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~大切なメッセージがいっぱい・すてきな時間でした~
(毎日 5 日.15 日.25 日発行) 発 行 長野市旭町 1098 長野県教職員組合 新 聞 長 野 県 教 組 (昭和 27 年 5 月 27 日 第三種郵便物認可) 号 外 2015-59 女 性 部 全員配布 9.2 No.6 ~大切なメッセージがいっぱい・すてきな時間でした~ 子どもたちに 平和で明るい 未来を! 7月4日(土)千曲市更埴文化会館 今年も教職員いきいき学習会が開催され、250名の参加者からは「学ぶことがたくさんありました」 「明 日からは少し変わっていけそう」と好評でした。午前の全体会は、大和久勝さん(全国生活指導研究協議会 常任委員)に「発達障害の子どもと育つ~海ちゃんの天気今日は晴れ~」と題してご講演いただきました。 「困った子は困っている子」という子ども観の転換や学校における3つの共同についてお話しいただきまし た。残念ながら参加できなかった皆さんにも、全体会講演や各種講座の感動をお伝えできればと、報告集を まとめました。二学期からの実践に役立てていただければ幸いです。 大和久 勝さん講演記録 「発達障害の子どもと育つ ~海ちゃんの天気 今日は晴れ~」 〔共感が育てる子どもたちの自己肯定感と三つの共同〕 発達障害を抱える子どもにとって居心地のよい教室をつくるこ とは、他の子どもにとっても居心地のよいものになるはずだ、こ れが今日一番皆さんに伝えたいことです。困った子と言われる子どもたちの中には ADHD や LD、高機能自閉症、ア スペルガー症候群の子どもたちがいます。2002 年の文部科学省の調査で、発達障害の可能性があり支援を必要とする 子どもたちは、小中学校の普通学級の中で6.3%いるという発表があり、年々、その数は増えてきていると考えら れます。こういう子どもたちに振り回されると、中には学級崩壊という形で表れます。トラブルを追いかけ回すとい うのが多くなって、学級そのものを育てていくという指導が追いつかなくなるという悩みが、一般的にここ 10 年の 中で多くなっています。ここで考えなくてはいけないのは、個人指導と集団指導とをうまくかみ合わせることです。 私は、発達障害の子どもの指導を通常学級の中で続けながら、その子をとりまく学級集団がどう育つかが大きなポイ ントになると感じています。 「困った子は困っている子」は私が書いた本の題名です。この題名を本につけるときに、ずいぶん迷いました。で も、 「困った子は困っている子」という言葉は、今かなりたくさんの人が共通して認識するところになっています。今 日は、 「困った子は困っている子」という子どもの見方を分かってもらうことが一つのねらいです。発達障害傾向を持 った子どもたちは、分かってもらえない、理解してもらえないという苦しさ辛さを抱えて過ごしています。できない ことをできるはずだと見られる、なぜあなたはできないのと言われる、そういった否定的評価をくり返し受けて、子 どもたちの自己肯定感が低くなっていく。発達障害の子どもたちは「どうせ僕なんかだめなんだ」 「自分なんていなく たっていいんだ、いなければいいんだ」 、時には「僕なんか死んだっていいんだ」という言葉を言います。こういう言 葉を、小学校低学年期からの子どもたちの言葉として聞くようになったのは、ここ20年くらい前からですよね。こ れはまさに、自己肯定感の低さを表す言葉です。そうした自己肯定感をどう高めるのかというのは、発達障害の子ど もの指導のポイントになります。でも今、自己肯定感を低めている子どもはもうクラスの半数ぐらいという感触を受 けます。だから、発達障害の子どもの支援をすることで多くの子どもたちの自己肯定感を取り戻すこともできると考 えているんです。私は、共感が大きなカギだと思っています。表題に、 「共感」が「三つの共同」を育てると書きまし 1 たが、私は学級づくり、生活指導、学校づくりには、過去へさかのぼっても、必ず3つの共同が生きていると考えま す。一つは、教職員の共同ですね。二つ目は、保護者との共同です。三つ目は子どもとの共同です。私は、その子ど もとの共同を学級づくりと呼んでいます。いつもバランスいいわけではないけれど、発達障害の子どもをめぐる問題 は、一人ではできなくなっているので、三つの共同が本当に重要だということが今、分かるようになっています。私 は、発達障害の問題が表れてきたときに、この問題を通しながら学級・学校づくりができるという感覚ももちました。 子どもたちをどう見て、三者がどう力を合わせていくかということですね。 〔発達障害の子にとってのクールダウン〕 今や、小学校から始まった発達障害についての関心は、中学校や高等学校 にも広がりました。私は、國學院大學で免許更新講習が始まってからずっと 子どもの変化というところの講師を担当しています。國學院は中・高の先生 を育てるところなので免許更新も中・高の先生が中心です。最初の頃は、中 学校・高等学校の先生に小学校での発達障害の問題を子どもの変化として示 しても、あまりピンとこなかったです。今や、中学校・高等学校の先生も十 分この問題を承知しています。かつて、小学校低学年の子どもというのは、 とても指導が入りやすいという印象でした。しかし、これが大きく変わって、立 全体会司会 武田佑樹 青年部常任委員 ち歩く、言うことを聞かない、ヒステリーを起こす、いじける、教室を飛び出す、 突然パニックを起こすというようなことが起きるようになったんですね。教研集会の中でもそういう話題がたくさん 出て、東京都も組合主催で小学校一年生の担任の会がつくられました。それまで私は、我慢できない男の子の問題と してとらえていました。男の子が甘やかされて育って、父親も子育てに不在であって、だからこんな子どもたちがで きるのかなという言い方で解説していました。私は、 「パニックボーイ」っていう言葉を使って、ものを書いたんです が、その子どもたちの中に、発達障害に苦しむ子どもたちが多くいるんだな、発達障害の視点からその子を見てあげ ればもっとその子たちへの理解や支援も変わっていくのではないかと考え始めたのが、この時期です。小学校で見ら れた子どもの変化っていうのは、六年経って中学校一年生になるんです。それで、さらに三年加えて中学から高校一 年生になるんですね。よく考えなきゃいけないのは、子どもの変化っていうのは下から進んできたってことです。20 年前に初めて経験した小学校一年生の状態が今は普通の状態になって、そのために小一プロブレムという問題が起き ていると考えます。 さて、私はこのころに、ADHD の A 君と出会いました。