
︵ロランで話しかけてくる連中って、だいたい喧嘩吹っ掛けてくる
やつらだし、それ以外はほぼ避けられてるものね︶
となると、二人の噂を知らない者か、知っていても避けたり怖じ
気づいたりしない者でなければ、難しいだろう。それ以外となると、
何かたくらみがあるのではという疑いが拭えない。
︵諦めた方が良いのに︶
1799
ダニエルが紹介してくれるのならば、多少は期待できるかもしれ
ない。だが、あまり期待できない。彼らに対する理解度はともかく、
本人の倫理観や感覚、基準が大雑把すぎ、言葉や説明が少なすぎる。
仲間候補として紹介されたのがルヴィリアという点を鑑みれば、尚
更だ。
︵ルヴィリアは問題外として、ダオルが一緒に行動してくれるとか
なり楽よね。言葉が足りないところはあるけど、無駄口利かないし、
面倒な言動もないし。
でも、ランクが違いすぎるし、他にやる事がある時は手伝っても
らえないだろうから、パーティーメンバーにはならないわよね。
ダオル並に実力があって、文句言わずに着いてきてくれる人がい
れば良いけど、難しそうよねぇ︶
何の肉かはわからないが、串焼きの店を見つけて、歩み寄る。店
員の男が近付いて来る幼竜に気付いて、ギョッとした顔になるが、
逃げずにその場に留まった。
﹁串焼き三本、いえ五本ちょうだい﹂
﹁あ、ああ。しばらく待ってくれ。そ、その連れているのは使役魔
獣か?﹂
﹁ええ、そうよ。ほら、ちゃんと首輪しているでしょう? これが
認識票﹂
そう言って、レオナールは幼竜の顎の影で見えにくくなっている
首輪からぶら下がる銀色の認識票││冒険者ギルドに登録された使
役魔獣である事を示す印章やその種別・名前・使役する主人の名な
1800
どが刻印されている││をつまみ上げた。
グリフォン
﹁それにしても、ずいぶんデカイな。そんなにデカイのはあまり見
たことがない。王国軍の伝令用に使役される鷲獅子は、翼を拡げな
ければ体長3メトル前後、体高2メトル弱らしいが、空を飛んでい
るのはともかく目の前に降りてきたことはないからな﹂
グリフォン
﹁へぇ、それって成獣よね。鷲獅子ってもっと大きいのかと思って
たわ﹂
﹁そんなにデカかったら、使役・飼育するのも、騎乗するのも大変
だろう﹂
﹁それもそうね﹂
そんな話をしている内に肉が焼けたらしい。
﹁できたぞ、穴兎の串焼き五本、銅貨十五枚だ﹂
言われた金額を渡して、肉を受け取った。
﹁毎度あり! また来てくれ﹂
そう言って愛想笑いを向ける男に、レオナールは手を振り、食べ
ながら家へと向かう。
︵ちょっとしょっぱいわね。汗かいたから、ちょうど良いけど︶
このところ美味い肉を食べていたので少々物足りないが、小腹を
満たす分には問題ない。
1801
︵さすがに朝食はもう残ってないわよねぇ。食べられるなら冷めて
ても良いんだけど。ああ、でも、さすがに冷めたスープは飲めない
わね︶
脂の浮いた塩気のない冷たいスープの味を思い出して、背筋を振
るわせた。
︵あれ、白い脂が浮いているのも気持ち悪いけど、肉も硬いし、時
間が経ちすぎるとヒドイにおいがしたり、酸っぱくなるのよね︶
レオナールが酸味のある食べ物を苦手とするのは、傷んだ食べ物
を食べて酷い目に遭ったことが幾度かあるからだ。吐いたり下した
り、熱を出すなどして、ようやくそれらは食べてはいけないのだと
学習し、避けるようになった。
もちろんアランが悪くなったものや、腹を壊すようなものを食べ
させたりしないとわかっているが、無理に食べると冷や汗をかいた
り気持ち悪くなるため、なるべく食べたくない。
さすがにそんな事情を知ればアランも無理に食べさせようとはし
ないのだが、レオナールがそれを言わないため、好き嫌いが多いと
しか思っていない。
レオナールは、どうしても食べたくないものは拒否したり、後で
吐き出したりしているため、わざわざ説明する必要性を感じていな
い。
︵頼んだら、軽食作ってもらえるかしら? 最悪、水とパンと干し
肉でも良いわ︶
気持ち、足取りが速くなった。
1802
◇◇◇◇◇
﹁あのさ、今回の依頼の件、一時報告は済ませているが地図とか提
出するよう言われてるから、できるだけ早めに行っておきたいんだ
が﹂
アランが言うと、ダニエルが頷いた。
﹁わかった。報告書とか地図の写しとか、もうできてるのか?﹂
﹁ああ。レオはいてもいなくても同じだから、ギルドへ行って来よ
うと思うんだ。どうせ暇だし﹂
﹁なら、ダオル、頼む。アランについてってやってくれ﹂
﹁了解した﹂
ダニエルの言葉に、ダオルが頷いた。アランは不思議そうな顔に
なった。
﹁え? 別に俺一人で大丈夫だぞ。変な連中は一掃されたんだし、
俺一人ならそんなに絡まれることもないし﹂
﹁違ぇよ、バカ。昨日言ったこともう忘れたのか?﹂
ダニエルが小声でボソリと言ったことで、アランはハッと思い出
し、真剣な顔になった。
1803
﹁わかった、有り難う。手間取らせて悪いが、同行頼む、ダオル﹂
﹁いや、問題ない﹂
﹁俺は今日一日ここにいるが、アレクシスとヘルベルトは今日、王
都へ戻る。たぶんお前がギルドから戻る前には帰還してるだろう﹂
﹁そうか、なら挨拶しておこうかな。お世話になったし﹂
﹁へぇ、あいつが? 珍しいな。気に入られたのか?﹂
﹁そういうのじゃなくて、出会い頭に厄介事に見舞われてたからじ
ゃないか。でなかったら、ダオルが同行してたからついでだろう。
まぁ、ちょっと変な人だと思うが、︽浄化︾も教えてくれたし、す
ごく良い人だよな﹂
﹁えっ⋮⋮あいつ、そんな良い人とか言われるようなやつじゃない
ぞ。ああ見えて結構人見知り激しいし、ものすごくワガママだし、
傲岸不遜な上に面倒臭がりで、自分のしたい事しかしないサボり魔
だから、金を積んで頭を下げて懇願しても他人の頼み事とか聞かな
いぞ﹂
﹁そうなのか。じゃあ、ドラゴンに興味津々だったから、それでか
な﹂
アランがそう言うと、ダニエルはギョッとした顔になる。
﹁お、おい、それ、あのレッドドラゴンの幼体、無事なのか!? あいつ、解剖したり引き取りたいとか言わなかったか?﹂
1804
﹁言ったけど、レオナールと幼竜が嫌がったら引き下がってたぞ。
なんか餌を食べる姿とか観察したりしてたみたいだが﹂
ヘルベルト
﹁あいつ、忍耐なんてできないから、お目付役なしで我慢できると
はとても思えないんだが、よく無事だったな。お前ら、すっげぇ幸
運だぞ、それ。あいつときたら、魔獣のこととなったら、信じられ
ないくらいバカになるからな。あれは幼児の駄々より、タチが悪い﹂
﹁そうなのか。まぁ、熱心で好きなのは間違いないだろうとは思う
が﹂
﹁あれは、頭がおかしいレベルだぞ。何度かそれでやらかしてるん
だ。いくら金を積んでも首を振らなかったDランク冒険者が、睡眠
薬盛られてその隙に使役魔獣を奪われた。結局は金を払って片をつ
けた。
まぁ、その時点で骸になってたから、金を貰えなきゃ泣き寝入
りするしかない。確か希少なスライムの変異種だったかな﹂
それを聞いてアランは思わずゾッとした。
﹁そ、それ、レオとあの幼竜に実際やったら、とんでもないことに
なるだろ。︽蒼炎︾の二つ名と噂はいくつか聞いたことがあるけど、
あの人幼体とは言えレッドドラゴンと単独でやり合えるくらいなの
か?﹂
﹁さすがにドラゴンと一対一は無理だな。せめて一個中隊つけない
と。レオ一人なら護衛がいなくてもやれるだろうが﹂
ダニエルがそう言って、肩をすくめた。
1805
﹁⋮⋮実行する前に諦めてくれて良かったよ﹂
アランが言うと、ダニエルは苦笑した。
﹁いや、諦めたわけじゃないと思うぞ。現状では無理だから実行し
なかっただけで、目算ついたらやるぞ。あいつ、しつこいからな。
いつでも連絡くれとか言われたなら、警戒した方が良い。
アレクは自分に利害のないことには指一本動かさないからな﹂
﹁それ、とんでもない人に借りを作ったってことか?﹂
﹁対価を要求されなかったなら、たぶんそうだな。あいつ、本当貴
族らしい陰険で面倒な性格してるから﹂
ダニエルの言葉に、アランは蒼白になった。
1806
36 遅すぎる忠告に、魔術師は青ざめる︵後書き︶
あと2∼3話で今章完結予定です。
別の副題つけるなら﹁うまい話には穴がある﹂かも。
以下修正。
×面倒なな
○面倒な
1807
37 ギルドにて
﹁ずいぶん機嫌が良さそうだな、アレク﹂
ヘルベルトは眉間に皺を寄せつつ言った。アレクシスは唇を心持
ちゆるめて、のんびりと机の上に書類を並べたり、置いた書類を手
にとって眺めたり、その束に新しい書類を挟んだりしている。
﹁今回は、貴重なレッドドラゴンの幼体を間近で見る事ができたか
らな。鱗の一枚一枚にまで、Bランク魔獣の魔晶石並の魔素が満た
されているのだ。
死んだ成体のドラゴンの鱗一枚に含まれる魔素でもBからAラン
ク魔獣の魔晶石級だが、生きた成体のドラゴンならそれより更に高
い魔素があると推定できる。
実に素晴らしい。かなうことならば、実験用の魔道具をこちらへ
取り寄せて色々研究したいが、結局最後までドラゴンには触れられ
なかった。
ドラゴンという生き物は、あのように幼い個体ですら強力で誇り
高い。この僕を威圧するのだぞ? レオナールがそばにいない時は、
近寄ることもできない。
ふふっ、あれは本当に美しい生き物だ。生きたドラゴンには並の
剣や槍は弾かれ、下手な魔術では無効化されるが、おそらくあの魔
素が原因なのだろうな。
ブレス
威圧する際には、全身から膨大な魔力が発散される。しかも、指
向性を持ってだ。竜の息や魔法を見ることはできなかったが、あれ
だけでも価値がある﹂
﹁ふざけている場合か! 仕事が溜まってるんだぞ。これ以上周囲
1808
に迷惑掛けるな!! 俺にも迷惑掛けている自覚があるのか!?﹂
﹁僕の部下は、上司の不在に慣れているから問題ない。どうせ、お
前の指図がなくともどうにでもなる程度のことだろう。でなければ、
わざわざ僕の後を追い掛けてくるはずがない﹂
﹁あのな、アレクシス。時は金なりだ。お前が無駄な時間を費やせ
ば費やすほど、俺の貴重な時間が無駄に消費される。頼むから早く
してくれ。だいたい、そんなこと後でもできるだろう。何故、今や
るんだ﹂
﹁お前に対するささやかな嫌がらせだ﹂
アレクシスがニッコリ笑って言うと、ヘルベルトは渋面になった。
﹁お前な⋮⋮何故そういう⋮⋮くそっ、何が望みだ﹂
﹁今度、ドラゴンの標本を取って来てくれ。理想は生きたまま捕獲
だが、無理そうだからなるべく損傷が少ない遺骸でかまわない。出
ワイバーン
来ればレッドドラゴンが希望だが、難しいようなら種別は問わない。
ただし、飛竜などのドラゴン亜種は除く。それならいくつか持って
いるからな。
正真正銘のドラゴンだ。前から欲しいと思っていたし、間近で見
たいと思っていたが、ドラゴンのあのなめらかで美しい鱗と来たら!
死んで魔晶石や竜石を失ったドラゴンの鱗は、色あせくすんだ色
になってしまうが、生きているドラゴンの鱗は色鮮やかで溢れんば
かりの魔素の輝きを持っている。
やはり、この世で一番美しい生き物はドラゴンだ。間違いない。
どこかでドラゴンの卵を入手できれば最高だな。あの魔力の輝き、
強大さ。あれほどのものは、他の種にはないものだ。
1809
成体のドラゴンの飛翔を見た事があるか、ヘルベルト。ドラゴン
は他の生命と異なった法則で空を飛んでいる。翼の動きと飛翔速度・
方向その他が一致しないのだ。
あれはおそらく魔術、いや魔法だ。解明できれば、いずれ人が空
を飛ぶことも不可能ではない。僕はドラゴンを心から愛しているが、
同時にその神秘の全てを暴きたいとも思っている。
それが、生きたドラゴンの全身を切り刻む事になろうとも、神の
御技を暴くことになろうとだ。不遜だと思うか?﹂
ウットリとした目と口調で語るアレクシスに、ヘルベルトは深い
溜息をついた。
﹁今更だろ。病気だとは思うが。まぁ、目の前にレッドドラゴンの
幼体がいるにもかかわらず我慢したのは、お前としては我慢強かっ
たとは思うが﹂
﹁心外だな、許可なく﹃他人のもの﹄に手を出したりはしない。い
くら心惹かれてもな。幼竜が彼のものである限りは、彼の許可無く
手を出すことはない。
この世にレッドドラゴンの幼体があの個体のみというわけではな
い。他に代わりがあるのに、そのような無体はしない。
代わりの入手が困難だとしても、不可能ではない。一度失敗した
ために諦めていたが、彼を見て諦める必要はないとわかった。彼に
できたなら、僕にもできると思わないか?﹂
﹁⋮⋮全く面倒な﹂
ヘルベルトは苦虫を噛み潰したような顔になった。
1810
◇◇◇◇◇
アランは冒険者ギルドへ行く前に、アレクシスとヘルベルトに挨
拶をするか悩んだが、結局そのまま冒険者ギルドへ向かう事にした。
冒険者ギルド施設内は、混雑していたが、相変わらず一つだけ窓
口が空いている。
﹁⋮⋮全く人が並んでないわけじゃないんだけどな﹂
さえないおっさんと話すより、見目良く若い女性と話す方が楽し
いという気持ちは理解できなくはないが、ここまで差があるのはジ
ャコブが哀れだ、とアランは眉をひそめた。
︵ジャコブは話してみると結構良いやつなのにな︶
多少お節介なところがなくもないが、余計な詮索をしたりしない
し、ダニエルのことを知っても態度を変えなかったし、必要以上に
絡んだり距離を詰めて来る事もない。
︵ジゼルみたいに訳のわからない絡み方されるのも、面倒だからな︶
ジゼル││ロラン支部所属の受付嬢││がアランの本音を知った
なら、嘆く事間違いなしである。アランにとってジゼルは赤の他人
とまでは言わないが、今のところ親しい知人・友人枠にも入ってい
ない。
業務外で会ったり話したりしたのが、現時点で﹃かぼちゃのキッ
シュ﹄絡みだけだというせいもある。ジゼルがアランを食事その他
に誘ったことが一度もないというわけではないが、その全てを先約・
多忙、面倒だという理由でその場で断っているせいである。
1811
︵そもそも、俺、そんなに親しくないやつと食事したり飲みに行っ
たりしたいとは、思わないからなぁ︶
億劫または面倒だと感じるため、必要がなければなるべく避けた
いと思っている。ロランの門番・ジェラールと飲みに行った事があ
るのは、彼が誰にでも気安く馴れ馴れしい性格である他、下っ端と
は言え日頃から門番と仲良くしておくと、何かと都合が良いという
打算がある。
ジゼルのことは嫌いではないが、知人以上の関係になる気がない。
より正確にいえば、その利点や必要性を感じていない。
相手に好かれている自覚も皆無なため、﹃時折良くわからない理
由で怒ったり絡んだりしてくる上に、面倒な依頼を紹介してくる変
なやつ﹄だと思っている。
﹁おはよう、アラン。珍しいな、こんな時間に来るのは。聞いたぞ、
面倒に巻き込まれたらしいな。大丈夫だったか?﹂
アランの番が来ると、ジャコブが苦笑しながら挨拶した。アラン
は肩をすくめた。
﹁何を持って大丈夫というのかはわからないが、この通り処分もな
く無罪放免だ。予定より遅くなったが、先日の報告書を持って来た。
報告内容に変更はないから、書類の提出だけでも十分だとは思うが﹂
﹁あ∼、ちょっと聞きたい事もあるから、昼飯一緒に食わないか?﹂
ジャコブの言葉に、アランは怪訝な顔になった。
﹁なんだ、何か問題や不備があったのか? 必要なら、ダオルやレ
1812
オも連れて来るぞ﹂
﹁別に問題があったわけじゃないし、たいしたことじゃないんだが、
そっちの都合に任せる。なんだったら奢っても良いし、﹂
﹁有り難う、ジャコブ! 是非ごちそうになるよ、四人、いや五人
分頼んだ!!﹂
﹁は!? 五人って何だ、そんなにいたかよ!?﹂
﹁ダニエルのおっさんも昨日来たからな﹂
﹁聞いてないぞ! だいたいダニエルさんが来てるなら、俺が奢る
必要あるのか、おい!!﹂
﹁何言ってるんだよ、ジャコブ。奢ると言ってきたのはそっちだろ
う。別に強制はしてないぞ﹂
﹁ダニエルさんがいるなら、下手な店には連れて行けないだろうが﹂
﹁あのおっさんはそんなこと気にしないぞ? 味音痴っぷりはレオ
と変わらないし、毒とかなくて食べられるなら問題ないと思ってる
から、どんな店でも大丈夫だ﹂
﹁俺の気持ちの問題だよ。あの人にずっと憧れてたんだ。救国の英
雄で、世界に九人しかいないSランク冒険者の一人だぞ、アラン。
わかってると思うが、すごい人なんだからな﹂
﹁そう言われても、あのおっさんときたら、剣士としてはすごいが、
とんでもない変人だぞ。Sランク冒険者って実は変人しかいないん
1813
じゃないか?﹂
﹁おい、あんまりそういう事を大きな声で言うな。余計な敵を作る
ぞ﹂
﹁別にラーヌが本拠地ってわけじゃないし、既に手遅れだろ。わざ
わざ面倒事起こしたいとは思ってないが、俺達ここへ来て以来ろく
な目に遭ってないし﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
溜息ついて言うアランに、ジャコブは気まずげな顔で頷いた。ア
ランが何か言いたげにジャコブを見つめると、視線をそらされた。
﹁なぁ、念のため聞くけど、ラーヌの他の新人冒険者も、俺達みた
いな目にしょっちゅう遭ってるのか?﹂
﹁そんなわけないだろ、お前らが特殊なんだ。半月も滞在してない
のに、どうしてそんなに厄介事や面倒事に遭うんだ? そりゃ、お
前ら初めて見た時から絡まれそうなやつだとは思ったが、ちょっと
酷すぎるだろう﹂
﹁それは俺が聞きたいよ。ロランでも良く絡まれたけど、数はとも
かく規模や程度はここまで酷くなかったぞ。ロランならせいぜい小
競り合いとか嫌がらせとか喧嘩程度で、少なくとも領兵団詰め所に
出頭させられるような事は皆無だった。
いくらラーヌがロランより都会で賑やかで人が多いとは言え、ち
ょっと問題多すぎだろう﹂
﹁⋮⋮お前らが予想以上の問題児なのは良くわかった﹂
1814
﹁俺達のせいかよ?﹂
アランが眉間に皺を寄せると、ジャコブは肩をすくめた。
﹁まぁ、お前らのやらかした事を知った連中がお前らに絡むことは
ないだろう。あり得ないくらいに派手にやったからな。お前らが一
方的に全面的に悪いわけじゃないが、原因が皆無ってわけじゃない
自覚はあるだろう?﹂
﹁⋮⋮主にレオナールが原因だとは思うけどな﹂
アランが深い溜息をつくと、ジャコブは呆れたような顔になった。
﹁いや、お前も大概だぞ﹂
﹁何!?﹂
驚いたように目を瞠ったアランに、ジャコブが苦笑する。
﹁お前ら、ちょっと目立ち過ぎるんだよ。世の中に恐いものはたく
さんあるが、嫉妬はその内の一つだ。自覚しないと、これからも厄
介事に見舞われるぞ﹂
﹁嫉妬? なんでだよ。そんな嫉妬されるような事があったか?﹂
﹁最たるものはダニエルさんと知己だって事だが、他にも有名人や
高ランク冒険者の知り合いがいるだろ。何よりもお前ら若くて見目
が良い上に、実績がまだほとんどないのに装備が中級冒険者と比べ
ても良すぎるだろう。
1815
金にもコネにも困ってなさそうだし、女に不自由しないだろうし、
何より登録したての新人にしては、全く苦労しているように見えな
い上に、強く見えない。これで嫉むなというのが無理だろう﹂
﹁苦労してないってことはないぞ。見習い期間中は、ダニエルのお
っさんにさんざん振り回された上に、登録直前に放り出されたんだ。
あのおっさん、死ななければ問題ないというタイプの戦闘狂だから
な。
レオと来たら、目の前のやつを斬ることしか考えてない脳筋だし、
何度言っても射線に出るし、突進するし、俺が制止しないと置いて
きぼりにしかねないし﹂
﹁お前らさ、身支度マメだし、変なもの着てないし、毎日洗濯して、
水浴びか清拭も毎日かかさないだろう?﹂
﹁それはレオも熱心だし、俺がきっちり管理してるからな。でも、
着る物は古着だし、繕い物や洗濯を始めとする家事全般は俺の担当
だし、別に金を掛けてるわけじゃないぞ?﹂
﹁ところが、それだけで冒険者連中の中じゃ目立つんだ。言葉遣い
とか所作とかも上品だしな﹂
﹁レオはともかく俺は普通だぞ。なるべくレオに変な言葉とか振る
舞い覚えて欲しくないから、気を付けてはいるが﹂
﹁差し支えなければ聞きたいんだが、レオナールって貴族のご落胤
か金持ちのお坊ちゃまか? いや、言動はアレで違和感はあるんだ
が、普通の平民にはとても見えないんだが﹂
ジャコブは真顔で、声をひそめて尋ねた。その途端、アランが苦
1816
い顔になった。
﹁あー、それ、どうしても聞きたいか?﹂
﹁すまん、言いたくないなら、別に良い。ただちょっと、気になっ
ただけだ。ただ、そうだとしたらあの女言葉とかはおかしいとは思
うんだが、何か事情があるんだろう?﹂
﹁⋮⋮まぁ、色々とな。でも、たぶん聞かない方が良いぞ﹂
﹁そうか。なら、聞かないことにする﹂
﹁良いのか?﹂
アランが尋ねると、ジャコブは頷いた。
﹁俺は日々平穏無事に過ごす事を望む、役職なしのしがないギルド
職員だからな。困った事があれば力になりたい気持ちはあるが、お
前らの場合、これ以上なく頼りになる保護者がついているからな﹂
﹁あのおっさん、味方も敵も巻き込んで殲滅しかねない厄介な人だ
から、あの人を頼りにするのは他に手がない時の最終手段だ。英雄
より、災厄と呼んだ方がたぶん実情に合ってる﹂
﹁アランはダニエルさんが嫌い、もしくは苦手なのか?﹂
﹁嫌いじゃないし、味方でいてくれるならその方が有り難いとは思
ってるぞ。どちらかと言えば苦手だし、あの人を巻き込むと事が大
きくなる上に厄介だから、なるべく頼らずになんとかしたいとは思
っている。
1817
あの人、それほど親しくない人はすごく格好良く見えるし憧れた
りもするが、親しくなれば親しくなるほど、親しくなったことを後
悔するような駄目なおっさんなんだ。
憎めないし嫌えないけど、食えないし油断ならないから、無防備
に懐いたり信頼するのは無理だな。うっかり油断して信頼すると、
酷い目に遭わされたり、足下すくわれかねない﹂
﹁そんな風には見えないんだが﹂
﹁嫌な予感がするから絶対嫌だと言っているのに、下手すると死に
かねないコボルトの巣の罠にわざと掛からせたりするんだぞ。一応
助けてくれたが、そもそもあの人のせいだし。
見習い時代にも、角猪の通る獣道に立たされて、突進してくるや
つの動きをしっかり見ろとか言われたし﹂
﹁おい、アラン。お前、魔術師だろう? それとも近接戦闘とか体
術の心得があるのか?﹂
﹁そんなのあるわけないだろう。数歩手前にレオがいたけど、もの
すごく心臓に悪かった。レオも剣を抜かずに見ろと言われて指示に
従ったから。
思わずヤバイと思って目を閉じたら、おっさんが脇から出て来て
斬りつけて足で蹴り転がしたらしいけど、俺が見てなかったからも
う一度やるぞって言われて、翌日同じことやらされたんだ。
すげぇ良い笑顔だったぞ、目を瞑らなくなるまでやるからなって。
レオは間近でおっさんが剣を振るとこ見られるって喜んでたけど﹂
アランが仏頂面で言うと、ジャコブはうわぁと呟き、嫌そうな顔
になった。
1818
﹁⋮⋮それは、キツそうだな﹂
﹁ああ。そんな調子でロラン周辺の魔物や魔獣は一通り実践で学ば
された。あのおっさんとレオに常識とか意味がないから、慣れるま
では生きた心地がしなかった﹂
﹁慣れたのか?﹂
﹁慣れなきゃどうしようもないだろう。どれだけ嫌だと言っても無
駄なんだから。でなけりゃ冒険者になるのは諦めて故郷へ帰ってる
よ。恐いと思う気持ちはなくならないし、戦闘で接近されるのは苦
手だが﹂
﹁そうか。戦闘とか腕っ節はからっきしだから何とも言えないが、
ダニエルさんって、魔術師に対する理解とかあんまりないのか?﹂
﹁あのおっさん、何でも自分が基準なんだよな。自分が規格外だっ
て自覚はあるみたいなのに﹂
﹁そうか、大変だな。頑張れ、としか言えないが﹂
﹁あのおっさんに関しては諦めてる。⋮⋮で、ジャコブ、本当に奢
りで良いのか?﹂
﹁給料前だからあんまり良くもないが、かまわない。昼の二つ目の
鐘の鳴る頃に来てくれ﹂
﹁わかった。じゃあ、また後で﹂
﹁ああ、またな﹂
1819
挨拶を交わして、アランはギルドを後にした。
1820
37 ギルドにて︵後書き︶
サブタイトル微妙に合ってない気がします。
更新遅れてすみません。
ガッと削ってまた増やして、を繰り返してる気がします︵汗︶。
以下修正。
×あったかのか
○あったのか
1821
38 似たもの師弟
﹁待たせたな﹂
﹁いや、予想よりかなり早かった﹂
アランが声を掛けると、ダオルが苦笑した。
﹁ああ、この支部、いつ行ってもそこそこ空いてる窓口があるから
な。ジャコブが俺達に話があるから昼飯奢るって言ってるから、昼
二つの鐘までにおっさんとレオとルヴィリア連れて、また来よう﹂
﹁奢り? アランとレオだけならともかく、さすがに全額はきつい
だろう。半額は俺が出そう﹂
﹁良いのか?﹂
目蓋を瞬かせるアランに、ダオルは頷く。
﹁問題ない。稼いでも貯まるばかりで、あまり使い途がないからな﹂
﹁言ってみたい台詞だな、それ﹂
アランはニヤッと笑って言った。
﹁おれの場合、単に仕事以外、こだわるものも趣味もないというだ
けだ。酒や食べ物にも興味がないし、定住する気もないから、家も
必要ない。服も必要最低限で十分だ。女に夢中になったこともない﹂
1822
自嘲するように言ったダオルに、アランは肩をすくめた。
﹁別に問題ないだろ。いらない物に金をかけるのは無駄だ。自分で
稼いだ金をどう使おうと、使わなかろうと、ダオルの自由だ。それ
に全く使わないわけでもないだろう?﹂
﹁そうだな、冒険者稼業をやっていれば、嫌でもある程度の金は出
て行く。冒険者の稼ぐ金はあぶく銭、死ねば終わりだ。おれが死ん
だら遺産の半分はダニエル、もう半分は冒険者ギルドに寄付される
ことになっている。ダニエルが既に死んでいる場合は、全額だが﹂
﹁ギルドとおっさんに寄付? そりゃずいぶん酔狂だな﹂
アランが目を瞠って言うと、ダオルは苦笑した。
﹁他に財産を残す相手もいないからな﹂
アランはその言葉で、ダオルの故郷が滅びたという話を思い出し
た。
﹁あ⋮⋮すまない﹂
﹁いや。気に病むことはない。おれの甲斐性がないというだけの話
だ。あまり器用ではなく、人を気遣う余裕もなく生きてきた結果で、
自業自得だ﹂
ダオルの言葉に、アランは目をしばたたかせた。
﹁どこがだ?﹂
1823
心底不思議だという顔でアランが、ダオルに尋ねた。問われたダ
オルは首を傾げた。
﹁何の話だ?﹂
﹁ダオルは十分器用だし、人への気遣いもできる大人だと思うが、
いったいどこが器用でなく気遣う余裕もないんだ? もしかしたら
俺の比較対象が悪すぎるだけかもしれないが、俺からしたら、それ
以上を望むのは望みすぎに思えるんだが﹂
アランの言葉に、ダオルの目が大きく見開かれた。
﹁いや、そもそもダニエルのおっさんやレオ、クロードさんを基準
にするのが間違ってるのかもしれないけど、俺が自分の家族以外に
知っている人達ってその辺りだから、他の基準とかあんまり良くわ
からないんだよな。
俺は世間知らずだし、きっと世間一般の基準とはだいぶズレてる
んだろうとは思うけど、ダオルはどこからどう見てもまっとうな大
人だろ。
俺の知る限り、ダオルは十分尊敬に値する人物だ。戦士、冒険者
としても有能だ。ランクや技量が釣り合うなら、ダオルがおっさん
の下で働いていなければ、是非仲間になって欲しいと思うくらいに
は。
こんな若造に言われても、あまり嬉しくないだろうけど、できれ
ばレオにはダニエルのおっさんより、ダオルを見習って欲しいと思
っている。あの規格外で常識外れの人外を参考にすると、ろくなこ
とがないからな﹂
アランが真顔でそう言うと、ダオルはくしゃりと顔をゆがめて笑
1824
った。
﹁そうか。⋮⋮有り難う﹂
﹁別に礼を言われるようなことを言った覚えはない。それに、非常
識な連中と比較されても嬉しくないだろう。俺としては結構切実な
んだが、最初からわかってて面倒事背負い込んでるという自覚はあ
る。
レオと組んで冒険者になると決めた時から色々覚悟はしてたつも
りなんだが、村にいた頃は冒険者に夢をみてたんだ。冒険者っての
は、己の技量と才覚で稼げる、結果と実力だけが物を言う、くだら
ないしがらみとは無縁で自由な稼業だって。
そんなわけないのにな。結局のところ、冒険者稼業だって、人と
人との付き合いなんだから、それ以外のものや社会と係わらずに生
きていけないし、それから大きく外れたものにはなりえない。
結局、どんな社会だって、他から大きく外れたやつは弾かれ、疎
まれる。俺もレオも、順応・適応できなければ、どこへ行こうと、
何をなそうと、許容されることはない。
早い内にそれが理解できたのは、本当に良かったと思う。残念な
がら、レオには理解できていないが、あいつにそれを期待するのは
無駄だから仕方がない﹂
ダオルは苦笑した。
﹁冒険者は、技量や才能に恵まれた者よりも、体力・筋力の他に能
力のない者がはるかに多い。他に望まれる者が冒険者になることは、
めったにない。
おれも他に食べていく手段がないから、冒険者になった。とはい
え、ダニエルに会わなければ、それすら難しかった。
1825
おれは恵まれている。冒険者になれなければ、死ぬか夜盗にでも
なるしかない、世の中にはそういう連中がたくさんいる。自力・独
力で、自分一人食わせることもできない者が、自分の才覚を試す機
会すら与えられない者が。
だから、おれは幸せだと思う。生きていて良かったと思えるのは、
機会を得られたからだ。最悪だ、と考えていた時ですら、幸せだっ
た。
お前達はおそらく大多数の者にとって、幸せで幸運だ。当人がど
う思うかはともかく、そう見える。だが、それも実力の内だ。引き
寄せた機会・幸運を上手く利用しろ。今はやっかみが多くとも、い
ずれ周囲は黙する。それは必然だったと、そうなって当然だったと、
周囲が認めれば正義になる。
慎重さも大事だが、周囲に文句を言わせなくするには力を示すの
が一番早い。冒険者は結果が全てだ。倫理や理屈は、さほど必要で
はない。他で認められるところの有能さ、というのは評価され難い。
面倒だったら力で叩き伏せる、というのも一つのやり方だ。もち
ろん死なない程度に、だが﹂
﹁⋮⋮レオのやり方も、冒険者であれば問題にはならない、という
ことか?﹂
﹁わかりやすい強さ、力だからだ。全ての冒険者がそうではないが、
大半の者は学も教養も才能もない。自分より下と見なした者、勝て
なくもないと判じた者に対する態度と、何をどうしても決してかな
わない者に対する態度が異なるのは、当然だ。
登れない山に登る者はいない。それを行えば自殺するようなもの
だと、やる前に理解できるからだ。強い者は、その素性や人格がど
うあれ、評価されるのが冒険者だ。
それ以外の者達にとって冒険者の大半はただの乱暴者だが、冒険
1826
者という括りで見れば、強い者こそが正しい。他に並びない強者に
は、身分も種族も出身もない。
冒険者は、冒険者ではない者との付き合いが切れないから、社会
的な常識は必須だ。しかし同業の間では、それは必ずしも必要では
ない。特殊な社会だということを念頭に入れた方が、活動しやすい
だろう﹂
﹁ずっとレオの手綱を取ることばかり考えてたけど、もしかしてレ
オの方がわかってたのかな⋮⋮﹂
﹁詰め所でのことを考えれば、そうではないだろう。彼は己の望む
ままに行動しているだけだ。気に病む必要はない。己の常識・思惑
にないものを発想できないのは仕方ない。知らないことは気付けな
い。
本来なら、先導者もしくは後見人が教えるべきなのだが﹂
﹁あのおっさんが、そういう事に気が回るはずないよなぁ﹂
﹁それ以前に、冒険者になった理由・原因が、通常とは大いに異な
る。王国や軍で扱える男ならば、まず冒険者になるという選択肢が
なかったはずだ。
御することも囲い込むこともできなかったから、当人の望み通り、
放任にするしかなかった。だが、今はお前達がダニエルを王国へ繋
ぐ﹃枷﹄と見られている可能性がある﹂
﹁それはないだろ? あのおっさんがそんなタマかよ。何がどうあ
ろうと、誰かに何かに縛られることはない、自分の好きに行動する
生き物だ﹂
﹁人は、己を基準に思考する生き物だ。賢者と呼ばれ称えられる者
1827
ですら、自分という枠を越えた思考・思想はできない。人には心が、
なんらかの情やしがらみがあって当然だ、と思う者が大半だ。
それは確かに誤りではないが、ごく稀に、そういったものとは無
縁の者もいる﹂
ダオルの言葉に、アランは苦笑した。
﹁あのおっさん、別に情がないわけじゃないけど、自分に不都合と
なれば、たいした未練も無く思い切れる薄情者なのにな。だから当
てにはならないし、信用できない﹂
アランが憮然とした顔で言うと、ダオルは目をすがめた。
﹁⋮⋮そう断言できるということは、何かあったのか?﹂
﹁俺達が特に何かされたわけじゃない。ただ、親しく接していた村
人が無残に殺されても、それ自体に対しては意に介しない、済んだ
ことは仕方ないと考える││そういうのは、俺には相容れないだけ
だ﹂
﹁ああ、なるほど﹂
ダオルは表情をゆるめた。
﹁人の死にあまりに慣れ過ぎると、諦めてしまったり、切り捨てて
しまうことがある。ダニエルの場合、生来のものだったのか、経験
しすぎてそうなったのかはわからない。
それも自分の心を守るため、傷付かないための手段の一つなのだ
ろう。歴戦の兵士や高ランク冒険者には多い。ダニエル以外にも見
たことがあるし、たぶんおれもその一人だ。
1828
死んだ者より、生きている者の現在やその後の方が大事だと考え
ている。だから、死んだ者のことまでは考えられなかったり、仕方
ないと諦める。
だがそれも、その死者が自分や身内でないからだ。身内と見なし
た者に対してそう思えるのは、心が死んでいるか、生来のものであ
るかだろう。そこまで合理的にはなかなかなれない﹂
﹁そういうものか?﹂
﹁少なくとも、おれは﹂
︵⋮⋮だったら、許すべきなのかな︶
アランはうつむき、下唇を噛んだ。そこへ、
﹁あら、アラン。どうしたの、こんなところで﹂
聞き慣れた声にアランが顔を上げれば、幼竜を従えたレオナール
が立っていた。その右手には串が握られ、ゆらゆらと揺れていた。
﹁お前、こんな時間まで狩ってたのか。体力バカなのは知ってるけ
ど、軽食と水は持って出たのか? ずいぶん軽装に見えるが﹂
﹁何よ、お説教?﹂
レオナールは右手を腰に当て、左手で前髪を掻き上げ、目をすが
めた。
﹁そうじゃない、心配して言ってるんだ。お前が体調崩すと困るか
らな﹂
1829
﹁子供じゃないんだから、そこまで心配する必要はないわよ、アラ
ン。常日頃から大丈夫だって言ってるのに、どうしてそう信用ない
のかしら﹂
﹁お前の普段の行いが悪いからだろ。俺だって毎日小言なんて言い
たくないが﹂
﹁それはどうかしら、私に説教する時のアランって、生き生きして
るように見えるけど? 私を愛してるのはわかってるから、必要以
上にかまう必要ないわよ。私だって我が身が可愛いもの﹂
﹁誤解を生むような言動はするな!﹂
アランが噛み付くように怒鳴ると、レオナールはニヤリと笑った。
﹁あらあら、元気ねぇ? いつも通り問題なさそうで安心したわ、
アランちゃん。⋮⋮元気ないように見えたのは気のせいだったみた
いね﹂
アランは渋面で黙り込んだ。レオナールはそんなアランの肩をポ
ンと叩くと、ニッコリ笑った。
﹁やぁね、そんなしかめっ面してたら、顔にしわが増えるわよ。つ
いでに髪も薄くなるかもね﹂
﹁余計なお世話だ!!﹂
アランが唸るように叫ぶと、レオナールは心底楽しそうに笑み崩
れた。そんな二人を見て、ダオルは苦笑した。
1830
◇◇◇◇◇
アランがジャコブの言葉を伝え、一行は幼竜を厩舎に残し、冒険
者ギルドへ向かった。
﹁いいかげん機嫌直しなさいよ、アラン﹂
﹁あ? 誰のせいだと思ってんだ、レオ。だいたいな、お前はどう
してそういう人の気に障るような、相手を挑発するような言動ばか
りするんだ。
自ら諍いの種を作るような真似をするな。そういう態度が、厄介
事を呼び寄せる元なんだぞ。わかってるのか?﹂
﹁やぁね、相手が笑ってる時に本性は見えないわ。怒って感情的に
なっている時にこそ、本音や本性が見えるんじゃない。相手への理
解を深めるには、怒らせるのが一番よ﹂
﹁でもお前、意図せず怒らせることの方が断然多いよな!? しか
も、わざと怒らせた時も後始末とかちっとも考えないだろうが!!﹂
﹁まぁ、そんなどうでも良いことは気にしない方が良いわよ。気に
するだけ無駄でしょ﹂
﹁どうでも良くないからな!?﹂
﹁アラン、しつこい﹂
1831
レオナールは大仰に肩をすくめた。ダニエルが大声を上げて笑う。
﹁ハハッ、お前ら相変わらず仲良いな! 楽しそうで何よりだ﹂
﹁笑い事じゃねぇ!!﹂
アランが真っ赤な顔で怒鳴った。そんな三人をダオルが微笑まし
げに見つめ、ルヴィリアが胡乱げな目を向けている。嫌がるアラン
の髪をグシャグシャ掻き回していたダニエルが、ふと右手の民家の
屋根を見て、手を止めた。
﹁どうしたの? 師匠﹂
怪訝な顔で尋ねたレオナールに、ダニエルが微笑んだ。
﹁いや、何でもない﹂
そう言って、レオナールの頭頂部を右手で掴むと、そのままワシ
ャワシャとかき混ぜた。
﹁ちょっと! やめてってば!!﹂
﹁アハハッ、そう嫌がるなよ、レオ。そんなに嫌がられると、力尽
きるまで撫で回したくなるだろう?﹂
﹁どう考えても、私より師匠の方が、人迷惑よね!﹂
﹁いやいや、可愛がってるだけだろう。俺は楽しいぞ﹂
﹁私は楽しくないから、やめて!﹂
1832
﹁いいかげん諦めて慣れろ。騒ぐと俺のおもちゃになるだけだぞ?﹂
﹁⋮⋮おもちゃにしてる自覚はあるのね﹂
﹁ハハッ、気にすんな!﹂
アランはレオナールがダニエルにかまわれている間に、二人から
距離を取ってダオルの隣に並んだ。
﹁疲れた顔だな﹂
ダオルが言うと、アランは肩をすくめた。
﹁あのおっさん、バカ力だからな。首が折れるとまでは言わないが、
乱暴過ぎるんだよ﹂
﹁⋮⋮あれは大丈夫なのか?﹂
﹁まぁ、本当に嫌なら今頃レオは殴るか蹴ってるだろ。当たるかど
うかはともかく﹂
﹁なるほど﹂
溜息をつきながらアランが言うと、ダオルは頷いた。
﹁でも、レオが人に触れられるのが苦手なの知ってて撫で回すのは、
正直性格悪いとは思うが﹂
﹁そうなのか?﹂
1833
﹁ああ。でも、言ったように本気で嫌なら抵抗するから、言うほど
嫌がってるわけじゃない。あいつ、ハーフエルフだからか、人間よ
りちょっと体温低めなんだよな。人間の体温は気持ち悪いって言っ
てた﹂
﹁それをダニエルは知っているのか?﹂
﹁だから性格悪いって言っているんだ。鍛錬とか教えるために触る
のはともかく、嫌がられるのわかっててやるんだから。許されると
わかってるからやるんだろうけど、あれじゃ嫌われても同情できな
い﹂
アランの言葉に、ダオルは呆れたような視線をダニエルに向けた。
1834
38 似たもの師弟︵後書き︶
だいぶ削ったのに雑談多くなりました。
以下修正
×以前
○上記削除
×目蓋を
○目を
×野放し
○放任
×斬り捨てて
○切り捨てて
×を許されると
○許されると
1835
39 師匠は暴露する
﹁悪かった﹂
昼二つ目の鐘で休憩に入ったジャコブと共に、一行は︽豊穣なる
麦と葡萄と天の恵み亭︾へ向かった。一番奥の個室へ案内され、全
員席についたところで、ジャコブが立ったまま深々と頭を下げた。
﹁俺の上司である事務局長と、受付二人、事務局長の走狗である冒
険者四名。こいつらが新しいラーヌ駐屯所責任者、マクシミリアン
大佐に情報を漏らしていた。
オレは全く気付かなかったんだが、どうやら以前からそんなこと
をやっていたらしい。冒険者ギルドを代表して詫びたい。本当にす
まなかった﹂
﹁ジャコブ、別にお前のせいじゃないし、お前がどうにかしようと
して防げたことじゃないんだろう? それに、それ、ラーヌ支部ギ
ルドマスターも係わってるんじゃないのか?﹂
アランが言うと、ジャコブは苦渋に満ちた表情になる。
﹁ああ、その可能性はある。確証はないが﹂
﹁だったら、仕方ないだろ。どうせ俺達はラーヌじゃなくロランが
本拠地だ。用が済めば、ラーヌを出るから問題ない。ただ、ここに
残るジャコブは大変だと思うが﹂
アランは苦笑した。ダニエルが明るく笑いながら言った。
1836
﹁心配しなくて良いぞ。マクシミリアン大佐は近々更迭されるし、
ラーヌ支部のギルドマスターも異動になって、ついでに色々テコ入
れされるから、かなり風通しが良くなるはずだ。
職員は過半数が入れ替えになるから、残される実務に当たる職員
には迷惑掛けると思うが、悪ぃな。ちょっと目に余ったんで、ざっ
と二十人くらい更迭する予定だ。あ、これ極秘だから漏らすなよ﹂
ダニエルの言葉に、ジャコブもアランも目をむいた。
﹁おい、初耳だぞ!﹂
アランが叫ぶと、ダニエルは肩をすくめた。
﹁そりゃ初めて言ったからな。ああ、ジャコブ、あんたには言って
なかったかな。俺、今、冒険者ギルドの名誉顧問と監査やってんだ
よ。
前回、証拠不十分で処分できなかったのが何名かいたから、部下
に内偵させてたんだが、今回全部で領兵団と合わせて五十名近く処
分することになった。セヴィルース伯のとこにも言ってあるから、
早ければ今日、遅くとも明日か明後日くらいまでには全部片が付く
予定だ。
本当に感謝してるぞ、レオ、アラン。お前ら突っ込んで放置して
おくと、予想できないような面白いことになるよな。それ、すっげ
ぇ才能だぞ。まったく羨ましいくらいだ﹂
﹁⋮⋮なっ⋮⋮!﹂
機嫌良さげに鼻歌交じりで言うダニエルに、アランはポカンと口
を開けて固まった。レオナールが半眼になった。
1837
﹁何、ソレ。ねぇ師匠、聞きたいんだけど、前回あれ、本当に王都
に帰ったの?﹂
﹁どう思う?﹂
ニヤニヤと笑うダニエルに、レオナールは眉をひそめた。
﹁帰るフリしてラーヌ近隣に潜んでいても、おかしくないわね。師
匠なら、専用装備や道具がなくても、野営で音を上げることなんて
なさそうだし。魔獣の生肉を食べられるなら、火はいらないもの﹂
﹁王都から早く帰還しろって連絡来たのは、嘘じゃないぞ。ただ、
一度戻っていくつか用件済ませて、さっさととんぼ返りしたってだ
けだ﹂
﹁⋮⋮おっさんに振り回される人達が、気の毒だな﹂
アランがぼやくように言って、テーブルに突っ伏した。ダオルも
額を手で覆って俯いており、ルヴィリアは我関せずとばかりにそっ
ぽ向いている。
寝耳に水なことを聞かされたジャコブの顔は引きつっていた。レ
オナールは大きく伸びをした。
﹁まぁ、いずれにせよ私には関係ないからどうでも良いけど、今回
はどのくらいいるの?﹂
﹁これからしばらくちょっと忙しくなるかな。悪ぃな、レオ。今回
はお前らにかまってる暇なさそうだ。また時間が取れたら遊んでや
るから、それまで良い子にしてろよ?﹂
1838
﹁師匠の言う﹃良い子﹄ってどういう意味かわからないわ。私が私
らしくあれって意味なら、そんなこと言われるまでもないけど﹂
﹁そんなの決まってるだろ。死なない程度に楽しんでろってことだ。
俺が放置している間に死んでたらどうにもできないが、生きている
分には問題ない。
だいたいのことはどうにかしてやるけど、無理・無茶・無謀なこ
とはすんな﹂
﹁無理・無茶・無謀の定義を教えて欲しいわね﹂
﹁命大事に?﹂
﹁聞かれても困るんだけど﹂
ダニエルが首を傾げて言うと、レオナールは白々とした目で見返
す。
﹁やめろよ、レオ! おっさんはちょっとしたことで傷付くんだか
ら、優しくしてくれ!! そんな目で見るのはやめてくれっ!! お前の真顔恐いんだから、勘弁してくれよ﹂
﹁笑えば良いの? でも師匠、冷たくされるの大好きでしょう。懐
かれたり、馴れ馴れしくされたら逃げるくせに良く言うわ﹂
﹁ちっげぇよ! 俺を変態みたいに言うな! 頼むから!!﹂
鼻で笑うレオナールを拝むダニエルを尻目に、アランがムクリと
顔を上げて、深々と溜息をついた。
1839
﹁まぁ、バカの戯れはともかく、ジャコブ、何か俺達に聞きたい事
があるって言うんじゃなかったか?﹂
﹁あっ⋮⋮ああ、そう。それなんだが、正確には俺じゃなくてアン
トニオがな﹂
﹁へぇ、アントニオも来るのか?﹂
﹁そのはずなんだが、あいつ、朝が弱くて遅れてるようなんだよ。
重ね重ねすまない﹂
ジャコブが頭を下げて謝罪した。
﹁なら、アントニオが来てから食事にするのか?﹂
﹁いや、先に食事を始めた方が良い。全く来ないということはない
が、どれだけ遅れてくるかわからないからな。あいつを待つのは時
間がもったいない﹂
﹁なら、始めるか。料理は頼んであるのか?﹂
﹁ああ、飲み物はどうする?﹂
﹁大衆食堂ならエールを頼むところだが、高級料亭は良くわからな
いから、まかせる﹂
﹁昼間だから、無難にワインか果実酒にしておくか﹂
﹁あ、私は蜂蜜酒をお願い﹂
1840
ルヴィリアが言った。
﹁ダオルはどうする?﹂
アランが尋ねると、ダオルは首を左右に振った。
﹁料理も酒も良くわからないから、まかせる。特に希望はない﹂
﹁わかった。そういうことだからジャコブ、頼む﹂
﹁あの二人は?﹂
﹁味音痴には聞くだけ無駄だから気にしなくて良い。言っただろ、
毒が入ってなければ文句は言わないって。飲み食いできれば問題な
いってやつに、好みがどうとか聞いても、まともな返答なんてない
から問題ない。どうせ何でも良いとか言うに決まってる﹂
﹁そうか、それで良いなら適当に頼んでくる﹂
ジャコブは給仕に注文しに出て行った。
﹁レオ、お前、だんだん中身がシーラに似てきたな。その毒舌と辛
辣さ、まさに血だな。ちょっと前まで見た目もシーラそっくりだっ
たのに、身長や体格はともかくどことなくイライアスに似てきてる
ってエルフの血はどれだけ強いんだ。ジルベールの要素が皆無なん
だが﹂
﹁イなんとかさんとか、ジなんとかさんとか、顔も見た事ない人に
似てるだの似てないだの言われても、知ったことじゃないわね﹂
1841
﹁イライアスにジルベール、な。ちなみにお前の伯父と父親の名前
だぞ﹂
﹁そんなどうでも良いこと言われても。一生会う機会なんてないん
だから、記憶する必要ないでしょ﹂
﹁ジルベールは死んじまったから会いたくても会えないが、イライ
アスの方はまだまだ死にそうにないから、お前が死ななけりゃその
内会うことになると思うぞ﹂
﹁エルフの村長、だったかしら?﹂
﹁エルフは村長って言わねぇんだよ、族長って言うんだ。部族ごと
に集落作ってるからな。エルフ至上主義の超高飛車でムカつく野郎
だから、会わずに済むなら一生会わない方が良いと思うが、向こう
の方が放っておいてくれねぇだろうよ。
もし、そいつの使いってやつがお前を訪ねて来たら間違いなく敵
だから、人目のないとこなら殺っても良いぞ。こっそりバレないよ
うにな﹂
内緒話にしては大きすぎるダニエルの声に、アランが眉を上げた。
﹁おい、おっさん! 物騒なことレオに吹き込むな!! ムカつく
嫌なやつだからって、いちいち殺してたら小事を大事にするだけだ
ろうが!﹂
﹁仕方ないだろ。本来なら全部俺が始末しておきたいとこだが、漏
れがないとは限らねぇからな﹂
1842
﹁許可が出たなら、心置きなく殺せるわね﹂
アランの激昂に、ダニエルは肩をすくめて笑った。レオナールは
満面の笑みを浮かべ、ウットリと楽しそうに言う。途端にアランは
真っ青になった。
﹁おいっ、レオ!!﹂
﹁大丈夫だ、アラン。やつの使者として来るエルフは市民権とか持
ってないから、殺しても犯罪にはならない。おおっぴらにやると一
般市民にドン引きされるから、控えた方が良いが。だから、そんな
に心配しなくて良いぞ﹂
﹁そういう意味じゃねぇよ! 下手に人殺しに慣れたら、心が汚れ
るだろ!!﹂
アランの言葉に、ダニエルは目をパチクリとさせた。
﹁うん? どういう意味だ﹂
不思議そうに問うダニエルに、アランは苦虫を噛み潰したような
顔になった。
﹁レオがおっさんみたいな汚れた大人になったらどうすんだよ。レ
オは素直で真っ直ぐなのが取り柄なんだ。魔獣や魔物ならともかく、
正当防衛でもお尋ね者でもない人間や亜人を殺し慣れたら、どうし
ても倫理観が歪むだろう。
人の心は、一度傷付いたり荒んだりすると、取り返しがつかない
んだ。魔法や魔術でも、どうにもならない。おっさんは自分が鈍い
からって、他人も同じだと思うなよ。
1843
おっさんと違って、レオは素直だから他人の言葉を疑わないんだ。
そのままの形で、吟味することなく、愚直なまでに信じて受け入れ
てしまう。明らかに間違ったことでもな﹂
アランが言うと、ダニエルは真顔になった。
﹁なぁ、アラン。それはちょっとレオを見くびり過ぎだろ。言って
おくが、レオはお前が思うほど柔じゃないし、純真無垢でもないぞ。
レオは確かにバカに見えるけど、お前に見えるものだけが真実っ
てわけじゃない。そういうのは、俺に言うんじゃなくて、レオと二
人で話し合うべきだろ。
前から思ってたが、お前ら腹を割った話し合いが足りなさすぎだ。
相手の本音知るのはイタイことばかりじゃねぇぞ。意見が合わなく
てぶつかり合って喧嘩になったとしても、それを避けてすれ違うよ
りは、よっぽど良い。
想像や思い込みで考えてるより、実際当人同士で真面目に膝を突
き合わせて話し合った方が、後々益になる。相手の反応恐れて本音
ぶつけ合わずにいても、問題を先送りすることにしかならっ⋮⋮痛
っ、何すんだよ、レオ!﹂
﹁あら、ごめんなさい。足を組み替えたら、ちょっとぶつかったか
しら?﹂
﹁いやいや、思い切りつま先踏んでるからな! ちょっとじゃねぇ
ぞ、おい!!﹂
笑顔でダニエルのつま先を、ぶ厚く重いブーツでグリグリ踏みに
じるレオナールに、ダニエルがたまらず押しのける。
﹁レオ?﹂
1844
アランが怪訝そうに眉をひそめ、レオナールを見つめる。レオナ
ールは大仰に肩をすくめた。
﹁あ∼もう、お腹空いたわ。空腹で眩暈がしそう。喉も渇いたわね﹂
﹁なぁ、レオ。⋮⋮ちょっと聞きたいことがあるんだが、﹂
アランが言い掛けたところで、部屋の扉が開いてジャコブが給仕
と共に現れた。
﹁悪い、待たせたな﹂
アランは口を開き掛け、諦めたように深々と溜息をついた。
﹁⋮⋮わかった、後でな﹂
レオナールは返事をする代わりに、伸びをした。そのついでにダ
ニエルの脇腹に肘鉄を食らわすことも忘れなかった。
﹁痛っ⋮⋮なぁ、おい、レオ。俺に当たるのはよせ。お前らのため
を思って言ってるんだぞ﹂
﹁師匠、うるさい﹂
レオナールはツンとそっぽを向いて、両目を閉じた。
﹁自分に都合悪くなると、聞こえないふりしたり、無反応になるの
はお前の一番悪い癖だぞ、レオ。それで何もかも全部ごまかせると
思ったら大間違いなんだからな﹂
1845
ダニエルがそう言ったが、レオナールは目を閉じたまま反応しな
い。アランが苦い顔で、ダニエルに尋ねた。
﹁なぁ、おっさん、もしかして⋮⋮﹂
﹁だから、そういうのは当人同士で話すのが一番だろ。他から聞い
たって、結局お前らが納得できなきゃ意味ねぇだろうが。
一つだけ言っておくが、別に何もかもが嘘だってわけじゃないぞ。
一応あれでも色々と考えてるし、お前のことを嫌ったり拒んでるわ
けでもない。ただ、お前もあいつもズレてるだけだ。
アランは色々余計な事を考え過ぎる上に思い込みが激しすぎるし、
レオは他意なく頭良いのか悪いのかよくわからないことをしでかす
からな。
俺からしたら、お前ら面白いけど、ちょっと面倒臭いとこあるよ
な。なんでそうなるのか、俺にはちっともわからねぇけど嫌いじゃ
ねぇぞ、そういうの﹂
ダニエルがニヤニヤ笑いながら言った。アランはしばし瞑目し深
呼吸してから、レオナールに向き直り、肩に手を置いた。
﹁レオ、後で面貸せ。逃げるなよ。逃げても無駄だからな﹂
真顔で睨むように言うアランに、レオナールは髪を掻き上げ、ぐ
しゃりと握り込むと、呻くように小声で呟いた。
﹁⋮⋮うぅ、あ∼、もぉ、最悪⋮⋮師匠なんか、地獄に落ちれば良
いのに﹂
アランは眉間に皺を寄せた。
1846
39 師匠は暴露する︵後書き︶
ここで切るなよ、と言われそうな気もしますが、キリが良い?ので
今回はここまで。
ダニエルは空気は読めても読まない。
レオナールは最初から読む気がないので、読まない。
アランは読む気はあるけど、あまり読めてない。
以下修正。
×腕を掴んで押しのける
○押しのける
1847
40 情報屋は時折おちゃめ︵ただし評価は人による︶
結局アントニオがやって来たのは、メインの肉料理が出た頃だっ
た。
﹁よぉ、久しぶり。先だってはすまなかったな﹂
アントニオが声を掛けると、
﹁いくらなんでも遅すぎだろ、おい﹂
と、ジャコブが文句を言い、アランがぎこちなく笑みを浮かべて
会釈し、ダオルが目礼し、ルヴィリアが無言で頭を下げる。レオナ
ールは無反応、ダニエルは食事に没頭している。
﹁ああ悪い、遅くなった。⋮⋮なんだか妙な空気じゃないか?﹂
アントニオが首を傾げて言った。ジャコブが眉を下げて、肩をす
くめた。ダニエルは下品にならない程度に無言でガツガツと食べ続
け、ルヴィリアは我関せずとばかりに食事に戻り、ダオルが時折手
を休めて気遣わしげにレオナールとアランを見ている。
アランは黙々と食事しつつも、レオナールを注視し、レオナール
は人形のような無表情で僅かに目を伏せ、料理を黙々と平らげてい
る。
﹁本題、は食事が済んでからにした方が良いか﹂
アントニオはそう言うと、空いている椅子にどっかりと腰掛けた。
1848
そしておもむろにテーブルに持ち込みの酒の瓶と木製のマグを置く
と、手酌でなみなみと注いだ。
﹁おい、それはさすがにまずいだろう﹂
ジャコブが眉をひそめるが、アントニオは構わず酒をあおった。
﹁どうせ個室だ。他に見られるわけじゃない﹂
﹁そう言えばそれ、手に持って入って来たな。店の入口で注意され
なかったのか?﹂
﹁いや。だいたい、注意するならまず服装だろう﹂
そう言うアントニオは、いつ洗濯したのか不明なよれて黄ばみ垢
に汚れた木綿のシャツに、汚れているのか不自然なまだら色のチュ
ニック、糸がほつれ、つぎの当たった丈の合わないちびた下衣を着
ている。
﹁お前⋮⋮いつもに輪を掛けてひどいな、それ。自覚があるなら、
せめて着替えて来いよ﹂
﹁ねぐらに帰る時間がなかったんで、そのまま来た。スラムじゃこ
の格好の方が目立たないんだ﹂
﹁スラム?﹂
あっという間に皿を空にしたダニエルが、疑問の声を上げた。
﹁はじめまして、︽疾風迅雷︾殿。あんたの前で言うことじゃない
1849
んだろうが、スラムってのは案外、人も物も情報も集まりやすくて
ね。もちろん、頭に﹃非合法の﹄がつくが﹂
アントニオが物憂げに欠伸をし、禿頭を掻きながら言った。
﹁ああ、なるほどな。王都しか知らねぇけど、どこの町でもそうな
のか?﹂
﹁ラーヌに関してはそうだな。他の町に関しては伝聞でしか知らな
い。生まれてこの方、町の外には出た事がないんでな﹂
﹁そうか。時間があれば色々話を聞いてみたいところだが、またの
機会が良いかな﹂
﹁その方が良いだろう。またの機会がいつになるかは不明だが﹂
アントニオが新しく酒をついでグイッとあおり、懐から岩塩の入
った革袋を取り出し舌でペロリと一舐めして、更にあおって飲み干
した。
﹁おい、酒臭いぞ。どれだけ飲んでるんだ﹂
ジャコブが顔をしかめると、アントニオはクククと笑い声を漏ら
す。
﹁大丈夫だ、酔ってはいない。朝食はいつも酒と岩塩だけだが、病
気になったこともないから問題ない﹂
﹁朝食じゃなくてもう昼だ。一応お前の分も注文してあるんだが﹂
1850
ジャコブが渋面で言うと、アントニオはクククと笑いながら言っ
た。
﹁いらん。夜型の人間にとっちゃ、日が天にある内はまだ朝だ﹂
こりゃ駄目だと言わんばかりに、ジャコブは顔を両手で覆った。
ダニエルが大きな笑い声を上げた。
﹁良いな、そういうの。俺もそういう生活すっげぇ憧れる! お日
さんが照ってる内は寝てりゃ、面倒臭ぇやつの大半と顔を合わせず
済むもんな!!﹂
﹁それが、昼間は活動しないが夜だけ活動する連中もいるんだ。面
倒なやつと顔を合わせたくないなら、人里離れた秘境で誰とも会わ
ずに生活する方が早い﹂
﹁それもそれで面倒だな。衣食住はともかく、酒のない生活はでき
る気がしねぇな。一手で四方八方丸く収まるような上手い方法はな
いってことか﹂
ダニエルがはぁ、と溜息ついて肩をすくめた。アランがチラリと
ダニエルを横目で見てから、酒が入ってるせいかいつもより上気し、
快活な様子のアントニオに視線を向けた。
﹁俺達に用件があるって話だったが、何か不備や不足があったか?
再調査が必要ってことだと、森に入れるかわからないから、いつ
になるかわからないんだが﹂
憂鬱そうなアランの言葉に、アントニオはゆったり大きく首を左
右に振った。
1851
﹁ああ、いや、そういうことじゃない。俺がお前らに出した依頼に
関しては、もういい。巨大蜘蛛に襲われて遺体が戻ってきただけで
も御の字だ。感謝している。
その件に全く関係ないわけではないが、食事を終えてから話した
方が良いだろう﹂
﹁食欲が失せるような話か?﹂
アランが眉をひそめて言うと、アントニオは唇を歪めて笑った。
﹁そうだな、感受性や想像力が豊かなら、場合によってはそうなる
かもな。聞いてあまり気分が良くなる話とは言い難い﹂
アントニオに言葉に、アランは顔をしかめた。
﹁なんだか嫌な予感がするな。それを聞いたら、面倒事に巻き込ま
れそうだ﹂
﹁安心しろ、領兵団にしょっ引かれるような内容じゃない。人前で
おおっぴらに話す内容でもないが﹂
アントニオがちっとも安心できない笑顔で言う。アランは憂鬱そ
うに、深く長い溜息をついた。
﹁おい、アラン。早く食べないと折角の良い肉が冷めるぞ。良くわ
からんがうまいな、これ。ドラゴンの生肉には負けるが﹂
﹁⋮⋮ドラゴンの生肉なんて食べたら、普通の人間は吐き戻しそう
なんだが﹂
1852
﹁慣れたらうまいぞ﹂
﹁慣れなきゃ食えないようなもの、誰がわざわざ食うんだ。自分を
基準にするのはやめろ﹂
アランは嫌そうにダニエルを睨んだ。
◇◇◇◇◇
全員が食事を終えた後、酒やジュース、紅茶、水を注文して全員
に行き渡り、給仕が退室したところで、本題となった。
﹁で、いったい何の話なんだ?﹂
アランが促すように言うと、アントニオが無精髭の生えた顎を撫
でさすりながら言った。
﹁︽過去視︾を知っているか?﹂
﹁物語や伝説に出て来るやつなら。物品とか、人が魔物に殺された
場所とかで︽過去視︾を使って、過去にあった出来事の映像を見る、
ってやつだったか。魔術としてはまずあり得ない、実在しない伝説
の魔法だな﹂
﹁知人でそいつを使えるやつがいる。もちろん表立ってそんなこと
は公表していないが、俺の情報源の一つとして、時折報酬を払って
視て貰っている。人は嘘をつくが、物や非生物は嘘をつかないから
1853
な。
音声を聞くことはできない上に、一年以上前の過去は視られない
となどといった欠点はあるが、過去にあった出来事を映像で視られ
るというのは最大の強味だ﹂
それを聞いたレオナール以外の全員が目を瞠った。レオナールは
聞いているのかいないのか、時折水をちびちび飲む他は、目を閉じ
たままほとんど動かない。
﹁お前達が持ち帰ってくれた遺体に︽過去視︾を使ったところ、確
かにエリクのものであること、巨大蜘蛛に襲われて死んだことが確
認できた。
その他に巨大蜘蛛の襲撃を受ける前、エリクは魔術師風の黒いロ
ーブ姿の三人組の後を追っていた﹂
﹁!?﹂
ダニエルの顔が真剣なものになった。
﹁おい、それ、他の誰かに言ったか?﹂
﹁いや。今のところ、この話をしたのはこれが初めてだ。だから︽
過去視︾を使った術者以外では、他にいない﹂
﹁そうか。それは、おそらく︽混沌神の信奉者︾だと思う。その三
人組の名や容姿などはわかるか? あと⋮⋮その中にエルフはいた
か?﹂
﹁一人を除いてフードを被っていなかったから、内二人は人間であ
ることはわかっている。いずれも若い男でおそらく貴族、もしくは
1854
富裕な平民だ。フードを被っていた男の顔は確認できなかったが、
細身だったから、もしかするとエルフという可能性はある。だが、
確実ではない﹂
﹁なぁ、アラン。確かお前らが︽混沌神の信奉者︾の本拠地らしき
洞窟へ転移した時、エルフと会ったんだよな? 身長や体格は覚え
ているか?﹂
﹁目視で俺の身長より指三本ほど高かった。フードを目深に被り、
銀色の仮面をつけていたが、それらを外したところ、まごう事なく
エルフだった。死人とまでは言わないが、病的なくらい青白い肌と
濃い金髪に長く尖った耳、細すぎる顔と骨格。
肩幅は一般的な女性と同じくらい、人間だったら病人のような痩
身で、おそらく純粋な魔術師だ。魔術の発動体も所持していた﹂
ダニエルに尋ねられ、アランが答えた。
﹁身長1.86メトルか。思ってたより高いな﹂
﹁なんだ、どのくらいだと思ってたんだ?﹂
﹁1.7半ば、加えて金髪碧眼の魔術師││もとい、魔導師のエル
フだったら、気を付けろ。そいつ、エルフ名はやたら長いから覚え
てないが、通称イライアスは詠唱速度がものすごく速い。
高ランク魔術も使えるが、低ランクから中ランク魔術を魔法具並
に発動・連発できる上に、使い方がいやらしい。︽風の刃︾で牽制・
誘導しておいて、︽落とし穴︾とかな。
あと、一番得意なのが︽隠蔽︾︽認識阻害︾︽知覚減衰︾など幻
術系だ﹂
1855
﹁えっ⋮⋮それって、まさか!!﹂
ダニエルの言葉に、思わずアランが椅子を蹴りつけるように立ち
上がる。
﹁幻術系はそれを受けた経験があるのとないとじゃ、だいぶ印象が
違う魔術だ。あれを使われるとどうなるかは、身にしみて味わわさ
れただろう、アラン。
俺が初めて魔法・魔術を脅威と感じたのも、幻術魔法だ。あれは、
口頭でどれだけその危険性を語られても、本当の恐さはわからない。
自分の知覚・認識が低下し曖昧になり、それにしたがって判断力
も低下する。だが、その自覚は全くない。他の魔術と重ねがけされ
ることによって、更に判別しにくくなる。
たいした罠や魔獣がいない場所でもそれが多用されれば、おのず
と過誤が量産され、︽魔法解除︾やそれに代わる手段がなければ、
最悪全滅の危険がある。
あの陰険クソ野郎の大好きなやり方そっくりだ。だからといって、
ヤツが関わっているって証拠はこれっぽっちもねぇし、めったなこ
とじゃ森の外へは出て来ないから、あいつの仕業だとは明言できね
ぇけどな﹂
ダニエルの言葉に、アランは眉間に皺を寄せた。
﹁⋮⋮これはただの勘で、確証はないんだが、あの洞窟に使われて
いた魔術や魔法陣、巨大蜘蛛がいた床の古代魔法文字を刻んだ人物
が、もし同一人物だとしたら、ダンジョン化した領主様の別邸、ゴ
ブリンの巣、コボルトの巣に関わったやつも、そいつだと思う。
使われていた古代魔法文字の筆致が似ていることに加えて、その
やり口が良く似ている。何かの研究をしているのか、それとも何か
目的があってそうしてるのかはわからないが、おぼろげながら意図
1856
は見えてきた、ような気がする﹂
アランがそう言うと、ダニエルはびっくりしたように目をパチク
リとさせた。
﹁意図が見えてきた、だと?﹂
﹁ような気がする、だ。断定はしていない。そうするにはまだ色々
と情報が足りない。何のためにそんなことをするのかはわからない
が、少なくとも俺達に残された文言からは、愉快犯的な臭いが感じ
られる。
たぶんそいつは頭は良いんだろう。そして、自分に自信があり、
自尊心や自己顕示欲、虚栄心が強い。実際の年齢より精神は幼く、
知識は豊富だが実践経験などは少なく、倫理より自らの欲求・欲望
を優先させがちで、他者による叱責や忠告などはあまり聞き入れず、
寛容の心が少なく、狭量﹂
アランが淡々とした口調で言うと、ダニエルが素っ頓狂な歓声を
上げた。
﹁うぉおっ、すっげーアラン! 何だよそれ!! 一面識もないの
に、あのクソ野郎を表現するのにぴったりだ、それ!! 何、お前、
天才なの!? 見えないものとか知らないものが見えちゃう神の加
護とか持ってんのか!?﹂
﹁は? 知らねぇよ。っていうか、声が無駄にでかくてうるさいん
だよ。室外にまで聞こえたらどうするんだ。店の迷惑だろ。イイト
シしたおっさんのくせして、こんなところで騒ぐなよ﹂
﹁うっ、一瞬アランが目映く見えたのに⋮⋮いつも通り過ぎて、心
1857
がイタイ﹂
ダニエルは大仰な仕草で心臓付近を手で押さえると、呻くように
テーブルに突っ伏した。
﹁よくわからないんだけど、そのエルフが関わっている可能性が高
いから気を付けろってこと?﹂
ルヴィリアが口を開いた。ダニエルがのそりと顔を上げ、だらし
なく頬杖をついた。
﹁まぁ、そういうことだな。アランの評に付け加えるなら、イライ
アスは執念深く偏屈で、思い込みが激しい。しかも、何をやらかし
ても﹃自分は正しい﹄と思っているのが一番ヤバイ﹂
﹁つまり確信犯ってやつ?﹂
﹁そうだ。普段は理屈とか理論とかこねくり回すのが大好きなのに、
自分が正しいと思い込んでいることに関しては、頭がおかしいレベ
ルで話が通じない。理性的な狂人ってやつだな。
軽い日常会話をする分には、全く常人に見えるし、人によっては
理知的で落ち着いた魅力的な人物に見える。だが、ある種の話題に
なると、途端におかしくなる。なのに終始一貫して理路整然として
いる﹂
﹁おかしくなるのに、理路整然? どういう意味だよ、それ﹂
﹁あれを聞いて納得したり洗脳されるのは、バカと、自分はバカじ
ゃないと思ってるバカと、自分に自信のないバカくらいだろうな。
あいつ、引き籠もりだが年だけは食ってるから。記憶違いでなけれ
1858
ば、百二十歳くらいのはずだ﹂
﹁百二十歳⋮⋮﹂
﹁見た目は俺より若いけどな﹂
ダニエルの言葉に、アランが大きく目を見開いた。
﹁そりゃ化け物だな! あっ、でもエルフはそういう種族だから当
然か。おっさんがおかしいだけだな﹂
﹁おい、なんでそこで俺を罵る必要があるんだ﹂
﹁いや、普通の四十代はおっさんみたいな見た目してないからな。
中身が年相応でないのはともかく、どうしてその年齢で顔に皺がな
く肌つやも良いのか、その謎が解けたら世のご婦人方が驚喜するだ
ろうよ﹂
﹁だからお前も魔獣の生肉食えって﹂
﹁何故そうなる。絶対食わないぞ。食う前から腹を壊すとわかって
いてそれを食うやつがいたら、バカというより狂人だろ。おっさん
は自分が人外だという自覚を持て!﹂
﹁だからさぁ、食えばわかるって。そりゃ、慣れない内は食う度に
吐くし下すが、それを毎食毎日繰り返してたら、その内慣れて普通
に消化できるようになるんだよ。あっ、吐き下し続ける間は十分水
分取らないと下手すると死ぬからな!﹂
﹁だから、食わないって言ってんだろ! 人の話はちゃんと聞けよ
1859
!!﹂
﹁俺が若くて頑健なのは、たぶん常習的に魔獣の生き血や内臓・生
肉を食ってるからだ。というわけで、この説を実証するためにアラ
ン、試してみろって﹂
﹁絶対嫌だ! そんなことしたら死ぬだろ、俺が!!﹂
﹁や∼、だって、魔獣の生肉食う前は、普通の少年だったんだぞ、
俺。だからきっと、それが原因だって、きっと。誰もやりたがらな
いから実証はされてないけど。
ほら、魔獣や魔物って幼体はいるけど、成体になってからあまり
老いないだろう? 怪我や病気で弱った個体はいても、老化で能力
が劣化する個体って少ないじゃねぇか﹂
﹁そんなことはないぞ。この前、討伐した一匹目のゴブリンキング
は老齢だったのか、若いキングに比べて弱かった。まぁ、どちらか
というとナイトとクイーンの方が強い個体だったから、個体差が激
しすぎて、比較対象としては適切じゃないが。
老化して能力が劣化した個体は、弱肉強食の魔獣や魔物たちの中
で自然淘汰されるから、人間の目に触れる機会が少ないだけじゃな
いのか?
だいたい能力や魔力は、人によっては高齢でも成長する場合があ
るって学説・事例があるんだから、それらが成長するような経験が
あれば、飛躍的に伸びることがあっても不思議じゃないだろ。
とりあえず、人に生肉勧めるな! 想像しただけで吐き気がする
!!﹂
アランが真顔で睨むと、ダニエルは大仰に肩をすくめた。
1860
﹁なんで皆、すすめても食わねぇんだろ。慣れたら病みつきになる
ほどうまいのに﹂
﹁当然だ。ある程度文化的な生活したことのある者が、吐き下した
り熱を出すかもしれないと言われて不衛生な生肉を口にするはずが
ない﹂
眉間に皺を寄せて、ダオルが言った。
﹁不衛生ではないぞ、獲りたてなら。まぁ、寄生虫とかはいるかも
しれないが﹂
﹁それを不衛生と言うんだ。頭の悪いことを言うな、ダニエル﹂
たしなめる口調で言うダオルに、ダニエルはわざとらしい溜息を
長々とついた。
﹁どうでも良いけど、本題からずれてるわよ﹂
ルヴィリアの言葉に、レオナール以外の全員の視線がアントニオ
へと向けられた。皆の視線を受けたアントニオは苦笑を浮かべた。
﹁できれば、で良い。黒ローブ三人組の素性と、エリクが殺された
理由や原因を知りたい。これは依頼ではなく俺の個人的な頼みで、
無理ならば断ってくれてかまわない。
仕事ではないから期限は区切らないし、報酬も情報が手に入った
時になる。それが厄介な連中なら、強要はできない。たまたま情報
が得られた場合でもかまわない。
何かわかったら教えて欲しい。情報屋ではなくエリクの友人とし
て、何故彼が死んだのかを知りたい﹂
1861
淡々とした口調で言ったアントニオに、ダニエルが真顔になった。
﹁普通に考えて、目撃されたから口封じだと思うんだが、あんたは
それ以外の答えが欲しいのか?﹂
﹁その通りだ。だが、Fランクのアランとレオナールではなく、S
ランクの︽疾風迅雷︾殿に依頼して払えるほどの報酬を出せる自信
はないから、﹃何かわかったことがあって俺に教えても良いと思う
のであれば﹄で構わない。
関わるとヤバイ連中なんだろう?﹂
﹁そうだな。死んだり行方不明になったやつがたくさんいる。行方
不明の大半は、たぶん殺されて、まだ死体が見つかってないだけだ
ろう﹂
﹁大半は、ということは死んでないやつもいるのか?﹂
アランが尋ねると、ダニエルは苦笑した。
﹁ああ、一部は走狗になったり、何らかの利用価値を見いだされて
酷使されている、と予想されている﹂
﹁予想?﹂
アランは首を傾げた。
﹁死体で発見された連中の内、幾人かそうだと思われるのが混じっ
てたってことだ。生きているやつは、まだ発見されてない﹂
1862
ダニエルの返答に、アランは渋面になった。
﹁まぁ、アランが嫌いそうなやり口だよな。俺もあいつら、大っ嫌
いだが﹂
嬉しそうにニッカと笑って言うダニエルを、アランが睨んだ。
﹁おっさんは余計なことばかり言い過ぎだ。あんたを見てると﹃口
は災いの元﹄って言葉を思い出すよ。その場の空気や状況にそぐわ
ない不謹慎な態度や、繊細さに欠けるのは今更だが﹂
﹁だって、言葉や態度飾って思ってもないようなこと言ったりやっ
たりしても、時間と労力の無駄だろう。無理なものは無理だし。ほ
ら、俺ってば、根が素直だからな﹂
﹁腹黒のくせに良く言う。気ままで自由奔放に見せてるのも、本当
は作ってるだけだろ。腹の中じゃ何企んでるかわからない﹂
﹁え∼っ、アランの頭ん中で俺ってば、どれだけ腹黒設定なんだよ、
ひっでえな。他はともかく、お前らの前ではだいたい素のままだぞ。
嘘ついたり隠し事しないとは言わないけど、悪意はないから安心し
ろ﹂
﹁悪意はなくとも悪気はあるんだよな﹂
﹁なんでそうなる! 俺はお前らのこと可愛がってるだろ。何だよ、
アラン。思春期か? 反抗期ってやつなのか? 身近な大人に反発
したくなるお年頃ってやつか?﹂
﹁自分の胸に手を当てて、これまでの所業を思い返してから言えよ。
1863
天地神明に誓えるか? 誓えるって言うなら、おっさんほどの厚顔
無恥を俺は他に知らないぞ﹂
﹁え∼、面と向かってひどいこと言うなぁ、アラン。でも絶対嫌い
にならないから安心しろ!﹂
﹁そんなことは聞いてねぇよ﹂
アランは渋面で言って、アントニオに向き直った。
﹁アントニオ、俺達は今回の件が終わったらラーヌを出るつもりだ
が、何かわかればまた来る。その時は、東通りの古物店へ行けば良
いんだよな?﹂
﹁連絡手段は変わる場合もあるから、ジャコブに連絡取ってからの
方が確実だろうな。ジャコブは閑職に回されることはあっても、ク
ビにはならないだろう﹂
アントニオが真顔で言うと、ジャコブは渋面になった。
﹁おい、シャレにならない冗談はよせ﹂
﹁ギルド職員は必ずしも安定したとは言えないが、理由なく退職さ
せられることはあまりない職業だからな。良かったな、ジャコブ﹂
﹁だから、真顔で笑えない冗談を言うのはよせ!﹂
ジャコブが悲鳴のような声で叫んだ。
1864
40 情報屋は時折おちゃめ︵ただし評価は人による︶︵後書き
︶
サブタイトルが相変わらず微妙です。
登場人物が書けば書くほどおバカor変人になる気がします。
まだ無事なのは、ダオルくらいか。
以下修正。
×魔術士
○魔術師
×魔法具の並に
○魔法具並に
×生きているやつで見つかったのは
○生きているやつは
×確実だろう
○確実だろうな
1865
41 剣士の努力は魔術師を脱力させる︵前書き︶
冒頭にレオナールのモノローグが入りますが、一応前回の続きです
︵少々時間経過あり︶。
1866
41 剣士の努力は魔術師を脱力させる
レオナールはかつて、世の中には嫌なものとキライなものしかな
いのだと、思っていた。楽しい、あるいは嬉しいという感情がある
ことを知ったのは、ここ数年のことだ。
それまで、世界には自分が嫌だと思うことしかないと思っていた
から、何を見聞きしても誰に何をされても、何も感じないように心
を、思考を閉ざしていた。
何も知らなければ、感じなければ、楽だったから。痛みによる苦
痛なら、我慢できた。生きる事は、自分に苦痛しかもたらさないと
思っていたから、誰にも何にも関心を持たなかった。
﹃嫌なことは嫌だと言えよ、レオ﹄
アラン
初めて興味を持った生き物に言われた言葉の意味を、たぶん本当
の意味で理解できたのは、最初にそれを言われた数年後だった。
今も昔も、レオナールにとってアランは不思議な生き物だ。出会
ってから八年、理解しがたい生き物ではあるものの、付き合いの長
さと経験から、何となくではあるが考えている事がわかるようにな
った。
だけど、レオナールには﹃何故そうなるのか﹄がわからない。何
故なら、自分はどういう思考回路を経たとしても、アランと同じよ
うな結論には至らないし、同じようには感じないからだ。
︵だいたい、細かいことや、むずかしいことは良くわからないのよ
ね︶
師匠であるダニエルを含め、この世の大半の人のことは理解でき
1867
ていないが、アランの言いたいこと、考えていることならば、大ま
かには理解できる。しかし、だからと言って彼のことが理解できて
いるかと言えば、否である。
︵そもそも、なんで嫌なことは嫌だと言わなきゃならないのか、理
解できないのよねぇ︶
この世の大半のことは目を瞑り、耳を閉ざしていれば、たいてい
過ぎてしまう。嫌なことは抗っても良い、というのはレオナールに
とって新鮮な考えだった。
ならば、相手を殺してしまえば二度と嫌なことをされずに済むの
ではないだろうか、と考えたが、それはアランに否定された。殺し
てしまえば二度と生き返らない、つまり取り返しがつかないから、
それをすべきではない、と。
レオナールにとっては、たいていの事は二択だ。我慢し抵抗せず
に言うなりになるか、あるいは斬る││相手が動かない状態にする
││かだ。それが一番楽だと思う。その後のことを考えなくても良
い。
︵まぁ、面倒くさいことはアランが全部やってくれるらしいから、
私が考える必要ないわね。どうせ考えたって何も思いつかないし︶
だから、アランが何故、苦痛を堪えるような痛そうな顔で目の前
に立っているのか、理解できない。
﹁俺はお前を信じたいんだよ、レオ﹂
真剣な口調でそんなことを言われても、困惑する。
﹁あなたバカなの、アラン。信じたいなら信じれば良いじゃない。
1868
あなたの好きにしたら?﹂
レオナールが言うと、アランはショックを受けた顔になった。
独りよがりじゃないと俺が信じら
﹁あのな、俺がいくらお前を信じたいと思っても、お前が俺を信じ
てくれなきゃ無理なんだよ!
