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新約聖書におけるエルサレム

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新約聖書におけるエルサレム
新 約 聖 書 に お ける エ ルサ レム
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9
福音主義神学会中部部会発題用
服 部 滋 樹
I。問題の所在
・現代の地上的イスラエルおよびエルサレムがなぜ「聖地」と呼ばれるのか?
・なぜキリスト者もエルサレムはユダヤ人の領土であり続けてほしいと願うのか?
・・キリスト者も現代イスラエルやシオニズムを支持するべきか?
・新約の時代でもエルサレムは神のご目的の中で神学的璽要性を持ち続けているのか?
N.T.WighいJerusalemintheNewTeslmentinPeterW.L.Willker(ed.)、。/grza2jgy7zRzjz
gzzzz炉raal凶&jり叩a、iaがi::;¥(revd.ed。(::;arliskμ5randRapids:I)atemoster/Baker、
皿)、1)p.53j77.
PeterW.LWillke、r、/f、yz£yαz❹ EjEIθiyaり、リVew7eslsn41zzz?a・spl!cziya㎝、ノEy・z4gzle謂
(Gral㎡Rapids:IEEalmans、1996)
11.1世紀のエルサレム
・ 歴 史 状 況 → 捕 囚 後 、 ペ ルシ ャ、 エジ プ ト 、 シ リ ア そ して ロ ーマ 帝 国 と 変 わ る 支 配 者 。
マ カ ベ ア 反 乱 、 ハ スモ ン 王 朝 ( 1 9 4 8 年 以 前 の 最 後 の 独 立 ユダ ヤ 人 国 家 ! )
親ローマのヘロデ大王と一族による統治
・ユダヤ人の共通認識→捕囚から帰還したが、捕囚はまだ終わっていない。
( ネ ヘ ミ ヤ 9 : 3 6 ∼ 3 7 ; ダニ エ ル 9 こ 2 、 2 4 : バ プ テス マ の ヨ ハ ネ の 登 場 を め ぐる 4 福 音
書とイザヤ書40章の関係マタイ3:3、マルコ1:3、ルカ3:4∼6、ョハネ1:
23:ルカ2:25「イスラエルの慰め」&38「エルサレムのあがない」;エノク書、ダマ
スコ文書)
・ 礼 拝 生 活 → パ レス チ ナ 在 住 、 ディア ス ポ ラ を 間 わ ず ユ ダ ヤ 人 が 意 識 し た 詩 編 歌 に お け る シ オ
ン・エルサレムヘの回帰。ユダヤ人としてのアイデンティティ。文化的シンボルであり精神
的な拠り所。
新約聖書での言及例
「偉大な王の都」(マタイ5:35)
(神殿は)神のまことの「家」(マルコ11:17、ヨハネ2:16)
イエスによるエルサレムの中心性の承認(ヨハネ4:22)
しかし同時に「・・あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そう
いう時が来ます」(4:21)とも言われた。
イエスはこの言葉の中に積極的な意味(神の溜皿とこにおいても知ることができる)のみを込めた
­
m . 旧 約 か ら 新 約 へ : 幕 屋 ・ 神 殿 の 例
ヘプル 書 の 記 者 に よ れ ば 、 幕 屋 は 「 当 時 の た め の 比 喩 」 で あ り ( 9 : 9 ) 、 天 に あ る も の 、 即 ち キ
リストに見られるリアリティ、また、キリストの攘罪の死(9:28、10:10、19∼20)
に よ って 神 へ の アク セ ス が 可 能 と な っ た 現 実 の 「 写 し と 影 」 ( 8 : 5 ) で あ る 。
ヨハネはイエスこそが「まことの幕屋(「住まわれた」と訳されたGCIVO(9は七十人訳では「幕
屋 を 張 る 」 と い う 意 味 で 用 い ら れて い る ) 」 ( ョ ハ ネ 1 : 1 4 ) で あ り 、 神 殿 で あ る ( 同
2:21)ことを述べている。
バウロは更に進んでキリスト者が神の神殿であると言っている(Iコリント3:17、6:19)
J­、、
黙示録では、「私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられ
る主と、子羊とが都の神殿だからである」(21:22)と言われている。
「いのちの水の川」(同22:1∼2)→エゼキエル書40章∼、新しいエルサレムと神殿である
子羊(ョハネ7:37∼39)。
イエスはご自身を「宮よりも大きい者」(マタイ12:6)と言われた。宮きよめは、その結末を
動作によるたとえQ)arableinaction)として示したのではなかったか(N.T.wrlght)。イエス
は 実 際 こ の こ とを 預 言 して い る ( ルカ 1 9 : 4 3 、 マル コ 1 4 : 5 8 ) 。 → 紀 元 7 0 年 の エ ルサ レ
ムの陥落
*幕屋やエルサレムの神殿はキリストの来臨によりもはやその役割を終えたことはキリスト教会の中
に広くコンセンサスがあると思われるが、ではエルサレムそのものはどうなのか?
