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リビア概況 - 中東協力センター
リビア概況 平成 21 年 7 月 中 東 第 一 課 【基礎データ】 176 万 km2 616 万人(2007 年、IMF) アラビア語 アラブ人(97%) イスラム教(97%) ジャマヒリーヤ体制( 「大衆による共同体制」の意) ムアンマル・アル・カダフィ大佐(革命指導者) 全国人民会議 全国人民委員会 首相:バグダーディ・マハムーディ 外相:ムーサー・クーサ GDP 583 億ドル(2007 年、IMF) 1 人当たりの GNI 9,010 ドル(2007 年、IMF) * 但し、カダフィ大佐は「元首」という概念を否定している。 ** 全国人民会議は、我が国立法府に近い役割を持ち、国内各地に設置されている基礎人民会議 における議論を取り纏める機関である。取り纏められた決議は全国人民委員会によって執行 される。 面積 人口 言語 民族 宗教 政体 元首格* 国会** 内閣 -1- 内政 カダフィ革命指導者体制は現在安定しており、今後も継続する見込み。また、カダフィ 指導者の子息達の社会的進出が注目される。 行政機構改革、汚職追放、行政効率化が内政上の主要な課題。 1969 年 9 月 1 日の無血革命で政権を掌握して以来、カダフィ革命指導者体制は安定し 1. て推移している。リビアは、カダフィ指導者の下、イスラム教を基調においた社会主義 的、民族主義的国家を目的とし、人民主権、直接民主主義に基づいた体制(ジャマーヒ リーヤ体制)の確立を目指している。国外にはカダフィ革命から離反したもの、或いは、 旧王制の支持者がいるが、その影響はほとんどなく、また、国内ではカダフィ指導者の カリスマ性に加え、豊かな石油資源を背景に、経済的平等を標榜した政策が維持され、 カダフィ体制に動揺は見られていない。 カダフィ指導者長男ムハンマド氏は通信公社総裁、次男セイフ・アルイスラム氏は人道 2. 主義に基づく支援活動を行うカダフィ国際慈善開発基金の総裁、三男サーディ氏は経済 自由特区の責任者等、四男ムアタシム氏は国家安全保障会議顧問を務めるなど、カダ フィ指導者子息達の社会的進出が注目されている。特に次男のセイフ・アルイスラム総 裁は、重要な外交案件に関しリビアを代表して発言する例が多く、その行動への注目度 が高い。また、近年は四男ムアタシム氏にも同様の傾向がある。 リビア内政の主要課題としては、行政の非効率、汚職、地方行政府や公社の運営失敗等 3. が挙げられる。09 月には政府機構改革を行い、これまでの 17 省体制が 12 省体制へと スリム化されたが、各省の所掌が定まっておらず、一層の混乱をもたらしている。なお、 機構改革前、カダフィ指導者が提唱していた石油収入の国民への直接分配制度は差し当 たって見送られた。 経済 豊富な石油資源を背景とする潤沢なキャッシュ・フローにも関わらず、制裁によるイ ンフラの老朽化及び大幅な行政機構の改編により、国営企業及び民間の経済活動は低 迷。 経済構造の再建のため、外国資本による投資を必要としている。最近、リビアは、経 済自由化及び外資誘致に向けた措置を講じており、欧州・アラブ諸国より活発なアプ ローチが見られる。 1. リビアは、1961 年に原油の輸出を始めるまで(1959 年に石油を発見)、目立った産業 が存在せず、アフリカ大陸の中でも最貧国の一つとして位置付けられていたが、石油輸 出開始後、80 年代には世界第 4 位に高い一人当り GNP を達成したこともあったとされ る(TIME 誌) 。従って、DAC リスト上も ODA 卒業国であった。現在も一人当たり GNI -2- は 9,010 ドル(2007 年世銀)となっており、比較的高い数字となっているが、2005 年 12 月には DAC リスト改訂時に高中所得国と分類され、ODA 対象国に復帰。我が国か らも人材育成分野を中心に技術協力が行われている。 