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ハノイはベトナ

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ハノイはベトナ
ハノイ日本人学校に赴任して~小学部と中学部を兼任する初めての経験~
ハノイ日本人学校(尼崎市立武庫東中学校) 松下 千里
1
ベトナム ハノイ市の概観
関西国際空港から、南東へ飛行機で約5時間。ベトナム社会主義共
和国の首都であるハノイ市は、同国南部のホーチミン市に次ぐベトナ
ム第二の都市である。ホーチミン市がベトナム経済の中心地であ
るとすれば、ハノイはベトナムの政治・文化の中心地と言われ
ることが多い。
ベトナムの面積は、日本の約9割。南北に長い国であること
も、日本との大きな共通点である。ベトナムは、中国、ラオス、
カンボジアの3国と国境を接しており、東側は南シナ海に面し
ている。ベトナム北部に位置するハノイ市には、一応の四季があり、5月から11月の長い夏
の間には、体感温度が40度を超える日も多くある。1月~3月は、冬。とは言っても、気温
は15度前後と過ごしやすい。気温が10度を下回ると、ベトナムの小学校は休校になるとい
う嘘のような本当の話もある。
市内のいたる所に見られる路上の市場では、生きた鶏や南国のフルーツ、米から作られた麺
などが所せましと売られている。そして、路上のカフェでは、ビンザンイスと呼ばれるプラス
チック製の小さな椅子に座った男女が、のんびりとベトナムコーヒーを飲みながら談笑してい
る。街中はバイクであふれ、排気ガスとクラクションに溢れたせわしなさを感じる一方、人々
はいたってのんびりと生活している不思議な国である。
そんなベトナムは、今まさに経済発展の真っ只中にある国であると言える。赴任当日は、薄
暗い空港に到着し、砂埃の舞い上がる狭い道路を1時間近く走って市街地に到着した。しかし
帰国する日は、新しく作られた片側三車線の巨大な橋を渡り、約30分でガラス張りの新国際
空港に到着した。これらの新空港や橋、道路は日本からの支援により整備されたものであり、
海外の地で日本の最新技術が活用され、日本がベトナムの社会・経済発展を促進していること
を実感した。ベトナムの人々の日本及び日本人への信頼、友好の情は、こうした支援に対する
感謝の表れであり、今後もこうした日本とベトナムの友好関係が維持されることを強く期待し
ている。
2
ハノイ日本人学校の概要
ハノイ日本人学校は、ハノイの市街地から車で30分ほど西に向か
った新しい開発地区にある。平成27年4月は、小学部16クラス、
中学部4クラス、全校児童生徒数371名でのスタートとなった。小
学部も中学部も1クラス20人前後の児童生徒数で編成されており、
日本人教員数は、27名であった。
この年は、ちょうど創立20周年とも重なり、児童生徒数増加にと
もなって新校舎も設立された。各教室にはスライド式の黒板とホワイ
トボードがあり、天井にはプロジェクターが設置されるなど、日本国
ハノイ日本人学校校舎
内の学校とは比べ物にならないほど設備環境が整っていた。また、運動場は広い芝生になっており、3
コースあるタータンでは陸上の練習をすることができた。
3
特色ある教育実践
ハノイ日本人学校は、「やさしく かしこく たくましく」の校訓のもと、国際感覚豊かな児童生徒
の育成をめざして教育活動に取り組んでいる。小学部では、1年を通して、「なかよしタイム」と呼ば
れるたてわり活動があり、月に1度、6年生をリーダーとする学年を超えたグループ遊びがある。また、
教員が行う読み聞かせなどの活動も毎月活発に行われている。朝は、「ハノイタイム」という学習時間
が設けられており、児童生徒らは自分のレベルに合った漢検や数検の学習に取り組み、年に2回ある受
検に向けて学習をする。
日々の授業では、外国語教育にも力を入れており、小学部では週2時間、中学部では週1時間の外国
人講師による英会話の授業がある。また、ベトナムに住んでいるからこそ学べるものを大切にしてほし
いという願いのもと、小学部ではベトナム人講師によるベトナム語の授業も週1時間行われている。そ
うして学習したベトナム語を実際に使う場として、現地校との交流会(学年ごとに年2回)や、学校の
現地スタッフと交流する「シンチャオパーティー」などが生徒主体で実施される。
6月にある修学旅行では、小学部はホーチミンを訪れ、ホーチミン
日本人学校の児童らとの交流を行なったり、ベトナム戦争について学
んだりする。一方、中学部は、ベトナムの中部にあるダナン・フエ・
ホイアンを訪れ、世界遺産のミーソン遺跡を見学したり、ランタン作
りをしたりして、北部とは異なるベトナムの歴史や文化に触れる。9
月の「スクールフェスティバル」は、学年劇や合唱を発表する一年で
最も大きな学校行事の一つである。毎年、児童生徒と職員が一丸とな
って取り組み、たくさんの保護者の方々が参観に来られる。10月は、
教室での様子
運動会。まだまだ暑い中、リレーや学年競技、組体操や「よさこいソーラン」などが披露される。特に、
全校生徒が赤組と白組に別れて独自の歌や踊りを披露する応援合戦は、応援団長を中心に何度も練習を
重ねる力の入った演目である。秋になると、小学部では工場見学や遠足などが実施され、自動車工場や
