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中東の兵器取引について ・・・ 小山 知佐
中東の兵器取引について 中東の兵器取引について 小山知佐 <目次> はじめに(序章) 第1章 軍産複合体とは何か 第1節兵器産業の移り変わり 第2節アメリカにおける軍産複合体 第2章 サウジアラビア1960s 第 1 節サウジアラビアという国 第2節アメリカの兵器メーカーの躍進 第3章 イランーイラク戦争 第1節 イラン (1)イランの歩み (2)イランの購入した兵器と石油価格 (3)使われなかった兵器の行方 (4)兵器メーカーの不正またはイランゲート事件 第2節 イラク (1)イラクの姿勢 (2)イランーイラク戦争に向けて (3)輸出された兵器と諸条約 第4章 ポスト湾岸戦争 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について はじめに(序章) 2001 年の9月11日に起こった米同時多発テロ事件がきっかけで、その報復としてアメ リカは、現在もアフガニスタン空爆を続行している。しかし、主犯とされるウサマ・ビン・ラ ディン氏率いるアルカイダはどこから合衆国相手にテロを起こせるほどの兵器を手に入れた のだろうか。アフガニスタンは貧国であり、中東と言えども OPEC 諸国のように多量の石油が出 る土地でもないということを考えると、何か裏で先進国が関わっていたのではないかという 疑問が湧く。兵器は一機あたりの値段が高く、アフガニスタン一国であれほどの兵器を購入で きるはずはないからだ。そこで、私は中東と先進国の兵器取引を過去に遡って調べることで 何か手掛かりを与えられるのではないか と考えた。 まずわかったことは、兵器を作っているメーカーは主にアメリカ、フランス、イギリスを始 めとする西欧先進国、日本では三菱重工業が有名だが、それらのメーカーの貿易による利益を 政府が保証するいわゆる“軍産複合体”があることを知ったので、まず第 1 章でそのシステ ムについての説明 を行いたい。 次に、中東に視点を移動させて、OPEC の中心的存在サウジアラビアが最も繁栄した1960 年代のこの国の兵器取引について2章で説明する。そして、近年中東で、湾岸戦争以前におけ る、また湾岸戦争のプレリュードと言える、最も大きな武力衝突であるイラン-イラク戦争が あるが、この戦争を始めるに当たっての兵器をイラン、イラク両国はどのようにして手に入れ たのかということを、イランとイラクに分けて説明し、これを第3章とする。 次にイラクのクゥェート侵攻に端を発した湾岸戦争であるが、これは連合国による空爆が イラクに壊滅的な被害を与えた戦争であったが、イラク側の所有していた兵器の殆どは連合 国のいずれかの国が製造したものであった。連合国は、自らが与えた武器を備えた国を相手に 戦っていたと言える。このような偶然とはいえない事実は、最大の武器提供国であり、CIA より、イラン-イラク戦争でイラク側に衛星によるイラン軍の情報を送る支援をし続けたアメ リカを調べることによって答えが出るのではないかと考えた。そこで問題となるのは、アメリ カを始めとする兵器提供国のイラクに対する輸出管理政度とはどのようなものであったかと いうことである。もしそれが武器輸出を制限するものでなかったならば、中東全体を脅かした かも知れない兵器を提供していたアメリカが、急に態度を翻してイラクを攻撃する理由はな くなるのではないだろうか。そうではなく、輸出管理制度に反して輸出を促進していた者がい たとすれば、それは立派な国家に対するテロ行為なのではないだろうか。そのような考えから、 輸出管理制度と照らし合わせながら当時の兵器取引を見ていく。これを第4章とする。 最後に、核戦争の恐怖が徐々に薄れつつある今日、世界の平和にもっと脅威となるのは国対 国というよりも、国家に対する憎悪をグループ単位で実行に移すテロリズムであると言える。 南米のペルーでおきた大使館人質事件や今回の同時多発テロなど、テロリズムは国際的なネ ットワークを持ち、しかも増加傾向にあるといえる。その中には高度な化学兵器を生産できる グループも存在すると言う。そこで、このような状態を“ポスト湾岸戦争”とし、テロリスト グループ又はテロリスト支援国家がどこで兵器を手に入れたのかを類推していきたい。 第1章 軍産複合体とは何か 第1節 兵器産業の移り変わり 例えばわが国においては、鉄砲の伝来は戦国時代に長崎に来航したポルトガル人によって 伝えられたとされている。