7 年間にわたった国連安保理制裁下における国際社会からの孤立によって、リビア経済 2. は、非効率な組織や法制度、国際ビジネス慣習や英語等へのリテラシーの不足、各分野 の先端技術の欠如といった問題に直面している。そこで豊かな石油資源による潤沢な キャッシュ・フローに依存しつつも、持続的な成長を可能とする経済構造を構築するた め、外国投資の増進を中心とした産業多角化への試みが行われているが、一方で相反す る保護主義的な措置(パスポートへのアラビア語併記義務や公共標識のアラビア語表記 義務等)が取られることも多く、目覚しい成果は上がっていない。 それでも、最近のリビアの経済自由化及び外資誘致に向けた取り組みは、欧州・アラブ 3. 諸国・韓国等からの投資案件を急速に増加させている。ほかにも、リビア開発投資国際 会議の開催、外国企業の商業代理人認可の決定、WTO 加盟申請、公定・特別換金レー トの統一、関税率の引き下げ等が実施されているほか、フリーゾーンの設置等の取組も 行われている。 外交 国際社会復帰に向けた国際協調的な外交を展開。 リビアは、対アフリカ外交を外交の柱と位置付けている。 大量破壊兵器廃棄を宣言し、その後誠実に実行に移したことから、米を含め欧米諸国 との関係が急速に改善。 (1)基本的外交姿勢 1980~1990 年代に傷ついたリビアの国際的イメージの改善を図り、外資・技術の導入に よる経済開発の推進を目的として、国際社会復帰に向けた国際協調的な外交を展開してい る。2001 年には、CTBT 署名、WTO 加盟申請に加え、カダフィ国際慈善基金を通じた国 際人道支援活動を実施。2003 年 12 月には、同国の大量破壊兵器計画の廃棄を発表し、2004 年 1 月には CTBT 批准、CWC 加入、2006 年 8 月には IAIA 追加議定書加入を果たしてい る。 (2)主要外交問題 (イ)対アフリカ外交 豊かな財力を背景に、サブ・サハラ諸国の統合を試みており、カダフィ指導者はアフリカの 雄を目指している(1998 年 2 月には、カダフィ指導者のイニシアチブにより、現在アフ リカ最大の地域機関となっているサヘル・サハラ共同体(CEN-SAD)が設立された) 。2000 -3- 年 9 月の OAU(現アフリカ連合(AU))特別首脳会議では、「アフリカ連合設立宣言」の 採択に成功。2002 年 7 月のアフリカ連合(AU)発足の首脳会議においては、カダフィ指 導者の「 (G8 等)西側援助国が NEPAD を通じた援助をしたいなら、我々は歓迎しよう。 しかし、援助するものが援助されるものを卑下し、侮辱するならば、たとえ援助が必要な ものであっても我々はこれを拒絶する。」という発言が注目を集めた。 また、アフリカ地域の紛争解決・管理にもイニシアチブを発揮しており、コンゴ(民)の 混乱回避のための派兵、エチオピア・エリトリア紛争の和平交渉、スーダン和平・和解に向 けたリビア・エジプト合同イニシアチブの推進、中央アフリカへの派兵、ブルンジのアルー シャ和平協定等への貢献、チャド政府及び反体制派との和平交渉促進、モーリタニア政党 間の和平交渉、ニジェール・マリ国内の反政府部族の武装解除等を実施してきた。 この他にも、豊かな財政力を背景に、アフリカ諸国に対し、資金援助、債務の免除や肩代 わり、経済協力等を推進しており、リビアに経済的に依存している等の理由で親リビアの 立場を取っているアフリカ諸国は相当数にのぼる。そのため、AU においてリビアは隠然 たる発言力を持っており、南ア、ナイジェリア、セネガル、アルジェリア、エジプトなど の他のアフリカの大国もリビアを無視し得ない状況となっている。 (ロ)対アラブ外交、中東和平 アラブ連盟及びアラブ協調に対しては、懐疑的な態度をとっている。特に中東和平問題に 対しては、2002 年 3 月、イスラエルもパレスティナ国家も承認せず、共存するために「イ スラティナ」を和解によって建設することが必要であるとの立場を取っている。また、ア ラブ連盟に関し、 マグレブ諸国は、 二級のアラブ国扱いをされていると不満を述べている。 (ハ)対米外交 2001 年以降、リビア最大の外交課題は米国との関係改善であった。2001 年 8 月 3 日、ブッ シュ米大統領は、イラン・リビア制裁延長法(5 年間の延長)に署名、発効し、同年 11 月 には米国人の対リビア渡航禁止も延長。それに対し、リビアは、同年の 9.11 米テロ事件後 の米国の軍事行動を容認する姿勢をとり、対米関係改善に努めた。 両国最大の懸案事項であるロッカビー事件ついては、2002 年 3 月 14 日、有罪判決を受け たリビア人公務員の控訴審が棄却され有罪が確定(現在、スコットランド・グラスゴーに 収監中)したこと等を受け、2003 年 9 月、遺族への賠償金支払いに合意、事件の責任を 認知。これを受けて、停止中だった国連制裁が正式に解除され、更に同年 12 月の自主的 な大量破壊兵器計画の廃棄決定及びその後の誠実な対応により、米国は 2004 年 2 月約 30 年ぶりに国務次官補をリビアに派遣するとともに、米国民のリビア渡航制限を解除する措 置をとった。米国は、同年 4 月にはイラン・リビア制裁法のリビアへの適用を解除、7 月 には連絡事務所(利益代表部からの格上げ)の相互開設実現、9 月には在米リビア資産凍 結や米・リビア直行便の禁止などの対リビア制裁残余措置を解除。2006 年 5 月 30 日には、 米連絡事務所を大使館に昇格させ、同年 6 月 30 日には「テロ支援国家リスト」からリビ アを削除した。2007 年 4 月には、ネグロポンテ米国務副長官が、同年 7 月にはタウンゼ -4- ント大統領補佐官(国土安全保障担当)がリビアを訪問。2008 年 9 月にはライス国務長 官がリビアを訪問し、カダフィ指導者と会談。同年 10 月にはリビア側がロッカビー事件 等の遺族への補償金を全て支払ったことにより、両国関係が完全に正常化した。その後も 同年 11 月にはセイフ・アルイスラム・カダフィ国際慈善開発基金総裁が米国を訪問しラ イス国務長官と会談、同年 12 月には駐リビア米国大使が着任。また、2009 年 4 月には、 ムアタシム国家安全保障会議顧問が米国を訪問し、クリントン国務長官と会談した。 (二)対欧州外交 欧州諸国との関係は概して改善傾向にある。関係が悪かった英には在英リビア大使が復帰 し、露ともエネルギー分野における協力関係の強化が行われている。伊、仏を始め、欧州 からの議員・政府要人訪問は活発化し、2004 年 3 月にはブレア英首相がリビアを訪問し、 長年敵対関係にあった両国関係の改善を強烈に印象づけた。同年 10 月には、EU 理事会が 対リビア武器禁輸措置を解除し、11 月には、シラク仏大統領がリビアを訪問し、原子力の 平和利用に関する協力可能性を示唆した。2007 年 5 月には、ブレア英首相がリビアを再 度訪問し、特に英・リビア経済関係強化を印象づけた。2007 年 12 月には、カダフィ指導 者が、ポルトガル、仏、スペインと欧州を歴訪。2008 年 8 月にはベルルスコーニ・伊首 相がリビアを訪問、伊・リビア友好協力協定に調印し、植民地時代の補償を約束。同年 10、 11 月には、カダフィ指導者がロシア、ベラルーシ、ウクライナを歴訪し、メドベージェフ 大統領らと会談。2009 年 6 月には、カダフィ指導者がイタリアを答礼訪問し、両国の関 係改善を印象づけた。 なお、リビアはブルガリアとの間で、ブルガリア人医療関係者に対する死刑判決問題を抱 え、昨今のブルガリアの EU 加盟とも相俟って、EU・リビア間の重要な課題となっていた が、07 月にブルガリア人医療関係者のブルガリアへの帰国をもって解決された。 我が国との関係 (1)概況 我が国とリビアの関係は、1988 年ロッカビー事件を契機に、1992 年に国連安保理対リビ ア制裁が開始されて以来、低調に推移してきた。しかし、1999 年 4 月に制裁が停止され、 2003 年 12 月にリビアが大量破壊兵器計画放棄決定を行って以降、関係は拡大している。 (2)政治関係 1999 年 4 月の国連安保理制裁停止、2003 年 9 月の同制裁解除、2003 年 12 月のリビアに よる大量破壊兵器計画放棄決定以降、要人往来が活発化している。 -5- <参考:近年の主な要人往来(肩書きは全て当時)> リビア要人の訪日 我が国要人のリビア訪問 1983 年12 月 ラジャブ全国人民会議事務局書 1974 年 1 月 小坂元外務大臣(総理特使) 記長(国会議長) 1979 年 11 月 日本・リビア友好使節団(団 1985 年 4 月 モンタセル重工業担当全国人民 長:木村元外務大臣、超党派 委員会書記(大臣) 議員団) 8 月 トレイキ対外連絡担当全国人民 1985 年8 月~9 月 委員会書記(大臣) (外賓) 日本・リビア友好協会友好使 10 月 ヒガーズィ人民委員会担当書記 節団(団長:櫻内元外務大臣) (首相) 1998 年 11 月 日本・リビア友好協会友好使 2000 年 2 月 ズリティニー経済貿易担当全国 節団(団長:柿澤元外務大臣) 人民委員会書記(大臣) (高級実 1999 年 9 月 貿 易 投 資 シ ン ポ ジ ウ ム 出 席 務者) (団長:柿澤元外務大臣) 2001 年 6~7 月 2000 年 9 月 荒木外務総括政務次官 サーディ・カダフィサッカー協会 会長 2002 年 9 月 ズリティニー国営石油公社総裁 2004 年 6 月 逢沢外務副大臣(総理特使) 12 月 福島外務大臣政務官 (第 8 回国際エネルギーフォー 2005 年 11 月 日・AU 友好議連北部アフリカ ラム) 訪問団(団長:尾身元科学技 2003 年 9 月 シアラ対外連絡国際協力担当副 術担当大臣) 書記(副大臣) (TICADⅢ) 2006 年 4 月 日本・リビア友好協会使節団 2004 年 8 月 シアラ対外連絡国際協力担当副 (町村元外務大臣、柿澤元外 書記(副大臣) 務大臣) 2005 年 4 月 セイフ・アルイスラム・カダフィ 8 月 松田内閣府科学技術政策・IT 国際慈善基金総裁(博覧会賓客) 担当大臣(総理特使) 2006 年 7 月 ガーネム・リビア国営石油公社総 12 月 小池内閣総理大臣補佐官(国 裁(前首相) 家安全保障問題担当) 9 月 マアトーク労働・訓練・雇用担当 2007 年 3 月 松田参議院議員(元内閣府科 全国人民委員会書記(大臣) 学技術政策・IT 担当大臣) 2008 年 1 月 シアラ対外連絡国際協力担当副 6 月 岩屋外務副大臣 書記(副大臣) (カダフィ指導者 6 月 日本・リビア友好協会使節団 特使) (団長:柿澤元外務大臣) 5 月 バラーニ・リビア外務省アジア担 当書記(副大臣) (TICADⅣ) 2009 年 3 月 バラーニ・リビア外務省アジア担 当書記(副大臣) (3)経済関係 石油・天然ガス分野を中心に、我が国企業がリビアに進出している。また、我が国は、リ ビアに対し、自動車をはじめ、一般機械、電気機械等を輸出しており、我が国の大幅出超 (2008 年の輸出額は約 374 億円、輸入額は約 8 億円となっている。〔出典:財務省貿易統 計〕 ) 近年の動向として、2005 年 10 月にリビアで行われた第二回石油鉱区公開入札で我が国企 業 5 社が 6 鉱区落札し、リビアにおける石油開発事業に初めて進出した。2006 年 12 月 20 日には、第三回石油鉱区公開入札が実施され、我が国企業 2 社が 2 鉱区を落札した。 -6- (4)文化交流関係 柔道に対するリビアの関心は高く、2000 年 4 月及び 2004 年 11 月に柔道専門家 5 名 を派遣。 国費留学生を毎年 3 名程度受け入れている。 2005 年日本国際博覧会(愛・地球博)に公式参加。同年 4 月には、「砂漠は沈黙では ない」展(リビアの現代・古美術展)を東京にて開催。 2007 年は日・リビア外交関係樹立 50 周年を記念して、和凧作成デモンストレーショ ン、邦楽グループ「東 CO-CHI 風」による公演(国際交流基金海外公演主催事業)及 び日本映画「遠き落日」上映を実施。 -7-