今この子は30才を過ぎています。入学式の後に親から 初めて診断書を手渡されて、ADHD のことを知りました。A 君は自分の感情をコントロールできないで、壁や扉をた たいたり、机やいすを倒したり、鉛筆や筆箱を投げたりしました。そしていじけたんだとその当時、私は思ったんで すね。教室を飛び出ます。 「どうして飛び出たの?」って言うと、まわりの子は「分かんない。なんか急に落ち着かな くなって、急に顔色が変わって飛び出ていった」そんな言い方をしました。飛び出ていった後、追いかけますよね。 追いかけると、必ず廊下を曲がったところにしゃがみ込んでいたり、階段の下の物置みたいなところに体を潜ませて いたり、あるいは特別教室に入り込んで中にうずくまっていたりしました。はたから、体は丸ごと見えるんだけどね、 本人は隠れているのかな。でも、隠れているんじゃないんですよね。彼らはそうやって自分をクールダウンしている んです。しかし、学校っていうのはクールダウンする場所がないんです。子ども本人も、いつどのように自分の感情 をコントロールしたらいいか、クールダウンしたらいいのか、知らないんです。だから、私たちはクールダウンする 場所を学校の中に考えていかなくちゃいけない、クールダウンできる力を子どもにつけさせいかなくちゃいけない、 それを見守れる集団をつくらなくちゃいけない、そう思ったものでした。 最近は小学校一年生にあがった段階で、他者に対して暴力的な子どもが見られます。暴力を学校に上がる前に学ん で来ちゃうんですね。今そういう子どもを育てるのが大変です。家庭の中に暴力があるわけです。そういう中で、幼 稚園・保育園で否定的評価の中で、自分自身がやけっぱちになっていく二次障害的な表れ方をすることもあります。 中には、虐待やネグレクトが関連する子もあります。だから、愛着障害という考えで見ないと理解できない場合が出 てきています。そんな子はもう抱きしめてあげるしかないと思うんです。愛着障害なのか、発達障害なのか、ここの ところはちゃんと見分けていかないとならない。ところが、発達障害と愛着障害はくっつくんですね。だから、発達 障害傾向が強い子は愛着障害をもつと、その症状は厳しくなっていく。施設にいる子どもたちの八割、九割が発達障 害と愛着障害に悩んでいるんです。それを見ても分かるように、愛着障害と発達障害という問題は関連づけて考えな くてはいけない。A 君は初め、人を傷つけたり物をこわしたりしませんでした。でも、徐々にやるようになりました。 2 それは、相手・周囲との関係によって起きてくるんです。ADHD の障害は、関係障害とも言われます。まわりの子ど もたちのその子に対する見方が十分でないと、その子の辛さ・生きづらさを理解していないと、その子自身の精神的 な問題になっていくんですね。廊下に出て行けば、最初の頃私たちはやっぱり追いかけたし、連れて帰りたいから子 どもたちに応援を頼むわけね。A 君をみんなして引きずって教室に連れて行く、もうこれでまるっきり、その子は自 己肯定感が落ちている、傷ついているんですね。そうやって、まわりとの関係で他者に向かって危害を加えたりする ことが起きてくるんです。でも基本は、その子自身が自分をコントロールできないという問題です。このころ、いわ ゆる自傷行為を行う子どもたちも見るようになりました。 「ぼくなんかだめな子だから」と叫びながら、自分のおでこ を壁にぶつけるんです。A 君の場合も、そういうことが見られました。A 君との二年間はあっという間に過ぎました。 A 君の場合は診断書があったということで、親が最初の保護者会で話をさせてほしいと言いました。うちの子はこん な発達障害をもっているのでと話され、お母さん方に理解や協力を要請したんですね。親たちも子どもたちに「あの 子には丁寧に接しようね」と、子どもたちに伝えてくれたんです。だから、子どもたちも一生懸命その子のためを考 えて動いてくれました。あっという間だったというのは、そういう協力の中でやったということと、それからこのと きクラスは24人だったんです。小規模であったということが幸いしました。私たちは、これを機会に各階に、発達 障害の子どものためのクールダウンスペースを作りました。 空き教室なんて、 どこにでもあるわけではないですから、 比較的空いている教室を、その子達が一人になりたいとき、クールダウンさせなくてはいけないときに連れて行くよ うにしようと、教師間で取り決めをしました。 〔教育相談部会による教職員の共同と学校づくり〕 このころはまだ、発達支援員という方がいたわけではなかったです。そこで、私たちは学校の中に校長・教頭の管 理職を含めて、教育相談部会という組織をつくりました。地域の方から、6年生の発達障害の子どもの話が出た際、 何で大人である教師が子どもに言うことをきかせられないのかと言われ、校長は、私たちに指導力を高めましょうみ たいなことを言いました。東京都で、指導力不足教員という制度がつくられたのがその頃でした。低学年で発達障害 の子どもを受け持つのは、ベテランの女性の先生が多かったです。指導が行き着かなくなってどうしても学級が成立 しなくなっていったときに、指導力不足教員としてレッテルを貼られていきました。ところが、誰だって受け持つ可 能性があって、その担任のせいではありません。そのときに、管理職がどういう立場がとれるか、これは担任の指導 力の問題となっていいのか、学校の指導者であるべき管理職が子どもの状態をきちっと見ておくということは当たり 前じゃないかと考えて、私たちは教育相談部会を管理職がいないと絶対に開かないようにしました。その後も、やっ ぱり低学年の教室経営をみんなで一緒に考えなくちゃいけないという場面に出会うんですね。入学式の日に、教室に じっと座っていられない、式の最中にも席を離れる子どもがいたんです。私は誘導係だったので、その子を押さえつ けるようなことをして、そのときのことは今でも忘れません。このとき、比較的若い先生が担任で、その先生の苦労 を考えると一人に任せておくわけにはいかないとなって、教育相談部会をつくっていきました。一人に抱え込ませな い、一人で抱え込まないを合い言葉にしました。まさに、発達障害の問題というのは学校づくりの一つの大きなポイ ントになっていると思っているんですね。教育というのは、ひとりでやるものではない、共同してやっていくんだと いうことも明らかになるし、学級で受け持つ子どもの問題は学校全体の問題なんだという、これも大事な共通認識で す。40代、50代の先生達が、人に悩みを打ち明けて相談できない、自分でやるしかないという中で、疲れ切って いったのを見ました。それじゃいけない。私、本当は海田君を受け持ちたくなかったんですよ。