つまり、大昔から戦争というものがなかった時代はなく、その度 ごとに人々は、相手を打ち負かすための兵器を開発してきたのである。もちろん兵器製造を請 け負う人々も大昔から存在しており、買う人々も存在していた。その点では今も昔も変わらな いと言ってよいが、ここで説明する軍産複合体は近代以降の概念である。これは第 1 次世界大 戦に端を発したもので、国同士が同盟を結んで他の同盟国と戦うというように、戦争の形態も 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について 国際化しだしたこの大戦では、相手国の領土を滅ぼして勝利国の影響力をひろげるため、進ん だ技術を使用して大量の兵器が開発された。アルフレッド・ノーベルが1867年に発明した ダイナマイトを始め、殺傷力において前の時代とは比較にならないような兵器が次々と開発 された。但しこの時点では、兵器“産業”というように兵器専門あるいは兵器製造の専門分野 を持つ会社は現れていない。最初に現れたのは、ドイツ軍に2つの大戦に渡って兵器を提供し 続けたドイツのフリードリヒ・クルップ社である。1しかし、軍産複合体といってまず思い浮 かぶのはアメリカであってドイツではない。 第2節 アメリカにおける軍産複合体 1938年4月の、ヒトラーのオーストリア侵攻に伴って、イギリス軍よりアメリカ機の大 量発注が出たのである。これはロッキード社にチャンスを与えることになった。イギリスは 「ハドソン」という最新型スーパー・エレクトラ機を200機も買い取った。2兵器は先ほど も述べたように、1 機当たりの値段が相当高いので、他の輸出品とは訳が違ったのではないだ ろうか。兵器は儲かる商売と言ってよい。対戦中は兵器の売上はアメリカに大きな利益をもた らしてくれた。ルーズベルト大統領も、1940年5月の声明で、年間の戦闘機調達目標を5 万機とすることを発表した。ボーイング社の「フライング・フォートレス」戦闘機や、ダグ ラス社の爆撃機・戦闘機など、幾つもの兵器メ−カーがしのぎを削り3、更に技術を向上させ ようと努力していた。先述のロッキード社による「ハドソン」に至っては、年間売上が170 0機にも上ったほどで、その殆どがイギリス軍向けであった。しかし、それもこれも第2次 世界大戦が終わった途端ガクンと停止してしまった。言うまでもなく、当時は現在のようにテ ロリズムが一般的だったわけでもなく、戦争が終わると兵器を欲するものはいなくなってし まう。メーカーがいくら技術革命を行って進化させた戦闘機を作ろうが、市場がなければ産業 は潰れてしまう。実際、1948年には、大不況に陥った兵器メーカーは、政府から若干の援 助を受けねばならなかった4。その後も、「戦争が始まると莫大な利益をもたらし、終わると大 不況」の状態は繰り返されるほかなかったが、なぜ兵器メーカーは1つも倒産することがなか ったのだろう。そこで問題となるのが米国国防省(ペンタゴン)の存在である。原則的に全て の兵器メーカーの兵器は他の商品とは違い、商務省の他に国防省の許可を得なければ輸出す ることのできない分野である。つまり、この場合なぜ兵器メーカーが潰れなかったのかという と、国防省が彼らの兵器を売りやすくし、また援助していたからであって、これがアメリカに おける軍産複合体の形であるといえる。 第2章 サウジアラビア1960s 第1節 サウジアラビアという国 イスラム国家サウジアラビアは、国民の大多数がスンニ派で、15%程度がシーア派の国で ある。この国は石油輸出国機構(OPEC)が1960年に発足してから現在に至るまで、機 構の中心的役割を担ってきた。現在でこそ石油価格は下がっているが、設立当時はこの地域は 「石油収入が湯水のように流れ込む」5地域性であった。そしてこれは現在も相変わらず続い ている習慣として、部族社会であり、一族の絆を、何よりも大切にする傾向がある。そのことは、 封建社会であり、王室が石油収入の殆どを含む国家財産を私有できる状態が、伝統的に国民 から認されてきたことと関連するところがあるだろう。もっとも、現在アメリカに対してサウ ジアラビア国内で起きている反米感情は、イスラム教徒である国民の、ジハード(聖戦)意識に よる欧米キリスト教徒への感情と言うよりは、イラン-イラク戦争の際に、アメリカへの基地 の貸与についての、王室のアメリカに対するはっきりしない態度によるところが大きく、一 時期サウジアラビアで爆弾テロが絶えなかったのも、そのように曖昧な王室の態度に怒りを 感じる国民が増加しつつあることを示すものと言える。