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文学少年キーツの見た歴史画家ヘイドン

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文学少年キーツの見た歴史画家ヘイドン
奈良教 育大学紀要
・ (人 文 。社 会 )` 14成 13年
第1 写
第50巻
Bull.Nara Univ.Educ..Vol.50,
No.1(Cult.&Soc),2001
文学少年 キー ツの見 た歴 史画家 ヘ イ ドン
奥
田
喜 八郎
奈良教育 大 学英 語教育講座 (英 米文学
(平 成 13年
キー ワー ド :
4月 3日 受理
)
)
嫉妬 ,慈 悲 1静 か な賞 讃
ジ ョン・ キ ー ツ
(」
ohn Keats.1795-1821)は 人先輩詩
人 ス ペ ンサ ー (Edmund Spenser,1552?-99)の
名作
『神 仙 女 王 』 (Tfle FbeHe Q口 eene)を 愛 読 す る よ うに
な ってか ら,い つ しか 「医者志 望」 をあ き らめ て,「 詩
と, 日覚めた詩 人キー ツの天分を讃美す るのだ.後 日
稿 を改めて,「 文学少年キーツの見た大先輩詩人 スペ ン
,
サ ー」 を考察 してみたい, と愚考 してい る次 第である。
ジ ョン・ キーツは大先輩詩人 スペ ンサ ーの「絵画的描
た とえば ,1814年 の 初 めの 頃 に作詩 した と思 われ る「 ス
写 と青楽的諧調」 に無我夢中 になる.そ して,同 時代 の
人気絶頂 の抒情詩人バ イロン卿 (Gcorge Gordon ByrOn,
ペ ンサ ー を模 倣 して」 (`Imitatioll of Spenser')と い う
6th Baron,1788-1824)の 「異国情緒 と奔放 な思想や詩
人志望」 にあつ く目覚 めた , と言 って も過言 で はな い。
短詩
1を
見 る と明 らかで あ ろ う。 これ は 9行 を一 連 とし
て ,四 連 か ら成 る作 品であ る。驚 い た こ とに,キ ー ツは
スペ ンサーの「華麗 を きわめ る絵 画i的 描写 と音楽 的諧 調」
に い た く感 動 し, しか も,ス ペ ンサ ー 自身が 創 案 した
「スペ ンサ ー 詩体」 (Spellsenan stanza)を 用 い て い る
風」 に熱中す る.た とえば,1814年 12月 に作詩 したと思
しる「 バ イロン卿に」 (`To Lord Byron')を 読む 出│
わオ
と明 るかだろう.筆 者がかつ て本誌に発表 した拙文 「文
学少年 キーツの見 た先輩詩 人バ イロン卿」 を参照 された
い
`
「新 しい時 代 の詩 人」として ジ ヨン・キ ー ツ を
そ して、
ことで あ る。
創案 した ,イ ギ リス 人好 みの ,こ の
「 スペ ンサ ー詩 体」
とい うのは, スペ ンサー が 『神仙 工 』 で 用 い た詩 体 で
イギ リス詩 壇 に紹 介 した の は.先 輩 詩 人 リー・ ハ ン ト
あ る。 最初 の 8行 は弱 強調 5歩 律 ,最 後 の 1行 が弱 強調
えば,1815112月 2日 に作詩 された と思 われ る「 1'― ・
6歩 律 (Alexandrine)の 詩 行 か ら成 る もので あ る。そ
ハ ン ト氏 が 出獄 す るその 日を祝 って」 (`W五 tten on the
して ,ababbcbccの 押 韻形式 を持 つ .bb/ccの 「英雄詩
Day that Mr.Leigh Hunt Lel‐ t Prisonl)や , 11リ ー・ ハ
体 2行 連 句」 (Heroic Couplet)は スベ ンサ ーの得 意 であ
ン トに捧 げた他 の 作 品 い を精読 して み る と明 らか だ ろ
る。
う。 これ もまた ,本 誌 に発表 した拙文 「文学 少年 キ ー ツ
の 見 た 自由主義者 リニ ・ハ ン ト」 を是 非 と も参照 された
/A‐
イギ リスの 女流批 評 家 ア ロ ッ ト (MiHam Anott,1918
-)は い み じ くもこ う指摘 す る。
(」
い
ames Henry Leigh Hullt,1784-1859)で
あ る。た と
.
やが で 1時 はたち,キ ー ツ 自身 もまた,芸 術 とはなに
Though borrt to be a poet he was ignorant of his
birthright untii he had completed his eighteenth
year [31 Oct. 1813] . '
か ,と 問 い は じめ る。 キ ー ツ 自身 の 本物 の 詩 とは な に
か ?見 せ か けで はな く。真 の 詩 人 とはなにか
?
自分 は作 詩 に背 伸 び して い るので はない か ,と キ ー ツ
は思 う。 肩 を張 りす ぎて い るので はない か ,と 彼 は思 い
ず ,彼 は19歳 に な る ま で ,自 分 が 天性 の 詩 人 で あ る こ と
悩 む。模 倣 の か げ をなお引 き連 れて い るの も気になる
スベ ンサ ー張 りの ,あ の絵 画 的 な描写 は違、
苦 しい .な ん
を共Πらな か っ た ,と 。 そ して ア ロ ツ トは そ れ に つ づ け
とか しなければな らない .ま た ,バ イロ ン張 りの 1あ の
て
奔放 な愛 の情 もまた甘 た る い.そ れ はキ ー ツの好 みで な
キ ー ツは 詩 人 に な る よ うに 生 まれ て い る に もか か わ ら
,
.
い。 キ ー ツは もっ と素直 にな らなけれ ば1 と思 う。 飾 る
It was TIle Faer)r Q口 eerl that awakened his
の は も うやめ よう。 リー ・ ハ ン ト張 りの 、 あ の口 調語調
genills...enamOured of the stanza.he attempted to
は非常 に疲 れ る.も っ と 自分 に素 直 になって,自 分 の日
inlitate it and succeedcd. 3
調 で 自分 の愛 の情 を 自然 に歌 い あげる ように心掛 けた い
田
奥
喜八郎
ものだ,と キーツは願 う。
悩むキーツに答えたの は, イギ リスの歴史画家ヘ イド
ン (Beniamin Robert Haydon,1786-1846)で ある。ヘ
興 味深 いの は,大 きな画 布 の 中央 にキ リス トらしい 人
物 が 一頭 の ロバ の背 に またが って い る,と い う構 図 で あ
イ ドンはつ ねに貧窮に苦 しみ,負 債のため投獄 された こ
ともあ り,つ い には自殺 をとげた, とい う哀れな画家 で
て い るのだ.そ れ も,キ リス トを一 月見 ようとす る見物
ある.当 時,ヘ イ ドンは60歳 であった。
ヘ イ ドンの傑作 には,「 エ ジプ トでの体息」 (`The Re‐
pose in Egypt')や ,「 ソロモ ンの審判」(`The Judgmellt
知 って い る人 の顔が あ る.こ れ は先 輩画家 た ちが よ く使
ス トの 苦 し み」 Agony in the
Garden'),そ れ に,「 キ リ ス トの エ ル サ レム 人 城」
しか も,ヘ イ ドンの好 みの実 在 の 人物 とい うの は,フ ラ
of Solomonl).「 キ
lリ
(・
(`Christ]s Entry into Jerusalem')な
る.そ して ,キ リ ス トを取 り巻 くよ うに群 衆 が ひ しめ い
人た ちの顔 ,顔 ,顔 はみ な不安顔 であ る。 よ く見 る と
,
う手法 に従 った までで ,ヘ イ ドン もまた平気 で実 在 の 人
物 を生 き生 き と描 い たか らであ る。 と言 うのは面 白い。
ンスの 啓 蒙期 最 大 の 文学 者 で あ り哲 学 者 で もあ るボ ル
テ ー ル (Francois Ⅳhrie Arouet Voltaire,1694-1778)
どがある。
ヘ イ ドンは歴史画家 (a hist()rical painter)で ある。「
とアロ ッ トはい う。 これは,ア メリカの女流詩人 ロー ウ
エ ル (Amy Lawrence Lowell,1874-1925)が ,『 ジ ョン・
で あ って ,懐 疑精神 の 象徴 と して ボ ル テ ール を画布 に登
°
場 させ て い た・ ようであ る.「 懐疑論」 とは,(1)「 あ
キ ー ツ』 (Jo五 nA eats)の 中 で,“ His ainbition was to
become a great historical painter."8と 言及 してい るの
JIJは
を踏 まえた「歴史画家」であろ うが,historicと hお tO五 cal
の 2語 の相違 について一言 .前 者は「歴 史 [1有 名な,重
にまたがるキ リス トJ観 も伝統破 りである。そんなキ リ
ス トを見物する群衆 の一 人一 人がみな動揺 してい る,と
要な」とい う意味 をもつ形容詞 である。 また,「 長い歴史
を持 つ」 とい う意味である.後 者 は「歴史上実際 に存在
い う直i家 ヘ イ ドンの独 自な画風 を見て,文 学少年 キーツ
る ものの価値な どを疑 う考 え」 であ り,(2)「 客観的真
認識 で きない として断定をさしひかえる思想」 であ
ることを思 い併せ ると,画 家ヘ イ ドンが描 く「ロバの背
した,起 こった」とい う意味 をもつ形容詞 である。 また
は感動 したの もうなずける
文学少年キー ツは画家ヘ イ ドンの絵画の中にキー ツ 自
「歴 史に関する」という意味である.た とえば,“ a theologiars
study of the historical」 esus'(「 歴史上 の実在者 としての
身の魂 の叫 びを見出 したのに相違 ない.そ して,イ ギリ
スの英文学者 ジャック (Ian Robert James」 ackl 1923-)
,
イエ スに関す る神学者 の研究」)と い うふ うに用 い られる
のだ。 これは伝説 ・物語 ・信仰上 の もので な く,歴 史上
の実在者 とい う意味 を踏 まえてみると,上 記 に紹介 した
ヘ イ ドンの作品群 のそれぞれの画題 の意味 もまた納得す
.
が 『キー ツと芸術 の鏡 』 (reaぉ and lhe Rttror」 Ari)
の 中に
,
・…his in■ uence on I(eats's interest in art… ・IHI
る ことができるだろう。
重複す るが,「 歴史上 の実在者 としての イエ スの苦 し
み」 であ るとか,ま た「歴 史上の実在者 としてのソロモ
と論 じて い るの も理解す ることがで きる。「キーツが芸
術 に興味 をいだ くようになったのはヘ イ ドンの影響 によ
ンの審判Jで ある とか,そ して,「 歴史上 の実在者 として
のキリス トのエ ルサ レム入城」 であるとい う』、うに,そ
れぞれのヘ イ ドンの画題 を再考 してみると,歴 史画家ヘ
る もの」 であ る,と 筆者 も同感 である。芸 術 とはなに
か ?詩 とはなにか 7本 当の詩人とはなにか, と悩 むキー
イドンの絵画の特徴 もうなず けるだろう。信仰上のキリ
ス トでな く,信 仰上の ソロモ ンでない, とい う画家ヘ イ
ツに答 えたのは正に,歴 史画家ヘ イ ドンその人である
と筆者 は強調 したい。
,
ロー ウェ ルが述べ るように
,
ドンの 「キ リス ト観」,「 ソロモ ン観」 は斬新 である。
ローウェルは「歴史上 の実在者 としてのキリス トのエ
・Christ's
…
ルサ レム入城」 と題する絵画 について,こ う語 る
this picture during the
.
Elltry into Jerusalell■
,He was at work on
、
vhole tinle that Keats
kne、v hiln.12)
The」 erusalem is a very large picture.The centre
of the canvas is occupied by the igure of Christ
ヘ イ ドン は 「 キ リ ス トの エ ルサ レ ム 入城 Jを 制 作 中 に
riding on a donkey, and all round, about, and
キ ー ツが ヘ イ ド ン を知 った , とい う の は な に よ りも幸 運
behind hiln press a cro、 vd of agitated spectators.