鉛筆工場など、それぞれの学年の学習内容に合った見学を行う。日本人学校ではよくあることだが、そ
の企業に勤めるクラスの児童の保護者が案内・説明をしてくださったりして、キャリア教育にもつなが
る学習が行える。1月から2月には、旧正月を祝う「テト」がある。ベトナムの人々にとっては、1年
で最も大切な年中行事で、日本のお正月と似ているようで少し違う様々な風習が見られる。日本人学校
では、「テトカーニバル」を実施し、テトの風習について学んだり、ライオンダンスを見たりして、異
文化を体感する。
このように、ハノイ日本人学校では、ベトナムでの生活が児童生徒らにとって少しでもプラスになる
ように、地域や保護者の方々と共に試行錯誤を繰り返しながら日々の教育活動に取り組んでいる。
4
成果
ハノイ日本人学校での勤務を通して、感じたこと、得られたものは数限りな
い。児童生徒との素晴らしい出会い。日本中から来られた素敵な先生方と同僚
として過ごせた時間。お世話になった大使館や企業の方々から学んだことも本
当に多くあった。
その中でも、一中学校教員として得られた貴重な経験がある。それは、初め
ての小学校担任である。赴任1年目は6年生を担任し、翌年は5年生を担任し
ながら、中学部1年生の英語の授業も担当させていただいた。赴任当初は、正
直なところ、専門である英語を教える機会がないことを残念に思うことも多く
あった。また、慣れない小学校の教科指導に毎日大変な苦労を味わった。
しかし、小学校でのきめ細やかな学習指導や生活指導を経験し、中学校に入
学してくる以前の児童の学習内容や成長過程を身をもって知ることができたの 修学旅行(ホーチミンにて)
は、本当に貴重な経験であった。特に、自身が担任していた児童が中学部に入学し、彼らの中学生とし
ての成長の様子を見るにつけて、小学校での指導の大切さやそれを生かした中学校での指導の在り方を
考えさせられた。このような経験は、小学部と中学部が併設された日本人学校だからこそできたもので
あったと思う。
ハノイ日本人学校での日々は、毎日が初めてづくしで、目の回るような忙しさであった。しかし、そ
こから得られたものは、何にも代えがたい人生の宝物となった。終わってみると本当に短い期間であっ
たようにも感じられるが、1日1日が大変内容の濃い充実した毎日であった。そこでの教員生活は、ま
るで児童生徒らの中に、将来きっと世界のどこかで大きく花開くであろう種を蒔くような日々であった。
同時に、私自身の心の中にも、子どもたちによって新しい花の種が植えられたような、そんな気がして
いる。
ロンドン日本人学校に赴任して
たつの市立小宅小学校
森田 郁子
1 英国の概観
The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
公式日本語名称:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
通称:イギリスまたは英国
英国はイングランド,ウエールズ,スコットランド,北アイルランド4国からなる
連合王国。イングランドとは,本土の中の England のみを意味し,Great Britain(GB)
は,北アイルランドを除く3か国を,The UK で英国全土を示す。
人口: 6,410 万 (2013)・・・日本の約1/2
首都: ロンドン
面積: 24.36 万 km² (9.406 万 平方マイル)・・・日本の66%
公用語: 英語(ウエールズでウエールズ語,スコットランド,北アイルランドの一部でゲー
ル語が使われている)
2
ロンドン日本人学校の概要
本校の前身は,昭和40年9月に発足した日本クラブ主催の『日本語会』で,児童生徒20名,教師
4名によりNotting Hill GateのConvent of Our Lady of Sionを教場に始められた。その後,児童生徒
の増加に伴い,昭和49年には政府派遣教員1名が配置された。ロンドン日本人社会の熱望により,翌
昭和50年5月には,日本クラブで日本人学校(全日制校)設置決議が行われた。昭和51年4月初代
田中勝哉校長着任,開校準備を開始する。6月18日英国政府より学校法人として設置を許可され,英
国の私立学校のステイタスを獲得する(本校創立記念日として制定)。10月,日本クラブ(小学部)
と日本大使館広報センター(中学部)を仮校舎として,児童54名,生徒25名,計79名で開校した。
年々増加する児童生徒のため,昭和52年4月にカムデンに,そして,昭和62年には現在地ウエスト
ロンドンのイーリング区アクトンに校舎を移転した。地域環境は,セントラルロンドンへの交通至便と
自然環境に恵まれていることから,落ち着いた住宅地・文教地区である。
校舎は1900年(明治33年)にハバーダッシャーアスクス・スクールの女学校として建てられ,
その後ローマ・カトリック系の学校として使用されていた100年を超える歴史をもつ総レンガ造り一
部三階建ての重厚なたたずまいである。周辺の住環境との調和を考えながら,日本の教育内容に適応す
るように増改築を行ってきた。全天候型グラウンド・屋内体育館・日本の蔵書を多く揃えた図書館・コ
ンピュータ教室と施設設備も充実している。
児童生徒の居住地域は,ロンドン北部・西部・南部と広範囲なため,保護者で組織する通学バス委員