しかし、これが1960年代当時は全 く問題視されなかったのである。 そのような風土を利用して、サウジアラビアに大量の兵器を売りつけることに成功したの がアメリカの兵器メーカーである。 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について 第2節 アメリカの兵器メーカーの躍進 アメリカがこの国で利用した方法は、サウジアラビア出身の人間をメーカーの代理人に立 て、王室に賄賂を流しまくることによってまずは王室の人間の機嫌をとり、気分良く兵器を大 量注文してもらうというやりかたである。 この代理人の名はアドナン・カショギといって、イブン・サウードの息子であるサウド国王 と親密であり、ファハド現国王、当時サウジアラビアの国防相であったスルタン親王と友人関 係を持つ人物である6。このように、彼の親友関係は全て王室であり、彼は王室のバックアップ を得ることが容易だったのである。当時のサウジアラビアの兵器取引についての情報はあま りないが、このカショギのことだけは知ることができた。彼はただ、王室の人間の危険を損ね ないように心を砕くことだけを考えていればよい状態だったと言える。彼は最初ロッキード 社の代理人をしていたが、そのうちにこれもアメリカの、ノースロップ社の代理人も兼ねるよ うになった。 彼は幾つもの会社を競争させ、より多額の金を王室に渡したメーカーが契約をもらえるよ う手配した。だが、メーカーや国防省も、送るべき送金額があまりに多額に上るため、彼を疑 ったことがあったが、彼は「サウジアラビア政府は安定勢力としても重要」 「物質的価値に基 く忠誠心が必要」7などと答えて、逆に賄賂の重要性をアメリカ側に納得させてしまったとい うのである。結果的にこのサウジアラビア争奪戦では、ロッキード(米)、ノースロップ(米)、 ダッソー(仏)の3社が主に争った。サウジアラビアの兵器取引の特徴的なところは、結果的 により多くの賄賂を王室に出したメーカーが契約をもらえることだったといえる。そして参 考文献でも強調されていたことだが、これは伝統的な習慣によるところが大きいと言ってよ いだろう。 第3章 イランーイラク戦争 第1節 イラン (1)イランの歩み イランは、1926年に、イギリスの後押しを得て封建王朝のカジャール朝を倒し、レザ ー・ハーン・パーレビによってパーレビ朝となった。パーレビ朝のイランは、第二次世界大戦 には参加せず、中立の立場をとったが、戦後はソ連の軍事基地になってしまった。 戦後政権に就いたレザー・ハーンの息子、モハメド・レザー・パーレビは、そのように自分 の国が旧ソ連の基地となっている現状を見て、常々から軍備増強への熱意を燃やしていた。そ こで、1950∼60年代にかけては、兵器の供給をもっぱらアメリカ、イギリスに拠った。 軍備増強の目的は主として旧ソ連との国境地帯の維持のためということになっていたが、た だそれだけの目的のためには不必要と言えるほどの兵器を輸入していた。つまり、ここでは安 全保障上というよりも、国王自身の野心・興味の対象が武器に向けられていたと言ってよい のだろう。 実際、モハメド・レザーに替わってから、パーレビ朝のイランは著しく経済が発展し、他の 中東諸国の追随を許さないほど近代化を達成した。 (2)イランの購入した兵器と石油価格 国王の生活も贅沢を極めて、1950∼60年代を通じてずっと欧米の兵器メーカーとの 関係を保ち、ノースロップ社(米) 、マクドネル・ダグラス社(米)からファントム戦闘機、フ ランスのダッソ−社やイギリスからも兵器を輸入した8。 1967年には敵視していた旧ソ連からも装甲輸送車、トラック、高射砲などを輸入した。 そして、1974年8月には、アメリカ国内で倒産の危機に瀕していたグラマン社救済のた めの国防省の後押しを受けて、有名なトムキャットF14を購入した9。モハメド・レザーにな ってから、近代化が進み、国民の生活が楽になったのは間違いないが、それと同時に国王はア メリカとの連帯を何より重視していたため、しばしば国民の反感を買った。特に、イランもも ちろんそうだが、中東諸国の資金源は主に石油であり、1976年10月に、イランも加盟し 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について ていた OPEC 諸国の間で、石油価格の値上げをする国としない国に分かれた際に、イランはしな い派に属していたため、結果的に国際市場における石油のシェアを35%も落としてしまっ た。これによってそれまでの経済発展はストップし、国民の生活が苦しくなり始め、失業者も 増えだした。 