な 出 会 い で あ っ た。 この 頃 に ,画 家 ヘ イ ドンは ,か た わ
2へ
mong them are one or two
、
vho
can be
,
ら,キ ー ツ や ,ワ ー ズ ワ ー ス (william Wordsworth,
recognized,for Haydon,fo110、 ving the custolll of the
1770-1850), そオLに , ラム (Charles Lamb,1775-1834),
early painters,
ハ ズ リ ツ ト (WHhaln HaJitt,1778-1830)な どの 肖像 lni
did
not scruple to introduce
portraits of real people here and there… ・・
│
を制 作 して い た こ とは 有 名 で あ る
.
残 念 な こ とに , イギ リスの批 評 家 で あ り社 会思 想 家 で
文学 少年キ ー ツの 見た歴 史画家 ヘ イ ドン
もあるラスキ ン
(」
の
Ohn Ruskin,1819-1900)力
'『 近代
画家 た ち』 (17frJdel■ l hinle“ )の 中で
・… Conling
up to London
vhen
、
he
、
vas only
nineteen, he 、
vorked 、
vith stich illdefatigable zeal,
,
chie■ y dra、 ving
his
The inllllence of Greek art,ho、 v dallgerous. 13
already
fronl plaster casts,that he ruined
ilnpaired
eyesight
vhich
、
never
1181
after、 vards entirely recovered.… ・
とい う主 観 で ,画 家 ヘ イ ドンを痛 烈 に非難 を加 える者 も
おれ ば,有 り難 い こ とに,ロ マ ン派 の 詩 人 ワー ズワー ス
ヘ イ ドン は子 供 の 頃 か ら絵 を画 くの が 大 好 きで ,霊 感 の
の よ うに,両 家 ヘ イ ドンを讃美す る者 もい るのであ る。
ワー ズヮー スは「B.R.ヘ イ ドンヘ 」(`To B.R.Haydon')
赴 くが ま まに ,両 布 に筆 を走 らせ るの だ。 視力 が 弱 い た
め に ,両 布 に 目を近 づ け て ヽ
心 不乱 に .歴 史上 の 実 在 者
と題 して ,nⅢ 「芸術 に心血 を注 ぐヘ イ ドンJを 格調 高 く
と しての「 ヨセ フ とマ リア」 の 2人 が 「エ ジプ トに通 じ
歌 い上 げ るの だ。そ して ,ワ ー ズワー スは「渾 身 の力 を
ム、りしぼ って ,芸 術 に献 身的 な愛情 をか たむけ る。直 向
る道 の Lに 休息 して い る」 の を両 き上 げ るのだ。衰 弱 し
た視力 の 画家 ヘ イ ドン 1失 明す るか も知 れ ない 山i家 ヘ イ
きなヘ イ ドン」を厳格 にほめそやす ので あ る.彼 がこれを
ドンが l■J布 に触 れ る程 に 目を近 づ け て無我夢 中 に1歴 史
発表したのは,1816年 2月 4日 発行の雑 誌
上 の実 在者 と して の 「 ソロモ ンの審判」 を画 き上 げるの
TIle t‐llalllpわ
ュ
(1814-22)誌 上 であ った。 そ の上 ,こ の 14行 詩が 同年
だ.画 家 に とって視 力 の衰 えは致 命傷 であ るに もかかわ
3月 31日 発行 の週 FJtt rfle Examiner誌 上 に再 度掲載 さ
らず ,た とえ失 明 した として も,ヘ イ ドンはそ ん な こ と
れ る。 とい った歓迎 ぶ りで あ る。
を気 にす る様子 もな く,無 我 無心 に,「 ロバ の背 に また
文 学 少 年 キ ー ツが 友 人 ク ラ ー ク (Charles Cowden
が るキ リス ト」 を画 き上 げ るの だ。それ は まるで 狂犬が
Clarke,1787-1877)か ら拝 借 して,愛 読 して い る上 記 の
牙 をむ き出 して得物 に噛 み 付 くような勢 い であ る。 一 刻
The Examinerで あ る こ とを思 い 合わせ てみ る と,キ ー
を惜 しむ威勢 であ る。
ツはすで に先輩詩 人 ワー ズ ワー スの ,こ の「ヘ イ ドンヘ 」
とい う ソ ネ ッ トを精読 して い た もの と思 われ る。 もしそ
文学少年 キ ー ツは「ヘ イ ドンに宛 て」 と題 して ,こ う
歌 い上 げ るので あ る。
うであ ったな ら,こ れが 1恐 ら くは,キ ー ツの 画家 ヘ イ
IIigh-lnind/′ ―
ed― ness,/a jea1/‐ ous― y//for
ドンに近 づ く第一 歩 で あ ったか も知 れ な い。
キ ー ツは この ワー ズワー スの 14行 詩 を読 んで ,感 動 し
good,
た。 共 鳴 した キー ツは「ヘ イ ドンに宛 てJ(`Addressed
the great/manis fanle,
/
and
there//、
Dwells here′
vith peo//― ple of//no
to Haydon')と 題す る ソ ネ ッ トを作詩す るのだ。 ア ロ ッ
nanle,
トの説明 に よる と,こ の作 品 の制作年 月 日は
A lov′
/―
ing― kind/‐ ness for/′
In noi/― some al′ /‐ ley,and/′ in path/― less、 v00d.
,
ヱ
ヘnd、vhere /、 ve think/1 the truth/1east un//―
Ⅵrrittcn March― early Nov,1861 before K.knew
Haydon intirnately… ・151
der‐
sto()d,
0貴 may /be found/′ a'sin/‐ gle― ness′ /of ailn'
That ought/to fright/‐ en in′ to hood//― ed shame
/‐
とい う よ うに定 かで な い。1816年 の 3月 か ら11月 の 初 め
A mon′
/¨
ey― Inon/― ger― ing,/pit-1/able
brood.
の制作 で あ る, とい うの は余 りに漠 然 しす ぎるので あ る
How glo/―
が , しか し,こ れ は,キ ー ツが′
いの 底 か らヘ イ ドン と交
′fast gen/¨ ius,toi1/― ing ga1/― lant― lyl
Of stead′ ―
際す る前 に,作 詩 され た14行 詩 で あ る こ とに注 目 した
′
What when′ ′a stout /un― bend′ ―
illg
い
// a、
.
このほか に も,歴 史画家 ヘ イ ドンに棒 げた ソ ネ ッ トが
2編 ある。(1)「 同 人物 [偉 大な人]に 宛 て」 (`Addressed to
the Same[・ Great Spirits']')と 題
いと
す る ソネ ッ ト 呵
,
(2)「 エルギン大理 石像群を見て書き記した ]編 のソネットを
ri―
ous)/this af/― fec― tion/for the//cause
chall1/― pi On
ves
En¨ vy/and
NIa1/ice to/their na r_tive sty?
Un― nun1//― bered souls,′
breathe out′ /a stil1 / ap¨
plause,
Proud to′ /be― hold′ /hinl in/his coun//―
try's eye.{19}
携えて,B.R.ヘ イドンにJ(`To B.R.Haydon,with a Sonnet
Written on Seeing the Eセ in Marbles')と 題す るソ ネ ッ
ご覧 の通 り,こ れ は14行 詩 であ る。 そ して ,各 行 はそれ
ト・ ¬で あ る。前 者 は,1816年 11月 19日 か ,20日 に作 詩
ぞ れ弱 強 調 5歩 律 で あ る。 問題 な の は,9行 日 と11行 日
され た ソ ネ ッ トであ る。 後者 は,翌 年 の1817年 3月 3日
の リズムで あ る。 両者 とも「字 あ ま り」 であ るか らだ。
以 前 に作詩 された 14行 詩 であ る
.
ロー ウェルが語 る ように,画 家 ヘ イ ドンの 視力 は非常
に衰 えて い た よ うであ る
.
「音 節縮読」 (Elision)と い う ルー ルを思 い 出そ う.こ
れ は,詩 行内 で ,あ る語 をそ の音節 の 数 どお りに読 む と
そ れが 余剰 青 節 ,つ ま り,1詩 行 の 規 定 を越 えた い わ ゆ
奥
田
る “
字 あ ま り"と なる ようなばあ い には,格 調 をひ き し
め る意 図 を もって,2音 節 を 1音 節 の よ うにかす か に原
喜八郎
返 され て い る の で ,PHU題 で な い の で あ るが ,“ gal… lant―
‐
ly"と の押韻 を ど う説 明す れ ば よいの か ,と い
ly"の “
音 を とどめ なが ら,縮 約 (contract)し て走 読 (slur)す
°とい 工 夫が試 み られ る, とい ルー ルであ る.2
るに
う
う
う疑 間 で あ る
種類 が あ る.(1)「 母音 融合」 (SyllaeresL)と
が あ る。 これは,別 に spelling rhymcと い われて い る
,(2)
.
脚 韻 には,「 視覚韻」 (Eye or Visualrhyme)と い うの
.
い
「子音 には さまれ る母音 の縮読」 (Syncope)で あ る。“
これ は,spellingは 同 じであ るま まに視覚 的 には rhyme
前者 の 「母音融 合」 とい うのは,隣 接 して い る 2個 の
母音 を 1個 の母音 の ように縮約 して , ときには また,二
のすが た を見せ て い る ようで も,発 音 をまった く異 にす
る場 合 であ る.曖 〕キ ー ツは ここに,こ の spelling rhyme
重母音 に転訛 させ て律読 す る,と い う もので あ る。 た と
を用 い て い るので あ る。これもまた,英 詩 においてしばしば
えば,上 記 の 問題 の 9行 日を見 る と,gloriOus[glJ‐
散 見するのであるが ,し かし,も ちろん good rhymeで は な
を
[gl)―
rios]と して
[卜
ri―
os]
o][io]と 二 重母 音の よ うに縮読
す る こ とで あ る。 つ ま り,3音 節 を 2音 節 の よ うにかす
い
.
この よ うに,文 学少年 キ ー ツが うた う「ヘ イ ドンに宛
か に原音 を とどめ なが ら,縮 約 して走読す る とい う工 夫
て」 と題す る,こ の 14行 詩 は完璧 な イタリア風 ソネ ッ ト
であ る。
で あ る。思 う に詩 人 キ ー ツは 前 半 の 8行 連 句 の 中 に
,
「高邁 な精神」 (Highmindedness)の 持 主である人 間ヘ イ
for′ /the cause
これ で ,9行 日の 字 あ ま りも解消 され て ,完 璧 な弱 強調
ドンを格 調 高くうたい上げるのである。そして,後 半 の 6行 連
`
句の中に,「 人の勇敢な,不 屈の闘士 」 (a stout unbend―
ing champion)と しての天才 画家 ヘ イ ドンを厳格 に うた
5歩 律 となる
い上 げ るの だ,こ の 2つ のテ ーマ がお互 い に呼 応 し合 っ
Ho、 v glo/‐ ious this/′ aifec/― tion
.
11行 日の字あま りの解決方法 は 9行 日のそれ と同 じで
て い るのが ,こ の 14行 詩 の特徴 で あ る.そ れで は,以 下
ある。た とえば,champion[t∫ am_pi― On]を [t卜 m_pian]
として [io]を [iO]と 二重母音 の ように縮読す ること
に じっ く 1)と 作 品 を精読 してみ るこ とに しよう。
がで きる.つ まり,こ れ も 3音 節 を 2音 節 の ように工夫
を こ ううた い起 こす のだ。 重 複す るが
まず ,詩 人キ ー ツは,は じめの 4行 連句 (Quatrain)
,
する ことであ る。
Highnlindedness,a iea10usy for good.
1lrhat、 vhen/a
a、
コ
ヘloving― kindness for the great l■ lanis fame,
stout /un― bend/―ing cham/― pion
D、 vells
ves
111■ oisonl
here and there、 vith people ofilo namel
alley,and in pathless、 vood.
これで ,11行 日の字 あ ま りも解決 されて,完 璧 な弱 強調
5歩 律 となる。 この ように,母 音融合 は英詩 にお い て し
と.Highmindednessと い う の は,形 容 詞 highminded
ば しば見受 け られ る工 夫 であ る
に,接 尾辞 nessを 添 え て「性 質」 を示 す 名詞 で あ る。
.