れなきゃ、お前を理解出来てると信じられなきゃ、何を基準にすれ
かかし
ば良い!?
俺は案山子や人形相手に友達ごっこする自信はないぞ。オーガ
程度までなら何とかギリギリ付き合えるが、スライムとかそもそも
思考能力や言語があるのかもわからないような生物と友達やれる自
信はない。
なぁ、レオ。教えてくれ、お前はいったい何を考えているんだ?﹂
レオナールは目をパチクリとさせた。アランが何を言いたいのか、
自分が何を要求されているのか、全く理解できない。だから尋ねる。
﹁どういう意味?﹂
レオナールが首を傾げてそう言うと、アランは愕然とした表情に
なった。
﹁⋮⋮本気で言ってるのか?﹂
アランの問いに、レオナールはコクリと頷く。
﹁とりあえず、私にわかるように短文でお願い、もちろん簡潔にわ
かりやすくね﹂
アランが半眼になった。
1869
︵この世の大半のことは、理解できないことばっかりだわ︶
特に、人間とそれに関わる物事が。
◇◇◇◇◇
その後、アントニオと話がしたいとダニエルが言い出し、アント
ニオお勧めの昼も営業している酒場へ行った。レオナールとアラン、
ダオル、ルヴィリアは帰宅、ジャコブはギルドへ戻った。
ルヴィリアとダオルはそれぞれの部屋へ、レオナールはアランに
﹁話がある﹂と言われて、アランの部屋に一緒に入った。
﹁おっさんが言ってたのは、どういう意味だ? お前の本音ってど
ういうことだ﹂
真顔で言うアランに、レオナールは首を傾げた。
﹁ごめんなさい、アラン。意味が良くわからないわ。もっと具体的
に言ってくれる?﹂
良くわからないから、今思っていることをそのまま言ったのだが、
レオナールの言葉を聞いたアランが痛そうな顔になるのを見て、何
か間違えたとわかった。
﹁俺はお前を信じたいんだよ、レオ﹂
わかったけれど、理解できない。
1870
﹁あなたバカなの、アラン。信じたいなら信じれば良いじゃない。
あなたの好きにしたら?﹂
自分のしたいようにしろ、とレオナールに言ったのは、アランだ
ったはずだ。なのに、何故こんなことを言われているのか、わから
ない。
レオナールの返答に傷付いた顔をされることも、理解できない。
︵どうしてそうなるのかしら︶
何やら長々と言われても、理解できないものは理解できないのだ。
アランが何に傷付いているのかも理解できないのに、これ以上何を
言ってもお互い益はないように思える。
しかし、アランはレオナールと何か話がしたいらしい。だからま
ず何が言いたいのか、わかりやすく言って欲しいと言ったら、怒っ
た。
しかも、いつものように説教するでもなく、カッとなって怒鳴る
わけでもなく、睨むというよりは強い目で見つめて、無言で静かに
ピクリと動かずに怒っている。
︵これは良くないわね︶
説教されたり怒鳴られたり、そういうわかりやすい怒り方をする
アランの対処はそれほど難しくない。気が済めば、レオナールが何
をしなくてもいずれ終わるからだ。何も言わず、内に押さえ込むよ
うに静かに怒っている時は長引く上に、何を考えているのか、何を
言いたいのかが、更にわからなくなる。
﹁お前、俺に隠していることがあるのか?﹂
1871
レオナールは首肯した。レオナールがアランに隠していることは
色々ある。だが、アランだってレオナールに隠していることはたく
さんあるはずだ。そういうのは日頃から一緒にいればすぐわかる。
内容まではわからないが。
﹁それは、いったい何故だ﹂
何故と問われても困るのだが、一つだけ言えるのは、
﹁アランに言う必要がないから﹂
﹁俺じゃなければ言えるのか?﹂
アランの目が据わっている。素面なのにこれはまずい兆候だ。思
わずレオナールは唸った。
﹁おい、答えろ、レオ﹂
アランの口調が若干強くなる。
︵どうしたものかしらね︶
レオナールは溜息をついて肩をすくめた。
﹁だって、アラン、すぐ泣くでしょ?﹂
﹁は?﹂
レオナールがそう言うと、アランは困惑した顔になった。
1872
﹁あと、私が反応しないと、不安そうな顔になったりするじゃない。
だから、一応気をつかってるのよ﹂
﹁はぁ? お前が、俺に気を遣ってるだと? どこがだよ、そんな
記憶はまるでないぞ﹂
嫌そうに睨むアランに、レオナールは髪を掻き上げながら答える。
﹁顔の筋肉動かすのって、結構面倒なのよね。でも、師匠が言うに
は、動かすのが面倒だからって動かさないと、身体の筋肉と同じで
ますます動かなくなるんですって。
だから、無理矢理でも良いから動かしてたら、その内意識しなく
ても動くなるようになるかもしれないから、これも鍛錬の内だと思
って動かせって。
どういう表情作ったら良いかわからない時はとりあえず笑っとけ
ば良いとも言われたわね。お前の笑顔は十分武器になるからって﹂
﹁つまり、お前の表情は、お前の感情を表してるわけじゃなく、意
識して作ってるものだっていう意味なのか?﹂
﹁そうね。適切かわからない時は、アランの顔見ればわかるとも言
われたわね。最初の内は、周囲にいる人間の真似をすれば良いんじ
ゃないかって。
実際、言葉や言い回しなんかもそうやって覚えたし、それと似た
ようなものよね﹂
ニッコリ笑うレオナールを、アランは半ば呆然と見つめた。
﹁⋮⋮つまり、嘘、なのか?﹂
1873
﹁どういう意味かしら﹂
﹁お前の表情が作り物なら、それは嘘だってことじゃないのか?﹂
﹁良く意味がわからないわ。確かに表情は作ってるけど、アランに
隠し事はしても、何か嘘をついたことはないと思うわよ? そもそ
も、嘘をつく意味が理解できないし、理由もないもの﹂
﹁じゃあ、騙していたわけじゃない?﹂
﹁何故そうする必要があるの?﹂
レオナールが不思議そうに眉をひそめた。
﹁普通の人間は、特に理由や必要がなくても、嘘を言う場合がある
んだよ。意図や悪意がある場合は尚更だが﹂
アランは顔をしかめて言った。
﹁ふぅん、面倒くさいわね、人間って﹂
髪を指に絡ませクルクルと巻きながら言ったレオナールに、アラ
ンは思わず息を吐いて、脱力した。
﹁⋮⋮ああ、人も亜人も、意思と思考力のある生き物は皆、面倒臭
いよ。クソッ、あのおっさん、いったい何を考えてるんだ。おかげ
で妙に身構えたじゃねぇか﹂
﹁何、師匠のこと?﹂
1874
舌打ちしてぼやくアランに、レオナールが尋ねた。
﹁それ以外の誰だと思うんだ。ったく、あのおっさんときたら、ろ
くなことしねぇ﹂
﹁それについては同感ね﹂
﹁で、お前の表情が作り物だってことはわかった。それをどうして
俺に隠してた?﹂
アランが尋ねると、レオナールは肩をすくめた。
﹁だってアラン、私が笑うと安心するでしょう?﹂
﹁はぁ?﹂
﹁私には良くわからない理由で泣いたり、傷付いたりするじゃない
? それはちょっと嫌だなって思うから。
私が笑ってるとアランは安心するみたいだから、そんな事で済む
なら、表情を作って見せることくらい、なんでもないでしょ?
暇な時はなるべく周囲の人間を観察して、真似するようにしてる
んだけど、結構上達したでしょう?﹂
﹁⋮⋮おい、レオ﹂
左手を腰に置き、右手で髪を掻き上げ、ニッコリ微笑むレオナー
ルに、アランは呆れた顔になった。
﹁何? その呆れたような、とんでもないバカを見るような、不細
1875
工顔﹂
﹁不細工は余計だ。あのな、レオ。確かに俺はお前が笑ってると安
心するけど、それが本心からのものじゃないなら、必要ないぞ。
こころ
俺は、お前が心から楽しんでくれれば、生きることを嬉しいと感
じてくれれば、それで良いんだ。笑顔は手段じゃない。お前の感情
からにじみ出た結果じゃなければ、意味がないんだ。だから、笑い
たくもないのに、笑顔を作る必要はない﹂
﹁えー、でも、師匠が言ってたわ。顔の筋肉を動かす癖がついてな
いと、だんだん動かなくなるって。
だって私、生まれてからずっと、顔の筋肉を動かしたり、声や音
を出したりできなかったのよ? どういう時に笑えば良いかとか、
そういうのちっともわからないんだもの。
あ、でも、前に詰め所で兵士を殴った時は、作らなくても顔の筋
肉動いてたかもしれないわね。悲鳴上げられたけど。
まぁ、そんなことはともかく、やらない事はいつまで経ってもで
きないんだし、ちょっとした奉仕活動? わざわざやっても喜ばな
い相手にまでやる必要は感じないけど、私の笑顔くらいで喜ぶなら、
やらないよりは良いでしょう?
師匠ほどじゃないけど、アランも私の笑顔見るの好きでしょう?
たまに何故か嫌そうな顔になることもあるけど﹂
アランは言われた言葉に、固まった。
﹁え⋮⋮っ、それ、いったいどう⋮⋮いや、まさか、俺のためだっ
て言うのか!?﹂
﹁私は正直、鍛錬だとしても顔の筋肉を動かすことに意味なんか見
いだせないし、表情とか作る必要も感じないけど、アランはあった
1876
方が良いんでしょう? 私が笑うと安心するじゃないの。
師匠は私の笑顔は好きだと言うけど、あの人の場合、別に私が笑
わなくても、アランみたいに不安そうになったり、悲しんだり、考
え込んだりしないでしょう。なら、必ずしも必要ってわけじゃない
わよね﹂
﹁⋮⋮お前、なんって⋮⋮﹂
アランは絶句した。
﹁だいたい、アランって本当、面倒くさいのよね。何も言わなかっ
たり、反応しなかったりすると、いじけたり、考え込んだり、なん
か妙な方向に反応するし。だったら、こっちで気づかってあげない
と、ますます面倒になるじゃない﹂
﹁面、倒⋮⋮﹂
アランがガックリとうなだれた。
﹁正直、笑ったり泣いたりするのは良く理解できないのよね。私に
理解できるのは怒りだけ。アランと師匠には感謝しているわ。
私にとって怒りは生きるということと同じことなの。怒りは、自
分のおかれた状況に抗い立ち向かうための力よ。
私はアランと出会うまで、選択肢はなかっ
嫌なことには抗って、それが可能ならば己の身を守るために戦っ
て良いんでしょう?
た。そもそも自分で自分のしたいことを考えるという発想がなかっ
た。
あなたと出会うまで、私は檻の中にいたわ。屋敷の中で安全な食
べ物が手に入りづらくなったから、外で手に入るものを探して、何
でも食べた。
1877
暴力を受けることには慣れても、飢えによる苦痛には慣れなかっ
たわ。一切の飲食を断とうとしても、死なない程度に食べさせられ
るから。
自分で何かをすることは、人に迷惑掛けないのなら自由なんでし
ょう? そうするのは人として自然なことなんでしょう? それっ
て我慢し続けるよりもずっと楽だし、楽しいわよね﹂
レオナールがそう言うと、アランは顔を上げ、真顔になる。
﹁ああ、誰かを、何かを傷付けたり迷惑掛けたりしないなら、自身
の望みや欲求に従うことは悪いことじゃない。それを我慢するのは、
強いストレスになるからな。恒常的な不満やストレスは人を歪める。
人は一人では生きられない、社会を構築してその中で生きる生き
物だ。だから、他者に迷惑を掛けるようなことは慎むべきだが、そ
うでなければ問題ない。
やりたいと思うことをやるのは、それを阻止・阻害する要因がな
い限り、生き物として自然なことだ。そもそも、それをやりたいと
思うことの大半は、それがその当人にとって必要なことだからだ。
それが反社会的であったり、他者に被害や迷惑が掛かるような事
であれば論外だが、そうでなければ自分にとって必要なことを為し
たいと思うのは当然だ。それを我慢する方が身体や心に悪い﹂
﹁師匠が言ってたわ。人間社会に溶け込むには、人間として振る舞
った方が良いって。私にはその基準とか良くわからないから、アラ
ンを参考にすれば良いだろうって。
アランは人間の平均値とは言い難いけど、一番そばにいて、私が
真似しやすいだろうから、アランを私の基準にして言動すれば楽だ
ろうってね﹂
﹁⋮⋮な⋮⋮っ!?﹂
1878
﹁アランには悪いとは思うけど、私自身はあの頃とさほど変わって
ないわ。でも、少なくともアランの前ではだいぶ人間らしく振る舞
えてるでしょう? 頑張ったのよ、私なりに﹂
どうよ、と言わんばかりに胸を張るレオナールに、アランは﹁頑
張るところが違う﹂と呟きながら脱力した。
1879
41 剣士の努力は魔術師を脱力させる︵後書き︶
相変わらずサブタイトルが微妙です。
当初プロットでは次章でアランに気付かせる予定でしたが、書いて
る途中で﹁アランが自力で気付くとか無理じゃない?﹂と気付いて
しまいました。
書いてる当人が言うのはアレだと思いますが、レオナールもアラン
も自己完結しすぎだと思います。
以下修正。
×魔術士
○魔術師
×半目
○半眼
×常に
○日頃から
×気を遣ってる
○気をつかってる︵レオナールの台詞なため平仮名に修正︶
×気遣って
○気づかって
1880
42 空気を読まない男、空気を読めない男
アランはダニエルの言った台詞で他に気になっていたことを、口
にした。
﹁ところでレオ、﹃自分に都合悪くなると、聞こえないふりしたり、
無反応になる﹄ってどういう意味だ?﹂
アランが尋ねると、レオナールは目を瞑って唇を閉じて動かなく
なった。
﹁おい、レオ!﹂
﹁ふわぁ、お腹いっぱいになったら、眠くなってきたわね﹂
そう言って、レオナールは大仰に欠伸をして、目を擦る。つい先
程までパッチリ目を開いていたのに、トロンとした目つきになって
いる。
﹁おい待て、レオ! それはいくらなんでもわざとらし過ぎるだろ
う! お前、それで誤魔化してるつもりか!? っていうか、お前、
以前からそういうことしてたのかよ!!﹂
激昂するアランに構わず、レオナールはふらりと立ち上がる。
﹁⋮⋮おやすみなさい、アラン。そろそろ寝るわね。なんか疲れち
ゃった﹂
1881
﹁まだ話は終わってねぇぞ! 逃げるな、レオ!!﹂
﹁じゃあ、また明日﹂
言い捨てて、レオナールは素早く室外へ逃走した。レオナールの
部屋は隣である。アランは慌てて立ち上がったが、アランの足では
レオナールが室内に飛び込む前に捕まえるのは、ほぼ不可能だ。
﹁⋮⋮くそっ﹂
アランは舌打ちし、溜息をついて椅子に座り直した。
◇◇◇◇◇
ダニエルが戻って来たのは、真夜中近くだった。
﹁いったいどれだけ飲んでるんだ﹂
ダニエルの部屋で待ち構えていたアランが睨むと、ダニエルは肩
をすくめた。
﹁いやいやアラン、こんな時間まで酒だけ飲んでたわきゃねぇだろ。
雑談や酒以外にも、ちょっと仕事の依頼とかしてたんだよ﹂
﹁ついでに娼館にでも行ってたんじゃないのか? 香水のにおいが
する﹂
﹁何だ、アラン。興味あるのか? だったら連れて行ってやるぞ。
1882
手持ちが心許ないようならいくらでも出してやるから、好きな店を
紹介してやろう。どんな子が好みなんだ? ん?﹂
ニヤニヤ笑いながら言うダニエルに、アランは渋面になった。
﹁そんなことはともかく、おっさん、いったい何を企んでるんだ?
まさか、俺とレオを仲違いさせて、レオを連れて行こうって心積
もりだったのか?﹂
﹁え、何だそりゃ。お前ら結局まともに話し合ってねぇの?﹂
﹁レオの表情が作り物だって話か? それとも、あいつが都合悪く
なると、聞こえないふりしたりするってことか? 確かにあいつの
笑顔が本物じゃなかったのはショックだったが、別に俺を騙そうと
かいう意図はなかったみたいだから、別に良い。
ただ、淋しいと思うし、言いたいことが無くもないけど、あいつ
に言っても仕方ない。それより、おっさん、あんたいったい何を考
えているんだ?﹂
アランが言うと、ダニエルが真顔で眉をひそめた。
﹁お前、まだわかってないのか?﹂
﹁何がだよ﹂
﹁あのな、レオはお前の反応を見ながら計算してあの顔を作れるん
だ。ってことは、やろうと思えば他のやつ相手にだって、同じよう
に演技できるってことだろう? ただ、あいつにその気がないだけ
で﹂
1883
﹁!﹂
アランは息を呑んだ。ダニエルは真剣な顔と口調で、アランの目
をじっと見つめながら言う。
﹁レオの一番の問題は、考えなしなところでも、警戒心強いくせに
好奇心旺盛なところでも、斬ることばかり考えてるところでもない。
言われなければ、自発的に何かをしようと思わないところだ。余計
なことはするけどな。
その場しのぎや行き当たりばったりに思考することはあるが、長
期的な思考をしない。それが必要だとも考えない。
お前ならわかるだろう? 後先を考えないのに行動力と能力があ
るやつが、いかに危ういか﹂
﹁⋮⋮言われなくてもわかってるよ﹂
アランは苦い口調で答えた。
オーガ
﹁ならわかるだろ。あいつを人食い鬼にするか、人にするかはお前
次第だ。今のところあいつのそばにいて、あいつが受け入れている
のはお前だけだからな。
荷が重いって言うならいつでも代わってやるぞ。このままじゃあ
いつはいつか自滅する。お前にそれが止められなければ、巻き添え
確実だ﹂
諭すように言ったダニエルに、アランはゆっくり首を左右に振っ
た。
﹁俺はあいつに借りがあるんだ﹂
1884
﹁借りって言っても、お前がそう思ってるだけだろ。あいつは貸し
借りとか全く考えない。あいつが考えるのはせいぜい前後四半時く
らいのことで、それより前のことも後のことも考えない。例外と言
ったら食事と剣のことくらいだろ﹂
﹁あいつがどう思ってるかは関係ない。それに、忘れたことも言え
ば思い出すこともある。俺が勝手に義理や恩義を感じているだけだ。
俺はあいつのおかげで魔術師になることができた。だから借りは必
ず返す﹂
﹁アランは本当クソ真面目っていうか、難儀で融通利かないバカだ
なぁ﹂
ダニエルは苦笑しながら言った。アランは眉間に皺を寄せる。
﹁あんたに任せたら、ますます常識離れするだろう。社会不適合者
をこれ以上増やしてどうする﹂
﹁そういうこと面と向かって言っちゃう辺りが、アランだよな﹂
クスクスと笑いながらダニエルが言うと、アランの眉間の皺がま
すます深くなる。
﹁言いたいことがあるならはっきり言えよ﹂
﹁ん∼? 穏便な言い方や、遠回りで迂遠で波風立たない表現がで
きない率直さが、アランの長所であり短所だよな﹂
﹁あんたに言われたくねぇよ﹂
1885
嫌そうに言うアランに、ダニエルはとうとう笑い転げた。
﹁ククッ、あっはは、ぶわっはっはっは! も、もう⋮⋮お前、本
っ当っ、面白ぇ⋮⋮っ! くっそ、腹痛ぇ!! ちょっ、マジ腹痛
ぇんだけど!!
何、お前ら俺の腹筋破壊しようとしてんの!? なんか切れそう
に痛いんだけど! ちょっ、本当っ、くっそヤバイくらい腹痛くて、
マジ死にそう! ぶほっ、ぶはっ、ぐっ、苦しい⋮⋮っ!!
うっわ、目から涙出て来た!! ア、アラン、悪ぃ、ちょっと水
持って来てくれ! 飲もうとしたら鼻とか入りそうな気もしなくね
ぇけど、これ、マジヤバイわ!! ぶほっ、グハハッ、ボヘッブホ
ッぶわはははははっ⋮⋮!﹂
﹁それ、俺のせいじゃなくて、酒入ってるからじゃねぇの、酔っ払
い﹂
﹁ひぃっ、ひぃっ、た、頼むから水⋮⋮っ! グハッ、ぶわははっ、
ぶほっ、ギャーハッハッハッハッ! マジうける!!﹂
椅子から崩れ落ちて床を転げ回るダニエルを、アランは白々とし
た目で見下ろし、溜息をついた。
﹁おっさんは、とにかく水飲んで静かに寝ろ。水差しとマグは持っ
て来てやるから﹂
一人ヒャッヒャッと笑い転げるダニエルを残し、アランは台所へ
と向かった。
︵酒入ってる時のおっさんと、まともな話なんてできるはずないの
に︶
1886
アランは水差しいっぱいに水を注ぎながら、深い溜息をついた。
オーガ
︵⋮⋮でも、人食い鬼、か︶
思わず眉間に皺が寄る。
︵それってつまり、快楽殺人者って意味だよな︶
お尋ね者になるのも問題だが、殺人を主目的とするような人物に
なるのは、論外だ。
︵そんなことにはならない、と信じたい、けど︶
水差しをテーブルに置き、食器棚からマグを取り出しながら思う。
︵あいつは、いったい何のために剣を振ってるんだろう︶
何を斬るために剣を振るうのか、何を斬りたいと考えているのか。
あくまでその対象はレオナールにとっての﹃敵﹄だと思いたいのだ
が、
︵だとすると、ルヴィリアを斬りたいとか言ったのが、理解できな
いんだよな。いや、あいつ、一応殺す気はなかったみたいだけど、
興味本位や好奇心で斬りたいとか言ったの、あれくらいだよな?︶
レオナールのつたない説明では理解できたとは言い難かったが、
おそらくルヴィリアが自身に使っていた︽認識阻害︾などの魔術が
気になったのだろう。初めて見た精神に影響を与える、剣を振るう
際に効果を及ぼす可能性のある魔術だったから││だと思いたい。
1887
問題は何故、相手の了承を得ずに斬り掛かっては駄目なのかを理
解していないところだが、実際は追い掛けるだけで自分から手を出
すことはなかった。
もっとも、ルヴィリアが逃げてレオナールに攻撃しなかったから、
剣を抜かなかっただけという可能性はある。身ごもったゴブリンク
イーンや、小人族を追い掛けた時の件を考えれば、それが杞憂では
ないと言い難い。
︵相手が死ななければ、あるいは自分が殺さなければ良いというわ
けじゃないと、あいつに理解させる必要があるってことか? でも、
あいつ、普通に言って理解・記憶できるのか?︶
頭が痛い、と思いながら、アランはマグと水差しを持って、ダニ
エルの部屋へと向かった。さすがにもう笑い転げてはいなかったが、
ダニエルはグッタリとベッドにうつ伏せになっていた。
﹁おっさん、まだ起きてるか? 水持って来たけど、自力で飲める
か?﹂
アランが声を掛けると、ダニエルはゴロリと転がり、右手を差し
出した。アランが無言で水差しでマグに水を注いで手渡すと、ムク
リと起き上がって一息に飲み干した。
﹁ぷはぁっ、もう一杯﹂
マグを突き出すダニエルに、呆れたような目を向けながらアラン
は更に水を注いだ。
﹁悪ぃな、アラン。でも、こんなぬるいのじゃなく、できれば井戸
から汲みたての冷たいやつが飲みたかった⋮⋮って、いやいや、睨
1888
むなってば! ちょっとした軽い冗談だろ、ハハッ﹂
ジロリと睨むアランに、笑って誤魔化すダニエル。
﹁おっさんの冗談は、笑えたためしがないんだが﹂
﹁えっ、そりゃあないだろ? 俺の機知に富んだステキな冗談がわ
からないとか、アランは本当にセンスが悪いよな。お前若いんだか
ら、もっと遊び心がないと女にモテないぞ﹂
﹁機知に富んだ、素敵な冗談? 俺の耳がおかしいのか、眠気のあ
まり聞き間違えたのか、ずいぶん珍妙な言葉が聞こえてきた気がし
たけど、たぶん気のせいだよな、なぁ、おっさん﹂
真顔で睨むアランに、ダニエルが苦笑いを浮かべた。
﹁ハハッ、悪ぃ、悪ぃ、本当悪かったな。で、用件はそれだけか、
アラン﹂
﹁そうだな、俺の用件は終わったと思う。けど、おっさんは俺に何
か用があるんじゃないのか? もしくは何か隠し事があるとか﹂
﹁⋮⋮う∼ん、隠し事があると言えばあるけど、それをお前に言う
かどうかは、俺が判断することだろ? それに、俺がお前に隠し事
すんのはいつもの事だろうが﹂
﹁おい﹂
半眼で睨むアランに、ダニエルは声を上げて笑った。
1889
﹁いや、だから気にすんなって! ハハッ、大丈夫だっての。事が
済むまでしばらく、お前らにダオルを付けておくから何とかなるっ
て。安心しろ!﹂
﹁その台詞が既に安心できないんだが。で、組織の残党云々っての
は進展なしか?﹂
﹁おいおい一・二日で解決するわきゃないだろ。そんな簡単に済む
ようなら、お前にわざわざ警告するはずがないじゃねぇか。本当、
逃げ隠れしないで堂々と速攻襲って来てくれりゃ、叩き潰すのも楽
なのに。
最近気付いたんだが、俺にとっての鬼門って︽隠蔽︾とか︽認識
阻害︾使えるやつなんだよな。隠れるのが下手なやつならすぐ見つ
けられるんだが。
そっちの対策が今のとこダメっぽいんで、部下やアレクシスにも
頼んでるとこなんだが、アランも何か思いついたら教えてくれると
助かる。
ルヴィリアが一応そっち系の魔術使えるから、術に関しては彼女
に聞いてくれ。そういうの研究したりするの、お前、好きだろ?﹂
﹁専門家に頼んでいるなら、俺の出る幕なんかないだろ。けど、暇
な時で良ければ、考えておく。俺もちょっと、あれは対策が必要だ
と感じたからな。
まぁ、今のところ、あの幼竜がいれば大丈夫そうだが。あの咆哮
で︽魔法解除︾かそれに似たようなことやれるみたいだし﹂
﹁⋮⋮色々器用だな、あの幼竜。ドラゴンなら他の個体でも、同じ
ことやれるのか﹂
﹁知らねぇよ、他のドラゴンなんか見たこともないんだ。ドラゴン
1890
種に関しては、おっさんの方が詳しいんじゃないのか﹂
﹁えーっ、だって俺、斬るのと倒すのが専門で、それ以外のことは
基本的に他のやつの担当なんだぞ。ドラゴンの生態とか能力とか考
えたこともねぇし﹂
﹁なんで討伐できるのに、そういうこと知らないんだよ﹂
﹁なんでって言われても、下準備とか目的地とか移動方法とか決め
たりすんのは、俺以外のやつがやってくれるし、俺は全部周りにお
任せで、斬る専門なんだよ。だから、全くのソロで狩ったことある
のは、Bランク魔獣までなんだよな。
楽って言えば楽だが、想定外のことが起きないし、自分で工夫す
る要素もほとんどないから、討伐繰り返す毎に面白味は減るな。
やっぱ予定とか準備とかぶっ飛ばして、無理・無茶・無謀なこと
やらかさねぇと、冒険じゃないよな! 王国や冒険者ギルド的に俺
って表看板だから、かすり傷すら負って欲しくないみたいだが﹂
﹁若い頃にやり過ぎたから、周囲が気を回すんじゃねぇの、それ﹂
ワイバーン
﹁えっ、神官を魔力切れにさせたり、大怪我したことは数回しかな
いぞ? 飛竜の群れに飛び込んだ時と、うっかり一人でブラックド
ラゴンの巣に入った時と、ヒュドラの巣に落ちた時だけだ﹂
指折り数えて頷くダニエルに、アランは深い溜息をついた。
﹁その神官、駆け出しじゃなくて高ランクだろ。しかも、何だそれ。
おっさん以外なら普通死んでるだろ。うっかりじゃなくて、わざと
だろ﹂
1891
﹁ほら、若い時って、恐い物知らずっていうか、好奇心旺盛ってい
うか、周囲にダメだって言われるとかえってやりたくなるお年頃な
んだよ。お前にもあるだろ?﹂
﹁ねぇよ! おっさん、レオのこと言えないだろ、それ。自殺志願
者じゃなけりゃ、何だってんだ? 自重とか恐怖心とか、躊躇とか
慎重さの欠片もねぇの?﹂
﹁いや、ほら、それは最初はろくな知識がないし、わからないこと
ばかりだからな。どんなバカでも、何度か失敗すれば学習するもん
だ。死なない限りは何とかなる﹂
﹁あのな、俺達の場合、︽治癒︾とか回復魔法を使える神官がいな
いんだが。この前、アネットさんのところで覚えたのは︽軽傷治癒
︾だから、血止めくらいならできるが重い怪我には対処できない﹂
﹁いや、お前らにも同じことしろとは言ってないぞ。だいたい、ア
ランが一緒にいる限り、そうそう無茶なことはしないだろ﹂
﹁そりゃ、俺はな。でも、レオは違うだろ。できる限り引き留めて
抑えてはいるが、あいつ不満そうだし、いつまでもこのままでいら
れるとは思ってない。
早々に頼れる仲間を見つけてパーティーに加入して貰おうと思っ
ているが、良い人材は見つからないし。ダオルみたいな人が入って
くれると有り難いんだが﹂
﹁おいおい、お前らと同じくらいのランクでダオルみたいなやつが
いるはずないだろ。理想高すぎだろ、アラン。あいつ、冒険者にな
る前は、王国で言うところの軍の小隊長みたいなことしてたんだぞ。
魔獣・魔物の討伐もかなり経験積んだが、対人戦の玄人だ。たぶ
1892
ん、相手が組織だった動きをする対人戦の場合、俺より強いんじゃ
ねぇかな﹂
﹁そうなのか? おっさんより強いとか、あの人も人外なのかよ﹂
﹁人外っていうより、あれだな、相手の次の動きとか、心理とかを
読むのが上手いんじゃないか。どんな腕のあるやつでも、先の行動
を予測されたり、誘導されてたら、それを上回るのは難しい。
組織で行動するやつは、指揮するやつの命令に従って行動するの
が当たり前だから、どうしても対処や反応が遅れる。かなりの力量
差がないときびしいだろうな。
俺は感性と感覚で行動するから、相手を認識できれば、どんな相
手でもたいてい問題ないが﹂
﹁そうか。⋮⋮あのさ、しばらくダオルさんを当てにして依頼受け
ても大丈夫か? 俺、できればレオにあの人の立ち回り参考にして
学習して欲しいと思ってるんだが﹂
﹁レオにか? あいつには、ちょっと無理じゃないか?﹂
﹁見るだけでも勉強になるだろ。まぁ、あいつ、戦闘中は周りが見
えなくなってる時があるから、せめて模擬戦や訓練だけでも学んで
欲しいんだが﹂
﹁ふぅん、まぁ、良いんじゃねぇの。あいつも色々見て勉強した方
が良いだろうしな。でも、あいつ、ダオルと対戦して負けたら、俺
とやる時より凹むんじゃねぇか?﹂
ダニエルが顎を撫でさすりながら言うと、アランはキョトンとし
た。
1893
﹁え、どういう意味だ? ダオルはAランクの戦士で年上なんだか
ら、レオが負けるのは当然だろ?﹂
アランが言うと、ダニエルは苦笑した。
﹁そりゃ、あれだろ。速さだけならレオのが上だが、攻撃が当たら
ないってなると、凹むだろう。それに仮にダオルが手加減してくれ
ても、軽々と攻撃弾かれたり逸らされて受けられて、あいつ、我慢
できるか? 何故そうなるのか理解できると思うか?﹂
﹁いや普通、力も技量も上の人に勝てると思わないだろう?﹂
﹁おいおい、アラン。あいつ、すっげー負けず嫌いだろ。俺に転が
されてカッカしてるのに、俺以外のやつに良いように転がされて我
慢したり納得したりするはずねぇだろ。
だいたい、それができるなら、俺の解説だってちゃんと聞いて学
習できるだろう。あいつには、言葉でいくら言ってもダメなんだよ
な。自分で理解して、考えさせないと意味がない﹂
﹁ああ、それはわかる。っていうか、それ、剣に関してもなのか?﹂
﹁そりゃそうだろう。あれだ、戦闘時だけ性格が変わるわけでも、
頭が良くなるわけでもない。たまにそういうやつもいるが、あいつ
は変わらないだろ?﹂
ダニエルが言うと、アランは眉間に皺を寄せた。
﹁それ、いっそこてんぱんに凹ませた方が、勉強になるんじゃない
か。自分の何が悪いのか、考えるきっかけになるだろう?﹂
1894
﹁そりゃ、俺だって毎回適度に凹ませてるつもりだが、あいつ、懲
りないんだよな。あの負けず嫌いは、悪くないと思うんだが。負け
て悔しいと思えないやつは、上達しないからな。
でも、あいつがもしものすごく落ち込んだら、お前、あいつをな
だめたり、慰められるのか?﹂
﹁俺が?﹂
アランは目を瞠った。ダニエルは肩をすくめる。
﹁レオのやつ、自分からお前に泣きついたりしないと思うけど、そ
れを察して上手くやれそうなら、いくらでも凹ませてやれば良い。
あいつ、妙なところで素直じゃねぇけど、結構甘えっ子で駄々っ
子だろ。そういうとこが可愛いよな﹂
﹁あー⋮⋮でもあいつ、俺にされたら嫌がらないか。俺があんまり
かまうと怒ることあるし。前に偉そうにされるとムカつくとか言わ
れたんだよな﹂
﹁偉そうにしなきゃ良いじゃねぇか﹂
﹁偉そうにしないで慰めたりたしなめるって、どういう風にだ? カロルに対してやるような感じか?﹂
困ったように尋ねるアランに、ダニエルは苦笑した。
﹁黙って話を聞いてやるとか、嫌がられない程度に頭撫でてやると
か、何か差し入れしてやるとかいうので良いんじゃないか。下手に
助言とかしようとしない方が良いだろ、あいつの場合﹂
1895
﹁ああ、それはそうだな。あいつ、俺に八つ当たりとかする時、ど
ういうわけか面倒な、わかりにくいやり方するからなぁ﹂
アランが溜息つきながら言うと、ダニエルは大仰に肩をすくめた。
﹁それはあれだろ、アランの場合、直截な言い方しても、気付かな
いことがあるから﹂
﹁え、そうか?﹂
アランが軽く目を瞠ると、ダニエルは頷いた。
﹁だからたぶん、余計当たりが強くなるんだと思うぞ。この鈍感野
郎とか思われてるかもな﹂
﹁なっ、えっ、まさか⋮⋮﹂
﹁俺はそういうとこも面白ぇとか思うけど、心に余裕ないとムカつ
くかもな! でも、完璧で欠点の一つもないやつとか、それこそム
カつくから別に良いんじゃねぇの?
まぁ、対人関係上手く築くには、その鈍感さつうか、空気の読め
なさは足引っ張るかもしれないが、個性の範疇だろ﹂
﹁バカな⋮⋮﹂
半ば呆然とするアランに、ダニエルはカカカと笑った。
1896
42 空気を読まない男、空気を読めない男︵後書き︶
3回OVL大賞に応募することにしました。
鈍感って指摘されただけじゃ直らないものだよな、と思います。
結局のところ、人の話をたくさん聞いて、自分でも経験積む以外の
対策がないような。
そして根本的な原因は生来のものだったりするから、改善はしても
画期的な変化・成長はない可能性大。
弱点は努力次第で長所にできる場合もあるけど︵たぶん生来それが
出来る人よりも、それについて考えたり研究したり努力するから︶。
1897
43 師匠は魔術師をたしなめる
﹁なぁアラン、言っても仕方ないとか言わないで、レオに言いたい
ことは直接言ってやったらどうだ?﹂
﹁言ったところで、あいつがどう反応するかわかっていてもか?
結果が見えてて、どうせ無駄だとわかってるのに﹂
﹁そのムダなことがお前ら若者には必要だろ。若い内はケンカした
り、ぶつかり合うことで生まれるものもあるだろう。そうやって積
んだ経験が、俺くらいの年齢になってようやく生きてくるんだよ。
若者は知識も経験もないんだから、苦労してなんぼだろ。実際
に経験しなきゃわからないことなんざ山ほどあるだろうが﹂
﹁だって、レオは俺といる利益より不利益の方が多いとなったら、
逃げるだろう﹂
アランの言葉に、ダニエルは驚いた顔になった。
﹁あいつが文句言いつつ今、俺と一緒にいるのは、それが一番楽で
他の選択肢よりはマシだと思ってるからだ。面倒だと思ったら逃げ
るに決まってる。あいつが本気で逃げ出したら、俺には絶対止めら
れない﹂
﹁おい、アラン。お前、そこは信じてやれよ。あいつ確かにあんな
だし、つれないこと言うけど、実際一度でもあいつが逃げ出したこ
とがあるのか?
どう見てもあいつはお前に甘えてるし、時折邪険にするけど、
1898
それ以外はじゃれてるようなもんだろ。あれ、子供が大人を困らせ
て、どこまで許されるのか計ってるようなもんじゃねぇの?
お前が嫌ならはっきりそう言ってやれば良いんだよ。そうすり
ゃ、きっと今までと違う反応が見られるぞ。例えばおまえの機嫌を
伺って来たり、謝って来たり、慌てふためくんじゃねぇか?
考えてみろよ、アラン。お前はあいつの生命線握ってるんだぞ。
身の回りの家事から、最終的な判断・決断までお前に依存しきって
るのに、お前に見放されたら困るのはあいつの方だぞ。
お前はレオがいなくても生きていけるが、あいつはアランがいな
かったら一日でも生きていられたら御の字レベルで路頭に迷うぞ。
あいつ、生活力全くねぇんだから﹂
ダニエルの言葉に、アランは軽く目を瞠った。
﹁王族に飼われてる愛玩動物だって、あそこまでは甘やかされてね
ぇだろ。お前、ちょっと色々面倒見すぎだろう。てっきり俺はお前
がわかってやってんのかと思ってたんだが、もしかして無自覚だっ
たのか、アラン。
テイマー
ほとんど生殺与奪握ってる上に意思決定権まで握ってるとか、実
の母親でもそこまでやらねぇだろ。魔獣使役士の調教とかならとも
かく﹂
﹁お、俺、そんなつもりは全くなくて、レオが、あいつが危なっか
しくて見てられないから、それにあいつに任せるより自分でやった
方が早いし確実だと思って、だってあいつ信じられないバカだし!
あいつの判断に任せると、とんでもないことやらかすし! だったら、間違ってても、明らかにおかしなことでも、あいつに
自由にやらせるべきだって、あんたは言うのか!?﹂
﹁レオを、お前と対等の人間として扱うつもりならな。世の中、正
1899
しいことだけが正解ってわけじゃない。お前だってそうだろ? 人
は失敗を繰り返して学習するんだ。
お前のやってることは、よちよち歩きの幼児相手につきっきりで
世話焼いてるようなもんだろ。非現実的なアホな意見しか出て来な
でく
くても、意思確認は必要だろう。
じゃなきゃ何も考えない木偶の坊になりかねないぞ。その方がお
前には都合良いかもしれないが﹂
﹁そんなことは考えてない! 俺は、あいつの生殺与奪や意思決定
権を握った覚えはない。いつだって、あいつの意思を尊重している
つもりだ。
そりゃ、社会倫理的に問題なことは論外だから、人を斬りたいだ
の町中で剣を振り回したいだのいう要求は問答無用で却下してるが、
それって当然だろ?
あとあいつがオークやオーガを斬りたいっていうのを許可しない
理由は、その他の魔獣・魔物に比べて人に似た姿をしているからだ。
他にも理由はあるが、情緒が安定しているとは言い難い上に倫理
が定かじゃないやつに、人に似た姿の魔物を殺すことに慣れさせる
のは不安がある。
あいつが人を傷付けたり殺したりすることに、罪悪感や忌避感を
全く覚えないと知っているけど、これ以上悪化させたら、とんでも
ないことやらかしかねないだろ﹂
﹁⋮⋮お前、レオのこと、ちっとも信頼してねぇのな﹂
ダニエルが半ば呆れたような目でアランを見つめ、溜息をついた。
﹁それ、レオに人間らしい理性や感情、倫理観が何一つないと言っ
てるようなもんだぞ、アラン﹂
1900
ダニエルの言葉に、アランは目蓋をまたたいた。
﹁違うって言うのか? いや、何一つないとまでは言ってないし、
思ってないぞ。でも、あいつ、人の姿して言葉を話す魔獣みたいな
やつじゃないか。
少なくとも、俺とは違う精神構造、思考回路だぞ。あいつと対等
に話し合いをしようとしても、まずまともな会話が成り立たないと
思うんだが﹂
﹁それはさすがに、レオが可哀想じゃないか? とりあえず、言葉
を覚え始めた幼児と話す感覚で良いから、普通に会話してやれよ。
お前が上からああしろこうしろと指示してばっかりじゃ、あいつも
学習する余地がないだろう。
わかってるんだろう? あいつ、自分の意見が聞いてももらえず
考慮されないなら、それでも良いと諦めかねないやつだぞ。
不満を口に出している時は大丈夫だ。でも、それすら面倒になっ
て言わなくなったらヤバイぞ。言うだけムダだと、お前の知らない
ところでこっそり独断専行に走るかもな。
そうならないように、じっくり腹の内を話し合えって言ってるん
だ。言いたいことも言い合えないようじゃ、この先ずっとやってけ
ねぇだろ。
レオはお前の使役魔獣でも愛玩動物でもねぇんだから﹂
ダニエルがたしなめる口調で言うと、アランは眉間に皺を寄せ、
眉を下げた。
﹁⋮⋮正直、あんまり自信ないんだよ。あいつ、本当に俺のこと、
自分と対等な相棒・友人だと思ってくれてるのか。実は嫌いじゃな
いけど好きでもないし、いてもいなくてもどうでも良いとか言われ
たら、どうすんだよ。
1901
さすがにそこまで言われて、あいつとパーティー組んでいられる
自信ないんだが﹂
﹁おーいおいおい、アラン坊や。どこのド阿呆がそんなこと言うと
思ってんだよ、こら。なんでそんなに自信ないんだよ、お前。
何、お前、レオに一度も感謝や好意示すような言葉を言われたこ
とないとか言わねぇよな?﹂
﹁ありがとう、とかなら一応言われた事はあるけど、戦闘とか特技
に関して以外となると、激減するんだが﹂
﹁う∼ん、そりゃ、あいつも悪いな。言葉なんていくら口にしても、
足りないことはあってもその逆はほとんどないだろうに。
あ、そう言えば俺も、剣や食事以外のことで、あまり感謝された
り好きとか言われたことねぇかも。そうか、あいつ、一回きっちり
シメとくか﹂
﹁おい、シメるって一体何をする気だ﹂
﹁いやいや、そんな可哀想なことしねぇって。ただ、ちょっと可愛
がってやるだけだ﹂
﹁それ、本来の可愛がるって意味じゃねぇだろ、おっさん﹂
半眼になるアランに、ダニエルはケラケラと笑った。
﹁そんなヒドイことしねぇよ。ただ、ちょっと教育してやろうかな
ってだけだろ。ほら、誰かに何かしてもらったら有り難うって言う
のは、基本だろ。感謝する心を忘れたらいかんだろうが。
そうなると、どうにかして時間作らないとな。どうすっかな、今
1902
のとこそんなたいした案件入ってねぇし、ウーゴに仕事押しつける
か。ステファンはしばらく使えないだろうしな﹂
﹁そのウーゴさんって、おっさんの部下か?﹂
﹁おう、一応室長補佐官ってことになってる。ステファンは副室長
補佐官だ。あいつら事務とか雑用とか得意だから、普段から俺らの
仕事の大半はあいつらが処理してるから、お飾りでも上手く回るん
だ。
俺のやることは書類に署名することと、貴族や官僚と会議やパー
ティーすることと、大雑把な方針打ち出すだけだから、何かない限
りはいてもいなくても問題ないんだよな﹂
﹁でも、しょっちゅう呼ばれるんだろ?﹂
﹁うん? いや、でもたいていしようも無い用件だしなぁ。どっか
の貴族のオッサンがごり押ししてきたとか、どっかの部署がごねて
揉めてるとか。宰相とか王妹殿下に頼めば、俺がやるよりサクッと
きれいに解決してくれるのに、俺に回してくるんだよな﹂
﹁なぁ、おっさん、普通、宰相とか王族とか、仕事いっぱいあって
忙しいんじゃねぇか?﹂
﹁そりゃ、あの人らが暇な時ってほぼないだろうが、俺らなんかと
比べものにならないくらい、人脈も部下もいっぱいだから、直接手
を煩わせてるわけじゃないぞ? それに貴族や王宮内のこと一番詳
しいからな﹂
﹁そりゃそうだろうが⋮⋮いや、おっさんに常識とか良識求める方
が間違ってるか。けど、おっさん、レオのことならあんたがいちい
1903
ち出て来なくても良いぞ。忙しいんだろ。
だいたい、俺達の面倒よりそっち優先したから、役職付きになっ
たんだろう?﹂
﹁しょうがねぇだろ、俺一人じゃその場しのぎの対処しか出来そう
になかったんだ。もっと根本的なところからやらないと、この先じ
り貧になるだけだってわかってるからな﹂
﹁⋮⋮そうでないことを祈ってるんだが、まさか︽混沌神の信奉者
︾って組織全体でレオを狙っているとか言わないよな?﹂
﹁さすがにそこまでじゃねぇよ。でも、そのリーダーか幹部がイラ
イアスだと思う﹂
﹁それって、レオの伯父でシーラさんの兄だよな﹂
アランが尋ねると、ダニエルは真顔で頷いた。
﹁で、イライアスはどういうわけか、レオを狙ってる。最初は身柄
を確保したいだけかと思ってたんだが、今は明確に命を狙っている。
王都の暗殺者ギルド複数に、別名義で依頼しているくらいだからな﹂
﹁それ、前に聞いたやつだよな。︽黒︾の後も、続いているのか?﹂
﹁判明している分は全部潰したけど、ちょっとやり過ぎたかもな。
さすがにエルフが表に出て来ることはないと思うが、用心しておい
た方が良い。
あいつは確かにエルフ至上主義だが、だからといってシーラの血
を引いた子を血眼になって殺そうとするようなやつじゃなかったは
ずなんだがな。
1904
エルフにしては身内に甘いというか、過保護というか、執着する
性質だったから﹂
﹁悪いが、標準的なエルフを知らないんだが﹂
﹁エルフって、やたら寿命が長いせいか、幼子とかはともかく、家
族間でそんなにべたべたしないし、四六時中一緒にいたりしないん
だよ。仲が良くても夫婦別居とか普通にあるし。
純血のエルフもハーフエルフも含めて、子供が生まれるのは稀だ
から、皆で大事に育てられるし、成人するまでは親類皆で教育する。
でも一人前と見なされると、わりと放任なんだ。まぁ、エルフの
一人前って下手すると百歳とかだから、人間の感覚とはまた違うが。
エルフの大半は研究者とか趣味人なんだよな。だから、趣味や研
究の合間に家族や友人と過ごす、とかいう場合が多いんだ。
感情をあらわにすることはあまり奨励されていないし、人間の感
覚からすると淡泊に見えるかもな。シーラはエルフとしてはまだ若
年で、短気で感情表現豊かな方だ。
もっとも、一般的なエルフは表情や身振りでなく、発音や発声、
抑揚の付け方で感情表現するらしいが、人間の耳では聞き分けられ
ないくらいの違いしかないらしいから、区別はつかないな﹂
﹁つまり、顔や声で相手の考えていることを推し量るのは難しいっ
てことか?﹂
﹁ほぼ無表情に見えてもおかしくないな。ただ、人間の集落で育っ
たハーフエルフとなると、そこらへんは人間に近く育つのが普通な
んだよ。エルフとしての教育は全く受けてないからな﹂
﹁レオの場合、人間としての教育も受けてないだろう。言葉を話せ
るのが不思議なくらいだ。俺は教えてないからな﹂
1905
﹁普通に考えたら、シーラが教えたってことなんだろうな。あいつ、
共通語以外にエルフ語も知ってるだろう? エルフ語で話すところ
は見たことないが﹂
﹁たぶん、話そうと思えば話せるし、それほど難しくない内容なら
聞き取りもできると思うぞ。でも、聞けば教えてくれるが、エルフ
語を話したがらないのは確かだな。あと、読み書きもできないみた
いだ﹂
﹁シーラが里へ戻る前にもっときちんと話を聞いておくべきだった
と後悔してるよ。でも俺、何故かあいつに嫌われてるんだよな。オ
ラースやカジミールには普通なのに﹂
﹁おっさん、嫌われるようなことしたんじゃないのか? あんたは
繊細さの欠片もないから、色々やらかしてそうだ﹂
﹁俺はシーラのこと好きだし、気に入ってるんだがなぁ。あいつか
らかうと反応面白いから、良くからかってたけどそのせいかね。顔
真っ赤にして怒るのが可愛かったら、ついやめられなくて﹂
﹁どう考えてもそれが原因だろ。おっさんのことだから、自覚なく
他にもやらかしてんじゃねぇの。良かったな、レオにはなつかれて
るぞ、今のところは﹂
﹁今のところってなんだ、おい。レオは俺のこと大好きだろ﹂
﹁でも、あいつおっさんのこと斬りたいってしょっちゅう言ってる
ぞ。あんまりいじめるとその内本当に斬られるかもな﹂
1906
﹁え∼、あいつ誰にでも斬りたいとか言うだろ。俺だけじゃないじ
ゃねぇか。別に恨まれてるとか憎まれてるとかそんなんじゃねぇだ
ろ﹂
﹁俺は斬りたいと思った事がないって言ってたぞ﹂
﹁え、それはアランがひ弱な魔術師だからだろ。斬る意味がないと
か思われてねぇか、それ﹂
ダニエルの返答に、アランは否定できない、と思ってしまった。
﹁現に一応近接できるルヴィリアは斬りたいと言われてるし、あい
つ純粋な魔術師には興味ないだけじゃないか?﹂
﹁そういえば、あいつ、魔法や魔術にもあまり興味ないからな⋮⋮﹂
アランはレオナールが︽浄化︾と︽命の水︾││水精製魔法││
に興味を示していたことを知らないため、いずれの魔術にも興味が
ないのだろうと思っている。事実、これまでレオナールが興味を持
ったことはないため、誤りではないが。
﹁それについては俺の指導方針のせいもあるかもな。だって魔術師
に魔術撃たせてから対処するより、撃たせる前に潰した方が早いし
楽だろ?﹂
﹁まぁ、︽魔法解除︾は高ランク魔術師じゃなきゃ使えないし、魔
道具は高価な上に稀少だからまず入手は無理だし、発動された魔法
を避けるなんて化け物じみた真似ができるのはおっさんとレオくら
いだから、発動させる前に潰すというのは理にかなってるだろうな。
俺達魔術師からすると、正しく照準を定めて指定した魔術が躱さ
1907
れるとか、悪夢以外の何物でもないが。たぶん普通の戦士は防具や
魔道具とか付与魔術で対策するものなんじゃないか?﹂
﹁普通の戦士とか俺に聞くだけムダだろ、ジルベールなら快く教え
てくれただろうが。生憎クロードは普通じゃない方だしな﹂
﹁そう言えば、クロードのおっさんはどうなんだ? まさかおっさ
んみたいに避けたりはしないよな?﹂
﹁あいつは当たっても気にしない頑丈なやつだからなぁ。俺からす
ると、あいつ実は被虐趣味なんじゃねぇのって思うんだが、あいつ
からするとちょっとした攻撃も避ける俺は臆病な軟弱者なんだとよ。
クロードは大雑把すぎるのが欠点だが、普段は概ね穏和で人畜無
害なくせに、戦闘のこととなると頭がおかしくなるから、気を付け
ろよ。
別に狂戦士なみにおかしくなるわけじゃねぇけど、回避や受け流
しより、真っ向からガンガン打ち合うのが大好きなんだよな。
あいつに誘われても、絶対模擬戦とかやらねぇ方が良いぞ。模擬
戦とか言っておいて真剣以外はやりたがらないくせに、不器用で寸
止めできねぇから﹂
﹁⋮⋮レオが鍛錬に付き合ってやるとか言われてたんだが﹂
﹁今のレオじゃ、絶対一撃で吹っ飛ばされるだろう。クロードのや
つ、すげぇバカ力だし﹂
﹁おっさんに言われるとか、どんだけ化け物なんだよ。おっさんよ
り筋力があって頑丈ってことなんだろ?﹂
﹁たぶん王国所属の冒険者ギルド登録したAランク以上の戦士の中
1908
で、一番筋力があると思うぞ﹂
﹁それってドワーフや獣人以上ってことか?﹂
﹁当たり前だろ。普通の蜥蜴人や竜人より強いんじゃねぇか。本当
に強いやつは出て来ないだろうし、比較はできないが﹂
﹁本当に強いやつは出て来ない? どうして? 力自慢こそが住処
を出て来て冒険者になるんじゃないのか?﹂
﹁蜥蜴人や竜人は人間に比べると数が少ないからな。彼らの里で役
立つ人材は、なかなか外には出て来ない。数が少なく結束力の強い
種族は、よほどのことがなければ里を離れようとはしないだろう。
だからお前も、まだ見たことないだろ? 人間ほど多くはないが、
獣人やドワーフは結構いるだろ。彼らは出稼ぎとか武者修行とかで
出て来ることが多いから﹂
﹁エルフはシーラさん以外見たことない。数が少なく結束力が強い
からなのか?﹂
﹁それもあるが、里の外へ出るまではともかく、人間の多い町とか
に出て来るのは変わり者の部類だ。お前なら知ってると思うが、エ
ルフの知識量と来たら、人間族とは比較にならないからな。
シーラは好奇心旺盛で、魔法・魔術の研究よりは実践に力を入れ
てたからだろう。遺跡探索も好きだったから、現地調査と実践のた
めに冒険者になったんだろうな。
俺達と︽光塵︾としてパーティー結成するまでは、期間限定即席
パーティーばっかりだったみたいだから、特定の冒険者と仲良くす
る気はなかったみたいだし﹂
1909
﹁同じパーティーメンバーなのに伝聞が多いとか、おっさん、シー
ラさんに心底嫌われてたんだな﹂
﹁言っておくが、シーラと全く会話しなかったわけじゃないぞ!?
それに毎回雑談スルーされたわけでもねぇし!!﹂
顔を赤らめて弁明するダニエルに、アランは生暖かい視線を向け
る。
﹁うん、別に特定の冒険者がおっさんのことだとは言ってないから﹂
﹁⋮⋮アラン⋮⋮お前、時折妙にキツくねぇか?﹂
ダニエルがアランを少し潤んだ瞳でジトリと睨んだ。
﹁そりゃ被害妄想だろ﹂
アランが呆れたように言った。その後しばらく雑談した後、アラ
ンは挨拶を交わし、ダニエルの部屋を後にした。
1910
43 師匠は魔術師をたしなめる︵後書き︶
話が進んでません︵汗︶。
あと三話くらいで今章終わらせたいと思ってますが。
1911
44 師匠の心、弟子知らず
ダニエルはアランが自分の部屋へ入ったことを確認してから、静
かに自分の部屋を出た。
﹁さすがに遅すぎるだろう﹂
ダオルが渋面で、ダニエルを出迎えた。
﹁悪ぃ、悪ぃ。ちょっと青少年の悩み事聞いたりしてたからな﹂
﹁酒の臭いさせているくせに良く言う。それで、用件は済んだのか
?﹂
﹁いくつかはな。たぶん最終的には﹃保護﹄することになると思う﹂
﹁それはどちらの方だ?﹂
ダオルの質問に、ダニエルはニヤリと笑った。
﹁俺としてはどちらもそうしたいとこだがな。ダオルには暫くレオ
とアラン、ルヴィリアの護衛を頼む。期間は今のところ未定だ。追
って連絡はする。⋮⋮現状、他に仕事は入ってなかったはずだよな
?﹂
﹁問題ない﹂
﹁あと、俺がいない時は、レオを鍛えてやってくれ。死なない程度
1912
に﹂
ダニエルの言葉に、ダオルは軽く目を瞠った。
﹁どういうつもりだ? 彼を大事にしてたんじゃないのか?﹂
﹁大事にしてるつもりだぞ。でも、甘やかしすぎるのも良くないと
思ってな﹂
笑顔で言うダニエルに、ダオルは溜息をついた。
﹁それは、魔獣向けじゃなく、対人向けで良いってことだな?﹂
﹁これから必要になるからな。冒険者としてはCランク以上じゃな
いと対人はないが、連中はそんなことを考慮してはくれないだろう﹂
﹁いい加減本人に言った方が良いと思うが、どうして教えてやらな
いんだ?﹂
﹁アランみたいに聞き分け良くて理解が早いのなら、ぜひそうする
んだが、レオの場合、飢えた狼の前に生肉ぶら下げたのと同じよう
なことになるからな。さすがにそれはちょっと困る﹂
﹁自分の命が狙われていると聞いて、喜んで飛びつくのか?﹂
﹁そう言ってるだろ。俺だけじゃなくアランも同意見だ。あいつ、
斬ることが手段じゃなく目的で、そのための名目を常に探してるよ
うなものだからな。俺としてはそこで満足されても困るんだが﹂
﹁危機感がないのか?﹂
1913
﹁どうかな。たぶんあいつは、死ぬことが恐いと思ってないんだよ。
自分自身は勿論、自分以外のやつも含めて。恐怖を感じないわけじ
ゃないと思う。でも、人より鈍いのは確かだな。でなきゃ、恐怖を
感じることに快感を覚えているか﹂
﹁それって、タチが悪くないか?﹂
﹁ダオルの目から見て、あいつはどうだ?﹂
﹁判断できるほど見ていない﹂
﹁そうか。いつかお前の意見を聞かせてくれ。⋮⋮あいつは、恐怖
を感じる状態に慣れすぎてるんだ。それがいつからだったのか、正
確にはわからない。
母親とはほとんど隔離されていて数日に一度しか会えなかったし、
あいつの世話をずっとしていた侍従は、何も言わずに死んだからな。
乳母がいたかどうかもわからない。
あいつが剣にこだわるのは、たぶん、魔法や魔術では対処できな
い時でも使えるからだと思う﹂
﹁魔法や魔術が使えない状況というのは、あまりないように思うが、
それだけ切迫した時ということか?﹂
﹁いや、魔道具や儀式魔法・古代魔法語を使用した魔法陣などで、
人為的にそういう状況を作ることができるんだ﹂
ダニエルが首を左右に振って答えると、ダオルが眉間に皺を寄せ
た。
1914
﹁そうなのか? おれはそういったものを見た事も聞いた事もない
んだが﹂
﹁俺も、実際見たのはあれが初めてだな。﹃犯罪奴隷﹄は知ってい
るだろう?﹂
﹁ああ、時折見掛けることもあるな﹂
﹁犯罪奴隷は、殺人や強盗など重い罪を犯し、しかし斬首刑にまで
至らない者に対して処される刑罰で実質終身刑だ。あれが、儀式魔
法によるものだって知ってたか?﹂
﹁いや。俺の故郷にはなかったからな﹂
﹁儀式魔法によって魔力・魔法的に縛った上で、古代遺跡発掘品で
ある魔道具﹃隷属の首輪﹄をはめて、主人となる者に隷属させる。
本来なら、国の機関で規定の裁きを下された者にしか使用が許可さ
れないが、それが違法に使用された﹂
﹁!?﹂
﹁魔道具だけなら最悪壊せばなんとかなるが、儀式魔法の方が厄介
だ。おそらく︽混沌神の信奉者︾の中にこの儀式魔法を使えるやつ
と、一定空間での魔法行使を無効化できる魔法陣を描けるやつがい
る﹂
﹁⋮⋮対策は考えてあるのか?﹂
﹁今のところはほぼ皆無だ。魔法陣の方はともかく、儀式魔法の方
は︽魔法解除︾以外の対処方法が見つかっていないが、それも発動
1915
された後では効果が無い。目下、調査・研究中だ﹂
﹁厄介だな﹂
﹁術式は入手済みだ。最低三人の術者を必要とし、対象者の承諾が
必要だが、術の効果がある間に文脈に関係なく﹃はい﹄という意味
のある文言を言わせれば効果を発する﹂
ダニエルの言葉に、ダオルが渋面になった。
﹁事前にわかっていれば、対策出来そうだと思うだろう? これが
﹃食事はいるか?﹄という問いに﹃はい﹄と答えても効果があるら
しい。﹃いる﹄とか何が食べたいと答えれば大丈夫というわけだ。
ただ、儀式魔法の最初の文言を言ってから、最後の文言を言う前
であれば、半日から一日経過した後でも﹃はい﹄と答えれば承諾し
たことになる。
根比べだな。更に人質がいれば﹃はい﹄と言わされずに済ませら
れる方が難しい﹂
﹁それを悪用している、と? しかし、それなら使える術者を特定
しやすいのではないか?﹂
﹁王国内で推定百三十人、内疑わしいのが約半分だ﹂
﹁⋮⋮多いな﹂
﹁本格的に取り掛かってから、それほど経ってないからな。使える
やつもそれほど多くない。問題は国外の人間だった場合だな。残念
ながら、俺の国外の人脈はそれほどじゃない。
名は不明だが、人相は一応わかっているけど、まだ見つかってい
1916
ない﹂
﹁いっそ、賞金首として手配したらどうだ?﹂
﹁それが、王国籍を持たないエルフとハーフエルフの子供の証言だ
けってことじゃ難しいらしい。一人はレオのことだがな﹂
﹁彼は平民だろう?﹂
﹁今はな。当時は違ったんだ。しかも奴隷の庶子という扱いだった。
王国法では奴隷とその子に人権はないし、法律の適用もされない。
今は、俺の養子になっている﹂
﹁養子縁組をしたのか?﹂
ダオルが目を瞠った。
﹁それが一番手っ取り早かったんだ。できれば実父の籍に入れてや
りたかったんだが、生まれた時には既に死亡しているから、絶対無
理なんだとさ。
どうしても入れたいなら、死者の承諾取って来いとかひでぇこと
言われたぞ。母親のシーラは儀式魔法で犯罪奴隷にされたせいで、
自由民にも平民にもできないらしい。シーラは堅物で、王国法は何
一つ犯してないのに﹂
﹁酷い話だな﹂
﹁ああ、さすがの俺もムカついたぞ。誰が聞いてもひどいと思うだ
ろ? 王国の役人は皆口を揃えて﹃決まりですから﹄とか言いやが
る。だから王妹殿下に泣きついたんだ。
1917
あの方はとても聡明で慈悲深いからな。事前の根回しは勿論、組
織の立ち上げや予算の捻出、人員の手配に至るまで大変お世話にな
った。
殿下がいなければもっと苦労することになっただろうし、調査や
対処も遅れていただろうな。俺、頭使ったり人を使ったりするのは、
向いてねぇからな。
本当は今でも、他に俺の代わりをやってくれるやつがいたら、あ
いつらのそばにいたかったんだ。俺さぁ、これまでずっと自分の好
き勝手なことしかしてねぇんだよ。隣国の兵士をぶっ殺して壊滅さ
せたことも含めてな。
なのに、国策とか体面とか色々あって英雄とか何とか持ち上げら
れてさ、やたら期待されたり、素の俺出したらビビられたり、ガッ
カリされたりすんの。ウザいし面倒だし、疲れるし、すっげーしん
どいんだよ。
俺は生まれてこの方、このまんまで生きてきたんだ。誰かの、何
かのために我慢したり頑張ったりするほど、良い子だったことなん
ざ、ただの一度もねぇんだよ。
だから、レオやアランといるとすっげー楽なんだよな。あいつら、
妙な期待とか憧れとかねぇし、最初から素のままの俺しか知らねぇ
し、おべっか言わないし、俺を利用しようとしないんだ。
俺についてる肩書きも能力も全部いらないって言ってくれるやつ
がいるとしたら、たぶんあいつらだけなんじゃねぇかな。なんかそ
ういうのが、すげー救われたんだ。
あいつらに会った時って、ちょっと疲れて人間不信入ってて、人
目から離れたくなって、逃走している時だったからな。
ククッ、頭のおかしい変なおっちゃん扱いされたのは、あいつら
だけなんだよ。アランのビビり方がすげー面白かったな。森で全裸
でワイルドベアーに遭遇したってあんなに驚かないだろうに﹂
1918
﹁そう言えば、おれが初めて会った時のあんたは荒れてたな。あの
時は、野獣のような男だと思った﹂
﹁だってしようがねぇだろ、あの時は既に数ヶ月、︽魔の森︾で野
宿してたんだ。あの森、水の確保が難しいんだよな。どこの水場も
魔獣との争奪戦になってるし。俺一人じゃなけりゃ︽浄化︾で何と
かできたんだろうが﹂
﹁姿のことじゃない。お前の目だ、性根のことだ。近年だいぶん人
間らしくなってきたが﹂
﹁おいおい、俺は最初っから純粋な人間だっつーの。こ∼んなカッ
コイイすてきなお兄さん捕まえて野獣とかひどくねぇ?﹂
﹁自分の年齢思い出して、鏡で自分の姿を見てから言え。おれより
9歳上にはとても見えない。長命種でもないのに、出会った十六年
前と姿形が変わらないのがおかしい。もっとも、お前については、
どんなおかしな事も諦めるより他にないが。
そんなお前にも人間らしいところがあると、安心する。たぶんお
れ以外にも、そういうやつはいるだろうな。だから、お前が好き勝
手していても、ある程度容認されている。
だが、それはお前に近しい者だけだ。自分の味方より、敵の方が
多いという自覚はあるんだろう?﹂
﹁わかってるよ。そばにいることだけが守る手段じゃないとわかっ
ているから、王都へ来たんだ。いっそ怪しいやつは全員ぶっ殺した
くなるが、それじゃ表に出てない連中には逃げられるからな。ネズ
ミの巣穴ってのは、ちょっと覗けばそこら中に山ほどありすぎて困
る。
人が集まれば集まるほど、良からぬことを考える連中も増えるっ
1919
てことなのかね。そんな暇があるなら、もっと他にやる事があるだ
ろうに。これじゃ中に他国のネズミが混じっててもおかしくねぇだ
ろ﹂
﹁どんな国でも環境でも、他者の利益をかすめ取ることを企む者は
いる。全ての人間がそうではないが、自らが努力するよりもその方
が楽だと考え、当人はそれを賢いやり方だと思っている。
自分以外の者が自分を標的にする可能性、自分以外の他者にそれ
を利用される可能性、自分が返り討ちにされる可能性を、さほど考
慮せずにな。
おれの故郷にもいた。ああいう輩は、たぶん人のいるところであ
れば一定数いるのだろう﹂
﹁楽して儲ける方法なんて、どこにもねぇのにな。全ての物事には
利益と損失、長所と短所がある。詐欺師はそいつの都合悪いことは
隠すもんだ。神も精霊も皆に等しく不平等で、いくら祈っても依怙
贔屓はしねぇんだがな﹂
﹁お前が言っても、あまり説得力はないだろう、ダニエル﹂
ダオルの言葉に、ダニエルは首を傾げた。
﹁そうか?﹂
﹁お前はその飄々とした態度で内面の毒を隠しているせいもあるだ
ろうが、王国内の多くの者は、お前が神と精霊に愛された強運の男
だと思っているだろう﹂
ダオルの言葉に、ダニエルは苦笑した。
1920
﹁強運、ねぇ? 本当に運が強ければ、故郷が滅ぼされたり、家族
と財産全てを失ったりしねぇんじゃねぇの?﹂
﹁弟御は生きているのではなかったか?﹂
﹁生きてはいるが、どうやら俺には会いたくないらしいな。一応ま
だ王国軍に所属しているのはわかったが、名前を変えてる上に、俺
にはあいつの情報知らせるなって口止めしてんだとよ。だから捜し
てやるなと先日、ミュルヴィル将軍に言われたんだ。
さすがの俺も軽く泣きそうになったよ。俺は可愛がってるつもり
なのに、ひでぇよな。血抜きしてない生肉食わせようとしたのがい
けなかったのか、少しでもあいつを鍛えてやろうとしたのがまずか
ったのか、毎年趣向を凝らした誕生日プレゼントを持って押しかけ
たせいか、紹介された婚約者の実家に持参金として金貨百枚ほど送
ったせいなのか﹂
﹁全部じゃないのか﹂
ダオルは深い溜息を吐きつつ、そう言った。
◇◇◇◇◇
日の出の一刻半ほど前に、レオナールは起床した。窓を開け、着
替えと身支度を済ませ、完全装備で部屋を出る。いつもなら全員寝
ているはずの時間に、起きている者が数名いるのを気配や物音で感
じながらも、足音を忍ばせて外に出た。
﹁さぁ、ルージュ。今日も狩りに行きましょう﹂
1921
﹁きゅうきゅう!﹂
満面の笑みで言うレオナールに、幼竜は嬉しげに高く鳴いた。レ
オナールにとって、この世の大半の物事はどうでも良いことだ。誰
が何を考えていようと、それが直接自分に害をもたらすものでなけ
れば、関係ないから気にならない。
︵師匠のせいでアランの機嫌が悪くなったみたいだけど、たぶんあ
れで問題ないのよね︶
普段は暴言や軽口も吐くけれど、レオナールはアランを敵に回す
つもりはないし、なるべく避けたいと思っている。
それは、友情や愛着といった感情が全くないとは言わないが、そ
れよりもっと打算的なものだ。
︵アランがいないと色々面倒だし、何よりあの特技に変わるものは
ないもの。できればもう少しゆるめてくれれば、もっと嬉しいんだ
けど。本当はもっとたくさん討伐依頼受けたいのに。
そろそろラーヌ近郊で狩るのも終わりになりそうだし、昨日は南
西だったし、今日はちょっと北西の森の奥の方まで行ってみようか
しら︶
﹁きゅきゅう?﹂
﹁今日は北門へ向かいましょう。大物が狩れると良いわね、ルージ
ュ﹂
﹁きゅきゅーっ!﹂
1922
嬉しげに尻尾を左右に振る幼竜の鼻を撫でながら、レオナールは
足取り軽く、町の北へと歩み出した。
1923
44 師匠の心、弟子知らず︵後書き︶
今章は次話で完結です。
かなり削りましたが、やたらダラダラ書いてしまいました。
雑談と罵詈雑言になると筆が進みすぎです。
本当は戦闘書くのも好きなのですが、少ないです。
思い描いている絵を文章にするとどうも説明くさくなる気がします。
以下修正。
×フル装備
○完全装備
×キャンセルできる
○無効化できる
×わかっているが
○わかっているけど
1924
45 終幕
視界の端で、木々の合間から時折灰色の影が見え隠れしている。
あれで、こちらの視界に入らないよう動いているつもりなのだろう。
距離があるために物音や息遣いなどは聞こえて来ないが、かすかな
匂いや、常人にはわからない程度の空気の流れで、何処にいるのか
は丸わかりなのだが。
︵一人は昨日と同じだけど、もう一人増えたわね︶
さて、とレオナールは首を傾げた。新たに増えた方は、音はもち
ろん、匂いもほとんど判別つかない上に、灰色の方と違ってこちら
が幾度も方向転換を繰り返しても、決して視界に入って来ることは
ない。
では何故、レオナールにその存在がわかるのかと言えば、森の木
々の間を流れる魔素の動きや、不自然な魔素や魔力の気配を感知で
きるからだ。
人や植物などを含めた生き物が内包する魔素と、土や石など無機
物に含まれる魔素、何もない宙に漂う魔素は、水と油のように決し
て混じり合うことがない。
宙を漂う魔素はたいてい特徴らしき特徴のない無属性だ。対して、
生き物や無機物が内包する魔素の大半はいずれかの属性を持ってい
る。
それは一種類である場合もあれば、複数である場合もある。薄い
膜の中に水を入れて、その中に色のついた油を流し込んだようなそ
れは、時に混ざり合ったり分離したり、宙や無機物のそれとは異な
る不自然な動き方をして、それが生きている限りはその変化が留ま
1925
ったり停滞することはない。
レオナールがそれが何なのかを理解し始めたのは、アランが初め
て魔術を使った九歳前後からである。
︵それがそこにあるのはわかるんだけど、正確な位置を掴もうとす
るとぶれるわね。この感覚はやっぱり︽隠蔽︾とか︽認識阻害︾っ
てやつかしら。
巨大蜘蛛とかにかかってたやつよりは判別つきやすいんだけど、
ルヴィリアよりは上ってとこかしら。たぶんあの灰色のがいなかっ
たら、気付けなかったかもね。ルージュがいなくて私一人だったら、
注意して探さないとあれを感知するのは難しいかも。
近寄ってみても距離を取られるから、あれをこちらから攻撃する
のは難しそうね。まぁ、向こうから手出しして来ない人に手を出す
なって言われてるから、今のところ仕掛けるつもりはないけど。
だけど遠距離は諦めるとしても、中距離用に投擲か何か用意した
方が良いかしら?︶
しかし、レオナールは武器や防具の知識にとぼしい。ダニエルか
ら教わったのは、剣の振るい方と、身体の動かし方、譲渡されたダ
ガーの使い方や、装備の手入れの仕方だけだ。
武具屋に装備品を研いだり修繕・点検するためなどに暫く預けた
ことなどはあるが、一人で新規に購入したことは一度もない。
ロランの武器屋には長剣や大剣はあるが、バスタードソードは置
かれていなかった。買うとしたら特注になると言われたので、それ
以来陳列された商品を眺めることもなくなった。
籠手や滑り止め付きのグローブなどは、購入を考えたことがある
ため見たことはあるが、結局一度も手に取ってみたことはない。な
んとなく、これは違うと感じたからだ。
︵色々アランと相談したいのにあの子ったら、戦術はともかく戦闘
1926
に関してはお前に任せるとか言うんだもの。どうしたら良いかわか
らないから聞きたいのに。
師匠には聞くだけムダそうよね。どうせ﹃近付いて斬れば良い﹄
って言うだけだもの。それができない場合の対策が欲しいのに、近
付けないなら近付けるようにしろって言うんでしょうね、きっと︶
しかし、自分の位置を把握されている状態から、速やかに近付き
相手を奇襲することは、ほぼ不可能だ。建築物や木などを上手く使
ってこまめに方向転換しても、相手を引き剥がせない状態ではどう
にもならない。
ダニエルやダオルのいう、フェイントや牽制を入れたりして、隙
を作れ、という意味は理解できる。だが、敵に自分の意図を読ませ
ず、狙い通りに行動させるにはどうしたら良いかがわからない上に、
相手の意図を読むこともできない。
フェイク
相手の目線や呼吸、筋肉の動き、足運び、体重移動などから次に
来る動作を概ね察知することはできる。だが、それが偽物か本物か
の区別がつかない。また、一度動き始めてしまった自分の身体を停
めることもできない。切り替えるためには、どうしてもわずかな遅
れが生じる。
それはまばたき一つほどもない時間だが、致命的な遅れだ。通常
の移動する際、剣などを振るう際に余計な力は入れない。力が必要
になるのは、急な方向転換および停止、敵に攻撃を当てる瞬間など。
それでも、慣性や反応速度などの関係で遅れが生じることは避けら
れない。
レオナールは見たもの、感じたものを認識し把握する能力には長
けている。ダニエルのような人外とは比較にならないが、成人した
ての駆けだしの剣士にそれを期待する方が間違いだ。
だが、自分以外の生き物の意図・思考などを読む能力は、下手す
ると幼子にも劣る。経験を重ねれば、それは改善できるのかもしれ
1927
ないが、今のところその気配はない。
何故そうなるのか、疑問には思っているが、それについてほぼ思
考放棄しており、それを理解する必要性を感じていないために、そ
こで停滞している。
知性を持ち学習し、相手の動きや意図を読もうとする敵に、自分
の攻撃が当たり難いことが、それと繋がっていることにレオナール
はまだ気付いていない。
危機感を覚えていないのも原因の一つだが、自分の現状を把握で
きていないのが最大の原因である。
﹁まぁ、気にしてても仕方ないわね。ルージュ、何か狩りたい獲物
はある?﹂
﹁きゅきゅう?﹂
幼竜は首を傾げた。
﹁何でも良いの? ん∼、とりあえず手近で捕まえやすそうなやつ
から行ってみましょうか﹂
﹁きゅうきゅう!﹂
レオナールは頷く幼竜に微笑んで、風が運んで来た匂いの方角へ
と駆け出した。
◇◇◇◇◇
それは、洞窟と思しき岩を削られて作られた部屋。床も壁も天井
1928
すらも、やすりで磨かれたように整えられており、凹凸はほとんど
ない。
床には鮮やかでありつつも繊細な文様の絨毯が敷かれ、樫の木で
作られた文机や椅子、彫刻の施された背の低いチェストなどが備え
付けられている。
壁に掛けられたオイルランプが、辺りを照らしている。
おさ
﹁この度は大変申し訳ありません、長。この失態、次は必ず挽回し、
あなたのご期待に添えるよう尽力いたします﹂
黒衣のローブを纏った長身の若いエルフが、背後に護衛と思しき
武装したエルフ三名を従えた、祭司のような長衣││くるぶしより
長く手首の付け根近くまである白地の絹に、紅・碧・金・黒・銀の
糸を用いて、全体的に花・ツタ・鳥の文様の刺繍が施されたきらび
やかなもの││を身に着けたエルフの男の前に、うやうやしく跪い
て謝罪した。
﹁わたしは無能が嫌いだ﹂
長衣の男が無表情で、感情の籠もらない淡々とした声色で、跪く
男へと告げた。
﹁⋮⋮っ!﹂
﹁そなたの代わりは他にいる。無能に用はない﹂
そう言い捨てて、長と呼ばれた男が腰の長剣を抜き放ち、黒いロ
ーブの男を切り捨てた。
﹁ああ、血で汚れてしまった。清めなくては﹂
1929
男は煩わしそうに眉をひそめ、護衛の一人に命じる。
﹁後の始末をせよ﹂
そう言って、抜き身の長剣を預ける。護衛はそれを両手で掲げ持
ち、頭を垂れて一礼する。
﹁かしこまりました﹂
長剣を掲げ持つ護衛をその場に残し、男は背を向けると残り二名
の護衛を引き連れて、書棚の隣の隠し扉を通った先にある転移陣を
起動させた。
森の中の泉に向かい、見張りを立たせて長衣を脱ぐと沐浴し、︽
浄化︾によって清められた長衣を身に着けた後、その傍らに建てら
れた古い石造りの遺跡へと向かった。
入口の文様に手をかざし魔力を注ぐと、地下へ降りる階段が現れ
る。
﹁しばし、待て﹂
そう護衛に言い置いて、一人で階段を降りた。内部に灯りはない
が、夜目の利くエルフであれば月夜の下を歩く程度には問題ない。
男の靴は軟らかい革製の編み上げサンダルを履いていた。足を踏み
出す毎に、コツリ、コツリと音が鳴り響き、絹の長衣の裾が揺れる。
階段を降りた先には、高い天井と、無骨な鉄格子があった。鉄格
子の向こうは十メトルほど下がっていて、そこには石作りの牢があ
った。
外部へ繋がる窓はないが、天井付近に握り拳ほどの大きさの空気
穴が全部で六つ空いており、閉ざされた地下にしては乾いた空気が
1930
流れている。
﹁かつて、偉大なる﹃エレクレンヌ神聖王国﹄が滅びたのは、蒙昧
無知な家畜どもが﹃我等は人だ﹄などと世迷いことを抜かして王国
の転覆を狙い、至高のハイエルフたる我らが王を殺したからだ。
下賤な家畜どもは、読み書きも満足にできず、まともな知識も言
葉も知らず、ただ己の好き勝手なことを吠える以外に能がない。
我等エルフはかつて全ての生き物の庇護者であり、支配者だった。
人間どもは自分に都合の悪い事実はなかったことにして隠蔽し、も
はや古代魔法語で書かれた書物以外に、真の歴史を記されたものは
存在しない。
正しい知識と言葉を知る者は、もはや我が一族、︽静かなる古き
精霊の森︾の者達以外にはおらぬ。嘆かわしいことだ。そして、古
式ゆかしい我が一族の者にも、外の影響を受け世迷い事を申す者達
が出る始末だ﹂
男は深々と溜息をついて、石牢に閉じ込められ、首輪││古代魔
法語の刻まれた青みがかった銀色の金属製││をはめた美しくたお
やかなエルフの女性を、たしなめるような目で見た。
﹁お前が何故、そんな目に遭っているかわかるか、我が愛しき妹よ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それはお前がわたしの庇護から離れて、里の外に出たからだ。汚
泥にまみれた人間どもと交わり、恥知らずにも連中の注目を浴びる
ような愚劣な所業をしたからだ。
愛する妹よ、お前が外でいったい何を得た? 失い傷付くばかり
で、価値のあるものは何一つ得られなかっただろう?
