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FIC VOL25 JUL.2004 今年インテリアコーディネーターになり - So-net

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FIC VOL25 JUL.2004 今年インテリアコーディネーターになり - So-net
FIC VOL25 JUL.2004
●
今年インテリアコーディネーターになりました
岩永 ミキコ
吉元 清子
●
伝統工芸 『上野焼』
藤田 ゆかり
●
風水私考 (No.2)
伊藤 捷冶
●
食いしん坊
●
沖縄「琉球王国のグスク及び世界遺産群」
●
トータルリビングショーに参加して
●
「さざなみ作業所で働いています宜しかったらご協力お願いします」 金森 佳子
●
総会によせて
湯浅 一成
藤田
髙杢 富美代
藤田 ゆかり
ゆかり
photo by Gamou
FIC VOL25 JUL.2004
今年、インテリア・コーディネーターになりました。
岩永ミキコ
私は小さい頃から部屋の模様替えをするのが大好
きで、机やベッドをあれこれと移動させ、もっと快適
で素敵な部屋にしたいと考えることが多かったです。
どうすれば家具の配置をうまくまとめられるかなど
イメージを絵に描いてみるのが楽しくて、私は住まい
について特にインテリアに興味や関心が深かったの
だと思います。それからインテリアの雑誌や本を読ん
で参考にしていくうちに、こういう提案ができる人に
なりたいと思うようになり、このことが私がインテリ
アコーディネーターの資格を取ろうと思ったきっか
けです。
本当に楽しくて好きなことがやれるという事は強いと思います。インテリアコーディネーター
の資格試験の勉強は私にとってどんどん興味の幅を広げていってくれましたし、また知識の幅も
広げることができました。
一次試験の勉強では、とにかく過去の問題集を何度も何度もくり返し解きました。特に建築構
造や材料などインテリアに興味があったとはいえ全く知らないことばかりで覚えることがたく
さんでした。
二次試験のプレゼンテーションの勉強は問題を解いていて楽しかったです。初めはプランニン
グがうまくいかなかったり時間が足りずあせったりもしましたが、だんだんプランのイメージが
ふくらんできておもしろくなりました。試験といえばいつも勉強するのに苦労していましたが、
コーディネーターの試験勉強は私にとってあまり苦にならなかったです。やはり好きなものは試
験勉強でも楽しくなるんだなぁとその気づきました。
仕事というのは自分が興味があって楽しいと思えることができれば、こんなに幸せなことはな
いと思います。私はインテリアコーディネーターの資格試験に合格でき、とても良かったです。
素晴らしい先生方に教えて頂いたおかげだと思います。また、いろんな方に励ましてもらったり
情報を頂いたりしてまわりの方々にも感謝しています。
インテリアコーディネーターの資格を取得しましたが、これからが本当の勉強の始まりだと思
います。今は、やっとスタート地点に立てたという気持ちです。
これからは自分なりの感性をもっともっと磨き、得意分野を見つけ『質の高いコーディネート』
を目指していきたいです。そのためには、いろんなことを吸収してアイデアを表現していくこと
が大切だと思います。そしてたくさんの人に満足して喜んでもらえるような生活空間を提案し形
として残していければいいと思います。
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FIC VOL25 JUN.2004
吉元清子
近頃は、リフォームやインテリア関係のテレビ番組が多く、その中でインテリアコーディネー
ターという名前をよく耳にするようになりました。「素敵な仕事だな。楽しそうだな。私もやっ
てみたいな。」と思いながら、というより思うだけの毎日でした。
そんな折、ヒューマンアカデミーの事を知り、さっそく入学。IC養成講座を受ければ、すぐ
にでもテレビに見るような仕事が出来るものと思ったわけです。甘い甘い勘違いから始まった勉
....
..