会管理のもと,現在1ルートを休止しているが,2ルートの通学バスも運行している。2016年4月
12日現在,児童243名,生徒107名,計350名,全教職員数35名の欧米地区大規模校の一つ
である。
児童生徒数は,日本経済の高度成長の波に乗って増加の一歩をたどり,一時は1000人を超えたこ
ともあったが,その後の経済状況の後退とも相まって減少の一途をたどり300人台まで減少した。こ
こ数年,児童生徒数は,300名台後半で推移しているが,経済の動向を受けて今後も減少することが
予想される。また,昨今,海外に赴任する保護者が,異文化理解や英語での教育を求める傾向にあり,
現地校や英語での授業がほとんどを占める国際学校を選択する割合が増えてきている。さらに,日本人
学校出身者では出願できない英語での帰国入試枠ができるなど,国内の学校の帰国子女の受け入れ態勢
が整ってきたことも現地校や国際学校を選択する理由の一つとなっている。
3
特色ある教育実践
英語圏に在る在外教育施設としての特色を生かした英語教育・英語活動の推進をはかり, 英語・外
国語B(英会話)授業を小学部週3時間,中学部週2時間取り組んでいる。また,外国語を中心とした
実践的コミュニケーション能力の育成に取り組み,現地校交流を小・中ともに全学年行ったり,現地の
博物館や施設への校外学習や遠足・修学旅行などを通して実践的な英語コミュニケーションをはかった
りしている。
<現地校交流(来校)の様子(小学部4年生)>
小学部4年生では,英語を使った異文化コミュニケーションを目的に,現地校のウエストアクトン・
プライマリースクールと交流を行った。交流は現地校への訪問と本校への来校の計2回で行った。
○漢字の学習
グループで用意したカードを使って漢字の成り立ちや書き順を説明した。
水・火・木・羊・月などの象形文字の成り立ちを,1グループ1字ずつ絵
で表し,練習した英語フレーズを使いながら読み方や書き順などを教えた。
○毛筆体験
漢字の学習で覚えた漢字の中からパートナーが書いてみたい漢字を選び,
毛筆で書き方を教えた。そして,相手の名前をカタカナと漢字の当て字で
書き,プレゼントした。
○折り紙交流
折り鶴や飾り切りなどを教えた。できたものを習字作品の台紙に貼り,
プレゼントしたり,新聞紙でかぶとを作って遊んだりした。
現地校の子ども達は,日本の文化にとても興味を示し,楽しんで参加していた。とくに漢字やカタカ
ナは彼らにとって“Cool!”らしく,自分の書きたい漢字などをリクエストする子もいた。相手校は多種
多様な人種・民族の子ども達が通うインターナショナル・スクールで,様々な文化や母国語をもつ彼ら
との交流は非常に有意義なものとなった。本校児童も自分の覚えた英語が通じたり,相手に喜んでもら
えたりしたことがうれしく,英語学習への意欲や日本文化への興味がより高まった様子であった。
その他の行事にも大変力を入れており,毎年全長400メートルのあるスタジアムで行われる運動会
や各学年の劇発表の場である文化祭などがあり,その際にも台本や司会・挨拶などに英語を取り入れ,
実践力をつけてさせている。
4
成果
3年間を振り返ってみると,本当に忙しく校務に追われていた日々であった。とにかく学校行事が多
く,常に計画・準備・運営に明け暮れていた。かつての大人数であったときから職員数は減少している
のにも関わらず行事等は縮小されず,それを残していくために膨大な資料作りで大半の時間を過ごした。
しかし,どの行事にも真剣に一生懸命取り組む子ども達の姿を見ると,転出入が繰り返される在外にお
いて,ここにいた子ども達の中に共通の思い出として残る学校行事の意味の大きさを感じることができ
るようになった。子ども達は,とても素直で全てに前向きに取り組めていた。その子ども達から笑顔を
もらい,全力で過ごした日々がこれからの教育活動に生きてくると考えるとともに,子ども達の成長を
信じ,これからも全力で向かい合っていこうと思う。
ブラッセル日本人学校に赴任して
~現地教材の開発と現地校・補習校との交流授業開拓~
芦屋国際中等教育学校 貞松千佳子
1
赴任地の概観
ベルギーは、西ヨーロッパに位置し、隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクス
と呼ばれる。首都のブリュッセルは、欧州連合(EU)の主要機関が多くあり、
“EUの首都”と
も呼ばれている。北部のフランデレン地域では、オランダ語の一種であるフラマン語が公用語と
して使われ、南部のワロン地域では、フランス語が公用語として使われている。南部のワロン地
域では、ドイツ語が公用語の地域もある。
また、日本とベルギーは、2016年の今年、1866年に外交関係を樹立してから友好15
0周年を迎えている。これを記念して、両国において、様々な分野で数多くの記念イベントが行
われる予定である。
2
赴任校の概要
ブラッセル日本人学校は、ベルギーの首都ブリュッセルにあり、今年度で創立37年になる。
児童数は、小学部243名、中学部49名(平成28年4月)
。教職員は派遣教員を含め33名で
ある。朝8時30分から小学部・中学部ともに、朝読書の時間があり、8時50分から、小学部
は45分授業、中学部は50分授業で進んでいく。毎週水曜日は、小学部・中学部ともに午前中