君が森を出ずに、わたしの可愛い妹であり続ければ、そんな酷い
1931
・リィア
シェーラ・レ
シ・エル
ディ
目には遭わずに済んだのに。ああ、可哀想な風の精霊ラルバの加護
を受けし輝ける者!﹂
シ・エル
ディ・リィア
シェーラ
四肢を拘束され、鎖で繋がれたエルフの女性││かつて︽森の聖
・レ
女︾という二つ名で呼ばれた風の精霊ラルバの加護を受けし輝ける
者ことシーラ││は目の前のエルフの男を睨み付けた。男は苦笑す
る。
﹁混沌神の人形を手に入れ、神の知識を得られたら、君の記憶をま
シ・エル
ディ・リィア
シェーラ・レ
っさらにして、かつての愛らしいわたしの妹である君を取り戻して
あげるよ、風の精霊ラルバの加護を受けし輝ける者。
そうすれば、君は少なくとも今より幸せになれるはずだ﹂
﹁⋮⋮くそったれ﹂
掠れた声で毒づき、舌打ちするシーラに、男は微かに眉をひそめ
た。
﹁本当に君は変わってしまったね。汚れて醜くなった。でも、わた
しが元に戻してあげるよ。
天空神も、森の女神も、風の神も、わたしの望みには応えなかっ
たが、混沌神だけは、わたしに道標を示された。
混沌神の人形は必要な力を得たら、戻って来る。だが、ただ時を
待つのは苦痛だ。見苦しい君を見ていると吐き気がする。
だから、わたしが時計の針を進めて、本来のお前に戻してあげよ
う。感謝しなさい、我が妹よ﹂
﹁⋮⋮あなたがそんな屑野郎と知っていたなら、二度と里へは戻ら
なかったわ、イライアス﹂
1932
シ・エル
ディ・リィア
シェーラ・レ
﹁ねぇ、風の精霊ラルバの加護を受けし輝ける者。君はどうして変
わってしまったのかな。やはり、あれは殺しておかなければいけな
かったようだね。君の最大の過ちの種を﹂
﹁⋮⋮地獄に落ちろ﹂
﹁実に哀しいね。わたしの愛した妹は、どこに消えてしまったのだ
ろうか。君が生まれた時から、父母に代わって世話をしてあげたの
に。かつての君は、わたしを愛し敬ってくれていたのにね﹂
﹁⋮⋮己の身勝手な欲望のためなら、同朋や肉親ですら手に掛ける
あなたに言われたくないわ﹂
ディ・リィア
シェーラ
声こそは弱々しいが、目の光は力を失っていない。その目は、目
シ・エル
の前に立つ男が敵だと告げている。
・レ
﹁わかっていないようだな、風の精霊ラルバの加護を受けし輝ける
者。全ては、君が身勝手で傲慢だったから始まったのだよ。君のた
めに、本来必要なかった犠牲が生じることになったのだ。
君に意志など必要ではない。わたしの愛する可愛い妹でありさえ
ディ・リィア
リヴァ・レ
すれば、他には望まなかったのに。⋮⋮とても残念だよ﹂
イェラ・エル
雷の精霊イルガの加護を受けし賢き者ことイライアスは、美しく
秀麗な額に僅かに皺を寄せ、困ったように微笑した。
4章・完。
1933
45 終幕︵後書き︶
というわけで4章&1部完結。
伏線その他はありますが、主な登場人物をざっくり紹介、みたいな
感じです︵モブは勘定に入ってません︶。
5章は︽古き墓場︾です。
1934
4章登場人物およびダンジョンMAP︵挿絵︶、年表
前章でうっかりダオルを記載忘れていたので、こっちに記載。
■4章の主な登場人物
●ダオル
種族 人間
年齢 32歳
職業 戦士
武器 グレートソード︵両手剣︶
防具 革鎧︵胸当て、腰当て、肘当て、脛当てなど。軽めの中装備︶
ヘーゼル
国籍︵本拠地︶ラオリ諸島連合国出身、本拠地は特になし
容姿金茶の短髪/淡褐色の瞳/褐色の肌/1.94メトル
備考
王国内では一応自由民扱い。
9歳で戦士デビュー、18年前、14歳の頃故郷を失い、放浪す
る。
16年前、ダニエルと辺境で遭遇、知遇を得る。基本ソロのAラ
ンク冒険者。
母国語ではないためか、口数は少ない方だが、快活。
●アレクシス
種族 人間
年齢 34歳
職業 魔術師
国籍︵本拠地︶シュレディール王国─︵王都リヴオール︶
容姿 銀髪/蒼眼︵眼鏡︶/1.74メトル
1935
備考
現シュレディール王国魔術師団長、および魔術師ギルド名誉顧問、
︽混沌神の信奉者︾対策室の副室長。
二つ名は︽蒼炎︾︵得意魔法の一つ︶。使える魔法は攻撃・回復・
支援・召喚など多岐にわたる。
レオが付けたあだ名は︽解剖狂︾。
家を継ぐ予定はないが伯爵家出身。金で済ませられることは金で、
権力で解決できそうなら権力を使う。
面倒臭がり。気まぐれ・傲慢で解剖マニアの変人。元Sランク冒
険者。
ダニエルとはあまり仲が良くない。
●ヘルベルト
種族 人間
年齢 36歳
職業 騎士︵近衛騎士団所属︶
国籍︵本拠地︶シュレディール王国─︵王都リヴオール︶
容姿 黒髪/蒼眼/1.87メトル
備考
アレクシスの従兄︵叔父の長男︶でお目付役。アレクシスには下
僕と呼ばれることもある。
真面目で直情的。脳筋気味でアレクシスに振り回されている。
●シーラ︵シ・エル・ラルバ・ディ・リィア・シェーラ・レ︶
﹁風の精霊ラルバの加護を受けし輝ける者﹂の意
種族 エルフ
年齢 53歳
職業 魔術師
国籍︵本拠地︶︽静かなる古き精霊の森︾出身
容姿 濃い金髪/碧眼/先の尖った長い耳/白皙の細面で華奢︵胸
1936
は小さめ︶/1.62メトル
備考
レオナールの母で、アランの魔術の師匠。︽森の聖女︾の二つ名
を持つ元Sランク。
ダニエルの元パーティーメンバー︵パーティー名︽光塵︾︶。
恋人ジルベール︵レオナールの実父︶を殺され、策略と儀式魔法
により犯罪奴隷へと堕とされた上に、幽閉されている。
エルフにしては感情の起伏が激しく短気で攻撃的で苛烈な性格。
辛辣な毒舌家で真面目で率直。
気が強く、自尊心が高い。冗談が通じず下ネタが嫌いで、すぐ切
れる。
気になったら迷うことなく即実行するため、失敗することも多々
あるが、へこたれない。
ちなみにエルフの寿命は三百∼四百歳。稀に五百歳近くまで生き
る者もいるらしい。
●イライアス︵イェラ・エル・イルガ・ディ・リィア・リヴァ・レ︶
﹁雷の精霊イルガの加護を受けし賢き者﹂の意
種族 エルフ
年齢 121歳
職業 魔法剣士
武器 ミスリル製ロングソード︵魔術付与あり︶
防具 祭司服︵魔術付与あり︶
国籍︵本拠地︶︽静かなる古き精霊の森︾
容姿 濃い金髪/碧眼/先の尖った長い耳/白皙の細面/1.74
メトル
備考
レオナールの伯父かつシーラの兄。︽静かなる古き精霊の森︾の
長。
知的で穏やかに見えるが、得体の知れない性格。
1937
ダニエル評では﹁自尊心や自己顕示欲、虚栄心が強い。知識は豊
富だが実践経験などは少なく、倫理より自らの欲求・欲望を優先さ
せがちで、他者による叱責や忠告などはあまり聞き入れず、寛容の
心が少なく、狭量﹂
﹁執念深く偏屈で、思い込みが激しい。しかも、何をやらかしても
﹃自分は正しい﹄と思っている﹂
■ラーヌ周辺地図
●ラーヌ周辺MAP
<i164454|3534>
■蒼雨の月︵夏︶
︵16日 アランからアントニオへ、ダンジョンの話を振る。
18日夜 アントニオが三人の斥候に話をする。
19日 エリクは準備&20日出立。
24日 アントニオとエリクが会う予定だったが帰還せず︶
25日 4−1∼3話前半 ダンジョン探索準備および挨拶回り、
エリク捜索依頼︵依頼者アントニオ︶受諾
26日 4−3話後半∼25話前半 エリク捜索開始︵ラーヌ南東
の森および幻影の洞窟の探索︶、︽混沌神の信奉者︾と戦闘、ラー
ヌ駐留黄麒騎士団所属の第五小隊と遭遇︵その後全滅︶、ラーヌへ
の帰還および冒険者ギルド・ラーヌ支部への一次報告、アレクシス
との出会い
27日 4−25話後半∼34話前半 領兵団の詰め所︵ラーヌ︶
にて事情聴取、ヘルベルトと遭遇、ダニエル襲来
1938
28日 4−34話後半∼44話前半 ギルド報告、アレクシス帰
還、アントニオの願い他
29日 44話後半∼45話
1939
4章登場人物およびダンジョンMAP︵挿絵︶、年表︵後書き︶
魔法陣の画像作成途中でうっかり放置していました。
認識阻害と知覚減衰、魔物避け︵アラン製作︶ですが、後日別ペー
ジで更新予定。
古代魔法文字作るのに時間かかる上に需要あるか不明なので、本文
先に書いた方が良さげな気もしますが。
以下修正。
シーラとイライアスの身長等が書き洩れていたため、加筆。
挫折?したら、本文が先に上がるかもです。
1940
ウル村生贄事件 1︵前書き︶
本編二年前のウル村生贄事件を前・中・後編で更新。
1941
ウル村生贄事件 1
こうえ
シュレディール王国建国暦283年、夏が終わり農作物の収穫を
迎える黄恵の月。王国内の農村の多くで、農耕神サナトールを中心
とした神々への感謝の祈りを捧げる収穫祭が行われる季節である。
朝日が昇る数刻前、彼は人の動き始める気配を感じて目を覚まし
た。ゆっくり気怠げに起き上がるとそのまま停止し、それを静かに
待った。
しばらくして足音が近付き、部屋のドアが二回ノックされた。
﹁レオノーラ様﹂
返答を待つことなく、扉が開かれた。
﹁おはようございます。本日の衣装などをお持ちいたしました﹂
老齢の従僕││名はロルトだが、彼は記憶していない││はそう
言うと、膝に毛布を掛け床に座ったまま身動き一つしない彼に歩み
寄り、運んで来た給仕用のワゴンを停止させると、彼の両脇に手を
入れて抱き上げた。
身じろぎ一つしない彼を立たせると、くるぶしまで覆い隠す麻製
の貫頭衣と、その下のドロワーズを脱がせると、タライに浸された
布を手に取って絞り、彼の身体を拭い始めた。
﹁本日は旦那様がこちらへいらっしゃるご予定となっておりますの
で、お昼前にはお屋敷にお戻り下さい。もし遅れるようでしたら、
わたくしがお迎えに参ります。よろしいですね?﹂
1942
従僕の言葉に、彼はコクリと頷いた。従僕は彼の肩を拭う際に、
彼の首輪近くに赤く擦れた後を見つけて、眉をひそめた。
﹁首輪のサイズが合っていないようですね。それとも、何か激しい
運動をなされましたか?﹂
彼は反応しなかった。
﹁以前は擦り傷やひっかき傷が多かったようですが、このところし
ばしば痣や打撲痕などがあるようですね。差し出がましいようです
が、あまり危険なことはお避けになった方がよろしいかと存じます。
特に、本日はお控え下さい。
旦那様より、大切なお話があると伺っております。あなた様のお
年頃で邸内で閉じ籠もるのは気鬱なこと、わたくしの目の届く範囲
では目こぼしもいたしますが、旦那様より厳重に禁じられれば、そ
れもかなわなくなります。
レオノーラ様、どうかご自重・ご自愛なさって下さいませ﹂
従僕の言葉に彼は視線を向けたが、それ以上の反応はなかった。
美しく繊細で整ってはいるが、人形のように生気がなく虚ろな瞳に、
侍従は嘆息しながら作業に戻った。
幾度も布をすすぎ絞り、全身をくまなく拭うと、持参したキャミ
ソールとペチコート、その上に膝を隠す丈のワンピースドレスを着
せた。
背中に小さな飾りボタンがずらりと並んでおり、襟元にはふんだ
んにギャザーやレースを施し、首をすっかり覆い隠している。前面
にはドレープが、袖口と裾には刺繍が施されている。
それから大きな布をよだれかけのようにかけて両端を結ぶと、香
油を数滴手に取って髪になじませ、櫛で髪を梳き、髪を結う。彼が
1943
例え木に登っても乱れることのないようきっちりと編み上げ、高い
ところでシニョンを作り、髪飾りで留めた。
﹁レオノーラ様、最近村で何をされているのかは存じませんが、あ
まり熱心に通われるのはお勧めいたしません。幾人かの使用人には、
気付かれております。
お出かけなされるのでしたら、夜明け前に出て、日の沈む前には
お戻り下さい。出入りの仕方はこれまで通りで結構です。裏の垣根
の修理がされることは決してないでしょう﹂
従僕の言葉に彼は半ば目を伏せ、ゆっくり頷いた。
﹁それでは、わたくしはこれで失礼いたします﹂
そう告げて従僕が去り、足音が聞こえなくなるのを待ってから、
彼は音を立てぬように窓を開けて周囲を見回し、人気がないことを
確認すると、窓のそばまで伸びる木の枝へと飛び移った。
揺れが収まってから木を伝い降りると、庭のところどころにある
茂みの影に隠れながら、屋敷を囲む垣根まで移動すると、破れた箇
所を四つん這いでくぐり、外に出た。
屋敷の周囲は森で囲まれている。南西方向へ四半時ほど歩くと、
ウル村が見えて来る。村を囲む獣避けの囲いを飛び越えると、大き
なブナの木の下にアランが立っているのが見えた。
﹁お∼い!﹂
こちらに手を振るアランの元へ歩み寄ると、アランが満面の笑み
を浮かべながら、彼に手を差し伸べる。その手の平の上に彼が自分
の手を乗せると、それを引いて歩き出した。
1944
﹁今日は、村でちょっとした祭りがあるんだ。昼間はその準備で始
まるのは夕方からなんだが、レオも参加していくか? ちょっとし
た神事の後で、皆で火を囲んでごちそうを食べて、男は腰に羽根飾
り、女の子は白い衣装と花を編んだ首輪を付けて踊るんだ﹂
アランがそう言うと、彼は首を左右に振った。
﹁やっぱり難しいのか? 夕方って言ってもまだ明るい内なんだよ。
暗くなる頃は大人は酒盛りとかするみたいだけど、俺達は家に帰さ
れるから。
当日まで内緒にしてたのは悪かった。なんか母さんとカロルが張
り切っててさ、お前の衣装まで作って、当日までお前には内緒にし
ろって言われてたんだ。すまなかったよ﹂
アランが申し訳なさげに眉を下げて謝るが、おそらく事前に教え
られていても参加はできなかっただろう。彼は問題ないと首を左右
に振った。
﹁そういえば最近会えてないけど、シーラさんは元気か?﹂
アランが心配そうに尋ねた。シーラはここ数日屋敷を離れている
ため、彼も顔を見ていない。
﹁元気なら良いんだけど、顔を合わせたら言っておいてくれないか。
また都合の良い時にそちらへ訪ねるから、もっと色々な魔法を教え
て欲しいって﹂
アランの言葉を聞き、いつになるかはわからないが伝えるだけな
ら問題ないかと、頷いた。すると、アランは嬉しそうな声を上げて
笑った。
1945
﹁祭りの時のごちそう程じゃないが、今朝はそこそこ良いもの作っ
てあるから、たくさん食べていけよ。今年はかなりの豊作だったか
ら、例年より余裕があるんだってさ﹂
﹃豊作﹄とはなんだろうかと彼は考えたが、あまり聞き覚えのな
い言葉だということしかわからなかった。少なくとも屋敷の中では
聞いたことがないような気がする。余裕がある、というのはたくさ
んある、という意味だったはずだ。少し違ったかも知れないが、そ
のような解釈で概ね間違いないだろう。
どのみち、彼自身には関係のない事柄である。﹃ごちそう﹄の意
味も知らないが、﹃良いもの﹄はわかる。とりあえず彼は頷いてお
いた。
アランに手を引かれて、彼の家へと向かった。彼にとってアラン
という少年は、何を考えているのかさっぱりわからない不可思議な
生き物である。
彼の家族も同様である。何故そうなのかはわからないが、彼らは
彼││対外的な名は﹃レオノーラ﹄、本当の名は﹃レオナール﹄│
│に笑いかけたり話し掛けたりして、何かと物をくれたり、色々世
話しようとする。
彼の母であるところのシーラことシ・エル・ラルバ・ディ・リィ
ア・シェーラ・レは、そのことを良かったと言うが、それをされる
彼にとっては、何が良いのかはまだ理解できていない。
殴られたり蹴られたり、汚れた水などを掛けられるよりは良いの
だろう。良くわからないことで大声で何か言われたり、ゴミを投げ
つけられることもない。
何より有り難いのは、彼らに与えられる飲食物はあらゆる意味で
安全だという事だ。わざわざ盗まなくても、それらは腐ってはいな
いし、毒なども混入していない。
1946
﹁まぁ、いらっしゃい、レオちゃん! 待ってたわ﹂
満面の笑みでそう言って抱きしめるアランの母クロエ。彼女の腕
も身体もとても柔らかく、大抵何か食べ物のにおい││小麦やスー
プなど、たまに蜂蜜や果物││がする。
彼がシーラに抱きしめられた事はほとんどない。たまに抱きしめ
られる事があっても、骨と薄い筋肉のような感触で、胸が心持ち柔
らかいような気もするが、クロエのものとは雲泥である。従僕は一
見細身だがガッシリしていて硬い上に、何故か薬草のような匂いが
して全然違う。
クロエに抱きしめられるのには、正直慣れない。落ち着かない気
持ちになる。元々他人に触れられるのはあまり好きではない。
アランは時折手を握ったりすることはあるものの必要以上に触れ
ることはないが、このクロエともう一人はやたらと触れてくるので、
彼は困惑する。
﹁おはよう、レオ姉!﹂
アランの妹、カロルことカロリーヌが体当たりするように、飛び
ついて来た。この少女はよちよち歩きの頃から、人の顔を見る度に
全身をぶつけるように体当たりしてくる。
突き飛ばしたり、払いのけたりするわけにもいかないので、どう
対処すべきか悩む。結局、毎回されるがままになっているが。
﹁おい、カロル。そういうのやめろって言ってるだろ。レオが困っ
てるじゃないか。そろそろ7歳になるんだから、挨拶代わりに人に
全力でぶつかって来るなよ﹂
﹁レオ姉、以前よりも肉付いてきたけど、前より身体が硬くなって
1947
きたよね。やっぱり、剣振るのやめた方が良くない? レオ姉が筋
肉ムキムキになっちゃう! エルン兄みたいになっちゃうよ!!﹂
エルンと聞いて、レオナールは顔をしかめた。アランの2歳上の
兄エルンことエルネストは今年15歳になったばかりの成人である。
身長はレオナールの剣の師匠であるダニエルより若干低いが、指五
本ほどしか違わない。長身かつ筋肉質で、肩幅はダニエルよりも広
い。
そして、アランの家族の中で唯一父ジャンと同じ、割れ鐘のよう
なだみ声の持ち主である。幸い容貌は母方に似たのか、眼光が鋭い
野性的な顔立ちの色男である。
しかし、エルネストはどちらかというと粗暴な言動が多く、あま
りモテない。粗暴さよりも、無遠慮・無配慮・無頓着なところが原
因である。所帯を持てば、家を出る予定だが、その気配は今のとこ
ろ皆無である。
何かとアランを敵視しているようだが、原因はわからない。クロ
エはそれを見て笑っているし、アランの他の兄弟達も呆れたような
顔はするが意に介していない。
アランも慣れているのか毎回適当にあしらっているので、この兄
弟はそれが常態なのだろう。レオナールには全く理解できないが。
何故かレオナールの顔を見るとしつこく話し掛けて来るので無視
しているが、アランやカロルに追い払うまで絡まれるので、苦手な
男である。
レオナールとしては、あのくらい背が伸びて筋肉がつくのが理想
なのだが、現状を鑑みるとあまり期待できない。ひょろひょろガリ
ガリなアランと現在同じくらいの身長なのに、腕の長さや太さ・大
きさは何故かアランの方が勝っている。
アランは人間かつ農夫の息子で、レオナールはハーフエルフ。種
族は勿論、骨格や肉質が違うせいかとも思うが、普段は本宅または
1948
領主館にいるという屋敷の主は、どちらかというと小柄な男で身長
1.63メトル、シーラの身長も1.62メトルである。
﹁おはよう、来ていたのか﹂
水がたっぷり入った水瓶を抱えて入って来たのは、アランの一番
上の兄レイモンである。彼は今年二十歳で、大柄ながら端正で理知
的な顔立ちで、寡黙で真面目な働き者であり、村一番の有望株と噂
され人気があるが、結婚を誓った二歳下の恋人ミレーヌがおり、近
々婚姻することが確定している。
﹁レイ兄、父さんは?﹂
﹁打ち合わせがあると村の集会場に行ったが、酒樽を担いで行った
から、今頃は飲んでるだろう﹂
水瓶を台所の隅に置きながら答えるレイモンの返答に、アランは
困ったように眉根を寄せた。
﹁またか。祭りの日だって言うのに、家の手伝いをする気はないの
かな。エルン兄が朝からいないのは、諦めてるけど﹂
﹁エルンは昨夜から帰って来ていないぞ。たぶんマチューかロック
の家だろう﹂
レイモンの言葉に、アランは肩をすくめた。
﹁エルン兄は父さんに似たのか本当、酒好きだよな。収穫が終わっ
て気が抜けてるのかも知れないけど、このところ毎晩のように飲ん
でないか?﹂
1949
﹁エルンも付き合いがあるんだろう。気にするな﹂
レイモンが言うと、アランは苦笑した。
﹁でも、レイ兄はちっとも飲まないだろう?﹂
﹁味は嫌いではないが、場の空気がどうも苦手だ。しかし、そう言
えば無理にでも引っ張り出されかねないから、好きではないと言う
ことにしている。アランも飲みたくなければ、そうした方が良い。
嫌いだと言えば問題ない﹂
﹁そういうもんなのか。面倒臭いな﹂
﹁純粋に酔うことを楽しんでもいるが、皆で集まって酒を飲み、大
声で歌い、話し、酔うことで、仲間意識を共有する、のだと思う。
それだけならかまわないのだが、男だけで集まるとどうしても、な﹂
レイモンが苦い顔になった。
﹁何? 何かあるのか?﹂
アランがキョトンとした顔で尋ねると、レイモンはアランの頭を
撫でる。
﹁え、何?﹂
﹁まぁ、人によっては好きだが、大っぴらに言うことじゃない。俺
やアランはあまり好まないだろう﹂
1950
﹁そうなの? エルン兄は好きそう?﹂
﹁エルンは⋮⋮たぶん好きだろうな。好みの問題もある。気にする
な﹂
﹁ふぅん、わかった。エルン兄が好きなら、きっとろくでもない話
だな﹂
アランがそう言うと、レイモンは苦笑した。
﹁アラン、エルンに聞かれたら怒られるぞ﹂
﹁エルン兄はいつも怒ってるし、不機嫌だろ。そう変わらないよ﹂
ふん、と鼻を鳴らして言うアランの肩を慰めるように叩くと、レ
イモンは微笑した。
﹁そうか。俺は広場の手伝いに行って来る。⋮⋮レオノーラ、村の
中は慌ただしいが、家の中はいつも通りだから、ゆっくりしていく
と良い﹂
そう告げて、レイモンは家の外へ出て行く。アランがレオナール
の方を振り向き、その平坦な胸に顔をグリグリ押しつけている妹の
姿を見ると、ゲッという顔になった。
﹁おい、カロル。いつまでやってるんだ、迷惑だろ﹂
アランが言うと、カロルは顔を上げてアランを見ると、噛み付く
ように怒鳴った。
1951
﹁だいたいね、アラン兄が悪いのよ!﹂
﹁はぁ?﹂
アランは怪訝な顔になった。カロルはレオナールにとってアラン
以上の理解不能な不思議生物である。何を言い出すのだろうかと見
ていると、カロルはアランに飛びついて、その胸や腹をぽかぽか叩
き出す。
﹁アラン兄がしっかりしてなくてナヨナヨしてるから、レオ姉がダ
ニエルさんに剣を習いたいとか言い出したんでしょ!?﹂
﹁はぁっ!? 濡れ衣だ! 純粋にレオが興味持って、自発的にや
りたがったからだろ!! 俺のせいにするな!!﹂
ヘーゼル
カロルは少し垂れ目で大きな瞳の黒髪、淡褐色の瞳の美少女であ
る。しかし、思い込みが激しく、少し乱暴でじゃじゃ馬で、気が強
い。世の中の大半のことはエルネストかアランのせいだと思ってい
るのかのような言動が多い印象である。
︵大変そう︶
レオナールに憐れまれていると知ったら、アランは微妙な気分に
なるだろう。
1952
ウル村生贄事件 1︵後書き︶
﹁4章20話 一時報告﹂の犠牲者の年齢を﹁9歳から15歳まで
の少女﹂から﹁8歳から18歳までの少女﹂に修正しました︵うっ
かりミス︶。
内容的に、番外よりこちらに上げた方が良いと判断しました。まだ
ほのぼの。
黄恵の月は9月くらいです。
小麦・ライ麦・燕麦を育てている土地なので、南部以外は平地また
はなだらかな丘陵地が多く、台風がなく年間通して日本より雨が少
なく涼しい天候です。
王国南端の国境付近は山脈で区切られており、南西がドラゴンの住
処でその奥は未開の地、東にトルシェラント王国︵敵国︶。
以下修正。
×腰に頭に
○腰に
1953
ウル村生贄事件 2
﹁どうも、森の獣や魔獣の様子がおかしいんだよなぁ﹂
ダニエルの言葉に、狩人のジョーは首を傾げた。
﹁そうですかい? 確かに先日皆で狩り場を囲んだ時は、例年より
大量の獲物がかかりやしたが、特に何も感じやせんぜ﹂
﹁なんとなく落ち着きがないっていうか、ざわついてるっていうか。
本来の生息地と別のところで魔獣を見掛けたりするし。
こういう場合、新たにこの森を住処とする魔獣が増えたか、森の
頂点となるボスが代替わりしたか、あるいは人為的な何かがあった
とかだな。
だからその痕跡を探してるんだが、ちっとも見つからねぇんだよ
なぁ﹂
﹁じゃあ、気のせいなんじゃ?﹂
﹁なんか引っかかるんだよなぁ。何か忘れてるか、見落としてるよ
うな、そんな感じがする。まぁ、昨日念のため応援呼んでおいたん
だが﹂
﹁応援?﹂
﹁ああ、村長には話してあるが、前に一緒にパーティー組んでた仲
間だ。つっても、斥候と神官以外はパーティー組んでたやつじゃな
くて、顔見知りというか、同期のライバル的な連中だが﹂
1954
﹁それは賑やかになりそうでやすな。旦那、あっしはそろそろ村に
戻って祭りの準備の手伝いするつもりですが、どうしやす?﹂
﹁俺はもうちょい見て回ってからにするよ。どのみち村の方で俺が
手伝えることはないからな﹂
﹁わかりやした。祭りに間に合うよう夕刻前には戻って来てくだせ
ぇ﹂
﹁ああ、また後でな﹂
ダニエルは狩人を見送って、地面に目を落とした。
﹁まぁ、怪しいとしたら森の奥なんだよな。詳しくはカジミールに
頼むとしても、だいたいの目安くらいはつけときたいな。残ってる
痕跡からすると、どこかから逃げ出したり、長距離移動したりして
いるってわけじゃないようだが。
どちらかってぇと、住処から移動したり戻ったりしている? あ
れ⋮⋮なんか覚えがあるな、これ﹂
ふむ、とダニエルは顎を擦った。
◇◇◇◇◇
﹁悪かったな、騒がしくして﹂
レオナールに椅子を勧めた後、アランが茶を淹れながら言った。
1955
彼の家族が騒がしいのはいつものことだ。今のところ実害は特にな
いので、どうでも良い。正直に言えば、カロリーヌやエルネストほ
どではないが、アランもうるさいとレオナールは感じているが、本
人に自覚はないようである。
おおかぎどり
﹁はい、今朝焼いたパンとスープ、それに大鉤鳥肉の香草焼きよ﹂
レオナールはクロエが目の前に置いた皿の中身を覗き込んだ。
﹁狩りのお裾分けだ。祭り用にたくさん罠を掛けたり、成人した男
衆総出で狩った獲物がたくさん獲れたらしい。一応父さん達も参加
したからな。
大鉤鳥ってのは体長0.6∼8メトルある灰色の羽の、足の爪が
大きな鉤状になっている肉食性の鳥だ。肉食性って言っても、食べ
るのは虫やネズミ・リスとか小さいやつだけどな﹂
アランは聞かなくても、何かといちいち説明・解説する癖がある
ので、知りたい時は便利だが、興味がない時は面倒な場合もある。
今回は気になったから良いが、説明が多すぎるのが少々難点だとレ
オナールは思う。
どうでも良いから早く食べたい、と思いながら料理を見ていると、
アランが苦笑した。
﹁俺達家族は全員食べたから、好きなだけ食べて良いぞ、レオ﹂
その言葉を待っていた、とばかりにレオナールは食べ始めた。
﹁う∼ん⋮⋮食べ方はだいぶマシになったけど、そんなに急いで食
べる必要ないんだぞ。誰も取らないから安心しろ﹂
1956
何か言われているようだが、そんなことより食べる方が大事であ
る。ひたすら食事に集中していると、アランが呆れたような顔にな
った。
全く心外である。
◇◇◇◇◇
﹁本日夜半、見目麗しい処女を四人差し出せ。選定はお前に任せる﹂
﹁⋮⋮なっ!?﹂
﹁安心しろ、こちらで行う﹃神事﹄に必要なだけだ。事前に打ち合
わせなどは必要ない。祭壇へ﹃贄﹄を運ぶだけだからな﹂
﹁⋮⋮あの、そ、それは、本当に⋮⋮?﹂
﹁ああ。薬と魔術で催眠状態にはするが、お前が心配するような意
味では指一本手を付けたりしない。徴税官殿は、美しい女はたいそ
・・・
う好まれるが、村の小娘なぞには興味ない。
そうだな、神事が終わった後でなら返してやろう。謝礼金などは
やれんが、今年の税だけであれば、多少の減額もあるだろう﹂
﹁そ、そういうことでしたら、わかりました。その、娘らはどのよ
うに?﹂
﹁こちらから馬車を向かわせる。そうそう、本人と家族以外には口
止めしておけ。騒ぎになると、嫁入り前の娘らは勿論、その家族に
とっても不本意だろう﹂
1957
﹁は、はい、かしこまりました。⋮⋮その、本当に、大丈夫、です
よね?﹂
﹁お前、徴税官殿の使いの言葉を信じられぬと?﹂
﹁い、いえ、そのようなことは⋮⋮っ!﹂
・・
﹁ならば良い。では、間違いなく頼むぞ、村長﹂
﹁はっ⋮⋮お気を付けてお帰り下さい﹂
蒼白な顔で、村長は深々と頭を下げた。鉄鎧と鎖帷子をまとい腰
に長剣を提げた男が、馬に跨がり、村の出口へ向かって去って行く。
﹁⋮⋮四人、か﹂
本当に、無事に返してくれるのか不安に思いつつ、背中に脂汗を
垂らしながらも、村長は選ぶべき少女の名を考える。
﹁⋮⋮ミレーヌ、エミリー、ナタリー⋮⋮それとカロリーヌ、いや
幼すぎるか。しかし他となるとアリスかエリーズくらいしかいない
な。他の村ならもっといるだろうに、いったい何故うちに話を持っ
て来たのか﹂
さて、と村長は首を捻った。
◇◇◇◇◇
1958
﹁ダニエルさん、昨日も一日そうだったけど、今日も見掛けてない
んだよな。一昨日の夜まではいたのに。だけど今日うちの村の祭り
だってのは知ってるから、夕方前には来ると思う。でも、レオは残
れないんだよな?﹂
アランの言葉にレオナールは頷いた。ダニエルがいないとなれば
腹もふくれたことだし、村にいる意味はあまりないように思える。
レイモンは家の中はいつも通りだと言ったが、いつも通りなのは
アランとアランの十歳の弟クリストフくらいで、クロエやカロルも
しょっちゅう家と外を出入りしていて、慌ただしい。
そのクリストフは何やら無心で木のかけらを削っている。
﹁うん? クリスのやってることが気になるのか? なんか飾りを
作ってるらしいぞ。見ても何を作ってるかはちっともわからないが。
俺も後でごちそう作る手伝いに行く予定だけど、まだしばらくは
大丈夫だ。何かしたいことあるか? あっ、そうだ。母さんの作っ
た衣装とか羽根飾り見るか?﹂
どちらも興味がないので、首を左右に振って、立ち上がる。
﹁え、もう帰るのか?﹂
頷いたレオナールに、アランは﹁ちょっと待ってて﹂と言い置い
て台所へ走ると、何かを包んだ布を手渡した。
﹁祭り用に今朝焼いた焼き菓子だ。レオ用にあんまり甘くないの作
ったから。明日は来られそうか? 来るならダニエルさんに伝えて
おくけど﹂
1959
明日、村に来られる体調かどうかは、あまり自信がなかった。
﹁まぁ、来られる時にいつでも来いよ。ごちそうの残りは明日じゃ
なかったら出せないけど。気を付けて帰れよ﹂
アランの言葉に頷いて、レオナールが家を出ようとした時、
﹁こんにちは﹂
玄関から声が聞こえて来た。二人がそちらへ向かうと、栗色のカ
ールした髪を後ろで束ねた穏和そうな美しい少女が立っていた。
﹁クロエおばさん、いるかしら?﹂
そこにいたのは、レイモンの婚約者、三軒隣の家の次女ミレーヌ
だった。
﹁ミレーヌ。悪いな、今、オレールさんのところに行ってるんだ。
衣装用の糸を借りたお礼だとかで﹂
﹁あら、じゃあさっき井戸の近くでカロルを見掛けたから、今、家
にいるのはアランだけなの?﹂
﹁俺とクリスだけだな。あ、レイ兄は広場に行ったよ﹂
﹁うん、さっき会ったわ。それより彼女、アランのお友達かしら﹂
おっとりとした口調で尋ねるミレーヌに、アランが頷いた。
﹁レオノーラだ。レオって呼んでる﹂
1960
アランに紹介されたレオナールがそちらを向くと、ミレーヌはに
っこり優しく微笑んだ。
﹁はじめまして、レオノーラ。わたしはミレーヌよ。もうすぐアラ
ンの家族になる予定なの﹂
その言葉に、レオナールは首を傾げた。アランの家族はアランの
父ジャン、母クロエ、兄レイモンとエルネスト、弟クリストフに妹
カロリーヌの七人だ。右隣の家に父方の祖父母と伯父の住む家があ
り、村はずれに母方の祖母リュシー││村唯一の薬師であり治癒師
でもある││の家があるということは知っている。
家族というものがどんなものなのか、レオナールはいまだに良く
わかっていないが、アランの家族を通してある程度は理解できたつ
もりだった。しかし、﹃家族﹄は増えるものなのだろうか。
首を傾げるレオナールに、アランが補足した。
﹁ミレーヌさんは来月、レイ兄と結婚して奥さんになるんだよ。レ
イ兄は長男でこの家を継ぐから、俺が成人して家を出るまでは、ミ
レーヌさんも一緒に暮らすんだ﹂
なるほど、とレオナールは頷いた。良くわからないが、来月から
同じ家に住むようになるから﹃家族﹄になるようだ、と解釈した。
アランが聞いたら﹁それは違う﹂と訂正しただろう。
レオナールがアランとミレーヌに見送られながらアラン宅を出て、
来た時と同じ順路で森を抜け、屋敷の自分の部屋に戻ると、老僕が
待ち構えていた。
﹁おかえりなさいませ、レオノーラ様。本日は早々にご帰宅なされ
たのですね。さあ、ご支度の準備をいたしましょう。では、湯浴み
1961
の準備をしてまいります﹂
無表情ながらやや俯き口角を下げたレオナールは、少し疲れた顔
をしているように見えた。
◇◇◇◇◇
﹁カロル、戻って来たか﹂
﹁うん、アリスとエリーズと一緒に花飾りを作って来たの。ほら!
⋮⋮あれ、レオ姉は?﹂
﹁レオはさっき帰ったぞ。言い忘れてたが、祭りには出られないっ
てさ。明日も来られるかどうかわからないそうだ﹂
﹁レオ姉、話せないのにそう言ったの?﹂
カロリーヌは疑わしげにアランを睨み上げた。
﹁レオは話せなくても、こっちから質問して、相手の様子を見てい
れば誰でもわかるだろう。それよりカロル、俺に出来た花飾りを見
せてくれよ﹂
﹁イヤ﹂
﹁へ?﹂
ムッとした顔で拒絶するカロリーヌに、アランはキョトンとした。
1962
﹁絶対イヤ。それより、アラン兄! どうしてあたしが帰るまでレ
オ姉を引き留めておかなかったのよ、ひどいじゃない!!﹂
﹁はぁ? 仕方ないだろ。あいつが帰りたいっていうんだから。た
ぶん用事があったんだろ。無理に引き留めるのも悪いだろう﹂
﹁バカバカバカ! アラン兄のバカ!! どうして、そう気が回ら
ないのよ!! そういうとこがアラン兄が虚弱なこと以上にモテな
い原因なんだからね!!﹂
﹁なっ⋮⋮いや、俺は将来、村を出て魔術師になるんだから、村の
中でモテなくても別に⋮⋮っ﹂
﹁アラン兄なんて、村の外に行っても、魔術師になれても、絶対モ
テないんだから!! 人間はもちろん亜人にも魔族にも絶対モテな
いに決まってるんだもん!!﹂
﹁ちょっ、そりゃいくらなんでもあんまりだろう!? いや、魔術
師になって金を稼げるようになれば、いくら何でも相手が全くいな
いということは⋮⋮﹂
﹁言えるの? それ、本気で人に言えるの? 心の底から絶対そう
だって言えるの、アラン兄。すっごい自信家よね、どこから来るの
かな、その根拠のない自信。
そもそも、本当に魔術師になれるかどうかさえ確定していないの
に﹂
﹁⋮⋮⋮⋮っ!?﹂
1963
カロリーヌの毒舌にアランはグッと言葉に詰まった。
﹁アラン兄もわかってるでしょう? 魔術師って簡単な魔術をちょ
っとでも使えたら魔術師なの? 物語や伝承の中に出て来るような
魔神やドラゴンを倒せるような英雄級は、この世に数人しかいない
から目指すのは間違ってるわよね。
じゃあ、どの程度が現実的な魔術師かしら。ゴブリンを一人で倒
せる程度? それとも仲間と組んでゴブリンの群れを倒せる程度?
でも、村の近くの森を一人で歩くこともできないアラン兄にでき
るかしら? 朝夕は問題ないけど真っ昼間に井戸に水汲みに行った
だけでフラフラしたり、畑で草むしりしたら倒れそうになるアラン
兄に﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
畳み掛けるようにアランを追い詰めていくカロリーヌ。
﹁少なくとも、村の外へ行けるだけの体力は必要そうよね﹂
アランは思わず轟沈した。半ば涙目で寝室に駆け込むアランに、
カロリーヌはフンと鼻を鳴らし、胸を反らした。
﹁カロル、言い過ぎ﹂
それまで沈黙して作業していたクリストフが、木くずを吹き払っ
てそう言った。
﹁そう?﹂
カロルはクリストフを振り返った。クリストフは何を考えている
1964
かわかりづらい真顔で、頷いた。
﹁アラン兄は、確かに日中に外で働くのは苦手だし体力なくて虚弱。
でも、料理は母さんより上手で早い。掃除も丁寧だし、洗濯や繕い
物も上手﹂
﹁⋮⋮そりゃそうだけど、でも、アラン兄は男なのよ? 料理や家
事が上手でどうするの? それってかえって敬遠される気がするよ?
バカでもエルン兄は腕力体力自慢で、一人で畑仕事もできるし、
狩りの手伝いもできるでしょ? アラン兄には他に何も取り柄がな
いじゃない﹂
﹁でも、面倒見は良い﹂
﹁⋮⋮そりゃ、そうだけど。でも、それだって女の人ならともかく、
男の人で高評価にはなりにくいでしょ? それに、身内に対して面
倒見良くても、アラン兄の場合、それを理解して貰えるようになる
ところまでが難しいわよ。
そもそもあたしやあたしの友達以外の女の子とまともに会話して
いるところ、見たことないし﹂
﹁レオ姉がいる﹂
﹁そりゃ、レオ姉はどういうわけかアラン兄を訪ねては来るけど⋮
⋮あれ、どう見ても餌付けでしょ? それ以外の用件で来ることあ
る?
それにあの二人、そういう雰囲気ちっとも感じないんだけど﹂
カロリーヌの言葉に、クリストフは頷いた。
1965
﹁でも、あの二人の様子見ていれば、アラン兄のこと少しわかるか
ら﹂
﹁わかるから? どうだって言うの?﹂
カロリーヌが首を傾げた。
﹁前に母さんが言ってた。女の人は、誰にでも親切な男より、自分
にだけ優しい男が好きって。母さんが父さんと結婚したのは、それ
が理由﹂
﹁えっ、そうだったの? 前から不思議だったのよね。山賊みたい
な悪人顔の父さんと、美人な母さんが結婚した理由! いや、そん
なことより、それがどうアラン兄とつながるの?﹂
﹁慣れてない人には人見知りとかして仏頂面でぶっきらぼう、でも、
親しくなったら面倒見が良いってわかる。でも、ちゃんと見ればあ
の二人は恋人同士には見えないから、もしかしたらと考える女の人
がいるかもしれない﹂
﹁ああ、そういうこと。でも、それを見てわかってくれる人がいる
の?﹂
﹁さぁ?﹂
クリストフは首を傾げた。
﹁それ、ダメじゃない﹂
カロリーヌが肩をすくめて言った。クリストフは無言で次の木片
1966
を手に取った。
﹁ところでクリス兄、それ、なんなの?﹂
カロリーヌが尋ねると、クリストフは出来上がった木片を三つ手
渡した。
﹁組み合わせると、ウサギになる﹂
﹁へぇ、それはすごいわね。でも、これが何?﹂
﹁祭りの飾り。木の枝を編んだのにくくりつける。終わったら外し
て小さい子の遊び道具になる、と思う﹂
﹁そうかな?﹂
﹁たぶん﹂
そう言って、元の作業に戻るクリストフを見て、カロリーヌは溜
息をついた。花飾りを手にしたまま、アランの後を追った。更なる
トドメを刺すためではなく、謝るために。
1967
ウル村生贄事件 2︵後書き︶
まだかろうじてほのぼの︵たぶん︶。
次回警告アリ描写になります。
以下修正。
×そんなこと
○そんなことより
×あいつらが帰りたい
○あいつが帰りたい
×そういう感じ
○そういう雰囲気
1968
ウル村生贄事件 3︵前書き︶
残酷な描写・表現があります。※グロ注意。
1969
ウル村生贄事件 3
レオナールは溜息をついた。胸元に詰め込まれた布とコルセット
が苦しい。腰から下にふくらみを持たせるペチコートが重い。慣れ
ないかかとの高い靴のせいで、いつもの半分以下の歩幅でしか歩け
ない。
最近ようやく剣をふらつくことなく片手で振れるようになった。
さすがにダニエルの持つバスタードソードのような大きな剣を片手
で振ることはできないが、その内振れるようになるはずだ。
老僕が運んで来た椅子に浅く腰掛け、目を閉じて静かに待つ。
︵だいじょうぶ。しなないかぎり、剣をにぎってふれるなら、もん
だいない︶
屋敷の主人は残虐で慈悲の欠片もない男だが、同時に小心者であ
る。むごたらしい死体や人や獣の内臓を見るのは苦手な上に、それ
なりに世間体を気にしている。
ただ、自分より下の存在をいたぶる事で嗜虐心と卑屈な自尊心を
満たし、同じ貴族出身である妻には知られるわけにいかない所業を
この別邸で行って気晴らしをしている。
故に、この屋敷の使用人も正規雇用ではなく低賃金で非公式に雇
われた者達であり、まともな教育を受けた使用人はほとんどいない。
内数人は本邸を退職した老齢者であり、使用人の三分の一は、盗
賊や魔獣などの襲撃により廃村になった村人の生き残りであったり、
軽犯罪や借金などにより奴隷として労働した後、解放されはしたが
行くあてのなかった者達である。
それ以外の者の半数は口減らしに売られた借金奴隷、近隣の村人
││ただし村で職を得られなかったあぶれ者││だが、残り半分は
1970
現在も片手間に盗賊稼業や人身売買などにたずさわっている者であ
る。
屋敷内にいる者達のほとんどは、彼が言葉を理解するとは思って
ないかのように扱うため、彼は本来なら知らされるはずのないだろ
うことも多く聞き知っていた。
彼は当人の名と顔全てを一致させることまではできないが、屋敷
内ほぼ全ての使用人の情報を記憶している。しかし、それらについ
て考慮したり吟味することは全くないため、現状では彼の脳内に記
憶された﹃庶民の使用する文章表現および慣用句集﹄の一つとなっ
ている。
彼の首輪が外されない限りは、何を知ろうと意味は無い。言葉を
話すことも、屋敷や主人から逃げ出すこともできないのだから。
唯一の救いは、犯罪奴隷契約は真実の名でなければならないとい
う制約があることである。契約内容に性別や年齢などは含まれない
が、契約者の名が正しくなければ契約は成立しない。
彼の正しい名を呼ぶ者はおらず、彼の性別を知るのは母であるシ
ーラと老僕のみ。術自体は通称でも発動するため、契約に違反した
行為を行っても魔法による苦痛が与えられないという点以外に、契
約が不成立であることを確認する方法はない。
そのため現状、彼を縛るのは魔道具である﹃隷属の首輪﹄だけで
ある。魔道具の設定により、発声と魔力の使用や消費、魔術発動な
どが禁じられている。これを外すには、魔道具に登録された人物に
よる承認、あるいは物理・魔術などによる破壊しかない。
どうやら屋敷の主が馬車で到着したらしく、人の移動が頻繁にな
った。荷物を下ろし運び入れる作業の他、主やその連れが階下を移
動して行く。玄関ホールにいた一人が、こちらへ足早に近付いて来
た。
1971
そして、ノックの後、扉が開かれた。
﹁レオノーラ様、旦那様がお呼びです。執務室までご案内いたしま
すので、ついて来て下さいませ﹂
この屋敷にいる者が全て敵なことは知っている。だが、外にいる
者も彼の味方ではないことも知っている。そして、シーラに自身と
彼を救う力がないことも、彼自身もそうであることも。
斬りたいものはたくさんある。まず最初に斬るべきものがあると
すれば、おそらく自分の首にはめられた魔道具、﹃隷属の首輪﹄だ
ろう。
階段を降りて、一階奥にある屋敷の主、シェリジエール子爵家当
主オクタヴィアンの執務室へ向かった。老僕がドアをノックすると、
﹁入れ﹂というオクタヴィアンの返答があった。
老僕の開けた扉の内部に入ったレオナールを見て、オクタヴィア
ンが目を細めた。
﹁ふむ、みすぼらしいハーフエルフの子供も、成長しそれなりに着
飾れば見栄えが良くなるものだな。これなら十分使えそうだ。この
度の﹃儀式﹄に必要な贄が半分しか集まらなかったのはあやつらの
失態だが、まぁ、問題ないだろう﹂
﹁あ、あの、旦那様、もしや⋮⋮っ!?﹂
老僕が狼狽えたような声を上げたのに、オクタヴィアンはジロリ
と睨み付ける。
﹁許可無く無駄口を叩くな、ロルト。⋮⋮良かったな、レオノーラ。
無駄飯食らいで役立たずのお前に、ようやく役立つ時が来たぞ。こ
1972
れで余分な出費が減って、面倒事も減る﹂
オクタヴィアンの言葉に、老僕がゴクリと息を呑んだ。レオナー
ルには何のことか理解できない。しかし、ロルトの狼狽え振りから
して、ろくなことでないことだけは理解できた。
おそらく買い手がついて売り払われるか、なぶり殺されるのだろ
う。どうやら間に合わなかったようだ。剣を持ち帰るのが無理なら、
せめてナイフか短剣を隠し持つべきだっただろうか、と考える。し
かし、それも薬を使われれば無駄になる。
﹁飲め﹂
オクタヴィアンが酷薄な笑みを浮かべて、怪しげな薬湯で満たさ
れた杯を突き出した。それを受け取った老僕が震える手でレオナー
ルに差し出した。レオナールはそれを受け取ると、一気に飲み干し
た。空になった杯を老僕に渡すと、歪んでいく視界の中でオクタヴ
ィアンが顎をしゃくるのが見えた。
︵⋮⋮斬りたかった、な︶
心の中で呟くのを最後に、意識は途絶えた。
◇◇◇◇◇
村の広場中央には子供の背丈ほどの高さに薪が積み上げられ、広
場の周囲を囲むように並べられたテーブルには村の女性達が腕を振
るった料理や、この日のために購入された酒やマグなどが運ばれた。
1973
﹁へぇ、これに火を着けるのか。思ったよりでかいなぁ﹂
せわしく行き交う村人達を眺めながら、ダニエルは頬をゆるませ
た。
﹁でもこれだけでっかいと、火事とか大丈夫なのか?﹂
﹁そのために井戸の近くの広い場所でやるし、広場の隅に水の入っ
た樽を置いてるんだよ。事前に雑草や燃えやすいもの、ついでに躓
く原因になりそうなものを撤去したりしているから、よほどのこと
がなければ大丈夫だ。
今年成人する代表者が、そこにある台を使って一番てっぺんに松
明で火を着けると、少しずつ燃えて行くように薪を組んである。そ
のために燃えやすい木と、しばらく熱を当ててないと燃えにくい木
を使っているんだ﹂
アランがそう言うと、ダニエルはへぇ、と感心したように頷いた。
﹁そりゃすげぇな。ちなみにどう組んであるんだ?﹂
﹁それを一から説明すると長くなるけど、﹂
﹁長くなるなら面倒だし説明しなくて良いぞ。で、この祭りってレ
オは参加したことあるのか?﹂
﹁ない。このところ頻繁に村へ来るようになったから誘ったけど、
無理らしい。そう言えば、この時期にあいつが村に来るのって珍し
こうえ
いかもな。去年は夏の終わり頃から翌年春まで姿を見掛けなかった
し、それ以前も黄恵の月には来なかったし﹂
1974
﹁アラン、お前あいつの住んでる屋敷に行った事あるんだろ? レ
オが来なくても自分から行こうと思わないのか?﹂
﹁レオと一緒じゃなきゃ、森を抜けて行くのは無理だよ。あの森、
昼間でも薄暗いんだぞ。それにレオは最短距離を通ってるみたいだ
けど、普通は灯りがあっても先導なしであそこを抜けられないと思
う。
レオが良く通るから最低限の枝は折られてるし、土も草も踏みし
だかれてある程度硬くなっているけど、木の根も多くて歩きにくい
し。たぶん本当は他に普通に通れる道があるんだと思う。徒歩で行
けるかどうかはともかく﹂
﹁ふぅん、一度レオに案内して貰った方が良いかな﹂
﹁ダニエルさんの体格だと、横にも縦にも引っ掛かると思う。鉈か
鎌持参で行く必要があるだろうな。それにレオは慣れているからか
さっさと歩くけど、俺は数回は休憩しないときびしいんだ。かと言
って馬やロバでは通れそうにない﹂
﹁食料とか消耗品を運ぶ必要があるから、他に道があるはずだもん
な。なんだってそんな不便なところに建てたんだ。近隣の他の町や
村で調べてみたけど、その屋敷の話は出て来なかったぞ。
ある程度の規模の屋敷で、使用人の数も二∼三十人はいるってこ
とになれば、必要な食料や衣料品や日用品を運ぶ必要がある。ウル
村ではまかなえないし、それを手に入れている形跡もない。
いったいどこから補充しているんだ?﹂
﹁俺はウル村の外のことはサッパリだよ。レオだってきっと知らな
いだろうな。もっともレオは話せないし筆談もできないから、知っ
ていたとしても話せないだろう﹂
1975
﹁⋮⋮なぁ、アラン。お前、その屋敷の話、誰にもしてないよな?﹂
﹁いや、母さんには話したけど﹂
﹁クロエさんか。その話、クロエさんは誰にも話さないってことね
ぇよな﹂
﹁そりゃ、母さんは噂話が大好きだから⋮⋮って人に話すとまずい
のか?﹂
首を傾げたアランに、ダニエルがうわぁと顔を覆った。
﹁えぇと、その話、もしかして行った当日に話したか?﹂
﹁いつも行き先とかは、その日のうちに全部話してるからな﹂
﹁ということは、俺がこの村に来た時は既に手遅れだったってわけ
か。たぶんウル村全体に行き渡ってるよな、それ﹂
﹁そうだな。レオがどこの子か知りたかったってのもあったし。で
も、もしかして話しちゃ駄目だったのか?﹂
﹁誰も存在を知らないお屋敷に住んでいる虐待されている子供って
だけで、十分まずいだろう。今更遅いけど、たぶん屋敷の所有者は、
その屋敷の存在ごと隠したかったんだと思うぞ﹂
﹁っ!?﹂
﹁とりあえず明日には俺が呼んだ連中が到着する予定だから、森に
1976
入って調べるから安心しろ。今日のところは祭りを楽しんでおけ﹂
﹁⋮⋮そんなこと言われても﹂
ダニエルは不安そうな顔のアランの頭をポンと叩き、撫でた。
﹁お前が悩んでも解決しねぇんだから、俺にまかせておけ。なっ?﹂
﹁あの、俺も協力しようか? あまり役には立たないかもしれない
けど、森の入口近くまでは案内できるし、︽灯火︾の魔術を使える
し、使える回数は少ないけど︽炎の矢︾も使えるから﹂
﹁はっきり言えよ。お前が協力したいんだろう?﹂
ダニエルがニヤリと笑って言うと、アランは絶句した。
﹁普段なら足手まといはいらないと拒絶するとこだが、あの森なら
盗賊や魔獣の心配はいらねぇから、お前が来たいって言うなら連れ
て行ってやっても良いぞ﹂
﹁⋮⋮連れて行って下さい、お願いします﹂
アランが言って頭を下げると、ダニエルは満面の笑みを浮かべた。
﹁おお、素直に言えたな。正直なやつは大好きだぞ。まぁ、正直だ
から良いってこともねぇけどな、ハハッ。よしよし、連れてってや
るから安心しろ!﹂
嬉しそうなダニエルを、アランは胡乱げに見上げた。
1977
﹁あっさり承諾したけど、もしかして、俺が頼まなくても最初から
そのつもりだったとか?﹂
﹁いやいや、足手まといな上に行きたがらないやつをわざわざ連れ
て行くはずねぇだろ。わかってるとは思うが、付いて来るからには
俺の言うことはちゃんと聞けよ。
想定通りなら、危険はないはずだから大丈夫だとは思うが、念の
ため、な﹂
﹁わかった﹂
頷くアランの頭をダニエルがぐしゃぐしゃ強めに撫でると、アラ
ンが嫌そうに退いた。
﹁ちょっ、やめろよ!﹂
﹁照れんなよ﹂
﹁違う、力が強すぎて痛いんだよ。ちょっとならともかく、今みた
いな力じゃ首がもげる﹂
アランが少し潤んだ瞳で、恨めしげに見上げた。
﹁いや、いくらなんでも首がもげたりはしねぇだろ。大袈裟な﹂
﹁もげてからじゃ遅いんだよ!﹂
怒鳴るアランに、ダニエルは肩をすくめた。
1978
◇◇◇◇◇
月が中天にかかる頃、森の中にひっそりと建つ石作りの神殿内に、
顔を金属製の仮面で隠した黒ずくめの男達が集まっていた。一段高
い神殿奥には黒い石の祭壇が複数しつらえてあり、その傍らには色
鮮やかな祭司服を身にまとった男が立っている。
﹁では、定例の儀式を始める﹂
おごそかにのたまうと、古代魔法語による祝詞あるいは詠唱を唱
え始める。黒ずくめの者はその場に膝を立ててしゃがみ祈りを捧げ、
祭司服をまとった神官らしき数名が歌うような声で文言を唱える中、
祭司服の一人が神殿奥の扉から現れ、一人の少女を先導してゆっく
りと祭壇へ向かって歩く。
﹁我らが信奉し、恐れ敬う混沌神オルレースに、贄を捧げる﹂
先頭の少女が捧げ持つ花を司祭が受け取り、中央の一番高い位置
にある祭壇へ捧げる。少女は、そのまま先導者に従って、一番端の
祭壇へと向かうと、そのそばに置かれた台を登り、祭壇の上に膝立
ちした。
先導の男が司祭に黒曜石のナイフを祈りの言葉と共に両手で掲げ
持つように差し出し、司祭がそれを受け取った。信者と思しき黒ず
くめの男達が見守る中、ナイフが振るわれた。慣れた手つきで少女
の首から下腹部までが裂かれ、血が舞った。
返り血を浴びた司祭は、そのままナイフを胸に突き立て少女の心
臓を左手で取り出すと、先導の者に少女の骸を横たえさせ、うやう
やしく掲げた心臓を、中央の祭壇へ祈りの言葉と共に捧げた。
少女を先導した男が司祭のナイフを両手で受け取り、同じく祈り
1979
の言葉と共に中央の祭壇へ捧げ、ひざまずいた。
﹁一の贄はこれに。どうか混沌神よ、我らに導きと祝福があらんこ
とを﹂
信者達が復唱し静かになると、奥の扉が開き、次の少女が先導者
と共に現れた。
◇◇◇◇◇
おさ
﹁あの、長。若輩者で不勉強な僕には理解しかねるのですが、どう
してあのような事をやらせていらっしゃるのですか?﹂
年若い赤みがかった金髪と薄い青の瞳のエルフが、銀の杯に果実
酒を静かに注ぎながら問いかけた。
﹁形式というのは必要だ。それが無意味なものであっても、な﹂
濃い金髪と、目の醒めるような碧の瞳の白皙のエルフが、杯に満
たされた酒を一口含み、ゆっくり味わうように飲み干した。
﹁無意味なものでも、ですか﹂
その傍らにたたずむ従者と思しき若いエルフが微かに眉をひそめ
て聞き返した。
﹁それが必要だ、と言えば、こちらが説明せずとも考えるのだ。も
ちろん、何も考えない者も疑う者もいる。だが、それはさほど重要
1980
ではない﹂
﹁それはその⋮⋮何故でしょうか?﹂
﹁全ての人間がそうではないが、ある程度の知識層や富裕層は形式
を重んじるのだ。それがいかにばかばかしく愚かしいものでも、彼
らが望み期待するような何かがそこにあると思わせ、彼らの欲求を
わずかばかりかなえてやれば良い。
全てを叶える必要はない。それは不可能だし、そうする意味も理
由もない。常に飢えた状態で、その欲求を少しずつ、不平等にかな
えてやった方が、後は望んで走るようになる。
顔が見えず正体が知れなくても、利害を共にする同胞がいると思
えば、そしてそれを直接行う者が自分ではないとすれば、禁忌の敷
居も低くなり、それを共有することで結束力を高める﹂
金髪碧眼のエルフは目を細めた。
﹁彼らがそう思い込むことが重要であって、実のところどうなのか
は重要ではない。彼らにはこれからも、同種殺しを継続させる。途
中で我らが手を引いても、彼らがそれに意味を見いだせば今後も自
発的に続けるだろう。
一度低くなった敷居を踏み越えるのは容易い。また、どんな刺激
にも人は慣れる。掟を守って生きる純血のエルフ以外の者が殺され
る分には問題はない。
増えすぎた人間どもは、淘汰されるべきだろう?﹂
﹁⋮⋮なるほど。しかし長、里を出ている同族については、どのよ
うにお考えですか?﹂
﹁問題はない﹂
1981
長と呼ばれたエルフは断言した。
シェーラ・レ
﹁他のエルフの里へ出ている者らに害は及ばぬし、それ以外のエル
ディ・リィア
フは変わり者か慮外者だ。問題ない﹂
シ・エル
﹁しかし、風の精霊ラルバの加護を受けし輝ける者様は⋮⋮?﹂
戸惑うように尋ねるエルフに、長は微笑んだ。
﹁あの子の居場所はわかっている。心配無用だ﹂
長の言葉に、若いエルフは安堵した。
﹁それは良かったです。あの方が非道な目に遭われるのは心が痛み
ますから!﹂
真実を知らずに喜ぶエルフを、長は穏やかな目で見つめた。
1982
ウル村生贄事件 3︵後書き︶
すみません。聡い方は既に気付いてたかもしれませんが、頑張って
削ったものの今回で終わりませんでした︵涙︶。
あと2話で過去話終わらせられるよう頑張ります。エルフのおっさ
んのせいだけではないのが悩ましいです。
以下修正。
×腰から下を
○腰から下に
×気張らし
○気晴らし
×逃げ出すこと
○逃げ出すことも
×狼狽えような
○狼狽えたような
1983
ウル村生贄事件 4
酒を酌み交わす者や、酔って眠ってしまった男達が転がる広場に、
レイモンが息せき切った様子で駆け込んだ。
﹁ダニエルさん!﹂
アランやレイモンの父、ジャンと談笑しながら酒を飲んでいたダ
ニエルが、振り向いた。
﹁おお、どうした、レイ。珍しいな、酒を飲んでるところにお前が
来るとは。どうだ、一緒に飲むか?﹂
﹁⋮⋮その、ちょっと話したいことが﹂
﹁うん? ここでは話しにくい内容か?﹂
ダニエルの言葉に、レイモンが頷く。
﹁ガハハッ、じゃあ、家で話せば良いんじゃねぇか? どうせエル
ンは他で飲んでるだろうし、クロエや子供達はもう寝てるだろ。な
ぁレイ、俺は聞いても問題ないんだろう?﹂
ジャンがだみ声で言うと、レイモンは頷いた。三人は家へ向かい、
ランプに火を点すと居間の椅子に腰掛けた。
﹁で、いったい何だ?﹂
1984
ダニエルが尋ねると、レイモンが口を開く。
﹁実は今夜、ミレーヌと会う約束をしていた﹂
レイモンが言うと、ダニエルが顎を擦った。
﹁そういや、途中からミレーヌの姿を見なくなったな﹂
﹁はい。落ち合う場所は決めてあったので、早めにそこへ向かって
彼女を待っていたが、約束の時間を過ぎても来ないので捜してみた
が、何処にもいない上に見掛けた者もいなかった﹂
﹁ってことは、ミレーヌの家も行ったんだよな﹂
﹁一番最初に確認した。その他にも三度、彼女の友人のところへも。
それで⋮⋮﹂
レイモンは眉をひそめ、声を低めた。
﹁たぶん、ミレーヌ以外にも幾人かいない。ミレーヌを除いて少な
くとも二人。いずれもミレーヌと同じか近い年齢の未婚の成人女性
で、村長の隣家のエミリーと、祖父の家の隣のナタリーだ﹂
﹁⋮⋮何!?﹂
ダニエルは思わず立ち上がった。ジャンは顔をしかめている。笑
っていても山賊のように見える凶悪顔が、ますます恐ろしい顔にな
っている。
﹁おそらく家族は何か知っていると思う。でも、俺には教えてくれ
1985
なかった﹂
﹁そうか。そうだな、成人しているとは言え年頃の未婚の娘だ。そ
んな若い娘がこんな夜遅くに所在不明、しかも酔っている者が多い
祭りの夜だ。よほど不埒な親不孝者でなければ、多少なりと心配す
るよな。よし、俺が動こう。レイとジャンは待っていてくれ﹂
﹁お願いします﹂
レイモンが頭を深々と下げた。
﹁良いのか、それで﹂
ジャンがレイモンとダニエルを交互に見た。レイモンが頷いた。
﹁自分にできる事はした。だが、向こうが話したくない事を無理に
聞き出すのは、勇気が要る﹂
﹁関係を壊したくない、か?﹂
ダニエルが尋ねると、レイモンは苦い顔になる。
﹁⋮⋮知りたいが、それを覚悟してまでは出来なかった。ミレーヌ
を愛しているが、ミレーヌの家族に嫌われたくはない。その、あな
たには迷惑で面倒なことだとは思うが﹂
﹁俺は所詮よそ者だからな。関係が悪くなったとしても、問題ない。
いずれ村の外へ出て行く人間だからな。気にするな、レイ。俺もミ
レーヌのことが心配だ。お前の代わりに調べて見つけてやるよ﹂
1986
ダニエルがそう言って笑うと、レイモンが安堵した顔になった。
ダニエルは家の外へ出ると、腰に提げた革袋から短い笛を取り出し、
吹き鳴らした。
人の耳には聞こえないそれを三回吹いた後、それを元の袋へしま
い込む。
﹁なんだ、それ?﹂
ジャンが尋ねると、ダニエルは苦笑して答えた。
﹁使役魔獣を呼ぶ笛だ。友人に貰った﹂
﹁へぇ、使役魔獣なんか持ってたのか﹂
﹁それも譲られたものだ。移動に便利だから使ってる。長距離移動
なら俺が走った方が速いけどな﹂
ワイバーン
﹁普通は逆だろ。まぁ、あんたならありそうだが。で、何が来るん
だ?﹂
グリフォン
﹁鷲獅子だ。本当は飛竜が良かったんだが、飛竜はでかすぎる上に
餌代が掛かるからやめとけと言われてな。あまり使わないから普段
はほぼ放し飼いなんだが、痕跡を残さず移動する時は便利なんだ。
あと、地理が不案内な場所とか森の多いところとか﹂
﹁ああ、森、多いもんな。王国内はどこもそうだが、この辺りから
辺境にかけては特に﹂
なるほど、とジャンは頷き歯を見せて笑った。
1987
﹁ところでよぉ、ダニエル。目星はついてんのか。ミレーヌの家族
に話は聞かないのかよ?﹂
﹁ん∼、たぶん聞いてもたいしたことは聞けねぇだろうな﹂
﹁ほう、何故そう思う?﹂
﹁具体的なことを知ってたら、きっと今頃本人達が動いてるだろ。
動かずに待っているとなると、おそらく本人達もくわしいことは知
らないんだろ。
あと、目的のものは見つけられなかったが、昨日と今日、森の中
を探索した結果、妙なものを見つけたんだよな﹂
﹁妙なもの?﹂
﹁遺跡とまではいかないが、そこそこ古い神殿だ。庭とかは雑草だ
らけで荒れてるが、人の出入りがあって手入れもされていて、門と
出入り口の扉には、鍵が掛かっていた。
で、今日は日没後に月が出て、日の出前に月が沈む日だ﹂
﹁それが何だってんだ?﹂
﹁俺達には関係ないが、それを重要視する連中もいるってことさ﹂
上空から羽音が聞こえ、だんだんと近付いて来た。
﹁⋮⋮なんか、初めて見るけどでっかいな﹂
ジャンが呆気に取られた顔で言った。
1988
﹁あれでもまだ若いし雌だから、小さい方だぞ。その内、繁殖させ
ようと思ってるんだ﹂
﹁あれを繁殖⋮⋮とんでもなくでかい厩舎が要りそうだな﹂
﹁厩舎なんかで繁殖させねぇよ。生息地へ連れて行って放してやれ
ば済むことだ﹂
﹁そんなことしても、戻って来るのか?﹂
﹁さぁな。けど、戻って来ないならそれで別にかまわないだろ。確
かにいると便利だが、いなけりゃいないでどうにかなるし。フルー
ル! こっちだ!!﹂
グリフォン
ダニエルが大きく手を振ると、風が吹き付ける中、体長2.7メ
トル、体高1.8メトルの鷲獅子が舞い降りた。
フルール
﹁⋮⋮とんでもねぇな。つぅかこれに﹃花﹄ってのは﹂
鷲の上半身と獅子の下半身を持つ、鷲獅子の琥珀色の目がギョロ
リとジャンを見下ろした。何か文句があるか、と言わんばかりであ
る。ジャンは口を閉じた。
﹁それじゃ、行って来る⋮⋮﹂
﹁ダニエルさん!﹂
家の中からアランが飛び出して来た。
﹁アラン?﹂
1989
﹁⋮⋮っ、俺も、連れて行ってくれ!﹂
転びそうになりつつも、息を切らして駆け寄るアランに、ダニエ
ルは少し驚きつつ、ちらりとジャンを見た。ジャンは肩をすくめた。
﹁おい、アラン。お前、本気か?﹂
ジャンが尋ねると、アランは真剣な表情で頷いた。
﹁ダニエル、どうなんだ?﹂
﹁正直、お前は来ない方が良いと思うが⋮⋮何を見ることになった
としてもかまわないと、あと、何があっても俺の言うことを聞くと、
誓えるか?﹂
﹁ああ。俺は、魔術師になりたい。なろうと思っている。⋮⋮平民
が魔術師として稼ぐ方法は三つ、自分で店を持つか、誰かに雇われ
るか、冒険者になるか、だろ? それなら、選択肢は実質一つしか
ない﹂
﹁場合によっては、魔物や魔獣だけでなく人を殺すことになっても、
か?﹂
﹁それが必要であれば。だけど、通常低ランクで盗賊討伐とか護衛
依頼とかは受けられないんだろう?﹂
﹁そうだな。原則としては受けられないことになっている。最低で
もCランクになってからだな﹂
1990
﹁だったら、たぶん大丈夫だ。ほら、料理する時に鳥とかウサギを
まるまる一羽捌いたりするしな。さすがに四つ足動物は大きすぎる
から、一人で捌いたことはないけど﹂
﹁生きてるやつを殺すのと、死んだ鳥獣を捌くのじゃだいぶ違うと
思うがなぁ。まぁ、実際にやってみた方が早いか﹂
﹁え? じゃあ﹂
﹁今度、ゴブリンか何か弱いやつを狩りに連れて行ってやる。ただ
し、レオと一緒にな。さすがに魔術師一人じゃ無理だろう。⋮⋮な
ぁ、アラン。念のために聞くが、今日、これから血を見ることにな
ったとしても、大丈夫か?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
﹁俺はこの通り剣士だ。剣を振るうことで、敵を倒し、身を守る。
俺が本気で剣を振るえば、確実に血を見ることになる。それでも良
いのか?﹂
真顔で尋ねたダニエルに、アランは頷いた。
﹁足手まといだとは思うが頼む、連れて行ってくれ。ただ、攻撃系
の魔術は︽炎の矢︾を五回分しかまだ使えないけど、大丈夫かな?﹂
﹁心配しなくてもお前に魔術使わせるのは最終手段になるだろう。
俺がお前の身を守る余裕がなくなった時だ。それまでは温存してお
け。まぁ、その機会は来ないだろうけどな﹂
﹁もしかして、ダニエルさんって強いの?﹂
1991
アランが首を傾げて尋ねると、ダニエルは大笑いした。
﹁ぶほっ、グハハハハッ、ちょっ、ブッ、そんなこと生まれて初め
て聞かれた! すっげウケる!! おい、アラン、あんまり笑わす
なよ!! グッホ、ブハッ、ギャーッハッハハハ!!﹂
腹を抱え涙を流して笑い転げるダニエルに、アランは眉間に皺を
寄せた。
﹁え、何?﹂
﹁うん、アラン。気持ちはわからんではないぞ。でも、ダニエルは
こう見えて、王国一の最強剣士と呼ばれてるんだ﹂
ジャンがそう言って、ポンとアランの肩を叩くと、アランがきょ
とんとした顔になった。
﹁は?﹂
﹁王国最強に向かって強いのかと尋ねるのは、王国内捜してもお前
くらいかもなぁ。それとな、ダニエルはかなり若く見えるが、俺の
二つ年下だぞ﹂
﹁へ? ⋮⋮嘘っ!! 冗談だろっ!?﹂
ニヤニヤ笑うジャンに、アランは思わず叫んだ。
◇◇◇◇◇
1992
鞍もない鷲獅子の背にまたがるのは、アランにはほぼ不可能││
静止した状態ならばともかく、飛翔した状態ではアランでなくとも
普通は無理である││なため、アランは丈夫な麻縄でダニエルの背
に縛り付けられた。
﹁え、ちょっと、何でこんなっ⋮⋮痛っ、父さん、そんなに締めな
いでよ! 肋骨の間に入るとキツイんだよ!!﹂
﹁さすがに赤ん坊用のおんぶ紐じゃ無理だからな。麦の穂を束ねる
のに使ったやつの残りをつなぎ合わせたが、大丈夫そうだな﹂
ジャンがだみ声でガハハと笑った。
﹁ああ、さすがにレイやエルンみたいな体格だと無理だが、アラン
なら問題ないだろう。軽いし背も小さいし。でも、負ぶわれている
間は足を伸ばしたり暴れるなよ、アラン。危ないからな﹂
とし
﹁まさかこの年齢で負ぶわれるとか﹂
アランはガックリと肩を落とした。
﹁アランくらいの体格なら、まだ俺だっていけるぞ﹂
何故か張り合うように言うジャンに、アランはますます脱力する。
﹁まぁ、片手で小脇に抱えるくらいは問題ないな﹂
フフンとばかりに胸を張るダニエルに、ジャンはグッと詰まる。
1993
さすがにそれは無理なようである。しかし、いずれにせよそんなこ
とはされたくないと渋面になるアラン。
﹁じゃあ、行って来る。もし、俺の仲間と行き違いになったら村の
北東の森を北北東に向かうよう言ってくれ﹂
﹁わかった。気を付けて行けよ。アラン、ダニエルの言うことに従
え。言われた通りにしなかったら、おしりペンペンの刑な﹂
ジャンが悪人顔でニヤリと笑うと、アランは嫌そうに眉間に皺を
寄せた。
﹁おしりペンペンって、子供じゃあるまいし﹂
﹁おいおい、お前はまだ十分子供だろ。そんなこと言うと、おしり
ペンペンに全裸を加えるぞ﹂
アランは苦虫を噛み潰した顔になった。
﹁オレはハゲとチ○コ隠したがる男は大嫌いだ! 何故天からたま
わったものを隠さなきゃならねぇんだ。むしろ堂々と見せつけて誇
るべきだろ﹂
﹁それはどうかと思うけど。ハゲは好きにすりゃ良いが、チ○コは
隠した方が良いだろ。何のために服があると思ってんだ﹂
笑って言うジャンに、アランは溜息をつく。
﹁オレが子供の頃は、夏はしょっちゅう全裸で村中駆け回ってたぞ。
なのに、オレの息子どもと来たらおとなしすぎる。特にアラン、お
1994
前だ。心配で仕方ないったらねぇ。
だが、いなくなった村の娘達を捜しに行きたいと言う度胸は買っ
た。死なない程度に頑張って来い! ダニエルがいるから大丈夫だ
とは思うが、命は一つしかねぇからあんまり無茶はするなよ﹂
そう言うとジャンはガシガシと息子の頭を乱暴に撫でた。
﹁痛っ、痛いからやめてよ、父さん! 頭や首も痛いけど、乱暴に
揺さぶられると紐が擦れるだろ!! それとエルン兄じゃないから
無理無茶無謀なことやらかさないよ! 俺の性格知ってるだろ!﹂
﹁おう、生まれた時から見てるからな。お前は普段から良い子ちゃ
ん過ぎて、なかなか自分から何かしたいと言い出す事は少ないから、
これでも父ちゃんは驚いてるんだぞ、アラン。
何がお前をその気にさせたのかはわからんが、そういう気持ちは
大事にしろよ。恐怖や脅威を覚えて学習するのは良いが、怯えて立
ちすくむのは一番マズイ。
⋮⋮なぁ、ダニエル。面倒だとは思うが、頼むぞ﹂
﹁まかせておけ。だいたい無理だの面倒だの思うなら連れて行かね
ぇっての! この王国一の最強天才剣士様にできねぇことはねーか
らな﹂
﹁ああ、わかってるぞ。好きな女をモノにすること以外は、不可能
すら可能にする英雄だよな!﹂
ジャンがニッカと笑って言うと、ダニエルの笑顔が硬直した。
﹁うん? どうした、ダニエル。何か忘れ物か、小便でもしたくな
ったか?﹂
1995
ジャンが悪気の欠片もないといった笑顔で言うと、ダニエルは渋
面になった。
﹁ああ、確かに惚れた女をモノにした実績のあるジャンからしたら、
王国最強のくせに一人もモノに出来ない俺は不甲斐なく見えるだろ
うよ﹂
﹁そこまでは言ってねぇぞ、おい。それに、人の心なんてものはど
うにもならない時はどうにもならん。理屈や努力で変わるもんじゃ
ねぇから、駄目なら未練たらたら引きずるよりも、潔く縁がなかっ
たと諦めて他をさがすっきゃねぇだろ!
大丈夫だ、ダニエル。いつか本音のお前に惚れる女もきっと見つ
かる!﹂
﹁お前に言われると、他のやつに言われるより胸が痛むんだが﹂
ダニエルはぼやくように言うと、溜息をついた。それから首をゆ
っくり左右に振ると、飛び上がり鷲獅子の背にまたがった。
﹁じゃ、行って来る。念のため村の連中には、今回のことは俺の独
断でお前らは関知してないことにしておけ。そうしておけば、仮に
貴族絡みでもお前らが責められたり恨まれたりすることは避けられ
る﹂
﹁⋮⋮貴族絡み、か。ダニエルはそう睨んでるのか?﹂
﹁まぁな。ジャン達村人達は、無茶なことを強いられてもそうそう
コネ
連中には逆らえないだろうが、俺なら、どうにでもできるからな。
何せ、一人で軍を壊滅・撃退した実績もあるし、人脈もある。
1996
国王陛下と王妹殿下、宰相殿に、王国内の侯爵・伯爵の三割に貸
しがある。幸い、この地の領主殿とも知己で友好関係を築いている
し、剣術指南したこともある﹂
﹁へぇ、領主様の! そりゃすげぇな!! 領主様の剣術の腕はそ
うとうのものだって聞くぞ!? オークやオーガ程度なら一刀両断
とか﹂
驚き、目を瞠るジャンとアランに、ダニエルは苦笑した。
﹁クックッ、そっちに食いつくとか。まぁ、そういうことで多少の
無茶なら問題ない。貴族絡みではなく単なる犯罪者集団なら、もっ
と話は簡単だ。全員ぶちのめせば済むことだからな﹂
ダニエルはそう言って、己の右腕をポンと叩いた。
﹁大丈夫だとは思うが、気を付けて行けよ﹂
ジャンの言葉に、ダニエルは余裕の笑みで、アランは鷲獅子の高
さに怖々としながら手を振って応えた。
﹁よし、じゃあ行くぞ、フルール!﹂
ダニエルが鷲獅子に声を掛けると、鷲獅子は翼を広げ、大きく羽
ばたいた。
◇◇◇◇◇
1997
﹁⋮⋮ふん、今回の報酬はこんなものか﹂
執務室の椅子に腰掛けたオクタヴィアンは、不満そうに鼻を鳴ら
した。
﹁今回は仕方ありませんや、旦那。見目良い少女を引き渡せとは命
じたものの、そこらの村娘四人分じゃたいした額にはなりやせんか
・・
ら。期日までに調達できるならどんな手段でも構わんとおっしゃる
から、廃村になる予定の村から引っ張ってきやしたぜ﹂
﹁あれも思ったほどの値がつかなかったし、今月は赤字とまでは言
わんが、利はほとんど出なかったな。おい、アダン。どうして今回
はいつものように調達出来なかったのだ﹂
﹁それが、流れの冒険者に下部組織のいくつかが潰されやして。こ
ちらのお屋敷に常駐している連中にも動きを控えさせたのが原因で
しょう。そいつの動きがちっと読めない上に、何故か居着いちまっ
て﹂
﹁何? そんな報告、聞いておらんぞ﹂
﹁はぁ、すいやせん。何しろ、潰された組織の連中は全員首を刎ね
られ、拠点は文字通り潰されてたんで、何があったのか調べるのに
時間がかかりやして。
オルラの町の冒険者ギルドで、盗賊集団の首が大量に持ち込まれ
たって話からたどって、ようやく確認が取れやした﹂
﹁それで、その流れの冒険者とやらの名は?﹂
﹁へぇ、ダニエルという名の剣士だそうです。何でもSランクとか
1998
いう聞いたこともないランクで﹂
﹁バッ⋮⋮バカな!! 何故、こんな田舎に︽疾風迅雷︾がいる!
