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台湾・国際結婚移住者をめぐる社会人類学的研究

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台湾・国際結婚移住者をめぐる社会人類学的研究
2007 年度
財団法人交流協会日台交流センター 日台研究支援事業報告書
台湾・国際結婚移住者をめぐる社会人類学的研究
台中県東勢鎮の事例から
東京都立大学大学院
横田祥子
派遣期間(2007 年 7 月 28 日∼9 月 25 日)
2008 年 1 月
財団法人 交流協会
2007 年度日台研究者支援事業
研究成果報告書
東京都立大学大学院社会科学研究科
博士課程
社会人類学専攻
横田祥子
台湾・国際結婚移住者をめぐる社会人類学的研究:台中県東勢鎮の事例から
筆者は研究支援を受けて、2007 年 7 月 28 日∼10 月 22 日にかけて台中県東勢鎮にて参
与観察およびインタビュー調査、文献資料収集調査を行なった。申請した研究計画書にお
いて、主に五点の研究項目を挙げてきた。その五点とは、一、異文化結婚が増加した文化・
社会的背景―ジェンダー別婚姻観、二、婚姻市場の背景、三、異文化結婚による生起する
ネットワークの形成、四、異文化結婚における言語、習慣に対する需要と選択、五、ロー
カルな多文化主義の展開についてである。
しかし、筆者は調査中に計画書に記した項目よりも国際結婚において根本的な課題、つ
まり婚姻慣行から国際結婚の位置づけを検討することの重要性を発見した。そのため、本
報告書では題名に掲げた課題について報告したい。また、他の調査項目についてはいずれ
も研究継続中であり、別稿にて発表する予定である。
1.問題の所在
2003 年、台湾における新婚カップルの内、女性が外国籍であった比率は 28.36%(同年、
外国籍男性配偶者は 3.5%)という高い割合に上った1。その後、国際結婚に対する審査が
厳格となり、偽装結婚や男性に扶養能力が欠けていると思われるケースは承認されなくな
ったため、減少し 2007 年は 15.96%にまで落ち込んでいる。
台湾にて国際結婚が増加した背景は、経済的側面と社会・文化的側面の二側面から検討
されねばならない。まず、経済的側面としては、国際結婚の範囲に留まらず、広く労働移
民を必要とした 1980 年代以降の国内事情と、資本超過を解消するための海外投資がある。
1989 年、台湾政府は「十四項重要建設工程」、
「六年国家建設計画」を打ち出し、国内のイ
ンフラ整備に取り掛かった。当時、台湾では国民党政権による統治が 40 年以上継続してい
た。施政開始当時、国民党政権は台湾を一時的滞在地と認識し、そのインフラ整備を重視
内政部戸政司『統計月報 96 年 12 月表四 結婚人数按新郎新娘国籍別分』参照。2003 年
外国籍女性配偶者割合の内訳は、大陸が 18.53%(31,784 人)、東南アジア 9.51%(16,307
人)。一方東南アジア出身女性が最多であったのは 2004 年で 13.07%(17,192 人)、同年大
陸 8.06%(10,567 人)であった。
1
してこなかったが、1980 年代末になると、国内の鉄道・道路交通網の拡張、電信の現代化、
首都台北の地下鉄網の建設、洪水を防ぐ排水システムの整備などに取り掛かることとなっ
た。
そこで、安価な労働力が必要になり、東南アジア諸国から建築業に従事する移民の導入
を開始した。現在、台湾政府労工委員会は、単純労働に従事する外国人枠を 30 万人に設定
し、フィリピン、タイ、インドネシア、ベトナムから受入れている。近年では、ケアギバ
ーとして 12 万人もの東南アジア系労働者が高齢者の介護と家事労働に従事している。労働
者の受入は、台湾企業の東南アジア諸国への投資増大と表裏一体である。1980 年代以降、
台湾企業はフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナムへの投資を増大させ
ている。以上のような、国内外の事情のもと、多くの労働移民が台湾に流入することにな
ったが、それと同時に台湾には多くの女性結婚移住者も流入してきた。
夏によると、台湾における国際結婚は 1980 年代から開始した[夏 2002:161]。女性結婚
移住者の出身地は年々変遷を遂げており、1980 年代初め、タイ、フィリピン、出身者が多
数を占めていたが、1991 年以降インドネシア出身者が急激に増加した[ibid.:169]。筆者が
調査した台湾中部台中県東勢鎮では、すでに 1980 年代前半から、インドネシア出身の客家
系華人女性が嫁いでいた。さらに 1990 年代後半になるとベトナム出身者が、全国的に急激
な増加をみせている。これは 1993 年、インドネシア女性は台湾への入国に際して数ヶ月か
ら一年待たないとビザが得られなくなったこととも関連している[ibid.]。これに伴って、結
婚斡旋業者がビザ発給手続きの容易な国や地域を求め、ベトナムに目をつけたのである。
他方、国内の社会・文化的背景としては、女性の高学歴化と社会進出が一因として挙げ
られる。台湾では女性の高等教育進学率は 1996 年に 49.8%であったのが、2002 年には