校長から話があった ときに、すぐに断った。だけど、次から次にみんなに断られて、二回目に回ってきたときは断りませんでした。この ときの校長さんは、10年くらい教頭をやってきた人で、この管理職とは 一緒にやっていけると思いました。受け持つときに、私はみんなの前でみ なさんの応援がなければ私は受け持つことができない、応援してもらうと いう条件で受け持ちますって言ったんです。若い先生達にとって、声を出 してヘルプをかけるっていうのは、なかなか難しいです。中堅以上の方達 が学校全体にヘルプをかけると、若い人たちもヘルプをかけることができ るんですね。もう一つは、指導をその学校の財産にしていくということで す。それが、学校づくりの大事なことだと思うんです。 〔海田君をめぐる三つの共同 ①教職員の共同をつくる〕 海田君の指導の中で一番大事にしたのは、日々観察して記録することです。 観察したことを、 画用紙に書きなぐって、 移動するときにも持って歩きました。 3 全体会講師紹介 丸山靖子 女性部副部長 海田君の状況を、晴れや雨のマークなどをつけて、先生達に説明しながら、記録を読んでもらい、回覧していったん です。観察して記録して、それを自分だけでなくオープンにしていくということは、教職員の協力・共同をつくり出 す大きなポイントだと思いました。簡単なメモ書きでいいので、どう手伝ったらいいのか、どうしたらいいのかを見 えるようにしました。そうでないと、大変になった頃にはもう、その先生は口を閉ざしているんです。東京都では人 事考価というのが出てきたんですね。一人ひとりが自己申告して評価を受けるものです。私たちはそれに抵抗しまし た。学校の仕事っていうものは、ひとりでやるものじゃない。みんなでやるのが本来の教育の姿だと、がんばってい きましたね。人事考価が出てきたとき、一時、先生達は悩みやつらさを抱え込み見せまいとしたんですね。しかし、 それは違うっていうのが分かっていきました。やっぱりみんなで一緒に協力して、一人の仕事は集団の仕事なんだっ ていうことを、もっと私たちはしっかり考え合おうと、この海ちゃんの実践はそういうことともつながりながら進ん でいきました。先生方と一緒にやると覚悟を決めたら、自分の学級は全てオープンにする。校長先生は、大変なこと をお願いしたということもあって心配してよく廊下を歩いてきてのぞくんですよね。 すぐに、 「そんなのぞいてないで、 教室の中に入って子どもと一緒に勉強しながら、私の手伝いしてくださいよ」って頼みました。それまでは、あまり 人に見られるのはいやだったし、とりわけ管理職が教室に見に来るなんていやでしたけど、そうしていたらやっぱり この実践はいきつかない、一人で抱え込んではならないだっていうのが、発達障害の子どもを抱えたときの大きなポ イントになります。海田君は、朝会で失敗を繰り返しました。並んでいても、必ずもめ事を起こすんです。朝もめ事 を起こすと、もう一日だめです。それを積み重ねていったらだめだと思って、教育相談部会を通して先生方にお願い をしました。朝会や集会は、本人の意志や状態で判断して無理強いさせない、担任である私は海田君についていて、 自分の学級は他の先生にお願いしました。出張に行くとトラブルが起きる。そこで、出張に行かずに学校で仕事をし ていいかと先生方にお願いしました。それから、集団登校も失敗して、だめだなと思いやめました。この提案をして いったとき、 先生達の中には反対する方もいました。 「そんなことやっていたら、 ますますわがままになるじゃないか」 と。だけど、わがままではなくて、できないことをできるようにさせる無理の中から、その子が自己肯定感を落とし ている。私はできなくていいとは思いません。でも、今無理してやらせて、失敗を積み重ねたくないと思いました。 やがてできるように絶対させたい、だけど、そのためにも今この子に失敗を繰り返させたくないとお願いしました。 先生方は、それならと納得してくれました。それから、海田君が一人でいたいときのために、多目的室の隅の一角の 狭いところをパネルで仕切って、その中に海田君がいてもいいということもお願いしたんです。お母さんから、家で はイライラしてくるとそれをコントロールするために、段ボール箱の中に入ってふたをするんだと聞きました。学校 にも段ボール箱を持ってきてもらって、海田君ルームに置きました。相談部会を通して提案していった、こういう教 職員の協力・共同というのが、発達障害の子どもを指導する上で大きな安心を与えられます。 〔②保護者との共同を育てる〕 保護者との共同、これが二つ目の共同です。いずれも共感がもとになっていきます。その子の苦しさ、辛さに対す る共感がなければ、支援は広がりません。海田君のお母さんと初めて会ったときに、 「愛と忍耐が全てです」と言われ ましたが、私は最初、ピンときませんでした。 「何度、この子と死のうと思ったことか」とも言われました。その当時 の切羽詰まった様子が伝わりました。 「ADHD だという診断を受けたとき、救われた気持ちになった。私の子育てだ けに問題があったわけではないんだと分かって、すごくほっとした」これは、発達障害の診断を受けた親の本当に正 直な気持ちです。だけど、学校では「やっぱり ADHD だったじゃないですか」と言われるだけで、その後、学校と してその子をどう指導していくのか、どう考えていくのかを知らされたことがないって、そういう不信感もわたしに ぶつけてきました。海田君のお母さんからは、小学校に上がるまでの大変さをたくさん聞きました。学校での夏の研 修会では、学校に上がるまでにどんな生い立ちがあったのかを列挙してもらい、それを資料として使わせてもらいま した。そういう親に出会っていく私たちが気をつけなければいけないのは、その親を追い詰めないことです。うんと 辛かったこと、悩んできたことを聞いてあげることですね。私は大学ノートをつくって、日常の生活をつかんでいき ました。問題点を書いていくのではだめですから、私は学校であった日常的な子どもの姿を出しました。できるだけ 親が励まされるような内容を大事にしていきます。言わなければならないことは電話で、あるいは面談で、家庭訪問 でやっていく。だんだん時間が経つにつれて、ノートでも率直に状況・問題点を示すことができるようになっていき ますが、やっぱり最初はできるだけ励ます内容や日常的な「桜が散って残念ですね」というような会話を自然に繰り 返していくと、いざというときに使えるようになります。二年生の最後の頃に教育相談部会に参加したいとお母さん が言われて、今後どうするか相談をしたんです。