強でしたが、「なりたいではなくなると決めれば絶対になれる」という先生の言葉を信じてひた
すらに頑張りました。
合格できた時は本当に嬉しくて感激しました。
私の最初の一歩はマンションモデルルームの案内・受付ですが、カーテンや照明のコーディネ
ートを勉強しながら、いずれはすべてをまかせてもらえるようになる事が、私の夢です。これか
らもその夢に向って常に目標を持ち、日々努力してゆきたいと思います。
2
FIC VOL25 JUL.2004
伝統工芸
『上野焼』
今回より福岡の伝統工芸を皆さんにご紹介してゆくシリーズを始めたいと思います。
昨年、焼き物を知るというセミナーがありましたが、
初回は、福岡の赤池町、福知山の麓で今も伝統の技法を守りつつ、新しい試みをつづけている上野焼
をご紹介したいと思います。
*成り立ち
わび茶を完成させた利休の高弟として、利休七哲の一人に数えられ、わび茶の精神を継承した茶人大
名細川忠興は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に帰化した李朝陶工・尊楷を招き、上野の地に窯を開
きました。
その指導により、三斎「細川忠興の号」好みの格調高い茶陶を30年間献上し、細川氏が肥後藩主に
なったあと、残った息子とその一門たちは上野焼の作陶を続け、新藩主となった小笠原忠真の庇護の
もと藩窯として幕末まで守り継がれていきます。
*特徴
総緑青、藁白、鉄釉、ゆず肌、緑青流し、等々、色の多彩さも
さることながら、茶陶として発展を遂げた上野焼は、
他の陶器類と比較して、極めて軽く、薄づくりである。
五感に心地よい、土の持つ素朴さ、力強さの中に
(薄づくり)の上品さは今も受け継がれています。
奥ゆかしく、上品な趣。それは茶の湯文化のわび、さびに
通じるものがあり、徳川家茶道指南役の大茶人小堀遠州から好まれ、
(きれいさび)として遠州七窯のひとつとして数えられいます。
上野焼は、一昨年400年を向え、
(上野の里・ふれあい交流会館)が建てられました。
毎年、4月下旬に(春の陶器まつり)、10 月の下旬には
(秋の窯開き)が行われ、大勢の焼物ファンが訪れて
います。
そして、今秋、国民文化祭により、福岡県各地で
いろいろな催し物が行われますが、この焼物の里
でも陶器の展覧会が行われます。
3
FIC VOL25 JUN.2004
上野焼は、今、28軒の窯元が点在します。
焼物好きの私でも全部を廻るのはすこし・・・・
なので、ふれあい交流館には、
(ギャラリー陶)と
各窯元の直売所が設けられているので、
一度立ち寄ることをお勧めします。
そして、ご自身の気になる窯元ピックアップして、
地図を片手に、それぞれの窯元の展示場を訪れて
みては、いかがでしょうか。
今回取材させていただいた青柳不老園さん。
この窯を何度も訪れたことのある私ですが、今度の取材で、その登り窯をみせてていただいて、
その雄大さに圧倒されました。
その窯は、年月を経て、わらが、釉薬代わりとなり内部の壁がガラス状に光っていました。
その窯から作りあげられる物を見たいと思いました。
そして、その窯に火が入れられる時はどんなに
優美なものであろうと想いをはせました。
土にこだわり、釉薬を調合し、そして、今年度は、
ユニバーサルデザインの試みと伝統を受け継ぎながら、
新しいことへの探究心。
また、新しい上野焼を発見できることと思います。
最後になりましたがこの取材にご協力いただいた青柳不老園のみなさま
どうもありがとうございました。
取材・文 藤田ゆかり
交通アクセス
福岡市より車で・・・70 分
北九州市より車で・・40 分
最寄り駅 平成ちくほう鉄道 赤池駅下車
問合せ先
青柳不老園
(0947)28−2139
赤池町産業振興課
(0947)28−2004
上野焼協同組合
(0947)28−5864
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FIC VOL25 JUL.2004
風水私考(No.2)
え
と
じゅっかん
じ ゅ う に し
干支とは十干と十二支を組み合わせた物で、十干の「干」は「幹」、十二支の「支」は
「枝」で、「幹枝」を意味します。
中国では古く殷の時代から、十と十二を組み合わせてその最小公倍数の六十の周期で日
が数えられたと言います。
(殷とは前 1766?∼前 1122?に存在した国だと言われています)
十干と十二支の組み合わせは甲子(きのえね)にはじまり60番目の癸亥(みずのとい)
で終わります、生まれてから 60 年を経て生まれた年の干支を迎えるのを還暦といいま
す。
60 の干支の組み合わせを1巡する事は人生を生ききった事を意味し、次の新しい人生に
誕生する事と考え、赤ん坊と同じ赤い衣類等が祝い物として贈られたりします。
こんとん
十干については原初唯一絶対の存在「混沌」、これを「易」では「太極」としますが、こ