86.3%に上昇している[伊藤 2004:125]。これに伴い女性の非婚率も上昇している。行政院
衛生署国民健康局が 2004 年に結婚、出生に関する意識について行なった調査によると、未
婚者の内、男性の 67.4%が結婚願望を持つのに対して、女性は 51.2%のみが結婚願望を持
つことが分かった[行政院衛生署 2004]。このように、男女間における結婚願望を持つ比率
の差、女性の急激な高学歴化が台湾人同士の結婚率の低下を招いていると考えられる。
こうしたマクロな背景が国際結婚増加の裏にあることは間違いない。従来、台湾の国際
結婚現象はしばしば「グローバリゼーション」
「移動の女性化」「女性身体の商品化」「メー
ルオーダー・ブライド」
「女性の主体性」とったキーワードで読み解かれてきた。これはひ
とえに、20 世紀∼21 世紀が「移動の時代」と呼ばれているように、経済的、社会的秩序の
変化の中でモノと人の移動が活発化し、そうした経験から浮かび上がる主題が示唆的であ
るという学術的潮流に応じたものである。
以上のように、「社会問題」として国際結婚を眺める視点、支配−抵抗の主体として女性
を同定する視点に加えるつもりで、筆者は漢族の婚姻慣行ないし親族における女性の地位
から、今日「社会問題」化されている国際結婚の解読を行いたい。本論では、1.漢族の
婚姻慣行からみた外国籍配偶者の位置づけ、2.婚姻の商品化議論を通した国際結婚の形
態、について議論した後、今日人権保護、フェミニズム的視点では捉えられない結婚の側
面を提示し、外国籍配偶者の処遇を分析する。
本論の構成は、第二節で先行研究の整理、第三節では筆者の調査地の紹介、第四節では
通常の結婚と国際結婚の差異、最後に結論を述べる。
2.先行研究
2−1.結婚移民研究
従来の移民研究は、その多くが古典的経済学ないしネオ・マルクス主義的政治経済学の伝
統に基づくものであり、男性の移動に付随するものとして女性の移動を捉えてきた。移民
研究において女性が注目を浴びるようになったのは、
「これらの研究が女性移民のエンパワ
ーメントという実践的関心と結びついており、女性移民をマクロな構造に受動的に反応す
る存在としてではなく主体的な行為者として描こう」としたことによる[上杉 2005:243]。
また、いわゆる「移民の女性化」(feminised migration)は、1970 年代以降のグローバリ
ゼーションの進行と、開発途上国や旧社会主義・共産主義諸国を巻き込んだ世界的な労働
市場の統合とともに発生した。そこで、生産領域のみならず再生産領域の市場化が進行し、
女性の家事労働移民の需要が高まった[伊豫谷 2002; SASSEN 2002; YEOH 2005:99]。
他 方 、 女 性が 単 身 で 移動 す る 移 民形 式 に は 結婚 を 契 機 とし た 結 婚 移民 ( marriage
immigration)がある。結婚移民は女性に先んじて海外に移動した同一社会出身の男性に嫁
ぐケースのみならず、「写真花嫁」、
「戦争花嫁」や駐留軍の兵士に嫁ぐケースが古くから見
られてきた。なかでも仲介業者を介した婚姻は「商品化された婚姻」と呼ばれ、女性特有
の移民形式である。Cheng と Bonacich は「プッシュ―プル理論」を批判し、労働移民(labor
immigration)は資本主義発展のロジックのもとで誕生したと主張した。これを受けて夏暁
鵑は、台湾における「外籍新娘」すなわち商品化された国際結婚により海外から台湾に移
動した外国籍花嫁やメールオーダー・ブライドなど商品化された国際結婚を「結婚移民」
(原
語:婚姻移民)として検討した[夏 2002:161]。
近年の「メールオーダー・ブライド」とは、男性がウェブ上に掲載されたカタログから外
国人女性を選択し、国際結婚を行なうものである。メールオーダー・ブライドに関する研
究は、1980 年代後半に出現し、
「移民の女性化」研究とともに行われるようになったメール
オーダー・ブライド研究では、アジア系女性に対する白人男性の「オリエンタリズム」的
な幻想、リベラルでキャリア志向のアメリカ女性を嫌い「古きよき価値観」を身につけた
アジア系女性を好むアメリカ男性の志向、家父長制維持を希望する男性の意図、ブローカ
ーによる斡旋の仕方、性的搾取への批判、結婚移民の主体性といったテーマが検討されて
きた[CHUN 1996]。
その一方、ブレーガーらは国際結婚という語を用いず、“cross-cultural marriage”(異文化
結婚)と称し、従来の婚姻規則の発見ではなく、文化的背景を異にする配偶者を選択した個
人の経験に焦点をあて、配偶者の選択に影響を及ぼすアイデンティティや差異の認識、家
族の定義を検証している[BREGER and HILL 1998]。国際結婚において女性は、階層の上
昇を目指すものと理解されている。しかし、国際結婚を選択する男性の条件は必ずしも女
性より上位にあるとは限らず、また女性の出身地域に応じたステレオ・タイプが結婚生活に
悪影響を及ぼし、結果として階層下降が起こる場合がある[HUNG 2005 ; CONSTABLE
2005]。
国際結婚の事例では、しばしば個別のケースについて、女性の主体的な選択に注目する
研究が多い。それは、ながらく婚姻をめぐる人類学的研究において、女性は交換されるモ
ノとして位置づけられ、男性ないし親族が女性の結婚を決定すると考えられてきたためで