Ⅳ。新約聖轡におけるエルサレム
1)聖書的根拠
A.マルコによる福音書では(またマタイやヨハネでも)、エルサレムの中心性はガリラヤの璽要性
で相殺されている( りのイエスの現れの場所としても)。ウォーカーはマルコ福音書の執筆年
代をAD60年後半とし、イエスの来臨とエルサレムおよび神殿の間に神学的関係があることを
理解していたと見る。とりわけ、12章1∼9節でのエルサレムの最期とイエスの十字架の関係
が璽要なしるしと考える。ウォーカーはマルコ福音書を「新しい教え(ANewTeachlng)」と
特徴づける。
B。マタイはユダヤ人読者への配慮からエルサレムを「聖なる都」(4:5、27:53)と述べて
いるが、この記述には皮肉が込められている。婚礼の宴会のたとえ話では、王のしもべを殺害し
た者たちには「彼らの町」を焼き払う審きで描写されている(22:7)。「ああ、工」レサレム、
エ ルサ レム 。 預 言 者 た ち を 殺 し 、 自 分 に 遣 わ さ れ た 人 た ち を 石 で 打 つ 者 。 ・ ・ ・ 」 ( 2 3 :
3 7 ) ウ ォ ーカ ー は マタ イ 福 音 書 の エ ルサ レム 観 を 、 キ リス ト に よる 「 新 し い シ オ ン ( A
NewZlon)」と特徴づける。
C。ルカー使徒行伝でのnarrativeplotは、イエスの都上り(福音書)から使徒・弟子たちの都下
り そ し て 「 地 の 果 て ま で 」 の モ チ ーフ で 流 れ て い る 。
イエ ス は 「 エ ルサ レム に 行 こう と して 御 顔 を ま っす ぐ に む け ら れ 」 ( ルカ 9 : 5 1 ) 、 「 預 言 者
がエルサレム以外のところで死ぬことはありえないからですj(同13:33)→神の到来
に気づかなかったエルサレムの姿と後にある都への審き(19:41∼44、cf.21:20∼
24;23:28∼31)
使徒行伝では、迫害による離散(8:1)、エルサレムに残ることを決めたヤコブたちに迫る困
難(15:5、21:20ff)。パウロが都に上り、身の危険が迫った後(9:29)、ルカの
1 1 a r r a t i v e は エ ルサ レム を 離 れ 、 神 の 御 旨 は エ ルサ レム か ら ロ ーマ 帝 国 全 域 へ と シ フ ト して 行 っ
た こ とを 示 そ う と して い る 。
ウ ォ ーカ ー は ルカ 一 使 徒 行 伝 の エ ルサ レム 観 を 「 新 し い 時 代 ( A N e w E n 1 ) 」 と 位 置 づ ける 。
D . パ ウ ロ 書 簡 は すべ て A D 7 0 年 以 前 に 執 筆 さ れて い る 。
(1)パウロの国土観
Paullgnol・escompletelytheterritorialaspectofthepromlse…lnthe
(21uistololii(lallogic,:)fPaul,theLand(Ukethelaw,paltlcularandprovislonal)had
1:)ecomelrrelevant…Thepeopleoflsr記IUvingintheLandhadl:xlenrepla(;edas
thepeopleofGodbyauniversalc4:)lnmunltywhjchhadnospeclalte❹torlal
attachment…TheLandhasforhimbeenthristlfled.ltlsnotthepromlsedland
(muchasheloved旧that;bevamehlsinhel・itance,butthenvillgL,ord,lnwhom
wasanewcreation .ごrobelnChrist`…hasreplacedbelnglntheLandasthe
kieaHlfe..ズ)nceRltlHladmadetheLixrirlgLordratherthanth(!Torahthecentre,
hehadlnprinciplebrokenwiththeLand.lnChristPaulwasfreefromtheLaw
and,the陀fore,fromtheLand
W.D.Davies771e(λ)sp4E11andt11ぞ9jLan(ija戦yC11rls£lajljlyandjewfsj17旨・7・f£orlaj
j:)octrfrle(Berkley:UniversityofCElf,:)mla,1974),pp.178­9,182,213,217,219,
2
2
0
.