次 に,こ の 14行 詩 の 「脚韻 」 (Rhyme)を 調 べ てみ る
Highmindedと い うの は,「 高潔 な,気 高 い」 とか ,「 高
こ とに しよう。脚韻 とい うの は,詩 の 行 の終 わ りで ア ク
い理想 を持 った」 とい う意 味 を持 つ 形容詞 であ る。が し
セ ン トの あ る母音 以下 の音 を他 の 行 の終 わ りと同 じ音 の
か し,類 似語 の nobleや ,magnanimousな どと比 べ てみ
繰 り返 しにすることである。 別に,こ れを押 韻 ともいう。キーツ
る と,こ れ は「崇高 な主義 1主 張 を奉 じ,首 尾 一貫 して
の,こ の詩 の押 韻を見ると,“ gο οd/fame/name/wο θd
これ を堅持す る」 とい うイ メー ジを もつ 形容詞 で あ る。
保夫訳 をみ る と,こ れ を「高邁 な精神」と読む.曖 'こ
/un¨ der― st00d /af■ 1 /shaf12c / brο οd /caLISe /gal¨
lll口
lant-ly/a wes/st」 ″/ap― plause/eye"と なって い る。
れ は正 にヘ イ ドンそ の 人を形 容 す るに最 もふ さわ しい 名
つ ま り,キ ー ツ は,“ abbaabbacdcdcd"と オ
甲韻す る よう
“
に詩的工夫 を試 みてい るの だ。 この abba/abba′ /cdc
詞 で あ る。
/dcd"と い う押 韻構成 を持 つ ソ ネ ッ トは,イ タリア風 ソ
ネ ッ トとい う。8行 連 句 (Octave)と それ に続 く 6行 i墓
邁 な精神」 を.人 間 の ように見立 てて ,厳 粛 に呼 びか け
句 (Sestet)に 分 かれ る構 成様式 に 従 ってい るか らで あ
る。 こ れ を,別 に ペ トラ ル カ風 ソ ネ ッ ト (Petrarchan
や抽 象 的 な概 念 を,人 間 の姿 で表現 す る, とい う修辞法
sonnet)と い う。
と もに,Highlnilldedness,
問題 なの は,後 半 の 6行 連句 の押 韻 であ る.と くに
,
気 になるの は,“ ga卜 lant… ly/sty/eye"の 脚韻であ る。
``sty" と “
二重 │サ 青
員が i乗 り
eye" は と もに [ai]と い う三
思 うに文学少年 キ ー ツは ここに,抽 象名詞 であ る「高
て い るので あ る。 これ を擬 人化 とい う.こ の よ うに事物
の一 種 であ る。 た とえば,12行 日の Envyも l Maliceも
と同 様 に擬 人化 され て い る
のだ。 これ は英詩 にお い て よ く用 い られ る修辞 で あ る。
そ して,詩 人キ ー ツは,こ の 世 の 中 には,「 人 の もの
を欲 しが る人」 (a iedousy)も おれば,「 優 しく思 いや る
文学 少年 キー ツの 見た歴 史画家 ヘ イ ドン
人」(a10ving kindness)も い る。 と うた うのだ.後 者 は
「 (神 の )い つ く しみ ,慈 悲 ,慈 愛」 とい う意 味 を もつ
アロ ッ ト説 によると,こ れは,キ ーツが改 まった気持
ちで慎 重に,先 輩詩人 ワー ズワースの,あ の「ヘ イ ドン
文語 であ る。
ヘ」 とい う14行 詩 の, と くに,8行 日,す なわち
,
,
この .10villg kindnessと い う名詞 は1 イギ リスの 聖職
・…the、 vhole、vorld seellls adverse to desert… ・
者 で あ り,ま た聖 書 翻 訳 者 で もあ る カバ デー ル (MneS
Coverdale,1488-1568)の 造語 で あ る,と い うの も意味
に答 えた,4行 日を除 い た 3行 の世 界
深 い 限 りであ る
.
詩 人キ ー ツは,こ の ,聖 職 者 カバ デ ー ルの造語 を踏 ま
い で る とい
あ
う
,
つ ま り1詩 人 ワー ズワー スが うた う「一 般大衆す べ てが
え て ,「 あ な た の よ う な偉 人 の 名声J(the great manis
彼 の 荒涼 た る心 の 風景 に敵意 をい だ い て い る 喝しいJと
fame)を いつ く しむ`心 根 の 人 もい る,と 高 島か に うた い
い う「 一般大 衆すべ てJに 対 して,キ ー ツは この世 の 中
定 め るの だ。Theと い う定冠詞 に注 意 しよう.思 し=切 っ
には.う らや む人 もおれ ば.慈 しむ人 もい る,と 区別す
て ,「 あ なた の偉大 な名声」を とで も言 い換 えてみ るの も
るので あ る。そ して ,キ ー ツは「 に くむ人」 は即 ち「迷
面 白い 。
える羊」であ る, とうた うの だ と思 う.美 事 な表現 上 の
a iea10usy br goodと い う goOdと い うの は,「 善 , 美
徳 Jと か ,「 善良 さ」とい った意味 を もつ 名詞 で あ る。 こ
■は「悪」(evH)の 反対語 であ る。 た とえば,“ We
オ
技巧 で あ る
.
そ れ に して も,ヘ イ ドンの 画風 は,「 乾 い た不 毛 の 砂
know
地」 (desert)で あ る, とい う詩 人ワー ズワー スの「画家
good from e宙 l"(「 善悪 の 見境が つ く」)と い うふ うに使
ヘ イ ドン観」 は斬新 であ る。光 のみ ちみ ちた キ リ ス トを
わ れ る 名詞 goodで あ る.善 悪 を 意 識 しなが ら,詩 人
画 く伝統 的 な画風 とは,異 なるか らだ。
キ ー ツは「善 良 さをねたむ 人」 (a iealousyお r good)と
,
そ し て,詩 人 キ ー ツ が 規 定 す る whh people of no
うた うの も見事 で あ る。 こ れ らの 不定 冠 詞 に注 }]し た
nameと い う nameと い うの は,「 (… と して の )高 名
い。 数 え られ ない 名詞 を時 に提 人化 してみ た り,ま た時
名声」 という意 味 をもつ 名詞である。たとえば ,“ a person of
に具体的 に,ま た時 に一 般 的 に用 い て い るか らであ る。
llaine"(「 有名 な人」)と
,
か ,ま た ,“ a person of no namc"
)と い ったふ うに使 用 され る名詞 で あ る。
(「 無 名 の 人」
注意 しよう。
キ ー ツ は ここに も「有名」 と「無 名」 とを対比す るのだ。
この 「対」 は イギ リス文学 の特 徴 の 1つ であ る
高潔 の 人 よ、 善良 さをねたむ 人 も、
.
noisomeと い う の は,Tli‐ 語 で あ る。 こ れ は 中 英語 で
汝 の偉大 な名声 を慈 しむ心 根 の 人 も
,
noyに ,接 尾辞 someを 添 えた形容 詞 で あ る.中 英語 の
無名 の 人たち と共 にあち こ ち居住す る
,
悪臭 ただ よ う路 地 の 中 に も,道 な き森 の 中 に も
nOyと い うの は,annOyの 頭 音消失 した異 Л
′で あ る とい
い
の
で
.anlloyと
は
う
う
,annoyanceの 古語 , も と,後
.
と。Dwenと い う動 詞 は,liveの 文語 であ る.こ れ は
,
期 ラテ ン語 の inodね reか ら発達 した語 で あ る。「嫌悪 を
も と,古 英 語 で ,dwellanと いい ,「 迷 わせ る.さ 迷 う」と
起 こす Jと い う原義 を有す る とい う。annOyと い うの は
いう原 義 を有 するという。 人 間もまた「迷 える羊」 (a stray
類 似 語 と比 べ てみ る と、 他 人 を邪 魔 し,い らだ たせ た
sheep)で あ る,と い う彼 らの イ メー ジは好 ま しい。 こ
の 「迷 える羊 Jと い う「 イザヤ書」 の 第53章 第 6節 の神
り.怒 らせ た りす る,と い う イメー ジ を もつ よ うで あ
・
・に適 して い る,… しそ
る。 接尾辞 ―
someと い うの は,「・
人キー ツ は ここに「一 人 の ねた
うなJと い う意味 を もつ .「 嫌悪 を起 こす にi直 して い る路
の言葉 を踏 まえて ,セ
p詩
む人」 を明示す るのだ と思 う。 そ して ,詩 人キ ー ツは
,
,
地」 と,キ ー ツは うた うので はないか ,そ れ はす なわ ち
「マ タイに よる福青書」 の 第25章 第32節 の神 の言葉 「善
「悪 臭 のた だ よ う路 地」 で あ り,「 健 康 に悪 い路 地」 な
人 と悪 人 と を区 別 す る」 (separate the sheep± om the
goats,に 託 して,曜 `「善良 さをねたむ 人」 とうた い上 げ
ので あ る。 それ はつ ま り「貧 民窟」 を1月 示 す るの だ と思
るの だ と思 われ る.巧 妙 な手法 で あ る
う
.
貧民 の 多 く集 ま り住 む所 で も、ね たむ人 もお れば,慈
.
羊飼 い (shepherd)と 羊 (sheep)と の 関係 は.つ ま
しむ 人 もい る と,詩 人キ ー ツ は うた うのだ.そ して,ね
り,支 配者 と人民 ,牧 師 と教 会 の 信者 たち との 関係 を象
たむ 人は即 ち迷 える羊 であ る. とキ ー ツは うた うのか
徴す る.た とえば,21 stray sheepと い うのは,迷 える羊
そ れ と も,Jley catと い う と,俗 語 で、「売 春 婦」 とい
であ るが 1同 時 に,正 道 を踏 み はず した 人であ る とか
う意味 を もつ語 句 であ る。路 地 を うろつ く野 良猫 とい う
,
また.pastOrと い うの は,「 羊飼 いJと い う意味 か ら「牧
イメー ジをキ ー ッは明示す るのか。 微妙 である
.
.
師」 にな った ように,で あ る。 この よ うな関係 を下敷 に
して ,詩 人キ ー ツは ここに「ヘ イ ドン」 と「世 間 の人 々J
path― lessと
との 関係 を具 体的 に うた うの だ と思 う
容詞 であ る.pathと い うの は,類 似語 と比 べ てみ る と
.
キ ー ツは,さ らに,pathless w()()dと うた い 定 め る
い うの は,pathに ,接 尾辞 ‐
lessを 添 えた形
.
,
田
奥
人や動物 に踏みならされて 自然にで きた道 ,小 道 とい う
・の
・
lessは .名 詞 について,「・
イメージをもつ。接尾辞…
五とノ
ヽ良F
the desert a high、vay for Our God.
`
``
ないJ(without)と い う意味をもつ。つ まり,「 道 の ない
森」 と詩人キー ツは うた うの だ。
とい う神 の言葉 を,詩 人キー ツは暗唱す るか らであ る。
ア ロ ツ ト説 に よる と,イ ギ リスの ロマ ン派詩人 シェ
の 道」 (the way Ofthe Iノ ord)と い う道 もあれ ば,「 そ の
リー (Percy Bysshe Shelley,1792-1822)力 'こ とのほか
つた とえ
この,pathlessと い うこ とばを好 んだ とい う。曖
道筋」 (his paths)と い う道 もあ る.そ して ,「 われわれ
『妖精女エ マ ップ』(Queen Mab)の 破 の144ff日 に
ばゃ
もあ る
,
,
御 覧 の1亜 り,F聖 書』 に明記 されて い る「道 」 は,「 主
の 神 の た め の 大 路」 (a highway for our God)と い う道
.