ある。また、近年個人に焦点を当てるミクロ人類学の興隆や、フェミニズム的視点、サバ
ルタンの声をすくうポジションに立脚した手法が重視されていることも関係していよう。
そうした潮流の中、本論の手法はいわば逆戻りする感を否めないが、実際に国際結婚を
選択する男女およびその親族は、個人的動機にのみ基づき選択しているわけではなく、ま
た人権尊重、フェミニズムを考慮したうえで選択しているわけでもない。現地に生きる人々
は、新興の理念、主義に従う以前に、当該社会の文化的規範に従ったうえで国際結婚を選
択していると思われる。そこで、本論では国際結婚と従来の結婚を比較することから、な
ぜ国際結婚が受容されやすいのか、またいわゆる「社会問題」が生じる原因を検討してい
く。なお、国際結婚を選択する個人のナラティヴについては稿を改めて論じることにする。
2−2.台湾における結婚移民をめぐる研究
台湾の国際結婚を議論した研究は膨大な数に上る。なかでも代表的な研究は、世界経済
の中における台湾―東南アジアの経済関係に着目し移民の増加を分析した王[2001]、夏
[2002]がある。こうした研究は、国際社会学、経済学の理論、分析手法に基づいたものであ
り、ブローカーを介した国際結婚を従来の結婚と根本的にメカニズムが異なるものとして
扱っている。
また特筆すべき点は、国際結婚に関して人類学的研究がなされていない点である。これ
は国際結婚および移動というテーマが国際社会学の範疇として文字通り括られ、
「解決すべ
き社会問題」として構築されている側面と、国際結婚の増加が「伝統的家族の終焉」を意
味するものとして認識されている点に基づくものではなかろうか。
一方、教育学的視点から国際結婚により誕生した子女と母親の学習上の問題を検討した
研究も多数行なわれている。筆者は、移民ないし国際結婚により誕生した子女に対する教
育的配慮の必要性を否定するものではないが、学術界が社会問題を構築している側面を持
つことは否めない。ないしは、疑似科学的手法を以って社会問題を構築する過程において、
研究者が自身の文化的バイアスに無頓着である点は検討する必要があると思われる。
2−3.漢族の親族をめぐる研究
台湾漢族の家族、親族については、かつて中国大陸での同様の研究をリードするほどの
研究がなされてきた。1960 年代以降、ギャリンによる彰化県の Hsin hsing 村の民族誌
[GALLIN 1966]、ジョーダンによる宗教観をめぐる研究[JORDAN 1972]などが行なわれて
きた。
特にウルフ夫妻による台北県三峡で行なわれた研究では、家族関係および婚姻の諸形態
について分析がなされた。家族関係をめぐる特殊な民族誌[WOLF, M. 1968]、家族内の女性
同士の関係[WOLF, M. 1972]についての記述、結婚と養子の諸形式[WOLF, A. 1974]、「童
養媳」を娶る結婚と離婚率の高さの相関について分析がなされた[WOLF, A. 1970]。
アーサー・ウルフはリーチの例に従って、漢族における「正常な結婚」の特徴を以下五
点挙げている。一、夫のラインは、子どもの出自を決定する権利がある。二、夫のライン
は、妻の労働力に対する支配を行使する権利がある。三、夫は妻のセクシュアリティを独
占する権利がある。四、妻は現世および来世においても夫のラインからサポートを得る権
利がある。五、夫は他のラインに売られた子どもを除き、全ての子どもの法的父親として
認められる権利がある。六、妻は、夫の子どもの法的母親として認められる権利がある。
七、妻のラインは、彼女が夫およびそのラインによって適当に扱われることを監視する権
利がある。八、双方のラインは、互いに要求に応じ、また互恵的優遇を提供することを期
待する権利がある。
そのほかウルフは通常の結婚以外に、招婿婚と養取の形式を取るものの最終的に養子と
実子を結婚させる目的がある形式を指摘している[WOLF, A. 1974]。
ルビー・ワトソンは、香港で得たフィールドデータを基に、漢族の家族における女性の
様々な地位とそれに付随した権利と義務について分析している。特に「妾」(めかけ)は夫
の家に入る際、生家との関係は断絶する。また、「妾」の嫁入りは通常の結婚にみられるよ
うな儀礼を遂行せずに行われる。また、夫の妾に対する獲得は、「買(mai)」(買う)とい
う言葉で表現される。それは、妾が持参財を持たずに、しばしば売春宿や妾やメイドのブ
ローカー、両親から買われてきた。また妾獲得の目的は、再生産であるという[WATSON
1991:239]。
ルビー・ワトソンが通常の結婚における嫁取り、妾、童養媳、女奴隷の獲得における儀
礼的差異、権利上の差異を分類したのは、香港の事例に基づくものであるが、今日台湾に
おける結婚移民の家庭ないし社会における処遇を検討する上で非常に示唆的である。
現地台湾の人類学者は、中国人の立場から新たに分析概念を提示してきた[LI 1966; 阮
1972; 荘 1976; 陳 1985]。
一方、日本の人類学者も 1980 年代以降、台湾漢族の親族をめぐり数々の研究を行なって
きた。植野弘子は 1980 年代半ば、台南県の佳榕林(仮名)で行なった調査に基づき、主と
して持参財と結納金、姻戚間の贈与について研究成果を発表してきた[植野 1987a, 2000]。