しかし、それでも国王の生活は、もちろん兵器購入も含めてそれまでと変わらず豪華であ ったため、彼は国民の不満大いに買ってしまった。国内でイスラム教徒による、欧米の影響力 を一切排除した、イスラム教徒のためのイスラム革命を待ち望むムードが徐々に高まりを見 せ、アメリカを大悪魔、旧ソ連を小悪魔とするホメイニ師が圧倒的支持を得始めるにつれ、国 王の立場はますます苦しいものとなった。 (3)使われなかった兵器の行方 ついに1979年、国王は国外逃亡を図った。さて彼所有であった大量の兵器であるが、結 局使われることはなかった。そしてそれらはそのまま、反米派の革命勢力の手に渡ったという。 この「反米派の革命勢力」が何なのかという情報を私はついに得られなかったが、現在その行 動を表に出しつつあるテロリストグループの1つであると考えてほぼ間違いないのではない だろうか。国王所有の兵器の殆どは、極めて殺傷力の高いものであるので、これは彼らテロリ スト達にとって最大の敵アメリカ打倒のために、大きな力を与えられたことになるだろう。 アメリカとしては、第2次中東戦争の際に原油価格が2倍になって、自国のエネルキー獲得 のためにはパーレビ国王の外交的支持は不可欠だったところだろうが、このイラン革命によ って逆に最大の敵としてしまった。しかし、イランを中東最大の敵と見なすようになった米政 府に反して行動を取っていた者がいる。それは兵器メーカーである。 (4)兵器メーカーの不正またはイランゲート事件 彼らの信念とは、“いつでも、どこでも、誰にでも、売れるものなら売ってしまう”ことで ある。当時のカーター政権がイランへの一切の兵器輸出を禁止しているのに反して、兵器メ ーカーは、イスラエル経由でイランに流したり、他国で“END USER”証明を作成し、 その後イランへ流すなどの策を弄してまで金を儲けようとしていた10。しかし、このような一 連の不正行為は1987年7月10日のベイルート紙『アル・シラー』に、突如として掲載 され、それにより米国のみならず、フランス、イギリスの兵器メーカーの不正行為も次々に明 らかになった11。というのも、これらの国は全て、対イラン兵器輸出禁止政策をとっていたから である。 どの国が何年になんと言う兵器を売ったかということは、あまりに細かいので到底私の知 りえるところではなかったが、私の参考文献には、仏のリュシエール社が50万個の砲弾、ス ゥェ−デンのボフォルス社がRBS70地対空ミサイル、イタリアのバルセラ工業会社が地 雷、オーストリアのフェースト・アルピネ社が大砲を輸出したとある12。これにノースロップ 社のタイガー戦闘機180機、ロッキード社のハーキュリーズ輸送機64機などアメリカの ものが加わると、考えられないような量の兵器が秘密裡にイランに渡ったといえる。1975 年会計年度の国防費は、104億5000万ドルと推定されるが、これはイランのGNPの3 分の1近いこともあり、いかに国王が予算を兵器につぎ込んだかはっきりする。それにしても、 このような兵器メーカーの不正を政府側は全く知らなかったのだろうか。それとも、知ってい ながら黙認していたのだろうか。米国にはCIAという強力な捜査機関があるにもかかわら ず、長い間気付かなかったとは考えにくい。私自身は、これは長い間軍産複合体の利点によっ て国際的に不正を放任していた責任が明るみに出ることを恐れていたためでもあろうし、イ スラエル経由でイランに流された兵器もあったので、アメリカはイスラエルを敵に回したく なかったという理由もあると考える。 しかし、このような状態を放任したために、1998年7月のイランによるシャハーブ3号 中距離ミサイルの打ち上げ実験のような事態を招くことになったことを考えると(もっとも これは旧ソ連製スカッド・ミサイルを変形したものであったが) 、アメリカは黙認したことを 反省せねばならないのではないか。というわけで、ことイランに関していうと、イラン-イラ 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について ク戦争を始める以前から、イラン側にはそのための兵器が有り余るほどあったと言える。 第2節 イラク (1)イラクの姿勢 イラクは湾岸戦争後10年たつ今も、アメリカにとって中東最大の敵国であり続けている。 今回のテロ事件でも、イラクのフセイン大統領はアメリカによる報復攻撃を強く非難してい るし、アメリカを最大の敵国とする姿勢も変えていないが、イラン−イラク戦争の際には、ア メリカ側のイラクに対する姿勢は今現在とは正反対のものであったと言える。