そのときに担任の先生が、この一ヶ月にクラスであったことをお話 ししますね、と言ったら、海田君のお母さんは手帳を広げられて、 「先生、うちの子がどういうことをしたと言うんだ 4 ったら、どうしてそういうことが起きたのか、その後どういう指導をしたのか、そのことも必ず合わせて聞かせてく ださい。 」とすごくこわばった表情でおっしゃったんですね。担任の先生も私たちもたじろぎました。失敗する、問題 が起こるのはどうしようもないことですが、それまでは泣き叫んだり、他の子に危害を加える、授業にならなかった りなどがあるとお母さんに連絡していたんですね。お母さんは学校から携帯電話を持つように言われたと言っていま したが、お母さんが学校に来ると、教室に入らなくても廊下にいるだけで、海田君はおとなしくなりました。多くの 子がそうですよね。お母さんを呼ぶと言うと、 「やめて!」 「お母さんにだけは言わないで!」と騒ぐ。お母さんが来 ると、全く変わった様子を見せます。海田君が掃除用具のロッカーに乗るようになったとき、私たちは教育相談部会 で海田君には今あそこが大事な居場所なんだと考えて、親にもそう説明したんです。それは、親にとっては悲しくっ てね。後から聞かされたんですが、その当時から学校に対する不信感が強まっていったそうです。保護者との共同の 中で、私たちは保護者に遠慮してはいけないところもあります。遠足や社会科見学に行って、何か失敗したり事故が 起きたりしたら、元も子もないんですね。だから、お母さんの条件によるけれども、私たちはお母さんにも協力して もらう部分もあるんです。音楽と図工が専科だったんですが、その授業が本当に大変でした。私がつききりで、図工 の時間はまあやれたんですけど、人の作品にちょっかいをかけたときには、やっぱりちょっとこれは困るなと思いま した。お母さんが「図工の授業の時は、先生の代わりに私がそばにいるから」と言って、受けてくれました。お母さ んは絵が好きで、子どもの似顔絵などもたくさん描いてくれて、子どもたちに人気が出てきたんです。さらに、お昼 のお弁当も持ってきて、 グループを回ってみんなと一緒に食べるようになりました。 そして給食の前の時間を使って、 本の読み聞かせをしてくれるようになったんです。週に一回ですけど、5~6冊の本を持ってきて、そこから2冊く らい読んでくれ、持ってきた本を一週間学校に置いてくれました。金曜日だったんですが、図工の時間を含めて、海 田君のお母さんが来てくれることを子どもたちはすごく喜んで待つようになりました。そういう子どもとの接点みた いなものが保護者にも伝わって海田君のお母さんの思いを感じて、いろいろな形で協力してくれる保護者が増えまし た。だから、保護者との共同っていうのは、保護者同士の共同も育てていくと考えます。 〔③子どもとの共同を育てる〕 三つ目の共同は、子どもとの共同です。これが一番大事な共同なんですが、やはり三つの共同があって初めてうま くいくものなんですね。子どもの自己肯定感というのは、他者との関わりの中から育つと思うんです。共に生きる教 室の子どもたちの支えと評価が、子どもの自己肯定感につながっていくと思うんです。子どもは子ども集団の中で育 ちます。初め、海田君を見ていて変わった子だなというのは頭から離れませんでした。勉強で困っているんじゃない かと思っていましたが、ちゃんと勉強するんですね。困っているのは彼より私の方でした。でも、私はそれでいいと 思うんです。今日話を聞いた、本を読んで勉強した、だからこの子達は困っているんだな、と全面的に頭を変えてし まったら、きっと失敗すると思うんです。半ば、困った子なんだなということを残しておくから、困っている子なん だということの発見が出てくると思うんです。困った子だと思いながら、困っている子なんだと分かるということ、 そのために私たちはその子たちと出会い直すんだと思います。困った子は困っている子なんだと思ったとき子ども観 の転換として現れる、それが出会い直しです。 〔どの子にも居場所と出番を①観察・記録から好きなことをつかむ〕 海田君を受け持ってまず、どんなことが好きなのか、どんなこ とが得意なんだろうか、そういう発見をするために観察と記録に 徹しました。海ちゃんは将棋が好きでしたから、将棋クラブを学 級の中につくり、折り紙が好きでしたから、折り紙クラブもつく っていきました。それから、他の友だちが大事にしている石を取 っちゃったことをきっかけに、この子は石が大好きなんだと分か り、石をご褒美に使いました。私のポケットの中にいつも石を満 全体会講演を聴き入る参加者 載して、 「この石、きれいだろ。この石、ほしかったらドリル1問やってみよう」なんて単純な誘導でもってやったり しました。やはり、その子の得意・不得意やその子の自慢、その子のこだわっていること、そういったものを早く知 る、これが大事だと思います。教室から出て行くことは多いですから、出て行っても追いかけません。代わりに職員 室に電話をします。私の教室と職員室の電話をつなげてもらいました。その当時3つの教室が職員室とつながってい ました。子どもたちのための態勢づくりとして、毎時間必ず職員室で仕事をする人を決めたので、職員室に電話をす ると、その人に連絡がいって、一緒にいてもらいました。4~5月で、飛び出した子を追いかけると教室が成り立た ず、教室の子どもとの関係も育たない。それは避けた方がいいです。だから、そういうシステムをつくることが肝心 5 です。最初の2~3週間が過ぎていって、4月23日の音楽、専科でしたね。楽器にこだわりを持っていて、いつも 途中でだめになるから、 「教室に戻ろう」って言って教室でトランプしたり将棋をしたり好きなことをして、私が教室 で他の仕事をする過ごし方をしていました。でもこのときは、1時間居させたいなと思ったから無理したんですね。 キーボードを蹴っ飛ばして、後で修理に出すくらいでした。友だちも蹴ったりして暴れて、外へ出て行ったんです。 もうこうなったら、どうしようもないです。私はみんなの前でしかったりするまいと考えていますが、二人になると、 やっぱり言いたいことはたくさんあるから言ってしまいます。この子たちは、10分間くらいクールダウンの時間が 必要で、そうしないうちにお説教をしても効き目がないことは分かっているんですけどもね、ぶつけてしまう。一対 一でぶつけている限りは、そう大きな問題には発展しないんですが、みんなの前でぶつけるとそれはその子にとって 大変大きく傷つけるというか、自己肯定感を低めるんですね。避難訓練の時、姿を消していくんですね。職員総出で 探してくれました。そして、1時間後くらいに、中学校の塀の裏にうずくまっているのを見つけて、学校へ戻ってき ました。でも、教室に戻ってくることはありませんでした。