また、植野は「位牌婚」と呼ばれる未婚で死亡した女性を結婚させる「冥婚」と父系イデ
オロギーとの関係について報告している[植野 1987b]。
堀江俊一は、1980 年代半ば台湾北部新竹県北西部の客家地域でフィールドワークを行な
った。そのデータに基づき、漢族の姻族間の関係について報告している[堀江 1987]。
このように欧米人類学者が次々と台湾漢族の親族、家族をめぐるエスノグラフィーを残
した後、日本の人類学者も遅ればせながら親族、家族についてフィールドワークを開始し
数々婚姻規則についての研究成果を残した。
3.台中県東勢鎮における婚姻
台中県東勢鎮は、台中県の最北部に位置する人口 55,681 人の町である2。主要産業は農業
であり、海抜 400∼1000 メートルという高低さを利用し亜熱帯ながら温帯果実を栽培して
いる。主には、スモモ、ナシ、カキ、ブドウなどである。住民は客家人が多数を占めてお
り、台湾の中でも唯一「大埔腔」と呼ばれる客家方言が話されている。
町は元々オーストロネシア語族系先住民族の平埔族とタイヤル族の勢力範囲であった。
現在の東勢鎮にあたる範囲は既に開発が進んでいたが、「土牛線」の外、つまり清朝の「界
外」であった。1784 年曽安栄、何福興、巫良基らが清朝に開墾を申請した。近隣の岸裡社、
樸仔籬社は現在の東勢の中心地などを開墾地として県に提供した。当時は地代として小作
一 世 帯に つき 1 エ ーカ ー あた り粟 八 石を 徴収 す る契 約が 取 り交 わさ れ た [東勢 鎮誌
1995 :30-31]。
町の周辺の山間部ではセルロイドの可塑剤となる樟脳が取れることから、町には樟脳の
精錬所が作られ繁栄した。1920 年代、セルロイドに変わるプラスチックが発明されてから、
樟脳はその価値を失った。その後、樟脳は防虫剤としての用途を残すのみとなり、産業も
下火になった。
戦後は、1950 年代は米、1960 年代はバナナ、1970 年代はミカン、タバコを栽培してい
た。1980 年代後半になると日本のナシを原生種のナシの木に接木する技術が開発され、前
述したようにナシを初めカキ、スモモ、ブドウといった温帯果実が主要農産物となってい
る。
2
2005 年東勢鎮戸政所http://household.taichung.gov.tw/l/population.htm参照。
東勢鎮男女別人口推移1950-2005年
35000
30000
25000
20000
人口数
男
女
15000
10000
5000
0
1950 1953 1956 1959 1962 1965 1968 1971 1974 1977 1980 1983 1986 1989 1992 1995 1998 2001 2004
年
東勢鎮男女別人口推移 1950-2005 年3
図1
図1は 1950 年から 2005 年にかけての東勢鎮男女別人口推移を示したものである。東勢鎮
の人口は 1950 年代後半から 1970 年代はじめにかけて急激に成長した。1992 年 61,499 人
をピークにその後はゆるやかに減少し、1999 年 921 大地震の後急激に減少している。
東勢鎮男女比推移1950-2005年
120.00
115.00
男女比(女=100)
110.00
105.00
男女比
100.00
95.00
年
図2
3
東勢鎮男女比推移 1950-2005 年
東勢鎮戸政所より入手した資料を元に、筆者が作図。
04
20
02
00
20
20
96
98
19
94
19
19
90
92
19
88
19
86
19
19
82
84
19
80
19
78
19
19
76
74
19
19
70
72
19
68
19
19
66
64
19
19
60
62
19
58
19
19
56
54
19
19
50
19
19
52
90.00
また、人口成長とともに男女人口が不均等になり始めた。図2は東勢鎮の男女比の推移
を表したものである。統計が開始した 1950-1951 年を除き、今日までほぼ男性人口の過剰
が続いている。このように農村の恒常的男女バランスは男性が常に女性を上回っているこ
とが分かる。
しかしながら、通婚圏は元々鎮に隣接する石岡郷、新社郷、卓蘭鎮、和平郷と豊原市を
含む範囲であったので、男女人口の不均衡が男性の結婚難に直結するわけではない。通婚
圏の変遷については後述する。
次に東勢鎮における国際結婚についてである。東勢鎮戸政所によると、国際結婚の最も
早い例は、1985 年タイ華僑の女性と東勢鎮の客家人男性との結婚であるという。現在国際
結婚数が特に多いベトナム人女性は 1998 年に婚入が始まった。同様に、ミャンマー人女性
は 1997 年から、マレーシア人女性は 1986 年から、カンボジア人女性は 1998 年に婚入が
始まる4。しかし、筆者が調査で知りえたデータに基づくと、それより以前 1980 年代前半
に人身売買によって売られてきたインドネシア女性と客家人男性との結婚が 20 例ほど行わ
れていた。
2004 年度以降各県市鎮ごとに外国籍配偶者の国籍別人数の統計が開始されたため、ここ
では 2004 年から 2006 年にかけての統計データを提示する。
東勢鎮出身国別新郎数2004-2006年
350
300
250
200
人数
2004年度新郎
2005年度新郎
2006年度新郎