デイヴィスの根拠
1)ローマ書9:4には国土の約束φΓomise)には言及されていない。(promisesへ
の言及)
2)アプラハム契約に関する議論で(ローマ書4章、ガラテヤ書3章)、バウロは中心的
な テ ー マ の 一 つ 、 つ ま り 「 あ な た が 見 渡 し て い るー
この地全部を、永久にあなたとあな
たの子孫とに与えよう。」(創世記13:15;cf17:8、22:17)を省き、
「 地 上 の すべ ての 民 族 は あ な た に よ って 祝 福 さ れ る 」 ( 創 世 記 1 2 : 3 ; c f 1 7 : 5
22:18、ガラテヤ3:8)に集中している。とりわけ、創世記にある「子孫(
( y π 即 吟 ) 」 と い う 言 葉 の 使 用 に つ いて 議 論 して い る ガ ラ テ ヤ 書 で、 こ の 言 葉 が 創 世
記の普遍的約束の部分には現れないが、土地に関する3箇所の約束(創世記13:
15、17:8、22:17)には出てくるという事実である。故に、バウロはこ
の問題を意識していたと見てよい。te❹torialaspect()fthepromiseについて、
̈…hissilencepointsnottotheabsenceofaconsdousconcemwithlt、butto
hisd(!Uberate閲ectionoflt.l・llslnterpre首怠onofthepl・olniseisa­te❹torial.
W.D.Dav把s、ibid.p.179.
(2)バウロの神殿観
a.神の新しい臨在
Iコリント3:16∼17、IIコリント6:16
ITOW(lstemChast唵ns,thirlklllganachron弛ticaUyoftheTempleassimplythe
Jewishequlvalentofacathedral,ti21magelsslmplyonemetaphoramongmany
andwithoutmuchapparerltsignificance.Foraflrst­cel・1turyJew,however,the
TemplehadanenorTnousl;ほnlncance;asaresult,whenPaulusessuchanimage
withlntwenty­fiveyearsofthecruclflxlon(wlththeE1,2tu111Templestm
standlng),itlsastrikinglndexofl:heimmensechallgethathastakenplaceinhis
thought.TheTemplehadbeensupersededbytheChurch.̈
N,T.WlightJenjsajemln£11くり・,/ew了i?slameボ,p.70
b。礼拝の新しい性格
ローマ9:4­゛12:1(て11vλoT11c71vλaてpEt(xv)
不信仰のユダヤ人について語った後(11章)、パウロはローマのキリスト者たちに神
が 彼 ら に 望 んで お ら れ る 礼 拝 に つ いて 説 明 す る 。
また「霊的な礼拝」とは、根本的にはキリストによって完成された神の「憐れみ」に応
答する性格のものである。すでに献げられれた「犠牲」により頼むものである。パウロ
はここでsacrlnci111111nguageを用いてはいないが、3章25節に現れる礼拝語である
「あがないの犠牲、なだめの供え物(tλ(x、111ptov)を連想させる。→「あがない日
(DayofAtonement)」キリストの血(ローマ3:25、5:9;Iコリント11:
25;コロサイ1:14、20)と過越の子羊(Iコリント5:17)
→神殿の2つの祭り:過越し&ヨーム・キップル
キリストにおける成就
c。新しい「境界線」
神殿の構造→41心に向かって異邦人を排除する構造になっていた。
エペソ書2章14節
・食物について浄・不浄はない(ローマ14:14)→人への適用。
・エルサレム教会訪問の予定(ローマ15:25)の時、パウロの心にあったこと
は?「イエス・キリストの仕え人(λ£ttol)pTos)となるために、」(ローマ
15:16)「…異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたので
すから、物質的なものをもって彼らに奉仕するべき(λal:()りpT11・at)です」(同
15:27)と言い、異邦人は不浄ではなく、エルサレム教会に彼らと彼らの献金
を 受 け 入 れ る よ う 暗 に チ ャ レン ジ して い る 。
(4)エルサレムについて
ガラテヤ書4章
「このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜな
ら、彼女はその子どもたちとともに奴隷だからです。」(ガラテヤ書4:25)
→ユダヤ教の「母なる都」からの劇的なシフト。
「しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。」(同4:26)
新 約 記 者 に よる エ ルサ レム の 再 解 釈 → エ ルサ レム ・ ユダ ヤ 人 へ の 審 き ( I テ サ ロ ニケ 2 :
14∼16)
t]­マ書11章
l
11章26節の釈義的問題
(yuてa)Sはtempora17恥c()nsequenceかconnectlonかそれともlllannerか?