一度キレると続くということはよくあることです。だか ら、大きくキレた翌日は要注意です。それから、この子は月曜日が要注意でした。そして、天気が悪い日、雨が降っ た日も要注意でした。だんだん観察していくと、そういうのが分かっていきますが、この日は体育倉庫で物を投げて 暴れていました。登校班のいざこざが繰り返されていた後でした。教頭先生が、一生懸命抱え込んでいました。養護 の先生もやってきて、いつも助けてくれました。だから私は、このころから学校というのは、養護教諭は複数いない といけないと強く思いましたね。この日も海田君は養護の先生と一緒にいたので、私は教室に戻って授業を再開でき ました。このとき教育相談部会で確認されたことは、キレる・暴れるときいきなり禁止したり強く叱ったりしない、 朝会や授業は無理強いしないで本人の気持ちにしたがう、ということでした。 〔②家庭訪問から学んだこと〕 初めての家庭訪問です。学校に対する信頼感を取り戻すことが大事でした。わたしは家庭訪問から多くのことを学 びました。いろいろなことを聞かせてもらったし、海田君自身が学校での海田君とまるっきり違うんですね。もう表 情が違う、出す声も違う。だけど、学校とは違う姿を見せるのは、やっぱり学校では居づらさがあるんだろうなと思 い、でも学校での姿も家での姿もどちらも海田君なんだろうな、両方合わせて丸ごとつかんでいくことが大事なんだ ろうなと思いました。ADHD と診断された後、3年生でアスペルガーとの合併症だとの診断書を見せてもらいました。 周囲のいろいろな無理解、親戚や祖父母からも子育てに間違いがあるんじゃないかと言われて辛かったということも このとき聞いて、本当にそうだろうなと思いました。本人が、5歳くらいの時に「ぼくの心の中に悪魔が住んでいる」 と言ったということも聞きました。友だちを呼び寄せてわざとドアに挟んじゃったり、停留所でバスが来るところに おばあちゃんをぽんと突き出してしまったり、そんなこともあったと聞き、小学校に上がる前に受けた親の苦労は大 変なものだな、と思いました。そういう共感があったからでしょうかね、この子のことを多角的に見るようになりま した。この子は切り替えが苦手で、切り替えをスムーズにすることを家庭訪問の時に親がやっていたんです。 「あと何 分経ったら、こういうことをするから、待っててね」 「あと5分だよ」 「もうすぐだよ」 「もう時間が来たよ」という声 がけをていねいにやっているんですね。それを見て、ああそうか、やっぱり切り替えさせるためには予告することが 大事なんだな、ということを学び、教室でもそうやり始めました。そうすると、 「最近の先生は、前よりずっと優しく なったと子どもから評判ですよ」と保護者から言われました。海田君のことを考えて取る行動が、どの子にとっても 過ごしやすい行動なんだな、みんなは急に切り替えられても我慢してるんですよね。もう一つ、発達障害の子には集 中力がないと言われるけれど、 一つ集中できることがあるとものすごい集中力を見せるんですね。 こだわりが強い分、 集中したことには徹底的に集中します。海田君は、国語の暗唱能力がすごく高かったですね。算数もすごく得意でし た。とっさに切り替えていく、キレる前に何とかしようということで、役に立ったのが、子どもの関心をぱっと切り 替えていく方法です。そしたら、今までのことは何だったんだという程、様子が変わっていったことを覚えています。 無理して正攻法で、真正面から対応するだけでなくて、ちょっと脇から対応すると違うんだということです。 〔③海田君との出会い直し〕 5月1日になりました。体育の後、理科で畑にいたんですが、そばにいたはずの海田君がいませんでした。そうし たら、音楽室から声がするんですね。海田君のとなりで音楽の先生が、私に向かって手招きして、 「早く来い」と呼ん でいるんです。4年2組の授業中でした。楽器をいじっていたんですが、私が行くと、音楽準備室に逃げ込んで行き ました。準備室にもたくさん楽器があって、それを弾くんです。私は「やめよう」 「戻ろう」と言ってそばに行くけど、 逃げようとするんですね。もう最後はだめだと思い、泣き叫んで今日一日だめになってもしょうがないと思って捕ま えました。ところが、準備室からは外に出られないようになっていて、音楽室を通らなくてはいけない。4年生の中 6 を通らなくてはいけないんですね。それで、もっと泣き叫ぶのが激しくなっちゃったんです。廊下に出て、図工室が 空いていたので、図工室に入りました。普段だったら、しばらく待っていれば済むんですけど、このときはそういう 状態でもなかったので、私は抱え込みました。腕を引っ張ったり、羽交い締めにしたり、後ろから抱きついたりって いうのは、だいたい失敗します。横や前から受け止める、抱きとめて、 「今やってることをやめよう」と言います。 「や めなさい!」 「やめろ!」と言ったら大変ですから。すると、彼の回してくる手が、私の背中を抱き寄せるんです。そ のとき、本当に切なくなってきました。自分の感情や行動が自分の思い通りにいかない苦しさを彼が私の背中に回し た手の感触から感じました。 「楽器を弾きたかったの?」と優しく聞いてあげました。 「考えてあげるよ」と言って、 彼を抱きしめながら「味方になってあげたいな」と初めて思えたんですね。このことを、私は「出会い直した」と後 に思いました。 「この子は困った子なんだ」と当然頭の中にあったんですが、実際にはこの子が困っているんだ、困っ た子はその子が困っている子なんだという見方ができたんですね。この後、私と海田君との会話がずっと通じるよう になったんです。私の目を見て彼がゆっくりしゃべるようにもなったんですね。出会い直すということは、一方的に 出会い直すんじゃないんだ。子どもの方も、大人である先生と出会い直しているんだと思いました。子どもたちは、 大人は分かってくれないものとして思っているのですが、それが自分のことを分かってくれる、もしかしたらいろん なことを聞いて相談に乗ってくれる大人なのかなと思ってくれる、そういう出会い直しをしたんですね。 〔④失敗の理由を理解し、信頼すること〕 5月8日、出会い直した後も、様々な問題が続きました。体育の時間に、伊原さんという女の子が鉄棒に乗ってい ました。小さい鉄棒から大きい鉄棒まで全員が散らばって乗っていて、私は全体を見ていました。伊原さんは大きな 鉄棒に取り組んでいました。そのときに、海田君がさっと走ってきて、伊原さんの背中をぽんと押して、さっと逃げ 帰ったんですね。全体を見ていなかったら、誰がどうしたのか分からなかったような素早さでした。伊原さんは落ち て、打ち身のけがをして、びっくりして泣いていました。