150
100
50
他
の
そ
ダ
ス
トラ
ニ
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ュ
ア
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ジ
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ラ
ン
ド
カ
ナ
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シ
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フ
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ピ
ン
イ
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国
中
香
港
マ
僑
華
台
湾
0
国
図3
4
東勢鎮出身国別新郎数 2004-2006 年5
中国籍女性については、1949 年国民党の台湾移動以前から婚入があった。今回の調査で
は中国籍女性の歴史的婚入推移については割愛した。
5 内政部戸政司「台閩地区各県市郷鎮市区結婚人数按新郎新娘双方国籍分」93 年度、94 年
度、96 年度統計資料から筆者が作図。
図3は東勢鎮に結婚登録した新郎の国籍・地域別人数を示したものである。2004 年 321
人、2005 年 298 人、2006 年 303 人の台湾人が結婚した。ほか、2004 年日本人、カナダ人、
ニュージーランド人男性が 1 人ずつ、2005 年は中国人、アメリカ人が 1 人ずつ、タイ人 2
人、2006 年は日本人男性が 1 人結婚登録を行なった6。
東勢鎮出身国別花嫁数2004-2006年
300
250
人数
200
2004年度花嫁数
2005年度花嫁数
2006年度花嫁数
150
100
50
他
の
そ
カ
ナ
ダ
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トラ
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カ
オ
イ
ン
国
中
香
港
マ
僑
華
台
湾
0
国
図4
東勢鎮出身国別花嫁数 2004-2006 年
次に図4は東勢鎮に結婚登録した花嫁の国籍・地域別人数を示したものである。花嫁の
出身国・地域は、台湾以外に中国、インドネシア、フィリピン、ベトナムとヴァリエーシ
ョンがあることが見て取れる。特に、中国、インドネシア、ベトナムからは毎年一定以上
の花嫁が婚入している。その数は、2004∼2006 年の順に、中国 28 人、25 人、28 人、イ
ンドネシア 8 人、5 人、13 人、ベトナム 40 人、11 人、12 人となっている。
戸政所によると、中国、香港、マカオを除く外国人花嫁は 2004 年までの累計で 961 人、
離婚 54 件、夫が死亡した件数 9 件、妻が死亡した件数 2 件、転出 17 件であった。
また、離婚においても女性の出身国は結婚における出身国とほぼ一致している。
6
注3を参照のこと。
東勢鎮出身国別離婚女性数2004-2006年
140
120
100
80
人数
2004年度離婚女性数
2005年度離婚女性数
2006年度離婚女性数
60
40
20
本
日
オ
ス
ラ
ア
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ジ
カ
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トナ
ム
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マ
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シ
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ン
ド
ネ
カ
オ
港
マ
香
中
国
僑
華
台
湾
0
国
図5
東勢鎮出身国別離婚女性数 2004−2006 年
図5は、2004∼2006 年にかけて受理された離婚案件を女性の出身国別にグラフ化したもの
である。図4と比較すると、台湾人同士の結婚に比べて国際結婚の離婚率は非常に高いこ
とが示されている。
ここでは統計データに基づき、東勢鎮における国際結婚の概要を提示した。以下では、
通常の結婚と国際結婚の費用、慣行の差異について述べていく。
3−1.通常の結婚
通常の結婚は、1980 年代半ばまで「媒酌之言」と呼ばれるように、知人や仲人の紹介の
下に結婚することが普通であった。男女の自由な意思に基づく結婚は「自由恋愛」と言っ
て区別される。筆者が 2004∼2007 年にかけて断続的に行なってきた調査によると、婚姻儀
礼は以前より簡略化されているとは言われるものの、植野が報告した 1980 年代の台南と大
差はない。当然のことながら夫方居住が基本であり、妻は婚入後夫方の祖先祭祀を行う。
石角では通常の結婚のほか、オルタナティブな結婚方式がいくつかみられ、しばしば養
取と深く結びついている。