神 の 言葉 を踏 まえて ,そ して ,先 輩詩 人シェ リーの好
2へ
みの こ とばに感動 して,詩 人キ ー ツは「道 な き森 J(path¨
h lne l a pathless、 vilderness remains 12S'
高 らか に うた うの だ と思 う。それ も,キ ー
less w()()d)と
とシェ リーが うたう。 また, シェリー は,「 アラス ター
:
ツは,人 の踏 んでで きた 自然 の 「道 の な い森」 と うた う
孤独 の魂」(`Alaster or The Spirit of Solitude')の 210行
の だ。 もちろん ,彼 はキ リス ト以 前 の ,大 古 の 「 森」 を
日に
イメー ジす るの だ と思 われ る。 床 しい 詩境 で あ る
w00dと い うの は1 通伊J,forestよ り」ヽさ く groveよ
.
.
Ill the、 vide pathless desert of dilll sleep 12い
り大 きい もの をい う。「森 J(w()()d)は .イ 皮らに とって
;
人間 の一 番最 初 の神殿 であ った とい う。 これ は イ ングラ
と うた うか らだ.前 者 は1813年 の 制 作 で あ り,後 者 は
ン ドに伝 わる
1816年 の作詩 で あ る こ とを思 い 併せ てみ る と,文 学 少年
ングランドの伝 説 的な英 雄 ロビン・フッド (Robin Hood)は
「道
キ ー ツは この先輩詩 人 シェ リーの「道 な き荒野」や。
「ユ リの花咲 く見事 な緑 の森」 で生 まれ た, と今 も語 り
な き砂漠」 な どの 話句 の影響 を うけて ,キ ー ツはここに
継 がれて い る。 今 も子 供 た ちに人気 の あ る英 雄 であ る
一説 によると, 本 名を Robert Fitz-Ooth
ロビン・フッドは, 一
「道 な き森」 と うた うの だろ う
,
とい う の は,シ ェ リー の うた う「道 な き荒 野」 の
ll俗 信仰 の
1つ で あ って,121性 紀 ご ろの イ
.
wildernessに 託 して,「 マ タイによる福音書」の 第 3章 第
と呼 │ゴ れ , イ ン グ ラ ン ド中 Jヒ 部 の 州 ノ ッテ ィ ン ガ ム
シ ャー (Nottinghamshire)の ロ ックス レ イ (Locksley)
3節 の
の 生 まれ で 1ハ ンテ ィン ドン (Robert Huntingdon)伯
爵 であ った とい う。 しか し,ゆ えあ って ,国 法 に触 れて
For this is he that Ⅵras spoken of by the prophet
無 法 者 と な り、そ の 後 シ ャ ー ウ ッ ドの 森 (Sherwood
Esaias, saying, The voice of one crying in the
Forest)に 本拠 を構 え1仲 間 (Merry Men)と ともに
wilderness,Prepare ye the、 vay of the Lord,make
義 賊 と な っ て 神 出 鬼 没 の 活 躍 を つ づ け た が ,ヨ ー ク
his paths straight.3
シャー (Yorkshire)の
,
^修 道女 の背 信 行為 のため に非 業
の死 を とげた,山 と語 り継 がれ る
.
とい う神 の 言 葉 が 明示 され て い る , と詩 人 キ ー ツは 読 む
Forestと い う「森」 は,彼 らに とって,「 無法者 の す
か らで あ る。 この 神 の 言 葉 は ,「 マ ル コ に よる 福 音 書 」の
みか」とい うイ メー ジを もつ .grOveと い う「小 さな森」
第
1章
第
3節
に も,“ The voice of one crying in the
wilderness,Prepare ye the way of the Lord,nlake his
paths straight 制
また ,シ
と明記 され る
小鬼 ,妖 精 の住 む場 所 J
.は ,「 ロ ビン・
とい う イメー ジを もつ 。woodと い う「森」
は,「 善良 な小魔 人 (brOwnie)。
フ ッ ドの誕生 の舞台」 とい う イメー ジを もち,重 複す る
.
ェ リー の うた う「 道 な き砂 漠 Jの desertに 託
が「人 間 の一 番最 初 の神殿」 であ る。 神殿 を植物 で飾 る
こ とが ,現 在 もなお 行 われて い る証 明 であろ う。
して,「 イザヤ書」の第35章 第 1節 の
,
人のi丘 寄 りが た い神秘 に して且 つ 厳粛 な,そ して神殿
The、 vilderness and the solitary place shall be glad
と して の森が うたわれ、本 は母 なる シ ンボ ルで あ る とい
for themi and the desert shall rejoice,and blossolll
う。 この よ うな神聖 な土 俗信仰 を踏 まえて ;詩 人キ ー ツ
as the rose.132
は,woodに
orestを 重 ねて,森 に住 む無法 者 ,す なわ
,I‐
ち.義 賊 としての ロビ ン・ ア ッ ドやそ の仲 間 た ち を想起
とい う神 の 言 葉 を ,詩 人 キ ー ツ は 想起 す るか らで あ る。
し,「 金持 ちか ら盗んだ金 品 を貧乏 人に分 け与 える」とい
同書 の 第40章 第 3節 の
う盗賊 の 中 に も, もち ろん.慈 しむ者 もおれば ,嫉 妬 す
,
る者 もい る,と うた うの だ と思 う。
The voice of hiln that crieth in the
、
vilderness,
Prepare ye the、 vay of the Lord,lllake straight in
「 きこ り」の こ とを英語 で .woodmanと い う。 これ は
,
彼 らに とって,「 漁 色者」 を表 わす よ うで あ る。 た とえ
lゴ
, シェー クスビア (Ⅵ rilliam Shakespeare,1564-1616)
の「
さげ る両家 ヘ イ ドンの 気骨 をたた えて い るの も,す ば ら
には尺 を』 (Measure ir Meastlre)の 第 4幕 第 3
しい 限 ηで あ る。
“
witll singleness Of purpose"と
'こ
場 の ルー シオ (Lucio)の 台詞 の 中 に
,
い う言 い なが あ る。 こ
れ は,「 一 `と 、
に,い ちず に,一 意 専心」 とい う意 味 を も
つ ,普 通 の フ レー ズで あ る.こ の purposeを 詩 人 ワー ズ
Friar,thou kno、 vest llot the dukc so、 vell as l doi
│
ワ ー ス が aimに 言 い か え て ,ま た 不 定 冠 詞 を用 い て
“
with a sillgleness(f aim"と う た う。 そ し て,詩 人
と い う の が こ れ で あ る。「 市
中父 さん ,あ な た 様 は公 爵 を
キー ツ は,そ の まま,a .singleness of aim'と して の 画
私 ほ どご 存 知 な い の で す 。 あ な た 様 が お 考 え に な る以 上
家 ヘ イ ドンの画家 と して の 気骨 を格調 高 くうた うのが、
詩 人キ ー ツの “みそ "で あ る。aimと い うの は,明 確 さ
he's a better woodnlan than thOti takest hiln fOr. │も
に ,あ の 方 は 女 に 目が な い 人 な の です .」
とい うふ う に
,
「次か ら次 と女を追い求 めて愛情 をもてあそぶ 人」即 ち
とね らい を強調す るの に対 して ,purposeと い うの は
「漁色者」 (=woodman)と 、「女 が報酬 を得 て 色を
「
売る人」即 ち「売春婦」 (=alley cat)と の対 が暗 的
結果 に重点 を置 き,」 mに 対 して ,達 成 の 決意 に重点 を
/1N‐
にうたわれているの も見落 とせ ない。それ も,「 貧民窟」
,
置 いた 目標 を示 す ,と い う類 似語 の 本
H違 に注 目した い。
1
イ
千Fl σ)、ve think the truth least understood とい う
と「神殿」 とい う対比 に託 されているの も.キ ーツ らし
い,キ ーツ好 みの一面が読み とれる.絶 妙 な歌 い振 りで
の は,「 真実 は理 解 されが た い と思 いが ちであ る」とい う
ある.面 白い
の 有 名 な詩 の一 節 ,“ Beauty L truth,truth beauty."(「 美
.
そ して,詩 人キーツはそれにつづ けて,次 の 4行 をこ
のだ ろ う。 ここにい う truthと い うの は,キ ー ツの ,あ
は真実 な り,真 実 は美 な り」)と い う1具 体化 された真 実
であ る。画家 ヘ イ ドンの ,あ の斬新 な絵 画美 はなか なか
ううたうのだ。
理解 されが た い , とキー ツ は うた うのだ と思 う
.
コ
ヘnd、 vhere、 ve think the truth least understood,
0貴 may be foLlnd a ・singleness of ainl'
「Fhat ought to frighten into hoodcd shame
もち ろ ん,wllereは 接 続 詞 で あ る。 これ は ,た とえ
ば,“ Where there s a will,thcrels a way,"(「 意志 の あ る
所 に道 あ り.J)と い う′ うに用 い られ る接続 詞 whereで
:、
あ る。 も う 1つ ,た と え ば,“ Where you lodge,I will
ュ
ヘ rl10ney― nlongering.pitiable brood.
lodge"(「 お 泊 ま りに な る所 に泊 ま ります 。」)と い う』、
Whereで あ る.前 者 は諺 であ る。
詩 人キ ー ツ は な に よ りもまず ,Lfi家 ヘ イ ドンの 「純 な る
哺
Ⅲ)を
高潔 心 」 (lL日 訳
高 らか に うた い 上 げ るの で あ る。
後 者 は「 ル ツ記」 の 第 1章 第 16節 の神 の 言葉 であ る.思
a'singleness()f ailll'と い うの は 1 ア ロ ッ ト説 に よる
うに詩 人キ ー ツは「真実 はなか なか理 解 されが た い と思
と,先
輩 詩 人 ワ ー ズ ワ ー スの 「 幸 運 な 占兵 の 気 骨 J
(lCharacter ofthe Happy Warriorl)の 40行 日の
,
うに使 われ る接 続 詞
う所 にJと うた うのだろ う。
そ して,詩 人キ ー ツは,そ れ につづ けて ,う た う 2行
日の Oft may bel‐ oulld a`singleness Of ailn'と い うの は
Keeps faithful with a sillgleness()f ailn: lJ'│
,
書 きか えてみ る と,We nlay often ind a`singleness Of
aim'と うた うの だ と思 う.こ れ は,恐 ら くは,「 一′
い不
ヽ
の影響 を うけた とい う。「一 ′
に忠誠 を守 りつづ ける」と
亡
うた う詩 人 ワー ズワー スの , イギ リ スの古兵 の 気骨即 ち
乱 の 人 を しば しば見 つ ける こ とが で きる」 とい うの だろ
う。 瞳1家 ヘ イ ドン も,そ の 中 の 1人 で あ る, と うた うの
イギ リスの騎士精神 に感動 した文学 少 年 キ ー ツは,芸 術
だ。そ して、 詩人キ ー ツ もまた,そ の 中 の 1人 であ る
にひたむ きな献 身 の画家 ヘ イ ドンをうた うのだ と思 う。
画 家 ヘ イ ドンの 芸術 に寄 せ る誠 ′
亡ヽ
誠 意 そ の もの は正 し
とほの めか して い るのか も知 れ な い,Oftは ,o貴 enの 詩
く,「 マ タイに よる福 計書」 の 第 6草 第22節 に明記 され
る
語 であ る.こ れ は,fl・ equentlyと 同義 であ るが .頻 度 を
表 す 主 な 副 詞 と 比 べ て み る と.oftenは usually
(norlllally/generally)よ
,
,
り低 く,sometimesよ り高 い
とい う。そ して,Oftenの 反意語 は,seldOmで あ る こ と
The light of the body is the eye:if thereforc thine
を思 う と,oftenの 頻 度 は判 るだ ろ う
.
eye be single,thy、 vhole body shall be fu1l oflight.I J8'
真実 は理 解 され 難 い と思 うどんな処 に も
とい う神 の 言 葉 通 りの 画 家 ヘ イ ドン を イ メー ジ しなが
国 ひた む きな仕事 師 に出 会 うこ とがで きる。
ら,詩 人キ ー ツは,た とえヘ イ ドンの 視力 はす っか り衰
、
の 日は明 る く.且 つ澄 んで い る」
えて い る と して も,「 ′
亡
と詩 人キー ツはお ごそか に うた い上 げ るの も感動深 い 。
ので,ヘ イ ドンの「全 身 も明 る く」,全 身全霊 を芸術 に さ
そ して ,詩 人キ ー ツはそれ につづ けて
,
田
奥
喜八郎
すか 女です か」 と,た ず ね られたそ の 人は, 自分の 足 の
That ought to frighten into hooded shame
前 を見 なが ら歩い て い るのであ る。思 うに,こ の ,エ リ
オ ッ トの 「頭 中」 の イ メー ジは,詩 人キ ー ツか ら影響 を
コ
ヘllloney llllongcring,pitiable brood.