の「太極」から「陰・陽」の二気が生じ、この二気が交感交合して地上には木火土金水
え
と
の五元素が生じたと言います。この五気は更に「兄弟」の陰陽に別れます。たとえば木
気は木の兄(甲)、木の弟(乙)に、火気は火の兄(丙)火の弟(丁)に分化します。こ
れが「十干」です。
十干をイメージすると下図(表 2)の様になります。
甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)己(き)庚(こう)辛(しん)壬
(じん)葵(き)の十干はつまり木の兄・木の弟・火の兄・火の弟・土の兄・土の弟・
金の兄・金の弟・水の兄・水の弟と言うことになります。
陽の兄の本質は剛強・動で、陰の弟の本質は柔和・静です。陽の干と陰の干とでは同じ
気であっても多少その性質を異にします。
もし人の気質を例にとるなら甲の人と乙の人の場合、木の気の特徴として、どこまでも
伸びようと、自ら進んで新しいものに取り組もうとする気象の特主であることは同じで
も、その進み方は甲の人が思い切って物事をやるのに対し、乙の人の動きははるかに地
味なのです。
また十干の「甲乙丙丁戊己庚辛壬葵」の各字は植物の発生・繁茂・伏蔵の輪廻を意味し
ています、そして、それは万物の栄植盛衰の象を内蔵しているとも言えます。
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FIC VOL25 JUN.2004
木
こう
(陽)大樹
甲
き
(木の兄)
おつ
(陰)潅木
乙
き
と
火
(陽)太陽の光熱
丙
ひ
え
(火の兄)
陽
てい
ひ
(火の弟)
太極
ぼ
土
つち
(陽)山・丘陵の土
(土の兄)
き
陰
つち
(陰)田畑の土
と
(土の弟)
こう
金
か
え
(金の兄)
しん
か
(金の弟)
(陽)海洋・大河・洪水の水
壬
みず
更 まるで草木の成熟団結して行きつまった結果
自から新しいものに改まってゆこうとする状態
新で草木の枯死してまた新しくなろうとすること
( 1941,1951,1961,1971,1981,1991,2001
年生まれ)
と
じん
あらた
( 1940,1950,1960,1970,1980,1990,2000
年生まれ)
(陰)柔金
辛
紀で草木が繁茂して盛大となりかつその条理の整
った状態
( 1939,1949,1959,1969,1979,1989,1999
年生まれ)
(陽)剛金
庚
茂るで草木の繁茂して盛大になった状態
( 1938,1948,1958,1968,1978,1988,1998
年生まれ)
え
己
壮と同義で草木の形態の充実した状態
( 1937,1947,1957,1967,1977,1987,1997
年生まれ)
と
戊
あき
炳らかで草木が伸長してその形体が著明になった
状態
( 1936,1946,1956,1966,1976,1986,1996
年生まれ)
(陰)堤燈・ローソクの火
丁
きし
軋るで草木の幼芽のまだ伸長し得ず屈曲の状態
( 1935,1945,1955,1965,1975,1985,1995
年生まれ)
(木の弟)
へい
ヨロイで草木の種子がまだ厚皮を被っている状態
( 1934,1944,1954,1964,1974,1984,1994
年生まれ)
え
え
水
(水の兄)
はら
妊で草木の種子の内部に更に新しいものが妊まれ
ることを
指す(1942,1952,1962,1972,1982,1992,2002
年生まれ)
き
(陰)水滴・雨露・小流の水
癸
みず
と
(水の弟)
はか
揆るで種子の内部に妊まれた生命体の長さが度ら
れる程になったという象、ついで帽子をかぶって
ムクムクと動き出す「甲」となるわけである
(1933,1943,1953,1963,1973,1983,1993 生
まれ)
ここで前回の五行の配当表について、少し詳しく、見てみましょう。
木火土金水は互いに相生、相剋しながら輪廻していますが、同時にこの木火土金水は、
五原素としてだけではなく、宇宙間の万象、つまり色彩、方位、季節、惑星、天神、人
間精神、徳目、内臓、十干、十二支等を象徴するものです。言い換えればすべての事象
が、この五気に配当されます。
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FIC VOL25 JUL.2004
そこで五行配当表(表 3)の読み方ですが、まず木火土金水と縦に順を追って読み、次
に横に読んでいくことが必要です。
五行の段を横に読む事によって色彩、方位(空間)
、季節(時間)から天文、生物、人間
の感覚、徳目等すべての事象が五気に配当されている事が解かると思います。次も横に
読むと、気を同じくするものは互いに象徴関係にあることが解かると思います。