? 強い魔物や魔獣が出たわけでもないのに!!﹂
﹁は? その、何ですか、旦那。しっぷうじんらい、とやらは﹂
ドラゴン
﹁王国最強と呼ばれる災害級魔獣並の剣士だ。︽アルツ村の悲劇︾
または︽三ヶ月紛争︾を知っているか?﹂
﹁三十年程前に、トルシェラント王国が攻めてきたっていう王国南
東部で起きたという小規模戦でやすね。話には聞いたことがありや
すが、あっしは当時はまだガキでしたし王国北東沿岸部の出身でや
すから、詳しいことは全く﹂
﹁その戦で英雄と呼ばれた生き残りの少年の話は?﹂
﹁吟遊詩人の歌やら噂話程度は聞き覚えがありやすが、何しろ内容
が眉唾もので、まともに聞いたことはありやせん﹂
﹁吟遊詩人の歌では、一人で果敢に戦う少年剣士の下に王国軍が救
援に来て共に戦って隣国を追い払ったとなっているが、事実は異な
る。あの男がほぼ独力で壊滅させたのだ。
王国軍の旗印を見て隣国が逃走したのは事実だが。そして王国軍
はそれが村人だと気付かず攻撃を加え、酷い目に遭った。その戦闘
で我が伯父は死亡し、父が家を継ぐことになった。
だが、その責を問われて我が家は軍務を下ろされ、徴税官として
の役目を与えられ、このような田舎に配属される羽目になったのだ﹂
﹁それ、もしかして、ものすごくヤバイ男ってことでやすか⋮⋮?﹂
1999
﹁なのに、あの血が繋がっているとはとても思えん不肖の弟は、家
出した上に身分詐称してあの男と冒険者稼業などに精を出した挙げ
句、自由民の亜人と正式な婚姻を結びたいなどと世迷い言を⋮⋮っ
!﹂
オクタヴィアンはブルブルと身体を震わせ、樫製の机を力一杯殴
りつけた。
﹁あの、大丈夫でやすか? 今、すごい音がしやしたが﹂
オクタヴィアンは机を殴りつけた右拳を擦りながら、目の前の男
を睨み付けた。
﹁殺せ。どんな手段を使っても良い。あの男本人を殺すのが無理な
ら、弱味となるものを掴んでどうにか始末しろ。良いな?﹂
否とは言わせないとばかりに命じるオクタヴィアンに、男は頷き
つつ、嫌な予感を覚えていた。
2000
ウル村生贄事件 4︵後書き︶
後日、今回の話を完結させてからサブタイトルを数字に変更する予
定です。
今月︵というか今週から月末まで︶忙しいので、なかなか執筆が進
まなくて悩ましいです。
以下修正。
×覗いて
○除いて
×痕跡の残さず
○痕跡を残さず
×確認取れやした
○確認が取れやした
×王国南東部で小規模戦で
○王国南東部で起きたという小規模戦で
2001
ウル村生贄事件 5︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
2002
ウル村生贄事件 5
﹁ふ∼ん、やっぱりいやがるな﹂
グリフォン
森の中の神殿の手前で鷲獅子から降りたダニエルは、アランをそ
の場に待たせて、周囲の気配を探り木の陰に隠れるようにしながら、
ゆっくり静かに近付いた。しかし、神殿に近寄る前に、周辺に罠や
幾人かの男達││盗賊または荒くれ者と思しき武装した者達││が
周囲を警戒しているのを確認した。
男達は二人一組で一定区間を担当しているようだ。そこまで確認
したところで腰から下げた大振りなダガーを引き抜き、手近な一組
目に忍び寄ると一人の首を掻き切り、もう一人を殴って昏倒させ、
両脇に抱えて少し離れた場所まで運ぶと、生きている方に猿ぐつわ
をして頭が下になるよう木に吊した。
そして、男の頬を叩いて目覚めさせると、笑って尋ねた。
﹁よぉ、こんな時間にこんなところで何してるか、教えてくれよ。
お前のこれからの態度によって、お前の扱いが決まるから覚悟しろ
よ? あ、それとお前に選択権ねーからな!﹂
かくして、森の各所で男の悲鳴や苦痛の声が響くこととなった。
◇◇◇◇◇
アランは鷲獅子の傍らで四つん這いになって涙目でグッタリして
いた。
2003
﹁うぅ⋮⋮揺さぶられて気持ち悪い、眩暈がする⋮⋮﹂
鷲獅子は確かに速かった。アランが知る限りのどの生き物より速
かった。急上昇に急加速、そして時折下がっては上がり、右へそれ
ては左へ戻り、何より視界にダニエルの背と鷲獅子の羽毛しか見え
ない光景は、心臓に悪かった。
一通り胃の中のものを吐き終えると、アランはダニエルに手渡さ
れた水筒の水を口に含みゆすいだ後吐き出して、ゆっくり三口ほど
飲んだ。その後、それらに周囲の土をかき集め被せると、近くの木
に背を預け溜息をついた。
﹁地面って良いな⋮⋮安定していて動かなくて。森の土ってところ
どころ変に柔らかい上に、石とか木の根や枝やらいっぱいあって邪
魔だし、昼でも暗くて歩きづらいとか思ってたけど、そんなことな
かったよな。空と比べて温かいし、強い風吹きつけたりしないし、
左右に振り回されないし⋮⋮﹂
身体が不意に浮き上がる感覚や、落ちるような感覚、不規則・不
安定に予告なく左右に振られる感覚には、とても慣れそうにない。
ダニエルは﹁喜ぶと思ったのに﹂などと言ったが、アランとして
は何故彼がそう思ったのか全く理解できない。出来る事なら帰りは
乗らずに済ませたいと思っているが、難しいだろう。あれをもう一
度味わうことを想像し、アランはブルリと身を震わせた。
家で農作業用に飼われているロバに乗って歩いたことはある。自
発的にやったわけではなく、父に無理矢理乗り方を教えられたのだ
が、アランがバランスを取り損ねて落ちそうになると抱き留められ
たし、何より農機具や荷車を引いた年老いたロバはゆっくりとしか
歩かなかったから、今となっては生まれて初めて乗った生き物がロ
バで本当に良かったと心底思った。
2004
ロバに乗って学んだことは、緊張しすぎていても油断してもいけ
ないこと、重心の位置や体重のかけ方、安定する姿勢などだ。
しかし鷲獅子に乗る場合は獅子部分にまたがることになるが、こ
の背の部分は馬やロバなどと違い、大きくしなる。地面を蹴るので
はなく飛行する分、その動きは地面を駆けるよりはマシではあるが、
テイマー
ロバにはない急上昇や急旋回などがあるため、乗り慣れていないア
ランには小舟で荒波に揉まれるようなものだった。
ダニエル
アランにとって不幸だったのは、この鷲獅子が正規の魔獣使役士
によって調教・訓練されていないことと、現在の使役・騎乗者が他
人に気遣って速度その他を緩めるなどといったことをしないという
ことだ。
﹁おーい、アラン! 体調はどうだ、回復したか?﹂
ようやく人心地がついてきたアランの方へ、木々の間からダニエ
ルが歩み寄って来た。
﹁ああ⋮⋮やっと落ち着いてきたところだ。でも、もう二度と鷲獅
子には乗りたくない﹂
﹁え∼? アランが喜ぶと思ってわざわざやる必要もない急旋回と
か色々してやったのに。それとも何か? もっと面白い飛び方が良
かったか?﹂
﹁やめろ! 頼むからやめてくれ!! さっきの飛行でさえ内臓が
口から飛び出るかと思ったのに、あれよりひどい飛び方されたら、
絶対死ぬ!! ダニエルさんがどうかは知らないが、俺は空を速く
飛ぶより、普通に地面を移動する方が好きなんだよ!!﹂
﹁⋮⋮そうか。レオなら喜んでくれただろうに﹂
2005
﹁そう思うなら、俺じゃなくてレオを乗せた時にやってくれよ! 俺はもう絶対乗らないから﹂
﹁ん∼、じゃあ帰りは歩いて帰る気か? 村から結構遠いと思うけ
ど﹂
ダニエルの言葉にアランは青ざめた。今更ながらついてきたこと
を後悔した。
﹁まぁ、それよりだ。見張りの連中から聞いた話によると、あの神
殿には黒装束に仮面をつけた連中が何かの儀式をやってる最中らし
い。
見張ってたのは周辺の町や村で雇われたごろつきだな。中には盗
賊や人さらい稼業のやつも混じっていたから、中にいる黒ずくめど
ももろくなやつらじゃなさそうだな。
儀式はもう始まっているようだから、急いだ方が良さそうだ。一
応、村へ向かってるはずの俺の知り合いに魔道具で救援を頼んだが、
今どこにいるかわからないからいつになるか不明だ。
雇われた連中の数と練度から、中にいるのもそれほどじゃなさそ
うだし、俺一人で突入しようと思ってるんだが、お前はどうする?
ここに残るか、それとも同行するか?﹂
﹁俺が一緒に行っても良いのか?﹂
﹁ああ、問題ない。ただ、俺に近寄り過ぎず離れすぎないようにし
ろ。そうだな、今お前のいる位置からこのくらいの位置くらいの距
離を保つようにすれば良いだろう﹂
ダニエルはその位置まで移動し、指し示しながら言った。
2006
﹁もし離れるとしても、お前が急いでこの位置まで駆け寄れない距
離にはならないよう気を付けろ。俺の方でもなるべく気を配って加
減するけどな﹂
﹁わかった。よろしく頼む、ダニエルさん﹂
﹁了∼解! んじゃ、行くか。⋮⋮っと、その前に﹂
ダニエルがアランに歩み寄ったかと思うといきなり肩の上へと担
ぎ上げた。
﹁ちょっ、何!?﹂
﹁こら、静かにしろ。中でも外でも騒ぐなよ? 足場が悪いから建
物の外まで運んでやるよ。その方が早いからな﹂
﹁ええっ、歩くよ、自分で歩けるから!﹂
﹁前から思ってたけど、お前は何もない場所でも歩くのすげー遅い
だろ。大丈夫、すぐそこだから気にすんな!﹂
﹁すぐそこなら担がなくても良いだろ!?﹂
﹁時間の無駄だ。ちゃっちゃと行くぞ。ほら、黙ってろってば。う
るさいぞ﹂
左手で抱えたまま平然と大股でスタスタ歩き出すダニエルに、ア
ランは言いたいことを飲み込んだ。ダニエルを良く見ると顔や服に
血が付いている上に、右手には抜き身のダガーを握ったままである。
2007
﹁その⋮⋮殺したの?﹂
﹁何人かはな。残りも縛って吊してあるから大丈夫だ。全部で十六
人いた。中にやつらの仲間が八人いるらしい。
黒ずくめどもは施設内にある転移陣を利用して移動したから正確
な数はわからないが、儀式場に収まる数らしいし、洩れてくる声か
らすると多くても三十人ちょっとってとこだな﹂
﹁転移陣? 古代魔法語と現代魔法語どちらの記述だよ、それ﹂
﹁知らねー。直接確認したわけじゃないし、仮に見たとしても専門
家以外に区別つかねぇだろ﹂
﹁シーラさんは現代魔法語には興味ないから、俺は古代魔法語しか
見たことないんだ。魔力消費量や触媒消費量の少なさでは圧倒的に
古代魔法語で、記述の簡便さと改良に関しては現代魔法語らしいけ
ど。
古代魔法語は表意文字だけど全てが解明されているわけじゃない
し、現代魔法語は共通語の文字と同じ表音文字で文法もほぼ同じだ
から、定型や構文規則さえ理解できれば比較的簡単に修得できるけ
ど、現代魔法語で転移陣を記述すると、確か四頭立て馬車くらいの
大きさになるし、消費魔力量が多くなるから魔石の設置が必要なん
だよな。
まぁ、実物は見たことないけど﹂
﹁あれは設置も利用も基本的に国の許可が必要だからな。っていう
かアラン、古代魔法語も現代魔法語も知ってるのか?﹂
﹁どちらもまだ勉強中だけど、基本的な記述や定型文なら丸暗記し
2008
てるから、簡単なものなら解読できるよ。長文とか知らない文字や
記述が入ってたら無理だけど﹂
﹁⋮⋮お前、まだ十三歳だったはずだよな? 学校行ったことも、
家庭教師に教わったこともなかったはずだよな?﹂
﹁共通語の簡単な読み書きならばあちゃんに教わったし、古代魔法
語に関してはシーラさんに分厚い書物やお手製の辞書や資料をたく
さん貰ったから。さすがに誰にも教わらずにわかるわけないよ﹂
﹁俺は共通語の読み書きを覚えるのに五年かかったんだが。古代魔
法語とか見ても覚えられる気がしないぞ、おい。だいたいあれ、文
字数やたら多い上に、文法おかしくねぇ?﹂
﹁文法はエルフ語と同じだよ。だからエルフ語を修得すれば読み書
きだけなら古代魔法語も問題ない。発音は似てるのと似てないのが
あるから、ややこしいけど﹂
﹁え、何? お前エルフ語修得してんのか? あれ、完全に別言語
だろ!? まじもんのエルフ以外で完全習得するのはほぼ不可能な
言語じゃねえか!!﹂
﹁いや、さすがに完全修得はできないよ。エルフ語は特殊な修辞と
か慣用句とかまでは修得できてないけど、直訳ならかろうじてって
ところだ。
同じ語句でも発音や抑揚で変化する微妙なニュアンスの違いまで
は判別できないから、大雑把にしか翻訳できないけど。
後者はエルフやハーフエルフ並の聴力か、何度も聞いて慣れる以
外に習熟方法ないから現状では無理だしな﹂
2009
﹁アラン、エルフ語の読み書き・発音・聞き取りできるなら、王宮
勤めの役人になれるぞ。平民だと下っ端にしかなれねーけど。良か
ったら推薦してやろうか?﹂
﹁上官は貴族様なんだろ。礼儀作法も覚えなきゃならないだろうし、
気疲れしそうだし、俺には向いてないよ。俺、知らない人と話すの
あまり得意じゃないし、緊張すると思ったことスルッと言ったり、
逆に思ってもないこと言っちゃうこともあるし﹂
﹁まぁ、冒険者稼業の方が気楽だよな。高位ランクとなるとそうも
いかねぇが、Cランク未満なら何かあってもたいしたことにはなら
ねぇし、せいぜい自己責任で済むだろうしな﹂
﹁護衛任務で護衛対象が殺傷されたり、盗賊討伐とか他のパーティ
ーとチーム組んでの依頼で失敗すると大事だよな、きっと﹂
﹁おう、たいした失敗でなくてもやらかした内容によっては、相手
パーティーに死ぬまで恨み買ったりするからな。俺もそれが原因で
害虫扱いされたことあるぞ。執念深いタイプは二十年以上経っても
忘れないんだよなぁ﹂
﹁何やったんだよ、ダニエルさん﹂
﹁ドラゴンの心臓を生で食わせただけだ。俺は平気だったけど、俺
以外は全員腹壊して熱出したんだよ﹂
﹁⋮⋮それ、何か説明してから食べさせたの?﹂
﹁いや、あいつら魔獣の内臓とか生肉食いたがらないから、珍味だ
って言って食わせたんだ。実際貴重で次にいつ食えるかわからねぇ
2010
しな。独り占めするのも悪いと思って分けてやったんだが﹂
﹁それはさすがに一生恨まれても仕方ないと思う。普通の人は貴重
だからってドラゴンの心臓を生で食べたりしないし、そんなこと考
えもしないよ。むしろ誰も死ななかったのがすごいと思うけど﹂
﹁全員A∼Sランクだったし、高位神官もいたからな。そういえば
あいつ一人だけ食わなかったな。もしかして一番付き合いが長いか
ら、俺が何を出したのかわかってたのかも﹂
﹁えぇと、それ、オラースさんとかいう神官? 司祭様だっけ﹂
﹁ああ、今回呼んだから、来たら紹介してやるよ。シャレや冗談の
通じない堅物で説教くさくて面倒なジジイだが、たぶんアランは気
に入られると思うぞ。あのジジイ、貴族出の神官のくせに、真面目
なやつとか素直なやつが好きだから﹂
﹁つまり、真面目で素直なら多少口下手でも許されるってことか。
よっぽどひどい暴言・失言しなけりゃ大丈夫ってことかな﹂
﹁そうだな。あいつ、一生純潔を光神に誓ってるとかで、特に犯罪
と下ネタが嫌いなんだ。アランなら間違ってもその手の話題は振ら
なさそうだし、問題ないだろ﹂
﹁ダニエルさんはそうとわかってて、嫌がる話題振ってそうだな﹂
﹁話をうやむやにして煙に巻く時は便利なんだよ。普段は穏やかな
のに、その手の話題となると子供相手でもブチ切れたりするからや
りやすくなるし、油断もさせやすい﹂
2011
﹁特に理由もなく真面目な人をからかったりいじめたりしない方が
良いと思うよ。気の毒だし、たぶんそういう人っていつまでも覚え
てるだろう?
個人差はあるだろうけど、いつまでも覚えてるってことは、傷付
きやすくて立ち直りにくいかもしれないだろ。
ダニエルさんはそういうのあまり気にしない人なのかもしれない
けど、あまりひどい事はしない方が良いと思うよ。自分ではたいし
たことないと思っていることが、相手の一生ものの傷になってる場
合もあるし。
強い人の物差しじゃ、この世の全てを計ることはできないと思う。
賢者の目で、この世の全てを見通すことができないのと同じくらい
に、さ﹂
﹁う∼ん、少なくともオラースに関してはそういう配慮は無用だぞ。
あいつ打たれ強くてしたたかなやつだし、育ちの割には逆境に強い
し、穏和な笑顔で油断させて陰謀めぐらすのが特技だし﹂
﹁でも、ダニエルさんって失言多そうだよ﹂
﹁なんでバレてるんだ! アラン、お前もしや天才なのか!? そ
れとも何か特殊スキルか加護か天啓持ちか!?﹂
﹁日頃の行い見てたら誰にだってわかるだろう。特に酒を飲んでる
ところを見たら、オーガにだってわかると思うけど﹂
﹁⋮⋮そんなにひどいか?﹂
﹁自覚がなかったと言われた方が驚きなんだけど﹂
ダニエルはアランを肩から下ろし、ふむと頷いた。アランはキョ
2012
トンとした顔になった。
﹁う∼ん、まだチビだし体力なさすぎるし筋肉ついてないけど、肩
幅は意外とあるし、手の大きさや骨格見る限り、悪くねぇんだよな。
鍛えりゃなんとかなるのかねぇ?﹂
﹁あの、ダニエルさん。俺、魔術師になりたいと思ってるし冒険者
になろうとも思ってるけど、剣士とか戦士になる気はないし、もち
ろん近接戦闘する気も皆無なんだけど﹂
﹁何でわかった﹂
﹁だから、日頃の行いを見てたら誰にだってわかるって言っただろ。
だいたい畑仕事もまともにできない俺が重い剣を振れるはずがない﹂
﹁筋力がないならないで、刺突剣とかダガーとか軽い剣もあるぞ。
短剣くらいなら使い方を覚えた方が良いだろう。料理はするんだか
ら、最低限の使い方は知ってるよな?﹂
﹁料理で包丁を振り回すことなんかないぞ。包丁なら肘から先を使
えば良いけど、短剣の使い方ってそうじゃないだろう?﹂
﹁大丈夫だ。森でツタや木の枝なんかの切り払い方や、仕留めた獲
物の絞め方・捌き方、人型相手の護身程度だな。魔獣相手だと逃げ
た方が良いだろうし、前衛がいる状態で狙われるとしたら大抵はゴ
ブリンやコボルト、人間および亜人、最悪を考えるなら魔人あたり
だ。
たまにゴーレムとか人や魔物に使役されているやつで後衛狙って
くるのもいるが、そういう特殊なのはまぁ考えるだけ無駄だろうし
な。
2013
俺、どっちかっつーと直感とか感覚でやってるから頭使うのは苦
手なんだが、冒険者になるのなら、実際に立ち回りを一通り教えて
おいた方が勉強になるだろ?﹂
﹁⋮⋮まぁ、そうだけど﹂
﹁これから教会内部へ突入するけど、お前の仕事は俺やこの中にい
る連中の動きを観察することだ。何があっても冷静さを保て。お前
は絶対中に入るなよ。いざという時は逃げろ。
まぁ、俺が暴れるからそういうことにはならないと思うが、一応
念のためな。あと、さっき教えた距離の範囲内には絶対入るな。斬
られたくなければな。
俺も気を付けるが、視界の中に動く物を見つけたらうっかり斬り
たくなることもあるから、頼むぞ﹂
﹁うっかり斬りたくなる⋮⋮?﹂
ダニエルの不穏な言葉に、アランは困惑しつつも眉間に皺を寄せ
た。
﹁じゃあ、突入開始と行くか﹂
ダニエルは教会の入口の扉に歩み寄ると、おもむろに蹴り飛ばし
た。大音響と共に、錠が壊れて扉がはじけ飛ぶ。アランは思わず悲
鳴を上げそうになって両手で口を押さえ、目を見開いて凝視した。
﹁どうもど∼も、呼ばれてないけど勝手に邪魔させてもらうな、怪
しげな宗教団体の方々! え∼、お前達は包囲されている! 逃げ
ても無駄だぞ! 死にたいやつから掛かって来い!!﹂
2014
ダニエルは大音量で叫ぶと、抜刀して中へ駆け込んだ。教会内部
は月明かりと燭台に立てられたロウソクの灯りで照らされていた。
中には、金属製の仮面をつけた黒ずくめの男達と、奥にしつらえ
た祭壇の周囲にいる鮮やかな祭司服をまとった神官と思しき者達、
それと。
﹁⋮⋮え?﹂
アランは、教会内に響く怒号も悲鳴も破壊音も、全て聞こえなく
なった。中央近くの祭壇の上で、首元を掴まれ血を流している少女
の姿。
その容姿には見覚えがあった。
﹁⋮⋮なんで⋮⋮?﹂
その時、その光景を見るまで、﹃最悪の事態﹄がどういうものか、
理解できていなかった。
﹁なんで、そこにお前がいるんだよ⋮⋮っ! レオ!!﹂
全てを忘れ、血を吐くような叫び声を上げた。ダニエルがアラン
の声に一瞬ギョッとし、その視線の先に気付いて、舌打ちした。
﹁想定した内の一番最悪、いやそれ以上だなっ、クソッ﹂
祭壇の上には他九名の血まみれの少女の姿が見えた。しかし、こ
の騒ぎの中、どの少女も動かない。既に死体となっているように見
える。もし、生きていたとしても、瀕死だ。
﹁うぉおおおおおおっ!!﹂
2015
ダニエルは唸るような声を上げ、剣を振るう速度を、足を踏み出
す速度を上げた。
2016
ウル村生贄事件 5︵後書き︶
だいぶ削ったけど、本格的な戦闘には至りませんでした。
時間かけた割にあまり話が進んでいません。すみません。
アランの台詞だけで3∼4千字は削った気がします︵妹との喧嘩お
よび仲直りシーン入れたら更に2千字近く増えるかも︶。
ダニエル無双は一部カットするかもです。
以下修正。
×わけはでなく
○わけではなく
×生まれた初めて
○生まれて初めて
×全ての
○全てが
×できないと同じくらいに
○できないのと同じくらいに
2017
ウル村生贄事件 6︵前書き︶
戦闘および残酷な描写・表現があります。
2018
ウル村生贄事件 6
ほとんど一閃に見えるダニエルの斬撃により、付近にいた十数人
が斬り伏せられ、薙ぎ倒される。軽く右腕で横薙ぎに剣を振るった
ように見えるが、実際は瞬きの間に七度左右に振るわれたのだが、
この場にそれを視認できる者はいなかった。
いずれも急所ではなく手足や肩などを狙い死なないように、しか
し強靱な神経の者以外は動けない程度の怪我を負わせて無力化して
いく。
縦横無尽な剣撃も足捌きも常人には認識できないため、一閃する
度にまるで魔法のようにバタバタと人が倒れていくように見える。
悲鳴や怒号が響き渡る中、祭壇へとたどり着いたダニエルは驚愕
に硬直した神官らしき男の右腕に斬り付け、腹を蹴り飛ばし、くず
おれる少女を左手で確保した。
ちらりと少女を見やり、眉間に皺寄せながら残りの神官を斬り伏
せ無力化すると、残りの黒ずくめの男達を無力化し、呆然と立ちつ
くすアランの元へ駆け戻った。
﹁おいアラン、いつまで呆けてるつもりだ﹂
ダニエルが剣を鞘に納めその手で頬を軽く叩くと、ようやくアラ
ンは正気に返った。
﹁あ、ああああ、あの、ダニエルさんっ! レオ! レオは!?﹂
﹁一応まだ生きてる。でも、このままなら確実に死ぬ。だから、傷
を焼いて止血する﹂
2019
﹁なっ!?﹂
驚愕するアランに、ダニエルは淡々とした口調で断言した。
﹁安心しろ、高位神官の回復魔法なら、生命さえあれば火傷も重症
も跡形無く治る。だが、到着するまでの時間を稼ぐ必要がある。⋮
⋮できるな?﹂
﹁⋮⋮えっ!?﹂
﹁お前にできないなら俺がやるしかない。俺は魔法や魔術は使えな
いから、野営用の着火の魔道具を使うことになるが、それだと火加
減や焼く部位の細かい調節ができない。
お前が火の魔術の細かい制御が可能なら、火傷は最小限になるし、
かかる時間も短縮できる。可能か不可能か今すぐ答えろ﹂
ダニエルの言葉の意味を理解して、アランは息を呑んだ。不安と
緊張により全身に冷たい汗が吹き出し、脈が速くなる。しかし、既
に死んでいてもおかしくない傷だ。
アランが現時点で自信を持って使えると言える魔術は︽発火︾︽
灯火︾︽炎の矢︾である。他にも使用可能な魔術はあるが、細かい
調整・制御ができるかと言えば自信が無い。
平民、しかも農民出のアランは魔力量が豊富というわけではない。
限られた魔力量で何度も使用し習熟するため、それ以外の魔術は両
手の指で数えられるほどしか発動させた事がない。
︽灯火︾は熱の無い光の魔術であり、︽炎の矢︾は攻撃魔法であ
る。そのため、︽発火︾の威力と範囲と効果時間を増やすことにな
る。この魔術であれば、鍛錬・家事のため毎日十数回以上使用して
いる。
2020
﹁わかった、やる﹂
﹁そうか。なら、俺はあの連中の身柄を確保して、他に残っている
やつがいないか確認してくる﹂
﹁えっ﹂
ダニエルはそう言って、少女の身体をその場に横たえさせた。ア
ランはその言葉に動揺した。
﹁どうした、自信が無いのか? だったら俺がやるぞ﹂
﹁い、いや、大丈夫。やるよ﹂
アランは気分を切り替えるため目を閉じて深呼吸し呼吸を整える
と、発動後の術のイメージを思い描きながら詠唱する。
﹁其れは、全ての火の元となる小さな種火、︽発火︾﹂
この場に魔術杖はないが、毎日幾度も使用する魔術だ。発動を失
敗することはまずない。それでも不安なのは、同じ文言で普段と違
う目的・構成で術を使用・制御できるかだ。
火魔術に人の傷を止血するための術式・文言はない。だが、魔術
で一番大事なのは詠唱ではなく発動するための文言、つまり古代魔
法語と、それを発動させるためのイメージだ。
理論上では、イメージと発動文言さえあれば魔術は発動できる。
だが、実際にそれを行うのはほぼ不可能である。詠唱文言は術者の
集中力とイメージを補佐するために必須であり、それを省略できる
者は現在時点では存在しない。
2021
︽発火︾にしては強い火で、しかし火傷を最小限に抑えるため小
さく細い火でレオノーラの傷を少しずつ焼いていく。アランの額に
大量の汗が浮かび、流れたそれが顎から雫となって、ポタリポタリ
と伝い落ちる。
緊張と不安に震えながらも最後までやりきって、アランは脱力し
た。アランは焼いた傷口を見るために覗き込み、そして気付いた。
﹁⋮⋮首輪?﹂
襟元が大きく切り裂かれている。一度切り付け、首輪に弾かれた
ために襟から胸元まで服を切り裂いた後に、鎖骨下辺りから切り裂
いたようだ。裂かれた布の形状からそう判断した後、ゾッとした。
︵つまり首輪が無く、一度で切り裂かれていたら、間に合わなかっ
た?︶
思わず寒気を覚えて身を震わせ、おそるおそる鼻と口付近に手を
かざし息があるのを確認してから、脈を確認する。生きている人間
の体温とは思えないほど低く脈が遅いことに気付き、慌てて着てき
た上着を着せかけ、少しでも体温を上げるため手足を撫でさすった。
﹁前から細いとは思ってたけど、なんだよこれ﹂
枯れ木のようだとまでは言わないが、手足がほとんど骨張ってい
るように見える自分と比較してもまだ細い。鍛錬のために筋肉はつ
いているため骨とは違う硬さはあるが、柔らかさはほとんどない上、
自分と同じ生き物とは思えないほど骨も細い。
シーラがエルフであることから、レオノーラがハーフエルフなこ
とは知っている。アランは他にエルフやハーフエルフは見た事がな
2022
い。ウル村には人間しか住んでいないため、亜人と呼ばれる他の種
族を見たことはないので比較対象はないし、シーラはエルフである
ためレオノーラ以上に細かったが、細すぎるように見える。
︵脈も遅いし体温も低すぎる。これ⋮⋮間に合うのか?︶
うたた寝をするレオノーラを見たことは数えるほどしかないが、
ここまで動かないものだっただろうか、と考えてアランは薬物か魔
術の可能性に気付いた。
心当たりはなくはないがその手の薬は種類が多すぎるし、魔術で
あればお手上げだ。気付け薬が効かなかったら対処のしようがない
上、今はいずれの薬も材料すらもない。
﹁どうだ、アラン﹂
施設内を回り全員をロープで拘束した後、戻って来たダニエルが
声を掛けると、アランが弾かれるように飛び上がった。
﹁ダニエルさん! レオが、レオが死んじゃうかも!!﹂
不安げに叫ぶアランにダニエルは一瞬無表情になったが、すぐに
笑顔を浮かべて安心させるように言う。
﹁奥にあった魔法陣は使用できないよう壊したし、内外の連中は全
て拘束した。本当はこういう場合動かさない方が良いが、止血はで
きたんだよな?﹂
ダニエルの言葉に、アランは頷いた。
﹁な、内臓や大きな血管は傷付いてなかったから、たぶん、なんと
2023
か﹂
震える声で言うアランに、ダニエルは苦笑した。
﹁他に俺らにできることはねーから、急いで運ぶぞ﹂
そう言ってレオノーラを抱き上げるダニエルに、アランは慌てた。
﹁えっ、何処へ!?﹂
グリフォン
﹁どこって決まってんだろ、こっちに向かってるはずの高位神官の
とこだよ。俺と同じく鷲獅子で移動してるから、合流するぞ﹂
そう言うとダニエルはアランも担ぎ上げた。
﹁えっ、ちょっ!?﹂
﹁急ぐから暴れるなよ!﹂
そう言って、駆け出した。重そうな入口の扉は突入時に吹き飛ば
されて床に転がったままである。それをダニエルはひょいと飛び越
えて、ほぼ一直線に鷲獅子のいる方角へ向かって走る。
﹁ダニエルさん!﹂
騒ぐアランに斟酌することなく、邪魔な枝は迷うことなく蹴り折
り、邪魔な木の根や草などは踏み砕き潰す。
﹁口を閉じていないと舌を噛んでも知らないぞ﹂
2024
ダニエルの言葉にアランはぴたりと黙り込んだ。そしてそのまま
ダニエルは鷲獅子の元へ駆け寄ると、その背に飛び乗る。
ヴァン
﹁フルール、風のいる方角へ向かえ! オラースと合流するぞ﹂
﹁ピューイッ!﹂
ダニエルの言葉に、鷲獅子が高く鳴いた。
﹁鷲獅子って人の言葉を理解するのか!?﹂
驚くアランに、ダニエルはニヤリと笑った。
﹁フルールは頭が良いからな。他は知らん。見た目の割には可愛い
鳴き声だろ?﹂
ダニエルの言葉に、鷲獅子が咎めるように短く鳴いた。
﹁おっと、悪ぃ。悪口じゃねぇからな、フルール。お前はいつでも
可愛いよ﹂
ダニエルがそう言って撫でると、機嫌良さげに一声鳴いて飛び上
がった。アランは慌ててダニエルにしがみつき直す。
﹁な、なぁ、そのままで大丈夫なのか? その、手が⋮⋮﹂
﹁あ? いや馬と似たようなもんで足でしっかり支えてバランス取
れば、問題ねぇだろ。落ちるとしたら、そいつは鍛え方が足りない
か、頭かバランス感覚が悪いんだ﹂
2025
ダニエルの返答にアランは黙り込んだ。アランはどう頑張っても
鞍も鐙も手綱もなしに、家で飼っているロバですら騎乗できる自信
はない。
前々から感じていたことではあるが、この目の前の男は規格外で
ある。この男の基準ではおそらく僅かばかりの例外を除いてほとん
ど全ての人間は﹁鍛え方が足りない﹂のだろう。
となれば、この男の言う事を真に受けるべきではない。彼はあら
ゆる意味で先駆者であり先達だが、当人が規格外すぎてあまり参考
にならない。いくらか割り引いて考えるべきであろう。
︵だいぶ慣れたと思ったんだが、まだ足りなかったか︶
アランは反省したが、世間知らずの彼は﹃普通﹄の基準を知らな
い。彼の魔術の師匠であるシーラもまた規格外だということにも気
付いていない。他を知らないため仕方ないとも言えるが。
◇◇◇◇◇
﹁オラース!﹂
行きの時以上の速度で飛翔したことと最短距離で向かったことで、
アランとダニエルはオラース司祭と早急に合流できた。
﹁頼む! こいつを回復してくれ!!﹂
月が照らしているとは言え、アランにはオラースの表情までは視
認できなかったが、彼は溜息をついたように見えた。二頭の鷲獅子
は先程の神殿の北の森の上で遭遇し、地面に降りた。
2026
ドラ
レオノーラを抱えたまま駆け寄って来たダニエルに、鷲獅子の背
から降りながらオラースは窘めるように告げる。
ゴン
﹁ダニー、あなたという人は本当に何処にいても何をしても、災害
魔獣のようですね。いえ、場合によっては、ドラゴンよりも最悪か
もしれません﹂
﹁いやぁ、そんなに褒めるなよ。つーか、そんなことより早いとこ
治療を頼む。傷口を焼いて止血はしたが、酷い傷な上にピクリとも
動かない。
いくらエルフやハーフエルフが人間より体温低くて脈が遅いとは
いえ、ちょっとヤバそうだ。俺の弟子なんだ、頼む。助けてくれ﹂
ダニエルの言葉に、オラースは眉をひそめた。
﹁あなたが冗談も言わず、しおらしく真面目にわたくしに頼み事を
するなんて珍しいですね。良いでしょう。彼を診てすぐ回復させま
す。毛布か何かありますか?﹂
﹁ない。俺の持ち物はこれだけだ﹂
そう言ってダニエルが背の剣をポンと叩くと、オラースは眉間に
皺を寄せた。
﹁あなたは、わたくしが幾度も教えたことをちっとも守っていない
ようですね。何処へ行く時も不測の事態に備えて、必ず最低限の非
常食と応急手当や野営道具と金銭を所持するよう言ったはずでしょ
う﹂
﹁ちっ、顔を合わせた途端説教かよ。だって、そんなもんなくても
2027
こいつと腰のダガーでどうにかなるんだ。俺には必要ねぇんだよ﹂
﹁あなたには必要でなくとも、他の人には必要になる場合もあると
まだ学習できていないようですね。今はとにかく治療を優先させま
しょう﹂
そう言うと、オラースは太陽と光の神アラフェストへ祈りを捧げ、
詠唱を始める。アランの聞き取れたところでは︽浄化︾︽魔法感知
︾︽毒物感知︾︽解毒︾︽致命傷治癒︾︽体力回復︾などを使用し
たようである。
﹁⋮⋮ところで、何があったのですか?﹂
治療が終わるとオラースはダニエルに向き直って尋ねた。
﹁森の中の古い神殿で、怪しげな連中が生贄の儀式を行っていた。
とりあえず見つけたやつは全員動けなくして、早く治療するために
お前のところへ向かった。王都から来たのか?﹂
﹁ええ、ちょうど赴任先から呼び戻されたところでしたので。セレ
スタンとディオン、アレクシス達は別の鷲獅子で指定された先へ向
かっていると思います。
わたくしは一人で身軽でしたので、おそらく一番早かったでしょ
う。ウル村以外のところへ指示されたので、急ぎましたから﹂
﹁うん? なんだ、俺が何かやらかしたとでも思ったのか?﹂
﹁自覚はあるようですね。軽はずみな言動や思いつきで何かしでか
すのを自重して下されば、なおよろしいですが﹂
2028
オラースが穏やかな口調で幼子を窘めるように言うと、ダニエル
は﹁うわぁ﹂と呟き、嫌そうに顔をしかめて肩をすくめた。
﹁その、レオは助かりますか?﹂
﹁強い睡眠薬と深い鎮静薬などの影響と傷や疲労のせいでしばらく
眠り続けるでしょうが、それは正常な反応なので問題ありません。
おそらくは非合法に調合され王国法で禁止された魔法薬を使用し
ているようですが、︽解毒︾などを施術したので問題ないはずです。
念のためしばらく様子を見ますが、精神的なものはともかく、肉
体的な後遺症が残ることはないでしょう。できれば彼が目覚める前
に彼の保護者にも説明したいと思うのですが﹂
﹁⋮⋮彼?﹂
アランがキョトンとした顔になった。
﹁ええ、彼です。少女のように美しい子ですが、男の子でしょう?
ハーフエルフを治療したのは今回が初めてですが、問題ないはず
です。エルフの治療は幾度かしたことがありますし﹂
オラースの言葉に、アランは慌てて﹃レオ﹄を覗き込んだ。
﹁⋮⋮っ!﹂
さすがにそれと見えるものは見えてはいなかったが、改めて良く
見ると少年の身体だった。逆に、今まで何故気付かなかったのかと
アランは頭を抱えたくなる。
そして、平然としているダニエルに気付いて彼を見た。
2029
﹁知ってたのか!?﹂
すると、ダニエルは苦笑した。
﹁まぁ、それはな。見ててもわかるし、何より剣の持ち方なんかを
教える時は身体に触れることもあるからな。つっても、変なとこを
触ったりしたことはねぇぞ。そういう趣味はないからな﹂
﹁だったらなんで教えてくれなかったんだ!!﹂
﹁ん∼? だって、何か事情があるんだろうと思ってたからな。シ
ーラは合理主義でとんでもなく個人主義な女だからな。意味や理由
のないことはしないだろうし。
それに助けが欲しいなら、たとえ相手が俺であろうと向こうから
言ってくると思ってたからな。少なくとも、昔はそうだったから﹂
そう言うと、ダニエルは苦い顔になった。
﹁で、オラース。これ、やっぱり﹃隷属の首輪﹄か?﹂
﹁ええ、間違いありません。つけていても傷の治療には問題ないか
らそのまま治療を施しましたが、もしかして彼は非合法の奴隷でし
ょうか?﹂
オラースの言葉に、アランは絶句し、ダニエルは頷いた。
﹁おそらくな。声を出せないのは生まれつきだと思い込んでいたか
ら、今まで確認しなかったし、調べようとも思わなかったが、この
辺りにはやけに人さらいや盗賊が多いんだ。付近に大きな町や集落
がそれほどないのにな。しかもそれらの町や村の治安が悪いわけで
も、特に税が重いわけでもない。
2030
それもどういうわけか、セヴィルース伯領の限定されたごく狭い
地域に少なくとも五つもあった。もしかしたら更に見つかるかもし
れない。おそらくは王国内の他の地域にもあるんだとは思うが﹂
ダニエルが言うと、オラースは眉間に皺を寄せた。
﹁応援が必要ですね﹂
﹁だから、お前らを呼んだんだ﹂
ダニエルの言葉に、オラースは首を左右に振った。
﹁いいえ、必要なのは神官や冒険者ではなく、王国軍と査察官です﹂
オラースはおごそかに告げた。
◇◇◇◇◇
後日、オラースの宣言通り、王国軍一隊と査察官が王都から派遣
され、ウル村周辺を中心とするセヴィルース伯領を調査した。
そしていくつか犯罪組織の他、裕福な平民や貴族などが逮捕され
た。その中にはウル村周辺を担当とする徴税官、シェリジエール子
爵オクタヴィアンも含まれていた。
また、生存していた被害者も見つかり、保護された。その保護に
はダニエル達冒険者も協力したのだが、その中にオクタヴィアンの
別邸地下室に閉じ込められていた怪我をし衰弱したシーラの姿もあ
った。
2031
﹁シーラ⋮⋮お前⋮⋮なんで⋮⋮っ!﹂
ダニエルが泣き出しそうな顔で、目覚めたシーラの手を握りしめ
た。シーラは僅かに眉をひそめると、掠れた声で告げた。
﹁私が、あなたに、無条件で助けを求めるはずが、ないでしょう。
⋮⋮対価が、面倒、だもの﹂
﹁あぁ!? お前、俺がそんな薄情な男だとでも思ってるのか!?﹂
ダニエルが眉を上げて叫ぶと、シーラは目を細めて言った。
﹁無償の助けなら、尚更いらないわ。この世で一番誰に助けられた
くないかといえば、ダニエルだもの。あなたに無償で何かしてもら
うくらいなら、死んだ方がマシだわ﹂
シーラの淡々とした口調と言葉に、ダニエルは頭が真っ白になっ
た。
﹁⋮⋮え?﹂
﹁レオに関しては、性別と名を偽ることでかろうじて契約成立を避
けられたけれど、私の契約に使われた名は、私が精霊の祝福時に授
かった正式な名││エルフ名だったの﹂
﹁それってあれか? お前のエルフ名を知ってるやつから洩れたっ
てことか。⋮⋮ってまさか!﹂
信じられないとばかりに目を見開いたダニエルに、シーラは真顔
で頷いた。
2032
﹁そうよ、あなたを疑っていたの。だってあなたはセヴィルース伯
爵と仲が良いでしょう?﹂
﹁俺と伯爵が企んだと思ったのか!? おい、そりゃないだろ!!
俺がお前の幸せを願うことはあっても、その逆があるはずないだ
ろ!? 俺がお前を傷付けるような真似をするはずがない!!﹂
ダニエルが悲痛な声で叫ぶと、シーラは少々気まずげに眉を下げ
た。
﹁ごめんなさい、ダニエル。私、どうしてもあなたのことになると
公平性に欠けるみたいなの。生理的な嫌悪が先立って冷静に考えら
れないのね﹂
﹁そんな特別いらねぇよ!! って言うかそんなに俺が嫌いなのか
よ!!﹂
さすがのダニエルも蒼白になり、涙目になった。今も惚れている
とは言わないが、初恋の相手にここまで言われるとは思いも寄らず、
ものすごくショックを受けた。
﹁こればかりは理性や理論では制御できないみたい。悪いわね﹂
﹁悪いと思ってねぇくせに良く言うよ!!﹂
ダニエルが涙目で怒鳴ると、シーラは口元にうっすら笑みを浮か
べた。
﹁あら、そんなにわかりやすかったかしら?﹂
2033
﹁お前の性格はイヤってほど知ってるからな! 片思いなのはわか
ってるけど!! 知ってるつもりだったけど、お前、本当性格最悪
だよ!! なんでそこまで嫌ってるんだよ!! 俺、お前にそこま
でひでぇことしたか!?﹂
﹁こういうのは理屈じゃないのよね。ほら、ネズミや蜘蛛が好きな
人と嫌いな人がいるようなものじゃないかしら﹂
﹁⋮⋮さすがにへこむんだが﹂
シーラに真顔で言われて、ダニエルはガックリと肩を落とした。
するとシーラは微笑みながら言った。
﹁それを避ける一番良い方法を教えてあげる。たまたま顔を合わせ
てしまっても一切会話をしない、あるいは極力顔を合わさない。ほ
ら、簡単よ。今からでもできるでしょう?﹂
﹁うん、悪かった。見たくもない顔見せた上に、声まで聞かせて本
当に悪かった。だからそれ以上言わないでくれ﹂
﹁⋮⋮本当に悪いとは思っているのよ?﹂
﹁面と向かってそれを言われる俺の身にもなってくれ! それとも
ひざまずいて懇願した方が良いか?﹂
﹁いずれにせよ気分が悪くなるだけだから、やめてくれると有り難
いわね﹂
﹁⋮⋮お前はそういうやつだよな﹂
2034
ダニエルが諦念の声でぼやいた。
ウル村生贄事件・完。
2035
ウル村生贄事件 6︵後書き︶
シーラは元々辛辣ですが、ダニエルと会話すると更に輪を掛けて酷
いです。
子供好きなので、子供には比較的優しいですが。
途中家業が忙しくなったり体調崩したことなどもあり、内容の割に
更新に時間がかかりました。すみません。
次章は古き墓場です。次回はこれこそダンジョン!な感じになると
思います︵一般的なRPGほどではないですが︶。
以下修正。
×行きの時以上の速度と最短距離で
○行きの時以上の速度で飛翔したことと最短距離で向かったことで
×合流できた
○早急に合流できた
×﹁ああ、間違いない。つけていても傷の治療には問題ないからそ
のまま治療を施したが、もしかして彼は非合法の奴隷か?﹂
︵※眠気をこらえつつ書いたらオラースの台詞がダニエル風になっ
ていました。すみません。︶
○﹁ええ、間違いありません。つけていても傷の治療には問題ない
からそのまま治療を施しましたが、もしかして彼は非合法の奴隷で
しょうか?﹂
2036
×イヤっほど
○イヤってほど
2037
1 久々のロラン︵前書き︶
軽めの罵倒などがあります。苦手な方はご注意下さい。
2038
1 久々のロラン
こうしょ
シュレディール王国建国暦285年・紅暑の月2日。ラーヌで︽
疾風の白刃︾を中心とした荒くれ者達がとある冒険者らを襲撃し、
逮捕されて約半月が経った。
︵⋮⋮石の床とか壁って、冬は寒くて冷たいけど、夏は涼しくて良
いかも。ここって地下だから、地上は違うかもしれないけど、石で
出来た建物の中にこんなに長いこといるのは初めてだよね。
これまで寝る時は大抵、安宿か野宿だったし。オルト村を除けば、
大部屋にしか泊まったことなかったからなぁ︶
ちなみにオルト村で大部屋に泊まらなかった理由は、オルト村の
宿屋には大部屋が存在しなかったからであり、もしあればそこへ泊
まっただろう。もっとも、オルト村には物好きな旅行者や行商など
少数の者しか一度に泊まらないため、大部屋などあっても採算が取
れない。
﹁おい、そこのガキ! お前は今日釈放だ。良かったな、たいした
処罰にならなくて﹂
歩み寄って来た番兵に言われて、牢の中でごろりと寝そべってい
た幼げな亜人の少年は、怪訝そうに首を傾げた。
﹁オイラは確か、金貨三枚の罰金刑だったはずだよ。つい三日前に、
払えなければその分鉱山の荷運びでもやって稼げと言われたんだけ
ど。今週末には移送される予定だったはずだよ?﹂
2039
﹁お前の罰金を代わりに支払うっていう奇特な御仁のおかげだ。ま
ぁ、利息含めて身体で支払えってことかもしれんがな、ハッハッハ﹂
番兵の言葉に、少年は嫌な予感を覚えた。
﹁久方ぶりだな、ダット。元気にしていたか?﹂
その声に、小人族の少年ダットはうわぁと顔をしかめた。そこに
は微笑みを浮かべたオーロンが待ち構えていた。
﹁今回はおぬしに向いた仕事を用意した。労働の喜びをおぬしに教
えるには、まず本人がやる気になってくれるような仕事と報酬でな
ければならないと、遅ればせながら気付いたのでな﹂
オーロンは長く美しく整えた自慢の顎髭を撫でながら、快活な笑
い声を上げた。
﹁ちなみに、前人未踏のダンジョン探索だ。得られた宝は依頼者が
必要とする資料以外は全て、探索に参加した者の間で山分けにして
良いとのことだ﹂
ダットはへえと眉を上げた。
﹁依頼主はずいぶん太っ腹だね。で、報酬はいくらなんだ?﹂
ダットの質問に、オーロンが困ったような笑みを浮かべた。
﹁⋮⋮残念ながら、現金の持ち合わせはあまりないらしい﹂
オーロンの返答に、ダットは胡散臭げに眉をひそめた。
2040
﹁海の物とも山の物ともつかないものに前金なんか期待しないけど、
いくらなんでも無報酬とか言い出さないよね? そんなのいったい
誰が受けるのさ。だいたい、オイラとオーロンの旦那二人だけで探
索はさすがに無理だろ?﹂
﹁ダンジョン探索には依頼主である知識神の神官殿も同行するから、
古代語などの文献の精査などは彼が担当する。ただ依頼主殿は神官
としての活動はされているが、冒険者として活動されたことはこれ
まで一度もないため、護衛が必要だ。
だから、現在ロラン支部に依頼を出して協力してくれる冒険者を
募っているところだ。報酬は一人あたり銀貨三枚に設定した。受付
で職員に尋ねたところ、この金額でも十分な能力を持つ冒険者を近
日中に手配できるはずだと確約が取れたから問題ない﹂
冒険者ギルド職員と言ってもピンキリだと思われるが、オーロン
は微塵も疑っていない様子で言い切った。ダットは冒険者ギルドに
限らず、ギルドというものに縁がない││盗賊ギルドや闇ギルドに
すら加入していないモグリである││ため、盗み目的以外でそうい
った施設に入ったことすらないから詳しくないが。
︵物好きな金持ちのオッサンに玩具として買われるよりは断然マシ
かもしれないけど、このお節介なドワーフに借りを作るのは別の意
味で厄介そうなんだよなぁ︶
ダットは深々と溜息をついた。
◇◇◇◇◇
2041
その二日前。ラーヌのとある家の敷地内、玄関前にて。
﹁じゃあ、そろそろ行くわね、師匠﹂
馬車の荷台に水の入った樽を積みながら言うレオナールに、ダニ
エルが笑顔で頷いた。
﹁おう、ダオルが一緒だから大丈夫だと思うが、あんまり無茶すん
なよ。何かあっても、俺はしばらく動けそうにねぇから気ィ付けろ
よ﹂
﹁ダオルだけでなく俺もいるんだから大丈夫だろ。もう絶対こいつ
から目を離さないし、しばらく単独させるつもりはないからな。
あと、あまり悪巧みすんなよ、おっさん。あんたが何かやらかす
度にこっちに火の粉が降りかかるんだからな﹂
アランが睨みながら言うと、ダニエルは大仰に肩をすくめた。
﹁アラン坊やは何ヒス起こしてんだよ。俺、何かしたか?﹂
﹁あ? 自覚ねぇのかよ。今度からおっさんじゃなくクソジジイに
呼び名変更されたいのか? 俺達は自分のことで手一杯なのに、お
っさんが周りの被害とか気にせずそこら中に火種まいて壊しまくる
から、いらぬ恨み買って、とばっちりがこっちにまで来るんだろ!
?﹂
﹁おぉ? 何? もしかして、アラン本気で怒ってる? もしかし
て、色々根に持ってたか?﹂
2042
﹁あんたが自覚あるなしに限らず人迷惑な生き物だって事は知って
るけどな、おっさん、出さなくても良い被害や損害は出さず、迷惑
かける相手も極力減らす努力くらいはしてくれよな。
おっさん一人で処理できないなら、部下とか周りの人間にやらせ
ろよ。おっさんが出て来ないで他のやつにやらせた方がマシな結果
になること、いっぱいあるんじゃねぇのか?﹂
﹁え∼と、その、アラン。何が気に触ったのかは知らないが、悪か
った。すまん﹂
﹁ふざけんな! 理由はわからないけどとりあえず謝っておけ的な
理由で頭下げられても、かえってムカつくんだよ!! 俺はあんた
のそういうテキトーさ加減が大っ嫌いなんだ!!﹂
﹁あっ、ヤベッ、何か地雷踏んだ?﹂
激昂するアランにダニエルは冷や汗をかいた。
チェスト
﹁⋮⋮その、ルヴィリア。それは長持か? 何故そんなものが必要
なんだ﹂
荷台に重ねられた蓋付きの木箱を見下ろし、ためらいがちに尋ね
たダオルに、ルヴィリアが満面の笑みで答える。
﹁それは化粧品とか衣装とか調剤用とか占術師用の道具とか色々入
ってるのよ。私の商売道具なんだから持って行かない理由なんてな
いでしょう?﹂
﹁それはわからなくもないが、何故それが5つもあるのか聞いても
良いだろうか﹂
2043
﹁これでも数は絞ったのよ﹂
﹁その両手に抱えている袋はいったい何だ?﹂
﹁これは買いだめしたお菓子よ。ロランでも色々探すけど、良い店
が見つかるまでの分がいるもの。持てる分だけたくさん買っておか
ないとね!﹂
﹁それは、必要なのか?﹂
﹁必要に決まってるでしょ? ダオルったら何を言ってるのかしら。
そんなこと他の女の人に言ったらモテないわよ。できれば言及もし
ない方が良いと思うわね。デリカシーがないと思われるのは嫌でし
ょ。
女性が望む言葉を適切な時、的確な内容・表現できなきゃ絶対ダ
メよ。外見だけ良くてもことごとくタイミング外したり、ちっとも
女心が理解できなかったりするともう最悪よ。
下手すると振られるどころか、相手に一生恨まれるかもね!﹂
﹁⋮⋮それくらいで一生恨まれるとか、たまったものではないな﹂
ダオルは渋面で言った。
◇◇◇◇◇
早朝にラーヌを出立した一行がロランに到着したのは、昼前のこ
とだった。彼らが北門でギルド証を見せたりして検問を受けている
2044
と、後方から体格の良い武装した人相の悪い男三人が現れた。
﹁おう、しばらく見ないと思ってたがまだ生きてたのか、クソガキ
どもォ。ケケッ、ママのミルク飲みにおうちへ帰らなくて良いのか、
あァ?﹂
﹁どうせクソでも漏らして泣いてたんだろ、カカッ﹂
﹁坊ちゃん、嬢ちゃ∼ん、もちかちて迷子でしゅかぁ∼? どうや
っておうちに帰れば良いか、わからなくなっちまったのか∼い? ナハハッ、良かったらオジチャンが送ってやろうか、身ぐるみ剥い
で町の外に真っ裸で放り出してやるよ∼、ギャハハハッ﹂
突然いかつい顔と体格の荒くれ者に絡まれ、ルヴィリアは目をむ
いた。
﹁え、何この人達!﹂
﹁しっ、目を合わせるな。こいつら狂犬だから、目が合うと噛み付
いたり飛び掛かったりしてくるから気を付けろ﹂
アランが低い声で忠告する。
﹁弱虫小僧がなんか言ってっぞ∼?﹂
﹁頭引っ掴んで動かなくなるまで打ち付けてやれよ、気持ち良く寝
られるだろ﹂
﹁ケケッ、それって死んでねェかァ?﹂
2045
﹁オイタする悪いガキは、いっぺん死んだ方がイイだろ。個人的に
は三百回くらい殺してやりてぇが﹂
﹁くたばれ、くたばれ、くたばれ! クソしてくたばれ! クソガ
キども!﹂
﹁ギャーハハハハハハッ﹂
禿頭にして顔から頭部にかけてドラゴンの入れ墨を入れている男
は、何がおかしいのか床を転げ回らんばかりに笑い転げている。ル
ヴィリアは眉を顰めた。
﹁⋮⋮厄介なのに気に入られてるのね﹂
﹁あいつらは誰にでもあんなもんだ﹂
﹁それって、︽蛇蠍の牙︾や︽疾風の白刃︾より酷くない?﹂
﹁大丈夫だ。ロランにはあれ以下の連中は今のところいない。あい
つらは︽草原の疾風︾ってパーティー名のクソ共だ。名前は覚えな
くても問題ないから、とにかくなるべく関わらないようにしろ。
言葉の通じなさ加減ではゴブリンより酷い﹂
真顔で言うアランに、ルヴィリアは溜息をついた。
﹁赤髪の乱暴で不細工なのがアッカ、ハゲ頭の入れ墨入れてる笑い
上戸で気持ち悪いのがゲルト、クソが大好きな下品でゲスで特徴な
い茶髪がダズよ﹂
レオナールが補足した。
2046
﹁ありがと。珍しいわね、あなたがそんな説明してくれるとか﹂
﹁あら、そんなのもちろん﹂
ルヴィリアが礼を言うと、レオナールは満面の笑みを浮かべた。
﹁だぁれが乱暴で不細工だァッ! ゴラァッッ!!﹂
﹁﹃ハゲ頭の入れ墨入れてる笑い上戸で気持ち悪いの﹄って何だ、
てめぇっ!!﹂
﹁クソが大好きな下品でゲスで特徴ないだと!? ふざけんなクソ
ガキィッ!!﹂
三人の男が激昂した。
﹁罵倒しておちょくるために決まってるじゃない﹂
そう言って肩をすくめてどうよ、と言わんばかりにニッコリ笑う
レオナールに、ルヴィリアがドン引きして慌ててダオルの背後へ隠
れた。
﹁ちょっと、猛獣担当! ちゃんとソレの手綱握っておきなさいよ
!!﹂
キャンキャン甲高い声で怒鳴るルヴィリアと、楽しそうに相手を
罵倒する相棒に、アランはガックリと肩を落として溜息をついた。
﹁⋮⋮これはさすがに俺のせいじゃないだろ﹂
﹁いやぁ、久々に見たなぁ。本当に元気だよな、お前の相方。あい
2047
つらに正面から喧嘩売るの、ロランじゃもうレオナールだけだぞ。
大変だな、猛獣担当﹂
門番のジェラールがニヤニヤ笑いながら言った。
﹁あのな、お前絶対あいつら来るの見えてただろ。どうして先に忠
告してくれなかったんだ﹂
﹁そりゃ初顔さんもいるみたいだから、やっぱり一度は見せておく
べきだろ。⋮⋮やぁ、銀髪のお嬢さん、今度一緒に飲みに行かない
? 良かったらおいしいお菓子屋さんや女の子に人気のお店色々教
えてあげるよ﹂
ジェラールがルヴィリアに言うと、ルヴィリアがアランを手招き
した。
﹁あ? どうした?﹂
﹁ねぇ、あの人何? なんか妙に馴れ馴れしくない? あなたの友
達なの?﹂
﹁友達っていうか、顔見知り? あいつ週に四日は北門で門番やっ
てるから。軟派なのは普段からだ。別に一緒に飲みに行ったからっ
て何かされるわけじゃないが、面倒くさいなら相手しない方が良い。
あいつの好みのタイプはもっと背が高くてメリハリのある美人⋮
⋮悪かった﹂
途中でルヴィリアに脇腹をつねり上げられ、アランは慌てて謝っ
た。
2048
﹁どうせ背が低くて凹凸ないわよ! 悪かったわね!!﹂
﹁だから悪かったって言ってるだろ! 大丈夫、まだ若いんだから
成長するだろ!﹂
﹁しないわよ! あんたバカなの!? ケンカ売ってるの!?﹂
口論というよりはルヴィリアに一方的になじられるアランを見て、
ジェラールがほほうと顎を撫でさすった。
﹁アラン、その女の子、ラーヌでつかまえたのか? まだ未成年み
たいだけど、年頃も近いしお似合いだな!﹂
﹁誰が未成年ですって!?﹂
噛み付くように怒鳴るルヴィリアに、ジェラールは首を傾げた。
﹁あれ? 違った? おっかしーなぁ、女の子の年齢とサイズは間
違えたことないのに﹂
火に油を注ぐジェラールに、アランがこっそり耳打ちした。
﹁あのな、そいつこれでも18歳だぞ﹂
﹁え!?﹂
信じられないとばかりに大きく目を見開くジェラールに、ルヴィ
リアが叫んだ。
﹁ちょっと! 耳打ちの内容も全部聞こえてるのよ!! あんた達
2049
バカなの!? それとも私にケンカ売ってるの!?﹂
騒ぐ彼らの後方で、レオナールが楽しげに︽草原の疾風︾の連中
と殴り合っていた。
2050
1 久々のロラン︵後書き︶
というわけで本編にやっと出たゲルトとアッカ+ダズ。
最初のプロットでは三人目の名前違ってた気がしますが、メモ書き
が見つからなかったので適当に付けました。
既にどこかに記述あれば、後日修正します。
何か他にも忘れていることがありそうなのですが、思い出せません。
忘れる前にメモっておけば良かったです︵そのメモを紛失とかやり
そうですが︶。
また、幕間最終話ちょい修正しました。
でもよく考えたら顛末とか被害者の名前とか出すの忘れてました︵
汗︶。
後日番外の方で事件直後の話を書くかもです。
○﹁ウル村生贄事件﹂概要
シュレディール王国建国暦283年・黄恵の月︵秋、レオ&アラ
ン12歳。本編の2年8ヶ月前︶。
・被害者は、レオノーラ改めレオナール︵重傷を負うが回復魔法な
どにより生存︶、ミレーヌ︵レイの婚約者・死亡︶、アリス︵カロ
ルの友人・死亡︶、エミリー︵死亡︶、ナタリー︵死亡︶など9歳
から15歳の少女5人が誘拐され、レオ以外の4人全員が胸や腹を
割かれ死亡。
その後4ヶ月ほど村でレオ療養後、ロランへ移動して以来、成人
までの約一年半、ダニエルの管理下で見習い登録をして活動。
285年若緑の月上旬に本登録、翌月・萌緑の月より本編開始。
2051
この事件によりシュレディール王国内に︽混沌神の信奉者︾を名
乗る組織が現在進行形で活動していることが発覚。
下級貴族を中心とした現在の国王および王宮に対し不平不満を抱
く貴族や平民︵一部は金や利権目当て︶達が生きたまま逮捕され、
尋問等を受けた結果、
その時点で判明していなかった犯罪や組織が明るみになり、多数の
貴族や平民が捕らわれ、死刑を含む処罰を受けた。
この結果、セヴィルース伯爵はかなり弱体化したが、伯爵本人は
無実が証明され、ダニエルらと協力などを得たり、新たな犯罪組織
を摘発するなどして自身の処罰は免れる。
現・セヴィルース伯ジョスランは、ダニエルと同年代︵若干年下︶
。二人の息子と一人の娘がいる。
以下修正。
×俺
○オイラ︵ダットの一人称のため︶
2052
2 魔術師は頭がとても痛い
﹁あーっ、楽しかった。やっぱり思い切り腕を振り抜いて当てる練
習しないと、身体がなまるわね! 日課に素振りだけじゃなく体術
も追加した方が良いかしら? 思ったより当たらなかったし﹂
レオナールが伸びをしながら言う。そんな相方の様子を見ようと
しないアランの腕を、ルヴィリアがつついて言った。
﹁ねぇ、あんなこと言ってるわよ。あれ、なんで放置したの? あ
いつどう考えても頭おかしいわよ。なんであんなことしておいて平
気なの?﹂
﹁あのな、ルヴィリア。あいつらは共に、需要と供給が一致してい
るんだ。誰でも良いから殴りたい者同士やりあってくれてる内は、
他の善良な人達が被害に遭わない。他の人達に迷惑を掛けない限り、
やりたいようにやらせてやる方が皆が幸せになれるだろう?﹂
窘めるような口調で言うアランに、ルヴィリアがあんぐりと口を
開けた。
﹁ええ!? 何それ!! つまりそれって、毒をもって毒を制すと
か言いたいわけ!?﹂
﹁仕方ないだろ。それが一番被害を最小限に抑えられるんだから。
どうせ止めたって被害が拡大するだけなんだから。
俺だって推奨はしてないし、現状に満足しているわけじゃないけ
ど、お前と初遭遇した時のレオを覚えているだろう? あんなのを
2053
他で無差別にやられたら困るんだよ。
俺だって相手が弱者だったり、貴族や金持ちとか面倒そうな相手
や、被害届を出しそうな相手にあいつがやらかそうとしたら、さす
がに止めるぞ﹂
﹁え∼、何ソレ。なんかこう、根本的なところが間違ってる気がす
るんだけど。そういう問題じゃないでしょう? 普通、自分の相棒
が倫理的に間違ったことをしようとしたら、止めたり諭したりする
もんじゃないの?﹂
﹁そうして理解したり納得するようなやつなら是非そうするけど、
あいつには言葉で何か言っても聞き流されたり忘れられたりする可
能性の方が高いから、大抵言うだけ無駄になるぞ。
だから、基本的な読み書き・計算以外に、倫理観や常識を教えた
り、情緒や感性を教え伸ばしてくれる教師が欲しいんだ。
なまなかな教育であいつが更生できるとは思えないが、少しでも
社会に順応して欲しいからな。最低でも社会や国の枠組みから逸脱
せず、犯罪者として指名手配されることなく一人で行動できるよう
になって欲しい。
じゃないと、こっちの神経が持たないからな。まっとうに生きて
欲しいとまでは言わないから﹂
﹁まっとうに生きて欲しいっていうのが望めないってどういうこと
なの。それって、犯罪者や貧民出身者以外には求めても問題ないも
んじゃないの、普通﹂
﹁だって考えてみろ。レオにその普通の生活ができると思っている
のか? 少なくとも現状でそれを望むのは高望みすぎだろ﹂
﹁⋮⋮要するに、とりあえずはなるべく問題を起こさない、辺りを
2054
目指すって言いたいわけ? なんか目標にするには酷すぎる内容な
んだけど﹂
﹁俺だって、できればあいつにまっとうに生きて欲しいよ。でも、
最初からそれを目標にしたら挫折するのが目に見えているだろう。
さすがに無茶なことは要求できないだろうが﹂
﹁⋮⋮頭が痛くなるわね﹂
真顔で言うアランに、ルヴィリアはそっと額を押さえて溜息をつ
いた。
﹁ねぇ、アラン。運動したらお腹が空いたわ。何か食べに行きまし
ょう﹂
レオナールが御者台のアランに声を掛けてきた。
﹁わかった。面倒だから昼食はギルドの食堂でもかまわないか?﹂
﹁ギルドの食堂? 別に良いけど、何か用事でもあるの?﹂
アランの返答に、レオナールは首を傾げた。
﹁ああ、ロランへの帰還の報告とか色々な。特にクロードのおっさ
んに言いたいことが山ほどある﹂
﹁なるほど、わかったわ。何でも良いから肉山盛りね﹂
﹁肉ならここのとこほぼ毎日山ほど食ってるだろうが。しかもここ
最近ラーヌで食ってたのは、いつも食べてる肉よりかなり上等な良
2055
い肉だっただろ﹂
﹁上等な肉はそれはそれで良いものだけど、安物だってそれなりの
良さはあるでしょう? 高くて上品な料理も悪くはないけどしばら
くそれが続いたら、コッテリとした味の濃い肉や塩を振っただけの
丸焼き肉も食べたくなるものでしょ﹂
﹁頼むから、俺に同意を求めるな﹂
アランは疲れたような顔で首を左右に振った。
﹁おれもロラン支部に拠点変更の連絡をしないといけないから、都
合が良いな﹂
﹁⋮⋮私は一人でも良いからおしゃれなおいしい店で食べたいんだ
けど﹂
ダオルが頷きながらそう言い、ルヴィリアが不満げな顔で言う。
﹁ルヴィリアも実際の活動はほとんどしなくても、一応本登録した
んだからギルドに顔出して拠点変更手続きをしておいた方が良いだ
ろう。それに馬車でこのままギルドへ向かった方がてっとり早い﹂
アランが言うと、ルヴィリアは渋々ながら頷いた。
◇◇◇◇◇
﹁あら、アラン。ずいぶん遅かったわね。それに可愛い女の子と一
2056
緒だなんて珍しいわね。まさか新人さんを親切に案内してくれたと
は言わないわよね。あなた、そんな親切な男じゃないもの﹂
冒険者ギルド・ロラン支部の受付嬢ジゼルはそう言って、ジトリ
とアランを睨んだ。
﹁はぁ?﹂
アランは眉を顰めた。冷え冷えとした口調のジゼルの様子を横目
に見ながら、ルヴィリアがつんつんとアランの肩をつついた。
﹁ねぇ、何あれ。まるで恋人に浮気された女の嫉妬みたいなんだけ
ど。付き合ってるの?﹂
﹁おいルヴィリア、お前寝ぼけてるのか? どこを見てそんなこと
言ってるんだよ。ジゼルが機嫌悪いと絡んでくるのはほぼ日常的だ
から、そういう妄想はやめてくれ﹂
﹁妄想ねぇ? それなら別にどうでも良いけど。もしあなたに恋人
がいるなら、私も距離や付き合い方は考えてあげるわよ。こっちは
本職が客商売だから、特に色恋絡みの面倒や厄介事は勘弁して欲し
いもの﹂
﹁心配しなくても、そういう問題は皆無だから安心しろ。ジェラー
ルと言い、ジゼルと言い、結構ロランには多いんだよ。たぶんそう
いう気風なんじゃないか﹂
﹁ふぅん、ま、どうでも良いわ。でも最初に言っておくわね。私、
人間関係のトラブルって一番苦手なの。対処できないってわけじゃ
なくて、そういうのって噂やねたみそねみの種になるでしょう?
2057
占術師って本当、そういうのは困るのよ。信用第一だし、人の嫉
みや恨みなんか買うときついのよ。顧客は女性が多いから﹂
﹁え、あなた、占術師なの?﹂
アランとルヴィリアの会話を洩れ聞いたジゼルが目を瞠った。
﹁そうよ、本職はね。後日、本格的に商売を始める予定よ。どこで
やるかはまだ決まってないけど。基本的な薬剤の調合や簡単な手当
や治療もできるわ。さすがに回復魔法は使えないけど。
あなたがお得意様になってくれるなら、物や内容によるけど二割
引までまけるわ。扱ってる商品は占い以外は、薬と毒と化粧品で、
化粧品は受注してからその人向けに作ってるから少量な上、若干割
高になるわ。でも、王都やラーヌではわりと評判良かったわね﹂
﹁ぜひ行くわ! 開業したら教えてくれる?﹂
ジゼルは身を乗り出して満面の笑みで言った。ルヴィリアは頷い
た。
﹁ええ、わかったわ。今週中は準備もあるから難しいけど、来月早
々には開業できるようにするつもりよ。
あとこれ、ラーヌで登録したギルド証。しばらくロランを拠点に
するから。戦闘はあまり得意とは言い難いから、冒険者としての活
動はたぶん薬草採取くらいになると思うけど﹂
﹁本当は虫嫌いなだけでしょ﹂
ルヴィリアの言葉にレオナールが茶々を入れた。その様子にジゼ
ルが大きく目を見開いた。
2058
﹁えっ、何、レオナールと仲良いの!?﹂
ジゼルが思わず叫ぶと、レオナールは軽くまばたきし、ルヴィリ
アは嫌そうな顔になった。
﹁やめて、この頭おかしいのと仲良くとか絶対無理でしょ。有り得
ないわ。一応こいつの師匠に読み書きや常識を教えてやってくれと
は言われてるし、その報酬も貰う予定だけど、仲良くなるのは一生
無理よ。何かあって人格が変わらない限り﹂
﹁だって、レオナールが知らない人と会話するとか珍しいじゃない。
いてもいなくても無反応だったり、でないと喧嘩売ったり罵倒した
りしてるでしょう?﹂
﹁へぇ、あれがいつもなんだ。ゾッとするわね。もういっそ死ねば
良いのに﹂
ルヴィリアがボソリと低い声で言うと、アランが眉を上げる。
﹁おい、そういうことは思っても絶対に言うな。レオは今はこんな
だけど、﹂
﹁アラン、ちょっと黙ってくれる?﹂
アランが言い掛けた言葉を、レオナールが遮る。ルヴィリアとジ
ゼルが視線をレオナールに向けると、彼は髪を掻き上げ、満面の笑
みを浮かべた。
﹁ねぇ、私に喧嘩売ってるなら買ってあげても良いのよ? 何なら
2059
武器や魔法を使っても良いわよ。その方が断然楽しいもの。人と遊
ぶのは大好きよ。
魔獣や魔物斬るのも楽しいけど、人とやり合うのは殺し合いじゃ
や
なくても、新しい発見や面白いことがあって飽きないもの。できれ
ば命を賭けて本気で殺り合いたいわぁ。殺して良いなら、そっちの
方がもっともっと楽しいもの。ねぇ? ほら、どうするの?
出来れば魔法使ってくれると嬉しいわ。なんだっけ、︽隠蔽︾と
︽知覚減衰︾と︽認識阻害︾? 他にも色々使ってくれても良いわ
よ。詠唱終わるまで待っててあげるから﹂
ルヴィリアはゾワリと全身に寒気を覚えた。ガクガクと足が震え
始める。ダオルが無言で支えてくれたので、危うく転ばずに済んだ。
﹁⋮⋮なっ﹂
﹁ねぇ、楽しませてくれるのかしら? それともちょっとふざけた
だけ? できれば死ぬ気殺す気で来てくれると、とっても嬉しいわ。
どうしたいの、ルヴィリア﹂
ニンマリ笑うレオナールに、ルヴィリアは悲鳴を上げて気絶した。
﹁おい、レオ﹂
アランが咎めるようにレオナールを軽く睨むと、レオナールは肩
をすくめた。
﹁だって死ねって言われたのよ? 死ねって言われたら、相手を殺
しても良いわよね。危害を加えられるかもしれないんだから﹂
﹁駄目に決まってるだろ!! 死ねって言われて武器を抜いて襲わ
2060
れたなら仕方ないけど、そうじゃないなら無闇矢鱈と相手するな、
わざわざ煽るな!
だいたい、今のはそういうニュアンスじゃなかっただろう。わか
らなかったとは言わないよな?﹂
﹁だって︽隠蔽︾︽知覚減衰︾︽認識阻害︾付きのを斬ってみたか
ったんだもの。あれ、どうなってるのか興味ないの、アラン。なん
かぼやけて見えたり、感覚がズレたりするのよ。
たぶん慣れたらなんとかなるけど、あれ、ルヴィリア程度なら余
裕を持って対処できるけど、速い獲物に掛けられてたら結構面倒よ。
だから死なない程度に斬ってみたいんだけど﹂
﹁お前、まだ諦めてなかったのか!﹂
﹁そんなこと言われても、まだ一度も斬ってないのよ。ルージュが
咆哮で解除しちゃったから、巨大蜘蛛もアラクネも魔法なしだった
し。
少なくとも練習くらいはしておかないと、もっと強い敵が使って
きたら私たちじゃ対処できないわよ﹂
﹁だったら鍛錬でやれよ! いちいち喧嘩売ろうとするな!! な
んならルヴィリアに詠唱とか術式教えて貰って、俺が幼竜とかダオ
ルとか模擬戦相手に掛けてやるから﹂
アランが睨みながら言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁わかったわ﹂
﹁おれも鍛錬するから、ロラン滞在中であれば、いつでも好きな時
に模擬戦相手になる。ダニエルにも鍛えてやってくれと言われてい
2061
る。
二、三日は拠点の確保や色々準備をするから早朝と夕方になるが、
それを過ぎたら日中でも問題ない﹂
﹁えっ、本当!? やったぁ! ダオルが相手してくれるならそっ
ちの方が良いわ!! ありがとう、ダオル。是非よろしく頼むわね
!﹂
ダオルの言葉に、レオナールは心底嬉しそうに言った。
﹁⋮⋮今、ものすごく有り得ないものを見たんだけど、幻覚かしら﹂
ジゼルが信じられないとばかりに大きく目を見開き、ニコニコ笑
み崩れているレオナールと、そんな彼に微笑むダオルを見つめた。
﹁幻覚じゃないから安心しろ。ダオルもしばらくこっちに滞在する
らしい。ダニエルのおっさんの知り合いの剣士だ。おっさんみたい
な化け物じゃないけど、強い﹂
﹁⋮⋮えぇと、つまり、強い人だからレオナールが認めてなついた
ってこと?﹂
ジゼルがアランに尋ねると、アランは肩をすくめた。
﹁どうかな。でも、レオが嫌ってはいないのは確かだ。レオとは目
標とする戦闘スタイルは全く違うけど、俺はレオがダオルを見て戦
闘を学んで、考えてくれると嬉しいと思ってる。
あいつの意見は聞いたことはないけど、ダオルと組むのを嫌がっ
たことはないな。それにダオルが怒ったところを見たこともない﹂
2062
﹁へぇ。レオナールを普通に相手してくれるなんて、変人か良い人
なのかしら。それに忍耐力とか耐久力とかもすごくありそう﹂
﹁それほど長い付き合いではないけど、頼りになる良い人だ。強い
だけじゃなく落ち着いていて、Aランクなだけあって魔獣のことと
か色々知ってるし﹂
﹁Aランク? さすがにロランにはAランク向けの依頼なんてない
わよ。ここのところたまたま、Aランク向けの依頼が出たりしたけ
ど、この辺りは強い魔獣もいないし、そんな仕事が出ることなんて
ほとんどないもの。高くてCランクとか﹂
﹁⋮⋮まぁ、しばらく俺達についていてくれるらしいから、たぶん
それについては気にしなくて良い。いつまでかは未定だが、用件が
片付くまでロランにいる予定だ。
そんなことより俺はクロードのおっさんと話がしたいんだが、今
会えるか? 無理そうなら出直すが﹂
﹁ギルドマスター? ちょっと待ってて、聞いてくるわ﹂
﹁じゃあ、その間に食堂で昼飯済ませて来る﹂
﹁わかったわ。じゃあ、私も後で食堂行くから﹂
﹁了解。おいレオ、先に食堂へ食べに行くぞ﹂
アランがレオナールに声を掛けると、レオナールはニッコリ笑っ
た。
﹁できれば肉厚で脂身がある食べ応えのある肉が食べたいわ。煮込
2063
みより焼いたのが食べたいけど、なければ煮込みでも良いわ。パン
は噛むと味が出るやつ。柔らかくてフワッとしてるのはなんか物足
りないのよね﹂
﹁⋮⋮お前、実は高級料理店より安い飯屋の方が好きだろう﹂
﹁そうね。アランに言わせると質より量ってことになるのかしら﹂
﹁俺の言いたいことが良くわかったな。つまり、お前には高い料理
は食わせるだけ無駄ってことか?﹂
﹁そんなことは言わないわよ。別に嫌いじゃないし、たまに食べる
分には良いと思うわ。毎日食べたいとは思わないけど﹂
﹁毎日食べたいと言われても経済的に無理に決まってるだろ。今の
ところ生活費は全額クロードのおっさん持ちとは言え、そんなにた
くさんは預かってないんだから。
安上がりで助かると言えば良いのか、微妙な気分だな。宿代や食
事代は節約できた方が有り難いのは確かだが﹂
﹁肉なしじゃなければ文句は言わないわよ﹂
レオナールの返事に、アランは嫌そうな顔になった。
﹁お前、それ、肉さえあれば味も値段も種類も問わないってことか
?﹂
﹁その通りだけど、何か問題ある?﹂
文句があるかと言わんばかりに胸を張って言うレオナールに、ア
2064
ランはガックリと肩を落とした。
﹁俺がどれほど野菜や小麦を選んで、栄養とかバランスとか色々考
えて料理しているかってのは、お前にはどうでも良いことなんだろ
うな﹂
﹁当たり前でしょ、何言ってるの。ねぇ、アラン。私、肉以外のも
のに文句つけたことはないはずよ?﹂
アランは内心、殴りたいと思いつつ、眉間を押さえた。
︵まぁ、こいつも野菜や果物は嫌だと言っても一応食べてはいるん
だから、問題はない⋮⋮はずだ︶
だが、むなしいと感じてしまう気持ちは止められなかった。
2065
2 魔術師は頭がとても痛い︵後書き︶
﹁ネット小説大賞﹂に応募することにしました。
そのため、あらすじを書き換えましたが、微妙なのでまた書き換え
るかもです。
あらすじ書くのと、ネーミングが苦手です。
実はレオナールは﹁くたばれ﹂が﹁死ね﹂と同義語だと理解してい
ません︵罵倒語だとは知っている︶が、本文中からその辺カットし
ました。
2066
3 剣士は説教が嫌い
﹁できれば熊系、無理なら猪系魔獣の肉が食べたいんだけど、どち
らもなければ豚でも良いわ。鳥も嫌いじゃないけど、ガッツリ食べ
たいのよねぇ﹂
レオナールが言うと、メニューボードを見ていたアランが指差し
ながら答える。
﹁熊系魔獣肉、一応あるみたいだぞ、煮込みしかないが。ほら、﹃
大爪森熊とシブレットの香草煮込み﹄って書いてあるだろ﹂
﹁へぇ、そう書いてあるの。何かの暗号かと思ったわ﹂
﹁お前が読めてないだけだろ。確かに急いで書き殴ったような字だ
けど、普通は読めるぞ。﹃本日 八十食限定﹄って書いてあるが、
この時間なら大丈夫だろう。冒険者が帰ってくるにはまだ早いから
な。ちなみにこれが﹃熊﹄って字だ。覚えておけ﹂
﹁﹃肉﹄なら覚えたのよね。なんで書いてないのかしら﹂
﹁略しても普通はわかるからじゃないか。俺が書いたわけじゃない
から、実際どうかは知らないが﹂
レオナールとアランの会話を聞いて、ダオルが困惑したような顔
で尋ねる。
﹁レオナールはもしかして依頼書を読めないのか? 大爪森熊はE
2067
ランク魔獣だから、Fランク冒険者でも一応狩れる獲物だが﹂
﹁ああ。依頼書を読んだり、依頼を受託するか否かの判断は俺がし
ているせいもあるかもしれないが、レオは俺がどれだけ教えても文
字が覚えられないんだよな。不器用なわけじゃないのに、ペンの持
ち方もおかしいし。
違うって教えても、どういうわけかペンを、親指立てて握り込ん
で垂直に立てて使うんだよ。親指と中指と人差し指で支えるように
持てって言ってるのに、それだと安定しないとか言って。
あれで何で文字が書けるのか不思議なんだが、字を書くのが上手
いとは言い難いけど、何故か真っ直ぐな線とかきれいな曲線描いた
りできるんだよな﹂
﹁真っ直ぐ立てて書かないと線がぶれるし思った位置に書けないし、
変に力が入って時折紙に引っ掛かったりするじゃないの﹂
﹁俺からするとあの書き方でぶれないとか、力が入れずに持てると
か言われる方がおかしいんだが﹂
﹁たぶん普通の持ち方は肘から先で動かすが、握り込んで立てて使
う時は腕全体を使っているのだろう。剣やダガーは通常は順手で持
つが、ペンを持つ時は手首を使わなくて良いから逆手で持つのでは
?﹂
ダオルの言葉に、アランが目を瞠りながらレオナールを見た。
﹁そうなのか?﹂
﹁そんなこと考えたことはないけど、確かに剣を持つ時とは逆に持
った方が動かしやすいわ。アランの言う持ち方だとペンが斜めにな
2068
るし指に変な力入るしフラフラするし、変に神経使って疲れるのよ
ねぇ﹂
﹁食事の時、スプーンやフォークは普通に使っていたようだが、ペ
ンを持つ時も同じように支えるだけで良い。たぶん指に力を入れて
いるとこの辺りの筋肉を使うから疲れるのだろう﹂
そう言ってダオルは自分の手首から肘までの筋肉を撫でて見せた。
﹁紙にペンが引っ掛かるというのもそうだ。無駄な力が入ってると、
そうなる。剣やダガーを使う時と同じだ。ペンを動かす時に無駄な
力は要らない。
ペンを使う時には紙を刺したり、叩き斬る、あるいは引き千切る
必要はないのだから尚更だ。フォークを使う時は肉に真っ直ぐ立て
て突き刺したりしないだろう?