とさらに規 定す る。 まず,l‐ ighten A into B.(「 Aを お ど
か して Bさ せ る.」 )と い う語法 に注意 しよう。 これは
l‐
うけた もので あ ろ うと思 う。
,
They frightened him into submission"(「 彼
た とえば, “
らは彼 をお どして屈服 させた。
」)と い うふ うに用い られ
る語法 である。つ ま り。キー ツは,「 Aを お どして恥辱
をかかせる」べ きである (ought to),と うた うのだ.こ
こにい うAと い うのは,も ちろん,4行 日を示す
A money― mongeringの mollgerと い うの は,通 例
真実 は理 解 され難 い と思 う どん な処で も
高利 貸 し屋 の ,卑 しむべ き輩 を脅 して
,
頭 巾 をか ぶ った恥辱 を思 い知 らせ るべ き
ふ たむ きな仕事 師 に 曖 出会 うこ とがで きる。
.
.
と詩 人キ ー ツは 2つ 日の 4行 の世 界 を高 らか に うた い上
複合語 で,通 例,軽 蔑的に「つ まらないこ とに熱 を上げ
る人」という意 味 をもつ 名 詞 である。たとえば,“ a gossip―
げ るの だ と思 う.イ ン グ ラ ン ドの ,ど ん な小 さ な町 に
monger"(「 人のうわ さをまき散 らす人」)と い うふ うに
もな くの さば るの は,今 も昔 も変 わ らな い,脅 して返済
を取 り立て るの も暴力 的 であ る.画 家 ヘ イ ドン もまた
使用 される語 で あ る。 ここにい う moncyと い うのは
「金銭的利益, もうけ」 とか,「 不正 な全 もうけJと い
う意味 をもつ語 である
“
Money makes
Time is money"(「 時 は 金 な り」 “
,
.
も,貪 欲 な高利貸 し屋 が 不正 の 金 もうけに恥 じ人る こ と
,
彼 らの威嚇 にお びえ,心 身 と もに疲 れ はてた一 人なので
あ る。
).“ Money
the mare(t("go."(「 地 獄 の 沙 汰 も金 次 第」
イギ リスの作 家 デ イケ ンズ (Charles Dickens,181270)は ,『 ク リスマ ス・ キ ャ ロル』 (.4 CLIslmas Carο l)
talks"(「 金が物 を言 う」)と い った諺 をよ く知 り.よ く
の 中 で ,好 きなの はお金だけで ,社 会 の 下層 に暮 らす 人
耳 にす る文学 少年 キ ー ツは,“ Money L the root of Jl
た ちの ,そ の ささやか な暮 ら しを圧迫 しよう とす る,け
evl."(「 金は諸悪 の根源」)と い う諺 を下敷に して,「 不
ちで 欲張 りの ス クルー ジ (Scrooge)に つ い て
)。
,
正な金 もうけに熱 を上げている」哀 れ なやか ら (pitiable
brood),と うたうのではないか。br()odと い うのは,通
Ohl btit he was a tight― isted hand at the
例。「軽蔑 または こっけい」 の意味を含んで,「 衆 ,や か
ら,連 中」とい う意味をもつ語 である.pidableと い うの
grasping,scraping.clutching,covetous,old sinneri
grindstone. Scroogel
a
squeezing,
、
vrenching,
は,往 々に して明確な軽蔑を伴 う哀れみ,同 情 の念を表
す語 である.思 い切 って,「 不正 な金 もうけに熱 を上げ
てい る,卑 しむべ き輩」 とで も読 みかえそうか。
詩 人キ ー ツは,hooded shame,と 定 め る.こ れは
「頭 中 をかぶせ られた恥辱」とい うのだろ う。「頭中をか
,
と語 る の を思 い 出 す .「 しぼ り と り,ね じ りと ,に
ぎった らはなす もの か とひっか き と り,ひ っつ かみ , と
│〕
ぶった恥辱」 とい うの は面 白い。 とい うのは,「 頭 中」
に か く金 と 名 が つ け ば ほ し くて た ま らな い わ る じ じ
い IJに 借金 の 返済 を脅迫 された画家 ヘ イ ドンで あ った
とい うのは,彼 らにとって,「 オ
青神的盲 日Jや ,「 限 られ
に相違 な い。
た視界」 をイメージするか らである.た とえば, イギリ
スの 詩人 であ り批 評家 で もあ るエ リオ ッ ト (Thomas
Stearns Eliot,1888-1965)の 『荒 地 』(Tfle T千「asle Land)
の
5の `What the Thunder said'の 中 で
shameと い うの は,類 似 語 と比 べ て み る と,下 劣 な
行為 や ,罪 悪 感 な どに よって起 こ るつ らく恥 ずか しい思
い を意 味 す る語 で あ る。そ して,詩 人 キ ー ツは,「 可 能
mayを 用 い る。 この助動 詞 mayの 基
本 イメー ジは「許可」 (perinission)で あ る.つ ま り,こ
性 」を示す助動詞
,
Who is the third、 vho wvalks al、vays beside yotl?
の 場 合 ,「 ∼ にお 会 いす る と推 測 して もか まわ な い」 と
ヽ
lrhen l count,there are only you and l together
い った程 度 であ る.canと い う助動詞 の あ らわす 「可能
But、 vhen 1look ahead up the、 vhite road
There is al、 vays another one、 valkillg beside you
性 」 と混 同 しない よ うに気 をつ け よ う。詩 人キ ー ツは大
体 50%ぐ らいの確 か さを明示 して い るの も,キ ー ツ らし
Gliding wraptin a bro、vn mantle,h00ded
い若想 であ る。 また ,lnayと い う助動 詞 と,oftenと い
l do■ ot kno、 v、 vhether a rnan()ra、 vonlan
――
But、vho is that on the other side of you? '卜
う副詞がお 互 い に呼 応す るの も,す ば らしい
以上 が前 半 8行 の世 界で あ る。 それ につづ けて .文 学
.
い
少年 キー ツは後半 6行 を こ ううた い お さめ るので あ る。
とい うふ うに歌 われるか らである。「茶色の マ ン トをま
とい,頭 巾 をかぶったその 3番 目の 人は誰ですか ?男 で
Ho、 v glorious this alection for the cause
文学 少年 キ ー ツの 見 た歴 史
l家 ヘ
イ ドン
mahceは .類 似語 と比 べ てみ る と,人 を苦 しめた り
Of steadfast genius,toiling gallantlyl
「hen
VvThat、 、
l■
,
人が苦 しんで い るの を見 た りして喜 ぶ 気持 ち を含 んだ悪
a stotit tlnbending chanlpiOn awes
意 を イ メー ジす る語 で あ る
Envy and NIalice to their native sty?
.
Eは 大文字 であ る,Mahce
の Mも 大文 字 で あ る。 これ は,両 者 と も擬 人化 され た
なには と もあれ ,Envyの
Unnumbered souls breathe out a still applause,
Proud to behold hinl in his country's eye.
もの で あ る。 だか ら。そ れ につづ けて ,theレ native sty
画 家 ヘ イ ド ン は ,ま ず ,「 雄 々 し く倦 まず に努 力 す る 不
ⅢⅢ)で る と
あ
うた い ,そ して
抜 17D才 能 あ る 人」 (出 口 訳
囃
」
「 淫 しい 闘 lL」 (出 口訳
)で あ る と うた い 収 め るの だ。
,
とい う theirは , もち ろ ん,こ の ,人 格 化 され た Envy
と Maliceと の両者 を指す ,theyの 所有格 であ る。
思 うに詩 人キ ー ツは
,
“
Genins is patience."(「 天分 とは忍 耐 で あ る。
」)と い
う諺 を踏 まえて,詩 人キ ー ツが 鬼才 (genius)ヘ イ ドン
の芸 術へ の 闘争心 を うた うのは新 しい。 それ も,芸 術 の
一 人の不屈 の 闘十 出現 で 羨望 と悪意が
自国 に提 散 の 念 を起 こ した らどうなるだ ろ う ?
み へ の 赤 裸 裸 な偏 愛 の 鬼 才 画 家 ヘ イ ドン をた た え る の
も,キ ー ツ らしい ,キ ー ツ独 自の「ヘ イ ドン観」であ る。
と雄 々 し くうた い上 げるので はあ る まいか .そ れ に して
しか も,詩 人キー ツは,無 法者 (ouJaw)と して の ロビ
も,styと い うのは.中 英 語 で ,stigと いい,「 豚小屋」
ン・ フ ッ ドに牛 えて ,鬼 才画家 ヘ イ ドンをうた い 定 め る
とい う原義 を有す る とい う。 豚小屋 は,普 通 ,pigstyと
の も,キ ー ツな らで はの「画家 ヘ イ ドン観」 であ る, と
い う.こ れ は,「 きたない場 所」
「売
「 い かが わ しい場所」
春宿」 とい う意味 を もつ 名詞 であ る。 つ ま り,詩 人キ ー
強調 した い
.
tdlと い うの は,雅 語 で .頌 似語 と比 べ てみ る と,「 骨
ツは,羨 望 や悪 意 のす む場 所 は ま さし く豚小屋 そ の もの
の折 れ るJま たは「不愉 `限 なfL事 」を意 味す る語 であ る。
思 うに詩 人キ ー ツは,ま ず
であ る, と うた うの で あ る。豚小屋が即 ち,羨 望 や悪意
,
な どのす む彼 るの生 国即 ち英 国そ の物 で あ る, と当時 の
英 国 の 有様 を見て,キ ー ツは悲 嘆 に くれ るのだ と思 う
『家 ヘ イ ドンに対す る嫉妬や羨望 ,敵 意 な
当時 の ,鬼 才山
どの 声 が 渦巻 く.英 国′〕様子 を見て,キ ー ツはキ ー ツな
,
雄 々し く精 を出す ,不 動 の 鬼才 ヘ イ ドンの
この芸 術へ の 偏愛 はなん と輝 か しい こ とか
!
りに,彼 らの不 当 を憤 り,嘆 くのだ と思 う.Jl時 の英 国
とうた うので はあ る まいか。Howに よる感嘆文 で あ る
社 会 の一面 を見 る感が 人であ る。
.