そのとき私は、やっぱり海田君が理解できない子、衝動的 で暴力的な子なのかな、とショックを受けました。でも、そのとき私は一人で抱え込まないようにしました。子ども たちも同じだと思います。先生が悩んでいること、考えていること、先生がうれしいこと辛いこと、全部子どもたち に語りかけていくようにしていました。その中から、海田君も理解してもらいたいし、学級がどうなったらいいか考 えてほしいと思っていたんですね。私は、海田君のことだけを考えて学級づくりをしていたのではありません。いろ いろな子どもたちがいきいきと活動できて、みんなが本当に仲良く楽しく元気にがんばる子どもたちをつくりたいと 思ってやっていました。そういう一人として、海田君もみんなの仲間としてがんばってほしいと思って、みんなに働 きかけてきたんですね。このときに、海田君を比較的理解してくれる子ども達と話したときに、 「海田君は伊原さんの ことを好きになったんだ」と言いました。 「けがさせるつもりではなかったと思う」 「私たちも同じようにやられたこ とがある」って話してくれたんです。考えてみると、わあっと逃げ帰っていって鉄棒がたくさんある校庭の端っこに、 海田君が身じろぎもせず立っていたという印象が残っていたんですね。そうか、彼はやろうとしてけがさせたわけで はないんだ、伊原さんに関心を示そうとして失敗しちゃったんだ、そしてこおりついたように立っていたんだなと私 も理解したんですね。関係するお母さん達を呼んでそうしたいきさつを話して、理解してもらいました。やがて、海 田君と伊原さんは大事な関わりを持つようになっていきました。5月の半ばには本格的に海田君の居場所づくりをす ることにしました。くじ引きで班を決めようと子どもたちは言っていたんですが、私は、海田君が平和でなかったら みんなが平和になれないんだ、海田君が平和でいられる居場所をつくろうじゃないか、と話しました。私は、班とい うのは子どもにとって安心できる居場所なんだと思うんですね。そのことを子どもたちは理解してくれて、みんなで 話し合って海田君の班を一番最初につくろうと学級全体が納得して、海田君自身も納得しました。一緒に組む人につ いては、海田君も希望を述べてそれを加味して決めました。5月15日算数の時間。海田君は算数はぱーっと解いち ゃうから、時間が余っちゃうんですね。そこで、私のとなりに机を持ってきて、みんなから「先生」 「先生」と呼ばせ て、私が指導するとき海田君も一緒に動きました。ポケットに入れてある石でお給料を払いました。だんだん、海田 君の行動の仕方がつかめるようになってきて、もう私自身が慌て なくなりました。大事なのは、待つ姿勢です。そして私自身の気 持ちの余裕、それからその子に対する信頼です。今、いろいろな ことをやっているけれど、それには理由があるわけだし、その行 動はやがて落ち着くんだという信頼の大切さを感じました。保護 者との懇談会の様子ですが、なるべく海田君がいることによって 第1講座「民舞・花笠音頭」を学ぶ参加者 学級が楽しかったりみんながいきいきしたりしたことや、学級の 7 子どもたちが海田君に対し友情をもって関わっている場面などをたくさん紹介して、 親たちを安心させていきました。 毎週金曜日に来てお話玉手箱をしてくれる海田君のお母さんの存在も、だんだん学級の中で認められていきました。 〔⑤運動会での学年共同の取り組みと海田君の成長〕 出番を多くすることで自己肯定感を本物にしていく実践も大切です。体育の授業の中でフラフープを使ったとき、 フラフープがとっても得意でした。そこでフラフープを使って、準備体操をつくろうと思いました。多目的室を使い ながら、荒川さんと伊原さんを中心にしてやっていきました。海田君の班=海田君応援団を半分ずつ変えながら、で も3回は続かないようにやっていきました。いろいろな子どもが交代で関わることと、一人の子に大きな負担をさせ ないことを考えました。この準備体操のできばえはすばらしいものでした。海田君は、フラフープを全部持ってみん なに配って、またみんなからもらって元に戻すことをやりました。ラジカセも上手に使いました。夏祭り「君といた 夏は遠い夢の中~」の曲をもってきて振りをつけました。テンポのいいものです。子どもたちというのは、すごい力 を持っていますね。子どもたちのセンスは、本当にすばらしかったです。このとき、となりの学級の先生にのぞいて もらって、 「秋の運動会はフラフープを使った創作ダンスをしよう」 って決めました。 各クラスから実行委員を出して、 私のクラスからは、伊原さんら女の子と一緒に海田君も実行委員になりました。また、全体にフラフープを配ったり、 ラジカセを使ったりしました。機械操作はうまいんですね。最後の反省会の司会もやりました。それから、隊形移動 が彼の仕事でした。これがおもしろかったですね。彼が、 「僕の後についてきて」と言って隊形移動をやるんですが、 やるたびに違ってくるんですけど、おもしろい隊形移動をするんですね。でも、あるところにおさまるので、これが 人気があって学年全体に認められていくんですね。体育館で練習を始めた頃は失敗しました。暗幕を下ろしたり、照 明器具をいじったり、PTA が使うバレーボールのネットを出してきたりね。だから、体育館での練習はすぐにやめま した。普通は体育館で仕上げておいて校庭に行くんだけど、すぐ校庭に行きました。校庭には興味を持っていじるよ うな物が何もないので、うまくいきました。この秋の運動会の取り組みで、彼はみんなから認められることを通して 自己肯定感を高めることができました。運動会が終わると、いろいろな授業に自分から進んで参加できるようになっ ていきました。音楽の授業も、ずっと参加できるようになっていって、掃除当番もみんなと一緒にやるようになって いきました。やっぱり、子どもは子どもの中でしか育たない、子どもの自己肯定感というのは、まわりの子どもたち に認められることによってしか育たない、ということを強く感じました。時間になりましたので、これで終わります。 初めに、民舞とは古くから民衆が踊ってきたもので、 運動会で踊ろう 土地によってそれぞれの願いや思いがあること、地域 子どもたちが生き生きとりくむ民舞 によって少しずつ踊りが違うことを学びました。子ど 講師:川上恭子さん(体育同志会) もたちに伝えたい文化、踊りに込められた願いを受講 木村敦子さん(体育同志会) 者にも体感してほしいというお話の後、講師の試演を 西部夕夏さん(体育同志会) 見させていただき、コースを決定しました。「エイサ ー」と「花笠音頭」のどちらも繰り返しの動きも多く、 ご指導のおかげで時間内に踊りを覚え、お互いのコースの成果を発表し合うこともできました。 