ソースがたっぷりかかったソテーした肉にそれをやると、ソース
がはねたり、刺さりにくいからかえって皿の上で肉が滑ったりする
はずだ﹂
﹁ふぅん、なるほどねぇ。アランの説明よりわかりやすいわ﹂
レオナールが感心したように頷くと、アランが眉間に皺を寄せた。
﹁悪かったな、わかりづらい説明で。でも、そんなわかりづらいと
言われるような教え方したつもりはないぞ﹂
﹁アランはアランだから仕方ないわ。何でもそうだけど、アランの
説明は全部自分基準なのよね。懇切丁寧すぎて逆に不親切なのよ﹂
﹁なんだ、それは﹂
2069
眉を上げるアランに、レオナールはやれやれとばかりに大仰に肩
をすくめ、髪を掻き上げた。
﹁補足や説明する内容が多すぎて、良くわからなくなるのよね。も
っと簡単に単純に説明してくれるとありがたいんだけど。
物によってはきっちり説明してくれた方が嬉しいこともあるけど、
毎回長い説明されると疲れちゃったり、面倒になって途中で聞く気
がなくなったりするのよ。
アランが親切のつもりでやってるのはわかっているから文句は言
わないけど、興味ないことグダグダ話されても困るのよねぇ。頑張
って聞こうとすると眠くなるし﹂
﹁だからといってそれで話を聞かないなら、本末転倒だとは思わな
いか?﹂
﹁大丈夫、必要になったらたぶん思い出すわ、きっと﹂
﹁全然大丈夫じゃねぇだろ、それ!﹂
笑いながら言うレオナールに、アランが声を荒げた。
﹁聞いてもすぐ忘れることは必要ないか、たいした内容じゃないわ
よ。それが必要になれば真剣に考えるから、忘れたことも思い出す
んじゃないかしら﹂
﹁ほう、で、レオはその忘れたことを思い出したことが一度でもあ
るのか?﹂
﹁そうね⋮⋮二、三回くらいはあるわよ。それ以上あるかどうかは
2070
覚えてないから良くわからないけど﹂
﹁俺の記憶には、俺が既に教えたことをお前が忘れて失敗したこと
はあっても、土壇場で思い出したなんてことは一度もないんだが?﹂
﹁それはたぶん嫌なことや失敗したことは良く覚えてるからじゃな
いの? ほら、ものすごく成功したわけじゃないけど、何か特に問
題なかったことって気に留めないから、すぐ忘れてしまうものじゃ
ない?﹂
﹁そうか。お前がそう言うなら今日から日記でも書くことにしよう
か。それが正しいかどうか検証できるはずだからな。俺は違うと思
っているが﹂
﹁アランはつくづくマメな上に真面目よねぇ﹂
﹁⋮⋮嫌味や揶揄も理解できない脳筋に言われてもな﹂
アランははぁ、と溜息をついた。
﹁で、肉以外の希望はあるのか?﹂
﹁特にはないわね。あ、その大爪森熊肉の煮込みの他にも何か適当
なソテーも欲しいわ。肉の種類は問わないから﹂
﹁お前、そんなに食べてるのにどうしてあまり肉つかないんだ。運
動量が多いからなのか?﹂
﹁それはないでしょ。運動量も食事量も多いなら、筋肉がつくはず
よ﹂
2071
﹁二人ともまだこれから成長する時期なのだから、野菜や果物や穀
類も十分に取った方が良い。毎食肉を食べていても他が足りないと、
かえって痩せてしまう場合もある。
肉は腹持ちはするが、それほど消化が良くない食べ物だ。当たり
前だが、身体に吸収できずに排出してしまうようなら、量を食べて
もあまり意味がない﹂
﹁別にお腹がゆるくなったりはしていないけどダメなの?﹂
﹁肉だけでは身体を維持できないからな。しかも二人はこれからが
伸び盛りだ。個人差はあるが身体が成長するためには、おれ達より
たくさん栄養が必要だ。
だが、人間や獣人はともかくエルフやハーフエルフの場合はどう
なのかは、実は良く知らない。これまで身近にいなかったから﹂
﹁森に住むエルフはあまり食事を必要としないらしいとは聞いたこ
とがあるわ。何でもエルフが住む森は大抵魔素や精霊の気に満ちて
いるから、最小限の食事で済むのだとか。
長身のエルフも筋肉自慢のエルフもいなくはないけど、元来肉が
つきにくい上に骨格も人間とは別物だから、大半のエルフは戦士や
ってても細身で小柄なんですって。
人間や獣人やドワーフと比較して体温も低いし、脈も若干遅いし、
体温調節に問題はないけど汗もかきにくいのよね。あと人間と比べ
ドラゴニュート
リザードマン
たら病気にもなりにくいらしいし、薬や毒も効きづらいらしいわ。
竜人とか蜥蜴人あたりになると、身体構造からして全く別物だか
ら比較にならないらしいけど﹂
﹁竜人とか蜥蜴人とかすごく強くて頑丈そうだよな。一度も見たこ
とないけど﹂
2072
﹁彼らが生まれた集落から離れることはめったにないが、辺境とか
エルドラルト共和国には比較的多いようだ。彼らは過酷な環境下で
も問題なく行動できるし、何より強い。
故郷を出る者の大半は武者修行のためだ。ごく稀に罪を犯して追
放された場合もあるが、そういう時には額に入れ墨を入れるそうだ。
入れ墨の文様は部族によって違うと聞いた﹂
ダオルの言葉に、レオナールの目が輝いた。
﹁ダオルは竜人や蜥蜴人に会った事があるの?﹂
﹁ああ、さすがに竜人はないが、蜥蜴人なら辺境で会ったことがあ
る。彼は更に強い魔獣を探すと言って移動してしまったから、数ヶ
月ほどの付き合いだったが﹂
﹁良いわね、強者を探して世界各地を武者修行! 私もやりたいわ﹂
﹁お前はまず一般常識と技術と対人関係を学んでからだ。今のお前
じゃ辺境へたどり着く前に、お尋ね者になるか、自業自得で死にか
ねないだろ!﹂
﹁え∼っ。そりゃ食事の支度とか繕い物とか雑事はできないけど、
アランがやってくれれば問題ないでしょう?﹂
﹁バカなことを言うな。そんな自殺行為に付き合えるはずがないだ
ろう。俺はまだ死にたくない。確かに、冒険者になる前、お前が嫌
なことは俺が全部してやるとは言ったが、自分がやりたくない事に
までお前に付き合えないぞ。
俺は小心者なんだ。やる前から無理なことや無茶だとわかってい
2073
ることを、やる気は全くない。絶対確実にやれることを、間違いな
く遂行できるよう入念に準備・計画して、問題なく実行できると判
断できなければ手を出す気はない。
レオ、今のお前が辺境なんかに一人で行ったら、確実に野垂れ死
ぬぞ。それも辺境へたどり着く前に自滅する可能性大だ﹂
﹁そこまでひどくはないと思うわよ?﹂
﹁いや、絶対無理だ。だいたいお前の大雑把などんぶり勘定じゃ途
中で路銀が尽きるに決まっている。そこら中で問題起こすだろうし、
喧嘩売られても相手をぶちのめす以外の対処はできないに決まって
るし、他人と交渉どころかまともな対話もできないだろうから、結
局何処にも長期滞在できず、まともに金を稼ぐことが出来ずに戦闘
と関係ない理由で死ぬだろう。
ああ、想像しただけで胃が痛い﹂
﹁いざとなったら、野宿と狩りで何とかするわよ﹂
﹁どうやって食事の支度をする気だ? 火打ち石の使い方も知らな
い上に、︽発火︾も使えないくせに良く言う。まさかダニエルのお
っさんみたいに魔獣肉を生で食うとは言わないよな?﹂
﹁ねぇアラン、火打ち石を使えるようになれば私一人でも野営がで
きるかしら?﹂
﹁火打ち石があっても、石を組んで竈を作ったり、全体的に火が回
るように薪を組んだり、枯れ葉などを使って薪に火が着くまで保た
せたりしないと、肉を焼いたりするだけの火は得られないぞ。
それと無事に火を着けることができても、火加減を見ることや、
どのくらいの火でどのくらいの距離でどのくらいの時間焼けば、ち
2074
ょうど良い焼き具合になるかわかってなければ、生焼けか焦げ肉を
食べる羽目になるぞ﹂
アランの言葉にレオナールはガックリと肩を落とした。
﹁⋮⋮つまり、人里で干し肉や調理した肉を買うか、アランに作っ
て貰えなければ食べられないってことね﹂
﹁お前、自分で覚える気は皆無なんだな﹂
アランが半ば呆れたように言うと、レオナールが潤んだ瞳でキッ
と睨み付けた。
﹁だって私に覚えられるわけないじゃない!﹂
﹁そんなに難しくないぞ。こういうのは慣れだ。俺のやってること
見ているだけでも学習できるだろ。実際、そうやってクリスもカロ
ルも覚えたんだから﹂
﹁ねぇ、ダオルはできるの?﹂
﹁丸焼き程度ならなんとか作れるが、それ以上は無理だ。ただし腹
ソロ
を壊すことなく食える、という程度で味や焼き加減に気を配れるほ
どではない。
おれは基本単独だから野営時は火を使わず、食事と睡眠は木の上
で済ませることにしている。だから食事は大抵干し肉と固く焼いた
黒パンだ。冒険者の大半はそんなものだと思うが﹂
﹁そうなの? なら火を起こせなくても問題ないわね﹂
2075
﹁お前はそれ以前の問題だろ。町でも一人で暮らせないやつが、一
人で旅して辺境で生計を立てるのは不可能だ。危険な場所ほど、情
報と対人関係が重要になるからな。
正しい情報が得られず、人と協力するどころか妨害されたり足を
引っ張られたりするようじゃ、早かれ遅かれ死ぬことになる。敵は
魔獣や魔物だけじゃない。
敵に回す必要のない相手を片っ端から敵にして歩いたら、最後は
何処へ足を踏み出しても危険と罠だらけってことになりかねない。
人と魔獣・魔物の決定的に違うことが何かわかるか、レオ。それ
は知識と情報、それに努力や思考や道具で弱者でも強者を倒せるほ
ど強くなれるってことだ。
ダニエルのおっさんみたいな特殊な例外を除けば、普通の人間は
一対一ではドラゴンを倒すことはまず不可能だ。不可能を可能にす
るのは、人の知恵と知識、他者との協力、道具と戦術だ。
まともにやり合ったら絶対勝てない相手に勝つ可能性があるのは、
人の最大の強みで力だ。それがなければ、人はとっくに滅びている。
お前は敵を増やすことより、味方を増やすことが出来るようにし
ろよ。じゃなけりゃ、気付いたら周り全部が敵ってことになりかね
ないぞ。
レオは確実に俺より長生きするんだから、俺が死んでもどうにか
できるようになってくれ。頼むから﹂
真顔で言うアランに、レオナールは溜息をついた。
︵⋮⋮本気で言ってるからタチが悪いわよねぇ︶
アラン以外の人間は、顔は笑っていても何を考えているか良くわ
からない。アランの場合、心底それが正しいと思っていて、そうす
2076
ることが自分と相手のためになると信じている上に、考えを率直に
言う。
無償の愛だの情だのといったものは、レオナールにはあまり理解
できない。他人のそれは、だから何だとしか思えないし、どうでも
良い。
アランには色々世話になっているし、今のところ生活面などでは
ほぼ任せきりである。一緒にいることが不都合となればいつでも切
れるとは思うのだが、それを実際にやれるかどうか、あまり自信が
ない。
︵アランは心配して言ってるんだろうけど、だからこそ困るのよ︶
損得勘定や保身を大事にするアランが、家族やレオナールのこと
となるとそれらを無視してでも言動するのは、レオナールには理解
できない情というものなのだろうということは理解できる。
︵捨てられないものなんて、本当はいらないのに︶
自分以外は全て敵だと思っていた時の方が心情的には楽だった、
とレオナールは思う。全て敵なら全て斬り捨てれば良い。しがらみ
もなく、何かを覚えたり考える必要もない。
殺しても死なないような相手なら、何も斟酌する必要はなく、何
があっても問題にならないだろう。
︵⋮⋮面倒くさい︶
面倒臭いし、しつこいし、うるさいし、気難しくて扱いづらい。
︵でも、アランって私がいないとすぐ死にそうなのよね。それに意
外と淋しがり屋だし私しか友達いないし、実は文句言ってる時のが
2077
元気で楽しそうだし、一緒にいてあげないと可哀想よね︶
などとレオナールが思っていることを知ったら、アランは間違い
なく怒るだろう。そして、言えば怒られるとわかっていることを、
レオナールが口にするはずがない。
レオナールがアランに言うことの大半は、言わなければもっと怒
られるとわかっていること、あるいは怒られるとは思っていないこ
とである。
2078
3 剣士は説教が嫌い︵後書き︶
内容がない&話が進んでいません︵汗︶。
ペンの持ち方、ちょっと違うけど妹を参考にしました。
妹は指を曲げてグーみたいな感じにして人差し指と中指の間に挟む
ようにしてほぼ垂直に立てます︵持ってない︶。
なので鉛筆とかは水平に減ります。だから鉛筆時代はしょっちゅう
削っていました。そして鉛筆削りだとすぐ芯がなくなるので、小刀
やナイフで削っていました︵いつの時代だ︶。
芯が要らないペンタブが使えるようになって良かったね!と思いま
す︵↑そういう問題じゃない︶。
箸は直ったのに、何故ペンや鉛筆が持てないのかサッパリわかりま
せんが、垂直に立てた方が力加減しやすいらしいです。
実際、筆︵毛筆用でのり付けしてあるところを全部おろした状態︶
でも同じ持ち方で鉛筆と同じように描いたり、定規で線を引けるよ
うなので、
わずかな力加減で線の太さや勢いなどを調節できるなら問題ないの
でしょう。
大雑把でテキトーな私はとても真似できませんが︵それ以前にその
状態を維持すると筋肉痛になりそう︶。
以下修正。
×通常は何らかの
○通常は
×気付いた周り
2079
○気付いたら周り
2080
4 悪気はないけど迷惑すぎる男
救護室に運ばれた後、気付け薬を嗅がされ目覚めたルヴィリアは、
常駐の治癒師に体調を尋ねられ、問題ないと答えた。
﹁そうですか。ならば良いのですが、何か問題等ありましたらいつ
でもおいで下さい。その、彼らはロランでしばしば問題を起こして
いるパーティーですから、些細と思われるようなことでも困った事
があれば相談に乗りますよ。⋮⋮こんな幼い子に暴力を振るおうと
するとは、あのクソ野郎﹂
﹁は?﹂
優しげで穏和そうな栗色の髪の治癒師がボソリと低く呟いた言葉
は、ルヴィリアには聞き取れなかった。もし仮に聞き取れていたな
ら、幼子に見られたことに激昂していただろう。
﹁治療費は結構です。ベッドを暫くお貸しした程度のことですし、
現在は利用者もいませんから問題ありません。ところで、君はどう
して彼らと同行していたのですか?﹂
何故そんなことを聞かれるのだろうかと思いつつ、ルヴィリアは
答えた。
﹁その、たまたま縁があって、ダニエルさんに弟子のレオナールに
読み書きその他の教育を行って欲しいと依頼されたので。当初は彼
らのパーティーに加われないかという話でしたが、私には難しいと
わかったので、それについては断りました﹂
2081
他に二人のサポートをして欲しいとか、気になった事や二人に関
する情報を定期的に報告して欲しいと言われているが、それは他人
に言うようなことではないと判断した。
﹁えっ⋮⋮失礼ですが、あの、君の年齢は?﹂
﹁十八歳ですけど?﹂
それが何か、とルヴィリアは相手を真正面から見返した。彼女自
身は文句がある、あるいは喧嘩を売っているなら買うぞといった気
持ちだったが、相手からすれば化粧気のない幼げな少女が上目遣い
で、ちょっと背伸びして挑戦的にこちらを見上げているようにしか
見えなかった。
治癒師は穏和な笑みを崩すことはなかったが、頬を薄く染めて肩
を僅かに震わせた。
﹁そうですか。僕はこの救護室に詰めていない時は大抵三階の仮眠
室にいますから、いつでも訪ねて来て下さいね、ルヴィリアさん。
ああ、申し遅れましたが、僕の名前はジョエルです。ジョーと呼
んで下さって結構ですよ﹂
﹁はぁ?﹂
ルヴィリアは思わず胡乱げに相手をしばし見つめたが、治癒師の
青年はにこにこと微笑み、目線を逸らすこともそれ以上何か口にす
ることもないようである。
しかし、居心地の悪いものを感じたルヴィリアは、早々に立ち去
ることにした。
2082
﹁では、私はこれで失礼するわ。お世話になったわね、有り難う﹂
二度とこの部屋に来ることはないだろうと思いつつ、ルヴィリア
はそう言って立ち上がった。
﹁ああ、ではご案内しましょう﹂
そう言うと治癒師も立ち上がり、何故かルヴィリアの手を取った。
﹁え?﹂
﹁ここは冒険者ギルド一階にありますが、少々奥まったところにあ
りますからね。ちなみに訓練室の奥です。慣れている者以外は、通
常ここはギルド職員に伴われていないと立ち入ることはほとんどな
いので、ご存じない方は全くご存じないようです。
ロランの町の中にも治癒師が駐在もしくは経営する治療所がいく
つかありますが、ギルド施設内のここほど安価で、また年中無休で
治癒師がいるところはありません。
ちなみに治療にかかる費用や処方される薬が安価なのは、冒険者
ギルドからの補助と伝手によるものです。ギルド依頼の薬草採取の
一部はこちらへの納品なので、薬草の品質はその時々によって異な
る場合もありますが、調合は僕またはもう一人の治癒師が行うので、
薬の効果には問題ありません﹂
﹁へぇ、そうなの﹂
ルヴィリアは頷いた。ということは、救護室ではあらかじめ調合
された薬を購入しないのだろう。ルヴィリアは薬草の納品は行うつ
もりではあるが、自分の調合する分を優先することにした。
2083
︵商売敵に高価で稀少な薬草を納入するなんて有り得ないわ。自分
で調合して売る方が断然儲かるもの。薬を安く処方するとか⋮⋮そ
のための労力を何だと思ってるのかしら︶
ルヴィリアは薬を購入したことは一度もなく、作って売る側であ
る。薬の調合にも素材の採取・選定にも力を入れているため、採取
した薬草全てを薬の素材とすることはない。
薬の素材とするには品質があまり良くないと判断したものは、薬
草茶やポプリなど差し支えない形で流用したりする。ルヴィリアは
少人数に高品質のものを売ることを是としている。
薬が人によって効果が異なるのは、人それぞれ体質その他が異な
るからだ。場合によっては重篤な副作用が出ることもある。
そのため薬の扱いや処方は慎重にすべきだし、相手に合わせて薬
を調合すべきだと考えている。故に薬の価格が高くなるのは仕方の
ないことであり、命や健康に係わることなのだから決して妥協すべ
きではないと思っている。
ルヴィリアは、薬や治療を受けることのできない者は死んでも仕
方ないと思っている。不平等だが自力で生きることのできない弱者
が死ぬのは、当然であり自然なことだ、と。
ルヴィリアは自分の師匠である老婆に拾われるまで、弱者の側だ
った。だからこそ思う。弱くて力も金も運も自由もなく、そのくせ
自分の身の回りの環境に文句を言うことしかできない者には、他者
の救済など必要ない、そのまま死ぬべきだと。
︵どうせ人間なんて、どいつもこいつも皮一枚剥げば自分が一番可
愛い利己的な生き物だもの。おためごかしや見栄、他者に良く思わ
れたいがための上っ面なんて、反吐が出るわ。
親切そうな顔したこいつも、実際は下種で欲深な高給取りなんで
しょ︶
2084
わりと重度の人間不信である。
◇◇◇◇◇
﹁あ、大丈夫だったか?﹂
食堂で食事中だったアランが、ルヴィリアの姿を見て声を掛ける。
﹁ええ、問題ないわ。っていうか、先に食べてるとかどうなの? 私を待とうとは思わなかったわけ?﹂
﹁先に食べようが後に食べようが、そんなに変わりはないだろう。
まさか一人で食事するのは淋しいとか言わないよな。だったらレオ
を黙らせる方が良いだろう。食事している時はおとなしいし問題起
こしたりしないからな﹂
肩をすくめて言うアランに、ルヴィリアは渋面になった。
﹁⋮⋮ねぇ、あれ、どうにかならないの?﹂
﹁俺一人でどうにかなるなら、お前は呼ばれなかったと思うぞ。あ
あ、それでなるべく早急に︽隠蔽︾︽知覚減衰︾︽認識阻害︾を俺
に教えてくれ。
他に教えても良いと思う魔術があれば、それも追加してくれると
有り難いが、この三つは可能な限り大至急で頼む。報酬は呪文一つ
につき銀貨五枚くらいでどうだ?﹂
﹁銀貨五枚? まぁ良いけど、もうちょっと報酬高くならない?﹂
2085
﹁新しい魔法陣を研究するための触媒とか、他に欲しい魔術書とか
色々あるんだよな。しばらく金を稼ぎたいとは思ってるんだが、手
持ちにそれほど余裕がないんだ。だから、他の魔術はまた後日でか
まわない﹂
﹁どうしてその三つは急ぐの?﹂
﹁レオがその三つの魔術に興味があるんだとさ、具体的には斬りた
いらしい。今のところレオの周囲でそれが使えるのはルヴィリアだ
けで、他に使えるやつがいない限り狙われ続けることがわかったか
らな。万が一のことがあると困るから、できるだけ速やかに俺が修
得した方が良いだろう。
ルヴィリアだって、ことあるごとにあいつに狙われたくはないだ
ろう? ちなみにあいつが興味持つのは﹃斬りたい﹄対象だからな﹂
真顔で言うアランの言葉に、ルヴィリアは震え上がった。真っ青
な顔で慌てて言う。
﹁わ、わかったわ! 今日からでも教えるわ!!﹂
﹁そうしてくれるとこっちも助かる。あいつを犯罪者にしたくない
からな。⋮⋮気付くのが遅れて悪かった。良く考えたらあいつが﹃
斬る﹄対象以外で人に興味持つはずなかったんだよなぁ。ちょっと
迂闊だった。反省している。すまなかった﹂
アランが申し訳なさげに頭を下げた。ルヴィリアはブルブルと首
を左右に振った。
﹁それは良いから! あんな頭おかしいやつの気持ちとか、普通は
2086
理解できないから仕方ないわよ!!﹂
﹁あら、それ、喧嘩売ってるのかしら? もしそうなら買ってあげ
ても良いわよ﹂
肉を平らげたレオナールが髪を掻き上げながらニッコリ笑った。
ただし、目は笑っていない。ルヴィリアはゾワリとしてアランの背
に隠れ、その背を強く押した。
﹁アラン、何とかして!﹂
アランは苦笑を浮かべ、肩をすくめながら言った。
﹁レオ、ルヴィリアが教えてくれるから、しばらく我慢しろ。ちょ
っと練習するから最低でも二、三日くれ。もしかしたら練習台にす
るかもしれないが﹂
﹁そうなの? 今日は用事が済んだら鍛冶屋とか武具屋とか行こう
と思ってたけど、あなたに付き合った方が良いかしら﹂
﹁いや、今日明日は必要ない。俺も買い出しに行ったり、薬の補充
するために薬草採りに行ったりしたかったんだが﹂
﹁ねぇ、アラン。薬草の種類や質にもよるけど、採取場所を教えて
くれたら報酬はまけても良いわよ。薬草や香草の生息地とかの情報
は、商売柄必須だもの﹂
﹁わかった。協力できることなら協力しよう。その分便宜を計らっ
てくれるなら、なお有り難い。調合できる薬の種類によっては、こ
ちらから頼むかもしれない﹂
2087
﹁傷薬や風邪薬や胃腸薬の類いなら大抵のものは作れるわよ。あと
は美容用品だけど、そうね、洗顔用の石けんや髪を洗うための洗浄
剤、洗濯用の洗剤や染み抜き用の薬剤なんかもあるわよ﹂
﹁そういう常備薬的なものや日用品も欲しいが、どっちかというと
それ以外の冒険者御用達系のが欲しいんだよな。例えば魔獣避けと
か魔獣誘導薬とか野営用の着火剤とか、魔獣対策用の毒・麻痺・睡
眠薬とか。
対人対策も欲しいんだけど何かあるか? できれば相手を殺傷せ
ずに無力化できるような薬や道具があると有り難いんだが。無理そ
うなら、他を当たるが﹂
﹁対人? 確かにあんた達には必要そうね。誰とは言わないけど、
喧嘩っ早いとかいうレベルで済まない凶暴なのがいるし﹂
﹁まぁ、あいつの場合は闘争心とか破壊衝動とかそういうのじゃな
いんだが、結果的に見れば理由や原因とかはどうだって良いか。今
日明日で解決するようなことでもないし、議論しても意味はない﹂
﹁何? 何か言い分があるの?﹂
﹁いや、別に良い。どうもレオはまだお前を信頼してないみたいだ
し、また余計なこと言うと機嫌損ねて何かやらかしかねないからな﹂
首をゆっくり左右に振りながら言うアランに、ルヴィリアは眉を
ひそめた。
﹁え、何ソレ。ちょっとアラン、まさかさっき私が喧嘩売られたの
って、幻術系魔術が使えることだけが原因じゃないとか言わないわ
2088
よね?﹂
﹁あいつがきまぐれなのも、喧嘩売ったり挑発したり、人迷惑なこ
とをして相手の反応楽しむのも、ただの事実だしなぁ﹂
アランはそう言ってはぁ、と溜息をついた。
﹁できればそれ以外の理由で他人に興味持って欲しかったんだが﹂
アランがそう言ってレオナールを見ると、レオナールは大仰に肩
をすくめた。
﹁でも、何の理由もなく斬り掛かったりはしてないわよ、まだ﹂
﹁まだとか言うな、絶対やるなよ! あのなぁレオ、冷静に考えて
みろ。ルヴィリアを本気だろうが遊びだろうがちょっとでも斬って
みろ、他人がそれを見てどう感じると思う? どう見てもお前が悪
者だろ。
これまで言いたくても言えなかった連中も大きな声でよってたか
って断罪してくるし、仮に罪を免れても集団で排斥してくるぞ。
俺は斬ろうとする前に、相手は良く見ろって常々言ってるだろう。
斬っても問題ない相手かどうか自分で判断できないなら、俺に判断
を委ねろとも言ったはずだよな?﹂
﹁だからそうしてるでしょう? それに本気で斬ろうとはしてない
わよ。ただちょっと剣を振れれば良いだけだから。殺すまでもない
相手は、剣を振っても寸止めするなら問題ないんでしょう?﹂
﹁相手が明確な敵や盗賊、魔獣・魔物じゃないなら、人と場所を選
んだ上で、相手の合意も得ろよ! 合意がなければ、相手がか弱い
2089
女の子じゃなくても犯罪だろ!!﹂
﹁え∼? ちゃんと合意を得るために、毎回確認してるわよ? だ
からまだ剣は抜いてないんだし﹂
﹁お前の﹃ちゃんと﹄は一体どういう意味なのか本気で知りたいよ﹂
首を傾げるレオナールに、アランは額を押さえて深々と溜息をつ
いた。
﹁⋮⋮合意?﹂
ルヴィリアが嫌そうに顔をしかめた。レオナールはニッコリ笑っ
た。
﹁ほら、最初に会った時も剣は抜かなかったでしょう? 相手が明
確な敵じゃない場合は、そうだと確信できる理由がなければ、合意
を得てからじゃないと問題になるらしいから、あなたを追い掛けて
頼んだでしょう?﹂
﹁頼んだ!? あれが人に物を頼む態度だって言うの!?﹂
﹁私はあなたに﹃手加減するから、ちょっとだけ斬り合いましょう﹄
って言ったでしょう? 合意は得られなかったから剣は抜かなかっ
たし、逃げるから追い掛けたけど﹂
﹁ちょっとアラン! これ、何とかしてよ!!﹂
ルヴィリアは悲鳴のような声で叫んだ。
2090
﹁⋮⋮何とかしろと言われても、なんでこいつがこんなこと考える
のか、俺にもちっとも理解できないんだが。なぁ、レオ。ルヴィリ
アを斬るのは諦めろ。同じ魔法が使えるなら、相手は誰でも良いん
だろう?
だったら固執する必要はない。もっと問題にならない、喜んでお
前の相手をしてくれるような人とやった方がお前も楽しいし、勉強
になるよな?﹂
﹁そうね。それは勿論よ。だからアランが魔法を覚えて他の人にか
けてくれるならそっちの方がありがたいわね﹂
﹁だよな。じゃあ、こいつにちょっかい出すのはやめとけ。ろくな
ことにならないから。お前だって楽しくないし、つまらないだろう
?﹂
﹁ええ、全くその通りね。じゃあ、使えるようになったら言ってね、
アラン。ダオルも協力してくれるのよね?﹂
﹁ああ。鍛錬にも付き合うし、剣術や体術の指導もしよう。魔獣・
魔物対策に加えて、対人もだ。今日は色々あるだろうから、明日の
早朝はどうだ?﹂
﹁ぜひお願いするわ! ありがとう、ダオル!!﹂
レオナールは満面の笑みを浮かべ、キラキラと輝く瞳でそう答え
た。
2091
4 悪気はないけど迷惑すぎる男︵後書き︶
サブタイトルが相変わらず微妙です。でも数字にすると内容から話
ロリコン
を探したい時は面倒なので悩ましいです。
ギルド常駐治癒師は今後出るかは今のところ不明というか未定。
現在、本文中では蒼雨の月30日︵4章最終話の翌日︶です。
以下修正。
×呼んでくさって
○呼んで下さって
×他者に良く思われたいがため
○他者に良く思われたいがための
×すまん
○すまなかった
×道具がると
○道具があると
2092
5 夢を追う人
彼らが食事を終えた頃、ジゼルが食堂に現れた。
﹁待たせたわね。ギルドマスターが執務室へ来てくれ、だそうよ。
ルヴィリアさん、預かっているギルドカードで会談中に拠点変更処
理しておくわ。終わったら窓口へ来てくれれば返却するから、忘れ
ないようにお願いね。
それとダオルさん、あなたも拠点変更処理するのかしら?﹂
﹁その方が良いだろう。確か変更しておかないと、こちらの支部で
何か彼らと共に依頼などを受ける場合、パーティーを組めないので
はなかったか?﹂
﹁そうですね。パーティーを組む場合、特に禁止はされていないけ
れど、ギルド強制依頼など一部の例外を除けば、同じ支店を拠点登
録してある冒険者同士である方が事務処理がしやすいので、推奨し
ています。
ただ、師弟や後見人以外の理由でAランク冒険者とFランク冒険
者がパーティーを組むということは想定されていないので、彼らと
パーティーを組むということになると、通常のFランクパーティー
と同じようにランクE∼F依頼までしか受けられませんがかまいま
せんか?﹂
﹁期間限定ではあるが彼らとしばらく同行したいので、受けられる
依頼のランクや報酬などは問題ない。幸い金には困っていないし、
今のところ装備にも問題ない﹂
2093
﹁金には困っていないとか、一度で良いから言ってみたい台詞の一
つね。素敵!﹂
レオナールの目がキラリと光った。
﹁おい、目が真剣過ぎるぞ﹂
アランがぼやいた。
﹁ではこれが俺のギルドカードだ。よろしく頼む﹂
ダオルが懐からギルドカードを取り出すと、ジゼルに手渡した。
﹁ええ。あなた達が二階から降りて来る頃には処理が終わって返却
できると思うわ﹂
﹁ならよろしくお願いするわ﹂
﹁ええ、まかせて。⋮⋮そういえばアラン、次はいつ依頼を受けに
来るつもりなの?﹂
﹁今日戻ってきたばかりだからな。手持ちが心許ないけど色々やる
こともあるから、何もなければ二、三日後になると思う。なるべく
ロラン近郊でこなせる依頼を受けたいと思ってはいるが﹂
﹁わかったわ。手頃そうなのを見繕っておくわ﹂
﹁頼むからあまり変な依頼を持ってこないでくれよ。この前の領主
様の別荘とか、ラーヌのコボルト退治みたいなのとか﹂
2094
﹁えっ、だってあんな依頼受けてくれるの、あなた達しかいないん
だもの。仕方ないじゃない。それに、あなた達ならああいうのでも
一応採算取れるでしょう? 量を狩るのは得意じゃない。
だってどの冒険者もD∼Eランクになると、キングや上位種がい
るわけでもない中小規模のコボルトやゴブリンの巣は討伐したくな
いとか言うのよ。
だからといってその辺のFランクの子に頼んだら死にかねないで
しょ。普通の低ランクパーティーには魔術師が所属していないのが
ほとんどだし、下手すると前衛ばかりで弓とかを含む後衛すらいな
い場合もあるし。
あなた達ならランクは低いけど実力はそこそこあるし、コボルト
やゴブリン相手なら問題なく確実に狩ってこれるでしょう?
あなた達みたいに魔獣・魔物が狩れるならさほど選り好みしない
なんて奇特な人は滅多にいないし、他に代わりになる人なんていな
いのよ﹂
ジゼルが大きな胸を突き出すように胸を張って言うと、アランは
眉をひそめた。
﹁⋮⋮前からそうじゃないかとは思ってたが、やっぱりそういう扱
いだったんだな﹂
ボソリと低い声で言うアランに、ジゼルがギクリとした顔になる。
﹁その、ご、ごめんなさい、アラン。いると便利だとか面倒事解決
してくれる有り難い人材だとか、思ってないから!
あなた達が普段の言動に多少問題があっても優秀なのは間違いな
いし、実力は少なくもDかCランクくらいはあると思ってるのよ!
あなた達なら間違いなくできると信じているから、これぞという
失敗できない依頼を紹介しているんじゃない!!﹂
2095
﹁⋮⋮便利⋮⋮﹂
アランの目が半眼になった。レオナールがケラケラと笑い声を上
げた。
﹁良かったわね、アラン。一応褒められているわよ﹂
そう言ってレオナールはアランの肩を叩く。アランは溜息をつい
た。
﹁言いたいことはなくもないが、先にクロードのおっさんのところ
へ行って来るか﹂
﹁その、気を悪くしないでね﹂
ジゼルがすまなさげに言うが、既に手遅れである。レオナールは
ニヤニヤ笑いながら、意味ありげにジゼルにチラリと流し目を送り
軽くウィンクしてから、サラリと髪を掻き上げ腰を揺らしながら二
階のクロードの執務室へと向かった。
ジゼルは思わずブルリと寒気を覚え、肩を震わせた。アランが感
情が見えない真顔でジゼルに背を向けた。
﹁アラン?﹂
不安そうな声を掛けるジゼルに、アランは深々と溜息をついた。
﹁別に低ランク討伐の便利屋でも掃除屋でも何でも良いさ。俺は報
酬が全てだとは思っていないし、失敗できない依頼を俺達に振りた
いという気持ちもわからなくはない。
2096
念のために確認するが、俺達に紹介する依頼に何らかの﹃作為﹄
はないんだよな?﹂
﹁ごめんなさい、アラン。いったいどういう意味かしら?﹂
﹁ジゼルが紹介した依頼はジゼルが考えて選んだのか、それとも誰
かがこれを俺達に回すように指示してきたのかと聞いてるんだ。
前者なら別に良い。後者だというなら、今後はこちらでも受諾す
る依頼をもう少し考慮して、場合によっては拒否した方が良さそう
だからな﹂
﹁誰かに指示なんか受けてないわよ!? 純粋に私があなた達なら
やってくれると判断して紹介しただけで、他意はないわ!!
⋮⋮ってアラン、もしかして何かあったの? もし何か問題があ
るなら、﹂
﹁いや、良い。そういうことなら問題はない。たまたまだってこと
だろうしな。疑って悪かった﹂
アランは首を左右に振って、考える。
︵もしかしたら、もっと他にも色々種は蒔かれていて、芽吹いても
いるのに俺が知らないだけって可能性もなくはないからな。
確実に怪しいのは、レオにダンジョンの話をした逃げた騎獣屋と
やらだ。レオの性格を知っていてはめる気で知らせたに決まってい
る︶
クロードに文句を言いたいのも本音だが、その辺りの相談もして
おきたい。
2097
︵俺かレオに害意を抱いているやつがいるってことだからな︶
︽混沌神の信奉者︾らしきエルフから奪った指輪型の魔術発動体
や書きかけの書類のこともある。クロードはちゃらんぽらんで大雑
把な男ではあるが、変な嘘はつかないし、悪巧みもしない。
尊敬できる相手とは言い難いが、信頼はできると考えている。ダ
ニエルは敵ではないが、全面的に信頼はできない。
︵あのおっさんときたら死なない程度なら問題ないとか言い出しか
ねないし、何よりわかってて俺達に囮させて、餌に食らいつこうと
する獲物を狙っていてもおかしくないんだよな︶
目的のためなら手段を選ばないという辺りが、信頼できない最大
の理由である。クロードだけでは時折不安になるので、リュカにも
同席してもらうつもりではあるが。
アランが執務室のドアをノックすると、﹁入れ﹂という応えがあ
り、四人で入室した。
﹁よぉ、思ったより遅かったな、アラン、レオ。巣単位とは言え、
上位種なしのコボルト討伐とかお前らならすぐ終わらせちまうと思
ったんだが。
それより聞いたぞ? お前ら、あっちで暴れまくったんだってな。
しかもダニエルまで出て来てラーヌ支部の上層部がごっそり入れ替
わったとか。相変わらず無茶してんな、おい﹂
長椅子にふんぞり返るように腰掛けながらニヤニヤ笑いながら手
招きするクロードに、アランは真顔でツカツカと歩み寄った。
﹁ああ、久しぶり。そちらこそ元気そうだな、ギルドマスター。こ
ちらの銀髪の娘がルヴィリア、そちらの大剣遣いがダオルだ。しば
2098
らくこちらに滞在する予定だ。
で、どうでも良い前置きは良いから本題に入りたいんだが、リュ
カさんはいるか?﹂
﹁うん? リュカもいた方が良いのか? なら呼んで来るけど、い
ったいどうし、﹂
﹁︽混沌神の信奉者︾絡みだ。他にも色々用件はあるが、まず最初
に言っておこうか﹂
﹁は? え!?﹂
﹁他の支部に自分のとこの冒険者について連絡・紹介する時は、キ
ッチリやれ! 水も漏らさずとまでは言わないが、いい加減な仕事
の仕方すんな!
最低限の連絡・通達しなきゃ問題になるとは思わなかったのか、
なぁ、おっさん。何の予備知識もないやつがレオを見たら、どうい
う反応するかわからないとは言わないよな?
﹃ちょっと変わった新人﹄なんて紹介で済むと思ってたのかよ?﹂
﹁アハハッ、悪ぃ悪ぃ、ちょいと急ぎの討伐依頼だったからな! そういやリュカの目は通してなかったか。でもまぁ、特に問題はな
かっただろ?
担当職員のジャコブは前にチラッと会ったことあるからな。ほら、
あの貴族令嬢とか某講師補佐とかとは違って面倒な事にはならなか
っただろ?﹂
﹁まぁ、ジャコブは良いやつだったよ、ジャコブはな﹂
アランが半眼で言うと、クロードはうんうんと首を縦に振った。
2099
﹁そうだろ、そうだろ! あいつ、見た目はアレだけど真面目でま
っとうなやつだからな! 可能ならもっと仕事環境整えてやりたい
と思ってたんだよ。
直属じゃないから手は出しにくかったが、聞いた話じゃだいぶ風
通し良くなったみたいだし、待遇もだいぶ改善されたらしいし、万
々歳だな!﹂
﹁おい、おっさん。それ、わざとやらかしたってことか? 俺達│
│レオ関連で問題起こさせて、それきっかけにテコ入れしようとし
たとか言わないよな?﹂
﹁そんなことは考えてなかったけど、でもまぁ終わり良ければ全て
よしって言うだろ! 元々火種があったところに燃料になりそうな
のを放り込んだ自覚はあるが。
その点は本当悪かった! でも狙ったわけじゃないから勘弁して
くれ!! 単に仕事手ェ抜いただけだから!!
あと、お前がいないと家が汚れて片付かないんだ。頼むから何と
かしてくれ。なんだったら冒険者として指名依頼にして報酬出すか
らさ﹂
笑いながら言うクロードに、アランは思わず眩暈を覚えた。
﹁⋮⋮まさか﹂
﹁あ、床に落ちてるのは全部ゴミだから。衣類も含めて全部処分し
て良いから安心してくれ!﹂
﹁おい、おっさん! あんたまたやったのか!! ゴミも洗濯物も
使った物全部適当にその辺に放り出して散らかして、放置したのか
2100
!?﹂
﹁臭いがそろそろヤバイんだよな。いやぁ∼っ、アランが戻ってき
てくれて本当良かった! すっげぇ助かる。お前がいないと本当ヤ
バイってわかったから、ずっと家にいてくれても良いぞ!!
あっ、もし駄目になった家具とかあったら、それも処分して良い
から﹂
﹁地獄に落ちろ! このぐーたらオヤジ!!﹂
アランは絶叫した。
◇◇◇◇◇
オーロンにより、ダットが牢から解放される数日前、オルト村で
の出来事である。オーロンは少し暇が出来たので、一月ぶりにオル
ト村へと赴いた。
村人達の大歓迎を受け、宴会をした翌朝のこと、オーロンは相変
わらず宿に籠もりきりのヴィクトールを訪ねた。
﹁おお、オーロン殿。息災か﹂
ヴィクトールの頬はゲッソリとこけ、目の下には隈が黒々と彩っ
ている。髪はフケだらけ、身体は垢と埃だらけである。
﹁その、食事などはしておられるのか? かなりやつれておられる
ようだが﹂
2101
﹁ああ、いや。昨夜ついに、手記の全てを解読できたところでな。
三晩ほど徹夜してしまったのだ。食事を取ったら、仮眠を取るつも
りでいた﹂
﹁仮眠と言わず、きちんと休まれた方が良さそうだ。お疲れのとこ
ろお邪魔して申し訳ない。今日のところはこれで暇乞いをしよう﹂
﹁ああ、そうだ! ちょうど良いところにいらした。あなたは冒険
者なのだろう? 実は頼みたいことがあるのだ﹂
﹁はて、わしに出来ることですかな?﹂
首を傾げるオーロンにヴィクトールは頷いた。
﹁手記の内容が正しければ、この近くに遺跡があるはずなのだ。な
ので、その遺跡の場所の確認と、探索をしたいと思っているのだが、
僕はダンジョン探索などといった事には不慣れで困っている。
その、探索のため協力してくれる冒険者を紹介して欲しいのだ﹂
﹁ふむ。その、失礼ですが、冒険者ギルドへ依頼しに行った方が、
適切な方を紹介してもらえるのではないかな?﹂
﹁それが、お恥ずかしいことだが、現金の持ち合わせが少々心許な
いのだ。このところ寝食忘れて研究に没頭していたのでな。なので、
報酬は遺跡探索で得られた僕が必要とする資料以外の物品全てとい
うことでいかがだろうか?﹂
ほんのり頬を赤らめて言うヴィクトールに、オーロンは苦笑しな
がら頷いた。
2102
﹁なるほど。その条件でも、引き受ける御仁は皆無ではなかろう。
もっとも、全ての冒険者がその依頼に飛びつくとは言い難いが。
ところでヴィクトール殿、オルフェストの手記とはどういった内
容なのだろうか。差し支えなければご教授願いたい﹂
﹁ふむ、一言で説明するなら、﹃エレクレンヌ神聖王国﹄は本当に
存在したのか、だな。あったとする方が面白いのだろうが、この手
記ではなかったという仮説の下にその論拠が記されている﹂
﹁エレクレンヌ神聖王国、つまり二千年前に滅びたという伝説の古
代王国のことだな。では、なかったという事になれば、現在でも発
見される古代遺跡や古代遺物はいったい何だというのだろうか﹂
﹁それらは我々の祖先とは異なる別系統の文明を築いた人々、ある
いは異界からの来訪者によって残されたのではないか、と筆者は考
えていたようだ。
だが、彼の説は人々に受け入れられなかった。仮に彼の説が正
しいとして、その高度な文明を築いた人々はどうしたのか、と。
オルフェストの説によると、彼らは異界へ帰還したか、あるい
はまた別の異界あるいは新天地へ旅立ったのではないか、というこ
とだ﹂
﹁それは⋮⋮あまりにも荒唐無稽ではなかろうか﹂
﹁確かにその通りだ。彼が遺跡で発見した古い地図によると、かつ
てこの辺り一帯は、ロラン近郊のごく一部を除いて、広い川と巨大
な湖の底だったらしい。
王都の半分以上が湖で現在王城のある位置は浮き島だったとい
う。彼らは様々な努力をしたが、最後は居住地と耕作地が飽和し、
増えた人口を養えなくなったため、この地を放棄したらしい﹂
2103
﹁この近辺が川と湖の底? まさか。もし仮にそれが事実だとして、
その大量の水はいったい何処に?﹂
﹁その水は、現在は地底湖や湧き水などの水源として名残を残して
いる。僕自身はまだ確認してはいないが、その地底湖は人工のもの
で、本来湖だった箇所より南東に造られたらしい。うん、これだ﹂
ヴィクトールは書物をめくり、該当の頁を開いた。
﹁ラーヌの南東?﹂
﹁手記ではこう警告されている。地底湖の水の大半は海に流れてい
るが、この一帯はいつ地底から水が溢れ出すかわからない土地だ。
故に、現在のラーヌ周辺はいくら水資源に恵まれた地でも、居住・
開拓するには不向きだと﹂
ヴィクトールの言葉に、オーロンは思わず息を呑んだ。
﹁⋮⋮それはまた、恐ろしい予言だ。しかし、その話はどのくらい
信憑性があるのか﹂
﹁そう。僕も、それが知りたい。だから、この目で確かめたいのだ。
他人からの伝聞で得られるものなど、ごくわずかだ。
余人が奇異で突飛だとしか思えない説を記すこの手記の筆者が、
正気でこれを書いたのか、正気で書いたのであれば、どのくらいそ
の内容が正しいのか。
たとえ眉唾でも良いのだ。前人未踏の、まだ見ぬ遺跡がすぐそば
にある。それだけで、夢が広がるとは思わないか?﹂
2104
こけた頬や隈、青白く汚れた顔で、キラキラというよりはギラギ
ラと輝く目つきで言うヴィクトールに、オーロンはふむ、と頷いた。
﹁確かに、夢のある話だ﹂
そしてオーロンは、夢とロマンのある物語と、それを愛する者を
好む男だった。
2105
5 夢を追う人︵後書き︶
悩みましたが、一度没にしたエピソードを挿入しました。
昔、ファンタジー好きの友人に﹁これファンタジーかと思ってたら
SFじゃねぇか!﹂と文句言われたことがあります︵拙作﹁夢幻の
剣﹂ですが︶。
小三で覚醒したSFオタクでファンタジーは高校入学後だから、仕
方がないねと思いつつ。
田舎生まれ&育ちで、学校の図書室になかったのでそれまでファン
タジー小説を読んだ事がなかったのです。
そしてテレビ・ゲーム・漫画・雑誌を禁止されていたので、目にす
る機会もなかったのです︵涙︶。
結婚するまでPCゲームしかしたことなかった︵PCならゲームし
ていることを隠せたため︶ので家庭用ゲーム機はPS購入時に専門
ショップで教えて貰うまでつなぎ方すら知りませんでした。
おかげでファミコン世代なのに家庭用ゲーム機のレトロゲーはほと
んど知りません。
以下修正。
×ルカ
○リュカ
2106
6 ささやかな願望
クロードにダオルがしばらく滞在すること、ダニエルの依頼によ
りルヴィリアがレオナールに読み書きなどを教えることなどを伝え
た後、アランは二人に確認した。
﹁ところで、ダオルとルヴィリアはこれからどうするんだ? 俺達
二人はクロードのおっさんの家に間借りしているんだが、宿を取る
のか? それともラーヌみたいに借家を探すのか?﹂
﹁しばらくは宿を取るが、念のため拠点となる借家も探す予定だ﹂
﹁ここに長期滞在するなら、家か何か借りたいと私も思っているわ。
本業で稼げるようになるまでは、経費はなるべく抑えたいと思って
いるけど﹂
﹁ふむ、そういうことならお前らも俺の家にしばらく泊まるか? 空いてる部屋ならあるから、掃除してくれるなら無料で良いぞ﹂
ダオルとルヴィリアの返答に、クロードが無精髭のようなちょび
髭を生やしている顎を撫でさすりながら言った。
﹁おい、待て! 掃除はもちろんだが寝具を買わなきゃ最低限寝ら
れる部屋にならねぇだろ!! だいたいまともに使える家具がある
のかよ。使い物にならないものは全て処分しただろ。覚えてないの
か、おっさん﹂
アランが睨め付けながら言うと、クロードがはて、と首を傾げた。
2107
﹁そうだったか? 良く覚えてねぇなぁ﹂
﹁ああ、そうだろうよ。おっさんは何もやってないからな。俺達が
あの家に入った時と、おっさんが親睦会をやるとか言った時の準備
とかで、普段使わない部屋も全部掃除したり、いらない家具や食器
やゴミ類なんかを処分したけど、人目につかない部屋に新しい家具
とかは入れてないはずだぞ。
古いベッドなんかは捨てるのも面倒だから使える部分は一応残し
てあるけど、寝具は全滅だったから処分したし、あれを使うってい
うなら念のため修繕に出した方が良いと思うぞ。
見た目は大丈夫そうに見えたから残したけど、仮に中が腐ってた
り傷んだりしてたら恐いだろう。俺が見た時あのベッド、布団やシ
ーツとかがかかった状態で人差し指の第一関節まで埋まりそうな量
の埃が積もってたんだぞ。
おっさんは寝具類は使わない時はしまっておくことと、天気の良
い日には普段使ってない部屋も含めて全て窓を開けて風通しするこ
とを覚えた方が良いぞ。じゃないと、家具や家が傷む﹂
﹁あ∼、そういうのは全部アランに任せるよ。俺、そういうの苦手
だし﹂
﹁あのな、おっさん。俺の本職は冒険者だから、不在の時や多忙な
時は一時的に家政婦雇ったらどうだ? 俺達と違って余分な金はあ
るんだから、できないことはないだろう?﹂
﹁そりゃいたら便利なんだろうが、そういうの探して雇用とか手配
したりするのが面倒なんだよな。それにほら、俺の仕事って不定期
だろ? 帰宅時間や休日がまちまちだから、そういうの気にせず適
当に済ませてくれる人じゃないとだりぃんだよ。
2108
だって、アランなら言わなくても俺が遅くなりそうな時は夜食作
って残しておいてくれたり、泊まり込みになる時は俺の分は作らな
かったりとかしてくれるし、それくらいで文句は言わないだろう?
前に家政婦雇ってた時は、いちいち帰宅時間を連絡しろだとか、
食事が必要な時や不要な時はその都度連絡しろだとか言われて、面
倒だから契約切ったんだよ。
若くて可愛いオネエチャンで自分の恋人に言われるならまだ我慢
できるけど、なんで赤の他人の母親くらいの年のばあさんに小言言
われなきゃならないんだ。そう思わないか?﹂
﹁おっさんは人を雇う際に予め契約内容をきちんと提示してそれを
守ることや、他人と一つ屋根の下で暮らす時の規則や最低限の礼儀
とかを覚えた方が良いと思うぞ。
実際にそれをやる前にきちんと決めて相手の了承を得ないから、
おっさん曰く面倒なことになるんだろう。レオはそういうこと全く
気にしないし、俺もロランに来てからの一年半で学習しておっさん
に関する予備知識があったから耐えられたけど、全く知らない人間
を住まわせるには問題がありすぎる。
ダオル、ルヴィリア。どうしても宿代や生活費を節約したいって
言うなら、おっさんの家に間借りするのも有りかもしれないが、快
適に過ごしたいなら宿や借家の方が絶対良いぞ。
このおっさんはとんでもなく散らかし魔で、ゴミと埃で埋まった
床で寝るのも平気な図太い神経しているからな。
特にルヴィリア、虫が嫌いならおっさんの家に寝泊まりはしない
方が良いぞ。家の中はもちろんだが、庭は雑草だらけだから敷地内
は何処へ行っても出ると考えた方が⋮⋮﹂
﹁やめて! それ以上言わないで!! 想像しただけで寒気がする
わっ!﹂
2109
ルヴィリアは悲鳴のような金切り声を上げた。
﹁なぁ、おっさん。おっさんの家で暮らしてたのは俺達だけだった
から、庭までは手を出してないんだが、もし他に人を住ませる気が
あるんなら、一度大工や庭師を入れた方が良いぞ。
かなり杜撰に放置されていたから、普段目に見えない部分とか確
認して必要なら修繕しておかないと危ないからな。それに屋根裏や
壁の中に虫や小動物の巣があってもおかしくない﹂
﹁そんなにひどいか?﹂
クロードは首を傾げた。アランはしかめっ面で頷いた。
﹁せめて定期的に家政婦入れたり清掃したり、庭の雑草刈ったりし
ていれば、普通はそこまでひどいことにはならない筈だぞ。
おっさんは、身近にリュカさんみたいなお手本がいるんだから、
わからないことは聞けば良いのに。あの人に色々助言して貰ってた
ら、今よりは格段にマシだっただろ﹂
﹁え∼、仕事ならともかく私生活でまであいつに文句や嫌味言われ
たくねぇよ﹂
ゲンナリとした顔で言うクロードを、アランは白い目で見る。
﹁リュカさんに文句や嫌味を言われるような生活をしている自覚は
あったのか。なら、それを改善しようと思わないのか?﹂
﹁あのなぁ、アラン。俺はそういうのが面倒だから自分の家を買っ
たんだ。俺の家をどう扱おうと、俺がどう生活しようと、俺の勝手
だろう﹂
2110
﹁その結果がゴミ屋敷だろ。しかも、本当は自分でもあそこで生活
するのはキツイと思ってるんじゃないのか?﹂
アランが真顔で言うと、クロードは目を逸らしピタリと口を閉じ
た。
﹁面倒くさいことや興味ないことはやりたくないわよね。そういう
のは気にする人がやれば良いじゃないの、アラン。どうせあなた、
そういうところを掃除したり整理整頓したりするの大好きでしょう?
場合や相手にもよるけど、家事をするのも人の世話を焼くのもわ
りと好きよね。楽しんでやってるじゃない。違うの?﹂
﹁別に好きでもないし、楽しんでやってるわけでもないぞ。他にや
るやつがいないから俺がやっているだけだ。確かに嫌いではないし、
人に指示してやらせる暇があるなら自分でやった方が早いと思うが、
だからといって、それを必要としている人間が何もしないで放置し
ているのは問題あるだろう。
やらないことは誰だってできないんだから、特に理由がなければ
自分でできる事は本人がやるべきだ﹂
真面目に答えるアランに、レオナールは肩をすくめた。
﹁はぁ、面倒くさいわね﹂
﹁自分でやるのが面倒なら、報酬を支払って人を雇えば良い話だ。
ロランにはそういうことをやってくれる人がいくらでもいるし、多
少仕事がいい加減でも構わなければ安く雇える駆け出し冒険者にや
らせても良い。
そういった手間を惜しむくらいなら、家なんか持たない方が良い
2111
だろう。宝の持ち腐れだ。ちゃんと手入れをすれば何十年、もしか
すると百年近く保つ物を、粗雑に扱っていれば下手すれば十年保た
ずにゴミになる。
家を見れば、その住人の性格・生活が表れる。表面だけ取り繕っ
ても、普段どういう風に扱っているかは、見る人が見ればすぐわか
るものだ。
仮の住処で買い換える前提ならボロくなったら交換でも良いかも
しれないが、家なんか高い買い物なんだから、可能ならばできるだ
け長持ちするよう大事に使って住んだ方が良い﹂
﹁ぐっ、いちいち耳にイタイな、アラン。お前、俺のお袋よりうる
さいぞ﹂
﹁おっさんの母親があの家の惨状を見たらさぞや嘆くだろうな。嫁
が来ない理由も察してくれるだろうが﹂
﹁黙れ! 微妙な年頃の独身男に嫁云々は禁句だ!!﹂
少々涙目で叫ぶクロードに、アランは首を傾げた。
﹁微妙な年頃? 三十五歳って微妙な年頃なのか?﹂
﹁ただの中年のオッサンよね﹂
レオナールが追い打ちを掛ける。
﹁くそっ、お前ら俺をおちょくる暇があったら仕事しろ!! 若者
は無駄に元気で体力あるんだから、懸命に働け! そしてオッサン
や年寄りを楽させろ!!
ほら、仕事の邪魔だ! 俺は忙しいんだ!! 用事が済んだなら
2112
さっさと出てけ! やることはいくらでもあるだろう!!﹂
そう言って追い出そうとするクロードに、アランが尋ねた。
﹁そういえば掃除は指名依頼で報酬くれるんだよな。いくら払って
くれるんだ?﹂
﹁何?﹂
アランの言葉に、クロードが眉を顰めた。
﹁報酬によって、何をどこまでやるか考慮する。お金を払ってくれ
るなら﹃お客様﹄だよな? 金策しなくちゃならないからどうしよ
うかと思ってたんだが、報酬によっては優先度が変わるな﹂
﹁⋮⋮いくらなら、すぐにやってくれるんだ?﹂
﹁それはもちろん報酬次第だろう? ギルドに来たついでだから帰
りに依頼書を見て帰ろうと思ってたんだが﹂
冷や汗を垂らしながら見るクロードに、アランはニヤリと笑った。
﹁わ、わかった。今すぐお前そ指名して依頼書を作成する。ちょっ
と待っててくれ! その、報酬は大銅貨二十枚で良いよな。数日間
の掃除ならその程度だろ?﹂
﹁庭や普段使ってない部屋の掃除もして欲しいならそれじゃ足りな
いし、俺一人でやるなら期間も最低一週間は欲しいところだな。期
間は十日間として、全部で小銀貨四枚でどうだ﹂
2113
﹁それ、一日当たり大銅貨二十枚だろ!? 誰でもできる草刈りと
掃除にボりすぎだろう!!﹂
﹁どうせ俺一人じゃどうにもならないところがあるだろうし、一人
で運べない大型のゴミもあるだろうから、俺が業者その他の手配も
やるからその手数料も入っているんだ。
他の冒険者なら数人は要るだろうな。どうせレオは掃除や草刈り
やる気ないんだろ?﹂
﹁私がそんなことやるはずないじゃない。壊して良いならやっても
良いけど﹂
アランに聞かれて答えるレオナールに、クロードが飛び上がった。
﹁おい! レオナールはやらなくて良いからな!! お前だと何を
やらかすかわかったものじゃない!﹂
﹁頼まれてもやらないわよ。そうねぇ、おっさんが冒険者ギルド前
の路上で全裸土下座して﹃お願いしますレオナール様﹄と言ってく
れるなら考えなくもないけど﹂
﹁誰がやるんだ、そんなこと!! いや、死んでもレオナールにだ
けは頼まないぞ。お前にやらせたら何をやらかすかわからないだろ
!! 壁や天井に大穴を空けられたら困る!!﹂
クロードが必死な形相で叫んだ。
﹁あら、ひどいわね。確かに生まれてこの方一度も掃除も草刈りも
したことないし、これからもやるつもりはないけど、さすがに大穴
空けたりはしないわよ?﹂
2114
レオナールは肩をすくめた。アランは苦笑した。
﹁そうだな、天井裏に大きなネズミでもいなけりゃ天井に穴を空け
たりはしないよな﹂
﹁⋮⋮シャレに聞こえないんだが﹂
クロードが顔に冷や汗を掻きながらぼやいた。
◇◇◇◇◇
クロードの執務室を出た一行は、ダオルとルヴィリアの拠点変更
手続きをし、依頼者クロードによるアラン指名の雑務依頼の受諾手
続きを済ませて、ギルドを出た。
﹁アランがしばらく掃除の依頼をするなら、私も一人で討伐依頼で
も受けようかしら﹂
レオナールが言うと、アランは眉を顰めた。
﹁討伐依頼を受けたいなら、一人じゃなくダオルと一緒に受けて同
行して貰え、レオ﹂
﹁え∼っ、どうせ毎朝毎夕近くの森に狩りに行ってるんだから、私
一人でも良いでしょう? 近隣で狩れる獲物なら日課のついででも
問題ないんだし﹂
2115
﹁念のためしばらく単独行動を取るな。それにお前一人だと今まで
狩ったことのない魔獣や魔物の依頼でも受けそうだ﹂
﹁何よ、私が信頼できないわけ?﹂
レオナールは不満そうに鼻を鳴らした。
﹁魔獣・魔物に関しては特に信頼できないだろ、レオ。それに魔獣
の知識や戦闘に関しては、ダオルと一緒の方が勉強になるだろう?﹂
アランの言葉になるほど、とレオナールは頷いた。
﹁そうね。そういうことなら一緒の方が良いかしら﹂
ニッコリ微笑むレオナールに安堵しながら、アランはダオルに向
き直った。
﹁すみません。そういうわけでダオル、しばらくレオをよろしく頼
む﹂
﹁ああ、最初からそのつもりだ。アランはクロード氏の家に間借り
していて、その住居の掃除や草刈りで遠出はしないのだろう?﹂
﹁その通りだ。依頼が終わるまでは、出るとしても修繕依頼とか買
い物に出るくらいで、町の外には出る予定は皆無だ﹂
アランの返答に、ダオルは頷いた。
﹁じゃあ、ダオルが一緒なら一週間から十日以内なら遠出しても良
いの?﹂
2116
レオナールが嬉しそうに顔をほころばせた。
﹁そうだな、その間なら問題ないだろう。でも、あまり遠出はする
なよ。何かあったら面倒だからな﹂
﹁大丈夫、問題ないわよ。ロランの町がゴブリンやコボルトに襲撃
されるとかいうなら別だけど﹂
﹁いや、ダオルに変な面倒掛けるなという意味だからな。嫌なこと
を言うな。この前ゴブリンの大型討伐やったのに、襲撃なんかある
はずがないだろ!﹂
﹁嫌ね、アラン。そうなったら楽しいのにという私の願望よ﹂
﹁お前の願望はいちいち物騒なんだよ!! どうせ願うなら、もっ
とささやかで平穏なことを願え!!﹂
怒鳴るアランにレオナールは大仰に肩をすくめた。
﹁やぁね、アランったら。私が斬ること以外で何かを願うはずがな
いでしょう?﹂
﹁⋮⋮頼むから、あまり人に迷惑掛けないようにしてくれよな﹂
アランはぼやくように懇願した。
2117
6 ささやかな願望︵後書き︶
ものすごく更新遅れました。すみません。
そして話が進んでないという︵汗︶。次回はあれなので、8話では
本題?に入りたいです︵例によって予定は未定︶。
以下修正。
×銀貨二十枚
○大銅貨二十枚
2118
7 剣士は武具屋で剣を注文する
﹁ああレオ、薬草採りに行きたいから、明日の早朝狩りに行く時は
俺とルヴィリアも連れて行ってくれ﹂
冒険者ギルドを出たところでアランがそう言うと、レオナールは
やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
﹁面倒くさいけど、仕方ないわね﹂
どうせ足手まといだとか思っているんだろうなと、アランは苦笑
した。
﹁悪いな、レオ。近隣の森の入口や平原で取れる薬草や香草もある
が、南西の森の奥にも行きたいんだ。あの泉の周辺じゃないと採れ
ない薬草もあるから﹂
﹁ではおれも同行させて貰えないだろうか。ロランは初めて来たか
ら、町の中も外も色々見ておきたい﹂
﹁ダオルも来てくれるなら安心だな﹂
ダオルの言葉に、アランは破顔した。
﹁わかったわ。ついでに鍛錬にも付き合ってくれるかしら﹂
﹁了解した﹂
2119
レオナールが微笑み、髪を掻き上げながら言うと、ダオルは頷い
た。一行はアランとルヴィリア、ダオルとレオナールで別行動する
ことにした。
アランはルヴィリアの案内と買い出し、ダオルは武具屋へ行くレ
オナールの付き添いである。
﹁レオ、言うだけ無駄かもしれないが無闇矢鱈と喧嘩売ったり、色
々やらかしたりしないように気を付けろよ﹂
﹁言うだけ無駄だと思うなら、わざわざ口にする必要ないでしょう﹂
﹁言わないよりはマシかもしれないだろ。って言うか、お前は何か
言動する前にちょっとは考えたり自重しろよな﹂
﹁何よ、その言い方じゃ私が何も考えてないみたいじゃない﹂
﹁みたいじゃなくてただの事実だろ。違うというなら、行動と結果
で示せよ。お前、俺が目を離す度に問題起こしているじゃないか﹂
アランが言うと、心外だと言わんばかりにレオナールは肩をすく
めた。
﹁お前だって、また領兵団詰め所へ行く羽目になるのは嫌だろ? ラーヌほど酷くはないだろうが、領兵団も上の方には貴族もいるか
らな。
普段は生活圏が違うからお貴族様と顔を合わす機会はそうそうな
いが、だから厄介なんだ。領兵団の皆がジェラールみたいにゆるい
やつじゃない﹂
﹁わかってるわよ。なるべく気を付けるから安心しなさい﹂
2120
レオナールがしぶしぶ頷いて言うと、アランはようやく安心した
顔になった。
﹁レオ、たぶん夜は外食になると思うから、あまり遅くならないよ
う帰宅してくれ。ダオルやルヴィリアも一緒に食べに行かないか?﹂
三人とも同意した。
◇◇◇◇◇
冒険者ギルド・ロラン支部はロランの南側に位置しており、冒険
者向けの店は主に東側に、一般向けの市場や商店街は西側にある。
ダオルと共にレオナールは顔見知りの武具屋に向かった。ダニエ
ルを介してクロードから紹介されたドワーフ夫妻が営業している店
である。
店内は客が四、五人も入ればいっぱいになるような狭さで、カウ
ンター奥に鍛冶場や倉庫などがあり、二階が住居となっている。入
口から見て左手の壁に、頑丈な鎖で何重にも固定されたオリハルコ
ン製と思われる大剣が飾られている他は、何もない。
在庫は置かず、特注するか研ぎ・修理などしか受け付けていない
ため、商品を展示していない。時折店の入口を施錠しないまま無人
の場合もあるので││ただし店主は奥の鍛冶場にいることが多い│
│万引き対策でもあるのかもしれない。
﹁こんにちは、あなたがカウンターに座っているだなんて珍しいわ
ね﹂
2121
カウンター奥に店主のドワーフ││ドワーフの年齢は外見上から
は良くわからない││エルグが座って何か飲みながら作業していた。
顧客の名らしき文字の後に数字がいくつも並んでいるので、おそら
く帳簿か注文の控えなのだろう。
声を掛けられたエルグは手元のそれを閉じて脇へ押しやりながら、
顔を上げた。
﹁ああ、先週までは忙しかったがやっと一段落ついたところだ。ず
いぶん久しぶりだな、レオナール。剣の手入れはしていたか﹂
﹁ええ、毎日拭って油を引いて、三日に一度は研いでいたわよ﹂
﹁通常は二週間か三週間に一度くらいで良いはずだが、お前の場合
は毎日大量に斬っているからな。先日のゴブリン討伐にはお前も参
加したんだろう。来たついでだ、剣を見せろ﹂
エルグは半ば呆れた顔で言った。レオナールは剣帯から剣を鞘ご
と外すと、カウンターへ置いた。エルグは両手で剣を取って、鞘か
ら剣を抜き、しげしげと見つめた。
﹁ふむ、相変わらず酷使しているようだが、ヒビを入れたり、刃を
欠かせたりはしないようだな﹂
﹁ゴーレムならともかく、骨を叩くような真似はしていないもの。
ミスリルゴーレム相手にだって、力一杯剣を叩き付けたりしてない
わ。可動部のつなぎ目っぽいところを狙ったもの﹂
﹁その目と勘の良さはお前の強みだな。言うまでもないことだが、
剣はどんな素材で作られたものも、使い方や手入れの仕方が悪けれ
ばすぐ劣化する。
2122
︽浄化︾があれば少しはマシだが、それでも扱い方が悪ければま
ずい。しかし、今回は研ぎや修理をしに来たわけではないのか?﹂
エルグの質問にレオナールは頷いた。
﹁手持ちのミスリル合金で、ミスリルゴーレムも斬れる剣を作りた
いの。できれば鎧も作りたいけど、鎧を作るには量が足りないのよ
ね﹂
﹁どのくらいあるんだ?﹂
エルグに問われたレオナールは、背負っていた背嚢から一抱えほ
どある革袋を取り出し、カウンターに置いた。
﹁これだけよ﹂
﹁これだけあれば剣身全て作って少し余るな。余った分はどうする
?﹂
﹁鎧も作りたいから、取っておこうかと思っているわ﹂
﹁ミスリル合金だと配合によっては、保管状態が悪いと劣化するぞ﹂
﹁う∼ん、それだと買い取りして貰った方が良いかしら?﹂
﹁後日、鑑定して比重や質がわかったら買い取り額を言うから、そ
れから判断しろ。それで、予算はいくらぐらいだ?﹂
﹁大金貨300枚と金貨40枚﹂
2123
﹁⋮⋮レオナール、お前はどんな魔剣を作ろうとしているんだ﹂
﹁どういう意味? できれば︽形状維持︾や︽自動修復︾や︽浄化
︾を付けられたら嬉しいけど、難しいなら付与魔術は︽切断︾と︽
重量増加︾、あとミスリルゴーレムやアンデッド対策に何か欲しい
わ。何を付けたら良いかしら?﹂
﹁ミスリルゴーレムなら特殊なのを除けば属性付きなら何でも問題
ないだろう。アンデッド対策なら、神聖属性か火属性だ。魔力を流
せば属性付与できる。
なるべく安くして汎用性を求めるなら火属性だな。さすがにドラ
ゴンやサラマンダー辺りには効かないが、火に弱い魔物や魔獣は多
い﹂
﹁じゃあ、それで。で、剣身とリカッソと鍔は今と同じで良いけど、
柄はもうちょっと細くても良いかもしれないわ。普段は良いけど、
汗で手の平が濡れている時とか長時間握っている時なんかに、ちょ
っと違和感があるのよね。
あと柄頭はもっと軽めにして。あんまり使わないから取り回し重
視でお願いしたいの。蹴りや踵や肘を使うことが多いから、柄頭で
殴ったりとかしないのよねぇ。
ああ、でも、柄頭の形状や構造を変えると、もしかして重心も変
わってしまうのかしら?﹂
リカッソは刃の根本の刃をつけていない部分のことである。リカ
ッソ部分は鞘を納めずに済み、刺突や間合いを小さくする時や防御
などに使う。
﹁形状を全て現状通りにしても鋼鉄製からミスリルに変えれば、重
さも重心も変わるから、どのみち調整が必要だ。
2124
剣身が軽くなればその分振りやすくなるが、魔術付与や魔術紋章
などで強化しなければ、場合によっては威力が落ちる。
常時発動する︽切断︾はともかく、︽重量増加︾は便利だが使用
するタイミングがシビアだ。付けても慣れなければ、無駄な仕掛け
のついているだけってことになりかねん。
付けるとしたら柄のこの辺りに魔石をはめて、内部に魔術文様を
刻む。使用する場合にはそこへ魔力を流すことになる﹂
﹁貰い物だからそのまま使ってたけど、魔術付与なしだとゴーレム
相手には時間稼ぎしかできなくて、ストレス溜まるのよね。
あと、たぶん近い内にアンデッドを相手することになりそうだか
ら、その対策もしておきたいの。さすがに今の剣でスケルトンやレ
イスは斬れないでしょう?﹂
﹁もちろんだ。いくら鋼鉄製とは言っても骨を叩けば劣化するし、
レイスのような物理攻撃を無効化するアンデッド相手にはいくら剣
を振っても擦り抜けるだけだ。
全て出来上がるまでに最低十日はかかるが良いか? あとミスリ
ル合金の配合によって多少変動するかもしれないが、魔術付与含め
て大金貨二十枚前後になる﹂
﹁あら、思ったより安いわね。しばらくは遠出しないから大丈夫だ
し、費用も問題ないわ。よろしく頼むわね。
剣の全体的な重量は、たぶん今よりちょっと軽めの方が良いと思
うわ。私は師匠と違って筋肉が付きにくいみたいだから、膂力に任
せてぶん回すってわけにいかなさそうなのよね﹂
﹁まぁ、そうだろうな。しかし今の剣でも問題なく振り回せるのな
ら、さほど問題にならないと思うが﹂
2125
﹁確かに疲労を感じない程度なら大丈夫ね。でも戦闘が続いて疲労
感が溜まってきたところで、強敵とか硬い敵が出て来た時が困るの
よ。
最悪アランの魔術の詠唱時間を稼げばなんとかなるだろうけど、
それでどうにもならない敵が出て来たらどうしようもないでしょう
?﹂
﹁自分一人で何とかしようとするより、他にパーティーメンバーを
増やすのが手っ取り早いと思うが。お前がその外見より筋力も体力
もあることは知っているが、それでも得意分野を伸ばして不得意な
ところは他のやつに担当させた方が楽だし、合理的だろう﹂
﹁私達のパーティーに加わるような物好きがいればね。もしいたと
しても信頼できなければ問題外だし﹂
﹁今日一緒に来たのは新しいパーティーメンバーじゃないのか? かなりの腕に見えるが﹂
﹁そりゃそうでしょ。彼はダオル、師匠の頼みでしばらく私達のお
守りをしてくれるAランク冒険者よ﹂
レオナールの紹介に、ダオルは目礼した。
﹁ダオルだ。南国、ラオリ諸島連合国の出身で、少なくとも数ヶ月、
場合によっては一年ほどロランに滞在する予定だ﹂
エルグは頷き、ダオルに向き直る。
﹁そうか、それは失礼した。わしはエルグ、見た通りのドワーフだ。
鍛冶師となって五十年近くになる﹂
2126
﹁ほう、それはすごい。その内、幾度か利用させて貰って良いだろ
うか﹂
﹁支払いは大口以外はツケおよび後払いなしの即金のみだが、それ
で良ければいつでも来れば良い﹂
﹁大口って、例えば領兵団とか?﹂
﹁そうだ。あれはまぁ、仕方ない。金を出すところと使うところが
別だからな。それに一月遅れではあるが、金払いは良い。もっとも
セヴィルース伯以外の貴族はどうか知らんがな﹂
﹁どうせ面倒そうな客は初見で断ってるんでしょう﹂
﹁面倒な客や出し渋りそうな客の注文は、最初から受けない方が間
違いがない。そういう客は服や顔を見ればだいたいわかる﹂
﹁そんなだから良く知らない人には、紹介状なしの一見さんお断り
の店だと思われてるのよ。本当は違うんでしょう? 新顔が来ても
ろくに説明しないし﹂
﹁結果的に面倒事が減るなら、どうだって良い。幸い常連は多いし、
客は冒険者だけではないからな﹂
﹁それで良いなら問題ないわね。じゃあ、十日後に顔を出せば良い
の?﹂
﹁ああ、それで良い。その時に調整もしよう。場合によっては更に
二三日もらうことになるかも知れない。
2127
遅れるようなら連絡する。何処へ連絡すれば良い? 宿は前と同
じか?﹂
﹁あら、言ってなかったかしら。ちょっと前からクロードの家にい
るのよ。家賃はタダだから居候って言うのかしら﹂
﹁⋮⋮そうなのか? それは初耳だ。あれと一緒に住むとは物好き
だな。家事は誰がやってるんだ?﹂
﹁アランの担当に決まってるでしょう。私もクロードもできないし、
アランはそういうことやるの大好きだもの﹂
﹁そうか。⋮⋮それでお互いに不満がないなら問題ないか。ではア
ランに、困ったことがあればアグナに相談するよう伝えてくれ﹂
アグナはエルグの妻の名である。
﹁わかったわ﹂
レオナールは頷いた。
2128
7 剣士は武具屋で剣を注文する︵後書き︶
ちょっと短めですが、キリが良いのでこれで更新します。
アラン側のロランの町案内は書くかカットするか悩み中です。
そんなことより早く物語進行or新キャラ登場させた方が良いのか
も、と。
2129
8 全て思惑通りに行くわけではない︵前書き︶
女性に対する暴言があります。苦手な方はご注意下さい。
2130
8 全て思惑通りに行くわけではない
レオナールが用事を済ませて武具屋を出ると、ちょうどそこへ走
ってきた栗色の髪の小柄な女性がぶつかった。
﹁あら﹂
レオナールは多少身体を揺らす程度でこらえることが出来たが、
ぶつかってきた方の女性はそういうわけにはいかなかった。
﹁きゃあっ!﹂
小さな悲鳴を上げて吹っ飛ばされた少女は、持っていた荷物││
野菜や果物、パンや干し肉などの食料品││を周囲に盛大にぶちま
けて尻餅を突いた。
くるぶしまであるチュニック風の衣服に白いエプロン姿の少女は、
見たところ打ち身や擦り傷以上の怪我はしていないようである。
ハーフプレートアーマー
レオナールは一般的な剣士としては小柄で痩せ形とはいえ、鋼鉄
製の胸部板金鎧に、腕や足の関節などを保護する丈夫な魔獣革製の
鎧を重ねて着用した彼にぶつかってほぼ無傷とは運が良い。
﹁ごごご、ごめんなさい! 本っ当にすみませんでしたっ!!﹂
少女は脅えるようにその場で土下座せんばかりに頭を下げて謝る
と、慌てて後退り、立ち上がろうとしてよろけて転んでぐしゃりと
道に顔面から落ちた。
その様子を半ば呆れたように見ていたレオナールは、肩をすくめ
ながら尋ねた。
2131
﹁大丈夫?﹂
﹁だだだっ、大丈夫っ、ですっ! おおおおかまいなくっ!﹂
少女は叫ぶように言いながら立ち上がろうとするが、足腰がぐら
ぐら揺れて立ち上がれない。
﹁あれ? あれ、なんで? 足が、足が上手く動かない⋮⋮っ!?﹂
慌てふためく少女の姿にレオナールはやれやれと首を振ると、少
女を肩に担ぎ上げた。
﹁えぇっ!? ちょっ、いきなり何っ!? ど、どどどうしてっ!
!﹂
﹁治癒師の家に行くより冒険者ギルドへ行く方が早そうだから、連
れて行ってあげるわ。どうせ通り道だし。別にかまわないわよね、
ダオル﹂
﹁ああ、問題ない。しかし、良いのか?﹂
口にはしないものの、珍しいと言いたげな表情のダオルがそう尋
ねると、レオナールは笑みを浮かべた。
﹁別に放置でも問題ないと思うんだけど、とりたてて急いでるわけ
でもないし、何か他に用事があるわけでもないもの。回り道になる
ようなら面倒くさいからしないけど﹂
﹁えええっ!?﹂
2132
少女はそこそこ清潔そうな服と革靴に長靴下を穿き、栗色の髪を
後ろ一つで編んで垂らしている。華奢で薄幸そうなおっとりした雰
囲気の可愛らしい少女である。
レオナールはそんな少女をチラリと横目で確認して、心の中で呟
く。
︵これってたぶんアレよねぇ、最近ちょろちょろ視界に入ってくる
灰色のトロくさいの。なんでこんなとこで、こんな格好でうろつい
てるのかはサッパリだけど。
ああ、でも食料調達かしら? そうね、四六時中私達をつけ回し
てるならゆっくり食事取る暇なんかなさそうだし、加工しなくても
食べられそうな物ばかりだったし。
でもこんな風に町の中、それも人目のあるところで接触してくる
とは予想外だったわね。いつもコソコソ人目につかないように、容
姿を特定しにくい装束で足音忍ばせてたのに。
それにしても、いったいどういうつもりかしら。どうせ考えても
わからないんだから、相手の出方を見れば良いわよね。それに攻撃
されない内から手を出したら、アランに怒られちゃうもの︶
少女は見た目だけなら無害そうでおとなしくか弱そうに見える。
レオナールは体格・体臭・魔力に加えて身体の動きで判断したが、
普通の人間であれば特定するのは難しいだろう。
︵それにしても、相変わらず何もないところで良く転ぶわよね、こ
の娘。この調子じゃその内、自分のドジで死ぬわね。もしかして死
にたがり屋なのかしら?︶
レオナールは理解しがたいと言わんばかりに首を左右に振った。
世の中には妙な人間が多すぎる、とレオナールは思う。外見はそれ
2133
ほど大きく違うわけではないのに││レオナールには正直人の外見
上の区別は体格や髪・瞳の色以外にはできず、美醜の違いなどは理
解できない││多種多様な者が多すぎる。
︵人の特徴ってゴブリンやコボルト、オークやオーガともそんなに
変わらないし、亜人の方がよっぽど判別しやすいわよねぇ。
アランはそれほど鼻が良いわけでもないし、魔力や魔素が見える
わけじゃないのに、いったい何で見分けるのかしら︶
レオナールは人や物の大まかな形だけを見て判別しようとしてお
り、アランは細かなところまで見ているだけなのだが、彼はそのこ
とに気付いていない。
ゴブリンやコボルトにも個体によって容姿に多少の差があるが、
それらに興味を持たない者は気付かない││それほど熱心に注意深
く見るわけではないからだが││ようなものである。
ダオルが少女の持っていたと思しき食料を全て拾い集めて麻袋に
詰め終えて立ち上がるのを確認すると、レオナールはそのまま冒険
者ギルドへ歩き始めた。
﹁ああああのっ、そのっ、結構ですから! たいしたことないです
し、治療費とか払うお金もありませんし、そそそそのっ、ごごごご
迷惑になりますから!﹂
﹁これくらいの怪我なら、銀貨一枚もかからないでしょう? 問題
ないわ、なんだったら出しても良いわ﹂
﹁へ? え? ええぇっ!?﹂
少女は驚き、裏返った悲鳴のような声を上げる。ダオルですら無
言ながら驚いたように目を瞠っている。レオナールはニッコリ笑い
2134
ながら言った。
﹁だから気にしなくて良いわよ﹂
﹁!?﹂
少女の瞳が大きく見開かれた。
︵油断しているところを見せたら襲いかかってくれるだろうから、
町中でも思う存分斬れるわよね。ああ、楽しみだわ。
それにしても研ぎに出さなくて良かったわ。鎧も着込んだままだ
し、思い切りやれるわね︶
幸か不幸か、この場にいる誰もが彼の真意を理解できなかった。
困惑する少女を冒険者ギルドへ運んだレオナールは、何やら書類を
繰っているジゼルのところへ向かうと、声を掛けた。
﹁ジゼル、ギルド所属の治癒師に診てもらいたい子がいるんだけど﹂
﹁え? ⋮⋮レオナール!? ちょっとあなた、どうしたの!? まさかまた何かやったの!?﹂
ジゼルが蒼白な声で、施設中に響きそうな大声で叫ぶと、レオナ
ールはやれやれと言わんばかりに首を左右に振った。
﹁やめてよ、何もしてないわよ。ただ店の外に出たら、この子が勝
手にぶつかってきただけだもの。たぶん軽い捻挫か何かだと思うけ
ど、自力で歩けないみたいだから抱えてきたの﹂
﹁どうしたの、レオナール。もしかしてどこかで頭でも打ったの?﹂
2135
ジゼルが心配そうに尋ねると、レオナールは深々と溜息をついた。
﹁⋮⋮どうでも良いから、治癒師のところへ案内してくれるかしら。
私、自分では利用したことないから、知らないのよね﹂
﹁そうね、たまにアランが来ることはあったけど、あなたが患者に
なったことは今のところ一度もないものね。別に犯罪とか何かやら
かしたわけじゃないなら良いわ。
わかったわ、着いて来てちょうだい﹂
﹁あなたが私のことをどういう目で見ているか、良くわかったわ﹂
レオナールが冷たく笑って言うと、ジゼルが眉を吊り上げて反論
する。
﹁普段からの自分の所業棚に上げて良く言うわね!! あなたがロ
ランに来てからこの一年ちょっと、ロラン支部近辺で起こった暴力
沙汰の原因はほとんどあなたでしょう!?