というのも、 “敵の敵は味方”という言い方ではないが、イランがホメイニ師によるイラン革命を成し遂 げ、アメリカを大悪魔として憎悪する限りは、アメリカももはやイランを石油政策の要とする ことはきなかったし、何より、親米派だった国王を失ったことによって拠り所をなくしてしま ったために、イラン−イラク戦争の際はイラク支持に方向転換したからである。実際、イラク のフセイン大統領は、ホメイニ師のように反米感情を表に出さなかった。しかし、こと兵器を 欲することにかけてはパーレビ国王と同じだった。 (2)イランーイラク戦争に向けて ただ兵器の輸出管理については、イランの事件が世界に知れ渡ってから、アメリカは神経を 使っていたし、国内の輸出管理法(Export Administration Act) や対共産圏輸出統制委員会(COCOM)違反は避けねばならなかった。そんなわけで、19 70年代から始まったイラク兵器輸入は旧ソ連からのものが初期は大部分を占めたが、19 70年代中期に入ると、フランスからの輸入も増えだした。 フセイン大統領は西側の兵器の技術が進んでいることを熟知しており、ソ連製のものより、 そちらの方が欲しかったからである。ミサイル、ヘリコプター、エレクトロニクス機器、原子 炉建設のための材料と技術などをフランスから輸入した。残念ながら、フランスの当時の武器 輸出管理法がどのようなものであったかということは全く知ることができなかったが、1つ 私に考えられたことは、1970年代は冷戦の真っ最中であり、軍備を縮小するための国際 的合意に至るのはまだまだ難しかったに違いないということである。しかし、1980年代に 入り、イラン-イラク戦争が始まるまでには、イラクも旧ソ連やフランスからの兵器輸入によ ってイランに匹敵する程度の軍事力はすでに手に入れていた。よって、1980年にイランに 先に侵攻したのはイラクであり、初期はイラクの、中期はイランの優勢であった。 この結果から分かるように、双方にミサイルを打ち込んで互角に戦ったのだから、両国の 軍事力は同程度だったと見なしてよいだろう。そして、ミサイルを使った史上初の戦争となっ たイラン-イラク戦争は、両国が「軍事力にかけては欧米に決して劣らない」という事実を世 界に知らしめた感があると思う。しかし、先述したように、イラン-イラク戦争におけるアメリ カの態度はイラク支持であったし、他の欧米諸国もイランに端を発するイスラム原理主義革 命がイランの勝利によって、中東全体に飛び火することを恐れてイラク支持であった。米国中 央情報局(CIA)は、衛星を通じて入手したイラン軍の秘密情報をイラクに提供してイラ クを助けた13。しかしこれが湾岸戦争直前の1990年6月まで続けられたというので、私と してはますます急に態度を翻したアメリカおよび西欧諸国の意向が分からないのである。 (3)輸出された兵器と諸条約 兵器の輸出に話を戻すと、アメリカは事実上、イラン-イラク戦争の始まった1980年か ら両国に兵器を輸出することを禁じていたため、表向きにはイランにもイラクにも兵器は売 れないことになっていたし、1976年制定の武器輸出管理法により、一切の兵器の輸出には 国務省の承認が必要であることもすでに決まっていた14。これを見る限り、アメリカは兵器に 関する限り、イラクに売れることはまずないはずだったが、結局はイランの時と同じようなや り方で、幾つもの国がイランに兵器を輸出した。 まずもっとも注目すべきものとして、旧ソ連がスカッド・ミサイルを、次にフランスが、ダ ッソ−社のミラージュ2000戦闘機、エアロスパシアル社が戦車・ヘリコプター、トムソン CSFが先端エレクトロニクスを、イギリスはレーダー・軍用ジープを、旧西ドイツはカー 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について ル・コルプ社が化学兵器製造に必要な材料を、それぞれ輸出した(これがイラクによるクル ド人大量虐殺に使用された疑いが強いと信じられている)15。 この中には明らかにMTCR(ミサイル輸出管理制度)に違反するものがあると思うのだ が、最近の米ラムズフェルド国防長官の発言にも見られるように、MTCRは有効性で明確に 減退している。生物薬剤、化学兵器およびそれらの送配システム(delivery sy stems)はいくらでも開発されうるものであるし、それを開発するものはMTCR加盟 外国(イラン、イラクはもちろん加盟していない)かも知れないし、MTCR加盟国出身であ るかもしれないというのである。