しか し,悲 嘆 と裏 腹 に詩 人 キ ー ツ は希 望 を い だ くの
次 の ,what whenと い うの は,ア ロ ッ ト説 に よる と
What happens whenで あ る と い う。日3筆 者 は こ れ を
だ。文学 少年 キ ー ツは最 後 の 2行 を こ ううた い1丈 め るの
Wllat Iと 同義 で あ る と読 みた い。 た とえば,“ what if I
であ る。重 複す るが
,
sllould fail again?"(「
また失敗 した らどうなるだろ う.」
,
)
とい うふ う に 用 い られ る,と 見 た い。 Wllat thoughで
もよい 。 こ1■ は What Iの 古 語 であ る。
Unntlmbered sotlls breathe out a still applause,
Proud to behold hirn in his coulltryls eye.
aweと い う動 詞 は,「 (人 に )畏 敬 の 念 を起 こ させ る」
とい う意 味 を もつ 他動 詞 であ る。「畏敬」とい うの は,尊
こ こ に い う soulと い うの は,文 語 で あ る.こ れ は, し
敬 と恐 れ の交 じった感情 で あ る。 た とえば,¨ We stand
ば しば,数 詞 を伴 って,親 しみ や 哀れ み な どを示 して
in awe Of God"(「 我 々は神 を畏敬 す る。」)と い ったふ う
「 人」 とか ,「 人間」 とい う意味 を もつ 名詞 で あ る.た
に,で あ る。 envyは , もと,ラ テ ン語 で ,invidiaと い
)+vidさ re(見 る )十 ïa(名 言
可
とい う原義 を 有す る。maliceは ,も と,ラ テ ン
tは ,「 in‐
う。 こ オ
語 尾 )」
(上 1に
,
とえば,“ a nation exceeding 200 millioll sols"(「 人口200
億以 上 の 国」)と いったふ うに,で あ る。 また ,修 飾語 を
伴 って ,“ a kind soul"(「 親切 な人」)と い うふ うに,で
語 で ,lnahtiaと い う。 これ は,「 malus(悪 い )+la(名
あ る。unnumberedと い うの もまた,文 語 で あ る。 詩 人
詞 語 尾 )」 と い う 原 義 を 有 す る.jealousyの 形 容 詞
jealousは , も と、 俗 ラテ ン語 で ,z01osusと い う。 これ
キ ー ツは詩的 に1「 無数 の 人 々」 と うた うのだろ う。
は,「 zdus(熱 意 )+うsus(=熱 意 の あ る→ ねたむ )」 と
賞讃 を ささげるJと うた うのだ。applouseと い うの は
い う原義 を有す る.こ の ように,そ れぞれ の語 原 の意味
文語 で ある。 名詞 applauseの 動詞 は,applaudと い う。
を踏 まえて み る と,よ く判 る.envyは 人 の 幸運 や能力
これ は1 もと,ラ テ ン語 で ,applaudereか ら発達 した語
な どを見 て あやか りたい と思 う気持 ちで あ り,iea10usy
で あ る.こ れ は,「 ap― (へ )十 plaudere(拍 手 す る)」
そ して ,詩 人キ ー ツは,「 無 数 の 人 々が小 声 で 静 か な
,
はそれが 自分 にな いの は不 当 だ と して相手 を 曽む 気持 で
とい う原義 を有 す る とい う.breathe outと い うの は
ある
「… をささや く」 とい う意味 を もつ 動詞 で あ る.た とえ
│`
.
,
田
奥
ば,“ breathe out a prayer"(「 小声 で析 りをささげる」)と
い うふ うに用 い られ るのだ。す ば ら しい詩境 で ある。
喜八郎
無数 の 人 々が ,人 日に晒 された彼 を見 る こ とを
誇 りに思 って静 か な賞讃 を捧 げ るのだ。
詩 人キ ー ツは,こ の stillに 託 して ,“ Still waters run
deep"(「 静 か な流 れ は底 が 深 い」)と い う諺 を明示 し
と,詩 人キ ー ツは うた い収 め るので はあ る まい か。
沈 黙 の 人 こそ思想が深 い ,と い う一 般 の イギ リ ス人 を イ
の イギ リ ス 人 を高 らか に うた い 上 げ る の は,絶 妙 で あ
,古 英語 で ,behaldanと いい,「 be_(強 意
+haldan(保 つ とい う原義 を有す る とい う.す なわ
ち,詩 人キ ー ツは,注 目す べ き鬼才画家 ヘ イ ドンを よ く
る
見 る,と うた うの だ と思 う。
,
メー ジす るの は見事 であ る.内 に情熱 を秘 めてい る一 般
.
さらに,詩 人キ ー ツは,こ こに「列 王紀 上 」 の 第19章
第 12節 の
beholdは
)
)」
proudは ,古 英語 で,prき tと い い ,「 横 柄 な」 とい う
意味 を もつ とい う.ま た ,別 に,proudは , も と,ラ テ
,
ン語 の pЮ desseか ら発達 した語 であ る とい う。 これ は
,
And atter the earthquake a ire:butthe LORD was
「価値 の あ る」 とい う原義 を有す る.こ の ように (1)
■ot
尊大 ,威 厳 ,意 気 ,満 足 ,侮 蔑 といっ た さまざまに受 け
in the fire:and al‐ ter the fire a still small voice.11
止 め られ る気位 高 い態 度 に出るの と,(2)十 分 に根拠 が
とい う神 の 言 葉 を明示 す るの だ と思 う。「 静 か な細 い 声
あ って 人 を納 得 させ る善 意 の 態 度 に つ い て い う。詩 人
が 聞 えた」 とい う,「 静 か に さ さや く神 の 声 」 を,「 静 か
キ ー ツ は、 どち らか とい うと,後 者 の 「無数 の 人 々の 善
な賞 讃」 に重 ね て い るの もす ば ら しい 限 りで あ る。
意 の態 度」を静 か に うた い上 げて い るのだ と強調 した い。
そ の 第 12節 の 前 の ,第 11節 は
以上 .「 ヘ イ ドンに宛 てJと 題す る この 14行 詩 を精読 味
,
読 し終 えた後。筆 者 の思 う こ と,感 じる ところは,こ れ
は,真 の詩 人キ ー ツヘ の「転換 期」 (turning point)の 作
And he said,Go forthi and stand tlpon the mount
before the LORD And,behold,the LORD passed
vind rent the
by, and a great and strOng 、
品 で あ る, とい うこ とであ る。 とい う訳 は,鬼 才画家 へ
mountains, and brake ill pieces the rocks. before
て ,は じめて ,古 代 ギ リシアの大理 石彫刻群 の崇高 な精
the LORDi butthe LORD was notin the windiand
神 にふ れ るこ とがで きたか らであ る。 これが ,キ ー ツ と
after the LORD、vas notin the earthquake: 45
古 代ギ リシア彫刻 との は じめて の 出合 い であ る。
11行 日に歌 われ る「 本
人の勇敢 に して不屈 の 闘士」 (a
イ ドンに よって ,文 学 少年 キ ー ツが芸術 の手解 きを うけ
とい う神 の言葉 が 明記 されるのだ。「 しか し主は風の中
stout unbending champion)と い うの は, もちろん ,鬼
にお られなかった」とか,そ して,「 地震 の中 にも主はお
られなか った」とか,さ れに,「 火の中に も主 はお られな
才画家 ヘ イ ドンそ の 人であ るこ とをす で に上 記 に指摘 し
かった」 とい う神 の言葉 を踏 まえて.詩 人キーツは「嫉
妬 (jealonsy)の 中に主はお られなかった」 とうた い
しか し, 日本 で はあ ま り知 られて い ない画家 ヘ イ ドン
であ る。 T^足 伸行 は,小 学館 発行 『世 界美術大 全集』 の
そ して,「 羨望 (ervy)の 中にも主 はお られなかった」
とうたい上げ,さ らに,「 悪意 (malice)の 中にも主 はお
第19巻 F新 古典 主義 と革 命期美術」 の 第 7章 「新古典 主
義 か らロマ ン主 義へ 」 の 中 で
られなか った」とうたい定 めてい るのだ と思 う.そ して
静かな賞
詩人キーツは,「 無数の 人 々が小言で ささげ る “
イギ リス に も新 占典 主 義様式 に よる壮大 な歴史画 を
讃 "(a still applause)の 中に主がお られる」 とうたうの
試 みた画家 が い た こ とも事実 であ る.古 典 的主義 に
だと思 う。 これが後半 6行 の重要 なテーマである。
よる大 作 を次 々に描 い たが 一 向 に売れず ,慢 性 的 な
beholdと いうのは,seeの 文語 である。himは , もち
屈
ろん,a stout unbending champion(「 一 人の勇敢 なイく
の闘士」)を 指す。無論 ,鬼 才画家ヘ イドンもまたその中
借金地獄 にあ え ぎ,そ の最終 的 な解決策 と して 自殺
い
を選 んだベ ンジ ャ ミン・ ロバ ー ト・ヘ イ ドン,可
,
たi邑 りであ る。
,
,
の一 人である。詩人キー ツ自身 もまた。その中の一 人で
ある とうた うのか も知れない.厄 介なの は,最 終行の後
半 の,in his country s eye,と い うフレーズである.出 口
訳 を見る と,彼 は「人前 で」 と読 む
“
in the public eye"(「 世間の注 目を引 くJ「 人前 で」
とい う成句があ る。 この成句 を踏 まえて,詩 人キーツは
,
)
in his country's eyc,と うた うのだろ う.筆 者 は これ を
「人目にllIさ れた」 とい う形容詞句 として読 みたい。
とい う程 度 の紹 介文 で あ る
.
アロ ッ ト説 に よる と
,
Benjamin Robert Haydon(1786-1846)had already
gained a reputation as a historical painter,■
otably
with `The Repose in Egypt' , 'Delltattls' and
`The」 udgment of Sololllon'.11「
文学 少年 キ ー ツの 見た歴 史 1可 家 ヘ イ ドン
とい うお、うに、歴 史画家 ヘ イ ドンは イ ングラ ン ドにお い
自殺 を とげ た 年 で もあ る 。
て ,す で に 名声 を得 て い た ので あ る.詩 人キ ー ツが 「ヘ
批 評 家 ラ ス キ ンが 当 時 の 名 声 高 き先 輩 画 家 ヘ イ ド ン を
イ ドンに宛 て」 とい うソ ネ ッ トを作詩 したの は,1816年
強 く意 識 して ,有 名 な 歴 史 画 家 ヘ イ ド ン を痛 烈 に 非 難 を
で あ るか ら,当 時 ,ヘ イ ドンは30歳 であ り,キ ー ツは21
加 え た , と思 わ れ る の は ,上 記 に す で に 紹 介 して お い た
``The inlltlence of Greek art,hO、 v dangerous." と い
う
歳であ る。
2人 の 出会 い は,の ち の真 の詩 人キ ー ツヘ の 変 り日 と
テ ー マ で あ る 。 ラ ス キ ン は こ う論 述 す る の だ 。
なる重要 な遭遇 であ る.つ ま り,ロ マ ン主 義詩 人キ ー ツ
Of Repose,and its exalting pOⅥ ア
er,l have already
の誕生 を意 味す るか らで あ る
,
重複す るが ,9歳 年 上 の 画家 ヘ イ ドンに よって ,芸 術
said enough for our present purpOse,though l have
の 手解 きを うけ,文 学 少年 キー ツ は真 の。 ロマ ン主 義 詩
not insistcd on the pcculiar 11lanifestation of it in
人キ ー ツ として 出発す る こ とをす で に上記 に述 べ てお い
the Christian ideal as opposed to the Pagan. But
た通 りであ る。
this,as、 vell as a1l other questions relating to the
しか し,そ れ に して も、 詩 人キ ー ツが うた う「ヘ イ ド
ンに宛 て」 の11行 }1の 「 ‐
人 の 闘士」 (a champion)と
particular devel()pment of the Greek nlind, is
foreign tO the immediate inquiry,、
い う歌 い方が気 になる。 高潔 な精神 の持 主 ヘ イ ドンが絵
shall here conclude,in the hope of resullling it in
vhich there女 )re I
画 にい どむ ,そ の ,彼 の凄 ま じい形 相 をすで に上 記 に論
detail after exanlining thc la、 vs of beauty in the
じてお い た通 りであ る。 た とえそれ は彼 の 視 力衰弱 に よ
inanirnate creation; al、 vays hO、 vever
る凄 ま じい形相 であ った と して も,画 布 にむか うヘ イ ド
fOr certain, that of、 vhatever kind or degree the
ンの 気迫 は まさにそ うで あ ったろ うと思 う。新古 典主 義
short conling may be, it is not possible but that
のため に 自己 のす べ て をか けて画布 に い どむ画家 ヘ イ ド
short cOllling should be visible in every Pagan
ンは確 か に 闘 十 にふ さわ しい 1家 で あ る,と 強 調 した
「
い
conception,
.