1. 婿入り婚:①「豚母税(ti bo sui)」、②「定終生」
2. 養取:①「過房子」、②「螟螂子」、③童養媳、④養女
婿入り婚は「jeu
long(客家語、婿取りの意)
」と言い頻繁に行われてきた。一般に「招
婿婚」は①年季を定めたもの、②男が「嫁」として嫁ぐものの二種類あると言われている。
一般には、女性が裕福あるいは器量が悪く、男性が貧しい場合に婿入り婚を行ない、以下
の特徴を持つ。①誕生した長男は妻方の姓を名乗り、次男以降は父方の姓を名乗る、②結
婚時に「衣装代」として妻方から夫方へ渡す、③7−10 年間妻方居住を行なう、④夫は自分
の祖先の位牌を妻の家に持ち込み祭祀してもよい、⑤母方の姓を名乗る子どもは義父の養
子とする。
他方、男が「嫁」として嫁ぐ形式は「定終生」といい、夫は妻の姓を自分の姓の前につ
ける。子どもは全て母方の姓を名乗り、位牌を持ち込み祭祀してはいけない。
しかしながら、実際に石角で行なわれた招婿婚では異なる形式が取られていた。まず、
招婿婚の夫婦は年季の制限はなく夫は妻の家に居住し続けた。また、夫は自分の祖先の位
牌を妻の家に持ち込まず生家で祭祀を継続していた。以上の点を除いて、長男に妻の姓を
名乗らせ、妻方の祖先祭祀を継続させ、他の子どもは夫の姓を名乗らせる「豚母税」の習
慣は他地域と共通している。
また、男子の跡継ぎがいない場合、他の房から男子を養子に貰う習慣や、父系血縁的つ
ながりがない男子を養子としてもらい、将来的に娘と結婚させる習慣もみられた。
その他、通常の結婚および招婿婚、結婚を目的とした養取とは別に、「人買い」から女性
を「買う」結婚も少数行われてきた。「人買い」が売るのは台湾人女性のほか、インドネシ
ア人であったという。筆者が伺った二例では、
「人買い」から「買った」女性は妾ではなく
妻として迎えられていた。
3−2.結納金と持参財
「聘金」
(pin kin、客、結納金)と呼ばれる結納金は、当事者のエスニシティにより「大
聘」「小聘」の別がある。東勢では「大聘」「小聘」の区別を行なうのは閩南人の習慣であ
ると言われている。実際に調査データからも、夫が閩南人である場合、「聘金」二種類を妻
側に送るが、夫が客家人である場合は「聘金」は一種類しかないことが分かった。
1950 年∼2006 年に結婚した男女の親族間に取り交わされた「聘金」は表のとおりである。
同じ年代においても金額に大きな差があり、個々人の経済状況によるものか「聘金」の所
有、分配をめぐる実践の差異によるものなのか、さらに調査が必要である。
かつて持参財といえば、食器棚、洋服タンス、円卓、椅子、家電用品、オートバイ、花
婿の服一式であった。2006 年に結婚した事例によると、
「聘金」は 36 万元が相場であった。
また、持参財は寝具、花婿が結婚式にて着用するスーツ、シャツ、ネクタイ、時計、革靴、
洗面器、鏡となどである。さらに妻側親族は写真代 5−6 万元を負担する。以前必須とされ
ていた家電用品は現在どの家にもほぼ揃っているため必要とされない場合もある。
植野によると 1980 年代の台南では持参財と結納金のバランスは以下の通りであった。
現在、佳榕林において持参財の最低必要品目と考えられている品は冷蔵庫、洗濯機、
テレビ、電気釜、応接セット、箪笥、ベッド、オートバイ、衣服、貴金属、現金など
である。持参財の内容については、仲人が2家族の間に立って調節するが、受け取っ
た結納金の金額以上である事が必要である[植野 1987:336]。
植野が伝える持参財と結納金のバランスは、2007 年の東勢では不均衡になっている。結婚
式の費用は全て夫側が出資するので、結婚における夫側の負担は相当なものである。
4.国際結婚の場合
本節では、1990 年代後半から急増した国際結婚について論じる。ここでは、国際結婚の
成立過程を述べ、従来の通常の結婚との差異を指摘する。さらに、国際結婚による花嫁を
めぐり近年様々な事件が生じているが、その背景を婚姻慣行の視点から読み解く作業を行
なう。
4−1.国際結婚成立まで
国際結婚7は、結婚を希望する男性、女性、台湾側ブローカー、現地ブローカー、双方の
政府を経て成立する。台湾における国際結婚の統計から、台湾側はほぼ全て男性、現地側
は女性であると考えて良い。まず台湾側の手順では、結婚を希望する男性ないしその親族
が台湾側ブローカー(台湾人の場合も先に嫁いだ外国女性の場合もある)に紹介を申し込
む。ブローカーは結婚希望男性を連れて現地に赴き、台湾人と結婚を希望する女性たち約
100 人と面会する。選択権は男性にあり、女性はほぼ断ることができない。合同の結婚式を
現地で済ませる。結婚式といっても台湾ないし現地の儀式に従うことなく、礼服を着用し
親族だけを招待し会食する程度のものである。結婚登記を行うと共にビザの申請を行なう。
男性は先に台湾に帰り、女性がビザを取得し台湾に到着するのを待つ。
この間、発生する費用は約 25−35 万台湾ドルで、全て台湾人男性が支払う。主な内訳は
航空券代、ホテル代、飲食代、花嫁に贈る宝飾代、仲介費などである。仲介業者は男性か
ら受け取った費用から、4000−3 万台湾ドル(約 13,000∼100,000 円)を嫁側の親族に「結
納金」として渡す。一方、女性側は「持参財」を一切持たずに結婚する。
外国人妻が台湾に到着して後、夫側の親族および友人、知人を呼び宴席を設け結婚披露