だから﹃歩く暴力﹄だの﹃災厄﹄だの言われてるのに、自覚ない
わけ!?﹂
﹁有象無象どもがほざく戯言に耳を傾ける暇があったら、剣でも振
っているから良くは知らないわね。正面切って言う気もないくせに、
コソコソと陰口叩く輩はどこにでも転がっているものでしょう?
そんなどうでも良いものに注意を払ってたら、面倒で疲れるだけ
じゃない。正面から向かって来るやつがいれば、その場でぶちのめ
せば済む話だし、気にするだけ無駄でしょ﹂
﹁⋮⋮そうね、あなたはそういう人よね。あまりに珍しいことする
2136
ものだから、うっかりまともな人みたいな扱いしちゃったわ、ごめ
んなさい﹂
﹁大丈夫よ、ジゼル。あなたが腹黒ぶりっこなのは、アランには言
わないでおいてあげるから﹂
﹁ちょっ⋮⋮!? レ、レオナール、あなた一体何言ってるの!?
わ、私が腹黒ぶりっこだとでも言いたいわけ!? 私がいつそう
言われることしたって言うのよ!?﹂
﹁わかってるわよ、ジゼル。女は皆生まれた時から腹黒で二枚舌で
演技派で、好みの男の前では自然と声色や態度が変わる生き物だか
ら、特にあなたが腹黒ってわけでも、ぶりっこというわけでもない
と言いたいのね﹂
﹁違うっ! 絶対違うわよ!? ちょっとレオナール、あなたの思
い込みや勘違い、誹謗中傷を事実のように言うのはやめてよね!!
すっごく迷惑なんだから!!﹂
慌て叫ぶジゼルに、レオナールが怖気が走る悪意に満ちた笑顔で
ニンマリ笑う。
﹁そうね、思っても言わないであげるわ。その方があなたも嬉しい
でしょう、ジゼル﹂
﹁レオナール、あなたそういう性格だから友達いないし、嫌われる
のよ! わかってるの!?﹂
﹁別にかまわないわよ。そんなもの必要ないし、どうでもいいやつ
に友達面してすり寄られても気持ち悪いだけだもの﹂
2137
そう言って笑うレオナールを、ジゼルは嫌そうに睨み付けた。
﹁本当、アランが気の毒だわ﹂
﹁でも、そのアランが私と一緒に冒険者になりたいって言うんだか
ら仕方ないわよね。あなたのことは眼中にもないみたいだし、嫉妬
しても仕方ないわね、ジゼル。
人間は自分の周囲の環境がどのように変化しても、嫉妬せずには
生きられない厄介な生き物だもの。私には理解できないけど、色々
大変そうよね﹂
﹁私はあなたが人として生まれてきたこと自体が、何かの間違いだ
と思ってるわ。きっと魔獣や魔物にでも生まれて来た方が幸せだっ
たでしょうね﹂
ジゼルがジトリとした目つきで言うと、レオナールは心底嬉しそ
うな笑みを浮かべた。
﹁ああ、それは私もそう思うわね。ゴブリンにでも生まれていたら、
きっととても素敵な生を過ごせたでしょうね。面倒な人や生活に煩
わされずに済むもの﹂
﹁⋮⋮そう言えば、バカには嫌味が通じなかったわね。私が悪かっ
たわ、レオナール﹂
﹁あら、悪かったと思うのなら、今すぐ土下座して﹃許して下さい﹄
と懇願してくれても良いのよ?﹂
﹁誰がするものですか! 本当っ、人を腹立たせるのが大好きよね
2138
!!﹂
﹁もちろんよ。煽った相手が本気で怒っている姿を見ると、とても
楽しいわ。ついでに殴り掛かったり、武器やその辺にあるもので攻
撃してくれるともっと嬉しいんだけど﹂
﹁⋮⋮やめてよ﹂
ジゼルはガックリと肩を落として憂鬱そうに言った。
﹁え? 何、殴り掛かってくれないの? 言葉の応酬だけでも楽し
いから、どんどんやってくれると嬉しいんだけど。罵詈雑言の語彙
が増えるから﹂
笑顔で言うレオナールを、ジゼルはジトリと睨みながらも口を固
く結んだまま無言で、治癒師の待機する治療所へ案内して治癒師に
簡単に用件を伝えると、用は済んだとばかりに立ち去った。
﹁はじめまして、噂はかねがね聞いているよ、レオナール﹂
焦げ茶色の髪の若い治癒師が、笑顔ながらも睨むようにレオナー
ルを見て言った。
2139
8 全て思惑通りに行くわけではない︵後書き︶
また今回もちょい短めです。
相変わらず暴言吐いていますが、注意書き必要なのか悩みます。
下記修正。
×レオナールは少女を肩に
○少女を肩に
×無害そうな、
○無害そうで
×この場にいる誰も
○この場にいる誰もが
×有象無象どもにほざく戯言
○有象無象どもがほざく戯言
×耳を掛ける
○耳を傾ける
×どんなに自分の周囲の環境が
○自分の周囲の環境が
2140
9 突拍子も無いことを言われた人は唖然としてしまうことを剣
士は理解できない
レオナールの目の前に立つ治癒師は二十代くらいの青年である。
穏やかに笑っているかのように見える目は細めているのではなく、
元からそういう形をしているだけのようだ。
口元に笑みを浮かべているのに、その細目でこちらを見つめて視
線を逸らさないので、何か企んでいるようにも見える。胡散臭い笑
顔、ともいう。
︵初対面よね、たぶん︶
記憶を探ってもこの男に関する記憶は全くない。誰かに何か聞い
た覚えもない。彼が何かの折にその他大勢の中に紛れていたのなら
ば、気に留めず忘れてしまった可能性もあるが、単にレオナールが
喧嘩や暴力沙汰を起こすのは冒険者ギルド近辺が一番多いため、そ
れで何か思うところがあるのかもしれない。
少なくともレオナールには見当も付かなかった。
︵まぁ、知らない人に睨まれたり絡まれるのはしょっちゅうだから、
気にする必要ないわね︶
考えてもわからないことは、考えるだけ無駄だとレオナールは思
う。知らないことは知らないし、わからないことはわからないのだ。
そういうことはアランに任せておけば良い。どうせアランは頼まれ
なくても四六時中何か考え込んでいるのだから。
﹁忙しいところ悪いけど、この子を診て欲しいの。たぶん捻挫だと
思うんだけど﹂
2141
レオナールはそう言って、担いでいた少女を傍らの椅子に下ろし
た。青ざめて冷や汗をかく挙動不審な様子の少女を見た治癒師は眉
をひそめた。
﹁彼女に暴力を振るったのですか?﹂
﹁え?﹂
レオナールはキョトンとした。治癒師がレオナールを睨み付けた。
﹁これまでの被害者はいずれも冒険者でしたので、思うところはあ
れど干渉はしませんでした。しかし、武装もしていない一般市民に
手を出したとなれば、話は別です。
彼女が訴え出るならば、その被害が軽い怪我や金銭要求などでは
ない恐喝であっても、あなたは罪を犯した者として取り調べ裁くこ
とができます。
場合によっては、冒険者資格の剥奪を執行することも⋮⋮っ﹂
﹁いったい何の話?﹂
レオナールが首を傾げて尋ねた。
﹁あなたはギルド所属の治癒師でなく、偏執的で事実と妄想の区別
がつかない頭のおかしい人なのかしら? だったらこんなところに
さも当然といった顔でたむろしていたら、追い出されて出入り禁止
にされるわよ。
狂人の戯言は、その人の脳内で垂れ流す分には問題ないけど、そ
れを口に出して誰彼構わず絡むようならただの害悪だもの﹂
2142
﹁はぁ!? 君の目は節穴か! この服は冒険者ギルドに駐在する
治癒師に貸し出される制服だぞ! 僕は冒険者ギルド・ロラン支部
と正式に契約を交わして駐在している治癒師だ!!﹂
﹁へぇ、じゃあ、本当に治癒師なの? だとしたら、あなた目と耳
がおかしいの? それとも頭がおかしいのかしら﹂
﹁何だと!?﹂
﹁思い込みで早合点する前に、周囲を見回してみたら? ほら、呆
れた顔で見ている人や、何この頭のおかしい人って顔で見ている人
がいるわよ﹂
前者はダオル、後者はここまで抱えてきた少女のことだが、ダオ
ルは呆れた顔というよりは眉をひそめてこちらを見つめ、少女はた
だ冷や汗をかいた顔のままレオナールと治癒師の青年の顔を交互に
見てオロオロしているだけである。
﹁治癒師殿、彼は自分にぶつかってきた少女が怪我をしたから、こ
こまで連れて来ただけだ﹂
ダオルは端的に事実だけを口にした。レオナールは少女に対して
は暴行していないが、ロラン北門で冒険者三人組相手に暴言を吐い
た上で乱闘したこと、それが常習であるだろうことを考えると、彼
は暴行など絶対にしない、と言い切る自信はなかった。
ダオルは嘘をつけない。尋問などの専門家や、人の話を聞くのが
上手い相手では、下手に何か言えばボロが出そうなので、普段から
あまり余計なことは言わないことにしている。
語学堪能で話し上手だったり、人好きのする性質だったりするの
ならばともかく、彼の共通語の語彙や発音は日常会話する分には問
2143
題ないが、相手を説得したり丸め込めるほど自由に言葉を操れるわ
けではない。
ダオルは元々饒舌な方ではない。彼がシュレディール王国に腰を
落ち着ける覚悟を決めたきっかけであるダニエルとの邂逅までは、
どちらかと言えば寡黙で鉄面皮と称されていた。
色々あってダニエルの尻拭いをするようになって、ダオルは努力
した。顔がオーガ並に恐いだの、無言だと喧嘩を売っているように
見えるだの、さんざん言われたせいもあるが。
レオナールは確かに問題を起こしてばかりいるし、荒事好きで火
のないところに火種や燃料を撒いては拡大させることを好むように
見えるが、それでも事実ではないことは否定すべきだ。
ダオルはいかなる時も、自分にも他人にも真摯でありたいと思っ
ている。全ての人が善良ではないし、中には更生の余地もない害悪
しか振りまかない輩も存在するが、だからといって相手を理解する
こともなく先入観や誤解でもって判断するようなことは好まない。
﹁そうか、ならばとりあえずこの場は治療を優先する。⋮⋮彼女を
こちらの診察台へ﹂
治癒師の青年は怒りで顔を紅潮させ、眉間に皺寄せつつも、それ
以上詰問することは断念したようだ。
﹁ああああのっ、そそそそのっ、あっ、歩けますから!!﹂
﹁さっきそう言って顔面から地面に倒れてたじゃないの。それとも
何かしら、あなたは自分の顔を全力を地面に打ち付けたいの? も
しかして顔の傷や痣を増やしたいのかしら?
人の趣味をとやかく言いたくはないけど、そういう趣味はあまり
公言しない方が良いし、目に見えるところに無闇に傷をつけると人
2144
の噂の種になるから、控えた方が良いと思うわよ?﹂
﹁ちっ、ちちち違いますっ! そそっ、そんな趣味ないです!!﹂
少女が目を白黒させて慌てて首を左右に振りながら叫ぶと、レオ
ナールは髪を掻き上げながら、大仰に肩をすくめた。
﹁あら、そう。てっきりそういう危ない趣味の変態なのかと思って
たわ。日頃から良く落っこちたり、転んだりしているみたいだから﹂
﹁ぇふぁっ!? あああのっ、そそそれっ、どどどどういうっ⋮⋮
!?﹂
﹁だって、怪我は右足首の捻挫だけじゃないでしょう? 左肩の付
け根辺りに打ち身か何か、左足の小指に突き指かしら、それと左足
の腿と膝にひっかき傷か切り傷があるでしょう?
細かい傷や軽い打ち身は他にも色々ありそうだけど、特にわかり
やすいのはそれくらいよね﹂
﹁ええええええぇっ!? ちょっ、何でっ!! どどどどうして知
ってるんですか!? しかも具体的に!!﹂
少女は口から泡を吹かんばかりの勢いで動転し、絶叫した。
﹁だって、見ればわかるでしょう? 傷や痛むところを庇っている
から、身体の動きがおかしいし、不自然だもの。
何故それを治療せずに放置しているのか理解しがたいわ。どれも
自然治癒するようには見えないのに。そういう趣味かバカだとしか
思えないわね﹂
2145
﹁⋮⋮っ!?﹂
少女は口をパクパクと開閉させて、硬直した。
﹁⋮⋮何?﹂
レオナールの言葉を聞いて、治癒師は眉をひそめた。
﹁本当に、ぶつかっただけなのか? お前が彼女に暴力を振るった
んじゃないのか?﹂
﹁違うわよ。単にそそっかしいだけじゃないの。別に知り合いじゃ
ないから良く知らないけど﹂
レオナールは呆れたように唇を歪めて笑った。治癒師は眉間に皺
を寄せつつも、少女の診療をすることにした。
﹁では、全て診て治療することにしよう。お前達二人は部屋を出て
行ってくれ。申し訳ありませんが、肩の付け根や腿となると、服を
脱いで貰う必要があります。よろしいでしょうか?﹂
レオナールに向けるとげとげしい視線とは打って変わって穏やか
な笑顔で治癒師は、少女に尋ねた。
﹁治療費は私が出すことになっているけど、どうすれば良いかしら
?﹂
﹁では、ギルド受付窓口で支払ってくれ。おそらく全ての傷を診て
治癒魔法を掛けると、銀貨1枚と銅貨50枚くらいになる﹂
2146
﹁細々とした支払いはアランに任せてるから、銀貨以上のお金しか
持ってないのよね。まぁ良いわ、銀貨2枚ジゼルに預けておくから、
足りなかったらツケにしておいてくれる?
お釣りがあるようならそのまま預けてちょうだい。数日後にまた
ギルドに顔を出す予定だから﹂
レオナールはそう言うとヒラヒラと手を振り、部屋を後にした。
﹁では診療と治療を頼む。おれも失礼する﹂
ダオルは軽く会釈すると、腰を左右に揺らしゆったりと小幅で歩
くレオナールの後を追った。
﹁前から思っていたのだが、どうしてそういう歩き方なんだ、レオ
ナール。ダニエルは君に剣を扱うのに向いている歩法を教えなかっ
たのか?﹂
﹁戦闘時はともかく、普段はドレスを着ていた頃の歩き方になっち
ゃうのよね。指導されたように歩けないと棒や鞭で叩かれたから、
身に染みついちゃったのかしら﹂
﹁⋮⋮ドレス?﹂
レオナールの返答に、ダオルは固まった。
﹁あら、聞いてないかしら? 私、十三歳くらいまで母親と一緒に
貴族に飼われていて、女として育てられてたのよ。
まぁ、どちらかというと放置で気の向いた時に嬲る玩具だったか
ら、普段はいくつかの事は除いて割と自由に行動できたけど。
変に執着されたり管理されるよりはマシよね。食事がまともに出
2147
て来なかったり、出て来ても食べられる物じゃなかったりするのだ
けは閉口したけど﹂
﹁⋮⋮その、すまなかった﹂
ダオルが気まずげに言うと、レオナールは首を傾げた。
﹁どういう意味? ダオルに謝られるようなことをされた覚えはな
いけど。ところで、ダオルは何か用事はないの?
無いなら、私は防具屋へ行って修繕の必要がないか見て貰ったり、
手入れ用のクリームやオイルを補充したり、替えの服や下着を買い
に行こうと思ってるんだけど﹂
﹁おれの方は問題ない。おれも手入れ用の消耗品類や衣料品の補充
が必要だからちょうど良い﹂
﹁なら良かったわね。他に行きたいところがあれば付き合うけど?﹂
﹁冒険者向けの雑貨や消耗品、薬や魔道具なども見ておきたいが、
そういうのはアランの担当なのだろう?﹂
﹁そうね。そういうのは私に聞かれても困るわねぇ。アランに聞け
ば教えてくれるわ。ああ、でも、アランそういうの好き過ぎて暴走
することあるから、気を付けて。面倒くさいから﹂
﹁そうなのか? しかし、どう気を付ければ良い?﹂
﹁その手の話題はあまり熱心に話さなければ、たぶん大丈夫だと思
うわ。アランの気分にもよるけど。詳しい説明はいらないけど仕方
ないから教えてくれって調子で聞けば、話したい気持ちを抑えなが
2148
ら用件だけ教えてくれるかも﹂
﹁⋮⋮たぶん、なのか﹂
﹁だって私はアランじゃないもの。アランがどう思うかなんて知ら
ないわ。それにあの子、時折予測できないようなことするのよねぇ。
どうすれば良いかはわかるけど、どうしたらそうなるかは知らな
いから、なった時は諦めて聞いてあげて。暴走している時は相づち
は打っても打たなくても、制止してもしなくても同じだから、時間
が過ぎて正気に戻るまで待つしかないわ。
他に外せない用事がある時は、暇な人にアランの面倒まかせて放
置すれば良いわ。たぶん放っておいても問題ないかもしれないけど、
あの子ちょっと危なっかしいのよねぇ。
周りが見えない、聞こえない状態になっているから、一応歩いた
りはできるし、食事を与えれば食べるんだけど、何をしても覚えて
ないの。
ああいう時に毒や睡眠薬仕込んでも、そのまま飲んじゃいそうな
のよねぇ。あれじゃその内死にかねないわね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ダオルはなんとも言えない顔でレオナールを見返した。
2149
9 突拍子も無いことを言われた人は唖然としてしまうことを剣
士は理解できない︵後書き︶
風邪だいぶ良くなりました。ティッシュボックス1パック消費しま
した︵涙︶。
今回も短い&物語の内容が進んでいません。すみません。
オドオド娘の出番はしばらく無いはず。
おっとり系巨乳ドジッ娘︵美少女︶を書こうと思ったけど、違う生
き物になった気がしています︵汗︶。
私が書くと可愛い女の子にならない気がします。
2150
10 逃したえものは大きい
レオナールが利用している防具屋は冒険者ギルドの斜め向かいに
建っている。こちらも武具屋同様、クロードの紹介である。
﹁こんにちは﹂
レオナールが声を掛けつつ店内に入ると、店のカウンターで寝て
いるボサボサ髪の男の姿が見えた。レオナールはそちらへ向かうと、
右拳で男の後頭部を軽く殴った。
﹁おいっ!﹂
さすがにダオルが驚き制止しようとしたが、間に合わなかった。
鈍い音がして、男が額をカウンターに打ち付け、﹁痛ぇ﹂とぼやき
ながら寝ぼけ眼で顔を上げた。
﹁口を開けたまま寝るのはやめた方が良いわよ、アシル。周りがよ
だれで汚れる上に、気持ち悪い間抜け面だから。あと、髪もまめに
洗って手入れしなさいよ。うっかりあなたを素手で触ったことをち
ょっと後悔してるわ。気持ち悪い﹂
そう言いながら、レオナールは腰に吊している小さめの革袋から
手拭い用の布を取り出し、汚い物を触ったと言わんばかりにゴシゴ
シと拭った。
﹁⋮⋮久しぶりだな、レオナール。挨拶前に人を殴るとか、相変わ
らずだな﹂
2151
﹁挨拶はしたわよ。あなたが寝ていて聞いていなかっただけで。そ
んなことより鎧の調子を見て欲しいの。たぶん問題ないと思うけど、
ここ最近結構量を斬ってるから。
あと近々アンデッドとやり合う事になりそうなのよね﹂
レオナールがそう言いながら、おもむろに装備を外し始めた。ア
シルと呼ばれた赤髪の男は頭をガリガリと掻きながら、眉をひそめ
た。
﹁アンデッド⋮⋮スケルトンとかグールとかレイスか? 初耳だが、
まさかこの辺りで出たのか?﹂
﹁さぁ? そんな話は私も聞いたことないけど、転移陣にそれっぽ
いのが書いてあったらしいから、たぶん出るんじゃないかしら。
ああ、でも、きっとラーヌの近くだと思うわよ。まだ行ってない
から正確な場所はわからないけど、前にアランが﹃転移陣は転移先
との距離によって消費魔力量が変わる﹄とか言ってた気がするから、
それほど遠くはないはずよ﹂
﹁なんだ、不確定情報か。で、念のため事前に装備の補修や確認を
したり、アンデッド対策をしておきたいってわけか﹂
レオナールの返答に、アシルは安心したように肩の力を抜いた。
﹁そういうこと。そういえば、剣だけでなく防具も何か対策した方
が良いのかしら?﹂
﹁スケルトンならゴブリンよりは硬いくらいで、ごく稀に強い個体
がいることもあるが、大半はその辺の村人程度だ。
2152
人格のないアンデッド全般はだいたいそうだが、生前の能力より
ちょい落ちるが代わりに核を壊すか魔力が尽きるまでは動き続ける
から、それが厄介だろうな。
レイスとかは物理攻撃効かないけど物理攻撃もしてこないから、
防具に関してはどんなのを着てようがそんなに違いはねぇな。
魔法使って来たり、精神攻撃してくるらしいけど、そんなもの高
価な魔道具か神官とかがいなけりゃ普通はどうにもならねぇだろ﹂
﹁高価な魔道具?﹂
﹁お前ら駆け出しに買えるような値段じゃねぇし、そもそもそんな
貴重な物が需要もないのに、ロランみたいな田舎町に売ってるはず
ねぇだろ﹂
﹁なんだ、買えないならどうでも良いわ。とにかく見てちょうだい。
いくら掛かるかしら?﹂
﹁何も問題なければ、銀貨一枚だ﹂
﹁ねぇ、前から思ってたけど、ちょっと高くないかしら。見るだけ
なんでしょ?﹂
﹁はぁ? ふざけんな、これでも安くしてやってるんだ。文句があ
るなら他へ行け。嫌なら俺に頼まず店を出て行けよ。俺の昼寝を邪
魔しやがって﹂
﹁⋮⋮仕方ないわね。これ以上下げられないって言うなら、それで
良いわ。はい、銀貨一枚。足りなかったら受け取る時に払うわね﹂
﹁ちっ、それなら最初からグダグダ言わずに黙って金を出しゃ良い
2153
だろ。昨夜は徹夜だったから眠ぃんだよ﹂
﹁あなた、いつもそんなこと言うけど、いつ来ても寝てるじゃない
の﹂
﹁お前が俺の徹夜明けにわざわざ来るからだろ! 一応客として相
手してやってるんだから、感謝しやがれ。あとな、アンデッド対策
について聞きたいなら、俺じゃなくて冒険者ギルドで聞けよ。
そっちのが色々情報持ってるし、冒険者のランクや懐具合別の具
体的な倒し方とか対策とか知っているだろうが﹂
アシルが恨めしげに睨みながら言うと、レオナールは首を傾げた。
﹁あら、それは気付かなかったわ﹂
﹁お前の相棒はどうしたんだよ。そういうのは相棒の担当なんだろ
?﹂
﹁そう言われたらそうね。アランがその話を全くしなかったってこ
とは、あの子は必要ないと思ってたのかしら?﹂
﹁いや、知らねぇよ。あいつのことなら、お前の方が詳しいだろ﹂
﹁ふぅん、なら後で本人に聞いてみるわ。あの子自身がアンデッド
とやり合うなら準備が必要だって言ってたんだから、きっと知って
ると思うし﹂
﹁おう、そうしろ。じゃあ、防具の点検と必要なら補修・修繕すれ
ば良いんだな。なら二、三日後に来てくれ﹂
2154
﹁わかったわ。でも、見るだけなのにそんなに掛かるの?﹂
﹁おい、何度言えばわかる。ただ見るだけで済むはずねぇだろ。縫
い目やつなぎ目を解いて部品ごとに分解して各部を洗浄するところ
からやるんだ。
縫い合わせる糸や部品を交換したり、たとえば金属鎧なら強度や
ひずみの確認とかで木槌で叩いて確認したり、手間も時間もかかる
んだ。あまり職人バカにするようなこと言うと、出入り禁止にする
ぞ﹂
﹁そんなつもりは毛頭なかったけど気を悪くしたなら謝るわ、ごめ
んなさい﹂
﹁わかったなら良いんだ。わざわざ説明されなくても察しろとまで
は言わねぇけど、感謝しろよ。オレらが仕事しなけりゃお前らの装
備なんざ一年保たずにボロボロになるんだからな。
で、その後ろにいる兄ちゃんはどうした? 別口か?﹂
アシルはようやくダオルの存在に気付いたようである。
﹁ああ、すまない。はじめまして、しばらくこちらに滞在予定の冒
険者、ダオルだ。単独で来ることもあるが、たぶんレオナールやア
ランと一緒に行動することの方が多いだろう。
今回は革鎧用のオイルが欲しい。できれば乾燥しづらいクリーム
状のものを﹂
﹁革鎧ってのは今着ているそれか? なら、これで良いだろ。銅貨
二十枚だ。オレの店で配合して作ってるやつだから、なるべく他の
店で買ったものや古いのとは一緒に使わない方が良いぞ﹂
2155
﹁わかった、有り難う﹂
ダオルは言われた金額を支払いクリームを受け取ると、背嚢の奥
へ仕舞い込んだ。
﹁それにしても珍しい。こいつらが他の冒険者と一緒にいるだなん
て。なんだ、ようやく仲間ができたのか?﹂
﹁ダオルは師匠の知り合いよ。なんだか良くわからないけど、しば
らく私達と依頼とかに同行するんですって﹂
﹁なんだか良くわからないってお前、ちゃんと聞いてねぇのかよ?﹂
﹁アランが把握しているみたいだから、問題ないでしょう? どう
せ私が聞いても良くわからないんだから、聞いても聞かなくても変
わらないでしょ﹂
﹁お前、それで良く冒険者やってられるな。一応見習い期間入れれ
ば、そろそろ二年近くになるんじゃねぇのか?﹂
ハーフプレー
﹁そういう面倒なことはアランにまかせているわ。私は斬るのと、
周囲の警戒・感知専門よ﹂
﹁⋮⋮アランのやつも気の毒に﹂
トアーマー
アシルはそう言って肩をすくめた。レオナールはようやく胸部板
金鎧を脱ぎ終わり、革鎧を脱いで同じようにカウンターの上に置く
と、汗を拭った。
﹁鎧の下はいつも麻の上下を着ているけど、ちょっと動いただけで
2156
すぐ汗をかくのよね。これってどうにかならないかしら﹂
﹁諦めろ。生きている証拠だ﹂
﹁なら仕方ないわね。︽浄化︾を掛ければ少しはマシみたいだけど﹂
﹁アランのやつ、︽浄化︾を修得したのか? あれ、コネでもなけ
りゃ駆け出しには魔法書自体が入手が困難だろうに。もしかして、
ダニエルさんかクロードの紹介か?﹂
﹁師匠の知り合いに教えて貰ったのよ、私が。アランも熱心に見て
たから、もしかしたら使えるようになってるかもしれないけど﹂
﹁さすがダニエルさんだな、高位魔術師の知り合いがいるとか。と
ころでレオナール、その言い方だとお前も使えるように聞こえるん
だが﹂
﹁何度か練習したら使えるようになったわ。あると便利よね、︽浄
化︾って﹂
﹁⋮⋮お前、斬ること以外に興味のない剣士じゃなかったのか?﹂
﹁もちろんそうよ。でも、自分の汗や埃で汚れるのは仕方ないとし
ても、魔獣の体液やドラゴンの唾液で汚れることを考えたら、必要
でしょう﹂
﹁お前に魔術師としての素養があるとは知らなかったよ。そういう
能力があるなら、そっち方面の勉強もしたら戦闘・戦術に幅ができ
るし、仲間だっていくらでもできるんじゃないか?﹂
2157
﹁必要ないわ。どうして私がそんな面倒くさいことやらなきゃいけ
ないの。そういうのはアランの担当でしょう。だいたい、魔法・魔
術には詠唱が必要でしょ?
あれを全部覚えなきゃいけない上に、その都度詠唱しないと使え
ないなんて面倒くさいわ。そんなことする暇があるなら近付いて斬
った方が早いじゃない﹂
レオナールが鼻で笑うように言って髪をかきあげると、アシルは
ガシガシと頭を掻いた。
﹁あのなぁ、色々できた方が便利だし、いざって時に困らねぇだろ。
やろうと思えばできるんなら、やった方が良くねぇか?
できないやつにやれとは言わねぇけど、やれることは何でもやっ
ておいた方が、困った時の選択肢が増えるし、その分生き延びやす
くなるだろ。
ただでさえ冒険者なんて稼業は、ちょっとしたことで死ぬんだか
ら﹂
﹁でも、興味ないことはすぐ忘れるわよ? 聞くだけでも疲れるし、
面倒だし、やる前からムダとわかってることをする気になれないわ
ね﹂
胸を張って言うレオナールに、アシルは呆れた目を向ける。
﹁お前、そんなのだから友達できねぇどころか、そこら中に敵作る
羽目になるんだぞ。少しは相棒の負担を減らしてやろうとか思わね
ぇのか?﹂
﹁何言ってるの。アランが好きこのんでやってるんだから、私が何
かやろうとすれば邪魔になるだけでしょう。私は私のやりたいこと
2158
をやるし、あの子はあの子のやりたいことをやっているだけよ。
それが互いの利になってるんだから、現状通りで問題ないはずよ
ね。あなたに文句言われる筋合いはないわ﹂
﹁確かにお節介か。まぁ、良い。お前らがそれで良いっていうなら
オレの差し出口とかいらねぇわな﹂
そう言ってアシルはやれやれと首を左右に振った。
﹁これで用事は済んだわよね、ダオル﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
ダオルが頷くと、レオナールはクルリと背を向けた。
﹁なら次へ行きましょう。邪魔したわね、アシル。ゆっくり昼寝し
たけりゃ店を閉めてベッドで寝た方が疲れが取れると思うわよ﹂
レオナールはヒラヒラと手を振りながら出入り口のドアに歩み去
る。その背中に、恨めしげにアシルがぼやいた。
﹁それができりゃそうしてんだよ。今日来るはずの店番が急遽休ん
だりしなけりゃ、休めたはずなんだ﹂
﹁大変そうだな﹂
﹁まぁ、その内トンズラしそうだとは思ってたんだが、それが今日
になるとは思ってなかったんでな。徹夜仕事が続くと、だいたいそ
の二、三日後に店員がやめてくんだよ﹂
2159
﹁その、徹夜仕事にならないようにすれば良いのでは?﹂
﹁予告なしに期限指定付きの大口注文がぶち込まれなけりゃ可能だ
な。オレらみたいな商売は暇な時と忙しい時の差がデカいから、普
段から余分に店員や職人を雇っておくと経費がかかって仕方ねぇん
だよ。
まぁ、今回のは先日のゴブリン討伐のせいだから諦めるしかねぇ
けど、個人の客でも一時期に来られるとキツイんだよな。
けど、冒険者が仕事するのに防具がないとか有り得ねぇからキツ
くても断れねぇよ﹂
﹁ロランには防具屋はあまりないのだろうか?﹂
﹁ないわけじゃねぇけど、冒険者向けはうちの他に三軒だな。その
中じゃうちが一番腕が良くて儲かってると思うぞ。あまり高価なも
のは扱ってねぇから、利益はそこそこだ。
なにせロラン周辺は低ランク魔獣しか出ないし護衛の仕事もそれ
ほどねぇから、Cランク以上になると他へ行っちまうからな﹂
﹁なるほど。教えてくれて有り難う。では、おれも失礼する﹂
﹁ああ、さっきはああ言ったが、必要な時はいつでも来い。日の出
ている内なら店を開けている。⋮⋮あれに同じことを言う気にはな
れねぇけどな﹂
ダオルは返答する代わりに笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇
2160
﹁じゃあ、次は服屋ね。庶民向けの古着屋だけど、かまわないわよ
ね?﹂
﹁ああ、問題ない。レオナール達が良く利用している店なのだろう
?﹂
﹁ええ、そうよ。ロランにある中ではそこそこ小綺麗な良品が揃っ
てると思うわ。さすがに安くてもボロは着たくないもの﹂
﹁服にこだわりはないが、それでも程度はあるからな﹂
﹁良かったわ。冒険者ってたまに物乞いか山賊かと思うようなのが
いるから。ああ、でも高ランク冒険者だと稼げるから、別なのかし
ら﹂
﹁そうだな、Cランク以上は護衛依頼を受けるようになるし、Bラ
ンクにもなると貴族からの依頼を受けることもあるから、それ用の
服を持っているやつもいるな。
おれはそういうのは受けず、基本は魔獣・魔物討伐や単独での調
査とかが多いし、何より移動や野営が多いからそれほど良い服は持
っていないが﹂
﹁そんなに移動が多いなら馬車か何か買えば楽じゃないかしら? それとも何か騎獣持っているの?﹂
﹁いや、基本的に移動は徒歩か転移陣だ﹂
﹁ああ、転移陣で移動するなら馬車とか騎獣は必要ないわね。じゃ
あ、普段着とか鎧下代わりの服とか下着類を買いたいの?﹂
2161
﹁ああ。おれ一人で辺境で活動するのならば今まで通り三、四着を
着回しでも問題ないが、しばらく町で滞在するとなれば、多少は人
目を気にした方が良いだろう﹂
﹁ギルド周辺の町民は小汚い冒険者の姿にも慣れているからたぶん
気にしないけど、程度はあるものね﹂
﹁おれはこの外見だからな。せめて流れのならず者に間違われない
ようにした方が良い﹂
﹁それは大丈夫だと思うわ。ほら、今日北門で会った連中以上に怪
しいやつらってそうそういないだろうし﹂
﹁⋮⋮彼らの普段の行いは知らないが、あまり係わり合いになりた
いような者達ではなさそうだな﹂
﹁嫌われてはいるけど、一応冒険者としての仕事はしているみたい
ね。ただ、暇さえあればギルド職員に絡んだり、他の冒険者に喧嘩
売ったり金品をせびったりしているみたいだけど﹂
﹁一般の町民には手を出していないということか?﹂
﹁酒場女や娼婦相手はともかく、それ以外にちょっかい出すと面倒
なことになるってくらいは理解できてるみたいね。そういうところ
がバカのくせにこすくて、いやらしいけど﹂
﹁レオナールはどうなんだ?﹂
﹁私? 私は私よ。売られた喧嘩は三倍返し、復讐するなら百倍返
2162
しってとこかしら。攻撃的な態度されなきゃ、こっちも穏便に対処
するわよ﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
ダオルは頷いたが、思うところがあるようである。
◇◇◇◇◇
﹁あらぁ、レオナールじゃない。こんにちは、久しぶりねぇ。相変
わらず見た目だけは天使のようね、中身は最悪だけど﹂
﹁ええ、こんにちは。そういうあなたはいつ見ても気持ち悪いわね﹂
店内に入った途端に声を掛けて来たのは、レオナールより頭一つ
分ほどの身長とガラガラ声の体格の良い男である。
﹁ちょっとあなた、そういうこと面と向かって言う?﹂
﹁あら、でも私が言ってあげないと、誰もあなたに指摘してくれな
いんじゃないかしら﹂
﹁この世であんたにだけは言われたくないわね! で、何の用よ?﹂
﹁服屋に服を買いに来る以外のどんな用事があるとでも? ああ、
シリル。魔獣の血とか体液浴びても汚れにくい衣類ってあるかしら?
︽浄化︾があれば問題ない気もするけど、使えなくても何とかな
る方が有り難いわ﹂
2163
﹁やっぱり麻が一番安くて使い勝手も良いと思うわよ。汗をかく仕
事しているんだから、麻じゃなければ綿が良いでしょうけど、綿は
少し高めになるでしょ?﹂
﹁着心地の良さは綿のが上よね﹂
﹁夏は麻の方が良いんじゃない? まぁ、あなたの好きな物を買え
ば良いけど。新作あるけど見る? それとも鎧の下に着る服を買い
に来たのかしら﹂
﹁どっちもよ。あとは下着と、涼しい服もいくつか欲しいわね﹂
﹁ところで、こちらの素敵な殿方はどなた?﹂
男の目がキラリと光った。
﹁⋮⋮あ、その、ダオルだ。しばらく彼らと一緒に行動する予定の
冒険者だ﹂
ダオルが戸惑いながら言うと、男はレオナールを押しのけるよう
にして距離を詰めて来た。
﹁その姿からすると、ダオルは剣士なのかしら? うちは大柄な方
向けの服も色々あるから、好きなだけ見ていってちょうだい。どん
な服がお好みかしら?﹂
﹁え? その、できればシンプルで機能的なものが﹂
ダオルがそう答えたのは、男の着ている服の上衣がシルクか何か
2164
のドレープをたっぷり使った薄布だったからである。
﹁うふ、これ、素敵でしょう? ズボンの上に出して着るシャツな
のよ﹂
﹁シリル、新作ってまさかそれじゃないでしょうね﹂
﹁そうなのよ! 先日ラーヌでスパイダーシルクが大量に入ったの
よ! だから私も伝手を使って数着分だけど手に入れたの!! う
ふふ、イメージがふくらむわぁ﹂
﹁スパイダーシルク?﹂
レオナールが首を傾げた。
﹁巨大蜘蛛やアラクネの糸のことだ。状態や質にもよるが、良いも
のは服一着分だと白金貨になる﹂
﹁ちょっと待って! じゃあ、この前倒した巨大蜘蛛やアラクネの
糸って⋮⋮!!﹂
﹁全て回収できていれば、白金貨は無理だが金貨数十枚にはなった
だろうな。おそらく、今回出たのはその糸だろう﹂
﹁何ですって!? いったい誰があれを回収して売り払ったって言
うの!?﹂
レオナールが目の色を変えた。
﹁おそらくはラーヌの領兵団の連中か、でなければその後に入った
2165
冒険者だろうな﹂
﹁⋮⋮ひどい。私達が倒したのに﹂
レオナールがガックリと肩を落とした。
2166
10 逃したえものは大きい︵後書き︶
更新遅れているので、この辺りの話はカットするか悩みましたが、
最後のオチのために挿入することにしました。
レオナールのラーヌ嫌い︵もしくは恨み?︶は促進されたようです。
以下修正。
×嫌われはいるけど
○嫌われてはいるけど
2167
11 死亡フラグという名の︵前書き︶
後半に別キャラ視点入ります。
2168
11 死亡フラグという名の
﹁どうして教えてくれなかったの、ダオル! 知ってたら絶対回収
したのに!!﹂
レオナールが噛み付かんばかりの勢いでダオルに詰め寄った。ダ
オルは困ったような苦笑を浮かべた。
﹁あそこで無理をすると厄介な事になりそうだったからだ。君が知
れば無理をしてでも回収する可能性が高いため言わなかった。すま
ない﹂
ダオルに率直に謝られ、レオナールは不承不承ながら頷いた。
﹁なるほどね。確かに聞いていたら、領兵連中を殴り飛ばしてでも
回収してたかもしれないわね。でも、さすがに金貨数十枚は惜しく
ない?﹂
﹁確かに回収してまとめて売り払うことができるのなら、誰だって
目の色を変える金額なのは間違いない。だが、一般的な低ランク冒
険者が売るとしたら冒険者ギルドだ。その場合、金額はかなり目減
りする﹂
﹁⋮⋮つまり伝手やコネがあるとないでは、金額に差があるってこ
と?﹂
﹁そうだ。例えばアレクシスの協力が得られるなら、大店で高額で
まとめて引き取って貰えるだろうが、おれや君らが売る場合には良
2169
くて素材店、でなければ冒険者ギルドで売ることになる。
ギルドで全て売った場合はおそらく金貨二十枚に若干満たないく
らいになる。素材屋はもう少し買い取り金額が上がるだろうが、店
の規模によっては一度に全て買い取れない可能性がある。その場合、
二度目以降の買い取り金額は初回より下がる。
一度に全て買い取ることができる店は大店か専門業者だが、そう
いう店は紹介状なしで買い取りをすることはまずない。町へ戻る時
点では無理をしても、労力に見合う利益を得ることは難しいと判断
した﹂
﹁門のところでアレクシスに会えたんだから、協力してもらえば良
かったんじゃないの?﹂
﹁アレクシスは気まぐれで、基本的に自分の利にならないことはし
ない男だ。今回のように、彼が無償で積極的に協力してくれたのは
とても珍しい。
おそらく今回はレッドドラゴンの幼体を見に来て、そのために君
が長期間拘束されるのは不都合だったからだろう。ただ、鱗でも皮
膚でも内臓でも何か持ち帰ろうとしなかったのは、正直不思議だ。
いつもならそれくらいはやりかねないのに﹂
﹁ルージュに警戒されて近付けなかったからじゃないの? あの子、
生半な魔法は効かなかったり解除したりするから。
あの人、素でドラゴンの膂力を押さえられる力は持ってないでし
ょう? 師匠なら素手で殴り合いや押し合いできそうだけど﹂
﹁それは無理だな。膂力も体力もごくごく普通だ。身体能力はアラ
ンよりは上だが、ルヴィリアより若干劣るくらいだ﹂
﹁ルヴィリアより弱いの?﹂
2170
﹁彼は普段、仕事や研究以外では滅多に外へ出ない。代理で済むよ
うな事は全て他人に任せている。今回は使用人を一人しか連れてい
なかったが、いつもは護衛を連れているから自分で身を守る必要も
ない。
おそらく本や書類より重い物は持ったことがないだろう﹂
﹁ふうん、面倒なことを他人にやらせるのはわからなくもないけど、
身を守るのは自分でやった方がてっとり早くて面倒がないと思うけ
ど﹂
﹁おれ達と違ってアレクシスは物心ついた頃から人を雇い、使うの
に慣れている。彼ほどの家柄だと相手が信用できないということも
あまりないのだろう。
一流の教育を受けた者しか周囲に近寄ることが許されないし、何
か不始末でもやらかしたり睨まれれば、一族郎党ごと首が飛ぶ。そ
れでも危害を加えようとするのは、腕に自信のある暗殺者くらいだ
ろう﹂
﹁へぇ、そうなの。教えてくれてありがとう﹂
レオナールは内心そんなことはどうでも良いと思いながら礼を言
った。ダオルは敵に回すよりは味方にした方が良いと思っているか
らだ。
︵そこそこ便利で有能そうだし、役に立ってくれている間は何かし
てもらったら礼を言った方が良いわよね。言うだけならタダだもの︶
レオナールは基本的に他人に興味がないため、相手のことを知り
たいとは思わないし、好かれたいとも思わない。しかし、それが役
2171
に立つというなら表面を取り繕うことも出来るのだ。やろうと思い
さえすればの話だが。
けれど、アランのためにそうしようという発想もない。アランが
何故レオナールに敵を作るなと言うのかすらも理解出来ていない。
親しい誰かのために何かを思いやるということすらわからないた
め、アランが自分のためを思って言うことも、全てアランの都合に
よるものだと思っている。
誰かが誰かのために無償で何かをする、ということが理解できな
い。もし仮に誰かにそうなのだ、と説明されたとしても、人には言
わないだけで何らかの理由や意味があるのだと考える。
何かを行うことには、意味や理由がある方が納得できる。そんな
ものはないと言われる方が気味が悪いし、恐ろしいと感じてしまう。
何かしてもらった時には、相手に何かを返す必要があり、相手も
それを期待している││その礼として一番てっとり早くて金も手間
も掛からないのが﹃お礼を言うこと﹄だと思っている。
アランが知れば、それは違うと否定するだろう。自分にない感覚
や思惑は、理解できないものである。
︵そう言えばあの娘、襲って来なかったわね。もしかして丸腰だっ
たのかしら? それとも人目があったから?
いずれにせよ、傷が回復して体調が万全になったら、準備さえ整
えばいつでも襲撃してくれるわよね。楽しみだわ。
あの娘はともかくもう一人の男はやりそうだもの。早く斬り合い
たいわ。襲撃されたら手加減しなくても良いわよね。力一杯やりた
いわ。そのためにも鍛錬は欠かさないようにしなくちゃ。ふふっ︶
普通の人は襲撃を期待し楽しみにすることも、助けられた相手と
生死を懸けて斬り合いたいとは思わないことも、レオナールには理
解できていなかった。
2172
◇◇◇◇◇
︵どうしよう︶
少女は焦っていた。なるべく人目につかず目立たないように行動
しろと言われていた。絶対に対象者の視界に入るなとも。
︵対象者にぶつかって会話して介抱してもらいました、なんてお頭
に言ったら絶対怒られる! どうしよう!!︶
治療の間、半分涙目で俯く少女を治癒師が気の毒げに見ていた。
﹁可哀想に、こんなにたくさん打ち身や傷を作って。本当に酷いこ
とをするやつだ。全く許せない﹂
﹁えぇっ!? な、何の話ですか!? おおおお頭はそんな酷い人
じゃないですよ!?﹂
﹁⋮⋮お頭?﹂
首を傾げた治癒師に、少女は真っ青になった。
︵しまったー!!! 思わず口走っちゃった!! どどどどどうし
よう!! お頭に叱られちゃう!! も、もしかして首にされちゃ
う!?︶
彼女の業界で馘首は文字通り死体になることなのだが、それを理
2173
解しているのか怪しいくらいの迂闊っぷりである。
﹁お頭というのは、あのレオナールとは別ですか? その人物があ
なたにこのような暴力を振るったのですか?﹂
﹁いいいぃえぇっ!? ちっ、ちがっ、違いますっ!! ここここ
れは、わたしがドジでボケでバカなせいでっ!! わわわわたしっ、
良く転ぶし落ちるしぶつかるんですうぅぅぅぅっ!!
本っ当っ死んだ方が良いくらいのバカなんですうぅっ!! うぅ
っ、こんなドジでバカで失敗ばかりで、人に迷惑しか掛けないのに
生きててごめんなさあぁいっ!! 死んでお詫びしますうぅぅっ!
!﹂
﹁は!? いや、死んじゃ駄目だろうっ!! 君が死んで詫びにな
んかなるはずないじゃないか!! 何を言ってるんだ!!﹂
﹁そそそそうですよねっ! ここここんなドジでバカでボケな人間、
死んでも生きていても詫びになるはずないですもんね!! ううっ、
兄さま姉さまごめんなさいっ!!
皆が助けてくれたのに、わたしちっともお頭のお役に立てません
!! それどころか足を引っ張る無駄飯食らいですうぅぅっっ!!
ごめんなさいごめんなさいっ生きててごめんなさぁああいっっ!
!﹂
﹁え、その、大丈夫ですか?﹂
さめざめと泣き出す少女に、治癒師は腰が引けた様子ながらも尋
ねた。
﹁わたしグズでドジで間抜けで、生きていても誰の何の役にも立た
2174
ないお荷物なんですぅっ!! だけど死んでもお役に立てない迷惑
なゴミなんですううぅぅっ!! うわぁああ∼んっっ!!﹂
﹁ど、どうしたら良いんだ⋮⋮﹂
虚ろな目で叫ぶ少女に、治癒師は動揺・困惑し、途方に暮れた。
◇◇◇◇◇
﹁⋮⋮というわけで対象者と接触してしまいました。すみませんで
した、お頭!! わたし、命に替えてお詫びします!!﹂
蒼白な顔と涙目で土下座し悲鳴のように叫ぶ少女に、お頭と呼ば
れた黒装束の男││年齢は三十代半ばから四十代前半くらいだろう
││はうんざりといった顔で溜息をつき、首を大きく左右に振った。
﹁お前のドジにはもう慣れた。今更その程度のことで罰したりしな
い。もうお前を拾った時点で運が底を突いたとしか思えんからな、
諦めた。
そんなことより良い報告を聞いた。これは使えそうだな﹂
﹁へ? どういうことですか、お頭﹂
﹁あのレオナールという男はロランでは鬼畜で他人に興味の無い極
悪非道っぷりで有名な男でな、そいつが見ず知らずの人間に親切に
振る舞ったという噂は全く聞かない。
しかも酒にも女にも興味がないらしい。金銭には多少執着するよ
うだが、物には然程こだわらないようだし、美食にも興味がないと
2175
来た。
ここ数日の間、あの男を観察していてお前もわかったと思うが、
あれにはことさら執着するものも弱味らしきものも致命的な弱点と
思しきものも特にない。
︽疾風迅雷︾の唯一の弱味があの若造だ。あれを見せしめに惨殺
してやれば、あの手の付けられん傍若無人な英雄様もさぞや嘆いて
後悔するだろうよ、ククッ﹂
﹁えぇっ!? おおおお頭っ、あの人こここ殺しちゃうんですかっ
!? なんでっ!?﹂
﹁ああ、お前はまだ知らなかったのか。我々の組織︽闇の咆吼︾が
潰され、大勢の仲間が殺されたのはあの男の師匠である︽疾風迅雷
︾ダニエルのせいなのだ。
︽疾風迅雷︾が陣頭指揮を執ると同時に当人も乗り込んで、隠れ
家を襲撃したのだ。つまり、オレ達にとっての復讐相手ということ
だな。やつのせいでオレとお前くらいしか無傷で逃れられなかった
のだ。
や
︽疾風迅雷︾そのものは強すぎてとても手が出せないが、その弟
子となれば別だ。オレとお前の二人だけでも十分殺れる。あの若造
を隙を見てさらって、見た者が怖気を覚えるような凄惨な殺し方を
してやれば、あの︽疾風迅雷︾もオレ達に手を出したことを後悔す
るだろう。
我々の商売は舐められたらお終いだ。我々に手を出すのは危険だ
と思われなければ、そして狙った獲物は確実に殺せなければ、看板
に傷が付く﹂
﹁そっ⋮⋮そんなっ⋮⋮!!﹂
ニヤリと笑うお頭に、少女は蒼白な顔でブルリと震えた。
2176
﹁アリーチェ、あの男をたらし込め。話に聞く限りあの男が親切に
振る舞ったのは、おそらくお前が初めてだ。できるだけ自然な形で
近付いて、弱味を握るか隙を窺うんだ。
そして、この薬を飲ませろ。飲ませたら、介抱する振りをしつつ
例の合図をしろ。そうすればオレが応援に駆け付ける。戦士として
は小柄な方とは言え、お前一人で男を運ぶのは無理だろうからな﹂
﹁わわわわたし一人でですか!? むむむ無理ですぅっ!! だだ
だだって、あのっ、そのっ⋮⋮!!﹂
脅え、焦り、混乱する少女アリーチェに、お頭は笑って言った。
﹁大丈夫だ。お前は黙って動かなければ、それなりに愛らしく見え
るからな。中身がバレなければ、若い男なら騙されるだろう。男と
いうものは好みの女には弱くなるものだ﹂
﹁えっ、えええええぇええぇえっ!?﹂
満足そうに言うお頭に、アリーチェは絶叫した。
︵そんなじゃないですよぉっ!! お頭ぁああ∼っ!!︶
自他共にドジ・ボケ・バカ・うっかりを認めるアリーチェではあ
るが、男が自分に向ける視線が色恋や欲望の類いであるか、そうで
ないかくらいは何となくうっすら区別が付く。
︵あれはそういうのじゃないですうぅぅ∼っっ!!︶
それはある意味下心││本心または悪だくみ││というものの一
2177
つではあるのかも知れないけれど、男の下心といって人がまず最初
に思うだろうそれ││女性に対する欲望や恋情などのような││と
は全く異なる。
しかしお頭もアリーチェも、レオナールという人物を全く理解で
きていなかったために、それが何かを知ることはなかった。
2178
11 死亡フラグという名の︵後書き︶
更新ものすごく遅くなりました。すみません。
メインじゃない脇役キャラ視点はできるだけ書きたくなかったので
すが、これを入れないとわかりづらいなということで挿入しました。
ヒロイン出す気か?と期待された方がおられたら、すみません。
ヒロイン?的なキャラは出しても良いのですが、今のところ全く想
定しておりません。
恋愛要素を書くのが面倒なので。
趣味または資料としてラブコメも恋愛物もハーレクインも読むので
すが、絵のある創作物以外はキャラ萌えしない&特定キャラにあま
り感情移入できないため、恋愛物はいまだ手探りで自信皆無です。
恋愛ものより陰謀ものや戦闘・戦術ものが大好きです。昔から血や
肉片が飛び散る系とか、萌えより燃え系のが楽しいです。
雪が降るようになったら、やたらめったら寒くて手がかじかんで上
手くキーが打てないなぁと思ってたら暖房器具を付け忘れていまし
た︵汗︶。
コタツは便利ですが、作業中の手は温まらないということを失念し
ていた大バカです。
同居人に﹁お前ストーブとかハロゲンヒーターとか付けろよ!﹂と
怒られるまで気付かないアホです。
2179
12 やられたらやり返す
﹁いつも丈夫で手入れがしやすいものを買ってるはずなのに、どの
服も鎧の下に着ていると消耗が激しくなるような気がするのよね﹂
簡素な麻の服と下着を三組ずつ選んで会計を済ませたレオナール
が、肩をすくめて言った。
﹁それはそうよ。あんたが着ているのは金属鎧でしょ? どの服も
繊維で出来ているんだから、金属に擦れると糸が切れたり摩耗した
りするものよ。
汗やその他の汚れなんかはきちんと洗えばいくらか落とせるけど、
服も鎧も着れば動くし触れ合うでしょ。しかもそれで戦闘するんだ
から、仕方ないわ。
大きく手足を動かせるよう余裕は作ってあるし、糸も布もなるべ
く丈夫で長持ちしそうなものを回してるけど、布って糸を組み合わ
せて出来てるものだから、引っかければ破けるし、金属と擦れ合え
ば傷むのは仕方ないわ。
うちの店は一般向けだけでなく冒険者向けも置いてあるけど、普
通の冒険者は週に一度か二度しか完全装備で仕事しないのよ。仕事
でもないのに毎日完全装備で魔獣狩りをしたりしないわ。
しかも噂の幼竜を飼い始めてからは、一日二回狩りに行ってるん
でしょう? その調子じゃ武器や防具の摩耗もひどいんじゃないの
?﹂
﹁さすがに裸で鎧を着るわけにはいかないから、諦めるしかないの
ね。装備の手入れは毎日してるし、問題ないわ。鎧も剣も扱い方を
間違えなければ、あと十年は使えるし。
2180
ただ、いまの鋼鉄製じゃミスリルゴーレムやアンデッドは斬れな
いから、剣は新しいのを作るけど﹂
﹁ミスリルゴーレムやアンデッド? レオナールはまだFランクで
しょ。さすがに魔法動力式人形やアンデッドは早いんじゃない?﹂
や
﹁たぶん近々戦り合うことになるはずだから今の内に用意しておか
なきゃいけないのよ。
その時になって慌てても仕方ないでしょう? アランとルージュ
がいれば問題ないかもしれないけど、できれば自分で斬りたいもの﹂
﹁あんたの斬りたい病は重症ね。何が楽しいのかしら﹂
﹁私は斬るために生きているの。斬るのはとても楽しいわ。斬る対
象はあってもなくてもかまわないけど、ある方がずっと楽しいわ。
斬りたいのになかなか斬れないとイラつくこともあるけど、斬る
のが難しい獲物ほど斬った時の達成感があるし楽しいの。
アランは血と臓物のにおいが苦手みたいだけど、私は好きよ。生
きてる実感がわくもの﹂
﹁レオナール、あんたそれ、人にあまり言わない方が良いわよ。狂
人扱いされるわ﹂
シリルが呆れたような顔で言うと、レオナールは大仰に肩をすく
めた。
﹁いまさらでしょう。それに斬らせてもくれない他人に近付かれて
も、私に利点はないわ﹂
﹁やめてよ、誰だって普通は斬られたくないでしょ。何をバカなこ
2181
と言ってるの?﹂
シリルが眉をひそめて言うと、レオナールは真顔で答えた。
﹁私にとって大事なのは、目の前の対象を斬るべきか否かだけよ。
それ以外には私が斬りたいものを斬るために何が必要なのか、どう
したら斬れるのか。
さすがの私も目の前の対象を全て斬っていたら自分が生きていけ
ないのはわかっているもの。だから、できるだけ多く斬るためには
どうすれば良いか、いつも考えているわ﹂
何でも良いから斬りたいと思う気持ちもなくはないが、優先度を
間違えてそれ以上に斬りたいと思う対象を斬れなくなるのでは本末
転倒だ。
レオナールにとって自分の身体を拘束されたり、苦痛を与えられ
ることは、それほどたいしたことではない。
︵斬りたいのに斬れないなんてつまらないし、生きている意味がな
いじゃない︶
レオナールの言葉に、シリルは深々と溜息をついた。
﹁あんたが言うと冗談に聞こえないんだけど﹂
﹁冗談じゃないわ。何故そんな冗談を言わなくちゃならないの?﹂
レオナールが本気で不思議に思いつつ首を傾げて言うと、シリル
は嫌そうに眉間に皺を寄せ、やれやれと首を左右に振った。
﹁⋮⋮余計タチが悪いでしょ、それ﹂
2182
﹁いっぱい斬りたいものがあるの。全て斬って満足できるまでは、
斬り続けるわ。私、今、すごく楽しいの。こんなに楽しくて面白い
ことがあるなんて、ちょっと前までちっとも知らなかったわ。
斬るためなら、何でも努力するわよ。これ以上に楽しいことなん
てないもの﹂
﹁あんたは﹃斬る﹄こと以外に何か楽しみを見つけた方が良いわね。
じゃないと、あんたは良くても他の人が迷惑だわ。アランも苦労す
るわね﹂
﹁どうしてアランが苦労するの?﹂
レオナールは言われた意味が全く理解できず、首を傾げた。
﹁どうしてって、あんたが何かやらかすとアランが毎回かばったり
後始末する羽目になるでしょ? もしかしてあんた、自分がアラン
に苦労掛けてる自覚ないの?﹂
﹁どういう意味? 良くわからないわ。私もアランも、自分のやり
たいことをやりたいようにやっているだけでしょう? それなのに、
何故アランが苦労するの?﹂
﹁⋮⋮あんたは少しは周りに興味を持ったり、注意を払ったりする
べきね。そうすれば、少しは理解できるんじゃないの?
あんたは自分が何をして、周囲がそれにどう反応して、アランが
あんたのために何をしているか、少しでも理解できれば、そんな言
葉は出て来ないと思うわ﹂
﹁私のため? 何故? 何のために?﹂
2183
本気で戸惑いを見せるレオナールに、シリルは呆れながらも口に
した。
﹁あんたと一緒に町で冒険者稼業を続けるために決まってるでしょ。
あんた本気でわかってないみたいだけど、冒険者に限らず町で生活
するためには、自分一人じゃどうにもならないのよ?
金を稼ぐにも、稼いだ金を使うにも、人との関わりが必要になる
の。たぶんあんたが気に掛けていない大半のことが、人が生きて行
くのに大事なことなの。
実際、あんたが普通に店で買い物をして必要な物を揃えられるの
も、アランがあんたが気付かないところで謝罪したり根回ししたり
しているからなのよ?﹂
﹁何それ、初耳だわ﹂
レオナールは大きく目を瞠った。
﹁そうでしょうね。わかっていたら、あんただってもう少し日頃か
ら言動に気を付けるだろうし。あの子、あんたが迷惑掛けたとこに
行ってはあんたの代わりに謝って、あんたが子供の頃かなり酷い目
に遭っててそのせいで他人との付き合い方がわからないんだと言っ
てたわ。
でも、あんたの場合、正直言って度が酷いのよね。追い出したく
なったり出入り禁止にしたくなるほど酷いわけじゃないけど、人を
人と思わないようなところが透けて見えるのよ﹂
﹁どういう意味かしら﹂
﹁⋮⋮いえ、違うわね。あんたは自分を人だとも思ってないのね。
2184
それ以前に自分を含めて生き物の命を尊重しようという気持ちも考
えもない。
あんたが自分や他人をどう思おうと、人に迷惑を掛けないならそ
れで良いわ。こっちも商売に問題がなければ、あんたに係わろうと
は思わないし、あんたがどうなろうとかまわないもの。
でも、あんたを見てるとアランが気の毒になるわ。アランはあん
たに普通の人として生活させたいみたいだから。でも、あんたはそ
れを望んでないでしょ?﹂
﹁ごめんなさい、言われている意味がさっぱり理解できないわ﹂
レオナールが困惑しながら言うと、シリルが言うだけ無駄だった
とばかりに苦虫を噛み潰すような顔になった。
﹁余計なことを言ったわね、忘れてちょうだい。聞くだけ無駄、考
えるだけ無駄なら、仕方ないわ。でも、あんた、実は他人だけでな
くアランにもあまり興味ないのね﹂
﹁言われている意味が理解できないんだけど﹂
レオナールは無表情でシリルを見つめながら言った。
﹁私がアランに興味がないと何か問題だと言いたいの?﹂
﹁あんたにとってアランは相棒で友人なんでしょ。少なくともアラ
ンはそう思ってるみたいじゃない。あんたはアランと一緒にいて何
か感じないの?﹂
﹁興味がないわけじゃないわ。理解できないのは確かだけど﹂
2185
無表情と言って良いのに、目だけはやけにぎらついた顔で、レオ
ナールは言った。
﹁世の中にはわからないことばかりだけど、アランが理解できない
もの筆頭なのは間違いないわ。あの子は私とは真逆な生き物だもの。
一生理解できる自信はないわね。
でも、あの子と出会ったおかげで、生きていて楽しいことや嬉し
いこともあると初めて知ったの。あの子と出会えて幸運だったと思
うわ。でなければきっと何も感じないまま死んでいたもの。
だから感謝しているわ。あの子が望むのなら、﹃人間の真似﹄を
しても良いと思う程度には﹂
﹁驚いた、あんたでも本気で怒ることがあるのね﹂
シリルが軽く目を瞠り、眉を上げて言った。
﹁でも、ちょっと安心したわ。あんたにも人らしいところがあるの
ね﹂
﹁言われている意味はちっとも理解できないけど、もしかしてけな
されているのかしら?﹂
﹁褒めているのよ。まぁ良いわ。色々問題はあるけど、あんたにも
一応人並みに思うところがあるのね。ただ、これだけは言っておく
けど、あんた、ちっとも﹃人間の真似﹄なんか出来てないわよ。
誰がどう見ても異常だわ。鈍い人ならそこまで深くは考えないし
気付かないかもしれないけど、下手に表面だけ取り繕っても、理解
もできない上に下地がなければ、いずれ素が出るわよ﹂
﹁別にどうでも良いわ﹂
2186
レオナールが興味なさげに言うと、シリルは大きく肩をすくめた。
﹁いずれアランにもばれると思うわよ?﹂
﹁その時はその時よ﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁あんたって本当救いがたいわね。まぁ、どうせ他人事だから良い
わ。面倒事に巻き込まないでくれるなら問題ないもの。
一応言っておくけど、うちの店やその近辺で乱闘や刃傷沙汰、そ
の他迷惑になるようなことしないでね。やらかしたら出入り禁止に
するから﹂
﹁相手から手を出されない限りはやらないわよ。ただ、やられたら
やり返すけど﹂
﹁できればうちの店から離れたところでやってちょうだい﹂
﹁覚えてたらなるべくそうするわ。忘れるかもしれないけど﹂
﹁やめてよ! うちは一般的な庶民の店なんだから。そういうのは
冒険者ギルド近辺でやってちょうだい。どうせあんたの相手は冒険
者連中でしょ﹂
﹁どうかしら? 最近それだけとは言いがたいのよね。どうやら本
職の暗殺者っぽい人にも狙われてるみたいだし﹂
﹁えっ、ちょっとあんた何やらかしたの!?﹂
2187
﹁さぁ、心当たりが多すぎて見当もつかないわ﹂
﹁何それ! あんたそれ、アランも知ってるの!?﹂
﹁たぶん知っているわよ。アランは私にばれてないつもりでいそう
だけど﹂
﹁あんた達そういう話をちゃんとしてないの?﹂
﹁どうせアランは私が詳しいことを知ったら、喜々として斬りかか
ると思っているのよ﹂
﹁で、実際あんたはどう思ってるのよ?﹂
﹁愚問ね。攻撃されたなら、やり返すに決まっているじゃない。実
行犯には三倍返しで、首謀者には百倍返しで。理由なく斬ったら犯
罪になるけど、自分の身を守るためなら仕方ないわね、ふふっ﹂
レオナールが嬉しそうに微笑むと、シリルはゲンナリした顔にな
った。
﹁⋮⋮アランに同情するわ﹂
首を左右に振るシリルに、レオナールは肩をすくめた。
2188
12 やられたらやり返す︵後書き︶
遅ればせながらあけましておめでとうございます。
短いけどきりが良いのでこれで更新します。
ガラケーとiPadで書いたので、おかしなところは明日にでも修
正すると思います。
以下修正。
×やれたらやり返す
○やられたらやり返す
×あんたが自分が何をして、周囲がそれをどう反応して
○あんたは自分が何をして、周囲がそれにどう反応して
×倍返し
○三倍返し
2189
13 バカにつける薬はない
﹁これで用事は済んだかしら。どうする、ダオル。夕飯の時刻には
まだちょっと間があるけど﹂
店を出たレオナールがダオルに尋ねると、ダオルは苦笑した。
﹁雑貨や消耗品や薬や魔道具はアランの担当なのだろう?﹂
﹁食料品の調達と雑貨の一部なら案内できないこともないけど、私
とアランならアランの方が断然詳しいのよね。あとはそうね、貸し
馬屋とか騎獣屋が並んでいる通りはどうかしら?﹂
﹁うむ、それは良い。今まで利用したことがないから勝手がわから
ないが、ロラン滞在中は必要になるだろうし、ここで覚えておけば
他でも利用できるし勉強になる﹂
﹁じゃあ、まず良く行く貸し馬屋に行きましょう。その後は経過と
残り時間次第ね﹂
﹁それで良い。よろしく頼む﹂
﹁わかったわ﹂
レオナールが機嫌良さげな顔で微笑みながら、軽い歩調で案内す
る。ギルド西側の通りの奥、大通りから南に折れた辺りに貸し馬屋
や騎獣屋、使役魔獣を売る店などが並んでいる。
2190
﹁やはり慣れた町は人心地がつくのか、レオナール。ラーヌにいる
時と違って楽しそうだ﹂
ダオルが笑みを浮かべながら言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁どういう意味かしら?﹂
﹁何がだ?﹂
ダオルは怪訝な顔になった。
﹁﹃人心地﹄ってどういう意味?﹂
﹁ああ、ホッとして安心するとか、くつろいだ気持ちになるとか、
そういう意味だ﹂
﹁ふぅん、そうなの。悪いわね、言葉知らずで。それがどういう気
持ちなのかいまいち良くわからないけど、そうね、楽しみにしてい
ることはあるわね。直近のことなら、あなたとの手合わせとか﹂
﹁そうか、それは光栄だ。きみは本当に剣が好きなんだな﹂
﹁そうね、楽しいし面白いと思うわ。ただの素振りでも、振る度に
違ってたりするもの。たとえ相手がゴブリンやコボルトでも、全く
同じにはならないのが本当に面白いわ。
理想の斬り方、振り方ができればもっとずっと楽しいんでしょう
けど、イメージ通りにはなかなか上手くいかないわね﹂
﹁相手がいる場合はそうなるだろうな。だからこそ、一人で鍛錬す
るだけでは限界がある﹂
2191
﹁ダオルは普段は単独なんでしょう? どうやって鍛錬するの?﹂
﹁魔獣・魔物を相手にすることもあるが、たいていは頭の中に具体
的な敵を想像して、それを相手に仮想戦闘している﹂
﹁へぇ、それで鍛錬になるの?﹂
﹁敵をきちんと詳細に設定・想定して、自他の評価を冷静に客観的
に判断できるのなら可能だろう。たとえば、仮に敵をダニエルとし
て彼と戦う場合、とかだな﹂
﹁それは面白そうね。でもそれって、師匠の戦い方を良く理解でき
てないと難しいわね﹂
﹁その通りだ。どう動くか以上に、何故そう動くかを理解できてい
なければ意味がない﹂
﹁何故そう動くか、ね。つまりただ漫然と想像するだけじゃダメっ
てことね。手軽で簡単だと思ったけど、意外と難しそう﹂
﹁そういうことだ。もっとも、おれはダニエルとの想定戦闘じゃ連
敗し通しで、実戦でも勝てた試しがないから、あいつでは鍛錬にな
らないから他のやつを想定している﹂
﹁その人には勝てているの?﹂
﹁いや。今のところ負けっぱなしだ﹂
﹁それじゃ意味ないんじゃないの?﹂
2192
﹁そうだな。⋮⋮でも、ダニエルほど遠くはない。近々勝てるよう
になる、と思う﹂
﹁自信はないの?﹂
レオナールが首を傾げると、ダオルは苦笑した。
﹁いや、いずれ必ず勝つ﹂
﹁なら勝てるまで剣を振らなくちゃいけないわね﹂
レオナールはニヤリと笑った。
﹁実戦で負けたら、殺されても文句は言えないもの﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
ダオルは真面目な顔で頷いた。
◇◇◇◇◇
﹁で、いつも利用してる店はここよ。こんにちは、ユベール。邪魔
するわよ﹂
店の奥から馬の鳴き声が聞こえている。入ったすぐのところは待
合所になっているようで、手前にいくつかの簡素な長椅子が無造作
に置かれ、その奥に無人のカウンターがあり、そのかたわらに年季
2193
の入った木戸がある。
﹁奥の厩舎で馬に餌でも与えているみたいね﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁どうする? 奥へ入っても文句は言われないと思うけど、入る?
それともしばらく待つ?﹂
﹁時間が掛かるようなら、待つより入った方がよさそうだな﹂
﹁⋮⋮そうね。まだ厩舎の半ばも過ぎていないみたいだから、行っ
た方が早いわね﹂
﹁わかるのか?﹂
ダオルが軽く目を瞠ると、レオナールは頷いた。
﹁ええ。この店は︽防音︾や︽静音︾の魔道具や魔法陣は使ってい
ないから、扉越しに聞こえるもの。ダオルは聞こえないの? アラ
ンも聞こえないらしいけど、師匠も聞こえたのに﹂
﹁彼と同じにしないでくれ。おれはたぶん普通の人間よりは耳が良
い方だが、ダニエルには負ける。あれは人外だ。⋮⋮そう言えば、
きみはハーフエルフだったな﹂
﹁ええ、そうよ。おかげでそこらの人間よりは目と耳が良いの。町
中だと聞こえすぎるのも時に不都合なこともあるけど、暗視ができ
ない状態で暮らすことを考えたら、今の方が断然良いわ。
周囲があまり見えない上にろくに聞こえない状態で毎日過ごすな
2194
んて、ゾッとするもの﹂
﹁聞こえるのが常態であれば、聞こえない状態は恐ろしく感じるの
も無理はない。おれ達だって今以上に物が見えず聞けなくなること
があれば、恐い。
おれはきみやダニエルほど聞こえず、見えないから、自分の見え
る範囲、聞こえる範囲で想像する。全ての人間がそうするわけでは
ないが﹂
﹁そうね。アランを見ていると、時折ものすごく無防備で驚くわ。
そのくせ、妙なところで心配性なのよね、あの子。本当変な子だわ﹂
アランはレオナールにだけは言われたくないだろう。ダオルは苦
笑した。レオナールの先導で、ダオルは貸し馬屋の店主ユベールの
いるであろう厩舎へと向かった。
木戸をくぐると、少し離れた先に厩舎が見えた。
﹁ユベール、こんにちは。今、忙しいの?﹂
厩舎の入口でレオナールが大きな声で、中にいる作業着姿の男に
呼びかけた。
﹁見たらわかるだろ、取り込み中だ。ひさしぶりだな、レオナール。
何の用だ、馬を借りに来たのか?﹂
﹁いいえ。私とアランはルージュとガイアリザードがいるから必要
ないわ。今回は借りないけど、お客さんになりそうな人を連れて来
たの。ついでに馬を見せてあげれば良いでしょう?﹂
﹁ほう、お前にしては気が利くな﹂
2195
ユベールと呼ばれた白髪交じりの茶髪の初老の男が、手を止めて
こちらへ歩いて来る。
﹁貸し馬屋のユベールだ。戦闘用の高級馬を除けば、馬の貸出料は
一律、一日につき銀貨一枚。一日分の飼料付きの値段だ。馬に与え
る水はそちらで用意してくれ。
一応馬車の貸出もしている。そちらは色々種類や大きさがあるか
ら、ピンキリだ。一番安い荷馬車は幌なしで大銅貨3枚。荷を乗せ
るのは良いが、人を乗せるのは正直オススメしない﹂
﹁こんにちは、おれはダオル。しばらくは彼らと行動する予定だが、
普段は単独だから馬を借りることはあっても馬車を借りる予定は今
のところない。
どの馬も健康そうで、良い馬だな﹂
﹁ああ。怪我や病気、あるいは妊娠している馬は商品にならないか
ら、隔離している。たまたま乗った馬で事故でも遭っちゃたまった
もんじゃないからな﹂
﹁そうだな。しかし、馬は生き物だ。急に具合が悪くなることがあ
っても、仕方ないと思うが﹂
﹁旅先で万が一にそうなったら、客が困るだろう。それが町や村の
近くならともかく、山林や崖っぷちだったりしようものなら、命に
関わる。
だからちょっとでもおかしいと思ったら隔離して様子を見ること
にしている。そうでなければ、客もおちおち馬を借りたりできない﹂
﹁なるほど、その通りだ。⋮⋮あなたの店なら、安心して馬を借り
2196
られそうだ﹂
﹁ああ、必要になったらいつでも借りに来い。ところで、レオナー
ル。ガイアリザードとか言ったが、どうやって入手した? まさか
無許可のやつを買ったわけじゃないだろうな?﹂
ユベールがレオナールを睨むように見た。レオナールは肩をすく
めた。
﹁入手した時は非合法だったみたいだけど、今はちゃんと許可を取
ったわよ﹂
その手続きをしたのは、アランだが。
◇◇◇◇◇
日暮れ前に冒険者ギルド前で合流した。
﹁ああ、そうだ、レオ。これを渡しておく﹂
そう言ってアランがレオナールに、丈夫そうな革紐の両端に球状
の金属のおもりの付いた物を手渡した。
﹁何、これ?﹂
﹁要るかどうかわからないが、武具屋に頼んで作って貰った。この
紐の中央部を持って振り回して投げる投擲武器だ。殺傷力はあまり
ないから魔物や魔獣討伐には向かないが、対人や生け捕りする際に
2197
は使えるはずだ﹂
﹁ああ、この前のミスリル合金で作ったやつみたいな使い方をする
のね﹂
スリング
﹁そうだ。お前は近接用の武器しかないからな。投石器とかも考え
たが習熟に時間がかかりそうだし、できるだけ単純なものの方が良
いんじゃないか。
討伐依頼でも牽制したり、動きを阻害させたりするのには使える
だろう。それにこういった物なら場所も取らないから、携帯しやす
い﹂
﹁ありがとう、アラン。使うかどうかはわからないけど、ありがた
く貰っておくわ。いざって時に便利でしょうし﹂
﹁なるべくなら、そのいざって時がない方が嬉しいんだが、これば
っかりは俺達の都合通りには行かないから、現状で考えられる一番
最悪な状況を想定して、事前に準備しておくしかない﹂
﹁アランはその一番最悪な状況が現実に起こると考えているの?﹂
﹁嫌なこと言うな﹂
アランは顔をしかめた。
﹁絶対に起こらないで欲しいと願っているが、それでも楽観視して
何も対処せずにいて、もっと悪い状況に陥ったら、どうしようもな
くなるだろう。
俺は死にたくないし、お前を死なせたくないからな。特にお前に
関しては何をどう想定しても、まったく予測が付かないんだから、
2198
できるだけ最善を尽くすしかない。
あとは念のため、薬草採取して毒・解毒・麻痺・睡眠薬なんかを
いくつか作っておきたい。傷薬や胃腸薬や風邪薬なんかは常備して
いるんだが﹂
﹁毒? 魔獣用に必要なの?﹂
レオナールが尋ねると、アランは苦笑した。
﹁魔物・魔獣用にも欲しいが、対人用に弱めの毒も用意しておこう
と思っている。使わずに済むのが一番だが、念のためにな。
相手が腕利きだったり、数が多い場合、動きを阻害・遅滞する手
段は多い方が良い﹂
や
﹁そうね、人間は個体差が激しいから、これなら間違いなく殺れる、
ってやり方はないもの﹂
﹁おい、今、殺す的な意味合いの言葉が聞こえたような気がするけ
ど、気のせいだよな?﹂
﹁えっ? 向こうが武装して攻撃して来た場合は反撃して良いのよ
ね?﹂
﹁もちろんそうだが、殺さずに無力化できるなら殺さない方が良い
だろ。単独犯ならそいつをやれば済むが、何らかの組織の一員だっ
たり下っ端や雇われだったら、本命潰さない限り同じことの繰り返
しになるんだから﹂
﹁まだるっこしいわね。来たやつを片っ端から全部やっちゃえば済
む話じゃないの﹂
2199
﹁レオ、それが出来ないから言ってるんだ。コボルト程度の雑魚で
も数が少ないならともかく、物量で来られると押し切られるんだぞ。
それに、そんな場当たり的なやり方じゃ、いつまで経っても埒が
あかないだろう﹂
﹁面倒くさいわね﹂
﹁レオ、お前はゴブリンでもオーガでもないんだから、ちょっとは
頭を使え。こんなこと、わざわざ言われなくても見習い冒険者のや
つにだって理解できるだろ﹂
真顔で言うアランの背後で、ルヴィリアがボソリと言った。
﹁え、バカは何を言われても理解できないでしょ。冒険者って言っ
てもピンキリよね。わからないやつは何言われても理解できないし﹂
アランが振り向いて、ルヴィリアをギロリと睨み付けた。
﹁余計なこと言わないでくれ。今はレオに言い聞かせてるんだ﹂
﹁わかったわ。余計な茶々入れて悪かったわね﹂
ルヴィリアはそう言って肩をすくめた。アランは溜息をついて、
レオナールに向き直った。
﹁良いか、レオ。俺はお前が周りの状況を把握しながら、考えて戦
闘できるようになるまで、ランクを上げるつもりはないからな。そ
の辺、良く考えてくれ。頼むから﹂
2200
﹁⋮⋮わかったわ﹂
真顔で睨むように言うアランに、レオナールは頷いた。
︵周りの状況を把握しながら、は一応出来てると思うんだけど、考
えて、ねぇ? 何をどう考えるのかしら︶
レオナールが考えていることをアランが知ったら激怒すること間
違いなしである。
2201
13 バカにつける薬はない︵後書き︶
サブタイトルが相変わらずテキトーです。
書きたかったエピソード入れられなかったけど、次回はたぶん挿入
できるはずです。
以下修正。
×借りたいできない
○借りたりできない
2202
14 そういうやつと言われる人
﹁夕飯は俺達が良く行く庶民向けの店へ行こうと思っているけど、
かまわないよな?﹂
﹁ああ、﹃森の木洩れ日﹄亭ね。あそこへ食べに行くのは二ヶ月ぶ
りね。
なら久々に角猪肉の角煮か、大角熊肉の煮込みが食べたいわ﹂
アランが尋ねると、レオナールが嬉しそうに答えた。
﹁まずくなければ何処でも良いわ。ロランのことは何も知らないも
の﹂
﹁問題ない﹂
ルヴィリアとダオルが頷いた。
﹁まずくはないぞ。安くて量が多いのが売りの店だが、猟師や農家
から直接仕入れていて、そこそこ旨い。
客は冒険者や力仕事をする連中が多いが、料理を作っている店主
が引退した元冒険者で、悪さするやつは叩き出されるから、乱闘騒
ぎや下品なやつの心配は不要だ﹂
﹁北門で会った連中みたいな変なのはいないわよ﹂
レオナールの言葉に、ルヴィリアが辛辣な口調で言った。
2203
﹁下手なチンピラよりレオナールの方がタチが悪い気がするけど﹂
アランが嫌そうな顔で首をゆっくり左右に振った。
﹁ルヴィリア、レオに威嚇されたり変に絡まれたくないなら、なる
べく構わない方が良い。レオは攻撃されたと感じなければ概ね無害
だから﹂
﹁無害? 本当に?﹂
﹁ルヴィリアの場合、初対面があれだったからそう思われるのも仕
方ないが、レオは斬りたいと思ったり敵として認識した対象以外に
は、あまり関心持たないからな。
俺としてはそういう理由以外で、人でも物でも何でも良いから興
味を持って欲しいんだが﹂
﹁目の前にいるんだから直接言ってやったら、アラン﹂
ルヴィリアにそう言われて、アランは深々と溜息をついた。
﹁なぁレオ、お前、ちょっとで良いから自分の周囲や他人に、剣や
肉以外の何かに興味を持ってみたいできないのか?﹂
﹁じゃあ、アランは魔法関連以外のもの、例えば情事や色恋に興味
を持てと言われて持てるの?﹂
﹁すまない、俺が悪かった﹂
アランはすぐさま頭を下げた。
2204
﹁え、何それ。もしかしてアランって単に鈍いだけじゃなくて、そ
ういう人なの?﹂
ルヴィリアがドン引きした顔になった。アランは怪訝な顔で尋ね
た。
﹁そういう人ってのはどういう意味だよ﹂
﹁え、それを私に言わせるつもり? まぁ、私の親友は銀貨以上の
お金で、理想の恋人は白金貨だから、別に口に出すのは構わないけ
ど﹂
﹁おい待て、ルヴィリア。お前はいったい何を言う気だ﹂
アランが眉をひそめると、ルヴィリアが真顔で告げた。
﹁つまり、異性同性問わず生きているものには興味のない、非生物
にしか欲情できないタイプの変た⋮⋮﹂
﹁黙れ! なんてこと言うんだ!! レオが変な言葉を覚えたらど
うする気だ!?﹂
血相を変えるアランに、ルヴィリアがきょとんとした顔になった。
﹁えっ、そっち? てっきり嫁入り前の娘が人前で破廉恥な、とか
言われるのかと思ったら﹂
﹁だってお前はそんなこと気にしないんだろう?﹂
﹁そうね。商売柄風評や評判は気にするけど、個人的には気にしな
2205
いわね﹂
﹁既に手遅れな相手に何を言っても無駄だろう。それよりレオの情
操教育や倫理・道徳観念に悪影響を及ぼす方が問題だ﹂
真顔でキッパリ断言するアランに、ルヴィリアは心外だと言わん
ばかりの顔をする。
﹁ちょっとアラン、それってまるっきり過保護で子煩悩な保護者っ
ぽいんだけど。いたいけな幼児相手ならともかく、これよ、一応成
人した同い年の男よ。
口を開けばろくでもないことしか言わない、災いと諍いを振りま
いて楽しむ傍若無人な狂人よ﹂
レオナールを指差して言いつのるルヴィリアに、レオナールはサ
ラリと髪を掻き上げた。
﹁本人目の前に良く言うわね。あなた私に斬られたいのかしら。救
いがたい変態ね。全く理解しがたいわねぇ?﹂
レオナールがそう言ってわざとらしく大仰に肩をすくめた。
﹁違うわよ!﹂
噛みつかんばかりの口調で即座に否定するルヴィリアに、レオナ
ールはニンマリ笑みを浮かべた。
﹁あら、私と遊んでくれるならいつだってかまわないわよ? 今は
依頼受けてないから暇だし。ほら、かかって来なさい、死なない程
度に遊んであげるから。ふふっ﹂
2206
楽しそうに言うレオナールを見て、アランは眉をひそめた。
﹁おいレオ、昼間何かあったのか?﹂
レオナールはきょとんとした顔をした。
﹁昼間? 武具屋でアンデッドとゴーレム対策にミスリル合金製の
剣を注文したけど、他は特に何もないわね。
そう言えばアラン、あなたアンデッドの倒し方とか対処法とか知
っているの? 他に何か必要な物とかあるかしら?﹂
﹁えっ、お前⋮⋮まさか俺が家のことを片付けたら早々にあれを探
索するつもりか? 俺達のパーティーに神官はいないから、すぐに
ダンジョンを見つけられたとしても、ギルドの依頼は受けられない
し、貢献度評価もされないんだぞ?﹂
﹁嫌だわ、アラン。私がそういうことを気にしたことが一度でもあ
ったかしら﹂
レオナールが言うと、アランは苦虫を噛み潰すような顔になった。
﹁ああ、そうだな。お前はそういうこと気にしないやつだよな。正
直お前が、魔法なしではまともに斬れないアンデッドを斬りたがる
とは思っていなかったんだが、そんなに斬りたいのか?﹂
﹁斬れるものなら何でも斬りたいと思ってるわよ。アンデッドは見
た事も斬ったこともないから、心行くまで斬ってみたいわね﹂
﹁⋮⋮たぶん臭いし、気持ち悪いし、神官がいないとかなり面倒臭
2207
いと思うぞ。それに俺は付与魔法の練習はあまりしていないから、
できればまだ相手にしたくないんだが﹂
﹁大丈夫、心配いらないわ。︽切断︾と火属性付与のミスリル剣を
注文したから、私のことは心配しなくて良いわよ。アランは火魔法
を使えるから、あなたが攻撃する分には問題ないだろうし﹂
﹁スケルトンはともかく、グールとかゾンビはできればあまり見た
くないんだが⋮⋮お前はそういうことを気にしそうにないよな﹂
﹁どうして? 戦ったことのない魔物や魔獣との戦闘は楽しいでし
ょう?﹂
﹁うん、お前はスケルトンやグールやゾンビがどういうやつらか知
っていても全く脅えないし、拒否感や嫌悪感を覚えたりもしないよ
な。俺の気持ちはちっとも理解できないよな﹂
﹁えっ、何? アランは嫌なの?﹂
レオナールが驚いた、と言わんばかりに目を見開いた。
﹁でも、俺が嫌だと言ってもお前は諦める気はないんだろう?﹂
﹁ええ、そうね。アランが嫌なら一人で行ってもかまわないわよ。
だって、嫌がる人を連れて行っても足手まといになるだけだし﹂
﹁待て、レオ! 話は最後まで聞け。嫌だと思うが、お前と一緒に
行ってやるから安心しろ。できれば戦いたくはないが、避けていて
もいつかはやり合うことになるだろう。だが、準備は入念にするぞ﹂
2208
﹁ええ、それはかまわないけど、でも良いの? アランは嫌なんで
しょう?﹂
﹁冒険者は個人的な好みで、仕事を選り好みするべきじゃない。依
頼を出す側の人達のことを考えれば、何か問題がない限りはどの依
頼も同じように受諾して、期限までに確実に遂行すべきだ。
依頼の多くには、人の命や生活がかかっている。依頼に大小も貴
賤もない。全ての依頼を受諾すべきとまでは言わないし、不可能だ
から実践しようとも思わないが、気分や好みの問題など些細なこと
だ。
それに、いい加減慣れて克服すべきだと思うからな﹂
﹁言いたいことの意味は良く理解できないけど、アランがやる気に
なってくれるのならありがたいわ。あなたがやる気出すのと出さな
いのとじゃ、かなり違うから﹂
﹁俺がやる気出した時の方が嬉しいのか?﹂
﹁だってその分面倒がなくなるでしょう? 私は必要ならやるけど、
可能なら斬ること以外の雑事はあまりやりたくないもの。その辺り
を積極的にやって貰えるなら、断然良いでしょ。
警戒と戦闘のみに集中できるし﹂
﹁⋮⋮うん、お前はそういうやつだよな﹂
アランはガックリと肩を落とした。
﹁そんなことより暗くなる前に店へ行きましょうよ。日が沈んで混
雑すると面倒でしょ?﹂
2209
ルヴィリアの言葉にアランは頷き、一行は﹃森の木洩れ日﹄亭へ
と向かった。﹃森の木洩れ日﹄亭は表通りからは外れているが、冒
険者ギルドからそこそこ近く、吹き抜け二階建ての大衆食堂を兼ね
る居酒屋である。
入り口左手にカウンター席と厨房があり、右手がテーブル席で、
六・七人が座れそうな丸テーブルが一階だけで二十ある。
各テーブルに置かれた皿はスープ以外は大皿ばかりであり、客の
大半は大きなマグに注がれたエールを浴びるように飲みながら談笑
している。
﹁あら、意外と広いのね﹂
ルヴィリアが意外そうな顔で言うと、アランが頷きながら答えた。
﹁そうだな。個室なんて上等なものはないが、二階とカウンターも
合わせて二百人近く飲食できるだろう。もっとも客の入れ替わりが
激しいから、めったに全席が埋まることはない﹂
﹁ギルドマスターの奢りとかで大規模討伐後の打ち上げする、とか
じゃない限りほとんどないわよね。だってこの店、安くて旨いけど、
女性店員はいないから﹂
レオナールの言葉に店内を見回すと、店員はことごとく大柄で強
面の男性である。中には2メトル近い長身のスキンヘッドで目の際
に大きな刀傷のある男までいる。
﹁え、ちょっと珍しいくらい女の子がいないんだけど、大丈夫なの、
ここ﹂
ルヴィリアが眉をひそめて言うと、アランが頷いて笑顔で言った。
2210
﹁大丈夫だ、問題ない。ああ、自分のことを心配しているのなら、
安心しろ。大声で叫ばない限りお前は女だとはわからないから﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ルヴィリアがジトリと睨むが、アランは全く気付かずに、空いて
いる席を探してそのまま店の奥へと向かった。その様子を見ていた
レオナールが吹き出し、クスクスと笑い声を上げた。
﹁クククッ、良かったわね、ルヴィリア。あなたは安全ですって!﹂
﹁黙りなさいよ、このド腐れ2号。あんたその内絶対、後ろから刺
されるか、鈍器で殴られるわよ﹂
﹁あら、それは楽しみね。面白そう﹂
レオナールが心底楽しみだと言わんばかりの顔と口調で言うと、
ルヴィリアの眉間に皺が寄った。しかし何かを言う代わりに、無視
してアランの後を追うことにしたらしい。
それを見送って肩をすくめたレオナールに、ダオルが声を掛けた。
﹁レオナール、特に理由もなく相手を選ばずに、揶揄したり喧嘩を
売ったりしない方が良いと思うが﹂
﹁一応相手は選んでるし、加減もしているわよ? 反撃できないよ
うな人にはやらないし、私が何かつっついたくらいで傷付いたり凹
んだりする人にも避けてるし、アランが嫌がるから町中では殺し合
いにならないよう気を付けているし、何より反応が面白い人にしか
やらないわよ?﹂
2211
﹁⋮⋮どれもあまり良いとは言いがたいが、最後が一番まずいだろ
う﹂
﹁そうかしら? 反撃することができる能力・権限がない人やそう
いうことができない性格の人にやったらただのイジメだし、ちょっ
としたことで傷付いたり凹んだりするような繊細な人にやったら後
が大変でしょう?