従って、MTCRは、これこれのミサイルを輸出してはいけ ないという明確な取り決めを持つ機関ではないと言えるだろう。それにラムズフェルド国防 長官が言う「送配システムを開発できる」というのはまさにイランの章で述べた兵器メーカ ーのウラ輸出方法のことを指すのではないだろうか。そして、以下に説明するMTCR外国イ ラクの手口も広義の意味ではこの範囲かもしれない。 イラクのフセイン大統領は、兵器輸入の資金の大半を石油収入で得ていたが、米国のアトラ ンタにイタリアの国立ラボロ銀行(BNL)の支店を作り、各国の有名銀行と提携してイラク に30億ドル以上もの融資を行っていたとされている16。なぜこんなことができるのかという と、CCC融資枠というものがあって、農産物の輸入品の支払いをできなくなった国には、ア メリカ政府が代わって銀行に支払ってくれる制度があって、もちろん農産物を買ったわけで はないのだが、これを利用したものである17。このような仕掛けも、長官のいうところの送配シ ステムの1つと数えることにして良いのではないだろうか。そして、確かにここまで細かく 細工されるとMTCRのような枠組み条約を逐一適用すること自体不可能に思われる。 そしてここまでがイラン-イラク戦争中にイラクが輸入した兵器について私が知ることが できた範囲のものでもある。しかし、実際1988年にイラク側の要請によって、国連安全保 障理事会が停戦決議を出し、戦争が事実上の終わりを迎えても、フセインだ大統領は兵器の購 入を止めようとはしなかった。ここで問題となるのが、アメリカ大統領の判断である。何度も 言うように、アメリカ政府はイラン革命以来一貫してイラク支持であったが、イラン-イラク 戦争勃発当初から両国への兵器輸出は法律によって禁じられていた。しかしながら実際には 技術も含めて大量の兵器が両国へ渡ったことは何を意味するのだろう。 先程のラムズフェルド国防長官の言葉には、「兵器の送配システムを次々開発する者が現れ るので、それをいちいち法律で禁止することはできないし、政府の知りえないルートで兵器を 輸出した者についてまでは政府はカバーできないかも知れない」という意味が、MTCRの不 完全性を憂慮する意見と共に述べられているかも知れない。しかし、実はイラクへの不正な武 器輸出を知っていたCIA職員は少なくなく、CIAはイラクとBNLの関係をずっと監視 していたというものもいるという。当然CIA側は、当時大統領であったブッシュにこのこ とを報告したし、彼はイラクが広く世界から核兵器開発のための技術や材料を求めているこ とも知らされていたが、当時はイラン革命のような自体の広がりを防ぐため、あるいは石油の 利権を守るため、親イラク政策の邪魔になるような意見は明るみに出されなかっただけであ る。アメリカ大統領は、安全保障性格上および外交政策上で、防衛兵器と防衛技術の輸出入を コントロールできる権限を与えられているので、大統領が無視すれば情報を明るみに出さな いことも可能だったのである。また、条約の一部を改正することによって、兵器輸出を正当化 することも可能である。だからこそ大統領の判断が大切なのであるが、ブッシュ大統領は、イ ラク政策を秘密扱いにすると共に、“通常兵器用”の物資であれば輸出を許可したのである。 しかしそのようにしてイランに渡った物資のほとんどは間違いなく化学兵器に転用されただ ろう。 1990年8月、イラクはクゥェート侵攻をしたが、これをブッシュ大統領はどう受け止め たのだろうか。 第4章 ポスト湾岸戦争 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について 湾岸戦争が終わって10年経つ今も、西側諸国はイラクへの警戒姿勢を弱めていない。言う までもなく、イラクが保有している兵器の数と種類が多い上に、生物・化学兵器を開発済みで ある懸念が強いからである。 湾岸戦争以来、1度は多国籍軍によって徹底的に破壊されたミサイル生産設備を、イラクは すでに再建し終わっており、またその再建済みの設備の情報を公開するのを差し控えること をUNSCOMは、1998年国連安全保障理事会に報告した。また、イラク所有の兵器のほ とんどはは、イラン-イラク戦争で使うためのものではなかったという情報もある18。また、 元々東欧から(どの国かは知ることができなかったが)入手したL‐29ジェットトレーナ ー航空機を自国で改良してこれをUAVとし、このテスト飛行を続行中で、これは化学薬品か、 細菌戦代理人の配送に使われるのだという19。