たくさん汗をかき、受講者全員が笑顔で拍手をし合い、気持ちのいい時間を過ごすことができました。 《参加者の感想より》 花笠踊りは優雅なイメージでしたが、思ったよりハードで驚 きました。でも、講師の先生方の踊りがとてもかっこよくて 「やってみたい!」と思いました。子どもたちにも「やって みたい!」と思わせるのはとても大切だと思いました。 1時間半ほどの時間でしたが、とても分かりやすく教えてい ただき、運動会までもう少し自分自身がしっかりと練習して 表現で使わせてもらいたいなと思いました。とても楽しい時 間をありがとうございました。 8 「集団遊び・ゲーム」で 学級づくりを 講師:宮本 大さん(長野県生活指導協議会) とにかくたくさんのゲームや手遊び・歌遊びを息つく間 もなく体験できました。モデルの見せ方、指示の出し方、 ひとつひとつが勉強になった上に、みんなで声を出し、ふ れあう楽しさを満喫しました。ゲームの合間に「プラトン ボ」作りもしましたが、これもあっという間にできてとて もよく跳びました。 基本は子どもの居場所作り、その基本となるのが班つくり、ということで、日常的な指導の様子も教えていた だき、 「やってみたい」気持ちになる、密度の濃いひとときになりました。 《参加者の感想より》 とても楽しかったです。明日からさっそくやってみます!! もっとたくさんの人が参加できるような会になるといいなあ、もっ たいないなあと思いました。 すぐにクラスで使えそうなゲームをたくさん教えていただけて、勉 強になりました。肌と肌が触れあうようなゲーム、班のチームワー クが高められるようなゲームを取り入れ、私もより楽しい学級づく りをしていきたいと思いました。ありがとうございました。 子どもの反応が変わる性教育 前半は、 講師の吉田アイ子先生の養護教諭としてのご経験から、 長年、子どもたちと関わってこられた事例をもとにお話いただき ました。学校現場での子どもたちの様々な言動に対して、性教育 講師:吉田アイ子さん(性教協) の立場から切り込んでいった実践をお聞きし、学び合いました。 性教育の授業というと、体の部分の名称や仕組みなどを扱うこと が多いですが、それだけでなく、子どもたちにアンケートを取り、その結果を“自分たちの声”として返すことで、 子どもたちの心に訴える授業づくりを大切にしてこられたアイ子先生の姿が伝わってきました。性教育においても、 生徒指導と同じように、時には、職員が危機意識を持ち、連携を深め、事が起きたならば、速やかに対応できるよう な学校・学年体制づくりの必要性も教えていただきました。 後半は「人生テープ」という活動を体験させていただきました。人の一生に見立てた紙製のテープに添って、たく さんの絵や写真を並べ、誕生から天命を全うするまでの人の営みを眺めました。ひとりひとりの営みにちがいはあり ますが、 「性」とは人生そのものであると感じました。 「性」を語ることは、決して恥ずかしいことではなく、自信を 持って自分の生き方を語ることであるとわかりました。また、人間らしく生きることが「性」を尊重することであり、 誰にでも認められている権利であることを再認識しました。 《参加者の感想より》 性教育の難しさを感じていましたが、子どもに必要なもの であるという印象が強く残りました。子どもが自分の体に 向き合えるように教えていくことが大事ということが分 かりました。 発想の豊かさを感じる内容で、子どもたちの目線で伝わる ように考えられた指導だと思い感動しました。人生の流れ の中で自分の心と体の変化を見つめ、体の科学を分かりや すく教材にされていることがすばらしいしすごいと思いま した。子どもに伝えようという情熱とエネルギーを改めて 感じました。 9 たくさんの手作り教材の展示に圧倒されて始まった分科会。 どの子も楽しくわかる まずは、講師の実践に学ぶところから。この頃は特に、しっか 算数の学習 り習熟する時間もなく勉強を進めなくてはなりません。少ない 講師:篠崎 富美子さん(数教協) 言い合うこと 1 分ずつ。記録を書いて交代しても計 3 分。これ 時間の中で行うのは「読み上げ算」二人一組で、答えや説明を で内容が定着します。お家の方にも協力してもらえます。読み 上げ算で定着する前に、問題の意味をしっかりイメージとしてとらえなくてはなりません。タイル、リットルますの 図、学校付近の地図と重ね合わせた1㎢の広さ、位取り計算機など、目にも分かりやすい教具で数量関係をとらえま す。 《参加者の感想より》 工夫次第であんなに算数が楽しく分かりやすいものになることが改 めて感じられました。時間を見つけて教材を作っていけたらと思い ました。パワーアップ読み上げ算を紹介していただき、ありがたく 思いました。 「これだけは押さえたい」というポイントが集約されて いるように思います。 教材を工夫することで、子どもにすっとわかる方法があるのだと改め て思います。算数が子どもを苦しめるか、楽しみを感じながら取り組 めるか、その道を歩む上で教える側の責任が大きいと感じました。 おいしいものづくりに取りかかる前に、まず液体窒素マイ 子どもたちもびっくり、大喜び! 科学の力でおいしいものづくり 講師:桑山雅徳さん(小学校理科専科) ナス196°C の世界を体験してみました。 「さわっても大丈夫なんです」という講師の桑山先生の言葉 に、ビーカーに入れられた液体窒素の中に恐る恐る手を入れ てみました。ヒンヤリするものの手はなんともなし。ここか ら驚きの連続です。いくつか実験してみた後、いよいよアイ スクリームづくり。材料を混ぜ合わせて、液体窒素を少しず つ注ぎ込みかきまぜると、あっという間にアイスクリームの出来上がり。みんなでおいしくいただきました。次は、 べっこうあめと綿飴の師範を見せていただいた後、カルメ焼きづくり。どのグループも見事にふくらみ、参加者みん な大喜びの講座でした。 《参加者の感想より》 おもしろくおいしかったです。アイスクリームは子どもた ちと作ってみようと思います。カルメ焼きもふわ~っとふ くらむところが感動的ですね。とっても楽しかったです。 食べ物を作る実験は子どもたちの興味も高まり、楽しくで きそうなので自分でもやってみたいと思いました。いろい ろご準備いただき、ありがとうございました。 子どもたちと一緒にやってみたいと思う楽しい実験ばかり で、あっという間でした。手軽に楽しく理科の学習に興味を 持って取り組めそうな題材を紹介していただき、 ありがとう ございました。充実した時間を過ごすことができました。 10 こんなときどうする? グループでの話し合いや質疑を交えながら、「困って 「困っている子」を支えるためのヒント いる子」への支援について学びました。