殺し合いはやりたいけどアランがダメだって言うし、反応が面白
くない人にやってもつまらないでしょう?
それに無反応だと思ってたら実は傷付いてたとかってことになる
と面倒じゃない﹂
﹁いや、そういう意味じゃない。人の心をもてあそぶようなことは
しない方が良いと言ってるんだ。きみだって誰かに嫌なことされた
くはないだろう?﹂
﹁嫌なこと、ねぇ?﹂
レオナールは首を傾げた。
﹁正直なことを言えば、斬ること以外の何もかもが嫌で面倒なのよ
ね。特に他人の話を聞くことと、会話するのが面倒くさいわ。
できればそんな面倒なことせずに、全て斬ってしまいたいと思う
くらいには﹂
レオナールは淡々とした口調で言った。思わず眉をひそめるダオ
ルに、レオナールは笑みを浮かべて言う。
﹁もちろん、そんなことしたら犯罪者として捕まるから、やらない
2212
けど﹂
﹁⋮⋮本気なのか?﹂
﹁アランと師匠のおかげで、やっちゃいけないことは学習したわよ。
やりたいと思っていることと、実際にそれをやるかどうかは別でし
ょう?
私に限らず人間ってそういう生き物なんじゃないの? じゃなけ
れば、この世は犯罪者だらけになるでしょう? 人間って欲深い生
き物だから。
そのために、法と力が必要なのよね。決まり事があっても、権力
者にそれを執行するための力がなければ、誰もそれを守ろうとはし
ないだろうし﹂
﹁念のために尋ねるが、アランに対してもそう思うのか? 話を聞
いたり、会話をしたりするのがわずらわしい、と﹂
﹁アランの声って、余計な抑揚や強弱やブレがなくて、聞きやすい
のよね。逆にルヴィリアの声はうるさくて聞き苦しいわ。耳が痛く
なるから、聞く気をなくすのよね。
低めの落ち着いた声も出せるのに、どうしてあんなにキャンキャ
ン騒ぐのか理解できないわ﹂
﹁その理由の大半は、きみがからかうせいだ。感情が高ぶったりし
なければ、彼女もそうそう騒がないだろう﹂
﹁そうかしら?﹂
レオナールは首をかしげた。ダオルは真顔で頷いた。
2213
﹁おれだって、嫌なことをされたり言われたりすれば、激昂して聞
き苦しい声を出すこともある﹂
﹁アランは怒ってる時でも、そんな変な声は出さないのに﹂
﹁個人差があるから、誰もが同じような反応になるとは限らない。
それにアランだって声の音量くらいは変わるだろう﹂
﹁言われてみればそうね。それに、アランの声は聞き慣れているっ
てこともあるのかもしれないわね﹂
そういう問題ではないようにダオルは思ったが、何と言えば良い
か考えあぐねて、結局口を閉ざした。
レオナールの顔はダオルに向けられてはいるが、視線は合わなか
った。笑みを浮かべていてもいなくても、そこから彼の感情を推察
することはできないと、初めてダオルは気付き、苦い顔になった。
﹁⋮⋮行こう。二人を待たせている﹂
﹁そうね、お腹が空いたわ。早く食べましょう﹂
先に向かったアランとルヴィリアは、一階奥の席に着いてこちら
を見ていた。
﹁人の多いところだと、アランのローブもルヴィリアの髪も良い目
印になるわね﹂
﹁ちょっと、これと較べないでくれる? 私の髪は、こう見えても
のすごく手間暇掛けて手入れしてるし、お金も掛けているの。
四六時中着たきりのしゃれっ気のかけらもない人と一緒にしない
2214
でくれる?﹂
﹁あのな、ルヴィリア。こう見えてもこのローブは遺跡発掘品で、
金持ちの高位魔術師か貴族しか持っていない高級品だぞ。一見ただ
の古ぼけたローブに見えるが付与だって⋮⋮﹂
﹁ねぇアラン、そんなことより早く注文済ませてしまいましょうよ。
お腹が空いたわ。飲み物はエールでかまわないから早く持ってきて
くれるように頼んでよ﹂
まだ何か言いたげなアランを遮るようにレオナールが言った。
﹁俺に注文しに行けって言うのか?﹂
﹁そういうのはアランの担当でしょ﹂
当然と言わんばかりの口調でレオナールが言うと、アランは軽く
肩をすくめ、溜息をつきつつカウンターへと向かった。
レオナールはその様子を見送ってから、ルヴィリアに向き直り、
真顔で言った。
﹁ルヴィリア、食前にアランに魔法や所持品の話題を振ったりする
と、いつまで経っても食事できなくなるわよ﹂
﹁えっ、アランって自慢話とかそういう話は積極的にしないタイプ
かと思ってたのに﹂
﹁違うわよ。あの子、自分が興味ある話題になるとすぐ夢中になっ
て周りが見えなくなるの。ムダに時間を使いたくなかったら、話を
させないか、他に何かやらせて気をそらすとかしないと、面倒なこ
2215
とになるのよ。
しかも一度話し始めたら、途中で遮らずに最後まで好きに話させ
ないと何度でもループしたりして、余計長くなるの。でも、本人は
あまり自覚ないのよね。
とにかく色々面倒くさいから、アランに何か説明させたり語らせ
たりしないで。じゃないと、後悔することになるわよ﹂
﹁あなたにそんな風に言われるなんて、一体どれだけひどいって言
うの? それとも大袈裟に言ってるだけなの?﹂
﹁私は事実しか言わないわよ。嘘なんて言っても意味がないし、時
間のムダだもの。それに自分に実害のない事なら放置するわ。その
方が面白いし﹂
﹁⋮⋮そうね、あんたはそういうやつだったわよね﹂
ルヴィリアは嫌そうな目でレオナールを見た。
2216
14 そういうやつと言われる人︵後書き︶
頑張ってみたけど、入れたい話が入れられませんでした。
これ以上更新遅らせるのもアレなので更新です。
予定を立てても、予定通りにできないのはデフォかもしれません︵
ポンコツ︶。
以下修正。
×期限まで確実に
○期限までに確実に
×自慢話としか
○自慢話とか
2217
15 理解できないことは気付けない
﹁レオナール、あなたは誰かのために何かしてあげようと思ったり
しないの?﹂
ルヴィリアの言葉に、レオナールは怪訝な顔になった。
﹁何故? 何のために?﹂
﹁普通は愛情とか信頼とか、普段お世話になってる人とかいたら、
自然に自発的に何かしてあげたいと思ったりするものじゃないの?﹂
﹁ちっとも意味がわからないわ。わかるように説明してちょうだい﹂
﹁⋮⋮レオナールは、誰かに何かしてもらったり、ありがたく感じ
るような気持ちとか、そういうのはないの?﹂
﹁誰かに何かしてもらうって、例えば打たれたり蹴られたり、面白
半分に毒とか睡眠薬とか飲まされたり、人体実験されること?﹂
﹁はぁ!? なんでよ!! どうしてそうなるのよ!!﹂
﹁前の飼い主が良く言ってたわ。ご主人様に殴られる時は反抗的な
目を向けるな、抵抗せず目を閉じて心から深く感謝しろって。残念
ながらそういう気持ちにはついぞなれなかったから、無視すること
にしたけど。
根暗で粘着質でうるさくて、本当どうでも良いことしか言ってな
いから聞くだけムダだし、聞いても理解できる気がしないのよね。
2218
アランは怒らせたり暴走すると面倒だけど、たいていは好きにや
らせてくれるから楽だけど﹂
レオナールが肩をすくめて言うと、ルヴィリアがドン引きした顔
になる。
﹁えっ、何、その飼い主って。その人とんでもなく頭のおかしい変
態じゃない! なんでそんなのを基準にしようとしてんのよ!? あんたバカじゃないの!?﹂
﹁良くわからないけど、本人は父だと思えとか言ってたわね。気持
ち悪いから死んで欲しかったし、できれば殺したかったんだけど、
師匠とアランが言うにはダメらしいのよね。
面倒くさいわ、あんなのでも殺したら私が犯罪者になるなんて。
やってることはその辺の盗賊や賞金首どもとそう変わらないのに。
証拠だの証言だの裁判とか裁定とかどうでも良いわ。みんなまと
めて殺してしまえば良いのに。その方が手っ取り早いし、後腐れな
くて楽なのに﹂
﹁⋮⋮もしかしてあんたの父親って貴族? それとも金持ちだった
りするの?﹂
﹁良くわからないけど、貴族らしいわ。金もそこそこ持ってたんじ
ゃないの。ほとんど人身売買や強盗や賄賂とか着服とか、不正で得
た金だけど﹂
﹁うわぁ、絵に描いたような悪徳貴族ね﹂
嫌そうに顔をしかめるルヴィリアに、レオナールは首を傾げる。
2219
﹁悪徳貴族? ⋮⋮そうね、そうなるのかしら。他に貴族は良く知
らないから、皆あんなものかと思ってたけど、そう言えばアレクシ
スはあれとは全然違った印象だったものねぇ。
良く考えたら、皆があれと同じだったら最初から捕らわれたり、
処分とか更迭とかされたりしないわよね。それは気付かなかったわ。
ありがとう、ルヴィリア﹂
﹁どうして、私がそこで礼を言われるのか、全く理解できないんだ
けど﹂
﹁誰かに何かしてもらったり、知らない事を教えてもらったらお礼
を言った方が良いんでしょう? アランがそう言ってたけど﹂
﹁⋮⋮今のは単に自分の感想を口にしただけで、別にあんたに言っ
たつもりはなかったんだけど、それであんたがお礼を言いたいなら、
かまわないわ。
ただ、ちょっと今、あんたが何を常識だと思って何を基準にして
いるのか計り知れなくて、何の予備知識もなくこいつの教師役をや
らされるのかと思ったら、ものすごく頭が痛いけど﹂
﹁私はできればやりたくないけど、どうしてもって言うなら読み書
きだけでも良いんじゃないの? 常識とか知識とかそういうのって、
個人差があるものでしょう﹂
﹁あんたのそれは、あんた以外の人とかけ離れ過ぎてるのよ!! まともに社会生活できないやつを、一応一人でもかろうじて社会で
生活を維持できる程度にはしてやろうってことでしょ!?
本っ当、騙された! てっきり世間知らずで無知なお金持ちのお
坊ちゃま相手の子守だと思ってたら、引き合わされたのは同年代の
七面倒臭い非常識の、キ○ガイな環境で曲がって育った色々おかし
2220
い男だとか! なんで私にやらせようとするのか理解できないわ、
あの腹黒おっさん!!﹂
﹁安心しなさいよ、師匠だってあなたに完璧さを求めたりはしない
でしょう? だって、その気になればあなた以上の教師役を手配す
るのは簡単にできるんだから。
きっとたまたま目の前にいたからとか、何かに使おうと思ったけ
どとりあえず今は頼む仕事がないから適当にやらせようとか、他に
何か企んでることがあるからカモフラージュ?に仕事名目で私達に
押しつけたとか、そういう理由じゃないの?
師匠が口で言ったことをそのまま鵜呑みにすると、たいてい裏が
あったりするから﹂
﹁⋮⋮なっ⋮⋮何それ! 実際あり得そうでゾッとするんだけど!
!﹂
﹁まぁ、何も裏とかなくて、でもラーヌからは追い出したかったか
ら教師役として金を払って私達に同行させたってのもありそうよね﹂
﹁実際に住んでいた貸家を、数日で拠点として買い取られていつの
間にか﹃私の家﹄じゃなくなってたから、本当にそうかもって思い
そうなんだけど﹂
﹁何言ってるの? 師匠の考えてることが私にわかるはずないでし
ょう? 私が適当に言ったことをそのまま信じる方がバカなんじゃ
ないの?﹂
﹁なっ⋮⋮!?﹂
目を見開いて絶句するルヴィリアに、レオナールはニッコリ笑っ
2221
た。
﹁他人の言うことをいちいち鵜呑みにしてたら、殺されても仕方な
いわよ? 暇つぶしに付き合ってくれてありがとう﹂
﹁死ね! 地獄に落ちてボコボコにのされて×ン×マちょん切られ
て悶絶して死ね!! この頭のおかしいキ○ガイ男!!﹂
﹁下品ね﹂
絶叫するルヴィリアに、レオナールは眉をひそめて肩をすくめた。
注文を終えて戻ってきたアランは、その様子を見て深々と溜息をつ
いた。
﹁おい、今度は何やったんだ、レオ。あんまりいじめてやるなよ﹂
﹁いじめてはいないわ。ちょっとからかって遊んであげただけよ﹂
﹁お前の遊びはだいたいシャレにならないんだが。頼むから面倒な
ことやらかしたり、厄介事起こしたりしないでくれよ。もう辟易し
てるんだ。
特に領兵団詰め所へ出頭しなくちゃならないようなことは勘弁し
てくれ。考えただけで胃が痛くなる﹂
﹁あら大丈夫、アラン。胃腸薬は持ってきてるの?﹂
﹁胃腸薬と風邪薬と傷薬は常に持ち歩いている。って、違う! 今
のは比喩で、実際に腹が痛くなったわけじゃない!!﹂
﹁なんだ、驚かさないでよ。アランの体調が悪くなったら、予定や
2222
都合がズレるんだから気を付けてね。私の楽しみが減るでしょう﹂
﹁⋮⋮最後の一言がなければ、泣いて喜ぶんだけどな﹂
﹁え、アラン、泣くの?﹂
目を瞠り驚いたように尋ねるレオナールに、アランは仏頂面にな
った。
﹁比喩表現だ。絶対泣かないから安心しろ﹂
﹁その比喩ってなんなの。それはわざわざ使わないといけないわけ
? 必要があるの?﹂
﹁うん、俺が悪かった﹂
﹁意味がわからないわ﹂
疲れたように言うアランに、レオナールは首を傾げた。
◇◇◇◇◇
一行が食事を終えた帰り道のことである。レオナールとアランが
二人と別れ、クロード宅へと向かう途中、栗色の髪の少女が小走り
に駆け寄って来た。
︵来たわね︶
2223
構わず先に進もうとするアランには声を掛けずに、レオナールは
一人立ち止まった。
﹁レオ?﹂
相棒が着いて来ないのに気付いて怪訝そうに首を傾げるアランに、
レオナールは微笑を向けた。
﹁大丈夫、気にしなくて良いわ。先に帰っても良いわよ﹂
﹁そういうわけにいくか。お前を一人にしたら何やらかすかわから
ないだろ﹂
﹁信用ないわねぇ?﹂
﹁そうさせたのはお前だろ。自業自得だ。嫌だと思うなら今後反省
して学習しろ﹂
アランの言葉に、レオナールは大仰に肩をすくめた。ようやく追
いついた少女が何かに躓き転びかけるのを、レオナールが予測して
いたような動きで支えて受け止めた。
それを間近で見たアランが大きく目を瞠り、息を呑んだ。
﹁すっ、すすすっ、すいません! ひひひ、昼間もっ、本当にああ
あ有り難うございまししたぁああぁっ!!﹂
少し垂れ目で大きなつぶらな瞳の華奢な少女である。何の予備知
識もなく彼女を見れば、無害で薄幸そうに見えるだろう。落ち着き
のない言動によって、多少残念度が上がってはいるが。
2224
﹁それで? わざわざこんな時間に何か用かしら?﹂
﹁そそそそのっ、お礼を言いたかったのと、そそそそそのっ、お時
間があればお礼にお酒とか、わわわわたしの奢りでどどどどうでし
ょうっ!?
あのあのっ、ごごごご都合とかいいいいかがでででですかっ?﹂
頬どころか耳や首まで真っ赤にして、こちらを見上げ、どもりな
がら言う娘に、レオナールは困惑した。
︵やっと仕掛けに来たのかと思ったけどこの娘、いったい何が言い
たいのかしら︶
レオナールにとって、元々他人の言うことは理解しづらいのだが、
この娘は格別に聞き取りづらい上に言葉が足りず、文脈を理解しに
くかった。
﹁レオ、彼女はどうやら昼間の礼とやらをしたいから、暇なら酒を
奢りで飲みに行かないかと誘っているみたいだぞ。それはともかく、
昼間の礼ってお前いったい何をした?﹂
アランが渋面でレオナールに尋ねた。レオナールは軽く肩をすく
め、髪を掻き上げながら答えた。
﹁たいしたことはしてないわ。買い物途中で、この娘がぶつかって
きて勝手に転んで足を痛めたようだったから、冒険者ギルドの治療
室まで運んだだけよ﹂
﹁お前が運んだのか? あ、いや、もしかしてダオルがそうした方
が良いって言ってくれたのか?﹂
2225
﹁どうしてダオルがそんなことを言うの? ちょうど通り道だった
し、その方が良いんじゃないかと思ってそうしただけなんだけど﹂
﹁えっ、お前、もしかして⋮⋮﹂
﹁何? どうしたの、アラン。もしかしてあの程度のエールでもう
酔っ払ったの?﹂
﹁違う! そんなことより、お前、デートだぞ、デート!! お前
が普通の女の子に、喧嘩でも報復でも嫌がらせでもなく普通にデー
トに誘われてるんだよ!! どうするんだ! 行くのか!?
ほら、ちゃんと答えてあげなきゃ駄目だろ、レオ!﹂
﹁はぁ?﹂
レオナールは言われた意味がさっぱり理解できず、眉をひそめた。
︵﹃デート﹄ってどういう意味かしら? アランの言葉の一部が理
解不明な言葉に聞こえるわ。意味は良くわからないけど、相手が仕
掛けてくるつもりなら受けるつもりだったから予定通りなんだけど、
どうしてアランが喜んでるのかしら。
まぁ、怒られたり怪しまれたり不審がられるよりは良いのかしら
ねぇ?︶
﹁ともかく、わかったわ。じゃあ、今夜で良いわよ﹂
﹁えぇっ!? こ、今夜ですか!? なっ⋮⋮うっ、そそそそのっ、
わわわわたしは良いですけど、ああああなたのご都合はどどどど⋮
⋮っ﹂
2226
﹁だから良いって言ってるでしょう? 明日からは狩りに行ったり、
面白そうな魔獣や魔物がいたら遠出して狩りたいと思ってるから、
今日の方が都合が良いわ。
それとも、あなたの方の都合が悪いのかしら?﹂
﹁いいいいえぇえっ! そそそそのっ、こここ心の準備がっ!!﹂
﹁心の準備? 何それ﹂
また意味不明な言葉が出て来た、とレオナールは顔をしかめた。
元から会話は苦手で、人の話を聞くのは好きではないが、この娘と
はまともに会話できる自信が全くない。
﹁おい、レオ。人の気持ちや都合を考慮しなかったり、せっかち過
ぎるのはお前の悪い癖だぞ﹂
﹁え、でも、向こうから礼がしたいと誘ってきて都合の良い日を聞
かれたのに、私にとって一番都合の良い日を言ったらダメなの?
じゃあ、なんのために聞いてきたの? 都合とか事情とかそんな
ものがあるなら、こっちに尋ねる前に言えば良いでしょう?﹂
﹁レオ⋮⋮言いたいことはわからなくもないが、それじゃ普通の女
の子には逃げられるだろう﹂
呆れたように言うアランに、レオナールは首を傾げた。
︵普通の女の子? 少なくともこの目の前にいる娘は、﹃普通の女
の子﹄ではないわよねぇ?︶
2227
﹁ああああのっ、そそそそのっ、わわわわかりましたっ!! 今夜
ですね!! ででででしたら、そそそそのっ、わわわわたしの知っ
てる店があるので、そそそそちらでっ!!﹂
﹁ふぅん、何て店なの?﹂
﹁すすすすいませんっ! わわわわたしっ、ばばば場所は知ってる
けど店の名前は知らなくてっ!!﹂
︵へぇ、それほどバカじゃないのね。ここで店の名前バラしたら、
後日アランが証言?とかすることになったら矛盾が生じそうだもの
ね。
また後日ってなるとうっかり忘れそうだし面倒だから、良かった
わ︶
﹁じゃあ、アラン。私、行って来るわ﹂
﹁お、おう、頑張れよ、レオ﹂
そう言ってアランはどこかぎこちない動きで歩き去った。
︵良かった。単独行動はさせられないとか、一緒に行こうとか、面
倒なこと言うかと思ったけど、一人で行かせてくれるみたいね。
急にどうしたのかしら? いつにも増して意味不明だったし、様
子もおかしかった気がするわね。できるだけ早く済ませて帰った方
が良いかもしれないわね︶
レオナールはアランの背中を見送ってから、少女を振り返った。
﹁じゃあ、行きましょうか﹂
2228
お互い実はまだ自己紹介すらしていないということに、全く気付
いていなかった。もし気付いたとしても、レオナールがそれを気に
するはずはなかったが。
2229
15 理解できないことは気付けない︵後書き︶
ということで次回前書きに注意書きが入る予定。
書いていて﹁ツッコミ役がいない!﹂と叫びたくなりました。
普段はツッコミ役だけど、苦手分野には鈍くても仕方ないよね、と
思いつつ。
次回、方向性の違うボケ二人で会話することになりますが、舵取り
役がいないと無駄会話や暴投が増えるため、書いてはカットの繰り
返しになるという。
なるべくカットしますが。
以下修正。
×行くか
○いくか
×︵﹁わたしの奢りでどどどどうでしょうっ!?﹂に追加︶
○あのあのっ、ごごごご都合とかいいいいかがでででですかっ?
×外国語に聞こえる
○理解不明な言葉に聞こえる
2230
16 普通を語ってはいけない人達
少女の怪我は昼間のうちに治癒師の治療によって回復しているは
ずであるが、何故かカクカクとした足取りでフラフラと左右に揺れ
ながら歩いている。
︵あれからまたどこかでぶつかったり転んだりして怪我したのかし
ら。でも、負傷箇所をかばっての動きには見えないのよねぇ? ど
ちらかというと筋肉痛とかそういう感じ?
いえ、それも違うわね。右手と右足が一緒に出たり、見えないも
のにぶつかりそうになったりつまずいたりしているような、妙な動
き方よね。
でも、魔力や魔素の動きからすると、そこには本当に何もないん
だけど⋮⋮なんなのかしら。良くわからない娘ね︶
レオナールにとってこの世の大半の人は理解不能な生き物だが、
目の前の少女はその中でも特に意味不明な生き物だった。
少女が口を開かないため、レオナールも無言である。少女の数歩
後ろを歩きながら周囲を警戒しているのだが、少女が歓楽街││そ
れも娼館などが密集している方角へと向かっているため、歩くごと
に周囲の人や気配や声などが増えて行くため、だんだん把握できる
範囲が狭まっている。
︵私に可能な索敵範囲や能力を知ってて、わざとこんな場所を選ん
だのかしら?︶
レオナールの正確な索敵能力はアランですら掌握できていないと
思うのだが、大まかなものであれば冒険者ギルド関係者には把握さ
2231
れている。
少女とその連れ達に知られていてもおかしくないだろう。
少女が向かったのは娼館などが立ち並ぶ通りの手前に建つ、怪し
げな外観の三階建ての酒場だった。元々レオナールは読み書きが苦
手なせいもあるが、看板の文字は達筆すぎて読めなかった。
モノ
店内の照明は薄暗く、普通の人間であればかろうじて歩ける程度
クロ
の明るさである。レオナールには店内の様子を全てではないが、白
黒ながらだいたい見ることができた。
︵二階と三階は連れ込み宿屋で、一階は一応酒場になっているけど、
普通は娼婦が客を物色するところって感じかしら?︶
店のほぼ中央には円形の舞台がしつらえてあり、申し訳程度の薄
衣を身に纏ったほぼ半裸の女が、照明に照らされ、腰をくねらせな
がら踊っている。
店内に置かれた長椅子には、娼婦らしき女をはべらせた男が女を
撫で回しながら酒を飲んでいる姿が見えた。世慣れた酒場女や娼婦
ならばともかく、ウブな町娘が連れて来る店ではない。
しかし、レオナールはこの娘が何故ここへ彼を連れて来たのか、
理解できると思った。
︵なるほど、ここなら客は周囲を気にしないし、手元が暗いから酒
やつまみに毒や薬を仕込みやすいし、店員も何か騒ぎがあっても金
を握らせれば黙らせられるし、上へ連れ込めれば多少騒いだって、
誰も気にしないから都合が良いってわけね!︶
﹁ようこそいらっしゃいませ、お客様。申し訳ありませんが、当店
では武器の持ち込みは禁じられておりまして⋮⋮﹂
2232
店の入口で黒服姿の店員にそう言われて、レオナールは思わず目
を瞠った。
﹁え? ダメなの!? この剣は私の一部なのに!﹂
レオナールの言葉に、黒服の男は苦笑を浮かべた。
﹁誠に申し訳ありませんが、いずれのお客様も例外ではありません。
当方で武器をお預かりするか、でなければ入店をお断りいたしてお
ります﹂
﹁じゃあ、別の店に⋮⋮﹂
﹁あああああのっ、レレレレレオナール様っ!!﹂
少女が甲高い悲鳴のような声を上げて、あっさり踵を返そうとす
るレオナールの腕に飛びついた。
﹁どどどどうしてもダメですかっ!? あああのっ、わわわわたし
っ、ここ以外のお店はししし知らなくてっ、そそそそのっ、おおお
お願いしますっ!! あのあのっ、えとえとっ、そのそのっ⋮⋮!
!﹂
引き留める言葉を探してアワアワしている少女の姿に、レオナー
ルは深々と溜息をついた。
︵相手が仕掛けてやるなら受けてやろうとは思ってたけど、だから
といって相手の土俵で丸腰でやり合うつもりはないんだけど⋮⋮面
倒ね。
だいたいこの娘もその連れのお兄さんも、おバカさんなのかしら
2233
? この状況、明らかに怪しすぎて、私じゃなくても何かおかしい
ことに気付けるわよねぇ?︶
黒服の男も不審げな目で少女を見ている。しかし、少女は全く気
付いていないようだ。
︵この娘、前から思ってたけど、仕事向いてないんじゃないの?︶
だからといって彼女にどんな仕事が向いているかなど考えつかな
いのだが、少なくとも命のやり取りをするような仕事の適性は皆無
だろう。あまりにも迂闊すぎる。
﹁バスタードソードはともかく、ダガーはダメかしら? いざとい
う時の護身用で、師匠からの物だから絶対なくしたくないのよね﹂
﹁⋮⋮店内では決して抜かず、触れることもしないと約束していた
だけますか?﹂
真顔で尋ねる黒服に、レオナールは首を傾げた。
︵そんな約束はしても守れる自信は皆無なんだけど。こんなことな
ら暗器か何か作って、隠し持ってくれば良かったかしら?︶
しかし、現時点では既に手遅れである。
﹁じゃあ、こちらからも条件を付けるわ。私に危険が及ぶようなこ
とがない限りは抜かないけど、もし私が私の命を守るために必要な
事態が起こったら抜いて相手を殺傷しても見逃す。
それが受け入れられるのなら、約束するわ﹂
2234
﹁⋮⋮失礼ながら、Fランク冒険者のレオナール様ですよね? 当
店にいらしたのは初めてのようですが、あなたの噂はこの界隈でも
有名でして、失礼ながらそのお言葉を許容するのは大変難しいので
すが﹂
﹁じゃあ、やっぱり良いわ。別に私はこの店に入れなくてもかまわ
ないもの﹂
﹁あああーっ!! ちょっと待って! 待ってくださいっ、レオナ
ール様ぁあっ!!﹂
少女が叫びながら、背中を向けたレオナールに飛びつき、しがみ
ついた。
﹁すいませんすいませんっ! あのあのあのっ、こここここれでど
うにかならないですかっ!? わわわわたし個室に予約したアアア
アリーチェですぅううっ!!﹂
少女はそう叫びながら、レオナールの視界の陰で黒服に素早く何
かを手渡した。
﹁おや、本日特別室を予約されたお客様でしたか﹂
黒服の男は軽く眉を上げると、居住まいを正して深々と礼をした。
﹁では、申し訳ありませんが、このまましばらくお待ち下さいませ﹂
そう告げて、男は左手奥の扉へと向かった。
﹁何? 武器は預けなくても大丈夫ってこと?﹂
2235
首を傾げたレオナールに、いまだ背中にしがみついたままのアリ
ーチェがガクガク足を震わせながら尋ねる。
﹁ああああのあのっ、レオナール様にとって、その剣とダガーはだ
だだ大事なものなんですかっっ?﹂
﹁⋮⋮そうね。師匠が若い頃に使っていた装備らしいけど、武具屋
の店主やギルドマスターが言うには、かなりの業物らしいわ。大事
に使えばあと十年は使えると言われたわね﹂
﹁ええぇえっ!? でっ、でもでも、レレレレオナール様はぼぼぼ
冒険者ですよねっ? 今は駆け出しだからともかく、十年経てばラ
ンクも上がってつつつ強い魔獣とたたた戦いますよねっ!?﹂
﹁そうね﹂
﹁そそそそしたら、すすすすごくたたた高いんじゃっ⋮⋮!﹂
﹁新品だったら金貨十枚以上するらしいわ。作られてから二十年く
らい経っているから、武器屋に売っても金貨一枚にもならないけど、
王都で金と暇の有り余っている師匠のファンの貴族なら、白金貨四
十枚でも買う人がいるかもしれないんですって﹂
﹁ええええぇえっ!? そそそんなの持ち歩いて、おおお襲われた
りしないんですか!?﹂
﹁ロランの町の中で襲って来そうな連中は、だいたいぶちのめした
から、増えなければやりそうなのはもう片手の指で数えられるくら
いの数しか残ってないわ。
2236
ぶちのめした連中の内、本職は十数人しかいなかったから、今後
絶対狙われないとも言いがたいけど﹂
﹁ええええぇえっ!? ねねね狙われるかもしれないのに、ももも
持ち歩いてるんですか!?﹂
﹁自分の装備を常日頃から使うのは当たり前でしょう。装備しない
武具は使えないし、使わない武具に何の意味があるの? 料理人に
何故刃物をもつのか聞くようなものでしょう﹂
﹁ででででもでもっ、いいい今は使ってないですよねぇっ!?﹂
﹁町中じゃいつ必要になるかわからないのに、丸腰になるとかあり
得ないわ﹂
﹁ままま町中で剣が必要になることっ、めめめめったにありません
よっ!!﹂
﹁そんなことはないわよ。つい先日も完全装備の連中に襲撃されて、
剣を抜いて応戦したもの。アランがいない時に魔法使われるとちょ
っと面倒だけど、近付いて剣を叩き込めば済むことだし、それに理
由はともかく向こうから襲って来る分にはむしろ好都合⋮⋮﹂
そこまで言ってから話しすぎたことに気付いたレオナールは、口
を閉じた。
﹁え?﹂
﹁それより特別室ってどんなとこ? こことは別の個室なのかしら
? 上にあるの? まともな家具がベッドしかないような部屋じゃ
2237
ないわよね?﹂
﹁いいいええぇえええ! あのあのっ、一階にあるしっ、静かで落
ち着いた部屋ですぅううっ!!﹂
︵静かで落ち着いた部屋? ︽静音︾とかの魔道具が使われている
のかしら。家具の配置とかはどうなのかしら。森以外の障害物あり
の地形や環境での立ち回りって、あまり経験ないのよね。この前の
宿屋や洞窟?にいた連中はたいしたことなかったし、数も少なかっ
たし。
この娘はともかく、もう一人の黒いのは明るい場所でやり合った
り、不意打ち食らうとヤバそうよね。照明がロウソクとか油なら消
せるけど、魔道具とかだとちょっと面倒ね︶
そこへ黒服の男が戻ってきた。
﹁お待たせいたしました、お客様。お部屋の方が整いましたので、
ご案内いたします﹂
一礼して、先程出て来たばかりの扉の方へ先導する。
︵これ、絶対予約はしていなかったわよね。でも、前もって符丁み
たいなものは打ち合わせてあったのかしら。たぶん連れ込み役がこ
の娘じゃなくて、もっとこなれたのがあてがわれていたら、もうち
ょっと自然な流れになってたんじゃないかしら︶
レオナールが少女の方へちらりと視線を向けると、赤面して目を
潤ませ、うつむいて何やら小声でブツブツ呟きながら、フラフラし
ている。
あいにくレオナールの聴力でも良く聞こえなかったが、周りが見
2238
えていない様子である。
︵てっきり暗殺者かそっち系だと思ってたんだけど、この娘はそっ
ちとは別口なのかしら︶
実はこの娘も本職の暗殺者だとしたら、この娘の上司はとち狂っ
ているか、もしくはこの姿すらも演技で偽装なのかもしれない。
︵どうせなるようにしかならないんだから、考えてもムダよね。武
器を装備したまま入れたんだから、油断しなければ、どうにかなる
でしょ︶
これで死んだとしても問題ない、と思っているからこその楽観で
ある。
◇◇◇◇◇
案内された部屋はマホガニー製の重そうなテーブルや、豪奢な刺
繍が施された絨毯、美しい曲線を描く背もたれつきの椅子などの他、
ゆったりくつろげそうな長椅子、高級そうな花瓶や壺、絵画などが
飾られた二間続きの個室だった。
︵どちらかというと、上昇志向の強い平民が考える貴族風って感じ
の、とりあえず高級品を集めてみたけど統一感皆無の成金趣味って
感じかしら。
いっそ全部叩き売って、市場で誰かがまとめて出している家具を
そのまま並べた方がマシじゃないかしら。それとも、座り心地は良
いから、実用的には問題ないのかしら︶
2239
酷評である。二人がそれぞれ椅子に腰掛け一息ついたところで、
給仕が軽めの料理や口当たりの良い果実酒などを運んできた。
︵ふぅん、即効性の睡眠薬と持続性重視で遅効性の痺れ薬ね。同時
に飲んだことはないけど、これくらいの量なら全部食べても大丈夫
かしら。
あ、でも薬が効いた振りをした方が良いの? 良く考えたら薬が
効いた時のことは良く覚えてないわね。演技するとしたら、どんな
風にしたら良いのかしら。
アランなら知っているでしょうけど、でもあの子にバレたら絶対
止められたでしょうし、相談なんかしてたら怪しまれてたわよねぇ︶
さてどうすべきかと、悩みながらも果実酒の注がれた銀の杯に口
を付けた。
︵ご丁寧にこっちにも入ってるのね。もしかして資金が潤沢で毒や
薬をいっぱい持っているのかもね。きっと解毒剤とかも持っている
だろうし、アランが欲しがりそうだから、持参しているようならい
ただいちゃおうかしら︶
それも良いわね、と笑みを浮かべるレオナールの様子を見て、ア
リーチェはひとまず安心した。
﹁その、お味はどうですか? お好きでないようでしたら、他のも
のを注文しますけど﹂
﹁これで良いわ﹂
︵どうせ何頼んでも毒とか薬が入ってるなら、何を頼んでも同じよ
2240
ね︶
普通の人間なら、新たに注文した分を飲食する前に薬が効いて動
けなくなる量を仕込んでおいて、そんなことを言うのは酷だろうと
も思う。
︵それとも薬を仕込んでいるのは別かしら︶
﹁レオナール様って剣士で、︽疾風迅雷︾って人の弟子なんですよ
ね。すごく強そうです﹂
ニコニコ笑いながら少女が言うと、レオナールは肩をすくめた。
﹁強そう、じゃなくて強いの。私はいずれ最強になる予定の天才剣
士よ﹂
﹁うわぁ、それはすごいですね! 最強って人の中で一番ですか?
それとも魔獣や魔物含めてですか?﹂
﹁もちろん人も魔獣も魔物も含めてよ。じゃないと素手でもドラゴ
ンと格闘できて、剣を使えば瞬殺は無理でも一対一で命かけずに倒
せる師匠に勝てないじゃない﹂
﹁なるほど、それはすごいですね! 尊敬します!!﹂
﹁もっと賞賛してくれても良いのよ?﹂
﹁ええっ、わたしそういうの不得意で、褒めようとしたらかえって
相手の気分損ねるとかしょっちゅうなんです。みんなにダメでグズ
でバカな子って言われてるんです﹂
2241
﹁そうなの? でも、バカでも捨てられずに生きていられるなら、
何か取り柄があるんじゃないの、たぶん﹂
﹁そうですか?﹂
﹁だって成人近い年齢に育つまで、何の取り柄もないバカな役立た
ずなんか飼っても、ムダに金と食料を消費するだけだから、普通は
処分しようとするでしょう?﹂
﹁ええええぇっ!? そそそそうなんですかっ!?﹂
﹁違うの? 私はてっきりそういうものだと思っていたわ。だって、
女の子は見目がそこそこでも損傷が少なければ、十歳前後まで育っ
ていれば十分娼館や奴隷に売れるらしいもの﹂
﹁ええええぇええぇっ!?﹂
普通の基準が間違っていると指摘できる人物は、残念ながらこの
場にいなかった。
2242
16 普通を語ってはいけない人達︵後書き︶
予定より話が進みませんでした。すみません。
以下修正。
×仕掛けてやるなら
○仕掛けてくるなら
×ブロードソード
○バスタードソード︵アホなミスですみません︶
×この娘の上司
○この娘の上司は
×褒めしたら
○褒めようとしたら
2243
17 後先考えずに行動すると後悔する︵前書き︶
人間相手の戦闘があります。苦手な人は注意。
2244
17 後先考えずに行動すると後悔する
︵良く考えたらこの薬、酒と一緒に飲んだり、他の薬と併用したら
どうなるか、試したことはないのよね。
通常通りなら薬が仕込まれている料理全部とこの杯三∼四杯分っ
てところだろうけど、夕食後だからそんなには食べられないから問
題ないはずだけど、薬に耐性があると気付かれて追加で盛られると、
どうなるかわからないわね。
となると、早々に仕掛けて貰った方が良いかしら。薬や毒は効き
にくいけど、効いた後はどうにも対処できないし。となると、あま
り量を飲まない方が良いかしら?
確かこの薬を大量に飲むと、眩暈と頭痛と倦怠感で動きにくくな
るし、空腹の時や体調悪い時とかだと幻覚見えることもあるのよね︶
常人なら服用後四半時以内に眠ってしまう上、半日は動けなくな
るのだが、レオナールの場合は人間の適量の五倍の量を服用して効
果が発揮するまで半時ほどかかる。
錬金術師や薬学専門の魔術師などが調合した魔法薬ならば、効果
があらわれるまでの時間を縮めたり、持続時間を延ばすことも可能
だが。
﹁あっあのっ、とととところでそそそ損傷って、どどどどういう意
味ですかっ?﹂
上擦った声で、おののきつつも尋ねたアリーチェに、レオナール
が平然とした顔で淡々とした口調で答えた。
﹁神殿所属か高位貴族専属の高位神官でなければ、完全回復できな
2245
くて自然治癒も不可能な重度の損傷よ。
健康で使用するのに問題がなく維持管理費が安価でなければ、肉
体労働や肉壁に使えない子供を欲しがる人なんて、あまりいないで
しょ。
もしかしたら部位欠損した子供をいたぶるのが好きな変態もいる
かもしれないけど、絶対数が少ないからそういう顧客のいる奴隷商
や、捕獲が難しい稀少種族じゃなければ買い取りしたがらないんじ
ゃないの。
人に限らず生き物は、定期的に餌を与えないと死ぬでしょう? 商品の維持管理だけでも大変なのに、売れるかわからないのを仕入
れたりしないわ﹂
﹁ええぇっと、その⋮⋮どどど奴隷商の人とお付き合いが?﹂
﹁子供の頃に一度顔を合わせただけよ。家にいた使用人の半分くら
いが人さらいと盗賊だったから、連中が戦利品とか商品とかについ
て話してたのは聞いていたけど﹂
﹁そそそそれっ、犯罪者集団じゃないですかっ!!﹂
悲鳴のような声を上げたアリーチェに、レオナールは軽く眉を上
げた。
﹁ただの事実だけど、あなた面白いこと言うわね﹂
﹁へ?﹂
﹁聞いても良いかしら。あなたが思う犯罪者ってどういう人達なの
? これまで全く気にしたことなかったけど、犯罪者って自分達の
ことをどう思っているのかしら。
2246
私はてっきりゴブリンとかコボルトみたいに、群れ単位で統一さ
れているか、あるいは統率者の命令には絶対服従なのかと思ってた
のだけど﹂
﹁ええぇと、は、犯罪者? かっ、考えたことはないけど、えっと
えっと悪いことする人?﹂
﹁犯罪を悪いこととみなすのは、それを肯定すると不利益をこうむ
る人達でしょ? それを肯定して推奨する側の意見や認識が知りた
かったんだけど、もしかして自分の仲間以外は全て敵なの? それ
とも無自覚なのかしら﹂
﹁はい?﹂
アリーチェはキョトンとした顔になった。レオナールは感情の見
えない顔でアリーチェを見つめた。
﹁もしかしてあなたは、自分達のことを正しいと思っているの? それとも最初から疑問を覚えたことがないのかしら。
そうね、使う側からしたら、下す命令に疑問を感じることなく、
余計なこともしないで、忠実に遂行するお人形さんの方が都合良い
もの。
有能だけど命令に従わない駒より、愚鈍でも命令に従う駒の方が
都合良いわよね。無能で足手まといなら困るけど、そういうのも使
い方次第でオトリや生贄くらいには十分使えるもの﹂
﹁えっと、その、どういう意味ですか?﹂
アリーチェはゾクリと背中に冷たいものを覚えながら尋ねた。
2247
﹁あら、わからない?﹂
レオナールは温度を感じさせない目で尋ねた。
﹁はい、わかりません。いったい何の話ですか?﹂
﹁あなたはバカなの? それとも頭がおかしい人なの?﹂
﹁あ、はい、それ良く言われます!﹂
真顔で尋ねたレオナールに、満面の笑みで答えるアリーチェ。レ
オナールはやれやれと言わんばかりに、大仰に肩をすくめた。
﹁薬が効いた振りとか演技とか無理そうだから、挑発して激昂させ
てそっちから手を出して貰おうと思ったんだけど、もしかしてあな
た、挑発とかそういうの利かない人?
それとももっと直接的に罵倒したりけなしたりした方が良かった
かしら。正直、目で見て感情が判別できない人って、どう扱ったら
良いのかわからないのよね。
普段は相手が気にしてそうなところや、自信を持ってそうなとこ
ろをつついて揺さぶり掛けるんだけど﹂
﹁へ?﹂
﹁相手から命に係わりそうな攻撃をされない限りは、剣を抜いちゃ
ダメって言われてるのよね。それとも死にはしないけど行動不能に
なるには十分な量の薬を盛られた時点で反撃しても良いのかしらね。
わからない時はアランに聞けって言われたけど、面倒だから攻撃
しても良いかしら。証言する人がいなくなれば、正当防衛ってこと
で誤魔化せるかもしれないわね。
2248
犯罪は犯罪として認識されなければ、存在しないようなものだし。
あなたはどう思うかしら、灰色さん。あと、隠れている黒い人の意
見も聞いてみたいわ﹂
﹁っ!!﹂
そう言って、おもむろに剣帯で背負っている剣を抜いたレオナー
ルに、アリーチェは驚愕しながら飛び退いた。
﹁あら、あなたにはあまり期待していなかったけど、一応そこそこ
の反射神経は持っているのかしら。なら、暇つぶしに遊んでちょう
だい﹂
レオナールは笑っていない目でニンマリと唇を歪めて、椅子を蹴
倒し、料理が並べられたままのテーブルに駆け上がり、剣を振り下
ろした。
﹁きゃあっ!﹂
アリーチェは蒼白しつつも転がって避けた。レオナールは素早く
テーブルから飛び降り、椅子を蹴り上げながら大きく剣を薙いだ。
アリーチェは慌ててテーブルから落ちた食器やフォーク、水差し
などを投げつけながら距離を取ろうと後退る。
︵おかしいわね。天井裏にいるみたいなのに、出て来ないわ。ここ
の天井は頑丈そうな上に高めだから、テーブルの上で跳躍しても届
きそうにないのよね。行動不能にしたら出て来るかしら?︶
レオナールの気が少し逸れたその時、二間続きの奥の部屋から、
暗褐色の覆面姿の男が飛び出し、短剣を投げつけた。
2249
﹁っ!?﹂
認識できていなかった三人目の姿に、レオナールは驚きつつも慌
てて剣で弾こうとしたが、間に合わず短剣は右手首をかすめてしま
った。
︵⋮⋮毒?︶
レオナールは舌打ちした。既知のものならおそらく効かないか、
効いたとしてもしばらく猶予があると思われるが、この場で判断で
きない。
レオナールはアリーチェを無視して、三人目の男に向かって駆け
出した。
﹁くそっ、アリーチェ! 撤退しろ!!﹂
﹁えええぇえっ!? 本気ですかっ、お頭!?﹂
﹁お頭とか言うな、このボケ娘! 邪魔だから逃げろっつってんだ
よ、このバカが!!﹂
男の言葉に、レオナールはニヤリと笑い、剣を振るって調度品の
壺をなぎ倒した。
﹁なっ!?﹂
壺は近くにあったロウソクの立てられていた金の燭台を倒し、そ
の燭台がレオナールが二度目に蹴った椅子に倒れかかり、転がった。
2250
﹁きゃあっ!!﹂
ソー
燭台は転がって、アリーチェの足下をすくった。躓き、花瓶に頭
から突っ込み、そのまま床へと転がった。
﹁おい! 何やってんだ、このボケがっ⋮⋮ちっ!﹂
ドブレイカー
慌てる男に駆け寄ったレオナールが剣を大きく薙いだが、櫛状の
峰のついた短剣で防がれた。金属のぶつかり合う音に、レオナール
が眉をひそめた。
﹁ちょっと! 刃が傷むじゃないの!!﹂
﹁はぁっ!? 知るか、そんなもん! 刃が傷むのが嫌なら鞘から
出さずに大事にしまっとけ!!﹂
﹁バカなこと言わないで! 使わない武器に何の意味があるのよ!
ただの重いゴミでしょ!!﹂
男の言葉にレオナールはギロリと睨み付けた。
﹁くそがっ! 景気よくポンポン壊しやがって!! この苦労知ら
ずのボンボンがっ!!﹂
﹁あら、あなたが弁償してくれるの、ずいぶんお金持ちなのね!﹂
レオナールは途中に膝下などを狙った蹴りを加えながら、剣を振
るう。男はそれを避けたり、左手に持ったソードブレイカーで受け
たり流したりしつつ、右手に滑らせた短剣を隙を見て振るう。
2251
﹁抜かせ!﹂
︵⋮⋮時間稼ぎ? どうして? 上にいる黒いのも降りて来ないし
⋮⋮どういうこと?︶
﹁おい、優男! その毒、大角熊あたりならとっくに動けなくなっ
てるはずなんだが、どうしてまだ動けるんだよ!﹂
﹁⋮⋮知らないの? 王国内で知られている汎用的な毒や薬の類い
はだいたい耐性持ってるんだけど。自分でもどのくらいの耐性を持
っているかは知らないわ。知ってる連中は全員死ぬか幽閉されてい
るから﹂
﹁はぁ!? くそっ、金貨四枚分使ったんだぞ、おい!!﹂
﹁あら、お金持ちなのね。ムダに使うくらいなら、そのままくれれ
ば良かったのに!﹂
﹁ふざけんな! なんでお前にやらなきゃならねぇんだ、畜生!!﹂
﹁お頭ぁっ! 逃げて下さいっ!!﹂
そこへ短剣を振りかぶったアリーチェが、レオナールの背中目掛
けて突進して来た。レオナールはそれに気付くと身を翻し、その隙
に切り掛かろうとする男の攻撃に身をそらして避けると、アリーチ
ェの腕を掴み、盾にするよう前に押し出した。
﹁!?﹂
更に最初に蹴り転がした椅子を、アリーチェと男のいる方へ蹴り
2252
飛ばした。
﹁意外と重いから思ったようには飛ばないわね﹂
さすがに二人にはぶつからなかったが、距離を取ることには成功
した。
︵やっぱり屋内戦闘の訓練も必要かしら。やってみると意外と動け
ないものね。薬が効いてるわけじゃなさそうなんだけど。念のため
︽解毒︾も教えてもらっておけば良かったかも︶
レオナールが剣を振り上げ、二人が散開しようとした時、天井板
を突き破り、何かが落ちてきた。
﹁!﹂
レオナールは慌てて剣を引き戻し、正面に構えた。アリーチェと
暗褐色の衣装の男が倒れて、黒装束の小柄な男が立っていた。
﹁待て、︽疾風迅雷︾から伝言だ﹂
剣を振るおうとしたレオナールに、飛びすさり距離を取りつつ、
天井裏にいた二人目が制止するように言った。構わず足を踏み出し
ながら剣を突き出し、なぎ払うレオナール。
﹁⋮⋮以下伝言だ。﹃アランが泣くからあんまりおイタすんなよ、
不肖の弟子。暇ができたら遊びに行ってやるから良い子にしてろ。
そいつはお前の護衛に付けておくから、暇を持て余したら遊んで貰
え﹄﹂
2253
﹁本当? ってそれ、真顔で棒読みだと笑えるわね﹂
レオナールはそう言いながら、蹴りを放つ。
﹁同じ文面の手紙もある。︽疾風迅雷︾にはお前に斬り掛かられた
くなければ、なるべく姿を見せないようにしろと言われたが⋮⋮﹂
蹴りを避けながら、黒装束の男は眉をひそめた。
﹁他の者が来ない内にこの二人を確保して撤収したいんだが﹂
﹁じゃあ、暇な時に遊んでくれる?﹂
﹁尋問や引き渡しがあるから、早くても明後日の夕方以降になる﹂
﹁わかったわ、じゃあそれでよろしく。そっちから来てくれるんで
しょう?﹂
﹁了解した。あと、俺自身から伝えたかったことだが﹂
﹁何かしら?﹂
﹁ルヴィリアをからかうのはやめて欲しい。もしかしたら俺を挑発
するつもりだったのかもしれないが、あの子のいる場所でお前に接
触することは決してない﹂
﹁了解よ。あなたが遊んでくれるなら、その方が断然楽しそうだも
の。楽しみに待っているわ﹂
そう言ってレオナールが剣を鞘に収めて距離を取ると、黒装束の
2254
男は倒れているアリーチェと男を肩に担ぎ上げて、天井裏へと舞い
戻った。
それを見送ってからレオナールはハッと気付いた。
﹁これ、後始末はどうしたら良いの?﹂
いつもなら文句を言いつつも率先してそれを行ってくれる相棒は、
ここにはいなかった。
2255
17 後先考えずに行動すると後悔する︵後書き︶
初期プロットでは死傷者出ていましたが、軽度に収めました。
引っ張って置いてこれかよ、と思われた方もいるかもですが。
これで次のクエストへ進められます。
黒い人はとばっちりだと思います。
レオナールの台詞にアレなところがあるのはデフォルトなので注意
書き必要か否か悩みます。
2256
18 マイペースな剣士と怒りに震える魔術師
室内は、強盗に荒らされてもここまではひどくないだろうという
惨状だった。テーブルはその重さもあって彼が入室した時とほぼ同
じ位置にあるが、刃物やぶつかった衝撃などでできた細かい傷があ
る。
その上に美しく並べられていたはずの食器類は、床やテーブルの
上で中身をぶちまけて転がっていたり、陶器など割れやすいものは
その大半が壊れて飛び散っていたり、壁や調度品や美術品などを傷
付けたりしている。
床に敷かれた絨毯は濡れたり、汚れたり、焦げ目がついたりして
いるし、床にも大小の傷がついている。大きな傷は椅子の脚などで
できたものである。
ざっと見た限り、テーブル以外のめぼしい家具や調度品はことご
とく位置を変えているか、破損しているように見える。
その中でも一番目立つ大きな損傷は、天井だろう。どうやったの
かは不明だが思い切り良く破られた天井板は、細かい破片を飛ばし
ながら砂岩で敷き詰めた床に傷を作っている。
レオナールは1メトル四方くらいの端がギザギザになっている板
をつまみ上げ、コンコンと叩いてみた。
﹁意外と硬いわね。どうやって壊したのかしら。刃物じゃないのは
確かよね。戦闘用のハンマーとかならわからなくもないんだけど、
そんなもの持ってなかったわよねぇ?﹂
今度、顔を合わせたら聞いてみようと思いつつ、板を放り出した。
そこへ、複数の足音と金属鎧らしき音が聞こえて来た。
レオナールが剣を抜いて構えたところで、入口の扉が大きな音を
2257
立てて開かれた。
﹁動くな! 我々はロラン駐留蒼竜騎士団所属第六小隊だ!!﹂
現れたのは武装した領兵団の兵士達だった。
︵⋮⋮まずいわ、これ。絶対アランに怒られるわね︶
どうしたものか、とレオナールは溜息をついた。
◇◇◇◇◇
その二日後。
ロランの中央付近よりやや東に、王国内で信仰される主な十柱を
合祀した神殿が建てられている。神殿内部には八つの礼拝所があり、
それぞれに祭壇が設えられている。
その内一つはありとあらゆる生命の父とも崇められる天空神アル
ヘーゼル
ヴァリースと、その妻である大地の女神フェディリールのものであ
る。
その祭壇前で、朝日の差す中、黒髪・淡褐色の瞳の少年がひざま
ずき、胸の前で両手を組み合わせて祈りを捧げていた。
︵天上の父たる天空神アルヴァリースと慈愛深き母たる大地の女神
フェディリールよ、昨日は苛立ちのあまりレオのことを散々罵倒し
た挙げ句、﹃あのバカ一度死ねば良いのに﹄などと口走ってしまい
ましたが、失言でした。
己の自制心の不足と未熟さを痛感し、反省しています。今後修練
および自省に励みますので、ご慈悲あらばあのバ、レオが今回の件
2258
││領兵団詰め所での二日間の勾留と事情聴取で、自分の行いを悔
い反省して今後改めてくれますよう、切に願います。
多くは望みません。ただ、無用な暴力とは縁遠い、平穏な日常を
過ごしたいのです︶
祈っている本人も、相棒が今回のことで反省したり後悔したりす
るとは露程も信じていなかったが、気休めにはなるだろう。
アランは疲れた顔で溜息をつきながら立ち上がり、祭壇に背を向
けた。つい先程まで無人だった礼拝室入り口付近に、喜捨箱を両手
に抱えて笑みを浮かべる中年の神官の姿がいた。
アランは一瞬、顔をしかめたが、誤魔化すように作り笑顔を浮か
べて神官のところまで歩み寄ると、財布から銀貨一枚を取り出し、
喜捨箱に入れた。
﹁おつとめお疲れ様です﹂
ニコニコと笑みを浮かべている神官は礼拝室の入口を塞ぐように
立ったまま、動かない。アランは舌打ちしたい気分をこらえつつ、
更に銀貨二枚を追加した。
神官は仕方ありませんねとでも言いたげな笑みを浮かべて、横に
数歩移動して入口を空けた。
﹁あなたに神々の祝福と加護があらんことを﹂
﹁ええ、神官様。あなたにも神々の祝福と加護があらんことを﹂
そしてアランは仏頂面で礼拝室を出て、長い廊下を歩き、神殿正
門より外に出た。
﹁待たせたな、ダオル﹂
2259
﹁いや、問題ない﹂
アランは通りで待っていたダオルに声を掛け、町の西部にある領
兵団詰め所へ向かう。
﹁ダオルにも色々迷惑掛けたな、本当すまなかった。俺らの護衛以
外にも仕事あったんだろう?﹂
﹁大丈夫だ。今回はきみ達の護衛以外には、レオナールの鍛錬をす
るようにとの指示しか受けていない﹂
﹁そうなのか。それは幸い⋮⋮なのか? しかし本当、昨日と一昨
日はさんざんだったよな。朝になってもレオが帰って来ないから、
行方捜すのに町中駆け回ったし、やっとわかったと思ったらあいつ
器物損壊やら暴行傷害?容疑で領兵団に拘束されてるとか。
それだけでも面倒なのに、幼竜は餌のやり忘れと放置したせいで
機嫌悪くて威圧してくるし、肉を大量に食わせても、唸りながら尻
尾で威嚇してくるし。
被害者が行方不明だとかで、俺やダオルまで関与を疑われたりと
か。ギルドマスターと同居していなかったら俺も詰め所に勾留され
て聴取されてただろうな。
ダオルも良かったよな、ちゃんと現場不在証明できて。この町に
俺達以外に知り合いいないから、宿屋で一人寝てたなんて言っても
信用して貰えなかっただろうし﹂
﹁そうだな。娼館に行ったのはたまたまだったが、疑惑がすぐに晴
れて助かった﹂
﹁⋮⋮そうだな。でも、今回の件に関しては俺も注意が足りなかっ
2260
た。あいつ、幸い無傷だったけど薬盛られたりしたみたいだし、良
く考えたらあのバカが荒事以外のことで、自発的に積極的な行動に
でるはずがなかったのに﹂
アランは深々と溜息をついた。疲れているのか、少々背を丸めて
俯きながら歩いている。目の下には隈が浮いており、髪は一応櫛を
通したようだが、寝癖がそのままである。
北門担当のジェラールの伝手で取り調べに係わる部署の兵士││
ただし下っ端である││を紹介して貰い、酒を奢るという名目で話
を聞いてみたが、大まかな概要はわかったが詳細は不明だった。
アランが現場となった店を訪ねたところ門前払いを食らったため、
ダオルや数少ない知人に頼んで周辺の噂話などを調べてもらった。
しかし得られた情報が﹁レオナールが美少女と件の店に入って、
痴話喧嘩か何かで刃傷沙汰になったらしい﹂だの﹁店の家具や備品、
天井などを破壊したため、損害賠償だけで白金貨十数枚分を請求さ
れた﹂である。
﹁損害賠償や刃傷沙汰に関してはともかく、あいつが女の子と痴話
喧嘩になんかなるはずがない。それができるほど人と会話できない
んだから、絶対不可能だ﹂
アランが言うと、ダオルが苦笑した。
﹁普通は逆だろうが、おれも同感だ﹂
﹁せめて相手の素性がわかれば良いんだけどな。ジェラールに聞い
てみたけど、北門周辺で該当の少女を見たことはないらしい。
俺の調べた限りでは、レオと遭遇した日以前に彼女を見掛けた人
はいなかった。ロランの隅々まで調べたわけじゃないし、聞いた相
手が嘘をついていなければの話だから、もしかしたら違うかもしれ
2261
ないが、ロランの住人ではなく長期滞在していたわけでもなさそう
だ。
冒険者ギルド周辺で目撃者が多かったおかげで、似顔絵を入手で
きたのは幸いだった。ジゼルは意外と絵が上手いんだよな。ペン画
以外は微妙だけど﹂
﹁念のため簡易的にだが、昨夜ダニエルに連絡した。だが、彼は本
日釈放されるのだろう?﹂
﹁損害賠償と慰謝料と罰金を支払えばな。俺の持ち金じゃ足りない
から、あいつの金も出して貰わないと。それでも全く足りないが、
一応クロードのおっさんに借りて来たから、たぶん大丈夫なはずだ﹂
﹁足りない分はおれが出そう﹂
﹁良いのか? ダオルには関係ないだろう?﹂
﹁問題ない。後でダニエルに請求するし、正直持っていてもあまり
使い途がない﹂
﹁⋮⋮そうか。なら、良いけど﹂
アランはそう言って肩をすくめた。
﹁あまり期待はしてないが、銀貨三枚分の恩恵があれば良いんだが﹂
アランはふぅ、とまた溜息をついた。
◇◇◇◇◇
2262
﹁だから、自衛のために抜いて攻撃したら、逃げられたの。それと
も素直に薬や毒を食らって身動きできなくなるまで抵抗するなって
言いたいの? もうこの話するの、74回目なんだけど﹂
レオナールはウンザリした顔で、目の前の強面の壮年の兵士に愚
痴るように言った。
﹁オレはまだ二回しか聞いてないから、もう一度話せ﹂
﹁二回も聞けば十分でしょう? それともあなたバカなの? 顔だ
けじゃなく頭も悪いの?﹂
﹁余計な口を利くな。つか無闇矢鱈と罵倒したり挑発すんな。お前
ときたら、他人様の店の備品だけでは飽き足らず、詰め所や牢内の
ものまで色々壊しやがって。罰金に追加しておくからな﹂
﹁あら、殴った相手の治療費はいらないの?﹂
﹁あ? あいつらはどっちも自業自得だろ。それに死ぬような怪我
でもない。お前は凶暴で人の話聞かないし、面倒で扱いにくいやつ
だが、何もされなきゃ手を出さねぇだろ。良い勉強代だ﹂
﹁だったら、私が剣を抜いたのは相手が悪いからよね?﹂
﹁おいおい、そいつはお前が判断することじゃねぇ。俺達││より
正確に言えば俺達の上司が判断することだ。とはいえ、傷害または
殺害および死体遺棄については証拠が不足しているから、今回は見
送ることになったがな﹂
2263
﹁だから殺してないわよ。だいたい、私が殺していたらもっと血痕
が残っているはずでしょう。それにあの天井、テーブルに上って飛
び上がっても届かないんだから、壊そうと思っても壊せないわよ。
実際、どうやって壊したのか疑問に思ってるくらいなの。あと、
どうやったらあの位置まで跳躍できるのかとか。あれって鍛錬した
ら私にもできるようになるかしら?﹂
﹁知らねぇよ! ってか、できるようになったらやるつもりかよ!
!﹂
﹁え? だって、便利でしょう。あれができたら、天井裏にいるネ
ズミをいつでも好きな時に攻撃できるじゃないの﹂
﹁そのネズミって人間サイズじゃねぇだろうな?﹂
﹁ふふっ、私は敵の見た目や大きさを気にしたりしないわ。攻撃を
仕掛けられたと見なしたら、即座に攻撃して無力化する、でなけれ
ばこちらが殺されかねないもの。仕方ないわよね﹂
ウットリした顔と口調で言うレオナールに、壮年の兵士はゲッソ
リした顔になった。
﹁しかし、何を根拠に相手を敵と決めつけてるんだ? その、なん
だ、お前をその店に誘った娘は、武装していなかっただろう?﹂
﹁だから短剣を隠し持っていたって話したでしょう。何度言わせれ
ば気が済むの?﹂
﹁いや、だから、お前が攻撃するまで出さなかったんだろう? そ
2264
れで何故その娘が敵だと判断できる﹂
﹁だってその数日前から怪しげな姿でつけ回されてたのよ? それ
こそ、食事や用を足すくらいの休憩しかないような長時間、ずっと
張り付かれていたの。
こちらの攻撃が届かない距離から、起きている間ずっと見られ続
ける気持ちがわかるかしら? 相手がむさ苦しいおっさんだろうが、
若い少女だろうが、気持ち悪さは変わらないと思わない?﹂
﹁⋮⋮ずっと監視されていたのが事実だとしても、それがどうして
その少女と同一人物だと断定できる? そうとはっきりわかる距離
で視認したとでも?﹂
﹁監視されていた時は、暗殺者とかが来ていそうな灰色装束で、顔
は良く見えなかったけど、背格好や動きはもちろん魔力の量や質と
かも同じだったもの。
あれで同一人物じゃないと言われる方が変でしょう? ドッペル
ゲンガーでもあそこまで再現できるかしら。もっともドッペルゲン
ガーに遭遇したことはないから、良くわからないけど﹂
﹁待て、魔力の量や質だと!? そんなものがわかるのか!? と
いうかそれを判別できるのか?﹂
﹁何言ってるの? 魔力を区別できなければ、どうやって個体を判
別するの? 形や大きさだけじゃ、年月経過で変化するし、場合に
よっては血縁が繋がってると判別しづらいでしょう?﹂
アーティファクト
﹁⋮⋮普通はそんなもの判別できないぞ。というか、高位魔術師か
古代遺物級の魔道具じゃないと、魔力の質や量など認識できない﹂
2265
﹁そうなの? それで人の区別ができるなんてすごいわね。私は髪
の色や体格くらいでしか判別できそうにないわ﹂
﹁いや、そっちの方がすごいんだが。というかお前、相手の顔とか
見てないのか?﹂
﹁多少位置が違っていても、目と耳が二つで口と鼻が一つずつって
いう人が多いのは知っているわ。たまにそうでない人もいるけど﹂
﹁念のために聞くが、別に目が悪いとかいうことはないんだよな?
一応剣士だし﹂
﹁どちらかと言えば普通の人間よりは良い方だと思うわよ。獣人や
他の亜人と比べたらどうかは良く知らないけど。でもそうね、師匠
と比較すると悩むところかしら。
あの人、視界の広さや距離はそれほどじゃないけど、動いている
ものに関しては尋常じゃないのよね。私じゃ判別できないとこまで
良く見えてるみたいだし﹂
﹁︽疾風迅雷︾を常人と比較されても困る。彼は肉体能力だけでも
ドラゴン級とか噂されてるだろ﹂
﹁さすがにドラゴンには負けるんじゃないの? 運動能力はともか
く、ルージュの方が視界は広いし、嗅覚も聴覚も上みたいだし﹂
﹁⋮⋮ええとその、ルージュってのはお前の飼ってるレッドドラゴ
ンの幼体だったか? さすがに本物のドラゴンと比べるもんじゃね
ぇだろう。
そんなことよりお前、魔力で人を判別できるってこたぁ、手配さ
れたお尋ね者が自分の顔を焼いたり、魔法や魔道具とかで顔を変え
2266
ていてもわかるってことか?﹂
﹁実際に見たことがあればできるかもしれないけど、さすがに一度
視界の中に入っただけでは無理よ。覚えようと思ったものしか覚え
られないもの﹂
﹁使えねぇっ! なんて無駄な能力だ! クソッ、オレにそんな特
殊能力が使えれば存分に役立てられるのに!!﹂
舌打ちする兵士を見ながら、レオナールは溜息をついた。
︵どうでも良いから、早く解放してくれないかしら。もう二日も剣
を振ってないわ。武器はもちろん所持品は全て没収されたし、牢は
狭いから素振りの真似事すらろくにできないし、肉は出ないし、量
は少な過ぎるし。
できる限りの運動はしているけど、身体がなまったらどうしたら
良いのかしら。壁や鉄格子や人を殴ったり蹴ったりするくらいしか
できないんだけど︶
そんなことをするから、余計に心証が悪くなっているという自覚
はないようである。
◇◇◇◇◇
﹁え? 白金貨二十枚と金貨四十枚、ですか? あの、聞いていた
額より多いようですが﹂
アランは請求された額に驚き、目を瞠った。アランの質問に、目
2267
の前にいる真面目そうな兵士は眉をひそめながら答えた。
﹁ああ、それは詰め所や牢内の備品などの損害分も含まれている。
そちらに関しては、相手から先に手を出しているということで、罰
金には含まれていない。
必要なら明細を出すか? しばらく時間を貰うことになるが﹂
﹁あっ、いえ、結構です。では、白金貨二十枚と金貨四十枚、です
ね﹂
兵士の言葉に慌ててアランは首を左右に振って、用意してきた袋
に白金貨一枚と金貨八枚を足して、差し出した。
﹁ほう、駆け出し冒険者が即金で支払えるとは思わなかったな。こ
の短期間で良く用意ができたものだ﹂
﹁それは人脈と伝手があるもので。いくらなんでも手持ちの金だけ
では無理ですよ﹂
アランが作り笑顔で言うと、兵士はフンと鼻を鳴らした。
﹁まぁ、良い。これに凝りたら、二度と無辜の町民に迷惑を掛ける
な。元気が有り余っているようなら、冒険者らしく魔獣退治と盗賊
討伐にいそしめ﹂
正論なので、反論できない。アランは引きつりそうになりつつ笑
顔を浮かべたまま、頷いた。
﹁はい、言い聞かせます。ご迷惑をお掛けしたようで、すみません﹂
2268
﹁全くだ。若くて見目の良い若者だからと気を遣って個室に入れて
やったのに、わざわざ深夜に隣の壁や鉄格子を殴って周囲を挑発す
るとは、けしからんやつだ﹂
兵士の言葉に、アランは毒づきたくなるのをグッと堪えて、拳を
強く握るだけに留めた。
﹁では、しばらく待っていろ。連れて来る﹂
そう言って兵士が部屋を出て行くのを見送ってから、アランは低
く唸るように呟いた。
﹁あのバカ、本当に信じられねぇっ、クソッ﹂
怒りに震えるアランの肩を、ダオルが気の毒げな顔で慰めるよう
にポンと叩いた。
2269
18 マイペースな剣士と怒りに震える魔術師︵後書き︶
体調不良その他で更新遅れてすみません。
急遽遠出することになったり、風邪っぽい症状が出たりしてました。
まだちょっと頭痛と微熱があるけど、喉の痛みは軽くなったので、
たぶん大丈夫だと思います。
でもそろそろ花粉症︵ブタクサ︶シーズンなので、花粉症の薬飲み
ます︵汗︶。
2270
19 嘆き叫ぶ魔術師と困惑する剣士
部屋にノック音が響き、壮年の兵士が﹁入れ﹂と告げると、若い
兵士が入室し、壮年の兵士に近付くと﹁来ました﹂と小声で伝えた。
それに壮年の兵士は頷くと、レオナールへと向き直った。
﹁喜べ、悪ガキ。損害賠償と慰謝料と罰金の支払いをする代理人お
よび身元引受人が来たから、今回はこれで解放だ。これに懲りたら
もう悪さすんなよ。次は出られなくなっても知らねぇからな﹂
壮年の兵士がニヤッと笑って言った。レオナールはキョトンとし
た。
﹁損害賠償と慰謝料と罰金? 何それ。罰金はともかく、損害賠償
とか慰謝料なんて、誰が何のために請求したの?﹂
﹁それは勿論、お前が騒ぎを起こして迷惑掛けた店、︽真夏の夜の
夢︾だよ。お前が壊した天井とか家具とか調度品とか食器とかな﹂
﹁え? それって私が払わなくちゃならないの?﹂
兵士の言葉に、レオナールは首を傾げた。壮年の兵士は頷きなが
ら言った。
﹁お前の相棒が支払ってくれたぞ、感謝しろ。合わせて白金貨二十
枚と金貨四十枚だ。オレがこの詰め所に配属されてから最高額だな。
しかも一括即払いだ。通常はお貴族様でもなきゃ有り得ねぇ﹂
2271
﹁白金貨二十枚と金貨四十枚? 嘘でしょ、罰金がいくらかは知ら
ないけど、白金貨二十枚はいくらなんでもボりすぎでしょう。
多く見積もっても、あの店の家具・調度品は壊さなかった分を含
めても、絶対に金貨二十枚にもならないわよ。
中古しかなかったし、手入れもそれほどきちんとしてなかったし、
燭台だって良く見たら傷だらけだったわ。灯りが暗めだから人間な
らば誤魔化せても、夜目の利くハーフエルフの目は誤魔化せないわ
よ。
調べればすぐわかることよ。だいたい、店員だって店そのものだ
って怪しいわ。あの娘と、それと組んで続き間に潜んでいた男以外
に、給仕か料理人か誰か薬を仕込んだやつがいるはずでしょ。
そいつは捕まってないの? もしかして逃げられたのかしら。だ
としたら、そいつらのやらかした分までこっちに請求してないでし
ょうね?﹂
﹁悪いが、証明できないことは事実とは見なされないんでね。お前
がそうだと考えているとしても、それが真実だと判断できる証拠が
なきゃ、ただの戯言なんだよ﹂
﹁何ですって?﹂
レオナールは眉をひそめた。
﹁オレら下っ端兵士には物の価値なんざ判断つかねぇし、被害者で
ある店側と上の連中がそうだと言ってるんだから、それが事実だ﹂
壮年の兵士の言葉に、レオナールは無表情になった。
﹁へぇ、そうなの。つまり﹃全てを正直に話せ﹄と言われて私が7
6回も話したことはムダだったということね。わかったわ。
2272
結局のところ、あなた達は信じたいことしか信じないから、それ
以外のことは何を聞いてもムダで、ただの時間の浪費というわけな
のね﹂
﹁おいおい、物騒なこと考えてんじゃねぇだろうな。言っておくが
この件に関しては、考えなしに暴れて店の物品を壊したお前が悪い
んだぞ。
目撃者も証言者も、被害を受けた店の店員くらいしかいない。オ
レ達は現場に残されていた証拠を調べて、それから判断できる事実
を分析・類推することしかできない。
吟遊詩人の謳う物語じゃあるまいし︽過去視︾や︽真眼︾みたい
な魔法や特殊能力なんて実在しないんだからな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あの店は一応﹃宿屋兼酒場﹄だ。娼館と宿屋兼酒場じゃ、営業し
うち
て良い場所とか税とか色々取り扱いが違うんだが、あの店の常連は
詰め所にも多いし、あそこがなくなると困る連中がたくさんいるか
らな。
明らかに非合法なことや犯罪やらかしてるっていうならともかく、
そうでなけりゃ多少のことは問題にならねぇんだ﹂
﹁⋮⋮ロランではあまりそういうことはないと思っていたわ﹂
﹁待て待て、そう恐い顔すんなよ。賄賂とか汚職とかそういうこと
じゃねぇからな。だいたい、お前が派手にやらかすからいけねぇん
だろ。
オレも実際に見たが、ひでぇもんだったぞ。あんな現場、強盗殺
人被害でもそうそう見掛けねぇよ。まぁお前の言う通り、血痕の量
は少なかったがな。
2273
だが、血痕の量が少ないからって相手が死んでないとは言い難い
だろ。実際、あの場所には人を殺すのには十分すぎる大量の薬と毒
が見つかったわけだしな。
しかしいずれにせよ証拠はないし、店にいたはずの被害者の少女
は見つからない。つまり損害被害の方はともかく、殺傷の方はそれ
があったことを証明できないから今回は保留で、罰金刑でおとがめ
なしってわけだ。運が良かったな﹂
︵つまり、私が盛られたのではなく、私が盛ったとしてもおかしく
ないと言いたいのかしら。うんざりするわね︶
﹁一応言うけど、オレは年は食っているが下っ端だからな。恨むな
ら自分の所業を恨めよ。逆恨みすんなよ。つうか反省しろ。
白金貨の請求とか、たぶん五十年前まで遡ってもねぇぞ。あると
したら、お貴族様の汚職事件とかだろう。普通の平民なら金貨四十
枚も請求されたら、借金奴隷一択だな﹂
︵普通は払えない金額を吹っ掛けたってことは、私に悪意や害意が
あるっていうことよね。つまり相手は敵。敵なら攻撃しても良いわ
よね。なら、手加減する必要もないはずね︶
レオナールがフフッと笑うと、目の前の兵士二人とも嫌そうな顔
になった。
﹁おい、いったい何を考えてる?﹂
︵答える必要はないわ。だってさっき、何を言ってもムダだって教
えてくれたんだもの。それってつまり、考えていることを全て話す
必要はないと言ったも同然よねぇ︶
2274
壮年の兵士の質問に、レオナールは満面の笑みを浮かべて言った。
﹁罰金刑で既に支払いも済んでいるなら、もう帰っても良いってこ
とよね?﹂
﹁⋮⋮まぁ、そういうことだな。とにかく、もう悪さするなよ。今
回はこれで済んだが、次に何かやらかしたらどうなるか知らんから
な。
ブリス、こいつを待合室まで送ってやれ﹂
壮年の兵士が若い兵士に言った。若い兵士が頷き、了承した。
﹁わかりました、隊長﹂
﹁おう、頼むな﹂
そして若い兵士がレオナールに歩み寄り、声を掛けた。
﹁身元引受人が待合室で待っている。行くぞ、ついて来い﹂
そう言って先導する。レオナールはその後を黙って着いていきな
がら、思考した。
︵どうしようかしら。考えるのは苦手なのよね。やっぱり、こうい
うことはアランに任せた方が良いわよね。でもあの子、変なところ
でお人好しというか、甘いのよねぇ︶
しかしどうせ自分一人で考えても時間の無駄になるだろうと、ア
ランに任せることにした。丸投げとも言う。
2275
◇◇◇◇◇
﹁久しぶりね、アラン。迎えに来てくれてありがとう。助かったわ。
牢の中も取り調べする部屋も窓のない狭くて暗い部屋だから、もう
ウンザリしてたところなのよね。
ろくに鍛錬もできないし、何より剣とダガーを没収されたのがイ
タかったわ。⋮⋮そう言えば、私、ほぼ全財産持ち歩いてたんだけ
ど、財布の中身は無事かしら?﹂
﹁⋮⋮言いたいことはそれだけか?﹂
真顔で尋ねたアランに、レオナールは首を傾げた。
﹁どうしたの、アラン。不機嫌そうね。何かあったの?﹂
よく考えなくても、これくらいで相棒が己の行いを悔やんだり反
省したりするはずがないということは、アランもわかっているつも
りだったが、やはり目の前でそれを見れば腹が立つ。
﹁お前、夜中に牢の壁や鉄格子を殴ったんだって?﹂
﹁そうね。暇が出来た時に鍛錬しようとしたら、武器やその代わり
になるようなものがなかったから、壁や鉄格子を殴るハメになった
わね﹂
けろりとした顔で言うレオナールに、アランの顔が引きつった。
ダオルが眉をひそめつつもレオナールに尋ねた。
2276
﹁その、壁などにぶつからぬように、寸止めすることはできなかっ
たのか?﹂
﹁最初は寸止めしていたんだけど、どうもスッキリしないから腕を
振り切ってみたら気持ち良かったのよね。あそこやたらと狭かった
から手足を伸ばして寝ることもできなかったけど、直立した状態だ
と手足を伸ばせることに気付けたのは良かったわ。
手足を思い切り伸ばして動かせるってすごく気持ち良いわよね。
力一杯殴りつけると、ちょっとだけ憂さが晴れてスッキリできたわ。
心行くまで生き物を斬ったり殴ったりできなくても、無心で壁を
殴り続けるだけでもあんなに楽しくなれるなんて、初めて知ったわ。
天候とか都合が悪くて狩りに行けない時は、今度からそうしよう
かしら﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アランがジトリとした目つきでレオナールを睨み付けた。
﹁何? どうしたの、アラン。何か言いたいことがあるなら言いな
さいよ﹂
﹁どうしてお前は他人に迷惑掛けるようなことしかできないんだ!