のみの授業(4時間)である。その分、中学部は、火、木曜日は、7時間目まで授業がある。ま
た、中学部は月、金の6時間目の授業と終学活を終えたあとに、テニス、卓球、バスケットボー
ルのクラブ活動を行っている。
職員の校内研修も充実しており、年間で、一人一回公開授業を行い、また3人の研究授業では、
教職員全員で授業を見、その後、成果や課題を全員で協議している。自他の文化に興味を持ち、
主体的に学ぶ子の育成を目指して、教職員力を合わせて日々、教育活動に従事している。
3 特色ある教育実践
(1)外国語会話学習
ネイティブの講師による外国語会話学習が積極的に行われている。小学部1~4年生は毎日2
0分、小学部5・6年生は週3.5時間、中学部は、週4時間の日本人教師による外国語(英語)
の授業とは別に、週3回の外国語会話授業ある。小学部1・2年生は、全員フランス語を学習し、
小学部3年以上ならびに、中学部は英語かフランス語かを選択することができる。
(2) 学校行事
① 中学部3年生修学旅行(5月末実施)
ドイツ・ベルリンへ2泊3日の修学旅行へ行き、チェックポイントチャーリー、壁博物館、ホ
ロコースト記念碑、強制収容所など平和学習を基調に学びを深める。また、初日の夜には、スー
ツを着て、ベルリンフィルのコンサートに行ったり、2日目の自由行動では、班別で事前準備で
調べておいた場所を地図を持って自分たちで回っていく。
② 中学部社会見学(秋11月頃実施)
ベルギー地域学習、平和学習をそれぞれ隔年ごとに行っている。例えば、地域学習では、アン
トワープについて事前学習をした後、実際に現地へ行き、中央駅のアールヌーボー建築を見たり、
ノートルダム大聖堂を見学したり、現地のガイドさんのお話しを聞きながら進めていく。また、
平和学習では、第一次世界大戦で毒ガスが大規模に使われ、多くの若い兵士が亡くなったイーペ
ルを訪ね、墓地や戦争博物館を見学し、学習を進めていく。
4
成果(派遣教員として得たもの)
中学校英語教師として、3年間勤務させていただいた。実際に現地校と交流をしたり、本物の
異文化体験をする中で、生徒たちは、自然に“もっと英語を話したい。”
“もっと相手校の生徒と
コミュニケーションをとりたい。”という気持ちを高められるのではないかと仮定し、3年間、中
学部の現地教材の開発と現地校・補習校との交流授業開拓を行ってきた。その中でも特に印象に
残っているのが、ヨーロッパで盛んに行われているブロカントを教材化し、
「古いものの価値・魅
力」について考える学習を行ったこと、毎年行われる現地校との交流の内容を新たに考え実践し
たこと、そして、いままで交流のなかったブラッセル日本人学校補習校中学2年生との交流学習
を計画し、実践できたことである。
(1) ブロカウント体験
・どんなものが並べられているか。
・いくらで買われているか。
・なぜそれが買われていったのか、その人にとっての価値。
・自分が
ほしいものベスト3となぜほしいのか自分にとっての価値を調査し
た。体験前に、役立つ表現(英語・フランス語)を考えさせ、教え
合い、準備させた。実際、生徒たちが使うことができた英語やフラ
ンス語の表現は簡単な表現が多かったが、楽しみながら他言語を使
って会話をしようとしていたのは確かであった。
初めてブロカウント体験する生徒がほとんどで、初めて触れる異
文化にワクワクし、新鮮味があり楽しくて、その気持ちがさらに、
「英語やフランス語を使ってみ
たい」という気持ちを高めた。もっと様々なことを質問し、なぜその品物を買いたいのか深く知
りたいという気持ちが表われたが、話す表現も難しく、また話してくれた内容を聞き取り理解す
るのも難しく、悪戦苦闘していた。ただ、悪戦苦闘するなかで、
「こういうこともできるようにな
りたいから、もっと英語・フランス語を勉強したい。
」という気持ちが出てきて、今後の外国語学
習に対する意欲が高まったのも確かである。使えた、通じた喜びと、うまくいかず悪戦苦闘した
が次こそはという次の目標が生まれて、外国語学習に対する意欲を高めることができた。
(2) 現地校との交流
① 平成25年度2月、現地校のヨーロピアンスクールとスポーツ交流を行った。生徒たちの感
想に、
「スポーツ交流も良かったが、もっと話す時間もほしかった。」というのがあった。そして、
このような交流を様々な学校と行うことも良いとは思うが、一つ
の学校で交流を積み重ねていくことも、より深みのある信頼関係
を築けていけると思うので、可能であれば同じ学校との交流をし
たいと考え、計画していった。平成26年度には、同校から、ス
プリングフェスタへの参加のお誘いがあり、また、平成27年度
には、同校のスプリングフェスタに参加させていただくだけでな
く、当校の運動会の伝統の出し物(ソーラン節)をステージで披
露する機会もいただいた。自分達の文化を発信する場をいただき、
それがどれだけ生徒達の達成感を高めたかは、生徒の感想から読
み取ることができた。
② アテネロワイヤル・モルロンウェイ校との交流も、2年連続
行うことができた。26年度は、当校へ来校していただき、27
年度は、訪問させていただいた。26年度の生徒からの感想をも
とに、新たなアクティビティを考え、26年度とは違う活動を2
7年度には行うことができた。一生懸命、日本の文化である習字