「新古典 主 義」 (NeoclassicLin)と い うのは,美 術 の世
、
vhen
set
beside
holding this
Christiani
and
believing,for nly o、 vn part,that thcre is not Only
del‐
iciency, but such difference ill killd as lllLlSt
界 で は,181珪 紀 中期 か ら19世 紀 中期 にか けて発達 した絵
make all Greek conception full of danger to the
画様式 であ る.こ れ は,古 代ギ リシア・ ローマ の 美術 作
student in proportion to his adnliration()f it: as I
品 に学 んだ 図像学 で あ り, また ,聖 職 階級 lll度 的主題 の
think has been fataHy seen in its eHect on the
把握 ,そ れ に厳密 な構 成 な どが特 色 であ る。
ltaliall schools, vv7hen its perllicious elemeni ttrst
イ ングラ ン ドの美 術 界 にお い て ,こ の新古 典主義運動
の発端 に火 をつ けた の は, ど うも,第 7代 エ ルギ ン伯 ブ
nlingled with their solenln purity,and recently in
its inlluence on the French historical painters;
ルー ス (ThOmas Bruce,1766-1841)で あ ったか も矢││れ
lleither can l from my present kno、 vledge fix upon
ない。という劃引ま,エ ルギン伯 が ,元 来 ,ア テネ (Athens)
an
のア クロポ リス I AcrOpolis)に 放置 されて い た大理 石彫
countenance any one elevated character of soul,Or
刻 を アテ ネか ら大英 博物館 (the British Museum)に 移
any single enthusiastic self abandoning affectiOn,
す手配 を し,実 際 に移 したか らであ る。 これ らは,ギ リ
much less any ζ
uch majesty of l‐ eeling as might
シアの 彫刻 家 フ イデ イア ス (Phidias,c500-432?BC.)の
lllark the features for supernatural. │`
ancient
statue
、
vhich
expresses
by the
十
指導 の ドで 作製 され た芸 術作 品揃 い であ る。
そ して ,こ のギ リシアの大理 石周′
刻 が大英博物館 に移
これ は 長 い 引 用 文 で あ るが ,お 許 しを願 い た い 。 とい う
され ,展 示 され ,公 開 の運 び とな り,文 学 少年 キー ツ も
訳 は ,こ こに ラ ス キ ンの 芸 術論 の 本 質 が 明 示 され るか ら
鬼才画家 ヘ イ ドンの お供 を して .実 際 に,こ の 「エ ルギ
で あ る。「 キ リス ト教 徒 の 芸術 と,異 教 徒 の 芸 術 とを 目
ンの 大 理 石 彫 刻群」 (the Elgin Marbles)を 見学 す るの
の 当 りに見比 べ て み る と,F■l者 の 相 違 が 一 目瞭 然 で あ
で あ るが , しか し,公 開す るに当たって,ひ と悶着 が起
き,両 家 ヘ イ ドンが立 ちあが り、 この 「ギ リシア彫亥JJ
る」 とい うの は意 義深 い 限 りであ る.キ リス ト教 国 イ ン
を擁 護 す る立 場 に立 っ て ,論 戦 に加 わ るのであ る
く受 け 人れ る こ とは,若 い学 徒 に とって ,「 危険が い っ
.
それか ら126年 の ちの ,1842年 に批 評 家 ジ ョン・ ラス
グラ ン ドが 異教徒 の 「古 代 ギ リシア大理石彫刻群 」 を悉
キ ンが あ の F近 代 の 出i家 たち第 一 巻』 を出版 し,こ れが
ぱ い であ る」 と強 く警告 す るのであ る。 そ して ,両 者 の
Its scope,how
優 劣 の 差 の 理 由 につ い て ,ラ スキ ンは “
ラ スキ ンの 出世 作 となる。 そ して ,ラ スキ ンは1846年 θ
)
linlitcd."と 題 して。それ につづ けて、 こ う論ず るのだ。
初夏 に 『近 代 の 画家 た ち第二 巻』 を書 き上 げ11可 年 に出
版す る.当 時 ,ラ スキ ンは27歳 であ り、 画家 ヘ イ ドンは
The Creek could 1lot conceive a spiriti lle cotlld do
124
田
奥
喜 八郎
nothing 、
vithout limbs: his God is a finite God,
ギ リシ ア 彫亥1は た だ 「 手 」 や ,「 腕 」 や ,「 足 の 芸 術 」
talking, pursuing, and going journeys: if at any
である, とい う見方 は,興 味深 い.思 うに これは、古語
の “
a limb of the devil[()r Satan]"(「 悪魔 の手先」「い
tirne he was touched with a true feeling of the
vas in the ield of
tlnseen po、 vers around hiln、 it 、
poised battle, for there is something in the near
co■ ling of the shado、
たず ら小僧」)と い う聞 きなれた ことばに裏打ちされた。
ラ スキ ンの芸術観 で あるの も,意 味深 い。それ 故 に
,
「ギ リシアの神 は限 りある神だ」 とラスキ ンは論戦 を交
v of death, sonlething in the
devoted fulfilment of lnortal duty,that reveals the
real God,though darkly:that pause on the ield of
Plataea was not one of vain superstition: the t、 vo
、
vhite figures that blazed along the Delphic plain,
わすである
.
26年 まえの,画 家ヘ イ ドンの論戦 の内容 もまた,一 方
の闘十 として,こ れで垣 間見 ることがで きるだろ う。
この辺 の事情 を踏 まえて,詩 人キーツはあえて,画 家
ヘ イ ドンを「一 人の闘士」 とうたい Lげ たのか も知れな
い。 とい うのは,championと い うのは,動 詞 で,「 (主 義
Ⅵア
hell the earthqtlake and the ire led the charge
from 01ympus.、 vere nlore than sunbeams on the
vith its lance light
battle dust: the sacred cloud, 、
and triumph singing,that went do、 vn to brood over
the masts of Salanlis,was lnore than mOrlling nlist
among the olives:and yet、 vhat、vere the Greekis
な ど)を 擁護す る」 とい う意味 をもつ か らである.こ れ
は,類 似語 と比べ てみると。「不当 に扱われて い る もの
を公然 と支援 して戦 う」とい う他動詞 であるか らである。
ア ロッ トが11行 日と12行 日の世界 について
thoughts of his God of Battle?No Spirit power was
in the vision:it、 vas a being of ciay strellgth and
ll-12
human passion, foul, fierce, and changefuli of
controversy over the Elgin NIarbles.`
ゴ
ゝ reference to Haydonis part in the
51
I DI
penetrable arms,and vuinrable flesh.… 。
と指摘 す る。 これ は ,上 記 の 事 情 を踏 まえた指 摘 で あ ろ
とい うのがこれである。 これ も長 いり1用 文である。是非
ともお許 しを得 たい。 とい う訳は,ラ スキ ンが両者 の芸
術 の優劣 の差 の理由を具体的 に明示す るか らである。取
り分けて,キ リス ト教国 イ ングラ ン ドの若 き学徒 にとっ
て,「 異教徒 の古代ギリシア周′
刻 は危険 を手 んでいる」と
い う主な理由 は,ま ず,す べ て とはい わないが,「 ギ リ
シア彫刻 は精神 を手 んで い ない」 と主張するのである。
これはラスキ ンの,ラ スキ ンらしい,独 自の芸術観 であ
うか と思 われ る。 興 味深 い ア ロ ッ トの 指摘 で あ る
それ に して も,非 常 に気掛 りな の は112行 日の sty
)で ある。 どうも,キ ーツは当時 の イギ リ
(「 ぶた小屋」
ス社会 の悪 の一 面 を暴露 して い る と思 われるか らであ
f
る。 シェー クスピアの『ハム レッ ト』 (H訂 」et prince ο
ハ
ムレッ
トが女王即 ち自
Denmal‐ Ar)の 第 3幕 第 4場 で、
分 の母親 にむか って
,
る。面白い.思 うにこれは,「 マ タイによる福音書」の 第
Halll.
26章 第41節 に、
In the rank sweat of an enseamed bed,
ItTay.
Ste、 v'd
ヽ
Vatch and pray,that ye enter llot into temptationi
.
but to live
in corrllption,honeying and lnaking love
Over the nast sty, 15=
the spirit indeed isヽ Ⅳilling,but the flesh is weak.150,
「ぶた小屋」
と攻撃 し,折 檻 す る台詞 で あ る。 ここにい う
と明記 され る神 の 言葉 に裏 打 ち され た ,ラ ス キ ンの 芸 術
は腐 敗 を イメー ジす るか らであ る。 それ も「母 と継 父の
観 で あ る の も,力 強 い 限 りで あ る。「心 が 熱 して い るが
情事 Jを イメー ジす る styで あ るか らだ
た とえ高潔 の 鬼才画家 ヘ イ ドンは荒涼 とした心 の風景
,
肉体が弱 い」とい う神 の 言葉 を踏 まえて,ラ スキ ンは「ギ
ヽ
が熱 してい ない」 といい, そ して, た
リシア彫刻には′
亡
だ「ギリシア彫刻 には内体が強 い」 と強調す るのだ と思
う。ラ スキ ンは,な に よりも,spirit,を 重要 Hす る批
評家 であ る。それ も,soul,の それではな く,「 肉体 を越
l・
えた次元 での活動力 としての精神」 を重要視する画家 ラ
スキ ンであ る。あるいは,ま た「元来肉体 を備えてい な
い存在」 としての,spirit,を 重要視す るラス キ ンで あ
.
の持 主で あ った として も,こ の ,ひ たむ きな歴 史画家 ヘ
イ ドンの崇 高 な芸術 に対 して ,「 ぶ た小 屋」に身 を置 く君
た ちが とか く悪意 をい だ き,羨 望 し.罵 倒 の砲弾 を浴 せ
けるの は言語 道 断 で あ る。 と文学 少年 キー ツはい き り
推卜
た ち,慣 慨 す るの もまた, まるで ハ ム レッ トの如 きであ
る。 ハ ム レッ トの 「母 親不信」 か ら,詩 人キ ー ツが 「女
性 蔑視」 へ と傾 倒 しなければ よい, と筆者 はただ願 うば
る,と 筆者 は思 う。この,spi五 tの 子 まない「ギ リシア彫
刻」 を徹底的に非難 し,ラ スキンはヘ イドンを個 人攻撃
か りであ る
す るのである。
らの 自国を「ぶた小屋」だ, と詩人キーツが罵るのをFT7
.
しか し,た とえ羨望 と悪 意 をいだ く輩 にむか って ,彼
125
い た イギ リ スの 人衆 は ど う思 うだろ うか 。 豚小屋 の よ う
や ,Envyや ,Maliceな どの よ うに,時 には,擬 人化 さ
に,汚 い 国 イ ング ラ ン ド, と彼 らは読 まな いだろ うか。
れ るか らで あ る.さ らに,時 に は,goodの よ うに一 般
styと い う,こ の一 語 が の ち の ロマ ン 11義 を代表す る詩
的で漠然 とした意 味 で用 い られ るか らであ る。
後 日,稿 をあ らためて,ほ か の 2編 を,つ ま り,上 記
人キ ー ツに災難 を もた らす 原因 とな らなければ よいの だ
にす で に紹 介 してお い た,(1)「 国人物 [偉 大 な人]に
が・…
.
これ は詩 人キー ツの不 用意 の一 語 styで あ る と思 わな
宛 て」(`Addressed to the Sallle[・ Great Spirits']')と
いが ,し か し,危 惧 の 合 は禁 じえな い。
最 後 に,詩 人キ ー ツが 全 身 全霊 をか たむけて ,鬼 才画
家 「ヘ イ ドンに宛 て」 とい うソネ ッ トを回ず さんで み よ
with a Sonnet Ⅵけitten on Seeing the Elgin
う.す ば ら しい 14行 詩 であ る。 キ ー ツは こ う歌 い あげ る
精読味読 してみ た い, と愚 考 して い る次 第 であ る。
の で はあ る まい か
,
(2)「 エ ルギ ン た理 Fl‐ 彫刻 群 を見て書 き記 した 1編 の ソ
ネ ッ トを携 え て ,B.R.ヘ イ ド ン に」 (`To B,R.Haydoll,
ⅣIarbles')を
そ の昔 ,筆 者 もまた ,恩 師島 田謹 二 先 生 を団長 に,仲
.