!﹂
﹁え? どうしたのよ、急に。私、あなたに何かしたかしら?﹂
﹁お前のそういう考えなしなところがっ、時折無性に腹立つんだよ
っ!! このバカ!!﹂
アランはそう怒鳴りつけながら、レオナールの襟元を引き掴んで
2277
ガクガク揺さぶった。
﹁ねぇ、アラン。そんなことすると、襟が伸びるわよ。服がダメに
なったら新しいの買ってくれる?﹂
﹁お前はっ、どうしてそう反省しないんだよ!!﹂
﹁反省? いったい何を? 意味がわからないわ﹂
不思議そうな顔のレオナールに、アランはガックリと肩を落とし
た。ちょっぴり泣きそうな気分になって、深々と溜息をつく。ダオ
ルがそんなアランを慰めるように背中をポンと叩いた。
﹁言いたいことがあるなら、はっきり言ってちょうだい、アラン。
じゃないと理解できないわ﹂
﹁俺が説明したとして、お前はそれを理解できるのかよ﹂
﹁それは実際やってみないとわからないでしょう? わからないか
ら訊いているのよ。話も聞かずに理解しろと言われても無理でしょ
う?﹂
レオナールが困った子ねと言わんばかりに、大仰に肩をすくめて、
首を左右に振った。アランは少々イラッとしつつも、気を取り直し
た。
﹁まぁ、良い。まず、お前の話を聞こうか。実際、あの夜、何が起
こったのか教えてくれ。一応調べてはみたけど、良くわからなかっ
たんだ。当事者から聞くのが一番手っ取り早い﹂
2278
アランの言葉に、レオナールは頷いた。
◇◇◇◇◇
﹁つまり、お前はあの栗色の髪の女の子に、数日前からつけ回され
ていて、そうと知りつつ俺には何も話さずに、町中で遭遇して相手
が怪我した時はギルドの治癒師に費用負担までして治療させ、彼女
が礼だといって誘いに来た時は、何食わぬ顔して受けたと、そう言
いたいんだな?﹂
﹁そうよ﹂
﹁で、お前は薬を盛られたことを攻撃と見なして剣を抜いたが、仲
間が現れて逃げられた、と?﹂
﹁そういうこと。あの暗褐色のおっさん、実際に出て来るまでちっ
とも気配感じられなかったのよね。あれ、一体何だったのかしら?
︽隠蔽︾でも︽認識阻害︾でも︽知覚減衰︾でもなかったの。
というか、魔法や魔法具の類いじゃなかったみたいなのよね。発
動されている魔力を感じなかったから。どちらかというと、あれは
野山で周囲に同化して隠れる野生動物みたいな感じね。
あんなことを人間ができるだなんて、私初めて知ったわ。いくら
騒がしい場所とはいえ、物音どころか呼吸音すら聞こえないだなん
て異常だわ﹂
﹁⋮⋮そんな怪しい連中につけ回されていたのに、どうして俺に何
も話さなかった?﹂
2279
﹁え? だってもう一人のおっさんについては全く気付かなかった
し、もう一人のドジな娘だけなら私一人でも対処できたし、離れた
場所からこっちを見ているだけで何もされなかったから、問題ない
と⋮⋮﹂
﹁何処が問題ないんだよ!? どう考えたって問題あるだろう!?
実際問題になったというか、問題になるようなことしただろうが
!! アホか、お前は!! どうして俺に何も相談しなかったんだ
!!
自分で判断できないなら俺に相談しろとあれほど言っただろうが
!!﹂
﹁え?﹂
激昂するアランに、レオナールはキョトンとした。
﹁だいたいどうしてお前はそんな考え無しなんだ!! それに何だ、
まるで襲撃されるのを待っていたみたいに⋮⋮って、まさか、わざ
と相手の襲撃を誘って、町中で剣を振るう理由を作ろうとしたのか
!?﹂
﹁わぁ、すごい。さすがアラン。見てなくても私の行動や真意なん
てお見通しなのね? ということは、もしかして何故あの連中が私
をつけ回していたかもわかっちゃうのかしら?﹂
﹁⋮⋮おい、レオ﹂
アランは、やけにキラキラした目つきで自分を見るレオナールを
ギロリと睨み付けた。
2280
﹁お前が尋常でなくバカで常識知らずで、頭おかしくて、斬るため
なら何をしでかしてもおかしくないことは知っているが、な﹂
﹁アラン、もしかして、いつもよりものすごく怒ってる?﹂
﹁ああ⋮⋮怒り過ぎて泣きたくなるくらい怒ってるな。そんなこと
より、もう情けなくて、情けなくて仕方ない。お前がとんでもない
バカだってことは知ってたのに!
なんで俺は気付かなかったんだ!! お前が斬ること以外に興味
を持ったり、積極的になったりするはずがなかったのに!! ああ、
くそっ!!
だいたいこのバカは何をどう言えば、反省するんだ!! 自分の
何がどう悪かったか説明しても、とてもそれが理解できるとは思え
ない!!﹂
アランが嘆くように叫び、怒鳴り、わめき散らした。
﹁アラン、その、大丈夫か?﹂
ダオルが気の毒げな顔でアランを見た。
﹁ああ、もういっそこいつ殺して俺も死にたい。他人に迷惑掛ける
なと何度も言ってるのに、面倒起こすなと口を酸っぱくして言って
るのに、これだ!!
何を何度どう言っても、反省の欠片もなければ、自分が何をして
いるかも自覚ない!! くっそ、俺にどうしろって言うんだ!!
こんな図体だけは大きい赤ん坊並の知能しかないくせに、人迷惑
な方向にだけ行動的なやつを!! 何度言っても聞かない! 頼む
からやめてくれと言っても無駄! 神頼みも効果ないし!!
あああっ、もう嫌だ!! 俺にどうしろって言うんだ!! これ
2281
も俺のせいなのか!? 俺の言い方が悪かったのか!? それとも
察しが悪くて気付かず単独行動させた俺が悪かったのか!?﹂
叫びながらガックリと肩を落として、フルフル身体を震わせるア
ランに、レオナールは﹃何、この子、どうしちゃったの?﹄と言わ
んばかりの視線を向けている。
そのままアランが腰を落として、頭を地面に打ち付けようとした
際は、地面にぶつかる前に制止したが。
﹁ダメよ、アラン。何か嫌なことがあっても、自暴自棄になっちゃ
ダメ﹂
﹁お前にだけは言われたくねぇよっ!! くっそ、いっそ全て忘れ
てしまいたい!!﹂
地面に頭をぶつける代わりに、相棒の胸や肩などに頭突きをする
アランに、レオナールは困惑した。
︵本当、どうしちゃったのかしら、この子。疲れた顔してるし、休
ませた方が良いかしらね︶
この期に及んで、自分のせいだという自覚はなかった。
2282
19 嘆き叫ぶ魔術師と困惑する剣士︵後書き︶
以下修正。
×どうしちゃっったのかしら
○どうしちゃったのかしら
2283
20 説教と状況確認
﹁なぁ、レオ。もし隣室の声や音が丸聞こえなボロい安宿に泊まっ
た時に、夜中や早朝に壁を殴りつけたりして騒ぐやつがいたら、ど
う思う?﹂
アランはいつも通り過ぎる相棒の姿に頭痛を覚えつつも、眉間に
皺寄せ、真顔で尋ねた。
﹁そんな宿に泊まるくらいなら、野宿するわね﹂
レオナールは肩をすくめた。
﹁違う! もし、仮にそういうことになったらお前はどう思うのか
って聞いてるんだよ!! 真面目に質問に答えろ、このバカ!﹂
︵真面目に答えたつもりなんだけど、お気に召さなかったみたいね︶
レオナールは首を傾げた。しかし、当人は真面目に答えたつもり
であっても、アランが聞きたい返答以外のものを回答したり、混ぜ
っ返したり茶化したりしても、アランの機嫌をますます損ねるだけ
だろう。
ここは素直に期待通りの答えを返しておいた方が無難だと判断す
る。
﹁そうねぇ、うるさいと思うかしらね﹂
ころ
真面目に考えてもそれ以上の感想はない。排除したいと思うほど
2284
なぐって
でもなければ、強制的にやめさせようと思うほどでもないので、レ
オナールにとっては許容範囲内である。
うるさいだけならば我慢するか、自分が他へ移動すれば良いだけ
のことだと思っている。言葉で相手に﹁迷惑だからやめてくれ﹂と
言う選択肢は、レオナールの発想にはない。
やめてくれと言われてやめるような相手ならば、自分が動かなく
ても問題はないと思っているせいもあるが。
﹁そうか、それはわかってるんだな。お前が牢でやったのはそうい
う行為なんだが、自覚はあるか?﹂
﹁え? 私はただ鍛錬しただけなのに?﹂
アランの言葉に、レオナールは驚き、軽く眉を上げた。
牢の中には、独り言を呟き続ける者や、見張りの兵士を罵倒する
者などもいた。それに比べれば、自分はいつも通りに行動しただけ
である。
確かに自分の行動について文句や罵倒を浴びせながら突っかかっ
てくる者はいたが、そんなことは日常茶飯事なので、自分に非があ
るとは思っていなかった。
絡んできた相手は、日常的に喧嘩をしたり暴行するのを好む乱暴
な連中だと見なしていたからだ。それはある意味間違いではないが。
﹁牢なんて区切りがあって自由に動けないだけで、大勢で雑魚寝す
る大部屋と変わりないだろ。そういうところで騒ぐやつがいたら迷
惑だろう﹂
﹁へぇ、そうなの。まぁ、あんな環境で行動を制限されていたら、
不満や鬱屈も溜まるわよね。見張りの兵士達もイライラしてたみた
いだし。
2285
そういえばアラン、︽浄化︾ってダニやノミには効果ないみたい
なの。知ってた? 汗や汚れは除去できるのに。
ネズミや虫にも効かないみたいだったから、生き物を殺したり遠
ざけたりする効果はないのかもね﹂
自分のしたことに全く反省もなければ、悪いことをしたという自
覚もないレオナールに、アランは憂鬱になった。
しかし︽浄化︾が害虫や害獣に効果がないというのは、アランに
とっては興味深い情報ではある。ただ今は不必要な、優先度の低い
情報である。
﹁不快だから、身を清めて着替えをしたいんだけど、お湯を用意し
てくれる? やりたいことはいっぱいあるけど、本当これだけはも
う我慢できないのよね。気持ち悪いし﹂
アランは深々と溜息をついた。元からこの相棒は自分が興味のな
いことには無関心で、注意をしても説教してもすぐに忘れてしまう
ことが多いのだが、これは酷いと思う。
頭痛を覚えつつも、これだけは言っておかねばならないと、アラ
ンは表情を引き締めた。
﹁あのな、人に迷惑なことをしたり、嫌われるような言動をすれば、
お前自身に危害を加えられたり、何かあった時に相手が敵になった
りするんだ。
敵にする必要のない人まで、わざわざ敵にするな。お前やお前の
周囲の人達が困ることになるぞ。何をどうしても敵になる相手は仕
方ないが、立ち回り次第では味方になってくれるかもしれない相手
を敵にするのは自殺行為だ。
敵が多くなれば多くなるほど、俺やお前が苦労することになるん
だぞ? 人には知恵があって、嘘をつくことも容易いから、直接的
2286
に危害を加えてくるやつだけが敵じゃない。
たとえば町で食料を買えなくなったり、適正価格よりも高く買わ
されるだけでも、俺達は生活しづらくなるし、仕事をする時も恒常
的に邪魔や妨害されたりすれば、死活問題になる﹂
﹁邪魔なら排除すれば良いだけの話でしょう? 町中ではまずいと
いうなら、外でやれば済むことよ。不幸な事故なら仕方ないわよね﹂
﹁⋮⋮さすがのお前だって、数を集めて囲まれて殴られれば、死ぬ
だろう﹂
﹁囲まれなければ済むことでしょう? 大丈夫、アランは死なない
ように守ってあげるから﹂
﹁そういう問題じゃない。だいたいお前が死んだ時点で俺も大概終
わりなんだが。頼むから必要もなく他人を挑発したり、危害を加え
たりしないでくれ。
お前は自分の身を守るためなら何をやっても問題ないと思ってい
るかもしれないが、それは間違いだ。その時々の状況にもよるが、
やり過ぎたらかえって害になる。
お前は現在の自分の状況を適切に判断することと、どのくらいま
でなら許されるかを知り適切に行動できるようにならなければ、自
分の行いによって命を落とすことになるぞ。
自分の命と労力を無駄にするな。お前がわざと人に嫌われるよう
な言動をせず、誠実に振る舞えば、きっと今よりお前に好意を持つ
人も増えるし、味方も増える。
なぁレオ、お前は黙って座っていれば、それだけで好感を得られ
そうな外見なんだから、それを上手く活用しろ。
お前を嫌っている人も、お前が優しく微笑めば、それだけで﹃も
しかして、あいつはいいやつかもしれない﹄と勘違いしてくれるか
2287
もしれないだろ?﹂
﹁何ソレ。勘違いで良いわけ? それで私に何か利点があるの?﹂
﹁鍛錬に付き合ってくれる人が増えるかもしれないだろ? あと、
買い物する時におまけしてくれたりとか、仕事するのに融通利かせ
てくれたり、お前に何か危害を加えようとするやつがいたら助けて
くれたり。
一応言うけど、お前を殺そうとしたり、暴力振るってくるやつだ
けが敵じゃないぞ。お前の関知しないところで、お前に理解できな
い形で害になるようなことをしてくるやつもいるかもしれないだろ﹂
﹁それって、白金貨二十枚も請求されたり、店に今回の襲撃者に協
力したやつがいるはずなのに、一方的に私が悪いことにされたみた
いに?﹂
﹁全くないとは言えないだろうな。実際に調べてみなけりゃ、わか
らないけど﹂
﹁あの店、絶対裏で何かやってるわよ。領兵達が良く利用している
﹃宿屋兼酒場﹄なんですって。でもあの店、宿屋にも普通の酒場に
も見えないわよね?﹂
﹁俺はあの店の中に入ったことは一度もないんだが、聞いた話では
連れ込み宿屋らしいな。一階で酒を飲みながら娼婦を選ぶが、建前
上は娼婦は店とは関係がないことになっているとか。
・・・
たぶん手数料くらいは取ってるだろうな。だが、それくらいじゃ
問題にならない。お前に薬を盛ったやつや、怪しい二人組の協力者
が店の中にいたとしても、認めないだろうな。
さすがに直接でなくとも客に危害を加えることに協力する店の関
2288
係者がいるなんて認めたら、利用客が激減する。
レオは悪名が高すぎるから味方する人間も少ない。幸い、今回の
件はクロードのおっさんが伝手を使って調べてくれるらしい。
俺が家に居着かずに外へ出っぱなしになると、家の中が悲惨なこ
とになるからってのが、本音っぽいがこちらとしても都合が良い﹂
﹁あら、クロードが自発的に協力してくれるの? それは良いわね。
あのおっさん、あんなでも一応仮にもギルドマスターだものね﹂
﹁おい、人目のあるところでおっさんをけなすようなことは言うな。
一応体面とか心証ってものがあるだろ。言うなら人目の少ないとこ
ろか、本人の目の前だけにしておけ﹂
﹁本人の前で言っても良いの?﹂
アランの言葉に、レオナールは首を傾げた。
﹁あのおっさんに関しては問題ない。他の人には控えるべきだが、
あのおっさんはお前の軽口を面白がってる節があるからな。ダニエ
ルのおっさんと言い、趣味が悪い﹂
﹁何それ。つまり変態ってこと?﹂
レオナールが大仰に肩をすくめて言うと、アランは慌てた顔にな
った。
﹁やめろ、不穏なことを言うな。そういうのじゃなくて、たぶんあ
のおっさんにとって俺達はせいぜい元気な悪ガキってとこなんじゃ
ないか。
傷付いた振りしても本気じゃなさげなんだよな。本当に傷付いて
2289
たら、俺達への心証は悪くなるだろうし、根に持ったり邪険にした
りするだろう?
そうでなくとも、おっさんの家を追い出されたら、今の俺達じゃ
かなり厳しいことになる。宿賃や食費が不要っていうのが、ものす
ごく有り難いことなのは、お前にだってわかるだろう?﹂
﹁そうね﹂
﹁それに今回の罰金とかの金を無償で貸してくれた。同じことはダ
ニエルのおっさんもしてくれるだろうが、ダニエルのおっさんは王
都にいてすぐに現金を用意できないからな。
クロードのおっさんがいなければ、お前の勾留期間はもっと長く
なったし、何らかの処罰を科せられて冒険者活動できなくなってい
た可能性もある﹂
﹁殺傷の証拠はないから保留で、店の損害賠償と慰謝料に罰金を一
括で支払ったから解放だって兵士が言ってたわ。もし払えなかった
ら借金奴隷になってたらしいわよ﹂
﹁借金奴隷? まさか、そんなはずはないだろう? 被害額が大き
かったそうだが、やったことに対して罰が重すぎる﹂
﹁私を最後に尋問していた兵士が話したことよ。それが本当かどう
かはわからないけど、仮に私が借金奴隷になることを期待して、白
金貨二十枚を超える金額を請求してきたなら、害意があるわよね。
それに被害額が白金貨二十枚になるような家具や調度品とかはな
かったわよ。どれも中古だったし、きちんと手入れしてあるように
も見えなかったわ。床はどこにでもありそうな砂岩で、天井板は普
通の木だったし。
店一軒丸ごと焼失したとかいうなら、話は別だけど﹂
2290
﹁吹っ掛けられた上に、お前をハメようとしたって言いたいのか?﹂
﹁そうよ。明らかに危害を加えられているわよね?﹂
ニヤリと笑うレオナールに、アランはゾクリと寒気がした。
﹁おい、証拠もなしにやらかすなよ? とりあえず調べた結果が出
るまで待て。何か勘違いや誤解があるかもしれないだろ﹂
﹁誤解? そうかしら。私にケンカを売りたくて売ったようにしか
思えないけど。ふふっ、私とやり合いたいならもっとわかりやすく
仕掛けてくれた方が楽しいし、面白いのに﹂
﹁俺はちっとも楽しくないし、面白くねぇよ!! 頼むから自発的
に面倒事や厄介事を引き起こそうとするなよ!?
これ以上面倒臭いことになったら、この町にいられなくなるだろ
う!! とにかくお前を一人にすると何かやらかすんだから、絶対
俺かダオルと同行しろ!!
それと、無償とはいえ多額の借金背負ったんだから、しばらく仕
事に励むぞ。もしかしたら、町をしばらく離れることになるかもし
れない﹂
﹁あら、それは良いわね﹂
喜ぶレオナールに、アランは頭痛と眩暈を覚えた。
﹁レオ、お願いだから、自重してくれ。頭が痛すぎて眩暈がする﹂
﹁しばらく振りに顔を合わせた私の美しさに眩暈がすると言いたい
2291
のね。説教だけじゃなくて、素直に賞賛してくれても良いのよ?﹂
﹁⋮⋮誰もそんなことは言ってねぇよ﹂
どうだと言わんばかりに胸を張るレオナールに、アランは呻くよ
うに呟いた。
﹁ところで、没収されていた私の財布と荷物は?﹂
笑みを浮かべて尋ねたレオナールに、アランが真顔で答えた。
﹁一応財布は返って来たけど、銀貨と銅貨しか入ってなかったぞ。
あと、バスタードソードとダガーは物証としてしばらく預かるらし
い。何も問題がなければ、後日返却されるらしいが﹂
﹁何ですって!?﹂
レオナールが悲鳴のような叫び声を上げた。元々白い肌が更に白
くなっている。ぎらつく瞳でアランを睨むように見た。
﹁つまり、私に、武器なしで活動しろと言うの?﹂
﹁⋮⋮ダオルが金を貸してくれるから、その金で必要な物は揃えら
れるはずだ。物にもよるが、既に支払った分を含めてかなりの借金
額になるな﹂
アランの返答に、珍しいことにレオナールがポカンとした顔で固
まった。
﹁もちろん無償で無期限で貸す。今回の支払いで、アランの貯金も
2292
活動用の金も底をほとんどなくなったが、ダニエルにも連絡したか
ら、もしかしたら金を送ってくるかもしれない﹂
ずっと黙っていたダオルが言った。レオナールが信じられない、
という顔で大きく目を瞠った。
﹁何それ、ひどい﹂
﹁そうだな、普通の駆け出し冒険者なら詰んでるところだ﹂
ポツリと呟くように言ったレオナールに、アランがやけに疲れた
声で言った。
﹁これに懲りたら、今後の言動は慎んでくれ。これ以上借金が増え
たら、冒険者活動どころか普通に生活することも不可能だ﹂
アランの言葉に、レオナールはガックリと肩を落とした。
2293
20 説教と状況確認︵後書き︶
レオナールが凹むとしたら、これくらいだよね、と思いつつ。
凹んだからと言って反省するとは限らないですが。
次回、武具屋と冒険者ギルドへ行きます。
以下修正。
×許されるか知って
○許されるかを知り
×知れないだろ
○しれないだろ
×屋根や床板だって普通の木だったし
○床はどこにでもありそうな砂岩で、天井板は普通の木だったし
2294
21 呆れる魔術師と開き直る剣士
﹁⋮⋮わかったわ。アラン、先に家に帰っててくれるかしら。夕方
までには戻るから、夕飯のお湯の用意だけよろしく頼むわね。ちょ
っとこれから、領兵団詰め所へ私の物を返して貰いに行って来るわ﹂
ぎらついた瞳で、唇だけを笑顔の形に歪めたレオナールが、平坦
な口調でのたまった。アランは眉をひそめた。
﹁おいレオ、まさか詰め所に押し入って兵士ぶっ飛ばしてやろうだ
なんて考えてないだろうな? バカな真似はやめろ。
お前が腹を立てる気持ちもわからなくはないが、それを言うなら
お前が最初から問題起こさなかったら、こんなことにはならなかっ
たんだぞ。
これに懲りたら反省しろ。どうすれば良かったか、しっかり考え
ろ。お前が不用意なことしなければ、詰め所へ連行されることも、
金や武器を没収されることもなかったんだ。
ダニエルのおっさんが領主様を通じて、証拠品として押収された
ものは後日必ず返却されるよう釘を刺してくれるらしいから、安心
しろ。
返却が遅れるようなら、強面の監査役を小隊規模の護衛付きで派
遣してくれるそうだ﹂
﹁それまで武器なしでどうしろって言うの? まさか素手や木剣で
戦えとは言わないわよね?﹂
﹁お前、武具屋に剣の注文しておいたんだろう? 連絡があったぞ。
受け取りは来週末で、支払いもその時で良いらしい。
2295
あと、預けたミスリル合金の配合率がわかったから、そのことで
話があるそうだ﹂
アランの言葉にレオナールは少しだけ頬を緩めたが、すぐ不満そ
うな顔になって言った。
﹁だけど、それまでの間はどうするのよ? さすがに丸腰ってわけ
にはいかないでしょ。金稼ぎもしなくちゃならないわけだし﹂
﹁防具屋からも連絡が来ていたから、明日にでも行って何か適当に
見繕って来れば良いだろ。あと、これが返却された荷物だ。他に何
かなくなった物があれば言え。
俺じゃどうにもできないが、おっさん達に相談しておくから、何
とかなるはずだ﹂
﹁⋮⋮気楽に言ってくれるわね﹂
﹁何もないのが不安なら、俺の剥ぎ取り用ナイフを貸してやる。お
前の装備が揃って冒険者稼業がやれるようになるまでは、薬草採取
くらいしかやる予定がないからな﹂
そう言って、アランはレオナールに鞘に入った小振りのナイフを
手渡した。
﹁お前が使っていたダガーほど頑丈じゃないが、ダニエルのおっさ
んのお下がりだから作りは良いし、切れ味も良い。お前には軽くて
小さすぎるかもしれないが、使いやすいナイフだ﹂
刃身は0.1メトルちょっと、握ると柄の部分が少しはみ出るく
らいの小さなナイフである。握り部分はクルミの木を削ったものに、
2296
なめした魔獣の皮を巻いてある。
握りやすく滑りにくそうだ。鞘から抜いてみると、鋼鉄製の刃が
現れる。振ってみると、言われた通り軽すぎる上に小さいため、い
つもと少々勝手が違うが、慣れれば使えないこともないだろう。
﹁言っておくが、乱暴な使い方はするなよ? それは魔獣の剥ぎ取
り用だから、そこらのナイフよりはそこそこ頑丈に出来ているが、
さすがに床に突き刺したり骨に当てたりしたら、どうなるかわから
ないからな﹂
﹁肉を裂いたり、皮を剥ぐ分には問題ないということね。十分だわ。
切れ味を試してみたいけど、良いわよね?﹂
﹁何で試すつもりだ?﹂
﹁それはもちろん魔獣に決まっているでしょう? 実践で試した方
が早いもの。後でルージュと森へ行って来るわ﹂
﹁あー、それはいつもの日課の時間の時にしてくれ。冒険者ギルド
へ報告に行きたいんだ。クロードのおっさんが心配していたからな﹂
﹁あのおっさんが? 珍しいわね。いったいどうしたのかしら。で
もそれなら、着替えて身支度整えてからにしたいわ。
一応︽浄化︾でできるだけ身綺麗にしていたつもりだけど、さっ
きも言ったようにダニやノミには効果がなかったから気持ち悪いの
よね﹂
﹁わかった。ダニやノミは熱に弱いから熱めの湯を沸かそう。塗り
薬は部屋に確か一つ置いてあったはずだから、探しておく。
体調はどうだ? 痛むところや何か不調があればすぐに言え。変
2297
な病気じゃなければ、薬はだいたい揃えてある﹂
﹁知ってると思うけど、私は病気にかかりにくいから心配いらない
わ。軽い打ち身とかはあるけど、たいしたことないからすぐ治るし﹂
﹁必要なら︽軽症治癒︾掛けるぞ? 本格的な仕事はしばらくでき
ないし、魔法の研究とかをする予定もないし、残り魔力量を気にす
る必要はないから、問題ない﹂
﹁もう治りかけだから平気よ。何よアラン、急にどうしたの? ず
いぶん過保護ね﹂
﹁大丈夫そうに見えるし、実際大丈夫なんだろうけど、牢に閉じ込
められる連中がどんな病気持っているか、わからないからな。詳し
い事情は知らないが、連中と殴り合ったんだろう?﹂
﹁ええ、取り調べのための移動の時にね。でもほんのちょっとよ。
心配いらないわ。まぁ、身綺麗なのよりも不潔なのが多かったのは
確かだけど、あれくらいで病気になるようなら、とっくに死んでた
わよ﹂
﹁⋮⋮っ﹂
淡々としたレオナールの言葉に、アランは一瞬息を呑んだ。怪訝
そうにこちらを見るレオナールに、アランは微苦笑を浮かべた。
﹁冒険者は身体が資本だ、大事にしろよ。お前の装備が整い次第、
依頼受けまくるからな。できればしばらくランクは上げたくなかっ
たが、たぶん年内にはランクも上がるだろう﹂
2298
﹁やったぁ! なら、オークも狩れるようになるわね! 楽しみだ
わ﹂
満面の笑みを浮かべるレオナールを、アランは嫌そうに見ながら
渋面になった。
﹁うん、絶対レオが喜ぶから本当は上げたくないけど、ロラン近辺
の薬草じゃ高値で売れるような薬は作れないし、量を作っても売れ
ないから仕方ないよな。背に腹は替えられない﹂
﹁アラン、おれに出来ることはする﹂
そう言ってダオルが慰めるようにアランの肩に手をポンと置いた。
◇◇◇◇◇
レオナールがクロードの家で身支度を調えると、一行は冒険者ギ
ルドへ向かった。
﹁こっちまで来たんなら、帰りに武具屋へ寄っても良いかしら。あ
とついでに中古品でも良いから頑丈そうなダガーも欲しいわ。やっ
ぱり森を歩く時は、藪を切り払ったり邪魔な枝とか落とせるような
刃物が欲しいもの﹂
﹁あれば便利だろうが、お前みたいにほぼ毎日森へ行っているなら、
邪魔になるものがないような場所を選んで移動すれば良い気がする
ぞ。だいたい幼竜を先に行かせれば、どうにかなるだろ﹂
2299
﹁毎回同じところを通っていたら、獲物に逃げられてどんどん奥へ
行かなきゃ狩れなくなるでしょ。ただでさえ、最近は体臭を覚えら
れて狩りにくくなっているのに。
しばらく狩りに行ってないから、その間にゴブリンが繁殖して増
えていると良いんだけど﹂
﹁おい、縁起でも無いことを言うな。またキングやクイーンとやり
合うなんてゾッとしないぞ﹂
﹁じゃあ、見つけたらすぐ潰しておいた方が良いかしら﹂
﹁お前、わざと言ってるのか? もし巣を見つけたら必ず俺やギル
ドに報告しろよ、レオ。一人で勝手に判断するな。
きちんと判断できるやつにはこんなこと言わないが、お前の判断・
分析能力は全く当てにならない。どんなことでも良いから、何かあ
ったら必ず俺に言え。
どうすれば良いか、俺が代わりに考えてやる。お前は実際の戦闘
のことだけ考えれば良い。それ以外の事もできるようになればそれ
にこした事はないが、今のお前には無理だ﹂
﹁わかったわ。アランがその方が良いって言うなら、そうするわ。
そっちの方が私も楽だし﹂
真顔で睨むアランに、レオナールはケロリとした顔であっさり頷
いた。アランは内心溜息をついた。
︵正直複雑だな。レオがこっちの言うことに従ってくれた方が有り
難いんだが、こうまで投げやりというか、やる気がないのは問題だ
ろ。
たぶんきっとこいつ、今、面倒なことは全部俺任せにできて楽だ、
2300
程度のことしか考えてないし︶
自分のやり方にこだわって意固地になって好き勝手に振る舞われ
るのも困るのだが、自主性も主体性もあまりないのはどうだろうと
も思う。
レオナールの場合、それ以前に常識を学んだり、感受性や情緒を
育てることの方が先だとアランは考えているが、興味のないことや
他人に無関心な様子を見ていると、少々不安になる。
︵たぶんレオは自分や他人について、あるいはその付き合い方につ
いてなんて、考えたことは皆無か、ほとんどないだろうな︶
興味が無いから、考えもしないのだろう。アランとは真逆である。
アランの場合は興味や好奇心ではなく、主に保身のためにであるが、
問題や厄介事を起こさないためには、どのように他人と付き合うべ
きかについて、考えながら生きてきた。
アランは他人がとても恐い。相手を敵に回せばどんな目に遭わさ
れるか、想像するだけでも恐ろしい。本来は血生臭いことや、荒事
は苦手なのだ。
レオナールのように殴ったり殴られたりすることを楽しむ心境に
は、一生なれそうにない。目の前で剣や手などを寸止めされるだけ
で、身体は震えて動けなくなるし、思考は回らなくなる。
だから、そんな状況にならずに済むようしたいのだが。
︵こいつが今のままじゃ、たぶん一生無理だな︶
少しずつ、ゆっくりとではあるが、自分の臆病さや恐怖・不安と
折り合いを付けながら、これまできた。レオナールは、勇敢と言う
より無謀な考え無しである。
2301
︵だけど、それなりの智恵や経験を身に着ければ、﹃勇敢﹄に変え
られるはずだ︶
無遠慮で傍若無人なところも、心や智恵を育てて努力すれば、物
怖じしない大胆不敵に変えられるはずだと、欠点は努力次第で長所
に変えられるはずだと、アランは信じている。
︵でも、まずはレオが自覚して、変えたいと思えなきゃ駄目だ︶
だからじれったく思うし、歯がゆいと思う。言葉を話すことがで
きなかったレオナールに対しては、それなりに心配したり世話をし
たりしたが、その内面については疑問に思うことがなかった。
かつては言葉などなくても、その様子を見るだけで十分意思疎通
ができると思い込んでいた。結局、アランはレオナールが流暢に言
葉を話すようになるまで、彼のことをほとんど理解できていなかっ
たのだ、と今は思う。
︵たぶん、レオが本気で危機感を覚えて、自分で何とかしないとい
けないと思うようなきっかけが必要なんだろうな︶
しかし、どうすればそうなるのかはわからない。頭が痛い、とア
ランは溜息をついた。ギルド施設内に入ると、真っ直ぐ受付へと向
かった。
﹁すまない、ギルドマスターと話したいんだが﹂
ジゼルが暇そうにしていたので、アランがそう声を掛けると、ジ
ゼルがにこやかな笑みを浮かべた。
﹁あら、アラン、お疲れ様。問題児を引き取って来たんですって?
2302
あなた達が来たら最優先で執務室に案内してくれって、言われて
いるわ。
朝から書類を持っていく度に、まだかって聞かれてるの。あんな
にソワソワしているギルドマスターは、ここに勤務して初めて見る
わ﹂
ジゼルの言葉に、アランは嫌そうに顔をしかめた。
﹁うわ、それはうるさそうだな。わかった、案内を頼む﹂
﹁ええ、こっちから入って良いわ。着いて来て﹂
ジゼルがいつもの階段ではなく、受付とホールの間にある職員用
の扉を開けて、そう促した。アランは眉間の皺を揉み、レオナール
は軽く肩をすくめて、従った。
二階の執務室のドアをノックすると返答があり一行が入室すると、
中でクロードがリュカと共に書類を前に、応接用の椅子に並んで腰
掛けて待っていた。
一瞬アランは眉をひそめたが、すぐ真面目な顔になって二人の元
へ歩み寄る。
﹁この度は色々尽力いただき、有り難うございました。おかげで、
この通りレオを釈放できました。お二人には改めて感謝します。
お借りした金についてはできる限り無理のないよう返済し、いず
れ完済するつもりではありますが、遅々としたものになるであろう
ことを先にお詫びします。
今後、冒険者として活動し、冒険者ギルドに貢献することで、こ
のご恩はお返ししたいと思います﹂
そう言って深々と頭を下げるアランに、クロードが苦笑し、リュ
2303
カが柔らかな微笑を浮かべた。
﹁固い、固いな、アラン! まぁお前らしいっちゃ、らしいか。そ
んなことより、元気そうで良かったな、レオナール。
心配したぞ。領兵団の連中、このところちょっと内部で色々あっ
たらしくて、動きが微妙になってるからな。それに今、牢にはよそ
から来たならず者が入っているそうだし﹂
﹁何かあったんですか?﹂
アランが尋ねると、クロードは顎髭を撫でさすりながら答える。
﹁いや、十数人程度の盗賊集団が、先日巡回中の領兵団に捕縛され
たんだ。元はラーヌにいたらしいんだが、拠点を移動する途中の街
道付近で、護衛のいない行商人を襲っていたらしい。
聞くところによれば、逃げた残党とかはいないらしいから、街道
と町中はしばらく問題ないはずだ。けどほら、レオナールは喧嘩っ
早い上に、舐められやすい外見だろ?
連中とやらかしてないか、ちょっと心配だったんだ。その様子を
見る限り、大丈夫そうだが﹂
クロードの返答に、アランはジトリとした目つきでレオナールを
睨んだ。
﹁ラーヌにいた盗賊集団、ね。おいレオ、お前に殴り掛かってきた
やつらって、そいつらじゃないのか?﹂
﹁何言ってるのよ、アラン。そんな有象無象どもの顔とか戯言とか、
私が気にするはずないでしょう?﹂
2304
バカなこと言わないで、と言わんばかりの顔でレオナールが大き
く肩をすくめ、髪を掻き上げた。
﹁⋮⋮つまり覚えてないんだな﹂
アランは呆れた顔で呟き、深々と溜息をついた。
2305
21 呆れる魔術師と開き直る剣士︵後書き︶
今回もあまり話が進みませんでした。
次回更新、来週早々に上げられると良いなぁ、と思っています。
予定と言えない辺りが、色々駄目っぽいですが。
2306
22 やっぱり反省できない剣士
レオナールにとって、興味のないことは概ねどうでも良いことで
あり、それについて何かしろなどと言われるのは、至極面倒臭いこ
とである。
それが自分にとって危険なことであっても、生死に係わるような
ことでないなら、たいしたことはないし、どうにでもなることだと
思っている。
自分以外の何かや誰かに希望や期待はしていないし、自力で努力
してもどうにもならないことなら諦める。アランと係わるようにな
るまでは、それが日常だった。
自分の苦境を誰かが助けてくれるかもしれない、なんてことは一
度も信じたことがない。誰だって我が身が可愛いものだし、利がな
いのに身銭を切るような真似をして得られるものがあるとは思えな
い。
無償と見せて、後々高値をつけて搾り取ろうと企んでいるか、こ
ちらに見えていない利を独占できるというところだろう││そう考
えている。
猜疑心が強いというよりは、他者を信じたことがない。愛や情も
知らないし、それらを感じたことがない。
誰にも愛や情を掛けられなかったわけではない。それらを感じた
り、知覚できるほどの知識も余裕もなかったからである。
︵でもまぁ、このところ浮かれて油断していたのは確かよね。たぶ
んきっと、これで終わりじゃないだろうから、色々引き締めた方が
良いわよねぇ。
ああ、本当、面倒くさい。日課の狩りは無理だとしても、訓練や
2307
鍛錬の時間を増やそうかしら。そう言えばあの黒いの、今夜あたり
来てくれるのかしら?
折角黙っててあげたんだから、お礼くらいしてくれるわよね︶
笑みを浮かべるレオナール。︽黒︾が接触してくれば、無手でも
そのまま襲いかかりそうである。アランが反省を促しても、剣や暴
力で解決しようと考える。
そもそも、それ以外の解決法など思いつかないというのもあるが、
もし仮に考えることができたとしても、人の心の機微や常識などを
理解できない彼に、それを実行できるか否かはお察しである。
アランと出会って、対等な立場で協力し合うようになってから、
色々楽ができるようになった。レオナールにとって、アランは唯一
安心して付き合える人間である。
レオナールはアランの全てを理解できるわけではないが、言葉を
交わさなくても相手を観察していれば、次に何をしようとするかは
予測できる。
時折予測とは異なる言動をすることもあるが、それでも後になっ
てみれば﹃アランらしい﹄と納得できるものである。
そういう意味では、アリーチェが接触してきたあの夜、レオナー
ルに単独行動する許可を出したアランは色々おかしかったのだが、
レオナールにとっては都合が良かったので、いいわけをでっちあげ
る必要がなくなって楽だとしか思わなかった。
冒険者見習い期間に、対人や交渉などを実地で学んだアランだが、
その中に仕事に係わらないことで、妙齢の女性と対話したりいなし
たりすることなどは含まれていなかった。
アランが抱える劣等感に加えて、周囲にそれらを学べる先人がい
なかったことも、その一因である。身近なところにいる三十代から
四十代のおっさんどもが、わずかな例外以外は未婚ばかりなのだか
2308
ら、仕方ないとも言える。
本命以外は口説かなくても相手から寄ってくる者││ただし本命
には逃げられたり避けられたり、かわされる││、結婚したくない
わけではないが口説くのが面倒という者││ただし鈍すぎて相手か
ら口説かれても気付かない││、色恋や婚姻などよりやりたいこと
があり、他のことにまで気が回らない者││論外である││、そも
そもそういったことを諦めている者││努力すれば可能性はゼロで
はないが、努力する気がない││など。
なお、彼らと親しい門番のジェラールは、相手が女性ならば手当
たり次第、挨拶代わりに口説くため、真面目に恋愛・結婚したいと
考える女性には距離を置かれている。
本気と遊び・冗談の区別がつかない男は敬遠されると、当人が気
付いているか否かは不明である。
﹁まぁ、あれだ。お前らが今回の件で色々疲れているのは承知して
るんだが、釈放された当日に来てもらったのは、お前らに聞きたい
事があったのと、頼みたいことがあったからだ﹂
咳払い一つでギルドマスターの顔になったクロードの言葉に、ア
ランは眉をひそめた。
﹁⋮⋮なんだか嫌な予感がするんですが、それって今どうしても聞
かなくちゃいけませんか?﹂
﹁今聞かなければ、明日もう一度来てもらうことになるぞ。お前ら
金がないと困るだろう?﹂
クロードがニヤリと笑って言うと、アランは渋面になった。
﹁それで?﹂
2309
﹁先日、こちらの救護室兼治療所で治療を受けた少女についてだが、
身元が判明していない﹂
クロードが真顔で言うと、アランは顔を引きつらせ、レオナール
はキョトンとした。ダオルが固い表情で尋ねた。
﹁その、もしやと思うのだが、正規の滞在者ではないということか
?﹂
クロードは真顔で頷いた。
﹁レオナールの事件を知って、すぐ目撃者の証言を元に似顔絵を作
成して、独自に聞き取り調査を行ったところ、いずれの門も通って
いないようだ。
ロランの東西南北全ての門を通っておらず、当然それらの場所で
身元確認も行われていない上に、当日以外の目撃者が見つかってい
ない。
念のため、スラムでも腕利きに聞き込みをしてもらったが、ここ
十年遡っても件の少女がいた痕跡はないらしい。
一部を除き領兵団の協力は得られなかったが、町長にも協力して
もらって、この町の住民ではないことがほぼ確定した﹂
﹁大問題じゃないですか!﹂
アランが眉を上げて叫んだ。クロードは頷いた。
﹁その通りだ。だから今、領兵団の連中は必死で右往左往している。
上のやつらが責任を押しつけ合ったり、命令がころころ変わってて
んてこ舞いだ。
2310
ちなみに昨日は一時的に門の封鎖命令が出たが、商業ギルドや町
長らがそれぞれ抗議して、昨日中に解除されている。
当然うちからも抗議したぞ。事前の根回しなしにそんなことされ
たら、こっちも商売あがったりだからな。それでも昨日もしくは今
日が期限だった受託済み依頼については、期限を一日延ばしたが。
で、だ。レオナールには聞いても無駄だという気もしなくはない
が、念のため一応聞く。お前、あの少女の身元について知っている
ことはないか?﹂
クロードの質問に、レオナールは軽く肩をすくめた。
﹁その娘に﹃お頭﹄と呼ばれた暗褐色の覆面姿の男が、﹃アリーチ
ェ﹄って呼んでたわね。男の方は、顔を見ていないし、出て来るま
で気配も感知できなかったから、身長1.7メトルくらいのおっさ
んだってことしかわからないわね。
声にも体格にもあんまり特徴がなくて、たぶん変な格好していな
かったら、その辺の町民と区別がつかないんじゃないかしら。
で、これは言って良いかわからないけど、たぶんその娘とおっさ
ノワール
んについては、私より師匠に聞いた方が詳しいんじゃないかと思う
わ。
私が知っているのは、その二人が以前私を襲って来た︽黒︾と似
たような装束と覆面をして、ラーヌにいた頃から私をつけ回してい
たってことくらいね。
頭はあんまり良くなさそうだけど、たぶんきっと本職の暗殺者と
かそういう系統のやつらで、練度の違いや使う武器や技能の差はあ
れ、︽黒︾と似たような動きをしていたから、同類か仲間だと思う
わ﹂
﹁おい待て、レオ! お前、それ知ってて俺に何も話さなかったの
か!?﹂
2311
アランが眉間に皺を寄せてレオナールに掴み掛かった。レオナー
ルは迷惑そうに顔をしかめつつも、腕を振り払ったりせず、される
がままに答えた。
﹁だって、何もないのにアランに話したら、余計な心配するでしょ
う? 娘の方はトロくさくて、はぐれのコボルトより弱そうだった
し、手練れのおっさんに関しては存在すら全く気付けなかったから、
相談のしようもないし。
だいたいあの連中の狙いは私で、アランじゃなかったんだもの。
私が気を付けていれば済む事で、アランは別に問題ないでしょう﹂
﹁問題ないことあるか! このバカ!! そういう時はまず俺に相
談しろ!! 俺一人じゃどうにかできなくても、伝手でも何でも使
えるものを使って、どんなことでも絶対に何とかしてやる!!﹂
アランの言葉に、レオナールは大きく目を瞠った。
﹁⋮⋮絶対? えぇと、その、アラン、気を悪くしないで欲しいん
だけど、﹃どんなことでも絶対に﹄は無理じゃないかしら﹂
レオナールが珍しく言いにくそうに、気遣わしげな顔で、そう言
った。
﹁出来るか否かは実際にやってみなけりゃわからないだろ!! や
る前から決めつけるな!!﹂
激昂しながら半泣きになっているアランに、レオナールが困惑し
た顔になった。
2312
﹁不確実なことは確約したがらないアランにしては、珍しく大きく
出たわね。どうしたの、アラン。体調が悪いの? それとも酒を飲
み過ぎたの?﹂
﹁アホか! お前は俺を何だと思ってるんだ!! どうでも良い見
ず知らずの赤の他人のために、しなくても良い苦労を、全く見合わ
ない報酬もしくは無報酬で受ける気はさらさら無いが、身内とか面
倒見るって決めた相手のことなら、やれることなら何だってしてや
りたいんだよ!!
損得勘定じゃない! 保身のためにお前を見捨てるんだったら、
とっくの間に見捨ててるんだ!! そうじゃない時点で気付け、こ
のドアホ!!
くっそ、本当、ムカつく!! なんでこんなことまで言わなきゃ
わからないんだ! ふざけんな!!﹂
﹁えぇ∼っ?﹂
心底困惑した顔で眉を下げたレオナールは、周囲を見回した。ダ
オルとリュカはほほえましげに微笑を浮かべて動く気配がなく、ク
ロードはニヤニヤとしながら、笑い声を上げないように口を押さえ
ている。
︵何、コレ。どうしたら良いの? 心配掛けたのはわかってるし、
それについて怒ってるらしいのはわかるんだけど、こんなに怒って
取り乱しているアランって、初めて見るんだけど︶
﹁えぇと、その、ごめんなさい、アラン﹂
﹁ちっとも悪いと思ってないくせに謝るな! 口先だけで反省もし
ないなら、謝罪なんていらねぇよ、このバカ!! もうやらないと
2313
か言ってまた似たような事繰り返されたら、心臓いくらあっても足
りねぇんだよ、クソッ!!﹂
﹁人間の心臓は一つだけでしょ?﹂
﹁たとえだ、たとえ!! 仮の話だ!! お前のやらかす事と言っ
たら、いつもいつも、本当、心臓に悪いし、頭や腹が痛くなるし、
眩暈がするし、寿命が縮むんだよ!!
だけど、お前を見捨てたら俺は一生自分を許せないだろうし、う
っかりしたらお前一人で勝手に死にそうだし、俺がどれだけ頑張っ
ても暢気に平然としてるし!!
どうしてお前はそう考えなしのバカなんだ!! 一度失敗したら
次からもっと慎重になれ!! いいかげん学習しろ!! お前が死
にそうになってるところなんて、一度見れば十分なんだよ!!﹂
︵うぅっ、どうしろって言うのよ。なんか駄々っ子みたいになって
るし。これって、あれかしら、アランの気が済むまで待ってるしか
ないのかしら?
それはともかく、どうしてこのおっさんどもは笑って見てるの?
なんかヤな感じなんだけど︶
レオナールはアランが暴走するのはいつものことで、今回はちょ
っと勝手が違うものの、時間経過で何とかなるだろうと思っている。
しかし、このただ笑って見ている三人が三人とも、何かを﹃わか
っている﹄風なのが、理解できない上に気に入らない。
アランはともかく、自分のことを理解できるほど、三人に自分の
本心や素の表情をさらけ出したことはない。それなのに、彼らの﹃
わかっているからな﹄と言いたげな表情が、アランだけでなく自分
にも向けられていることが、殴るほどではないがイラッとする。
2314
︵なんかすごく気持ち悪い︶
ジト目で三人を見返すレオナールに、ますます笑みを深くする男
達の姿は、少々薄気味悪く見えた。
◇◇◇◇◇
リヴェルフェレス
﹁色々話は逸れたが、もう一つの本題について話すぞ。
先日、知識神の神官殿の代理者の依頼で、未踏のダンジョン探索
の護衛兼協力者を募集したいという依頼があったが、受ける冒険者
がいない。
報酬は一人あたり銀貨三枚に設定されているが、得られた宝は依
頼者が必要とする資料以外は全て、探索に参加した者の間で山分け
にして良いそうだ。
で、お前らはどうかって話だ﹂
﹁それ、怪しすぎませんか? だいたい、引き籠もりで有名な知識
神の神官の依頼って時点で、ものすごく怪しいんですが﹂
アランが嫌そうな顔で言った。
﹁知識神の神官の現地調査のための護衛などの依頼はそう珍しいこ
とでもない。ただまぁ、知識神の神官の数が少ないことと、高位の
神官以外の下っ端は、下級貴族か資金提供者がいないと生活が苦し
いから、見習いの段階で脱落する場合が多いせいで、ランク不問と
は言え低ランクが請け負うような報酬額で依頼が出ることはめった
にない﹂
﹁やっぱり怪しいじゃないか﹂
2315
﹁だが、見習いの時点で脱落しなくても、後に実家が没落したとか、
出資者が手を引いたとかで、コネも資金も失う場合がなくもない。
それに、代理者の身元は間違いない。依頼受託頻度がそれほど高
くないせいでまだCランクだが、技量と依頼達成率の高さと人格に
定評がある冒険者だ﹂
﹁Cランク冒険者?﹂
クロードの言葉に、アランが眉をひそめた。
﹁彼は戦士で、他に斥候のできる盗賊も同行する予定だ。いずれも
パーティーを組んだことはないようだから、良いきっかけになるか
もしれないだろう?﹂
﹁すごく嫌な予感がするんだが﹂
仏頂面でアランが呻くように言うと、レオナールが満面の笑みを
浮かべた。
﹁ぜひ受けましょう!﹂
﹁お前は迂闊な言動を、ちょっとは反省しろ!!﹂
明るい声で叫んだレオナールに、アランが怒鳴りつけた。
2316
23 無茶なくらいでちょうど良い
﹁﹃アリーチェ﹄と﹃お頭﹄については、俺やダニエルに任せてく
れ。どうも色々きな臭いし、お前らの手に負える事じゃなさそうだ。
もし、何か新たな情報や接触があれば、連絡してくれ。他に問題
がなければ、できる限り迅速に対処する。そうした方が余計な被害
や問題が生じることも、予定外かつ予想外な仕事も減るだろうしな﹂
﹁一番最後のが本音なんじゃないですか?﹂
アランが胡乱げに睨むと、クロードは肩をすくめた。
﹁だってレオナールに自重しろとか、アランにしっかり手綱引いて
管理しろとか言っても無駄じゃねぇか。自己責任とか自衛で防げる
とかいうレベルの問題じゃねぇのはわかってるし、できることは全
部こっちで引き受けた方が良い。
ダニエルが暴れたらますます被害甚大で、こっちまでとばっちり
食らうわけだし、俺の裁量でやるならある程度融通が利くし、面倒
そうなことは他に振れば俺の仕事は楽になるし﹂
﹁クロード、君が楽をしようとすると一番割を食うのは僕なんだけ
エロイーズ
ど。言っておくけど、僕は不必要な残業はしないし、休日返上もし
ないよ。家庭第一だからね。
さほど優先度の高くない余計な雑務で、もし愛する妻と過ごす時
間を削られるようなことがあれば、報復することに一切の躊躇いは
ないから﹂
﹁おい、やめろ! 頼むから真顔で冗談を言うのは!!﹂
2317
真顔で淡々とした口調で言うリュカに、クロードが身震いして叫
んだ。
﹁僕が冗談でこんなことを言うとでも思っているのかい、クロード。
少なくともエロイーズのことに関してはいつでも真剣だ。邪魔する
者や障害があれば、法に触れない範囲内で原因を速やかに排除する
のはやぶさかではないよ。
益をもたらすのならばともかく、人の領域を侵す害虫・害獣は、
大きな被害が出る前に残らず全て駆除しないといけないからね﹂
ふっと笑うリュカに、クロードは慌てて飛び上がった。
﹁ちょっ、待て! 俺は害虫じゃねぇよっ!! お前には迷惑掛け
ないから安心してくれ!!﹂
﹁それは良かった。そうしてくれるととても助かるね。君はすぐ仕
事をサボったり、手を抜くことを考えがちだから、ちょっと心配し
たよ。
細々としたことは下にやらせれば良いけど、締めるところはきち
んと締めて、適切・的確な指揮を執り、全ての責任・義務を担い、
かがみ
愛されずとも敬意を払われるよう努めねば。
ギルドマスターたる者、全職員の模範、鑑となるべく常に襟を正
し、振る舞いに気を配らなければ、誰も着いて来てくれなくなるか
らね、クロード﹂
リュカがニッコリ微笑むと、クロードはうげぇという顔になった。
﹁うっわ、すっげー嫌味くせぇ。ったく、言われなくたってやらな
きゃならねぇことはキッチリやるよ。給料分の仕事しねぇと、あい
2318
つウッザ、とか言われても仕方ねぇもんなぁ﹂
﹁⋮⋮ギルドマスターが任せろとおっしゃるなら、是非お願いした
いところですが、事情や詳細が判明した場合、俺達への最低限の説
明とか、今後の注意すべき点や問題があるならご教示いただけます
か?﹂
アランが眉をひそめて真顔で尋ねると、クロードは笑みを浮かべ
た。
﹁お前に敬語でかしこまられると、正直気持ち悪いな! ん∼まぁ、
お前の言いたいこともわかるぞ。農村出身の平民・Fランクの新人
冒険者が玄人組織に命を狙われるとか、早々あることじゃねぇし、
理由とか原因とか知りたいだろうし、対策とかあるなら何とかした
いもんな。
俺の独断と偏見だが、何か理由とかがあるとしたら、きっとダニ
エルのせいだろ。あいつ、そこら中で恨み買ってるし、そのくせ当
人は人外レベルに強くて太刀打ちできねぇし、金や物・地位には執
着ないし、唯一の弱味っぽい女と酒に関しても、人の思惑でどうに
かなるもんでもねぇし、下手に手を出せばやぶ蛇だ。
それ以外の弱味で手が出せそうな対象となれば、お前らくらいし
かいねぇもんな。あいつ本人は邪気も悪気もないけど、肝心なとこ
ろで抜けててとんでもなく大雑把な脳筋だから、虫一匹退治するの
に町一つ半壊させかねないし。
敵にすれば恐ろしいが、味方にしてもすんげー厄介とか、本当ヤ
ドラゴン
バイよな! あいつに比べたら他のSランクなんて可愛いもんだよ。
あれこそ災害級魔獣級ってやつだよなっ、ハハハッ﹂
﹁自分も脳筋で思いつきでやらかす癖に、良く他人事みたいに言え
2319
るもんだな﹂
アランが呆れたように言うと、リュカが深々と溜息をついた。
﹁自覚がないから、うっかりで色々やらかすんだよねぇ。普通はま
ともな神経してたら、それを実行したらどうなるか、血気に逸った
余裕のない若者でもなければ、大体予想できるでしょ?
ギルド本部のお歴々は、権威と人気・知名度にあやかって、引退
しようとする高ランク冒険者を役職付きとして引き込みたがるけど、
その大半は脳筋だから、実務に向いているのはごく稀だよ。
事務仕事や渉外的な役割をまっとうにこなせる有能な人材なら、
冒険者ギルド以外でも活躍できて、ギルド役員になるより高額報酬・
好待遇で招致・勧誘されるからね﹂
﹁なるほど、引き手数多な優秀・有能な人なら、例えば国の役人ま
たは重鎮として召し抱えられた方が、当人にとってもそれ以外の人
にとっても、良いでしょうしね﹂
﹁そうそう。職務の内容や貢献度に関係なく、年間の俸禄も支給さ
れるし、領地からの税収とか色々余禄があるし、平民からの引き立
てなら最低でも騎士爵や屋敷とかも授与されるのが慣例だし。
礼儀作法とか貴族の習わしなどが面倒だからと、それらを忌避す
る場合もあるけど、そういう場合でも大商会や規模の大きな傭兵団
とかなら、ギルド役員より待遇良かったりするからね。
冒険者ギルドって、一見好待遇・高報酬に見えるけど、実は急な
残業とか、緊急招集で休日出勤になっても、月給は据え置きだから。
受付業務をしていて、頭の悪い客や冒険者に絡まれて怪我した場
合、よほどのことがなければ治療費は無料にならない上に、最悪そ
れが原因で死んだとしても、特別報酬とか補償とかはないんだよね﹂
2320
﹁えっ、さすがにそれは酷くないですか?﹂
﹁たぶん職務上、日常的に荒くれ共の相手をするから通常の報酬に
含まれているってことだと思うよ。一応住居手当とか扶養手当とか
付いているし、独身者なら狭いけど夕飯付きの専用宿舎も用意され
ているから、それ目当てに職員になる人も多いね。
魔獣・魔物の大規模襲撃とかでギルド施設での泊まり込みとか、
深夜残業や徹夜が続くと、退職者が続出することもあるかな。施設
内は救護室と夜勤者用の仮眠室以外は、机の上や床で寝る羽目にな
るし。
そういう非常事態の時は、町の何処にいても危険度は変わらない
けど、その時になって町から逃げ出したくなってもギルド職員にそ
れは許されないからね。
一般職員の大半は、職務のために自分の命を投げ出しても良いと
いう覚悟まではできてないことが多いから﹂
﹁えっ、リュカさんはどうなんですか?﹂
﹁仕事のために死んでも良いとまでは考えていないけど、僕はロラ
ンで生まれ育ったから、出来得る限りこの町を守りたいと思ってい
るよ。
ギルドの研修以外で、町を出たこともないし。現在の職務を投げ
捨てて、他でやっていけると思えるほどの才覚も自信もない。
職務上必要な魔獣・魔物の知識はあるけど、実際の戦闘や集団戦
闘の指揮はギルドマスターのクロード頼みだから、現状維持が理想
だね。まぁ、平時のクロードは頭の痛いポカもやらかすから困って
るけど﹂
2321
﹁ああ、その、なんとなくわかるような気がします。俺、成り上が
りたいとまでは思ってないけど、魔術師になりたいって気持ちもあ
ったけど、何か誰かの役に立ちたい、貢献したいって気持ちが強か
ったから。
あと、レオナールのこととか﹂
﹁ああ⋮⋮その、色々大変だとは思うけど、サブギルドマスターと
しては、共倒れにならない程度に君に頑張って欲しいと願っている
よ。
一人の大人としては﹃無理はしないで﹄って言ってあげたい気持
ちはあるけど、君の他に彼の面倒を見られそうな人材の心当たりは
ないから。ごめんね﹂
リュカが少々気まずげに、申し訳なさげに小さくそう言った。ア
ランはゆっくり首を左右に振った。
﹁いえいえ、他の誰かにレオの面倒見て貰おうとか思ったことは一
度もないですから。だいたいあいつ、野生動物みたいなやつだから、
早々人になついたり気を許したりしないし、扱い難いし。
あいつを連れ出したのは俺だし、そうした方があいつのためにも
良いと思って誘導したところもあるし、死なない限りは、責任持っ
て出来る限り面倒見るつもりですから﹂
﹁いや、アラン、君はちょっと考え過ぎで苦労性なところもあると
思うよ。たぶん彼、君が面倒見なくても生きるだけなら何とかなり
そうだから。
まっとうな冒険者活動ができるかどうかは別だし、どっちかとい
うと無軌道で無謀な方へ暴走しそうに見えるから恐いけど﹂
2322
﹁あの、あいつ、あれでも一応優しいところもあるし、悪いやつじ
ゃないんですよ。ただ、とんでもなくバカで、考えなしで周りがち
ゃんと見えなくて、ただ強くなることしか考えられないだけで﹂
﹁それが恐いんだけどね。わかっていると思うけど、相手構わず喧
嘩売るって、一番タチが悪い﹂
﹁⋮⋮そう、ですよね﹂
リュカの言葉に、アランは深々と溜息をついた。
﹁でも、彼一人ならただの劇物だけど、君と一緒なら可能性がない
とまでは考えていないよ。彼の悪評は本当酷いものだけど、君が隣
にいなければもっと酷かっただろう。
まぁ、そのせいで君も含めて正当な評価もされにくいという弊害
もあるのだけど﹂
﹁⋮⋮すみません﹂
アランは頭を下げて謝罪したが、言い訳・弁明はできないなと眉
を下げた。ロランでの冒険者相手の諍いについては、レオナールだ
けでなく自分もやらかしている自覚があったので。
︵だってあいつら、俺やレオのことだけじゃなくて、それ以外の誹
謗中傷や暴言も吐いたりするから、つい︶
それほど親しくもない赤の他人のことなど痛くも痒くもないし、
自身のことは何を言われても平気なのだが、家族や親戚、アランに
とって師であるレオナールの母・シーラは侵すべからざる聖域であ
り、何よりも大切な存在である。
2323
︵シーラさんのことを侮辱・冒涜されたら、法律に触れず死なない
程度の報復は当然だよな︶
アランはキレた時とそれ以外では、倫理・思考的にも感情的にも
激変する。当人はその自覚が皆無だが。
﹁えー、ゴホンゴホン、まぁ、あれだ。何かわかったら通達するっ
てことで! それと、知識神の神官殿の依頼の件の期限は二日後だ。
その際、詳しい説明や打ち合わせがあるらしい。
依頼の正式な受託はそれが終わった後で良い。探索に参加確定し
ているメンバーと合わないようなら無理はさせられないからな。
まぁ、お前ら全員顔を合わせたこともあるし、一時的にとはいえ、
同行したこともあるから、依頼内容や報酬に不満がなければ、たぶ
ん大丈夫なんじゃないか?﹂
クロードがわざとらしい咳払いをしてそう言うと、アランは顔を
しかめた。
﹁おい、それってもしかして、依頼に同行する戦士と盗賊ってあの
ドワーフと小人族のことか!?﹂
﹁その通りだ。もしかすると、他にレイシアという魔術師見習いも
加わるかもしれないんだが、今のところどうなるかはまだわからな
い。
ああ、安心しろ。アドリエンヌは王都に戻ったから、お前らが王
都へ行かない限りはもう顔を合わせることもないと思うぞ﹂
﹁念のためにお聞きしますが、金髪碧眼縦ロールのご令嬢は?﹂
2324
﹁アドリエンヌとその他の護衛と共に、一緒に王都へ帰った。︽静
穏の閃光︾も指名依頼を完了させて、先月下旬に王都へ旅立った。
例のオルト村の件だ。既に転移陣は破棄され、ダンジョン化も解
かれていたらしいから、残念ながら無駄足だったようだ﹂
あっさりと告げたクロードに、アランは思わず目を剥いた。
﹁何だって!? じゃあ、やはりあれは人為的なものだったのか!
?﹂
﹁正直わからん。王都在住の専門家に調査書の内容の分析を依頼し
た。︽静穏の閃光︾が向かった際には、お前らの報告書にあった洞
窟部分や実際よりも広い地下室などは見つからなかったし、冒険者
の遺骸や遺品、コボルトやゴブリン、その痕跡なども発見できなか
った。
ただ、コボルトやゴブリンがいたことや、内部に窓が存在しなか
ったことは複数の証言があるから、全員が幻術に惑わされていなか
ったならば、事実だろう﹂
﹁ちょっと待って、それ、私達が嘘をついてると思われているって
こと?﹂
ずっと無反応だったレオナールが、冷ややかな声で言った。
﹁俺はお前らがそんな嘘をつくはずがないと思っているぞ。ただ、
報告書に目を通した全ての者がそう考えているわけではないが、ま
ぁ、それはある程度仕方がない。
冒険者の証言は疑うのが自分の職務だと思っているやつもいるか
らな。色々な視点や思考の下で精査するのが俺達の仕事だから、皆
が皆、同じようだと困るってのもあるから、それ事態は悪いことじ
2325
ゃない。
ただ、問題となることがあるとすれば、これまで王国内で、短期
間とは言えダンジョン化した場所がダンジョンマスターを倒したり、
ダンジョンの核を回収することなく元通りになった場合は見つかっ
ていない。
仮にも貴族の所有である別荘が、人為的な要因によってダンジョ
ン化したのか、あるいは偶然もしくはたまたまダンジョン化してそ
れが解けたのか、全て夢か幻だったのか、全く不明だ。
いずれにせよ、同じような事例が見つかるまでは、予測や想像し
かできないだろう。もし、仮にお前達が保護したレッドドラゴンの
幼体が人間の理解できる言語で証言したり、ドワーフ戦士が保護し
た少女が記憶を取り戻した場合は、事実を知る手立ての一つになる
と思うが﹂
﹁なるほど、︽真実の鏡︾や︽審判︾で、証言が事実か否かを確認
できるってことか。俺達やドワーフの証言も同じく判断できるよな
?﹂
﹁その通りだが、現状ではその使用が必要だと思われるほど重要視
されていないってことだな。でも、冒険者ギルド・王都支部には名
誉顧問としてダニエルが一応関わってるから、お前らの報告が握り
つぶされるようなことはないから安心しろ。
それに、あの無駄に行動力のあるダニエルのことだ。何も手を打
っていないとは思わないな﹂
﹁⋮⋮ダニエルのおっさんが何を企んでいるのかは、ちっとも読め
ないからな﹂
2326
アランは肩をすくめて言った。
﹁まぁ、そういうわけで、怪しい魔法陣とか何か見つけたら、また
報告頼む。たぶん本職の研究者以外では、アラン以上に詳しいやつ
はいないだろうしな。
お前ら以外の冒険者がこの辺でそれらしきものを見つけた場合、
その内容によってはお前らに調べて貰うことになるかも知れない。
グリフォン
ワイバーン
なにせ、王都からロランまで、次々と馬を乗り変えて早駆けして
も、十日半は掛かる距離だ。鷲獅子や飛竜ならもっと短縮できるが、
それらを所有していて騎乗できる人員は稀少だしな。
お前らに何か問題があるとすれば、冒険者としての経験や実績、
公式に認められている対人戦闘経験およびその評価がなく、上層部
の信用がないって事だな。
正式登録してからようやく三ヶ月のFランクだから、当然だ﹂
﹁駆け出しのFランク冒険者にあまり期待されても困るんだが。た
とえ報酬が良かったとしても、無茶振りされるんじゃ割に合わない﹂
﹁ハハハッ、そんな心配しなくてもお前らにできないことをやらせ
ねぇから安心しろ! 雑用系で家事とかあったらアランに振りたい
とこなんだが、これまでうちの支部でその手の依頼受けるやつが皆
無だったからないんだよな。
でも、見習い時代からアランが薬屋に直接薬作って持って行って
たからか、傷用の塗り薬や常備薬系の調合・納入依頼がたまに入っ
て来るようになったから、依頼があれば優先的に回してやるよ。ガ
ンガン稼いで借金返して貰わなきゃいけないからな!﹂
﹁私向けの依頼はないの?﹂
レオナールの質問に、クロードは肩をすくめた。
2327
﹁普通の討伐依頼で低ランク向けのやつは競争率が激しいからなぁ。
報酬微妙な上にちょっと遠出が必要な村落からの依頼が入ったら紹
介できると思うが﹂
﹁それ、最悪移動と経費で赤字になるんじゃないか?﹂
﹁まぁ、たぶんそうなる場合が多いだろうな。あとは近場でも討伐
数が多くなるとか﹂
﹁金を稼ぐためなら向いてないな。レオは喜びそうだけど﹂
﹁えーっ、そりゃ討伐数が多くて難易度が高い方が楽しいけど、報
酬も高い方が嬉しいわよ?﹂
﹁高報酬で実入りの良い討伐依頼となると、ランク上げるしかない
な。最低でもCランク以上だ。Eランクでオーク、Dランクでオー
ガの討伐があるが、普通はDランクでオーガ討伐は割に合わないか
らな。
お前らは魔術師と剣士だから、他のFランクパーティーよりはち
ょいマシだが、できれば最低一人は盾役か前衛入れて、後は火力と
回復役と斥候を一人ずつ入れれば理想的だな﹂
﹁それが、今度の依頼のメンバー構成だって言いたいのか?﹂
﹁俺だってお前らのこと心配してるんだぞ。新人冒険者が無茶やら
かしたらヤンチャなことすんのはそう珍しくもねぇけど、お前らほ
ど酷くねぇし。
他の新人と組ませるには実力差があり過ぎるし、お互い可哀想な
ことになるのは目に見えてるだろ。お前らがもっとフレンドリーで
2328
他の冒険者と積極的に交流するような連中なら黙って様子見るけど
よ。
お前ら二人は、性格とか素行の面で問題ありすぎるけど、将来確
実にCランク以上になれる才能持ってるのに、いつまでも低ランク
でくすぶられるのは勿体ねぇだろ。
早いとこメンバー固めてランク上げて、ガンガン稼いで借金返し
て、俺の仕事を楽にさせてくれよ﹂
﹁借金に関しては早いとこどうにかしないとまずいと思っているか
ら、本当は上げたくないがランクは上げなきゃ仕方ないと考えてい
る。更にパーティーメンバーを増やして戦力強化できれば良いとも
思うが、それが俺達にとって最終的に利益になるものじゃなければ
意味がない﹂
﹁あのなぁ、アラン。たぶん今回を逃したら、きっともう二度と機
会は巡って来ないと思うぞ。言いたくないが、お前ら本当評判悪い
し取っつきにくくて愛想がないから、人格・素行的にも戦力的にも
優秀なメンバー加入とか夢のまた夢だと思うぞ﹂
﹁っ!?﹂
﹁妥協しろとまでは言わないが、戦術・戦力的にはこれ以上ない人
員構成だと思うぞ。人格に関しては斥候役の盗賊以外は問題ないし﹂
﹁⋮⋮なぁ、おっさん。あのドワーフやその知識神の神官殿の性格
を熟知しているのか?﹂
﹁伝聞でしか知らないが、悪い噂はないぞ? 二人とも冒険者登録
されているが評価・評判は良いし、好感度もそこそこ高い。全く問
題はないように思うが、アラン、お前の意見は違うのか?﹂
2329
﹁ドワーフのおっさんはヤバそうなやつも救おうとする底抜けのお
人好し、神官の方は善良なのかも知れないが、たぶん変人の引き籠
もりだぞ。
ただの知人や顔見知り程度なら問題ないが、パーティーメンバー
としてはレオと同じくらいかそれ以上に厄介そうなんだが﹂
﹁あー、まぁ、あれだ、アラン。そんなに心配ならお前が助力して
やれば良いじゃないか。そういうの得意だろ?﹂
クロードが苦笑しながら言うと、アランは嫌そうに顔をしかめた。
﹁あのなぁ、俺はレオだけで手一杯なんだ。これ以上抱えてもどう
にもできないぞ。頭痛と胃痛に悩まされることが目に見えてる! 何より、今以上に貧乏になったらどうしてくれるんだ!!﹂
﹁悪い、これ以上借金する時はダオルやダニエルを頼ってくれ。今
回、俺の貯金から出したけど、これ以上出すと将来家の修繕とか引
っ越しする時に足りなくなる可能性があるから、﹂
﹁いや、そんな高額の借金する予定はないからな! っていうか、
これ以上の借金はこりごりだ! だから問題や厄介事の種になりそ
うなものは抱えたくないと言ってるだけで!!﹂
﹁ねぇ、アラン。そんなのこれから稼げば済むことじゃない?﹂
レオナールがサラリと髪を掻き上げながら言った。
﹁お前はどうしてそうお気楽なんだ。だいたい、お前が原因だろう
が。稼ぐと言っても、白金貨二十枚と金貨四十枚だぞ。経費除いて
2330
金貨一枚分の利益出すのに、一度の稼ぎが一般市民よりはややマシ
なレベルの低ランク冒険者で、半年から一年分だぞ。
これから積極的にランク上げていくにしても、どれだけ頑張って
も一年以内にDランクいければ御の字だぞ。Cランクまで上げるに
は、この前のゴブリン襲撃みたいな大規模討伐で高評価を得るか、
中小規模の盗賊集団の掃討・壊滅級の実績が必要になる。かなり厳
しいぞ﹂
﹁やぁね、アラン。年内とまでは言わないけど、これから一年でC
ランクまで上げる、くらいの意気込みがなきゃダメでしょう。
アランは本当、消極的ね。もっと気合い入れて、やる気出しなさ
いよ﹂
﹁おい、お前、今自分がものすごく無茶苦茶なこと言ってる自覚あ
るか? 言っておくけど、冒険者正式登録から一年くらいでCラン
ク以上になったのって、今のところ王国内じゃダニエルのおっさん
くらいしかいないんだが﹂
﹁ダニエルは戦争の功績と単独飛竜討伐で、特別措置と特例で登録
直後にAランク認定受けてるから、あれを参考にしちゃ駄目だぞ。
︽蒼炎︾アレクシスだって三年でBランクになったが、Cランク
になるのに一年九ヶ月掛かったんだ。俺は戦士二人と斥候・弓の一
人の仲間と登録直後からパーティー組んでたけど、Cランクになる
のに二年掛かったんだぞ﹂
﹁やる前から無理だと決めつけていたら、できるものもできないで
しょう? 目標は大きく高く設定した方がやりがいがあるわよ。
何がなんでもやってやるって気概がないと、意味ないじゃないの。
慎重すぎるのも程々にしたら? やると決めたらガツンとやらなき
ゃ。
2331
頑張らなくてもちょっと背伸びしたら手が届きそうな目標なんて、
子供の遊びでしょ。アランは気迫と気合いが足りないのよ﹂
﹁⋮⋮レオ、お前ってやつは﹂
胸を張ってどうだと言わんばかりの顔で言うレオナールに、アラ
ンは深々と溜息をついた。
﹁死ぬ気でやれば、問題ないわ。無茶なくらいでちょうど良いのよ﹂
当然でしょ、とレオナールはのたまった。
2332
23 無茶なくらいでちょうど良い︵後書き︶
更新遅くなりました。
内容的にはあまり進んでいませんが、ようやく出したかった台詞の
一つを出せました︵苦笑︶。
2333
24 減らすと増えない
﹁死にさえしなければ、諦めない限りやり直しは利くわ。逆境とか
窮地とか、絶好の機会じゃない。どん底ならそれ以上悪くなりよう
がないんだから、あとは這い上がるだけでしょ。
どいつもこいつも敵だって言うなら、区別する必要も手加減する
必要もないんだから、思いっきりやれるし、全員ぶちのめせるじゃ
ない。かえって﹃ざまぁみやがれ﹄って気分爽快になれるでしょ?
だいたい今まで、アランがランク上げたくないからって仕事あま
りしたがらなかったのがいけないのよ。私がこれまで倒した全ての
あらくれ
魔物や魔獣の討伐報告していたら、とっくにFランク卒業していた
はずなんだから。
そうしてたら、力自慢の冒険者どもにも、そうそうなめられなか
ったわよ。あいつら実際に殴られるまで、実力差がわからない頭の
悪い連中なんだから。
私は頭を使って考えるのは苦手だけど、討伐に関しては数をこな
せばこなすほど、こなれてくるしムダを省いて効率的に倒せるよう
になるから、討伐数を稼ぐだけで良いなら私がFランク最強でしょ
う?
毎日朝夕合わせて、ゴブリン換算なら五十∼百匹以上の魔獣・魔
物を倒してるんだから﹂
﹁はぁ!? なんだその討伐数は!? あの幼竜、そんなに食うの
かよ!?﹂
アランが驚愕の声を上げた。
2334
﹁あら、拾った初日だけで昼夜合わせて古豆を2袋、ゴブリン28
匹、コボルト26匹、角猪2頭に穴熊1頭、角兎30匹、沼蜥蜴を
14匹食べているのよ?
熊とか牛とか鹿系魔獣だと肉の量が多いから討伐数はちょっと減
るけど、一ヶ所で同じ種類をたくさん狩ると死滅しかねないから、
色々な種類の魔獣や魔物を加減しながら倒しているわ﹂
﹁すげぇな、あの幼竜。そんなに食うのかよ、半端ないな。しかし
レオナール、お前毎日そんなに殺してたのかよ? 単独じゃなくて
幼竜と協力して倒してるんだろうが、朝も夕方も長くて一刻半くら
いしか狩ってねぇだろ。
なのにそんな短時間でその量狩るとか、どんなやり方してんだよ。
普通は討伐もさることながら、索敵に結構時間が掛かるんだぞ。
良く近隣の森の魔獣が死滅せずに済んでるなぁ、どうなってんだ。
冒険者の報告でも魔獣や魔物が狩りにくくなったとかいう話は聞い
てないぞ。
なぁ、ちょっと聞きたいんだがレオナール、あの幼竜を拾う前も
討伐報告せずに魔獣・魔物を倒してたんだろう? お前、一日平均
どのくらい倒してたんだ?﹂
﹁さすがにそんなに数は倒してないわよ。ロランに来てから、毎日
二十匹から三十匹くらいだもの。討伐報告はしないから、倒したや
つはそのままその場に放置して帰ってたわ。
翌日になって同じ場所を確認したら、全部他の魔獣の餌になって
いたみたいだから問題ないと思って。魔獣・魔物が増えたら、その
分倒せば済むでしょう?﹂
レオナールの言葉を聞いて、この場にいた他の者は全員固まった。
2335
﹁え
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