を習った英語を使って伝えようをしている姿を見ると、企画して
本当に良かったと思うことができた。
(3) ブラッセル日本人学校補習校との交流
ブラッセル日本人学校の補習校(土曜日のみ)との交流は今までなかった。しかし、同年代で、
日本国籍をもちながらも、ベルギー国籍を持っている生徒たちがたくさん通っており、彼らは、
日本、ベルギーをどのように捉え、どのように感じているのか。意見交換を通して、同年代の生
徒たちが互いの意見を聞き、自分の意見を述べ、考えを深めていってほしいと考えた。また、補
習校との交流を通してでも、生徒たちの外国語学習に対する意欲を向上させるきっかけを作れる
のではないかと考えた。まず、補習校の生徒たちと普段は会えないが、グーグルドライブアカウ
ントを作成し、インターネット上で意見を交わしあうことができるよ
うにした。また、互いに作成したプレゼンテーションを見合い、その
意見も書き込みさせた。最後は、
合同授業を3時間行うことができた。
プレゼンテーション発表、ワールドカフェ、パネルディスカッション
を行った。生徒たちの感想には、「外国語を学ぶ事に興味を持てたし、
頑張ろうとも思った。大事なのは、この交流のような“コミュニケー
ション”だと思う。現地校との交流にもつなげていきたい。」というも
のがたくさんあり、私自身も達成感を感じられる交流となった。
ウィーン日本人学校に赴任して
宍粟市立山崎東中学校 杉山建一
赴任地の概観
オーストリアは人口約 847万人(2013年)、ヨーロッパ大陸のほぼ中央に位置し、西側は
ドイツ、リヒテンシュタイン、スイス及びイタリアと、東側はチェコ、スロバキア、ハンガリー及び
スロベニアとそれぞれ国境を接し、東西ヨーロッパの接点をなしている。地形的には日本同様山国で
あり、アルプス山系の一角を形成している。気候は高緯度の割に温暖で、北海道に近い気候といわれ
る。また高緯度のため、夏季は夜9時過ぎまで明るいが、冬は4時ごろから暗くなり始める。
歴史的には、ハプスブルク家が13世紀から20世紀のはじめまで約650年の長きに渡り、統治
していた。1938年から1945年の第二次世界大戦終結までは、ドイツによって併合されていた
ため、終戦後は戦敗国として10年間アメリカ・イギリス・フランス・ソビエトに占領されたことも
ある。1955年に共和国として独立し、現在は永世中立国としてヨーロッパ圏の中心的存在となっ
ている。
ウィーン市はオーストリアの首都で23区に分かれており、人口約174万人(2013年)。シュ
テファン寺院や王宮、オペラ座などがある旧市街が中心地となる。市内にはドイツから黒海に流れ込むド
ナウ川が貫流している。また世界に4つある国連の所在地であり、重要な国際会議や首脳会談が行わ
れることもしばしばである。
1
2
赴任校の概要
ウィーン日本人学校(Japanische Schule in Wien)は1
978(昭和53)年に設立され、2015(平成27)
年度に創立37周年を迎えた。平成27年度は小学部31
名、中学部4名の児童生徒と現地採用をふくめた13名の
教職員によって構成され、「日本人としての教育」「国際人
としての教育」
「開かれた学校」を目指して教育活動に励ん
でいる。またオーストリア・ウィーンの特性を活かした「ウ
ィーンならではの学習」を推進している。ウィーン日本人
学校の場所は、中心地から地下鉄で約20分の場所に位置する。
3
特色ある教育実践 (ウィーンならではの学習)
「ウィーンならではの学習」には、オーストリアの自然に親しむ宿泊学習(2泊3日 全校)やス
キー教室(3泊4日 全校)などの体験的学習、音楽と美術の鑑賞教室(オペラ鑑賞や美術館での作
品鑑賞)などの学芸的学習、そして現地校と授業をともに行う交流的学習がある。主な学習内容を紹
介する。
(1)体験的学習(宿泊学習)
オーストリアの景勝地、ザルツカンマーグートで毎年
2泊3日の宿泊学習を実施している。平成27年度は自
然を活かしたアスレチックや岩登り体験、透明な湖の背
景に氷河が広がるゴーサウ湖が一望できるハイキングな
どを通して、自然の偉大さや素晴らしさを全身で感じた。
また、伝統的な音楽の視聴や、陶器の絵付け体験を通し
て、オーストリアの文化についても学ぶこともできた。
また、この宿泊学習も例年1月に行われるスキー教室
も、全校生徒で参加するため、集団生活の規律や、互いに助け合うことの意義についても考えるよい
機会ともなっている。寝食を共にすることで、お互いの関係がより深まる貴重な学習機会である。
(2)学芸的学習(美術・音楽鑑賞教室)
世界的にも有名なウィーン美術史美術館で鑑賞教室を行ない、ラファエロ、レンブラントを中心に
作品を鑑賞した。派遣教員がウィーン大学で教鞭をとる日本人教授から、美術館内で見るべき絵画と
そのポイントについて講習を受けていたため、その内容を生徒に説明した。ルネサンス期を代表する
作家の作風や構図の特徴や色づかい、筆づかいなど、本物
の絵画に直に触れて気付く点が大変多かった。
音楽鑑賞教室と美術鑑賞教室は1年ごと交互に開催し
ている。昨年度は、子どものためのオペラ「ウンディーネ」
を鑑賞した。オペラ歌手と楽団の生演奏を聞くことを通し
て、オペラに対する生徒の関心を高めることができた。
(3)外国語学習と現地校との交流