宴を執り行う。その規模は通常の結婚に比べて小さい。
ルビー・ワトソンが香港の事例で示したように、
「妾」を娶ることは「買(mai、買う)」と
いう動詞で表される。東勢でも国際結婚により嫁を娶ることを「買回来的(mai hui lai de、
中、買ってきた)」と表現する。
前述した植野の報告と比して[植野 1987:336]、国際結婚では持参金はゼロであり、結納
金と持参金のバランスを大きく欠いていることになる。また、ワトソンによると「妾」は
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ここでは仲介費用が発生する台湾人と外国人ないし中国大陸出身者との結婚を指す。自由
恋愛に基づく結婚は含まれない。
持参金を持たないので、この点においても国際結婚による花嫁と「妾」は類似している。
また、「妾」を娶ることは「再生産」を目的としていると言われるが、国際結婚において
も嫁が男子を出産した後、義父母が嫌がらせをして嫁を追い出そうとするケースが見られ
る。そのほか、子どもに恵まれない台湾人夫婦が便宜的に離婚し、国際結婚により若い東
南アジア女性を娶り代理出産させるケースもある。
4−2.姻戚との贈与
東勢に嫁いだ結婚移民女性は、しばしば出身国にいる生家に送金を行なっている。女
性にとっては、経済発展の進んだ台湾で稼いだ金を送り家計を助けることが台湾人と結婚
する目的の一つになっている。筆者の調査に基づくと、送金額は年間約 10 万台湾ドル(約
35 万円)に上る。
他方、国際結婚をした男性は「全く金のために結婚したようなものだ。毎回妻が帰国す
るたびにお金を持たせてやっている。私一人で妻の家族全員を養っているようなものだ。」
と、妻への不満を露にする。妻の生家への送金は通常の結婚における贈与関係を逸脱する
ものであるため、しばしば家庭内トラブルを引き起こしている。
以下では送金をめぐる事例を二例あげ、一方的な贈与の様相を示したい。
事例1
張氏夫妻
張氏(仮名、客家人、56 歳)は 1998 年にベトナム・ホーチミン出身の女性、阮女と結
婚し東勢で暮し始めた。阮女は 2007 年 36 歳で二人の年齢差は 20 歳である。張氏は四人兄
弟の長男であり、阮女と結婚する前に、二回結婚し一回「同居8(tong ju)」をしている。
結婚と「同居」で息子二人、娘二人をもうけている。年長の息子は 33 歳であり、阮女と年
齢差がない。阮女とは子どもを作りたくなかったが、阮女のたっての希望で子どもを出産
している。その娘は 4 歳になる。
張氏は 1998 年にベトナムに投資している台湾人の誘いに乗り、ベトナムを旅行した。そ
の際、「結婚でもしてみるか」と思い立ち見合いし、阮女と結婚した。当時、張氏は結納金
5000 米ドルと金 3 両分の指輪、ネックレスを阮女に贈った。また、阮女の生家には電話が
なかったので、電話線を引いてあげた。結婚式披露宴では 27 席を設けた。そのほか、ビザ
が下りるまで阮女に中国語の家庭教師を付けてあげたという。結婚にかかった総費用はし
めて約 50 万元(約 175 万円)であった。
張氏は東勢に 4 階建ての家を持ち、一階部分を美容院を経営する隣人に貸していた。そ
のテナント料 1 万 5 千元(約 4 万 5 千円)を阮女に渡し、こづかいとしていた。また、毎
年阮女がベトナムに里帰りする際には、10 数万元を持たせていた。夫妻はホーチミンに阮
女名義で 38 坪 3 階建ての家を購入し、姻族が住んでいた。また張氏は姻族のために家具、
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「同居」とは正式な結婚をしていないものの、男女が同じ家に住み、男性が女性に対して
扶養の義務を果たす関係をいう。
家電全てを購入した。
一方、阮女の生家は父(60 余歳)、母(50 余歳)、男 2 人、女 5 人からなる。阮女ノ性か
は貧民街にあり、彼女が結婚する前隣人から蔑まれるほど貧しかったという。阮女が張氏
と結婚した動機は「家族を貧しさから救うため」であり、
「台湾では何があっても目をつぶ
っている」という。
夫婦関係は 8 年間継続したが、2006 年のある日けんかになり張氏が阮女を殴った。阮女
は社会福祉局にすぐさま連絡し、張氏に阮女から半径 1km 以上近づいてはいけないとする
保護令を出させた。阮女はそのまま娘を連れてベトナムに帰国した。阮女は張氏に離婚を
要求すると共に、慰謝料として 50 万元の支払を求めている。
事例 1 では、結婚、結婚後婚家から生家への金銭的贈与を示したが、この間妻の生家から
婚家への贈与は金銭的なものは皆無であった。時折、妻の生家から子供用の衣服やベトナ
ム食材が送られてくる程度であった。
事例2
陳氏夫妻
陳氏は東勢にてビンロウ店を経営している。ビンロウの販売は利益率 200%という非常に
利益率の高い商売である。陳氏も軍隊退役後、一人で商いを始め店はなかなか繁盛してい
る。
陳氏は 2005 年 39 歳のとき、両親に結婚をせかされ国際結婚を決めた。陳氏はまず仲介
業者が観光ビザで台湾に連れてきたベトナム人たちと見合いをしたが、気に入った女性が
見つからなかった。今度は父方オバの知人に頼みインドネシア・カリマンタン島へ見合い
に行った。
陳氏がインドネシア行きを決めた背景には、陳氏の母親は閩南人でありながら長らく東