たとえば最初の木気を横に読んでいくと、色彩では青(緑)、方位は東、季節は春、さら
に十二支では寅・卯・辰の三支、十干では甲(木の兄)・乙(木の弟)です。
そこで陰陽五行に基づいて青色をみるとその青が意味するものは、東、春などであり、
「青春」「青年」の語が人生の春とか若者を指す事も自然に分かってくると思います。
次の火気を横に読めば色は赤、方位は南、季節は夏、十二支では巳・午・未の三支、十
干では丙(火の兄)丁(火の弟)です。
三番目の土気は色は黄、方位は中央、季節は土用、十二支では辰・未・戌・丑、十干で
は戌(土の兄)己(土の弟)です。
四番目の金気は色は白、方位は西、季節は秋、十二支では申・酉・戌の三支、十干は庚
(金の兄)辛(金の弟)です。
五番目の水気は色は黒、方位は北、季節は冬、十二支では亥・子・丑の三支、十干では
壬(水の兄)葵(水の弟)です。
黒によって象徴されるのは冬・北・夜・暗黒であって、物の生命が妊(はら)まれ萌(き
ざ)す暗黒の胎内でもあります。
(土気の季節、土用が各季節の終わりに位置するので土気の十二支は各季節にも含まれ
ます。)
色彩は配当表のなかでも重要で、ここで選ばれた五色とは要するに赤・青・黄の三原色
に全反射の白と全吸収の黒を加えたものでいわば色の基本です。
念の為にもう一度五行配当表を書いておきます。
五行には、相生、相剋の関係が有るのは前に書きましたが、それがどういう事かと言う
と、例えば、土気の甘い物を食べ過ぎると、土気の相剋の関係に有る水気の腎臓にダメ
ージを与えます。まして水気の鹹(しおからい)物をひかえすぎるとダメージが大きく
なります。やはり塩も適度に取り、水気の相生に当たる金気の辛(からい)物を取ると
腎臓のダメージもなくなると思います。
五行の相生、相剋は五臓と五味だけでなく色々な五行と間に関係します。良く見てみる
と面白い発見があるかもしれません。
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FIC VOL25 JUN.2004
表3
五事
五時
五方
五色
︵
木星︶
歳星
貌
春
東
青
心
︵
火星︶ 惑
視
夏
南
赤
信
脾
︵
土星︶ 星
思
土用
中央
黄
毛
義
肺
︵
金星︶
太白
言
秋
西
白
皮膚
介
智
腎
︵
水星︶
辰星
聴
冬
北
黒
水
五星
肝
礼
口
鹹
金
五臓
仁
羽
鼻
辛
羽
土
五常
鱗
耳
甘
商
火
五虫
目
苦
宮
木
五感
酸
微
壬癸
五行
五味
角
庚辛
五声
戊巳
甲乙
丙丁
十干
亥・
子・
丑
巳・
午・
未
申・
酉・
戌
寅・
卯・
辰
寅・
未・
戌・
丑
十二支
十・
十一・十二
月
坎
七・
八・
九月
兌
離
四・
五・
六月
震
旧一・
二・
三
月
易掛
月
吉野裕子氏の著書その他を参考にしています。
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FIC VOL25 JUL.2004
食いしん坊
湯浅一成
私が社会人に成って、始めての勤務地が東京でした。
学生の頃は、何度か遊びに行っており、
まるで知らない土地ではなかったのですが、、
、、
住んでみて、初めて東西の文化の違いに驚かされました。
たとえば、牛肉を食べようと思い肉屋に行って、肉を下さいと言ったら豚肉が出て来る。
向こうでは、肉と言えば豚肉で、牛では無い。
うどんは、辛くて麺の味もしない。
文句ばかり言っても仕方が無いので、東京で味わえる物を食べようと思い
まずは、江戸前の寿司を。
幸いな事に会社が築地の近くと言う事もあって、寿司屋は多い。
築地から銀座にかけて手当たり次第に寿司屋に入ってみる。
おうへい
入っては見たものの、何故だか、どの店も 横柄 で、、、
、
あ∼だ、こ∼だと指図をして来る。
やれ、手で食べろとか、醤油をあまり付けるなとか、煙草は吸うなとか、、
、
、
終いには、俺んとこの寿司は、日本一なんだから有り難く食えとか言って、
・
・
さほど旨くも無いずけを自慢する。
江戸前だ江戸前だと言ってる割には、
汚い東京湾で取れた物では無くて遠洋で取れたマグロや、
養殖のハマチや鯛なんかが出て来るもので、、
、、
それ以来、東京では寿司は食べ無くなった。
その当時(三十数年前)築地の鮮魚市場でも、湾内で取れた物では無くて、
房総沖だとか三浦半島沖で取れた物。
後は、遠洋か養殖物しか並んで居なかった。
確かに東京湾と云うのは、嫌な匂のする汚い海で、
そんな所で取れた魚貝類なんてのは、間違っても食べたくは無いと思い。
それで今度は、蕎麦と天ぷらに…
蕎麦については後で書くとして、まずは天ぷら。
ごま油で、きつね色にかりっと揚がったものを汁に付けると、
たま
ジュッという音と香りが 堪 らない。
一口、口に入れると、香ばしさと素材の旨みが広がって…
間違い無く天ぷらは、東京が旨い!