π(xs I(yp(x8λの「すべて」とはどういう意味で、「イスラエル」とは誰を指すか?
(y仙1吻(ya(xl,とはどのような意味か?
イザヤ書の引用はキリストの初臨のことか再臨のことか?
ウ ォ ーカ ー は バ ウ ロ 轡 簡 に お ける エ ルサ レム 観 を キ リス ト に よる 「 新 し い c t l 心 ( A N e w
Centre)」と特徴づける,
E。ヨハネによる福音書では、エルサレムは「世」と変わらないものとして、イエスが「ご自分
民 」 に 拒 絶 さ れ る 場 所 と して 描 か れて い る ( ヨ ハ ネ 1 : 1 0 ∼ 1 1 ) 。 宮 き よ め → 工
ルサレム神殿の結末の動作によるたとえ(降rablelna(;tion)。ウォーカーはこの福音書の
執筆年代をAD70年後とし、この出来事の応答としてヨハネはイエスのテーマを新しい幕
屋、新しい宮、神のまことの臨在の場として記したと考える(1:14、2:21)。また。
13∼17章とりわけ14章で言及されている「父の家」(14:2)を多くの注解者が同
意するように[天国]」と解し、2:16での「父の家」と関連づける。ヨハネにとってエル
サレム神殿の神学的意味は、神がご自身の民の中に住まわれる天の神殿と見なされることに
あった。ウォーカーはヨハネ福音書のエルサレム神殿観をキリストによる「新しい神殿(A
NeゝvTemple)」と特徴づける。
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F 。 ヘブル 書 の 記 者 も 、 イエ ス は エ ルサ レム に よ って 拒 絶 さ れ た ( 「 ・ ・ ・ 門 の 外 苦 し み を 受
け ら れ た 」 1 3 : 1 2 ) こ とを 証 言 して い る 。 そ して パ ウ ロ と 同 様 に 、 「 天 に あ る エ ルサ
レム」(12:22)に言及している。
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こ
うではありませんか。私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に
来ようとしている都を求めているのです。」(同13:13∼14)
ウォーカーはヘプル書をキリストによる「新しい召し(ANew(::;amng)」と位置づける。
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G。黙示録も、エルサレムの重要性のシフトに触れ、都は主が十字架につけられた場所であり、
「大きな都」ローマより何ら優れたことはなく、ソドムやエジプトと同等であることを述べて
いる(黙示録11:8)。キリスト者は地上的エルサレムではなく、「聖なる都、新しいエル
サレムが・・・神のみもとを出て、天から下って来る」(同21:2、10;cf3:12)
こ と に 目 を 留 め る よ う 主 張 さ れて い る 。
(黙示録の斬新な構造分析と解釈については、AlanG!11TowのjをveZaぴon(Newnlstalnent
llaldlng)を参照。)
ウ ォ ーカ ー は 黙 示 録 に お ける エ ルサ レム 観 を キ リス ト に よる 「 新 し い 都 ( A N e w C i t y ) 」 と
特 徴 づ ける 。
*以上の聖書的証言から、ヨハネ4章でのイエスの言葉はむしろ否定的な意味の方が大きいので
はないか。
・
f
­
.
.
根 拠
・エルサレムの結末に関するイエスの預言的な言葉はエレミヤ的な響きを持っていた(マタイ
16:14)。→エルサレムヘの審き、A.D.70年
イ エ ス の 拒 絶 は エ ル サ レ ム で ピー ク に 達 し た 。
・地上的なものから天的なもの、「上にあるもの」(コロサイ3:1∼2)、霊的次元へのシフト。
・λD.70年はこのプロセスにだめを押したが、この結末はイエスの口により弟子たちには以前
か ら 明 ら か で あ っ た 。 「 新 し い 秩 序 が 立 て ら れ る 時 」 ( ヘブル 9 : 1 0 )
結 諭
a.ThefateofJenlsalemdemonstratedhowGodcouldtakeawayadivlnegift。→エレミヤ
書7章。
b.T1・lefaUofJenJsalemgavealRofでtasteofwhatawaltedthewholeworld.