勢で暮らし客家語しか話せないこと、そしてインドネシアに行けば華人、特に客家語優勢
地域の華人と見合いができるためであった。
そこで結婚した妻の林女(2007 年 21 歳)はシンカワン出身の華人である。彼女は客家
語および標準中国語ができ、当時は学校の購買部で働いていた。結婚後翌年に長男(2008
年 1 月現在 2 歳)、2007 年に次男(同 0 歳)が誕生した。
二人は見合いの直後、林女の家で家族だけの結婚式を挙げた。その二ヵ月後、林女が東
勢に到着してから、陳氏の父親の友人、親戚を招待し 30 人ほどの小さな結婚披露宴を開い
た。その際、妻側の父母も結婚披露宴に出席した。この台湾旅行が後に陳氏一家で大騒ぎ
となった。
妻方の父母は台湾に行く旅費全てを夫陳氏が支払うことを求めたばかりか、林女の母方
オバに借金しその肩代わりさせた。陳氏が支払った金額はしめて7万元(約 24.5 万円)に
上った。旅費の負担、借金の肩代わりについて陳氏キョウダイはその負担を不当なもので
あると憤慨した。
陳氏と林女が結婚する際、陳氏は結婚披露宴の費用だけでなく、妻の生家の家屋の壁を
塗りなおすためにペンキ代を負担した。そして林女が台湾に嫁ぐ際、妻方の父母は銀行口
座を伝え送金するように言いつけたという。林女の姉二人はマレーシア華人に嫁ぎ、二人
とも婚家から送金しており、妻方の両親は林女にも送金を期待したのである。結局、陳氏
は林女にも店の手伝いをしてもらうということで、一ヶ月に 1 万 5 千元(約 5 万 2500 円)
を彼女のこづかいとして渡すことにした。陳氏によると妻はおそらくその全てをインドネ
シアの生家に送金しているという。
夫婦二人の取り決めについて、陳氏キョウダイは依然納得が行かない様子で「林女は結
婚のために台湾に来たのではない。出稼ぎしに来たのだ。」「嫁いできた者が夫の家から実
家に金を持ち出すなんて、通常の結婚にはありえないことだ。」という。
事例2は客家人とインドネシア華人の夫婦の事例である。同様に、妻方から夫方への贈与
はほぼ皆無である。その一方、夫方から妻方への金銭的贈与は年間 18 万元(約 63 万円)
に上る。
植野によると、娘の出産、生育儀礼、孫の結婚に当たって生家にあたる〈後頭厝〉はた
びたび贈与を行なわねばならない。例えば、産褥期には栄養のあるものを、誕生 12 日後の
「剃頭」儀礼では 6 羽ないし 12 羽の鶏・アヒル・豚の腎臓、豚の赤身肉、胡麻油、麺、芙
蓉の葉など 12 品、満一歳の儀礼では嬰児の服や帽子、指輪、首飾りなどを送る[植野
2000:249-252]。
しかしながら、林女の姻族は出産、生育儀礼に当たり何も送ってこなかった。当然、イ
ンドネシア華人、ことに彼女が属するサブ・エスニックグループにおいてそうした習慣の
有無にもよる。いずれにせよ、妻方姻族からの贈与は現時点においても行なわれていない。
事例1、2に限らず筆者が東勢で行なった調査に基づくと、国際結婚の夫婦において産
褥期の食物は夫ないし姑が準備している。また、出産、生育儀礼において妻方姻族から何
らかの贈与がなされたとは聞かれていない。このように、国際結婚では贈与が一方的に行
われ、通常の結婚で期待される贈与と返礼の均衡が崩れている。
4−4.考察
以上、国際結婚における贈与について事例を挙げて例証してきた。夫および夫方姻族が
外国籍の妻および妻方姻族に明らかな不満を抱く原因は、贈与―返礼の不均衡に由来する。
夫方にとってみれば、妻は何らか持参財を持ち結婚後も夫婦のために蓄財すべきであり、
婚出した生家に送金することはありえない。外国籍の妻方にとってみれば、国際結婚の目
的は生家を経済的に支援することであり、送金できなければ結婚の目的が果たされない。
また、事例に挙げたベトナム・キン族、インドネシア華人とも父系、夫方居住を原則と
しているものの、出産、生育儀礼に応じた姻族間の贈与習慣が異なっている。しかしなが
ら、台湾側の姻族は贈与習慣の相違にまで理解が及ばない。度重なる妻方姻族への贈与は
夫の蓄財を脅かし、しばしば夫婦間に緊張をもたらしている。
おわりに
本稿では第三節、第四節においてそれぞれ通常の結婚、国際結婚における贈与について
報告してきた。国際結婚では明らかに贈与―返礼の均衡が崩れており、異文化間の贈与―
返礼の均衡関係の欠如がみられる。
台湾では、男女間に大きな経済的格差が見られる国際結婚において、しばしば外国出身
花嫁は「金目当ての結婚をしにきた」と懐疑の目を向けられ、「彼女たちは子どもを産んで
もらうために買われてきたのだから同情の余地はない」と言われているのを耳にする。人
権擁護の立場に立脚すれば、外国出身の花嫁は「人身売買」の積極的/受動的な被害者に
あたり、台湾人男性とその家族は加害者となる。しかしながら、従来漢族における婚姻慣
行の視点から見れば、贈与―返礼の関係が成立せず、持参財を必要としない国際結婚は、
いわゆる「妾を娶る」結婚とほぼ一致するものである。妾婚では婚姻儀礼は省略され、そ
の目的は再生産であるといった特徴を鑑みれば、国際結婚が以上のようなそしりを受ける
ことは理解できよう。
今後の課題としては、こうした国際結婚における嫁と子女のメンバーシップが従来の原
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