関西は綿実油で揚げており、色も白っぽく香ばしさには欠けている。
先程も言いましたが、肉と言えば豚と言った様に豚肉は、以外と旨いんですよ。
鹿児島の黒豚も旨いですが、東京豚の旨さは格別です。
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FIC VOL25 JUN.2004
その旨い豚と、揚げ物、とんかつですね。
東京は、このトンカツが本当に旨い。
旨いのは、昔からの名店で、チェーン店は駄目ですね。
次は江戸会席ですが、昔からの料理人の苦心の跡が偲ばれます。
関東ロウム層のお陰で土地は痩せていて、旨い作物はなかなか育た無い。
まずい
尚且つ水が不味い。
その悪条件の中、美味しいものを作ろうとして手間暇を掛ける。
味噌・醤油もなかなか良い物が出来ない、酒も不味い。
そんな状況の中で、苦心に苦心を重ねて出来あがった物です。
江戸時代は、仕方無く上方から下って来た高い物を使い、
なんとか近くで取れた物と合わせる。
(俗に云う所の下ら無い物とは、良い物は江戸に下って行き、
悪い物は下って行か無いと云う所から来ている)
近くと言っても、秩父や甲府、房総当たりからも取り寄せている。
そんな状態では、とても庶民の口には入らない高価な料理に成ってしまう。
今東京では、殆どの和食料理店は、京懐石の店しか無い状態に成っています。
関東大震災の後、殆どの料理屋は東京に見切りを付けて地方に出て行って。
その後、焼け野原に目を付けた関西の料理屋が、大挙して押し寄せた結果、
江戸料理は殆ど姿を消したと言われています。
又、残って居たとしても、とても関西には敵わ無かったでしょう。
今でも、江戸らしい風情の残っているのは、浅草の「駒形どぜう」ですかね。
大広間を衝立で仕切って、七輪を置きその上でどじょうを煮る。
まるで、一人鍋をやっている雰囲気。
どじょうが見えない程に刻みネギを山盛りにして、
辛目の出汁でグツグツ煮ながら辛口の剣菱を飲む。
まあ、雰囲気は良いんですが、、
、
中のどじょうが丸のまま…
どうも骨が喉に触って食べ難い。
歯に詰まった骨を、取ってる姿は頂けない。
東京でサマに成るのは、やはり蕎麦でしょうか。
蕎麦と云えば、私も結構蕎麦食いで、
出掛けて行った土地土地で、必ず蕎麦は食べます。
残念な事に博多には、なんちゃって蕎麦屋が非常に多い。
何故かと云うと、製麺所で作った風味の無い蕎麦ばかり。
おまけに作り方が成ってない。
博多の、某、櫛なんとか神社の傍に在る、某、なんとか田なんてのは最悪。
ざるそばが、ベチャベチャで風味も香りも無く、はあ∼!って言った所。
スタッフの応対も横着で、ここは一流店だと思ってる。
10
FIC VOL25 JUL.2004
そんな訳で、博多では滅多と蕎麦屋には行か無いのですが、、
、、
一軒だけ、月に一・二度、もう十七・八年通っている蕎麦屋が在ります。
そば粉は信州の物を使い、更科系の真面目な蕎麦屋「不老庵やま正」。
香椎参道の3号線から入って、西鉄・香椎宮前駅の手前左側です。
蕎麦も良いのですが、一番のお勧めは天丼。
カリッと揚がった海老に絡んだ旨いタレ。
千八百円と、少し高いが納得。
親子丼は、ふたを開けた途端に立ち上がる、ネギとサンショの香りが食欲をそそられる。
所で先日、と云っても二ヶ月位前の話ですが。
護国神社前の肉料理屋・シャバダで、マスターと話をしていて、
彼曰く、本当に旨い蕎麦屋が博多には無いんだけど、
一軒良い蕎麦屋が出来たよ!と云う耳寄りな話。
詳しい場所が解からないので、探して見てと云う事。
その後、隣のひいらぎで、アフターコーヒーを飲みながらその話をすると、
簡単に答えが帰って来た。
二・三日後、期待に胸を膨らませ、いよいよご対面!
西鉄薬院駅から渡辺通りの方へ。
しばらく
一つ目の信号を右折、 暫く 歩いて行くと左手、ビルの一階。
さご
名前は、み三五。
表から店を確認して、いざ中へ。
蕎麦屋らしくない店内で、山小屋風喫茶店と云った所。
カウンターに座り、まず、ざるそばを注文。
するとオヤジが、冷たいのにします、それとも暖かいのにします?
おっ、やった!と心の中で叫ぶ。
蕎麦の香り風味を、沢山残した暖かいのと、
シャキッとした歯応えと喉越しの良さがある冷たいの。
まずは、冷たいのを頼む。
何故かと云うと、冷水で洗って何処まで蕎麦の風味が残っているか、
シャキッとした歯応えがあるか…。
おこがましいが、試してみる。
注文した後、出されたそばつゆと小皿に盛られたオロシ大根!
少しつまんで食べてみる。
納得。
久々に食べる、脳天まで突き上げるような辛味大根。
これが有れば、わさびなんてのは要らない!
