...

サイエンス in カナダ

by user

on
Category: Documents
21

views

Report

Comments

Transcript

サイエンス in カナダ
 ーエッセイ
リレ
▼
▼
研究の森の中から
サイエンス in カナダ
伊倉光彦
日本からみると,カナダという国は米国の影に隠れて
CIHR のグラントは NIH のそれに比べて,予算規模
いて,国民性の違い,文化の違い,社会システムの違い
の面で2∼3割小さいというのが常識です.かといって,
などは,あまり知られていないのではないでしょうか?
研究のレベルや生産高がとくに劣っているということも
サイエンスの世界においても,米国と共通する点は
ないようで,カナダ人の言い方を借りれば,「われわれ
多々ありますが,その国民性を反映したカナダ独自のシ
は米国に比べてコストパフォーマンスが高い」というこ
ステムというものがあります.その違いを知ることは日
とになります.隣に巨大国を抱えるお国柄で,カナダは
本のサイエンスのあり方を考えるうえでも参考になるの
いつも米国の存在が気になります.
ではないかと思い,今回はこれをテーマとして,『研究
の森の中から』の2
0
0
6年第1号を書くことにします.
グラントの予算規模が米国に比べて小さいといいまし
たが,その中身を比べると必ずしもそうとはいえませ
ん.第1に,米国では主となる研究者(PI)
の給料をグラ
米国に NIH があるように,カナダにも CIHR(Cana-
ントから支払うことが一般的ですが,カナダではそうい
dian Institutes of Health Research)
という国立保健研究
うことはありません.PI の給料は,所属する研究機関
機関があります.CIHR の前身は英国にならって MRC
のコア予算からでるか,スカラーシップを通して支払わ
だったのですが,2
0
0
0年に名前を CIHR に変え,組織
れるので,自分のグラントに自分の給料を計上すること
も大幅に変わりました.新組織は,おもに疾患によって
はありません.第2に,米国に比べてカナダのほうが大
分類された複数の研究所から構成されています.この点
学院生やポスドクのための奨学金制度が充実していて,
は NIH とよく似ていますが,カナダ流の部分もかなり
その分グラントの負担が減ります.研究室全体でみれ
残した形になっています.一言でいうと,看板は変わっ
ば,個々のグラントが米国より小さい替わりに,PI を
たけれども,中身は今まで通りという部分があります.
含めた研究員の給料がさまざまな形で別に供給されてい
この改組によって,CIHR という大看板のもとにいくつ
るので,それらすべてを総合すると,米国とカナダとの
かの研究所ができました.たとえば,Institute of Cancer
あいだでグラントの予算規模に大差はありません.よう
Research や Institute of Genetic などがあります
(詳しく
するに,公的資金をどのように配分するかでお国柄がで
.しかしながら,中身
は,http://www.cihr―irsc.gc.ca)
ているようです.
はバーチャル的で,専用の建物があるわけでもなく,専
属の研究者がいるわけでもありません.では,どこで研
ところで,大学の研究者の給料はどのように査定され
究をしているかというと,それは大学であったり公立の
るのでしょう?
研究機関であったりするわけです.そして,研究者は各
人化が進むなかで,ひとつの関心事ではないでしょう
地にある大学の教授や公立研究機関の研究員なのです.
か?
CIHR のどのバーチャル研究所に所属するかは,グラン
級制チャートに従って,そして,毎年ある人事院勧告に
トを申請するときに,申請者がプロジェクトのテーマに
則して,年を重ねるごとに少しずつ上がっていく(最近
則して各自適当と思われる研究所を選びます.私の場
は下がることもあるとか)
しくみですね.もし仮に,米
合,Genetics と Infection and Immunity のグラントを
国やカナダでそういうチャートを使っている大学があっ
もっているので,この2つの研究所に所属していること
たとすれば,その大学の優秀な研究者は待遇の良いほか
になります.
の大学に流れていくでしょうから,その大学の存在自体
88
蛋白質 核酸 酵素 Vol.51 No.1 (2006)
この問題は,日本の大学の独立行政法