間 と一 緒 に人英 博物館 所蔵 の ,パ ルテ ノンの彫刻 群 を含
む.古 代ギ リシア大理 石彫刻 を見学 した こ とがあ る。そ
高潔 の精神 よ,羊 良 さをねたむ人 も
1
して,南 下 して ,ア テ ネを訪ず れ ,パ ルテ ノン神殿やそ
汝 の 偉大 な 名声 を慈 しむ心根 の 人 も
,
の他 の遺跡 の あ る,高 丘城 砦 ア クロポ リ スを1誤 師 と一 緒
無 名の 人た ち と共 にあち こ ち居住 す る
,
悪 臭 ただ よう路地 の 中や ,道 な き森 の 中 に も
に散 策 した こ とが 昨 日の よ うに想起 され る.懐 か しい 限
真 実 は理 解 され難 い と思 う如何 なる処 で も、
高利 貸 し屋 の ,41し むべ き輩 を脅 して
い もの だ。
.
りであ るの を潮 に,上 記 の 2編 を是非 と も味読 してみた
頭 中 を被 った恥辱 を思 い匈1応 せ るべ き
ILTJ文
の作成 にあた って次 の事 典 ・辞書 ,テ キ ス ト,そ
真 向 きな芸術家 に 目出会 う こ とが で きる
れ に聖 苦 な どを参考 に した。 それぞれ付 記 しなか った も
雄 々 し く精 を出す ,不 動 の 鬼才 ヘ イ ドンの
この芸 術へ の偏愛 はなん と輝 か しい こ とか
の もあ るので ,お 断
.
してお きた い
l〕
.
│
* Silibata Tetstlshi.The New Anchor EIlノ
一 人の不屈 の 間士 出現 で羨望 と悪 意が
iSfl.bpallesP
Dfrど follc■ III
TOkyol Cakken,1988.
* Kihara Kellzoll.The Celltllry E1lJiSfl」 〔
ion‐
lpallcsc Dfε ど
自国 に異敬 の 念 を起 こ した らどうなるだろ う ?
無数 の 人 々が ,人 目にllWさ れた彼 を見る こ とを
■1■ ‐
.′ hird Editio■ .Tokyo:Sanseido.1996
「
* Konishi Tonloshichi,Yastli LIinortl,Itlnihiro Tetsul・ a,and
,
誇 りに思 って静 か な賞讃 を捧 げる だろ う。
Horitlchi Katsuaki.Shogakukan Random Hoし lse Engゴ isfl―
llary
.rapallesc I)」 ごゴθ
と、心 して日遊み i二 してみ る と, もち ろん。詩 人キー ツ
もまた,無 数 の 人 々の 中 の一 人であ って ,静 か な賞讃 を
*
ささげるので あ る。 この,静 か な賞讃 こそが ,キ ー ツ 島
しい 。 キ ー ツ好 みの ,独 自の詩境 なので あ る。 これ は ま
さ しく,重 複す るが ,「 列王紀上」の 第 19章 第12節 の「静
,
慈悲深 い 神 もい る」, と詩 人キ ー ツ は うた う。 キ リス ト
教 とい う厚 いベー ルをす こ し剥がす と,そ こには イ ング
ラ ン ドに語 り継 がれた。 彼 らの土 俗信仰が 今 も昔 も息衝
して い るの だ と思 う。 木樹 信仰 は まさにそれであ る。 森
もまた ,彼 らに とって,神 殿 で あ る, とい う信仰 も然 り
だ。 イ ン グ ラ ン ドの 俗語 と して ,w00dは ,「 説 教 壇」
(pulpit),と い う意 味 を もつ 語 で あ った ,と い うの も
Saito Takeshi,1ヾ
ishika、 va lllasalni, and IIirai 1/1nsao. The
Kenkyuslla Dゴ flil〕 nari′ θ∫EIIJfsh and inlrilcall Lflera‐
ど
こ c Third Edition Tokyo:KenkyLlSha Lilllited,1985.
Konishi Tonloshichi Shogakukan Progressive Ellgfish―
11‐
*
.ル ipι !ズ
か な細 い神 の 声」 を イメー ジ して い るの も絶 妙 で あ る。
4行 日の 「道 な き森 の 中 に も,嫉 妬深 い神 もお れば
Second Edition Tokyo i Shogaktl―
kan,1994
lesc Dicifoflal■ ■ Second
Edition Tokyo : Shog21ku―
kall.1987.
* Kollislli T()inoshichi Taisllukan s Frcsll(〕 cllills EIl[ゴ iSil‐
」
οI]a■ ‐Second Edition Tokyo :Taishukall,
Japaflese Dfε ι
1996.
*
∬ofl―
Bゴ bic.Tol【
yo:」 apan Bible Society,1956.
* The‖ o15r13ibfr.('0月
1■
I_ondoll:Collinsi Clear―
*
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′Tesininents
Type Press
だθflι fry()fSynlbθ ls
arld IIコ
Hollalld Pllblislling Compally,197′
ご
igerv Iン ondon
1.
<注 >
そ うであ る.た とえば1“ look over the wood"(「 説教 を
(1)λ liriam A1lot, IVlθ εθlnp」 θょ
θPο enls of Jο flll Keats,Sixth
す る」)と い うふ うに使 われて い た , とい うの もまた。か
impression(New York:Lollgman,1986),pp 3-5.
(2)Al10t,p3.
つ ての神殿 の 名残 りを伝 えて い る ようで .意 味深 い。
厄介 なの は1抽 象 名詞 であ る.数 える こ とので きな い
名詞 が , 時 に は, た とえ ば, a iea10usyと か。a10宙 ng
kindnessと か、そ して,a singlenessな どの ように,普
通 名詞 として使 用されるからである。また,Highmindedness
(3}ゴ `
11lot.p3
(4)A1lot,p9
(5)A110t,p.11.
(6)Al10t.pp.102-103.
(7)Allot.p6(;
126
(8
奥
田
);\rny Loin'ell .[ohn Keats (Boston and Nern' York
FToughton
:
喜八郎
」ca ls, vol.I(TOl【 yo i llakuosha,1982),p 120.
t‐
124)Tfle」 り 1,・ Bfbre,p 660.
\,lifflin Companl,, 1929), p. 191.
(〕
( 9 )l,owcll, p. 193.
(25)The∬ fI Bfbfe,p30
(10)Lowcll, p.
(26)ゴ ヽ
llot,p 66
rり
193.
(l1)Ian Robert James Jack, 'The Painter:Benjamin Robert
Ilaydon' in .Keats and the Xlirror of Art (Oxford : the
Clarendotr Press, 1967). pp. 'J3-,15
(12)Lowcll, p.
f‐
(l3)Errrest
Rh-"-s, ed. r\fodern Pairrrel's by John Ruskin in 5
Volumes, volume 2. Evelyman s Library (I.ondon : J. N,{.
Yolk:
E. P. Dutton
66.
(28)Thon121s HutchillsOn,cd.Tfle C(り nュ pfθ le Poθ だごal libr■ 5 oI
ヽ
Pビ 〔 BJbsカ ビ5Jl(ヽ ffcl'(L〔 )1ldon i Oxftlrd University Press,
「
1935),p
789
193.
Der.rt& Co.. Ner.v
(27)ュ ヘllot,p
& Co.), p. 369.
129)Hlltchinson 1935,p.29,
(30)rfle rcPら ,3ibfci p,4
(31)T力 c rrtply Bfbfe,p36
(14)To B. R. Haydrin
I{igh is our callir.rg, Friendl-Cleative Art
(\\ihclher the instrument of wolds she use.
Ol pencil oregnant with ethereal hrLes,)
Demands the service of a mind and heart.
Though sensitive, I'et, in their rveakest part,
(32)Tllc IItDfy 13fbfe,p644.
{33)rfle ff(,fy Bfble,p.6.18.
(34)Saito,p 1132.
(35)ヽ ヽ .Craig, cd. SflaA‐
r.」
(37)Allot,p.66.
Still to be strenuous fol the bright reward,
And in the sor-1l adrnit of no deca5r.
Brook no continuance of weak-mindeduess-(lreat is the glory, for the strifs is hardl
(from Tle Poetical tr4rorks of I4rordsii,'orfh, ed. Thomas
Hutchinson (London : Oxford LIniversitir Press. 1961), p,
(40}Elea110「
(41'Degllchi,p.121
142}Deguchi,p.121
207.1
(45)Tlle Hο Jy Bfbre,p358.
(38)Tllc II(〕
lbrsピ ]25θ -195θ
(I´
ni、・
ersity
(Tokyo
:
57.
(23)Yasuo Deguchi, trans. The Complete Poerns of John
c‐ fliゴ stlllas
Boo■ s
Press,1970),p 8
(43)ゴ ヽ
1lot,p 67
(44)γ Vlθ Holy Bfbre, p.358.
Sensoku, 'from Neoclassicislll tO Romanticisnl'
Histo4‐ θf IIIb」 d Al・ l,vol.19(Tokyo i Shogaktlkan,
66
(48)Rhys,pp 369-370.
Chukyo Shuppan, 1{)Bl), pp. 56 (21)Yoshitake, p. 57.
(22)Yoshitake, p. 42.
ft‐
(Londol1 0xford University Press,
1993),p.222
p;11'p111ite .Engl.sll Poem.s
OIぬ rd Bθ ο θf EllgffsA
Fatteon, ed.Ch』 」
」es Dゴ cた θ1lsi
OndOn i oxford l」
in iFell・
ti7.
Michio Yoshitake, -Afi.
le A「 θlv
1972),p.887
(/17)ノ 111()t,p
-
(London:
Jy Bfbfe,p8
(39)Helell Cardner.ed T」
(18) Lowell, p. 191.
l9) Allot. pp. 66
llγ ο
r■ s
(36)Deguchi,p.120
(46)]ゞ Iobuyuki
(20)
(〕
Heroically fashioned-to infuse
Faith in the lvhispers of the Lonely \4usc,
While the whole world seelns adverse to dcsert.
And, ohl when Nature sinks, as oft she may,
Througir long-lived presslrre of obscure distress,
(15)Allot, p. 66.
(16)Allot, pp. 67 - t-i9.
(17) Allot, pp. 105 - 106.
(
cspcare r ご 11lplete
Oxford lTlliversity Press,1965).p.92.
(49)Rllys,p 370
(50)7` 1lc Hθ fy BfЫ e,p.32.
(51)A1lot,p 67
(52)Craig,p.893.
丈学 少年 キ ー ツの 見た歴 史画家 ヘ イ ドン
127
The Literary Youth Keats's Views on the
Romantic Painter Havdon
Kihachiro OKIJDA
l,lil'ersity of Educatiort,
(Departntent of Englislt and Anerican Literature, A'ara
-N'ara 630-8526,
Japan)
(Received Anril 3. 2001)
This paper states Haydon's great infltreuce on Keats s interest in art itself.
- 1821)w:rs :r tsritish poet considered among the greatest in English. His works, melodic and rich
in classical imagcry, include "Addressed to Haydon," "Addressed to the Same [Great Spiritsl ," and "To B.R.Haydon,
John Keats (1795
rvith a Sonnet \Vritten on Seeing the Elgin Marbles."
ilenjamin Robert Haydon (1786*1846) was an English romantic painter and art critic. His studies began at the
Royal Academy in 1807. His works, characterized b1'order and symmetry and simplicity of style, include "Judgment
of Solomon," "Christ's Entry into Jerusalem," and "AgrinS' in the [iarden."
This paper explains the Petrarchan sonnet that Keats uses, which is a sonnet containing an octave with the rhyme
a sestet of the rhyn-re pattcrn cdc,dcd. In this paper the author examines the exquisite contrast
jealousy
between a
and a loving-kindness in the octave of the sonnet titled "Addressed to Ilaydon."
pattern abba/abba and
This paper investigates"Unuumbered souls breathe out a still applause, Proud to behold hirn in his country's e.ve"
iri the sestet of the sonnet titled "Addressed to Haydon, on the basis of "The First tsook of the Kings" in the Ho15,
Bible: 'And after the earthquake a fire: but the LORD was not in the fire: and after a still snrall voice (19:12)
Key Words:
a jealousy. a loving-kindness, a
still applause
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