蕎麦の風味と、シャキッとした歯応え、喉越し、辛味大根入りのそばつゆ。
バランスが良くて刺激的。
亭主のこだわりが感じられる、久々の蕎麦の味に満足。
11
FIC VOL25 JUN.2004
顔が自然と微笑んで来るのを感じて店を出ました。
長年に渡って、日本各地の蕎麦を食べて来ましたが、
蕎麦の産地は、痩せた土地で寒暖の差が激しい、寒い所が良い見たいです。
と云って、北海道の蕎麦は一部を除いて少し落ちる気がします。
大量生産と、製麺所に問題があるようです。
旨かったのは、福島・島根・長野の伊那・辺りが印象に残っています。
蕎麦屋は大きく分けて、藪・更科・砂場と分かれます。
簡単に見分けるのは、付け汁が藪はしょっぱい、更科は甘い、砂場はその中間。
ほとん
博多は 殆 ど更科系です。
関西では、付け汁の中にウズラの卵を入れます。
さて、休みの日等は、三瀬に時折出掛けて行き、
「ふうらぼう」で蕎麦を食べるのを楽しみにしています。
あの自然の中、東屋風の店内で蕎麦会席を食べながら、
日本酒を一杯やるのも、中々良いものです。
日常を忘れ、ストレスも遠慮をして出て来ない。
帰りに、三瀬の取れたて野菜を買って早良まで降りてくると、
うぐるす
鵜来巣と云う店が在り、その看板を見ると鳥料理が食べたくなって、、、
いつもの事で寄り道をします。
炭火で、牛肉や地鶏、鴨にイノシシ・スズメ・ウズラなどを焼きながら、
鳥のから揚げをつまんでのビールが又旨い!
今頃だと(六月)、古ぼけた座敷から外の景色を眺め、暗く成るのを待つ。
暗く成ると、ふらふらと玄関を出て、下の駐車場の方へと下って行くと、
横手の池や小川に、蛍が飛び交っています。
この季節以外は、庭には外灯が明々と灯っているのですが、、
、、
この時季だけは消されていて、蛍の飛び交うサマを暗がりの中で見る事が出来ます。
幻想的な非日常の世界で遊べる、居心地の良い空間は、
私にとって掛け替えの無いものです。
最後に、東西の食に対する違いと、和菓子の豆辞典を。
西
東
ぶたまん
にくまん
天かす
揚げ玉
ヘレカツ
ヒレカツ
ぶた汁
とん汁
丸餅
角餅
紅生姜を天ぷらにする
しない
天ぷらにソースを掛ける
塩か、 天汁 に付ける
てんじる
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FIC VOL25 JUL.2004
(ソースは、大阪で最初に作られた為かな?)
大根を炊く
大根を煮る
七味唐辛子は、白ごまや青海苔、
赤唐辛子が多く赤さと辛さが強い
紫蘇が入って香り高く色調も薄め
和菓子
打ち物(干菓子) もち米の粉と砂糖を木型に入れて打ち抜く
せんべい
煎餅
ありひらとう
有平糖
もち米の粉を水でこねて薄く蒸し伸ばした物
砂糖・水あめ・水を煮詰めて、花や果物に形どったもの
すはま
大豆の粉と水あめを練った物
蒸し菓子
饅頭の事
さおもの
棹物
羊羹の事
こなしもの
羊羹の生地に、餡の玉を乗せた物
きんとく
餡のまわりに、そぼろ状態の餡を乗せた物
餅菓子
もち米の粉と水あめを練って、薄く延ばした牛皮で餡を包んだ物
付録
日本三大酒造地
兵庫・京都・広島
日本三大魚醤
ハタハタや鰯を使った秋田のしょっつる
イカの内臓や鰯を使った能登のいしる
イカナゴを使った香川のイカナゴ醤油
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FIC VOL25 JUN.2004
福岡支部研修旅行
沖縄「琉球王国のグスク及び世界遺産群」
髙杢
富美代
行ってきました、冬の沖縄!暖かかったですよ∼。暖かかいと言うよりも暑い!って感じでしたね。
2月18日から3日間、琉球王国のグスク巡りをメインテーマにまわってきました。
出発日当日福岡を出るときからやけに暖かかったのですが、那覇に着いたら「暑い!」と皆さん空港の
トイレで着替えをする状況で私も途中着替えのTシャツを買いました。(なにしろそんなに暖かかいとは
思ってなかったので、むしろあんまり薄着して寒かったらどうしようなんて考えて荷造りしたものですか
ら…)
さてグスク巡りですが、初日スタートは具志川城址。南部の岬の突端みたいな所にあり、その昔、水の
確保など「どうやって生活してたんだろうね∼」とご
案内下さった西表先生の弁。次に王城城、知念城と巡
り初日ラストは世界遺産の斎場御嶽へ。石積はさんご
礁で出来ており野面積み・布積みなどの手法があるこ
とや、沖縄の植物(オオタニワタリって活け花で使い
ますが、こちらではゆがいて酢味噌であえて食べるそ
うです)についてなどの説明を受けながら和気あいあ
いと楽しくまわって夜は琉球舞踊を拝見しながら琉球
料理の夕食をいただきました。
2日目は浦添城、座喜味城、それからやちむの里(焼き物)、風葬地といった珍しい、と言いますか西