これまで日本の国立大学では,文科省の定める等
が危機に陥るのは明白です.それでは,昇給はどうやっ
て決めるのか?
カナダのグラント審査制度は,基本的に米国のそれと
通常,学部長(研究科長)
が毎年,研究
同じです.ピアレビュー制度が浸透していて,審査は厳
者の業績や功績に鑑みて評価を下します.その評価を基
粛かつ厳密に行なわれます.複数の審査員が専門家とし
に,学部全体の予算を考慮しながら昇給が査定されま
ての意見をレポートにまとめ,そのレポートを土台にし
す.この仕事は学部長の大きな仕事のひとつで,その公
て,7,8人からなる審査委員会で審議が進められます.
平性や正当性が学部長自身の評価にもつながります.
もし仮に,評価の対象となる研究者が自分の教え子であ
具体的な研究者の評価法は大学や学部の事情によって
ったり,同じ大学もしくは学部の同僚であったりする場
異なりますが,通常,各研究者はアニュアルレポートを
合は,その審査委員はそのときだけ席をはずして残りの
提出します.そこでは,その年に出した論文業績,招待
委員のみで審査を続けます.いわゆる“コンフリクト・
講演,グラント,賞罰,特許,それから教育活動,委員
オブ・インタレスト(利益相反)
”を自主的に明示して退
会等参加,などなど,大学に対するさまざまな貢献度が
席するのが常識です.このような審査方法や倫理的感覚
評価の対象になります.どの項目に重点を置くかは大学
こそが,公平かつ競争的な科学社会の原則・基盤となっ
や学部ごとにかなり異なると思いますが,私の所属する
ています.とはいっても,やはりカナダには独特の気風
研究中心の大学院では,最初の3点で9
0% 以上の比重
というものもあるように感じます.それを一言で表現す
を占めます.すなわち,論文が出ていなかったり,グラ
“大国アメ
ることはむずかしいのですが,違いの根源は
ントの獲得状況が悪かったりすると,その年の昇給に反
の特性にあるように思わ
リカのそばにある小さな社会”
映します.逆に,それらの項目で顕著な成績を収めれば,
れます.すなわち,集団として自己防御的で,どこかで
昇給が優位になります.ですから,同世代の研究者のあ
アットホーム的なところが存在します.サイエンスのコ
いだでも給料に大きな差が生ずることがあります.誰が
ミュニティーも米国に比べて小さいですから,各分野の
どのくらいの給料をもらっているかに関してみな気には
なかでは皆が皆を知っているという状況が生じ,評価が
なると思いますが,そのような感情によって学部内の人
“身内的”になりかねません.ましてや,米国のようにグ
間関係や研究・教育に支障をきたすというようなことは
ラントの成否が申請者の給料の有無に直接連結していま
あまり聞きません.ひとつには,年齢に関係なく正当な
せんので,評価の鋭さ,厳格さが不適正な場合が生ずる
評価によって正当な報酬を与えることが社会のコンセン
ことも否定できません.プラスの側面はと考えると,過
サスとして定着しているのでしょう.もちろんその延長
剰な競争の助長に歯止めがかけられていて,競争精神と
には,性・人種・国籍による差別を不当とする社会基盤
協力精神とのバランスがうまくとれている,という見方
があります.これらの点については,日本は社会的に遅
もできます.こういう小さくておおらかな社会の特性を
れていると言わざるをえません.その遅れは,とくにサ
生かした形で,これからもカナダの科学が発展していく
イエンスの分野で顕著で,一刻も早く是正していく必要
ことを願います.日本も独自の文化や社会の特性にあっ
があると私は思います.
たより良いシステムを構築し,科学をとりまく環境が健
余談ですが,米国の某医科大学の学部長を務めている
知り合いの I 教授と話したとき,自分より2
0歳も若い
全にさらなる発展をとげることを心から期待していま
す.
R 助教授がハワード・ヒューズの研究員になり,学部長
である彼よりも高い給料をもらっていると,嬉しそうに
カナダの科学事情や海外での研究生活の一端を私のブ
話してくれたのを思い出しました.自分の学部の若い研
0
0
5)
で紹介していま
ログ(http://blog.goo.ne.jp/mikura2
究者の成功を歓待し自慢する言葉が,とても清々しく素
すので,興味のある方はご覧ください.
敵に聞こえました.
(トロント大学/オンタリオ癌研究所)
蛋白質 核酸 酵素
Vol.51 No.1 (2006)
89
Fly UP