その中で、発達 講師:大和久勝さん 障害は、子どもたちがもともともっている特性が「生き づらさ」として表れたものという話がありました。社会 が寛容力・許容力を失い、以前よりも生きづらさが増している今だからこそ、「あの子は ADHD だ」というレッテル貼 りのような見方ではなく、その子の背景も含めて複合的に見る眼が大切であると学びました。また、保護者と話すと きにも、親たちの働き方や生活が壊されていることや、子育てに自己責任が突きつけられ、悩みも出しづらい状況が あることを知り、そのことを共感的に捉えて話すことが大事であると学びました。「発達障害の問題は、社会をどう つくり変えていくかという問題である」という指摘が印象的でした。《参加者の感想より》 午前中以上にさらに詳しいお話を聞くことができました。保護者 との連携・教師間での連携など、一人で考え込むのではなく、お 互いの情報の共有が必要なんだと改めて感じました。また、少人 数で、意見・疑問を話す時間もあったため、悩んでいるのは自分 だけじゃないと安心することができました。 引き続き大和久先生のお話をお聞きすることができ、全体会では聞けなかった踏み込んだ内容をお聞きするこ とができてよかったです。社会を変えていくという大きなお話まではとてもいけませんが、向かい合っている 子どもへの見方、将来に向けての今の取り組み方など、改めて思い直す機会となりました。 戦争を学び、考え、 平和な未来につなげよう 講師: 飯島春光さん(歴史教育者協議会) 『ひいばあちゃんは中国にお墓をつくった』の著者である 飯島春光さんからお話を聞きました。 「憲法は、はたしてア メリカの押しつけの憲法なのか」 「安倍内閣の進める集団的 自衛権、戦争法案の問題点」など、具体的にわかりやすく 説明していただきました。中国からの帰国者が非常に多い という篠ノ井西中での授業実践では、 「君は満州に行くか」と題して、 「満蒙開拓団」 「青少年義勇軍」について、生徒 が調べ学習を進めていった過程が映像を通してよくわかりました。 「道徳の教科化」 「国家主義的な教科書の登場」 「教 育委員会制度の改悪」など、情勢とからめながらのお話は、 「戦争と平和を学ぶ授業」の必要性を実感させるものでし た。飯島先生も携わっておられる「学び舎」の教科書も紹介していただきました。学ぶことの多い学習会でした。 《参加者の感想より》 長野県の教師でありながら、満蒙開拓の内容は、本日教えていただ いた話で初めて知りました。担任としてしっかりと平和学習を勉強 していきたいです。タイムリーな憲法の話を聞いて、子どもたちに も伝え方を工夫して、考える時間を設けたいと思いました。 満蒙開拓平和記念館にクラスの生徒を連れて行き、学習をしたとこ ろでしたので、今回の先生のお話とつながってとても勉強になりま した。私も学習を深めて、生徒と対話していきたいと思います。 11 「今困っている先生達はいっぱいいる。 そんな先生達が、 歌とトーク「元気の出る話パ 子ども達と笑顔で生活できる学校にしていくためのコツを ート3」笑顔で働き続けるために 伝えます」 「だまれ、こっち見ろ」なんて言わなくても、注 講師:小山治男さん 目してると得しちゃう素敵なマジックや、小山先生のギタ ーとともに流れる「翼をください」の歌で参加者はぐんぐん引きつけられました。貧困と格差の現実の中で、家庭に 恵まれない子、宿題の○つけも困難な親の立場も感じ取りながら、その子ども達との出会いは、奇跡的なもの、巡り 会えてよかったとお互いに思えるように、一緒にいたことが少しでも力になればと実践されたことが語られました。 「何処にいたって何時だって、先生は応援しているからな」 「今できなくても、いずれできるようになる。 」 「自分が本 気になったことは、やれば必ずできる!」子ども達を力強く励まし前進させるような、小山先生の温かい言葉の力で 私たちも元気をチャージされた時間でした。 《参加者の感想より》 働き方、生き方、子どもの見方、指導の工夫など、とてもわかりやすく楽しく 教えていただきました。 「学びをあきらめさせない」ために、教師が教えること、 信じることを「あきらめない」ということを私もがんばってやっていきたいと 思いました。 小山先生、すてきな“愛”をありがとうございました。歌声がとてもメッセージ 性があり、心を揺すぶられました。“子どもへの愛”を教わりました。ありがと うございました。 第41回教職員いきいき学習会 ~役員の皆様(敬称略)~ 講 座 名 1 2 3 4 5 6 7 8 ありがとうございました。 進行係 記録係 世話係 担当 運動会で踊ろう!~子どもたちが生 齊藤 郁子 小平 明代 進藤 浩子 松原亜佐子(女性部) き生きとりくむ民舞~ (鎌田小) (湖南小) (開智小) 武田 佑樹(青年部) 「集団遊び・ゲーム」で学級づくり 小林 理恵 安藤 優衣 田中 祐子 宮澤 裕子(女性部) を! (井上小) (伊那東小) (辰野南小) 米倉 拓也(青年部) 子どもの反応が変わる性教育 竹内しのぶ 木谷 香月 土屋真由美 (北御牧小) (豊科南小) (丸子中央小) 折山 慶 北原 淳子 吉原 昌美 髙木みどり(女性部) (平岡小) (木祖小) (長野ろう) 齋藤 瑞恵(青年部) 子どもたちもびっくり、大喜び!! 小坂 享子 小林 文美 太田さつき 山岸 祥子(女性部) 科学の力でおいしいものづくり (長地小) (屋代小) (高丘小) 井上 奏 (大豆島小) 蓑輪 勝枝 (白馬南小) 細野 正江 (御代田中) 太壽堂雄介(青年部) 安川 真理 村上恵美子 荒井 真弓 丸山 靖子(女性部) (長野ろう) (相森中) (秋津小) 湯浅 健吾(青年部) 歌とトーク「元気の出る話パート3」 穂苅さゆり 堀田 美奈 石井 初音 ~笑顔で働き続けるために~ (加茂小) (穂高南小) (清内路小) ~苦手な人もやってみたくなる授業~ どの子も楽しくわかる算数の学習 こんなときどうする?「困っている 子」を支えるためのヒント 戦争を学び、考え、 平和な未来につなげよう 白倉 朋子(女性部) 宮澤 田中 幸西 瞬(青年部) 薫(女性部) 藍(青年部) ★駐車場係について、ご迷惑をおかけしました。駐車場係の更埴支部の皆さん、ありがとうございました。 《参加者の感想より》 子どもは子どもの中で育つ、子どもたちはそれぞれ性 格も反応も違うので、一人ひとりに合ったものを考え 「困った子は困っている子」という考えのもと、そ の子を理解してクラスみんなでそれぞれの長所を 生かして過ごしやすい学級にしたいと思いました。 ていきたいと思いました。毎日がその子だけでなく周 12 りの子ども達も振り回されていると思っていました が、まわりも巻き込んでがんばりたいと思いました。