表先生のご案内があってならではの場所へ連れて行っていただき、お昼も地元の人しか行かないというお
店で三枚肉そばを頂戴し、午後は美ら海水族館、万国津梁館(残念ながら当日は会議のため立ち入り禁止)
を外から見てそばの海岸で珊瑚拾いをしてまいりました。
2日間はレンタカーでまわりましたが、ラスト日
は自由行動で、数人でタクシーを借り切り首里城な
ど見てまわりました。
そんなこんなの3日間、大変好天に恵まれ、車窓
越しに見る海のきれいだったこと。ブルーのグラデ
ーションで彩られ最高でした!海に落ちる夕日も
きれいでしたよ∼。ドライバーを務められた普久原
社長はよそ見が出来なくて残念そうでした。春先の
装いで出掛けましたが、沖縄では半袖で3日間を過
ごしました。
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FIC VOL25 JUL.2004
そして西表先生のご案内は面白く、沖縄独特の文化に
触れることの出来る旅行となりました。登り窯やら骨壷
(厨子ガメと言うんだそうです…昔は石でつくっていた
そうですが今は焼き物。カラフルに模様が入りお家みた
いな形のでっかいものです)やら、火葬ではない旧い風
習の場である洞窟やら通常のツアーではとても行かない、
本当にその土地の方でもご存じないような歴史を感じさ
せる場所へとお連れ下さり本当にありがとうございまし
た。先生は大変気さくな、気持ちの優しい方で行く先々
でてんぷらやら饅頭やらご馳走してくださり、車の中ではおしゃべりと食べるのに大忙しといった状況で
した。てんぷらはちょっとフリッター風の衣でイカ・魚・野菜・そしてモズク。揚げたての熱々を膝の上
にのせフウフウしながらで、モズクのてんぷらってはじめて食べました!お饅頭は「いきなりまんじゅう」
を月桃でくるんで蒸したみたいなもので独特のいい香りの山城饅頭といいます。食べ物といえばいろいろ
と珍しいものをいただきました。前述の三枚肉そば・紅芋コロッケ・ミミガーのピーナツバターあえ・ラ
フテー等など。そして最近はちょくちょく見かけるようになったサーターアンダギー。ホテルの朝食(バ
イキング)にもユシドウフという出来たての暖か∼く固まっていないお豆腐が出てまいりました。チョッ
と塩味がきいてなんにもかけないでも美味しかったですよ!
食べ物の話ばかりになってしまいましたが先生は車の
中でもずっとお話をして下さり、車窓に見える住宅の沖
縄の建物は、RCでも沖縄独特の赤い瓦屋根をのせると公
庫融資が有利になるんだとか、独特の瓦のスタイルはシ
ー(男)瓦・ウー(女)瓦を組んであげること。建物の
上にのっかってる球体や筒状のタンクは地下ダム(農業
用水)貯水タンクであること。風水的思想でヒンプン(文
字は忘れました…屏風の事)
という塀が旧い建物にはあること。T路地突き当りの民
家の塀にまつってある表札みたいな「石敢当」は道祖神的な意味合いのものだということ。などいろいろ
教えてくださいました。
少人数でレンタカーを借りて旅行社の社長自ら運転してくださってというスタイルでしたので、ツアー
というよりもお友達同士で遊びに来ているみたいな感じでと
ても和やかでした。ご参加の皆さんには初対面の方も居られま
したが、優しいお心の楽しい良い方ばかりで私としましてはの
びのびとすごさせて頂きました。本当にお世話になりました。
良い思い出が出来ましたこと、こころよりありがとうござい
ました。
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FIC VOL25 JUN.2004
トータルリビングショーに参加して
藤田ゆかり
今年、トータルリビングショーは23回を迎えました。
毎年三月に、北九州市の西日本展示場で行われていま
す。
福岡インテリアコーディネーター協会のブースは無料
相談のコーナーや関係メーカーのご協力をいただいて、
それぞれのアイテムの展示や説明を行うことができま
した。昨年はリフォーム関係の出展が目に付きました
が、今年はリフォームは言うに及ばずパフォーマンス
を行う業者が増えたように思いました。実際に来て、
見ていただく為にいろんな催しが各ブースで行われてました。
コーディネーター協会主催のセミナーもジュ―タンや炭、カラーなどが行われ、私は「わが街のコー
ディネーター」のパネラーのひとりとして参加させていただきました。
あがり症の私としては、何を質問されたのか分からなくなるくらいでしたが・・・・
セミナーの終わった後、他のブースのパフォーマンスを見に
行ったときに、後ろから声をかけられたのです。私と同年代
の女性でした。
「突然ゴメンナサイ。先程セミナーを見せていただいたもの
ですが・・・インテリアコーディネーターになりたいのです
が、どうしたらなれるのでしょうか?