その上、国連によって禁止されていない弾道シ ステムの開発を追及し続けているため、国連が許可したミサイルについては技術的な改良と インフラストラクチャー開発の余地をイラクに与えることになり、実際にアル-sumoud SRBMというミサイルの開発が済んでいるという。イスラエル、イラン、サウジアラビア、ト ルコまで到達可能なアルフセインSRBMというミサイルも保有していると信じられてもい る20。 またイランについても、CIAは、 「イランは海外からWMD(大量殺傷兵器)とACW(従 来からある高度な兵器)技術を獲得しようとする最も活動的な国の一つ」であると判定した21。 イランもまたイラクと同じように、自国で生物・化学兵器を作成する方法を模索しているとい える。またCIAは、WMD、ACW関係の技術はロシア、中国、北朝鮮から輸入されている と見ている22。そしてもうすでに1,000tもの化学兵器を製造.蓄積済みでもあるという 23 。技術提供大国ロシアは、1998年1月辛い欄との取引実態をを見直す方向で、新しい輸 出規制法を通したが、穴居右派輸出しなければ経済的に問題が生じたため、イランにおいてそ の法律は完全には守られることはないと見られている。CIAによると、イランが今までに 時刻で開発もしくは改造することに成功したものは、短距離弾道スカッドミサイル(SRBM s) 、shahab−3中距離弾道ミサイル、shahab‐4,shahab−5であると している24。 CIAのジョージ・T.Tenet氏は、2001年六月のスピーチで、「北朝鮮、イランお よびイラクのような国が弾道ミサイルを扱っている恐れがある。どんな国旗をも持たない(w ho fly no national flag)彼らテロリストは、化学兵器と生物兵 器を獲得しようとしている」とコメントした25。つまり、今回の対米同時多発テロ事件にかか わりのない国でも、独自に兵器を開発したり、また技術提供を求めたりしている国は、テロリ スト国家に指定している。その国は今のところイラン、イラク、シリアなどで、いずれも中東 である。 今回のテロが起こる以前の2001年1月20日に国務省が発表した情報によると、今回 のテロの主犯であるとされるウサマ・ビン・ラディン氏の多国籍企業al−qaida(ア ルカイダ)は、イランからサポートを受けていると確定した26。第三章のイランの部分の終わ りに、反米の革命勢力の手に渡ったパーレビ国王の兵器の行方はここなのではないだろうか。 タリバン所有の兵器はその他に、英国の軍事シンクタンクIISSや、ジェーン・グループの 報告によると、空軍にロシア製スホーイ22戦闘機とミグ21を合計15∼20機、チェコ製 の訓練機を数機、移動性の地対空ミサイル「スティンガー」や「SA−7」などを所有してお り、これらは旧ソ連はアフガニスタンから撤退した際に奪ったものであろうと見られている27。 タリバンが核を所有するかという問題はまだ分かっていない。 おそらく、これらのテロ支援国家がテロリストに兵器を与えたら、世界の平和は崩れるだ ろう。しかし、私は今回の調査を行ってみて、最も悪いのは米国であるという意見に同調する ものである。 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について 図 1 石油供給のシェア 石油供給のシェア 25 イラン 百万バレル 20 イラク 15 サウジ 7.35 全体 10 5 0 1973年 1977年 1979年 1985年 1987年 年度 出典:ジョナサン・スターンによる石油供給の重要性『NIRA 研究叢書 ペルシャ湾の将来』 総合研究開発機構、平成3年 より作成 参考文献) 『兵器市場』アンソニー・サンプソン著、大前正臣、長谷川成海訳、TBS ブリタニカ、 1993年 『誰がサダムを育てたか』アラン・フリードマン著、笹野洋子訳 NHK 出版、1994年 『イスラム原理主義とは何か』山内 昌之編、岩波書店、1996年 『私は間違っていたのか』ムハマド・レザー・パーレビ、横山三四郎訳、講談社、 1980年 第1節 参考リンク集 三菱重工業株式会社 http://www.mhi.co.jp/ 日本で兵器を作っていることで有名な会社。写真付きで兵器が見られる。 国務省ホームページ http://www.state.gov 中東諸国の兵器がどこからのものかという情報が役に立った。英文。 国防省ホームページ http://www.defenselink.mil/ テロリズム対策に中心的役割を果たすので、テロリスト対策など。英文。 