小学1年生から英会話とドイツ語会話の学習に取り組ませ、両教科とも週に2時間ずつ(小学1・
2年生の英会話のみ1時間)、現地講師の指導のもとで授業をおこなっている。
また、現地校との交流活動も毎年行われている。交流活動の目的は以下の4点にある。
① 学習した外国語表現を実際に運用することで、自身の学習成果を確認する
② 外国語を使用した経験や達成感を通じて、外国語学習の動機を高める
③ 交流を継続し、オーストリア文化を学ぶきっかけを作る
④ 日本文化(書道、けん玉、竹馬、コマ回しなど)の紹介
を通して、日本文化をより深く学ぶ
平成27年度は現地校3校と交流活動を行い、交流後は児
童・生徒から、
「言語が通じた達成感」と「言語学習への動機づ
け」に関する感想が多く得られ、改めて現地校との交流の目的
が果たされていることを確認した。
4 成果
・「個」の大切さ
現地校を見学した際、担任によって学習隊形や生徒へのアプローチが全く異なる姿に出会った。ま
た、見学しているこちらが不安になるほど「生徒主導」で授業が進む光景にも出会った。その根底に
は「個に対する尊重」が大きく位置しているように思われた。また、全校わずか35人のウィーン日
本人学校で、一人一人の子どもたちとの密接な関わりを毎日通していく中で、一人の生徒が実に様々
な意見や思いを持って生活していることに気づかされた。今後生きていく上で、年齢に関係なく「個
を尊重する」姿勢をしっかりと自分の中に持ち続けていきたい、と感じている。
・小学部の担任として
赴任前の私は、「中学生○年生だから、これぐらいできて当たり前だろう!」という考えが頭を占
めていた。そんな中学校教員の私が、学校事情で小学4年生の担任になった。
「児童」とどのように接
したらよいのか、授業の進め方は…?多くの戸惑いと失敗があったが、小学4年生の発達段階を1年
間肌で感じることで、現在目の前にいる中学生が「うまくできないこと」に納得し、どのようにして
アプローチすれば、後につながるかを考えることができるようになった。
・英語科教員として
「コミュニケーションは言語が全てではない」ことを学んだ。それは、生徒が現地校との交流活動
後に作った川柳、
「交流で いっぱい使った ライクディス」
「 ジェスチャーで ほとんどわかった 外
国語」から得た感覚である。言語習得を最優先に考えて教科指導を行っていることが、かえって生徒
に「言葉ができなければ、通じない」とコミュニケーションをあきらめたり、臆病になったりさせて
いないかと感じた。以降、文法的に正しい文で話をさせること以上に、単語レベルでも発話させるこ
とや、ジェスチャーや表情でも意思が表せることにも留意して指導している。
上記3点が赴任以前に比べて感覚が異なる点であるが、この他にも得られた学びは多く、そして大
変大きい。故に赴任に際してお世話になった多くの方々に対する感謝の念は、尽きない。3年間で学
んできたことを、子どもたちをはじめ周囲にしっかりと還元すべく、今後の教育活動に励んでいきた
い。
セネガル 教員研修センターに赴任して
~青年海外協力隊員として「行動する」
「次に繋げる」ことを重視した2年間~
神戸市立義務教育学校港島学園・前期課程
石動 徳子
1 赴任国の概要
アフリカ大陸の西端に位置するセネガル共和国。国土は日本のおよそ半分、人口はおよそ9分の1(約
1,400万人)である。かつてフランス領であったセネガルでは、公用語としてフランス語が使われ
ているが、日常ではウォロフ語やプル語、セレール語など民族の言語を使いながら生活している。国民
の約95%がイスラム教、約5%がキリスト教である。気候はステップ気候であり、雨季にあたる7~
9月には辺り一面が緑で覆われるが、乾季にあたる10~6月には雨が一切降らずどこを見ても砂、砂、
砂…の景色である。また、日中の気温が40~50度に達することが多く、日射しも強い。おもな産業
は、農業(落花生、粟、綿花など)や漁業(まぐろ、かつお、えび、たこなど)である。ただ農業に適
さない土壌であるため、主食である米をはじめとした食料品を輸入に頼るところが多い。国民食である
「チェブ・ジェン」は魚や野菜が入った炊き込みご飯で、日本人の口にもよく合う。大皿に盛り付け、
家族や友人と一緒に食べる。また一般的に、歌やダンスが好きな女性、サッ
カーが好きな男性が多い。
赴任地カオラックは、セネガル第3の都市と呼ばれている。比較的発展
しており人口も多いが、その分インフラが追いついておらず、“ゴミと蚊と
ハエの町”という不名誉な代名詞が付けられている。親しみやすい性格で
世話好きな人が多く、日本の関西とよく似た印象を受ける。
2 赴任校の概要
赴任先はカオラック州教員研修センター。初等教育教員志望の学生が学ぶとともに、現職教員の研修
の場として使用される機関である。現在、初等教育教員(幼稚園や小学校に配属)になるためには、高
等教育卒業とともに研修修了資格が必要となる。学生たちは修了資格を得るために、ここ研修センター
で学ぶ。研修期間は原則9ヶ月間と定められているが、教育現場での教員不足により研修期間が短縮さ
れ、配属が早まる場合も多い。
私のおもな要請は、研修センターでの情操教育(音楽・図工・体育)の普及だった。セネガルの教育
現場では、「教員も学んだ経験がなく、指導法がわからない。」「フランス語や算数の指導に手がいっぱ