漠然と思うだけで、どうしたらいいのかわからなくて・・・・・」
先ほどのセミナーに来られていた女性の一人でした。
私も 10 数年前、同じ思いでいたことインテリアコーディネーターは、個人でお仕事をされている人
だけでなく、ハウスメーカー、カーテン、クロスや家具などなど、いろいろな業種や分野で活躍して
いることや、その方が自分はスタートするのが遅いのではと気にしておいででしたので、今までのい
ろんな経験が生かされ、一生できる仕事ですよとお話をした。それを聞くと嬉しそうに「少しずつ、
頑張ってみます。」と帰っていかれた。
いろんな人が来ていることや、いろんな出会いがあるんだ
なぁと思いました。
いつの日か、彼女が私と同じ思いでこの場所に立っている
のかもしれません。
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FIC VOL25 JUL.2004
「さざなみ作業所で働いています
宜しかったらご協力お願いします」
金森佳子
私は FICA 設立時から入会していますが、先日の総会では新会員の方の初々しい姿を拝見して、こ
の十数年を振り返りました。仕事の情報はもちろんのこと、就職先の紹介もしてもらったこともある
し、人生の機微にある悩みの相談できる友人や先輩を得ることもできました。優れた方々とのネット
ワークを持ち得ることができました。
ところで私は昨年春より、インテリアコーディネーターを辞めて転職しました。社会福祉士の資格
を取得して精神障害者の小規模授産施設「さざなみ作業所」で職員として働いています。精神障害者
といっても、知的障害者、てんかんの方、また心の病といわれる方などさまざまの方たちです。
住環境のバリアフリーと共に心のバリアフリー化もと言われています。作業所で職員として現在働
いているものの何かのきっかけで利用者となることがあるかもしれないとごく自然に思えます。障害
を持つことも、心の病にかかることも特別のことでないと以前より思っていました。ご縁があってこ
こで働くことになりました。
利用者の皆さんは普段クッキーやケーキ、ふりかけ、石鹸、手漉き葉書、帽子づくり、オーダーカ
ーテンの生地で作ったフォトフレームなど、それぞれの適正にあっ自主製品を作ったり、マンション
清掃、ハウスクリーニング、内職的ななどの下請け仕事をしたりして、自分たちの給料を稼いでいま
す。福祉の現場ですが、給料アップの為、新たな事業開発や販路を拡大しなければならず、これまで
培った営業感覚を奮い起こさねばなりません。
施設運営費の方は国や市からの補助金がありますが、足りない上に今年度も減らされているので、
毎年大規模のバザーや物品販売活動をして資金集めを独自でやっています。物販は東京にある全国障
害者共同作業所連絡会より、選りすぐった商品のカタログ販売で、注文を取って三割位の利益が得ら
れます。すでに夏の物販は 7 月中旬までの注文が始まっています。皆様の会社で、ご友人でいくらか
取りまとめていただけるところはないでしょうか。ボランティアの感覚でご協力いただける方があり
ましたら、ご連絡ください。カタログをお送りいたしますのでよろしくお願いいたします。
さざなみ作業所
金森佳子 TEL/FAX
092-865-8685
TEL/FAX
092-922-2564
自宅
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FIC VOL25 JUN.2004
総会によせて
藤田ゆかり
皆さんは総会に出席したことがありますか?
私は、ここ 2・3 年出席していますが,仕事や家事、
いろいろなことでなかなか出席できない方もいらっし
ゃると思いますが、私は他の地区の方とも交流できる
よい機会だと思って参加しています。
第 13 回の総会は、松下電工ナイスショウルームふく
おかで6月 12 日(土)に行われました。
まず、講演ですが、今年は、西日本新聞で『コミュニ
ケーション哲学』を連載中の西南学院大学文学部教授の宮原 哲 氏でテーマは『人生をコーディネー
トするいきいきコミュニケーション』でした。
*
*
講演の中で、たとえば、
(これでいいですか?)
(これがいいですか?)など助詞の使い方でちょっと
したニュアンスがちがってくることなど、なんの気無しに使っている言葉などを再認識させていただ
きました。
それに、私たちの身近にあることや、英検の試験のエピソードなどを交えながらお話いただいて 90
分間をとても愉しく過ごさせていただきました。
総会は、小島会長の議長により、各支部や各部会の活動報告や決算、予算等が報告され、小島会長の
議長により、つつがなく、五つの議案を可決して閉会しました。
その後、行われた、交流会では、企業の方や、新規の会員さんなどが紹介された。
新規会員さんの中には若くしてインテリアを志す人だけでなく、異業種でそれぞれに活躍をされてい
て新しく、このインテリア業界に足を踏み入れた方もいらっしゃいました。
皆さんパワフルで私自身も活性された一日でした。
最後になりましたが、総会開催にご協力いただいた方々等々、大変お世話になりました。
そして、ありがとうございました。
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FIC VOL25 JUL.2004
photo by Gamou
福岡インテリアコーディネーター協会
広報部会編集
〒812-0013
福岡市博多区博多駅東 1-1-25
宝ビル 1002 号
TEL.FAX 092-483-3320
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