中央情報局ホームページ http://www.cia.gov/ 中東各国の軍事力にデータがあり。そのほかにも密輸に関する情報。英文。 外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について 日本の外務省のホームページ。TMCR のことを調べるのに全部書いてあって便利だった。 財団法人中東調査会 http://www.meil.or.jp/ イスラム圏の習慣がわりと詳しかった。テロ情報も多かった。 地図で見る中東情勢 http://www.homepage2.nifty.com/ 地図の中に色分けで数字か書いてあるのでとても分かりやすい。 CNN http://www.japancnn.com/ 米 CNN の日本支部のホームページ。タリバン情報を見るのに使った。 NIKKEI NET http://www.mfg07.nikkei.co.jp/ タリバン情報でも、兵器の種類と供給国まで出ていて嬉しかった。 1 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p43参照 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p114参照 3 同上 4 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p120参照 5 1960∼80年代にかけて3カ国は、石油収入の大半を兵器に使った(文末の図 1 参照) 6 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p224参照 7 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p254∼255参照 8 アンソニー・サンプソン『兵器市場』pp317∼318参照 9 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p328参照 10 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p386参照 11 アンソニー・サンプソン『兵器市場』p394参照 12 アンソニー・サンプソン『兵器市場』pp396∼397参照 13 アラン・フリードマン『誰がサダムを育てたか』p35参照 14 アラン・フリードマン『誰がサダムを育てたか』p35参照 15 アンソニー・サンプソン『兵器市場』pp403∼405参照 16 アラン・フリードマン『誰がサダムを育てたか』第7・8章参考 17 アラン・フリードマン『誰がサダムを育てたか』同上 18 http://www.odci.gov/cia/publications/bian/bian_feb_2001.htm#4 参照 19 http://www.odci.gov/cia/publications/bian/bian_feb_2001.htm#4 参照 20 http://www.odci.gov/cia/publications/bian/bian_feb_2001.htm#4 参照 21 http://www.odci.gov/cia/publications/bian/bian_feb_2001.htm#3 参照 22 http://www.odci.gov/cia/publications/bian/bian_feb_2001.htm#3 参照 23 http://www.odci.gov/cia/publications/bian/bian_feb_2001.htm#2 参照 24 http://www.odci.gov/cia/publications/bian/bian_feb_2001.htm#2 参照 25 http://www.cia.gov/cia/public-affairs/speeches/odci-speech_06142001.html 参照 26 http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai.html 参照 27 http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai.html 参照 2 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告― 中東の兵器取引について 環境と貿易に関する報告書 ―student initiative による報告―