いで情操教育をする時間的余裕がない。」などの理由から、ほぼ情操教育が行われていないのが現状で
ある。そこで私はまず、学生を対象に情操教育の授業を担当した。教育実習期間では実習校を巡回し、
授業見学や個別対応をしていた。また担当時間以外には、近隣の幼稚園や小学校を巡回し、主に情操教
育の授業を教員と連携して行った。
3 特色ある教育実践
約2年の任期中、1年目は「現場を知ること」「情操教育の内容・
方法を知ってもらうこと」「要請に限らず必要に感じたことは行動す
ること」に重点を置いた。2年目は「行動すること」に加え、「現地
の学生や養成者、現職教員に繋げること」に重点を置いた。
(1)赴任校の教員研修センターで
①学生主体の授業
学生は研修センターで理論を学び、実習校で実践することになっている。ただフランス語・算数が中
心で、情操教育についてはほぼ実践されていないのが実状であった。実践しないまま教員になるから指
導に自信がないのでは…と感じたので、研修センターの授業に実践も組み込んだ。「指導計画→実践→
ふり返り」という流れで、グループごとに授業実践をさせた。
②現地養成者との協同授業
赴任地の研修センターでは、これまで歴代隊員が情操教育の授業を担当していた。だが、隊員ではな
く現地養成者が学生に指導するのが理想。その一歩として、現地養成者と協同で授業をすることで内容
や方法を知ってもらい、ときには指導もしてもらった。
(今後については、後任の隊員に引き継ぐ予定。)
③卒業した学生の勤務校への訪問、連携授業
④教材集の作成、配布
授業で紹介した教材、また時間がなく紹介できなかった教材も含めて「教材集」を作成し、研修セン
ターに保管。また、協同授業をした現地養成者や近隣の学校にも配布した。
(2)近隣の幼稚園や小学校で
①隊員主体の授業から現地教員主体の授業へ
はじめは私の授業を観てもらい、少しずつ担任の先生の役割を増やしていった。それに伴って「今度、
音楽の授業をするから手伝って。」「何かいい図工の教材はない?」と先生から提案するようになった。
②図工作品を公共施設に展示
児童や教員の意欲向上、他校教員へ教材を紹介する場として、郵便局や病院、電気会社の受付に図工
作品を展示させてもらった。
③JICA専門家との連携、「算数ドリル」を使った補習授業
活動の中で、情操教育が普及しない原因は情操教育にとどまるものでは
なく、児童のフランス語や算数の理解力(および教員の指導法)にも原因
があることを感じていた。そこで、専門家の方が作成された「算数ドリル」
を活用し、留年児童を中心に補習授業を行った。また、学生にも教員
配属前に児童のつまずきやすい点、どのように指導すればよいかを学ぶ
機会として、学生有志にも参加してもらった。
(3)日本の小学校への発信や交流
日本の所属校に向けて「セネガル通信」(~50号)を送り、私の活
動やセネガルの生活について発信した。また、私の所属校も含めて日本
の4校と交流ができた。特に、小学校6年生同士でペアをつくり、学校紹介フィルムやビデオレターを
送り合い、最後にスカイプで対面した一連の交流は、日本・セネガル双方にとって大変有意義であった。
4 成果(派遣教員として得たもの)
任期当初は特に、納得がいかないことを現地教員から頼まれたり、自己満足やパフォーマンスに過ぎ
ないのではと感じたりすることもあったが、次の活動に繋がり始め、信頼関係も生まれた。迷ったとき
はまず行動、その重要性を感じた。協力隊員として赴任したが、セネガル人から支えてもらうことの方
が多かった2年間。また、「足るを知る」
「分け与える精神」「人との繋がりの大切さ」など多くのこと
を教わった。今、私ができることはそんなセネガルの本当の姿を伝え続けることなのだと思う。
ベナンでの教育活動~子どもと先生が楽しんで取り組める授業を目指して~
川西市立北陵小学校
1
仙波
里枝子
赴任国の概観
ベナンは西アフリカに位置する共和制国家。南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、
北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面する。人口 1060 万人、
面積は、日本の約 3 分の 1 の小さな国だ。民族は、フォン、ヨルバ、アジャなど46の部族があり、
公用語はフランス語だが、それぞれの部族の現地語が 80 言語あると言われている。土着の伝統宗
教ブードゥー教が浸透しており、まじないや黒魔術などが日常生活と密着している。伝統宗教を重
んじつつも、キリスト教やイスラム教を信仰している人も多い。気候は、高温多湿であり、雨季と
乾季がある。現在は、
「西アフリカの優等生」と呼ばれるほど治安がいいが、17 世紀には奴隷貿易
を主な収入源としていた悲しい過去がある。
2
赴任校の概要
(1)ロコサ
ジャンダルメリー小学校
ベナンでは、
初等教育の 6 年間と前期中等教育の 4 年間は法制上義務教育となっており、
近年公立学校の授業料が無料化されたことから就学率は上昇に転じているものの、未だ子
供は重要な労働力であると共に学校自体が無い地域も多い為、高度な義務教育は達成され
ていない。教育は主にフランス語で行われる。15 歳以上の国民の識字率は 34.7%
(男性 47.9%、
女性 23.3%)である。