→ 「 こ の 時 代 の 終 わ り 」 ( マル コ 1 3 章 ) エ ルサ レムヘ の 審 き で こ の 世 の 審 き を 教 え ら れ た 。
V 。 イエ ス と エ ルサ レム
「史的イエスの第3の探究」?
80年代から始まった「イエス・セミナーJRober・tFunk,Marcus,L130rg,JohnDomlnic
Cr()ssanなど。
un­JewishCynicphllosopheroranrst­cel・ltu呼Palestjnlan(uncomf(:)1・1;able)prophet?
(J.DomlnlcCr(:、ssan)(M.Borg、BenMeyer、E.P.Sander・s;、C;ezav(?rmes)
通称「第3の探究」のおもな特徴
・ J . ヴァ イ ス や A . シ ュヴァ ツ アー ら に よ って 提 唱 さ れ た 「 終 末 論 的 預 言 者 」 と しての イエ ス 像 か ら
の バ ラ ダイム シ フ ト 。
・ 種 々 の 写 本 資 料 の 分 析 、 死 海 写 本 や ナ グ ・ ハマ ディ 文 書 な どの 精 査 、 な ど に よる 1 世 紀 パ レス チ ナ
の政治、経済、社会など文化・社会史的側面についての考察がとりわけ重要視される傾向。
N.T.WrightやP右terWalkerなどもこの運動の延長線上にいる。
̈SowhowasJesus?HewasayoungJewishprophet,whobenevedthatthepeopleoflsrae1,
thoughresldentlnPalestlne,werestmlnspirittlalexileundertheJudgmentofGod,and
indeedthattheywerenowfaclllgimmlnentcatastropheforthelrinwardぺ(:)oklng
natlonallstlcattltudesthatweresocontrarytoGodspurposeforlsrael.Jesusbenevedthat
hewassentbyGodtobringthepeoplebackfromexilelntothesalvatlonofGodpromisedln
theoldTestament.HeasMesslahdemonstratedthenewsalvatlonfeallt;yandthemission
oflsraellnhlsownnfe,bringlniiheaUngandl・(lstoration,andelrlb,::)dyingthedlvinepresence
l:・l()mlsedlntheoldI`estamentforthelastdays.Hlsdeathwasnoaccldent,butwasa
dellberateenterlngintok・ae1sQq)erience(:fexileand沁dgment,asawayofbr唵gingthe
promosedruleofG(:)dtothosewhowouldacceptandJolnthef7amnyofhlsfonowers.
Reviewar・tlcleofN.T.Wrlght sJesusand eWc応fy❶GodbyDavldWellham(WycUffe
HallNews;kttel1Apr11,1997,p.14.)
*徹頭徹尾1世紀のパレスチナとユダヤ教の背景に位置づけられたイエス像
イエスの到来と神のご目的におけるエルサレムの地位と役割の変化。
回復:政治から宜教へ
神殿:一つから他ヘ
エ ルサ レム : 地 上 的 か ら 天 的 へ
.ふ5み27,1ぶaりミ ̄
VI.この問題への他のアプローチ
1)教会史での問題
コンスタンチヌス大帝以降(A.D.325)のエルサレムの「聖都」としての強調。後の教会に
大き警哉を与えた。しかし、今日の教会が、このような考えが極端な形で現れた十字軍の行為に
対してどれほど神学的擁護を与えることに熱心か?