任地のロコサという都市は、ベナンの経済首都であるコトヌーから車で 3 時間の中都市
だ。住居に近いジャンダルメリー小学校を拠点校に選んだ。その理由は、継続的に同じ小
学校に通うことで、子どもや先生の変化が明確になるのではないかという思いからだ。ジ
ャンダルメリー小学校は A,B,C の 3 つの小学校が同じ敷地内にある。児童数 600 名の比較
的大きな小学校だ。木や藁葺で作られた教室もあり、雨の日には授業にならなかったり、
黒板や机が古く使いづらかったりと、学習環境は整っているとは言えない。また、給料が
安いなどの理由から現地教職員のストライキは始まり何週間も授業が始まらないクラスが
あったり、問題が解けないという理由で、どなり体罰を加える先生もいた。子どもたちは、
ただ先生のいうことを聞くだけで、自由な発想や豊かな表現が乏しいという印象だった。
しかし、中には子どもたちのことをしっかり考えやる気のある先生もいる。そんな先生方
を巻き込み、活動を進めた。
3
特色ある教育実践
任国では、主に図工、体育、算数のサポートを現地の先生方とともに行った。その活動を教育実践と
して報告する。
(1) 図工
任国では、図工に使う道具や材料が不足しており高価だ。そのため、活動開始当初は、ここで
は図工の指導は難しいのではないかと考えていた。しかし、先生方も子どものころ学校で習っ
た経験がなく、教えてほしいという要望が多かった。そのため、任国に応じた図工指導を思案
し始めた。任国では、ゴミをゴミ箱に捨てる習慣がなく、道にポイ捨てをする。そのことも、
どうにかならないものかと頭を悩ませていた。そこで思いついたのが、ポイ捨てされているゴ
ミを材料にして作品を作る授業の提案だった。たとえば、アメの包み紙を洗い、蛇腹折にした
ものをいくつか重ね、女の子が使う髪ゴムで縛り、花のモチーフを作る。それをいくつも繋げ
るだけで、かわいらしいガーランドに変身した。また、空き缶を使ったアートや、アイスの包
み紙で作るリボンなども提案した。捨ててしまえばゴミになるが、アイデア次第で作品になる
ということを知るきっかけになった。
他にも、基本的な絵の描き方、切り紙や折り紙も教えたが、その場で楽しく作り、それで終
終わってしまったり、作品に点数をつけたりと子どもたちの頑張りを認めないような先生方の
対応が気になった。そのため、作品の展示方法も伝え、一人ひとりの作品を大切にするように
お願いした。そうすることで子どもたちの自尊心が育つことを願っている。
(2) 体育
整列や行進に力を入れていて、子どもの運動能力を伸ばしたり、体を動かす楽しさを味わっ
たりする時間が取れていない現状があった。運動能力を伸ばすために、たくさんの楽しいアイ
デアがあるということを知ってもらうため、
「運動会」を提案した。一つの目標に向かって学校
全体が取り組むことで基礎体力の向上を図ることがねらいだ。しかし、現地の先生方にとって
全く初めての運動会。語学の壁もあり、運動会の意義やプロセスの大切さを理解してもらうの
は容易ではなかった。それでも、活動を続けるうち理解が得られ、運動会に向けて取り組むこ
とができた。リレー、台風リレー、玉入れ、しっぽ取り、組体操など日本では定番の競技だが、
任地の子どもたちにとっては珍しいものばかりで、私の拙いフランス語を理解しようと真剣に
聞き、キラキラした顔で練習に参加していたのが印象的だった。競技に使う道具も、子どもた
ちと一緒に手作りした。そして、迎えた本番。病気などで普段の体育の授業に参加していない
子どもはアナウンスを担当した。一人ひとりが少しドキドキした表情で出番を待ち、競技の後
は最高の笑顔を見せていた。
(3) 算数のサポート
任国では、日常生活で現地語を使う家庭が多い。しかし、小学校一年生になると学校ではフ
ランス語での授業が始まる。特に、算数は数字の読みを覚えるところからスタートする。フラ
ンス語で数を読めない子、足し算を理解していない子、数の概念が定着していない子などつま
ずくポイントが多くある。それらのつまずきを解消する手立てとして段ボールや木の枝で作る
数図ブロックや数え棒など教具の提案をした。視覚化すると子どもは理解しやすいということ
や教具の使い方なども現地教員に講習した。
4
成果
成果は、任国で信頼できる友人に出会えたことだ。派遣当初は、こちらから何かを与えるという意識
が強かった。しかし、1 年 9 か月を終え、振り返ってみると苦しい時も不安な時もいつも周りの現地の
方々が支えてくれた。文化の違いに戸惑い、いらだつこともあり、自己嫌悪に陥ることもあったが、そ
れはごく自然なことでお互いにそんな想いを乗り越えて信頼が生まれるのだと実感した。国際協力とは、
「受け入れること」だと思う。つまり、相手に寄り添っての言葉を聞き、心を感じることだ。物質的な
豊かさが幸せにつながるわけではない。今、隣にいる人を大切にすること。忘れかけていた小さな幸せ
の見つけ方を、彼らから学んだ気がする。これからは、子どもたちにこの経験から得たことを語ってい
きたい。帰国後、現在の勤務校に来日中のベナン人に知人を招き、子どもたちと交流をした。これから
も様々な形でベナンの人々と繋がっていければと願う。
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