2)シオニズムの問題
a . シ オ ニ ズ ム と エ ルサ レム
・シオニズムの根拠
b . ク リ ス チ ャン ・ シ オ ニ ズ ム と ディスペ ン セ ー シ ョ ナ リ ズ ム
・旧約預言の理解
・旧約と新約の連続性と非連続性
・クリスチャン・シオニズムの問題点
その自己矛盾性
VII.整合性を求めて:新約神学へ向けて
IBlbllcaltheologyrequiresthattheoldl`iE!stamentm誂erialbelntelpretedthroughthe
prlsmoftheNew.AlthoughthlsdeniestoJertlsalemsomeoftheslgnl こanc4Eiassoclated
withitt:)othlnthe01dI`estamentandevenbysomet;oday,theJerusalem­themelsone
ofthevltalln咄rpretatlvekeysforundel・st;andlngthedynamlcflowofthescriptural
revelatlon.1 PeterWalker
テ ス ト ケ ース ・ ・ ・ 第 1 ペ テ ロ 書
「 散 って 寄 留 して い る 選 ぱ れ た 人 々 」 ( 1 : 1 )
「以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、・・・」(2:10)
イエスの十字架は遥か離れたエルサレム「シオン」(2:6)で起こったが、これらの出来事は彼ら
のためであった。ペテロはキリストの死と
り を エ ルサ レム の 出 来 事 と して 捉 えて い る 。 キ リス ト は
彼らのために死に、
られたことをペテロは何度も触れている(1:18∼19、2:21、24∼
25、3:18)。ペテロのように(5:1)イエスを直接見たことはない(1:8)が、キリスト
のために迫り来る苦しみを耐えることが奨められる。彼らの姿勢は尊い(2:7)。
牧 会 的 戦 略 と して、 ペ テ ロ は 新 し い エ ルサ レム と 神 殿 の 理 解 を 説 明 す る 。
1)新しい神殿
エルサレムに巡礼するのではなく、キリストに来る叫}o(yep糾辺vol、、2:4)が大事である。
キリストは「生ける石」であり、一つの場所に留まっているものではない。キリストに来ることに
よって彼ら回疋弐家に築き上げられ」、「聖なる祭司」・となるのである(2:5)。このメタ
ファーがエルサレム神殿から採られていることは明らかである。かつてエルサレム神殿にあった
いっさいの祝福は今キリストにある彼らの内にある。(2:9∼10)
こ の こ と は 4 章 に お いて も 確 証 さ れ る 。 「 彼 ら の 上 に と ど ま って い る s h e k l n a h 、 栄 光 の 御 霊 、 神
の御霊」(4:14)を述ぺつつペテロは彼らの現在の苦難が、神ご自身の「神殿」への審きの一
部であることを語る。「なぜなら、さぱきが神の家(lol)oucol)1(yueeot))から始まる時が来てい
る か ら で す。 さ ぱ き が 、 ま 1 r 私 た ち か ら 始 ま る の だ と し た ら 、 神 の 福 音 に 従 わ な い 人 た ち の 終 わ り
は、どうなることでしょう。」(4:17)ペテロは自分と彼らを「私たち」と呼び、「神の家」
と呼んでいる。
2)新しいエルサレム
ペ テ ロ に よる 「 寄 留 」 へ の 言 及 。 ( 1 : 1 、 1 7 ) 地 上 的 エ ルサ レム か ら の 距 離 的 な 問 題 で は な
い 。 1 章 4 節 で 「 ま た 、 朽 ち る こ と も 汚 れ る こ と も 、 消 えて い く こ と も な い 資 産 を 受 け 継 ぐよ う
に してく だ さ い ま し た 。 こ れ ら は あ な た が た の た め に 、 天 に た くわ え ら れて い る の で す。 」 と 述
べ、「‥・終わりの時に現されるように用意されhttp://www.迪いただくのです」(1:5)とつ
な げ て い る 視 力 で は な 匹 特 徴 づ け ら れ る 間 の 時 を キ リ ス ト 者 は 生 き て お り
(1:8∼9)、その意味で彼らは寄留の民である(1:17)。つまり、彼らが寄留しているエ
ルサレムは地上的なものではない。
v m . 結 論
不十分な考察ではあるが、以上のことから現在の地上的エルサレムおよびイスラエルには神学的には
いかなる重要性もないことを結論としたい。・むしろ、エルサレムを として、聖書神学へ石可万;・57
どこまでも福音の普遍性を主張することが聖書的であると思われる。クリスチャン・シオニズムにつ
いては若干の疑問を呈したが、メシアニック・ジュー・ムーブメント、パレスチナのクリスチャンな
ど、今後もオープンマインドで対話し、議諭をして行きたいと願っている。また、最近のディスペン
セーショナリズムの変化にもまだまだ疎いので、このこととの取り組みも今後の課題である。
遍雨轟極
*参考文献は手元にある個人蔵書分のみを以下に記した。
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